伝統板・第二 2511797

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賢者の一日一言(R2年5月)

1:夕刻版 :

2020/05/01 (Fri) 22:52:51

このスレッドでは、過去に紹介した次のスレッドから、
日々の言葉の数々を再度紹介してまいります。

(1)伝統板・第二「中村天風一日一話」
 → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7808747

(2)伝統板・第二「松下幸之助 一日一話」
 → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7811995

(3)伝統板・第二「安岡正篤・一日一言」
 → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7812217

(4)伝統板・第二「吉田松陰・一日一語」
 → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7733095

(5)伝統板・第二「ひかりの一日一言38~心で人生を支配せよ」
 → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7743087

            ・・・


賢者の一日一言《1日》

(1)【 5月1日 】  明日より今を

   何事につけ、今日以後の人生に対する計画、
   つまり明日どうしよう、今後どうしようということを考えることは
   非常に必要ですけれども、もっともっと大切なことがあるんだよ。


   それは、たった今を正しく生きるにはどうすりゃいいだろうということ。

   これをたいていの人は忘れちゃいないかい?

   明日はどこへ行こう、明後日は何しようと考えて、
   現在ただ今を、ちっとも尊く生きていない人がありゃしないか?

・・・

(2)【 5月1日 】 対立しつつ調和する労使

   労使の関係は、常に“対立しつつ調和”するという姿が望ましいと思います。
   つまり、一方でお互いに言うべきは言い、
   主張すべきは主張するというように対立するわけです。

   しかし、同時にそのように対立しつつも、単にそれに終始するのではなく、
   一方では、受け入れるべきは受け入れる。
   そして常に調和をめざしていくということです。

   このように、調和を前提として対立し、対立を前提として調和してゆく
   という考えを基本に持つことがまず肝要だと思います。


   そういう態度からは必ず、よりよきもの、より進歩した姿と
   というものが生まれてくるにちがいありません。

・・・

(3)【 5月1日 】 腎を養う 1

   五月になったので
   思い出すことの一にこの事がある。

   五労の一は多想心労。
   とりこし苦労が多すぎること。
   これは心臓を傷(いた)める。


   二は多怒肝労。
   怒りが度重なると肝を痛める。


   三は多思脾(ひ)労。
   考えごとが多いと脾が疲れる。
   脾蔵は血液の浄化や調節を司どる大切な器官であるが、
   割合に人々はこれを知らない。


   四は多悲肺労。
   悲しみが多いと肺を傷める。


   五は多憂腎労。
   憂が多いと腎が疲れる。

・・・

(4)【 5月1日 】 「已(や)まざる所なし」

   已(や)むべからざるに於て已(や)む者は、已(や)まざる所なし 

             安政3年5月29日「講孟剳記」

   【訳】

   人としてやめてはならいないことを平気でやめてしまうようなものは、
   どんな大切なことでもやめないことはない。

・・・

(5)《1日 神ははじめに想念にて創造し給えり》

   人間は何よりも先ず「心的存在」であるということである。

   自分の「心」によって行動し、他の人々に影響を興え、環境を改造し、
   その結果、自己の運命をも、全面的に自分の「想念」を
   支配することによって、改造することができるのである。


   自己の運命を改造するには自分の「想念」を改造しなければならない。
   「想念」を聖書の中では「コトバ」と云う語(ご)であらわしているのである。

   「太初に言あり、・・・・・・言(ことば)は神なりき。
    ・・・萬づのものこれに由りて成り」

   と聖書の「ヨハネ伝」には示されているのであるが、
   宇宙創造の最始原には咽喉(のど)も声帯もある訳はないのであるから、
   その「言(ことば)」と云うのは発生音ではないのであって、
   「想念」のことである。

   神が宇宙創造につかわれたところの“言(ことば)”とは「想念」である。

   神は「想う」こと及び、「念ずる」ことによって
   一切をお創造(つく)りになったのである。

   だから、神の生命(せいめい)を宿し生れた人間も、
   常に「想う」こと「念ずる」ことによって、
   自己の運命を変化するのである。

      谷口雅春著『人生の秘訣365章』第5篇(P117~118) より

           <感謝合掌 令和2年5月1日 頓首再拝>
2:伝統 :

2020/05/02 (Sat) 19:04:28


(1)【 5月2日 】  社会の改善をするために

   常に善良な言葉、人を勇気づける言葉、
   人に喜びを与える言葉のみを使っている人が増えれば増えるほど、
   この世の中っていうものは、グングン光を増してくるんだよ。


   そういう人が増えない限りは、どんなに社会改善を行おうと、
   国家改革を行ったってだめだよ。

   社会だ、国家だって言ったって、結局、人間のかたまりだもの。

   人間自体がだらけた、腑ぬけた、始末におえない、
   弱音ばかり吐いていたら、社会は改善できないし、
   立派な国家にはできないんです。

・・・

(2)【 5月2日 】 カメの歩みの如く

   カメの歩みというのは、一見のろいようだが、
   私は結局はこのあせらず、騒がず、自分のペースで着実に歩むというのが、
   一番よいのではないかと思う。

   手堅く歩むから力が培養されてゆく。
   逆にパッとやればどうしても手堅さに欠けるから、欠陥も出てくる。

   だから見たところでは非常に伸びたようだが、
   あとであと戻りをしなければならないということも起こってくる。


   ウサギのカケ足では息が切れる。
   といってハヤ足でもまだ早い。

   一番いいのはやはりナミ足で、カメの如く一歩一歩着実に歩むことではないかと思う。

   人生行路だけではない。
   事業経営の上でも、大きくは国家経営の上においても同様であろう。

・・・

(3)【 5月2日 】 腎を養う 2

   悲と憂とどう違うかと思う人々もあろう。
   これは相即(そうそく ※つきものの意)ではあるが、
   どちらかというと、
   悲の方は過去につながり、
   憂の方は未来にわたるということができる。


   そこで、特に春には脾を養い、
   夏には肺を養い、
   秋には肝を養い、
   冬には心臓を養い、
   四季を通じて最も腎を養う。

   つまり腎即(すなわ)ち身体の浄化装置を過労させぬこと、
   腎労・腎虚にせぬことである。


   こういう心得が有ると無いとで
   人間一生どれほど違ってくるか測り知れぬものがある。

・・・

(4)【 5月2日 】 「畢竟一誠なり」

   人(ひと)唯(た)だ一誠(いっせい)あり、
   以て父に事(こと)ふれば孝、
   君(きみ)に事ふれば忠(ちゅう)、
   友(とも)に交(まじ)はれば信(しん)。
   此の類(たぐい)千百、名(な)を異(い)にすれども、
   畢竟一誠なり。 

                    安政3年5月29日「講孟剳記」

   【訳】

   人にはただ一つのまごころをもって、
   父に仕えれば孝となり、
   君主に仕えれば忠となり、
   友と交際すれば信義となる。

   このようなことは大変多く、名前は異なっているが、
   つまるところはただ一つ、「まごころ」である。

・・・

(5)《2日 想念と運命との関係》

   「私は貧乏だ」と思っている人に金持はなく、
   「私は不健康だ」と思っている人に健康人はないのである。

   あなた自身はあなたの想念の具象化したものなのである。

   もっとも、「心」には、表面にある“現在意識”と、
   隠れたる底にある“潜在意識”とがあって、
   現在意識では「金持だ」と無理に思っていても、
   潜在意識では、「貧乏だ」と云う想いが脱け切らない場合もある。

   そんな場合には表面の心で、「自分は金持だ」と思っていても、
   まだ現象的には貧乏であり得る。

   では、潜在意識にある「想念」を改造するにはどうしたら好いだろうかと云うと、
   それには潜在意識の特質を利用するが好いのである。

   潜在意識は、外から暗示として入ってくる心的刺激を受け容れて、
   素直に刺激された通りの「想念」をテープ・レコーダーのように
   それを印象して保存している特質がある。

   だから潜在意識を改造しようと思ったならば、
   外から来る暗示に対して無防禦(むぼうぎょ)であってはならないのである。

         谷口雅春著『人生の秘訣365章』第5篇(P118) より

           <感謝合掌 令和2年5月2日 頓首再拝>
3:伝統 :

2020/05/03 (Sun) 19:50:07


(1)【 5月3日 】  運動したい時に運動する

   自然法則の見地から、真に運動をしたいと思った時に運動をすべきである。


   毎日一定の時間に一定の量の運動をすることはむしろ不合理なことで、
   運動をしたくない時に無理に運動をすることは
   かえって害があることなのである。


   最も理想的な運動法は
   「健康である限りどんな身分であろうとも
   自分のことは一切できるだけ自分でする」ことで、
   日常肉体をできるだけ小マメに動かすことである。

   変化と波瀾のある生活を行っている人間には、
   毎日規則的な運動を必要とするような不自然さは要求されていない。

・・・

(2)【 5月3日 】 法律は国民自身のために

   民主主義の政治のもとにおける法律は、国民お互いの暮らしを守り、
   それぞれの活動の成果を得やすくし、一人ひとりの幸せを生み高めていくところに、
   究極の目的なり存在意義があるのだと思います。

   いってみれば、国民が国民自身の幸せを実現していくためにみずから法律を制定する、
   というしくみになっているわけです。


   したがって、国民お互いがこういう法律を軽視し、
   無視するような姿がかりにあるとするならば、それはいわば自分自身を軽んじ、
   自分の尊厳を失うことにも通じると思います。

   そのことをお互い国民は正しく認識しあい、
   法律を常に正しく守りあってゆくことが肝要だと思います。

・・・

(3)【 5月3日 】 根に返る

   とにかく人間というものは、
   栄えようと思ったならば、
   まず何よりも根に返らなければいけない。


   草木でも、本当に健(すこ)やかに
   繁茂(はんも)させようと思ったならば、
   いたずらに枝葉を伸ばしては駄目で、
   幹を逞(たくま)しくし、
   根を深く養わなければならない。

   根に返ることが大事である。

・・・

(4)【 5月3日 】 「乱とは」

   明(みん)の葉向高(しょうきょうこう)曰く
   「乱(らん)とは禍変の説に非ざるなり、
    法紀凌(ほうきりょう)遅(ち)し人心囂競(ごうきょう)す。
    即ち是れを乱と謂ふ」と。

                    安政2年「獄舎問答」        


   【訳】

   明の葉向高がいっている。

   「(国家)が乱れるというのは、
    災いとなるような騒動をいうのではない。

    (国民に)法律など、規則を守る心が次第に衰退し、
    人々が栄達のみを求めて、争い騒ぐ状態となること。これを乱という」と。

・・・

(5)《3日 現在意識は自主的精神である》

   現在意識は自覚意識とも言われ、自我の自主的精神であるから、
   自己に適するか否かを批判して、それを拒絶して
   潜在意識内に入れないようにする力を持つのである。

   若しそれが出来ないならば、
   人間は「自主的存在」だとは言い得ないことになるのである。

   人間が「自主的存在」であるためには、
   自己が志向するものだけを意識の中に入れ、
   自己が志向しないところの印象は断じて自分のうちに入れない
   「自主的能力」をもたなければならないのである。

   人間は本来このような「自主的能力」をもっているのである。

   吾々の心は、現在意識が「断じてこの暗示を受け容れない」
   と固く決意した暗示を決して受け容れないと云うことは
   催眠術の実験によっても明かなのである。

   現在意識が固く反抗している限りは中々“催眠暗示”にかからない。

         谷口雅春著『人生の秘訣365章』第5篇(P119) より

           <感謝合掌 令和2年5月3日 頓首再拝>
4:伝統 :

2020/05/04 (Mon) 20:00:11


(1)【 5月4日 】  つぶやきの自己暗示法

   低級な欲望や劣等感情情念がヒョイと心の中に発動してきたな
   と思ったらね、ソリロキズムというのをやってもらいたい。

   日本語に訳すと「つぶやきの自己暗示法」と言いましょうか。

   何も口にブツブツ出さなくていいんですよ。

   観念でひとりごとを言えばいいんです。

   「こんなことに腹が立つか。こんなこと悲しくない。
    自分はそれ以上すぐれた心の持ち主だ」

   というふうに、自分自身が一人でつぶやくのを、ソリロキズムと言うんです。

   これがまたばかに効き目があるんですよ。

・・・

(2)【 5月4日 】 日に新たな経営を

   よく長い歴史と伝統を持った“しにせ”と言われるところが、
   経営の行き詰まりに陥ることがある。

   そういうところは正しい経営理念を持たないかというと決してそうではない。
   むしろ、創業以来の立派な理念が明確に存在している。


   しかし、そうしたものを持ちながら、それを実際に適用していく方針なりやり方に、
   今日の時代にそぐわないものがあるわけである。

   もちろん、旧来のやり方でも好ましいものはそのまま続ければいいわけだが、
   やはり時代とともに改めるべきは改めていかなければならない。


   その時どきにふさわしい日に新たな経営があってこそ、
   正しい経営理念も永遠の生命を持って生きてくるのである。

・・・

(3)【 5月4日 】 気の帥

   志は精神の大統力である。
   すなわちこれを「気の帥(すい)」という。


   これ人の命であり、
   木の根であり、
   水の源である。

   もし志が立たねば精神は活動しない。

・・・

(4)【 5月4日 】 「仁人は天下に敵なし」

   仁人(じんじん)は天下に敵なし

                    安政3年6月4日「講孟剳記」

   【訳】

   慈愛の深い人には、この世に敵はいない。

・・・

(5)《4日 暗示に対する防御について》

   自己の運命は、自己の潜在意識に印象されている「想念」の具象化と、
   その想念の類似によって呼び寄せられて来る「類似の想念」の具象化である
   と言い得るのである。

   悪いことが来(く)れば、それが重なって来(き)、
   善いことが来(く)れば、それが重なって来(く)る
   実例が多いのもそのためである。

   だから自己の運命を良くしようと思ったならば、
   自己の想念を支配すると同時に外界から暗示されて来る印象を選択すること
   を学ばねばならない。

   自己を「神の子」なりと信じて決して劣等感をもってはならない。

   常に毅然として「われ神の子なり、決して劣弱なる暗示をば受け容れない」
   と現在意識で決意することが必要である。

   現在意識は潜在意識のように「何でも素直に受けて印象を記録する」
   と云うような性質のものではなく、非常に批判精神の強い意識であって、
   「意識の検閲官」として、入(はい)って来る「想念」が合理的か不合理かを
   批判拒絶する力がある。

