伝統板・第二

2931013
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伝統様、ありがとうございます。31 - 道産子

2020/04/25 (Sat) 08:06:50




<そして私は塩椎神そのものが世を救わんがために仮に肉身を示現しているのである。

そして塩椎神と観世音菩薩とは本来一体の同じ神であるが故に、我等夫婦は本来一体なのである。……>。


 破邪顕正様のご投稿より<m(__)m>。

 恵美子先生の「心の旅路」かつて手に入れておりますゆえ、読んでみましょう(^^♪。



 今朝より、新しき気持で、また謹んで投稿させて頂きます。
合掌、有難うございます。管理人様、伝統様、有難うございます。




 雅春先生の御話は続きます。




 「子供と母の本」より。


         日本民族の理想


   脚の短いのは日本民族の優秀性をあらわす


 日本人は脚が短くて体格が立派でないと言って劣等感を

抱く人がありますが、脚が短いのは、人間の下部的なもの

――卑しいもの、物質的欲望――が少ないことを表わしているのであって、それは高級民族の証拠なのであります。

 すべて身体の上部に位しているものほど高級な精神的役割をとハタラキをもっているのであります。

頭は最上部にありますが、もっとも霊妙なハタラキをする

――哲学でも芸術でも宗教でも科学でもすべては頭の考える
ハタラキによって、あらわれて来たものであります。

脚はものを考えることが出来ません。ただ全身の重みを背

負って、それを搬ぶところの労働者の役目をするばかりであります。

そんな足が長く発達していてもそれは名誉なことではあり

ませんから、脚の短い事に人種的劣等感を持つ必要はないのであります。
                    
                   (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。31 - 道産子

2020/04/26 (Sun) 07:59:40




<伝統様の *Web:かんながら(2020年04月24日)より、を読んで、

考え込んでしまいました(?_?)。








 雅春先生の御話です。



     顔にある器官の上下について


 からだの上部にあるものが最高級な精神的なハタラキを

し、下部にあるものが物質的な低い卑しいハタラキをする

役割になっているのは、顔について言えば一層ハッキリいたします。

顔の下部にある口は、直接、物質である食物をとって、そ

れをニチャクチャ噛んでドロドロにするキタナイ役目をす

るのであります。ニチャクチャ音を立て、食べ物を食べる

ことは誰でも下品であることを本能的に知っていますか

ら、お食事には口を噤んでなるべく音を立てず、食物を噛

んでいることを人から見られないように食べることが礼儀

とされ、日本でも西洋でも食事のマナー(作法)とせられているのであります。


 鼻は口唇よりも上部に位しますから、既に物質には直接触れないで感ずることが出来ます。

精確にいうと、鼻で感ずるのは、物質から放散される微粒

子が、鼻の粘膜に分布されている嗅覚神経の末端を刺戟す

るので匂いを生ずるのでありますけれども、大体大まかに

言えば、物質から離れていて鼻は感ずる力を持っているのであります。

                    (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。31 - 道産子

2020/04/27 (Mon) 08:41:37



<門前に門松を立て、神に榊をそなえるのは、実は自分の心の中にサカキ(栄える木)を立てることである。

榊は所謂「神様」にささげるものではなくして、かえって「自分自身」に捧げるものなのである。

それ故、榊をそなえる場合には美しい生き生きとした緑の葉をみんな自分の方に向けて供える。

「神様」の方には裏のきたない方が向いている。

されば「神様」は自分以外の建物の中に在ますのではなく

して、自分自身の心の中に存在するのであることを知らねばならぬ。・・・>。

(叡智の斷片 235頁)

 破邪顕正様のご投稿より<m(__)m>。








 雅春先生の御話です。



 人が、上品だとか高尚だとか、気持が好いとか言って讃

めるのは、物質的に執着がない場合に言うのであります。

あの人は物質欲が強いとか、欲張りだとか、ケチだとか言

って悪口を言われるのは、物質に着いているものは、卑し

い、低い、上品でない、魂が汚れているという意味であり

ます。その意味で口唇は鼻よりも下品のものを扱う、それ

だけ、口のある場所は鼻よりも低いところについております。

 鼻より高い位置にある処の耳は、一層物質から離れてい

て音を聞くことが出来、高尚な音楽の美を味わうことが出

来ます。更に一層高い位置にある眼は、耳よりも一層遠い

距離にある処の物体から放ってくる光を感ずることが出

来、絵画や彫刻の美を距(はな)れていて味わうことが出来ます。

 それだけ物質に、はなれている距離が高い程上位にあり上品であります。

                    (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。31 - 道産子

2020/04/28 (Tue) 08:22:08




<植村鞆音『直木三十五伝』(文藝春秋社、2005)の9~10ページ。引用します。

《宗一(注・直木のこと)が入学した英文学科予科は、当

時百花繚乱の賑わいだった。新入生は三十二人。同期生に

は、木村毅、宮島新三郎、田中純、西條八十、青野季吉、

細田源吉、細田民樹、保高徳蔵、村山(松原)至大、鷲尾

浩(雨工)、岩淵辰雄(政治評論家)、谷口正春(雅春 

生長の家)、坪田譲治、古館清太郎、須賀隆賢(僧侶)、

小田嶋定吉(日本新聞協会)、神林礼堂(僧侶)などがいた。・・・>。


 下総の野人様のご投稿より<m(__)m>。





 雅春先生の御話です。



 目よりも高い位置にある脳髄は、もう物質では全然ない

もの、思想と云うようなものを感じ、又は考えるので、も

っとも高級な器官であり、それだけ肉体の一番高い位置にあるのであります。

 このように考えてまいりますと、肉体の下部にあるもの

ほど下位の働きをし、もっとも物質に近く、それだけ物質

である地面を踏むハタラキをする脚は、最も物質的であ

り、卑しいキタナイものであるといい得るのであります。

 その脚が短いと言う事は、物質的な方面の欲望が少な

い。従って精神的であり、霊的である天分を備えているという証拠であります。

だから決して、日本民族が脚が短い事を卑下する事も、劣等感を感ずることも要らぬわけです。

                    (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。31 - 道産子

2020/04/29 (Wed) 08:19:06




<あんな 見るからに、やっすい 間伐材の板っきれに、

きったない字で ど素人が 書いたような

神札では、信徒さんの中でも、ネットもやっていないし、何も 考えられない人しか 買わないでしょう。

ネットで 事情を ご存知の皆様は、決して買いません。

あんなの、恥ずかしくて、神棚にも 飾りたくもない と思うと思います。・・・>。


 志恩様、面目躍如たるご投稿(^^♪。








 雅春先生の御話です。


       ドイツでの私の体験


 私がドイツへ行って驚いたことには、私を講演に招聘し

た出版会社の社長は、私がホテルから会場に行く自動車賃

を私に払わせ、その講演会は、入場料を取っていて、しか

も満員であるから講演会収入は、宣伝費を支払っても、な

お収支計算すると収入が余っているのに、少しも私に車代も謝礼を支払おうとはしませんでした。

西洋人は、唯物民族であり、ドイツのような古くから哲学

の発達した国の民族であってすら、性格そのものが物質に

執着が強く、金銭にキタナイのであります。それだけ彼らは脚が長く発達しているのであります。

                    (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。31 - 道産子

2020/04/30 (Thu) 08:15:09




 がんこ親爺様、日の丸掲揚で大憤激(^_-)-☆、いや、ほんとに 
 
 ぽつんと一軒家、じゃないですけれども、うちも1軒だけでした(^_-)。


 糸井重里さん、山下達郎さん、サンドウイッチマンの

伊達みきおさん、正論派ですね(^^♪。

いや、ほんとに、私もサンドウイッチマンびいきなんです(^^♪。









 雅春先生の御話です。


     日本人は物質以上のものを尊ぶ


 日本人はそれに比べれば、脚が短いだけに、物質に対す

る執着が少ない。物質とは何の関係もない「名誉」とか「家名」とかいうものを重んじます。

少しも物質的な固まりでない名誉とか、忠節とか、信義とか、節操とか、いうもののために命を棄てます。

日本人は名誉を重んずるために、“腹切り”を平然として行

う。日本人だって切腹するのは、痛いに決まっているんだ

けれども、その痛いのを平気で我慢して精神の名誉の為に切腹するのです。

それほど、肉体的なものを棄て、肉体的でないものに心を

引かれるのです。それほど日本人は霊的な民族であり、精神的に高い民族なのであります。

                    (つづく)

 

Re: 伝統様、ありがとうございます。31 - 道産子

2020/05/01 (Fri) 08:42:26




 ステイホーム週間の5月に入りました。足立区のひか魂先生

(^_-)のお説は説得力あるように見えますが如何に。



 仙厓和尚は、如何に仰るでしょうか(^^♪。


 一山門境致 二後人標榜 第三作麽生 放爾六十杖


 山奥に苗を植えている臨済禅師を見て、師の黄檗禅師が

立派に後継すべき者、と認めたという故事らしい?ですが、
仙厓和尚も大いに臨済宗に貢献されたようです。








 雅春先生の御話です。


  日本民族は大和・綜合の天分にすぐれている 


 日本民族はヤマト民族と称せられて、古典では”日本

国”と書いて”ヤマトの国“と読ませており、漢字では”大和“と書いてヤマトと読ませていたのであります。

日本人はすべてのものを綜合し、調合し、独特の大調和の

文化および文化的製作物を創造する天分を持っているのであります。

 顕著(けざやか)に“彼”と“此れ”とを分割し区別して対

立させる事にはあまりに得意ではないのであります。だか

ら、分割し分類し細分し顕微鏡でさらに分割したものを明

視することによって発達したような科学方面に天分を発揮する事には、西洋人におくれをとっていたのであります。

 しかし、西洋人が分析的、分類的、分割区分的方法によ

って発見し、発明したところのものを、巧みに大和し、組

み合わせ、綜合して、新たなる組織体を創造する天分にかけては西洋人にまさるのであります。

                    (つづく) 

Re: 伝統様、ありがとうございます。31 - 道産子

2020/05/02 (Sat) 08:27:43




 清流の民様の論理、論理に弱い私には解読難しいです、

情けないです!(^^)!。









 雅春先生の御話です。



 現在、戦後の日本が、しかも終戦によってほとんど一切

が灰になってしまった日本が、驚くべき経済的発展をとげ

て、国民総生産が世界第三位にまで伸しあがり、外貨の蓄

積が二百億ドルにもなるほどに経済的に富むことが出来た

のは、おおむね、西洋人の発明した基礎原理や、特許や、

部分品や、生産工程を輸入して、それを巧みに組み合わせ

て大和せしめ、それを綜合大成したものが多いのであります。

 ただ今、輸出産業の大綱をにぎっている鉄鋼の生産にせ

よ、新型のカメラにせよ、電子複写機や、卓上電算機や、

各種自動車や、造船技術にせよ、いずれもそのはじめは、

基礎原理や基礎技術は西洋人の発明発見によるものを取り

入れ、それを組み合わせて、その組み合わせに更に歩を進

める大和綜合の天才にそれを完成したもので、

そのような綜合技術については、到底西洋人の及ばない力を発揮しているのであります。

これまったく日本民族の優秀なる“大和”の天分によるのであります。

                    (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。31 - 道産子

2020/05/03 (Sun) 08:01:40




<谷口輝子先生がいつかどこかで書かれた御文章が忘れられません。

肝心の出典は忘れてしまったのですが…

記憶による要旨

我が家では祭日(祝日?祝祭日?)には国旗を掲げる。

しかし一日だけは掲げない。それは五月三日の憲法記念日である。>。


 五月三日が父の命日様のご投稿より<m(__)m>。

結局、相手方(奥様)に従い、掲揚されているという、やさしい方のようです(^^♪。

 私は、輝子先生に倣っております(^^♪。








 雅春先生の御話です。



    色彩感覚にあらわれた日本民族


 日本民族の大和の天分は、日本人の愛する色彩感覚にもあらわれているのであります。

日本人は西洋人又は野蛮人のようには、色と色とが厳重に区分される「原色」的色彩のものを好みません。

毒々しい赤と黒と青と黄色とが恰も虎や縞馬の毛皮のよう

に、あるいは豹の斑点のように、あまりハッキリ区分され

た色彩は、日本人の室内装飾にも着物の柄模様にも、好まれないのであります。

日本人の好む衣装の色彩の多くは、鶯茶であるとか、お納

戸色であるとか、紺茶であるとか、鈍(にび)紫であると

か、灰色がかった茶色であるとか、一原色で成り立つので

はなく数種の色彩が大和されてそこに一切の対立を絶した調和した落ち着いた色彩のものを好むのであります。

 この落ち着きは、静寂に通ずるものであり、幽玄に通ず

るものであります。色々の色彩が剖判(ぼうはん)して出

る以前の、一切を内に含む大和の精神が、色彩の好みにもあらわれているのであります。

 この静寂・幽玄の精神が、茶道に於いては「和・敬・

清・寂」の四徳をもってあらわれております。それは籠手

先の技巧ではないのであります。技巧のあらわれる以前

の、一切を内に含む「生命の幽玄の実相」の中に坐して、

その幽玄の実相の中から、自然法爾にその作法の幽玄さがあらわれて来るのであります。

                     (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。31 - 道産子

2020/05/04 (Mon) 08:30:22



<「神道の国教化は憲法改正の1丁目1番地である。」

ODA.m様のご投稿より<m(__)m>。


最大理想ですよね!(^^)!。




 雅春先生の御話です。



    大和・綜合・幽玄の日本精神

 
 大和・綜合・幽玄の日本精神は日本の建築様式の中にもあらわれているのであります。

だいたい日本の建物は、全体の景色の中に溶け込んだような形であって調和を得ております。

この事は日本の家を含んだ風景画をご覧になればお判りに

なるのであります。西洋式建築のように窓を直角や、鋭角や、鋭い線で切るという事をしません。

日本精神は”日の丸”の旗が象徴しているように一切を丸く包むのであって、「切る」ことを嫌うのであります。

個人も、祖先のつながりから切ることをしない祖先と子孫と一体の生命という自覚を持っております。


                    (つづく)







 

