伝統板・第二

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想念 ② - 伝統

2020/05/11 (Mon) 04:39:41

        *伝統板・第二「想念」からの継続です。
          → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7314125

想念(こころ)を大きく持つ

          *「生命の實相」第37巻幸福篇上(5月11日)」より

第一創造の世界=第二創造の世界。
この2つの世界を繋いでいる=(パイプ)は想念(こころ)である。

想念(こころ)は大きくなければ、第二創造の現象世界に完全な状態はあらわれない。
想念(こころ)は=(パイプ)であるから、
想念(こころ)で力んでみてもなんにもならない。

凝念(ぎょうねん)は生長の家の神想観ではない。
=(パイプ)を大きく持つのが神想観である。

小さなことに興奮しているようなことでは功徳はないのである。

人相ではこの=(パイプ)は眉間にあらわれる。
眉間に剣(ケン)があったり、八の字が寄っていたり、
凹(へこ)んでいるようなことではいかぬ。

            <感謝合掌 令和2年5月11日 頓首再拝>

《想念感情は現実の状態の原因である》 - 伝統

2020/05/21 (Thu) 04:49:58


          *『 生長の家 』(昭和32年5月21日の法語)より

   私たちの肉体の状態、そして環境、境遇等ことごとく想念感情の具象化です。
   それは何らかの機会に自分の潜在意識に飛び込んだ想念感情のこともあるし、
   過去からの物の考え方の習慣性であることもあります。

   この潜在意識に蓄えられている「考え方の習慣性」を変化しない限りは、
   自分の肉体の状態も、家庭生活の状態も、勤務先の環境も、
   決して変化するものではないのです。

   私たちが過去の「考え方」の習慣性に支配されている限りは私たちは過去の
   「考え方」の奴隷であって、新しい「自己支配」と云うことは出来ないのです。

   想念(即ち潜在意識中に、どう考えているかと云うこと)が
   私たちの人生を動かしている主要な設計構図であり、
   動力の回転の仕方を変化するものであるのです。

   私たちの想念感情が一変すれば、私たちの境遇も運命も一変するのです。


    (『 真理 』第9巻 生活篇第11章 <P304~305>)

           <感謝合掌 令和元年5月21日 頓首再拝>

人間は想念の放送局であると同時に受信セットである - 伝統

2020/06/02 (Tue) 04:41:45


    *『光明法語』(六月の法語「天国は汝の内にあり」6月2日)より

一人一人の人間は各々放送局であると同時に受信セットであるとも言い得る。
各々の放送局である個人は、或は悲しみの念波を放送し、或は怒りの念波を、
或は憂いの念波を放送している。

二十二億の『人間放送局』から別々に放送されるこれらの想念・感情の波は、
類似の波長を起こす受信機(人間)の所に群り集まって
想念の集団をなして具象化するのである。

だから自分が起こした悲しみの波のみが自分の身辺に具象化するだけではなく、
悲しみの念波を起こせば自分以外の悲しみの波も集まって来て具象化する。

           <感謝合掌 令和元年6月2日 頓首再拝>

想念の波動で世界を平和に - 伝統

2020/06/24 (Wed) 04:41:26


       *『 生長の家 』(昭和26年5月22日の法語)より

世界の現状は、個人的肉体人間の姿を現していて、
雑誌や講演で説教しているだけでは
どうにもならないような行き詰りの状態をあらわしている。

肉の殻を脱してもっと自由自在の状態になり、
霊界から強力な精神波動を送ることによって、
全人類の想念感情を正しき方向に向けかえない限り、

全人類は、平和と幸福とを希望しながら、却(かえ)って
不幸と擾乱(じょうらん)の方へ巻き込まれそうである。


「 生命の實相 」 第五巻霊界篇には、
欧州大戦に於いて白色高級霊(ホワイトスピリット)が強力な平和の霊波を送って、
人類の不幸を押し返したと云うことが書かれている。

押し返すときに押し返さなければ人類の不幸は益々(ますます)加わるばかりである。

           <感謝合掌 令和元年6月24日 頓首再拝>

「想念の力」と云う”魔法の杖”を駆使せよ - 伝統

2020/06/28 (Sun) 03:53:42


       *『 生長の家 』(昭和32年5月24日の法語)より
        ~《人生は心で支配せよ》

   人間は生まれながらにして其の「実相」は神の子であり、
   神のもち給えるあらゆる「善きもの」を持って生まれて来たのです。

   その「善きもの」の中でも最も素晴らしいのは人間には
   「想念の力」と云う”魔法の杖”が与えられていることです。

   この”魔法の杖”によれば、私たちは、如何なるものでも
   「想念の力」を駆使して創造することができるのであります。

   この「想念の力」を駆使する方法を知っている限りは、
   人間は、たとい現在が「形ある何物」をも持っていなくとも、
   すでに富める者と云うことができるのです。

   若しあなたが今御自分の生活を豊かに富める幸福たる生活たらしめようと
   欲せられるならば、その「想念の力」を駆使して、
   自己の欲する事物以外は「想念」しないようにすればよいのです。

   自分の「心」を支配するのです。
   『人生を心で支配せよ』の本をお読みなさい。


    (『 真理 』第9巻 生活篇第11章 <P307~308>に収載)

           <感謝合掌 令和2年6月28日 頓首再拝>

吾々の想念は、「宇宙に満つる想念の普遍的波」の中で動く - 伝統

2020/07/13 (Mon) 04:45:13


        *「光明法語」(7月12日)より
          ~ 宇宙は一つの生命体である。

運動と云うものは「動くもの」とそれがその中で動くところの「媒質」とによって
可能となるのである。例えば魚は水中で動き、鳥は空中で動き、
ラジオの波は空間のエーテルを媒質として動く。

では吾々の想念は何を媒質として動くのであろうか。
吾々の想念は、「宇宙に満つる想念の普遍的波」の中で動くのである。
吾々の想念が全宇宙に伝わらないと云うことはあり得ないのである。

ただ、吾等はそれを自覚することが出来ないに過ぎない。
吾々の想念が或る処へ伝達して無限供給が出て来る原理は其処にある。

           <感謝合掌 令和2年7月13日 頓首再拝>

《想念感情の採点遊戯》 - 伝統

2020/07/30 (Thu) 03:38:52


       *『 生長の家 』(昭和32年5月26日の法語)より

   自己の思う想念感情の選択 ―― それを「つらい修行」だと思ってやるならば、
   それは実際「つらい修行」になるかも知れません。
   併し、それを一つのゲームだと思ってやれば快い遊戯に変って来るのです。

   スターデーリーはそれを遊戯として獄中で実践し、ついに、極悪の囚人から
   霊的勝利者として聖者とまで尊敬される人になったのです。

   デーリーは小さな手帳を携帯していて、暗黒なこと、不快な事、善からざる事を
   考えた時には、手帳に黒で○を書きます。

   明るい事、快き事、善なる事(慈愛等を含む)を考えたときには
   赤鉛筆で○を書きます。

   黒丸が多くなるか赤丸が多くなるか、自分の心の中でゲームをするのです。
   その採点が手帳の上に表記されるのです。

   此の方法によって、スター・デーリーがどれほど高く魂が高まったかは
   デーリーの著書『愛は刑より強し』『人類への福音』にあらわれている。

   彼はついに極悪の囚人から一転して聖者として
   到る処で講演を希望されるようになったのである。


    (『 真理 』第9巻 生活篇第11章 <P309~310>に収載)

