伝統板・第二

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中村天風365話 - 夕刻版

2021/01/24 (Sun) 23:58:17

       *メルマガ「天風会」からの紹介です。


【 1月1日 】 心の思考作用と、宇宙を司る宇宙本体の創造作用

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 ▼思い方考え方次第で、無限の強さと
  生命の無限の自由が自然と出てくる
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

思い方や考え方が積極的であれば、
積極的なものが出来、消極的なら消極的なものが出来る。

そういうように真理が出来ている。

人間の境遇だとか、
その人の現在に同情するということはないのである。

真理というものには同情はない。
峻厳侵すべからずである。

この法則を厳として自覚し、常に、
この法則を乱さないように活きるならば、
人生は、期せずして大きな調和のもとに満たされる。

そして、無限の強さと、生命の無限の自由というものが、
自然的に出てくる。

だから、どんな場合にも、心の思考作用と、
宇宙を司る宇宙本体の創造作用
 ―― ものを産み出す力 ―― とは、
別々に分かれているのではなく、
本質的に、一つのものである
ということを忘れてはならない。

(以上、中村天風『運命を拓く』より抜粋引用しました。)

 (メルマガ「天風会」2019.01.01)

・・・

【 1月2日 】 積極的精神とは

積極的精神とは、事あるも事なきときも、
常にその心が、泰然不動(たいぜんふどう)
の状態であるのをいうので、

要約すれば、
何事があろうが、たとえば、病難に襲われようと、
運命難におちいろうと、心がこれを相手とせず、

いいかえると
それに克(か)とうともせず、また負けまいとも思わず、
超然として安らかなまま落ちついている状態が、
天風哲学の理想とする積極心=平安を確保しえた心的状態
(絶対的の強さを持つ心)なのである。

(以上、中村天風『叡智のひびき』箴言17から抜粋引用しました。)

注1)泰然不動…落ち着いていて物事に
        驚かない、他の力によってゆらがないこと

注2)超然…物事にこだわらず、平然としているさま

 (メルマガ「天風会」2019.01.02)

・・・

【 1月3日 】 一切をほほえみにかえてごらん

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 ▼一切をほほえみにかえてごらん
  悲しいこと、つらいことが逃げてくから
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

悲しいことやつらいことがあったとき、
すぐ悲しんで、つらがってちゃいけないんだよ。

そういうことがあったとき、
すぐに心に思わしめねばならないことは、
すべての消極的な出来事は、我々の心の状態が
積極的になると、もう人間に敵対する力が
なくなってくるものだということなんだ。

消極的な出来事は絶えず、不用意な人々の
周囲を徘徊(はいかい)しているんだよ。

どんな場合にも心を明朗に、一切の苦しみ
をも微笑みにかえていくようにしてごらん。

悲しいこと、つらいことのほうから逃げていくから。

(以上、中村天風『心に成功の炎を』より抜粋引用しました。)

 (メルマガ「天風会」2019.01.03)

・・・

【 1月4日 】 生命の生存を確保することが先

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 ▼生命の生存を確保することが先
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

生活のことのみを重点として専念するというのは、
詳しくいえばいかにして利得を多くしようとか、
今日はどこに行こうかとか、
どうすればもっと楽しめるかとか、
あるいは何かうまいものを食べようとか、
よい衣服を身につけようとか、
たのしい恋愛をしようとか、
等々の種々雑多のことである。

これはもちろん考えねばならない
活きることに対する重要な事項に相違ない。

がしかし、真人として正しく完全な人生を
活きるためには、一つの人生の奥に存在する
侵すべからざる事実を忘れてはならない。

それは生命の生存を確保するということである。

もっと詳細にいえば、あれが欲しい、
これをこうしたい、ああしたいと
欲求する意念が人間の心頭に生ずるのは、
ひとえに活きている「命」があるからである。

心と身とを一つに結合して活きるという
人間の正真正銘の活き方を考えないと、
いのちのちから「生命力」が委縮減退し、
努力いたずらに空しくして効果極めて
少なしという、遺憾(いかん)なる結果が
心ならずも生じる。

真人(しんじん)たらんには、
その生活を考慮するに先(さきだ)ち、
生存を確保することを第一に認識すべし。

(以上、中村天風『真理のひびき』箴言24から抜粋引用しました。)

 (メルマガ「天風会」2019.01.04)

・・・

【 1月5日 】 やればできる

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 ▼時の問題によって区別はあっても
  観念の中ではすでにゴールしている
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

ああなりたい、こうなりたいではいけない。

ああなりたい、こうなりたいことをだね、
ひとつの現実の絵にして自分の心のなかに
はっきり描かなければいけないんだよ。

オリンピックの聖火のように燃やし続ける。

東京オリンピックで燃えてる火があれで消えちまったら、
もうなくなっちまうと思ったら大違い。

ギリシャにはちゃんと燃えているんだから。

元の火は燃えている、あくまでその絵を
心から離さないで燃え続けさせれば、
ひとりでに信念がフウッと固まっちまうんだ。
何をするんでもそれをやってごらん。

想像力を応用して、心に念願する事柄を
はっきり映像化することによって、
絶えざる気持ちでぐんぐん燃やしていると、
信念がひとりでに確固不抜なものになる。

これから東京なら東京に行こうと思って
歩きだしたら、もう東京に着いたと同じだ。

原因と結果は統一されているんだからね。

ただ、時の問題によって、
自分が到着する、しないだけの区別があっても、
観念のなかはもう行っちゃってるんだもの。

(以上、中村天風『成功の実現』 第10章から抜粋引用しました。)

 (メルマガ「天風会」2019.01.05)

・・・

【 1月6日 】 人間も地球にとっては自然物の一つ

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 ▼人間も地球にとっては自然物の一つ
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

この地球がすでに自然の力でできた自然物で
その自然物の地球の中で生まれた以上、
われら人類もまたこの見地からすれば当然
自然物の一つである。

そしてこの自然界に存在する自然物は、
どんなものであろうとも、皆一様に
自然界を統一する自然法則の支配を
受けているものであるということである。

人類が、その一生を通じて、「長さ」「強さ」
「深さ」「広さ」の具備する生きがいのある
人生生存を全うしたいと欲するならば、
何をおいても、その精神も肉体もそれぞれに
まつわる自然法則を順守して、かりにもこれに
背反してはならない。

即ち、どんな場合にも自然法則に絶対に順従すべきなのである。

(以上、『真人生の探究』第3章より抜粋引用しました。)

 (メルマガ「天風会」2019.01.06)

・・・

【 1月7日 】 心を積極的にする

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 ▼病や不運のときほど一層、
 「心を積極的にするのだ!」
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

どんなことがあっても、心に誠と愛を満たし
和を旨とした生活をすれば、造物主と自分
との結び目が堅固にできる。

自分の心を、明るく朗らかにいきいきとして
勇ましく、どんな場合があろうと心の働きの
状態を曇らせずにいくようにするなら、
造物主の心と同様の心持ちになる準備をしたことになる。

結び目を堅固に保つ用意が完全になれば
なるほど、造物主の無限の力が自然に
自己の生命の中へ、無条件に同化力を
増加してくるのである。

これが人間の最も正しい活き方である。

このような活き方をするとき、
生命の流れは容易に枯れることがない。

(以上、『運命を拓く』第6章より抜粋引用しました。)

 (メルマガ「天風会」2019.01.07)

・・・

【 1月8日 】 ニッコリから一日を始める

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 ▼ニッコリから一日を始める 
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

何十年来の私の習慣である。

朝起きると、まず第一に、ニッコリと笑う。

「今日一日、この笑顔を壊すまいぞ!」と自分自身に約束する。

毎晩の寝がけに、

「今日一日、本当にありがとうございました。

 本当に嬉しく、ありがたく、これからやすませていただきます」

鏡を前に置いて、顔を写してじいっと顔を見て、

「お前は信念、強くなる!」と

一言いって、床の中に入る。

そして、
『今日一日「怒らず、怖れず、悲しまず」を実行したかどうか』

『「正直、親切、愉快」に人生の責務を果たしたかどうか』

少しでも自ら省みるところがあったら、
「明日は、今日よりも、もっと立派な人間として活きるぞ」
ということを心に描く。

そして、いかなることがあっても、
喜びを感じ、感謝を感じ、笑いを感じ、
雀踊り(こおどり)して喜ぶ気持ちになって、
その一刻を過ごすのである。

(以上、『運命を拓く』第6章より抜粋引用しました。)

 (メルマガ「天風会」2019.01.08)

・・・

【 1月9日 】 自分の気持ちのもち方からよみがえらす

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 ▼自分の気持ちのもち方からよみがえらす
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

人間としてこの世に生まれた以上は、
どんな場合があっても、心の態度を積極的にして生きる。

人生の一切合財を始終プラスの状態にあらしめる。

それでないと、究極において、人生の幸福などということは
味わおうと思っても味わえない結果しかこないんです。

そこでだ、理想的な人生を生きるうえで
注意のうえにも注意をしなきゃならないことは、

「怒ってはいけないこと」
「悲しんではいけないこと」
「恐れてはいけないこと」なんです。

怒りや怖れや悲しみに虐げられない心構えが必要じゃないんですか。

新しい人生のよみがえりを実現可能とするには、
まず自分の気持ちのもち方からよみがえらす。

人生は、心の置きどころひとつで決まるんですよ。

(以上、『心に成功の炎を』第1章より抜粋引用しました。)

 (メルマガ「天風会」2019.01.09)

・・・

【 1月10日 】 本当の人間の正真正銘の活き方とは

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 ▼本当の人間の正真正銘の活き方とは
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

人間とは、いかなる場合があろうとも、自己が主でなければいけない。

そして主となるには、人にも物にも、
わずらわされない、とらわれないことである。

心の中を豊かにして人生を活きるという気持ちを
自分のものにしたときに初めて、本当の人間として活きられるのである。

ふだんからのこころがけとして
「真」「善」「美」以外には、心を使わない、
というように心をしてごらんなさい。

私自身が心を造り変えた手段なのである。

宇宙の心には「真」「善」「美」以外にはない。

「真」とは、いつわりのない「まこと」。

いつわりなき時間を送っているか、考えてみよう。

「善」とは、偏頗(へんぱ)なき愛をもって、
ものに接する行為と言葉である。

自分本位に自己の周囲だけに愛情を持つという偏りがあったら、
その人は本当の善を行っている人ではない。

「美」とは調和ということ。

どんな下手な人が描いた絵でも、
調和がとれているものであったならば、これは本当の美術である。

(以上、中村天風『運命を拓く』第9章から抜粋引用しました。)

 (メルマガ「天風会」2019.01.10)

        <感謝合掌 令和3年1月24日 頓首再拝>

中村天風365話(1月11日~1月20日) - 伝統

2021/01/28 (Thu) 00:31:09


【 1月11日 】 本当に楽しめる人生を始める

さあさ、そこでだ、あなた方にも楽しめる欲望のなかで
いちばん尊いものを教えてあげよう。

本能満足、感情満足、感覚満足、理性満足よりも、はるかにやさしい、
霊性満足を目標とする欲望だ。

霊性の満足というのは、常にできるだけ自己の言葉や行いで、よろしいか、
他人を喜ばせることを目的とする。

他人に親切にしてやった、
思いやりのあることをしてやった、
それが人間の本当の心なんだから、

そうした生活を重ねていけば、しぜーんとその人の言っていることや
行ってることが進化向上に順応するんです。

思いやりは、誠と愛の気持ちだから、それで人や物に接するとき、
自分自身の心に感じる快(ここちよ)さ、うれしさというものは、
価値がたかーい、とらわれのない喜び。

恵まれたときよりも、恵んだときのほうが、喜びが大きい。

とにかく人の世のため、嫌でも
誠と愛というものがでてくる思いやりの状態のまんまで生きてごらん。

(以上、中村天風『盛大な人生』第1章から抜粋引用しました。)

 (メルマガ「天風会」2019.01.11)

・・・

【 1月12日 】 たった今から目をさまそう

健康難に陥って、病をもっている人は、治った後の姿を心に描け。

自分が今まで踏んできたのと同じ誤れる道をもしも歩んでいる人があったならば、
それは間違いだということを知らせてやれ。

よき経験者として、そういう人をリードする
模範的な人間になろうということを心に描け。

運命の悪い人は、運命のよくなった状態を心に描きながら、
自分が成功し、自分が本当に理想を貫徹したとき、
必ずや人の世のためになることをするんだ、
己れひとりがいいことをするためにするんじゃないんだということを心に描け。

それから、日常の人生に生きている場合においても、人よ、かく生きるべしという、
俺は見本を、私は手本を、言葉に行いに常にしていくんだ。

よくなってから後を考えるまでもなく、
理想は理想に到達しないうちにも、理想する意志をくじかなければいい。

さあ、たった今から、別人のような
気高い人間に、もうなっているという信念で目をさまそう。

(以上、中村天風『盛大な人生』第3章から抜粋引用しました。)

 (メルマガ「天風会」2019.01.12)

・・・

【 1月13日 】 外界の印象を吟味する

自分の五官、感覚器官から、いつ受け入れたってことは、
自分は知りゃあしない。

知らずに受け入れたんだから。

しかし、その受け入れた事柄が、
現在の自分の観念や思想をつくっているんだということに
気がつかなきゃだめなんだぜ。

我々のこうやって生きてる間、
我々の周囲に存在する、ありとあらゆる事物、事象というものは、
精神生命に対しての栄養物なんだということです。

ちょうど肉体生命に対する栄養物と同様なんです。

「ああ、今この人が言ってる言葉、ああ、今この人がしているおこない、
 これは果たして受け入れていい言葉かおこないか、
 これは消極的か、あるいはそうでないか」

ということを十分に吟味(ぎんみ)しなさい。

外界の印象を取捨分別するということは、
言葉をかえていえば、感覚器官を正確に使用するということなんだ。

(以上、中村天風『心に成功の炎を』第6章から抜粋引用しました。)

 (メルマガ「天風会」2019.01.13)

・・・

【 1月14日 】 パッと何べんでも消極的な思考を追い出す

消極的な思考というものが
修行すると同時に消えてなくなっちまうというんなら、
私はあんた方に教えない。

いくら油断なく警戒してても、どこかの隙間からか潜在意識の中へ
ひょいっと入るように、できてると言うとおかしいが、入っちまうんだよ、
事実において。

だから、自分がこれでいいと思っても、
ひょいとその消極的な気持ちがいつか実在意識を侵してくる。

だから油断なくいつもそれを感じ、
「あっ、また実在意識が暗くなりかけてるぞ」と思ったら、

パッと

「これは自分の本来の心でないんだと。
俺(私)の心の宮殿の中はあくまでも尊いものでもって、
ほかのものをおらしめないぞ」と。

これも何遍(べん)でも戦うつもりで努力していってごらん。

それは一遍(ぺん)や二度や三度や五度や十度や百遍や千度でもって
成功しやしないんだから。

「倒れたら起きろ」「転んだら跳び上がれ」
というようなふうにやってると、
ありがたいことには習慣性能という特殊な性能が人間の心にあるので、

そうすると今度は、ほとんどなんにも困難を感じないで、
次第次第に我々の心を常に正当な状態に成長せしめていけるという、
ありがたい働きが我々の心にある。

新しい年の甦り(よみがえり)を現実化するには、まず
自分の気持ちの持ち方から甦らす。

よろしいかい?

(以上、中村天風『真人生の創造』第2章から抜粋引用しました。)

 (メルマガ「天風会」2019.01.14)

・・・

【 1月15日 】 相手方の気持ちになろう

社会のどの層に活きている人を見ても、自己の利害関係のみを本位とし、
いささかなりとも、利害関係に相剋(そうこく)のある場合は

「思いやり」などという心持ちを露(つゆ)ほども出さず、断然
極度のエゴイストになる人が実に多い。

そして、この風潮は、嘆かわしくも、
夫婦、親子、兄弟姉妹の間柄にも浸透している。

だから概して、和気あいあいたる、平和な状態の家庭が現代極めて少ない。

これというのも、思いやりという聖なる心情の発露に一番大切な根本要素である
相手方の気持ちになるということを考えないからである。

相手方の気持ちになるということは、わかりやすくいえば

「自分が先方の立場にいたらどうであろうか」

ということを考えることなのである。

万物万象のすべては、
もちつもたれつ、互いに助け合って調和を図りながら存在している。

どんな場合にも、人間のすべての人生接渉(せっしょう)に対しては、
まず、何よりも、相手方の気持ちになって考えてみることが、
もっとも正しい人生態度であり、実践すべきと心に銘(めい)すべきである。

(以上、中村天風『叡智のひびき』箴言4から抜粋引用しました。)

 (メルマガ「天風会」2019.01.15)

・・・

【 1月16日 】 人生の法則を巧みに使うには

「いかなる場合にも、常に積極的な心構えを保持して、堂々と人生を活きる」

ここに天風哲学の最も重点が置かれていることを忘れてはいけない。

病や苦難から逃げたり、避けたりせず、苦しみ、悲しみに挑戦し乗り越えていき、
自分の力でこれを打ち砕いていく気持ちになれ、というのが、天風哲学の真髄である。

「おい、よく考えろ、もっと奥を。

苦しい病に虐げられながらも
死なずに生きているという荘厳な事実を、
なぜ本当に幸せだと思わないのだ。

苦しい、情けないという思いも、
生きていればこそではないか。
造物主がお前を守ってくだされているのだ。」

「お前は、世界一の幸せ者だなあ。」

インドで、病のためにすっかり体が弱った私に先生がしみじみといわれた。

人間の運命の中に地獄を作り、また極楽を作るのも、
原因結果の法則があるからである。

それを知って巧みに使う者の人生は、
自由と自在とを得て、いつも理想的な生きがいのあるものになる。

(以上、中村天風『運命を拓く』第2章より抜粋引用しました。)

 (メルマガ「天風会」2019.01.16)

・・・

【 1月17日 】 生活態度を決定する

心を心の法則に従わせ、さらに肉体を、肉体に備わる法則に
従わせて活きることこそ、絶対真理である。

真理によって生まれ、
真理によって活きつつある我々は、
漫然真理を無視して活きることは許されない。

要するに、生活態度の決定ということは、
その真理の中にその生命を活かすということと同意義なので、
これこそ人生生活第一義諦(てい)なのである。

(以上、中村天風『真人生の探究』第3章より抜粋引用しました。)

 (メルマガ「天風会」2019.01.17)

・・・

【 1月18日 】 特定のことがらをする際、その時間内は絶対的に真剣になる!

心力であれ体力であれ、これを理想的に向上発達せしめるには、
ただ一つ訓練ということを現実にするより以外の手段はない。

有意注意を習性化する手段の実行に努力すると同時に、
諸事万事に対しいかなる場合にも必ず意識を明瞭にして折衝応接することである。

明瞭な意識を持続し得るには平素これに対する訓練を必要とするが、

具体的には毎日実生活を行う際、時間と仕事とを特定して
「気を込めて物事を行う練習」をすることである。

たとえば読書する時、その時間内だけは
絶対的に真剣になって行うというようにするのである。

特定の練習が繰り返し実行されていると、いつとはなしにそれがどんなことでも、
自分が非常に興味をもっていることを行う時と同じように、

あえて求めなくても、気分が少しも散ることなしに、
完全に気を込めて明瞭な意識で折衝応接することができるようになる。

(以上、中村天風『研心抄』より抜粋引用しました。)

 (メルマガ「天風会」2019.01.18)

・・・

【 1月19日 】 完全な健康は、平素の人生生活から所産される

人間はその人の肉体に欠乏している成分を含有する
食餌(しょくじ)を嗜好(しこう)し、

充分豊富に存在する成分をもつものは
肉体の自然的要求がないために、これを嗜好しないというのが
最も妥当な見解である。

がしかし特に注意すべきことは、
嗜好物なりというても、動物性のものや、アルコール類及び糖分を
過量に摂取することは、血液を酸性化して健康破壊の原因を作成する
という即ち天理に背反せる行為とて断然排斥(はいせき)すべきである。

(以上、中村天風『錬身抄』第4章から引用しました。)

 (メルマガ「天風会」2019.01.19)

・・・

【 1月20日 】 呼吸は肉体生命と精神生命の両方に活力を与えている

呼吸作用は一般科学者の考えるがごとく、
ただ単に吸酸除炭の作用を行うのみでなく、もっと広汎(こうはん)な意味で、
生命を現実に活かすのに必須なる活力=Vril(ヴリル)なるものを、
その命の中に充実せしめる特殊作用があるということである。

しかしてこの活力なるものは、
ただ単に吾人の眼に見える物質的の肉体生命のみでなく、

目に見えない、即ち各種の思想や観念ならびに能力を発現する
精神生命の方面にまで、その可能率を高潮する力と働きとを給与する
という尊貴なものなので、

しかもそれがこの呼吸という作用にて
即ち広義における全生命に充実せしめられる。

(以上、中村天風『錬身抄』第3章より引用しました。)

 (メルマガ「天風会」2019.01.20)

        <感謝合掌 令和3年1月27日 頓首再拝>

中村天風365話(1月21日~1月31日) - 伝統

2021/01/31 (Sun) 01:09:22


【 1月21日 】 生活を味わって活きると生活のスウィート面も見えてくる

生活の中の情味というものを味わって活きようとしないと、
ただ悲しいとか、苦しいとか、腹が立つとか、辛いとか、
等々の人生の消極的方面にのみ、その心が引きつけられて、

いささかも大きい楽しさを感じないで、
ただ活きんがための努力のみに、二度と現実に還り来たらぬ日々を、

極めて価値なく過ごすという無意味な人生を終始させる。

そういう人は、働くということが人間の本来の面目(めんぼく)で、
活きるために働くのではなく、働くために活きているのだという

正しい第一義的の考え方を、働きに対して持っていない。

だから、その働きに対する報償に、多くの場合満足感を感じない…、

いいかえると、働きの結果が、自分の思うように現れないと、
ただちに不平や不満や、あるいは時とすると自暴自棄にさえおちいる、

またそこまでならないでも、
活きる楽しさを感じない力弱い人生に活きるべく余儀なくされる。

もっともっと立体的に人生を観察すると、期せずして生活範囲の広いことと同時に
その内容が、ちょうど精工な織物のように、極めて複雑な色模様でちりばめられている
ことを直感する。

直感が生活の中から、相当楽しく、面白く、愉快で、スウィートだと思えるものを、
かなり量多く見出してくれるのである。

(以上、中村天風『叡智の響き』箴言13から抜粋引用しました。)

 (メルマガ「天風会」2019.01.21)

・・・

【 1月22日 】 何をおいても、心の大掃除をやらなきゃ

人間の心でおこなう、思考というものは、心の表面では実在意識がおこなっているが、
人間が何事を思うにつけ考えるにつけ、実在意識だけでなく、実在意識の奥の
潜在意識の中、観念要素の中に、消極的感情、情念をため込んでおくことが
いけないんだ。

われわれの思い方考え方がすこしでも消極的である場合は、直ちに、
われわれの活きる肉体生命に、驚くべき、よくない変化が現れる。

命を生かす上に直接に欠くべからざる血液とリンパの性能のすべてが、
消極的な感情、情念の発生と同時に、ディストロイ(破壊)されてしまう。

何をおいても、潜在意識、すなわち心の奥の、大掃除をやらなければいけないんだよ。

(以上、宇野千代著中村天風述『天風先生座談』十より抜粋引用しました。)

 (メルマガ「天風会」2019.01.22)

・・・

【 1月23日 】 ただただ実行しか手段はない

考えて下さい。

いったい、理解されていないことならいざ知らず、かりにも理解されたことが、
なぜ実行されないのか?ということを。

結論的に要約すれば、実行しようと思う意欲が徹底的でないという点に帰納される。

そして、実行意欲が徹底的でない原因は、
自己完成への情熱が熾烈(しれつ)でないということがらがあるからである。

自己完成に対する情熱が下火となっている自然的結果、
何よりも大切な実行意欲というものが、力弱く点滅するべく余儀なくされる
こととなるからである。

自己完成という人生の大事実を、たいした努力なしに、
極めて容易に達成しうるもののごとく、軽率にも簡単に考えてはいまいか。

「ただただ一生を通じて、実行あるのみである」と、
ただ一途たゆみなく真剣に実行する以外に手段なしと正念されて、
何をおいても、何事にも、感謝するように心がけることである。

(以上、中村天風『叡智のひびき』箴言5より抜粋引用しました。)

 (メルマガ「天風会」2019.01.23)

・・・

【 1月24日 】 意志の導きできょうを活きる

きょう以後、たとえいかなる苦しみ、悲しみ、困難に
出逢うようなことがあろうとも、

自分は、偉大な自然の法則に調和する気持ちで生きている。

すべてがおれの人生てえものは、
おれの気ままな心の導きで生きるのでなく、
おれの生命の本体である霊性の導きで生きるのだ。

だから、それにお任せしさせすれば、
おれの人生は、どんな場合があっても、幸福の道へ、
ただひとりでに行くだけのことなんだ。

今までのおれは、不幸のほうへ、おれの心が導いてったんだ。

もう既におれの心は、おれの心に使われるような心でなくなっているのだから、
おれの心は意志が使っているのだから、

意志の導きで、おれの人生というものは、
黙っていても幸福の道へと、私を、その意志が導いて連れてってくれるという、

本当の強さと、本当の心の中の落ち着きが、つくり上げられるんです。

心の使い方を、かりそめにも、いやしくも、
なさずという、堅固な決心でもって、
きょう以後の人生に生きるように、心がけてごらん。

そうすると、期せずして、精神生命はその可能率を目覚ましく向上してきて、
そうして初めてこの、万物の霊長たる人間としての、立派な資格が
つくられるから。

(以上、中村天風『心を磨く』第3章より抜粋引用しました。)

 (メルマガ「天風会」2019.01.24)

・・・

【 1月25日 】 幸いとよろこびとを斎き(いつき)贈らん

自己の本能や感情の欲する満足のみを、ひたむきに求めている
…それを人として当然のことのようにさえ考えている…
という心もちは、虫けらや鳥や獣でももっている。

人間だけしかもっていない、たとえば
公のことのために自己を捨ててつくしているとか、
義務のために卑小な私欲を捨てて働いたとか、
師恩に報いるために一切を犠牲にしてその師のために尽瘁(じんすい)している
とかいうような、

何ともいえない頭の下がる尊い心から
為される消息や事実というような尊いものを求めるべきではないか。

本能や感情の満足を求める卑しさを乗り越えて、尊いものを願うという
そのこと自体がすでに尊い。

(以上、中村天風『哲人哲語』8より抜粋引用しました。)

 (メルマガ「天風会」2019.01.25)

・・・

【 1月26日 】 積極的な心の態度が、徹底的に自己を守り愛することにつながる

怒ったり、悲しんだり、怖れたりする度に、
その消極感情の発作の影響が、肉体生命の活きる力までを全体的に弱めて、
あるいは病の近因を作りまたは早老の遠因を作るという生命に甚大な危険を、
その度毎に醸成しているということを気づいていない人もある。

もっとも気づかないからこそ、無造作に怒り、
軽率に悲しみ、無分別に恐怖するのであろうと思う。

詳しくいうと、怒ると血液は黒褐色に変色し、その味わいは渋くなり、
悲しむと茶褐色となって苦味を呈し、恐れると淡紫色傾向となって、酢味を感ずる。

このように変色変味した血液は一様に酸性化し、
肉体健康はたちまちその障害を受けて、何かの疾患に必ず犯されるに至る。

心の態度が消極的となり、その結果、肉体生命維持の各機能を直接間接に司どる
神経各系統が、その生活力を減退するため、それが一切の根本原因をなすからである。

自己を徹底的に守り、徹底的に愛するものは、
自己以外に絶対に無いということに想到すれば、
より一層、粛然たるものを感じなければならない。

(以上、中村天風『真人生の探究』第2章より抜粋引用しました。)

 (メルマガ「天風会」2019.01.26)

・・・

【 1月27日 】 自分の人生を粗末にしない

あなた方がまだ前途に非常な大きな希望をもち、
人生に対する期待に胸ふくらませて生きる二十歳代の人間なら、
もうこういうお断りする必要ないけれども。

みんなそうとうのご年配だろう。

ご年配になりゃなるほど考えなきゃならない重大問題を、
面倒くさいわけじゃないけども、

「そんなこと考えたってしょうがねえや、もう。
どうせまあ、先はそう長かねえからな」

というふうに考えてる人が多いんですよ。

そうなると、人生の生き方が場当たり本番で、
深い思慮も少しも行われないということになりますね。

そして、あたら一回かぎりの人生が、
心ならずもきわめて価値なく、粗末にされてしまったという結果がくるんです。

他人と取りかえることのできない、
宇宙本体から授かった大事な自分の命を守るのは自分自身であるはずだ。

天にも地にもかえがたいこの命を本当に大事に思ったら、
きょうから心をいれかえましょう。

そうして、磨きたての真珠を薄絹で包んだような心にしましょう。

尊い心、ちり一点の汚れのない心。

さあ、たった今からその心で生きていこう。

そして、そうした人の生命の存在は、
何をしようという気持ちがなくっても、
してること、言ってることが人の世のためになるんだ。

(以上、中村天風『盛大な人生』第6章より抜粋引用しました。)

 (メルマガ「天風会」2019.01.27)

・・・

【 1月28日 】 生きてる間は生きてるように生きろ

ただ、私は、現在生きてることを楽しんでるだけなんだ。

肉体がどうあろうが、こうあろうが、そんなことは何ともない。

人生は、心一つの置きどころなんだ。

おかげさまで、肉体を自分だと思わなきゃ、心を自分だと思いやしねえ。

時がくりゃ、死ぬにきまってる。

とにかく、よしんば千年生きていてもね、
生きる人はなかろうけれども、
夢一瞬の短さだよ、死んじまってみりゃね。

さあ、である以上は、この一生、
生きてる間は生きてるようにして生きましょう。

生きてるように生きろというのは、
生きてることを楽しみにして生きることだよ。どんな場合でもよ。

私はここにいて、体のぐあいが悪いことを感じたとき、

「ああ、うれしい、それでもこうやってご奉公ができる」
と、こう思ってる。

死んでないかぎりは生きてんだ。
そうしたら、生きてることを楽しもう。

(以上、中村天風『心に成功の炎を』第3章より抜粋引用しました。)

 (メルマガ「天風会」2019.01.28)

・・・

【 1月29日 】 だれにでも積極的精神態度をつくることはできる

積極的精神態度をつくることは、だれにでもできることです。

正当な方法を系統的に、秩序正しく実行しさせすれば、
必ずだれにでもできる事実なのであります。

ですから、自分は駄目だ、俺は生まれつき心が弱いんだとか、
神経が過敏だからというふうに価値のない、安っぽい見切りを
自分につけないことであります。

ただ今まで気がつかなかっただけで、
生まれながら与えられたる天賦(てんぷ)の積極的精神というものが
人間の生命にはある。

その天賦のもの、いちばん尊いものが
自分の生命を完全につくりあげる原動力的要素をなす。

この与えられたものを発現できないはずは
ないんだという敢然(かんぜん)たる信念を
我れと我が心にもつことであります。

それが何よりもいちばん先に必要な準備であります。

(以上、中村天風『成功の実現』第2章より抜粋引用しました。)

 (メルマガ「天風会」2019.01.29)

・・・

【 1月30日 】 たった今から実行にお取りかかり願いたいんであります

不平不満が心のなかにあると、どうしてもその言葉が積極的になりません。

はたはみんな幸福で、自分だけが
この世の中でいちばん不幸な人間のように考えちゃってる。

この考え方から出てくる言葉は、必ず
未練であり、愚痴であり、もう価値のない世迷い(よまい)ごとだけであります。

暗い考え方でものを見れば、どんな場合でも喜びと感謝は感じられません。

けれど、どんな些細なことでも感謝を先にして、喜びでこれを迎えたならば、
お互いの住む世界はそれこそ黄金花咲く爛漫(らんまん)たる
喜びの花園になります。

お前の生き方に誤りがあるぞと、自覚を促すために事実が与えられたとしたら、
これを大きな恵みとして考えたら、
悔やんだり、嘆いたり、心を弱くする暇があるんなら、
本来の積極的な方面に心をふり向けかえる。

事業がうまくいかない時でも、

「俺の心構えなり、方法なりに大きな間違いが
 あったのを、天が教えてくれているんだなあ。

 俺の筋道の違っているところがあるんだなあ。ああ、ありがたいことだ。

 このままつぶれてしまっても仕方ないのに、
 とにかく、生かしておいてくだされた。
 また盛り返すこともあるわい」

と考えなさい。

人生を完全にする秘訣はただもう自分の心のおき方を変えるだけでいい。
やろうと思ったら必ずおできになる。

もう躊躇なく、たった今から実行にお取りかかり願いたいんであります。

(以上、中村天風『成功の実現』第2章より抜粋引用しました。)

 (メルマガ「天風会」2019.01.30)

・・・

【 1月31日 】 自分のいのちを活かすこと

真人とは、道を知り、これを行うて活きるもののことをいうのである。

およそこの世にありとあらゆることに、
意味なく生まれ、意義なく存在するものはないという
宇宙真理の厳格なる規定を考察する時、

かりそめにも真理に則して、人生に活きんとする者は、
恒に人生に活きる時の考念を、かりにもザイン(SEIN)とせずして、
エルデン(WERDEN)として活きるべきだ
といったホルムスの言葉を、現実に活用すべきである。

注)SEINは「存在」、英語のbeと同じ意味で
  あるのに対し、WERDENは「生成」を意味
  し、1人称で使用する場合は、強い意志や
  約束など未来に向かった動きを意味する。

(以上、中村天風『哲人哲語』17「真人というものの責務」より
 抜粋引用しました。)

 (メルマガ「天風会」2019.01.31)

        <感謝合掌 令和3年1月30日 頓首再拝>

中村天風365話(2月1日~2月10日) - 伝統

2021/02/06 (Sat) 21:49:29


【 2月1日 】 心の中で戦争しない

俺はお前と同じ人間だぜ。

裸にしてみればへそは一つしかない。
痛いときは痛い。悲しいときは悲しい。
腹の立つときは腹が立つよ。

だけど俺はそれにこだわらない。

走る車の中で、窓外の景色を見ているのと同じで、
列車がフルスピードで走っているときに、
外の景色を気にしてはいないじゃないか。

外の景色があると思っても眼に止まっただけで、
スーッと行き過ぎてしまうじゃないか。

それと同じようにするんだ。

腹の立つことがあろうと、悲しいことがあろうと、
瞬間に心から外してしまえばいいんだ。

心を積極的にすることを心がけて、
自分の心を汚さないようにするには、
気がついたらすぐそれを拭いてしまえばいいじゃないか。

良い運命の主人公として活きていきたかったら、
何をおいてもまず、心を積極的にすることに注意深くし、
始終自分の心を監督して行かなければならない。

瞬間、消極的なことは、心の中に入れないことだ。

入れないように頑張ると、
心の中で戦争しなきゃならないから、ふっといなす。

相手にしなければいいんだ。

(以上、中村天風『運命を拓く』第6章より抜粋引用しました。)

 (メルマガ「天風会」2019.02.01)

・・・

【 2月2日 】 自分は幸福の花畑の主人公だと思って、たった今から生きる

人間はね、事実で幸福を感じようとしちゃいけないのよ。

ほしいものが手に入った、ああ、幸せだ。
これはだれだって感じるこった。

会いたい人に会えた、ああうれしい。

そういう気持ちでいるてえと、
今度は悪いものが来たときに、今度は悪く感じる。

心の中につくっちまうんだよ、幸福の花畑を。

身に病ありと言えども、心まで病ませない。
運命に非なるものがあっても、心まで悩まさない。

いつも自分は幸福の花畑の主人公だと思って生きたらどうや。

どんなに金ができても、どんなに健康があなた方を恵んできても、
わからねえ人は幸福を感じないでしょう。

どうぞきょうから完全に
自己陶冶(とうや)を実行できる人になれるという信念で、
たった今からの人生に、新しい勇気と、信念と力で踏み出してください。

(以上、中村天風『心を磨く』第6章より抜粋引用しました。)

 (メルマガ「天風会」2019.02.02)

・・・

【 2月3日 】 きれーいな想像の絵を心に描くと、人生という作品も完成に向かう

月並(つきなみ)なことを言うようだけども、
モデルが完全であってこそ、作品も完全なんだ。

想像はつまるところ、人生形成のモデルなんだねえ。

だから、心のなかに想像の絵を立派な状態で常に描くことを心がけるならば、
自己の肉体はもちろん、人生のいっさいを
極めて有意義に自然がつくってくれるんだ。

なぜかと言えば、立派な作品を完成する土台ができてるんだから。

本当に明るい、朗らかな、生き生きとして、
勇ましい想像…最高最善のものに
我々の心をしておくことが何よりも必要ね。

自己の想像作用を
もっときれーいなものにすることを第一に必要とする。

すると理想も高級、人生も高級になる。

そうした摩訶力(まかりょく)が
宇宙から人間の生命に与えられようと用意されているからなんだ。

これが尊厳おかすべからざる宇宙の法則。

(以上、中村天風『盛大な人生』第3章より抜粋引用しました。)

 (メルマガ「天風会」2019.02.03)

・・・

【 2月4日 】 自然法則に背かない生活とは

心と体を結合統一する根本条件というのは、第一にです、
「生命の生存」を確保するということを現実に考えなきゃいけないことなんです。

命があるからこそ、言い換えればこうして
生命が死なずに生存しているからこそ、生活というものができるんでしょう。

生命の生存の確保には心と体の両方を、
自然法則に絶対に背(そむ)かないようにするということなんであります。

自然法則に背かないというのは、第一に心は、
すなわち精神生命は、いかなるときにも人生、および生命に対してその態度を絶対に
積極的であらしめるということです。

それから体のほうは、どんな場合にも、
肉体生命の生存条件に、これまた背かないようにすることなんです。

第一に食物です。
食物はできるだけアルカリ性のものを余計食べるようにすることです。

植物性の食物、野菜や果物をでき得る限り余計食べることなんであります。

動物性の食べ物は往々血液を酸性化して、
理想的な血液である弱アルカリ性という状態を失わせる原因を
多く持っているがためなんです。

血液の理想型は、弱アルカリ性でないと、
血管の硬化を速からしめて、血圧を高めたり、
また老化状態を促進するよくない結果をつくる場合が多いからであります。

(以上、中村天風講演録CD『健康と長寿の秘訣』より抜粋引用しました。)

 (メルマガ「天風会」2019.02.04)

・・・

【 2月5日 】 ▼一切の生命をしのぐ力の結晶が人間である

鶏は卵から出来、卵は鶏が産む。
一番初めは卵でもないし、鶏でもない。

哲学では根本的本源実在、
科学では極微粒子的なものとして
エーテルと名づけている一番根本の実在、
ただ一つのエネルギーを産み出す元が、
今あるような宇宙の鋳型を創り出したのである。

たった一つの、宇宙の本体が産み出したものが、神羅万象である。

形が、つまり目の前にあるというのは、
宇宙本体の力が、まだこもっているからである。

この宇宙エネルギーは、まず人間の心の働く場である脳髄で受け入れられ、
それが神経系統に送られ、命を活かす力になる。

人間の活きる命の力は、
心の態度を積極的に保つことでその受け入れ量を豊富にできる。

人間というものの生命は、一切の生命をしのいでいる力の結晶だと、
心にしっかり堅持することである。

(以上、中村天風『運命を拓く』序章〜第1章より抜粋引用しました。)


 (メルマガ「天風会」2019.02.05)

・・・

【 2月6日 】 相手の心を暗くするような言葉を自分の口から出さないこと

不得手(ふえて)なことや嫌いなことを「おれは弱いんだよ」と言いますね。

「おれはあれだ、酒に弱いんだよ」
「おれは競馬、競輪に弱いよ」
「女に弱いよ」とか。

それをどうしても言いあらわしたかった
ならば、「おれは強くないんだよ」、
これでいいじゃねえか。

「弱い」より「強くねえ」ほうが、
「強い」という言葉があるだけでも、
自分の気持ちの中にいい響きがくるんで、
「丸い卵も切りよじゃ四角」だろ。

あなた方が、たとえまじめな話でなく、冗談話をしてるときでも、
私と話をしてると、何となく気分が浮きたつように積極的になるというのは、
私の言葉が、どんなことがあっても、否定がなく、
悲観がなく、消極がないからなんだ。

どんな場合があっても、聞いてて、
あなた方があなた方の心を暗くするようなことを、
私の口からけっして言いませんよ。

それは、私はあなた方の心に、魂に、毒薬を飲ませたくないからです。

言葉ばかりは、どんなに気をつけても、
気をつけすぎて困るということはないんだから。

心がけるべきことは言葉なんであります。

(以上、中村天風『心に成功の炎を』第2章より抜粋引用しました。)

 (メルマガ「天風会」2019.02.06)

・・・

【 2月7日 】 天風式クンバハカ法を習慣化するコツ

クンバハカというのは最も神聖なる状態っていうんだ。
ホリー・アティチュード。

インド哲学は何でも難しいところへいくと、
それから先は悟れというんですが、
一年七カ月かかって悟れたのがこの「クンバハカ」。

「天風式クンバハカ法」の習慣をつけるのに
いちばんいい一石二鳥の方法がある。

日に何千回でもいいから、深呼吸をすることを稽古なさい。

深呼吸は出すだけ。深呼吸なんだから、「呼」のほうから先におし。

そのときに、肛門は締めておいて、肩だけ落として、腹のほうは考えないで、
息を出すだけ出しちゃう。

出しちゃって、出切ったなと思ったときに、
改めてまた肛門を締めて、肩を落としておいて、息を吸い込む。

いっぱい吸い込んだときにおなかにぐっと力を入れて、そしてまたハーッと出す。

一度に二回か三回でよろしい。

日に何千回でも、意識的にそれをやってみる。

(以上、中村天風『成功の実現』第5章より抜粋引用しました。)

 (メルマガ「天風会」2019.02.07)

・・・

【 2月8日 】 ▼もとがなくてできたやつは一人もいやしない

いっさいの現象はみんな因縁(いんねん)から発生する。

因縁なくて発生するものないもん。
原因あって結果だろう。

因果応報(いんがおうほう)の法則だ。

たとえば、我々のこの体だってそうだろう。

真理からいえば、やはり因縁から生まれたものだ。

もとがなくてできたやつは一人もいやしないんだよ。

もとがあってできたのが因縁の具象(ぐしょう)と、こう言うんだ。

それを考えないで、
ただ一個の形のある物質的な肉体が自分だと思うからいけないんだよ。

まず物を見るのに自分を忘れて見ろ。

それから、自分を忘れて物を見たら、今度は物を忘れて道を見なさい。

「忘己観物(ぼうこかんぶつ)忘物観道(ぼうぶつかんどう)」。

(以上、中村天風『成功の実現』第5章より抜粋引用しました。)

 (メルマガ「天風会」2019.02.08)

・・・

【 2月9日 】 本心良心そのままという気持ちを心がけの第一とする

「陽気の発するところ金石また透(とお)る」という古いことわざがありますね。

この言葉こそ人々に、

「まずその心を、どんな場合にも消極的にしてはいけない。
 あくまでも積極的いっぺんとうで人生に邁進せよ。
 そうすれば、そこに成功があり、成就があり、健康があり、長寿があるぞ」

と示唆(しさ)している尊い言葉であります。

それから次は、

「自ら省みて直(なお)くんば、千万人といえど我れ往(い)かん」。

この言葉こそ、本心良心の発動した
結果現象の尊さを形容している言葉なんです。

どういう場合に直面したときでも、
本心良心に悖(もと)った言葉や行いは断然しないことです。

自分の言葉や行いは常に本心良心そのままという気持ちを
心がけの第一とされたいのであります。

というのは、本心良心に悖ると、
やましい観念のために心の力は常に委縮してしまう。

本心良心に悖った言葉や行いというものは、それ自体がすでに消極的なんです。

一言ものを言うときでも、ちょいとした手足を動かす場合でも、

本心良心に悖らないようにしなければいけません。

本心良心に悖らない、
むらのない心から働き出される事柄にどんな結果がくるか、

これはもう考えなくてもおわかりのことと思います。

(以上、中村天風『成功の実現』第2章より抜粋引用しました。)


 (メルマガ「天風会」2019.02.09)

・・・

【 2月10日 】 楽しい、うれしい気持ちになることを
          思ったり考えたりしてから眠りにつく

これから毎晩、眠りにつこうとする前に心のお掃除をする習慣をつけましょう。

たとえ現在、自分がどんなに自分でも
愛想のつきるほど神経過敏な人間であろうと、

あるいはまた、よからぬことを考える人間であろうとも、

夜の寝際の寝床の中だけは
世界一善良な人間、世界一神経過敏でない人間になって寝て、

けっして差しつかえないんだから、そうなさい。

できそうもないっていうような顔をして、私の顔を見ている人がいるねえ。

もうひとつ別の方法を教えてやろう。

思えば思うほど楽しく、
考えれば考えるほどうれしいことだけ思ったり、考えたりして
寝るようにしてごらん。

人に言えないことで面白いことや、楽しいことあるだろう。
あれを思うんだよ。

そのうちにだんだん、だんだん、心がきれいになってくると、

「ああ、今まで楽しいと思っていたことは、
 あれは思っちゃいかんことだ」

と思えるようになるから。

ジメジメ、キナキナ、クヨクヨ、心を暗くするよりは、

思えば思うほど楽しく、考えれば考えるほどうれしい気持ちになれば、
何となく心が晴々(はればれ)するじゃない。

それを毎晩毎晩やっていると、
どんどん心のなかがきれーいに洗われてくるんだ。

(以上、中村天風『成功の実現』第4章より抜粋引用しました。)

 (メルマガ「天風会」2019.02.10)

        <感謝合掌 令和3年2月6日 頓首再拝>

中村天風365話(2月11日~2月20日) - 伝統

2021/02/14 (Sun) 00:44:03

【 2月11日 】 心の態度を積極化するとすべてが自然と好転する

人生に対する精神態度が、絶対的に「積極化」すると、
いかなる場合にも、また、いかなることに直面しても、

あたかも熟練した技師が精巧な機械を、
まるで自己の手足を使うかのように「心」の操縦が大変上手くゆき、

すなわち使うべきものは使い、使うべからざるは使わないという、
取捨分別を、適宜にすることができる。

これは「心」の操縦の根本的原動力ともいうべき「意志の力」というものが、
あえて求めなくても、自然的に実在意識領に
煥発(かんぱつ)されて来るためである。

多くいうまでもなく、
人事世事すべての人生のできごとの一切に応接するものは「心」である。

したがって、万一にも、そのときの「心」の態度が消極的であると、
そのできごとを完全に処理解決することができなくなるというのは、

前記の意志の力なるものが、十分に
実在意識領に煥発されてこないからである。

「心」というものは、厳格にいうと人間の
「いのちの活きるために使う生命用具」であるから、
絶対にこれに使われるべきものでない。

健康や運命が意のままにならないときほど、
「心」の態度をよりいっそう積極的にするのが
最も大切で忘れてはならないことなので、

そうすれば生命の内在力(潜在勢力)が
期せずして湧然(ゆうぜん)として現れて、

健康も運命も、自然と好転してくるというのが、尊厳なる宇宙真理である。

(以上、中村天風『真理のひびき』箴言1より抜粋引用しました。)

 (メルマガ「天風会」2019.02.11)

・・・

【 2月12日 】 完全な人生に必要なもの

「人生とは何か」。

予は吾々(われわれ)の生命が活きているという
「現実」なるものに対する別名であるといいたい。

命の活きているという「現実」とは、
活きているという事を、明確に、
意識する刹那(せつな)刹那の一コマ一コマの継続を指していうので、

これは要するに、厳格な主観的なもので、客観的のものではないのである。

そこで次に知っておきたいことは、「完全な人生」ということであるが…、

要約すれば、生命の現実存在を明確に意識するその瞬間瞬間を、
何の不満感も、いささかの不平感をも感ぜずして、

いつもよろこびに活きられている状態の人生をいうのである。

しかして、そうなるには、敢えて多くいうまでもなく、
何よりもまず必要とするものは、
活きる「力」を量的にはたまた質的に充実せしむるということである。

(以上、中村天風『哲人哲語』10「統一式の修練ということの真義」より
抜粋引用しました。)