Re: 伝統様、ありがとうございます。31 - 道産子

2020/05/05 (Tue) 08:28:17





 <「諸悪の因 現憲法」これを生長の家信徒は忘れてはならんのです。>。

源流様のご投稿より<m(__)m>。








 雅春先生の御話です。


  個人単位は人間の単細胞動物への堕落である


 それなのに、占領軍の押し付け憲法によって、個人単

位、夫婦単位になって、単細胞動物が核分裂するように子

供を生み、子供が家庭を持つと親と全然分裂して戸籍が別々になります。

こうなると、祖先との関係は無論ありません。これは人類

の進歩でなくて、人間という最高の存在が単細胞動物の生活に退歩したことになっております。

                    (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。31 - 道産子

2020/05/06 (Wed) 08:16:10




<「精神科学」誌に連載されている谷口清超先生の「正法

眼蔵」の解釈を見て私は驚嘆しているのである。道元禅師

の難解な禅師特有の新造語ともいうべき普通の辞書には見

られない用語を,一語一句もとばさないで,それを訳しな

がら,現代語で実に分かり易く,「生命の實相」の鍵をも

って真理を説いていかれる清超先生の力量というものは,

単に学者の学をもってあれだけ解けるものではないのであ

る。悟りが元にあって,それに霊界からのインスピレーシ

ョンが加わっているのである。このような後継者が選ばれ

て出ているということは人間界のはからいによるのではな

いと思う。私は,安心して私の後を継ぐ者ありとして,安心していつでも涅槃に入ることが出来るのである。>。


 遠島流也様のご投稿より<m(__)m>。








 雅春先生の御話です。



    扉で個室を閉め切らない日本住宅


 ともかく、日本風の建物は、西洋風の建物のように個室

を扉で閉じて鍵をかけて、互いを分断するような事にはな

っていません。室と室との間には、国境のような敷居はあ

りますが、その上には、紙の障子又は襖があるだけで、自

由にひらいて交通が出来て、互いが一家族になっております。

これが大和の日本精神でありまして、神武天皇が、日本を

建国なさったときの勅語に、

「六合を兼ねて都を開き、八紘を掩(おお)いて(いえ)と為さん」

 と仰せられた世界兄弟主義の精神であります。

                    (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。31 - 道産子

2020/05/07 (Thu) 08:46:55



 今夜は、フラワームーン、満月です。さて月に願いは出来るでしょうか?

雲に隠れても、満月は満月(^_-)、終息を願いましょう(^^♪。






 雅春先生の御話です。


      八紘一宇の精神について


 六合というのは天地と四方の六方面で、あらゆる方角で

あります。あらゆる方角の国々を共通に兼ねたところの世

界連邦の都をつくって、そこを中心に世界各国大家族とす

るのが日本建国の理想になっていたのであります。これは侵略精神ではありません。

およそ二千六百三十年も前に、世界連邦の理想をうち建て

られたのが神武天皇であります。これは日本民族の素晴らしい霊感であります。

“八紘”というのは、“八”は“数多く”の意味でありま

す。“紘”は冠の紐の事であります。冠の紐というのは、

昔、お公卿さんが冠をかぶられた時、冠が落ちないように

冠から垂れ下がっている紐を、顎の下で一つに結び合わしたのであります。

 冠から垂れている紐とは「玉の緒」の事であります。

玉の緒とは魂の事であります。

八方の国の民族の魂を一つに集めてそれを結び合わして、

君たちの魂も、吾々の魂も、一つの冠(これは頭に頂くも

ので、神様の象徴です)から垂れて来た玉の緒であるから

一つに結び合わして、世界各国の魂が兄弟であることが

日本建国の精神であるというのであります。これこそが日本民族の理想であったのであります。
 
                   (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。31 - 道産子

2020/05/08 (Fri) 08:47:06



<自粛よりも、

自分を祝う自祝を大切にして

それを社会全体の全祝へと拡げていきましょう。・・・>。


 ひかたま様のご投稿より<m(__)m>。


 何となく判るような気もするのですが…。








 雅春先生の御話です。




        木花咲耶姫物語


『古事記』の中に書かれている物語に、天照大御神の御孫

瓊々杵尊(ににぎのみこと)が地上に天降って来られて、木花咲耶姫命と結婚せられるところがあります。

「木花咲耶姫を私の妃にしたいから貰いたい」

 と尊(みこと)が父の大山津見命に申し入れられますと大山津見命は大変よろこばれて、

「それでは、咲耶姫を差し上げますが、実はあの姫には

石長姫という姉がございます。顔は醜うございますが、体は

まことに岩乗であります。この石長姫も一緒にお貰い下さ

いましたならば、いつまでも天皇の御いのちは、岩のよう

に岩乗で長生きなさいますから、どうぞ一緒にお貰い下さい」

 と申し上げたが、瓊々杵尊さまは、

「私は肉体のいのちが長く続くことを願って一夫一婦の道

をやぶることはしたくない。せっかくだけれども
石長姫はお貰いするわけにはいかぬ」

 とおことわりになりました。これが日本民族の本当の

結婚の在り方でありまして、父に相談もせずに結婚したりす

るのは、日本的ではないし、また、一夫一婦すなわち、

一人の夫には妻は一人しかもたぬというのが日本民族の本来
の在り方なのだから、その方を選ばれたのであります。

一夫多婦の風俗が日本民族に入って来たのは、出雲族――

大国主命系の民族がヤマト民族に帰順して入ってきた結果、その風習が混入して来たのであります。

                     (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。31 - 道産子

2020/05/09 (Sat) 08:33:07




<天皇…それ天の君を立つるは、これ百姓の為なり、然ら

ば則ち君は、百姓をもって本となす。是を以て、古への

聖王は、一人飢寒すれば、顧みて身を責む。いま百姓の貧

しきは、則ち朕の貧しきなり、百姓の富めるは、則ち朕の

富めるなり、未だ百姓富みて、君貧しきことあらざるなり。

 このようなご精神が126代にもわたって、受け継がれて

きているということ、それこそが奇蹟でなくて何でありましょう・・・>。

 


 破邪顕正様のご投稿より<m(__)m>。









 雅春先生の御話です。



 瓊々杵尊さまが、

「肉体が長く続いても醜いのはいやである。美しく生きるためには、命は短くともよい」

 という考えで木花咲耶姫だけを妃にせられた――このよう

な精神は、戦国時代以降、日本の武将やサムライたちの、

武士道精神となっており、佐賀の葉隠れ精神である「武士

道とは死ぬことと見つけたり」の精神もこの

 瓊々杵尊の精神を受け継ぐものであります。この精神を

本居宣長は、

 
  敷島の大和心を人問はば朝日に匂う山桜花


 と歌ったのであります。今の一瞬一瞬を美しく清らかに

理想のために生きたならば、肉体が長く続くなどと言うことは望まない。

一瞬の中に“神の無限生命”を生きたことになるのだから“今即久遠”の生き方だというのであります。

                                           (この御話終り)
 








 


Re: 伝統様、ありがとうございます。31 - 道産子

2020/05/10 (Sun) 08:44:53





 6月の紫外線期待、は、甘いんでしょうかね!(^^)!。


 アクエリアン様のご投稿で、安倍首相の信頼が崩れかけて行きます!(^^)!。









 雅春先生の御話は続きます。




 子供と母の本より。


        天皇さまと武士道


         “侍”ということ


 日本の国は、自分のいのちを“公”のためにささげて、いのちの限りつくすのを“武士道”として来ました。

 昔、日本で人間の階級が士農工商という風にわかれてい

た時代に、“士”すなわち“侍”が一等尊ばれ、“商”すなわち

商売人が一等下の階級のものだと思われていたの

は、“士”は“公”の理想を守るために、その理想を中心とし

て、その中心にさむらう、自分のいのちのことなど考えなかったからであります。

“侍”という言葉は「さむらう」という言葉が名詞になった

ので、「おそばにつきそうて守る」という意味が
“さむらう”という意味です。

                    (つづく) 

Re: 伝統様、ありがとうございます。31 - 道産子

2020/05/11 (Mon) 08:49:14



 前原先生のご講話、最善観、素晴らしいです(^^♪、

顔晴れ、も話されていましたし(^^♪。5年位前のYouTubeです。シャレも一級品です。

https://www.youtube.com/watch?v=wF7VzeJRSug&feature=youtu.be


 勿論、雅春先生の御講話は聴いております(^^♪。











 雅春先生の御話です。



         “公”という意味


 “公”というのは、“大宅”という意味です。“三宅”などと言う苗字の人が隋分あるでしょう。

“宅”は“家”のことで、“大宅”(公)は本家の元のいのちが生きている家の事であります。

 家といっても建物のことではなく、“谷口家”とか“中村

家”などと言う血統(ちすじ)のつながっている”いのちの家”の事で、“いのちの理想”といってもよろしい。

本家の元のいのちの理想とするところを守って、それを守

るためには、「自分のいのちなどどうなってもよい」と考えるのが、“侍の道”すなわち“武士道”だったのです。

それを日本の国を例にとれば、神武天皇が日本国をお建て

になった、その日本国の建国の理想を守り続けるために

は、自分個人のいのちなどは、どうなってもよいという、

国のためにつくす心が、“侍の道”であり、“武士道”なのです。

                    (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。31 - 道産子

2020/05/12 (Tue) 07:55:39





  岩音鳴りて⇉巖(いはほ)となりて、立葵様のご提言です
(^^♪。








 雅春先生の御話です。


          葉隠武士道


 だから佐賀の鍋島藩の武士道の本『葉隠論語』には、

「武士道とは死ぬことと見つけたり」

 と書いてあります。自分のいのちや、からだなどは、公

の理想のためには、どうなっても構わない、これが
“武士道”であり、“侍の道”だったのです。

                    (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。31 - 道産子

2020/05/13 (Wed) 08:40:45




 https://www.nicovideo.jp/watch/sm27723823

 天使の笑顔様のご紹介くださいました、

鎌田久子先生のご講演、引き込まれるように見て、聴いて

しまいました、凄いお方です(^_-)-☆。











 雅春先生の御話です。


      商人階級はなぜ軽視されたか


 商売人が階級の一番下におかれていたのは、その頃の商

売人は自分の利益を得るためには、いろいろ駆け引きをい

って、安いものを高く売りつけたりすることを平気でやる習慣があったからです。

「武士」すなわち“侍”というものは、自分の物質的な利益

などと言うことを考えないのが普通であったので

尊ばれていたのです。武士はただ使命に生き、家の理想を守るためだけに生きるのでした。

 だからその頃、はやった諺には、

「武士は食わねど高楊枝」

 という言葉がありました。

 侍というものは、貧しくて腹が減っていても、腹が減っ

た顔もせず、物質の食物や、それ等を買うためのお金など

を欲しそうな顔もせず、悠々と妻楊枝をつかいながら、

「今ご飯をすましたところです」

 というようなキチンとしたところがあって、犬のように

餌につられて何でもするような人間を軽蔑したのであります。

                     (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。31 - 道産子

2020/05/14 (Thu) 08:50:16

 
 北海道も全国区に、イヤな感じ!(^^)!。

人間が、素直過ぎるんでしょうかね(^_-)。


 大調和の神示、写経致しました、終熄を願って。









 雅春先生の御話です。



   人間なら利益につられるサーカスの熊になるな


 自分が腹が減っていても、食物につられてサーカスの熊のように、何でもやる自分ではないぞ。

“公”になるならいのち棄てても尽すぞ――このような精神の

人は一見、損得の道を知らない馬鹿な人間で、儲かる時に

も儲けないで頑張っている変人に見えるけれども、そのよ

うな“いのち知らず”“損得知らず”の人間がいてくれたの

で、日本全体の精神に筋金が入っていて、日本が今までほろびずに続いて来たのです。

利益につられて何でもやるような人間ばっかりだったら、
もう夙っくに日本の国はつぶれていたのだと思われます。

 日本の国が、明治維新の時に外国からの侵略を受けて滅

びてしまわなかったのも、


   かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれ

ぬ大和魂


 と謳って、日本の大宅のいのちの伝統を継ぎ給う

天皇さまと、日本国を守るための運動を起こすためには、

自分のいのちはどうなってもよいという覚悟で運動を起こ

し、維新の志士を育てて来た吉田松陰のような人があったからです。

 そして吉田松陰は、その理想を守り続ける為に江戸の小

塚原で処刑され、首を斬られて死んでしまったけれども、

そのいのちが守り続けてきた、日本国という、吉田松陰自

身のいのちが生まれて来た大宅――本家のいのちは、隆々と

栄えることになり、日本国は東洋の先進国になることが出来たのです。

 吉田松陰は小塚原で処刑されてもそのいのちは日本国と共に生き続けているのです。

                    (つづく) 
 

Re: 伝統様、ありがとうございます。31 - 道産子

2020/05/15 (Fri) 09:06:39



 さあ、いよいよ正念場、北海道知事がコメントしました!(^^)!











 雅春先生の御話です。



     大東亜戦争で日本は負けたのか?
 

