伝統板・第二

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生命の教育 ⑦ - 伝統

2020/11/19 (Thu) 05:04:33

《あまり四角四面になるな》

          *「眞理」第2巻基礎編第6章(P110~111)より

児童の明るい心を押し消してはならないのである。
鹿爪(っしかつめ)らしい、上品ぶった、四角四面の顔をするように
子供を躾ける必要は少しもないのである。

それは子供を型に嵌(は)めることであり、
子供の個性を抑圧して歪んだものにしてしまうおそれがあるのである。

子供の爆発しようとする内部的な生命力を抑えようとすることは、
その子供を反抗的に育てあげ、却って親を憎むようにさえならしめる。

人生は真剣でなければならないし、真面目に取り組むべきものであって、
決して冗談に取り扱うべきものでないことは明らかである。

しかし真剣に真面目に取り組むべき人生であるが故に、
明るい余裕のある心の態度で物事を処して行かなければならないのである。

余りに四角四面な心でいれば、人は人生の重荷で折れてしまうであろう。

・・・

<関連Web>

(1)伝統板・第二「生命の教育 ①」
     → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6833626

(2)伝統板・第二「生命の教育 ②」
     → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7673404

(3)伝統板・第二「生命の教育 ③」
     → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7745476

(4)伝統板・第二「生命の教育 ④」
     → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7812318

(5)伝統板・第二「生命の教育 ⑤」
     → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7865326

(6)伝統板・第二「生命の教育 ⑥」
     → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7966921



<参考Web>

(1)谷口雅春先生をお慕いする掲示板 其の弐「『生長の家』創刊号」
     → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/yuyu6/&mode=res&log=66

(2)伝統板・第二「子どもの教育①」
     → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6463326

(3)伝統板・第二「子どもの教育②」
     → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6643544

(4)伝統板・第二「子どもの教育③」
     → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7827562

(5)伝統板・第二「(妊娠)胎児教育」
     → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7828625

(6)伝統板・第二「(妊娠)胎児教育②」
     → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7959938

(7)伝統板・第二「幼児教育」
     → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7859435

(8)伝統板・第二「幼児教育②」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7881952

(9)伝統板・第二「幼児教育③」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7919016

(10)伝統板・第二「幼児教育④」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7953418

(11)伝統板・第二「幼児教育 ⑤」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7981842

(12)伝統板・第二「幼児教育 ⑥」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=8015890

         <感謝合掌 令和2年11月19日 頓首再拝>

批評の言葉で子供の天才を摘(つ)み取ってはならない - 伝統

2020/12/02 (Wed) 03:25:18

谷口雅春先生のお言葉(令和2年12月号「生命の教育」誌)

【子供のもつ善性を引き出す生活とは】

《批評の言葉で子供の天才を摘(つ)み取ってはならない》

        *( 『生命の實相』頭注版第30巻88~89頁)

子供を育ててゆく上において、まず心得ておかなければならないのは
人間は皆一様(いちよう)のものでないことであります。

天分もちがえば過去の念の集積もちがう。

(中略)

ですから、子供をよくしようと思う時に、大人の、しかも
《自分だけの尺度》でもって判断しすぎて善悪を評価すると
いけないのであります。

人間というものは皆個性がちがう。
個性がちがうところにそこに価値がある。

桜の花とバラの花とはどちらが美しいかというと、
これは評者(ひょうじゃ)の好き嫌いで定(き)まるので、
桜がいっそう美しいという人もあれば、
バラがいっそう美しいという人もあります。

それを自分だけの好き嫌いでもって、

「お前桜のように、そんなに一晩で散るような寂しい姿じゃいかん。
 バラの花のようにならねばいかん」

と言ったところが、それはできないことを望むのであります。

桜は桜でその良さを認め、バ
ラはバラでその良さを認めなければならないのであります。

人を教育するには自分が「こうありたい」という《一つの尺度》を
もって、その《尺度》にちがうものは皆悪いと考え、

お前は悪い悪いという批評を加えてゆきますと、
その批評の言葉の力によって、その児童の天分は伸びず、
「僕は悪いものだ、劣等児だ」という観念を心に植えつけられて、
ついにせっかくの天才児も一個の劣等児になってしまうのであります。

・・・

<参考>「生命の教育」令和2年12月号 より
    (http://www.shinkyoren.jp/publics/index/34/#page34_59

「生命の教育」令和2年12月号 主な内容

巻頭のことば「素晴らしかった小学生の作文――心の教育の必要
新教育者連盟理事長 代田健藏

特集 子供とゲームのつき合い方

   子供たちにとって今、ゲームは家庭における生活の一部に
   なっているところもあるのではないでしょうか。

   依存性の高いのがゲームですが、
   それを持たせないという選択も難しい現代です。

   子供のゲームが親の悩みになっていることも少なくありません。
 
   家庭において、親がどのようなルールづくりをするか、
   どのように子供の自制心を養うかを含め、
   子供のゲームにどう向き合うかについて取り上げます。

   親としての子供を観る眼、心の持ち方、接し方について
   考えてみましょう。

子供のもつ善性を引き出す生活とは   谷口雅春

生命の教育七つの心得を一番に               齋藤千鶴子
実践してみよう! 子供と一緒にルールをつくることが大切   長谷川 司
家族で楽しめるゲームを勧める               吉田里美
次の目標を見つけることを信じて              坪井美智子
ゲームの前に宿題と家庭学習が約束             町野真由美

《特別インタビュー》

家庭教育の根本はわが子を信じること
             元小学校長 柘植 英次

子育てQ&A ゲームに夢中になりすぎて困っている      大原和子
       不登校の娘は親が甘やかしたからか       小林義典
       自分で洋服を着ようとしない4歳の男児     杉山紀代子

子育てワンポイント(43) 強い心を!             出口正博

子育ては母育て(97) 子供の衣服の留意点⑹          田下昌明

日本人100 の誇り(99) 五十音図              岡田幹彦

親子で読むものがたり(99) あらそわない心⑵        千葉ひろ子

日本国憲法の問題点(62) 日本学術会議と憲法第九条の関係  勝岡寛次

日本のしきたり(36) 「年取りの夜」            辻川牧子

新教連活動あらかると
◇「 子育てサポーター養成講座」開講のお知らせと講師陣の紹介、
 兵庫支部・大阪支部の講演会報告、愛知支部生命の教育セミナーの案内ほか
◇ 12 月支部行事
事務局短信・編集後記・次号案内

         <感謝合掌 令和2年12月2日 頓首再拝>

子供の生活を正しい方向に誘導する - 伝統

2020/12/03 (Thu) 04:50:23

谷口雅春先生のお言葉(令和2年12月号「生命の教育」誌)

【子供のもつ善性を引き出す生活とは】

《子供の生活を正しい方向に誘導する》

        *( 『生命の實相』頭注版第30巻89~90頁)

ですから、子供にはすべて、自己独特の個性的方法において
表現する自由を与えなければならぬのであります。

しかし、子供の思想および活力を正しい方向にむけるように
誘導してゆくことは教育者の役目であります。

教育とは圧迫ではなく、誘導であり、 「引き出し」であります。

子供の欲望の中にはまだ整理されない雑草があることは
認めなければなりません。

この雑草を刈りとるには、善きものを誘導することによって、
雑草が自然に枯れるような方法を採(と)るのがもっともよい
のであります。

およそ庭を持っておられる方なら知っておられましょうが、
庭の雑草というものは、それを引かなければ、
あるいは刈りとらなければすぐ伸びてくるのであります。

せっかくよき花を植えましても、一方でわざわざ種を植えて
良き花を生長せしめたいと思いましても、
種子(たね)も何も植えない雑草の方が急に生長したら、

せっかく良き花を咲かせたいと思った草花が、なんでもない雑草に
圧迫されて生長しないことになるのであります。

ですから、児童教育にもその点を注意して、児童の生命を、
その本来良き花を育て引き出すようにして、
雑草を枯らすようにしてゆくとよいのであります。

個性を尊重することも必要でありますけれども、
人間は社会的生物でありますから団体生活を営むものであります。

家庭も数人集まっていますから一個の団体生活であります。

人間は《人間》と書いてあって
一人だけではないことを現わしているのです。

「人」という字もお互いに《もたれ》合った姿、自他一体の互い
に持ちつ持たれつの姿を表現した象形文字であります。

このように人間は一人だけではなしに、
自他一体、持ちつ持たれつの存在であって、ただ、一人だけ
わがままをやる、そういう心は雑草の心であります。

そういう雑草の心は摘(つ)み取らなければいけないのであります。

         <感謝合掌 令和2年12月3日 頓首再拝>

子供の心に、人から喜ばれる歓びを - 伝統

2020/12/04 (Fri) 04:44:47

谷口雅春先生のお言葉(令和2年12月号「生命の教育」誌)

【子供のもつ善性を引き出す生活とは】

《子供の心に、人から喜ばれる歓びを》

        *( 『生命の實相』頭注版第30巻90~92頁)

周囲全体を一緒に生き生かしてゆこうという生活が、
実相の顕(あら)われた生活であります。

周囲全体が皆栄えるように、皆が喜ぶように、現われる生き方ならば、
そこに実相がよく出てくるのであります。

ところが自分だけしたいことをして、
周囲全体の空気が乱れるような行ないをする人があれば、
その人は実相が出ていないのでありまして、

みずから省みて、
「これは自分の《本物ではない》《贋もの》である」
こう気をつけて反省して、

贋物(にせもの)の伸びることは自分自身でないのだから、
自分自身でないものを伸ばしたとてつまらないからと考えて
抑(おさ)えてしまうがよいのであります。

「本当の自分自身」
―― 自他一体の心」―― つの共通の神なる生命 ―― を
伸ばすようにしてゆきますと、その人はみんなから喜ばれる。

無論みんなを生かすようにしておりますのですから、
その人がいてくれるということはみんなから喜びを与えられる
ということになるのであります。

だから、この実相が生活に現われるとか現われないとかいうことは、
その人の生活がみんなに喜ばれているか、みんなから嫌われているか
ということによって定(き)まるのであります。

ところで、みんなから喜ばれるようにするには
どういうふうにしたらいいかといいますと、
みんなに《与える》ようにするのがよいのであります。

《与える》といいましても、金を与えるのではありません。

(中略)

何よりも大切なのはみんなから喜ばれるような
深切(しんせつ)な行ないをするように
仕向けてあげることがいいのであります。

人から喜ばれる歓びを知ったならば、
人は決して堕落するものではありません。

みんなから喜ばれますとその人が生長するのであります。

これは念波の感応の原理によるのでありまして、

人から「あの人がいるのでありがたい」と善念を送られますと、
われわれの魂(たましい)の生長は人々の良き念波を栄養として
生長するのでありますから、

人からありがたがられる事はその人自身が生長すること
になるのであります。

ですから子供の心の雑草を刈りとるには、叱(しか)りつけないで、
良い行為をしたときに賞(ほ)めるようにして
「人から喜ばれる歓び」の快味(かいみ)を体験せしめてやるのが
よいのであります。

         <感謝合掌 令和2年12月4日 頓首再拝>

《資力がなくても出来る改善》 - 伝統

2020/12/19 (Sat) 06:25:32


          *「眞理」第2巻基礎篇第11章(P294~295)より

物質は物質ではなく精神波動が肉体としてあらわれて見えているものであるから、
児童教育の問題でも、物質的にのみ栄養を与え、物質的にのみ教養を施しても
其の効果は少ないのである。

尤(もっと)も、物質も精神的波動の具体化したものであるから、
それが不必要であると云うのでもなければ、
その改善が不必要だと云うのでもないのである。

物質的なものは眼に見えるものであるから、
資力がありさえすれば改善は出来るのである。
その代り、眼に見えても、資力のない者には改善の施しようがない。

然(しか)るに精神的な方面の改善は、眼に見えないけれども、
非常に有効であって、心の持ち方でどうにでもなるから、
資力のない者でも改善出来るのである。

         <感謝合掌 令和2年12月19日 頓首再拝>

《明朗な”ハイ“という返事を》 - 伝統

2020/12/20 (Sun) 04:55:25


       *『 理想世界 』(昭和42年7月16日の法語)より

   返事をするのでも、明るい語調で返事をして、それを聞いている人に
   気持ちの良い感じを与える者の運命は屹度伸びて、
   幸運を迎えることができるのである。

   “ハイ”という発音は文字に書けば同じようであるけれども、
   「うるさい!! 」というように聞こえる“ハイ”もあり、
   面倒くさそうに聞こえる“ハイ”もある。

