伝統板・第二 2583886

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機会(チャンス)②

1:伝統 :

2021/02/07 (Sun) 03:17:58

      *伝統板・第二「機会(チャンス)」からの継続です。
        → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7094505


《80歳なお若年である》

           *「光明法語」(2月7日)より

68歳になる老人が 
私に、『もう此の年になってからは私には機会は到底ないのです』。
こう言って嘆いた。
こう云う人は地上にもう用事のない人である。

機会は余所(よそ)にあるのではなく、自分の心の中にあるのである。
心が若ければ人間は青年と同じように常に機会がある。

30歳で若死にする青年のことを思えば70歳になっても、
尚、百歳を生きる自覚をもっておればまだまだ機会はあるのである。

私の老母は80歳になっても山に柿の種子を植えて
『この柿の實るのを楽しむ』と言われた。

            <感謝合掌 令和3年2月7日 頓首再拝>
2:伝統 :

2021/02/28 (Sun) 06:21:51


       *Web:川島和正OB(2021-02-26 )より

あと少しで手に入りそうだったのに手に入らなかったなんてことは
多くの人が経験したことがあるはずです。

例えば、受験でギリギリ落ちたとか
婚約したのに結婚出来なかったとか
ビットコイン買い忘れていたら大暴騰してしまったなんてことは
ちらほら聞く話だと思います。


ここで、もし手に入っていたら
その後の人生は大きく変わっていたと思うことでしょう。

東大に入れていたら将来困らないとか
性格いい金持ちと結婚できたら幸せとか
ビットコインで数億円稼げたらセミリタイアできたな
なんて思うはずです。

そのため、かなりショックを受けたり
落ち込んだりすることもあるはずです。


しかし、こんなとき、落ち込む必要はありません。

なぜかというと
またチャンスはあるからで
次のチャンスをしっかり手に入れればいいだけだからです。

落ち込んでいる暇があったら
次のチャンスに向けて準備し、しっかり打席に立てばいいのです。

今より実力を上げれば、次のチャンスはものに出来るでしょう。


ですので、もしあなたも、こんな経験がある場合には
次のチャンスに向けて自分磨きをし
次のチャンスを日々探すことをお勧めします。

受験なんて何度でも出来ますし
魅力的な異性も探せばまたいますし
投資で儲けるチャンスもまた出てきます。

ほとんどのことは
またチャンスがやってきますので
その時に準備万端で、ガッチリ掴めばいいだけですね。

https://ameblo.jp/kk5160/entry-12659115585.html

            <感謝合掌 令和3年2月28日 頓首再拝>
3:伝統 :

2021/03/18 (Thu) 06:27:55


          *「そのままでいい 100万いいね!を集めた176の言葉」
            田口 久人・著(P45)より

人生にはタイミングがある

逃すこともあれば
捉えられることもある

遅かったのか早かったのか
そのときにはわからない

ときには迷うかもしれない

一度選んだなら
その選択が正解だった思えるように
行動するだけ

いちばん良くないのは
何も選ばずに何もしないこと

二度とタイミングを逃さないように

            <感謝合掌 令和3年3月18日 頓首再拝>
4:伝統 :

2021/04/17 (Sat) 04:17:17

         *『 生長の家 』(昭和25年4月17日の法語)より

   吾は 凡ゆる機会を自己表現のチャンスであるとみるが故に
   如何(いか)なる変化をも恐れないのである。

   吾は 常に よろこぶのである。
   吾は 如何なる環境に対しても
   自己表現の機会であるとして感謝するのである。

   画家は自分の写生する景色が常に同じ景色であっては
   完全に自己表現をとげることができないのである。

   だから色々の景色の所へ でかけて行って それを写生するのである。

   それと同じ様に 吾は自分を迎えてくれる凡ゆる境遇(かんきょう)を
   自己表現であるとして感謝するのである。


    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13817989.html (消滅)

            <感謝合掌 令和3年4月17日 頓首再拝>
5:伝統 :

2021/05/08 (Sat) 02:18:09


     *「光明法語」(5月8日)より
       ~《進歩の法則に支配されている人生》 

人生は進歩の法則、無限生長の法則によって支配されているのであるから、
旧態依然たるものは、次の新しきものによって取って代わられる。

商売のやり方でも、旧態依然たるものは新しき経済戦術によって
新商売をやる者には必ず圧倒される。

かくて職業を失うに到るとも、職業を失う者は幸いなるかな。
神は彼に新しき職業と、新しき環境を与え給うことによって、
新しき面から、彼の魂をみがき得る機会を与えたまうのである。