 日本国は大東亜戦争で負けました。アメリカ軍が上陸し

て来て、あの戦争を太平洋戦争という名にして

大東亜戦争と言わせぬことにしました。

 しかし、日本の戦ったのは太平洋でだけではなく、東南

アジアから印度を経て、インドネシアの方に至るまで、広

い範囲にわたって戦って、今まで白人に征服せられ、属国

になり、植民地にせられていて、到底白人には打ち勝つこ

とが出来ないと考えていた有色民族に、「自分たちも同

じ“神の子”の人間であるから、日本人のように白人に打ち勝つこともできるのだ」という自信を与えた。

 このようにして、あの大東亜戦争は、世界の国々の今までの在り方を全然かえた。

最後には敵側の無茶な原子爆弾の使用と、ソ連が中立条約

を破って、敵側に回って攻めて来たのとで、日本はやむを

得ず降伏しましたけれども、あの戦争によって、南方アジ

アにある有色民族は、白人の支配をはなれて独立しました。
                    (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。31 - 道産子

2020/05/16 (Sat) 08:37:48




 スリーパーセル監視員、とは誰ですか~、スゴイ辛口文章ですね!(^^)!。

そ~れ様も脱帽です。








 雅春先生の御話続き、です。



 南方アジアだけではなく、アフリカの黒人たちも、続々白人の支配を脱して独立したのです。

 日本の起こした大東亜戦争は、大東亜の民族のみなら

ず、アフリカの民族にすら白人の支配から脱け出して独立

する自覚を与えたのであった。あの戦争によって世界の姿が変わったのです。

日本は全世界の有色民族を白人の支配から解放したのです。

あの戦争のとき、日本の戦争目的として掲げたのは「大東亜民族の解放」という旗印でした。

 そして、東南アジアは勿論、インドやパキスタンも独立

し、さらに中近東、アフリカの諸民族まで白人の手から解放して独立させたのです。

あの戦争の時、旗印として掲げた「大東亜民族の解放」と

いう理想は充分以上、十二分にその目的を達したのです。

 戦争目的を十二分に達したのですから、あの戦争は結果に於いては、日本が勝ったのです。

形の上では、敗戦して一時、降伏したという形で戦争は終わったのですけれども。

                    (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。31 - 道産子

2020/05/17 (Sun) 08:47:17



《私がこのお祭りに出席いたしておりますのは、必ず月初めのご挨拶に参りたい。

過去の月日の恵みお護りを感謝申しあげたい。

そしてこの月も御神徳を頂きたい。

そう言う意味でお参りさせて頂いているわけであります。

住吉大神様は愛の神の体現者として全ての罪を浄めてなく

してしまうところの―人格の神様でありますから、私は住

吉大神に会いたい!!お目にかかりたい!!という感じがするのです。

それは本当にお父さん!!お母さん!!というような気持なのですね》

(昭和54年6月1日〝月初めの感謝祭〟)


 破邪顕正様のご投稿より<m(__)m>。










 雅春先生の御話です。



   日本は剣道の名人のように素直にお辞儀した


 しかし、あの戦争の終わりようはまことにまことに見事

でした。日本内地に百八十万の陸軍兵が、まだ少しも傷つ

かないで待機しているのに――待機というのは、いつでも出

られるように待っている事です――それなのに、もう戦争を

辞めるべき潮時だとわかったら、きれいに降伏して、武装

を棄てて「降参(まい)りました」とお辞儀をしたのです。

 これは剣道の試合でも、名人と名人との試合であった

ら、互いに相手の呼吸を見合っただけで、相手の方が既に

自分より優れているとわかると、どちらも打ち込まない先に、

「まいりました」

 とお辞儀をします。斬られていても、斬られていること

にも気が付かないで、まだ相手に獅噛(しが)みついてゆこうとするようなのは、剣道では“下の下”なのです。

 日本は、アメリカが原子爆弾を持っていて、日本には、

それがないとわかったとき、日本の陸軍百八十万人は、素

直に、「まいりました」と竹刀を置いて相手におじぎをしたのでした。
                     
                    (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。31 - 道産子

2020/05/18 (Mon) 08:38:46




<我那覇真子さん、めちゃ可愛いです(^_-)、だけど、凄い人です。局長も。

https://www.youtube.com/watch?v=5oGllJmG5Tk

>・・・。









 雅春先生の御話です。



  天皇さまの行き方は“武士道”の極致であった


 このような綺麗な負け方をするのは、こちらがやはり名

人であるからです。誰がこの名人らしい負け方をしたのかというと、日本の天皇さまです。

阿南陸軍大臣や、梅津陸軍参謀総長や、豊田海軍軍令部総

長などは、敵が原子爆弾を持っているとわかっても、なお

敵の脚にでも腕にでも獅噛みついて、武器が足らないな

ら、竹槍でも何でも相手を突き殺してでも――と思って「戦

争をつづける」と言ったのでしたけれども、天皇さまは、

「もうこれ以上、無駄な戦争をつづけることは日本国の為

にならないばかりか、世界人類のために不幸である。私の

役目は皇祖すなわち天照大御神から始まって、皇宗すなわ

ち歴代の天皇を通してつづいて来た日本国を

子々孫々につたえることである。今となってはそのために

は自分のいのちや体はどうなってもよいから戦争をやめる」

 とおっしゃったのです。

                    (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。31 - 道産子

2020/05/19 (Tue) 08:49:15




 リラ冷え、ですか(^_-)、寒い朝です。

北海道は、やはり列島では特異気候の地ですかね(?_?)。

 移住希望4位ということですから、早く緊急事態脱出を

せねば・・・(^^♪。









 雅春先生の御話、その一段落です。



 天皇さまは、あの時、天照大御神から始まって、

神武天皇の建国の事実となり、それから二千年も続いて来

た日本国家という大宅(公)のいのちを守るために、自分の体もいのちも投げ出されたのです。

“公”のために、自分のいのちささげていのちの限り尽くす

のが“武士道”だと、この本文の冒頭に述べて置きました

が、日本の天皇さまこそ、本当に“公”のために、御自分の

いのちを投げ出された本当に立派な“武士道”の鏡ともいうべき御方さまでいらっしゃるのです。

 天皇さまは、負けぎわが、本当にきれいでした。そして

自分のいのちを惜しむことなく“公”のためにささげられた。

 あの負け際のきれいさがあったために、恰度よいときに

戦争がやまったのです。あの時、意地ぎたなく、負けなが

らも負けたと気が付かないで、もう半年も敵に獅噛みついていたらどうなっていたでしょうか。

 千島に侵入していたソ連は、北海道、青森、岩手、秋

田、宮城、山形、福島、新潟、長野、そして関東地方へ侵

入して来て、東京の半分から東はソ連領となり、東京の半

分から西はアメリカ圏となり、日本は東日本と西日本に分

割されて、今ちょうど、ドイツが東ドイツと西ドイツと分

割され、朝鮮が北朝鮮と韓国に分割され、ベトナムが北ベ

トナムと、南ベトナムとに分割され、今でも争っているよ

うなことが、日本国に起っていた筈でありますのに、そう

ならなかったのは、天皇陛下の武士道的な生き方、負ける

べき時にきれいにお辞儀をし、その降参ぶりのよかったこ

と、そして“公”のために自分のいのちを棄てることを理想

とされた“侍”の生き方を生きられたからこそであります。

 その結果、恰度良い時に戦争が終って、戦後にこんなに

早く日本は復興し、当時の戦勝国であったイギリスが、ポ

ンドの切り下げなどで益々経済的にも弱りつつあるこの時

でも、この日本国は隆々として栄え、昭和四十五年には、

大阪にアジアとして初めて開かれる万国博覧会のために大

きな資金を投じて、その敷地の造成と建築の設計を悠々と
やったほどの国力を備えて来たのです。

 まことに日本国は形の上では敗けた形で戦争が終わりま

したけれども、天皇陛下の武士道的な生き方のために、私

たちは天皇陛下に、この事を感謝しなければならぬと思う。

             (子供と母の本・おわり)




Re: 伝統様、ありがとうございます。31 - 道産子

2020/05/20 (Wed) 08:19:55




<現総裁の教えは「顛倒夢想」の教えである。>

 
 清流の民様は説いております!(^^)!。






 さて、今朝からは、雅春先生を少し離れて、往年の

ご立派な信者であった方のご文章を紹介いたします。


 当時の企業にあってご活躍された、伊藤勝啓さんの物語から。




    わが三十年  私は大会社を辞め単身中小企業へ

飛び込んだのは何故か?


        (当時)アスター精機KK   伊藤勝啓


 アメリカでは、有能の士は、会社を次々に移り、その度に、社会的地位も収入も上がって行くという。

わが国においても、昨今、『会社を変る法』などという本

が出回っているように、若年層、専門技能者・中堅技能者

の不足から次第に、労働者の企業間移動が行なわれるようになって来た。

しかし、将来会社の幹部たるべきものの移動は、まだまだ

少く、その点に於いては、生涯雇用の観念が強いといえよう。

時に、現在の会社を変ろうかと考えることがあっても、実際に会社を変る決意にまで達する事は殆どない。

身近に、会社を変った人の話を聞いても、それは、あくま

で他人の事としてであって、自分と関係ない事柄ととってしまうのである。


 私は、今から二年前に、それまで勤めていた会社を辞して現在の会社に移った。

私も、そうなる迄は、「会社を変る」ことを、全く自分と関係ないものと考えていた。

私の場合は、世に言うはなやかなスカウト合戦の結果でも

なく、より高い社会的地位と収入とを求めたわけでもない。

 有能な読者諸氏は、ここに記すものよりも、もっと実り
をもたらす「会社を変る法」を読むことが出来よう。

私の体験は、「体験」として発表するようなものでなく、平々凡々たる一社会人の「来し方」なのである。

特に、会社を変るために、新しい哲学を編み出したのでも

なく、それまでの生活の中から培われて来た「生き方」

が、私をして、会社を変る方向へと引っぱって行ったと考えるほかはない。

そこで、「会社を変る法」を記すことは、それまでの私の生き方を語ることに外ならなくなるのである。

                     (つづく)


Re: 伝統様、ありがとうございます。31 - 道産子

2020/05/21 (Thu) 08:06:38



 内地も寒いようですけれども、北海道、さすが負けてはいません(^_-)、

 外のアロエも元気なく、5℃まで下がっては・・・(-_-)/~~~ピシー!ピシー!。

 コロナにも元気を与えてしまいますよ、まったく・・・。








 伊藤勝啓さんの奮闘記、です。



           *

 私が八人兄弟の五番目として、産声を上げたのは今から三十一年前の事である。

父は運輸省に勤め、母は商家の出。もし、私に、人様の目

にとまるような善き性があるとすれば、それは、父の誠実

な人柄と母の信仰あつき心とから受けたものに外ならない。

私達五人の兄弟、三人の姉妹は、親になった現在の私たち
が考えても申し分のない両親によって育てられた。

物質的にはつましく、されど精神的には豊かに。

二つ違いで兄弟姉妹が並んでいたわけであるから、上のも

のは幼い時から弟妹の面倒をみる――勉強も運動も遊びも――

という工合いで、どんな場合でも、心のどこかで自分以外の兄弟の事を考えていた。


 わが国が米英と開戦したのは、私が六歳の時で、八歳の

頃から、戦況は次第に不利になりつつあった。即ち、国民

学校二年の時アッツ島守備隊玉砕、三年の時サイパン島失

陥、神風特別攻撃隊の初出撃、硫黄島守備隊の玉砕、四年

の時米英沖縄上陸、銃後の少国民として、私たちは、現在

の小学校三、四年生には想像もつかない緊迫した空気の中で、B29空襲の合間に勉強する状況であった。

国民学校四年の六月に母、弟妹と信州へ疎開し、そこで終戦を迎えた。

戦争という緊迫した状況下で愛国心を育てることは好まし

い事ではないが、ともかくも、私の祖国愛、国民同胞を思

う気持は、この時代に基礎づけられたといっては言い過ぎであろうか。

                    (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。31 - 道産子

2020/05/22 (Fri) 08:18:39




 わが北海道もいよいよ解除へ、プロ野球も開幕へ、何か気

持も明るくなってまいりました(^_-)-☆。










 伊藤さんの物語、続きです。



 戦後の食糧事情の悪い時、私は、小学校五年、六年、新
制中学一年、二年を横浜で過ごした。

信仰と樹木によって再興されたデンマークの話は私たち中

学生の心を打ち、私たちは日本のダルガスたらんと願ったのである。

新日本建設の担い手たらんと誓ったものは私ばかりではなかったのである。

 両親は、谷口雅春先生の「生命の教育法」の信奉者であ

り、私たち兄弟は、その内在せる無限の可能性を信頼されて、育てられて来た。

したがって、高校二年、三年の受験勉強も、大学に合格す

るための勉強ではなく、大学生としてはずかしくない学力

を培うための勉強として、将来を夢見ていそしんだものだった。

第一志望校には落ちたが、母の「そのままがありがたい」

という諭しで、第二志望の横浜国立大学経済学部へと進んだのであった。

この齢から、生長の家青年会へも入会し、勉強の余暇を子供会、中学生の会の活動についやした。

そして、子供たちとのつながり、青年同士の交流を通じ

て、ギールケの「人の人たるは人と人との結びつきにあり」を実感として味わったのである。

                    (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。31 - 道産子

2020/05/23 (Sat) 08:43:56




 ウイルスK型、G型、L型、S型・・・???











 伊藤さんのお話です。



 大学では、又、良き師に恵まれた。大学に入って二度目

の秋を迎えた私は、ある日の午後、ゼミナール(演習)選択

のために、藤田忠先生(横浜国立大学経済学部長)を人間関係管理研究室にお尋ねした。

先生は温厚な、しかし底には,学究生活から流れて来る重

みを湛えた口調で、「学生の本分は学問にある。学問を行

なう事なくして、人前でものを言うことは出来ない」と話されたのであった。

今私が静かに自己の学生生活をかえりみるとき、先生のこ

の言葉が、私の生活の基軸をなしていたことを知るのである。

私は先生の学生に対する愛に応えるためにも、力を尽して

勉強すべきであると、その日の夜、仏壇の前で決意したのであった。
                    (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。31 - 道産子

2020/05/24 (Sun) 07:34:12





<「迷い」に対して和解したら、真理が消えてしまうので

あります。「誤れる見解」に対して和解したら実相がくら

まされてしまうのであります。だからわれわれは、決して

「誤れる見解」に和解してはならないのであります。「誤

れる見解」をわれわれは「虚説」と申しますが、虚説とは

よく名づけたものであります。「誤れる見解」は実相の世

界にはない。それは「虚説」すなわち「無い説」でありま

すからわれわれは虚説と和解することは絶対にできないの

であります。虚説に和解したら自分の完全なる実相が昧

(くら)まされ、完全なる実相が昧まされたならば、その

投影として不完全なる現象すなわち不幸、病気、災厄等があらわれてくるのであります。…>。


 破邪顕正様のご投稿より<m(__)m>。



 今朝の「幸福の出発」聴いていたら、導師なんて言ってましたよ(?_?)、聴き間違いですか?

