伝統板・第二

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ひかりの一日一言65~光明生活に至る道 - 伝統

2020/08/01 (Sat) 04:11:22

この「光明生活に至る道」は
「眞理」第2巻基礎編第4章(P106~131)からの謹写です。



ひかりの一日一言《1日》

《1日 健康に必要な想念》

健康に必要な想念は、積極的な、愉快な、明るい、
深切な、愛他的な、感謝と満足とに充ち満ちた心であります。

物事を消極的に考える心の持ち方は、
肉体の細胞の働きをも消極的に働かせ、
従って健康によくないのであります。

事物の暗黒面を見てはなりません。

愉快な心持で、明るい方面ばかり見るように心がけ、
常に明るく微笑していると健康によいのであります。

誰でもあなたの健康状態を積極的に明るい想念を
根気よく持続することによって改善することが出来るのであります。

今まであなたが若し不健康でありましたならば、
貴方はあまりに不健康な想念を持ち続けて来たからであります。

物事を思い煩ってはなりません。
心配してはなりません

。完全に神に全托して「善き事のほか来ない」と信ずることが大切です。


          *「眞理」第2巻基礎編第4章(P106~107)より

       <感謝合掌 令和2年8月1日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《2日》 - 伝統

2020/08/02 (Sun) 03:40:05

《2日 あなたの想念感情を高邁ならしめよ》

あなたの想念感情をもっと高邁なものたらしめよ。
高きものを仰ぎ見る心は、あなたを一層高き状態に引上げ、
肉体的にはあなたを一層健康ならしめるのである。

高き世界を常に見つめている人の眼には美しき光がある。

低きものを常に見つめている心は人の眼を濁ったものにするのである。
眼の光が濁ってくるだけではなく、肉体も亦虚弱となるのである。

不健全な想念感情は間隙なく、
その人の肉体及び精神的構造を常に破壊しつつあるのである。

常に正しき適当なる想念を持つものは、
最も愉快な幸福な生活を送ることが出来るのである。

誰でも人を憎んだり腹を立てたり、心配したりすると、
頭や胃袋に不快感がおこる経験をもっているのである。


          *「眞理」第2巻基礎編第4章(P107)より

       <感謝合掌 令和2年8月2日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《3日》 - 伝統

2020/08/03 (Mon) 04:23:11

《3日 人を勇気づけてあげることは素晴らしい美徳である》

失意に沈む人を鼓舞し勇気づけることは、
たしかに大いなる功徳であり、施しである。

人を助けるのは必ずしも「物」によるわけではない。

「物」によって支えなければならない
最後のギリギリの窮境に立っている人もいるが、

それ以外の場合に於ては「物」を与えるよりも、
「物」を得る力となるべき精神力を与える方が、
尚一層功徳になるものなのである。

人が悲観している時に、単に「大丈夫ですよ。きっとうまく事件は展開しますよ」
と楽観的な言葉を投げかけてあげるだけでも、

その人の心を引き立て、心が引き立って来ると、
よい考えが浮んで来、よい考えが浮んで来ると、
行き詰まっていた問題が自然に解決されることになるのである。

「だって、あんたには才能があるんですもの。悲観しては可(い)けないわ」


          *「眞理」第2巻基礎編第4章(P108)より

       <感謝合掌 令和2年8月3日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《4日》 - 伝統

2020/08/04 (Tue) 04:38:10

《4日 陽気とユーモアとは人生に油を差す》

漫才や落語や、ラジオの「陽気な喫茶店」などに人気があるのは、
諧謔(かいぎゃく)や、オドケや、ユーモアや、
たといそれがクスグリ笑いにしても、

陽気さと笑いとが人間の精神の緊張の間に、
ある種の弛緩と休養を与えるものとして
求められていることをあらわしているのである。

ユーモアを解し、ユーモアを話す能力は、
単に社交上にそれが必要であるばかりではなく、家庭を明るくし、
自分自身の憂鬱を吹きとばしてしまうためにも必要なのである。

それは人生にうるおいを与え、四角四面な世界を円(まろ)やかならしめ、
摩擦の多い人生に油を差すことになるのである。

それは心の過度の緊張をやわらげる特効剤である。
その話の内容があまりに低いからとて軽蔑してはならないのである。


          *「眞理」第2巻基礎編第4章(P108~109)より

       <感謝合掌 令和2年8月4日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《5日》 - 伝統

2020/08/05 (Wed) 04:45:58

《5日 心を明るくすること》

何事が起って来ようとも、一度や二度失敗しようとも、
明るい魂の人々は、それによって屈服せしめられてしまう
と云うことはないのである。

失敗には失敗の原因があり、
その失敗の原因を知ることそのことが、
次に失敗しなくなる前提となるのである。

失敗は成功の基(もとい)と云うことは
千挫百折(せんざひゃくせつ)しようとも、
明るい心の持主に於いてのみ言い得ることである。

すべて躓(つまづ)きと云うものは暗い処に起るのである。

心の中に灯(ひ)を点(とも)しているものは、どこに躓き石があるか
と云うことをいち早く知ることが出来るのである。

心の暗い者にはそれが出来ない。

心の暗いものは「類を以て集る」と云う心の法則に従って、
兎(と)もすれば、却って暗い暗い処へ引き寄せられ、
みずから進んで躓き物に引っかかって顛落(てんらく)することになるのである。


