伝統板・第二

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青年を祝福する⑤ - 伝統

2021/06/07 (Mon) 04:51:17

大いなる敷地を夢見る日

      *「光明道中記」(6月7日)より

【想念は運命の別名だ。心に描いて待てば運命となって現れる。
                       (『生命の實相』第一巻)】

東京の赤坂に生長の家学生寮があった頃である。

私が講習会のために関西及び九州へと立つ日が迫って来ると、学生寮の人たちが、
「僕達の先生が、10日間も吾々のところにいなくなるなんて全くひどい!」
と言っていると云うことをHさんから聞いた。

そんなにも私を慕って下さる学生たちがいてくれると云うことは
私にとって喜びであった。

「大学へは入れなくても学生寮へさえ入れて貰えば好いと思って
 上京したのに、もう定員で入り切らないとは残念である。
 誰か近いうちに寮を去る人があったら数ヶ月でも
 待ちますから私を寮へ入れて下さい」

とお頼みになる学生さんもあった。

その頃、花嫁学校の定員は二百名だったが、
男子の学生寮の定員は三十三名だった。

「あまり此の寮が好いから、足踏みしたくなった」と言う寮生もあった。
足踏みとは嬉しくて小躍りすることかと思っていたら、
それは原級に止まることなのである。

原級に止まっていたら学生寮を去らないで済むから
「足踏み」したいのだそうである。

もっとたくさんの人数を収容し得る男子の学生寮を多く建てたい。

私は日本学生の父になりたい。

そこから昭和維新の大業が生まれて来るのだと思う。

・・・

<関連Web>

(1)光明掲示板・第三《青年を祝福する》
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=540 

(2)光明掲示板・伝統・第一「《青年を祝福する》」
   → http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=wonderful&mode=res&log=27

(3)伝統板・第二「青年を祝福する①」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6455741

(4)伝統板・第二「青年を祝福する②」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6810734

(5)伝統板・第二「青年を祝福する③」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7705615

(6)伝統板・第二「青年を祝福する④」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7933636

         <感謝合掌 令和3年6月7日 頓首再拝>

崇高な魂を持つ者の特徴 - 伝統

2021/06/14 (Mon) 04:35:51


        *Web:宇宙の兄弟たちへ(2021年5月18日)より

地球に降りたつ時、私たちは記憶を空へと置いていきます。

そして自分が何者かもわからず、この世でゼロから人生を始めるのです

過去世で偉大な業績を残した者も、自堕落に生きたものも、
等しく一人では立つ事も出来ない幼い姿から出発します。

そして次第次第に、その人の持つ魂の素質をあらわしてくことが多いでしょう。

崇高な魂を持つものは、やがて偉大な仕事をしていきます。

普通の人々の間にも、偉大な魂や、崇高な魂を持つ者たちが存在しています。

読者の中にもいるかも知れません。


そうした崇高な魂を持つ者の特徴とは何でしょうか?

共通する特徴として、もっとも感じられるのが「強い使命感」だと思います。

崇高な魂は強い使命感を持ってこの地球に生まれてきます。

地球でやるべき役割を果たそうとする思いが強いのです。

何もやる気がない、使命感の無い人には、崇高な魂のものはいないでしょう。

そして共通して持っているのが、
「何度でも勝ち上がる不屈の精神」だと思います。

偉大な人物、崇高な魂を持つ者は、
強い使命感とともに、不屈の精神を宿しています。

一度や二度の失敗ではへこたれてはいません。

失敗したり、壁から跳ね返されようとも、
何度もチャレンジして、やがて乗り越えていきます。

偉大な方の業績を見ていると普通の魂と違うのは、
そうした何度倒れてもまた起き上がってチャレンジしようとする、
不屈の精神ではないかと感じるのです。

もちろん、生まれ持っての特徴の差もあるでしょう。

ですが私たちであっても、崇高な魂の者たちの特徴を見習い、
強い使命感と不屈の精神で事に当たっていけば、
やがて近づいていくものと思います。

言い訳を排除して、自分たちのできる事をしていかなくてはなりません。

偉人と言われる人の魂であっても、
遠い過去には普通の魂であったものが、やがて成長していって、
人々の先を行くものとなっていったのです。

それは私たちにも崇高なる魂へと駆け上がる道が開けている事を意味します。

みなさん自身が崇高なる魂に向上していかれる事を願っています。

https://www.spacebrothers.jp/2021/05/blog-post_18.html

         <感謝合掌 令和3年6月14日 頓首再拝>

【千人の高校生が立ち上がった】 - 伝統

2021/06/16 (Wed) 02:24:43


        *メルマガ「人の心に灯をともす」(2021.06.14)より

   (諏訪中央病院名誉院長、鎌田實(みのる)氏の心に響く言葉より… )

   2018年7月、台風7号と梅雨前線の影響で、
   北海道で大雨を降らせた後、太平洋高気圧が南下し、
   九州、西日本に記録的な大雨を降らせました。

   のちに「平成30年 7月豪雨災害」と名付けられたこの災害は、
   西日本に甚大な被害をもたらします。

   岡山県総社(そうじゃ)市と倉敷市真備(まぴ)町では
   多い時で7000人以上が避難する事態になりました。

   当時、総社高校の1年生だった光旗郁海(こうばたいくみ)さんは、
   一部の地域に避難勧告が発令されるなか、
   市街の中心部にある親戚の家に避難。

   やむ気配のない大雨に、恐怖を抱いたといいます。


   一夜を明かし、翌朝無事に自宅に戻ってきて、
   被害の様子を報じるテレビニュース を見た光旗さんは、
   えっ、と自分の目を疑いました。

   テレビに映し出されていたのは、自分の住む総社市のことだったからです。

   高梁(たかはし)川の水位が上がり、道路や田畑が浸水、
   濁った水がよく知っているはずの風景を覆いつくしていました。

   そのうえ、浸水した アルミ工場が爆発し、
   炉で溶かされたアルミニウムが飛び散って、
   近隣の住宅で火災 が発生するという大惨事も発生しました。


   「ふだんテレビのなかのことは他人事だと思っていたんですが、
    よく知っている自分たちの地域のことがテレビのなかで報じられていて、
    今、私たちが当事者になっていると初めて気づきました」

   他人事から当事者へ。

   この視点の転換がとても大切なところです。

   相手の身になっ たとき、相手が抱える問題を
   自分の問題として考えることができるかどうかも、この視点の転換です。


   高校のクラスのLINEを開くと、友人たちが続々と近況を送ってきました。

   「高梁(たかはし)川がヤバイらしい」
   「昨夜の工場の爆発はすごかったみたい」

   興奮ぎみに送信してくる友人たち。

   細かい状況はわからないけど、
   とにかく無事であることにひとまずほっとしました。

   しかし、2人の友人からなかなか返信がありません。

   浸水の被害が深刻な真備町に住む友人と、アルミ工場のすぐ近くに住む友人でした。


   「これは大変なことが起きているんじゃないか?」

   友人たちの身になって考えると、
   「今すぐにできることはないか」という思いが強 くなっていきました。

   それぞれがお互いの様子を確認しあうなかで、
   勇気を出して行動を起こしたのが、光旗さんだったのです。

   光旗さんは、大雨特別警報が解除されたばかりの7月7日午後4時ごろ、
   総社市の 片岡聡一市長に次のようなダイレクトメールを送りました。


   『片岡さん突然失礼します。これをみる暇はないかもしれませんけど......。
    私たち高校生に何かできることはありませんか?
    配給の手伝いなどはできませんか?
    何かできるかもしれないのに家で待機しているだけというのはとてもつらいです。
    子どもだから、できることは少ないかもしれないです。
    でも、ほんの少しでもで きることはないですか?』

   市長からすぐに返事がありました。

   『あるとも。すぐに総社市役所に来て手伝ってほしい』


   その返事にこたえて、光旗さんは近くに住む友人やツイッターで
   呼びかけた高校生と共に市役所に駆けつけました。

   集まった高校生は約50人。

   すぐに市長から指示されて、避難所でパンやお弁当を配る手伝いをしました。

   「まさか市長さんがこんなに早く返事をくれるとは思っていなかったので、
    びっくり しました。

    いちばんうれしかったのは、私たち高校生を信用してくれた、ということ。

    被災している人だけでなくて、
    被災していない人のことも考えていただいたんだと思いました」


   一方、メールを受け取った片岡市長は、
   『すぐ市役所に来てください』と返信したものの、
   特別にプランがあったわけではありませんでした。

   ところが、知らぬところでこの返信が拡散され、高校生たちの行動を引き出します。

   市役所に50人の高校生が「総社市を何とか助けたい」と駆けつけてきたとき、
   「一筋の光」を見たと市長は語っています。


   翌7月8日、片岡市長の想像を超える"事件" が起こりました。

   早朝6時、市長は、 市庁舎2階の災害対策本部から市庁舎前広場を見下ろすと、
   黒山の人だかりができているのを見て、愕然としました。

   「ついに暴動が起きてしまったか」

   災害の責任問題や保証について、詰め寄る市民たちが押し寄せたと思ったのです。

   とにかく彼らと対話しなければ、と覚悟を決めて広場へと降りていくと、
   そこに集まっていたのは高校生たちでした。


   「何か手伝わせてください」 「総社市を助けたいんです」

   前日のメールを、ある男子高校生が拡散し、
   約700人の総社高校、総社南高校、さらに市外からの高校生も集まっていたのです。

   片岡市長は、このときの心情をこんなふうに語っています。

   「彼らの心意気に泣けた。この子たちを抱きしめたいと思った......」


   ここから、総社市の復興は始まりました。

   総社市はバスを20台チャーターし、高校生たちは被災地域へ入りました。

   市長も一緒に現場に赴くと、市長に気づいた市民から罵声が飛んできました。

   「どうしてくれる、こんなになってしまって」
   「国道をかさ上げしてくれと言ったのに」
   「もうこんなとこには住めん」


   高校生たちは、そうした罵声を浴びせかけてきた人の家にも、
   何の迷いもなく入り、泥かきに汗を流しました。

   泥水を吸った畳を6人でようやく持ち上げては運び出し、
   泥にまみれたタンスも救出しました。

   泥の中から思い出のアルバムをかき出した高校生もいました。

   高校生ボランティアは、次の日も次の日も集まりました。

   最初の4日間だけで1700人以上が集まったといわれています。


   「何かのきっかけさえあれば、多くの人が行動を起こしてくれる。
    “誰かのために何 かをしたい"という人が、こんなにもたくさんいるなんて」

   一通のメールできっかけをつくった光旗さんは、
   驚きとともに責任のようなものさえ感じたといいます。

   災害対策で奔走する市役所の方たちに、余計な負担をかけたのではないか、と。


   水害の後、気温は連日30度以上。

   7月の厳しい日差しと高い湿度のなか、市役所の 玄関に集まり、
   バスで現場に入り、泥かきに明け暮れました。

   熱中症の危険もあるなかでの作業でした。


   そのときの市長のツイッターです。

   『総社市復興に千人の高校生が立ち上がったこと。凄いこと。
    彼らに総社市の未来を託せる』

   『高校生ボランティアチームの泥んこの頑張りによって、
    こうして被災地の瓦礫が整理されました。
    地域の方々は感激しています。
    泥んこを洗濯してくださるご家族の方、申し訳ございません。
    でも、本当にありがとうございます』

   夏休みになると、こうした高校生たちの姿を見た中学生や小学生が、
   次第に支援の 輪に加わり始めました。

   子どもたちが頼もしく変わっていくなかで、大人たちにも変化が起こり始めました。

   「どうしてくれるんだ」と罵声を浴びせていた住民たちが、
   「ありがとう」と感謝の言葉を口にするように変わっていったのです。


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              ・・・

「近頃の若い者は」という言葉は、ギリシャの哲学者プラトンの書にもあるし、
エジプトのピラミッドの遺跡にも書かれているそうだ。

現在でもそうだが、年寄りは、いつの時代でも、
若者を「礼儀や挨拶ができない」
「本も読まないし勉強もしないでゲームやマンガばかり」
「やる気がない」と「まったく、なってない」とこき下ろす。

しかし、どの時代であろうと、これからの未来を作っていくのは若者たちだ。

老人が未来を切り拓く、などということは古今聞いたこともない。


確かに、「何か社会の役に立ちたい」と
社会参加したと思っている日本の若者は、
アメリカ52.9%、ドイツ52.6%、イギリス45%と比べて、
ダントツに低く、30.2%しかいない、ということも事実だ。
                 (平成29年の内閣府の調査より)

選挙や政治への関心も薄く、「世のため、人のため」
という人を思いやる気持ちが欠けている、とも言われている。

そして、自分の将来に明るい希望を持つ割合も、
アメリカ91.1%、スウェーデン90.8%、イギリス89.8%と比べて、61.6%しかない。

つまり、一見すると
「しらけている」「熱くならない」「行動しない」とみられてしまう。


しかし、この総社市の高校生のように、
何かのきっかけさえあれば、若者たちのエネルギーは爆発する。

若者たちこそ、心に熱いものを持っているのだ。


若者を信じ、若者たちにこの国の未来を託したい。

         <感謝合掌 令和3年6月16日 頓首再拝>

【未来を起点に考える人間になる】 - 伝統

2021/06/23 (Wed) 03:41:00


        *メルマガ「人の心に灯をともす」(2020.02.20)より

   (ゲイリー・ジョン・ビショップ氏の心に響く言葉より…)

   ある人が兄弟としゃべらなくなるのは、
   向こうが6年前に口にした言葉に原因がある。

   友人からの電話に出なくなるのは、先週の行動に原因がある。

   人の集まる場所へ出かけるのをイヤがるのは、
   12歳のときに起こった事件に原因がある。


   過去が原因で立ち向かえないことは、人生には無数にある。

   ちょっと前の出来事が、今起こっていることの原因になる。

   去年の出来事が今年の原因になる。

   子どものころの出来事が、大人になってからの人生を決める。


   少なくとも、人はそういう見方をするように訓練されている。

   くそったれな異常事態だが、
   あなたはその考えにだまされ、洗脳されている。


   イギリスの哲学者アラン・ワッツは、
   人間の過去の捉え方について飛び抜けた視点を持っていた。

   「私たちは一般常識として、
    時間とは過去から現在をへて未来へ向かう
    一方通行の動きだと考えている。

    そこから、次のような意識も生まれる。

    人生もまた、過去から未来に向かうものであり、
    現在と未来の出来事は、過去の出来事の結果だというものだ。

    言い換えるなら、人は一定の流れに
    流されて生きているように感じるのだ」

   と言う。

   ワッツはさらに、

   「人という存在が(人生に)流されているという考え方は、
    因果関係や、過去の力に突き動かされる人生という考え方ともつながる。
    しかもこれは常識に深く浸透していて、取り除くのは非常に難しい」

   と言う。


   時間を遡(さかのぼ)って過去を変えることはできない。

   過去の出来事は依然として過去の出来事のままだ。


   「スタートレック」というSFテレビシリーズには、
   放映当時まだなかった先進技術が50個も予言されている。

   タブレット端末に、GPS、自動ドア、携帯電話など、
   非常に印象的な技術ばかりだ。

   しかし私が言いたいのは、「スタートレック」の
   脚本家はノストラダムスじゃないということだ。

   つまり、「スタートレック」は何も予言なんてしていない。

   生み出したのだ。

   未来を予言したわけじゃなく、
   型破りなテクノロジーの存在する未来を視覚化したのだ。


   それでどうなったか。

   そうした刺激的な夢のアイデアを出した人たちの中に、
   本当に作れるのかを確かめたいと思った人がいた。

   そして、作中に出てくるようなガジェットをどんどん作り始めた。

   今ある先進技術の多くは、そうした非常に大胆で勇敢な人たちが
   想像力を駆使し、現在地と望んだ未来とのあいだのありとあらゆる
   ハードルを乗り越えて作ったものだ。

   彼らは未来に関する現実を作り出した。


   夢は簡単に現実になる。

   であるなら、人生をフルに生きるのにもこのアプローチが使えないはずがない。

   大手企業はいつも次世代の商品をデザインしている。

   未来を見据え、大胆な前代未聞の計画を立てて
   投資や拡大、再発明を行っている。

   想像もつかないプロジェクトや大胆すぎるアイデアを
   完成させる日取りまで定めている。

   それから、あなたや私がやらないことに取り組んでいる。


   大手企業は未来から逆算する。

   未来を指針にすべてを進める。

   エンディングからスタートするのだ。

   これから登場するものを情報源にして自分を形作っていく。

   それは、まだ起こっていないことに影響される日々だ。


   アラン・ワッツの言葉の正反対で、
   大企業は過去に引きずられるのではなく、未来に牽引されている。

   彼らはまず、未来が現在に与えるインパクトの
   ビジョンを描くところから始める。

   未来を道しるべに、未来と因果を結んでいる。

   これこそ、人生のまったく新しいデザインだ。

   終わりから始まる人生だ。


   あなたはクリエイターになるのだ。

   言い換えるなら、未来を起点に考える人間になるということだ。

      <『思い込みを捨てて本当の人生を取り戻そう』ディスカヴァー
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           ・・・

本書の中に「ミケランジェロ」の話があった。

『ミケランジェロの最高傑作のひとつとされる高さ5.2メートル、
 重さ6トンのダビデ像は、カッラーラ地方の大理石の塊を削って作られた。

 ミケランジェロは、普通の人が考えるのとは別のやり方で像を作り、
 石からダビデ像ではない部分を削っていったそうだ。

 ミケランジェロの頭の中では、ダビデ像はすでに完成していて、
 少しずつ姿を現すのを待っているだけだったらしい。

 彼は2年の歳月を費やし、情熱のすべてを注ぎ込んで、
 未来を明らかにしていった。』


ドラえもんも、鉄腕アトムも、攻殻機動隊も、
さらにもっと多くの、未来が見える日本のアニメがある。

それらを見て育った子供たちは、大人になってそれを現実化しようとする。


ちょうどミケランジェロが大理石の中から削りだしたように。

未来を起点に考える人間になりたい。

         <感謝合掌 令和3年6月23日 頓首再拝>

美しき夢見る日 - 伝統

2021/06/27 (Sun) 04:59:38


         *「光明道中記」(6月27日)より

【高き理想、気高き感情、明るき心を持続するものには
 老衰は近附いて来ないのである。(『生命の實相』第十二巻)】

私たちの家は海岸にあった。
私は一人暁方(あけがた)、和(なご)んでいる春の海の夜明を見るために
渚の方へ歩いていったのである。

少しも風のない海の水は鏡のように静かであり
透(す)きとおっているのであった。

その海浜(かいひん)の透きとおった水の中から
何とも言えない紅(くれな)いの花が、
臙脂(えんじ)よりも深い紅の花が、
ポッカリと咲き出でているのである。

それはほんとうに現実の世界では
全く見ること出来ない清まった花の姿であった。

わたしはあまりに美しいので声をあげた。
その声でわたしは眼が覚めて了ったのである。

眼が覚めてからもその夢の美しい印象は消えなかった。
わたしはこれ迄色々のところへ招かれて色々の景色を見たけれども、
こんなに清まった美しい景色と、清まった花とを見たことがないのであった。

私に歌が久し振りで出来た。

丁度その日が光明寮の卒業式であったので
道場に列(なら)んでいる寮生たちを見ると
その夢の中の花の一つ一つが寮生の魂のように清く美しく感じられた。

  覚めてなお心に深くのこれるは海より咲ける紅いの花

         <感謝合掌 令和3年6月27日 頓首再拝>

【書く力を身につける】 - 伝統

2021/07/03 (Sat) 02:44:33

       *メルマガ「人の心に灯をともす」(2021.05.03)より

   (成毛眞氏の心に響く言葉より…)

   SNSは気軽な発信の場だが、
   少しでもバズらせたいのなら真剣に書くことだ。

   文章を書くという行為は、自分の感情や思考の発露である。

   つまり文章を真剣に書くというのは
   自分の感情や思考を真剣に伝えるということだ。

   読む側からすれば、書いた人の感情や思考がありありと伝わってくる。

   そんな文章こそがバズるエネルギーを帯びる。


   では真剣に書くとはどういうことか。

   これには2つ要件がある。

   1つは、ある程度長い文章を書くこと、
   もう1つは、いったん書き上げたものを読み直しては手を加える、
   つまり「推敲(すいこう)」を重ねることだ。


   まず1つめだが、とりあえず400字なりの文章を書く練習を
   積み重ねるといいだろう。

   いくら10メートルを速く走れるとしても、
   100メートル走で記録を出せるわけではない。

   100メートル走で記録を出したいのなら、
   ひたすら100メートルを走り続けるしかない。


   文章も似たようなものだ。

   何かを伝え、読んだ人に影響を及ぼすには、
   それなりにボリュームのある文章を書く必要がある。

   細切れの短い文章を書き続けていても、その能力は身につかないのだ。


   そして2つめ。

   いったん文章を書き上げたら、今度はその文章に手を加えていく。

   誤字脱字や助詞の誤りといった
   明らかな間違いを正すことはもちろん、

   誤解を生みやすい表現を書き換えたり、
   具体例や背景など詳細を書き加えたりして、

   自分の真意が誤解なく読み手に伝わるようにしていくのである。

   これを推敲という。


   最低でも400字なりの文章を、
   第一稿で満足のいく出来にするのはプロでも難しい。

   推敲こそ書き手の真剣味が問われるところだ。

   この仕上げの作業をしっかりと行うか否かで、
   バスる文章になるかどうかは9割決まるといっていい。


   あるとき、本書の担当編集者から次のように言われた。

   「成毛さんのフェイスブック投稿を見ていると、
    一度アップしたあとに10回も20回も
    手直しされていてびっくりしました。

    手を加える前と後を見比べると
    たしかにブラッシュアップされていると感じます」と。

        <『バズる書き方』SB新書531
           https://amzn.to/3xLgkdg >

         ・・・

本書の中に「書き方」についての
興味深い記述があったのでシェアします。

『ひと昔まえまでは、空白が少ないほど
 「情報量が多いお得な本」とされていた。

 「書かれている知識や情報=文章」を買っている
 という意識が強かったため、余白が多いと
 「何も刷られていない紙に金を払うなんてバカバカしい」
 と怒りすら感じたものだ。

