伝統板・第二

2579200
本掲示板の目的に従い、法令順守、せっかく掲示板社の利用規約及び社会倫理の厳守をお願いします。
なお、当掲示板の管理人は、聖典『生命の實相』および『甘露の法雨』などの聖経以外については、
どの著作物について権利者が誰であるかを承知しておりません。

「著作物に係る権利」または「その他の正当な権利」を侵害されたとする方は、自らの所属、役職、氏名、連絡方法を明記のうえ、
自らが正当な権利者であることを証明するもの(確定判決書又は文化庁の著作権登録謄本等)のPDFファイルを添付して、
当掲示板への書き込みにより、管理人にお申し出ください。プロバイダ責任制限法に基づき、適正に対処します。

あなたはいつも健康である ④ - 伝統

2020/09/11 (Fri) 03:49:08


《健康と精神との関係》

          *「眞理」第2巻基礎編第6章(P128~129)より

人生を幸福にする根本は「健康」にある。
肉体の血液循環やホルモンの分泌は精神状態によって変化する。
従って、精神状態によって「健康」は左右せられる。

明るい心、正しい心、平和な心、調和の心、赦しの心、
精励する心、奮起する心などは、
すべて健康を増進するために必要な心である。

吾々の思う通りの「心」の状態と同じすがたに、
吾々の肉体細胞も活動するのである。

肉体全体を一国と考えれば吾々の細胞群は
一国を形づくる国民のようなものである。

国民たる細胞群はその指導者たる吾々の「人格精神」の
思い感ずる想念感情のままに活動するのである。

だから、吾々自身が調和の心を起せば、
吾々の肉体細胞も調和した状態に活動するのである。

・・・

<関連Web>

(1)光明掲示板・第一「あなたは常に健康である (3205)」
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=626

(2)伝統板・第二「あなたはいつも健康である①」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6853324

(3)伝統板・第二「あなたはいつも健康である②」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7654851

(4)伝統板・第二「あなたはいつも健康である③」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7836726

          <感謝合掌 令和2年9月11日 頓首再拝>

《精神の摂生は肉体の衛生よりも大切である》 - 伝統

2020/09/19 (Sat) 04:26:30


          *「眞理」第2巻基礎編第4章(P123~124)より

肉体の鍛錬も、その健康も必要ではあるが、
筋肉が強健であるからとて、その人は幸福にはきまっていないのである。

筋肉が強健であるよりも精神が落着いている方が
その人は一層幸福感が味わえるのである。

肉体の健康は、食物(しょくもつ)の摂生(せっせい)や、
煙草や酒の節制からも得られるが、

精神の健康は聖賢の書物を暇ある毎に
読むことによって得られるのである。

そのために私は好んで、聖書を読み、仏典を読んで、
基督(キリスト)の心、釈迦の心により多く触れることに
つとめているのである。

しかし、これ等の聖典はいずれも意義深遠にして、
普通の人にはその真義に到達し得ないために、

私は、現代人に一層よく分り易く書きたいと思って、
それをよくよく噛みくだきダイジェストし、
現代人に解りやすくして読者に送っているのである。

それが此の全集『眞理』である。

          <感謝合掌 令和2年9月19日 頓首再拝>

無限の健康調和 - 伝統

2020/10/02 (Fri) 03:45:04


        *「光明法語(10月2日)」より

各々の細胞がその個性を発揮しながら完全なる協力を遂げているとき
人体の健康は最も完全に実現するのである。

完全なる協力は 「本来一」 の自覚より生ずる。
人間の健康も先ず人間同士が完全に 「一」 である自覚をもって互いに相結ばれ、
人間相互にその感情が調和している時にのみ真に実現し得るのである。

人間同士の感情が争っているときには、肉体は心の影であるから、
心の乱れている限り真に無限の健康は発揮されようはないのである。

汝ら互いに調和せよ。

       <感謝合掌 令和2年10月2日 頓首再拝>

肉体は「物質」であるとの念を捨てよ - 伝統

2020/10/03 (Sat) 04:07:14


        *「光明法語(10月3日《物質の自覚》)」より

完全なる健康の裏には「完全」なる調和の念がなければならないのである。

先ず肉体は「物質」であるとの念を捨てよ。

物質は結局バラバラのものであって互いに漠然とした一体の自覚なきものであるから、
吾々の肉体が物質で出来ているものだとの考えが吾々の心を占めている限り、
自己の肉体はバラバラのものであると云う念を抱いていることになるから、
その念があらわれて完全なる健康は得がたい。

完全なる健康は、吾は「霊なる完体なり」の自覚から生まれるのである。

       <感謝合掌 令和2年10月3日 頓首再拝>

肉体健康の秘訣 - 伝統

2020/10/04 (Sun) 04:59:07


        *「光明法語(10月4日)」より

肉体を健康ならしめるためには、肉体を愛しなければならない。
肉体を霊の敵であると憎んでいる限りに於いて、その肉体は健康になる事は出来ない。
肉体を「霊の完全なる表現」であると信じ、それを愛し敬しなければならない。

肉体を醜いものと考えてはならないし、
それを神の人間理想の最高顕現であると見なければならない。

常に神想観する時に「吾が肉体は神の最高美の理想的顕現である」と念ぜよ。
而(しか)して病気を見る勿(なか)れ、病気を想念する勿れ。

       <感謝合掌 令和2年10月4日 頓首再拝>

健康美を讃賞せよ - 伝統

2020/10/05 (Mon) 03:20:29


        *「光明法語(10月5日)」より

健康美の発現を悦べ。

それが体操であれ、スポーツであれ、舞踊であれ、
健康美の表現されているものを素直に悦ぶ心がなければ、
ただの健康は得られても健康美ある肉体の美しさは得られないのである。

何でも愉快に体操でもスポーツでも舞踊でも、
健康の美の発現を実際に喜んで実践するとき健康美はあらわれる。

何でもそれを讃えてやり賞(ほ)めてやり喜んでやったならば、
それは益々発達しその完全なる姿を現すのだ。


肉体美もその通りである。
肉体を軽蔑してはならぬ。

       <感謝合掌 令和2年10月5日 頓首再拝>

肉体を霊の最高顕現として愛せよ。 - 伝統

2020/10/06 (Tue) 04:30:36


        *「光明法語(10月6日《肉体を憎む勿れ》)」より

肉体を憎む者は、その肉体が虚弱となるであろう。

聖フランシスは其の著しい実例である。
彼は常に虚弱であったし、
その最後には聖痕(せいこん)と称する十字架に釘づけられ、
槍でつかれた通りの傷さえも其の肉体に生じたのである。

