伝統板・第二

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(八月)の法語 - 伝統

2020/08/01 (Sat) 03:59:27

このスレッドでは、他の掲示板から、次の3つの法語を紹介してまいります。


(1)『 生長の家 』 誌 昭和二十四年八月号
       http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12745628.html (消滅)

(2)『 生長の家 』 誌 昭和二十五年八月号(1日~19日)
       http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=16

   『 生長の家 』 誌 昭和二十五年八月号(20日~27日)
       http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=25

(3)『 生長の家 』 誌 昭和五十二年八月号(22日~31日)
       http://jbbs.livedoor.jp/bbs/lite/read.cgi/study/11346/1322022766/746-845

・・・

【一日の法語(8月1日)】

(1)《毎日小善の習慣をつけること》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12745628.html(消滅)

   毎日小善を行うことを忽(ゆるが)せにせざれば
   遂(つい)にそれが積りて善き人格を養成し、
   見えざる天の倉に善きものを貯(たくわ)え
   結局 自分の運命が好転するのである。

   自分のこしらえた善業が 常に自分のよき友達である。

   ある人は嘘(うそ)をつくことができない。
   それは本当のことをいう習慣がついているからである。

   ある人は常に出鱈目(でたらめ)を云い嘘をつく。
   それは常に嘘をつく習慣がついているからである。

   人間は自分自身の運命に 自分の習慣の判を押すのである。

・・・

(2)《人体は神の宮である》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=16

   (抜粋として)

   神は外にも内にも到(いた)る処(ところ)にましますのである。
   何よりも必要なのは
   自己の内に神がましますと云う自覚である。

   人間の身体は神の鎮座(ちんざ)まします 「 肉の宮 」 であるから、
   自分の内に神をみとめ

   「 わが魂の底の底なる神よ 無限の力 湧(わ)き出(い)でよ 」 と、
   時々瞑目して黙念する事は良き祈りである。

・・・

<参考:8月の谷口雅春先生の言葉>

(1)『 光明法語<道の巻> 』(八月の法語「人間は神の自己実現」)
   (谷口雅春先生をお慕いする掲示板 其の弐)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/yuyu6/&mode=res&log=18

(2)『 生命の實相 』第三十七巻幸福篇(八月「八方礼拝」)
   (生長の家光明掲示板・第一)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=5

(3)『 光明道中記 』(八月「烈日に伸びる」)
    (光明掲示板・第一)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=6 
          
            <感謝合掌 令和2年8月1日 頓首再拝>

【ニ日の法語(8月2日)】 - 伝統

2020/08/02 (Sun) 03:35:42


(1)《最初が大切である》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12746337.html(消滅)

   最初が大切である。
   最初に一寸(ちょっと)したはずみに行ったことが種になって、
   同じようなことがくりかえされる。

   初めを慎むことが大切である。

   習慣は坂の上においた車のようなものである。
   そのままおいておけば何事もおこらないが
   少しでも動かすと加速度で下向し始めるのである。

   悪魔は決してマッチで硬い石炭に火をつけようとはしないのである。

   「 ほんのささいな罪 」というような小さな屑(くず)に火をつけて
   全体を真黒焦げにしてしまうのである。

・・・

(2)《過去は過ぎ去る 未来はわがもの》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=16

   (抜粋として)

   現在は過去の想念の投影であり、
   過ぎ行きつつあるものなのである。

   未来は現在の想念の投影であり、
   これから造りつつあるものなのである。

   過去と現在とを歎かず、
   未来の幸福のために今善き念を蒔(ま)け。
  
            <感謝合掌 令和2年8月2日 頓首再拝>

【三日の法語(8月3日)】 - 伝統

2020/08/03 (Mon) 04:13:34


(1)《自由意思のある処(ところ)に自分の責任がある》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12753072.html (消滅)


   一切万事吾(われ)より出(いで)て、吾に帰る。
   すべて自分の周囲におこることには自分自身に責任があるのである。
   他に責任を課するものは弱者である。

   我々の周囲には無限のものが与えられているが、
   どれをとるかは自分の自由意思である。

   神は空の鳥にまかずからずとも食物を与え給(たま)うたが
   その口ばしの中に食物を投げ入れはしなかったのである。

   食物の選択は鳥自身の自由意思である。又 鳥自身の努力である。

   努力のあるところすべて発達があるのである。

・・・

(2)《想念の実現力を応用せよ》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=16

   (抜粋として)

   散乱した想念は 実現力が少ないのである。

   恐ろしいものを想い出すのと同じほどに
   「 善い事 」 を始終 想い出すならば
   其の人は 屹度(きっと)善くなるばかりである。

            <感謝合掌 令和2年8月3日 頓首再拝>

【四日の法語(8月4日)】 - 伝統

2020/08/04 (Tue) 04:34:10


(1)《刻苦しただけのお蔭(かげ)である》

   (全文紹介)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12756735.html (消滅)

   貧乏は愉快なものではない。
   水の底に沈むのも又決して愉快なものではない。

   しかし一度深みへ連れて来て、手を放された時に、
   本当に泳ぐ力がでて来るように、

   本当に貧乏になった時に富む力が生まれてくるのである。

   楽にして勉強したものは本当に身につかない。

・・・

(2)《現在の不幸より脱する智慧》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=16

   (抜粋として)

   現在の状態を、過去の自分の想念の結果だと
   正直に勇敢に承認することは 智慧の始めである。

   その時はじめて原因を改める事が出来るのである。
   
            <感謝合掌 令和2年8月4日 頓首再拝>

【五日の法語(8月5日)】 - 伝統

2020/08/05 (Wed) 04:44:09


(1)《一日一愛行が運命を建築する》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12759921.html (消滅)

