伝統板・第二

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賢者の一日一言(R2年6月) - 夕刻版

2020/06/01 (Mon) 18:52:26

このスレッドでは、過去に紹介した次のスレッドから、
日々の言葉の数々を再度紹介してまいります。

(1)伝統板・第二「中村天風一日一話」
 → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7808747

(2)伝統板・第二「松下幸之助 一日一話」
 → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7811995

(3)伝統板・第二「安岡正篤・一日一言」
 → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7812217

(4)伝統板・第二「吉田松陰・一日一語」
 → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7733095

(5)伝統板・第二「ひかりの一日一言39~あなたは運命の主人公」
 → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7751317

            ・・・

賢者の一日一言《1日》

(1)【 6月1日 】  人生をむずかしく考えない

   人生を、あまりむずかしく考えないほうがよい。
   むずかしく考えるとわからなくなる。

   真理は足もとにある。
   高遠な学理の中にあるのではない。

   もとより軽率な考え方ではいけないが、
   なまじ学問をした人は、真理は遠く大海の底、深山幽谷の奥山にあるような
   思い違いをすることが多い。

   人間それ自体の生命存在を、思索の中心において考えれば、
   大きな的はずれをしないですむはずである。

   人間の心のあり方が、結局人生を支配する法則の根本である。

・・・

(2)【 6月1日 】 商売は真剣勝負

   商売は真剣勝負である。

   真剣勝負では、
   首をはねたりはねられたりしているうちに勝つということはあり得ない。

   それと同じで、商売は、ときによって損もし、得もするが、
   それを繰り返しているうちに成功するものだ、
   などと考えるのは、根本的に間違っている。


   熱心にやるからには、失敗なしに成功しなければならない。
   うまくいかないのは、環境でも時勢でも、運でも、何でもない。
   その経営の行き方に当を得ないところがあるからだと考えなければならない。

   真の経営者は、不景気に際して、かえって進展の基礎を固めるものである。


   まず世間的な、信念のない考え方を改めることが大事であろう。

・・・

(3)【 6月1日 】 緑のオアシス

   要するに、人々が己(おの)れ一人を無力なもの、
   ごまめの歯ぎしりと思わず、

   如何(いか)に自分の存在が些細(ささい)なものであっても、
   それは悉(ことごと)く人々、社会に関連していることを体認して、
   まず自らを良くし、また自らの周囲を良くし、

   荒涼(こうりょう)たる世間の砂漠の一隅に
   緑のオアシスをつくることである。

   家庭に良い家風をつくり、職場に良い気風をつくれないような
   人間どもが集まって、どうして幸福な人類を
   実現できましょうか。

・・・

(4)【 6月1日 】 義より大なるはなし

   士の道は義より大なるはなし。
   義は勇に因りて行はれ、勇は義に因りて長ず。  

                 安政2年3月「士規七則」

   【訳】

   武士の生きていく道は義、人として正しい生き方の他にはない。
   それは勇気によって実行される。
   また、勇気は正しい生き方のよって更に成長する。

・・・

(5)《1日 無限供給を受けるための心の姿勢》

   あなたが若し、胃腸にまだたくさんの食物が溜っている時に、
   更に沢山の御馳走を饗応されて、無理にそれを食べたとしたならば、
   ついに胃腸を害してしまうでしょう。

   たくさんの御馳走をいただこうと思ったならば、
   先に頂いた食物をよく消化し吸収し、それを役に立てて
   腹を減らしてからでないと都合が悪いでしょう。

   それと同じことが神様からの供給についても言えるのです。

   神は“無限供給”の本源者であられますけれども、
   神からの豊かなる供給を受けるには、今迄頂いて来たものを、
   有効に使ってからでないといけないのです。

   有効に使うとは、出来るだけ人様のお役に立てて戴くという事です。
   ただ貰い切りで御馳走を腹に溜めたままで次のものを求めるというような
   「心の姿勢」を一変しなければなりません。

      谷口雅春著『人生の秘訣365章』第6篇(P140~141) より

           <感謝合掌 令和2年6月1日 頓首再拝>

賢者の一日一言《2日》 - 伝統

2020/06/02 (Tue) 21:17:19


(1)【 6月2日 】  鼓舞奨励を望むは恥

   人を鼓舞奨励することは非常に尊い。

   しかし、人から鼓舞されたいとか、
   奨励されたいとかいうふうに望んだならば、
   これはもう恥であると同時に、
   人間としてさもしい心がけだと思え。

・・・

(2)【 6月2日 】 主座を保つ

   指導者というものは、どんなときでも、
   自分みずから、“このようにしよう”“こうしたい”
   というものは持っていなくてはならない。

   そういうものを持った上で
   他人の意見を参考として取り入れることが大事なのであって、
   自分の考えを何も持たずして、ただ他人の意見に従うというだけなら、
   指導者としての意味はなくなってしまう。


   要は指導者としての主体性というか
   主座というものをしっかり持たなくてはいけないということである。

   主座を保ちつつ、他人の意見を聞き、ある種の権威を活用していく。

   そういう指導者であってはじめて、
   それらを真に生かすことができるのだと思う。

・・・

(3)【 6月2日 】 青年の精神

   おとなを恥じさせるような純真さ、若々しい情熱と気魄(きはく)、

   不羈奔放(ふきほんぽう)な理想と寝食も忘れる勉強ぶりと

   偉大な人物に私淑(ししゅく)し、万巻の書を読み、師友を求め、

   名山大川に遊び、酔生夢死(すいせいむし)にあきたらず、

   何か感激に死のうとするようなやむにやまれぬ魂こそ

   青年の尊い精神である。

・・・

(4)【 6月2日 】 自ら励むことは中十年にある

    大凡十歳前後より四十歳比迄(ころまで)、三十余年中(ちゅう)学問を勤む。
    而して其の最も自ら励むことは中(ちゅう)十年にあるなり。  

                 安政3年8月以降「武教全書講録」

   【訳】

   だいたい、十歳前後から四十歳頃まで、
   三十余年間はずっと学問をするべきである。
   そして、その中で、最も自分から精進すべきは中の十年間にある。

・・・

(5)《2日 現在の“神の恵み”に感謝すること》

   空気は無料で無限に吾々に供給されていますが、
   一ペン吸った空気を本当に役立ててからそれを呼(は)き出して、
   はじめて次に吸う空気の供給があるのです。

   与えられている現在の「神の恵み」に感謝して、
   その内的意義を吸収することも、次の御馳走を食べる準備として、
   先に頂いた食事の栄養物をよく消化して吸収して置くことに当るのです。

   すべて本当に消化吸収した後に於いてのみ
   次の供給を本当に受けることができるのです。

       谷口雅春著『人生の秘訣365章』第6篇(P141) より

           <感謝合掌 令和2年6月2日 頓首再拝>

賢者の一日一言《3日》 - 伝統

2020/06/03 (Wed) 23:44:37


(1)【 6月3日 】  思っただけじゃだめ

   いくら心の持ち方を積極的にすることが理想だといっても、
   その理想を妨げるような、いわゆる日常生活を克服することが
   できなければだめなんだ。

   そのためには克服できるようにする方法を実践しないで、
   ただ、克服したい、信念の人間になりたいと思っただけじゃなれやしない。

   考えてごらん。

   お風呂の脇に立っていて、沸いているお湯を見ているだけでもって、
   身体がきれいになるか、きれいにならないか。

   お風呂に入って洗い清めなければだめだろう。

   それと同じことだ。

・・・

(2)【 6月3日 】 自然に学ぶ

   自然の営みには私心もなければ、とらわれもないと思います。
   言ってみれば文字通り素直に物事が運び、
   素直な形でいっさいが推移していると思うのです。

   一輪の草花にしても、私心なく自然に花を咲かせているのです。
   そういった花の姿をみて、もちろん何も感じない人もいるでしょう。

   しかし、素直な心になりたいという強い願いを持っている人の場合には、
   あるいはそこに何らかのヒントを見出すかもしれません。


   そういうことを考えてみると、
   お互いが素直な心を養っていくための一つの実践として、
   大自然の営み、自然の姿というものにふれて、
   その素直さに学んでいくということも大切だと思います。

・・・

(3)【 6月3日 】 礼と義

   総(すべ)て生きとし生けるものはみな体を具(そな)えている。

   すなわち全体的存在なのであって、
   部分を雑然として集めたものではない。

   無数の部分から成り立っている全体である。

   此(こ)の全体と部分、部分と部分との間柄が
   美しく調和している状態を「礼」という。

   私共の内臓の諸器官──胃とか腸とか、
   肺心臓というものが相依(よ)り相待って
   間然するところのない健康は、我々の体内での礼である。

   そこで、自分にしろ、家にしろ、国家にせよ、
   全体を構成する部分が、その分本来の立場に於(おい)て、
   或(ある)いは他の部分に対して、
   如何(いか)に為(な)すべきやを問い出退することを「義」という。

   義は宜なりといわれる所以(ゆえん)である。

・・・

(4)【 6月3日 】 傍人(ぼうじん)に礙(さわ)らず

   傍人に礙らず、非礼を為さず、過言を出(いだ)さず。  

                  安政3年8月以降「武教全書講録」

   【訳】

   他人の妨げをしない、無礼なことをしない、
   (しゃべりすぎて)失言をしない。

・・・

(5)《3日 あなたの運命の作り手は?》

   ヘンリー・フォード第一世は

   「吾々が何かを心に描いて思うならば、その想念が
    小さな霊体(little enetity)となって、心に描いた状態を
    《形の世界》に持ち来すためのメッセンジャー(使者<つかい>)
    となって往き、
    それを実現するための要素を吾々のところへ持って来てくれるのである」

   という意味のことをいっているのである。

   実際、吾々は、間断なく、自分の「想念の霊体」を
   使いとして至る所に派遣しつつあるのである。

   そして、或る人は

   「自分の人生の行路はどうしてこんなに嶮しいのであろうか」

   と嘆くのであるし、

   また別の或る人は

   「自分の人生の行路はどうしてこんなに《なだらか》であり、
    幸福に満たされているのであろうか」

   と常に感謝しているのである。


   そのようにその人の人生が苛辣であったり、幸福であったりするのは、
   決してその人の宿命ではないのであり、自分自身が毎時々刻々常に間断なく
   心に何かを想っている其の「想念の使者(ししゃ)」が所要の要素をあつめて来て、
   想った通りの運命を自分自身につくり上げてくれつつあるからである。

   だからあなたの運命についての責任は「宿命」というものにあるのではなく、
   あなたがどんな「想念の使者(ししゃ)」を選んだかに責任があるのである。

      谷口雅春著『人生の秘訣365章』第6篇(P141~142) より

           <感謝合掌 令和2年6月3日 頓首再拝>

賢者の一日一言《4日》 - 伝統

2020/06/04 (Thu) 23:21:17


(1)【 6月4日 】  食欲と空腹を混同しない

   いかなる時に食物を摂取すべきかというと、
   真に食したいと感じた時、それがすなわち食事を摂取すべき時である。


   真に食したいと欲する時が肉体が食事を要求している時であるが故、
   格別食したくない時でも定められた食事の時刻だからといって
   無理に食物を摂取するのは、きわめて不合理なのである。


   注意すべきは食欲と空腹を混同しないことで、
   食欲の生じた時を、真に食したい空腹時と誤解していると
   往々食欲にまかせて暴飲暴食となり、自ら好んで病を作ることになる。

・・・

(2)【 6月4日 】 会社の歴史を知る

   われわれは、事を成すに当たって、
   その事の成果を大事にすることはもちろんであるけれども、
   同時にその成果を生むまでの過程をも、もっと重視したい。

   そうすることによって、自然に謙虚さが生まれ、軽率な判断も避けられる。


   会社についても、今日ここにあるまでには、
   やはりいろいろの道程を辿ってきたのである。
   喜びもあったし苦しみもあった。

   しかしどんなときも、お互いが心を結び合い、
   隠忍自重、絶えまない努力を続けてきたのである。

   そういう生い立ちなり道程については、ある程度は知っておきたい。
   仕事の知識もさることながら、会社の歴史についても理解を持つことが、
   やはり大切だと思うのである。

・・・

(3)【 6月4日 】 敬は道

   敬という心は、言い換えれば少しでも高く尊い境地に進もう、
   偉大なるものに近づこうという心である。

   したがってそれは同時に自ら反省し、
   自らの至らざる点を恥ずる心になる。

   省(かえり)みて自ら懼(おそれ)れ、自ら慎み、自ら戒めてゆく。

   偉大なるもの、尊きもの、高きものを仰(あお)ぎ、これに感じ、
   憧憬(あこが)れ、それに近づこうとすると同時に、自ら省みて恥ずる、
   これが敬の心である。

   東洋では等しくこれを道と言う。

・・・

(4)【 6月4日 】 総べて酸辛(さんしん)

   材を達し徳を成す総べて酸辛。  

                  嘉永3年「先哲叢談前後編を読む」

   【訳】

   才能を伸ばし、人としての徳を身につけることは、辛く、苦しい。

・・・

(5)《4日 明るい「想念の使者」を送りましょう》

   どんな種類の「想念」を使者として送ろうか。
   これがあなたの人生を左右する根本となるものなのである。

   その「想念の使者」の選び方で、
   或る使者は、嶮しい道を、なだらかな道にしてくれるし、
   或る「想念の使者」は折角平坦な道に、障壁や妨礙を築いてくれるのである。

