伝統板・第二

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言葉の力 ⑤ - 伝統

2020/06/18 (Thu) 04:57:44

言葉は、人生航海の舵

        *『生命の實相』第三十七巻幸福篇上(6月18日)より

言葉が舵であって、人生の方向を定める。
言葉、言葉、言葉、言葉・・・・・
われわれの心に印象を深からしめるために「言葉」という字を繰り返し繰り返し書いておく。

船は船長の言葉の力でその方向に必ず進むのである。
船長はみだりにまちがった言葉を出すことはできない。
船長が「東」と言うのに、船が「西」に進むということはありえない。

では、われわれは「幸福」に人生を航海したいならば、「幸福」の方向にのみ
自分の「人生」を進めたいならば、われわれは自分の人生の船長であるから
「幸福」とのみ掛け声をかければよいのである。

「幸福」「幸福」とのみ毎日掛け声を掛けているならば、
必ず自分の「人生」は幸福の方向に進んで行くにちがいないのである。

「健康」「健康」とのみ掛け声をかめていれば、
必ず「健康」の方向にのみ自分の人生は進んで行くにちがいないのである。

それだのに「幸福」を切に求めながら、毎日「自分は不幸だ」と掛け声をかけたり、
呟いたりしている人があり、「健康」を切に求めながら、毎日「自分は虚弱だ」と
掛け声をかけたりしている人がある。

自分の運命について呟く人、自分の病身について呟く人はこういう種類の人であって、
その人がその生活習慣を改めないかぎり、本当に幸福と健康とは来ないであろう。

今現に不幸であっても「幸福」と言う人は、
西へ行こうとしている船が「東」と言う船長の言葉で「東」へ位置を変じはじめると同様に、
「幸福」の方向へ生活が転向しはじめるのである。


・・・

<関連Web>

(1)“本流宣言”掲示板「言葉の持つ力 (5205)」
   → http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=1100  

(2)光明掲示板・第一「言葉の力」
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=216    

(3)光明掲示板・第二「言葉の創化力」
   → http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=27 (消滅)

   伝統板・第二「言葉の創化力」(光明掲示板・第二)
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7825464

(4)光明掲示板・第三「言葉の力 (213)」
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=77

(5)光明掲示板・伝統・第一「言葉の力 (71)」
   → http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=wonderful&mode=res&log=44

(6)伝統板・第二「言葉の力①」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6459722

(7)伝統板・第二「言葉の力②」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6844600

(8)伝統板・第二「言葉の力③」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7602123

(9)伝統板・第二「言葉の力④」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7815156

           <感謝合掌 令和2年6月18日 頓首再拝> 

否定的な言葉は打ち消しておくことが必要 - 伝統

2020/06/19 (Fri) 04:58:12


        *『生命の實相』第三十七巻幸福篇上(6月19日)より

「アダムの名づけたるところのものは、その物の名となれり」と
「創世記」にあるように言葉のとおりに事物はなるのである。

宇宙は感受力鋭敏なラジオ・セットのようなものである。
このラジオ・セットは言葉で放送したものを感受するほか、
心で放送したものを鋭敏に感受して、それを具体的可聴的可視的な存在とするのである。

自分の放送しないところのものは一つとしてこの世界に形を顕わさない。

妻を呪う言葉を出したときには、妻はやがてその呪わるべき形に変って来るだろう。
良人を呪う言葉を出したとき、良人はやがてその呪ったとおりの姿に現われて来るであろう。
自分の職業を呪い、境遇を呪うがごとき言葉は冗談にも発すべきではないのである。

もし過ってそんな言葉を出したならば、それと反対の言葉、
「善い良人だ」「善い妻だ」「自分の職業は良い職業だ」「自分の境遇は幸福な境遇だ」
というような言葉で打ち消しておくことが必要なのである。

           <感謝合掌 令和2年6月19日 頓首再拝>

目覚めの言葉 - 伝統

2020/06/23 (Tue) 04:34:12


        *『生命の實相』第三十七巻幸福篇上(6月23日)より

朝目を覚ましたとき、その疲労感に捉われるな。
多くの病人は、半睡半覚状態における身体の《だるい》感じを
「病気の執拗(しつこ)いためである」と錯覚しているのである。

「身体(からだ)の《だるい》のは同じ姿勢で長く寝ていたからである」と信ぜよ。

そして

「今後自分には善きことばかりが来るのである。
自分は神の子であり、神に祝福されたるものであるから、
常にいっそう幸運は訪れ、常にいっそう健康になるのである」

と瞑目のまま低声(こごえ)をもって繰り返し念ぜよ。

必ずその言葉の力のとおりになるのである。

           <感謝合掌 令和2年6月23日 頓首再拝>

その一言 - 伝統

2020/07/08 (Wed) 04:41:20


         *Web:道灌山学園の壁新聞より
              ~道灌山学園創設者・髙橋系吾

その一言でやる気を起こし

その一言で励まされ

その一言で夢を持ち

その一言で嬉しくなり

その一言で立ち上がり

その一言で腹が立ち

その一言で泣かされる

ほんのわずかな一言が
不思議に大きな力持つ

ほんの一寸の一言で

ことばは美しく
 
心やさしく

・・・

道灌山学園 創設者 高橋系吾
https://www.doukanyama.ac.jp/

道灌山学園 創設者の壁新聞
https://www.doukanyama.ac.jp/about/kabeshinbun.html

           <感謝合掌 令和2年7月8日 頓首再拝>

一切の存在はコトバにて成る - 伝統

2020/07/20 (Mon) 03:54:46


       *「理想世界」(昭和42年5月号)より
        ~昭和42年3月14日に東京・日本青年館で行われた
         憲法問題講演会に於ける御講話

聖書の“ヨハネ伝”の冒頭に

「太初に言あり、言は神と偕にあり、言は神なりき。
 万のものこれに由りて成り、成りたる物に一つとして
 これによらで成らざるものなし、これに生命あり、
 この生命は人の光なりき。」

と録されております。

すべてのものは言によって成ったというのがキリスト教の宇宙創造説であります。

「万のもの之に由りて成り」とありますが、この事物が生成することを
「成る」と日本語で申しますのも、実は、「成る」と「鳴る」とは
同一語源でありまして、凡て事物の本質は、言でありますから、
鳴りひびくのであります。

 
このことは旧約聖書の創世記の冒頭に、

「元始に神、天地を創造りたまえり、地は定形なく曠空(むな)しくして
 黒暗淵(やみわだ)の面にあり。

 神の霊、水の面を覆いたり木、神、光あれと言いたまいければ
 光ありき・・・・・」

とあるのに照合するのであります。

神が天地を創造りたまうたのは「光あれと言い給うた」ときに
光があらわれ、次々と、神のコトバによって万物が生じたのであります。

 
神はコトバによって万物を造ったといいますと、神とコトバとは
別々のものであって、神がコトバという道具によって万物を創造られたように
思い違いしがちでありますけれど、ヨハネ伝にありますように、

「コトバは神と偕にあり、コトバは神なりき」

でありまして、“コトバ”と“神”とは本来不可分の一体なのであります。

 
日本の古代の言語では、神のことを命と申しました。「みこと」というのは
“御言”即ちコトバということであります。

「みこと」の“み”は“御”という字で美称であります。

すべての物の本質はコトバである 

すべてのものは、外面から眺めますと、物質のように見えますけれども、
その本質はコトバであります。

それを日本人は古来ちゃんと、潜在意識にそれを悟っておりましたので、
この「湯呑」を指しても、「これは“湯呑”というものである」といいます。

またこの「書物」を指しても、「これは本というもの、書物というものである」
といいます。

そのほか何を指しても、「これは人間というもの」、
「これは動物というもの」__などというのであります。

「これは物質だ」といい切らないで「これは物質というものだ」と
吾々がいうのは、すべてのものは、それは物質に見えても、
実は「言うもの」なのだ、「コトバ」の具体的表現なのだ、
本質はコトバなんだと知っているからなのであります。

http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6882418
2016/05/27 (Fri) 08:13:11

           <感謝合掌 令和2年7月20日 頓首再拝>

医師のコトバは患者の症状を左右する - 伝統

2020/07/23 (Thu) 04:53:19


       *「生長の家」(昭和51年6月10日の法語)より

ある人が近頃、肉体に元気がなく、衰弱を感ずるので医師の診察を請うと
「これは肝硬変であるから絶対治らない。入院しても入院しなくとも結局は死ぬ」
という診断を受けた。

この診断を下された当人は、妻の下に帰ってくると、顔色蒼白、気力喪失、
診察を受けるまではそれほどでもなかった 衰弱状態が倍加していたというのである。

この場合の現象を考察してみると、

(一)医師の診断というのはコトバで成された。
   コトバによってその後の衰弱現象は成ったのである。

(二)コトバが患者の”心”を動かして、不安恐怖で満たしたのである。
   コトバは患者 の”心 ”を動かしたのである。

(三)”心”が不安恐 怖で満たされた結果、
   彼の肉体の症状が悪化して一層疲労憔悴を増したのである。
   即ち”心” は生理作用に影響を与えるのである。

以上、コトバを”心”を動かして
次に起こる現象発生の第一原因者として解釈したのである。

しかしこの医師の発したコトバというのは、本人のコトバではなく、
第三者た る医師が発したコトバの影響である。

わたしたちは第三者の不幸や病気を暗示するコトバに左右されてはならないのである。
他より来る暗黒のコトバを防衛する方法を知っておかなければならない。

           <感謝合掌 令和2年7月23日 頓首再拝>

《積極的な言葉で自己を強化なさい》 - 伝統

2020/08/08 (Sat) 03:36:16


          *「真理」第9巻生活篇(P169~170)より

耳にきこえる言葉は暗示となって、無意識の内に私たちの行動を左右します。
その言葉はラジオや学校の先生の言葉だけではなく、自分自身が冗談に言った
言葉でも同じような実現力をもっているのです。

「そんな立派な事は、私などには迚(とて)もできません」と云うような言葉でも、
それは謙遜のつもりで言われるのであっても、あなた自身から
立派な事をする力を徐々に奪いつつあるのである。

「わたしは生まれつき虚弱な体質でしてね」などと云う語(ことば)も
あなたの体質を弱体化します。

そんな悲観的な言葉を弄(ろう)するかわりに、
「人間は神の子だから自分はやろうと思ったらできない事は一つもない」とか、

「人間は肉体でないから虚弱などと云うことはない、若し遺伝と云うものがあるのなら、
私は神から無限の健康を遺伝しているのだ」

と云う積極的な言葉を使うように心掛ければ、やがて言葉の力によって
其の通りになるのであります。

           <感謝合掌 令和2年8月8日 頓首再拝>

「言葉は事の刃」 - 伝統

2020/08/09 (Sun) 03:03:37


       メルマガ「IISIA」(2020年7月20日)「今日のことば」より

⇒“今日のことば”は:
 「言葉は事の刃」、です。


⇒その理由は……:
─言葉は「事の刃」です。
 要するに事柄がそれによって切り取られ、つくられて行きます


─したがって気を付ける必要があります。
 否、最新の注意で立ち向かう必要があります

─そういうこと、なのです。
 ところがそれを知らない方々が多すぎる

─結果、無用な混乱が生じています。
 そのことに留意すべきです。


「他人に文句があるならば便所で一人で言え」

宰相・田中角栄の言葉、だ。


全くもってそのとおりなのだ。
一度放った罵詈雑言は必ず自分に返ってくる。

それを知らなければならない。
そのことを踏まえ、動く賢慮が必要だ。


さて、己はどうか?
事の刃で切って前進するのか

あるいは切られてしまうのか。
どちらか?

