伝統板・第二

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(六月)の法語 - 伝統

2020/06/01 (Mon) 04:26:13

このスレッドでは、他の掲示板等から、次の4つの法語を紹介してまいります。


(1)『 生長の家 』  昭和二十五年六月号
            谷口雅春先生をお慕いする掲示板 其の弐より紹介
            http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=2


(2)『 生長の家 』  昭和二十六年六月号 
            谷口雅春先生をお慕いする掲示板 其の壱より紹介
            http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=127


(3)『 生長の家 』  昭和五十一年六月号
            光明掲示板・第一より紹介
            http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=1363


(4)『 理想世界 』  昭和四十三年六月号
            伝統板・第二
            「輪読のための青年法語~人間として最も高貴なる生き方」
            http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7735767

・・・


【一日の法語(6月1日)】

(1)《月の始めに新しき心となれ》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=2


   (抜粋として)

   今日一日が新しき日であり、
   すばらしい機会を
   吾々に与えてくれる日であるのである。

   神は吾々のすべてを
   愛して い給うのである。

   吾が夫を、吾が妻を、吾が子を、召使いを、すべての人々を
   愛して 祝福し給うているのである。

   我は凡(すべ)ての人々に感謝するのである。

・・・

(2)《心を空っぽにして 「 健康 」 の念を注入せよ》

   (全文は)
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=127


   (抜粋として)

   一度 器(うつわ)を空っぽにしてしまわなければ
   新しい酒は入れることができない。

   病気を心の中にしっかりと把握している限りに於いて、
   健康の観念をつぎ込むことは出来ない。

   病気を治すには第一 病気の観念を捨ててしまわなければならない。
   病気をわすれると云うことである。

・・・

(3)《困難を克服し得た勝利感》

   (全文は)
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=1363


   (抜粋として)

   それは”困難”は自己に内在する”未見の我 ”
    ”神の子なる未見の無限力”を、顕在の世界にあらわしたい
   という潜在的願いがあるからなのである。

   そしてその困難を征服したときに、わたし達は勝利の快感を味わう。
   生き甲斐を感じるのである。

   何の困難もない平々凡々の生活が毎日続く時には、
   人間は倦怠感を生じて、人生そのものにウンザリしてしまうであろう。

・・・

(4)《人間の高貴さについて考えよう》

   (全文は)
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7735767


   (抜粋として)

   人間は、人間たる“高貴さ”を失ってしまったら、
   それは獣類とあまり変らない。

   肉体よりも貴いものが人間にあることを知らねばならぬ。

・・・

<参考:6月の谷口雅春先生の言葉>


(1)『 光明法語<道の巻> 』(六月の法語「天国は汝の内にあり」)
   (光明掲示板・第一)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=1669

(2)『 生命の實相 』第三十七巻幸福篇(六月「紅白むすぶ」)
       (光明掲示板・第ニ)
    → http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=1711 (消滅)

       (伝統板・第二)  
     → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7870127 

(3)『 光明道中記 』(六月「神にむすばる」)
   (谷口雅春先生をお慕いする掲示板 其の弐)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=89

           <感謝合掌 令和2年6月1日 頓首再拝>

【二日の法語(6月2日)】 - 伝統

2020/06/02 (Tue) 04:37:23


(1)《わが業(わざ)は わが為(な)すに非(あら)ず》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=2


   (抜粋として)

   神の愛は無限であって
   吾々がとても想像することができない範囲に
   凡(あら)ゆる方面から吾々を導いて、
   幸福ならしめる様に計画していられるのである。

   「 わが業は吾がなすに非ず、
   天地を貫きて生くる み親の力 」 であるのである。

・・・

(2)《物質は観念の影である》

   (全文は)
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=127


   (抜粋として)

   人間の有限観をすてなければならない。

   人間を「 霊的実在 」だと知らなければならないのである。

   病的観念を投影すれば、病体となってあらわれ、
   健康の観念を投影すれば健康体となってあらわれるのである。

・・・

(3)《勝利感と生き甲斐の源泉は何か》

   (全文は)
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=1363


   (抜粋として)

   一つでも、その”困難”を征服し得たということは”包み”を破って、
   内在実相の”無限力 ”が一歩一歩一層多く顕現し得たことであるから、
   自己の「実相隠蔽」を克服したことに勝利 感を感ずるのである。

   そして自己の「実相」が 一歩でも現象の世界に一層多く
   顕現し得たことに生き甲斐を感ずるのである。

・・・

(4)《素手で人間はライオンに勝てるか》

   (全文は)
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7735767


   (抜粋として)

   人間が銃や、投げ縄や、其の他の捕獲武器をもって象やライオンに打ち克った
   からとて、人間が象やライオンよりもすぐれていると言い得るであろうか。

   それは武器がライオンや象にすぐれていたのであって、
   人間そのものがライオンや象よりもすぐれているのではない。

   人間と象やライオンとが力の上でどちらがすぐれているかを定めるのは、
   どちらも素手をもって公平に試合すべきでないだろうか。

   肉体の力のすぐれていることを奨励するために、多くの体育館がつくられ、
   体育競技が度々行なわれ、驚くべき多額の費用を使ってオリンピックが
   開催されるが、それが現代の人間生活の注目の焦点になっているようだが、
   その注目の焦点は、真の人間の重要点からちょいとずれていないであろうか。

   われわれは皆さんと一緒にこの事を考えてみたいのである。

           <感謝合掌 令和2年6月2日 頓首再拝>

【三日の法語(6月3日)】 - 伝統

2020/06/03 (Wed) 04:05:44


(1)《今日一日かぎりの生命(いのち)と思えよ》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=2


   (抜粋として)

   毎朝起きた時に、
   今日一日きりの生命であると思いて生活せよ。

   明日はないのである。

   どんなことでも 今日一日と思えば
   出来ないことはないのである。

・・・

(2)《常に自己を霊的実在なりと観ぜよ》

   (全文は)
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=127


   (抜粋として)

   常に自己を霊的実在だと信じている者には病気はないのである。

   従って 吾らが本当に常住健康の生活を送るためには、
   自己を物質と見る五官の眼(め)を瞑(と)じて、
   自己の全身を霊的実在であると観ずる神想観の如(ごと)き修行を
   1日1回以上修することが必要である。

・・・

(3)《「我れ世に勝てり」》

   (全文は)
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=1363


   (抜粋として)

   (イエスのゲッセマネでの祈りにて)

   肉体的自我を放棄し、その”世俗的願い”に打ち勝ち、
   人類の罪の身代わりとなる崇高なる魂の 願いに身を捧げる決意が
   できたとき、彼は”世 俗的願い”に打ち勝ったのである。

   そこに真の 生き甲斐を感じ、
   彼は「我れ世に勝てり」と宣言したのである。

・・・

(4)《武器が英雄であって、人間は英雄でなかった》

  (全文は)
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7735767


   (抜粋として)

   素手で正面から立ち向かったら、到底あいつには敵わないというので、
   日本刀で闇討ちしたり、ライフル銃で狙撃したりして相手に勝ったら
   その勝った人を吾々は「素晴らしい」と言って称めるであろうか。

   “金”が英雄気取りで威張っていたのは“金”そのものが英雄だった
   のではなくて、ライフル銃や、ダイナマイトが英雄だった訳である。

   もう一ぺん、人間の高貴さとか、人間のすぐれているところとかは、
   何処にあるかを吾々は考え直して見なければならない。

            <感謝合掌 令和2年6月3日 頓首再拝>

【四日の法語(6月4日)】 - 伝統

2020/06/04 (Thu) 04:39:17


(1)《祈りによって「 神の力 」をわがものとせよ》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=2


   (抜粋として)

   イエスの生活は
   間断なき祈りの生活であったのである。

   彼は祈りによって 神にふりむき、
   神から無限の力を汲(く)み出して来る所の方法を
   知っていたのである。

   だから 彼は無数の奇跡をなし得たのであり
   「 吾と父とは一体なり 」 といっているのである。

・・・

(2)《「 物質 」 の概念から脱け出すべし》

   (全文は)
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=127


   (抜粋として)

   すべての不幸を癒(いや)し、病気を癒すための祈りの根本は
   「 神はすべてのすべて 」と云う真理である。

   そして「 神は霊的実在であるから、すべては霊的実在であり、
   物質はない 」と云う真理である。

   「 物質 」と云う「 固定概念 」から抜け出すことが
   不幸から脱却する根本条件である。

・・・

(3)《世俗的な自己評価に雷同するな》

   (全文は)
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=1363


   (抜粋として)

   「われ世に勝てり」とは、
   外界の物質世界を征服することではないのである。
   自己の内にある 「世俗的な自己評価」に打ち勝つことなのである。

   自己を”神の子”と自覚することは、
   今これが「自分の肉体的力」の極限だという自己限定を打ち破って、
   常に自己に出来るだけ以上の事を成すという理想目標をおいて、
   毎日一歩でも より多く前進し、進歩することなのである。

・・・

(4)《武器の強さを人間の強さと混同してはならない》

  (全文は)
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7735767


   (抜粋として)

   アメリカが原子爆弾を広島や長崎に投下して、日本を屈服せしめた。

   アメリカは戦勝国であり、日本は戦敗国であるから、
   日本人はアメリカ人より劣っていると考えたら、これは大間違いだ。

   アメリカ人が日本人に打ち勝ったのではなく、
   原子爆弾が日本人の多くの命を奪う破壊力を発揮しただけであって、

   原子爆弾を抜きにしたらアメリカ人は、
   ライフルを奪われた朝鮮人金嬉老と同じように、
   人間として優れているという証拠はない。

            <感謝合掌 令和2年6月4日 頓首再拝>

【五日の法語(6月5日)】 - 伝統

2020/06/05 (Fri) 04:00:59


(1)《神との一体を自覚せよ》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=2


   (抜粋として)