           <感謝合掌 令和2年7月30日 頓首再拝>

不要な感情を心の室(しつ)から逐(お)い出すこと - 伝統

2020/08/14 (Fri) 03:08:53


        *『 生長の家 』(昭和26年6月26日の法語)より

若(も)し悲しみが あなたの心の部屋に忍び入るならば、
いつまでもその悲しみのお客様を自分の心の部屋に
とどめ置いてはならないのである。

若し人を憎む思いが あなたの心の応接室に忍び込むならば、
出来るだけ其の不要なお客様を逐い出さねばならないのである。

若し腹立ちが 貴方の居間に忍び入るならば、
とっとと、その腹立ちを貴方の心の居間から逐い出せ。

それらはあなたの味方ではなく、
あなたから幸福と健康とを奪い去ろうとする悪魔の「 廻し者 」なのである。

大体、悲しくなったり 腹が立ったり、人を憎んだりするのは、
他の人の働きで自分が害されると思うからである。


「 われは神の愛したまう神の子であるから
  何者も自分を害することは出来ない 」と

念ぜよ。

   (http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=127

           <感謝合掌 令和2年8月14日 頓首再拝>

自己を冒すものは、自己の想念である - 伝統

2020/08/26 (Wed) 04:51:03


        *『生長の家』(昭和47年新年号)より

神想観を毎朝夕一回20分乃至30分間実修せよ。
どんなに忙しくとも一回は必ず実修せよ。

而して、自己が神の子であり、物質身ではなく、
霊身であることを自己の想念に深く印象せよ。

自分を扶けるものは、自分の信念のほかにはないのである。 
信念を強化し得た程度に従って、あなたは何物にも冒されず、
傷つけられることはないのである。


『天地一切のものと和解せよ』 との神言を
自己の生活に実践するための根本となるものは先ず、
この世界が 「神一元の世界」 であると 「唯神実相」 を深く理解し、
それを信念としなければならないのである。

もしこの世界が一元の世界でなく、
目的や想念を異にするところの “多元” より発生したものであるならば、
目的と目的とに食い違いや衝突を生じ、根本的に完全に和解し得ない原因を
内に蔵していることになるのである。

それ故に、先ず、この世界の一切のものは、
叡智ある唯一神によって創造せられたものであり、
その唯一神のほかには、如何なる積極的に実在する力も存在しないことを、
心にハッキリ承認すべきである。

そのことを心にハッキリ承認しないで、
神の創造による善なる金剛不壊の身(しん)でも、
それを時には破壊する力が又別に存在するのだという考えが、
かすかにでも残っていると、考えは想念であるから、
みずからが、みずからの想念の実現力によって、
自己を冒し傷つける事が発生して来るのである。

https://predictional46.rssing.com/chan-21595050/all_p18.html
December 27, 2013, 3:18 am

           <感謝合掌 令和2年8月26日 頓首再拝>

想念を改めれば自然に環境は好転する - 伝統

2020/09/03 (Thu) 04:40:21


          *「眞理」第2巻基礎編第6章(P180~181)より
           ~《先ず原因を攻撃せよ》

あなたが逆境と闘っていながら、
その逆境が何としても順境に転回しないのは、
「逆境」そのものと闘っているからであって、
逆境の原因であるところの自分の心の状態を改めないからである。

「逆境」そのものは、病気で言えば症状みたいなものであって、
それと闘うのは対症療法であって、
例えば解熱剤を使うのと同じようなものである。

解熱剤を使って一時熱が引いても又発熱して来るのは、
病根が除かれていないからである。

解熱剤を使わないでも病気の根が断たれれば自然に熱が下がるのである。

それと同じように「逆境」の原因であるところの「念(こころ)」を
変化すれば、「逆境」は順境にかわるのである。

想念を改めれば自然に環境は好転する。

           <感謝合掌 令和2年9月3日 頓首再拝>

《想念の波動で世界を平和に》 - 伝統

2020/09/09 (Wed) 03:07:24


        *『 生長の家 』(昭和26年5月22日の法語)より

   世界の現状は、個人的肉体人間の姿を現していて、
   雑誌や講演で説教しているだけでは
   どうにもならないような行き詰りの状態をあらわしている。

   肉の殻を脱してもっと自由自在の状態になり、
   霊界から強力な精神波動を送ることによって、
   全人類の想念感情を正しき方向に向けかえない限り、

   全人類は、平和と幸福とを希望しながら、却(かえ)って
   不幸と擾乱(じょうらん)の方へ巻き込まれそうである。

   「 生命の實相 」 第五巻霊界篇には、欧州大戦に於いて
   白色高級霊(ホワイトスピリット)が強力な平和の霊波を送って、
   人類の不幸を押し返したと云うことが書かれている。

   押し返すときに押し返さなければ
   人類の不幸は益々(ますます)加わるばかりである。


   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=110

           <感謝合掌 令和2年9月9日 頓首再拝>

常によき念を送る - 伝統

2020/09/10 (Thu) 02:47:21


         *『生命の實相』第38巻幸福篇下(9月10日)より

「神の無限の愛われに流れ入り給いて、愛の霊光燦然として輝き給い、
すべての不安、恐怖、憂鬱を雲のごとく散らしめたまうのである。」

常に暇あればかく念じて自分自身の心の中に神の愛をもって満たせ、
もしあなたがたれかに貸し金があったり、店子が家賃を払ってくれなかったり、
商品の決済をしてくれなかったりしたとて、その債務者が不正直で悪意があるとか、
払わぬつもりでいるとか考えてはならないのである。

もしそんな想念を起こしたならば相手はますます不正直になり、誠意がなくなり、
払わぬつもりになるばかりである。

自分に債務のある者を常に善意をもって扱い、善念を送り、愛念を送り、
無限供給の念を送ればその債務は速やかに払われる。

             <感謝合掌 令和2年9月10日 頓首再拝>

《破壊的な想念を起してはならない》 - 伝統

2020/09/15 (Tue) 04:57:56


          *「眞理」第2巻基礎編第6章(P129~130)より

心に破壊的な思いを起すならば、
その心は常に自分の肉体細胞を破壊しつつあるのだ
と知らなければならない。

思いを正しくするもののみが自分自身を愛しているのである。
真(しん)に自分を愛している者は、
自分の思いを正しくしなければならない。

腹立ちの心をおこせば血は逆上し、
心配したり悲しんだりすれば胸はふさがり、
心臓はその働きをおさえられ、恐れれば動悸が激しくなる。

正しくない考え、正しくない感情は
こんなにも肉体に激しい障害を与えるのである。

こんな破壊的な想念感情は自分自身を不健康に
陥(おとしい)れるばかりでなく、時とすると、自分自身は健康で、
自分の産んだ幼児の健康状態を悪くする事があるものである。

