伝統板・第二

832184
「谷口雅春先生に帰りましょう」は、こちらです。「案内板」は、こっちです。

本掲示板の目的に従い、法令順守および社会倫理の厳守をお願いします。本掲示板の管理人は、聖典『生命の實相』および『甘露の法雨』などの聖経以外については、どの著作物について権利者が誰であるかを承知しておりません。「著作物に係る権利」または「その他の正当な権利」を侵害されたとする方は、自らの所属、役職、氏名、連絡方法を明記のうえ、自らが正当な権利者であることを証明するもの(確定判決書又は文化庁の著作権登録謄本等)のPDFファイルを添付のうえ、本掲示板への書き込みにより、管理人にお申し出ください。プロバイダ責任制限法に基づき、適正に対処します。

賢者の一日一言(R2年8月) - 夕刻版

2020/08/01 (Sat) 19:24:26

このスレッドでは、過去に紹介した次のスレッドから、
日々の言葉の数々を再度紹介してまいります。

(1)伝統板・第二「中村天風一日一話」
 → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7808747

(2)伝統板・第二「松下幸之助 一日一話」
 → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7811995

(3)伝統板・第二「安岡正篤・一日一言」
 → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7812217

(4)伝統板・第二「吉田松陰・一日一語」
 → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7733095

(5)伝統板・第二「41~祈りに強くなる31章」
 → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7770328

            ・・・


賢者の一日一言《1日》

(1)【 8月1日 】 人間の心の大きさ

   真剣に気づかねばならないことは、人間の心の大きさである。


   月を見て佇めば、心は見つめられている月よりも、
   さらに大きいということを考えられはしないか。

   星を見て考えている心の中は、大きなものを相手に考えているんだから、
   それだけで、星以上に大きなものではないか。


   星を見て、その星よりもさらに洪大な様子を心は想像できる、
   という簡単なことを考えただけでも、いかに人の心が
   一切をしのいで広大であるか、ということがわかってくるはずだ。

・・・

(2)【 8月1日 】 身をもって範を示す

   指導者というものは、いろいろなかたちでみずから信じるところ、
   思うところを人びとにたえず訴えねばならない。

   と、同時に大切なのは、そのことを自分自身が身をもって実践し、
   範を示すようにつとめていくことであろう。

   “百日の説法屁一つ”ということわざもあるように、
   どんなにいいことを説いても、その成すところがそれに反していたのでは、
   十分な説得力は持ち得ない。


   もちろん、力及ばずして100%実行はできないということもあろう。
   というよりそれが人間としての常かもしれない。

   しかし、身をもって範を示すという気概のない指導者には、
   人びとは決して心からはしたがわないものである。

・・・

(3)【 8月1日 】 生命力を鍛える

   生命力はいかにして強くなるか。

   それはあくまでも根気のある
   辛抱強い日常の自律自修に由(よ)る。
   鍛錬陶冶(たんれんとうや)に依(よ)る。


   意志と知能と筋骨との意識的努力、
   心臓・血管・内分泌腺(ないぶんぴせん)
   その他生理的全体系の無意識的努力、自己に規律を課し、
   自己を支配する修練を積んで始めて発達する。

   安逸(あんいつ)と放縦(ほうじゅう)とは
   生命の害毒であり、敵である。

・・・

(4)【 8月1日 】 大将は心定まらずして叶はず

   大将は心定まらずして叶はず、
   若し大将の一心(いっしん)うかうかする時は、
   其の下の諸将何程智勇ありても、智勇を施すこと能はず、
   百万の剛兵義士ありと雖も、剛義を施すこと能はず。 

                  嘉永3年8月20日「武教全書 守城」

   【訳】

   大将たるものは、決心しなければならない。

   もし大将の心がふらふらしている時には、
   その下の将軍らに、いくら知恵や勇気があっても、
   それを実際に施すことはできない。

   いくら百万もの人並みはずれた強い兵や節義をかたく守る武士がいても、
   それを実際の行動に移すことはできない。

・・・

(5)《1日 祈りはすべての問題を好転させる》

   正しい祈りによって好転しないものは何一つないのである。

   祈りの後に自分の予想しないような状態がでて来たり、
   時として一層悪化したような状態が出て来てもそれは祈りによって、
   過去の膿が出尽くそうとしているのであって、
   やはり好転と見るほかはないのである。

   腫物(できもの)は膿が出尽くしたときに完全に治りはじめるのである。
   だから膿が出ることを悪化と考えることは間違いである。
   膿が出るのは、生長の家では“迷いの自壊作用”だといっている。

   すべての病気や不幸や災難は、唯心所現のものであって、
   過去に起した“心の迷い”が或る程度を超えて蓄積され、
   飽和状態以上になったときに具体化して、
   病気や不幸や災難の形をとってあらわれて来る。

   迷いの蓄積の程度の少ないものは、例えば腫物(できもの)が化膿しないで
   毒素が内部で中和又は吸収され、そのまま引っ込んでしまうように
   自壊作用なしに治癒させることができるが、

   迷いの蓄積の程度のひどいものは、
   内部的に吸収されないで例えば腫物が膿を排泄した後に治るように、
   自壊作用を経た後(のち)に治るのである。
   否、自壊作用そのものが治癒の過程なのである。

      谷口雅春著『人生の秘訣365章』第8篇(P188~189) より

           <感謝合掌 令和2年8月1日 頓首再拝>

賢者の一日一言《2日》 - 伝統

2020/08/02 (Sun) 20:12:10


(1)【 8月2日 】  平然自若の精神

   どんな大事に直面しても、どんな危険な場合に直面しても、
   心がいささかもそれによってあわてたり、あるいは恐れたり、
   あがったりしない、いわゆる平然自若として、
   ふだんの気持ちと同じようにこれに対処することができる状態。

   どんな苦しい目、どんな思いがけない大事にあっても、
   日常と少しも違わない、平然としてこれに対処する。


   これが私の言う積極的精神なんであります。

・・・

(2)【 8月2日 】 人間は初めから人間である

   人間はその歴史において、さまざまな知識を養い、
   道具をつくり出して生活を向上させてきました。

   しかし私は、人間の本質そのものは初めから変わっていないと思います。
   人間はもともと人間であって、人間そのものとして向上してきたと思うのです。

   私は人間が猿から進歩したというような考え方に対しては、疑問を持っています。
   猿はやはり最初から猿であり、虎は最初から虎であり、
   人間は最初から人間であると思うのです。


   人間は初めから人間としての素質、性質を与えられ、
   みずからの努力によって知識を進め、道具をこしらえて、
   みずからの生活を高めてきた、それが人間の歴史だと思うのです。