聖フランシス程でなくても肉体を憎む者は肉体が喜ばないから、
其の最高の完全さを発揮する事は出来ない。

肉体を愛しなければならぬ。
しかし、肉体を物質として愛する者は肉体をやはり軽蔑する者だ。

肉体を霊として、霊の最高顕現として愛せよ。

       <感謝合掌 令和2年10月6日 頓首再拝>

《汝(なんじ)の肉体を讃美せよ》 - 伝統

2020/10/18 (Sun) 05:01:23


      *『 生長の家 』(昭和26年7月4日)より

   あなたが肉体を愛し、その健康を求めるならば、
   肉体に小言(こごと)を云っては ならないのである。

   肉体に感謝し、肉体にお礼を云い、肉体の美を讃(たた)え、
   肉体の健康を祝福しなければならないのである。

   こんな不健康な肉体を讃美し祝福することが出来ようと
   思う人があるかも知れないけれども、
   あなたの肉体の何処(どこ)かは健康であるであろう。

   肺のわるい人も 眼(め)は見えるであろう 耳は聞えるであろう。
   手足は健全であるであろう。

   然(しか)らば 何故、その眼を、耳を、手足を
   讃美し、祝福し、それに感謝しないのであろうか。

   真に神の恵みに感謝したとき、その肺も治るであろうに。


   http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/80ce80b21afdac0966776c2b7e2d50be

       <感謝合掌 令和2年10月18日 頓首再拝>

《あなたが健康を取り戻す簡単な方法》 - 伝統

2020/10/31 (Sat) 05:00:27


        *『 生長の家 』(昭和43年7月13日の法語)より

   あなたが病気の根を断ち切ろうと思うならば、
   その方法は頗る簡単であるのである。
   新生細胞に、病気を擔わせぬことである。

   即ち、病気が存在するという念を起こさぬこと、
   病気の継続を心配せぬこと、
   憤り、憎み、不安、恐怖、嫉妬、憂へ、貪り、
   損失、残念、口惜しい・・・・等の
   感情的歪みをなくしてそのままの心となり、

   心のレンズに偏光なく
   大生命の叡智そのままの指導を生理作用に受け容れることなのである。

   このようにするとき、
   新生細胞は悉く大生命の設計した通りの健全さをもっていて、
   それが大生命の本来の設計通りに新細胞を形成し、
   細胞配列を行うのであるから
   人体は健康になるより仕方がないのである。

   http://bbs7.sekkaku.net/bbs/kimidouge/&mode=res&log=4326

       <感謝合掌 令和2年10月31日 頓首再拝>

人を憎んでいては、健康にはなれない - 伝統

2020/11/01 (Sun) 04:29:33


     *「生命の實相 第38巻 幸福篇下」(11月1日)より

春に出る新芽は春になって初めてできるのではない。
もう11月の頃から、あるいはもっと早くから用意されているのである。
この用意が不完全だったら、よい新芽は出ないのである。

まちがい上に本物を建てることはできない。
健康になりたい人はまずまちがいを捨てなければならない。
まちがいの上にどんな立派な建物を建ててもそれは倒れてしまう。

「まちがい」とは、それが《ある》かのように見えても本来、
「当に有るべからざるもの」すなわち「不当有(ふとうう)」であるから、
不当有(ふとうう=まちがい)の上に物を建てたものは、
いずれも壊(くだ)けてしまうのである。

人を憎んでいて健康になどなれるものではない。

憎みは「不当有(あるべからざるもの)」であるから、
神に対する背反である。

神は「生命(せいめい)」であるから、
「憎み」のあるかぎりその人は「生命(せいめい)」
に背反しているのであるから、その人の健康が不良なのは当然である。

「憎み」を持続しながらその人の健康を維持しているように見えても、
それは表面のことであって、その人が、「神」すなわち
「生命(せいめい)」に背反している限り、
すでにその人の健康は危殆に瀕しているのである。

       <感謝合掌 令和2年11月1日 頓首再拝>

霊は健康で迷わざるものである - 伝統

2020/11/12 (Thu) 04:35:55


     *「生命の實相 第38巻 幸福篇下」(11月12日)より

霊的自己 ―― 迷わぬ自己 ―― ただ一つ ―― 二つは無い。
迷っている自己、病んでいる自己、そんなのもは無い。
自己は二つない。一つきり。

健康な自己だけ。そのほかの自己を神は創(つく)らない。

霊は健康で迷わざるものである。

       <感謝合掌 令和2年11月12日 頓首再拝>

症状あって、そのまま健康 - 伝統

2020/11/13 (Fri) 04:58:43


   *「光明道中記」(11月13日《夫婦互いに調和する日》)より

【周囲の人は自分の生活の鏡。(『生命の實相』第四巻)】

維摩が病気で寝ていたとき、文殊菩薩が病問の使者として来た。
維摩は文殊に対して、「衆生病むが故にわれ病む」と答えている。

生長の家ではあまりに病気が治りすぎるために、
またあまりに現象的利益が得られるために、

現象的な利益に傲(おご)り驕(たかぶ)って、
病気のないことを悟の証拠にしようと思ったり、
金の儲かることを悟の証拠にしようとするような危険がある。

これは厳重に避けなければならない錯誤である。

「従容録」第三十六則馬師不安の公案がある。
不安と云うのは病気と云う意味である。

馬師の話は七月二十一日の欄でも触れたことがあるが、馬大師が病気で寝ていた。
そこで寺の院主が
「和尚(おしょう)近日(きんじつ)尊位(そんい)如何(いかん)? 」
とやった。 

「近頃病気は如何(いかが)でございますか」と云う程度の問だ。

馬大師答えて曰く、「日面仏(にちめんぶつ)、月面仏(げつめんぶつ)だ」
これは「仏名経」に載せられている仏の名前であるが、
日面仏は昼を照らし、月面仏は夜を照らす。

昼は健康を表し、夜は病気を表している。
馬大師は「昼あり、夜あり、それが自然の健(すこや)かさ」と言ったのだ。
下痢あり、嘔吐あり、そのまま健康なのである。

晴天あり、雨天あり、そのまま日々好日である。
凡夫の晴天はそれに執(とら)われて慢心し、
凡夫の雨天はそれに執われて悲しむ。

聖人にも雨は降るが、青空のように雨の染(しみ)を残さぬのである。

          <感謝合掌 令和2年11月13日 頓首再拝>

《あなたが常に健康であるために》 - 伝統

2020/11/22 (Sun) 04:37:45


        *『 生長の家 』(昭和43年7月16日の法語)より

   吾々の生命力は、一方に於いて意識(心)の力によって方向を与えられ、
   他方に於いて物理化學的な自然界の法則によって、化合や分解が行われて
   人体が形成せられるのである。

   だから“心の力”を無視することはできないが、
   物理化學的な医療も無視することはできないのである。

   しかし物理化学的な治療をしてをれば、
   心の方はどうでもよいという訳にはゆかないのである。

   三界は唯心の所現であるから
   先ず心を「健康」に振り向けなければならないのである。

   「病気本来無」の“生命に實相哲學”の味読がこのために役立つのである。
   聖経には「心に健康を思へば健康を生じ、心に病ひを思へば病ひを生ず・・・」
   と示されてゐるのである。