激しい嫉妬の思いは御本人にバセドウ氏病を起したり、
肝臓障害を起したり、子宮筋腫をつくったり、
子供の消化不良を起したりすることがある。

             <感謝合掌 令和2年9月15日 頓首再拝>

想念の浄化によって生活を浄化せよ - 伝統

2020/09/22 (Tue) 04:54:46


         *『心と食物と人相と』(P51~52)より

心に描くことが形にあらわれる。

動物を殺して、その肉を食いながら、
心に”平和”を描くことができるでしょうか。

もしできるならばそれは”道徳的反省”の欠如した
精神薄弱者であるのであります。

世界じゅうの多くの人がこのような精神薄弱者になっているから。
”平和””平和”と叫びながらいあtるところに闘争が開始され、
また継続されているのであります。


若い人たちよ、その若い清浄な、まだ汚れていない精神の上を、
”死”の影や、”殺し”の影や、”病気”の影や、
”不潔の想念”の影を印しないようにせよ。

高く清く高邁にして純粋なる想念を維持するようにつとめよう。
高く清く高邁にして純粋なる想念は、清浄なる空気、
清浄新鮮なる食物と同じく、血液を清らかしめ、

それが反転して、精神を清らかしめ、清らかなる生活を好むに
いたらしめるのであります。

           <感謝合掌 令和2年9月22日 頓首再拝>

想念感情は同類相(あい)引く - 伝統

2020/09/26 (Sat) 02:51:50


       *「光明法語」(9月26日)より

大生命は流れるが、どんな形に流れさせるか。
大生命は創造するが、どんな形を創造させるかその形を決定し、
創造されるものの姿を決定するのは、自分の感情であり、想念である。

それは類似の波長は共鳴し、相牽(あいひ)くと云う法則に随って、
明るき感情は明るき想念を呼び出し、明るきものを創造せしめる。

暗き感情は暗き想念を呼び迎え、暗きものを創造せしめる。

一瞬時と雖も暗き感情をもつ事は罪悪である。
罪悪とは本来の明るい姿をツツム事である。

           <感謝合掌 令和2年9月26日 頓首再拝>

《想念の力・言葉の力》 - 伝統

2020/10/07 (Wed) 04:18:20


      *「真理」第9巻生活篇第7章(P194~195)より

現象界のすべては想念の具象化としてあらわれてくるのです。

想念は唯心所現の現象界の実質であるところの「心」が
活動状態に入ったものであるから、
それは創造の力をもっています。

すべての事物の活動と運動の形態、及び方向は、
想念によって決定せしめられるのです。

眼に見えない世界から想念がでて来るのは、ちょうど高圧線から
出て来る電力を変圧器によって電圧をかえて、或いは光線にし、
或いは電熱とし、或いは動力とするための装置をつくるようなものです。

その装置が眼に見えぬ動力を眼に見える色々の形に変化するように、
宇宙のエネルギーを吾々自身の想念によってどんな形にでも
変化することができるのです。

その想念に影響を与えて、それを一層明確にしたり、
暗い想念を明るい想念に変化するのが言葉の力であります。

           <感謝合掌 令和2年10月7日 頓首再拝>

《「想念」は実現のための種子である》 - 伝統

2020/10/24 (Sat) 04:55:53


          *「真理」第9巻生活篇第2章(39~40)より

吾々が想念することが形の世界にあらわれるのは、法則によるのです。
法則の上に我々が「想念」を投げかければ現象界に想念した通りの事柄が
あらわれるのは、

既に作成されたフィルムを映写機に装填してスイッチを入れれば
法則によってフィルムに描かれた通りの形がスクリーンにあらわれるようなもの
であります。

「想念」は又「種子(たね)」のようなものです。
それを「法則の世界」に播種すれば、法則は種子を発芽せしめ、
法則にしたがって播(ま)いた種を刈りとることになるのです。

菊を植えれば菊が花咲き、薊(あざみ)を植えれば薊が花咲くのです。

では吾々が心の世界に「病気」の想念を植えつければ病気があらわれ、
「貧乏」の想念を植えつければ貧乏があらわれるのは
当然のことだと言わねばなりません。

私達は出来るだけ心に幸福なことを描くようにつとめましょう。

           <感謝合掌 令和2年10月24日 頓首再拝>

病気の形を思い浮かべるな - 伝統

2020/11/04 (Wed) 04:54:39


       *「光明法語」(11月4日の法語)より

ヘンリー・ヴィクトリー・モルガン氏が指摘したように、或る夫人は自分の少数の
白髪(しらが)が出来かかったのを「白髪は無くなる、白髪は無くなる」と毎日思念し
続けた結果、1ヵ月後には全頭が真白(まっしろ)になって「思念の力もクソもあるか」
と大いに憤慨したそうであるが、

「白髪がなくなる」と念ずる事は「白髪は今ある」と念ずる事を言換えたもので、
毎日「白髪」を思い起こさせる事になるのである。

総(すべ)て、病気の形や状態について、それを論議し、
思い浮かべる必要はないのである。

           <感謝合掌 令和2年11月4日 頓首再拝>

醜き姿を心より払拭せよ - 伝統

2020/11/05 (Thu) 04:07:12


       *「光明法語」(11月5日の法語)より

病気や災禍を思い浮かべ、それを恐怖したとき想念は形にあらわれる。
恐るるものは皆来るので、これは神が造ったものではなく、想念の具象化である。

何か病気の醜き姿を見て、恐ろしいと思った時には
「かかるものは実在ではない。実在するものは、唯(ただ)完全なるもののみである」
と数回心に念じて、醜き姿を心の底から拭い去ってしまって置くことが必要である。

宇宙のすばらしく宏大にして完全なること、
それを創造(つく)った神の力の無限大なる事、
その偉大なる無限力の前に何の病気の存在の余地があろうぞ。

           <感謝合掌 令和2年11月5日 頓首再拝>

《あなたの想念感情を高邁ならしめよ》 - 伝統

2020/11/20 (Fri) 04:57:15


          *「眞理」第2巻基礎編第4章(P107)より

あなたの想念感情をもっと高邁なものたらしめよ。
高きものを仰ぎ見る心は、あなたを一層高き状態に引上げ、
肉体的にはあなたを一層健康ならしめるのである。

高き世界を常に見つめている人の眼には美しき光がある。

低きものを常に見つめている心は人の眼を濁ったものにするのである。
眼の光が濁ってくるだけではなく、肉体も亦虚弱となるのである。

不健全な想念感情は間隙なく、
その人の肉体及び精神的構造を常に破壊しつつあるのである。

常に正しき適当なる想念を持つものは、
最も愉快な幸福な生活を送ることが出来るのである。

誰でも人を憎んだり腹を立てたり、心配したりすると、
頭や胃袋に不快感がおこる経験をもっているのである。

           <感謝合掌 令和2年11月20日 頓首再拝>

精神の領域を超えて実相の領域へ - 伝統

2020/12/08 (Tue) 04:46:19


       *「真理」第9巻生活篇(P283~284)より

誰でも想念の自由をもっている。

無論、周囲の人々の言葉や意見の影響を受けてあなたの想念(おも)う
事柄は変わって来るであろうが、しかし想念の自由と云うものを
何人(なんぴと)もあなたから奪うことはできないのである。