   神は常に吾とともにあり、
   吾を力づけ、吾に必要なものを与え、
   弱きをはげまして、勇気を与え給い、
   凡ゆるものを豊かに恵み給うているのである。

   神は吾々の生命の源泉であり、
   智慧の源泉であり、愛の源泉であり、
   力と勇気の源泉であり給うのである。

・・・

(2)《如何(いか)なる微生物も人間を侵(おか)さない》

   (全文は)
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=127


   (抜粋として)

   神はすべてである。

   愛とは「 自他一体 」の自覚であるから、
   「 全体渾一(ひとつ)」であると云うことは、
   すべては、「 絶対体 」そのものであると云うことである。

   即ち 全体は 神の絶対愛の自己表現であるから、
   微生物病源体が人間を侵すような
   不完全さはないと云うことである。

・・・

(3)《困難は実相内在の美を磨き出す研磨機である》

   (全文は)
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=1363


   (抜粋として)

   困難は、自己に内在する力を、平常普段の生活以上に
   発揮させてくれる”呼び水”になるも のである。

   それだから”困難”の来る毎に、
   その”困難”と、そして、その困難を与え給うた神とに感謝せよ。

   困難という研磨機を通して、わたし達の魂に内在する貴き光が、
   一層多く燦然と輝き出すことになるのである。

・・・

(4)《狼の真似をしても高貴なことはない》

  (全文は)
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7735767


   (抜粋として)

   人間は武器を造って、その破壊力や殺傷力を利用して、他の生物を征服した。
   象もライオンも狼も、人間のつくった武器の前にはひれ伏した。

   そこで人間は人間同士の間で、武器を使って
   他の人間を征服することを始めたのである。

   しかし、それは狼の真似みたいなことであって、そんな行動の何処にも
   人間の高貴さというようなものは発見できないのである。

   われわれはもう一度人間の高貴さというものは何処にあるかを考えてみて、
   人間らしい高貴な生き方をしてみたいものである。

            <感謝合掌 令和2年6月5日 頓首再拝>

【六日の法語(6月6日)】 - 伝統

2020/06/06 (Sat) 04:30:30


(1)《遮二無二 頑張る心を捨てよ》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=2


   (抜粋として)

   遮二無二 頑張る心を捨てよ。
   安らかに落ち着くべし。

   力を抜き 唯(ただ)そのままに
   横たわるのである。

   そして 静かに 神の癒やす力 吾に流れ入りつつあると
   心に念じながら静かに呼吸せよ。

   鼻より静かに息を吸い
   臍下丹田(せいかたんでん)にいたらしめ
   胸をくつろげて 胸の全部に神の生命を流れ入らしめ、

   「 神の生命 今 吾に流れ入りて 吾がすべてを癒し給う 」 と念じて
   静かに迷いを吐きだす如く息を吐くのである。

・・・

(2)《利己を捨てたとき全体の生命が「自己」にあらわれる》

   (全文は)
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=127


   (抜粋として)

   全体は一つであるから、全個(ぜんこ)であって他個(たこ)はない。
   他個はないから自個(じこ)もないのである。

   神の栄えを個身(わがみ)にあらわすためには、
   自個がなくならなければならぬ。


・・・

(3)《運命は課せられた労役ではない》

   (全文は)
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=1363


   (抜粋として)

   ”運命の 原点”は”自分の心”にあるのである。
   ”心” が運命の原点である。

   ”運命の原点”である”自分の心”が明るく 輝けば、
   明るい運命が自分に向ってやって来る のである。
   何よりも大切なのは”自分の心”を明るくす ることである。

・・・

(4)《殺傷力の偉大さは名誉ではない》

   殺傷力の強さによって、その国又はその人の偉大さだ
   と思われる時代は過ぎ去ったのである。

   殺傷力の偉大さを人間が恥じる時代が近付きつつあるのである。

   原子兵器を使うことをソ連もアメリカも遠慮しているのは、
   それを使うならば、人類に不徳であるとして批難されるし、
   みずからもその行為を恥じるからなのである。

            <感謝合掌 令和2年6月6日 頓首再拝>

【七日の法語(6月7日)】 - 伝統

2020/06/07 (Sun) 03:53:36


(1)《神からのがれる処(ところ)はない》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=2


   (抜粋として)

   神は到る処にいますのであるから、神はここに見よ、
   彼処(かしこ)に見よ、というが如くには い給わないのである。

   今ここに神がい給う。

   わが内に神がましまして、
   神の方へ振り向くのをまって い給うのに、
   他(ほか)の助けの方へ振り向く必要はない。

・・・

(2)《願い反対する錯綜(さくそう)した思いを起すな》

   (全文は)
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=127


   (抜粋として)

   すべて心に願うこと、思うことは祈りである。
   吾々の願い望みの一点一画と雖(いえど)も
   神に達しないものは有り得ないのである。

   願いの成就しないのは、神が成就せしめ給わないのではなく、
   自分が自分で自分の願いを否定しているのである。

・・・

(3)《”心”を光明面に向くよう切り換えよ》

   (全文は)
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=1363


   (抜粋として)

   自分の”心”が暗黒の方向へ向いているか、
   光明の方向へ向いているか、自分の心を顧みなさい。

   「諸君よ、必ず諸君の心の中に”光明”のみを 描け、
   必ず諸君の心の中に成功のみを描け。
   心 に描くことは、心の世界に種子を蒔いたことになるのです。」

・・・

(4)《人間の不幸の原因について》

   人間の偉大さは肉体の力の分量によって量られるのではなく、
   知識の偉大さにあるという人もある。

   人間は肉体の力では猛獣に劣るのである。
   それで、素手と素手とで公正に闘うことを止めて卑怯にも
   素手の猛獣に対して武器をもって立会うことにしたのである。

   それが人間があらゆる生物を支配し得た原因である。

   卑怯にもといったのは多少皮肉な表現であるが、猛獣から観たら、
   人間は確かに”卑怯”のように見えるに違いないのである。

   「いや、それは卑怯ではない。人間は知能が発達したために他の生物に
   すぐれて地上の帝王となったのであって、知識の進歩こそ人類の特徴である」
   と反論することもできる。

   その反論は正しいと思うが、その知識の発達によって、
   武器を発明して他の生物を攻撃し支配することを覚えた。

   ここに人間の不幸の原因があるともいえる。
   その理由を考えてみよう。

            <感謝合掌 令和2年6月7日 頓首再拝>

【八日の法語(6月8日)】 - 伝統

2020/06/08 (Mon) 03:54:00


(1)《祈っても 「 結果 」 をつかんではならぬ》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=2


   (抜粋として)

   吾々はまず求めなければならない、
   「 求めよ、さらば与えられん 」 である。

   然(しか)し求めた後には
   心を放って神に全托することが必要である。

・・・

(2)《何のために貴方(あなた)は祈るか》

   (全文は)
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=127


   (抜粋として)

   吾々は祈りの目的を反省して見ることが必要である。
  
   神の栄えをあらわし、
   多くの神の子(人類)を幸福にせんがための祈りが、

   神に祝福せられないと云うことは有り得ないのである。

・・・

(3)《”心”を「幸福行」の電車に乗り 換えよ》

   (全文は)
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=1363


   (抜粋として)

   さて、『愛と光との生活』の本には
   「皆さんが幸福な成功をしようと思ったら、
   手足を無暗に動かすまでに、心の向きを”幸福 行”にして
   置かなければなりません」と書かれている。

   手足は自分で行き先の方向をきめず、
   ”心”がその方向を定(き)めるのであるからである。

・・・

(4)《知識の果(み)を食して》

  (全文は)
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7735767


   (抜粋として)

   エデンの楽園に争いもなき幸福生活を営んでいたアダムとイブとが、
   その楽園から追放せられた原因は彼らが禁ぜられていた食物
   「知識の樹の果」を食べたからである。

   普通これは「智慧の樹の果」と訳されているけれども、英語を見ると、
   智恵(wisdom)ではなく、知識(knowledge)の果である。

   換言すれば、科学的知識の結果を食したのである。
   そのために人類の象徴であるアダムとイブとはエデンの楽園から
   追放されたのである。

   今でも、科学的知識の結果が人類を不幸に陥れている事は
   交通事故で毎年一万数千人の死者と数十万人の負傷者を出している
   日本の現状も正にエデンの楽園からの追放である。

   諸々の公害ことごとく「知識の樹の果」を食した結果である。

            <感謝合掌 令和2年6月8日 頓首再拝>

【九日の法語(6月9日)】 - 伝統

2020/06/09 (Tue) 04:41:29


(1)《祈った後は 事柄を心から放って全托せよ》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=2


   (抜粋として)

   自分の周囲を如何に暗黒が とりまこうとも、
   心を平和にし、静かに神に祈りて後 完全に全托すれば、
   よき結果が得られないということはないのである。

   恐怖と焦燥の観念を心よりとり去れ。
   
   吾々は唯(ただ)神に全托すればいいのであるが

・・・

(2)《神に対する讃美(さんび)と感謝》

   (全文は)
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=127


   (抜粋として)

