伝統板・第二
賢者の一日一言(R3年3月) - 夕刻版
2021/03/02 (Tue) 00:57:16
このスレッドでは、過去に紹介した次のスレッドから、
日々の言葉の数々を再度紹介してまいります。
(1)伝統板・第二「生活標語・一日一言」(橋本徹馬)(3月のみ)
→ http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6711242
(2)伝統板・第二「『一日一語』(森 信三) 」
→ http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6714587
(3)伝統板・第二「佐藤 一斎・一日一言」
→ http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7938814
(4)伝統板・第二「中江藤樹・一日一言」
→ http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7939087
(5)伝統板・第二「48~神の世継としての自分」
→ http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7828344
賢者の一日一言《1日》
(1)【 3月1日 】 《1日の生活標語》
《人生を楽觀するものは人生の勝利者となり
人生を悲觀するものは人生の敗北者となる。》
天地の運行には行詰りがない。
人生を楽觀するのが宇宙の繁栄律にかなう所以である。
初めから気負けがしていたのでは、
人生の勝利者になりようがあるまい。
橋本徹馬師 生活標語「一日一言」より。
・・・
(2)【 3月1日 】
教育とは人生の生き方のタネ蒔きをすることなり。
・・・
(3)【 3月1日 】 学問は日常にあり
経(けい)を読む時に方(あた)りては、須(すべか)らく
我が遭う所の人情事変を把(と)りて注脚と做(な)すべし。
事を処する時に臨(のぞ)みては、則ち須らく、
倒(さかしま)に聖賢の言語を把りて注脚と做(な)すべし。
事理(じり)融会(ゆうえ)して、
学問は日用を離れざる意思を見得(けんとく)するに庶(ちか)からん。
(言一四〇)
【訳】
経書を読む時は、
自分の経験した人事や世の中の出来事を取り上げて注釈とするとよい。
また、実際に起こったことを処理する場合には、
経書にある聖人や賢人の言葉を取り上げて、自分の注釈とするとよい。
そうすれば、実際に起こる事象と道理とが融け合って、
学問は日常の行為を離れてあるものではないという意義がよくわかるだろう。
〇「古教心を照らし、心古教を照らす」読み方でなければならない。
・・・
(4)【 3月1日 】 法治は杓子定規
法治(ほうち)は我心(わがこころ)はただしからずして、
人(ひと)の心 をただしくせんとするものなり。
たとえば諺にいえるしゃくし縄規(じょうぎ)なるべし。
(「翁問答」上巻之本)
【訳]
法治は、自分の心は正しくないのに、
人の心ばかりを正しくしようとするものである。
たとえば、ことわざにいうところの杓子定規のことである。
・・・
(5)《1日 新生への言葉 》
神のみが実在である。
実在するものは神のみである。
自分は今此処に実在するものである。
だから自分は神なのである。
谷口雅春著『人生の秘訣365章』第3篇(P67) より
<感謝合掌 令和3年3月1日 頓首再拝>
賢者の一日一言《2日》 - 伝統
2021/03/02 (Tue) 23:20:58
(1)【 3月2日 】 2日の生活標語
《本氣に修行をすれば必ず効果があり
まごころを持って祈れば必ず反應がある。
人生は頼母しきかな。》
この事は宇宙の本性が善であり、人の本性も善なるゆえである。
橋本徹馬師 生活標語「一日一言」より。
(解説として、http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6711242 )
・・・
(2)【 3月2日 】
教育とは流水に文字を書くような果てない業である。
だがそれを巌壁に刻むような真剣さで取り組まねばならぬ。
・・・
(3)【 3月2日 】 常人は死を畏れる
聖人は死に安んじ、賢人は死を分(ぶん)とし、常人は死を畏(おそ)る。
(言一三二)
【訳】
生死を超越している聖人は、死に対してなんら不安を感じず泰然としている。
賢人は死が天の定めと知っているから、甘んじてそれを受け入れる。
普通の人は、ただ死を畏れるのみである。
・・・
(4)【 3月2日 】 すべては天の命
人間一生涯のあいだ、あうところの境界(けいかい)、
吉凶禍福、一飲一食にいたるまで、
ことごとく命(めい)にあらざるはなし。
(「翁問答」上巻之本)
【訳]
人間の一生涯において、出会うところの生活環境、
さいわいとわざわい、毎日の飲食にいたるまで、
すべて(おおいなる上帝による)天の命でないものはないのである。
・・・
(5)《2日 われ神の叡智を満喫す 》
神は到るところに自己表現したまうのである。
神は無限の叡智であるから、無限の美しき設計、構図、アイディア等を
大自然の鉱物、植物、動物等にその叡智を表現したまう。
その種類の豊富なること、形態の千差万別、単純にして精緻(せいち)、
不整形の中に驚くべき調和と均衡を保った構図、
何を見ても唯々驚くばかりである。
ああ神の叡智の素晴しきかな。
われ神の叡智を讃嘆し奉る。
谷口雅春著『人生の秘訣365章』第3篇(P67~68) より
<感謝合掌 令和3年3月2日 頓首再拝>
賢者の一日一言《3日》 - 伝統
2021/03/03 (Wed) 18:40:10
(1)【 3月3日 】 3日の生活標語
《何事によらず眼前に現れることに最善をつくせ。》
人間の猿智慧でより嫌いをせず、
自分の眼の前に現れるすべての事に最善を盡くすのである。
如何なる達人の生活態度もそれ以上ではない。
橋本徹馬師 生活標語「一日一言」より。
・・・
(2)【 3月3日 】
どうしたら子供たちを、真に忍耐づよい子にすることが出来るか。
第一は人生に対して「立志」──のタネマキがなされねばならぬ。
それには、親なり教師たるものが、まず自己の「心願」を立て、
日々を真剣に生きぬくこと。
第二は、子供らを、ある程度肉体的苦痛に堪えさすこと。
以上の二つは、深い現実的真理であるが、
もし第二の肉体的基盤を欠けば、
第一もまた観念的理解の域を脱し得ないであろう。
・・・
(3)【 3月3日 】 信用を得る
信、上下(しょうか)に孚(ふ)すれば、
天下甚(はなは)だ処(しょ)し難(がた)き事無し。
(言一五〇)
【訳】
上の者にも下の者にも誠を尽くして厚く信頼されるならば、
この世の中で難しいものはない。
・・・
(4)【 3月3日 】 時と所と位
しおき法度(はっと)は主君の明徳をあきらかにして根本(こんぽん)をさだめ、
周礼(しゆらい)などにしるしおきたる聖人(せいじん)の成法(せいほう)をかんがえて、
その本意をさとり、まつりごとのかがみとし、時と所と位と三才相応の至善(しぜん)を
よく分別(ふんべつ)して、万古(ばんこ)不易(ふえき)の中庸をおこなうを
眼(まなこ)とす。
(「翁問答」上巻之本)
【訳]
処罰や法制・禁令は、主君の明徳を明らかにして根本をさだめ、
(古代中国の)周礼などに記されている聖人のさだめた法律をかんがえて、
その本意を知り、政治の鏡として、時代と場所と立場と(天・地・人の)
三才にふさわしい至善をよく識別して、万古不易の中庸をおこなうことを、
眼目とするのである。
・・・
(5)《3日 創造の意識的中心としての人間 》
大自然の動植物及び鉱物等に見られる叡智には
ただただ感嘆するほかはないのであるが、
それら鉱物・植物・動物は、ただ被造物であって、
作られ、与えられたる形や働きやを受けてあらわしているだけであって、
それは、どこまでも「造られたもの」であって
「創造の主体」でもなければ、「創造の意識的中心」でもないのである。
それは「《られ》たるもの」(受動)であって、
「《する》」(主働)ものではないのである。
しかし、人間は、「創造の意識的中心」である。
人間はシテであって、神が主働者であるが如く、
自己が創造の意識的中心となって創作し、創造するのである。
それゆえに、人間は単なる被造物ではなく、
神と共に創造の主体的“担い手”なのである。
それゆえにこそ「神の最高の自己表現」と言い得るのである。
谷口雅春著『人生の秘訣365章』第3篇(P68) より
<感謝合掌 令和3年3月3日 頓首再拝>
賢者の一日一言《4日》 - 伝統
2021/03/05 (Fri) 02:01:50
(1)【 3月4日 】 4日の生活標語
《善因善果、惡因惡果の法則を恐れよ。》
原因があれば必ず結果がある。
因果の法則は絶対にくらますことが出来ない。
この法則こそ道徳の根本である。
道徳とは宇宙の繁榮律を人間生活の規凖にしたものである。
橋本徹馬師 生活標語「一日一言」より。
・・・
(2)【 3月4日 】
真の教育は、何よりも先ず教師自身が、
自らの「心願」を立てることから始まる。
・・・
(3)【 3月4日 】 善を責める
善を責むるは朋友の道なり。
只(た)だ須(すべか)らく懇到切至(こんとうせっし)にして
以(もつ)て之(これ)を告ぐべし。
然(しか)らずして、徒(いたずら)に口舌(こうぜつ)に資(と)りて、
以て責善の名を博せんとせば、渠(か)れ以て徳と為さず、
卻(かえ)って以て仇(あだ)と為さん。益無きなり。
(言一五一)
【訳】
善行をなすようにお互いに責めあうということは、
友人として是非なすべきことである。
ただし、その場合はひたすら懇切丁寧に忠告しなけれくてはいけない。
そうせずに、口先だけで相手のために忠告しているという評価を得ようと
するのならば、その友人はありがたいと思うどころか、
かえって仇(あだ)と思うようになるだろう。
これではせっかくの忠告も全く無益なことになってしまう。
・・・
(4)【 3月4日 】 政治と学問①
まつりごとは明徳をあきらかにする学問、
がくもんは天下国家をおさめる政(まつりごと)なり。
(「翁問答」上巻之本)
【訳]
政治は、(わが胸のうちにある)明徳を発揮する学問であり、
学問というのは、天下国家をりっぱにおさめるための政治なのである。
・・・
(5)《4日 常に「自己が神の最高の自己表現」であることを思い出せ 》
吾々は時々、自己が「神の最高の自己実現」であることを忘れるのである。
そんな時、私たちは失敗したり、脱線したり、意気消沈したり、
悲観したり、病気に罹ったりするのである。
それゆえに私たちは自己が「神の最高の自己表現」であることを
毎日新たに思い出す必要があるのである。
神想観は、人間が神の最高の自己表現であることを思い出すための
最もすぐれたる行事である。
谷口雅春著『人生の秘訣365章』第3篇(P68~69) より
<感謝合掌 令和3年3月4日 頓首再拝>
賢者の一日一言《5日》 - 伝統
2021/03/05 (Fri) 23:54:23
(1)【 3月5日 】 5日の生活標語
《獅子は百獸の中にあって恐れを知らぬ。
若き日の修行によって生涯恐れを知らない人となれ。》
若き日の修行によって、宇宙の本性と自己の本性とが一体であることをしり、
宇宙の理法によって動くものは恐れを知らない。
橋本徹馬師 生活標語「一日一言」より。
・・・
(2)【 3月5日 】
眼に見える物さえ正せない程度で、
刻々に転変して止まぬ人間の心の洞察など、
出来ようはずがない。
