伝統板・第二

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ひかりの一日一言64~生命と智慧とへの出発 - 伝統

2020/07/01 (Wed) 04:45:21

この「生命と智慧とへの出発」は
「眞理」第2巻基礎編第6章(P155~181)からの謹写です。



ひかりの一日一言《1日》

《1日 一週間でもよいから心を明るく感謝することを実行してみなさい》

神は光の神であり、無礙光の仏であり、暗(やみ)を照らす光である。
神の救いを受けようと思うならば、光の心を起さなければならないのである。

光の波長は光の波長を受け、暗(やみ)の波長は暗の波長を受けるからである。

「光の心」と云うのは「明るい心」である。
光明思想と云うのは人間を明るい心に導く思想である。

多くの病人は大抵暗い心をもっているのである。
暗い心は暗いもの、陰気なもの、病的なものを引き寄せるのである。
多くの病人は厭世家であり、厭世家は身体が弱いのである。

心が感謝で満たされ、明るい心になったとき、
どんなに自然療能が増加して、速やかに病気が癒えはじめるかは、
病人よ、それを1週間だけでも実行して見給え。

ただちにその効果がわかるのである。


          *「眞理」第2巻基礎編第6章(P155~156))より

       <感謝合掌 令和2年7月1日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《2日》 - 伝統

2020/07/02 (Thu) 04:15:04


《2日 自然療能の力》

ロイ・H・マッケイ博士はその著『自然療能を働かしめよ』と云う著書の中で、

「多くの人々は知らないでか、それとも信じたくないのか、
 病気の80%はただ寝床に行って適当な食物を食べるだけで
 何ら医者の処置なしに快方に赴くものであることを認めようとしないのである。

 これは外科のことにも当てはまるのであって、
 毎日驚くほどの人数が不必要にも外科手術を受けているのである」

と言っている。

このマッケイ博士は決して精神治療家でも心霊治療家でもないのである。
彼は有名なる外科医なのである。

そしてその序文に、
「本当は、こんな著書は自分は書きたくなかったのだが」と書いている。
いやいやながら本音を吐いたと云う意味である。


          *「眞理」第2巻基礎編第6章(P156)より

       <感謝合掌 令和2年7月2日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《3日》 - 伝統

2020/07/03 (Fri) 04:48:40


《3日 大自然の調節力に従いなさい》

苦痛のときに何よりも先きに、
吾々が振り向かなければならないものは、神であるのである。

明るい心をもって、
(悲しみつつでは、神の光の波長と波長が合わないのだ)
神に振向くことなのである。

肺臓も心臓も如何なる内臓も何もなかった卵細胞から、
この精密な肉体組織をつくり出したのは目に視えない神の力である。

その神の力(大自然の力と言っても好い)が、
あなたの内部に宿ってあなたの生命(せいめい)となっているのである。

その内部の力に頼ったら、
無いところからでも肺臓でも作る生命力であるから、
肺臓の空洞ぐらいは直ぐ埋める力がある筈である。

その他(た)の病気でも同じことである。
大自然の癒やす力の中には「正しい食欲」と云うのがある。

食欲が起らないのに、時間が来たと云って、食物をたべるのは
大自然が調節している生理作用を攪き乱すことになるのである。

多くの病気は、本当に空腹にならないのに
食物を消化器に押し込むことから起っている。


          *「眞理」第2巻基礎編第6章(P157)より

       <感謝合掌 令和2年7月3日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《4日》 - 伝統

2020/07/04 (Sat) 04:43:57


《4日 常に明るい寛大なる精神を養成しなさい》

明るい朗らかな心は健康に必要なばかりではなく、
富と繁栄にも必要なのである。

明るさは、幸福を呼ぶのである。
明るいところに人が集って行くのは、単にネオン灯や、
電灯の光の下に人々が集って来ると云うだけの意味ではないのである。

万物は明るい処で栄え、暗いところでは
ジメジメした菌類や蘚苔類が育つに過ぎないのである。

栄えようと思う者は、運命に対して呟くな。
運命に対して明るい微笑と感謝と、愛念とを送るようにせよ。
其処から、ゆたかなる供給の流れが、
あなたの運命に流れ入るようになるのである。

愛念と、感謝と、明るい微笑とは健康のために必要なばかりではなく
あらゆる運命の好転に道をひらく鍵であるのである。


          *「眞理」第2巻基礎編第6章(P158)より

       <感謝合掌 令和2年7月4日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《5日》 - 伝統

2020/07/05 (Sun) 04:23:32


《5日 すべての人に愛を注ぎましょう》

愛はすべてのものを一つに結合するところの神の力である。
吾々が地球の上に生活することが出来るのも
「万有引力」と科学者が名づけたところの「神の愛」のお陰に過ぎないのである。

