伝統板・第二

2568475
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伝統様、ありがとうございます。32 - 道産子

2020/07/10 (Fri) 08:36:32




<関東の大震災に遭って、着のみ着のままになった私

たちは、夫が外国商社に就職しても、泥棒に二度もは

いられて、衣類の新調に追われていたが、やっと一段

落して貯金をはじめた頃であった。一旦家に帰り、貯

金を引き出して病院に再び行き、七百円の支払を済ま

した時、病床の今井先生は私に頭を下げて涙された。

私もその御姿を見て涙をこぼして喜んだ。・・・>。


 なんという、輝子先生の御心でしょう。

破邪顕正様のご投稿より<m(__)m>。








 項を改めて、今朝より、清超先生の御話を謹写致します。




       生と死の境    谷口清超先生 

         (精神科学誌 昭和48年9月号)
 
           
  そのとき、さよさんは悲しみはなかった、広々と

した空間が開けたようだ。するとどうしたことか・・・・・。


        うっとうしい日


 さよさんの長男は、十二月二十四日の、クリスマス

イブに生れた。その翌年の、十一月十六日に、としご

の次男が生れた。二人の赤ちゃんにはおむつがいる

し、慣れない育児の世話で、さよさんはとても忙しい

毎日であった。それに舅姑がいて、中々うるさい事を言う。

夫は国鉄につとめて、帰ってくると家の中がひっくり返っているので、これ又何やかやいうのであった。

 こんな状態でその年も暮れ、やがて三月九日、その

日さよさんは、朝から何だか気分が悪く、イライラし

ていた。どこか調子が狂っていた。でもどこが悪いと、はっきり言えもしない。

 こんな日、とても二人の赤ん坊の面倒は見きれな

い。だから子供を一人実家の母に預けようと思った。

電話をかけたが、生憎その日は母「白鳩会」があって忙しく、とても子供は預れないという返事だった。

                   (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。32 - 道産子

2020/07/11 (Sat) 08:19:20




教団の、線状降水帯、判りやすいです!(^^)!。

 破邪顕正様のご投稿より<m(__)m>。


 源流様、維摩経を語る、ご転載有難うございます<m(__)m>。







 清超先生の御話です。



  やれやれ、ではどう仕様もないと、無理に元気を

出して、午前中は何とかやっていたが、午後になって

気分さえよければ、もっとシャキシャキやれるんだ。

それにとしごの赤ん坊を二人かかえて、そうそうやれるもんじゃない。

だいたい爺さんは、ちっとも私の苦労を分ってくれな

い。いつもクチヤカマシク、ブツブツ言って、本当に

困ったもんだ――と反撥し、よおし、そんなら、私一

人でとにかく子供を風呂に入れてやると心に決めた。

                  (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。32 - 道産子

2020/07/12 (Sun) 08:48:00



だけど、プロ野球選手って、君が代歌う人殆んどいませんね(?_?) 困ったことです"(-""-)"。


 サッカーでは、結構歌っていますよ(^^♪。








 清超先生の御話です。



        熱い風呂


 さよさんは強気を出して、風呂に水を入れ、湯を沸

かした。そのうち熱くなったので、そろそろ子供を入

れようと思った。ふだんは一人の子どもを背中に負ん

ぶして、もう一人の子に湯を浴びさせるのだが、その

日は身体がくたびれていて、背中に負んぶする気がし

ない、それなら、その子をお爺さんに見てもらえばよ

いようなものを、お爺さんに反撥しているから、

「子どもを見ていて下さい」

 という気がしない。負けたようだから、そうかとい

って、背中には負んぶできないので、風呂の隣のテレ

ビのある部屋で、上の一歳三ヵ月の子を遊ばせ乍ら、
下の五ヵ月の子を入浴させようとした。

ところが、風呂が沸き過ぎていたので、盥に入れてあ

った水をかきまぜてうめた。十分くらいもそうやっ

ていたが、それでもわきすぎて熱くてたまらないので、水を取りに外へ出た。

                   (つづく)
 

Re: 伝統様、ありがとうございます。32 - 道産子

2020/07/13 (Mon) 08:16:23



<(2)自然免疫も含めた身体全体の「治癒力」を高めることが大事

  ①「自然に沿った暮らしというのは、大自然に囲まれて生活していなきゃダメだ
    と思ってしまいがちですが、全く違います。私が一番に提唱しているのは
    腸内細菌を元気にする生活なんですが、それはヨーグルトを食べたり
    健康食品とかサプリメントを飲むとかそういうことではないのです。

    何を摂取するということではなくて、むしろ不自然なものを取らないようにする、
    ということが基本なんです」

  ②食事でいうと、自然食材のもので、添加物や化学調味料などを使っていない、
   地産地消のものを摂取するということだ。

   日本人なら日本の伝統食である和食を、余計な化学物質を使っていない、
   農薬や添加物が入っていない食事を積極的に摂りましょうということだ。

  ③「新型コロナウイルスに関しては、よく噛むこともとても重要なんです。
    唾液が防御になれば一番いいのです。あとは口呼吸をしないとか。

    別に大自然の中で暮らさなきゃいけないという指示ではないんです。
    体をなるべく動かすこと、日光に当たること、体を冷やさない、
    ストレスをためないことなどが大事で、

    もちろん大自然に囲まれるとか、田舎で生活する方がより良くできる
    でしょうけれども、都会にいてもできることはたくさんあります。

    自分たちが今できる範囲内で積み重ねていく。
    その積み重ねが大事だということです」・・・>。


 伝統様のご投稿より、本間真二郎医師のご主張を<m(__)m>。









 清超先生の御話です。



 水のコックをひねったが、どこからも水は出ない。

困ったな・・・・・と思って、そのままかえり、それ

でも湯を盥にとったりしてかき混ぜ、なるべく冷まして、下の子に湯をつかわせた。

 ところがそんなにして、さよさんが忙しく立ち働い

ている最中、テレビ室で遊んでいた筈の上の子が、ト

コトコ風呂場にやって来て、湯船に近づいた。さよさ

んは瞬間、

「あぶないな・・・・・」と思ったが、もうすぐ下の

子の入浴が終るから、多分大丈夫だろうと思って、そのまま下の子を浴びさせていた。

するともともと元気のいい子だった上の子は、そのま

まお風呂の蓋の上に上って来た。そして、下に敷く流

し板を抛ったので、

「隆生くん」

 と軽くたしなめたが、そのとたんに、上の子は足をすべらせて、風呂桶の中に真逆様に転落した。

                   (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。32 - 道産子

2020/07/14 (Tue) 08:53:38




日本の中心?岐阜県の御神木、また、部分の植え替えなどあるのでしょう(?_?)。

鶴岡八幡宮の例によって、1年後の出来事が懸念されていますが、さて、どうなのでしょう?







 清超先生の御話です。


 普通の風呂だったらよかったが、生憎わきすぎて熱

湯になっていたからたまらない。さよさんはびっくりして、

「おじいさーん! 早く来て!」

 と絶叫し、右の手で下の子を抱えたまま、左の手で

落ちた子を引き上げようとした。そこへお爺さんも駆けつけて、一緒に引き上げた。

するともう顔が真っ赤になって、火が付いたように泣

き出した。それより早くさよさんも大声で泣き出した。

下の子を抱えて、ただうろうろするばかりだ。

「お前! はようその子をあっちへ置いて来んか!」

 とおじいさんに怒鳴られ、ハッと気が付いて、下の

子を部屋において、上の子のところへ吹っ飛んで行って、服を脱がせようとした。

                  (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。32 - 道産子

2020/07/15 (Wed) 08:36:33




<『生長の家五十年史』はこう言います。

《生長の家の瞑想法である神想観は、まず現象界の存在の完全否定の後、自らを神の個性的顕現者としての自覚に高めて行なわれる〝絶対力の行〟であるが、谷口先生によって、かかる「神我一体」の自覚の深化を主眼とする「基本的神想観」を第一段階として、この「大日本神国観」を最終段階とする十六種の神想観が説かれている。

最終段階の「大日本神国観」は、「天皇」という実相世界の中心者の生命に帰一することを教えるが故に、人類光明化という大業の実現には、極めて重要な役割をもつものであり、言わばその中心的役割を果すものである。

そして人類を最大最勝の中心に帰一せしめるという意味において、この「大日本神国観」は従来の世界の瞑想法はもとより「生長の家」の全ての神想観を完成するものと言えるのである。》(482頁)

〝神想観を完成するもの〟

それが「大日本神国観」であるならば、その実修をしないのでは生長の家とは言えないと思うのです。・・・>。

 破邪顕正様のご投稿より<m(__)m>。






 清超先生の御話です。


           医学と信仰


 ところが毛糸のシャツを着せていたから、それがピッタリと膚にくっついて、赤むけになった。

子供はのども張り裂けんばかりに泣き叫ぶ。さよさん

は益々逆上して、とうとう毛糸を上へ引きむしって、赤はだかにしてしまった。  

 裸の子の阪神は見る間に水ぶくれになって来た。半

身は赤くただれて、目も当てられない。こりゃ大変だ。

とにかく救急車を呼ぼうというので呼んでもらった

が、まだ二人の子は裸のままにしてうろうろしていた。

それに気が付き、二階へ上がって裸の子を毛布にくるんで、救急車で連れて行った。

 病院の医者も、一目見て、これはいかん、どこか専

門の病院へ行った方がいいというので、火傷では名の通ったMという病院に送り届けられた。

その間子供の泣き声はやまず、さよさんは下の子を抱

えて、病室を上へ行ったり、下へ行ったりして、まる

で気が変になったのではないかと思われるくらいだった。

医師の診断では、こんなひどい火傷ではとても生命は助からないということであった。

                   (つづく)