       谷口雅春著『人生の秘訣365章』第5篇(P119~120) より

           <感謝合掌 令和2年5月4日 頓首再拝>
5:伝統 :

2020/05/05 (Tue) 23:38:46


(1)【 5月5日 】  暗かったら窓を開けろ

   あなた方ねえ、苦労したり、悩んだり、人を憎んだり、
   怖れたり、悲しんでいるとき、気持ちいいですか。

   あんな嫌な気持ちなかろう。

   その嫌な気持ちをなぜ心にさせるんだ。

   喜ばしてやれ。
   しじゅう楽しく考えさせてやれ。

   それが心に対するあなた方の義務だぜ。


   暗い方面から、嫌な方面から人生を考えりゃあ、
   世の中に明るさ、何にもないわ。

   暗かったら窓を開けろ。

   光がさしてくる。

・・・

(2)【 5月5日 】 断絶はない

   最近の若い人たちの考え方が変わってきているといえば変わってきている。
   そしてそこから断絶という受けとめ方も出てくるけれども、
   おとなと若い人の間には、いつの時代でもある程度の隔たりはあったわけである。

   しかしそれは考え方の違いであり、断絶とは考えられない。
   それを何か断絶という言葉におどらされて、
   おとなが言うべきことも言わないというのは、
   非常によくないことだと思う。

   断絶という言葉でみずから離れてしまってはいけない。


   断絶はない。
   しかし青年と中年、老人とではおのずと考えが違う。
   永遠にそうなんだ、と考えてそれを調和していくところに
   双方の努力と義務があると思う。

・・・

(3)【 5月5日 】 父母憲章

   一、父母はその子供のおのずからなる
     敬愛の的であることを本義とする。

   二、家庭は人間教育の素地である。
     子供の正しい徳性とよい習慣を養うことが、
     学校に入れる前の大切な問題である。

   三、父母はその子供の為に、
     学校に限らず、
     良き師・良き友を択(えら)んで、
     これに就(つ)けることを心掛けねばならぬ。

   四、父母は随時祖宗(そそう)の祭を行い、
     子供に永遠の生命に参ずることを
     知らせる心掛けが大切である。

   五、父母は物質的・功利的な欲望や
     成功の話に過度の関心を示さず、
     親戚交友の陰口を慎み、
     淡々として、
     専(もっぱ)ら平和と勤勉の家風を作らねばならぬ。

   六、父母は子供の持つ諸種の能力に注意し、
     特にその隠れた特質を発見し、
     啓発することに努めねばならぬ。

   七、人生万事、喜怒哀楽の中に存する。
     父母は常に家庭に在って
     最も感情の陶冶(とうや)を重んぜねばならぬ。

・・・

(4)【 5月5日 】 「大丈夫斯の世に生まれては」

   大丈夫斯の世に生まれては、志を立つる事高大なるを貴ぶ。

         安政4年10月3日「実之(さねゆき)、字(あざな)は賓卿の説」

   【訳】

   立派な男児はこの世に生まれたからには、
   志は高く、大きいことを重視するものである。

・・・

(5)《5日 断じて外界の“暗示”に屈従しない意志》

   反抗していても催眠術にかかる場合は、
   現在意識が“もう駄目だ”と自己崩壊的に意志がくだけて、
   みずから相手の暗示に屈従した場合のみである。

   この自己崩壊が起るのは、術者(催眠術をかける人)に対して
   被術者が劣等感をもっている場合である。
   つまり劣等感によって、自分が相手に圧倒され、
   譲歩を止むなくさせられるのである。

   しかし、斯うして催眠状態になってしまった場合でも、
   その人の現在意識が「これだけは秘密にして置かなければならない」
   と強く念じて来た事柄については、どんなに暗示をかけても、
   その秘密を告白しないのが、催眠術状態中の実際である。

   これによってみても、現在意識と云うものは、
   最後の最後まで自主的で、その人の主人公であることが判るのである。

        谷口雅春著『人生の秘訣365章』第5篇(P120~121) より

           <感謝合掌 令和2年5月5日 頓首再拝>
6:伝統 :

2020/05/06 (Wed) 20:00:14



(1)【 5月6日 】  はっきりした気持ちでやる

   どうすれば感覚器官を正確に使用する習性を現実につけられるか。

   まず第一に、諸事万事に応接するときに、
   「はっきりした気持ちでやる」ということ。

   何事に対しても、まずそのものの中から何かの興味を見いだすか、
   またはつくりだすかして、どんな興味のないものに対しても、
   必ず意識を明瞭にして応接する習慣をつくるようにする。

   何事をおこなう際にもけっして「何気なしにおこなわぬ」ことを心がける。


   つまり「有意注意力」を集中するという意味なんだ。

・・・

(2)【 5月6日 】 派閥の活用

   “派閥の解消”ということがよく問題にされる。
   しかし考えてみると、私は派閥というものはおよそ人間の集まるところ、
   どこにでもついてまわるものだと思う。

   派閥をつくるのはいわば人間の本能であって、
   いいとか悪いとかいう以前の問題ではないだろうか。


   それならば、むしろ派閥を肯定した上で、
   これを活用していくことを考えてはどうか。

   つまり、各人がバラバラでいるよりもいくつかのグループになっていた方が、
   全体としてまとめやすく、より能率的に事が運べるわけである。


   派閥は解消できない。むしろあっていい。
   大切なのは、派閥を真に生かす、心の高まりだと思うのである。

・・・

(3)【 5月6日 】 家庭教育

   いままで学校教育こそが
   教育だと思っておったが、
   しかしこのごろは
   ヨーロッパでもアメリカでも、
   教育は学校がやると思っているのは
   よほど後(おく)れた人間でありまして、

   あらゆる教育家・教育学者は、
   「教育はやっぱり家庭教育である。
    学校教育は家庭教育でできたものを受け取って、
    これに手入れをするところだ」
   と考えている。


   日本のように、
   教育と言えば、
   子供をどんな手段を使っても学校へ入れるんだ
   と考えているのは、
   文明国ではよほど後れておる。

・・・

(4)【 5月6日 】 「碩学鉅師あらば」

   学政必ずしも改めず、
   唯(た)だ碩学(せきがく)鉅師(きょし)あらば文興らざるを得ず、
   材士良兵あらば武(ぶ)隆(さかん)ならざるを得ず。

                    安政2年7月「獄舎問答」 


   【訳】

   教育にかかわる行政を必ずしも改めることはない。
   ただ、大学者や真摯に学問をしようとする先生がおれば、
   学問というものは盛んにならないことはない。

   また、才能があり、心ある武士がいれば、
   武道が盛んにならないことはない。

・・・

(5)《6日 既に受けたりと信じて感謝しなさい》

   吾々の自主的精神はこのように外来の暗示には断じて屈従しない
   と決意すれば屈従しないでいられるものなのである。
   そこに人間が「神の子」としての自主的権威があるのである。

   みずから発意し、選択した「想念」と、
   それと類似の波長を有する想念のみが、
   あなたの境遇となり、運命となってあらわれる。

   運命を好転しようと思うならば「想念」を変えよ。

   あなたの魂の底の底なる願いが何であるかを、よく見届けて、
   それが既に「實相」の世界に於いて実現しているのだと信じ、
   それが既に実現せる有様を「想念」にハッキリと描いて、

   「神よ、あなたが、それを実現し給いし事を感謝いたします」

   と心に唱えて神に感謝するがよいのである。

   感謝は「既に受けた」と云う念を一層ハッキリ心に描くことになる。
       
         谷口雅春著『人生の秘訣365章』第5篇(P121) より

           <感謝合掌 令和2年5月6日 頓首再拝>
7:伝統 :

2020/05/07 (Thu) 23:16:22


(1)【 5月7日 】  自己を作るものは自己なり

   他力依存の態度ではとうてい自己自身からの実現性が、
   なんとしても発揮されえない。


   「自己を作るものは自己なり」という真理は、
   まことに侵すべくもない絶対的なものである。

・・・

(2)【 5月7日 】 みずからを教育する

   人間の教育にはもちろん立派な校舎も必要であり、環境も必要でしょうが、
   それのみに頼っていてはならないと思うのです。

   行政の充実により、なるほど環境はだんだんよくなってくるでしょう。
   しかしそういう環境がつくられたとしましても、
   その中でそれぞれの人がみずからを処して、みずからを教育してゆく。

   自問自答しつつ、より高きものになってゆくということを怠っては、
   決して立派な人間は生まれてこないと思うのです。


   きょうよりあす、あすよりあさってと、
   みずからを高めてゆくところに人間の成長があり、
   またそこから立派な人間が生まれてくるのではないでしょうか。

・・・

(3)【 5月7日 】 人間の価値

   ずるいことをやったり、
   人を押しのけたりして、
   地位や財産をつくるのも
   人間の能力、知能の一つであります。


   それを使っていろいろのことができる。

   できるけれども、
   そんなことができても、
   これは人間としては少しも偉いことではない。

   社会的には偉いかも知れぬが、
   人間としてはむしろ恥(は)ずべきことであります。


   何を為(な)すか、
   何をしたかということと、
   彼はどういう人間か、
   如何(いか)にあるか、
   ということとは別である。

・・・

(4)【 5月7日 】 「君子道義の交わりは」

   君子の交(まじわり)は淡くして水の如く、
   小人の交(まじわり)濃(こ)くして醴(あまざけ)の如し。
   その味も知るべし。

   君子道義の交(まじわり)は、淡き故に久しうして変ぜず、
   小人利欲の交(まじわり)は濃き故に久しからずして変ず。

                    安政3年5月29日「講孟剳記」


   【訳】

   心ある立派な人の交際と言うのは、さっぱりしていて水のようである。
   つまらない人間のそれは、濃厚で、甘酒のようである。
   これをもって、交際のあり方を知るべきである。

   君子の、人としてのあるべき正しい道にかなった交際は、
   さっぱりとしているが故に、長期にわたり変わることがない。

   小人の利益や私欲を目的とした交際は、濃厚であるが故に、
   却って長続きせず、すぐに変わってしまう。

・・・

(5)《7日 神の子は「運命」に号令し得る》

   あなたの劣等感を捨てなさい。
   「人間・神の子」の真理を信じなさい。
   この真理を常に心に念じ、口ずさむようにしなさい。

   その時からあなたは自己自身を再創造し、
   自己の運命を再創造しはじめるのです。

   「人間は肉体である、朽ち果つべきものである」と云う劣等感で
   今まで造り上げて来た“あなた”自身と“あなたの運命”は、
   過去のものとなって消去(きえさ)るのです。

   あなたは「新しき人」となり、自主的な創造者となり、
   運命の前に屈従していた自分の殻を脱ぎ棄てて、
   運命を支配し得るものと成るのです。

   「神の子」は、自己の周囲にあらわれるところの
   全てのものを統帥する権利と力とをもつのである。

   「われ神の子なれば幸福な事のみ、健全な事のみ、善き事のみ引寄せる」
   と常に心に、言葉に、唱えて運命に号令せよ。

      谷口雅春著『人生の秘訣365章』第5篇(P121~122) より

           <感謝合掌 令和2年5月7日 頓首再拝>
8:伝統 :

2020/05/08 (Fri) 22:20:50


(1)【 5月8日 】  第一義的な活き方

   なんだろう第一義的な活き方というのは…。


   どんな場合にも、例えば、身に病があろうが、なかろうが、
   運命が良かろうが、悪かろうが、どうあろうが、こうあろうが、
   その他の人生事情のいかんに拘らず、いつも一切に対して、
   その心の力で、苦を楽しむの境涯に活きる活き方をするにあり。

   これが第一義的の活き方なのである。


   そのためには、まず第一に、人生に対する考え方を、
   積極的、すなわち尊く、強く、正しく、清くすることである。

・・・

(2)【 5月8日 】 社員学の第一歩

   社員はまず、社長をはじめ首脳者というものがいかに忙しい仕事をし、
   いかにその職責が重大なものであるか、ということを知っていただきたい。

   私は社員学の第一歩は、そこから始まると思う。

   またそういうように、社員が首脳者の苦労を知ると同時に、
   社長や会社の幹部は、社員の立場に対して理解を持ち、
   そして社員の働き、苦労に対して大いに感謝することが大切である。


   こういうようなことに双方がなると、どんな事業でも成功すると思う。
   またそういう考え方がどの程度にあるのか、ということによって、
   その会社の将来を非常にはっきりと判定できると思うのである。

・・・

(3)【 5月8日 】 器量と辞令

   「あれは器量人だ」という言葉が
   通俗用語になっておりますが、
   これは人間の具体的存在を
   器という字で表現しているもので、
   人間の大きさ、
   深さを量(はか)る言葉として
   用いている言葉であります。
 

   あれは頭が良い、よく出来る。
   けれども人を容(い)れない。
   人を用いる量がない。
   深みがないなどといわれる人があります。
   度量、器量ということが
   良く考えられなければならないわけです。


   もう一つ人物の応対辞令という言葉がありますが、
   応対というのは、
   いろいろな問題に応じて
   きびきびと処理してゆくことであり、
   辞令とは事に対して
   自分の考えを適確に表現してゆくことです。


   この応対辞令は大変大事でありますが、
   俄(にわ)か仕立てではどうにもなりません。
   結局平素の修業に
   俟(ま)つほかはないのであります。

・・・

(4)【 5月8日 】 「進むこと鋭き者は」

   其の進むこと鋭(するど)き者は、
   其の退(しりぞ)くこと速(すみや)かなりと。

   已(や)むべきに於いて却って已(や)めず、
   薄くする所に於いて却って厚くする者、
   一旦の奮激(ふんげき)にてすることにして、
   真に誠より発し終始衰えざる者に非ず。

