伝統板・第二

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ひかりの一日一言66~実相を礼拝して 生活を光明化する - 伝統

2020/09/01 (Tue) 04:43:44

この「実相を礼拝して 生活を光明化するには」は
『 生長の家 』昭和44年12月号からの謹写です。
(Web:住吉大神浄め給う より)
https://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/s/%E6%98%AD%E5%92%8C%E5%9B%9B%E5%8D%81%E5%9B%9B%E5%B9%B4%E5%8D%81%E4%BA%8C%E6%9C%88%E5%8F%B7/1


ひかりの一日一言《1日》

《1日 天上天下唯我独尊の自覚》

正しい信仰というものは、
釈尊が尼蓮禅(にれんぜん)河畔(かはん)で迷いを去って

悟りをひらかれた時のように

「 天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」 と

知ることであり、


キリストがヨルダンの河畔でサタンの誘惑を退けて自己の神性を知り、

「 われ神の子 」 と宣告されたように、

あなたも亦(また)、
「 われ神の子、天上天下唯我独尊 」 と悟ることなのである。

この「 天上天下唯我独尊 」 の自覚は、
決して、利己主義でも個人主義でもないのである。

自己( 自個 )の内に“ 独尊 ”の絶対価値をみとめるとき、

はじめて“ 他個 ”の中にもある
“ 独尊 ”の絶対価値を見ることが出来るのである。

自己の内に絶対価値を見出し得ないような者が、
どうして“ 他個 ”のうちに絶対価値をみとめて、
それを礼拝することができるのであろうか。

https://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/320d017b0656589d223c59d6e16ffb08

       <感謝合掌 令和2年9月1日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《2日》 - 伝統

2020/09/02 (Wed) 04:32:57


《2日 天地の万物一切に絶対価値を見出すこと》

「 天上天下唯我独尊 」 の自覚は、「 有情(うじょう)・非情(ひじょう)
同時成道(どうじじょうどう)」 の悟りに連るのである。


自分だけが“ 独尊 ”であって、
他のものは悉く自分より下等なものであるというような

“ 自己 ”中心的な“ 他個 ” 軽蔑的なものの考え方は
凡そ悟りから遠いものなのである。


“ 有情 ” 即ち “ 情(こころ)あるもの ” も
“ 非情 ” 即ち “ 情(こころ)なきもの ”( 無機物 ) に至るまでも悉く、
同時に“ 道 ” の現成であるということが「 有情・非情同時成道 」 である。

“ 道( コトバ ) ” は天地に満つる “ 法 ” であり、
「 太始( はじめ )に道( コトバ )あり 」( ヨハネ伝 )の
“ 道( コトバ )”であり、“ 仏性 ”であり、“ 法身の如来 ”であり、
天地の理法であり、“ 神 ”である。


かくして、有情・非情を“ 法身の如来 ” が
そこに姿を顕わされたものであるとして見るとき、

天上天下唯我独尊の自覚は、何処にも傲慢(ごうまん)のかげもなく、
その独尊の絶対価値を 天地の万物一切に見出して拝むことができるのである。

https://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/76456cb2933201398ca8056aec3cb528

       <感謝合掌 令和2年9月2日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《3日》 - 伝統

2020/09/03 (Thu) 04:31:05


《3日 実相の完全さを礼拝せよ》

万物に内在する絶対価値を見出すには、
浮雲(ふうん)のように去来する現象の不調和な姿に、
心を引っかからせてはならないのである。


浮動変化して常なき有様が ――  時には現象の表面に
不完全な様相をあらわすような事があっても、それは唯、外見であって、
内には完全円満な“ 如来 ”を蔵するものである。

その内に埋没せる“ 如来 ”は、
外面の不完全さのみを見ていては 現れて来ないのである。

どんなに不完全に見えても、その外見に眼を閉じて、心の眼をひらいて、
実相の完全さを見るとき、それをジッと見詰めて礼拝する毎日をつづけるとき、

“ 内在の如来 ”の完全さがあらわれて来るのである。

 (https://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/7f575134098da0c0f7b97d38f01fab3f

