伝統板・第二

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新嘗祭 - 伝統

2020/11/23 (Mon) 05:03:06

《勤労感謝の日と新嘗祭》

      *Web:ねずさんの学ぼう日本(2020/11/22)より


   ただ父さんが働いているから、それに感謝する日なのだという文化なのか。
   それとも、古代から続く日本という国に感謝し、いま生かされていることに感謝し、
   陛下の祈りに感謝し、そしてより良い明日を願い、新たな出発の日とする文化なのか。

   どちらを好ましいとする国柄を築くかは、これからの日本人次第です。


よく「祝祭日」という言葉が使われますが、
戦後の法律には「祝日」はあっても「祭日」はありません。

祭日は戦前戦中まで、明治41年皇室令第1号の「皇室祭祀令」によって
定められた日のことで、この名称が簡略化されて
「祭日」と一般に呼ばれていたものです。

戦後はGHQによって「皇室祭祀令」が昭和22年に廃止され、
同年付で「国民の祝日に関する法律」が施行されました。
ですから法的な呼称としては、現代には「祭日」は存在しません。

たとえばお正月の1月1日の元旦は、
戦前の法律なら「四方節」、戦後は単に「元日」とされています。

同様に戦前までの「新嘗祭(にいなめさい)」は、
戦後の法によって「勤労感謝の日」とされているわけです。

明日の11月23日は、その「勤労感謝の日」ですが、
もともと「新嘗祭(にいなめさい)」の日です。
ところが、どうしてこの日が「勤労感謝の日」と呼ばれるようになったのか
というと、その理由が「新嘗祭だから」です。

新嘗祭というのは、
今年の新穀を天皇が新米を神々に捧げて饗応するという皇室催事です。

歴史的には仁徳天皇が新嘗祭を執り行なったことがはじまりで、
すでに1600年以上の伝統があります。
そんじょそこいらの国の成立よりも、はるかに古い歴史があるのです。

新嘗祭は、これに先立って
10月17日に「神嘗祭(かんなめさい)」が、まず行われます。
こちらは伊勢神宮で行われるもので、その年に収穫された新穀を天照大御神に捧げます。

これを受けて、次いで今度は皇居で行われるのが、
11月23日の「新嘗祭(にいなめさい)」です。

「新嘗祭」では、天皇陛下が皇居内にある神嘉殿(しんかでん)という
特別な御殿の中に篭もられ、そこに天照大御神をはじめ、
天神地祇(てんじんちぎ)のすべての神々をそこにお招きされ、
初穂お供えして、神々とともにこれをお召し上がりになられます。

天神地祇とは、天つ神、国つ神のことです。

すごいのは、この新嘗祭の慣例です。

なんと、ご飯が柏(かしわ)の葉の上に盛られ、
陛下は古代箸(こだいばし)でそのご飯をお召し上がりになられるのです。

まず古代箸ですが、これは下の図にあるように、トングのような形をしたお箸です。
古代においては、我が国の箸は、このような形をしていました。

ちなみに古事記では、須佐之男命(すさのをのみこと)が
高天原から地上に降り立ったとき、川の上流からお箸が流れてきたので、
上流に人が住んでいるとわかったという記述があります。

お箸一本では、それがカンザシなのか、木切れなのか判別はつきません。
なぜお箸とわかったかというと、古代のお箸がトングのような形をしていたからです。


そして極めつけが、盛り付けに使われているのが、
お茶碗ではなく、「柏の葉」であることです。

新嘗祭は、仁徳天皇の時代にはじまったと公式に記録されている行事ですが、
この時代には当然、ご飯を盛り付ける際のお茶碗はありました。

にもかかわらず、仁徳天皇がこの新嘗祭をお始めになられたとき以来、
お茶碗ではなく、柏の葉にご飯を盛り付けられているということは、
仁徳天皇ご自身が、仁徳天皇のご在世当時よりも、
はるか古くからの伝統に従ったということです。