旧生活の破壊に失望することなく
新しき位置と職業を与え給えと祈れば好いのである。

            <感謝合掌 令和3年5月8日 頓首再拝>
6:伝統 :

2021/06/21 (Mon) 02:23:20


      *Web:大空からのメッセージ ∞ ハートがすべて
             (2017年08月03日)より

私は「危機」という言葉を「危険と機会」という意味でとらえています。

危険の裏側には機会、つまりチャンスがいつもあると思っているのです。

危険とチャンスがくっついている変化が「危機」なのです。

~ 日本一の個人投資家 竹田和平さん ~

https://ooinarukuu.ti-da.net/e9758894.html

・・・

<参照>
伊勢ー白山 道(2021-05-01)
苦しい中ほど、それがチャンスだった
https://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/e/d81cb1c7a5e0b28a8d909aaeac30a15b

            <感謝合掌 令和3年6月21日 頓首再拝>
7:伝統 :

2021/09/14 (Tue) 04:58:39


         *『 生長の家 』(昭和24年8月8日の法語)より
          《自己の仕事を全力をもって改善せよ》


   チャンスというものは外にあるのではない。
   自分の中(うち)にチャンスを見るものは
   時々刻々がチャンスである。

   あらゆる機会に全力をつくすものは常に今がチャンスである。
   天才とはあらゆる機会に全力をつくすことを
   惜しまないもののことである。

   有名作家の原稿は随分書いたり消したり、
   書いたり消したりして真黒になっているものである。

   シェークスピアの原稿でもゲーテの原稿でも皆そうである。
   一夏中に十行しか詩がかけなかったオルベルという詩人もある。

   ベートーヴェンも霊感によって作曲したように思っている人もあるが、
   彼ほど苦心に苦心を重ねて作曲した人はないということである。

   プラトンでさえもその対話篇の最初の一行を書くのに
   九回書き変えたということである。

   天才にして尚(なお)斯(か)くの如き努力があるのである。
   神は自ら助くるものを助くである。

    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12773682.html (消滅)

             <感謝合掌 令和3年9月14日 頓首再拝>
8:伝統 :

2021/09/28 (Tue) 04:27:51


        *『生長の家』(昭和25年8月17日の法語)より

自信力のない者は、幸運が目の前にやって来ても
その幸運をつかむ事は出来ないのである。

自信力は自己の内に宿る神を自覚することによって得られるのであって、
そのためには 「 生命の実相 」 を自覚することが必要なのである。

自己の生命の実相は 「 神の生命 」 そのものであり完全であるけれども、
自覚する程度に従ってあらわれて来るのである。

自信力のある者にとっては、好機会は常にあるのである。

日に日に伸びる機会が与えられているのである。

どんな環境でも、それが困難であればあるほど
内在の力を発揮させるのである。

http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=16

             <感謝合掌 令和3年9月28日 頓首再拝>
9:伝統 :

2021/10/09 (Sat) 04:55:10


        *『 生長の家 』(昭和24年8月31日の法語)より

   どんな機会にも ちゃんと用意が出来ているのが
   神の子の生活である。

   世界には無数に門がついていて
   そこから誰でも入って
   成功を獲得することができるのである。

   しかし門があるということに気がつかぬものは
   何時(いつ)までも入ることはできないのである。

   門の存在を知り、
   そして 門を叩(たた)くことである。

    http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12875205.html (消滅)

             <感謝合掌 令和3年10月9日 頓首再拝>
10:伝統 :

2021/10/17 (Sun) 05:03:09


         *『 生長の家 』(昭和24年9月2日の法語)より

機会というものは始終吾々の周囲にあるのである。
エヂソンもフォードもそれを手近な処から発見したのである。

まずそれを発見するには、この世界には何が欠乏しているか、
何が求められているかを知ることである。

そしてその欠乏しており、
求められているものを供給してやるようにしてやれば、
富が出来るのである。

多くの運のいい人は人が捨てたものを拾って自分の富とするのである。


ミケランヂェロはフローレンスの町にごもくの中にすてられていた
一片の型のくずれた大理石を見出してそれに彫刻し始めたのである。

それは下手な未熟な彫刻家が鑿(のみ)で彫りそこなって
傷つけてすててしまったものであった。


多くの彫刻家はミケランヂェロよりもさきにそれを見たにちがいなかったが
、品質は立派なものだが、さて残念なことには、
形がどうにもならないようにくずれているのであった。