   心が一転して本来無病の“實相”の方へ振り向くことを要するのである。

   http://bbs7.sekkaku.net/bbs/kimidouge/&mode=res&log=4330

          <感謝合掌 令和2年11月22日 頓首再拝>

《悟りによって人間が健康になる理由》 - 伝統

2020/12/09 (Wed) 04:54:42


       *『 生長の家 』(昭和43年7月11日の法語)より

   人間が“そのままの心”なるとき、
   潜在意識は偏光のない歪みのないレンズのように
   大生命の叡智をそのまま素通しに生理作用に反映し出すことになり、

   大生命そのままの叡智は人体の設計者であり、
   最初の創造の技術者であるから、
   そのままの叡智に生理作用が導かれるとき、
   人体は自然に健康を恢復するのである。

   http://bbs7.sekkaku.net/bbs/kimidouge/&mode=res&log=4324

          <感謝合掌 令和2年12月9日 頓首再拝>

人間が常に若々しく健康であるためには - 伝統

2020/12/10 (Thu) 02:53:51


      *『 生長の家 』(昭和43年7月19日の法語)より
        ~《心から“弱さ”を追放せよ》

   人間が常に若々しく健康であるためには、心に“健康”を常に想念して、
   “弱さ“を自分の心から訣別すると共に、
   健康の法則を蹂躙してはならないのである。

   反感や逆念を起さず、暗悪の想念感情を起さず、常に明朗快活であると共に
   他の人たちの幸福をねがって、苟も人々に対して何らかの害念をも
   懐いてはならないということである。

   他の人々の幸福を願う心のみが自分に幸福を与えるのであり、
   他の人々の健康を願う心のみが自分に健康を与えるのである。

   他の人々の健康のために祈れば、自分の内にある不健康の観念が
   自分から追放されることになるのである。

   愛する者のみが、必ずしも自分の愛する相手から愛されないにしても、
   神から愛されるのである。

   神がその人の味方であるのである。

   悦べ喜べ、人は常に孤独では無いのである。
   神はあなたの側に常にい給うのである。

   神はあなたに常に愛と祝福の微笑を投げかけていられるのである。

   http://bbs7.sekkaku.net/bbs/kimidouge/&mode=res&log=4333

          <感謝合掌 令和2年12月10日 頓首再拝>

不健康(不自然な生活)な過去を斬れ! - 伝統

2020/12/19 (Sat) 06:23:29


         *「光明道中記」(12月19日 妄執を斬る日)より抜粋

【妻の非難の念波は良人(おっと)の心を淋しくする。また良人を病気にする。
                        (『生命の實相』第六巻)】

人間は健康なのが自然であって、不健康なのが不自然なのである。
そうすると不健康とは不自然な生活が起ったと云うことである。

不自然な生活の中には、憤(いか)りに耽(ふけ)ること、人を怨み憎むこと、
悲しむこと、陰気に沈むこと、笑わぬこと、いつまでも同じ感情に沈むこと、
仕事をせぬこと、上に仕えて素直でないこと、兄弟仲よかざること、人をゆるさぬこと、
嫉妬心を起すこと、あせり急ぐこと、・・・等々の心持である。

憎んでいなくとも斬らねばならぬことがある。
愛していても斬らねばならぬことがある。

(中略)
 
斬れ!  自分の過去を。

          <感謝合掌 令和2年12月19日 頓首再拝>

《想念によって肉体を健康化せよ》 - 伝統

2021/01/11 (Mon) 02:37:21


       *「眞理」第2巻基礎篇第11章(P287~288)より

「肉体」があって人間の霊が生ずるのではなく、
「永遠の原型」なる霊が背後にあって、それが絶えず、
肉体を一定の形に維持しているのである。

だから人間から「霊」が脱(ぬ)けたら肉体は、
ただの物質の腐敗分解の過程を通して、
一定の「人間」なる形をとどめなくなるのである。

では、「霊」は如何にして、
肉体の分子又は細胞を一定の形にならべるのであるか。

「霊」の運動は「想念(こころのおもい)」となり、
「想念(こころのおもい)」に描かれた通りに
物質の成分が排列されて、肉体の状態が定(さだ)まるのである。

其処で人間が健康になる道は、「想念(そうねん)」
すなわち「心の思い」を健康にすることが必要なのである。

それなのに、病人の多くは、
常に「病気」の事ばかり「心」に想念(そうねん)するから、
その「病気」の想念(そうねん)の通りに肉体成分が列(なら)んで、
いつも病気でなやまなければならぬのである。

          <感謝合掌 令和3年1月11日 頓首再拝>

吾は神に生かされ、完全に健康である - 伝統

2021/01/21 (Thu) 06:30:16


         *「光明法語」(1月21日)より

《神常に吾を生かし吾を導き給う》

神のすべてを生かし給う生命、吾が内に吾が心の内に、吾が魂の内に、
すべての事件の内にあらわれて生かし給う。

この神の大いなるいのち、常に新しきいのち今もわが中に流れ入りて
常にわが組織を新たならしめ給い、健全ならして給うているのである。

今この瞬間このわが頭の先からわが爪先に到るまで
輝く神のいのちに満たされているのである。

もはやわが肉体は神の肉体である。

わが肺臓は神の肺臓である。
わが胃袋は神の胃袋である。
吾が全ての内臓は神の全ての内臓である。

完全に健康であるほかあり得ないのである。

          <感謝合掌 令和3年1月21日 頓首再拝>

健康増進の日 - 伝統

2021/02/02 (Tue) 02:49:49


           *「光明道中記」(2月2日)より

【食事にうんと歓びのお菜を附けて食べよ。どんな粗食でも最上の栄養に変わる
                        (『生命の實相』第八巻)】

戦前であったが、
自殺して死んだ医学博士で羽太鋭治(はだえいじ)と云う人があった。
その人が若返り法の本を書いたことがある。
その本の中に肥えたい人の食事法と、痩せたい人の食事法とが書いてあった。

痩せたい人は畳の上に盆を置いて、低い位置に料理を置いて身体を屈み加減にし、
消化器を圧迫しながら、出切るだけ憂鬱な気持で食べるのである。
そうすると必ず痩せると言う。

肥えたい人はその反対をするのである。
腹を伸ばしてゆっくりと高い加減の食卓に坐し、
天井に「アハハハハ」と大きく書いた紙を貼り附けて置いて、
食事をしながら、天井を仰ぎ見て、「アハハハハ」と時々笑うのである。

笑えば心が開く。
心が開けば血液の循環がよくなる。
消化器の分泌が豊富になり、粗食からでも
豊富な栄養を吸収することが出来るようになる。

併し肥えるということは必ずしも健康の理想ではない。
或る人は痩せているがために
他の内臓の能力(キャパシテー)と平衡を得て健康を得ている。

健康とは要するに全体の調和を意味する。
心臓や腎臓の能力(キャパシテー)の小さな人には
筋肉の増大は返って負担となる。

          <感謝合掌 令和3年2月2日 頓首再拝>

実相人間は物質や黴菌には害されぬ - 伝統

2021/02/14 (Sun) 02:41:58


       *「幸福を招く365章」(P251)より

真に健康を得ようとするならば、
物質が人間を支配し得る、黴菌が人間を支配し得る
と云うような考えを絶対的に克服しなければならないのである。

実相に於ては、
人間は霊的存在であるから物質に支配されることはないのである。

実相に於ては、
人間は万物の霊長であるから黴菌に支配されると云うことはないのである。

実相に於いては『甘露の法雨』にあるように「一切の生物処を得て争うものなく
相食(あいは)むものなく」互に害する状態は存在しないが故に
黴菌に冒されると云うこともないのである。