   善き友達をもつということは十本の指をもつが如きものである。
   善き信仰をもつことは頭脳をもつのと同じようなものである。

   善き友達は誠実な深切によって得られるのである。
   こちらが愛すれば、友もこちらを愛するのである。
   愛に抗する力はない。

   すべての人間は愛によって自分自身の善き運命を建築するのである。

   人は運命の建築技師であるばかりではなく、
   自分の運命の煉瓦(れんが)を一つずつ積んで行く職工でもある。

   壮大な運命を建築することもできれば、
   小さな運命も建築することも出来るのである。

   脆弱(ぜいじゃく)で すぐこわれてしまうような安建築も出来れば、
   どんな天災地変にもこわれないような堅固な建築もできるのである。

   一日一善 一日一愛行が善き運命の建築である。

・・・

(2)《貧しきを征服するには》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=16

   (抜粋として)

   神は神の子なる人間を
   豊かに 幸福に 愉快に 楽しく 生活せしめたいのが
   その願いであるのである。

   人間を貧乏にしたのは 人間自身の想念である。

   何事にも充分 熟慮と努力を与えることが
   貧しさを征服する道である。

            <感謝合掌 令和2年8月5日 頓首再拝>

【六日の法語(8月6日)】 - 伝統

2020/08/06 (Thu) 04:35:13


(1)《魂が成就したら万事が成就する》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12763600.html (消滅)


   人間は魂の発達が第一に大切である。

   外界に於ける成功と否とは、必ずしも問う所ではないのである。

   魂は肉体にまさり、肉体は衣服にまさり、
   衣服は外界にまさるのである。

   しかし本当に魂が神格を得る時 すべてが成就するのである。
   魂の完成の上に築かれた成功のみが、
   揺がぬ基礎の上に築かれた成功である。

・・・

(2)《責任を自己にもとめよ》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=16

   (抜粋として)

   神の子とは 責任を最も多く自覚する者のことである。

   神が一切万事を造りたまう如(ごと)く、
   人間も一切万事を自分の身辺につくるのであるから、
   自分の運命も環境も 結局 自分の責任なのである。

            <感謝合掌 令和2年8月6日 頓首再拝>

【七日の法語(8月7日)】 - 伝統

2020/08/07 (Fri) 04:56:27


(1)《自己創造のよろこび》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12767055.html (消滅)

   真の成功は 自分の働きを通してのみ得られるのである。

   自分の働きのない成功は
   人の弾いているピアノを聞くようなものである。

   自分にはきこえているが、
   それは自分の造ったものでもなければ
   自分の音楽でもないのである。


   真の成功は自分が描いたものでなければならぬ。

   自分が労せずして目の前に美しき絵が現われても、
   それは自分の絵でないように、

   自分の作らない成功はいくら目の前に現われても
   自分のものではないのである。


・・・

(2)《成功する人は皆明るい人である》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=16

   (抜粋として)

   成功する人は 皆明るい人なのである。

   事物の暗い面を見ず、
   人の性格の悪い面を見ず、

   事物が暗転して来たように見える時にも、それに悲観せず、
   悲観しないが故にどんな不幸に遭っても失望落胆せず、
   新しき活路をひらいて進むことが出来るのである。

            <感謝合掌 令和2年8月7日 頓首再拝>

【八日の法語(8月8日)】 - 伝統

2020/08/08 (Sat) 03:16:04


(1)《自己の仕事を全力をもって改善せよ》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12773682.html (消滅)


   チャンスというものは外にあるのではない。
   自分の中(うち)にチャンスを見るものは
   時々刻々がチャンスである。

   あらゆる機会に全力をつくすものは常に今がチャンスである。
   天才とはあらゆる機会に全力をつくすことを
   惜しまないもののことである。

   有名作家の原稿は随分書いたり消したり、
   書いたり消したりして真黒になっているものである。

   シェークスピアの原稿でもゲーテの原稿でも皆そうである。
   一夏中に十行しか詩がかけなかったオルベルという詩人もある。

   ベートーヴェンも霊感によって作曲したように思っている人もあるが、
   彼ほど苦心に苦心を重ねて作曲した人はないということである。

   プラトンでさえもその対話篇の最初の一行を書くのに
   九回書き変えたということである。

   天才にして尚(なお)斯(か)くの如き努力があるのである。
   神は自ら助くるものを助くである。

・・・

(2)《難問題も祝福すれば解決する》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=16

   (抜粋として)

   すべての難問題を解決する道は、
   その問題に引っかからず、その問題を悪と見ず、

   それに感謝し、それを祝福し、
   その問題に関係しているすべての人々に
   感謝の念を送ることなのである。

   そして神に祈って 神が無限の智慧を以て
   此の問題を解決し給うと念ずる事である。
 
            <感謝合掌 令和2年8月8日 頓首再拝>

【九日の法語(8月9日)】 - 伝統

2020/08/09 (Sun) 03:09:56


(1)《努力は自己を教養する》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12776522.html (消滅)

   (抜粋として)

   自己教養は間断なき努力によって得られるのである。
   ある目的を心に描いてその目的に集中して前進して行く努力の中に
   自己教養が得られるのである。

   たんに一個の発明品を作るというそれを完成さすためには
   あらゆる方面の智識(ちしき)を吸収しなければならない。

   斯(か)くして一つの目的貫徹が
   多くの自己教養の材料を呼びよせるのである。

   教養はすべて自己教養である。
   外から与えられる教養というものはないのである。

   外から与えられるのは皆 材料ばかりである。

   あらゆる機会に外から与えられる材料を消化して
   それを自分の魂の栄養とすることが自己教養である。

・・・

(2)《人間には大宇宙の生命が宿る》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=16

   (抜粋として)

   人間は宇宙大生命の一部である。
   宇宙大生命が人間に宿っているのである。

   単にその一滴が宿っているばかりでなく、
   宇宙大生命が貫流しているのである。

   流れる力は無限であるが、
   顕わし得る力は 自分がそれを見出した程度によるのである。

            <感謝合掌 令和2年8月9日 頓首再拝>

【十日の法語(8月10日)】 - 伝統

2020/08/10 (Mon) 04:41:27

(1)《好運は過去の善業の蓄積である》

   (全文は)