   私たちは、明朗に素直に、魂の呼びかけに
   魂が溌剌と答えるような“ハイ”という気持ちのよい返事をするよう、
   少年少女時代から習慣をつけておくことが大切である。

   嫁に往ってからや、大人になってから、つとめて、よい気持の“ハイ”という
   返事をするようにしようと心掛けても、その反対の語調で返事をする習慣が
   ついていたり、返事をせずに物ぐさく行動にうつる習慣のついている人には
   “ハイ”という返事を気持ちよくすることは中々むつかしいのである。

   http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6956412

            <感謝合掌 令和2年12月20日 頓首再拝>

神の守りを信じ、取越苦労はしない - 伝統

2021/01/05 (Tue) 01:40:50


谷口雅春先生のお言葉(令和3年1月号「生命の教育」誌)

【子供の「神の子」のいのちを引き出すために】

《取越苦労は必要ない》

        *( 新編『生命の實相』第22巻2頁)

多くの母親は子供のことをあまりに取越苦労するために、
却(かえ)って子供に悪思念(あくしねん)を放送して
子供の健康や運命を害している。

或(あ)る母親は一瞬間でも自分の眼(め)の前に
いないと心配でたまらないのである。

彼は自分の想像の中(うち)で、躓(つまず)いて
転んでいる自分の子供の姿を思い浮べる。

自動車にひかれて死にかかっている自分の子供の姿を思い浮べる。
水に陥(はま)って溺(おぼ)れかかっている
自分の子供の姿を思い浮べる。

世の母親よ、何故(なぜ)あなたはこの反対をしてはいけないのか。
こんな取越苦労が起るのは、子供を神の子だと思わないで
人間の子だと思うからである。

神の子は神が育て、人間の子は人間が育てる。

人間の子だと思うものは終世(しゅうせい)、
取越苦労をして育てねばならぬ。

子供を神の子だと思うものは、子供を尊敬して出来るだけ
その世話をさせては頂くが、神が守ってい給(たま)うと
信ずるが故(ゆえ)に取越苦労は必要はないのである。

人間力で子供を生かし得(う)ると思うなら終日(しゅうじつ)
終夜(しゅうや)起きて子供の番をしておれ。

それは出来なかろう。
出来ない間に子供を生かしているのは神の力である。

・・・

<参照>「生命の教育」令和3年1月号 より
    (http://www.shinkyoren.jp/publics/index/34/#page34_59

「生命の教育」令和3年1月号 主な内容

巻頭のことば「元旦は物事の始め――元旦からまず始めましょう」
新教育者連盟理事長 代田健藏

特集 わが子を「神の子」として信じることが大切!

子供の「神の子」のいのちを引き出すためには  谷口雅春

神の子を信じることの素晴らしさ              菊池正規
実践してみよう! 善い面にたくさんの光をあてましょう     嶺 敏子

神様が育ててくださる3人娘                 中村恵子
わが子の無限力を引き出したい               長谷川智子
神の子を育てる喜び                    高松久美子


《特別インタビュー》
子供を褒めるコツがある
             元小学校長 柘植 英次

子育てワンポイント(44) 確かな愛着形成を!         出口正博

子育てQ&A 父親に寄りつかない3人の子供          大原和子
       不登校の息子が家の中で荒れてきた        小林義典
       悪い言葉を平気で使う5歳の息子         杉山紀代子

子育ては母育て(98) 子供の衣服の留意点⑺          田下昌明

日本人100 の誇り(最終回) 日本の世界的使命        岡田幹彦
日本国憲法の問題点(63) 医療現場の訴える憲法改正の必要性 勝岡寛次
日本のしきたり(37) 「若水」                辻川牧子

親子で読むものがたり(100) あらそわない心⑶        千葉ひろ子

小学生作文コンクール 最優秀賞作文の紹介

新教連活動あらかると
◇ 祝福祈願祭ならびに記念講演会の報告、『寺子屋楠公さん通信』の発行、
  小学生作文コンクールの受賞者発表、代田理事長の講演の報告ほか

◇ 1月支部行事
新年名刺広告
事務局短信・編集後記・次号案内

            <感謝合掌 令和3年1月5日 頓首再拝>

子供の内には無限の能力が宿っている - 伝統

2021/01/06 (Wed) 06:24:10


谷口雅春先生のお言葉(令和3年1月号「生命の教育」誌)

【子供の「神の子」のいのちを引き出すために】

《子供の内には無限の能力が宿っている》

        *( 新編『生命の實相』第22巻159~160頁頁)

人間の内には実に無限の潜在能力が埋蔵せられているのである。

深く穿(うが)つに従ってどれだけでも豊かに
その潜在能力を掘り出すことが出来るのである。
穿(うが)つとは自覚するということである。

自覚しさえすれば
埋蔵せる宝は常に掌中(しょうちゅう)のものとなるのである。

だから表面にある能力だけを自分の全部だと子供に思わすな。
表面にある自分」は「真の自分」の唯(ただ)の
「小出(こだ)し」にしか過ぎないことを知らせよ。

「小出し」は使うのに便利かもしれないが、
この「小出し」を自分の全部だと思ってしまったならば
大いなる発達は望めないのである。

常に子供に教えて小成(しょうせい)に安(やす)んずるなといえ。

小成は自分の「小出し」に過ぎないこと、
今ある彼の能力はすべて「小出し」に過ぎないこと、
「小出し」は決して誇るに足りないこと、

つねに「小出し」に満足せず、本源、即(すなわ)ち
無限の潜在能力 (神) より汲(く)むように努力すること――

常にかくの如(ごと)き真理を子供に解る言葉で教えるように
心懸(こころが)ければ、現在の自分に満足する子供の傲慢心(ごうまんしん)
は打(うち)砕(くだ)かれ、驕傲(きょうごう)は消滅せしめられ、
永遠に能力の伸びる精神的基礎は築かれるのである。

自分の内部の生命が無限の大生命に連(つらな)っており、
そこに自分の本当の宝が在(あ)るのだということが判(わか)るとき、
いま僅(わず)かに掘り出した能力の「小出し」位(くらい)に
傲慢(ごうまん)になっていることは出来なくならざるを得ないのである。

            <感謝合掌 令和3年1月6日 頓首再拝>

「人間は神の子」と言って聞かせること - 伝統

2021/01/07 (Thu) 02:18:46


谷口雅春先生のお言葉(令和3年1月号「生命の教育」誌)

【子供の「神の子」のいのちを引き出すために】

《「人間は神の子」と言って聞かせること》

        *( 新編『生命の實相』第22巻161~162頁頁)

「無限の自己」――これを真如(しんにょ)とも、法性(ほっしょう)とも、
自性(じしょう)とも、仏性(ぶっしょう)とも、実相とも、
「本来の面目(めんもく)」とも、 「自己に宿るキリスト」とも、
「彦(ひこ・日子<ひこ>)又(また)は姫(ひめ・日女<ひめ>) と
しての自己の本質」ともいうのである。

しかしかくの如き言(ことば)を解(かい)せぬ幼き子供に対しては、

「人間は神の子だ。子の顔が親の顔に似ているように、汝(なんじ)の
 能力と性質とは神の姿に肖(に)せてつくられているのだ。

 神はこの世界の万物をつくられたのであって、人間は神の子として、
 神の無限に大きな能力の《あとつぎ》に造られているのだ、
 だから神の子は神の子らしく生きねばならぬ。

 神から譲られている無限に大きな能力を発現しようと思わないものは、
 親から折角頂いた宝の庫(くら)を開かないで棄(す)ててしまうものだ」
 
こういう意味の話を時々言葉を変えて子供に話して聞かせることにして、
人間の本性(ほんせい)の尊いこと、その潜在能力の無限であることを
子供の心に吹き込むようにすれば好(よ)いのである。

すると、子供は次第に「本当の自分」が如何(いか)に崇高(けだか)く
霊妙(れいみょう)なものであるかを知りはじめる。

            <感謝合掌 令和3年1月7日 頓首再拝>

わが子は偉大な使命をもって生まれてきている - 伝統

2021/01/09 (Sat) 04:40:21


谷口雅春先生のお言葉(令和3年1月号「生命の教育」誌)

【子供の「神の子」のいのちを引き出すために】

《わが子は偉大な使命をもって生まれてきている》

        *( 新編『生命の實相』第22巻171~175頁)

諸君よ、先(ま)ず子供に教えよ。彼自身の生命の尊さを。
―― 人間の生命の尊さを ―― そこには無限力の神が宿っていることを。

展(ひら)けば無限の力を発し、無限の天才をあらわし、彼自身の為(ため)
のみならず、人類全体の輝きとなるものが彼自身の内に在(あ)ることを教えよ。

彼をして彼が地上に生命を受けて来たのは、自分自身のためのみでないこと。
人類全体の輝きを増し、人類全体の幸福を増すために
神が偉大な使命を彼に与えて来たのであることを教えよ。

この自覚こそ、最初の最も根本的な自覚であって、この自覚が幼時(ようじ)に
植えつけられたものは必ず横道(よこみち)に外(はず)れないで、
真(しん)に人類の公(おおや)けな歓(よろこ)びのため何事かを奉仕しよう
と喜び励む人になるのである。

常に子供を鞭撻(べんたつ)して、彼の善さを力説せよ。
彼の美点を強調せよ、自分自身の有(も)つ長所を自覚せしめよ。
ここに子供を教養する極意(ごくい)があるのである。

美点を強調し、弱点を忘却(ぼうきゃく)せしめ、失意に枉屈(おうくつ=
抑えつけられて屈すること)する時間を希望に躍進(やくしん)する時間に
変化せしめよ。

彼もし希望に輝き、美点にのみ躍進を続けるならば、弱点に執着(しゅうじゃく)
し、弱点を考え、失敗を悲しんでいる暇(ひま)はないのである。

心を弱点に置かないとき、行いに弱点を繰返(くりかえ)す暇がないとき、
その弱点を再び繰返す傾向はうすれて来るのである。

ここに彼の美点のみが発揮され、長所のみが生長する。

            <感謝合掌 令和3年1月9日 頓首再拝>

外面に現れた姿の奥に、「神の子」の実相がある - 伝統

2021/02/03 (Wed) 04:39:08

谷口雅春先生のお言葉(令和3年2月号「生命の教育」誌)

【夫婦が調和した家庭を築くために】

《外面に現れた姿の奥に、「神の子」の実相がある》

        *( 新編『生命の實相』第24巻128~130頁)

人間の実相は「神の子」であり、 「仏子(ぶっし」であり、
ミコトであります。

吾々は吾々の良人(おっと)の中に、妻の中に、
その実相を見て家庭生活を営まねばならないのです。

吾々は、互々(たがいたがい)の人格のうちに「神の子」を見、
「仏子」を見、ミコトを見て尊敬しなければならないのであります。

一旦(いったん)迎えた良人(おっと)なり妻なりは
外面に現れた現象がどうあろうとも、その現象の悪さを以(も)って、
良人(おっと)そのもの、または妻そのものの悪さと思ってはならない
のであります。

ジャン・バルジャンが盗(ぬす)みをしても盗みをして
いない本来善い人間であるところの実相を見て、遂(つい)に
ジャン・バルジャンを善人にしてしまった彼ミリエル司祭のように、

吾等(われら)は良人(おっと)又(また)は妻の本来「神」なる実相を
見なければならないのであります。

出来るだけ妻は良人(おっと)の、
良人(おっと)は妻の、欠点を見ないように、
暗い方面を見ないようにしなければならないのであります。

肉体人間は「実相仏(じっそうぶつ」ではないから、
時には躓(つまず)くことも、実相が蔽(おお)われて
悪く観(み)えることもあります。

しかしその悪さを実在であると思わないことです。
その悪さはやがて過ぎ去り行(ゆ)くべき《仮りそめ》の迷いの雲だと思い、
光り輝く善(ぜん)そのものの良人(おっと)又は妻の実相を観(み)る
ように心掛けよ。