ミケランヂェロはすべての彫刻家がみすてたこの大理石をとりあげた。

そしてそのすてられた大理石のこわれた形をした
そのままの青年の姿をほりあげたのであった。
それが彼の作品の中で有名な青年ダビデの彫刻である。


人のすてたものの中に自分の機会があるのである。
悪いと思っているものがよきものに変わるのである。

時は待たねばならぬ。
そして今あるものを愛しなければならぬのである。

http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=31

             <感謝合掌 令和3年10月17日 頓首再拝>
11:伝統 :

2021/10/24 (Sun) 04:57:58


     *「眞理」第2巻基礎篇第8章(P234~235)より

善事をなすためには、
どんな小さな機会をも見逃してはならないのです。

「もっと自分が修養出来てから人を救おう」と考えたり、
「も少し機会が熟してから人を救おう」と考えたりしていましては、
完全なる自己完成は永遠に成就するものではありませんから、

そして、もっと善い機会はと望めば、
いつまでも待っていることになりますから、
善い機会など永遠に捉え得ませんから
善事をなすことは何時(いつ)まで経(た)っても不可能です。

今あるどんな機会でも利用して、
どんな小さな善事でも為すことをつとめましょう。

今が機会であるのであります。
常に断行するときは、あらゆる時間が、断行の機会であります。

「何か私があなたのお役に立つことが出来ますならば、させて下さい」
凡(あら)ゆる人に、この態度が必要であります。

           <感謝合掌 令和3年10月24日 頓首再拝>
12:伝統 :

2021/11/29 (Mon) 04:59:17


        *「生命の實相 第38巻 幸福篇下」(11月29日)より

機会なしと言うことなかれ、

心さとき人々にとっては時々刻々が機会であり、
時々刻々の機会に心の練(ね)れていないものは、
画期的な大機会が来たときに、それを迅速に掴むことができないで、
あたら、見逃してしまうのである。

これを大音楽家ハイドンの例に見よ、
彼は貧しき馭者(ぎょしゃ)の家に生まれ、
ある音楽教師の下(もと)に走り使いをする小僧として雇われたのである。

しかし彼はその間(あいだ)にも時間を無駄にしないで
音楽の知識を吸収するにつとめたのである。

彼の外見的な不幸はなおつづいた。
彼はウィンナ(=ウィーン)で理髪小僧になったのであるが、
その間(あいだ)にも彼は音楽の勉強と、
自己改造と機会を捉えることに時間を空費することはなかった。

彼はある日店に来た市の有力者の靴が埃によごれているのを見て
その靴をただ深切の気持ちで磨いてあげたのが機会となって、
その人と知合いになり、そこに機会が掴まれたのである。

1798年この憐れなる少年の作曲「天地創造」が楽壇に紹介されるや、
永遠に沈まない太陽の光のような華やかな讃嘆の声にとりまかれたのである。

彼はかくて世界的音楽家となり、皇帝、皇后と食事をともにし、
王子たちに取り巻かれる貴族のごとき生活を送るにいたったのであるが、

この貧苦と貧乏のうちで時間を空費することなく作曲された「天地創造」こそ
は彼の全生涯八百有余の作曲のうち最も大なるものだと言われているのは
何を語るであろうか。

皇帝と食事をともにする栄誉も世界的大作曲家としての栄誉も
貧しき「無(な)き時間」のうちに自己訓練して得た成果であるということである。

ローマは一日にして成らず、
最大の栄誉は「無(な)き時間」を活かして
自己訓練するところから得られるのである。

           <感謝合掌 令和3年11月29日 頓首再拝>
13:伝統 :

2021/12/24 (Fri) 05:01:00


       *『 生長の家 』(昭和24年9月4日の法語)より

或る機会をつかんですばらしく伸び得る所の人は、
実はその機会に伸びたのではなくして、
すでに蓄積されていた所の過去の訓練が一時に爆発したのである。

如何なる成功も 過去に蓄積された
自己訓練の賜(たまもの)ならざるものはないのである。

あらゆる事物は、それを始める前に充分なる用意が要るのである。

http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=31

           <感謝合掌 令和3年12月24日 頓首再拝>
14:伝統 :

2022/01/12 (Wed) 03:23:02


       *Web:かんながら(2022.01.11)より抜粋

仕事が立ち行かなくて困っているという相談を受けますが、
今日はそんなあなたに何か書いてみます。


ピンチはチャンスって言葉、聞いたことあるでしょ?


