伝統板・第二

2507934
本掲示板の目的に従い、法令順守、せっかく掲示板社の利用規約及び社会倫理の厳守をお願いします。
なお、当掲示板の管理人は、聖典『生命の實相』および『甘露の法雨』などの聖経以外については、
どの著作物について権利者が誰であるかを承知しておりません。

「著作物に係る権利」または「その他の正当な権利」を侵害されたとする方は、自らの所属、役職、氏名、連絡方法を明記のうえ、
自らが正当な権利者であることを証明するもの(確定判決書又は文化庁の著作権登録謄本等)のPDFファイルを添付して、
当掲示板への書き込みにより、管理人にお申し出ください。プロバイダ責任制限法に基づき、適正に対処します。

ウイルスと人類 - 夕刻・伝統版

2020/04/14 (Tue) 15:05:36

このスレッドでは、「ウイルスと人類」に関する情報を集めてまいります。


《「感染症と人類」本でひもとく いがみ合うか、励まし合うか 佐倉統・東京大学教授》

           *Web:好書好日(2020.04.08)より

新型コロナウイルス感染拡大の影響でカミュの『ペスト』が売れていると聞き、
福島第一原発事故のことを思い出した。

事故から二年ほど経った時、放射線防護を住民主体で進めているグループの集まりで
話をすることになり、この本の一節を引用したのだ。

放射能汚染という目に見えない不条理に直面し、
生活の基盤を破壊された地域の方々の心情には、
この本で描かれているところと共通するものがあると感じていたからだ。


《社会の機能喪失》

ペストも放射線も、そこで暮らす人たちの生活に割り込んできて、
日常を引き裂く暴力的な存在だ。

自分たちの力ではどうにもならない閉塞(へいそく)的な状況におかれたとき、
人々は絶望に囚(とら)われたり、教条主義的な発言を繰り返したりする。

一方で、力を合わせて困難と対峙(たいじ)する人もいる。
カミュは、それぞれの人間の根っこの部分にある何ものかが漏れ出す風景を、
引き締まった文体で彫刻し続けた。

 
朱戸(あかと)アオ『リウーを待ちながら』(講談社・1巻693円、2、3巻品切れ)を
併せて読みたい。
同じペスト・パンデミックを題材にしつつ、舞台を二一世紀の日本に移して、
今日的な社会問題に迫ったマンガだ。

 
小松左京の名作SF『復活の日』も注目されているという。
米ソ冷戦下で極秘裏に開発された超強力な細菌兵器がアクシデントで拡散してしまい、
世界中のほとんどの人々が死に絶えるというすさまじいストーリー。

数カ月前は満員だった電車が空(す)いている。
病院は患者であふれ、医師たちも倒れていく。
社会が次々と機能を失っていく場面の描写は、まさに今、世界で起きていることを
実況しているような生々しさがある。



 「みろよ、たかがインフルエンザで、全アメリカの機能が麻痺(まひ)状態に
  おちいりつつあるんだぜ」

  ――アメリカの軍人のつぶやきだが、五〇年以上前に書かれたものとは思えない。


《差別と迫害暴走》

小松左京の未来を見通す千里眼は、東日本大震災時に『日本沈没』
(小学館文庫・上下各628円)でも注目された。

二度あることは三度ある。
次に予測があたるのは、東京が機能を喪失する『首都消失』
(ハルキ文庫・上817円、下859円)か。

 
予言を的中させているのはSF作家だけではない。
雄大なスケールで世界の歴史を一筆書きしたカナダ出身の歴史家
ウィリアム・マクニールは、『疫病と世界史』で人と感染症の関係の歴史を総覧し、
その結論として、人類はどれだけ医療が発達しようとも感染症にきわめて
脆弱(ぜいじゃく)な存在であり、交通が高度に発達した現代社会は、
とくにその危険性が高まっていると指摘している。

天然痘のような輝かしい制圧例はむしろ例外で、
人は決して疫病に打ち勝つことはできないと考えた方が良さそうだ。

 
実際、このような見方は、感染症の専門家もしばしば述べている。

山本太郎『感染症と文明』(岩波新書・792円)は、人類は感染症の制圧ではなく、
それとの共生をこそ模索すべきだと説く。

新型コロナもいつかは下火になるだろうが、その後もさまざまな感染症が出現し、
ぼくたちを脅かし続けるのだろう。

そしていつの時代でも、疫病という見えない脅威を前にすると人々の心は
荒(すさ)み、いがみ合い、差別と迫害を暴走させる。

今回も、程度は軽いが、中世の黒死病(ペスト)流行の時と
基本的には似た光景が繰り返されている。

 
だが一方で、『ペスト』の主人公と友人らのように、
真摯(しんし)で高潔な振る舞いを見せる一群の人々も、
感染症大流行のたびに必ず繰り返し現れている。

お互いに助け合い、励まし合う、それもまた人のさがなのだと思う。

未来は暗いばかりではない。

  (https://book.asahi.com/article/13275030

・・・

<関連Web>

(1)伝統板・第二「庚子~意識を変えるチャンス 」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7966084

(2)伝統板・第二「庚子~意識を変えるチャンス② 」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7970274

           <感謝合掌 令和2年4月14日 頓首再拝>

人類の発展と感染症 - 伝統

2020/04/15 (Wed) 14:10:06


        *Web:JA静岡厚生連(2019.7)より

《感染症》

感染症とは、細菌やカビ等の真菌、ウイルスや寄生虫等の病原体が
体内に侵入して引き起こす病気のことをいいます。

感染は病原体が人間の体内に侵入して定着、増殖することで成立します。
感染しても症状が現れる場合(顕性感染)と、
症状が現れない場合(不顕性感染)がありますが、
総じて「うつる病気」のことを感染症といいます。

感染症は人口が集中し、交通手段が発達している地域で流行しやすく、
逆に言うと人口が少なく、人やモノの動きが少なくて遅い地域では
流行しにくいといわれています。

人類はその誕生からしばらくの間、狩猟と採集という
限られた手段で食糧を確保していましたがその後、農耕と野生動物の家畜化という
新たな手段によって食糧を確保することに成功しました。

諸説ありますが、今からおよそ一万年前には羊などの家畜化が始まっていたようです。
 
食料確保の手段が狩猟と採集のみでは得られるエネルギー量は少なくまた、
長距離の移動を必要とするため、子供を産んでも子育ての手間を考えると、
次の子供を産むまでには少なくとも二年以上の間隔を必要としたため、
人口が急速に増えることは無かったようです。
 
それが農耕と家畜という食糧確保の手段を手にすることによって、
一定の場所で生活しながら、以前より多くのエネルギーを摂取することが
できるようになり、人口が増えていきました。

人口が増えれば集落間の人やモノの交流は盛んとなり、人類の発展とともに、
感染症が流行しやすい条件は整っていきました。
 
また家畜を飼うことによって、家畜を感染源とした新たな感染症を
人類にもたらす原因となってしまいました。

そして、その後は人類の歴史と共に感染症も歴史を刻んでいくことになります。


《天然痘》

天然痘はウイルスを病原体とする感染症です。
1980年にはWHOによって根絶が宣言され、今ではその脅威も存在しませんが、
人類は長きにわたりこの天然痘に苦しめられ続け、歴史にも大きな影響を与えてきました。

天然痘は一万年前には既に存在していたようで、
天然痘に感染した痕(痘疱)が残るエジプトのミイラも発見されています。
 
天然痘が人類の歴史に与えた影響は大きく、いくつものエピソードが存在します。

みなさんは南米に存在したアステカ帝国やインカ帝国をご存知でしょうか?
 
十五世紀の大航海時代、旧大陸(ヨーロッパ)による新大陸(南北アメリカ大陸)の発見が
始まった際、アステカ帝国はエルナン・コルテスにより、
インカ帝国はフランシスコ・ピサロによって征服されます。

歴史の教科書では両帝国とも馬と鉄器を持つ者(旧大陸)と
持たない者(新大陸)の軍事力差による敗北とされていますが、
両帝国が滅亡する最大の要因は、旧大陸からもたらされた天然痘に
新大陸が感染したことによります。
 
今まで外部と接触する機会が無く、感染症に対し抵抗力を持たなかった新大陸に対する
天然痘の影響は凄まじく、インカ帝国にいたっては人口の六~九割が天然痘で
命を落としたとされています。
 
他にも十八世紀、北アメリカ大陸で起こったフレンチ・インディアン戦争では、
親切心を装ったイギリス軍がインディアンに対して天然痘をすり込んだ毛布を支給し、
感染したインディアンに大打撃を与えています。

他にもアメリカ独立戦争の際に、ジョージ・ワシントン率いる独立軍は
軍内の天然痘流行によってカナダへの侵攻につまずくことになります。


日本の歴史にも天然痘は影響を与えています。
平安時代に栄華を極めた、摂関政治で有名な藤原道長は、
天然痘による兄弟の死によって、実権を握ります。

「この世をば我が世とぞ思う~」の和歌も、
天然痘の流行が無ければ歌われることは無かったかもしれません。

天然痘は感染することによって失明するケースもあったのですが、
戦国時代に独眼竜の異名で知られた戦国大名「伊達政宗」や、
米百俵で有名な江戸時代の長岡藩士「小林虎三郎」は天然痘によって片目を失明しています。

また天然痘への恐怖は、人類に感染症と戦うための
「予防接種」という武器を誕生させるきっかけにもなりました。
 
このように天然痘は長きにわたり、人類の歴史に多くの影響をもたらしたのです。


《ペスト》

ペストは細菌を病原体とする感染症で、
普段はネズミからノミを介してネズミに感染しますが、
ヒトへの大流行期にはネズミ→ノミ→ヒト→ノミ→ヒトに感染するといわれています。

人類の歴史において、ペストが大流行する舞台はヨーロッパです。
 
記録に残っているヨーロッパで最初のペスト流行は、六世紀の東ローマ帝国。
当時の皇帝であったユスティニアヌスもペストに感染しています。

次の流行は十一世紀、パレスチナからの十字軍の帰還船がクマネズミを持ち込んだことにより
ヨーロッパにペストがもたらされたといわれています。

そして全ヨーロッパにまたがり大流行し、多大な被害をもたらしたのが十四世紀。
もともと中国で発生したペストがモンゴル軍のヨーロッパ遠征による大移動の際に、
持ち込まれたクマネズミによってもたらされました。

この時、ヨーロッパ全人口の1/3~1/2、
およそ二千万~三千万人が死亡したといわれています。

皮膚に黒紫色の斑点や腫瘍ができることから「黒死病」と呼ばれ、非常に恐れられました。
ヨーロッパでの人口激減は、封建領主に対する農民の地位を高めることになり、
荘園制(農奴制)に大きな影響を与えました。