   神を讃美する言葉や、神に感謝する言葉は、
   人間の心を動かして、神の既に与え給うていられる
   恵福(めぐみ)に対して、受信しやすい「心の波」を
   作ることになるのである。

   恵みの波の受信に必要なる 自分の心の波を調律する方法が
   讃美と感謝とである。

・・・

(3)《”心”が先か ”コトバ”が先か》

   (全文は)
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=1363


   (抜粋として)

   ”心”を支配するものは ”コトバ”なのである。

   聖書の『ヨハネ伝』には「はじめにコトバあり、
   コトバは神とともに在り、コトバは神なりき。
   万のものこれによりて成り、成りたるもの一つとして之(これ)に
   よりて成らざるものなし」と示されている のである。

・・・

(4)《青年は宜しく魂の純潔の価値を追え》

   人間の高さは身長によって測らるべきではない。
   魂の高さによって測らるべきものである。

   戦後に於ける現代の弊は、魂の高さを見る眼を失って、
   物質の量によってその価値を量ろうとすることにある。

   動機の純粋と無我神聖の魂の高さによって、特攻隊の勇士の“死”の価値を
   量ろうとしないで、敗戦という結果によってその“死”の価値をはかって
   ”犬死”だなどと不謹慎なる語を発する愚か者もある。

   物質の富を追い求めて東西に奔走しながら死に臨んで、
   魂に、何の純粋さも持たず、その追い求めた富すらも冥途へ持って
   行くことが出来ない者こそ本当に犬死ではないか。

   青年は宜しく魂の価値を求めて、
   純粋に理想を追って行動しなければならない。

            <感謝合掌 令和2年6月9日 頓首再拝>

【十日の法語(6月10日)】 - 伝統

2020/06/10 (Wed) 04:28:47


(1)《吾は愛の言葉のみを語る》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=2


   (抜粋として)

   吾は 今よりよき言葉、深切の言葉、美しき言葉のみを口にする。

   今日一日は幸福の日である。
   神が造った日に悪い日などはないのだ。

   吾は今日、感謝と愛語と讚歎とのみに生きる。

・・・

(2)《既にある善き霊波を捉えよ》

   (全文は)
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=127


   (抜粋として)

   祈りの成就する根本には、既に神の「恵福(めぐみ)」の放送
   (霊波が遍在する)があると云うことである。

   先ず善き事を実現するには、
   善き事のみを心に思うようにしなければならない。

・・・

(3)《医師のコトバは患者の症状を左右する》

   (全文は)
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=1363


   (抜粋として)

   わたしたちは第三者の不幸や病気を暗示するコトバに
   左右されてはならないのである。他より来る暗黒のコトバを
   防衛する方法を知っておかなければならない。

・・・

(4)《人間の深さと、人格の高さ》

   (全文は)
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7735767


   (抜粋として)

   皮膚一枚の感覚の快さや、粘膜一枚の快楽を追うような
   皮層な生活を送ってはならないのである。

   人間はもっと深いところに悦びを求めなければならない。
   深いというのは物質的な深さではない。

   精神的な深さであり、心霊的な深さである。

   それは愛と叡智との世界である。
   自分の物質的な損得は考えずに人を愛する知恵の生活である。

   人格の高さと言うのは、その人がどれだけ三次元的低次の生活から超越して、
   霊的次元の世界に生きているかという事によって量られるのである。

            <感謝合掌 令和2年6月10日 頓首再拝>

【十一日の法語(6月11日)】 - 伝統

2020/06/11 (Thu) 03:48:46


(1)《吾は太陽の日を生きる》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=2


   (抜粋として)

   吾は今日太陽の日を歩むのである。
   それは輝く喜びの日である。

   吾は輝く太陽の子である。
   吾は神とともに心あかるく平和である。

   常に今、吾は完全であり、
   幸福に満たされているのである。

   吾は光である。
   吾は太陽の子である。

・・・

(2)《ただ美点のみ見る》

   (全文は)
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=127


   (抜粋として)

   今日、自分は決して悪しき事を考えないのである。
   人の美点のみを見るのである。
   美点を見る心は美点のみを引き寄せることを知るからである。

   神の智慧は、美点を見る心に引き寄せられて、
   吾が行く道を照らし給うのである。

   神の愛は、美点を見る心に引き寄せられて、
   すべての人々の感情に柔ぎと調和とを与えたまうのである。

・・・

(3)《"心”はコトバと顕れて生理作用 を変化させる》

   (全文は)
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=1363


   (抜粋として)

   (第三者たる医師のコトバに左右されず 、健康になるには)

   この場合は「自分の心」が先ず決意して
   「私は神の子である。病気はないのだ」という明るいコトバを
   心の中で発し、常に繰返し念ずるのである。

   即ち、「心 動き出でてコトバと成れば一切の現象展開して万物なる」
   と示されている『甘露の法雨』の聖句の順序に従って、
   ”心”先ず動いてそれ以後の現象が展開することに成っているのである。

・・・

(4)《魂の高さは破壊することができない》

  (全文は)
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7735767


   (抜粋として)

   肉体は破壊することはできるけれども、
   魂の高さは破壊することができないのである。


   日本国家の理想とは何であるか。

   それは「宇宙の理想」と一つのものである。

   「宇宙の理想」とは釈尊の説く金波羅華の世界であり、
   キリストの祈りである「みこころの天に成れる世界」である。

   日本国を”侵略国”と誣(し)いる者は何者ぞ。去れ!! 

   日本国は世界の救世主たる使命を帯ぶ。

            <感謝合掌 令和2年6月11日 頓首再拝>

【十二日の法語(6月12日)】 - 伝統

2020/06/12 (Fri) 04:30:42


(1)《吾は愛そのものである》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=2


   (抜粋として)

   神は愛である。
   吾が内に神の愛が宿っているのである。

   吾は今この愛の賜物(たまもの)を神より受けて
   惜しみなく他の人に愛をわたすのである。

   吾は愛そのものである。

・・・

(2)《すべての不快なる人を赦(ゆる)せよ》

   (全文は)
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=127


   (抜粋として)

   若(も)し誰かに腹の立つこと不快な思いを抱いたことがあったならば、
   今直(す)ぐに其の人に愛念をお送りなさい。

   「われ生長の家の神に於いて、汝(なんじ)をゆるし、汝に念波を送る。
   私は貴方(あなた)を愛しています」と

   強く強く繰り返し繰り返しお念じなさい。

・・・

(3)《凡夫は三業に翻転せられて止まる所を知らず》

   (全文は)
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=1363


   (抜粋として)

   コトバは「心のエ ネルギー」の上に乗ったアイディアの展開である。

    ”心”は動き出でてコトバとなり、
   その「コトバの力」によって万物は展開してあらわれる。
   その万物を見て”心”が動く。

   かくて再びコ トバが生じ、コトバによって万物が生じ、
   その万物を見て”心”が動く、永遠に循環展伝して
   繰返して止まるところを知らないのである。

・・・

(4)《愛は天上のものである、物質界を越える》

   NHKテレビ番組で三月末まで好評を博していた「旅路」の中に
   出て来る岡本良平と言う汽車の機関士がある。
   彼は真から汽車を愛した。

   そして北海道に住んでいた彼は北海道に特急列車が走るようになることを
   恰も自分の子供が出世することのように楽しみにしていたのである。

   やがて列車の動力資源として石炭は斜陽になりディーゼル油が使われる
   前途が見えて来たので、北海道の鉄道局で古参の機関士にディーゼル機関の
   構造や操縦法の講習を受けさせることになったのである。

   ところが彼はその受講を断ったのである。

   妻が受講をすすめても、先輩がそれを勧めても、頑として応じなかった。
  
   先輩がその時、岡本良平に、「北海道に愈々特急が走る時期が近づいたよ。
   君はその特急第一号に乗りたいと言っていたが、その特急車は
   ディーゼル機関車だよ。汽車は段々時代遅れになって、
   もう間もなくレールの上を走らなくなる」といった。

   その時、良平は「今まで、さんざ働いた揚句、古くなって価値がなくなった
   からと言って棄ててしまう。わしはそんな薄情な気持にはなれないんだ。
   わしは汽車を愛しているんだ。

   世間から棄てられ忘れられて行く汽車の事を思うと、最後の一台になる迄、
   その蒸気機関車を看戌(みまも)ってやりたいんだ」という意味で答えている。

   こんな岡本良平は”縦横厚み”の三次元世界での損得の世界を、
   ”愛”の故に、越えたのである。

   愛は天上のものである。
   それは物質界に属しない。
   物質界の損得を越えるのである。

            <感謝合掌 令和2年6月12日 頓首再拝>

【十三日の法語(6月13日)】 - 伝統

2020/06/13 (Sat) 04:37:09


(1)《愛は最も強力なる力である》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=2


   (抜粋として)

   吾が内に宿る愛を生きる時、
   吾は全世界で一番強き強者となるのである。

   愛はもっとも強き力である。

   愛は天下無敵である。

・・・

(2)《愛は真に征服する力である》

   (全文は)
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=127


   (抜粋として)

   愛は全世界を真に征服するのである。

   愛が報いを得なかったことは一度もない。
   愛することの快さ ー それ自身が既に報いでもある。

   愛は愛する人を呼び、繁栄を招び、健康を来すのである。

・・・

(3)《善業つねに循環す》

   (全文は)
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=1363


   (抜粋として)