我が国では、いわゆる食事に使われる土器は、
発掘されたなかで一番古いものが1万6500年前のものです。

お茶碗などに塗る漆(うるし)は、1万2500年前には、
すでに漆の木が栽培され、漆が用いられていたことが確認されています。

8000年くらい前になると、茶碗から土瓶、弓などに至るまで
漆で彩色が施された道具類が発掘されています。


新嘗祭は、我が国最高の存在であられる陛下が、
大切な神々をお招きしてお食事を共にされる行事です。

少し考えたらわかることですが、普通、そうであるならば、
その時代の最高の食器にご飯を盛り付けて、
お食事を召し上がられるはずです。

そして何千年も前から漆が使われていたなら、普通に考えれば、
漆塗りの高価なお茶碗を用いてお食事を召し上がられるはずです。

ところが、それが「柏の葉」なのです。

どうして柏(かしわ)なのかということは、
「かしわ」という大和言葉が明確に示しています。

「かしわ」という言葉は、
もともと「かしきは(炊葉)」とか「かしは(食敷葉)」に由来します。

柏の葉に盛り付けるご飯の稲は、もともと熱帯性植物で、
寒冷地での栽培はしにくいものです。

ところが柏の木は、その寒冷地にも強い。
しかも肥沃な土地を好む木です。

そして柏は、広葉樹なので、普通なら冬には葉が落葉するところ、
柏は落葉しないまま冬越えをし、翌年の春には新芽を付けます。

我々は男の子のお祝いの「端午節句(たんごのせっく)」に
柏餅(かしわもち)をいただきますが、これは柏の木が、
古い葉が落葉しないまま新しい葉と絶え間なく入れ替わることから、
「葉(覇)を譲り家運隆盛をあらわす」として、食べられる習慣になったものです。


要するに新嘗祭に柏の葉が用いられるのは、
「稲作が行われながら食事にはお茶碗ではなくて柏の葉が用いられていた、
いったいいつの時代なのかわからないくらいはるか古い昔の習俗」を、

仁徳天皇の時代に慣習として復元され、その復元された古代の習俗が、
21世紀となった今日においても、まだ続けられているということなのです。

いったい日本はどれだけ古い国なのでしょうか。

また、陛下が毎年の新穀を神々に感謝してくださり、
また明年の豊作をご祈願してくださっているから、
私たちは美味しいお米を毎年いただくことができるのです。

そのことに、国民をあげて感謝をする日だから、
もともと新嘗祭の日が国民の祝日となっていたのです。

国民の勤労に感謝するなら、今生の人生だけの祭日となります。
けれど新穀に感謝するということは、いま生きて働いている人たちだけでなく、
過去現在未来へと続く大きな時間の流れの中での定期的な祭日ということになります。

勤労感謝の日と新嘗祭では、その言葉の持つ深さがまるで違うのです。

その国の文化というのは、こういうところに出てくるものです。

ただ父さんが働いているから、それに感謝する日なのだという文化なのか。
それとも、古代から続く日本という国に感謝し、いま生かされていることに感謝し、
陛下の祈りに感謝し、そしてより良い明日を願い、新たな出発の日とする文化なのか。

どちらを好ましいとする国柄を築くかは、これからの日本人次第です。

  (https://nezu3344.com/blog-entry-4698.html

・・・

<参考Web>

(1)「光明掲示板・第一」内スレッド「鎮魂祭 (3849)」
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=739 (消滅)

(2)「光明掲示板・第一」内スレッド「新嘗祭 (3306)」
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=641

(3)「光明掲示板・第一」内スレッド「新嘗祭(概要と今年の祭事) (3897)」
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=749 (消滅)

(4)「光明掲示板・第二」内「鎮魂祭と新嘗祭」
    → http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=633 (消滅)

(5)「光明掲示板・第三」内「天皇陛下の祈り」~新嘗祭 (2014年11月23)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=226

