伝統板・第二

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ヘレン・ケラー - 夕刻版

2020/05/27 (Wed) 22:08:01

<あのころ>ヘレン・ケラーさん来日 三重苦の社会福祉事業家

      *Web:共同通信 ( 2020年5月27日)より

1955(昭和30)年5月27日、幼少時に熱病のため
視力、聴力を失い、話すこともできなくなった三重苦の米国人社会福祉事業家
ヘレン・ケラーさんが羽田空港に到着した。

昭和天皇にも会い、ろう学校や福祉施設を訪問、
大阪での講演や京都で全国盲人大会に出席するなど障害者を励ました。

https://news.infoseek.co.jp/article/kyodo_kd-newspack-2020050101001666

・・・

<関連>

伝統板・第二「奇跡の人」
 → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6524424


<参照>

「ヘレン・ケラーの来日」
https://fmfukuoka.co.jp/human/2018/04/2018414.html

ヘレン・ケラー女史の印象(東京ヘレン・ケラー協会)
https://www.thka.jp/helen/impression.html

日本と縁深い”奇跡の人” ヘレン・ケラー
https://bushoojapan.com/world/america/2019/06/27/24366

            <感謝合掌 令和2年5月27日 頓首再拝>

【ヘレン・ケラーの『楽天主義』】 - 伝統

2020/05/28 (Thu) 21:09:39


        *メルマガ「人の心に灯をともす」(2016年10月22日)より

   (立花大敬氏の心に響く言葉より…)

   ヘレン・ケラーの『楽天主義』(OPTIMISM/光明主義と
   訳したほうがふさわしいようです。OPT“オプト”に光という意味があるので)
   という本を読みました。

   彼女の大学時代の処女作だそうで、小さな本ですが、
   文章が若々しくて、5月の青空に照り映える新緑を見るような、
   爽快な気分が残りました。


   『幸福は心の持ち方の問題で、外見から他人が判断できるものではない。
    …しかし、世の中の大半の人は、幸福の度合いを、外見的に判断できる
    体の健康状態と財産の多寡で推し量ろうとする。

    その立場に立つと、健康と財産が世間並以上であれば幸福であるが、
    そのうちいずれかが水準以下であれば、不幸な状態であると嘆くことになる。

    そのような基準で幸福を考えれば、私のように耳が聞こえず、目が見えない者は、
    普通の人が持つ機能を失っているのであるから、幸福など望むべくもない。

    家に閉じこもって、ひたらすら身の不幸を嘆き悲しむだけで
    一生を送ることになるのではないだろうか。

    ところが、私は、盲・聾・唖の障害者でありながら、
    世間の常識に反して自分は幸福であるという考え方を信条としているのだから、
    これから私が述べる楽天思考の証明には、
    世の中の人たちに耳を傾けてもらえる何かがあると思う』


   ヘレンが若かったころ、メーテルリンク(『青い鳥』の作家)がヘレンに尋ねました。

   「あなたは、本当に自分が幸福だと思っていますか」

   ヘレンはきっぱり答えました。


   「私は心の底から幸福だと思っています。
    もし幸福でなかったら、私のこれまでの人生は無意味ですから。
    この場で短剣で胸を刺すでしょう」

   これを聞いたメーテルリンクは、ヘレンをひしと抱きしめ、

   「あなたはほんとうに青い鳥を探し出してくれました」

   と感涙にむせんで言ったということです。


   幸福はヘレンが言うように、外から与えられるものではなく、
   心の持ちようなどというノン気なものでもなく、

   『私は幸福なんだ。
    これまでの人生で経験したすべてが無駄ではなかったんだ。
    それらの経験が私をここまで生長させてくれ、幸せにしてくれたんだ』

   と断固として宣言する
   《意宣(いのり)=自らの意志を宇宙全体(神)に宣言する)ことなのです。

       <『大丈夫・そのまま!』《しあわせ通信・第九集》本心庵>

              ・・・

「幸せかどうかは、自分の心の持ち方次第で、まわりの環境や、
 自分の財産や健康などという条件によって決まるのではない」、

というヘレン・ケラーの言葉は重い。

普通に考えるなら、ほとんどの誰もが、
ヘレン・ケラーより苛酷(かこく)な状況にある人はいないはずだ。

我々は、そんなに恵まれた環境にあるにも関わらず、
それを忘れ、つい不平不満や泣き言、愚痴を言ったりしてしまう。


「祈る」は本来、「意宣(いの)る」からきた言葉だという。

「祈る」とは、
神さまに向かって「何々をしてください」とお願いするのではなく、
自分の意(心に思っていることや考えていること)を神さまに向かって宣言すること。


自分は…

「幸せ」と意宣る。

「ついてる」と意宣る。

「楽しい」と意宣る。


ヘレン・ケラーの『楽天主義』を心に刻みたい。

   (http://mouri-dc.seesaa.net/article/443230003.html )

            <感謝合掌 令和2年5月27日 頓首再拝>

希望をもつ(ヘレンケラー) - 伝統

2020/06/23 (Tue) 20:53:11

      *ブログ「心の糧・感謝の心で」( 2018-11-26)より

希望とは人を成功に導く信仰である。
希望がなければ何事も成就しない。

★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆

ヘレン・ケラー
(1880~1968)
アメリカの社会福祉事業家

ヘレン・ケラーが原因不明の病気によって、聴覚と視覚を失ったのは、
まだ2歳にならないときでした。
物心がつくかつかないうちに、まったく音と光のない世界へと入ったのです。

何も見えず、何も聞こえず、何も話せない。
三重苦という想像を絶する障害です。

当然、物に名前があることも、言葉が伝達手段であることも知りません。
食事のときは手づかみで食べ散らかし、気にいらないと物を投げつける
野獣のような生活でした。

ヘレンが7歳のときに、両親はアン・サリバン女史を家庭教師に迎えます。
サリバンは想像を絶する忍耐力で、ヘレンの教育にあたりました。

サリバンがてのひらに言葉を書くうちに、幼い少女は次第にその意味を悟ります。

あるとき、ヘレンは水を両手ですくって叫びました。
「ウォー、ウォー」

それは、彼女は物に名前があることが悟り、それを表現できた瞬間でした。
そして、彼女が世界に希望を見出した瞬間でもありました。

「あの生きたひとことがわたしの魂を目覚めさせ、わたしに光と希望と喜び
を与え、自由にしてくれたのです。まだまだ厚い壁にぶつかるでしょうが、
・・・それだって、時間がたてば、きっと乗り越えられるでしょう」
ヘレン・ケラー著『わたしの生涯』

その後、ケラーは聴覚・視覚障害者として、世界で初めて大学で教育を受けました。

そして、講演や著述などによって社会福祉に尽力し、
世界中の人々に、希望を与える人となったのです。

https://lucky.t-nakai.work/2018/11/26/story-3/

            <感謝合掌 令和2年6月23日 頓首再拝>

6月27日は【奇跡の人の日】 - 伝統

2020/06/26 (Fri) 22:40:15

明日、6月27日は【奇跡の人の日】

アメリカの社会福祉事業家、ヘレン・ケラーの1880年(明治13年)の誕生日。

 壮絶なヘレン・ケラーの人生を、次の動画にてご確認ください。

   奇跡の人 1979 (日本語吹き替え版)
     https://www.youtube.com/watch?v=d5JZTpidy8k

            <感謝合掌 令和2年6月26日 頓首再拝>

ヘレン・ケラーとサリバン先生 - 伝統

2020/06/27 (Sat) 18:43:25


三重苦を抱えたヘレン・ケラーの両親は
当時、聴覚障害児の研究に当たっていた
グラハム・ベル(電話の発明者)に相談した。

その結果、家庭教師として派遣されたのが
自らも視覚に問題を抱えた経験があるアニー・サリバンだった。

彼女は自らの体験をもとに粘り強くヘレン・ケラーに接し
「しつけ」「指文字」を教え込みつつ彼女の口から言葉が発せられる努力を重ねた。


ヘレン・ケラーは後年、障害を克服し教育者としてなっていくが
その陰で、アニー・サリバンの50年にも及ぶ指導があったのである。

アニー・サリバンは1936年、ヘレン・ケラーに看取られ
70歳にしてこの世を去った。

又、ヘレン・ケラーは1968年88歳で天寿を全う、
その間、数度の来日を果たし、教育家福祉家としての講演を行った。

   (https://shigekeura.exblog.jp/25464478/ より抜粋)


<参照>

*Web:サライ(2019.5.17)
   →  https://serai.jp/tour/365161

            <感謝合掌 令和2年6月27日 頓首再拝>

ヘレンケラーの何処が偉いか - 伝統

2020/06/28 (Sun) 22:29:09


       *「人生読本」(P282~283)より

ヘレンケラーの言った言葉に、

「何でも明るく見る心、光明主義は物事を成しとげる基である。
 希望がなければ、何事も成し遂げることはできない」

というのがあります。

ヘレンケラーは3歳の時、脳膜炎という病気を患い、
その結果、眼は見えなくなり、耳は聞こえなくなり、
言葉は言えなくなったということですが、

その後眼で見ず、耳で聴かずして、皮膚や指先や匂いなどによって、
世の中の凡てのことがよく判るようになり、
人生の三重の苦しみを征服した聖女として尊敬されておりますが、

それにはヘレンケラーを教えた
サリヴァン先生の教え方が上手であったのにもよりましょうけれども、

ヘレンケラー自身が、盲になり、聾になり、唖になっても、
少しも失望落胆せず、心に希望を持っていたからです。


失望とは心に望みを失うことです。
落胆とは勇気を落として、気が沈んでしまうことです。

眼が見えず、耳が聞こえず、口が利けなくとも、
希望を失わず、勇気を落とさずにいたら、
人間はヘレンケラーのように偉い者なれるのです。

眼が見え、耳が聞こえ、口が利ける皆さんが希望を失わず、
勇気を失わず、自分の目的とする所へ突進して徃ったら、
どれほど優れた人になれるか、考えてみずとも判るでしょう。

            <感謝合掌 令和2年6月28日 頓首再拝>

ヘレン・ケラーは握手で、相手の人格を判断できた - 伝統

2020/06/29 (Mon) 21:49:58


      *『谷口雅春墨滴集』収録「書道における抽象と造形」(P4)より

その人の心の動きというものは、その人の全身の細胞の振動に影響を与える。

悲観的な暗い心をもてば胃の消化が悪くなるほども、全身の細胞の振動が
心によって影響されるからだと思います。

聾盲唖の三重苦の聖者ヘレン・ケラーが日本に来たときに、

ヘレン・ケラーに挨拶しても眼も見えず耳も聞こえないので
触覚で挨拶するほかはないというので、
歓迎の人々は皆握手して挨拶したとの事であります。

彼女は握手してくれた人々の指先の細胞の微妙な振動によって、

「この人は私に愛情をもっている」とか
「この人は私を尊敬している」とか、

「この人は丁寧そうに握手してくれているが、ただ儀礼的に握手しているだけで、
 心は冷たい人だ」とか判ったということであります。

(昭和38年1月9日、朝日新聞東京本社6階朝日講堂
 第3回書道講演会・講話 )