 しかし最近の傾向としては、
 むしろ文字の少ない本のほうが、読みやすいということで人気がある。

 みなさん、びっしりと文字で埋め尽くされた本には、
 なかなか手が伸びないのではないか。

 スマホで読むSNSならばなおさらだ。

 したがってSNS上の文章では、
 適度に空白を入れることも重要である。

 1つ目安を示しておくと、スマホ画面に
 「最低でも2ヵ所」は1行空きが入るようにする。

 スクロールしないと
 1行空きが現れないようでは詰めすぎだ。

 これだとスマホ画面が文字で真っ黒になって読む気が失せてしまう。

 かといって1行や2行ごとに1行空きがあるのは、多すぎである。

 すると1つの投稿は必然的に長くなる。

 こうなると何度もスクロールしなくてはならないため、
 読む人を疲れさせてしまう。

 スカスカの文面は目には優しいかもしれないが、
 スクロールする親指には過酷なのである。

 文字数にして、100〜140字くらいを目安に
 段落変えをする(1行空きを入れる)、
 と心得ておくといいだろう。』


ツイッターの文字数制限は、140文字。

つまり、ツイッターに投稿できるくらいの
文字数の文章を、いくつもつなげていくという手法だ。

その理由は、
SNSはスマホで読まれる率が圧倒的に高いから。


現代は、アウトプットしなければ、誰も気に留めてくれない時代。

したがって、SNSのフォロワーを
多く持っている発信力のある人は強い。

反対に、どんなに素晴らしい知識や有益な情報を持っていようと、
その人がまったく発信していないとしたら、
それはこの世に存在しないのと同じこと。

お金にならないどころか、存在すら忘れられてしまう。


また、書く力を身につけるには、
著名な書き手の中の気に入った文章を書き写すのもいい。

できれば書き写すだけでなく、
それにオリジナルなコメントをつけて
SNSで発信する。


書く力を身につけたい。

・・・

<参照>

(1)伝統板・第二「効果的に伝える力」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6502921

(2)伝統板・第二「雄弁家への道~「話術」 」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6543064

         <感謝合掌 令和3年7月3日 頓首再拝>

1日1話、読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書 - 伝統

2021/07/11 (Sun) 04:43:08

絶対に読んだ方が良い感動できる1冊! 
10分でわかる『1日1話、読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書』

学識サロン(2021/04/27)
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=U7xRpMiEfDY

【目次】

00:53①山中伸弥教授のお話

02:53②森岡毅さんのお話

04:19③柳井正さんのお話

07:02④ガッツ石松さんのお話

・・・

<参照>本書ができるまで


*Web:note(2020/12/06 )小森俊司(書籍編集者)
 https://note.com/komori_shunji/n/n77013b57d208


①本書に収録された365人の方々の話には、
 われわれ日本人が長年大切にしてきた仕事や人生についての
 考え方、向き合い方、そして地を這うような思いをして掴んだ
 人生の真理、仕事の極意がびっしりと詰まっている。

②職場の上司や先輩から、
 飲み屋で仕事の熱い話を直接聴ける機会もめっきり少なくなった現代。
 本書こそは、令和の時代におけるまたとない仕事の教科書となるに違いない。


<参照>
本書の全体の内容紹介
https://online.chichi.co.jp/item/1247.html


https://www.chichi.co.jp/specials/proffesional365_202011/?_ga=2.227679901.1017868742.1624894114-27427733.1601073536

         <感謝合掌 令和3年7月11日 頓首再拝>

【大学生の最新キャリア意識】 - 伝統

2021/07/16 (Fri) 06:27:32


        *メルマガ「人の心に灯をともす」(2021.07.05)より

   (『未来が描ける仕事図鑑』(NewsPicks)の中から、心に響く言葉より…)

   NewsPicksが2020年9月、東京大学新聞と共同で
   「東大生キャリア意識調査」を実施し、
   「企業を選ぶ時に最も重視するポイントはなんですか」と聞いたところ、

   「自分のやりたい仕事であること」と答えた人が6割以上と
   ダントツ1位の結果となりました。

   また日本生産性本部が、2019年に入社する新入社員1792人を対象に
   「働くことの意義」を調査したところ、

   「会社を選ぶ上で、もっとも重視した要因」の1位は
   「自分の能力、個性が生かせるから」(29.6%)、
   2位は「仕事が面白いから」(18.4%)、
   3位は「技術が覚えられるから」(13.1%)となっています。

   一方、「会社の将来性」を就職、転職の最重要条件としている人の数は
   10%を下回っています。


   つまり、若い人の思考からは
   「寄らば大樹の陰」的な会社に依存をする傾向が減少し、

   反対に、自らの技能や能力を生かす「職業」への適性に
   関心が向いていることがわかります。

   もっと言うと、昨今の学生や新入社員は、
   日本の企業が長きにわたり死守してきた
   「終身雇用(終身にわたり、雇い続けるのを保証 すること)」に
   さほど期待していません。

   「東大生キャリア意識調査」において、
   「ずっと同じ会社に勤務したいか」と聞いたところ、
   6割以上の学生が「したくない」と回答しました。

   終身の雇用を望んでいないということは、
   将来的には新卒入社した会社から離れ、転職したり独立したりすることも
   視野に入れているのが窺えます。


   実際、日本経済新聞が2021年1月、就活生を対象に
   インターネットで(有効回答数は289人)、
   「転職を前提として就活するか」と 聞いた調査でも、
   約4割が「はい」と回答しています。

   ちなみに筆者はNewsPicksで足掛け6年以上、毎年、就活特集を作ってきましたが、
   2〜3年前から、取材する学生の口から「ファーストキャリア」という言葉を
   よく聞くようになりました。

   「ファーストキャリアは、潰しのきくコンサルに行きたい」
   「ファストキャリアとして営業は、悪くない」といった文脈で使われるのですが、

   若者は将来の転職や独立などを見据え、
   最初の仕事に汎用的なスキルや経験を求めていることが窺えます。

   そのため、昨今の新入社員は内定時に、
   入社後に自分が望む仕事(職種)ができる部署に配属されることを
   望む傾向が顕著です。


   電通が2020年2月に大学生サークル専用アプリ「サークルアップ」を介して
   調査したところ(186人が対象)、入社前に「配属保証してほしい」と答えた人は
   実に94%にも達しました。

   一方で、入社時に、会社の意向で自分が希望する部署に行けない現象は
   「配属ガチャ」と言われ、とりわけ優秀な学生ほど
   職業人生 のスタートを会社に握られてしまうことを嫌っています。


   日々の報道を見ると、これまで人気企業ランキングの常連だった
   メガバンクや大手メーカー、旅行会社、航空会社などの業績不振が
   大きく取り上げられ、来年は採用ゼロといった発表も相次いでいます。

   そんななか、「若者は『一流企業に入れば、一生安泰』とは
   感じられなくなっており、むしろ、会社に依存することはリスクであり、
   頼りになるのは自分のスキルや経験だと考えていることが推察できます」
            (電通若者研究部 「ワカモン」・西井美保子氏)。


   まとめると、ここ数年、学生や新入社員世代の間の就業意識は、
   入社したら一生その会社で勤め上げることが前提の「就社」型から、
   自身の得意なことや、やりたいことを実現する職能を定める「就職」 型に
   変わりつつあると言えます。

   こうした学生の意識の変化を受け、今や企業も配属を確約する採用を増やし、
   7割の企業が職種別採用を行っています。

   そして、AIやデータサイエンスなど特別な技能を持った学生には、
   それに見合った高額な初任給を払う企業も増えています。

   つまり、大卒(主に文系)を「総合職」という一つの塊として採用し、
   会社が自社都合で新入社員の配属を決めるという昔ながらの「総合職採用」は
   既に限界を迎えているのです。

          <『未来が描ける仕事図鑑』NewsPicks
                  https://amzn.to/3ymOMdq >

                ・・・

本書の中に、「メンバーシップ型からジョブ型採用へ」という
以下のような文章があった。


『 これまで日本の会社は、「メンバーシップ型雇用」と呼ばれてきました。
  会社に入るということは、ゴルフ場などの会員制クラブの
 メンバ ーシップ(会員権)をもらうのに等しい、
 というコンセプトから名づけられた言葉です。

 自社の風土にふさわしい人を新卒一括採用で「入社」させた上で、
 適当な「職」をあてがい、OJT(オン・ザ・ジョブ・トレーニング: 仕事を介した訓練)で、
 実際に作業をさせながらスキルを習得させるスタイルです。

 一方、欧米諸国など日本以外の国では、ある「職」がまずあり、
 それにふさわしいスキルを有する人を欠員補充という形で採用する
「就“職”」がスタンダードで、このスタイルを「ジョブ型雇用」と言います。


 そして今、日本でもこのジョブ型雇用が一気に加速しているのです。

 年功序列が基本のメンバーシップ型は、新卒採用も評価も、
 人の配置もマネジメントも、一律で管理がしやすいのが特徴です。

 一方、ジョブ型は社内のジョブの数だけ、
 またそこに適用する人の評価やマネジメントもパーソナル (個別)対応になるため、
 設定や管理は困難を極めます。

 にもかかわらず、日本の7割超の企業が、
 ジョブ型雇用を導入もしくは導入検討中だと言います(コーン・フェリー調べ)。 』



2019年5月、経団連会長とトヨタ社長から相次いで「終身雇用」についての発言があった。

トランプ政権下、日米貿易交渉でアメリカは強硬姿勢を崩さず、
その状況を踏まえて、終身雇用は難しくなる、とのメッセージだった。

だが、現在ではその言葉が一人歩きし、DXの進化による、
そもそもの会社形態のあり方や、働き方の問題ともなっている。


日本の新卒の就職の意識は長い間ずっと変わらなかった。

人気企業は、知名度もあり、待遇もよく、安定して、長く勤めることができる企業だ。

しかし、現在、ITやAIの進化により、
上場している一流企業でさえあっというまに倒産したり、吸収合併される時代だ。

変化が急激で、乗り遅れるところが続出しているからだ。

ということは、今までの就職の前提がすべて崩れてしまった。


日本人の多くは、とにかく、有名な学校へ入るため、一流企業に入るために努力をする。

そして、入ったあとは努力をしない。

入ることがゴールだからだ。

これからはそうはいかない。


「ジョブ型雇用」に向けて、会社も個人も速(すみ)やかに頭を切り替える必要がある。

         <感謝合掌 令和3年7月16日 頓首再拝>

【越境学習とは】 - 伝統

2021/07/19 (Mon) 02:49:37


        *メルマガ「人の心に灯をともす」(2021.06.03)より

   (経済学者、石山恒貴(のぶたか)氏の心に響く言葉より…)

   厚生労働省の「能力開発基本調査」(平成30年度)によると、
   調査の年に「自己啓発を行った」と回答した人は、
   労働者全体では35.1%、正社員の場合は44.6%です。

   自己啓発というのは、
   越境学習と類似しており重複している点もありますが、厳密には異なる概念で、
   「ラジオ、テレビ、専門書、インターネット等による自学、自習」も含まれています。

   逆に言えば、半分以上の人たちが、
   メディアを利用したり読書をしたりすることも含め、
   1年間に1分たりとも「勉強」していないのです。

   最近では、日本は圧倒的に学ばない国などと言われることもありますが、
   その理由は社会人学生の少なさだけでなく、
   このような自己啓発への姿勢にもよく表れていると言わざるを得ません。


   こうなると越境学習どころではありませんから、
   ありとあらゆる選択肢を提示してその理由を探る調査
   (リクルートワークス研究所)もなされているのですが、

   そこで一番多く挙げられたのは
   「学ばない理由は特にない」という拍子抜けするような回答でした。

   つまり日本というのは、「特に理由もなく学ばない国」なのです。

   そういうとまるで日本人が非常に怠け者である
   かのように感じるかもしれませんが、それは正しくありません。


   意外なことに、若い人(20〜30歳代)の「終身雇用」「年功賃金」を
   支持する人の割合が急激に伸びていることもわかりました。

   社会的には、「会社に頼って生きられる時代は終わったのだから、
   自らアクションを起こして、学び直しをしないと大変なことになりますよ」
   という声が高まっているのとは裏腹に、

   当事者たちは想像以上に安定を望んでいる
   といった事実が浮き彫りになっているのです。

   それだけ、日本の会社組織は整っていて、
   そこにいれば安心という思いが捨てきれないのでしょうね。

   越境学習のようなものは、やったほうが当然いいのだろうけれど、
   やらなくてなんとかなるのならそのほうがいいというのが本音だと思います。


   ただでさえ働いて疲れているのに、さらに勉強なんてと思うかもしれませんが、
   大人の学びというのは、
   与えられた正解をただインプットするようなものではありません。

   そんな受験勉強のようなものは、
   はっきり言って面白くもなんともないんです。

   大人の学びというのは、自分で課題を設定して、
   それに自ら取り組んでいくことです。

   だから基本的に正解はなくて、大学院で学ぶにしても、
   様々なバックグラウンドを持つ人たちが
   答えのないことを話し合っているのです。

   だからこそ面白いんですよ。


   学び直しには決まった形などなくて、結局一番大事なのは好奇心です。

   言い換えるなら、
   「好奇心を持っていろんなことに首を突っ込む」
   ことこそが学び直しなんですね。

   そういう意味では、

   「学びの機会になりそうなことに誘われたらとりあえず乗ってみる」

   というのも、
   学び直しへの一歩を踏み出すきっかけとしては大いにありだと思います。

   もちろん学び直しに遅すぎることはありません。

   いつでも、誰にでも、その門戸は開かれています。

       <『なぜ、学ぶ習慣のある人は強いのか?』日本経済新聞出版
                      https://amzn.to/3c7KLRu >

               ・・・

「越境学習」の研究者、石山恒貴氏は、

「越境とは自分がホームだと思う場所と自分がアウェイだと思う場所の境界を
 越えることで、その境界を言ったり来たりするのが越境学習である」

と定義しています。


「ホームとは、よく知った人だけがいる安心できる場所のこと。
 逆にアウェイは、見知らぬ人に囲まれた、居心地の悪い場所のことです。

 コミュニケーション一つとってもホームなら社内用語なども通じるし、
 阿吽(あうん)の呼吸も期待出来て楽ですが、
 反面、“わかったつもり”に陥りやすいという欠点があります。

 そんな固定観念の枠を取り払うためには、
 アウェイに意識的に足を踏み入れることが大事なのです」


「『越境学習』による『知の再武装』とは、
 知識を単にアップグレードすることではありません。

 ホームという安住の地だけにとどまらず、
 アウェイにも自分の居場所を見つけること。
 つまりそれは、世界を大きく広げるプロセスのことです。

 このような再武装には様々な打ち手や場があります。
 いろいろなメニューを研究し、成長マインドセットを持って、
 果敢に学び続け、人生を拓いてください。

 人生100年時代、学ぶ人はとことんしなやかで強いのです。」


越境学習とはつまり、会社を飛び出して、
「他の場(アウェイ)で学ぼう」ということ。

終身雇用が崩れた今、もっとも必要な学びだ。

なぜなら、会社の中だけにいたら、会社外の人間関係はできないからだ。


運や縁は人が運んでくる。

会社以外の人脈や人間関係がなかったら、
人生百年時代は到底生きることができない。


越境学習をして、会社以外に自分の「場」を多くつくり…

生涯にわたって学び続ける習慣を身につけたい。

         <感謝合掌 令和3年7月19日 頓首再拝>

慈しみ、拝み合う人物になる - 伝統

2021/07/31 (Sat) 04:06:06


    *『生命の實相』第38巻幸福篇(下)(7月31日)より

人が拝み合うほどわたしを喜ばす話はない。
人が愛し合う話ほどわたしを喜ばす話はない。

人が罵り合う話ほどわたしを悲しませる話はない。
人が憎み合う話ほどわたしを悲しませる話はない。

他(ひと)が悪いということに憎みを感ずる者は愚かな者である。

他(ひと)が自分より優れていることを聞いて
素直に喜べる人だけが偉大なる人物である。

         <感謝合掌 令和3年7月31日 頓首再拝>

【マーケターのように生きろ】 - 伝統

2021/08/09 (Mon) 04:35:50


      *メルマガ「人の心に灯をともす」(2021.04.27)より

   (ソフトバンクコミュニケーション本部
    メディア統括部長、井上大輔氏の心に響く言葉より…)

   当時、私は外資系の企業で広告の企画担当をやっていました。

   ある日、本社から幹部が来日することになり、
   その接待を私が担当することになったのです。

   そのとき外国人の上司から言われたのは、
   「エンターテインメント」の担当は君がやってくれ、ということでした。


   英語では接待のことを「エンターテインメント」と言います。

   そのときはじめてそれを知った私は、
   急に視界が開けたような気持ちになりました。

   そうか、エンターテインメントとは接待なのだ、と。


   接待である以上、スタート地点はあくまで相手です。

   相手をよく知り、相手の立場に立って、自分たちにできる精一杯をつくす。

   それこそがエンターテインメントなのだと心得ました。


   まずは相手を楽しませる必要があります。

   「自分自身を表現する」より「相手の役に立つ」を意識するようになると、
   昇進やステップアップのスピードが明らかに変わってきました。


   人前で話すときは、まず聞き手をしっかりと理解し、
   聞き手が何を求めているかを意識するようになりました。

   すると、講演や研修講師、番組出演の依頼などを、
   副業としては受けきれないほどいただくようになりました。


   文書を書く際も、読み手の視点から構想し、
   読み手が求めることを常に意識するようになりました。

   すると、何気なく書いたブログが注目され、
   記事の寄稿や連載の依頼をいただくようになり、
   ついにはこのように本を出版させていただけるまでになりました。

   SNSのフォロワーも、数百から数万に伸ばすことができました。


   つまるところ、そうした心がけを通じて、
   私は昔に比べてずっと「人から必要としてもらえる」ようになったのです。

   まだまだ「成功者」と呼べるようなキャリアではありませんが、
   学生時代や社会人になりたてのころとは比べ物にならないほどの
   充実感を日々感じています。

   自分に特別な才能がないことは自覚しています。

   私が「人から必要としてもらえる」ようになれたのは、
   「生きる知恵」としてのマーケティングのおかげです。

         <『マーケターのように生きろ』東洋経済新報社
                  https://amzn.to/3gyUlzX >

          ・・・

本書の中に「スティーブ・ジョブズ」のこんな話があった。


『スティーブ・ジョブズは言わずと知れた天才でありカリスマです。

 確かに彼なら、消費者と深い対話などしなくても、
 多くの人が深層心理レベルで欲していた商品を
 次々と生み出すことができたのでしょう。

 「日本にはスティーブ・ジョブズのようなイノベーターがいない」

 という話をアメリカ人の同僚にしたら、

 「アメリカにも1人しかいない」と言われたことがあります。

 それでは、多くの「カリスマではない」人はどうしたらいいのでしょうか。

 どうすればイノベーションを生み出すことができるのでしょうか。

 それには、やはり顧客からスタートすることです。

 本人がわかっていても言葉にできないことや、
 そもそも自覚すらしていないことまで含め、顧客を理解するのです。

 マーケターのように考えることは、
 スティーブ・ジョブズのようなカリスマではない人が、
 小さな、そしてときに大きなイノベーションを生み出す、
 もっとも確実な方策でもあるのです。』



マーケティングというのはとどのつまり、

「相手にとっての価値を生み出し、それを伝え、
 相手の持つ価値と交換してもらう」 

ことだという。

逆にいうなら、どんな価値であっても、
相手がそれを感じられなければ、そこに価値はないということ。


そのためには、まず相手の役に立つことを考えること。

それは、エンターテインメントという、
相手を喜ばせることを考えることでもある。

マーケターのように生きたい。

         <感謝合掌 令和3年8月9日 頓首再拝>

【おもしろいことを見つけられる人】 - 伝統

2021/08/13 (Fri) 04:30:58


      *メルマガ「人の心に灯をともす」(2021.04.29)より

   (臨済宗全生庵住職、平井正修氏の心に響く言葉より…)

   「いまの仕事は自分に合っていない。
    ちがう仕事を見つけたほうがいいのかな」

   若いビジネスパーソンには、
   そんな思いを抱えている人が少なくないようです。

   仕事について間もない新入社員でも、
   “自分に合う仕事”はほかにある、と思っているフシがあります。


   しかし、そんなものはありません。

   自分に合う仕事を求めていたら、
   いつまでも放浪を続けることになります。

   いまついている仕事に、自分を合わせていくしかないのです。

   「そんなことをいっても、合わない仕事じゃ、楽しくないじゃないか」


   あなたは、どこかに楽しい仕事、
   おもしろい仕事が、あると思っているのですか?