(6)伝統板・第二「鎮魂祭と新嘗祭」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6672834

(7)伝統板・第二「鎮魂祭と新嘗祭」②
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7666171

(8)伝統板・第二「鎮魂祭と新嘗祭」③
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7801561

            <感謝合掌 令和2年11月23日 頓首再拝>

日本人にとって最も重要な日 - 伝統

2020/11/23 (Mon) 11:55:17


       *メルマガ「興心舘 王道學」(2020年11月23日)より抜粋

ご存じの方も多いと思いますが、
本日は、日本人にとって一年で一番大切な日です。

現在は「勤労感謝の日」として、多くは知られる本日は、

「勤労を尊び、生産を祝い、
 国民がたがいに感謝し合う日」

と1948年(昭和23年)に定められました。

それ以前は、「新嘗祭(にいなめさい)」と呼ばれ、

古事記には天照大御神が「新嘗祭」の
神事を行った記録が残されています。


新嘗祭の“新”は新穀(初穂)、
“嘗”はご馳走の意味を持ち、

この日には今でも各地の神社で
その年に収穫した新穀(初穂)を神前に供えて、

一年の実りへの感謝とともに、国家国民の安寧をお祈りします。

特に宮中では、

天皇陛下自らが新穀によるご神饌(米・粟のご飯のほか、
鮮魚・乾魚、果実、白酒・黒酒など)を

天照大神をはじめとした神々にお供えして「おもてなし」し、

共に新穀をお召し上がりになる「神人共食の儀」を行い、

神々との絆を深め、生命力を回復・増進されます。

現在では、毎年、
宮中三殿の西の神嘉殿において、潔斎をされた天皇陛下が、

陪膳女官の奉仕を除いては、

お一人で午後6時から同8時までの「夕の儀」、
同11時から翌日午前1時までの「暁の儀」

を行われることになっています。

実に合計4時間、天皇陛下が正座で儀式を行われるこの祭祀ですが、

天皇の即位後に初めて行われる「新嘗祭」は
「大嘗祭(だいじょうさい)」と呼ばれ、

この儀式だけの為に建てられた大嘗宮の中で、
新たな天皇として神々をもてなし、食を共にして契りを深め、

御力を戴く儀式を完遂することで、
「御大礼」と呼ばれる天皇の即位にあたる
一連の儀式は幕を閉じます。

昨年この儀式が多くの報道がされたのはご存知のところでしょう。

しかし、この新嘗祭が「勤労感謝の日」と呼ばれて本来の姿から切り離され、

新嘗祭までは新米を食べることがなかったという食文化を知る人の方が少なくなり、

異国のボジョレ・ヌーボー解禁日を大々的に宣伝し、浮かれている日本人は、
果たして日本人と言えるのでしょうか。

明らかに日本人としてのルーツの喪失であり、日本文化の破壊です。

これはもちろん当初は意図的に実行され、
それを行ったのはGHQです(だから戦後呼び名が変わったのです)。

(中略)

その日本の精神文化を今取り戻すものこそ、この學問(王道學)です。

この學問は、心の學問であるとともに、

氣=時=愛

の學問でもあります。

この氣という漢字を、
現在の「気」に取って代わらせたのもまたGHQです。

旧字体にあった「米」とは、
人が光を八方に生命エネルギーを放っている姿だと言われており、

もちろん日本人の主食でエネルギー源の「米」でもあります。

旧字の「氣」はエネルギーを発揮し、広がっていくイメージなのに対し、

「メ」=「しめる」という字は、
天地のエネルギーを閉じ込め、人間に備わった潜在能力を封印してしまうものです。

GHQが本来の意味を失わせたのは、何もこの言葉だけに限りません。

言葉一つ変えただけで何が変わるのかと思われる方もいるかもしれません。

しかし、
言霊という概念を引用するまでもなく、

国語とは、最も重要な文化の基盤であり、
戦後GHQが日本語を全てローマ字にしようと企んでいたのを何とか阻止した事実を
ご存知ならば、

これを破壊することが、その国の文化を破壊するために最も有効であることは
よくお分かり頂けるはずです。

私達日本人が、
我が国に脈々と受け継がれてきた日本の精神文化をもう一度取り戻し、

本来備わった力を発揮できたならば、
必ずや日本を再興し、この難局を乗り越え、世界の期待に応えることができる、
と信じています。

            <感謝合掌 令和2年11月23日 頓首再拝>

天皇陛下、新嘗祭に 秋篠宮さま、皇嗣として拝礼 - 伝統

2020/11/24 (Tue) 03:28:27


       *Web:時事通信(2020年11月23日)より

天皇陛下は23日夜、皇居・神嘉殿で、
五穀豊穣(ほうじょう)と国家国民の安寧を祈る
宮中祭祀(さいし)「新嘗祭」に臨まれた。

昨年は代替わりに伴い、一世一度の「大嘗祭」として行われていた。


新嘗祭は陛下がその年に収穫した穀物を神々に供え、自らも口にする祭祀。

午後6時から「夕(よい)の儀」、
午後11時から「暁(あかつき)の儀」が、それぞれ2時間ずつある。
 
上皇さまは在位中、負担軽減のため2009年以降、
拝礼時間を短くしたり、暁の儀への出席を取りやめたりしていた。

今回、陛下は暁の儀にも出席。

立皇嗣の礼を終えた秋篠宮さまも初めて殿上で拝礼した。

      (https://www.jiji.com/jc/article?k=2020112300599&g=soc

・・・

新嘗祭(にいなめさい)

       *Web:ことの葉綴り(2020/11/23)より抜粋

(1)新嘗祭(にいなめさい)は

   この年に収穫した新米を、天皇陛下自らが、
   天照大御神(あまてらすおおみかみ)さまはじめ、
   天神地祇(てんしんちぎ)の天つ神さま、国つ神さまへと、
   ご神饌として奉る「収穫祭」で、
   国家の安寧と五穀豊穣をお祈りさせる。