たちまち、その悪さは消え行(ゆ)きて本来「神の子」なる
良人(おっと)又(また)は妻の実相が輝き出て、
家庭は異常に光明化されることになるのであります。

・・・

<参照>「生命の教育」令和3年2月号 より
    (http://www.shinkyoren.jp/publics/index/34/#page34_59

「生命の教育」令和3年2月号 主な内容

巻頭のことば「建国記念の日によせて――輝かしき悠久の歴史に憶う」
新教育者連盟理事長 代田健藏

特集 子育ての基本は「夫婦仲良く」から

   家庭において、誰かひとりでもイライラしたり、
   グチや小言ばかりを口にしていたり、
   不快な表情を浮かべていると、

   家族みんなが暗い雰囲気になることは
   誰でも経験したことがあるでしょう。

   子供にとっては、とくに父親と母親がいつも仲よくしていることが
   心の成長に大きな影響を与えます。

   子育ての基本は夫婦の仲がよいことからです。
   ご主人、奥さんの善い面を見つめて、明るい家庭を築きましょう。



夫婦が調和した家庭を築くために  谷口雅春

夫と妻の関係は宇宙の法則と同じです            大原和子
実践してみよう! 良い子の育つ理想の家庭を作りましょう   岩倉凉子
秩序を重んじる家庭と子育て                十河桂子
夫婦でわが子を信じる                   岡野俊恵
夫婦愛の大切さを子供から教えられる            森 冴子

《特別インタビュー》
世界がうらやむ日本の素晴らしさ
         同志社大学名誉教授 井上 雅夫

わが国の「建国」をお祝いしましょう            編集部

子育てQ&A 同じ絵本ばかりせがむ4歳の娘        齋藤千鶴子
       えこひいきする先生に不満をもつ息子     小林義典
       きょうだい喧嘩が絶えないわが家       杉山紀代子

子育てワンポイント(45) きちんと生きる          出口正博
子育ては母育て(99) 授乳にかかわる諸問題⑴        田下昌明

日本国憲法の問題点(64) 秋篠宮家の結婚問題と日本国憲法 勝岡寛次
日本のしきたり(38) 「初午」               辻川牧子

親子で読むものがたり(101) 会津藩の教育⑴       千葉ひろ子
小学生の作文「お父さん、お母さんありがとう」

新教連活動あらかると
◇ 読者からのお便り、東京多摩支部主催「古事記連続講座 第15・16 回」の案内、
  会員入会等のご案内ほか
◇ 2月支部行事
事務局短信・編集後記・次号案内

            <感謝合掌 令和3年2月3日 頓首再拝>

夫婦の争(あらそ)いをなくすには - 伝統

2021/02/05 (Fri) 02:27:05

谷口雅春先生のお言葉(令和3年2月号「生命の教育」誌)

【夫婦が調和した家庭を築くために】

《夫婦の争(あらそ)いをなくすには》

        *( 新編『生命の實相』第22巻43頁)

夫婦争いなど、お互にほめ合えば無くなってしまうものであります。
誰でもお世辞だと思いながらも、賞(ほ)められれば嬉しいものであります。

ですから奥さんがいつも良人(おっと)の事をほめることが出来れば、
良人(おっと)は善くなるのです。
又良人(おっと)は、いつも奥さんをほめれば家庭の争いなど
自然に解消してしまうのであります。

奥さんが良人(おっと)人に対(むか)って、
「あんたは偉そうな顔してるけれど、一体あなた位(くらい)、
 心の汚(きたな)い人はありません」などといえば、

良人(おっと)も癇癪(かんしゃく)を起して、
「お前は私が一所懸命外で働いているのに、家でいつものらくら遊んでいる」
ともいいたくなるものです。

いくら「うちの家内は、本当はよく働いているのだ」と思っても、
癪(しゃく)に障(さわ)るから、そうはいわない。

互(たがい)に悪いところばかり探し合って言葉の力で、
お互(たがい)の悪い性質を引き出すようにしていれば、
夫婦喧嘩の絶(た)え間(ま)はないのであります。

            <感謝合掌 令和3年2月5日 頓首再拝>

夫婦の争いは子供に強く影響する - 伝統

2021/02/06 (Sat) 02:35:29

谷口雅春先生のお言葉(令和3年2月号「生命の教育」誌)

【夫婦が調和した家庭を築くために】

夫婦の争いは子供に強く影響する

       *(新編『生命の實相』第22巻43~44頁)

この夫婦喧嘩というものは、子供の教育に非常に影響
するのであります。

実験心理学の実験に於(おい)て、皆さんの前に一様(いちよう)に
水を入れたコップを入れておいて私が水を飲めば、
皆さんもその通りに水を飲まれる。

それと同じく親が心に怒(いか)れば、
その通り子供の形に現れて来るのです。
これを児童の模倣性と申しております。

親が夫婦喧嘩をしているのを子供の時に見せておくと、
子供が成人して大人になると同じように夫婦喧嘩をする
ようになるのであります。

子供を叱(しか)る場合などでも、皆さん反省して御覧になれば、
きっと、自分が子供の時、親から叱(しか)られた通りの言葉をいって
子供を叱りつけている事実に、みずから愕然(がくぜん)として
驚く事があるのであります。

それは知らず識(し)らずの中(うち)に心の中(うち)に
蓄積された観念が、長い年月(としつき)を経(へ)ても失われずに
現れて来るのであります。

そう考えると、何事でも悪い手本は迂濶(うかつ)には見せられない
と思わせられるのであります。

            <感謝合掌 令和3年2月6日 頓首再拝>

良人(おっと)または妻をよくするには - 伝統

2021/02/07 (Sun) 03:11:32

谷口雅春先生のお言葉(令和3年2月号「生命の教育」誌)

【夫婦が調和した家庭を築くために】

良人(おっと)または妻をよくするには

         *(新編『生命の實相』第24巻161~163頁)

およそ相手を良くするには自身を良くすることが第一であります。
自身が良くならないのに相手をよくなし得(う)るということは
困難であります。

そしておよそ自身を良くするための方法は、自分の心の中に
《光明の精神波動》を照り輝かすことであります。

自分の心の中に光明の精神波動が波立っているときその人は善き人であり、
自分の心の中に光明の精神波動が波立っていないとき、
暗黒の思念が押しかぶさっているとき、その人は悪(あ)しき人なのであります。

人の欠点を見るとき、その欠点に自分の心が捉(とら)われ、
それをとやかく言(こと)挙(あ)げするとき
自分の心の中には暗黒の思念が波打たずにはいないでしょう。

「暗黒の思念」は決して相手を良化(りょうか)することは出来ないのです。

良人(おっと)をよくしてやろうと思って
小言(こごと)をいう細君(さいくん)が
良人(おっと)を益々(ますます)悪くするのは、
細君の心の中に「暗黒」の思念が波打っているからであります。

細君を良くしてやろうと思って叱(しか)りつける良人(おっと)が
細君を良化し得ないのも、細君を叱るときの良人(おっと)の心の中には
「暗黒の思念」が波立っているからであります。

相手を良化しようと思うならば、先(ま)ず自分の心の中から
「暗黒の思念」を除(とり)去(さ)らなければならない。

先ず自分自身を「光明思念」でみたさなければならない
―― 換言すれば《相手の悪を見るような心になってはならないのです》。

(中略)

妻は良人(おっと)の実相の円満完全なる姿を見るようにするとき
良人(おっと)と完全に調和してしまうのです。

良人(おっと)は妻の円満完全なる姿を見るようにするとき
妻と調和してしまうのです。

親は子の実相を、子は親の実相を見、執着(しゅうじゃく)の念を捨て、
神の完全な護りの中(うち)にあることを信じて、相手を神にまかせ預けるとき、
親子は調和したものとなってしまうのです。

そしてその家庭は幸福の家と化(か)し、
その生活は天国浄土となってしまうのであります。

            <感謝合掌 令和3年2月7日 頓首再拝>

《子供の不良や欠点を見ることをやめよ》 - 伝統

2021/03/01 (Mon) 03:35:59


谷口雅春先生のお言葉(令和3年3月号「生命の教育」誌)

【親の心の縛りをほどいて善をみる】

《子供の不良や欠点を見ることをやめよ》

        *( 新編『生命の實相』第40巻「はしがき」)

教育の根本は児童にやどる無限の可能性を信じ、発見し、
それを賞揚(しょうよう)し、激励し、自信を高め、
勉学に興味をもたらしめることにあるのである。

子供の伸びる力は「生命」の伸びる力である。
生命は解放されてはじめてスクスク伸びるのである。

児童に宿る本来健全な優良な伸びる力を発現させるためには
まず縛りを解放することである。

心に児童の不良や欠点を見てはならないし、
児童の劣等や悪意を見てはならない。

見ることはあらわすことであり発現させることである。

言葉で児童の不良やことであり欠点を見てはならない。

また言葉で児童の劣等や悪意を言いあらわしてはならない。

(中略)

児童が、あなたの意図するように健康にならず、優良な成績を
贏(か)ち得ず、怠(なま)け癖(ぐせ)が直らず、
反抗が止(や)まず、不良の傾向がますます増加するように見えるならば、

(中略)

「欠点」や「不完全」や「不良」を見て、それを言葉で言いあらわして、
その「欠点」や「不完全」や「不良」に気づかせて直そうと思うからである。

それは、心に思うことが顕(あら)われ、言葉で暗示することが
実現するという精神科学の法則に気がつかないからである。

このわたしの提唱した教育法では、
世界にはどんな劣等児も精神薄弱児童もないことになるのである。

戦後、各学校では自由教育方式が採用されて、
従来の「詰め込み教育」が廃される傾向になっているのは、
まことに好ましい傾向であるが、

それにしても、単に「自由」に放任するだけでは足りないのである。

その根本に児童の生命の奥にある「円満完全なる神性(しんせい)」を
見ることと言葉に言い現わすことがなければ、
自由や放任だけでは児童は必ずしも良くならないのである。

「《見る》」ことは「顕(あら)わす」ことであり、
「言葉」は「創造者」である。

・・・

<参照>「生命の教育」令和3年3月号 より
    (http://www.shinkyoren.jp/publics/index/34/#page34_59

「生命の教育」令和3年3月号 主な内容

巻頭のことば「万世一系、皇統連綿の歴史の学習を
――世界最長の歴史には理由がある」
新教育者連盟理事長 代田健藏

特集 わが子の反抗をどう乗り越える?

親の心の縛りをほどいて善をみる              谷口雅春

反抗期は子供に必要な成長期と捉える            井上慶治
実践してみよう! 子供はいつだって認められたい!      齋藤千鶴子
子供の実相を信じて祈る                  山本由美子
息子に取り越し苦労はしない                山﨑雅子
子供の心に寄りそって                   後藤久子



《特別インタビュー》
美しい姿勢・挨拶を子供たちに広める
            マナーキッズプロジェクト理事長 田中日出男

子育てワンポイント(46) 感動と出会わせる         出口正博

子育てQ&A 親に反発する中学2年の娘          大原和子
       指示待ち人間になってしまった娘       小林義典
       家ではあまり話したがらない長女       杉山紀代子

世界がおどろく日本の魅力⑴ 日本は世界の大国の一つです  井上雅夫

子育ては母育て(100) 授乳にかかわる諸問題⑵       田下昌明

日本国憲法の問題点(65) “見て見ぬふり” をしないこと  勝岡寛次
日本のしきたり(39) 「はなむけ」             辻川牧子
親子で読むものがたり(102) 会津藩の教育⑵        千葉ひろ子

小学生の作文「お父さん、お母さんありがとう」

新教連活動あらかると
◇ 新教育者連盟全国研修会、読者からのお便り、
  谷口雅春先生創始「生命の教育」献資のお願いほか
◇ 3月支部行事
事務局短信・編集後記・次号案内

新教連活動あらかると
◇ 読者からのお便り、東京多摩支部主催「古事記連続講座 第15・16 回」の案内、
  会員入会等のご案内ほか
◇ 2月支部行事
事務局短信・編集後記・次号案内

            <感謝合掌 令和3年3月1日 頓首再拝>

《親の心の縛りが子供の操行(そうこう)を悪くする》 - 伝統

2021/03/02 (Tue) 02:55:34


谷口雅春先生のお言葉(令和3年3月号「生命の教育」誌)

【親の心の縛りをほどいて善をみる】

《親の心の縛りが子供の操行(そうこう)を悪くする》

         *『生命の實相』頭注版第30巻(36~37頁)