            <感謝合掌 令和2年6月29日 頓首再拝>

《苦痛を 「 罪 」 と思うな、栄光発現の好機と観ぜよ》 - 伝統

2020/06/30 (Tue) 23:48:59


         *『 生長の家 』(昭和26年2月11日の法語)より

   ヨハネ伝第九章に
    「 この人の盲目にて生れしは、誰の罪によるぞ、己のか、親のか 」 と

   弟子がたずねたのに対して
    「 神の業のあらわれんがためなり 」 と
   イエスは注目すべき答をなしている。

   吾々の苦痛は、内在無限の神力を発揮せんがための重圧であるのである。

   偉(おお)いなる病苦に悩む人が、その内在の力を発揮していることは
   同じような病苦に悩む人にとっても
   偉大なる励ましとなり慰めとなるのである。

   両手両脚なくして炊事も洗濯も裁縫もなし得る中村久子女史や、
   盲聾唖の三重苦のヘレン・ケラーが普通よりも一層魂の眼がひらいて
   人々を指導し得る事実を見るとき

   多くの人は希望を持つのである。


    → http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/ff5b4e3a7ec5097f6e770c88263ae9c8

            <感謝合掌 令和2年6月30日 頓首再拝>

『世界一有名な家庭教師の知られざる過去』 - 伝統

2020/07/01 (Wed) 22:46:55


     *Web:「奇跡の人」サリバン先生のエピソード(2017-03-22)より抜粋

━━それは100年以上前の1876年にさかのぼる。
 
アメリカ・マサチューセッツ州のとある精神病棟に、
緊張型精神分裂病と診断されたひとりの少女がいた。
 
その少女はほとんど牢獄のような病室のベッドの上で、
くる日もくる日もうずくまり続け、
看護師によって毎日運ばれる食事にもまったく手をつける
ことはなかったという。
 
その日も少女はせっかく運ばれた食事に手をつけず、
それを見た女性看護師は食事の乗ったトレイを
持ちながらいらだたしげにいった。
 

「食べないならもう
 持ってこないわよ!」

そして看護師は少女の病室をあとにした。
  
しかし少女はなににも反応を示すことはなく、
いつまでたってもベッドの上で体を丸めてうずくまるばかりだった。

病気は治る見込みはないとされ、
なんと家族からも見放されていたという……。
 
が、そんな孤独な少女を気にかける看護師がたったひとりだけいた。

その女性は鉄格子越しに少女の様子を眺め、
『今日も食べてないのね……』と心配そうにつぶやいた。
 
少女は食事もとろうとせず、
止まることなく衰えていくばかりであった。

しかし誰もがさじを投げる中、
その女性看護師だけは少女をほうっておくことができなかった。

実は彼女には少女と同じくらいの年の娘がいたのである。

ある日のこと。
少女の病室に向かう途中、少女を気にかける看護師は
同僚の看護師とすれちがう。

その際、同僚は
『あれ(病気の少女)はもうダメよ』
という感じで手を振りながら過ぎ去っていった。
  
少女の病室の前にたどり着いた看護師は
鉄格子越しにベッドの上の少女を見つめる。

しかし医師ではない自分にはどうすることもできない。

しかし彼女は『せめて自分にできることを……』ということで
翌日から次のような行動を開始した。
 
少女の病室に入ると、看護師は
クッキーが数枚乗った皿をそっと少女のそばに置いた。
 
 
「これ、私が焼いたのよ。
 味には自信がないんだけど……。
 よかったら食べてね」

 
彼女は少女に

『あなたはひとりじゃないのよ。
 あなたを気にかけている人がいるのよ』

という思いを込めてクッキーを置いたという。
 
以来、彼女はくる日もくる日も
少女の病室に手作りのクッキーを置き続け、
かたく閉ざされた少女の心をやさしくノックし続けた。
 
看護師はベッドの上で眠り続ける少女に語りかける。

 
「お菓子はなにが好き?
 いってくれればなんでもつくってあげるからね。
 でも、難しいのは勘弁してね」

 
 ━━それから数カ月が過ぎた、ある日のことだった。

看護師が少女の病室を鉄格子越しにのぞくと、
そこにひとつの大きな変化が起きていることに気づいた。

なんと皿の上のクッキーが、全部なくなっていたのである!

つまり一切の食事を拒み続けていた少女は
看護師の置いたクッキーをついに食べたのだ。
 
それを目撃した看護師はたとえようのない深い感激に襲われた。

ただ死を待つばかりだった少女に小さな奇跡が起きたのだ。
 
看護師は笑顔を浮かべて少女にいう。
 
「ほんとにあなた、よく食べて
 くれたわね。私も嬉しいわ」
 
そして皿を持って病室を出ようとしたときである。
看護師の耳にか細い声が入ってきたのだ。

 
「……ありが……とう……」

 
その声はベッドの上の少女の声だった。
 
少女の声を耳にした看護師はもちろんひどく驚き、急いで
少女のそばに戻って憔悴した少女の体を強く抱きしめた。

 
「大丈夫よ!
 あなたはひとりじゃないのよ!」
 

看護師のその言葉が少女に
はっきり聞こえていたかどうかはわからないが、
少女はその瞬間から激しく泣きじゃくり出したという。

それはまさしくひとりの看護師が、
誰からも見捨てられた孤独な少女の心の扉を開いた瞬間だった。
 
そして、この少女がのちに、
世界中の誰もが知るとある奇跡の物語の主人公になるのである……。

心の病を患い、なににも反応を示すことなく、
ただただ死を待つばかりだったひとりの少女。

その少女の心を開いたのは
ひとりの看護師の小さな愛のメッセージであった━━。
 
 
それから10年の月日が流れる━━。
  
かつて少女が入院していた病院の院長室をひとりの紳士がたずねてきた。
彼は院長に向かって深刻な表情でこういった。
 
「娘のことをなんとかお願いできないでしょうか?」
 
重度の身体障害児を子供に持つこの男性は、
娘の世話ができる人物を必死で探していたのだ。
 
「いくつか病院をまわったんですが、
 すべて断られてしまって……。
 やはり無理ですよね……」
  
表情を暗くしてそうつぶやく男性に、
院長ははきはきとこういった。
  
「お引き受けします」
 
「え!?」顔をあげて驚愕する男性。
 
そして院長はひとりの女性を院長室に呼び寄せた。
 
院長に入ってきたのはサングラスをかけた若い女性。

彼女は身体障害児の娘を持つ男性と笑顔で握手をかわした。
  
実は彼女こそ、かつて死を待つばかりだったあのときの少女だったのである。

彼女はかつてとは見違える姿で、院長室に登場した。
 
院長はいう。
  

「彼女ならまちがいないでしょう。
 まさに適任です」

そして相談にやってきた男性は
激しく喜びを露にする。

  
「ハァ、よかった!
 これでヘレンも救われる!」

 
このとき、サングラスの女性は二十歳。
そして彼女は自己紹介をする。

 
「よろしくお願いします。
 アニー・サリバンと申します」

 
そう。この女性こそ、わずか1歳にして
光と音のない世界に突き落とされたヘレン・ケラーに
50年の永きにわたって献身的に付き添い、
家庭教師の代名詞となるあのサリバン先生だったのである。
 
サリバン先生といえばサングラス姿が有名だが、
実は彼女は目の病気を患っており、目を保護する目的で常に
サングラスをかけていたのだという。
 
……ある日の昼下がりの公園のベンチの上。

サリバン先生は腕を振り回して、いうことをきこうとしない
ヘレン・ケラーに戸惑いを隠せない。

しかしサリバン先生は
ヘレン・ケラーに常にこういいきかせ続けたという。
 

『大丈夫、
 あなたはひとりじゃないの!』

━━それは自身が生まれ変わる
きっかけとなったあの看護師のメッセージ。

やがてヘレン・ケラーにサリバン先生の思いは伝わっていく……。
 
「ヘレン……?」サリバン先生は
ベンチで隣に座るヘレン・ケラーに目をやる。
  
ヘレン・ケラーはバケツの水の中に
そっと手を入れ、小さな声でぎこちなくこうつぶやいた。
 
 
「……ウォー……ター……」
 
 
飛び上がるような歓喜に襲われる
サリバン先生。
 
 
「そうよ!『ウォーター』、
 もう1度いってごらん!」
 
 
「……ウ、ウォー……ター……」
 
 
「ヘレン!」サリバン先生は
ヘレン・ケラーの名前を叫びながら
ヘレン・ケラーの小さな体を抱きしめた。
 
限りない慈愛と忍耐を持つサリバン先生。
こうして再び奇跡が起きたのであった━━。
 
ちなみに“奇跡の人”といえば日本では
ヘレン・ケラーのことだと思われがちだが、
国際的には“奇跡の人”とはサリバン先生を指す言葉だとされている。

    (https://ameblo.jp/satoshi-yui2/entry-12258777421.html )

            <感謝合掌 令和2年7月1日 頓首再拝>

ヘレン・ケラー 実写フィルム&メッセージ - 伝統

2020/07/02 (Thu) 20:01:31

ヘレン・ケラー 実写フィルム

  https://www.youtube.com/watch?v=Y7MRmP-9WcE


ヘレン・ケラーからのメッセージ

      *Web:地球を愛の星へ( 2010-05-14)より

わたくしは現代のヨブとして、あらゆる艱難苦難に対して
身体的なダメージがあったとしても
いかように神の子として光り輝いてみせられるか、輝いてみよという
神様からの使命をいただき、私は地上に出てまいりました。

わたくしは子供の頃に、
真っ暗な闇の誰も語りかけない世界の中にしばらくいたのです。

何も聞こえぬ、何も見えず、何もしゃべれぬ、何も外界のことがわからない
そのつらさに負けそうになったこともあったのです。

でもある時、あなた方もよく知っておいでのサリバン先生がいらして
わたくしを光ある世界に導いてくださったのです。

肉体という魂の牢獄の中から、外の世界に引っ張り出してくださったのです。

あの方の献身的な生涯をもって、わたくしの生涯は価値を持ち
光を放つことができたのです。

当然、わたくしとサリバン先生との間には約束がございまして
光の天使として出るときに、必ずパートナーとして脇に出て補助してくださるという
そのような約束があったのです。