・・・
(3)【 3月5日 】 敬の心
己れを修むるに敬を以てして、以て人を安んじ、
以て百姓(ひゃくせい)を安んず。
壱(いつ)に是れ天心の流注(りゅうちゅう)なり。
(言一五八)
【訳】
自分を修むるのに敬の心をもってすれば、人々を安らかにすることができるし、
さらに広く天下の人民を安らかにさせることができる。
まさに敬は天の心が流れ注いだものである。
〇しかし、己れを修めて天下の人民を安らかにすることは、
聖天子と言われた堯舜(ぎょうしゅん)でさえ
難しいと言ったほどである。
・・・
(4)【 3月5日 】 政治と学問②
天子・諸侯の身におこないたまう一事(いちじ)、
くちにのたまう一言、みなしおきの根本なれば、
まつりごとと学問と本来同一理なることを、あきらかに得心すべし。
(「翁問答」上巻之本)
【訳]
天子および諸侯の身におこなう一事、
口から発する一言のすべてが処置の根本になるので、
政治と学問とは本来、同一のことわりであることを、
はっきりと得心しなければならない。
・・・
(5)《5日 神は想念によって万物を創造する 》
神は“心”であり、“コトバ”である。
「神は心をもちたまう」のではなく、
神は“心”そのものであり、普遍的叡智なのである。
聖経には
「神の『心』動き出でてコトバとなれば一切の現象展開して万物成る」とある。
“心”が動けば、それは物体が動くのではなく、
“心”が動くのであるから、“想念”となるのである。
「想念」の別名がコトバである。
想念は万物をつくるのである。
声帯より出でる発声音は、想念のコトバが、発声のコトバとして顕されたものである。
谷口雅春著『人生の秘訣365章』第3篇(P69) より
<感謝合掌 令和3年3月5日 頓首再拝>
賢者の一日一言《6日》 - 伝統
2021/03/06 (Sat) 23:53:50
(1)【 3月6日 】 6日の生活標語
《世の中に偶然の出来事、または僥倖(思いがけない幸)などあると思うな。》
偶然や僥倖があると思うのは考えが至らぬからである。
何んの善因をも積んでいない人が引きあてた寶くじの百万圓が、
如何にその人の不幸を招いているかと思え。
橋本徹馬師 生活標語「一日一言」より。
・・・
(2)【 3月6日 】
教師自身が四六時中腰骨を立てつらぬくこと──
そしてこれが人間的主体の確立上、
最有効かつ最的確な方途だとの確信に到達し、
その上でそのタネ蒔きを子どもらに対しても始めること。
ここに人間教育の最大の眼目ありと知るべし。
・・・
(3)【 3月6日 】 死敬
人は明快 灑洛(しゅうらく)の処無かる可からず。
若し徒爾(とじ)として畏縮し?(そ)するのみならば、只だ是れ死敬なり。
甚事(なにごと)をか済(な)し得ん。
(言一六〇)
【訳】
人にはさっぱりとしてこだわりのないところがなくてはいけない。
もし、いたずらに縮こまり、ためあうばかりならば、
これは生きた敬ではなく死んだ敬でる。
これでは何事も成就できない。
*灑洛~さっぱりしてわだかまりのないこと。
〇「酔古堂剣掃(すこどうけんすい)」には
「高品の人、胸中洒落、光風霽月(せつげつ)の如し」とある。
・・・
(4)【 3月6日 】 人間はみな善
天道(てんどう)を根本として生れいでたる万物なれば、
天道は人物の大(だい)父母にして根本なり、
人物はてんどうの子孫にして枝葉(えだは)なり。
根本の天道、純粋至善なれば、そのえだ葉の人物も
みな善にして悪なしと得心(とくしん)すべし。
(「翁問答」上巻之本)
【訳]
天道を根本として生まれ出た万物ゆえに、
天道は人と物の大父母にして、すべての根本である。
人と物は、天道の子孫にして枝葉である。
根本の天道が純粋にして至善であるならば、その枝葉である人と物もまた、
みな善にして悪はないものと、得心しなければならない
・・・
(5)《6日 あなたは良き言葉をもって良き事物を創造する 》
“神の子”なる人間は、“神の創造の意識的中心”として
“心”に“良きもの”のみを思い浮べ、意識して“良き言葉”を発し、
言葉の力によって“良きもの”のみを創造するのである。
今後、あなたは決して“悪しきもの”を思い浮べず
“悪しき言葉”を発しないがゆえに“悪しきもの”は決して、
あなたの人生には顕れて来ないのである。
あなたの生命(せいめい)は神の生命(せいめい)であるから
善き事のみを創造するのである。
谷口雅春著『人生の秘訣365章』第3篇(P69~70) より
<感謝合掌 令和3年3月6日 頓首再拝>
賢者の一日一言《7日》 - 伝統
2021/03/07 (Sun) 23:56:16
(1)【 3月7日 】 7日の生活標語
《窮境に落ちた時に無理非道をすれば、
幸運が來た時にそれをつかめない。》
如何なる窮境に處しても、
誠實を持って一貫したものが救われなかったことは一度もない。
橋本徹馬師 生活標語「一日一言」より。
・・・
(2)【 3月7日 】
学校の再建はまず紙屑を拾うことから──。
次にはクツ箱のクツのかかとが揃うように。
真の教育は、こうした眼前の瑳事からスタートすることを知らねば、
一校主宰者たるの資格なし。
・・・
(3)【 3月7日 】 色欲を慎む
少壮の人、精固く閉とざして少しも漏らさざるも亦不可なり。
神(しん)滞(とどこお)りて暢(の)びず。
度を過ぐれば則ち又自(おのずか)らそこなう。
故に節を得るを之れ難(かた)しと為なす。
飲食の度を過ぐるは人も亦或は之れを規(ただ)せども、
淫欲(いんよく)の度を過ぐるは、
人の伺(うかが)わざる所にして、且(か)つ言い難し。
自(みずか)ら規(ただ)すに非ずんば誰か規(ただ)さん。
(言一六四)
【訳】
若くて元気盛んな人が精力を極端に抑えて
少しも外に発散しないのはよくない。
精神が滞ってしまって、のびのびとしないからである。
かといって、度を過ごせならば体を害してしまう。
節度を保つというのは難しいことなのである。
飲食の度を過ごしたのであれば、
誰でもこれを戒め正すことができるけれど、
性欲の度を越したのは、人の窺(うかが)い知らぬことであるし、
また口に出して注意しにくいものである。
自分で規制していかなければ、
誰がこれを規制することができるだろうか。
・・・
(4)【 3月7日 】 悪人とは
才(さい)あるも才なきも、知あるも知なきも、
形気(けいき)の邪欲(じゃよく)におぼれ、
本心(ほんしん)の良知(りょうち)をうしなもの
をおしなべて悪人とは云なれば、
たとい才智芸能(さいちげいのう)すぐれたりとも邪欲ふかくして
良知(りょうち)くらきはあくにんなり。
(「翁問答」上巻之本)
【訳]
才能があっても無くても、知恵があっても無くても、
形気のよこしまな私欲におぼれ、本心の良知をくもらす者を、
そうじて悪人というならば、
たとえ才智や芸能が人よりもすぐれていたとしても、
よこしまな私欲がふかく、良知のくらい人間はまさしく悪人であ
・・・
(5)《7日 人間は支配者であり、創造の指揮者である 》
神はすべての事物の支配者である。
それ故に神の生命を宿し生れ、
神の叡智を譲り受けたる“神の子・人間”は、
決して外界の事物や、環境や境遇の奴隷になることはなく、
これ等のものの支配者であるのである。
軍隊の指揮者が、命令の言葉を発したならば、
兵卒が指揮命令の通り動き出して敵陣に殺到するがように、
人間の言葉の力によって、欲する事物に顕れるように命ずれば
宇宙の創化力が法則に従って動き出して、
言葉で命じた通りの事物をあらわしてくれるのである。
それは宇宙の創化力が法則に従って動いてくれるのであるから、
人間が肉体的な力で《りきむ》必要はないのである。
谷口雅春著『人生の秘訣365章』第3篇(P70) より
<感謝合掌 令和3年3月7日 頓首再拝>
賢者の一日一言《8日》 - 伝統
2021/03/09 (Tue) 01:20:28
(1)【 3月8日 】 8日の生活標語
《世の中に私のような不幸なものはいないと思ってはならぬ。》
あなたくらいの不幸は、昔から幾千萬人或いは幾億人が經験して、
しかもそれを乗り切っているのです。
ただその不幸に處する態度によって、その後の運命がきまるのである。
橋本徹馬師 生活標語「一日一言」より。
・・・
(2)【 3月8日 】
同志三名を作らずしてその学校を去る資格なし。
・・・
(3)【 3月8日 】 胸憶虚明
胸憶虚明なれば、神光四発す。
(言一六一)
【訳】
心の内がわだかまりがなく明瞭であれば、
心の霊妙な働きが四方に輝きわたるものである。
・・・
(4)【 3月8日 】 学問の目的
それ学問は心のけがれをきよめ
身のおこないをよくするを本実(ほんじつ)とす。
文字(もんじ)なき大(おお)むかしには
もとよりよむべき書物なければ、
只(ただ)聖人の言行(げんこう)を手本としてがくもんせしなり。
(「翁問答」上巻之本)
【訳]
それ学問は、心の汚れをきよめ、
自身の日常のおこないを正すことを、本来の中味とする。
漢字が発明される以前の大むかしには、
もとより読むべき書物がなかったために、
(人々は)ただりっぱな徳のそなわった人のことばやおこないを
手本として、学問をおさめたのである。
・・・
(5)《8日 現象界には時間的順序であらわれる 》
すべての“良きもの”は、實相世界に於ては、既に存在し、
既に“神の子”は、その“良きもの”を得ているのであるけれども、
それが現象界にあらわれる映画のフィルムの巻きもどしのように、
一齣一齣、時間的順序を通してあらわれて来るのである。
それは恰も植物の種子(しゅし)の中にある「理念」が、
種子の発芽、双葉展開、茎の生長、葉の繁茂、蕾(つぼみ)の形成、
そして花咲き、やがて実るというような順序を通して出て来るのである。
急ぎ過ぎて、急に出て来ないので失望したり、
信仰を失ったりしてはならないのである。
信じて待つということが必要である。
谷口雅春著『人生の秘訣365章』第3篇(P70~71) より
<感謝合掌 令和3年3月8日 頓首再拝>
賢者の一日一言《9日》 - 伝統
2021/03/10 (Wed) 00:02:37
(1)【 3月9日 】 9日の生活標語
《すべての人の本性の善なることを疑うな。》
自分の良人や家族が如何に不良に見えても、
その本性の善を信じて疑わず接しておれば、
必ずその善なる本性が現われる。
教育の上手な人も、かくして人の本性の善を引出すのである。
橋本徹馬師 生活標語「一日一言」より。
・・・
(2)【 3月9日 】
いかにしてテレビに打ち克つ子どもにするか──
教師たるものはこの一点に、
道徳教育のすべてをかけねばなるまい。
・・・
(3)【 3月9日 】 節度が大切
民は水火(すいか)に非ざれば生活せず。
而(しか)れども水火又能(よ)く物を焚溺(ふんでき)す。
飲食男女は人の生息する所以(ゆえん)なり。
而れども飲食男女又能く人を牀害(しょうがい)す。
(言一六五)
【訳】
人は水と火がなければ暮らせない、と孟子は言った。
しかし、水は人を溺れさせ、火は物を焼き尽くす。
食事や男女の交際も、人が生きていくために必要なものである。
しかし、これらも人を害する危険性があることに
気をつけておく必要がある。
・・・
(4)【 3月9日 】 学問する人とは
その心(こころ)をあきらかにし身をおさめる思案工夫なき人は、
四書五経をよるひる手をはなさずよむと云とも、学問する人にあらず。
(「翁問答」上巻之本)
【訳]
その(明徳の)心を明らかにして、身をおきめる思案工夫のない人は、
たとえ四書五経を昼夜わかたず、手から離さずに読んでいるといっても、