・・・

(3)【 8月2日 】 煩を厭うは大病

   貝原益軒が
   「煩を厭うは是れ人の大病である」
   とその随筆集『慎思録』に書いております。

   わずらわしいことを避けて、
   なるべく簡単にしようとするのは人間の大病であって、
   そのために人事に関する問題が駄目になり、
   事業が成功しません。

   どんなにわずらわしい事が多くても、
   すべて自分のことは自分でやらなければなりません。

   いくらうるさい、わずらわしことであっても、
   意外に苦労が少なくて成功するものです。

・・・

(4)【 8月2日 】 心交(しんこう)

   人は人の心あり、己れは己れの心あり。
   各々其の心を心として以て合い交はる。
   之れを心交と謂ふ。  

                  安政3年8月18日
                  「※黙霖(もくりん)あての書翰(しょかん)」

   【訳】

   人には人の心がある。
   自分には自分の心がある。
   それぞれが、相手の心を心として交際すること、
   これを心の交わり、という。

    ※ 安芸国長浜(現広島県呉市長浜)出身の勤王僧宇都宮黙霖。
      松陰は萩の野山獄で、文通を通じて
     黙霖から思想的影響を受けたといわれる。

・・・

(5)《2日 あなたの祈りが成就しない場合》

   祈りが成就しない場合には、その原因が色々ある。

   祈りながらも、本人が「このような問題はとても祈りではきかないだろう」と
   自分の心で祈りの結果を抑制してしまう場合には、
   その祈りは成就しないことになるのである。

   また治癒過程としての自壊作用の起った場合、
   「一層悪くなってしまった」と思って「悪化」を心に描き、
   「恐怖心」を起すことによって、

   「心に描いたものがあらわれる」という法則や
   「恐るるものは皆来る」という法則によって、
   自壊作用を真の「悪化」に変じてしまうこともあり得るのである。

   神に祈る場合には、その治癒過程を神の無限の叡智に托(まか)せて
   “必ず好転する”と信じて神に全托しなければならないのである。

        谷口雅春著『人生の秘訣365章』第8篇(P189) より

           <感謝合掌 令和2年8月2日 頓首再拝>

賢者の一日一言《3日》 - 伝統

2020/08/03 (Mon) 21:52:27


(1)【 8月3日 】  世の先覚者として

   今や、世はまさに複雑混沌の時勢である。
   そして、正当の人生自覚をもたぬ人々は些細なことにも
   心の平静を失い、憤怒の激情や煩悶の劣情に陥りやすい。


   したがって、すなわちこのときこそ、人生真理をよく理解し、
   かつ尊重するわれらが人の世の正しい先覚者となって、

   できる限り平和に活きる人生のときの長からんことこそ、
   真の人生の本来の面目であることを、
   事実の行為を模範として明示すべきである。

   またそれをわれらの最高の理想とすべきである。

・・・

(2)【 8月3日 】 強固な精神力を

   その昔、日蓮上人は、
   ただ一人の聴衆の姿も見えないという時にでも巷に立って、
   わが信念を説いたと言います。

   何をほざくかと馬糞を投げられ、石を投げられ、さんざんな悔辱を蒙っても、
   彼はビクともせず、日本の安泰のために、民衆の幸福のために、わが信念を傾けました。

   日蓮上人のそういう態度と比べてみると、
   われわれとは同じ人間でありながら、たいへんな相違があるなという感じがします。


   いま、われわれに必要なのは、日蓮上人のあの強固な精神力です。
   日蓮上人とまではいかなくとも、せめて自分の仕事に一つの使命を感じ、
   これに情熱を傾けて精進する積極的な自主独立の精神を養いたいものです。

・・・

(3)【 8月3日 】 潜在エネルギーの培養 1

   いわゆる見てくれは堂々たる体格の人が
   案外に脆(もろ)かったり、
   ちょっと働くとすぐフウフウ云ったりして
   精力の続かない人があるものです。

   それに反して、見かけは弱そうだが、
   非常に精力的で不屈不撓(ふとう)の人があります。


   見てくれと内実、顕在(けんざい)面と潜在面は
   釣りあわないことが多いものですが、
   肝腎(かんじん)なことは
   潜在エネルギーを旺盛(おうせい)にすることです。

・・・

(4)【 8月3日 】 士(し)苟(いやしく)も仕籍)しせき)に登らば 

   清人管同云はく、
   「士苟も仕籍に登らば、当(まさ)に一二節の卓々(たくたく)として
    伝誦(でんしょう)すべき事を為すべし。
    若し終身縻然(びぜん)として、諸俗吏(しょぞくり)の後に従はしめば、
    栄達すと雖も、何ぞ言ふに足らん」と。  

                  安政3年9月10日「※中村道太に贈る」

   【訳】

   清国人の管同(かんどう)がいった。
   「武士たるもの、仮にも武士として仕官するのであれば、
    一つか二つは、節義が高く抜きんでた男だったと、
    人々が後々までも語り伝えるような生き方、仕事をこそなすべきである。
    もしも生涯、消極的な気持ちで、くだらない役人の後ばかりに従うのであれば、
    どんなに立身出世しようにも、どうして評価する
    ことなどできようか。できはしない」と。

      *長州藩士中村道太郎、後、九郎。
       松陰の友人、同志。赤川淡水の実兄。

・・・

(5)《3日 父母は神と自己をつなぐ媒介である》

   “七つの灯台の点燈者の神示”に、

   「・・・・神に感謝しても父母(ちちはは)に
    感謝し得ない者は神の心にかなわぬ」

   ということが示されているのである。

   神に祈っても、その祈りがかなえられないことがあるならば、
   先ず「自分は父母に感謝しているだろうか」ということを
   反省してみるべきである。

   吾々の生命(せいめい)は祖先を通じ、父母(ちちはは)を通して、
   神の生命(せいめい)が今此処に顕現しているのである。

   神が“人間”として自己顕現を遂げようと欲しても、
   父母(ふぼ)という媒介を通してのみそれは可能であって、
   父母(ふぼ)が存在しなかったならば神の生命(せいめい)は
   “自分”として顕現することができなかった訳である。

   父母(ふぼ)を媒介としてのみ
   人間の生命(せいめい)は神につながるのである。

   それゆえ、父母(ちちはは)に感謝しない者は、
   人間と神とを繋ぐ媒介の一つを断ち切ることになるのである。

   だから父母(ふぼ)を憎んでいたり、反抗したりしていながら、
   神に何かの功徳(おかげ)を求めても得られないことがあるのは
   当然のことである。

   それは自己と神とを繋ぐ媒介を断ち切っているからである。

      谷口雅春著『人生の秘訣365章』第8篇(P189~190) より

           <感謝合掌 令和2年8月3日 頓首再拝>

賢者の一日一言《4日》 - 伝統

2020/08/04 (Tue) 20:09:22


(1)【 8月4日 】 金や物質に惑わされない

   金持ちみんな幸福かいな。
   金や物質なんていうものは、仮相の存在で実在の存在じゃないんだから。

   第二義的な人生は、どこまでいっても相対的なんです。

   多少の効果はあるとしても程度問題で、それ以上はでていかないです。


   人間を判断し理解する認識のピントがぼけて焦点が狂っていると、
   いくら努力しても、そうして幸い幸福になりそうな金ができても、
   地位ができても、真の幸福も健康も完全には得られませんよ。