   宮中祭祀の中でも、一年でもっとも重要な祭祀です。


(2)「新嘗祭」は、夕方の6時からの「夕(よい)の儀」と、
   夜深くなった午後11時からの「暁(あかつき)の儀」と、
   「宵暁」の二度もとり行われます。

(3)宮中の宮中三殿の「神嘉殿(しんかでん)」において、
   神座と御座を設けられます。

   そこに、身を清められて、純白の祭服姿の天皇陛下が、
   全国の田から選ばれた斎田で今年収穫された新穀をはじめとした
   ご神饌を、

   皇祖神の天照大御神(あまてらすおおみかみ)さまはじめ、
   神々に、天皇陛下が自ら、新穀の蒸しご飯や、御粥、お神酒を、
   柏の葉の牧手(ひらで)という葉の器に、盛られて
   食薦(けごも)とよぶ、竹やい草などを簾(す)のように安打ものに、
   お供えになられます。

   そして、神恩感謝をされたあと、
   天皇陛下も、神さまとともにお召し上がりになる祭典なのです。

(4)深夜まで続く「新嘗祭」

   また、ご神事のために、身を清める潔斎をされますが、
   「夕(よい)の儀」夕御饌(ゆうみけ)を終えられると、

   天皇陛下は、再び、身を清められて、更衣(ころもがえ)をされた上で、
   「暁(あかつき)の儀」、神さまへの朝ごはんを、奉仕なさるのです。

   今年は、天皇陛下と、今月8日「立皇嗣の礼(りっこうしのれい)」を
   終えられた、秋篠宮さまも、初めて「神嘉殿(しんかでん)」に
   あがられて拝礼されます。

   すべてのご神事が終わるのは、深夜の1時過ぎになるそうです。

(5)古来から、歴代の天皇陛下は、毎年毎年、その年に実り収穫した新穀を
   天照大御神(あまてらすおおみかみ)さまはじめ、
   天神地祇(てんしんちぎ)へとお供えをされて、

   「国平らかに民やすかれ」と

   私たちの安寧をお祈りしてくださっているのです。


(6)ありがたさに心温まる

   それが今も、まさに今夜も、皇居の深い森の中で
   暖房もない場所で、夜通しのご神事をとり行われているのです。

   美智子上皇后陛下が、皇后時代に詠まれた和歌はこちら。


      新嘗(しんじょう)のみ祭果てて 還ります
        君のみ衣に 夜気冷え冷えし


   新嘗祭のご神事を終えられて、戻ってこられた天皇陛下の御衣は、
   11月の夜気に触れられていて、それはお寒いことだったでしょう……と、
   天皇陛下の新嘗祭を想われての愛のある御歌です。

   (https://note.com/kotonohatsuzuri/n/n9b8433fb77e9 )

・・・

      *Web:会長コラム(第29回~2005年11月)より抜粋

(1)新嘗祭のはじまり

   新嘗祭の最も古い記録として日本書紀に、皇極天皇元年
   「11月16日、天皇は新嘗祭(にいなえ)を行われた。」とある。こ

   の皇極元年11月16日は、西暦642年12月12日、干支は丁卯にあたり、
   すでにこの頃から、陰暦11月の第2の卯の日に新嘗の神事が行われている。

(3)万葉集にある、新嘗祭にまつわる和歌

   天平4年の11月25日(この日も卯の日)、新嘗会の御宴で詔に応えた歌。
 

       天地と相栄えむと大宮を
             仕へ奉れば貴く嬉しき
 

       天地とともに久しくお栄えになるようにと
       この御殿にお仕え申し上げると、ありがたくも嬉しいことです。

(4)平成13年の新嘗祭に陪席されたある閣僚の方の手記を紹介

   《赤々と燃える篝火(かがりび)、神秘的な夕の儀と暁の儀》

   夕の儀は午後6時に始まります。
   神嘉殿の庭に入りますと広い庭の四箇所に設けられ
   白い装束の掌典の職員が身の丈ほども積んだ薪を燃し続ける
   庭火と呼ばれる篝火が赤々と燃えております。

   やがて松明の灯りに導かれ純白の装束をお召しになった
   天皇陛下、皇太子殿下が神嘉殿にお入りになり、
   篝火に折々照らされる庭に座った楽師が神楽歌を歌い続ける中を
   二時間の神事が続けられます。
 
   約三時間の間を置いて深夜11時から午前1時まで同じく暁の儀が行われます。
   これは、神々に夕食を差し上げ、お泊まりを頂き、
   そして朝食を差し上げるということだそうです。

   (https://www.miyajima-soy.co.jp/backnumber/denjiro/denjiro029/denjiro029.htm

            <感謝合掌 令和2年11月24日 頓首再拝>

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