          *「眞理」第2巻基礎編第4章(P109~110)より

       <感謝合掌 令和2年8月5日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《6日》 - 伝統

2020/08/06 (Thu) 04:37:24

《6日 あまり四角四面になるな》

児童の明るい心を押し消してはならないのである。
鹿爪(っしかつめ)らしい、上品ぶった、四角四面の顔をするように
子供を躾ける必要は少しもないのである。

それは子供を型に嵌(は)めることであり、
子供の個性を抑圧して歪んだものにしてしまうおそれがあるのである。

子供の爆発しようとする内部的な生命力を抑えようとすることは、
その子供を反抗的に育てあげ、却って親を憎むようにさえならしめる。

人生は真剣でなければならないし、真面目に取り組むべきものであって、
決して冗談に取り扱うべきものでないことは明らかである。

しかし真剣に真面目に取り組むべき人生であるが故に、
明るい余裕のある心の態度で物事を処して行かなければならないのである。

余りに四角四面な心でいれば、人は人生の重荷で折れてしまうであろう。


          *「眞理」第2巻基礎編第4章(P110~111)より

       <感謝合掌 令和2年8月6日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《7日》 - 伝統

2020/08/07 (Fri) 04:58:15

《7日 重荷は背負うよりも処分せよ》

人生の重荷は自分の心に背負うべきものではなくて、
寧(むし)ろ、その重荷の包みを開いて一つ一つ処分して行くべきものである。

重荷を背負って歩くのは苦痛であるが、
重荷を開いてその中の物を一々(いちいち)処分して行く者は、
却って楽しいのである。

これが「今」を生かせ ―― の極意である。

楽しい人々は幸福であるばかりでなく、健康で、長生きし、
困難に対して抵抗力が強く、事に処するに
適当な智慧が湧いて来て成功するのである。

事物の明るい方面のみを見て、暗い方面を見ないようにするのである。

暗い方面に心が引っかからず、着々それと取り組んで行く者は、
如何なる大事に臨(そぞ)んでも委縮することなしに、
自分の能力を発揮することが出来るのである。


          *「眞理」第2巻基礎編第4章(P111~112)より

       <感謝合掌 令和2年8月7日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《8日》 - 伝統

2020/08/08 (Sat) 03:19:11

《8日 「明るい心」の億万長者となれ》

出来るだけ明るい事のみを心に考えよ。
今、今、今、明るい事を考えよ。

過去に捉われるな。
未来について思い煩うな。
「一日の労苦は一日にて足れり」とイエスは教えているのである。

自分の心の庫(くら)の中に、一ぱい、一つ目小僧や色々のお化けや、
瓦落多(がらくた)を詰め込んで置くことをやめよ。

明るい五色の光を燦然と放つような宝のみを心の中に貯えよ。

物質に如何なる物が貯えられてあろうとも、
又どんな善き物がなかろうとも、無一物であろうとも
心の中に「明るい想念感情」を貯え得ることは自由である。

物質がなくとも、あなたは「明るい心」を自分の心一ぱいに貯えて、
明るい心の奥万長者になることは出来るのである。

物質の富が幾憶万あろうとも、心に「労苦」を貯えて苦しんでいる人もある。


          *「眞理」第2巻基礎編第4章(P112)より

       <感謝合掌 令和2年8月8日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《9日》 - 伝統

2020/08/09 (Sun) 03:12:21

《9日 鏡に対して微笑せよ、鏡も亦汝に微笑せん》

一日に数回、必ず鏡を視て、最も幸福なる表情をして微笑(びしょう)し、