結果としてその後、農民への待遇は改善され、個人の土地を所有する者が増えていきます。


《インフルエンザ》

インフルエンザは現代でも毎年冬になると流行が懸念される、
ウイルスを病原体とする感染症です。

インフルエンザはその当時、ウイルスの存在は知られていないものの、
古くから東洋においても西洋においても認識されていたようです。

日本でも平安時代に「逆咳(しはぶき)」という名前で文献に登場しています。
 
インフルエンザはA型とB型に大きく分類されますが、
世界的な大流行(パンデミック)を起こすのはA型です。

歴史上最も有名なインフルエンザは第一次世界大戦時に大流行した
スペインかぜではないでしょうか。

当時の世界人口約十六億人のうち、少なくとも五憶人が感染し、
死者の推計は最大で5千万人といわれています。

スペインかぜと呼ばれているため最初の流行はスペインと思われがちですが、
実はスペインがインフルエンザの流行を公表する以前の1918年3月に、
アメリカ合衆国で流行が始まりました。
 
当時は第一次世界大戦の最中であって、
各国ともインフルエンザの流行を隠ぺいしていたのですが、
第一次世界大戦に不参加であったスペインが最初に公表したために、
スペインかぜという名前が付いてしまったようです。

第一次世界大戦が無ければ、アメリカかぜと呼ばれ、
軍隊が移動することも無いのであそこまで大流行しなかったのかもしれませんね。


《新興感染症》

感染症は人類の誕生と共に存在したものばかりではなく、
現代においても新たな感染症が発生し続けています。

1970年代以降、新たに発見された感染症を新興感染症と呼びます。
エイズやエボラ出血熱、重症呼吸器症候群(SARS)や出血性大腸炎(O‐157)等、
既に三十種類以上も存在します。

我々人類は、過去の感染症の歴史を参考に
新たに発生する感染症への対処法を学習し続ける必要がありそうです。


〈参考文献〉
  人類と感染症の歴史‐未知なる恐怖を超えて-丸善出版
  サピエンス前史 上・下 河出書房新社
  銃・病原菌・鉄 上・下 草思社文庫

  (http://www.ja-shizuoka.or.jp/k-honsyo/step/step500.html )


           <感謝合掌 令和2年4月15日 頓首再拝>

新型肺炎でわかった、人類にとって唯一の天敵! - 伝統

2020/04/16 (Thu) 10:53:09


       *Web:デイリーBOOKウォッチ(2020/2/16)より

新型肺炎で感染症への関心が高まっている。
『感染症の世界史』(角川ソフィア文庫)は人類が感染症と戦ってきた
歴史を振り返ったものだ。

新型肺炎は新型コロナウイルスの感染によるものとされ、「COVID-19」と名づけられた。
本書は40億年の地球環境史の視点から、人類と対峙し続ける感染症の正体を探る。


《マラリア4回、コレラ、デング熱・・・》

著者の石弘之さんの身体は「傷」だらけ。
既往歴はマラリア4回、コレラ、デング熱、アメーバ赤痢、リーシマニア症など多数。
高熱を出してジャングルのテントで横たわったままほとんど意識不明が続いたこともある。

帰国後、日本の健康診断の調査票に病歴をそのまま書いたら、
「ふざけないでください」と看護師さんに叱られたそうだ。

本書はそうした多彩な活動歴や、自身の罹患体験などが凝縮された一冊と言える。
記者出身だけあって、何よりも文章がわかりやすい。

 序章で「エボラ出血熱とデング熱――突発的流行の衝撃」を扱い、
第一部で「20万年の地球環境史と感染症」、
第二部で「人類と共存するウイルスと細菌」、
第三部で「日本列島史と感染症の現状」、
終章で「今後、感染症との激戦が予想される地域は?」という構成になっている。


《感染症の巣窟になりうる中国》

この中でとりわけ興味深いのは終章だろう。
ずばり、「感染症の巣窟になりうる中国」と言い切っている。
その内容を簡単に紹介すると、以下のようになる。

 ・中国は歴史的にパンデミックの震源地。過去3回のペストの世界的流行も、
  新型インフルエンザも、遺伝子の分析から中国が起源とみられる。

 ・13億4000万人を超える人口が、経済力の向上に伴って
  国内外を盛んに動き回るようになった。
  春節前後には延べ3億人が国内を旅行し、年間に延べ1億人が海外に出かける。
  最近の12年間で10倍にふくれあがった大移動が、
  国内外に感染を広げる下地になっている。

 ・国内の防疫体制が遅れている。
  上水道が利用できない人口が3億人、下水道は7億5000万人。

  慢性的な大気や水質汚染から、
  呼吸器が損傷して病原体が体内に侵入しやすくなり、
  水からの感染の危険性も高い。

 ・高濃度の残留農薬、
  抗生物質など禁止薬物の添加、
  細菌による汚染、
  偽装食品などによる事件や事故も多発。
 
たしかにSARSや、いくつかの新型インフルエンザは中国発。
今回の新型肺炎も同じだ。

本書では中国に加えて「多くの感染症の生まれ故郷」であるアフリカも
「巣窟」として警告している。

すべての災害のなかで、もっとも多く人類を殺してきたのが感染症であり、
どんな対策も効果がないような菌やウイルスがいつ出現してもおかしくない、
というのが著者の基本認識だ。


《人類とウイルスの軍拡競争》

著者は本書の冒頭で感染症と人類との近況をまとめている。
一時は、人類によって感染症はいずれ制圧されるのではないかと見られていたという。
1980年にWHOが天然痘の根絶を宣言、その翌年にはポリオ(小児マヒ)の
日本国内での発生がゼロになった。

ところが入れ替わるかのように、エイズが想像を超えるスピードで広がり、
次々と「新型」インフルエンザが登場する。

エボラ出血熱、デング熱、西ナイル熱という予防法も治療法もない
新旧の病原体が流行し、抑え込んだはずの結核までもが息を吹き返した。

感染症とは、微生物(ウイルス・細菌・寄生虫)が人や動物などの宿主に寄生し、
そこで増殖した結果、宿主に起こる病気のこと。

かつては「疫病」「伝染病」とも言われたが、
現在は「感染症」という言葉に統一されている。

 
著者は言う。

私たちは、過去に繰り返されてきた感染症の大流行から生き残った
「幸運な先祖」の子孫だと。

一方で、私たちが忘れていたのは、いま感染症の原因となる微生物も
「幸運な先祖の子孫」だということだ。

人間が免疫力を高め、防疫体制を強化すれば、
微生物の側も対抗し、薬剤への耐性を獲得、強い毒性を持つ系統に入れ替わる。

両者がまさに「軍拡競争」を繰り広げているのだ。
微生物の役割はいろいろ。

腸内細菌のように健康維持と深い関係を持つものもある。

著者はこう結論づける。


  「微生物は、地上最強の地位に登り詰めた人類にとってほぼ唯一の天敵でもある。
   同時に、私たちの生存を助ける強力な味方でもある」


「縄文人が持ち込んだ成人T細胞白血病」
「弥生人が持ち込んだ結核」など日本人の祖先についての興味深い記述もある。

   (https://books.j-cast.com/2020/02/16010906.html )

           <感謝合掌 令和2年4月16日 頓首再拝>

人類と感染症、闘いと共存の歴史 - 伝統

2020/04/16 (Thu) 14:46:06


        *Web:Newsweek(2020年3月30日)より抜粋
             ~國井修 (グローバルファンド
             〔世界エイズ・結核・マラリア対策基金〕戦略投資効果局長)

《歴史は繰り返す。》

(1)メディアは食い付き恐怖をあおり、SNSではフェイクや非難・中傷が行き交い、
   店からはマスクやトイレットペーパーがなくなり、便乗商法や悪質商法が横行する。

   どうやら、これは現代のみならず、今から400年近く前にも同様の世相が見られたようだ。

   「見えない敵」は恐ろしく、実体より大きく感じてしまうもの。
   不安やパニックに陥ると人間は周りが見えなくなり、
   正しい判断がしづらくなるのはいつの時代でも同じらしい。


(2)新型肺炎については、少しずつデータが出そろい、次第に敵の戦術や威力が見えてきた。

  ①WHO(世界保健機関)の報告によると、新型肺炎感染者の8割は比較的軽症で、
   呼吸困難などを伴う重い症状や、呼吸不全や多臓器不全など重篤な症状、
   さらに死亡のリスクが高いのは60歳を超えた人や
   糖尿病、心血管疾患、慢性呼吸器疾患などの持病のある人だ。

  ②8割が比較的軽症というのは安心材料で、感染しても
   無症状や軽い症状のため検査を受けていない人も含めると、
   この割合は実際にはもっと高いだろう。

   重症化しても、その半数が回復しているが、ウイルスによる肺炎には
   有効な薬がないことから治療が困難なことも確かだ。

  ③ただし、新型肺炎でなくとも、統計上、日本では毎年9万人以上、
   1日平均で260人が肺炎で死亡しており、
   その多くが高齢者や基礎疾患のある人である。

   通常の季節性インフルエンザでも、日本では2018年の1年間で
   3000人(1日平均9人)以上が死亡しており、これらと新型肺炎の比較も重要である。

  ④もちろん、今やるべきことは、流行の拡大を抑えること。
   特に、オーバーシュート(感染爆発)を防ぐことだ。


《未知の病原菌が出現し始めた》

(1)人類の歴史は感染症との闘いともいわれる。

  ①メソポタミア時代、既に疫病は四災厄の1つに数えられ、
   古代エジプトを含むさまざまなミイラのゲノム解析などから、
   天然痘など感染症との闘いの跡が見える。

  ②感染症は歴史上、戦争を超える犠牲者をもたらしたといわれる。
   第1次大戦の死者1600万人、第2次大戦の死者5000万~8000万人に比べ、
   1918~1919年に大流行したスペインインフルエンザでは5000万人が死亡。

   ペストは何度も世界的大流行(パンデミック)を記録し、
   特に14世紀にヨーロッパを襲った「黒死病」と呼ばれる大流行では、
   推計死者数は1億人に上るともいわれる。

   ほかにも世界で7回のパンデミックを起こしているコレラ、
   強い感染力と致死力でインカ帝国やアステカ帝国を滅ぼした天然痘、
   「現代の黒死病」と呼ばれ、治療しなければ致死率が100%近かったエイズなど、
   「恐ろしい感染症」はたくさんある。