    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12780304.html (消滅)


   如何なる大いなる仕事も一日で出来上がるものでないのである。

   今日一日でできたように見えても
   それは過去の蓄積の上に今日築かれたにすぎない。


   吾々が今ある所の運命は過去のすべての業因の蓄積である。
   だから毎日 想い 云い 行う 小事が その人の運命を作るのである。

・・・

(2)《わが生命の神なることを直視する》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=16

   (抜粋として)

   今日、自分は自分の生命が神の生命流れ入って
   吾が生命と成っている事実を直視するのである。

   われはわが生命が神の生命であって完全に調和しており、
   何処にも不完全なきことを見るのである。

            <感謝合掌 令和2年8月10日 頓首再拝>

【十一日の法語(8月11日)】 - 伝統

2020/08/11 (Tue) 02:35:08


(1)《運命は各人それぞれ花咲く時期が異なる》

   (全文は)

    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12787883.html (消滅)

   人には幸運の早く廻(まわ)って来る人と、
   おそく廻ってくる人とがある。
   おそく廻って来る人 必ずしも悪いのではないのである。

   すべての草木がそれぞれ花の咲く時期が異なる様に、
   人間も運命の花の咲く時期が異なるのである。

   他の人の運命が好転しているのを見て、
   自分の運命がまだ花咲かぬのを嘆いてはならない。

   やがてすべての人間は、信じて努力して待てば
   その運命に花咲く時期がくるのである。

   併(しか)し 信じて努力しないものには
   幸運が内にあっても外に顕(あら)れて来ないのである。

・・・

(2)《神は決して失敗しない》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=16

   (抜粋として)

   何が失敗しようとも、
   私は決して神が失敗しないことを知っているのである。

   若し悪い事が起るならば、
   それは神が悪いのではない。

   それは神から流入する力を
   自分が‘せばめ’縮めたに過ぎないのである。

            <感謝合掌 令和2年8月11日 頓首再拝>

【十ニ日の法語(8月12日)】 - 伝統

2020/08/12 (Wed) 06:45:18


(1)《信じて待てば花が咲く》

   (全文は)

    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12791809.html (消滅)

   「 待てば 海路(かいろ)の日和(ひより)が来る 」
   という諺(ことわざ)がある。

   好(よ)き運命を余り早急(さっきゅう)に得ようとして
   こづきまわしてはならない。

   折角 蒔(ま)いた種を、じれったがってほりかえしていては
   結局 何も得る所はない。

   下がった株式は 必ず上がる時期が来るのである。
   一つの会社がつぶれても外の会社が栄えるのである。

   急ぐことや“ あせる ”ことは、
   生命をすりへらしてしまう鑢(やすり)である。

   ゆっくり構えて 然(しか)も信じて努力している人は
   常に大成するのである。

・・・

(2)《人をみだりに同情してはならない》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=16

   (抜粋として)

   真に人を助ける道は、
   みだりに相手に対して憐(あわ)れみの涙を
   かき垂れることではないのである。

   だから真に彼を助ける道は、
   彼みずからが彼みずからを助け得るように真理を与えることなのである。

   仏教では物施よりも法施(真理の施し)を尊い
   としているのはこのためである。

            <感謝合掌 令和2年8月12日 頓首再拝>

【十三日の法語(8月13日)】 - 伝統

2020/08/13 (Thu) 04:30:57


(1)《奉仕した分量だけの成功である》

   (全文は)

    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12796238.html (消滅)


   成功の本質は人類に奉仕することである。

   人類より高められんと思うならば、
   まず人類に与えなければならないのである。

   与えた通りのものが与えられるのである。

   しかし、それがすぐ現われて来ないからと云って
   急いではならないのである。

   時期を待つということが
   あらゆる成功の要素である。

・・・

(2)《真に人を助ける道は? 》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=16


   (抜粋として)

   人は他より助けられるとき一時有り難く感ずるが、
   人から助けられねばならぬような自分に
   自己軽蔑(けいべつ)を感ずるのである。

   だから、人を助けるには
   彼自身が自信力がもてて幸福になるよう導かねばならぬ。

            <感謝合掌 令和2年8月13日 頓首再拝>

【十四日の法語(8月14日)】 - 伝統

2020/08/14 (Fri) 02:54:29


(1)《日頃の訓練が大切である》

   (全文は)

    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12802544.html (消滅)

   今決心せよ。そして訓練せよ。

   すべての人間は完全に自由である。

   甲の人 曰(いわ)く

   「 それは ただ5分間で できる仕事である 」 と、

   しかし もう一人の人は その仕事が一日かかっても
   仲々できないのである。

   それは何故(なぜ)であるかというと、
   その仕事を5分間に仕上げるだけの能力を、
   すでに数年もかかって養成して来たからなのである。

   今前進することが蓄積されて
   そして物事が迅速に遂行できるのである。

   すべての物事の成就するのは
   1日や1時間で できるものではないのである。

・・・

(2)《神罰の観念を捨てよ》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=16

   (抜粋として)

   人間が健康や幸福を欲するのは、
   健康や幸福が人間の本来の相(すがた)であるからである。

   神罰の観念を捨てよ。
   汝(なんじ)が病気であったり不幸であるのは
   神罰ではないのである。

            <感謝合掌 令和2年8月14日 頓首再拝>

【十五日の法語(8月15日)】 - 伝統

2020/08/15 (Sat) 04:46:38


(1)《多く与えれば多く得られる》

   (全文は)

    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12804225.html (消滅)