          <感謝合掌 令和2年9月3日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《4日》 - 伝統

2020/09/04 (Fri) 04:26:36


《4日 子供を優良にするには》

実相は既に円満完全であるという真理を前提として立って、
その円満完全さは観じて礼拝することによって現実となるのであるという方法論を

生活に応用すれば、生活が裕かになり、教育に応用すれば子供が良くなり、
治病に応用すれば、健康が増進するのである。


神想観の姿勢をとり、合掌瞑目して、自分の子供が既に円満完全であるところの
理想的姿を眼瞼(まぶた)の裏に描いて、それをジッと見詰めながら、

“ ありがとうございます。私の良い子よ ” と念じて礼拝し感謝するがよい。


この行事を毎日つづけるならば、あなたの子供の完全なる実相が現実化して、
本当に優良な子供になって来るであろう。

但し、「 この子は、“ どうも不良であるから ”、こうしてその不良を治すのだ 」
などと
考えてはならない。

「 不良である 」 という前提を深く信念に握っている限り、
その信念が現実化するから不良が治らないのである。


「 この子は、神の子であって、本来も、今も既に完全である 」 と見立てて、
礼拝し感謝するのでなければならない。

  (https://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/7139d937f364779ae4208dbb0affa066

       <感謝合掌 令和2年9月4日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《5日》 - 伝統

2020/09/05 (Sat) 03:49:14


《5日 神想観によってあなたの健康を》

人間の実相は本来完全であるという真理の前提に立って、
その本来の健康をあらわすためには、

やはり、その実相の完全さを心に描いて、
それを凝視し、礼拝し感謝するがよいのである。


病気を“みとめて”、それを治そうとして、
単に、「 手段 」のために「 完全さ 」を心に描いて礼拝しても、

「 人間は不完全で、病気になる 」という前提が、
心の奥ふかくつかまれているならば、
心の奥ふかくつかまれている想念の姿が、形の世界にあらわれるのであるから、

「 人間本来病むべきもの 」という迷いの観念を
心から放してしまうことが 先ず 必要なのである。


それが即ち 神想観の最初の“ 唱(とな)え言(ごと)”

「 われ今、五官の世界を去って実相の世界にいる 」である。


心が五官の世界を去ったら、
「 人間本来病むべきもの 」という現象界の前提がなくなる訳である。

  (https://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/da726a043db7f9335da3991d73ec3726 )

       <感謝合掌 令和2年9月5日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《6日》 - 伝統

2020/09/06 (Sun) 04:24:06


《6日 祝福を与える者はまた祝福せられる》

何事によらず、何物であろうとも、
一切の事と物とを祝福することは、
事態を好転するための驚くべき不思議な力となるのである。

「 祝福する 」とは「 詛(のろ)う 」ことの反対である。

相手の前途に対して、必ず良き事が来ると祈ってあげ、
且つそれを信ずることである。

“ 希望の光 ”をもって相手を鼓舞してあげることである。

「 与えよ、さらば与えられん 」の法則に従って、
あなたが、他の人々を祝福して“ 希望の光 ”を与えてあげるならば、
あなたは神から、又は何かのルートを通して一層“ 希望の光 ” を
与えられるに相異ないのである。

   (https://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/edceaabd05d4073ac16ddff0f64835fc

       <感謝合掌 令和2年9月6日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《7日》 - 伝統

2020/09/07 (Mon) 03:12:00


《7日 あなたの言葉で人を傷つけてはならない》

誰でも不快なことを聞くと、自分が不快になるのである。

人に不快なことを聞かせることは、人に不快な目をさせることになる。

人に不快な目をさせることは、相手の心を傷つけることである。
それは相手の肉体を傷つけるよりも一層大なる罪悪である。

何故なら、“ 心 ” は “ 肉体 ”よりも一層大切なものであるからである。

人の心を傷つけながら、自分が相手を傷つけている事を知らぬ人がある。
そして常に、人に“不快な言葉”を聞かせて、
常に人を傷つけて止まるところを知らないのである。

だから、釈迦は
「 悪いと知らずに犯す罪の方が、悪いと知って犯す罪よりも重い 」
といって教えられたのである。

あなたは決して“不快な言葉”を人に話してはならないのである。

https://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/3190094d2d8a3520db72dc9a8636c921