周囲の人々の言葉や意見はあなたの想念の資料とはなるであろうが、
それを資料として何をあなたが何をあなたが思うのかは
あなたの自由である。

あなたは過去の想念の習慣性をもっているかも知れない。

一定の周囲の刺激に対して一定の想念を起こすと云うような、
そう云う習慣性に捉われている限りは人間は業(ごう)に
支配されているのであって本当の自由を得ていない。

本当の自由を得るためには、現象的利益の世界を超えて
霊なる実相に想念を集中する修練をつまなければならないのである。

だから物質的利益に就いてお蔭があったとか無かったとか云う
心境を超えて、唯実相のみを想念する修練が必要なのである。

           <感謝合掌 令和2年12月8日 頓首再拝>

想念は環境及び肉体を支配する - 伝統

2020/12/24 (Thu) 04:59:07


       *『 生長の家 』(昭和24年1月7日の法語)より

吾々の想念は吾々の周囲に起るところのすべての出来事に影響を与え
それを変化しそれを修正するのある。

黒住教祖(くろずみきょうそ)が
「立ちむかう人の心は鏡なり己が姿をうつしてや見ん」と歌った如く、
周囲におこる事件が自分にとって不調和であるのは
自分の心が不調和であるからである。

更に想念は吾々の肉体内部に行われるところの生理作用を変化し
体内を流れる血液及び琳派液(りんぱえき)並びに
内分泌液(ないぶんぴえき)等の性質を変化するのである。

何が変化するかというと、それは諸君自身が変化するのである。
まず自分自身が責任をとらなければならぬ。

https://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12023091.html (消滅)
http://meikyou123.livedoor.blog/archives/4983081.html

           <感謝合掌 令和2年12月24日 頓首再拝>

物質の法則は実は想念の法則である - 伝統

2021/01/10 (Sun) 04:36:06


       *『幸福を招く365章』第十二項(P249~250)より

物質の法則というものは本来の意味で謂(い)えば 「 無い 」 のである。

何故なら、物質は影であって実在ではないからである。
物質の法則と見ゆるものはすべて想念の法則である。
心の法則である。

物質そのものが法則を与えるのではなく、心が法則を与えるのである。

自然界の法則は「神の想念の法則」の上に
「人間の心の法則」を二重映ししたものである。

神の想念の法則は不変でありただ善のみ生ずるが、人間の心がその上に
印(いん)する法則はその人の心に従って二重映し的に、
善のみの状態を不完全に現像して病気等があるかの如くあらわすのである。

病気は心の相(すがた)の現像であって本来無いのである。

(初出は『生長の家』昭和25年10月16日)

           <感謝合掌 令和3年1月10日 頓首再拝>

《想念は創造する》 - 伝統

2021/01/28 (Thu) 02:24:55


     *『人生の秘訣365章』第7篇(P174) より

神は全宇宙の創造者である。
宇宙がまだつくられなかった以前には、そこには物質はないのである。

それは非物質の世界である。
非物質なるところの創造者とは、“霊”なる創造者である。

“霊”とは広義に於ける“心”とか“意識”とかいってもよい。
“霊”又は“心”が動き出すときに、それは“物質的エネルギー”ではないから、
「想う」という“動き方”をするより仕方がないのである。

神は「想う」という方法によってこの世界を創造したのである。
「想う」とは心の中に於いてコトバを発することである。

或る人が、誰かを「愛する」と想うならば、
彼は心の中で「私は彼を愛する」というコトバを想い浮かべているのである。

彼が「今日は快晴だな」と想えば、彼は心の中で「今日は快晴だな」
というコトバを暗黙のうち唱えているのである。

それゆえ、「想念が創造者である」ということは、
「コトバが創造者である」ということと同意義である。

           <感謝合掌 令和3年1月28日 頓首再拝>

終日、吾等の想念せしことの総計 - 伝統

2021/02/12 (Fri) 04:55:14


      *「心と運命」(P206~207)より

吾等は人生の深遠なる真理を念じ、
或る観念に想念を集注するために唯僅かの時間を費やしたからとて、
その僅か半時間位の心の態度が、その結果を決定するだろう
と想像すべきではない。

総計となるのは終日吾等が想念せる事物である。
吾等は若し欲するならば、他の仕事にたずさわっている間中も、
欲する心的態度を続けることが出来るのである。

若し吾等の生活が善き顕現を得ようと欲するならば、
吾等は間断なく、善き想念を把持しなければならないのである。

若し吾等が、「霊」が顕現の途上にあるその通路を堰きとめて
了(しま)うならば、「本体実在」は吾等の想念を通じて、
その顕現を完うすると期待することは出来ない。

通路を堰き止めて了うと云うことは、
換言すれば吾等が別なる選択をしたと云うことである。

そして「霊」は此の新しい心象を基礎として
(その心象が善であろうとなかろうと)働きはじめるのである。

           <感謝合掌 令和3年2月12日 頓首再拝>

《想念は形を変える力があります》 - 伝統

2021/03/04 (Thu) 06:53:11


          *「眞理」第2巻基礎篇第1章(P22~23)より

「祈り」とか「神想観」とか云うものは、
「想念」の集中した弾丸を宇宙の「想念の大海」に
投げ込むようなものなのです。

「物質宇宙」の反面は「想念の宇宙」であり、
「物質宇宙」の形相(けいそう)は「想念」の相(すがた)が
設計図となって定められるものですから、想念が変化したら
「物質宇宙」の形相も変って来るのです。

その想念の相(すがた)に一大影響を与えるのが祈りですから
「祈り」(又は神想観)ほど強力なものはないのであります。

今迄(まで)、多くの世界改造を志す人たちは形の方から
世界を改造しようと思ったから失敗したのです。

言論を掌握して、言葉の力で心を動かし、
世界改造をするならばもっと容易に
世界の様相を変化することが出来るのです。

その実証はマ元帥が日本に上陸して試みたところの
放送局とジャーナリズムの支配権を握り、
所謂「民主主義」と云う「想念」を日本国民に吹き込んだとき、
どんなに日本の様相が変ったかであきらかです。

           <感謝合掌 令和3年3月4日 頓首再拝>

自分自身の想念を神の波長に合わせる - 伝統

2021/03/05 (Fri) 04:17:19


           *「光明法語」(3月5日)より
           ~人間は環境にも遺伝にも支配されない

人間は環境に支配されると言うが、真の環境は自分自身の想念である。
人間は自己選択の自由に与えられているのであって、如何なる環境からでも、
自分の想念によって其の波長に合うものだけを吸収するのである。

