伝統板・第二

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神社~今月の言葉(9月) - 夕刻版

2021/09/01 (Wed) 14:00:09

【今月の東京都神社庁よりのお言葉(令和三年九月)】

ロバート・ベーデン=パウエル

   幸福を得る本当の道は
   ほかの人に幸福を
   分け与えることにある

   「この世の中を君が受け継いだ時より
    少しでもよくするように努力し、
    あとの人に残すことができたなら、
    死ぬ時が来てもとにかく一生を無駄に過ごさず
    最善をつくしたのだという満足感をもって、
    幸福に死ぬことができる。」

   と続きます

          『ラストメッセージ』より抜粋


ロバート・ベーデン=パウエル

ボーイスカウト運動の創始者。
自身の体験から野外教育を基礎にした青少年教育に
関心を持ち一九〇七年英国ブラウンシー島で二十人の少年達と
実験キャンプを行なった。

少年達の成長に確信を得て、翌年スカウト運動の事務所を設置。
現在も世界百六十九の国と地域でボーイスカウト運動が行なわれている。

   (http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/inochinokotoba/r0309/

          <感謝合掌 令和3年9月1日 頓首再拝>

【今月の白山比咩神社よりのお言葉 (令和三年九月)】 - 伝統

2021/09/02 (Thu) 13:30:49


百姓(ひゃくせい)昭明(しょうめい)にして

   万邦(ばんぽう)を協和す

           ~ 書 経 ~


人々がそれぞれの徳を明らかにすれば、
全世界が仲よくすることができます。

百姓とは人民ひいては全ての人たちの意味で
元号「昭和」の出典のもとであります。

          <感謝合掌 令和3年9月2日 頓首再拝>

【北海道神社庁、9月のことば(令和三年長月)】 - 伝統

2021/09/03 (Fri) 13:56:24


 すなほなる身をそのままに、
 すなほなれと教ゆる道も亦すなほなる

            ~ 若林強斎和歌 ~

 この和歌は、人間は素直さが一番だと説いている。

 素直とは人間がありのままの心を持ち、
 ありのままの生活をすることが最も望ましい、というのである。

 「ありのままの心」とは、神から魂を戴いて、この世に生まれた以上、
 「神の心のままの心」を持つことが一番だとしたものである。

 「神の心」とは何か。

 一般にいう清浄、正直でもよい。

 「有り難いという心」を持つべきであるとしてもよい。

 神から戴いた魂である以上、「俺が」という我をもつべきでないとすること、
 そのすべては、「素直な心」である。

 人間は「素直になれ」と神が教えられているからは、
 素直な心、素直な考えで生きるより外に満ちはない。


       (続神道百言  一般財団法人神道文化会編より抜粋)

 (https://hokkaidojinjacho.jp/leaflet/#kotoba
    → 「今月のことば」令和3年9月<長月>をクリック)

          <感謝合掌 令和3年9月3日 頓首再拝>

【今月の東京神社庁よりのお言葉(令和ニ年九月)】 - 伝統

2021/09/04 (Sat) 12:54:31

ルートヴィヒ・グットマン

   失ったものを数えるな

    残されたものを最大限に活かせ

    (http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/inochinokotoba/r0209/

          <感謝合掌 令和3年9月4日 頓首再拝>

【今月の白山比咩神社よりのお言葉 (令和二年九月)】 - 伝統

2021/09/05 (Sun) 13:03:11


 自(みずか)ら恃(たの)みて
   人を恃(たの)むこと無かれ

          ~ 韓非子 ~


   私たちが一番信頼し、頼りにすべきは、自分自身です。

   人に助けてもらうことは大切ですが、
   それに頼ってばかりではいけない。

   何事も自信を持って困難に挑戦していく力をつけましょう。


    ( http://www.shirayama.or.jp/kotoba/k02.html )