   そんなに「想念の使者」というものは有力なものであるから、
   あなたは余程、毎日毎時何を想うかに注意しなければならないのである。

   苟(いやし)くも、不幸が来るとか、病気になるとか、不景気に襲われるとか
   思ってはならないのである。

   どんなに現在悪いように見えても、

   「これは善いことが来る前兆である。
    一番暗い丑満時は黎明のはじまりである。
    今私の明るい“想念の使者”が今自分に幸福と繁栄とを
    作り出して持って来てくれつつあるのである」

   と念じて、暗い想念を打ち消して
   明るい「想念の使者」を宇宙に送り出すようにしなければならない。

      谷口雅春著『人生の秘訣365章』第6篇(P142~143) より

           <感謝合掌 令和2年6月4日 頓首再拝>

賢者の一日一言《5日》 - 伝統

2020/06/05 (Fri) 19:16:54


(1)【 6月5日 】  人間は力の結晶である

   命の力を豊富に受け入れられる活き方とは、
   いかなる場合にも心の態度を積極的に保つことであって、
   どんな場合にも最高度に引き上げられた自己認証をゆるがせにしないことである。


   どんな場合にも、
   人間というものの生命は、一切の生命をしのいでいる力の結晶だ、
   と正しく思い込んでしまうことである。

   そしてこれを、いかなる場合にも、心にしっかりと堅持することである。

・・・

(2)【 6月5日 】 商道徳とは

   商道徳とは何かということについては、むずかしい理屈もあるかもしれないが、
   ごく通俗的に考えれば、商売人としての心構えとでもいうべきものであろう。
   それは昔も今も同じであり、永遠に変わらないもののような気がする。

   つまり、商売人には商売人としての使命がある。
   だから、その使命に誠実に従い、ひたすらこれを果たしていくということである。


   私がやってきた電器屋であれば、人びとの役に立つものを開発する。
   しかも合理化をはかり、適正な利益をとりつつもなお、安くなるよう努める。
   また配給もできるだけムダをなくす。

   それが商道徳というもので、それは他のどんな商売にも言えるのではないかと思う。

・・・

(3)【 6月5日 】 人を観る

   要するに人を離れて事は無い。
   為政者は天下の為に士を重んぜねばならぬ。

   それではいかにしてその士を識ることが出来るか。

   人を観るには通常五の要点がある。

   すなわち

   容貌姿態(したい)、
   言語動作、
   衣裳服飾、

   *気韻精霊(きいんせいれい)、
   *風度温籍(ふうどうんしゃ)

   である。

   但(ただし)容姿や言動や服飾は、
   要するに皮相な形而下(けいじか)の問題であり、

   又風度温籍は気韻精霊から自然に
   造詣(ぞうけい)すべきものであるから、
   結局、気韻精霊の一語に尽きる。


    *気韻精霊…気品・精神 
    *風度温籍…人間としての格・度量の広さ・包容力

・・・

(4)【 6月5日 】 斯道(しどう)の塞がる所以

   近時、風俗澆薄にして教化陵遅し、書を読む人は天下に満つれども、
   道を求むる者は絶えてなくして僅かにあり。

   而して其の自ら是(ぜ)とし自ら高ぶり、
   先知は已(すで)に肯(あえ)へて後知(こうち)を覚(さと)さず、
   後覚(こうかく)も亦肯へて先覚を師とせず。

   是れ斯道の塞がる所以にして、志士の憂ふる所以なり。  

           安政2年9月18日「※太華山縣先生に与へて講孟剳記の評を乞ふ書」

   【訳】

   この頃は、風俗が軽薄になり、(後進を)教え導いて善に向かわせる、
   という風潮が次第に衰えている。

   本を読む人は多いけれども、人としての道を求めるものはおらず、
   いたとしてもわずかでしかない。

   そして、人々は自分の現状に満足し、尊大になり、
   先知、つまり悟っている人は後知、まだ悟っていない人を指導しようとせず、
   また、後知も先知を師としない。こ

   れこそが、人の人たる道が行き詰まる理由であり、
   心ある立派な人が憂えている理由である。

    ※山縣太華(やまがたたいか)。長州藩藩校明倫館の学頭。

・・・

(5)《5日 “必ず好くなる”と信ずれば好くなる》

   第一次世界大戦の船成金として当時の千万円を儲けた山下市助氏が
   大正9年のパニック(恐慌)のときに、あらゆる物価や株式等の低落から、
   数百万円(現在の紙幣価値に換算すると数千億円にも当る)の借金ができたときに
   氏は或る金光教の先生に相談に往ったなら、
   その先生は「借金なら払ったらよい」と事もなげに淡々として言われたのであった。

   山下さんが「払える位なら相談にまいりません。払えないからこそ相談に来たのです」

   というと、その宗教の先生が

   「お前には払えないかも知れないが神なら払える。
    今日(きょう)からお前の商売をしないで、神さまの商売をしろ、
    お前はその神様の番頭になれ、そして神さまの指図通りに動くのだ。
 
    毎朝仕事に出掛けるときに、神棚の前で、

    “神様今日(きょう)からあなたの仕事をさせて頂きます。
    今日(きょう)いちにち神様の御指図でお導き下さい”

    とお祈りして出掛けて、
    神様の仕事だからよくなるより仕方がないと信じて、
    導かれるままに行動しなさい。

    そして夕方帰って来たときまた神棚の前で
    “神様、今日一日あなた様のお仕事をさせて頂きましたことを感謝いたします”
    とお礼をいってから眠るのです」

   と教えてくれたという話が『生命の實相』の中に書かれているが、
   その通り実践することによって山下一助氏はその借金を完済して尚、
   当時の金で35万円残ったというのである。

   それは何故(なぜ)であるか。

   それは山下市助氏のこれまでの想念が一変して、
   「自分の仕事は神さまがやらしている仕事であるから必ず好いことが来る」
   という想念に転じたからである。

   やはり信ずる通りになる世界であり、「想念の使者」が変ったからである。

       谷口雅春著『人生の秘訣365章』第6篇(P143~144) より

           <感謝合掌 令和2年6月5日 頓首再拝>

賢者の一日一言《6日》 - 伝統

2020/06/06 (Sat) 19:25:42


(1)【 6月6日 】  心おおらかに

    人おのおの運命(さだめ)に活きる人世なれば

     心おおらかに 過ごさんものを


   これを自分で、歌に作っているだけに、自分でこれを実行している。

   これは、ほんの瞬間の自分の心の持ち方だ。
   瞬間、消極的なことは、心の中に入れないことだ。

   しかし、入れないように頑張ると、
   心の中で戦争しなきゃならないから、ふっといなしてしまえばいいんだよ。

・・・

(2)【 6月6日 】 何事も結構

   私は運命というものは不思議なものだと思います。

   人はみなそれぞれ志を立てるのですが、
   なかなか思い通りにいかないし、実現しにくい。
   希望とは逆の道が自分にピッタリ合って成功する場合もあるのです。


   だから私は、あまり一つのことを
   くよくよ気にしない方がいいのではないかと思います。

   世の中で自分が分かっているのは1%ほどで、あとは暗中模索。
   はじめから何も分からないと思えば気も楽でしょう。


   とにかく人間にはさまざまな姿があっていいと思うのです。
   恵まれた生活も結構だし、恵まれない暮らしも結構、
   何事も結構という気持が大切だと思います。

・・・

(3)【 6月6日 】 眼識 ①

   人間というものは妙なもので、
   内省を深めるようになると中味ができてきますから、
   自(おのずか)ら風采(ふうさい)、態度が変ってくる。

   即(すなわ)ち大分できてきたなということがわかる。


   といってもわかるためにはこちらにも、
   即ち観る方にも学問がなければならぬ。

   学問をしなければ、人を観る目ができない、識見・眼識が生じない。

   あいつは財産がなんぼあるとか、何の役をしておるとか、
   いうようなつまらぬことは気がつくが、
   人間そのものについては全くわからない。

・・・

(4)【 6月6日 】 平生の言行各々其の遺命なり

   明君賢将と暗君愚将とは平生に定まることなれば、
   平生の言行各々其の遺命なり。  

                   安政3年8月以降「武教全書講録」

   【訳】

   立派な殿様、賢明な将軍であるか、
   あるいは馬鹿な殿様、愚かな将軍であるか否かは、
   日ごろの生活において決まることである。

   つまり、日ごろの言葉や行いはそれぞれ(その人の)遺言、
   臨終の時のいいつけと一緒である。

・・・

(5)《6日 毎日、あなたは「想念の使者」を遣わしつつある》

   私たちは毎日色いろの問題に接するのである。
   それに全く言うに足らぬ程の小さい問題から、
   実に重大な問題に至るまで千差万別であるといえる。

   その小さな問題が、その扱い方によって
   重大な問題に転回して行く種類のものもある。

   それらの問題に対して、私たちは明るい「想念の使者」をつかわして
   その問題を好転の方向に向わしめるか、
   その反対に暗い「想念の使者」をつかわして、その問題を逆転せしめるか、
   それは吾々自身の選択の自由にあるのである。

   人間は“運命の主人公”だと言う所以である。
   (谷口清超著『運命の主人公』に於いてその実例を見られたい)

   もしあなたが「想念の使者」に「善き事必ず来(きた)る」という想念を
   もたせてやるならば、彼は必ずあなたに善き事をもって来(く)るのである。

      谷口雅春著『人生の秘訣365章』第6篇(P144~145) より

           <感謝合掌 令和2年6月6日 頓首再拝>

賢者の一日一言《7日》 - 伝統

2020/06/07 (Sun) 19:21:17


(1)【 6月7日 】  自分本位の考え方

   自分自身を本位として、自分の家族や、
   自分の利害関係のある周囲だけの幸福や利益を重点として、
   それで金をつくってみたり、名誉をあげてみたり、
   あるいは自分の事業の成功というものにキュウキュウとして、
   それで万事オーケー、それが人生のすべてのすべてだ
   というふうに考えている人が、とくに現代の物質文化の時代には多いんであります。

・・・

(2)【 6月7日 】 部下が偉くみえるか

   会社の社長さんで、
   「どうもうちの社員はアカンワ。困っとんや」というように、
   自分のところの社員を悪く言われる方があります。

   ところが、そういう会社は必ずといっていいほどうまくいっていないのです。


   反対に「自分の部下はいい人間ばかりで、ほんとうに喜んでいるのだ」
   というような方のところは、みな成績も上がり商売もうまくいっています。


   そういうことを考えてみますと、
   上に立つ人が自分の部下は偉いと思うか、それともアカンと思うかによって
   商売の成否が分かれてくるといってもいいように思います。

   そんなところに経営なり人使いの一つのコツとでもいうものがあるのかもしれません。

・・・

(3)【 6月7日 】 眼識 ②

   しかし学問をして、それがだんだん身についてくると、
   自然に本当のことがわかってくる。

   つまり人を観る目が違ってくるわけです。

   もっともしじゅうつきあっておると、なかなかわかりませんが、
   しばらくぶりに遇(あ)ったりすると、これは大分勉強したとか、
   あまり進歩しておらぬとか、
   いう風に実に印象が新しくはっきり致します。

   人に会うのも、そういう意味でよい勉強になります。

・・・

(4)【 6月7日 】 蒼天に附す

   身跡(しんせき)を将(も)つて蒼天(そうてん)に附す。  

                  安政2年正月元日「乙卯稿(いつぽうこう)」

   【訳】

   我が身は全て天運にまかせる。(自分であれこれと画策しない。)

・・・

(5)《7日 希望の人工衛星を霊波操縦して》

   良き希望を描くこと、その希望は自分が幸福になること以外に、
   その成就によって他(た)の人々の福祉に役立つような
   希望であることが必要である。

   そしてその“希望”に“成就の信念”を添えて
   「想念の使者」を送り出すがよいのである。

   「想念の使者」は電波操縦による人工衛星のように、
   あなたの“信念の霊波”によって方向を修正したりするのである。

   だから、常に「わが希望は正しき経路を通って成就しつつある」という、
   “信念”を放送することによって、「希望の人工衛星」が確実に軌道にのり、
   希望する時期に於いて、必要なデーターをもって地上に還ってくるように
   しなければならぬのである。

   決して「失敗するかも知らぬ」というような
   “恐怖”の想念を放送してはならないのである。

   “失敗の想念”が放送されるとき、その念の放送によって
   「希望の人工衛星」に設備した色々の計器が混乱状態に入(い)り
   ついに目的を達せずして、折角の「希望の人工衛星」も
   必要なデーターをのせて地上に還って来ることができなくなるのである。

        谷口雅春著『人生の秘訣365章』第6篇(P145) より

           <感謝合掌 令和2年6月7日 頓首再拝>

賢者の一日一言《8日》 - 伝統

2020/06/08 (Mon) 23:29:24


(1)【 6月8日 】  不運から心を離す

   病なり運命から心が離れたときは、病があっても、その人は病人じゃない。
   運命が悪くても、その人は運命の悪い人じゃない。

   ようく寝てる人間は何も知らない。
   何も知らない人間に病があるか。

   目がさめて、ああ、病がある、と思うんじゃないか。


   運命がよくっても、いいか、運命が悪いときのことを考えてりゃ、
   その人は運命が悪いのと同じだ。

   そのくらいのこと、改めて私から聞かなくたって、もうわかってるはずだ。

・・・

(2)【 6月8日 】 富の本質

   時代によって富についての考え方も変わってきます。

   これまでは単に蓄積された物が富と考えられてきましたが、
   経済の進歩した今日では、その物を生産し得る能力、生産力こそが
   真の富だとも考えられます。


   それでは生産力だけを増やせばいいかというと決してそうではありません。
   生産は必ず消費に相応じなければなりません。
   いくら生産しても、それが消費されなければ何の値打ちも持ちません。