親の利己主義、親の名誉心、親の虚栄心によって、
子供をこういう具合にしなければ世間体(せけんてい)が悪い
という親の「迷(まよ)い心(ごころ)」の綱(つな)によって、
その子供を縛ってしまうということは、神の子たる「子供」を
冒瀆(ぼうとく)することになるのであります。

「お前ぜひとも学校へ入学しなければならんぞ」こういうふうな
「ねばならぬ」の心の綱で縛ってしまう。

「心」というものは一つの波でありますから、
親がそういう心持(こころもち)を持っておりますと、
その精神波動が波及して、 「心の綱(つな)」で相手を縛ってしまう
のであります。

子供を「心の綱」で縛ってしまいますと、子供はなんとなしに
その縛りに精神的窮屈(きゅうくつ)さを感じ、その縛りから
解(ほど)かれたいという気持が起こってくるのであります。

親の「心の綱」の縛りから解(ほど)かれたいという気持が
子供に起こると、 その子供の日常の操行(そうこう)が変わってくる。


乱暴になったり、落ち着きがなくなったりするのであります。

            <感謝合掌 令和3年3月2日 頓首再拝>

わが子は「神の子」だから必ず善くなる - 伝統

2021/03/07 (Sun) 04:16:12


谷口雅春先生のお言葉(令和3年3月号「生命の教育」誌)

【親の心の縛りをほどいて善をみる】

わが子は「神の子」だから必ず善くなる

        *( 生命の實相』頭注版第30巻38頁)

「自家(うち)の子供は神の子だから必ず善くなるのである」と
いうことを信じて、そのままに見ておったら、今まで五年間ずっと
操行(そうこう)が悪くて先生から父兄(ふけい)が招(よ)ばれては
叱言(こごと)をいただいておったその子供の操行が甲(こう)
(註:成績等が上位)になってしまった。

これはなぜであるかということを考えてみなければならないのであります。

それは親の心が縛らなくなったからです。

親の心の綱(つな)で縛られていると、その縛りを解(と)くために、
暴れたり、いろいろ悪戯(いたずら)したりするのですが、
親が「わが子は神の子である」と信じて心で縛らなくなった時に、
子供はどこにおっても自然と《のんびり》したような気持になって、
それに反抗的悪戯(いたずら)しなくなったのであります。

そのように親が「心の綱」で縛るということは非常に恐ろしいものであります。

たいていの人は、 「心の綱」などは肉眼では見えないのでありますから、
「別段(べつだん)わたしは自分の家(うち)の子供を縛ったことはありません」
などと言われるかもしれませんけれども、

多くの親たちはたいてい、子供を自分の「心の綱」でがんじがらめに
縛りつけておるのでありまして、そのために反動として子供の品行(ひんこう)
が悪くなり操行(そうこう)が悪くなるというようになっているのであります。

            <感謝合掌 令和3年3月7日 頓首再拝>

子供の本当の善さを心で拝み出す - 伝統

2021/03/10 (Wed) 04:55:15

谷口雅春先生のお言葉(令和3年3月号「生命の教育」誌)

【親の心の縛りをほどいて善をみる】

子供の本当の善さを心で拝み出す

        *( 『生命の實相』頭注版第30巻39~40頁)


人間には仮(かり)の相(すがた)と本当の相(すがた)とがあるのです。
仮(かり)の相(すがた)というのは

(中略)

親が心で縛っているとそれに反抗するために、あるいは操行がわるくなったり、
成績が悪くなったりして、周囲の心の反影(はんえい)として出てくる、

これが仮(かり)の相(すがた)でありまして、
本来その子の操行がわるいのでも学業の成績が悪いのでもないのであります。

人間の本来の相(すがた)、本当の相(すがた)は神の子でありますから、
「本来この子は善(よ)い」と、子供の実相(じっそう)、
その本当の相(すがた)を見て、それを拝み出すようにしますと

―― 拝むといっても、あながち掌(て)を合わさなくてもむろんよいのですけれども

―― 心で子供を拝む

―― 「うちの子供は本当に神の子であって立派な子である。
    放っておいても大丈夫である。決して悪くなるようなことはないのである」と

子供を信じて心で拝むのであります。

            <感謝合掌 令和3年3月10日 頓首再拝>

「祈り」とは神に泣きつくことではない - 伝統

2021/04/04 (Sun) 04:51:46


谷口雅春先生のお言葉(令和3年4月号「生命の教育」誌)

【すでに素晴らしいわが子と信じて祈る】

《「祈り」とは神に泣きつくことではない》

        *( 新装新版『真理』第1巻229~230頁 )

「祈り」と云うのは神社のまえに手を合わし、
頭(こうべ)を垂れて、自分の欲しいものをくどくどとならべて、
それを下さいと泣きつくことばかりではないのであります。

無論これも、祈りの一種でありますけれども、これでは、
あまり効果(ききめ)はないのであります。

祈りと云うのは、命宣(いのり)でありまして、自分の
「生命(いのち)」の底深く、 「宣(の)る」即(すなわ)ち
宣言することであります。

「わたしは不幸であります。神様たすけて下さい」と泣きつくことは、
自分の「生命(いのち)」の底深く「わたしは不幸であります」と
宣言していることになりますから、

「不幸」が来るように祈っているようなものであります。
《いのち》の底深く念ずることが、形の世界にあらわれて来るのが、
「心の法則」でありますから、

不幸の人が幸福になろうと思って、 「私は不幸であります」と云えば
益々(ますます)「不幸」と思うとおりに「不幸」が出てまいります。

だから幸福になりたい人は、
「神様、私は幸福です。有(あ)りがとうございます」
と先(ま)ず御礼を云うのが好(よ)いのであります。

これこそ、幸福を《いのち》の底から宣言するのでありますから、
「幸福を実現する祈り」だと云えるのであります。

・・・

<参照>「生命の教育」令和3年4月号 より
    (https://www.shinkyoren.jp/publics/index/34/

「生命の教育」令和3年4月号 主な内容

巻頭のことば「巻頭のことば
「誰にも素晴らしい実相がある一念ずることは現わすこと」」
新教育者連盟理事長 代田健藏

特集 “祈りの力”で子供は善くなる

  “祈り"といえば、一般的に神社などで願い事をしたり、
  困ったときの神頼みのようなものと思われていますが、
  [生命の教育」を提唱された谷口雅春先生は、
  心で深く思うことや言葉で強く表すことも、
  それは“祈り"であると説かれました。

  そして、思念や言葉は形に現し出す力をもっており、
  人生はコトバで造られるとお説きになっています。

  親がわが子をどのように観て深く思念するか、
  その“祈りの力"によって善性が引き出されてくるのです。




すでに素晴らしいわか子と信じて祈る            谷口雅春

思った通りに現れるのか祈り                 大原和子
実践してみよう!祈りは実現する!              編集部
祈りの実践で楽しい毎日                   松島ひろ子
祈りの心に支えられて           宮野愛美



《特別インタビュー》
子供は遊びで育まれる
                 めぐみこども園 理事長 小村治子

子育てワンポイント(46) 感動と出会わせる         出口正博

子育てQ&A
 3歳の息子にお稽古ごとをさせたほうがいいでしょうか    杉山紀代子
 クラスから無視されている娘                小林義典
 不登校の息子との過ごし方を教えてください         斎藤千鶴子

世界がおどろく日本の魅力(2)世界一自黙の豊かな国・日本   井上雅夫

子育ては母育て(101)授乳にかかわる諸問題(3)        田下昌明

日本国憲法の問題点(66)東日本大震災十年に思う       勝岡寛次
日本のしきたり(40)「挨拶」                 辻川牧子
親子で読むものがたり(103)会津藩の教育(3)         千葉ひろ子

小学生の作文「お父さん、お母さんありがとう」

新教連活動あらかると
  ◇新教連の行事参加の喜び、新教育者連盟全国研修会のご案内ほか
  ◇4月支部行事
事務局短信・編集後記・次号案内

            <感謝合掌 令和3年4月4日 頓首再拝>

常に心の底深くに思うことが「祈り」である - 伝統

2021/04/06 (Tue) 04:26:21

谷口雅春先生のお言葉(令和3年4月号「生命の教育」誌)

【すでに素晴らしいわが子と信じて祈る】

常に心の底深くに思うことが「祈り」である

        *( (新装新版『真理』第3巻321頁))(『眞理』第三巻P377~378)

そこで皆さんが、何事かを常にわれわれが心に思う度毎(たびごと)に、
その何かを思う其(そ)のことが、 「祈り」ならざるものはないのです。

何をわれわれが二六時中(にろくじちゅう)、
あるいは四六時中(しろくじちゅう)心に、命の底深く思っているかどうか、
ということが問題なのであります。

たった15分間明るいことを考えて、後(あと)の23時間45分の時間、
暗いことを心の底で考えているならば、

それで「神様は私の祈りを諾(き)いて下さらない」とこういうのは
無理なのでありまして、

心の底深く暗いことを祈っておりましたならば、
その暗いものが集まって来るということになるのであります。

            <感謝合掌 令和3年4月6日 頓首再拝>

願いが成就する「祈り」とは - 伝統

2021/04/08 (Thu) 03:11:45

谷口雅春先生のお言葉(令和3年4月号「生命の教育」誌)

【すでに素晴らしいわが子と信じて祈る】

願いが成就する「祈り」とは

       (新装新版『真理』第3巻316~318頁)(『眞理』第三巻P372~374)

およそ、その人の祈りが成就すると、成就しないとには、
根本的に3つの条件に適(かな)うかどうかと云(い)うことが
問題なのであります。

第一には、先(ま)ず「何に」祈るかということであります。
誰に祈ってもきく訳(わけ)ではありません。

次には「何を」祈るかということであります。

更(さら)にその次には「如何(いか)に」祈るか。

この3つの条件がととのわなかったならば、
幾(いく)ら神に祈ってもそれは聞かれないということになる
のであります。

およそ祈りによっていろいろの奇蹟を現わした人たちの中で、
一番素晴しいのは、日本では弘法大師、
そして外国ではイエス・キリストであると、
私は考えるのでありますが、

このイエスが如何にして祈りによって奇蹟を現わしたかといいますと、
其(そ)の極意を、弟子がイエスに訊(き)いたことがあるのであります。

その時にイエスがこういって答えた。

「汝等(なんじ)ら祈りて何事にても求むる時、
 既にそれを受けたりと信ぜよ。
 即(すなわ)ち汝はこれを得ん」 と答えられました。

(中略~
 もう一ぺん繰り返して言いますと、
「汝等(なんじ)ら祈りて何事にても求めたる時、
 既にそれを受けたりと信ぜよ。
 即(すなわ)ち汝はこれを得ん」)

ここに祈りの方法についての根本が教えられていることに
注意しなければならないのであります。

若(も)しここに病人がありまして、

「神様どうぞ私を憐(あわ)れみたまえ。
 私は病気でこんなに苦しんでおります。
 どうぞお助け下さい。

 こんなに苦しいのであります。
 神様は無限の愛でありますから、
 どうぞ私をお癒(なお)し下さいませ。 」

と、こういって祈ったと致しますと、そのイエスの教えた法則に
当てはめて見ますと、どういうことになるかと言いますと

「汝等(なんじら)祈りて何事にても求むる時、
 既に病気を受けたりと信ぜよ、
 即(すなわ)ち汝はこれを得ん」ということになります。

「神様、私は病気で苦しんでいるのです。
 既に病気を受けているのです。どうぞ助けて下さい」と、

こういって祈る人は、 「既に受けたり」と信じておりますから、
その「既に受けた」と信じている病気が形に現れ、
いつまでも病気が消えないことになるのであります。

            <感謝合掌 令和3年4月8日 頓首再拝>

どんな時も子供の本当のすがたを信じて - 伝統

2021/04/11 (Sun) 02:31:19


谷口雅春先生のお言葉(令和3年4月号「生命の教育」誌)

【すでに素晴らしいわが子と信じて祈る】

どんな時も子供の本当のすがたを信じて

       ( 『生命の實相』頭注版第30巻39~40頁)

さて、京都の石川さんの坊ちゃんも一昨年その坊ちゃんが
一高の理科を受けられたのですが辷(すべ)られました。

辷(すべ)られたけれども、少しもお母様は
おかこち(編註:嘆くこと)にならなかった。

そうして実相(じっそう)を見て、
「うちの子供は神の子であるから入学しても入学しなくとも
 少しも価値が相異しない、昨日の子供は今日の子供と同じ価値だ」
と喜んでいられたのであります。