          <感謝合掌 令和3年9月5日 頓首再拝>

【北海道神社庁、9月のことば(令和ニ年長月)】 - 伝統

2021/09/06 (Mon) 03:44:51


 みな人の祈るこころもことわりに
     背かぬ道を神や受くらむ

            ~ 藤原為守・玉葉集 ~

 いかなることでも、道理に背いたこと、
 道理に背いた祈りを神はお受けにならない

 神の御納受になることは、道理に叶ったことだけである。
 一見、無理な、出来がたいお願いごとであるように見えても、
 それがかなえられるのは、祈る人の真心が神の心に通じてこそである。

 「ことわり」という言葉は元来、すべての言葉、行為、事態について
 これを充分に分析し、その本当の姿を、認めることである。

 神社信仰では神のみ教えが、「清く、正しく、睦まじく」とある以上、
 自分の願いごとがそれに叶っているかどうか、心の中を神の鏡にうつし見て、
 少しも心にやましい影がささないならば、神の道理に叶っているとしてよい。

 但しその写し方が、本当のものであるかどうか、心を鎮めて、
 よりよく考えるべきである。

 初めから道理に叶わないことは、祈るべきではない。
 苦しいとき、悲しいとき、これを神に訴え、自分の心を聞いて頂くことと、
 無理な願いごとをすることは、おのずから別である。

 (https://hokkaidojinjacho.jp/ → 「今月のことば」令和2年9月<長月>)

          <感謝合掌 令和3年9月5日 頓首再拝>

【今月の東京神社庁よりのお言葉(令和元年九月)】 - 伝統

2021/09/06 (Mon) 13:51:50


 上皇陛下


   夕やみの せまる田に入り

   稔りたる 稲の根本に

   鎌をあてがふ

   ( http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/inochinokotoba/r0109/ )


          <感謝合掌 令和3年9月6日 頓首再拝>

【今月の白山比咩神社よりのお言葉 (令和元年九月)】 - 伝統

2021/09/07 (Tue) 13:05:35


 身体髪膚 これを父母に受く

          ~ 孝経 ~


   自分の身体は、父と母から授かったものであるから
   親に心配をかけない為にも健康に気を遣い大事に
   しなければなりません。

   また、両親にとって一番の願いは、
   子どもが健康でいてくれることなのです。


    ( http://www.shirayama.or.jp/kotoba/k31.html )

          <感謝合掌 令和3年9月7日 頓首再拝>

【北海道神社庁、9月のことば(令和元年長月)】 - 伝統

2021/09/08 (Wed) 04:13:38


 寝てゐて人を起こすことなかれ

            ~ 石川理紀之助・農道要点 ~

 農業を営むものは、率先垂範でなければならぬ。
 朝は太陽の昇るときに起き、日没と共に仕事を終えて家路に就く。

 稲・果実・野菜は自然の生殖物だから、
 自然、太陽と月との上昇、下降と共に、
 その恩恵を充分摂取するのでなければ、物にならない。

 その意味で朝早く起きるに際し、自分は主人だからといって、
 寝床の中から、家族使用人に対し 「時間だ、もう起きよ」と
 命令を下していたのでは、完全な仕事は出来ぬ。

 太陽の恩恵と月の寒冷とを、身を以って味わうのでなければ、
 農耕は完全なものとならない。

 軍隊にあっても、将校が寝て部下に命令を下せようか。

 せねばならぬことは率先垂範でなさねば成功しない。

 家族に勉強せよといって、自分が勉強せずして、立派な人になれようか。

 人世は努力・努力の連続である。

       (続神道百言  一般財団法人神道文化会編より抜粋)

 (https://hokkaidojinjacho.jp/leaflet/#kotoba
    → 「今月のことば」令和元年9月<長月>をクリック)


  *「老農」石川理紀之助

     http://www.pref.akita.jp/fpd/meigi/meigi-02.htm

          <感謝合掌 令和3年9月7日 頓首再拝>

【今月の東京神社庁よりのお言葉(平成三十年九月)】 - 伝統

2021/09/08 (Wed) 13:08:54


 良寛

  いかにして まことの道に

  かなひなむ 千(ち)とせのうちの

  一日なりとも



    千年のうちで
    たとい一日でも
    誠の道に叶うような
    行ないをしたいものだ。

        『蓮(はちす)の露』(貞心尼 編)