・・・

<参照Web>
言葉の刃「言の刃」について(note<2019/01/13>)
https://note.com/mirabelle_vt/n/n5c144cf12872

           <感謝合掌 令和2年8月9日 頓首再拝>

【自分の話す言葉のすべてを、明るく、楽しく、人を喜ばせる言葉に】 - 伝統

2020/08/13 (Thu) 04:27:12


       *メルマガ「人の心に灯をともす」(2020.05.19)より

   (小林正観さんの心に響く言葉より…)

   「先祖の霊がたたる」という話を聞くことがあります。

   でも考えてみましょう。

   だれでも自分の子どもや孫はかわいいものです。
   その子たちの幸せを願うものです。

   煩悩を持った私たちでさえそうなのです。

   肉体を脱いで、神に近い存在になったかたたちは、
   「子どもや孫が、墓参りをしてくれない」というだけで、たたるでしょうか。

   先祖がたたるということ自体、ありえないことです。


   予言者や、「よく当たる」と言われている人から、
   「大けがをする」「大病をする」というような悪しき予言を聞いても、
   まったく信じる必要がない。

   「それ、起きません」と宣言する。

   その瞬間からあなたは、起きないことを祈りだす。

   悪しきことが起きないように、潜在意識で祈り始めているのです。


   聞いて楽しくない予言は、けっして正しい情報ではありません。

   100%当たらない。

   逆に、聞いて心地いい予言をすると、
   それを言った人も聞いた人も、細胞が活性化します。


   例えば、自分の子どもに向かって

   「あなたは私の子だから、ものすごい天才になるわよ」

   と話す。

   それも何気なく話します。


   または友人に向かって、

   「今度会うときはきっと、ますます若く美しくなっていますよ」

   と話す。

   そうすると、それを聞いた相手は笑顔になって、
   体じゅうの細胞が活性化して、細胞レベルで、
   その予言を受け入れるようになります。


   自分の口から出る言葉のすべては、
   相手の細胞を喜ばせる言葉であるように、
   ふだんから心に留めておくことです。

   それを実践といいます。


   世の中を 暗い暗いと 嘆くより
   自ら光って 世の中照らそう


   まず私自身が明るい状態になる。

   楽しく生きる。

   それが、ほんとうの「世のため、人のため」です。


   《自分の話す言葉のすべてを、明るく、楽しく、人を喜ばせる言葉にする。》

        <『神様を味方にする法則』マキノ出版>

           ・・・

このコロナ禍、SNSやマスコミには、
ネガティブで、暗く、人を不安にするような言葉に満ちている。

また、昨今は、少しよくなっても、
まだ安心するな、もっと頑張れ、もっと注意しないと大変なことになるぞ、と。


これは、予言と同じ。

ネガティブなことや、暗いことを言って、人を脅(おど)し、不安にさせ、
そして恐れや心配のタネを増やす。

不安な予言をする人は、その予言が当たるよう、
自分では意図しなくても、知らずにそれが実現するよう願ってしまう。

それは、つまり、人が不幸になることを願うということと同じ。


自分の話す言葉のすべてを…

明るく、楽しく、人を喜ばせる言葉にしたい。

           <感謝合掌 令和2年8月13日 頓首再拝>

《和顔愛語が天国をつくる》 - 伝統

2020/08/25 (Tue) 04:22:16


        *『 生長の家 』(昭和44年12月26日の法語)より

   あなたの言葉の中に温かい“ 愛 ”を満たせよ。
   その時、あなたの言葉は神の言葉となるであろう。

   決して冷酷な激しい言葉や、
   罵(ののし)りの言葉を出してはならないのである。

   もしあなたが激しい罵りの言葉を出すならば、
   あなたの住む世界は阿修羅(あしゅら)の世界となるであろう。

   若しあなたが怒りによって他に復讐をするような言葉を出せば
   この世界は地獄になるであろう。

   地獄も阿修羅も極楽もあなたの言葉がつくるのである。

   愛情のこもった言葉、愛情に満ちた眼光(まなざし)・・・
   愛の表現のみがこの世界に天国をつくるのである。


   http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/0c790c07d43e869d21c1d50b8eabe508

           <感謝合掌 令和2年8月25日 頓首再拝>

明瞭に語られたる言葉は、実現力が強い - 伝統

2020/08/30 (Sun) 19:03:13

     *『生命の實相 幸福篇下 第三十八巻』(8月30日)より

明瞭に語られたる言葉は、曖昧に念ぜられたる言葉よりも実現力は強いのである。
合掌瞑目神想観の形式をとり、自分の耳に聞こえるほどの声をもって、
次のごとく誦(とな)えることは自己内在の無限の力が自覚する上に効果がある。

「神はすべてのものを我に与え給えり、ありがとうございます。(十回)
神は無限の智慧を我に与え給えり、ありがとうございます。(十回)
神は無限の愛を我に与え給えり、ありがとうございます。(十回)
神は無限の生命(いのち)を我に与え給えり、ありがとうございます。(十回)」

十回には限らないのであるが、あまり永いのも長時間かかるし、短くても感銘が浅くなる。
十回と限定したのはそのためである。

敬虔の念を起こすために合掌の形式をとっているから、1回称えれば、右手の拇指に軽く力を
入れ相対する拇指を押し、2回称えれば右手の人差指に軽く力を入れて相対する指を押し、
順次に中指、紅指指、小指と移り、さらに左手の拇指より始めて左手の小指に至りて、
終われば合掌のまま、数のことを考えて意識を複雑にすることなしに十回称え終わるのである。

「ありがとうございます」と称える時は、すでにそれを受けたる感激に浸りつつ
本当にありがたい気持を起こすのである。

言葉は単なる思想以上の感情を招(よ)び起こし、
感情は単なる思想以上の動的創化力となるのである。

           <感謝合掌 令和2年8月30日 頓首再拝>

願いを言葉にして繰り返せば自分が変わっていく - 伝統

2020/09/05 (Sat) 03:42:43


        *Web:今日も良いことがあるように(2019/03/27)より

言葉には力があります。

自分の願いを心の中にしまっておくのではなく、
言葉にして繰り返せば、願いがかなうことがあります。

願いが100%かなわなかったしても、
その願いに相応しい自分に変わっていきます。

そんなお話をご紹介します。


《北海道の特別少年院で》

北海道帯広の特別少年院の女性法務教官Kさんのお話です。

Kさんは、16年間、少年院でカウンセラーしている方で、
仕事の大半は少年たちの話を聴くことです。

「何回もヤクをやめようと思ったけど、
 どうしても止められない。自分はもうダメなんだ」

覚醒剤で何度も少年院を体験してきた19歳の少年が
首をうなだれて何度も同じ言葉を繰り返します。

「自分はこの少年院を出たら、またダメになってしまう」
「自分はダメな人間なんだ」

ということを何度も訴えるのです。

しかし、少年がふと漏らした本音がありました。

「先生、本当は自分は普通の生活がしたいだ」

Kさんは、この言葉に希望を見出し、すかさず少年にすすめます。

「じゃあ、『普通の生活がしたい』『普通の生活がしたい』
 と常に心の中で念ずるか、言葉に出して何回も何回も言いなさい」

「先生、ダメなんだ。ここを出たらまた繰り返してヤクをやるよ。
 普通の生活はできないし、その生活がどんなものかもわからない」

「わからなくてもいいの。機械的でいいから、
 『普通の生活がしたい』って何回も絶えず言い続けなさい」

少年はその言葉に従いました。


《少年たちに変化が起こる》

すると、少年は次第に変わっていきました。

Kさんとのカウンセリングのとき、覚醒剤の話を一切しなくなったのです。

「どうしたの?この頃、覚醒剤の話をしないけれど」

「先生、そんなこと考えてるヒマないよ。
 ここを出たら、やりたいことが一杯あるんだ」

目を輝かせてそう言うのです。

そうして、少年の院内生活は模範的になり、1年あまりで出院できました。

最後のカウセリングで、少年は言いました。

「先生、自分は先生から言われたとおりやってよかった。
 だから、今度もし覚醒剤で入ってくる人がいたら、
 同じように言ってあげてください」

これは、Kさん自身が日々行っている方法です。


自分の願いを言葉にする。

それはKさんにとって祈りなのです。

彼女は、毎朝、少年院の建物がある場所より、
いくつか前のバス停で降りる習慣がありました。

そして、少年院までの道のりを20分から30分ほどでしょうか、
歩きながら、毎朝、少年たちのために祈りを唱えていたのです。

Kさんは、以後も、カウセリングを通して、
少年たちに願いの言葉を祈りにするすべを伝えてきました。

少年たちは、少年院に来るまでの様々な社会現象に巻き込まれ、
傷つき、人間不信に陥っています。

「親が許せない」「母親が憎い」・・・

そういう負の感情でいっぱいです。

Kさんはそんな少年たちに勧めます。

「『許せるようになりたい』と口ぐせのように繰り返しなさい」

すると、これも効果てきめんでした。

何回目からのカウセリングで、
「先生、許せるようになった」と輝いた顔を見せるようになります。

少年たちは心が負の状態から解放され、
人間的に成長していくようになるのです。


《言葉は自分を変える》

「~したい」「~になりたい」

これらは希望のある前向きな言葉です。

このような前向きな言葉を繰り返すと、
人は前向きな気持ちや行動に変わっていくのです。

あなたも、

「~したい」「~になりたい」

と何度も繰り返してみてください。

潜在意識が変わり、心が変わります。

行動が変わり、習慣が変わります。

運命が変わり、人生が変わります。

「~したい」「~になりたい」

これらは祈りの言葉にもなりえます。

祈りはきっと恵みをもたらします。

自分の願いを言葉にして繰り返そう。

口ぐせにすれば自分が変わっていきます。(^.^)

【出典】月刊誌「聖母の騎士」1993年2月号より

  (https://lucky.t-nakai.work/2019/03/27/story-43/

           <感謝合掌 令和2年9月5日 頓首再拝>

【口から出る言葉すべてを「愛語」に】 - 伝統

2020/09/07 (Mon) 03:04:56


      *メルマガ「人の心に灯をともす」(2020年08月25日)より

    (渡辺和子氏の心に響く言葉より…)

   他人を批判することは、さほどむずかしくありませんが、
   自分に対してなされる批判を素直に受け取るということは、
   必ずしもやさしいことではありません。

   それは、批判されるということが、ある意味で
   「裁かれる」ことであり、往々にして自分が否定される
   可能性さえ持っているかも知れないからです。


   批判する能力は、人間に与えられた特権ですから、
   これを用いることは時にたいせつなことですが、
   やはり相手への思いやり、優しさがあってほしいと思います。

   「あの人は、正直者だけれど仕事が遅い」

   と言うのと、

   「あの人は、仕事は遅いけれども正直者だ」

   と言うのとでは、
 
   同じ人物への批評でも、どこか違っています。

   そして、その違いは、批評する側のポイントの置き方から
   生まれているのです。


   つまり、相手の悪いところを強調しようとしているのか、
   相手の良いところを強調しようとしているのかの違いなのです。

   私たちの誰一人として、
   この世に自分から望んで生まれてきた人はいません。

   ということは、つまり皆、生きることに、自信を持っていないのです。

   だからこそ、つらいこと、苦しいことの多い人生を生きてゆくためには、
   「あなたは生きていていいのだ」という、
   他人からの励ましと優しさが要るのです。


   その優しさが、今日も他人から与えられず、
   かえって冷たい批判しか与えられなかったような時、
   私はこう言って自分を慰めてやるのです。

   「イエスさまでさえ、ひどい批判をいっぱいお受けに
    なったのだから、私がこのように扱われるのは当たり前」と。

   そして、

   「自分は、どんなことがあっても、他人をわざと意地悪く批判するまい」

   と心に決めると、不思議に心が軽くなるのです。


   《お互いにつらいことの多い人生を生きているのだから、
    相手の悪い点を強調するような言い方はしない。》

     <『幸せはあなたの心が決める』PHP研究所
                 https://amzn.to/3lbcUdm

         。。。

小林正観さんは、「愛語」についてこう語る。

『「愛語(あいご)」という言葉は、
 良寛和尚(りょうかんおしょう)が好んで使っていた
 と言われています。

 良寛和尚の「愛語の心」とは、こういうものだと聞きました。

 「自分は貧しいひとりの修行僧なので、
  人に与えるもの、あげるものが何もない。
  だからせめて、心をあたたかくするような、
  心を安らげるような『言葉』をあげたい。
  それならいくらでもあげることができるから」

 良寛和尚は、自分の口から出てくる言葉を
 「あたたかい言葉」「やさしい言葉」「思いやりに満ちた言葉」
 にしたいと思っていたようです。』
         (ありがとうの魔法/ダイヤモンド社)より