科学的には「引力」の正体はわからないのである。

此の不思議な「物と物とが互いに引き合い結びあう力」は、
まだ人格的にまで進化していないところの、神の愛の力であるのである。

地球の愛の力(引力)が消えた刹那から、人間は足場を失い、空中に漂い、
否、真暗黒の無際涯の真空地帯に投げ出されるほかはないのである。

「愛」がこのように吾々の存在を支えていてくれ、
それによって吾々が安泰に生きていることができるのであると云うことを知るならば、
吾々はそのお礼にまた、愛をそそぐべきである。


          *「眞理」第2巻基礎編第6章(P158~158))より

       <感謝合掌 令和2年7月5日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《6日》 - 伝統

2020/07/06 (Mon) 04:46:10


《6日 神を知るなら恐れることはありません》

恐怖心は、すべての精神の正常な活動を麻痺してしまう働きをもっている。
恐れてはならないのである。

けれども単に「怖れてはならない」と教えられるだけで、
恐怖心が去るものではない。

併し、全能の神が今現にましましてあなたを護っていられることが判れば、
貴方は決して恐れることはないのである。

恐怖心を去るには常に

「われは神と偕に在り。神に護られてあり。
 如何なる悪も、吾れには近付くことが出来ない」

と瞑目精神統一して念ずるようにすれば、それを取去ることができる。

朝目ざめた瞬間にこの言葉を念じてから起き、
又、就寝の際にこの言葉を念じながら熟睡に入るならば
潜在意識にある恐怖心が除かれて大変効果があるのである。


          *「眞理」第2巻基礎編第6章(P159~160)より

       <感謝合掌 令和2年7月6日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《7日》 - 伝統

2020/07/07 (Tue) 04:41:58


《7日 事物が思うように行かぬ場合には》

西洋の諺(ことわざ)に、

「何かが行き詰って来たら、何かを与えることを考えなさい」

と云うのがある。

これは、釈尊の「飢饉のときほど托鉢せよ」と云う言葉に匹敵する警句である。

凡(およ)そ物事が行き詰っているのは、
つかんでいて放たないところがあるからである。

これは金銭をつかんでいる場合もあれば、
愛を与えることなしに、自分の献ぐべき筈の愛や労力や献身を与えないで
差し控えている場合もあるのである。

また感謝を与えることを忘れて与えないでいることもある。

では、みずから反省して見て自分は何を与えることを差し控えておったかを反省し、
今まで与えないでいたところのものを惜しみなく与えることにして御覧なさい。

無限の供給は滔々としてあなたに流れ入って来ることになるのである。


          *「眞理」第2巻基礎編第6章(P160~161))より

       <感謝合掌 令和2年7月7日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《8日》 - 伝統

2020/07/08 (Wed) 04:46:17


《8日 欠点を気にしてはならない》

権威をもつ人に面接するのを恐怖する人があるけれども、
そんな恐怖心は結局、あらざるものをありとする妄想から起るに過ぎない。

何故(なぜ)なら真に偉大なる人格は、愛に満ちており、
決して人を排斥することはなく、また人を害することもないからである。

あなたが何物かを恐れるならば、それは唯(ただ)妄想に過ぎない。

何故なら人間は神の子であって、完全に自由であって、
何物にも害されることなく何物にも支配されることがないのが
人間の実相であるからである。

何者もまた何物も、あなたの幸福を奪うことは出来ない。

何処(どこ)かに傷口のある人は
常に心にその傷口のみを心にとめるから治りにくいのである。

欠点もその通り、その欠点を気にかけると治りにくい。


          *「眞理」第2巻基礎編第6章(P161)より

       <感謝合掌 令和2年7月8日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《9日》 - 伝統

2020/07/09 (Thu) 04:31:39


《9日 「既にわが事は成れり」されば急がずに懶けずに》

人生は永遠である。
個人の生命(せいめい)も永遠である。

「死」はないのである。
だから何事も急いではならないのである。

では懶(なま)けてよいかと云うと、決してそうではないのである。
懶けている時間は生命(せいめい)の停止である。
生命(せいめい)の停止は「死」である。

与えられた「死」はないけれども、
自発的に生命(せいめい)を停止させたときは「死」である。

では「死」をいとう者は懶(なま)けてはならないのである。
懶(なま)けずに、しかも急がないのが好いのである。

急ぐと、生命(せいめい)が乱動し、乱動すると躓いて、
良き仕事が出来ないのである。

当たり前の、そのままの心で、しかも物事は手早く迅速にたゆみなくやる。
これが生命(せいめい)が充分生きる道でもあれば、
また物事を過(あやま)たず成就する道である。