 観世音菩薩様も出て来ておりました(^_-)。









 伊藤さんのお話です。



 成績よりも何よりも、ベスト尽くすことの意義を考え、

あらゆる機会をとらえて、自己の無限の可能性を引き出す事を目指した。

単位の取得も、法律・経済・経営・外国語の各面にわた

り、最大限の履修を志し、学期末の試験も、要領よく試験

範囲だけを勉強するというのではなく、一年間の総復習を心掛けた。

その結果、卒業式には卒業生代表で証書を受ける栄に浴したのであった。

尚、青年会活動の正常化を推進するため、全国各大学の学

生有志を総合して全国学生連盟を結成し、学園を「学問の場」たらしめるべく、運動を展開した。

その体験の上に立って発表した「教学の本道に還れ」は、全国青年雄弁大会に於いて第一位を受けたのであった。


就職に当たって考えたことは、労務管理を専攻したことも

あって、

 (一)製造現場を持つメーカーである事 

 (二)日本産業の根幹となるものである事

 (三)労働争議をなくし労使協調による生産体制を築き 上げ得る場である事。

 かくして重電機産業を選び富士電機製造株式会社を受けたのであった。

入社試験の作文問題「職業」では、「職業とは、それを通

して人格を陶冶し、自分を育ててくれた社会に応えるもの

であり、報酬はその反映として自ずと与えられるものである」と論じた。
                     
                    (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。31 - 道産子

2020/05/25 (Mon) 08:16:56



<当時、総本山のご造営に、信仰的な面から反対の声があ

がりました。「神示」に「吾れに神殿は不要である」とあ

ったからであります。それに対して、谷口雅春先生はどうお答えになられたか。

《宇宙創造の大神は、神示に、「われに神殿は不要であ

る」と仰せられているのである。絶対者にまします大神に

とっては神殿は不要であるが、住吉大神と名を示して個別

的にあらわれ給うた神については又別の相対的意義がある

のでありまして、信仰心の集中の一点として、崇敬の心を

散乱せしめないためには神殿が必要なのであります。しか

し神殿に奉斉する御神体は偶像ではないのであって、〝護

国の神剣〟をもって御神体とするのであります。》(『生長の家』誌 昭和53年11月号 45頁)


 このお言葉に照らして考えてみるに、谷口雅宣総裁が今

回やったことは、「ソノ幽之幽ナル神トシテ」の天之御中

主神を、「住吉大神と名を示して個別的にあらわれ給うた
神」と同列に扱うということを意味します。

「絶対者にまします大神」を勝手に「個別的にあらわれ給

うた神」にしてしまう。こういうのを神をも恐れぬ所業というのではないでしょうか。〉


 破邪顕正様のご投稿より<m(__)m>。









 伊藤さんのお話です。



 入社後は、幹部教育コースとして川崎工場経理課で二年

間原価計算に従事。次いで、工場内留学という事で一年間、製造課で工程管理を勉強。

ここでも与えられた環境で接収し得るものは、完全に摂取

する建前で、図面の見方、工作機械の構造など、文科系では勉強できない事も勉強した。

さらに、生産化へと移り、ここでは生産計画生産管理に従

事、そして六年目に、労働組合専従役員の話が、会社と組合の双方からもちかけられた。

かねてより、組合幹部と組合員との疎隔、民青同の進出、

産業民主主義の導入等を考えていた折でもあり、一晩考えた結果、立候補することに決意した。

                     (つづく)



Re: 伝統様、ありがとうございます。31 - 道産子

2020/05/26 (Tue) 08:39:57




<ベニスの水は透明になり、イルカを見ることができます。

なぜなら水を汚していたゴンドラを使ってないから・・・>・


 ヴィヴィアン・リーチなる人の詩?

雅春先生は何と仰るのでしょう?








 伊藤さんの物語続きです。



 五千人の組合の副委員長となって、初めてメーデー

にも参加し、「組合を動かすものは何か」を真剣に勉

強、少しずつではあったが、改善策をも実施して行った。

また、現在の場を完全に活き切るという考え方から、

健全な労働組合の育成を目指して、中小企業の訪問を開始したのであった。

中小企業において健全な労働組合を作るという事は、

総評全国金属などの過激派に対する防波堤にもなり、

又組織の近代化を図る上でもプラスになることであ

り、まず経営幹部に正しい認識を持ってもらうことが

必要であると考え、各社長との懇談を行なったのである。

その中の一社であるアスター精機株式会社(金銭登録

機製造元、従業員二百人)寺岡静治社長から「是非当社

に来てほしい」との話があり、二年後に、会社を変ることになった。

                   (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。31 - 道産子

2020/05/27 (Wed) 08:20:44



<文部省『尋常小學唱歌』第六學年用、大正三年

「天照大神」より二番のみ

              作詞作曲不詳


 天の營田(つくだ)に御田(みた)作り、

 斎服殿(いみはたどの)に御衣(みぞ)織らせ、

 尊き御身(みみ)の、さきだちて、

 蒼生(あをひとぐさ)のなりはひに

 いそしみましし天照らす

 神の恵ぞ限なき。>。

 
  立葵様のご投稿より<m(__)m>。









 伊藤さんの物語。


 大学の恩師にも、青年会の先輩にも相談した。自分で考えた表面的理屈はこうであった。

「私は何らかの形で日本経済に寄与したいと考えて

いる。日本経済における中小企業の数はまことに多

く、昭和三五年の民間企業数三二二万のうち大企業

は、わずか二万で、残りの三二〇万人が中小企業である。

また昭和三七年の民間企業従業者数二六七〇万人、

そのうち中小企業従業員数は一二七〇万人で六六%に達している。

これは中小企業の日本経済における重要性を示すといえよう。

日本経済に真に役立つためには、中小企業の生きる道を、具体的に示す事ではないだろうか。

幸い富士電機には多くの人材がおり、私の出た後も十分に埋めてくれる。

日本経済の問題の一つは、人材が大企業に偏在して

いることではないか。それならば、まず自分が大企業から中小企業に移るべきであろう。」

                  (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。31 - 道産子

2020/05/28 (Thu) 08:27:45



コスモス様の#安倍総理、同感ですね!

足を引っ張る輩は日本を貶める者たちだ(^.^)/~~~。









 伊藤さんのお話です。




 しかし、理屈は、どうとでもつくのであり、最終的

に私を決意させたものは、今までの生き方に示されて

いる態度、すなわち、「自己に内在せる無限の可能性

を発揮する」環境を新しい職場に見出すという事であった。

もちろん、妻子を抱えているのであるから、将来の生

活のことも考える必要がある。ここで最後の所を下し

たものは、「人事を尽くして天命を待つ」という両親

から受け継いだ「なすことをなせばもはやそこに憂いはない」という信であった。

妻は、私を信じ切ってくれていた。

かくして、富士電機の幹部の方々のご了解も得て、二年前から現在の会社でお世話になっている。

 私は、各人に内在せる無限の可能性を信じている。

又、谷口雅春先生からご教示頂いた「人は、その環境

で勉強し得るものを全て学びつくした時に、自ずと新

しい環境を授けられる」という真理も、体験的に把握して来た。

徒に自力のみに走ってもならない。さればと言って、僥倖を待ち望んで時を空費してもならない。

与えられた環境にあって理想を求めて努力しつつある

ときに、時が経過しつつあり、環境が置きかわりつつあるのである。

                   (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。31 - 道産子

2020/05/29 (Fri) 08:08:41




<何のために、尊師は総本山をご造営なされたのですか…。

「天皇国・日本」を一千万年にわたった安泰にする、それだったのですよ。

尊師の教えを純粋に学べば学ぶほど、その行き着く先は、総本山のご造営なのです。・・・>。

 
 破邪顕正様のご投稿より<m(__)m>。






 伊藤さんのお話です。



 私は、今、一年半にわたる生産能率課の仕事を終え、総務課長としての仕事に励むことになった。

今までは、自己に内在せる無限の可能性を発揮するこ

とがテーマであったが、爾今は、全社員の無限の可能性発揮がテーマとして加わるわけである。

これは、単なる机上の勉強であってはならず、実際に

答えが出なければならない仕事であり、しかも社員一人一人の生命にかかわっている問題である。

私の人生体験は貧しいものである。しかし、私は、今、祈りを込めて、この仕事に向っている。

将来の夢は、アスター精機が人間管理面でも技術的で

も質的に世界の企業の水準を上回ること、さらにアジ

アの低開発圏にある国々の工業振興に役立つこと。そ

のためには私自身海外留学も必要になるであろうし、

現地に工場を設置し、現地人の可能性を発掘しなければならないであろう。

                  (つづく)


Re: 伝統様、ありがとうございます。31 - 道産子

2020/05/30 (Sat) 08:21:50



<幕末・明治維新期において、ご存じのように幕府側

は敗北したわけですが、その敗者の幕府側にあっても後世、高い評価を受けた人がいます。

例えば、勝海舟とか山岡鉄舟とかが、そうでありましょう。

どうして、そういうことになったのか。

勿論、江戸無血開城によって、江戸の民衆を救ったと

いう功績が燦然と輝いているからに他なりませんが、

それをもたらしたのは、やはりコトバに命を賭けていたからだと思うのです。

たとえ、敗者であろうとも、そこに命が込められていれば、その名は残る、そのコトバは遺る…。

“高貴なる敗北”という言葉がありますが、その高貴

さとは、すべからく、そこに命を賭けているからこそである…。>。


 破邪顕正様のご投稿より<m(__)m>。





 伊藤さんのお話の最後、です。


 私は、今、一年半にわたる生産能率課の仕事を終

え、総務課長としての仕事に励むことになった。

今までは、自己に内在せる無限の可能性を発揮するこ

とがテーマであったが、爾今は、全社員の無限の可能性発揮がテーマとして加わるわけである。

これは、単なる机上の勉強であってはならず、実際に

答えが出なければならない仕事であり、しかも社員一人一人の生命にかかわっている問題である。

私の人生体験は貧しいものである。しかし、私は、今、祈りを込めて、この仕事に向っている。

将来の夢は、アスター精機が人間管理面でも技術的で

も質的に世界の企業の水準を上回ること、さらにアジ

アの低開発圏にある国々の工業振興に役立つこと。そ

のためには私自身海外留学も必要になるであろうし、

現地に工場を設置し、現地人の可能性を発掘しなければならないであろう。

 振り返って見ると、私は生まれてよりこのかた、本

当に多くの方々の愛に恵まれて来た。私が信ずる「内

在せる無限の可能性」も、具体的な人の愛なくして発掘されるものではない。

終りに、私を教え導いて下さったすべての方々に、深い感謝の気持ちを捧げさせて頂く。

                   (おわり)

Re: 伝統様、ありがとうございます。31 - 道産子

2020/05/31 (Sun) 08:52:50


 

<「インフルエンザが激しく流行している時でも行動の制限などしないのに、なぜ?」

   ということがありました。

   インフルエンザの流行に対しての「強制的な行動制限」というものは、
   アメリカも、他のどの国も行ったということを聞いたことがありません。

(3)「感染した人の致死率」(感染した人がどのくらいの割合で亡くなるかの割合)

   ■CDCによる新型コロナウイルスの致死率の想定
    年齢別の症候性致死率

   ・0歳〜49歳:致死率 0.05%

   ・50歳〜64歳:致死率 0.2%

   ・65歳以上:致死率 1.3%

   ・全年齢:致死率 0.4%

(4)コロナは健康な人にとって「軽微な病気」

   CDCのデータが示す真実は、「健康な人には、軽微な病気」であるということだけで、
   それ以外の示唆は見当たりません。

(5)新型コロナウイルスの感染者数と死亡数がとても多いスペインでは、
   さらに興味深い統計がスペイン政府から出されています。

   これを見ると、今年のスペインは「80歳以上の死亡率が突出して上昇している」他は、
   少なくとも、40歳以下などは、ほとんど平年と変わりません。

(6)米スタンフォード大学がおこなった研究では、アメリカの場合ですが、
   新型コロナウイルスで亡くなったほとんどが、特別養護老人ホームを含む
   高齢者介護施設の人たちであることがわかっています。

   高齢者であっても、基礎疾患のない人はほとんど死亡していないのが現実です。

(7)ロックダウンはほとんど意味がなかった

  ①2ヶ月間近くに及ぶ強制的なロックダウンでの効果はなかった。

   例として、バージニア州では、ロックダウンを解除して初めて
   「ロックダウンに意味がなかったことがわかる」ということを認識しました。・・・>。


 伝統様のご投稿より<m(__)m>。





 今朝よりは、企業レポート(かつての生長の家の)

をご紹介します。




   夢←→青写真←→現実  のびる会社・

      東京スリーボンド


  ものごとの“すじ”を通す事が夢の実現の第一条件である。  
                  本誌記者

                       
  精神科学誌 1967 6月号(昭和42年、なぜか西暦標記)



 会社は八時二十五分に始業である。ところが七時半

になるとぼつぼつ社員が集り始め、七時五十分には全員が揃う。

しかも出勤簿は四年前から廃止しているが欠席率、遅

刻率が非常に少ない。社員の自発性を尊重しているのである。

 残業手当はない、しかし皆真剣に残業にいそしむ。

中小企業では、日本で最初に週四十時間制を実施した。

十二年前、資本金五十万、従業員五名の小さな工場か

ら出発して今では月間売り上げ一億円資本金四千万円になった会社。

全国に支店を擁し、なお着々と伸びつつあるのが東京スリー・ボンド社である。

 なぜこのように成長するのか?どのような“人の使
い方”をしているのか?

“世にも不思議”とさえいう人のあるこの会社の管理法とは?

そして、この会社で働く人々の掛値のない心境は?