Re: 伝統様、ありがとうございます。32 - 道産子

2020/07/16 (Thu) 09:09:54


〈もとより、惟神の大道は天地開闢と共に発生し、

釋尊生まれて三千年、キリスト出でて二千年、今なお世

界が修羅地獄の様相を呈するに比すれば、その責任は

軽きに似たるもこれら既成の道や既成の宗教を以てし

ては救われざるが故に、最後の救として現れたる生長

の家が、今之を救わずんば何者かよく之を救わんやでございます。

 そこで個人や家庭や会社、工場等に関する救いは、

そのまま国家、世界の救いにつながる重大事なるは勿

論で御座いますが、それらに就ての神癒祈願は従来の

まま継続し、日本並びに世界各国、更には之を包容す

る太陽系、宇宙に対する神癒祈願をすることが最も喫

緊事と存じます。その祈りは過去に頂きました大日本

神国観を復活して頂きたいのであります。大日本神国

観は生長の家の当面の大使命たる日本の実相顕現にも最も適する神想観と存じ上げます〉


大日本神国観復活のきっかけとなった、元神癒祈願部長の
有留弘泰先生のお手紙です。ご立派です(^_-)-☆。









 清超先生の御話です。



 しかしさよさんの実家に父母は、だいぶ以前から

「生長の家」の信仰を持っておられたので、さっそく

駆け付けて、『甘露の法雨』というお経をあげて下さ

った。さよさんも「生長の家」の信仰によって立ち上

がった経験があったから、医学的にはどうあろうと、

この際は一切を忘れて『甘露の法雨』を読む外ないと思った。母はこう言って励ました。

「今はもう、さよさんの信仰が勝つか、あの子のやけ

どが勝つかという、あなたの信仰がためされる試練だと思いなさい」

 またある人は「神癒祈願」を申し込んで下さった。
 
こうしてみんなが心を合わせて祈っているうちに、子

供の容態は少しづつよくなって、熱も九度に下がり、更に八度に下って、らくそうになってきた。

「ニャンコちゃんはどういうかね?」
 と聞くと、

「ニャーン」

 と答えてくれる。子供の意識は非常に確かであった。
                   
                   (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。32 - 道産子

2020/07/17 (Fri) 07:57:29



<冒頭、宮川修氏が、谷口雅春先生がある記事を指摘

して「非なりとして攻撃されて」いるのは、「他人の

悪を攻撃する勿れ」という“真理”と相矛盾するのではないかと質問されます。

それに対する尊師のお答えが極めて重要なのです。

《御たずねに関しては『生命の實相』倫理篇の終に近

きところに、詳しく説明してございますから、それを

お読み下さいませ。その要点を摘記しますと、「非真

理」を駁撃するのは「真理」を宣揚し、「真理」を却

って調和する所以となると云う一語につきるのであり

ます。相手の「非真理」を絶滅し、「真理」を宣揚す

るのには「讃嘆門」と「折伏門」とがありますが、生

長の家では「讃嘆門」をより多く使っているのであり

ます。人、時、処三相応と云う事を言っていまして、

讃嘆以外に採るべき手段を失ってしまうときは、自由

を失うのであります。だから生長の家は「ねばならぬ

を解放する教」とも云われております。…その人の説

くことが「非真理」であれば、非真理崇拝者(迷える

人、救われない人、真理帰一に背く人)が多く出来る。

これはそれらの人の為にも国家の為にも甚だよくないことなのであります。》(63~65頁)>。

 
 「折伏門」のこと、
 再々々、破邪顕正様のご投稿より<m(__)m>。








 清超先生の御話です。



         生か死か


 医者がいうには、皮膚を三分の一以上焼いてしまう

と、もう生命はおぼつかないが、この子は殆んど全身

ズブズブにやけどをしている。だから、常識から言え

ば、もう駄目なのだが、不思議に良くなってきている。

しかし、何時どのようにして急変するか知れない。

皮膚呼吸は完全にストップして、リンゲルを打つのも

打つところがない。だから栄養補給は口からする、と言って口から飲ませて下さった。

 ところが赤ん坊はその口からの補給を、うまく受け付け始めた。

三日目ごろからは、やけどした皮膚が一面に乾いて来

た。そんな現象が果して本当に快癒への兆候であるの

かどうか、素人にはよく分らなかったが、赤ちゃんが

意外に元気であることは何よりの救いであった。その

うちお医者さんも、

「からだに網目状のひきつりが残るかも知れないが、この調子だときっと治るでしょう」

 といわれるようになってきた。

 このような時の、こんな医者の言葉ぐらい有難いも

のはない。命さえ助かってくれるのなら、身体に多少の傷が残るくらい、目をつぶらなければならぬ。

もうこうなったら、絶対死なしてなるものか、とさよさんは思った。

                  (つづく)


Re: 伝統様、ありがとうございます。32 - 道産子

2020/07/18 (Sat) 08:34:59




天皇皇后両陛下が困窮者支援NPOの説明を受けられた。

その代表がプロテスタントの牧師さん、皇室と相いれないお考えの持主とか、本当に「興味あるニュース」です。

 下総の野人様のご投稿より<m(__)m>。






 清超先生の御話です。



 四日目が来た。依然として赤ちゃんは生きていた。

完全に大丈夫とは言えないが、駄目というのでもない。

まさに生か死か境界をさまよういたいけな姿であった。

目と口とを除き、あとの全身が繃帯で包まれていたから、まるで小さなウルトラマンのようだ。

 このウルトラマンは、息をハーハーはずませなが
ら、いくらでも栄養液を飲んだ。

小さないのちが、母の失敗をとがめもせず、傷の痛み

にも耐えて、力の限り生きようと努力する姿を見る

と、さよさんの心はうずいた。

その上隆生君は、身内のものを見つけると、ニコッと

して、しきりに何事かを話しかける。それを見ると、

さよさんは、思わず抱きしめて、詫びたい思いがした。

                   (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。32 - 道産子

2020/07/19 (Sun) 07:58:48



伝統様のご投稿より推すれば!(^^)!ウイルス禍の成り行きは
まったく、不透明となっていますね。

 尽きるところ、光明面を見て行くしかございません!(^^)!。










 清超先生の御話、続きです。




         建物の崩壊


 こうして、五日目が過ぎ、六日目になった。

朝起きてみると、さよさんの身体はコチコチになって

いた。その夜は自宅で寝ていたのだが、こんなに身体

が固くなったのは初めてだから、

「おかしいな?」

 と思った。そのうち、九時頃に病院から電話が掛か

った。急いで出てみると、隆生君の容態がおかしいから、すぐ来てくれという。早速、とんで行った。

昨夜から急に下痢をはじめ、二十六回もおむつを替え

たという。観ると赤ちゃんのお尻から背中にかけて、ビショビショになっているではないか。

 お医者さんが来て、色々と処置されても、もうどうにもならない。

「これまでの命です。この発作は、普通なら、やけど

の後一日か二日で来るのに、六日間もどうして生きて

来たんだろうと、僕は不思議でならなかった。だからどうかもうあきらめて下さい」

 といわれた。しかしさよさんは未だあきらめなかっ

た。六日間生き続けたいのちが、どうしてそこで急に

ストップしてしまわなければならないのか。そんなは

ずはない、「神の子人間」だもの・・・・・と思うのであった。

「とにかく出来るだけのことはやってみます」

 と、医者は言ってくれたが、医学ではどうにも仕様がないという気持がありありとあらわれていた。

                   (つづく)



 