       <感謝合掌 令和2年9月7日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《8日》 - 伝統

2020/09/08 (Tue) 03:26:04


《8日 “ 縁なき衆生は度しがたし ”》

迷いの中に悩みながら、こちらが救けてあげたいと思うけれども、
宗教とか信仰とかというものに興味のない人がたくさんある。

このような人を救うにはどうしてあげたらよいのであろうか。

釈尊はこういう人の事を「 縁なき衆生は度(ど)し難し 」と仰せられた。
「 度す 」というのは「 済度(さいど)する 」ことである。

実相光明世界 ― 即ち「 彼岸 」に度(わた)してあげたいけれども、
「 縁 」 即ち触れ合う、機会が無いということである。

肉体は互いに触れ合い、目に触れてはいるけれども、
「 機 」即ち「 心のはたらき 」が互いに「 会う 」ことがないのである。

それは恰(あたか)も、
ラジオの放送電波は現実に今此処に到達しているけれども、
放送電波と受信機との波長があわないので、

いくら「 善き助言 」を放送してあげても、
彼らは波長の合わぬラジオ・セッとのようなものであって、
心の触れ合う機会がないのである。

https://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/90d1630fffc8c1e30fcfaf4649754c1d

       <感謝合掌 令和2年9月8日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《9日》 - 伝統

2020/09/09 (Wed) 02:54:38


《9日 本当は「縁なき衆生」はない》

では、本当に「 縁なき衆生は度し難し 」なのだろうか。

「 縁なし 」といって放置して見殺しにしておいて、よいものだろうか。


現象面では波長が異なり、肉体は触れ合っていてすらも、
心は互いに断絶していて互いに触れることが出来ないかも知れないけれども、

実相は彼らも亦“ 神の子 ”であり、本来“ 仏性 ”であり、
彼らの生命の根元的な面に於いては、互いに密接に“ 一体 ”なのである。

だから彼らを救ってあげようと思えば
彼らの生命の根元的な面で彼らと接触すればよいのである。

即ち、彼らの「 実相 」の円満完全さを心で凝視し礼拝する行事を
つづけるがよいのである。

彼らにも“ 実相の完全さ ”が宿っているのであるが、
彼らの肉体は“ 実相 ”の波長には全然波長の合わない迷妄の波長を起しているために、
“ 実相 ”と“ 肉体 ”との間が相互断絶していて
“ 実相 ”は隠覆(いんぷく)されて、恰も眠ったような状態になっているのである。


私たちが彼らを救わんがために、
彼らの「 実相 」の円満完全さを凝視して礼拝するのは、

その眠っている「 実相 」に対して、
波長のあう霊波を起して「 実相 」を霊波で叩いて
目を醒(さ)まさせて「 実相 」のハタラキを表面にあらわすためなのである。

https://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/6ec63f26f27c152f150d8979445c3ea8

       <感謝合掌 令和2年9月9日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《10日》 - 伝統

2020/09/10 (Thu) 02:39:10


《10日 われ常不軽菩薩たらん》

実相礼拝の行事によって、
恰も「縁なし」と見える衆生の仏性を目醒(めざ)めしめようとせられた方が、
法華経の“常不軽菩薩(じょうふきょうぼさつ)”なのである。

この菩薩は「 われ常に軽んぜず 」と唱えて、
いかなる浮浪者でもヤクザでも、
また彼を石をもって打擲(ちょうちゃく)しようとした者すらをも、

「あなたの実相は“如来”でいらっしゃいます。
 当来 必ずその如来の実相のあらわれる方であります」と

いって、ひたすら相手の実相たる“ 内在の如来 ”を礼拝したのである。

生長の家人の生き方は、この常不軽菩薩の生き方をすべきである。

   (https://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/abeba2be8eabd8f9b60ae0ebbb0883dd

       <感謝合掌 令和2年9月10日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《11日》 - 伝統

2020/09/11 (Fri) 03:39:40


《11日 子供の成績をよくするには》

子供が不成績であっても、その不成績や、智能の低さを見ないで、
神想観中に、その子の、完全にして全智全能なる“ 神の子 ”である
実相を観じて拝むようにするならば、
実相の完全さがあらわれて成績が優秀となるのである。

決して、
「この子は頭が悪いから、神想観によって頭の悪さを治してやるのだ」
などと考えてはならない。

「頭が悪いから」という前提をもっていてはならないのである。

そんな前提を心にもつ事は、「迷いの雲」の中に自分がひっかかって
光の輝く実相青空に出られないことを意味する。


「頭が悪い」という“現象の雲”をつきぬけて、
一躍超入、その子供の“ 神性 ”を把えてそれを凝視し、礼拝するがよい。

(谷口雅春著『 優良児を作る 』参照)

https://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/b977ab9ad238b4ac8dcef8d83d8431f2