 (メルマガ「天風会」2019.02.12)

・・・

【 2月13日 】 全生命を積極的に活かすには

ねえ、皆さん。

多く申すまでもなく、
お互いの人生というものは、たった一回限りなのであります。

二度も三度も生まれ変わって繰り返すことはできないのであります。

考えてみると、誠にこの消息は厳しいものであります。

である以上はですよ、

現在の人生はたった今から、できる限り完全な状態で生かさなきゃいけません。

いな、完全な状態で生かすということが、命を与えられた、お互い人間の、

自分の生命に対する、断然ゆるかせにすることもできない
大きな義務じゃありませんか。

そうでしょう。

もっと詳しく言えば、健康も運命も、
立派な完全な状態で生かすように心がけなきゃいけないのであります。

何をおいても、まず第一番に心を、言い換えれば、精神態度というものを、
どんな場合にも、積極的に堅持して、
そして、全生命を積極的に生かすという根本条件を
しっかりつくり上げることなのです。

古いことわざにも、

『陽気の発する処(ところ)金石も亦(また)透る』

というのがありますね。

この言葉こそ人々にまずその心を
どんな場合にも、消極的にしちゃいけない、
あくまでも、積極的、一辺倒で人生にまい進せよ、そうすれば

そこに成功があり、成就があり、健康があり長寿があるぞと、
示唆している尊い言葉であります。

(以上、中村天風講演録CD『積極性と人生』より抜粋引用しました。)

 (メルマガ「天風会」2019.02.13)

・・・

【 2月14日 】 心身の発達によくないものに気づき、とりいれないこと

飲食物を吟味することなしに
手当たり放題に肉体に摂取すると驚くべき結果が招来されるように、

万一外界の印象を不用意に何らの吟味も施さず分別もすることなしに
一切合財をそのままに心に取り次ぐと、

それを受容した心は立ちどころにその発達を阻害され、
知らず知らずの間に心の力も働きも劣弱化することになる。

もともと、外界の印象の中には
吾人の心をともすると劣弱に陥れるような消極的なものがすこぶる多分に存在する。

したがって、もしもなんらの吟味も分別も施さずに外界の印象を心に取り次ぐと、
心の中にはいつしか消極的な観念や消極的な思想が多量に作られることとなる。

認識力の正当な養成を最も正確に達し得るには、
第一に外界に存在する事物事象をわが心に
受容する特設的な関門、五官を啓発すること。

第二に潜在意識領に蓄積されているいわゆる不純の思想や消極的観念の
排除(精神内容の浄化と整理)を正当に解決することである。

(以上、中村天風『研心抄』第4章より抜粋引用しました。)

 (メルマガ「天風会」2019.02.14)

・・・

【 2月15日 】 人生の幸福とは

自分だけのことをよろこびとするような狭い、卑しい考え方で人生に活きると、
なかなかもってそうやたらと自分のよろこぶようなことが
人生にしばしば与えられるものではない。

したがって、物質本位のエゴイスティック(利己的)の生活をする人には、
人生の幸福などということは仮にあるとしても、
それは極めて程度の低いものでしかない。

そういう状態で人生に活きている人が、
むしろ「人」と呼ばれる「人」の姿だというように思っているのが、
現代人の人間を考える考え方であるということに想到(そうとう)すると、

「おもしろき こともなき世を おもしろく すみなすものは こころなりける」

という、尊い人生消息に実感的共鳴をもち、

「苦」をなおかつ楽しみに振り替えて活きられる人は、
まことに至幸至福の者だと思惟(しい)せざるをえないのである。

(以上、中村天風『叡智のひびき』箴言15より抜粋引用しました。)

 (メルマガ「天風会」2019.02.15)

・・・

【 2月16日 】 まごころのこもった行為には絶対の強さがある

「ただ本心良心の命ずるままに従っただけなので…、

理性的判断をしていたなら、
すぐさま恐怖念なり、躊躇感が発生してきて、
あるいは銃声を耳にすると同時に、一歩も前に出なかったであろうよ。

けれども、その時の自分の心の中には、
自分本位のことよりも、気の毒な人を救わなければ…という、
愛憐(あいれん)の気持ちだけしか発動しなかった。

つまり、後になって考えると、それが有難い本心良心の発動だったので、
さてこそ自分でも不思議なくらい平然たる態度で終始し得たので、

要するに、これが本心良心というものが絶対的のものである証拠だと思うよ」。

(以上、中村天風『叡智のひびき』箴言29より抜粋引用しました。)

 (メルマガ「天風会」2019.02.16)

・・・

【 2月17日 】 生きていかれるこの不思議、
          生命の力は心の状態によって左右される

心は腹立てちゃいけないときに腹がたったり、
心配しちゃいけないときに心配したりする。

病のとき病を気にすれば、
どんどん病が悪くなるとも、よくならないことは千万承知してます。

喀血(かっけつ)ひとつだって、気にすれば必ず分量は多くなるし、

脈ひとつだって、気にしたら心悸亢進(しんきこうしん)をたちどころに起こす。

知ってても、どうにもできないので困りぬいてました。

「万物の霊長だなんて名ばかりだ。何だ、人間、苦労しにきたんじゃないか」

とこう思い込んでいました。

もしも私が、完全無欠な人間だったならば、
人生を考えようとする気なんか起こしはしません。

息をして、物を食って、たれるものをたれて、夜寝て、
昼間起きていて生きていかれるという、この不思議さは、
神経系統の生活機能がいっさいを行ってくれているがためなんだ。

その神経系統の生活機能は、
心が積極的でないと完全に働かない、アンバランスになっちまうんだよ。

生命の力が増えて来ないと、
どんなに学問をしようが、どんなに名誉や地位を高めようが、
また金が出来ようが、

健康も運命も、完全にはならないのであります。

(以上、中村天風『成功の実現』第3章より抜粋引用しました。)

 (メルマガ「天風会」2019.02.17)

・・・

【 2月18日 】 真人としての真の気高さを堅持すべし

多くいうまでもなく、その顔の各々それぞれ異なるごとく、
その心もまた異なっている人々の中で活きていくとき、

そうめったに自分の気持ちにぴったりと合致する人が、
そうやたらといるはずがない。

事実において、清濁をあわせ呑まない心でこの混沌たる人生を活きると、
自分の活きる人生世界が極めて狭いものになる。

真に縁なるものの尊重すべきもの、
疎かにすべからざるものであることを、正しく知得する人は、

みだりに他人に対して、悪意ある批判などはなさない。

ましてや、悪口や、中傷や、憎悪や、怨恨などという価値なきことを、
絶対にその心に抱かない。

知り合う仲となった者を、
己の気に食わぬとか、あるいは心に合致しないとか、
彼にはこういう欠点があるとか、またはくみしがたき習癖があるとか
理由をつけて批判排斥して、

せっかく結ばれた因縁を無にするのは、
むしろ極言すれば、天意を冒とくする者というべきである。

すべからく、自己の心的態度とその状態とに、厳しい内省検討を施して、
いやしくも人を憎んだり、怨んだり、いわんや中傷するがごとき
卑しむべき言動は決してなさざるよう、
われとわが心に厳命すべきである。

そして、恒に、
真人としての真の気高さを堅持すべしである。

(以上、中村天風『叡智のひびき』箴言16・18より抜粋引用しました。)

 (メルマガ「天風会」2019.02.18)

・・・

【 2月19日 】 嬉しい・楽しいことだけ考える

哲学者のカントは

「ここでは考えごと無用」

と書いた紙を自分の寝室に貼っていたと言います。

寝床の中では、考えごとはしないほうがよいのです。

とくに、怒り、怖れ、悲しみといった消極的なことを考えてはいけません。

寝ている時は身体が休む状態になり、
身体を倒した時は昼間とは違った状態になっています。

身体から力を抜き、心も十分にゆるめることが必要です。

「夜の寝際は何でも良いから、嬉しいこと、楽しいことを考えなさい。
 磨きたてた真珠を、薄絹のベールに包んだような
 きれいな気持ちになりなさい」

と中村天風は諭しています。

(以上、南方哲也『天風入門』第2章より抜粋引用しました。)

 (メルマガ「天風会」2019.02.19)

・・・

【 2月20日 】 お前は患ってやしない

以下は、ヒマラヤのカンチェンジュンガの麓(ふもと)で
カリアッパ師と中村天風の問答を再現したもので、

2/14に発売された天風会南方哲也講師著『心を研ぎあげる』からの抜粋です。

-------------------------------------------

カリアッパ(以下、カ)
「お前、その腰に回しているターバン、お前か?」

中村天風(以下、テ)
「これは私の腰に巻いている品物です」

カ「それはわかっているのか?」
テ「わかっていますよ」

カ「じゃ、その体はお前じゃないはずだ」
テ「なぜ?」

カ「それはお前のものよ。
  ターバンと同じに、お前の生きる命の道具なのだ。

  お前は道具を自分だと思っている。
  そんな考え方をしているから、お前は、
  現在の病は、お前が患っていると思っているだろう?」

テ「そりゃそうですよ」

カ「お前というものは患ってやしない。お前の命は、病を患っていないはずだ。
  お前の命が使う道具である体に故障が起こっているのを、
  お前は、お前が患っていると思っているのだ」

体が自分、心というものは自分という肉体が
生きるために必要な仕事を行うべく与えられていると、
中村天風は思っていたのです。

(抜粋は以上)

 (メルマガ「天風会」2019.02.20)

        <感謝合掌 令和3年2月13日 頓首再拝>

中村天風365話(2月21日~2月28日) - 伝統

2021/02/24 (Wed) 23:20:30


【 2月21日 】 不平や不満を感じない境涯がある

人間の心はね、その働きの上から、哲学的に言うと、

「実我境(じつがきょう)
「仮我境(かがきょう)」の二つの境涯があるんです。

肉体の五感を超越して働いている境涯が実我境。
肉体の五感とともに働いている境涯が仮我境。

人生のできごとのすべてに しょっちゅう心がとらわれて、
常に不平と不満で私欲と感情を燃やして足ることを知らず、
足りて初めて幸福、足ることを知らなきゃどんなになったって不幸なのが、
「逆動仮我(ぎゃくどうかが)」の状態。

大抵な人はこの逆動仮我で毎日活きてますけど、

宇宙の実相からすると、

目に見、耳に聞こえるあらゆる森羅万象、あれは真実の姿じゃないんだぜ。

物事の仮相のみを対象として働いている心から、
ブザーの音に耳を傾けると実相の世界にヒョイヒョイと入れ得ます。

慣れてくると、ブザー音を鳴らさなくても、
普通の錯雑(さくざつ)たる人生に活きていても、

自分の気持ち、心を無声の境涯へ
入れ得るようになっちまうんであります。

自分の心を休息させることをやってごらん。

どんどん、どんどん心が、これはもう思ってもいなかったように、
進歩し、向上してくるから、働きが。

(以上、中村天風テキストブック付CD『神人冥合』より抜粋引用しました。)

・・・

【 2月22日 】 そもそも…

本来人間は、改めて真理を いろいろ説き聞かされるまでもなく、

この世に生まれ出たときから、
絶えず真理に接し、真理の中で生きているのである。

しかし、ちょうど
魚が水の中で生きていながらそれを知らないのと同様に、

真理の中にいながら、
この真理をなかなか自覚することができないのは、

要するにきれいな心の上に 雑念妄念がおおいかぶさっているために、
真理の中で生きていながら その真理を悟ることができないためである。

疑う気持ちや批判を乗り越え、ただ無念無想の状態で、

内容をわかろうとするのでなく、
ただ受け入れていくという気持ちで行うことが何よりも大切である。

そうすれば、無条件で悟りの花が開き、
結果、心が自然に即応して、疑いも迷いもなくなり、
磨きたての鏡のようにきれいなものになる。

(以上『運命を拓く』「真理瞑想行について」より抜粋引用しました。)

・・・

【 2月23日 】 ouTube内芝原英司氏講演 「天風哲学を経営に活かす」

銀行が融資してくれないと会社が回らないという事態が発生しました。

30億円を返すため、毎月十何冊本を読み、
毎週セミナーに行き、出会った書籍が中村天風『成功の実現』でした。

読んで目からうろこが落ちました。

俺の人生、今まで何だったんだと思いました。

それまでは、消極的な心の状態が普通だと思いこんでいたし、
自分自身を消極的だと思ってもいませんでした。

何十年、何かの修行をした人でも、
むしろ修行した分、地位名誉を手にすると堕落することもあります。

心の手入れはそれくらい怖いものだから、
今日手入れしても明日には、心に雑草が生えるかもしれません。

だから人生、仕事において
一番大事なルーティンにしているのが「安定打坐」(あんじょうだざ)であり、
毎日の習慣にしています。

自分でも会社成長の基が、この「安定打坐」にあると思っています。

借金の返済法も、
安定打坐をしている時に浮かんだことを実行に移したからです。

返済計画書を見た銀行員の方からは
「無理だよ、芝原さんにはできないですよ」
と言われても、

なぜか「俺には絶対できる」という確固とした自信が自分にはありました。

天風哲学でいう「信念」って、そんなもんですよね。

安定打坐をして、
宇宙からいただいた答えなんだから、
私にできないはずはないと信じていました。

借金を完済し、会社が上場する前に、妻にその報告をしました。

妻曰(いわ)く「ジョウジョウって何よ。
会社がつぶれるかもわからなかったって、何のこと?」

「会社がつぶれそうな時があったなんて、私は知らないし。」

それを聞いて、天風哲学の通り
「俺は信念強くなったんだ!」と
思いました。

だって、夜も眠れない私の姿なんて、妻は見たこともないですし、
夕飯の時間には家に帰宅していましたから、
何事もないように、妻は感じていたのでしょうから。

(以上、芝原英司氏の講演の一部を要約して書き記しました。)

▼YouTube内芝原英司氏講演動画はこちら
 「天風哲学を経営に活かす」
 https://www.youtube.com/watch?v=Afm7mIhytrU

・・・

【 2月24日 】 つつましやかに願いつづける

本能や感情の欲する満足を求めるという心もちは、虫けらや鳥や獣でももっている。

同じ求めるなら、人間だけしかもっていない、高貴なものを
思いかつ行うことをただたのしむという心持ちをもつことを目当てとすべきである。

極言すればそれをたのしむ心持ちで思い行い、

万一その時に大なり小なりの随伴する苦しみがあっても、
なおかつそれをたのしみに振りかえるという心持ちを持つことである。

否、もっと突っ込んでいえば、
ただひたむきにそうありたいことをつつましやかに願うべきである。

本能や感情の満足を求める卑しさを乗り越えて、
尊いものを願うというそのこと自体が既に尊い。

心身の統一していない、生命の和を失うている人は、
そのことを知らないようである。

しかもそれが求めることより
願いつづけることから作為されるということを…。

(中村天風『哲人哲語』8「和の義」より抜粋引用しました。)

・・・

【 2月25日 】 感謝と歓喜の感情は、宇宙との一大調和を奏でる合図になる

私がインドに行った時は、
熱が八度五分くらい毎朝あって、ときどき、喀血していた。

インドの先生からは、

「ひどい病に罹(かか)っていても、生きているお恵みを考えてみなさい。

 そして生きていればこそ、心が明るくなり、
 それにつれて、お前の活き方に対する、すべての欠点が解ってくるじゃないか。

 たとえどんな病があろうと
 生きてるということは何とありがたいことじゃないか」

といわれた。

ああ本当にそうであったなあ、
今までは、何と、罰当たりな自分だったなあ、とつくづく思った。

感謝に値するものがないのではなく、
感謝に値するものに気がつかなかったのだ。

たとえば、事業に失敗したときでも
「どこかに筋道の違っているところがあるんだ。
 生かしておいてくだされば、盛り返すこともある」と思うことだ。

すべてのことに感謝しよう。
こうして生きていることに対する歓喜の気持ちをもとう。

宇宙の造物主は歓喜に溢れる人々にのみ、恵みを与えたまう。

心は、人の生命と宇宙の造物主との
ハーモニーという調子を合わせるダイヤルである。

そして、そのときの感謝と歓喜の情は、
人生の平安を賛美する音楽である。

造物主と人間との一大調和を作る秘訣は、感謝と歓喜の感情であり、

宇宙の創造作用と合流する神聖なものだといえる。

反対に、汚い感情や、消極的な心持ちは、
破壊を楽しむ悪魔の心持ちと同様である。

つらいこと、悲しいこと、苦しいことは、自分の心で決める評価なんだから、

つらいことがあっても、

「ああ嬉しい! こうして生きていられる!」

と思って、私は自分自身を作り上げる序の口とした。

(以上、中村天風『運命を拓く』第6章より抜粋引用しました。)

・・・

【 2月26日 】 調和しようという心がけは 
          社会や個の割れ、民族精神の分裂を防ぐ

本能心という心は、肉体生命を守るための
必要な働きをおこなうために与えられたものなんだ。

しかし、今の時代は昔のあの本能心はいらなくて、今度は新しい本能心がいる。

こういうふうに、その時代時代で、必要だったり、不必要だったりするんですよ。

キリストの生まれた時分には愛情の乏しい人間が多かったから、
キリストは愛を説いた。

マホメットの生まれた時代には
調和する気持ちの穏やかさをもってる人間が少ないから、調和の気持ちでいろと。

釈迦(しゅか)の生まれた時分には、
慈悲(じひ)の心の少ない人間が多いから、
もっと慈悲心をだせと言ったんだろうけど、

あの時代は二千年も前だ。

この世の中、人間が多くなりゃ多くなるほど、
調和、不調和というものを心がけないかぎりは、民族精神の分裂がきちまう。

すると結局は、社会とか個とかいう
一つの組織に割れがくるというぐらいのことは知ってるはずなんだ。

ただ漫然(まんぜん)として生きてるかぎり、
残しておいちゃいけない本能心が、しつこく心の中に残ってしまうんですよ。

観念要素の更改と積極観念の養成と神経反射の調節法はつまり、
潜在(せんざい)意識のお掃除なんだから、一生懸命やらなきゃだめですぜ。

同時に、日常生活における言葉と態度、これも気をつけなきゃだめなんですよ。

(以上、中村天風『心に成功の炎を』第4章より抜粋引用しました。)

・・・

【 2月27日 】 積極的なもののみ取り入れる

英語で言えば「ナーバス・システム」。

心と肉体とを結びつけているものは「神経系統」というものなんです。

これが人間を生かしてるから、
食って飲んでたれて、寝て起きて息して肉体が生きてられるんです。

人生、重大に考えなきゃならないのはこの神経の働きを堅持するには、

積極的という心の態度が何より必要だ、ということなんです。

ひらったく言うと、心を強く保つこと。

心をいつも明るく朗らかにするということです。

命を本当に大切だと思ったら、
あなた方の心の態度を常に積極的に保つということが必要なんですよ。

心のたてなおしには、
「悲観的なもの」「消極的なもの」を一切、心の中に入れないこと。

言葉にまず気をつけることです。

東郷平八郎元帥(げんすい)は晩年、
喉頭(こうとう)がんで痛みのひどいのを私に相談されました。

「この病は痛いのが特徴で、
 痛いと言っても言わなくても、生きているかぎりは痛みます」

と私が率直に言いました。

その後は医者の診察時に
「お痛みですか」と尋ねられても、

「痛むのがこの病の特徴でごわす。しかし天風さんのお蔭で元気でごわす」

とそのように笑顔でお答えになったそうです。

そして、元帥は医者が思っていたより、ずっと長生きされましたよ。

厳粛な真理の上で申せば、
消極的な言葉を言えば言うほど、よりいっそう悪い状態が自分自身に
返ってきてしまうんです。

他人の言葉も取捨選択してから取り入れるように注意すること。

少しでも消極的なものを感じたならば、だんぜん排斥することです。

顔色悪いわねって言われたら、
「あらそう、青いほど豆はおいしいわよ」
ってね。

(以上、中村天風『君に成功を贈る』「強い命をつくる」より抜粋引用しました。)

・・・

【 2月28日 】 どんな場合があっても、弱音は吐かない

(以下、『幸福なる人生』第3章 より引用抜粋)

人間は、いかなる場合であっても、運命の主人公であらなきゃいけない。

そのためには、まず第一に自己が自己の生命の主人でなきゃいけない。

主人が自分の支配下に置かなきゃならない生命を
悲しい状態や失望した状態で表現したら、一体生命は何を頼りに生きる。

悲鳴を上げたらば、心の状態が崩れてしまう。
これは支配権を放棄したと同じことになりゃしないか。

雲霞(うんか)のような百万の大軍でも、
これを指揮する名将が上にあれば、
命令一下、手足を動かすごとく、全軍粛として動く。

けれど、指揮官が腰抜けで臆病でもって、だらしがなかったら、
一兵一卒動かすにあたわず、いえ、自分自身が第一動かないもの。

どんな場合でも、言葉は自分の魂の表れなのだから、
どんな場合があっても、弱音は断じて吐かないぞという、
決心を持っていなきゃだめ。

それには、普段、不平不満を言わないようにすることが、
一番必要なことです。

不平不満が、
やがていろいろな価値のない弱音になって、言葉になって出てくるんだからね。

        <感謝合掌 令和3年2月24日 頓首再拝>

中村天風365話(3月1日~3月10日) - 伝統

2021/03/05 (Fri) 23:48:26


【 3月1日 】 心が積極的になると、悲しいこと、つらいことから逃げていく

悲しいことやつらいことがあったとき、
すぐ悲しんで、つらがってちゃいけないんだよ。

そういうことがあったとき、
すぐに心に思わしめねばならないことがあるんだ。

それは何だというと、すべての消極的な出来事は、
我々の心の状態が積極的になると、
もう人間に敵対する力がなくなってくるものなんだということなんだ。

だから、どんな場合にも心を明朗に、
一切の苦しみをも微笑みにかえていくようにしてごらん。

そうすると、悲しいこと、つらいことのほうから逃げていくから。

観念要素の更改をあなた方は知ってるから、
本能の踊り子にはならずに済むだろう。

苦しいとか悩ましいとかいうのは、
みんな本能の踊り子に自分の心がなっていたための結果だよ。

(以上、『心に成功の炎を』第9章訓言5より抜粋引用しました。)

・・・

【 3月2日 】 心身統一された生活法の実践が
          人生を完全な理想化に推し進める

人としてこの世に生まれた以上、
第一にその生命が出来得る限り「長く」活きられなければ、
この世に生まれ出たかいがない。

いくら長生きが出来ても、
その人生に「強さ」が兼ね備わらないと、
ただいたずらに、この世に長くいたという結果だけにしかならず、

むしろ長く活きていることに
多大な煩わしさをさえ感ずることになるであろう。

人生は「長さ」「強さ」が兼備していることが、絶対に必要である。

しかし、それらだけ兼備しているのでは、まだまだ完全とはいえない。

各人各様皆それぞれ
人生には為さねばならない多くの事業や仕事が振り当てられているので、

その振り当てられている仕事や事業を完遂し、更にまた一層、
有為の事実を現実化させなければ、人間としての広義の義務が尽くされない。

その目的をよく達成するのには、

「長さ」と「強さ」との上に
「広さ」と「深さ」が
実際的に加えられなければならない。

人生根本理想は
これら4つの条件が現実に充たされている姿であるが、

それには「心身統一された生活法」がなにをおいても先決的に必要である。

(以上、中村天風『真人生の探究』第1章より抜粋引用しました。)

・・・

【 3月3日 】 何かを解決する方法・手段は
          そもそも自分の生命が知っている

考えてごらん。
正しい人生真理を悟り(さとり)えた人は、
何ものかに頼ろうとか、何ものかにすがろうとかいう気持ちは
なくなってるでしょう。

いわゆる自主自立の、
人間としての尊い大精神がその心のなかで働いている人間には、

健康的な出来事であろうと、
運命的な出来事であろうと、すべて
自分の生命の力で解決して生きる方法も手段も知っているから、

救われたいとか、
すがりたいとかいう気持ちは
断然ないに相違ないのであります。

もっとも、天風道がまだ十分に自分の命についてない人は、
今の話がピンとこないかもしれないけれども、完全に自主自立で、

「自分のことは自分ですべて解決するんだ。
そして、自己の人生は自分がつくったものなんだから、
自分がこれを処置する責任がある」ということを知ってる人もいます。

厳粛な意味から言ったら、
人間というものはそうして生きなきゃ本当じゃないんです。

生きてることは現実なんだから、
この生命を生かしている刹那(せつな)刹那は、
どこまでいっても宇宙真理という
現実のもので解決していかなきゃいけないのであります。

(以上、中村天風『盛大な人生』第2章より抜粋引用しました。)

・・・

【 3月4日 】 積極的に活きると自分の心を決め
          心がけを新たにする

運命というものには二種類ある。

どうにも仕様のない運命を天命といい、
人間の力で打ち開くことができるものを宿命というのである。

自分の心を、積極的にして活きるという方に自分の心を決定しなさい。

そうすればもう、天命なんてものは、極めてわずかしかない。

良い運命の主人公として活きていきたかったら、何をおいてもまず、
心を積極的にすることに注意深くし、
始終自分の心を監督していかなければならない。

宿命統制にもう一つ必要なことがある。

それは常に、心の中に
感謝と歓喜の感情を、もたせるよう心がけることである。

習慣として、何でもいいから、
感謝と喜びで人生を考えるよう習慣づけよう。

これが宇宙法則に柔順に従うことになり、
またそうするなら、宇宙法則も当然、
我々によき運命を与えてくれるにきまっている。

(以上、中村天風『運命を拓く』第6章より抜粋引用しました。)

・・・

【 3月5日 】 自分自身がどれほどのものであるかは
          生き方、行為の目的次第で変わる

ただもう、自分だけのことを本位として、
食うこと、着ること、儲けること、楽しむこと、遊ぶことだけを
念頭においた生活をしていやしないか。

自分だけ丈夫になって、
もっとうまいものを食べようとか、
もっといい着物を着ようとか、

もっと事業が成功したら、
うんと別荘でも造って、
いろんな遊びをしてみよう、

なんていう考え方を持ったなら、とんでもないことだ。

修養ばかりでなく、何を志すときでも、自己向上を目的とする。

そして、その目的とする自己向上は、
ただ単に自分の幸福だけのためにするんじゃない。

自他の幸福のためにするんだ、という広い意味を忘れてはいけない。

そうしてはじめて、
自分の勉強にも努力にも、
非常なぞくぞくするような力が湧いてくるのだ。

事業家なら、
自分の欲望でもって、しようとしたことは、
そう滅多に成功するものではない。

事業に成功するのは、自分が欲望から離れて、
何かを考えたときに、また、その考えたことを実行したときに成功するのだ。

同じ事業家でも、欲の固まりでやる者と、
「この仕事で、世の中の人のために、本当に役立つものを提供しよう」
という気持ちでやるのでは、その結果が全然違うのである。

学生諸君も、
自己を向上させるために勉強するんだから、
試験は楽しいものでなくてはいけない。

試験がなければ、自分が進歩したかどうかわからないじゃないか。

それなのに試験が嫌いになった学生は、
すでに学生としての資格を、自分でスポイルしていることになる。

今日からはもう、
試験があこがれの的であるくらいの人間にならなければならない。

そうして初めて、自分自身というものが、
どれだけのものであるかということを、知り得る試金石になったことになる。

結局、「観念要素の更改」を毎晩毎晩やりなさい。
そうすれば、ぐんぐん、そういう人間になれるものだから。

健康をよくするのも、事業をよくするのも、
常に、世のために、自分と同じ幸福を手広く分けてあげよう
というつもりになることだ。

さあ!一緒についてきなさい!

(以上、中村天風『運命を拓く』第7章より抜粋引用しました。)

・・・

【 3月6日 】 生活目標の新設定を、ただ今から開始する

1.本能の満足を目標とする生活
2.感覚の満足を目標とする生活
3.感情の満足を目標とする生活
4.理性の満足を目標とする生活

以上はそのどれを生活目標としても、真の人生は断然建設されない。

とどのつまりは、満足を得られない欲望と、四つに組んだまま、世を早めるか、
でなければ卑しい欲望の奴隷となって、懊悩愍然(おうのうびんぜん)たる一生を
無為に過ごすかのどちらに陥る。

これでは、万物の霊長である人間として、
生まれてきた甲斐(かい)が更にない。

何のことはない、好んで煩い(わずらい)を多くし、
故意に悶え(もだえ)を味わいにこの世に来たようなものである。

人間いく度もこの世に生まれ出ることができるのならとにかく、
一度生まれて一度死んだら、二度とこの世に出ることが
できないものである。

生活目標を前記の4種類のものより超越した
一段高いものに切り換えなければならない。

生活目標の新設定とは、
「霊性の満足を目標とする」ということ、
言い換えれば「創造の生活」である。

これを分かりやすく要約すれば、
常に「人の世のためになることをする」ということを
目標とする生活なのである。

こういうと中には、自分を他人の犠牲とする
かのように考え違いをする者もあるかも知れないが、

ただ日々の自己の生活の中に行う言行を、
わずかの注意を施して、できるだけ世の中のために少しでもなるようにと
心がける、それだけでよいのである。

これをたやすく実現せしめるためには、
できるかぎり、人のため、世の中のためになることを言い且つ行うということを、
自己人生の「たのしみ」とするという気分になることである。

そうすれば、何も大した努力を必要とせず、
それが期せずして進化向上の現実化という人間本来の使命観に
正しく立脚した生活となり、同時に、その使命の完全遂行を、
現実に期成するものである。

明日ともいわず、ただ今からこの価値高く設定された新しい生活へと、
自己の人生を、活き活きと勇ましく鹿島立たして、天が人間に与えてくれた
真の生命の強さを獲得しよう。

そして人間の使命である進化と向上とを正しく現実化していこう。

ひたすらに人の世のため活きなんと思う命に光あるかな

真の幸福は、その真理を、ただひたすら一心に実践する者のみに恵まる。

怠りがちな心に鞭(むち)打って、
輝かしい人生幸福のゴールに到達しよう。
そして、それをつつましくわれらの魂のひたむきな祈りとしよう。

(以上、中村天風『真人生の探究』結論より抜粋引用しました。)

・・・

【 3月7日 】 創造的進化を念頭におく

理想というものは、よしんばその事柄が理想するところに到達しなくっても、

絶えずその理想へ意志するということ、気持ちを注ぐということ、

それがその人の人生を尊く生かすことだもん。

本当の幸福というのは、
人生がよりよく生きられる状態に自分ですることなんだもん。

自分でしないで、ほかからしてくれることを待ってるかぎり
こやしないよ、この世の中に。

個人も社会も、つくりだそうとしないかぎりは、
「水ながれざれば淀(よど)む」と同じように、

そのままそこに、その状態が沈滞(ちんたい)して、
進化の反対の向下(こうげ)へと退化しちまうんだ。

紙くず拾って歩く場合でも、
その人間が自分の従事する仕事の創造的進化を念頭においたら、どうだい?

食うために拾って歩くんだというよりも、
こうやって町をきれいにして、人々の気持ちをもきれいにして、

そして、そのお恵みで
俺(私)も食べていこうというようなつもりになったらば、

同じやってることでも創造的進化が念頭におかれていることになる。

そうすると、その人は限りなく尽きざる幸福感を味わえるんだ。

(以上、中村天風『盛大な人生』第3章より抜粋引用しました。)

・・・

【 3月8日 】 感じても、思わねば、考えない!

生物学的に説明すれば、
大脳細胞に何かのフリクション(摩擦)が与えられると、
ただちに、離合集散運動という特殊の運動を大脳細胞が生じる。

そして、その初期運動が「感じ」であり、
二次運動が「思い」であり、

更にその過程の進行が複雑になるに従って、
即ち三次運動に移行すると、

いわゆる「考え」という心理現象が発生し、
その移行の状態にしたがって、
あるいは悦(よろこ)びともなり、あるいは、悲しみともなる。

この不可動の事実を究極すれば、
「感じても、思わねば、考えない」ことになる。

必要のないことや、特に消極的方向へ
その思考が移行しそうな事柄は、
断然心に思わせぬように「習性」つけることである。

天風教義の真髄は、結論的に帰納すれば、
あくまでも心の積極化の徹底なのである。

更にこれを演釈すれば、
心の積極化の徹底ということによってのみ、思考の一切もまた美化善化し、
思考の美化善化によってのみ、また人生も美化善化する。

そして初めて、そこに、真の活きがいのある「人生」が、
如実に顕現するからである。

(以上、中村天風『哲人哲語』24「感・思・考」より抜粋引用しました。)

・・・

【 3月9日 】 命のありのままの姿
          心身一如(いちにょ)で自らを活かす

あらゆる力というものは、それが何の種類であるとを問わず、
すべて「氣」というものから生まれる。

そしてこの「氣」は、一切の生物の生命を生み出し、そして、
その生命を活かしている究極的根源である。

人間の生命も、これと同様の原則的事由で形成されているので、

人間の生命のありのままの姿である心身一如を現実にするため、

心身を統一した活き方を行えば
当然生命存在の根源をなす「氣」の収受分量が増大される。

そして命の力の内容量も、当然豊富となり、
精神方面に表現すれば「心の力」、
肉体方面に表現すれば「体の力」となる。

真に人生を愛し、正しく人生を考えようとする者は、
一軒の家を建てる際の正しい設計がまず
必要なように、人生建設もまた
「精神生命と、肉体生命の生活態度の決定」が
先決的条件であると、知らねばならない。

(以上、中村天風『真人生の探究』第1章より抜粋引用しました。)

・・・

【 3月10日 】 心のこもった小片

「誠と愛の心をもって何ものにでも接してみると、
 すぐそこにその尊い心の報われを発見する。

 何も形の見える物質的の報われはなくとも、
 誠と愛で人に接し、物に接した時、
 既に自分自身の心に感じる快(こころよ)さと嬉しさとを
 考えてみることである。」


(『真人生の探究』結論より抜粋引用)

        <感謝合掌 令和3年3月5日 頓首再拝>

中村天風365話(3月1日~3月10日) - 伝統

2021/03/14 (Sun) 00:30:40


【 3月11日 】  何を求めるのか

平和を欲する意念は、人間の正当の情念であるとしても、
その情念をして、正しく結実せしめるのには、
どこまでも一人ひとりの人間が人間としての活き方を
正当にすることから心がけなければならない。

本能や感情の欲する満足を求めるという
心もちは、虫けらや鳥や獣でももっている。

同じ求めるのなら、人間だけしかもっていない、
尊い心から為される消息や事実を求めるべきではないか。

そして、尊いものを求める時は、
俗にいう満足を得ようという心持ちを目あてにしたのでは、
必然それは第二義に堕してしまう。

満足を求める代わりに高貴なものを思い且つ行うことを
ただたのしむという心持ちで思い行い、
万一その時に大なり小なりの随伴する苦しみがあっても、
なお且つそれをたのしみに振りかえるという心持ちをもつことである。

否もっと突っ込んでいえば、
ただひたむきにそうありたいとつつましやかに願うべきである。

(以上、中村天風『哲人哲語』8「和の義」より抜粋引用しました。)

・・・

【 3月12日 】 生命の主人として心を指揮する

人間は、いかなる場合があっても、運命の主人公であらなきゃいけない。

運命の主人公であろうとする場合には、
まず第一番に自己が自己の生命の主人でなきゃいけない。

主人が自分の支配下に置かなきゃならない生命を
悲しい状態や失望した状態で表現したら、一体生命は何を頼りに生きる。

支配権を放棄したら、生命は一体どうなる。

正しい人生、頼もしい人生を建設して生きていこうという
人間として最も尊い気持ちをもって人生に生きる人は、
どんな場合があっても悲鳴を上げないことを
第一に自分の心に約束しなさい。

雲霞(うんか)のような百万の大軍でも、
これを指揮する名将が上にあれば、
命令一下、手足を動かすごとく、全軍粛として動く。

けれど、指揮官が腰抜けで臆病でもって、だらしがなかったら、
一兵一卒動かせない。
いえ、自分自身が第一動かないもの。

どんな場合でも、言葉は自分の魂の表れなのだから、
どんな場合があっても、弱音は断じて吐かないぞという、
この決心を持っていなきゃだめ。

病が出ようと運命が悪くなろうと、

「ああ、ありがたい、造物主はまだおれ(わたし)に
 恩恵を与えたもう手を緩めていないな。

 これによって、おれ(わたし)に反省しろ、
 これによっておまえの間違いを正しくしろ、
 という示唆を、健康上の問題や運命上の問題で下されているのか。
 ああ、ありがたいことだ」

と、こういうふうに考えて、感謝に振り替えたらどうだ。

(以上、中村天風『幸福なる人生』第3章より抜粋引用しました。)

・・・

【 3月13日 】  生活の中の情味を見いだすことが真の幸福の味了に至る

生活の情味というものは、楽しい事柄の中にのみあるのではなく、
またさりとて金や物質の豊かな時にのみあるのではない。

悲しことの中にも、また悲しいことがらの中にもある、

いわんや人間世界の階級差別に何らの関係はないのである。

否、むしろ富貴や地位に活きるものは、
生活の情味を、そうしたものの中から獲得しようとするために、
真の味わいを味わいがたい。

したがって真の幸福というものを味了(みりょう)することも容易でない。

われわれはできうる限り、広くかつ深く、
生活の中から情味を見出すことに努めよう。

要は、心の力を強めることである。

人間は人間の心意でもって、
人生をいかに正しく作為すべきかということを考慮すべきである。

そして初めて人間の本来の使命に順応することになる。

(以上、中村天風『叡智のひびき』箴言13より抜粋引用しました。)

・・・

【 3月14日 】  精神態度が真の幸福を決める

真の幸福というものは、「富」とか「地位」とかいうようなもので、
現実にこれをあがない得べきものでない。

しょせんは、一にも二にも、心の力がこれを解決するものである。

いいかえれば、
人生に対する精神態度というものが、
人生を幸福にも、かつまた不幸なものにもする。

この大宇宙の中には
建設の作用を現実化するプラス=積極の氣と、
破壊の作用を現実化するマイナス=消極の氣とが、

進化と向上とを現実にする新陳代謝作用を完全にするために、
いかなる空間にもくまなく遍満存在している。

そして、その微妙なる氣が、人間の気分=精神態度と、
恒に同化的に運行しているという現実があるからである。

人生には断然二ページはないのである。
したがって、自己の人生はあくまでも、
自分自身がこれを完膚(かんぷ)なきまで
護(まも)りぬいていくべきである。

それがすなわち、人生の尊厳にして最大なる義務である。

(以上、中村天風『叡智のひびき』箴言23より抜粋引用しました。)

・・・

【 3月15日 】 真・善・美の心ですべてに応接すると
          一切が全く一つに融け合わさる

人間の心の、本当の、本質というものは、
真・善・美という尊いもので、それは宇宙の心と同様なものなのである。

かつて愛石家として有名であった高島子爵が、こういうことを言った。

「石塊のような命も魂も ないように見えるものでも、
 真・善・美の方面から見ていると、
 いつしか何ともいえない、
 いとおしい気持ちを感じてくるものだ。」

これは、植物に対しても同じ道理をすぐ感じられる。

例えば、通りがかりに買ったようなものでも、
双葉の時から自分が面倒をみて、
手入れをして作り上げたものと同様な愛情で見ていると、

他人から見てさほどのものでなくとも、
自分にはそれが非常に愛らしく感じられる。

これと同様に、この消息は動物に対しては一層明瞭に感じられる。

即ち、愛してやれば、愛してやるほど、
その人を慕うことは、ちょうど子供が親を慕うごとくになるもので、

私は蒙古から贈られたヌクテ(山狼)を飼ったことがあるが、
どう猛な狼(おおかみ)の一種で、なかなか容易に
人に馴れるものではないのが普通である。

しかし、私は思った。
こんな猛獣でも、はるばる蒙古から縁あって私のところに来た以上、

そして私たちの生活の仲間の中に生活することになったという
深い因縁を考えると、

何ともいえない不憫以上の愛憐の精がでてきて、
私はじめ家族一同、飼い犬同様に可愛がってやった。

するとどうでしょう。このどう猛な狼が、
普通の犬以上にそれは驚くほど従順になり、

しまいには、シェパードの競技会が日比谷公会堂であったときに、
犬ではないのですが格好が犬に似ているということから、

おまけにそれが狼だというので、
非常な興味ある期待を東京の愛犬家たちからもたれて、

公会堂のステージで私が施した
独自の訓練でいろいろのことを演じさせたら、
観衆一同感に堪えて見ていたと同時に、

その時東京一のシェパードが来ていたが
私のところが狼なので、その犬がスッカリ尻込みをして
何にもできなかったという事実があった。

とにかく、こうしたことを考えると、
愛の情というものが一切のものを全く一つに融け合わして、

そして何も彼も美しい「一体化」というものに、作り上げるという
高貴なものであるということが、直感されることと思う。

そうした心がけが宇宙の心に、自分の方から融け込んでいく秘訣なのである。

何事をも真・善・美の心で考え、
かつ応接することを実行することに心がけるべしである。

(以上、中村天風『哲人哲語』29「宇宙の心と人間の心」より
    抜粋引用しました。)

・・・

【 3月16日 】 寝床は考えごとをするところ?