学問する人とはいえないのである。
・・・
(5)《9日 種の発芽する時には変化が起る 》
あなたが“神の子”たる権能を以て、
万物の支配者として、創造の指揮者として、
神想観を実修する前に、コトバの力によって、“善き事物”を祈って、
「既にそれを受けた」と念ずるならば、
宇宙の創化作用が、命令を奉ずる兵隊のように
動き出して、それを現象界に造り出してくれるのである。
その時、自然法爾に催して来る自分の行動を抑制してはならないし、
また周囲に動き出して来る人々の動きや、環境の変化に驚いたり、
心配したり、恐怖したりしてはならないのである。
種(たね)が発芽し発根するときには
種(たね)の外皮を破壊して伸びるように、
實相の世界にあるものが、現象界にあらわれて出ようとする時には、
何等かの変化作用又は破壊作用が起って来ることがあり得るのである。
その変化に対して驚くことなく、必ず良き結果と成るのである
という信念を失わなかったら、屹度そのように成るのである。
谷口雅春著『人生の秘訣365章』第3篇(P71) より
<感謝合掌 令和3年3月9日 頓首再拝>
賢者の一日一言《10日》 - 伝統
2021/03/11 (Thu) 00:09:45
(1)【 3月10日 】 10日の生活標語
《自分の本性が無限に偉大であることを知らずにいるのが
無知(無明)の最大なるものである。》
踏み切りを通る時さえ、
ウッカリしておれば汽車に轢かれて命を失うではないか、
自分の本性の偉大さに気づかずにウッカリしておることが
如何に大きな一生の損失であるかを想うべしである。
橋本徹馬師 生活標語「一日一言」より。
・・・
(2)【 3月10日 】
二十五才の誕生日までは煙草は吸わぬ。
ただし翌日からは絶対自由──
せめてこの一事なりとも叩きこめる教師であってほしい。
・・・
(3)【 3月10日 】 邦を治める二つの道
邦(くに)を為(おさ)むるの道は、教養の二途(にと)に出(い)でず。
教(きょう)は乾道(けんどう)なり。父道(ふどう)なり。
養は坤道(こんどう)なり。母道(ぼどう)なり。
(言一七八)
【訳】
国の治める道は、教と養の二つ以外にはない。
教とは、天道であり、父道である。
養とは地道であり、母道である。
〇父の厳と母の慈によって天下はうまく治まるものである。
・・・
(4)【 3月10日 】 にせの学問
にせの学問は博学のほまれを専(もっぱら)とし、まされる人をねたみ
おのれが名(な)をたかくせんとのみ、高満の心をまなことし、
孝行にも忠節にも心がけず、只(ただ)ひたすら記誦詞章(きしょうししょう)
の芸ばかいりをつとめる故に、おおくするほど
心だて行儀(ぎょうぎ)あしくなれり。
(「翁問答」上巻之本)
【訳]
にせの学問は、博識の名誉のみを心の中心におき、
同学のすぐれた人をねたみ、おのれの名声を高くすることばかり考え、
高満の心におおわれて、人にたいする思いやりやまどころに乏しく、
ただひたすら机上の学問ばかりをおこなうゆえに、かえって心だて、
行儀が悪くなってしまうのである。
・・・
(5)《10日 成就の過程に於ける杭打ち作業に驚く勿れ 》
神の子たる自覚をもって、神に祈ってそれを“既に得たり”として
感謝して待つならば、適当な時に、適当な場所に、適当な人と物とが動き出して、
あなたが求めたところのものを成就させてくれるのである。
その成就の途上に於て起るところの一切の出来事は、
たとい一時は破壊物に見えても、それは土を掘り返してコンクリートを打ったり、
地盤を固くするための杭打ち作業であったりするのであるから、
破壊の如き外見に心を執らわれて、「必ず成る」という信念の種子を
掘り起して棄ててしまうような事があってはならないのである。
谷口雅春著『人生の秘訣365章』第3篇(P72) より
<感謝合掌 令和3年3月10日 頓首再拝>
賢者の一日一言《11日》 - 伝統
2021/03/12 (Fri) 00:35:46
(1)【 3月11日 】 11日の生活標語
《學問が出来ぬことは、少しもその人の本性の善であり、
偉大であることを抹殺するものではない。》
學問が出来ねば、學問の出来る人を使えばよいのである。
大局を見るの明。
独創的着想。
困難を乗り切る忍耐力。
他人を使う才能等は、學校教育では學べないのである。
橋本徹馬師 生活標語「一日一言」より
・・・
(2)【 3月11日 】
(一)週に一度の「学級だより」を
(二)月に一度、卒業生への「ハガキ通信」を。
以上の二つが実行できたら、
二本の軌道に乗った新幹線のように、
もうそれだけで、教育者としての本格的な軌道に乗ったものといえよう。
・・・
(3)【 3月11日 】 目先にとらわれるな
一物の是非を見て、大体の是非を問わず。
一時の利害に拘りて、久遠(きゅうえん)の利害を察せず。
政(まつりごと)を為すに此(か)くの如くなれば、国危し。
(言一八〇)
【訳】
一つの物事が道理に適っているかどうかを見て、全体の良し悪しを問わない。
また、一時的な利害にこだわって、長い先の利害を考えない。
政治を執(と)るものがこうならば、国は危険な状態になる。
〇安岡正篤は「判断の三原則」として
「長期的に見る、多面的に見る、根本的に見る」
ことを提唱されていた。
・・・
(4)【 3月11日 】 世間の迷い
仕合(しあわせ)よく富貴(ふうき)になりぬれば、
我(わが)智恵才覚にてかくのごとしとおもい、
又しあわせあしく、貧賎(ひんせん)になりては、わがわざとはおもわずして、
親をかこち人をとがめ天をうらむると、人ごとの迷(まよい)也。
(「翁問答」下巻之本)
【訳}
運よく富貴の身にあるならば、
それは自分の智恵と才覚のよってもたらしたものと思い、
(その反対に)運悪く貧賎の身になったならば、それは自分のおこないとは思わずに、
親のせいにして人を責め天をうらむこと、すべて人間の迷いである。
・・・
(5)《11日 天地一切のものと和解して神に祈ること 》
現象界にどんな複雑な問題が起って来たにせよ、
それはすべて自分の“心の影”なのであるから、
自分の心を転ずれば問題は変化して来、
自分の心を解決すれば問題も解決するのである。
先す自分が天地一切のものと和解する神想観をなし、
現象界には敵とみとめられるものにも感謝する心になり、
而して後、その問題を神にゆだねるがよいのである。
神にゆだねることをしても、なお其の問題が解決しないならば、
それは、自分の心が天地一切のものと和解していないからである。
「神は助けとうても、争いの念波は神の救いの念波を能う受けぬ」
と神示にはしめされているのである。
天地一切のものと和解したのち、神に祈り、
祈りに於いて神にその問題をゆだねた後(のち)に、
自然に催されて来る事物進行の順序のうちに
神の智慧による解決が行われることになるのである。
神を呼ばないで、自力ばかりで解決しようと思うところに
視野の狭い解決法で行き詰ることになるのである。
谷口雅春著『人生の秘訣365章』第3篇(P72~73) より
<感謝合掌 令和3年3月11日 頓首再拝>
賢者の一日一言《12日》 - 伝統
2021/03/12 (Fri) 23:44:17
(1)【 3月12日 】 12日の生活標語
《他人と争ったり、他人を憎んだりすることによって、
善い事が現われると思うな。》
人の本性の善を認め、それを引出す努力によってのみ、
世の中は、善くなるのである。
橋本徹馬師 生活標語「一日一言」より。
・・・
(2)【 3月12日 】
ハガキを最上の武器として活用しうる人間に──
かくしてハガキ活用の達人たるべし。
・・・
(3)【 3月12日 】 口を慎む
人は最も当(まさ)に口を慎むべし。
口の職は二用を兼(か)ぬ。
言語を出し、飲食を納(い)るる是なり。
言語を慎まざれば、以て禍(か)を速(まね)くに足り、
飲食を慎まざれば、以て病を致(いた)すに至る。
諺に云う、禍(わざわい)は口より出て、病は口より入る。
(言一八九)
【訳】
人は特に口を慎まなければいけない。
口は二つの機能を兼ねている。
一つは言葉を発することであり、
もう一つは飲食物を取り込むことである。
言葉を慎まないと禍を招くことがあるし、
飲食を慎まないと、病気になることがある。
諺に「禍は口より出て、病は口より入る」とあるのは、これを言っているのである。
・・・
(4)【 3月12日 】 文武兼備
学問はさむらいのしわざにあらずと、
いえるは一(ひと)しお愚なる評判、まよいの中のまよい也(なり)。
子細は心あきらかに行儀ただしく、文武かねそなわるように、
思按工夫するを正真のがくもんとす。
(「翁問答」下巻之本)
【訳]
学問は、武士の所業ではないというのは、
ひときわ愚かな世間の評判であり、迷いのなかの迷いである。
その子細は、(明徳の)心を明らかにして行儀正しく、
学問と武芸とが兼ねそなわるように
思案・工夫することを、まことの学問というのである。
・・・
(5)《12日 神に完全にまかせ切ること 》
神は全能であり、最高の力であり、何物も神に抗して、
計画を破壊することはできないのである。
若し私たちが神に対して無我になり完全に全托しさえするならば、
神は如何なる障礙をも突破し得る力と智慧とを与えたまうのである。
神の智慧は、その進行しつつある事件のうちに、
そしてそれに対応しつつあるあなたの心のうちにあらわれて、
事件を円満解決の道に導きたまうのである。
併し、この無我全托には、
一切の自我的はからいを抛つ(なげうつ)だけの勇気を要するのである。
同時に、こんなことでうまく物事が解決するだろうかと云うような
不安、恐怖、疑惑などを悉く棄て去り、
「神に全托しておれば、何事も結局はうまく行くより仕方がない」と云う
堅信を持ちつづけるだけの勇気が必要なのである。
神に委せ切り、自我が無くなり、自分を神そのものの自由にゆだね切って、
恰も海綿が全体に海水を吸い込むように神を全身に浸潤せしめるとき、
神そのものの智慧が自分を支配して行動化してくれるのである。
谷口雅春著『人生の秘訣365章』第3篇(P73~74) より
<感謝合掌 令和3年3月12日 頓首再拝>
賢者の一日一言《13日》 - 伝統
2021/03/14 (Sun) 00:39:21
(1)【 3月13日 】 13日の生活標語
《なに人かを憎みながらする善事は本當の善事ではない。》
眼さきにちりがぶら下つておれば、視野が妨げられる。
誰をも憎まぬ人でなければ、ものごとの正しい判断は出來ぬのである。
橋本徹馬師 生活標語「一日一言」より。
・・・
(2)【 3月13日 】
縁なき人の書物を数十ページ読むのが大事か、
それとも手紙の返事を書くほうが大事か ──
このいずれをとるかによって、人間が分かれるともいえよう。
・・・
(3)【 3月13日 】 学問は人を変える①
人の受くる所の気は、其の厚薄(こうはく)の分数、大抵相(あい)若(に)たり。
躯(く)の大小、寿(じゅ)の脩短(しゅうたん)、力の強弱、心の智愚の如き、
大(おおい)に相(あい)遠ざかる者無し。
其の間に一処の厚きを受くる者有れば、皆(みん)之(これ)を非常と謂う。
非常なるは則ち姑(しばら)く之を置く。
就(すなわ)ち常人の如きは、躯と寿と力との分数、
之を奈何(いかん)ともす可からず。
以て学んで之を変化すべし。
(言一九九前半)
【訳】
人が天から受けるところの気は、
その厚い薄いと分け与えられている分量はだいたい同じようなものである。
身体の大小、寿命の長短、力の強弱、心の賢愚といったものは、
誰でもそれほど大きな差がわるわけではない。
その間に、特に一箇所厚いところを授けられた者があれば、