          ・・・

口から出る言葉が、いつもトゲトゲして冷たい人がいる。

反対に、口から出る言葉が、いつもあたたかくて、
やさしい言葉、思いやりに満ちた言葉という「愛語」の人がいる。

どちらの人と「一緒にいたい」か「また会いたい」か、
は言うまでもない。


口から出る言葉すべてが、「愛語」で満たされた人でありたい

           <感謝合掌 令和2年9月7日 頓首再拝>

悪を語らず、神の愛を循環させる - 伝統

2020/09/11 (Fri) 03:46:26



      *『生命の實相』第38巻幸福篇下(9月11日)より

人の悪口(あっこう)はけっして陰でも喋ってはならない。
言葉は種子であるから、悪を喋れば悪が出てくるのである。

外見がいかにあろうとも、すべての人に対して、愛と敬とをもって
その人の繁栄と幸福とを祈るべきである。

万人は神において一体であり、彼の不幸は必ずや、
彼と一体であるところの自己の不幸となって現われて来るのである。

われわれは神から無限の愛を受けているのであるからその愛を、
他(た)の人間に愛念を送ることによって返還しなければならぬのである。

かくしてあなたが神の愛を、彼に返還するとき、
彼もまた、あなたに対して神の愛を返還してくれるのである。

           <感謝合掌 令和2年9月11日 頓首再拝>

《癇癪と小言とを節約しなさい》 - 伝統

2020/09/17 (Thu) 04:34:33


          *「眞理」第2巻基礎編第6章(P115)より

あなたの運命をそこなうものは癇癪(かんしゃく)である。

「馬鹿野郎」と云う罵り声を、議会で癇癪を起して叫んだがために
不信任案をたたきつけられた首相もある。

吾々はどんな時にも癇癪を起してはならないのである。

家庭の中でも始終、小言を言っている婦人があるが、
このような母親が幾(いく)ら子供に小言を言って見ても、
「蛙(かわず)の面(つら)に水」のように何の効果もなくなるのである。

常に叫ばれている小言は、常に線路を走っている汽車の響きが、
その付近に住む人たちが一向、汽車の響きを気にしないように、
子供にとっては何ら効果がなくなってしまうのである。

小言の多い母親は家庭の平和な温かい空気を毀(こわ)してしまうばかりではなく、
子供を強情にし、母親を馬鹿にするような習慣を養成することになるのである。

           <感謝合掌 令和2年9月17日 頓首再拝>

《言葉に善事(よいこと)のみを語れ》 - 伝統

2020/09/25 (Fri) 03:17:44


        *『 生長の家 』 (昭和26年4月29日の法語)より 

   何事についても絶望的な言葉を吐くな。
   悲観的な言葉を告げるな。

   言葉は宇宙に放送されて やがて具体化するのである。

   楽観的な言葉を吐けば 楽観的な事柄があらわれて来、
   悲観的な言葉を吐けば 悲観的な事柄があらわれて来るのである。

   世間話を慎め。ゴシップに気をつけよ。
   苟(いやしく)も他(ひと)の悪を語るゴシップに交ることなかれ。

   不景気を語るな。常に好景気のみを語れ。
   人の善意のみを語れ。

   何事か悪しきが如(ごと)く見えても、
   それは現象であり、仮想であって、
   実相ではないのである。

   神のつくり給える実相は 久遠(くおん)に完全であって、
   今も尚(なお)、その完全さが存在するのである。

   言葉の魔術で 実相の完全さを曇らしてはならないのである。


    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12258815.html(消滅)

           <感謝合掌 令和2年9月25日 頓首再拝>

善きことを信じて言葉に出す - 伝統

2020/10/08 (Thu) 04:09:49


     *『生命の實相 幸福篇下 第三十八巻』(10月8日)より

善きことのみを語り、善きことのみを考える習慣をつけなければならない。
自分の嫌いなこと、望ましくないことを語ってはならないし、思ってもならない。
言葉は想念と同様に強力なる具象化(かたちにあらわす)の力を持っているのである。

われわれは自己の運命ラジオのアナウンサーである。
われわれ自身が言葉に発するとおりに現象世界にあらわれてくるのである。

だから常に自己の欲することを、希望することをあたかもすでに実現せるがごとく
想念し言葉に出すようにつとめなければならない。
そして言葉に出す場合にそれを信じて出すことが必要である。

善き言葉がかえって実現しないように見えるのは、
悪いことを言う時にかえって信じながら話すからである。

           <感謝合掌 令和2年10月8日 頓首再拝>

コトバの力で、「全一」から呼び出し創造する - 伝統

2020/10/19 (Mon) 04:51:11


     *『生命の實相 幸福篇下 第三十八巻』(10月19日)より

実在は「全一(ぜんいつ)」である。
「全一」は表現せられえない。
「全一」は一度に知覚せられえない。

そのことはわれわれの記憶内容全体のようである。

われわれは生れてからいろいろの機会に無数に触れ、見、聞き、
経験した事柄を記憶しているのであるけれども、

その全体が一度に記憶の表面に浮かび上がって来ないのは、
「全一」なるものは、無数の相(すがた)が超時空的な世界に
重なり合っているから、知覚することができないためである。

それを記憶心象として脳髄の知覚面に浮かび上がらせうるには、
「全一」の中から、必要でないものを残して置いて、
「今」必要なものだけを、空間的表象面に浮かび上がらせなければならぬ。

それと同じく、「全一」なる存在が、
それが知覚しうるように表現せられるためには、

「全一」の中からある物を”呼び出し”て来て、
他を「全一」の中に残しておかなければならぬ。

表現はコトバであり、コトバは呼び出しであるのはこのためである。
われわれは善きコトバの力によって善き物を創造することができるのである。

           <感謝合掌 令和2年10月19日 頓首再拝>

神策に沿うコトバで「真象」を呼び出す - 伝統

2020/10/20 (Tue) 04:41:49


     *『生命の實相 幸福篇下 第三十八巻』(10月20日)より

善き言葉は実在の中から出して来た言葉である。
いわば「神」の国策線に沿うコトバである。

悪しき言葉は本来虚のコトバである。
神策に沿わぬコトバである。

虚のコトバから発生したものは本来が虚であるから
”ある”ように見えても存在せぬ。

そういう現象を偽象または虚象と言う。

善き言葉であらわれた現象は、
実在の延長であるから真象と言うのである。

真象は神御自身のコトバの延長であるから、
神の嘉(よみ)したまうところである。
神は表現を求めていられるのである。

真象は神の表現であり、神の発展であり、
み心の天になるがごとく地に成ることである。
真象は神の御稜威の降臨である。
永遠の表現である。

現象にも真象と偽象とがあることを知らねばならぬ。
「現象なし」と断ち切る場合は「偽象」なしの意味である。

「神の『心』動き出でてコトバとなれば一切の現象展開して万物成る」
という場合の「現象」は真象である。

           <感謝合掌 令和2年10月20日 頓首再拝>

【盲目のホームレスを救った一言】 - 伝統

2020/10/21 (Wed) 04:58:41

      *メルマガ「ダイレクト」(2020年10月18日)より
       (売り方、集客法、経営術による"大逆転"ストーリーなどを集めた1冊
        「売り方が9割」より)


「私は盲目です。お金を恵んでください…」

と書いた段ボールを隣に置いて、1人の老人が、道の隅に座っていた。

そう、彼は盲目のホームレス。
耳からの情報だけを頼りに、目の前を通り過ぎる人たちに助けを求めていた。
 
しかし…
 
忙しい街の人間たちは、彼に目を向けようともしない。

たまに、増えすぎてしまった小銭を減らそうとしたサラリーマンが、
無造作に何枚かの小銭を彼の前に投げ捨てる。

彼はそれを、手探りで探して、
自分の目の前に置いてある小銭入れに入れる。
地面に散らばった小銭を探す彼の手は、ひどく汚れていた。
 
ふと、その小銭入れに手が当たって、「カラン」と音が鳴る。

目が見えない彼でも、
数えられるほどのコインしか入っていないことが分かる…。
 
  
「コツ、コツ、コツ…(靴音)」

そんな時、ある女性が現れた。


彼女は、そのホームレスの目の前に立つと、
横に置いてある段ボールを手にとった。

目が見えない彼は、その女性が何をしているのか分からない…。

必死に耳をすませて彼女の動きを探っていると、
何やら、段ボールに文字を書いているようだった。


そして、数十秒後。
彼女は何も言わずに立ち去っていった。


目が見えない彼は、気が気ではなかった。

「何かいたずらをされたのかも知れない…」

嫌な予感がした。

しかし、そんな不安は、次の瞬間吹き飛んだ。というのも、、、
 
 
■■ 突然、大量のコインが彼の元に。

今まで全く見向きもされなかった彼の目の前に、
次から次に、小銭が恵まれていった。

彼は、もう何が何だか分からない。
それでも、どんどん小銭は増えていく。
あっという間に、彼の小銭入れは、コインでいっぱいになった。

人通りが少なくなる頃にはもう、
1つの小銭入れでは収まりきらないほどの小銭が溜まっていた。
  

 
「コツ、コツ、コツ…(靴音)」

また、彼女が戻ってきた。
足音、そして匂い。

これは、あの時の彼女に間違いないと確信した。
そして、彼女はまた、彼の目の前に立ち止まった。 

 
「一体、何をしてくれたんですか?」

感謝の言葉よりも先に、何があったのかを知りたかった。

すると彼女は、優しい声で、彼に「秘密」を打ち明けた。
 
 
「同じ意味の言葉を書いただけよ。
 “違う言葉”を使ってね」


彼女が、盲目のホームレスの人生を救った「たった一言の言葉」。


それは、、、
  
         ・・・
 
   《「伝え方」が全てを変える》
 
   その言葉を見る前に、一度考えてみてほしい。

   あなたは、この話を聞いて、どう思っただろうか?

   これは、少し前にアメリカで話題になった、ショートムービーの一部。
   もしかしたら、あなたもこの動画を見たことがあるかも知れない。


   この動画のタイトルは「言葉の力」。

   言葉を変えるだけで、人々の行動はガラリと変わる。
 
 
   ビジネスで成功するのも失敗するのも、言葉の影響は大きい。

   お客さんにモノを買ってもらえるのも、買ってもらえないのも、言葉の力。

   ある言葉だとお客さんが集まって、別の言葉だと全く反応がない、、
   なんて事はよくある話。

   全く同じ商品、
   サービスを売ってるにも関わらず…


   お客さんを集めて、良いサービスを提供するために、
   この言葉の力は、必須じゃないかと思う。


   「言葉の力」を使って、
   今よりもお客さんを集めたり、
   今よりも商品を売ったりするのは、あなた次第。

   ただ、ビジネスで成功している人のほとんどは、
   この「言葉の力」を十分に理解しているということは、
   知っておかないといけない…
 
         ・・・
 
■■

彼女は段ボールの言葉を、こんな風に書き換えた。

It's a beautiful day and I can't see it

「今日は素敵な1日。でも、私はそれを見ることが出来ません…」

・・・

<参照>

(1)人を動かす『言葉の力』〜盲目のホームレスの人生を救ったたった一言の言葉〜
   https://www.youtube.com/watch?v=GLZs8oyddTU

(2)ショートフィルム「The Power of Words」(言葉の力)
   https://www.youtube.com/watch?v=ykEsvjFxthU

(3)言葉の力を教えてくれるショートフィルム「The Power of Words」を分析する
   http://www.strategic-presentation.com/the_power_of_words/

           <感謝合掌 令和2年10月21日 頓首再拝>

言葉の神秘 - 伝統

2020/10/31 (Sat) 04:49:40


    *「光明道中記」(10月31日《言葉の神秘を知る日》)より

【言葉の力によって認めるものだけが存在に入る。 
                (『生命の實相』第二巻)】 

早稲田政治科出身の先輩、上田謙氏は言語学を深く研究している人である。
次のような草稿を送ってこられた。

―― 言(こと)とは音(おと)に
子音なる無意味の接頭語を飾りたるものです。
葉とは端(はし)くれ即ち現象の意。

然らば音とは何ぞや。
是れ印度(いんど)、波斯(ペルシア)、希臘(ギリシア)等に於ける
拝火教によびなされし音即ち odo と称する veda 教典に説く
万有に貫通する生命乃至実在の事也(なり)。

希臘”オデ”イ・イリ”アド”は皆此の音乃至 odo の事にして、
是が又歌とも同じものです。

其の証拠には「斯う云う事を歌って置き乍(なが)ら」云々の言葉の中の
「歌う」とは「言う」乃至言葉の意味なるに依(よ)りても知らる。

又音無(おとな)しい人とは、喋らぬ人の謂(いい)にて、
是も音とは言葉である事が証さる。

かく日本人の上層を成せるものの名は正しく梵語と同一語源で
出羽(でわ)は deva(神)、
佐分利(さぶり)は svara(日神<ひのかみ>) 