   すなわち、消費力があればこそ、生産力があるのです。
   したがって生産力と消費力のバランスをとりつつ増大させていくことが、
   富の増大であり、繁栄の道もそこから生まれてくると言えるのではないでしょうか。

・・・

(3)【 6月8日 】 感激の対象

   断えず熱中する問題を持つこと、
   即(すなわ)ち感激の対象を持つことだ。

   子供が大病の時、父母は飲食が咽喉(のど)を通らないということは、
   誰しもが経験することだ。

   これは固(もと)より好ましい場合のことではないが、
   この平凡な事実を好い方面に心掛ければいいのだ。

   人生は退屈することが一番いけない。
   断えず問題を持つ者が、精神的に勝利を占める。


   世の中が斯(こ)うなると、真面目な者は往々すね者になる。
   すねると皮肉が出る。

   彼等に欠けているものは気魄(きはく)だ。
   ところが此(こ)の頃はすね者さえもいない。

・・・

(4)【 6月8日 】 細行(さいこう)を矜(つつし)まざれば

   「行住坐臥、暫くも放心せば則ち必ず変に臨みて常を失ひ、
    一生の恪勤(かっきん)、一事に於て闕滅(けつめつ)す。
    変の至るや知るべからず」と云ふは、

   細行を矜(つつし)まざれば、遂に大徳を累(わずら)はすと
   云ふと同一種の語にして、最も謹厳なる語(ご)なり。  
 
                   安政3年8月以降「武教全書講録」

   【訳】

   「普段の生活において、一瞬でも安心して、気を抜けば、
    必ず非常事態に遭遇した時、平常心を失い、
    生涯をかけて励み勉めてきたことも、一つのちょっとしたことで、
    全てをなくし、失ってしまう。いつ変が起こるか、予測することは難しい」

   ということは、些細なことにも心を尽くして対応しなければ、

   ついに、(それまでの生涯をかけて築き上げてきた)大きな恩徳さえも
   台無しにしてしまう、というのと同じ教えである。

   最も慎み深くて厳格な言葉である。

・・・

(5)《8日 あなたの希望を神を通じて実現すること》

   先ず自己の成就したいと思う「希望」を心に描き、
   神を心で呼び(生長の家の人は“招神歌”を唱え又は念ずるがよい)

   「神の無限の智慧、この希望を成就するためにわれ何を為すべきかを示し給う」

   と一心に念ずるがよい。

   神はそのとき言葉を以て示し給わないかも知れないが、
   「神に口なし人をして知らしむ」であって、必要な時、適当な場所に於いて、
   適当な人が、何か適当なヒントや助言を与えてくれて、
   その通り実行すれば、それが希望実現のための自然の経路となってくれるのである。

      谷口雅春著『人生の秘訣365章』第6篇(P145~146) より

           <感謝合掌 令和2年6月8日 頓首再拝>

賢者の一日一言《9日》 - 伝統

2020/06/09 (Tue) 19:44:31


(1)【 6月9日 】  理想的な人間生活

   私はあえて断言する。

   人がなんと言おうと、この世の人々のすべてが、
   旧来のとらわれた、しかつめらしい道徳観や倫理観から離れて、
   人間の生物的本能である感覚的享楽を、

   他の人の幸福を妨げない範囲で喜び、楽しめるように心がけるならば、
   そこに期せずして、人々の生きがいある、
   楽しい、のどかな、理想的な、本当の人間の生活ができると、こう確信したのです。

・・・

(2)【 6月9日 】 苦労を希望に変える

   仕事のコツを体得するということは、決して楽なわざではないと思います。
   相当精魂を込めてやらなければならないと思うのです。
   それはやはり一つの苦労だと考えられます。

   しかし苦労であっても、それをやらなければ一人前になれないのだということを、
   青少年の間から、常に先輩に聞かされていますと、それは苦痛でなくなってくるのです。
   それは希望に変わるのです。

   ですから、そのコツを体得することに対して
   精魂をかたむけるということができてくると思います。

   そのように、いろいろむずかしい問題にも、
   心を励まして取り組んでいくところに、
   自己の完成というか、自己の鍛えがあると私は思います。

・・・

(3)【 6月9日 】 心花、静裡に開く

   人間は改めて勉強する時とは別に思いがけない時、
   ふと目についた柱かけや扁額(へんがく)の文句などに、
   はっと心を打たれ、目をみはることが少くない。

   そしてそれが又、思いがけない時に思い出され、
   心の養いになり、決断の力になることもある。


   先日友人の家で、

   心花静裡開 ── 心花、静裡(せいり)に開く

   という額の文句を見て好い気分になり、
   主人の心胸をも窺(うかが)う気がして楽しかった。

・・・

(4)【 6月9日 】 速久処仕(そくきゅうしょし)已(すで)に初めに決す

   易に云ふ如く、「君子は幾を見て作(た)ち、日を終ることを待たず」
   の理(ことわり)にて、道(みち)の否(ひたい)泰、時の可否は聖人一目瞭然にして、
   速久処仕(そくきゅうしょし)已(すで)に初めに決す、亦明決(めいけつ)ならずや。  

                      安政3年6月7日「講孟剳記」

   【訳】

   『易経』にいうように、
   「心ある立派な人は、ことのきざしを見て、すぐに行動を起こし、
   一日たりともぐずぐずしてがいない」。

   この通りであり、聖人は、人としての道が正しくないか、正しいか、
   また、時宜(じぎ)が適当であるか否かをすぐに見抜き、
   その最初において、自分の進退を決めている。
   まことにはっきりした決意ではないか。

・・・

(5)《9日 神によるあなたの希望の修正》

   神からの導きを受けるために祈り又は神想観して念ずる場合には、
   必ず一切の恐怖、心配、取越苦労などの暗い感情を棄てて、
   神は必ず自分を護っていて下さるのだから間違はないのであるという信念をもって、
   神に波長の合う心境になっていて、祈ることが必要であるのである。

   そして「神の愛つねに我を護り給うて
   わが希望は実現するためのすべての条件を整え給う。
   われこれを信ず、確く信ず」と念ずるがよい。

   毎日一定の時間にそのように念じて、
   「希望を実現するためのすべての条件は神によって教えられているいるのだ」
   という信念を倍加して行くがよいのである。

   仮りに、あなたの欲する通りのことが実現しないことがあっても歎いてはならない。
   若しその時、あなたの希望する事が成就しないならば、一層悦ぶべきである。
   何故なら、恐らくあなたの希望は、神から御覧になったら、あまりに小さくて、
   あなたに相応しくないので、あなたにふさわしい尚一層よきものを
   あなたに興えて下さることになっているからである。

       谷口雅春著『人生の秘訣365章』第6篇(P146~147) より

           <感謝合掌 令和2年6月9日 頓首再拝>

賢者の一日一言《10日》 - 伝統

2020/06/10 (Wed) 20:29:35


(1)【 6月10日 】  理性心と本能心

   理性心というのは、早い話が、何の力もなく、ただ小理屈こねて、
   べらべら、さみだれ小言のようなことばかり言い続ける
   家庭教師みたいなものなんです。

   本能心の方は、始末におえないわがままな子供みたいなものです。

   ぶつぶつ、くだらない小言ばかり言っている教師に
   わがままな子供を躾させたって言うこと聞くもんかい。


   理性心はものの善悪、邪正、曲直、是非というものは見分けますよ。
   けれども、この理性心には本能心を統御したり、
   いわんや、整理する力はないんです。

・・・

(2)【 6月10日 】 一千万円の時間

   先日、知人から「息子があなたに会いたがっている、
   10分でもよいから会ってやってもらえないか」という依頼がありました。

   10分ぐらいだったらと会いましたが、後日その知人が、
   息子さんが「今日は1,000万円儲かった」と、喜んでいたと言うのです。
   「松下さんの10分間は、それだけの値打ちがある」というわけです。


   私にそんなに値打ちがあるとは思いませんが、
   その考えは偉いな、と感心しました。

   人の時間をさいて話を聞くとき、これをお金で評価する必要はないにしても、
   単に話を聞いただけでなく、その行為に感謝して、ある種の感慨を
   持たなければならないことを、私はこの25歳の青年に教えられました。

・・・

(3)【 6月10日 】 雨後の感

      有 感  山崎闇斎(あんさい)

    坐憶天公洗世塵 そぞろに憶(おも)ふ天公 世塵(せじん)を洗ふを

    雨過四望更清新 雨過ぎて四望更(さら)に清新

    光風斉月今猶在 光風霽月(せいげつ) 今猶(な)ほ在り

    唯欠胸中酒落人 ただ缺(か)く胸中洒落(しゃらく)の人


   徳川時代の儒学や神道に及ぶ時、山崎闇斎を語らぬ者はないが、
   大抵は窮屈千万な人の様に思っている。

   然し(しかし)闇斎はそんな人ではなく仲々の豪傑である。

   この詩は雨後の感を詠(よ)んだものだが、
   この雨は天が、人間の世の中の塵(ちり)を
   洗った感があるというのである。


   一雨サーっと過ぎた後、四方の眺めは一段と清新である。

   雨の後の青葉をゆるがす風と、
   塵を一洗した空の月は文字通り光風霽月で、
   今も在るがさてそんな心の人に至っては当今さっぱり見当らぬ。

・・・

(4)【 6月10日 】 楽しむ所を楽しむ

   徒(ともがら)(中略)曰く、
   「遇不遇は天のみ、我れに於て何かあらん。我れは我が楽しむ所を楽しみ、
    以て慊(あきた)らざることなかるべし。
    況や人の共に其の楽しむ所を楽しむあるをや」と。 

               嘉永2年4月7日「児玉君管美島軍事を拝するを賀する序」

   【訳】

   仲間が(中略)いった。

   「世に認められるか否かは全て天命である。私にとっては何の問題でもない。
    私は自分の楽しいと思うところを楽しみ、それで十分満足である。
    ましてや、他の人が一緒に私の楽しむものを楽しんでくれているのに」と。

・・・

(5)《10日 “言葉の力”で幸運を創造せよ》

   信念深き言葉を発せよ。

   「自分が出掛ける時は必ず必ず好天気である! 」

   「この講習会には必ず大勢の人が集る」

   「どんなに世間が不景気であっても私の店は必ずお客が沢山来るのである。
    註文は殺到しつつあるんだ」

   と信じて此等の言葉を発し、また心の中にその通りの確信するのだ。

   確信の程度に随って必ず、その言葉の通りに成就するであろう。

   イエスが「若し辛子種ほどの信だにあらば、
   この山に動いて海に入れと言うとも必ず成らん」と教えているのは本当である。

       谷口雅春著『人生の秘訣365章』第6篇(P147) より

           <感謝合掌 令和2年6月10日 頓首再拝>

賢者の一日一言《11日》 - 伝統

2020/06/11 (Thu) 22:29:31


(1)【 6月11日 】  傑出した人物

   実際、古今ともに、いわゆる傑出した人物というのは、
   いずれもみんな有意注意力が完全な人々のことを言うんだ。

   何事に対しても周到にその観念が総合され、したがって精神も統一され、
   その結果すべての能力が同輩をしのぐために、いやでも自然と傑出しちゃう。

   だから、いつも何事でも
   自分の好むことをおこなうときと同様に気をこめておやりなさい。

・・・

(2)【 6月11日 】 小田原評定では……

   多くの会社では決起大会をやり、反省すべき点や、今後の目標を確認しあいます。
   しかしそれも、こうしなければならないということはわかった、
   というだけではいけない、実行がなければいけません。

   実行ができない限りは、100の決起大会を行っても、
   それは費用を使うだけ、時間を使うだけに終わってしまいます。


   昔の話に小田原評定ということがあります。
   大軍が攻めてくるということに対して、小田原城の人は、
   評定に明け評定に暮れてついに負けてしまったという話です。

   それではいけない、評定は1回でよい、あとは実行だ、
   そうしてこそ、はじめて成果をあげられるのです。

   一にも実行、二にも実行です。

・・・

(3)【 6月11日 】 物知り

   物知りというものは勿論(もちろん)結構、
   場合によっては面白い、或(あ)る種の値打ちもある。

   けれども、人間の本質的価値に何ものを加えるものでもない。
   況(いわん)や物知りを自慢にするなどというのは、
   これくらい他愛のないことはない。

   この頃は物知り辞典というのが沢山出ております。

   又クイズというものが大層流行っておるが、
   こういうものは人間の知性の遊戯以上の何ものでもない。

   おおぜい面を並べて、つまらない問答をして、
   よくまあ、あんな馬鹿な事を性懲(しょうこ)りもなく
   やれるものだ、と時々思うが、退屈まぎれ、
   時間つぶし以上にさっぱり値打ちはない。

・・・

(4)【 6月11日 】 武士道が闕(か)くる

   武士たる者は只今にても君命あらんには、槍を提(ひっさ)げ馬に打乗り、
   水火に駆け込むべき身分なれば、飲食男女の欲を縦(ほしいまま)にし、
   疾病を生じ、懶惰(らんだ)に陥り、気根を弱くしては、武士道が闕くるなり。  

                   安政3年8月以降「武教全書講録」

   【訳】

   武士たるものは、今すぐにでも命令があれば、槍をひっさげ馬に乗り、
   水や火の中に駆け込むべき身である。

   だから、暴飲暴食をしたり、男女の欲望を貪(むさぼ)ったり、
   病気になったり、ものぐさになったり、気力や根気を弱くしたりしては、
   武士の道に欠けるというものである。

・・・

(5)《11日 神はあなたを必要としたまう》

   神は愛である。

   しかし人間を通じてのみ神の愛は、
   意識的に、そして十全の相(すがた)をもって顕現するのである。
   人間がなければ、神の愛は完全に表現されることはできないのである。

   それゆえに、神は《あなた》を必要とする。

   あなたが若し一人無ければ、あなたという個性ある人格を通じて表現される
   神の一つの「表現口」が欠けることになるから、
   神は是非ともあなたを必要としたまうのである。

   「神にとって必要な自分である」ということは
    何という光栄なことであろうか!