縦には無限の遺伝の中から、
自分の想念に合うものだけを表現するのである。

人間の遺伝を遡(さかのぼ)れば神に達するのであるから、
吾らは中間の遺伝を無視して、神に波長を合わせさえしたら、
神の完全さが今此処に実現するのである。

神に波長を合わすのが神想観である。

           <感謝合掌 令和3年3月5日 頓首再拝>

運命は想念の具体化 - 伝統

2021/03/23 (Tue) 03:56:02


        *『希望を叶える365章』(P69)より抜粋

人は自己の運命を自分の想念によって創造するのである。

想念とは「心の中に思い浮べられたコトバ」である。

善き事を常に心の中に思い浮べ、思いつづけることにしていたら、
その思い浮べていたことが必ず具体化して
自己の生活又は運命にあらわれて来ることになるのである。

           <感謝合掌 令和3年3月23日 頓首再拝>

《自己の想念の型を変えましょう》 - 伝統

2021/04/14 (Wed) 03:56:05


        *『 生長の家 』(昭和49年4月6日の法語)より

   【 祈り 】

   【 わたしは “ 神の子 ” であり、
   神に導かれて想念感情の従来の型を一変したのである。

   私は今後、幸福のみを想うが故に幸福のみが来るのである。
   私は今後、裕(ゆた)かさのみを想うが故に無限の裕かさが来るのである。
   私は平和と調和のみを想うが故に平和と調和のみが来るのである。

   私は常に人に親切と愛とを与えることを想うが故に、
   すべての人から親切にされ愛されるのである。
   ありがとうございます。 】

   人には従来の生活習慣から持続して来たところの
   想念の癖(くせ)又は型があるのである。

   人の欠点のみを見る癖をもっている人もあれば、
   その人が来れば、必ず問題を惹(ひ)き起すような
   物の考え方をする人もある。

   それによって、それらの人々は自分の想念の癖の通りの運命を
   自分自身で造り出しているのである。

   だから、以上のような言葉を神想観中に念じて、
   暗い方面を兎(と)もすれば観る心の習慣をクラリと転じて、
   人及び事物の明るい面を見る心の習慣をつけるように致しましょう。

   必ずあなたに明るい運命が訪れてまいります。

   人間の運命は外から運命の神様がそれぞれの人々に割当てられるのではなく、
   自分の想念が内から造り出して外にその映像をうつし出すのであります。


    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=125

           <感謝合掌 令和3年4月14日 頓首再拝>

真空即妙有 - 伝統

2021/04/25 (Sun) 04:56:37


        *『生活の智慧365章』(第3部歓喜の泉)
           第4篇(P92~93) より

人は自分の想念を如何にもつかによって、
或る人は地獄を人生に創造し、
或る人は天国を人生に創造するのである。

何故(なぜ)そのような事になるかというと、
この宇宙は、物質でつくられたものではなく本来霊的な存在であり、
その”霊”の波動が可視的な物質としてあらわれている部分と、
不可視的な超感覚的な”空間”の如くあらわている部分があるので、

個々の可視的存在が、個々別々に何の関係もなく散在しているかの如く
見えるに過ぎないのである。

真空の如く、単なる”空間”として見えているところにも普遍的な智慧や愛
(相互牽引力・万有引力)がはたらいているので、太陽や遊星との間や、
原子核と陽子との間には空間があるにもかかわらず、
互いに飛び散るということがないのであって、
そこには万有をひとつに結ぶ”霊”が存在するのである。

その”霊”の中に吾等は生活し、行動し、存在を保っているのである。

           <感謝合掌 令和3年4月25日 頓首再拝>

想念(こころ)を大きく持つ - 伝統

2021/05/11 (Tue) 04:49:58


          *「生命の實相」第37巻幸福篇上(5月11日)」より

第一創造の世界=第二創造の世界。
この2つの世界を繋いでいる=(パイプ)は想念(こころ)である。

想念(こころ)は大きくなければ、
第二創造の現象世界に完全な状態はあらわれない。

想念(こころ)は=(パイプ)であるから、
想念(こころ)で力んでみてもなんにもならない。

凝念(ぎょうねん)は生長の家の神想観ではない。
=(パイプ)を大きく持つのが神想観である。

小さなことに興奮しているようなことでは功徳はないのである。

人相ではこの=(パイプ)は眉間にあらわれる。
眉間に剣(ケン)があったり、八の字が寄っていたり、
凹(へこ)んでいるようなことではいかぬ。

           <感謝合掌 令和3年5月11日 頓首再拝>

想念を選択して運命を改造せよ - 伝統

2021/05/14 (Fri) 05:03:47


      *「女性の理想」(P23~24)より

想念は自由です。
想念を選択することはあなたの運命を選択することになるのです。

想念はコトバによって表現せられ、具体化の緒(いとぐち)をひらくのです。
コトバは耳に聞こえる言語も、文字として眼に見えるコトバも
結局は想念の具体化sるための動力となるのです。

光明のコトバはよく失意の者を激励して再び勇気を振起(しんき)せしめ、
よく病者を起(た)たしめ、瀕死の床(とこ)より救うのです。

あなたの与えられた想念の自由を乱用して、苟(いやしく)も
「悪」を語ってはなりません。
「不幸」を想ってはなりません。

「病い」を想うものには「病い」が来たり、
「貧しさ」をつぶやく者には「貧しさ」が訪れて来るのです。

想念することは創造(つく)ることなのです。
想念はコトバを発して実現力を益々強めます。

ヨブは嘆息して言う
「わが恐れたるところのものすべて吾れに襲いかかれり」と。

恐れるとは暗黒なるものを強く思うことにほかならないからです。

現実に不孝が襲いかかり、病気が死の淵にひき込もうとするとき、
経済的破綻がついに最後のどん底にあなたを追いつめようとしているときにも、
あなたを救う道はふさがれていないのです。

ゆめゆめその不幸の感情を強調する言葉うを使いたまうな。

自分を全智全能の神の子だと思いなさい。

「やるぞ、しっかりやるぞ! われには無限の力が与えられているのだ。
 再び立ち上がるための無限の力を与えられているのだ」

と心のうちに、又はコトバに出して度々(たびたび)しきりに
自分自身に対(むか)って豪語しなさい。

想念とコトバの力があなたを強化し、
あなたを再び起(た)ち上がらす時が来るに違いありません。

・・・

<参照~「女性の理想」目次>
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I001092609-00

           <感謝合掌 令和3年5月14日 頓首再拝>

想念の自由によって、正しき世界観人生観を思惟しなければならない - 伝統

2021/05/16 (Sun) 04:48:34


       *「生命の實相」第37巻幸福篇上(5月16日)」より抜粋

しからば諸君はまず何を想念すべきであろうか。
悪を想念するならば、悪は現象し来たるであろう。
善を想念するならば、善は現象し来たるであろう。

病気を想念するならば、病気は現象し来たるであろう。
戦争や敵意を想念するならば戦争や敵意は現象し来たるであろう。
平和のみ善意のみ想念するならば平和のみ善意のみが現象し来たるであろう。

釈尊は人生のもろもろの苦しみを解脱する八つの道を八聖道として教えたのであるが、
その最初に置いたのは正見(しょうけん)と正思惟(しょうしい)とであった。
正見とは正しき見解―正しき世界観の確立である。