   たしかに楽しそうに仕事をしている人はいます。

   おもしろさを見出している人もいるでしょう。


   しかし、それは、仕事がそうさせてくれているのではありません。

   その人自身がその仕事を楽しんでいる、おもしろくしているのです。


   幕末に長州(現・山口県)で騎兵隊を組織した
   高杉晋作の辞世とされる(そうではないとする説もあります)
   歌を見てみましょう。

   「おもしろき こともなき世を 
    おもしろく すみなすものは こころなりけり」

   病の床に伏していた高杉が詠んだ“前句”に、
   看病にあたっていた野村望東尼(ぼうとうに)が
   “後句”をつけたともいわれていますが、

   おもしろくもない世の中も、心しだいでおもしろくなる、
   と詠っているのです。

   ちょっと心を変えてみませんか。

   「合わないな」「つまんないな」というところにとどまっていないで、
   何か楽しいこと、おもしろいことを見つけてやる、
   という気持ちで仕事をしてみてください。

   その仕事を外側から見てあれこれ判断するのをやめて、
   まるごと飛び込んでみたらどうでしょう。

   合う、合わない、楽しい、つまらない…
   を決めるのは、それからだって遅くはないのです。

    <『花のように、生きる』幻冬舎
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           ・・・

多くの人は、どこか他のところに
「幸せの青い鳥」がいると思い、探しまわる。

しかしながら、メーテルリンクの「青い鳥」ではないが、
実は、幸せは自分の身近にあるのに、
それが目に入らないだけなのだ。

「幸せは探すものではなく、気づくもの」、だということ。


これは、日常のすべてに言えること。

仕事も同じで、「面白い仕事がどこかにあるのでは」と
探し回るのではなく、今の仕事のなかに面白さを見つけること。


どんなところにも…

おもしろいことを見つけられる人でありたい。

         <感謝合掌 令和3年8月13日 頓首再拝>

【どうでもいいもの】 - 伝統

2021/08/19 (Thu) 04:36:48


     *メルマガ「人の心に灯をともす」(2021.03.07)より

   (立命館アジア太平洋大学学長、出口治明氏の心に響く言葉より…)

   《酒を飲め、それこそ永遠の命だ、
    また青春の唯一の効果(しるし)だ。
    花と酒、君も浮かれる春の季節に、
    楽しめ一瞬(ひととき)を、
    それこそ真の人生だ》

      (ウマル・ハイヤーム「ルバイヤート」)


   「仕事こそが人生にとって最大の重要事だ」

   世の中にはそう主張する人がいますが、僕はそうは思いません。

   仕事が人生に占めるウエイトはじつは
   それほどたいしたことはないからです。

   時間で測ってみれば明らかです。

   30代前半のころ、一度計算をしたことがあるのですが、
   1年8760時間のうち、仕事をしている時間はせいぜい2000時間程度。

   全体の約2~3割にすぎません。


   残りの7割は食べて寝て遊んで子育てをしているのです。

   仕事はその程度のものなのです。

   ところが、そのたかが3割にすぎない仕事が
   いつの間にか「人生の幸せ」を測る「モノサシ」となってしまい、
   その結果、人生を楽しめずにいる人が少なくないように思われます。


   上司の顔色を窺(うかが)うばかりの生活に疲れ、
   思うようなポストにつけないと嘆き、
   同年代より収入が少ないと自信喪失に陥り…。

   これは、とてももったいないことだと思います。

   仕事は3割ですから、
   人生全体から見れば「どうでもいいもの」。

   その人の人生すべてを支配するものではけっしてない。

   人生を楽しくするのはパートナーであり、家族であり、
   気の置けない友人たちなのです。


   普通にご飯が食べられ、暖かい寝ぐらがあり、
   子どもを産み育てることができ、
   なんでも話せるパートナーや友人がいれば、
   人生はそれで十分楽しいのです。

   その事実がしっかりと腹落ちできれば、
   3割の仕事に振り回されたり、悩まされたりすることがどれほど
   アホらしいことかが誰にでもわかるはずです。

   とはいっても、僕は
   「仕事は『どうでもいいもの』だから、真剣にやらなくていい」と
   思っているわけではありません。

   むしろ逆。


   人間は、一人では生きていけない動物です。

   人が集まり「社会」という共同体をつくり、
   人間は社会に守られて生きているのです。

   社会には、それがきちんと機能するための「ルール」が存在します。

   社会で生きる私たちは、そのルールを守り、
   その中で自分の「やるべきこと」にベストを尽くす。

   それが、私たちが社会で生きていく上で、最低限、求められることです。


   もし、ルールに縛られず、100%自由に生きたいといういのであれば、
   無人島で一人で暮らすしかありません。

   そこでは、守ってくれる人は誰もいません。

   自分の身は自分で守っていかなければなりません。

   「完全な自由」とはそういうものです。


   そして、もっと踏み込んでいえば、

   「どうでもいいもの」だと思うからこそ、
 
   思い切って仕事ができるのではないでしょうか。

   なぜなら、上司になんと思われようと、
   たとえ失敗しようが、左遷されようが、
   しょせんは「どうでもいい」ことなのですから。

   自分の「やるべきこと」を、自分の信念に従い
   自分が納得できるまで真剣に取り組んでいけばそれでいいのです。

   それが僕の仕事に対する基本的なスタンスです。


   「どうでもいいもの」だからこそ、上司の顔色を窺う必要もなく

   「どうでもいいもの」だからこそ、上司の意見に100%とらわれる必要もなく、
   思い切って自分が正しいと思う方法で全力で仕事に打ち込めるのです。

       <『人生の教養が身につく名言集』三笠書房
                 https://amzn.to/2PtOqAz >

         ・・・

「人生というのは、冥土(めいど)までの暇(ひま)つぶしだよ」

『人生とは何ですか? 』という問いに、今東光氏はこう答えた。


何か困ったことや、とても解決できないような重大なことが起きたようなとき、
この言葉を思い出したら、ふっと力が抜ける。

「なんとかしなくては」、と真剣に思えば思うほど、
ドツボにはまり、身動きがとれなくなる。

そんなとき、「人生は冥土までの暇つぶし」とか
「人生とは、どうでもいいもの」と思えるなら、
そこに余裕ができ、物事を客観的にみることができる。


ただひたすら真面目に物事を見るだけでは、創造的な解決はできない。

そこに、「笑い」だったり、「ちょっとふざける」とか、
「面白がる」、「ユーモア」なども必要だ。


「仕事はどうでもいいもの」

淡々と気負わず、そして情熱をこめて、仕事に取り組む人でありたい。

         <感謝合掌 令和3年8月19日 頓首再拝>

未来に立ち向かおうとする人に送る「6つの言葉」 - 伝統

2021/08/31 (Tue) 04:42:16


       *Web:TABI LABO(2015.11.02)より抜粋

(1)自分と向き合う時間を優先する

  ①自分と向き合う時間をしっかりつくることによってこそ、
   仕事の意味というものと向き合い、それを認識することができる。

  ②忙しいと思えば思うほど、自分と向き合う時間というものを
   意識的に作らなければならない。

   それは、作ろうとしなければ作れないのだ。

(2)成功に形はない

  ①生の成功は他者ではなく、自分で決めるのだ。

   自分が今、最善を尽くしているのであれば、
   それは何よりの成功である。

  ②世の中や他者が作った成功の評価軸に惑わされてはいけない。
   それよりも向き合うべきは自分だ。

   自分の評価軸を作ること。
   そうすれば、本当の成功を自分で勝ち取ることができる。

(3)挑戦の数を増やす

  ①成功したら、喜んでいいが浮かれないこと。
   むしろ気を引き締めなければならない。

  ②失敗しても落ち込まない。むしろ喜ぶくらいでいい。
   次への学びや成長の材料をたくさん得たのだから。  

  ③そのためにも、挑戦の数を増やさなければならない。
   挑戦しないと成功を失敗もできないからだ。

   結果を成長につなげる材料にする人間は、
   そうでない人よりも成長のスピードが断然速いだろう。

(4)土台を鍛える本を読む

  ①挫折は人間を落ち込ませる一方で、
   とてつもない力をつけて這い上がってくる人間をも生み出す。

   挫折は時に、成功では得られない力を生むのだ。

  ②私は学生によく言う。本を読むときには、
   すぐには役に立ちそうにない本を選びなさいと。
   すぐに役に立つような本は、実は本当の自分の役には立たない。

   古典などが典型例だが、すぐには役に立たないけれど、
   自分の骨や筋肉、そうした土台が鍛えられる本にこそ
   目を向けるべきである。
  
(5)過去に縛られず、未来に怯えない

  ①心がけるべきなのは、過去から見た今の自分が
   常に成熟した自分であるべきだと認識すること。

  ②未来から見た自分は、常に未熟であるように現在の行動をもって、
   これからの未来の自分を創り出していくことである。

(6)今、この瞬間を生きる

  ①人間は何のために生きているのか。人生の目的とは何なのか。
   私は、人間としての完成度を高めることこそ、
   目的ではないかと思っている。

  ②自分自らが誇れる人間になっていくという、そのプロセスを、
   死ぬところまで続けることこそが大切なのだ。

  ③人間、いつ死ぬかはわからない。
   だからこそ、死に対する緊張感を
   しっかり持っておかなければならない。

   そうすることによって、今この瞬間に自分が生きている
   生に対する実感を得ることができる。

  ④重要なのは、この瞬間に対して、自分のすべての心血を注ぐことだ。

   https://tabi-labo.com/194453/the_flattery_not_life07

         <感謝合掌 令和3年8月31日 頓首再拝>

【道を求めてやまない人】 - 伝統

2021/09/08 (Wed) 04:36:12


       *メルマガ「人の心に灯をともす」(2019.12.24)より

   (藤尾秀昭氏の心に響く言葉より…)

   「心ここに在(あ)らざれば、視(み)れども見えず、
    聴けども聞こえず、食(くら)えどもその味を知らず」

   心がここになかったら、視ていても見えない、
   聴いても聞こえない、食べてもその味が分からない、という。

   古典の名著『大学』にある言葉である。


   次に弘法大師空海の言葉。

   「医王の目には途(みち)に触れて皆薬なり。
    解宝(げほう)の人は鉱石(こうしゃく)を宝と見る」

   名医は道に生えている草の中からも薬を見出し、
   宝を解(かい)する達人は普通の石の中にも宝を見つける、
   というのである。


   結局、人生はこの二つの言葉が指し示すところに尽きる
   のではないだろうか。

   真理は月の光のように満ちあふれている、と言ったのは誰だったか。

   見る目を持った人が見れば、
   人を幸福に導く真理は至るところにあふれているのに、それに気づき、
   つかもうとする人がいないことを示唆した言葉である。


   では、どうしたら満ちあふれる真理に気づき、
   医王の目を養い、解宝の人になることができるのか。

   古来多くの名人、達人の生き方にそのヒントを探れるように思う。


   その第一は「真剣に生きる」ことである。

   まったくの徒手空拳(としゅくうけん)から身を起こし
   成功を勝ち得た人は一様に、真剣に努力した人である。

   そういう人のみが天地不書の秘伝、法則をつかむのだ。


   第二は「恩を忘れず、恩を返す」。

   受けた恩を忘れないで必ず返そうとする姿勢に、
   宇宙の霊妙(れいみょう)な働きは呼応(こおう)するのである。


   第三は「いまここに生きる」こと。

   人生は「いまここ」しかない。

   その「いまここ」に集中する。

   心の焦点が定まっていない人に、真の気づきは得られない。


   第四は「学ぶ」ことである。

   松原泰道(たいどう)老師がよく口にされる『
   法句教(ほっくきょう)』の言葉がある。


   「頭(こうべ)白しとて 
    このことによりてのみ 

    彼は長老(おさ)たらず
    彼の齢(よわい)
    よし熟したりとも

    これ空しく
    老いたる人とのみ
    よばれん」


   高齢者になったから尊いのではない。

   高齢者になってもなお道を求めてやまないところに
   年を取る意味はあるのだ、と師は言われる。

         (『人生の大則』致知出版社)

            ・・・

結局、いくつになっても、どの年代であっても、
我々の真価は「学び続けているかどうか」によって決まる。

学ぶ心がなければ、自分の魂を磨くことはできない。


「徳は孤(こ)ならず、必ず隣(となり)有り」

という論語の言葉がある。

徳を積んだ人は、
必ずその人に共感し協力する者が現れるので、孤立することはない。


つまり、学び続けて、徳が高まった人の晩年は、
たくさんの支持者やファンに囲まれて過ごすということ。

反対に、まったく学ばず、魂も磨かず、
ただいたずらに年を取ってしまった者は、空しい老人になるしかない。


真剣に生き、恩を忘れず、恩を返し、今ここに生き、
そして、学び続けること…

いくつになっても、道を求めてやまない人でありたい。

         <感謝合掌 令和3年9月8日 頓首再拝>

【魚は努力して泳いでいるわけではない】 - 伝統

2021/09/13 (Mon) 04:45:32


        *メルマガ「人の心に灯をともす」(2020.05.18)より

   (西沢泰生(やすお)氏の心に響く言葉より…)

   ビートたけしさん、海外でよく
   「映画監督なのにタレントもやっていて、努力していますね」と
   声を掛けられることがあるそうです。

   このことについて、以前にたけしさんが
   テレビ番組の中でこんなことを言っていました。


   「魚は努力して泳いでいるわけではない。
    俺も魚のように泳いでいるわけで努力はしていない。
    生き方なんだよ」


   プールで泳ぐ人に対して
   「よく泳ぐねぇ」「うまいねぇ」と言う人はいても、
   プールで泳ぐ魚に同じことを言う人はいません。

   魚にとって、「泳ぐこと」は努力でもなんでもなくて、
   「泳いでいないと死んでしまう」というだけのことなのですね。

   「魚じゃなくて人間がプールで泳いでいるから
    努力しているように見えるだけなんだよね。

    だからオイラ、『その商売の魚になれ』って思うんだよね。

    プロとして当たり前にできるっていうことが、
    何にでも必要だと思うんだ」とたけしさん。


   「魚になれ」って、別に魚の形の帽子をかぶって、
   「そうでギョざいます!」なんて言え、というわけではありません。

   「自分の仕事のプロ」として、努力を努力と感じず、
   また、努力だと周りに感じさせないレベルになれ、ということです。


   ホームラン本数世界一の王貞治さんは、
   合宿所の部屋で寝る前に必ずバットの素振りをしたそうです。

   同室の選手が「どうして寝る前にまで素振りを?」と聞くと、
   王さん、こう回答したのだとか。

   「バットを振らないと眠れないんだ!」

   これなど、努力が「魚の泳ぎ」のレベルに達していたという実例ですね。

       <『1分で心に効く 50の名言とストーリー』大和書房>

              ・・・

「十年偉大なり、
 二十年恐るべし、
 三十年歴史なり、
 五十年神の如し」

という中国の格言がある。

文字通り、続けることのすごさ、継続の大切さを伝える言葉だ。


長期にわたって何かを続けることができるということは、
それが苦になっていないということだ。

努力してなんとかこなしていくというレベルだと、
一年や二年は続くかもしれないが、二十年や三十年は続かない。

つまり好きだからできること。


プラモデルやゲームなど、好きな趣味の世界は、
何時間それをやり続けてもぜんぜん疲れない。

もしそれが仕事だったら、仕事が成功する確率は俄然高くなる。

何しろ、何時間でも、何日でも、
たとえ寝なくても、そのことに没頭できるのだから。


東大教授で、山林王として巨万の富を築いた本多静六翁は、
それを「仕事の道楽化」と言った。

道楽とは、熱中して楽しむこと、趣味として楽しむことだが、
仕事の趣味化、ゲーム化ということだ。

「楽しんでいれば、お金は後からついてくる」と本多翁は言う。


「魚は努力して泳いでいるわけではない」

努力を努力と感じず、また、努力だと周りに感じさせないレベルになりたい。

         <感謝合掌 令和3年9月13日 頓首再拝>

《青年は宜しく魂の純潔の価値を追え》 - 伝統

2021/10/03 (Sun) 04:56:14


        *『 理想世界 』(昭和43年6月9日)より

   人間の高さは身長によって測らるべきではない。
   魂の高さによって測らるべきものである。

   戦後に於ける現代の弊は、魂の高さを見る眼を失って、
   物質の量によってその価値を量ろうとすることにある。

   動機の純粋と無我神聖の魂の高さによって、特攻隊の勇士の“死”の価値を
   量ろうとしないで、敗戦という結果によってその“死”の価値をはかって
   ”犬死”だなどと不謹慎なる語を発する愚か者もある。

   物質の富を追い求めて東西に奔走しながら死に臨んで、
   魂に、何の純粋さも持たず、その追い求めた富すらも冥途へ持って
   行くことが出来ない者こそ本当に犬死ではないか。

   青年は宜しく魂の価値を求めて、
   純粋に理想を追って行動しなければならない。

   http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7735767

         <感謝合掌 令和3年10月3日 頓首再拝>

生活の方向を定めて前進せよ - 伝統

2021/10/14 (Thu) 04:56:10


       *『 生長の家 』(昭和24年8月17日の法語)より

青年期は自己の人生の行路をどの方向にむけるか
方向決定に就いて大いに熟慮すべき時代である。

かくして定められた方向に成人期を通じて前進するのである。

八十歳になっても、生活の方向転換を行うことはできないことではないが、
その性格、能力、習慣等に一定の傾向が定(きま)っているから
些少(さしょう)の努力では仲々方向転換できないのである。

併(しか)し、今が時である。
諸君は まだ若いのである。

http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12811920.html (消滅)
http://meikyou123.livedoor.blog/archives/2014-04-28.html

         <感謝合掌 令和3年10月14日 頓首再拝>

【何気ない日常にまことを尽くす】 - 伝統

2021/10/18 (Mon) 03:29:20


       *メルマガ「人の心に灯をともす」(2021.05.26)より


   (修養団・元伊勢道場長、中山靖雄氏の心に響く言葉より…)

   《「日常」何気ない日常にまことを尽くし、
     喜びながら生きるところに、感動があります。》


   何が大事かというと、やはり日常のことがとても大事だと思うのです。

   何か特別なことをやる時には、みな努力します。

   しかし、普通の何でもない時に努力できることがもっと大切です。

   それを伝えてくださっているのが伊勢の神宮だと思います。


   伊勢では、神主さんが朝早くから起きられて、
   山に登って水を汲み、そして木で火をおこします。

   そして、その火でご飯を炊いて、朝夕、神々様に
   食べていただくためにお供えをしています。

   これを下宮ご鎮座千五百年、毎日やっておられるわけです。

   昔と同じ方法で毎日神々様に、
   「まず最初にできたたてのお食事を」と
   今もやっておられるのがすごいことだと思うのです。


   そういうふうにずっと続いた日常を大事にしながら、
   喜びながら生きようとし続けてきたのが日本です。

   誰が見ていようがいまいが、天照大御神様はじめ
    神々様がそこにおわしますがごとく、
   目に見えない世界を日常生活の中で大切にして生きてきたのです。

   本当にそのように生きていると、昔から日本にあった
   「お天道様が見ている」とか、
   「誰が知らなくても天が知っています」という
   人間の行動規範の大事な部分を、
   天の世界が担ってくれているのだとわかってきます。


   しかし、そのようなことを日常で感じることもなく、
   私たちは綺麗ごとを話してしまうものです。

   しかし、天の世界は、
   たとえきれいごとであっても話してから天の道を通るのか、
   またはその道を通ってから話すしかない気がするのです。

   いろいろなことを体験した人は、体験したことを話すようになっているし、
   綺麗ごとを言った人は、綺麗ごとを言ったにふさわしい
   ところを通らされるのではないかなと、
   そんなことを強く思います。


   歌人西行は伊勢の神宮について、

   「なにごとの おわしますかは知らねども かたじけなさに 涙こぼるる」

   と詠みました。

   天照大御神様がおられる時と同じ日常を続けることで、
   天照大御神様の思いが時代を超えて伝承されているのです。

   ですから、参拝する人は言葉にできなくても
   感動したり懐かしがったりするのですね。


   昔、お茶室でこのような歌を詠んだことがあります。

   「神籬(ひもろぎ)を 立てて迎えし 
     神々と 癒(いや)して和(や)わす 日本の道」

   神籬とは榊(さかき)のことです。

   私たちの日常の中で、お茶花を飾り、
   ご先祖様や神々様を迎えて、お茶をたてる人とお客様とで癒されて和む、
   そんな時間を大切にしていたのが日本の道ですよ、
   という思いで詠みました。

   何気ない日常に天を感じ、まことを尽くすところに感動があるのです。

         <『すべては今のためにあったこと』海竜社
                  https://amzn.to/3fiQwOs >

          ・・・

鍵山秀三郎氏はこう語る。

「だれにでもできる簡単なことを、
 だれにもできないほど続けてきた」 というのが、
私の人生のすべてです。

何一つ難しいことはやっていません。

人ができそうにもないことをやったことは一つもありません。

いや、一つもないというより、
人ができそうにもないほど難しいことをやる能力が
私にはまったくなかったし、今もありません。

では、どうするか。

だれにでもできる簡単なことを、
だれもが嫌になって続けられないことを
こつこつと続けてきました。

人から嘲笑されたり無視されたりという
目に遭いながらも、それに耐えてきました。

これが私のような意気地なしが、
社会で悪いこともせずに、
こうして事業ができた唯一の理由です。

しかも、私が「愚鈍だ、馬鹿だ、能なしだ」と言われながら、
それをやり続けてきたその姿に感動してくださった方が
いっぱいいて、その方々が私に思いもよらない幸運を
もたらしてくださった。

これが私の人生です。

ですから、事業でどれだけ利益を上げて
どうしたこうしたとかいうより、すべて人様から
思いもよらない幸運をもたらされて、
それによって事業が育ってきたし、
また育てられたというのが私の姿です。
        (小さな実践の一歩から /致知出版社)