   それを自覚するとき本当の生き甲斐が生ずるのである。

   「此の世に生れて来て、よかった」という自覚が生ずるのである。

       谷口雅春著『人生の秘訣365章』第6篇(P147~148) より

           <感謝合掌 令和2年6月11日 頓首再拝>

賢者の一日一言《12日》 - 伝統

2020/06/12 (Fri) 19:42:37


(1)【 6月12日 】  真理は厳しいもの

   自然界に存在する人間への掟はまことに厳しい。
   しかも、これは千古変わらず、久遠のその昔から永遠の将来まで、
   証として実在している。

   真理は、「おまえはそういう場合だから特別にみよう。
   まあとにかく、今度は機嫌のいい時に教わったようにおしよ」
   ということは言いやしません。


   真理は峻厳にして侵すべからず。
   間違った生き方に対する正しい心構えが万一にも用意されないと、
   たちまち、事実があなた方に反省を促します。

   その反省を促す事実とはいかにと言えば、病なり不運なりです。

・・・

(2)【 6月12日 】 公明正大

   後漢の時代に、高潔をうたわれた楊震という政治家がいた。
   この人がある地方の太守として赴任していったところ、
   たまたま以前に引き立ててやった王密という人が夜分に訪ねてきて、
   大枚の黄金を楊震に贈ろうとした。

   楊震が受けとるのを断わると、王密は
   「こんな夜中で、この部屋には私たち2人しか居ないのですから、
    誰にもわかりませんよ」と言った。

   そのときに楊震は「誰も知らないと言うが、
   君と私自身が知っているではないか」こう言ったという。


   他人が知っているということよりも、
   まずみずからの心に問うて、やましいところがないか、
   公明正大であるかということが大切だと思うのである。

・・・

(3)【 6月12日 】 凡・非凡の分かれ目

   凡と非凡のわかれる所は能力の如何(いかん)ではない。

   精神であり感激の問題だ。

・・・

(4)【 6月12日 】 慨然として

   慨然(がいぜん)として国天下を以て自ら任ずべし。  

                   安政3年8月以降「武教全書講録」

   【訳】

   気力を奮い起こして、国家、天下の維持・発展を、
   自分の責任として自覚しなさい。

・・・

(5)《12日 神の自己実現として為すべきこと》

   人間が神の自己実現として地上に出現した以上、毎日何か、
   神との連関に於いて為すべき仕事がある筈なのである。

   神との連関に於いて為される行為のみが
   本当に“生き甲斐”のある仕事だということができるのである。

   神との連関のある仕事をしようと思ったならば、
   先ず一日の始めに、朝の“祈り”又は朝の“神想観”を為すべきである。

   私達は何事を為すにも、番頭が店主の意志に従って店を経営するが如く、
   社員が社長の方針に従って会社の業務をとるが如く、
   人間は神に振向き、神の《みこころ》を奉戴して行為すべきであるのである。

   私達が神に振向くとき、神はその仕事を進めるための智慧を与えたまい、
   それを成就するための信念と勇気とを与え給うのである。

   祈りを毎日つづける時には、信念と勇気とが新たになるのである。

        谷口雅春著『人生の秘訣365章』第6篇(P148) より

           <感謝合掌 令和2年6月12日 頓首再拝>

賢者の一日一言《13日》 - 伝統

2020/06/13 (Sat) 19:03:09


(1)【 6月13日 】  朗らかな活きがい

   実際、たのしい、面白い、うれしい、という観念が心の中に生じた時ほど、
   朗らかな活きがいを人生に感じることはない。


   そして、それがどんなに健康にも運命にも直接間接顕著な効果を与えるかわからない。
   ということに想到する時、よりいっそうの貴い価値を感じる。


   しかり、おそらくどんな名医名薬といえども、
   この観念以上の効果は絶対にないと、私は私の長年の経験で断言する。


   多くいうまでもなく、人生は畢竟「心」である、「観念」である。

・・・

(2)【 6月13日 】 寛厳よろしきを得る

   指導者はいわゆる寛厳よろしきを得ることができるよう
   心がけることが大事だと思う。


   やさしさばかりでは、人びとは安易になり、成長しない。
   厳しさ一方でも、畏縮してしまい、のびのびと自主性を持ってやる
   という姿が生まれてこない。

   だから寛厳よろしきを得ることが大切なわけであるが、
   ただこれは、厳しさと寛容さを半々に表わすということではない。

   厳しさというものはなるべく少ない方がいい。
   20%の厳しさと80%の寛容さを持つとか、
   さらには10%は厳しいが、あとの90%はゆるやかである、

   しかしそれで十分人が使えるというようなことが一番望ましいのではないだろうか。

・・・

(3)【 6月13日 】 家庭訓 (1)

   [妻は夫に]

   一、先んじて起く。

   二、後れて臥す。

   三、和言す(なごやかにもの言う)。

   四、意に先んじて旨(むね)を承(う)く
      (言われぬ先に夫の希望するところをのみ込む)。

   五、道を聞くことを好む。

・・・

(4)【 6月13日 】 死して後已むの四字は 

   死して後(のち)已(や)むの四字は言簡(げんかん)にして義(ぎ)広し。
   堅忍果決、確乎として抜くべからざるものは、
   是(こ)れを舎(お)きて術(すべ)なきなり。  

                     安政2年3月「士規七則」

   【訳】

   死而後已(ししてのちやむ)の四字は文字は簡潔であるが、
   その意味する所は大変広い。

   意志が強く、我慢強く、思い切りがよい。
   また、しっかりしていて、容易に動かされない男子たるやめには、
   これをおいて、他に手段はない。

・・・

(5)《13日 正しく仕事を為す態度》

   神は無限の力であり、神のみが唯一の力であり給うのである。

   自己が“神の子”であり、自己の“生命(せいめい)”は
   “神の生命(せいめい)”が宿っているのであることを知るならば、
   それを正しい方向に使用する限りに於いて、
   自分の希望達成に妨礙となる何物もあり得ない事は当然であるのである。

   “神の生命(せいめい)”が自己の生命(せいめい)として宿っているのであるから、
   神のみこころに適う方向に行動しなければ、自己矛盾に陥って、
   希望が成就しなくなるおそれがあるのである。

   仕事をなすのに、正しい仕事を選び、正しい心の態度によって
   それを遂行することが必要である。

   他(た)の人が何と批評しようと、批評は人にまかせよ。

   あなたは毎日、何らかの人類のためになる
   (人類全部でなくとも、そのうちの一人又は数人のためでも可い)
   仕事を為すように心懸けよ。

   それがあなたの仕事の方向を正しくし、
   心境を正しくするのに役立つことになるのである。

       谷口雅春著『人生の秘訣365章』第6篇(P149) より

           <感謝合掌 令和2年6月13日 頓首再拝>

賢者の一日一言《14日》 - 伝統

2020/06/14 (Sun) 19:41:09


(1)【 6月14日 】  人間の心の本質

   誰でも人間である以上は、心というものを、
   めいめい持っていているということは、知っているが、
   この人間の心の、本当の、本質というものを知って活きている人は、
   きわめて少ないのではないかと思われる。


   率直に言うと、人間の心の本質というものは、
   真・善・美という尊いもので、それは大自然の調和と同様なものなのである。

・・・

(2)【 6月14日 】 サービスできる範囲で商売を

   どんないい商品があっても、サービスがそれに伴わなかったら、
   これはお客様にほんとうに満足していただけないと思います。

   むしろ、サービスに欠けるところがあったならば、お客様の不満を招き、
   かえって商品自体の信用を落とすことにもなりかねません。

   だからサービスとは、
   ある意味では製造なり販売に優先するほどのものだとも考えられます。


   サービスというものは、どんな商売にもつきものであり、
   したがっていかなる場合でも、完全なサービスのできる範囲で
   商売をしていくことが大切だと言えます。

   そういう経営の姿勢からこそ、
   堅実な商売の発展がもたらされてくると思うのです。

・・・

(3)【 6月14日 】 家庭訓 (2)

   [親族に]

    一、随時、物を贈る
     (盆暮でなく、気がついたときに心のこもった贈物をする)。

    二、事無くして偶々(たまたま)訪(おとな)う
     (用事のないときでもふらりと寄ってみる)。

    三、小信を忽(ゆるがせ)にせず
     (一寸した約束事などいい加減にしない)。

    四、退いて怨誹(えんぴ)無し
     (悪口を言わない)。

    五、有事相済(すく)う

・・・

(4)【 6月14日 】 賢母あらば

   賢母あらば賢子あり。  

                安政4年4月5日「※周布君の大孺人某氏八十寿の序」

   【訳】

   人として優れた母がいれば、人として優れた子供がいる。

    ※長州藩士 周布政之助公輔。松陰の同志だったが、後、離反。
      松陰刑死後、遺骸埋葬を助けた。

・・・

(5)《14日 現象を見ず實相を称讃せよ》

   私たちは批評好きであってはならないし、争論好きであってはならないのである。
   イエスはいみじくも「人を審くこと勿れ、また汝らも審かれん」と訓えているのである。

   どんな立派な人間でも、尻の孔(あな)をさがしたら余りよい恰好でないように、
   わざと欠点をさがし出したらどこかに汚れたところがあるのである。

   それは現象を見るからである。

   肛門といえども、その表面の形を見ず、
   その奥にある“生命力”が如何に微妙な叡智をもって、それを工夫して製作し、
   全身の健康を支えているかという其の形の奥にある生命の「實相」を見るならば、
   その素晴らしさに驚嘆し称讃せずにはいられないのである。

   人間を観るにも、形ばかりを見ずに、
   その奥にある“神の子”を見るとき驚嘆し称讃せずにはいられないのである。

   これを「實相を観る」と謂うのである。

        谷口雅春著『人生の秘訣365章』第6篇(P149~150) より

           <感謝合掌 令和2年6月14日 頓首再拝>

賢者の一日一言《15日》 - 伝統

2020/06/15 (Mon) 19:20:51


(1)【 6月15日 】  原因結果の法則

   およそ人生には、人生を厳格に支配している一つの法則がある。
   それは原因結果の法則である。

   そして人生というものは、その人が自覚するかしないかを問わず、
   この法則を応用する度合に比例する。

   すなわち、

   「蒔いた種のとおり花が咲く」

   という法則なのである。

   俗にいう善因善果、悪因悪果の法則である。

   人間の運命の中に地獄を作り、また極楽を作るのも、この法則があるからである。

・・・

(2)【 6月15日 】 批判はあとでよい

   賢い人は、
   ともすれば批判が先に立って目前の仕事に没入しきれないことが多い。

   このためせっかく優れた頭脳と知恵を持ちながら、批判ばかりして、
   結局は簡単な仕事も満足にできないことがある。

   ところが逆に、人が見ればつまらないと思われるような仕事にも
   「バカの一つ覚え」と言われるぐらいに全身全霊を打ち込む人がいる。
   この姿は全く尊く、見ていても頭が下がる。


   仕事に成功するかしないかは第2のこと、要は仕事に没入することである。
   批判はあとでよい、とにかく一心不乱になることだ。
   こうした努力は必ず実を結ぶと思う。

   そこからものが生まれずして、いったい、どこから生まれよう。

・・・

(3)【 6月15日 】 活 読

   読書はただ読むだけでは駄目で、
   読みながらもその本を自己内部で賦活(ふかつ)する必要がある。

   これを活読という。

   読みっぱなしならば、むしろ本に読まれていることになる。

・・・

(4)【 6月15日 】 文武は士の家業なれば

   文武は士の家業なれば、是れを習練するは論を俟(ま)たず。  

                   安政3年8月以降「武教全書講録」

   【訳】

   学問をし、武芸を修めることは武士の生業(なりわい)である。
   これを繰り返し学ぶことはいうまでもないことである。

・・・

(5)《15日 あなたの世界には不景気は存在しない》

   神に常に心を振向け、その神の生命(せいめい)が自己に常に流れ入って、
   自分の存在を支えているということの自覚を、神想観によって毎日新たにする者は、
   毎日一層自分の能力を増し、健康を持続し、老衰をおくらせ、
   事業遂行の新たなる計画と勇気とが湧いてくるのである。