幣原(しではら)は svara では余り梵語其の儘故、これを隠して「て」を入れて
「し(て)はら」であり、されば神の意である弊(しで)の字があるので、
此の弊(へい)の字が「しで」と読む理由が解る訳で字引には謎である。
んと撥(は)ねて「しんばら」となる。

御社(おんしゃ)の「光明」も「しばら」で光明真言に言う「じんばら」は
此の「しばら」で光明(神)の事です。

・・・・・

谷口雅春先生が説かれる「言霊」については、
光明掲示板・第一「『言靈と神通力』」で学ぶことができます。
 → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=613 

           <感謝合掌 令和2年10月31日 頓首再拝>

《善 と 愛 と 深切 の言葉のみを語る》 - 伝統

2020/11/11 (Wed) 04:56:19


        *『 生長の家 』(昭和26年7月11日の法語)より

   われは今日、善と愛と深切の言葉のみを語るのである。
   われは それ故に愛と深切のみを刈り取るのである。

   われは 如何(いか)なる悪しき言葉も 
   今より後(のち)口にしないのである。

   自分は 人の行いと其(そ)の動機とをさばかない。
   自分はあらゆる人々の行いに其の善意を見るのである。

   自分は人を軽蔑(けいべつ)するような言葉を決して語らない。
   自分はすべての人々の美点のみを見、美点のみを語るのである。

   自分は言語(げんご)が神であり、創造者であることを知ったのである。
   だから、今後自分は善き事のみを語り、善き事のみが実現するのである。


   http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/d9d1b98e2cc1f03767bbd615155ac9a0

           <感謝合掌 令和2年11月11日 頓首再拝>

怒りの言葉を発するな - 伝統

2020/11/25 (Wed) 06:08:53


      *『生長の家』(昭和25年6月23日の法語)より

一つの苦き言葉も病気の種である。

一つの愛のささやきにも病気を治す力がある。

涙ぐんでみつめる母の愛の眼差(まなざし)は
どんな悪しき子も本来の善に転向せしめる力をもっている。

思わず憤激してどなりつけた良人(おっと)の言葉が
多くの婦人の病気になっている。

怒りをしてこの世の中から姿を消さしめよ。
憎しみをしてこの世の中から姿を消さしめよ。

愛の言葉を、やさしさの言葉のみを周囲に対してなげかけよ。

愛する者の明るき微笑は
どんなに傷つけた人の魂を癒(い)やすかは知れない。

それは 又 同時に肉体を癒やす。

 (http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=2 )

           <感謝合掌 令和2年11月25日 頓首再拝>

真理のみを語れ、優しき言葉のみを語れ - 伝統

2020/12/05 (Sat) 02:57:46


      *「生命の實相」第三十八巻幸福篇下(12月5日)より抜粋

ただ真理のみを語れ。
多言なるべからず。
多言なれば調子にのりて虚偽を語ることあるべし。

ただ優しき言葉のみを語れ。
烈(はげ)しき語調の言葉は深切より出ずる場合にも、
憎悪をもって語らるる言葉なりと誤解せられることあり。

心のうちにでも言葉に現わしても、行ないにあらわしても、人を傷つけてはならない。
誠実であれ。虚偽であってはならない。
素直に、直截に、かまえることなく、そのままの心で生活し、行ない、言わねばならぬ。

           <感謝合掌 令和2年12月5日 頓首再拝>

「こその妙味」 - 伝統

2020/12/12 (Sat) 04:51:17


        *「生命の實相」幸福篇下巻(12月12日)より

井上源蔵さんから「こその妙味」という題で興味ある原稿が来た。
本当に「こそ」の二字の置き所で地獄が極楽になり、
極楽が地獄になるのである。

これが言葉の力というものである。

井上源蔵さんは中風で7年間半身不随で
腰が海老(えび)のように曲がっていた老人であったが、
この「こそ」の妙味を体得して中風が癒え腰が伸びたのである。


(こそという言葉を自分につけたとき争いの因(もと)となる)

夫  貴様みたよなお多福婆(おたふくばば)をわしでありゃ《こそ》置いてやる
妻  わしじゃから《こそ》辛抱もするが誰が見るぞえ痩せ世帯(じょたい)

親  誰がお蔭でそうまでなったおれが学問させりゃ《こそ》
子  学問させてもみんなはできぬわしが勉強したりゃ《こそ》

地主  あれがああして暮らしてゆくもこちが畑田(たはた)を貸せば《こそ》
小作人 地主の田畑が荒れずにいるのもわしが小作をすれば《こそ》



(こそという言葉を相手につけたとき互いに仲よく和解する)

夫  外でわたしが働かれるも内をそなたが守りゃ《こそ》
妻  私みたいな不束者(ふつつかもの)をあなたなりゃ《こそ》深切に


親  あの子なりゃ《こそ》出世もしたよ苦労したのも甲斐がある
子  今日(きょう)のわたしの出世もみんな親の苦労があれば《こそ》

地主  田畑つくらず暮らしのたつのも小作する人あれば《こそ》
小作人 わが田なくても暮らしてゆけるこれも地主あれば《こそ》


 (これによって)

《こそ》と威張ってこちらにつけりゃなにをこしゃくと喧嘩腰

《こそ》とあがめて相手につけりゃにっこり笑ってあなた《こそ》

喧嘩するのも仲よくするも《こそ》の付けどこただひとつ


夫婦、親子、妻子、地主、小作人は言うにおよばず、資本家と労働者の関係も
債権者と債務者の関係もないし教師と生徒、主人と番頭、奥様と女中などの関係も
皆こうしたものであろうと思われる。


井上源蔵さんは自分の背の伸びたのを都々逸(どどいつ)に歌って曰く ―― 

   背だけのばしてもろうたこの身骨(みほね)を惜(お)しまにゃ気が楽よ
   細い道でも我(われ)から退(よ)けて人を通せば気が楽よ

   理づめ言わずに理のある事もまけてしまえば気が楽よ
   腹を立てるは至らぬからと思いいりゃこそ気が楽よ
   我意(がい)や気ままや無理いう人に勝とうと思わにゃ気が楽よ

   正直あつい寒いのいといなくはたらく人はよろず円満
   他事(ひとごと)と思えばやがてわが事よまことつくせばやがてわが事(こと)

            <感謝合掌 令和2年12月12日 頓首再拝>

言葉に因(よ)って造られたるもの - 伝統

2020/12/28 (Mon) 04:55:39


       *『人生は心で支配せよ』(P107~109)より

吾等は宇宙の実質は想念によって活動し、
想念が言葉となって表現されることを認めねばならない。

更に吾等は一歩を進めて、
言葉は声によって表現されると言ってはならないだろうか。

それ故古代の預言者の書には頻々(ひんぴん)として
『主、水の上にて声を出だし給う』と云うような文句が見出されるのである。

「声」はサンスクリッド語では”Vach”
拉丁(ラテン)語では”Vox”
英語では”Voice”である。

換言すればこの宇宙は、声をもって喚起されたるエーテル運動
すなわちエーテル波動によって成り立っているのである。

声が出されるまでは、この宇宙は、見えざる暗(やみ)のうちに、
無空間のうちに潜在したに過ぎないのである。

宇宙霊が、或る世界を何処に創造せんと欲したとき、
そこに直ちに声によって運動ないし波動が惹起されるのである。

客観世界全体は何らかの形における波動だと説明し得る。


凡ての物質的存在はこれを分子に分解し得る ―― 
しかして新興物理学に於ける学説上からは電子は
エーテル波(光波)に分解し得るのである。

然るに前述せる如く、エーテルは無空間の世界から
生命が振動を起して空間的に展開させたものの又の名称に過ぎない。

結局一切の現象界は生命の振動エネルギーの別名に過ぎない。
それ故に、あらゆる事物の究極的本質は皆同一なのである。

そしてこの物質と彼の物質とが相違するのは、畢竟するに、
ある面積内の電子数及びその運動速度又は振動数の相違なのである。


この事は、吾々の住む世界の事物が個々別々の存在ではなく、
凡てのものが本質的に一体であることを示すものとして、
吾々の決して看過してはならない事項である。

ウィリアム・ヘイス・ワールドはこう言っている ――

「星の世界で成り立っているこの全宇宙は一つである。
 それは同じき実質で造られ、同じき力で動かされ、
 同じき物理的法則で支配をせられている。

 それは唯一つの体系である。
 唯一つの法則である。
 唯一連の思想である。

 唯一つの構図である。
 唯一つの幾何学である。
 唯一つの公式にあてはまる唯一つの設計である。

 そして唯一つの不可分の宇宙である」と。

この唯一つの実質とは受動的方面から解すれば「無」であり、
能作(のうさ)的根源として解すれば「心」に他ならない。

そしてその能作(のうさ)的力とは想念にほかならないのである。
想念を「神の想念」の場合には「理念」と言ってもよいし、
人間の想念である場合は阿頼耶識とか想念力とか言ってもよい。

そしてこの想念は具体化して言葉となり、
更に表現して声もしくは波動となるのである。

声とは目的ある音響であるが、
目的ある音響とは、換言すれば言葉にほかならない。

かくの如くなるが故に創造の動力となるものは言葉であることを知るのである。
この事は、宇宙に就いて言っても、個人に就いて言っても同様である。

            <感謝合掌 令和2年12月28日 頓首再拝>

泥棒と悪口をいうのと、どちらが悪いか - 伝統

2021/01/13 (Wed) 02:41:39


        *メルマガ「人間力」(2020.9.22)より
         ~ 三浦綾子さんへのインタビュー

これは時折、講演で話すんですが、

「泥棒と悪口をいうのと、どちらが悪いか」。

私の教会の牧師は「悪口のほうが罪深い」といわれました。

大事にしていたものや高価なものを取られても、
生活を根底から覆されるような被害でない限り、いつかは忘れます。

少しは傷つくかもしれませんが、
泥棒に入られたために自殺した話はあまり聞かない。


だけど、人に悪口をいわれて死んだ老人の話や少年少女の話は時折、聞きます。

「うちのおばあさんたら、食いしんぼうで、
 あんな年をしてても三杯も食べるのよ」

と陰でいった嫁の悪口に憤慨し、その後一切、
食物を拒否して死んだ、という話があります。


それと、精神薄弱児の3割は
妊婦が3か月以内に強烈なショックを受けたときに
生まれると聞いたことがありますが、

ある妻は小姑に夫の独身時代の素行を聞き、
さらに現在愛人のいることを知らされた。

それは幸せいっぱいの兄嫁への嫉妬から、そういうことをいったのです。

この小姑の話に、ちょうど妊娠したばかりの妻は
大きなショックを受け、生まれたのは精神薄弱児だったそうです。

――むごい話ですね。

恐ろしい話です。

私たちの何気なくいう悪口は人を死に追いやり、
生まれてくる子を精神薄弱児にする力がある。

泥棒のような単純な罰とは違うんです。

それなのに、私たちはいとも楽しげに人の悪口をいい、また聞いています。
そしてああきょうは楽しかった、と帰っていく。

人の悪口が楽しい。これが人間の悲しい性です。

もし自分が悪口をいわれたら夜も眠れないくらい、
怒ったり、くやしがったり、泣いたりする。

自分の陰口をきいた人を憎み、
顔を合わせても口もきかなくなるのではないでしょうか。

――そうですね。

自分がそれほど腹が立つことなら、他の人も同様に腹が立つはずです。

そのはずなのに、それほど人を傷つけるうわさ話をいとも楽しげに語る。

私たちは自分を罪人だとは思っていない。
罪深いなどと考えたりしない。

「私は、人さまに指一本さされることもしていません」。

私たちはたいていそう思っています。

それは私たちは常に、二つの尺度を持っているからです。

「人のすることは大変悪い」
「自分のすることはそう悪くない」。

自分の過失を咎める尺度と、
自分以外の人の過失を咎める尺度とはまったく違うのです。

一つの例えをいいますとね、
ある人の隣家の妻が生命保険のセールスマンと浮気をした。

彼女は

「いやらしい。さかりのついた猫みたい」

と眉をひそめ、その隣家の夫に同情した。

何年か後に彼女もまた他の男と通じてしまった。
だが彼女はいった。

「私、生まれて初めて、素晴らしい恋愛をしたの。
 恋愛って美しいものねえ」

私たちはこの人を笑うことはできません。

私たちは自分の罪がわからないということでは、
この人とまったく同じだと思います。

            <感謝合掌 令和3年1月13日 頓首再拝>

【ことばが人を成長させる】 - 伝統

2021/01/21 (Thu) 06:20:27


         *メルマガ「人の心に灯をともす」(2021.01.20)より

   (天台宗ハワイ開教総長・大僧正、荒了寛氏の心に響く言葉より…)