   故に其の進鋭の時に方(あた)りては、
   已(や)めざる者も厚き者も或は及ばざることあり。

   而(しこう)して其の退くの速やかなる、
   時去り勢い変じ、索然(さくぜん)跡(あと)なきに至る。

                    安政3年5月29日「講孟剳記」


   【訳】

   調子よく進む者は、退くことも早いという。

   やめるべき時にやめず、適当でいい時に、かえって手厚くする者は、
   一時的な感激で行っているだけである。

   本当にまごころから行い、ずっと(そのきもちが)衰えない者ではない。

   だから、その調子よく進めている時には、
   やめない者も、手厚くする者も、
   (心あるひとでも)とても及ばないように見える。

   しかしながら、(そのような調子のいい人間は)退く素早さといえば、
   時勢が去り、勢いが変われば、全く跡形もなくなるようなものだ。

・・・

(5)《8日 事件は事件でなく「想念」そのものである》

   心は常に積極的に、そして明るく建設的に、有(も)つべきものである。

   若しあなたの想念が、消極的に陰気くさく破壊的な方向に
   偏向(かたむ)いているならば、あなたの計画や行動は、
   自然に破壊的な、消極的な、不建設的な傾向をもって来(く)るから、
   する事なす事、何事も失敗に終ると云うことになり勝(かち)である。

   だから破壊的な感情や、腹立っているときに、手紙を書いたり、人に面会したり、
   物事を計画したりすると、とんでもない不結果を招くことになり勝である。

   あなたの身辺に起る「具体的な事件」は、あなたの「想念」の結晶である。
   「事件」は実は事件ではなく、「想念」そのものなのである。
   あなたの「想うところのもの」があなたの「事件」である。

   しかし劣等感を潜在意識の底にもっている限り、
   その人の想うところの「想念」は劣等な、自己萎縮的なものとなり、
   あなたの運命も優れたるものとは成り得ないのである。

       谷口雅春著『人生の秘訣365章』第5篇(P122~123) より

           <感謝合掌 令和2年5月8日 頓首再拝>
9:伝統 :

2020/05/09 (Sat) 19:00:35


(1)【 5月9日 】  笑いは人間の特権

   平素人生に活きる時に、つとめて明るく朗らかに
   活き活きと勇ましく活きる努力を実行すべきである。


   と同時に、この意味において私は、大いに「笑い」ということを礼賛する。

   笑えば心持ちは、何となくのびのびと朗らかになる。

   この簡単な事実を案外多くの人は見逃している。

   人間は万物の霊長として重い大きな負担を負っている。

   笑いはその疲れた心や体を、
   ほどよく調和させるように人間に与えられているものである。

・・・

(2)【 5月9日 】 衆知を集める経営

   会社の経営はやはり衆知によらなければいけません。
   何といっても、全員が経営に思いをいたさなければ、
   決してその会社はうまくいかないと思うのです。

   社長がいかに鋭い、卓抜な手腕、力量を持っていたとしても、
   多くの人の意見を聞かずして、自分ひとりだけの裁断で事を決することは、
   会社の経営を過つもとだと思います。

   世間一般では非常にすぐれた一人の人がワンマンで経営すれば、
   事がうまくいくということをよく言いますが、
   社長一人で事を遂行することはできませんし、たとえできても、
   それは失敗に終わるだろうと思います。

   やはり全員の総意によっていかになすべきかを考えねばならないと思うのです。

・・・

(3)【 5月9日 】 三日書を読まざれば ①

   黄山谷(こうざんこく)に次のような名高い語があります。

   「士大夫(したいふ)三日書を読まざれば
    則(すなわ)ち理義胸中に交わらず。
    便(すなわ)ち覚ゆ、
    面目・憎むべく語言・味なきを」


   書は聖賢の書。
   理義は義理も同じで、理は事物の法則、
   義は行為を決定する道徳的法則であります。

   大丈夫たるものは三日聖賢の書を読まないと、
   本当の人間学的意味における哲理・哲学が
   身体に血となり肉となって循環しないから、
   面相が下品になって嫌になる、
   物を言っても言語が卑(いや)しくなったような気がする
   ──というのであります。

・・・

(4)【 5月9日 】 「豈に人に由らざらんや」

   忠孝仁義の訓(おしえ)は経籍(けいせき)にあれども、
   其の躬行(きゅうこう)心得(しんとく)に至りては
   豈(あ)に人に由(よ)らざらんや。

                    安政3年6月4日「講孟剳記」


   【訳】

   忠孝仁義という教えは、儒学の経典にはあるが、
   それをみずから実際に行い、心に刻むということは、
   どうして人によらないことがあろうか。
   ありはしない。

・・・

(5)《9日 境遇は“鉄の鎖”ではない》

   劣等感だと自覚していないで人類の大多数がもっている劣等感は
   「人間は境遇によって支配される」と云う考えである。

   誰でも持っていがちなこの考えは、
   「人間は境遇の奴隷だ」と云う意味をもつ奴隷的な劣等感である。

   「境遇がよくならなければ、どうにもならない」と考える人にとっては、
   境遇はその人を縛っている鉄の鎖であり、
   いつまでもその人は縛られていて、悪い境遇から脱することはできない。

   境遇の鎖に縛られる心を捨てよ。
   その瞬間からあなたは自主的な人間に一変する。

   自己を境遇の前に屈従させてはならない。
   「境遇が人間を支配する」と云う考えから
   「人間が境遇をつくる」と云う考えに転向しなければならない。

   境遇と云う具体的な状態は、
   実はあなたの想念が外界に具体化したものに過ぎない。

        谷口雅春著『人生の秘訣365章』第5篇(P123) より

           <感謝合掌 令和2年5月9日 頓首再拝>
10:伝統 :

2020/05/11 (Mon) 00:00:33


(1)【 5月10日 】  信念は煥発するもの

   我々がこうやって活きているのは、多少なりとも信念があるからである。

   どうすれば信念が確立され、強くなるか。

   それはまず、「信念を煥発すること」である。


   信念は煥発しなければ、強くならないのである。

   信念は出たくてうずうずしているのに、
   消極的な観念がそれにフタをしていて、心の底の底の底に、
   いつのまにか下積みされてしまったのである。

   信念が煥発されてくると、事あるときも常に事なきのようになれるのである。

・・・

(2)【 5月10日 】 熱意あれば

   人の上に立つ指導者、管理者としての要諦というものは、
   いろいろ考えられるけれども、
   その中でも最も大事なものの一つは、熱意ではないかと思う。

   非常に知恵、才覚において人にすぐれた首脳者であっても、
   この会社を経営しようということに熱意がなければ、
   その下にいる人も、「この人の下で大いに働こう」という気分に
   なりにくいのではないだろうか。

   そうなっては、せっかくの知恵、才覚もなきに等しいものになってしまう。
   みずからは他に何も持っていなくても、熱意さえ保持していれば、
   知恵ある人は知恵を、力ある人は力を、才覚ある人は才覚を出して、
   それぞれに協力してくれるだろう。

・・・

(3)【 5月10日 】 三日書を読まざれば ②

   本当の学問というものは、
   血となって身体中を循環し、
   人体・人格をつくる。

   したがって、それを怠(おこた)れば
   自ら面相・言語も卑しくなってくる。

   それが本当の学問であり、
   東洋哲学の醍醐味(だいごみ)もまた、
   そういうところにあるわけであります。

・・・

(4)【 5月10日 】 「天下の理勢明白的切」

   人の父を敬すれば、我が父を敬す。
   人の兄を敬すれば、人我が兄を敬する。

   天下の理勢(りせい)明白(めいはく)的切(てきせつ)、
   斯くの如し。

                    安政3年6月4日「講孟剳記」

   【訳】

   人の父を敬えば、(その人は)私の父を敬ってくれる。
   人の兄を敬えば、私の兄を敬ってくれる。

   人の世のなりゆきというものは、明らかで疑う余地がなく、
   全く人情と一致している。
   まさにこのようなものである。

・・・

(5)《10日 人物を大きく調和あるものにしなさい》

   人を容れない心の人は、その運命が発達しない。
   すべての人と物とを包容して育てる心がない限りは、
   その人の運命は小さく縮むほかはないのである。

   すべての人と物とを拒絶することによって、
   其の人は清廉潔白のように見えるかも知れぬけれども、
   実はその人の「小ささ」をあらわすに過ぎないのである。

   その人の「狭さ」のゆえに、その人の才能が世間に認められず、
   従ってその人の運命はのびないのである。

   その人の運命が伸びないのは清廉潔白と云う美徳のためではなく、
   “小ささ”及び“狭さ”と云う劣等感が露呈することになるのである。

   また頭が明晰で常に人を非難し、欠点をあげつらう性質がある者は、
   その頭脳明晰と云う美徳のためではなく、身辺に不調和な摩擦を起す
   と云う劣等感のために、その人は重く用いられないで昇進もおそくなるのである。

   あらゆる事業は調和の中に伸びて行くものであるから
   不調和な人間は事業から嫌われるのである。

      谷口雅春著『人生の秘訣365章』第5篇(P123~124) より

           <感謝合掌 令和2年5月10日 頓首再拝>
11:伝統 :

2020/05/11 (Mon) 22:43:46


(1)【 5月11日 】  安眠を得ようとすれば

   その日その時の活力の消耗の程度に応じて、
   言い換えれば、生命の要求する時間を睡眠するというのが
   最も自然法則に順応している。


   本当に眠くなってから寝るようにすること。

   ムリに眠ろうとせず、ゆうゆうたる気持ちで眠くなるまで待とうと
   のんきな気持ちをもつことが何より必要である。


   要は、昼間できるだけこまめに肉体筋肉を働かすことである。

   何もしないで安眠を得ようと望むのは、
   あまりにも虫のよい考え方と笑うべきである。

・・・

(2)【 5月11日 】 気分の波をつかまえる

   人間というものは、気分が大事です。
   気分がくさっていると、立派な知恵才覚を持っている人でも、
   それを十分に生かせません。

   また別に悲観するようなことでなくても悲観し、ますます気が縮んでいきます。

   しかし気分が非常にいいと、いままで気づかなかったことも考えつき、
   だんだんと活動力が増してきます。


   私は人間の心ほど妙なものはないと思います。
   非常に変化性があるのです。
   これがつけ目というか、考えなければならない点だと思います。

   そういう変化性があるから、努力すれば努力するだけの甲斐があるわけです。
   そういう人間の心の動きの意外性というものを、
   お互いにつかむことが大事だと思うのです。

・・・

(3)【 5月11日 】 喜怒哀楽を学ぶ

   よく人は学問とか修業とかいう事を間違って、
   喜怒哀楽をしなくなることだと誤解するが、
   決してそうではない。

   それでは学問・修業というものは
   非人間的なものになってしまう。

   学問を為(な)す要は、
   いかに喜び、
   いかに怒り、
   いかに哀(かな)しみ、
   いかに楽しむか
   というところにある。

・・・

(4)【 5月11日 】 『大才能の人は』

   君子の人を教うるは、人君の人を用うると異なることなし。
   人を用うるの法、大才能の人は始めより大任重職を命ず。

   而して其の人亦自ら奮励し、
   大いに其の忠思をのぶること、猶ほ時雨の化するが如し。

   若し大才能の人を瑣事賤役に役使すれば、其の人必ず厭怠して之が用たらず。
   教えも亦然り。

                    安政3年5月29日「講孟剳記」

   【訳】

   心ある立派な人が人を教えるというのは、殿様が人を任用することとちがいはない。
   人を任用する方法は、すばらしい才能を持っている人には、
   最初から大きな任務や重要な職を命じる。

   すると、その人は更に自分から発奮して、大いに忠なる思いを発揮するだろう。
   それは、時雨が自然に天地の万物を生じ育てることと一緒である。

   もしも、すばらしい才能を持った人をつまらない仕事や使役などに使えば、
   その人は必ず嫌気を起し、役に立たなくなってしまう。
   人に教えるということもまた同様である。

・・・

(5)《11日 暗黒面を見るよりも光明面を見よ》

   人の欠点を見るよりも美点を見る習慣をつけよ。
   人の光明面を見るように心掛けよ。

   美点や光明面を見る心の習慣をつけることによって、
   美点や光明面の映像が自分自身の潜在意識に印象せられる
   ことになるのである。

   そして、その印象された美点と光明面とが自分自身の性格として
   顕れて来ると共に、自分の身辺にも美しさや明るさが実現することになる。

   他(た)の人の美点や明るさを常に自分に移入することによって、
   自分自身が素晴しくなるのである。

   不幸や暗黒に同情するよりも
   幸福や光明に同調することによって人間は一層伸びる。


   「あの人は不幸な人だ」と涙をかき垂れるよりも、
   「あの人は不幸に見えているけれども、その實相は神の子で
    幸福になり得る要素が内在するのだ」と、

   その實相の光明面を拝み顕すことによってのみ、
   その人を起上(たちあが)らすことが出来るのである。

        谷口雅春著『人生の秘訣365章』第5篇(P124~125) より

           <感謝合掌 令和2年5月11日 頓首再拝>
12:伝統 :