人々はみな、これを非凡という。
この非凡なる者はしばらく問題の外に置いておこう。
すなわち、普通の人にあっては、身体の大きさや寿命の長さや
力の強さの分け前は、どうすることもできない。
しかし、心の賢こさや愚かさについては、学問によって変えることができるのである。
・・・
(4)【 3月13日 】 まことの読書
文字を目に見、おぼえることはならざれども、
聖人の書のほんいをよく得心(とくしん)してわが心の鏡とするを、
心にて心をよむと云(いい)て真実の読書也。
(「翁問答」下巻之本)
【訳]
文字を眼で見て、おぼえることはできないけれども、
聖人のあらわした四書五経の本意をよく得心して、
自分の心の鏡とすることを、「心にて心を読む」といって、
まことの読書なのである。
・・・
(5)《13日 神との一体感を深めること 》
ただ神のみを見、ただ神のみに倚(よ)り頼れ。
そして神を自己に浸潤させ、浸透させ、自己を神と一体ならしめるのである。
そのとき、あなたの過去の一切の業(ごう)は拭い去られ、悪しき習慣は消え、
性格が一変し、生活全体の雰囲気が変ってしまうのである。
あなたは人間が世界を見るようにではなく、神が世界を見るように、
この世界を完全の相(すがた)に於いて見、すべての人間の実相の完全さを見、
それを実現することができるようになるのである。
あなたの人生観は明るくなり、容貌は明るくなり、雰囲気は明るくなり、
周囲の人々は、あなたを徳(とく)とするようになり、あなたを信頼するようになり、
事情は好転し、新しく明るい方向に問題は解決することになるのである。
谷口雅春著『人生の秘訣365章』第3篇(P74) より
<感謝合掌 令和3年3月13日 頓首再拝>
賢者の一日一言《14日》 - 伝統
2021/03/14 (Sun) 21:29:54
(1)【 3月14日 】 14日の生活標語
《人は皆その顔の異なる如く、この世の中における役割を異にしている。》
このゆえに他人が自分の思うようにならぬからとて苦にするな。
それとは逆に、この人は自分に出来ぬ役割を果してくれる人と思うて尊重せよ。
橋本徹馬師 生活標語[一日一言」より。
・・・
(2)【 3月14日 】
自分を育てるものは 結局自分以外にはない。
これ恵雨芦田恵之助先生の至言。
・・・
(3)【 3月14日 】 学問は人を変える②
故(ゆえ)に博学・審問(しんもん)・慎思(しんし)・明弁・篤行(とっこう)、
人之を一たびすれば、己(おの)れ之れを百たび千たびす。
果して此の道を能(よ)くすれば、愚なりと雖(いえど)も必ず明(あきらか)に、
柔なりと雖も必ず強く、以て漸(ようや)く非常の域に進むべし。
蓋(けだ)し此の理(ことわり)有り。
但(た)だ常人は多く遊惰(ゆうだ)にして然(しか)する能(あた)わず。
豈(あ)に亦(また)天に算疇(さんちゅう)有るか。
(言一九九後半)
【訳】
ゆえに『中庸』に「博(ひろ)く学び、審(つまび)かに問い、慎んで思い、
明らかに弁別し、誠実に実行する。
人がこれを1回するなら、自分は百回行い、
人がこれを10回するなら、自分は千回行なう。
果たしてこの方法を実行すれば、愚者であっても必ず賢者となり、
柔弱な者でも必ず強くなる」とあるように、
少しずつでも非凡の域に近づくことができる。
誠にこれは道理に適っているといえる。
ただし、普通の人はたいてい遊び怠けてしまい、
努力を続けることができないものである。
これには何か天の算段があるものであろうか。
・・・
(4)【 3月14日 】 眼にて文字を読む
心の会得(えとく)なく只(ただ)目にて文字をみ、おぼえるばかりなるをば、
眼にて文字をよむと云(いい)て真実の読書にはあらず。
(「翁問答」下巻之本)
【訳]
心による会得をすることなく、ただ目で文字を見て、
おぼえることばかりするのを、「眼にて文字を読む」といって
まことの読書とはいえない。
・・・
(5)《14日 神の智慧の流入を祈ること 》
毎朝、あなたの人生への出発に際して神に祈れ、そして
「神の完全なる智慧われに流れ入りて、
わが魂の底なる希望を実現するために導きたまう」
と繰返し念ぜよ。
あなたの自信は増加し、計画は緻密となり、前進の勇気は湧き出で来、
行くところ可ならざるなきに至るのである。
何事に対しても、「困ったナ」と考えることなかれ。
すべての問題は自己を研き上げるための研磨剤として
自分に与えられるものであるとして、
すべての問題を感謝して之を迎えるとき、
嶮しきは平坦(たいらか)となり、
何事もスラスラと進行するようになるのである。
「天地一切のものに和解せよ」とは、天地一切の何事に対しても、
敵対観念をもたずに、調和した心で相対(あいたい)することである。
どんな問題が起ろうとも、その困難さを心に留めること勿れ。
そしてあなたの注意をその「困難」に振向けることなく、
神に対して心を振り向けよ。
神があなたに在(いま)すとき、
神は如何なる困難をも解決に導きたまうのである。
谷口雅春著『人生の秘訣365章』第3篇(P74~75) より
<感謝合掌 令和3年3月14日 頓首再拝>
賢者の一日一言《15日》 - 伝統
2021/03/16 (Tue) 00:55:48
(1)【 3月15日 】 15日の生活標語
《人は皆本来無病健康に生まれている者である。》
現在病める者も悟りによって、
自分が本来無病健康であることを知り得るのである。
その信念が全身に満ちわたる時
病気も病菌も逃げ出さずにはいられないのである。
橋本徹馬師 生活標語「一日一言」より。
・・・
(2)【 3月15日 】
すべての最低絶対基本線の確保が大事であって、
何か一つ、これだけはどうしても守りぬき、やりぬく──
という心がけが肝要。
・・・
(3)【 3月15日 】 人が従う言葉とは
理(とこわり)到るの言は、人服せざるを得ず。
然(しか)れども其の言に激する所有れば則(すなわ)ち服せず。
強(し)うるところあれば則ち服せず。
挟(さしはさ)む所有れば則ち服せず。
便(べん)ずる所有れば則ち服せず。
凡(およ)そ理到って人服せざれば、君子必ず自(みずか)ら反(かえ)りみる。
我れ先(ま)ず服して、而(しか)る後に人之れに服す。
(言一九三)
【訳】
道理の行き届いた言葉には、誰でも服従しないわけにはいかない。
しかしながら、その言葉に激しいところがあると、聞く人は服従をしない。
強制するところがあると、服従しない。
私心を挟んでいると、服従しない。
自分の便利のために言っているのであれば、服従しない。
およそ道理が行き届いていているのに人が服従しない場合には、
君子たる者、必ず自らに立ち返って反省をする。
まず自分が自分の行為に十分に従うことができて、しかるのちに、
人はそれに服従してくれるものである。
・・・
(4)【 3月15日 】 中庸の心法
中庸(ちゅうよう)不倚(ふき)の心法(しんぽう)をまもりて
ざいほうをもちゆれば、私欲のけがれすこしもなきによって、
清白廉直(せいはくれんちょく)にして、私用も公用と変じ同一天理となれり。
(「翁問答」下巻之本)
【訳]
中庸にしてかたよりのない心法を保持して、
財宝を用いたならば、私欲の汚れがすこしもないので、
清白・廉直にして、私用の財宝も公用と変じて、
おなじ道理となるのである。
・・・
(5)《15日 人間に宿る“生命(せいめい)”の神秘に目覚めよ 》
神はあなたに素晴しい“神の生命”を与えて、
それをあなたの“生命(せいめい)”としたのです。
実に偉大な、驚くべき能力を内に蔵する“生命(せいめい)”が
あなたの内には宿っているのです。
どんな科学者も
“生命(せいめい)”とは何ぞやと云うことは分析することができない。
彼らが烏滸(おこ)がましくも“生命(せいめい)の起源”と称するところのものは、
“生命(せいめい)”が人体をつくった最初の一歩のただの軌跡にしか過ぎない
簡単な窒素化合物 ―― 蛋白質やアミノ酸の一種に過ぎないのであって、
それは“生命”の起源でも何でもない。
唯の“生命(せいめい)”の足跡にしか過ぎないのです。
近頃、母体を解剖して卵子をとり出し、試験管の中で人工授精させることに成功し、
その卵細胞を三十二個になるまで分裂せしめることに成功したので、
“人間の人造”と云うこともやがて出来るであろうとの説を為すものもあるけれども、
卵細胞がいくら分裂増殖しても、
それを一定の人間も形に排列するところの“知性”が天降って来なければ、
結局、それはただの蛋白質の集合体であって、人間ではないのである。
谷口雅春著『人生の秘訣365章』第3篇(P75~76) より
<感謝合掌 令和3年3月15日 頓首再拝>
賢者の一日一言《16日》 - 伝統
2021/03/16 (Tue) 21:10:22
(1)【 3月16日 】 16日の生活標語
《現代の憂えは、醫者が病人の心を治さずしてして、病気を治すことである。》
上は二千数百年以前のギリシャの大哲学者プラトンの言葉であるが、
この憂えはプラトンの昔より現代にまで續いている。
橋本徹馬師 生活標語「一日一言」より。
・・・
(2)【 3月16日 】
「宿題のすまぬうちはテレビを見ない」という子どもに──。
この一事だけでも守れたら、
その子は一おう安心ができるといってよかろう。
・・・
(3)【 3月16日 】 九族を親しむ
吾れ静夜独り思うに、吾が躯(み)は、
一毛(もう)・一髪(ばつ)・一喘(ぜん)・一息(そく)、皆父母なり。
一視(し)・一聴(ちょう)・一寝(しん)・一食(しょく)、皆父母なり。
既に吾が躯の父母たるを知り、又我が子の吾が躯たるを知れば、
則ち推して之を上(のぼ)せば、祖・曾・高も我れに非ざること無きなり。
逓(てい)して之を下せば、孫・曾・玄も我に非ざること無きなり。
聖人は九族を親しむ。
其の念頭に起る処、蓋(けだ)し此(これ)に在り。
(言ニ一ニ)
【訳】
私は静かな夜、独り考えてみると、
自分の体にある一本の毛髪も一回の呼吸もすべて父母のものであり、
一視・一聴・一寝・一食できることもすべて父母からいただいたものである。
自分の身体が父母の授かり物であると知り、
またわが子の身体が自分の分かれ身であると知れば、
これを上にさかのぼって考えると、
祖父母・曾祖父母・高祖父母も自分でない人はない。
また、これを次第に下にたどって考えると、
孫・曾孫・玄孫も自分でない者はいない。
聖人が「九族を親しむ」ということを心に想起するのは、
思うにこういうところからなのであろう。
・・・
(4)【 3月16日 】 一私の一字
私(わたくし)なる人はかならず気随(きずい)なり、
気随なる人は必人の異見(いけん)をききいれず、世のそしりをかえりみず。
(「翁問答」下巻之本)
【訳]
私心におおわれた人間は、かならず気ままである。
そのような人間は、かならず他人の異見を聞き入れようとはしないし、
世間の非難の声にも反省しようとはしないものである。
・・・
(5)《16日 この生命の荘厳を見よ 》
人間の眼球は実に素晴しい天然色カラー・テレビである。
市販のカラー・テレビは嵩(かさ)がたかくて
一人では搬(はこ)び切れないくらいに重いのである。
しかも視野がせまくて、二十一吋(インチ)型は二十一吋にしか映らないし、
十七吋型は十七吋の寸法にしか景色が入らないのである。
しかも色彩が天然色より落ちるのである。
ところが、人間の両眼(りょうがん)と云うカラー・テレビは
携帯用の最小型で、その持ちはこびに少しも目方を感じないのである。
しかも視野はひろくて、この二センチほどの横長の眼の切れ目に広大な景色が、