(2)医療技術や医学の進歩はつい最近のことである。

   初めてのワクチン開発が1798年、細菌の発見が1876年、抗生物質の発見が1928年で、
   わずか100~200年前の出来事だった。

   このような治療薬やワクチン、診断法の開発、また公衆衛生の改善によって、
   人間は感染症との闘いで優位に立てるようになった。

(3)1970年頃より人類が遭遇したことのない未知の病原菌がこの世に出現し始めた。

   ウイルスでは、SARS、エイズ、ジカ熱など、細菌では、
   腸管出血性大腸菌感染症(O157)、レジオネラ肺炎、
   メチシリン耐性黄色ブドウ球菌感染症(MRSA)など、
   寄生虫ではクリプトスポリジウム症、
   プリオン(蛋白質性感染粒子)ではクロイツフェルト・ヤコブ病(CJD)などがある。

(4)古くから分かっている病気も含めると、
   人獣共通感染症はWHOで確認されているだけでも150種類以上ある。


《薬剤耐性菌という新たな恐怖》

(1)新たな感染症が発生し流行する背景には何があるのだろうか。
   1つは近年、森林伐採や土地開発などに伴い、自然環境が破壊され、
   生態系が崩れる地域が増えたことだろうか。

(2)2つ目の背景として、近年では抗生物質に対する薬剤耐性菌が問題となっている。

  ①病原菌が完全に死滅する前に薬を途中でやめてしまう、
   有効量よりも低用量の薬を処方または服用する、純度の低い粗悪な薬が出回る、
   などが原因で、生き残った病原菌が薬に対する耐性を強め、薬が効かなくなってくる。

   また、それが周囲に伝播していくのである。

  ②対策がなければ、薬剤耐性菌による死亡者数は、
   2050年までに世界全体で年間1000万人に上り、経済損失は100兆ドルと推定されている。

(3)感染症には国境がなく、新たな病原菌はどこからやって来るか分からない。
   早い段階で疑わしき情報は全て把握し、確認して、対策を早めに実施しなければならない。


《将来に向けて、日本は何をすべきだろうか》

(1)現在の日本の国家予算でCDCと同じインフラ・人材を整えることは困難だろう。
   可能なのは、国立感染症研究所や国立国際医療研究センター、
   国立保健医療科学院などの国立の関連組織・施設に加えて、
   長崎大学熱帯医学研究所などの大学・研究機関、保健所などの行政組織、
   企業が持つ研究センターなどを有機的につなげることだ。

(2)今回の世界への社会的・経済的インパクトに鑑みて、
   将来のバイオテロなどの危険性も考えなくてはならず、
   日本の自衛隊、その医務官との円滑な連携・協力も強化する必要がある。

(3)さまざまな「最悪のシナリオ」を想定しながら、日本国内の関係機関・組織を強化、
   そしてつなげる必要がある。

(4)心配なのが日本国内の人材だ。世界で多くの感染症が流行しているが、
   そこで働く日本人は少ない。

  ①危機管理は頭で考えて準備・計画するだけでうまく実践できるものではない。
   現場で場数を踏んだ専門家、オペレーションの分かる管理者が必要だ。

  ②感染症疫学、公衆衛生の専門家はもとより、リスク・コミュニケーション、
   リスク・マネジメント、ロジスティクス、情報管理などの「本物のプロ」を
   平時から同定し、またそれが不足するのであれば育成し、
   有事にどのように活用するかを計画しておく必要がある。

(5)新型肺炎の流行は、日本の健康危機管理の在り方を問うものではあるが、
   より広い視野に立って、その背景にある世界の状況、地球環境の問題、
   ヒトと自然との共生・共存について考えるいい機会でもある。


《プラネタリー・ヘルス(Planetary Health)》

(1)人類がこの地球上で安全に安心して生きるには、
   人間の健康と命を考えるだけでなく、地球環境や生態系の保全、
   動物の健康や命の保護も積極的に考える必要がある。
   このような考え方をプラネタリー・ヘルス(Planetary Health) と呼んでいる。

(2)「見えない敵」との闘いは将来も続くだろうが、
   実はその敵とは自分自身、地球にとって最も恐ろしいのは人間なのかもしれない、
   と私は時々思う。

   こんなときほど、冷静に自分自身や自分たちの社会を見つめ直し、
   考える時間が必要なのだろう。

   (https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2020/03/post-92918.php )

           <感謝合掌 令和2年4月16日 頓首再拝>

人類はどう感染症の流行と向き合ってきたか - 伝統

2020/04/16 (Thu) 18:52:25

ペスト、コレラ、スペイン風邪・・・人類はどう感染症の流行と向き合ってきたか

         *Web:Forbes JAPAN( 2020/04/05 )より抜粋

《天然痘は1980年にWHOが根絶宣言》

天然痘の起源は現在でも研究が継続されていて定説がないのだが、
米国の学術誌「カレント・バイオロジー」に発表された論文では、
16世紀末から発生したウイルスなのではないかと言われている。

天然痘を引き起こす痘瘡ウイルスは高い致死率と感染性をもち、
飛沫感染もさることながら接触感染の威力が凄まじい。

感染によってできる発疹が触れた衣類や寝具なども感染源となるのだ。


天然痘は、人類史上初めて根絶に成功した感染症だ。
1977年に最後の患者がソマリアで発生して以来感染は認められず、
WHOは1980年に天然痘の世界根絶宣言を行っている。

近代免疫学の父とも呼ばれるエドワード・ジェンナーが1796年に種痘と呼ばれる
天然痘の予防接種を考案し、その普及により徐々に収まっていった。


江戸時代の日本でも感染は甚大で、症状の治癒後も発疹の痕が残るため
「痘瘡は見目(みめ)定めの病」と言われた。

発疹の痕を隠すために化粧を念入りに施す女性が多くなったという説もある。


《ペスト流行の歴史の光と影》

アルベール・カミュの小説「ペスト」が、ネズミが大量に死んでいる様子から始まるように、
ペストは主にウイルスに感染したネズミなどげっ歯類の動物と、媒介するノミが原因となって
引き起こされる感染症だ。

パンデミック(世界的大流行)となった中世のペストは、
クマネズミによってもたらされたものであったという。

ある種のノミは好んでネズミなどに寄生するのだが、
そのネズミがペストに感染しているとノミがペストウイルスを吸い込み、
ヒトに飛び移った際にヒトへも菌が移され、感染症が引き起こされるというわけだ。

14世紀には欧州の人口の三分の一がペストにより命を落としたとも言われており、
人々は病を「黒死病」と呼び恐れていた。

黒死病の蔓延は社会情勢にも多大な影響を及ぼした。
農奴解放が促進されるなど旧体制打破への一歩となった反面、
ユダヤ人が宗教的陰謀のため病原菌を撒いたと噂され、
各地でユダヤ人虐殺事件が起きたりもした。

感染が確認された場合、抗菌薬の投与によって治療が行われる。
1894年には北里柴三郎によりペスト菌が発見され、有効な治療法が確立されてはいる。

しかし現在でもペストに感染するリスクはあり、
2017年にはマダガスカルでの感染流行が確認されている。


《水が媒介するコレラはインドから世界へ流行》

コレラの最初の大流行は1817年インドのベンガル地方で起こった。
コレラ菌に汚染された水が媒介物だった。汚染された生活用水、
主に飲み水が腸内に入り細菌が増殖し、吐き気や下痢の症状から
体内の水分や塩分が失われる。

時代は貿易や移民の拡大、交通手段の発達など、近代化へと進む真っ只中。
インドを訪れた船乗りや商人によってコレラ菌は世界各地に広まった。

その後、1854年にはイギリスで流行した。
イギリス人医師スノーは、イギリスでのコレラの流行源が一般家庭向けの
給水ポンプであることを明らかにした。

この発見により、衛生管理及び水質管理が見直された欧州と北米ではコレラの流行が収まった。

特徴的なのは、移動の自由度が高くなったため世界中に蔓延したということだ。
一方でこの病気の流行により、パリでは「公衆衛生法」が成立し、
欧州各国で下水の整備が為されるなど人々の衛生観念を大きく進歩させた契機
となったとも言える。


《戦死者より多い死者を出したスペイン風邪》

1918年に流行が始まり、1920年に収束したスペイン風邪はインフルエンザの一種だ。
インフルエンザウイルスは人間が免疫をもっていない形態にすばやく変身する。
そのため約30年に一度のペースで誰も免疫をもっていないウイルス形態が発生し、
大流行が起こるのだ。

当時は第一次世界大戦の真っ只中。
各国の人々が入り混じる戦時下で、感染は瞬く間に世界中に広がった。
大戦での戦死者が1500万人なのに対し、
スペイン風邪による死者は2000万人以上にのぼったとも言われている。

スペイン風邪の収束には徹底した対策の義務付けが功を奏した。
特に米ミズーリ州セントルイス市の対策は、新型コロナウイルスの対策を講じる上でも
学ぶべき点が多いと注目が集まっている。

学校閉鎖など人が密集する場を設けることを禁じ、患者には隔離措置を施した。
その結果、感染率は30~50%低下し、1週間の人口10万人あたりの死亡者数も最小だった。

しかし死亡率の低下を受けて集会などの制限を解除した途端に、
新たな集団感染が始まったことも特筆すべきだろう。
対策は徹底的に、継続しなくては意味がない。


《「意識」が局面を決定づける時代か》

どの感染症も感染の原因や有効な対処法が見つかるまでにかなりの時間を有することが分かる。
ペストに関しては約500年もの間、原因が分からなかった。
しかし現在では、医療や科学の発達により感染経路の特定や予防策の提案がされるまでの
スパンが短くなっている。

一方で、これまでも完全に駆逐されたウイルスはほとんどないことから、
21世紀現在でも人類は常に感染症と隣り合わせで生きていることがわかる。

新型コロナウイルスが「第二次世界大戦以来最大の試練」として認識されるようになったのは、
爆発的な感染スピードと世界中でほぼ同時に感染が拡大したことが要因だろう。

実態の分からない新型のウイルスであることや、
感染拡大のスピードに追いつけずにいることなど、混乱をきたす要素が多いことは事実だ。

しかし、いま一度冷静になり、過去の感染症を振り返れば学べることも多い。

医療や科学が発達し、さまざまな予防の術が提示されている現代においては、
我々の感染症への「意識」こそが、感染拡大を防ぐために重要な鍵となるだろう。

  (https://forbesjapan.com/articles/detail/33488

           <感謝合掌 令和2年4月16日 頓首再拝>

社会に出る若者へ 感染症と人類の歴史を学ぶ - 伝統

2020/04/21 (Tue) 15:05:11


       *Web:日本経済新聞(2020/3/30)より
            ~池上彰 コラム(ビジネス)