2020/05/12 (Tue) 22:57:20


(1)【 5月12日 】  不断の心がけ

   ちょっとでも不満や不平を心に感じるようなときは、
   よりいっそう、それを感謝に振り替えることに努力するように習性づける。


   この心がけをいかなる場合にも不断のものとするべきである、
   とあえて痛烈に勧奨する。

・・・

(2)【 5月12日 】 使い捨てと経済性

   高度成長の時代に「使い捨て」「消費は美徳」という考え方が浸透しました。
   私は時どき注射を打ちますけれども、見ていると一度使った注射器をすぐ捨てています。

   もったいないじゃないかと言ったら、
   消毒するガス代、水道代、洗う手間を考えたら捨てる方が安いというのです。

   なるほど、生産の経済性というものがそこまで上がったのかと驚きました。


   使い捨てというとたいへんもったいなく思えますが、
   実は経済の法則にかなっているのです。

   しかし昔のことを知っている人間には、やはりもったいないという考えはある。
   その考えは尊く、それはそれで残し、経済性も重んじるということが必要だと思います。

・・・

(3)【 5月12日 】 学問の目的

   それ学は通(つう)の為にあらざるなり。

   窮(きゅう)して困(くる)しまず、
   憂(うれ)へて意(こころ)衰(おとろ)えざるが為なり。

   禍福終始(かふくしゅうし)を知って
   惑(まど)わざるが為なり。〔荀子〕


   通とは通達するということです。
   学問というものは
   決して出世や生活のための手段ではない。

   窮して悲鳴をあげたり、
   心配事のために
   直(す)ぐぺしゃんこになるようでは学とは言えない。

   何が禍であり何が福であるか、
   如何(いか)に始まり如何に終るか、
   ということを知って
   惑わざるが為である。

・・・

(4)【 5月12日 】 「塾とは」

   今の学ぶ所の※四書五経は、皆聖人の学なり。
   然るに善の善に至らざるは、塾の一字を闕(か)くなり。

   熟とは口にて読み、読みて熟せざれば心にて思いひ、思ひて熟せざれば行ふ。
   行うて又思ひ、思ひて又読む。
   誠に然らば善の善たること疑ひなし。 

                安政3年3月28日「講孟剳記」

   【訳】

   今人々が学んでいる四書五経は、孔子、孟子が説いた教えを記したものである。
   それなのに、善の善たる境地に達することができないのは、
   「熟」という一字を欠いているからである。

   「熟」とは、口で読み、読んで熟さないなら、
   思索、つまり、物事のすじみちを立てて深く心で考え、
   思索しても熟さないならば行動する。

   行動して、また、思索し、思索してまた読む。

   本当にこのように努力すれば、「熟」して、
   善の善なる境地に達することは、疑いないことである。

    ※四書とは、『論語』・『孟子』・『大学』・『中庸』。
     五経は、『易経』・『詩経』・『書経』・『春秋』・『礼記』をいう。

・・・

(5)《12日 富は自分の“心”と“福田”の中にある》

   資本主義の経済組織の中には欠陥もあり、無数の悪徳が行われており、
   弱者をいじめて狡猾な人間が巨利を博(はく)しているような事実もある。

   しかし向上と進歩と昇進とへの平和的自由がない訳でもないのである。

   若しあなたが昇進の道がふさがれているならば、自分自身を正直に眺めれば、
   その昇進が得られない理由を自分の心境自身のうちに見出し得るに
   相違ないのである。

   誰かが不正な方法によって富を得たからとて、
   自分も其の方法によって富を得ようなどと考えてはならない。

   本当の「富」の実質は「福田」である。
   形ある富は「福田」の影に過ぎない。

   不正な方法によって得たる富は、「福田」と云う背景のない富であるから、
   夢にあらわれる“幻”の如く短時間に消えて行く、

   「福田」のある富はフィルムのある映画の如く、
   いつでも「福田」のフィルムさえ上映させたら、
   現象界に“富”があらわせるのである。

        谷口雅春著『人生の秘訣365章』第5篇(P125) より

           <感謝合掌 令和2年5月12日 頓首再拝>
13:伝統 :

2020/05/13 (Wed) 23:50:29


(1)【 5月13日 】  原因のないものはない

   およそこの世のありとあらゆる事物の中に、
   原因のないものは絶対に、一つとしてありえないのである。


   このことか絶対真理であるということは、
   自分の言動や仕事などの結果に、何か意に満たぬものがあるとき、
   それを仔細に検討すると、必ずや「力」か「勇気」か、
   もしくは「信念」が欠如していたがためだという、原因的事実がある。

・・・

(2)【 5月13日 】 プロの自覚

   私は以前、寄席で短剣投げを見たことがある。
   それは、女の人を壁の前に立たせ、そのからだスレスレのところに次から次へと、
   20本あまりの短剣を投げるのである。

   そのときに私は“これがプロだな”と感じた。

   わずかでも手もとが狂えば、人の命にかかわるのである。
   それを毎日毎日やり続けて一つの失敗もないというのは、実に大変なことである。
   しかし、それをやり遂げるのがプロである。


   考えてみれば、サラリーマンの仕事でも一緒である。
   こういう厳しい境地に立って、はじめて一人前として給料がもらえるということであろう。
   今日のサラリーマンに要求されるのは、アマチュアではない“プロ”の仕事である。

・・・

(3)【 5月13日 】 母

   明治初期に、儒者としてもクリスチャンとしても、
   又教育家文学者として典型的な君子人、
   中村敬宇(けいう)に「母」と題する名文がある。


   「一母有り。四才児を携(たずさ)えて一牧師に問うて曰く、
    子を教うるは何才を以て始めと為(な)すかと。
    牧師對(こた)えて曰く、汝(なんじ)の笑顔の光、
    小児を照せしより、子を教うるの機會(きかい)始まると、
    鳴呼(ああ)、世、固(もと)より
    此(こ)の母の機會を失う如(ごと)き者多し。

    今世の人、口を開けば聊ち文明と曰い、
    而(しこう)してその本原に昧(くら)し、
    余嘗(か)って謂(い)う、国政は家訓にもとづき、
    家訓の善悪は則(すなわ)ち、その母にかかわる。
    母の心情、意見、教法、礼儀は
    其(そ)の子他日の心情、意見、教法、礼儀なり。
    斯(ここ)に知る、一国の文明は、その母の文明に本づくことを。」

             ・・・

    <参照Web>
     http://sweet-deco.seesaa.net/article/199911400.html

     http://blog.livedoor.jp/juncomo/archives/51042405.html

・・・

(4)【 5月13日 】 「心ならずの処に」

   都(すべ)て人は心ならずの処に真情は発するものなり。
   慎まざるべけんや。
   是れを慎まんとならば、亦平素独りを慎み誠を積むにあるのみ。 

                    安政3年6月4日「講孟剳記」

   【訳】

   全て人というものは、思いがけないところで不用意に、
   そのいつわりのない心(本心)を現するものである。

   慎まなければならない。
   慎もうとすれば、また、日頃、自分自身を慎み、
   まごころを積み重ねていくだけである。

・・・

(5)《13日 “福田”はフィルムであり現実の“富”は映画である》

   他(た)の人の現在の収入が多いことを羨しく思ってはならない。

   それは「富」を否定する心である。

   何よりも大切なのは、実際自分がその受取っている給料に
   相応しい働きをしているかと云うことである。

   若し、それに相応しくない、受取る額よりも足りない働きしか
   献げていなかったならば、それは「福田」を減らしつつあり、
   言わば、“富”の映画のフィルムを毀し(こわし)つつあるのである。

   正直に自己批判することが必要である。

   みずから省みて、自分の受けつつある“富”(又は給料)が
   自分が人生に献げつつある貢献の量にふさわしいと思うならば、
   尚一層、その貢献の量をふやすことによって「福田」をふやすがよい。

   「福田」と云うものは「天の銀行」に預けたる預金のようなものである。

   若し大いに人生に貢献して「天の銀行」に預金がある筈なのに
   現在の収入が足りないと云うのであれば、
   それは預金の引出し手続きを知らないからである。

        谷口雅春著『人生の秘訣365章』第5篇(P126) より

           <感謝合掌 令和2年5月13日 頓首再拝>
14:伝統 :

2020/05/14 (Thu) 21:37:05


(1)【 5月14日 】  絶対積極と相対積極

   精神の積極状態というのは、
   厳密にいうと「絶対積極」と「相対積極」の二つに分類される。


   絶対積極とは、「何事に対しても虚心平気の状態」をいい、
   相対積極とは「何事に対しても、できうる限り明朗、恬淡、
   溌剌、颯爽として対応すること」をいう。


   いずれにしても、人生建設の先決要諦である健全精神の完成は、
   その基本条件である精神状態を絶対積極の状態に到達させることである。

・・・

(2)【 5月14日 】 母の愛

   私は今でも、大阪へ奉公に出る息子の私を駅まで送ってきてくれた母の姿を、
   はっきりと心に浮かべることができる。

   涙で語ってくれた注意の言葉、汽車が出るまでしっかり握って離さなかった手のあたたかみ……。
   そのときの母の思いは、大阪へ行ってからの私の幸せ、私の健康を、
   言葉では言いあらわせないくらい心に念じていてくれたんだ、としみじみ感じる。


   このように、あふれるようなというか、ひたすらな母の愛というものは、
   今も私の心に脈々と生き続けているのであって、これまで仕事を進めてこられたのも、
   私の将来というものを心から祈ってくれた母の切なる願いの賜ものであろうと思っている。

・・・

(3)【 5月14日 】 道徳の本義

   道徳というものは、非常に誤解されておりますが、
   その本義は、単なる動物的生活ではなくて、
   意識・精神・霊魂を持った高級な人間の生命活動を言うのであって、
   道徳によってはじめて人間は存在し、生活し、発達することが出来る。

   肉体で言うならば、飲食や呼吸と同じことであります。

   従って生命を抑圧したり、
   一つの型にはめたりするのは決して道徳ではない。

・・・

(4)【 5月14日 】  仁とは人なり

   仁とは人なり。
   人に非ざれば仁なし。
   禽獣是れなり。

   (中略)

   世には人にして仁ならざる者多し。
   又人を離れて仁を語る者最も多し。
   今の読書人皆是れなり。 

                 安政3年6月7日「講孟剳記」

   【訳】

   仁とは、人が人である根本である。
   人でなければ仁はない。
   鳥や獣がこれである。

   (中略)

   世の中には、人であっても仁のないものが多い。
   また、(自分のことを棚に上げて)仁を語るものが最も多い。
   今の書を読む人はみんなそういう類である。

・・・

(5)《14日 福田銀行から預金を引出すには?》

   「天の銀行」(福田銀行)では
   預金なしで前渡しをすると云うことはないのである。

   しかし預金(「福田」)があっても引出し方法が悪いと
   預金が引き出されないことがある。

   あなたにたとい能力があっても、その能力をあらわすことをしなかったら、
   それは預金帳を示さないようなものである。

   自分の能力を示すあらゆる機会を利用して自分の能力を
   ”他(た)の人の為になる”方向に発揮することが大切である。

   これが「福田」の預金帳を示して、そこから”富”を引き出すところの
   ただしい手続きなのである。

   あなたの能力だけが「福田」ではない。
   あなたの全人格があなたの預金帳である。

   あなたの日々想うこと、その感情の高邁さや浅薄さは、悉くあなたの
    ”全人格”と云う預金帳に記載され、それが”全人格”と云う雰囲気となって、
   「天の銀行」に提示され、その記録に従って預金が引き出される。

        谷口雅春著『人生の秘訣365章』第5篇(P126~127) より

           <感謝合掌 令和2年5月14日 頓首再拝>
15:伝統 :

2020/05/15 (Fri) 19:31:05


(1)【 5月15日 】 「思いやり」の実行

   思いやりの気持ちがいかに貴いかは誰でも知っているが、
   実行できているかというと、意外とそうではない。

   それは、その人の人生観が自己中心主義にかたよっているためである。

   これを解決するには、第一にこの世の万物万象が、
   互いに助け合って調和をはかりながら存在しているという事実を知ることである。


   人生に起こるすべてのことをスムースに解決する秘訣は、
   「もし仮に、自分が相手の立場にいたらどうであろうか?」と、
   そのつど考えることである。

・・・

(2)【 5月15日 】 業界の信用を高める

   どんな商売もそうでしょうが、自分の店が発展、繁栄していくには、
   そのお店の属している業界全体が常に健全で、
   世間の人びとから信用されていることが非常に大事だと思います。


   もしそうではなく、業界の中に不健全な店が多ければ、
   「あの業界はだめだ、信用できない」ということになって、
   その業界に属する個々の店も、同じような評価を世間から受け、
   商売は成り立っていきにくくなるでしょう。


   ですから、お互い商売を進めていく上で、
   自分の店の繁栄をはかることはもとより大事ですが、それと同時に、
   他の店ともうまく協調して、業界全体の共通の信用を高めることを配慮することが、
   きわめて大事だと思うのです。

・・・

(3)【 5月15日 】 慈悲の菩薩

   私は子供の時からお地蔵さんが好きであった。
   年をとった今日でも旅の途次(とじ)、ふと地蔵像を見かけると、
   足を停(と)めて拝(おが)む。

   地蔵さんは釈迦仏(しゃかぶつ)没して、
   彌勒(みろく)仏のまだ世に出でたまわぬ
   所謂(いわゆる)無仏時代に現れて、
   千体地蔵といわれるように、様々の形を取って、
   罪苦(ざいく)になやむ衆生(しゅじょう)を
   済(すく)わんと努力する慈悲の菩薩(ぼさつ)である。

   一王は発願(ほつがん)して
   早く成仏(じょうぶつ)せんことを望んだが、
   一王は発願して永く罪苦の衆生を救いたく、
   その為には自分が成仏できなくともよいとした、
   所謂悲願に徹したのが即(すなわ)ち地蔵菩薩である。

   地蔵さんほど衆生に親しまれているものはない。

・・・

(4)【 5月15日 】 唯(た)だ人の善のみを見る

   余平素行篤敬ならず、言忠信ならずと云へども、
   天性甚だ柔懦迂拙なるを以て、平生多く人と忤はず、

   又人の悪を察すること能はず、唯だ人の善のみを見る。 

                  安政3年6月7日「講孟剳記」

   【訳】

   私は日頃、行いは忠実でも慎み深くもなく、言葉は誠実でも正直でもないが、
   生まれつき、大変臆病で、世間の事情にうとく、愚かな性格なので、
   普段は人と衝突しないようにしている。

   また、人の悪い所を探し出すことができず、
   ただ人のよき所だけを見るようにしている。

・・・

(5)《15日 あなたの能力と愛とを表現なさい》

   あなたの“全人格”の奥には無限に完全なる“神の子”なる“實相の人格”がある。
   しかしその周囲には、あなたの想念感情によって作られた
   “第二の人格”がとり巻いている。

   そして、その表面には重濁した“肉体”なる被服が取巻いているのであるから、
   誰でも一見して、あなたの“實相の完全さ”やふだんの想念感情の集積によって
   つくられた“第二の人格”の“素晴しさ”や(或いは醜さや)を必ずしも
   一見して見ることはできない。