天然色そのままに入って見えるのである。
この便利な携帯用カラー・テレビなる両眼を造って下さった
不思議な力は余程素晴らしい智慧をもつ不可思議力だと言わねばならぬ。
この不可思議力が神であり、大生命であり、
それが吾らに宿って偉大なる“個生命”となっているのである。
谷口雅春著『人生の秘訣365章』第3篇(P76) より
<感謝合掌 令和3年3月16日 頓首再拝>
賢者の一日一言《17日》 - 伝統
2021/03/17 (Wed) 23:56:06
(1)【 3月17日 】 17日の生活標語
《晴天の旭日の如きさわやかな心を持續するならば、幸運は必ずきたる。》
橋本徹馬師 生活標語「一日一言」より。
・・・
(2)【 3月17日 】
人間も、金についての親の苦労が分かりかけて、初めて稚気を脱する。
随ってそれまでは結局、幼稚園の延長に過ぎぬともいえる。
・・・
(3)【 3月17日 】 好機を待つ
処し難きの事に遇(あ)わば、妄動するこを得ざれ。
須(すべか)らく幾(き)の至るを候(うかが)いて之に応ずべし。
(言一八ニ)
【訳】
処置に困った出来事に遭遇したら、むやみに行動してはいけない。
よい機会が到来するのを待って、これに対応すべきである。
・・・
(4)【 3月17日 】 謙の一字
国をおさめ天下を平(たいら)かにする要領、
謙の一字にきわまれり。
(「翁問答」下巻之本)
【訳]
国家をりっぱにおさめ、世界をおだやかな社会にする要領は、
謙の一字につきるのである。
・・・
(5)《17日 人体及び生活諸問題の修復作用 》
どんな科学者も人間の生きた皮膚の一部分も製造することができないのである。
“生命(せいめい)の智慧”の偉大さよ。
人間の脳髄の智慧は、それが最高の科学者の脳髄の智慧であっても
皮膚の傷を治すのに、どのように細胞を組立て直したらよいかを知らない。
しかし“生命(せいめい)の智慧”には、その傷の形や深さに従って、
どの方面からどのように新生細胞を積み重ねて行けば、
元のような皮膚の層をつくることができるかを知っており、
傷をした瞬間から、その修復に必要な工作にとりかかってくれるのである。
この事は単に肉体の生理的方面ばかりの修復作用だと考えてはならない。
私たちの生活万般の問題に、神の修正作用又は修復作用は行われるのであり、
私たちが何か失敗した事柄を起すと、恰も、肉体の傷を治して下さるのと同じように、
神の修復作用が八方から起って来るのである。
若し完全にその修復作用が行われないとしたならば、
私たちが「我(が)」のはからいで、
その修復作用を妨げる何事か為しつつあるからである。
神に祈りて、天地一切のものに感謝するとき完全にその修復作用が行われるのである。
谷口雅春著『人生の秘訣365章』第3篇(P77) より
<感謝合掌 令和3年3月17日 頓首再拝>
賢者の一日一言《18日》 - 伝統
2021/03/18 (Thu) 23:54:36
(1)【 3月18日 】 18日の生活標語
《感謝しながら食事をする者に、胃腸病はない。》
橋本徹馬師 生活標語「一日一言」より。
・・・
(2)【 3月18日 】
物にもたれる人間は、
やがて人にもたれる人間になる。
そして人にもたれる人間は、
結局世の中を甘く見る人間になる。
・・・
(3)【 3月18日 】 忠孝両全
君(きみ)に事(つか)えて忠ならざるは、孝に非ざるなり。
戦陣に勇無きは、孝に非ざるなり。
曾子は孝子にして、其(そ)の言此(か)くの如し。
彼(か)の忠孝は両全ならずと謂う者は、世俗の見なり。
(言ニ一六)
【訳】
「君に仕えて忠義を尽さない者は孝とは言えないい。
また、戦場に出て武勇のない者は孝とは言えない」と言った
曾子は孝行の人であって、しかも、このようにを言ったのである。
忠と孝のは両立しない場合があるいう人がいるが、
これは俗世間の間違った見方でしかない。
・・・
(4)【 3月18日 】 謙徳は海
謙徳(けんとく)はたとえば海なり、万民はたとえば水(みず)也(なり)。
海は卑下(ひげ)なるによって、天下の万水(ばんすい)みなあつまり帰するごとく、
天子・諸侯、謙徳をまもりたまいぬれば、国(くに)天下(てんか)の万民みな
心を帰(き)してよろこびしたがうもの也。
(「翁問答」下巻之本)
【訳]
謙徳は、たとえば海のようなものであり、万民は水である。
海は低いところにあるので、世界中のあらゆる水は、みな海にあつまるように、
天子・諸侯が謙徳を保持していくならば、国や世界の万民はみな
心を帰して、喜びしたがうものである。
・・・
(5)《18日 “埋蔵されたる寶”を発掘せよ 》
人のうちに、この偉大なる修復力が宿っているのであり、
それが、“自己に宿る神”である“内在の神”である。
それは単なる頭脳智よりも幾百倍幾万倍すぐれたる智慧であるのである。
その智慧を呼び出すことをわすれて、
単に頭脳智だけで行動しようとするところに
“行き詰り”や“失錯”の原因があるのである。
神から与えられたる“埋蔵されたる宝”
―― それがこの“内在の神”である。
“内在の神性”を呼び出すことを忘れて、「わたしは病気である」と言う。
「わたしはくたびれた」と言う。
そして“内在無限の力”の発動を言葉の力で抑えてしまうのである。
諸君は決して「わたしは病気だ」とか、「私はくたびれた」とか言ってはならない。
“わたしは神の子である、外からどう見えようとも、実際は健康である”
と言わなければならない。
このような言葉に出して言うとき、
あなたは、自己に宿る“内在の神”を掘り出しつつあるのである。
実相界に“埋蔵されたる宝”を現実界に引き上げつつあるのである。
谷口雅春著『人生の秘訣365章』第3篇(P78) より
<感謝合掌 令和3年3月18日 頓首再拝>
賢者の一日一言《19日》 - 伝統
2021/03/20 (Sat) 01:21:12
(1)【 3月19日 】 19日の生活標語
《暴飲暴食する者は、運勢定まらず、晩年必ず劣う。》
暴飲暴食する者は短命にあらずんば、必ず晩年が振わない。
暴飲暴食をした昔の豪傑の末路の憐れさを見よ。
橋本徹馬師 生活標語「一日一言」より。
・・・
(2)【 3月19日 】
節約は物を大切にするという以上に、
わが心を引き締めるために有力だと分って
人間もはじめてホンモノとなる。
・・・
(3)【 3月19日 】 公欲と私欲
私欲は有るべからず。公欲は無かるべからず。
公欲無ければ、則ち人を恕(じょ)する能(あた)わず。
私欲有れば、則ち物を仁(じん)する能わず。
(言ニニ一)
【訳】
自分の利益ばかり追求する欲はあってはいけないが、
公共の利益追求する欲はな無くてはいけない。
公共心がなければ、他人を思いやることができない。
利己心があれば、慈愛の心で他人に物を施(ほどこ)すことができない。
・・・
(4)【 3月19日 】 心学の有無
心学(しんがく)をよくきわめたる士(さむらい)は、
義理をかたくまもり邪欲なければ、世間の作法にあやかる事なし。
心学のみがきなき士(さむらい)は、
よこしまなる名利(みょうり)にふけるもの也。
(「翁問答」下巻之本)
【訳]
心学をしっかりときわめた武士は、義理を固くまもり、
よこしまな私欲がないので、世間の作法に感化されることはない。
(その反対に)心学をおさめない武士は、
よこしまな名声と利欲におぼれるものである。
・・・
(5)《19日 不幸から脱出する道 》
若しあなたが何か病気にかかったり、不幸に見舞われたり、
人から迫害をうけたり、人と仲がよくなかったりしたならば、
それをよくする道は、自分自身の想念の種類を変化することである。
これが根本問題であると云うのは、この世界には“類を以て集る”
又は“類は朋を招ぶ”と云う法則があるからである。
今まで、自分の心の注目の焦点を、自分及び他人の欠点や不幸や不完全や、
感情や環境の不満足などにあつめていたのを一転して、
美点や幸福や完全さを成るべく見出すようにして、
どんな境遇の中にも感謝すべき点を見出すようにするならば、
“類(るい)を以て集る”法則にしたがって、
善き事の方が多く集って来るようになり、
やがては、集って来るもの悉く善きものばかりとなるのである。
「実際、自分には不幸が襲いかかっているのであり、既に万策つきて、
ただ破局への一途をたどりつつあるのだから、美点や幸福の完全さは
何処にも見出しようがない」と言う人があるかも知れない。
そう思っている限りに於いては、其の通りなのである。
だから「想いを変えよ」と言うのである。
心が一切の現象に先行し、心が運命の舵手である。
脱出の道は心の舵で進行方向を変えることである。
谷口雅春著『人生の秘訣365章』第3篇(P78~79) より
<感謝合掌 令和3年3月19日 頓首再拝>
賢者の一日一言《20日》 - 伝統
2021/03/21 (Sun) 01:39:46
(1)【 3月20日 】 20日の生活標語
《「言い出したらきかぬ」のをあっぱれ男と思うな。
このような人がよく中風にかかるのである。》
人間は一生の修行である。
如何なる場合にも謙遜に他人の言を聞き、
非を知れば改める心がけが肝要である。
橋本徹馬師 生活標語「一日一言」より。
・・・
(2)【 3月20日 】
性欲の萎えた人間に偉大な仕事はできない。
──それと共に、みだりに性欲を漏らす者にも大きな仕事はできぬ。
・・・
(3)【 3月20日 】 君子は似て非なる者を悪む
匿情(とくじょう)は慎密(しんみつ)に似たり。
柔媚(じゅうび)は恭順(きょうじゅん)に似たり。
剛愎(ごうふく)は自信に似たり。
故に君子は似て非なる者を悪(にく)む。
(言ニニ四)
【訳】
感情を表に出さない感情は、慎み深い慎密と似ている。
物腰柔らかく媚(こ)びる柔媚(じゅうび)は、うやうやしく従う恭順に似ている。
強情で意地っ張りな剛愎は、自分の力を信じて疑わない自信に似ている。
それで、『孟子』に「孔子曰く、似て非なる者を悪む」とあるのは
このことを言っているのである。
・・・
(4)【 3月20日 】 正しき士道
心(こころ)いさぎよく義理(ぎり)にかないぬれば、
二君(にくん)につかえざるも、また主君(しゅくん)をかえてつかえるも
皆正しき士道(しどう)也。
(「翁問答」下巻之本)
【訳]
心の汚れがなく、義理にかなっているならば、
(たとえ)ふたりの主君に仕えなくても、また主君を変えて仕えても、
すべて正しい武士の道というものである。
・・・
(5)《20日 神に於いては、万策の尽きると云うことはない 》
「既に万策つきて、事態はただ破局への一途を辿りつつある」
と云うような時になすべき事は、その「万策」をすっかり棄ててしまって、
心をクラリと一転して“光”の方へ振り向くと云うことである。
その「万策」とは不完全な近視眼的な智慧 ―― 現象に捉えられ、
現象に引きずり廻されていた智慧のことである。
そのような近視眼的智慧で、現象に引っかかって引きずり廻されるから、
破局の方に近づいて行くほかはないのである。
そんな人間智を棄てて、神なる“全能の智慧”の方へ振向けばよいのである。
それを“光に振り向く”と謂うのである。
そして自分自身を神の中に抛(な)げ入れ、
自己を“無”にして神意(みこころ)の中に自己を熔融してしまうがよい。
神意(みこころ)の中には一切の“悪”も“不幸”もないのである。
そして「万策が尽きる」と云うこともないのである。
必ず、自分の中(うち)からも、
自分を取り巻くすべての事件の進行の中(うち)からも
神の智慧がでて来て問題を解決して下さるのである。
谷口雅春著『人生の秘訣365章』第3篇(P79~80) より
