伝統板・第二

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生命の教育 ⑧ - 伝統

2021/07/04 (Sun) 06:22:37

谷口雅春先生のお言葉(令和3年7月号「生命の教育」誌)


【明るい心と表現で家族は幸福になる】

《自分の雰囲気は家族に影響を与えている》

      *(新装新版『真理』第2巻250~251頁)より

人間を善くしようと思うならば、
それは自分の子供の教育であっても、
また社会的に人間一般の改善であっても、

先(ま)ず自分自身をよく観察して見て、
「自分」とは如何なるものであるかを
知らなければならないのである。

自分は如何なる雰囲気を出しているか。
これを知ることが第一である。

雰囲気とは、自分が周囲に発散さすところの
何となき精神的な匂いとか、精神的な空気と云うようなものである。

この雰囲気が周囲の人々に非常な影響を与えるものなのである。

母親の精神雰囲気は最も児童に影響を与えるものであり、
夫の精神雰囲気は妻に最も影響を与えるものであり、
妻の精神雰囲気は夫に最も影響を与えるものなのである。

    *「眞理」第2巻基礎篇第11章(P295~296)より

・・・

<参照>「生命の教育」令和3年7月号 より
    (https://www.shinkyoren.jp/publics/index/34/

「生命の教育」令和3年7月号 主な内容

▼特集 お母さんはわが家の太陽

家庭が和やかで温かい雰囲気になると、
毎日の生活が楽しくなり元気がみなぎってきますね。

谷口雅春先生は「女性は家庭の太陽である」とおっしゃいました。

何よりお母さんが明るい言葉、にこやかな笑顔で、
太陽のような存在でいることが、ご主人や子供たちを健やかにし、
心を豊かにし、日々の活力を与える原動力になるというのです。

家庭の中を明るく照らすお母さんになりましょう。

            ・・・

巻頭のことば「全学科0点も優等生になった――
内奥には完全な実相があるに」

新教育者連盟理事長 代田健藏

特集 お母さんはわが家の太陽
明るい心と表現で家族は幸福になる 谷口雅春

「お母さん」という資格                  杉山紀代子
実践してみよう! 家族みんなを明るく照らしましょう     山田裕子
夫に寄り添う妻でありたい                 三浦杏奈

明るく陽気なお母ちゃん                  釆原啓子
子供自身の存在を認める                  樋渡百合恵
感動のサプライズ                     沼田真弓


《特別インタビュー》
子供を信じれば厳しくできる
                      元中学校教諭 鎌倉弘行

子育てワンポイント(50) 主体性を持たせる         出口正博

子育てQ&A 自信をつけさせたい             大原和子
       注意しても反抗するばかり          小林義典
       勉強に気持ちを傾けさせたい         齋藤千鶴子

子育ては母育て(104) 授乳にかかわる諸問題⑹       田下昌明
世界がおどろく日本の魅力⑸ 世界一の水の国――日本    井上雅夫

日本国憲法の問題点(69) 日本製ワクチンが出来ない理由  勝岡寛次
日本のしきたり(43) 「半夏生」              辻川牧子

親子で読むものがたり(106) 親子の心がひとつになる   南 敏雄

小学生の作文「お父さん、お母さんありがとう」

新教連活動あらかると
 ◇ 読者の声、新教連の令和3年度運動方針の要項、小・中学生作文募集、
   教育アドバイザー養成課程の募集ほか
 ◇ 7月支部行事
暑中お見舞い・名刺広告
事務局短信・編集後記・次号案内



・・・

<関連Web>

(1)伝統板・第二「生命の教育 ①」
     → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6833626

(2)伝統板・第二「生命の教育 ②」
     → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7673404

(3)伝統板・第二「生命の教育 ③」
     → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7745476

(4)伝統板・第二「生命の教育 ④」
     → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7812318

(5)伝統板・第二「生命の教育 ⑤」
     → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7865326

(6)伝統板・第二「生命の教育 ⑥」
     → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7966921

(7)伝統板・第二「生命の教育 ⑦」
     → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=8019877

         <感謝合掌 令和3年7月4日 頓首再拝>

《まず母親みずからが善くなることから》 - 伝統

2021/07/05 (Mon) 03:27:53


谷口雅春先生のお言葉(令和3年7月号「生命の教育」誌)


【明るい心と表現で家族は幸福になる】

《まず母親みずからが善くなることから》

      *((新編『生命の實相』第22巻71~72頁))より

子供は最も多く母親のなすこと、いうことの影響を受
けるのでありますから、母親の性質とか心持(こころもち)、
態度というものが子供に最も多く現れて来るのであります。

でありますから、皆さんがお子さんにもっとよい性質がほしいと思われたら、
先(ま)ず自らを省みて自分がよくなって頂くことが肝腎なのであります。


子供というものは、 「お前は悪い悪い」と叱(しか)っても
なかなかよくなるものではありません。

常に善い方面を見るようにして、悪は見ずに、
子供の完全円満な実相を見るようにして、それを賞(ほ)め言葉で
誘導していれば必ずよくなって来るのであります。

(中略)

命令や吩咐(いいつけ)よりも、行いで手本を示されますと、
子供は直(す)ぐその真似(まね)をするものでありますから、
常に子供によい実例を示し、常によき行為の模範になることが
大切であります。

         <感謝合掌 令和3年7月5日 頓首再拝>

《幸福とは心が楽しい生活》 - 伝統

2021/07/06 (Tue) 04:16:48


谷口雅春先生のお言葉(令和3年7月号「生命の教育」誌)


【明るい心と表現で家族は幸福になる】

《幸福とは心が楽しい生活》

      *((新版『生活読本』135~136頁))より

明るい生活の中にはすべての善いものが集まってくるのです。

昔から「笑う門には福来る」という諺がありますが、
にこにこ笑っていると、自然に善いことが集まってくるのです。

人をたのしく愉快にしてあげることは
美しい行いであり善いことであります。

その楽しく愉快にしてあげるには、
色々の贈物(おくりもの)をさしあげるのも、
一つの方法でありますけれども、

物をさしあげなくとも吾々がにこにこ楽しい顔つきをして、
たのしい心を他の人に移してやれば
それが最も深切な、人に幸福を与える方法であります。


家の中に一人でも不機嫌な人がありますと、
その家の人達の心全体が乱れてくるのです。

そして家族は始終病気をしたり、
面白くないことばかり起こってくるのです。

そんな家に住んでいる人は、
お金を百万円つんであっても幸福だということはできません。

幸福な生活とは心がたのしい生活です。
家族互いにうれしそうな顔をして
にこにこせずにはいられない生活が幸福な生活です。

         <感謝合掌 令和3年7月6日 頓首再拝>

《あなたの明るい心が必要なのです》 - 伝統

2021/07/07 (Wed) 04:32:35


谷口雅春先生のお言葉(令和3年7月号「生命の教育」誌)


【明るい心と表現で家族は幸福になる】

《あなたの明るい心が必要なのです》

      *((新版『生活読本』144頁))より

うれしい顔をするには何の資本(しほん=もとで)もいりません。
深切な目付きをするにも何の資本(しほん)もいらぬのです。

吾々は、この人をよろこばしてあげたいとただ思うだけで
深切な顔にもなれたり、愉快な微笑を顔に浮かべたりできるのです。

あなたの愉快な顔つきは曇った日にさしこんで来た太陽の光のようなものです。
周囲の人が苦虫をかみつぶしたような顔をしていればいるほど、
あなたの明るい顔が必要なのです。

どんな富や財産をもっているよりも明るい心をもっているものは、
もっとも尊い宝をもっているものだといわなければなりません。

         <感謝合掌 令和3年7月7日 頓首再拝>

《愉快な輝かしい顔から幸福があらわれる》 - 伝統

2021/07/09 (Fri) 06:33:11


谷口雅春先生のお言葉(令和3年7月号「生命の教育」誌)


【明るい心と表現で家族は幸福になる】

《愉快な輝かしい顔から幸福があらわれる》

      *(新版『生活読本』144~145頁)より

先ずあなたの顔を鏡にうつしてごらんなさい。

当たり前にしている時の心持でわざと顔の表情をかえないで、
今あるままの顔で、口をボンヤリ開いているならば開いているままで、
眉をしかめているならばしかめているままで、
ソーッと今あなたの机の上にある手鏡を、あなたの顔に前に持ってお出でなさい。

そして、その鏡の中にうっている自分の顔をごらんなさい。

あなたの顔は明るい気持ちの好い顔をしておりますか。
あなたの今のその顔は自分でも好きですか。
自分でもいやになるような陰気な顔をしておられはしませんか。

口がポカンとあいている癖があったら、
これから常に心を引締めて物を言わない時には、
口がしっかりつぐんでいる習慣をつけましょう。

眉をひそめている習慣があるのは、心が常にイライラしているか、
あせっているか、悲しんでいるか、狭い心でいる証拠ですから、
眉を左右に伸ばしてのんびりした広々とした愉快な気持ちにおなんなさい。

そして口のあたりに微笑をたたえて、
すべての物に微笑みかける気持ちになんなさい。

そういう人は人生の宝です。

世の中が世智辛くなって、みんながイライラした顔をしている中に、
そういう愉快な輝かしい顔をしている人は人生の宝です。

人生の宝ならば、あちらからも、こちらからも、
来てほしいという人が沢山あって、
思わぬ幸福はそこから生まれて来るのです。

これが出世する道、幸福になる道です。

         <感謝合掌 令和3年7月9日 頓首再拝>

啐啄同時 - 伝統

2021/07/30 (Fri) 04:49:45


    *『光明道中記(7月30日 随所に主(ぬし)となる日)』より抜粋

【これは絶対真理、これは対気説法であると云う区別を知って
 絶対真理を摑(つか)むようにしなければなりません(『生命の實相』第十五巻)】


雲門と同時代の禅僧で、法眼宗の開祖である法眼和尚と云う人がある。
なかなか対機説法の上手な人である。

対機説法と云うものは中々難しい。
小学生に大学の講義をしても分らぬ。
猫に小判、豚に真珠である。

大学生に小学の講義をしたのでは判るには違いないが、
面白くないから逃げ出してしまう。
それは啐啄同時(すいたくどうじ)でなければならぬ。

啐(すい)は雛鳥が内からつつくことである。
啄(たく)は親鳥が外から啄(つつ)くことである。

中から出ようとしている悟りのちょうどそこを説いて
引っ張り出してやるようにしなければならない。

児童の教育でも才能が出ようとしている、
その点をその時期を失せずほめて引き出すのが骨(こつ)である。

これが出来なければ教師となり導師となることは出来ない。

         <感謝合掌 令和3年7月30日 頓首再拝>

日本人は古来から、すべては一つの信念をもっている - 伝統

2021/08/01 (Sun) 04:46:09


谷口雅春先生のお言葉(令和3年8月号「生命の教育」誌)


【すべてを一体として愛するのが日本人の精神】

《日本人は古来から、すべては一つの信念をもっている》

      *(新装新版『真理』第3巻241頁)

日本民族は総(すべ)てバラバラに分かれているのを一つに
綜合(そうごう)するところの天分を持っているのでありまして、
日本の国の名前を「大和(やまと)」と名づけられたということも、

「や」というのは「弥々(いよいよ」と云(い)う字が当てはまるので、
いよいよ多いという意味であります。

「《まと》」というのは「纏(まと)める」という意味であります。

弓で射る「的(まと)」を「まと」というのも、同じことでありまして、
中心に纏(まと)まって」いる姿を現わしています。

いろいろに分かれていても、その悉(ことごと)くが
一つに纏(まと)まるべきものであって、決してバラバラのものは存在しない、
宇宙は一つである、世界は一つであるというところのその人生観が、