♪雨雨フレフレ もっとフレ

蛇の目でお迎え 嬉しいな

ピンチ ピンチ チャンス チャンス ランランラン♪

のピンチとチャンスです。


そんなわけで今日は幻想界、すなわち現象界の話です。


ピンチはチャンス

すでに何度も聞いたことがある言葉だとは思いますが、
すごく大切なことなので、いま一度自分に落とし込んでみましょう。

この考え方が心底身についていると、
たいていの人生はスムーズに流れていきます。


先日の講演で、
出来事はただあるがままにあり中立だという話をしました。

ということは、出来事にマイナスを見たときは、
その分だけ裏側にプラスが隠されているという事です。

二元の世界の法則は、どちらか一方だけでは存在できないからです。


美しさは醜さがなければ存在できません。

正義は悪がなければ存在できません。

幸福は不幸がなければ存在できません。

言っていること解りますか?


このことを徹底的に知っていれば、
マイナスが見えた時、その裏にあるプラスを探すことができます。


もちろんその逆も起きえます。

上手くいったからと有頂天になっていると、
見えない落とし穴がちゃんと出現してくれます。


でも落とし穴に落ちたら、それはチャンス到来という事。

だからどちらも同じです。


そういえば何年か前に、不思議な力を持つという霊能者さんが、
僕が人生最大のピンチを迎えていたころのことを言い当てました。

そんな状態を速やかに回復できた理由は、
自分に被害を与えた人を恨むではなく、
一切の復讐心や反撃心を持たなかったからだそうです。

自分では当たり前になっていることも、
あえて指摘してくれると、なるほどと思いました。


その時の僕は、この最大のピンチに見える裏側に、
どんなチャンスがあるのかに目が向いていました。

そのような態度でいれば被害者になることはありません。

被害者でなければ復習も反撃もあり得ません。


その結果、決してお金では買えない貴重な宝を得ることができました。

いまも沢山の人から気持ちが楽になったと言ってもらえるのは、
そのときの経験が身になっているからだと思います。


いつかまたマイナス側に人生の振り子が向かうかもしれません。

振り子がマイナスに振れる時は、
プラスに向かう力を蓄えているのだから、むしろワクワクしますよね。


いま人生のピンチだと言う人。

今日書いたことは当たり前の話ですが、
心の向きをこのように変えた瞬間、あなたはすでに違う世界にいます。


どんな状態からでも、成功も幸福も一瞬で手に入れられますよ。

https://abetoshiro.ti-da.net/e12133996.html

           <感謝合掌 令和4年1月12日 頓首再拝>
15:伝統 :

2022/02/07 (Mon) 04:56:01


           *「光明法語」(2月7日)より

68歳になる老人が 私に、
『もう此の年になってからは私には機会は到底ないのです』。
こう言って嘆いた。

こう云う人は地上にもう用事のない人である。

機会は余所(よそ)にあるのではなく、自分の心の中にあるのである。
心が若ければ人間は青年と同じように常に機会がある。

30歳で若死にする青年のことを思えば70歳になっても、
尚、百歳を生きる自覚をもっておればまだまだ機会はあるのである。

私の老母は80歳になっても山に柿の種子を植えて
『この柿の實るのを楽しむ』と言われた。

           <感謝合掌 令和4年2月7日 頓首再拝>
16:伝統 :

2022/11/29 (Tue) 07:18:33


      *「生命の實相 第38巻 幸福篇下」(11月29日)より

人間の一生涯の時間を平均35万時間だと計算した人がある。

フランクリンは

「君は自己の生命(せいめい)を愛するか。
然らば、けっして時間を浪費してはならない。
なぜなら時間こそ君の生命(せいめい)が造られている実質であるから」

と言ったということである。

時間の貴重さは、
『生命の實相』の生活篇の第一章にも書かれていることであって、
空費されたる時間は再び取り返すことができないのである。

時間を空費する者は時間を殺しつつあるのであり、
時間を殺しつつある者は自分の生命を殺しつつあるのである。

無駄に過ごされる時間に、何が行なわれつつあるかといえば、
その間(かん)に人は健康を失いつつあり、若さを失いつつあり、
人格がもっと輝き出るはずのものが失われつつあり、
学識経験からもっと広くなるはずのものが失われつつあり、
掴(つか)めばすばらしい幸運がひらけてくる機会を
放棄しつつあるのである。

機会なしと言うことなかれ、心さとき人々にとっては
時々刻々が機会であり、時々刻々の機会に心の練(ね)れて
いないものは、画期的な大機会が来たときに、
それを迅速に掴むことができないで、あたら、見逃してしまうのである。