昔はどの家にも、神棚や仏壇があったが、最近では少なくなった。

毎朝、お線香をあげお経をあげる。

神棚ではお水をかえ、祝詞をあげる。


「何気ない日常にまことを尽くすこと」


ゴミ拾いや掃除を続けること。

挨拶を誰よりさきにすること。

脱いだクツを揃えること。

「はい」と言う返事。

笑顔でいること。

いつも機嫌よくしていること。


だれでもできる簡単なことを、
嫌にならず、コツコツと続けることができる人でありたい。

         <感謝合掌 令和3年10月18日 頓首再拝>

【人生をひらく心構え】 - 伝統

2021/10/21 (Thu) 04:30:43


       *メルマガ「人の心に灯をともす」(2021.10.15)より

   (藤尾秀昭氏の心に響く言葉より…)

   人生をひらくとは心をひらくことである。

   心をひらかずに固く閉ざしている人に、人生はひらかない。

   「ひらく」には、開拓する、耕す、という意味もある。

   いかに上質な土壌もコンクリートのように固まっていては、
   よき種を蒔いても実りを得ることはできない。

   心をひらき、心を耕す…人生をひらく第一の鍵である。


   社会教育家の田中真澄さんが講演でよくされる話がある。

   人間の能力は、知識、技術、そして心構えの三辺で表される。

   どんなに知識と技術があっても、心構えが悪ければ、能力は出てこない。

   すべては底辺の心構えいかんにある。


   さらに、よき心構えは積極性×明朗性で表される、という。

   なるほど、と思う。

   消極性×陰気では何事も成し得ない。

   『致知』三十年、これまでにご登場いただいた幾多の先達のことを思うと、
   田中さんの言葉がよく理解できる。

   確かに人生をひらいた人には共通した心構えがあった。


   その一は「物事を前向きに捉える」。

   物事を後ろ向きに捉えて人生をひらいた人はいない。


   その二は「素直」。

   宮大工の小川三夫さんは高校卒業後、
   「法隆寺の鬼」「最後の宮大工」といわれた西岡常一(つねかず)棟梁に弟子入り。

   修業時代は棟梁の言葉にすべて 「はい」と従った。

   そしていまや社寺建築の第一人者である。

   その経験からいう。

   「批判の目があっては学べません。
    素直でなければ本当の技術が入っていかないですね」と。

   心にわだかまりがある人は人生を歪(ゆが)める。

   多くの先達がいっていることである。


   その三は「感謝の念を忘れない」。

   人生の成功者に共通した資質がこれである。

   成功者は呪いたくなるような境遇をも、
   この境遇が自分を育ててくれると感謝している。


   その四は「愚痴をいわない」。

   自分が出したものは自分に返ってくる。

   宇宙の法則である。

   愚痴ばかりいっている人は、愚痴ばかりの人生になる。


   心構えに関する田中真澄さんの卓見がある。

   「心構えというのは、どんなに磨いても毎日ゼロになる能力である。
    毎朝歯を磨くように、心構えも毎朝磨き直さなければならない」

   人生をひらく第二の鍵である。

     <『小さな人生論 4』致知出版社 https://amzn.to/3vasdIF

              ・・・

田中真澄氏は心構えについてこう語る。


『日本人は勤勉な民族であるとよく言われますが、本当は、そうではないと思います。

 日本人に限らず、人間は、もともと、怠惰な動物なのです。

 自己管理をしないでいれば、人間の心ほど頼りないものはありません。

 油断をすると、すぐ怠惰な考え方に犯されるからです。

 「楽をしたい」「のんびりしたい」「遊びたい」「辛いことはごめんだ」
 といった気持ち、すなわちやすきに流れる性格を、
 私たちはみんな持っているのです。

 その怠惰な心の姿勢を正すには、
 絶えざる自己規制、自己教育、自己啓発が欠かせません。

 その心の姿勢すなわち心構えは能力なのですが、
 この能力だけは毎日ゼロから磨き直さなくてはならないのです。

 それが面倒だからと放置すると、誰もが怠惰になっていき、
 結果的には失敗の道を歩むことになるのです。

 このことは永遠に変わらぬ不変の真理なのです。

 成功を続けている人は、そこのところがよく分かっているからこそ、
 心構えを磨く基本の行動・考え方を、日々、実行しているのです。

 またそのことを信念にしているのです。』(信念の偉大な力/ぱるす出版)


田中真澄氏は、心構えを日々磨くには、読書することだという。

成功者や歴史上の偉人の本、あるいは自己啓発の本を読み、
自らを鼓舞し、精神的に鍛え直す。


どんなに磨いても、毎朝ゼロになってしまうのが「心構え」。

放っておいたらすぐ生えてしまう「怠惰」という雑草。

毎日、その「雑草」を取り、そして、心という畑を耕す。


「物事を前向きに捉える」
「素直」
「感謝の念を忘れない」
「愚痴をいわない」

という心構えを身に着けるため…

毎日、倦(う)まずたゆまず、いくつになっても、コツコツと努力を続けたい。

         <感謝合掌 令和3年10月21日 頓首再拝>

《神から褒賞を受ける仕事をなせ》 - 伝統

2021/10/26 (Tue) 06:41:29


        *『理想世界』(昭和43年9月4日の法語)より

   自分の生命を一層高く売込むために仕事をするのではない。

   神から遣わされた使命を果たすために仕事をするのである。
   この自覚をもってするとき、仕事の能率も、出来上がりの質も向上し、
   あなたの仕事からたちのぼる雰囲気が高貴なるものとなる。

   それは周囲の人々を感動せしめずにはおかないしあなたの仕事に対する誠実と、
   成しとげられたる業績の優秀さに、自然にあなたに支払われる給料は増進し、
   職場における位置は昇るが、

   それは、別に給料や地位が増昇することを望んだのではなく、
   従ってそれは賃金で自分の生命を売った代償ではなく、
   神から遣わされた使命に対する褒賞ともいうべきものである。

   http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7775396

         <感謝合掌 令和3年10月26日 頓首再拝>

【努力は継続するからこそ意味がある】 - 伝統

2021/11/07 (Sun) 04:47:09


       *メルマガ「人の心に灯をともす」(2021.10.18)より

   (内藤誼人(よしひと)氏の心に響く言葉より…)

   どんな分野でもそうだと思うが、
   プロの世界では現役でいるかぎり、努力は欠かせない。

   たとえば、ピアニストがもう十分に弾けるからと、
   ちょっとでも訓練を怠ると、たちまち「ただの人」になってしまう。

   ボディビルダーも、目標の身体を作ったら、
   今度はそれを維持するために、同じくらいの努力を必要とする。

   成功したからといって、
   「はい、オシマイ」というわけにはいかないのだ。


   ドイツにあるマックス・プランク研究所のラルフ・クランプ博士が、
   アマチュアのピアニストと、ウエスト・ベルリン音楽アカデミーに
   所属するプロのピアニストの両方に、

   「あなたはどれくらいピアノの練習をしているんですか?」と
   尋ねてみたことがある。

   その結果、プロが平均して週に33時間もピアノを練習しているのに、
   アマのほうは週に3、4時間であったという。

   プロのピアニストのほうが、いやプロだからこそ、
   アマに比べて約10倍も頑張っていたのである。


   かりに目に見える成果をあげられたとしても、
   「やった!やった!目標を達成したぞ!」 と喜ぶばかりで、
   そこで努力をストップしてはいけない。

   努力というものは、継続するからこそ意味があるのであって、
   それをやめたとたんに「下り坂」になるということを肝に銘じてほしい。


   たいていの両親は、子どもに向かって、
   「大学に入学するまで頑張りなさい。
    そうしたら、思いっきり遊んでいいから」
    などという励ましをする。

   まったくナンセンスである。

   その言葉を真に受けた子どもは、
   せっかく大学に合格したというのに遊び呆けてしまって、
   何の知識も身につけることはない。

   だから十分なおバカさんに戻って大学を卒業し、
   「使えない人材」と後ろ指をさされる社会人になるのである。


   私も、例にもれず、大学に入学したときには、
   「さぁ、思いっきり遊ぶぞ」と思っていた。

   けれども、母親から、「お前は、遊ぶな。アルバイトもするな。
   たっぷり仕送りしてやるから、余計なことに時間を使わず、
   死ぬほど勉強してこい!」と言われてしまった。

   何をバカな......と当時は思ったが、
   今から考えれば、母親にそうやってクギをさしてもらったことは、
   私にとって非常に幸運なことであった。


   私は、学生時代にアルバイトをしたことがない。

   ちょこちょこと遊んではいたが、平日には朝から晩まで、
   むさぼるように古典的な思想書や心理学の論文を
   読みふけっていた記憶がある。

   カウンセリングの専門学校にも通っていたし、
   翻訳の通信講座も受けていた。

   そのときに得た下地があるために、
   私は、作家生活をつづけていられるのだと思う。

   作家になってからも、いやむしろ今のほうが、
   本を書くための資料を読んでいるだろう。

   努力は、ずっとつづけなければ意味がないと思っているからだ。


   「体重を5キロ、減らすんだ」と意気込んで
   ダイエットをスタートしたとしよう。

   ところが、かりに成功したとしても、
   ご褒美だからと称してケーキを食べつづけていたら、
   リバウンドして元の木阿弥になるに決まっている。

   そんな簡単な推論が、私たちはどうもできないようである。

   オリンピックは参加するだけで意義があるらしいが、
   努力というものはやっただけでは 意味がない。

   それをいつまでもつづけることにこそ、意味があるのだ。

      <『継続はだれも裏切らない』PHP
                https://amzn.to/3DRAWlY >

            ・・・

いまどき、「努力することにこそ意味がある」と言ったら、
多くの人から古臭いとかカッコ悪い、と言われてしまうのがオチだ。

なぜなら、「効率よく最短で成果を得る」とか
「努力しないで痩(や)せる方法」とか、
「努力しないで成功する」等々の生き方の方が主流となっているからだ。

「効率よく、短期間で、結果を出す」、という
要領の良さや、損得で考える人が多いからだ。


「まずは、努力に価値を見出すことが必要」と内藤氏はいう。

そして、「努力は決してムダにならない」と。


才能がある人や、天才ならいざ知らず、
凡人は努力するしかないのはわかりきった話だ。

しかも、圧倒的に努力することしか、
一頭地抜きんでることはできない。


それを、稲盛和夫氏は「誰にも負けない努力をすること」だという。

それは取りも直さず、「継続すること」に他ならない。


「誰にもできる平凡なことを、
 誰にもできないくらい徹底して続けること」(鍵山秀三郎)

すると、「平凡な中から生まれる、非凡を知ることができる」という。


「努力をやめたらただの人」

努力は継続するからこそ意味がある、という言葉を胸に深く刻みたい。

         <感謝合掌 令和3年11月7日 頓首再拝>

【アイデアを話したらパクられてしまう】 - 伝統

2021/11/13 (Sat) 02:58:39


      *メルマガ「人の心に灯をともす」(2020年11月04日)より

   (瀧本哲史氏の心に響く言葉より…)

   《伝説の東大講義より》


   質問:

   「僕は今、友人と2人で起業しようとしていて、
    準備を進めているんですけど、人手を増やしていくとき、
    起業のアイデアをプレゼンしていくわけじゃないですか。

    でも、あんまり深いところまでしゃべっちゃうと、
    パクられる可能性があるのかなと。

    パクられるのを防ぐために説明をセーブすると、
    今度はインパクトのあるプレゼンができなくて、
    なかなか人手を集められないんです。

    うまくアイデアをパクられずに、
    インパクトのあるプレゼンを行うには、どうしたらいいのかなと」


   瀧本哲史:

   なるほど、なるほど。

   じゃあ、僕の起業論の授業で毎年起きている現象をお話しましょう。

   最初は600人ぐらいいる大教室での授業なんですが、
   僕に指されて発言した人にしか単位をあげないというシステムです。

   最初の関門は、

   「みなさん、なんでもいいから
    ビジネスのアイデアを3つ出してください。
    期限は1週間後です」

   といった課題なんですね。


   でも、そうすると必ず、

   「僕のこのすごいアイデアは高校時代から
    ずっと温めていたもので、先生、パクらないでください!

    あと、僕のこのスゴすぎるアイデアは真似されてしまうので、
    絶対に授業では使わないでください!お願いします!」

   ってレポートに書いてあったりするんです。

   でも残念ながら、そういうアイデアってほとんどの場合、
   とっくの昔に他の人も考えてるんですね。

   「また来たか」みたいな。

   「それ、去年もあったし、一昨年もあったし、今年も4つあるよ」
   みたいな。


   どんなアイデアもだいたい地球のどこかで同じようなことを
   考えている人が、1000人はいます。

   なので、むしろアイデアは保護されないし、守られることはないし、
   完全にステルスにすることはむずかしいと思ってください。

   アイデアなんてものに価値はなくてですね、
   それをやるメンバーの実行力とかのほうが、
   はるかに重要なんです。


   アイデアがどうかなんてことより、

   「あなただからその事業をやる意味がある」

   ということが、やはりきわめて重要です。

   自分はこういう人間だから、この事業を通じて
   世界をこう変えたいんだ、というプレゼンテーションができれば、
   応援したいと思う人はどんどん出てくると思いますよ。

   人手なんて、どうにでもなります。


   そうやって人を誘うときって、すごくでかい絵、
   ビッグピクチャーを描いたほうがよくて、

   マイクロソフトのビル・ゲイツが、のちに2
   代目のCEOになるスティーブ・バルマーを口説いたとき、
   20代のゲイツはこう言って誘ったんですね。

   「イメージしてみてくれ。今、コンピュータはオフィスに1つしかないけど、
    そのうち世界の全員が持つようになる。そ
    のとき我々のソフトがすべてのコンピュータに入ったとしたら、
    どれぐらいのビジネスになると思っているんだ?
    わけのわからないもの売ってる場合じゃないぞ!」って。

    そんな話を聞かされたら、ふつうの人は
    「こいつはちょっと頭がおかしい」って思うじゃないですか。

    でもバルマーは、
    「もしかしたら、ほんとうにできるかも」と思って
    マイクロソフトに入って、ゲイツのあとの社長になったんです。


    「アイデアを話したらパクられてしまう」って心配してしまうのは、
    たぶん、あなたがその事業をやる理由がまだ圧倒的に弱いんです。

    アイデアを聞いた人に
    「パクってもこの人には絶対に勝てないな」と思わせられれば、
    しゃべったっていいじゃないですか。

    「俺はこれに人生をかけてるんだ、
     おまえがチョロッとやっても、俺は叩き潰す」
    みたいな気迫があれば、人もついてくるし、
    競合も怯(ひる)みますよね。


    だいたいね、アイデアがいくら良かったとしても、
    ビジネスが立ち上がるまでには3年ぐらいかかるのがふつうです。


    そこに行きつくまでに低迷して力尽きるベンチャーがほとんどですよ。


    走り続けているから、
    良いタイミングが来たとき、波に乗れるんです。

    いい波に乗るためには、
    波が来るのを見てから走り出しても遅いんですね。

    波が来てなくてもずっと海辺に立っていなきゃいけなくて、
    その間ずっと、他の人から見たら
    「頭がおかしい人」である必要があるということです。


    なので、誰かにしゃべったらすぐにパクられて、
    一夜にして抜かれるみたいなコモディティのアイデアなのだとしたら、
    やっぱりやめたほうが賢明かもしれません。

    しゃべったところでパクるどころか誰も関心を示さず、
    むしろ「あそこのマーケットは絶対ダメだ!」と
    みんなが避けるようなビジネスのほうが、可能性があるんです。

    そういうマーケットかどうかってことです。

     <『2020年6月30日にまたここで会おう』星海社>

            ・・・

2019年に、病のため47歳の若さで、瀧本哲史氏は亡くなってしまった。

したがって、残念ながら、本の表題にあるように、2020年6月30日に、
またここ(この講演会場)で会うことはできなかった。


瀧本氏は「起業」についてこう語る。

『「瀧本先生、僕に進むべき道を教えてください」じゃないんです。

 ぜんぜん違うんです。

 君が自分の仮説を出して、それを試してみるしかないんですよ。

 とにかく自分が正しいと思うことを試してみて、
 自分のまわりに正しそうなことをやっている人がいたら、
 それに合意したり、支援する。

 残念ながら僕には、正解も未来も圧倒的にわからないんです。

 僕の仮説も行動も、支援先も、
 ぜんぶ失敗に終わる可能性だって当然あります。

 いやむしろ、ほとんどが失敗するでしょう。

 失敗は織り込み済みなんです。

 それでも悲観することなく行動できるかどうかを、
 みなさんに問いかけているんですよ。

 ベンチャー企業というのは、統計的に100社あって
 うまくいくのはたった3社くらいだと言われています。

 要は「3勝97敗のゲーム」なんですね。

 でもぜんぜん悲しむことはなくてですね、
 失敗した人はまた再チャレンジすればいいだけです。

 そうやって失敗と成功をグルグル回していって、
 社会を良くしていくのが、資本主義の素晴らしいところなんですね。

 人生もそうですよ。

 みなさんがいろんな分野でチャレンジし、
 分母の数を増やしていくことが重要で、
 そうしてみんながいろんな方法を試しているうちに、
 2,3個ぐらい成功例が出てくるんです。』


ケチくさい人は、自分のアイデアを出し惜しみする。

そして、ちょっとのアイデアでも、
それをマネタイズ(お金に)しようとする。

それと同じアイデアを考えた人は、世界には何千人といる。


しかし、それを実際にやってみた人は少ない。

そしてその上、やってみて、うまくいく人はもっと少ない、
というより、誰もいないかもしれない。


アイデアを行動に移すには狂ったような情熱が必要だ。

アイデアを考えただけでは、まだ何も始まっていない、ということだ。


波がこなくても、アイデアを出し続け、失敗を繰り返し…

前を向いて、走り続ける人でありたい。

         <感謝合掌 令和3年11月13日 頓首再拝>

最初の思考パターンが未来を変えている - 伝統

2021/11/24 (Wed) 04:47:23


       *メルマガ「川島和正」(2021.10.24)より

今の日本に住んでいる多くの人は、何かチャンスがあっても

「どうやったら出来るか?」ではなく

「なぜやらないほうがいいのか?」

を考えます。

ビジネスにしても、投資にしても
勉強にしても、恋愛にしても、旅行にしても、移住にしても
とにかくやらない理由を考えるのです。

例えば

「リスクがある」とか
「相手に迷惑になるかもしれない」とか
「将来お金に困るといけない」とか
「どうせ私には無理」とか理由を考えやらないようにするわけです。


その結果、どうなるかというと
日々最低限の行動しかしない人生になります。

やりたいことややった方がいいことにはほとんど手をつけず
やらなければならないことだけやる人生になるのです。

そうすると、生きていくために最低限必要な仕事と
節約ばかり考えた行動ばかりになり
収入もモテ度も人生経験も楽しさも
それ以外の何事においても最低限レベルの人生になります。

せっかくチャンスがあってもやらないので、
何もかも最低限しか手に入らないのです。


そのため、もしあなたも
やらない理由ばかり考えていた場合には

今後「どうやったら出来るか?」を考えて
行動してみることをお勧めします。

「どうやったら出来るか?」を
考えたり調べたりするようになればやり方がわかるようになります。

やり方がわかれば、次第に出来るようになって
収入が増えたり、モテ度が上がったり
楽しい人生になったりします。

ですので

「なぜやらないほうがいいのか?」より

「どうやったら出来るか?」を

考えるようにした方がいいですね。

         <感謝合掌 令和3年11月24日 頓首再拝>

《気尚(けだか)く生きよう!》 - 伝統

2021/12/01 (Wed) 04:56:29


      *「生命の實相」第三十八巻幸福篇下(12月1日)より抜粋

もっともっと気尚(けだか)く生きよう。
最も気尚(けだか)いことのほか何事も考えまい、
最も気尚(けだか)いことのほか何事も為すまい。

他(ひと)を助けよう、
他(ひと)のためになろう。
他(ひと)に愛を注ごう。

愛を注げば
愛が自分に還(かえ)って来る。

         <感謝合掌 令和3年12月1日 頓首再拝>

【相手の自己重要感を高める】 - 伝統

2021/12/02 (Thu) 04:45:46


      *メルマガ「人の心に灯をともす」(2021.05.22)より

   (ジェームズ・スペンソン氏の心に響く言葉より…)

   ベンジャミン・ディズレーリはユダヤ系として
   イギリスの首相になった唯一の人物である。

   19世紀後半、保守党の党首として自由党のウィリアム・グラッドストンと
   熾烈な政権争いを繰り広げ、二大政党制を確立してイギリス議会政治の
   黄金時代を築きあげたことで有名だ。

   この二人の偉大な政治家について、興味深いエピソードが残っている。


   ある貴婦人がグラッドストンと話をしたところ、
   イギリスで最も素晴らしい人物と出会った気がしたという。

   それに対してディズレーリと話をしたところ、
   自分がイギリスで最も素晴らしい人物になった気がしたというのだ。

   ディズレーリは相手の自尊心を高める達人だったのである。

   ユダヤ人差別が激しかった当時のイギリスで、
   ディズレーリが民衆の支持を取りつけて一国の指導者になった要因は、
   誠実な人柄と巧みな人心掌握術にあった。


   多くの人は地位や名誉、学歴、財産、年齢に関係なく、
   自尊心の欠乏に苦しんでいる。

   だから、自尊心を高めるのを手伝えば好意を寄せて協力してくれる。

   「姑息なやり方だ」と言う人もいるかもしれないが、それは違う。


   誠実な気持ちで相手の自尊心を高めることは、
   いつでもどこでも無償でできる親切な行為なのだ。

   あなたは日ごろ職場や家庭、その他の場所で
   相手の自尊心を高める努力をしているだろうか?