世の中は新型コロナウイルスのニュースばかり。
多くの大学で卒業式や入学式が中止になり、
せっかくの人生の門出が台無しになってしまった若者たちも多いことでしょう。
残念なことです。

でも、こんなときだからこそ、視野を広げてみてはどうでしょうか。
人類の歴史は「感染症との戦い」の歴史でもあったことを振り返るのです。


■歴史書にも記されてきた

たとえば古代エジプトのラムセス五世のミイラを調べたところ、
天然痘に感染していたことがわかりました。
人類は、3000年も前から感染症に悩まされてきたのです。

あるいは古代ギリシャのペロポネソス戦争で
都市国家のアテネはスパルタに敗れました。

アテネは民主制をいち早く実現していたのに、なぜ敗れたのか。
実は当時、アテネで感染症が蔓延(まんえん)していたのです。

当時の様子を記したトゥキディデスの『戦史』という歴史書にこの記述があります。
その症状の描写から天然痘か麻疹ではないかとみられています。


天然痘は、スペインが南米を植民地支配する際にも猛威を振るいました。
15世紀から16世紀にかけて栄華を誇ったインカ帝国は、
わずか200人足らずのスペイン軍によって滅ぼされてしまったのです。

スペイン人たちが知らずに持ち込んだ天然痘ウイルスに
免疫を持っていなかった人たちが次々に亡くなったからです。


北米でもピューリタンたちが持ち込んだ感染症の病原体によって
先住民が次々に死亡すると、ピューリタンたちは、
「神が我々のために土地を用意してくれた」と勝手に解釈し、
先住民の土地を占領していきました。


またペストも世界の人々を恐怖に陥れました。
ヨーロッパでは14世紀と17世紀に大流行しました。
どちらも中国からヨーロッパへと感染が広がったことがわかっています。


14世紀にはシルクロードを通ってペスト菌も運ばれたのです。

このときヨーロッパでは多数が死亡したため労働力不足となり、賃金がアップし、
封建領主によって束縛されていた農民たちが、次第に自由を持つようになります。



■宗教改革につながった

また、キリスト教会もペストの蔓延に無力だったことから、
カトリックへの信頼が揺らぎ、やがて宗教改革へとつながっていきます。

この頃、イタリアで書かれた小説がボッカチオの『デカメロン』。
ペストから逃れて別荘にこもった男女10人が、退屈しのぎに
持ちネタの物語を順番に披露するという趣向です。

いまのイタリアでも外出禁止令が出ていますから、
同じような状況に置かれている人たちがいるかもしれません。
新しい小説が生まれる可能性があるのです。


感染症の蔓延は、政治経済や文化を大きく変容させます。

現在の日本でもテレワークや時差出勤が推奨されています。
これまでなかなか実現しなかった「働き方改革」が、
一気に進む可能性があります。

後世の歴史書に「日本は2020年の新型コロナウイルスの感染拡大を契機に
働き方が大きく変わった」と書かれるかもしれません。

また、学校が休校になって自宅待機の児童生徒も多いことでしょう。
実は17世紀、ペストの感染拡大でイングランドのケンブリッジ大学が
休校に追い込まれました。

このためアイザック・ニュートンは故郷に帰り、思索にふけっているうちに、
万有引力の法則や微分積分の考え方を編み出しました。


私たちは新型コロナウイルスの蔓延という災いを受けていますが、
学校に行かないでもできる勉強や研究もあるのです。

災い転じて福となすという言葉があるように、
皆さんの中から「現代のニュートン」が生まれることを期待しています。

           <感謝合掌 令和2年4月21日 頓首再拝>

「破壊する創造者―ウイルスがヒトを進化させた」(1) - 伝統

2020/04/26 (Sun) 19:05:43

「破壊する創造者―ウイルスがヒトを進化させた」書評 生物に進化を促す“魔神”のよう

           *Web:好書好日(2018.06.08)より


破壊する創造者―ウイルスがヒトを進化させた [著]フランク・ライアン

文科系の思考回路を持つ者には、本書の内容はときとして難解すぎる。

しかし読み進むうちにある感動に包まれる。

進化生物学の難解さは、日々進歩しているがゆえのことであり、
著者によれば一世代前には想像すらできないことが起こっているのが現実という。

その進歩の道筋を、とくにウイルス研究という分野を見ながら旅をしてみよう
というのが本書執筆の意図だと医師の著者は明かす。
 
ダーウィンの「自然選択説」の弱点は、
ある個体や集団が適応度を高めるには子孫になんらかの変化が起きなければならないが、
それが不透明だった。

今では「遺伝子、ゲノムの変化」ということがわかっている。
ダーウィンを超えていくそのプロセスを本書は具体的に解説していく。

そうした解説の中には

「ウイルスは、進化、変異という面では突出している。
 ともかく驚くべき速さで変異をする」

「遺伝子を理解するには、個々の遺伝子を一つの単語だと考えるとわかりやすい」

「ガン細胞は、身体から取り出して培養すれば永遠に生き続ける」

「細菌もセックスをするらしいということがわかった」

「宿主とウイルスが、状況によってお互いへの攻撃性を弱める場合がある」

「ウイルスを共生体とみなす発想がなかったことが、
 この何十年にもわたって様々な誤解を生んできたのではないか」

といった表現が随所で繰り返され、その意味が相互に連環性をもっている。
 
著者の説明は弁証法的、実証的なゆえに理解も容易になる。
 
細菌よりも小さいウイルスは、私たちにとって敵でもあり、
同時に進化を促す起爆剤でもある。

あらゆるゲノムに侵入する能力をもち、
ゲノムに入りこんだあとはこんどはそれを支配する。

この支配とはゲノムを操って自らのコピーを無限につくっていくことだ。
がんの原因になるのもそのためだ。
しかもこれを防御する遺伝子を妨害するという。

こうした説明にふれているうちにあらゆる生物に存在するウイルスは、
実は生物に「死」を与えることで、進化を促している
「魔神」であり「革命家」とさえ思えてくる。

  (https://book.asahi.com/article/11648223 )

           <感謝合掌 令和2年4月26日 頓首再拝>

「破壊する創造者―ウイルスがヒトを進化させた」(2) - 伝統

2020/04/27 (Mon) 10:50:08



    *「破壊する創造者―ウイルスがヒトを進化させた」 [著]フランク・ライアン


進化生物学者であり、医師である著者、フランク・ライアンが、
ヒトのゲノム、遺伝情報の大半がウイルス由来のものであるという
中々に衝撃的な話題から切り込んでいく、
進化とウイルスにまつわる話題を展開していく1冊。

細胞の集まりであるヒト、ウイルス由来のゲノムを持つ遺伝子、
胎児という他者と胎盤を通じて免疫が働かないようになる理由など、
病気に関連する部分から光を当てながら話を展開していく。

進化の学説についての話、生物の区分についての話、
病理に関する話などを行き来しながら、話が進んでいく様子は中々に刺激的で、
読みにくい箇所はあるものの、一気に読めてしまう面白さもある。

スペースの関係で全てはご紹介できないので、
ぜひ本書を読んでいただいてその面白さに出会っていただければと思う。

まずは、ビビッときた部分を中心に拾い上げて、まとめに向かえればと思います。


外部から葉緑体を取り込んで一生を送る、不思議なウミウシ

本編は、「エリシア・クロロティカ」という植物と動物の両方の性質を
併せ持った風変わりなウミウシの話から始まる。

このウミウシ、葉緑体を有しているのだけれども、
生まれつき葉緑体を持っているのではなく、育つ上で外から取り入れるという。
取り入れられた葉緑体は、自らを維持するタンパク質をウミウシから供給を受けながら、
光合成で生み出したエネルギーをウミウシに提供する、「共生」の関係を築く。

ただし、ウミウシのタンパク質を葉緑体が取り入れるには、
ウミウシの細胞核に自分の遺伝情報を受け渡す必要がある。

他者として侵入した組織が、ウイルスの力を借りて同一化を果たすという。

このウイルスは、ウミウシが死を迎える頃に活性化してウミウシの体を攻撃するという。

一旦、自分の体に取り込んだ葉緑体、葉緑体を取り入れるために役に立ってくれた
ウイルスが自分を攻撃する。

生きるために取り込んで共生を続けてきたのに、
ある日突然牙をむくというのはなんとも恐ろしい話ではないだろうか。

ウイルスとの共生、自分の内側からある日突然悪意が生まれるのはなぜだろうか
という話が、進化に絡めながら展開されていく。


ウイルスとの「共生」、自然選択への影響

ウイルスなどの微生物も、生きていくには宿主の存在が必要なのだとすると、
進化の仕方がダーウィンが考えたものよりも、ダイナミックなものになるという。

宿主の存在が必要な寄生者が、遺伝子、子孫を残せるのは宿主が生存して
繁栄できた場合のみ。寄生者の遺伝子に起きた突然変異が自然選択をくぐり抜けて
定着するのは、宿主の適応度(遺伝子の残しやすさ)を高めた場合のみだと、
メイナード・スミスという人物が主張している。

ウイルスといえば病気のイメージが強いものの、
宿主の適応度を高めなければ共に生存、繁殖できないとなると
お互いに協力するような関係になるというのは、そう難しい理解ではない。

ウイルスが悪さをするだけだという思い込みがあれば飲み込めない話ではあるが……。

ダーウィンが考えたものよりも、早くてダイナミックな変化を引き起こすのに
ウイルスが一役買った可能性はいくらもあるようだ。



緊張感の溢れる「攻撃的共生」

二種類以上の生物がお互いに利益となるような共生関係を築いている状態を、
「相利共生」という。

一方の生物が、生来の能力や性質を生かし、もう一方の生物にかけている部分を
補うという現象が見られるらしい。

ウイルスと宿主の場合も基本的には同じで、
宿主はウイルスが増殖するための遺伝機構を提供し、
ウイルスの側も宿主にはない重要な能力を提供し、共生関係を保っているという。

その能力というのが、ウイルスが持っている「攻撃性」で、
この攻撃性が宿主の進化に影響を及ぼしているというのが著者の主張である。

宿主を死に至らしめるような、宿主の種に淘汰を引き起こすような攻撃性。
ウイルスを中に取り込んだ後も突然発揮されてしまう「攻撃的共生」が、
進化にとって重要なメカニズムではないかという。