これを大音楽家ハイドンの例に見よ、
彼は貧しき馭者(ぎょしゃ)の家に生まれ、
ある音楽教師の下(もと)に走り使いをする小僧として
雇われたのである。

しかし彼はその間(あいだ)にも時間を無駄にしないで
音楽の知識を吸収するにつとめたのである。

彼の外見的な不幸はなおつづいた。
彼はウィンナ(=ウィーン)で理髪小僧になったのであるが、
その間(あいだ)にも彼は音楽の勉強と、自己改造と機会を
捉えることに時間を空費することはなかった。

彼はある日店に来た市の有力者の靴が埃によごれているのを見て
その靴をただ深切の気持ちで磨いてあげたのが機会となって、
その人と知合いになり、そこに機会が掴まれたのである。

1798年この憐れなる少年の作曲「天地創造」が
楽壇に紹介されるや、永遠に沈まない太陽の光のような
華やかな讃嘆の声にとりまかれたのである。

彼はかくて世界的音楽家となり、皇帝、皇后と食事をともにし、
王子たちに取り巻かれる貴族のごとき生活を送るに
いたったのであるが、

この貧苦と貧乏のうちで時間を空費することなく作曲された
「天地創造」こそは彼の全生涯八百有余の作曲のうち
最も大なるものだと言われているのは何を語るであろうか。

皇帝と食事をともにする栄誉も世界的大作曲家としての栄誉も
貧しき「無(な)き時間」のうちに自己訓練して得た成果である
ということである。

ローマは一日にして成らず、
最大の栄誉は「無(な)き時間」を活かして
自己訓練するところから得られるのである。

         <感謝合掌 令和4年11月29日 頓首再拝>
17:伝統 :

2023/01/08 (Sun) 07:08:20


     *メルマガ「人の心に灯をともす」(2022.12.17)より

   (本田健氏の心に響く言葉より…)

   最悪の状況で何も打つ手がなくなったとき、
   あなたは、映画の主人公のように絶体絶命のピンチに
   陥った感じがするかもしれません。

   私も、何度となく人生でもうダメ かも!
   と感じるような体験をしているので、よくわかります。

   でも、まさにそのとき、自分に聞いてほしいのが、この質問です。

   「次は、どのドアが開くのだろう?」


   ピンチに隠されたギフトはたくさんあると思っていますが、
   その一つに、まったく新しい世界に行けるというものがあります。

   親会社が倒産して、自分の工場もダメか? となった瞬間に、
   新しいビジネスのアイデアを思いつき、
   そこから、オリジナルの部品をつくり出して成功している会社があります。

   夫の借金と女性問題が同時に発覚したことで
   離婚せざるを得なくなった人がいます。

   彼女は、その後、奮起してビジネスを起こし、
   素敵なパートナーと出会います。

   ピンチが起きなければ、今の幸せにたどり着けなかったのです。


   あなたの目の前にドアがいっぱいある
   ところをイメージしてください。

   そのドアの 向こうには、あなたが行くべき道が広がっています。

   一つのドアが閉じれば、間違いなく次の扉が開きます。


   普通は、
   急にバタンと後ろでドアが閉まると、そちらに意識がいってしまいます。

   そして、
   「もう自分には出口がない、ダメだ!」となってしまうのです。

   気分がマイナスになっているときは、なおさらでしょう。


   あせっていると、ドアの模様が微妙に壁と一緒なので、
   全面が壁に見えてしまうのです。

   落ち着いて、目の前をじっくり見てください。

   壁の模様の中にしっかりと、ドアが見えてくるはずです。

   そして、「自分は、どのドアを開ければいいのだろう?」
   と自分の深い部分で感じてみてください。

   すると、たいてい「これだ!」という直感がひらめくことでしょう。


   そのドアの向こうには、
   素敵なパートナー、新しい仕事、友情、お金、
   人生のすばらしいものが待っています。

   たいていの場合、一番開けるのが怖いドアが、そのドアです。

   さあ、あなたは、どのドアを開けますか?