   次の言葉を心にとどめておこう。


   けなされたら、あなたのことが嫌いになる。

   ほめられたら、あなたのことが好きになる。

   好きな人のためなら、なんでもしたくなる。


      <『人生の扉をひらく50の法則』ディスカヴァー
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          ・・・

相手の自己重要感や自尊心を高める
もっともいい方法は、「聴く」ことだ。

傾聴ともいうが、相手の話を全身で聴く姿勢を見せること。

それは、敬意をもって聴く、ということでもある。


全身とは…

ただ聴くだけでなく、
うなずいたり、あいづちを打ったり、驚きの表情を見せたりすることだ。

また同時に、相手に興味や関心を示すこと。

そして大事なのは、相手と同じところを探すこと。

どこがどう違うかではなく、どこがどう同じなのかを伝えること。


相手の自己重要感を高めることができる人でありたい。

         <感謝合掌 令和3年12月2日 頓首再拝>

【エッセンシャルアウトプット】 - 伝統

2021/12/09 (Thu) 04:38:00


      *メルマガ「人の心に灯をともす」(2021.06.07)より

   (樺沢紫苑(かばざわしおん)氏の心に響く言葉より…)


   アウトプットとは、「話す」「書く」「行動する」こと。

   脳にある情報を外に出し、人に伝えることです。

   本を読むなどのインプット(情報を頭の中に入れる)をすれば、
   いったんは知識や情報が豊かになりますが、

   たとえいい本を100冊読んでも、
   その内容を誰にも話さず、感想も書かず、
   あるいは内容から学んだことを実践しなければ、現実は何も変わりません。

   また、あなたがどんなに素晴らしいアイデアを持っていても、
   心の中だけにとどめている限り、誰もそれを理解できないし、
   評価されることもありません。

   どんなにインプットをがんばっても
   アウトプットをしなければ、
   あなたを取り巻く現実世界は何一つ変わらず、自己成長もできないのです。


   しかしながら、世の中には
   インプット中心の学びをしている人がほとんどです。

   私が調べた限り、約9割のビジネスパーソンが
   インプット中心の学びや働き方をしています。

   つまり、ほとんどの人が
   効率の悪い学びや仕事をしている、ということ。


   最近では、学校教育の場で アクティブ・ラーニング(能動的学習)という
   アウトプット型の学びも一部取り入れられるようになりましたが、
   多くの学校ではいまだにインプット中心の授業が行われています。

   記憶力は入力と出力のサイクルを回すことによって強化されるため、
   インプット型の学びだけをしていたら、インプットが記憶として定着しない。

   「一生勉強しても成績が上がらない」のは当然です。

   あなたもがんばっているのに成長できない原因は、
   インプット中心の勉強法やインプット中心の生活にあるのです。


   大人でも「インプット中心の学習」をしている人がほとんどですが、
   もし仮に10代から「アウトプット中心の学習」ができていたらどうでしょう?

   社会人になったときに、計り知れないほど
   大きな差がつくことは間違いないでしょう。

   これは、圧倒的なチャンスです。


        <『極(エッセンシャル)アウトプット』小学館
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         ・・・

本書の中に
「インプットとアウトプット」の“違い”と“比率”について
こう述べている。


『●インプット → 受動型(人に言われた通りやる)

 ●アウトプット→ 能動型(自分で考え、自分から動く)

 つまり、「その人の生き方」そのものを指すということです。

 今までの日本社会では、「受動型の生き方」の人が、うまくいっていました。

 親の言う通りに行動し、先生の教える通りに勉強し、
 会社に入ってからも、上司からの命令通りに仕事をする。

 教科書に書いてあることを、そのまま暗記すれば高得点をとれる。

 そういう人が優秀だといわれていました。

 でも、これからはまったく違います。

 2020年代のこれから、
 AI(人工知能)はさらに急激に進化していくといわれています。

 今の中学生が就職する頃には、
 あらゆるものに組み込まれたAIが、人間と同等かそれ以上の知識を獲得し、
 人間の代わりに仕事をするようになります。

 どの業界でもデジタル化、オンライン化、AI化、ロボット化による
 大再編が起こり、誰もが環境の変化に巻き込まれるのです。

 AIの大きな特徴は、
 膨大なデータ(ビッグデータ)を短時間で分析し、関連性を見いだし、
 結果を予測できることです。

 しかし逆をいえば、
 AIは今まで一度も起きていない出来事に対しては
 対処できないということです。

 何もないところから新しいものを作り出すこともできません。

 それをできるのが、人間です。

 誰も持っていない便利な道具を考えるとか、
 新しい商品を開発する、世の中にないサービスを生み出すなどの仕事は、
 今のところ「人間」にしかできません。

 つまり創造力や発想力、論理的思考力、判断力、実行力、人を説得する力といった、
 いわば「0を1にする力」が、これからの人間に求められるのです。

 こうした力こそ、まさにアウトプットの神髄といえます。』



『コロンビア大学の心理学者アーサー・ゲイツ博士が行った実験によれば、
 もっとも記憶に効果の出るインプットとアウトプットの比率は「3対7」だ
 というのです。


 たとえば、
 教科書を20分読んだら、40分は問題集を解くとか、
 ノートをまとめる、手を動かして書くための時間に使うということです。

 とにかく「情報を使う(外に出す)時間」を増やすということです。

 たとえば、学んだ内容を誰かに話す、ノートに書き出す、問題を解く。

 記憶力を強化する、覚えるためには、とにかく「書くこと」が大切です。

 「声に出す」「音読する」「発音」する、つまり「話す」のもアウトプットですが、

 指を器用に動かす「書く」作業の方が、脳に複雑な作業を要求します。

 つまり、「話す」よりも「書く」ほうが、圧倒的に脳を活性化する。

 つまり、記憶に残りやすいのです。』



エッセンシャルとは、
必須のとか、絶対に必要なとか、最重要なという意味だ。

昨今は「エッセンシャルワーカー」とよく言われるが、
日常生活をおくるために欠かせない仕事を担っている人たちのこと。


SNSという発信できる武器が個人で手に入る今、
『「伝える力」で人生が決まる』と言っても過言ではない。

様々なSNSのツールを使って発信する。

そして、それを毎日コツコツ続けること。


エッセンシャルアウトプットの力を身につけたい。

         <感謝合掌 令和3年12月9日 頓首再拝>

【「ひたすら聞く」そこから始まる】 - 伝統

2021/12/11 (Sat) 04:45:25


       *メルマガ「人の心に灯をともす」(2021.06.05)より

   (伊藤守氏の心に響く言葉より…)

   コーチングは、学校などで行う「ティーチング(教えること)」とは
   どう違うのだろう。

   コーチングは「ああしろ、こうしろ」などと指示を出すことはない。

   指示をすれば教えることになり、それではコーチングではなくティーチングだ。


   コーチングは相手に答えを与えるのではなく、
   会話を通じて相手の答えを引き出し、
   それを行動につなげるコミュニケーション・スキルだ。

   指示や命令で相手を動かそうとしたり、
   コントロールしようとしたりするのではなく、
 
   相手が自ら答えを考え、答えを見出し、
   それを行動に移すのを手助けするのがコーチングなのだ。


   ちょっと考えてみてほしい。

   きみの部下や後輩は、
   本当はいいアイデアをいろいろ持っているのに、
   いい聞き手がいないために、

   そのアイデアを
   外に出して形にする機会を持てていないでいるのかもしれない。



   あるスキーのインストラクターが、
   友人に頼まれてテニススクールのコーチをしたところ、
   プロのテニスコーチよりも、生徒の上達が早かったという。

   このコーチはテニスに関しては素人だが、
   相手から「引き出す」ことに関しては有能だったのだ。

   彼はテニスの技術については知らないので、
   教えるのではなく、生徒たちにいろいろな質問をした。

   その質問に答えることで生徒たちは
   自分で気づき、上達していったというわけだ。


   つまり、コーチ自身に、相手よりもすぐれた知識や技術が必要なわけではない。

   コーチは「教える」のではないからだ。


   質問を通して、相手の持つ知識や技術を棚卸しし、
   目標を達成するためにはどんな知識や技術を身につけることができるのかを
   具体的にしていくのがコーチングだ。

   コーチングでは、相手が自由に考えを話せるように
   コミュニケーションを創り出す。

   目的は、相手が自分の内側にあるアイデアを見つけ出すためだ。

          <『コーチングを学べ!』ディスカヴァー
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         ・・・

伊藤守氏は「聞くこと」についてこう語る。

『重要なのは、相手ができるだけ自由に、何でも話せるようにすることだ。

 最初は漠然とした、不確かな話でもいい。

 でも、「そんなこと、現実的じゃないよ」「不可能だね」などという言葉を
 こちらが口にしてしまったら、相手は話す気を失ってしまう。

 「もっと話して」「そこのところ、もっと詳しく」
 というふうに会話を広げ、促進していこう。

 いろいろな角度から多くのことを話せるように質問していくのが大切だ。

 《聞く。ひたすら聞く。そこから始まる。》』


「傾聴の三動作」という田中真澄氏の言葉がある。

《話し三分に、聞き七分、うなずき、あいづち、驚きの表情》



人はどうしても、自分の話をしたくてたまらない。

だから、多くの人はだまって、じっと相手の話を聞くことが苦手だ。

そして往々にして、相手の話を最後まで聞かず、さえぎって、
自分が話をとってしまったりする。


相手が心置きなく話ができる環境をつくること。

この人なら話しても安全だと思ってもらうこと。


コーチングの基本…

「ひたすら聞く」ことから始めたい。

         <感謝合掌 令和3年12月11日 頓首再拝>

【戦う場所を選ぶ】 - 伝統

2021/12/15 (Wed) 04:49:21


         *メルマガ「人の心に灯をともす」(2021.11.24)より

   (小西史彦(ふみひこ)氏の心に響く言葉より…)

   「戦う場所」を選ぶ…。

   これは、生きていくうえで非常に重要なことです。

   国レベルで「戦う場所」を変えるのは、たしかに大きな決断です。

   誰もができる決断ではないかもしれません。

   だけど、コトの大小は問わず、
   私は常に「戦う場所」を選ぶことを意識してきました。

   なぜなら、「持たざる者」が活路を見出すためには、絶対に必要なことだからです。


   たとえば、「青年の船」に応募したときもそうです。

   明治100年を記念する一大国家プロジェクトでしたから、
   応募者が殺到することは容易に予想できました。

   だから、私は住民票を東京都から石川県に移すことにしました。

   都道府県ごとに選考することになっていたので、
   どう考えても東京の倍率がいちばん高くなります。

   そこには、私のような平凡な男にチャンスはない。

   「戦う場所」を生まれ故郷の石川に変えるべきだと考えたわけです。

   これが見事に当たりました。

   私は東京で日米会話学院に通っていましたが、
   石川県に英会話を本格的に学んでいる人はほとんどいませんでした。

   だから、トップの成績で選考されることに成功。

   英会話を学んでいる人が多い東京では、こうはいかなかったでしょう。


   もしかすると、「ずるい」と思う人もいるかもしれませんが、
   あくまでもルールの範囲内。

   「ずるい」のではなく、「戦略」をもって戦ったというべきでしょう。

   私という人間に変わりはないけれど、「戦う場所」を変えれば結果は変わる。

   同じ努力をしても、「戦う場所」によって人生には天と地の差が生まれるのです。


   では、「戦う場所」をどう選ぶべきか?

   これは、状況次第で変わりますから、一般論として語るのは難しい。

   それでも定石はあります。


   まず考えるべきなのは、「人が多い場所は避ける」ということ。

   先ほどの住民票もそうです。

   競争相手の多い東京ではなく石川で戦えば、成功確率が上がるのは当然のことです。

   日本を飛び出して、マレーシアに渡ったのも同じです。

   当時は、海外旅行をするのにも大金が必要な時代。

   海外に移住する日本人などきわめて稀でした。

   しかし、だからこそチャンスがある。

   たしかに、資金もなく特別なコネクションもない私が、
   マレーシアに根を張るのは容易なことではないことはわかっていました。

   しかし、それに成功すれば、マレーシアにおいて
   日本とのコネクションをつくることができる希少な存在になることができる。

   日本のなかにいれば平々凡々たる存在であったとしても、
   マレーシアでは唯一無比の存在になれる可能性があるのです。


   ところが、私が見るところ、この定石を打たない人が多い。

   むしろ、逆の手を打つ人ばかりだ。

   「寄らば大樹の陰」でしょうか、人が群れている場所についていく人が多い。


   たとえば、就職活動。

   相変わらず人気企業ランキングに名前を連ねる
   大企業をめざす人が多いようです。

   しかし、競争相手が多いのだから、苦戦するのは目に見えている。

   運よく勝ち抜いても、大企業だから社内での競争も激しいでしょう。

   唯一無比の存在になるのが難しいのは、いわば当然の帰結。

   “群れ”のなかで生きるのは、 実は難しいことなのです。

   もちろん、大企業を否定するわけではありません。

   私が言いたいのは、
   なんとなく群れるような生き方をすべきではないということ。

   世界は広い。

   誰でも、自分が有利に戦える「場所」はあるのです。


   だから、まずは、できるだけ広い視野をもって、
   「戦う場所」を探してみるべきです。

   そして、間違ってもいいから、自分の意志で「戦う場所」を決めてみるのです。

   なにも、私のように「国」を変える必要はありません。

   これから就職するという人であれば、
   安心できそうだからという理由で大企業をめざすのではなく、
   魅力を感じる分野のベンチャー企業に飛び込んでみるのがいいかもしれない。

   すでに企業で働いている人であれば、
   誰も手を挙げたがらないリスクの高い新規事業に
   チャレンジしてみるのがいいかもしれない。

   いや、もしかしたら、誰もがやりたがらない地味な仕事を、
   自ら買って出てコツコツやり続けるのがいいのかもしれない。

   それは、まさに人それぞれ。

   自分自身で選び取ることです。


   とにかく、まず“群れ”から離れること。

   世の中の多数派と同じ選択をすることで、安心を得ようとするのではなく、
   自分の意志で「戦う土俵」を選び取ることです。

   そして、 そこで全力で戦うことが、自分の人生を切り拓く第一歩なのです。


   《まず、“群れ”から離れる》


     <『マレーシア大富豪の教え』ダイヤモンド社
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             ・・・

孫子の兵法の基本的な考え方は二つあるという。

一つは「戦わずして勝つ」。

もう一つは「勝算なきは戦わず」。


つまり、戦わずして勝つことが、上の上の戦術であり、
勝ち目がなかったら戦わない、ということだ。

現代の市場において、戦わずして勝つ最大の方法が、
競争がないところで戦うこと。


それはたとえば、スポーツにしても、日本の中では、
ほとんど知られていないようなマイナーな競技で戦えば、
日本の第一人者になれる可能性はある。

しかしテレビで放映するようなメジャーな競技、
サッカーや、野球、ゴルフなどで、プロとして活躍しようとしたら、
そこには大変な才能と努力が必要となる。


競争のない市場(フィールド)のことを「ブルーオーシャン」という。

ブルーオーシャンとは、「のどかな青い海」のことで、未開拓の市場のことを言う。

反対に、競争相手がひしめき合う厳しい市場のことを「レッドオーシャン」という。

レッドオーシャンとは、「血で血を洗うような真っ赤な海」のこと。


戦う場所を選ぶこと。

そして、群れから離れ、人と同じことをしないこと。


自分の人生は自分で切り拓きたい。

         <感謝合掌 令和3年12月15日 頓首再拝>

【学ばない人は、走らない風車】 - 伝統

2021/12/18 (Sat) 04:47:36


      *メルマガ「人の心に灯をともす」(2020年09月04日)より

   (明治大学教授、齋藤孝氏の心に響く言葉より…)

   人はなぜ、学ばないといけないのか。
   それは端的にいうと一度しか与えられていない人生を
   豊かに生きるためです。

   いろいろなことを学ぶと新しい世界に出会い、
   歓びを感じることができます。


   また、自分が苦難にぶつかったとき、「学び」は役立ちます。

   ソクラテス、孔子、ブッダなどを知っていれば、
   後から、そうした偉人たちの囁(ささや)きが聞こえてくるはずです。
 
   そして、歴史を学ぶと、
   過去にこんな苦労した人たちがいたということを
   知るだけでも、自分が生きる糧(かて)になります。


   「学び」がないと、無味乾燥な毎日となり、何か空しさを感じてしまいます。

   学んでいる姿というのは、言って見れば
   子供の頃に遊んだ風車(かざぐるま)みたいなものです。

   走れば風車は風を受け回りますが、走らないと風車は回りません。

   学ばない人は、走らない風車です。

   風車が止まっている姿は、本来の輝きを失い、生き生きしません。


   人は60歳あるいは65歳で定年を迎え、そして70歳、古希(こき)を迎えます。

   子どもたちが大人になり、親の手から離れると、
   親には静かな時間が「ドン」と訪れます。

   そのときに学んでも仕方がない、意味がないと思う人もいるかもしれません。

   とすると、風車は回らない状態となります。

   生きている実感がないままに、最後の10年、20年を過ごしてしまう、
   ということになりますと、ふと空しさを感じるのです。


   その空しさを感じるというのは、
   人生にとって私はかなり危険なことだと思います。
 
   若いときと、老齢になってから
   「空しい」と感じる場合とでは、違うからです。

   成年期のとき、自分はこれから
   どうなっていくのだろうという不安があります。

   そう考えたときに今の自分でいいのだろうか、
   苛立ちとともに虚無感が頭をもたげてきます。


   しかし、中高年を過ぎて、老年期になってからの空しさは、
   まるで自分の人生のすべてが無意味なような錯覚に捉われて、
   鬱々たる寂しさを伴うわけです。

   青年期の生命力溢れるゆえの空しさと、
   生命力が衰えてくる段階での空しさは質が違います。

   「死」の不安も老年期には襲ってきます。

   だから、こうした不安や空しさから抜け出し、
   自分が生きてきたプロセスを、ちゃんと肯定できるためにも、
   老年期に入っても学んでほしいと思います。

   そうすることで、自分の人生に対して、いつまでも前向きになれます。

   70歳、80歳になっても自分は学ぶ、勉強することに積極的になることです。

   すると、それまでの自分の人生は良かったときっと思えるはずです。

        <『斎藤孝式 “学ぶ”ための教科書』辰巳出版
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               ・・・

本書に、吉本隆明氏のこんな言葉が書いてあった。

『吉本隆明さんは「ひきこもれ/だいわ文庫)」で、
 技術や知識を身につけるためには何でも、10年やるのが大事だといっています。

 10年やると、何でも物になるというのです。

 熟練した職業人になるには、少しゆるんでいても、持続力があればいいというのです。

 「のんびりやろうが、普通にやろうが、急いでやろうが、
 とにかく10年という持続性があれば、かならず職業として成立します。

 面白くても面白くなくても、コツコツやる。

 必死でがんばらなくったっていのです。

 ひきこもってもいいし、アルバイトをやりながらでも何でもいいから、
 気がついた時から、興味のあることに関して「手を抜かず」ということをやっておく。

 何はともあれ、熟練に向けて何かを始めるところにこぎつければこっちのものです」

 と吉本さんは主張しています。

 そして、一人でまとまった時間を過ごすのがとても大事で、
 「一人で過ごす時間が“価値”を生み出す」と指摘しています。』


「10年、偉大なり。
 20年、恐るべし。
 30年、歴史なる。
 50年、神の如し。」

という言葉がある。

鍵山秀三郎氏は、それを、「凡事徹底」、
「凡を極めて非凡に至る」という言葉で表現している。

平凡なことでも、それを長くコツコツと継続すれば、
やがて非凡の域に到達するということだ。


天才ならいざ知らず、多くの凡人たちにとって、継続は強力な武器となる。

まずは、10年続ける。

そして、20年、30年と継続することで、その才能も非凡に至る。

いくつになっても学び続ける人には、豊かな人生が待っている。

         <感謝合掌 令和3年12月18日 頓首再拝>

内に力を蓄える者は やがて大成する - 伝統

2021/12/25 (Sat) 06:42:23


      *『 生長の家 』(昭和24年9月10日の法語)より

青年の時には大いに勉強すべきである。

充分の学力も 素養も 訓練も なくして
すみやかに立身出世したいなどと思ってはならない。

芍薬(しゃくやく)やダリヤの花は
その根の大きいものほど立派な花が咲くのである。

根を大きくせずして、
大きい花を咲かせようと思ってはならない。

根から切った花は 一時美しく咲いているように見えても、
毎年変らずに続いて咲く力は ないのである。

中に能力を蓄えておくことが必要である。

http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=31

         <感謝合掌 令和3年12月25日 頓首再拝>

【 自然は必ず価いを要求する 】 - 伝統

2021/12/28 (Tue) 04:29:00


       *『 生長の家 』(昭和24年9月12日の法語)より

長生きをするためには、気が短いようではいかぬ。

ゆっくり‘のんびり’として着々と生きることである。

青年期にその生活を無駄なことに使ったものは
中年期以後 速かに老いるのである。

文化はリビドーの昇華せるものであるから
青年期にリビドーを余りつまらない方面に使いすぎると能力が速に衰退する。

自然は青年期に享楽した者の代価を
老年期が近づいて来た時、急に支払請求をするものである。

速なる老衰は青年期の享楽の強制支払である。

健康は値なしには継続しないのである。
自然は常に値いを要求するのである。

肥料なしに毎年立派な果実を
その樹から得ようと思ってはならない。

http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=31

         <感謝合掌 令和3年12月28日 頓首再拝>

ハーバード大学の図書館の壁に書かれている27の言葉 - 伝統

2022/01/09 (Sun) 02:26:49


       *Web:学校法人 今治明徳学校「一語一会」(2020年7月15日)より抜粋

(1)今寝れば、あなたは夢を見るだろう。‎
   今勉強すれば、あなたは夢をつかむだろう。

(2)今日あなたが無駄にした日は、
   死んだ人が必死に生きたいと願った未来である。

(3)物事に取りかかるべき一番早い時は、
   あなたが「遅かった」と感じた瞬間である。

(4)今日やるほうが、明日やるよりも何倍も良い。

(5)勉強の苦しみは一瞬であるが、
   勉強しなかった後悔は一生続く。

(6)勉強において「時間がなかった」は、
   できない言い訳でなく、努力が足りないのである。

(7)幸せと学績は関係ないが、成功と学績は関係がある。

(8)学業は人生のすべてではないが、すべてのベースである。

(9)苦しみが避けられないのであれば、むしろそれを楽しもう!