   だから貴方はあらゆる機会に、自分の内部にある“素晴しさ”を
   人々に示すことを惜しんではならない。

   表現しないと無効であるのは、両親が、深い愛情を自分の子供にもちながらも、
   その愛情を表現する方法に拙劣であるために、子供が両親から愛されていないと思い、
   両親にそむいて不良の群に投じて行く実例によっても明かである。

   親子の間でも此の通り、表現が大切である。

       谷口雅春著『人生の秘訣365章』第5篇(P127~128) より

           <感謝合掌 令和2年5月15日 頓首再拝>
16:伝統 :

2020/05/16 (Sat) 23:52:50


(1)【 5月16日 】  心身統一法は修行にあらず

   心身統一法の目的は、
   「人間の生命に賦与された本然の調和の力の完全発揮」であるが、
   この方法を修行として行ったのでは第二義的となる。


   では、第一義的とは何かというと、
   それは講習や書籍、あるいは行修を通して教える各種の方法を、
   日常行事として行うことである。

   すなわち、特別な機会に特別な気持ちで行うなどと錯覚してはいけない。


   だから、一人一人の日常生活のそれ自体が、
   その人にとっての心身統一法そのものでなければならない。

・・・

(2)【 5月16日 】 人間観を持つ

   人間の幸せを高めていくためには、まず人間が人間を知ることが大切だと思う。

   言いかえれば、人間とはどういうものであり、
   どういう歩み方をすべきであるかという正しい人間観を持つということである。

   そうした人間に対する正しい認識を欠いたならば、
   いかに努力を重ねても、それは往々にしてみのり少ないものになってしまい、
   ときにはかえって人間自身を苦しめることにもなりかねない。


   そういう意味において、指導者がまず正しい人間観、社会観といったものを生み出し、
   それに基づく指導理念を打ち立てていくならば、
   それはきわめて力強いものになってくると思うのである。

・・・

(3)【 5月16日 】 自然訓

   一、人は一つの自然である。
     われわれは自然の如(ごと)く真実でなければならぬ。
 
   一、自然はすこやか(健)である。
     われわれも常に怠(おこた)ることなく努めよう。

   一、自然は造化である。
     われわれもかたくな(固陋〔ころう〕)にならず、
     一生自己を進化してゆこう。

   一、自然は無限である。
     われわれも大海・虚空の如く心胸を開こう。

   一、自然は円通(えんつう)である。
     われわれも万物一体の妙理を学んで安心立命を深めよう。

・・・

(4)【 5月16日 】 政を為すの要は

   政(まつりごと)を為(な)すの要(よう)は、
   人々をして鼓舞(こぶ)作興(さっこう)して、
   各々(おうおう)自(みずか)ら淬励(さいれい)せしむるにあり、

   (中略)

   而(しこう)して其の術(すべ)・賞罰の二柄(にへい)にあり。

                    安政2年6月朔日「福堂策」

   【訳】

   政治を行う上でのポイントは、
   人々を激励してやる気にさせ、それぞれが自分から努力しよう
   という気持ちにさせることである。

   (中略)

   そして、その方法は、褒めることと叱ることの2つである。

・・・

(5)《16日 自己の内在価値を高めよ》

   表現も単なる表出又は表情の程度からデモンストレーション(表現の行動化)
   になるに至って驚くべき効果をあらわす。

   日教組のジグザグ行進や社会党の審議サボタージュなども、
   その演出効果によって、あたかも、それが国民の与論であるかのような
   印象を全国民に与えたのである。

   すべて表現の行動化がないときには内容は埋もれてしまって、
   対人的な効果をあらわすことができなくなるのである。

   しかし、“外へ”“外へ”と「みせびらかし」をやっていると、
   却って「内容の浅さ」が看破られることもあるので、外へ表現すると同時に、
   内容の深さを増すように心掛けねばならない。

   内容の深さを増すためには、「実相人格」たる“神の子”を掘り出すために
   神想観を怠らず続けると共に、神想観によって得られたる自覚を
   現実の能力化するために、“勉強する”ことが大切である。

   自己の現実を正しく評価し、その現実値を高めねばなりません。

       谷口雅春著『人生の秘訣365章』第5篇(P127~128) より

           <感謝合掌 令和2年5月16日 頓首再拝>
17:伝統 :

2020/05/17 (Sun) 23:16:51


(1)【 5月17日 】  健康的な住宅

   人間の生活に、住居がその緊要の条件の一つであることは、
   議論の必要のないことで、従ってこれに関する理解もまた重要である。


   でき得る限り風通しのよいこと。
   すなわち言い換えれば、空気流通のよいこと。

   日当たりのよいこと。
   すなわち、言い換えれば明るい室をもつ家であること。

   この二つの条件が具備されている家なら、
   たとえバラックでも、完全な健康的住宅であるといえるのである。

・・・

(2)【 5月17日 】 悩んでも悩まない

   われわれ人間は、たえずといっていいほど悩みにつきまとわれる。
   しかし私は、悩みがあるということは、人間にとって大事なことではないかと考えている。

   なぜかというと、常に何か気にかかることがあれば、
   それがあるために大きなあやまちがなくなる。
   心がいつも注意深く活動しているからである。


   だから、悩みを持つことは、むしろプラスにつながる場合が多い。
   したがって悩みに負けてしまわず、自分なりの新しい見方、解釈を見出して、
   その悩みを乗り越えていくことが大切である。

   悩んでも悩まない、そういうように感じることができれば、
   人生は決して心配することはない。

・・・

(3)【 5月17日 】 入 道

   富貴(ふうき)の地位、つまり支配的・指導的地位に
   いつまでもしがみついているということは
   芳(かんば)しからぬことである。

   いい年になったら早く後継者にその地位・財産を譲って、
   真実の生活に入るべきものである。
 
   これを入道(にゅうどう)という。

・・・

(4)【 5月17日 】 倏忽の間なり

   山径(さんけい)の蹊間(けいかん)は、
   是を用ふれば其の路(みち)を成すこと倏忽(しゅつこつ)の間なり。
   又用いざれば茅草生じて是を塞ぐこともまた少頃(しょうけい)の間なり。
   人の心も亦然り。

                  安政3年6月7日「講孟剳記」

   【訳】

   山の中の小道は、毎日人が通れば道となることは瞬時のことである。
   また、通らなければ、茅や草が生え、塞がってしまうことも暫時のことである。

   心の雑草を取り続けなければ塞がってしまうことは、人の心も全く同じである。

・・・

(5)《17日 何故あなたは平凡な社会的地位にとどまるか》

   いつまでも詰らない地位に停っている人々は、周囲から
   「あの人は普通以上の人ではない。平凡の人に過ぎない」
   と思われており、

   その周囲の精神波動(暗示)を、あなた自身の潜在意識に印象され、
   潜在意識に印象された観念の通りに素直に、
   “自己の能力”として表現しているからである。

   周囲の暗示の通りに受動的に身を委せている限りに於いては、
   あなたは周囲があなたを想像している通りに
   平凡人になるより仕方がないのである。

   周囲の人々の想像を乗り超えて、予想外の成績をあらわしてこそ、
   周囲の認識の眼が変って来、周囲の精神波動が、
   あなたの「より優れたる面」を見て賞讃する念波を送ることになり、

   自己の能力の“自己開発”と周囲の“賞讃の念波”との協同作用によって、
   益々あなたの能力も増進するし、あなたの職業上の地位も
   たかまって来るのである。

        谷口雅春著『人生の秘訣365章』第5篇(P129) より

           <感謝合掌 令和2年5月17日 頓首再拝>
18:伝統 :

2020/05/18 (Mon) 18:55:17


(1)【 5月18日 】  俗物

   感情の統御が完全にできず、わがまま気ままな、自分勝手な、
   独りよがりの気持、否、感情本位で人生に活きている人は、
   どんなに事業的に成功したように見えても、
   真理の目から見ると、ただ一個のエゴイスティックな
   卑しい下等な俗物としか考えられない。

・・・

(2)【 5月18日 】 国際化時代と日本人

   日本という国は、資源なき工業国として、
   今後とも世界の諸国との密接なつながりの中で生きていかなければならない。
   だから、いたずらに警戒されたり嫌われたりするようでは非常にマイナスである。

   そうならないためには、日本人お互いが、これまでの行き方を大いに反省し、
   また誤解があれば誤解をといてもらえるように、
   日本と日本人の考え方を正しく伝えていくことが必要である。

   そのためにもまず大事なことは、お互いにこの国日本と日本人自身というものの
   特性なり背景を、みずからしっかり把握することではないだろうか。
   そしてその上に立って、国際化時代に処する道を、ともども真剣に考え合うことだと思う。

・・・

(3)【 5月18日 】 「困」という字

   「困」という字は面白い。

   囲いの中に木を入れてある。

   木という物はぐんぐん伸びなければならない。
   それをこういう所へ入れてしまったら、
   これくらい木の困ることはない。

   つまり伸びられないというのが「困」という字である。
   閉じこめられてどうにも伸びようがない。
   頭を押さえられて伸びを止められてしまう。
   その苦しさを「困苦」というわけである。

   しかしこれはなかなか打開できない、
   難しい、これが「困難」。

   そうして縮(ちぢ)こまってしまうというのは、
   これは「困窮(こんきゅう)」。

・・・

(4)【 5月18日 】 聖人の胸中は

   聖人の胸中は常に多事にして楽しむ。
   愚人の胸中は常に無事にして楽しまず。 

                  安政3年6月7日「講孟剳記」

   【訳】

   心ある立派な人の胸の内は、いつも仕事が多くて、それを楽しんでいる。
   愚かな人の胸の内は、いつも仕事がなくて、楽しんでいない。

・・・

(5)《18日 何故あなたは昇進がおそいか》

   昇給がおそく昇進のない社員の大多数は、自分自身の能力を自己発見せず、
   自分自身の能力を表示行動に移すことをしないからである。

   自己自身さえ発見しないようなあなたの能力を
   他の人が発見してくれると云うことは無理であるし、

   また第六感や霊的感覚に目ざめていない世間の人が、
   あなたが特に行動化して表現しない潜在能力を見つけ出してくれる
   と期待することも無理である。

   何よりも大切なのは、現在その職業収入以上の働きを
   社会及び、その職業に対して為すことです。
   其処には、「与えれば必ず与えられる」と云う法則が働くのである。

   「現在受けている報酬以上に何の貢献も為すのが馬鹿らしい」と
   考えるようなことでは、現在受けている以上の報酬を受けるに値いしない人だ
   と言わねばなりません。

   そう云う気持は其の人の受持つ仕事の上にも必ずあらわれてまいりますし、
   その人の雰囲気でも判るものです。

        谷口雅春著『人生の秘訣365章』第5篇(P129~130) より

           <感謝合掌 令和2年5月18日 頓首再拝>
19:伝統 :

2020/05/19 (Tue) 22:43:02


(1)【 5月19日 】  心の態度

   多くいうまでもなく、人事世事すべての人生のできごとの
   一切に応接するものは「心」である。


   したがって、万一にも、そのときの「心」の態度が消極的であると、
   そのできごとを完全に処理解決することができなくなるというのは、
   意志の力なるものが、十分に実在意識領に煥発されてこないからである。

・・・

(2)【 5月19日 】 戦乱の中での商売よりも

   昔の商人たちは、洋の東西を問わず、戦乱のちまたの中にあって、
   いつ流れ玉に当たって死ぬかもわからないという状態の中でも、
   立派に商売を進めてきました。


   しかし、今日では流れ玉に当たるというようなことはまずありません。
   ですからそのような時代に比べると、今日は困難であるとか経済危機であるとか
   言っていますが、まだずいぶん楽である。

   むしろ非常に商売のしやすい絶好の機会と言えるのではないでしょうか。


   そう考えて自分の商売をもう一回見直し、
   必要のあるところに創意工夫を加えていくことによって、
   難関を切り抜けていくこともできるかと思います

・・・

(3)【 5月19日 】 「恩」に生きる

   口 ── 環境と、大 ── 人の手足を伸ばした相と、
   心とより成るものが「恩」の字です。

   何のおかげでこのように大きく存在しておるかと
   思う心が恩を知ることです。


   われわれは天地の恩、人間の恩、道の恩、教えの恩など、
   あらゆる「恩」の中にあります。
   これに絶えず報(むく)いてゆくのが生活であります。

・・・

(4)【 5月19日 】 徳に周き者は

   利に周(あまね)き者は徒(いたずら)に凶年其の身を殺す能はざるのみならず、
   又能く人を賑救(しんきゅう)して、あわせて死せざらむるに足る。

   徳に周(あまね)き者は徒(いたずら)に邪世(じゃせい)其の心を乱す
   能はざるのみならず、又能く人を薫化(くんか)して乱れざるしむるに足るなり。 

                  安政3年6月4日「講孟剳記」

   【訳】

   利益を得ることに用意周到なものは、農作物の実りの悪い年にも、
   むやみにその身を死なせないだけでなく、
   多くの人々を救って、更に死なないようにさせることができる。

   徳を修めることに用意周到なものは、
   よこしまで悪いことが横行している時代であっても、
   その正しい心を乱さないだけではなく、
   更に、人々を教化して、乱れないようにさせることができる。

・・・

(5)《19日 会社、商店の繁栄は人にある》

   常に社会人類のためを思い、つとめている会社工場上等のためを思い、
   そのために誠心(まごころ)をつくし自分の働きを給料などと比較しないで働く人は、
   周囲に対して、その誠心と働き振りとが必ずみとめられるわけなのである。

   そしてその人の働きは、必ず其のつとめている会社の繁栄に役立つようになるから、
   会社もその人を優遇せずにはいられないことは明らかである。

   まことにそのような人々は、単に計算上、
   「給料の額よりも多く働くから」と云う理由で上役から優遇されると云うのではなく、
   そのような人はその事業そのものの活力の源泉となる人である。