  (http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/inochinokotoba/h3009/

          <感謝合掌 令和3年9月8日 頓首再拝>

【今月の白山比咩神社よりのお言葉 (平成三十年九月)】 - 伝統

2021/09/09 (Thu) 00:21:19



 時に安んじて順に処れば、

    哀楽入る能わず

  (安時而処順、哀楽不能入也)

           ~ 荘子 ~

    (http://www.shirayama.or.jp/kotoba/k30.html


  (意味)

 時のめぐり合わせに安んじ自然の流れに従っていれば哀も楽もない。

 人生の節目では頑張ることも必要であるが、
 流れに逆らわない自然の生き方を心がけたい。

          <感謝合掌 令和3年9月8日 頓首再拝>

【北海道神社庁、9月のことば(平成三十年長月)】 - 伝統

2021/09/09 (Thu) 12:47:54


 恩を受けて恩ともおもふなら、

    恩を報ずる心あるべし

          ~ 橘 弘政 ・心の百首 ~




  (説明)

 人から恩を受け、その恩を本当に感謝しているなら、
 その恩に報いるだけの心を持つべきである。

 報恩感謝の四字を口にするが、本当に恩に感謝し、
 それに報いるだけのことをしているかと聞かれると、
 恥ずかしい限りである。

 昔から天地の恩、君の恩、父母の恩、衆生の恩といわれる。
 古い言葉であるが、これらの恩を時には沁々と考え、
 その各々に対して自分の処すべき道を考えたことが
 あるであろうか。

 人は自分が自力で生きているように思い勝ちであるが、
 実際は天地の恩、人の恩によって生かされているのが本当の姿である。

 自分をあたたかく抱きかかえてくれる周囲に対して、
 常に感謝の念をもって、これに報いるだけの自分でありたい。

 生かされてい生きる自分であることに眼ざめる道が
 ここに開かれている。

          ・・・

≪参考≫
江戸時代の飢饉を生きた神官の言葉。
心からありがたく思う。たとえ形や行動に表れなくても、
報いようという姿勢は人の心に届くものである。

橘弘政(たちばな ひろまさ)
江戸時代中後期の伊勢の外宮(豊受大神宮)の祠官。
本名は久保倉弘政。(久保倉氏は伊勢の神宮の大工職を家業とする家柄)
天明六年(1786)に『心百首』(今月の生命の言葉の出典)を出版し、
長引く飢饉に荒れる世の人々を道歌で和ませた。

       (神道百言  一般財団法人神道文化会編より抜粋)

 (https://hokkaidojinjacho.jp/leaflet/#kotoba
    → 「今月のことば」平成30年9月<長月>をクリック)

          <感謝合掌 令和3年9月9日 頓首再拝>

【今月の東京神社庁よりのお言葉(平成ニ十九年九月)】 - 伝統

2021/09/10 (Fri) 14:11:13


 荒木田守武


 虎にのり かたはれ舟に のれるとも
   人の口はに のるな世中(よのなか)


 (説明)

 たとえ虎に乗るとか、壊れた舟に乗る様なことがあろうとも、
 世の中を生きてゆく上は人の噂にのぼる様なことをするな。

    ※口の端(は)に上(のぼ)る=うわさになる
    『世中百首』


 荒木田守武 (あらきだ もりたけ)

   文明五年(一四七三)~天文十八年(一五四九)。
   室町後期の連歌、俳諧作者。伊勢神宮内宮三禰宜荒木田守秀の子。
   神宮を中心とする伝統社会に育ち、
   世中百首(伊勢論語)、守武千句、俳諧独吟百韻等を作り、
   山崎宗鑑と共に俳諧独立の機運を作る。


  (http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/inochinokotoba/h2909 )