たとえば、コップの中で筆を洗ったとする。
すると、むろんコップの中の水はみるみる黒くなりますね。

その黒くなったコップを、今度は水道の蛇口の下へ置いておいて、
たとえわずかずつでもきれいな水をぽたぽた落としときゃ、

寝がけに汚かった真っ黒な水も、
明くる朝行ってみりゃ、きれいになっているでしょ。

それと同じで、いざこれから熟睡しようと
いわゆるトランスに入る直前ほど、

われわれの実在意識は、そのときにちょいと思ったことでも考えたことでも、
無条件にフーッと潜在意識の中にきわめて力ある同化力を働かせて
入り込んでいくというふうにできている。

じつにありがたい自然作用が人間の生命にあるものですな。

どんなことでもいいから、思うほどに、考えるほどに
自分の心が何となく勇ましく、ほほえましくなるようなことだけを
考えていりゃいい。

寝際の短ければ5分か10分だけ、
そういう心がけを実行に移せると、案外寝つきが早い。
しまいには私みたいになるよ。

枕に頭をつけて、何か考えようと思っているうちに寝ちまう、
ヒョイと目が覚めたら朝だ、
そうならなきゃ。

寝際に相手にすることは寝ることだけなの。
床の中に考えに入ったのなら別だよ、これ。

しかし寝床というのは考えるところじゃないもんね。
寝床は寝床なんだから、どこまで行っても。

寝床に入ったら、ただ寝ることが目的なんです。

(以上、中村天風『幸福なる人生』第3章より抜粋引用しました。)

・・・

【 3月17日 】  生命の本体(氣)と心と肉体の関係

人間の生命の本体というものは、形ある肉体ではない。

ちょっと考えると、形のある肉体であるかのごとく見えるが、
実は形の見えない気の中にあるのである。

肉体が強いに越したことはないけれども、いかに肉体が発達しても、
それはただ単に、生命の物質的方面のみの発達だ。

心の方面が積極でないかぎり、理想通りの最高の生命の発達はできない。

いかに立派な扇風機をこしらえてみたところで、
モーターの中のコイルの捲き方が不完全であったら、
充分にこの気を受け入れることができない。
形だけは立派でも少しも回らない。

だから、完全に、生命を活かす計画の成就は、
生命の本体たる氣を、完全なる姿で、この生命を確保しなければならない。

その第一の先決問題は何か!
それは、心を健全に活かすことである。

心を健全に活かすには、いかなる場合にも、
心に積極的な態度をしっかりと持たねばならない。

そうして初めて、生命の源泉を確保したことになる。

形ある肉体も、自ら、その力に導かれ、当然健全なものになるのである。

(以上、中村天風『運命を拓く』第11章より抜粋引用しました。)

・・・

【 3月18日 】  一方に力を入れすぎる=傾注

心身統一法の根本義は、心と身体とは、
その有機的全統一が人間の生命中心を構成するという、
動かすことのできない宇宙真理に則したものである以上、

心の要求に力を入れすぎたり、または、肉体の要求するところに
力を入れ過ぎたりという風に、一方的に偏した考え方での
修養はいけないということなのである。

精神生命の法則か、肉体生命の法則かの、そのいずれかに、
自己の生活は捉われ過ぎてはいないかということを、
自分自身について、公平に、内省検討すべしである。

例えば、人間の寿命140歳と食養生という医者の唱道を、
ただ一心になって実行これ努めて、
従来の食事を断然廃止して、ただもう明けくれ
食養のことのみに心を打ち込んで、

肝心の精神生命の消耗を無意味にしていることに
気づかずにいるという、

笑ってすまされない滑稽(こっけい)を
あえてしている人がいる。

精神生活の注意が、その方向へのみ傾注されて、
しかもその傾注にさえ気づかぬようになるものである。

われら人間は、自我を離れて人生なく、
同時に人生を離れて自我はない。

人生の「性」というものと、自我の「性」というものとは、
お互いに離れて存在することは許されがたい。
否絶対に不可能なものである。

「自我」は、多くいうまでもなく
心と身体という、有機的全統一の生命をいうのである以上、

その生活の注意の方向が心なり、肉体なりの、
いずれかに少しでも傾いたのでは、
法と性との、純なる融合を妨げることになり、

しょせんは、生活や、更に生きるために必要とされる認識を
滅裂して不統一の状態にしてしまう。

人生を有意義に、心身を完全に統一した人間として生きて、
人の世のためになる自己完成を期せられたい。

(以上、中村天風『哲人哲語』11「いのちの力の使い方」です。)

・・・

【 3月19日 】  人生向上には「心」の処理がより一層重要

およそ人生向上というものには、決して際限を附すべきものではない。

なぜならば人生は、
決して向上に過ぎて困るということは、絶対にないからである。

否、人生は向上すれば向上するほど、すべての意味において、
万物の霊長たる活きがいを感じ得るに至るからである…
健康的にも、はたまた運命的にも…。

しかして、その人生向上を現実に期成するには、順序の第一として、
「生命の完成」に対する手段と方法の会得と実行である。

なかんずく、「生命の完成」に対する手段方法の中でも、
夢にも忽諸(こっしょ、ないがしろにすること)に附すべからざることは、

「心」の処理に対する正当な自覚と会得である。

(以上、中村天風『哲人哲語』18「完成とその近道」です。)

・・・

【 3月20日 】  人間であるわれは、尊厳なる一実在である

「真正の自己」=「真我」というものは、
自分自身の存在を、自己意識で自覚する以前から、
厳として実在しており、

恒に心に合理的修練を施して
常住霊的境地にその心を活かすよう心がけるならば、

その自覚が現実化されるに従い、
その人は「われ」なるものに対する信念が、
牢固(ろうこ)として確立する。

したがって、自己統御も期せずして必然完全となる。

人間というもの、「われ」というものは
断然肉体という物質も、そして心をも超越した尊厳なる一実在である。

(以上、中村天風『研心抄』第1章より抜粋引用しました。)

        <感謝合掌 令和3年3月13日 頓首再拝>

中村天風365話(3月21日~3月31日) - 伝統

2021/03/24 (Wed) 00:01:26


【 3月21日 】 執着のない心=心の波動的高低のない心
                =理想的な心の態度

心の備えのない無準備無自覚の生活で
あえて活きている人の心をとくと検討すると、

平素の人生生活に活きる際、
心の備えどころか、
心の状態をその時その時によって、猫の目のように変異させてしまって、

極言すれば、心というものを
天風教義で厳戒している感情や感覚の奴隷にあえてしている。

そしてその結果、心は絶えず安定を欠いて動揺の状態にある。

これでは結局、生命の確保と
運営の中枢に相当する何よりも大切な神経系統のボルテージが低調になるから、

いくら生まれつき健康な人間でも、
ある時期が来ると急激に健康状態に変調をきたすのは当然である。

こういうことがあるから、私は常に「完全なる人生」に活きるには、
まずその先決問題として、心の態度を積極的に堅持せよと力説し、

その作成要諦(ようてい)の中に、有事無事常若無心ということ、

すなわち執着なき心を「平常心」として、
人事世事一切の人生に対応していくべきであることを
講述しているのである。

要するにこの平常心をもって人生に処すれば、
得意のときにもまたそうでないときにおいても、
心に高低する波動的変動が来ないから、

あえて特に意識的に用意しないでも、
極めて容易にそのままの心で、
心の備えに緩みのない理想的な心の態度が現実化しうる。

(以上、中村天風『真理のひびき』箴言14から引用しました。)

・・・

【 3月22日 】 有意注意力を完全化させよう

有意注意の訓練には、何事に対しても、
まず第一に物そのものの中から何かの興味を見出(みいだ)すか、
または特に興味を自己自身作り出すかの、
そのいずれかの方法を採るということを心がけるのである。

もちろんこの方法は当初の間は
多少の忍耐と努力とを必要とするには相違ないが、
俗にいう「習うより慣れろ」で

少し習慣がつくと、どんなことでもまたどんなものの中からでも
自己の注意を喚起するような興味ある事実を見出し、もしくは
自身作り出すことが容易にできるようになるものである。

いわゆる傑出した人物というのを仔細(しさい)に検討すると、
いずれも皆有意注意の完全な人々である。

わかりやすくいえば何事に対しても
周到にその観念が綜合(そうごう)され、
したがって精神も統一され、

その結果すべての能力が儕輩(さいはい)を凌(しの)ぐため
自然と傑出するのである。

(以上、中村天風『研心抄』第3章より抜粋引用しました。)

・・・

【 3月23日 】 人生は、現在ただ今を、尊く活きることである

怒ることや、悲しむことや、怖れることが、
およそ人生にくだらない無駄なことであることが分明し、

同時にどんな場合にも、
正直で、深切で、愉快であらねばならない、否、そうあることが
一番人生幸福の秘訣であることが諒解されたことと信じます。

とにかく、人間の心というものは、油断をすると、「現在」からいつしか離れて、
役にもたたぬ、否、役にたたぬどころか、
その結果が自己をあるいは病難に、あるいは運命難という人生不幸に
陥らすべく余儀なくされるような、

あらずもがなの方面へと
「執着」せしめやすいといういわゆる「傾向性」をもっているもの
なのであります。

人生の刹那(せつな)刹那=その現在現在の「心の動き」に、
厳格な監督を施すことなしに、
ただ漫然と、心の前に表顕する一切事象に
何らの用意なく応接するために、

即座にその相対事象に組み伏せられ、
貴重な人生を喜劇的の悲劇にしてしまうのであります。

心というものは、人生の相対事象に
引きつけられるために人間に与えられてあるのではなく、

相対事象を己れの心に受け入れるために賦与されているものであります。

絶対に、
〇怒らないこと
〇怖れないこと
〇悲しまないこと

そして、どんな場合にも、
正直で、深切で、愉快であるよう、

それを厳(おごそ)かな
自分自身の誓いとして実行せねばなりません。

日夕つねに活きがいを感じる人生に
人間というものが活きられるのが当然だということも、
ハッキリと信念されるようになれるのであります。

ただ理屈なしの実行にあるのみであります。

(以上、中村天風『哲人哲語』22「現在・顕在・厳在」より
抜粋引用しました。)

・・・

【 3月24日 】 要具性能の完全なる発揮を促そう

身といい心と称するものは、
真我の命が現象の世界に活き行くための、一切方便を行わんがための
命への要具なれば、

ただこれを巧みに調整行使して、
ひたすらその性能の完全なる発揮を促さざるべからず。

知らずや、たとえ名工名匠といえども、
その用具の完きものなくばあたかも腕なきに等し。

さらば、われ人共に、
真乎(しんこ)その人生に安定せんには
ただ一念わが命の要具たるこの仮相の存在をより良く
完せしむることに三昧(さんまい)せざるべからず。

かくして初めて人としての正しき幸をうくるを得ん。

(以上、『研心抄』跋辞より抜粋引用しました。)

・・・

【 3月25日 】 ライオンと象

インドの聖者の訓(おし)えにこういったのがある。

「いたずらに理性的智力のみを、たのみとして活きている人間は、
何のことはない、あたかも、かの大象のごときものである。

大象はいかにも力もあり強くもあるが、
憐(あわ)れその力や強さのあるばかりに
小さな人間の子供にまで自由に使いまわされ、

その上少しの物音にも驚いて跳び上がり右往左往する」と。

実際理性本位で人生に活きている人は、
この大象と同様の状態で活きねばならぬことになる。

いやしくも吾人がその人生の大定の境涯に活きるには、
よりもっと高い真正の自覚に突入して、
正しく「われ」というものの本体をその意識の中に把握せねばならない。

(以上、『研心抄』第1章より抜粋引用しました。)

・・・

【 3月26日 】 大きなプライドで人生を過ごせ

イタリーに、バイオリニストで18世紀に世界一になった人がおります。

その人のお弟子は、みんなできがいい。
そこでオーストリーのやはりバイオリニストが訊いた。

「どうしてあんたのとこのお弟子は、
 別に練習や稽古の方法が特別に変わってるように思えないけれども、
 みんなできがいいのはどういうわけだ」

「いや、別に難しいこつはないんですよ。
 ただね、普段私は弟子にこう言ってる。

 稽古のときも、ステージに立ったときも、うちでもっておさらいしてるときも、
 バイオリンを手にしたら、おれは世界一のバイオリニストだという、
 この大きなプライドでその時間を過ごせ」

なるほど、これはね、
うぬぼれろというように聞こえるかもしれないけれども、
このプライドは、やがて習性と化すと、
一つの信念になりますから。

習性と化さないと、
うぬぼれはうぬぼれとして、よくない働きをするが、
習性と化しちまえば信念になる。

結局その信念が、その人の芸術をぐんぐん、ぐんぐん、
同じ練習の程度で向上せしめてるんだね。

(以上、中村天風『心を磨く』第6章より抜粋引用しました。)

・・・

【 3月27日 】 積極的な心の思考状態なら是

自己の心の中で行われる思考の状態を、
果たしてこれでいいかどうかと、入念に考査しなければならない。

ただしこの場合のいいか悪いかの決定目標は、
思考に関する事実問題に対する理由の是非でないことはもちろんなので、

すなわち、その事実に対応する心の態度が、
積極的であればすなわち「是」、消極的であれば「非」ということに
なるのである。

そして、飽くまで、心を「是=積極的」状態で
一切の事物事象に対応するよう、
大いに努力の鞭撻(べんたつ)を心に与えるべきである。

(以上、中村天風『真人生の探究』第2章より引用しました。)

・・・

【 3月28日 】 人生=瞬間の連続=ふだんの生活

「人生とは何か」。

予は人生とは、
吾吾(われわれ)の生命が活きているという
「現実」なるものに対する別名であるといいたい。

「現実」とは、活きていることを、
明確に、意識する刹那(せつな)せつなの一コマ一コマの継続を指していう。

要するに、人生というものは、厳格な主観的なものであるから、
客観考察を本領とする学問の科学ではなく、
純粋理性の主観認識を基盤とする哲学的なものとして、
哲学的に考えるべきといわねばならない。

そうして、その主観認識から感得した哲学的のものを、
更に客観的に科学的考察を施して、
そのトータルに収受した断定が、
自己の人生を完全に活かし得る理解と手段との正当な資料となるのである。

また、行というものについては、
インド哲学の「道聖諦」という、俗に八聖道と名づける教義では、
「正業」のことなりと説いており、
「正業」とは、生命を活かすための「行為」、すなわち人生生活法ということになる。

結局はふだん(日常=不断)
真理に順応せる心身統一法を行ずることを
特異な意味での「行」として考量せず、

それをそのままに生活様式とするのが、
天風哲学の呼称する「真の行」と
思量されてこそ、頼もしい統一道同人である。

(以上、中村天風『哲人哲語』10・15より抜粋引用しました。)

・・・

【 3月29日 】 人間の心(氣)が一切を創るからこそ
          思考を積極的に保つ必要がある

哲学的思想でつきつめていくと、
我々が感覚できるいろいろな森羅万象はただ一つの実在から産み出された。

哲学では「根本的本源実在」、科学では「エーテル」、
哲学の方では、「氣」であるといっている。

いずれにしても、一つのエネルギーを生み出す元が、宇宙を創り出した。

「氣」というものは一定一カ所に静かにしているという氣遣いはない。
「氣」が動くと、動いた「氣」によって、物が創られるようになっている。

「氣」が動いたときの、「氣」のもとを、哲学では「霊」というが、
「霊」というと、すぐ魂を思い浮かべるが、それはいけない。

霊というのは、極めてスーパーな、見えない「氣」に対する名称なのだから。

この「氣」が動こうとするときに、
現れる現象を「アイディア」といい、
人間でいうと「心」ということになる。

「心」は、一切の生命の中核をなし、
「霊」という「氣」の働きを行うために、
与えられているということが、すぐ断定できるであろう。

人間の日々の人生に活きる刹那刹那にも、その心の思い方、考え方が、
やがて、我々の生命を、完全になしあたうか、なしあたわざるかという事実が、
産み出されるのである。

もっと、解りやすくいえば、
我々の生命の中にある肉体はもちろん、精神生命も、
一切の広い意味における人生の事柄を、心の運用いかんによって、
決定することができるという真理を、私は悟り得たのである。

「人間の心で行う思考は、人生の一切を創る」。

これが数十年かかって考えて、
苦心の末、ようやく悟り出した、人間の生命に絡まる宇宙真理であった。

真理に同情はない。
そっぽを向いていたら何もならない。

今まで気付かずにいたかもしれないけれども、
人生の一切は、すべてが人の心によって創られているものである。

だから、怠らず注意深く、
自分の心の中の思い方や考え方を積極的にすることに努力しよう。

(以上、中村天風『運命を拓く』序章より抜粋引用しました。)

・・・

【 3月30日 】 自己をよりもっと高く、よりもっと尊く改造すること

自己本位の心で人生に活きると、
しばしば自己の本能心や感情情念に負ける。

そうなると、人々の共同幸福どころでなく、
人間一個の存在さえ、実に憐れなものになる。

お互い人間の心が、
自分以外の他の人々の幸福を望む気持ちで、一つに結ばれない限り、
広い意味における、人々の共同幸福は望んでも事実化されない。

したがって、人間の住みよい明るい世界というものも、
そうした気持ちの人間が殖(ふ)えない限りは、
とうてい顕現(けんげん)しないといえる。

こいねがわくは、ますます真理の実践躬行(きゅうこう)に精進されて、
自己本位の心を克服(こくふく)されて、「実」を挙げられんことを、
衷心(ちゅうしん)より熱願する次第である。

手っ取り早くいえば、他人に干渉しないで、
さし当たって自己をよりもっと高く、よりもっと尊く改造することに
専念することである。

実際! ただこれ一筋でよいのである。

(以上、中村天風『叡智のひびき』箴言27より抜粋引用しました。)

・・・

【 3月31日 】 人間の正しい活き方とは

太陽の光線は、美人の顔も照らせば、犬の糞も照らしている。
「おれは犬の糞はいやだから美人の顔だけ照らす」とはいわない。

造物主と同様の心になるには、
どんなことがあっても、心に誠と愛を満たし、和を旨とした生活をすれば、
造物主と自分との結び目が堅固にできる。

消極的な心になると、自分では離れようと思わなくても、
その造物主との大事な誠と愛と調和の気持ちから、離れてしまうのである。
つまり、結び目を、ほぐしてしまうことになる。

ところが、ひとたび自分の心を、明るく朗らかにいきいきと勇ましく、
どんな場合があろうと心の働きの状態を曇らせずにいくようにするなら、
造物主の心と同様の心持ちになる準備をしたことになるのだ。

つまり、結び目を堅固に保つ用意をしたことになる。

その用意が完全になればなるほど、
その造物主の無限の力が自然に
自己の生命へ、無条件に同化力を増加してくるのである。
これが人間の最も正しい活き方である。

そして、このような活き方をするとき、
生命の流れは容易に涸(か)れることがないのである。

(以上、中村天風『運命を拓く』第5章より引用しました。)

        <感謝合掌 令和3年3月23日 頓首再拝>

中村天風365話(4月1日~4月10日) - 伝統

2021/04/04 (Sun) 16:03:29

【 4月1日 】 本当の心の強さを持ち合わせるには

昔のことわざにも、
「大賢(たいけん)は愚のごとく、大人(たいじん)は小児のごとし」
というのがある。

ヨガの教えでは、「哲人、赤子(あかご)のごとし」と言ってる。

私がまだ二十二、三歳のとき、頭山満先生に
会いたいという人を、孫文が連れてきた。

「なーんだ、ただの『じじい』じゃねえか。
 何の変哲もねえ。話してることはくだらねえことばかりで、
 女の話ばかりして、なんだ、あんなもの」

とその男が言ったら、孫文が

「あれだけボーッとしていながら、あの人の言うことはだれでも聞いて、
 あの人のためならすぐ命を捨てようとする者が幾人もいるんだ。
 普通の人間には、あれはできないんだ。」

と言った。

それを私はわきで聞いててね、ああ、やっぱり、
俺が思ってるほど偉いんだなあ、あの先生は、
とこう思ったことがある。

現代人はそう思いませんわ。
何か偉い人間といえば、よっぽど偉く見える人間じゃなきゃ偉くないんだ。

「凡夫(ぼんぷ)しばしば賢者を装う。
 大人(たいじん)の対接態度は凡人のごとし」

− 坊さんの言葉にあるけど、いい言葉だね、これ。

(以上、中村天風『盛大な人生』第5章より抜粋引用しました。)

・・・

【 4月2日 】 「理想的な食生活」チェックリスト

1)動物性植物を食べすぎていないか?

2)脂肪類を摂りすぎていないか?

3)果物や野菜を十分に食べているか?

4)日に一度くらいは、生の植物性のものを 食べているか?

5)みだりに加工変形し、濃厚な味付けをした
  ぜいたくな料理を食べすぎていないか?

6)極端に熱いものや冷たいもの、あるいは、
  刺激の強いものを食べすぎていないか?

7)充分に咀嚼し、落ち着いて 食事をしているか?

8)真に空腹を感じてから食べているか?
  食欲にまかせて食べすぎていないか?

9)いつもニコニコと機嫌よく、感謝しながら食事をしているか?


皆さんは、いかがでしたか?
チェックリストの詳しい説明は、
南方哲也講師著『天風入門』にあります。

ご興味のある方は、下記URLに目次などの
記載がありますので、ご覧ください。

▼南方哲也講師著『天風入門』
 書籍ページはこちら
http://books.tempukai.or.jp/recommend/116

・・・

【 4月3日 】  夜の習慣

私は毎晩の寝がけに、
「今日一日、本当にありがとうございました。
 本当に嬉しく、ありがたく、これからやすませていただきます」

鏡を前に置いて、顔を写して、じいっと顔を見て、

「お前は信念、強くなる」

と一言いって、床の中に入る。

そして、『今日一日、「怒らず、怖れず、悲しまず」を実行したかどうか』

『「正直、親切、愉快」に人生の責務を果たしたかどうか』

少しでも自ら省みるところがあったら、

「明日は、今日よりも、もっと立派な人間として活きるぞ」

ということを心に描く。

そして、いかなることがあっても、
喜びを感じ、感謝を感じ、笑いを感じ、こおどりして喜ぶ気持ちになって、
その一刻を過ごすということが、何十年来の私の習慣である。

(以上、中村天風『運命を拓く』第9章より引用しました。)

・・・

【 4月4日 】 意志を強くすることはできる

私が軍事探偵をしていて
死刑の宣告を受けたときには、心が大した動揺を感じなかった。

ところが病になって、急に死ぬわけじゃない、
死ぬだろうというだけのことだけでもって、
落ちつきを失っちゃった、おどおどした、
気の弱い人間になっちゃったというのはどういうわけだろう。

結局、自分の心が自分の思うようにならないという原因は何かというと、
考えちゃいけない、思っちゃいけないということを
万々(ばんばん)知っていながら、それを考えてしまうのは、

そういう場合にこれをピタッと止めていく「意志の力」が
弱っちゃったからだと気づいたんです。

意志の力の弱ったのは、
そこに三つの大きな原因があるということがわかった。

どういう原因だというと、
第一に潜在意識の中に非常に消極的な観念要素が
知らない間にうんとたまっちゃったということ。

自分の潜在意識領にあまりにも消極的な観念要素がたまりすぎたために、
気にしなくていいことを気にし、心配しなくていいことを心配する
というふうな状態になってしまった。

第二には、平素の人生を生きる場合の精神生活態度が、
いつも臆病で引っ込み思案的なものであったということ。
思うにつけ、考えるにつけて、ああしちゃさわりゃしないか、
こうしたらいけないんじゃないかしら、ああしたらあたりゃしないか、
というようなふうにね。

そして第三に、人間が生きていく刹那(せつな)刹那に、
避けられない感情や感覚のショックや衝動が、神経系統の生活機能に
手ひどく悪い影響を与えているということ。

いま申し上げた三つのことを訂正する方法をおこなうと、
我ながら自分の心のあり方があっぱれだと思うほど、意志の力が強くなり、
じつに快刀(かいとう)をもって乱麻(らんま)を断(た)つごとく、
思っちゃいけないこと、考えちゃいけないことは絶対に
心の中に取り入れない。

いつも積極的に、尊く強く正しく清く、
心を敢然(かんぜん)として堅持して
人生を生きられるような人間になれるのであります。

何はともあれ、心の入れかえをしなきゃだめですよ。
その心の入れかえをするのが、ここで今まさに教わる方法なんであります。

(以上『心に成功の炎を』第2章より抜粋引用しました。)

・・・

【 4月5日 】 心の態度を取り替える

眼前の草、そして樹、青く澄んだ空、
流れ行く白い雲、また落ちる滝の水、
どれを見ても、人間の力で作られたものは何一つない。

幽玄微妙(ゆうげんびみょう)とういか、
神韻縹渺(しんいんひょうびょう)というか、
現象界の一切を見れば見るほどなんとも形容の言葉がない。

生きとし生ける生物にしても、
小さな虫に至るまで、生きるに必要な器官、
機構が完全な組織のもとに存在している。

そして自分は、この霊智の力、
いわゆる全智全能の働きを持つ気とともにいるのではないか。
いや気に包まれているではないか。
だから自分は生きているのだ。

ここまで思いついたとき、
誰もいないヒマラヤの山奥にただひとり座っていながら、
何の淋しさも感じない。
何とも形容のできない心強さを感じたのである。

世界の本質が自然から作られ、
自然の中に計り知れない働きを行う霊智があり、
その霊智が見えない人間の生命の中にある心というものの態度で、
その受け入れ方が違ってくるなら、
自分を完全に活かすには、心の態度を取り替えるのが先決問題ではないか。

ただ山へ行って座って考える毎日が繰り返されているうちに、
事実が自然に、誰に教えられるともなく私に
この悟りを開かせてくれたのである。

(以上、中村天風『運命を拓く』第2章より抜粋引用しました。)

・・・

【 4月6日 】 吟味しよう 

「暗示の分析」を実行しなさい。

「ああ、今この人が言ってる言葉、ああ、今この人がしているおこない、
 これは果たして受け入れていい言葉かおこないか、
 これは消極的か、あるいはそうでないか」

ということを十分に吟味しなさい。

外界の印象を取捨分別するということは、
言葉をかえていえば、感覚器官を正確に使用するということなんだ。

そして、はじめて本当にすぐれた勘の力がでてくるんです。

(『心に成功の炎を』第6章より抜粋引用しました。)

・・・

【 4月7日 】 特に注意を要する事柄4点

たとえば、
仕事しながら遊ぶことの方に観念が向けられれば、

期せずして観念分裂の結果
その仕事は手につかず、勢いはんぱな疎かなものになる。

また読書しながら
他の心配事でも考えていると、
少しもその書物の内容が記憶に残らない。

古語にも、

心ここにあらざれば見るとも見えず聞くとも聞こえず

というのがある。

(1)心の急ぐことをする時
(2)興味の薄いことをする時
(3)値打ちのないことをする時
(4)熟練したことをする時

以上4事項の場合は、
どれもややもすると、観念の分裂しやすい事柄なので、

特にこれらのことを行う時、
意識的に観念を分裂しないように
注意しながら従事することを習練するのである。

(以上、『真人生の探究』第2章より抜粋引用しました。)

・・・

【 4月8日 】  清いもの美しいもので心の思考を営むように

清いもの美しいものと、そうでないものとある。
美しくない感情は悪魔と思え。

だから我々はいかなるときにも、
美しい純真な感情で、その心の思考を営むようにしなければならない。

感謝と歓喜の感情を常に、できるだけ多く、心にもつように活きれば、
大した努力を要せずにその生命によい調和が与えられ、
環境も運命も、期せずして良くなるに決まっている。

(以上、中村天風『運命を拓く』第6章より抜粋引用しました。)

・・・

【 4月9日 】 言葉を通じて自他の人生を建設しよう!

いやしくも人を傷つける言葉、勇気をくじくような言葉、
あるいは人を失望させるような言葉、憎しみ、悲しみ、ねたみの言葉を
遠慮なくいっている人間は、悪魔の加勢をしているようなものだ!

そういう人間は、哲学的にいえば、
自他の運命を破壊していることを、平気でしゃべっている。

だから何遍(なんべん)もいうように、

人々の心に勇気を与える言葉、
喜びを与える言葉、
何とも言えず、
人生を朗らかに感じるような言葉を、
お互いに話し合うようにしよう。

まず隗(かい)より始めよ。
自分の人生を建設せんとする意気込みが、
やがて世界中の人間の人生を建設することになるから。

(以上、中村天風『運命を拓く』第4章より抜粋引用しました。)

・・・

【 4月10日 】 人間であるわれは、尊厳なる一実在である

「真正の自己」=「真我」というものは、
自分自身の存在を、自己意識で自覚する以前から、厳として実在しており、

恒に心に合理的修練を施して
常住霊的境地にその心を活かすよう心がけるならば、

その自覚が現実化されるに従い、
その人は「われ」なるものに対する信念が、
牢固(ろうこ)として確立する。

したがって、自己統御も期せずして必然完全となる。

人間というもの、「われ」というものは
断然肉体という物質も、そして心をも超越した尊厳なる一実在である。

(以上、中村天風『研心抄』第1章より抜粋引用しました。)

        <感謝合掌 令和3年4月4日 頓首再拝>

中村天風365話(4月11日~4月20日) - 伝統

2021/04/13 (Tue) 19:17:40


【 4月11日 】 自然法則に従って生活していく

われわれ人類なるものは、
哲学的に議論してもまた科学的に考査しても、
大自然が作った自然物の一つである。

多くいうまでもなく自然物の一つである以上は、
当然自然の法則に従って生活せねば、
その生存を確保持続していくことの不可能なことは
あえて贅言(ぜいげん)を要さない。

この争うべからざる現実に立脚して考える時、
人間が、真健康を確立し、無病でかつ長寿で
その全生涯を全うするには、何をおいても
第一に自然法則に順従して生活することが、
犯すべからざる厳粛な人生の鉄則だと断定される。

(以上、『錬身抄』第2節より抜粋引用しました。)

・・・

【 4月12日 】 調和と復元を図るのが宇宙の姿

「自己中心主義」という人生観で活きている人が多いのはなぜか。

それは、世界観が、正当に確立されていないからだと、断言する。

そもそも、この世の物という物すべては、
要約すれば、いずれもそのことごとくが皆
「空(くう)」と名づける「ただ一つの実在」
という絶対のものから作為されている。

「空」とは、意識感覚の線上に現出しない
「有」であって、無ということではない。

万物万象のすべては、いずれも一切独自的に
存在するものは一つとしてなく、厳密に
相互に協調して、その存在を確保しあっている
という、犯すべからざる現実がある。

わかりやすくいえば、もちつもたれつ、
互いに助け合って調和を図りながら
存在しているということである。

そして、この調和が完全である間は、
その物象の存在は安定しているのである。

それから、その調和が何かの原因で破られると、
それをそのままにしておかないという
無限の親切さが、この「空」なるものによって
常住行われるという事柄を忘れてはならない。

すなわち、常に、不完全を完全に
復元しようとする努力が、
自然作用でくり返されているのである。

いいかえれば、いつもこの宇宙の一切を
完全であらしめるためへの、復元という
大作用がこの「空」なるものの力によって、
さまざまの変遷(へんせん)と
推移を持ちながら、絶対に不断の状態で、
果てしなく継続して行われている。

そして、かくして、
いわゆる諸行無常の姿をもって、
この世は間断なく、ひたすらに完全へと、
進化し向上しているのである。
これがすなわち、宇宙の真相である。

(以上、『叡智のひびき』箴言4より抜粋引用しました。)

・・・

【 4月13日 】 意志の力に心を監督させる

理性というのは
ものの善し悪しを分別することができても、
心を使いこなしていく力はない。

ちょうど何のことはない、
わがままないたずら小僧を理屈ばっかり言って、
子どもが言うことを聞かない、貫禄のない、
口やかましい先生に預けたようなものだ。

理性というやつはただ人間だけにあって、
動物にはない心ではあるけれど、
それはいいとか悪いとか、あれがこうだとか
ああだとかいうことを考えるだけの力だけで、

そう考えたからこうしなきゃいけない、
ああ考えたからこうしなきゃいけないという、
抑えつける権利はない、力は。

心を道具として使っていく権能のあるものを
心に呼び出さなきゃいけないんだ。

心を完全に操縦し、またこれを
完全に支配する威力を有するものは、
実に意志なるものよりほかには絶対にない。

意志なるものが、心の働きの一切を統率する
最高なる統率者なんです。

意志の力の発現を容易にする習慣をつけること。
意志の力は意志の集中を実現するべく
習慣づけると、極めて自由に
そして極めて強固に発現するようになる。

そして意志の力が一度完全に発現すれば、
心は自由にこの命令に服従し、
また自由に支配されることができるようになり、
任意の操縦ができるようになるんだ。

一歩一歩を堅実に進むこと、
徐々として堅実なれと敢えて申し上げる。

(中村天風『真人生の創造』第3章より抜粋引用しました。)

・・・

【 4月14日 】 あなたの生涯最も幸福な日を楽しむには

我々は一日だけなら、どんなことでもできるじゃないか。

今日だけでいいから。
命のことを怖れないで考えろ。

生命の影にしかすぎない死を怖れないでいようじゃないか。

それから、幸福であることも何も怖がらなくてもいい。

なんでもいいから美しいことを楽しむことと、
最上のものを信ずることに勇敢に努力しようじゃないか。

今日だけでいいから。昨日と明日を忘れて。

人生のすべての問題を
一挙に解決しようなどと考えないで、
ただ一日だけを楽しく生きようよ。

昔の哲人が言ったじゃないか、
人間というものは自分の決心一つでもって
どの程度にでも幸せになれるもんだと。

だから、今日だけ、幸福になることを思おうじゃないか。

そうして現実の事柄、例えば家庭だとか
仕事、それから運命なんていうものには、
逃げないでもってこっちから飛び込んでいって、
即応しながら生きていくようにしようじゃないか。

自分に都合のいいようにしよう
なんていうことは大変な恐ろしい注文だが、
もし我々が自分の欲するところのものを
持つことができなかったならば、

それで悩むよりも、
自分の持ってるものを好きになること、
なれるんだからそうしようじゃないか。

ただ、今日だけでいいんだ。
今日だけでいいから気持ちよく、それでものわかりよく、快活に、
そして情け深い人間になろうじゃないか。

自分の最善を尽くして。
穏やかにきれいな服装で行動して、
人々のすることを褒めて、どんなことがあっても、
人々のなさったことを支配しないようにしようじゃないか。

そうしてもしも、人々に落ち度があったらば、
それを許すことよりも先に忘れてやろうじゃないか。

(以上、中村天風による翻訳
「How to Enjoy the Happiest Day of Your Life」。
出典は中村天風『真人生の創造』第2章です。)

・・・

【 4月15日 】 真人はいっさいに対して不即不離である

ぶるとか、気取るとかいうのは、
要約すればにせものを本ものに見せようとするのと同様で、

いいかえると虚勢を張っていることなので、
それには相当無理な努力から生ずる精神消耗が付随してくるのが必然である。

天風教義で教示する絶対積極の態度とは、
いっさいに対して不即不離であることなりと説破し、
これこそが「虚心平気」の絶対境地というのであると訓(おし)えているのも、

要は、「無碍(むげ)にして自在なり」
という真に綽々(しゃくしゃく)たる
余裕を心にもつ真人としての人生に活きる人を多からしめたいがためで、

また真の人生幸福というものは、そうした人に恵与されるものである
という、峻厳なる宇宙真理をおろそかになし能(あた)わぬためである。

自分は宇宙真理を知得実行する特別の人間だとか、
あるいは仲間を凌(しの)ぐスーパーな存在だとかいうように、
ことさらにぶること、気取ることを絶対に厳戒しなければならない。

(以上、中村天風『真理のひびき』箴言18より抜粋引用しました。)

・・・

【 4月16日 】 健康・長寿・エイジングのヒントが心身統一法にはある

美食必ずしも栄養価ありとは断然いえないのである。

現にその証拠には常に美食を飽食している贅沢(ぜいたく)家や
または捉われた衛生家は、皆一様に無病で長寿であるべきはずなのに、
事実は全くこれと正反対で、その多くは多病もしくは短命である。

もちろんその原因が必ずしも食物にのみあるのではないかも知れない。
あるいは運動の不足とか、あるいは過度の淫楽(いんらく)に耽(ふけ)るとか、
または過分の煩悶(はんもん)や神経過敏の生活をするとか、
種々の原因があるのではあろうが、

しかしまたその原因の中に食物に関係しているものが極めて多大にある
という事も決して見逃すことはできない。

(以上、中村天風『錬身抄』より抜粋引用しました。)

・・・

【 4月17日 】 前夜:命令暗示、1回きり、鏡を使う
          翌朝〜夜まで:断定暗示、何度でも  

断定暗示法とは、前記の命令暗示法と併立して実行すべきもので、
言い換えれば、命令暗示法の可能性を的確にする補助法ともいうべき
重要性をもつ方法である。

これも要領は極めて簡単なので、
即ち、朝目が醒めたら、なるべく生活行事に携わらないうち、
理想からいえば目覚めた直後ほどなおよい、

前夜命令した事項を、既に具体化された
状況で、断定した言葉で表現するのである。

これには格別鏡面を必要としないが、用いればなおよい。

しかしこの場合の鏡は、
命令暗示法の際ほど絶対的に必要としない。
即ち鏡なしでよいのである。

分かりやすくいえば前夜
「信念が強くなる!!」と命令したら、

それを「今日は信念が強い」とか
「私は信念が強くなった!!」というように、
その時の自己の状態にかかわりなく、
仮想的断定を言語で我とわが耳に聞こえるように断定するのである。

この断定暗示は、命令暗示法と反対に、
一日の中、何度でも折ある毎に行ってよいのである。
むしろ回数多く行う方が効果が多い。

気難しい気持ちでなく、そして悠々あせることなく、
ただ怠らず継続するという気持ちで行われたい。

そうすれば着々と精神生命に
積極的変化が具現してくるから、
その心組みを忘れぬよう切望する。

(以上、中村天風『真人生の探究』第2章より抜粋引用しました。)

・・・

【 4月18日 】 考え方、思い方が現実をつくりあげる

いま目に触れるすべての物という物は
一切合財、宇宙の自然創造物以外のものは、
良く考えてごらん、何からできてるかということを。

それはすべて人間の心のなかの思考から生みだされたものでしょう。

あなた方の一生もまた、あなた方の心のなかの考え方や思い方で、
良くも悪くもつくりあげられるものだということがわかりゃしないかい。

なーるほど、と今すぐ実行なさいよ。

同じことを絶え間なく、はっきりした映像にして心に思考させれば、
言い方を変えりゃ、心のスクリーンに想像というありがたい力を応用して描けば、
それは期せずして強固な信念となって、その信念がいつかは具体化する。

これが宇宙に存在する、
牢固(ろうこ)として動かすべからざる断然真理なんであります。

(以上、中村天風『盛大な人生』より抜粋引用しました。)

・・・

【 4月19日 】 何事にも気を打ち込む

平素何事にも気を打ち込んで行う習慣がつけられていると、
気分もまたそれ相応に落ちつきを失わぬため、
いかに山のような仕事や事件が目前に生じようとも
それを片っ端から秩序正しくテキパキと片付けていける。

そうなるとどんなに多用の場合にも
忙しくて堪(たま)らぬとか、目の回るように多忙で…などというような
繰り言は口にしない、

というのはその心がいつも綽綽(しゃくしゃく)たる余裕を
もっているようになっているからである。

ところが忙しくてやり切れないなどということを口にする人は、
心に何の余裕もなく、また心に余裕のないのは畢竟(ひっきょう)
そのことに気が本当に打ち込まれていないからである。

その証拠には自己の好きな仕事や遊びに熱中している人などが、
どうも忙しくてやり切れないなどと愚痴るのを耳にしたことはない。

だから要約すれば、いつも何事でも自己の好むことを行う時と同様に
気を込めて折衝応接する習練を行うことである。

(以上、中村天風『研心抄』第3章より抜粋引用しました。)

・・・

【 4月20日 】 心の思考が人生を創る

「人間の健康も、運命も、心一つの置きどころ」

心が積極的方向に動くのと、消極的方向に動くのとでは、天地の相違がある。

ヨガ哲学ではこれを、「心の思考が人生を創る」という言葉で表現している。

私は、はじめてこの文字を見たとき、ちょっと理解ができなかった。
しかし、自分の病を考えの基礎において人生や生命を研究するにつれ、
この重大なことが次第にわかってきた。

宇宙エネルギーは、まず、心の働く場である脳髄で受け入れられ、
それが神経系統に送られ、命を活かす力となる。

宇宙エネルギーには建設の法則を行う力と、
破壊の法則を行う力がある、いわゆるプラスとマイナスである。

この建設と破壊の比例配合が常にプラスが
勝っているときは建設の作用が現実に行われる。

あの人は丈夫だ、あの人は運がいいというのは、
宇宙エネルギ―の受け入れた結果にプラスの多いときである。

健康と運命とを正しく保持し、生きがいのある人間として人生を活きたいと欲する者は、
何をおいても、人間の活きる命の力を豊富にし、
受け入れられる活き方を考えなければいけない。

(以上、中村天風『運命を拓く』第1章より抜粋引用しました。)

        <感謝合掌 令和3年4月13日 頓首再拝>

中村天風365話(4月21日~4月30日) - 伝統

2021/04/22 (Thu) 12:42:54


【 4月21日 】  心の態度をいちいち対外的なものに反応・反射させない

対外的なものを超越することが必要なんです。

いかなる出来事にも、心がこれにいたぶられないようにすることが、
だんぜん必要なんです。

いちいち対外的なものに反応・反射せしめているかぎり、
しょせんは消極的におちいる場合のほうが多いんです。

まして、今日のように
消極的なもので溢れかえっている世相においては、なおさらのことですよ。

常に積極的な心をもってこれに応じ、
歓喜の念をもってこれに接するようにするんです。

(以上、中村天風『君に成功を贈る』「笑いの人生に生きる」より
抜粋しました。)

・・・

【 4月22日 】 現在状況にかかわらず、感謝と歓喜に振り替えよう

生命の生存に対する現在状況のいかんにかかわらず、
その存在に満足の感謝を心をして感じさせることが、
幸福招来の何よりの先決問題である。

もっとわかりやすくいえば、
健康に故障があろうとも、また運命に不如意のものがあろうとも、
否、もっと極言すれば、いかなる場合に対しても、そういうときに、
なおかつ活きていられるという大きい事実を感謝する心をもつことである。

かくいう筆者も壮年の頃まで
全然このような階級高い自覚を心にもっていなかった。

幸福をひたすら相対方面にのみ求めて、
ただあくせくと一向に満足を心に感じないままに
絶えず不平と不満の奴隷になっていた。

しかもそれが大変な誤りであることも知ることができなかったため、
ただ心の中は求めるものだけが、いたずらに多く、
しかも得るものがあまりにも少ないので、

実にやるせない焦りと煩悶(はんもん)にさいなまされ、
形容のできない懊悩(おうのう)の毎日を過ごしたものである。

とにかく現在運命なり健康なり、そればかりではなく何事かに不平不満なり
あるいは不如意を感ずる人は、そのことがらに拘泥(こうでい)する心を
前述の通り、まず感謝と満足の方面へと振り替える心的態度を採ることである。

不幸に直面したら、まずその不幸に際しても、
なおかつ生命を失わずに現在活きていられることを感謝することに
心を振り向けるべきである。

するとそうした心がけそれ自体が、幸福を招いて来る原動力となるのである。

一日も早く自己の心を真理に順応する謙虚なものとなして、
真の幸福を収受されんことを心よりあえて観奨する。

(以上、中村天風『真理のひびき』箴言25より抜粋引用しました。)

・・・

【 4月23日 】 宇宙は進化と向上をし続けている

自己の心を現実に更新するということをおろそかにすると、
人生に一番大切な精神態度を積極的に堅持するということが、
どうしても思うようにできがたくなる。

すると知らず知らずの間に、精神態度が消極化してきて、
人間の生命確保に直接的に大きい支障をきたす。

怒りや悲しみや怖れ、あるいは心配や煩悶(はんもん)や懊悩(おうのう)
等々というような、価値のない消極的感情情念が絶えず
実在(=顕在)意識領に続発してくる。

そして、当然の結果として、
日々更新の宇宙真理に、どうしても順応することが不可能となる。
というのはその一切の結果が、進化に逆転することになるからである。

日々更新、すなわち日々新たにして、日に新たなりという大事実は、
尊厳侵すべくもあらぬ絶対的な宇宙真理である。

この現象事実は、要するに、宇宙の本来が進化と向上にあるためである。

(以上、中村天風『真理のひびき』箴言10より抜粋引用しました。)

・・・

【 4月24日 】 自己人生のことはいかなることも
           主動力は自己において堅持すべし

He that is fed at another's hand may stay ere he be full.
人の手で食べさせてもらっていたら、満腹には至らない。

他力依存は、主動力を他に転移するのと
同様の結果を期せずして招くことになる。

多くいうまでもなく、自分が抱く理想や希望を実現する者は
自己のみでしかない。

他力依存の態度ではとうてい
自己自身からの実現性が、なんとしても発揮されえない。

自力本願という独立自尊の真価を発揮されんことを、
真人として尊い格調を確保するため、切に切に熱唱する。

(以上、中村天風『真理のひびき』箴言26より引用しました。)

・・・

【 4月25日 】 ほんとうの人間らしい人間がいると
            すべての人間の魂は洗い清められる

泣いてる奴がある。
怒ってる奴がある。

恐れてる奴がある。
やきもち焼いてる奴がある、ねえ。

迷ってる奴がある。
苦しんでる奴がある。

もう、人って奴はみんなそうだ。

あなた方は今までその人間のなかの
旗頭(はたがしら)をしていたんだから、

もうそのほうは辞職しちゃって、
今度は、ほんとうの人間の生きる姿は
ここにありということを示してやってください。

我れあるところに必ず光明が燦然(さんぜん)として輝くから。

そういう気持ちの人がたった一人そこにいたら
どんな濁った人間のなかへ出ていっても、
その人の光明ですべての人間の魂は洗い清められる。

自分の幸福のためだとか健康のために
一生懸命修行してたけれど、
もうそんな第二義のことは忘れちまえ。

真理に則して生きさえすれば、
黙って丈夫になれて、黙って運命がよくなるに
決まってるんだから、ねえ。

そういう気持ちが出て、
本当に人の世のためになる自己というものが
つくり上げられる。

その第一段階に足を踏みかけたんだということを忘れないで。

我(わ)れ因縁あって人としてこの世に生まれし以上、
こうした本然の自覚によって、本当の人間らしい人間として
きょうから生きることに覚悟のほどをきめてください。

(以上、中村天風『成功の実現』第6章より抜粋引用しました。)

・・・

【 4月26日 】 心の操縦のため、まず区別を知ろう

心の要素とこれに付随関連した約束とは、
一体どんなものであるかというと、
順序として心の区別というものから理解せねばならない。

心というものにはどんな区別が存在しているかというと、
心にはその性状と活動の状態から大別すると、

「肉体生命に属する心」と
「精神生命に属する心」の二つのものがある。

そして、肉体生命に属する心の方は、更にこれを細分すると、その内容に
「物質心」「植物心」「本能心」という三つのものが存在する。

また一方精神生命に属する心には、
「理性心」「霊性心」という二つのものが、その内容をなしている。

「物質心」「植物心」は、常に「本能心」と結合して作用するもので、
心理現象を直接的に作為する性質のものではない。

「本能心」は人類生命中の動物的方面の
生活と生存を現実にするに必要とする各種の作用や職分を、
この心がその本元となって司(つかさど)っているものである。

たとえば食欲とか、性欲とか、その他肉体の欲求から発生する
各種の欲望や一切の感覚念等のごときものがそれである。

が特に注意すべき問題は、闘争心、復讐心、憎悪心、猜忌(さいき)心
ないしは嫉妬心などというような、低級心性も、
発露されていることである。


次は精神生命に属する「理性心」についてであるが、
この心はいわゆる事物事象に対する推理推考を司る心のことである。

それから最後の「霊性心」は
吾人人類の精神のみに特有された
極めて優秀性を有する最高級のものなのである。

この心が吾人人類に実在すればこそ、
自己とは何かというような他の一切の生物が断然為し得ない、
即ち自我の本質をも悟入自覚することができるのである。

「心」「心」と盛んに口や筆でいうものの、この区別に無理解で、
その概ねは、自分が現在使っている心だけを
自己の心の全部であるかのように思い込んでいる。

現在自己の使っている心なるものは、
実は心の全量に比較するとわずか一端に過ぎず、
心というものはもっと奥もあり深さもあり分量も多分だということにも
また気づかずにいる人が多い。

要するに各種の心を正確に区別収拾し、
これを正当に操縦行使することができてこそ
初めて本当の真人というべきである。

(以上、中村天風『研心抄』第2章より抜粋引用しました。)

・・・

【 4月27日 】 良き運命の主(あるじ)の習慣

自分の心を、積極的にして活きるという方に自分の心を決定しなさい。

そうすればもう、天命なんてものは、極めて僅(わず)かしかない。

静かに我(わ)が心に問うてみよう。
それは人間だから、悲しいことも、腹の立つことも、憂(う)いときも、
苦しいときもある。
それを感じるなといっているのではないのだ。

腹の立つことがあろうと、悲しいことがあろうと、
瞬間に心から外してしまえばいいんだ。

心を積極的にすることを心がけて、
自分の心を汚さないようにするには、
気がついたらすぐそれを拭いてしまえばいいじゃないか。

腕の秀でている剣客が、相手の斬り込んでくる太刀を、
太刀風三寸、すっとかわしていくがごとく、
心を汚さないようにするのだ。

良い運命の主人公として活きていきたかったら、
何をおいてもまず、心を積極的にすることに注意深くし、
始終自分の心を監督して行かなければならない。

宿命統制にもう一つ必要なことがある。

習慣として、何でもいいから、
感謝と喜びで人生を考えるよう習慣づけよう。

この心がけが、宿命統制にすこぶる効果があるということがわかるなら、
宿命統制ということが、さほど困難でないと悟(さと)れることと思う。
まことに、この真理こそ絶対である。

「すべてのことを喜び、すべてのことを感謝して行く」

こういうと、
「でも、この世の中に、感謝すべきものなんかありはしません」
という人があるかもしれない。

けれども、少なくとも、
昭和20(1945)年に生きていた人は、
白いご飯を見ると、「ああ銀めし銀めし」と言って、飛びついた。

しかし今、そんなことを少しも感謝などしないで、
昼がくれば飯を食うのが当たり前と思っている。

食べるものがなかったらどうする?

感謝に値するものがないのではない。
感謝に値するものに気がつかないでいるのだ。

さあ、今日からは良き運命の主として活きていく準備として、
何事に対しても感謝し、歓びの気持ちをもって、人生に活きていこう。

(以上、中村天風『運命を拓く』第6章より抜粋引用しました。)

・・・

【 4月28日 】 すべてを「一つ」と考え
          「和の気持ち」で思いやることから平和は具現化していく  

すべての人が平和を念願しているにもかかわらず、
一向にそれが現実化されないのは、

平和を現実化するのに何よりも必要な「和の気持ち」というものが、
心の中に欠けているからである。

ただ相互の利害関係のみに重点を置き、
条件本位で解決しようとすると、うまくいかない。

その時、相互の心の中に少しでも「和の気持ち」があるならば、
「思いやり」という階級の高い心情が発露し、
自分たちに都合のよいことばかりを考える階級の低い心情が自然と抑制されて、
人類の生きる姿の中で最も尊い平和というものが具現する。

すべてを「一つ」と考える時、自分が自分を憎んで疎外したり、
自分を打ったり傷つけたりするはずがないように、
他人のことをも自分のことのように思いやる愛の情というものが発露する。

愛の情こそは和の種子であり、人との和こそが成功の秘訣なのである。

(以上、中村天風『真人生の創造』第4章より抜粋引用しました。)

・・・

【 4月29日 】 心のなかの想像内容を監督する

ゲーテも
「想像の分量が豊富なときに書いたものは、期せずして、人の心を動かす力がある。
 そして、そういうものを、世間の人は、名篇(めいへん)とか傑作とかいう。
 だから文豪とは、想像力を他の人よりも豊富にもつ人のことである」といっている。

要するに、詩人は詩的に、哲学者は哲学的に、
普通の人よりも高級な組織で、その想像が組み立てられる点と、
その想像の内容が統一されている点に相違があるのである。

ところが、多くの人々が心の中で思ったり、考えたりすることは、
こういう定義で決定できぬほど、散漫で、放縦(ほうじゅう)なのだ。

自分の欲念から希望する人生状態や、その他の事柄を、無制限に、
自己を本位として拡大し引き伸ばして、
無鉄砲に、当てどもなく考えるという場合が多い。

こうなるともう、想像という立派な定義の中に入れて、
論ずべきものでないほど、考え方が滅茶滅茶になっている。

そういう考え方を、想像だなんて思っていたら、もちろん運命は破壊されるし、
健康も良くなくなるしで、一切合切、人生の価値というものを、
ブチ壊しにしてしまうのである。

いかに、観念の世界が絶対に自由とはいいながら、
これに、ある程度の制約を与えないと、
至極、我がままのできる点があるだけに、よほど慎重に自己監督を施さないと、
心の中の想像作用が奔放で放縦になる。

人類の生命本来の作用は、絶え間なく、
永遠に、伸びよう、広がろう、向上しようとするように、
宇宙本体の意図のもとに作られているのである。

これが、厳として、動かすべからざる宇宙法則なのだ。

だから、考えてみれば、健康になるのも、幸運の持主になるのも、
わけないことであると同時に、それが、なんと、人間としての
当然として与えられた感謝すべき権利であるということがわかる。

(以上、中村天風『運命を拓く』第12章より抜粋引用しました。)

・・・

【 4月30日 】 自己の生命の支配権

心と体ってものは、使って生きていくように必要なものだから、
この命に与えられてある。

それを何ごとぞ、特に心というものが
しょっちゅう価値のないことばかりを思ったり考えたりしているのは、
心に使われてるからだぜ。

心というものは厳粛(げんしゅく)に言うと、
生きるために使うんで、使われるためにあるんじゃないんだから、
これを忘れちゃ駄目だよ。

心に使われたら心配も煩悶(はんもん)も、
とめどなく心の中を暗くするだけだ。

同じものごとに接触している場合でも、
その接触しているものと心との関係がだよ、
心がその接触しているものを対象としていない、
自分自身の生命を使いだしたらもうおしまいだよ。


ところがこのゆるがせにすることのできないことが、
はっきりわかってない人が多いんだなあ。

心に使われたら最後、人生はたちまちその価値を失う。

多くの人が、迷ったり、悟れない、
苦しみを感じるのは、その理由はこの点にあるんですよ。

自己の生命の支配権なるものは、
心にあるんじゃないのを、あるように思うから。

心を完全に操縦し、またこれを完全に支配する威力を有するものは、
実に意志なるものより外(ほか)には絶対にない。
意志なるものが、心の働きの一切を統率する最高なる統率者なんです。

ですから我々が第一に当面の急務として知らなきゃならないことは、
意志の力をもって完全に自己の心を操縦するべく、
意志の集中ということを現実にする修練をして、
意志の力の発現を容易にする習慣をつけるということ。

(以上、中村天風『心を磨く』第2章より抜粋引用しました。)

        <感謝合掌 令和3年4月22日 頓首再拝>

中村天風365話(5月1日~5月10日) - 伝統

2021/05/04 (Tue) 21:37:43


【 5月1日 】 生きてることを楽しもう

昭和十五(1940)年、北海道から講演を頼まれて、
いざ行こうとする三日前に、急に私、声がでなくなっちゃった。

朝ベランダでコーヒーを飲んでいて、
もう一杯おかわりをもらいたいなと思ってね、
普段なら「おい、もう一杯」とこう言えるのが、
「おっ、うっ」…おかしいな。でないんですよ。

「ガン。珍しいガンだ、こりゃあ。
 90パーセントはだめだ、こりゃあ。
 一生、もの言うことができないだろう。
 すぐ入院。入院しなけりゃ死ぬ」と

東京神田の耳鼻咽喉科の大家が言いやがった。

そのとき私は、「入院はしない。北海道へ行く。
おれは耳は聞こえる」と紙に書いてやった。

そうして初日、三千人以上、今井記念館に集まっちゃった。
表に拡声器だして、表にも二、三千人いるってぐらいなんだ。

とにかくこれだけの憧憬(どうけい)をうけてる以上は、
たとえこの場でいま倒れて死んでも構わん、
一言ぐらいは言わなきゃと思ってね、演壇の水を飲んだよ。

そしてクンバハカになって、「しょくーん」と言ったら、
大きな血の塊(かたまり)がパーッと飛びだしやがった。

それと同時に、スラスラものが言えだしたじゃねえか。

そのかわり、ハンケチ二枚と
てぬぐい一枚がたちまち真っ赤。

一時間、血を吐きながらの講演。

もの言うたびに、ドロドロ、ドロドロ出るけど、
そらもう自分ながらね、勇ましいと思ったよ。

その晩は九度近い熱。
それでも、七日たったらね、
けろっと治っちゃった。

私は自分の命の正体は
肉体でも心でもないと信念していますから、
全然びくともしませんよ。

ただ、私は、現在生きてることを楽しんでるだけなんだ。
肉体がどうあろうが、こうあろうが、そんなことは何ともない。

この一生、生きてる間は生きてるようにして生きましょう。
生きてるように生きろというのは、
生きてることを楽しみにして生きることだよ。

(以上、中村天風『心に成功の炎を』第3章より抜粋引用しました。)

・・・

【 5月2日 】 平和も人々の心から創られる

人間は造物主から、言語活動という、
本当に考えてみると考えきれないほどのありがたいお恵みを受けている。
この尊いありがたい恵みを乱暴に使ってはいけない。

いつもいうことだが、今の人たちは国を護り、身を守る大切な宝刀を、
めったやたら、台所で菜っ切り包丁として使うようなことをやっている。

「言葉」のことである。

たとえば頭が痛いときに
「頭が痛いか」、「いいえ痛くありません」。
耳が痛いときに「痛くないか」、
「いいえ痛くありません」。

これは嘘である。
痛いのは痛いでよろしい。

けれども「痛くてしようがない」とか、
「どうにも死にそうだ」とか、
「もうダメだ」という。
さらに理屈をつけて消極的言葉をわざわざいう。

「痛くてどうにもしようがないから、
 痛くてどうにもしようがないというんじゃありませんか」という。

痛くてどうにもしようがない、といって、どうにかしようがあるか。

颯爽溌溂(さっそうはつらつ)として
人生の難路を輝かしく突破して進んでいこうとする者は、

どんな場合にも自分の言語や言葉で消極的な表現をして、
そして自分の実在意識を通じて自分の生命をそこない、なおかつ
それを耳で聞いている他の人の心持ちまで悪くしないようにしよう。

その一語一語が自分のみでなく、
すべての人々にいい影響を与えるし、悪い影響も与える。

絶対的なものは、人々の心でのみ創られる。

すなわち一切を創り変える造物主の力を、
個人の生命の中に受け入れ、
その人々が立派な人間たちの集まりを作ってこそ、
国家社会は如実に改善されるのだ。

平和もまたしかり。
だからどんな場合があっても、
消極的な言語表現をしないよう気をつけよう!