・・・

(2)【 8月4日 】 もっと厳しく

   昔の武士は朝早くから道場に出て血のにじむような稽古にはげんだという。
   そして師範や先輩たちの木刀を身にあびながら、
   何くそと立ち向ううちにおのずと腕も上達していった。

   また商人であれば、丁稚奉公からつとめはじめ、
   主人や番頭に横っ面の一つも張られながら、
   おじぎの仕方からものの言い方まで一つ一つ教えられつつ、
   商人としてのものの見方、考え方を養っていったわけである。


   もちろんそのような修業の過程には、好ましくない面もあったであろう。
   しかし、少なくともそうした厳しい修業が人を鍛え、
   その真価を発揮させる上に役立ったと思う。

   それは今日にも通用することであろう。

・・・

(3)【 8月4日 】 潜在エネルギーの培養 2

   植物の栽培に例えますと、
   目に見えない根の培養が深くないと
   麦が徒長(とちょう)する様なもので駄目です。

   良い栽培者は常に枝を剪定(せんてい)し、
   花や実を間引き、根の力を強くする様に苦心します。

   我々は潜在エネルギーを培養する様
   留意しなければなりません。

・・・

(4)【 8月4日 】  体認と申す事を

   一体人と申すものは体認(たいにん)と申す事を知らず候はば、
   人と申すものには之なく (後略)。

                 安政5年7月13日「要路役人に与ふ」

   【訳】

   そもそも、人間というものは、実際に自分で体験し、
   十分よくのみこむということを知らなければ、
   人というものではない(後略)。

・・・

(5)《4日 家族相互の小さき葛藤を取り除くこと》

   祈りによって人の病気を癒す力はありながら、
   自分又は自分の家族の病気が中々なおらないようなことが随分あるのである。

   癒された人は、何故癒されたかというと、その人はあなたを信じたからである。
   「汝の信仰、汝を癒せり」と、こんな場合イエスは言っているのである。

   自分自身の病気が治らなかったり、家族の病気がなおらなかったりしたのは、
   家族互いの間に精神的紛糾や精神的葛藤があって、
   「神の救いの霊波を素直に能(よ)う受けぬ」場合が多いのである。

   一寸した絶縁体が電極の接続部(コネクション)に付着しているだけで、
   テレビが旨く映って出ない事が往々にしてあるのである。


   それと同じく、一寸した家族間の反感や不平が
   神の恵みを受けることを妨げる絶縁体になっていることも往々にしてあるのである。

   そんな場合、家族の誰かが気がついて、
   そのような反感や不平を感謝にかえるようにするならば
   不思議に家族の病気が消えることがあるのである。

   神と自分を隔てる絶縁体を取り除くことになるからである。
   神癒の妨礙となるものが取り除かれたならば神癒が実現するのは当然である。

        谷口雅春著『人生の秘訣365章』第8篇(P190~191) より

           <感謝合掌 令和2年8月4日 頓首再拝>

賢者の一日一言《5日》 - 伝統

2020/08/05 (Wed) 21:17:36


(1)【 8月5日 】  消極的な十の心

   消極的というのは、およそ十ある。

   第一が怒ること。

   第二が悲しむこと。

   第三が恐れること。

   第四が憎むこと。

   第五がやきもちをやくこと、うらやむことだね。

   第六が恨むこと。

   第七が悩むこと、懊悩すること。

   第八が苦労すること。

   九番目が煩悶すること。

   それから十番目が迷うこと、混迷すること。


   この中のどれかしらがあなた方の心にあるとき、
   それは心が消極的な方面に働いているときなんです。

・・・

(2)【 8月5日 】 政府を助ける心がまえ

   政府は、国民の人気を得なければならないから、
   なかなか国民に対してイヤなことは言いにくい。
   だから、だれに対しても、助けましょう、助けましょうと言いがちである。


   けれども、われわれは政府に頼りすぎてはならない。
   他をたのまずしてみずからの力で、自分でできる範囲のことを着実にやっていく。
   そういう気持なり態度というものが最も大切であると思う。


   そして、政府に救済してもらうというよりも、
   むしろわれわれ国民の方から政府を助け、社会の進展に寄与していく。

   そういう心がまえをお互いに持つことが肝要ではないかと思うのである。

・・・

(3)【 8月5日 】 木鷄 1

   紀せい子、王の為に闘鷄を養う。
   十日にして而(しこう)して問う、鷄已(よ)きか。
   曰く、未(いま)だし。

   方(まさ)に虚(きょ)きょうにして而して気を恃(たの)む。
   十日にして又問う。
   曰く、未だし。

   なお嚮景(きょうえい)に応ず。十日にして又問う。
   曰く、未だし。

   なお疾視(しっし)して而して気を盛んにす。十日にして又問う。
   曰く、幾(ちか)し。

   鷄、鳴くものありと雖(いえど)も、已に変ずることなし。
   之を望むに木鷄に似たり。
   其の徳全(まった)し。
   異鷄敢(あえ)て応ずるもの無く、反(かえ)って走らん。

                      (荘子)

・・・

(4)【 8月5日 】 無用の言(げん)を言はざる

   吾が性(せい)多言なり、多言は敬(けい)を失し誠(まこと)を散づ、
   故に無用の言を言はざるを第一戒と為す。  

              安政6年5月24日
             「※1李卓吾(りたくご)の
              『劉肖川(りょうしょうせん)に別るる書』の
              後(あと)に書して※2子大に訣(わか)る」

   【訳】

   私はどうも多弁な性格である。
   多言であれば、敬いの気持ちを失い、
   まごころが散り失せてしまいがちになる。

   だから、必要のない言葉は口にしない、
   ということを第一の戒めとしている。

     ※1 1527~1602。中国明代の思想家。

     ※2 長州藩士 佐間忠三郎昌昭。松下村塾の門人。
        子大(しだい)は字(あざな)。

・・・

(5)《5日 家族が健全に育つには夫婦の調和が要る》

   家族の精神的不調和のうちでも、最も神癒の妨礙になるものは、
   夫婦の精神の不調和である。

   夫は“天”を象徴し、妻は“地”を象徴する。
   天の気と地の気とが完全に調和してあるとき、
   地上の植物は繁茂し動物は繁殖するのである。

   その如く夫婦の精神の調和のあるとき、
   家族は健康であり、子供は不良化せず、
   健全に優良に生育するのである。

   一寸した精神的葛藤、瑣細な口争いなどが内攻するとき突然、
   子供が発熱したり、下痢したりすることがあるものである。

   そのようなことが起こったとき、何よりも必要なのは、
   その直前または前日に、夫婦の争いがなかったか、
   夫婦間に争いというほどのものではなく、
   一寸した不平の感情を起すことはなかったかを回顧反省してみて、