この世界は有情非情同時成道・山川草木国土悉皆成仏の世界であり、
すべて仏心の展開せる世界であって悪は存在しないとの正しき見解の確立である。

すべての人間はすでに成れる仏であって完全なる自由を有するとの
正しき人間観の確立である。

かくて正しき世界観人生観立ってのち、われらは想念の自由によって
正しくその真理を思惟しなければならない。

           <感謝合掌 令和3年5月16日 頓首再拝>

想念の法則によって、健康も幸福も築いている - 伝統

2021/05/31 (Mon) 04:54:20


          *「生命の實相」第37巻幸福篇上(5月31日)」より

心の法則にせよ、物質の法則にせよ、
いずれも反対の方向に働くことができるのである。

同一の力が自動車を前方にも後方にも動かす。
磁気の陽極は惹き、陰極は反撥する。

ある種の想念と感情は建設的創造的であって、友そのほか助けとなる力を呼ぶ。
これとは全然反対の効果を生ずる想念および感情もある。

それは誤解と争いと悪意とを創る。
この種の想念感情を消極的であると言うのである。
破壊的沈滞的で個人の進歩を妨げるからである。

実際失敗する人は、
好ましくない状態を作り出す方向に心の法則を働かしているのである。

次に述べる箴言はメンタル・サイエンスの箴言であって
算術の法則と同じに信頼のできる基本的な法則であり、
さっそくあなた自身にも適用されるものなのである。

すなわち「今日貴下(きか)の生活の中にある好ましくないもの、
貴下の健康・幸福・成功を妨ぐるものは、その好ましいものと同様に、
あなた自身が心の法則に働かしめてみずからそれをもたらしたから
そこに存るのだ」ということである。

些細な事件、不慮の出来事、損失または利得、結婚したり離婚したり、
その他人生に起こるすべてのことの背後にはある見えざる力があり、
その見えざる力が具象化しつつあるのである。

その見えざる力は実は自分自身が起こした想念の力なのである。

諸君は想念の法則によって動いている宇宙に住んでいて、
そこで想念の法則が、あたかも物理的法則が星の運行を支配するがごとく、
諸君の運命の運行を支配しているのである。

「想念の法則」とは「因果の法則」ともいい、
現在意識すなわち自覚ある心の思想、感情、希望に常に応えてくれる
宇宙普遍の心、阿頼耶識の働きを言うのである。

これは神の働きまたは「真如縁起」ではない。
阿頼耶識の働きである。
次に主観心の説明を試みる。


阿頼耶識は心理学上の潜在意識にほぼ一致するものであるが、
もっと広義に用いられる。

夢の状態で活動する心、習慣の背後にある心、タイピストや音楽家の指に
眼があるかのごとく働くその指を通して働く心である。

それはわれらの生命(せいめい)の内部にあって
われわれの身体を母胎にいる間から創造した心である。
そして今もその心は再創造を続けているのである。

阿頼耶識が浄化されてアンマラ識となるとき真如実相の智慧に近づくのである。
それが真如実相の智慧に近づくにしたがい、肉体を創造する力は完全となるのである。

われらの肉体細胞は日々死んでいるのであって、新しい細胞と組織とを創造し、
生活過程で消耗したものと取り換えつつあるのであって、
その再創造が、浄化された阿頼耶識によって導かれるとき、
肉体の再創造は完全となり、健康なる肉体が創造せられる。

これに反して阿頼耶識が浄化されないとき
肉体の再創造は不完全となり病気となるのである。

           <感謝合掌 令和3年5月31日 頓首再拝>

人間は放送局であると同時に受信セットである - 伝統

2021/06/02 (Wed) 02:50:30


    *『光明法語』(六月の法語「天国は汝の内にあり」6月2日)より

一人一人の人間は各々放送局であると同時に受信セットであるとも言い得る。
各々の放送局である個人は、或は悲しみの念波を放送し、或は怒りの念波を、
或は憂いの念波を放送している。

二十二億の『人間放送局』から別々に放送されるこれらの想念・感情の波は、
類似の波長を起こす受信機(人間)の所に群り集まって
想念の集団をなして具象化するのである。

だから自分が起こした悲しみの波のみが自分の身辺に具象化するだけではなく、
悲しみの念波を起こせば自分以外の悲しみの波も集まって来て具象化する。

        <感謝合掌 令和3年6月2日 頓首再拝>

《人生は想念の総決算》 - 伝統

2021/06/12 (Sat) 04:44:00


        *『生活の智慧365章』(第3部歓喜の泉)
           第4篇(P90) より

この世界には”原因結果の法則“というものがあるのである。

それは”物質の世界“に於いても、このような原因をつくれば
結果は斯(こ)うあらわれるという”自然の法則“というものがあるのであるが、

吾々が運命を支配する上に重要なのは、物質の世界にある物体の移動(原因)が、
他の物体にこんな結果を及ぼすという物理的な因果関係よりも

”心の世界“にあるもの(原因)が”物質界“にこのような結果となって
あらわれるという因果関係の方なのである。

”心の世界“にあるものとは「想念」即ち「心に想うこと」である。
「心で想うこと」が「形の世界」に結果としてあらわれるのである。

吾々がこの人生に於いて如何なる幸福な生活を送ることを得るか、
悲惨な生活を送らねばならぬかは、吾々が常に何を想念しているか、
一日のうちの大部分の時間に、何を考えているかによって決まるのである。