あの方も目が悪くご不自由でしたので、
その苦しさ、悲しさをよくご存じでおられました。

わたくしを光の中に、
そしてさまざまな学問に触れさせる手伝いをしてくださる中で
わたくしはさまざまな素晴らしい思想に出会っていきました。

また、わたくしの内在的な使命については、
スウェーデンボルグ様よりさまざまな指導を受けておりました。

そして、わたくしが15歳、16歳頃のことでございましたけれども

幽体離脱というのを実は経験しているのです。

何も聞こえない中において、ある日突然、自分の身体が図書館にありながら
遠く離れたヨーロッパの国々を巡っているのを見たのです。

わたくしはそのときに理解したのです。

肉体というのは単に、
この地上に出てくるときの動かすための道具にすぎぬ衣にすぎぬのであると。

内在する魂、霊性こそが神の子としての本来の姿であるのであると。

魂になればすべてが見え、聞こえ、何でも話すことができ、いえ
それ以上のコミュニケーションというのができるのです。

    (https://nagoyasc.exblog.jp/14376145/ )

            <感謝合掌 令和2年7月2日 頓首再拝>

塙保己一も、ヘレン・ケラーの「先生」だった?  - 伝統

2020/07/03 (Fri) 22:02:14


       *Web:note (2019/05/10 )より抜粋


ヘレン・ケラーは、昭和12年(1934)に来日した時、
東京渋谷にて亡き塙保己一の木造と愛用の机に触れながら次のように話しました。

「私は子供のころ母から塙先生をお手本にしなさいと励まされて育ちました。
 本日、先生の像に触れることができましたのは、
 日本における最も有意義なことと思います。

 先生の手垢のしみたお机と、頭を傾けておられる敬虔なお姿とには
 心から尊敬の念を覚えました。
 先生のお名前は、流れる水のように永遠に伝わることでしょう」


盲目となった塙保己一は、一時は自暴自棄となり江戸城のお堀に身を投げて
自殺まで考えましたが、書物が好きだったことから国学の勉強を勧められ、
盲人の学者として最高位の「総検校」(そうけんぎょう)まで上り詰めました。

不思議なことに、アメリカ人のヘレン・ケラーが
母親から塙保己一のことを教わり(家庭教師から知らされたとの説あり)、
偉人、先生と尊敬し、そして心の「支え」となっていたというのです。

塙保己一は、晩年、盲目だったからこそ
多くのことを成し遂げられたと語っています。

さまざまなハンディーは、
時として人間に計り知れないパワーを与えてくれるのでしょう。

   (https://note.com/rodoshimbun/n/na42defffb5ac )


<参照>

塙保己一の生涯
http://www.onkogakkai.com/hanawa_life.htm


            <感謝合掌 令和2年7月3日 頓首再拝>

ヘレン・ケラーからのメッセージその2 - 伝統

2020/07/04 (Sat) 23:16:24


(偏見や先入観を横に置いて、白紙の状態で、次の物語を読んでいただくと、
 ヘレン・ケラーの偉大さを感じとることができるかも知れません<伝統>)

      *Web:地球を愛の星へ( 2005.7.7)より

あのときのわたくしの人生は、さまざまな制約を受ける体の中において
いかに人間は、内在する神性、神の子の部分こそが重大であって
体がどんなに故障していようとも、

神の子としての輝きというのは
十分に輝くことができるのであると、それだけの価値があるのが
神の子人間たちなのであるのだということを、精一杯、証しして生き続けた
それがわたくしの人生であったと思います。


あの時代は、今の時代以上に
身体的な、身体障害者と呼ばれている者たちへの
世間の見る目は厳しかったのです。

もし、一族の中にハンディキャップのある子どもが生まれたりすると
それを隠したり、お金持ちの人であるのならば
一生涯、屋敷の中に閉じ込めたり

そのように彼らは本来は生まれて来るべきではなかったのだと
一族の恥であるというふうに、ヨーロッパなどではとらえられていたのです。


日本でもそのような風習があったと思います。

屋敷に閉じ込めることはなかったとしても、もっとひどい場合は
身障者であった場合は、その子を「間引き」といって
小さい頃に産婆さんの手によって葬むってしまったということも
聞いております。

そのような子どもを受け止めて、ともに生きるということが
その土壌として用意されてない時代であったのです。


身障者として生まれて来る子どもたちの中には
そのようなハンディキャップを持っているがゆえに
カルマの刈り取りということをもって、今回の人生の中で
大きく過去世のカルマを返してしまおうということのために
そのような迫害される人生というものを選んで来る場合もあるのです。


そうすれば、一回において転生、二転生、三転生以上のカルマを
いちどきに返せるということがあるのも、また事実であります。

そのようなことを通して
神は私たち日常の三次元の修行場というのをお与えいただいているのです。

個人個人におきまして、その人生の今世の肉体を持つ
用意するときの条件というのは違うのです。

ですから
一概にすべての人がカルマであるというふうに言い切ってしまうのは
乱暴なことかもしれません。


過去世において何かしらの失敗をしてしまった
ないしは、ひじょうに自分以外の人を傷つけてしまったときに
ひじょうに、いちどきにカルマの刈り取りをするということのために
ハンディキャップを持って来る場合も確かにあるのです。


それと同時に、わたくしのように、地上において特別な使命を持って
人間は本来霊的なもの、霊性こそが神の子としての人間の神性であって
肉体は、そのまとう衣類にすぎないのであるということを証しするために

そして、ひとつの時代を切り開くために、身障者にも人権を持たすために
その時代に出て来る場合もあるのです。


それと、もうひとつあるのが、やはり自然界ですので
ある程度の事故のようなこともあるのです。

やはり自然界の中においては、たまたま不運なための事故という場合において
お母様のおなかの中においてのトラブルというのがあったときに
すでに魂が入ってしまったあとの、事故
出産の事故とかさまざまなことがあります。


偶然のことは何もないのが大体の原則なのですが
やはり自然界に生まれていく過程においては
ハンディキャップというのをトラブルのように
事故のように背負ってしまう場合もあるということも
申し上げておきたいと思います。


大体、おおまかに考えまして、身障者の方の場合は
その三つのパターンのどれかにあてはまると思うのです。

だから多くの場合は、ハンディキャップをもった場合の方におきましては
その人生はすでに用意されているもの。
ご本人が納得して、今回の肉体設計を用意されて来た。

そしてそれにおいて、受け止めていただけるご両親、環境というものに対しても
用意なさっておられるはずなのです。


ですから、身体障がいを持った
ハンディキャップを持ったお子さんを育てられるお母様
お父様はたいへんなご苦労があるということは
わたくしもよくよく知っておりますが

やはりそれは親子において、そのような了解済みのもとで
ともに頑張ることによって
ともに互いのカルマを返し合ったり、互いにそのような姿をもって
「世の光となろう」と言って出て来る場合もあるということを

そのハンディキャップを持ったというご本人だけではなく
それを受け止められるお母様お父様方、周りの環境の方がたに対しても
どうか自覚していただきたいと思うのです。


けっして、そのような場合において偶然なことはなくて
病においてもそうです。

すべて原因というものは
大体が生まれて来る前に設定して来ていることが多いのです。

そして、生老病死と申しますが
人びとの、人間の苦しみというものが病にあると
それが苦であると、そのように思いがちであるかもしれませんけれども

病を持って、そしてハンディキャップを持って、一生生きることをもって
自らの人生の中における大いなる魂の飛躍を得ようと思って
わざわざ計画して来た場合に、本人がそれを乗り越えることによって

今回の人生の本来の意味があったのにもかかわらず
もし、そのようなハンディキャップや病というものが
本人の努力なしにすべてが治されて、すべての者たちが幸せになるために
すべてそういう障害のあるものが除かれてしまうということが
けっして本人にとって幸せになるということではないということ。


それは厳しいかもしれないけど、地上における数十年の時の中で
自分自らがそのような状態で生きることを計画し、用意し
自らハンディキャップのある肉体を用意して出て来たということを

どうか皆さま方
そういう人生を選ばれて来られている方がおられるということも
考えておいていただきたいと思うのです。


あなた方の目で見たのならば、わたくしなどは不幸の中の不幸な人間であり
人生であったというふうに思われるかもしれませんが

わたくしが地上に生まれていくときには
地上における肉体というものが普通であることよりも

逆にそのような、ヨブのような苦しみを得た、そのがんじがらめの中から
その悲劇的な状況の中においてこそ
その悲劇の底を打ち割った中から神の光を発信していくということ。

そのことをもって、神の子というものの実在というものを
この三次元の方がたに証しをしなさいと
そのように神に使命を預かって出て来たのです。


神のお言葉の中には、常に人びとに幸せであれ
というふうに言われる言葉があります。

人びとは幸せになりたくて、「神よ、神よ、我が病を取り除きたまえ。
我がハンディキャップを取り除きたまえ」というふうに
言われるかもしれないけれども

神は地上にいる子どもたちを愛するがゆえに
人びとにそのような病やハンディキャップをお与えになるということ。
そのことを忘れてはいけないと思うのです。


祈りの中において、人びとは常にそのような祈りを神に捧げてきました。

しかし、わたくしが前回申し上げたように、病をなくすということ
ハンディキャップをなくすということ
それがすべて、ほんとうに神の子を愛するための神の愛ではないということ。

そのことを証しするために、神は沈黙をもって答えられるのだと。
沈黙をもって答えるということは
常に神が、神の使命を与えた者たちに対しての答えでありました。


わたくしにおいても、何も聞こえぬ、何も見えぬ、何もしゃべれぬ。
最初、子どもの頃に、真っ暗な闇の誰も語りかけない世界の中に
わたくしは一時いたのです。

何も下界のこともわからないそのつらさに
わたくしは負けそうになったこともあったのです。

でも、ある時、あなた方もよく知っておいでのサリバン先生がいらして
わたくしを光ある世界に導いてくださったのです。

外の世界に対して、私の手を引っ張って連れ出してくれたのです。

魂の牢獄の中から、肉体という魂の牢獄の中から
外の世界に引っ張り出してくださったのです。

あの方の生涯、あの方の献身的な生涯をもって
わたくしの生涯は価値を持ちます。
光を放つことができたのです。


当然、わたくしとサリバン先生の間には約束がございまして
わたくしの両親とも約束がございましたけれども、

光の天使として出るときに
必ずパートナーとして脇に出て補助してくださるという
そのような約束があったのです。


あの方も目が悪くいらっしゃいましたので
その苦しさ、悲しさ、よくご存じでおられました。

わたくしを光の中に
そしてさまざまなこの地上の学問に触れさせる手伝いをしてくださる中で
わたくしはさまざまな素晴らしい思想に出会っていきました。


エマニュエル・スウェーデンボルグと言われる方が
わたくしの霊的な意味でも指導霊でもあられましたけれども

わたくしの中におきます、内在的な使命というもの
それは、スウェーデンボルグ様により、やはり指導していただきながら
地上においてはスウェーデンボルグ様の本を点字にして読み
ひじょうに宗教的な影響を受けながら
かつ霊的にはスウェーデンボルグ様に指導を受けていたというのが
現状でございました。