          <感謝合掌 令和3年9月10日 頓首再拝>

【今月の白山比咩神社よりのお言葉 (平成ニ十九年九月)】 - 伝統

2021/09/10 (Fri) 20:26:18


  智慧有(ちえあ)りと雖(いえど)も

   勢(いきお)いに乗(じょう)ずるに如(し)かず

           ~ 孟子 ~

    (http://www.shirayama.or.jp/kotoba/k29.html )


  (意味)

  どんなに知恵があり、またその知恵を振り絞って
  何事かを成そうとしても、
  勢いに乗る者にはかなわないものである。

  我慢強く時が来るのを待つ心得が大切です。

          <感謝合掌 令和3年9月10日 頓首再拝>

【北海道神社庁、9月のことば(平成ニ十九年長月)】 - 伝統

2021/09/11 (Sat) 13:20:12


 誠は天の道なり、

    之を誠の道にするは人の道なり

          ~ 子思・中庸 ~


 (説明)

 誠は「天の道」という。
 「天の道」は漢土の考え方で、
 わが国では「神の道」と考うべきである。

 神のみ心が「誠」であり、
 誠の実現を望むのが神の道であるとしてよい。

 然し神と人間との関係からみるときは、
 人間こそ神の実現のために、
 努力に努力を重ねていく必要がある。
 

 「誠」は「真事」で、「真理」であると考えてもよい。
 神の道は真理であり、われわれは真理実現のために、
 一生をかけるとしてよい。

 何が真理であるか。
 神道では古来、正直の二字、清浄の二字にこれを置いて、
 それに徹底せよ、と教えてきている。

 時に臨んで誠の内容をどう表現したらよいか、
 考えられたい。

       (続神道百言  一般財団法人神道文化会編より抜粋)

 (https://hokkaidojinjacho.jp/leaflet/#kotoba
    → 「今月のことば」平成29年9月<長月>をクリック)

          <感謝合掌 令和3年9月11日 頓首再拝>

【今月の東京神社庁よりのお言葉(平成ニ十八年九月)】 - 伝統

2021/09/12 (Sun) 02:56:37


 世の中に おもひやれども

 子を恋ふる 思ひにまさる 思ひなきかな

             ~ 紀 貫之 ~


 (説明)

  世の中には様々な思いがあるけれど、

  わが子を恋しく思う気持ちに勝るものはない


  『土佐日記』

  紀貫之(きのつらゆき)

  貞観八年(八六六)~天慶八年(九四五)。*諸説あり。

  平安時代の歌人で三十六歌仙の一人。
  延喜五年(九〇五)に醍醐天皇の命により『古今和歌集』を編纂し、
  仮名による序文を執筆した。

  『土佐日記』は我が国初の日記文学で、
  後の仮名文学・随筆等に大きな影響を与えた。

  (http://www.otorisama.or.jp/kotoba_pdf/kotoba201609.pdf )

          <感謝合掌 令和3年9月11日 頓首再拝>

【今月の白山比咩神社よりのお言葉 (平成ニ十八年九月)】 - 伝統

2021/09/12 (Sun) 16:09:36


  徳(とく)は孤(こ)ならず 必(かなら)ず隣(となり)あり
           
           ~ (徳不孤、必有鄰) 論語 ~

    (http://www.shirayama.or.jp/kotoba/k28.html )


  (意味)

  徳のある人物は孤立しない。必ず共鳴者が現れてくるものです。

  生命の源でもある水は、すべてを受け入れる優しさがあります。
  そして、命あるものは、その水の力と豊かさによって
  草木が生い茂り、動物が集まり広大な生態を作ります。

  人間社会でも寛容で思いやりがあり、正しい道を歩む人には、
  自然と素敵な仲間が集まります。


          <感謝合掌 令和3年9月12日 頓首再拝>

【北海道神社庁、9月のことば(平成ニ十八年長月)】 - 伝統

2021/09/13 (Mon) 13:46:40


 人は乃ち天下の神物なり

    心神を傷ましむるなかれ

          ~ 伊勢二所皇大神宮御鎮座伝記 ~


 (説明)