(中略~実相というと、実の相(すがた)、人間の本当の相(すがた)
    を言うのであります。生長の家式に言いますと、人間には
    仮の相(すがた)と本当の相(すがた)とがあるのです。
    仮の相(すがた)というのは今申しましたように、
    親が心で縛っているとそれに反抗するために、
    あるいは操行がわるくなったり、成績が悪くなったりして、
    周囲の心の反映として出てくる、これが仮の相(すがた)で
    ありまして、本来その子の操行がわるいのでも
    学業の成績が悪いのでもないのであります。)

人間の本来の相(すがた)、本当の相(すがた)は神の子でありますから、
「本来この子は善い」と、子供の実相、その本当の相(すがた)を見て、
それを拝み出すようにしますと

―― 拝むと言っても、あながち掌てを合わさなくてもむろんよいのですけれども
―― 心で子供を拝む

―― 「うちの子供は本当に神の子であって立派な子である。
    放っておいても大丈夫である。決して悪くなるようなことはないのである」

と子供を信じて心で拝むのであります。

この石川さんの奥さんの子供をよく信じておられるのには
わたしは常に感心させられるのであります。

一度、一高の入学試験に失敗せられましてからも、
その坊ちゃんが、時々は勉強しないようなこともあられたようでしたけれども、

「うちの子は決してまちがいはないのだ。神の子だから決してまちがいはないのだ」

という大きな信念を持って子供を拝んでおられた。

その大きな信念を持っておられました結果、
その翌年にはチャンと一高へ入学せられたのであります。

            <感謝合掌 令和3年4月11日 頓首再拝>

家庭の食事が楽しい寛(くつろ)ぎの場となるとき - 伝統

2021/05/01 (Sat) 02:49:15

谷口雅春先生のお言葉(令和3年5月号「生命の教育」誌)

【家庭が幸福で愉快になるために】

《家庭の食事が楽しい寛(くつろ)ぎの場となるとき》

      *(新編『生命の實相』第13巻155~156頁)

一日の勤労を終って、外から家庭へ帰って来るとき、
或(あるい)は店を看(み)まもる時間が終って本当にホームというもの
に吾々が落ち着くとき、
そこは実際吾々にとって、天国でなければならないのである。

そこで吾らが楽しい晩餐(ばんさん)に対(むか)うとき、
吾らの前には、愛する家族たちの楽しい顔が並んでいる。

吾らは互に愛情の籠(こも)った微笑(びしょう)をえみ交わしつつ、
その日にありしナンセンスを語るであろう。

この時、すべての窮屈(きゅうくつ)さはとれてしまい、
寛(くつ)ろぎと、自由さと、愛の言葉と、栄養を与えてくれる
食物(しょくもつ)とが終日の吾々の労苦をなぐさめ
癒(いや)してくれるのである。

かくの如く本当の善き家庭は実に天国であるのである。

・・・

<参照>「生命の教育」令和3年5月号 より
    (https://www.shinkyoren.jp/publics/index/34/

「生命の教育」令和3年5月号 主な内容

巻頭のことば「伝統社会の素晴らしさを知ろう」
新教育者連盟理事長 代田健藏

特集 家庭の食事の時間を大切にしよう

  最近は、夜遅くまで塾や習い事があったりする子供が
  夕食をコンビニの弁当で済ませたり、
  家族の食事を、買ってきた惣菜等でまかなったりすることの多い
  家庭が増えていると言います。

  また、家族の食事時間がバラバラで、
  いわゆる“子供の孤食”が多い家庭もあるようです。

  家庭の食事は、栄養のバランス面から子供の健康に関わるだけでなく、
  親と子のふれ合い、そして何より子供の心の成長に大きな役割を
  果たしています。

  家庭の食事を明るい団欒の場にすることから、
  子供の成長を見つめてまいりましょう。


家庭が幸福で愉快になるために   谷口雅春

心も身体も健康を保つ時間      岩崎美智代

実践してみよう! 食事の時間は学びの場でもあります  及川章子

食事時間の役割分担         橘内智子

好き嫌いを言葉の力でなくす     岡田玲奈

継続は力なり・村野紘子/四季の食材・金村良子/大家族の食事・福原彩子


《特別インタビュー》

働くことは日本人の喜び
         静岡県立大学名誉教授 高 木 桂 蔵


子育てワンポイント(48) 「しつけ」を大切に         出口正博

子育てQ&A 勉強嫌いな中2の息子             大原和子
         ゲーム依存症の息子            小林義典
         就学に向けて子供に何を教えればいいのか   杉山紀代子

子育ては母育て(102) 授乳にかかわる諸問題⑷         田下昌明

世界がおどろく日本の魅力⑶ 森の大国・日本          井上雅夫

日本国憲法の問題点(67) 官房長官の情けない前例主義を憂う 勝岡寛次

日本のしきたり(41) 「初物」                辻川牧子

親子で読むものがたり(104) 勇気を持ちましょう(前編)   南 敏雄

小学生の作文「お父さん、お母さんありがとう」

新教連活動あらかると

◇ 読者の声、新教育者連盟全国研修会の案内、谷口雅春先生創始「生命の教育」献資
  のお願いほか
◇ 5月支部行事
事務局短信・編集後記・次号案内

            <感謝合掌 令和3年5月1日 頓首再拝>

食卓で不快な心を起こせば、家庭が暗くなる - 伝統

2021/05/02 (Sun) 04:56:39


谷口雅春先生のお言葉(令和3年5月号「生命の教育」誌)

【家庭が幸福で愉快になるために】

食卓で不快な心を起こせば、家庭が暗くなる

        (新編『生命の實相』第13巻158~159頁)

私の知っている或る家庭地獄では、事務所から良人(おっと)が
帰って来て、家族打(う)ち揃(そろ)って晩餐(ばんさん)の
食卓に向(むか)うとき、そこが小言(こごと)の審問所(しんもんじょ)
になるのである。

良人(おっと)は事務所の色々の多忙な世間的な心遣いで神経が疲れていて、
ちょっとしたことにもイライラしたくなっている。

予想に反したお菜(さい)が食膳(しょくぜん)に並んでいると、
最初は何の気もなくそれを不味(まず)いと小言(こごと)を言う
「何故(なぜ)こんなお菜(かず)をこしらえた?」と言って
咎(とが)める。

この時、細君(さいくん)は細君で折角(せっかく)の心尽(こころづく)しに
小言を言われて引合(ひきあ)ったものではないというので不快な顔をするであろう。

妻の不快な顔を見ていると良人(おっと)の方では益々(ますます)
不快になって来る。

「終日(いちにち)、勤め先で労苦して、さて慰(なぐさ)められようとして
帰って来たのにお前はそんな膨(ふく)れ面(つら)をして私を迎えるのか」
と言いたくなる。

或(あるい)はそれを言葉に出すか、
言葉に出さなくともその思いが顔にあらわれる。

互(たがい)の不快が互の心と顔とに相(あい)反映して、
面白(おもしろ)くない家庭の空気はいよいよ益々
険悪(けんあく)になって来る。

            <感謝合掌 令和3年5月2日 頓首再拝>

家庭の中で自制を失ってもよいと思うのは間違い - 伝統

2021/05/03 (Mon) 02:42:34


谷口雅春先生のお言葉(令和3年5月号「生命の教育」誌)

【家庭が幸福で愉快になるために】

家庭の中で自制を失ってもよいと思うのは間違い

        (新編『生命の實相』第13巻161~162頁)

何故(なぜ)吾らは最も平和な慰(なぐさ)めの聖所(せいしょ)で
なければならぬ家庭の中に於てだけは、自制の徳を失って、
ちょっとしたことにも怒(いか)りを爆発さし、

ちょっとしたことにも露骨に不快な顔を見せて、最も神聖な家庭の
平和を汚(けが)してしまうことを惜(お)しまないのであろうか。

すべてこれらのことは魂の弛(ゆる)みから来るのである。

家庭に於ては感情を掻(か)き乱した態度を見せても、
イライラしく振舞(ふるま)っても、口ぎたなく罵(ののし)っても、
自分の社会的地位が危(あやう)くない。

馘首(かくしゅ・編註:雇い主が使用人を解雇すること)される心配もないし、
逐(お)い出される心配もないし、
そのために生活に困ることもないと思って多寡(たか)を括(くく)って
いるので、ニセ物の自分が安心してのさばり出すのである。

しかし家庭に於てイライラしく振舞(ふるま)ったり、口ぎたなく
怒鳴(どな)りつけても、そのために生活に困ることはない
と思うのは大(だい)なる考え違いである。

もし本当の吾らの楽しい生活の大部分が家庭にありとするならば、
その家庭の空気を憂鬱(ゆううつ)なものにしてしまうことは、
自分自身の楽しい生活の大部分を殺してしまうことになるのである。

諸君はもしこれまでに昂奮(こうふん)して家庭の人々に口ぎたなく
罵った経験があるならば、罵ることによって、決して自分の心が
幸福にも愉快にもならぬものであることを実験していられるに
相違ないのである。

            <感謝合掌 令和3年5月3日 頓首再拝>

愛の心を現し出すとき家族が善くなる - 伝統

2021/05/04 (Tue) 04:36:04


谷口雅春先生のお言葉(令和3年5月号「生命の教育」誌)

【家庭が幸福で愉快になるために】

愛の心を現し出すとき家族が善くなる

        (新編『生命の實相』第13巻168~171頁)

息子や娘を善くしてやりたい愛の心だといって、
始終(しじゅう)大きな声で口穢(くちぎたな)く
罵(ののし)ることは失敗である。

それはたとい愛の心があっても、鬼(おに)の面(めん)を
被(かぶ)った愛の心である。

鬼の面を被っている以上は、
愛でも相手を恐れさすほかに能力がないのである。

汝(なんじ)の鬼の面をとれよ。
そして本物の愛の顔を出(いだ)させよ。

相手は懐(なつ)いて、愛に感じて、
喜んで善に遷(うつ)ってくれるのである。

たえず小言(こごと)を言い、
絶えず怒りを振(ふ)り撒(ま)いて歩き、間断なく人の欠点をさがしつつ、
その人を善き人にしてやろうと思うのは、
「不調和」から「調和」が生れ出て来るだろうと予想するのと同様な迷信である。

たとい、この世の中に瓢箪(ひょうたん)から駒(こま)が生れ出ようとも、
「不調和」から「調和」が生れて来ることは難しいのである。

諸君がもし諸君の立(た)ち対(むか)う人たちをば善ならしめようと
欲するならば、自分自身が先(ま)ず調和した心持(こころもち)に
ならなければならないのである。

自分の心が乱れ、癇癪(かんしゃく)に触って相手を鋭(するど)い
言葉で刺し貫いているようなことで、相手を善に化(か)し得(う)る
などと偉そうなことを考えぬが好(よ)いのである。

家庭の中でブツクサ小言を言うものは、ただその家庭に黒雲を投げ込んで、
明るい光線を押し消し、澄んだ生々(いきいき)とした空気を、
濁った泥水のような空気にしてしまうほかに何の能もないのである。

暗い中で育つものは黴(かび)ばかりだ。

家庭の空気を暗く冷たくしておきながら、美しい薔薇(ばら)や
牡丹(ぼたん)の花のような美徳を咲かせようと思ってもそれは無効だ。

(中略)

すべてあなたの家庭にてつかわれる言葉をば
「神の子」らしい洗練されたものたらしめよ。

互(たがい)を尊べ。

何故(なぜ)なら、あなた達は皆(みん)な「神の子」であり、
「神の子」の生活を成就するために家庭を造っていられる
のであるからである。

            <感謝合掌 令和3年5月4日 頓首再拝>

学校でのいじめを受けている場合は - 伝統

2021/05/07 (Fri) 04:56:49


         *「光明道中記」(5月7日《人の特長を拝む日》)より

【他を自分の型に嵌めようと思う者は躓く。(『生命の實相』第十一巻)】

親の精神状態にそれほどの葛藤(いらいら)も争いも憎みもないのに
子供が不従順な場合は学校に原因があることがある。
学校と連絡し、学校の先生と親しく和解しなければならない。