鏡に映っている自己の幸福そうな顔を見て「自分は、神の子で幸福だ」と念じ、
その幸福の観念を自分の心の奥(潜在意識)に強く強く印象せよ。

そしてその幸福の微笑(びしょう)の時の感じを覚えておいて、
仕事の合間の一寸(ちょっと)暇(ひま)な時間を利用して、
その同じ微笑をして「私は幸福(こうふく)だ」と念ぜよ。

人に対しても、人の話しているのをきくとき、
このような微笑(びしょう)を顔に浮かべながら好感をもって
相手の話をきくようにするのである。

すると相手はこちらに好感をもってくれて、
相手と調和して事を運ぶことが出来るのである。

人生は一種の鏡であって、こちらが微笑(びしょう)すれば人生も微笑(びしょう)し、
こちらが眉を顰(ひそ)めれば人生も眉(まゆ)をひそめる。


          *「眞理」第2巻基礎編第4章(P112~113)より

       <感謝合掌 令和2年8月9日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《10日》 - 伝統

2020/08/10 (Mon) 04:44:29

《10日 仕事が耐えがたく苛烈なときには》

たとい貴方の職業がどんなに苛烈でありましょうとも、
その苛烈さを逃れるための唯一の道は、その苛烈さを心に描いて
それに対抗することではありません。

その仕事がいやしくもこの世に存在する以上、
何かその仕事が人類の福祉のために直接間接に貢献している「何らか」が
あるに違いないのですから、

その「何(なん)らか」の貢献を心に描いて、
「自分は人類の福祉のために働いているのであるから、
自分は此(こ)の仕事をする事は幸福である」と
心に唱えながら仕事をすることが大切であります。

「金のために自分の生命を切り売りしている」などと考えますと、
その仕事は自分の上に重く垂れかかり、
仕事の苦痛は愈々(いよいよ)増大するようになるのであります。

仕事を愛すれば、愛は悦びの源泉ですから仕事が悦びとなって来ます。


          *「眞理」第2巻基礎編第4章(P113~114)より

       <感謝合掌 令和2年8月10日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《11日》 - 伝統

2020/08/11 (Tue) 02:37:45

《11日 必ず成功する秘訣》

いかなる職業に従事する人でも、また如何なる境遇にいる人でも、
必ず成功する唯一の秘訣と云うものがある。

その秘訣とは、敬虔なる感謝と快き微笑(びしょう)とをもって
深切を尽すと云うことである。

万事万物に感謝し、微笑をもって、自分の接する総ての人々に
深切をつくすと云うことである。

今まで何の職業についても成功しなかった人は、
自己の過去を振返って見れば、

深切と微笑と感謝をもって奉仕する精神がなくて、
不平面(づら)をして苦虫をかみつぶしたような顔をして、
仕事も易々(いい)加減にして深切心がなかったと云うことに
気がつかれるに相違ないのである。

仕事を深切にしていても、
不平面や、苦虫(にがむし)を咬(か)みつぶしたような顔をしていては、
その仕事の出来栄えほどには出世することは出来ないであろう。


          *「眞理」第2巻基礎編第4章(P114~115)より

       <感謝合掌 令和2年8月11日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《12日》 - 伝統

2020/08/12 (Wed) 06:46:59

《12日 癇癪と小言とを節約しなさい》

あなたの運命をそこなうものは癇癪(かんしゃく)である。

「馬鹿野郎」と云う罵り声を、議会で癇癪を起して叫んだがために
不信任案をたたきつけられた首相もある。

吾々はどんな時にも癇癪を起してはならないのである。

家庭の中でも始終、小言を言っている婦人があるが、
このような母親が幾(いく)ら子供に小言を言って見ても、
「蛙(かわず)の面(つら)に水」のように何の効果もなくなるのである。