                  (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。31 - 道産子

2020/06/01 (Mon) 07:42:23



<『無限供給の扉を開く』(谷口雅春著作集 第8巻)の

「序に代えて」は、こういう書き出しから始まります。

《わたしは昨日から今朝にかけて大変重大な真理を発見したのである。

それは私が九十二歳にもなって歯の幾本かの寿命が尽

きて、その歯が虫くったからではない、健康な歯であ

るのに、その歯が下から歯の根が浮き上がって来るそ

の体験を通じて気がついた「生命の實相」の真理である。》

それでは、その真理とは何か。

尊師は、それを「異物排除の法則」として、こうご教示くださっています。

《肉体が真の自己に非ざるものとして排除される-即

ちこの際、異物として排除されるのは、生命体の如く

「粉飾されていたニセモノの自己」であって、本来、

霊なる生命だけは、粉飾体を棄てて却って生命の實相

たる完全自由を得るのであって、今まで一般に生命が

死するが如く錯覚せしめられていた「生命の死」は、実に於ては存在しないのである。

それは却って、自己の生命の本体たる「霊的生命」が

一層完全なる自由を発揮するために、ニセモノの「物

質性」を粉飾した生命が、その粉飾物質をかなぐり棄

てるために「物性」を脱皮する一過程に過ぎないのである。》

これを紹介したのは他でもありません。

総裁の称える〝今の教え〟は、「粉飾されていたニセモノの自己」即ち〝異物〟にあたる…。・・・>。


 破邪顕正様のご投稿より<m(__)m>。


 6月の仙厓和尚の書画は、

この世は業の海のようなもの、坐禅が大事なことを

ガマの姿で表しているそうです(^^♪。






 スリーボンド取材記です。



 先ず、東京昭島市にある東京工場に鵜久森 税取締社長をたずねよう。

写真のように丸々とした目に丸いメガネをすべてが丸

く一見これだけの事業の中心者のような感じを当てな

いが、時時メガネの下の鋭く細い眼が光り現実をしっかり見る人であることを示す。

背広の左襟には「5・鵜久森」と白いネームプレートがある。

小ざっぱりとした応接室でインタヴューをおねがいした。


記者 その5と言うのは何ですか?

鵜久森 これは、会社が五年後に月額五億円の売上げ

を目ざしているので、一人一人皆つけているわけです

よ。と言うのは、経済界の動向を見ると、大企業か零細企業に大部分の企業がなって行くようです。

中小企業はなくなる傾向にある。マスプロ、マスセール・マスコミです。

この中で、スリー・ボンドは上の二つを今でも実施し

ているのですが、最後のマスコミ対策には月三千万要するので、今の一億の売上げではちょっと無理です。

そこで月五億の売上げがあればそれが可能になるので

す。中小企業というのはまあボートのようなものですね。

大企業は巨船です。少しくらいの風ではびくともしない。

私の所も、傍系子会社と手を合わせてそうなろうというんです。

                  (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。31 - 道産子

2020/06/02 (Tue) 08:03:43


コロナ情報は錯綜していて、どれを信じていいか、

迷います('◇')ゞ、要するに現象を見ないことがカギになりますか(^_-)-☆。









 スリーボンド社、です。



 ――後になったが、スリー・ボンドとは接着剤

で、昭和二十八年、鵜久森氏が、日本の機械産業

で、機械から油が漏れている(年額一千億以上)のに

注目これをなくすことが出来たらと、合成樹脂と合

成ゴムを主成分としたものを発明された。その製品の名で、会社の製品の中心をなすものである。


鵜久森 一億の現状で五億の目標を掲げているのも、一つの夢を与えている事ですね。


――しかし、注意すべきはこれは単なる夢ではな

く、はっきりとした青写真と計画が伴なっているのである。

夢遊病者の夢でなく、どのようにして五年先に五億

になるか、またそれには一人一人の社員がどう仕事

をしたらよいか、を皆に手渡してあるのである。そうすると各自が大きな責任を持つ。

月額五億が達せられると、個々人の収入がどの程度

になるか、仕事の質と量はどの程度になるかまでハッキリとしている。

                  (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。31 - 道産子

2020/06/03 (Wed) 08:11:34



<新編『生命の實相』第36巻「経典篇」にはかくあります(90頁)。


《天使というのは何かと申しますといつも話すよう

に神、--唯一つの神から、神の念波、即ち神の救

いの霊波が送られている。しかしそれを吾々は五感

では感じることが出来ませんから、その時に神の霊

波が吾々の第六感を通してそこにあるかの如く姿を

現す。その現れが救いの天使として姿を現すのであ

ります。仏教でなら観世音菩薩や普賢菩薩や、また

キリスト教でならミカエル、ガブリエル、或いはケ

ルビム等々……というのは、皆その天使の名であっ

て、これらは皆神より出でたる救いの霊波の人格的応現なのであります。》

まさしく、天使とは“神より出でたる救いの霊波の人格的応現なのであります。”

今回の「通達」によれば、“造化の三神”を祀っ

て、“救いの霊波の人格的応現”たる「住吉大神」

を外してしまったが故に、具体的な救いが現れようのないことにしてしまった…。>。

 
 破邪顕正様のご投稿より<m(__)m>。







 スリーボンド社、です。


 記者 成る程、そうなると会社の仕事と自分の仕事が、一つになる訳ですね。

 鵜久森 若い人に夢と希望を与える。お題目でな

く、そして現実に仕事の能力のある者には責任のある仕事を山ほど与えるのです。

産業人として仕事をもって成し遂げるのが一番面白いのですから。


――全国の支店の店長の平均年齢は三十四歳だとい

う。若い人をどんどん生かして仕事を与えてゆくのである。

 鵜久森 私は二十歳以上は大人として同じに扱うのです。



  働く時は個人主義でもなく
  全体主義でもない

  各人の自覚に基いた協力精神によって向上されなければならない


 右のような「社是」を実施するのにスリーボンド

独特の組織―六つの委員会がある。



  1新製品提案委員会

  2提案委員会

  3安全委員会

  4教材編纂委員会

  5社内企画委員会

  6社内JIS委員会


 これらの委員会は管理者が指導するが、成員は全

社員から募集して、一定の契約をし、手当てを受け

て機能を発揮する。例えば、アイデアマンと自負す

る人間は提案委員会に応募し、月々一定の手当てを

受け、社内の肯定の改善や事務改善の提案をする。

そしてそれが入れられて実施されてうまくいけば、

委員会全部が表彰され、個人にもそれだけ報酬が行く。

これは一応職制とは別機能である。

新製品提案委員会で、画期的な提案をしたら、個人に大きな報酬が入る可能性がある。

当然皆熱心にその機能を発揮しようとする。

そして、これは実は半分はいわゆる管理職の仕事なのだから、実際、皆が管理者なのである。

ここに全体主義でもなく、個人主義でもない協力の精神があると思われる。

                  (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。31 - 道産子

2020/06/04 (Thu) 07:56:00



遠島流也様のご主張は正論です(^^)/。








 スリーボンド社、です。



 多くの会社が、口では人類に貢献するような立派な

ことを言いながら、実際は、若い人たちの働きたくて

実力を示す機会をうずうずして待っているのを抑えた

り、会社の目標と社員の心とが離れていたりして、会

社と個人が対立的になり勝ちなのに、ここにはそれがない。

社長や管理者が幾ら”夢”を持っても、それが何らか
の形で社員と結びつかなければ何にもならない。

一人一人を認め、生かすと、分っていても、それを現

実の形にあらわさないならば、何もそこからよいものは生じないだろう。

鵜久森氏は言う。例えばこの月商五億という額は夢遊病者の夢ではない、と。

夢遊病者でないものは、はっきりと現実を把握する人

だ、夢が如何に実現するか、現実性を持つ人である。

産業人は、経済界の流れを何年も先まで読み取り、如

何に産業を運転して行くかを知り、しかも自己の夢を

実現して行かねば、その会社は伸びないに決っている。
ところが逆にあまりに現実、現実と言って、目先の利益のみにとらわれては、大きな仕事は出来ない。

そこで鵜久森氏の事業観、労働観を聞いてみよう。
 
                  (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。31 - 道産子

2020/06/05 (Fri) 07:56:50



スティホームは近眼を生む、さもありなん(^_-)。







 スリーボンド社です。


 鵜久森 皆同じく、学校を出て会社に入って来るの

ですが、ある人はもっと金持になりたいため、ある人

は食わんがためと、それぞれ考えが違う訳です。

それが悪いということはないが、バラバラのままだと

困る。そこでバラバラのようだけど一つにまとまるところが必要です。それが宗教だと思うんです。

産業人して必ずしも信仰を持つことは必要ではない、

働くのは何のためと言えば人間として生まれて来たの

は尊い事であり、生かされていることが有難く、それに報いる為に働くのだという事ですね。

 吾々が生きる為に何が必要かと言えば、空気、太陽の光、熱とか水は絶対欠かせない。

ところが、普通の考えでは、そういうものは昔からあるもので当り前だと思っている。

自然の恩恵が金で買おうとしても間に合わない無限に

無料で供給されていることに有難さを感じる心境になって来る。

この有難さに借りっぱなしになっていてはいけない。借りのない生活をしなくてはいけない。

そういう考え方を産業人としてのみでなく、お互いに

仕事をする中に於ても、会社に対しても給料を頂く或

いは社会に対しても恩恵を感ずるとそれに報いていく、こういう考えが必要ですね。

そして、与えれば与えられる、と言う法則が根本なのです。
                  
                  (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。31 - 道産子

2020/06/06 (Sat) 07:43:46




<茶人に第一必要な条件の一は掃き、ふき清め、洗うこ

とに関する知識である。払い清めるには術を要するから。
/『茶の本』岡倉覚三著 村岡博訳 (岩波文庫) 60頁》


 国土茶室化計画様のご投稿より<m(__)m>。



 また、伝統様のご投稿より<m(__)m>。

<それが
今回は
何故か
酸素を良い多く必要とする山登りでもマクス着用が推奨され
小学校ではフェイスシールドまで着用させたところまであります。

今回の新型コロナで、40代以下で亡くなった人の数は3人。

でも、40代以下の働き盛りの人たちのコロナ自粛関連死は
これからどこまで増え続けるのでしょうか。

京都大学大学院の研究では
政府があらゆる手を行った場合でも
コロナ関連自殺者数は14~26万人も増加する
という予測を出しています。

周りにコロナの人はいなくても
コロナ関連の精神病の人は多くいるはずです。・・・>。







 スリーボンド社、です。



 今申上げたようなことを知ってもらうために、社員

には必ず、生長の家の飛田給の練成道場に行ってもらうことにしています。

記者 その結果は如何ですか?

鵜久森 十日間ですから、終わり頃の二三日になっ

て、なるほどそうかと思う様な事があったり、いろい

ろですが、結局、吾々が仕事をするにも結局は一人で

は出来ない。仲良くやらねばいけない、頭がよいと

か、仕事が上手だとか言っても仲良く出来ないものは困る、という事が判って来るようです。

人間とはどんなものかが、今まで違った面から解って

来る。人を赦したり理解することが出来て都合良く行

く。学校教育の中にはない、何ものかがある訳です。

記者 それが、八時二十五分始りだのに早く出て来た

り、出勤簿がないのに出勤率が良かったりすることになるのですね。

鵜久森 始業時に掃除するのですが、それも強制ではなく自然にそういう形になっています。

 残業手当も、うちはないのですが、自分の仕事の責

任はきちんと果たしてゆくように自然になっているのです。

記者 それは強制なしにですね。強制と言ってもいわ

ゆる規則で決めたものと、心理的な例えば、上司が朝

早く行っているから、自分も早く行かなければどうも

具合が悪いといったような無形の心理的な強制もありますから・・・・・

鵜久森 人間ですからそういうことも無いとは言えな

いが、それが主ではないですね。また幹部が模範を示すことはあるでしょうが。

記者 会社をここまでのばしてこられて一番苦労されたことは何ですか?

鵜久森 一つも苦労はなかったですね。

  企業ですから資金繰りで苦労することはあります

が、これは苦労ではなく皆面白い事だと思う。山登りと同じです。

                   (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。31 - 道産子

2020/06/07 (Sun) 08:11:04




<富士山の日本一の高さは、日本一の裾野の広がりによって支えられている…。

同様に、拠点を陸続と生み出していくことが、その裾野を広げることになり、教勢を支える一番の基となります。

『創刊号』を紐解けば、立教当初から、尊師は、全国津々浦々に、真理の燈台、支部をつくっていくことを宣言されていることが分かります。

ぜひ、尊師のこのお心に応えて、自らの住むところに、真理の燈台をつくっていただければと念願する次第です。

「十二日の箴言」によれば、支部長というお役を頂けば、〝その人の役職が重大な仕事である場合には、その役職について経験の深い高級霊がその職務遂行の守護の霊として命ぜられて附き添うて来る〟とお示しいただいています。

経験があろうがなかろうが、この特命の守護神が必ず導き給うのである…。

それを心の支え、拠り所として、ぜひ、自らの住まう町に真理の燈台を灯す…。

その決意の輪が広がることを心から願っています。>



破邪顕正様のご投稿より<m(__)m>。


まことに、耳に痛いお言葉であります!(^^)!。











 スリーボンド社、です。終わりのお話です。




 ――ここで記者はこのすばらしい社長の経営方針の下で働く人々にインタビューしたいと頼んだ。
 
 あっさりOK.