(以上、中村天風『運命を拓く』第4章より抜粋引用しました。)

・・・

【 5月3日 】 身分、地位、富がどうであっても生存への感謝の表現をしよう

中村天風『真人生の探究』に自分の活きていることへの
心からの感謝を表現するつもりで実践を促していることがあります。

その一つをご紹介します。

〇寝具は必ず自身で
 整理整頓(せいとん)すること

これを往々見受けるところであるが、
一家の主人公などは、大部分、寝具などをたたまないという傾向がある。

まして、身分があるとか、地位があるとか、
富があるとかいう人などは、なおさらに
寝具をたたむことなどを、何かなすまじき
卑(いや)しいことのように考えている人がある。

しかしそれは大変な心得違いだといってよいと思う。

考えてみるとよい。

一夜安らかに心も身も安息を得た上に、
なおその上生命復活の活力まで受容し得たという尊い場所である寝床を、
そのまま他の人に整理させて
果たして恬然(てんぜん)として何とも思わないかということである。

要するに、これは感謝の表現としても、
寝具はどんな身分でも自身たたむというように実行されたい。

またそのくらいのことができないような人は、
せんじつめれば、少しも克己心がなく、
したがって自己統御の完全にできない人で、
言い換えれば、生存の権利を自ら放棄しているような人だと、
極言し得ると思う。

(以上、中村天風『真人生の探究』第3章より抜粋しました。)

・・・

【 5月4日 】 ああ、なるほど、変わってきたなという
         自己歓喜にひたるときが必ずくる  

今日、明日死ぬという病人でも、
グッと前後も知らず寝てるときは、
その人はもう重病人じゃありませんよ。

感覚的には何にも感じてないんだ。

いわんやだ、悲惨な境遇の中にいても、
自分の気持ちの中に、ある時間内だけは晴れやかな気持ちをもたせりゃあ、
その時間内だけは晴れやかであったということになるだろう。

やらなきゃだめだよ、心がけ。

むずかしいことでも何でもないんだもん。
そりゃもう最初のうちは何べんかやり損なうよ。

いきなり成功なんて、めったにありゃしない。
転んだら起きろ、倒れたら立ち上がれというふうに、
いいか、屈せず、文字どおりたゆまずやるんだよ。

そうすると、いつか必ず「ああ、なるほど、変わってきたな」という
自己歓喜にひたるときが必ずくるから、
さらに大きな期待と夢と楽しみを胸に描いて、心を研ぎあげなさいよ。

(以上、中村天風『心に成功の炎を』第4章より抜粋引用しました。)

・・・

【 5月5日 】 心が人生を光明たらしめる

どんな場合があっても、
自分でも抱きしめてやりたいような、
本当に純真な尊さを感じるような気持ちを
しょっちゅう自分の心のなかによけいもつように努力なさいよ。

たまには、自分自身が非常に尊い敬(うやま)いを感じるようなことを
考えたり思ったりしなさい。

そうすりゃあ、しぜーんとその気持ちや、
気持ちからあらわれる言葉なんてものも、
ぜんぜん今までと違った価値のたかーいものになってくる。
そういうのが光明ある人生って言うんだねえ。

ようく考えなさい。
他人の心じゃないよ。

あんた方の命を守る大事な心に
なんで苦しさを考えさせたり、悩ましさを考えさせたり、
悲しみを考えさせるんだ。

自分のものなら自分でどうにも
勝手にしていいなんて思ったら大違いだ。

命全体が宇宙本体から拝借してるもんだぞ。

宇宙本体の気のお分け前を働かすために、
人間として生まれさせていただいて、この命を拝借して生きてるんだと、
こう思ったら、心を粗末にするなよ。

朝から晩まで恵まれどおしで、
よいことばかりありすぎたらねえ、
人間の世界じゃないよ、そらもう。

苦しみが多く、悩みが多いから人間の世界。

その苦しみが多い、悩みの多いなかに生きて、
心がそれに少しも引きずられないで生きてるときに、
人間の生命の本当の光明というものがある。

(以上、中村天風『盛大な人生』第3章より抜粋引用しました。)

・・・

【 5月6日 】 感覚器官を正確に使用する=認識力を養成する

あるとき、インドでカリアッパ師から聞かれた。

「おまえは何のために目の玉を与えられてあるんだ。
 何のためにおまえは耳があるんだ。
 何のためにおまえは鼻があるんだ。
 何のために舌があるんだ。
 何のために体に暑いとか寒いとか、
 かゆいとか痛いとかと感じる感覚があるんだ」

と矢継ぎ早にね。

うぬぼれだけは人の何倍も強かった私、
こりゃもう腹が立ったねえ。

「何の必要があってそんな質問をするんです?」

と聞いたら、

「おまえのもっているそれらのすべては、
 ただ存在しているだけの有名無実なものだ。
 おまえは、目も鼻も口も舌も、体にある感覚も、
 ただあるがままに働かせて、
 ちっともそれを役立たせていない」という。

「おまえは本能の感覚と感情だけしか、
 その五官の感覚を使ってないじゃないか。
 おまえをこうやってエジプトから連れてきて三か月になるが、
 おれの質問に答えるおまえを見ると、
 おれがエジプトで思ったときよりも、おまえはばかだ。

 おまえは心の一部しか使ってないんだ。
 この一部を全部使ってるように思っているが、
 これが間違いだ」と。

大切な認識力の養成ということを
インドに行く前はぜんぜん考えなかったから、
そんな必要があるなんてことはちっとも考えやしないもん。

肝心かなめな心のもつ認識力というものを完全に養成するには、

第一に、「官能(かんのう)の啓発」

第二は、「精神内容の浄化と整理」

第三は、「神経生活力の鼓舞(こぶ)」

これだけのことなんです。

「なあんだ、そんなことか」
と思うことを、やってないんですよ。

(以上、中村天風『心に成功の炎を』第6章より抜粋引用しました。)

・・・

【 5月7日 】 自分の心を自分で決める

ある会場で、十歳くらいの女の子が無邪気に、
「先生、うちのお母さん困ったわ」というから、
「どうしたの」と尋ねたら、

『「今日は日が悪いから修練会に行かない」というの』と答える。

だから「修練会に日はないよ」といったら、

『お隣の拝み屋さんが
「今日は修練会の方向は、方角が悪いから、行くのを止めた方がよい」
 といったから行かないんだって…』といったのです。

考えてもみなさい。
ここへ釘打っちゃいけないとか、
ここへ畳敷いちゃいけないとか、

赤の他人の拝み屋などにいわれて、
ここへ釘も打たず、畳も敷かずでは不自由を感じないだろうか。

人生は、もっと自由な世界に活かさねば、うそじゃないか。

宇宙真理がいったのならともかく、
何とまあ、貴重な自分の人生を、他人にかきまわされ、
自分自身の自由を拘束されて活きているのだ。

とにかく、すべて自分の力ではできないと思うから、
そんな、へんなことになってしまう。

積極的にして活きるという方に自分の心を決定しなさい。

(以上、中村天風『運命を拓く』より抜粋引用しました。)

・・・

【 5月8日 】 心がけ、習慣次第で積極的な自分は作れる

どんな場合にも、虚心平気(きょしんへいき)の状態でいるのが、
溌刺(はつらつ)たる勇気の状態なのだ。

勇気を常に心から落とさない心がけで人生を活きると、
人生何事に直面した場合でも、虚心平気の状態で、
それに応接することが出来るようになるのである。

つまり、勇気というものが、虚心平気という大境涯に入る経路なのである。

今まで活きてきた過去を考えてみなさい。

のべつそんなに恐ろしいことがあったか、なかったか。

生まれたときには白紙のごとし。
自分自身で生まれたときに持ってきた
勇気というものを影を薄くしてしまっているからだ。

なくなっているのではない。
その上に消極的な弱い心がふたをしているからなのである。

どれでもいいから、寝がけに誦句集(しょうくしゅう)を開けて読みなさい!
読むだけでも非常に寝ぎわのときの気持ちの掃除が出来る。
一章だけでいいから誦(とな)えなさい!
そして、本当にけなげな勇気ある自分を作りなさい!

(以上、『運命を拓く』第11章より抜粋引用しました。)

・・・

【 5月9日 】 笑いは心身をよろこばせる

お互いが笑うと、必然的にへそがむくむくと動揺する。
これを俗にへそが茶を沸かすといい、
またおかしいことをへそ茶の話だなどという。

そして笑いに伴って必然的に生ずるこのへその動揺が
すこぶる良好な効果を肉体生命に波及するのである。

すなわちへそが動くにつれ、
へそを中心として背中へ通じている腹筋というものが、やはり動く。

この腹筋の振動伸縮ということが極めて重要なので、
腹式呼吸などの効果の一部もやはりこの点にあるといえるので、

すなわちこの腹筋のリズミカルな振動と伸縮とが、
腹筋神経を通じて、脳髄に良好な再反射作用を誘致し、
その結果全神経系統の興奮を鎮静する。

神経系統なるものは、生命確保の緊要基盤である。
ブリュースのいったとおり、人間とは神経の集積である。

そして人間の生体を形成する細胞は、
そのいずれも皆一切、神経系統の作用によって営為されている。

したがって神経系統をみだりに特に消極的に興奮せしめることが、
直接間接に生命に危険を与えることとなるのもまた当然のことである。

そこで造物主は、人間個体の生命擁護のために、
感謝すべき全神経系統の興奮鎮静の一手段として、笑いを与え、
「へそ」の作用を必然的に応用するように、
巧緻(こうち)な設計のもとに生体を仕組まれたのである。

さればこそ、笑いを礼賛し、笑いを推奨するのである。

(以上、中村天風『研心抄』附録「笑いと人生」より抜粋引用しました。)

・・・

【 5月10日 】 信念のなかには否定も肯定もない

「思わじと思う心は、思いなり。思わざらせば思わざりけり」

これが信念の実態だよ。

「大丈夫だ、できる!」
これは信念じゃありませんよ。
思ってるんだもん。
これはもう全然ダメだ。

信念のある人間はなんとも思ってやしませんよ。

病にかかろうが、運命が悪かろうが。
よくなるもよくならないも思ってませんよ。

否定も肯定もないんだもの、信念の中には。

信念が絶対的なものというのは、つまり要するに
肯定も否定もなくなるような心になると、
求めざるに潜在意識の中に、
生まれながら与えられた潜在勢力が出てくるというんだ。

否定や肯定さえなかったら、心はきれいになる。

否定や肯定もない心を、虚心平気と言うんだよ。

(以上、中村天風財団会報誌『志るべ』2019年1〜2月号より抜粋引用しました。)

        <感謝合掌 令和3年5月4日 頓首再拝>

中村天風365話(5月11日~20日) - 伝統

2021/05/12 (Wed) 19:14:36


【 5月11日 】 安眠を得る注意、その他2点

安眠を得る注意として、一日一話の内容以外に
2つ、『錬身抄』で中村天風は付記していますので、以下にご紹介します。

次に必要なことは、特に病弱の人は、夕飯後は食物を口に入れぬことである。

単に食物のみならず、茶、コーヒーのような
興奮を伴う飲料は絶対に避くべきである。

それからなお一層重要のことは、就寝前の心の持ち方である。

即ち心痛、憤怒(ふんぬ)、煩悶(はんもん)、悲観というような
かりそめにも心を暗くするがごとき消極的の思考は、
断然心に抱かしめぬよう、努めて習慣つけねばならない。

(以上、『錬身抄』第6章より抜粋しました。)

           ・・・

<参照> 中村天風・一日一話(2019/5/11)

 「安眠を得ようとすれば」

その日その時の活力の消耗の程度に応じて、
言い換えれば、生命の要求する時間を睡眠する
というのが最も自然法則に順応している。

本当に眠くなってから寝るようにすること。

ムリに眠ろうとせず、ゆうゆうたる気持ちで眠くなるまで待とうと
のんきな気持ちをもつことが何より必要である。
要は、昼間できるだけこまめに肉体筋肉を働かすことである。

何もしないで安眠を得ようと望むのは、
あまりにも虫のよい考え方と笑うべきである。

中村天風

・・・

【 5月12日 】 感情統御を心の主(あるじ)として実行しよう

自己の尊厳を守り抜くものは、
形=肉体や体裁(ていさい)でなく、「心」である。

「わずらわされる」というのは、
心が「物」かまたは「人」かに「役」せられる状態のことで、

これをわが天風哲学のほうからいうと、
自己の心が相対事象(それがものであれまた人であれ)に奪われた状態…
詳しくいうならば、その主位を乗っ取られたときのことをいうのである。

「感情統御(とうぎょ)の未完成ということ」の初因(しょいん)は、
平素の人生生活を行う際の感情統御が、充分注意深く
実行されていないからである。

三勿(さんこつ)三行こそ感情統御に
現実の著効(ちょこう)をもたらす秘法である。

怒らず 怖れず 悲しまず というのが、三勿というので、

正直 親切 愉快 というのが、三行なのである。

かるがゆえに、尊厳なる人生を確保するために、
「随所に主となる」という理想的の人となるには、
理屈なしに三勿三行を厳格に実行することである。

(以上『叡智のひびき』箴言31より抜粋引用しました。)

・・・

【 5月13日 】 自己の言行に、あくまで責任を負う

天風教義の真髄(しんずい)は、自主自律という点にある。

これはすなわち「天は、自ら助くるものを助く」
という宇宙真理から胚胎(はいたい)したもので、わかりやすくいえば、
この真理が天風教義たる心身統一法の組織の根本をなしているのである。

「自己の言行に、あくまで責任を負う」という、
人生に必枢(ひっすう)するともいうべき覚悟がその心にないと、
往々にその万全を阻害される憂(うれ)いが、事実に存在しているということを、
明瞭に知得している人があるいは少ないのではないかと思うが
いかがでしょう。

実際において、自己の言行に対して責任感を持たない人は、
なんとしても、自主自律という人間の本来面目(めんぼく)を、
完全に実行することができない。

そして、ここに特に戒心(かいしん)すべきことがらは、
自己の言行に対する責任感の薄い人というものは、
ややともすると自己の健康や運命に、何らの変調の生じた場合、

その原因をとかく自己以外の他に転嫁して、しかもそれがたいへんな間違いだ
と気づかないという、見逃すことのできない重大事実があるという
ことがらである。

健康や運命の変調の原因を、他に転嫁して考える限り、
それが決して正当な考え方でないのであるため、
どうしてもその健康や運命を、よりよき状態へと挽回(ばんかい)する
ということが不可能になる。

「自己の人生に生ずるすべてのできごとは、すべて自己に責任があると
 自覚して処理しない限り、完全な人生は作為されない」

という垂迹(すいじゃく)を、思い起こしてみるべしである。

(以上、『叡智のひびき』箴言14より抜粋引用しました。)

・・・

【 5月14日 】 人生に対して積極的精神をもつものは
          常に健康や運命の勝利者になる

事実において、神経系統の作用に万一不調和が生ずれば、
生命エネルギーの収受もまた配分も、一切がその調節を欠如してくる。

いかに他の合理的な養生法や健康法を実行しても、
肝心の神経系統の作用が不調和になると、

コイルの配列に不完全をきたしたモーターにいくら良性の潤滑油を注入しても、
またその他の手入れを行い、さらに強力な電流を通じても、
規定通りの良好な回転は具現しないのと同様なのである。

ただし、モーターのコイルの調整作用はモーター自身には存在していない。

しかし人間の生命の中でコイルに該当する神経系統は、
精神態度がその作用を妨害しない限りは、神経系統それ自身に
自然的調整作用がある。

そしてその最も理想的な精神態度とは、
精神の絶対安定した状態をいうのである。

要するに、天風教義の真髄たる心身統一法の先決問題に、
精神態度の積極化を力説するゆえんもまたここにあるといわねばならない。

これあるがゆえに、ますます銘心堅固(めいしんけんご)に
天風教義を実践されて、宇宙真理に順応し、正々堂々健康と運命の
勝利者としての現実を発揮されんことをあえて心より推奨する。

(以上、『真理のひびき』箴言13より抜粋引用しました。)

・・・

【 5月15日 】 今日一日、思いやりの気持ちで活きる

自分の存在は人の中にいる存在である以上、
できるだけ人の喜ぶ、人の幸福も考えてあげよう。

同じ商売をするんでも、
この品物を売って儲けようということよりも、
こういう品物を人よりも安くその人に売ってあげて、
その人の生活の中で少しでも幸福を多分に味わわせてあげようと。

そういう気持ちで自分も利益をいただこう。
こういう気持ちでやってほしいんであります。

これは人の幸福、人の喜びを考えてやる仕事なんです。

ですからその気持ち、心持ちを完全なものにしようと思ったら、
人生に生きる刹那刹那も、決して人の嫌がることをしちゃいけない。
人の迷惑になることをしちゃいけない。

そうして常に人に嫌われない、
人に愛される人間にならなきゃいけませんよ。

(以上、『真人生の創造』第2章より抜粋引用しました。)

・・・

【 5月16日 】 教わったことを実行したかは結果でわかる

とにかく人生というのはファイトで行かなければだめなんです。
とにかくがむしゃらに行くんです。

われわれの持ってる人間に与えられた知識の範囲というものは知れております。
それでとやかく思案していたら、この時代に本当のファイトが出ますか。

あれを考え、これを考え、いわゆる右顧左眄(うこさべん)してからに、
難しい言葉を使えば逡巡(しゅんじゅん)して、
グズグズグズグズグズグズ躊躇してばかりいると、
進歩も発達もない憐れな自己が出来上がるだけでしょ。

ですから、心に従いながら、がむしゃらにファイトを燃やしていくんです。

もっとやさしい言葉で言えば、
「がむしゃらにファイトで行け」というのは
「ベストを尽くせ」という言葉です。

何をするんでもベストを尽くして行くんです。

実行方法を教えてあげるから、それを本当に明日と言わず
聞いたすぐそばから実行に移して、自分の実行がやがて自分の人生を
つくり上げる根本になるんだということを忘れないように。

私がこの方法をお教えしても、実行してくれなきゃ何にもなりません。

しかしあの人間は実行しだしたな、
これはだめだな、聞きっぱなしだなということは、結果でわかってきます。

(以上、中村天風『幸福なる人生』第4章より抜粋引用しました。)

・・・

【 5月17日 】 健康的な生活を送るコツ

▼空気に関する注意

その人の生活の関係事情で、一日の中多くの時間を屋内で起居する人は、
室内に常に新鮮な空気の流通するように、
換気を入念にすることを心がけるべきである。

保健衛生を真理に即して実行しようと思うのなら、
寒中でもしばしば五分か、十分間位、一日の中何度も戸障子を開放して、
新鮮な空気の流通を計ること位、少しの面倒も手数も感じないはずである。


▼日光に関する注意

太陽光線は赤血球の増加を促進し、その他吸収能力、皮膚呼吸、皮脂の分泌等の
各種の生理作用を増進する実際効果がある。

だから平素屋内で生活する時間の多い人は、
努めて太陽光線と親しむようにすることである。

しかし、どれほど健康上太陽光線が顕著の効果があるとはいっても、
いわゆる過ぎたるは及ばざるにしかずの例えのとおりで、
一時に長時間太陽光線の直射を受けることは決して好ましいことではない
のである。

特に肉体に何かの疾病なり、故障のある人は、
注意して日光浴を長時間に亘らぬようにすることで、
一番効果のあるのは短時間ずつしばしば回数多く行うことである。

(以上、中村天風『真人生の探究』第3章より抜粋引用しました。)

・・・

【 5月18日 】 わがままな感情、うぬぼれ慢心を心から払拭しよう

私が「人間は感情の動物なり」と世人が何の不思議もなく
言い慣らしている言葉を、決して人間への正しい形容ではない、

真理の上から厳粛にいえば
「人間とは感情を自由に統御し得る生物なり」
というべきだと主張するのも、

けだし「思惑」=感情から発因した迷妄の然(しか)らしめている結果を
心の中から完全に除去し得ずにいるという、一大事実があるからである。

修養彼岸の第一眼目は、まず自我を本位としたわがままな感情と、
おれが自分がといううぬぼれ慢心という卑しい心情を
心から払拭(ふっしょく)し、「思惑」を心にもたせぬようにすることである。

この一事がよく完全に解決されない限りは、
たとえ一時的に、人生に何もの何事かを得ても、
早晩その末路は憐れなものでその一生を終えることとなるのみである。

誠に、悟らざるべからざるものは「惑」なるかなである。

(以上、『哲人哲語』6『「惑」の解』より抜粋引用しました。)

・・・

【 5月19日 】 心の態度を積極化する
           =宇宙真理に従う=人生が好転する

人生に対する精神態度が、絶対的に「積極化」すると、
いかなる場合にも、また、いかなることに直面しても、
真人としての体面を冒とくすることなく、

あたかも熟練した技師が精巧な機械を、
まるで自己の手足を使うかのように「心」の操縦が大変上手くゆき、
すなわち使うべきものは使い、使うべからざるは使わないという、
取捨分別を、適宜にすることができる。

これは要するに「心」の操縦の根本的原動力ともいうべき
「意志の力」というものが、あえて求めなくても、
自然的に実在意識領に煥発(かんぱつ)されて来るためである。

「心」は、厳格にいうと人間のいのちの
「活きるために使う生命用具」であるから、
絶対にこれに使われるべきものでない。

健康や運命が意のままにならないときほど、
「心」の態度をよりいっそう積極的にするのが最も大切で
忘れてはならないことなので、

そうすればいわゆる生命の内在力(潜在勢力)が期せずして
湧然(ゆうぜん)として現れて、健康も運命も、自然と好転してくる
というのが、尊厳なる宇宙真理である。

(以上、『真理のひびき』箴言1より抜粋引用しました。)

・・・

【 5月20日 】 人生を完成するには

雨にせよ、風にせよ、雪にせよ、氷にせよ、寒暑温冷一切合切、そのすべてが
この調和という自然性がその素因となって発動する現象にほかならない。

否、極言すれば、人々が大いに怖れ忌み嫌う天変地異、地震、噴火、台風、
津波等々の災害なども、また人間の生命に生ずる疾病違和の現象のごときものも、

もっと分かりやすくいえば、発熱するのも下痢するのも、
皆この峻厳なる宇宙摂理より生じてくる尊い大自然の発動現象なのである。

すなわち、宇宙の事物事象の一切をできるだけ完全な姿にするべく、
いいかえれば絶対調和の状態にするべく、
その不備と欠陥とを是正しようとするための自然性の能動作用なのである。

そしてその絶対調和の状態こそ、美というものの本当の姿なので、
調和のないところに完全がないのと同様に、
調和のないところに本当の美はないのである。

もっと極言すれば、うつくしいという言葉は
しっくりと調和しているという言葉の代名詞で、

さらにうつくしいというのは完全だということになるのである。

自己の人生の完成を現実に企図(きと)するものは、
常に何事何物にも「調和」ということを決しておろそかにすべきではない
ということを、人生に対する厳粛な心得とすべきである。

(以上、中村天風『真理のひびき』箴言17より抜粋引用しました。)

        <感謝合掌 令和3年5月12日 頓首再拝>

中村天風365話(5月21日~31日) - 伝統

2021/05/23 (Sun) 13:19:05


【 5月21日 】 ひたむきな祈りとして行く

人生いく度もこの世に生まれ出ることが出来るのならとにかく、
一度生まれて一度死んだら、二度とこの世に
出て来ることができないものである。

ということを考えたら、もっとなごやかな、
心に常にいささかの煩(わずら)いも悶(もだ)えも感じない人生に
活きなければなるまい。

しかもそれをそうするのは、金力でもなく、
また地位でもない。ただ一つその生活目標を、
「創造の生活」に新設定するということである。

というと何やらすこぶる難しいもののように
感じられるかも知れないが、

常に『「人の世のためになることをする」という
ことを目標とする生活』なのである。

この生活目標を現実のものとするのには、
ただ日々の自己の生活の中に行う言行を、
わずかの注意を施して、できるだけ世の中のために少しでもなるようにと
心がける、それだけでよい。

明日ともいわず、ただ今からこの価値高く設定された新しい生活へと、
自己の人生を、活き活きと勇ましく鹿島立たして、
天が人間に与えてくれた真の生命の強さを獲得しよう。

そして人間の使命である進化と向上とを
正しく現実化して行こう。

ひたすらに 人の世のため 活きなんと思う命に光あるかな

(以上、中村天風『真人生の探究』結論より抜粋引用しました。)

注)鹿島立(かしまだち)
  …旅立ち、出発のこと

・・・

【 5月22日 】 自分の生命には生まれながらに与えられた
          積極的精神というものがあると信念せよ

万物の霊長たる自分には、人間の生命に生まれながら与えられている
天賦(てんぷ)のものが発現できないはずはないんだという
敢然(かんぜん)たる信念が断固として必要なのであります。

信念を自分の心にもたせるともたせないとでは、
どれだけその結果に大きな消長関係がくるかわかりません。

準備が完全でなくて、仕上げが完全にできようはずがありません。
これは必要なことですから、もう一度
繰り返して申しあげずにいられません。

すなわち、自分は万物の霊長たる人間なんだから、
その人間の生命には、今まで気がつかなかったけれども、
生まれながら与えられたる天賦の積極的精神というものがある。

その天賦のもの、いちばん尊いものが
自分の生命を完全につくりあげる原動力的要素をなす。

ただ、今までそれに気がつかなかっただけで、
それが生まれながら天賦のものとして与えられてあるんだから、
この与えられたものを発現できないはずはないんだという
敢然(かんぜん)たる信念を我れと我が心にもつことであります。

これがもう何よりもいちばん先に必要な準備であります。

(以上、『成功の実現』第2章より抜粋引用しました。)

・・・

【 5月23日 】 自分の心を自分で守れて初めてほんとうの人間になる
 
ちょうど戦争中でした。参謀本部からね、
剣道六段、直新陰(しんかげ)流の、
見るからに恰幅のいい男が添書(そえがき)もってやってきた。

私もね、別に頼りにはしないけれども、
鬼が金棒をもらったような気持ちにはなっていた。

ところが、遼陽(りょうよう、中国の都市)に入ろうとする時に、
竹やぶから馬賊が八人出てきた。

三段構えになって刃の幅が五、六寸、長さが四尺ぐらいある
薙刀(なぎなた)のでっかいやつ、柄もやっぱり同じく
三尺五寸ぐらいの青龍刀をビューッビューッって回しやがって
デモンストレーション。

そこでその男が一尺五寸くらい仕込み杖もってましたので、
そいつを抜いて出て行ったけども、お尻を出して
刀だけ先に伸びちゃった。

顔は真っ青になってきて、刀がブルブルブルブル震えだした。
あっこれはいけねえと思った。

実戦になれてる私たちはひと目みればわかります。
あがっちゃって、脳貧血状態になってるんですよ。

そこで私と部下の男の二人で飛び出していって、蹴散らかして、
馬賊の奴らは逃げ失せちまった。
ヒョイと見ると、まだ構えてやがる。

「しっかりしろっ!もう敵はいないじゃねえか」
「わかってます」
「わかってたら手を離せ」と言ったら、
「離れません」

そういうものなんですよ、離れないんですよ。

命がけでおっかなくなっちまうと、今度は刀から手が離れない…
私の手が離れなかったのは、
彼女といっしょに歩いてるときだけなんです。

剣道六段も十段もありゃしませんよ。
気持ちがうわずっちゃっているんですからね。

こういう話を聞かせると、その人だけのことで
自分たちには関係がないように思うかもしれないけど、どういたしまして。

あなた方の日常生活の喜怒哀楽の感情が心に生じたとき
の肉体に現れる変化をようく考えなさい。

ちょいと気にいらないことがあっても、すぐ顔色が変わるじゃないか。
「この豚め、怒ってやがるな」とすぐ思うもん。

全くだよ、つまんないことですぐ怒る奴は豚よりもまだ下等です。

怒ることがあるから怒るんだ、
心配なことがあるから心配だ、
恐ろしいことがあるからおっかながっているんだ、ではいけないんですよ。

どんな場合があっても、自分の心は自分がバンと守らなければ。

そうして初めてほんとうの人間だもの。

(以上、『成功の実現』第5章より抜粋引用しました。)

・・・

【 5月24日 】 手気ままな種まきか、使命に根ざした種まきか

我等人類が、万物の霊長という尊い貫禄を賦与されて、
この世に生まれ出た所因には、
そこに犯すべからざる峻厳な大使命が、
生まれながらに、本来的に約束されてあるのである。

しからば、その大使命とはそもそも何かというと、
いわく「宇宙原則に即応してこの世の中の進化(Evolution)と
向上(Elevation)とを現実化することに努力する」という、
尊厳な一大事実である。

即ち、我等人類は、こういう大使命を遂行するために
この現象界に生まれてきたものなのである。

人々の多くは、ひたすら自己のみを本位とし、自己のみを標準として、
富を作ろうとか、地位や名誉を高揚しようとか、

中に特に滑稽な人になると、自堕落三昧の勝手気ままな生活を行いながら、
何とかして一生を通じて病などに取りつかれず、健康を持続し、
日々の運命のごときも、出来るだけ無事平穏で活きていきたいものだ
というような、極めて虫のよいことを祈望して、活きている人が多い。

ひたすら望むことは、心身統一法の正しい理解と不断の実践とをもって、
生命内在の潜勢力を発現し、造物主の意図に応じて、人間の本来の面目を
完全に発揮することに努力することである。

生まれがいのある人生、活きがいのある人生というものは、
相対的には一見不可能のように考えられるが、

一度生命内奥の潜勢力を発現せしめ得れば、
それが断然絶対的可能のものであることが分かるのである。

(以上、『真人生の探究』第1章より抜粋引用しました。)

・・・

【 5月25日 】 霊性を発現した万物の霊長として活きる

人格は、人としての品格であり、世に尊ばれている。

人格は、肉性ではない。
体の重さが人格を決めることはない。

人格は理性でもない。
理知教育をうけた大学出身者が、必ずしも人格者とは限らない。

人格を決定するものは、霊性である。
本心良心を中核として、人格は形成されるのである。

われわれ人間が、万物の霊長を主張するなら、
霊性を自覚し、霊性を発現しなければならない。

霊性を発現する確実な方法は、
心を積極化する各法の実践、そして心を
純化する安定打坐法(あんじょうだざほう)の実修である。

天風哲人は、霊性の発現により、
造物主との結合が密接になり、
人間の真の主体性が確立すると教えている。

即ちその人の生活を霊性が主導することになるのである。

そこから真人間が形成され、真人生が建設される。

(以上、杉山彦一著『中村天風「心身統一法」
解説 いのちを活きる』第10章より抜粋引用しました。)

・・・

【 5月26日 】 積極的な言葉を使って人生を建設しよう

とにかく一日の人生を活きるときに、
お互いの気持ちに勇気をつける言葉、喜びをわかち合う言葉、
聞いても何となく嬉しい言葉をいい合おうではないか。

人間の気持ちは誠におそろしいものである。

たとえ医学上からみれば助からないような病人の枕元に行っても、
こちらが元気で積極的態度のときには、その人間の状態が
ずうっと良くなってしまうものだ。

私はそれで、どれほど危篤になっている人間を助けてきたかわからない。

「さあ心配するな!
 俺が来たからもう大丈夫だから、いいか!
 俺がダメだといったら覚悟しろ。
 俺がダメだといわなければ大丈夫だから!」

というとずうっと勇気が出てくるものです。

だから私はいつもいう。
お互いに勇気づける言葉、喜びを与える言葉
というような積極的な言葉を使う人が多くなれば、
この世は期せずして、もっともっと美しい平和な世界になる。
いわゆる理想的国家社会の改善が出来る。

国家社会の改善は、設備や制度の改革のみでは相対的である。

絶対的なものは、人々の心でのみ創られる。

すなわち一切を創り変える造物主の力を、個人の生命の中に受け入れ、
その人々が立派な人間達の集まりを作ってこそ、
国家社会は如実に改善されるのだ。
平和もまたしかり。

だから何遍もいうように、人々の心に勇気を与える言葉、喜びを与える言葉、
何とも言えず、人生を朗らかに感じるような言葉を、
お互いに話し合うようにしよう。

自分の人生を建設せんとする意気込みが、
やがて世界中の人間の人生を建設することになるのだ。

(以上、『運命を拓く』第4章より抜粋引用しました。)

・・・

【 5月27日 】 自然の法則に従い、自然物の一つとして
          人間の肉体生命を活かすこと

われわれ人間の肉体を包む皮膚なるものは
肺臓と同様に、常に相当量の空気を要求している。

もっともその比例率は、肺臓の呼吸量に対して、
150分の1という少量であるが、しかし少量といえども、
生命維持に必要あればこその作用である。

万一この皮膚呼吸を不完全に陥れると、
その結果は肺臓の呼吸を妨げるのと同様のこととなり、
肉体健康の上に当然障害を招来することとなる。

人間の肉体生命に存在する生活法則なるものは、

一.いかなる場合にも自然法則を無視して生活することを許さず

二.常に肉体生命の強度を積極化すべく訓練的の方法をもって生活すること

という二つの事項に要約される。

われわれ人類なるものは、大自然が作った自然物の一つである以上は、
当然自然法則に従って生活せねば、その生存を確保持続していくことの
不可能なことはあえて贅言(ぜいげん)を要さない。

(以上、『錬身抄』第2章より抜粋引用しました。)

・・・

【 5月28日 】 気を打ち込むという心がけを持つことが
          人間の真価の発揮に通じる

人間はその能力が完全でなければ、本当に
人間としての生きがいを感じないことになる。

しかもその能力までが万事に気を打ち込んで行うという、
皮相的に見ると至極平凡なような心構えの中から助長されることを思う時、

かりそめのことといえども一々苟(いやし)くもせずという心構えを
実行に移し、真剣に気を打ち込んで万事に当たるという心がけを
営々として切磋琢磨(せっさたくま)し、
完全に精神的筋骨を鍛え上げるようにしなければならない。

否こうして初めて万物の霊長たる人間の
真価を発揮し得ることとなるのである。

(以上、『研心抄』第3章より抜粋引用しました。)

・・・

【 5月29日 】 潜在意識の整理を始めることから
          理想の人生は建設される

英国の心理学者で特に潜在意識の研究者として有名なる
スコットフィルド博士は

「人間の潜在意識こそは
 人間の心と神の心とを結合せしむる力もあり、
 また神から人間を引き離し悪魔の仲間入りを
 させる力もあるという両極の微妙作用がある」

と論じている。

要するにこの意味は
潜在意識の中に霊性意識の発現原料を豊富にすれば
人格を向上し、神格までも作り得るが、

肉性意識や心性意識のみを発動せしむる原料を多量にすれば、
やがて人間を動物的に堕(おと)すという事実を
諷(ふう)したものといえる。

それゆえに吾人が真に幸福を感じ得る理想的の人生に活きるのには、
恒(つね)に潜在意識領を正当に整理して
霊性意識発現の材料を多分にし、
同時に霊性意識を出来得る限りより多く発現して人生に活きるよう、
その実際習練に努力すべきである。

(以上、中村天風『研心抄』第5章より抜粋引用しました。)

・・・

【 5月30日 】 善い手本となる人の心の思い方、
           考え方をできるだけ真似する
 
頭山満恩師の居室に、西郷隆盛の書という額が掲げてあったのを、
あるとき野田大塊(たいかい)が見て、

「こりゃにせものたい」というと、

ニコニコしながら、
「にせものでも文句が善かけん、おいどんはほんものだと思うて
 朝夕有りがたく心の鏡として見とるよ」
とこともなげにいわれた。

それを傍らで耳にした私は、なるほど
模倣に対する結局は、その心の思い方、その人の考え方で、
よくもわるくもなるんだと、
つくづくその言葉から量り知れない尊いものを直感したものである。

そしてもう一つ、痛感したことは、
国外での任務に従事するため出発のとき、
お別れに参上した際恩師は

「できるだけ善かことは極力真似することばい、
 そして人にめいわくかくるような悪かことは決して真似するでなかぞ」

と懇(ねんご)ろにいわれた。

真理に鑑(かんが)みられて、諸君も大いに、
私の長所はもちろん、すべてを極力熱心に模倣されたい。

そして人の世のためになることを実行されると、
それがとりもなおさず諸君を真人に作為して、
大なり小なり済民救世(さいみんきゅうせい)に貢献することとなり、
どれだけか大きい有意義な功徳(くどく)を積むことになるのである。

(以上、『真理のひびき』箴言20より抜粋引用しました。)

頭山満… 明治・昭和初期の社会運動家で
     西郷隆盛の信奉者。福岡県立
     尋常中学修猷(しゅうゆう)館を
     退学になった10代半ばの天風を
     預かり、天風は頭山を父そして
     恩師として生涯、慕った。
野田大塊…明治・大正期の政治家・実業家
鑑みる… 手本に照らして考えること
済民救世…正しい方向へ人々を教え導き、
     乱れた世の中を救うこと
功徳…  世のため人のための行い。
     神仏の報い。


・・・

【 5月31日 】 生きねばなりませんよ、それが本当だよ

本能的な欲望が心に燃えだしても、
それは満たされない場合のほうが多いんです。

すべてが満たされれば、人間には不平も不満もありゃせんわね。

心の中に、自暴自棄だとか、やけくそや、
捨て鉢になる気持ちや、不平不満、
この心持ちがまたどんどん、心の中をかき乱してきて、
少しも感謝も喜びも人生に感じられないという気持ちになっちまう。

だからご覧なさい。
不平や不満や自暴自棄に陥っているやつは、何見ても、何聞いても、
面白くもなきゃ、うれしくもなく、ありがたくもねえ。

生きてるのがつらいわというような気持ちを
持っている場合のほうが多いだろう。

そうすると心の平静が失われます。
心の力が極度に鈍るのであります。

そうするとその結果、やれ病でそうろうの、やれ不運でそうろうのと、
なんと貴重なこの人生が、あたら価値なく、
めちゃめちゃに汚くさせられちゃって、

のべつひっきりなく、心配だ、苦労だ、
煩悶(はんもん)だ、悲観だ、てえまあ、
思っても嫌なものの虜(とりこ)となって
生きなきゃならない名ばかりの人間になっちまう。ねえ。

evolution(進化)とelevation(向上)
という、尊いことを実行するために、
男も女も、万物の霊長として犬や猫に勝った
働きを体にも、心にも与えられて出てきた。

である以上は、万物に霊長たるの進化を
能(あと)う限り発揮して生きなきゃならないでしょう。
生きねばなりませんよ、それが本当だよ。

それがまさしく最も間違いのない真理だと
気がついたら、一体、諸君の今までの考え方、切り替えなきゃ。

(以上、『心を磨く』第2章より抜粋引用しました。)

        <感謝合掌 令和3年5月23日 頓首再拝>

中村天風365話(6月1日~10日) - 伝統

2021/06/04 (Fri) 19:35:57


【 6月1日 】 不孤(こならず)
 
人間は万物の霊長といわれるが、その優れた点は何か。

「ぜいたくをしにきたのでもないし、
病をわずらうために出てきたのでもない。

何か人間以外にできないことを人間にさせるために、
他の生物にない力を与えられている。

その力があるから万物の霊長なのだなあ」と思った。

結局、この世界に存在する進化と向上が宇宙の根本主体の意志であるのをみると、
「人間は進化と向上に順応するために生まれてきたのではないか」と思った。

これを理解して活きる者が、生きがいのある人生を造り得るのである。
この悟りが開けて以後は、人生は「天馬空を行く」状態である。
他の追従を許さない幸福で毎日を活きているのである。

だから、いかなるときでも忘れてはいけない。

「不孤(こならず)」

自分というものは、ひとりでいるのではない。

常に造物主というものに包まれて、
しかも造物主は全智全能の力を持っている。
それと結び付いている生命を自分が持っているのである。

つまり自己というものを無限大に考えてよい。
霊智によって作られ、宇宙の中に最も優れたものとして、
自分は造られたのだという事実を、
断固として信念しなければいけないのである。

(以上、中村天風『運命を拓く』第2章より抜粋引用しました。)

・・・

【 6月2日 】 本当のえらい人間はえらく見せないし、えらく見えない

人間というものは自分で自分のえらさがわからないから、
だれでもがうぬぼれが手伝って、人を見るときに自分が一番えらい
と思って見ている。

ましていわんや、徳川家光なんていうのは、
えらかないけれども、ああいう身柄に生まれたから、
えらく思われてるだけなんだ。

えらく思われている者がえらいと思いこんじゃってるところに
えらくないところがあるんだけど、そいつは考えない。

縁あって将軍になったからこそ、みんなが土下座して敬い奉るんで、
家光はべらぼうにえらいと思っちゃった。

自分自身がえらいと思って品川東海寺沢庵(たくあん)を見ると、
沢庵はちっともえらく見えない。

なぜかというと、沢庵ぐらいのできた人間になると、
えらがった様子をしませんもん。

今の世の中の人々は、
えらい人間がえらいふりをしないと、えらいと思わない。

本当のえらい人間は、べつに気取りもしなきゃ、ふりもしない。
そのまんまであります。

本当のえらい人間は表と裏がないのであります。
沢庵禅師という人はそういう人なんであります。

将軍であろうと、家来であろうと、そこに何らの差別はつけない。
それが家光にはわからない。

本当にえらいからそうなんだということがわからない。

(以上、中村天風『心に成功の炎を』第7章より抜粋引用しました。)

・・・

【 6月3日 】 承認と自覚は似て非なるもの

わかったというのは、難しくいえば人為(じんい)的承認です。

つまり、人間の意識的努力によってわからせられたというのが人為的承認。

自覚というのは自然承認です。

理屈を考える必要もなければ、理由を説明される必要もなく、
自然と、「ハハァーン、そうか」というふうに心がうなずくのが自覚。

同じ教育を受けていながら、
儕輩(さいはい)の群をしのいで偉くなる奴は、
理解を自覚のほうへ移す分量が多いがための結果だという判断は、
けっして軽率じゃないと言っていいんであります。

宇宙の真理というものは、もちろんそれは知らないときには
最初、理解から入らなければならないのが順序だが、
理解を理解のままにしておくということは、
人為承認なんですから信念化しません。

ただ、我れかく思うというだけで、信念化しない。
自覚になると、自然承認なんだから、あえて努力することを必要としないで、
いつかは知らず自然と、それが牢固(ろうこ)として、
抜くべからざる信念となってくるのであります。

我れ因縁あって人としてこの世に生まれし以上、
本然の自覚によって、本当の人間らしい人間として
きょうからを生きることに覚悟のほどを決めてください。

(以上、中村天風『成功の実現』第6章より抜粋引用しました。)

・・・

【 6月4日 】 自然法則に即した生活法で自己を監督せしめよ

常に自分自身、自己の監督者としての立場に立って
自己を入念にマネージして行くようにする。

そして少しでも自然法則に反した生活をしたと気づいたなら、
前日の仕損じはその翌日、否次回の食事に取り返すというように
注意すれば、

食物から誘発される諸種の病を完全に防止し得、
同時に常に純潔なる血液とリンパ液とを作為し得て、
よく一生を通じて極めて頼みがいのある、
楽しい健康を建設することが出来る理想的基盤を作り得ると断言する。

(以上、中村天風『錬身抄』第4章より抜粋引用しました。)

・・・

【 6月5日 】 宇宙本体から多くの分量のエネルギーを
          人間はいただき、そして生きている

たった一つの、宇宙の本体が産み出したものが、森羅万象である。
したがって、森羅万象を包含している宇宙も哲学的に究極していくと、
現象界に存在する一切の物質もこの宇宙本体から
産み出されたものなのである。

と同時に、科学的に考えてみると、一切の森羅万象と称するものは、
宇宙本体のエネルギーの分派によって創られている。

形が、つまり目の前にあるというのは、
宇宙本体の力が、まだ籠っているからである。

その力が抜けてしまえば、形を現象界から消して、
根元要素に還元しなければならない。

人間の死というのも、そういうことなのである。

そして、ここが一番大事なことであるが、
特に忘れてはならないことは、人間は万物の中で、
この宇宙本体の分派分量を最も多く頂戴しているということである。

人間以外の生物が真似することの出来ないほど、
まことに多くの分量をいただいている。

このことが、人間が霊長といわれる所以(ゆえん)なのである。

(以上、中村天風『運命を拓く』序章より抜粋引用しました。)

・・・

【 6月6日 】 「心の処理」を自由に出来る人になる

実際において「心の処理」ということが、
理想的に出来得てこそ、人生は完全化し得るので、

換言すれば、自覚自悟の出来たいわゆる「覚者」または「悟入人」と
なり得るのである。

真の向上された人生とは、
富でも、地位でもなく、「心の処理」の自由に出来る人、

分かりやすくいえば、
「切り替えの容易に出来る人の味わえる
『心境』という値の高い一境涯を指していう」
ということこれである。

「玉磨かざれば光なし」と同時に、
「石といえども、磨けば玉となることあり」

また、「磨いても玉にならないまでも、
磨かぬ玉よりは、遥かに良くなることは必然である」

(以上、中村天風『哲人哲語』18「完成とその近道」より抜粋引用しました。)

・・・

【 6月7日 】 「これだけは」と思われるような
          最後のものまでも潔く手放していく

以下は『哲人哲語』の序文から、
最高裁判所判事を務めた岩松三郎氏の文章を抜粋引用したものです。

    ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

ある雲水が、おそるおそる和尚の前に出て
「私は一生懸命に修業をするのですが、
どうしても悟りの道がひらけません。どうしたらよいでしょうか」と
教えをおあいだ。

「そうか、わしの言うとおりにしてごらん」と
和尚は答えて立ち上がった。
雲水は、そのあとについて寺の裏山に出て、断崖の上に立った。

千尋の谷底を下にして松の大木が横につき出ている。
和尚はそれを指さして
「これへ登るのだ」と命じた。

雲水の顔は、みるみるうちに蒼白になった。

それでもしがみつくようにしてその幹にのぼった。
「細い枝のところまで」
「手だけでぶらさがってごらん」
「片手だけで」と和尚は次々にいう。

雲水のからだは撓(たわ)む小枝のさきでゆらゆらとゆれる。
その片手に渾身の力がこもって、かすかにふるえている。

「その手も放すのだ」と和尚は命じたのである。

これは、私が天風先生にはじめて親しく
お目にかかったときに、うかがった寓話である。

回顧すれば、やがて30年にもなるであろう、
私がまだ東京控訴院の判事をしていた頃で
高血圧と不眠症になやんで仕方なく
役所をやめることまで考えていた時であった。

一月ばかり道場(当時の中村天風宅)に通ったのであるが、
結局さした効果も見えなかったので、自分にはダメなのだと
断念して、ついそれきりになってしまった。

それに対し紹介者は大層なご立腹で、
私を同伴して再び先生の前に突き出したのであった。

私は腹の中では「話はどうせわかっている。
あらためて聞く必要もない」位に考えていたが、
うわべだけは神妙に座っていた。

先生は親がわが子を諭すように諄々(じゅんじゅん)として説かれる。
そばからは紹介者が私のからだを心配していろいろと話をされる。

御両所のご親切と、その熱意にうたれ、
私はいつの間にか、有難いことだと感謝の念を胸一杯にたたえて、

本来そうした他人のご親切に値する自分なのであろうかと、
それからそれへと、自らの生活をも反省するようになっていったとき、
ズバリと話されたのが、この寓話だったのである。

その日以来、私はその生活態度を一変した。

おかげで、さしもの病気も癒え、去年最高裁判所判事の職を退くまで、
長い間の裁判官生活を愉快に過ごし、
あの困難な職責をまがりなりにも果たすことができたのであった。

治病という契機、そしてその目的は見事に達成せられたのであるが、
私がいま先生に感謝しているところは、健康の獲得ということよりも、
むしろ、統一道の精神が、私の一生を通じてその生活指針となった
ということである。

裁判は法廷においてなされる。

裁判をする人間が、常住坐臥(ざが)いかに日常生活をしているか
によって定まる部分が極めて多い。

この事は、私の裁判官生活において実証されたところであり、
しかもそうした信念を把握するに至った契機は、
実に私が治病を目的として統一道に参加した時に、
既に開かれていたのであった。

因習的に「これだけは」と思われるような最後のものまでも潔く手放して、
その説かれるところを、ひたぶるに
実践するということをここに力説したい。

不肖の私に、後進の人々に助言し得るものがあるとすれば、
それはただこの一事につきる。

(以上、中村天風『哲人哲語』内
岩松三郎氏による序文より抜粋引用しました。)

・・・

【 6月8日 】 ▼絶対に音のない世界に心を入れる

「(absolute stillness)」と、カリアッパ聖者は英語で言ってくれました。

これは日本語でいうと、「絶対のしじま」ってことね。
なーんにも聞こえない、それが天の声だ。

絶対に音のない世界に心を入れる、それが天の声。

『心に迷惑をかけたくなけりゃ、
 時にふれ、折にふれて、心に天の声を聞かすようにしろ。

 つまり、「声なき声」のあるところこそ、
 心の本当のやすらぎの場所だ。

 そこに心をやすませてやると、いっさいの迷惑が心にかからない。
 すると、心はすぐ本然の力が命のなかで働きだすようにしてくれる。
 わかったか。』

こんなありがたいことがわからず今まで来た。
なんて俺はたわけの大ばかだったろう。

そのたわけの大ばかでも
天はやっぱり救ってくださろうとして、
ただいまこの時、カリアッパ師の口からこういう尊いことを
私の心にささやかれるのかと思ったら、涙がボロボロでたんだ。

それがわかって以後は、心をただ天の声と同化させることだけを、
折あるごとに、時あるごとにやった。

とにかく私が今日あるをいたした命の転機、
パーッと命のなかのすべてが取りかえられた、
いわゆるコンバーション(転換)は、

静かに考えてみると、まさにこの心のもち方、
現代語でいうと、現実に心機転換を行いえるようになってから以後です。

アッと思った刹那(せつな)、
空(くう)になったことがいくらもあるはずなんだけど、
あなた方、自分じゃ気づかずにいる。

つまり、心機の転換を現実にすりゃいいんで、
右にあった心を左にもってきて、左にあった心を右にもってきて、
それでさらに空にもっていっちまいさえすれば、それでいいわけなんだ。

その時に人間の生命の力というのがいちばん働くんだ。

(以上、中村天風『盛大な人生』第4章より抜粋引用しました。)

・・・

【 6月9日 】 生きる命に感覚的な喜び、本当の価値を与える

なんとしかつめらしい顔して理屈を言ってみても、
またもったいぶってみても、
そして道徳論や倫理論を振りまわしてみても、

人間の本質的なものを公平に観察すると、
人間が精神感覚であろうと、肉体感覚であろうと、
感覚的な喜びを感じるということは、人間の生命の本能じゃないですか。

チョイと物を食べるのでも、
うまいものよりもまずいものを食べたいかい、
あなた方?