わたくしは、十五、六の頃でございましたけれども
幽体離脱というのを実は経験しているのです。

何も聞こえない中において、ある日突然、自分の肉体が図書館にありながら
遠く離れたヨーロッパの国々を巡っているのを見たのです。

わたくしはそのときに理解したのです。

肉体というのは単に、この地上に出てくるときの動かすための道具にすぎぬ
衣にすぎぬのであると。

内在する魂、霊性こそが、神の子としての本来の姿であるのであると。

わたくしはそのときにまざまざと、一瞬にしてさまざまな場所を
ヨーロッパの各地ですがまわって
瞬間的にまたアメリカに帰って来ていたのです。


ですから、そのような形をもちまして、わたくしは魂の自由というもの
魂になればすべてが見え、聞こえ、何でも話すことができ
いえ、それ以上のコミュニケーションというのができるのです。


そしてそのときに、脇にどなたか知りませんでしたけれども
スウェーデンボルグ様により、あちこちのさまざまな思想というもの
歴史というものを、幽体離脱の経験を通しながら
わたくしはさまざまな教えを受けていたのです。


ですから、ある意味でひじょうに霊的な感覚の中で
宗教というものを見つめていたということ。

だからエマニュエル・スウェーデンボルグという方の
神秘思想家と呼ばれてる方の書物を読んだときにも
ひじょうに納得して素直にわかったのです。

  (https://nagoyasc.exblog.jp/22700818/

            <感謝合掌 令和2年7月4日 頓首再拝>

青い鳥とヘレンケラー女史 - 伝統

2020/07/06 (Mon) 23:41:21


       *Web:東京ヘレン・ケラー協会 より抜粋

1904年、ヘレン・ケラー女史がラドクリフ女子大学
(現ハーバード大学ラドクリフ・キャンパス)を
優秀な成績で卒業したとき、

たまたま童話「青い鳥」の作者メーテルリンクの夫人が米国を訪問していました。

同夫人はヘレン・ケラー女史を大学に訪ね、

「あなたこそ幸福の青い鳥を発見したただ1人の人です」

と言って、女史の卒業を祝福しました。

  (https://www.thka.jp/helen/blue_bird.html )

            <感謝合掌 令和2年7月6日 頓首再拝>

ヘレン・ケラーからのメッセージその2 - 伝統

2020/07/07 (Tue) 23:33:50


      *Web:地球を愛の星へ( 2014-10-06 06:28)より 抜粋

わたくしは熱心なクリスチャンとして
イエス・キリストの言葉を一生懸命指先で
点字の中で、聖書の言葉を学んで
神の言葉を我が人生の道しるべとしたものでございます。

でもあなた方は、あり余るような情報の中で
目が見え、耳が聞こえ、口でしゃべれ
それができすぎるがゆえに

自分の内側にある大事な大事な神の子としての霊性
神性というものに、内側に少しも向かうことなく、外へ外へと
情報過多の社会の中で

大事な神との出会いというもの、自らの信仰心というもの
いえ、もっと言うのなら、神の子としての自らの霊性の中にある
神の子としての自分自身に出会う旅というもの
そういうもののチャンスをすべて失っておられるのではないかと思うのです。


わたくしの時代にもさまざまな誘惑があったと思います。

でも、わたくしの指先は聖書の言葉を読み
スウェーデンボルグ様の思想というものを書籍で必死に読みました。
そして、さまざまな学問を読みました。

ですから、ある意味で、わたくしを惑わすような不純なものに
逆に言うと、みなさまたちよりも守られていたかもしれないと思うのです。

目が見えぬ、耳が聞こえぬ
口がちゃんとしゃべれぬわたくしを哀れまれますか?

わたくしは、今のあなた方の姿を見ているほうが
よっぽど哀れむ気持ちが深いのです。

そのような健常者としての立派な視力を持ちながら、立派な聴力を持ちながら
口は何をしゃべることに不足のない
教育も受けた立派な言葉をしゃべれる口を持ちながら
あなた方は今何をしているのでしょう。


あなた方は、ほんとうに神の子として
自分自身の魂の輝きを放って生きておられますか。


今の時代の中で、科学文明が発達し、生活も便利になった中で
そのように健康な肉体を持ち合わせていながら
この今、地上で多くの方がたにうかがいたいのは

こんなに恵まれた現代の中で
そんなにわたくしに比べたら素晴らしい肉体を持ちながら

どれだけの方がたが自分の人生を、胸を張って
我が人生を誇りによって輝かせて生きておりますと
胸を張って言える方がたがどれぐらいおられるかと
わたくしはうかがってみたいと思うのです。

さまざまな物欲に流され、さまざまな情報過多の中で己自身を見失い
何をいちばん大事にしなくてはいけないかを忘れ

波間に漂う小船のように、さまざまな情報の中で揺られ、揺られ
幸せとは何であるか。

自分自身とは何であるかということすら探求できずに振り回されて
幸せが何であるかがわからずに、不幸な気持ちを抱えて生きておられるのが
現代の方がたの大半ではないでしょうか。


物質に振り回されるだけ

いや、学歴、学問によって、社会的なステータスによって
そして女性であるのならば、より高いハンドバッグを買ったとか
より素敵なブラッドのお洋服を買ったとか
子どもたちを育てるのが嫌であるとか

さまざまな、いや、社会に出て女性であっても自己実現をしたいとか
そのような自分たちの欲望を振りまきながら

いちばん大事な自分自身の人生の時の中で
自らが何を学ばなくてはいけないのか
何のため地上に出て来たのか。
何のために自らの個性や魂の尊厳さがあるのかということを
少しでも振り返り、考えようとしている時を持たれておられるのでしょうか。


現代人の方がたよ。

そのようなものの中に
あなた方はほんとうに幸せを感じておられるのでしょうか。

幸せというのは
一時、何かを得たいという所有欲、支配欲のようなものの中で
もしそれをつかまえたとしても
それは夢かげろうをつかまえるようなものなのです。

つかまえた瞬間はうれしいかもしれないけれども
そのようなものは長続きはせず
すぐまたほかのものが欲しくなっていく。
魂は満たされません。


あなた方は本来、地上に生まれた数十年のときの中で
大事なこの三次元における修行をしながら
魂と肉体というものを兼ね備えた地上の改革者として

そして地上を生きながら、自らの内的な霊性、スピリチュアル
霊的な部分においての成長をし
そして自らの尊厳により、自らの個性により

この地上を輝かせていく光の天使となるために、この地上に生まれて
この数十年のときを持っておられるのだということに
気づかねばなりません。


身障者の者たちを哀れむ前に
自らの人生がほんとうに幸せであるかということを
ほんとうにそれだけのノーマルな完全な肉体を持っておられるならば
それだけの人生の価値をもって、真剣さをもって
今のときを大事に生きておられるかということを
もう一度、考えていただきたいのです。

でなければ、今なぜこんなに多くの方がたが自殺をなさられるのでしょうか。
多くの若者たちが、いえ、中高年におかれましても

多くの方がたがこの現代の中の物質がいっぱいあり
そして素晴らしい肉体を持っておられる方たちが
安易に自殺をして、この地上を去られます。

それはなぜかと言うと、今、自分自身が与えられている環境に対する
感謝というものが少しも感じられず
幸せの原点というものをしっかりとらえておられないから

あなた方は不幸であると、いつも自分に思ってしまい
世界中で自分こそがいちばんの不幸者であるというふうに思いつめ
自ら命を絶つのです。


でも、わかりますか?
一生真っ暗な闇の中で閉ざされ、光を見たことのない者が
光り輝ける素晴らしい、美しい自然界の姿を見たときの感動。

耳も聞こえぬ、ほかの方がたの声も聞こえぬ
音のないサイレントな世界の無音な世界の中で
何の声も聞こえない孤独の中に閉じ込められていたときに

一筋の小鳥のさえずりを、波の、さざ波の音を
木々の風の吹き抜ける音を聞いたときの感動を
あなた方は味わったことがありますか?


あなた方はあまりにもそういう幸せに慣れすぎていて
感動することを、感謝することを忘れている。

幸せというのは何かをつかまえたり
物質的なものをつかまえたからといって幸せがあるのではないのです。


自分がおかれている環境のささやかなことでも感謝し
それを感動をもって、人生の中で愛を人びとに振りまいて
神に感謝して、

自らの神の子としての生きざまを
人生をかけて精一杯生き抜いていった者には
たとえどんなにみすぼらしく見えた生涯があったとしても
本人の心の中は、幸せと感動で、震えているのです。

   (https://nagoyasc.exblog.jp/22724964/

            <感謝合掌 令和2年7月7日 頓首再拝>

ヘレン・ケラーの生涯(Helen Keller, 1880~1968) - 伝統

2020/07/08 (Wed) 22:56:40


       *Web:東京ヘレン・ケラー協会 より抜粋


ケラー夫妻は娘(ヘレン・ケラー)を多くの眼科医に診せましたが、
いつも視力は回復しないだろうという診断でした。

父親のアーサーはあきらめず、ヘレンを連れて1886年には、
はるばる米東部ボルティモアの眼科医を訪ねます。

診断は従来と同じでしたが、アレクサンダー・グラハム・ベル博士に会いに、
首都のワシントンに行ってはどうかと勧められました。

ベルは電話の発明(1876年)で有名ですが、実は母と妻が難聴者で、
1872年にシカゴに聾学校を設立しており、ヘレンに会った頃は聾教育でも第一人者でした。

ベルはヘレンの父親に全米の盲・聾の子供たちのための学校のこと、
そして全米初の盲学校であるパーキンス盲学校の初代校長だった
サミュエル・ハウ医師が盲聾のローラ・ブリッジマンを教育したことを話します。

そのうえで、ハウ医師の義理の息子で、
校長を引き継いだマイケル・アナグノスを紹介したのです。

アナグノスがヘレンのために選んだ教師が、
当時21歳の貧しいアイルランド人移民の娘、
アン・サリバン(Anne Mansfield Sullivan Macy、1866~1936)でした。
アンは愛称のアニーと呼ばれることが多く、以下はアニー・サリバンと記します。