人間の運命は常に吾々が何をより多く思っているかの総決算が
毎日弾(はじ)き出されている訳である。

        <感謝合掌 令和3年6月12日 頓首再拝>

吾々の想念は、「宇宙に満つる想念の普遍的波」の中で動く - 伝統

2021/07/12 (Mon) 04:51:49


        *「光明法語」(7月12日)より
         ~ 宇宙は一つの生命体である。

運動と云うものは「動くもの」と
それがその中で動くところの「媒質」とによって
可能となるのである。

例えば魚は水中で動き、鳥は空中で動き、
ラジオの波は空間のエーテルを媒質として動く。

では吾々の想念は何を媒質として動くのであろうか。

吾々の想念は、「宇宙に満つる想念の普遍的波」の中で動くのである。
吾々の想念が全宇宙に伝わらないと云うことはあり得ないのである。

ただ、吾等はそれを自覚することが出来ないに過ぎない。
吾々の想念が或る処へ伝達して無限供給が出て来る原理は其処にある。

        <感謝合掌 令和3年7月12日 頓首再拝>

あなたの想念感情を高邁ならしめよ - 伝統

2021/07/27 (Tue) 02:25:18


          *「眞理」第2巻基礎編第4章(P107)より

あなたの想念感情をもっと高邁なものたらしめよ。

高きものを仰ぎ見る心は、あなたを一層高き状態に引上げ、
肉体的にはあなたを一層健康ならしめるのである。

高き世界を常に見つめている人の眼には美しき光がある。

低きものを常に見つめている心は人の眼を濁ったものにするのである。
眼の光が濁ってくるだけではなく、肉体も亦虚弱となるのである。

不健全な想念感情は間隙なく、
その人の肉体及び精神的構造を常に破壊しつつあるのである。

常に正しき適当なる想念を持つものは、
最も愉快な幸福な生活を送ることが出来るのである。

誰でも人を憎んだり腹を立てたり、心配したりすると、
頭や胃袋に不快感がおこる経験をもっているのである。

        <感謝合掌 令和3年7月27日 頓首再拝>

想念の実現力を応用せよ - 伝統

2021/09/05 (Sun) 04:59:24


       *『 生長の家 』(昭和25年8月3日の法語)より

散乱した想念は 実現力が少ないのである。

不幸なことには、普通の人間は 何でも悪い事の方へは
想念を集中して 繰り返し想うものである。

「 悪いことは、起りはしないか 」 と繰り返し繰り返し一方的に

その方に想念を集中する。

恐ろしいものほど想い出すのである。

だから悪いもの、恐ろしいものほど一所懸命に想われて
それが実現するのである。

「 善いことは起りはしないか 」 と心を集めて心配する人は少ない。

恐ろしいものを想い出すのと同じほどに
「 善い事 」 を始終 想い出すならば
其の人は 屹度(きっと)善くなるばかりである。

        <感謝合掌 令和3年9月5日 頓首再拝>

常によき念を送る - 伝統

2021/09/10 (Fri) 04:54:36


      *『生命の實相』第38巻幸福篇下(9月10日)より

「神の無限の愛われに流れ入り給いて、愛の霊光燦然として輝き給い、
すべての不安、恐怖、憂鬱を雲のごとく散らしめたまうのである。」

常に暇あればかく念じて自分自身の心の中に神の愛をもって満たせ、
もしあなたがたれかに貸し金があったり、店子が家賃を払ってくれなかったり、
商品の決済をしてくれなかったりしたとて、その債務者が不正直で悪意があるとか、
払わぬつもりでいるとか考えてはならないのである。

もしそんな想念を起こしたならば
相手はますます不正直になり、誠意がなくなり、
払わぬつもりになるばかりである。

自分に債務のある者を常に善意をもって扱い、善念を送り、愛念を送り、
無限供給の念を送ればその債務は速やかに払われる。

             <感謝合掌 令和3年9月10日 頓首再拝>

《心に想うことは、種を蒔くことである》 - 伝統

2021/09/25 (Sat) 04:56:22


       *「眞理」第2巻基礎篇第8章(P215~216)より

種を蒔いたら必ず刈り取らねばならない。

吾々が何事かを考えたならば、
その考えた何事かに相応(そうおう)する事件や肉体の状態を、
やがて吾らの身辺にあらわすものだと云うことを
理解しなければならないのである。

宇宙には不可視の実質が充ち満ちていて、
いつでもそれを吾らが想念した通りの事物に
あらわそうと待ちかまえているのである。

吾々が心に何事かを考える。
するとその考えに相応した「コトバ」が、
心の中に又は「発声音」としてあらわれる。

そしてコトバは創造主(つくりぬし)であるから、
コトバの通りに現象があらわれて来るのである。

コトバは宇宙に満つる不可視の実質に形を与え、
それは自然界の法則を通じて実現する。

             <感謝合掌 令和3年9月25日 頓首再拝>

想念感情は同類相(あい)引く - 伝統

2021/09/26 (Sun) 04:48:26


    *「光明法語」(9月26日)より

大生命は流れるが、どんな形に流れさせるか。
大生命は創造するが、どんな形を創造させるかその形を決定し、
創造されるものの姿を決定するのは、自分の感情であり、想念である。

それは類似の波長は共鳴し、相牽(あいひ)くと云う法則に随って、
明るき感情は明るき想念を呼び出し、明るきものを創造せしめる。

暗き感情は暗き想念を呼び迎え、暗きものを創造せしめる。

一瞬時と雖も暗き感情をもつ事は罪悪である。
罪悪とは本来の明るい姿をツツム事である。

           <感謝合掌 令和3年9月26日 頓首再拝>

心に何を想うかが重要 - 伝統

2021/10/01 (Fri) 04:55:32


     *『生命の實相 幸福篇下 第三十八巻』
       <十月「円満具足」10月1日>(P92)より

すべての事物は、心の想うことによって存在に入ったのである。

神が心に星辰を想い、天体を想うことによって、諸々の星辰天体が生じたようにである。

われわれの周囲の事物はわれわれが心に想うことによって存在に入ったのである。
そうすれば自分の好まない事物を心に想わないようにしなければならない。

「想うもの」が出て来るのであるから、敵を想えば敵が出て来る。
戦争を想えば戦争が出て来る。
病気を恐れて、心に警戒すればするほど病気にかかるのである。

ということは予防的なことをいっさいするなという意味ではない。
戸締りをしないで徹夜で泥棒を恐れているよりも、
戸締りをして泥棒を思わないで眠る方がよい。

           <感謝合掌 令和3年10月1日 頓首再拝>

癌腫も筋腫も、想念によって消滅しうる - 伝統

2021/11/25 (Thu) 05:00:23


        *「生命の實相 第38巻 幸福篇下」(11月25日)より

われわれが「手を動かそう」と思えば、その想念のエネルギーが神経系統を伝わって
一部の筋肉に収縮運動を起さしめ、その反対側の筋肉を弛緩せしめて、
想念したとおりの運動をそこに起こすのである。

その神経系統を伝わるところの想念のエネルギーなるものは何であろうか。
それは一種の電気的流れであると想定されるのである。

それが電気的流れであるとするならば、それは確かに「電子」が想念によって
発射せられて神経組織をその「電子」が走るものだと解釈されうるのである。

患者の睡眠中における夢の変化にしたがって、脳髄より放出される電気的流れに
著しい変化が起こるということは、それを実験機械によって図表的に
その変化を記録した人もあるのである。

そうすれば脳髄という機械装置は、電子を放出するところの、
一種のサイクロトン装置であるということができるのである。
それを操る原動力と操縦士とが「想念」という不可思議体である。

むろん、神経伝達によって筋肉を動かす力は、たんに現在物理学界において
その存在を認められている「電子」だけではないのである。
もっともっと精妙な種類の素粒子を想念にしたがって放出するのであろうと信ぜられる。

しかしいずれにせよ、神経伝達されるところのエネルギーの一部には
電子の流れが含まれていることは、想念によって人体の電気的流れが変化することが
電流計によって測定されることによって明らかである。

したがってわれわれの脳髄は、極めて少量の頭蓋骨容積の中に、
人造のサイクロトンよりも精妙なる高級サイクロトンを包容するものだと
言わなければならないのである。

そして想念が素粒子を支配してあるいは電子をあるいは他の素粒子を、
自由自在に分離したり組み合わせたり、配列したりすることができるものだ
ということがわかるならば、

想念によって、人体に癌腫を発生したり、筋腫を発生したり、
あるいはそれを消滅せしめたりなしうる理由も当然のことだと
言わなければならないのである。

           <感謝合掌 令和3年11月25日 頓首再拝>

《自分の想念を選びなさい》 - 伝統

2021/12/16 (Thu) 05:01:49


        *「眞理」第2巻基礎篇第8章(P216~217)より

ひとたび法則に当てはまることをして置けば、
あとは吾等自身に何の努力もなくして、
その後(ご)は自動的に実現するものである。

それは恰(あたか)もラジオ・セットを整備して
波長を合わして置きさえすれば、
自動的にラジオは放送された通りに鳴り出すのと同じことである。

吾々がラジオのダイヤルを自分の好むところに合わせて、
自分の好む処の放送をきくことが出来るのと同じように、
吾々は自分の選択したものを選び出してあらわすことが出来るのである。