これは少し意外だった。どんな景気良いラッパを鳴ら

すんでも脚元を見られるのを嫌がって、従業員と快く会わしてくれるのは稀なのである――

別の日、東京新宿の会社―主として営業の人に会った。

女性も一人。全部で八人の人々に匿名にすると断って色々尋ねた。

その結果、ほとんどの人が、会社と仕事に満足しているようなのである。

一人、仕事の量がちょっと多いという人、それから、月給がやや不足という人があった。

しかし、それもこちらが何かないかとしつこく尋ねてからようやく聞き出せたのである。

鵜久森社長は、たとえば、ある売上げ計画を立てる、

するとそれが達成する前に、完遂したものとして、ボ

ーナスを査定する。だからという訳ではないが、社長への信頼感がある。

一人一人が、社長と結びつき、社と結びついている。

現実をしっかり見ながら、理想を実現するこの社長の

下に、スリーボンド社は、その特別の製品の有利さもあって、着々と伸びると断言できる。

                   (おわり)

Re: 伝統様、ありがとうございます。31 - 道産子

2020/06/08 (Mon) 08:02:24




蓮華草様、素晴らしい、若々しき尊師の御講話を有難うございます<m(__)m>。

 本当に、心が洗われる、この世のものとも思われぬ神氣の感じられる御話しぶりで、

感動するばかりです。多くの方に聴いて頂きたいものです。






 さて、今朝は、尊師のお弟子のお一人、別府正大先

生の人生問答、です。晩年は残念なご境涯であったと聴きますが。






  自己の本質を知って立ち上がってください   


                 別府正大


(問) 私はもう生きてゆくのがいやになりました。

自分の病気も直りません。学校もレベルが最低の学校で将来性もありません。

 自分の体のために劣等感におちいりもう自殺したいのです。自殺してはいけないでしょうか。

人間として生きてゆく資格がないのです。神を見出すことも出来ません。(S生十六歳)


(答) あなたの悩みを我が悩みとして、じっと受け

取って、祈っておりますと、事の重大さに改めて責任を感じます。

 そこで、今、あなたに何が一番必要なのかと、祈る

気持ちで瞑想しておりますと次の事が浮かんでまいりました。

それは、あなたには今一番、生き甲斐とよろこびが必要だという事です。

さてその生き甲斐と喜びは一体どこから出て来るので

しょうか。それは人間とは何かという人間の本質を知ることによってです。

ところで人間の本質は何かと言いますと、これは生命

の実相と言いますが、これは神のいのちそのものなのです。

                   (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。31 - 道産子

2020/06/09 (Tue) 08:26:15


色々、難解なニュースが入って来て、ブルーインパルス

の、純粋な飛行もわかりましたが、勉強します(^^♪。









 別府先生の問答、です。


 今までの宗教は、神を人間の手の届かないものとし

て誤って説明したり、また現代の唯物教育では、人間

は物質から進化した猿の子孫であるなんて教えます

が、ここからは何の理想も希望も生まれてはきません。勿論ここからは神を見出すことも出来ません。

肉体が自分だと思っている、その肉体が何か欠陥

でもあると、もう俺は駄目だと劣等感におちいってし

まいます。まことに人間の凡ゆる劣等感の根源は人間
の物質観、有限観、弱小観から起こって来るのです。

これを打ち破って、霊的人間の無限観を我がものとしなければなりません。

 そこで、人間は霊的実在だとわかる(悟る)にはどうすればいいかという事が問題になります。

                   (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。31 - 道産子

2020/06/10 (Wed) 08:02:05




<上皇后陛下御歌

東宮の婚を祝ひて(平成五年 御兼題青葉の山)、皇后陛下当時の御歌


たづさへて登りゆきませ山はいま木々青葉してさやけくあらむ>


 天皇陛下皇后陛下 御成婚27周年の日が昨日6月9日でした。

謹んでお祝申上げます。










 別府先生の問答、です。


 ところが、これは、いとも簡単なことです。なぜな

ら、人間の魂の奥底では、内心の記憶というか、内心

の事実と言うか、直感的な認識によって、自分のいの

ちが神のいのちから来ていることを知っているからです。

潜在意識の奥底では、人間は誰でも自分の内に神があ

ることを知っている。その証拠には、何か重大な危機

に置かれると、思わず「神さま」と呼びたくなるからです。

ただ普通には、それがかすかな、はるかな記憶として

しか、私達の心に感じられないから、神は遠くにある

とか、天国や極楽浄土は山の彼方の空遠くにあるように感じられるだけなのです。

                   (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。31 - 道産子

2020/06/11 (Thu) 08:17:35



<横田滋さんは鬼籍に入られた。その意思を継ぐの

は、横田家の皆さんだけでなく、また拉致被害者ご家

族、特定失踪者のご家族だけでなく、我々国民一人ひとりである>。


コスモス様のご主張に従いたいです。







 別府先生の問答、から。



 そこで次に大切なことはこのかすかな記憶を、はっ

きりと今・此処・我れに、生きた実感として、生きた自覚として呼びさまして来ればいいのです。

さて、それにはどうすればいいかというと、これは、


① 人間の心は注意を集中した方向の事が解ってくるという精神科学の原則があります。

 従って神の方向に心を向ければ、向けた心を窓にし

て、普遍にして内在の神が意識の自覚に感じられてくるのです。

これが祈りによって神を自覚する方法であり、神想観

によって神と我との一体の自覚を得る方法であるわけです。

神想観のやり方は「詳説神想観」の中にあります。

また肉体の病気は生命力がめざめてくると自然に消え去ります。

                  (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。31 - 道産子

2020/06/12 (Fri) 08:01:22




<志士連合代表 西海市議会議員 田﨑 耕太氏、  

 明治憲法復元を唱えて、エライお人です(^^)/。>









 別府先生の問答、最後です。




 ① 次には、コトバの力によって、あなたの内在の神のいのちを呼びさましてゆく方法です。

これは真理の書の格調高いいのちの言葉を自分の魂に

呼びかけるようなつもりで、朗々と力強く読むことです。

 これには迫力あふれいのちをふるい立たせる力に満

ちた『青年の書』や『光明の生活法』を毎日時間の許す限り朗々と読み進んでゆくことです。

② 次には、神の子らしい生活を今すぐ始めるのです。理想を生きるのです。

あなたの内には、あなたの内部理想の声として、

「汝、愛深くあれ」「清く気高くあれ」「たえず前進し向上せよ」といった魂の叫びがあるでしょう。

これに忠実に従って生きることです。ここから生き甲斐が感じられてきます。

 また学校なんて問題になりません。

去年の年間所得三一六億で日本のトップの業績をあげ

た松下電器の松下幸之助さんは、大した学校も出ずし

て、大阪の築港で日雇い労働みたいな仕事をしておられた時期もあったといいます。

けれども理想に燃えた人でしたから今日の勝利を得られたのです。

また肉体の欠陥も問題じゃありません。

伝染病の研究で世界に雄名をはせられた野口英世博士

は幼少の頃、囲炉裏端で大やけどを負いながらも、そ

の肉体のハンディキャップを精神力で見事にカバーして世界の偉人となられたのです。

もう自殺なんて馬鹿らしいでしょう。

                   (おわり)

Re: 伝統様、ありがとうございます。31 - 道産子

2020/06/13 (Sat) 08:30:30




秋葉原本流オールドマニア様、切り込んで、考えさせられます!(^^)!。

 拉致問題の、コスモス様の思いは切実です!(^^)!。

よく判りますよね(-_-)/~~~ピシー!ピシー!。









 さて、今朝よりは、非常に難解ではありますが、

雅春先生の維摩経についての御講話です。





    精神科学誌 昭和45年7月号


   維摩経を語る  谷口雅春先生


    昭和四十五年三月、生長の家記念日の
     講演会での講話の一部


 禅師一日、衆に示して曰く、一切のまよひは皆身の

ひいきゆへにまよひを出かす。身のひいきさへせねば、一切の迷いは出来はしませぬわひの。

たとへば、となりの人が喧嘩をしますれば、こちらは

非分、こちらは道理という事を、明かにわかれて聞え

ますけれども、我身にかからぬ事なれば、きこゆるぶ
んで我腹は立はしませぬわひの。

もしまた我身にかかれば、身のひいきをいたすゆへ

に、むかふのものにとりあふて、仏心を修羅にしかへ

て、たがひにせめ合ますわひの・・・・・

       (盤珪禅師『御示聞書』より)

                   (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。31 - 道産子

2020/06/14 (Sun) 08:16:23



 「夜の街」客との距離2㍍、ですって、(^^♪。









 雅春先生の御講話です。




        “迷い”の正体について


 迷いというものは一体何であるかというと、“無い

ものをあると思うが迷いなり”と『甘露の法雨』に書いてあるのであります。

“ない”ものを“ある”と思う。

人間は、肉体はナイのにアルと思う。人間は実相

の“霊的体”である。それなのに“霊的体”なんてものは“無い”と思って迷う。

これは逆さまにこう思うわけなんです。だから「般若
心経」には、その逆様の事を“顛倒”と書いてある。

“顛倒”というのは、“ひっくり返る”ことである。

“ある”ものを“ない”と思い、 “ない”ものを“ある”と逆に“引っくり返して” 思うのです。

それは夢みたいなものなんだ。夢には、“ない”もの

を“ある”と見て、“ある”ものを“ない”と見ることが随分沢山あるのです。

例えば、それはこの現象世界の病気みたいなもんだ。

病気は“無い”のに、自分の心の反響があらわれて来

ているに過ぎないのに、それを“ある”と思って恐怖する。

                   (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。31 - 道産子

2020/06/15 (Mon) 08:07:08




<手元にある『菩薩は何を為すべきか』の奥付には、初版発行が昭和35年2月15日となっています。

その中に、この一文があることを改めて注目したいと思うのです。

《この運動は宇宙の創造神に在しますところの

生長の家大神が或る時期に住吉大神と顕れてコトバの

力によって御禊祓をなしたまうところの運動であります。》(54頁)

つまり、昭和30年代の前半、既に、「生長の家」とは

〝住吉大神と顕れてコトバの力によって御禊祓をなしたまうところの運動であった”ということなのです。

そして、それがいよいよ具体的な形となって生まれた

のが総本山のご造営であり「宇宙浄化の祈り」でありました。・・・>。


 破邪顕正様のご投稿より<m(__)m>。






 雅春先生の御講話です。



     現象は“呼声の響”の如し


 それを『呼声の響』というように、維摩経では譬えています。(『維摩経解釈』二八四頁参照)

“呼声”とあるのは、“呼”というのは“呼ぶ”こと、“声”は声です。

呼声の響が、恰も第三者として向うにあるが如く、こう返って来る。併し向うには人は居ないのです。

山の一角に立って、谷を越えて彼方へ対して「オー

イ」というと、「オーイ」とまた返って来る。

それは、自分が呼んでその呼び声が返って来ているに

過ぎないのに、向こうに人が居ってそして此方へ「オ

ーイ」と呼んでるのかと、逆さまに思うのが迷いである。

それと同じように、自分の歪んだ念や曇った影が映っ

て、そしてその歪んだ姿の曇った影が病気として現れ

ているのを、自分の心が映って現われているんだと思

わないで、本当にそれが、病気があるんだと、こう言

うように逆さまに思っているのが、「呼声の響」であるんです。
                  
                  (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。31 - 道産子

2020/06/16 (Tue) 08:18:51




 あめのうずめ様、復活おめでとうございます!(^^)!

含蓄あるクモのお話、スゴイです。


 また、コスモス様の、トランプ大統領、年収1ドルの

お話もすばらしいです、安倍首相も30%減額しておられるとか!(^^)!。

ほんとうに、聴いてみなければわからないんですね!(^^)!。









 雅春先生の御講話です。


   水の飛沫の如く、水上の泡の如く


 そのことを『維摩経解釈』二八四頁三行目以下には次のように説明されています。

「それは呼ぶ聲の反響(こだま)みたいなものなので

す。こちらの心で念を起すから、その念のひびきの反

響がきこえると、それはこちらの聲の反映でしかないのに、それを客観的實在だなどと思う。

すべて不完全なものはないのであって、それは空中の

雲の如く、水の飛沫のかたまりのやうに、水上の泡の

やうに一時的なあらはれであって實在ではない。實在

でないから消えるのであって、消えるものに執着して

自分の心の惱みで病氣を起してゐるなんて實に氣の毒なものなのです。

病氣なんて、そんなものは實在しない。人間は本来本法性(もとほっしょう)であって、法性は金剛不壊であります。

                  
                  (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。31 - 道産子

2020/06/17 (Wed) 08:10:12




<1.「認証を受けた宗教法人規則に従う義務」に違反している!

2.「信者に予め周知する義務」に違反している!

3.「宗教上の規約、規律、慣習及び伝統の尊重義務」に違反している!>。


護法の天使様のご投稿より<m(__)m>。

 なにか、ワクワクして参ります!(^^)!。









 雅春先生の御講話です。



     本来本法性ということ


 “法性”というのは“実相”と同じような意味です。法は真理、“真理の本性”が法性です。

人間は本来”真理そのもの”である――というの

が“本来本法性”であって、法性は金剛不壊、真理は

金剛不壊であって、人間の本来の実相たる法性は壞け

るものでもなければ、どんなものにも制約されたり、束縛されたりするものではない。

時間空間を絶した本当の自由自在の世界に吾々の実相

は生きているのであります。その自由自在のものが

”顛倒妄想”即ち“逆さまの夢”によって自由自在を

失って時間空間に縛られた肉体人間が此処にあるある

と思っている、それが既に”心の病気“であり、それ

が時間空間面に映って肉体の病気としてあらわれる訳であります。

                  (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。31 - 道産子

2020/06/18 (Thu) 08:34:46




 白い球体に、日暈(にちうん)、不可思議現象が起きております!(^^)!。

 吉祥、ならいいですね(^^♪。








 雅春先生の御講話です。


  “迷い”とは“観る角度”の歪みである


 大体、この自分自身を、ここに物質の肉体が生きているんだと思うことそのことが既に迷いである。

「迷いである」などと言う語を使うと、迷いという実

体があるかのように考えられるけれども、迷いという

実体があるのではなく、それは“心“が“観る角

度”の歪みである。斜めに見るから斜めに見え歪んで見えるだけである。

マトモに見ればよいのである。それなのに、そのない

ところの迷いをアルと思い、そのないところの病気を

アルと思い、その間違った思いを積み重ねてそれに執着するのが又病気なのであります。

 だいたい此の肉体をアルと思い、“物質“というものをアルと思うのが間違いなのである。

『聖経甘露の法雨』には「空間の上に投影されたる生

命の放射せる観念の紋(あや)、これを称して物質という」と書いてあるのですね。

時間空間という“認識の形式”の“嵌め枠“の上に投

影した観念の紋理が”物質“として仮に視えるのであります。

                  (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。31 - 道産子

2020/06/19 (Fri) 08:19:46




あめのうずめ様、進化しております!(^^)!。うらやましい。








 雅春先生の御講話、続きです。



   “認識の形式”としての 時間・空間


 「時間空間」というものもまた本当は無いのです。

自分の心の中に“認識の形式”としての嵌め枠がある

のです。つまり、銀幕みたいな、スクリーンみたいな

映写幕を“心”がつくって「時間・空間の縦横の幕」

として、それを認識の形式として、それに心の観念が

投影されると、恰も映画に於いて光の波が舞台のスク

リーンに投影されると、その映像が恰も生きている人間のように見えるのと似ているのです。

吾々の起した想念が時間空間、縦横厚みのスクリーン

にこう映って、その映った姿を見るから“物質”が仮

にあるかの如く、人間自身の想念又は観念を物質化

し、肉体化して見ているに過ぎないのでありまして,

そう見えるのは皆“影”なんです。本当にはないのです。

                  (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。31 - 道産子

2020/06/20 (Sat) 09:03:54




あめのうずめ様でなくても、小生さえも、公憤は理会可能です(^^♪。









 雅春先生の御講話です。



    幻師の所幻の映像の如く


 だから『維摩経』には「菩薩ともなると、肉体人間

を観るのに、『幻師のあらはした幻の人間』と観る」とあるのです。

こうして人間の実相がわかり、肉体が単なる幻だとわ

かると、幻が何を言っても腹を立てる必要はないという事になります。

これが悟りの効果であります。そして”心”が滞らね

ば、心の滞りのあらわれとしての病気も消えてしまうのであります。

 “彼奴けしからんことを吐かしやがって、腹が立

つ”なんて言う人があるけれども、幻の人間が何を言っとったって腹立てる必要はないのであります。

『維摩経解釈』の中で、私は次のように書いております。

「人間界の争ひなんかといふものは、大抵のことは

『あの人が斯う言った、ああ言った』がもとであります。

世界的な事となると、現在の事は言ひたくないが、歴

史上のことで言ふと、チェンバレンが斯う言った、ヒットラーが斯う言ったといって喧嘩が始まった。

吾々の小さい家庭では、妹が斯ういった、お母さんが

斯ういった、娘が斯ういったといって喧嘩してをるのです。」・・・・・
 
                   (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。31 - 道産子

2020/06/21 (Sun) 07:24:39




早朝、「幸福への出発」?が聴こえて来て、若い獣医師さん出身の女性講師さんが、

和解の神示を振りかざして(^_-)、ノーミートを説いていましたよ(^_-)。

 動物虐殺?でCO2増の内50%がそれによるとおっしゃってました!(^^)!