(10)成功をするためには、早めに行動し、勤勉でなくてはならない。

(11)成功は誰にでも来るものではないが、
   自分を律し、一生懸命に頑張ったもののところに来る。

(12)時間は、一瞬で過ぎていく。

(13)あなたが今日歩かないなら、明日は走ることになるだろう。

(14)明日に活かせる人間というのは、
   今日を自信を持って過ごせる者のみだ。

(15)学業の仲間は、それ自体が宝だ。

(16)今日すべきことは絶対に明日やることはできない。

(17)この瞬間にもあなたのライバルはひたすら勉強している。

(18)痛みがなければ、得るものはない。

(19)あなたの夢は今目の前にある。なぜ手を伸ばさないの?

(20)今に目をつむるということは、将来の可能性にも目をつむることだ。

(2)寝るときは寝ろ。

(22)学績というのは自分がやった絶対量に比例する。

(23)すばらしい業績というのは、ほかの人が寝ているときに達成される。

(24)試験の直前になると、どれだけ今を無駄にしているかを感じるだろう。

(25)不可能というのは怠惰の結果による言い訳である。

(26)やった努力は自分に絶対帰ってくる。

(27)もう1時間勉強が、あなたによりいい妻(夫)をあたえる。

http://blog.livedoor.jp/jazzsaxman/archives/8140345.html

         <感謝合掌 令和4年1月9日 頓首再拝>

【成人式となかなか縁のない私がオススメする動画】 - 伝統

2022/01/11 (Tue) 04:35:04


      *メルマガ「日本一元気」(2022.01.10)より

今年、20歳を迎える人口は120万人。

成人を迎えたみなさま、おめでとうございます。

希望に満ちた未来に、心よりお祝いを申し上げます。

次の時代をつくる皆様の
さらなるご活躍に期待をせずにはいられません。



20年生きるということはとても素晴らしいことであると、
最近しみじみ感じますし、本当におめでたいことであると
あらためて感じます。

さらにその倍以上生きた自分は、本当にありがたいことです。


2040年の新成人は84万人と予測されており、
さらに人口減少が加速化していくわけですが、

それでも生れてから20年健やかに生きていくということは、
ありがたいことですね。


私自身は成人式とはなかなか縁のない人生ではありますが、
この成人式における動画は、
心を揺さぶられますし、やはり20歳になるということは、
おめでたい、ありがたいことなのだなとあらためて感じるところです。


   静まる成人式 山田宏 杉並区長時代の「英霊の遺書」講演
   259万回再生動画字幕付き
    ⇒ https://youtu.be/HfQjur29SvQ

         <感謝合掌 令和4年1月11日 頓首再拝>

死ぬまで悔いのない生き方をする言葉 - 伝統

2022/01/15 (Sat) 01:40:33


        *「死ぬまで悔いのない生き方をする45の言葉」千田琢哉・著より

(1)時間というのはあなたの命の断片である。
   時間を無駄にしないということは、
   命を大切にするということだ。

(2)未来は遠くにではなく、ここにある。

(3)「ピン!」ときた映画をすぐに観る。
   「ピン!」ときた本をすぐに読む。
   「ピン!」ときた人にすぐに愛を告白する。

(4)すべて今、この瞬間にやっておかなければ、
   今この瞬間は二度とやってこない。

(5)もしあなたが成長し続けながら
   輝いていく人生を歩むのであれば、好きなことをやるのだ。

   得意なことをやるのではなく、心底好きなことをするのだ。

(6)多少不器用でもいいから、熱狂的になれるものに没頭することだ。

(7)あなたの本気を示すためには、
   スピードに加えて圧倒的な量をこなしておきたい。

   圧倒的な量の目安として一桁多くをこなすと考えるといいだろう。
   上司や顧客から「10個考えてきてくれ」と言われたら100個考えていく。

(8)圧倒的な量をこなしていく過程で普段から思考力を磨いていくのだ。
   圧倒的な量をこなし続けると、必ず質に転化する。

(9)人と会うときには、今日が最後の日になるかもしれないと考える。

   人生で奇跡を起こしていきたいと願うのであれば、
   次のことを意識するだけでいい。

   いま、会って話をしている目の前の人のことを
   世界で一番大切な人だと思うことだ。

(10)陰口を言わないだけで、10年後の人望は桁違いになる。

(11)「信頼できる人」を目指したかったら、たったひとつ意識するだけでいい。

   陰口をいわないことだ。
   本当にそれだけのことだ。

   陰口を言うと、陰口を聞いてくれる相手と群がることになる。

(12)冗談みたいな小さな約束こそ、命がけで守る。

(13)言行一致させていくと人生が変わる。

   言行一致とはあなたの口から発したことと、
   あなたの行動がずれていないことである。

   言行一致させていく面白いのは、
   周囲の態度が日に日に変わっていくことだ。

(14)できない言い訳を飲み込んで、「だからやろう!」を口ぐせにする。

(15)根拠なんて要らない。
   根拠を求めてくるのは、
   やる気のない人間が時間稼ぎをしているだけの話だ。

   根拠なんてたったひとつだ。
   「やりたいからやる」
   それだけだ。

(16)長期的に成功者と呼ばれていた人たちの
   仕事ぶりを見ていて気づかされたことがある。

  ①それは仕事スタイルが清々しかったということだ。

  ②長期的に成功し続けていた人たちは、
   仕事のやり方が清潔だったのだ。

  ③別の表現を使えば、
   好きな人に見られてもまったく
   恥ずかしくない仕事のスタイルだった。

  ④自分の仕事ぶりを隠しカメラで撮られたとしても、
   家族や恋人に胸を張ることができるくらいに清潔だということだ。

(17)「こうなりたい」という、憧れの人を演じて人生を送る。

(18)進化している人は、「もう一度あの頃に戻りたい」とは言わない。

  ①恐らく今輝いている人たちの若い頃は、
   それぞれ地獄の10代や20代を過ごしてきた人も多いのだろう。

   世の出るまでの下積み時代が長ければ長いほど、
   実際に世に出た際には輝きを放つ。
   もう一度下積み時代に戻りたいと思うはずもない。

  ②だから今を輝く成功者たちは、
   過去の話ではなく「これから」の話にしか興味がない。

   90歳や100歳になっても未来を熱く語ることが
   できる人は青春時代を生きている。

(19)絶望は、希望の始まり。

  ①成功者たちの口癖はいつもこうだった。
   「あの時の地獄があったからこそ、今の自分があると確信している」

  ②地獄のどん底状態に落ちたとき、
   あきらめずにいたら運命の出会いがあったという人が多い。

  ③どん底から這い上がった際、
   あなたが世に出たら人の上に立たなければならない。

   その際に役立つのがドン底時代に味わった人間観察眼なのだ。

  ④他人を許せる器をもった人間が、最高のリーダーとなっていく。

(20)他人に許してもらう側の人間は、
   生涯こき使われる人生で幕を閉じる。

   これが古今東西を問わず人間社会普遍の真理なのだ。

(21)ふて腐れなければ、運命の人と本に出逢える。

         <感謝合掌 令和4年1月15日 頓首再拝>

【憧れに向かって飛ぶ、情熱の矢となれ】 - 伝統

2022/01/23 (Sun) 06:28:37


        *メルマガ「人の心に灯をともす」(2019年09月30日)より

   (齋藤孝氏の心に響く言葉より…)

   ニーチェの言葉に、

   「憧れに向かって飛ぶ、情熱の矢となれ」

   というものがあります。

   みなさん、この“飛んでる矢”をイメージしてみてください。

   想像するとその姿は、
   どこか俊敏で、エネルギーに満ちているように思えませんか?


   人間は、いくつになっても、
   このエネルギーに満ちた“飛んでいる矢”であることが大切なのです。

   的に当たるか当たらないかは関係ないのです。

   ここでは“結果”ではなく“プロセス”こそが大事だからです。

   入社一年目などのフレッシュな時期こそ、
   人は“飛んでいる矢”であることが多いものです。

   ところが、入社して年数が経ち、場数を経ていくと、
   次第に「若々しさ」を失っていく傾向にあります。


   この場合の「若々しさ」は、見た目とは関係ありません。

   重要なのは、「魂の若々しさ」であり、「エネルギーの若々しさ」です。


   大人になると、どうしても“淀む”人が出てきます。

   まとう空気が重く、その場にいるだけで、
   何となく周囲を不愉快にさせるようなタイプの人です。

   そんな人にならないためにも、大人であればこそ、
   自ら“脱皮”していくスタンスを持つこと。

   歳を重ねるほどに、古い殻を脱ぎ捨て、
   新しいことにチャレンジし続けること。

   それこそが、現代における大人のたしなみといえるかもしれません。


   どうかすると、若さ偏重に陥りやすい風潮のある世の中ですが、
   実は、経験がある人の方が魅力的であることを忘れないでいてください。

   様々な経験を積みながらも謙虚さを失わず、
   常にフレッシュな心構えでいる…。

   それこそが、私たちの目指すべき大人像ではないでしょうか?


   エネルギーに満ちたフレッシュさは、自然と表情などにも表れるものです。

   何歳であろうと、「今日は新しい日である」という感覚を忘れずに、
   明るさと爽やかさを持って、
   日々、目の前のことに臨む姿には美しさがあります。

   「自分は今、飛んでいる矢であるか?」

   と自分に問いかけ、常に、エネルギーに溢れたチャレンジャー
   でいてほしいと思います。

     <『大人だからこそ忘れないでほしい45のこと』ワニブックス>

             ・・・

忌野清志郎さんの「空がまた暗くなる」という歌がある。

『おとなだろ 勇気をだせよ
 おとなだろ 知ってるはずさ
 悲しいときも 涙なんか
 誰にも見せられない

 おとなだろ 勇気をだせよ
 おとなだろ 笑っていても
 暗く曇った この空を
 かくすことなどできない

 ああ 子供の頃のように
 さあ 勇気を出すのさ
 きっと 道に迷わずに
 君の家にたどりつけるさ』

   ( https://www.youtube.com/watch?v=Edf05-Klvrk )


大人になると、少しずつ若々しさを失い、
自分が「エネルギーに満ちた“飛んでいる矢」であることを忘れてしまう。

それは、勇気を失ったということでもある。


「金や財産、名誉や地位を失っても、ほんの一部を失ったにすぎない。

しかし、勇気を失ったらすべてを失う。

勇気は頭からは生まれない。

勇気を生むのはただ行動のみ。

行動が勇気を起爆させるのである」(行徳哲男)


情熱は、行動することによってしか生まれない。

勇気も同じで、ただ行動あるのみ。


いくつになっても…

憧れに向かって飛ぶ、情熱の矢でありたい。

         <感謝合掌 令和4年1月23日 頓首再拝>

20代にとって大切な17のこと - 伝統

2022/01/28 (Fri) 04:37:12

20代にとって大切な17のこと - 本要約【名著から学ぼう】
下剋上サラリーマン ショウの仕事術(2021/03/28)
https://www.youtube.com/watch?v=vGaDsaeMKZo


1.新しい変化を歓迎する

2.時代の先を読む

3.社会の仕組みを知って、自分がどこに属するかを決める

4.自分の才能を見つけ、自分で育てる

5.「人間関係が幸せのカギ」と知る

6.メンターを見つけ、教えを受ける

7.プラスとマイナスの感情のパワーを知る

8.社会への「発信の作法」を学ぶ

9.お金と、ちゃんと向き合う

10.仕事に「人生を盗まれない」よう気をつける

11.「小さなこと」に、心をこめる

12.家族について考える

13.愛の意味を知る

14.ヤバいくらい大きな夢を持つ

15.「ダメダメな自分」を受け入れる

16.迷ったら、飛び込む!

17.「人生の目的」を考え始める

         <感謝合掌 令和4年1月28日 頓首再拝>

【自分の価値を最大化する方法】 - 伝統

2022/02/14 (Mon) 02:19:45


       *メルマガ「人の心に灯をともす」(2019年07月25日)より

   (頼藤太希氏の心に響く言葉より…)

   ビジネスの場においても、ここ10年くらいで
   「ゼネラリストよりもスペシャリストを目指せ」
   「会社員として働くより、フリーランスとして働く」ということが
   意識されるようになっています。

   どのチーム、どのコミュニティに入ってもそつなくこなせる…ではなく、
   それぞれの「個」を活かした活動がフォーカスされる時代なのです。

   個を活かすということは、
   結果としてチーム力やコミュニティ力を高めることにつながります。

   ゆえに「個を大事にしよう」という考え方です。


   誰ひとりとして、同じ人間はいません。

   ですから、個性は絶対的に、本質的に備わっています。

   「〇〇といえばこの人」といった特徴が
   どんな人にもあるのは、当然といえば当然です。


   ここで、ひとつの疑問がわいてきませんか。

   なぜいまさら「個性を大事にしよう」という風潮になってきてるのでしょう。

   かつては、なぜ「没個性」であることが、
   ある意味「よし」とされていたのでしょうか。


   その理由は、日本の文化・環境にあります。

   国や企業は代えが効く人間を必要としていたからでしょう。

   企業文化にフォーカスすれば「没個性」、
   つまり平均的な人間が求められていました。

   平均的というと、言葉が正確ではないかもしれません。

   より適切にいえば、
   万遍なく一定のクオリティで業務をこなせる人間がよいとされてきたのです。


   日本の以前の企業文化といえば、
   「終身雇用」「年功序列」「ゼネラリスト」が当たり前でした。

   こうした文化は現在進行形で少しずつ変わってきていますが、
   かつてのままの企業もたくさんあります。

   ひとたび会社に就職すれば、その雇用は将来にわたり約束され、
   長く働けば昇格・昇給していき、
   定年まで勤めあげれば、まとまった金額の退職金を受けとることができる。

   満遍なくひと通りの業務を、一定のクオリティで遂行できれば、
   会社員生活は安泰だったわけです。


   高度経済成長からつづいたこうした企業文化に影響を与え、
   変化を起こした要因のひとつは、
   米国の「実力主義」「成果主義」でしょう。

   「年齢やキャリアに関係なく、結果を出した人間を評価する」
   「仕事を長時間するよりも、決められた期限内に成果を上げる」
   という考え方です。

   この考え方は、日本の企業にも浸透しつつあり、
   平均的である人間よりもスパイキーな(尖った)能力を磨き、
   特定の分野で突出すること(スペシャリストであること)や、
   プロセスよりも結果を出すことがフォーカスされるようになっています。

   そして、勘違いしてはならないのは、
   ナンバーワンになるのが目的ではなく、
   オンリーワンのスキルを身につけて、
   すばらしい結果を出すということです。


   ロボットやAIが台頭してきたことも、
   この考え方を後押ししている要因でしょう。

   ロボットやAIには望めない人間力や、
   人間ならではの感性を活かした能力、
   スキルが求められる時代になってきています。

   まさに「個の力」が求められる時代が到来しているのです。


   令和はまさしく「個の時代」といえます。

   (中略)

   個が与える影響力は年々増しています。

      <『自分の価値を最大化する方法』河出書房新社>

            ・・・

頼藤太希氏は本書の中でこう語る。

『個の力はそれだけで職業にもなっています。
 個をアピールして、ファンを増やしそれが仕事になった典型としては
 YouTuber(ユーチューバー)があります。

 いまや、職業として認知されてきています。


「個のそれぞれの力」を、「自分の価値」と呼ぶことにします。

これからは、「自分の価値」×「SNS」で、
誰もが活躍できる可能性がひろがっている時代になっていきます。

とはいえ、SNS時代で活躍するには、
「自分の価値」をどんどん高めていくことがきわめて重要です。

SNSの投稿テクニックで一時的にちやほやされたとしても、
自分の価値を高める努力を継続的にしていかなければ
“化けの皮”はすぐに剥(は)がれ、
将来にわたり活躍していくことは難しいからです。


いっぽうで、自分の価値がどんなに高くても、
SNSを巧みに活用できなければ、
あなたの個としての影響力は大きくはなりません。

伝え方とは、キャッチコピーだけの世界ではありません。

見せ方も重要です。

現に何十万人、何百万人と言うフォロワーを誇る人たちを見てみると、
実力や実績があることはもちろんですが、
投稿している写真やプロフィール文、文章、タイトルなど、
どれをとっても「見せ方がひじょうにうまいなあ」と感心します。』


いつの時代も、どんなに価値があろうが、それが伝わらなければ無いのと一緒。

現代は、SNSを使うか使わないかによって、
さらに格差が顕著(けんちょ)になっている。


常に自分の価値を高める努力をしているか…

自分の価値を最大化する方法を常に模索する人でありたい。

         <感謝合掌 令和4年2月14日 頓首再拝>

【今こそ挑戦を!】 - 伝統

2022/02/21 (Mon) 04:32:08


       *メルマガ「人の心に灯をともす」(2022.02.16)より

   (前刀禎明(さきとうよしあき)氏の心に響く言葉より…)

   自らに意識を向ければ、内面の変化も見えてきます。

   例えば、これまで知らなかったことを
   新たに知る機会が増えたのではないでしょうか。

   感染症予防という、これまで意識したことのない観点で
   世の中を見ることになったからです。


   新型コロナウイルス感染症が拡大し始めた頃、
   あるサイトに飛行機の換気システムの仕組みが掲載され、
   その換気能力が話題になっていました。

   飛行機はもともと高い換気能力を有しています。

   でも、以前は誰もそのことを話題にはしませんでした。


   価値観も変化しつつあります。

   少なくとも、「働く」とは「出社すること」だと
   思い込んでいた人は考えが改まったはず。

   会議が減った企業、チームも多いのでは?