     <『ピンチをチャンスに変える51の質問』大和書房>

         ・・・

「捨てれば捨てるほど、より多くのものが手に入る」(ション・バニヤン)


ピーター・ドラッカーは「革新の鍵は捨てることにある」という。

何かを捨てなければ、新しい何かは手に入らない。


ピンチの後もまたこれと同じだ。

最悪だと思ったあとには、最高だと思えることが必ず待っている。

ピンチの最中は、なかなかそうは思えないが、
実はそこには小さなチャンスの芽が立派に育っている。


まさに「捨てる神あれば拾う神あり」だ。

世の中には、困っているときに見捨てる非情な人もいるが、
一方、親身になって助けてくれる人もいる。

あきらめてはダメなのだ。


大事なことは、
「ピンチの後には必ず別のドアが開く」と信じて疑わないこと。

すると、かならず…

チャンスのドアを開けることができる。

       <感謝合掌 令和5年1月8日 頓首再拝>
18:伝統 :

2023/02/07 (Tue) 09:29:05


   *「光明法語」(2月7日《80歳なお若年である》)より

68歳になる老人が 私に、
『もう此の年になってからは私には機会は到底ないのです』。
こう言って嘆いた。
こう云う人は地上にもう用事のない人である。

機会は余所(よそ)にあるのではなく、自分の心の中にあるのである。
心が若ければ人間は青年と同じように常に機会がある。

30歳で若死にする青年のことを思えば70歳になっても、
尚、百歳を生きる自覚をもっておればまだまだ機会はあるのである。

私の老母は80歳になっても山に柿の種子を植えて
『この柿の實るのを楽しむ』と言われた。

            <感謝合掌 令和5年2月7日 頓首再拝>
19:伝統 :

2023/05/07 (Sun) 07:29:10


      *メルマガ「ワールドクラス」(2023.3.15)より

敏感な人、
臆病な人、
良く考えている人、
学んでいる人、

似た様な経験がある人は
「ヤバイ」という感覚をよく味わいます。


・このまま行ったらヤバイ

・ヤバイ状況になった

・くそっヤバイな

のヤバイですね。


会社を経営している人ならなおさらです。

側から見たら立派な100億企業の社長さんでも、孫さんでも、

Googleのような大企業でも「ヤバイ」を味わっている。


多くの人は年に何度か味わうのではないだろうか?


お金がからむと、
生存が脅かされる感覚がするので、危機になりがちです。

健康も人間関係も、もちろん危機を味わいます。


「ヤバイ」のレベルも様々で、

「ちっとヤバイかな」という、ヒヤリ程度から

本格的に立ちゆかなく「ヤバイ」もあります。


「危機」という言葉は

危ない(Danger)と、機会(Chance)

が一緒になっています。


危機が起きたのは良い事です。

変化を起こそうとしているにすぎません。


しかし、危機の中にいるときに、
考えたままになってしまい、動けなくなる人がいます。

危機とはあなたに何かをするように
メッセージが叫ばれているだけです。

「おい、変われよ! このままじゃマズイぜ!」


多くの人はこの危機の力を
魔法の様につかい、新たな変化を生み出します。

安全は幻想です。

機会が本物です。


危機に出会うと、ヤバイという感覚が走り、
彼らは何をしたら良いのか分からなくなるのです。

それはただの混乱です。

あなたは困難に対処をするために機会を探します。

一見、暗闇に見えても必ず光があります。


そんな時にはノートに書くのもとても有効です。

整理できないまま、ただ書くのです。

あるいは、コーチやメンターに相談するのも良いでしょう。


いきなり瞑想する方法もありますが、
私の経験上、頭の中の声が騒ぎすぎるので、

やはり紙に書いて一旦、頭の声を沈めてから、
瞑想に入った方が効果的でしょう。

運動をしたり、シャワーを浴びるのもいいです。


そうやって、

これは機会なんだ。

変化のチャンスで、何かをしろというメッセージなんだ

と気づきましょう。

        <感謝合掌 令和5年5月7日 頓首再拝>
20:伝統 :

2023/06/09 (Fri) 10:19:23


     *メルマガ「人の心に灯をともす」(2023.4.6)より

   (スティービー・クレオ・ダービック氏の心に響く言葉より…)