(中略)

1887年3月3日、アニーがアラバマ州タスカンビアに列車から恐る恐る降り立った時、
教育の歴史、いや人間精神の歴史における新しい一章が始まったのです。

家庭教師アニー・サリバンのヘレンに対する厳格で献身的な教育は、
ウィリアム・ギブソンの戯曲やそれを映画化した『奇跡の人』でご存じの通りです。

そして、ヘレンは天賦の才を開花させ、
米国の女子教育の名門であるラドクリフ大学に入学します。

(中略)

ヘレンは、1904年ラドクリフ大学を優秀な成績で卒業後ほどなく
自分に与えられた使命が障害者の救済にあることを自覚し、
著述と講演を精力的に行うようになります。

そして1964(昭和39)年9月14日には、ジョンソン大統領から、
米国で最大の名誉である「自由勲章」を授与されました。


ヘレン・ケラー女史は、わが国には
1937(昭和12)年、1948(同23)年と1955(同30)年の3回来訪しています。

とくに1948年の際は、敗戦で打ちひしがれた日本国民の熱狂的歓迎を受け、
全国各地で講演して回り、これが2年後の身体障害者福祉法制定となって実り、
東京ヘレン・ケラー協会もそのとき集まった募金を基に創設され、
女史は協会の名誉総裁を引き受けました。

1955年の来日の際は、ヘレン・ケラー学院の講堂で講演し、成果を見届けています。

1968年(昭和43年)6月1日、88歳の誕生日(6月27日)を目前に逝去し、
亡骸は首都ワシントンのワシントン大聖堂の地下に安置されています。

そこには点字が刻印されたプレートがあり、女史が永眠していることを示しています。

  (https://www.thka.jp/helen/life.html

            <感謝合掌 令和2年7月8日 頓首再拝>

ヘレン・ケラーからのメッセージその3 - 伝統

2020/07/12 (Sun) 23:35:56


      *Web:地球を愛の星へ( 2014-10-10)より 抜粋

世の中に先天性疾患とか、今はさまざまな筋疾患のような方がたのように
一生寝たきりであったりとか、知覚できない
そして、ほかの方がたと同じような
健常者と同じような生活ができない方がたがたくさんおられます。

その方たちでも、その閉じ込められた魂は、
あなた方と同じことを感じ同じことを考えているのです。
ただそれを表現できないだけなのです。

でも魂の牢獄のような
そのようなハンディキャップのある肉体に閉じ込められながらも
健常者であるあなた方よりも、より多くのことを感じ考えているかもしれません。

自分が動けない、体がねじれて苦しい中で
一生懸命、お母さんが体を拭いてくれて世話をしてくれる。
自分に一生懸命関わり合って愛してくれる。

そのふれあいの中で、どうでしょう。
今社会に出て、自己実現をしたい母親たちがたくさんいます。

幼い子どもたちであるのに、保護が必要であるのに
子どもを抱いて頬ずりすることすら忘れている母親たちがいます。

その子どもたちは、体は五体満足であったとしても、愛される喜びも知らず
自分が母親の人生にとってどれだけ必要であるのかという
その愛されている実感を持たずに成長していく子どもたちが多いのです。

でも、一生寝たきりで不幸かもしれないけれども
その子どもたちは、お母さんが脇にずっといて、その献身的な愛の中で
少なくとも自分は愛されているのだと
この母親によって自分は必要な存在なのであると
少なくとも全身で感じて生きていられる人生があるのです。


あなた方はどちらの子どもたちが幸せで、どちらが不幸だと思われますか?

わたくしは今、現代の中で多くの子どもたちが、
体ではなくて心を患って不幸な状況で生きておられるのを見て、
心が、心がひじょうに苦しいです。


子どもは肉体だけを与えて、食べ物だけ与えて、物質的なものだけを与えて
それで親の役割が終わりなのではないのです。


物質は少なくても、最小限のものであっても、たとえみすぼらしくても
もっと言ってしまうなら、腕が一本なくても、脚が片方欠けていても
それでも全身の愛をもって、子どもは両親によって愛されて育つのならば
幸せな育ち方をします。

魂は、その肉体の中にある魂は、健全に健康に育っていくのです。

でも、肉体だけは健常であったとしても
幼い頃から愛をたっぷり注がれずに育った子どもたちは
まっすぐに伸びることができず、心が病気となって育ってしまうのです。

それが今、ニートとか、さまざまな社会問題の中で
社会とのコミュニケーションができない、
自分をどういうふうに表現していいかわからない、
愛し方がわからない、

女性に対する愛情の出し方もわからずに
一方的な愛を押し売りして女性を拉致監禁してしまったり
果ては自分の愛を受け入れないからといって殺してしまったり
愛し方も愛され方もわからぬ若者たちが増えているのが現状ではないでしょうか。

肉体がすべてと思うのではなくて
人間というものは神の子であるということにおいては
肉体は大事でありますけれども、

その中にある魂としての霊性というもの、
精神的な霊的な意味においての魂がまず幸せにならなくては、
人間は幸せになれぬということ。

そのためには何がいちばん大事であるか。
表面的な、不具である、ハンディキャップであるということよりも
心の不具者にしないように、心をノーマルに子どもたちを育て上げていくこと。

それには人間が、人間として幸せがどこに根づいているのか
基盤としてあるのかということ、それを、人びとはもう気づかねばなりません。


人間というものは、本来神の子であり
その肉体の中に、魂という霊体というものが入っている。
そちらのほうが本来の感覚であるということ。

そして、その魂が修行をするために、
この数十年間そのような肉体というもの条件というものを
背負って生まれて来るということ。

だから、幸せにおける価値というものは、
肉体的なものの所有ではなくて魂において真に愛されること。
愛すること。
感謝すること。

神に生かされている神の子としての喜びを、感謝を
全身全霊をもって人生の中で表現し、生き抜いて見せること。

それこそがほんとうに神の子としての、
我々地上に生まれたときの人間たちの最も大事な姿であるということを
わたくしはここで申しあげておきたいのです。

それがわかれば、そういう子どもたちを引き受けておかれるご両親
周りの環境、ひいては自治体、国というものが
どのように受け入れていくかということを考える
よすがになるのではないかと思うのです。

けっして、ハンディキャップのある子どもを産んだからといって
昔で言うならばほとんどが、母親が悪いと、うちの嫁が不具の子を産んだと
言われたのかもしれません。

そんなことはない。

逆に言うと、ハンディキャップのあるお子さんを、どうぞ来てくださいと
お引き受けしましょうといって引き受けられた
実に徳高きご両親様であったということ。

それだけの、ほかの方以上の並はずれた愛というものを
お持ちの方であるからこそそういうお子様を受け入れ、お産みになってくださったのだという
そういう敬意が、そういうご両親様方に対してあってもよいはずなのです。



それと同時に、生まれて来た子どもたちに対しても
ようこそ生まれて来たねと、ほかの方たちに対して
あなたがまさに肉体ではない、魂こそが神の子であると
それを証しするために、あなたは生まれて来てくれたんだねと。

世の中に、この世界の中において
生まれて来なくてよかった子など、ただの一人もいないのです。

すべてに意味があり、すべてが神が祝福してこの地上に生まれさせていかれるのです。

であるならば、神がそのようにおつかわしになった大事な神の子であると、
地上の者たちも、周りの環境の者たちも、地域の自治体の国の者たちも
みんなでそういう子どもたちをともに、ご両親だけに押しつけるのではなくて
みんなでこの地球の大事な宝として、みんなで育てていこうよと。

当然それは、ハンディキャップのある子どもたちだけではありません。

普通の子どもたちに、次の世代を担う大事な子どもたちのためにも
私たちは大事な光の天使の卵を預かっているのだから
みんなで愛豊かに、素晴らしい霊性を育てていけるように
愛豊かにみんなで包んで育てていこうよと。

みんなで育てていこうよと言って、助け合う姿があったのならば
育児ノイローゼになって
やっとできた我が子を殺すなんていうことはなくなっていくはずでしょう。

みんなで育てていく。
地上の宝であると、子どもたちを、そう言って迎えていくような
そのような姿勢がなくてはいけません。


多くの人びとは、この地上でのさまざまな権力とか、政治機構とか
何を所有するとか、何か出世するかとか
そのようなことにあまりにもとらわれすぎているのです。

とらわれすぎているがゆえに
あなた方はいちばん大事なことが見えていないのです。


この地上で、男性の方がたにも、うかがいたいのです。

どこまで出世したら、あなた方はいったい気が済むのですか。
出世したからといって、そのあとに、退職なさっていって死ぬときに
あなた方はどういうふうに自分の人生を振り返られるのですか?


真に価値があるのは、そんなに会社の中で自分の位置というもの
そういう出世したりとか、そういうことばかりを
仕事、仕事で追われていくことがほんとうにあなたの人生の中で
今死ぬ前に振り返って、ほんとうに価値があったことですか?

あなたが、たとえ結果として出世して、素晴らしい役職についたからといって
ハイレペルの地位に就いたからといって
じゃあ死んでいったときにそれで幸せであったと、
ほんとうに魂の底から思えますか?