   世界は 公定価格の市場(いちば)のようなものである。

   良きものを買うためには
   よき価(あたい)を払わねばならないのである。

   払うべき貨幣にはいろいろの形がある。

   曰く 時間。
   曰く 勤労。
   曰く 誠。

   曰く 智識。
   曰く 資本。
   曰く 宣伝。

   曰く 決心。
   曰く 敏速。
   曰く 才智。・・・等々である。

   すべて与えただけのものが 自分に得られるのである。

・・・

(2)《人間の不幸の原因は真理を知らぬこと》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=16

   (抜粋として)

   何が人間を不幸にし不健康にするかと云うと、
   無智がするのである。

   それは真理を知らぬからである。

   本来 健康であり幸福である真理を包み隠しているからである。

            <感謝合掌 令和2年8月15日 頓首再拝>

【十六日の法語(8月16日)】 - 伝統

2020/08/16 (Sun) 03:56:35


(1)《省みて常に自己改善せよ》

   (全文は)

    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12807072.html (消滅)

   自分の力だけのものを
   得ることができるのである。

   人の力に頼ってはならない。

   自分で失敗しただけの程度に
   自分はその問題に明るくなるのである。

   人の失敗を他山の石として自己を省みるものは、
   労少なくして効大(おお)いなることができるのである。

   しかしこれは労の外に「 自己を省みる 」 という値(あたい)を
   払っているからである。

・・・

(2)《恐怖心を除く道》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=16

   (抜粋として)

   神が汝に与えた実相であるところの 「 幸福 」 と 「 健康 」 とを
   自分の迷い心で覆い隠すな。

   「 神はわが護り、われ何をか恐れんや 」 と、
   一日のうち数回、眼をとじて十分間位ずつ思念するようにするならば、
   恐怖心はのぞかれ、人間は おのずから心が落ち着いて健康になり、
   良い考えが湧(わ)き出て来て 幸福になり何事にも成功するのである。

            <感謝合掌 令和2年8月16日 頓首再拝>

【十七日の法語(8月17日)】 - 伝統

2020/08/17 (Mon) 04:47:33


(1)《生活の方向を定めて前進せよ》

   (全文は)

    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12811920.html (消滅)

   (抜粋として)

   青年期は自己の人生の行路をどの方向にむけるか
   方向決定に就いて大いに熟慮すべき時代である。

   かくして定められた方向に成人期を通じて前進するのである。

   八十歳になっても、生活の方向転換を行うことはできないことではないが、
   その性格、能力、習慣等に一定の傾向が定(きま)っているから
   些少(さしょう)の努力では仲々方向転換できないのである。

   併(しか)し、今が時である。
   諸君は まだ若いのである。

・・・

(2)《常に好機会がある》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=16

   (抜粋として)

   自己の生命の実相は 「 神の生命 」 そのものであり完全であるけれども、
   自覚する程度に従ってあらわれて来るのである。

   自信力のある者にとっては、好機会は常にあるのである。
   日に日に伸びる機会が与えられているのである。

   どんな環境でも、それが困難であればあるほど
   内在の力を発揮させるのである。
   
            <感謝合掌 令和2年8月17日 頓首再拝>

【十八日の法語(8月18日)】 - 伝統

2020/08/18 (Tue) 03:25:36


(1)《成功型の人は躊躇(ちゅうちょ)する事はない》

   (全文は)

    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12821493.html (消滅)


   熟慮することも一つの行為(おこない)である。
   青年には時として熟慮せずに
   猪突(ちょとつ)することがある。

   熟慮のない猪突は方向を誤って
   電車を発車させるようなものである。

   何時(いつ)衝突するか 脱線するか わからないのである。

   併し、いつまでも迷っていては何にもならない。
   
   右すべきか左すべきか二つの問題の間を
   何時(いつ)までもふらついている者は、
   猪突してどこかの壁に衝突し再びまいもどってくる者よりも
   却(かえ)っておくれることがある。

   行けば自(おの)ずから道が開けるのである。

   すべて成功型の人間は左顧右眄(さこうべん)することなしに
   まっしぐらに目的に向かって突き進む。

   無駄に好機会を待っているなどということはないのである。
   かかる人にとっては時々刻々が機会である。

   しかもその前進が周到なる熟慮に伴われつつ
   時々刻々たゆみなく前進するには
   人生に於けるいろいろの体験を経て来た後でなければならない。

・・・

(2)《人間は無限に伸びる素質がある》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=16

   (抜粋として)

   人間は富においても、能力においても、位置においても、
   あらゆる点において伸びたがっているのである。

   その伸びんとする欲求を満たすことが出来ない人間は
   生き甲斐を感ずることは出来ないのである。

   然(しか)らば如何にして伸びるか、
   自己の内に宿る無限力(神)を悟り、
   それを今日 実践に移すことである。
   
            <感謝合掌 令和2年8月18日 頓首再拝>

【十九日の法語(8月19日)】 - 伝統

2020/08/19 (Wed) 03:52:23


(1)《信念と経験とを有(も)つことが大切である》

   (全文は)

    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12825133.html (消滅)

   人の意見はきかなければならないが、
   人の意見に左右されてはならないのである。

   人の意見に左右されるものは
   自分に信念と経験とがないからである。

   かかる人は砂の上に立てたる楼閣の如(ごと)く
   周囲から来る色々の意見の突風のために
   覆されてしまうのである。

   信念と経験とを有(も)つことが大切である。

・・・

(2)《進歩の目標を定めて努力せよ》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=16

   (抜粋として)

   今日、唯今、神の力を実践することである。

   努力することは、価いを払うことにあたる。
   価いを払わずして価値あるものを受けようと
   思ってはならないのである。

   「 進歩 」 は日に日に努力の価いを払う者のみに与えられる
   賜(たまもの)である。

            <感謝合掌 令和元年8月19日 頓首再拝>

【ニ十日の法語(8月20日)】 - 伝統

2020/08/20 (Thu) 04:49:28


(1)《熟慮の後の断行は斯(か)く実行せよ》

   (全文は)