常に叫ばれている小言は、常に線路を走っている汽車の響きが、
その付近に住む人たちが一向、汽車の響きを気にしないように、
子供にとっては何ら効果がなくなってしまうのである。

小言の多い母親は家庭の平和な温かい空気を毀(こわ)してしまうばかりではなく、
子供を強情にし、母親を馬鹿にするような習慣を養成することになるのである。


          *「眞理」第2巻基礎編第4章(P115)より

       <感謝合掌 令和2年8月12日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《13日》 - 伝統

2020/08/13 (Thu) 04:32:47

《13日 自己に打克つ者が最大の強者である》

自己の心を支配する者のみ、
自己の運命を支配することが出来るのである。

人間の心は誠に複雑なものであって、
自分の心の中に自己を不幸や貧乏に突き落とす「自己破壊」の
獅子身中の虫のような心があるのである。

これをカール・A・メニンジャーは「おのれに背くもの」と言っている。
この「自己破壊」の心が、中(なか)から催してくるところの破壊活動が
謂わば「癇癪」であったり、「叱言(こごと)」であったり、
「同情を求める心」であったり、「病気になりたい心」であったり
「懶(なま)けたい心」であったりするのである。

この「自己破壊の心」は、「本当の自分の心」ではないけれども、
自分の中(うち)から催して来るから、往々にして
「自分自身の願(ねがい)」であるかの如く錯覚される。

自己に克つ者は最大の強者であると言うのは
自己破壊の「ニセモノ」の自分に打ち克つからである。


          *「眞理」第2巻基礎編第4章(P116)より

       <感謝合掌 令和2年8月13日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《14日》 - 伝統

2020/08/14 (Fri) 02:56:31

《14日 与えれば増加し、貪(むさぼ)れば失う》

「与えれば増加し、貪(むさぼ)れば失う」
(Give and increase, hoard and lose.)
と云う諺がある。

或る薔薇の木は

「私はこの美しい花びらを開きますまい。
 この高尚な香気を発散するのは勿体ない。
 行きずりに見て行く人などにこんな美しい花や、
 素晴らしい香気を与えるのは、あまりも勿体な過ぎる」

と考えたと云うことです。

それ以来、、その薔薇の木はその蕾が(つぼみ)が固くなって
開かないまま萎(しぼ)んでしまいました。

そんな事が数年間つづきました。

すると、その薔薇の木の持主は、
「この薔薇は駄目になった」と言ってそれを抜き去って捨てました。
それでその薔薇は死んでしまったのです。

もう一本の薔薇は惜しみなく花を開き、
馥郁(ふくいく)たる香気を放っていましたので
何時までも可愛がられて枯れませんでした。


          *「眞理」第2巻基礎編第4章(P116~117)より

       <感謝合掌 令和2年8月14日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《15日》 - 伝統

2020/08/15 (Sat) 04:48:32

《15日 楽天的な者は到る処に天国を見出す》

楽天的な人々は、彼の行く処、彼の見るところ、到る処に、
歓喜と幸福とを見出し、すべての人々が彼に対して
好意をもっているかのように信じ、
すべての人々の美点のみを強調して見るのである。