   赤ん坊は生まれてしばらくのあいだ、
   お腹がすいたり、眠かったり、どこか気持ちが悪い
   というようなことを泣いて伝えます。

   まるで泣くことが唯一のコミュニケーションの方法であるかのようです。

   その後、成長するにしたがってことばを覚え、
   カタコトでも自分の気持ちを表現できるようになり、
   どんどんことばの数がふえていきます。

   つまり、次第にことばを覚えるにつれて
   人間らしくなっていくわけで、
   ことばを知らなければ知識を得ることも、
   知識を伝えることもできません。


   そして、たいへん重要になるのが、子供のときに覚えることばです。

   いつも聞くことばが乱暴であれば、乱暴なことばを話すようになりますし、
   いつもまわりからかけられることばがやさしかったり、
   よいことばであれば、そのような話し方ができるようになります。

   また、どんなに感性が豊かでも、
   その感性をのばすには、ことばも豊かでなくてはなりません。

   しかも、よいことばをたくわえていくことによって、
   よい性格と品格がそなわっていきますから、
   ことばをたいせつにする教育がきわめて重要になるのです。


   人は誰でも見聞きしたり、読んだことをことばとして覚えていきます。

   つまり、ことばイコール知恵であり、
   ことばこそが人を成長させ、その人の性格や考え方を形成し、
   「心によい習慣」をつける大もとになるといっても過言ではないのです。


   ことばといえば、思い起こされるのがヘレン・ケラーです。

   55年前の映画『奇跡の人』を覚えていらっしゃる方も多い
   と思いますが、生まれつき視聴覚がないという重い障害を負いながら、
   世界各地を回って身障者の教育・福祉につくした
   アメリカの教育家・福祉事業家です。

   彼女は献身的な家庭教師アニー・サリバンから
   指文字ことばの教育を受け、
   ついには絶望視されていた「話すこと」をマスターし、
   歴史に名をどどめた偉人として知られています。

   そうした彼女が残した次のことばが印象的です。


   「ことばというものがあるのを、はじめて悟った日の晩、
    ベッドのなかで私はうれしくて、このときはじめて
    『早く明日になればいい』と思いました」


   まさに、ヘレン・ケラーは
   「ことばが人を成長させる」ということを体現し、
   それを証明した人だったと思います。


   《豊かな感性を育むことばを身につける/どんなに感性が豊かでも、
    その感性を伸ばすには、ことばも豊かでなくてはならない。》

      <『死ぬまで穏やかに過ごすこころの習慣』フォレスト出版
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               ・・・

我々は、日頃、多くのままならぬ現実に、
右往左往したり、オロオロしたりして生きている。

それを仏教では「一切皆苦(いっさいかいく)」という。

仏教では「苦」は通常いう《苦しみ》ではなく、
「思い通りにならないこと」をいう。

苦は四つあり、それを「四苦」という。

四苦とは「生・老・病・死」だ。

この四つは、どうにもならないし、避けられないこと、
つまり「思い通りにならないこと」。


しかしながら、ヘレン・ケラーの「苦」に比べたら、
我々が日常感じる「苦」など贅沢な悩みと言えるかもしれない。

そのヘレン・ケラーが
「ことばというものがあるのを、はじめて悟った日の晩、
ベッドのなかで私はうれしくて、このときはじめて
『早く明日になればいい』と思いました」 という。


ことばは、かくも大事なものだ。

なぜなら、「苦」は、言葉によって癒(いや)されるから。

言葉一つによって、それは人を元気にする薬にもなるし、
人を傷つける刃物にもなる。


「ことばが人を成長させる」

よきことばを身につけ、 心豊かな人になりたい。

            <感謝合掌 令和3年1月21日 頓首再拝>

【一言でよい、愛の言葉がけを】 - 伝統

2021/02/06 (Sat) 02:13:56


       *メルマガ「人の心に灯をともす」(2020.09.18)より

   (正法寺住職、愛知専門尼僧堂堂長、青山俊董氏の心に響く言葉より…)

   「ワシャアしょうもない男でしてなあ」

   走り出すと同時にタクシーの運転手が語りかけてきました。

   「稼いだ金は全部マージャンなどの遊びに使ってしまい、
    一銭も家には入れない。

    女房は一言も文句をいわずに
    『お父さんの稼いだお金だから、ご自由にお使いください』といい、
    子供は女房が一生懸命働いて、立派に教育してくれました。


   女房は器量が悪いので、どこかへ行くときは
   『うしろから離れてついてこい』などといって、ひどい亭主でした。

   自分で稼いだ金だけでは足りなくて、
   女房に『借せろ(名古屋弁で「借せ」の意)』とまでいいましてね。

   あるとき、女房に『金を借せろ』といいました。

   女房が『まあ、お父さん、お茶でも飲みましょう』といって
   パイナップルの缶詰を持ち出してきたのです。

   “金を借せろというのに何がお茶だ”と思っていました。

   女房が缶詰をあけたら、中に百円玉や五百円玉がいっぱい詰まっていましてネ。

   『お父さん、少しずつ少しずつ貯金したものです。
    今これっきりないですが、よかったらこれ使ってください』というんです。


   私は頭をぶんなぐられる思いがしましてネ。

   すまなかった!とほんとうにあやまりました。

   それから私の人生観は百八十度変わりました。

   せめてもの罪ほろぼしの思いで、月に一度、
   女房と女房の親しくしている友達とを車に乗せて、
   女房の好きな温泉めぐりをしておりますんですよ」


   私はしみじみと、道元禅師の
   「愛語よく廻天(かいてん)の力あることを学(がく)すべきなり」
   のお言葉の実例をまのあたりに見聞する思いで、
   運転手に礼をいって降りたことでした。

   「廻天の力」というのは天子さえも方向転換させる力、ということです。

   「綸言(りんげん)汗の如し」といって、
   天子が一度いい出したことは、たとえそれが道にかなわないことであっても、
   「ごもっとも」と通さねばならない。

   一度出た汗はひっこめることができないように。

   その天子の心さえも、方向転換させる力を持っているのが、
   愛語だというのです。


   中国・唐の名君の誉れ高い太宗にこんな話が伝えられています。

   あるとき、太宗が洛陽宮(らくようきゅう)を修復しようといい出しました。

   皇帝が何か事業をしようとすると、多くの民衆がかり出される。

   たまたま農繁期であったのでしょう。

   今かり出されたら農民は困ります。

   民衆を困らせることは皇帝にとってもよいことではない。

   そこで諫議(かんぎ)という皇帝のご意見番の張玄素(ちょうげんそ)が
   「今はそのときではない」と真心を傾けて進言しました。

   太宗はこの忠言を是として受け入れ、宮殿の修復をとりやめた。

   功臣の魏徴(ぎちょう)が「張、公事を論ずるに廻天の力あり」と
   讃嘆(さんたん)の言葉を惜しまなかったといいます。


   道元禅師はこの魏徴の言葉と共に、さらに別のところで
   「明主に非(あら)ざるよりは忠言を容(い)るることなし」
   の一句を添えておられます。

   とかく後輩とか弟子や子供に非を指摘されると、
   先輩とか師匠や親の面子(めんつ)にかかわるような気がして、
   素直に受け入れられないものです。

   大切なことは、そのことが道理にかなっているか否かなのであり、
   道理にかなったことならば、相手が誰であろうとそれにしたがう。

   それがあるべき姿でしょう。

   しかしそれができるのは明君であればこそ、というのです。


   愛語ということで思いおこすことがあります。

   インドにマザー・テレサを訪ねたときのこと。

   路上生活者たちに炊き出しをする。

   一人ひとりにパンとスープを手渡すのですが、
   マザーはシスターたちに三つのことを、その度にたしかめたといいます。


   「あなたたちは、受けとる一人ひとりにほほえみかけたでしょうね。
    ちょっと手を触れて、ぬくもりを伝えましたか。
    短い言葉がけを忘れはしなかったでしょうね」と。


   ほほえみかける。

   いつくしみの眼と顔で。

   仏教ではこれを慈眼施(じげんせ)、和顔施(わげんせ)といいます。

   そっと手を触れてぬくもりを伝える。
   心のぬくもりを肌を通して伝える、心慮施(しんりょせ)といえましょう。

   一言でよい、愛の言葉がけを、愛語施です。


   それらはすべて深い愛の心、慈悲の心のあらわれで、
   それが人々の心を安らかにし、あるいは萎えた心を立ちあがらせ、
   あるいは百八十度方向転換させる力を持っているというのです。

   心して愛語の、愛心の配達者になれたらと、念ずることです。

          <『泥があるから花は咲く』幻冬舎
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              ・・・

人は、年下や、後輩、子供に、何か注意されたり、意見されると、
なかなかそれを聞き入れることができない。

聞き入れられないどころが、
カッとなって孫を殺してしまった年寄りもいた。

道元禅師のおっしゃる通り、
「道理にかなったことならば、相手が誰であろうとそれにしたがうこと」が大切だ。


年をとったら丸くなるのではなく、むしろ我慢ができなくなったり、
自分の本来の姿や、欠点が出てきてしまう人が多い。

そういう人は、行動範囲が狭くなったり、
新たな知識のインプットもなくなり、好奇心もなくなっていく。

結果として、人間関係も狭まり、生活もマンネリとなって、
許容範囲が狭くなるからだ。

そして、若者の行動や価値観を許容できなくなる。


反対に、いつまでも若者たちと一緒に飲んだり、
騒いだりできる人は、常に新しい知識をインプットしたり、
新しいことに好奇心旺盛(おうせい)だ。

そして、そのことで自分の許容範囲を広げている。

すると、いくつになっても、新たな人間関係が広がってくる。


人間関係を円滑に行うための大事な要素が、愛語だ。

愛語があれば、老若男女、上下わけへだてなく、親しく付き合うことができる。

「ていねいな言葉」「あたたかい言葉」「やさしい言葉」「思いやりに満ちた言葉」。


一言でよい、愛の言葉がけができる人でありたい。

            <感謝合掌 令和3年2月6日 頓首再拝>

言葉は創造の力をもっている  - 伝統

2021/02/18 (Thu) 04:58:54


    *「光明道中記」(2月18日《万(よろず)円満大調和の日》)より

【言葉の円味(まろみ)は家庭の重要な要素である(『生命の實相』第八巻)】

言葉は創造の力をもっているのである。

”太郎”と呼べば”太郎”が出て来る。
”次郎”と呼べば”次郎”が出て来る。
”馬鹿野郎”と怒鳴りつければ、相手は狂い立って馬鹿な行為をする。

多くの家庭はその家の主人の言葉の乱暴さによって、
どんなに毒されているか知れないものである。

或る家庭では、その家の主人が妻を呼ぶのに
「オイ、馬鹿」と云う言葉以外で読んだことがない。

「馬鹿と言われて腹が立つが、私を呼んでいるに違いないから、
 主人の方を向き、用事をきき、嫌々ながら仕事をしました」
と言って述懐された奥様もある。

そう云う家庭の空気が棘(とげ)立ったものであり、不愉快なものであり、
不調和なものであり、従って、その家の運命が暗いものであり、
不明朗なものであり、病人が絶えないのは当然である。

優しい言葉、愛称を伴っている言葉は家庭の空気を円満にするものである。
先ず家長から目下の者に、朝起きたとき、
丁寧に「お早うございます」と言い得るようでないと本当でない。

何でも横柄に権利のような態度でせられると、味わいがすっかり無くなって了う。
細君が古くなるほど飽きられて来るのは、
何でも権利のような顔をして押が強くなるからである。

            <感謝合掌 令和3年2月18日 頓首再拝>

言葉は力である、できるだけ善いことを喋る - 伝統

2021/02/23 (Tue) 02:26:36


          *「生命の實相」第37巻幸福篇上(2月23日)」より

ある教化団体のある講師があるところへ講演に出かけて行った。
彼はその教化団体で救われ人生観が一変し、性格が一変し、生活が一変したものであるから
そのことを聴衆に語りたかった。

