伝統板・第二

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父の日 ② - 伝統

2020/06/20 (Sat) 04:27:22

明日、6月21日(日)は、「父の日」。
父の日に因んで、「父」に関する情報を紹介して参ります。


《父の鞄持ちが教えてくれたこと》

     *メルマガ「人間力」(2020.06.19)より

   日本の能楽界を牽引する銕仙会棟梁の観世銕之丞さん。
     (http://www.tessen.org/about/tetsunojo/tetsunojo )

   しかし、若い頃の修業時代には能楽をやめてしまおうと思っていたそうです。

   立ち直るきっかけとなったのは、
   能楽師で人間国宝のお父様の鞄持ちをしてことになったといいます。


(観世) 

転機が訪れたのは1978年、私が22歳の時でした。

一座を支えていた伯父の寿夫が、
53歳の若さで突然亡くなってしまったんです。

銕仙会は大きな団体ではありませんから、
トップが一人欠けるだけで人手が不足します。

それで私も無理矢理に実戦配備となり、
いろんな仕事がどんどん来るようになったんですね。


また、父も自分の仕事に加えて伯父の代役を
しなければならなくなりました。

稽古だ、申し合わせ(リハーサル)だなんだと早朝に出掛け、
舞台を務め、関係者とお付き合いをして深夜に家に戻ってくる。

それから次の日の勉強をし、少し仮眠を取ったら再び家を出ていく……。

(――すさまじい激務です。)


(観世)

こんな生活をしていたら父は死んでしまうんじゃないか、
もし父がいなくなったら、長男の自分がこの一座を支え、
家族の面倒も見ていかなくてはいけない。

でもいまの生活能力のない自分にはとてもそんなことはできない。

そう考えた時、これは何とかしなければいけないと、
ようやく真剣になりましてね。

とにかくまずは父の助けになろうと思い、
スケジュールを調べて電車の切符をとったり、
宿を予約したり、鞄持ちを始めました。

すると、それまで怖いばかりで決してよい関係にはなかった父が、
「なぜ機嫌が悪くなるのか」「なぜ難しいことを言うのか」
「何をしてほしいのか」、分かるようになっていったんです。


(――お父様と呼吸が合っていった。)


(観世) 

同時に、父について回ることによって、
いろいろな面から父を支援してくれている人たち、
バックステージの人たちがいるからこそ、能舞台が成り立っている。

だから、「皆にこういうふうな接し方をすればいいんだ」
ということも次第に分かっていきました。

その頃からですよ、楽屋で自分の居場所のようなものができ、
能楽にも一所懸命向き合えるようになったのは。

  (※本記事は2020年5月号から抜粋しました。)

・・・

<関連>


本流宣言掲示板「父の恩 (2607)」
http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=509


光明掲示板・第一「【父の日】 (9279)」
http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=1761


光明掲示板・第二「【父の日】 (9186)」
http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=1793 (消滅)


伝統板・第二「父の日」
  → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6520253

         <感謝合掌 令和2年6月20日 頓首再拝> 

「ベスト・ファーザー イエローリボン賞」 - 伝統

2020/06/21 (Sun) 04:14:33

この日には、日本ファーザーズ・デイ委員会という団体が、
幸福や希望の象徴である「黄色」を「父の日」のイメージカラーとし、
その年話題になった“お父さん”に「ベスト・ファーザー イエローリボン賞」を贈っています


イエローリボン賞(ベストファーザー賞)に選考されるお父さんは

(1)明るく楽しい家庭づくりをしている父親
(2)父親学の実践者、厳格なしつけをしている父親
(3)子供たちの良き理解者、良き教育者

(4)お母さんと子供から見た素敵なお父さん
(5)社会の福祉に貢献し素敵な父親像をアピールしている人
(6)ユニークな子育てをしている父親

となっております。


今年のイエローリボン賞(ベストファーザー賞)に選考されるお父さんは以下の通りです。



長谷部 健(渋谷区長)

   選考理由

   未来をつくる子どもたちには自分自身を知るためにも失敗を恐れず
   広い世界に挑戦して欲しいと語る愛情溢れるまなざしは、
    まさにベスト・ファーザーの理念にふさわしいものです。


藤木 直人(俳優)

   選考理由

   子育ての経験を通して俳優としても成長し、
   子どもたちとともに過ごす時間や経験を大切にしたいと語る明るい笑顔は、
   まさにベスト・ファーザーの理念にふさわしいものです。

   (https://www.chunichi.co.jp/article/72162


田中 史朗(ラグビー選手)

   選考理由

   ワールドカップ2019日本大会では家族と共に戦い、
   一緒になって子どもたちとの時間を楽しみたいと語る前向きな姿勢は、
   まさにベスト・ファーザーの理念にふさわしいものです。