「絶対そんなことは《ない》。《ない》。《ない》。神の子の勝利だ」と
3万遍繰返して思念せよ。

(初出~「生長の家(昭和25年10月19日)

・・・

<参照>Web:粟野真弘のblog(2020年12月13日)
http://blog.livedoor.jp/mmmawano550121/archives/55288005.html

          <感謝合掌 令和3年2月14日 頓首再拝>

就寝時に潜在意識に 「 健康 」 の念を吹込むこと - 伝統

2021/02/22 (Mon) 04:58:33


        *『 生長の家 』(昭和37年2月22日の法語)より

眠りしなに、神想観を行い、

「神はわが睡眠中に、
 その癒やす力をわが全身に流れ入らしめ給いて、
 生命力を満たし、疲労を恢復(かいふく)せしめ、
 一切の肉体の不調和を修復したまう 」

と念じ、

就床(しゅうしょう)してのちもその念を繰返しながら眠ると、
潜在意識は、その暗示の通りに睡眠中ずっと続けて肉体を支配して
本当に健康ならしめるに至るのである。

念ずる言葉の中に「病名」をとなえて、「何々病を癒やしたまう」と念ずるのは、
病気を暗示することになるから却ってよくないのである。

http://meikyou123.livedoor.blog/archives/4983121.html

          <感謝合掌 令和3年2月22日 頓首再拝>

生命の純粋波動を現せ - 伝統

2021/03/19 (Fri) 02:32:38


           *「光明法語」(3月19日)より

肉体は念波の振動が物質化して姿をあらわしたものである。
その姿の奥に生命の純粋波動があるのである。

生命の純粋波動のみがあらわれたら健康になるほかはないのであるが
その表面に自己の空想的な念波及び、他より波及されたる不健全な念波が、
満月の上にかかった雲のように蔽って、其処に不健全な姿をあらわすのである。

生命の純粋波動の世界には病気もなければ、疲労もない。

自己の空想的念波と云うのは、
本来あり得ない不完全な姿を空想した念波であるから斯く称するのである。

          <感謝合掌 令和3年3月19日 頓首再拝>

絶対健康 - 伝統

2021/04/13 (Tue) 02:21:29


        *『白鳩』(昭和40年4月号)より抜粋
          《“神らしくなる” こと》

   “神らしく” あるという事の一つの特徴は、
   その人が自然にそのまま健康であるということである。

   神は絶対健康であるから、あなたが毎日神想観を実修し、
   自己の実相たる 「神の生命の内在」 を心で見詰め、
   それを念じつづけている限りは絶対健康であるのは当然のことである。


   併し肉体は 「心の影」 であるから
   周囲の人々との間に “心の世界” に
   摩擦や憤りや憎しみや反感や嫉妬や恨みがある場合は、

   その感情の蓄積が或る程度以上にたまると、
   それが具体化して病気の形をもって自壊して行くことになるのであるから、
   周囲り人々と和解し、調和し、
   すべての人に物に事に感謝するようにしなければならない。

   神想観のとき、あらゆる人に物に事に愛念を送り、
   感謝の念を送るようにしなさい。 
   それが絶対健康を得るもとになります。

    http://blogs.yahoo.co.jp/vanon32/19195431.html(消滅)

          <感謝合掌 令和3年4月13日 頓首再拝>

健康の秘訣 - 伝統

2021/04/16 (Fri) 04:00:30


       *「光明道中記」(4月16日《元気充満の日》)より

【「心が」或る一つの「迷い念」に引っかかって生命本然の自由性を失うところに、
 その「心の影」そして色々の病気があらわれる。(『光明の健康法』)】

不健康とは自然を失った状態である。
健康なのが人間の自然であるから、自然になりさえしたならば、
健康は自然に顕れるのである。

それと同じく、人間の成功も、幸福も、自然なのであるから、
人間が自然になりさえしたならば成功も幸福も自然にあらわれるのである。

健康や、幸福や、成功を何か異常な出来事であるかのように求める心が
間違っているのである。
此の間違った思想の中に誰でも生活している限り於いて
その人は本当に幸福にも健康にもなれる訳ではない。

吾々は人生観を根本的に置き換えなければならないのである。
人間は「神の子」であるから本来幸福に健康に成功するように
最初から定(き)まっているものなのである。

それなのに幸福と健康と成功とを何か特別な少数者だけのもののように、
それが異常な出来事のように考えているから、その考えが具象化して、
それが何か異常な出来事のように、少数者にしか実現しないのである。

吾々の健康の秘訣は、幸福の秘訣は、成功の秘訣は、
健康が、幸福が、成功が常に吾々を追い廻しているということを自覚するにある。

          <感謝合掌 令和3年4月16日 頓首再拝>

健康の秘訣はサービスにある - 伝統

2021/04/19 (Mon) 03:24:15


           *「光明道中記」(4月19日)より
            ~相倶(あいとも)に扶(たす)くる日

【僕は何でも、過去のことは《過去として》それで善かったと思っています。
 過去は過去だ、後悔したりするのは嫌です。(『百事如意』)】

呟(つぶ)くこと、人の悪い噂をすること、不景気の話をすること、
詰まらない話をすること
―― こんなことに時間を費やしている限り、あなたの事業は衰退する。

そんな事をする暇に光明思想の本を常に携帯していて、
それを読んで心を光明に転向すれば、事業も亦(また)光明に転向する。

健康にしても矢張りそうである。

若し不平を言うこと、呟くこと、憎むこと、人の欠点(あら)を探すこと、
尖った心を起すこと、人を遣(や)っつけたい感情を起すことを止(や)めなければ、
その人の病気は治らないであろうし、

また病気でない人も、かかる心持を持続する限り
「病気」の方向に向かって突進しつつあることを知らねばならぬ。

成功の秘訣がサービスにあることを知っている人は多いが、
健康の秘訣がサービスにあることを知らぬ人が多いのは、不思議なことである。

サービスは自分が働いて人を喜ばすことによって成立っている。

自分が働いて人を喜ばしたならば商売が繁昌するのは当然であるが、
その人の健康がよくなるのは、健康とは人間の自然の相(すがた)であるから、
人間が自然の道に乗れば健康になる。