古代の日本民族を通して現在の日本民族に至るまで
ずっと貫き通しているところの民族的信念とでもいうべきものなのであります。

    *「眞理」第2巻初学篇第18章(P283~284)より

・・・

<参照>「生命の教育」令和3年8月号 より
    (https://www.shinkyoren.jp/publics/index/34/

「生命の教育」令和3年8月号 主な内容

巻頭のことば「建国の理想を生きる」
新教育者連盟理事長 代田健藏


▼特集 日本の国に誇りをもとう

 わが国では現在、新型コロナウイルスのまん延防止に取り組むなか、
 東京オリンピック・パラリンピックの開催に向けた準備が進められ、
 世界中からも大きな注目を集めています。

 それは日本の安全・安心といった面ばかりでなく、
 わが国の長い歴史にもとづいた、文化、伝統、日本人の精神性なども
 また注目されているのです。

 わが国のすばらしい特長を学び、
 日本人として生まれた喜びと誇りをもつことは、
 子供たちの教育にとっても大変重要です。

 日本のすばらしさを親子で一緒に学びましょう。

           ・・・

すべてを一体として愛するのが日本人の精神      谷口雅春

建国2681年の重みが日本の一番の誇り        木村次郎
天皇という「世界の奇蹟」               岡田幹彦
国民と苦楽を共にされる天皇陛下            伊藤八郎

素晴らしい日本の心を子供たちに!           藤波礼子
日本の歴史に触れる楽しさ               町野真由美

子育てワンポイント(51) 話せる雰囲気を!      出口正博

子育てQ&A 親の言うことを聞かない息子       大原和子
       友達から無視されて悲しむ娘       小林義典
        子供に習慣を身につけさせるには     杉山紀代子

子育ては母育て(105) 授乳にかかわる諸問題⑺     田下昌明

世界がおどろく日本の魅力⑹ 海の恵み――豊かな和食文化 井上雅夫

日本国憲法の問題点(70) 皇統は何故「男系」継承なのか 勝岡寛次

日本のしきたり(44) 「立秋」              辻川牧子

親子で読むものがたり(107) 生き物を大切にしましょう 南 敏雄
小学生の作文「お父さん、お母さんありがとう」

新教連活動あらかると
◇ 読者の声、小・中学生作文募集、会員入会等のご案内ほか
◇ 8月の支部行事
事務局短信・編集後記・次号案内

         <感謝合掌 令和3年8月1日 頓首再拝>

日本の建国の理想は「愛」である - 伝統

2021/08/03 (Tue) 04:34:05


谷口雅春先生のお言葉(令和3年8月号「生命の教育」誌)


【すべてを一体として愛するのが日本人の精神】

《日本の建国の理想は「愛」である》

      *(新装新版『真理』第3巻232~233頁)

日本民族は、人類互に相和そうと云う理想をもって、
国をはじめたのでありまして、 「大和(やまと)」の国号(こくごう)が
それを示しているのであります。

これが日本建国の精神なのであります。

「形は心をあらわす」と云う諺(ことわざ)がありますが、
日本人の発明した風呂敷を見ればわかります。
風呂敷はどんな形のものでも、その形を毀(こわ)
さずに一緒に包んでしまうことが出来るのであります。

他の国を毀(こわ)して併呑(へいどん)するのは覇道(はどう)であって、
日本の皇道(こうどう)ではありません。

日本の精神は風呂敷精神であります。

総(すべ)ての物を毀(こわ)すことなく一つに包んで「人類」と兄弟となり
一家族となるのを建国の理想としているのが日本民族であります。

(中略)

「人類は互に一つだ」と云う大和(だいわ)の精神が日本精神でありますから、
日本の建国の理想は「愛」だと云うことが出来るのです。

「愛」と云うのは、どの人種も、元は一つと云う自他一体の自覚であります。

自分と他(ひと)とは形の上では別々であっても、
生命は一体だと云う自覚です。

「私はあの人を愛する」と云うことは、あの人と私とは本来一つである。
そこで彼の悦びを私の悦びとし、彼の悲しみを私の悲しみと感ずる、

これが「愛」であります。

それは、或は男女の恋愛のようにも現われ、
或は父母親子の愛と云うような関係にも現われ、
或は家族が一体であると云う感じの家族愛と云うものになって現われ、
或は国を愛する愛国心ともあらわれ、
或は人類を愛する人類愛ともなって、あらわれます

吾々はこれらの色々の愛を、その内の一つでなく、
みなことごとく調和した相(すがた)で愛し得(う)るように努力するとき、
偏った人間ではなく「全人(ぜんじん)」としての
完全な人間の魂がみがかれるのであります。

(『真理』第3巻(P272~274)より)

         <感謝合掌 令和3年8月3日 頓首再拝>

日本の「実相」を見出(みいだ)せば生甲斐がでてくる - 伝統

2021/08/04 (Wed) 04:29:27


谷口雅春先生のお言葉(令和3年8月号「生命の教育」誌)


【すべてを一体として愛するのが日本人の精神】

《日本の「実相」を見出(みいだ)せば生甲斐がでてくる》

       (新装新版『真理』第7巻272~273頁)

愛し得(う)る値打(ねうち)のある国というものがあれば
愛するけれども、愛し得る国としての資格があるかないかわからん
現状のような日本国では愛することができないというのは、

それは国というものを、唯(ただ)、単に形にあらわれている
現状の国 ―― 即(すなわ)ち現象の国家 ―― だけを
日本国だと思っているために、こんなに強盗(ごうとう)や、
強姦(ごうかん)や、失業者や、ストライキや、戦争や、

つまらないことばかり充満している此(こ)のような国家は、
愛することはできないということになるのでありますけれども、

その現実の奥に「理念の日本の国」なるところの、目に見えざる
「国の本体」なるものをみたならば、

其処(そこ)に希望が生まれ、其(そ)の国に生きていることに、
生甲斐(いきがい)を感じ、其(そ)の国を愛することができるのであります。

外面の現象は如何(いか)にともあれ、それを内在の理念 ――
理想に近づけて行くところに希望が持て、勇気が出、生甲斐(いきがい)
が感じられて来るのであります。

此(こ)の肉眼には見えないけれども、既(すで)に在(あ)るところの
日本をつくり出した「完全模型」即(すなわ)ち「実相」というものを、
智慧に依(よ)って直観して、それを見出(みいだ)し、

そうした完全模型(理念)に向って、国を推(お)し進めつつある
日本国民が自分だ、という自覚が出て来たときにのみ、
本当に日本人としての生甲斐(いきがい)が感じられてくるのであります。

         <感謝合掌 令和3年8月4日 頓首再拝>

日本を愛することで真に世界に貢献できる - 伝統

2021/08/06 (Fri) 04:53:25


谷口雅春先生のお言葉(令和3年8月号「生命の教育」誌)


【すべてを一体として愛するのが日本人の精神】

《日本を愛することで真に世界に貢献できる》

       (新編『生命の實相』第6巻96~97頁)

日本に生(うま)れた日本人は日本を愛し善くすることによって
世界に奉仕し、人類に貢献すべきであります。

日本人が日本的であることが、世界のためになるのは、
桜の木が桜の花を咲かせることによって人類を喜ばすのと
同様であります。

国民がその国土に生れて、その国土から恩恵を受け、
自分が現在安穏(あんのん)に生活を続けられているのも
全(すべ)て国土のお蔭(かげ)です。

国土の恩(おかげ)と同時に、
その国土の開発につぶさに艱苦(かんく)を嘗(な)めつつ
努力して来られた祖先の賜(たまもの)でもあります。

此(こ)の恩この賜(たまもの)の一切を否定してしまって、
祖国などはどうでも好(よ)い、祖先の意志などというものは
どうでも好(よ)いものだというように

祖国に対して反逆的思想をいだくということは、
恩の否定、賜(たまもの)の否定、感謝の否定ということになって、
これは神の道 ―― 人の道ではないのであります

         <感謝合掌 令和3年8月6日 頓首再拝>

《家族の精神は互に相即相入している》 - 伝統

2021/08/26 (Thu) 04:52:06


     *「眞理」第2巻基礎篇第11章(P295~296)より

人間を善くしようと思うならば、
それは自分の子供の教育であっても、
また社会的に人間一般の改善であっても、

先(ま)ず自分自身をよく観察して見て、
「自分」とは如何なるものであるかを
知らなければならないのである。

自分は如何なる雰囲気を出しているか。
これを知ることが第一である。

雰囲気とは、自分が周囲に発散さすところの
何となき精神的な匂いとか、精神的な空気と云うようなものである。

この雰囲気が周囲の人々に非常な影響を与えるものなのである。

母親の精神雰囲気は最も児童に影響を与えるものであり、
夫の精神雰囲気は妻に最も影響を与えるものであり、
妻の精神雰囲気は夫に最も影響を与えるものなのである。

併(しか)し、先ず貴方はどんな雰囲気を出していますか。

         <感謝合掌 令和3年8月26日 頓首再拝>

子供のことに取越し苦労をしてはならない - 伝統

2021/09/01 (Wed) 04:47:05

谷口雅春先生のお言葉(令和3年9月号「生命の教育」誌)

【わが子は“善” であるのが本当のすがたです】

《子供のことに取越し苦労をしてはならない》

        *(新編『生命の實相』第22巻2頁)

多くの母親は子供のことをあまりに取越苦労するために、却(かえ)って
子供に悪(あく)思念を放送して子供の健康や運命を害している。

或(あ)る母親は一瞬間でも自分の眼の前にいないと
心配でたまらないのである。

彼は自分の想像の中(うち)で、
躓(つまず)いて転んでいる自分の子供の姿を思い浮べる。

自動車にひかれて死にかかっている自分の子供の姿を思い浮べる。

水に陥(はま)って溺(おぼ)れかかっている自分の子供の姿を思い浮べる。


世の母親よ、何故(なぜ)あなたはこの反対をしてはいけないのか。

こんな取越苦労が起るのは、
子供を神の子だと思わないで人間の子だと思うからである。

神の子は神が育て、人間の子は人間が育てる。
人間の子だと思うものは終生(しゅうせい)取越苦労をして育てねばならぬ。

子供を神の子だと思うものは、
子供を尊敬して出来るだけその世話をさせては頂くが、
神が守ってい給(たま)うと信ずるが故(ゆえ)に
取越苦労は必要はないのである。

人間力で子供を生かし得(う)ると思うなら
終日(しゅうじつ)終夜(しゅうや)起きて子供の番をしておれ。

それは出来なかろう。

出来ない間に子供を生かしているのは神の力である。


・・・

<参照>「生命の教育」令和3年9月号 より
    (https://www.shinkyoren.jp/publics/index/34/

「生命の教育」令和3年9月号 主な内容

巻頭のことば
「天皇陛下を讃えるマ元帥――ご自身の運命問題とせず」
新教育者連盟理事長 代田健藏


▼特集 子育ての悩みはこれで解消できます

多くの親、とくに母親の皆さんは、子供を育てるにあたって
その時々でさまざまな悩みや不安を抱えていらっしゃることでしょう。

谷口雅春先生は、
そうした不安や心配に見える子供のすがたは本物ではなく、
その奥に素晴らしい善性にあふれた子供の実相があり、
その実相を観て、信じ、引き出す教育法について説かれました。

ここで紹介されているQ&Aなどの具体例を参考に、
子供への観方、接し方を変えてみましょう。

           ・・・

わが子は“善” であるのが本当のすがたです         谷口雅春

子育ては親が成長するチャンス               大原和子

「イヤ」という息子への対応が分からない           嶺 敏子
何でもお友だちの真似をする娘               長嶺多津枝
指示待ち型の子供の気持ちを変えたい            杉山紀代子