Re: 伝統様、ありがとうございます。32 - 道産子

2020/07/20 (Mon) 08:33:28




五輪開催すべき24%、一輪じゃ・・・、GoTo延期62%,

国民は完全に巣篭っています!(^^)!。







 清超先生の御話です。



 「医学では見放されても、私には信仰がある!これ

から私の信仰が本物かどうか試されるのだ」

さよさんは悲愴な決意で病室に入り、瀕死のわが子を見た。

隆生君の目は上にあがって白くなっている。だが上り

っきりではなく、あがったかと思うと、三、四分する

と、またおりて来る。そんな状態を繰返した。意識は

ない。でも何かを飲ませると、いくらでも飲むのであった。

 まさに赤ちゃんにとっての最大の危機が訪れてい

た。だがどうしてかさよさんは平静だった。何か目に

見えない大きな力に支えられているような気がして、

隆生君の手を握りしめ、一心に「実相円満完全」を唱え続けた。

するとその時『続々甘露の法雨』の一節が思い浮かんだ。

  「汝らこれらの真理を聴き了りたる後

   肉体に激変起るとも恐るること勿れ。

   高く立ちたる建物の壞くるときには

   轟然たる響を発せん。

   その轟然たる響にも似たる病変は

   高く建ちたる汝の過去の迷いの消ゆる響なり。
   ・・・・・・・・・」


 そうだ、これだ、これだと思いながら、さよさんは一心に完全円満を唱え続けた。

                   (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。32 - 道産子

2020/07/21 (Tue) 08:31:11




 コスモス様のご投稿にバス事故を救った男性のお話が

紹介されておりますが、北海道では、塩狩峠の列車逆

降暴走を身を挺して救ったクリスチャン、長野政雄さんの逸話が知られていますね。

常持の遺書には「苦楽生死均しく感謝。余は感謝してすべて神に捧ぐ」とあったという。






 清超先生の御話です。



          父母を拝む


 その後どれ程の時間が経ったか分らなかったが、赤ん坊は静かになって来た。

ああ、少し楽になってくれたのかと思い、さよさんは

病室の外に出て、「実相を観ずる歌」を歌いながら静かに病院の前を歩き廻った。

 それはいささか異様な姿であった。家族たちはさよ

さんの精神の方を心配して、夫はもう家へ帰って、下

の子の世話をしてくれと頼んだ。うちでは五ヵ月の赤ちゃんが放ったらかしになっている。

それもそうだと思ったさよさんは、素直に夫の言葉に

従って、家に帰った。帰ってみると、本部の“神癒祈

願”からの返信が来ていた。大急ぎで開けて見ると、

こんな事が書いてあった・・・・・

「白血病のような重い病気でも、たった一日大きな声を出して笑ったら治ることがある。

悦べば喜びごとが喜んで喜び連れて集ってく

る・・・・・とも言われる。今まで気が付かなかった

色々の有難い事を見出して、心から感謝して笑いなさい・・・・・」

                  (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。32 - 道産子

2020/07/22 (Wed) 08:37:16




 コスモス様の「虎がヤマネコに」、干天の慈雨のごとく(^^♪、気持を軽やかにさせてくれます。








 清超先生の御話です。


 ああ、これで私の子供は治ったと、さよさんは思った。

ともすれば是壷に陥ろうとする今の彼女には、この言葉は何よりも力強い味方であった。

よし、私も笑おうと思ったが、今この部屋でゲラゲラ

笑い出したら、近所に聞えて、

「あの奥さんも到頭気が狂った」

 と思われるであろう。そこですぐに二階に上がり、雨戸を全部閉めてから、大声で笑い出した。

笑っているうちに、何だかとても嬉しくなって来た。

もうこれで隆生君は治るのだという気がして来て、嬉

しくてたまらなくなった。人が聞いたら気違いと思ったに違いないが、そんな事にはかまっておれない。

二十分ほど笑い通した。それからフト時計を見ると三時過ぎになっていた。

                  (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。32 - 道産子

2020/07/23 (Thu) 08:44:18




三峡ダム、時間の問題なのですか…手は打てないのでしょうか!(^^)!。












 清超先生の御話です。



 さよさんはすぐ下の子を連れ、自動車を運転して病

院に行った。途中ちょっとした食物を仕入れてから病

院に着き、急いで病室に入ろうとした途端、中からお

医者さんが出て来て、沈痛な面持ちで、

「仕方ありませんでした」
 と言った。

 瞬間さよさんには悲しみはなかった。広々とした空

間が開けたようだ。次第に医者の言葉の意味が定着した。

するとどうしたことか、

「ああ、あの子は観世音菩薩だったのだ」

 という思いが、胸一杯に広がった。あの子は私にと

ても大切なことを教えに来てくれた。もしあのまま死

んでいたら分らなかったろうけれども、六日間生きていてくれたために分ったことがあるのだ。

それは最後の最後まで、子供の生を願う親の心がわか

った。親はこんなにも子供のことを思うものかと、い

まはっきり分った。だのに私は今迄父母の愛を感謝していなかった・・・・・

                   (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。32 - 道産子

2020/07/24 (Fri) 08:18:21



<・・・その後、生長の家神と申し上げるは塩土老

翁、筒男神であらせられると知らされ、ハッとしてその端倪すべからざる因縁に驚いたのである。

 塩槌神とは水火津霊(シホツチ)の神である。水の霊(陰

の原理)と火の霊(陽の原理)とを津なぎ結びて、一

切を生み出す「生みの神」である。だから塩槌神

(住吉神社・塩釜神社に奉斎)は古来安産の神として称せ

られ、エホバ神の「懐妊(はらみ)の劬労(くるしみ)を

増すべし、汝は苦しみて子を産まん」という宣言を覆

して、子を産むのに無痛分娩なることを実証したので

ある。生長の家の教えを聞いてそのとおりに守るもの

は無痛分娩であるのはそのためである。塩釜大神とは

水火醸神(しおかみのかみ)として陰陽交叉(かみあ)いて産み出す神という意味である。・・・>。


 破邪顕正様のご投稿より<m(__)m>。





 清超先生の御話、最終回です。



  一週間経って、さよさんは無性に悲しくなった。

どうしょうもないほどやるせなかった。昼も夜も泣き通した。

そんな日が二十日も続いた。さよさん練成道場に行っ

た。次第に心が落ち着いてきて、再び市の教訓が甦って来た。

「あの子は観世音菩薩だったのだ。あの子は私に”父
母の愛”を教える為に、私に宿ってくれたのだ。

親というものはあんなにもわが子を愛するものか……

父も母も、そして舅も姑も、こんなに切ない愛で私を

愛していて下さったのか。ああ、済まなかった、おじいさん赦して下さい……」

 と、その時はじめて、舅を怨み憎んで来ていた自分の心をはげしく懺悔して泣いたのであった。



       ×    ×   ×       


 このような打ち上げ話をして、さよさんは最後に美

しい声で或る歌を朗誦してくれた・・・・・・


   「合掌すれば妙楽の世界いまひらく、

     父を拝まん、母を拝まん。

    合掌すれば妙楽の世界いまひらく、
    
     父を拝まん、母を拝まん」


 その歌声は、無性に晴わたった富士の裾野にどこま

でもひろがって行った。

                   (おわり)

Re: 伝統様、ありがとうございます。32 - 道産子

2020/07/25 (Sat) 09:05:53




〈「〝皇軍必勝〟の一万枚揮毫は、決して予言ではあ

りません。僕の祖国日本への大悲願でした。神にすがりつく、せめてもの最後の悲願なのでした」

 と、切々声涙共にくだる講演中の御一言であった…。〉


破邪顕正様のご投稿より<m(__)m>。






 今朝よりは、維摩経―承前、の御講義です。




   維摩経を語る―承前―    谷口雅春先生

         精神科学誌 昭和45年9月号



     ⛈ 人間の脳髄には主体性なし


 今日の体験談の最初の一人の青年の方が神想観の功徳をお説きになった。

“神想観をして神と一体感を得ないと本当に正しい行

動がとれないという気がする”という話でありました。

それは何故かというと、人間の脳髄というものは、極

めて精巧に出来た電子計算機みたいなものであります。

人間の拵えた電子計算機よりはもっと複雑でもっと部

分品が多く、もっと巧妙に、デリケートに出来ているのであります。

 しかし、此の肉体の脳髄は”四大和合して”と維摩

経にありますように、”四大“すなわち”地水火風”の元素の集合体である。

”地”とは固まりのあるもの、“水”とは流れるも

の、“火”とは燃えるもの、“風”とは空気のように

ガス体のもの、この四つを仏教では宇宙生成の根本元素として「四大」といっているのであります。

脳髄というものは、その四大元素が集まって出来ているところの電子計算機であります。

                   (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。32 - 道産子

2020/07/26 (Sun) 08:25:12




《2010年1月 1日

四無量心を現すために

(略)

人間が自然界に接する時の心に置き換えてみると、どうなるでしょうか?

それは「自然界を人間の意のままに利用しようとは思わない」ということです。

つまり、人間が自然界を征服して、自分だけが繁栄しようという心を捨てよということです。

これは、近代の産業革命以降の人間の考え方とは大いに異なるものです。

しかし反面、私たちはペットや家畜の飼育や農業を通して、そういう自然との自他一体の心を経験している。

だから、「できない」のではなく「しない」のです。

私たちのような宗教運動は、そういう“心の持ち方”を広めていくところに重要な意味があるのではないでしょうか。
 
そこで今日は、環境運動ではできない、宗教にしかできない方法で、この高度な自他一体感の醸成と拡大とを行うことを皆さんに提案したい。

それは「神想観」を行うということです。

ご存じのとおり、生長の家には「四無量心を行ずる神想観」というのがあります。

これの“新バージョン”を作りましたので、ここにご紹介いたします。》


もっともなことを言っているようで、最後の最後に、馬脚を現しているようです(^_-)。











 雅春先生の御講話です。



 普通われわれは“頭で考える”と申しますが、これは

頭脳に“考える主体”があるのではなく、われわれが

電子計算機に問題を提出すると、解答が出て来るのと同じように出来ているんです。

 けれども、電子計算機というものは、あの天気予報でさえも間違うでしょう。

今日も昼御飯を食べる為に講習会場から自宅まで自動

車で走っておりますと、正月の一張羅の綺麗な着物着

ている人が雨にかかって傘もなしに歩いている気の毒

な姿を見かけましたが、それは、何故かというと電子

計算機を使って天気予報をしながら、それが盛んに間違うという事です。

                   (つづく)
 

Re: 伝統様、ありがとうございます。32 - 道産子

2020/07/27 (Mon) 08:50:08




 スゴイ硬派のコスモス様の、エレベーター事件(^_-)、

素敵ですねえ・・・(^^♪。

 今朝、ラジオで横須賀のコスモスというお方がコメント出してましたが!(^^)!。何のことか、失念しましたけれども('◇')ゞ。








 雅春先生の御講話です。


 一九七〇年代は情報時代で、電子計算機が余り発達

するので、人間が逆に電子計算機に使われる事になる

かも知れぬというような事が問題になっているけれど

も、どんなに精巧に此の脳髄の物質的構造が精巧に出

来ておっても、これは必ず間違うことが出て来るとい

うのは記憶装置に過去のデータが組み込んであるだけ

で、そのデータを基礎にして判断が出て来るのでそれは全智ではないからであります。

                  (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。32 - 道産子

2020/07/28 (Tue) 08:17:20



<頭注版『生命の實相』第30巻「児童教育篇 聖典講義篇」にこういうご文章があります。

《裁縫にも不要な巾は裁って捨てなければならない。事務の上にも小さな無駄でも切り捨てる必要があります。事務上の無駄や欠点を除くように指摘したからといって、「先生は人を審いた」と言うのはまちがいであります。教えの上にも同じことでありまして、イエスも釈迦も異教徒の教えの欠点を指摘してその欠点を廃除して、裁縫の「裁」を行ない、さらにそれを総合統一して裁縫の「縫」を行ない、かくのごとくして初めて、イエスや釈迦の天衣無縫の教えというものができているのであります。「審くな」ということはあくまでも、「人を審くな」ということであって、「事務を審くな」ということではないことに注意しないと実際生活が成り立たないことになり、あらゆる所に「ものを審く人」のみを見出して、この世がいやになり、社会がいやになり、団体がいやになって、生長の家は教えはよい教えだが、実際生活に行なえぬなどということになるのであります。》

私どもが相手にしているのは、あくまでも、総裁が説いている教え、そのものなのです。

尊師の教えから言えば、もはや、それは“異教徒”の教えというほかはない…。・・・>。


 破邪顕正様のご投稿より<m(__)m>。







 雅春先生の御講話です。



  ⛈ 全智者たる神の叡智を受信せよ


 そこで私たちは全智なる神の智慧を、電子計算機に

受信する装置を造らなければいかん、という事になるのであります。

これが神想観であります。

単に過去のデータばかりを記憶装置に入れて、それに

基づいて計算をして答えを出すだけでは、常に新事実

が追加される現実世界に対処していくためには、足りないのであります。

これにはどうしても神様の智慧に導かれて”吾れ何を

為すべきか”という事を教えて頂かなければならないのであります。

                   (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。32 - 道産子

2020/07/29 (Wed) 08:13:42



土下座はこの人だったのですね(^_-)。


 神々の友達。様、学ぶ会を勧められています。

まともですね(^^♪。







 雅春先生の御講話です。



 維摩経に「此の身は主なし」と説いているところ

は、結局、肉体というものには本当の“我(が)”は

ないという事です。”ガ“というのは、”我(わ

れ)“という字が書いてあるんですが、”主体“の事です。

肉体は一種の電子計算機的装置でありますから、判断

や解答を出しても、それには主体たる「霊魂」はなく唯、機械的に解答を示すだけであります。

人間の主体は、“仏性”即ち“如来”なのであります

が、肉体はその“如来”の唯の“容器(いれも

の)”として、或いはただの”道具”として、「心の

糸を組み合わせて肉体の繭を造り」というように聖経

『甘露の法雨』に示されてありますように、”念波の

糸“をもって、拵え上げた繭みたいなものでありま

す。すなわち蛹(さなぎ)が入っている繭みたいなも

の、蓑虫が入っている蓑(みの)みたいなものが肉体なのであります。

 これはなかなか不自由なものである。

                   (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。32 - 道産子

2020/07/30 (Thu) 08:34:32



<《いずれにせよ、青年期にまわり道をすることは一生のこころの旅の内容にとって必ずしも損失ではなく、たとえもし青年期を病の中ですごしたとしても、それが後半生で充分生かされることが少なくない。人間は「ただではころばない」という芸当もできるのである。落伍者のようにみえた青年の中から、のちにどれだけ個性ゆたかな人生を送る人が生まれたことであろう。それは彼のこころの道中で、順調に行った人よりも多くの風景に接し、多くの思いにこころが肥沃にされ、深くたがやされたためであろう。そのためにやっと「わが道」にたどりつき、すらすらと一直線でそこに来た人よりも独特なふくらみを持った、人のこころにせまる仕事をすることができるだろう。エリクソン⁽*¹⁾自身の人生としごとがそのいい例である。/ 『こころの旅』(日本評論社)122頁》