 人間はそれぞれ祖神から一つづつ魂を頂き、
 この世に生を受けている。

 このことを考え、これを認めるのは、
 自分の心の働きである。

 この神から頂いた心に傷をつけず、
 これを大切にすることが、神を仰ぐ道であるとする。


 同署には、これにつづいて
 「神は垂るるに祈祷を以って先となし、
 冥は加ふるに正直を以って本となす」
 の有名な言葉が附いている。

 これは、真剣な祈祷(全智全霊をあげての祈り)を
 すれば必ず、神は霊験を現わして下さる。

 毎日の心・身の持ち方としては、
 正直の二字を守り実行するものには、
 必ず神は御加護を垂れて下さるとの意が、
 前言につづいているのである。 

       (神道百言  一般財団法人神道文化会編より抜粋)

 (https://hokkaidojinjacho.jp/leaflet/#kotoba
    → 「今月のことば」平成28年9月<長月>をクリック)


・・・

<参考>

国文学資料館【伊勢二所皇太神御鎮座伝記】
   http://base1.nijl.ac.jp/iview/Frame.jsp?DB_ID=G0003917KTM&C_CODE=0357-001413

          <感謝合掌 令和3年9月13日 頓首再拝>

【今月の東京神社庁よりのお言葉(平成ニ十七年九月)】 - 伝統

2021/09/14 (Tue) 15:42:28


 たなつもの 百(もも)の木草(きぐさ)も 

 天照(あまてらす)らす 日の大神の めぐみえてこそ

             ~ 本居宣長 ~


 (説明)

 稲や五穀、多くの草木に至るまですべて
 太陽が照らして万物の成長を促してくれるお蔭である。

 食事をする時には天照大御神の広大無辺の御神徳を思い
 感謝して頂きましょう。


            出典『玉鉾百首』

  (http://www.otorisama.or.jp/kotoba_pdf/kotoba201509.pdf

・・・

<参考:玉鉾百首を讀まう
    http://takato112.blog80.fc2.com/blog-entry-1131.html >

          <感謝合掌 令和3年9月14日 頓首再拝>

【今月の白山比咩神社よりのお言葉 (平成ニ十七年九月)】 - 伝統

2021/09/15 (Wed) 13:03:46


  富みて礼を好む

           ~ 論語 学而第一 ~


  (意味)

  人は経済力など豊かになればなるほど傲慢になる人が多いが、
  むしろ礼儀正しくなるようでありたいものである。

  「稔(みの)るほど 頭を垂れる稲穂かな」

    (http://www.shirayama.or.jp/kotoba/k27.html  )

          <感謝合掌 令和3年9月15日 頓首再拝>

【北海道神社庁、9月のことば(平成ニ十七年長月)】 - 伝統

2021/09/16 (Thu) 15:31:10



 ただ慎(つつしみ)の一字こそ眼なれ、

    神に仕ふるには、慎にかぎる事也

          ~ 度会延佳・陽復記 ~


 (説明)

 慎とは「人生は八分目ぞよし」とすることである。
 十分とは満ちれば欠くる世の如く、
 足らないのも満足すべき状態だとはいえない。

 中秋十五夜の満月は一日しかない。
 あとの三十日は満月のためにある。

 
 過不及なきを中というとある。
 人生体験は八分目の成功をよしとする。


 神に奉仕する道も慎の一字につきる。
 完璧を期しても、完璧ということはあり得ない。


 「慎みとは八分目」をよしとするのは、そのためである。 

       (続神道百言  一般財団法人神道文化会編より抜粋)

 (https://hokkaidojinjacho.jp/leaflet/#kotoba
    → 「今月のことば」平成27年9月<長月>をクリック)

・・・

<参考>

度会延佳 (わたらい のぶよし)