そのときにもし、その忙しさゆえに家族が崩壊し、子どもたちも妻も去られ
そして自分の体もぽろぼろになり、そして地域の中で周りの人びと、友人もなくし

その自分に対するほんとうの意味での親身になってくれる者たちがいなくなり
一人で孤独死していく老人の方がたが多いでしょう。

そういう方たちの心の中を見ていると、寒々としているのです。


最後の瞬間まで神の子として生きて、たとえお金とかがなかったとしても
たいして出世しなかったとしても

ほんとうに嬉々として、人生の喜びを生きておられる方がいたとき
魂の中においての充足感というのはあるのです。

   (https://nagoyasc.exblog.jp/22765237/ )

            <感謝合掌 令和2年7月12日 頓首再拝>

平和は愛から(ヘレンケラーと永井隆) - 伝統

2020/08/09 (Sun) 22:24:49


(長崎原爆の日75回目に因んで)

      *Web:今日も良いことがあるように(2019/02/08)より抜粋

奇跡の人、ヘレン・ケラーが長崎まで永井隆をお見舞いに訪れたことがあります。

その場面をご紹介します。


   昭和二十三年十月、秋の日がもう西にかたむいたころ、その人は現れました。

   その人とは、三重苦を克服した偉人として
   世界的に有名になっていたヘレン・ケラーさんでした。

   三重苦とは、目が見えず、耳が聞こえず、口で話すこともできない障害のことです。

   ヘレン・ケラーさんは、とても努力して、障害を克服し、
   自分のように障害をかかえている人々を励ますために、
   世界中を訪問していたのです。

   ヘレンさんは、家の前のほそい石だたみの道を、隆のまつ如己堂まで歩いてきました。

   とちゅう、コスモスのまえで立ちどまると、ピンク色のコスモスを一輪手おって、
   それをもって如己堂のガラス戸の前に立ちました。

   ヘレンさんはこのとき六十九歳、青い目をした、温かな笑みをうかべる婦人でした。

 
   隆は低いベッドからすべり落ちて横になったまま、
   たたみ一枚をへだてて、ヘレンさんに手を差し伸べました。
 
   ヘレンさんも手を伸ばして隆の手をさがすのですが、
   互いに体が不自由なもの同士、二つの手は宙に泳いでいました。

   ふたりの手がふれあったとき、
   温かい愛情のようなものが一瞬、体へ流れこんだように隆は感じました。


   ヘレンさんはほほえみながら言いました。

   「わたしの心はすべて、今あなたの上に注がれています。」

   この一言に隆はヘレンさんの深くあたたかな愛情を感じました。

   自ら苦しみ、泣いたものでなければ、他人を心からいたわり、
   なぐさめ、元気づけることはできません。

   ヘレンさんは隆にちょくせつ語りかけるために、
   不自由な体にもかかわらず、地球の向こう側のアメリカから、
   長崎のこの如己堂までやってきたのです。

   隆は、ヘレンさんに真実の愛情を感じました。
 
   隆が家族を紹介すると、ヘレンさんはにっこりとしながら、
   そばにいた茅乃のセーターにコスモスをさしました。


   ヘレン・ケラーのさんの訪問は、隆たちを感動させ勇気づけました。

   そして、心あたたまる平安のひとときと忘れられない思い出を残しました。

   「本当の平和をもたらすのは、ややこしい会議や思想ではなく、ごく単純な愛の力による」
                           (永井隆著『いとし子よ』)

   ヘレン・ケラーさんのように、「互いに愛し合う」という行ないが
   人々の心をひとつにし、平和をつくっていくのだと隆は強く感じたのでした。

          拙著『永井隆 平和を祈り 愛に生きた医師』(童心社)

   (https://lucky.t-nakai.work/2019/02/08/thinking-20/

            <感謝合掌 令和2年8月9日 頓首再拝>

夢に向かって成長できる言葉(ヘレン・ケラー) - 伝統

2020/09/08 (Tue) 18:18:40


       *Web:今日も良いことがあるように(2019/08/20)より抜粋


   私はたった一人だけれど、
   それでもできることはあります。

   すべてのことはできないけれど、やれることはあります。

   すべてのことをできないからこそ、私のやれることを進んでやりたいのです。 

          ヘレン・ケラー 1880~1968 アメリカの社会福祉事業家 


ヘレン・ケラーは2歳のとき、原因不明の病気で、聴覚と視覚を失いました。

何も見えず、何も聞こえず、何も話せない、という三重苦。

その障害をアン・サリバン先生の指導の下、彼女は懸命の努力で乗り越えていきます。
まさに「奇跡の人」です。

彼女は、たとえ障害があっても、
自分のできること、やれることを積極的におこなってきました。

そうして、彼女は視覚・聴覚障害者として世界で初めて大学で教育を受け、
障害者の教育や福祉の仕事に自分の人生を捧げます。

そんな彼女に励まされ、世界中のどれだけ多くの人が自分の人生に希望を見出し、
自分の人生を切り開く力を得たことでしょう。

さあ、私たちも、やれることを進んでやりましょう。

自分のベストをつくし、夢をかなえていきましょう。


彼女は言っています。

「わたしたちが最善を尽くす時、どれほどの奇跡がわたしたちの人生、
 もしくは他の人の人生に起こるでしょう」

【出典】ヘレン・ケラー著『わたしの生涯』(角川書店)

   (https://lucky.t-nakai.work/2019/08/20/word-83/

            <感謝合掌 令和2年9月8日 頓首再拝>

もし三日間だけ目が見えるとしたら ヘレン・ケラー "Three Days to See"~その1 - 伝統

2021/07/19 (Mon) 13:36:05


        *Web:宇宙の兄弟たちへ(2021年7月19日)より

視覚と聴覚の重複障害者でありながら、世界各地を歴訪し、
障害者の教育・福祉の発展に尽くしたヘレン・ケラーについてお話しします。


彼女の親友が、森の中の長い散歩から戻ってきたので、
「何を見たの」と尋ねました。

するとその親友は「特にないわ」と答えたそうです。


ヘレンは言います

「森の中を1時間歩いても、特筆すべきものを何も見ないということが、
 どうしてあり得るのか」と

「目を持っている人はほとんど見ていないようです。
 世界を埋め尽くす色と行動のパノラマは、
 当然のこととして受け止められている。」


そしてヘレン・ケラーは、もし私が3日間だけ目を使えるようになったらと考えて、
その間何を見たいかを詳しく述べます。


"Three Days to See"(目があいた三日間)という彼女の文は、
下記で翻訳文を載せておきますので、興味のある方は是非読まれてください。

目が見えて、耳が聞こえる私たちが、如何に恵まれていて、
その事に普段気づいていない事に思い至るのではないかと思います。


そして彼女から私たちへのメッセージを意訳してお伝えします。

「目の見えない私から、目の見えるあなたにお伝えします。

 明日、突然、目が見えなくなると思って世界を見てください。

 明日、耳が聞こえなくなるかのように、
 声の音楽、鳥の歌、オーケストラの迫力ある音を聞いてください。

 触れたいものには、明日、触覚がなくなると思って触れてみましょう。

 明日には二度と嗅ぐことも味わうことも出来ないと思って、
 花の香りを嗅ぎ、一品一品を美味しく味わってください。

 すべての感覚を最大限に活用し、
 自然が与えてくれる喜びと美しさのすべてを堪能してください」

(つづく)

            <感謝合掌 令和3年7月19日 頓首再拝>

もし三日間だけ目が見えるとしたら ヘレン・ケラー "Three Days to See"~その2 - 伝統

2021/07/20 (Tue) 14:02:59


        *Web:宇宙の兄弟たちへ(2021年7月19日)より


以下に英語の原文へのリンクと、その機械翻訳を載せておきます

"Three Days to See" as published in Atlantic Monthly (January, 1933)
https://www.afb.org/about-afb/history/helen-keller/books-essays-speeches/senses/three-days-see-published-atlantic


"Three Days to See"(目があいた三日間)

ヘレン・ケラー著

I

私たちは誰でも、主人公が限られた時間しか生きられない
スリリングな物語を読んだことがあるでしょう。

時には1年、時には24時間という短い時間である。

しかし、私たちはいつも、運命の人がその最後の日、
あるいは最後の時間をどのように過ごすことを選んだのか
ということに興味を持っていました。

もちろん、私が言っているのは、選択肢のある自由な人間のことであって、
行動範囲が厳しく制限されている死刑囚のことではない。


このような物語は、同じような状況下で自分は何をすべきかと考えさせてくれます。
どのような出来事、どのような経験、どのような付き合いを、
人間としての最後の時間に詰め込むべきなのか。

過去を振り返ることでどんな幸せを感じ、どんな後悔をするのか。


私は時々、明日死ぬかのように毎日を生きるのは
素晴らしいルールだと思うことがあります。
このような態度は、人生の価値をより強調するものです。

このような姿勢は、人生の価値を強調することになります。

私たちは、日々の生活の中で、より多くの日、より多くの月、
より多くの年のパノラマの中で、時間が私たちの前に広がっているときには
失われがちな、優しさ、活力、そして鋭敏な認識を持って、
日々を生きなければなりません。

もちろん、「食べて、飲んで、騒いで」という
叙事詩的なモットーを採用する人もいますが、
ほとんどの人は、目前に迫った死の確実性に懲りてしまうでしょう。

物語の中では、絶体絶命の主人公は最後の最後で幸運に救われますが、
その際、ほとんどの場合、彼の価値観が変わります。
人生の意味や永遠の精神的価値を理解するようになります。

死の影の中で生きている人、あるいは生きていた人は、
すべての行動に芳醇な甘さをもたらしているとよく言われています。


しかし、私たちの多くは、人生を当たり前のものと考えています。
私たちは、いつかは死ななければならないことを知っていますが、
通常はその日を遠い未来のこととして考えています。

健康であれば、死は考えられません。
滅多に考えることはありません。
毎日が果てしなく広がっている。

私たちは、自分の人生に対する無気力な態度に気づかないまま、些細な仕事をこなしている。

この無気力さは、私たちのあらゆる設備や感覚の使い方にも
共通しているのではないでしょうか。

耳の聞こえない人には耳の良さが伝わらず、
目の見えない人には目の良さが伝わりません。

特に大人になってから視力や聴力を失った人には、この傾向が強い。

しかし、一度も視力や聴力を失ったことのない人は、
これらの祝福された能力を最大限に活用していません。

彼らの目と耳は、すべての景色や音をぼんやりと捉え、
集中せず、ほとんど評価していません。

失うまでは今あるものに感謝せず、
病気になるまでは健康を意識しないというのは、昔から変わらない話です。


私はよく、人間が大人になって間もない時期に、
数日間だけ目と耳が不自由な状態になることがあれば、
それは幸いなことだと考えてきた。

暗闇は視覚をよりよく理解させ、静寂は音の楽しさを教えてくれるだろう。

私は時々、目の見える友人をテストして、彼らが何を見ているのかを調べています。

最近、森の中の長い散歩から戻ったばかりの親友が訪ねてきたので、
何を見たのか尋ねた。と聞くと、「特にないわ」と答えました。

このような答えに慣れていなかったら、信じられないと思ったかもしれません。

というのも、私はずっと前に、
「見える人はほとんど見ていない」と確信していたからです。


森の中を1時間歩いても、
特筆すべきものを何も見ないということが、どうしてあり得るのか。

見えない私は、触っただけで何百もの興味を引くものを見つける。
一枚の葉の繊細なシンメトリーを感じます。
白樺の滑らかな肌や、松のざらざらした樹皮を愛おしそうに手で触ります。

春には、冬の眠りから覚めた自然の最初の兆候である芽を求めて、木の枝に触れます。
私は、花のベルベットのような心地よい質感を感じ、その驚くべき複雑さを発見し、
自然の奇跡の何かが私に明らかにされます。