   業というものには善業もあり悪業もあるのである。

   善業の展開として生じたる幸福や健康や繁栄を見て、
   心が幸福や健康や繁栄を心に描く。

   心に描かれたこのが、また具象化するという法則に従って、
   運の好い人はいつまでも好運にめぐまれ、
   その好運が常につき添って幸福な生活が自然に送られて来るように
   なるのである。

・・・

(4)《真の愛国心について》

   (全文は)
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7735767


   (抜粋として)

   本当の愛は、魂と魂との触れ合いである。
   生命と生命の触れ合いである。

   日本国を愛するとは、自分の魂と、国の魂の触れ合いによって、
   本来”国そのものの魂”と”個人たる自己の魂”との自己同一の自覚である。

   これこそが本当の愛国心である。


   国家は生命体であり、国家のいのちがあり、伝統ある個性があるのである。

   国家のいのち、そしてその伝統ある個性美の特徴を守り続け、
   そしてそれをその個性の方向に一層伸ばして行くことこそ、
   国家のいのちと一心同体である国民の使命であり、

   その使命に邁進せんとする国民の意志こそ愛国心なのである。

            <感謝合掌 令和2年6月13日 頓首再拝>

【十四日の法語(6月14日)】 - 伝統

2020/06/14 (Sun) 03:44:13


(1)《自分の心通りのものが引き寄せられる》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=2


   (抜粋として)

   もし悪しきものが目の前に現れて来た時には、
   それは自分の心の中に
   それらをひきよせる心の波があるからだと知れ。

   現象の悪しき姿にとらわれて、
   それを払いのけようとして
   心にその 「 悪しきもの 」 を描く限り
   「 悪しきもの 」 は去らないのである。

   神を思いおこせ。

   「 み業は神がなし給う 」 と信じて
   後は 神に任せきれ。

・・・

(2)《信念は万事を成就する》

   (全文は)
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=127


   (抜粋として)

   人は信ずる通りのものとなり、信ずる通りにその事業が成るのである。
   信仰は勝利の第一の要素である。

   「 神われと偕(とも)に在り 」と常に心の中(うち)で呟(つぶや)け。

   それが重なる毎(ごと)に信仰は強くなり、
   何事でも成就する智慧が湧き出て来るようになるのである。

・・・

(3)《あなたの生活を「幸福新幹線」 に乗りかえなさい》

   (全文は)
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=1363


   (抜粋として)

   過去に悪業を積み重ねて来て、暗い現象を見、心が暗くなり、
   心に暗いアイディアのみ が想い浮び、

   そのアイディアの具象化として暗い運命、
   不幸や災厄や病気のおとずれに見舞われ、その現象を見て、

   更に心が暗くなって、暗い事のみ心に思い浮かぶような気の毒な人は、

   「 幸福新幹線の電車」に乗り換えればよいのである。

・・・

(4)《釈尊の悟得せられた世界像》

   釈尊が尼蓮禅河の畔の菩提樹下に結跏趺坐して悟りをひらかれた時、
   釈尊は、すべての存在が、山も川も草も木も国土も悉く物質でない事を
   感得せられたのであった。

   この悟りが「山川草木国土悉皆成仏」という語で表現せられているのである。

   この語の中には国家も単なる国土ではなく仏(宇宙の本体)のいのちの
   現成であるという意味が含まれているのである。

            <感謝合掌 令和2年6月14日 頓首再拝>

【十五日の法語(6月15日)】 - 伝統

2020/06/15 (Mon) 04:43:19


(1)《神の子に本来 経済難はない》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=2


   (抜粋として)

   吾々は 今豊かにすでに与えられている恵みに
   感謝することから始めればいいのである。

   凡ゆるよきものを与えられている事を
   数えあげて毎日感謝せよ。

   「 豊かなる想念をおこせば豊かさが出現するのである 」 。

・・・

(2)《賞讚(しょうさん)の言葉を投げかけよ》

   (全文は)
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=127


   (抜粋として)

   人間は人から認められる時、全力を発揮して働くものである。
   認めてあげることを惜しんではならない。

   賞讚の言葉ほど
   人間を勇気づけ、悦ばせ、元気づけるものはないのである。

・・・

(3)《観の原点を「実相世界」に移すこと》

   (全文は)
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=1363


   (抜粋として)

   「幸福新幹線」に乗り換えるというのは、 言葉はやさしいけれども、
   一体、具体的に は、どうすればよいのであろうか。

   今まで”五官の世界”(現象界)に立って、
   現象界の暗い事象のみを眺めて来ていた其の「観の原点」を、
   実相世界に移すのである。

   其の万徳現前の世界を”観 る”のである。
   ”観る ”ことは、”既にある”も のを顕すことになるのである。

・・・

(4)《純粋世界は中心帰一の世界である》

   ”宇宙のいのち”即ち宇宙大生命が展開している
   ”純粋世界”が“実相世界”である。

   ”純粋世界”は物質でないから肉眼には見えないのである。

   この“純粋世界”のことをキリストは”天”とか”天国”とか、
   ”神の国”とかいう語をもって語られた。

   キリストが

   「みくにを来らしめ給え、み心の”天”に成るが如く地にも成らせ給え」

   と祈れと訓えられたのは、

   この“純粋世界”の捨象として、純粋世界そのままの姿が、
   ”地”即ち現象世界に実現するように祈るように勧められたのである。

   この純粋世界は、神の創造になる世界であり、
   神の愛と叡智と生命力との展開せる世界であるから、

   神が唯一の中心であり、すべての生物、すべての存在悉く、
   秩序整然として一つの中心に帰一して、各々その天分に従って、
   互いに扶け合い、大調和せる生かし合いの世界であるのである。

   多元中心の世界の如きは、互いにその覇を争うために、
   権力闘争の世界を展開して永久に平和の世界を実現することは
   出来ないのである。

            <感謝合掌 令和2年6月15日 頓首再拝>

【十六日の法語(6月16日)】 - 伝統

2020/06/16 (Tue) 03:19:24


(1)《与える者は与えられる》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=2


   (抜粋として)

   吾々は多くのものをすでに与えられているのであるから、
   賃金なしにお礼をする心で、
   目の前にある所の人々のためになる仕事なら
   何でも奉仕させてもらおうという気になって、

   一枚の紙屑(かみくず)を片づける様なつまらないことからでも
   奉仕の行事を始むべきである。

・・・

(2)《賢者は不調和な面を見ない》

   (全文は)
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=127


   (抜粋として)

   この世界には、どんな混乱にも撹乱(かくらん)にも、
   それに秩序と平和と健全さとを回復しようと云う
   大いなる力が働いているのだと云う
   宇宙的な摂理(神)が存在すると云うことを知らなければならない。

   愚かなる者は、濁る方の現象を見て憂え、
   賢者は一切を浄化する宇宙的な力に信頼して心は平和であるのである。

・・・

(3)《色受想行識の円環を完成すること》

   (全文は)
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=1363


   (抜粋として)

   ”色”は波動的存在で あり、波動を受けて感覚がそれを感ずる、
   その”受けて感ずる”のが ”受”である。

   受けて 感じて、それは何を意味するかを”想う”、
   即ち感覚がアイディアとなり、想念となり、”行動”となる。

   その全体を統合総攬す る”心”が”識”である。
   この色受想行識の連環 を一円想に完結するとき、単に心の波動に
   すぎなかったものが、現象界に具体をもって完成するのである。

・・・

(4)《華厳経に顕れたる日本国の実相》

   釈尊が悟りを開かれて、宇宙の実相を其の儘に直感され、その宇宙の実相が、
   蓮華の華の如く、中心に“実”があって、その実相が十六方向に開く
   花弁の如く現象として展開していることを諄々として詳細に講説せられたのが、

   所謂華厳経であって、その詳しい経題は“大方広仏華厳経”と称ぶのである。

   ”大方広仏”とは「無限大にあらゆる方向に広がっている如来のいのち“
   という意味であって、英語でこれを表現すれば 
   Universal Buddahhood(普遍の仏性)である。

   ”仏”をキリスト教的に”神”の語をもってするならば
   ”大方広仏”というのは「遍在する神」である。

   そこで大方広仏華厳経とは、“普遍の仏性”又は「遍在する神」の
   生命の展開せる“純粋世界”は華厳即ち蓮華荘厳の世界である
   という事が説かれている御経である。

   この蓮華荘厳の世界は、その中心に蓮華日宝王地があって、その中心の王地に
   依ってその存在が支えられていることが、華厳経の廬舎那仏品に
   次のように書かれているのである。

   『仏子よ、当(まさ)に知るべし、此の蓮華蔵世界海の金剛囲山は
   蓮華日宝王地に依りて住せり』(『聖光録』286頁参照)

   金剛囲山というのは、蓮華蔵世界の中央部にある須弥山を
   取り巻いて八つの金剛の山脈があるのを指すのであって、

   それらが依って安住しているのは日の大神の宝の王様の国土によって
   支えられているからだというのである。

   天照大御神の神勅の実現たる日本国が宇宙の中央にあって、
   この宇宙の鉄骨ともいうべき金剛囲山を支えているのであって、
   これが吾々が日本国を世界唯一の真理国家だという所以なのである。

            <感謝合掌 令和2年6月16日 頓首再拝>

【十七日の法語(6月17日)】 - 伝統

2020/06/17 (Wed) 04:44:40


(1)《 萬物(ばんぶつ)ただ感謝あるのみ 》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=2


   (抜粋として)