       <感謝合掌 令和2年9月11日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《12日》 - 伝統

2020/09/12 (Sat) 03:07:47


《12日 非行少年を良くする道》

不良化した子供を、正常の子供にするのも、
成績不良の子供を成績優秀の子供にするのも
同様の原理にもとづくのである。

不良児とか、異常児とか、非行少年とかいうものは「 本来無い 」のである。

その本来無いという事実を知って、その外観を超越して直接、
「神の子」なる子供の実相を心に描いて、
その姿を心で凝視するがよい。

その観が本当に徹底したら、本来の良き子供の実相があらわれる。

  (https://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/097dd924f18cb436954ef71f9bb6908e

       <感謝合掌 令和2年9月12日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《13日》 - 伝統

2020/09/13 (Sun) 02:53:12


《13日 劣等観を去るための神想観》

人間の不幸のすべては殆どみな劣等観に基いて
本来の偉大なる潜在能力を発揮せずに、
その出口を塞いでしまうことから起って来るのである。

そのような劣等観をなくするためには、
次のように神想観をして祈るがよい。―


“ 私は神の子である。
 神は全能である、その全能の力が私に宿っているのである。

 私は神の子である。
 神は全智である、その全智なるすぐれたる智慧が私に宿っているのである。

 そして時に応じ、処に応じ、人に応じて、
 その全智全能なる智慧と力とが自由自在に
 発現してくるのである。

 それゆえに私は何物をも恐れることはないのである。”

 (https://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/9ca5ddcfd20b24aaf94d3b2e9e335e00

       <感謝合掌 令和2年9月13日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《14日》 - 伝統

2020/09/14 (Mon) 02:23:56

《14日 あなたが完全な自由を得るために》

あなたが何物か外界又は他者によって縛られていて
自由が得られない感じがするならば、

その自由を外界や他者に対して求めることを止めて、
自分の“実相”に対して求めるがよいのである。


次のように念じなさい。

”私は神の子である。

 神が××(自分の姓名を唱える)となって此処にあらわれているのである。

 神が私なのである。神が私なのである。

 私は今完全に自由なのである。

 何ものも私の自由を縛ることはできないのである。”

  (https://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/46eb21bebef7354d2b70d079452f475d )

       <感謝合掌 令和2年9月14日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《15日》 - 伝統

2020/09/15 (Tue) 04:49:51

《15日 あなたの境遇をよくする秘訣》

私たちは今すぐ自分の境遇を幸福なものに変化することが出来るのである。

それは自分自身の心が先ず変ることである。

「心はすべての造り主」であるからである。


先ず 自分自身が調和の心を起すがよい。

そのためには人の欠点を見つけて、あれこれ批評したり、
悪口を噂したりする心を棄て、それに置き代うるに、人の美点のみ見つけて、
それを称讚し、祝福の念を送るようにすることだ。

また自分の今ある生活の不足を数えて
それを不平に思ったり呪ったりすることを止め、

どんな貧しい生活の中にも見出される幸福を
 ー 空気がある幸福を、食物がある幸福を、
兎も角、住む部屋があり、兎も角、今着ている衣服がある幸福
・・・等々を、かぞえて、それに感謝する心を起すことである。

そこからあなたの一層幸福な境遇が展開して来るのである。

とも角、不平を思う代りに感謝するようにしなさい。

そこからあなたの幸福な境遇も環境も生まれて来るのである。
  (https://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/980012aca462fb48c91cbd059f831b52 )

       <感謝合掌 令和2年9月15日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《16日》 - 伝統

2020/09/16 (Wed) 03:58:35


《16日 “富”の種子を植えて育てること》

「自分は貧しいのだ」とう考えを棄てなさい。

そして「 既に富める“神の子”の実相 」を心に描いて、
「 すでにわれ富めり、有りがとうございます 」と心に唱えて感謝するがよい。

それが“ 富 ”の種子を現象界に植えつけたことになるのである。


その思いを常にもち続けることが必要なのであって、
ある時間だけ、祈りや、神想観の時だけではなく、

常に、その“富相(ふうそう)”をもちつづけ感謝の念をもち続けることによって、
実相世界にある無限の富が、現象化してあらわれることになるのである。


もし途中で、まだ現象に残存する“貧しさの影”を見て、
「やっぱり駄目だ、私は貧しい」と考えれば、

その考えが想念の種子となり、雑草となって萌えひろがり、
折角(せっかく)、以前に播いた“富想”の種子の上に覆いかぶさって、

“富想(ふうそう)”はついに芽を出すことなく、
枯れてしまうことになるのである。


“貧しさ”の雑想雑念は早く刈りとるがよい。

  (https://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/341e28ddc7181dbee15db19dc3134230