併(しか)しダイヤルを出鱈目に廻していては、
自分の好まないところの飛んでもない放送がきこえて来る。

それと同じように吾々は自分で想念を選択せねば
自分の好まない出来事が実現して来ても仕方がない。

           <感謝合掌 令和3年12月16日 頓首再拝>

《想念・意志・理念・創造力》 - 伝統

2022/01/21 (Fri) 03:48:42


          *「眞理」第2巻基礎篇第13章(P370)より

「想念」は創造の事物の「型」をつくり、
意志は、その「型」を神の力に引き渡すまで
一定時間持続する為の力である。

意志の力が創造するのだと思って、いくら力んで見ても、
意志の力は睡眠中には働くことは出来ないのである。

しかも睡眠中にも生理作用は営まれ、
旧組織は分解して排泄され、新組織が体内で創造されつつあるのである。

一定の「創造の型」(想念)に従って神の力が働いているのである。
その「創造の型」とは、「神の像(かたち)につくりたまえり」と
創世記にあるところの「神なる人の理念」である。

その理念をそのままの写しであれば
完全に健康なる人間としてあらわれるのであるが、
そこに人間の不完全な想念が二重写しされる時病気となって現れる。

           <感謝合掌 令和4年1月21日 頓首再拝>

肉体は『想念するところのもの』になる - 伝統

2022/02/16 (Wed) 03:51:46


     *「光明法語」(2月16日《人間は何であるか》)より

人間は肉体ではない。
肉体は《人間》の肉体である。

それなら人間とは何であるか、人間とは生命である。
『生きる力』であり、『愛する力』であり、『思考する力』である。
肉体は『生きる力』が想念の活動を組み合わせて
創造(つく)ったところの産物である。

本当の人間は、その想念し考えるところの本体なのである。

吾々が『悪』を想念することは、吾々自身が『悪』に成ることである。

想念とは生命の波であり、生命そのものが想念することによって
『想念するところのもの』になるのである。

           <感謝合掌 令和4年2月16日 頓首再拝>

人間は環境にも遺伝にも支配されない、想念がそれを選ぶ - 伝統

2022/03/05 (Sat) 08:22:33


           *「光明法語」(3月5日)より

人間は環境に支配されると言うが、真の環境は自分自身の想念である。
人間は自己選択の自由に与えられているのであって、如何なる環境からでも、
自分の想念によって其の波長に合うものだけを吸収するのである。

縦には無限の遺伝の中から、自分の想念に合うものだけを表現するのである。
人間の遺伝を遡(さかのぼ)れば神に達するのであるから、吾らは中間の遺伝を無視して、
神に波長を合わせさえしたら、神の完全さが今此処に実現するのである。

神に波長を合わすのが神想観である。

           <感謝合掌 令和4年3月5日 頓首再拝>

想念(こころ)を大きく持つ - 伝統

2022/05/11 (Wed) 07:27:00


          *「生命の實相」第37巻幸福篇上(5月11日)」より

第一創造の世界=第二創造の世界。
この2つの世界を繋いでいる=(パイプ)は想念(こころ)である。

想念(こころ)は大きくなければ、第二創造の現象世界に完全な状態はあらわれない。
想念(こころ)は=(パイプ)であるから、
想念(こころ)で力んでみてもなんにもならない。

凝念(ぎょうねん)は生長の家の神想観ではない。
=(パイプ)を大きく持つのが神想観である。

小さなことに興奮しているようなことでは功徳はないのである。

人相ではこの=(パイプ)は眉間にあらわれる。
眉間に剣(ケン)があったり、八の字が寄っていたり、
凹(へこ)んでいるようなことではいかぬ。

            <感謝合掌 令和4年5月11日 頓首再拝>

想念の法則によって、健康も幸福も築いている - 伝統

2022/05/31 (Tue) 06:54:43


          *「生命の實相」第37巻幸福篇上(5月31日)」より

心の法則にせよ、物質の法則にせよ、
いずれも反対の方向に働くことができるのである。

同一の力が自動車を前方にも後方にも動かす。
磁気の陽極は惹き、陰極は反撥する。

ある種の想念と感情は建設的創造的であって、
友そのほか助けとなる力を呼ぶ。

これとは全然反対の効果を生ずる想念および感情もある。
それは誤解と争いと悪意とを創る。

この種の想念感情を消極的であると言うのである。
破壊的沈滞的で個人の進歩を妨げるからである。

実際失敗する人は、
好ましくない状態を作り出す方向に心の法則を働かしているのである。

次に述べる箴言はメンタル・サイエンスの箴言であって
算術の法則と同じに信頼のできる基本的な法則であり、
さっそくあなた自身にも適用されるものなのである。

すなわち「今日貴下(きか)の生活の中にある好ましくないもの、
貴下の健康・幸福・成功を妨ぐるものは、その好ましいものと同様に、
あなた自身が心の法則に働かしめてみずから
それをもたらしたからそこに存るのだ」ということである。

些細な事件、不慮の出来事、損失または利得、結婚したり離婚したり、
その他人生に起こるすべてのことの背後にはある見えざる力があり、
その見えざる力が具象化しつつあるのである。

その見えざる力は実は自分自身が起こした想念の力なのである。

諸君は想念の法則によって動いている宇宙に住んでいて、
そこで想念の法則が、あたかも物理的法則が星の運行を支配するがごとく、
諸君の運命の運行を支配しているのである。

「想念の法則」とは「因果の法則」ともいい、
現在意識すなわち自覚ある心の思想、感情、希望に常に応えてくれる
宇宙普遍の心、阿頼耶識の働きを言うのである。

これは神の働きまたは「真如縁起」ではない。
阿頼耶識の働きである。
次に主観心の説明を試みる。


阿頼耶識は心理学上の潜在意識にほぼ一致するものであるが、
もっと広義に用いられる。

夢の状態で活動する心、習慣の背後にある心、タイピストや音楽家の指に
眼があるかのごとく働くその指を通して働く心である。

それはわれらの生命(せいめい)の内部にあって
われわれの身体を母胎にいる間から創造した心である。
そして今もその心は再創造を続けているのである。

阿頼耶識が浄化されてアンマラ識となるとき真如実相の智慧に近づくのである。
それが真如実相の智慧に近づくにしたがい、
肉体を創造する力は完全となるのである。

われらの肉体細胞は日々死んでいるのであって、新しい細胞と組織とを創造し、
生活過程で消耗したものと取り換えつつあるのであって、
その再創造が、浄化された阿頼耶識によって導かれるとき、
肉体の再創造は完全となり、健康なる肉体が創造せられる。

これに反して阿頼耶識が浄化されないとき
肉体の再創造は不完全となり病気となるのである。

           <感謝合掌 令和4年5月31日 頓首再拝>

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