エリック・エリクソン⁽*¹⁾=学士号も取得せず、現在においても影響力を持つ心理分析哲学者の一人。アイデンティティに関する彼の著作の数々は、世界各国の多くの大学で必読書といわれている。>。


 K.K様のご投稿より<(_ _)>、教えられます(^^♪。






 雅春先生の御講話です。



 あのアポロ十一号がお月さんへ行った。お月さんに

は空気はないものだから、空気の圧力の中に育ってい

る人間の肉体では圧力の差で出血して死んでしまうか

ら、肉体の内部圧力に抵抗する気圧を持った宇宙服と

いうのを着て、月に着陸して何かちょっと仕事をしま

したけれども、地球の上で自由に動いているような自由自在な働きは出来ないのであります。

そういうようにですね、吾々の霊が地球に生まれて来

て、こういうように肉体という宇宙服を着ているとき

には、霊だけが裸になって純粋霊として動く時のような自由な活動が出来ないのであります。

だからどうしても肉体以上のはたらきを求めるために

は、神様の智慧を得て、神様の力の補充を得て仕事を

しなければ、充分のはたらきが出来ないという事になる訳であります。

                   (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。32 - 道産子

2020/07/31 (Fri) 08:43:18



<表題の“非理法権天(ひりほうけんてん)”とは、あの楠木正成が菊水旗に掲げたものとして知られるものです。

非は理に勝たず、理は法に勝たず、法は権に勝たず、権は天に勝たず、天道に従って行動すべきであるという意味です。

非という無理、無謀なことは、理という道理には勝てない。

その道理も、法を前にしてはそれに従わざるを得ない。

しかし、その法だって、権力の前には屈服せざるを得ない。

しかし、その権力も、天の道にはかなわない…。

これを旗印にしようと思ったのには、理由があります。

それは、今の総裁が絶対権力者であるからです。

この絶対権力に立ち向かうには、そうです、天を味方にするしかない、そう思ったのです。

それでは、その天とは何か。

私は、それが、尊師のご存在。

尊師の教え、お志を護る、それが天の道にかなうことである…。

それしかないと思っているのです。・・・>。


 破邪顕正様のご投稿より<m(__)m>。


 先見=専権、明=迷、なるほど!(^^)!。


 甘露の法雨の一節が思い浮かびました(^^♪。


 吾は『真理』なり、
 『真理』より遣わされたる天使なり。
 『真理』より照りかがやく『光』なり、
 迷を照破する『光』なり。

 吾は『道』なり、
 吾が言葉を行うものは道にそむかず。
 吾は生命なり、
 吾に汲む者は病まず死せず。
 吾は救なり、
 吾に頼むものはことごとくこれを摂取して    
 実相の国土に住せしむ。・・・。










 雅春先生の御講話です。



     ⛈ 正念を以て煩悩を除け


 それで、この維摩経の本の三百十三頁には、舎利弗

という智慧第一の釈尊の弟子が質問しているのに対して維摩が答えているところを読んでみます。

『又問ふ、「衆生を度せんと欲せば、當に何の除く所

なるべき」(衆生を度するというのは、衆生すなわち

人類を救ってやろうと思ったら、当(まさ)に何を除くように教えなければならないか)

 といって訊いたのです。

『答えて曰く、「衆生を度せんと欲せば、その煩悩を除け」

『又問ふ、「煩悩を除かんと欲せば、當に何の行ずる

所なるべき」(煩悩を除こうと思ったら、どのように行じたら、いいのであるか教えて下さい)

『答えて曰く、「當に正念を行ずべし」』というように維摩は答えているのであります。

“正念”というのは、「ここは正念場だ」などと言う

でしょう。「ここは正念場だ」だというのは、正念を

出して来なければならないギリギリの場だ、という意味であります。

舎利弗が「煩悩を除かんと欲せば、當に何の行ずる所

なるべき」と訊いた時に「當に正念を行ずべし」と維摩は答えたのです。

                   (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。32 - 道産子

2020/08/01 (Sat) 08:47:14



<なんですか、NHK。オンデマンドで中国向けにタダでサービス開始って。
おまけに中国共産党の宣伝工作機関であるCCTVをNHK本社内において
中国共産党からの指令が直接できるようになってしまってますし。・・・>



 コスモス様のご投稿より<m(__)m>。


 今日より、葉月8月です、仙厓和尚の書画は、

好みの芭蕉(植物をかけて)を詠んだものです。

 「身もなく 心もなきものを 葉ばかり(憚り)