          <感謝合掌 令和3年4月19日 頓首再拝>

《健康を常に思い浮べよ》 - 伝統

2021/04/20 (Tue) 04:49:41


        *『 生長の家 』(昭和26年4月20日の法語)より

   健康になろうと思えば、健康の想念を起さなければならない。
   想念は想念する事物を作るからである。

   だから健康になりたい人がどうしたら この病気がなおるかと、
   「病気」のことばかり思い浮かべているのでは、
   その病気は なおりっこはないのである。

   よろしく病気を思う心を放ち去り、

   「 神の無限の癒(いや)す力流れ入って
   光が暗(やみ)を消しつつあるかの如(ごと)く
   愈々(いよいよ)益々(ますます)健康が増大しつつあるのだ 」 と念ぜよ。


   この思念を毎朝起床時 及び 就寝時に、眼を閉じ合掌して念ずるのである。

   重態にて起きられない人は 寝床の中で合掌しても好(よ)いのである。

   又、随時、疲労を感じたときに かく念ずると健康回復に絶大な効果がある。


    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12224992.html (消滅)

          <感謝合掌 令和3年4月20日 頓首再拝>

急がず着々とする仕事が、安静健康法になる - 伝統

2021/04/24 (Sat) 04:48:01


         *『 生長の家 』(昭和26年4月24日の法語)より
           《仕事をするのが安静療法である》

   アセルこと、イライラすること、イソグこと、アワテルことなどは
   「 心 」 の安静とは反対であるから
   病気を惹起(ひきおこ)す原因となるのである。

   仕事は急がず着々とやるべきである。

   急ぐなと言えばなまけることだと考えている人があるかも知れぬが、
   なまけるのは生命の停滞であるから却って病気の原因となる。

   着々と楽しく仕事を悦びながら 急ぐことなく、アセルことなく、
   イライラすることなく、感謝しながら仕事をなせば、
   仕事そのものが却って安静健康法となるのである。

   安静療法、安静療法ととなえながら、
   身体を楽にしているので暇があり過ぎて
   「 病気 」のことばかり心配しているのでは安静にはならない。


    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12237754.html (消滅)

          <感謝合掌 令和3年4月24日 頓首再拝>

《具体的に神に近づけ》 - 伝統

2021/04/27 (Tue) 04:48:55


         *『 生長の家 』(昭和26年4月26日の法語)より

   あなたを生かしているのは 神の全能の力である。
   全能の神の力が宿ってあなたの「 生命 」となっているのである。

   それを読み、それを知るだけで尚(なお)健康になれないのは、
   飯を消化して自分の血液になっているのであると読み知るだけで
   腹がふくれて来ないのと同様である。

   腹がふくれ、元気が出るためには、
   具体的に食事をとり、それを同化する必要がある。

   それと同じく、あなたが真に健康となるためには、
   具象的にあなたは神に近づかねばならぬ。

   新しき感情と想念と意思とをもって
   神の波長と自分の生命との波長を合わすように
   努力しなければならぬ。

   「 神 」をわがものとしてそれを同化しなければならぬ。


    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12244780.html (消滅)

          <感謝合掌 令和3年4月27日 頓首再拝>

《使命感は人間を健康にする》 - 伝統

2021/05/25 (Tue) 04:52:24


        *「眞理」第2巻基礎篇第14章(P394~395)より

金銭の為に働く者は、いくら高価の賃金で働いても、
それは生命(せいめい)を切り売りする者であるから、
娼婦とくらべて、どれほども神聖ではないのである。

生命(せいめい)の為に、使命のために、働く者のみ神聖なる生活である。

使命感は生命(せいめい)を推進するためのプロペラのようなものである。
使命感がなくなると、生命(せいめい)の働きは鈍って来、
働くのがいやになり、怠けるようになって来る。

使命感によって働く者は倦(う)む事がない。

その働きの効果があらわれる事によって益々興味が深くなり、
生き甲斐が感じられ、従って働けば働くほど元気が出て
健康になり幸福になるのである。

この教えに触れた者は、この教えを弘めることが使命であると自覚して
布教に協力することによって健康は増進するのである。

          <感謝合掌 令和3年5月25日 頓首再拝>

《「 人生 」 を彫刻する道具を大切にせよ》 - 伝統

2021/06/11 (Fri) 04:54:30


      * 『 生長の家 』(昭和24年3月7日の法語)より

   吾々が病気に罹るならば、
   肉体の活力は低下し、
   仕事に疲れる迄の時間が短くなり、

   普通人の標準点まで働くことができずに能率は低下するし、
   常に心が病気の不快に半ばひきつけられているのであるから、
   「 仕事 」 そのものに全精神を集中する事ができぬのである。

   肉体は吾々が目的を達成する為に使う
   一種の道具の様なものである。

   芸術家は制作に要する道具を大切にするのであって、
   制作に要する道具を大切にしないような者は
   良い作品を得られぬのである。

   体力を遊蕩に使う者には
   「 人生 」 は傑作とはならぬ。


    → http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/83cdf00cc2b4683e48b89e6342f96730

          <感謝合掌 令和3年6月11日 頓首再拝>

既に《今》健康なのである - 伝統

2021/06/29 (Tue) 03:07:53


        *「光明道中記」(6月29日《天国成就の日》)より抜粋

既に成就せる世界を知って、
それを現象世界に実現するのが、吾々の正しい生活である。
証上(しょうじょう)の修(しゅう)である。

既に成就せる世界を知るが故に退転することがないのである。
既に健康なる自分を知って、その如く行ずるのである。

多くの病者は《これから》健康になろうとして、健康法を励行するが、
思うように効果が挙がらないのは、《これから》と思っているからである。

既に《今》健康なのである。
肉体は自分ではない。自分の殻(から)である。

殻何するものぞ。
捨て切れ、捨て切れ、捨て切ったとき永遠の生命と、
今(いま)茲(ここ)にある天国を知ることが出来るのである。

          <感謝合掌 令和3年6月29日 頓首再拝>

自己の生命を「神の生命」なりと観ぜよ - 伝統

2021/07/07 (Wed) 04:28:14


     *『生命の實相 幸福篇下 第三十八巻』(7月7日)より

健康を得んと欲するならば、
自己の生命を「神の生命(せいめい)」なりと観ぜよ。

神は健康であって病気に罹るなどのはずはないのであるから、
「神の生命」が自己の生命であると観じられるかぎりにおいて
健康を失うことはありえないのである。

瞑目合掌して自己の全身が「神の生命」に満たされて
光明燦然と輝いている有様を瞑視して、それに精神を統一せよ。

漠然と「健康」と観ずるよりも、
具体的に観ずるほうがいっそう効果が多いのである。

自己の顔色(かおいろ)が桜色に輝き、筋肉はたくましく、内臓が健やかに
その職能を果たしつつある事実を心に描いて観ぜよ。

次のごとく具体的に心に唱えながら観ぜよ、

「神はわが眼にプラナを流れ入らしめたまい、わが眼を祝福して言いたまわく、
『眼よ、健やかであれ』と。すなわちかくなりぬ。この眼は神の眼であって、
 神はこの眼を通して自己の創造の美しさを鑑賞したまうのであるから、
 毎日いっそうわが眼の視力は増大するのである。