       <感謝合掌 令和2年9月16日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《17日》 - 伝統

2020/09/17 (Thu) 04:27:21


《17日 あなたが困難な問題に面したとき》

時々、あなたの魂を鍛えるために、
困難な問題や、艱難辛苦がやってくるかも知れない。

冷たい風に触れずに温室育ちのような生活を送っているものは、
人格の強さを鍛え出すことはできないのである。

それゆえに人生に、色々の問題が起って来ることは、
あなたの魂が健実に強固に育つために是非必要な条件なのである。

だから、起って来る困難な問題に対して感謝せよ。

問題は必ず解答が出るようにできているのである。

その問題を解くように考えをめぐらすことは、
あなたが学校でむつかしい数学の問題を
出されて考えているようなものである。

学校でむつかしい数学の問題が出て来るのは、
あなたの能力を増すためにある。


では、人生でむつかしい問題が出て来るのは、
あなたの魂の力を強くするためだと解るであろう。

人生に困難の問題が出て来たとき、あなたは、

「 この問題で私の魂は鍛えられて向上する。ありがとうございます 」

と感謝するがよい。

  (https://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/90442007959e1673f682730248f7da1f

          <感謝合掌 令和2年9月17日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《18日》 - 伝統

2020/09/18 (Fri) 04:44:29


《18日 神の放送番組に波長を合わしなさい》

今あなたの身辺にある恵みに感謝せよ。 

恵みの数々をかぞえあげて、そのいちいちに
「 ありがとうございます 」と感謝の念を送るがよい。

神の恵みに対して起す感謝の念は、
神の放送される無限の善き番組に波長を合わすことになるので、
次から次へとあなたの人生に、好き番組が展開して来るようになるのである。

あなたが、神の放送せられる幸福番組に心の波長を合わせていられる限り、
決して、何者もその幸福番組の実現を妨げることはできないのである。

何故なら神の霊波は、
どんな人間の妨害電波よりも強大な力で放送されているからである。

併(しか)し、唯一つ、神の霊波を受信することを妨げるものがある。

それはあなた自身が、神の霊波に波長の合わぬところの不平の念や、憎悪、
悲哀、恐怖、嫉妬(しっと)、貪欲(とんよく)、呪詛(じゅそ)
・・・等の念を起すことである。

  (https://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/d7066ecc6c1d498e5862f2cab1c8fe90

       <感謝合掌 令和2年9月18日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《19日》 - 伝統

2020/09/19 (Sat) 04:14:55


《19日 陰極は陽転する、陽転のためのアイディアを受けよ》

事物の悲観面に心を注いで、悲観面に心が捉われてはならないのである。


今までの生活のやり方や、考え方や、行動や計画の進行に間違いがあって、
愈々その間違いの結果、事態が破局の最悪状態に近づきつつあっても、
それに心が捉えられて、心が挫折してしまってはならないのである。

そんな時ほどあなたの心は明るく保たれなければならないのである。

「 事態が破局に近づきつつある 」ことを悲観的に考えないで、
そこに陰極が陽転せんとする契機が孕んでいることをみなければならない。

生命が生きてある限り陰極は必ず陽転するのである。

その“ 陽転 ”に対して心を開いて、神から放送されて来る、
“ 陽転のためのアイディア ”に波長を合わせるがよいのである。

心に強く描いて波長を合わせたものが現実化するのである。

破局を恐怖して、破局に心を集中してはならない。

心を転ずることによってのみ“ 陽転 ”の機会をつかむことができるのである。

https://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/a2a5f6f82ed0f191f6b7f590dc542cd8

       <感謝合掌 令和2年9月19日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《20日》 - 伝統

2020/09/20 (Sun) 04:29:23


《20日 先聖(せんしょう)の精神をもって新しく前進すること》

人は今までの考え方や、やり方の習慣の中に安住して、
新しい生活や事業を開いて行こうとしない傾向があり勝ちである。

昔のままで動かないでいることが、不安がなく落ち着く気持ちがするので、
安易な方を選ぼうとするのである。


しかし人類は進歩する、社会も進歩する、科学も進歩する、
私たちはそれらの進運(しんうん)にとり残されてはならないのである。

「 古きを温(たず)ねて新しきを知る 」( 温故知新 )ということは、
特に先聖(せんしょう)の人々の生活の行履(あんり)に
われわれの精神の行き方を学ぶことが大切であることを言ったものであるが、