   会議に限らず、 業務上の取捨選択がしやすくなったのは間違いありません。

   不要なものを省いていく中で、 本当に必要なものが際立って、
   物事のコントラストがよりくっきりしてきますよね。


   こういうときは、挑戦のハードルも下がります。

   どうしようもない事態に見えるときは、
   誰もが “正しい” と思う手を見つけにくいとき。

   だからこそ、あらゆることを試しやすい のです。


   平和なときはちょっとの失敗が
   その人や会社にとって事件になるかもしれない。

   無難な策を選びがちです。

   でも、社会全体が激しく揺れ動いているときならば、
   誰かがどこかで何かを試して結果が芳しくなくても、
   どうということはありません。

   ダメならダメで、さっと引けばいいだけです。


   今は発想を転換する好機です。

   これまではできないと思っていたこと、
   当たり前だと思っていたことを考え直す。

   環境や前提条件が変わり、自分自身も変わっているなら、
   無理だと思ったことが実現する可能性はあります。


   今はテレビをつけてもネットを見ても、
   「ステイホーム」の呼びかけと、
   それでも思うように減らない人の動きを嘆くものばかりです。

   それらは問題だと僕も思います。

   一方で、 どうして同じことばかり話題にするのだろう
   と疑問に思ったりもします。

   情報は重要ですし、
   それに接すれば感想を持つのは自然なことかもしれません。

   ですが、新型コロナウイ ルス(に関する他人の言動)の評論家、
   になることは避けたい。


   それよりも、ビジネスを含め、自分のことを考え直す。

   それが可能な状況にある人は、
   その幸運に感謝して前を向くほうが明るい未来が迎えられそうです。

   皆さんも自分が携わっている進行中の企画を、
   新しい前提、新しい観点で見直してみてください。

   考えることは自宅でも1人でも可能です。


   思索する力を高めましょう。

   そして、 ぜひ身の回りの変化に目を向けてみてください。

   疫病による影響は決して歓迎できませんが、
   せめて変わりつつある日常を観察の対象にしてやりましょう。


   《既成概念が崩れた環境は挑戦に適す》


     <『ワンダーラーニングでいこう 学び続ける知性』日経BP
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              ・・・

世の中が混沌(こんとん)としたとき、人の行動は二つに分かれる。

一つは、混沌が収まるのをじっと待っている人たちだ。

もう一つは、混沌としているからこそ、そこにチャンスがあると打って出る人だ。

大多数の人たちは、嵐が過ぎ去るのを待つように、混沌が収まるのをじっと待つ。


しかし、その中でもほんの数人が、新たなことに挑戦する。

そして、世の中を変えていく人となる。


もちろん、全部が全部、世の中を変えていく人となる必要はない。

しかし、そうだとしても、挑戦する人を応援することはできる。

足を引っ張らず、嘲笑せず、「それは無理だ」といわず、
その挑戦を褒めたたえることはできる。


また、世の中を変えるとか大きなことではなく、
自分自身を変えることはできる。

新たな本を読み、新たな勉強を始める、新たなコミュニティに参加する、
健康のために運動を始める、等々だ。


社会全体が激しく揺れ動いているとき…

今こそ挑戦する人でありたい。

          <感謝合掌 令和4年2月21日 頓首再拝>

令和4年度の新入社員は「新感覚の二刀流タイプ」 - 伝統

2022/04/06 (Wed) 06:41:04


先週金曜日の4月1日には多くの企業で
新入社員を迎える式典が行われました。


ところで、人事労務分野の民間シンクタンクの産労総合研究所は、
その年の新入社員のタイプを時代を象徴する言葉で表していますが、
今年の新入社員の特徴については

「新感覚の二刀流タイプ」

と表現しました。

同研究所は今年の新入社員について

『インターンシップや就職活動を、対面とオンラインの2つの
 スタイルで二刀流のようにこなして、入社式を迎えた。

 しかし、就活中に職場の雰囲気や仕事に関する情報が
 得にくかったこともあり、入社後は、思い描いていたイメージ
 と実際とのギャップにとまどいそうだ』

と分析し、先輩社員に対しては

『これまでの新入社員とは異なる新感覚(オンライン慣れ、
 対面コミュニケーションの不慣れ、配属・勤務地へのこだわり、
 SDGsへの興味、タイムパフォーマンス志向等)や
 未熟にみえる言動を受け止めたうえで温かく交流し、
 1人ひとりをみつめた育成支援をしてほしい』

とアドバイス。

『そうすれば、才能が開花し、環境変化にも適応できる
 「リアル二刀流」になっていくだろう』

と結んでいます。

https://www.e-sanro.net/freshers/?page_id=809


入社年度別新入社員タイプ一覧まとめ 発表分を全て。1973年〜2022年。
https://www.hinapishi.com/entry/2015/03/26/155622

            ・・・

令和4年度入社式 社長挨拶の例

(1)古河電工

  ①謙虚な姿勢と感謝の気持ちを忘れずに、
   素直な心で成長しよう。

  ②困難に遭遇しても、夢や情熱を抱き、
   諦めない姿勢を持ち続けよう。

  ③一人ひとりが失敗を恐れずに
   「Can」を増やして「Will」を持とう。

   https://www.furukawa.co.jp/release/2022/kei_20220401.html

(2)トーキン社長

   ドイツの生物学者ユクスキュルの著作『生物から見た世界』
   から“蚤の世界”について紹介したい。

   蚤は、原始的な目と鼻のような器官しか持たないが、
   その能力を最大限に活かし動物に寄生して生きている。

   一方、人間は蚤よりも遥かに高度な目や耳や鼻を持つが、
   その能力を活かしきれていないようだ。

   皆さんにはぜひ、見えているものが本当に真実か見抜き、
   真実を追求する精神を養っていただきたい。

   https://www.tokin.com/  入社式社長講話クリック

(3)グンゼ株式会社社長

  ①「三つの躾」を実践できる人となる。

   「あいさつをする」、
   「はきものをそろえる」、
   「そうじをする」

  ②一所懸命であれ。

   新たなことにチャレンジすることを恐れず、
   来るべきチャンスを「虎視眈々」と狙い、
   全力で一所懸命にぶつかってほしい。

  ③変化に臆さず、自律的に挑戦できる人となれ。

   変化に臆さず、自ら進んでその渦に飛び込んでいく挑戦者
   であってほしいと思います。

   若さを原動力に自分達で限界を決めず、変化に対応する
   新たなやり方で改革に挑戦する人となってください。

   https://www.gunze.co.jp/corporate/news/2022/04/20220401001.html

          <感謝合掌 令和4年4月6日 頓首再拝>

【起業家精神を呼び起こす】 - 伝統

2022/04/07 (Thu) 07:02:09


        *メルマガ「人の心に灯をともす」(2022.04.06)より

   (スタンフォード大学教授、ティナ・シーリグ氏の心に響く言葉より…)

   2時間あるから元手の5ドルを増やす方法を考えてください。

   こう言われたら、みなさんはどうしますか?

   これはスタンフォード大学dスクールの最初の授業で学生に出した課題です。


   よくあるのが、
   5ドルで道具や材料を買って洗車サービスやレモネード・スタンドを始める、
   というものです。

   2時間でほんの数ドル儲かればいいのであれば、それもいいでしょう。

   ところが、ほとんどの学生は、最終的に、
   こうしたありがちな答えのはるか上を行く方法を見つけました。

   従来の常識を徹底的に問い直し、いくつものチャンスを掘り起こし、
   最大限の価値を生み出したのです。


   あるチームは学生街でよくある問題に目をつけました。

   土曜日の夜、人気レストランには長蛇の列ができます。

   苛々(いらいら)しながら列に並びたくない人を助けようと考えたのです。

   ペアを組んで、いくつかのレストランに予約を入れます。

   予約時間が近づくと、長い待ち時間を嫌う客に売りました。

   最高20ドルで買ってくれました。


   いちばん利益の多かったチームは別のチームでした。

   自分たちが使える資源は何なのか?

   まったく違うレンズで捉え、650ドルを稼ぎ出しました。

   自分たちにとって貴重な資源は、5ドルでも2時間でもない。

   授業での3分間のプレゼンテーションこそが貴重な資源だ
   とひらめいたのがミソでした。


   そこで、クラスの学生を採用したいと考えている会社に、
   その時間を買ってもらうことにしたのです。

   このチームは、会社の3分間のCMを制作して、
   プレゼンテーションで流しました。

   とてもよくできていました。

   自分たちには、職を探しているクリエイティブな学生
   という貴重な資源があり、発掘されるのを待っている。

   学生たちはそのことに気づいたのです。

     <『20歳のときに知っておきたかったこと』CCCメディアハウス
                  https://amzn.to/3x68uNq >

               ・・・

本書の中に、こうした演習から「気づかされること」が書いてありました。

(1)チャンスはいくらでもあります。
   いつでも、どこでも、身のまわりをじっくり観察すれば、
   解決すべき問題が目に入ります。

   問題に見えることのほとんどがチャンスであって、
   問題が大きければ大きいほどチャンスも大きい、ということです。

(2)起業家とは、チャンスになりそうな問題をつねに探していて、
   限られた資源を有効に使う独創的な方法を見つけて
   問題を解決することによって、目標を達成する人たちなのです。

(3)わたしたちはたいてい問題を狭く捉え過ぎています。

   2時間でできるだけ稼ぎなさい、といった単純な課題を出すと、
   ありきたりな方法に飛びつく人がほとんどです。

   一歩引いて視野を広げようとしません。

   ブラインドをあげれば、可能性に満ちた世界が広がっているのに。

以上、(本書より抜粋引用)



物事を近視眼的でなく、広くとらえようとしたチームが
独創的なアイデアを出したそうです。

例えば、「5ドルを増やす」という問題も、
多く稼いだチームは、5ドルにはまったく手をつけなかったといいます。

5ドルにとらわれてしまったら、
5ドルという枠内だけの儲けになってしまうからです。


まさに、クリエイティブな解決法とか、創造力あふれるアイデアというのは、
起業家精神の元を成すものです。

それが、ジャンルを超えた製品やサービスのイノベーションを促します。


コロナ後の混沌とした時代、
今後、ますます起業家精神が大事になってきます。

なぜなら、何が起こるかわからない、先の見えない時代は、
前例踏襲では生き残れないからです。


起業家精神を呼び起こし、
クリエイティブで独創的な人を目指したい、と切に思います。

          <感謝合掌 令和4年4月7日 頓首再拝>

20代の若者たちに贈るメッセージ - 伝統

2022/04/12 (Tue) 08:05:29


         *メルマガ「人間力」(2022.4.12)より
───────────────────

テレビやラジオで同じみの
アナウンサー・生島ヒロシさん。
波瀾万丈なアメリカ留学時代の学びや
TBS入社後の奮闘の日々が
仕事の基礎を固めたと話されています。

そんな生島さんが20代の若者たちに贈るメッセージとは。

───────────────────

(生島)

1980年代、伝説の歌番組「ザ・ベストテン」が人気を博し、
視聴率も非常に高かった。

同期の中にその番組で活躍した人がいたものの、
僕は同時刻にラジオがあるため出られない。

正直、羨んだこともあったが、
いま振り返るとラジオでコツコツと
アナウンサーとしての基礎を固められたことは、
非常に重要な経験だった。

パッとテレビに出て一躍注目を浴びるよりも、
毎日コツコツ配信し、ファンを大切にしていた積み重ねが、
長い目で見た時に役立ったのだ。

「人生とは積み木のように積み上げていくもの」、

そう以前聞いたことがある。

どんな経験も絶対に無駄にはならない。

そういう意味で、
いま20代を過ごす若者にアドバイスをするとしたら、

「目の前の仕事を一つひとつ大切にする重要性」

を伝えたい。

いまは若くして大成功を手にする人も多いが、
人生百年時代を考えると、人間としての礼儀などを含めて、
二十代は仕事の基礎をつくる一番重要な時期である。

僕は二十代の頃、給料は貯めるよりも自己投資に使っていた。
自ら「ファイヤーバードの会」という異業種交流会をつくり、
様々な業界の人を呼んで勉強会を開催していた。

その頃に築いたネットワークが、
39歳で独立してから大いに役立った。
これは決してお金では買えない貴重な財産だ。

それから、これは『致知』2022年2月号から学んだことだが、

「百万の典経 日下の燈」

という言葉の通り、学んだことを行動に移さなければ意味がない。

ソニー創業者の盛田昭夫さんも、

「いいアイデアは皆が浮かぶが、それを実際に行動に移す人は少ない」

と言っている。

自己投資でインプットをしながらも、
アウトプットするだけの決断力と実行力を身につけること。
アナウンサーという仕事にはゴールがないからこそ、
その姿勢が重要だと身に沁みて感じる。

※『致知』2022年4月号
連載「二十代をどう生きるか」より

          <感謝合掌 令和4年4月12日 頓首再拝>

松下幸之助が青年に話した2つの言葉 - 伝統

2022/04/19 (Tue) 07:33:49


      *メルマガ「人間力」(2022.4.18)より

─────────────────

新入社員でも意識は社長になれ! 
上司は使うもんや!――

松下電器産業(現・パナソニック)の
創業者・松下幸之助の訓話は刺激に満ちていた。

長年松下氏から直接薫陶を受け、
松下電器と松下政経塾で活躍した
上甲晃氏が見聞きしてきた、
フレッシュマンに贈る金言の数々。

─────────────────

〈上甲〉

20代に限らず、私が人生で最も影響を受けたのは、
松下幸之助に他ならない。

大学で様々な専門の知識を勉強したが、
本当の生き方を教えられたのは会社に入ってからであり、
もっと言えば、松下幸之助と出逢ってからである。

とりわけ心に深く刻まれているのは新人研修での訓話だ。

正確な言い回しは忘れてしまったが、

「君らな、僕がいまから言う2つのことを守り通したら、
 松下電器の重役になれる」

といったような前置きをした上でこう言った。

「一つは、いい会社に入ったと思い続けられるかどうかや」

誰でも入社したばかりの時はいい会社に入ったと思う。

しかし、嫌な上司がいたり、
意に沿わない仕事をさせられたり、様々な不遇に遭う。
それでもなお、いい会社を選んだと心から
思えるかどうかはすごく大事なことだ、と。

「人間、9割は自分では
 どうにもならない運命のもとに生きている。

 その運命を呪ってはいけない。
 喜んで受け入れる。
 すると、運がよくなる」

とも教えられた。

世に数百万社あるといわれる中で、
この会社に入ったというのは、縁や運としか言いようがない。

その自分の運命を呪わず、
前向きに喜んで受け止めていくと人生は好転する。

これは会社のみならず、生まれた国や自分の容姿など、
あらゆる境遇に当てはまると学んだ。


「もう一つは、社会人になって
 お金が一番大事と思ったらあかんぞ。

 もちろんお金も大事やけどな、
 お金は失くしても取り戻せるんや。

 しかし、人生にはこれを失うと
 取り戻すのに大変苦労するものがある。
 
 それは信用や。
 信用を大事にせなあかん」


この2つの言葉に強烈な衝撃を受けた。
同時に、私の社会人生活の基本、考え方の根っこになった。

不思議なもので、後年同期にこの話をしたところ、
皆覚えていないと言う。

当時の私は松下電器に入社したからには、
重役になろうと思って真剣に聞いていたのだろう。
そこだけ鮮明に記憶していた。

どういう意識で過ごしているか、
すべては受け手の姿勢次第なのだとつくづく感じる。

(※本記事は月刊『致知』
2018年8月号 連載「二十代をどう生きるか」から
一部抜粋・編集したものです)

          <感謝合掌 令和4年4月19日 頓首再拝>

20代で得た知見 - 伝統

2022/04/24 (Sun) 07:14:07


【5分要約】Vol.20_20代で得た知見
https://gomie-blog.com/findings-gained-in-20s/

(1)生き急げ

  ①20代の強みはたとえ失敗しても許されることです。
   だからこそ、思い立ったら即行動することが大事です。

  ②明日死ぬかもしれないと生き急ぐくらいの気持ちで
   毎日を過ごしてほしい。

(2)20代に自信は要らない

  ①20代は周りと比べて知識も経験がないので、
   そもそも自信がなくて当たり前です。

  ②自信がないのが逆に最大の武器になるのが20代です。
   たくさん失敗して経験値を積み重ねることで、
   深みのある人間になってほしい。

(3)違和感に集中する

  ①ちょっとした違和感を見逃さないこと。

  ②違和感を感じることができれば、
   それは試行錯誤ができるようになります。

  ③上手くいっていない時や、何か報われない時の
   小さな心の声を大切にする。

(4)肩書きは無意味

  ①本当に大事なのは、
   肩書きとか外見みたいな鎧ではなくて、その人自身の力です。

  ②過去の学歴・実績に固執したり、服装・持ち物に拘るのではなく、
   自分の人間としての深みを育てていくことに集中してほしい。

(5)「愛」とは何か

  ①貧乏であろうが、お金持ちであろうが、
   器用であろうが不器用であろうが関係ありません。

   すべてに「全力が振り絞られているかどうか」が
   「愛」であるかどうかだということです。

  ②自分が愛する本当に大切にしたいものには
   全力で向き合わないといけないし、

   逆に自分に全力を振り絞ってくれる人を
   大切にしなければなりません。

・・・

(1)己の心を捧げてもいい特別なものに出会うためにはまず、
   お友達や流行りものと群れていては決して見つからない。

   だからこそ「孤独であれ」。

   ただし「私はここにいると叫び続けろ」。

   取り急ぎ、以上です。

(2)人間関係で「~~してほしくない」「~~されると嫌だ」
   といった期待は、大抵大いに裏切られるものです。

   しかし「~~してほしい」「~~されると嬉しい」
   のような期待は細々口にしていると時折叶ったりする。

(3)好きって、美味しいものを一人で食べた時、
   あの人にも食べさせたかったなと思えることだと思っています。

(4)「幸せって大きく分けて2種類あると思う。
   ひとつは日常に帰ってくるための非日常の幸せ。
   もうひとつは、非日常に行くための日常の幸せで」と言う友人がいた。

(5)「いま私が持っているものは、私の遺品になり得る」ということを
   忘れてはならないと思う。

   私たちはいつかなにかを誰かにさらっと与えるために
   生まれてきたのです。

   せっかくならば最高の遺品に囲まれてくたばりたい。

(6)なにかを「嫌いだ」「下手だ」と気づくことは才能です。

   もっと言えば「どうしてこの人はこんな簡単なことができないんだろう」
   と思うことは、あなたの得意分野である。

(7)感性・センスとは、審美眼のことではないかと考えられます。
   そして審美眼とは違和感のことである。
   違和感への試行錯誤である。

   なにかひとつに秀でて上手くなるには、
   この小さな違和感と戦い続けねばならない。

(8)自分の心を動かしたものだけが、真のインプットである。
   誰かの心を動かしたものだけが、真のアウトプットである。

(9)「暴言暴論のひとつも言えないなら、
    いますぐ学生証を置いて、学生なんか辞めなさい」
               (演劇文学の女性教授の台詞)

(10)より大きな、より極端なもののために、
   小さな信用を犠牲にするのはやめなさい。

・・・

<参照>

【20代で得た知見】を読んで考える「後悔しない生き方」とは
https://neneblo.com/archives/100


【感想・名言まとめ】F『20代で得た知見』
https://neru01.com/book-20daideetachiken/


(本と生きる)20代で得た知見
https://imawoikru.hatenablog.com/entry/2021/08/21/173546

          <感謝合掌 令和4年4月24日 頓首再拝>

【大事なのは「勇気」】 - 伝統

2022/05/05 (Thu) 06:38:18


      *<メルマガ「人の心に灯をともす」(2022.05.04)より

   (養老孟司氏の心に響く言葉より…)

   《ダメなんですよ、 人に生かしてもらったら。
         自分で生きなきゃダメなんです。》

   300万部を超えるベストセラーになった
   『バカの壁』をはじめ、数多くの著作がある。

   鎌倉のご自宅での取材は、最も記憶に残るインタビューのひとつ。

   聞かなければいけないのは、
   「How (どうすれば?)」ではない、という大きな気づきをもらった取材だった。


   「今の若い人はなんだか不幸そうですね。
    結局、先の見えないところを一度も通ったことがないからだと思う」


   中学、高校と校長先生がドイツ人だった。

   よく朝の訓辞で聞かされたのが、「勇気」という言葉。

   先が見えないときは、一歩を踏み出してみなさい、と。


   「そもそも先のことなんか、だれにもわからないんです。
    どうなるかわからないけど、まずやってみよう。
    そういう気持ちが苦況を切り抜けるパワーをくれる。

    ところが若い人は発想をなかなか変えられません。
    年寄りの僕のほうが柔軟なくらいです」


   人はいつ死ぬかわからない。

   あっという間に終わってしまう。

   だから、まず一生をどうやって生きていきたいか、から
   きちんと考え直したほうがいい、と語った。


   「将来のことなら考えているという人もいるかもしれませんが、
    恐らく自分が予想できる未来です。

    大事なのは、予想どおりになんか、とてもいくわけがない
    と理解することです」


   ああすればこうなると、固定化された図式にすぐはめたがる。

   しかし、そうはいかない。

   「ダメなんですよ、人に生かしてもらったら。自分で生きなきゃダメなんです」


   こうなるはず、にはならないのだ。

   必要なのは、こうする、なのである。

     <『1分で心が震えるプロの言葉100』(上阪徹)東洋経済新報社
                https://amzn.to/3vzS0fl >

             ・・・

未来の正確な予測など、世界中で誰も当てた人はいない。

コロナが世界中で起きこんなに長引くことも、
ウクライナで戦争があることも、地震も、津波も、起こることを
言い当てた人はいない。

つまり、一寸先の未来は誰にも分らないということだ。


だとしたら、話は決まっている。

誰もわからないのだから、
自分でやってみる、試してみる、という行動しかないということ。

頭でいくら考えてもわからない。

その行動を起こすのに必要なのが「勇気」。


福沢諭吉はそれをこう言った。


『「盲目社会に対するは獣勇(じゅうゆう)なかるべからず」

 一寸先が真っ暗闇の時代を生き残るには獣の勇気を持つことである。

 盲目社会、現代がそれに当たる。

 獣の勇気とは何か?
 獣は考えないゆえに、迷わず、こだわらず、とらわれない。』(感奮語録)より


人は、考えすぎると一歩も足が前に出なくなる。

迷いや、執着や、こだわりがあるからだ。


現代はいたるところに、変化という深い谷がある。

それを飛び越えない限り、変化の先にはいけない。

そのために必要なのが、自分が背中に背負っている、
「迷い」や、「執着」や、「こだわり」といった重くて大きな荷物を捨てること。

それを捨てるには「勇気」が必要だ。


勇気があれば、慣れ親しんだ、安心感のある
「ホーム」というコンフォートゾーンを捨て、
居心地の悪い違和感のある「アウェイ」に行ける。

大事なのは「勇気」。

勇気を出して、一歩前に足を踏み出したい。

           <感謝合掌 令和4年5月5日 頓首再拝>

【友達とのつきあい方】 - 伝統

2022/05/08 (Sun) 07:10:45


       *メルマガ「人の心に灯をともす」(2022.04.30)より

   (秋元康(やすし)氏の心に響く言葉より…)

   僕は人間関係というのはテクニックではないと思うんです。

   大事なことは、その人といて楽しいか楽しくないか。

   基本的に人と人をつなぐ絆はそれだけ。

   いっしょにいて楽しければつきあいは続いていくし、
   そうでなければ関係はいつか途切れるものなんです。


   あなたは友達とのつきあいに、無理をしていないだろうか。

   無理につきあいを持続させようとしていないだろうか。


   たとえば、友達に彼ができたら、彼女の話すことは彼のことばかり。

   友達が結婚したら、話題は旦那さんや子どものことばかり。

   あるいは、友達と別の学校に進んだら、趣味が合わなくなってきた。

   つまり、話が合わない。

   で、会っていて楽しくないことに淋しさを感じるわけですね。


   人は誰でも成長していくし、その人をとりまく環境も変わっていきます。

   それまでは、共通だった話題が少しずつずれていくのはあたりまえ。

   話が合わなくなってつまらなくなったら、
   極論をいえば、その人と友達でいなくてもいいわけじゃないですか。

   なのに、無理やり話を合わせて、楽しそうなふりをして喋っていても
   おもしろくないんじゃないですか。

   人間関係というのは、どんなに小細工をしても
   離れていくものは離れていくし、
   長続きするものは放っておいても長続きするんです。


   おたがい全然違う人生を歩くようになって、
   価値観も違ってくると人は離れていく。

   だけど、それでもなお、つきあえる人もいると思うんです。

   人間というのは何にせよ生きていくうえで、
   無理はあまりしないほうがいいと思います。

   壊れるものは壊れていくし、朽ちるものは朽ちていくんです。

   人間関係にしたって、小手先でどうこうしたってだめなんですね。

   人と上手につきあう方法とかコツなんてものはないんです。


   強いていえば、人間としての魅力を磨くことくらいでしょう。

   最終的にはその人自身の魅力が、
   人間関係を良くもするし、悪くもするものだと思います。

        <『君はそんなに弱くない』大和書房
               https://amzn.to/3KrNUtC >

              ・・・

どんなに仲の良かった友達でも、
月日が経ち、環境も変わり、生き方も変わってくれば、
話は合わなってくるのは当然です。

その後の人生の歩み方で、
考え方、見方、あるいは識見(しきけん)といった、
人間の本質的な部分に大きな差が生まれるからです。

つまり、お互いが同じように切磋琢磨し、
同じように人格が磨かれていけば、話は別になりますが、
なかなかそういう訳にはいきません。

これは、友達だけでなく、会社の同僚、親戚や夫婦も同じです。


どれだけ自分を向上させたか、進化したかが問われるのです。

つまり、友達は自分の鏡のようなもの、ということです。

自分が現状維持なら、現状維持の仲間と会うようなるし、
自分が進化していれば、進化した仲間と会うようになります。

まさに、孔子の言う「その人を知らざれば、その友を見よ」です。


もし、久しぶりに旧友と会って、昔の話ではなく、
今楽しんでやっている話、新しい話、未来の話、で
盛り上がったとしたら、それは一生の友です。

これは、年を重ねれば重ねるほど、大事になります。


いくつになっても、
自分を磨き続けることができる人でありたいと思います。

           <感謝合掌 令和4年5月8日 頓首再拝>

【今こそ、リスクをとろう】 - 伝統

2022/05/10 (Tue) 09:35:24


       *メルマガ「人の心に灯をともす」(2022.05.09)より

   (山口周氏の心に響く言葉より…)

   2005年から2008年にかけて世界各国で実施された世界価値観調査によると、
   日本は世界でもっともリスク回避傾向が強いという結果が出ています。

   転職についてネガティブな先入観を持っている人は、
   このデータを見て「ほら見ろ、だから転職は日本の民族性や文化には合わないのだ。
   やはり一度入った会社で勤め上げるのが日本人には合っている」と
   言い放ちそうですが、私はちょっと違う考え方をします。

   違う考え方とはすなわち、日本ではむしろリスクをとったほうが有利だ、
   という考え方です。


   なぜか?