   若し、社会全般の不景気のために自分の事業も行き詰って来たと見える時にも、
   常に“心の世界”に於いて神と連繋を保っているものは、
   神の智慧を受けて、その不景気を切り抜けることができるのである。

   神は単に病気治しの神ではなく、不景気直しの神でもあるのである。

   否!! 神があらわるれば、病気なく、不景気本来存在しないのである。
   それは聖經『甘露の法雨』に示されている通りである。

        谷口雅春著『人生の秘訣365章』第6篇(P150) より

           <感謝合掌 令和2年6月15日 頓首再拝>

賢者の一日一言《16日》 - 伝統

2020/06/16 (Tue) 19:14:10


(1)【 6月16日 】  なんのための人生か

   人生はたった一回かぎりのもの。
   一生は一生であって、けっして二生ではないんです。

   ですから、自分自身の人生は、もうこれ以上はないってくらいに
   価値高く活かさなければ、なんのために生まれてきたやら、
   ほんとうにもったいないですよ。


   そして、人生を幸福に生きる、生きがいのあるものにする、
   思いどおりの人生に生きるためには、なにより、あなた方の生命の大根大本となる、
   命というものを大切にしなければ、どんなに立派な人間になっても、
   それはなんの意味もなさなくなってしまうんですよ。

・・・

(2)【 6月16日 】 常識を破る

   私たちを取り囲んでいる常識というものは、
   想像をはるかに越す根強さを持っています。

   しかし私たちは、その常識を尊ぶとともに、
   ときには常識から自分を解放することが必要だと思います。

   そしてそのためには、やはり強い熱意が要請されます。
   熱意のたぎっているところ、人は必ず新しい道を開きます。

   常識では考えられないことをやってのけ、
   運命を切り開き、新しい発明発見をします。
   常識を破るのです。


   常識は大事であり、破るがために常識をはずれたことをするのは、
   世の中を乱し、周囲に迷惑を及ぼすだけです。

   そうではなくて、熱意の発するところには、
   次つぎと新しい着想が生まれ、必然的に常識が破られていくのです。

・・・

(3)【 6月16日 】 命は吾より作す

   人間が浅はかで無力であると、いわゆる「宿命」になる。

   人間が本当に磨かれてくると「運命」になる。

   即(すなわ)ち、自分で自分の「命(めい)」を創造することが
   できるようになる。

   それを「命(めい)は吾(われ)より作(な)す」という。

・・・

(4)【 6月16日 】 独り自ら志す所は

   独り自ら志す所は皇国の大恩に報い、武門武士の職分を勤むるにあり。
   此の志は死すと雖も吾れ敢へて変ぜす。  

                   安政3年8月以降「武教全書講録」

   【訳】

   一人で自分から志しているのは、国家の大きな御恩に報い、
   武門にある武士としての当然の務めを行う、ということである。
   この志は死んだとしても、強いて変えることはない。

・・・

(5)《16日 感謝によって過去の経験から魂の栄養を吸収せよ》

   感謝はすべてを癒やすのである。

   の病いを癒やし、心の病いを癒やし、事業の病いを癒やす。

   過去に何があったにせよ、過ぎ去ったすべての出来事は、
   良きにせよ、悪しきにせよ、自分に新しき経験を与え、
   魂を富ますために役立ったのであるから、
   その出来事のひとつひとつに対して感謝の思いを起すがよい。

   あらゆる経験を通して、時には人間の肉体は苦しむかも知れないが、
   魂は進歩し向上するのである。
   すべての経験に対して感謝し得るようになったとき、
   その経験が自分に与えた魂の栄養分を吸収したことになるのである。

      谷口雅春著『人生の秘訣365章』第6篇(P151) より

           <感謝合掌 令和2年6月16日 頓首再拝>

賢者の一日一言《17日》 - 伝統

2020/06/17 (Wed) 21:01:01


(1)【 6月17日 】  人間の尊さ

   人間には、人間がひとたび自分自身の本質の尊さというものを
   正しく自覚すると、「心」が自然と自己自身を気高い人生に活きるように
   リードするという必然性がある。

   だからそうなるとその人は、必然的にどんなわずかな時間でも、
   いつも価値ある人生を活きられることになる。


   そもそも人間の本質というものが、いかなる尊さを持っているかというと、
   人間というものは、厳格に論断すれば、健康的にも運命的にも、
   常に幸福に恵まれるように、本来が作為されているという点に帰納される。

・・・

(2)【 6月17日 】 孤立化を防ぐ

   今日の日本が世界の中で、ふたたび孤立化する傾向があるとするなら、
   それはみずから招いているのである。

   つまり、それは日本なり日本人が置かれている
   立場、実態を知らないところからきている。


   だから、われわれは、まずすべての国、すべての人びとが、
   日本と仲よくしてくれているからこそ自分たちは生活できるのだ、
   という自覚認識をすることが大事であろう。

   その自覚からは、みんなの世話になっているという
   謙虚な気持がおのずと出てくる。
   そうなれば、事は半ば解決するといってもよい。

   そういう思いを持つなら、
   みずから孤立化を招くような態度は決して出てこないと思うのである。

・・・

(3)【 6月17日 】 政治の四患 ①

   政治について古来からいわれている四患 ―― 四つの病弊がある。


   第一は偽である。

   うそ、いつわりは小事ではすぐわかるが、
   社会、公共のことになると段々真偽が紛わしくなる。
 

   第二は私である。
 
   昔は政界に出ることは私産を失うのが常識であった。
   今は自分の為に、公を假(かり)ることが平気である。

・・・

(4)【 6月17日 】 凡(およ)そ生を天地間に稟(う)くる者

   凡そ生を天地間に稟くる者、貴(き)となく賤(せん)となく、
   男となく女となく、一人の逸居(いっきょ)すべきなく、一人の教なかるべきなし。
   然(しか)る後(のち)初めて古道に合ふと云ふべし。  

                   安政3年8月以降「武教全書講録」

   【訳】

   この世の中に人として生まれたものは、身分、性別にかかわらず、
   一人として怠けて気ままにしているべきものはなく、
   また、一人として教えないでいいというものはない。
   こうして後、初めて昔からの正しい教えに及ぶというべきである。

・・・

(5)《17日 自己の絶対価値を信じて個性を伸ばせ》

   他(た)と比較して、自分の相対価値を求めるな。
   比較するとき現在の待遇が腹立たしくなったり、不平の念が起ったり、
   劣等感に責められたりすることになるのである。

   あなたは神の個性的な自己実現として
   他(た)と比較のできない絶対価値をもっているのである。

   自己が絶対価値をもち、自己が比較を絶した価値のものであることを
   自覚して、常に神想観して、神の智慧につながって行動すれば、

   他の人ではできない、自己でなければ出来ない
   独特の、個性ある進展を示すことができるようになるのである。


   神に導かれたる個性ある独特の進展をすることは、
   如何に個性を伸ばすとも、他(た)と不調和となり、
   全体の発展をこわす事にはならないのである。

   時計の各個の部分品が、他(た)と異る形をしながら、
   それが設計されたる本来の個性ある形に精確に作られておればおるほど、
   その時計が一層精確に運転するようになるのと同じように、

   一つの会社又は団体でも、個性ある人材が適材適所に於いて、
   その人でなければ他(た)の人には到底できない個性ある優秀な仕事を
   してくれるとき、その会社又は団体は一層栄えるようになるのである。

        谷口雅春著『人生の秘訣365章』第6篇(P151~152) より

           <感謝合掌 令和2年6月17日 頓首再拝>

賢者の一日一言《18日》 - 伝統

2020/06/18 (Thu) 22:32:14


(1)【 6月18日 】  不幸は幸福を招く原動力

   不幸に直面したら、まずその不幸に際しても、
   なおかつ生命を失わずに現実に活きていられることを
   感謝することに心を振り向けるべきである。


   するとそうした心がけそれ自体が、幸福を招いて来る原動力となるのである。  

・・・

(2)【 6月18日 】 上には上がある

   剣術でも、習い始めて少しうまくなってくると、
   みんなが自分より弱く見えて、太刀さえとれば自分が勝つように思う。

   しかしその域を脱すると、自分もまあ相当修行できたかもしれないが、
   しかし上には上がある、自分より上の人がたくさんいるということが
   わかってくるから、自然謙虚な心持になり、
   その人たちを手本としてその本質を究めようとします。


   経営もこれと同じで、経営者としての経験を積めば積むほど、
   経営というものの幅の広さ、奥行きの深さがわかってくるものです。

   常に、もうこれでいいというのではなく、
   よりよき方法、よりよき道を求めるという姿勢が大切だと思います。

・・・

(3)【 6月18日 】 政治の四患 ②

   第三は放である。

   無軌道、放埒(ほうらつ)、無礼、無責任等である。
   礼儀も道徳も、秩序も法律も無視して、
   自由と権利の下、勝手放題にやって省(かえり)みない。


   第四は奢である。

   放と同じく一度味をしめると、容易に節倹の生活に戻れない。
   文明は生活の利便を高めたが、
   それと共に恐ろしく奢侈(しゃし)にした。


   この四患を救わねば治まるものではないが、
   これを巧(たく)みに操って政権の打倒を計るのが左翼勢力だ。

・・・

(4)【 6月18日 】 軽蔑する者は

   貧賤を以て是れを軽蔑する者は、必ず富貴を以て是れに諂屈す。  

                   安政3年6月10日「講孟剳記」

   【訳】

   貧乏や身分の低いことをもって、その人を軽蔑するようなものは、
   必ず、お金持ちや地位の高いことをもって、その人に媚(こ)びへつらう。

・・・

(5)《18日 神は常にあなたと偕にある》

   あなたがどんなに孤独に見えるときにも、
   あなたは神と偕(とも)にいるのである。

   子供が親に手を曳かれて歩いているときに、親のことをわすれて
   玩具に見惚れていてすらも、親はやっぱり其処にいて
   子供をちゃんと見守っていてくれるのと同じように、

   神は私たちを間違なく見守っていて下さるのである。

   現象界の出来事はみな玩具のようなものである。
   現象界の利益や権力の争奪に心をうばわれているのは
   玩具に見惚れている子供と同じようなものである。

   時々子供は間違って危険な玩具を買ってほしい
   と父にねだることがあるかも知れない。

   そんな《ねだり》に似た祈りをする場合には、
   神は、その祈ったものを与えて下さらないで、
   もっと危険でない玩具を与えて下さるかも知れない。

   そんな時に、「祈ったものが与えられなかった」
   ということが起ってくるのである。

   それは神が、魂の進歩に不適当な玩具を、
   もっとよい玩具に取替えて下さったのである。

      谷口雅春著『人生の秘訣365章』第6篇(P152~153) より

           <感謝合掌 令和2年6月18日 頓首再拝>

賢者の一日一言《19日》 - 伝統

2020/06/19 (Fri) 20:13:12


(1)【 6月19日 】  勇気をくれる言葉

   とにかく一日の人生を活きるときに、
   お互いの気持ちに勇気をつける言葉、喜びを分かち合う言葉、
   聞いても何となくうれしい言葉をいい合おうではないか。


   人間の気持ちはまことにおそろしいものである。

   私は平素いくらも経験しているが、
   たとえ医学上からみれば助からないような病人の枕元に行っても、
   こちらが元気で積極的態度のときには、
   その人間の状態がずうっと良くなってしまうものだ。

・・・

(2)【 6月19日 】 美と醜

   私の宅の近くに水のきれいな池がある。
   水面に周囲の樹々の姿を映し、まことに風情がある。

   ところがこの池がひところ雨が降らなくて、
   底の大半を露出してしまうまでになった。

   映すべき何物もなく醜い底を露呈するばかりである。
   美の反面には醜がある--そんな思いである。


   お互い人間も、これと同じことではなかろうか。
   美と醜とが相表裏しているところに、人間の真実がある。

   とすれば、美の面のみにとらわれて、
   その反面の醜を責めるに急なのは、
   人間の真実というものを知らないものである。

   温かい寛容の心を持って接し合うことが、
   お互いに明るく暮らすための、一番大事なことではなかろうか。

・・・

(3)【 6月19日 】 叱ってくれる人

   我々の生活が自堕落になった時、
   心から馬鹿と叱(しか)って呉(く)れる畏敬する人を
   持つ者は幸だ。

・・・

(4)【 6月19日 】 君子小人並びに服するの人①

   君子に二等あり。高尚の士は固(もと)より流俗に同じうせず、
   汀世(おせい)に合せず、こう々然として古人を以て師とす。
   此の人の世に居る、俗人庸夫其の奇怪に駭き、口を交へて唾罵するは固よりなり。
   而して独り有識の士のみ深く是れを推服す。



   【訳】

   心ある立派な人に二種類ある。
   その一つは高尚の人、つまり、学問・言行などの程度が高く、
   世俗を超越した気高い人物である。

   このような人はくだらない世間に同調せず、濁世に合わせず、
   志を大きくもって、昔の心ある人物を師としている。

   このような人物がいると、俗人や凡庸な人物は、
   その、常識では考えられない言動に驚き、
   そろって非難することは、いうまでもない。

   しかし、学問があり見識の高い人物のみは、このような人物を、
   心から偉い人として推し、心服するのである。

・・・

(5)《19日 運命のケミカライぜーション》

   あまりに長く使わない鉄管を通っている水道の水を出そうと、
   急に水栓をひらくと、赤錆のきたない水が出て来ることがある。

   『生命の實相』を読んで「人間・神の子」の“真理の水”が
   その人の精神を流れはじめると、

   今まで慢性の状態が急性の状態となり、
   悪化したように見えることがあったり、今までの事が行き詰って
   運命が急性化を来すように見える事があっても、それは驚く必要はないのである。