塩あんばいの舌つづみうつようなものを
食べさせられたときよりも、
砂利を食ってるようなもののほうが
おいしいかい?

理屈ぬきでお考えなさいよ。

精神的感覚であろうと、肉体的感覚であろうと、
ああ楽しいな、うれしいな、ということを感覚したときの方が、
生きる命に本当に価値を与えることになりゃしないかい。

(以上、中村天風『盛大な人生』第4章より抜粋引用しました。)

・・・

【 6月10日 】 瓶の口が開いている方が出る

生きるのに必要な本能心や植物心や理性心だから、
これは必要に応じてだすがいい。

だすがいいけれども、それに全生命を託しちゃだめなんです。

全生命は霊性心にお任せしなきゃいけない。

こういうと、

「むずかしいなあ。その霊性心というものが、
 天風さんみたいにでれば、なにも苦労はないよ。
 それがでないんだよ。でない者が、今の話を聞いたら、悲観するわ」

と言うだろうが、これが一番だしやすいんだよ。

あなた方は、一番だしやすい心をだしにくいように思って、
迷わずといい人生、苦しまずといい人生を、
迷ったり、苦しんだりしてるんですよ。

こういうと、

「へえー、だしやすいのか、霊性心が。
 それじゃあ何ででてこないんだろう。
 だしやすいなら、さっさとでそうなもんだ」

とすぐ言うね。

どんなだしやすいものでも、
でるようにしてやらなきゃでませんよ。

瓶の口だって、
瓶にかぶせてあるキャップを取らなかったらでやしません。

でにくい瓶のキャップを取っといて、
でやすいほうのキャップを取らずにおいて、
両方ふってごらん、どっちがでるか。
すぐわかるね。

(以上、中村天風『心に成功の炎を』第5章より抜粋引用しました。)

        <感謝合掌 令和3年6月4日 頓首再拝>

中村天風365話(6月11日~20日) - 伝統

2021/06/13 (Sun) 13:29:32


【 6月11日 】 精神統一法を実修すると精神の消耗を復活させることもできる

一般に、自信のあることはよくできると言われます。
自信のあることには、精神が統一するからです。

しかし通常、普通の人は、自己の得意とする、
自信のあることには、精神統一ができますが、
それ以外のことには、意識的に精神を統一することができないのです。

しかし、それではいけません。

かりにも、健康を望み、成功を欲する人、真人(しんじん)となろうとする人は、
どんな場合にも、精神を統一した状態でなければならないのです。

たとえ、一挙手一投足のささいな行動をする間といえども、
そうあるように修行しなければならないのです。

中村天風が無我一念法や安定打坐(あんじょうだざ)法の励行を勧める理由は、
何事に対しても、意識的に、刹那咄嗟(せつなとっさ)の場合においても、
自己の精神を集中状態にして、いわゆる精神統一を完全化するためです。

平素激務に追われている人や、神経過敏の人、
または、何かの疾患に悩まされている人などは、

普通の状態にいる人と比較すると、
精神の消耗の比率が高いので、その消耗した精神を復活させる手段として、
精神の収束をしっかりと行わなければなりません。

そのためには、精神を統一する方法の実修が何よりも大切です。

(以上、南方哲也著『心を研ぎあげる』第13章より抜粋引用しました。)

・・・

【 6月12日 】  「ものの考え方から変えろ」

物心つく以前から母や叔母の背に負われて医者通いをしたと聞く私は、
自分の弱いのは先天的なものと思い、
決して丈夫な体にはなれないものと信じていた。

小学校時代から大学時代まで、
毎年どれほど種々の病にかかったことであろう。
病名だけ数えても十指にあまる。

結核性体質というのか、風邪は引きやすく、下痢はほとんど年中であった。
私は自分の体の弱さは自分のうけた宿命だと思った。

ただこの命を長く生かすには、できるだけ
肉体に対する外界からの刺激を避け、体をいわたり保護することだと信じた。
極度の消極的態度である。

そのため、いつも厚着をし、
当時好きでもない牛乳や卵を目をつぶって多量にとった。

その結果はどうであったか、
上記のように絶え間なく病に見舞われ、
遂には胸を病み、腎臓結核の宣告をうけるに至った。

それほど生命の危機にさらされても、
なお私は私の生き方に間違いがあろうとは思わなかった。

生まれつき体質が悪いのだ。
こうなったのは止むを得ない。

それでももう少し長く生きたい、
何とかしてもっと生きたいという気持ちは心の奥底にあった。

それが精神面の煩悶(はんもん)と錯綜(さくそう)して
私の生命は私の気がつかない間に崩壊への途を辿っていたのである。

(中村天風財団に)入会当初、天風先生は私に向ってはっきりいわれた。

「お前の体の弱いのはお前のせいだ」と。
私は納得できなかった。
「私の弱いのは生まれつきです。私のせいではありません」と。

先生はいわれた。
「まずものの考え方から変えることだ。
しばらく黙って俺のいうとおりやって見よ」と。

それから二年、三年、五年、私の体は奇跡的に作り変えられた。
真冬でも裸になれたし、下痢は忘れられた。
それまでなじんだ医者と医薬と別れた。
事情を知らぬ人はただ奇跡と見た。

奇跡でも何でもない。
肉体の生存条件に調和させ、
系統的段階的訓練を通じて肉体の積極化が行われたからに違いない。

「人間は他の動物と違って
 はるかに優秀な精神のはたらきをもつ。

 彼は自分の置かれた状況を冷静に観察し、
 よりよき状態を作り出すため、
 自ら選択し、工夫し、
 その実現に努力する力とはたらきをもっている。
 万物の霊長といわれるゆえんはここにある。

 おまえもそれをもっているのだ。
 なぜそのことを自覚しないのか。
 その力の出し方は俺が教えてやる」

これがまず最初に私の心に深く刻み込まれた恩師のお言葉である。

「よし、やって見よう。理論はあとからだ。
自分にもできそうだ、この方法は…」
この心持ちが私の生命を救った。

還暦の年も過ぎた現在、
自分の生きていることを思うたびに、
到底三十までも生きられぬと思い定めた
二十歳頃の自分が別世界の人間のようであり、
われながら不思議な感じにうたれる。

以上肉体面のみを述べたが、
大きな肉体改造の実跡を見るに至った根本原因は、
まず精神面の革新、即ち心の積極化にあったことを、
ひしひしと通感する。

(以上、中村天風財団二代目会長安武貞雄著『積極への途』一章より
抜粋引用しました。)

・・・

【 6月13日 】 意識的に積極的の事柄を想像する

一日のうちに、何も寝がけとばかりに限らない。

基本的にあるんだから、
一日のうちに、電車の中やバスの中で、
どんなに忙しい人だって、あの中まで働いてるやつはねえだろうな。

そういうときに、特に意識的に、積極的の事柄のみを想像し、
思念するということをやるんですよ。

これを連想行(れんそうぎょう)とか、
あるいは想定行(そうていぎょう)と言います。

現在やっている反対をやりゃいいんだよ。
現在何気なしに考えてるね、

あれをくるっとひっくり返して、
思や思うほど、考えりゃ考えるほど、
心が積極的になることを。

人生を明るく朗らかに感じるようなことのみを、心に思念する。

これは寝がけのときの観念要素の更改法と、
相呼応して、潜在意識の整理整頓に、非常に正確な効果を与えてくれます。

(以上、中村天風『心を磨く』第5章より抜粋引用しました。)

・・・

【 6月14日 】 気と人間の心は共鳴しており、
          積極的な心は気の受入量を多くする

生きとし生ける生物にしても、小さな虫に至るまで、
生きるに必要な器官、機構が完全な組織のもとに存在している。

そして、
「何とありがたいかな、山の中に今座っている自分は、
 この霊智の力、
 いわゆる全知全能の働きを持つ気とともにいるのではないか。
 いや気に包まれているではないか。
 そしてここに座っている。
 だから自分は生きているのだ」

ここまで思いついたとき、
誰もいないヒマラヤの山奥にただひとり座っていながら、
何の淋しさも感じない。

何とも形容のできない心強さを感じたのである。

同時にその霊妙な万物創造の力ある
気と、その気の持つ幽玄微妙な霊智とは、
なんと、

「人間の心の態度で、
 これを受け入れる分量が、非常に相違してくる」

ということを
私の心が考えてくれたのである。

人間の心が、病や運命を気にしないという
積極的状態であるとき、すなわち心が
無念無想に近い状態であれば、

宇宙に隈なく遍満存在している、
幽玄微妙な気の持つ霊智を
受け入れる分量が多くなるが、

肉体や、肉体から発生する
本能とか感覚に心が縛られて、
心の融通性の極めて狭い消極的な心になると、
その受け入れ態勢を妨害することになり、
この尊い力も、働きも
十分に生命の中に受け入れることができない。

薬も頼れない、栄養の補給もできない
絶対的境地に入れられ、ただ山へ行って
座って考える毎日が繰り返されているうちに、
事実が自然に、誰に教えられるともなく
私にこの悟りを開かせてくれたのである。

(以上、中村天風『運命を拓く』第2章より抜粋引用しました。)

・・・

【 6月15日 】 人生を成功と繁栄の雰囲気で包むには

そも人の境遇は 人それ自身 これを作る。
されば 日日(にちにち)の自己の人生はまた
吾(われ)自身の作るところに従う。

かるが故に今日一日、どんな場合にも私は、
先ず私の人生の一切を祝福し、その栄光と吉祥(きっしょう)とに
感謝する心持を確実にもとう。

今 私の活きつつ在る処、そは 私の人生の在る処である。

そして 私の活きつつ在る処の環境を包む雰囲気は、
その一切を私の積極的思考の反映を以て、
悉(ことごと)く勢いのよい溌溂(はつらつ)たるものにしよう。

私の心の中には、かりそめにも
煩悶(はんもん)とか恐怖とか
または悲しみ怒りという様な、
価値なき思考は漣(さざなみ)すらも立たせまい。

私は信念する、
私の人生は常に成功と繁栄の雰囲気で
包まれているということを。

私は私の思考並(ならび)に私の言語が、
私に近づく者のすべての悉くに、
欣(よろこ)びと「たのしみ」を与えるよう心がけよう。

私は私の日日の仕事に誠を失わない。
そして私の仕事は如何(いか)なる場合にも、
私の心の中で勢いつけよう。

私の心の中には正しい成功と繁栄と、同時に
人々と欣びを倶(とも)にする思考のみが燃えたつ。

私はあらゆる処に光明を点じる。

この信念こそは私の心の中に絶対の王座を占める。

そしてそれが私の終日の気分である。

かくして私は調和であり 愛であり誠であり得る。

従って私に接する者の悉くに対して、不調和もなければまた憎しみもない。
私はこの崇高(すうこう)なる心的態度を讃美(さんび)する。

そして人生の刹那(せつな)刹那を
感謝と歓喜に、心は雀踊(こおどり)するのみである。

(以上、『真理行修誦句集』「境遇改善の誦句」より引用しました。)

・・・

【 6月16日 】 認識と自覚、そしてたゆまぬ実行を

平常目の前のことにあくせくして
生きている多くの人が、つい忘れている大事実が三つある。

第一に自分というものは、
世界に「唯一の存在」であるということである。

親も、兄弟姉妹も、友人も、その他、だれも
本当に自分の代わりとなる人間は、一人もいない。

世界の人類の中に、自分と全く同じ人間は存在していない。

自分にとって、
自分はかけがえのない貴重な存在であるという認識と自覚、
これが第一である。

第二に
自分の「人生は一度きり」のもので、
やり直しのきかない大切なものであるということである。

それではこの世でうまくいかなければ
あの世でやり直そうと考えても、
あの世でのあなたはこの世のあなたではない。
別なものに違いない。

やり直しがきかないものであれば、
過去はともかく、これからのあなたの人生を、できる限り大切に
価値高く活かしていこうではないか。

第三に
「現在」という時は絶えず流れ移り、
未来から過去の中へと繰り込まれていく。
そして去った時は再び還らない。

わたくしたちが確実に踏まえて、つかんでいるのは
現在という時点だけである。

過去は及ばず、未来きたらず、
現在こそあなたが最も大切にしなければならぬものだ。

常に人生に生きがいを感じて活きるためには、
なによりも現在のこの「瞬間」を
「充実」して活きること、
この心がけを忘れてはならないのである。

「自分」の「人生」の「現在」の時を大切にして活きようではないか!

それにはどうして
自己の生命力、すなわち六つの力
(体力、胆力、判断力、断行力、精力、能力)を充実し、
完全に発現して活きていけるか、
その実際的方法と手段を確実に知り、
それを実行に移さなければならない。

(以上、安武貞雄『健康と幸福への道』第1章より抜粋引用しました。)

・・・

【 6月17日 】 人間本質自覚の誦句(しょうく)

人は万物の霊長として、
宇宙霊のもつ無限の力と結び得る
奇(く)しき働きをもつものを、吾が心の奥に保有す。

かるが故に、
かりにも真人(しんじん)たらんには、
徒(いたず)らに他に力を求むる勿(なか)れである。

人の心の奥には、
潜在勢力という驚くべき絶大なる力が、常に人の一切を建設せんと
その潜在意識の中に待ち構えているが故に、
如何(いか)なる場合に於(おい)ても

心を虚(きょ)に気を平(たいら)にして、
一意専心この力の躍動を促進せざるべからず。

(以上、『天風誦句集』「人間本質自覚の誦句」より抜粋引用しました。)

・・・

【 6月18日 】 お互いに命の尊さに慣れていないか反省し
           真理に即した正しい人生に活きよう

真人として正しく完全な人生を活きるためには、
一つの人生の奥に存在する侵すべからざる事実を忘れてはならない。
それは生命の生存を確保するということである。

もっと詳細にいえば、
あれが欲しい、これをこうしたい、ああしたいと欲求する意念が
人間の心頭に生ずるのは、ひとえに活きている「命」があるからである。

生命が活きていなければ、何ものをも欲求する意念は生じようはずがない。

多くの人々は、われわれが日々いろいろな
欲求や感情を心にもちつつ生活できるのは、
その生命が生存しているからだという
重大なことを案外気づいていないようである。

したがって結論的にいうと、こうした慣習が自然と、
心と身とを一つに結合して活きると
いう人間の正真正銘の活き方を考えないという、
遺憾な結果に陥っているのであるといえる。

であるから、それを完全に是正する厳格な必要条件として、
われらの提唱する心身統一法は、
その根本原則の第一のプリンシプルとして、
生存の確保ということを強調するゆえんである。

生命の生存確保の方法を正しく実行すると、
即座に宇宙エネルギーの受入態勢が
期せずして用意されることになるがために、

自然と生命活力が充実してきて、
健康難のごときはもちろん、運命関係も、
まるで天馬空(くう)を行くがごとくに、
極めて有意義に、感謝以上の現実復元をするのである。

だから何はともあれ、要は生存の確保をする方法を真剣如実に実行する者は
常に価値高い生命力が充実していて、いかなる場合にも
颯爽溌溂(さっそうはつらつ)とした生命力が躍動しているために、
みだりに病難や運命難に冒されるはずがないのが自明の絶対真理である。

こいねがわくは、お互いに清い心で尊さに慣れていないかを反省し、
生存確保の践行に努力することである。

(以上、中村天風『真理のひびき』箴言24より抜粋引用しました。)

・・・

【 6月19日 】 言葉は、尊い人生を勝利へと導く最良の武器である

真剣に考えよう!

実際人間が日々便利に使っている言葉ほど、
実在意識の態度を決定するうえに、直接的に強烈な感化力をもつものはない。

感化力というよりむしろ暗示力といおう。

このことを完全に理解し、かつこれを応用して活きる人は、
もはや立派に人生哲学の第一原則を会得した人だといえる。

何故か!

それは人生というものは、
言葉で哲学化され、科学化されているからである。

すなわち言葉は人生を左右する力があるからである。

この自覚こそ、人生を勝利に導く最良の武器である。

われらはこの尊い人生の武器を巧みに運用し応用して、
自己の運命や健康を守る戦いに颯爽(さっそう)として、
輝かしい希望に満ちた旗を翻(ひるがえ)しつつ、
勇敢(ゆうかん)に人生の難路を押し進んで行かねばならない。

そしてこの目的を実現するには、常に言葉に慎重な注意を払い、
いかなるときにも、積極的以外の言葉を使わぬように心がけることである。

(以上、中村天風『運命を拓く』第4章より抜粋引用しました。)

・・・

【 6月20日 】 積極的な方面に心をふり向けかえる

恵みを受けて喜ばない人間は、人間じゃありません。

恵みというのは、自分が求めざるに与えられた大きな喜びを言います。

結局、人生は心ひとつのおきどころですもの。

暗い考え方でものを見れば、どんな場合でも喜びと感謝は感じられません。

けれど、どんな些細(ささい)なことでも
感謝を先にして、喜びでこれを迎えたらば、
お互いの住む世界はそれこそ黄金花咲く爛漫(らんまん)たる
喜びの花園になります。

ですから、感謝を先にするということを忘れちゃいけない。

極論すれば、病があろうが、運命が悪くなろうが、
それを感謝と喜びにふりかえるのです。

悔(く)やんだり、嘆いたり、心を弱くする暇があるんなら、
本来の積極的な方面に心をふり向けかえる。

結局、自分の心のおきどころひとつなんです、
人生は。

今後は実行です。

人生を完全にする秘訣はただもう自分の心のおき方を変えるだけでいい
ということがおわかりになったならば、もう躊躇(ちゅうちょ)なく、
たった今から実行にお取りかかり願いたいんであります。

(以上、中村天風『成功の実現』第2章より抜粋引用しました。)

        <感謝合掌 令和3年6月13日 頓首再拝>

中村天風365話(6月21日~25日) - 伝統

2021/06/22 (Tue) 15:23:33


【 6月21日 】 本願の一念

当時の私は、極端な不健康に悩まされ、その上運命も文字どおり非運の境涯に陥っていた。
そこで何とかして、
そうした悲惨な人生から救われたいという一心で、
少しで人生に関係する智識(ちしき)や理論は、実際
貪(むさぼ)るように研究したのである。

もちろん、最初の間はよくあるように
自己自身の陥った境涯を極度に悲観し、
いくら努力してももがいても、健康一つ中々に快復(かいふく)しないので、

結局自分という人間には、こうした人生境涯を
突破切り抜ける力が全く無いのだと、
一時は極めて消極的な諦(あきら)め方で、

自分というものを
一途に憐(あわ)れな存在だと思い決めてしまったのであった。

ところが、ソクラテスの言葉
「Know thyself」という言葉が、思い出すともなく心頭にうかび出し、
自分の能(あた)う限りの努力で一生懸命考えてみた。

そしてその結果、
「人々よ、人間の本質に目覚めよ!!」という、
人生自覚の一大示唆を含蓄したものなのだと、
確信するに至ったのである。

もっともこの考え方が
間違いであろうとなかろうと、あるいはまた独断であろうとなかろうと、
それは私の少しも介意するところではなく、
ただひたむきに、そうに違いない!!と私は強く確信したのである。

というのは、このソクラテスの言葉を
前述のように考定してから、
私の人生観に、自分でも驚くような一大変化が起こったからである。

平たくいえば、人間とは必ずや
現在の自分が日々味わいつつあるような、
価値の乏しい活き方で活きねばならぬような、
そんな低劣なものではないに違いないと切実に感じたのである。

実際!!
「人間というものは、多くの人々の思っているものよりも、
遥かに尊いもの、遥かに崇高なものだ」

ということを、切々として吾(わ)が心に
感じるのをどうすることもできなかった。

そしてこの言葉こそ現在の自分のように、
病や不運と絶えず吾(わ)が心を取り組まして、
明け暮れ悲観や煩悶(はんもん)のるつぼの中でのたうちまわっているような
人生に活きることが、およそ人間としての最大の愚かさであるということを、
厳(おごそ)かに反省自覚せしめようとする、
正にこれ人生自覚への一大箴言(しんげん)なり!!と、深く信じた。

そして、それは丁度、長夜の眠りを警鐘を乱打されて覚醒(かくせい)
せしめられた時と同様に、その刹那(せつな)翻然(ほんぜん)として私の心は、
何ともいえない新しいものを感じ出したのが事実である。

即ち、さしもの大患も薄紙をはがすように恢復(かいふく)し、
運命もまた予想以上に順調化し得るに至ったのである。

そして、今日このように救われ、またこのような幸福な人生に
活き得られるに至った現在の自分を顧みる時、
この歓(よろこ)びこの感謝を、到底自分一人だけのものとするに忍びず、

まして世の中には、自分の過去と同様に、
病弱や、非運に、恵みのみなぎる人生をむしろ懊悩(おうのう)して活きている
気の毒な人が、事実において余りにもおびただしいという実状を見て、

出世成功をしてみたいとか、地位や名誉や富を作ってみたいという欲念を
断乎(だんこ)として打ち捨て、ひたすらに、

この自覚の誘導と潜勢力の現実発現の実践的手段と方法の実際教導に、
全生涯を捧げることに決意し、今日に至るまで、
有縁の人々にこの法を宣布教化するため、及ばずながら努力してきたのである。

従って、本書編纂(へんさん)の目的も、
人格と人格との接触教化の因縁に恵まれ得ない人々にも、
造物主から人間各自に与えられた幸福の特権を把握させ、
その本来の面目を発揮して、

進化と向上の現実化という大使命の遂行を完(まっと)うし、
よく世界の平和と協調とに同化するような、
真の日本を建設し得る真人(しんじん)を、一人でも殖やしたいという
本願の一念に外(ほか)ならないのである。

(以上、中村天風『真人生の探究』第1章より抜粋引用しました。)

・・・

【 6月22日 】  あるがまま=いっさいに対して不即不離であること

天風教義が、常に心の態度を積極的に堅持せよと教示し、
さらに絶対積極の態度とは、いっさいに対して不即不離であることなりと説破し、
これこそが虚心平気の絶対境地というのであると
訓(おし)えているのも、

要は、「無碍(むげ)にして自在なり」という
真に綽綽(しゃくしゃく)たる余裕を心にもつ真人としての人生に活きる人を
多からしめたいがためで、

また真の人生幸福というものはそうした人に
恵与(けいよ)されるものであるという、
峻厳なる宇宙真理をおろそかになし能(あた)わぬためである。

われわれの人生信条はどんな場合にも、
また現在いかなる境地にあろうとも、
常に心を積極的に堅持して、消極的な感情や病的感覚等に惑わされず、

さらに、外的な一切の事物事象にもその心を
攪乱(かくらん)されることなく超然とし、

同時に、肉体生命の生存と生活に対しては厳格に自然法則を尊び厳しく守り、
即ちかくして心身統一を完成し、自己生命の全能力の最善をつくして、
自己に課せられた人生の責務を忠実に実行する真人たることである。

まことに、これぞわれら統一道という最高なる人生真理に順応して、
正しい自己管理を敢行(かんこう)する真人にとって、つかの間といえども
ゆるがせにすることの許されない金科玉条(きんかぎょくじょう)である。

あるがままに われある世とし 活き行かば悔いも怖れも何ものもなし

(以上、中村天風『真理のひびき』箴言18より抜粋引用しました。)

・・・

【 6月23日 】  心身統一法を日常生活様式に

心身統一法とは、人生確保の「純正」生活法です。

およそ人の世の出来事に、
原因のない結果は断然あり得ないという真理を厳粛に考察したならば、

結局はふだん(日常=不断)真理に順応せる
心身統一法に活きる心がけと実行を、その生活様式として活きてこそ、
言い換えれば、みだりに生きないということに
正しく該当することとなるのであります。

詮(せん)じつめれば、
みだりに生きないということは、
徒(いたず)らに無反省と、定見のない人生に生きないということで、
分かりやすくいうならば、人生真理に正しく
順応して生きるということであるからであります。

いわんや、極言すれば、
人生生活の状態と様式とが、その人の個性に美しい火花を
ひらめかすか否かという、至極大切なことを決定するのである以上、

心身統一法を行ずることを特異な意味での「行」として考量せず、
それをそのままに生活様式とするというのが、天風哲学の
称呼する「真の行」と思量されてこそ、頼もしい統一道同人なのであります。

(以上、中村天風『哲人哲語』15「行之義」より抜粋引用しました。)

・・・

【 6月24日 】 宇野千代から見た88歳の中村天風
          天風のタイプライターにあった未定稿

本日は、中村天風の人となりを語る宇野千代著
中村天風述『天風先生座談』からの引用文と、
天風会館2階に展示されている天風愛用のタイプライターに残された未定稿より、
中村天風の人となりを伝える補足をお届けします。

(以下、宇野千代著 中村天風述
『天風先生座談』「天風先生と私」より抜粋引用。)

初めて先生に会った人は、
先生の年齢を聞いてびっくりする。

私がお会いしたのは、
先生の八十八歳のときであるが、
武術で鍛えた先生の体は、しゃんと直立して、微動だにしない。

顔にはしわがない。ぴんと張った頬は、
紅を塗ったかと思うほどあかく、艶(つや)がある。

大きなその眼は、眼光炯々(けいけい)としたかと思う瞬間に、
一種形容しがたい微笑を含んで、子供のようであった。

先生はたぶん、おしゃれと言うのかと思うが、
藍色紬(つむぎ)の着物に同じ地質の淡色の羽織、
襦袢(じゅばん)の袖の色も水色で、
羽織の紐(ひも)まで色が考えてある。

やや派手な縞(しま)柄の袴(はかま)まで、
寸分の隙も無いいでたちだが、講話が始まると、
その強烈な印象は雲散霧消して、人々はただただ、その話術の囚(とりこ)になる。

恐らく、先生のこのおしゃれも、小さん級の話し方と一緒に、
愚者を誘い込む一種の術かと思いながら、私はいつでも、先生に
見惚れていたことを忘れない。
(以上、『天風先生座談』より抜粋しました。)

・・・

【 6月25日 】 心の開拓

世の人の多くは自己の心の一部をもって自己の心の全体と思う。

そのため知らず識(し)らず真我の偉大な力をくん束している。

しかもこれひとえに
意識に関する理解に欠ける処があるために外ならない。

さればわれらはただ一念 この真理に則して心の開拓に努力し、

ひたすらに真我の表現たる霊性の発現をもって本願となすものなれば、
頼みがたき理知のみに、貴重なる心業(しんぎょう)の一切を
委ねるべからず。

およそ自己の有する心なるものは、
現在の自己の理知が考えるところよりも、
遥かに広大にしてまた無辺のものなれば、

心に心してこの広汎領域を開拓し、
尊厳なる意志をもってその一切領を主宰(しゅさい)統一すべし。

叩かざれば空しく
霊門の扉は固く閉ざされて、
永遠に開かれざるべし。

叩けよ さらば開かれん。

(以上、『真理行修誦句集』「心の開拓」より引用しました。)

        <感謝合掌 令和3年6月23日 頓首再拝>

中村天風365話(6月26日~30日) - 伝統

2021/06/26 (Sat) 14:50:15


【 6月26日 】 「真価を発揮する」という真人としての
           プライドを正しく認識する

天風会の教義の真髄(しんずい)は、自主自律という点にある。

この誇るべき尊貴なる教義の目的の徹底に対して、
「自己の言行に、あくまで責任を負う」という、
人生に必枢(ひっすう)するともいうべき覚悟がその心の中にないと、

往々にその万全を阻害される憂いが、
事実に存在しているということを、明瞭に知得している人が、会員の中にも
あるいは少ないのではないかと思うがいかがでしょう。

しかし、この消息を知る知らざるとを問わず、
実際において、自己の言行に対して責任感を持たない人は、
なんとしても、自主自律という人間の本来面目(めんぼく)を、
完全に実行することができないのである。

しこうしてその理由は、
自主自律の根本主体ともいうべき自助自制という大切なことが、
第一に実践的に践行されなくなるからであるという、
ちょっと気のつかないデリケートな事実があるからなのである。

そして、それがやがて人生の幸福をも
破壊する素因となるということに想到(そうとう)すると、

現代人がとかく重大に考えないであろうところの、この
「自己の言行に対する責任感」の有無というものを、
もっともっと慎重に考えねばならぬと断定する。

ましてや、自己統御(とうぎょ)を完全にして自己を完成し、
人の世のためになるという有意義な価値の高い人生を建設して、
万物に霊長たる真価を発揮することを念願とするわれらは、

よりいっそうこうした完全人生の建設に対して、
デリケートな消長関係を持つ事実を軽々に考えぬように、
おごそかに自戒すべしであると熱奨する。

特に戒心(かいしん)すべきことがらは、
自己の言行に対する責任感の薄い人というものは、

ややもすると自己の健康や運命に、何かの変調の生じた場合、
その原因をとかく自己以外の他に転嫁して、

しかもそれがたいへんな間違いだと気づかないという、
見逃すことのできない重大事実があるということがらである。

それをそうと自覚しないで、貴重な人生に活きると、
とどのつまり、自己のプライドを正しく認識しないという冒とくを、
自己自身にあえてしてしまうことになる。

いずれにもせよ、こうした重大消息を考量すると、
常住自己の言行に対してはあくまでも責任を負うという覚悟を、
その心に厳として把持(はじ)せしめる心がけを
決して忽諸(こつしょ)に付してはならないと、実感されると確信する。

(以上、中村天風『叡智のひびき』箴言14より抜粋引用しました。)

・・・

【 6月27日 】  すべてのエネルギーを生み出す元、
           気を分量多く受け入れられる方法がある

今更説明するまでもなく、神というものは、
非科学的な人々が考えているような、形のあるものでもなきゃ、
また人格的なものでもないですね。

宇宙の一切をつくった不思議な力を形容するために、
人間たちがいわゆる尊敬と驚嘆の念慮(ねんりょ)から、
人間が作った言葉だもんね。

神なり仏なりが現れて、
おれは神だよ、おれは仏だよって言ったんじゃないんだから。

何だか訳がわからないけど、どうも不思議というよりか言葉のないような、
この宇宙のあらゆるすべての事物事象に対して、
ああ、とてもわれわれではできないわ、というような驚嘆と尊敬の念慮から、
神、GOD、仏と名付けたんです。

詮索(せんさく)していきゃ、宇宙の根本主体なんだ。

これをもっと純粋科学の立場で言えば、
一切のエネルギーを生み出す、しかも感覚することのできないもの。
それだけにややこしいんですよ。

一切の、よろしいか、
エネルギーというのを生み出す、
なんでも電気の力でも磁気の力でも風の力でも水の力でも、
あらゆるすべてのエネルギーを生み出す元なんです。

元なんだけど、
感覚することができないもんですから、
なんだか訳のわからないと感じちまうんだな。

見えないもの、聞けないもの、感じないもの、
つまり適切に言うと、断然わからない気体なんですよ、気体なんです。

気体でもね、見える気と見えない気がありますわね。
空気だって圧縮すりゃ見えるけれども、
圧縮されない空気は何も見えないもの。

この見えない気体のなかに、
霊妙な働きを行う力と叡智(えいち)とが含まれている。

人間がいろいろなことを工夫したり考えたりすると、いい知恵だな、
いい分別だなと言うけども、
それもこの気体のなかに、驚く作用素を働かす力があり、
また推し量ることのできない幽玄微妙な叡智があるからなんだ。

それが事実であることはですね、
この宇宙のすべてが、万能力でできているということは
直感的でもって悟れるでしょう。

だから神人冥合(めいごう)というのは、
その万能力というものをできるだけ
自己の生命に分量多く受け入れる方法を言うのですよ。

これを教えようっていうんだ、あなた方に。

(以上、中村天風講演CD『神人冥合』テキストより抜粋引用しました。)

・・・

【 6月28日 】 「自然」を正しく認識する機会「夏期修練会」とは

統一式の修練とは、要約すれば
「人生を完全に活きんとする目的を達成せんがため、予が多年の間、
研究し且つ体験したものを、根蔕(こんたい)としてオルガナイズした
特殊の一企画」をいうのである。

そこでまず第一に考えるべきは、「人生とは何か」ということである。

予は人生とは、
吾々(われわれ)の生命が活きているという
「現実」なるものに対する別名であるといいたい。

さて、命の活きているという「現実」とは、
活きているということを、明確に、意識する刹那(せつな)刹那の
一コマ一コマの継続を指していうので、

これは要するに、厳格な主観的なもので、客観的のものではないのである。

そこで次に知っておきたいことは、「完全な人生」ということであるが…

完全な人生とは、これを要約すれば、
生命の現実存在を明確に意識するその瞬間瞬間を、何の不満感も、
いささかの不平感も感ぜずして、
いつもよろこびに活きられている状態の人生をいうのである。

しかして、そうなるには、あえて多くいうまでもなく、
何よりもまず必要とするものは、
活きる「力」を量的にはたまた質的に充実せしむるということである。

予が多年の間、志のある人に提唱垂迹
(すいじゃく)している統一式修練会の目的も、
実に『命の「力」の現実育成』、

もっと分かりやすい言葉でいうならば、
命の「力」の育成を、最も「効果的」に、そして最も「速度的」に、
達成し得る方法と手段とを、階律的に体得せしむる特殊践行なのである。

特に夏という特別の季節を選んだ所因は、
夏は各人共に生活上の方便関係も、もちろん
考えられてのことだが、実は、もう一段上の
事柄がその主なる理由となっているのである。

一体それは何か、というに、いわく、

完全人生の建設には何よりもまず
『自我の生命の中にある「自然」を各人に純粋理性以上の
「健全なる悟性」をもって、正しく認識せしめねばならない』という

普通人の気づいていない重大なこと、
これがいろいろの意味と事実において、
夏期が一番手っ取り早くその目的を達しやすいからである。

特に、本当に人生を健康的にも、運命的にも
完全に活き得て、常に活き活きした
明朗なステップを力強く踏みしめつつ、

不健康や不運命に悩む不幸な人々への
よき先導者となるという、真人(しんじん)
としての本領に活きんと念願する人こそ、

この計画への最も好適なる参加者であると、
心の底より尊貴な気持ちでお奨(すす)めする。

(以上、中村天風著『哲人哲語』
10「統一式の修練ということの真義」より抜粋引用しました。)

・・・

【 6月29日 】 心身統一法は生活様式である

多くいうまでもなく、心身統一法とは、人生確保の「純正」生活法であります。

およそ人の世の出来事に、
原因のない結果は断然あり得ないという真理を厳粛に考察したならば、

結局はふだん(日常=不断)真理に順応せる心身統一法に活きる
心がけと実行を、その生活様式として活きてこそ、

言い換えれば、
みだりに生きないということに正しく該当することとなるのであります。

玉みがかざれば 光りなし。
と同時に、石もみがけば玉となることあり。

また玉にならないまでもみがかぬ玉よりは 
はるかに良くなることは必定である。

天風会京都支部第25周年祝賀記念の揮毫にことよせて
昭和28年 菊の月の佳き日

(以上、中村天風著『哲人哲語』15「行之義」より抜粋引用しました。)

・・・

【 6月30日 】 事実、積極精神を堅持することから
          たのしい明朗な人生は出来上がる

肉体組織の細胞と神経とは決して各々別箇(べっこ)に
独立存在しているものではなくして、

究極すればその最後の集積が細胞なのか、
神経なのか、あるいはまた両者同体のものか、

その真相を正確につかみ得ないほど
この二者は混合的結集存在なのである。

この厳粛な事実を観察すれば、
科学的見地から論断してもやはり哲学の主張と同様で、

心と身というものは決して区別して考量すべきものではなく、
従って生命というものは終始心の力で統一的に統御支配すべきが
絶対の真理だということを自覚されると思う。

そして特に真剣に深い注意を要することは、
特別に人間だけといってよい程吾人の心意識の状態が
直接間接に自律神経の作用の上にすこぶる微妙な影響を与えるという
忽諸(こつしょ)に附し得ない重大事実があるのである。

すなわち心意識状態が消極的になると、
その作用の全体が消極的に委縮減退し、

特に肉体生命維持に主要な作用を行う
交感神経と副交感神経の作用に違和を来たし、
その結果は必然健康生活を破壊することとなる。

反対に心意識状態が積極的であれば、
その全体作用もまた積極的に活発化し調和された健康が自然と作られる。

私が教義の中心点に
心をつねに積極的に保持せよということを力説しているのも、
要するにこの理由があるためなのである。

修養の徹底された人や、または積極精神の訓練された人の
肉体生命が比較的強壮であるのは、

平素人生に活きる刹那(せつな)刹那、その心の態度が積極的であるので、

全神経系統もまた積極的に作用し、その当然の結果として

肉体の各部分に豊富な分量の活力(ヴリル)を配給し、
間断なく絶えず精神的または肉体的に
発生しているところの消耗や、

その他生理的もしくは病理的に生ずる
損傷や故障を、正しくそして新しく建設し、補成改造していくからである。

そこで常に、活力収受の方法や、
これを応用する各法を実際的に実践して
営々として怠るところさえなければ、

日夕旦暮元気に満ち満ちた心と頑健な肉体とをもって、
たのしい明朗な人生に活きることが極めて容易にできるのである。

(以上、中村天風『研心抄』第9章より抜粋引用しました。)

        <感謝合掌 令和3年6月26日 頓首再拝>

中村天風365話(7月1日~5日) - 伝統

2021/07/03 (Sat) 00:44:36


【 7月1日 】  信念の誦句(しょうく)

私みたいな人間が、
こういう尊い仕事をする気になったのも「信念」だった。

「ダメだから、お止しなさい」と
その当時の有名な坊さんが私を止めたが、
私はこう思った。

「本当の気持ちで
 人のためを思ってする仕事が、ダメとはいかなる理由か。

 人によいことを奨め、
 人を幸福にすることがなぜダメなのか。

 否、ダメとか、ダメでないとかは考えない。
 ただ人を幸福にすれば良いのだ。

 それが自分に出来ないはずがないんだ!」

という気持ちで、これ(心身統一法の普及)を始めた。

だから私のその気持ちを信じてくれたのは、母親と家内だけであった。

他の人々は、皆私が気が狂ったと思った。

それはそうかもしれない。
たとえ何であろうと、銀行の頭取をしていた人間が
急に草履ばきになって、脚絆(きゃはん)をつけて、大道講演すれば
精神異常者だと思うかもしれない。

しかし私には私なりの信念があった。

尊い真理に国境はない。

尊い因縁に恵まれて、こうして集ってきた以上、
自然の摂理に従い、ただ自分だけでなく、
世の人々を幸福にするために活きてこそ、
この世に生まれた生きがいがあるのだ。

改めて今日から、心を入れ替えて、「信念の人」に成りなさい!

誦句を与える。

信念、それは人生を動かす羅針盤のごとき尊いものである。

したがって信念なき人生は、
ちょうど長途の航海の出来ないボロ船のようなものである。

かるがゆえに、私は真理に対してはいつも
純真な気持ちで信じよう。

否、信ずることに努力しよう。

もしも疑うているような心持ちが少しでもあるならば、

それは私の人生を汚そうとする悪魔が、魔の手を延ばして、
私の人生の土台石を盗もうとしているのだと、気をつけよう。

(以上、中村天風著『運命を拓く』第8章より抜粋引用しました。)

・・・

【 7月2日 】 教えを傷つけ、自己の価値を裏切り、
         自分の尊さを傷つけないように。

大事なのはこれからです。

船はドックに入って、ドックに入りきりが船のこしらえた目的でない。

荒海の航海に入るためへのリペアリング(修理)をするためのドックであります。

修練会も同じ意味で、修練会をするために諸君の人生が与えられたんじゃなく、

要するに波乱万丈の人生に生きるときの強い力、精神的・肉体的にこれを
乗り越えていく力をつくり上げるのが目的の修練会であったのだから、

いわば、今まさに今日という今日は、
船がドックから出て新たな艤装(ぎそう)を施して、

そして荒海めがけて鹿島立とうとするのと同じで、

本当の修練はこれからなの。

いつも講習会で言ってるだろ。
見えないあやかしの目は、黒いベールをかぶりながら、
あなた方の心の隙間、肉体の隙をじっと見てる。

そして隙があると、サッと遠慮なく、
あなた方を彼らの魔の手の中に掴み入れちまおうとしてるんだから。

どんな場合があっても、これからは、
要するに心に隙を与えない、肉体に隙を与えないという覚悟を、
教わった方法で実行していく。

そして、人々への模範的な存在としての自分を傷つけないように。ね?