   そのような人がいてこそ、事業は活(い)きてくるのである。
   周囲に影響を及ぼし会社全般で能率があがる。

   その会社(又は店)の事業の発展と衰微との境は、その事業に直接たずさわる人々が、
   そのような真心をもった社員(又は店員)がどれほど多くいるか、
   否かによって定(さだ)まるのである。

      谷口雅春著『人生の秘訣365章』第5篇(P130~131) より

           <感謝合掌 令和2年5月19日 頓首再拝>
20:伝統 :

2020/05/20 (Wed) 22:54:49


(1)【 5月20日 】  調和あるところ完成あり

   「そも調和ということは、厳粛なる宇宙本来の面目であり、
   かつまた人生の実相であると同時に、生きとし生ける生物の
   生命の本然の姿なのである。

   いいかえると調和ということは、万物存在の絶対に侵すべからざる
   尊厳なる自然性なのである」ということを理解されていると信ずる。


   「またこれは論より証拠で、調和のあるところのみに
   いわゆる真の完成というものがあって、反対に調和のないところには
   絶対に完成というものはあり得ない」のはいっさいの事物事象に明瞭に現れてくる。

・・・

(2)【 5月20日 】 公平な態度

   国における法律の適用には万が一にも不公平があってはならないが、
   会社や団体における規律や規則についても、これまた同じことが言える。

   会社の規則というものは、一新入社員であろうと社長であろうと等しくこれを守り、
   それに反したときは等しく罰せられるということで、
   はじめて社内の秩序も保たれ、士気も上がるのである。


   だから、指導者は常に公平ということを考えなくてはならない。
   利害とか得失、相手の地位、強弱にかかわりなく、
   何が正しいかというところから、公平に賞すべきものは賞し、
   罰すべきものは罰するという姿勢を遵守しなければならないと思う。

・・・

(3)【 5月20日 】 死後に残るもの

   一人物の死後に残り、
   思い出となるのは地位でも財産でも名誉でもない。

   こんな人だった。
   こういう嬉しい所のあった人だというその人自身、
   言い換えればその人の心・精神・言動である。

   このことが、人間とは何かという問の真実の答になる。

・・・

(4)【 5月20日 】 今を論じ難ければ

   古を執りて今を論じ難ければ皆空論なり。  

                   安政3年6月7日「講孟剳記」

   【訳】

   昔の事例をもって、今のことを論じることができないのであれば、
   皆無益な議論である。

・・・

(5)《20日 現在の状態を呪ってはならない》

   現在の給料以上の働きをしたら損だと考える人は、
   “現在の給料”と云うものに縛られて、
   内在無限の可能性を自由に働かし得ない人であり、
   “現在の境遇”に縛られている奴隷なのである。

   “現在の境遇”を超えて、自由に無限の可能性をあらわすことを
   できる人のみが本当の“自由人”である。
   “現在の状態”に自分の心を引っかからせてはならない。

   自己の“無限の可能性”を自分の“引っかかった心”でみずから縛ってはならない。

   自己の運命を縛るものは、現在の“自分の境遇”ではなくて、
   自分の心に過ぎないのである。
   「境遇にしばられる」と思う自己劣等感から脱却せよ。

   あなたの内には“無限の可能性”が宿っているのである。
   現在の状況を呪ってはならない。

   「現在の状態」はあなたが“失敗”へも“成功”へも
   どちらにでも踏み切れる“飛び石”に過ぎない。

   その“飛び石”がなかったら、
   あなたは、どちらへも踏み切ることができないのである。

         谷口雅春著『人生の秘訣365章』第5篇(P131) より

           <感謝合掌 令和2年5月20日 頓首再拝>
21:伝統 :

2020/05/21 (Thu) 22:48:51


(1)【 5月21日 】  「孤立」と「独立」は異なる

   そもそも「孤立」ということと、
   「独立」ということとは、まったくその意味を異にしている。

   もちろん、独立ということは、
   正しい自覚をもつ人間として最も尊い人生状態である。

   がしかし、孤立は天理に背反する無価値なものである。


   である以上、自分のことのみ考えて、
   他の人々のことを考慮の中に入れない人生観や生存生活の方法というものは、
   自分ではむしろ気づかずとも、それはとりもなおさず孤立とほとんど五十歩百歩、
   いささかの異なりもない状況なのである。

・・・

(2)【 5月21日 】 自分が社長の心意気を持つ

   戦争中に、ある青年が会社の業務として、一つの工場を売りに私の所へきました。
   私は話を聞いた結果、「君が私の会社へ入って、
   その工場の経営を引き受けてくれるのなら、買おう」と言うと、

   彼は「私は社長ですから現在の会社をやめるわけにはいきません」

   と言下にそれを否定したのです。

   「君は社員ではなかったのですか」と聞くと、
   「いや、自分は社員ですが、心持は社長のつもりでいます」と言うのです。
   この返事を聞いて、えらい人だなと思いました。


   われわれも一人ひとりが、それくらいの心意気を持って仕事をすれば、
   いろいろ新しいことも発見できるでしょうし、
   日々新たに成長もしていくと思うのです。

・・・

(3)【 5月21日 】 成功は苦辛の日に

   先賢が教えてくれている──愚はよく他の欠点を挙げるが、
   自己の欠点を知らない。

   話はうまいが、行いはつまらぬ。

   若い時はうかうかして過ぎ、
   壮時(そうじ)にはせかせか動き廻(まわ)り、
   老年には愚痴(ぐち)ばかりになり易い。

   正に、敗事は多く得意の時に因(よ)り
   成功はつねに苦辛の日に在る。

   やはり平生(へいぜい)能(よ)く道を聞くことだ。

・・・

(4)【 5月21日 】 地を離れて人なく

   地を離れて人なく、人を離れて事なし、
   人事を論ずる者は地理より始むと。

                   安政3年6月10日「講孟剳記」

   【訳】

   土地を離れて人というものはない。
   人を離れて営為というものはない。

   だから、人の営為(えいい)を論じる場合には、
   その人の生まれ育った地理から始めるべきである。

・・・

(5)《21日 逆境にも感謝せよ》

   現在あるところのものに感謝せよ。
   そこからあなたは欲するところへ跳び込むことができるのである。

   現在ある境遇から“屈従”の印象や“不運”の印象を受けてはならない。
   自己に内在する“無限の可能性”を心に印象するように努力せよ。

   現在の不完全な状態を呪ってはならないのである。

   呪うと云うことは、そのものを恐れているからである。

   其処にヨブの言ったところの

   「わが恐れたるところのもの凡てわれに襲いかかれり」

   と云う心の法則がはたらくことになるのである。

   だから現在あるところのものを呪うかわりに祝福し感謝せよ。
   如何なるものも、その人の現在にとって、
   魂の栄養にならないものはないのである。

   怠惰や快楽を求める肉体的境地からは、
   艱難は好ましからざるものかも知れないけれども、

   常に魂の発達から考えれば、あらゆる艱難はその受け方次第で
   魂の発達のための栄養だと云うことが出来るのである。

       谷口雅春著『人生の秘訣365章』第5篇(P131~132) より

           <感謝合掌 令和2年5月21日 頓首再拝>
22:伝統 :

2020/05/22 (Fri) 23:17:17


(1)【 5月22日 】  だれにでもできる積極精神

   積極的精神態度をつくるということは、だれにでもできることです。

   正当な方法を系統的に秩序正しく実行しさえすれば、
   必ずだれにでもできる事実なのであります。


   万物の霊長として生まれた人間は、後天的修練を正当に施せば、
   何人といえども、積極精神という価値高いものを自分に
   つくりあげられるようにできている。

   ですから、自分はだめだ、俺は生まれつき心が弱いんだとか、
   神経が過敏だからというふうに価値のない、安っぽい見切りを
   自分につけないことであります。

・・・

(2)【 5月22日 】 感心する

   同じように人の話を聞いても、
   「なかなかいいことを言うなあ」と感心する人もあれば、
   「なんだ、つまらない」と思う人もいる。

   どちらが好ましいかというと、もちろん話の内容にもよるだろうが、
   「いいなあ」と感じる人の方により多く、その聞いた話の内容から
   仕事に役立つような何かヒントを得て、
   新しい発想をするといったようなプラスの価値が生まれてくるだろう。

   ちょっとしたことだけれども、人生とか事業の成否のカギは、
   案外こうしたところにあるのではないかと思う。

   人の意見を聞いて、それに流されてはいけないが、
   お互いにまず誰の意見にも感心し学び合うという
   柔軟な心を養い高めていきたいものである。

・・・

(3)【 5月22日 】 欲と耻 1

   自己の内面に満足なものを持たない者ほど
   外物に憧(あこが)れる。

   その外物が案外あてにならぬことを
   身に沁(し)みて覚(さと)るところから
   「道に入る」のである。

   衆人は財産とか地位とかを重んずる。

   まんざら衆人の仲間だけでは満足しないが、
   さりとてそれ程出来ても居(お)らぬ人物(下士[かし])は
   文章とか芸術を重んずる。

   その上になると、
   何か功業を樹(た)て
   名声をあげることを重んずる。

   一番の人物(上士[じょうし])は道徳を重んずるようになる。

・・・

(4)【 5月22日 】  義侠世群に絶す

   天下の士に貴(たっと)ぶところは、人の為めに糾紛を解くにあり。
   而も肯(あ)へて取るあらず、義侠世群(ぎきょうせぐん)に絶す。  

                   安政5年正月4日「新年三十短古」


   【訳】

   天下の士たるものが重んじるのは、
   人のために(世の中の)乱れやもつれを解決することである。
   しかも、そのために、名利などはけっして求めない。

   このような義侠心、男だてこそ、
   世に比較するものがないほどに優れたものである。

・・・

(5)《22日 運命の自己創造について》

   常に受け方次第である。

   運命は恰(あたか)も山犬(やまいぬ)のようなものである。

   かれを上手(じょうず)に飼って育てれば番犬にもなってくれるが、
   彼に下手に逆って取組めば、咬みつかれて大怪我をすることにもなるのである。

   すべて外界にあるものは、
   吾々の心の働きかけ、及び心の受け方によって
   異る反応を示すのである。

   外界を支配する者は、如何に外界が自己に反応するかを知って、
   それに適当なる処置を施すのである。

   それは囲碁の布石によく似ている。
   相手が打って来た石に対して、こちらが布石するのは、
   単なる“受けて立つ”のではなく、その“受け方”によって
   自己の“運命を創造する”のである。

   すべて事物はそれを受ける“受け方”によって、自己創造が行われるのである。
   すべての事物はそれに逆って受けるときに自分を傷つける。

   それは野球のボールの飛んで来る方向に逆って、
   球を受ければ掌を球で手痛く叩かれるようなものである。

        谷口雅春著『人生の秘訣365章』第5篇(P132~133) より

           <感謝合掌 令和2年5月22日 頓首再拝>
23:伝統 :

2020/05/23 (Sat) 23:07:15


(1)【 5月23日 】  深呼吸のすすめ

   クンバハカ(神経反射の調節法)を応用しながら、
   日に何千回でもいいから深呼吸をすることを稽古しなさい。

   息は吸うときよりも、出すときが肝心なのよ。

   最初、肺臓の悪ガスを出すことが大事なんです。

   呼吸なんだから、「呼」のほうから先におし。


   こういう呼吸法をやっていると、いざというときに
   クンバハカがパッとできるばかりでなく、
   落ちついた気分が求めずして自分の気持ちのなかにできてきて、
   今までのように感情や感覚にやたら引きずり回されなくなるんです。


  *クンバハカ法
   http://www.tempu-online.com/part3/kunbahaka.html

・・・

(2)【 5月23日 】 社長は心配役

   社長というものは、従業員が1万人いれば1万人の心配を背負っていくものです。
   ですから、心配で夜も眠れないというときもあります。
   眠れないからつらい、苦しい。

   しかし、そのように心配するのが社長の仕事なのです。
   そのために死んでも、それは早く言えば名誉の戦死ではないか、
   そう考えるところに社長としての生きがいも生まれてきます。


   社長が心配しないでのんびりやれる会社などあり得ない。
   眠れなかったり、煩悶したりしている姿こそ社長の姿で、
   そこに社長としての生きがいがある。

   そういう考え方に立つことが、
   激動の時代である今日の経営者には求められているのではないでしょうか。

・・・

(3)【 5月23日 】 欲と耻 2

   耻(は)ずるというのは最も人間らしい心で、
   根本的な一徳(いっとく)であるが、親が在(いま)すのに
   貧窮するのは一の耻(はじ)。

   賢者登用の時世(じせい)にあって用いられざるは二の耻。

   年老いて徳業のきこゆるなきは
   三の耻と呂新吾(ろしんご)が語っている。

・・・

(4)【 5月23日 】 欲の陥り易くして

   凡そ欲の陥り易くして悔い難きものは、
   多くの忽(ゆるが)せにする所にあり。  

                   安政3年6月10日「講孟剳記」

   【訳】

   だいたい、欲望というものが陥りやすく、
   後から振り返って、悔やんでも悔やみきれないのは、
   (心を)いい加減にしているところがあるからである。

・・・

(5)《23日 運命の波に乗ること》

   他(ひと)を自分の思う通りに強制してはならないし、
   また事物の運行を“我”の力でかえようと思って抗(さから)ってはならない。

   この事はイエスが「悪に抗すること勿れ」と云う語で
   吾々に教えたところの真理である。

   すべて事物はそれを逆に向けようと抗(さから)い立つとき、
   こちらの目的とした方向には向かないで、
   欲した方向とは異る方向に動き出す傾向のあるものなのである。

   何よりも先ず、自己の“力”を機会ある毎に、
   自分の生きる世界に於いて示すことである。

   “力”は一種の磁石的な働きをするものである。
   他(ひと)を強制して、自分に協力させようと思うと相手から反抗せられるが、
   自分がその住む世界で“力”を示すならば、群衆はそれについて来るのである。

   アメリカやソ連が原水爆や、人工衛星や月着陸船の実験を続けるのも、
   “力”を示すことによって他国を自国の陣営について来させるのが
   目的のうちの一つである。