   それは古くから溜っていた赤錆が出るようなものである。

   やがて澄み切った水が流れ出るように、慢性も急性も消え去り、
   過去の面白からぬ運命の終止符を打って、
   幸福と繁栄との運命を迎えることができるようになるのである。

   今しばらく真理の自覚に一層の努力をせよ。

       谷口雅春著『人生の秘訣365章』第6篇(P153) より

           <感謝合掌 令和2年6月19日 頓首再拝>

賢者の一日一言《20日》 - 伝統

2020/06/20 (Sat) 19:35:20


(1)【 6月20日 】  平素に生きる心がけ

   平素の人生に生きる際の心がけとして、でき得るかぎり努めて、
   気分を明るく朗らかに、生き生きとして何事にも応接することを
   忘れないようにすることです。


   ところが、自分の気持ちのいいときだけは気持ちよく応接できるけれども、
   少しでも心のなかに暗いものがあると、もうすぐその応接のうえにも
   非常な相違がでてくるというのが、世の中の多くの人のありさまでしょう。


   結局、努力ですよ。
   常に明るく朗らかに、生き生きとして何事にも応接する
   という気持ちをつくることは。

・・・

(2)【 6月20日 】 言うべきを言う

   部下を持つ人は、自分1人だけの職務を全うすればいいのではなく、
   部下とともに仕事の成果全体を高めていかなくてはなりません。

   そのためには、やはり部下に対して誠意をもって言うべきことを言い、
   導くべきことは導いていくことが大切です。


   注意すべきときに“注意したら文句を言ってうるさいから”
   というようなことを考えて、言わずに放っておくというようなことではいけません。

   部下がなすべきことはやはり毅然として要求し、
   そしてそれを推進していくということに対しては断乎として
   やらなければならない。

   そういうことをしない上司には、部下はかえって頼りなさを感じるものです。

・・・

(3)【 6月20日 】 本物と偽物

   故(ふる)い友人を持って居る者ほど本物だが、
   絶えず新しい友人を漁猟(あさ)って歩く者は、
   それが順境にある者ほど偽者だ。

・・・

(4)【 6月20日 】 君子小人並びに服するの人② 

   徳行の士は「居処恭しく事を執りて敬し、
   人と忠なるは夷狄に之くと雖も棄つべからざるなり」<(論語)子路>

   「言忠信、行篤敬ならば、蛮貊の邦と雖も行はれん」<(論語)衛霊公>の類にて、
   斯くの如き者は君子小人並びに服するの人なり。  

                  安政3年6月7日「講孟剳記」

   【訳】

   二つめは、徳行の人、つまり、道徳にかなった人物であり、
   「日頃の生活態度はうやうやしく、仕事に際しては心をそのことに専らにし、
   敬い謹んで、怠らず、ゆるがせにしない。

   また、人と交際する時には忠誠を尽くして、斯き偽らない。

   この三つは、夷狄のような、礼儀道徳の低い所へ行っても、
   すてて、これを失ってはいけない」<(論語)子路>とか、

   「言葉が誠実で正直であり、行いが人情に厚くつつしみ深ければ、
    言行共に誠があるので、自然に人を感動させて、(中国はいうまでもなく)
    どんな未開の土地に行っても行われることであろう」<(論語)衛霊公>
   という類である。

   このような人物に対しては、君子も小人もともに敬服するものである。  

・・・

(5)《20日 すべては自分の心の展開である》

   若し、あなたの境遇や運命に面白からぬことが起って来たならば、
   それを改善する根本的な方法は自分自身の心の態度を改めることである。

   口実を他(た)に求めて、
   「環境が悪いから」とか「あの人が悪いから」とか考えて、
   自分以外のものに責任を負わせれば負わせるほど
   却って環境の改善がおくれるのである。

   環境の改善がたしかに必要があるにしても、
   それを改善するのは自分の心が発案し計画し実践し出さねばならないのであるから、
   自分の心の態度が間違っていたら、却って水を求めて
   樹(き)に攀(よ)ぢるようなことになるのである。

         谷口雅春著『人生の秘訣365章』第6篇(P153~154) より

           <感謝合掌 令和2年6月20日 頓首再拝>

賢者の一日一言《21日》 - 伝統

2020/06/21 (Sun) 22:33:14


(1)【 6月21日 】  人間の大使命

   人間は、この世に病むために生まれてきたのでもなければ、
   また煩悶や苦労をするために生まれてきたのでもない。

   否、もっと重大な使命を遂行するために生まれてきたのである。


   その大使命とは何かというと、
   「宇宙原則に即応して、この世の中の進化と向上とを現実化することに努力する」
   ということである。

   すなわち、人間はこういう尊い大使命を遂行するために
   現象界に生まれてきたものなのである。

・・・

(2)【 6月21日 】 事業は人なり

   「事業は人なり」と言われるが、これは全くその通りである。
   どんな経営でも適切な人を得てはじめて発展していくものである。

   いかに立派な歴史、伝統を持つ企業でも、
   その伝統を正しく受けついでいく人を得なければ、
   だんだんに衰微していってしまう。

   経営の組織とか手法とかももちろん大切であるが、
   それを生かすのはやはり人である。

   どんなに完備した組織をつくり、新しい手法を導入してみても、
   それを生かす人を得なければ、成果も上がらず、
   したがって企業の使命も果たしていくことができない。


   企業が社会に貢献しつつ、みずからも隆々と発展していけるかどうかは、
   一にかかって人にあるとも言える。

・・・

(3)【 6月21日 】 思考の三原則 1

   私は物事を、特に難しい問題を考えるときには、
   いつも三つの原則に依(よ)る様に努めている。

   第一は、目先に捉(とら)われないで、出来るだけ長い目で見ること、

   第二は物事の一面に捉われないで、出来るだけ多面的に、
   出来得れば全面的に見ること、

   第三に何事によらず枝葉末節(しようまっせつ)に捉われず、
   根本的に考える

   ということである。

・・・

(4)【 6月21日 】  輟(や)めざるなり

   一月(ひとつき)にして能(よ)くぜんずば、則ち両月にして之れを為さん。
   両月にして能くせずんば、則ち百日にして之れを為さん。
   之れを為して成らずんば輟(や)めざるなり。 

                     安政4年5月3日「諸生に示す」

   【訳】

   (一旦立てた志というもの)
   1ヶ月でできなければ、2ヶ月かけても、これをなし遂げたい。
   2ヶ月でもできなければ、百日かけてもこれをなし遂げたい。
   いくらやってもできなければ、できるまで絶対にやめない。

・・・

(5)《21日  神はあなたの参謀本部である》

   あなたの希望を最も完全に達成するための根本的な方法は、
   あなたの「希望の実現」を全能の神のみ掌(て)に
   ゆだねるということなのである。

   そして人間は何もしないでよいかというと、そうではないのである。

   「全能の神」の参謀本部から“命令”される“内的催し”又は
   インスピレーションの来るままにそれを素直に実践することなのである。
   実践がなければ、設計だけでは家(うち)が建たないようなものである。

   「全能の神」にその参謀又は指令を求めながら、
   「それが実現しないかも知れない」と危惧や恐怖の念をいだくということは、

   本当は「神を信頼していない」「神の御手にゆだねていない」事を
   表明しているのであるから、それによって、その希望が実現しないからといって、
   神の責任ではないのである。

   あなたは神は全能であり、その希望の成就が他(た)を害しない希望である限り、
   神はそれを実現せしめたまうのに吝(やぶさ)かでないことを
   知らねばならないのである。

   信ぜよ、信ぜよ。
   必ず希望は実現するという前途を信じて、勇気を出し実践せよ。

        谷口雅春著『人生の秘訣365章』第6篇(P154~155) より

           <感謝合掌 令和2年6月21日 頓首再拝>

賢者の一日一言《22日》 - 伝統

2020/06/22 (Mon) 19:02:13


(1)【 6月22日 】  心身統一の効果

   あらゆる力というものは、「気」というものから生まれる。

   人間が人間の生命のありのままの姿である心身一如を現実にするため、
   心身を統一した活き方を行えば、当然生命存在の根源をなすところの、
   「気」というものの収受量が増大する。

   そして命の力の内容量もまた当然豊富となり、
   それが精神方面に表現すれば心の力となり、
   肉体方面に表現すれば体の力となる。

   人生建設の根本要素となる体力、胆力、判断力、断行力、精力、能力の六つの力も、
   これに応じて優秀化してくるのである。

・・・

(2)【 6月22日 】 知識はあっても……

   先般、あるお店で、金庫の扉がガス溶接機で焼ききられて、
   中から金を盗まれた、という事件がありました。

   ガス溶接の知識を利用して扉を溶かしたわけです。
   そういう泥棒がいるのです。


   知識はいくら持っていても、人間の心、すなわち良心が養われなければ、
   そういう悪い方面に心が働き、知識はかえって仇をなす、
   というような感じがします。


   今日、新しい知識がなければ生活にこと欠くというくらい知識は大事なものです。
   それだけに、知識にふさわしい人間、人心というものを育てることが
   非常に必要なことではないかと思うのです。

・・・

(3)【 6月22日 】 思考の三原則 2

   目先だけで見たり、一面的に考えたり、
   枝葉末節からだけで見るのと、長期的、多面的、根本的に
   考えるというのとでは大変な違いがある。

   物事によっては、その結論が全く正反対ということになることが
   少なくない。


   我々は難しい問題にぶつかる度に此(こ)の心掛を
   忘れてはならぬ。

・・・

(4)【 6月22日 】 伐柯(ばっか)遠からず

   伐柯(ばっか)遠からず。

                     安政四年閏五月「両秀録に跋(ばっ)す」

   【訳】

   手本とすることは眼前にある。
   決して遠方まで探す必要はない。

・・・

(5)《22日  人類意識に対する抵抗の戦い》

   私たちは「人間は四百四病の病の容器」だとか、
   「人間は必ず、老衰し、病み、且つ死ななければならない」
   とかいう人類意識に強く粘着している迷妄に対して、
   常に強力な精神的戦いを継続しなければならないのである。

   その精神的戦いを一日でも弛(ゆる)めるならば、
   それだけ人間はその迷妄に支配されることになるのである。

   その迷妄を破壊するための精神的戦いの巨弾は、
   人間は“神の子”であり、神の本質と自己の本質とを同じうしており、
   霊的実在であるから、

   「物質の法則によって支配されて年齢又は使用度数によって耐久年数が限られる」
   というのは迷いであり、仮妄である。

   自分は、神が“永遠の生命(せいめい)”であるが如く、
   “永遠の生命(せいめい)”をもっているのであると、
   定時の神想観のときのほかにも、暇がある毎に念ずるようにしないと、
   人類全体の迷妄の意識の中に溺没(できぼつ)してしまうことになるのである。

   「人間は物質ではないのだから老朽化ということはあり得ないし、
    一個の細胞すらその活力を失うことはあり得ない。
    若し一個の細胞でも衰耗するならば、一層強健なる新細胞がつくられて、
    それを補ってくれるのである」

   と念ぜよ。

          谷口雅春著『人生の秘訣365章』第6篇(P155) より

           <感謝合掌 令和2年6月22日 頓首再拝>

賢者の一日一言《23日》 - 伝統

2020/06/23 (Tue) 20:58:14


(1)【 6月23日 】  和について

   和とは不可分の統合すなわち、YOGAのことである。

   人間の人間らしい活き方とは、
   心身の統一、すなわち、心と肉体とが輪となった活き方である。

   これ以外の活き方では、本当の人間としての真の価値を発揮できない。

   生命の「和」がみだされれば、
   肉体も精神も、その健康味を発揮することができない。

   特に、精神の不健康は、社会をも濁らすこととなる。
   なぜならば、人間としての道義性と情義性が、著しく欠如して、
   どんな場合にも、そのふるまいが自己本位に堕するからである。

・・・

(2)【 6月23日 】 中小企業の強味

   世間ではとかく中小企業は弱いと言います。
   しかし私は、中小企業ほど人がその能力を十分発揮しつつ
   働きやすいところはないと思うのです。

   従業員が20人とか50人ということであれば、お互いの気心や動きがよくわかって、
   打てば響くすばやい活動ができやすいのです。


   つまり、かりに大企業では個々の人の力を70%ぐらいしか
   生かすことができなくても、中小企業は100%、
   やり方によっては120%も生かすことができるわけです。


   そういうところに、中小企業の一つの大きな強味があるように思います。
   その強みを積極的に生かしていくことが、きわめて大切ではないでしょうか。

・・・

(3)【 6月23日 】 知恵の学問

   知識の学問と知恵の学問では非常に違うのであって、
   知識の学問は、われわれの理解力・記憶力・判断力・推理力など、
   つまり悟性(ごせい)の働きによって誰にもひと通りできるものだ。