その先聖の精神が示された行き方によって、
新しいものをきり開いて行くことが大切なのである。

先聖は決して旧態依然たる古い習慣にしがみついたりしてはいられなかったのである。

  (https://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/de70f22feac7a5abadc04506f56b6520

       <感謝合掌 令和2年9月20日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《21日》 - 伝統

2020/09/21 (Mon) 04:34:17


《21日 神の “ 新しき智慧 ” に波長を合わすこと》

過去の生活習慣にも善いものもあれば悪いものもある。

過去の生活習慣を全部善いと思ってそれに泥(なず)むのもよくないが、
過去の生活習慣を悉く“古くて駄目だ”と軽蔑して、
棄(す)ててしまうのも問題である。


棄てるべきは棄てなければならないし、
温存すべきは温存しなければならない。

それを正しく分別するのが“新しき智慧”である。

その“新しき智慧”は神から来るのである。

私たちは、常に神想観を怠ることなく、
神の“新しき智慧”の導きに波長を合わすことを
忘れてはならないのである。

  (https://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/8caefbd0670806cc4c79f8577c48613e

       <感謝合掌 令和2年9月21日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《22日》 - 伝統

2020/09/22 (Tue) 04:49:04


《22日 家族に病気が出た場合》

誰か家族の内に病人が出たときには、
それが一層悪くなるであろうと考えて恐怖してはならない。

病気は「 病める気 」即ち「 不調和な心 」の状態のあらわれであって、
恐怖すれば「 心の不調和 」が増大するばかりであるからであるからである。


そこで 病人が自分の家庭にあらわれたとき、
家族同士の中に「 心の不調和 」がなかったか、
互いに「 不平不満足 」の念を起したことがなかったかを反省してみるがよい。

そして「 心の不調和 」や「 不平不満足 」があったならば、
それを去って、家族互いに心を調和させるがよい。


そのためには何か互いに気まずい事があって腹が立ったりしているならば、
あなたが先ず率先して詫びるがよい。


そして互いに詫び合って、互の心のもつれが
解きほぐされたときの心の爽(さわ)やかさを味わうがよい。

その時“ 神癒の力 ”を完全に受けとる“ 心の波長 ”が起るのである。

 (https://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/55d2bfff50ecbb8650ebb2f463f6bcae )

       <感謝合掌 令和2年9月22日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《23日》 - 伝統

2020/09/23 (Wed) 04:39:59


《23日 天地一切のものに感謝し和解すること》

“神癒の力”は常に宇宙に充ち満ちているのである。
何故なら、神は、何時でも、何処にも、到る処に、常にいますからである。

それはラジオの放送が常にあるようなものである。
しかし常にあるラジオ放送も、こちらがスイッチを入れて、
波長を合わすまでは、それを受信することはできないのである。


あなたが神に祈ることは、受信セットにスイッチを入れたことに当る。

しかしスイッチを入れただけで、波長を合わせねば、
神癒の霊波の放送を受けとることはできないのである。

神癒の霊波を受信するためには、
あなたの心の波長を調整する必要があるのである。


その調整の道が天地一切のものと和解することである。
天地一切のものに感謝することである。

誰かを恨んだり、憎んだり、不平に思ったりしていたならば、
そのことに対してお詫びの心を起して、新たにその相手の人に感謝の念を起し、
感謝の言葉を心の中で繰り返すがよい。

あなたが相手の人に感謝の念を起していることを
相手が知っておろうと、知らないでいようとそんなことはどうでもよい。

あなた自身の心の波長の問題である。
  (https://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/58811a44dbaacb809ccd19be36f0b3a3

           <感謝合掌 令和2年9月23日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《24日》 - 伝統

2020/09/24 (Thu) 03:39:31

《24日 卵の中に既に雛(ひな)がある》

あなたが魂の奥底に於て実現したい希望は、
既に「実相の世界」に於て成就して、既に実在するのである。

実在するが故にこそ、切実にあなたの内部から、
それが浮び上がって来るのである。

ここに「実相の世界」といったのは、
キリストがいった「神の国」に相当するものである。

キリストは「神の国は汝の内にあり」といった。

あなたの内に既に「実相の世界」があり、
そこに成就しているものが、内から押し出すように
浮かび上がって来るのが切実なる魂の願いである。

それは卵の中に既に雛があるのと同じことである。

まだ現象の形にはあらわれていない雛が
だんだん生長して具体的な形を備えた雛となってあらわれて来るように、
既にあるあなたの希望の雛は次第に成長して形を備えつつあるのである。