かく信じて観るがゆえに、彼を取巻くすべての人々も亦、
実際に彼に好意をもってくれ、彼に対して深切に尽してくれるのである。

これに反して暗黒的な感情の持主は、自分自身の行く処、
見る処のすべてに不快と不幸とを見出すのである。

そして彼は自分の周囲のすべての人々の欠点を見出し、
それを心の内で批難する。

人々はその雰囲気を感じて彼に対して好意がもてなくなる。
そして何となく彼を批難し排斥したくなるのである。

彼が相手に対して与えたものを与え返されたのである。


          *「眞理」第2巻基礎編第4章(P117~118)より

       <感謝合掌 令和2年8月15日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《16日》 - 伝統

2020/08/16 (Sun) 04:00:11

《16日 腹立ちを抑えるには》

癇癪(かんしゃく)は自分をそこない、家庭をそこない、
自分の属する団体をそこない、結局マイナスばかりで
プラスする処は何一つないのであります。

しかも癇癪が立って来たとき、それを正面から抑えようと思っても
却ゝ(なかなか)それは抑えることが出来ないものである。

腹が立って来たとき、すぐ言葉を出さないで
「一、二、三、四・・・・」と十まで唱えよ。
そうすれば、腹立ちが収まって来ると教えた人もある。

腹が立つのは、自分の考えが他の人の考えで妨げられた場合に
起りがちであるから、

腹が立って来たとき、相手の立場になって考えることは、
腹立ちの根本原因を取り扱う方法にもなるのである。

自己の心を静かに反省することである。


          *「眞理」第2巻基礎編第4章(P118~119)より

       <感謝合掌 令和2年8月16日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《17日》 - 伝統

2020/08/17 (Mon) 04:49:09

《17日 嫉妬心は自己劣等感の移入である》

更に腹が立つのは、自分自身の意気地なさに腹が立つのを相手に移入して、
相手に対して憤激していることがあるから、自分自身の心を
反省分析することによって腹立ちの原因を除去することが出来る。

嫉妬心が腹立ちの原因であることもある。

嫉妬心は自己の弱小感又は劣等感に対する腹立ちを、
「相手が自分のものを横取りしようとしている」又は「横取りした」と考えて、
相手にその原因を罪(つみ)着(き)せようとするのである。

だからこのようにな嫉妬による腹立ちは自分の弱小又は劣等を
他(た)の人の所為(せい)にしてその罪を他に転嫁しようとするものであるから、
誠に卑怯な訳だと言わなければならないのである。

男女間の嫉妬心は独占欲のあらわれであって、
その独占を他(た)の尚一層魅力ある者に奪われたことを
憤(いか)り悲しむ心であるが、

奪った者を怒るよりも、自分が奪われるに到った自分の精神的欠陥を反省して
「彼が悪いのではない、私が悪かったのだ、済みません」と云う心境になったとき、
嫉妬心は、自己反省と自己向上とに変貌することになるのである。


          *「眞理」第2巻基礎編第4章(P119~120)より

       <感謝合掌 令和2年8月17日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《18日》 - 伝統

2020/08/18 (Tue) 03:27:28

《18日 ニセモノの自分を克服する者のみ一流の人物となり得る》

誰でも最初は、天下に名を為す大人物になりたいとか、
人類、社会、国家に貢献したいとか、一流の芸能人になりたいとか、
一流の科学者になりたいとか考えるのである。

ところが、その希望が途中で挫折し、碌々(ろくろく)として
社会の下積みになってしまう場合が多いのである。

その理由を考えて見ると、一切万事、自分に関する運命は
自分自身の想念、感情、行動、等から結果するのであるから、

若し、「自分」そのものを、よく調(ととの)えられたる自分にしない限り、
自分の運命は決して順調に進まないのである。

「自分」そのものをよく調えられたる自分にするためには、
「本当の自分」と「ニセモノの自分」(心の雑草)をよく区別し、
ニセモノの自分を取除いて「本当の自分」だけを磨き出すようにすることが必要である。


          *「眞理」第2巻基礎編第4章(P120)より

       <感謝合掌 令和2年8月18日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《19日》 - 伝統

2020/08/19 (Wed) 03:54:22

《19日 小さな事にクヨクヨするな》

私達はどんな些細な自分のエネルギーでも、
それを無駄に費やしてはならないのである。

何故なら、それは自分の大切な「生命(いのち)」の一部分であるからである。

吾々の「生命エネルギー」は出来るだけ無駄を省いて蓄積し、
それを有効に使用することによって、能率多く仕事をなし得(え)、
そしてまた自分が長寿を得(う)る道ともなるのである。

普通の人の生活を見ていると、
孔(あな)だらけのバケツに水を汲んで置くような生活を送っているのである。

何ら自分の内に貯えられたるエネルギーが
有効に使用せられずして消えてしまっているのである。

気がつかないところの生命(せいめい)の浪費は「どうでも好い事」を、
さも大事であるかのように引っかかって小言を言い、
或いは歎き、或いは持ち越し苦労をすることである。


          *「眞理」第2巻基礎編第4章(P121)より

       <感謝合掌 令和2年8月19日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《20日》 - 伝統

2020/08/20 (Thu) 04:51:15

《20日 自己の貴き部分を未発達にしてはならない》

私達が如何にして多く金を儲けようかと考えたり賃金闘争をしてみたり、
人間の性質の中での粗雑な闘争的な面ばかりを発達せしめることに熱心で、
もっと人間の性質の中で高尚な、優美な、道徳的な、芸術的な価値を
発達せしめる事に意を用いない傾きがあるのは、まことに残念なことである。