不登校になってしまった娘が心配!             菊池正規
勉強と部活動の両立に悩む息子へのアドバイスは       森田峯好

不仲になった思春期の姉と弟への対応に困っている      山本由美子
外泊する娘は援助交際をしているかも            小林義典

《特別寄稿》学校崩壊の危機
           前勇志国際高等学校長 野田将晴

子育てワンポイント(52) 何を語り継ぐか?          出口正博
子育ては母育て(106) 食事の始まりは躾の始まり⑴       田下昌明

世界がおどろく日本の魅力⑺ 世界に冠たる木の文化の国   井上雅夫

日本国憲法の問題点(71) 無観客オリンピックで遠のいた改憲  勝岡寛次

日本のしきたり(45) 「敬老の日」               辻川牧子

親子で読むものがたり(108)
           自分の善行を自慢しないようにしましょう 南 敏雄

小学生の作文「お父さん、お母さんありがとう」

新教連活動あらかると
 ◇「 寺子屋楠公さん」が詩吟の機関誌で紹介、読者の声、
  小・中学生作文募集ほか
 ◇ 9月の支部行事
事務局短信・編集後記・次号案内

         <感謝合掌 令和3年9月1日 頓首再拝>

子供には本来善ばかりの実相がある - 伝統

2021/09/03 (Fri) 04:53:43

谷口雅春先生のお言葉(令和3年9月号「生命の教育」誌)

【わが子は“善” であるのが本当のすがたです】

《子供には本来善ばかりの実相がある》

        *( 『生命の實相』頭注版第30巻39~40頁)

人間には仮(かり)の相(すがた)と本当の相(すがた)とがあるのです。

仮の相(すがた)というのは(中略)、
親が心で縛(しば)っているとそれに反抗するために、
あるいは操行(そうこう)がわるくなったり、成績が悪くなったりして、
周囲の心の反影(はんえい)として出てくる、

これが仮の相(すがた)でありまして、
本来その子の操行がわるいのでも学業の成績が悪いのでもないのであります。

人間の本来の相(すがた)、本当の相(すがた)は神の子でありますから、
「本来この子は善い」と、子供の実相(じっそう)、その本当の相(すがた)
を見て、それを拝み出すようにしますと

――拝むといっても、あながち掌(て)を合わさなくてもむろんよいのですけれども

――心で子供を拝む

――「うちの子供は本当に神の子であって立派な子である。
   放っておいても大丈夫である。
   決して悪くなるようなことはないのである」

と子供を信じて心で拝むのであります。

         <感謝合掌 令和3年9月3日 頓首再拝>

子供を善くするには言葉の力が大切 - 伝統

2021/09/06 (Mon) 04:53:57

谷口雅春先生のお言葉(令和3年9月号「生命の教育」誌)

【わが子は“善” であるのが本当のすがたです】

《子供を善くするには言葉の力が大切》

        *( 『生命の實相』頭注版第30巻6~7頁)

今までの教育家のやっておられる教育法をみますと、
たいていは人間のわるいところを見つけまして、

それを「ここが《わるい》から直せ」というふうなことを
常に言ってきたのであります。

そうして「お前はできが《わるい》からよく勉強せよ」
こういうような調子で教えてきたのであります。

そうするとその子供はどういうふうになってゆくかといいますと、
「お前ができがわるいから」とこう言われると、言葉の力によりまして、
「自分はできが《わるい》」ということを強く強く心の底に
印象させられるのであります。

そうして「できが《わるい》からやれ、やれ」と言われますと、
「わたしはできがわるいのだやらなくちゃならない」と思いましても、
心の底に、

「自分は成績が《わるい》のである、頭が《わるい》のである、
よくできないのである」という強い信念がその子供の潜在意識に
強く印象しておりますから、勉強しようと思っても
勉強に興味が起こらないのであります。

それをいやいや「できないできない」と思いながら勉強しましても、
本当にその勉強が心に這入(はい)らない、

そのため、いくら勉強しても、その効果があがらないということになる
のであります。これが言葉の力であります。

         <感謝合掌 令和3年9月6日 頓首再拝>

わが子を褒めましょう - 伝統

2021/09/09 (Thu) 04:46:51

谷口雅春先生のお言葉(令和3年9月号「生命の教育」誌)

【わが子は“善” であるのが本当のすがたです】

《わが子を褒めましょう》

        *(新編『生命の實相』第22巻167~169頁)

言葉は種子(たね)を蒔(ま)く。
それは必ず芽を出して実(み)を結ぶのである。

家庭から(中略)罵(ののし)りの声が絶えない限りは、
かかる家庭で育てられた子供が生長して造り上げた社会が
善くならないのは当然の事である。

種子(たね)は、遙(はる)かの幼時(ようじ)に蒔かれている。

詳しくいえば幼児以前の胎教(たいきょう)に於(おい)ても蒔かれている。
胎教以前にその魂(たましい)の前生(ぜんしょう)の経験や、
祖先の遺伝の種子(たね)もあるのである。

因果(いんが)はめぐる、
だから吾々はこれらの悪い種子(たね)の力を奪(うば)ってしまうために
反対の種類の種子(たね)を蒔かなければならないのである。

それは賞讃(しょうさん)の種子(たね)である。
讃嘆(さんたん)の種子(たね)である。

如何に子供の現在の状態が賞(ほ)めるに値(あたい)しなくとも、
「今に善くなる!」
「きっと偉い人物になる!」

こういうふうな漸進(ぜんしん)的進歩の暗示(ことば)を与えるに
相応(ふさ)わしくないことはないのである。

そしてその暗示(あんじ)の力で、漸進的にその子供を良化(りょうか)
して行(ゆ)くことは吾々の為(な)し得(う)る、
否(いな)為(な)さねばならない義務であるのだ。

(中略)

諸君よ、吾々が毎日必ず子供の心に対して
「この馬鹿(ばか)者(もの)奴(め)が!」とか
「貴様(きさま)は実に不良だ!」とか

始終(しじゅう)罵声(ばせい)をあびせかけることによって
子供の心に「悪い種子(たね)」を蒔(ま)いてさえも、
尚(なお)それほどに実際に馬鹿者が出現せず、
不良が出現しないのは何故(なぜ)であるか。

これこそ実に強く神から譲(ゆず)られた「神性の遺伝」が
吾々にはたらいていてくれる証拠であるのである。

吾(われ)らはこの「神性の遺伝」に敬礼し、感謝し、
日夜この神性に対して讃嘆(さんたん)の声を
雨ふらさなくてはならないのである。

         <感謝合掌 令和3年9月9日 頓首再拝>

《生命の不思議さにビックリする心》 - 伝統

2021/10/24 (Sun) 05:00:17

谷口雅春先生のお言葉(令和3年10月号「生命の教育」誌)

【自然界の神秘に気づく心をはぐくもう 】

《生命の不思議さにビックリする心》

        *(新編『生命の實相』第22巻116〜117頁)
         『生命の實相』第14巻教育篇 p158 2行目~  

かの國木田独歩の有名な小説『牛肉と馬鈴薯(ばれいしょ)』を
あなたがたはお読みになったことがあるであろう。

あの主人公は「わたしの願いはビックリしたいことです」と叫でいるのである。

人間にとって最も大(おお)いなる不幸は
あらゆる現象が当り前に見えすぎることである。
生命の退歩はそこから始まる。


少年よ、少女よ、あらゆる事象にビックリせよ。
ビックリせよといっても、こわがれというのではない。

その事象の奥にある「生命(せいめい)」の不思議に驚異(きょうい)するのだ。

林檎(りんご)が落ちても、その落ちる力の不思議さにビックリせよ。
鉄瓶(てつびん)の蓋(ふた)が持ち上がるならば、
それを持ち上げる湯気(ゆげ)の力にビックリせよ。

美しく咲いた花を見るときには、その咲く花の力の不思議さにビックリせよ。

また自分自身の生きている力にビックリせよ。


少年よ、少女よ、青年よ、
否(いな)、壮者(そうしゃ)も、老者(ろうしゃ)も

「あなたが生きているのは心臓が動いているからです。
 心臓がとまれば死にます」

などという医学の教(おしえ)で
この不可思議な生命を当り前の現象だとは思うな。

医学には心臓が動く事は判(わか)っていても
心臓が何故(なぜ)動くかは判らないのだ。

生命(せいめい)がどこから来るかは判(わか)らないのだ。
まだまだ当り前だというには早いのだ。
好(よ)い加減なところでビックリすることを止(や)めるな。

・・・

<参照>「生命の教育」令和3年10月号 より
    (https://www.shinkyoren.jp/publics/index/34/

「生命の教育」令和3年10月号 主な内容

巻頭のことば
「パラリンピックに思う――「無手の法悦」大石順教尼の生涯」
新教育者連盟理事長 代田健藏


▼特集 自然のいのちに触れる喜び

最近では、遊び場の減少やゲームの普及により、
子供たちが外で遊ぶということが少なくなっていると言われます。

しかし、外で遊んだり自然の中で過ごす体験は、子供たちにとって、
いのちの不思議やその尊さ、多様ないのちの存在に気づいたり感動するなど、
豊かな心をはぐくむことにつながります。

子供たちと一緒に、昆虫や鳥、草花や野菜など、
自然のいのちに触れる機会をつくってみましょう。


自然界の神秘に気づく心をはぐくもう    谷口雅春

いのちの輝きはどこからくるのか              菊池正規
子供と一緒に自然を楽しみましょう             執行ひろみ
自然が舞台のボーイスカウトの魅力             大西恵子
自然に触れて、自然を楽しむ                白水義久
自然は青少年の心を育む学びの場              編集部



《特別インタビュー》子供が熱中して遊べる遊具を普及させる
           エール株式会社会長 吉川靜雄

子育てワンポイント(53) 意志を尊重する          出口正博
子育てQ&A 娘の男女交際に疑問を感じる         大原和子
       塾と部活のどちらを選ぶべきか        小林義典
       子供の面倒を見ない夫            杉山紀代子

子育ては母育て(107) 食事の始まりは躾の始まり⑵     田下昌明

世界がおどろく日本の魅力⑻
       日本は世界に誇りうる正真正銘の「稲の国」   井上雅夫

日本国憲法の問題点(72) 眞子内親王のご結婚の問題    勝岡寛次

日本のしきたり(46) 「読書の秋」             辻川牧子

親子で読むものがたり(109) 優しい人には優しい恩返し  南 敏雄

小学生の作文「お父さん、お母さんありがとう」

新教連活動あらかると
◇ 読者の声、祝福祈願祭・記念講演の案内、「新教連子育てサポーター養成講座」
  募集のお知らせほか
◇ 10 月の支部行事
事務局短信・編集後記・次号案内

         <感謝合掌 令和3年10月24日 頓首再拝>

《子供のビックリする心を押し消してはいけない》 - 伝統

2021/10/25 (Mon) 04:52:40

【自然界の神秘に気づく心をはぐくもう 】

《子供のビックリする心を押し消してはいけない》

        *(新編『生命の實相』第22巻117〜119頁)
         『生命の實相』第14巻教育篇 p158~160  

リンゴが落ちたのを見て、その不思議さに驚異したニュートンや、
湯気(ゆげ)が鉄瓶(てつびん)の蓋(ふた)をうごかす力に驚異した
ジェームズ・ワットは、科学界の大天才となったのである。