学校で教師にいじめられたり、仲間にいじめられたりする子供は
家に帰って親に対して不従順になり勝ちである。

子供の生活のうち、最も伸びねばならぬ学校生活の半日が ―― 否(いな)、
その子供にとっては半日ならぬ殆ど全日に感じられる期間、彼はいじめられたり、
不快な眼に逢って来たので、それに対する反抗を表現したいが、
それを学校では表現することが出来ないから、
その反抗を家庭で表現しているのである。

それに対して、家庭の親が暴君的に圧迫を加えるならば
子供は内心の犯行を表出する捌け場所を失って、病気になるか、
不快な事を見まいと云う精神力の反映から近視になるか、

それを聞くまいとして中耳炎を起すか、
頑固に鼻の奥にブツクサ言っていて素直に通さないところの蓄膿症を起すか、

親が子供の成績の良くなることを希望しているのに、逆に成績を良くしないことが
親に反する切(せ)めてもの反抗であると云うようなことになることがある。

愛撫して抱きし締めながら学校の模様を聞いてやること。

            <感謝合掌 令和3年5月7日 頓首再拝>

子供を無理にあやまらせるものではない - 伝統

2021/05/08 (Sat) 02:20:18


         *「光明道中記」(5月8日《愛して放つ日》)より

【執愛は捉われている愛である。「愛の愛たるは愛に非ず」とも言える。
                    (『生命の實相』第十一巻)】

子供を無理にあやまらせるものではない。
もう今後一切そんなことはしませんと誓わしてもならない。

大人自身あやまることの不快と、
一度禁煙を誓っても幾度でも煙草(たばこ)が
廃(や)められない大人が沢山あることを考えれば
「誓う」と云うことが何にもならないと云うことが判るであろう。

一度誓ってそれを犯したら、
それは「自分は誓を破(やぶ)った罪人だ」と云う自覚の念に
いつも付きまとわれた人間になり、自信力を失うか、
毒を喰(くら)わば皿まで式に、
「どうせ汚(けが)れた身体(からだ)だからもっとやろう」と
云うようになるかする。

また、守れるかどうか判らないことを誓わせるのは
嘘つきを奨励しているのと同じことになる。
あやまるのを好まぬ子供にあやませると、
今度は嘘をついてあやまる不快を免れるようとする。

子供に正直の美徳を教え込もうと思うならば
親自身が子供の前で嘘をついてはならぬ。
子供の前で居留守を遣う親は沢山ある。
子供にだけ嘘をついてはならぬと言って
自分が嘘を言う親は二重に嘘をついているのである。

人間は本当のことを言いたいのが本性(ほんしょう)だから、
本当を言っても叱られないとなれば却って本当のことを言う。

            <感謝合掌 令和3年5月8日 頓首再拝>

教育は「善」の権威を示すことによって行なわれる - 伝統

2021/05/09 (Sun) 04:59:27


          *「光明道中記」(5月9日《何事にもイライラせぬ日》)

【他(ひと)を審判(さば)く者は、天に於いてまた自分も審判(さば)かれる。
                         (『生命の實相』第三巻)】


子供が不従順な場合は健康を害しているか、疲労しているために
何に対しても焦々(いらいら)してヒステリックになっている場合もある。

頭から叱り付けでも、子供の精神障害を一層大きくするばかりで、
百害あって一利なしである。

それどころか子供を叱っていると、
親自身が焦々(いらいら)して来るから子供の心に
親のイライラを反映させて決して教育効果などのありようはないのである。

教育はイライラや叱責や気持の悪さで行なわれるものではない。

教育は「善」の権威を示すことによって行なわれるのである。

善の権威とは暴風の如く狂暴に暴(あば)れ狂う殺伐(さつばつ)さではない。
善の魅力、愛の魅力である。

獄中にいて検察官を手古摺(てこず)らせた左翼の闘士でさえも、
親の愛の前には転向せざるを得なかったと云う。

教育は鞭(むち)ではない。
愛である。その愛も、盲愛であったり熱愛であったりしてはならない。
智慧をもって急所急所を抑えて行かなければならない。

病気だとしていたわりすぎると、
病気を口実にして不従順や嬾惰(らんだ)の習慣が附くのである。
病気だと云う言葉を家庭の中で使ってはならない。

静かに抱(だ)くか愛撫するかして
「あなたは好い子なのです。屹度親の言うことを聴いてくれます」
と断定的に言いなさい。

愛は癒す。
言葉の力は癒すのである。

            <感謝合掌 令和3年5月9日 頓首再拝>

子供の心の悩みの表出に動機を与えてやることが必要 - 伝統

2021/05/10 (Mon) 02:45:27


          *「光明道中記」(5月10日《三界唯心を悟る日》)より

【全ては自分の心の影であるから目のとどく限り神示とも言える。
                   (『生命の實相』第十一巻)】

子供は学用品を紛失して、
親からひどく叱られるのを恐れて隠していることがある。

何でも子供は《もの》を隠しているときには、
強情に陰気に塞ぎ込み勝ちのものである。

「父さん母さんは決して叱らないから、
 隠していることを心に持っていて、自分ひとりで苦しまないで、
 母さんにそれを打明けて一緒に苦しいことは二人で分けましょうね」


こう言って愛撫して、愛を表現しながら、
子供の心の悩みの表出に動機を与えてやることが必要である。

幼いときから持ちつづけた感情の悩みが大人(おとな)になってからの
神経的疾患として発病することもある。

子供の怠惰、朝寝、不勉強は権力者に対する無言の抵抗であることがある。

大人でも権力によって拘束せられる場合には、無言の怠惰 ――
飢餓罷業(ハンガー・ストライキ)や怠業(サボタージュ)を行なうことは
誰でも知っている。

ガンジーのような高潔な人格者でも、
ハンガー・ストライキやサボタージュはやるのである。

子供の怠惰も必ずしも人格の低下の標識(しるし)ではない。

それは却って子供の自尊心の強さから、自尊心を傷つけられたことに対する
反抗の顕れであることもあるし、先生や、親や、友達が認めてくれない
絶望からの自暴自棄であることもある。

            <感謝合掌 令和3年5月10日 頓首再拝>

子供が病気や疲労を現したら、親自身が自分の心を反省する - 伝統

2021/05/11 (Tue) 04:54:13


          *「光明道中記」(5月11日《魂の浄(きよ)まる日》)より

【病気は悪くなる行程ではない。浄化の行程である。(『生命の實相』第十一巻)】

子供が病気らしく見える場合や、疲労していると見える場合に、
親自身が驚いたり、周章狼狽した態(さま)を見せては可(い)けない。

親の心や態度は直(ただち)に子供に反映するものである。
それは生みの子だけに反映するのではなく、養子にでも養女にでも反映する。

子供が病気や疲労を現したら、親自身の心がイライラしていないか、
誰かと争いの心持を有(も)っていないか、心配事はないか ―― と、
よく親自身が自分の心を反省して自身の心を落着け争いを解くことである。

12歳以下の子供の病気や疲労は親自身の心の葛藤(いらいら)が反映しているのが
90%以上であろうし、16歳以下の子供の病気や疲労の50%位までは
親自身の心の葛藤(いらいら)の反映であると言っても好い。

17歳以上になると子供も大体人格の独立を得るから
親の精神状態に影響されることは段々少なくなると言い得る。

併し、どんな人でも自他一体
 ―― 一つの生命の波の中に浸って生きているのであるから
他の人の精神波動の影響を受けないと云うことはあり得ない。

夫婦は大人(おとな)であるが互いにその精神波動を感応して
互いの身に病気や事業の失敗を起させる。

況(いわん)や親子の間は大人になっても互に影響し合うものである。

            <感謝合掌 令和3年5月11日 頓首再拝>

一旦命じたことは断乎として従わせる習慣をつける - 伝統

2021/05/12 (Wed) 03:53:23


          *「光明道中記」(5月5日《謙遜を以て貫く日》)より

【強がりは本当は弱いのである。上手がりは本当は下手なのである。
                        (『生命の實相』第十二巻)】

子供の不従順の原因は父母の命令の不一致から来ることもある。

母親が「斯うせよ」と言う場合、父親が「そんなことをしなくて可い」と言えば
子供は去就に迷って了い、結局権力者の方へ附いてしまって、
母親を馬鹿にするようになって了う。

子供の前ではどちらでも一方の親が命令した言葉に、
こう一方の親が賛成するようにして命令が二途(と)に出てはならぬ。

仲の悪い夫婦の中に出来た子供は、
両親の一人ずつがその子供に、父や母相互の不平を訴えることがある。
そんな場合、子供は親の権威を無視するようになって不従順になる。

「そんなことをしたらお父ちゃんに言附けますよ」と言う母親があるが、
こんな母親は自分には何の権威もないと云うことを表現しているに過ぎない。
従って子供は母親を馬鹿にして言うことを肯(き)かなくなる。

また一旦命令を出して置きながら、それに従わないでも、ただブツブツ
口叱言(くちこごと)を言っているだけでは、母の命令は「馬の耳に念仏」
と同じようで、子供に何の権威もないものとなる。

滅多に叱言は言わぬか、
一旦命じたことは断乎として従わせる習慣をつけねばならぬ。

            <感謝合掌 令和3年5月12日 頓首再拝

父母の仲が悪い時に、子供の家庭の紊(みだ)れが芽生える。 - 伝統

2021/05/13 (Thu) 04:50:58


          *「光明道中記」(5月13日《善一元を悟る日》)より

【すべて行為を善き動機から来るものとして言葉で賞(ほ)めよ。
                      (『生命の實相』第十一巻)】

父と云うものは厳父であると同時に慈父でなければならない。
父を憎んでいる子供は、児童教育にたずさわって見ると
かなり多数だと云うことが発見される。

父と子との争闘は精神分析の方では
ギリシャのソフォクレスの戯曲「エディポス王」の名を藉(か)りて
エディポス錯綜(コンプレックス)と命名した。

子供と云うものは本能的に母の乳房を吸った記憶から
母を「自分のもの」として見ようと云う傾向のあるものである。

母との一体感はその記憶の上にも明らかであるけれども、
「父」より自分が出たところの記憶はない。

「父」と「自分」とが一体であることが自覚されているならば、
「父」が「母」の上に権力を揮(ふる)っても、
それは「自分」と同体であるところの「父」(自分の延長)が
「母」の上に権力を揮うのだと云うことが判るから、
子供自身はそんなに憤激を感じないけれども、
そうでない場合はそんな子供は父を憎むようになり勝である。

父母が子供の前であまりに仲が悪い時には
その子供は結婚忌避症になり勝である。

子供の家庭の紊(みだ)れは此処に芽生える。

精神分析に就いての詳しい説明は
拙著『人間性の解剖』及び『精神分析の話』を読んで戴きたい。

            <感謝合掌 令和3年5月13日 頓首再拝>

不平等の中に平等に愛されていることを知らせる - 伝統

2021/05/14 (Fri) 05:01:42


        *「光明道中記」(5月14日《応変自在の日》)より

【人生百般の修行は随処作主(ずいしょさしゅ)の工夫にある。
 随処作主とはその時その場の主人公となることである。
                   (『生命の實相』第十三巻)】

多勢の前で一人だけ賞(ほ)める事は、
賞められない兄弟(又は人々)の嫉妬の的にその人を置く事になる。
賞められない多勢は希望を失って勉強しなくなり、
親や教師に対して反感を持つ。

若し平等に兄弟を扱わねばならぬ場合には、不平等のように見えても、
実は不平等ではないことを説明してやらねばならぬ。

即ち今生まれた乳児だけにお乳をやって、前の児(こ)にお乳をやらない場合には、

「あなたは赤ちゃんの時にはそうせられたのです。
 歯のない赤ちゃんはお乳を飲むほかに生きることが出来ないので
 お乳を飲ませるのです。

 特別に赤ちゃんばかりを可愛がるのではありません。
 あなたには歯が生(は)えているから、お乳よりも塊(かたまり)の
 食物の方が栄養になるのです。

 赤ちゃんにはお乳を飲ませることが可愛がることになるし、
 あなたには塊の御飯をたべさせることが可愛がることになるのです。

 神様はみんなに同じものを与えるものではありません。
 梅の樹には梅の花を与え、桜の樹には桜の花を与えているでしょう」

こう云う話をして、みんなには夫々(それぞれ)の立場があり不平等の中に
平等に愛されていることを知らせねばならぬ。

            <感謝合掌 令和3年5月14日 頓首再拝>

兄弟への寵愛を互に比較するような動機を児童に与えてはならない。 - 伝統

2021/05/15 (Sat) 04:54:36


        *「光明道中記」(5月15日《八方正面の日》)より

【善は、「ねばならぬ」に縛られた形の上から固定してはならぬ。
                      (『生命の實相』第九巻)】

また大きい方の子に与える物を、小さい方の子に買ってやれぬ事もある。

そんな時に小さい方の子に言ってきかせる言葉は
「兄さんは学校へ行くために要(い)るものを買ったのです。
あなたも亦学校へ行く時には、学校で要るものを買って貰えるのです」
斯う云うようにして、また不平等の中に愛の平等があることを知らせねばならない。