<感謝合掌 令和3年3月20日 頓首再拝>
賢者の一日一言《21日》 - 伝統
2021/03/22 (Mon) 00:17:07
(1)【 3月21日 】 21日の生活標語
《わが心が感謝と歡喜に満つるに至ったならば、その人は天下無敵となる。》
橋本徹馬師 生活標語「一日一言」より。
・・・
(2)【 3月21日 】
すべて人間には、天から授けられた受もち(分)がある。
随ってもしこの一事に徹したら、
人間には本来優劣の言えないことが分かる。
・・・
(3)【 3月21日 】 復性の学 ①
惻隠(そくいん)の心も偏すれば、
民或いは愛に溺れて身を殞(おと)す者有り。
羞悪(しゅうお)の心も偏すれば、
民或いは自ら溝涜(こうとく)に経(くび)るる者有り。
辞譲(じじょう)の心も偏すれば、
民或いは奔亡(ほんぼう)して風狂(ふうきょう)する者有り。
是非の心も偏すれば、民或いは兄弟(けいてい)墻(かき)に鬩(せめ)ぎ、
父子相(あい)訴(うった)うる者有り。
(言ニニ五 前半)
【訳】
憐れみ痛む惻隠の心も、偏りすぎると、
民衆の中には愛情に溺れて身を滅ぼす者が出てくるだろう。
不義を恥じて憎む羞悪の心も、偏りすぎると、
民衆の中には自ら溝の中で首をくくって死んでしまう者が出てくるだろう。
自ら辞して他に譲る辞譲の心も、偏りすぎると、
民衆の中には逃げ隠れして頭が変になってしまう者も出てくるだろう。
善悪を判断する是非の心も、偏りすぎると、
民衆の中には兄弟げんかをしたり、親子で互いに訴訟を起こす
ような者が出てくるだろう。
・・・
(4)【 3月21日 】 明徳仁義は人の本心
明徳仁義(めいとくじんぎ)は
われ人の本心(ほんしん)の異名(いみょう)也(なり)。
此(この)本心はいのちの根なれば、いきとしいける人(にん)げんに
明徳仁義の心(こころ)なきは一人もなし。
(「翁問答」下巻之本)
【訳}
明徳と仁義は、われわれの本心の異名である。
この本心は、いのちの根元ゆえに、すべての人間に、
この明徳と仁義の心のない者は、ひとりもいないのである。
・・・
(5)《21日 決断して神の智慧にまかすこと 》
信仰は一つの決断であり、勇気であり、思い切りの良さである。
勇気を出して思い切りよく、神に祈って一切万事を神に全托せよ。
神の智慧の動き出すままの事物の進行は、
常識では端倪(たんげい)し得ないのがあり、
“こんな事では迚ても駄目だ”と思えることもあるであろうけれども、
神は結果を見通しであるから、
やがて事態が一変して、必ずよき結果を生むことになるのである。
神は全能である。
神は既によき“番組”を放送してい給うのである。
神は肉眼には見えない。
神は感覚では認識することができない。
だから神に全托すると云うことも、
中々思い切って決断することがむつかしいのである。
併し、事態が不良に向っているとき、是非為さなければならないのは、
その事態を不良に向わせたところの人間的判断を捨てると云うことである。
そして、人間的判断以上の優れたる智慧を喚び出して来なければならないのである。
それが神に委すということである。
谷口雅春著『人生の秘訣365章』第3篇(P80~81) より
<感謝合掌 令和3年3月21日 頓首再拝>
賢者の一日一言《22日》 - 伝統
2021/03/23 (Tue) 00:46:39
(1)【 3月22日 】 22日の生活標語
《失敗を知らない發明王エヂソンを見習え。》
橋本徹馬師 生活標語「一日一言」より。
・・・
(2)【 3月22日 】
読書は実践への最深の原動力
・・・
(3)【 3月22日 】 復性の学 ②
凡(およ)そ情の偏するは、四端と雖も、遂に不善に陥る。
故(ゆえ)に学んで以て中和を致し、過不及無きに帰す。
之を復性(ふくせい)の学と謂う。
(言ニニ五 後半)
【訳】
このように感情が一方に偏ると、孟子のいう四徳(惻隠、羞悪、辞譲、是非)
のきざしまでが、遂にはよくないことになってしまう。
それゆえに、学問をして性情を中正にし、
行き過ぎや不足のないようにするのである。
これが本性に帰する復性の学というものである。
・・・
(4)【 3月22日 】 腕力つよい武士
いかつにたけく腕(うで)だてをたしなむ人は、
必(かならず)人(ひと)をあなどりかろしめてあらそう
心はなはだしきによって、必(かならず喧嘩の犬死をなし、
親にうれいをかけ主君の知行(ちぎょう)をぬすみて浅まし。
(「翁問答」下巻之本)
【訳]
大声で威喝し、自分の腕力をたのみとする人は、
かならず他人をばかにし、闘争心がはなはだしいので、
かならずけんかの犬死をしてしまい、親に心配をかけ、
主君の知行を盗むことになり、心がいやしいものである。
・・・
(5)《22日 無限供給はかくして得られる 》
あなたが何事か《真に》そして《切に》それを実現しようと欲せられるならば、
それは既に心の世界に於いてそれが整えられてある証拠であるのである。
しかしそれを現象界に実現するためには、
神に波長を合わさなければならないのである。
波長を合わす道は、生長の家の神示に
「神に感謝しても父母に感謝し得ない者は神の心にかなわぬ」とあり
「争いの念波は神の救の念波を能(よ)う受けぬ」とあり、
「感謝の念の中にこそ汝はわが姿を見、わが救を受けるであろう」とあるから、
神に感謝し、父母(ちちはは)に感謝し、誰かと争っているならば、争いをやめて、
其の者と和解しなければならないのである。
更に希望を実現せんと欲せば、
「与えれば与えられる」の法則に随って
「与える」ことを先ず行じなければならないのである。
旧約聖書の「マラキ書」第三章第十節には
「わが殿(みや)に食物あらしめんために汝ら什一をすべて我が倉にたづさえ来れ、
而して是をもて我を試み、わが天の窓をひらきて容るべきところなきまでに
恩沢(めぐみ)を汝にそそぐや否やを見るべし。万軍のエホバこれを言う」
とある。
天の倉には無限の寶が充満しているのに、
収入の什分の一を神に献げて見たときに、
天の倉の窓がひらくのだと神は仰せられるのである。
谷口雅春著『人生の秘訣365章』第3篇(P81~82) より
<感謝合掌 令和3年3月22日 頓首再拝>
賢者の一日一言《23日》 - 伝統
2021/03/24 (Wed) 00:04:43
(1)【 3月23日 】 23日の生活標語
《なまけて得をすると思うな。なまける者は毎日大損をしているのである。》
橋本徹馬師 生活標語「一日一言」より。
・・・
(2)【 3月23日 】
本は読むだけずつ買い、買うだけずつ読む──
というのが、理想であり望ましい。
・・・
(3)【 3月23日 】 賞罰の割合
賞罰は世(よ)と軽重(けいちょう)す。
然(しか)るに其の分数、大略(たいりゃく)十中の七は賞にして、
十中の三は罰なれば可なり。
(言ニニ八)
【訳】
賞と罰は、世の中の流れに応じて、軽くしたり重くしたりするものである。
しかしその割合は、だいたい十のうちの七が賞で、
十のうちの三が罰であるのが望ましい。
・・・
(4)【 3月23日 】 おおいなる上帝
聖人も賢人も、釈迦も達磨も、儒者も仏者も、我も人も、
世界のうちにあるとあらゆるほどの人の形(かたち)有ものは、
皆皇(おおいなる)上帝・天神地祇(てんじんちぎ)の子孫なり。
(「翁問答」下巻之本)
【訳]
聖人も賢人も、釈迦も達磨も、儒者も仏者も、われも人も、
世界のうちにある、ありとあらゆるほどの人間は、
すべておおいなる上帝、天神地祇の子孫なのである。
○皇上帝~「「書経」商書・湯詰篇に「これ皇いなるる上帝、
衷を下民にくだせり」とある。
○天神地祇~天の神と地の神。
・・・
(5)《23日 与えよ、さらば与えられん 》
何事でも、それを完全に成就しようと思うならば、
先ず与えなければならないのである。
それに時間をかけ、エネルギーを注ぎ、興味と熱情とをもち、
それを成就するに必要な資材となり得る自己の持てる凡ゆるものを
それに集中しなければならない。
そして、それは必ず成就すると信じなければならないのである。
信念なきもの、それに全生命を注ぐほどの興味も熱意もなく、
ただ金儲けの手段とする仕事に、時間をかけ、
エネルギーをかけることをするようなことでは、
本当に偉大なる仕事を成就することはできないのである。
人は自己がそれに智慧と愛と生命とを注いだだけのものを
穫(か)り取るのである。
谷口雅春著『人生の秘訣365章』第3篇(P82) より
<感謝合掌 令和3年3月23日 頓首再拝>
賢者の一日一言《24日》 - 伝統
2021/03/25 (Thu) 01:09:38
(1)【 3月24日 】 24日の生活標語
《狡猾な世渡りをする人の運勢は、晩年必ず凶である。》
コスカライ人は、その時々にいつも利得をしているようであるが、
次第に他人の信用を失い、自己の善根を費消して、晩年不幸に墮るのである。
橋本徹馬師 生活標語「一日一言」より。
・・・
(2)【 3月24日 】
人に長たる者は 孤独寂寥に耐えねばならぬ。
・・・
(3)【 3月24日 】 子弟の教育は大事業
能(よ)く子弟を教育するは、一家の私事に非ず。
是れ君(きみ)に事(つか)うるの公事(こうじ)なり。
君に事うるの公事に非ず。是れ天に事うるの職分なり。
(言ニ三三)
【訳】
子弟をしっかりと教育するのは、一家の私事ではない。
これは主君に事える公の仕事である。
いや、主君に事える公の仕事どころではない。
天に事える大切な本分なのである。
・・・
(4)【 3月24日 】 儒道・儒教・儒学
我人(われひと)の大始祖の皇(おおいなる)上帝、
大(だい)父母の天神地祇の命(めい)をおそれうやまい、
其(その)神道(しんどう)を欽崇(きんそ)して受用するを孝行と名づけ、
又至徳要道と名づけ、また儒道と名(なづ)く。
これを教(おしえる)を儒教と云(いい)、これを学を儒学と云(いう)。
(「翁問答」下巻之本)
【訳]
われわれ人間の大始祖であるおおいなる上帝、
大父母である天神地祇の天命をおそれ敬い、
その神道を敬いたっとんで、受用することを孝行と名づけ、
また至徳要道とも名づけ、また儒道と名づけている。
この儒道を教えることを儒教といい、これをまなぶことを儒学というのである。
・・・
(5)《24日 真の無限供給について 》
銀行には沢山の預金があり、華麗宏壮なる邸宅に住み、
箪笥には無数の絢爛たる衣装があろうとも、
若しその人が神を有たなかったならば、
彼は最も貧しき人だと言わなければならないのである。
併し、若しその人が神を信じ、自己の内に神があり、
神の愛が自分を取巻いており、自己の内なる神と、普遍の神とは一体であって、
必要に応じて、欲するものを呼べば、神は必ず応え給うて、
“求むるもの”が現れて来るものだと云うことを知る者は本当に富める者なのである。
かくの如く、常に“天の倉”に富が貯えられてあり、
必要に応じて引出し得る者にとっては、その富が失われはせぬかと、
心配する何の恐怖も憂慮も要らぬのである。
その人の心は常に天国浄土に遊ぶのである。
併し物質の富を物質の世界に貯えている者は、
常にそれが「失われはせぬか」と云う憂慮があるのみである。
常に神に与えよ、神は決して浪費し給うことなく、
必要に応じて“適時、適処、適度”に出して下さるのである。
谷口雅春著『人生の秘訣365章』第3篇(P82~83) より
<感謝合掌 令和3年3月24日 頓首再拝>
賢者の一日一言《25日》 - 伝統
2021/03/26 (Fri) 01:12:20
(1)【 3月25日 】 25日の生活標語