どんなに自分の生活が一変したかということを知らせるには、
自分の過去の生活を述べねばならない。

彼は「わたしはこんなに悪い者だったのです」といって
女を騙したことや、酒を飲んだことなどを
過去の生活を懺悔のつもりで50分間も喋り続けた。

そしてこんな浄まった生活になったのはこういう動機であるといって、
その転向の明暗を明朗(はっきり)させるつもりであったのだが、
彼が50分間も自分の過去の罪悪を喋っている間に、
聴衆は「そんな悪い人の話は聴く必要はない」と一人去り二人去りして、
彼が本当によくなったところを話すころには聴衆は四分の一に減ってしまった。

懺悔でも、悪いことをあまり喋りつづける者は、ついに人の信用を墜すものである。

言葉は力であるからできるだけ善いことを喋らねばならぬ。

美人の色の白さを引き立てるための斑点美粧(ビューティ・スポット)も、
それが顔半面イッパイに及ぶようになっては痣(あざ)としてまちがえられる。

光を引き立たす陰影(かげ)は濃く、ただし少量でなければならむ。  

           <感謝合掌 令和3年2月23日 頓首再拝>

《明るい健康な言葉を使え》 - 伝統

2021/03/11 (Thu) 06:48:30


        *『 生長の家 』(昭和25年2月14日の法語)より

   「 私は病気だ 」 といっては ならない。
   「 私は不幸だ 」 といっては ならない。

   すべて言葉にいう通りが現われて来るのである。
   言葉によって自分を汚してはならないのである。

   「 私は病気だ 」 といいながら健康な人は ないのである。
   「 私は不幸だ 」 といいながら幸福な人は ないのである。

   されば言葉によって自分を高め上げよ。

   「 吾は神の子である。吾は生命である。
   吾は健康である。吾は幸福である。
   吾は喜びにみたされている。 」 などの言葉を
   常に繰り返して 心に念ずる時には
   その通りに現われて来るのである。


    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=58

           <感謝合掌 令和3年3月11日 頓首再拝>

脳は言葉に左右される - 伝統

2021/03/16 (Tue) 01:48:07

       *メルマガ「人の心に灯をともす」(2020.6.6)より
        ~「制約」はチャンス

   (斎藤一人さんの心に響く言葉より…)

   松下幸之助さんの家はね、親の代まで大金持ちだったの。

   おばあちゃんに、「お前ね、あそこから、あそこまで家だったんだよ」
   って聞かされてたから、自分の代で松下家をおこさなきゃって気持ちがあったの。

   だから貧乏に勢いがないんだよ。

   ところが貧乏が何代も続いちゃうと、親や兄弟が朝から晩まで
   「オマエ、金がないからダメだよ」って。

   そうするとね、「貧乏漬け」って、貧乏の漬けものみたいになっちゃうんだよ。

   これが恐いんだよ。

   これが知らない間に、人間の脳をおかしくしちゃうんだよって。

   子供のときからずーっと「オマエ、ダメなんだ」って入れると、
   脳は、これ幸いとして動かないんだよ。

   アインシュタインの脳細胞も、オレたちの脳細胞も同じなんだよ。

   脳は言葉に左右されるんだよ。

   わかるかい?

   わかんなくても、そうなんだよ。

   だから成功したいんだとしたら、
   いまの自分のことを「トクだ、トクだ」って言うんだよ。

   中学しか出ていないんだとしたら、「中学出はいいぞ」

   「トクだ、トクだ」って言ってればいいの。

   「どうトクなんですか?」ってそれは脳が考える。

   トクなことを運んでくるの。

   トクなことを考えだすの。

   脳はそういう働きがあるの。

   幸せになりたかったら、「幸せだなあ」っていつも言ってると、
   幸せなことを運んでくるんだよ。

   わかるかい?

   うちの商品の中には、いろんな大学で考えた人が、
   「一人さんのところで売ってください」って来るものもあるんだよ。

   その人は、その人が考えた商品だと思ってるんだよ。

   でも、違うんだよ。

   オレが念じたから、その人ところで生まれて、オレのところに来るんだよ。(笑)

   脳にはそういう働きがあるの。

   私とみんなの違いは、私はそのことを知ってたの。

   なぜか知ってたの。

   だからそういうふうに生きているの。

   だから、みんなも「〇〇でトクだよ」って言っていてくださいね。

   不利な条件ほど、「トクなんだ」だよ。

   世間は中学出じゃ成功するのは無理だと思ってる。

   でも、オレ、納税一番になったよね。
   連続したよね。

   オレのところに集まってきてくれたお弟子さんで、プロなんか一人もいないよ。

   ということは、ふつうだったら「できない」っていうことが、
   いくつも重なったんだよ。

   それでも、すっと、やってこれたんだよ。

   これ、すごいことだよね。

   こんなすごいことはオレにはできないんだよ。

   ただ、オレの脳にはできるんだよ。

        <『成功脳 [音声特典付] (ロング新書)』>

           ・・・

斎藤一人さんは、「脳」についてさらにこう語る。

『アトピーだろうが、喘息だろうが、花粉症だろうが、
 花粉を利用して、脳がなまけようとしているの。

 オレも時々、病気したりするの。

 でも、病気しても、本書いたり、仕事してるから、収入増えちゃったりするの。(笑)

 ともかく「まいった」しないの。

 ケンカでもなんでも、「まいったか?」って聞かれて、
 「まいんない」って言ったヤツの勝ちなの。

 だから、どこか痛くなったりしたら、
 「脳がさぼろうとしてるんだ」って気づいてね。

 絶対、それに負けないの。』

斎藤一人さんは、自分の味方も脳だけど、敵もまた脳だという。

たとえばコロナ禍において、
「このコロナがあったから自分はトクなんだ」と思うこと。

なぜなら、不利な条件ほど「トク」だから。

自分の脳を味方にできるか、敵にしてしまうか。

不利な条件ほど「トクだ」と思える人でありたい。

           <感謝合掌 令和3年3月16日 頓首再拝>

苦境のカーネギーを救った、たった1つの言葉 - 伝統

2021/04/11 (Sun) 02:07:12


        *Web:今日も良いことがあるように(2021/02/20)より

彼は行き詰っていました。

仕事は何をやってもうまくいきません。

その日も営業に回り、セールスの契約が思うように取れずにホテルに戻ると、
疲れがドッと押しかぶさってくるようでした。

この数ヶ月間、自信を失い、ストレスが溜まっていました。

苦悩と頭痛にも悩まされていました。

働くのが辛く、何のために生きているのか、分からなくなっていました。

「この窓から飛び降りたら楽になれる」

そう考えて、そっと窓を開けると、
隣接したビルのネオン看板の一部が目に飛び込んできました。

その看板の文字を見て、彼は天啓に打たれたように感じました。

そして、再びやり直す勇気を得たのです。

彼の心を奮い立たせたものは、たった1つの言葉です。

「Ⅰ CAN」(私はできる)


《自分の中で繰り返される》

この言葉が彼の心でこだまするように繰り返されました。

自分には、できる。

まだ、できることがある。

まだまだ、できる。

私はできる。私はできる。私はできる。できる。・・・

心のなかで彼は勇気と希望が湧き上がるのを感じました。

こうして、彼は自殺を思いとどまり、
再びチャレンジすることを決意したのです。

以来、彼は、自分が苦しいとき、辛いときに、
「Ⅰ CAN」という言葉を何度も繰り返すようになりました。

その後、彼の仕事は次第にうまくいくようになっていきました。

次々と新しい事業や出版を成功させていくようになりました。

彼とは、世界的なベストセラー『道は開ける』『人を動かす』の著者である、
若き日のデール・カーネギーです。

ちなみに、彼があのホテルの窓から見たものは、
「AMERICAN」という文字の一部でした。

幸いその安ホテルの窓を開けたときのカーネギーの目には、
「ICAN」という部分しか見えなかったのです。


《求めると出会える》

人は生きるのが苦しいとき、辛いとき、何かを探し求めます。

それが何か、自分で分からなくとも、
自分の現状を変えてくれる何かを求めています。

カーネギーも、たぶん現状に苦しみ悩み、無意識にずっと
自分の人生を変えうるものを探し求めていたのです。

だから、出会えました。

彼の人生を変える言葉に……。

他の人にとっては、何でもない言葉なのに……。

彼に必要だった言葉を……。

求めるなら、人は与えられます。

探すなら、人は見出します。

あなたも、きっと自分を奮い立たせる言葉に出会えるのです。

    (https://lucky.t-nakai.work/2021/02/20/story-126/

           <感謝合掌 令和3年4月11日 頓首再拝>

【ネガティブな言葉の後には「だけど」をプラスする】 - 伝統

2021/04/25 (Sun) 04:33:15


         *メルマガ「人の心に灯をともす」(2020年09月10日)より

   (塚本亮氏の心に響く言葉より…)

   「あー、疲れた」「やるべきことが多すぎて本当に参る」…。

   たとえばこのようなネガティブな言葉を口から出してしまっていませんか。

   毎日忙しく立ち回った果ての休日、
   思わず嘆いてしまうのは無理のないことかもしれません。

   しかし私たちは無意識に言葉の影響を受けているので注意が必要です。


   心理学者のリチャード・ワイズマン教授は、
   言葉が人に与える影響を調べるために次のような実験を行いました。

   被験者は単語が書かれた複数のカードを渡されます。

   そして、その単語カードを並べ替えて正しい文章を作るように、
   しかもそれを早く、正確に行うよう指示されます。


   この実験は2回行われ、
   1回目の実験では「若い」「すばやい」といった単語カードが用意され、
   2回目の実験では「年老いた」「遅い」といった単語カードが用意されました。

   また1回目の実験後と1回目の実験後にそれぞれに、
   被験者の歩く速さを測定しました。

   その結果、被験者の歩くスピードは1回目の実験後の方が速かったのです。


   また別の実験では、被験者に単語カードを並べ終えた後に
   終了の合図を知らせるベルを鳴らすよう指示を出しました。

   その結果、「イライラ」「せっかち」などの単語を使った場合が、
   被験者はもっとも数多くベルを鳴らすことがわかったのです。


   また、たとえば「あなたはいつも時間に正確だよね」と
   周囲の人からよく言われている人は、本当に時間に正確になり、
   待ち合わせの時間や締め切りを守るようになります。

   一方、「あなたはいつも遅刻するよね、時間にルーズだよね」と
   言われている人は約束の時間に遅れがちになります。

   このような人が相手の期待に応えるような行動をとることを
   「リフレーミング」といいますが、これも言葉の影響を受けているといえます。

   このように人は無意識に言葉の影響を受けます。


   そしてそれは自分が口にした言葉であっても同様でしょう。

   「疲れた」と言えば疲れた表情になるし、
   「元気です!」と言えば無意識に表情は明るくなり、姿勢もシャキッとします。

   ですから言葉遣いには十分に気をつける必要があるのです。


   とはいっても、ついついネガティブな言葉が漏れてしまう
   という場合も当然ありますね。

   そのようなときは、即座に「だけど」という言葉を追加します。

   たとえば待ち合わせ場所になかなか友人がやってこないとき
   「〇〇はいつも遅刻するよな」と言ってしまったとしましょう。

   このような場合すぐに「だけど」と付け足し、そのあとに続く言葉を考えます。

   「〇〇はいつも遅刻するよな。だけど、
    あののんびりした雰囲気はあいつの良さでもあるよな」

   「〇〇はいつも遅刻するよな。だけど、
    いつも行く店を入念に調べてくれるし予約も取ってくれるよな」

   などというように、良い部分を探すのです。

   ネガティブな言葉の後に「だけど」をプラスすることで、
   モノの見方をネガティブからポジティブに変えるのです。

   これを習慣づけると、モノの見方が全般的にポジティブになっていく
   というメリットもあります。

   思考がどんどんポジティブになっていき、
   それまで嫌だと思っていた仕事に対しても
   前向きになれるなどの効果が出てくるでしょう。


   私もときどき「この仕事はあまり気が乗らないな」と思うときがあります。

   そんなときは、

   「この仕事はあまり気が乗らないな。だけど
    この仕事をやり遂げたらきっと自分にプラスになる部分がある。
    きっと自分は成長できる」

   と考えます。

   そしてその仕事がもたらす目先のプラス・マイナスではなく、
   長い目で見たとき「自分はこの仕事でどう成長できるか」と考えるのです。

   すると、どんな仕事でも必ず「答え」が見つかります。

   「答え」が見つかったときには、
   同時にその仕事への強烈なモチベーションが湧いてくるのです。

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              ・・・

「この仕事を今日中にやらなければならない」
「△△まで行かなければならない」等々、
「ねばならない」という言葉がクセになっている人がいる。

この「ねばならない」が多い人は、
不安になったり、イライラしやすかったり、
攻撃的になったりすることがあるという。

また、やらされている感が多くなり、どうしても疲れやすくなってしまう。


そんなとき有効なのが、ネガティブなことを言ってしまった後に
「だけど」という言葉をつけること。

人は、「だけど」と言った後は、
それに続く言葉を自動的に考える習性がある。


「この仕事を今日中にやらなければならない。だけど、
 これを終わらせたら☆☆ができるぞ!」

ネガティブな言葉の後には「だけど」をプラスするといい。

・・・

<参照Web>

伊勢ー白山 道(2020-09-25 )
自分が出した過去の命令を解除せよ!
https://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/e/f72075dd4aca8328a849749bff2fef6d