だから、どんな場合があっても、うぬぼれは禁物だが、
真理を知る自分というものに対して、
己の尊さを傷つけるな。

今日一日の「誓いの言葉」にもあるとおり、
かりそめにも怒ったり、あるいは怖れたり悲しんだりするという
みじめな状態を心に持たせたらば、

こりゃもう教えを傷つけ、
そして真人(しんじん)としての
自己の価値を裏切ったことになるよ。

いつも言うとおり、
大義名分に関するかぎりは、泣くもよし、怒るもいい。

しかし、区々たる私情に拘泥(こうでい)して、
みだりに怒り、悲しみ、怖れを心に持たせないように。

いつも本当に、力と勇気と信念というものを
自分の生命の中から、もう火花と散らし
閃(ひらめ)かせて生きていくというふうに、
どうぞお願いします。

(以上、中村天風『真人生の創造』第4章より抜粋引用しました。)

・・・

【 7月3日 】 悩みは悩みとしない蕃山の生き方、
         その言葉を自己訓言とする

よく講演のときも申しあげているが、

熊沢蕃山(ばんざん)という人が、
「憂(う)きことのなおこの上に積もれかし、限りある身の力試さん」
といった言葉、だれでも知ってますでしょう。

凡人から見りゃ、あの人は、
ずいぶんそれは、憂きことだらけのように見える人だったんだ。

親一人、子一人の境涯で食うにも困っている、
人の田地田畑を耕してる小作人だよ。

しかも水呑(みずのみ)百姓で一生終わる覚悟だったら、
大した苦しみもなかったでしょうけども、

それでもなおかつ、学問して、えらい人間になりたい、
せめては現在よりも賢い知識を得たいという求める気持ちをもってたために、
与えられるものが少ない場合における悩みは
ずいぶん大きなものだったろうと思うけれども、

それを悩みとしなかったんだから、
あの人は悩みを知らなかった人だといっていい。

こういった事実のうえから考えてみると、
なるほど、不幸だとか幸福だとかいうのは、その人の考え方だもんね。

考え方が人生を幸福にもし、不幸にもするという点から考えりゃ、
人生の不幸は我自らが生んだんだという言葉に
間違いないでしょう。

これは常に私が自分自身を、どんな場合でも、
ああ、恵まれてるなあ、幸いだなあと思わせしめてくれて、

今日までずうっと、いつも感謝の捧げきれないほどの楽しみで生きてる、
一番尊い、私への自己訓戒なんです。

(以上、『心に成功の炎を』第9章 天風訓言13から抜粋引用しました。)

・・・

【 7月4日 】 いつまでも若々しく生きる

(以下は、服部嘉夫財団認定講師による
会報誌『志るべ』への特別寄稿文から抜粋したものです。)

私が中村天風財団に入会した今から五十数年前、
天風先生はこう言われていました。

「五十、六十は花ならつぼみ、
 七十、八十は働き盛り、
 九十になってお迎えが来たら
 百まで待てと、追い返せ」と。

恩師は昭和43(1968)年の夏期修練会は、
平年通り主導され、その年の9月24日に新装となった天風会館ホールで、
2代目会長安武貞雄先生との対話方式による
「いつまでも若々しく生きよう」と題した講演をされました。

その年の12月1日にご帰霊されました。

お亡くなりになる2、3日前に、
お側で介護された天風先生のお嬢様で、
安武先生の奥様の鶴子様に
「俺はこの2~3日がヤマだ」といわれ、
ご自分の葬儀の模様を紙にデッサンされました。

正に天風先生は「P・P・K」、
「ピンピン元気で生き、ころりと死ぬ」人生だったと思います。

最近は「G・N・P」、「元気で、長生きして、ポックリ死ぬ」
という言葉もあるようです。

このお手本は聖路加国際病院の名誉院長で
105歳で亡くなられた日野原重明先生で、
先生は生涯現役を貫かれ「老い」と「老化」の違いを力説されました。

老いとは人間誰にもやってくる正常な現象で、
普段から身体と頭と内臓をしっかり使っていれば、
病的な老化は遅らせることができると言われています。

それには「生きがい」を持つことが大切と言われています。

生きがいはその人の生活、環境の中からそれぞれ自ら創り出すもので、
生きがいは老若男女それぞれ違います。

十人いれば十の生き甲斐があってよいほど、人によってまちまちです。
趣味でも運動でも飲食でも恋愛でも良いと言われています。

要は年齢を気にせず外へ飛び出して、
色々な人々や若い人とも交流することです。

人間の皮膚が白かろうが褐色であろうが黒かろうが、
人類共通の生きがいは健康・幸福・繁栄です。

どんなに成功されておられる方も、「命あっての物種」です。

「健」とは身体健やか、
「康」は心安らかということです。

心と身体は別々ではなく、神経系統を通じて一つのものです。

心と身体は車の両輪のごとく心身が統一された時、
人間が潜在的に持つ命の力が充実し発揮され、
真の健康が得られるのです。

その潜在勢力を発揮され充実させる実際方法が、心身統一法です。

(以上、財団会報誌『志るべ』2019年3月号
服部嘉夫講師による特別寄稿「長寿と健康」から抜粋引用しました。)

・・・

【 7月5日 】 真理に順応して生きようとする
         自分の心に誇りをもたせること 

「先生はえらいからできるんで、凡人のわたしにはなかなかできません」
なんて、変なところに謙遜しなさんなよ。

謙遜のいらないときに謙遜する人が多いよ。

真理に自分というものが順応して生きようという気持ちのでたときは、
もうすでに真理に順応して生きてる人間なんです。

その誇りを自分の心にもたせなきゃ。

模倣も真に迫れば、もう真実と同化するんです。

それをあなた方は、
よくないほうの模倣は真実と同じようにしちゃってる。

いいほうの模倣をしたらどうです?

「私は積極的な人間、
 みじめなつまらないことに心を怒らせたり、泣かせたり、
 恐れさせたりするような、
 価値のない心をもってる人間じゃない。

 私はすぐれた人間だ、
 昔の人間じゃないんだ、今は」

と、こういうふうなプライドをもたせたらどうなの。

にせものが本物以上になったら、にせもの以上になれるんですよ。

(以上、中村天風『心に成功の炎を』第2章から抜粋引用しました。)

        <感謝合掌 令和3年7月2日 頓首再拝>

中村天風365話(7月6日~10日) - 伝統

2021/07/07 (Wed) 15:18:56


【 7月6日 】 感情で自己の判断を支配させると
         富や地位があっても人は人生苦を感じる

「思惑」なるものは、どんなに真理が釈明され、理解を鮮明にされても、
何としても自我を本位とする感情で自己の判断を支配するために、

「理屈はそうかも知れないが中々そうは思えぬ」とか

「他人のことならそうも思えようが、
 自分のことではそうかんたんにあきらめられるものではない」
とかいって、

真理も釈明も自分の感情で蹴とばしてしまう。

だから、我がままの感情家ほどこの「思惑」を多くもち、

またそういう人ほど、人生苦を感じる人はないのである。

たとえどんなに富や位置が高まっても…である。

そういう人々は、心身統一法の観念要素の更改(こうかい)法や
安定打坐(あんじょうだざ)法ないしはその他の連想行を、
真剣に践行していないのに相違ない。

否そのために
「思惑」を心の中から完全に除去し得ずにいる。

真理の上から厳粛にいえば
「人間は感情の動物なり」ではなく、
「人間とは感情を自由に統御し得る生物なり」
というべきだと私が主張するのも、
けだし叙上の一大事実があるからである。

だから所詮すれば、修養彼岸の第一眼目は、
まず自我を本位としたわがままな感情と、俺が自分がという
うぬぼれ慢心という卑しい心情を心から払拭し、
「思惑」を心にもたせぬようにすることである。

(以上、中村天風『哲人哲語』6『「惑」の解』より抜粋引用しました。)

・・・

【 7月7日 】 意志を強くする3つの方法

さあ、それじゃあ、一体どういうふうにすれば
心の入れかえができるだろうということを、今日は簡単に教えますよ。

これから毎晩、床に入っての寝がけの寝つくまでの間の時間、

断然その心の状態を積極的にする習慣をつけることですよ。

人間はね、よほど心が修養されていないと、
寝床に入ると、とかく消極的なことを考えるべく余儀なくされる
自然傾向があるんです。

世にいうノイローゼという病がありますが、
あれは、寝がけに消極的なことを考えれば考えるほど、
病状が悪く進行してしまうんです。

私が病になってからというもの、
すっかり気が弱くなってしまって、
毎晩、寝床の中でくよくよ考えちゃったんです。

男惚れするほど
強い心をもっていたはずの私が、
お恥ずかしいほど、弱いものになってしまったんであります。

考えるなという無理はいわないから、
夜の寝ぎわにどうしても、
ものを考えずにいられなかったら、

考えりゃ考えるほど楽しく、
思えば思うほどうれしいことだけを、
考えたり思ったりすればいいんです。

どんなことがあっても、心に垢、汚れはつけない、
磨きたての真珠を薄絹で包んだような
本当のきれいな気持ちで寝床にいなさいよ。

それから、もう一つ大事なことを教えておく。

寝ぎわに鏡を応用して、自分に自己矯正の暗示をかけると、
自然とその暗示どおりに心がつくりかえられていくという
効果があるんです。

ですから最初はうそでもいいから、
たとえば、何か非常に気になってしょうがないことがあったらば、

「こんなこと気にならない。気になるもんか。

 今までは気になったが、
 もう気にしていやしない。
 何にもない。
 へいちゃらだ。」

と暗示をかける。

自分自身で自分自身につぶやいても、大きな効果があるんです。

つまり、自分の心をとにかく汚さないこと。
汚さないことなんだ。

それから、昼間、人生に生きてる際にも、
できるだけ明るく朗らかに、いきいきとして、勇ましく、
心を変な状態にしない心がけを実行なさいよ。

「腹が立つから腹が立つんだ、
 心配があるから心配するんだ」じゃ
いけないんですよ。

できるだけ明るく朗らかに、いきいきとして勇ましくという
精神態度が重要なんです。

人と口をきくときでも、
「まいった」
「へこたれた」
「助けてくれ」
「堪忍してくれ」
「困っちゃった」
なんてことは言わないこと。

消極的な否定的な言葉はだんぜん用いないこと。

それから、最後に教えることは、
神経の反射作用を調節して心の乱れを防ぐ方法。

肩と肛門と腹の三位一体をヨガでは
「クンバハカ」といって、
もっとも神聖な状態をいうんです。

昔の武士が「腹をねれ」と
非常にやまかしく言ったのは、

このへそを中心とする腹筋神経から脊髄に連絡している
全身神経系統の動乱を防ぐという、

これがゴールデンキーだからなんです。

一日に何回でも、実行してごらん。

多けりゃ多いほどいいんですよ。

すると、落ち着いた気分が
求めずして自分の気持ちのなかにでてきて、

今までのように感情や感覚にやたら引きずり回されなくなる。

(以上、中村天風『心に成功の炎を』第2章から抜粋引用しました。)

・・・

【 7月8日 】 「肉体は生きるための道具」となぜ天風は悟れたのか

明けても暮れても、病ばっかり考えていた。
そして心はけっして積極的になりゃしないもん。
病ばっかり考えてるから、
しょっちゅう、この現象によって心がひきずられてるだけなんだ。

ふだん私が言うとおり、心が積極的でなければ、
宇宙エネルギーが、生命の中にじゅうぶん豊富に受け入れられないんです。
受け入れる「気」が全然ストップされている。

つらい、苦しい、情けないという感覚ばかりでなく、感情の方面も、
何という恵まれない、虐げられた因果な人間だと思う心のほうばかりが
盛んに発動してるでしょう。

そうすると、こっちから受けとる力なんていうのは、
まるきりストップしちゃってる。
そして、わずか肉体のもってる力だけで生きていこうとするから、
何をしても丈夫にならなかったのも当然じゃねえか。

ひとたびこの大きな真理に目覚めてからは、

ああ、そうか、
おれはまったく考え違いをしてたということが
自分自身でも考えられるようになった。

万物の霊長たる人間であろうと、
肉体のもってる生きる力には制限がある。

心が無限大だというのは、宇宙エネルギーに通じてるからなんだ。
だから、どこまでも積極的でいけというのは、これでわかったろ。
どこまでもプッシュでいけというのが。

こうした理論を悟るまでは、
死にゃしねえか、助かりゃしねえだろう、
インドの土になるのか、とばかり明け暮れ思ってた。

今度はもう死ぬなんてことは考えない。
治ろう、生きようとも考えなきゃ、死ぬことも考えない。

ただ、あなた方がきれいな景色を見てるときと
同じような状態の心。

つまり、無碍(むげ)にして自在なるを得(う)。
人間は虚心平気、
何事も考えないというときが一番無事なんです。

病が生じようが、運命が悪くなろうが、
本当に安心のできる人生に生きるということが当面の急なんだから。

いくら長生きできても、本当に安心のできねえ
人生に生きてたんじゃ、三文(さんもん)の値打ちもないだろ。

だから、この厳粛な事実から、常に、
自分から好んで自分の命を粗末にするような、
まぬけなことをしないようにしなきゃいかん。

いいかい。どんな場合があろうと、
自分というものの正体は、形ある肉体でもなければ、
あの幽玄微妙な働きをおこなう心でもない、

目に見えない一つの「気」、ぜんぜん感覚できないけれども、とにかく
現在の自分を生かしてくれているこの「気」が自分なんだと、
こう思わなきゃいけない。

これが信念化されちまうと、生きる力が強くなるんだよ。

(以上、中村天風『心に成功の炎を』第3章から抜粋引用しました。)

・・・

【 7月9日 】 自己を徹底的に守り、徹底的に愛するのは
         自己以外に絶対に無い

人間の手で作られたものにも、法則=道がある。

まして人智をはるかに超越凌駕(りょうが)している
造物主の作為になる活きる命を与えられた生物には、

その活きることに対する法則=道というものは、
絶対に厳格な状態で存在している。

そして万一、その活きる道=法則に背反すれば、
その生命存在は到底確保することを許されない。

簡単な事実が、
草食動物である牛や馬が、肉食動物である獅子や虎の活き方をすれば、
直ちに命を失うのを見ても明瞭である。

このように、生命機能が人間より劣っている
禽獣(きんじゅう)においてさえ、

その生命法則は、毫末(ごうまつ、「少しも」の意)
仮借されない(かしゃく、「ゆるされない」の意)
厳格さをもっていることを気づいたとき、

更に万物の霊長である人間においては、より一層瞬間刹那(せつな)でも

犯すことの許されない法則=道が、その生命を活かすにあたって
厳存しているということは、

そう深く考えるまでもなくはっきりしているはずである。

怒ったり、悲しんだり、恐れたりする度に、
その消極感情の発作の影響が、

肉体生命の活きる力までを全体的に弱めて、

あるいは病の近因を作りまたは早老の遠因を作るという、

生命に甚大な危険を
その度毎に醸成しているということを気づいていない。

もっとも気づかないからこそ、
無造作に怒り、軽率に悲しみ、無分別に恐怖するのであろうと思う。

実際、こういう事実現象が生命に存在することを知っていながら、

強いて、自己の生命に、自分自身直接間接に
危害を与えるようなことは、

まことの精神をもつものでは為し得ないはずである。

自己を徹底的に守り、徹底的に愛するものは、
自己以外に絶対に無いということに
想到(そうとう、「考えが及ぶ」の意)すれば、

より一層、粛然(しゅくぜん)たるものを
感じなければならないはずである。

(以上、中村天風『真人生の探究』第2章より抜粋引用しました。)

・・・

【 7月10日 】 ピュアな心に、自分の心をかえそう

それから私、インドの先生にいろいろ聞きましたよ。

「どうすれば、この病(やまい)(進行性の肺結核のこと)を
 治すことができますか」

「おまえはどうも肉体ばかり考えているが、
 肉体ばかりいくら考えてもだめだ」

「へ? この病は肉体が
 患(わずら)ってるんじゃないんですか?」

「おまえは心の態度というものを考えたことがあるか。
 心をいついかなるときも、事あるも事なきも、
 常に心を積極的にしろ」

「はあー。でも心を積極的にしろって
 言われても、どうもよくわかりませんが…」

「もっとやさしく言えば、
 生まれたての心にかえるこった」

「無理なことを言っちゃあこまるなあ。
 私はねえ、生まれて数年後に
 私ってものが生きてることに気がついたんです。

 だから、生まれたとき
 どんな気持ちをもってたか知りませんよ」

「それはおまえ理屈だよ。
 おまえが知る知らざるとて真理は常に公平だ。

 人類はどんな悪人でもまた善人でも一列平等。

 オギャーとこの世に生まれたとき、
 その心は無色透明、なんの色にも染まっていないピュアなもんだ。

 その心に、自分の心をかえせ。

 それが積極的な心だ。

 ピュアとは、
 尊さと強さと正しさと清らかさを失わないことだ」

(以上、中村天風述『君に成功を贈る』
「強い命をつくる」より抜粋引用しました。)

        <感謝合掌 令和3年7月7日 頓首再拝>

中村天風365話(7月11日~15日) - 伝統

2021/07/13 (Tue) 01:30:44


【 7月11日 】  自己認証の第一歩は何度も何度も実行すること

昔のことわざに、
「涓滴巌をも穿つ」(けんてき いわをも うがつ)
というのがある。

涓滴巌をも穿つというのはね、
雨だれがポタリ、ポタリとおちていると、
あの固い敷石の上に、しまいには穴があく、あれをいうんですよ。

あれを心理学的にいうと、条件付き暗示の連鎖反応というんだな。

修練会の時一番最初の日に話したろう、
あの自己認証、Self attestationが自然とできるんだよ。

今まで一遍(いっぺん)も経験したことのないことを、
させられるときには、非常にできにくい。

それが二度三度四度五度となると、
わき見していても、できるようになるでしょう。

それが要するに、
条件付きの暗示の感受性が、
連鎖反応によって研ぎ上げられたからなんだ。

だから教わった方法をやるたびに、
その時にたった今教わった方法を、今するんだという
この真剣さでおしなさいよ。

私は、鏡に向かっての自己暗示法は、
日に何遍もやるし、深呼吸のごときも、日に数百回やってる。
そりゃクンバハカ密法だって、教えきれないほどやっている。

人生は一度しかないんだから、
ああそうかと思った時が、
自分の生命の立て直しの、要するに生まれ変わりの日なんだ。

(以上、1968年9月24日、新装となった天風会館ホールで行われた
二代目会長安武貞雄と中村天風による
対話方式の講演「いつまでも若々しく活きよう」より抜粋引用しました。)

・・・

【 7月12日 】  「まごころ」から始まった天風の苦労、
           「心身統一法」の創見

「もう俺はダメだ。
探し求めるものを与えられないなら、結局俺はこのまま、
迷子犬が食物を見つけないで、腹が減って死んでしまうのと同じように、
死んでしまわなければならないんだから、

どうせ死んでしまうんなら、なにも
眼色毛色の変わった人間のいるところで死ななくたって、
俺は日本人なんだから日本の土地で死のう。
この世界にまれな富士山のある国、桜の咲く国で死のう」。

口では今わけなくお話していても、
その時の私の心というものは、そりゃもう本当に、
形容のできない孤独感といおうか、寂寞(せきばく)感といおうか、
まるでもう夜中にヒマラヤの山の頂に立たされたよりも、
まだ淋しい気持ちだった。

そして帰りがけ、偶然の機会で、エジプトのカイロで、
インドのヨーガの聖者に、まあ分かりやすくいえば、拾われたんだなぁ。

ありゃどこに見どころがあったか、
私を救ってくれたというより、むしろ拾われたと言おう。

そうして3年間特殊の難行苦行をやらされて、
その難行苦行をやっているうちに何も特別の方法を知らないので、
もとの3分の2以上の心の強さが作り変えられたんだね。

いわゆるミラクルな作用が、自分の心を作り変えてくれたんだと、
単純に、そう思ったんだ。

ところが、それから日本へ帰って、一時実業界にいる時分に、
周囲の人々の全部といっていいくらい、

私が未自覚の時代と同様に、やはり肉体本位で健康や運命を考えていて、
そして生まれながら健康で運命よく生まれつけてきた、万物の霊長たる
生命の権利も資格も放棄するような愚かさを行っている人が、もう、
うんといるのに気がついた。

その時は、難行苦行以外で、
人間の心を作り得るという、今のような方法を考えつかなかった。

かといって、自分の周囲に集っている気の毒な人たちを、
「おいお前、インドに行けよ」というわけにはいかないだろう。

そこで、あの方法を…、
観念要素の更改(こうかい)法とか、
鏡を用いる自己暗示法とか、
安定打坐(あんじょうだざ)密法とか、
あるいは精神統一法というものを考えた。

こちらの頭が精神科学などをまだ
咀嚼(そしゃく)的に理解する要素ができていない数年間は、なんだ
このくらいの研究ができない人間なら、生きていたって、なんにもならない。
死んでしまおうかと思ったこともあったよ。

けれども一旦志した以上は、頂上まで、徹底するまでおやりなさいよと、
母や家内に励まされて、それでもう、一所懸命研究して、
諸君が三日か四日で会得することを、実際数年かかった。

やれ病の、不運のと、貴重な人生を
価値なく生きている人がとても多いだろう。

それを見るたびに、聴くたびに、
なんとしてもそのまま見のがすことができない気分になっちゃったんだ。

本当に悟りを啓(ひら)いている人だというと、自分の周囲に、
自分のその昔のような哀れな人があれば、
なんとかして、その人を救ってあげたい。

お互いの幸福の仲間にしてあげたいという気持ちが出るのと同じ気持ちさ。

そりゃ絵にもかけないといってよいほどの
苦労をしたけれども、楽しい苦労だったな。

研究に苦労はしながらも、一つ一つ丁度東雲(しののめ)の暁のような状態に、
いくらかずつ明るくなっていくものだから、それに、励まされたんだ。

そうして、とうとう六年の月日がかかったかなぁ。

(以上、1968年9月24日、新装となった天風会館ホールで行われた
二代目会長安武貞雄と中村天風による
対話方式の講演「いつまでも若々しく活きよう」より抜粋引用しました。)

・・・

【 7月13日 】  積極的な心の状態で寝床につく
          「観念要素の更改法」の一例

じゃあ、簡単明瞭に心のお掃除ができる方法をお教えしましょう。

夜の寝際、床の中へ入ったら、それからが大事なんですよ。

夜の寝際、できるだけ昼間関係した消極的なことを
思い出さないようにすることであります。
思い出せば必ず考えだすもの。

夜の寝床の中に入ったのは、これから寝るために入ったんだろ。
それとも、何か考えるために入ったのかい?

私は夜寝るために床に入るんです。
一日の疲れを休めて、
またあすの生命のよみがえりをいただくために、
夜の時間を安息の時として床の中へ入る。

今夜から寝がけ、わずかな時間ですが、
寝つくまでのあいだ、たとえ昼間どんな場合があろうとも、
それは寝床の中に持ち込まないこと。

寝床の中はあとうかぎり
積極的な状態で心を堅持しなければダメですよ。

思えば思うほど楽しく、
考えれば考えるほどうれしいことだけ思ったり、考えたりして
寝るようにしてごらん。

自分でも愛想のつきるような、ほんとうに泥だらけな心で寝るよりは、
きれーいな気持ちになって寝ることを一生懸命おやんなさい。

ただそれだけでいいんだよ。
それだけを毎晩毎晩やってごらんよ。
どんどん心のなかがきれーいに洗われてくるんだ。

(以上、『成功の実現』第4章から抜粋引用しました。)

・・・

【 7月14日 】  人生を意欲的に生きようとすることが幸福の源泉になる

どんなに年を取っても、自分の生命から積極精神を失ってはいけない。

生きている間は、
造物主からの力の受け入れ口を、自分で広くのびのびと広げてください。

そうするには、常に自己向上ということをしっかりと意欲し、

正しい希望を常に
我が心の中に輝かせていかなければならないのであります。

これが創造的人生であり、

私自身も病(結核)が治ってからは、
この天風先生の教えに基づいて高級なる理想を常に心に描いて、
創造的人生に生きるように努めてきました。

そして、そういうふうに理想を実現すべく努力していると、

たとえその理想が現実にすぐに完全に実現できなくても、

それを実現すべく努力し、
活動しているそのプロセスそのものが、われわれの幸福の源泉になるのです。

その結果不平不満がなくなり、
人生がずっと楽しく生きがいのあるものになるのです。

そのためには、自己向上に全力を尽くし、そしてその自己向上は
ただ単に自分の幸福のためだけではなく、
他の人の幸せのためにするのだということを忘れてはいけません。

そうして初めて、
自分の勉強にも、努力にも、ぞくぞくするような力が湧いてくるのです。

若い学生などは、試験を受けるために勉強するのではありません。

自己を向上させるために勉強するのだから、
試験は楽しいものでなければいけません。

今までは試験が嫌いだったかもしれないが、
今日からは他人の憧れの的であるくらいの人間になるために、

自分自身というものが
どれだけのものであるかということを
知り得る試金石だと思って臨んでください。

(以上、2013年夏期修練会 東京会場における
尾身幸次講師による「統一箴言」のひも解きより抜粋引用しました。)

・・・

【 7月15日 】 出会いに偶然はない

私と中村天風財団とのご縁は、28年前のことであります。

当時私は34歳で、不安神経症、今でいうパニック障害のまっただ中にいました。

突然、心臓がドキドキしてきて、
ひょっとして死んでしまうのではないかと、過呼吸状態になります。

人に会うのがとても怖い。
車で高速道路を走れない。

のどが詰まっている感じがする。
目がシバシバする等々の症状です。

心の病だということに気付かない私は、
近隣のあらゆる病院をめぐって、
必死でその原因を探しましたが答えは見つかりません。

見つかるはずがありませんでした。
当時の私は、心と体の関係など、一度として考えたことさえなかったのですから。

そんなある日、
仕事の関係でお付き合いのある人から、
てのひらに入ってしまいそうな
一冊の小さな黒い手帳を見せてもらいました。

その中に書かれていた言葉を目にした瞬間、
私はびっくりして息が止まりそうになりました。

まさに、度肝を抜かれるという言葉がぴったりの感覚です。

その小さい黒い手帳から、
最初に私の目に飛び込んできたのは、「誓いの言葉」でした。

「今日一日、怒らず、怖れず、悲しまず」
という言葉で始まる言霊(ことだま)のひびき。

立派な人間として生きるのだという、
生まれて初めて聞く、
気高い韻律(いんりつ)と
新鮮な言葉の数々です。

そしてもう一つ、
「私は力だ。力の結晶だ」という、
私の魂全部を根っこから揺さぶるような、

まるで地響きのような強い、強いメッセージでした。

この黒い手帳を持っていた人は、
(中村天風財団の)会員ではありませんでしたから、
内容についてはわかりませんでした。

しかし、私はその中に書かれていた、二つの誦句(しょうく)

「誓いの言葉」
「力の誦句」の気高さと力強さに、

中村天風の真理の言葉そのものに、
衝撃的な驚きと、不思議な魅力を直観しました。

「人生、出会うべき人には必ず出会う。
しかも一瞬遅からず、早からず」。

森信三氏の言葉ですが、
「しかし、内に求むる心なくば、眼前にその人ありといえども縁は生じず」。

今になってみますと、
私の人生にとりまして、この出会いは決して偶然ではありませんでした。

(以上、2013年夏期修練会
東京会場における村里泰由講師による
「言葉の誦句」のひもときからの抜粋引用でした。)

        <感謝合掌 令和3年7月12日 頓首再拝>

中村天風365話(7月16日~20日) - 伝統

2021/07/17 (Sat) 16:28:06


【 7月16日 】  絶対に必要な生命の道具「心」を使うということ

確かに人間は心と身体を使って生きております。
これが現実です。

ですから、要はこの私たちの普段の心と身体にどれほど生命力を注入できるかです。
あるいは生命力を発揮できるかです。

ここが天風哲学の原点です。

ここからが心身統一法の原点です。
普段の時にいかに生命力を発揮できるかということです。

無心は無理だとしても、せめて普段の心を能(あと)うかぎり
宇宙根源の心に近づけることはできないだろうか。

そうすることで、
現実の生活の中での生命力の発揮をできないだろうか。

宇宙根源の心に
心の態度を近づけることぐらいはできるだろうということです。

宇宙根源の心の態度というのはどういうものか。

もう何度も耳にタコができるぐらいお聞きだと思いますが、

万物を進化向上させようとする、より良くさせようとする。
これが宇宙根源の心の態度です。

それを中村天風は自身のことに当てはめて、
「宇宙根源が私の命をよみがえらせた」と考えたわけです。

中村天風の命をよみがえらせてくれて、万物をより良く、進化向上させようとする。
この宇宙根源の心の態度を、

心身統一法を説くうえで、どう捉えて、どう表現しようかと
中村天風は考え、これに適切なキーワードをつけました。

それが「積極・せきぎょく」です。

一方で、人間というものはいつも心を使うようにプログラムされています。

それを中村天風は、それが何であれ、
使うものとして捉えるならば、心はまるで道具ではないかと観たのです。

ただ、『真理行修誦句集』に書いてあるとおり、
それを「道具」と書かずに「要具」と書いた。

つまり、要具というのは絶対に必要な道具という意味です。
単なる道具じゃない。

「心も身も道具で、我(われ)そのものではない」と
中村天風は気づき、心の束縛から解放され、

そしてまた、生命力を発現させて
病という身の束縛からも解放されます。

ですから、宇宙の根源、すなわち宇宙根源の心の態度は
積極だということ、

それならば、それに合わせて
心も身も積極的態度で使おうではないかという結論に至り、

ここから心身統一法が始まったわけです。

(以上、今川徳之亮講師による秋期瞑想補成行修会における
「心身の完成」のひもときより抜粋引用しました。)

・・・

【 7月17日 】  宇宙、全部が仲間である

大自然とか大宇宙をつくっている
全部のもとが「作用量子」というものです。

全部のもとということは、
この結びつきをもうちょっと広げていって別の結びつきに対応させると、
空気なんかがいい例です。

空気といっても、皆さんは、ちゃんと、窒素だ、酸素だと習った。
水なんかもエイチツーオー。

これもやっぱり作用量子の塊(かたまり)で、
結びつけたから、空気だ、水だって言えるんです。

もっと言うと、ちょっと大きくいきましょう。
我々を支えてくれている地球、これも作用量子の塊です。

地球に似たもので、もっと行くと、いっぱい惑星を集めた星とか銀河、
これはみんな、結びつけられたものです。

離れているけど、それは力が働いているから結びつけられている。
ひもをくっつけていなくても、力で結びつけられていれば、
これは結びつけられているわけです。

宇宙、全部がね。

そうすると、私たち人間の生命も
作用量子と共通のものができて結びつけていたのだから、
宇宙の生命体と同じものでできているんです。

ここです。中村天風が、
きょうの無限の命ということと、有限の命、同じものでできているぞ、
共通だろうと言ったのは。

中村天風は、
人間の生命と宇宙の生命は共通だよ。
こことは共通のものだから、行き来があるんだよ。

そのときに、共通のもので結びつくものとして、
ここに精神生命というものを考えよう。
ちゃんと心ということで宇宙とつながるんだから。

その支えになるのが神経系統。
だから、この神経系統が重要な役目だというのは、これで大体わかりますよね。

精神生命に付属する心は、理性心。
動物よりはちょっと上等だと思っている、理性心です。

けれど理性心は宇宙生命とつなごうとするよりも、
考えなくてもいいことまで考えてしまう。

おれがおれがという、
おれと人を比べるという、
ちょっと厄介な性質なんです。

それで天風は、宇宙生命とつながる心として、
霊性心というものを設定したんです。

本当に人間全体を一つの生命とすると考えられるのは霊性心。
非常に簡単に言えば、大きな広い愛の心ですね。

ですから、ここで今申し上げたかったのは、
人間ばかりではなくて、宇宙も含めて、全部共通の生命と思っていい。

なぜならば、作用量子という両方に共通のものをもっている。

けれど結びつけるばかりではなくて、壊れますよね。
壊れるのは、人間の寿命。
ここは有限になります。

有限な命の中にある人間に無限の宇宙のエネルギーが注ぎ込まれる。
有限なものに、有限なる器に、無限のエネルギーが注ぎ込まれる。
その条件が「積極」ということですね。

積極ということを、ただ単に人間関係の中に
広げていくということと取っていては、
これはまだその条件が中途半端です。

本当の積極は、人間と宇宙、その共通する命の中のエネルギーの流れに
何の障害を持たない、本当に自由なものにする。

そういうふうに、我々の側から条件をつくっていかなければならない。
その条件というものを一々つまびらかにしたのが中村天風であり、
それを一つの具体的な方法にまで練り上げた、それが心身統一法だというわけです。

(以上、2013年夏期修練会多武峰会場における、
御橋廣眞講師による誦句「大偈の辞」のひも解きより抜粋引用しました。)

・・・

【 7月18日 】 人生の仕事に出発する前に、正しい準備をして成就を目指しましょう

私たちが人生を生きていくうえで
何か事を完成させるのに一番必要とすることは、「準備を正しくする」ということです。

しかし私たちはとかくこの準備をするということを軽んじてしまって、
完成だけを急ぐという傾向があります。

その結果、本当であれば人生をもっと幸福な状態で生きていられる場合でも、
準備というものを軽率にしてしまったために、

完全な幸福という完成を果たせずに、毎日をただ大きな欲望や期待だけでもって、

心の中を落ちつきのない焦りと欲求不満で生きてしまうことになると、
中村天風は指摘しています。

そもそも私たち人間が本当に意義ある人生を現実に生きていくために必要とする
準備とはどんなことか、すなわち正しい活き方とは何か。

それは、毎朝、夜の眠りから目覚めたならば、
できるだけ早くその日のこれからの生活の全体を、まず自分の心の中に把握することです。

そんな簡単なことと思われるかもしれませんが、
これを毎日毎日行っているか、ご自分で省みてください。

何か特別な用事のある場合は別として、
普段何も用事のない時は、もうボーっと起きて、
ボーッと一日を過ごしている場合が多くありませんでしょうか。

どんな場合でも、その日一日の生き方を第一に決定してしまう、ということが
意義ある生活を送るための一番大事な準備なのであります。

人生というものは、いつ何時どんな用事が起きるかわからないものです。

ビジネスの上に変化が起きなければ、健康上に変化が起こるかもしれません。

何もなく、一年365日平穏無事な日ばかり続くはずはないのであります。

病や不運に襲われたときに、心が動揺しないことを
第一番に計画するということ、心づもりをする、心構えをもつことが、

日々是好日(にちにちこれこうじつ)という現実を作り上げる一番の先決的準備なのだと、
中村天風は説きます。

要するにその日の生き方をいかに生きるべきかを決定するという
第一準備が、その日一日を極めて有意義に生きる秘訣となります。

このように準備を施してその日の人生のスタートを決定しましたら、
その次に必要なことがあります。

それはその準備した目論見を着々と片っ端から実行に移さなければいけないのです。

多くの人は計画し、もくろんだ準備を相当に入念にやっていながら、
これを実行しようとするとき、ただ単にフワーっとした気持ちで
それを実行してしまいます。

これは感情的支配で実行するからで、
感情的支配で物事を行おうとすると、それが実行不可能になったり、あるいは
実行不完全になったりするのは当然なのだ、
と中村天風は述べています。

それでは一切の準備や計画に対して、
これを完全に実行するにはどうすればいいのか、といいますと、まず第一に
感情でこれを支配してはいけないのであって、一切の感情を超越した、
意志の力で実行しなくてはならないのです。

『研心抄』で中村天風は、おおむね多くの人は、
自分はどうも意志の力が弱い人間であるというふうに、自分を低く評価しているといい、

実は意志の力を出すようにして出しさえすれば、ぐんぐん出てくるものだ、こう諭しています。

では意志の力は、どうすれば出てくるのでしょうか。

心の中がきれいに整理整頓されると、
これはどんな人にでも意志の力というものが生きている以上は
非常に強く与えられているのでありますから、必ず出て来るのであります。

したがって普段、常日頃どんな場合でも、事情の如何(いかん)に関わらず、
心の態度を尊く強く正しく清くもちなさいと、
中村天風は事あるごとに強調しているのです。

感情で支配するということは、結局自分の興味を感じることとか、
気に入ったことしかやらないということになります。

気に入ろうが気に入るまいが、
意志の力を十分に応用して同じ気持ちでやっていけば、

そこにはもう気に入らないというものはなくなってしまいます。

あれが良くてこれが悪いという区別をつけるからいけないのです。

真理を悟って真理によって自分の人生を生かそうと思うならば、
私たちはこの悟りの通りに、
自分の人生のためにより良い結果を作り上げるような積極的な精神生活をすること、
これをまず第一に心に誓いましょう。

それは朝のうちに
人生の仕事に出発する前に、
要するにスタートを切る前に、
しっかりと自分の心にこのことを、すなわち積極的精神生活をすることを約束しましょう。
これが正しい準備なのであります。

(以上、2013年真理瞑想補成行修会
(秋期瞑想行修会)における、池田忠一講師による誦句
「正しき活き方の自覚」のひも解きより抜粋引用しました。)

・・・

【 7月19日 】 理性心での自覚で終わりではなく、自覚正念まで達するのが「神人冥合」。

天風哲学でいう「神」という言葉は、
大宇宙の働きをつかさどっている自然法則、「大自然の法則」のことであって、
単純に科学的法則というのではなく、もっと大きい意味です。

ですから、「心身統一法を行ずる」ということは、
「大きな意味の大自然の法則に準じた生活をする」ということです。

普通、法則と言われると、それを守れば何かいいことがあるというわけでしょう。

憲法があるのは、これを守っていく人は、
その報償として市民としての自由が与えられるという意味ですよね。

そういうものを人間の作った法則だとすると、
では、中村天風の教えにある大自然の法則、これを行じていくと「何」がもらえますか。

この大自然の法則に準じて自分の生活をやっていけば、
「意志の煥発(かんぱつ)」というのが、そういう意味では報償です。

一般的には、精神修養というと
「意志の強い人間に鍛え上げよう」と、
色々指導してくれる方は多いと思いますけど、
中村天風がいう「意志の煥発」は、
自分が鍛えるものではなくて、「向こうから来るもの」です。

意志を強くするというより、
「意志は向こうから、大自然のほうから煥発(かんぱつ)しようと
待ち受けているんだから、心を、それを受け入れられるように鍛えなさい」、
こういうお話です。

「意志の煥発」と言いましたが、
もうちょっとありがたい言葉で言うと「悟り(さとり)」ですね。

大自然の法則に準じた生き方をしていけば、
意志の煥発が容易(ようい)になる、すなわち悟りが開けるということだと、
まずご理解をいただきたいと思います。

その悟りと自覚の違いをもう少し明確にさせていただきたいと思います。

いわゆる自覚から悟り、「自覚正念」というふうにどう進んでいくか、
そういうお話しですが、中村天風は大事なしかし簡単な言葉である
「正しく」という言葉を心身統一法では使います。

計算を正しくというのとは違い、
あるいは、誰かの言っていることは違っていて
これが正しくだという、理屈の問題でもなく、

「正しく」と中村天風が言うときは、
自分にとらわれている心、仏教用語だと「我執(がしゅう)」と言いますね、
「おれが、おれが」という、それから離れることを「正しく」と言うのです。

わが心を尊く、強く、正しく、清い心に保つという、そういう本心を自分の心の中に
あらわすことができれば、それは次第にわが命を悟り、あるいは自覚正念に
導くことになる。

それは単に自分が探すとか求めるものではなくて、我々の心の中に本心を呼び覚ます、
そういうことによって得られてくるのが悟りだということになるわけです。

それに対して、「自覚」とは何かというと、理屈が主導するものですよね。

あくまでも人に習ったものとか、あるいは本を読んで知ったもの、
そういう自分がどういう経験をしたか体験をしたかに必ず関係します。

自分独りの力で得たというよりは、
教えてくれる人や経験があって自分が
「ああ、そうか、わかった」というふうになるものです。

中村天風の心身統一法はこうだということを、
本を読んであるいはお話を聞いてわかっていき、
自覚ができていくわけですけれど、

その理性心の持つ限界を「超えないことには悟りには行けないぞ。
自覚正念まで達しないと神人冥合ということはあり得ないぞ」というわけです。

「ああ、中村天風はこうやったんだな」と、
いわゆる理性心で理解して自覚したからといって、
「よし、わかった」というものではないということになりますよね。

ここが非常に大きな大事な、我々の覚悟を要求される部分だと、
そう申し上げていいように思います。

(以上、2013年真理瞑想補成行修会
(現、秋期瞑想行修会)における御橋廣広講師による誦句
「神人冥合への誦句」のひも解きより抜粋引用しました。)

・・・

【 7月20日 】 条件の最悪の私が、なぜトップ当選したか

故郷への汽車が利根川の鉄橋を渡るとき、
私はいつも「いつか必ず政治家になる」と思念していました。

昭和57(1982)年、いよいよ選挙に出ました。

私は沼田市駅前の貧しい下駄屋の息子で、八人兄弟の長男でしたから、本来家を継いで
妹や弟の面倒をみなければならないところを、
無理を言って大学へ行かせてもらったので、家からは一円も送ってもらわず
大学を卒業しました。

そんなわけですから、
選挙に必要といわれる、地盤(地元の後援者)、看板(政治家二世とか、有名人であるとか)、
カバン(お金)一切ありません。

自民党からの公認もない全くの新人でしたから、誰も当選するとは思いません。

そんな中で、支援をしてくれそうなある中小企業のワンマン社長と
会食していますと、その社長が

「一回目で当選はしないと思うが、落ちたらどうする」とききました。

「一回で決着をつけるつもりだから、落ちたときのことは考えていません」
というと、

「一回では当選しないと思うから、落ちたらもう一回やると言えば応援する」
というので、

「落ちることは考えていないので言わない」、
「言わなければ応援しない」と、延々二時間テープレコーダーの繰り返しです。

私はもう夜が明けたって「落ちたらどうする」なんて言わないぞと固い決心でいたら、

とうとう先方が降りて、
「そんなに頑張るならとにかく応援してやる」
ということになりました。

口が裂けても消極的なことは言わない、これが大切です。

選挙はふたを開けてみると、無所属新人でトップ当選。

選挙の神様といわれた田中角栄氏にさえも、
「僕は尾身君だけは当選しないと思っていたよ」と言われました。

条件の最悪の私が、なぜトップ当選したか誰もわからない。
私はよくわかっている。

本当の原因は天風教義によって
私が作り上げることができた「信念の力」「集中した観念の力」これが、
私が政治家として働かせていただけるようになった当選のゴールデン・キーです。

「Lightly comes, lightly gone」、
たやすく得たものは失いやすい、であります。

一歩一歩心身統一法を自分のものにして、
宇宙真理に合致した活き方を堂々としていこうではありませんか。

(以上、2006年東京・天風会館で行われた
夏期修練会における尾身幸次講師の特別講演
「天風道とわが人生」から抜粋引用しました。)

        <感謝合掌 令和3年7月17日 頓首再拝>

中村天風365話(7月21日~25日) - 伝統

2021/07/23 (Fri) 01:11:01


【 7月21日 】 私は、強い強い力の結晶だ。


1985年に茨城県つくば市で科学万博が行われました。

その科学万博の政府テーマ館に、トマトの巨木が展示されました。

床上2メートルに仮設された栽培槽からは、たった一株のトマトがなんと

14メーター四方の展示スペースいっぱいに
枝を伸ばして生(お)い茂(しげ)り、

真っ赤に熟したトマトがたわわに実っていました。

厚く重なり合った葉っぱの下のほうでも、
茎・葉っぱは青々として、薄暗い中でも花を付け、実も付けたのでした。

あの小さな1ミリか2ミリの一粒の種のなかに、これだけの生命力、
命の力が潜(ひそ)んでいたわけです。

たった一粒の種の中に、です。

担当された野澤重雄さんは、
当時の皇太子殿下ご夫妻に、次のようなご説明をされたそうです。

「元々あらゆる植物はどこまでも大きくなる性質を潜在的に持っているのです。

 しかし、今の自然状態では発揮されません。
 また、そのような大きな生命力があるとは夢にも信じられていません。

 しかし、その潜在力を見出し、本来の生命力に着目して引き出した結果、
 このような大きなトマトになるのです。

 この農法では、可能なかぎり植物自身に
 自らの力を発揮させる自由を与えるようにしています」。

また、
「あらゆる生物は我々の想像を超える偉大な生命力をもっています。

 宇宙レベルで生命に関するあらゆる現象を見直し、
 新しい科学の方法で物事を考え、生命現象を見つめ直してほしい。

 そういう新しい科学の道の向こうに
 自然がもつ本質的な生命の法則がみえてくるのです」と。

つまり元々もっている能力を、
自然・生命の本質的な法則に則(のっと)って自由に引き出すと、

我々も想像を超える偉大な生命力を
元々もっているということにつながってまいります。

中村天風はこのように述べています。

「人間というものは
 自己を考える自己認証が結局その人をつくり上げる元になる。

 だから、成功している人、
 儕輩(さいはい)の群をしのいで傑出(けっしゅつ)している人はみんな、

 その自己認証が普通の人よりもはるかに階級高いものになっている。

 ところが、自己認証の程度が低いと、
 その人間は結局その自己認証程度以上には出ていくことはできない」と。

たとえ我が身に何事が生じようとも、
またいかなる事態に遭(あ)おうとも、

完全に生きるための根本的基礎となる
心の態度を、断然消極的にしてはなりません。

いつも尊く、強く、正しく、清くという
積極的態度で終始していかなくてはなりません。

心が積極か消極かという態度に応じて、
一切の万物を創造するエネルギーの本源、宇宙エネルギーは順応して働き出し、
その人の人生を良くも悪くもするのです。

この悟(さと)りが本当に正確なものになればなるほど、

健康も運命も何も特別なことをしなくても、
完全になるのが自然の作用なのです。

これが宇宙真理です。

人間に生まれてきてよかった。

本当のありがたさはここにあることを
正しく認識しなければならないわけです。

心の置き所を常に積極的にするために、
「自分は力だ」ということを絶対に忘れてはいけません。


【力の誦句】
私は、力だ。力の結晶だ。
何ものにも打ち克つ力の結晶だ。
だから何ものにも負けないのだ。
病にも、運命にも、否(いな)
あらゆるすべてのものに打ち克つ力だ。
そうだ!!強い 強い 力の結晶だ。

(以上、2018年度夏期修練会における
大久保信彦講師(理事長)による
「力の誦句(しょうく)」の
ひもときより抜粋引用しました。)

・・・

【 7月22日 】 つぶされてたまるか、後から考えたら、ある意味勇気でした。

私の経験上で言えば、阪神・淡路の地震でした。

明け方の六時前ですかね、ハッと目が覚めました。

何ともいえない、胸が押しつぶされる感じです。

なに、これ?と思ったんです。
こんな恐怖感って持ったことがなかったんです。

で、情報を掴みに行こうとすると、向こうからゴーっと近づいて来るんです。

まるで地下鉄が300キロぐらいの勢いで近づいてくる、そんなイメージです。

もちろん、地鳴りって経験したことがないですからね。

情報の実態が五官で掴めたら、もう恐怖は要らない。

そこで切り替えないと。

かわって何が出てきたかというと、
私、地震に無謀(むぼう)にもけんかを売りました。

この野郎(やろう)と。

家を建てて二年目でしたからね、つぶされてたまるかと。

これは後から振り返ったら、
やっぱりある意味「勇気」だったと思うんです。

と同時にもうひとつ思ったのは、
ああ、これでつぶされて、命がなくなったら、
宇宙根源の命に
「おまえ、もうそれまででいい」と宇宙に引き上げられるんだなと、

「おまえ、まだちょっとこの世の中で役立てよ」
というぐらいだったら、助けてもらえるだろうと思いました。

それで地震の揺れが、また地下鉄のように向こうへゴーっと行ってしまう。

その途端、今度は潜在意識ではなく、
実在意識で、今、何したら一番いいかと考えました。

まず、スリッパをはけと。
すぐ一階へ下りてみたら、ガラスの海でした。

その前に、今のうちにできるだけ着ておけと。
冬でしたからね。

それからティッシュは絶対、トイレに行くから必要。

タオル、これはマフラー代わりにもなるし、
あるいは傷したときの包帯代わりにもなる。

この三つを持って、あとはどうにでもなると思って外へ出たのは5分後でした。

後で、やっぱり中村天風の教えが使えたんだなと思ったんです。

まず、地震!「なあに、来るもんだ」と、観念しました。
もう命はあっちのものと。

そうしたら、その次に具体的に何をするかを積極思考で考える。

これだけの思考の入れ替わりがあったのは、
ものの3分ぐらいの間だったと思いますね。

『天風誦句集』の「修道大悟」
(しゅうどうだいご)で
一意専心、黽勉(びんべん)努力と
中村天風はいいますけれど、

やるべきことは思考の積極化、
そして真理を純真な心で信じること。

これを繰り返し飽きることなくやる。
心を迷わすことなくやる。

そうしたら、自然と強い心が育まれてまいります。

そしてその結果、勇気がそれこそ湧き出てきて、
その勇気でさらに心の力が強くなっていく。

こういういい循環をしてきます。

積極というのは、そういうことです。

最後に「勇気の誦句」を申し上げておくことにしましょう。

【勇気の誦句】

自分はこの世に作られたものの中で、
一番優秀な霊長と言われる人間ではないか。

しかも人間の心の力は、
勇気というものでその圧力を高めるのが、
人の生命に与えられた宇宙真理である、

だから今日からの自分は、いかなる場合にも
断然勇気を失うことなく、特に自己の本能や
感情の中で、自他の人生を泥ぬるがごとき
価値なき低劣な情念が発生したら、

それに立派に打ち克ち得る強い心を作るために、
大いに勇気を煥発(かんぱつ)することに
努めよう。

そうだ。終始一貫、勇気、勇気で押し切るのだ。

(以上、2018年度夏期修練会における今川得之亮講師による
「勇気の誦句(しょうく)」ひもときより抜粋引用しました。)

・・・

【 7月23日 】 相対積極から絶対積極へ信念の確立

悟(さと)らない前の私は、信念というものは、積極的にむしろがむしゃらに、
ことの成功なり成就なり、あるいは
現在思っていることを強烈に心の中でもって考えりゃいいだけだと、
こう思っていた。

病にかかっても「治ります!」と思やいいと思って。

運命に阻(はば)まれると、
「出世します、成功します!」と思えばいいことだと思ってた。

だって、信念とは疑わざる心、ということだけしか教えてくれないんだもの。

だからそう思う思い方が強烈なら強烈なほど、
信念というものが確固不抜なものになるんだと、こういうふうに考えていた。

あなた方もそうじゃないかい?