あなたは、その希望の雛を温めることを忘れてはならないのである。

希望の雛を温めるのは、
次の如き祈りによる想念によって毎日温めるのである。―


「神さま、私の希望××(この希望の内容を述べる言葉)は
 あなたさまのお陰で既に実現いたしました。
 ありがとうございます 」

親鶏(おやどり)が毎日卵を温めるように、
この言葉を心の中に繰り返して希望の卵を温めるがよいのである。
 (https://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/71a3dadb4b25bc5d5778e6b40dfd2a4a

          <感謝合掌 令和2年9月24日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《25日》 - 伝統

2020/09/25 (Fri) 03:07:41


《25日 生命は物質を創造し物質を支配する》

青春の泉は、物質の栄養剤にはないのである。

物質は、物理化学的な力を及ぼすけれども、
細胞の老衰を食いとめる力はないのである。

生命は ある物質条件が整うと、そこに姿をあらわすけれども、
物質が生命をつくるのではないのである。

生命自身が物質をつくり、物質の条件をつくり出して、
そこに生命は“ 生物 ”として姿をあらわすのである。

生命は 物質を左右し、物質をつくり出し、
その条件をかえる力があるのである。


地球上では近頃「 土地の造成 」ということが行われているけれども、

天地創造の最初には、大生命が、真空の中に“ 水素 ”をつくり出し、
“ 水素 ”を集めて大いなる球体として、それを太陽その他の天体とし、
天体の地表に鉱物、植物、動物を生み出したのである。


これは全く“ 生命 ”が物質を創造し 天体を創造し
動物、植物、鉱物等をつくり出す力があることを示すのである。


生命は 原子を転換して他の元素をつくることも出来るのである。

かくて、最初は“ 水素 ”だけの固まりであったところの天体に
多くの元素をつくり出したのである。


祝福すべきかな生命の力、
偉大なるかな生命の力、
尊敬すべきかな生命の力、
ありがとうございます。

   (https://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/5a8699a8a6a08783fb87b1d2823812e2

       <感謝合掌 令和2年9月25日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《26日》 - 伝統

2020/09/26 (Sat) 02:48:53

《26日 和顔愛語が天国をつくる》

あなたの言葉の中に温かい“ 愛 ”を満たせよ。
その時、あなたの言葉は神の言葉となるであろう。

決して冷酷な激しい言葉や、罵(ののし)りの言葉を出してはならないのである。

もしあなたが激しい罵りの言葉を出すならば、
あなたの住む世界は阿修羅(あしゅら)の世界となるであろう。

若しあなたが怒りによって他に復讐をするような言葉を出せば
この世界は地獄になるであろう。

地獄も阿修羅も極楽もあなたの言葉がつくるのである。

愛情のこもった言葉、愛情に満ちた眼光(まなざし)
・・・愛の表現のみが
この世界に天国をつくるのである。

 (https://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/0c790c07d43e869d21c1d50b8eabe508

       <感謝合掌 令和2年9月26日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《27日》 - 伝統

2020/09/27 (Sun) 02:19:02


《27日 実相を観ずれば相手の善なる仏性が顕現する》

あなたが人に対する時には、常にその人が“神の子”であり、
神の愛と智慧とがその人に宿っており、自分に好意をもっており、
決して自分に災いを為す人ではない、

この人は自分に祝福をもって来て下さったのだと信じて、
その人の実相なる“神の子”を心に描いて
礼拝し感謝する気持で応対するがよい。

たといその人が、実は、こちらに対して悪意をもち、
謀略をもって自分を陥れるためにやって来ていたにしても、

あなたが真に相手の悪意のない完全な“神の子”の実相を拝んで
相対するならば、相手の当初の悪意は消えてしまい、
敵であった者がついに味方になってしまうのである。

ここに実相を観ずる力の秘密があるのである。

これが法華経にある常不軽菩薩の行き方である。

  (https://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/1c19b3d5b7a0394769b3af6d1942ac80

       <感謝合掌 令和2年9月27日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《28日》 - 伝統

2020/09/28 (Mon) 03:34:08


《28日 環境はこのように念じて祝福しなさい》

人間を拝むと同時に環境をも祝福するがよい。

あなたの住む環境が如何に苛辣(からつ)な状態であろうとも、
その現象的状態を見て恐れたり腹立てたりしたならば、環境は愈々苛辣な状態となり、
人々はあなたに対して一層攻撃的になって来て、
収拾(しゅうしゅう)がつかなくなるかもしれないのである。