《親孝行をする者は、いつしか宇宙の繁榮律をつかむのであることを知る人は少ない。》
親不孝をする人の生活は、日々宇宙の繁榮律に遠ざかっているのである。
何人も思案すべき大事である。
橋本徹馬師 生活標語「一日一言」より。
・・・
(2)【 3月25日 】
部下の進化を真に見抜ける人物は極めて少ない。
部下のうちに、
自分より素質的に卓れた人間のいることを知っている校長は絶無というに近い。
・・・
(3)【 3月25日 】 経書は心で読む
経(けい)を窮(きわ)むるには、
須(すべか)らく此の心に考拠(こうきょ)し、
此の心に引証(いんしょう)するを要すべし。
如(も)し徒らに文字(もんじ)の上に就(つ)いてのみ
考拠引証して、輒(すなわ)ち経を窮むるの
此(ここ)に止(とど)まると謂(い)うは、
則(すなわ)ち陋(ろう)なること甚(はなはだ)し。
(言ニ三六)
【訳】
経書の意義を究(きわ)めるためには、
心に拠(よ)り所を置いて考え、
心に照らし合わせて考えるべきである。
もし、ただ字面にのみ拠り所を置き、
それで、証拠立てして、これで経書を究めつくしたというのは、
甚だしく見解が狭いというしかない。
・・・
(4)【 3月25日 】 迷いと悟り①
夫(それ)人間は迷悟(めいご)のニ(ふたつ)にきわまれり。
迷(まよう)ときは凡夫なり。
悟(さとる)ときは聖賢、君子、仏(ほとけ)、菩薩なり。
その迷(まよい)と悟(さとり)は一心(いっしん)にあり。
(「翁問答」下巻之本)
【訳]
そもそも人間は、迷いと悟りとのどちらかに帰着する。
迷うときは凡夫であり、
悟るときは聖賢、君子、仏、菩薩である。
その迷いと悟りは、(われわれの)一心のうちにふくまれているのである。
・・・
(5)《25日 朝起きて先づ為すべきことを 》
朝起きたならば、何よりも先ず、自分の心の調律を為すべきである。
實相無限に完全なる世界に波長を合わし、
實相無限の智慧に波長を合わし、
實相無限の愛に波長を合わし、
實相無限の供給に波長を合わし、
實相無限の歓喜の世界に波長を合わし、
實相無限の調和の世界に波長を合わすようにすべきである。
それが神想観の実修である。
かくして實相無限の調和に波長を合わすとき、
心も身体(からだ)もともに最も力みのない状態となり、
凝りや偏りはなくなり、心も身体も疲れることなく、
何事も適確な判断をもって迅速に行うことができるようになるのである。
谷口雅春著『人生の秘訣365章』第3篇(P83~84) より
<感謝合掌 令和3年3月25日 頓首再拝>
賢者の一日一言《26日》 - 伝統
2021/03/26 (Fri) 21:15:44
(1)【 3月26日 】 26日の生活標語
《人の一生は長い。おちついて人生を楽しみながら大いに働くべし。》
いつも追いかけられているような生活をしている人は、
長命するつもりになって気を楽にせよ。
橋本徹馬師 生活標語「一日一言」より。
・・・
(2)【 3月26日 】
いざという時 肚のない人間は、人の長たる器とはいえぬ。
・・・
(3)【 3月26日 】 読書の方法
読書の法は、当(まさ)に孟子の三言(げん)を師とすべし。
曰く、意を以て志を逆(むか)う。
曰く、尽(ことごと)くは書を信ぜず。曰く、人を知り世を論ずと。
(言ニ三九)
【訳】
読書の方法は、次にあげる孟子の三言を手本とするべきである。
第一に、自分の心をもって作者の精神を汲み取る。
第二に、書かれていることをすべて鵜呑みにしない。
第三に、作者の人となりを知り、当時の世の中の状況を論じて明らかにする。
〇吉田松陰はその『講孟剳記』の中で、「聖賢に阿(おもね)ぬこと。
僅かでも阿るところがあれば、道明らかならず、益なくして害あり」
と言っている。
・・・
(4)【 3月26日 】 迷いと悟り②
人(じん)欲ふかく、無明の雲あつく、心月(しんげつ)のひかりかすかにして、
やみの夜のごとくなるを迷の心と云なり。
学問修行の功(こう)つもりて人欲きよくつきて、無明の雲はれ心月の
霊光(れいこう)あきらかにてらすを悟(あとり)の心(こころ)と云(いう)。
(「翁問答」下巻之本)
【訳]
欲望ふかく、無明の雲あついために心月の光りがかすかとなって、
闇の夜のようになるのを「迷いの心」といい、
学問修行の功つもり、人欲取りのぞかれて無明の雲晴れ、心月の霊光が
明らかに照らすを「悟りの心」というのである。
・・・
(5)《26日 想像力を駆使して善き事を実現せよ 》
物質がまだ何もない最始源に於いて、
神が一切のものを創造り給うたのは、心によってである。
物質の形の模型は未だ存在しないのであるから、
先ず一切のものを造るには、「心で想う」と云う方法しかないのである。
而も、まだ形の世界に存在しないものを「心で想う」のは
想像力に頼るほかはないのである。
つまり想像力は創造力であるのである。
神はその同じ想像力を人間に授け給うて、
自己の欲する事物を現実界に造り出すことを得せしめ給うたのである。
如何なる悲観的状態が眼の前にあらわれていようとも、
想像力によって、善き事を心に思い浮べて想像し、その実現を固く信じて、
常に神想観して、自分に内から催して来る通りに行動するならば、
自然に適時に適所に適当なる方法を講ずることができて、
自分の希望を実現することができるようになるのである。
谷口雅春著『人生の秘訣365章』第3篇(P84) より
<感謝合掌 令和3年3月26日 頓首再拝>
賢者の一日一言《27日》 - 伝統
2021/03/28 (Sun) 02:48:58
(1)【 3月27日 】 27日の生活標語
《善事をして他人に認められぬのを憂えるな。
善事をなし得る自分であることを喜べ。》
誰に譽められなくとも、善事をした時の氣持ちよさ。
誰にきづかれなくとも、悪事をした時の氣持ちのわるさ。
橋本徹馬師 生活標語「一日一言」より。
・・・
(2)【 3月27日 】
お酒は利き酒の飲み方にかぎる。
同時にそこには、すべて物事の味を噛みしめる秘訣がこもる。
・・・
(3)【 3月27日 】 天命と人事 ①
凡そ事を作(な)すには、当(まさ)に人を尽くして天に聴(まか)すべし。
人有り、平生(へいぜい)放懶怠惰(ほうらいたいだ)なり。
輒(すなわ)ち人力もて徒(いたず)らに労すとも益(えき)無なからん、
数(すう)は天来に諉(ゆだ)ぬと謂わば、則(すなわ)ち事必ず成らじ。
蓋(けだ)し是の人、天(てん)之(こ)れが魄(たましい)を奪いて然)しか)らしむ。
畢竟(ひっきょう)亦(また)数なり。
人有り、平生(へいぜい)敬慎(けいしん)勉力(べんりょく)なり。
乃(すなわ)ち人理(じんり)は尽くさざるべかからず。
数は天定(てんてい)に俟(ま)つと謂わば、則ち事必ず成る。
蓋(けだ)し是の人、天(てん)之(こ)れが衷(ちゅう)を
誘(みちび)きて然らしむ。畢竟亦数なり。
(言ニ四五前半)
【訳】
人が事をなすには、できる限りのことをすべてして後は天にまかすべきである。
ある人は普段、わがままで怠け者である。
「どんなに働いても何も益なない。運は天まかせだ」といっていては、
何事もうまくいかない。
思うに、この人は、天が魂を奪い去ってこのようにしたのである。
これも運命である。
ある人は普段、慎み深く勤勉である。
「人のなすべき道理は尽くさなければならない。運は天の定めに従う」
といっているから、何事も必ずうまくいく。
思うに、この人は天がその心を導いてこのようにしたのである。
これもまた運命である。
・・・
(4)【 3月27日 】 佞人(ねいじん)とは
心ねじけててぐろの上手なる者を佞人(ねいじん)と云(いう)。
才智たくましく、芸能、文学人(ぶんがくひと)にすぐれ、
弁舌(べんぜつ)達し邪欲ふかく、義理をまもらず。
人をばかすこと野狐のごとく、人をそこなうこと虎狼(ころう)のごとくなる
心根(こころね)ある者が佞人の棟梁(とうりょう)なり。
(「翁問答」下巻之本)
【訳]
心がねじけて、人をたぶらかすことの上手な者を佞人という。
(佞人は)才智たくましく、芸能や文学が人よりもすぐれ、
弁舌じょうずでよこしまな私欲がふかく、義理を守ろうとはしない。
人を化かすこと野狐のようで、人を傷つけること虎狼のような
心根のある者が、俵人の棟梁というのである。
・・・
(5)《27日 感謝について 》
感謝は生命(せいめい)のパン種のようなものである。
パン種によって、パンの味がつき膨れて来るように、
人生は感謝によって味いは増し、生命(せいめい)は生長して来るのである。
人生の“心の音楽”のうち最も美しき音楽は
感謝であると云うことが出来るのである。
人生に困難が起って来たときに、
その困難を克服する最初の最良の方法は感謝である。
感謝は嶮しき道を平かにし、
人生の荒波を鎮めて、航海を安全にするのである。
感謝は悪と見える物の中に、善き物の存在を想像することによって
心を調和ある状態に導き、善き物を想像することによって
ついに想像する通りの善き物を人生に創造し顕現することができるのである。
感謝は悪と見える人の中に、善き人が存在することを想像することによって
心を調和ある状態に導き、善き人を想像することによって、
相手の中から想像した通りの“善き人”を現実に喚び出して実現するのである。
谷口雅春著『人生の秘訣365章』第3篇(P84~85) より
<感謝合掌 令和3年3月27日 頓首再拝>
賢者の一日一言《28日》 - 伝統
2021/03/29 (Mon) 02:20:49
(1)【 3月28日 】 28日の生活標語
《良人やわが子を毎日笑顔で送り出せ。》
橋本徹馬師 生活標語「一日一言」より。
・・・
(2)【 3月28日 】
人は退職後の生き方こそ、その人の真価だといってよい。
退職後は、在職中の三倍ないし五倍の緊張をもって、
晩年の人生と取り組まねばならぬ。
・・・
(3)【 3月28日 】 天命と人事 ②
又人を尽くして而(しか)も事成らざるもの有り。
是(こ)れ理(り)成る可くして数(すう)未)いま)だ至らざる者なり。
数(すう)至れば則(すなわ)ち成る。
人を尽くさずして而(しか)も事偶(たまたま)成るあり。
是れ理成るべからずして、数已(すで)に至る者なり。
終(つい)には亦必ず敗るるを致さん。
之を要するに皆数なり。
成敗(せいばい)の其の身に於(おい)てせずして
其の子孫に於いてする者有り、亦数なり。
(言ニ四五後半)
【訳】
また、人事を尽くしても成功しないこともある。
これは道理からすれば成功するはずだが、まだ天運が至らないからである。
天運が到来すれば成功するのである。
反対に、人事を尽くさずに偶然にも成功することがある。
これは道理の上では成功するはずはないのであるが、
天運がすでに来たためである。
そういうのは、最後は失敗することになるだろう。
このように、要するにすべて運命なのである。
成功・失敗がその人の身には現れず、その子孫に現れる人もいるが、
これもまた運命である。
・・・
(4)【 3月28日 】 神明を信仰する
神明(しんめい)を信仰するは儒道の本意にて候。
しかる故に祖を天に配し父を上帝に配し、
神明に通ずるを孝行の至極なりと孝経に説きたまえり。
(「翁問答」下巻之本)
【訳]
神明を信仰することは、儒道の本意である。
それゆえに、始祖を天に配し、父を上帝に配し、
(人間のおこないの)神明につうじることが、孝行の極みであると
『孝経』に説かれている。
○神明に通ずる~『孝経』の「孝弟の至り、神明に通じ、四海にあきらかなり。
通ぜざるところなし」にもとづく。
・・・
(5)《28日 自己に宿る“善き人”を喚び出すこと 》