もっとはっきり言うと、そういうふうな考え方を
何事に対しても持ってりゃ、健康も運命も、完全になるものであると、
こういうふうに、それが信念煥発(かんぱつ)へのシークレットだと
こう思っていた。

そうほんとに思ってましたよ、私は。

ところが大変な間違いを、
つまり信念でないものを信念だと思い違いをしていたことに気がついたんだ。

よくお聞きなさいよ。
信念というものは、ただ一心に積極的に馬車馬的に、がむしゃらに
そのことの成就なり成功なりを強烈に心の中に思念することじゃないんですよ。

そういうのは、強情っぱりって言うんだよ。

これを哲学的には、
相対的の心的状態とこう言うんだ。
Relativelyっていうんだよ、英語でいうと。

それじゃだめだよ。
信念っていうのはもっと絶対的なものでないと。
Absoluteなものでないと。

いいかい?ひと言で分かるように
言ってやるから、分かりなさいよ。

本当の信念という階級の高い心は、
精神科学的にいうと、否定や肯定から超越したものなんだよ。

まだ否定があったり肯定があるようじゃいけないんだ。

「ダメだ、そんなことしてちゃ」
「大丈夫だよ、おれは信念があるから」
これは肯定。

そう言いながらも心の中でもって
「ちょいとやりそこないやしないかな」と
思う心があったら、否定が首を出したわけだよ。

イエスとかノーとかということを
心の中で考えている間は、その心はRelativeなんだ。

その相対的の心境から超越した心境が絶対境で、それがすなわち信念なんだ。
わからない?

結核になってからはねえ、
自分の健康はとても回復しないという、
否定を心の中に思い込んでいたが、

あるいは時によると、これがいけねえんだ、
治ると思う気持ちに振り替えようと肯定して、それを信念だと思ってた。

なるべく、死にはしないか、
悪くなりゃしないかと考えないようにして、
治るほうへ心を持っていこうとした。

ダメですよ、戦ってるんだから。

肯定と否定とがもうのべつ心の中でもってこんがらがってんだ。

だから八年の間も治らないの、当たり前だ。
治らないような種をまいてたんだもの。

それが今言ったような、何も考えなくなった、
それが信念だというふうになってから、
それはもう薄紙をはがすなんてのは
嘘(うそ)みたいなもんで、厚紙はがすようによくなっちゃった。

絶対境地に心がすぐなり得るようにしさえすれば、それでいいんだ。
それが信念なんだ。

(以上、会報誌『志るべ』2019年1月号掲載の中村天風講演録選集
「信念と奇跡(中)」より抜粋引用しました。)

・・・

【 7月24日 】 生活の目標を「創造の生活」におく

「自己陶冶」の「陶」は、人格を練り上げる、人を教え導く、

「冶」は、練り上げて立派なものに仕上げるという意味です。

最近は、「自己陶冶」という言葉は
あまり言われることもなく、また、聞くこともありません。

人格の陶冶という、「人格」という言葉さえも、社会の中でその意味が
極めて希薄になっているのではないでしょうか。

そもそも人格の完成は、
宇宙根源主体である造物主から委任をされたものであります。

人間として生まれたということは、
造物主からの意図、目的を受けて生まれてきたのです。

それは人格の完成への努力であります。

私たちが自己を陶冶し、人格の完成に努力することは、
自己を進化・向上させることであり、
私たちの当然の責務であります。

中村天風の教えによって生きる者は、
人としての道を修め、人格を陶冶する努力をし、
社会の進化と向上という高い志をもって
世の中のため、人々のために働くことが使命であります。

では、万物の霊長として造物主の使命を遂行するとは
具体的に何をすることでしょうか。

それは、人の世に尽くす人間になるということです。

私たちの生活目標は何かというと、創造の生活です。

創造の生活とは、常に人の世のためになることを創意工夫し、
何事かを為そうと努力する生活です。

人の世のために働くということは、
いろいろな心配事や困難なこと、もろもろの苦労などを当然
背負うことになりますが、

人々の幸福のために創造力をもってそれを喜びに振り替えることです。

「宇宙の摂理は万象常に流転する」と中村天風は教えています。

全てのものは留まることなく移り変わっていくものですから、

もしも、今日、わが身に災いが降りかかっても、
これはこれからの幸せを生むものであると捉え、夢にも
もだえたり恐れたり動揺してはならないのです。

このような時こそ、わが命の力を信じて、劣等・劣悪な動物心に負けることなく
「自己陶冶」に努力するならば、必ずや明るい方向に生きていくことができます。

(以上、2014年真理瞑想補成行修会、現、秋期瞑想行修会における
鷹野國雄講師による「自己陶冶」のひもときより抜粋引用しました。)

・・・

【 7月25日 】  思いは伝わるものだから、揺るがない
           「思いやり」を周りに実現していこう

もくせい (金子 みすゞ)

もくせいのにほひが 
庭いっぱい

表の風が
御門のとこで

はいろか、やめよか
相談してた

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私は嗅覚が良い方らしい。
香りに気づくことが多い。

木犀(もくせい)の花の香りは圧倒的に強く、
木の姿は見えなくても、香りでその存在に気づき、そのあとで、
「どこにあるんだろう?」と探す気持ちが湧いてくるのはよく経験する。

金子みすゞの詩は、
あまりにも充満している香りのさまを
「はいろか、やめよか、相談してた」で表現されている。

おまけに、「相談してた」で風がたくさんいることを表現し、

「御門のとこ」まで来た風たちが大勢いて、
門の中にも木犀の香りがいっぱいいて、

風たちとしては自分たちが入ると
あまりにもいっぱいになりすぎて、
せっかくの良い香りがぐちゃぐちゃになってしまうので

やっぱり入るのは遠慮しておこうと結論するであろうことは眼に見える。

結局はむせるような木犀の香りがそのまま残る。

このように、香りといい、風といい、目に見えないものをうまく表現するのは
日本人の特徴ではないかと思っている。

この詩も
目に見えるものは全く登場していない。
唯一、門だけが存在している。

それにしてはこの詩の情景は
香りと風がそれぞれ大勢いてごった返しているほどだ。

具体的に、目に見えないが存在して居る。

心の中で情景を作り上げることが出来る。

ヴェートベンの交響曲「運命」は、八分休符で始まる。
「ジャジャジャーン」ではなく、
「ウン、ジャジャジャジャーン」というわけだ。

ある音楽会で聴いたバイオリン協奏曲の中にも、
曲が始まってすぐに、2回、一瞬の、静寂が要求されているところがあった。

聴けばわかるが、どちらの曲の無音も
「何も無い」という感じは全くせず、
明らかにエネルギーが充満していて、迸(ほとばし)り出る寸前という、
ものすごく大きな力を感じる。

コンサートホール全体が、静寂なのだが、
爆発寸前のように感じられ、次の音でそれが現実化したようなものだった。

最近、流行語のように
「おもてなし」ということが言葉に出る。

これを実現するために根本をなすのは
「思いやり」であるが、これを現実化するには、
中村天風著『叡智のひびき』箴言4に、
「何をおいても相手方の気持ちになることである」と説明されている。

この究極の行が夏の修練会で体験する実習である。

二人がお互いに気持ちが分かり合えることがあり、
何となく気心が通じることがあることは知っているが、
修練会で初めて、この能力が意図的に発揮できることを知るわけである。

しかし、これは単に言葉を使わないで
思いを通じさせる便利な機能というだけの意味ではない。

和気藹々(わきあいあい)たる雰囲気を実現し、
思いやりを現実化するという、価値高い目的のものである。

そしてそれは、糸電話を無線にしただけの、
一対一で通信するメカニズムのものではなく、
また、ケイタイの電波を不要にしただけの
単に「便利なもの」というだけではない。

お互いに、相通じるのは、私たちを現在生かしている大いなる生命を通して、
それによって思いが伝わるのである。

見えない何ものかを感じとることは、日本人である私はできるハズだ。

この気持ちを持って、揺るがない
「思いやり」を私のまわりに実現して行こう!

(以上、中村天風財団が毎月発行する会報誌『志るべ』の2016年10月号に
掲載された連載記事「ほとばしりでるもの」
(伊藤秀樹講師著)より抜粋引用しました。)

        <感謝合掌 令和3年7月22日 頓首再拝>

中村天風365話(7月26日~31日) - 伝統

2021/07/29 (Thu) 01:11:41


【 7月26日 】 断固たる勇気!断固たる決意!

心は常に、明るく、朗らかに、活き活きと、勇ましい、積極的な状態を保つ、ということを
中村天風財団の講習会、修練会では教わります。

さらに、心は常に、集中・統一して使う、ということも教わります。

しかしこれらは知識として理解しても、実生活の中ではすっかり忘れてしまい、
せっかくの教えを活かしきれていない、ということが、ごく少数ですが、現実にあるようです。

実生活の中に教えを正しく溶け込ませるにはどうすればよいでしょうか。

それを解決するヒントは、大きく2つあります。

一つは「断固たる勇気!」を煥発(かんぱつ)すること。

もう一つは「断固たる決意!」を煥発することです。


まず一つ目の「断固たる勇気!」についてお話します。

現在、皆さんは日々、心の積極化に努めていると思います。

心の内面はまだ消極的なままでも、
それはそれとして、まずは心の積極化に努めていく。

そうすると消極的だった心が、次第に、積極的な心に変わっていく。
これはまったく正しいアプローチです。

しかし中には、このアプローチを何年も続けているのに、
なかなか心が積極的にならない、という人が、ごく少数ですがたまにいます。

そのような人は、このアプローチから「何か」
大事なものが抜け落ちているに違いありません。

それでは何が抜け落ちているのでしょう?

それは「ありのままの自分」を認識する、ということです。

「ありのままの自分」を認識する、ということは、
「積極的な自分」と「消極的な自分」の、どちらをも認めることです。

「積極的な自分」は放っておいても認めることができますが、
「消極的な自分」はなかなか認めることができません。

というのも、この「消極的な自分」から、
消極的な思考や感情が生み出されるものであるため、
「消極的な自分」の存在自体を認めたくない、という意識が無意識的に働くからです。

それでは、この「消極的な自分」を認識するにはどうすればよいでしょう?

それにはまず第一に、
消極的な思考や感情が湧き出たときに、
今までのように「自分の心が消極的になっている」と単に気づくだけでなく、
今後は
「今のこの状態の原因は、自分のエネルギーが低下しているからだ」と
気づきの方向を「現象」から「原因」に切り換えてみることです。

こうすると、自分を、第三者の立場から、より冷静に見ることができるようになります。

続いて第二に、その状態から「断固たる勇気!」を煥発して、
消極的思考から積極的思考に心を切り換えることです。

この切り換えには、大いに想像力=イマジネーションを働かせます。

この二つのステップを通じて、思考を切り換えるクセをつけるよう努めてみてください。

徐々に、消極的な思考・感情を上手(うま)くコントロールできるようになり、また
「消極的な自分」も認識することができるようになるはずです。


続いて二つ目の「断固たる決意!」についてお話します。

皆さんはこの修練会に様々な期待や希望を持って参加されたことと思います。

例えば、弱くなった身体を強くしたい、弱くなった心を強くしたい、
潜在能力を出せるようになりたい、など人によって様々だと思います。

昔、ある人が中村天風に
「何のため修練するのですか?」とお尋ねになりました。

すると中村天風は、「信念を創るためだ」とおっしゃったそうです。

皆さんは黒の誦句集(『天風誦句集』)と
緑の誦句集(『真理行修誦句集』)をお持ちだと思います。

この誦句集は真理が詰まった塊(かたまり)といってよいと思います。

そしてこの誦句集には「信念」という言葉があちこちに出てきます。

それだけ「真理に対する信念」が大事だということをあらわしています。

誦句集を何度も何度も読み返すと、中村天風がこの信念について、
「お前たち、信念がどれだけ大事かわかってくれよ」と私たちに語り掛け、
訴えていることがヒシヒシと伝わってきます。

「信念を創る」ための「断固たる決意!」、これを煥発するよう努めてみてください。

「断固たる勇気!」と「断固たる決意!」

この二つは、修練会中はもちろん、修練会終了後も、心掛けるようにしてみてください。

これが
「今回の修練会で何を学んだらよいか」という問いに対する、
皆さんへのメッセージとなります。
 

(以上、2015年夏期修練会東京会場、
 金子隆講師による講話「人生を支配する法則・思考作用の誦句」より抜粋引用しました。)

・・・

【 7月27日 】 本心、本然の心に還りましょう

あるとき私が銀座4丁目の和光の斜め前のバス停で待っておりましたら、
人だかりがしています。

何かしらと思っていましたら、その月は終戦記念日があるので、
「幸福」についての街頭インタビューでした。

道行く人々に、「あなたは今幸福ですか?」と、
マイクを出して返事を求めておりましたので、私も興味深く見ておりました。

若いルンルンの恋人同士が手をつないでやってきました。

早速「あなたは今幸福ですか?」と尋ねたのですが、
「まあまあね」「どちらかといえばね」と、お互いに目と目を見かわしていい、そして
手をつないでさっさと行ってしまいました。

と、そこへ、一人の高齢のご婦人、白髪のきれいなご婦人が通りかかりました。
その方に「あなたは今幸福ですか?」と尋ねますと、
きっぱりと「はい、幸福です」という答えが返ってきたのです。

「なぜですか?」と尋ねますと、「弾が降ってこないから」。
これは私ぐらいの年代でないと、意味がわからないかもしれません。
空襲がないということです。

「私はこの先の本所というところで空襲に遭って、家は焼かれ、家族を全部失いました。
 けれどもこういうふうに年月が経ち、今は平和で弾が落ちてきません。
 振り返ってみると、人生で今が一番幸せです」

と、きっぱり答えたのです。

中村天風は人間を価値高く位置づけています。
それは心を所有するからです。心は人間と人生を決める重大な働きを持つからです。

が、一般の人々は日々の生活の中で、心の重要性に気づかず、そして心の持ち方、
養い方、命の生存にかかわってくる精神生命の手入れの仕方など考えることなく、
心の使い方など知りません。

その結果、健康なときはともかく、
体は病むもので、人生は思いどおりにならず苦難なものと、多くの人々は思考いたします。

人生、幸せも不幸も心で思考したもので決定するのです。
幸福の条件を考えますとき、二つの条件をまず整えることが大事と思われます。

第一に、まず外的整備です。
外から整えるということです。

住むところも食べるところも、着ることも、きちんとしていなければ
満足に生きていけません。
そして次々と計画を立てていきます。
生きていく条件を整えるわけです。

第二に内的整備です。
心が幸福を感じるのですから、心をちゃんと整えなければいけません。
心の整備も大事です。

第一から考えてみましょう。
衣・食・住・車と、生活に必要なものから考え、
それを獲得するにはどのくらいのお金が必要か計算し、計画を立てます。
準備が何事も大事です。

実はこれらのプランを立てるのは、考える心です。
心がしっかりしていれば、計画を立て、決断し、達成のため、明るく日々努力します。
目的を達成するため、幸せのための努力です。

さて、次に大事なことは、積極的な心が必要です。
心の整備をいたしませんと、マイナスの心では目的を立てても、
それに向って努力して実行する気力がわきません。
そして、思考も性格も、暗くゆがんでいては、なかなか幸福になれません。

第一に必要なのは心の整備ということです。
心を正しく処理して活きることです。

中村天風は、人生は心一つの置きどころと言います。
その置きどころの心を監督するには、もう一つ大事なことがあります。
心の安定化ということです。

現代はスピードの時代ですから、そこでイライラ、そわそわ、カッカして
心が不安定では、本当の心の置きどころが見えてきません。

しっかりと、まず心を落ち着け、意識を明瞭にして心を統一して使うことです。

心を十分に休息させ、活力を充実させる。
すばらしい心境を感得することが出来る方法を知っていますよね。
安定打坐(あんじょうだざ)法です。
正当な思慮と断定へと導くのが安定打坐です。

鐘とブザーの音に導かれ、一心に聞き入ると、あれこれとイライラしていた多念多心が、
音にすーっと導かれて音と一つになり、一心になり、そして次第に意識が澄んできます。

すると、今まで気にしていた病から来る不快感、
また、足や腰のしびれ、しびれてはいるのですがそのことから心が離れる。

あれこれと朝から晩までいつも思考していた心が鎮まり、
磨かれた鏡のように澄んだ清らかな心境、意識明瞭な澄みきった心境、
有意実我(じつが)、透明度の高い心境です。

何ともいえない意識明瞭の中で、心も豊かになります。
すると、美しさがはっきり見えてきます。

修練会の帰り道、道端の花や草が、はっきりと美しく目に映ってくる。
また、身近な人々の優しさが身にしみて、幸福を感じます。
「ありがとう」という思いが素直に言葉になって出てまいります。

人の本心、本然の心は、自然の懐(ふところ)に還りたいといつも思っています。
宇宙創造の造物主の分派である私どもは、その流れと同調したいと自然に思いますが、
心が停滞すれば思いも滞ってしまいます。

それは淀(よど)んだ水のようなもの。
滞ってしまってはなりません。

水は清々と流れるものですから、理性的に理解することももちろん大事ですけれど、
常に本心を煥発(かんぱつ)するように心がけましょう。

(以上、2011年度真理瞑想補成行修会、
 現、秋期瞑想行修会における飯田弥生講師による「幸福への誦句」より
 抜粋引用しました。)

・・・

【 7月28日 】 自己人格の象徴である精神は残るし、肉体もまた、子孫に残る。

さあ、最後の真理瞑想補成行、題目は値ある生き方、価値の高い生き方、

同じ生きているのでも、これはまた実にバリエブル(価値のある)な生き方という
生き方をどうすりゃいいかということを考えてみよう。

いつも私はこういうことを考えていた。
この世には、笑うことも泣くこともある。

しかし、よく考えてみると、この笑うことも泣くことも
、何もこの世に初めからあったんじゃない。

悲しいとか楽しいとかいうことは、それは
命というものがあってこそ生ずる問題じゃねえか。
これを私はじっと考えたんだ。

「闇の夜に鳴かぬカラスの声聞けば、生まれぬ先の父ぞ恋しき」
というあの歌をじっと考えているうちに、

「そうだ、おれは、自己の命の存在を自覚してから、病が苦しいの、
 やれこの世が情けねえの、あいつが意地が悪いの、こいつが腹が立つの。
 現象界にこの命というものが飛び出してくる前に、おれの知らない時代に、
 おれの命となるべきものがあったときには、生まれぬ先の父ぞ恋しき、
 ああ、何もそこに悲しいことも楽しいこともなかったんだ」。

パッと考えたときに、
「ははあ、だから、こいつは命こそ人生の焦点として考えるべき問題だぞ」、と
こう考えた、私は。

命のほかに何がある。だから、
「泣くとか笑うとかいうことだけで人生は議論すべきでない、考えるべきでない。
 悶(もだ)えるべきでもなきゃ、迷うべきでもない」、こう思った。

掴めたら掴みなさいよ。こういう言葉の中には、
ひしと胸打たれるものが響いてくるはずだ。
特に物質等というものは実在的なものじゃないじゃないか。
消えちまうものじゃないか。
物質というものは人間の感覚の踊り相手じゃないか。
それを相手にダンスをしているだけじゃねえか、
おれたちは。

さらに、宇宙といい、世界といっても、
何万何千の宇宙があって、世界があったって、それは命あってのことだ。
命がなかったら、何があったってないと同じじゃねえか。

そして、現在、この生きている命も、
多くの人が考えるような現象界にその肉体が
生きている間だけだと思うからいけないんだ。

この現象界にこの肉体が生きている間だけが自分の命だと思うから、
そこに悲観哲学が生まれてきて、命というもののはかなさも考えるんじゃねえか。
もっと大きく広くなぜおれは考えないんだ。

生まれぬ先の父ぞ恋しき、その時分から
自分はこの世に生きるべき約束の生命を持っていたんじゃないか。
死というものが現象界からこの 肉体の姿を消してしまうには
違いないけれど、しかし、死は、その人格の全部までを滅ぼしちゃいないじゃないか。

考えてみろ。自己人格の象徴である精神は、
事業や芸術や行いや言葉で永遠に残っている。
現に残っているじゃねえか。

偉い人間の人格の象徴である精神の残したものは現にあるじゃねえか。

また、考えようによりゃ、肉体も子から孫と繋がって無限に続く、
この峻厳(しゅんげん)なる宇宙のエネルギーの状態をもう少し
厳粛に考えてみなきゃだめじゃねえかとパッと気のついたとき、

在来、長い間、知らない間に私の心の中にいつの間にか入り込んできて
巣食っていた悲観哲学から受けた思想はフーッと消えて、
もう人生をセンチな考え方で考えるような考え方はなくなっちゃったよ。

それは、つまり、結局、今言った私の考え方から私自身の生命に得たヒントはこうなんだ。
「死なるものを超越するところに久遠(くおん)の生命がある」
と自分でフッと考えたから。

わかるかい。ここいらがわかってくれなきゃ何にもならないんだよ。

死なるものを超越するときに久遠の生命があるというこの信念がバーッと出ちまうと、
一番先にありがたいことは、心身統一のゴールデンキ―ともいうべき、消極的な、よろしいか、
肉体を本位とする悲観的な気持ちが何も心の中に湧かなくなっちゃったんだ。

命を相対的に考えないで絶対的に考えなさい。
絶対だと断固として信念することが一番必要なんだよ。

命こそ不変で永遠で不朽で不滅ですぞ。しかも、
宇宙そのものに通じ、宗教的には神そのものと同化し、
そして、その命が人間を活かし、動かし、泣かし、笑わせ、物言わしているのだ。
ありとあらゆる物事その一切が、よく考えてごらん、命あってこそ
見られもすれば、思われもすれば、考えられもする。

あなた方は、命というものを感覚だと思っているんだ。
とんでもないことだ。命だよ、命だよ。

どんなに感覚があったって、命がなきゃだめだ。
命が人間なんだぞ、哲学的に言やあ。
人間が命じゃないんだ。あべこべだ、物の考え方が。

命こそが人間であると同時に、人間をさらに超越し、
また命こそは人格であると同時に人格を超越しているんだ。

そして、その超越したところこそ、宇宙の根本主体の世界だ。

私はそう悟って、人間としての生き方は当然
はっきりと、現在あるがごとくに確定しちゃったわけだ。

どうか、あなた方も、どんな場合があっても、
どんな仕事をしている場合でも、自分だけが満足する世界を求めちゃいけない。

もちろん、諸君も、今まで諸君の人生生活に
対して考えてはおられたでありましょうけれども、
幾多の重畳(ちょうじょう)たる波乱の中を泳ぎ抜いて
今日まで生きてきた天風の人生の考え方をも、
参考にされることができたら参考にして、

将来の人生の正しい自覚を
今度は根深く植えつけることに、人の世のために努力してください。 

さあ、これがきょうの悟りの全体だ。
誦句を与える。

「値いある活き方への悟」

それ慮(おもんぱか)るに
吾等(われら)人間とは、宇宙進化を助成するため、
この現象世界に生れ出でし貴重なる存在なり。

まことや!! この理解を正しくもち、この消息(しょうそく)を正しく信じて 
人生を活き行くものには、蓋(けだ)しその生命は洵(まこと)に尽くることなく、
又点滅することなき永遠不断の実在を続くることを得ん。

吾は今 この尊い真理を悟り得た。

従つて如何(いか)なる場合 如何なる事にも、
私は私の人生の尊厳を断じて汚すまい また泥ぬるまい。

そして わが日々の生活を常に光明あらしめよう。

そも人生とは 人それ自身が作るものである。
されば自分はこの世に在る人の中でも、
ほんとうに善良で ほんとうに積極的で、
ほんとうに完成された人間になることに努力しよう。

そして自分が自分の人生生活の中で行う事柄は、
出来るだけ 自己を本位としない様、
常に大(おおい)なる勇気と 大なる決心とで努力しよう。

同時にいつも軽率でなくいつも慎重で、正しい事以外には心を振り向けまい。 

そうだ!! どんな場合にも自分の現在の生活を心から感謝して楽しむのだ。
否それを現実化するために、常に 自分の生活の中から、
「活きることへの情味(じょうみ)」を見出すことに努めよう。 

かくして見出されたる情味こそは、生活に疲れた命へのオアシスである。
と同時に 生活に悩む心への醍醐味(だいごみ)である。

私は須(すべか)らくこの言葉を愛し、この行いを讃美(さんび)する。

さすれば宇宙霊は このよろこびに勇む心と
この真理に活きる行為に、絶えずよりよき向上という
値い高きものを与え、限りなく恵み惜しみ給(たま)わざらん。

さらばひたすらに努(つと)めんかな行わんかなを厳そかにわが心に、
勇み躍りつ鞭(むち)うち命ずる。
   
 (以上、昭和37(1962)年真理瞑想補成行修会(現、秋期瞑想行修会)における
  中村天風講演テープより抜粋引用しました。)

・・・

【 7月29日 】 万物流転を自覚する

よしや不幸にして病に侵されてもだよ、また不運の渦巻きの中に落ち込んでもだ、
悠々自若として少しもその事柄から心を乱されず、さながら事なき日と同様に、
その事柄に応接していくという気持ちにならないと、
本当の安心立命というものは味わえないわけだねえ。

しからば、そうした大境涯に生きるのには、そも一体いかにすべきか。

一番最初の根本義とは、天理の自覚。
第一は、万物流転ということが天理の中に入っている。

万物流転とは、簡単にこれを言うとね、
一切の事柄は、その何ものたるとを問わず、
時の推移とともに常に変遷変化しているということが万物流転。
仏教のほうでは、無常迅速といいます、これをね。

そこなんだよ、忘れてはならない
大きな人生への重大なヒントは。

健康や運命の中に生じた事柄でも、いつまでも、よろしいか、
その状態でいくんじゃないんだよ。

だから、言い換えれば悪いことばかりが続くんでもなければ、
またさりとて、良いことばかりが続くんでもないんだよ。

波に高低があるがごとく、
時下に朝昼晩の変遷(へんせん)があるがごとく流転してるんだよ。

流れ、転じる。この事柄をしっかり自分の心とすることに心がけなきゃ。
これを忘れちまうもんだからいけねえんで、
何かにボカンと突き当たると、これ永久的な問題に思うから
それを悶(もだ)えちゃってからに、沈んじゃってからに、
悲しくなっちゃって怒っちゃってからに、それで迷っちまうんだ。ねえ。

よしや人生の非業悲劇に見舞われてもだよ、やがては晴れん秋の夜の月。
いい言葉だな、これ。昔の歌にあるんだ。

照り輝く月が雲に光りが見えなくなった。
嫌だな、今まで見えてた月が、と思う気持ちはだれでもある。

そのうちまた、雲が流れ去って、煌々(こうこう)たる月を見ると
「ああ、いい月だ」。

それは要するにやがては晴れん、秋の月だ。というような気持ち。
こういう気持ちで生きていくと、事、物から心が縛られないんだよ。

要するに心の中に、その悟(さとり)を妨(さまた)げる雑念、妄念が
しょっちゅうあるからだろうな。現在の不如意(ふにょい)。

現在の悲しみ、憂(うれ)い、それが何か永久的なもののように思い込んじゃ、ダメ。

 (以上、昭和38(1963)年、真理瞑想補成行修会、
 現・秋期瞑想行修会における「安心立命の根本義」録音テープより抜粋引用しました。)

・・・

【 7月30日 】 閃(ひら)めき

私は常にこういうことを考えている、
そうして自分自身出来る限り、自分の考えている方向に自分を導くべく努力している。

それは何かというに、出来る限り
「解脱(げだつ)の境地」に活きるということである、

この消息(しょうそく)は少しく注意して
世の人の心の赴く様子を見てみるとすぐ分かることだが、

おしなべて世の多くの人は、常に自己の周囲に存在する外物の何ものにか
自己の心をとらわれてはいやしないかと思われる、例えば名誉、地位、財産、
毀誉(きよ)、褒貶(ほうへん)、得失、利害等一切のこれらのものに
自分の心を執着させていやしないかと思われる節が多い…

否むしろ大部分がこうした事象に執着した生活をしていると断言してよいと
思うような活き方をしていると思う。

それは何を証拠にそうしたことを大胆にいうかといえば、じっと見てみると
たいていの人の生活法がややともすると解脱の境地から遠ざかって
感情を本位として行われているという傾向があるからである、

換言すると理性の閃(ひら)めきらしいものを
容易に発見することができない人が多いからである。

これはどういうことかといえば
その原因たるやけだし人の心が外物に執着するからで…心が外物に執着すれば、
心が外物のとおりに動揺する、

すると七情情念特に消極的感情情念がとめどなく頻発する、
これはひっきょう外物に束縛されるからで執着から解脱すれば全然束縛はない、

しかりしかして人もしかくのごとく、一旦束縛のない解脱の境地に入れば、
いかなる事象に対しても、「心意識の動揺するということがなくなり」、
したがって情念特に消極的感情念が発生しなくなる、

またそうなるといかなる大事に会しても
一切の事象を、恬然(てんぜん)としてさながら
対岸の景色を見るがごとき心境をもって見るようになる、
これがすなわち解脱の境地である。

しかりしこうしてしからばその尊い解脱修得の捷径(しょうけい)はといえば
ただ一途「無我になるよりほかにない」!!

要するに精神修養の必要はけだし人をしてこの境地を味わしめんがために
ほかならないのである。

だから、吾々(われわれ)は心に心して
この境地に到るべく修養し…否(いな)、現実に努力することを心がけて、そして
もっとおおきな自分を作りだすことにしたいものである。

大正13(1924)年10月6日
朝鮮半島からの帰途
東海道汽車中にて

天風

(以上、会報誌『志るべ』314号掲載、中村天風稿「閃めき」より引用しました。)


・・・

【 7月31日 】  大事なことは、今何をやったら自分の本当の人間として
           やらなければいけないことをやれるか。

秋期瞑想行修会というのは、皆さん
夏期修練会の続きと思っておられるかもしれませんが、全く違います。

では違いは何かといいますと、
夏の修練会では真理瞑想をただただお聴きになっていれば、
それがそのまま潜在意識に入って誦句(しょうく)の内容が
自覚となり得たわけですが、

秋期瞑想行修会は修練会で心に自覚させた真理を
更に深化させようというのがその目的なわけです。

さて、正しい活き方を自覚するには、
まず「活かすべきものとは何か」ということを自覚しなければなりません。

活かすべきもののカテゴリーに入るのは、
「大偈の辞」「人間本質自覚の誦句」「力の誦句」の3つです。
では、活かすべきもの、それは何でしょうか。

そうです、命の力です。
そしてこの命の力が無限で絶対に強い宇宙の創造主の生命と全く
同一無二のものであるということ、

しかもそれが生まれながらにしてそれこそ平等に、
我々一人ひとりの潜在意識の中に厳として存在しているということ。

これが第一に自覚すべきことです。

しかし、このように、いくら素晴らしい宝を持っていたとしても、
それを活用できなければ宝の持ち腐れですよね。

中村天風はよくいいましたね。
「命の力を活かせなければ、ただ食っちゃ、垂れちゃ、寝ちゃの生活だぞ」と。

「私は力だ。力の結晶だ」と言っても活かさなきゃ何も意味ない。それだと空念仏です。

すると次は、この素晴らしい命の力を活かすには何をすればよいのか。
言い換えれば、何をすれば活かすことができるかということになります。
もうこれはお気づきですね。

宇宙創造主と通じている命の力、この与えられた力を活かす方法は、
創造活動を行って進化と向上を現実のものとする。
これしか他に無いということです。

なぜなら、この創造活動を行おうとする意欲に常に心を燃やしていると、
宇宙創造主の叡智と確実に同化して、最も欲するところの命の力が
心に如実に現れてくるからです。

大事なことは創造活動、つまり、
世の中を新しくつくりかえるということを考えるということです。
かといって、何も大それたことをもくろむ必要はない。

とにかくご自身の周りの状況を観察することですよ。

それは例えば家庭の中、お勤めの場合なら会社のこと、あるいは町内のこと、
地域のこと、あるいはもっと大きくいえば国のことなのかもしれないですけれども、

その観察した状況を見て、今の自分の力量なら一体何ができるのかなと、
これをしかも客観的に考えることです。
主観が入ると感情が入りますからね。

そして、それを正直な心、正しい心ですよ、
それと親切心の二つをもって行えばそれでいいんですよ。

道にゴミが落ちていたとすれば拾う。
たかがゴミを拾ったぐらいと思われるかもしれませんが、
これだって町がクリーンになっているでしょう。
世の中のためになっているんですよ。

ちょいとゴミ増えたから、お隣の庭に入れとけ、ではないんですよ。

大事なことはいつも、今何をやったら自分の本当の人間として
やらなければいけないことをやれるかということです。

考えながら座っている、歩いている、生きているということですよ。

そうすると、今まで見過ごしていたことが分かってくるんですよ。

こういうことをやればいいんだなって。

(以上、2011年秋期瞑想行修会における
今川得之亮講師による「正しき活き方の自覚」の誦句ひもときより抜粋引用しました。

        <感謝合掌 令和3年7月28日 頓首再拝>

中村天風365話(8月1日~5日) - 伝統

2021/08/03 (Tue) 13:33:26


【 8月1日 】 人間の内に秘めたる力

「あなた方の自我の中に、宇宙霊、
つまり大自然の無限の属性が宿っているんだよ。

自分及び人の世のために、その尊いものを善用して、
この世に生まれた人たちの幸福を増進して、

そして、生きがいを意義づけるために、
こうした尊いものが与えられているんだ。

心の大きさ、広さを知るだけではいけない。
人間に何ゆえこのような偉大な大きさと広さが与えられているか。

これは人のため、世のために尽くす、そして、当然進化向上を目指す。

それをしっかり自覚しなければいけない。」

(以上、2014年夏期修練会東京会場における、
稲松信雄講師による誦句「大偈の辞」のひも解きより抜粋引用しました。)

・・・

【 8月2日 】 絶対的積極と相対的積極の違い

相対的積極の意味は、たとえば肉体でいうと、
外界からいろんな刺激がくる、
痛いとか暑いとか寒いとかいったような刺激をうける。

あるいは、怒ったり、悲しんだり、恐れたり、
あなた方がしょっちゅうやってるね、
いわゆるエモーション、消極的な感情です。

そういうものが心の中に起こる。
それに対して、これに負けまいとする気持ち、
これは相対的積極なんです。

これに対して絶対積極とは、
これに張り合おうとか、対抗しようとかする気持ちが全然ないんです。

(以上、『心に成功の炎を』第2章より 抜粋引用しました。)

・・・

【 8月3日 】 腹を立てている人に出会ったら・・

人間が、原因がどうあれ
腹を立てているときの心理状態は、決して正常な心理状態ではないのである。

腹を立てている状態は、
怒りという激情が突発的に爆発したときのことをいうので、

たとえ外から見て冷静であるかのように見えても、
事実においては、全く平静を失って、
異常な興奮状態に陥っているときなのである。

できる限り、誠心誠意、その怒りの激情を鎮静化させて
平常の平静心に立ち還るように、

その誘導に全力を尽くすことを
交人態度の心がけの第一とすべきであると言いたい。

(以上、しるべ2016年11月号「新天風箴言27」より抜粋引用しました。
※『真理のひびき』箴言27に該当します)

・・・

【 8月4日 】 真の幸福とは

「自分の思うとおりに、
 自分が幸福に感じられるような境遇や運命を
 向うから自分の方へ来てもらいたいと思ったって、
 そんな調子よくはいかない。

 自分で引き寄せなきゃ。
 自分の観念で、積極的な思い方、考え方で引き寄せろ」


(以上、2014年夏期修練会東京会場における、
池田忠一講師による誦句「坐右箴言」のひも解きより抜粋引用しました。)

・・・

【 8月5日 】 消極的になったときこそチャンス

私たちは健康や運命が思うようにならないときには、
どうしても心は消極的になりやすい。

しかし、このようなときこそ、心を研ぎ上げるチャンスであります。

病になったときや不運なことが発生したときほど、
心の態度をより一層積極的にするように、心に深く注意を促すことです。

私たちは「できない」「それは無理だよ」と、
自己の性格や能力に限界を付けないで、
そのような固定概念を打ち破る挑戦をすることです。

消極的な考え方、感じ方、振る舞い、行動等を打ち破る挑戦をすることです。

私たちには生まれた時からその力を与えられているのですから、
必ず固定観念を打ち破ることができます。

(以上、2017年秋期瞑想行修会における、
鷹野國雄講師による「幸福への誦句」のひも解きより抜粋引用しました。)

        <感謝合掌 令和3年8月3日 頓首再拝>

中村天風365話(8月6日~10日) - 伝統

2021/08/08 (Sun) 15:05:05


【 8月6日 】 感覚器官を正確に使用する習性をつける

(1)何事をおこなう際にもけっして
   「なに気なしにおこなわぬ」ことを心がける。
   これを有意注意力という。

(2)有意注意力が習性化されてくると、
   自然と注意が注がれる範囲が拡大されていって、
   一度に多数または多方面に
   自分の注意を困難なくふりむけられるようになってくる。

(以上、『心に成功の炎を』第6章より抜粋引用しました。)

・・・

【 8月7日 】 幸せは私たちの「思い方」次第

(1)思考は、幸せ、幸福を支配します。

(2)幸せは主観断定評価です。
   思い方一つで決まるものです。


(以上、2014年夏期修練会における、
服部嘉夫講師による「運命の誦句」のひも解きより抜粋引用しました。)

・・・

【 8月8日 】 消極的な感情が湧いたとき、それを打ち消す言葉の暗示

消極的な感情が湧いたときに、態度に出さないことも
やはり難しいという場合は、

人のいないところで
それを打ち消すような言葉を声に出して、自分自身に言い聞かせることも
一つの方法である。

例えば
「こんな気持ちに負けるものか!」とか
「このぐらいのことで心を乱すような感情の奴隷にはならないぞ」と、

自分の耳に聞こえる程度の声で呟(つぶや)くのである。


(以上、尾身幸次著『天風哲学実践記』
「自己陶冶の誦句」と病の克服の章より抜粋引用しました。)

・・・

【 8月9日 】 心の思い方、考え方が、今の自分をつくる

(1)今のあなた方は、あなた方の心の思い方、考え方が
   つくっちゃってんだよ。

(2)あなた方の心の中の思い方、考え方が、
   現在あるがごときあなた方をつくってるんだよ。

   一挙一動、どんな些細な行動でも、
   みんなそれが自分の心の中の思い方や考え方の表れですぜ。


(以上、しるべ2019年2月
中村天風講演録選集「信念と奇跡(下)」より抜粋引用しました)

・・・

【 8月10日 】 身体・健康の構築に必要な8つの実践

(1)血液、リンパ液を純潔清浄にし、循環を促進する。

(2)体内の老廃物の排泄を完全に行う。

(3)適度の睡眠をとる。

(4)適度の運動の実行。

(5)性欲の適度調節。

(6)薬剤を含む、石油精製品に注意する。

(7)皮膚の抵抗力の養成。

(8)心の持ち方を積極的にする。

(以上、南方哲也編著
『天風入門 中村天風の教えで幸福になる!』第6章より抜粋引用しました。)

        <感謝合掌 令和3年8月8日 頓首再拝>

中村天風365話(8月11日~15日) - 伝統

2021/08/13 (Fri) 14:17:06


【 8月11日 】 感覚器官を正確に使用する習性をつける

(1)諸事万事に応接するときに、
   「はっきりとした気持ちでやる」ということなんだ。

(2)何事に対しても、まずそのものの中から何かの興味を見いだすか、
   またはつくりだすかして、

   どんな興味のないものに対しても、
   必ず意識を明瞭にして応接する習性をつけるようにする。

(3)もっとわかりやすく言えば、何事をおこなう際にもけっして
   「なに気なしにおこなわぬ」ことを心がける。

   これを有意注意力という。

(以上、『心に成功の炎を』第6章より抜粋引用しました。)

・・・

【 8月12日 】 信念の重要性

(1)信念とは人生の一切を決定する根本要素、人生の羅針盤であります。
   中心基盤であります。

(2)信念のあるなしということはその人の成功実現への人生決定の根本です。

(以上、2016年秋期瞑想行修会における、
都甲泰弘講師による「信念と奇跡」のひもときより抜粋引用したものです)

・・・

【 8月13日 】 修練会を終えて

本当の修練はこれからなの。

ですから、どうか来る朝来る朝、今までの朝と違って修練会の朝と同じような、
日々に新たな自分の人生を建設する自分の行修が、
自分の人生に対する義務だと、こう心得られて、

そしてどんな場合があっても、

怯(ひる)まず、

怖れず、

脅(おびや)かされず、

健気(けなげ)な人生に生きていかなきゃいけない。

(以上、『真人生の創造』第4章より引用抜粋したものです)

・・・

【 8月14日 】 言葉の影響力

我々は、造物主によって
便利な言葉というものを人間だけに与えられているが、
その言葉が、積極的に表現された時と、消極的に表現された時には、
直接的に実在意識の受ける影響というのは非常に大きいのだ。


(以上、『成功の実現』第4章から抜粋引用したものです)

・・・

【 8月15日 】 明瞭な意識を保持するための習練に適した4つの事柄

観念の分裂を防止し、明瞭な意識を保持するための習練に適した、
人生生活の中の4つの事項は何かというと、

(1)、心の急ぐことをするとき

(2)、興味の薄い事をするとき

(3)、値打ちのない事をするとき

(4)、熟練した事をするとき

以上の4項目の場合は、
どれもややもすると観念の分裂をおこし易い事柄なので、
特にこのことを修練の対象とすると、
より一層その目的を達成することができるのである。

(以上、しるべ2015年5月号『真人生の探究』平成改定版より
引用抜粋したものです)

        <感謝合掌 令和3年8月13日 頓首再拝>

中村天風365話(8月16日~20日) - 伝統

2021/08/18 (Wed) 03:15:35


【 8月16日 】 人の名前や用件を忘れてしまった時の暗示法

精神科学者として名高いウッズ博士は、
人の姓名や地名または電話番号や用件などを忘れたようなとき、
決してそれを一気に思い出そうと焦らないで、

そういう場合彼は
「必ず必要な時にまで思い出す」という
観念暗示を強い信念で実在意識に与え、一時その事を考えることを中止する。

すると霊性心意は
心の倉庫である潜在意識の中を隅々まで捜索して、

これを見つけ出すや否や実在意識に報告するため、
全くその事を思ってもいない時に
不意に思い出すと言っている。

(『研心抄』第6章)

・・・

【 8月17日 】 物質心と植物心

(1)私たちの体や細胞や骨などの形を保っているのは
   物質心の働きによるものです。

   物質心はあらゆる物の根本中枢が現れたものです。

   もともと素粒子というものが、原子を形成し、
   原子が分子となって細胞を構成します。

   この素粒子の根本にあるものが、物質心であります。

(2)食べたものを消化したり、排泄したり、
   汗をかいたりするのは植物心の働きによります。

(以上、南方哲也編著『心を研ぎあげる』第2章より引用抜粋したものです。)

・・・

【 8月18日 】 本能心

本能心とは動物心とよばれるもので、
すべての動物に存在し、動物が生存を確保するために働いている心です。

すべての動物に共通する基本的な原始欲望は食欲、睡眠欲、性欲の3つです。

(以上、南方哲也編著『心を研ぎあげる』より引用抜粋したものです。)

・・・

【 8月19日 】 理性心

理性心て心は人間だけっかない、特別な心。
人間以外の他の動物には絶対にないと言っていい。

この理性心という心の作用の特徴は、
人事世事一切の人間生活に関係する事柄に対して、
推理と考察を行うという働きを持っている。

(以上、『心を磨く』より引用抜粋したものです。)

・・・

【 8月20日 】 霊性心

この心は人間の心の中で最も高級なもの。
厳密に言うと、
この心あればこそ、我々人間が万物の霊長といわれるのであります。

詳しく言うと、別に学問しなくても経験しなくても、
学問した人よりも経験のある人よりも、尊い思い方や考え方のできる、
いわゆる霊感だとか霊智の作用だとか、霊能力というような特殊な心理現象、
すべてこの霊性心から発動するんだ。

        <感謝合掌 令和3年8月17日 頓首再拝>

中村天風365話(8月21日~25日) - 伝統

2021/08/23 (Mon) 13:33:34


【 8月21日 】 本能心を制御する「意志の力」

(1)必要なために置いてある本能心だけれど、必要以上に働かせちゃいけない。

(2)理性心というものには心を統御する力というものは少しもない。

   理性心の持つ力はいい悪いだけなんだ。

   したがって、本能心を統御し支配し得る絶対的な力は全然ない。

(3)真我(ほんとうの我)についている力ある「意志」というものを
   呼び出さなきゃいけないんです。

(以上、『真人生の創造』第3章より引用抜粋したものです)

・・・

【 8月22日 】 真の同情ある言動とは

(1)真の同情ある言動とは、
   必ずその人に善導的結果を与えるものでなければならない。

(2)善導的良結果を与える言動とは、その心を力強く元気づけて、
   まずストレス状態から救い出してやることである。

   それには、何をおいても、
   消沈した意気=落ちている元気を引きたてるための
   鼓舞(こぶ)と奨励(しょうれい)とを
   現実にするような言動を必要とする。

(3)但(ただ)しその場合、くれぐれも注意しなければならないことは、
   常に深切(しんせつ)に、すなわち深い思いやりで接する心を
   基本とすることである。


(以上、しるべ2018年11月号「箴言注釈21 現代語表記版」より
 引用抜粋したものです)

・・・

【 8月23日 】 天風の人生観

「人生というものは、忍苦(にんく)の、あるいは忍耐(にんたい)の
 というような難しいことを主張するよりは、

 現在の自分の生きてる命に喜びをできるだけ多く味わわせる、
 そこに真の生きがいがある。」

(以上、『盛大な人生』第4章より 引用抜粋したものです)

・・・

【 8月24日 】 生活の中の情味を見つけて味わう

例えば、貧しい、その日暮らしの、
山の中のお百姓である場合を考えてみよう。

このお百姓が、この冷たい一椀の汁、まずい一杯の麦飯でも、

皆それが自分の尊い労役の花であり、
心身を疲れさせてした努力の実りであると
不平を感謝に振りかえて、不満を感激に置きかえて食べたならば、
どうなる。

まずい身の乏しい冷たい汁の中にも、まことにまことに、
推しはかられない高貴な価値と感激とが生じてきやしないかい。

そうして、当然、
そこに一種の微妙な生活情味というものが
スイートな状態で湧き上がってくるんだ。

(以上、しるべ2014年1月号「値ある活き方への悟(後)」より
 引用抜粋したものです)

・・・

【 8月25日 】 心身統一法=日常生命道

心身統一法=日常生命道というように、極限すれば寸刻分秒の間といえども、
全ての方法(心の活かし方または使い方、
及び肉体の活かし方、使い方等々)を真剣に実行することに専念努力しなさい。

そうすれば、僅(わず)かの月日の間に
自分でも驚くほどの価値高い変化を、
精神にも肉体にも必らず見出すことができるから。

(以下、しるべ2017年12月号
「箴言註釈10 現代語表記版」より引用抜粋したものです)

        <感謝合掌 令和3年8月23日 頓首再拝>

中村天風365話(8月26日~31日) - 伝統

2021/08/29 (Sun) 03:42:16

【 8月26日 】 人間を支える6つの力

(1)体力
(2)胆力
(3)判断力

(4)断行力
(5)精力
(6)能力
   http://asia-hacks.com/?p=495

            ・・・

   (『幸福なる人生』第1章より 引用抜粋)

人この世に生まれたのは、
進化向上という偉大な宇宙の本来の面目に即応するためだ。

そのためには、必要な資格をつくらなきゃだめなの。
ただなりたい、ありたいと思っても、なれません、できません。

道は法をもって達するを得る。

どういう資格条件が必要かというと、6つの力の内容量を豊富にしなければ、
断然病になりたくない、煩悶に苦しみたくない、
貧乏でありたくないと思っていてもだめです。

病、煩悶、貧乏は、
6つの力のどれかしらの内容量が不足している結果生じた事実なんだ。

・・・

【 8月27日 】 残心

残心というのは、
事前事後いかなる場合にも
隙を作らないように心に備えを持てということなので、

言い換えると、
古い諺(ことわざ)の訓(おし)える
「終りを慎むこと始めの如くあれ」と
いうのと同様のことなのである。

(しるべ2015年9月号「箴言註釈現代語表記版」より 引用抜粋)

・・・

【 8月28日 】 心が「分裂」するとは?