   若しそんな事があったならば、
   夫婦互いに詫び合って胸に溜まった不平などを一掃するがよい。

   忽ちのうちに家族の病気が好転することに気づくであろう。    
                 
       谷口雅春著『人生の秘訣365章』第8篇(P191~192) より

           <感謝合掌 令和2年8月5日 頓首再拝>

賢者の一日一言《6日》 - 伝統

2020/08/06 (Thu) 22:27:50


(1)【 8月6日 】  感覚器官を正確に使う

   我々の人生の周囲に存在するすべての事柄は、
   取り入れ方がよけりゃ、我々の心の力を非常にすぐれたものにするけども、
   反対に、同じものでも取り入れ損なうと、抗議の方面へと働きだすんですよ。


   外界の印象を取捨分別することは言葉を換えていえば、
   感覚器官を正確に使用することなんだ。

   そうしてはじめて、本当にすぐれた勘の力がでてくるんです。

・・・

(2)【 8月6日 】 自分をほめる心境

   私はいま、二十代の夏の日のことをなつかしく思い出します。
   日のあるうちいっぱい仕事をし、晩にはタライに湯を入れて行水をするのです。

   仕事を終えたあとの行水は非常にさわやかで、
   “自分ながらきょう一日よく働いたなァ”という満足感を味わったものです。


   自分ながらきょうはよくやった、と言って自分をほめる、自分をいたわるという心境、
   そういうところに私は何だか生き甲斐というものを感じていたように思うのです。


   お互い毎日の仕事の中で、自分で自分をほめてあげたいという心境になる日を、
   一日でも多く持ちたい、そういう日をつみ重ねたいものだと思います。

・・・

(3)【 8月6日 】 木鷄 2

   紀せい子という人が闘鶏の好きな王
   (学者によって説もありますが、
   一般には周の宣王ということになっています)のために
   軍鶏(しゃも)を養って調教訓練しておりました。


   そして十日ほど経った頃、
   王が“もうよいか”とききましたところが、
   紀子は、“いや、まだいけません、
   空威張りして「俺が」というところがあります”と答えました。


   さらに十日経って、またききました。
   “未だ《だめ》です。
   相手の姿を見たり声を聞いたりすると
   昂奮するところがあります”。

・・・

(4)【 8月6日 】 心を養ふは

   孟子曰く、心を養ふは寡欲(かよく)より善きはなしと。
   ※周子曰く、これを寡(すくな)くして以て無に至ると。
   孟・周の言、学者に於て尤(もっと)も切なりと為す。 

                  安政3年6月10日「講孟剳記」

   【訳】

   孟子は、「心を養うには、欲を少なくすることが最もいい」という。
   また、周子は、「欲を少なくして、最後はなくしてしまうのがいい」という。
   孟子・周子の言は、学問をする人間にとってこそ、最も切実な教えである。

    ※ 周(しゅう) 濂渓(れんけい)。
     1017~1073.中国、北宋の儒者。
     湖南省道県の人。宋学の始祖。

・・・

(5)《6日 天の倉に善行を預貯金せよ》

   祈りがきかれないのは、
   天の倉に自分の善行が預貯金されていないためであることがある。

   この世界には「与えよ、さらば与えられん」の法則が
   厳然として存在するのであるから、みずから善行を与えないでいて、
   他(ひと)から善行を期待するのは間違いだといわなければならないのである。

   大地に種を蒔く(種を与える)ことをしないでいて、
   「今年は豊作です」と祈っても、念じても、
   雑草は豊作になるかも知れないけれども、
   自分に必要な良き穀物を穫り入れることはできないのである。

   つねに陰徳を積み、人に善きものを与えることをして置くならば、
   宇宙は神の生命(せいめい)で普遍的につながっているのであるから、
   右に与えておいた陰徳が、必要に応じて左から返って来て、
   常に貧しきことを知らないことになるのである。

   常に誰かに深切を与えること、勇気づけの言葉を与えること、
   そして何よりも“人間・神の子”の真理を与えることが大切である。

       谷口雅春著『人生の秘訣365章』第8篇(P192~193) より

           <感謝合掌 令和2年8月6日 頓首再拝>

賢者の一日一言《7日》 - 伝統

2020/08/07 (Fri) 20:05:37


(1)【 8月7日 】  峻厳なるかな人生

   まこと、峻厳なるかな人生!!
   それは、どんな富の力を以ってしても、
   さらに地位や名誉の力を以ってしても、到底完全には解決しない。


   まして、屁理屈や、空いばりや、間違いだらけな自己断定や、
   独りよがりのうぬぼれを以ってしては、なおさらのことである。

・・・

(2)【 8月7日 】 利益が先か地盤が先か

   先般ある関係会社へ行って、課長以上の人に集まってもらったときに
   “利益をあげることが先ですか、それとも地盤づくりが先ですか”
   という質問が出ました。

   それに対して私は“わが社は5人のときには5人の、10人になれば10人の、
   さらに1000人になれば1000人の企業にふさわしい利益を上げてきた。

   そうしたことの連続が今日の成功になった。

   もし5人だから、10人だからまだよいだろうと思っていたならば今日の姿はない。
   だからこの会社も利益を上げつつ地盤をつくっていく以外にないと思う”と答えたのです。

   私は世の中すべての経営というものは、
   そういうところにポイントがあるのではないかと思うのです。

・・・

(3)【 8月7日 】 木鷄 3

   また十日経ってききました。

   “未だいけません。相手を見ると睨(にら)みつけて、
    圧倒しようとするところがあります”。


   こうしてさらに十日経って、またききました。

   そうすると初めて

   “まあ、どうにかよろしいでしょう。
    他の鶏の声がしても少しも平生(へいぜい)と変わるところがありません。
    その姿はまるで木彫の鶏のようです。
    全く徳が充実しました。

   もうどんな鶏を連れてきても、
   これに応戦するものがなく、
   姿を見ただけで逃げてしまうでしょう”と言いました。

・・・

(4)【 8月7日 】 君子の心

   人已に過あらば、吾れ従つて之を咎(とが)む、
   過ちて則ち之を悔ゆれば、吾れ従つて之を喜ぶ。
   是れ君子の心なり。 

                  安政6年4月23日
                  「※1子遠・※2の和作に与ふ」

   【訳】

   人が悪いことをすれば、私はそのことをとりたてて、非難する。
   しかし、これを反省し、改めれば、私はこれを喜ぶ。
   これが心ある立派な人の心である。

    ※1 長州藩の足軽 入江杉蔵。松陰の高弟。野村和作は実弟。

    ※2 和作は入江杉蔵の実弟であり、松陰の高弟である野村和作。
       後の子爵 野村靖。

・・・

(5)《7日 人に施すときの心懸け》

   人は善きものを与え、深切を与え、愛を与えるしても、
   その善きもの、深切なもの、愛に関するものを与えても、
   それが物質的なものである限りに於いて、
   その与える好き効果は乏しいということになるのである。