   子供でもできる、大人でもできる、善人もできる、悪人もできる。

   程度の差こそあれ、誰でもできる。
   その意味では、機械的な能力である。


   しかしそういうものではなく、
   もっと経験を積み、思索反省を重ねて、
   われわれの性命や、人間としての体験の中からにじみ出てくる
   もっと直観的な人格的な学問を知恵の学問と言う。


   だから知識の学問より知恵の学問になるほど、
   生活的・精神的・人格的になってくるのである。


   それを深めると、普通で容易に得られない徳に根差した、
   徳の表われである徳恵(「とくけい」あるいは「とくえ」と読む)
   という学問になる。

   これが聖賢の学である。

・・・

(4)【 6月23日 】 味ひあるかな

   古人(こじん)言へるあり、「其の非(ひ)心を格(ただ)す」と。
   味ひあるかな、味ひあるかな。  

                     安政4年6月6日「戯れに対策に擬す」

   【訳】

   昔の人が、「その人のよこしまな心を正す」といっている。
   実に、味わいがある教えだなあ。

・・・

(5)《23日  神にゆだねる時一切が好転する》

   神に於いては、大も大ならず、小も小ならずなのであるから、
   どんな大(だい)なる問題でも、どんな小なる問題でも神にゆだねて、
   その叡智の指導を受けることはよい事であるのである。

   神に敵対する力のあるものはこの世の中に何ものも存在しないのであるから、
   神に問題をゆだねる以上は、心を騒がす必要も、恐怖する必要もないのである。

   ただあなたにとって必要な心の態度は、
   「此の今の時点に於いて、神の御心を成就するのに何を為すべきかを導き給え」
   という信仰をもつことである。

   そしてそのような信仰によって毎日祈るとき、それから後(のち)、
   どんな環境があらわれて来ようとも、その背後には
   「神の聖なる御心」があるのであるから、

   それはその上に、御心である壮麗な建築が造られるための地均しであるから、
   感謝してそれが必ず好転し行くことを見戌(みまも)るがよい。

        谷口雅春著『人生の秘訣365章』第6篇(P156) より

           <感謝合掌 令和2年6月23日 頓首再拝>

賢者の一日一言《24日》 - 伝統

2020/06/24 (Wed) 20:10:29


(1)【 6月24日 】  まず気分から若返る

   年寄りじみたものの言いようや動作をできるだけしないように注意することである。

   ものを言うときも、溌剌とした気分で、
   丹田の力で、できるだけ勢いのある音声を発するようにし、
   立ちふるまいも活発にすることである。


   いわゆる若返り法や健康法の効果をあげることの根本にはこれが必要である。

   要するに、第一に必要なことは、まず気分から若返ることである。
   すなわち精神を青年にすることである。

   これが命の源泉である。

・・・

(2)【 6月24日 】 歴史の見方

   私は最近、お互いの歴史に対する態度の中に、
   何か人間の醜さとかそういったウラの面を強調しすぎている面があるのではないか、
   ということが気になっている。


   今日の姿をつくっているのは歴史である。

   そして今後の歴史というものは、われわれが、
   祖先が営々と努力を積み重ね前進してきた姿なり、
   子孫に残した遺産なりをどのように受け取り、
   生かすかによって変わってくるのである。

   そういう意味から、歴史の長所短所そのままを認識し、
   いい面はどんどん伸ばしていかなくてはならない。

   興味本位にこれを扱うことなく、
   もっと美しい面も同時に見るようにしたいと思うのである。

・・・

(3)【 6月24日 】 小才の愚

     子曰く、群居終日、言、義に及ばず、
     好んで小恵を行う、難いかな。〔論語〕


   痛い言葉ですね。

   何とかクラブというような所へ行ってみるとよくわかる。
   忙しい忙しいと言いながら大勢集まって、
   あちらで碁(ご)を打っておるかと思うと、
   こちらではつまらぬことをべらべらしゃべっている。

   折角の会合だからと行ったのに、
   いつまでたってもそれらしい話が出てこない。


   そうして小知恵のまわるようなことでお茶をにごしている。
   これらは日常始終経験するところです。


   つまらぬことには小才がきくが肝腎(かんじん)なことは
   さっぱり役に立たぬ人間は困ったものだというのです。

・・・

(4)【 6月24日 】 風化を起こさんと欲す

   今諸君と松下村の風化を起こさんと欲す。
   宜しく此の語(ご)を以て令甲(れいこう)となすべし。
   遺忘(いぼう)することなかれ。  

                     安政3年6月10日「講孟剳記」

   【訳】

   今、私は諸君と一緒に我が松下村を徳によって教化しようと思う。
   であるから、この言葉をして、我々の掟の第一条としよう。
   忘れてはいけない。

・・・

(5)《24日  あなたの仕事を神の仕事となすこと》

   あなたの仕事が、自分の儲けるためではなく、神の愛を、
   “神の子”なる同胞に分つための聖なる仕事であるとして、
   その仕事にたずさわらせて頂くことを感謝して、仕事を進めるがよいのである。

   周囲の人々や第三者の毀誉褒貶に心を動かす必要はないのである。
   もし、他(た)の人があなたを悪しざまに批評したとするならば、
   それはその批評者を呪い返すための機会ではないのである。

   夫(それ)は寧(むし)ろあなたが神に対して一層心を振り向ける機会を
   与えて下さったものであるとして感謝せよ。

   「神よ、彼をゆるし給いて、彼にあなたの愛と智慧とを一層多く注ぎ給うて、
    彼が本当の真理を知ることができますように」

   と祈ることが大切である。

       谷口雅春著『人生の秘訣365章』第6篇(P156~157) より

           <感謝合掌 令和2年6月24日 頓首再拝>

賢者の一日一言《25日》 - 伝統

2020/06/25 (Thu) 23:29:27


(1)【 6月25日 】  生命は向上する

   人間の生命の力を、向上的のものであると気づかぬ人は、
   その一生を平凡無為に終わることとなる。

・・・

(2)【 6月25日 】 報告する

   何か命じられて使いに行き、帰ったら、
   「あれはこうでした」と、必ず報告しているでしょうか。

   何か問題が起こったという場合はもちろん、何事もなかったときでも、
   何もなかったのだからそれでいい、と考えるのではなく、まず報告する。

   また、それがいい結果であったら、それはそれで報告する。
   そうすると、報告を受けた方も「それは結構やったな」と
   非常に愉快になるし、安心もします。


   打てば響くというか、以心伝心というか、肝胆相照らす仲であれば、
   命じた人の気持を察して必ず報告するものです。
   そのちょっとした心がけから信頼感も生まれてくると思います。

・・・

(3)【 6月25日 】 迂儒

   いくら本を読んで、知識を豊富に持っておっても
   一つも実際の役に立たんという学者がある。

   こういうのを迂儒(うじゅ)という。

   いろいろ知ってはいるが、意外に役に立たん、
   生きた解決にピタリとしないというのを迂と言う。

   だから儒者でも、物知りではあるけれども
   活きた学問にならんというのを迂儒という。

   学説の「迂説」という言葉はこれからくるわけです。


   しからば、見識をどう養うか。

   それは、やはり人生の体験を積んで、
   人生の中にある深い理法、道というものがわからないと
   見識になってこない。

・・・

(4)【 6月25日 】 君子は渇(かっ)すとも

   君子は渇すとも※盗泉を飲まず、志士は窮すとも溝壑を忘れず。 

                     安政4年8月「※溝三郎の説」

   【訳】

   心ある立派な人は、どんなに困っても悪いことは行わない。
   志のある武士は困難な状況に陥っても、正しい道を守るためには、
   死んでも棺桶がなく、溝や谷間にそのまま
   捨てられるくらいのことを覚悟するものである。

    ※1山東省泗水県にある泉。
      孔子は(盗泉という)悪い名前からその水を飲まなかったという。

      不義の意に用いる。

    ※2萩松本村の商家の子。高弟 吉田栄太郎稔麿が松陰に託した子。

・・・

(5)《25日  人類の幸福のために働くもの》

   あなたは常に「人間の幸福に対して、我は何を為すべきか、
   われに与えられたる使命を知らしめ給え」 と祈るべきである。

   そして人類の幸福に就いて「これを成そう」という
   「内なる催し」が動き出して来たならば、躊躇することなく、
   あらゆる勇気を奮い起して実行にとりかかるべきである。

   その「初(しょ)一念」を殺してはならない。

   「自分には迚(とて)もそんな大それた能力はない」 とか、
   「自分にはそれを実践する資金はない」 とか思って
   後退してはならないのである。

   人類愛に由る「初一念」には「神の愛」が動き出しているのであるから、
   本当にそのためにあなたが動き出すならば、それに必要な能力も資金も
   自然に供給されて来るのである。

         谷口雅春著『人生の秘訣365章』第6篇(P157) より

           <感謝合掌 令和2年6月25日 頓首再拝>

賢者の一日一言《26日》 - 伝統

2020/06/26 (Fri) 22:42:36


(1)【 6月26日 】  「悩み」と縁を切るために

   およそ「悩み」ほど、人生を暗くするばかげた心理現象はない。

   ところが大抵の人は、悩みを持たない人間などいるはずもない
   という誤った考えを持っている。

   これこそが、取り越し苦労、あるいは消極的な思考や感情を常とする
   証拠でもあろうが、人間の心には、その統御が完全でありさえすれば、
   すなわち、真理に合致して積極的でありさえすれば、
   「悩み」などという心理現象は絶対に起こらないのである。

   よって、その消息をしかと認識すべきである。

・・・

(2)【 6月26日 】 冷静な態度

   人間というものは誰しも、
   困難に直面すると恐れたり、動揺したりするものである。

   指導者とても人間だから、ときに不安を感じ、思案に余るのは当然であろう。

   しかし、内心で感じても、それを軽々に態度に出してはいけない。
   指導者の態度に人は敏感なものである。
   それはすぐ全員に伝わり、全体の士気を低下させることになってしまう。


   だから、指導者たるものは日ごろから事に当たって
   冷静さを失わないようにみずから心を鍛えなければならない。

   そして、どんな難局に直面した場合でも、落ち着いた態度で
   それに対処するよう心がけることがきわめて大切だと思うのである。

・・・

(3)【 6月26日 】 心の修養

   世の中にはさまざまな職業の人がいるが、
   大事なのは各人それぞれが正業に就(つ)き、
   自分の心身をみがいて仕事に最高の努力をしていくことだ。

   一人ひとりの心の修養こそ大事である。

・・・

(4)【 6月26日 】 小成(しょうせい)に安んずることなかれ

   老兄(ろうけい)の為す所学ぶ所、事々皆実なり、
   但(た)だ軽用(けいよう)妄挙(ぼうきょ)して以て
   小成に安んずることなかれ。 

                    安政4年6月27日「※福原清介に復す」

   【訳】

   (現在の)あなたの生き方、また、学んでおられることは、
   全て道理に適ったものです。

   しかし、簡単な気持ちで、道理にはずれた振る舞いをして、
   ほどほどの人物になることで満足してはいけませんよ。

     ※長州藩士 福原周峰。名は公亮。松陰の友人。

・・・

(5)《26日  称讃と感謝とによって魂を向上せしめよ》

   私たちの魂の向上をはかるためには、毎日誰かの為になる奉仕をすると共に、
   毎日、神を讃え神に感謝する習慣を持続し、同時に周囲のすべての人々を
   褒めたたえ、且つその人々に感謝する習慣を継続するようにするがよいのである。

   1回神を称め讃え、1回人に感謝するたび毎に、
   あなたの魂は過去のそれよりも一層高く向上したことになるのである。

   称讃と感謝とは、与えられた恩恵に対する「反射板」みたいな働きをするのである。

   太陽の光熱でも、ただそれを受けるだけで反射しなければ周囲は暗いままであるし、
   その熱は風呂をわかすほどには温かくならないのである。

   太陽熱を充分反射する反射板をつくり、その反射を1ヶ所に集中する装置を
   屋根の上に造ると、「太陽熱湯わかし機」となって摂氏70度位の湯が沸いて、
   それに適当に水を加えて入浴することが出来、受用尽きずである。

   私は講習旅行中、どこかの宿屋でこんな風呂に入れてもらったことがある。

       谷口雅春著『人生の秘訣365章』第6篇(P157~158) より

           <感謝合掌 令和2年6月26日 頓首再拝>

賢者の一日一言《27日》 - 伝統

2020/06/27 (Sat) 18:51:43


(1)【 6月27日 】  見えなくてもある

   科学的教育を受けた者は、
   感じないもの、見えないものはないものだと思っている。
  
   すぐに「証拠は?」と聞きます。


   第一、我々の生きている現在の大気の中には、
   酸素、窒素、その他の我々の生命活動を力づけるに必要な要素が存在している
   ということは、だれにも見えやしない。

   それでも、見えなくたって、あると信じていますよ。
   「証拠は?」とは言いませんよ。

   人間の住む地球上には、電波が縦横無尽に交錯していることは、
   形が見えなくても疑わないでしょう。

・・・

(2)【 6月27日 】 策を弄する

   世の中には、事をなすに当たって、いろいろ策を弄する人があるようです。

   「弱肉強食は世の習い」とかで、ボヤボヤしていたのでは
   激烈な生存競争に敗北してしまうということから、
   何としても人より一歩でも先んじたいという気持が嵩じて
   「策を弄す」ことになるのかもしれません。