生老病死の四苦(しく)を見てビックリした釈迦は
一大宗教的天才となったのである。

自分に肉親の父親がないことを知ってビックリしたイエスは、
天に父を発見してこれも宗教的天才となったのである。

自然や人間の美を見てビックリした多くの人々は、ラファエルとなり、
ミケランジェロとなり、ミレーとなり、ロダンとなり、
シェイクスピアとなった。

実際、天才とはいつまでも少年少女時代の「ビックリする心」を
成長後も有(も)ち続けている人のことである。

この幼年時代の「ビックリする心」を平凡化するな。

この神秘に驚異する心をいたわり育ててやるようにつとめよ。


諸君は、子供が「なぜ空にお星様があるの、お星様は何故落ちないの、
お星様はまぜ何故光っているの……」などというほとんど無限に尽きない
質問を矢(や)つぎ早(ば)やに浴(あ)びせかけられて弱らされたことは
ないであろうか。

「もうこの子のうるさいのには閉口する」と
小言(こごと)をいったことはないであろうか。

「お星様が光っているのは当り前じゃないか。
 花が咲くのは当り前じゃないか」などと

あらゆる神秘を「当り前」という説明に押しつけて、
子供の「ビックリする心」を押し消してしまったことはないであろうか。

そういう時にはこういって答えよ――
「それは実に貴(とうと)い不思議なことだ。
 眼(め)に見えない不思議な神様の息がかかるとお星様は光るのだ。
 眼に見えないところにも神様はいなさるのだ。

 お星様が落ちないのもその神様のお力だ。
 花が咲くのもその神様のお力だ。
 神様のお力をお迎えするようにこうして水をかけ土を耕して
 人間が待っているのだ」と。

かくの如(ごと)くいって子供の「神秘がる心」を生かせ。
それを押し消すな。

「神秘がる心」こそインスピレーションの源泉である。

直覚(ちょっかく)は神秘にあこがれる心にのみ、
照射(しょうしゃ)して来(く)る神秘界からの光であるのだ。

         <感謝合掌 令和3年10月25日 頓首再拝>

《「神秘がる心」から、あらゆる善きものが現れ出てくる》 - 伝統

2021/10/26 (Tue) 06:38:15


【自然界の神秘に気づく心をはぐくもう 】

《「神秘がる心」から、あらゆる善きものが現れ出てくる》

        *(新編『生命の實相』第22巻119〜122頁)
         『生命の實相』第14巻教育篇 p160~162  

あらゆるものが頭でわかると思うな、
あらゆるものが科学的知識でわかると思うな。
分類的分析的な知識にのみ頼りすぎると直観力は鈍りがちである。

(中略)

さてしからばこの何事にも絶対に必要な
直観力を養成するにはいかにすべきか。

先刻もいったように、幼児より子供の
「神秘がる心」を押し消さないようにすることだ。

神秘なことを神秘として教えよ。

深く考えれば実に神秘であるところの現象を、
当たり前の茶飯事だとして、見のがしてしまうような
習慣をつけてはならぬ。

人間を心臓というモーターで動く機械だと教えてはならぬ

草木(そうもく)をただの毛細管現象で生長する機械だと教えてはならぬ。

神仏を偶像であると教えてはならぬ。

あらゆる物にやどる生命(せいめい)の神秘を教えよ。

神秘に驚異し、崇敬(すうけい)し、
その生命の神秘に一歩でも近づくことを
名誉と思い、生命を合掌礼拝するように子供を教えよ。

ああ!、生命の神秘を驚異し尊ぶ心
―― 隣人愛も、生物愛護も、敬虔なる宗教心も、
画期的な科学的発明も、偉大なる哲学も、妙(たえ)なる芸術も、
それから実業界のすばらしき成功さえも、
皆この生命(せいめい)の神秘を礼拝する心によって得られるのだ。

         <感謝合掌 令和3年10月26日 頓首再拝>

人から好かれるコツとは - 伝統

2021/11/08 (Mon) 04:43:36

谷口雅春先生のお言葉(令和3年11月号「生命の教育」誌)

【人に対して深切な心になりましょう 】

《人から好かれるコツとは》

        *(『人生読本』235~236頁)

人に好かれる人になるにはどうしたらよいのでしょうか。

愉快な明るい人にならねばなりません。

愉快な明るい人というのは、騒ぎ廻る人のことではありません。
騒ぎ廻る人でも、人から嫌われる人もあるし、
じっとしている人でも人から好かれる人もあります。

そうすると人に好かれるにはコツがあるに相違ありません。



人に好かれるコツの一つは表情にあるのです。
表情というのは、その人の顔にあらわれている感じです。
人の顔付、感じです。

その人の顔を見ると何となしに好きになれる人と、
何となしに嫌いになる人とがあるでしょう。
この事は全く不思議な問題です。


皆さんは「私の顔は生まれつきだから仕方がない」とお考えになりますか。
そうお考えになりますならば、それは間違いです。

顔の感じは常に変わっているものです。

今、あなたのお母さんが死にましたという電報が来ましたら、
あなたは悲しい顔をなさいます。
その悲しい顔の感じはあなたが喜んでいる時の感じとは異います。

あなたが不平で膨(ふく)れている時の顔の感じと、
あなたが深切に赤ん坊をいたわっていられる時の顔の感じとは異います。

・・・

・・・

<参照>「生命の教育」令和3年11月号 より
    (https://www.shinkyoren.jp/publics/index/34/

         <感謝合掌 令和3年11月8日 頓首再拝>

人にやさしい深切な表情をしましょう - 伝統

2021/11/09 (Tue) 05:01:31

谷口雅春先生のお言葉(令和3年11月号「生命の教育」誌)

【人に対して深切な心になりましょう 】

《人にやさしい深切な表情をしましょう》

        *(『人生読本』237~239頁)

あなたが常に人々に対して深切な好意ある表情をしていられましたならば、
あなたに対(むか)った人は常にあなたから好い感じを受けましょう。

あなたから好い感じを受けましたら、
その対手(あいて)の人はあなたを好きにならずにはいられないでしょう。

(中略)

では、皆さん、人に対したときには不平そうな膨(ふく)れた
表情(かおつき)をしないで、
深切な、愉快な相手を歓迎するような表情をいたしましょう。

しかし顔の様子というものは、習慣になっているものですから、
今、この人によく思われたいと思って愉快に深切に見せかけようとしましても、
一時は努めてわざとそういう表情ができるでしょうけれども、
すぐ習慣のついた顔付(かおつき)に変るものです。

ですから学校の先生は学校の先生みたいな顔付をしているし、
大工さんは大工さんの顔をしておられましょう。

いつも怒っている人はこわい顔になりますし、
いつも人に好い感じをもっている人は、
また自分がよい感じの顔になりましょう。

ですから顔の表情(ようす)をよくするには一時の付焼刃では駄目です。

いつもいつも、深切な、やさしい、快活な、好意のある、
誰のためでも思い遣りのある心をもっていれば、
そのような顔になるのです。

         <感謝合掌 令和3年11月9日 頓首再拝>

誰にでも深切はできる - 伝統

2021/11/10 (Wed) 04:48:10

谷口雅春先生のお言葉(令和3年11月号「生命の教育」誌)

【人に対して深切な心になりましょう 】

《誰にでも深切はできる》

        *(『人生読本』183~184頁)

善き言葉は人生の宝であります。
何がなくとも「深切」は言葉でできるのです。

貧乏では深切ができない、金がなければ深切ができない
というようなものではないのであって、
私達は深切の第一歩を言葉によって実行する事ができるのであります。

人に深切な言葉をかけてあげる、人が意気消沈している時に
それを鼓舞(こぶ)して高め上げるような言葉を出す、
これが深切であります。

人が誰も同情してくれない、淋しくなって人生を呪うような心の起った時に、
本当に深切な表情をして、深切な微笑を投げかける、
これが深切の実行であります。

誰だって微笑(びしょう)はできるのでありまして、
その深切な微笑がどれだけ相手を生かすことになるか分からないのであります。

私達は、なんにも持っていないから深切ができない
と言うのはあまり物質的な考えに執(とら)われているのであります。

本当に深切にしようと思えば、
どんな場合でもできないという事はないのであります。

常に優しい心持をもち、愛に満ちた霑(うるお)いのある心を持ち、
人に接する時、拝み合い感謝し合い、相手を尊敬して、その自信を失わしめない。

これが深切の中の一番深切になるのであります。

         <感謝合掌 令和3年11月10日 頓首再拝>

みな神様のひとつの生命(いのち)と知ること - 伝統

2021/11/11 (Thu) 05:04:08

谷口雅春先生のお言葉(令和3年11月号「生命の教育」誌)

【人に対して深切な心になりましょう 】

《みな神様のひとつの生命(いのち)と知ること》

        *(『人生読本』162頁)

人と人とは肉体を見ておりますと、
彼と我(われ)、我と彼とは相分かれているように見えますが、
本当はただひとつの神の生命(いのち)が、
そういう具合に分れて出たように見えているだけであって、
決してこの別々の存在ではないのであります。

この真理(こと)を知るのを、
自他一体とか事々無礙(じじむげ)とか申します。

まことに人に深切にしてあげ、人が幸福になるとこちらも嬉しい。

この私達が人に深切にした時の嬉しさ、
というものを振返って味わってみますと、
長く別れておったところの親子が再び出会ったような、
兄弟または夫婦がひさしぶりに出会ったような
何とも言えない喜ばしい感じなのであります。

これは人間は本来(もとから)、
ひとつの神様の生命(いのち)の水が
吾々に流れ入って人間となっているので、

同じ生命(いのち)の別れであり、兄弟であり、親子であり、
本来他人というものは一人もない。

それが別れたように見えていたものが一つに合(がっ)する
―― その喜びを感ずるのであります。

         <感謝合掌 令和3年11月11日 頓首再拝>

《今あふれ出ようとする子供の生命を生かそう》 - 伝統

2021/12/08 (Wed) 05:02:30

谷口雅春先生のお言葉(令和3年12月号「生命の教育」誌)

【幼時(ようじ)のお手伝いで培(つちか)われる子供の生命】

《今あふれ出ようとする子供の生命を生かそう》

        *(新編『生命の實相』第44巻22~27頁)

子供には大人よりも、素直に導き出せば出るところの生命が宿っている。
その生命を殺してしまったら何にもならないのです。

(中略)

子供が、女の子供なんかだとよく台所の仕事等(など)手伝いたくて
仕方のないような時代があって、怪我(けが)でもしそうな危(あぶな)
っかしい手附(てつき)で《ままごと》みたいなことをしたがって
仕様(しよう)のない時がある。

こういう時は子供の生命が出よう出ようとしている時である。
その出ようとしている生命を出るよう出るように導いてくれる母親があれば、
そういう母親に育てられる子供はどんなにか幸福だろうかと思います。

(中略)


生(うま)れ出たままの続きのように感じられる幼児期では、
本当に吾(わ)れと幼児と一体のような自覚があった為(ため)に
本当の教育が出来たのでありますが、

相当(そうとう)子供の身体(からだ)が大きくなって来ますと、
何となしに別個の存在であるような分離の感じを持って来て、
自然にこのコップの顚覆(くつがえ)るのを見せて

「そら、コップ。コップが顚覆(くつがえ)ったでしょう。
 そら、水が零(こぼ)れた。零れた水を拭(ふ)きましょう。
 そら拭いた」

というような塩梅式(あんばいしき)の、一つ一つ子供が自分の内部から
知ろうとし、出そうとしているものを引出(ひきだ)すような教育が
出来なくなる。

そして今度は、 「そんなことしていたら、台所がうるさいからあっちへ
行(ゆ)きなさい」と、折角、子供が内部に有(も)
っていて引出(ひきだ)してもらいたいものを、