 雅春先生の御講話です。



 これは、この衆生を観、また物質を観るのに「幻」

と観ないで、実在として観るから、そのような争いが起って来るのである。

すべての争いは「ない」ものを「ある」と思って幻の

人間を実在の人間だと思っているから起ることになるのです。

『ない』ものを『ある、ある』と思って執着し、積み
重ね、奪い合って喧嘩をする。それが病気なのです。

もとが『ない』ものに引っかかって苦しんでいる。そ

のもとが『ない』と知らぬから、いつまでも苦しむのです。

『ない』ものを『ない』と知り、それを単に『影』だと知れば争いがなくなるのです。

現象は本来『ない』のであり、それは影なんですか

ら、“影の人間”が何を言ったとて、どうしたとて、そう引っかかる必要はないのであります。

心が引っかかる結果、心の流れが渋滞して、その結

果、その渋滞が“影の人間”に映って肉体の病気や不幸災難ともなってあらわれるのです。

                   (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。31 - 道産子

2020/06/22 (Mon) 08:13:25

 

 義絶、まことに、厳粛なるかな!(^^)!。




<同時に東京医療保健大の菅原えりさ教授は
   「飛沫に含まれるウイルスが物の表面などに付着し、
    手によって運ばれて感染する『接触感染』のリスクについても
    十分に理解するべきだ」と指摘する。

(3)接触感染が原因とみられる報告は後を絶たない。

   接触感染を防ぐ有効な手段は手洗いだ。
   厚生労働省によると、手洗いなしで手に約100万個付いた
   残存ウイルスは、せっけんなどよる手洗い1回で約0・001%、
   2回で約0・0001%まで減らすことができる。

(4)自分の口や目、鼻などの顔付近を触る前には、
   手を洗ったかどうかを確認することが大切だ。>。

 伝統様のご投稿より<m(__)m>。







 雅春先生の御講話です。



   “迷い”が無ければ不幸災難もない


 しかし、本来、”迷い”そのものがないのですから

その結果であるところの病気も不幸災難もそんなものは無いのであります。

真に実在するものは、遷り変る時間空間内の現象の世

界にはない。時間空間を絶した神の世界の一切が、今

茲に既にあるところの“時空”十字交叉の“無”の一

点の世界に這入って参りましたならば、そしたら悪いものは一つもないのであります。

 この事は、図解をしないとわかりにくいと思います

ので簡単な図を書きますが、十字交叉というの

は“横”の線が時間をあらわします。(写真参照)

                                           (つづく)
                  

Re: 伝統様、ありがとうございます。31 - 道産子

2020/06/23 (Tue) 08:14:34



<数分の照射で新型コロナを不活化、人に無害な222nm紫外線が実用化へ>


伝統様のご投稿より<m(__)m>。








 雅春先生の御講話です。



 現象世界の事物や人間というものは、この時間の流

れの中の、空間のひろがりの上の、どこかに居るんですが、

“時間“未だ現われず、空間未だ現われざるこの中心

の十字の交叉点、その”絶対無“中へ入って行くとで

すね、そうしたら、もうこの空間のひろがりの上に、

罪を犯したり、或る時間の流れの上に何か悪口を言ったりしたと言うような奴は本来無いのであります。

時間空間十字交叉の一点に入って行く。そこには空間

も時間も、そして時空上にあらわれる一切の現象がな

んにもない、従って何ものにも縛られないところの自

由自在になれるわけなんであります。


この絶対無の境地は有無相対の「無」ではない。現象

を何もつかまず、空手になった時、本当の自在が得られるのであります。

                                          (つづく)
                  

Re: 伝統様、ありがとうございます。31 - 道産子

2020/06/24 (Wed) 08:26:02




<勿論、彼とても、光り輝く神の子の生命そのものが

真実であるのは当然で、それを教えられているので、

こちらも救われるわけですが、しかし、宇宙の法則を

しっかり学んで、いずれの時か、偉大なる谷口雅春先

生からお教え頂いた「生長の家の教え」を正しく学ん

で、人々を救うお方になられるよう、心から祈っています。・・・>。


 コスモス様の尊いお言葉です(^^♪。








 雅春先生の御講話です。



    維摩経を語る  谷口雅春先生
 

     巨大な鉱石船の沈没の示すもの


 最近五万噸~十万噸というような巨大な鉱石船が、波

浪と戦って二つに折れて沈没するというような事件が起っている。

例えば、カリフォルニア丸が千葉県の沖合まで来て壊

れて沈没したのでありますが、あれも空っぽになった

ら砕けて沈むこともなかったに相違ありません。カリ

フォルニア丸は巨大な鉱石積載船で、非常に重い鉱石を船腹に一杯積んでつかんでいた。

何も積んでいなかったら船が軽いから波のままに、そ

のままに動いていて、波浪の激突に対して急激な抵抗

がなく、フワリと波浪の衝撃を受けるから船体も傷つかずに済んだのであります。

                  (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。31 - 道産子

2020/06/25 (Thu) 08:26:57




<それを知った家人が「何か遺言でも残して欲しい」と頼みます。

すると、鉄舟は司馬温公の遺訓を記します。

〈子孫にお金を残しても、子孫は必ずしもこれを良い

ことには使わない。子孫に書を残しても、子孫は必ず

しもそれを読まないだろう。陰徳を積んで、それを子孫に残すに如くものはない。〉・・・>。


 破邪顕正様のご投稿より<m(__)m>。







 雅春先生の御講話です。



 吾々の心にも、あの鉱石船よりも、まだまだ沢山重荷を積んでる人がある。

そういう人が癌に罹るのであります。だから“癌“と

いう字は“疒(やまいだれ)”に“品物の山”と書いてある。

癌で死ぬ人は、あまりにも、心の中に品物の山を積ん

でいるために、積み荷の重みに耐えかねてどこかに亀裂を生じて沈没した船のようなものなんですね。

併し人間は”神の子”であって、鉱石運搬船じゃない

のですから本来ありもしない積み荷を、どっさりと自分の心の中に積み込む必要はないのであります。

                   (つづく)
 

Re: 伝統様、ありがとうございます。31 - 道産子

2020/06/26 (Fri) 08:32:16




雅春先生の御講話は、続きます。




     “心“に何ものも積み込むな


 何も積み込まなかったら、吾々の本当の心は自由自在なのです。

自由自在なのが、人間の実相の心――本当の心なので

すけれども、そのままカラッポの心なら自由自在なの

ですけれども、自由自在だから執着したり、粘りついたりすることも出来る。

それで勝手に、物に執着して蠅が蠅取黐(はえとりも

ち)に足を突っ込んで粘りついて動けないのと同じような姿になるのです。

『斯うだ』『ああだ』と、『無い』ものを『ある』と

みとめて、我執というのに引っかかっている人があります。これが病気の因なんです。

                   (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。31 - 道産子

2020/06/27 (Sat) 08:53:03



破邪顕正様のご投稿より、観普賢菩薩行法を連想いたしました。


「吾普く我が全身を観ずるに此の身このまま普賢の身なり。

六牙の白象に乗り、花弁が悉く如意宝珠なる蓮華の宝

座に坐し、合掌のうちに一大如意宝珠を持し、全身の

細胞悉く如意宝珠にして光明燦然として十方世界を照

らす。合掌の如意宝珠またまた大光明を放つ・・・」


 この後も、如意宝珠は次々と唱えられます(^^♪。


「如意宝珠観」も実修したいです(^^♪。







 雅春先生の御講話です。



 そこで、皆さん、蠅が蠅取黐に足をくっつけて動け

ないようになるのは、なぜあんなになるかというと、蠅もあれは欲張って執着のためにそうなる。

台所においしそうな御馳走があると思ってやって来

て、それに誘惑されて、足元に気が付かずに黐にひっかかるということになるのであります。

私たちは、目先の慾にひっかからないで、脚下に気を

付けなければならない。これを「脚下照顧」と言います。

 あのカリフォルニア丸でも、あれは鉱石をうーんと

積んで、その重みをつかんでいる。それで波が来ても、

蠅取黐で海にくっついたようになっとるから、自由自

在に動けないで、波に叩かれると、頑固に海水中に粘

りついて、波のまにまに動けないもんだから船体が折

れるより仕方がない、という事になった訳であります。
 このような実例でもわかりますように、吾々は執着

の念を以って、一杯、心の中に荷物を積んだりする

と、癌になったり、色々の病気になって、カリフォルニア丸のように沈んでしまうのであります。

                   (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。31 - 道産子

2020/06/28 (Sun) 08:21:14



源流様がやまと新聞の、私の謹写を転載してくれております<m(__)m>。

 今回は、薬剤の功罪を説いた御文章です。まことに、
説得力のあるものです。


<    ◇信念の力で健康を保持せよ
 
むやみに医薬に頼ってはなりません。

薬剤は効果ある薬剤であればあるほど副作用も強いのです。

 「薬剤は一つの病気を排斥するために、もう一つの病気をこしらえる」

という西洋の諺がありますが、このことは、ペニシリ

ンのショック死や抗生物質を使用して細菌を滅ぼして

しまえば菌交替現象が起ってカビが人間に寄生して困ることがある事実で最近再認識されました。

 病菌を殺す力があるほどの薬ならば人体細胞を何ら

かの程度に傷つけたり、生命自体の調節力に異状を与えるのは当然のことであります。

 だから特効薬のない場合に素人が乱用するのは慎むべきことです。

薬剤に頼る習慣を厭うもう一つの理由は、
物に頼り過ぎると自分自身の力が発達せぬからです。

 杖をつく中風患者は全治しにくいし、

親の財産に頼っている息子は、独立に生計する力が湧いて来ません。

 薬剤に頼りすぎている人は自分の健康力があまり発揮されぬものです。

常には薬剤に頼らない南洋の土人などは、
どんな病気でも歯磨粉で治るそうです。

 歯磨粉を処方してもどんな病気も治る南洋の土人の

ような実例は、これは物質がきくのではなく、物質を

媒介としてその人の心に与えられた「これで治る」という暗示で効くのである。

昭和三十一年十二月号の「リーダーズ・ダイジェス

ト」誌に、

この種の替玉薬が病院における集団実験で文明人の場

合に用いてさえも、本物の薬剤が六十%余の治効のあ

るものなら、単に乳糖や澱粉をかためた替玉薬でも四

十%余の治効が実際あったことが発表されていました。

 替玉薬が効くのは物質そのものの科学的作用による

のでなく、心の力によるのでありますから、医師から

薬剤をもらって治る場合、

そのおよそ四十%は薬剤の力によらず、心の力によっ

て治っているといってもよいのであります。

 一旦罹った病気が心の力によってこれほど治る位な

らば、心に「われ神の子なり、病なし」の信念を最初

から堅くもてば病気にかからぬのも無理はないのであります。>








 雅春先生の御講話です。


“斯うだ”“ああだ”“ああだ”“斯うだ”と“無

い”ものを“ある”と思っていろいろと悩んでいるのが、この迷っている人の姿である。

そこで皆さんは、この「把み」や「執着」の原因にな

る“現象”を“現象本来なし”「現象は幻術師の所幻

のただの映像だ」と維摩居士のように悟らねばなりません。

                   (つづく)
 