   わたしにもチャンスがあればとは、よく聞くセリフだが、

   そう言ってこぼす人に限って、
   自らチャンスを拒んでしまっている場合が少なくない。

   たいていの場合、チャンスというのは、思いもかけない形でやってくる。

   それも、自分には荷が重いのではないかと思う大きさで。


   しかし、自分の想像を超え、
   いまの自分のレベルを超えるものだからこそ、チャンスなのだ。

   それを、「やったことがない」「できるかどうかわからない」
   といった理由で辞退する人がいるとは信じられないことだ。


   もし、新しい挑戦を提案されたら、すぐさま「イエス」と言おう。

   どうやってやるかは、あとから考えよう。

   自分に向いているかどうか、できるかどうかなんて、
   やってみなければわからない。

   やり始めてから考えても遅くはない。


   えてして、人の才能は、そのようにして開かれていく。

   人は、挑戦して初めて、そこにも自分の才能があったことに気づくのだ。

   もちろん、理不尽な要求にまで、「イエス」と言う必要はない。

   しかし、それが自らの尊厳を損なうものでない限り、イエスと言おう。

   新しい挑戦の機会を喜んで頂戴しょう。


   そして、いったんイエスと言ったら、まずは、とことんやってみよう。

   あなたには、あなたが思っていた以上の、そしておそらくは、
   あなたに新しい挑戦 を提案した人が想像していた以上の才能があった
   ことに気づくだろう。

         <『新 自分を磨く方法』ディスカヴァー>

       ・・・

「そもそもピンチはチャンスでしかないのであって、
 その乗り切るべき壁も、
 乗り越えることのできる人にしか やってこない」

元大リーガーのイチロー氏の言葉だ。


「チャンスはピンチの顔をしてやってくる」という。

「大失敗してしまった、もう終わりだ」、
と思うような時に、そこにチャンスの芽が隠れている。

「あの失敗があったら今がある」とか
「倒産寸前の体験をしたことが今の私をつくっている」というように、

ひどい出来事も、後から考えると
それがあったお陰だったというようなことだ。


 《成功は“ランダム”にやってくる! 》 
    (阪急コミュニケーションズ)の中にこんな言葉がある。

『成功者は、偶然の出会い、突然のひらめき、
 予期せぬ結果などを経験している。
 
 彼らは運命を変えた瞬間のことを振り返り、
 「あの瞬間がすべての始まりだった」と言う』

 何か予期せぬことがあったとき、
 そこに何か意味があるのかもしれない。

 そんなときは、たとえそれが面倒で、損なことであったとしても、
 その流れにとりあえず乗ってみることも必要だ。

 理屈で考えず、
 野生の勘や、ひらめきを大事に、
 とにかく行動してみるのだ。 』


チャンスや運のほとんどは、人がもってきてくれる。

なぜなら、自分の考えていることは、今までの延長だからだ。

しかし、人からの頼まれごとや、オファーは、自分の想定外のことが多い。

想定外のことは、
自分のコンフォートゾーンからアウェイに出ていかなければならない。


人からのオファーは、
それがたとえ苦手なことや面倒なこと、損するようなことであったとしても…

とりあえず、その流れに乗ってみることが大事だ。

       <感謝合掌 令和5年6月9日 頓首再拝>
21:伝統 :

2023/07/31 (Mon) 12:10:29


        *『 生長の家 』(昭和24年9月11日の法語)より

好機会が到来した時に、
その機会をとらえ得るものは
内に蓄えた能力あるもののみである。

やってくる所の機会をどの程度生かすかは
その人の素養如何(いかん)によるのである。

人間よろしく、自己の時間を惜しんで自己教養につくすべし。

くだらぬゴシップや低い享楽や、つまらない遊びで、
もっとも発達期にある自分の知能を発達せしめないでおくものは、
いざという好機会が来た時に
空しくそれを見逃してしまう外はないのである。

http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=31

       <感謝合掌 令和5年7月31日 頓首再拝>
22:伝統 :

2023/11/29 (Wed) 09:59:32


      *「生命の實相 第38巻 幸福篇下」(11月29日)より

人間の一生涯の時間を平均35万時間だと計算した人がある。

フランクリンは

「君は自己の生命(せいめい)を愛するか。
然らば、けっして時間を浪費してはならない。
なぜなら時間こそ君の生命(せいめい)が造られている実質であるから」

と言ったということである。

時間の貴重さは、
『生命の實相』の生活篇の第一章にも書かれていることであって、
空費されたる時間は再び取り返すことができないのである。

時間を空費する者は時間を殺しつつあるのであり、
時間を殺しつつある者は自分の生命を殺しつつあるのである。

無駄に過ごされる時間に、何が行なわれつつあるかといえば、
その間(かん)に人は健康を失いつつあり、若さを失いつつあり、
人格がもっと輝き出るはずのものが失われつつあり、
学識経験からもっと広くなるはずのものが失われつつあり、
掴(つか)めばすばらしい幸運がひらけてくる機会を
放棄しつつあるのである。