ウイルスがこれまでに感染したことがない新しい宿主に感染するところから始まり、
徐々に攻撃性を調整しながら、宿主に感染しても宿主が大きく体調を崩さない程度の、
良好な関係を結ぶようになっていくのではないかというのが、著者の考えであるらしい。

ウイルスに感染した宿主が生き残るようになれれば、
ウイルスも生き延びられることになり、やがて宿主と進化し続ける
相利的な関係に変わっていけるという。

新しいイノベーション、発見に出会ったとき、
新しい文化やコミュニティと出会ったときも、似たような動きが起こるように思う。

攻撃的な反応から、お互いに打ち解けていけるまで。
過激なやり取りを繰り返しながら落ち着くところに落ち着いていくと、
その多様性がお互いに補い合いをもたらすというシーンが、
ウイルスと宿主との間にも起こっているというのは理解しやすい。


ゲノムに入り込む能力を持つ、レトロウイルス

自らの遺伝情報を転換する能力を持つウイルスは、宿主のゲノムと一体になれてしまう。
また、このレトロウイルスは生殖細胞のレベルでも、
ゲノムの融合を引き起こすことができるので、
宿主のゲノムに最初から入り込む「内在性化」が起こせるという。

宿主の外側にいた外来性のウイルスが、いつの間にか自分の体の内側にいて、
その後の子孫にも引き継がれていく。

この現象を、なんとも恐ろしく、なんとも面白い奇妙な現象のように思ってしまう。

そして、この現象が繰り返されて、ヒトゲノムの中には
多くのレトロウイルスの残滓が組み込まれているという。


細胞内の他者、ミトコンドリア

私たちの身体は、「他者と共有しているもの、また他者に賃借され、
他者に占領されているもの」で、「細胞の中にいる他者によって、私たちは
エネルギーを与えられ、そのおかげで私たちの輝かしい日々は、
より素晴らしいものになっている」らしい。(by ルイス・トーマス)

細胞の中、核の外側には自分たちと同じとは言えない
「他者」が多数存在しているらしい。

ミトコンドリアももちろん、他者である。

ミトコンドリアはほぼ「細菌」と同じ遺伝子のまま、細胞分裂の際にも、
完全に他者として複製されるらしい。
完全に他者であるにもかかわらず、母から子へ受け継がれる。

ただし、私たちのような生き物に取り込まれたときから、
共生を続ける上で望ましくない部分は放棄されているという変化も起こっている。

それでも、細菌としての性質を持ち続けているために、
突然スイッチが入り病気を引き起こす要因にもなるという。

小さな小さな細胞の中ですら、他者が存在していて、
ゲノムにすら組み込まれていないにもかかわらず、融合的な行為が行われている。
不思議であるとともに、面白い現象であるようにも思える。


人の発生、胎盤組織にも多数のウイルスが関与している

母親の免疫システムには「他者」である胎児と母親の血液とが直接触れ合ってしまうと、
なんらかの拒絶メカニズムが起きてしまう。

母と子で血液型が違ってしまうと、血液が混ざりあってはならず、
ここをサポートする胎盤、胎盤の中で機能してくれるタンパク質に
どうやらウイルス由来の性質が関わっているという。

精子や卵子の結合の瞬間にも、ウイルスが関わっているとなると、
人に限らず、哺乳類の繁殖そのものに、ウイルスが不可欠な存在になっている状態のようだ。


しかし、がんを引き起こしたり、免疫システムを狂わせたりするのもウイルスや
「内なる他者」の存在が原因にもなってくるという。

共生関係を、組織に置き換えても、同様の関係は見えてくるように思う。

本書を素直に、人の進化という側面だけで見ていっても十分に面白いのだけれども、
一歩進んで組織や生きる上での教訓も引っ張ってみようとすると、
「攻撃的共生」や「共生」という言葉は、企業や組織にも
ほぼそのまま生かすことができるように思う。


まず、第一に学んだのは、生きる上で絶対に安全なこともなければ、
良い悪いという二元論に立つこともできないということ。

ウイルスとの接触がなければ淘汰されることも、
後で病気にかかることもない代わりに、繁殖で優位に立つこともできない。

良いか悪いか、完全に安全でなければ取り入れることができないという発想では、
そもそも自分の身体を信頼していくこともできなくなるように思ってしまった。


第二に学んだのは、変化に触れた瞬間に、いつまでも攻撃的で
折り合う瞬間がなかったり、変化を受け入れることができなければ、
より強い力に滅ぼされるというのが世の常っぽいということ。


第三に学んだのは、他者を受け入れながら、
手と手を取り合って生きていくしかないということ。

また、親しき中にも礼儀ありということを忘れないようにしなければ、
いつ「内なる敵」に牙を剥かれるかわからないというのも、面白いと思った。


ガンや免疫系の病気なんかは、まさしく気を抜いたり、
老化を受け入れてしまった瞬間に起こることが多いようなので、
組織的にも同様の現象が起こり得るというのを、本書から読み取ってみた次第である。


四つもあげると多いのだけれども、
遺伝情報に限らず、ある一定の「決まり」の上で生きていられるの
が身体であり組織であり、社会であるのだから、その点も忘れないようにしないと、
足元から全てが崩壊してしまうというのも隠れた教訓として忘れないようにしたい。

なんだかとても、ダラダラと書き連ねてしまい、
本書の面白さを全く伝えきれていないように思う。

それでも、たくさんの価値観の転換が起こる衝撃の読書体験になると思うので、
ぜひ否定的な目を持たずに書籍を手にとって読んでもらえれば幸いです。

創造と破壊はやっぱり、表裏一体だなぁ……。

https://kamenwriter.com/blog/542.html

           <感謝合掌 令和2年4月27日 頓首再拝>

「破壊する創造者―ウイルスがヒトを進化させた」(3) - 伝統

2020/04/27 (Mon) 22:15:57



    *「破壊する創造者―ウイルスがヒトを進化させた」 [著]フランク・ライアン

ウィルスは敵か味方か?


ウィルスと聞くと、一般的に恐ろしいイメージを抱く人も多いでしょう。
事実、死にいたる感染症を引き起こすウィルスも存在します。

しかし、本書ではそのウィルスに対する見方を一変させます。

今日、わたしたちが、こうして存在できたのはウィルスのおかげ。

ウィルスには寄生するための宿主が必要です。

つまり、ウィルスが生きながらえるためには、
その宿主が生き続ける必要があります。

だからこそ、どんなに環境が変わろうとも、
ウィルスには私たち人類に生き続けてもらう必要があった。

人間とウィルスとの間には、
好むと好まざると「共生」関係があります。

そして、共に進化してきた。

  「ウィルスは長らく、進化が突然変異と自然選択の組み合わせによって
  起きることを証明する格好の例とみなされてきた。
  だが、私は同時に、ウィルスは“宿主の進化を促進させる最大の原動力”
  であるとも考えている。ウィルスは“共生発生”によって
  宿主の進化を推し進めているとも考えており、それを証明したいのだ。」


私たちを人間に進化させたのはウィルスだった。

もちろん、これは「ゲノム」レベルの話で、
ヒトゲノムの約3分の1はレトロウィルス由来であることが、
解読されているようです。

本書で語られるのは、チャールズ・ダーウィンさんでさえ
想像しえなかった「新しい進化論」。

著者のフランク・ライアンさんは進化生物学者であり医師でもあります。

そのこともあって、本書ではかなり詳しく症例が示されています。

また、本書後半で紹介されている、遺伝子配列を変化させることなく、
その発現に変更を加える「エピジェネティクス」に関する記述も
かなり興味深いものです。

http://ikadoku.blog76.fc2.com/blog-entry-1157.html

           <感謝合掌 令和2年4月27日 頓首再拝>

「破壊する創造者―ウイルスがヒトを進化させた」(4) - 伝統

2020/04/28 (Tue) 22:21:48


    *「破壊する創造者―ウイルスがヒトを進化させた」 [著]フランク・ライアン

ダーウィンの説は「突然変異→自然選択」のループで進化が進んだとされているが、
進化の推進力には突然変異以外にも「共生発生」「異種交配」
「エピジェネティクス」が有るという主張。

「突然変異」は、放射線等の影響でDNAの配列が変化すること。

「共生発生」は共生生物が、宿主の一部に取り込まれてしまうこと。
主としてウィルスのような寄生生物が取り込まれる事例が多く挙げられている。

副題は、この事例がセンセーショナルであったことから付けられたのだと推測される。
葉緑体が植物に取り込まれた例や、ミトコンドリアが動物に取り込まれた例は、
もともと有名。

その他にも、現在進行形でコアラのDNAに
コアラレトロウィルスが取り込まれている。

コアラレトロウィルスに感染していないコアラと、
感染して生き残ったコアラはDNAの配列が異なるそうな。

いずれにしても、共生開始時点ではウィルスは宿主を大量虐殺する傾向があるらしい。

その結果、生き残った適応力のある宿主群に対しては、
恩恵を与える付き合い方に変化して、共存共栄を図るというのが、
よくあるパターンとのこと。

妊娠時の母親にとって胎児は「他者」なので、母親の免疫による攻撃対象となりえる。
そうならないように母親の免疫を抑制する機構というのは、
過去にヒトがDNA中に取り込んだレトロウィルス由来の部分が関与しているとのこと。

このようにDNA中に取り込まれたウィルスはヒト固有のものでも2000程度あるらしい。


「異種交配」は、ロバ+ウマ=ラマのように種の違う生物による交配で新たな種が発生すること。
ラマは生殖能力を持たないが、ヒマワリ・小麦・トウモロコシのような植物では
日常に異種交配により新たな種が発生しているらしい。

またアンデス山脈の蝶で生殖能力を持つ交配種が発見された事例も紹介されている。


「エピジェネティクス」は後天的な環境による形質獲得のこと。
DNAの塩基にメチル基が付加されると、その塩基情報は発現しなくなる。
そのような化学物質は他にも幾つかあるらしいが、この「メチル化」は
細胞分裂後も娘細胞に伝達される。