 神わが耳にプラナを流れ入らしめ給いて、わが耳を祝福して言いたまわく
 『耳よ、健やかであれ』と。すなわちかくなりぬ。
 この耳は神の耳であって、神はこの耳を通して大自然および神の子たる
 人間の音楽のいかに美しきかを鑑賞したまうのであるから、
 毎日いっそうわが耳の聴力は微妙であっていかなるデリケートな音調でも
 聴き分けることができるのである。

 神わが鼻より咽喉、気管、気管支、肺臓および肋膜にプラナを
 流れ入らしめたまいて、これらを祝福して言い給う
 『呼吸器よ、健やかであれ』と。すなわちかくなりぬ。

 わが肺臓は神の霊が神の生命(せいめい)を呼吸するための器官として
 具象化したまいしものであるから霊的実在であるのである。
 だから決して黴菌に侵(おか)されるようなものではないのである。
 自分はこの内臓が病菌に侵されるというような人類の共通観念を
 今かなぐり捨てたのである。
 神の祝福したまいしごとくわが肺臓は健やかであるのである。

 神わが心臓にプラナを流れ入らしめ給いてこれを祝福して言い給う
 『心臓よ、健やかであれ』と。すなわちかくなりぬ。
 わが心臓は神の霊の具体化であるのである。
 だからわれは神がすべての人を愛したまうごとくわれもまた
 すべての人々を愛したのである。

 神がすべての人々をゆるし給うごとく
 われもまたすべての人々をゆるしたのである。
 だからわが愛の感情は常に平安である。
 わが愛の感情は平安であるがゆえに常に
 わが心臓も平安であるのである・・・」

このようにして「神が祝福し給う」という観念と言葉を通して
現実的に一つひとつの身体各部を健全化して視るのである。

「神プラナを流れ入らしめ給いて・・・」と念ずるときに、
神のプラナを吸い込むような気持ちで呼吸をそれに合致せしめると
いっそうよいのである。

         <感謝合掌 令和3年7月7日 頓首再拝>

人間が健康を恢復する原理 - 伝統

2021/08/16 (Mon) 04:50:29


       *「人生の秘訣を語る」より
        ~昭和45年3月2日午後、
         『人生を見つめて』をテキストとしての講義

また人間の体の全体には、完全な人間としての“人体の理念”があるのです。

それで、一時は病気になっても、中から元の健全な人間の理念に
準(したが)って、元の健康な姿にするだけの力があるのです。

そして、吾々がなにか誤った観念、迷い、憎しみ、怨み、悲しみ等、
いろいろの混乱した心の乱れによって、自然の復元力を邪魔しない限りは、
元の健全さに立ち返るように、出来ているのが人体であります。


その健全さに立ち復らせるのを妨礙するのが、色々の煩悩の心なのであります。

『人生を見つめて』には次のように説かれているのであります。

「恐怖心、憎悪心、争闘心、攻撃精神、嫉妬、羨望、貪欲、猜疑
 ・・・・・など、あやまれる感情は、その健全なる理念の指導を歪曲して、
 病気の相(すがた)に置きかわらしめる」

だから健康になりたい者は、ただ健全なる想念のみを心に描くべきである。

その健全なる実相の想念をじーっと心に描いて、それを観つめているのが、
この神想観なのであります。

観無量寿経に示されている“仏身観”や弘法大師の教えられた”阿字観”
において大日如来の実相を観ずるのも同一原理であります。

ここに示されている

「感謝と、讃美と、和解と、調和と」

こういう念(こころ)は、神様の健全なるいのちの波長に波動が合うところの、
調和した念でありますから、だから常に感謝と讃美と和解と赦しと、調和の心を
起しておれば、肉体には健全なる調和した相がそこにあらわれて来るのであります。

「何物も死するものはないのである。
 死と見ゆるはただ其処に変化が起っただけのことである。
 永遠の生命は死することなく、
 また新しき形態に出現せんとしつつあるのである」

http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7993594
道産子さま投稿記事
2020/08/23 (Sun) 07:55:31

          <感謝合掌 令和3年8月16日 頓首再拝>

精神活動の統一と健康 - 伝統

2021/08/27 (Fri) 04:51:33


        *「光明法語」(8月27日)より

人間が健康になるには喜んで働く事である。

「自分の活動を正確に目的の方向に向ける時吾々の心理的・生理的機能は、
最も完全に調和を来たすのである」
とアレキシス・カレル博士も言っている。

又博士は

「精神活動の統一は、内臓や神経機能の
 より以上の調和を齎(もたら)すものである」

とも言う。

病床にいて仕事もなく、あれを考え、これを憂え、
精神活動に何の統一も集中も無なく
ただ病気の悪くなる事のみを心に描いて心配している様な生活が
病気に悪いのは勿論である。

          <感謝合掌 令和3年8月27日 頓首再拝>

【 わが生命の神なることを直視する 】 - 伝統

2021/09/12 (Sun) 04:56:34


      * 『生長の家』(昭和25年8月10日の法語)より

今日、自分は自分の生命が神の生命流れ入って
吾が生命と成っている事実を直視するのである。

われはわが生命が神の生命であって完全に調和しており、
何処にも不完全なきことを見るのである。

自分の肉体の現状がどうあろうとも、
私はそんな事に自分の心をまどわさないのである。

何故なら 「 肉体 」 は自分自身ではなく、自分の産物であり、
自分の過去の心がそれをつくったのであるからである。

これから先の肉体は、これから毎日自分が何を思うかによって定まるのである。

今後私は常に善念を抱き、人を憎まず、
病いを思わないから必ず健康になるのである。

          <感謝合掌 令和3年9月12日 頓首再拝>

無限の健康調和 - 伝統

2021/10/02 (Sat) 04:51:40


        *「光明法語(10月2日)」より

各々の細胞がその個性を発揮しながら完全なる協力を遂げているとき
人体の健康は最も完全に実現するのである。

完全なる協力は 「本来一」 の自覚より生ずる。
人間の健康も先ず人間同士が完全に 「一」 である自覚をもって互いに相結ばれ、
人間相互にその感情が調和している時にのみ真に実現し得るのである。

人間同士の感情が争っているときには、肉体は心の影であるから、
心の乱れている限り真に無限の健康は発揮されようはないのである。
汝ら互いに調和せよ。


       <感謝合掌 令和3年10月2日 頓首再拝>

完全なる健康は、吾は「霊なる完体なり」の自覚から生まれる - 伝統

2021/10/03 (Sun) 04:48:16


        *「光明法語(10月3日《物質の自覚》)」より

完全なる健康の裏には「完全」なる調和の念がなければならないのである。

先ず肉体は「物質」であるとの念を捨てよ。

物質は結局バラバラのものであって互いに漠然とした一体の自覚なきものであるから、
吾々の肉体が物質で出来ているものだとの考えが吾々の心を占めている限り、
自己の肉体はバラバラのものであると云う念を抱いていることになるから、
その念があらわれて完全なる健康は得がたい。