(1)分裂とは、自分で観念を他に移してしまう状態です。

(2)これでは、せっかく心に100の力があっても、
   使う時には50か30程度の力に分かれてしまいます。

(『天風入門』第5章より 引用抜粋)

・・・

【 8月29日 】 有意注意の習性化

(1)万事すべてを真剣な気持ちで行うのである。

(2)毎日実生活を送る際、ある時間と仕事とを特定して、
   「気を込めて物事を行う練習」をする事である。

   たとえば手紙を書く間とか、または読書する間とかいう時、
   その時間内だけは絶対的に真剣になって
   行うというようにするのである。

(しるべ2017年7月号『研心抄』現代語表記版より引用抜粋)

・・・

【 8月30日 】 情熱の炎が焔々(えんえん)と燃えあがる

(1)自分の言葉や行いは常に本心良心そのままという気持ちを
   心がけの第一とされたいのであります。

(2)本心良心に悖りさえしなかったら、
   自分の仕事に対して情熱の炎が焔々と燃えるであろうし、
   そして常にその気持ちにむらというものがないことになります。

(『成功の実現』第2章より 引用抜粋)   

・・・

【 8月31日 】 何かがあるのが人生

(1)人間は浮き沈み、波の高低のあるところに活きています。

(2)病でも運命でも、心を絶対に消極的にしないことです。

   良くない人生、悪い人生の時こそ、
   それを乗り越える積極的な心になるように努力をすることです。

(3)人間は健康でも運命でも、
   心がそれを断然乗り越えて行くところに、生命の価値があります。

(2018年夏期修練会における
 鷹野國雄講師による「統一箴言」の 紐ときより引用抜粋)

        <感謝合掌 令和3年8月28日 頓首再拝>

中村天風365話(9月1日~10日) - 伝統

2021/09/03 (Fri) 13:48:02

【 9月1日 】 ありがとう探し

向こうからやってくる「ありがとう」ではなく、
探し続ける「ありがとう」です。

私はこれを「ありがとう探し」とよんでいます。

(2018年夏期修練会での 村里泰由講師による
 「坐右箴言」の紐ときより引用抜粋)

・・・

【 9月2日 】 天風哲学の「神」「仏」

神や仏というものは宇宙真理の代名詞なんだから、
これは崇(あが)め尊ぶべきものだ。

(『成功の実現』第6章より)

・・・

【 9月3日 】 完全に出来上がった姿を 絶え間なく心に描く

心のスクリーンに想像というありがたい力を応用して描けば、
それは期せずして強固な信念となって、その信念がいつかは具体化する。

これが宇宙に存在する、
牢固(ろうこ)として動かすべからざる断然真理なんであります。

(『盛大な人生』第2章より)

・・・

【 9月4日 】 どんなことがあってもニコニコ笑って過ごす

(1)せめて生きている間だけは、
   どんなことがあっても、ニコニコ笑って行こうではないか。

(2)つらいことがあっても、
   「ああ嬉しい!こうして生きていられる!」
   と思ったら、ニコニコ暮らしていけるじゃないか。

(『運命を拓く』第6章より)

・・・

【 9月5日 】 インスピレーションをビジネスに活かす

インスピレーションに従って仕事を積み重ねていくうちに、
大きな問題や課題についても、
いつかは抜本的な解決を得ることができるのである。

(尾身幸次著『成功への実践』第4章より)

・・・

【 9月6日 】 六つの力を自己批判せよ

「我に頑健鉄のごとき体力ありや否や?」

「剛健、容易にものに動じない胆力があるかしら?」

「判断力は入念か?」

「断行力は颯爽(さっそう)としているか?」

「精力は絶倫か?」

「能力は優秀か?」と。


(『真人生の創造』第1章)

・・・

【 9月7日 】 誓いの言葉

誓詞

今日一日
怒らず 怖れず 悲しまず、
正直 深切 愉快に、
力と 勇気と 信念とをもつて

自己の人生に対する責務を果たし、
恒に平和と愛とを失わざる
立派な人間として活きることを、
自分自身の厳そかな誓とする。

(天風誦句集(黒)より)

・・・

【 9月8日 】 生活の面ばかりを重視してしまいがちな傾向

真人としての正しい完全な人生に生きるためには、
人生というものの奥に存在する厳粛な事実を忘れてはならない。

それは生命の存在を確保するということである。

(『真理のひびき』箴言24)

・・・

【 9月9日 】 豊かな実生活は理性の咲かせた花

今日吾々が吾々の実生活の上に多大な恩恵を受けている知的事業や
価値ある発明や貴重な発見または創意は、

何れもほとんどこの心性意識の発達と共に向上し進歩した、
いわゆる理性の咲かした花であり、またその実りでもある。

従って我々は無論この理性なるものの力と働きとに対し、
心より感謝と賛辞とを捧げなければならない。

(『研心抄』第5章)

・・・

【 9月10日 】 感謝と喜びの心で活きるためには?

観念要素の更改と積極観念の養成をやりさえすれば、
潜在意識の中のリクリエーション(再創造)が完全にできて、

その結果が心の知覚作用を完全にする感応性能が順調に矯正されるので、

自然と何事をも感謝し、何事をも喜ぶというような気高い階級の高い心が、
あえて非常な努力をしなくても心の中からでるようにできている。

        <感謝合掌 令和3年9月3日 頓首再拝>

中村天風365話(9月11日~20日) - 伝統

2021/09/16 (Thu) 15:28:53


【 9月11日 】 欲望を炎と燃やせ

大いに欲望の炎を燃やせ。

欲を炎と燃やすといっても、
何でもかまわず炎と燃やしちゃいけないんだよ。

欲望にはね、苦しい欲望と、楽しい欲望と、二つあるんだよ。

(『盛大な人生』第1章より引用抜粋したものです。)

・・・

【 9月12日 】 クンバハカ(神経反射の調節法)とは?

感覚なり感情なりの衝動、ショックを受けたら、
急いで体の3か所を特別なもち方をするんです。

体の3か所とはどこだというと、肛門とおなかと肩です。

何かにつけて感情、感覚の刺激衝動を心に感じたら、
すぐに肛門を締めちまう。

(『成功の実現』第5章より 引用抜粋)

・・・

【 9月13日 】 笑いの練習

机の上に鏡を置こう。
勉強や読書の合間に、鏡に映る自分の顔にほほ笑みかけてみよう。
何回も試みてみよう。

女性は、鏡に向かい化粧をする。
化粧がすんだら、仕上げのつもりでニッコリ笑ってみるとよい。

(杉山彦一著『いのちを活きる』 第7章から引用抜粋)

・・・

【 9月14日 】 自分のアラや欠点を反省する

他人のアラや欠点を
詮索(せんさく)することを止めて、
自分のアラや欠点を厳しく反省することである。

(しるべ2017年11月引用抜粋)

・・・

【 9月15日 】 生活の中の情味を味わうのは「心」の持ち方次第

生活の中の情味を味わうということは、
心の問題であって、物質の問題ではないのである。

人生の一切を感謝に振り替え、感激に置き換えて活きられるならば、
はっきりとそこにあるものは、本当に高貴な価値の尊い人生では
ないでしょうか!!

(しるべ2018年3月より引用抜粋)

・・・

【 9月16日 】 「正義の実行」とは?

天風先生は、

「正義とは、自分自身の本心良心に悖(もと)らないことを標準とする」

とされている。

自分の本心良心に悖らない生き方をすれば、
誰がなんと言っても堂々と生きていける。

(尾身幸次著『成功への実践』から 引用抜粋)

・・・

【 9月17日 】 「心」を使う

健康や運命が思うようにいかないときほど、
「心」の態度をより一層積極的にすることが
最も大切な忘れてはならないことなので、

そうすれば、
いわゆる生命の内在力(潜勢力ともいう)が
期せずして湧き出でるように発現して来て、
健康も運命も、自然と好転してくるというのが、
尊く犯しがたい宇宙真理である。

(しるべ2014年8月号より引用抜粋)

・・・

【 9月18日 】 自分の好きなものを食べる

人間は自分の肉体に欠乏する成分を含む食事を好み、
自分がすでに十分保有する成分は好まない生き物です。


自分の好きなものを食べると、
神経作用が直ちに消化機能の作用を促し、
その食事を十分に消化吸収することができます。

(南方哲也著『天風入門』より引用抜粋)

・・・

【 9月19日 】 「力」の無駄使い

「いのちの力の使い方」なるものは、不即不離、有無相通であってこそ理想だ。

即ち「力」の無駄使いということが、
およそ人生に価値のないことであるからである。

(『哲人哲語』から 引用抜粋)

・・・

【 9月20日 】 私心なき言動

「人間がこの世に生きるのに肝心なことは、
 みだりに功名や、富貴の欲望に心を捉(とら)われないことである。

 そうすれば、健康も、長寿も、さらに幸運をも、
 自然と求めなくても恵まれる真人となり得る」


宇宙真理というものは、
断固として絶対の実在である。

絶対のものは、いかに時勢が変遷し、どんなに世相が移り変わっても、
決して変わらないものである。

(しるべ2015年2月号より引用抜粋)

        <感謝合掌 令和3年9月16日 頓首再拝>

中村天風365話(9月21日~30日) - 伝統

2021/09/22 (Wed) 14:55:25


【 9月21日 】 人に好かれる人になる

人というものは、知識や経験や能力等がいくら優れていても、
人に好かれる要素に欠けていたのでは、

人と人との間にあって生存し生活する、
いわゆる人間としての存在資格を確保することは到底難しい。

(しるべ2016年7月号より抜粋引用)

・・・

【 9月22日 】 生きているのは、神経系統の生活機能のおかげ

心の状態が積極的でないと、その結果はどうなるかというと、

どんなに学問しようが、どんなに名誉や地位を高めようが、また金が出来ようが、
健康も運命も完全にはならないのであります。

(『成功の実現』第3章より抜粋引用)

・・・

【 9月23日 】 人間は生まれながら「力」を持っている

人間は生まれながら潜在的に力を持っていることを、
「私は力だ、力の結晶だ!!」
と自己認証せよと、「力の誦句」で述べています。


(服部嘉夫講師による「思考作用の誦句」のひも解きより抜粋引用)

・・・

【 9月24日 】 消極的な感情にこだわらない

心を積極的にすることを心がけて、自分の心を汚さないようにするには、
気がついたらすぐそれを拭いてしまえばいいじゃないか。

(『運命を拓く』第6章より抜粋引用)

・・・

【 9月25日 】 幸福や好運というものは、自分がよび寄せなければ来やしない

すべての幸福や好運は、自分がよび寄せなければ来やしないんです。

自分がよび寄せるというのは、
自分の心が積極的にならないかぎりは、よび寄せられないんです。

(『運命を拓く』第6章より抜粋引用)

・・・

【 9月26日 】 人間の生命の本来の面目は 進化向上に順応すること

人間の生命の本来の面目は、
進化向上に順応するため、そして進化向上を現実化するためなんだが、
これがまた普段、多くの人が気づいていない。

(中村天風講演録より抜粋引用)

・・・

【 9月27日 】 嘘でもいいからやってみる

思いやり、情け深い気持ちで、
他人が喜びを感じるようなことを言ったり行ったり、
嘘でもいいからしてごらんよ。

そうすると、
人の喜びをわが心が喜ぶというような尊い心が、
まもなくひとりでに、スムースにできてくるんです。

(『盛大な人生』第1章より抜粋引用)

・・・

【 9月28日 】 本当の幸福は自分でつくるもの

自分の現在の生活に自分の心がまず満足しなきゃいけないんだよ。

それが生命を高くし、程度を上にした考え方なんだよ。

つまり、自分の生きがいを感じる状態を
もっと気高いところにおかなきゃいけないんだよ。

(『盛大な人生』第3章より抜粋引用)

・・・

【 9月29日 】 不要残留本能意識という、現代人には不要な意識がある

価値のない欲念や情念が、そういうものが人によって一様ではないけれども、
かなりたくさん、お互いの潜在意識の中に残留しているのであります。

この残留心を、学問的な言葉にすると、不要残留本能心意識と、こう言うんだ。

かりそめにも、心に対する正しい理解を持って、人生に生きようと思うものは、
このことに深く注意する以上の自覚を、正しく知って、
この不要残留本能心意識というものを、正しく整理しなきゃいけない。

(『盛大な人生』第3章より抜粋引用)

・・・

【 9月30日 】 長さ・強さ・広さ・深さとは?

1.長さ

どんなにすぐれた才能の持主でも、
短命にあっては本当に仕合せな人生を
作り出すことはできない。


2.強さ

心もからだも強健でなくては、
幸福な人生の現実なぞ望むべくもないことは明瞭である。


3.広さ

社会的にも有用な、幅広い影響力をもった活き方にこそ、
大きな仕合せと価値が含まれている。


4.深さ

人生は味わえば味わうほど、深い内容と価値をもっている。

広さと深さとを兼ね合わせてこそ、その人の人生の豊かさが生まれる。

(安武貞雄著『健康と幸福への道』 第1章より抜粋引用)

        <感謝合掌 令和3年9月22日 頓首再拝>

中村天風365話(10月1日~10日) - 伝統

2021/10/05 (Tue) 15:24:12


【 10月1日 】 幸福というものは

幸福というものは、
決して、現在の自分の環境が変わったとか、
あるいは富の程度が変わったからということで感じるものではない。

なぜかというと、
幸福というものは客観断定にあらずして、主観の断定にあるからです。

はたからどんなに幸福そうに見えても
それは幸福とは言えないんですよ。

本人がしみじみ、ああ、私は仕合せだと思えないかぎりは、
本当の幸福を味わうことは出来ない。

(『天風先生座談』から引用抜粋)

・・・

【 10月2日 】 不愉快な気持ち・不機嫌な気分が及ぼす影響

不愉快な気持ち、
不機嫌な気分というものが、
即座に自分の気持ちの明るさ、朗らかさを
スポイルしてしまうじゃないか。

(中村天風講演録から 引用抜粋)

・・・

【 10月3日 】 病を早く回復される秘訣

体はもちろん何の病でも安静にして、
精神状態をその病に屈服させないように、積極的に保つことである。

そうすれば、当然自然良能作用が、
その本来の状態のままに活動してくれるので、
病は案外早く治癒に向かうものなのである。

(「真人生の探究」現代語表記版 第4章より引用抜粋)

・・・

【 10月4日 】 想像作用を善用する

俺はこの世の中でいちばん気高い人間だ、
俺はいちばんこの世の中で心のきれいな人間だ、

私はいちばんこの世の中で純真なんだ、
私はいちばん善人なんだ、
こう思いなさいよ。

嘘でもいいから思え。
それをしょっちゅう思い続けていくんだ。

そうすると、
善人が悪いことはできないはずだ。
純真な人間は不純潔なことはできないはずだろう。

(『盛大な人生』第3章から引用抜粋)

・・・

【 10月5日 】 真・善・美とは何か?

「真」とは、いつわりのない「まこと」。

「善」とは、
「偏頗(へんぱ)なき愛をもって、ものに接する行為と言葉」である。


「美」とは何かというと「調和」ということである。
「調和」なきところに「美」はない。

(『運命を拓く』第9章から引用抜粋)

・・・

【 10月6日 】 安定打坐法(あんじょうだざほう)で心の疲れをとる

心にこびりついた消極観念を取り払って、神経系統の機能を積極化し、
潜勢力を煥発させて自分をコントロールする方法が
安定打坐法なのである。

(尾身幸次著『成功への実践』第4章から引用抜粋)

・・・

【 10月7日 】 自己の本体とは?

心や肉体というものは、
人がこの世に生きるのに必要な
いろいろの方便を行うための道具なのである。

我々の生命は自分自身や肉体の存在を意識的に自覚すると否とに関係なく、
既にその以前から立派に存在していた。

すなわち、我々が、各自の心や肉体の存在を自覚しなかった
以前から我々の生命を確保していたものこそ、
我々の真我=自己の本体で、それが、とりもなおさず真正の自己なのである。

(『研心抄』から引用抜粋)

・・・

【 10月8日 】 水から活力を取り入れる

水の中には強烈なエネルギーを有する活力がある。

水を口中に入れたら、グイっと一息に嚥下(えんか)せず、
玉露のごとき銘茶を喫する時のように、
ちょっと口の中でその味を味わう気持ちで
ゆっくりとのどにいれるのである。

すると舌および口腔内の各神経が
まず第一に水の中の活力を吸収する。

この方法は疲労を感じたような場合
一層有効であることは実行してみるとすぐ分かる。

(『錬身抄』第9章から引用抜粋)

・・・

【 10月9日 】 「まごころの行動」と「報酬を目的とする行動」の違い

「まごころ」で行われる行為には
絶対の「強さ」というものがあるということである。

「何事をなすにも報償を超越してなすべし」

(『叡智のひびき』箴言2から引用抜粋)

・・・

【 10月10日 】 人間はいつでも元気でいられる

健康や運命に関係なく、いつも元気でいられるのが人間である。

いつも、「清く、尊く、強く、正しく」という
積極的態度で終始しなければならない。

そうすれば、自分でも不思議なほど、元気というものが湧き出してくる。

(『『運命を拓く』第1章から引用抜粋)

        <感謝合掌 令和3年10月5日 頓首再拝>

中村天風365話(10月11日~20日) - 伝統

2021/10/12 (Tue) 15:17:12


【 10月11日 】 新鮮な空気に親しむ

短時間でもよいから、屋外へ出て、
新鮮な空気に親しむよう心がけることである。

(『錬身抄』第3章から引用抜粋)

・・・

【 10月12日 】 天風先生と弟子の記憶力

先生は、
「お前たちは、物を見るのに気を入れて見ていない。

 私はそうじゃない。
 物を見る場合にはほんとうに見る。
 そしてそのまま、こちらの頭の中にしまっておく。

 後で描く場合には、
 それを頭の中から出して描けばいいのだ」
と言われた。

(尾身幸次著『成功への実践』第6章から引用抜粋)

・・・

【 10月13日 】 潜在意識の作用

まったくその事柄と心との関係が中断されているとき、
ふと考えるともなくよい名案や正しい判断などが
心に浮かんでくるということは、誰もが実際に経験のあることと信じる。

そしてこの現象はもっぱら潜在意識の作用に原因するものなのである。

(『研心抄』現代語表記版 第5章から引用抜粋)

・・・

【 10月14日 】 気の力が肉体を活かしている

可能なかぎり、消極的な気持ちで肉体を考えないように
することが何よりも大切である。

特に病のときは病を忘れる努力をすべきである。

(『運命を拓く』第1章から引用抜粋)

・・・

【 10月15日 】 心の思い方・考え方が自分の運命を作る

『人間の心の中に思い描くことは、人間を殺しもするが、救いもする』

つまり、心の思い方、考え方が、
宇宙エネルギーを自分の生命の中に
作用せしめる結果に自分の運命を作ってしまう。

(中村天風講演録から引用抜粋)

・・・

【 10月16日 】 心の鏡の汚れをきれいに拭い去ること

「心鏡払拭(しんきょうふっしき)」ということは、

心を磨き上げた鏡のように、
汚れや曇りなき純粋無雑の無心の状態にするということである。

(志るべに掲載された新箴言註釈3)

・・・

【 10月17日 】 心は魔力のような力をもつ

心は、人間の地獄をつくり、極楽をつくる。
心は、我々に悲劇と喜劇を感じさせる秘密の玉手箱だ。

(『成功の実現』と『盛大な人生』から引用抜粋)

・・・

【 10月18日 】 意識しない病には常にかかっている

われわれは意識しない病には
常にかかっているといってよいのである。

生命の活きている刹那刹那に存在する現実の事態を考えるとき、
健全な生命というのは、強大な抵抗力を有するものを
呼称するといわねばならない。

(『錬身抄』第11章から引用抜粋)

・・・

【 10月19日 】 自己完成の道はくじけることなく真剣に続けること

自己完成への意欲を燃え上がらすことに、一念発起するよう努力すべき。

(『志るべに掲載された「箴言註釈5」から引用抜粋)

・・・

【 10月20日 】 相手を勇気づける努力

相手の心を積極化するためには、その人々の心に、
その病や運命を克服するような勇気をつけてやることである。

病や運命を克服するような勇気を心につけてやる最良の手段は、

「何をおいても自己の言行を、どんな場合にも
 相手の心を鼓舞し奨励するように心がけねばならない」

ということである。

(志るべに掲載された「箴言註釈11」から引用抜粋)

        <感謝合掌 令和3年10月12日 頓首再拝>

中村天風365話(10月21日~31日) - 伝統

2021/10/22 (Fri) 13:28:17


【 10月21日 】 心が慌てると・・

慌てるというのは、またの名を
周章狼狽(しゅうしょうろうばい)というが、
そういう心になると、時には笑えない滑稽ともいうべき
ミステークさえ行うのである。


まさに沈着なる心こそ、明澄な意識を現実化し、
明澄なる意識こそは、その行動の是非善悪をきっぱりと判断して、
緩急自在にこれを統御するものである。

(志るべに掲載された「箴言註釈21」から引用抜粋)

・・・

【 10月22日 】 自分の本当の正体を知る

「我とは何か」ということが、正しく理解されたとき、
初めてその正しい理解が、ゆるぎない人生観を確立し、

その確立された人生観が、一切を自ら導く力となって、
自己を完全に統御することができるようになるのである。

(『研心抄』第1章から引用抜粋)

・・・

【 10月23日 】 急ぐ時にはまず心を調える

急ぐと心が荒れる。
慌ただしいという字になる。
慌ただしい中で平常心を亡(うしな)うと、
忙しいという字になり、忘れるという字にもなる。


緊急の時には、心を冷静に堅持して、動作を敏速にすればよいのである。
急ぐ時、心をせかしてはならないのである。

(杉山彦一著『いのちを活きる』第9章より引用抜粋)

・・・

【 10月24日 】 消極的なものに同化させない

充分自分の心が積極的な態度にできていれば、
これはいささかも心配なしですけれども、

そうでないと、知らず知らずに消極的な他人の言葉や行いに、
同化するつもりがなくても同化させられてしまうのであります。

(中村天風講演録CD「積極性と人生」より引用抜粋)

・・・

【 10月25日 】 本当のリアリスト

縁あって人間世界に生まれてきた以上は、できるだけ強く長く、そして広く深く、
健康も運命も完全に生きなければ二度と出てこれない世界だ。

そして、人生という現実の世界に生きる自分を、
本当のリアリストとして生かさなければだめです。

(『成功の実現』第1章より引用抜粋)

・・・

【 10月26日 】 潜勢力を発揮するために必要な自己認証

人間はその一生を通じて、健康はもちろん、運命もまた順調で、
天寿を全うするまで幸福に生きられるように
本来は作られているものである。

潜勢力の存在というものを信念して、
人間が人間らしい本来の面目を発揮して生きれば、
病を克服し、運命を切り拓いていくことができるのである。

(尾身幸次著『天風哲学実践記』より引用抜粋)

・・・

【 10月27日 】 人生はどこまでも現実のもの

現実というものは、どうしても現実の力でのみ解決しうるので、
現実以外の力では解決できないのであります。

宇宙真理の正しい理解を自分の心にしっかり受け入れて、
その受け入れた真理でこの人生というものを
固めていかなきゃ駄目なんであります。

(『盛大な人生』第3章より引用抜粋)

・・・

【 10月28日 】 すべての完成への鍵は「調和」

政治であれ、事業であれ、さらには人事世事一切合切について
調和がすべての完成への源をなすので、

どんな思想でも、主義でも、また計画でも、設計でも、
調和を無視し忘れ去った考え方では、
到底その完成は現実化されないのが当然の真理なのである。

( 新箴言註釈17より引用抜粋)

・・・

【 10月29日 】 安心に生きる秘訣は、 自分の「正体」を知ること

肉体は我が命の生きるための道具と考えるようにしてごらん。

頭が痛かろうが、けつが痛かろうが、脈が速かろうが、
それは自分がそうなっているんじゃない、と。

自分の命を入れる入れ物に故障ができたんだけど、
この故障は、自然に心がそれから離れさえすれば
治るようにできてるんだってことを、ありがたく感謝しなきゃだめだぜ。

(『心に成功の炎を』第3章より引用抜粋)

・・・

【 10月30日 】 真我本位で生きると恐怖が消える

およそ恐怖という観念ぐらい人生を毒するものはない。

人間の心に生じる恐怖観念というものは、
その多くは肉体を本位に考えるために発生するものなのである。

ところが真我を本位として考えるとき、
それが何ものにも犯されない絶対的なものであるだけに、
いささかの恐怖感も感じないことになる。

( 『研心抄』第1章より引用抜粋)

・・・

【 10月31日 】 理想とするところへ到達しなくても、
           絶えずその理想へ意志する

東京へ行こうと思って、東京へ出発したときは、
いつか東京へ着くに決まってるんだから、
もう東京へ着いたときと同じ気持ちをもってりゃいい。

理想とするところへ到達しなくても、
絶えずその理想へ意志するということが、
その人生を尊く生かすことになるんだ。

( 『盛大な人生』第3章より引用抜粋)

        <感謝合掌 令和3年10月22日 頓首再拝>

中村天風365話(11月1日~10日) - 伝統

2021/11/04 (Thu) 13:20:53


【 11月1日 】 価値高い人生を活きる

人間には、
人間がひとたび
自分自身の本質の尊さというものを正しく自覚すると、

「心」が自然と
自己自身を気高い人生に活きるようにリードするという法則性がある。

だからそうなると、
その人は必然的に、どんなにわずかな時間であろうと、
いつも価値ある人生を生きられることになる。

( 『真理のひびき』箴言2より引用抜粋)

・・・

【 11月2日 】 言葉には人生を左右する力がある

言葉には人生を左右する力があるからである。

この自覚こそ、人生を勝利に導く最良の武器である。

常に言葉に慎重な注意を払い、
いかなるときにも、積極的以外の言葉を使わぬように
心がけることである。

( 『運命を拓く』第4章より引用抜粋)

・・・

【 11月3日 】 自分を日々プロモートさせる

いかなる場合があろうとも
自己を正しく向上せしめることが価値の高い目標なんだ。

自分を日々にプロモートさせることを
しょっちゅう考えなければいけないんだよ。

( 中村天風講演録より引用抜粋)

・・・

【 11月4日 】 チャンスを巧みにとらえる

古訓に、「チャンス」を逃す者は愚人である、というのがある。

また「真によく成功する者は、
常にチャンスを巧みにとらえる人である」というのがある。


運命であれ、健康であれ、それをより良い状態にするには、
その「チャンス」を絶対に逃さぬことである。

( 『哲人哲語』より引用抜粋)

・・・

【 11月5日 】 「できるかできないか」ではなく、
           続けると自然にできるようになる

できるできないは二の次ですよ。
やっているうちには、自然とできるようになるんだもの。

だから、なんでもいいから、
一つの過失を感じたら、その過失を再びしないような心がけで、

朝起きてから寝るまで、
もっと広い意味において、三寸息絶え万事休するその日まで、
病があろうとなかろうと、運がよかろうと悪かろうと、続けることです。


( 志るべに掲載された「日々行修なり」より引用抜粋)

・・・

【 11月6日 】 安定打坐(あんじょうだざ)中に湧き上がる雑念妄念

安定打坐をすると、さまざまな想念が心の中を勝手に動き廻る。
仕事のこと、彼女のこと、勉強のこと、遊びのこと、
次から次へと想念は浮かび出てきりがない。

雑念や妄念を押し込もうとすると、かえって妄想念のとりこになる。

妄想念が発生したら、
ムキにならず、そのまま放置しておくことである。

( 杉山彦一著『いのちを活きる』より引用抜粋)

・・・

【 11月7日 】 「いのち」は神秘そのもの

生命の存在という真実のありさまを静かに見つめれば、
活きているという生命の姿の中に神秘のさまざまが感じ取られ、
自然と心からそれを尊敬する気持ちになれるはずである。

(『叡智のひびき』箴言6より引用抜粋)

・・・

【 11月8日 】 「本心良心」と「理性」による言行

本心良心による言行とは、
何の後ろめたさ、つまり少しの気とがめをも
心が感じないことを言い、行うことである。

優秀な理性心意は、大いに推奨尊重すべく
大いにその進展を啓発するべきである。

(『叡智のひびき』箴言29より引用抜粋)

・・・

【 11月9日 】 心を苦しめ、悩ませるもの

過去の人間の生存には必要としていたけれど、
現在の人間には必要としない、いわゆる不必要な欲望や情念が、

今なお自分の心に残留しているのを、
正しく整理していないために、

それが折に触れて、ときに触れて
やたらと実在意識領に飛び出してきて、暴れ回る。
それが結局煩悶だ。

たとえわずかなことでも
心の中に煩悶のようなものを感じるなら、それを冷静に、
第三者の立場に立ったつもりで観察してごらん。

(『心を磨く』第5章より引用抜粋)

・・・

【 11月10日 】 他人のアラ探しを止める

大切なことは、
他人のアラや欠点を詮索することを止めて、
自分のアラや欠点を厳しく反省することである。

(『叡智のひびき』箴言9より引用抜粋)

        <感謝合掌 令和3年11月4日 頓首再拝>

中村天風365話(11月11日~20日) - 伝統

2021/11/14 (Sun) 13:20:59


【 11月11日 】 自我を理解し、現実に活かす

人生というものは、
「自我」の生きる方向によって決定される。

だから、完全な人生に活きるためには、
まず「自我」の本質を理解し、同時に、
その理解を現実にするよう生活しなければいけない。

(『哲人哲語』より引用抜粋)

・・・

【 11月12日 】 真剣に聴き、受け取る

偉くなる人とそうならない人では、
同じ話を聴いても、聴き方、受けとり方がぜんぜん違う。

そして、受け取ったことを自分の人生に、
どう応用していくかということだけの差なんです。

(『君に成功を贈る』より引用抜粋)

・・・

【 11月13日 】 取り越し苦労(未来苦労)とは?

消極思考の想像の積み重ねでは、身も心も疲れ果ててしまう。

取り越し苦労をしている自分に気が付いたら、
大声一喝、「無駄な心の使い方を止めよ」と叫び、
眼前の花の美しさを見つめるがよい。


(『杉山彦一著『いのちを活きる』第6章より引用抜粋)

・・・

【 11月14日 】 精神生命と肉体生命の法則

精神生命の法則の第一の法則である心の持ち方とは、
いかなる場合があろうとも、積極的な心の持ち方をする。
使い方は、常に観念を集中する。

肉体生命の法則は、
生き方は常に自然法則に順応せよ。

第二のほうは、使い方。
常に訓練的に積極化せよ。

(『幸福なる人生』第2章より引用抜粋)

・・・

【 11月15日 】 真我と肉体は別物

真我は肉体という家屋に便宜上宿っていて、
我々が生活するために家屋を使っているように、
真我が肉体を使っていると、考えればわかりやすい。

当然ながら、
家屋が自分ではないように、
肉体は「我の本体」ではない。

(尾身幸次著『成功への実践』第5章より引用抜粋)

・・・

【 11月16日 】 安定打坐法のブザー音は偶然から生まれたもの

偶然の出来事をヒントに得て、
「これだ」とブザー方式による
安定打坐法が創案されていたのです。

(南方哲也著『心を研ぎ上げる』より引用抜粋)

・・・

【 11月17日 】 天風が軍事探偵になったきっかけ

秘密募集を私の恩師、頭山満翁から聞かされたとき、
軍事探偵としての秘密募集だとは知りません。

「おいどうじゃい、
腹いっぱい暴れられるところがあるぞ。
喧嘩しても警察へ行かんでよかところあるぞ、
行くか」

「参ります」

これが軍事探偵になった動機なんです。

(『君に成功を贈る』より引用抜粋)

・・・

【 11月18日 】 心の倉庫の中にある観念要素

心の思い方や考え方を組み立てる要素をなす
観念要素というものは、心の奥にある。

この心の奥を
心理学は潜在意識領といっていますが、
俗に心の倉庫ともいわれています。


(『幸福なる人生』第3章より引用抜粋)

・・・

【 11月19日 】 心の行う思い方、考え方は、宇宙根本主体とつながっている

人間が人間の心の中で思ったり考えたりすることは、
この宇宙の根本主体のものをつくり出す力と
本質的には一つのものであるということを
悟らなければいけないんです。

(中村天風講演録より引用抜粋)

・・・

【 11月20日 】 理性心と本能心が衝突した例

心の衝突がはじまると、
金や知識があっても、はたから幸福そうに見えても、
人間の精神生活の内部はもうゴチャゴチャになってしまうんです。

(『心に成功の炎を』第5章より引用抜粋)

        <感謝合掌 令和3年11月14日 頓首再拝>

中村天風365話(11月21日~30日) - 伝統

2021/11/23 (Tue) 14:17:19


【 11月21日 】 力の誦句

私は 力だ。

力の結晶だ。

何ものにも打ち克つ力の結晶だ。

だから何ものにも負けないのだ。

病にも 運命にも、

否 あらゆるすべてのものに
打ち克つ力だ。

そうだ!!

強い 強い 力の結晶だ。


(『天風誦句集(黒)』所収)

・・・

【 11月22日 】 呼吸で活力を吸収する

呼吸によって活力は
広義における全生命に充実する。

(『錬身抄』第2章より引用抜粋)

・・・

【 11月23日 】 心の持ち方一つが人生の成功を決定している

あの豊臣秀吉を考えてみたら、

自分に学問や経験があろうとなかろうと、
心のもち方一つが、結局、
人生の運命を決定するんだということに気づくはずです。

(『君に成功を贈る』より引用抜粋)

・・・

【 11月24日 】 情味を見出すためには心の力を強めること

心の力を強めることである。

そうすれば、われわれの命の活きる範囲は
ますます広がっていき、内容もいよいよ豊かになり、
そして自然と幸福も分量多く感じることが出来るようになる。

(『叡智のひびき』箴言13より引用抜粋)

・・・

【 11月25日 】 人間だけが持つ力「思考が現実を作り出す」

現在自分がああなりたい、こうなりたいと思っていることが、
叶う叶わないということは、
それが外にあるのではなくして、

みんなあなたたちの命のなかに与えられた
心の思う力、考える力のなかにあるんだ。

(『成功の実現』第10章より引用抜粋)

・・・

【 11月26日 】 我とは「見えない気体」だと信念する

私たちの本当の正体は、目に見えない気体なんだ。

この見えない気体は、
絶対的に、火にも水にも、焼けないし、おぼれもしない。

永遠に不滅のものだ。

強く生きましょう、人生は。

(中村天風講演録より引用抜粋)

・・・

【 11月27日 】 精神統一の基礎は「澄みきった、はっきりした気持ち」

澄みきった、はっきりとした気持ちで、
諸事万事に応接するということを心がける人は、

あえて自ら求めるまでもなく、
どんな場合にも、意識の混濁というものがないんであります。


(『心を磨く』第3章より引用抜粋)

・・・

【 11月28日 】 「低級な欲求心」と「高級な欲求心」

常に高級な欲求心をもって、低級な欲求心を統御し、
これを基盤として想像を積極的なものにするのである。

そうすればその積極的想像作用が強い暗示力となって、
本能心はその想像の程度に従って整理される。

(『研心抄』現代語表記版 第7章より引用抜粋)

・・・

【 11月29日 】 物事の判断基準は絶対的で普遍・真実性があること

真の正義の基準となるものは、
人類に共通する普遍性と真実性をもったものでなくてはならぬ。

それは一体、何か。

それは、人種や階級を超えて、
人の心の中で最高に進化した、純粋な心、本心である。

本心が正義の基準である。

(杉山彦一著『いのちを活きる』第6章より引用抜粋)

・・・

【 11月30日 】 全てが良くなるように組み立てられている「心身統一法」

自己否定をするからいけないんだよ。

自己をつくり上げるものは、
自己の努力と、その努力は自己の情熱に比例するんだぜ。


(『心を磨く』第4章より引用抜粋)

        <感謝合掌 令和3年11月23日 頓首再拝>

中村天風365話(12月1日~10日) - 伝統

2021/12/05 (Sun) 03:39:37


【 12月1日 】 怒らず、恐れず、悲しまず

過去・現在・未来といってみたところで
そのすべての一切は、現在の連続である。

現在感を価値高く確保するために、絶対に、

〇怒らないこと
〇怖れないこと
〇悲しまぬこと


(『哲人哲語』 より引用抜粋)

・・・

【 12月2日 】 人の世のため、喜びのため、幸福のために

我々の生きる場合の念願は、

なんの仕事をしてる人でも、

人の世のため、人の喜びのため、
人の幸福のためということを考えることを
忘れない生活を営んでもらいたい。


(『真人生の創造』第2章 より引用抜粋)

・・・

【 12月3日 】 正確に自己陶冶を行う

正確に自己陶冶を行えば、

常に積極的に堂々として自己を統御し、

どんな難関に直面しても
一切を正しく処理することが
できるようになるのです。

(南方哲也著『心を研ぎ上げる』第7章より引用抜粋)


・・・

【 12月4日 】 自分が楽しめるような、喜ぶような画像を心に描く哲学的な意味

こういう非常に幽玄微妙(ゆうげんびみょう)な哲学的な消息があるということを、
まず第一番に悟らなきゃだめなんだよ。

それが結局、
つねに心を積極的にしっかりと保っていく秘訣なんであります。

(『心に成功の炎を』第4章 より引用抜粋)

・・・

【 12月5日 】 人間の使命実現のための2つの行動

人間は環境改善と自己改造という創造活動を行い、
進化と向上を実現しなければならない。

これが人間の果すべき使命である。

(杉山彦一著『いのちを活きる』  第11章 より引用抜粋)

・・・

【 12月6日 】 安定打坐法で心を休めてやる

時々、無声の境地へと心を移してやることをやるだけで、
精神生命の疲労が防げて、

強いて科学的に言えば、
神経系統の生活機能もまたくたびれないわけだろう。

(中村天風講演録より引用抜粋)

・・・

【 12月7日 】 消極的感情が呼吸に与える影響

人は感情が高ぶると一般に呼吸が浅くなり、
酸素不足に陥る結果脳が酸欠状態になって、
脳神経の機能が低下する。

するといわゆる自律神経の失調を来たし、
生命維持に重要な役割を果たしている臓器に重大な影響が現れる。

(『真人生の探究』現代語表記版 第2章 より引用抜粋)

・・・

【 12月8日 】 時は金よりも貴重なり

(睡眠、食事、病床に伏せている時間を除いた)
実際の生活時間を慎重に考察すると、極言すれば、

あくびをする時間も、
くしゃみをする時間も、取り返せない以上、
瞬間といえどもいい加減に費やすべきでなく、
心して有意義に使って生きるべきだと厳しく自戒されることと信じる。

(『真理のひびき』箴言16 より引用抜粋)

・・・

【 12月9日 】 積極心が「健康」への鍵

心の態度が人生に与える直接的影響は、
多言する必要のないほど切実なものであるので、
一瞬の間といえども油断することなく、その態度の積極化に努力すべきである。

(『真理のひびき』箴言5 より引用抜粋)

・・・

【 12月10日 】 自分の正体を知ると毎日の人生に安心感を感じるようになる

私は、私の見えない気体で、私の命の全体を掌握している。

そして、体は根本となっている気体が支配している。

(中村天風講演録 より引用抜粋)

        <感謝合掌 令和3年12月4日 頓首再拝>

中村天風365話(12月11日~20日) - 伝統

2021/12/13 (Mon) 14:33:15


【 12月11日 】 信念がぐんぐん出て来る方法

顔の眉間に向って、
自分が精神統一してから、
自己暗示法を注ぎ込みさえすれば、
信念はぐんぐん出てくるのだ。

(運命を拓く』第8章 より引用抜粋)

・・・

【 12月12日 】 一つひとつ落ち着いて物事に向き合う

柳生但馬守

「数多くの剣が目の前へ一時に出てきたときの、
 いかなる心構えが必要でございましょうや」

沢庵禅師

「「いとたやすいそれはお訊ねじゃ。 
 一本も数本も同じこと。 一本、一本あしらいなされ」

(『心を磨く』第3章 より引用抜粋)

・・・

【 12月13日 】 「消極的思考」を「積極的思考」に切り替える

消極的に対する反対は積極的だから、
積極的なことを考えただけで、
その心の中に燦然(さんぜん)たる光が出てくる。

(中村天風講演録選集「積極精神把持の秘訣」 より引用抜粋)

・・・

【 12月14日 】 心は自分の命を守っている

自分の気持ちというものは
自分の命を守ってくれる心のなかから出ているということを考えてみたら、
その心を大事にしなければ。

だから、常にできるだけにこやかな人生に生きて、
何ごとに対しても感謝を先にして、そして喜びの人生に生きなさい。

(『成功の実現』第4章 より引用抜粋)

・・・

【 12月15日 】 肉体を「我」と思うと安心できない

「我とは、心でもなく肉体でもなく、
 生命エネルギーの中枢を把握する尊厳なる気なり」

と断定しなきゃいけないんだよ。
 
これが一番自分を安心して人生に生かす秘訣です。


(『心を磨く』第1章 より引用抜粋)

・・・

【 12月16日 】 精神統一とは

真の精神統一とは、
心に映った事物現象その他の事柄を
心の中に集約集中させることなのである。

(『真人生の探究』 より引用抜粋)

・・・

【 12月17日 】 五官は人生に重大なもの

五官の感覚機関=官能というものは
人生に対し非常に重大なものだといえる。

まして外界に存在する一切の事物事象というものは、
心の発達を現実に助けるいわば原料でありまた資材であることを考えれば
なお更のことといわなければならない。

(『研心抄』現代語表記版 第4章 より引用抜粋)

・・・

【 12月18日 】 正しい自己陶冶は、本能心を整理する

自己陶冶が正しくなされると、
本能心が整理されるために、動物的欲求心や感情念の発動が著しく減少し、
これまで感じた煩悶や苦労もまた目立って減少してくるのである。

(『研心抄』 より引用抜粋)

・・・

【 12月19日 】 「自分の命の道具が損じている」 と思う考え方

自分の命の道具が損じていると思う考え方は客観的になるんですよ。
 
自分が病んでいる、自分が苦しんでいるというのは主観的なんですよ。
 
客観的になると、ただ、その考え方がチェンジされただけで、
もう、ぐーっと生命の中に生ずる、道具の中に生ずるところの、
それを完全な状態にしていこうという力が働き出す。

(『心を磨く』第1章 より引用抜粋)

・・・

【 12月20日 】 誰もが持つ「潜勢力」

人間は、どんな人でも自分のもつ本来の命の力をふやし、
その力をフルに発現できるのだ。

あなたは先ず自分の生命の奥に、
今まで自分の知らなかった、あるいは出したことがなかった、
驚くべき巨大な力が潜在していることを知って頂きたい。

(安武貞雄著『健康と幸福への道』 第3章 より引用抜粋)

        <感謝合掌 令和12年12月13日 頓首再拝>

中村天風365話(12月21日~31日) - 伝統

2021/12/23 (Thu) 14:54:25


【 12月21日 】 自己省察の方法の1つ「内省検討」

自分の心の中で行われる思考の状態を、
果たしてこれで良いかどうかと、
念入りにいろいろと調べなければならない。

ただし、
この場合の良いか悪いかの決定は、
そのように思考した理由が正しいかどうかはまったく無関係で、

心の態度が積極的であればすなわち「是」、
消極的であればすなわち「非」ということになるのである。

(『真人生の探究』現代語表記版 第2章 より引用抜粋)

・・・

【 12月22日 】 「他人に好かれる人間になる」ことに気が付かなかった人の例

「君、どっかで見たことのあるような顔だがなあ」
「私は、学習院の中学部でご一緒だったものです」

あの優秀な成績を持った彼が、
本来ならもう立派な銀行の頭取か会社の社長になりえる資格をもった人間が、
いまだに平の事務員で働いている。

その原因はどこにあるかというと、
あまりにも出来が良すぎた結果として、
「他人に好かれる」という
肝心なことに気がついていなかったんでしょう。

(『君に成功を贈る』 より引用抜粋)

・・・

【 12月23日 】 「自分は何か」を知ることがゆるぎない人生観をつくる

何においても、
強固として動かべからざる人生観を必要とするのだが、

その人生観をそういう状態にするには、
何をおいても、まず第一に「自分が何だ」ということが
わからなければだめなんだ。

(中村天風講演録 より引用抜粋)

・・・

【 12月24日 】 健全生活の完成に、適応作用を応用する

かりにも健全生活を完成しようとするには、
常にこの適応作用の妙能の応用ということを、
厳格に考慮の中に置いて、平素積極的に肉体を訓練する生活習慣を
作為せねばならない。

(『錬身抄』第1章 より引用抜粋)

・・・

【 12月25日 】 「私にとって報償は目的ではない」を人生モットーにする

この世の中に活きていくには、
如何に偉くなっても自分一人で生きられるべきものではなく、
他人あっての自分、自分あっての他人ということが
理屈でなく感じられ、

その感じた心が良心に感応すれば
報償を超越した責務感となり、
更にその責務感がまごころとなって発露する。

(『叡智のひびき』箴言2 より引用抜粋)

・・・

【 12月26日 】 感情を統御する

理想的な人生を生きるうえで、
注意のうえに注意をしなきゃならないことは、

「怒っていけないこと」と、

「悲しんでいけないこと」と、

「恐れていけないこと」なんです。

(『心に成功の炎を』第1章 より引用抜粋)

・・・

【 12月27日 】 一挙一動、すべてが心の中の思い方や考え方の表現

一挙一動、どんなささいな行動でも、
みんなそれが自分の心のなかの思い方や
考え方の表現であると気づきなさいよ。

(『盛大な人生』第2章 より引用抜粋)

・・・

【 12月28日 】 宇宙の心とは

宇宙の心というのはどんなものかというと、

人間が愛の情で何事何物にも接するように心がけていると、
「ははぁ」ということがすぐ直感的に感じられるのであります。

(中村天風講演録選集「宇宙の心と人間の心」 より引用抜粋)

・・・

【 12月29日 】 心身統一の状態は、 生命本来の正しいすがた

心身統一の状態は、生命本来の正しいすがたである。

心とからだは車の車輪のように、
どちらか一方を損じても命全体は完全に働けない。

(安武貞雄著『健康と幸福への道』 より引用抜粋)

・・・

【 12月30日 】 「理想に向かっている」という信念を変えないこと

たとえすぐに結果がでなくても、大事なことは、
絶えずその「理想に向かっている」という信念を変えないことである。

(尾身幸次著『成功への実践』第5章 より引用抜粋)

・・・

【 12月31日 】 感謝一念の活き方

生きていればこそ、
時として苦難もある代り、喜びや仕合わせを味わうこともできる。
嬉しいこと、楽しいことに出あうこともある。

生きているということはいいことだ。
こう感じるところに生きる喜び、生きがいを見出すことができる。

かれこれ思いをめぐらせば、
寝るも感謝、
起きるも感謝、
食べるも感謝、
働くも感謝、
病や不運でさえも感謝、
一切すべてが感謝の対象であるはずである。

(安武貞雄著『健康と幸福への道』 より引用抜粋)

        <感謝合掌 令和3年12月23日 頓首再拝>

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