    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12826529.html (消滅)

   ジュリアス・シーザーがイタリー国境にある
   ルビコン河迄(まで)兵を進めた時に

   未(いま)だ如何(いか)なる他国の軍隊も
   この国境をこえたものがないという
   神聖なる河を渡るにのぞんで 
   さすがの彼の心が動揺したということが伝えられている。

   その時シーザーは絶体絶命の境地に立ったのである。

   「 自分を殺すか、祖国を殺すかどちらかだ 」 と彼は考えた。

   それが彼の熟慮であった。

   その時彼の心の中にすべての動揺が消え去ったのである。
   彼のこの熟慮の後の決意によって世界の歴史は変わったのである。

   彼はあらゆる要素を考えて見てその中のただ一つに
   自分の決意をそそいだのである。

   私は戦争の話をしているのではない。
   あらゆる人生の問題の解決の一例として
   シーザーの決意を例に引いたのである。

   かくて彼の有名なる 「 吾(われ)来たり、吾見、吾克服せり 」
   の標語が生まれてき来たのである。

   この言葉の中に処世の格言ともいうべき尊いものが
   含まれていることを指摘したいのである。

   凡(あら)ゆる問題の条件を心に描いて
   ただ一つの目的を採択しその反対のすべてのものを犠牲にする
   ということは人生の成功にもっとも必要なやり方なのである。

   これが本当の 「 熟慮断行 」 である。
   周到なる熟慮と躊躇(ちゅうちょ)逡巡(しゅんじゅん)とは
   異なるのである。

   学校へ行くにしてもどの学校を選ぼうかと
   何時(いつ)までも決定を残しているのは 躊躇逡巡である。

   凡ゆる学校の特徴と性格とを充分比較考慮して、
   この学校と決めたならば
   その一つに対して全生命を傾倒するのが熟慮断行である。
   
・・・

(2)《理想実現のために努力せよ》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=25

   (抜粋として)

   常に汝の最高の理想を生きるべく心掛けよ。 
   理想に対って突進する者は常に人生に喜びを感ずることが
   出来るのである。 

   常に全力を出し切って理想に突進する事が大切である。 
   実行して行くうちに、自分に内在する力が徐々に発現されて
   来るのである。

            <感謝合掌 令和2年8月20日 頓首再拝>

【ニ十一日の法語(8月21日)】 - 伝統

2020/08/21 (Fri) 04:23:13


(1)《時間を精確に実行せよ》

   (全文は)

    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12832008.html (消滅)

   運命をよくする要素としての熟慮断行の次に来るものは、
   時間の正確さということである。

   今の一瞬に全生命をかけることが必要である。

   時間が不正確でのんべんだらりとしている生活は
   能率が上がらないし、従って又成果が得られないのである。

   5分間の遅刻が大勢を決することがある。
   5分間以前には無事に通れた踏切を
   5分後に通ると汽車に轢(ひ)かれることもある。

   今良いことも一分後には悪いこともあるのである。

・・・

(2)《宗教家の本来の在り方》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=25

   (抜粋として)

   近頃次第に殖えて行く生長の家地方講師の中には、
   布教することを生活費を稼ぐためにやっていると云う非難のある人々の
   ことを思い浮べて、私の考えを此処に書いて置きたいのである。

   私は職業的宗教家と云うものを好まないのである。 
   御布施の多寡によって読経の長短を加減したりして、
   自分の宗教活動を金銭の多寡によって切売するようになったとき、
   それはもう純粋の宗教活動ではなく、宗教の教義販売業になるのである。

   私は既成宗教の教師たちがその方面に堕落して行くのを残念に思い、
   自分の生活は会社で働いて其の月給で生活し、
   その月給収入の大部分を割いて本部活動に奉仕していたのであって、
   これが生長の家の本来の教師の相であったのである。

            <感謝合掌 令和2年8月21日 頓首再拝>

【ニ十ニ日の法語(8月22日)】 - 伝統

2020/08/22 (Sat) 04:11:25


(1)《決定したことを決定した時に断行せよ》

   (全文は)

    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12836360.html (消滅)

   現象界の事物は時間を通して
   時間空間面に出現する。

   時間を無視することはできないのである。

   麦は十日間の種蒔(ま)きが後れると
   著しくその収量が減ずるといわれている。

   決定した時に決定したことを断行するのは
   成功の秘訣である。

・・・

(2)《宗教活動は菩薩行でなければならぬ》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=25

   (抜粋として)

   宗教活動は、それによって自分の生計を営むためのものではなく、 
   「自己の生活の幾部分でもささげられるだけ捧げる」 生活 
   〈即ち菩薩業〉 であるべきであるのである。

   宗教とは 「業」 であって献げたる部分だけが 
   「宗教活動」 である。 

・・・

(3)《宗教的「悟り」の本質について》

   (全文は)

    → http://jbbs.shitaraba.net/bbs/lite/read.cgi/study/11346/1322022766/748

   (抜粋として)

   釈尊の悟りはですね、もっと大いなる“宇宙的悟り”にまで
   ひろがっておられた。

   そしてその悟りを得られてから、二、七日目、十四日目、という時点になって、
   その“宇宙的悟り”を初めて演説されたのであります。

   釈尊のその時の次元の高い“悟り”そのままをズバリぶちまけて、
   それを表現されたそのお経、
   これが『華厳経』と略称されているお経であります。

   詳しくは、『大方広仏華厳経』というお経であります。

            <感謝合掌 令和2年8月22日 頓首再拝>

【ニ十三日の法語(8月23日)】 - 伝統

2020/08/23 (Sun) 04:11:20


(1)《賢者も愚者に随(したが)えば誤る》

   (全文は)

    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12840497.html (消滅)