Re: 伝統様、ありがとうございます。31 - 道産子

2020/06/29 (Mon) 08:15:05



6月の紫外線、も、このじめじめした梅雨では十分に発揮されませんね('◇')ゞ

 笑って、笑って、笑い飛ばすか、太陽のような明るい心境が必要な時期かもしれません!(^^)!。










 雅春先生の御講話です。



    “敵は本来ない“ということ


 病気の人は、その肉体を治そうとするより先に、

『無い』ものをハッキリ『無い』と知って執着を外す事なのです。

『敵がある』『あいつがこんな事をしやがった』と思

って腹を立てたりしているけれども、そんな”敵”と

見える者は、神さまのお造りになった世界にはないのです。

“ない”のに“ある”ように見えるのは“心”という

妖術師が、感覚という手品の種を使ってあらわしている“幻の人間”に過ぎないのです。  

 維摩経には、現象は、外見には堅固な事実のように

見えていても、本当は、中はカラッポだということを芭蕉に譬えて説明しているのであります。

芭蕉の木は、一見堅く立っているところの大樹のよう

に見えているけれども、幹の中は空っぽで、大風でも来たら直ちに折れてしまうのが芭蕉であります。

 或いはまた、現象の非存在で常住性のない事を、維

摩経では稲妻に譬えています。稲妻はパッと煌いたと思ったら、すぐ消えてしまうのである。

人間界の現象的存在も、そんなものは瞬時にして消え

てしまうのであって、それを”永遠の存在”だと思っ

てこう掴んでいるのが、病気のもとであるのであります。

                  (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。31 - 道産子

2020/06/30 (Tue) 08:29:07




コロナ、イナゴ、飛蝗、中国(^_-)、災厄は次々と。

”敵は本来無い”雅春先生の御言葉は尊い。


だけど、コスモス様のご投稿もスゴイです(^_-)-☆。







 雅春先生の御講話です。




   世界も“迷い”で病気にかかっている


 今、世界も病気に罹っているのであります。北ベト

ナムも病気に罹っているしアメリカも病気にかかっている。

何か思い違いをしているのであります。

メンツのためとか、イデオロギーのためだとか、本来

ない面子やイデオロギーをあると思って、それを守り

抜かんならんと把んで、その執着のために戦っている。

イスラエルとアラブ諸国とも、こうして戦争をしてい

る。ソ連がアラブ諸国に武器を供給すると、アメリカ

がまたイスラエルに武器を供給して、そして他国人を

使って、新兵器の威力テストのために殺し合いをしているのです。

まことに気の毒であるが、あれも執着である。執着を放させるほかに救いようがないのであります。

                   (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。31 - 道産子

2020/07/01 (Wed) 08:21:37



一人でもいいから、伝道を、大事ですよね(^^♪。


 仙厓和尚の八十八歳の不動明王、畑違いの不動明王を描いても、迫力たっぷりです(^^♪。








 雅春先生の御講話です。



     衆生病むが故にわれ病む


 ところで、維摩居士のように悟りをひらいた聖者が

何故病気にかかったりするのであるかと文殊菩薩が維

摩にたずねると、「菩薩の病は大悲より生ず。衆生病むが故に我れ病む」と答えている。

維摩のような覚者になると、自分の心の迷いで病気に

なるのではない。わが身体を世界の鏡として、衆生即

ちすべての人類の心の病を維摩自身の体に振替えてあ

らわして見せて、病気見舞いに来る人たちに病気の原

理を説明するために病気を仮りに顕わしているというのであります。

これが、維摩が「衆生病むが故にわれ病む」の意義であります。

                   (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。31 - 道産子

2020/07/02 (Thu) 08:33:29




 ニュートンとウイルス禍、関連があるんですね!(^^)!。

 昨日の写真、ボケていたので、再掲(^_-)。









 雅春先生の御講話です。




       光明皇后の奇蹟について


 維摩居士という方は、ただの人間ではないというこ

とが維摩経の終りに近いところに出て来るのであります。

それによると、維摩というのは東方阿閦(あしゅく)

如来の再来であるとあります。 阿閦如来というの

は、奈良に今も遺跡があるでしょう。というのは光明

皇后は仏の慈悲はその愛を実践しなければならないというので、

千人の病人の身体を洗ってやりたいという念願を立てられて、浴場を建立せられた。

その浴場の遺跡が今も奈良に残っておりますが、皇后

が、九百九十九人の病人を洗い終わられた時、千人目

に癩病患者がやって来て、「皇后様、どうぞ私の身を洗って下さい」というのであった。

それでその癩患者の体を洗ってやっていると、「皇后

様、私の背中が腐って、そこから膿血が流れているの

でございましょう。膿血を、皇后様、あなた御自身の

御口をつけて、御口ずからこの膿血をお吸いください

ましたならば、私の癩病は治るのでございます」と言ったのであります。

大抵の人なら「ああきたない、迚もこれは叶わん」と

逃げ出すかもしれませんけれども、光明皇后さまは、

その癩患者の背に、自ら御口をおつけになってお吸いになったのである。

ここが大切である。よく心で聴いて下さい。

                  (つづく) 

Re: 伝統様、ありがとうございます。31 - 道産子

2020/07/03 (Fri) 08:18:30




<此の住吉大神は如何なる神様であるかと云いますと、

人生を住みよき世界にする所の神様であります。仏教で云うと、

此の神様は阿弥陀仏にあたるのであります。阿弥陀仏の慈悲の

働きが観世音菩薩、阿弥陀仏の知恵の働きが勢至菩薩であります。

阿弥陀・観音・勢至の三尊ー体であります。・・・>。


 がんこ親爺様のご投稿より<m(__)m>。






 雅春先生の御講話です。



 肉体はないのである。病気はないのである。だか

ら、穢れなく流れているところの膿血もないのである。

皇后さまは屹度、本来清浄の此の人間の実相を御覧になったのです。

この人間の実相は、本来如来である。光明輝く如来の

いのちがそこに姿をあらわしていらっしゃるのが、こ

の癩患者である。

だからこれにキッスすることは、如来にキッスをする

ことである。そういうわけでその膿血を口をつけてお吸いになったにちがいない。

その瞬間、癩病患者と見えた姿は消えて、彼は阿閦如

来の光明燦然と輝く仏の姿に化して現われられたというのであります。

これは神話でしょうけれども、そういう神話の中に、

全ての人間はその実相を観ずれば、かれは既に如来である、という真理が表現されているのであります。


                   (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。31 - 道産子

2020/07/04 (Sat) 08:32:39




<・・・「私はもっと完全に修養を積み、魂がもっと向

上してからでないと、人に道をつたえたる資格はない」

という人がいる。これは大いに謙遜しているように見

えるけれども、それは一種の霊的利己主義に過ぎない

のである。生きている人はどんなに幼い子供でも呼吸

しなければならない。受けた空気は必ず呼出すことに

よって、次の空気を吸い、肉体の生長と発達とが得ら

れるのである。〝真理〟を学び、〝真理〟を人に伝え

るということは、一種の霊的呼吸であって、吸い込ん

だ〝真理〟を、更に吐き出して他に伝えることによっ

て、子供が空気を吸っては呼出すことによって生長す

るが如く、人間の魂も生長するのである。受けた〝真

理〟を自己の内に止めるということなく、他に伝える

過程に於いて魂は一層進歩し、〝真理〟の理解が深くなるのである。・・・>。


 尊師の御言葉、破邪顕正様のご投稿より<m(__)m>。








 雅春先生の御講話です。



ここに、皆さんが人の病気を治す原理もあるのであります。また自分の病気の治る原理もあるのです。

あなたの前に、仮に病人がそこに居ったら、神想観を

して、病気を見ないで実相を見る。そして断じて病気

を見ないんだ。現象は本来無いからだ。そして、相手の人が如来である実相を観るのです。

換言すれば、かれが”神の子”として”神の生命”が

今滔々と光明輝く流れとなって、その人間に流れ入っ

て、既に彼の体に一点の曇りもなく、そこに、”神の

生命”が光明燦然と輝いていらっしゃるその実の姿を

心に描いて、じーっと観ぜさせて頂くのです。

そうしたら、“見られる世界”は見る人の“心の

影”であるから、“見る人”の心の中にその人の病気

が消えてしまったら、その人の病気も消えてしまうということになるのであります。

                   (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。31 - 道産子

2020/07/05 (Sun) 08:18:04

 

 ウイルスも東京集中、じゃシャレにもなりませんね(^_-)。

 わが北海道は、一段落でしょうか(^^♪。









 雅春先生の御講話です。



     “祈り合い”の神想観


 実例をもって言えば生長の家の飛田給の道場でも、

「祈り合いの神想観」をする時間があるでしょう。

すなわち修行者を、”祈って貰う人”と”祈ってあげ

る人”と二組に分けて互に向き合わせて、「祈って貰

う側の人」は「今この神想観により、神の癒しの霊光

が自分の全身に流れ入って、自分の全身を癒しの光明

で満たして、もう既に病気は無いのである」と繰返し念ずる。

そして「祈ってあげる側の人」は、積極的に、「あな

たは神の子であって、今、滔々と神の癒しの生命(い

のち)がずーっと流れ入って、神の癒しのいのちが光

明燦然と輝いて充ち満ちていて、どこにも病気の状態

(すがた)はなく、一点の曇りもない神そのままの靈

身である」ということを、繰返し念じて祈ってあげて、絶対健康の相手の人の実相を観ずるんです。

                   (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。31 - 道産子

2020/07/06 (Mon) 08:17:18




《古事記によると、日子穂穂出見尊が海辺に立って泣

いていられるところへ来て、塩椎神さまは、その泣き

いたまう理由をおたずねになり、「目無堅間の小船」

をつくって、龍宮海に御案内申し上げたら、龍宮海

は、〝失われるもの〟のない世界であるから、その鈎は直ちに見つかったのである。

 この古事記神話に示されている「目無堅間の小船に

乗る」というのは、神想観を実修して無時間無空間の

「無」の関門を突破して、〝超次元の世界〟に入ると

いうことである。そして超次元の世界(龍宮海)に達

したならば、そこは一切の失われものはない、本源の

世界であるから、「相食む者なく、病む者なく、悲し

む者なく、乏しき者なき世界」なのである。そして、

そこは全く住みよき世界即ち、〝住吉の世界〟であ

る。それゆえに、この実相世界の塩椎の大神の別名を

住吉大神と申し上げる。古訓では「すみのえのおおかみ」と読むのである。》


ここにありますように、「神想観」を導きたまうたのが住吉大神であるわけです。・・・>。


 破邪顕正様のご投稿より<m(__)m>。







 雅春先生の御講話です。



 そうすると、癒して貰う人の心と癒してあげたいと

いう人の心とが、一つに融会(ゆうえ)して、それが

恰度、陰陽の電気が、互いに触れると、そこに、電気

が流れるように、神の癒す力が流れ入って、現実に病

気が消える、ということが起って来るわけなのであります。

これは祈り合いの相互の念の感応によって癒るんです

が、自分の病を自分自身が一人念じても、神との一体

感によって矢張り癒らないことはないけれども、キリ

スト教の聖書にも、「二人して祈れば、必ずその祈り

は実現する」とありますように、一人で祈るより

も、”祈って貰う人”と”祈ってあげる人”と、“受

ける人“と“与える人“とが、陰陽相揃うて、祈る場

合には、一層効果が多い、ということになるのであります。

                  (つづく)


Re: 伝統様、ありがとうございます。31 - 道産子

2020/07/07 (Tue) 08:23:36




週刊誌で叩かれているにしては、小池都知事はまともな人のようですね(^^♪。








 雅春先生の御講話、続きです。



     “寂滅の慈“を行ずること


 さて、「現象は無い」という事を、維摩は、「菩薩

というものは、衆生を観ずるに、衆生即ち人類を観る

のに、恰度魔法使いが現わした幻の人間、テレビに映

った人間のようなもの、水の中に映ったお月様のよう

なものだ、それは現われているけれども実在ではない

のである」と言ったので、文殊菩薩が、「そんな人間

というものが幻のような存在ならば、慈悲を行じよう

と言ったって、慈悲を行なう事なんかは出来ないではないか」と言って尋ねたというのであります。

すると、維摩詰は答えたのです。――

「菩薩たるものは、衆生を『幻師の現じた幻の人間』

だと観じ終ってから、みずから心に念じて、次のよう

に衆生たちのために、

『是れ即ち真実の慈である。寂滅の慈悲を施している

のだ』と心に念ぜよ。何故なら一切衆生は本来“不

生”であるからだ」

 現象の人間を、「幻の人間」だと観じたら、慈悲を行

ずることが出来ないではないか文殊菩薩はいうけれど

も、そうじゃないんだ、これは実相の智慧によっ

て“寂滅の真理を教える慈悲“を施しているのである。

本来、一切衆生――肉体の人間――というものは無い

という真理を施しているのであるから、これこそ本当

の慈悲というものであると、維摩は答えているわけであります。

                  (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。31 - 道産子

2020/07/08 (Wed) 08:51:05




女は強し、コスモス様のご紹介されている、水沢美架さん、スゴイです(^_-)-☆。

 だけど、衛藤晟一先生が親中国とは思われませんが???
好きな(^_-)ゆかりさんも、そうだとはショックです。







 雅春先生の御講話です。



     “不熱の慈”を行ずること


 これこそが“本当の慈悲”であるというのは、この

慈悲を施されて、真理を知る時には、煩悩がなくなるからであると維摩はいうのであります。

人間が、此の肉体が俺だと思っておったら,色々の肉

体の欲望や煩悩が基本人権であるという様な事になっ

て、この世界が畜生道になったり、修羅道になったりする。

そして肉体の貪欲を跋扈さして、飽くことなき欲張り

根性で、いくらテレビのアンテナが蜘蛛の巣のよう

に、屋根の上に一杯張り巡らされて、全ての家庭にカ

ラーテレビが充満する様になっても、まだ“足らん、

足らん”“賃上げ闘争をやろう”、なんていう様な事になるのであります。

                  (つづく)



Re: 伝統様、ありがとうございます。31 - 道産子

2020/07/09 (Thu) 07:45:03



人吉と言えば、あの川上哲治選手の故郷ですね、

「球が止まって見えた」記事が精神科学誌(たしか)に

出ていました(^^♪。


 この大雨禍は、本当に、胎児の涙とでもいえるような事象です。








 雅春先生の御講話、最終、です。



 それは、この、「肉体の人間」を“幻の人間“だと

悟らないで、煩悩即ち「肉体の欲望」を基本人権であ

ると考えて、人間を“肉体的単位”で見るからそうい
うようなことになるのであります。

煩悩というのは、貪瞋癡(とんじんち)の三毒でありまして、貪る心、瞋る心、愚癡の心であります。

こういう迷いがあり、こういう三毒の心がありますと、カーと興奮して熱くなります。

これに反して肉体は「幻の人間」であり、諸々の現象

は『所生なきもの』即ち”本当の実在として、あるの

ではない、影のもの“だとわかりますと、この熱くな

る心がなくなる。だから、維摩は肉体は「幻の人間」

と知らしてやることは『不熱の慈』を施したということになるのだといっているのであります。

                                     (この御講話終わり)
 








 

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