   しかし、こうした小細工は自然の理に背く場合が多く、
   結局成功することも少ないのではないかと思います。


   「策を弄する」とは、私は智恵才覚をもてあそぶことだと思います。
   智恵才覚は人間に与えられた偉大な特質ですが、
   これはあくまでも正しい目的のためのみに使われるべきもので、
   よこしまな策謀に使ってはならないと思うのです。

・・・

(3)【 6月27日 】 五 交

   世に五交というものがある。

    一を勢交 (勢力者に交を求める)。

    二を賄(わい)交 (財力ある者に交を求める)。
 
    三を談交 (能弁家に交を求める)。
 
    四を窮(きゅう)交(困窮のため苦しまぎれに交を求める)。
 
    五を量交 (利害を量[はか]って得な方に交を求める)。


   いずれも恥ずべきもので長くは続かぬが、
   かく挙げてくれば真の交わりというものも
   人世には得難いものである。

・・・

(4)【 6月27日 】 今人(こんじん)大眼目(だいがんもく)なし

   今人大眼目なし、好んで瑣事末節を論ず。
   此の弊読書人尤(もっと)も甚(はなはだ)し。(中略)
   其の自ら行ふ所を見れば、辺幅(へんぷく)を修飾し、言語を珍重し、
   小廉(しょうれん)曲謹(きょっきん)、郷里善人の名を貪(むさぼ)り、
   権勢の門に伺候し、阿諛曲従(あゆきょくじゅう)至らざる所なし。
   行々(こうこう)の色(いろ)著(あら)はれず、侃々(かんかん)の声聞えず、
   忠ならず孝ならず、尤(もっと)も朋友に信ならず、
   而して自ら居りて愧(は)づることを知らず。
   是れを之れ務(つとめ)を知らずと謂ふ。

                      安政3年5月29日「講孟剳記」

   【訳】

   今の人は大きな見方ができず、つまらない、枝葉のことばかり論じている。
   この欠点は読書をしている人に大変顕著である。(中略)

   そのような人の行動を見れば、上辺を飾り、言葉づかいを重々しくしている。
   また、さっぱりとして、欲がなく、細かいことも注意深く謹み、
   ふるさとで立派な人と呼ばれたいと望み、権力のある家にはおべっかをつかい、
   自分を曲げてでも追従している。

   剛健な態度、剛直な見識はなく、忠孝を実践する様子もない。
   友人に信義がなく、自分の行いを恥じることも知らない。

   このような人を、人としてのなすべきことを知らない人という。

・・・

(5)《27日  光明を観れば光明が顕れ、暗黒を観れば暗黒が顕れる》

   称讃は、それを与える人の心を明るくし、優しくすると共に、
   それを受ける人の心を明るくし、勇気づけ、
   内在の力を引き出す誘発力となるのである。

   それは周囲に漂っていた濁っていた雰囲気を清浄にし、
   そこに集る人々の心をなごやかならしめ、幸福感を与え、
   繁栄と健康の気を醸成することになるのである。

   その反対に、欠点を見つけてそれを指摘し、
   是正してそれを矯正しようとする場合には、
   自分の心を棘(とげ)立たせ、暗くし、不愉快にすると共に、

   欠点を指摘せられた相手の心を暗くし、不愉快にし、
   反抗的にし、劣等感を植えつけ、家庭又はその団体全体の雰囲気を
   濁った暗いものとし、棘立った精神波動が波立って、
   繁栄の空気を窒息せしめてしまうことになるのである。

       谷口雅春著『人生の秘訣365章』第6篇(P158~159) より

           <感謝合掌 令和2年6月27日 頓首再拝>

賢者の一日一言《28日》 - 伝統

2020/06/28 (Sun) 22:26:44


(1)【 6月28日 】  自然は命の故郷

   多くいうまでもなく人間は、
   自然の中に自然の力でその生命は活かされている。


   この事実を、哲学的に形容すれば、
   人の命は、自然というものをその故郷としているといえる。

   と同時に、科学的に論断すれば、自然というものは、
   一切の生物の生命のエレメントを為すものだといえる。

・・・

(2)【 6月28日 】 身も心も、そして財産も

   人間、将来のことはわからないけれども、
   少なくともいま現在のあなたは、入社した動機はどうあるにせよ、
   一応生涯をこの会社に託そうと決心して、身も心も会社に打ち込んでいると思う。


   そこで、さらに一歩進んで自分の財産までも打ち込めないものかどうか。
   たとえば極端に言うと、全財産をはたいてあなたの会社の株にかえるような、
   心がまえとしては会社と心中するくらいの気持であってほしいと思うのである。

   そういう心がまえであれば、必ずや仕事の成果というものは非常に上がるであろうし、
   またそういう姿は、会社からも周囲からも高く評価されると思うのである。

・・・

(3)【 6月28日 】 愚痴は禁物

   有り難いとか、感謝とよく言うが、
   自分の生活の中でまず不満や愚痴は未練がましく
   漏らさない心がけが肝要だ。

・・・

(4)【 6月28日 】 苛数(かすう)を以て 

   聖人固より苛数を以て人を責めざるなり。 

                   安政4年4月7日「※小田村士毅に与ふ」

   【訳】

   心ある立派な人は、罪を数えあげて、人を厳しく責めとがめることをしない。

   ※長州藩士 小田村伊之助。士毅は字。松陰の友人。後、松陰の妹 寿が嫁いだ。

・・・

(5)《28日  神様ここに熟して発芽し果を結ぶ》

   あなたが此の書を手にし、それを読む機会を与えられたということは、
   深い神縁があってのことである。

   “神の子”の種子(たね)が
   あなたの生命(せいめい)の中に植えつけられていたのが、
   日光に会って適当の温度を与えられ発芽の機会を得たようなものである。

   あなたは本来“神の子”であったが、それは地中に埋められて、
   寒中に芽を吹く機会もなく待機していたようなものである。

   愈々“真理の光”の言葉に触れて、あなたの生命(せいめい)の中に
   内在していた“神の子”の芽が吹き、光明思想の日光を吸収して、
   ズンズン伸びる機会が来たのである。

   祝福すべきかな、あなたの今後の人生よ。

       谷口雅春著『人生の秘訣365章』第6篇(P159) より

           <感謝合掌 令和2年6月28日 頓首再拝>

賢者の一日一言《29日》 - 伝統

2020/06/29 (Mon) 21:47:07


(1)【 6月29日 】  「行」とは何か

   「行」なるものは決して特殊の方法や手段を、
   特定の時間や場所で、特別に行うことではなく、

   その方法や、その手段そのものが、
   そのまま自己の生命を活かす方法になっていることで、

   これを客観的にいえば、その方法や手段でその人は
   その生命を生活せしめて、その生命を確保している
   ということになるのであります。

・・・

(2)【 6月29日 】 諫言を聞く

   指導者が物事を進めて行くに当たって、
   みなからいろいろな意見や情報を聞くのは当然の姿である。

   そしてその場合、大事なのは、自分にとって都合のいいことよりも、
   むしろ悪いことを多く聞くことである。

   つまり、賞賛の言葉、順調に進んでいる事柄についての情報よりも、
   “ここはこうしなくてはいけない”といった諫言なり、悪い点を指摘する情報を
   努めて聞くようにしなければならない。


   ところが、そうした情報はなかなか指導者の耳に入ってきにくいものだ。
   だから、指導者はできるだけ、そうした諫言なり、悪い情報を求め、
   みながそれを伝えやすいような雰囲気をつくることが大切なのである。

・・・

(3)【 6月29日 】 忘却の黒いページ

   一体人間に《忘れる》ということのあるのは、
   いかにも困ったことでもあるが、
   また実に有り難いことでもある。


   「忘却は黒いページで、この上に記憶はその輝く文字を記して、
    そして読み易くする。もしそれ悉(ことごと)く光明であったら、
    何にも読めはしない」
 
   とカーライルはうまいことを言っている。


   我々の人生を輝く文字で記すためには
   確に忘却の黒いページを作るがよい。

   いかに忘れるか、何を忘れるかの修養は
   非常に好ましいものである。

・・・

(4)【 6月29日 】 士此(しこ)の世に生まれては 

   士此の世に生まれては、才の高下と学の深浅とに随ひて、
   各々志す所なくんばあらず、但だ事変に遭逢(そうほう)して、
   自ら暴棄(ぼうき)に安んずるは、是れ悲しむべきのみ。 

                   安政4年8月17日「※木原慎斎に与ふる書」

   【訳】

   侍たるもの、この世に生を受けたからには、
   もって生まれた才能の高下、修めた学問の深浅に従って、
   それぞれ志す所がなければいけない。

   ただ、避けることのできない辛い状況に出会って、
   自暴自棄になることは、実に悲しむべきことである。

・・・

(5)《29日 心の二つの傾向、貴方はどちらですか》

   あなたは自分は暗い人間か、明るい人間か、考えて見たことがありますか。
   あなたは物や人の明るい方面を観ようとする傾向が強いか、
   暗い方面を観ようとする傾向が強いか、考えてみたことがありますか。

   あなたは物を積極的に生かして使おうと考える性格か、
   どうせ消耗品だと平気で物をゾンザイに扱う性格か考えてみたことがありますか。

   あなたは全ての人に、事に、物に対して感謝の念を起すことが多いですか、
   それとも人が親切にしてくれないとか、事物が思うように行かないと思って
   不平の念を起すことの方か多いですか。

   あなたが若し前者の方に属する傾向の人でありましたら、
   将来あなたの運命は伸びる人なのです。

   若しあなたが後者の方の傾向の強い人であったら、
   是非とも前者のような心の傾向になるように努力しなさい。
   屹度今までよりも幸福に繁栄に家庭全体が健康になるでしょう。

      谷口雅春著『人生の秘訣365章』第6篇(P159~160) より

           <感謝合掌 令和2年6月29日 頓首再拝>

賢者の一日一言《30日》 - 伝統

2020/06/30 (Tue) 23:47:02

(1)【 6月30日 】  人間の能力

   「人間の本来の面目は創造的なものである。
   それゆえに人間が万物の霊長としていっさいの生物を
   凌駕して優秀なる能力を、生まれながらに賦与されているのは
   これあるがためである。

   しかも特におろそかにできないことは、
   その賦与量はいささかも差別のない公平なものである」


   この一事を考量されても、
   自己の現在使用している能力に対する反省が厳格に行われて、
   その「是正」が確実に施されるなら、いっさいのすべては
   ことごとく可能に転換され収握されることも、
   また必然自明のことと感得される。

・・・

(2)【 6月30日 】 健康法はなくても・・・

   私は若い頃から病弱であったが、
   戦中戦後の無我夢中で働かざるを得ない時期を経て健康体になり、
   いまもまだ元気でいられる。

   健康法と言えるものは何もないといっていい私にとって、
   これは考えてみればまことにありがたいことだし、
   ほんとうに不思議なものだと思う。


   しかし、これまでの歩みを振り返ってみると、
   私は、一つの仕事が成就すると、またすぐ次の仕事をと、
   たえず目標を持って努めてきた。

   いま静かに思うと、その繰り返しの中に張り合いがあり、
   そこにいわば死ぬに死〇ないとでもいうか、一種の緊張感がみなぎっていた。
   そこに生きる張り合いを感じ、毎日を過ごしてきたように思うのである。

        *〇:ね

・・・

(3)【 6月30日 】 元 気

   われわれは「気」を養うということが、一番根本の大事だ。

   いわば生のエネルギーを養うということ、
   いい換えれば「元気」ということが一番である。


   元気がないというのは問題にならぬ。

   しょぼしょぼして、よたよたして、
   一向に反応がないなんていうのは、論ずる価値がない。


   とかく人間は有形無形を論ぜず、
   元気というものがなければならない。

   元気というものは、つまり生気である。
   生のエネルギー、生々(いきいき)しておるということである。

・・・

(4)【 6月30日 】 志士と云ふは

   志士と云ふは即ち道に志すの士なり。  

                     安政3年8月以降「武教全書講録」

   【訳】

   志士というのは人として正しい生き方をしようとする人である。

・・・

(5)《30日  神の愛と法則との実現する世界》

   神は愛であり給う。

   私たち人間が「愛の神」によって造られたる此の世界に
   生んで頂いたことに感謝いたしましょう。

   神の愛は痙攣的に発作的に溺愛して
   前後をわきまえないような愛ではないのであります。

   神の愛は、神御自身の無限に完全なる自由を自己限定し給うて
   「法則」という「一定の律」に《みずから》を規定して
   人間の利用し易いように、はかられたのであります。

   この世の中に法則という常にかわらぬ信頼できるものが存在するということは
   何という私たちの幸福でありましょう。

   神が恣意(しい)をもって、恣(ほしいまま)に法則をかえ給うとしたならば、
   私たちは何物に対しても信頼することができず、どんな発明も無効に終り、
   ラジオやテレビは無論のこと、汽車、汽船、電車、飛行機等々
   何一つ享受することができず、常に何が起るかわからないで
   不安動揺恐怖の中に生活していなければならない筈である。

   それなのに神はみずからの力を発作的に出鱈目には発動せしめ給わず、
   “法則”の形に於いて人間に“愛の奉仕”をしてい給うのである。

   私たちが法則ある宇宙に生れたという事は何という幸福なことでありましょう。
   神に感謝いたしましょう。

      谷口雅春著『人生の秘訣365章』第6篇(P160~161) より

           <感謝合掌 令和2年6月30日 頓首再拝>

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