   ある時一人の賢者と一人の馬鹿(ばか)とが一緒に旅行をして
   或(あ)る道の岐(わか)れに来たのである。

   一方の道は広くて美しく、
   もう一方の道はせまくてごつごつしていた。

   愚か者は広い気持のよい道を行きたいと思ったが、
   賢者は「 困難な道が却(かえ)って正しくして安全である 」と云って、
   困難な正しい道の方へ行くことを主張した。

   しかし愚か者が余りに強く広いきれいな道へ行こうというので
   二人は到頭 広いきれいな道を行った。

   するとその道に集団強盗が現われて
   彼の持物を奪って二人を捕虜にした。

   しばらく後に警官によって泥棒も被害者も共にとらえられて
   裁判所へ連れ行かれたのである。

   その裁判廷でその賢者がいうのに

   「この者がまちがった道を行きたがったんだから、
   この者に罪があるのでございます。」

   裁判官は

   「 盗んだ方も悪いが盗まれた者も自分が自由意思で
   その道を選んだから罪がある 」と宣告した。

   自分が自分の運命を選ぶのである。

   快楽の道には 魂の宝物を奪う所の盗賊が充満している。

・・・

(2)《本部員とは私の宗教奉仕の代弁者である》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=25

   (抜粋として)

   だから今でも、本部員は、私の労力奉仕の代弁者であり
   決して給料のために働いている人々ではない。 

   極めて質素な生活に安んじていて、地方講師の収入の多い人たちよりも
   ズッと僅かな報謝金を教団から頂いているのである。

   そして本部員が布教に出て謝礼でも受けた場合は、
   一度、神に返す意味で教団へその収入全部を奉納する。 
   そして生活に必要なだけを神から頂くのである。 

   だから本部員の生活は極めて質素である。 

・・・

(3)《“宇宙的悟り”を説かれた華厳経》

   (全文は)

    → http://jbbs.shitaraba.net/bbs/lite/read.cgi/study/11346/1322022766/748

   (抜粋として)

   「大方広仏華厳経」というのは、
   仏様すなわち如来の御生命が蓮華の荘厳なる姿に展開しているのが、
   この宇宙であるという、そういう宇宙的な悟りを得られた、

   その釈尊のさとられた真理を、方便説法ではなく、
   そのままズバリと演説されたお経なんであります。

   さて「大方向仏」というのは、あらゆる方角に広がっている如来さまということで、
   宇宙に満ち給う普遍的仏様という意味であります。

   宇宙の普遍的仏様だから、これはキリスト教的に言えば普遍神です。
   あるいは“遍一切所”というように翻訳している仏教学者もあるのであります。

            <感謝合掌 令和2年8月23日 頓首再拝>

【ニ十四日の法語(8月24日)】 - 伝統

2020/08/24 (Mon) 03:45:13


(1)《熟慮断行・迅速実行》

   (全文は)

    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12844853.html (消滅)

   世の中の成功は、大抵 熟慮断行の速やかなる者に
   与えられるのである。

   「 これは善い 」 とピンと第一印象にきた所のものを
   躊躇(ちゅうちょ)なくすぐ実践したものには大抵 失敗はないのである。

   それを考え直してみると、よいか悪いかわからなくなり
   躊躇している中(うち)に
   時機が失われることが多いのである。

   第一 決心、第二 迅速実行である。

・・・

(2)《地方講師は報恩のために道を伝える人々である》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=25

   (抜粋として)

   これに反して地方講師と云う方々は、

   そして此の教えによってお蔭を受けた報恩のために、
   自分の仕事の余暇の時間をさいて、その教えを伝えたいと思って、
   所定の講師試験を受けて合格した人々である。

   この種の人は最初は報恩のための布教活動であったけれども、
   その教えが好いために、各地で招ばれる数が殖えると、
   その方の聴講者からの御礼が殖える。 

   報恩の 「伝える」 生活が、自分に 
   「受取る」 生活になるのである。

    或る僧問ふ。 「如何なるか是れ地獄の始め?」
    老師答ふ。  「金を儲けたるが地獄の始めなり。」

・・・

(3)《華厳経に説かれている重現無礙の霊々妙々の真理》

   (全文は)

    → http://jbbs.shitaraba.net/bbs/lite/read.cgi/study/11346/1322022766/752

   (抜粋として)

   宇宙の中心に、ベーローシャナ仏(毘盧遮那仏)が在(いま)して
   説法していられることを華厳経は、

   「彼の一切所の盧舎那仏は衆海の中に於て正法を演説したまう。
   一塵(いちじん)の内に微細(みさい)の国土ありて、悉くその中に盧舎那仏住し給う。
   一切の塵(じん)悉く等しく、一々の塵の中に一切の刹(せつ)を現ず」

   と書いています。

   塵というのはチリという意味ではなく、微粒子とか素粒子とかいう
   世界構成の小粒子の中にも、この毘盧遮那仏は重現無礙に在し給うところの
   “宇宙遍き光明の如来さま”という意味なので、
   そういう意味から大日如来とも訳されているのであります。

            <感謝合掌 令和2年8月24日 頓首再拝>

【ニ十五日の法語(8月25日)】 - 伝統

2020/08/25 (Tue) 04:08:04


(1)《夢を描いて 気は大きく心は細心》

   (全文は)

    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12849901.html (消滅)

   夢を描かないものは
   若返ることは出来ないのである。

   老年も夢を描くことによって
   青年となることができるものである。

   夢はそれを現実化すべき事物の模型である。

   文化は人類の描いた夢が次第に
   具象化(かたちにあらわ)して行く現象である。

   青年はよろしく豪宕(ごうとう)なる夢を描くべきである。
   豪宕にして細節を顧みること勿(なか)れ。

   併(しか)し、小事を忽(ゆるが)せにしてはならないのである。
   如何(いか)なる大建築物も
   小さなるブロックから成り立っているのである。


   ※ 豪宕(ごうとう)・・・気性が雄大で小事にかかわらないこと。
   ※ 細節(さいせつ)・・・ことがらの細かい部分。

・・・

(2)《名慾を刺戟して利慾を貪ってはならぬ》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=25

   (抜粋として)