「うるさい、うるさい」と撥(は)ねつけるようになる。
この撥ねつけるようになるのは、親の方(ほう)が児童と
一体感を失って功利的になって来るからです。

役に立つとか、役に立たぬとか、経済的とか、実用向きとか、
そういう標準で子供を排斥(はいせき)して、

子供のまさに芽吹(めぶ)かんとしている生命を
引出(ひきだ)すことを怠(おこた)ることになるのであります。

この折角(せっかく)今引出(ひきだ)されたいと子供の生命が
内部から溢(あふ)れ出て、これを手伝いたい、菜(な)っ葉(ぱ)
を截(き)りたいというふうな、内部から溢れ出て来るものを抑(おさ)えて
脇(わき)へ除(の)けてしまうというふうなことになる、

これは教育が手段に征服されたのであります。
教育が《生活そのもの》にならないで、或(あ)ることの《手段》になる
 ―― ここに教育の堕落(だらく)があるのであります。
それで、《手段》でなしに「今」を生きさす ―― 

「今」生命が溢れ出して「こうしよう、こうしよう」
「こうしたい、こうしたい」と、樹木の新芽(しんめ)のように
まさに内部から溢れ出ようとしている時に児童の生命を生かす
というふうにしたならば、人間の内部に流れている能力が
充分に発達するのです。

・・・

<参照>「生命の教育」令和3年12月号 より
    ( https://www.shinkyoren.jp/publics/index/34/ )

         <感謝合掌 令和3年12月8日 頓首再拝>

親を喜ばしたいという愛の心 - 伝統

2021/12/10 (Fri) 05:02:00

谷口雅春先生のお言葉(令和3年12月号「生命の教育」誌)

【幼時(ようじ)のお手伝いで培(つちか)われる子供の生命】

親を喜ばしたいという愛の心

        *(新編『生命の實相』第44巻27~28頁)

この何となく母親の台所仕事の手伝いなんかしたいという時には、
単に能力が発現しているだけではなしに愛の心が動いている、
自分からして、母親を喜ばして上げたい、
という愛の心が起っているのだけれども、

親の方(ほう)では実用一点張(ば)りで、
そんな愛を受けたって時間がかかるばかりである、
邪魔になって却(かえ)って仕事が運ばないと、

愛の心を功利的価値で計算して、
実用一点張り、経済向き一点張りで片附けてしまおうとする。

こうなると、折角(せっかく)愛の心で「親達の手助けをして上げたい」
という生命の働きが動き出そうとしている時に、
その生命を押(おし)込(こ)めてしまうという事になる。

そして、青年期になってからその子供に
「ちょっと私の手伝いをしておくれ」といっても、
もうその子供は手伝いをする喜びを、その最初の芽生(めば)えに
於(おい)て摘(つ)まれてしまっているのです。

折角「出よう、出よう」 「手伝いしたい、手伝いしたい」と
生命が芽吹いている時に

「邪魔になる。うるさい!あっちへ行っておれ。 」
こうやられたものだから、今度実際に手伝って欲しい時、
大分子供も成長して能力が出来たとき手伝って欲しいと思っても、

「何だ、母さんったら利己主義だわ」ということになって
手伝わない不親切な子供が出来る、
子供の心は、親の心の影だったのであります。

         <感謝合掌 令和3年12月10日 頓首再拝>

子供の手伝いを喜んで感謝しましょう - 伝統

2021/12/11 (Sat) 04:59:40

谷口雅春先生のお言葉(令和3年12月号「生命の教育」誌)

【幼時(ようじ)のお手伝いで培(つちか)われる子供の生命】

子供の手伝いを喜んで感謝しましょう

        *(新編『生命の實相』第44巻27~28頁)
         (『生命の實相』第14巻教育篇P137~138)

子供に仕事をさせてはいけないというのは謬見(びょうけん)である。
適当な分量の仕事は子供の生命(せいめい)の生長に
欠(か)くべからざるものなのだ。

仕事は子供の生命(せいめい)の生長に欠くべからざるものなのだ。
仕事は生命(せいめい)を建設的に使用する方法を教える。

そして子供の生命のうちに建設的な傾向と創意的な傾向とを育てあげる。

建設的傾向 ―― これは才能の発達の土台石となるものだ。
この傾向が強ければ強いほどその人間は生長する。

幼時(ようじ)に培(つちか)われた傾向は生長してから
養成した傾向よりも力強く根を張るのだ。

(中略)

子供が仕事を嫌(いや)がるというのは嘘(うそ)だ。

無理に命令的にさせないで、自分の好きな仕事をやらしてやるならば
子供が仕事をしたがらないということはない。


女の子は特に仕事を好(この)む。
生(うま)れつきの愛の性状(せいじょう)が手助けを好ませる。
もう三、 四歳にもなると母親の仕事の手助けをしたがって
仕様(「しよう)がないであろう。

させるが好(よ)い。
が、仕事は徐々に慣(な)らすが好(よ)い。
急いではならぬ。

そして、子供の手助けを真(しん)に喜んで感謝してやるようにすれば、
子供は「愛は感謝を受ける」という事実を体験する。
喜ばれることがどんなに嬉(うれ)しいかということを体験する。

これは人間の正しい生長(せいちょう)に必要なことである。

         <感謝合掌 令和3年12月11日 頓首再拝>

動作を丁寧(ていねい)に、表情を深切(しんせつ)に - 伝統

2022/01/09 (Sun) 02:49:01

谷口雅春先生のお言葉(令和4年1月号「生命の教育」誌)

【子供の言葉づかいや態度を良くするには】

《動作を丁寧(ていねい)に、表情を深切(しんせつ)に》

        * 『人生読本』(262頁)(P223)

運命をよくするには常に良い言葉を使い、
身体(からだ)の動作を深切丁寧にしなければなりません。

丁寧にお辞儀をしたら損するとか、
自分が相手より下のものだと思われて恥ずかしいとか考えるのは間違いです。

世の中の人は、表情や身体(からだ)の深切丁寧にする人をかえって、
「あの人は偉い人だ」と賛(ほ)めるのです。

これに反して

「あいつは馬鹿だ、ろくろく言葉の使い方も知らない、
 お辞儀をする術(すべ)も知らない」

と言って人から軽蔑せられるのは、

言葉の使い方のぞんざいな人や、
身体(からだ)の動作に深切があらわれていない人です。

こんな人の運命はよくなりません。

・・・

<参照>「生命の教育」令和4年1月号 より
    ( https://www.shinkyoren.jp/publics/index/34/ )

         <感謝合掌 令和4年1月9日 頓首再拝>

優しい言葉づかいや美しい態度はすばらしい値打ち - 伝統

2022/01/11 (Tue) 04:51:25

谷口雅春先生のお言葉(令和4年1月号「生命の教育」誌)

【子供の言葉づかいや態度を良くするには】

優しい言葉づかいや美しい態度はすばらしい値打ち

        * 『人生読本』(265~266頁)(P226~227)

世の中には学問も良くでき、立派な才能を有(も)ちながら、運が悪くて、
勤め先をあちらへ更(かわ)り、こちらへ更り、しまいには落ちぶれて
働く先もなくなるような人があります。

そんな人はたいてい、気が短くて、言葉使いに深切がなく、
身体(からだ)の動作に礼儀正しさのない人です。

礼儀作法は女だけの習うものではありません。
礼儀作法は男にも必要です。

人間の値打(ねうち)を智慧や学問ばかりにあると思うのは間違です。
尚それよりも態度の優美ということは、何よりも必要な人間の値打です。

最初はどういう態度が美しいかは、鏡を見て稽古をなさるのもよろしい。
どの程度に微笑する事が相手に気持ちのよい感じを与えるか、
十分研究して置いて相手に快(よ)い気持ちを与える稽古をなさい。

「そんな詰まらないことを研究するよりも、本を読む方が偉くなる」
とお考えになるかも知れません。

しかしあなたがいくら偉くなっても、
姿態(かおかたち)はあなた自身の玄関のショーウインドウーです。

(中略~この部分はつぎのようになっています)

   ショーウインドーが埃(ほこり)だらけでは、
   いくら家の中に上等の品物があっても、
   中まで入って買ってくれないでしょう。

   あなたの中味の値打がどれほど偉くても、
   言葉態度が下手では、その中味は値打ちを出す時が来ないのです。

   中味はどんなにおいしい御馳走でも、
   泥にまみれたら誰でも食べ手がないでしょう。

せっかく立派な才能(ちえちから)をもちながらも、
言葉態度に深切丁寧さがなくては、
せっかくのよい御馳走を泥まみれにして出すのも同じことです。

         <感謝合掌 令和4年1月11日 頓首再拝>

「形」と共に「心」を深切にせよ - 伝統

2022/01/12 (Wed) 03:39:36

谷口雅春先生のお言葉(令和4年1月号「生命の教育」誌)

【子供の言葉づかいや態度を良くするには】

「形」と共に「心」を深切にせよ

         *『人生読本』(267頁)(P227~228)

と言って、言葉態度の美しさは形ばかり真似ても、真似ないよりはよろしいが、
それだけでは本当に言葉態度が良くなりません。

心に気品を持ち、心に優しさを持ち、心に深切を本当に持たないで、
言葉や形ばかり真似たのでは、どうしても嘘らしい空々しさが
見え透いて人が感心するものではありません。

何よりも必要なのは本当に深切な心持です。

「あの人に良い思いをさせてあげたい、
 あの人をよい気持ちにさせてあげたい、
 どんな人にも不快な気持ちをさせたくない。」

こういう気持ちを持つように日々心掛けておれば
自然に言葉態度が優しく深切に、
誰にとっても気持ちよくなれるのです。

         <感謝合掌 令和4年1月12日 頓首再拝>

子供を良くするには、まず親の言葉や行為から - 伝統

2022/01/16 (Sun) 04:25:56

谷口雅春先生のお言葉(令和4年1月号「生命の教育」誌)

【子供の言葉づかいや態度を良くするには】

子供を良くするには、まず親の言葉や行為から

       *(新編『生命の實相』第22巻129〜131頁)

子供はその本然(ほんねん)の性質として
模倣(ひとまね)する性質をもっている。

したがってかくせよと教えられることよりも、
常に習慣的に他の人がしているのを見ていて、
その通りをしようという強い傾向をもっているのである。

それゆえに、子供と接触する人は、子供にもたせたいと思う性質、
行為、習慣等を自分の行為にあらわすようにしなければならない。


周囲の感化影響を短時日(たんじじつ)に蒙(こうむ)らない子供は
ほとんどないのである。

だから孟母(もうぼ)の三遷(さんせん)といって、
孟子(もうし)の母が子供の教育のために三(み)たび居(きょ)を
うつしたということは、近代の科学的な児童教養法にかなっているのである。

そもそも吾(われ)らが日常感覚にふれるところの事物は、
それが如何(いか)なるものにもせよ、感覚器官という入口をくぐって、
心の奥座敷まで這入(はい)ってしまい、
心の奥座敷の住民となってしまうのである。

だから成人でも環境をよくすることは必要だが、発育期、生長期にある
児童にとっては、このことは尚(なお)一層必要なことである。

環境にある一切の事物が幼い心にその姿を映す。
心に映し込まれた姿は、一種の種子(たね)であって、
すぐその時生(は)えなくとも、やがて、その種子(たね)の発芽に適する
条件が揃(そろ)うてくれば生えて来るのである。