完全なる健康は、吾は「霊なる完体なり」の自覚から生まれるのである。

       <感謝合掌 令和3年10月3日 頓首再拝>

肉体健康の秘訣 - 伝統

2021/10/04 (Mon) 04:11:16


        *「光明法語(10月4日)」より

肉体を健康ならしめるためには、肉体を愛しなければならない。
肉体を霊の敵であると憎んでいる限りに於いて、その肉体は健康になる事は出来ない。
肉体を「霊の完全なる表現」であると信じ、それを愛し敬しなければならない。

肉体を醜いものと考えてはならないし、
それを神の人間理想の最高顕現であると見なければならない。

常に神想観する時に「吾が肉体は神の最高美の理想的顕現である」と念ぜよ。
而(しか)して病気を見る勿(なか)れ、病気を想念する勿れ。

       <感謝合掌 令和3年10月4日 頓首再拝>

健康美を讃賞せよ - 伝統

2021/10/05 (Tue) 04:54:31


        *「光明法語(10月5日)」より

健康美の発現を悦べ。

それが体操であれ、スポーツであれ、舞踊であれ、
健康美の表現されているものを素直に悦ぶ心がなければ、
ただの健康は得られても健康美ある肉体の美しさは得られないのである。

何でも愉快に体操でもスポーツでも舞踊でも、
健康の美の発現を実際に喜んで実践するとき健康美はあらわれる。

何でもそれを讃えてやり賞(ほ)めてやり喜んでやったならば、
それは益々発達しその完全なる姿を現すのだ。


肉体美もその通りである。
肉体を軽蔑してはならぬ。

       <感謝合掌 令和3年10月5日 頓首再拝>

人を憎んでいては、健康にはなれない - 伝統

2021/11/01 (Mon) 04:25:44


     *「生命の實相 第38巻 幸福篇下」(11月1日)より

春に出る新芽は春になって初めてできるのではない。
もう11月の頃から、あるいはもっと早くから用意されているのである。
この用意が不完全だったら、よい新芽は出ないのである。

まちがい上に本物を建てることはできない。
健康になりたい人はまずまちがいを捨てなければならない。
まちがいの上にどんな立派な建物を建ててもそれは倒れてしまう。

「まちがい」とは、それが《ある》かのように見えても本来、「当に有るべからざるもの」
すなわち「不当有(ふとうう)」であるから、不当有(ふとうう=まちがい)の上に
物を建てたものは、いずれも壊(くだ)けてしまうのである。

人を憎んでいて健康になどなれるものではない。

憎みは「不当有(あるべからざるもの)」であるから、神に対する背反である。
神は「生命(せいめい)」であるから、「憎み」のあるかぎりその人は「生命(せいめい)」
に背反しているのであるから、その人の健康が不良なのは当然である。

「憎み」を持続しながらその人の健康を維持しているように見えても、
それは表面のことであって、その人が、「神」すなわち「生命(せいめい)」に背反して
いる限り、すでにその人の健康は危殆に瀕しているのである。

       <感謝合掌 令和3年11月1日 頓首再拝>

霊は健康で迷わざるものである - 伝統

2021/11/12 (Fri) 04:56:41


     *「生命の實相」第38巻幸福篇下(11月12日)より

霊的自己 ―― 迷わぬ自己 ―― ただ一つ ―― 二つは無い。
迷っている自己、病んでいる自己、そんなのもは無い。
自己は二つない。一つきり。

健康な自己だけ。そのほかの自己を神は創(つく)らない。

霊は健康で迷わざるものである。

       <感謝合掌 令和3年11月12日 頓首再拝>

私は、完全に健康である - 伝統

2022/01/21 (Fri) 03:38:59


   *「光明法語」(1月21日《神常に吾を生かし吾を導き給う》)より

神のすべてを生かし給う生命、吾が内に吾が心の内に、吾が魂の内に、
すべての事件の内にあらわれて生かし給う。

この神の大いなるいのち、常に新しきいのち今もわが中に流れ入りて
常にわが組織を新たならしめ給い、健全ならして給うているのである。

今この瞬間このわが頭の先からわが爪先に到るまで
輝く神のいのちに満たされているのである。

もはやわが肉体は神の肉体である。
わが肺臓は神の肺臓である。
わが胃袋は神の胃袋である。
吾が全ての内臓は神の全ての内臓である。

完全に健康であるほかあり得ないのである。

       <感謝合掌 令和4年1月21日 頓首再拝>

健康増進の日 - 伝統

2022/02/02 (Wed) 04:54:28


           *「光明道中記」(2月2日)より

【食事にうんと歓びのお菜を附けて食べよ。
 どんな粗食でも最上の栄養に変わる(『生命の實相』第八巻)】

戦前であったが、自殺して死んだ医学博士で
羽太鋭治(はだえいじ)と云う人があった。
その人が若返り法の本を書いたことがある。

その本の中に肥えたい人の食事法と、
痩せたい人の食事法とが書いてあった。

痩せたい人は畳の上に盆を置いて、
低い位置に料理を置いて身体を屈み加減にし、
消化器を圧迫しながら、出切るだけ憂鬱な気持で食べるのである。
そうすると必ず痩せると言う。

肥えたい人はその反対をするのである。
腹を伸ばしてゆっくりと高い加減の食卓に坐し、
天井に「アハハハハ」と大きく書いた紙を貼り附けて置いて、
食事をしながら、天井を仰ぎ見て、「アハハハハ」と時々笑うのである。

笑えば心が開く。
心が開けば血液の循環がよくなる。
消化器の分泌が豊富になり、
粗食からでも豊富な栄養を吸収することが出来るようになる。

併し肥えるということは必ずしも健康の理想ではない。
或る人は痩せているがために
他の内臓の能力(キャパシテー)と平衡を得て健康を得ている。

健康とは要するに全体の調和を意味する。
心臓や腎臓の能力(キャパシテー)の小さな人には
筋肉の増大は返って負担となる。

       <感謝合掌 令和4年2月2日 頓首再拝>

常に毎日新しくなれないものは死につつあるものである - 伝統

2022/02/16 (Wed) 03:48:42

       *「生命の實相」第37巻幸福篇上(2月16日)」より

常に新しくなるものは老いない。
老いるとは常に新しくなれないことの別名である。

人体の細胞を切り離して培養し、その培養基を常に新しく取り替えれば、
結局人間の細胞は永遠に分裂増殖して死なないものであることを
生物学上の実験によって確かめられたという。

人間の肉体が老いて衰え死するということは、
細胞が複雑に組み合っているために、常に新しくなれないからであって、
必ずしも人間が老衰死するということが運命ではないのである。
ただ老衰死の原因は常にわれらが新しくなれないということが原因である。

人間の心もそのとおりである。
常に毎日新しくなれないものは死につつあるものである。
陳びつつあるものである。

老人が陳腐であるといって人から嫌われるのは、
ただ過去の惰力で生きており、過去の惰力でものを考え、
過去の惰力で行為をし、過去の惰力で若い人を推し測るからである。