           <感謝合掌 令和3年4月25日 頓首再拝>

《言葉に善事(よいこと)のみを語れ》 - 伝統

2021/04/29 (Thu) 04:23:42


         *『 生長の家 』(昭和26年4月29日の法語)より

   何事についても絶望的な言葉を吐くな。
   悲観的な言葉を告げるな。

   言葉は宇宙に放送されて やがて具体化するのである。

   楽観的な言葉を吐けば 楽観的な事柄があらわれて来、
   悲観的な言葉を吐けば 悲観的な事柄があらわれて来るのである。

   世間話を慎め。ゴシップに気をつけよ。
   苟(いやしく)も他(ひと)の悪を語るゴシップに交ることなかれ。

   不景気を語るな。常に好景気のみを語れ。
   人の善意のみを語れ。

   何事か悪しきが如(ごと)く見えても、
   それは現象であり、仮想であって、
   実相ではないのである。

   神のつくり給える実相は 久遠(くおん)に完全であって、
   今も尚(なお)、その完全さが存在するのである。

   言葉の魔術で 実相の完全さを曇らしてはならないのである。


    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12258815.html (消滅)

           <感謝合掌 令和3年4月29日 頓首再拝>

言(ことば)は万事の本(もと) - 伝統

2021/05/03 (Mon) 02:35:59


          *「生命の實相」第37巻幸福篇上(5月3日)」より

「太初(はじめ)に言(ことば)あり、言(ことば)は神なりき。
万(よろず)のものこれによりて成る」と「ヨハネ伝」の冒頭にあるとおり、
言(ことば)は万事の本(もと)である。

言(ことば)というのは空気の振動ばかりのことではない。
心の振動も、顔の皮膚の振動も、身体(からだ)の態度も、文章も、手紙も
すべてコトバである。

しかし根本的には心の振動が、言語という空気の振動ともなり、
表情という顔の皮膚の振動ともなる。

見ゆる形は、見えない心的エネルギーが現われたのである。

心を平和に、言葉に善きことのみを発し、表情を明るくすることが大切である。

           <感謝合掌 令和3年5月3日 頓首再拝>

われらは言葉の自由によって、正しく善き言葉のみを発する - 伝統

2021/05/16 (Sun) 04:51:17


       *「生命の實相」第37巻幸福篇上(5月16日)」より抜粋

またわれらは言葉の自由によって正しくその真理を表現しなければならない。

もしわれらが正しき世界観、人生観に到着していようとも、
正しく想念せず、正しく善き言葉のみを発しないときには、
われらの人生は不幸にみちたものとなり、
われらの住む世界は悲惨憂苦みち満ちたものとなるほかはないのである。

われらの人生が幸福なものとなるか、不幸なものとなるかは、
われらの想念と言葉が何を表現するかによって定(き)まるのである。

人類の霊魂なお稚くして何を想念すべきか、何を言葉に表現すべきかを知らず、
いたずらに敵意ある世界を心に描き、
(正見の反対の邪見である)互いに悪想念と悪感情とをそそり、
言葉に敵意を表現するをもって足れりとなす。

その行くところや悲惨なる末路なるべきは、
およそ「心の法則」によって、然らざるをえないのである。

人間の霊魂よ進歩せよ。
高級の霊魂は今後の世界の推移をいかに見るか。

われらはここに人生の深き指針として
本全集『生命の實相』第九巻・第十巻「霊界篇」を世に送り、
魂の向上の必須要件を説くとともに、今後の世界の推移を示す指標とするものである。

           <感謝合掌 令和3年5月16日 頓首再拝>

若さや美しさは言葉と意識によって変わる - 伝統

2021/05/29 (Sat) 04:44:21


        *Web:今日も良いことがあるように(2020/02/27)より抜粋

若さや美しさは、言葉と意識によって変わります。

「私なんて…」と否定的に考えていると、
暗い表情で髪はボサボサ、服は毎日同じ地味なものを着て、
猫背で、歩き方がしょぼくれて、一気に老け込むでしょう。 

「掃除ぐらいしかできない」と否定していると、
自分が持つ可能性やチャンスをつぶしてしまいます。


 でも、前向き・肯定的な言葉を使うと、自分の意識が若くなります。

 「私は掃除を丁寧にできる。他にもいろいろできる」

 「綺麗でないかもしれないが、私には可愛いところがある。笑顔もいい」

すると、そういう気持ちになって、表情も生き生きして若くなります。


優しい言葉をよく使う人は、表情が柔和になっていきます。

厳しい言葉ばかり使う人が見るからに頑固な顔をしているのは、
誰しも思い当たることでしょう。

これは年齢に関係ありません。

言葉は、人の顔をだんだん変えてきます。

40歳でも、50歳でも……90歳でも、
前向き・肯定的な言葉を使っていると、
気持ちも顔つきも行動も若くなります。

https://lucky.t-nakai.work/2020/02/27/habit-22/

           <感謝合掌 令和3年5月29日 頓首再拝>

善き言葉を駆使する術を知らねばならぬ - 伝統

2021/06/03 (Thu) 04:46:40


       *「生命の實相」第37巻幸福篇上(6月3日)」より

「知力も直覚も語(ことば)によって構成せられ、またそこなわれる。
善き語(ことば)、悪しき語は知力と直覚とをあるいは構成し、
あるいはそこなうがゆえ、十分語を選択する術(すべ)を知らねばならぬ」

とパスカルは言っている。

言葉の暗示の力は、智力を増し、直覚を増す。
祈りが学業成績に影響するのは当然なことである。

子供の学修を指導しつつある父母がすぐ焦(じ)れてきて
「子供の頭の悪さ」に不平を言うがようなことでは、
その子供の学業成績は挙がるものではない。

           <感謝合掌 令和3年6月3日 頓首再拝>

言葉は、人生航海の舵 - 伝統

2021/06/18 (Fri) 04:42:26


        *『生命の實相』第三十七巻幸福篇上(6月18日)より

言葉が舵であって、人生の方向を定める。
言葉、言葉、言葉、言葉・・・・・
われわれの心に印象を深からしめるために「言葉」という字を繰り返し繰り返し書いておく。

船は船長の言葉の力でその方向に必ず進むのである。
船長はみだりにまちがった言葉を出すことはできない。
船長が「東」と言うのに、船が「西」に進むということはありえない。

では、われわれは「幸福」に人生を航海したいならば、「幸福」の方向にのみ
自分の「人生」を進めたいならば、われわれは自分の人生の船長であるから
「幸福」とのみ掛け声をかければよいのである。

「幸福」「幸福」とのみ毎日掛け声を掛けているならば、
必ず自分の「人生」は幸福の方向に進んで行くにちがいないのである。

「健康」「健康」とのみ掛け声をかめていれば、
必ず「健康」の方向にのみ自分の人生は進んで行くにちがいないのである。

それだのに「幸福」を切に求めながら、毎日「自分は不幸だ」と掛け声をかけたり、
呟いたりしている人があり、「健康」を切に求めながら、毎日「自分は虚弱だ」と
掛け声をかけたりしている人がある。

自分の運命について呟く人、自分の病身について呟く人はこういう種類の人であって、
その人がその生活習慣を改めないかぎり、本当に幸福と健康とは来ないであろう。

今現に不幸であっても「幸福」と言う人は、
西へ行こうとしている船が「東」と言う船長の言葉で「東」へ位置を変じはじめると同様に、
「幸福」の方向へ生活が転向しはじめるのである。

           <感謝合掌 令和3年6月18日 頓首再拝>

否定的な言葉は打ち消しておくこと - 伝統

2021/06/19 (Sat) 04:56:41


        *『生命の實相』第三十七巻幸福篇上(6月19日)より

「アダムの名づけたるところのものは、その物の名となれり」と
「創世記」にあるように言葉のとおりに事物はなるのである。

宇宙は感受力鋭敏なラジオ・セットのようなものである。
このラジオ・セットは言葉で放送したものを感受するほか、
心で放送したものを鋭敏に感受して、それを具体的可聴的可視的な存在とするのである。

自分の放送しないところのものは一つとしてこの世界に形を顕わさない。

妻を呪う言葉を出したときには、妻はやがてその呪わるべき形に変って来るだろう。
良人を呪う言葉を出したとき、良人はやがてその呪ったとおりの姿に現われて来るであろう。
自分の職業を呪い、境遇を呪うがごとき言葉は冗談にも発すべきではないのである。

もし過ってそんな言葉を出したならば、それと反対の言葉、
「善い良人だ」「善い妻だ」「自分の職業は良い職業だ」「自分の境遇は幸福な境遇だ」
というような言葉で打ち消しておくことが必要なのである。

           <感謝合掌 令和3年6月19日 頓首再拝>

魂を高揚せしめる荘厳なる文章を読むべし - 伝統

2021/06/28 (Mon) 02:32:38


      *「光明法語」(6月28日《荘厳なる生活をせよ》)より

吾等は吾が生活を荘厳なるものたらしめるべからず。
何となれば人間は神の子であるからです。

魂を高揚せしめる大思想家の文章は汝の魂をして荘厳ならしむべし。

低卑なる市井(しせい)の俗語に耳傾くべからず。
闇の話、脱税の話、野卑の話、猥褻なる話きくべからず。

仏典を読むべし。聖書を読むべし。
『甘露の法雨』を読むべし、
『生命の實相』を読むべし。

すべて天啓、神示に基づく荘厳なる文章を読むべし。

猥雑極まる近代のエロ文学読むべからず。

言葉の力は恐ろしき迄強き也。

        <感謝合掌 令和3年6月28日 頓首再拝>

言霊の力をアップし希望実現する能力を高める方法 - 伝統

2021/07/17 (Sat) 02:02:04


        *Web:宇宙の兄弟たちへ(2021年5月26日)より

あるひとは「言った事が実現しない」、
「自分が言うと反対になってしまう」という方がいます。

言葉を発したら、それが逆になってしまうような方です。


古来から日本では言霊と言って、言葉の力を知っていました。

言葉には命が宿っていて、それが働きをするのです。

良い言葉を使っていると、良いことが引き寄せられますし、
悪い言葉を使っていると、悪い事を引き寄せてしまいます。

そのため日本では「縁起でもない」といって、
悪い事を言うのを避ける風習がありました。


たとえば結婚式では「切れる」という言葉は縁起が悪いので、
スピーチなどでも使ってはいけないとされます。

他にも「終わる」とか「割れる」、「離れる」、「割ける」など、
タブーとされている言葉は多くあります。

受験勉強でも「落ちる」とか「滑る」などと言わないようにするでしょう。


これは日本人は昔から言葉には物事を実現する力が宿っている
と信じていたからです。

おそらくこれらの禁忌を外国人に言うと、
意味が分からないと首をかしげる事でしょう。


言霊の力というものは確かにあり、
言葉には物事を実現させていく力があります。

ですが、普通に使っているだけでは、なかなか強い力は持ちません。


言霊のパワーを高める秘訣があるわけです。

これを間違って使うと、冒頭でも紹介したように、
かえって実現しないという事が起こります。


では、どうやって言霊の力を高めるかと言うと、
言葉そのものに力を込めていく事です。

そのためには、言った事を実行するようにしなくてはなりません。

よく知り合いとの約束で、守れもしない約束をする人がいます。

そうすると、その人の言葉には力が失われていって、言霊も去っていきます。

それが頻繁にあるようですと、
むしろ言った事と逆な出来事が起こったりするのです。


そのため、言葉に力を持たせるためには、
なるべく口約束のような事はせず、
実現できることを言葉にするようにしましょう。


そして嘘も控える事です。

まったく嘘偽りを言わないと、社会生活を送るのに不都合となりますが、
なるべくはつかわないようにしましょう。

不都合になると言うのは、
たとえば、見栄えのあまり良くない方に会って、
「太ってますね」とか「ブサイクですね」と素直に表現したら、
相手を不愉快にしてしまいます。