元和元年(一六一五)~元禄三年(一六九〇)。
江戸中期の伊勢神宮の神道学者。
初め延良、後に延佳と改めた。
号は愚太夫・直庵と号した。

この二つの号をまとめると「愚直」で、延佳は人から「馬鹿正直」といわれても、
まことしやかな人間になるよりはましとして一生正直の二字を守り通したという。

豊受大神宮の権禰宜に補し、元禄三年に歿した。享年は七十六。

           ・・・

『陽復記』は、伊勢神道を復興させた度会延佳(わたらいのぶよし)が、
慶安3 (1650) 年に脱稿、さらに稿を補って宝永7 (1710) 年に刊行した。

『陽復記』上(86頁)
http://tsubouchitakahiko.com/?p=4456

2巻。後期伊勢神道の代表的な一書。
上巻は天神七代、地神五代、天孫降臨、三種神器、内外両宮鎮座由来等について記し、
下巻では神道と儒教、また仏教との関係、両宮の祭神、遷宮などについて
問答体で記している。

前期伊勢神道諸書に比し、きわめて通俗平易な文体で記すなかに、
易の理を入れ説いている。

著者延佳は伊勢神道の再興者として知られ、「本書は後光明天皇の叡覧に供している。

          <感謝合掌 令和3年9月16日 頓首再拝>

【今月の東京神社庁よりのお言葉(平成ニ十六年九月)】 - 伝統

2021/09/17 (Fri) 13:19:28


 父母はわが家の神わが神と

 心つくしていつけ人の子

             ~ 本居宣長 ~


 (説明)

 生命を与えて下さった父母に感謝し、
 神様のように心を尽くして大切にしなければならない。


  (http://www.otorisama.or.jp/kotoba_pdf/kotoba201409.pdf )

          <感謝合掌 令和3年9月17日 頓首再拝>

【今月の白山比咩神社よりのお言葉 (平成ニ十六年九月)】 - 伝統

2021/09/18 (Sat) 04:36:36



  忍激の二字は、

     これ渦福の関なり

           ~ 呻吟語(しんぎんご) ~

    (http://www.shirayama.or.jp/kotoba/k26.html )


  (意味)

  ものごとに対して、じっとこらえて辛抱することと、
  感情を激発させるということは幸と不幸の分かれ目になる。

  あとで後悔するよりも、その場は堪えて粘り強く生きることが
  後々の幸せを招くのである。


  【呻吟語】

  中国・明代の哲学者呂坤(りょこん)が著す。
  友人知人による良心の言葉を集めた自己啓発の書。
  呻吟とは病気の際のうめきを指す。

          <感謝合掌 令和3年9月17日 頓首再拝>

【北海道神社庁、9月のことば(平成ニ十六年長月)】 - 伝統

2021/09/18 (Sat) 14:58:03


 親といへば父母のみに限らじな

    代々の祖(おや)あり 元つ祖(おや)あり

          ~ 野田菅麿・謹詠教育百首 ~


 (説明)

 神道とは親・祖先。祖神とのつながりを信じ、
 かつ祖先の心を心とする道である。

 親というと、現在の人々は自分を生んでくれた両親のことだけを
 かんがえているが、その親には親があり、段々さかのぼっていけば、
 祖先があり、その祖先にも、この祖先を生んでくれた元祖(もとつおや)
 の神のあることに、気がつかねばならない。

 古典で「オヤ」というときは、常に祖先のことを含めていったもので
 あることは、両親のうちに、祖先・祖神を見ていたことを意味です。

 祖孫一体、神と祖先との血のつながりを信ずる生き方は、
 神と祖先との敬愛のつながりの中に生きることであります。 

       (神道百言  一般財団法人神道文化会編より抜粋)

 (https://hokkaidojinjacho.jp/ → 「今月のことば」平成26年9月<長月>)


<参考:謹詠教育百首
    http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1102366

          <感謝合掌 令和3年9月18日 頓首再拝>

【今月の東京都神社庁よりのお言葉(平成ニ十五年九月)】 - 伝統

2021/09/19 (Sun) 13:00:38


 秋来ぬと 目にはさやかに 見えねども

   風の音にぞ おどろかれぬる



             ~ 藤原敏行 ~


 (説明)