ながら 翁とは申す」







 雅春先生の御講話です。



 ⛈ “不生”なるものを知り“不滅”の実相を知ること


 そこで「正念を行ずるというのは一体どうするのであるか」と舎利弗がきいたら、

「当に不生不滅を行ずべし」と維摩は答える。

「不生不滅を行ずべしといったらどうするのか」とい

ってまた舎利弗がきいているんですが、

「何の法が不生なるか、何の法が不滅なるか、それを知ることである」と維摩は喝破している。

この場合の“法”というのは“もの”(thing)という

ような意味であります。そして、

「不善は不生であり、善法は不滅なり」とハッキリ割

り切って答えているのであります。ここは生長の家と維摩教とは同じであります。

                   (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。32 - 道産子

2020/08/02 (Sun) 09:11:38



護法の天使様の、尊師の「光明と暗黒」まことに印象的な詩です(^^♪。







 雅春先生の御講話です。


 不善というのは“悪“の事です。”不善”すなわ

ち“悪“というものは、あるように見えても”不

生”である。そんなものは生じたことがないから存在しないのであります。

「善法は不滅なり」で、ただ善なるものだけが不滅で

あるから、それを念じなさいと維摩はいっているわけなのであります。

 ここが大切なところで、正念場である、今この時、この場が、この正しい想念を起す“場“である。

こうして真の人間は肉体ではないという真理を教えられ、その真理のみを念ぜよと教えられているのです。

肉体はただの道具である。それは心の糸を組み合わせ

て拵えた肉体の繭であり、心の所産なのですか
ら、“幻”のようなものであると維摩教は教える。

「この身は幻の如く響きの如く、実(じつ)ありと見

ゆれども空し」と説くのである。即ち、肉体は一種の

心の波動のあらわれであって、常住のすがたのないものであるというのであります。
                  
                  (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。32 - 道産子

2020/08/03 (Mon) 08:53:42



<④大山は陸地であり、「見」は「身」であり「本

体」という意味で、大山津見神とは「陸地の霊魂」と

考えればよい。天孫が陸地の霊魂として結合すること

によって、久遠無窮の天皇の皇位が、現象界の約束に

よって、子々孫々という、子孫の継続によってその無窮を表現するようになった。・・・>。


 破邪顕正様のご投稿より<m(__)m>。

 それにしても、伝統様と同じく、教えの先達のご投稿はパワーが違います!(^^)!。



 照ノ富士関の快挙、まことに恐れ入りました(^^♪。

勇気と我慢を通して、「笑える日を信じて」精進した精神はジンギスハン精神か(^^♪。

人生のお手本のようです。









 雅春先生の御講話です。



  ⛈ 肉体は心の絃の奏でる音楽の如し


 だからと言って、肉体はどうでもよいと軽んじてい

いかというと、決してそうじゃないのであって

それは心の奏でる音楽みたいなものであります。

音楽は形がない、それは波動である。波動であるから

無茶苦茶の波動を起してもいいかというと、そういう訳にはいかんのであります。

 音楽は波動であるからその波動の起すリズムを、美

しきリズムとならしめ妙なるメロデイを奏せしめなけ

ればならない。此の音楽を奏する指揮者が吾々の霊魂

であり、霊魂が主体になって、心の音楽を奏するのであります。

無論、肉体は物理化学的法則によって動いている。

それはピアノの弦や琴の弦が物理的に振動して音を発

しているのに似ている。しかしその音は妙なる節度を

もってリズミカルにその振動を制御して行くのが音楽家の使命である。

                  (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。32 - 道産子

2020/08/04 (Tue) 08:51:20




増田俊男先生は、大戦は政治的判断の誤りから、ということを仰っています!(^^)!。

で、尖閣対策?も同様にならぬよう、と仰っているわけでしょうね!(^^)!。

 大東亜戦争の尊師は如何に思われるのでしょう('◇')ゞ。











 雅春先生の御講話です。



  私たちの霊魂は”肉体”という“波動体”の音楽

を立派に演奏して行く音楽家だと、いうわけなんであります。

その使命を完うする為には、私たちは毎日、怠らず

神想観をして、全智にして無限の善なる神様のリズムに

合うような心の波動になるよう調律しなければならない。

吾々の肉体は、生命が奏でるところの楽器であると同時に音楽そのものでもある訳です。

その楽器はうまく調律しなければいい音色を出すこと

が出来ない。その調律する方法が神想観なのであります。

私たちは心の調律を忘れて調子はずれの楽器を弾奏し

ておったのでは、どんな天才音楽家でも立派な音楽を奏でることは出来ないという事になる訳であります。

 維摩経の説く、こういう真理を教えられても、頭で

は“解った”と思うけれども、真理は頭で解っただけ

では足りないのであって、矢張り神想観をして全身全

霊をもって味到し体得しなければならないのであります。
                  
                  (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。32 - 道産子

2020/08/05 (Wed) 08:34:24



伝統様が一気に表舞台に(^^♪、スゴイご提案です。

今や、破邪顕正様の上を行ってる感もあります(^_-)。

 自民NO・2、どうにかならないんでしょうか(?_?)、

衛藤先生、同派閥でしたけれども…(?_?)。












 雅春先生の御講話です。



  ⛈ 本当に存在するのは“善”なる実相のみ


 維摩は「なにが不生であるか何が不滅であるかを知れ」という。

肉体は本来“不生”であって無いのである、そん

な“無いもの”を把む心を捨てなさい。本当にあるの

は”善なる実相”だけである。実相は肉眼に見えない

けれども、あなたの本体は、肉眼には見えない

が、“完全な実相のあなた”が今此処にいらっしゃ

る、それが“真(ほんと)のあなた”である。そ

の“真(ほんと)のあなた”をじーっと見詰める修行が神想観である。


こうして“真のあなた”の安全な姿を一心不動に見つ

めると、その実相の通りの心の波動が此の肉体という

楽器に、完全な音楽を奏することになる。

その心の弦の奏でる音楽が具体化して”肉体の繭”が

出来ているんだから、自然に肉体も健康になるのである。

つまり”肉体”という楽器は自分の奏でる音楽によっ

て、肉体の其の姿を自己修正するようになっているわけであります。

                  (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。32 - 道産子

2020/08/06 (Thu) 08:18:11



《われ今、聖なる神の宝座の御前に坐し、われに尊き使命を授け給えと祈り奉る。

 ここに神われに使命を授け給えり。神は今その神名

を明らかにしたまいて〝われは天照大御神の御出現の

み先き祓いとして地上浄めのため、宇宙創生の根元神

にまします天御中主大神より遣わされたる住吉大神なり〟と宣り給う。》


破邪顕正様のご投稿より<m(__)m>。








 雅春先生の御講話です。



  ⛈ “不生不滅を行ずべし”と維摩は説く


 何が不生であるか何が不滅であるかをハッキリさせなければならないのです。

“病気は不生であるから本来ナイ”と教えられ、それ

は頭で解ったようだけれども、しかし、病床に横たわ

っている人は、自分の病気の肉体をアルと思って可愛がっている。

これでは「不生不滅を行じた」のではないんでありま

す。無いものを“無い”と知り、不滅のものを不滅で

あると知らなければならない。

                  (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。32 - 道産子

2020/08/07 (Fri) 08:46:14




《私は決心した――経済的余裕の来る日などをもう断

じて待つまい!自分の身体が弱いという理由で自分の勇

気のないことをもう断じて自己弁解すまい、会社へ行

きつつ、このいわゆる虚弱な身体でも二重生活三重生

活にも耐えられることを立証しよう。自分の生命は神

から受けたものではないか。神の無限の生命から生命

を汲むものは涸くことはないはずだ。死なば○ね。生

きる道をつたえるために起ち上ってその為に自分が死

ぬならば、自分の伝えようとした道は嘘だったのだ。

私はその時、潔く死んで好い。自分が今迄伝えよう

と、志していた道の真偽がこれによって判明するの

だ。私はこの時「背水の陣」を布いて起ち上った。》


破邪顕正様のご投稿より<m(__)m>。

 ○=死。






 雅春先生の御講話です。


    ⛈ 因縁所生の肉体というもの


 戦後の日本人は、アメリカの民主主義が導入されて

来て、国家よりも個人の福祉を重んずる個人主義にな

ってしまったのであります。現行憲法によれば個人さ

えよければいいのであって、国家も国民が福利を得る

ための道具であり、主権は国民にあって国家主義というものはない。

国民が福利を得る為に信託してやらしているのが国政

であると、現行の占領憲法には書いてあるのであるか

ら、国民の福利にならん国家なら、その信託を解除できるというような日本国憲法の前文がある。

従って国民の福利を害すると国民が解釈するならば、

自衛隊の行動をも裁判官の判決によって停止できるようになっているのであります。

                   (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。32 - 道産子

2020/08/08 (Sat) 08:17:06



<“法燈”を継承したと言っている人が、その尊師の言霊論を一貫して無視し続ける…。

本当に、それでいいのでしょうか。>。


 破邪顕正様のご投稿より<m(__)m>。








 雅春先生の御講話です。



 しかしよくよく考えて見ると、人間は単に個人とし

て存在するんじゃないのであって、個人としても存在

しないことはないけれども、個人だけでは生きられるものじゃないのです。

すべての人間とのつながりによって人間は生かされて

いる。だから、“ヒト“は単に「人」ではないのであって「人間」である。

また「人」という字も、両方から、もたれ合いで立っ

ている象形文字である。仏教ではこれを縁起という。

人間は因縁によって生じたものである。

“袖振り合うも他生の縁”という諺があるんですが、兎もかく一人では生きられない。

こんな洋服だって、これは誰かが、オーストラリアで

育った羊が拵えてくれた羊毛で織られたものであるけ

れども、その羊は誰が拵えたかというと、神様が拵え

たのである。神が拵えて、その羊の毛を人間が刈って

来て、それをキレイに洗って染めて、織りなして、やがて洋服屋が寸法を測ってこれを製造した。

その間には数え切れないほどの沢山の人の縁に従っ

て、ここに姿をあらわしているのであって、ただ一着

の洋服を着ようと思っても、自分の力だけで出来ているのではないのであります。

                   (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。32 - 道産子

2020/08/09 (Sun) 09:06:43



3行+神癒祝福祈願がコロナ対策、学ぶ会の指針です(^^♪。








 雅春先生の御講話です。



  ⛈ すべてのものに感謝を行ぜよ、感謝は恵みを増幅する


 そうすれば吾々は、すべてのものに感謝しなければならない事は当然のことであります。

人間はみな文化的生活を送る権利があると

占領憲法は、権利ばかり主張して感謝の念を起させな

いように、不平の念を起して内部紛争で国内の治安を

紊(みだ)すように煽動されているが、いくら幸福の

中に居っても、もし感謝の念を忘れて、権利の利劔で角衝き合わしていては幸福ではないのである。

感謝の念というものは、与えられたところのものを反

射して輝かす心である。幾ら光線があっても、光を反射する何物もなかったら其処は暗いのである。

太陽から常に平等に光線が降って来ていても、地球の

空気圏を離れて宇宙船で真空圏へ行ったら、そこは暗黒なんです。

周囲は暗黒で、光を反射する地球の方を見ると、「地

球だけは明るくて、青かった」と飛行士は言っている。

地球がこうして明るいのは、空気があって太陽の光を

反射して、光を八方に拡散してくれているから全体が明るく見えているのである。

何にも反射するものがなかったら、どんなに太陽の光線が来ても、そこは真っ暗がりなんです。

                   (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。32 - 道産子

2020/08/10 (Mon) 08:39:15



立葵様ご提言の歌会始の「実」、實を使ったら如何なものでしょうや(^^♪。

實を入れて、御詠進してみましょうか^^♪。










 雅春先生の御講話です。



   ⛈ “菩薩、心浄ければ仏土浄し”


 地球を離れて上昇して、真空圏にある宇宙船から地

球を見たありさまを「明るく青く見える」と言って写

真にまで撮れるのは、地球が光を反射しなかったら、

光はあれども光はないと同じ事である如く、兎も角

も、この光を反射する心――受けた恩恵に感謝する心

――「有難うございます」と、光を反射する心を起さ

なければ、どんなに豊かに恵福の充ち満ちている世界

にあっても、そこは修羅場であって、天国浄土は出来ないという事になるのです。

だから維摩経には「菩薩、心浄ければ仏土浄し」と釈尊は仰せられている。

すると弟子が「この世界が浄らかでないのは、お釈迦

様、あなたの心が浄らかでないからですか」と訊いている。

すると釈尊は「日月の光は常に浄らかであるのに、暗

いというのは、日月の罪ではない。それは盲者自身の

罪である」と答えていられる。なかなか興味ふかい問答であります。
                   (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。32 - 道産子

2020/08/11 (Tue) 08:01:25




 コスモス様の誌友会ご繁栄を祈ります(^^♪。

写経1巻で満足している場合ではないようです!(^^)!。







 雅春先生の御講話です。



 ⛈ 国民が国家を攻撃できるように定めた占領憲法


 だいたい占領軍が占領の軍政中に押付けた日本国憲

法は占領軍が日本国家を弱体化する為に、国家の部分

たる国民に主権があって、“国家という、ぜんたいの

生命体”に対して、国民が攻撃を加え、判決を下し、

国防力を弱めるように書いて、これが”人類普遍の真

理である”なんて非真理な事を書いてそれを無理に押付けたのがこの占領憲法であります。

こんなものは真理でも何でもない。本当の真理は、自

分というものは一人で、生きているのではない、神様

の命を戴いて生きているのである、衆生の御恩に生かされて生きているのである。

                   (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。32 - 道産子

2020/08/12 (Wed) 08:08:34



《先日神戸の古くからの敬虔なクリスチャンである人

が来られまして、「今までは聖書には魚のように骨と

肉があるのだから、訳の判らない語句は骨として捨て

てしまって、訳の判るその肉だけを食べれば好いのだ

と教えられていました。『生長の家』で教えられて以

来、キリストの教え全体が肉であって骨は一つもない

ということが判りました」といわれました。こういう

ように「生長の家」では、キリストの教えがそのまま生きて生活にまで実現しているのであります。》


ここに明らかなように、敬虔なクリスチャンの方が、

「生長の家」に来たら、捨てていい骨などはない、す

べてが肉である…、それが判ったと言ってよろこんでいられるわけです。

ところが、“背教総裁”にとっては、尊師の教えには、判るものと判らないものとがある…。

つまり、肉の部分と骨の部分とがあって、後者は捨ててもいいと思ったのでは…。

だから、絶版という強硬手段にも訴え出ることができた…。

その最たるもの、即ち、判らないものの代表が、実

は、尊師の「古事記解釈」だったのではないでしょうか。・・・>。


 破邪顕正様のご投稿より<m(__)m>。


 歌会始の歌を考えるのに(^_-)、「桃の實」を思いつきまして、「古事記と現代の預言」を読みましたら、
その面白さ?にまた、感動しました(-_-)/~~~ピシー!ピシー!。スゴイ、スゴイ(^_-)-☆。