   何故なら“物質”は有限であり、物質はそれを与えられた人の感覚や、
   “貪欲の心”を悦ばすかも知れないけれども、
   必ずしも魂の悦びとならないことがあるのである。

   人に金銭で補助を与えた場合、尚一層その人の依頼心を増長せしめて
   却って精神的に堕落させることもあるし、

   或る場合には、あまりその人が受けた恩義を“借金”的に考えて、
   与えた人に対して一生頭があがらないように束縛してしまうことも
   ありがちである。

   だから人に“与える”には、相手に依頼心を起させないようにする必要があるし、
   また恩義で相手を縛ってしまって、彼が自己解放を遂げ得ないようなことの
   ないように充分の考慮をもって“与える”ことが必要である。

   それだからやっぱり真理を相手に与えることが最大最良の善である。

      谷口雅春著『人生の秘訣365章』第8篇(P193) より

           <感謝合掌 令和2年8月7日 頓首再拝>

賢者の一日一言《8日》 - 伝統

2020/08/08 (Sat) 19:41:38


(1)【 8月8日 】  合理的自己陶冶法

   まず平素の自己の言語と態度とをできる限り
   積極的にすることを真剣に心がけるということなのである。

   詳しくいえば、我が心の中に動物心性中の低劣な欲念や感情が
   たとえ発動することがあろうとも、断然それを言葉や態度に表現しないように
   注意深く努力することなのである。


   そして何故にこうすることが本能心意の整理に対して効果があるかというに、
   心理的にいえば、本能心意に対して外的自己誘導暗示が作用するためなのである。

・・・

(2)【 8月8日 】 素直にありがたさを認める

   今日、みなさんがこの会社に入社することができたのは、
   一つにはみなさんの努力によるものでしょう。

   しかし決して自分一人の力でこうなったとうぬぼれてはなりません。
   会社にしましても、世間からごひいきをいただいているからこそ、
   今日こうして成り立っているのです。


   ですから、個人にしても会社にしても、あるいは国の場合でも、
   やはり謙虚にものを考え、その物事の成り立っている背景なり
   人びとの恩恵というものを、正しく認識しなければなりません。

   そして、協力してくださる相手に対しては素直に喜びと感謝の念を表わし、
   自分たちもこれに相応した働きをしていくことが大切だと思います。

・・・

(3)【 8月8日 】 徳 業

   事業でも、力づくでやっておると、
   いずれ競争になって困難になる。

   事業が人間性から滲(にじ)み出た、
   徳の力の現れであれば、これを徳業という。
   事業家は進んで徳業家にならないといけない。

   また、その人の徳が、古(いにしえ)に学び、歴史に通じ、
   いわゆる道に則(のっと)っておれば、
   これを道業という。

   東洋人は事業だけでは満足しない。
   徳業にならないと満足しない。
   現代の悩みは、事業が徳業にならないで、
   利業・機業になってゆくことだ。

・・・

(4)【 8月8日 】 今(いま)大業を創(はじ)めんとならば

   按ずるに、小人必ず才あり。
   其の才用ふべし。
   其の悪赦すべからず。

   今大業を創めんとならば、君子小人となく皆其の才を用すべし、
   其の不善を露(あら)はさざれば可なり。 

                  安政5年9月6日
                  「読綱鑑録(どっこうかんろく)」

   【訳】

   思うに、徳のないつまらない人でも必ず才能はもっている。
   その才能を活用するべきである。
   しかし、そのつまらない低俗な気持ちはゆるしてはいけない。

   今、大きな事業をはじめようとするなら、
   心ある立派な人であれ小人であれ、
   その人の全ての才能を活用すべきである。
   よこしまな心を現さなければよしとすべきである。

・・・

(5)《8日 蓋のひらかない香水瓶》

   自己の内にある力を発揮しないで、外なる援助に頼ろうとする者は、
   蓋の栓が錆びついて中にある芳香をどうしても外に顕すことのできない
   香水瓶のようなものである。

   そのような人に外から香水を注いでやることは無駄のことであるのである。

   その蓋の栓を抜いて、中にある芳香を発揮できるように工夫してやることが
   本当に大切な布施であり、供養であり、扶助であり協力である。

      谷口雅春著『人生の秘訣365章』第8篇(P193) より

           <感謝合掌 令和2年8月8日 頓首再拝>

賢者の一日一言《9日》 - 伝統

2020/08/09 (Sun) 22:31:29


(1)【 8月9日 】  人生の勝利者

   人生に対して、積極的精神をもつものは、
   常に、健康や運命の勝利者となり、
   あらざるものは、敗北者となる。

・・・

(2)【 8月9日 】 相談調が大事

   たとえば、ある一つの仕事をしてもらう場合、
   単に命令すればそれで事がはこぶ、と考えてはいけない。

   指示し、命令するだけだと、とかく“命、これに従う”ということになって、
   ほんとうにいい知恵、力強い姿は生まれてきにくい。


   だから、「あんたの意見はどうか、ぼくはこう思うんだがどうか」というように、
   できるだけ相談的に部下にもちかけることが大事だと思う。

   そうして部下の考え方なり提案をとり入れつつ仕事を進めていくようにするわけである。

   そうすると自分の提案が加わっているから、
   その人は仕事をわが事として熱心に取り組むようになる。

   人を活かして使う一つのコツは、そういうところにもあると思う。

・・・

(3)【 8月9日 】 木の五衰

   「木の五衰」ということがある。

   「木の五衰」の一つは「懐(ふところ)の蒸(む)れ」。
   枝葉が茂ることだ。

   枝葉が茂ると風通しが悪くなる。
   そうすると、そのために木が弱る。

   弱るから、どうしても根が「裾上がり」つまり根が浅くなってくる。
   根が上がってくる。
   そうすると生長が止まる、伸びなくなる。

   頭(梢)から枯れてくる。
   これを「末(うら)枯れ」という。

   末(うら)というのは梢(木末)という意味だ。
   梢が枯れてくると「末止まり」生長が止まる。

   その頃から、いろいろの害虫がつく。
   「虫食い」。

・・・

(4)【 8月9日 】 復(また)能(よ)く為す

   後世の人、智慮(ちりょ)短浅(たんせん)、
   一旦敗衂(はいじく)すれば志気頓(とみ)に沮喪(そそう)し、
   復た能く為すことなし。 

                    安政2年7月2日「講孟剳記」

   【訳】

   (昔からみれば)後の世である今の人は、
   先々のことや細かなことまでよく考える知恵が足りず、浅い。
   一回、(戦いに)負けると、志、やる気はすぐにくじけてなくなり、
   再びやろうという気持ちになることはない。