そんな苛辣な環境に対したときには、
あなたはその環境と、そこに集まっている人々、又はそれに関連のある人々を
“神の愛”をもって祝福しなければならないのである。

次の如く、心を静めて繰り返し念ずるがよい。

”此処は神様の愛の支配するところである。
 神の愛が今此処に充ち満ちているのである。

 神の愛が、ここに集まっている人々、
 この問題に関係あるすべての人々を引き包んで、
 それらの人たちの心を平和ならしめ、愛と調和の精神をもって充たし給い、
 神の智慧をもって、すべての人々が調和して満足できる解決を与え給うのである。”

この種の思念をつづけていると、
はじめに争いの念をもって人々が集まっていた会場は
次第に平静となり、争いの心は鎮(しずま)り、
人々は互いに協調の精神を起して、大調和の状態を呈するに至るのである。

      (ホルナディ博士著、谷口雅春訳『今日如何に生きるか』参照)

https://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/041fbf9e7e44a064a5b4bda19365c731

・・・

<参照>
ホルナディ博士と谷口雅春先生
Web:「生命の實相」を学ぶ(2012年07月31日)

リリジャス・サイエンス ウイリアム・ホルナディ博士
  http://blog.livedoor.jp/seimeinojissoh/archives/12984154.html

       <感謝合掌 令和2年9月28日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《29日》 - 伝統

2020/09/29 (Tue) 04:24:00


《29日 “ 愛 ”がなくなれば魂は窒息する》

神は愛であり、人間は“ 神の子 ”であるから、
“ 愛 ”がなければ生きられないのである。

人間の魂にとって、“ 愛 ”が必要なのは、
人間の肉体にとって“ 空気 ”が必要なのによく似ている。

空気が無ければ人間の肉体は窒息してしまうが、

“ 愛 ”が感じられなくなると、人間の魂は窒息しそうになり、
たまらなく苦しみを覚え、麻薬中毒患者の禁断症状のように、
あばれ廻り、のたうち廻る衝動にかられるのである。


学生のゲバ棒騒動の奥にも、親と子、教師と学生、社会と個人、国家と国民との間に、
断絶状態が起っていて 愛が感じられない結果、
魂の のた打ち廻る姿が行動化しているのだと見ることもできるのである。

https://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/295dabc5ee4968b1e4d7b7e2c1b8ae84 )

       <感謝合掌 令和2年9月29日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《30日》 - 伝統

2020/09/30 (Wed) 03:36:19

《30日 占領憲法下の老人は気の毒だ》

何らかの不快感や寂寥(せきりょう)感が起って来るならば、
“愛”があなたの魂に欠乏して来ているからである。

それは肉体が空気の乏しい高空にのぼった時のようなものである。

老人の寂しさは、もう既に、自分が愛して、
手をとって愛撫しながら一緒に人生を歩むような子供が
無いということである。


前には、手を引き、抱きあげ、玩具(おもちゃ)を買ってやり、
時々美味しい料理をたべさせる店で珍しい食物を子供に食べさせて、
その嬉しがる表情を見て、愛し合う者の悦びを感じた者が、
老人には、そんな子供は既にない。

むかし子供だった息子も娘も独立して
自分自身の好きな人生の快楽を享受しているのであって、
自分の息子や娘と老人とは断絶の関係にある。

老人が孫を直接可愛がることが出来れば、
その悦びは一入(ひとしお)であろうけれども、

孫はその直接の両親の管理下にあって
古い老人が嘴(くちばし)を入れる余地もなければ、
相談を受けることもないのである。

ここには老人と孫との間も断絶の関係にあるのである。
― ある老人は、私にこんな事を語って、寂しい微笑をした。

私はこの老人を慰めるために、
「それは“断絶の時代”だからよ。息子や娘が悪いのではない、
 憲法が家の制度を破壊してそうさせたのだよ」といってみたが、

この老人をどう言って慰めてよいかわからなかった。

スウェーデンやデンマークという最も完備した老人ホームがつくられているその国で、
最も老人の自殺が多いということを私はその時思い出していた。

   (https://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/6ab0bd0408f22a774c38962df973abb3

       <感謝合掌 令和2年9月30日 頓首再拝>

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