 雅春先生の御講話です。



 更に日本の国に生まれて、日本の国の御恩に生かさ

れて生きているのであるから、常に日本の国に対して感謝してその恩を返さなければならないのである。

此の世界は、原因・結果の循環の世界であります。

与えたら、またそれが還ってくる。返したらまたそれ

が還って来る――ということになっているのであります。

 この原因・結果の循環は吾々の呼吸をするのだってそうです。

息は沢山吸い込めば得である、というわけで、それで

呼き出す事を止めて、ただもう吸う事ばっかりやった

ら私たちは健康になるのであろうと思って、空気を呼

くことを忘れて、吸うばかりやっておったら窒息して死んでしまう。

私たちは呼き出して又吸うから、空気中の酸素等を吸収することが出来るのであります。

                  (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。32 - 道産子

2020/08/13 (Thu) 07:57:16



<それについて、『理想世界』誌・昭和49年6月号はこう説いています。

《すべての生物は〝神〟なる〝生命の大本源〟から生

まれたのであるから、皆〝神の子〟といってもよいの

である。…それなのに特に人間のみに、〝神の子〟と

いう尊称を専らにせしめるかというと、人間は神のも

ち給う全徳(又は〝アイディア〟)を内に包蔵するから

であり、他の生物は神の一徳又は数徳(神のもちたまう

アイディアの極一部分)を包蔵し且つ表現しているに過ぎないからである。》・・・。


 破邪顕正様のご投稿より<m(__)m>。


まことに、尊師は明快であります(^_-)-☆。

そこをズバリと指摘される?ところもすばらしいです!(^^)!。

動物(生物)と人間の相異が見事に喝破されております。







 雅春先生の御講話です。



  ⛈ 真理は知行合一によってのみ力を発する


 ところで、聖書によりますと、キリストは「主よ、

主よという者必ずや天国に入るに非ず、神の御心を行

ずる者のみ天国に入る」と言いましたが、キリストに

頼って”キリスト、キリスト”と御名を呼びさえした

ら天国は入るかといったら、そうじゃないんだ、神の

御心を行ずる者だけが天国に入るのであるとキリスト自身が言っているのであります。

これは真理の実践のみが地上に天国浄土を造るという

意味です。此の世界は“善法”のみが不滅であって、

それが実相である。だから人間は健康な生命(いの

ち)だけが本当の実相である――と教えられても、その真理が頭に解っただけでは足りないのです。

本を読んで、「私は『生命の實相』何冊を何遍繰返して読んだ。そして真理は解った」という人がある。

かれは、真理は解ったのであるけれども、”その真理

が本に書いてある”と解っただけで、

”自分が解った”のと違うのでは駄目であります。

本に書いてある意味を理解したと言うのと、自分が悟ったというのとは、大変違うのであります。

                   (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。32 - 道産子

2020/08/14 (Fri) 08:39:27



金剛不壊眞身觀、まことに簡潔にして健康体自覚には

最高の祈りと思います(^^♪。







 
 雅春先生の御講話です。



 私は嘗て兵庫県の龍野という所へ講習に行った時

に、講習が終って幹部会があって、三十人許り集まり

ましたが、その中の幹部の中の一人が次のような体験談を話したのであります。

「私は十数年間結核でずーっと病床に寝とったのであ

ります。その寝とった間に『生命の實相』を何遍も繰

返して読んで“人間は神の子であり、病気はナイ”という事は解った。

そう書いてあるとわかった。けれども、わたしは、やっぱり寝ておったのであります。

矢張り結核は治らんと寝ていたのです。

ところが或る日に、『生命の實相』の生活篇を読んで

おったら、『今、断々乎として病無きことを信じて起

て!』という言葉が書いてあったのです。それを見た
ときに、わたしは、はじめて心の眼が開いたのです。

ねえ、今まで十数年間、こうして“病気無い“と本に

書いてあるとわかっていながら、どうして私は病気無いように行為しないのであるか。

それは“病気無い”と解っていないで“病気ある”と

わかっとって、それで“本には病気ナイと書いてある

とわかっているというだけで、”自分が病気ナイ“という真理がわかっていなかった。

                   (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。32 - 道産子

2020/08/15 (Sat) 08:44:28



<「2002年に発生したSARSでは集合住宅のトイレの空間にウイルスがいて、
便を通じての感染の可能性が確認されました。水を流すことによって
飛沫したウイルスが便座や壁などに付着する可能性があるので、
使用前には消毒した方がいいです。
また、水を流すときは便座のフタをしめて、手洗いを怠らないことです」(室井さん)

換気すれば空気感染のリスクは大きく減るので、エアコンの利用時は
1時間に2回程度の換気を心がけてほしい」
換気では、自宅療養の際は、家族と部屋を分けることが大事だ。

「できれば感染者は別室で過ごしてトイレも別にする。
難しい場合はこまめな換気を徹底し、ドアノブや手すりはアルコール清浄し、
食器やタオルは別々のものを利用してほしい」(一石さん)

ウイルスの通り道を避けて、換気を徹底することが、自宅での感染を防ぐカギとなる。・・・>。


 伝統様のご投稿より<m(__)m>。








 雅春先生の御講話です。



 これは“病気ナイ“の真理を行じなければいかんのだ!という事に気が付いたのです。

すぐ立ち上がって、結核で今まで寝とったこの私が、それから薪割りをした。

私はそれでそのまま結核が治っちゃて、現在(いま)こうして健康でいるんです。

 だいたい、こういう意味の体験談を話されたのであります。

なにしろ病気の体を可愛がっているようなことでは、“病気”は去って行かないのです。

あそこへ行ったら“病気”の体を可愛がって尊重して

くれると思って、いつまでも病気が居候しているという事になるのであります。

病気が訪問してもお客さまとして丁寧に扱う様な事では病気は去って行きません。

 ところで、当今はやる民主主義というのは、人にも

よるけれども個人主義的マイホーム主義で、ちょっと

病気したら直ぐ欠席する。そして欠席の理由も、“風

邪引”と書いてあったり、病気なのだから休むのは当然の権利みたいに書いてある。

民主主義の世界には病気する権利があるみたいに、休

むのが当たり前だという様な風習に現今の社会がなっ

ているのに、わたしは近頃出勤簿を見て驚いたわけであります。

                   (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。32 - 道産子

2020/08/16 (Sun) 08:14:32



22℃にての神想観は快適です。

 30℃にも迫るような神想観は如何なものなのでしょうや!(^^)!。いくら、クーラーはあろうとは言えども。

お見舞い申し上げます<m(__)m>。










 雅春先生の御講話です。この御話の最終回です。



 私は、もっと人間自身が自覚を高めて、「人間・神

の子」の自覚を有(も)って、病気みたいなもの負け

るものか!という自信をもつと共に”自分”という者

が、単に”個人”としての存在ではなく”公”の存在

であり、”個人”の御都合のために”公”の義務を怠ってはならないと思うのです。

僕はアメリカの会社に居ったことがあるけれども、ア

メリカの会社は、却々(なかなか)家族の病氣なんか

で休めやしないです。自分自身が病気であっても休めやしなかった。

無論家族位の病気で休暇は認められない。ところがそ

のアメリカから入って来た民主主義が、日本に横行し

た結果、日本では「家族が病気だから今日は欠勤しま

す」とか、「家事の都合で欠勤します」とか平気で欠

勤理由を書く、そしてそれを当然のことだと考えている。

個人や個人の家事の都合が第一で、自分の勤めている
会社やら団体は、第二である。

個人が主体であって会社や団体は個人の福祉のための

手段であり、個人を都合よくするために月給貰うため

の一つの場所であると、そんな風に考えている人が随分沢山殖えているらしいのです。

それと同じ考えを国民が国家に対しても有っている。それを私は情けないと思うのであります。

”公”というものは大宅であり大親家であり、吾々の

生命がそこで生まれ、そこで育ち、そこで生活してい

る根元を為している因縁の集合体だから大切にしなければならないものであります。

                    (終り)



 

Re: 伝統様、ありがとうございます。32 - 道産子

2020/08/17 (Mon) 08:03:57



破邪顕正様、ダジャレ(?

_?)連発、くすり・きくぞう氏はどうやらご本人(^_-)。










 新しく、また雅春先生の御講話です。




   維摩経を語る ――承前――        

                谷口雅春先生


      

Re: 伝統様、ありがとうございます。32 - 道産子

2020/08/17 (Mon) 08:42:36



 破邪顕正様をあげつらったからか(^_-)、「承前」が

うまく投稿できません。

で、改めて、雅春先生の御講話をご紹介いたします。



     人生の秘訣を語る


  昭和四十五年三月二日午後、『人生を見つめて』をテキストとしての講義

                                         谷口雅春先生


   “流るる不動”と”無相にして無限相“


『人生を見つめて』の一〇三頁に『永遠不死の生命』

の一項があります。それに、

「神の完全さは固定した”円“の形というような静的な完全さではないのである。

私は『流るる不動』というような語でそれを表現した

こともあるし、無相にして無限相というような語で形容したこともある」と書いてあります。

 これは、維摩経の到る所に見出される“不二門”という存在の考え方なのであります。

“流れる“というのは動いている事なんですが、不動ということは、”じっとしている“ことなんです。

それですから、”じっとしている“のと、“流れ

る“というのとは、現象的に観れば二つおのおの別の

ことのようだけれども、実相から見れば別じゃないの

であって、生命の実(ほんと)の相(すがた)におい

ては、それは”不動”であると同時に“動いている“んです。

存在は、無限の流動であって同時に不動であるのです。

                  (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。32 - 道産子

2020/08/18 (Tue) 08:03:06



高校野球、北海道勢は1勝1敗、しかし、なんと盛り上がらない野球になっています、

選手たちは一所懸命なんですが・・・(^.^)/~~~。







 雅春先生の御講話です。



     無相なるが故に無限相を現ず


 ”無相にして無限相“ということもそのままに一つであるのが実相であります。

”無相“というと相(すがた)が無い。

神様は、カクリミ(隠身)であって、相が無いのに、同時に凡ゆる相に現われるのであります。

「相ならざるが故に無限の相を顕す」であります。相

なき無の中に一切の相がある。空そのままに色(しき)であり、色そのままに空なのであります。

それが存在の実相であるわけであります。それですか

ら、『人生を見つめて』は、次の如くそのことを説いているのであります。

「不変化の不動ではなく、あらゆる変化を内に含むと

ころの不動であり、虚にして空しき『無相』ではな

く、無限相を内に孕むところの自由自在なる『無相』である。

                   (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。32 - 道産子

2020/08/19 (Wed) 08:37:14



コスモス様のご紹介のYouTube、感涙ものです!(^^)!。

南沙諸島の情報も一種コワイです!(^^)!。








 雅春先生の御講話です。



 それは不動不変なる根本原理としてそのままにあり

て不増不減でありながら一切の現象界の活動としてあらわれる。

それは光の波動となり、分子の運動となり、熱となり、生命の脈動となる。

それは電磁的波動となり、電子の原子核周囲の旋回と

なり、輝く星となり、流れる河となり、岸に生(お)

うる樹木となり、樹枝に囀る鳥となる。それは不動の

本体そのままに動いてやまない進化となり、生長となる。

永遠の変化と進歩とを実現しながら依然として不動である。

 こう言うことが、矛盾概念として心に引っかからないで、それがそのまま一つに理解される。

“流れる“というのは”不動“とが一つであり、天地

の万物がそのまま”空“でありながら、”空“と万物が二つでない、不二であるとして直感される。

この様になりますと、悟りに近いということになるのであります。

次に“流るる不動“の実例として新陳代謝があげられています。
                   
                   (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。32 - 道産子

2020/08/20 (Thu) 07:49:27



https://web-willmagazine.com/social-history/FZ8FK?fbclid=IwAR1dU6qe0oqJclOF8j_pCSz7Rl7uELssqs3hPxjIcyJ0ytwpMIi4PVWd2Ow