   神さま ありがとうございます。
   あなたは愛でいらっしゃいます。

   私はあなたの愛を、
   青空をみても、
   輝く日光をみても、
   空気を吸うても、
   梢(こずえ)の若葉をみても
   感ずることができるのです。

   神さま、私は凡(あら)ゆる所に
   あなたの美しき智慧を感ずることができるのです。

   空の星の動き、
   罌粟(けし)の花の装い、
   美しき藤の花。

   神さま ありがとうございます。

・・・

(2)《信仰を深め、恐怖心をなくするには》

   (全文は)
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=127


   (抜粋として)

   「 神の愛 常にわれを取り巻きて護りたまい、
   神の智慧 常にわれを導きたまいて
   栄えの道に進ましめ給う」と

   一日のうち数回静かに目を瞑(つぶ)って十数分念ずることは
   信仰を深め、神との一体感を増大して恐怖心を去り、
   よき智慧を招き寄せる力となるのである。

   信仰は力であり、
   信仰は絶えざる言葉の力によって増大して来るのである。

・・・

(3)《あなたに宿る”生命”は”神” である》

   (全文は)
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=1363


   (抜粋として)

   「諸君に宿っているところの生命力もおよそかくの如きものである。
   生命がかくも執拗にたくましく、埋没されても、圧下されても、
   滅びることを知らずに伸びることのみを知って退嬰しないのは
   生命とは『神』であるからである」(『人生を前進する』 200頁)

・・・

(4)《本当の愛国心について》

   華厳経の尊さは、そして絶対価値があるのは、
   それが方便のための対機説法ではなく、悟りを開かれた真理を、
   そのままズバッと開講せられた真理であるからである。

   そしてその講話に、日本国を象徴する蓮華日宝王地によって、
   その世界の骨組みともいうべき金剛囲山が支えられている事である。

   もっともこれは大方広仏即ち”宇宙普遍の本体”たる如来の生命・
   愛・智慧の展開としての”純粋世界”のことである。

   肉眼で見える世界ではない。

   即ち「御こころの天に成れる世界」のことなのである。

   その世界を蓮華蔵世界海と”海”の接尾語がついているのは、
   此の世界を海に譬えたのであって、海は表面(現象)は波立ち騒いで
   始終遷り易るけれども、その深い底なる実相は不動にして
   変化することが無いという事になぞらえたのである。

   吾々は世界の表面の姿を見、「現象日本」の遷り変る有様を見て、
   日本国に愛想をつかし「愛せられる日本国なら愛し得るけれども、
   こんな醜い日本国は愛せられない」などと言って、
   日本の実相の尊さを、とかく見失いがちであるけれども、

   吾々は現象の浮動する波の姿を貫いて、その奥にある
   「理念日本」の実相を見、それに礼し敬し愛し、その実相の
   完全さを現実世界にあらわすように努力しなければならないのである。

   本当の愛国心とは単に「郷土であるから好きで愛する」というような
   単なる”身いびき”的なものではなく、真理として現象の奥にある
   「理念日本」の荘厳さを愛しなければならないのである。

            <感謝合掌 令和2年6月17日 頓首再拝>

【十八日の法語(6月18日)】 - 伝統

2020/06/18 (Thu) 04:46:58


(1)《適材適所が善である》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=2


   (抜粋として)

   正しき所に適当なるものを正しき様に置きさえすれば
   今まで悪と見えていたものも善に変わってしまうのである。
   
   適材適所が善である。

・・・

(2)《汝の内なる神を自覚せよ》

   (全文は)
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=127


   (抜粋として)

   あなたの内に神 住みたまう。

   それを自覚するためには毎日、神想観をして
   自分の「 実相 」が神の生命であることを諦視すること。

   毎日、真理の書の一章を読むことである。

・・・

(3)《ころぶたびに前進している》

   (全文は)
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=1363


   (抜粋として)

   まことに人生は”七転び八起き”である。
   現象はころんだように見えても、その人の魂はころんでいないで、
   ころぶたびに前進している。

・・・

(4)《生長の家出現の使命について》

   釈尊は成道第十四日目にはじめて自己の悟れる宇宙の真理実相が、
   中心帰一の蓮華蔵世界であり、その中心に日宝王地が存在して、
   それに依ってその存在が安定している事、恰も太陽系の中心に太陽と言う
   中心があって太陽系全体の存在が安定しているが如く、

   原子にはその中心に原子核と言う中心があってその存在が安定しているが
   如くであるとして、日本国の存在を暗に示されたのであるけれども、
   当時の印度人に、そのような象徴的謎が解ける筈もないので、

   普賢菩薩ひとりにしか華厳経の深義を悟ることが出来なかったので、
   華厳の真理はその後久しく説かれないで竜宮海に秘められていたのであった。

   しかし今や、時節到来、竜宮の大神・塩椎の大神(又の御名は住吉大神)
   によってその深義が開顕されることになったのである。

   それが生長の家の人類光明化運動であり、
   日本の実相顕現運動である訳である。

   この運動を理解して参加する人悉く普賢菩薩の分身である。

   諸君自身が普賢菩薩なのである。

            <感謝合掌 令和2年6月18日 頓首再拝>

【十九日の法語(6月19日)】 - 伝統

2020/06/19 (Fri) 04:45:08


(1)《愛を行ずれば愛が来る》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=2


   (抜粋として)

   結果は期待しないでも、ただそれを行ずれば
   原因結果の法則で
   ただ自然にでて来るのである。

   吾々は唯(ただ) 「 愛 」 を
   行ずればいいのである。

   吾々は愛を 唯 行ずればいいのであって、
   「 犠牲 」 になろうと考えることも又(また)不要であるのである。

・・・

(2)《必ず解決の道はある》

   (全文は)
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=127


   (抜粋として)

   問題が行き詰って来たときには、神の方へ振り向くべしである。

   神の造り給うた世界に、自分とそしてすべての人とに
   共々幸福になる解決が存在しないと云うことはないのである。

・・・

(3)《病気は自己限定によって起る》

   (全文は)
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=1363


   (抜粋として)

   ”人間・ 神の子、無限力”と
   自分の 実相の”本当の健全 さ”を悟ると、
   自己限定 によって生じている病気は消えてしまうのである。

・・・

(4)《普賢菩薩とは諸君自身の最高理性である》

   仏教には顕教と密教とがあり、顕教とは経典の文字の表面に顕れたる
   表面の意義其の儘に説く教えであるが、

   密教とは秘かに経典の文字と文字との間に、行と行との間に秘められている
   所謂る文底秘沈の真理を開講するところの教えであるのである。

   普賢菩薩とは釈尊在世当時にあらわれた一人の菩薩であるという風に、
   文字の表面だけに解するのは顕教である。

   併しながら吾々はそれを密教的に解釈して、
   普賢菩薩とは、人々に普く宿るところの“賢”(聡明の叡智)であって、
   その聡明の叡智の開けた人々は悉く普賢菩薩であるのである。

   華厳経でも、法華経でも、釈尊はこれを説き了られた時に、
   あとは普賢菩薩に「お前にこの真理を渡すから、よろしく頼む」
   と言う風に付嘱(ふぞく)していられることである。

   普賢菩薩が印度に釈迦在世中に生まれたひとりの人間であるならば、
   たった一人の人間に、その広宣を頼んでみても、
   その人間が死に絶えたら、あとは何とも致し方ないのである。

   普賢菩薩とは一人の人間ではなく、普く人に宿る“賢”なる
   叡智(即ち最高理性)を開顕した全ての人であるのである。

   かくて普賢菩薩に、華厳経の真理も、法華経の真理も、ともに伝えられ、
   その広宣がゆだねられた時、その真理が人類全体を光明化し、
   地上に蓮華荘厳の実相世界が顕現することになるのである。

            <感謝合掌 令和2年6月19日 頓首再拝>

【二十日の法語(6月20日)】 - 伝統

2020/06/20 (Sat) 04:45:29


(1)《ただ創造し、ただ行ずること》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=2


   (抜粋として)

   「 唯 」 行ずることが必要なのである。

   神は 「 ただ 」 愛し給うのである。
   神は 「 ただ 」 創造し給うのである。
   神は 「 ただ 」 与え給うのである。

   だから吾らも常に 「 ただ 」 愛し、創造し、
   与えればいいのである。

・・・

(2)《神に全托する者は悩まない》

   (全文は)
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=127


   (抜粋として)

   問題の解決法は、第一、問題から「 悩む心 」を放つことである。

   第二、その問題を神に委ねることである。

   如何なる条件が起ろうとも「 神の愛の御手(みて)が護っており、
   すべての人々に最もよいようにこの問題が解決せられるに相異ない 」
   と思念して、

   その思念の通りになることを信ずるが好いのである。

・・・

(3)《運命の三種類について》

   (全文は)
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=1363


   (抜粋として)

   だいたい運命には三種類あるのであ る。

   一、根本運命
   二、中間運命
   三、未来運命

   の三つである。

・・・

(4)《世尊捻花の秘密》

   華厳経の真理を説かれた後、久しく釈尊は蓮華の華に譬えた宇宙の実相を
   お説きにならなかったのであるけれども、或る日例の通り霊鷲山で
   説教すべく壇上にお立ちになった時に、梵天王という天界の王様が
   金色の波羅華を携えて地上に降りて来て、釈尊の前にひれ伏して、

   「この金波羅華について衆生のために真理をお解きください」と
   お願い申し上げたのであった。

   すると釈尊はその華を手に取って、指先で拈りながら、集まっている
   聴衆に向って示し、目を挙げ眉を動かして、何も言わずに、
   「ここに宇宙の真理がある、皆さん、此の真理が判りますか」
   というような表情をなさったのであります。