メチル化によって生存しにくくなれば自然選択によって、その個体は死んでしまうが、
逆に生存しやすくなれば、そのような個体は確率的に増加することになる。


共生発生も異種交配も、広義には突然変異に含めても良いのではないか
というのが部外者的な感想。

ただし、狭義の突然変異では酔歩的にしか進化は進まないけれど、
確かに「共生発生」や「異種交配」「エピジェネティクス」が発生すると、
選択的に進化が促進されるので、進化の速度は向上するだろうとも思われる。

https://s-e-hyphen.hatenadiary.jp/entry/2020/03/14/160212

           <感謝合掌 令和2年4月28日 頓首再拝>

人類は、感染症との戦いから永遠に逃れられない - 伝統

2020/04/29 (Wed) 10:50:50


         *Web:東洋経済ONLINE(2020.03.27)より抜粋

人が感染症との戦いから永遠に逃れられない訳
私たちは幸運な子孫だが敵もそれは同じだ


(1)私たちは感染症について知らなすぎた

(2)私たちは「幸運な先祖」の子孫

  ①私たちじゃ、“過去に繰り返されてきた感染症の大流行から生き残った、
   「幸運な先祖」の子孫”である。

  ②単に幸運を享受しただけではない。
   上下水道の整備、医療施設や制度の普及、栄養の向上など、
   さまざまな対抗手段を生み出すことによって、
   次々と生まれてくる感染症と戦ってきたからこそ“いま”があるのである。

  ③私たちが忘れていたのは、感染症の原因となる微生物も、
   40億年前からずっと途切れることなくつづいてきた「幸運な先祖」の子孫
   ということだ。

   人間が免疫力を高め、防疫耐性を強化すれば、
   微生物もそれに対抗する手段を身につけてきた。
          (「まえがき――『幸運な先祖』の子孫たち」より)

  ④「あらゆる生物は、自己の成功率(生存と繁殖率)を他者よりも高めるために
   利己的にふるまう」という動物行動学者のリチャード・ドーキンスの
   「利己的遺伝子」説でみれば、

   人も微生物も自らの遺伝子を残すために、
   生存と繁殖につとめていることはまったく同じである。
          (「まえがき――『幸運な先祖』の子孫たち」より)

(3)過密社会ならではの病疫

  ①感染症は、人類が農業や牧畜を発明して定住化したときから脅威となってきた。
   定住化すれば過密な集落が発達するため、人同士あるいは人と家畜が
   密接に暮らすようになったことに端を発しているのである。

  ②急増する肉食需要に応えるために、鶏や豚や牛などの食肉の大量生産がはじまり、
   家畜の病気が人間に飛び移るチャンスが格段に増えた。
   ペットブームで飼い主も動物の病原体にさらされる。

   農地や居住地の造成のために熱帯林の開発が急ピッチで進み、
   人と野生動物の境界があいまいになった。

   このため、本来は人と接触がなかった感染力の強い新興感染症が
   次々に出現している。(「まえがき――『幸運な先祖』の子孫たち」より)

  ③しかも交通機関の発達により大量・高速移動が可能になったため、
   病原体もまた、時をおかずに遠距離移動ができるようになっている。

  ④今後の人類と感染症の戦いをするうえで、
   もっとも激戦が予想されるのがお隣の中国と、
   人類発祥地で多くの感染症の生まれ故郷でもあるアフリカであろう。

   いずれも、公衆衛生上の深刻な問題を抱えている。

   とくに、中国はこれまでも、何度となく世界を巻き込んだ
   パンデミックの震源地になってきた。

   過去3回発生したペストの世界的流行も、
   繰り返し世界を巻き込んできた新型のインフルエンザも、
   近年急速に進歩をとげた遺伝子の分析から中国が起源とみられる。
       (「終章 今後、感染症との激戦が予想される地域は?」より)

(4)感染症は今後も影響を与え続ける

  ①地震は地球誕生からつづく地殻変動であり、
   感染症は生命誕生からつづく生物進化の一環である。

   14世紀のペストといい、20世紀初期のスペインかぜといい、
   感染症は人類の歴史に大きく関わってきた。
   今後とも影響を与えつづけるだろう。
           (「まえがき――『幸運な先祖』の子孫たち」より)

  ②地上最強の地位に登り詰めた人類にとって、微生物はほぼ唯一の天敵だ。
   しかし同時に、私たちの生存を助ける強力な味方でもある。

   (https://toyokeizai.net/articles/-/339339 )

           <感謝合掌 令和2年4月29日 頓首再拝>

「ウイルスは撲滅できない」福岡伸一さんが語る動的平衡 - 伝統

2020/05/03 (Sun) 19:47:42


        *Web:朝日新聞(2020年4月6日)より

ウイルスとは電子顕微鏡でしか見ることのできない極小の粒子であり、
生物と無生物のあいだに漂う奇妙な存在だ。

生命を「自己複製を唯一無二の目的とするシステムである」と
利己的遺伝子論的に定義すれば、自らのコピーを増やし続けるウイルスは、
とりもなおさず生命体と呼べるだろう。

しかし生命をもうひとつ別の視点から定義すれば、そう簡単な話にはならない。

それは生命を、絶えず自らを壊しつつ、常に作り替えて、
あやうい一回性のバランスの上にたつ動的なシステムである、と定義する見方

――つまり、動的平衡の生命観に立てば――、

代謝も呼吸も自己破壊もないウイルスは生物とは呼べないことになる。

しかしウイルスは単なる無生物でもない。
ウイルスの振る舞いをよく見ると、
ウイルスは自己複製だけしている利己的な存在ではない。

むしろウイルスは利他的な存在である。


今、世界中を混乱に陥れている新型コロナウイルスは、
目に見えないテロリストのように恐れられているが、
一方的に襲撃してくるのではない。

まず、ウイルス表面のたんぱく質が、細胞側にある血圧の調整に関わる
たんぱく質と強力に結合する。

これは偶然にも思えるが、ウイルスたんぱく質と宿主たんぱく質とには
もともと友だち関係があったとも解釈できる。

それだけではない。

さらに細胞膜に存在する宿主のたんぱく質分解酵素が、
ウイルスたんぱく質に近づいてきて、これを特別な位置で切断する。

するとその断端が指先のようにするすると伸びて、
ウイルスの殻と宿主の細胞膜とを巧みにたぐりよせて融合させ、
ウイルスの内部の遺伝物質を細胞内に注入する。

かくしてウイルスは宿主の細胞内に感染するわけだが、
それは宿主側が極めて積極的に、
ウイルスを招き入れているとさえいえる挙動をした結果である。


これはいったいどういうことだろうか。

問いはウイルスの起源について思いをはせると自(おの)ずと解けてくる。

ウイルスは構造の単純さゆえ、生命発生の初源から存在したかといえば
そうではなく、進化の結果、高等生物が登場したあと、
はじめてウイルスは現れた。

高等生物の遺伝子の一部が、外部に飛び出したものとして。

つまり、ウイルスはもともと私たちのものだった。
それが家出し、また、どこかから流れてきた家出人を
宿主は優しく迎え入れているのだ。

なぜそんなことをするのか。
それはおそらくウイルスこそが進化を加速してくれるからだ。

親から子に遺伝する情報は垂直方向にしか伝わらない。
しかしウイルスのような存在があれば、情報は水平方向に、
場合によっては種を超えてさえ伝達しうる。


それゆえにウイルスという存在が進化のプロセスで温存されたのだ。
おそらく宿主に全く気づかれることなく、行き来を繰り返し、
さまようウイルスは数多く存在していることだろう。

その運動はときに宿主に病気をもたらし、死をもたらすこともありうる。
しかし、それにもまして遺伝情報の水平移動は生命系全体の
利他的なツールとして、情報の交換と包摂に役立っていった。


いや、ときにウイルスが病気や死をもたらすことですら
利他的な行為といえるかもしれない。

病気は免疫システムの動的平衡を揺らし、
新しい平衡状態を求めることに役立つ。

そして個体の死は、その個体が専有していた生態学的な地位、
つまりニッチを、新しい生命に手渡すという、
生態系全体の動的平衡を促進する行為である。

 
かくしてウイルスは私たち生命の不可避的な一部であるがゆえに、
それを根絶したり撲滅したりすることはできない。

私たちはこれまでも、これからもウイルスを受け入れ、
共に動的平衡を生きていくしかない。

 (https://www.asahi.com/articles/ASN433CSLN3VUCVL033.html )

           <感謝合掌 令和2年5月3日 頓首再拝>

「令和」の1年とコロナ危機 疫病禍は万葉の昔にも - 伝統

2020/05/04 (Mon) 10:56:51


       *Web:日本経済新聞(2020/5/3)より

もはや、夢のなかの出来事のようである。平成が終わり、
元号が「令和」に改まった日――。
たった1年前のことなのに、あの高揚を忘れそうだ。

列島はいま、新型コロナウイルスの脅威に凍りついている。


誰もが未体験の不条理だが、人類と感染症とは切っても切れぬ仲である。
じつは、新元号ゆかりの「万葉集」の時代にも、
古代日本で最大級のパンデミックが起きているのだ。


当時、平城京で大流行したのは天然痘である。
痘瘡(とうそう)ウイルスによるこの疫病の死亡率は、かつて50%にも上った。


医史学者の富士川游(ふじかわ・ゆう)が明治末期に書いた
「日本疾病史」によれば、天然痘が史書に初めて登場するのは735年。

大宰府から流行が始まったとする「続日本紀」の叙述だ。
以後、1838年までに、記録にあるだけで58回の流行をみた。


しかし、実際にはもっと前から天然痘は日本に入り込んでいたらしい。
たとえば、藤原不比等の謎の死(720年)もその可能性があるという
(酒井シヅ「病が語る日本史」)。

やがてパンデミックの様相を呈したのが、737年の大流行である。
不比等の子たち「藤原4兄弟」も全員が落命し、朝廷は機能停止に追い込まれていく。


当時は海外との往来がとても盛んだった。
朝鮮半島の新羅とも交流があった。
そのルートで感染が広がったのではないかと「病が語る――」は推測する。


「令和」の典拠である万葉集「梅花の宴」の舞台は、まさに、
こうした外交の一大拠点である大宰府だった。

この国際色豊かなイベントは、パンデミックの7年前に開かれている。
グローバリズムはいつも、感染症と背中合わせなのだ。

人々は、しかし、危機のなかでも海外に目を向け、
日本的なものとの融合を試みた。

「万葉集」はその大きな成果だ。

社会が災厄を越え、天平文化を花開かせたことはたしかである。

天然痘はそれからも世界をさいなみ続けたが、
種痘の普及によって徐々に勢いを失い、1980年、世界保健機関(WHO)が
撲滅を宣言するに至った。

これは人類が制圧できた唯一の感染症である。

こういう過去を顧みるだけで、感染症との闘いの難しさがわかる。
感染症のなかで生きてきた人々の胸中がわかるのだ。


いま、しばしば「ウイルスに打ち勝つ」という言葉を聞く。
しかし新型コロナは、そんな生易しい相手だろうか。

時間をかけて、大きな破綻を避けながら、なんとか共生していくしかないかもしれない。

東洋文庫版「日本疾病史」の解説に、医師で育児評論家として知られた松田道雄は、
日本人が「疫病とどんなに絶望的な抵抗を繰り返してきたか」と記して
歴史に思いをはせている。