すべての人の中には“善き人”が宿っているのである。
その“善き人”を佛教では「佛性」と言い、
キリスト教では“内在のキリスト”又は“神の子”と言うのである。
それはすべての人々の内に宿る“永遠に消えざる光”なのである。
その“永遠に消えざる光”を晦まさない限りは、人間は幸福であるのである。
その光に対して眼をとじて、他(た)の誘惑に眼を転ずるとき、
光はあれども人生が暗黒となるのである。
若し難問題が起ったならば、
光に眼を向けなかった結果、躓いたのであるから、
光に心を転ずるようにすればよいのである。
「神の無限の智慧の光、われに流れ入りて、わが人生を照らし給う。
われは常に神の智慧に導かれてもっとも幸福となる道を歩むのである」
と念ずるがよいのである。また
「われは“神の子”である。
神の子には無限の善き智慧が宿っているのである。
どんな問題でも必ず其の智慧の光が解決して下さるのである」
と念じて、自己に宿る“善き人”を喚び出すがよい。
谷口雅春著『人生の秘訣365章』第3篇(P85~86) より
<感謝合掌 令和3年3月28日 頓首再拝>
賢者の一日一言《29日》 - 伝統
2021/03/30 (Tue) 00:49:49
(1)【 3月29日 】 29日の生活標語
《不幸の原因を内に求めて反省する者は既にその不幸を越えた人である。》
橋本徹馬師 生活標語「一日一言」より。
・・・
(2)【 3月29日 】
筆はちびる直前が一番使い良く、肉は腐る寸前が一番うまい。
同様に今後恵まれるわずかな残生を、
衷心より懼れ慎んで、「天命」に随順して生きたいと思う。
・・・
(3)【 3月29日 】 実学のすすめ ①
孔子の学は、己(おのれ)を修めて以て敬するより、
百姓(ひゃくせい)を安んずるに至るまで、只(た)だ是(こ)れ実業実学なり。
四を以て教う。
文行忠信(ぶんこうちゅうしん)。
雅言(がげん)する所は、詩(し)、書(しょ)、執礼(しつれい)。
必ずしも耑(もっぱ)ら誦読を事とするのみならざるなり
故に当時の学者は、敏鈍(びんどん)の異有りと雖(いえども)も、
各々(おのおの)其の器(き)を成せり。
人は皆学ぶべし。能と不能と無きなり。
(言後録 四 前半)
【訳】
孔子の学問は、自らの身を修めて敬い慎む心を養うことから、
万民を安らかする術に至るまで、どれも実際に社会での出来事に対処する実学である。
『論語』に「子は四を以て教う。文行忠信」とあるように、
孔子は「文を学んで実行し、真心を尽して偽りなきこと」の四つを教えた。
また「子、雅言する所、詩、書、執礼」とあるように、
「常に口にするのは、詩経・書経のことであり、礼記にある礼を守ること」で、
必ずしも詩や書を暗誦することではなかった。
ゆえに当時の学問をした者は、敏(さと)い者、鈍(にぶ)い者の違いはあっても、
各人が自らの才能を成就できた。
このように、人は皆学ぶことができるのであって、
そこに才能の有る無しの区別があるわけではない。
・・・
(4)【 3月29日 】 儒道はすべてに
本来儒道は大虚の神道なる故に、世界の内(うち)舟車(しゅうしゃ)のいたる所、
人力(じんりょく)の通ずるところ天の覆(おおう)ところ地(ち)の載(のでる)ところ、
日月のてらす所、露霜(つゆしも)のおちる所、血気ある者の住(すむ)ほどの
所にて、儒道のおこなわれぬと云ことはなし。
(「翁問答」下巻之本)
【訳]
もともと儒道は、太虚の神道であるゆえに、世界のうち舟や車のいたるところ、
人力のつうずるところ、天の覆うところ、地の載せるところ、
日月の照らすところ、露霜の落ちるところ、血気のある者の住むほどの
ところにて、儒道のおこなわれないところはないのである。
・・・
(5)《29日 人を助ける最高の方法について 》
人を助けるのは、物質的救助によるよりも、
彼に宿る“神の子”を喚び出すのが最高の方法であるのである。
肉眼で見て彼に宿る“神の子”が見えず、
「こんなに悪い人だ」と見えるときには、肉眼を瞑(と)じて、
彼の内に宿る“神の子”を出来るだけ完全に想像して、
それを如実に“心の眼”をもって見詰めつつ、
「あなたは神の子で完全な人であります。悪い人ではありません」
と云う風に心の中で一心に唱えて、その通りにありありと想像するがよい。
屹度、彼の中(うち)に宿る“完全な人”が喚び出され、現実化して来るのである。
谷口雅春著『人生の秘訣365章』第3篇(P86) より
<感謝合掌 令和3年3月29日 頓首再拝>
賢者の一日一言《30日》 - 伝統
2021/03/30 (Tue) 20:01:09
(1)【 3月30日 】 30日の生活標語
《取越苦労や持越苦労をするな。一日の重荷はその日だけでおろしてしまえ。》
日々の苦労の上に、取越苦労や持越し苦労まで背負うては荷が重くて堪えられない。
寝床に入る前に重荷をおろし、感謝して眠るがよい。
橋本徹馬師 生活標語「一日一言」より。
・・・
(2)【 3月30日 】
古来女をつくる事は易いが、手を切ることがむつかしいといわれる。
同様に仕事を始めるとはやさしいが、シメくくりをつけることは難しい。
いわんや人生のしめくくりにおいておやである。
知らず、何を以てこの世の〆めくくりと考えるべきか。
・・・
(3)【 3月30日 】 実学のすすめ ②
後世は則(すなわ)ち此の学堕(お)ちて芸の一途(いっと)に在り。
博物多識、一過して誦(しょう)を成すは芸なり。
詞藻縦横(しそうじゅうおう)に、千言(せんげん)立ちどころに下るは、
尤(もっと)も芸なり。
其の芸に堕つるを以や、故に能と不能と有り。
而(しこう)して学問始めて行儀(ぎょうぎ)と離る。
人の言に曰く、某の人は学問有りて行儀足らず。
某の人は行儀余り有りて学問足らず、と。
孰(いずれ)が学問余り有りて行儀足らざる者有らんや。
繆言(びゅうげん)と謂うべし。
(言後録 四 後半)
【訳】
後世にると、孔子の学問は堕落して、技芸の一途になってしまった。
博識あることや、一度読めば暗誦できるというは芸である。
詩文の才能に溢れ、千言のものもやちどころに書き下すというのは
芸の最たるものである。
学問が芸に堕(お)ちたために、できる、できないの差が生まれた。
そのため、学問は初めて実践と離れることになった。
世間の人は言う。
「某人は学問はあるが、行動が足りない。某人は行ないは十分だが、学問が足りない」と。
しかし、孔子の学問に志した者で、学問が十分だが行ないが欠けて足りないと
いう者があるだろうか。
この言葉は間違っているというべきだろう。
・・・
(4)【 3月30日 】 むさぼる心根
位(くらい)にあるを欲とし位をすてるを無欲とし、
財宝(ざいほう)をたくわえるを欲と‐し財宝をすてるを無欲なりとおもうは、
いまだ明徳くらくして位をこのみ財宝を貧心(むさぼるこころ)根のこりて、
外物(がいぶつ)に凝滞(ぎょうたい)して便利(べんり)棟択(かんたく)の
私(わたくし)ある故なり。
(「翁問答」下巻之本)
【訳]
官位につくことを欲とし、官位を捨てることを無欲とし、
財宝をたくわえることを欲とし、財宝を捨てることを無欲と思うのは、
いまだ明徳くらくして、官位を好み、財宝をむさぼる心根が残っていて、
外物にこだわって、使い勝手の私心をもっているゆえである。
・・・
(5)《30日 今日一日、決して腹を立てないこと 》
今日(きょう)一日次の如く決意せよ。
「今日(きょう)一日、如何なる人に対しても、如何なる事に対しても、
私は決して怒ると云うことをしないのである。
何故(なぜ)なら、すべての人は“善き人”であり、
悪しき行為を自分に対して行うかの如く見えても、
それは却ってやがて自分にとって善き事となる準備工作を
してくれつつあると知るからである。
たとい彼に過ちがあろうとも神が私の過ちを赦し給うが如く、
私も彼の過ちを赦すのである。
すべて自分の身辺に於いて起る出来事は、
自分の心の波長が引寄せたものであるから、
自分の『心の影』だとも言い得るのである。
だから私は彼が私に何を為そうとも彼を譴(とが)める資格はないのである。
彼の状態は、私の心の状態を映し出した鏡のようなものであるから、
鏡を見て自分の心を反照して、自分の心の持ち方をかえたら、
彼の状態もおのずから善くなってくるに相違ないのである。」
谷口雅春著『人生の秘訣365章』第3篇(P87) より
<感謝合掌 令和3年3月30日 頓首再拝>
賢者の一日一言《31日》 - 伝統
2021/03/31 (Wed) 20:14:41
(1)【 3月31日 】 31日の生活標語
《大晦日のつぎに元日がこなかったことは、大昔から今までに一度もない。》
このことは如何なる不幸に遭える者にしても、
必ず幸福な日が来ることを約束するものである。
橋本徹馬師 生活標語「一日一言」より。
・・・
(2)【 3月31日 】
白雲の 出雲の国の山深く 逢ひにし子らを 忘れかねつも
いつの日か 復た相逢はん 期なけむ いのち幽けく 寂しむものあり
・・・
(3)【 3月31日 】 彊(つと)めて息(や)まず
自彊(じきょう)不息の時候、
心地(しんち)光光(こうこう)明明(めいめい)なり。
何の妄念(もうねん)遊思(ゆうし)か有らん。
何の嬰累罣想(えいるいかいそう)か有らん。
(言後録 三)
【訳】
人が自ら勉め励んでいるときは、
心は光り輝き、眩(まばゆ)いくらい明るい。
そこには妄念や怠け心もまったくない。
また、心にまとわりつく気がかりや憂いもまったくない。
*嬰累~まといつく憂い
罣想~気にかかる悩み
〇その自ら勉め励む気を生むのは立志であり、
橋本佐内は15歳のときに書いた『啓発録』で、
それを自らに誓っている。
・・・
(4)【 3月31日 】 無欲と欲①
神理(しんり)にかないぬれば天子(てんし)の位(くらい)にのぼるも
財宝をたくわえるも、位をすてるも財宝をすてるも皆無欲なり、
無妄(むぼう)なり。
(「翁問答」下巻之本)
【訳]
神明の(清浄と正直の)道理にかなっていれば、(たとえ)天子の位にのぼっても、
財宝をたくわえても、官位を捨てるも、財宝を捨てるも、すべて無欲であり、
無妄というものである。
・・・
(5)《31日 あなたの實相は完全で既に幸福であると知ること 》
あなたは今、神の国に住み、神の生命(せいめい)を吸い、
神の愛にとり巻かれ、神の智慧に導かれ、
神から必要な一切のものの供給を受けて、
ゆたかに幸福に悦びに満たされて健康に生活しているのである。
それがあなたの實相である。
たとい、あなたが現象に於いて、不完全な姿をあらわしていようとも、
それは、仮の相(すがた)であり、今まで心にいだいていた
過去の想念の影であるから、「影」であって、本当にあるのではないのである。
影はどんなにあるように見えても、
それは光の欠乏に過ぎないのであるから、真理の光に照らして、
「神の創造(つく)り給える此の世界には一切の悪は存在しないのである。
人間は神の子であり、神は全智全能であり、無限の愛であり、慈悲であり、
吾らを常に護り給うているのであるから、決して悪しき状態は存在しないのである。
悪しく見えるのは自分の過去の想念が、映画のように映っているに過ぎないので、
映画は映ってしまえば消えるように、この悪しき有様も、
形にあらわれてしまえば消えるのだ」
と心に念じ、この真理を深く潜在意識に印象するようにすれば、
やがて現象の悪しき有様は消え、完全な幸福な豊かな光にみちた
實相の状態が、現象界に具体化して来るのである。
これを信ぜよ。
谷口雅春著『人生の秘訣365章』第3篇(P87~88) より
<感謝合掌 令和3年3月31日 頓首再拝>