       谷口雅春著『人生の秘訣365章』第5篇(P133~134) より

           <感謝合掌 令和2年5月23日 頓首再拝>
24:伝統 :

2020/05/24 (Sun) 23:39:03


(1)【 5月24日 】  報償の法則

   本来の使命という大切なことを度外視して
   人生生活を営んだのでは、どんなに努力をしても、
   人間に与えられた幸福も恵も得られるはずがない。


   人生の事柄は、すべて「報償の法則」(Law of Compensation)
   というもので支配されている。

   瓜の種子を蒔いて茄子はならないのと同様に、
   この法則はあくまで公平で厳粛である。

   いわゆる善因善果、悪因悪果は人為的にはどうすることもできないのである。

・・・

(2)【 5月24日 】 世間に聞く

   誰しも日々の仕事の中、生きていく中で迷いは生じるもの。
   いくら仕事に生きがいを感じていても、
   それを進めていくにつれて迷いが生じます。

   では、その迷いをどう解決するか。


   私は広く衆知を集めればいいと思います。
   広く世間にそれを求めればいい。

   世間は道場、人間錬成の道場です。

   大きくは社会に、小さくは同僚、友だちに尋ねればいい。
   そうしていくことによって、そこに自分の具体的な活動の形が求められてくる。

   尋ねて答えが返ってくる場合もあるでしょうし、返ってこない場合もあるでしょう。
   しかし、ある程度は返ってくる。
   不十分ながらも返ってくる。

   素直な心で求めることだと思います。

・・・

(3)【 5月24日 】 運命と宿命

   宿命に任せたらそれこそ惨膽(さんたん)たるものである。

   ところが、それに手を加えると、
   まったく別な運命を打開することができる。

   それは、放っておけばどんな被害を生ずるかもしれない水を、
   うまく治山(ちさん)治水(ちすい)をやりさえすれば、

   逆にどんなに作物を潤(うるお)し、
   あるいは観光の人々の目を慰(なぐさ)め、
   いろいろの利益のあるものにすることができる。
   それと同じである。

・・・

(4)【 5月24日 】 我が道に従はせ難きは

   彼れの道を改めて我が道に従はせ難きは、
   猶ほ吾れの万々彼れの道に従ふべからざる如し。  

                  安政3年6月10日「講孟剳記」

   【訳】

   人の生き方を改めさせて、自分の生き方に従わせるが難しいのは、
   なお、私が決して人の生き方に従うことができないのと一緒である。



・・・

(5)《24日 運命も柔らかき心の沃地に育つ》

   「柔和なる者、地を継がん」とイエスは教えたが
   柔かい心になったときにのみ、
   その心に植えられた種子が芽をふいて生長するのである。

   素直に何でも受けよ。
   そしてそれを心で咀嚼せよ。
   如何なる事件も噛みしめれば、栄養となるのである。

   すべての人に事に物に対して調和せる心境をもって行動するとき、
   その人、その事、そのものに内在する
   “最も善き面”(実相)があらわれて来て、
   すべての人及び事物があなたに協力してくれるようになるのである。

   すべての人に物に事に内在する“最も善き面”(実相)を見る人は、
   “最も善き面”の印象を自分の潜在意識に印象することになり、
   潜在意識はそれに印象されたものを具象する創化力を有(ゆう)するから、

   人に物に事に内在する“最も善き面”があらわれて来て、
   その人自身の事業は伸展し、希望は実現し、
   運命は好転することになるのである。

        谷口雅春著『人生の秘訣365章』第5篇(P134) より

           <感謝合掌 令和2年5月24日 頓首再拝>
25:伝統 :

2020/05/25 (Mon) 22:34:17


(1)【 5月25日 】  人間は一個の小宇宙

   人間の生命の中には、この宇宙の中に存在する
   ありとあらゆる一切のものが、ことごとく存在しているという
   不思議な事実がある。

   この宇宙は、いわゆる物質によって形成されている。

   そしてその物質は大別して動物、植物、鉱物の三種に分かれる。

   しかるにわれわれ人類の生命の中には、以上の一切の物質が、
   各種の形態の下にことごとく存在しているのである。


   哲学者が人間を一個の小宇宙なりと形容しているのもその理由はここにある。

・・・

(2)【 5月25日 】 社長は徳、副社長は賢

   人の組み合わせというのは、微妙なものだと思う。
   たとえば、会社の場合、非常に優秀な二人の経営者が社長と副社長になっても、
   相性が悪いとうまくいかないものである。


   総じて、どの会社でも、社長が積極的で、副社長は女房役といったところが多いが、
   原則としては最高首脳者はおだやかで、次席がバリバリやる方が望ましいようだ。

   つまり経営者の組み合わせとしては、社長はお人柄で、副社長は実行力に富む、
   といったあり方が安定感があるように思う。


   王は徳をもって立ち、その下に賢相がおれば、
   物事が徳望によって行なわれるという。
   企業の経営についても同じことが言えるだろう。

・・・

(3)【 5月25日 】 聞き上手の活学

   話し上手より聞き上手ということがある。

   自分が接するあらゆる人から、
   その専門の智識(ちしき)体験をきき、
   わがものにすることが出来れば活学というべきだ。

・・・

(4)【 5月25日 】 帰らじと思ひさだめし旅なれば

   帰らじと思ひさだめし旅なればひとしほぬるる※涙松かな。  

                   安政6年5月25日「涙松集」


   【訳】

   もう帰っては来ないだろう、と覚悟を決めた旅であるので、
   一層涙にぬれる、この涙松だなあ。


   ※江戸時代、萩往還は、この松並木から、左に折れており、
    萩城下が見える最後の場所であった。

    安政6年(1859)のこの日、松陰は萩を発ち、江戸へ護送された。
    その時、「涙松」で詠んだ歌である。

・・・

(5)《25日 不幸や逆境を消す方法は? 》

   柔かき心になって“敵”と見える者に対しても、
   素直に受取る心になって“逆境”や“困難”から
   “自己反省”と“自己向上”の要素を引出すことにすれば、

   “敵”と見える者は“味方”にかわり、
   逆境と見えるものは順境に転ずるのである。

   かくの如くして“悪”は本来、存在しないのであり、
   自分の“心”の投げ方によって、
   それが歪んであらわれていたものであることが立証されるのである。

   すべての人から、物から、事から、
   其処にある善き“精髄”を引出すべきである。

   毒草と思われるものから抽出されたものが、
   効き目の高い薬剤となるのである。

   悪人や難物や困難と見えたものから、
   あなたの運命を好転さす良き資料が吸収されるのである。

   毒草から良剤が吸収されれば、其れは既に毒草ではないのである。

   不幸や逆境から魂の栄養となるものが吸収されるならば、
   それは既に不幸でも逆境でもないのである。

        谷口雅春著『人生の秘訣365章』第5篇(P134~135) より

           <感謝合掌 令和2年5月25日 頓首再拝>
26:伝統 :

2020/05/26 (Tue) 23:52:10


(1)【 5月26日 】  言葉は人生を左右する

   万物の根元である気が、
   人間の心の中に入って観念となり、その観念が思考となる。

   そしてその思考が、一方において行動となり、
   他方において言葉となって現れる。

   これは人間のみが造物主から与えられた恩恵であり、他の動物にはない。


   言葉というものは、思考が結集し、それを表現するためのものである。

   言葉には人生を善くも悪くもする力がある。

   だから言葉は、人生を左右する力のある哲学であり、
   科学であるということがいえる。

・・・

(2)【 5月26日 】 不要なものはない

   みなさんは、いろいろな立場にお立ちになっておられると思いますが、
   私はどんな立場でも、この立場はいけない、この仕事はまずい
   ということはないと思います。

   どの仕事が必要でなくて、どの仕事が必要であるということはないのです。
   この世に存在するものは、すべて必要である、
   というように考えていただきたいと思うのです。


   そしてそうした考えに立って、要は自分には何が適しているか、
   何が向いているか、自分はどういうところに自分の使命を見出し、
   そこに打ち込むべきであるかということを、みずから考え、
   そしてそこに信念を持つことが大切だと思います。

・・・

(3)【 5月26日 】 五 悪

   盗賊より悪質な五つの問題がある。

   仕事がよく出来て、心険(けわ)しいものが一。

   行が偏向して、しかも頑固(がんこ)なものが二。

   言うことが実は偽で、しかも口が達者なのが三。

   くだらぬことばかり覚えて、しかも博識であるのが四。

   悪勢力に附(つ)いて、しかもよく恩を売るものが五。

   (荀子[じゅんし]・宥坐[ゆうざ])


   いずれも世を乱るものである。

・・・

(4)【 5月26日 】 国を憂ふるを以て自ら任ず

   抑々(そもそも)余が如き、正直国を憂ふるを以て自ら任ず。  

                   安政3年6月10日「講孟剳記」

   【訳】

   私は、衷心より、国家を憂えることを自分の責任としている。

・・・

(5)《26日 逆境を斫り開くのは調和の精神である 》

   魂の向上進歩の資料として、あらゆる逆境と不幸を素直に受取るとき、
   其処からおのずと道がひらけて来て、まことにも真(しん)に
   逆境とか不幸とか云うものが存在しないことが判るのである。

   すべてを素直に調和した心で受取るべきであって、
   不調和な心や、抵抗する心や、闘争する心で相対してはならないのである。

   不調和な心で相対(あいたい)すれば不調和が出て来るし、
   抵抗する心で相対(あいたい)すれば、抵抗が出て来るし、
   闘争する心で相対(あいたい)すれば闘争が出て来るのである。

   心を一転して調和ある精神で相対(あいたい)せよ。
   必ずそこに調和ある環境があらわれて来るのである。

   調和ある精神の第一は、感謝の心である。
   祝福の心である。愛の心である。

   愛があって、どんなに悪と見える者をも祝福し、
   どんなに悪と見える事柄にも、その中に内在する魂の教育的意義を見出して
   感謝するならば、如何なる地獄のような環境も極楽に一転するのである。

       谷口雅春著『人生の秘訣365章』第5篇(P135~136) より

           <感謝合掌 令和2年5月26日 頓首再拝>
27:伝統 :

2020/05/27 (Wed) 22:27:17


(1)【 5月27日 】  衣服に関する注意

   健康生活の現実化を求めるものは、
   できるだけ自然に背反しないような心がけを、
   衣服に対する基本観念として、衣服を着けることである。

   そのためには、

   一、常に、決して過度に厚着をしないようにすること。

   二、あまりに皮膚に密着するもの、
     また、圧迫の強い衣服をできるだけ避けること。

   という二つの事項を注意深く実行することである。

・・・

(2)【 5月27日 】 誠意が基本

   経営を進めていく上で、もっとも困難があろうと思われるのは販売です。
   製造には新しい発見や発明がよく考えられますが、
   販売にとりわけの妙案が生まれることはなかなかむずかしいでしょう。


   それでは、そのように妙案奇策のあまりない販売の世界で特色を発揮し、
   販売を成功させるために何が基本になるかというと、
   結局はお互いの誠心誠意ではないでしょうか。

   どうすればお得意様に喜んでいただけ、
   どういう接し方をすればご満足願えるかを常に考えることが何よりも大切で、
   そういう誠意が根底にあってこそ、その人の言葉、態度に深い味わいも生まれ、
   販売力もまた高まっていくと思うのです。

・・・

(3)【 5月27日 】 五 善

   人として常に何が善かを問い、

   親しい仲を問い、

   礼儀を尽すことを問い、

   政治の要を問い、

   患難(かんなん)を問う。

         (左伝[さでん]・襄公[じょうこう])
 

   これ実に人間味豊かな五善である。

・・・

(4)【 5月27日 】 忠孝の本

   「君父の恩情を体認する」は是れ忠孝の本(もと)なり。  

                   安政3年8月以降「武教全書講録」

   【訳】

   「君主や父親の御恩を、体験してしっかり会得すること」は、忠孝の基本である。

・・・

(5)《27日 真の愛は恐怖を除く 》

   人はその恐れるところのものを引寄せ、
   その憎むところの物の姿に自分自身を変化するのである。

   何故(なぜ)なら恐怖の感情も憎しみの感情も強く潜在意識に印象せしめられ、
   潜在意識は、その印象したところのものを引寄せるからである。

   憎しみは愛するものを失うと云う恐怖から起る感情であり、
   恐怖は愛の欠乏から来るのである。

   愛をもって恐怖を去り、恐れを去って憎しみを除くとき、
   ただ愛のみが潜在意識に印象せられて、ただ愛する事物のみが
   自分の身辺に引き寄せられて実現することになるのである。

   真の愛のみが純粋の価値である。
   異性の唇や“性(セックス)”を求める感情は
   “性欲”であって“真の愛”ではない。

   “真の愛”は、人の「實相」の完全さを透見して、
   その“實相”を愛する心である。

   “真の愛”は幾度失敗しても憎しみは変らない。
   ついに相手の愛を拝みだして、相手の實相の完全さを顕すのである。

         谷口雅春著『人生の秘訣365章』第5篇(P136) より

           <感謝合掌 令和2年5月27日 頓首再拝>
28:伝統 :

2020/05/28 (Thu) 21:38:58


(1)【 5月28日 】  気を込めてやる

   明瞭な意識を持続するための最も適当な訓練法は
   「何事を行う際にも決して気なしに行わぬこと」である。

   毎日、時間と仕事とを特定して「気を込めて物事を行う練習」をする。


   たとえば手紙を書く間とか、または読書する間だけは絶対的に真剣になって行う。

   あまり興味をもたぬこと、気乗りせぬことや、気の急くようなこと、
   大して値打ちのないこと、または、慣れ切って熟練していることなどを行う際は、
   特に気を打ち込んで行うように心がけるのである。

・・・

(2)【 5月28日 】 失敗を素直に認める

   たとえ、どんな偉大な仕事に成功したという人でも、
   何の失敗もしたことがないといった人はいないと思います。

   事に当たって、いろいろ失敗して、その都度そこに何かを発見し、
   そういうことを幾度となく体験しつつ、だんだん成長していき、
   ついには立派な信念を自分の心に植えつけ、
   偉大な業績を成し遂げるに至ったのではないでしょうか。