「日本の文化は、この苦悩を通じてつくりあげてこられた」。至言である。

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO58635570Q0A430C2SHB000/?n_cid=NMAIL007_20200503_A

           <感謝合掌 令和2年5月4日 頓首再拝>

100年前のパンデミック・スペイン風邪の教訓(日本) - 伝統

2020/05/04 (Mon) 15:37:47

日本はパンデミックをいかに乗り越えたか~100年前のパンデミック・スペイン風邪の教訓

       *Web:newspicks. (2020.02.29)より抜粋
            ~古谷経衡 | 文筆家/著述家/評論家


本稿は、20世紀最悪のパンデミックとされ、
世界中で2000万人~4500万人が死亡し、日本国内でも約45万人が死亡した
「スペイン風邪」を取り上げる。

そして日本の流行状況と公的機関の対策を追い、
現在のパンデミックに抗する教訓を歴史から得んとするものである。


《100年前のパンデミック「スペイン風邪」とはなにか》

(1)1918年から1920年までの約2年間、新型ウイルスによるパンデミックが起こり、
   当時の世界人口の3割に当たる5億人が感染。
   そのうち2000万人~4500万人が死亡したのがスペイン風邪である。
   現在の研究では、そのウイルスはH1N1型と特定されている。

(2)当時のパンデミックは、航空機ではなく船舶による人の移動によって、
   軍隊が駐屯する都市や農村から、その地の民間人に広まっていった。


《「スペイン風邪」、日本に上陸》

(1)日本でスペイン風邪が確認されたのは、1918年、当時日本が
   統治中であった台湾に巡業した力士団のうち3人の力士が肺炎等によって
   死亡した事が契機である。

(2)日本に於けるスペイン風邪流行は「前流行」と「後流行」の二波に別れるという。
   「前流行」は1918年の感染拡大。「後流行」は1919年の感染拡大である。

(3)このスペイン風邪によって、最終的に当時の日本内地の
   総人口約5600万人のうち、0.8%強に当たる45万人が死亡した。

   当時、日本は台湾と朝鮮等を統治していたので、
   日本統治下全体での死者は0.96%という


《「スペイン風邪」の凄惨な被害~一村全滅事例も》


《「スペイン風邪」に当時の政府や自治体はどう対処したのか》

(1)当時の人類や日本政府は、スペイン風邪の原因を特定する技術を持たなかった。
   当時の研究者や医師らは、このパンデミックの原因を「細菌」だと考えていたが、
   実際にはウイルスであった。

   当時の人類は、まだウイルスに対し全くの無力だったのである。

(2)基本的には「マスク着用」「患者の隔離」など
   現在の新型コロナ禍に対する対処法と同様の認識を当時の政府が持っていた

   マスクの無料配布も一部行われたというが、
   現在の新型コロナ禍と全く似ていて、
   マスクの生産が需要に追い付かなかったという。


《100年前も全面休校》

(1)学校の休校や人ごみの禁忌、各地での集会、興行、力士の巡業、活劇などは
   続々中止か、または閉鎖されていった。

(2)日本各地で猛威を振るったスペイン風邪は、1920年が過ぎると自然に鎮静化した。
   なぜか?

  ①それは、スペイン風邪を引き起こしたH1N1型ウイルスが、
   日本の隅々にまで拡大し、もはやそれ以上感染が拡大する限界を迎えたからだ。

   そしてスペイン風邪にかかり、生き残った人々が免疫抗体を獲得したからである。

  ②つまり、スペイン風邪は突然の嵐のように世界と日本を襲い、
   そして自然に去っていった。

(3)100年前のパンデミックと現在。
   採るべき方針はあまり変わらないように思える。

   すなわちウイルスの猛威に対しては防衛的な姿勢を貫き、
   じっと私たちの免疫がウイルスに打ち勝つのを待つ。

   実際にスペイン風邪はそのようにして終息し、
   日本は内地45万人の死者を出しながら、パンデミックを乗り越えている。


《100年前もデマや流言飛語》

(1)人間の恐怖の心理は時代を超えて共通しており、当時も様々な混乱が起こった。

    曰く、「厄除けの札を貼ったり」、
    「ネズミを焼いて粉末にした”薬”を飲んだり」したという(速水,178)。

(2)日本に於けるスペイン風邪の大流行から、
   私たちは時代を超えた共通項を見出すことが出来る。

   そして人間の心理は、100年を経てもあまり進歩がない、
   という側面をもさらけ出しているように思える。

(3)デマや流言飛語に惑わされず、私たちは常に過去から学び、
   「スペイン風邪から100年」という節目に現出した
   パンデミックに泰然自若として対応すべきではないか。

   (https://newspicks.com/news/4679053/

・・・

<参照Web>
伊勢ー白山 道(2020-05-02 )
ペース配分が心配です
https://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/e/761efd3627c3a701955430ee739e6f53

           <感謝合掌 令和2年5月4日 頓首再拝>

ペストやコレラも 感染症が変えた世界経済 - 伝統

2020/05/09 (Sat) 10:08:49


    *Web:日本経済新聞(2020/5/7 )より

新型コロナウイルスの世界的な感染拡大が続いている。

歴史を振り返ると、人々は紀元前の昔からペストやコレラといった感染症と戦い、
経済や社会の変革につなげてきた。

世界経済に影響を与え続けてきた感染症と人々の歩みをたどる。

    → https://www.nikkei.com/video/6151250723001/

           <感謝合掌 令和2年5月9日 頓首再拝>

天然痘、結核…。人類を苦しめたかつての「不治の病」は、いかに克服されたのか? - 伝統

2020/05/10 (Sun) 10:10:50

      *Web:AXA(2020.02.01)
           ~應義塾大学経済学部教授・鈴木晃仁氏

《19世紀後半に訪れた「医学の黄金時代」》

「ロ〇ルト・コッホやルイ・パストゥールらの研究により、
『外部から侵入した病原体が疾病を起こす』という
新しい病気のモデルが確立されました。

   *〇:ベ

これにより、結核、コレラ、ペストといった重要な病気の病原体が次々に発見され、
それらの感染経路も理解されたのです。

また、それまで不治だった感染症の治療法・予防法が発見されたのも
この時期になります。

こうした“医学の黄金時代”における医科学は、地球上の全ての人に健康をもたらし、
『このまま進んでいけば、未来は明るい』という展望を人々に抱かせるものでした」


《おそるべき病「天然痘」を根絶に導いたワクチンの開発》

(1)現在は根絶されている「天然痘」。かつてアジア、アフリカ、ヨーロッパの
   歴史上に長く存在し、患者の25~50%を死に至らしめる恐ろしい病として
   人類を苦しめてきました。

(2)日本においては、古くは戦国時代に天然痘の流行が認められます。
   当時は5年に1度、江戸時代に入っても30年に1度のペースで流行が
   起こっていたものと考えられます。

   江戸時代の天然痘は、子どもが必ずかかる小児病として猛威をふるい、
   当時の人口構造に大きな影響を及ぼす病でした。

(3)19世紀、イギリス支配下のインドにおいて、エドワード・ジェンナーが
   牛の体からとった牛痘を用いた予防法を開発しました。
   これが、とても効いたんです。

   ちなみに、ワクチンという言葉はラテン語の牛に由来しています。


《かつて日本で猛威をふるった「結核」は、1950年代以降に死亡率が激減》

(1)結核は産業革命と深く結びついています。
   まず、18世紀後半以降のイギリス。産業革命とともに結核が大流行し、
   1800年から1820年頃にかけて非常に多くの死者を出しました。

   大都市に人口が集中し、貧困の方を中心に感染の輪が広がっていったわけです。
   以降、ヨーロッパ諸国やアメリカへと広まり、また日本においても
   大正、昭和初期、特に第二次世界大戦真っただ中の1941年以降に
   凄まじい死亡率を出しています。

   繊維工場で働く女工が過酷な労働条件の中で結核にかかり若い命を落としたり、
   工場を辞めて故郷に戻り、そこで結核を広めるなど、
   非常に悪い状況に陥っていったのです。

(2)セルマン・ワックスマンとアルバート・シャッツが『ストレプトマイシン』
   という薬を作り、ワックスマンはこれによりノーベル賞を受賞しています。

   以後、1950年代以降にはイソニアジドなどの抗結核薬と組み合わせた、
   より効果的な治療法が確立され、日本にも広がっていきました。
   それ以降、国内の結核による死亡率はがくんと下がっています。


《今も目覚ましい医学の進歩。一方で、新たな問題も》

(1)かつての感染症は病原体・病気を“たたく”、すなわち抑圧型の対応でした。
   しかし現代では、たとえば腎不全が生じた患者への人工透析など、
   代替医療が公的な医療制度の中に組み込まれ、慢性疾患や障害について
   抑圧ではなく“共存する”医療と社会を再設計する方向へと進んでいます。

   さらに、少子高齢化により、医療と介護費用が先進国の財政を圧迫している
   ネガティブな側面もあります。こうしたことから、
   手放しに“医療の未来は明るい”と考える人は少数派になっています

(2)重要なのは、なるべく若いうちから“病気にならない生活習慣”を身に付けること。
   食生活に気を配り、適度な運動や休息をとることはもちろん、
   「『生きる意味』を教えてくれるような家族や友人を持つことが、
   何より大事だと思います」(鈴木教授)とのこと。

   医学の進歩は頼もしい限り。
   しかし、生涯にわたり、自ら健康増進に努めることも忘れずにいたいものです。

   (https://www.axa.co.jp/100-year-life/health/20190201/

           <感謝合掌 令和2年5月10日 頓首再拝>

「風土病」だったコレラがパンデミックを起こすまで - 伝統

2020/05/14 (Thu) 15:02:06


         *Web:JB press(2020.05.10) より

コレラは、古くから人類を苦しめてきた病気です。
しかし、ずいぶん長い間、インド周辺における風土病という存在でした。

ところが19世紀になり、ヨーロッパ人が
大量にインドに訪れるようになると状況は一変します。

何度も何度も、それまでにない規模で大流行し、
パンデミックが起こるようになるのです。

というのも、19世紀には、ヨーロッパ船、
とくにイギリス船が世界中で航行するようになっていました。
それに伴う人間の移動によって、病原体が世界中に撒き散らされるようになったのです。