   ‘わし’が、‘わし’の力で喋って、
   ‘わし’が報謝を受けて生活するのであって、
   ‘わし’が此の教化部を維持してやっているのだなどと
   考えるようになったとき、その講師は地獄の境目から今将に
   どん底に落ちようとしているのである。

   人の肉体の病気を治しながら、
   自分が利慾の心の病気にかかるのは惜しい事である。 

・・・

(3)《蓮華日宝王地に依りて大宇宙は支えられている》

   (全文は)

    → http://jbbs.shitaraba.net/bbs/lite/read.cgi/study/11346/1322022766/752

   (抜粋として)

   天皇が毘盧遮那如来の御顕現として宇宙の中心座にましまして、
   その御生命の展開が蓮華蔵荘厳世界として顕れている、
   これが宇宙の実相であるということになります。

              (谷口雅春著『無門関解釈』の序文参照)

   この宇宙的真理を釈尊は直観せられまして、
   それをそのままズバリと演説されたのが、
   『大方広仏華厳経』であるわけであります。

   すなわち“蓮華蔵荘厳世界”(略して蓮華蔵世界)に
   “すめらみこと”在(ましま)して
   宇宙はその存在を支えられているのであります。

            <感謝合掌 令和2年8月25日 頓首再拝>

【ニ十六日の法語(8月26日)】 - 伝統

2020/08/26 (Wed) 04:40:12


(1)《約束の時間を正確にせよ》

   (全文は)

    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12853355.html (消滅)

   自然の法則を破るものは
   必ずそれだけの報いを受けるのである。

   自然はその法則をもっともすなおに
   遵奉(じゅんぽう)するものを表彰する。

   小さな法則といえども破ってはならない。
   自然の運行は 極めて緩やかにして
   しかも一瞬一刻をも たがえずに運行するのである。

   人間も斯(か)くの如(ごと)く
   時間が正確でなければならない。
   
・・・

(2)《道場を維持するために営利に執われてはならぬ》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=25

   (抜粋として)

   生長の家も 「教祖にかえれ」 と云う時が来ているのではないかと思う。 

   自分の生計はほかの方法でたてながら、
   その余暇で報恩のために道場又は会館に奉仕すると云うやり方である。

・・・

(3)《普賢菩薩のみ、釈尊の説法の真意を理解す》

   (全文は)

    → http://jbbs.shitaraba.net/bbs/lite/read.cgi/study/11346/1322022766/755

   (抜粋として)

   聴衆のうちたった一人だけ、普賢菩薩一人だけ、
   お釈迦さんの演説の意味がわかったと伝えられています。

   他の聴聞せる大衆はただ茫漠として、何のことだかわからなかった。
   それでお釈迦さんは、この『華厳経』の演説を

   ―― わたしは仮に現代人にアッピールするために、
   “演説”という現代語を使うけれど、実は“説法”されたのであります。

   ―― 普賢菩薩以外の誰にも意味のわからない話をしても無駄でありますので、
   釈尊は此の重大な説法を今後話さないことにして、そのとき説かれたる
   真理の説法である『華厳経』を竜宮海に秘めておかれたのであります。
   
            <感謝合掌 令和2年8月26日 頓首再拝>

【ニ十七日の法語(8月27日)】 - 伝統

2020/08/27 (Thu) 04:25:28


(1)《金は正しい使い方で生きて来る》

   (全文は)

    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12857435.html (消滅)

   金をもうけることを知っている人は沢山あるが、
   金を如何に使うべきかを知っている人は余り多くはないのである。

   多くの人はもうけた金を不要のことに使い、
   自己の生活をもちくずしたり、健康を害したり、
   人の道徳性を蹂躙(じゅうりん)したりすることに使っている。

   金のもっともよき使い方は
   もっとも多く如何にすれば
   それによって他を生かし得るかということを
   考えて使うことである。

   正しくもうけた金は正しく使われるが、
   不正でもうけた金は正しくないことに使われる。

   金は入って来た形で出て行くのである。

・・・

(2)《道場や教会の事務は無料で奉仕したい》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=25

   (抜粋として)

   宗教とは唯一の真理のために名慾や利慾を超越せしむるもの
   でなければならないのに、信者の名慾を刺戟して、
   教師が利慾をむさぼるようになれば、
   最早やその宗教々師はおしまいである。

   名慾や利慾を超越し、唯、報恩ばかりで道場や教会を維持する
   ことが出来るようになることを私は望むものである。

・・・

(3)《“竜宮”の象徴的意義について》

   (全文は)

    → http://jbbs.shitaraba.net/bbs/lite/read.cgi/study/11346/1322022766/755

   (抜粋として)

   “竜宮”というのは、住吉大神の本地のまします実相世界のことを
   象徴的神話の形で表現された語であるわけです。

   という理由は、“竜宮”というのは、“海の底”―― 
   一切の物を産゜み゜出゜す゜根゜底゜の゜世゜界゜
   すなわち言いかえると実相世界です。

   実相世界へ宇宙の中心座に毘盧遮那如来が在すという真理を
   極秘に宝蔵せしめることになったわけです。
   これを称して「華厳経は久しく竜宮海に秘められておった」というのであります。

            <感謝合掌 令和2年8月27日 頓首再拝>

【ニ十八日の法語(8月28日)】 - 伝統

2020/08/28 (Fri) 04:07:20


(1)《健全なる発達には健全なる量が必要である》

   (全文は)

    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12862941.html (消滅)