コスモス様のご投稿より、T細胞免疫有効論、正解ならうれしいです!(^^)!。









 雅春先生の御講話です。



  ”変化“の中に“不変”なるものがある


「それは陳(ふる)きものを謝(さ)らしめて新しきも

のをもってそれに代らしめる。陳きものに固執してはならないのである。肉体の細胞も常に変わる。

代謝の激しい皮膚の如きは数日にして新しくなり、普

通の部分は三、四年にして完全に新しきものと取り替わる。・・・・・・」

 これは、肉体の細胞の事であります。大体、人体の

細胞は殆どもう十五年もすると、殆ど全部かわってしまうのであります。

骨や歯のような硬いものはいつまでも陶器や磁器のよ

うにガッチリしとってかわらないかというと、それで

さえも、常に古い細胞が送り出されて新しいものとか

わりつつあるのが実相であります。それをテキストは、こう書いている。――

                   (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。32 - 道産子

2020/08/21 (Fri) 08:13:22



再、コスモス様の、江沢民一族の100兆円にものぼる隠し資金(?_?)、目からうろこどころじゃないですね。








 雅春先生の御講話です。



 「十数年のうちにはその内部成分は(骨や歯でも悉

く)完全に新しきものと置きかわるのである。置きか

わりながら外見は同じ形態又は容貌をあらわしているのである。

 変化しながら不変のものがある。”変化”と”不変”とが不二なのであります。

指紋のあるこの指先の皮膚でも、常に摩擦してちびて

いるんです。穿いている手袋だったら、必ず手袋は孔

があくんですけれども、この、手の皮膚は、孔があか

ないで、摩擦でちびるだけ、中から、始終新しいものが出て来る。

新しいものが出て来るから別の指紋になるかという

と、元のままの指紋である。常に変化しながら同じで

ある。変化しながら不動である。それは何故であるかというと、その内部に“不動の理念”がある。

『人生を見つめて』には、そのことを「内部理念が常住にあるからである」と説明されています。

私の肉体でも段々、年老いて白髪が殖え皴が殖える。

常住の変化でありながら、変らない「谷口」が此処にある。

変化しながら不変なのであります。”変化”即”不変”であります。

 肉体は始終こうして変っておりますから却って有難いのであります。

                   (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。32 - 道産子

2020/08/22 (Sat) 08:36:07




<東京では、すでに免疫を持った人が多く
もう新型コロナの脅威(もともと無いけど)は終了に近い可能性があります。

一方で、
必死に感染をさせないために努力した地方は、
この先新型コロナの脅威(もともと無いけど)におびえ続けることになります。

日本では、なぜか
新型コロナに感染することが、まるで悪かのような扱いを受けますが
本来風邪を引いて治るのは、良きことです。


考え方を改めて欲しいものです。


リスクの高い持病を持つ高齢者に細心の注意で配慮しながら
健康な人たちがコロナに感染すれば
ほとんどの人が無症状のまま集団免疫が達成されてPART1は終了するのでしょう。

    (http://shindenforest.blog.jp/archives/82780618.html)>。



 伝統様のご投稿より<m(__)m>。







 雅春先生の御講話です。



 今病気をしておってもその病気の細胞を、いつでも

これを変化せしめて、健康の細胞に転ぜしめることが自由にできるのであります。

常にかわっている吾々の肉体はちょうど壁を塗り替えるようなものなのです。

壁がボロボロになったとて、新しい壁土を持って来
てズーッと塗ればたちまち新しい壁になってしまう。

それを塗り替える力が吾々の生命の中にある。

生命というものは、常住であって、動かないようだけれども、常に動いている。

谷口には谷口という“不動の理念”があって、常に健全な谷口の姿に還元するようになっているんです。

 皆さんも矢張りそうであります。

 で、古い指紋の皮膚が摩擦して消えてしまっても、

やがてまた谷口の指紋そのものがでてくるというの

は、その奥に、谷口独特の指紋が描く“理念”があるからであります。
                  
                  (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。32 - 道産子

2020/08/23 (Sun) 07:55:31




 世界の気温を見ると、日本の蒸し暑さは群を抜いているようですね(-_-)/~~~ピシー!ピシー!。

リオなんか、21~17℃、インドでも31~26℃、一番は

アブダビ42~31℃、どういう暑さなんでしょうか。


日本人は本当に打たれ強い民族なんでしょう。と、しみじみ思いました。








 雅春先生の御講話です。


     人間が健康を恢復する原理


 また人間の体の全体には、完全な人間としての“人体の理念”があるのです。

それで、一時は病気になっても、中から元の健全な人

間の理念に準(したが)って、元の健康な姿にするだけの力があるのです。

そして、吾々がなにか誤った観念、迷い、憎しみ、怨

み、悲しみ等、いろいろの混乱した心の乱れによっ

て、自然の復元力を邪魔しない限りは、元の健全さに立ち返るように、出来ているのが人体であります。

その健全さに立ち復らせるのを妨礙するのが、色々の煩悩の心なのであります。

『人生を見つめて』には次のように説かれているのであります。

「恐怖心、憎悪心、争闘心、攻撃精神、嫉妬、羨望、

貪欲、猜疑・・・・・など、あやまれる感情は、その

健全なる理念の指導を歪曲して、病気の相(すがた)に置きかわらしめる。

だから健康になりたい者は、ただ健全なる想念のみを心に描くべきである。

 その健全なる実相の想念をじーっと心に描いて、それを観つめているのが、この神想観なのであります。

観無量寿経に示されている“仏身観”や弘法大師の教

えられた”阿字観”において大日如来の実相を観ずるのも同一原理であります。

 ここに示されている

「感謝と、讃美と、和解と、調和と」こういう念(こ

ころ)は、神様の健全なるいのちの波長に波動が合う

ところの、調和した念でありますから、だから常に感

謝と讃美と和解と赦しと、調和の心を起しておれば、

肉体には健全なる調和した相がそこにあらわれて来るのであります。

「何物も死するものはないのである。死と見ゆるはただ其処に変化が起っただけのことである。

永遠の生命は死することなく、また新しき形態に出現せんとしつつあるのである」

                   (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。32 - 道産子

2020/08/24 (Mon) 08:14:39





しっかりしたエビデンスはないのですが
「これを飲んでおけばコロナにかからない」と言われる
ものがあります。

それは何かというとビタミンCとビタミンDで
しかもビタミンCは高容量がいいとされています。


ビタミンCについては
免疫力を上げるというエビデンスがあり

それが機能することで
コロナにかかりにくくなる可能性は
十分に考えられます。


ビタミンDは風邪、インフルエンザ
肺炎など呼吸器感染症の予防に役立つというエビデンスがありますので
同じくコロナにも有効な可能性が高いです。


というわけで、ウィズコロナ時代に、お出かけする場合は
ビタミンCとビタミンDを飲んでおくと
予防効果を期待でいるのではないかと思います。

また、ビタミンDは日光浴することで体内で生成されますので
時々日光に当たるのもいいと思います。

コロナはただの風邪と言われるようになり
気にしない人も増えていますが

味覚障害などの後遺症が残る人も結構いるようですので
なるべくかからないほうがいいですね。・・・>。


 伝統様のご投稿より<m(__)m>。(*川島和正オフィシャルブログ(2020.08.22))

いつもスゴイ情報量、感動的です(^^)/。








 雅春先生の御講話です。



      ある傷痍軍人の実例


 ここで、今ちょっと思い出したのでありますが、戦

後直後でしたが、あれは、多分、九州の福岡で講習がありました時でした。

傷痍軍人の方で、脚に弾丸を受けて、傷は治ったが、

その一方の脚が曲らないで、坐れないので脚を投げ出しておられた受講生がおりました。

 その時に、私は、高千穂の峰に登った時の話をした

んです。あの高千穂の峰へ、日向の方から、霧島山を

登って行きますと、頂上に天逆鉾というのが祀ってある。

天から逆さまに宇宙を貫いて落ちてきた剣だとして祀

ってあるのですが、そこへ達する少し前の所に、“馬の背越え”という所があるんです。

ちょっと馬の背中のような恰好に、土が高く盛り上がっていて、そこから坂が急になって登るんです。

その“馬の背越え”という処に暫く立って崖を俯瞰す

ると、その崖が、是は豪雨でもあった時に、山津波で

も起してシャーッと山の一部がズリ落ちて、その土の

滑り落ちた跡が截り立ったような垂直の壁面を山肌に作っているのです。

                   (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。32 - 道産子

2020/08/25 (Tue) 07:12:37




<粟野真弘先生は帯広にいらっしゃるのですね(^^♪、

ほんとうに、北海道でも暑い所です、冬は厳しいですけれども。・・・>









 雅春先生の御講話です。



 それには速力の感じが出ていて、速力はやくサーッ

と画筆を名画家か墨痕凛漓(りんり)と走らせたよう

な力の感じの美しさというものがその崖の壁面にあらわれていたんです。

その光景を私が話して、

「神様のお創造りになったものは全て美しい。そこには神の生命が動いておって、皆んな美しんだ。

この截り立った山の肌は山の一部が崩れて落ちた跡で、謂わば、これは山の傷痕である。

この山の傷痕でさえも斯んなに美しいのである。

「それなのに、天皇陛下のために大東亜戦争で戦っ

て、そして負傷した傷痕を、“私は斯んな見苦しい身

体になっている”と思って怨みに思っている人がある

か知らんけれども、それを、みる眼で見たならば、此

の山肌の傷痕が美しいのと同じように、実に美しいのである。

その傷痕にも、生命の動きがあらわれているのであ

る。すべて生命の動きがあらわれているものには何でも、何とも言えない美しさがあるんだ。

それがわからないのは、観る眼がないからである」――というような話をしたんです。

                   (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。32 - 道産子

2020/08/26 (Wed) 08:06:00


 新型コロナの危険度を見直すような情報があったと思いましたら、ネイチャーはパンデミックは数年続くと!(^^)!。








 雅春先生の御講話です。



 そしたら、その瞬間に、その脚を投げ出しておった

人が、ちゃんと坐って、それから今まで跛(ちんば)

ひかなければ歩けなかった其の人が、講習を終ると、

跛をひかないで、ちゃーんと歩けるようになって、礼

を言ってお帰りになったので、受講生一同が大騒ぎでこの傷痍軍人を祝福したのでありました。

 この人が今まで、脚が硬直して曲らなかったの

は、“自分は、戦争のお蔭でこんな目に遭わされ

て・・・・・”と思って、国家を怨んだり、軍を怨ん

だり、或いは敵のアメリカ兵を怨んだりしておったの

で、その硬直した心が、肉体にあらわれていたのでしょう。

ところが私が、「この山肌の、崖の崩れた傷痕でさえ

も斯んなに美しい、況や天皇陛下の御いのちのために

働いて傷ついたその傷痕というものは、決して見苦しいことはないのである。美しいんだ。

それが分らないのは、吾々の心の眼が開かないからで

ある」――という話をした時に、”私は戦争のために

傷ついた。自分は被害者だ“と考えて怨んだり、憎ん

でたりしていた今までの一切の怨みや憎しみが消え

て、”自分のいのち“が大いなる天皇の”大御いの

ち“の中に融け込んで、そしてこうして国家のために、天皇のために働いたお蔭でこうなったんだ。

これは却って有難いんだ、此処に私の忠誠のシルシが

あるという、傷痕を祝福する気持ちが起ったらしいんです。

そうすると、その脚が治って跛をひかないで起ち上っ

て当り前に歩けた、というのであります。だから、肉

体はまことに“心の影”であると、いうことがわかるのであります。

                   (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。32 - 道産子

2020/08/27 (Thu) 08:29:13



<OMO(Online Merges with Offline)
NIO(ニオ、上海蔚来汽車)
DX(デジタルトランスフォーメーション)
UX(顧客エクスペリエンス)・・・>。