兄弟のうちの一方を賞(ほ)めてはならぬ。

「××さんのように温順(おとな)しくするんですよ」斯う云う言語は、言われた当人には
侮辱であり、自分への愛が××さんに移ったと思いちがえて非常に嫉妬と失望とを感じて、
「温順しくするどころか、もっと暴れてやれ」と云うような気持を起し易いものである。

兄弟への寵愛を互に比較するような動機を児童に与えてはならない。
愛が失われるかも知れないと云う恐怖は、子供を従順に導くかわりに乱暴に導く。

潜在意識を解決せずにいながら兄弟喧嘩を解決しようとする時は概ね心配を招く。
それは水仙の球根を処置しないで花だけを摘んで水仙を絶滅しようとするようなもの
である。

            <感謝合掌 令和3年5月15日 頓首再拝>

子供が親の物を盗むのは愛の裏返し - 伝統

2021/05/16 (Sun) 04:54:06


        *「光明道中記」(5月16日《父を憶(おも)う日》)より

【贅沢を羨むな。今日一日生かされてある事実に感謝せよ。
                      (『生命の實相』第十一巻)】

子供が親の物を盗むのは「盗み」と云うことが分からないで
自他一体の気持ちでする場合と、親を愛している証拠でする場合がある。

後者は《親のもの》即ち
 ―― 「親」《そのもの》を自分に抱いていたいのである。

それは必要に迫られて、
欲しいと言っても得られない場合に止むを得ずする場合もあるし、
親を憎んで親に対する反抗心で親の大切なものを盗む場合もあるが、

反抗心も結局は愛の裏返しになったのある。

その子供は親を愛しているのだと知って、その子供を憎まないことが肝要である。
「金」は大抵親が儲けてくるものであるから、
子供にとっては「金」は父親の象徴(しるし)として存在するのである。

その「金」を隠れて浪費する子供は、父親を浪費したい
 ―― そんな父親はなくなれば好いと思っているのである。

そんな子供は大抵あまりに厳格な父親の下に育っているので、
父親と云う束縛者がなければ好いと思っているのである。

兄弟がある場合に、兄弟のものを盗むのは、兄弟の一方が自分より愛されていると
想像される場合、その「愛」の象徴を盗みとろうとするのであって、
それは本当の盗みではない。

愛されたいと云うに過ぎない。

愛を与えれば、そんな盗みは消えて了うのである。

            <感謝合掌 令和3年5月16日 頓首再拝>

子供の能力で出来ない事を命ずるな - 伝統

2021/05/17 (Mon) 02:15:24


          *「光明道中記」
           (5月6日《拝んで人の苦難を看(み)のがす日》)より

【突き当たったら目が覚める。突き当たらすのも慈悲の道だ。
                        (『生命の實相』第十二巻)】

「一度だけは我慢してあげましょう」こう言って
自分で自分の命令を撤回してしまう癖をつければ、命令は徹底しなくなる。

一度が大切であって、一度許せば今後許さない時には
却って逆恨みをするようになるものである。

「あれほど言ってもまだ言うことを肯(き)かぬのですか、
お前のような強情なものはない」と言うならば、
その子供は親の言った通り強情になって了うだろう。

まだその上、「お前の強情にほとほと困って了う」と言えば、
親の無能の表白ともなり、強情の勝利ともなる。

「この前も、お前はこうだった、あの時もお前はこうだった」と、
旧悪までも曝(さら)け出して叱るのは、本人に「悪」を印象せしめるか、
幾つも挙げているうちには「あの時には私の方に理由がある」と
思えることもあり、却って、親や教師の方が無理を言っている
ような感じを与えて、子供を益々反抗させる虞(おそれ)がある。

子供の能力で出来ない事を命ずるな。
そんな命令は実行が出来ないから、子供を不従順にするようなものである。

            <感謝合掌 令和3年5月17日 頓首再拝>

性欲を想像せしめる環境を避ける - 伝統

2021/05/20 (Thu) 07:03:22


          *「光明道中記」(5月20日《自由自在の日》)より

【義務と思えば重く、愛して行えば歓びが得られる。(『生命の實相』第四巻)】

幼児より爪を咬む習慣のある児童は、あまりに家庭で束縛され、
心が内面にばかり陰気に向いている証拠で、
自涜(じとく<肉体の自己玩弄>)の一種である。

心が明るく愉快に外面的に伸びて行く場合には
肉体の自己玩弄(がんろう)は起らないのである。
明るく愉快に、心が自己玩弄に向う時間がない程に肉体運動を奨励するが好い。
疲れて眠くなるまで無理に眠らせないが好い。

肉体の自己玩弄を看付けた場合には、
余り激しく「罪悪」として叱り附けてはならない。

余り激しく叱り附けられると恐怖心の結果、
「恐いものをやって見たい」の欲望で、
隠れて肉体を自己玩弄するようになり易い。

男女とも13歳位になったら
素地(きじ)の粗(あら)っぽい布の猿又(さるまた)を
着用して眠らせるが好い。

あまりに柔らかい布の下着は接触の快感を連想せしめて、
肉体の自己玩弄に導いて行くことがある。
また蒲団は軽く硬いものが好い。

男子は柔剣道、駆歩(かけあし)などを盛んにやって妄想の余裕を与えぬこと。

少年に対しては、恋愛小説、放送番組のラブ・シーン、レビューのダンス、
卑猥なる週刊雑誌を避けねばならぬ。
これを見せれば梅干を見れば唾液が湧く程度に性欲を興奮せしめる。

高潔なる思想家、英雄豪傑の伝記などを読み、性欲を想像せしめる読物を廃するが好い。

            <感謝合掌 令和3年5月20日 頓首再拝>

子供の利己心を増長させない - 伝統

2021/05/22 (Sat) 04:38:15


          *「光明道中記」(5月22日《真に幸福なる日》)より

【知らずに犯す残酷ほど残忍なものはない。(『生命の實相』第四巻)】


あまり親が愛してくれて、何でも自分の欲することを協(かな)えてくれるものだと
思い込ますようにすることは、子供の利己心を増長させるようなものである。

そんな子供は自己中心であって、
周囲の事物一切は自分の快楽を満足させてくれるためにあるものだ
と考えるようになり勝ちである。

そんな子供が成長して社会へ出ると、周囲の人々はなかなか自分の快楽を
満足させてくれたりするものではない。
そこに期待の不充足に対する不平が起り、社会国家を呪うようになり易い。

人間は他が自分に調和してくれるまで、自分の方からは調和しないでいても好いと
考えるようになっては、決して世の中に容れられず出世しないものである。

人間は天地間に生まれて、自分の方から、その世界に適するように動き出して行く者が
勝利を得るのだと云うことを知らねばならない。
即ち適者生存の原理を知らなければならないのである。

適者と云うのは自分が全体の幸福のためにどれだけ献(ささ)げ得るかの程度に
随(したが)って定(さだ)まるのであり、全体のために幸福を献げ得る者のみが、
自分がまた幸福になり得るのだと云うことを教え込まねばならない。

            <感謝合掌 令和3年5月22日 頓首再拝>

児童が乱暴を働く場合は、その行動を別の方向へ転ぜしめよ - 伝統

2021/05/26 (Wed) 04:40:44


         *「光明道中記」(5月26日《真行の日》)

【ここに生きている生命は神の生命そのものである。
 大生命の生命(いのち)そのままである。
 み仏の生命がここに生きているのである。(『生命の實相』第二十巻)】


ある村の神社の境内を村の子供が荒らし廻って困ったことがあった。
しては悪いと言ってそれを叱り続ければ見ていない頃を見計らって
益々乱暴を働くのである。
こんな場合どうしたら好いか。

答は簡単である。「しては悪い」と言うことは相手を咎めたことであり、
相手を「悪い」と言ったことになるから「悪い」と批判された相手は益々憤慨して
此方(こちら)の好まない事を反抗的にしたくなるのが当然である。

相手を心で観れば相手は益々反抗する。

児童が大人にとって「悪い」と見えることをするのは、
児童の本性が悪いためではない。

児童の立場からは興味があるからしているのだが、児童は周囲への影響が
どう云う風になるかと考える程には観察力が広くないから、
それが偶々(たまたま)大人にとって都合の悪いことになるに過ぎない。

児童は悪いのではなく大人にとって都合が悪いだけである。

それならば児童の行動を別の方向へ転ぜしめたらそれだけで好いのである。
児童は大人に信頼され、大人に頼まれることを喜ぶものである。

命令せずに「これを君してくれないか」と言って
他にして欲しいことを頼むが好い。

            <感謝合掌 令和3年5月26日 頓首再拝>

叱り方には、工夫を - 伝統

2021/05/27 (Thu) 04:50:46

         *「光明道中記」(5月27日)
            ~《明るい物のみ引き寄せる日》

【じかに阿弥陀仏の懐に飛び込む教である。(『生命の實相』第二十巻)】


子供の友達は快活な明るい者を選ぶが好い。

暗い陰気な子供と交わらしていると、自分の子供も暗い陰気なものとなり易い。
従って健康も害(そこな)われ易いのである。
快活な明るい子供と遊ばせることにしただけでも、その子供が健康になった実例がある。

子供の読物は明るい、父母の愛や、友達にみちた物語、道徳的な、努力を楽しむ、
困難を物ともせず成功する立志伝又は武勇伝などが好い。
陰気な物語、お化(ばけ)の出て来る物語、正しき者が滅びる物語などは宜しくない。

子供は絶対に叱ってはならないと云うことはない。
過(あやま)って悪を犯したり、人の迷惑になることをしたときには、叱っても悪くない。

けれども「そんなことをする子は悪人です」などと、
本人そのものを悪人と宣言するような叱り方をしてはならない。

若しそんな叱り方をするならば、子供は自分を悪人だと思い込んで了い
善に遷(うつ)る動機と勇気を失ってしまう。

子供が過(あやま)ちを犯したら、

「あなたは善い子だのに、こんなことをする筈の子ではないのに、
 悪いと気が附かなかったのね。
 もう悪いと気が附いたら決して悪いことをする貴方ではありません」

と断言するが好い。

            <感謝合掌 令和3年5月27日 頓首再拝>

入眠時に善き言葉を聴かせる - 伝統

2021/05/28 (Fri) 05:04:46


         *「光明道中記」(5月28日)
            ~《信以(もっ)て貫く日》

【振替でもやはり同じ道理だ・・・信ずる人に取ってはこれは本当である。
                     (『生命の實相』第二十巻)】

子供の性癖を直し、成績をよくするには
眠りしなに『甘露の法雨』を誦(よ)みきかしながら眠らせるが好い。

『甘露の法雨』を誦(よ)み上げる前に、子供に『甘露の法雨』を聴きながら
眠ったら大変成績がよくなって、健康になり、性質もよくなって、××の性癖も直り、
自然に好い子になれるんですよ ―― と子供に言って聴かせ、

さて親も敬虔な態度で「聖経の功徳によって斯(か)くならしめ給え」と合掌して念じ、
「さあ眼を瞑(つむ)って眠(ねむ)んなさい。聖経を誦んであげましょう」と言って
『甘露の法雨』を読誦する。

読誦が終れば子供は屹度眠っているから、

「さあ、これでもう貴方は成績がよくなりました。××が上手になりました。
身体は一層達者になる、性質はよくなり、××はしなくなった」

と云う風に眠っている子供の耳に内緒話のような声で、
下腹に力を入れた声で、囁きかける。

―― この方法を行なえば子供は確かに健康になり、成績がよくなり、
性質が改まってくるものである。

1回で効かないなどと思って、中断してはならない。

言葉の力は累積すると力を発する。

『生命の實相』第七巻にある自己暗示法をやらせるのも好い。

            <感謝合掌 令和3年5月28日 頓首再拝>

乱暴な子供の導き方 - 伝統

2021/05/29 (Sat) 04:54:53


         *「光明道中記」(5月29日《力みを捨てる日》)