   経文によるならば、この時「人天百万措くことなし」とある。

   百万人も集まっていた人間天人、呆然として、
   釈尊の意を解するものが無かったというのである。

   その時、唯ひとり迦葉(かしょう)と言う弟子だけが

   「釈尊は此の真理を説き給う、判った!!」というような表情をした。

   それを逸早く見て取られた釈尊は「迦葉よ、お前に仏教の真理を
   直接伝えたぞ、此の真理は教外別伝(説教として教えることのできない、
   以心伝心をもって別に伝えるより仕方のない真理)であり、
   不立文字(経文に文字を立て、説教することのできない真理)である。
   此の真理、お前に伝えたぞ」と仰言ったのである。

   こうして迦葉は文低秘沈の教外別伝・不立文字の宇宙の真理を伝えられ、
   禅宗の第一祖となったのであった。

     (谷口雅春著『無門関解釈』参照)

            <感謝合掌 令和2年6月20日 頓首再拝>

【二十一日の法語(6月21日)】 - 伝統

2020/06/21 (Sun) 04:18:10


(1)《どの日も神に祝福されている》

   (全文は)
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   (抜粋として)

   神はすべての時間を
   自己顕現の形式として祝福し給うのである。

   どの時間もどの日取りも
   悪いものは一つもないのである。

・・・

(2)《富の父性原理と母性原理》

   (全文は)
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=127


   (抜粋として)

   富には 父性原理と母性原理とがある。

   父性原理は 生命を注ぎ与える原理である。
   与えることを忘れていて、おかげを貰(もら)うことのみを
   望んでいる人々の多いのには驚くのである。

・・・

(3)《人間の根本運命には不幸も病気もない》

   (全文は)
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=1363


   (抜粋として)

   新約聖書の『ヨハネ伝』に、

   「言(ことば)は肉体となりて我らの中 (うち)に宿りたまえり。
   我らその栄光を 見たり」(第一章十四節)

   とある。

   根本運命とはこの一節に録(しる)されている
   われらの内に宿るところ の”栄光”であるのである。

    ”根本運命”というのは、「人間は”神の子”であり、
   あらゆる方面に於いて完全円満無欠である」ということである。

   これは変わることなき人間の享けた根本の運命である。

・・・

(4)《仏教は最後に「実」の世界を説いたのである》

   華厳経でお説きになった蓮華蔵世界の実相が、それ以来久しく
   説かれなかったこの宇宙の実相が、

   蓮華の華の象徴するが如き中心帰一の世界であることを、
   梵天王が金波羅華の華を釈尊に献じて説法を勧請(かんじょう)
   したことが契機となって爰に再び説かれることになったのである。

   華厳経は竜宮海に秘められたままになっていたら、他の経文には
   現象の無常が説かれて、そういうものに引っかからないための
   生活法、心の持ち方、因縁因果の理法、空の真理などが説かれていて、

   未だ“一事実の世界”が説かれなかったので、
   そのような経典による教えにはないところの「実」の世界を、
   ”金波羅華”を象徴として説かれたのが、
   この“世尊捻花”であるのである。

   未だ経文に説かれざる、文字を立てて説明すべからざる宇宙の実相
   としての構図 ―― これを「金波羅華」即ち、金色の
   「実相を象徴する花」をもって以心伝心的に説かれたのである。

   金波羅華の「波羅」と言うのは、“彼岸”又は実相の浄土のことである。

   (般若心境の結語としてある陀羅尼に「波羅羯諦」という語があるが、
   “羯諦”とは「行く」という意味。
   “波羅”は”実相の浄土”という意味であるから「波羅羯諦」とは
   「実相の浄土に行きて」という事だと梵語の専門家は解釈している。)

   従って“金波羅華“というのは金色の実相世界を象徴する
   華であるとして、そのような名称がつけられているのである。

            <感謝合掌 令和2年6月21日 頓首再拝>

【二十二日の法語(6月22日)】 - 伝統

2020/06/22 (Mon) 04:34:23


(1)《神の容器(いれもの)として自分は空っぽである》

   (全文は)
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   (抜粋として)

   今自分は全然 「 空っぽ 」 になったのである。

   自分は何一つ自分のものを
   求めようとは思わないのである。

   されば神は滔々(とうとう)として自分の中に流れ入って来るのである。

   神が流れ入って来た所の自分は
   もうすでに神そのものである。

・・・

(2)《神癒の根源をつかめよ》

   (全文は)
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=127


   (抜粋として)

   すべての癒(い)ゆる第一歩は、
   神は到る処に満ちていると云う根本原理を知ることにある。

   その次には 神は善であって、
   神のいます処に如何なる悪も存在しないと知ることである。

・・・

(3)《中間運命について》

   (全文は)
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=1363


   (抜粋として)

   第二の中間運命というのは、(過去<前世を含む>)
   いとなんだ”間違いの業”の運行が中間運命として、
   現世の生活にあらわれているのを指すのである。

   その中間運命の現在の運行の轍から大抵の人は免れることができない。

   それは自分自身が造った業であり、その業の轍の運行に今も自分が関与して、
   それを運(めぐ)らす”心の力”を それに加えつつあるからである。

・・・

(4)《一切極微の世界にも満つる日の大神の生命(いのち)》

   釈尊は、悟後最初の説法たる大方向仏華厳経にて、
   この宇宙の実相は中心に毘盧遮那仏即ち、”大日如来”即ち
   “日の大神”即ち天照大御神がましまし、

   蓮華日宝王地なる“日の大神”の宝座をなす王様の国土によって
   その存在が支えられている世界であり、

   その毘盧遮那仏の生命が、一切の微塵世界の極微の微塵
   (原子、素粒子その他の微視的世界)の中にも満ち、
   その各々の微視的世界の中に、依然として毘盧遮那仏を
   中心とする世界があり、

   すべての宗教の本尊 ―― 生命の本源等悉く、
   此の中心生命たる毘盧遮那仏のあらわれならざるはないとて、

   一仏一切仏、一生命一切生命、万象悉く日の大神の御徳の
   表現体であるという実相を説かれたのであって、

   単なる有耶無耶でハッキリわからないような
   空々漠々の真理をお説きになったのではなかった。

   しかし実相は現象の存在に執われている人の心には
   観ることが出来ないので、諸行無常の現象の空無を説いて、
   現象に執する心を鎮めてから、
   実相を見る眼を開かしめられたのである。

            <感謝合掌 令和2年6月22日 頓首再拝>

【二十三日の法語(6月23日)】 - 伝統

2020/06/23 (Tue) 04:29:35


(1)《怒りの言葉を発するな》

   (全文は)
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   (抜粋として)

   一つの苦き言葉も病気の種である。   
   一つの愛のささやきにも病気を治す力がある。

   怒りをしてこの世の中から姿を消さしめよ。
   憎しみをしてこの世の中から姿を消さしめよ。

   愛の言葉を、やさしさの言葉のみを周囲に対してなげかけよ。

   それは 又 同時に肉体を癒やす。

・・・

(2)《無限供給は先(ま)ず愛念から》

   (全文は)
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=127


   (抜粋として)

   吾々が神の無限供給に接触することが出来るのは、
   吾々内部に宿る神性を通してのみである。

   神は 智慧であるから、
   神の無限供給は 良き智慧の形をもって吾々を訪れる。

   愛念を起して良き智慧の流入を受け、
   その良き智慧を 愛念をもって実践することである。

・・・

(3)《あなたは”過去の業”の後押 しをしていないか》

   (全文は)
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=1363


   (抜粋として)

   わたしが一般人は、過去の業の轍に”心の力 ”を加えて
   後押ししているというのは、「過去の業は果たさねばならない」
   とか「因果は免れることは出来ない」とか思うことを
   指して言うのである。

   「思う」ということ は「意業」のエネルギーを加えて
   更に”過去の業”に後押ししていることであり、

   それを言葉に出して言ったり呟いたりすることは、
   ”言葉の業”(即ち口業)によって、”過去の業”の運行に
   拍車をかけて益々、その業力を強めて、自分自身が
   ”業 ”の運行に引き 摺られて行くことになるのである。

・・・

(4)《般若の空をもって現象を否定―法華経によって「実」を明らかにす》

   かくて釈尊は、般若部の経文に於いて、一切の現象の空を説き、
   眼耳鼻舌身意を悉く「無」として否定し、
   現象存在に対する一切の執着を断ち裁られてから、
   無量義経に於いて「四十余年間、未見真実」と喝破せられて

   「自分は華厳経に於いて真実の実相を説いて来たが、
   誰にも理解して貰えなかったので、以後、四十余年にわたって
   真実の実相を説いて来たことはなかった。
   しかし、これから本当に真実の世界、実相の世界のことを説くのだ」

   と言われて、ついに妙法蓮華経をお説きになったのである。

   それ故に妙法蓮華経は釈尊の悟後第一声の華厳経に相対して
   同一の真理を説いたものだという事が出来るのである。

   法華経がどうして妙法蓮華経と言う経題を付けられているかと言うと、

   妙なる”法”即ち“実相”は蓮華を以て象徴される中心帰一の世界であり、
   中心に「蜂巣」(ハチス・八洲―大八洲―日宝王地)の存在する世界である
   ことを説いているのがこの法華経であるからである。

            <感謝合掌 令和2年6月23日 頓首再拝>

【二十四日の法語(6月24日)】 - 伝統

2020/06/24 (Wed) 04:29:37


(1)《信仰を深くするには》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=2


   (抜粋として)