 伝統様のご投稿より<m(__)m>。

 中国は先進地(^_-)。









 雅春先生の御講話です。



    “無限”と“有限”との自己同一


 さて、“永遠の生命”が“今”“此処に”生きてい

るという“無限”と“有限”との自己同一、“永遠の

生命”が“今”との自己同一を自覚しなければ、現象

的には有限のいのちしか生きることの出来ない自分

が、“今、此処”に “永遠の生命”を生きているということがわからないのであります。

つまり、キリストが「我はアブラハムの生まれぬ前よ

りある者なり」といったことや、釈尊が「我は五百塵

點劫以前から生き通している自分だ」といったことがわからないのであります。

「『今』を生きるということ」については、テキスト

の一二九頁に、徳山和尚と『金剛般若波羅蜜経』の事が言及されているのであります。

                  (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。32 - 道産子

2020/08/28 (Fri) 08:09:09




<「谷口雅春先生を学ぶ会」のこの「霊牌浄火のみ祭」も今年で8年目を迎えました。

まず、8月9日、日本橋練成道場にて、「霊牌奉送の儀」が執り行われました。

17日、多磨霊園・谷口家墓所にて「霊牌浄火奉告の

儀」を執り行い、翌日、本住吉神社、烏原水源地にて同様の「奉告の儀」を執り行いました。

皆様からいただいた霊牌を、こうして、尊師ゆかりの

地にて奉告させていただくということが、私たちの何

よりのよろこびであり、また皆様への感謝の気持ちの表れでもあります。

19日、創建1,300年の歴史を持つ島根県江津市・大年神

社にて「霊牌浄火の儀」を厳かに斎行させていただきました。

今回のみ祭りで、何よりも嬉しかったことは、昨年、

宮司の格別のご配慮で斎行して頂いた〝宗教法人認証

祈願〟に対して、本年3月に認証が成就し宗教法人格を

取得致しましたことの御礼を、神前にご奉告させて頂くことが出来たことでありました。

宮司も、祝詞の中でそれについて触れていただき、参列者の大きな感動を呼ぶこととなりました。・・・>。


 破邪顕正様のご投稿より<m(__)m>。

すばらしいご報告です!(^^)!。









 雅春先生の御講話、続きです。



      徳山和尚と餅売の婆と


『金剛般若波羅蜜経』に精通した有名な支那の禅僧

で、周金剛とか金剛王とかいう綽名までとった徳山和

尚というのがあって、当時、支那の南方に禅学が盛ん

であったが、その禅風が気に食わんというので、「金

剛経」の注釈書をうんと背負って、南方の禅宗の坊主

達を仏教問答で撫で切りにしてやろうと大いに力ん

で、蜀の国を出発して澧州(れいしゅう)という処までやって来たのです。

そしたら腹が空って来たんです。そこで、いくら徳山

和尚でも腹が空っては戦が出来んわけで、恰度そこに

茶店が出ておって、餅売の婆さんが焼餅を売っていたのです。

徳山和尚が、

「おい、そこにある餅を呉れないか」といいますと、

その茶店の婆さんはジロジロと徳山和尚の風体を上か

ら下へと見回して「一体あなたの背負っておられるものは何ですか」と訊くんです。

「これはだ、『金剛経』という素晴しいお経だ。俺は

周金剛王と綽名されている位で、この『金剛経』の事

なら何でも精通しているんだ、たずねて見い!」といったのです。

                   (つづく)
 

Re: 伝統様、ありがとうございます。32 - xzytfeqskMail URL

2020/08/29 (Sat) 16:11:21

伝統板・第二
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Re: 伝統様、ありがとうございます。32 - 道産子

2020/08/30 (Sun) 08:12:50



<安倍首相、まことに「断腸の思い」であったと思います。

本当にご苦労様でございました。有難うございます。



 この緊急の時(^_-)、

雅春先生の御講話、続けさせていただきます。





 すると、餅売の婆さんは、

「金剛経には、過去心も不可得、現在心も不可得、未

来心も不可得とあるが、“現在”と思って捉えると、

もうそれは過去になっているから不可得であり、過去の心は過ぎ去ったので不可得である。

そして未来は未だ来ぬから不可得である。そうすれ

ば、あなたは、どの時間に餅をおあがりになります

か。その返事をして下さったら餅をあげましょう」というのであった。

 過去はもう過ぎ去ったから過去の心で餅を味わうことは出来ない。

現在、餅を食おうと思っても、“現在”と思う瞬間に、その現在はもう過去になってしまう。

そしたら、現在の心では食べるわけにはいかない。そ

んなら、“未来の時が来て現在になった時に食べよ

う”と思っても、未来が現在になったと思って、その

餅を掴んだ瞬間に、その”未来”も“現在”も過ぎ去

って過去になってしまうから、もう掴まえようがないではないか、ということです。

                   (つづく)





 管理人様、伝統様、どうぞ、この危急の事態によろしくご対処頂くことをお願い致します。

雅春先生のためにも、この貴重なる御講話を続けてみます。





 そのことを餅売り婆さんは指摘して、

「一体、過去心も不可得、現在心も不可得、未来心も

不可得である。・・・・・そんなら、どの心であんた

はこの餅をお喫りになるんですか」と言って訊ねたというのであります。

                  (つづく)
 

Re: 伝統様、ありがとうございます。32 - 道産子

2020/08/31 (Mon) 08:21:14




昨日はこの地も暴風雨が吹き荒れました。

当掲示板にも嵐がやって来たか、想定外の事でした。

AIにごく浅学な身にとりましては、ただうろたえることでした('◇')ゞ。

 管理人様の立派なご対応により、復元されたようで、有難うございます。

痛く、小生も責任さえ感じております。

謹写は続けさせてください。今後ともよろしくご指導のほどを・・・<m(__)m>。







 御講話の続きです。




    現象時間は存在しない、従って非存在の

   現象時間の中にある事物も存在しない



 その説明を『人生を見つめて』には次のように書い

てあるので、ここは重大な真理を含んでいるので、先

の説明と重複にはなりますけれども、百三十頁の三行

目からその説明の部分を朗読しながら話す事に致します。

「『過去』は過ぎ去って今はもう無い。『現在』はそ

れを捉えた瞬間に過去となってしまって、『現在』というものはもうないのである。

『未来』はまだ来ていない」からないのである。だから、過去、現在、未来、ともすべてないんだ。

“そんなら、どの過去に食べるのか、どの現在に食べ

るのか、どの未来に食べるのか”

というと、そんなもんは無いのだから食べようがない


その事は何を根本に意味しているかというと、この現

象界の一切のもの――即ち、

過去、現在、未来の時の流れの中にあるものは、すべてないんだということである。

                   (つづく)
 

Re: 伝統様、ありがとうございます。32 - 道産子

2020/09/01 (Tue) 08:11:33




コスモス様の仰る通り、首相辞任会見時のAやらKやらHやらTなどの質問には腸が~でしたね!(^^)!。

 首相の復活を望む人は多いと思います(^^♪。










 雅春先生の御講話です。



 “現象はない”ということです。

「生長の家で、いくら現象は“ない”と言ったっ

て、“ある”じゃないか」と反撥する人があるかも知

れないが、現象はあるかのように現われているだけであって、それはないのであります。

このことを維摩経には、「幻術師(幻術師というのは

妖術を使う魔法使い)が現わした魔法の人間みたいな

ものがこの現象の人間であって、そんなものは本当はないのである」と書いているのです。

本当に”ある”のは、現象の奥にあるところの”永遠に壊けないところの人間“そのものなのであります。

これが人間の実相であって、吾々は

その実相を自覚しなければならないと維摩経は説いているのであります。

                   (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。32 - 道産子

2020/09/02 (Wed) 07:58:55



<江戸時代の人の体温が平均三七度くらいだったそう

ですが、今は、三六度くらいで、一度くらい下がっているといわれています。

 だから免疫力が低下しているぶん、体温を上げればよい。

もう一つ内臓の温度を上げる方法。

  それは「笑う」こと。

   笑うことはある種の体操でもあります。

   笑いは、心拍数を上げ血圧を上げて呼吸を盛んにし、
   酸素消費量を増やします。

   これは体操したのと同じ状態です。・・・>。

 
 伝統様のご投稿より<m(__)m>。

私の今のフリーク?は、サンドウイッチマンです(^^♪。










 雅春先生の御講話です。



     “今”を生かせということ


 私たちが「“今”を生かせ」といったり、或いは又

「“今”に生きる」といったりする其の“今”という

のは、そのような現象時間の流れの中にある“現

在”というようなものを上手に生きようという簡単な

意味じゃないのであって、その過去・現在・未来の一

切がいまここに把まれているところの”久遠即今”の生命を生きよであるのである。 

「これを握れば一点となり、これを開けば無窮とな

る」と聖経に書かれているところの“無窮”が常にあ

るところの“今”の一点であるのです。

現象時間の流れの中で“無窮”を生きようと思うと肉

体の寿命は無窮には生きられないけれども、今”の一

点に”久遠”の絶対時間を生きると、過去も現在も未

来も今此処に一つに把まれてしまう、ということになるのであります。

 そうすると、吾々は今此処の自己の内に過去も現在

も未来も把んでいるから、過現未が自分の掌中にあるのです。

普通、過去は変化することが出来ないというけれど

も、過去も変化することができる。そこから吾々は真

理を自覚すれば過去の業を消すことができるということがわかる。

                   (つづく)




Re: 伝統様、ありがとうございます。32 - 道産子

2020/09/03 (Thu) 08:35:22



 ユーミンが安倍首相にエール?をおくったとか、

♪中央フリーウェイ、♪卒業写真などいいですもねえ(^^♪。












 雅春先生の御講話です。



 未来は無論、これから起こるのだから変化できる。

現象の流れの中にあるものは、全部こうして自分の内

に“心のハンドル”をもって把んでいるんですから、吾々が欲して変化できぬものはない。

吾々は、現象に対しては幻術師の立場にある。現象は

仮現(けげん)であって、心の現わすところであるか

ら、心によって自由に変化することが出来るのであります。

 さて、この「“今”を生きよ」という“今”は、唯

今説明しましたように、過去・現在・未来という現象

時間の流れのうちの“現在”を生きよというような浅い意味での“今”ではないのであります。

過去・現在・未来のすべての時間がその内に握られて

おり、其処から過去・現在・未来が発して来るところ

の“本源の今”、“源の今”、“永遠を内に含む今”を自己の掌中に握ることであります。

この“永遠を内に含む今”が “永遠の今”、 ” 今即

久遠”、 ”久遠即今”、“未発の中”というものなんです。

               (一応の、おわり)

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