・・・

(5)《9日 人の神性の“栓”を抜くこと》

   内部にある“無限の芳香”の如き貴き“神性”を開発してあげることが、
   最も価値多き布施であるのである。

   それには「人間、神の子」の真理をその人に与えること、
   これが内部にある神性を外にあらわすための“栓”を抜くことになるのである。

   ひとたび、その人の神性の“栓”が抜かれるならば、
   栓を抜いたビールのようにその人の神性は沸騰して涌上り、
   その人は「完全なる自由」を得るのである。

   イエスは

   「汝は真理を知らざるべからず、真理は汝を自由ならしめん」

   と訓(おし)えているのである。

       谷口雅春著『人生の秘訣365章』第8篇(P194) より

           <感謝合掌 令和2年8月9日 頓首再拝>

賢者の一日一言《10日》 - 伝統

2020/08/10 (Mon) 22:08:45


(1)【 8月10日 】  自制自助

   健康建設の要諦は、

  (A)肉体内部の生活力の積極化
  (B)肉体の対外抵抗力の積極化

   という二つの条件を完全に解決することである。


   また、真健康の建設と確立とは、
   これを結論的にいえば曰く「自制自助」の二字につきるのである。

   すなわちこの自制と自助とが一切を積極的に現実化する根本なので、
   第一この二つのものが欠如していたなら、どんな有効な方法も手段も
   決して目的を達するまで永続せず暫間的に終ってしまうという怖れが多々ある。

・・・

(2)【 8月10日 】 欲望は生命力の発現

   “欲の深い人”というと、
   ふつうはよくない人の代名詞として使われているようだ。

   いわゆる欲に目がくらんで人を殺したり金を盗んだりする事件が
   あまりにも多いためであろう。


   しかし、人間の欲望というものは、
   決して悪の根源ではなく、人間の生命力の現われであると思う。

   たとえて言えば船を動かす蒸気力のようなものであろう。
   だからこれを悪としてその絶滅をはかろうとすると、
   船を止めてしまうのと同じく、
   人間の生命をも断ってしまわねばならぬことになる。

   つまり欲望それ自体は善でも悪でもなく、
   生そのものであり、力だといってよい。
   だからその欲望をいかに善に用いるかということこそ大事だと思う。

・・・

(3)【 8月10日 】 人間の五衰

   人間もそうだ。

   いろいろの欲ばかり出して、すなわち貧欲・多欲になって修養しない。
   つまり省しない。

   そうすると風通しが悪くなる。
   つまり真理や教えが耳に入らなくなる。
   善語・善言を聞くということをしなくなる。

   そうすると「裾上がり」といって、人聞が軽薄にオッチョコチョイになってくる。

   そうするともう進歩は止まってしまう。

   すると悪いことにばかり親しむようになる、虫が食うのだ。
   つまらないやつにとりつかれ、そして没落する。

   これは「人間の五衰」だ。
   だから植物の栽培もこの省という一字に帰する


・・・

(4)【 8月10日 】 神州必ず滅びざるなり

   挫(ざ)するなかれ、折(くじ)くるなかれ。神州必ず滅びざるなり。   

                   安政6年8月13日
                   「※1久保清太郎・久坂玄瑞あての書翰」

   【訳】

   途中で、挫(くじ)けてはいけない。
   志を変えてはいけない。
   日本は絶対に滅びないから。

    ※ 1長州藩士 久保清太郎。玉木文之進主宰の松下村塾以来の友人。
       後、松陰主宰の松下村塾を助け、また、同志として活躍をした。

    ※ 2長州藩医の子 久坂玄瑞。松陰が高杉晋作と共に最も期待した高弟の一人。
       吉田松陰の妹文が嫁いだ。

・・・

(5)《10日 神の恵みを受像するには》

   「神よ、私を助けたまえ、誰かが私に経済援助を与えてくれるように導き給え」
   などと祈っても一向、神は私を助けて下さらないので、
   先生にこの事を是非祈ってほしいというような意味の手紙を時々頂くことがある。

   併し、金光教祖も指摘せられているように、
   神は「頼まいでも、お陰はやってある」と仰せられるのである。
   頼んだ人だけ、祈った人だけ助けて、他(た)の人は護ってやらぬ
   というような、そんな依枯贔屓な神はないのである。

   本当の神は常に吾々を護り給い、常に吾々を導いていられるのである。

   だけども神は「物質」ではないから、物質を直接吾々に与えるのではなく、
   愛の放送、智慧の放送、導きの放送、生命力の放送などを、
   霊的放送として送っていられるのである。

   それはテレビ放送局が電波によって番組を放送しているようなものである。
   その電波を受像して、それを具体的な像に化するためには
   テレビ・セットに於いては放送チャンネルに合わし、波長を合わすことである。

   それと同じく、神からの霊的放送による“恵み”は、
   吾々が心の状態をととのえ、神の霊的放送に波長を合わすことによって、
   その恵みを自分の人生に受像し、具体化することができるのである。

       谷口雅春著『人生の秘訣365章』第8篇(P194~195) より

           <感謝合掌 令和2年8月10日 頓首再拝>

賢者の一日一言《11日》 - 伝統

2020/08/11 (Tue) 19:54:56


(1)【 8月11日 】  円転滑脱

   円転滑脱、のびのびした気分で、
   力をスムースに働かすといった行き方でないと、
   多端な人生に活きていく「力」が、長く保てないことになる。


   ましてや、今日のような複雑な感覚のある時代に活きていくのには、
   一層に「いのちの力の使い方」ということは、最も大切なことである。

・・・

(2)【 8月11日 】 小便が赤くなるまで

   「商売は非常にむずかしく厳しい。いわば真剣勝負だ。
    商売のことをあれこれ思いめぐらして眠れない夜を幾晩も明かす。
    それほど心労を重ねなければならない。

    心労のあまりとうとう小便に血が混じって赤くなる。
    そこまで苦しんではじめてどうすべきかという道が開けてくる。
    だから一人前の商人になるまでには二度や三度は小便が赤くなる経験をするものだ」


   これは私が小僧時代に店のご主人に聞かされた話ですが、
   今にして思えばこれは決して商人だけにあてはまることではないと思います。

   何をするにしても、これだけの苦しみを経ずして成功しようとするのは、
   やはり虫がよすぎるのではないでしょうか。

・・・

(3)【 8月11日 】 知識・見識・胆識

   いつも申しますように、識にもいろいろあって、
   単なる大脳皮質の作用に過ぎぬ薄っぺらな識は「知識」と言って、
   これは本を読むだけでも、
   学校へのらりくらり行っておるだけでも、出来る。


   しかしこの人生、人間生活とはどういうものであるか、
   或(あるい)はどういう風に生くべきであるか、というような
   思慮・分別・判断というようなものは、
   単なる知識では出て来ない。

   そういう識を「見識」という。
   しかし如何(いか)に見識があっても、
   実行力、断行力がなければ何にもならない。


   その見識を具体化させる識のことを
   「胆識」と申します。
   けれども見識というものは、
   本当に学問、先哲・先賢の学問をしないと、出て来ない。
   更にそれを実際生活の場に於いて練らなければ、
   胆識になりません。