秋、地に落ち散った雑草の種(たね)は冬の期間は芽を出さないにしても、
春が来れば芽を出すようなものである。

だから吾らは子供の心に、秋のうちから雑草の種子(たね)を
まいておいてはならないのだ。

出来るならば、美しい花を開き、美味(おい)しい果実(み)を結ぶような
種子(たね)を蒔(ま)いておこうではないか。

平和の種子(たね)、健康の種子(たね)、和合の種子(たね)、
寛大の種子(たね)、自信の種子(たね)、深切の子(たね)をこそ
子供の心に蒔こうではないか。

この種子(たね)は、いわゆる現代の教育者がやっているような、
本や教育的方法で詰め込み式に蒔いたからとて何にもならぬ。

日常生活の子供の前で言葉や行為で実行して見せるに限るのである。

だから子供を教育することは、教育者自身が教育されることになるのであって、
教育者自身が言葉と行為とを洗練(せんれん)するように
日常心がけなければならないのである。

         <感謝合掌 令和4年1月16日 頓首再拝>

親の尺度で子供を見てはならない - 伝統

2022/02/08 (Tue) 04:27:50

谷口雅春先生のお言葉(令和4年2月号「生命の教育」誌)

【素晴らしい神の子のいのちを認めてほめよう】

《親の尺度で子供を見てはならない》

        * 新編『生命の實相』第47巻129〜130頁
         (頭注版『生命の實相』第30巻児童教育篇)P88~89)

次に子供を育ててゆく上において、
まず心得ておかなければならないのは
人間は皆一様のものでないことであります。

天分もちがえば過去の念の集積もちがう。
われわれは過去何十回何百回と生まれ更わって
この世に出てきているのであって、

その間にいろいろの体験を積み、
いろいろの過去を持っているのであります。

だから双生児(ふたご=そうせいじ)で生まれた子供でも、
同じ環境で、同じ人が同じ食物で同じ教育法で育てても
すっかり性質がちがうことがあるのであります。

ですから、子供をよくしようと思う時に、
大人の、しかも《自分だけの尺度》でもって判断しすぎて
善悪を評価するといけないのであります。

人間というものは皆個性がちがう、
個性がちがうところにそこに価値がある。

桜の花とバラの花とはどちらが美しいかというと、
これは評者の好き嫌いで定きまるので、
桜がいっそう美しいという人もあれば、
バラがいっそう美しいという人もあります。

それを自分だけの好き嫌いでもって、
「お前桜のように、そんなに一晩で散るような寂しい姿じゃいかん。
 バラの花のようにならねばいかん」と言ったところが、
それはできないことを望むのであります。

桜は桜でその良さを認め、
バラはバラでその良さを認めなければならないのであります。

人を教育するには自分が「こうありたい」という《一つの尺度》をもって、
その《尺度》にちがうものは皆悪いと考え、
お前は悪い悪いという批評を加えてゆきますと、

その批評の言葉の力によって、その児童の天分は伸びず、
「僕は悪いものだ、劣等児だ」という観念を心に植えつけられて、
ついにせっかくの天才児も一個の劣等児になってしまうのであります。

・・・

<参照>「生命の教育」令和4年2月号 より
    ( https://www.shinkyoren.jp/publics/index/34/ )

         <感謝合掌 令和4年2月8日 頓首再拝>

子供の本当のすがたは神の子である - 伝統

2022/02/11 (Fri) 04:56:00

谷口雅春先生のお言葉(令和4年2月号「生命の教育」誌)

【素晴らしい神の子のいのちを認めてほめよう】

《子供の本当のすがたは神の子である》

        * 新編『生命の實相』第47巻56頁

人間には仮(かり)の相(すがた)と本当の相(すがた)とがあるのです。
仮の相(すがた)というのは(中略)、親が心で縛(しば)っていると
それに反抗するために、或(あるい)は操行(そうこう)がわるくなったり、
成績が悪くなったりして、周囲の心の反影(はんえい)として出て来る、

これが仮の相(すがた)でありまして、
本来その子の操行がわるいのでも学業の成績が悪いのでもないのであります。

人間の本来の相(すがた)、本当の相(すがた)は神の子でありますから、
「本来この子は善い」と、子供の実相(じっそう)、その本当の相(すがた)を
見て、それを拝み出すようにしますと

―― 拝むといっても、強(あなが)ち掌(て)を合わさなくても
無論好(よ)いのですけれども ―― 心で子供を拝む ――

「うちの子供は本当に神の子であって立派な子である。放っておいても大丈夫である。
 決して悪くなるようなことはないのである」

と子供を信じて心で拝むのであります。

         <感謝合掌 令和4年2月11日 頓首再拝>

子供の神性をまず認めること - 伝統

2022/02/12 (Sat) 03:04:28

谷口雅春先生のお言葉(令和4年2月号「生命の教育」誌)

【素晴らしい神の子のいのちを認めてほめよう】

《子供の神性をまず認めること》

        * 新編『生命の實相』第22巻170〜171頁

諸君は光がそこに輝き出せば陰影(かげ)がそこにおのずから
消える事実を見られたであろう。

「存在の世界」に於(おい)ては「認める」とは
「光を点ずる」ことである。

如何(いか)に潜在的に存在していようとも、
認めなければそれが存在していることが現実に見えて来ないのである。

如何に多くの宝が庫(くら)の中に蔵(しま)われていようとも
燈火(ともしび)がそこになければその宝は無いに等しい。

だから諸君よ、諸君の子供にそして諸君の教え子に宿っているところの
「神性(しんせい)」神からの大遺伝) を認めることから始めよ。

そして光が暗(やみ)を逐(お)い出(だ)すように、
吾々がありありと彼に宿っている「神性」をば認めさえすれば、
その「認める力」の輝きによって、如何(いか)なる悪癖(あくへき)
も悪遺伝も数年のうちに根絶することは又(また)難(かた)くはない
のである。

         <感謝合掌 令和4年2月12日 頓首再拝>

言葉の力で子供をほめよう - 伝統

2022/02/13 (Sun) 02:41:42


谷口雅春先生のお言葉(令和4年2月号「生命の教育」誌)

【素晴らしい神の子のいのちを認めてほめよう】

《言葉の力で子供をほめよう》

        * 新編『生命の實相』第22巻161〜168頁

子供に対しては、

「人間は神の子だ。子の顔が親の顔に似ているように、
汝の能力と性質とは神の姿に肖(に)せてつくられているのだ。

神はこの世界の万物をつくられたのであって、人間は神の子として、
神の無限に大きな能力の《あとつぎ》に造られているのだ、
だから神の子は神の子らしく生きねばならぬ。

神から譲(ゆず)られている無限に大きな能力を発現(はつげん)
しようと思わないものは、親から折角(せっかく)頂いた宝の庫(くら)を
開かないで棄(す)ててしまうものだ」

こういう意味の話を時々言葉を変えて子供に話して聞かせることにして、
人間の本性(ほんせい)の尊いこと、その潜在能力の無限であることを
子供の心に吹き込むようにすれば好(よ)いのである。

すると、子供は次第に「本当の自分」が如何(いか)に崇高(けだか)く
霊妙(れいみょう)なものであるかを知りはじめる。

そしてその 「本当の自分」を実現することが彼の生涯の理想となり、
従来の小さな虚栄(きょえい)や、
小成(しょうせい)に安(やす)んずる慢心や、伶(ずる)い利己心は
消滅して、本当に彼は謙虚な心持で生長の本道(ほんどう)を
辿(たど)り得(う)ることになるであろう。

(中略)

如何(いか)に子供の現在の状態が賞(ほ)めるに値(あたい)しなくとも、

「今に善くなる!」

「きっと偉い人物になる!」

こういうふうな漸進的進歩の暗示(ことば)を与えるに
相応(ふさ)わしくないことはないのである。

そしてその暗示(あんじ)の力で、
漸進的にその子供を良化して行(ゆ)くことは
吾々(われわれ)の為(な)し得(う)る、
否(いな)為さねばならない義務であるのだ。

         <感謝合掌 令和4年2月13日 頓首再拝>

《子供は無意識の中で教育される》 - 伝統

2022/02/20 (Sun) 03:54:37


           *「光明法語」(2月20日)より

無意識の心的影響は、親が子供に対して教育する場合には特に著しくあらわれる。

母親が姑に対して物言うまいと決心したりしていると、
時として物言わぬ白雉の子供が出来たりすることがある。

親が人々に対して好悪の感を著しく抱いていると、
子供が食物に対して好き嫌いをするようになったりする。

親がうちの子は間違いないと信じていると間違いない子供になる。
うちの子供は虚弱であると信じていると、実際虚弱になってしまう。

しかし信ずると云うことは捨てて置くことではない。
信じて好(よ)き機会を与えることである。

         <感謝合掌 令和4年2月20日 頓首再拝>

まず「言葉の力」を知らなければならない - 伝統

2022/04/02 (Sat) 08:11:58

谷口雅春先生のお言葉(令和4年4月号「生命の教育」誌)

【親の思いひとつで子供の無限力は出てくる】

《まず「言葉の力」を知らなければならない》

        * (新編『生命の實相』第47巻7〜9頁
          頭注版『生命の實相』第30巻児童教育篇P6~7)

今までの教育家のやっておられる教育法を見ますと、
大抵は人間のわるいところを見つけまして、
それを「ここが《わるい》から直せ」というふうなことを
常に言って来たのであります。

そうして「お前が出来が《わるい》からよく勉強せよ」
こういうような調子で教えて来たのであります。

そうするとその子供はどういうふうになってゆくかといいますと、
「お前が出来がわるいから」とこう言われると、言葉の力によりまして、
「自分は出来が《わるい》い」ということを強く強く心の底に
印象させられるのであります。

そうして「出来が《わるい》からやれ、やれ」と言われますと、
「私は出来がわるいのだ、やらなくちゃならない」と思いましても、

心の底に、「自分は成績が《わるい》のである、頭が《わるい》のである、
よく出来ないのである」という強い信念がその子供の潜在意識に強く印象
しておりますから、勉強しようと思っても勉強に興味が起らないのであります。

それをいやいや「できないできない」と思いながら勉強しましても、
本当にその勉強が心に這入(はい)らない、そのため、いくら勉強をしても、
その効果が挙がらないということになるのであります。

これが言葉の力であります。

・・・

<参照>「生命の教育」令和4年4月号 より
    ( https://www.shinkyoren.jp/publics/index/34/ )

         <感謝合掌 令和4年4月2日 頓首再拝>

親の間違った思いが子供をだめにする - 伝統

2022/04/03 (Sun) 07:30:16

谷口雅春先生のお言葉(令和4年4月号「生命の教育」誌)

【親の思いひとつで子供の無限力は出てくる】

《親の間違った思いが子供をだめにする》

        * (新編『生命の實相』第47巻17〜18頁
          頭注版『生命の實相』第30巻児童教育篇P12~13)

多くの子供たちは、親がまちがった心の波を起こし、
まちがった言葉の波を起こしているために非常に損なわれているのであります。

多くの人たちは、子供を愛するあまりに悪(あ)しきことばかりを見つけて、
「お前はここがわるいのだ」ということを始終(しじゅう)言うのであります。

そう言われるとその子供は萎縮(いしゅく)してしまいます。

そういう子供は、たとい勉強は辛(かろ)うじてよくできたにしましても、
大いに伸びるということはできないのであります。

「勉強しろ、勉強しろ」と言わなければ勉強しないから、やむをえず
「お前はそんなことではできないから勉強せよ」と言うのだという人が
あるかもしれませんけれども、

「勉強せよ、勉強せよ」と口癖(くちぐせ)のように言うと、
いくら勉強してもかえって心に憶(おぼ)えないのであります。

これはまたおかしい現象でありますが、原理は簡単です。

「勉強せよ、勉強せよ」と言うような親は、
子供に対してどういう心の態度をとっているかといいますと、

「お前はできがわるいのだよ」という考えを懐(いだ)いているのであります。

できるに定(き)まっておれば、 「勉強せよ」とは申しません。

「できがわるい」と信じているから、
「勉強しろ、勉強しろ」とこう言うのであります。

「うちの子供はできが悪い」と、言葉に出さなくとも、
心に念(おも)うだけでも一つの波を起こすことであります。

親または教育者が、心の中で、
「この子供はできがわるい」という精神波動を起こしまして、
その子供をそういう心で見つめているかぎりは、
その子供は決して学習がよくできるものではありません。