急がないためには、「既にわが事は心の世界に於て成れり」と信ずることである。


          *「眞理」第2巻基礎編第6章(P162)より

       <感謝合掌 令和2年7月9日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《10日》 - 伝統

2020/07/10 (Fri) 04:23:54


《10日 受働を転じて主働とせよ》

「悟りの生活」と云うものは、
みずからがみずからの主働者となると云うことである。

キリストの「汝の右の頬を打つ者あらば、左の頬をもめぐらせて打たせよ」
と云う教えは、決して柔弱に手向かう力なく受け身になっておれ
と云う意味ではない。

「汝の右の頬を打つ者」が出て来ただけでは、そこまでは受身(受働)である。
自ら「左の頬をもめぐらせる」ところになって、
受働が主働(主人公としての働き)に変って来るのである。

最早、彼に《打たれる》(受け身)ではなくして、
《みずから打たせる》(主働)のである。

賃金を貰って、仕事は嫌だけれどもやっている状態は、
仕事を賃金でさせられている「受働」である。

賃金以上に働いた部分だけがみずから生きたので「主働」である。


          *「眞理」第2巻基礎編第6章(P162~163)より

       <感謝合掌 令和2年7月10日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《11日》 - 伝統

2020/07/11 (Sat) 04:33:03


《11日 神はあなたの内にある》

「神さまがよいようにして下さる」
こう考えて、何事も抛(な)げやりにして置くのが
信仰の生活ではないのである。

神は「法則」である。

「法則」のあらわれは「秩序」であるから、
「秩序」ある生活を営むことが、其処に自分を通して
神が生き給うことになるのである。

「神の国は汝の内にあり」とイエスが言われたように、
その汝の内に「神の国」があり、其処に「神」がい給うのであるから、
その「神」を働かして何事でもシッカリと行うことが、
「神が良くして下さる」ことなのである。

いくら神様に祈っても、
外なる神は時計の捩子(ねじ)一つかけては下さらないのである。

自分の内に神があり、その神を働かすとき、
偉大なる御業(みわざ)を成し就(と)げることが出来るのである。


          *「眞理」第2巻基礎編第6章(P163~164))より

       <感謝合掌 令和2年7月11日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《12日》 - 伝統

2020/07/12 (Sun) 04:31:39

《12日 求めよ、而して行動せよ、さらば与えられん》

嘗て或る人が食堂に入って行(い)った話を思い出しましょう。
其処には多勢(おおぜい)の人々が食事をしていました。
其人(そのひと)は今に自分にも適当な飲料と食料が来るであろう
と思って待っていました。

ところが、いつまで経っても一杯の飲料も一皿の食物も出て来ないのです。
何故、この人には一杯の飲料も一皿の食物も来ないのでしょうか。
それは彼が言葉で註文しないからです。

それと同じことが此の世界なのです。

若し吾々が心の中に、或は言葉に出して
(心の中<うち>に思うことも心にコトバを出すことです)
欲するものを唱えなければ欲するものは出て来ないのです。

勇敢に欲するものを言葉に出して、
「われこれを求む、神は必ずこれを与えたまう」と常に念ずることです。

そして其処に出された食物を食べることです。


          *「眞理」第2巻基礎編第6章(P164~165)より

       <感謝合掌 令和2年7月12日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《13日》 - 伝統

2020/07/13 (Mon) 04:35:14


《13日 この順序で成功を期してやりましょう》

すでに食堂の配膳台には自分の欲するものが列(なら)んでいるのに、
それを言葉で求めなければ自分の前に出て来ないし、
又それが食卓に出て来たにしても、その食物(しょくもつ)を
自分がたべなければ本当に自分のものにはならないのです。

「自分がたべる」と云うことは、自分が行動に移すことであります。

(一)欲するものを定(さだ)め、
(二)それを心に念じ、言葉にあらわし、そして
(三)行動を起すこと、

これが何事でも成就するために必要な三つの条件である。

例えば

(一)幼い時から、「わたしは文学者になろう」と決心し、
   欲するものを定(さだ)めたとします。

そして
(二)文学雑誌や同人雑誌に投書でもしていますと、
   常にそれを心に念じ言葉に表現しているのです。

そして
(三)必要な行動をとる。どこかの大学の文科に入学するとか、
   せっせと制作に従事するとか。・・・・


          *「眞理」第2巻基礎編第6章(P165~166)より

       <感謝合掌 令和2年7月13日 頓首再拝>

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