 秋が間違いなくやって来たとは目にはまだはっきりとは見えないけれども、
 風の音に自然にそれと気付かされて、はっとすることだ。

       出典『古今和歌集』

  (http://www.otorisama.or.jp/kotoba_pdf/kotoba201309.pdf )

          <感謝合掌 令和3年9月19日 頓首再拝>

【今月の白山比咩神社よりのお言葉 (平成ニ十五年九月)】 - 伝統

2021/09/20 (Mon) 15:31:29


  信以(しんもっ)てこれを成(な)す

  君子義以爲質 禮以行之 孫以出之 信以成之  

             
          ~ 論語 ~

  (意味)

  何をやるにもやり方というものがある。

  やろうとしていることが社会的な正義にあっているか、
  それを実行するには礼儀から外れないように、
  人々の信頼を得、誠実に行なえば、多くの人々の協力により
  思った以上の成果を出すことが出来る。

          <感謝合掌 令和3年9月20日 頓首再拝>

【今月の東京都神社庁よりのお言葉(平成ニ十四年九月)】 - 伝統

2021/09/21 (Tue) 12:44:43



 敬天愛人

             ~ 西郷隆盛 ~


 (説明)

 天を敬い、天が人々を愛するように人を愛する。

   『南洲翁遺訓』

  (http://www.otorisama.or.jp/kotoba_pdf/kotoba201209.pdf )

          <感謝合掌 令和3年9月21日 頓首再拝>

【今月の白山比咩神社よりのお言葉 (平成ニ十四年九月)】 - 伝統

2021/09/22 (Wed) 14:57:28


   仁(じん)に里(お)るを美(よ)しと為(な)す

  
          ~ 論語・里仁篇 ~

  (意味)

  思いやりに満ちた仲間や生活は、自然にできた訳でもなく、
  誰かが教えてくれた訳でもなく、
  ましてや勝手に集ってきたものではありません。

  心の暖まる仲間とか、一緒にいると幸せを感じるなど、
  それらは自分が求め選んだものなのであります。

  そして、自分が何を選ぶべきかを知ることが、
  幸せになるための一つの知恵なのです。

          <感謝合掌 令和3年9月22日 頓首再拝>

【今月の東京都神社庁よりのお言葉(平成ニ十三年九月)】 - 伝統

2021/09/23 (Thu) 16:29:58


 未だかつて邪は正に勝たず


             ~ 菅原道真 ~


 (説明)

 邪(よこしま)なことはどんなことがあっても、結局正義には勝てない。

 正義の上に道理と勝利のあることを信じて生きぬくべきである。

  『菅家後草』

  (http://www.otorisama.or.jp/kotoba_pdf/kotoba201109.pdf )

・・・

『菅家文草・菅家後集』(かんけぶんそう・かんけこうしゅう)
 → http://www.winbell-7.com/roman/mokuroku/nihon-3/nihon0030001.html

          <感謝合掌 令和3年9月23日 頓首再拝>

【今月の白山比咩神社よりのお言葉 (平成ニ十三年九月)】 - 伝統

2021/09/24 (Fri) 12:42:22


   足るを知るの足るは

         常に足るなり

              ~ 老子 ~

  (意味)

  満足するということを知っていれば、
  いつも満たされていて幸せである。

  満足を知らずに、自分に欠けているものをいつも
  追い求めていては、自分の心が満たされることは決してない。

  満足することを知ろう。

          <感謝合掌 令和3年9月24日 頓首再拝>

【今月の東京都神社庁よりのお言葉(平成ニ十ニ年九月)】 - 伝統

2021/09/25 (Sat) 14:51:19


 多忙とは 怠け者の遁辞である    
 

     遁辞(とんじ) … 言いのがれ


             ~ 徳富 蘇峰 (とくとみ そほう)  ~


 (説明)