   毎朝毎朝が新生である。

   目がさめた時、吾が心ぼんやりしている時、

   「 吾は神の子である、神が吾を幸福にし給うのである。吾神を信ず。 」

   と二十回ずつ静かなる声にて自分自身にささやきかけよ。

   おこたらずこの行事をはげめば
   やがて信仰が深まり幸福が訪れるのである。

・・・

(2)《繁栄に対する新しき門》

   (全文は)
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=127


   (抜粋として)

   吾々は 常に繁栄に対する門戸(もんこ)は
   ひらかれているのである。

   新しき繁栄の門戸は智慧である。

   更に明るい心、楽しい家庭の雰囲気と云うものは
   事業を育てあげるに必要な肥料となるものである。

・・・

(3)《あなたの根本運命に超入せよ》

   (全文は)
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=1363


   (抜粋として)

   あなたが、もし”過去の業”を”心の力”( 意 業)や
   ”口業”(言葉の力)によって後押し をしているならば、
   即刻、今それを止めなさい。

   そして、「人間・神 の子」の
   地上誕生の” 原点”に心を振り向けなさい。

   あなたの”心”の中から”中間運命”に過ぎない不幸や病気を、
   今直ぐ放ち去って、常住の存在である青空の如き、
   あなたの根本運命「人 間・神の子の実相」に想いを馳せ、

   その根本運命こそ実在だ、そのほかに何もないのだと、
   「実相」の中に超入するのです。

・・・

(4)《万教帰一の実相世界》

   「蓮華荘厳」という用語は、法華経の題目以外には、法華経の本文では
   見当たらなかったようであるが、私は、もう一遍法華経を充分詳読したい
   と思っているが、“化城諭品”には、宇宙の中心たる本尊物として
   大通智勝如来の名が出ている。

   “大通”とは大通力即ち「全能」のことであり、
   “智勝”は「勝れたる智慧」であるから全智のことである。

   全知全能の宇宙神に当るものが大通智勝如来である。

   その十六の皇子(みこ)が十六方向に仏如来として配置されていることを
   法華経は説いているのである。

   華厳経の“一仏一切仏”思想が法華経にも、このように表現されており
   “一仏一切仏”の思想は結局、万教その本源を一仏に帰するところの、
   ただ万教帰一説又は万教同根説と全く同じものなのである。

   十六の皇子は菊花の皇室ご紋章の十六花弁に通じ、
   金波羅華の実相を象徴するのである。

            <感謝合掌 令和2年6月24日 頓首再拝>

【二十五日の法語(6月25日)】 - 伝統

2020/06/25 (Thu) 04:05:41


(1)《物質の粒子の配列をかえるのは 心の力》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=2


   (抜粋として)

   自分が神の子であり、
   内在のキリストこそ 自分自身であるということが自覚されるならば
   すべてのことは よき方向に動き始めるのである。

   物質の微粒子の集りでできている肉体も
   心の波によって どうにでも変化するのである。

・・・

(2)《貴方(あなた)は健康なのが本当だ》

   (全文は)
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=127


   (抜粋として)

   貴方の生命は「 神 」である。
   そのほかにあなたの生命はあり得ないのである。

   しからば貴方の生命は健康であるほかはないのである。

・・・

(3)《自己の実相たる神の根本業を観よ》

   (全文は)
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=1363


   (抜粋として)

   「根本業」というのは、神のコトバによって 、
   天地一切のものを支配すべき「神の代表」( 神の像(かたち))
   としてつくられたところの 、あなた自身の存在の根元たる
   神のみ業 (わざ )のことであります。

   「ここに神の御業によって誕生 た”神の子 ”たる自分がある」と、
   今直ちに自分の実相の完全さを観、
   ”神の子”の完全さを繰り返しコトバに唱 、繰返し心で念じなさい。

   また毎朝神想観のときに念じなさい。
   病気なんていう中途に出来た”迷いの雲”は吹っ飛んでしまうでしょう。

・・・

(4)《釈尊が世に出られた主目的は・・・・・》

   華厳経に於いて説かれたる蓮華蔵世界が、以心伝心の仏心宗(禅宗)に
   於いて「世尊捻花の公案」として説かれ、

   法華経に於いて、”妙法”即ち妙なる実相は十六花弁を備えたる蓮華の
   構図を持つことが、その題目によって示されて、

   華厳経 ― 世尊捻花 ― 妙法蓮華経が一系列の真理として
   一貫的に示されているのである。

   結局、金波羅華の宇宙の実相こそ仏教の初中終の真理であって、
   釈尊出興の使命は、この宇宙の真理を示し給うのが主目的であった
   と言い得るのである。

            <感謝合掌 令和2年6月25日 頓首再拝>

【二十六日の法語(6月26日)】 - 伝統

2020/06/26 (Fri) 04:29:09


(1)《心の平和から良きものが生まれる》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=2


   (抜粋として)

   まず心の中に平和を確立することが必要であるのである。

   神想観して 「 吾は 神の愛の力に とりまかれているのである 」 と
   繰り返して、自己の心の平和を確立することが、
   病気を治すためにも、事業を好転させるためにも必要なのである。

・・・

(2)《不要な感情を心の室(しつ)から逐(お)い出すこと》

   (全文は)
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=127


   (抜粋として)

   (悲しみ、憎しみ、腹立ち)それらはあなたの味方ではなく、
   あなたから幸福と健康とを奪い去ろうとする
   悪魔の「 廻し者 」なのである。

   大体、悲しくなったり 腹が立ったり、人を憎んだりするのは、
   他の人の働きで自分が害されると思うからである。

   「 われは神の愛したまう神の子であるから
   何者も自分を害することは出来ない 」と
   念ぜよ。

・・・

(3)《神の根本業こそ本当の実在である》

   (全文は)
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=1363


   (抜粋として)

   ”人間・神の子”という根本業にくらべれば、
   中間業としての現在の不幸な運命の如きものは
   浮雲のように間もなく消えて行くべきものであります。

・・・

(4)《空は単なる“無”に非ずの説》

   般若部の経典までは、諸行無常、諸法無我の空の思想の展開であった
   のであるが、この空思想によって現象の存在を否定し去り、現象的事物に
   対する執着を除き去って、それでは何もかも空であって空しいのか、
   それでは人生に何の希望もないし、努力の必要も、生き甲斐もない
   という事になる。

   そこであらわれたのが“真空妙有”の思想である。

   空というのは決して単なる「無」ではないのである。
   その奥に”妙有”即ち”妙なる実在”が内蔵されている。

   その”妙なる実在”を生活に生きるのが人間の尊い生活なのだ
   という事が説かれることになるのである。

            <感謝合掌 令和2年6月26日 頓首再拝>

【二十七日の法語(6月27日)】 - 伝統

2020/06/27 (Sat) 04:26:53


(1)《宇宙全体は一つの智慧で統一している》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=2


   (抜粋として)

   神は吾々の生理作用を導き給うだけでなく、
   吾々の周囲におこるすべての事件をも
   その完全なる智慧によって導き給うて
   調和あらしめ給うのである。

   考えてみると何の関係もなく、大空に運行している星の一つ一つも
   人間の生活にかくも微妙に調和して存在しているということは
   宇宙が唯一の智慧に導かれている証拠であるのである。

・・・

(2)《すべてを神の表現として見よ》

   (全文は)
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=127


   (抜粋として)

   神は大自然を通して、またすべての人々を通して
   自己を表現したまうのである。

   大自然の一木一草にも神の表現と囁(ささや)きとを
   きくことが出来るのである。

   すべての人々の動きにも神の表現と囁きとを
   きくことが出来るのである。

・・・

(3)《お前の商売をやめて神の商売をやれ》

   (全文は)
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=1363


   (全文掲載)

   『生命の實相』の中にこんな話が書かれてあります。

   第一次世界大戦のとき、巨億の船成金 になった山下市助さんが
   大正九年の恐慌のときにすべての財産の価値が暴落し、
   借金だけは 暴落しないので、三百万円の借金が出来、
   (当時 の三百万円は現在の三十億円にも当たる)
   その返済が不可能になった時、

   山下市助さんは金光教の信者であったので、当時有名な指導者であった
   大阪泉尾教会の三宅先生に指導を求めると 、先生はいとも簡単に
   「借金なら払ったらよい」といわれた。

   「払える力がある位なら先生に 相談にまいりません」と
   市助さ んが答えると、 三宅先生は「お前に は払えないかも知れないが 、
   神なら払える。今日からお前の商売はやめてしまって、神の商売をやれ、
   そして神 の番頭となって、神さまのお導きのままに動け」といわれた。

   そのお導きの通りに実行して破産の宣言をまぬがれ、再び捲土重来して
   満州に鉛の 鉱山 を経営されという実話が載っているのである。

・・・

(4)《妙有は金波羅華の姿をしている》

   真空の奥にある“妙なる実在”とは果たして如何なるものであろうか。

   「曰く言い難し」と答えているだけでは、
   その“妙有”を生活に生きる事が、実際上出来がたいのである。

   「言い難く捉えどころなき目標又は理想を生きよ」と言ったからとて、
   それではどの方向に進んで行ったらよいか判らないのである。

   「兎も角、”妙なる目標”があるんだから進め」と言ってもそれが
   青森であるか大阪であるか京都であるか示されなかったら、
   東に向かうべきか、西に向かうべきか、生活の規準がないという事になる。