私達は決して自分自身を弱小視してはならないのである。
自分を卑しめてはならないし、自分自身の発達せしむべき部分を
未発達のまま放置しておいてはならないのである。

神から与えられた無数の天分のうち、どれひとつをも軽視してはならない。
常にそれを表現し顕現し、それを発達せしめるように心掛けなければならない。

然し闘争本能を発達せしめることは、人間を発達させることにはならないで、
野獣的な本能に逆戻りさせることになるのである。


          *「眞理」第2巻基礎編第4章(P121~122)より

       <感謝合掌 令和2年8月20日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《21日》 - 伝統

2020/08/21 (Fri) 04:25:24

《21日 「神の子」たる権利を自覚し主張せよ》

人間は神の最高の自己顕現であるから、
自分を弱小視してはならないし、矮小(わいしょう)化してはならないのである。

況んや「罪人(つみびと)」などと称して前科者扱いしてはならないのである。

前科者と言われた者が、前科を悔(く)いながら、
如何にその生活改善の実(じつ)があがらないかの実相を観るならば、
自己を「罪人(つみびと)」視することが如何に敬虔なる宗教的感情から来るにしても、
生活改善に少しも効果のないものであることがわかるのである。

吾々は神から与えられたる「神の子」の自覚を持ち、
その生来(せいらい)本具の最高最美優秀なる権利を主張すべきである。

自己卑下をするときは人間尊厳の自覚は失われ、
伸びるべき優秀なる性質感情は抑えられて伸びなくなるのである。


          *「眞理」第2巻基礎編第4章(P122~123)より

       <感謝合掌 令和2年8月21日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《22日》 - 伝統

2020/08/22 (Sat) 04:24:46

《22日 精神の摂生は肉体の衛生よりも大切である》

肉体の鍛錬も、その健康も必要ではあるが、
筋肉が強健であるからとて、その人は幸福にはきまっていないのである。

筋肉が強健であるよりも精神が落着いている方が
その人は一層幸福感が味わえるのである。

肉体の健康は、食物(しょくもつ)の摂生(せっせい)や、
煙草や酒の節制からも得られるが、

精神の健康は聖賢の書物を暇ある毎に
読むことによって得られるのである。

そのために私は好んで、聖書を読み、仏典を読んで、
基督(キリスト)の心、釈迦の心により多く触れることに
つとめているのである。

しかし、これ等の聖典はいずれも意義深遠にして、
普通の人にはその真義に到達し得ないために、

私は、現代人に一層よく分り易く書きたいと思って、
それをよくよく噛みくだきダイジェストし、
現代人に解りやすくして読者に送っているのである。

それが此の全集『眞理』である。


          *「眞理」第2巻基礎編第4章(P123~124)より

       <感謝合掌 令和2年8月22日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《23日》 - 伝統

2020/08/23 (Sun) 04:13:56

《23日 万教帰一は綜合による新価値の創造である》

仏教学者も、仏教僧侶も釈迦の説法の受け売りであり、
基督(キリスト)教の牧師もその神学者も教信者も
イエスの受け売りであるのである。

しかし彼らは釈尊の教えとイエスの教えとが
如何に一致し得るかと云うことを知らなかった。

そして世界をキリスト教と仏教との二大対立に追い込んで
それを融合せしめるすべを知らなかったのである。
(今しばらく、回教は日本に行われざるがゆえに、
そして神社神道は教義を特に説かず、礼拝を主とするゆえに、これを省く)

爰(ここ)に本書は釈尊の教えを、そしてイエスの教えを縦横自在に引用して、
それを素材として其処に一貫して存する真理を抽出して、
それを実生活に応用する道を説いたのである。