【「私が・・・私が」と力む事は、
 本当の自他一体の深切行になっていないのであります。
                    (『生命の實相』第二十巻)】

腕力ある乱暴な生来(うまれつき)の子供が学校などで乱暴するときには、
先生がそれを頭から圧迫的に抑え附けようとすると
益々反抗的に乱暴になるばかりである。

それに対して停学とか放校処分とかに附すれば、
権威を呪い、社会を呪って子供の一生涯を
無駄にして了うこともあり勝ちである。

そう云う性質をあながち「悪」と考えてしまうのは
学校の先生が寧(むし)ろ低能なのである。

そう云う学校の先生は先生としての天分がないのであるから、
宜(よろ)しく放校処分に附して、
もっと適業に転ずる機会を与うべきである。

そう云う子供は大抵腕力による人を統率する天分を持っているものである。
謂わば幡随院長兵衛とか清水次郎長などのように豪胆と腕っぷしとで
人を統率する力があり、恩義に感じやすく、憎悪に反抗し易いのである。

だからそう云う生徒の美点を賞(ほ)め且つ働かせることにして、
校庭の掃除とか、遊戯のキャプテンとかにならせて、
その豪胆と、腕力とによる統率力を利用して
その力によって学校が浄(きよ)まり整理が行き届いて行くように
取計(とりはか)らうのが一番好い。

            <感謝合掌 令和3年5月29日 頓首再拝>

不従順な子供を導くには - 伝統

2021/05/30 (Sun) 04:37:19


       *「光明道中記」(5月30日《和顔愛語の日》)より

【人間は学科ばかりの点取虫になって了(しま)ったのでは
 値打がないのであります。  (『生命の實相』第二十巻)】


直ぐ吩咐(いいつけ)を実行しない子供は、
その吩咐けられた言葉の内容が呑み込めないか、
吩咐けた人に対する反抗があるか、
怠け癖で面倒臭いか
何か子供自身にとって手の離せない興味ある仕事があるかしているのである。

それを悉く、
不従順だとか我儘(わがまま)だとか云う名で呼ぶのは間違である。

吩咐不明瞭なために実行しないのを、
不従順だと誤解しないようにするためには、
「一寸此処へいらっしゃい」と柔(やさ)しく招(よ)んで、
ハッキリと吩咐を伝えるようにすることが必要である。


不従順ではなく吩咐を実行する気はあるが、
何時(いつ)までに実行したら好いかの
意思表示がないために、直ぐ立上ろうとしない子供がある。

そんな子供には「何分間でやんなさい」とか
「何時までに往って帰んなさい」とか明瞭に、
その完成の時刻を指定する必要がある。

反抗心があって命令を実行しない子供に、
強情だとか不従順だとか責め立てて見ても一層強情になるだけの事である。

何故なら彼は親や先生を手古摺(てこず)らすのが目的であるから、
親や先生が手古摺っていると判ると益々強情になるからである。

命令するよりも「斯(こ)うして下さい」と信頼して頼むような語調が
斯ういう子供には功を奏する。
鼠小僧でも頼まれた事は進んで実行する。

            <感謝合掌 令和3年5月30日 頓首再拝>

「勉強しろ」と口癖のように言う親の誤り - 伝統

2021/06/03 (Thu) 04:52:32

谷口雅春先生のお言葉(令和3年6月号「生命の教育」誌)

【親の心の持ち方で子供の成績も良くなる】

《「勉強しろ」と口癖のように言う親の誤り》

      *( 『生命の實相』頭注版第30巻12~13頁)

多くの子供たちは、親がまちがった心の波を起こし、
まちがった言葉の波を起こしているために
非常に損(そこ)なわれているのであります。

多くの人たちは、子供を愛するあまりに悪(あ)しきことばかりを見つけて、
「お前はここがわるいのだ」ということを始終(しじゅう)言うのであります。

そう言われるとその子供は萎縮(いしゅく)してしまいます。

そういう子供は、たとい勉強は辛(かろ)うじてよくできたにしましても、
大いに伸びるということはできないのであります。

「勉強しろ、勉強しろ」と言わなければ勉強しないから、やむをえず
「お前はそんなことではできないから勉強せよ」と言うのだという人が
あるかもしれませんけれども、

「勉強せよ、勉強せよ」と口癖(くちぐせ)のように言うと、
いくら勉強してもかえって心に憶(おぼ)えないのであります。

これはまたおかしい現象でありますが、原理は簡単です。

「勉強せよ、勉強せよ」と言うような親は、
子供に対してどういう心の態度をとっているかといいますと、

「お前はできがわるいのだよ」という考えを懐(いだ)いているのであります。

できるに定(き)まっておれば、 「勉強せよ」とは申しません。

「できがわるい」と信じているから、
「勉強しろ、勉強しろ」とこう言うのであります。

・・・

<参照>「生命の教育」令和3年6月号 より
    (https://www.shinkyoren.jp/publics/index/34/

「生命の教育」令和3年6月号 主な内容

巻頭のことば

「信じることと讃嘆すること――
           これでわが子も優等生に」

  新教育者連盟理事長 代田健藏


特集 子供の成績は向上する

  「うちの子は学校の成績が悪いから、
  ついつい『勉強しなさい』と口やかましく叱ってしまう……」と、
  子供の成績について悩んでいるお母さんは少なくないのでは
  ないでしょうか。

  子供の成績は、
  じつは親の子供をみる眼、接し方によって大きく変わります。

  子供の成績が向上するにはどうすればよいか。
  「生命の教育」に基づいた教育法について取り上げます。


親の心の持ち方で子供の成績も良くなる 谷口雅春

ゴールを設け、過程を楽しむ                小林義典
実践してみよう! 小さな成功体験を積み重ねる       長谷川 司
学ぶことの楽しさを知れば伸びる              齋藤千鶴子
「木を見て森を見ず」から「木を見ず、森を見る」へ      伊藤喜子
褒めて努力と継続力を引き出す               永井敏勝

《特別インタビュー》
本気で叱る愛情の熱さを伝える
         元中学校教諭 鎌倉弘行

子育てワンポイント(49) 心を開く              出口正博

子育てQ&A 中2 の息子のやる気を引き出したい!       大原和子
       中学2 年生に親として進路のアドバイスは……   菊池正規
       集中する力が足りない息子            杉山紀代子

子育ては母育て(103) 授乳にかかわる諸問題⑸         田下昌明

世界がおどろく日本の魅力⑷
  日本の原風景を今に伝える「鎮守の森」           井上雅夫

日本国憲法の問題点(68) 世論調査は憲法改正を求めている   勝岡寛次
日本のしきたり(42) 「嘉祥菓子」              辻川牧子
親子で読むものがたり(105) 勇気を持ちましょう(後編)   南 敏雄

小学生の作文「お父さん、お母さんありがとう」

新教連活動あらかると
 ◇ 兵庫支部で「寺子屋楠公さん」開催、読者の声、小・中学生作文募集ほか
 ◇ 6月支部行事
事務局短信・編集後記・次号案内

            <感謝合掌 令和3年6月3日 頓首再拝>

《親が心で子供をしばってはならない》 - 伝統

2021/06/05 (Sat) 04:48:31

谷口雅春先生のお言葉(令和3年6月号「生命の教育」誌)

【親の心の持ち方で子供の成績も良くなる】

《親が心で子供をしばってはならない》

       *( 『生命の實相』頭注版第30巻13~14頁)

「うちの子供はできが悪い」と、言葉に出さなくとも、
心に念(おも)うだけでも一つの波を起こすことであります。

親または教育者が、心の中で、
「この子供はできがわるい」という精神波動を起こしまして、
その子供をそういう心で見つめているかぎりは、
その子供は決して学習がよくできるものではありません。

勉強室にいまして、勉強しているような真似をしておっても、
心は親の心で縛られておりますから、
勉強が愉快でないのであります。

そういう場合には、勉強室に坐(すわ)っておりますと、
なんとなしに窮屈な、縛られたような感じがいたしますので、

その窮屈な中にいるのではのびのびと生命(せいめい)が生長しませんから、
そこでいくら勉強しても深く心に愉快が刻(きざ)まれるということが
ないのであります。

そのためにせっかく勉強しても能率が上がらないのであります。

            <感謝合掌 令和3年6月5日 頓首再拝>

いったん憶(おぼ)えたものは忘れない - 伝統

2021/06/06 (Sun) 04:29:25

谷口雅春先生のお言葉(令和3年6月号「生命の教育」誌)

【親の心の持ち方で子供の成績も良くなる】

《いったん憶(おぼ)えたものは忘れない》

       *( 『生命の實相』頭注版第30巻26頁)

それから、もう一つ教育の上で必要なのは、
人間はいったん憶えたことは忘れるものでない
ということを自覚することが必要であります。

多くの人たちは自分の頭は物憶えが悪いのだと信じている人がありますが、
そういうふうな人はその信念によって、せっかく記憶の罎(びん)の中に
一ぱい記憶の内容が這入(はい)っているけれども
栓をして出ないようにしているのです。

自分の記憶の壺(つぼ)からは決して出ないのだと思って、
その思いの栓で蓋(ふた)をしているのです。

その邪魔物のその栓を引き抜いてしまったならば、
一遍(いっぺん)憶(おぼ)えたことは必ず必要な時に
ことごとく思い出せるのであります。

            <感謝合掌 令和3年6月6日 頓首再拝>

わが子に「人間は神の子」の自覚を - 伝統

2021/06/08 (Tue) 04:42:10

谷口雅春先生のお言葉(令和3年6月号「生命の教育」誌)

【親の心の持ち方で子供の成績も良くなる】

《わが子に「人間は神の子」の自覚を》

        *( 『生命の實相』頭注版第30巻32~33頁)

勉強しないといっても、やはり学校で先生に習った時には、
本も見、先生の話も聞いているのです。

本を見、先生の話もきいているから
やはり一度は頭に這入っているのです。

ですから、一遍習ったことをいつでも思い出せる状態においたならば
、家へ帰っても学習しなければならんということは必ずしもないので
あって、一遍覚えたことを試験の時や入用の時に思い出しさえすれば、
それで勉強しないでも百点がとれるということになるのであります。

それが、憶い出せない、憶い出せないようにしているものは
なんであるかというと、「人間は忘れっぽいものである」という
一つの「まちがいの信念」であります。


(ここから中略部分)
この「まちがいの信念」を打ち破れば、
人類は時間的にどれだけ利益を得、寿命を伸ばさなくとも、
その時間を他に転用すれば、われわれは数倍の時間・人生を
生き延びたと同様の仕事ができ、われわれはどんなに文化に
貢献しうるか知れないのであります。
(ここまで中略部分)


「人間は忘れる動物だ」とのまちがいの信念を、
いかにして打ち破るかというと、それには
「人間は神の子である、全智全能の神の子であって、
全智全能が自分の頭にあるのだから決して忘れるものではない」
という大自覚を人類に与えることが必要なのです。


(ここから中略部分)
それで生長の家の教育法では
(ここまで中略部分)

常に子供に対して
「あなたは神の子ですよ。神の子だから必ず頭がよくて
記憶力はよいのですよ」ということを教える。

「あなたは神の子だから、本を一遍読んだら
決して忘れるものではありません。先生から一遍聞いた話は
もう決して忘れはしないのですよ。必要な時には必ず思い出せる」

ということを常に言葉の力によって生徒たちの頭に
印象するようにするのであります。

そうして、試験場または実際問題に臨んだ時に、
「人間は神の子である」ということを思い出して、

「自分は神の子だから、必ず憶い出せるのだ。
 必ずよい考えが浮かんでくるのだ」と、こう心に唱えて、
心を落ちつけて、さて問題に対したならば、
必ずそこに出されている問題に対する適当な回答が
思い出されてくるのであります。

人間の能力を発達せしむるには、そういうふうに子供のときから
「我(われ)は神の子、無限力」の自覚を与えることが肝要であります。

            <感謝合掌 令和3年6月8日 頓首再拝>

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