 世には「忙しい忙しい」と口癖のように言う人がいるが、
 それはなまけ者の言いのがれでしかない。

 計画を立て今日すべきことを一つ一つしていくことが肝心であるといういましめ。

https://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/014/418/53/N000/000/000/128326091131916208785_img046.jpg

          <感謝合掌 令和3年9月25日 頓首再拝>

【今月の白山比咩神社よりのお言葉 (平成ニ十ニ年九月)】 - 伝統

2021/09/26 (Sun) 16:29:12


   人の生(い)くるや直(なお)し。

   之(これ)を罔(し)いて生(い)くるや、
   幸(さいわ)いにして免(まぬが)るるなり。
           
              ~ 論語 雍也第六 ~

  (意味)

  「元来人はまっすぐなものだ。
  それを曲げて生きるのは、幸いに天罰を免れているに過ぎない」 
 
  人はすべて点のはたらきによって生まれたもので、
  元来誰でも澄んだ心の鏡を与えられている。

  従って常にその鏡を磨き、たびたび自分を映して
  誤りのないようにするのが人の道である。

          <感謝合掌 令和3年9月26日 頓首再拝>

【今月の東京都神社庁よりのお言葉(平成ニ十一年九月)】 - 伝統

2021/09/28 (Tue) 03:43:58


 改めて益なきことは

  改めぬをよしとするなり

             ~ 吉田兼好 ~


 (説明)

 『徒然草』百二十七段。

  新しい取り組みによりよい結果が出るのであれば改めたほうが良いが、
  何も益のないことは改める必要はない。
  政治の指針にされる言葉である。

          <感謝合掌 令和3年9月27日 頓首再拝>

【今月の白山比咩神社よりのお言葉 (平成ニ十一年九月)】 - 伝統

2021/09/28 (Tue) 15:59:19


   父母はわが家の神 わが神と

    心つくしていつけ人の子   
                                        
              ~ 玉鉾百首・本居宣長詠 ~

  (意味)

  自分がこんにちまであるのは、父母が生んでくれたおかげである。

  父母は最も身近な我が家の守り神でもあり、
  子は身心を清めて神をまつり孝養を尽くすことが大切である。


  最近の世相は父母を大切にしないようで残念に思う。
  こうしたことを十分反省してなごやかな家庭を営むべきである。

          <感謝合掌 令和3年9月28日 頓首再拝>

【今月の白山比咩神社よりのお言葉 (平成ニ十年九月)】 - 伝統

2021/09/29 (Wed) 13:17:22


 雨風も紅葉も月雪も何れも神の姿なりけり
                                        
              ~ 修験道諸神勧請通用 ~

  (意味)

  天地万物はどこから、誰によって発生せしめられ、存在し、
  生きつづけているのか。

  その自然の姿を生あるものとして認め、
  天地間の全てのものを神の心の現れとして尊重し、
  愛育する教への基がそこにある。

  神の姿の変化がそこに生きている。


  修験道諸神勧請通用
  ・・・室町時代から江戸時代にかけて、修験道による神祭りの作法を教へたもの

          <感謝合掌 令和3年9月29日 頓首再拝>

【今月の白山比咩神社よりのお言葉 (平成十八年九月)】 - 伝統

2021/09/30 (Thu) 15:19:16


  心は則 神明の舎 形は天地と同根たり

   (こころはすなわちしんめいのみあらか かたちはてんちとどうこんたり)


          -吉田兼倶・神道大意-


  (説明)

   人間は神明のタマシヒの分魂を受けて、この世に出生したものである。
   人間の最も尊いのは、自分の魂(心)であること。
   神明の魂のよっているところ。

   又、人間の形にしても天地の生気を受け、その原素は天地の原素と同じである。
   則ち、神も天地も人間も同体である。

       ・吉田兼倶は室町時代中期の神道家。吉田神道の大成者

          <感謝合掌 令和3年9月30日 頓首再拝>

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