其処に奇蹟あらわれ、人々おのずから集まり来(きた)り教団の形を成す。
単なる引用にも抜粋にもあらず、新価値の創造である。


          *「眞理」第2巻基礎編第4章(P124~125)より

       <感謝合掌 令和2年8月23日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《24日》 - 伝統

2020/08/24 (Mon) 03:48:23

《24日 仏耶の教えを完成する生長の家》

釈尊の仏教とイエスのキリスト教とに不足せるところのものは、
いずれも夫婦生活を煩悩として否定していることであり、
教義のうえからは色々に説かれるとは云え、両者とも、
両聖者の生活それ自体の上において夫婦生活を否定しているのである。

生長の家は夫婦生活の調和の上にこそ
真に正しき生活のある事を教える点において、
釈尊の教え、イエスの教えに一歩を進めて実生活を完成せしめるのである。

近頃の学者が聖賢の語(ご)を封建的とか、逆コースとか評して斥(しりぞ)け、
民主主義一辺倒になっている如きはまことに欧米の模倣に非ずんば、
抜粋に過ぎないのである。

民主主義でないものをなんの自己批判もなく、
悪魔外道のようにこきおろすのは、
それが単なる模倣であり、事大主義に過ぎないからである。

逆コースも時によっては宜しい。
行き過ぎたるは逆コースによってのみ正道(せいどう)に復(かえ)るのである。


          *「眞理」第2巻基礎編第4章(P125~126)より

       <感謝合掌 令和2年8月24日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《25日》 - 伝統

2020/08/25 (Tue) 04:12:06

《25日 祈りによって繁栄するには》

吾々はいくら回数多く祈っても、
祈り過ぎると云うことはないのである。

併(しか)し多くの人々の祈りが成就しないのは、
自己に利益があって、他の人に損になるようなことを祈るからである。

吾々は先ず、国民と国民との間の平和を祈らなければならないのである。

そして自己の属する国家の隆昌と繁栄とを、
そして自分の知れる限りの人々がすべて、
健康で幸福に生活出来るように祈るべきである。

すべての人間が繁栄するように
自分の繁栄が他(た)の人々の繁栄に貢献し
共存共栄するように祈るべきである。

こうして利己的な心持(こころもち)の一切を断ち切り、
仕事を始める際には、自分の活動が神の無限の愛と智慧とに導かれて
人類に貢献し得(え)ますようにと祈るべきである。


          *「眞理」第2巻基礎編第4章(P126)より

       <感謝合掌 令和2年8月25日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《26日》 - 伝統

2020/08/26 (Wed) 04:41:54

《26日 事業が順調に行かぬ場合には》

若しあなたの商売又は職業が順調に行かなくなったならば
あなたは、出発点に戻って、もう一遍考え直して見ることが必要です。

最初の方向が間違っていながら、遮二無二進んで往(い)っては、
愈々目的とするところと距離が遠くなるばかりです。

そんな時には出発点に帰るのが近道であります。

そして、自分の事業経営がどちらを向いていたかを反省して見るのです。

ただ自分の利益のみを目標に自分の事業経営が向けられていたか、
それとも顧客にサービスするのが目的でそれが行われていたかを
顧みることなのです。

最初の心の向き方が大切なのです。
そして、自分自身の心の向け方を立て直すことです。
正しい方向に向きさえすれば事業は立直るにきまっているのです。


          *「眞理」第2巻基礎編第4章(P126~127)より

       <感謝合掌 令和2年8月26日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《27日》 - 伝統

2020/08/27 (Thu) 04:27:52

《27日 先ず正しく考える事から出発せよ》

人間が動物と異なる尊厳さは、彼が動物と異り、
考えることの自由を有する事なのである。

考えることの自由とは、出鱈目を考えても好いと云う意味ではない。
自由であると云うことに、「正しさ」が伴わない場合には、
それは赤ん坊に日本刀を振り廻させる自由を与えるのと同じことであり、
自動車に交通整理信号を無視して走る自由を与えるのと同じことになるのである。

「自由」を与えられたと云うことは同時に、
その自由を「正しく」使う責任が与えられているのである。

何よりも大切なのは「正しく考える」と云うことである。
「考える」と云うことは、すべての言動の根因(もと)になるのであるから
「正しく考える」と云うことは正しく行動する基(もとい)となるのである。