過去の惰力で行為されたものは、すでに形骸であって生命はない。
これを称して型にはまるというのである。
型にはまっているものは形は立派に見えても、もう屍である。

           <感謝合掌 令和4年2月16日 頓首再拝>

万病一元論 - 伝統

2022/04/02 (Sat) 07:47:36

【斎藤一人】万病一元論
最強開運チャンネル(2022/04/01)
https://www.youtube.com/watch?v=iw-qGv3XLfY

文字起しは、次のWebにて確認できます。
 → https://ameblo.jp/saitou-7/entry-12438663998.html

           <感謝合掌 令和4年4月2日 頓首再拝>

元気充満の日 - 伝統

2022/04/16 (Sat) 03:34:03


           *「光明道中記」(4月16日)より

【「心が」或る一つの「迷い念」に引っかかって生命本然の自由性を失うところに、
 その「心の影」そして色々の病気があらわれる。(『光明の健康法』)】

不健康とは自然を失った状態である。
健康なのが人間の自然であるから、自然になりさえしたならば、
健康は自然に顕れるのである。

それと同じく、人間の成功も、幸福も、自然なのであるから、
人間が自然になりさえしたならば成功も幸福も自然にあらわれるのである。

健康や、幸福や、成功を何か異常な出来事であるかのように求める心が
間違っているのである。
此の間違った思想の中に誰でも生活している限り於いて
その人は本当に幸福にも健康にもなれる訳ではない。

吾々は人生観を根本的に置き換えなければならないのである。
人間は「神の子」であるから本来幸福に健康に成功するように
最初から定(き)まっているものなのである。

それなのに幸福と健康と成功とを何か特別な少数者だけのもののように、
それが異常な出来事のように考えているから、その考えが具象化して、
それが何か異常な出来事のように、少数者にしか実現しないのである。

吾々の健康の秘訣は、幸福の秘訣は、成功の秘訣は、
健康が、幸福が、成功が常に吾々を追い廻しているということを自覚するにある。

           <感謝合掌 令和4年4月16日 頓首再拝>

自然の道に乗れば健康になる - 伝統

2022/04/19 (Tue) 08:02:03


           *「光明道中記」(4月19日)より
            ~相倶(あいとも)に扶(たす)くる日

【僕は何でも、過去のことは《過去として》それで善かったと思っています。
 過去は過去だ、後悔したりするのは嫌です。(『百事如意』)】

呟(つぶ)くこと、人の悪い噂をすること、不景気の話をすること、
詰まらない話をすること
―― こんなことに時間を費やしている限り、あなたの事業は衰退する。

そんな事をする暇に光明思想の本を常に携帯していて、
それを読んで心を光明に転向すれば、事業も亦(また)光明に転向する。

健康にしても矢張りそうである。

若し不平を言うこと、呟くこと、憎むこと、人の欠点(あら)を探すこと、
尖った心を起すこと、人を遣(や)っつけたい感情を起すことを止(や)めなければ、
その人の病気は治らないであろうし、

また病気でない人も、かかる心持を持続する限り
「病気」の方向に向かって突進しつつあることを知らねばならぬ。

成功の秘訣がサービスにあることを知っている人は多いが、
健康の秘訣がサービスにあることを知らぬ人が多いのは、不思議なことである。

サービスは自分が働いて人を喜ばすことによって成立っている。

自分が働いて人を喜ばしたならば商売が繁昌するのは当然であるが、
その人の健康がよくなるのは、健康とは人間の自然の相(すがた)であるから、
人間が自然の道に乗れば健康になる。

           <感謝合掌 令和4年4月19日 頓首再拝>

あなたの肉体を祝福なさいませ - 伝統

2022/06/18 (Sat) 07:36:31


        *「真理」第二巻基礎篇(P8)より

毎日、あなたの肉体を祝福なさいませ。

「汝は神の身体(からだ)である。汝は常に健康である。
 汝は完全に汝の機能を果たすのである。吾れ汝にに感謝す」

と念ずるのです。

合掌して神想観又は祈りの形式でこう肉体を祝福するのも宜しいが、
体を乾布摩擦又は冷水摩擦するならば、
その際こう祝福の言葉を念じながら摩擦すると、

言葉の力、思念の力であなたの肉体は
より一層完全に、より一層健康になり、
老衰を防ぐことができるのです。

入浴の際、石鹸を掌につけて全身を掌でなめらかに摩擦しながら

「汝は神の身体である。物質はない、霊である。霊であるから病まず老いず
 永遠に健康に汝の機能を果たすのである。有りがとう、有りがとう」

と祝福の言葉を念ずることも肉体を常に若く健康にする道であります。

           <感謝合掌 令和4年6月18日 頓首再拝>

既に健康なる自分を知って、その如く行ずる - 伝統

2022/06/29 (Wed) 07:18:58


        *「光明道中記」(6月29日)より抜粋

既に成就せる世界を知って、それを現象世界に実現するのが、吾々の正しい生活である。
証上(しょうじょう)の修(しゅう)である。

既に成就せる世界を知るが故に退転することがないのである。
既に健康なる自分を知って、その如く行ずるのである。

多くの病者は《これから》健康になろうとして、健康法を励行するが、
思うように効果が挙がらないのは、《これから》と思っているからである。

既に《今》健康なのである。
肉体は自分ではない。自分の殻(から)である。

殻何するものぞ。
捨て切れ、捨て切れ、捨て切ったとき永遠の生命と、
今(いま)茲(ここ)にある天国を知ることが出来るのである。

            <感謝合掌 令和4年6月29日 頓首再拝>

《人間の肉体は本来健康である》 - 伝統

2022/07/11 (Mon) 07:19:13


       *「眞理」第2巻基礎篇第9章(P249~250)より

神の理念の顕現であるところのあなたの肉体は
本来健康なように造られているのであります。

そして其の顕現(あらわれ)の奥にある神によって、
常に強められ、守られ、修復され、導かれているのであります。

あなたは本来、神御自身の如く健全であるのだと云うことを自覚なさい。

如何にあなたの肉体が不健全なように現在あらわれていましょうとも、
そんなものは、神の顕現(あらわれ)である「貴方」自身ではありません。

そんな不健康はあなたの心の影にすぎません。

そんな不健康を、心でつかんでいれば把(つか)んでいる間は
その不健康は消えないのですが、

それはあなたの「迷い」のあらわれでありまして、
実際にその不健康があるのではありませんから、
あなたが其の不完全を心から放ち去って、
神の理念の現れである貴方自身は健全であるほかはない

―― と信じさえすれば、
其の本来の健全な相(すがた)があらわれてまいります。

併し心と云うものは表面の現在意識ばかりではありませんから、
心の奥底にまで「自分は神の子だから健全であるほかはない」と云う
信念を徹底させることが必要です。

            <感謝合掌 令和4年7月11日 頓首再拝>

名前
件名
メッセージ
画像
メールアドレス
URL
編集/削除キー (半角英数字のみで4~8文字)
プレビューする (投稿前に、内容をプレビューして確認できます)

Copyright © 1999- FC2, inc All Rights Reserved.