   理由は単純で、リスクをとる人が少ないからです。

   リスクをとる人が少ないということは、
   「チャンスがそこにある」というときに、
   リスクをとってそれを獲得しようとする人が少な い、
   ということを意味します。


   これを競争戦略の枠組みで言えば、
   心理的な参入障壁が高いために競合が少ない、ということになります。

   いま、目の前に大きなぶどうの房がぶらさがっているというとき、
   リスク性向の強い国、例えば米国や韓国のような社会では、
   大勢の人が「よし、木に登ってぶどうを取ってやろう」と考えます。

   当然、樹上での争いは熾烈になるでしょう。

   落っこちて怪我をするかも知れません。


   一方、日本では、目の前に大きなぶどうの房がぶらさがっているというとき、
   「落ちて怪我をするかも」といった懸念や
   「あの人が動かないのに先に動けないな」といった遠慮が
   邪魔をして誰も動けません。

   皆、互いに目を合わせてモジモジしているだけです。

   ここでもし、リスクをとってぶどうを取ってやろうという人
   ――典型的には楽天の三木谷浩史さんや
   ソフトバンクの孫正義さんのような人たち――が出てきた場合、

   米国や韓国と比較して、
   相対的に容易に果実を手にすることができる可能性があります。


   日本はリスク回避傾向が強い、と聞くと反射的に
   「では転職は日本人には向いていないな」と思われるかも知れませんが、
   個人個人での最適解を考えれば、

   むしろリスク回避性向が強い日本だからこそ、
   積極的にリスクをとりにいく期待効用は大きい、と考えることもできます。

   《必要に迫られた際に大胆で不敵であるのは、思慮に富むのと同意である》
               (マキャヴェッリ)『フィレンツェ史』


   リスクをとらずにぶどうの房がもがれるのをただ眺めていた人たちは、
   後になって「あのぶどうはきっと酸っぱいに違いない」と
   話し合って自分を慰めたりします。

   こういった人たちが囚われる羨望と嫉妬と劣等感が
   複雑に入り混じった感情を、デンマークの思想家セーレン・キルケゴールは
   ルサンチマンと名付けました。

   ニーチェは著書の中で、ルサンチマンを持つ人々は
   非常に受身で自ら変化を主導しない(できない)ため、
   「他人と同じである」ことに最大の価値を見出す、
   つまり他人と同じであることを「道徳的」と見なすようになると述べています。

   これは大変耳の痛い話で、
   日本で起こっている状況を実に的確に表していると思います。


   日本では、「拔け駆け」に対する社会的な圧力や規範に、
   我々が強く縛られているといます。

   「出る杭は打たれる」ということです。

   これはまた、日本企業が全般的に退職者に対して冷淡な理由とも符合します。

   なぜ冷淡な のか?

   退職者が、退職後により幸福になったり裕福になったりすると、
   組織がルサンチマンに侵されるからです。


   ニーチェは、その著作を通じて激烈にルサンを攻撃しましたが、
   それはルサンチマンが人間を向上させるのではなく、
   むしろ貶(おとし)めることによって安心感を得させようという
   心理的圧力として働くからです。

   これは要するに「高みにある人々を貶めることで平等性を確保せよ」と
   言っているわけで、ルサンチマンに囚われた人の典型的な
   思考パラダイムだと言えます。

   「ひたすら皆と同じことを道徳的であるとして求める人々」
   ばかりになってしまった社会では、進歩・発展が望むべくもない
   ということは想像に難くありません。


   かつてジャパン・アズ・ナンバーワンと言われた
   “日本株式会社” システムの制度疲労が明らかとなった90年代初頭から、
   すでに四半世紀を経ているにもかかわらず、
   この国の新しい絵姿はなかなか見えてきません。

   陳腐で私自身も辟易する比較論ですが、
   やはりなぜ米国にできて、わが国にできないのか?
   ということは考え続けなければならない問題でしょう。

   そして、その大きな理由の一つに、
   ルサンチマンに囚われやすい国民性があると思っています。


   「皆と同じ」であることが道徳的とされ、
   集団から飛び出して甘いぶどうを取った 人々を
   ナンダカンダと難癖をつけてイジメることで、
   強引に「酸っぱいぶどう」に仕立ててしまう傾向が強い社会では、
   世界をリードするような新しいライフスタイルや技術イノベー ションが
   生まれるはずもありません。

        <『仕事選びのアートとサイエンス』光文社新書
                  https://amzn.to/3OXeNJs >

                 ・・・

2019年、グローバル・アントレプレナーシップ・モニター(GEM)は、
世界50ヵ国で、18〜64歳の「起業意識」について調査した。

「周囲に起業家がいる(過去2年間に新しく事業を始めた人を知っている)」
「周囲に起業家に有利な機会がある」
「起業するために必要な知識、能力、経験がある」

「失敗への恐怖が理由で起業しない」
「起業に興味があるか」の5項目の調査。

結果は、ほぼ全部の項目で最下位。


昨今、スタートアップとかアントレプレナーシップの教育が
行われる機会が多くなってきたが、
しかし現実は起業意識は、世界の中でもダントツに低い。

その大きな理由の一つが、リスクを取りたがらない国民性にある。

また、失敗に対する寛容性の欠如もある。


起業家が資金調達するとき、
投資家から「過去の失敗経験について」の質問を受ける。

アメリカでは失敗経験がある人はポジティブな印象を持たれる。

一度失敗していれば、次に失敗を犯すリスクが減るからだ。


しかし、日本ではその逆だ。


挑戦することと失敗することは、セットになっている。

つまり、失敗できない人は、挑戦もしていないということ。

それは、リスクを恐れているということでもある。


混沌とした今こそ、リスクをとれる人でありたい。

           <感謝合掌 令和4年5月10日 頓首再拝>

【なくてはならぬ人になる】 - 伝統

2022/05/11 (Wed) 12:06:18


     *<メルマガ「人の心に灯をともす」(2022.05.11)より

   (藤尾秀昭氏の心に響く言葉より…)

   《一隅を照らす》

   「古人言(いわ)く、径寸(けいすん)十枚、これ国宝に非(あら)ず。
    一隅を照す、これ則(すなわ)ち国宝なり、と」


   伝教大師最澄
   『天法華宗年(ほっけしゅうしゅうねん)分学生(ぶんがくしょう)式』
   の冒頭に出てくる言葉である。

   これは最澄の師、唐の湛然(たんねん)の著
   『止観輔行伝弘決(しかんぶぎょうでんぐけつ)』にある
   次の話を踏まえている。


   むかし、魏王(ぎおう)が言った。

   「私の国には直径一寸の玉(ぎょく)が十枚あって、車 の前後を照らす。
    これが国の宝だ」。


   すると、斉王(せいおう)が答えた。

   「私の国にはそんな玉はない。
    だが、それぞれの一隅をしっかり守っている人材がいる。
    それぞれが自分の守る一隅を照らせば、車の前後どころか、千里を照らす。
    これこそ国の宝だ」と。


   この話にこもる真実に深く感応したのが、安岡正篤(まさひろ)師である。

   爾来(じらい)、 安岡師は「一燈照隅(いっとうしょうぐう)」を己の行とし、
   この一事を呼びかけ続けた。


   「賢は賢なりに、愚は愚なりに、一つことを何十年と継続していけば、
    必ずものになるものだ。

    別に偉い人になる必要はないではないか。

    社会のどこにあっても、その立場立場においてなくてはならぬ人になる。

    その仕事を通じて世のため人のために貢献する。

    そういう生き方を考えなければならない」


   その立場立場においてなくてはならぬ人になる、
   一隅を照らすとはそのことだ、という安岡師の言葉には、
   私たちの心を奮起させるものがある。

   国も社会も会社も自分の外側にあるもの、向こう側にあるもの、
   と人はともすれば考えがちである。

   だが、そうではない。

   そこに所属する一人ひとりの意識が国の品格を決め、
   社会の雰囲気を決め、社風を決定する。

   一人ひとりが国であり社会であり会社なのである。

   世界が激しく揺れ動いているいまこそ、
   一人ひとりに一隅を照らす生き方が求められているのではないだろうか。

        <『小さな人生論』致知出版社 https://amzn.to/3MXwKps

                 ・・・

我々は、「偉い人になる」、「成功者になる」ことが
人生の目的であるかのように、子どもの頃から意識づけられている。

しかし、本当は「一隅を照らす人」になることこそが、人生の本質だ。

一隅を照らす人は、人から必要とされる人。

人から必要とされる人は、人から喜ばれる人。

すると、なくてはならぬ人となる。


一つのことを何十年か続けると、ものになる。

ものになるとは、ほんものになるということ。

まさに、東井義雄先生のいう、「ほんものは続く、続けるとほんものになる」。


坂村真民さんにこんな詩がある。

『鈍刀をいくら磨いても無駄なことだというが、
 何もそんなことばに耳を借す必要はない。

 せっせと磨くのだ。

 刀は光らないかもしれないが、磨く本人が変わってくる。

 つまり刀がすまぬすまぬと言いながら、磨く本人を光るものにしてくれるのだ』


愚は愚なりに、鈍は鈍なりに、己を磨き続けること。

「なくてはならぬ人」を目指したい。

           <感謝合掌 令和4年5月11日 頓首再拝>

【情報収集のアンテナを立てる】 - 伝統

2022/05/15 (Sun) 07:02:45


      *メルマガ「人の心に灯をともす」(2022.05.07)より

   (経済評論家、勝間和代氏の心に響く言葉より…)

   現時点での未来を予見しようとしても、
   どんな専門家でもはっきり分からない、というのが現状です。

   これだけスマートフォンが世界規模で普及することを、
   10年前には誰も予想していませんでした。

   それと同じです。

   ただ、未来の予見をすることは難しくても、方向性を感じ取ることは可能です。


   わたしが、ワーキングマザーのためのSNSコミュニティー「ムギ畑」を始めたのは、
   22年前の1997年11月でした。

   当時は、「SNS」という言葉はありませんでしたが、
   内容的にはネット上のコミュニティー構築や情報交換を主目的としていたので、
   現在でいうSNSそのものでした。

   ブログを始めたのは、2002年ごろだったと思います。

   これも、当時はブログという言葉はなく、
   2011年にオンラインサロンを始めた当時も、
   やはりオンライン サロンという言葉はありませんでした。


   この話をするとよく、「そうした先見の明はどうやって身に付けたのですか」と
   聞かれますが、単に、わたしは「自分が欲しいと思うサービスで、
   他にも欲しいと思っている人はいるだろうな」と思っただけです。

   では、なぜニーズに気付けたかと言うと、
   それはいろいろな人と雑談をしているおかげだと思います。

   わたしは常々、いろいろな人と雑談をした方がいいと
   あらゆる機会と場所で言い続けています。

   もちろん、ネット上でつながっている相手でも構いません。


   例えば、わたしのブログは1日2万〜5万のページビューがあって、
   1日平均1〜2本の記事を発信しています。

   記事にはさまざまなコメントがついて、関連情報を入手できます。

   これも、一種の雑談だと思っています。

   その他、分からないことがあるとネット上で質問しています。

   すると、詳しい人が色んなことを教えてくれます。

   あるときは、あるソフトについて疑問を発信したら、
   そのソフトの開発者から回答をもらったことがありました。


   そうしてより多くの人とつながり、雑談することで、
   より多くの情報を得ることができ、「情報強者」になれるのです。

   わたしはこれを「雑談の力」と呼んでいます。


   また、たくさん本を読むことも、
   次世代の方向を知覚できる「情報強者」への近道です。

   わたしは月平均50冊ぐらいの本を読んでいます。

   仕事上必要な情報から、興味を持ったものまで、
   気になったテーマがあればすぐAmazonで探して買います。

   新刊に限らず、また、評価の人の数も見ません。
   ただ、できるだけ専門家の本を選ぶようにしています。

   その方が、情報の信ぴょう性や内容の厚みが期待できるからです。


   こうして情報収集のアンテナを立てておくことのほかに、
   若いうちから定年がない仕事に就く道を模索することも、
   未来の働き方につながるでしょう。

   実は、わたしが2019年からテレビに出演する仕事を辞めたのは、
   それが理由の一つでした。

   テレビの収録は拘束時間が長く、編集によって
   自分が意図しない内容にもなり得るなど、
   コントロールしきれないことも理由の一つでしたが、

   数年前からテレビ離れが進んでいることから
   「この傾向は今後も続く」と感じたからです。

   また、テレビに出演する人の多くは若い人で、
   もっと上でもせいぜい中高年までですから、
   60歳以上になっても出演依頼が来るとも思えませんでした。

   実際、わたしではなく、他の人でもいいと思える出演依頼も幾つかありました。


   わたしはその後、テレビ出演を辞める代わりに、執筆の仕事を増やしました。

   この 2年ぐらいの間に、音声入力の性能が上がったので、
   執筆スピードが加速してたくさ ん執筆できるようになったことが後押ししました。

   原稿料はテレビのギャランティーより正直低いのですが、
   その分、音声入力が可能にした執筆量で補えると考えました。


   さらに、2019年5月末から、少しずつYouTube も始めました。

   若年層はテレビをまったく見ずに、YouTubeしか見ていないと思ったからです。

   10年先を考えたとき、作家やブロガーや YouTuber のような職業はなくならない
   と思いますが、テレビタレントが生き残れる道は、
   人気が高い一部の人たちを除いて、 先細りでしょう。

   作家やブロガーという肩書はなくなる可能性はありますが、
   別の肩書に変わっても「文字やトークで表現する」という仕事は発生するに違いありません。


   つまり、5年後、10年後を見据えて、
   依頼がなくなる可能性が高い仕事にBETする(賭ける)のを辞めたのです。

   今現在の安定性で稼ぐフィールドを選ぶことは危険です。

   将来性にBETするべきです。

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                ・・・

「ゆで蛙(かえる)の法則」のように、
我々は、徐々に変わっていく環境の変化には鈍感です。

迫りくる危機になかなか気づけず、目に見える変化があってから、
そこでようやく気づくことがほとんどです。


中国の四書五経の一つ「大学」の中の一節に…


『心ここに在(あ)らざれば

 視(み)れども見えず

 聴(き)けども聞こえず

 食(く)らいて

 その味を知らず』


というものがあります。


気もそぞろで、うわの空で、地に足がついていないような、
フワフワとしているときは、何を見ても、見逃してしまいます。

そして、何を聞いても、耳に入ってこないし、
何を食べても、食べたものもさえ覚えていない。


「ぼんやりと、うわの空で生きる」には、あまりに人生は短い。

あっという間に人生は終わってしまいます。


仕事や環境は、常に刻々と変化しています。

そのためには、雑談力を高め、読書を習慣を身につける…

常にアンテナを立て、将来性にBETできる人でありたいと思います。

           <感謝合掌 令和4年5月15日 頓首再拝>

【ヘンな人と友だちになろう】 - 伝統

2022/05/16 (Mon) 09:57:00


      *メルマガ「人の心に灯をともす」(2022.05.01)より

   (トム・ピーターズ氏の心に響く言葉より…)

   「個人教授大学」をつくるというおかしなことを最初に言いだしたのは、
   リーダーシップについて数々の著作がある
   ウォーレン・ベニスだったように思う。

   マッキンゼーのときの同僚、アレン・パケットはそういう大学をつくる名人だった。

   たとえば、彼は本を読んで感動すると、
   その著者が住んでいるあたりに出張したときに、
   その著者に電話をかけて、夕食に招待する。

   そんなことを何年も続けていって、
   必要なときに助けを求められる「人材の宝庫」を築き上げてしまった。


   いまは、おかしな時代だ。

   この点については、みなさん全員がうなずくだろう。

   だから、みなさんもおかしくならなければ、時代についていけない。

   自分がどこまでおかしくなれるかは、
   付き合っている人のおかしさで決まる。


   みなさんのことはよく知らないが、
   私は毎日、自分の殻を破ろうと必死になっている。

   自分の知らないこと、自分が読んでいない本、
   自分とは違う人類に思える人、
   未知の世界に自分を引っ張り出してくれる人、
   自分の信念のいくつかを揺さぶってくれる人に出会うと、
   私はわけもなくコーフンする。

   私が何よりも恐れているのは、澱んで腐ることだ。

   それを避ける方法はひとつしかない。

   私の頭を攪拌してくれるもの(すなわち変わり者)に、
   絶えずわが身をさらすしかない。


   いつも同じ仲間と昼食をとり、
   いつも同じ顔ぶれの会議に出席し、
   いつも手慣れた仕事だけをやるのは実に楽だ。


   一方、自分とはまったく考え方の違う人と付き合い、
   自分の信念が揺らぐような発想にいつもわが身をさらすことは実にしんどい。

   しかし、当たり前のことを繰り返すと
   (繰り返す必要があるものは、何度でも繰り返す)、
   いつも同じ人と付き合い、いつも同じ雑誌を読み、
   いつも同じ会議に出ているようでは、
   蛸壺の中で暮らしているのと変わらない。

   十年一日のごとく暮らしていれば、
   あなたのブランド力はいっこうに磨かれない。


   蛸壺の中でじっとしていれば、
   目は見えなくなり、耳も聞こえなくなる。

   身体も頭脳も退化する。

   あなたの人生がどれだけ豊かになるか、どれだけ色彩に富むか、
   あなたがどれだけ変わり者になれるか、どれだけカッコよくなれるか、
   どれだけ時代についていけるかは、
   外界の刺激や衝撃をどこまで受けるかによって決まってくる。

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               ・・・

本書の中で、トーマス・マローン氏は、
「新しい働き方」についてこう述べていた。

『新しい経済の基本的単位は、会社ではなく、個人になる。

 仕事は、固定化した管理組織によって与えられ、
 コントロールされるのではなく、
 既存の組織外で個人事業主の集団によって遂行される。

 電子で結びついたフリーランサー、すなわちEランサーが、
 流動的な臨時のチームをつくり、製品を生産・販売したり、
 サービスを想像・提供したりする。

 仕事が終わればチームを解散して再び個人事業主にもどり、
 次の仕事を求めてさすらう』(ハーバード・ビジネス・レビュー)より


この本は2000年に出版され、20年以上も昔に書かれたものなのにもかかわらず、
いまだに燦然(さんぜん)と光を放っている。

上記のトーマス・マローン氏の文章も20年前のものだ。


日本でも、最近ようやく個人事業主や
フリーランス、起業が当たり前になってきた。

そして、フリーランスの「ブランド化支援」や
「マネタイズ」のツールも急速に増えている。

例えば、フリーランスのクラウド型紹介サイト「ランサーズ」では
現在、350種類以上の仕事の発注が可能だ。

他にも「クラウドワークス」「ココナラ」などがあり、
最近では2017年に創業した「MOSH(モッシュ)」は
投資家から8億円を集め話題となった。


個人がブランド人になるためには、
自分の売り物を磨きに磨き、誰にも負けないほど高めていかなければならない。

そのためには、「狂」のつくほどの入れ込みが必要だ。

そして、「狂」のつくほどの「ヘンな人」たちと会い、刺激を受ける。

なぜなら、「ヘンな時代」は「ヘンな人」でなければ乗り切れないからだ。


運は人が運んできてくれる、という。

常に変化し、進化し続けるため…

ヘンな人と、一人でも多く会うことを厭(いと)わない人でありたい。

           <感謝合掌 令和4年5月16日 頓首再拝>

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