時折、運が良ければ、小さな木にそっと手を置いてみると、
満開の歌声を奏でる鳥の幸せな震えを感じることがあります。

私の開いた指の間を小川の冷たい水が駆け抜けていくのを嬉しく思います。

私にとって、松葉や芝生の青々としたカーペットは、
最高級のペルシャ絨毯よりも歓迎されます。

私にとって、季節のページェントはスリリングで終わりのないドラマであり、
そのアクションは私の指先を通り抜けていきます。


私の心の中では、このようなものを見てみたいという気持ちが強くなっています。
触れるだけでこれだけの喜びを得られるのだから、
見ることでどれだけの美しさを得ることができるだろうか。

しかし、目を持っている人はほとんど見ていないようです。
世界を埋め尽くす色と行動のパノラマは、当然のこととして受け止められている。

持っているものに感謝し、持っていないものに憧れを抱くのは人間の常であるが、
光の世界では、視覚という贈り物が、人生を豊かにする手段としてではなく、
単なる利便性としてしか使われていないのは非常に残念なことである。


もし私が大学の学長だったら、「目の使い方」の必修科目を設けるべきだ。
教授は生徒たちに、目の前を通り過ぎるものを本当に見ることで、
人生に喜びを与えることができることを教えようとするだろう。

彼は、学生たちの眠っている、
そして鈍っている能力を目覚めさせようとするだろう。

(つづく)

            <感謝合掌 令和3年7月20日 頓首再拝>

もし三日間だけ目が見えるとしたら ヘレン・ケラー "Three Days to See"~その3 - 伝統

2021/07/21 (Wed) 14:15:17


        *Web:宇宙の兄弟たちへ(2021年7月19日)より

II

例えば、私が3日間だけ目を使えるようになったとしたら、
何を一番見たいかを想像してみるのが一番わかりやすいでしょう。

私が想像している間に、あなたも、もし3日間だけ目を使うことができたら、
自分の目をどのように使うかという問題に取り組んだとします。

3日目の夜、迫り来る暗闇の中で、もう二度と太陽が昇らないとわかっていたら、
その間の3日間をどのように過ごすだろうか。

何を一番見ていたいですか?

私は当然のことながら、
長年の暗闇の中で大切にしてきたものを最も見たいと思います。

あなたも、自分にとって大切なものをじっくりと見て、
その記憶を目の前に迫る夜に持っていきたいでしょう。

もしも、奇跡的に3日間の「見える日」が与えられ、
その後、再び暗闇が訪れるとしたら、私はその期間を3つの部分に分けます。


最初の日には、私の人生を生き甲斐のあるものにしてくれた、
優しさ、親切、交友関係を持つ人々に会いたい。
まず、私が子供の頃に来てくれて、外の世界を開いてくれた親愛なる先生、
アン・サリバン・メイシー夫人の顔をじっくりと眺めたいと思います。

単に彼女の顔の輪郭を見て記憶にとどめるだけでなく、
その顔を研究し、彼女が私の教育という困難な課題を達成したときの
同情的な優しさと忍耐の生きた証拠を見つけたいと思います。

私は、彼女の目の中に、
困難に直面しても毅然とした態度をとることができる性格の強さと、
彼女が私によく見せてくれた全人類への思いやりを見たいのです。

目という「魂の窓」から友人の心を見通すということが、私にはわかりません。
私は、指先で顔の輪郭を「見る」ことしかできません。

私は指先で顔の輪郭を見ることができるだけで、笑いや悲しみ、
その他多くの明白な感情を察知することができます。

私は友人の顔の感じを知っています。
もちろん、彼らが考えていることや、彼らの行動が明らかになることで、
彼らの人格を思い浮かべることはできません。

しかし、彼らを目で見て、様々な表現や状況に対する彼らの反応を見て、
彼らの目や表情の即座の、そして一瞬の反応に注目することによって得られるであろう、
彼らへのより深い理解を私は拒否しているのです。

しかし、カジュアルな友人については、私は不完全な印象しか持っていません。
それは、手を握ったり、私が指先で彼らの唇から取ったり、
彼らが私の手のひらに叩きつけた話し言葉から得られる印象です。


目の見えるあなたにとっては、
表情の微妙な違い、筋肉の震え、手のひらの動きを見ることで、
相手の本質的な資質を素早く把握することの方が、
どれほど簡単で、どれほど満足できることでしょう。

しかし、視覚を使って友人や知人の内面を見ようと思ったことはありませんか?
見ている人の多くは、顔の外見的な特徴を何気なく把握して、
そのままにしているのではないでしょうか?


例えば、仲の良い5人の友人の顔を正確に説明できますか?
できる人もいれば、できない人もいるでしょう。
試しに、長年連れ添った夫に妻の目の色を聞いてみると、
恥ずかしそうに「わからない」と答える人が多いですね。

ちなみに、妻の慢性的な不満は、
夫が新しいドレスや新しい帽子、家事の変化に気づかないことです。


目が見える人の目は、すぐに周囲の日常生活に慣れてしまい、
実際には驚くような壮観なものしか見えなくなってしまう。

しかし、目を見張るような光景を見ても、目は怠け者である。

裁判の記録を見ると、
「目撃者」がいかに不正確に見ているかが毎日のように明らかになる。

ある出来事は、多くの目撃者によっていくつかの異なる方法で「見られる」。
ある人は他の人よりも多く見ていますが、
自分の視界の範囲内にあるものすべてを見ている人はほとんどいません。


もし、私に3日間だけ視力の力があったら、どんなことを見るべきでしょうか。

最初の日は忙しくなります。
親愛なる友人たちを呼び寄せ、彼らの顔をじっくりと見て、
彼らの中にある美しさの外見的な証拠を心に刻むべきです。

赤ちゃんの顔にも目をやり、人生の葛藤を自覚する前の、
熱心で無垢な美しさを目に焼き付けたいと思っています。

そして、私は愛犬たちの忠実で信頼に満ちた目を見たいと思います。
重厚で狡猾な小さなスコッティのダーキーと、頑固で理解力のあるグレート・デーンのヘルガ。

忙しい初日には、家の中の小さなシンプルなものも見ておきたい。

足元に敷かれたラグの暖かい色、壁に掛けられた絵、
家を家に変える親密な些細なものを見たい。

なぜなら、私の人生の長い夜の間に、私が読んだ本と私に読まれた本は、
それ自体が大きな輝く灯台のようになり、
人間の生活と精神の最も深いチャンネルを私に明らかにしてくれたからです。


見えるようになった最初の日の午後、
私は森の中を長く歩き、自然の世界の美しさに目を酔わせなければなりません。
見えている人に絶えず展開されている広大な素晴らしさを、
数時間で必死に吸収しようとするのです。

森の散策からの帰り道、私の道は農場の近くにあり、
忍耐強く畑を耕す馬(もしかしたらトラクターしか見ていないかもしれませんが!)や、
土に寄り添って生きる男たちの穏やかな表情を見ることができるでしょう。

そして、色とりどりの夕日が見られるように祈ります。

夕暮れ時には、自然が暗闇を作り出したときに、
人間の才能が視覚の力を拡張するために作り出した人工の光で見ることができる
という二重の喜びを経験しなければならない。

視力を得た最初の日の夜は、
その日の記憶で頭がいっぱいになり、眠ることができませんでした。

(つづく)


            <感謝合掌 令和3年7月21日 頓首再拝>

もし三日間だけ目が見えるとしたら ヘレン・ケラー "Three Days to See"~その4 - 伝統

2021/07/22 (Thu) 12:38:36


        *Web:宇宙の兄弟たちへ(2021年7月19日)より

III

次の日、つまり視力の2日目、
私は夜明けとともに起きて、
夜が昼に変わるスリリングな奇跡を見なければならない。

太陽が眠っている地球を目覚めさせる壮大な光のパノラマを、
畏敬の念を持って見なければなりません。


この日、私は過去と現在の世界を
急いで垣間見ることに専念しなければなりません。
私は、人間の進歩のページェント、時代の万華鏡を見たいのです。

一日でこれだけのものをどうやって圧縮するのか?

もちろん、美術館である。私はしばしばニューヨーク自然史博物館を訪れ、
そこに展示されている多くの物に手で触れたが、
そこに展示されている地球とそこに住む人々の凝縮された歴史を
自分の目で見たいと思っていた
--動物や人間の種族がそれぞれの自然環境の中で描かれているのだ。

人間が小さな体格と強力な頭脳をもって動物界を征服する以前に
地球上を闊歩していた恐竜やマストドンの巨大な死骸、動物の進化の過程や
人間がこの地球上に安住の地を得るために使用した道具の進化の過程を
リアルに表現したものなど、自然史の千差万別の姿を目の当たりにしてきた。


この記事をお読みの方の中で、この感動的な博物館で描かれた
生物の顔のパノラマをご覧になった方はどれくらいいらっしゃるでしょうか。

もちろん、そのような機会を得られなかった方も多いでしょうが、
そのような機会を得ても利用していない方も多いのではないでしょうか。

そこには、確かに目を使う場所がある。
見える人はそこで何日も実りある時間を過ごすことができるが、
想像上の3日間の視力を持つ私は、急いでちらっと見て通り過ぎるだけだった。


自然史博物館が世界の物質的な側面を見せてくれるように、
メトロポリタン美術館は人間の精神の無数の側面を見せてくれるからだ。

人類の歴史の中で、芸術表現への衝動は、
衣食住や子孫繁栄への衝動と同じくらい強力なものでした。

メトロポリタン美術館の広大な展示室では、
エジプト、ギリシャ、ローマの芸術に表れた精神が私の前に展開されています。

私は、古代ナイルの国の神々や女神の彫刻を、自分の手でよく知っています。
私はパルテノン神殿のフリーズのコピーをいくつか持っており、
アテネの戦士のチャージのリズムの美しさを感じています。

アポロスやヴェヌス、サモトラケの翼のある勝利は私の指先の友である。
ホメロスのひげを生やした姿は、彼もまた盲目であったため、私にとって大切なものです。


私の手は、ローマ時代の彫刻や後世の彫刻の生きた驚異の上に留まっています。
ミケランジェロの感動的で英雄的なモーゼの石膏像に手をやり、
ロダンの力を感じ、ゴシックの木彫の献身的な精神に畏敬の念を抱いてきました。

触れることのできるこれらの芸術は、私にとって意味のあるものですが、
それらは感じるよりも見るためのものであり、
私には隠されたままの美しさを推測することしかできません。