   (https://fdc.gr.jp/jigyo1/


         <感謝合掌 令和2年6月21日 頓首再拝> 

お父さんの思い出を作文に書けなかった - 伝統

2020/06/22 (Mon) 04:28:29


【感動実話】教室にいる全員が泣いた小学生の作文の発表会
【涙腺崩壊】涙なしでは見れない…

小学生の時、僕はいじめられていた。

無視されたり、叩かれたり…。

死にたいとは思わなかったけど、

学校に行くのはとても辛かった。


イジメをするのは、

一部のクラスメートだけだったけど、

他の子たちは、自分もいじめられるのが怖くて、
誰も助けてはくれなかった。


ある日、

授業で「自分のお父さん」のことについて、

作文を書く授業があった。


先生は、
「何でもいいんだよ。遊びに行ったこととか、
 お父さんの仕事のこととかでもいいんだよ」と言っていた。

けど、僕はなかなか書くことができなかった。

クラスの子たちは、みんな楽しそうに書いている中、
僕一人教室の中で、独りぼっちだった。

結果から言うと、作文は書いた。

書いたのだが「自分のお父さん」というテーマとは違うことを書いた。

またこれがきっかけで、イジメられるのかなと、
子供心にとても不安だった。

でもそれしか書けなかった。

作文は授業の終わりと同時に集められ、先生は、
「来週発表会をします」と言った。

先生は、そのまま教室を後にした。

その後は、頭を叩かれて、いじめられている普段の僕がいた。

そして、作文の発表会の日。

ただひたすら、「僕の作文は選ばれませんように」

僕は、祈って下を向いているだけだった。

発表会は、順調に進み、あと10分で授業も終わるところまで来ていた。

僕は少し安心していたのだが、その期待は無駄だった。

先生が言った。

「では、最後に○○君に、読んでもらいます」

頭の中は真っ白だった。



僕は言った。

「あの、先生・・・。僕はお父さんのこと、書いてないです」

クラス中から非難の声が上がった。

誰かが言った。

「バカじゃねえの?廊下に立ってろよ、オマエ」

様々な声が飛び交ったが、非難の意見はみんな一緒だった。

もうどこにも逃げられなかった。

「静かにしなさいっ!」と先生。

突然の大声に、教室は静まり返った。

続けて先生が言った。

「先生はどうしても読んでもらいたいの。だからみんな聞いてください。
 さあ、読んでください」

僕はおずおずと読みました。

          ・・・

『ぼくのお父さん』

ぼくのお父さんはいません。

幼稚園の時に、車にはねられて死んだからです。

だからお父さんと遊んだのも、どこかへ行ったこともあまりありません。

それにお父さんのことも、あまりおぼえてないです。

写真があるので見ましたが、おぼえていないです。

だからおばあちゃんと、お母さんのことを書きます。

お母さんは、昼間しごとに行って、お父さんの代わりに働いています。

朝早くから、夜おそくまで、いつも働いています。

いつもつかれたといってますが、
甘いおかしやたいやきを買ってきてくれるので、とても大すきです。

おばあちゃんは元気で、通学路のとちゅうまで、
いつもいっしょに歩いてきてくれます。

ごはんはみんなおばあちゃんが、作ってくれてとてもおいしいです。

お母さんが働いているので、父兄参観のときには、おばあちゃんが来てくれます。

みんなおまえの母ちゃん、ババアなんだとからかってくるので、
はずかしかったけど、でもとてもやさしい、いいおばあちゃんです。

だから、お父さんがいなくても、ぼくはあまりさびしくありません。

お母さんとおばあちゃんがいてくれるからです。

お母さんは、お父さんがいなくて、ゴメンねと言ったりするので、
早くぼくがおとなになって、仕事をして、うちのお父さん代わりになって、
お母さんとおばあちゃんの生活を楽にしてあげたいと思います。

だから、おばあちゃんには、長生きしてねといつもいっていて、
お母さんには、いつも肩をもんであげています。

二人とも泣いたりするので、少しこまるけど、
そんなお母さんとおばあちゃんが、ぼくは大好きです。

            ・・・

一気にぼくは読み終えた。

先生には、死んだお父さんのことを書けばいいのにと言われると思ったし、
クラスの子たちからは、お前のお父さん、いないのか?

もしかして、捨て子だったんじゃねえか、
と、またいじめられるのか、と思ったりしていた。

顔を上げることも出来なかった僕は、
救いを求めるように、先生の顔を見てみた。

先生は立ったまま泣いていた。

先生だけではなかった。

他の子たちもみんな泣いていた。

僕が初めて好きになった初恋の子は、机にうつぶせして泣いていた。

いじめていた子たちも、みんな泣いていた。


でも、僕にはなぜみんな泣いているのか、分からずにいた。

どうして?

お父さんがいないから、お母さんとおばあちゃんのことを、
仕方なく書いたのに。

どうしてみんな泣いているのだろう?


先生「○○君…」

僕「はい」

先生
 「先生は、人の心が分からない、ダメな先生でした。
 ごめんなさい。
 世の中には、親御さんのいない子もいるのにね。
 そういう人たちのことも頭になくて、
 お父さんのことを書いて、だなんて。
 本当にごめんなさい」

先生は、顔を覆ったまま、泣き崩れていた。

それがその日起こった出来事だった。


次の日からなぜか、いじめられなくなった。

相変わらず、口悪くからかったりはされたけど、
殴られることはなく、
イジメのリーダー格の子に、遊びに連れて行ってもらえるようになった。

先生は、その後の家庭訪問で、
その日の出来事を、おばあちゃんに話して謝っていた。

作文のことは、僕は話もしていなかったので、少し怒られたけど、
話を聞いた母も、おばあちゃんも、嬉し泣きみたいな、
くちゃくちゃの顔で叱ってくれた。

僕も今は、立派な、人に誇れるような仕事はしてないけど、
家族のおかげで一人前の大人の男にはなれたと思う。

大人になった今でも、その時のことはなぜか覚えているし、
ふと思い出したりもする。

これが僕が書ける自分の思い出です。

ここまで読んでくれた方には、「ありがとう」と言いたいです。

参考:2ch「心に残るいい話」より

     (http://yuru2club.com/wp/?p=2442

https://ms-my.facebook.com/buzzpopularity/videos/1729234447096060/

         <感謝合掌 令和2年6月22日 頓首再拝> 

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