          *「眞理」第2巻基礎編第4章(P127~128)より

       <感謝合掌 令和2年8月27日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《28日》 - 伝統

2020/08/28 (Fri) 04:09:42

《28日 健康と精神との関係》

人生を幸福にする根本は「健康」にある。
肉体の血液循環やホルモンの分泌は精神状態によって変化する。
従って、精神状態によって「健康」は左右せられる。

明るい心、正しい心、平和な心、調和の心、赦しの心、
精励する心、奮起する心などは、
すべて健康を増進するために必要な心である。

吾々の思う通りの「心」の状態と同じすがたに、
吾々の肉体細胞も活動するのである。

肉体全体を一国と考えれば吾々の細胞群は
一国を形づくる国民のようなものである。

国民たる細胞群はその指導者たる吾々の「人格精神」の
思い感ずる想念感情のままに活動するのである。

だから、吾々自身が調和の心を起せば、
吾々の肉体細胞も調和した状態に活動するのである。


          *「眞理」第2巻基礎編第4章(P128~129)より

       <感謝合掌 令和2年8月28日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《29日》 - 伝統

2020/08/30 (Sun) 15:06:12

《29日 破壊的な想念を起してはならない》

心に破壊的な思いを起すならば、
その心は常に自分の肉体細胞を破壊しつつあるのだ
と知らなければならない。

思いを正しくするもののみが自分自身を愛しているのである。
真(しん)に自分を愛している者は、
自分の思いを正しくしなければならない。

腹立ちの心をおこせば血は逆上し、
心配したり悲しんだりすれば胸はふさがり、
心臓はその働きをおさえられ、恐れれば動悸が激しくなる。

正しくない考え、正しくない感情は
こんなにも肉体に激しい障害を与えるのである。

こんな破壊的な想念感情は自分自身を不健康に
陥(おとしい)れるばかりでなく、時とすると、自分自身は健康で、
自分の産んだ幼児の健康状態を悪くする事があるものである。

激しい嫉妬の思いは御本人にバセドウ氏病を起したり、
肝臓障害を起したり、子宮筋腫をつくったり、
子供の消化不良を起したりすることがある。


          *「眞理」第2巻基礎編第4章(P129~130)より

       <感謝合掌 令和2年8月29日 頓首再拝>
       <感謝合掌 令和2年8月30日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《30日》 - 伝統

2020/08/30 (Sun) 18:44:50

《30日 常に幸福になる道》

取越し苦労を止めようではありませんか。
人間は「今」幸福な思いを起しておれば、「今」その人は幸福なのです。
過去を捨てましょう。

明日(あす)になったら明日の「今」を幸福だと思いましょう。
そして明後日(あさって)になったら明後日の「今」を幸福だと喜びましょう。

そうしたら、貴方は永遠に幸福なのではありませんか。
人間の一生は「今」の連続なのですから
「今」さえ幸福の思いを常に持ち続けることが出来たら
永遠に幸福なのであります。

腹を立てないように致しましょう。
人の欠点を(導くため以外には)見つけないように致しましょう。

嫉妬の心を起さないように致しましょう。
不平の心を起さぬように致しましょう。

腹立ちやアラ探しや、嫉妬の心や、不平の思いを起す毎に、
貴方は取返しのつかぬ損害をあなたの心と肉体とに与えているのであります。


          *「眞理」第2巻基礎編第4章(P130)より

       <感謝合掌 令和2年8月30日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《31日》 - 伝統

2020/08/31 (Mon) 05:00:32

《31日 本当の愛は愛欲ではない》

愛は素晴らしい美しい感情であるばかりではなく、
それは健康なる肉体と健全なる人格を形作るために是非必要な要素である。

愛は愛欲ではない。
愛欲は肉体的であり、自分自身の快楽を要求するのである。

本当の愛は、もっと精神的なものであり、
自分自身の物質的又は肉体的快楽を要求しないのである。

本当の愛は自分自身の肉体的物質的な快楽を求めないばかりか、
それを却って、他(た)の人の幸福のためには捨てもするのである。

本当の愛は献げる。
献げないで、相手を自分に奪いとろうとする愛は、
本当の愛ではなくて愛欲だ。

愛は時間を超える。
空間の制約を超えて相手に達する。

純粋の愛は相手を高める。
純粋の愛は相手を癒やす。


          *「眞理」第2巻基礎編第4章(P131)より

       <感謝合掌 令和2年8月31日 頓首再拝>

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