   大切なことは、何らかの失敗があって困難な事態に陥ったときに、
   それを素直に自分の失敗と認めていくということです。

   失敗の原因を素直に認識し、「これは非常にいい体験だった。尊い教訓になった」
   というところまで心を開く人は、後日進歩し成長する人だと思います。

・・・

(3)【 5月28日 】 五 美

   人を恵んで厭味(いやみ)なく、

   労して怨(うら)みず、

   欲して貪(むさぼ)らず、

   泰(ゆた)かで驕(おご)らず、

   威あって猛(たけ)からず─と。

     (論語・堯日[ぎょうえつ])


   人は誠にかくありたいものである。

・・・

(4)【 5月28日 】 士の妻室たる者は

   「士の妻室たる者は、士常に朝に在りて内を知らず、故に夫に代りて家業を戒む。
    豈(あ)に懦弱(だじゃく)を以てせんや」と云ふは、実に至言なり。  

                   安政3年8月以降「武教全書講録」

   【訳】

   「武士の妻たるものは、武士が常に城に詰めていて、
    家のことをを知らないのであるから、夫になり代わって、
    家のことを一切取り仕切るものである。

    どうして、軟弱で意気地のない態度でよかろうか。いけない」

   という教えは、実に適切な言葉である。

・・・

(5)《28日 “真の愛”の本質について 》

   真の愛は“實相”のあらわれである。
   “實相”は“實相”を呼び出すのである。

   “實相”はすべての人間は“神の子”であり、
   “神の生命(せいめい)”を宿し生れていると云う点に於いて
   互いに一体なのである。

   だから真の愛は自他一体感だと言われる所以(ゆえん)である。

   真の愛は相手の不完全さを見ない。
   真の愛は失望することはない。
   それゆえに真の愛は歓喜(かんき)である。

   真の愛は、愛するだけで足れりとして報いを求めない。
   それゆえに裏切られたという感じは起らないのである。

   まことの“吾”は裏切られない。
   裏切られるのは“愛”の仮面をかぶった欲情のみである。

   すべての人と事物の底に横たわる“實相”の善さを愛すると云うことは、
   決して単なる一時的興奮やセンチメンタリズムではないのである。

   それは深い霊的感情であると共に、
   人と事物に内在する實相を洞察した科学的知識である。

       谷口雅春著『人生の秘訣365章』第5篇(P137) より

           <感謝合掌 令和2年5月28日 頓首再拝>
29:伝統 :

2020/05/29 (Fri) 23:42:30


(1)【 5月29日 】  進歩の階段

   人生は心の操縦を完全にすることが重要である。

   人間の心は常に発達しているので、
   瞬間といえどもこれを等閑に附してはならない。

   人類の心が今日の状態になるまでには、
   実に永い時の経過と、数多い進歩の階段を踏んできている。

   そして今後も進歩の階段を昇っていく。


   従って心を完全に操縦するには、潜在意識を正しく理解し、
   その運用を的確にして、心がその進歩の階段を適確に踏み締めて
   昇れるように側面から誘導することが肝要である。

・・・

(2)【 5月29日 】 まかせてまかせず

   「好きこそものの上手なれ」という言葉がありますが、
   人に仕事をまかせる場合、原則としては、こういう仕事をやりたい
   と思っている人にその仕事をまかせる、ということがいいのではないかと思います。


   しかし、まかせてはいるけれども、たえず頭の中で気になっている。
   そこでときに報告を求め、問題がある場合には、適切な助言や指示をしていく。
   それが経営者のあるべき姿だと思います。
  
   これは言いかえますと“まかせてまかせず”ということになると思います。
   まかせてまかせずというのは、文字どおり“まかせた”のであって、
   決して放り出したのではないということです。

・・・

(3)【 5月29日 】 正道を知る

   正道(せいどう)の手筋を聞かなければ、
   思いの外のことに遭(あ)って不覚をとる。

   人間の学問でもその通りであります。


   どれだけ才覚があっても、独学独習でやっておると、
   得てして自分免許になり勝ちで、
   思いの外の失敗をしでかすものであります。

   これは正道を知らぬからで、
   やはり人間はどうしても本筋の師匠について、
   本格の修業をしなければならない。

・・・

(4)【 5月29日 】 深き者は

   世人(せじん)の、事を論ずる、
   浅き者は事の成敗を視、深き者は人の忠奸を視る。
   かくの如きのみ。  

                   安政3年「叢棘(そうきょく)随筆」

   【訳】

   世間一般の人があることを論ずる際、
   心ない人は勝ち負け、つまり、結果を重視して見る。
   心ある人は、まごころかよこしまな心かを重視する。
   こんなものである。

・・・

(5)《29日 困難に対して悦びと感謝の念で受けること 》

   すべて困難が来るときには、
   明るい心をもって悦びと感謝とをもって迎えなければならない。

   黒住宗忠が「難有り、有り難し」と、文字って教訓を垂れたことがあったが、
   すべて自分の身辺に象(かたち)にあらわれて来たものは、
   過去の自己の感情想念の具象化である

   ―― そして“感情想念”と云う心の力(心業)は
   象(かたち)にあらわれて消えて行きつつあるのであるから、

   困難が象(かたち)にあらわれて来たときには、
   その事自体が悪しき心業の自壊であるから、それを悦び受けて感謝し、
   これで“悪い業が消えた”と明るい心になればよいのである。

   何事が来(きた)っても、このようにして明るい心と感謝の念とをもって
   相対するようにすれば、過去の消極的な暗い想念が
   「困難」と云う象(かたち)をとって具象化された後は、

   ただ積極的な明るい想念がそれに取って代り、
   それから後(のち)は、積極的な明るい想念の具象化としての
   悦びと健康と繁栄とに祝福された世界があなたの周囲に現れて来るのである。

       谷口雅春著『人生の秘訣365章』第5篇(P137~138) より

           <感謝合掌 令和2年5月29日 頓首再拝>
30:伝統 :

2020/05/30 (Sat) 23:55:53


(1)【 5月30日 】  善いことは模倣せよ

   古の聖賢の格言にも、
   「良師は以ってすべからく宝と為すべし。
    良友は以ってすべからく鑑と為すべし」とある。


   自己を完全に啓発し、自己を真実に向上させて
   人の世のために真に役立つという真人となろうためには、
   ひたすらこうした心がけで何でも善いことを模倣することに専念すべきである。

   そして悪いことは、特に人の迷惑になるようなことは嘘でもまねをしないことである。

・・・

(2)【 5月30日 】 叱ってもらえる幸せ

   叱ってくれる人を持つことは大きな幸福である。
   叱ってくれ手のないことは寂しいことである。
   どんな人でも、より多く叱ってもらうことにより、進歩向上が得られるのだ。


   叱られて反感を持ち、不愉快な態度を示すことは、
   再び叱ってもらえる機会を失うとともに
   自己の進歩はもうそれで行き詰まりとなる。

   叱ってもらうことは自己向上の一大資料であることを感じて、
   これを受け入れてこそ、そこに効果が生まれるのである。


   修業途中にある諸君は、叱ってもらうことの尊さを知り、
   叱られることに大いなる歓びを感じる境地に到達しなければならないと思うのである。

・・・

(3)【 5月30日 】 傳家寳(でんかほう)

   一、我が幸福は祖先の遺恵、子孫の禍福(かふく)は
     我が平生(へいぜい)の所行にあること、
     已(すで)に現代の諸学にも明らかなり。

   二、平生・己(おのれ)を省(かえり)み、
     過(あやま)ちを改め、事理を正し、
     恩義を厚くすべし。
     百薬(ひゃくやく)も一心の安きに如(し)かず。

   三、良からぬ習慣に狎(なれ)るべからず。
     人生は習慣の織物と心得べし。

   四、成功は常に苦心の日に在り。
     敗事は多く得意の時に因(よ)ることを
     覚(さと)るべし。

   五、事の前に在りては怠惰、
     事に当っては疎忽(そこつ)、
     事の後に於(おい)ては安逸(あんいつ)、
     是(こ)れ百事成らざる所以(ゆえん)なり。
     天才も要するに勤勉のみ。

   六、用意周到なれば機に臨んで惑(まど)うことなし。
     信心積善(せきぜん)すれば変に遭うて恐るることなし。

   七、不振の精神・頽廃(たいはい)せる生活の上には、
     何ものをも建設する能(あた)わず。
     永久の計は一念の微にあり。

・・・

(4)【 5月30日 】 士道と云ふは 

   士道と云ふは、無礼無法、粗暴狂悖(きょうはい)の偏武にても済まず、
   記誦詞章、浮華文柔の偏文にても済まず、
   真武真文を学び、身を修め心を正しうして、
   国を治め天下を平かにすること、是れ士道なり。  

                   安政3年8月以降「武教全書講録」

   【訳】

   士道、武士として踏み行うべき道義というものは、
   礼儀にはずれたり、道理に合わなかったり、荒々しく乱暴で、
   道義に背いた非常識な言動をするような偏った武ではいけない。

   また、そらんじるばかりで、これを理解することに努めず、
   また実践しない学問や、上辺ばかり華やかで内容がない、
   という偏った学問でもいけない。

   真の武、真の学問を学び、身を修め、心を正しくして、国家を治め、
   天下を平らかにすること、これが士道である。

・・・

(5)《30日 ”言葉の力”を駆使して天分を開発せよ 》

   「天才は忍耐なり」と云う諺があるが、
   忍耐ある修練をつづけて行くためには
   仕事(又は勉強)に対する自信と興味とがなければならないのである。

   ”自分には到底できない”と云うような劣等感がある限りは、
   その仕事に興味をもちつづけて、
   忍耐づよく努力を重ねて行くことができないのである。

   忍耐強く努力を重ねて行くためには、絶えず、

   「自分はこの仕事に天分がある。自分の天分は
    毎日一層明かに現象的にもあらわれて来るのである。
    自分は此の仕事は必ず上手に出来るのである」

   と自分自身の心に囁(ささや)きかけることが必要である。

   常に言葉の力にて、
   「我れにはこの天分あり、われこれを為す、必ず成就す」と
   自分の潜在意識に印象しつづけるならば、

   今まで潜在意識に印象せられていた”劣等感”は次第に
   ”天才の自覚”と置き換えられ、その程度に応じてついに必ず、
   その方面に傑出した成績を挙げ得るのである。

      谷口雅春著『人生の秘訣365章』第5篇(P138~139) より

           <感謝合掌 令和2年5月30日 頓首再拝>
31:伝統 :

2020/05/31 (Sun) 20:14:26


(1)【 5月31日 】  自力で生きているのではない

   どんなあわて者だって自分の力で生きているとは思わないでしょうな。


   もし、自分の力で生きているなら、
   時が来ても死ぬはずはないじゃないですか。

   いつまでも自分の力で生きておられるはずですし、
   現在あるがままの自分を保っていかれるはずです。


   ところが、自分の力で生きていない証拠には、
   今から後、十年経ってごらんなさい。
   現在の自分と同じではないですから。

   自力でなく他力で生かされているからこそ、時の流れとともに変わるんです。

・・・

(2)【 5月31日 】 ゼロ以上の人間に

   人間の生活はすべてのことが自分ひとりではできない。
   着物にしても食べものにしても、他の人の労作によってできたものだ。

   そのかわり自分もなんらかの労作を他人に与えて生活が成り立っている。
   つまり労作の交換である。
   この労作を交換しない、もらうばかりで与えるものがない
   というのでは役に立たない。

   これはマイナスである。
   プラスとマイナスがゼロ以上でなければ役に立つ人間とは言えない。


   たとえば反物を三反もらったら、
   それを四反にして提供する人になるということだ。
   精神面でもこれは同じである。

   人に対してより高い考え方を与える。
   これが人と生まれて社会に役立つ人間の姿であろう。

・・・

(3)【 5月31日 】 真の教養

   およそ真の教養とは、人類の有する偉大な著作
   に親しむことによって得るものです。

   そこで昔から優れた定評のある良い書物を
   少しずつ読むことであります。


   人間としての教養の書、人としての哲学の書、修養の書というものを、
   注意して毎日たとえ三枚でも五枚でも、
   そういう書物を必ず読むようにする。

   いわゆる座右の書を持つということであります。

・・・

(4)【 5月31日 】 事に練れて過誤なきに若かん

   翁曰く「事為さずして過誤を免かるるは、
   何ぞ事に練れて過誤なきに若(し)かん」と。

                   安政3年8月以降「武教全書講録」

   【訳】

   中谷翁がいわれた。
   「何事もしないで、過ちを免れるよりは、仕事に熟練して、
    過ちを犯さないようにするにこしたことはない」と。

   楽をして難を逃れるのではなく、事に精通し努力してこそ難なく過ごせる。
   だから人は努力をしなさいということだろう。


    中谷翁:中谷市左衛門
        天保年間、村田清風を助けて、長州藩の藩校改革に尽力した。

・・・

(5)《31日 陰極は必ず陽転する 》

   暗黒は光明のあらわれる始めであり、
   台風は其の一過後の晴天のあらわれる始めである。

   「必ずよくなる。必ずよくなる。
    神は此の暗黒を切り抜けるための智慧を興えて下さるのである」

   暗黒が如何に濃く垂れこめて、あなたの前途に蔽おうとも、
   毎日、毎時、この念をなし、つねにこのように祈りつつ、
   眼の前にある仕事の解決に全力を注いで行くようにするならば、

   その祈りの想念は宇宙に漂う“建設的な實相の想念”と波長が合い、
   實相世界から其の暗黒を吹きはらう光の念波が天降って来て、
   その解決に必要な要素が自然にととのうて来ることになるのである。

   如何なる困難と雖も、困難は實相の世界には無いのであるから、
   私たちが實相世界の光の念波に波長を合わして
   自然に導かれる過程に従って行動さえすれば、必ず暗黒を消して
   光明輝く成果を挙げるときが来るのである。

        谷口雅春著『人生の秘訣365章』第5篇(P139) より

           <感謝合掌 令和2年5月31日 頓首再拝>

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