機会なしと言うことなかれ、心さとき人々にとっては
時々刻々が機会であり、時々刻々の機会に心の練(ね)れて
いないものは、画期的な大機会が来たときに、
それを迅速に掴むことができないで、あたら、見逃してしまうのである。

これを大音楽家ハイドンの例に見よ、
彼は貧しき馭者(ぎょしゃ)の家に生まれ、
ある音楽教師の下(もと)に走り使いをする小僧として
雇われたのである。

しかし彼はその間(あいだ)にも時間を無駄にしないで
音楽の知識を吸収するにつとめたのである。

彼の外見的な不幸はなおつづいた。
彼はウィンナ(=ウィーン)で理髪小僧になったのであるが、
その間(あいだ)にも彼は音楽の勉強と、自己改造と機会を
捉えることに時間を空費することはなかった。

彼はある日店に来た市の有力者の靴が埃によごれているのを見て
その靴をただ深切の気持ちで磨いてあげたのが機会となって、
その人と知合いになり、そこに機会が掴まれたのである。

1798年この憐れなる少年の作曲「天地創造」が
楽壇に紹介されるや、永遠に沈まない太陽の光のような
華やかな讃嘆の声にとりまかれたのである。

彼はかくて世界的音楽家となり、皇帝、皇后と食事をともにし、
王子たちに取り巻かれる貴族のごとき生活を送るに
いたったのであるが、

この貧苦と貧乏のうちで時間を空費することなく作曲された
「天地創造」こそは彼の全生涯八百有余の作曲のうち
最も大なるものだと言われているのは何を語るであろうか。

皇帝と食事をともにする栄誉も世界的大作曲家としての栄誉も
貧しき「無(な)き時間」のうちに自己訓練して得た成果である
ということである。

ローマは一日にして成らず、
最大の栄誉は「無(な)き時間」を活かして
自己訓練するところから得られるのである。

         <感謝合掌 令和5年11月29日 頓首再拝>
23:伝統 :

2024/02/07 (Wed) 11:17:39


    *「光明法語」(2月7日《80歳なお若年である》)より

68歳になる老人が 私に、
『もう此の年になってからは私には機会は到底ないのです』。
こう言って嘆いた。

こう云う人は地上にもう用事のない人である。

機会は余所(よそ)にあるのではなく、自分の心の中にあるのである。
心が若ければ人間は青年と同じように常に機会がある。

30歳で若死にする青年のことを思えば70歳になっても、
尚、百歳を生きる自覚をもっておればまだまだ機会はあるのである。

私の老母は80歳になっても山に柿の種子を植えて
『この柿の實るのを楽しむ』と言われた。

            <感謝合掌 令和6年2月7日 頓首再拝>
24:伝統 :

2024/05/08 (Wed) 12:05:05


     *「光明法語」(5月8日)より
       ~《進歩の法則に支配されている人生》 

人生は進歩の法則、無限生長の法則によって支配されているのであるから、
旧態依然たるものは、次の新しきものによって取って代わられる。

商売のやり方でも、旧態依然たるものは新しき経済戦術によって
新商売をやる者には必ず圧倒される。

かくて職業を失うに到るとも、職業を失う者は幸いなるかな。
神は彼に新しき職業と、新しき環境を与え給うことによって、
新しき面から、彼の魂をみがき得る機会を与えたまうのである。

旧生活の破壊に失望することなく
新しき位置と職業を与え給えと祈れば好いのである。

            <感謝合掌 令和6年5月8日 頓首再拝>
25:伝統 :

2024/05/19 (Sun) 09:41:19


      *メルマガ「心の糧」( 2023.8.7 ) 作家 中井俊已より

何かに行き詰まったときは、チャンスです。

その壁の向こうに、新しい世界が待っているからです。


  壁を乗り越える?

  壊す?

  ドアを見つける?

  別のルートを探す?


そのためには、新しい見方や勇気が必要です。



賢人や偉人や人生の先輩の言葉を味わってみましょう。


★行き詰まったときに心と行動に効く4つの言葉+α
https://lucky.t-nakai.work/2019/07/09/word-76/

1 この道を進むかどうか迷ったとき

2 小さな仕事を任されたとき

3 時間を無駄にしたくないとき

4 生きることに閉塞感があるとき



★チャレンジにしたいときやる気が出てくる4つ言葉+α
https://lucky.t-nakai.work/2019/07/05/word-75/

1 困難な問題があるとき

2 チャレンジしてダメだったとき

3 夢や目標があいまいなとき

4 夢のゴールを決めるとき

            <感謝合掌 令和6年5月19日 頓首再拝>

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