子どもなどは正直なため、このように思ったことを口にしてしまって、
大人が合われる事もあります。


社会を生きていくうえでは、ある程度の方便も必要となりますが、
あからさまな嘘や詭弁は使わない事です。

特に、人を騙すような言葉は使わないようにしましょう。


次に、言葉を使いすぎるという問題もあります。

女性の方に多いかも知れませんが、
なんの意味もない事を長々と話してしまう傾向の方はいます。

不要なおしゃべりが多く、言葉を浪費してしまっている人は、
言霊の力が落ちて行くでしょう。

以上、見てきましたように、

「言った事は実現すること」、

「嘘をつかない事」、

「言葉をむやみに浪費しない事」

これらに気をつける事で、言霊の力は高まっていくでしょう。

https://www.spacebrothers.jp/2021/05/blog-post_26.html

        <感謝合掌 令和3年7月17日 頓首再拝>

《”心”が先か ”コトバ”が先か》 - 伝統

2021/07/28 (Wed) 02:45:13


         *「生長の家」(昭和51年6月9日の法語)より

   ”心”を支配するものは ”コトバ”なのである。

   聖書の『ヨハネ伝』には「はじめにコトバあり、
   コトバは神とともに在り、コトバは神なりき。
   万のものこれによりて成り、成りたるもの一つとして之(これ)に
   よりて成らざるものなし」と示されている のである。

   また『甘露の法雨』には
   「『心』動き出でてコトバとなれば一切の 現象展開して万物成る」
   とも書かれているのである。

   「コトバ」は万物生成の根元であり、万物の本質を成しているもの、
   万物生成の第一原因はコトバであるというのが
   『ヨハネ伝』の記述であるが、

   『甘露の法 雨』の方は、

   「神が一切のものを造りたまふや(中略)
   ただ『心』をもつて造りたまふ。

   『心』はすべての造り主、
   『心』は宇宙に満つる実質、
   『心』こそ『全能』の神にして偏在したまふ。

   この全能なる神、完全なる神の『心』動き 出でてコトバとなれば
   一切の現象展開して万物成る」

   と示されているのである。

   そこで”心”が先であるか、
   コトバが先であるかの問題が生ずるのである。


   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=1363

        <感謝合掌 令和3年7月28日 頓首再拝>

明瞭に語られたる言葉は、実現力が強い - 伝統

2021/08/30 (Mon) 03:06:54


     *『生命の實相 幸福篇下 第三十八巻』(8月30日)より

明瞭に語られたる言葉は、曖昧に念ぜられたる言葉よりも実現力は強いのである。
合掌瞑目神想観の形式をとり、自分の耳に聞こえるほどの声をもって、
次のごとく誦(とな)えることは自己内在の無限の力が自覚する上に効果がある。

「神はすべてのものを我に与え給えり、ありがとうございます。(十回)
神は無限の智慧を我に与え給えり、ありがとうございます。(十回)
神は無限の愛を我に与え給えり、ありがとうございます。(十回)
神は無限の生命(いのち)を我に与え給えり、ありがとうございます。(十回)」

十回には限らないのであるが、
あまり永いのも長時間かかるし、短くても感銘が浅くなる。
十回と限定したのはそのためである。

敬虔の念を起こすために合掌の形式をとっているから、
1回称えれば、右手の拇指に軽く力を入れ相対する拇指を押し、

2回称えれば右手の人差指に軽く力を入れて相対する指を押し、
順次に中指、紅指指、小指と移り、
さらに左手の拇指より始めて左手の小指に至りて、終われば
合掌のまま、数のことを考えて意識を複雑にすることなしに
十回称え終わるのである。

「ありがとうございます」と称える時は、すでにそれを受けたる感激に浸りつつ
本当にありがたい気持を起こすのである。

言葉は単なる思想以上の感情を招(よ)び起こし、
感情は単なる思想以上の動的創化力となるのである。

      <感謝合掌 令和3年8月30日 頓首再拝>

良い言葉は体(健康)に良い(エミール・クーエの自己暗示理論) - 伝統

2021/09/20 (Mon) 04:28:21


        *Web:今日も良いことがあるように(2020/07/15)より

(1)クーエの自己暗示理論

   フランス人のエミール・クーエ(1857年~1926年)は、
   クエイズムとも呼ばれる自己暗示法の創始者。

   当時は大病であったリウマチ、結核、そして癌患者までを
   シンプルな暗示一つで治していった人です。

   薬剤師であったクーエは、ある時、効きはずのない薬を
   患者の強い求めに応じて渡したところ、予想に反して効能があったことから、
   精神が病を克服させるということに気づきました。

   それを機に研究を重ね、自己暗示法という精神療法を開発します。

   クーエの開発した自己暗示法は、簡単な言葉を繰り返すことで行われます。

   言葉は、人間の考えを伝える道具です。

   その考えは脳の中だけではなく、
   脳から全身に情報が送り込まれ、全身の影響を与えます。
   脳の指令は筋肉だけでなく、全ての内臓器官にも送り込まれます。

   私たちの脳や体は、寝ている間も、起きている時も、
   ほぼ無意識のうちに働いていますが、
   無意識のうちに言葉によって影響を受けているのです。

   例えば、「あなたは病気だ」「重大な病気だ」
   などと言われた人は、平気ではいられません。
   普通は、心配に思い、不安になります。

   顔は青ざめ、こわばり、笑顔が消えます。
   毎日言われれば、食欲もなり、夜眠れなくなり、
   睡眠不足で体調が悪くなるでしょう。

   正に、「病は気から」です。

   逆に、健康もその人の精神状態によって変わっていきます。

   多少、痛いところがあっても
   「大丈夫、今日も元気だ」と言っている人は、元気なのです。


(2)良い言葉を繰り返すと良い影響がある

   クーエは、自己暗示理論の結論をあげています。

   「ある考えが精神を独占してしまった場合、
    その考えは実際に、肉体的もしくは精神状態となって現われる」
       (エミール・クーエ著『自己暗示』法政大学出版局)

   暗示といっても、特に変わった言葉ではありません。

   普段自分に言っている言葉そのものが、暗示になります。

   顕在意識ではなく、知らず知らず
   潜在意識(無意識)に働きかけていきます。

   言葉は何度も繰り返しているうちに、潜在意識に残り、
   忘れた頃にプログラムとして動き出し、
   顕在意識にのぼり行動が実行されるのです。

   例えば、「あなたは病気だ」「わたしは病気だ」という言葉は、
   潜在意識にプログラムをインプットして、
   様々な悪い結果を体や精神にもたらすのです。


   逆に、体や精神に良い影響をもたらす言葉もあります。

   クーエは研究の結果から、次の言葉を
   繰り返し(毎日、数十回)唱えることを提唱しました。

    「日々に、あらゆる面で、私はますます良くなっていきます」

   毎日言葉に出して繰り返すだけで、意識(潜在意識)が変わり、
   知らず知らずのうちに体に良い影響が起こります。


(3)『十二番目の天使』にも登場

   オグ・マンディーノ著『十二番目の天使』という物語に、
   エミール・クーエのこの暗示法が出てきます。

   この物語に出てくる少年ティモシーの言葉です。

   ティモシーは野球はうまくありませんが、いつも精一杯のプレーをし、
   他の子供たちを励ましている笑顔の少年です。

   彼の口ぐせは、

    「毎日、毎日、あらゆる面で、僕はどんどん良くなっているんです」

   ティモシーからこの言葉を聞いたとき、
   監督のハーディングは驚きました。

   それは、ビジネスマンとして出世街道を歩み始めた頃、
   彼の人生によい影響を与えた一冊の本に載っていた言葉だったからです。

   その本はエミール・クーエが書いた『自己暗示』(法政大学出版局)

   その本のなかで、クーエは、

   「心身双方の病気のほとんどは、
    ポジティブな自己暗示によってきれいに取り除ける」

   と言っていました。

   繰り返し言いつづけるポジティブな言葉によって、
   心身の病気を含む、人生のあらゆる問題を解決できると主張したのです。

   その主張を裏付ける上で最も大きな役割を果たしたのが、

    「毎日、毎日、あらゆる面で、自分はどんどん良くなっている」

   というフレーズでした。

   実は、ハーディング自身も若い頃、繰り返し言いつづけた言葉だったのです。 

   『十二番目の天使』は、この言葉を繰り返し、
   健気にも常に前向きに精一杯生きるティモシー少年が
   実にさわやかな感動の物語です。

   https://lucky.t-nakai.work/2020/07/15/habit-57/

      <感謝合掌 令和3年9月20日 頓首再拝>

善きことを信じて言葉に出す - 伝統

2021/10/08 (Fri) 04:45:37


     *『生命の實相』幸福篇下第三十八巻(10月8日)より

善きことのみを語り、善きことのみを考える習慣をつけなければならない。
自分の嫌いなこと、望ましくないことを語ってはならないし、思ってもならない。
言葉は想念と同様に強力なる具象化(かたちにあらわす)の力を持っているのである。

われわれは自己の運命ラジオのアナウンサーである。
われわれ自身が言葉に発するとおりに現象世界にあらわれてくるのである。

だから常に自己の欲することを、希望することをあたかもすでに実現せるがごとく
想念し言葉に出すようにつとめなければならない。
そして言葉に出す場合にそれを信じて出すことが必要である。

善き言葉がかえって実現しないように見えるのは、
悪いことを言う時にかえって信じながら話すからである。

           <感謝合掌 令和3年10月8日 頓首再拝>

《実相を語らない言葉は只の振動である》 - 伝統

2021/10/17 (Sun) 05:05:34


       *『 生長の家 』(昭和25年9月2日の法語)より

   人が自分を悪しざまに批評するときは、
   それは神のコトバで無いことを知れ。

   神のコトバは必ず善きことのみを語るのである。

   悪しき言葉は迷いによって引き起されたる
   只の空気の振動に過ぎないのである。

   悪しき言葉を聴くときには次の如く心に唱えるが好いのである。

   「彼は憐(あわ)れなる者である。彼は言葉を浪費することに
   よって自己のエネルギーを浪費し、自己の魂を汚しつつあるのである。

   自分は決して斯くの如き実相を語らない言葉によって
   動かされる事はないのである。
   実相を語らない言葉は単なる空気の振動に過ぎない。」


   http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=100

           <感謝合掌 令和3年10月17日 頓首再拝>

善きコトバの力によって善き物を創造することができる - 伝統

2021/10/19 (Tue) 04:53:18


     *『生命の實相』幸福篇下第三十八巻(令和3年10月19日)より

実在は「全一(ぜんいつ)」である。
「全一」は表現せられえない。
「全一」は一度に知覚せられえない。

そのことはわれわれの記憶内容全体のようである。

われわれは生れてからいろいろの機会に無数に触れ、見、聞き、経験した事柄を
記憶しているのであるけれども、

その全体が一度に記憶の表面に浮かび上がって来ないのは、
「全一」なるものは、無数の相(すがた)が超時空的な世界に重なり合っているから、
知覚することができないためである。

それを記憶心象として脳髄の知覚面に浮かび上がらせうるには、
「全一」の中から、必要でないものを残して置いて、
「今」必要なものだけを、空間的表象面に浮かび上がらせなければならぬ。

それと同じく、「全一」なる存在が、それが知覚しうるように表現せられるためには、
「全一」の中からある物を”呼び出し”て来て、
他を「全一」の中に残しておかなければならぬ。

表現はコトバであり、コトバは呼び出しであるのはこのためである。
われわれは善きコトバの力によって善き物を創造することができるのである。

           <感謝合掌 令和3年10月19日 頓首再拝>

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