   今、名士と言われる人達は、
   みな知識人なのだけれども、
   どうも見識を持った人が少ない。

   また見識を持った人は時折りあるが、
   胆識の士に至ってはまことに寥々(りょうりょう)たるものです。
   これが現代日本の大きな悩みの一つであります。

・・・

(4)【 8月11日 】 太平已に久しきに当りて

   太平已に久しきに当りて大事を興造(こうぞう)せんとする時は、
   人心偸安(とうあん)必ず与(くみ)せず。   

                    安政5年9月6日以降「読綱鑑録」

   【訳】

   平和な日々が長く続いている時代に、
   (国家、国民にとって)大切なことを始めようとする際には、
   一般の人々は目前の安楽を貪るだけで、絶対に協力などはしてくれない。

   (だからこそ、リーダーたるものは、断じて行うべきである。)

・・・

(5)《11日 行動の伴わない祈りは効果がない》

   祈りというものは行動を伴わず、
   実践を無視した場合には効果が《ない》のである。

   それはマラソン競争に、“走る”と言う行動を起こさないでいて、
   競争の必勝を祈ってみても何の効果もないのと同じなのである。

   その人の祈りが効果をあらわすのは、内部の心が神に振り向き、
   神に波長を合わせることによって、神の心と同一の波長を起し、
   それが行動化又は運動化するに至るからなのである。

   恰度、祈りはラジオ・セットの波長を、
   放送局の波長に合わせるようなものである。

   そのとき、空中を伝わって来た電波がスピーカーの振動板を振動させる
   (即ち行動化が行われる)。
   それによって放送局で放送されている
   “恵み”を具体化することができるのである。


   若し、ラジオ・セットのスピーカーの振動版が故障が起って
   振動せぬ(行動化せぬ)ならば、折角放送局から良き番組の放送があっても、
   それは吾々の視聴し得る形にはあらわれないのである。

   吾々が祈りながら、それを行動化しなければラジオ・セットの
   スピーカーの振動版に故障が起っているようなものであるから、
   その祈りに神は応え給うていても、それを形として受像し得ないのである。

     谷口雅春著『人生の秘訣365章』第8篇(P195~196) より

           <感謝合掌 令和2年8月11日 頓首再拝>

賢者の一日一言《12日》 - 伝統

2020/08/12 (Wed) 20:12:59


(1)【 8月12日 】  信念がなければ結実しない

   もちろん、人生を幸福にするには、富も経験も、
   理智も計画も、その他必要なものが多々あるに違いない。

   しかし、そのいずれも、
   信念がなければ、理想通りに完全に結実しないのである。


   ところが、世の人々の多くは、幸福の獲得に金の力、知識の力、
   または経験の力や計画の密度にのみ重点を置いて、
   信念をさして重大視しないのである。

 
   要するに世の中の進歩に比例して、ほんとうの成功者も、
   また健全な生命をもつ者も数において本当に少ない原因的理由は、
   これらの点にあるといってよいと思う。

・・・

(2)【 8月12日 】 笑顔の景品を

   最近は、競争がなかなか厳しいこともあって、
   個々のお店なり商店街が、それぞれいろいろと工夫を凝らし、
   販売を進めています。

   いわゆる景品つき販売というものもその一つで、
   少しでも多くのお客さんの関心をひくものをということで、
   いろいろ知恵をしぼっています。


   しかし、お客さんにおつけする景品のうちで、
   何にもまして重要なものは何かということになったら
   私はそれは親切な“笑顔”ではないかと思います。

   “自分のところは親切な笑顔のサービスに徹しよう”というように、
   いわば“徳をもって報いる”方策で臨んでこそ、
   お客さんに心から喜んでいただけるのではないでしょうか。
   
・・・

(3)【 8月12日 】 親子の道

   人倫の根本が親子の道に在ることは言うまでもない。
   随(したが)って子の親に対する孝心は、
   人類社会を維持し、発展せしめる一番尊い《はたらき》である。


   在る時は在りのすさびに憎いこともあろう。
   無くてぞ人の恋しきは人情の機微である。

   父母に死に別れて、却って説に父母の温容を憶(おも)い、
   慈音(じおん)を偲び、生前の趣味や理想を考え、
   敬慕の情をいや増すと共に、

   平生(へいぜい)みずから父母に何の報ゆる所もなかったことや、
   今も尚お父母の期待に一向添い得ぬ身の不肖をば恥じ懼(おそ)れ、
   せめてもの心ばかりの供物を霊前にささげ、或は懺悔の誠を致し、
   或は将来の発奮努力を誓う、茲(ここ)に家庭祭祀の根本義がある。

・・・

(4)【 8月12日 】 「風俗を美にせんとならば」

   風俗を美にせんとならば、
   平時気節を尚(たっと)ぶに如(し)くはなし。
   気節を尚ぶは勤倹を励ますと直言讜議(とうぎ)を
   奨(すす)むるに如くはなし。   

                    安政5年9月6日以降「読綱鑑録」

   【訳】

   人々の心、日々のしきたりや習わしなどを美しくしようとするなら、
   普段の生活において、(人々の)気概や節操の堅さを敬って大切にし、
   重んずることである。

   そのための最善の方法は、まず倹約をさせ、
   また、遠慮せず自分の信ずるところをいい、
   正論を吐くよう奨めることである。

・・・

(5)《12日 酒癖を治した人の話》

   自己改善を遂げようという熱意と決意と努力のある処に、
   自己改善を遂げ得るのである。

   或る誌友は、飲酒癖をもっていたが、それを止めたいと思って祈ったが、
   なかなか飲酒癖が止まなかった。

   彼は、「祈っておれば、神が自然にこの癖を止めて下さるだろう」と
   安易な、他力的な、蟲のよい事を考えながら依然として酒を飲んでいた。
   しかしその祈りは効果を奏しなかったのである。

   或る日彼は気がついた。

   「自分は誘惑に身をゆだねながら、切実に酒癖を治そうという
    真剣な努力をしないでいながら、“酒癖を治したまえ”と神に祈ることは、
    神を愚弄することになるではないか。
    神に祈る位ならば、神に真剣に協力して、酒癖をやめるべく
    自分の行動を開始しなければならぬ」

   彼はこのように決意すると、
   それ以来断じて酒盃を手にしないことにしたのである。

   すると自然に、酒を飲みたいという渇欲が消えて、
   他(た)の人が酒を飲んでいるのを見ても少しも飲みたくなくなったのである。

       谷口雅春著『人生の秘訣365章』第8篇(P196~197) より

            <感謝合掌 令和2年8月12日 頓首再拝>

賢者の一日一言《13日》 - 伝統

2020/08/13 (Thu) 20:01:51


(1)【 8月13日 】  天は自ら助くるものを助く

   何かにつけて、やたらと人の助けや援護を求める。


   誰でもよく知っている諺に、「天は自ら助くるものを助く」というのがある。

   この言葉が明らかに、人生他力のみをあてにしては断然だめである
   ということを、合点せしめてくれているといわねばならない。

・・・

(2)【 8月13日 】 投資をしているか

   書物によると、太閤秀吉という人は馬の世話をする係になったとき、
   主人である織田信長が乗る馬を立派にするために自分のわずかな給料をさいて、
   にんじんを買って食べさせてやったということです。