         <感謝合掌 令和4年4月3日 頓首再拝>

「人間は神の子、無限力」の自覚を① - 伝統

2022/04/05 (Tue) 07:11:21

谷口雅春先生のお言葉(令和4年4月号「生命の教育」誌)

【親の思いひとつで子供の無限力は出てくる】

《「人間は神の子、無限力」の自覚を①》

        * (新編『生命の實相』第47巻44〜47頁
          頭注版『生命の實相』第30巻児童教篇P32~)

人間の記憶というものは一旦(いったん)潜在意識に印象されたことは
永久に忘れるものではない。憶(おも)い出せばどれだけでも憶い出せるのが
人間の記憶であるという確信を強く心に印象せしめますと、

(中略)

四歳位(ぐらい)の時の記憶でさえも
必ず憶(おも)い出せるようになるのであります。

だから学校で一度習ったことを思い出す位(くらい)は何でもないのであります。

(中略)

勉強しないといっても、やはり学校で先生に習った時には、
本も見、 先生の話も聞いているのです。

本を見、先生の話もきいているからやはり一度は頭に這(は)入(い)っているのです。
ですから、一遍(いっぺん)習ったことをいつでも思い出せる状態に置いたならば、
家へ帰っても学習しなければならぬということは必ずしもないのであって、

一遍(いっぺん)憶(おぼ)えたことを試験の時や入用の時に思い出しさえすれば、
それで勉強しないでも百点がとれるということになるのであります。

それが、憶(おも)い出せない。
憶(おも)い出せないようにしているものは何であるかというと、
「人間は直(す)ぐ忘れっぽいものである」 という一つの「間違いの信念」
であります。

(中略)

         <感謝合掌 令和4年4月5日 頓首再拝>

「人間は神の子、無限力」の自覚を② - 伝統

2022/04/06 (Wed) 07:06:46

谷口雅春先生のお言葉(令和4年4月号「生命の教育」誌)

【親の思いひとつで子供の無限力は出てくる】

《「人間は神の子、無限力」の自覚を②》

「人間は忘れる動物だ」との間違の信念を如何(いか)にして
打ち破るかというと、それには

「人間は神の子である、全智全能の神の子であって、全智全能が
 自分の頭にあるのだから決して忘れるものではない」

という大自覚を人類に与えることが必要なのです。

(中略)

常に子供に対して

「あなたは神の子ですよ。神の子だから必ず頭がよくて記憶力は
 好(よ)いのですよ」

ということを教える。

「あなたは神の子だから、本を一遍読んだら決して忘れるものではありません。
 先生から一遍聴いた話はもう決して忘れやしないのですよ。
 必要な時には必ず思い出せる」

ということを常に言葉の力によって生徒たちの頭に印象するようにするのであります。

そうして試験場又は実際問題に莅(のぞ)んだ時に、

「人間は神の子である」

ということを思い出して

「自分は神の子だから、必ず憶(おも)い出せるのだ。
 必ずよい考えが浮んで来るのだ」と、

こう心に唱(とな)えて心を落着(おちつ)けて、さて問題に対したならば
必ずそこに出されている問題に対する適当な回答が思い出されてくるのであります。

人間の能力を発達せしむるには、そういうふうに子供のときから

「我(われ)は神の子、無限力」

の自覚を与えることが肝要であります。

         <感謝合掌 令和4年4月6日 頓首再拝>

愛撫して抱きし締めながら学校の模様を聞いてやること。 - 伝統

2022/05/07 (Sat) 11:12:48


       *「光明道中記」(5月7日《人の特長を拝む日》)より

【他を自分の型に嵌めようと思う者は躓く。(『生命の實相』第十一巻)】

親の精神状態にそれほどの葛藤(いらいら)も争いも憎みもないのに
子供が不従順な場合は学校に原因があることがある。
学校と連絡し、学校の先生と親しく和解しなければならない。

学校で教師にいじめられたり、仲間にいじめられたりする子供は
家に帰って親に対して不従順になり勝ちである。

子供の生活のうち、最も伸びねばならぬ学校生活の半日が ―― 否(いな)、
その子供にとっては半日ならぬ殆ど全日に感じられる期間、彼はいじめられたり、
不快な眼に逢って来たので、それに対する反抗を表現したいが、
それを学校では表現することが出来ないから、その反抗を家庭で表現しているのである。

それに対して、家庭の親が暴君的に圧迫を加えるならば
子供は内心の犯行を表出する捌け場所を失って、病気になるか、
不快な事を見まいと云う精神力の反映から近視になるか、

それを聞くまいとして中耳炎を起すか、
頑固に鼻の奥にブツクサ言っていて素直に通さないところの蓄膿症を起すか、

親が子供の成績の良くなることを希望しているのに、逆に成績を良くしないことが
親に反する切(せ)めてもの反抗であると云うようなことになることがある。

愛撫して抱きし締めながら学校の模様を聞いてやること。

         <感謝合掌 令和4年5月7日 頓首再拝>

正直の美徳を教え込もうと思うならば、親自身が子供の前で嘘をついてはならぬ - 伝統

2022/05/08 (Sun) 09:48:53


      *「光明道中記」(5月8日《愛して放つ日》)より

【執愛は捉われている愛である。「愛の愛たるは愛に非ず」とも言える。
                  (『生命の實相』第十一巻)】

子供を無理にあやまらせるものではない。
もう今後一切そんなことはしませんと誓わしてもならない。

大人自身あやまることの不快と、
一度禁煙を誓っても幾度でも煙草(たばこ)が
廃(や)められない大人が沢山あることを考えれば
「誓う」と云うことが何にもならないと云うことが判るであろう。

一度誓ってそれを犯したら、それは「自分は誓を破(やぶ)った罪人だ」と
云う自覚の念にいつも付きまとわれた人間になり、自信力を失うか、
毒を喰(くら)わば皿まで式に、
「どうせ汚(けが)れた身体(からだ)だからもっとやろう」と
云うようになるかする。

また、守れるかどうか判らないことを誓わせるのは
嘘つきを奨励しているのと同じことになる。
あやまるのを好まぬ子供にあやませると、
今度は嘘をついてあやまる不快を免れるようとする。

子供に正直の美徳を教え込もうと思うならば
親自身が子供の前で嘘をついてはならぬ。

子供の前で居留守を遣う親は沢山ある。
子供にだけ嘘をついてはならぬと言って
自分が嘘を言う親は二重に嘘をついているのである。

人間は本当のことを言いたいのが本性(ほんしょう)だから、
本当を言っても叱られないとなれば却って本当のことを言う。

         <感謝合掌 令和4年5月8日 頓首再拝>

教育は鞭ではなく愛である。智慧ある言葉が癒やす。 - 伝統

2022/05/09 (Mon) 10:26:31


      *「光明道中記」(5月9日《何事にもイライラせぬ日》)より

【他(ひと)を審判(さば)く者は、天に於いてまた自分も審判(さば)かれる。
                         (『生命の實相』第三巻)】

子供が不従順な場合は健康を害しているか、疲労しているために
何に対しても焦々(いらいら)してヒステリックになっている場合もある。

頭から叱り付けでも、子供の精神障害を一層大きくするばかりで、
百害あって一利なしである。

それどころか子供を叱っていると、
親自身が焦々(いらいら)して来るから子供の心に
親のイライラを反映させて決して教育効果などのありようはないのである。

教育はイライラや叱責や気持の悪さで行なわれるものではない。

教育は「善」の権威を示すことによって行なわれるのである。

善の権威とは暴風の如く狂暴に暴(あば)れ狂う殺伐(さつばつ)さではない。
善の魅力、愛の魅力である。

獄中にいて検察官を手古摺(てこず)らせた左翼の闘士でさえも、
親の愛の前には転向せざるを得なかったと云う。

教育は鞭(むち)ではない。
愛である。その愛も、盲愛であったり熱愛であったりしてはならない。
智慧をもって急所急所を抑えて行かなければならない。

病気だとしていたわりすぎると、
病気を口実にして不従順や嬾惰(らんだ)の習慣が附くのである。
病気だと云う言葉を家庭の中で使ってはならない。

静かに抱(だ)くか愛撫するかして
「あなたは好い子なのです。屹度親の言うことを聴いてくれます」
と断定的に言いなさい。

愛は癒す。
言葉の力は癒すのである。

         <感謝合掌 令和4年5月9日 頓首再拝>

愛を表現しながら、子供の心の悩みの表出に動機を与えてやることが必要 - 伝統

2022/05/10 (Tue) 09:40:21


      *「光明道中記」(5月10日《三界唯心を悟る日》)より

【全ては自分の心の影であるから目のとどく限り神示とも言える。
                   (『生命の實相』第十一巻)】

子供は学用品を紛失して、
親からひどく叱られるのを恐れて隠していることがある。

何でも子供は《もの》を隠しているときには、
強情に陰気に塞ぎ込み勝ちのものである。

「父さん母さんは決して叱らないから、隠していることを心に持っていて、
 自分ひとりで苦しまないで、母さんにそれを打明けて一緒に苦しいことは
 二人で分けましょうね」

こう言って愛撫して、愛を表現しながら、
子供の心の悩みの表出に動機を与えてやることが必要である。

幼いときから持ちつづけた感情の悩みが大人(おとな)になってからの
神経的疾患として発病することもある。

子供の怠惰、朝寝、不勉強は権力者に対する無言の抵抗であることがある。
大人でも権力によって拘束せられる場合には、無言の怠惰 ――
飢餓罷業(ハンガー・ストライキ)や怠業(サボタージュ)を行なうことは
誰でも知っている。

ガンジーのような高潔な人格者でも、
ハンガー・ストライキやサボタージュはやるのである。

子供の怠惰も必ずしも人格の低下の標識(しるし)ではない。

それは却って子供の自尊心の強さから、自尊心を傷つけられたことに対する
反抗の顕れであることもあるし、先生や、親や、友達が認めてくれない
絶望からの自暴自棄であることもある。

         <感謝合掌 令和4年5月10日 頓首再拝>

親の心や態度は直(ただち)に子供に反映する - 伝統

2022/05/11 (Wed) 12:12:16


       *「光明道中記」(5月11日《魂の浄(きよ)まる日》)より

【病気は悪くなる行程ではない。浄化の行程である。(『生命の實相』第十一巻)】

子供が病気らしく見える場合や、疲労していると見える場合に、
親自身が驚いたり、周章狼狽した態(さま)を見せては可(い)けない。

親の心や態度は直(ただち)に子供に反映するものである。
それは生みの子だけに反映するのではなく、養子にでも養女にでも反映する。

子供が病気や疲労を現したら、親自身の心がイライラしていないか、
誰かと争いの心持を有(も)っていないか、心配事はないか ―― と、
よく親自身が自分の心を反省して自身の心を落着け争いを解くことである。

12歳以下の子供の病気や疲労は
親自身の心の葛藤(いらいら)が反映しているのが90%以上であろうし、
16歳以下の子供の病気や疲労の50%位までは
親自身の心の葛藤(いらいら)の反映であると言っても好い。