ギリシャの花瓶のシンプルなラインには感心しますが、
その造形的な装飾は私にはわかりません。


視力が回復して2日目の今日は、芸術を通して人間の心を探ってみよう。
私が触って知っていたものを、今度は目で見なければなりません。

さらに素晴らしいことに、穏やかな宗教的献身を持つ
イタリアのプリミティブから、熱狂的なビジョンを持つモダンまで、
壮大な絵画の世界が私に開かれるだろう。

ラファエロ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ティツィアーノ、
レンブラントの絵をじっくりと見たい。

ヴェロネーゼの暖かな色彩に目を奪われ、エル・グレコの神秘を学び、
コローの新しい自然観を手に入れたいと思う。

このように、見る目のある人には、
時代を超えた芸術には豊かな意味と美しさがあるのです。

この芸術の殿堂への短い訪問では、
あなた方に開かれた芸術の偉大な世界のほんの一部しか見ることができません。
私は表面的な印象しか得られないでしょう。

芸術家たちは、芸術を深く、真の意味で鑑賞するためには、
目を教育しなければならないと言っています。

線や構図、形や色の良し悪しを見極めることを経験から学ばなければなりません。

もし私に目があったら、どれほど喜んでこの魅力的な研究に乗り出すことだろうか。
しかし、見る目のある多くの皆さんにとって、芸術の世界は未踏の暗夜であり、
光の当たらない場所だと聞いています。

美の鍵を握るメトロポリタン美術館を去るのは非常に残念なことですが、
それはあまりにも軽視された美です。

しかし、見る人は、メトロポリタン美術館でなくても、美の鍵を見つけることができます。
その鍵は、小さな美術館にも、小さな図書館の棚にある本にも眠っています。

しかし、私の限られた視覚の時間では、当然のことながら、
その鍵が最も短い時間で最大の宝物を解き明かす場所を選ぶべきである。


視力が回復した2日目の夜は、劇場や映画館で過ごすことにしよう。
私は、今でも、いろいろな種類の芝居を見ることがありますが、
芝居の動作は、同伴者が私の手の中で綴ってくれなければなりません。

しかし、ハムレットの魅力的な姿や、エリザベス朝のカラフルな衣装に
身を包んだファルスタッフのたくましい姿を、この目で見てみたい。

優雅なハムレットの一挙手一投足を、豪快なファルスタッフの一挙手一投足を、
どれほど追いかけたいことか。

そして、一つの劇しか見ることができないので、
私は多角的なジレンマに直面することになる。

目のある人は、好きなものを見ることができます。
演劇や映画などのスペクタクルを眺めるとき、
その色彩や優雅さ、動きを楽しむことができる視覚の奇跡を実感し、
感謝している人はどれくらいいるだろうか。

私は、自分の手が触れる範囲でしか、
美しいリズミカルな動きを楽しむことができません。

パブロワの優雅さはおぼろげにしか見えませんが、
リズムの楽しさは何となくわかります、
音楽のビートが床を振動しているのがよくわかるからです。

拍子の取れた動きは、世界で最も楽しい光景の一つに違いないと想像できるのだ。
私は、彫刻された大理石の線を指でなぞることで、この感覚を得ることができました。

静止した優美さがこれほどまでに美しいものであるならば、
動いている優美さを見ることのスリルは、どれほど切実なものであるでしょうか。

私の大切な思い出のひとつは、ジョセフ・ジェファーソンが、
彼の愛するリップ・ヴァン・ウィンクルのジェスチャーやスピーチをしているときに、
私に彼の顔や手を触らせてくれたときのことです。

演劇の世界をほんの少しだけ垣間見ることができて、その時の喜びは忘れられません。

しかし、私が見逃しているものはどれほどあるだろうか。
そして、ドラマの舞台で繰り広げられる言葉と動きの相互作用を見聞きすることで、
見ている皆さんが得られる喜びはどれほどあるだろうか。

もしも私がたった一つの劇を見ることができたならば、
私は、これまでに読んだ、あるいは手動のアルファベットを介して
伝えられた100の劇のアクションを、どのようにして頭の中に描くかを知るべきである。

そうして、2回目の想像上の視力を得た日の夕方まで、
演劇文学の偉大な人物たちが私の目から眠りを奪うことになるのだ。

            <感謝合掌 令和3年7月22日 頓首再拝>

もし三日間だけ目が見えるとしたら ヘレン・ケラー "Three Days to See"~その5 - 伝統

2021/07/23 (Fri) 12:45:00


        *Web:宇宙の兄弟たちへ(2021年7月19日)より

IV

翌朝、私は再び夜明けを迎え、新たな喜びを発見することを心待ちにします。
本当に見る目を持っている人にとっては、毎日の夜明けは
常に新たな美の啓示に違いないと確信しているからです。

私が想像した奇跡の条件によれば、
これが私の視力のある3日目で最後の日になります。

私には、後悔したり、あこがれたりする時間はありません。
最初の日は、生物や無生物の友人に捧げました。
2日目は人間と自然の歴史を知りました。

今日、私は現在の仕事の世界で、
人生の仕事をしている人たちの隠れ家の中で過ごします。
そして、ニューヨークほど多くの人間の活動や状況を見られる場所はないだろう。

だから、ニューヨークが私の目的地となる。


私は、ロングアイランドのフォレストヒルズという静かな郊外にある自宅から出発した。
緑の芝生、木、花に囲まれた端正な小さな家々は、
妻や子供たちの声や動きに満足していて、
都会で働く男たちの安らかな休息の場となっている。

イースト・リバーに架かる鋼鉄製のレースのような構造物を車で横切ると、
人間の心の力と創意工夫の新たな驚くべきビジョンが見えてくる。

賑やかな船が川を走り、慌ただしく動き回っている。
激しいスピードの船、堅固で鼻息の荒いタグ。

もし私に長い日があるとしたら、
その多くの時間を川の上の楽しい活動を見て過ごしたいものです。

視線の先には、おとぎ話の世界から飛び出してきたような
ニューヨークの幻想的な塔がそびえ立っているではないか。

輝く尖塔、石や鉄でできた巨大な堤防、神々が自分のために作ったような彫刻、
なんと畏敬の念を抱かせる光景だろう。
このアニメーションは、何百万人もの人々の毎日の生活の一部となっています。

どれだけの人がこの絵に目を留めているだろうか?ほ
とんどいないのではないでしょうか。
あまりにも身近な存在であるがゆえに、この壮大な光景に目を奪われているのだ。

私は急いで巨大建造物の一つであるエンパイア・ステート・ビルの最上階に向かいます。
少し前までは、そこでは私の秘書の目を通して眼下の都市を「見た」のです。

私は自分の空想と現実を比較したいと思っている。
目の前に広がるパノラマに失望することはないだろうし、
私にとっては別世界のビジョンである。


さて、私は街を回り始めました。
まず、人通りの多い角に立って、ただ人々を見て、
彼らの人生の何かを理解しようとします。

笑顔を見て、私は幸せになる。
真剣な決意を見て、私は誇りに思う。
私は苦しみを見て、私は哀れみます。


私は五番街を歩いている。
私は目の焦点を外して、特定の物体ではなく、
色の混じった万華鏡を見るようにしている。

女性のドレスの色が群れをなして動く様子は、
きっと私にとって飽きのこない華やかな光景に違いない。

しかし、もし私に視力があったとしても、他の多くの女性と同じように、
個々のドレスのスタイルやカットに興味を持ちすぎて、
集団の中の色の素晴らしさに注意を払うことができないのかもしれません。

そして、私もまた、
永遠のウィンドウ・ショッパーになるべきだと確信しています。

ディスプレイされた無数の美の品々を見ることは、
目の保養になるに違いないからです。


五番街からは、パークアベニュー、スラム街、工場、
子供たちが遊ぶ公園など、街を見て回ります。

私は、外国人居住区を訪れることで、家にいながらにして海外旅行をする。
幸福と不幸の両方の光景に常に目を見開き、人々がどのように働き、
生活しているかを深く探り、理解を深めていく。

私の心は、人や物のイメージでいっぱいです。
私の目は、どんな些細なことでも軽く見過ごしてはならず、
視線を置いたものに触れ、しっかりと抱きしめようとする。

幸福感に満ちた楽しい光景もあれば、悲惨なまでに哀れな光景もある。
後者に対しても私は目を閉じない。
それらに目をつぶることは、心や精神を閉じてしまうことなのです。

私の視力の3日目が終わろうとしています。
しかし、最後の日の夜には、人間の精神の中にある
喜劇の含みを理解するために、劇場に逃げ込みたいと思っています。

真夜中になると、私の盲目からの一時的な休息は終わり、
永久の夜が再び私に迫ってきます。

当然のことながら、この短い3日間では、
見たいものをすべて見ることはできなかった。
闇に包まれて初めて、見落としていたことに気づくのです。

しかし、私の頭の中には輝かしい思い出がぎっしりと詰まっていて、
後悔する時間はほとんどないはずだ。

以後、どんな物に触れても、
その物がどのように見えていたのかということを輝かしく思い出すでしょう。

視力のある3日間をどのように過ごすかについてのこの短い概要は、
もしあなたがこれから失明することを知っていたら、
あなた自身のために設定するプログラムとは一致しないかもしれません。

しかし、もしあなたが実際にその運命に直面したら、
あなたの目は今まで見たことのないものに開き、
これから始まる長い夜のために記憶を蓄えるだろうと私は確信しています。

今までにない目の使い方をするだろう。
目にしたものすべてが、あなたにとって大切なものになるでしょう。

あなたの目は、あなたの視界の範囲内に入ってくる
すべてのものに触れ、抱きしめるでしょう。

そしてついに、あなたは本当に見ることができるようになり、
新しい美の世界があなたの前に広がるのです。

盲人である私が、目の見える人に一つのヒントを与えることができる。
つまり、目の贈り物を十分に活用しようとする人に
一つの忠告を与えることができる。

明日、目が見えなくなるかのように、目を使いなさい。
また、同じ方法を他の感覚にも適用することができます。

明日、耳が聞こえなくなるかのように、
声の音楽、鳥の歌、オーケストラの迫力ある音を聞きなさい。

触れたいものには、明日、触覚がなくなるかのように触れてみましょう。
花の香りを嗅ぎ、一品一品を美味しく味わい、
明日には二度と嗅ぐことも味わうこともできないかのように。

すべての感覚を最大限に活用し、自然が与えてくれる
いくつかの接触手段を通して世界が見せてくれる喜びと美しさの
すべての面を堪能してください。

しかし、すべての感覚の中で、私は視覚が最も楽しいものであると確信しています。


www.DeepL.com/Translator(無料版)で翻訳しました。

https://www.spacebrothers.jp/2021/07/three-days-to-see.html

           <感謝合掌 令和3年7月23日 頓首再拝>

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