   これは一つの誠意ある投資だと思うのです。


   そこで、みなさんは投資をしているかということです。

   そのように、いったんもらった給料を
   会社へまた献金する必要はありませんが、
   しかし自分の知恵で投資するか、あるいは時間で投資するか、
   なんらかの形で投資するという面が
   自分の成長のためにも必要だと私は思うのです。

   またそれくらいのことを考えてこそ、
   一人前の社員と言えるのではないでしょうか。

・・・

(3)【 8月13日 】 道の人

   真の道の人とは、根元的なものと枝葉的なものとを
   統一的に持っている人のことである。

・・・

(4)【 8月13日 】 人の患(うれい)は」

   若し夫れ罪を知りて改めざる者は、真に如何ともすべからざるの人なり。
   人の患いは罪を犯して罪をしらざるにあり。 

                     安政2年8月3日「講孟剳記」

   【訳】

   だいたい、(自分が)正しくないことをしている、と知っていながら、
   改めないものは、本当にどうしようもない人である。

   人の憂えるべきことは、罪を犯していながら、
   それを自覚していないことである。

・・・

(5)《13日 祈っても飲酒喫煙癖の止まない場合》

   人間は誰でも“神の子”であるから、
   自分を神らしく立派な人間にする権利を与えられているのである。

   その人が立派になり得ないのは、実は“成り得ない”のではないのであって、
   「立派になろう」という断乎たる決意を自分が起さないだけのことなのである。

   眞に決意したら、酒や煙草をのむことを止め得ないなどということは
   到底あり得ない筈なのである。

   然し、そのあり得ない事が実際にあって、
   酒を止めようと思っても止めることができず
   煙草を止めようと思っても止めることができない現実があるのは
   何故であろうか。

   それには理由があるのである。

   酒も煙草も麻酔剤であって、その人の心の世界に何らかの葛藤、
   コンプレックス、不平、不満足がある場合、自己防衛の本能によって、
   それらの心の中の不調和から来る苦しみを麻酔せしめようとしているのである。

   表面の心に於いては「飲酒癖を止めたい」という願いがありながら
   潜在意識には、心の不調和をアルコールやニコチンで麻酔させたい願いがある
   ならば、“表面の心”の願いは、“潜在意識”の願いに打ち負かされてしまう
   のである。

      谷口雅春著『人生の秘訣365章』第8篇(P197~198) より

           <感謝合掌 令和2年8月13日 頓首再拝>

賢者の一日一言《14日》 - 伝統

2020/08/14 (Fri) 20:31:59


(1)【 8月14日 】  言霊

   言葉は言ってしまった時に、
   その音響はなくなっちゃっているようだが、波動は残っている。

   その波動が残っているということを考えてみたならば、
   かりそめにも我が口から人の幸福を呪ったり、
   人の喜びを損なうような言葉は冗談にも言うべきではない
   ということがわかりはしないかい?


   とにかく、お互いの気持ちに勇気をつける言葉、
   喜びを分かち合う言葉、聞いていても何となくうれしい言葉を
   お互いに言い合おうじゃないか。

   言葉はねえ、言霊というのが本当なのよ。

   言葉は魂から出てくる叫びなんだから。

・・・

(2)【 8月14日 】 電話で仕事をする

   世間には、それこそ工場のスミズミまで自分でまわって
   陣頭指揮をしなければ気のすまない経営者も少なくありません。
   しかし工場まで出向くとなれば時間がかかります。

   また、せっかく来たのだから、立話ですますわけにもいかないということで、
   自分の時間も工場の責任者の時間も必要以上に費やすことにもなりがちです。

   その点、電話を活用すれば、だいたい10分もあれば事が足りるわけで、
   往復の時間もいらないし、責任者の人の時間もとらずにすみます。


   もちろん、自分の目で直接見ることによって、
   より大きな成果を得られる場合もあるでしょうが、
   電話で十分事足りるということも案外多いのではないでしょうか。

・・・

(3)【 8月14日 】 修養が足りない現代日本人

   現代日本人は人物というものができていない。
   修養が足りない。

   人を見れば悪口を言って、自分の事をたなにあげておいて、
   そうして一向努力はせぬ。嫉視誹謗し、
   そうして他に向かって大言壮語ばかりする。

   行儀作法もなっていないという傾きがある。

   これを根本的に是正しなければ
   本当の意味において日本精神を発揚することはできない。


   外に発展しようと思えば思う程、やはり内に深めなければならない。

・・・

(4)【 8月14日 】 恒産と恒心

   恒(こう)の産なくして恒(つね)の心ある者は、
   惟(た)だ士のみ能(よ)くすと為すと。
   此の一句にて士道を悟るべし。
   諺に云ふ、武士は食はねど高楊枝と、亦此の意なり。 

                     安政2年6月27日「講孟剳記」


   【訳】

   一定の生業をもっていなくても、不動の信念をもつことができるのは、
   ただ侍たる人物だけである。
   この一句で、侍たるものの道のあり方を悟るべきである。

   諺に「武士は食わねど高楊枝」という。これも同じ意味である。

・・・

(5)《14日 貧しさからの脱却の祈り》

   「この貧しさから逃れたい」と切に願って
   「神よ、吾れを富ましめ給え」祈りながら、
   富もうとして計画する仕事や思惑が悉く失敗して
   益々貧乏の底に落ち込んで行く人がある。

   そんな人は、現在意識(表面の心)では「富みたい」と思っているけれども、
   潜在意識の底には「自分は富んではならない」という反対観念があるのである。

   その「富んではならない」という反対観念の中には、聖書にあるイエスの
   「富める者の天国に入ることの難きことは駱駝の針の孔を通るが如し」という
   清貧礼賛の言葉に引っかかっている場合もあれば、

   自分が何か人に損をかけるような事をしているので、
   自分が富んでは申訳がない ―― というような謙(へりくだ)った懺悔
   又は自己処罰の念が覆蔵(ふくぞう)されていることもあるのである。

   私たちが富むためには、
   このような清貧礼賛の念をも自己処罰の感情をも
   超克しなければならない。

        谷口雅春著『人生の秘訣365章』第8篇(P198~199) より

           <感謝合掌 令和2年8月14日 頓首再拝>

名前
件名
メッセージ
画像
メールアドレス
URL
編集/削除キー (半角英数字のみで4~8文字)
プレビューする (投稿前に、内容をプレビューして確認できます)

Copyright © 1999- FC2, inc All Rights Reserved.