17歳以上になると子供も大体人格の独立を得るから
親の精神状態に影響されることは段々少なくなると言い得る。

併し、どんな人でも自他一体
 ―― 一つの生命の波の中に浸って生きているのであるから
他の人の精神波動の影響を受けないと云うことはあり得ない。

夫婦は大人(おとな)であるが互いにその精神波動を感応して
互いの身に病気や事業の失敗を起させる。

況(いわん)や親子の間は大人になっても互に影響し合うものである。

         <感謝合掌 令和4年5月11日 頓首再拝>

親は何番目の子も全て一様に愛しているのだと云うことをよく会得させること。 - 伝統

2022/05/12 (Thu) 09:50:32


      *「光明道中記」(5月12日《そのまま完全を悟る日》)より

【生長の家では万人のうちにただ神の子の存在を見る。(『生命の實相』第四巻)】

2番目の子供が生まれて間もなく
幼い長男又は長女が食欲不振を起すことがあるならば、
それは親の愛が2番目の子供に移って、
もう自分は顧みられないのだと云う失望と、

病気の状態を表したら再び自分を構ってくれるかも知れぬと云う希望と、
或はまた乳児と同じように母親のお乳を飲ましてくれるかも知れない
と云う予期作用とで病気を起している場合が多いのである。

親が驚いてその病気の子供にのみ掛かり切りになるならば、
子供は得たり賢しとその病気を継続することによって、
自分にのみ親の愛を繋ぎ止めて置こうとするようになるものです。

フロイドは

「子供というものは重病に罹(かか)ったふりどころか
 死んだ仮病さえあらわすことが出来る」と言って、

26時間もたべず痙攣を起して瀕死の状態でいる
2歳の児童を抱き起こして

「さあ立っていられるだろう、貴方は病気じゃないんだ」

と言うと、

突然その子供の痙攣が治って、
子供は「お父さん」と叫びながら父親のところへ駆け寄って
15分も泣いていたが、
忽(たちま)ちコーヒーとパンを食べたいと言い出した ――

と云う実例を掲げている。

親は何番目の子も全て一様に愛しているのだと云うことをよく会得させること。

         <感謝合掌 令和4年5月12日 頓首再拝>

エディポス錯綜(コンプレックス) - 伝統

2022/05/13 (Fri) 11:29:02


        *「光明道中記」(5月13日《善一元を悟る日》)より

【すべて行為を善き動機から来るものとして言葉で賞(ほ)めよ。
                      (『生命の實相』第十一巻)】

父と云うものは厳父であると同時に慈父でなければならない。
父を憎んでいる子供は、
児童教育にたずさわって見るとかなり多数だと云うことが発見される。

父と子との争闘は精神分析の方では
ギリシャのソフォクレスの戯曲「エディポス王」の名を藉(か)りて
エディポス錯綜(コンプレックス)と命名した。

子供と云うものは本能的に母の乳房を吸った記憶から母を
「自分のもの」として見ようと云う傾向のあるものである。

母との一体感はその記憶の上にも明らかであるけれども、
「父」より自分が出たところの記憶はない。

「父」と「自分」とが一体であることが自覚されているならば、
「父」が「母」の上に権力を揮(ふる)っても、
それは「自分」と同体であるところの「父」(自分の延長)が
「母」の上に権力を揮うのだと云うことが判るから、
子供自身はそんなに憤激を感じないけれども、

そうでない場合はそんな子供は父を憎むようになり勝である。

父母が子供の前であまりに仲が悪い時にはその子供は結婚忌避症になり勝である。
子供の家庭の紊(みだ)れは此処に芽生える。

精神分析に就いての詳しい説明は拙著『人間性の解剖』及び『精神分析の話』を
読んで戴きたい。

         <感謝合掌 令和4年5月13日 頓首再拝>

不平等の中に、平等に愛されていることを知らせる - 伝統

2022/05/14 (Sat) 10:28:22


        *「光明道中記」(5月14日《応変自在の日》)より

【人生百般の修行は随処作主(ずいしょさしゅ)の工夫にある。
 随処作主とはその時その場の主人公となることである。
                    (『生命の實相』第十三巻)】

多勢の前で一人だけ賞(ほ)める事は、
賞められない兄弟(又は人々)の嫉妬の的にその人を置く事になる。

賞められない多勢は希望を失って勉強しなくなり、
親や教師に対して反感を持つ。

若し平等に兄弟を扱わねばならぬ場合には、不平等のように見えても、
実は不平等ではないことを説明してやらねばならぬ。

即ち今生まれた乳児だけにお乳をやって、前の児(こ)にお乳をやらない場合には、

「あなたは赤ちゃんの時にはそうせられたのです。
 歯のない赤ちゃんはお乳を飲むほかに
 生きることが出来ないのでお乳を飲ませるのです。

 特別に赤ちゃんばかりを可愛がるのではありません。
 あなたには歯が生(は)えているから、
 お乳よりも塊(かたまり)の食物の方が栄養になるのです。

 赤ちゃんにはお乳を飲ませることが可愛がることになるし、
 あなたには塊の御飯をたべさせることが可愛がることになるのです。

 神様はみんなに同じものを与えるものではありません。
 梅の樹には梅の花を与え、桜の樹には桜の花を与えているでしょう」

こう云う話をして、
みんなには夫々(それぞれ)の立場があり不平等の中に
平等に愛されていることを知らせねばならぬ。

         <感謝合掌 令和4年5月14日 頓首再拝>

兄弟姉妹への寵愛を互に比較するような動機を子供に与えてはならない。 - 伝統

2022/05/15 (Sun) 09:39:44


        *「光明道中記」(5月15日《八方正面の日》)より

【善は、「ねばならぬ」に縛られた形の上から固定してはならぬ。
                      (『生命の實相』第九巻)】

また大きい方の子に与える物を、小さい方の子に買ってやれぬ事もある。

そんな時に小さい方の子に言ってきかせる言葉は
「兄さんは学校へ行くために要(い)るものを買ったのです。
 あなたも亦学校へ行く時には、学校で要るものを買って貰えるのです」

斯う云うようにして、また不平等の中に愛の平等があることを知らせねばならない。

兄弟のうちの一方を賞(ほ)めてはならぬ。

「××さんのように温順(おとな)しくするんですよ」

斯う云う言語は、言われた当人には侮辱であり、
自分への愛が××さんに移ったと思いちがえて非常に嫉妬と失望とを感じて、

「温順しくするどころか、もっと暴れてやれ」

と云うような気持を起し易いものである。

兄弟への寵愛を互に比較するような動機を児童に与えてはならない。
愛が失われるかも知れないと云う恐怖は、子供を従順に導くかわりに乱暴に導く。

潜在意識を解決せずにいながら兄弟喧嘩を解決しようとする時は概ね心配を招く。
それは水仙の球根を処置しないで花だけを摘んで
水仙を絶滅しようとするようなものである。

         <感謝合掌 令和4年5月15日 頓首再拝>

親の物を盗む子供には、愛を与えよ - 伝統

2022/05/16 (Mon) 10:06:48


      *「光明道中記」(5月16日《父を憶(おも)う日》)

【贅沢を羨むな。今日一日生かされてある事実に感謝せよ。
                   (『生命の實相』第十一巻)】

子供が親の物を盗むのは「盗み」と云うことが分からないで
自他一体の気持ちでする場合と、親を愛している証拠でする場合がある。

後者は《親のもの》即ち
 ―― 「親」《そのもの》を自分に抱いていたいのである。

それは必要に迫られて、
欲しいと言っても得られない場合に止むを得ずする場合もあるし、
親を憎んで親に対する反抗心で親の大切なものを盗む場合もあるが、

反抗心も結局は愛の裏返しになったのある。

その子供は親を愛しているのだと知って、その子供を憎まないことが肝要である」
「金」は大抵親が儲けてくるものであるから、子供にとっては「金」は父親の象徴
(しるし)として存在するのである。

その「金」を隠れて浪費する子供は、父親を浪費したい ―― そんな父親はなくなれば
好いと思っているのである。そんな子供は大抵あまりに厳格な父親の下に育っているので、
父親と云う束縛者がなければ好いと思っているのである。

兄弟がある場合に、兄弟のものを盗むのは、兄弟の一方が自分より愛されていると
想像される場合、その「愛」の象徴を盗みとろうとするのであって、
それは本当の盗みではない。

愛されたいと云うに過ぎない。愛を与えれば、そんな盗みは消えて了うのである。

         <感謝合掌 令和4年5月16日 頓首再拝>

子供には是非とも子供のお友達が必要なのである - 伝統

2022/05/17 (Tue) 09:07:25


      *「光明道中記」(5月17日《何物にも恐れぬ日》)より

【対人恐怖症は自分の欠点を看透(みす)かされるのを恐れ、
 また自分を価値以上に見られたい念から起る。(『生命の實相』第九巻)】

幼児は、心理学者の調べたところによれば、
倚(よ)りどころを急に外(はず)した時とのほかには恐怖を感じない。

人間恐怖は父親が大声で怒鳴り附けることに端を発する。

暗黒の恐怖は、暗黒の中へ出たとき、
「そら恐ろしい! 」と大人たちが騒ぎ立てたり、
暗がりで便所に行くときに木枯(こがらし)が雨戸をガタガタ言わせたり、
暗闇(くらやみ)で雷鳴をきいた時などに端を発する。

人間恐怖や人見知りは突然急に大人の喧噪(けんそう)な世界へ
幼児を連れ出したのが原因で起ることがある。

子供の友達が親ばかりである場合には、
その子供は他の人間を疑うようになり内気になる。

そして他の人間は自分に危害を与えるものだと考え勝になるもので、
非社交的な人間が出来上がって了う。

子供には是非とも子供のお友達が必要なのである。
近所に子供がなくて子供のお友達が得られない場合には
幼稚園にあげることが必要である。

其処で子供は、人間には幾種類もの人間があって
色々の感情や態度で生活しているものであり、
譲歩しなければならぬ場合や、主張しなければならぬ場合のあることを
覚えるのである。

         <感謝合掌 令和4年5月17日 頓首再拝>

他の人にも、善き面があることを教える - 伝統

2022/05/18 (Wed) 10:24:17


         *「光明道中記」(5月18日《欲を捨てる日》)より

【人間の悩みのもとは皆欲から来るのである。欲は迷から来るのである。
                     (『生命の實相』第十一巻)】

あまりに幼児の美貌を賞めたり、
常にクラスの首席であると云うことを誇りにさせてはならない。

自分の顔に自信のないのも不幸であるが、容貌を鼻にかけている女性が、
次第にその容貌が衰えて来たのを見て、失望と落胆とで
狂気(きちがい)になった実例をフロイドは挙げている。

また小学、中学とずっと引続いて級中首席を占めて来た子供が
高等学校の入学試験に失敗して、突然の失望落胆から精神病に
なった実例は吾々屡々(しばしば)見聞する処である。
クラスの第一番と云うことは他を見下すための虚栄心の満足でしかないのである。

人間は容貌でも成績でも、自分だけが偉くて
他の人はみんな駄目なのだと云うような教え方をしてはならないのである。

「人間・神の子」の信条は、他の人も神の子であり、容貌での能力でも、
何等かの点に於て、他の人にも優れた天分美質があり、人間の天分は別々であり、
自分にも他に劣らぬ美質があることを知らせて、
成績の悪い者にも必ず善い処があることを知らせて置かねばならぬ。

容貌の美も年齢に応じて夫々(それぞれ)の美があること、
若さだけが美でないことを教育すべきである。

         <感謝合掌 令和4年5月18日 頓首再拝>

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