   余りに貧しい生活も不健全であるが、
   余りに贅沢(ぜいたく)な生活も不健全となり易い。

   神の子の実相が現れたら
   贅沢すぎるということは
   あり得ない筈(はず)であるが、

   実相発現の途上に於(お)いては
   その時期にふさわしい資材の適当な分量によって
   養われなければならない。

   農作物にも栄養周期の施肥(せひ)法があると同様に
   人間の発達途上に於いても適当の資材を
   適量に必要とするのである。

   金はけちに使ってはならないし、
   無駄なことに贅沢に使ってもならないのである。


・・・

(3)《龍樹菩薩、竜宮界に超入して華厳経を閻浮提に持ち帰る》

   (全文は)

    → http://jbbs.shitaraba.net/bbs/lite/read.cgi/study/11346/1322022766/762

   (抜粋として)
  
   「閻浮提上に遍く大乗の経典を探(たず)ぬるに大乗の経典なし」と
   龍樹は歎いたということでありますが、閻浮提というのは地球のことですから、
   地球上にある仏典をあまねく渉猟(しょうりょう)したけれども
   大乗の経典は見当たらないというわけで、

   龍樹菩薩は神通力で竜宮界に超入して竜宮秘沈の『華厳経』の原本を
   見出したと伝えられています。

            <感謝合掌 令和2年8月28日 頓首再拝>

【ニ十九日の法語(8月29日)】 - 伝統

2020/08/30 (Sun) 14:59:11


(1)《今を最高限度に使う者は繁栄する》

   (全文は)

    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12866907.html (消滅)

   最高の繁栄を得る道は
   もっとも善きことに
   今ある資本と能力とを最高限度に使うことである。

   自分の能力増進に必要なあらゆる物質(もの)を
   購入するのに けちであってはならないのである。

   能力をすりへらすような快楽のために
   金銭を贅沢に使ってはならないのである。

・・・

(3)《“大乗”といい“彼岸”という語の意味について》

   (全文は)

    → http://jbbs.shitaraba.net/bbs/lite/read.cgi/study/11346/1322022766/762

   (抜粋として)

   大乗というのは小乗に対する言葉で、
   衆生を“こちらの岸”から“彼方(かなた)の岸”へ渡す乗物という意で
   “乗”という字を使います。

   “こちらの岸”というのは現象世界のことです。
   “彼方(かなた)の岸”というのは現象の彼方側(あちらがわ)の岸に
   実相世界がある。

   実相世界のことを“彼方の岸”即ち「彼岸(ひがん)」というんです。
   仏供養をして祖先の霊を実相の彼方へ成仏させるための年中行事の期間を、
   お彼岸というでしょう。

   彼岸に渡れば仏の悟りを得て、
   実相世界へ超入したということになるわけであります。
  
            <感謝合掌 令和2年8月29日 頓首再拝>
            <感謝合掌 令和2年8月30日 頓首再拝>

【三十日の法語(8月30日)】 - 伝統

2020/08/30 (Sun) 18:38:23


(1)《寛大で細心なのが魂の高級さの印である》

   (全文は)

    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12871868.html (消滅)

   肉体のためよりも
   魂のために金銭を消費するものは
   健全なる使い方である。

   精神の修養にさえも金銭を惜しむものは
   “ けち ” というものである。

   寛大で同時に
   浪費でないのが
   最良の経済である。

・・・

(3)《“十三千大千世微塵数”の意味するもの》

   (全文は)

    → http://jbbs.shitaraba.net/bbs/lite/read.cgi/study/11346/1322022766/778

   (抜粋として)

   一つの太陽系統が一世界、その太陽系統を千の二乗した数を十三千倍した
   実に多数の太陽系世界を微塵にすりつぶして歯磨き粉のような微粒子にして、
   その歯磨き粉の微粒子の数一個を一つの言葉であるとして
   数えただけの文字又は用語が、竜宮に秘められてあった。

   『華厳経』の“上本”に書いてあったと言うんですから、
   『華厳経』のコトバの数は無限の数なんですね。

   このことは何を意味するかというと、
   華厳経というのは、そんな紙や竹篇に書いた経文ではない、
   “海の底”即ち「創造の本源世界(うみのそこにあるせかい)」にある所の
   あらゆる真理のコトバそのものが華厳経である。

   この“あらゆる”真理のコトバという意味が、
   この無限数の文字で綴られた経典が華厳経であるんだと、
   いうようにこの神話は解釈できるわけであります。

            <感謝合掌 令和2年8月30日 頓首再拝>

【三十一日の法語(8月31日)】 - 伝統

2020/08/31 (Mon) 04:54:19

(1)《機会は凡(あら)ゆる処(ところ)にある》

   (全文は)

    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12875205.html (消滅)

   どんな機会にも ちゃんと用意が出来ているのが
   神の子の生活である。

   世界には無数に門がついていて
   そこから誰でも入って
   成功を獲得することができるのである。

   しかし門があるということに気がつかぬものは
   何時(いつ)までも入ることはできないのである。

   門の存在を知り、
   そして 門を叩(たた)くことである。

・・・

(3)《華厳経の描いた大宇宙の霊的構造》

   (全文は)

    → http://jbbs.shitaraba.net/bbs/lite/read.cgi/study/11346/1322022766/778

   (抜粋として)

   その『華厳経』はどういうことが書いてあるかというと、
   この大宇宙の霊的構造が書いてある。

   すなわち、宇宙の中心座にベローシャナ仏、毘盧遮那如来、盧舎那仏、
   大日如来、天照大御神、その具体的、人格的、顕現として天皇が中心にまします、
   こういう霊的構造の世界がこの宇宙であり、
   この霊的構造は毘盧遮那如来が「正法を演説し給うた」

   そのコトバの展開として出現した世界であるから、
   「金剛の厚地にして永遠に破壊(はえ)されない実相」である。

            <感謝合掌 令和2年8月31日 頓首再拝>

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