   「曰く、言い難き妙有の実相」――それは言葉に言い表すことが
   出来なければ、何か象徴をもって示されなければならない。

   そこで釈尊がその象徴として金波羅華を示されたのである。
   そして「この相(すがた)が”波羅”即ち、妙有の世界なる”彼岸”の
   実相である」と示されたのである。

   現象を“此岸”と言い、
   現象の奥に、彼方にある実相を“彼岸”というのである。

   それは中心の「実」にすべての花弁が帰一している姿である。

   迦葉は「これこそ宇宙の実相の調和せる姿の象徴である。
   万物、永遠の中心に帰一し、調和おのずから備われる妙有の世界!!」
   と彼は悟ったのである。

   それ故に釈尊は「彼に正統の仏教を正伝(しょうでん)し了った」として
   「摩訶迦葉に付嘱(ふぞく)す」といわれたのである。

            <感謝合掌 令和2年6月27日 頓首再拝>

【二十八日の法語(6月28日)】 - 伝統

2020/06/28 (Sun) 03:41:23


(1)《万物は神の喜びの表現である》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=2


   (抜粋として)

   喜ぶことが
   神の子の特権であるのである。

   神はこの世界を苦しむために造ったのではなく、
   喜ぶために造ったのである。

   すべての生きものは
   喜びに舞踏(ぶとう)しているのである。

   喜びと愛すること 人間のなすべきことは この二つである。

・・・

(2)《高き理想を掲げよ》

   (全文は)
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=127


   (抜粋として)

   貴方が心を高き理想に振り向けるとき、
   あなたの人格は 高きものとなり、
   あなたの行動は 高きものとなるのである。

   最も高き理想は「 神 」である。

・・・

(3)《自性円満の根本運命に還って出直すこと》

   (全文は)
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=1363


   (抜粋として)

   人間が色々の生活上の問題で困難を生ずるのは、
   人間の「我の心」で利己心が出たり、欲心が出たり、
   煩悩が出たりして、

   根本運命であるところの「自分は神の 子」である
   という自性円満を忘れてしまっているからである。、

   本源に還るということによってのみ人間は自由無碍の世界に
   出ることが出来、困難が解消するのである。

・・・

(4)《金波羅華の象徴するもの》

   金波羅華は、実相の妙有世界の象徴であるから、その象徴の受取り方、
   又は解釈の仕方によって、どうとも判断できるのである。

   そこで阿難尊者には、釈尊が仏教の極意を迦葉に正伝せられたと言って、
   一体いかなる真理を釈尊に正伝せられたのであるか判らないのである。
   阿難は釈尊正伝のその真理が知りたい。

   そこで或る日、彼は迦葉に、

   「君は仏教の極意を伝えられたと言って、嗣法のしるしに釈尊から衣鉢を
   頂いたが、衣や鉢が仏教の極意ではあるまい。釈尊正伝の仏教の極意とは
   一体何であるか内証で教えてくれないか」と言った。

   その時、迦葉はしばらく無言でいたが、突然、厳かな命令するような声で、

   「阿難!! 」と彼の名を呼んだ。

   阿難は突然、大声で厳かな口調で自分の名を呼ばれたものだから、
   驚いて、姿勢を正して、

   「はい!! 」と答えた。

   その時、迦葉は、

   「お前に仏教の極意を授けたぞ」といった。

   こうして、阿難は禅宗の第二祖となったのである。

            <感謝合掌 令和2年6月28日 頓首再拝>

【二十九日の法語(6月29日)】 - 伝統

2020/06/29 (Mon) 04:40:04


(1)《厳寒に咲く花に学べ》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=2


   (抜粋として)

   厳寒に咲く花は
   最初は美しくない萼(がく)や苞(ほう)につつまれている所の
   蕾(つぼみ)にすぎないのである。

   蕾の萼が破れ 苞が破れて、
   そこから美しき花が咲くのである。

   くだけるのは
   善きものが現われて来んがために くだけるのである。

・・・

(2)《あなたが幸福になるには》

   (全文は)
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=127


   (抜粋として)

   多くの人々は自分を幸福だと思っていない。
   しかし本当は幸福なのである。

   想念の雑草を刈りとることが大切である。
   言葉の棘草(いらくさ)を刈りとることが大切である。

   そして自分の植え付けようと思う楽しい想念だけ植え付け、
   楽しい表情だけをすることが大切である。

・・・

(3)《毎日一定時間に神想観を修すること》

   (全文は)
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=1363


   (抜粋として)

   われわれは日々の行持を大切に実行しなけ ればならないのである。
   朝起きて洗顔を終った時、一定時間を定めて必ず神想観をすること
   によって、自分の心を神の方向へ 向けかえてその日の出発をするが
   よいのである。

   成就したい希望があるならば、神と一体感を得た心の状態に於いて、
   その”希望”を心に唱え、その希望が ”心の世界”に於いて
   既に成就したことを感謝するがよい。

・・・

(4)《“妙法蓮華”の秩序を体現せる日本国》

   釈尊が衆(もろびと)に示して捻られた“金波羅華”の象徴するものは
   『はい』と答える事だったのである。

   金波羅華には中心があり、すべての花弁がその中心に喫して、
   一糸乱れざる秩序と調和を示していることである。

   そこには花弁が中心に向かって、自己主張して、国鉄の順法闘争や
   賃上げ闘争のように争い立って騒ぐという事はないのである。

   日蓮宗の信者が「南無妙法蓮華経」と唱えるのは、蓮華の如き中心帰一の
   ”妙法”即ち実相の秩序に帰依し奉ると唱えている事である。

   実相の秩序に帰依し実相の秩序と一体となることは、
   自己のいのちが、実相普遍の原理と一体になることなのである。

   “妙法蓮華”の秩序を最も完全にあらわした国家は日本国のみである。

   天照大御神(インドの用語では毘盧遮那如来)を中心に頂き、
   その子孫たる歴代の天皇さまが永遠の国家の中心生命として
   国民にその恵沢を霑(うる)おし給うて今に至る、

   宇宙大生命の本源的中心生命がその応身を”生ける天皇”にあらわし給い、
   吾ら国民悉くその中心生命に帰一し奉る時、その時、
   地上に天国の秩序あらわれ、久遠平和の世界が実現するのである。

            <感謝合掌 令和2年6月29日 頓首再拝>

【三十日の法語(6月30日)】 - 伝統

2020/06/30 (Tue) 04:33:50


(1)《神が汝(なんじ)の内に宿っている》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=2


   (抜粋として)

   躓(つまず)きを恐るな。
   躓いても すぐ立ち上がって
   光明に面するのが生長の家の生活である。

   神が汝の内に宿っているではないか。
   それを思いおこすことが必要である。

   神は一切の不幸を幸福に変貌(へんぼう)する力である。
   その力が自分の内に宿っているのである。

   喜べ喜べ。神を信ぜよ。自己を信ぜよ。

・・・

(2)《あなたは現象の不完全に心を捉われない》

   (全文は)
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=127


   (抜粋として)

   あなたは決して現象の一時的な不快な出来事に
   「 心 」を腐らすことはないのである。

   心が腐って来そうな時には、眼を瞑(つぶ)って
   「 心 」を神の方向へ振り向けるのである。

   さすれば忽(たちま)ちにして神の栄光は
   自分の「 心 」の中に輝き渡り、
   現象に引っかかったために起った不快な思いは吹きとばされ、

   光風霽月(せいげつ)のように澄み切った心の中に
   神の智慧が輝き渡って来るのである。

・・・

(3)《善き幸福な”未来運命” を創造するために》

   (全文は)
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=1363


   (抜粋として)

   本源に心の視点を定めて、”根本運命”たる神の子に
   本来定められている幸福を見、健康を見、繁栄を視るがよい。

   青空のように曇りのない本来運命の方へ進んで行き、
   本来運命の延長としての、唯、善のみ、幸福のみ、繁栄のみの
   ”未来運命”を創造して行くがよい。

   その善き未来運命の 建物を建てる地均(じなら)しとして、
   一度は練成会に参加して、浄心行を受け、以上あげたような色々の
   ”中間業 ”を紙に書いて懺悔し

   『甘露の法雨』の集団読誦の中に、その懺悔の紙と共に
   悪しき”中間業”を 消去してしまうがよい。

・・・

(4)《人間として最も高貴なる生き方》

   吾ら世界唯一の真理国家――妙法蓮華の相を地上に具体的に表現せる
   真理国家、この国こそ、実相永遠の秩序を具体化せる神聖国家である。

   時としてこの国、その秩序乱れ、その国状、実相の秩序に背き、
   或は国内騒然として紊(みだ)れるが如きことあり、

   或は外国と交戦して敗れたる事ありと雖も、是必ず永遠の秩序に背き、
   天皇の聖明を覆い奉り、天皇をないがしろにするか、
   天皇の名を籍(か)りて、我見を主張し、自己の権力増強に
   天皇を利用するが如きことを生じたる結果であるのである。

   我ら日本国民、金波羅華の花弁になぞらうべき役目をなす者、
   常に中心に帰一し、天皇のみこころに背かざらんことを希(こいねが)い、
   愈々美しく金波羅華の実相を現象にまで咲き出でしむる事こそ、
   吾ら国民の使命であるのである。

   この時、われら日本国民、国家のいのちと一体となり、
   宇宙大生命の秩序と自己同一し、“個”にして“全”、
   “有限”にして“無限”の生命を生きることが出来るのである。

   これこそ人間として最も高貴なる生き方でなくて何であろう。

            <感謝合掌 令和2年6月30日 頓首再拝>

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