 
それは鎖国政策がとられていた江戸時代の日本も例外ではありませんでした。
日本でも大流行し、コレラに感染するとすぐに死んでしまうということから、
「コロリ」と呼ばれるようになったのです。

19世紀のグローバリゼーションは、コレラを風土病から
パンデミックを引き起こす世界的な伝染病へと変えてしまったのです。

(中略)


《19世紀に突如として始まるパンデミック》

コレラ最初のパンデミックは1817年に発生しました。
ガンジス川のデルタ地域で広まったコレラは、
まず現在のバングラデシュ南西部に広まります。

以降、ヨーロッパ人が確立した貿易ルートをたどって、
ミャンマー、スリランカにまで広まりました。

1820年になると、コレラはタイ、インドネシアにまで達し、
ジャワ島だけで10万人が亡くなりました。

さらにコレラはアジアを超えて広まります。
1820年にはインドからオマーンに向かうイギリス軍が
ペルシア湾にまでコレラを持ち込みました。

このパンデミックは6年間続きましたが、
1823~24年の冬があまりに寒かったために、
コレラ菌が死滅して流行も終わったと言われています。

 
この流行の中、1822年(文政5年)には日本にもコレラ患者が発生しています。
当時、日本は鎖国状態でしたが、長崎の出島以外のルートでも、
他国と貿易を続けていたことの現れと言えるかもしれません。


第2回のパンデミックがはじまったのは、1829年のことでした。
インドからはじまり、貿易ルートをたどり、東欧・中欧、中央アジア、
そして中東へと伝染します。

1830年秋には、コレラはモスクワにまで達しました。
冬になると伝染のスピードは鈍りましたが、
翌年の春になると再び感染スピードは増し、
フィンランドとドイツに達しました。

その後、コレラはヨーロッパじゅうに広まり、
ヨーロッパの西端のイギリスにまで達したのです。

このときのコレラの流行は、1832年になるとアメリカ大陸にまで達します。
カナダのケベックで1000名が亡くなり、それからセントローレンス川を
たどって広まりました。


アメリカでは、ニューヨークとフィラデルフィアに達します。
さらにそこからラテンアメリカにまで広まり、
1833年にはメキシコとキューバにコレラ患者が出現しました。

まさに世界中を巻き込んだ大流行と言えるでしょう。


《コッホとパチーニ》

第3回のパンデミックは、1852年に生じました。
おそらくこれが“最悪”の影響をもたらしたコレラパンデミックです。

アジア、ヨーロッパ、北米、アフリカに広まり、
1854年にはイギリスだけで2万3000人が死亡しました。

さらに、開国した日本でも1858年(安政5年)から大流行しました。
長崎から感染が始まったコレラは江戸まで到達します。
死者数については諸説ありますが、多いものでは江戸だけで10万人という説もあります。

この世界的な流行は、当時勃発していた戦争によっても加速されました。
クリミア戦争(1853~56)によって大勢の軍隊が移動したことで、
コレラは地中海諸都市、さらにはブルガリア、ギリシア、トルコにまで
短期間に達したのです。

 
1863年には第4回のパンデミックが発生します。
ハンガリーでは1872年から73年にかけて19万人の人が亡くなりました。
このパンデミックは、1875年に終わったとされます。

 
第5回のパンデミックは、1881年にはじまり1896年まで続きました。
この間の、ドイツの有名な医学者ロペルト・コッホは、
ドイツ政府の要請で、コロナが流行していたエジプトと、
その発生元と睨まれていたインドのカルカッタに赴き、
コレラの研究をしていました。

この時にコッホはコレラ菌を発見し、1884年にドイツ政府に報告しています。


ところが実はコッホに先んじること30年、
1854年にイタリア人のフィリッポ・パチーニが、コレラ菌を発見していました。
パチーニはイタリアの学会誌で報告しているのですが、
このときパチーニの説はほとんど注目されていませんでした。

 
ちなみに同じ1854年には、イギリスの医師ジョン・スノウが、
ロンドンにおけるこれらの大流行が同じ井戸の水を飲んだ人ばかりであることに
気づき、その井戸のポンプを停止させています。

しかし、コレラが細菌によって引き起こされる病気であると世界に知らしめたのは、
まさにコッホの「発見」によるものでした。

それまで原因は特定されてなかったのですから。

まさにこれ以降、コレラ防止の路が切り開かれた、と言えるでしょう。

 
実際、1899~1923の第6回のパンデミックは、
西ヨーロッパと北米にはあまり影響を及ぼしませんでした。

それは、すでに公衆衛生についての考え方が発展していたからと言えるでしょう。
コレラは、世界の公衆衛生の改善に寄与したのです。


ところでパチーニの業績ですが、後に彼がコッホよりも先に
コレラ菌を発見していることが評価され、この病原菌には
「Vibrio choleare」という彼が付けた名が冠されることになりました。


《これらのパンデミックはもうないのか》

医療の発達により、コレラは適切に治療すれば、
死亡する確率はかなり抑えられる病気になりました。

しかし近年でも、衛生状態が悪い地域などで流行が見られます。

た現代は、飛行機や船舶、高速鉄道などによってグローバリゼーションが加速し、
人々の移動スピードも飛躍的に上昇しています。

今回の新型コロナにも当てはまることですが、
この利便性は、世界のごく一部にだけ存在していた
細菌やウイルスを世界中に一気に拡散させ、

パンデミックを生じさせてしまう危険性と背中合わせになっているということを、
私たちは認識しておくべきでしょう。

 (https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/60455

           <感謝合掌 令和2年5月14日 頓首再拝>

「ウイルスとの共存・共生」 - 伝統

2020/05/15 (Fri) 10:52:44


        *Web:note (2020.05.10)より

・経済活動の再開進む各国、ウイルスと共に生きる時代に

・人類の歴史はウイルスとの戦い 根絶できたのは天然痘のみ

・ウイルスとの戦争ではなく、私たちが適応できるかが問われる


《外出制限の一部解除》

(1)アメリカ・フロリダ州のビーチ。
   新型コロナウイルスの感染拡大により、外出制限が続くアメリカで、
   一部制限の解除が始まっています。

   フロリダ州・レストランの客 「新型コロナに誰も感染させない判断が必要だが、
   地域経済も支えなくてはならない」

(2)こうした経済再開の動きは、ヨーロッパ各国にも広がっています。
   イタリアでは、今月4日から段階的に経済活動を再開。
   コンテ首相は、先月の記者会見でこう語っていました。

   イタリア・コンテ首相(4月26日)
   「イタリアが経済を再開するにあたり、ソーシャルディスタンスを保ち 
    ”ウイルスと共存”していくことが唯一の方法です。」

(3)11日に外出禁止措置が終了するフランスでも…
   フランス・フィリップ首相(4月28日)
   「ウイルスと“共に生きる”ことを学ばなければならない」

(4)各国首脳が相次いで口にした「ウイルスとの共存・共生」という言葉。日本でも…

   大阪府・吉村洋文知事(5日)
   「第二波、第三波の波が来るということも当然想定しながら、
    このウイルスと“共存”するという道を探っていきたい」


《人類は、ウイルスや細菌による感染症と、共に生きることを余儀なくされてきました》

(1)ローマ帝国の時代から猛威を振るい、帝国の滅亡を早めたとされる天然痘やマラリア。

(2)14世紀にヨーロッパを中心に猛威をふるい、
   当時の世界人口の4分の1が、命を落としたとされるペスト。

(3)19世紀、インドから感染が広がり、江戸時代に日本にも到達、
   「ころり」と呼ばれ恐れられた「コレラ」。

(4)さらに第一次大戦さなかに、アメリカから流行が始まったとされ、
   一説には、世界で死者1億人を出したともいわれるスペイン風邪。


《天然痘は唯一の絶滅感染症》

(1)1980年5月、WHO=世界保健機関は、天然痘の「世界根絶宣言」を行います。
   その鍵を握ったのが、「ワクチン」でした。

(2)ワクチンの接種等により、1977年にアフリカ・ソマリアで発生したのを最後に
   2年以上、患者が確認されなかったことを受けて、WHOは「根絶」を宣言したのです。

(3)しかし一方で、天然痘は、人類が地球上で根絶できた、
   最初にして、唯一の感染症とされるなど、むしろ例外的な存在です。


《多くの感染症が今、どうかというと…》

(1)感染症に対して進むワクチンや薬の開発。にもかかわらず、
   21世紀になっても、アフリカやアジアでは、ペストの患者が発生。

(2)コレラもアフリカや中南米で見られるなど、根絶には至っていません。

(3)さらにエボラウイルス、SARS,MERSといった、
   新たな感染症が人類に襲いかかっているのです。


《新型コロナウイルスについては、今、各国でワクチンの研究開発が進んでいます。》

(1)各国での研究開発

   フランス・マクロン仏大統領
   「ワクチンの研究開発を加速させる必要があります」

   イギリス・ジョンソン英首相
   「ワクチンを開発し、大量生産することでのみコロナとの戦いに勝つことができる」

(2)新型コロナでは抗体があっても再び感染する可能性があるなど、
   いまだ多くの謎が残され、ワクチン開発の難しさが指摘されています。

(3)さらに今回の感染拡大が一旦終息しても、「第二波」「第三波」の
   感染拡大も予想されており、その戦いは長期にわたると見られます。


《戦争ではなく共生》

イギリスのガーディアン紙は、
コロナ患者の治療にあたる地元の著名な医師の、こうした言葉を載せました。


デビッド・ヒルディック・スミス氏(イギリス人医師)
「コロナウイルスは、これからもずっといる。我々がすべきはウイルスとの戦争ではなく、
ウイルスとの“共生”だ。私たちの方がそれに適応していかないといけない」

  (https://note.com/tbsnews_sunday/n/nfa70c27cce90 )


・・・

<参照Web>

伊勢ー白山 道(2020-05-13)
弱者を侮(あなど)るなかれ
https://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/e/a8961968e10050e3865ed94a4c379107

           <感謝合掌 令和2年5月15日 頓首再拝>

大坂救った発信力 洪庵、感染症と闘った不屈の医師 - 伝統

2020/05/16 (Sat) 10:23:01


       *Web:日本経済新聞・関西タイムライン(2020/5/14)より

幕末の大坂。医師で蘭学者の緒方洪庵もまた感染症と闘っていた。
当時まん延したのは天然痘。発症すると高熱が出て化膿(かのう)性発疹が起こり、
致死率も高い。

洪庵は英国のジェンナーが開発した牛痘苗をワクチンに使う予防法をいち早く取り入れ、
正確な情報を発信しつつスピード感をもって普及に努めた。

新型コロナウイルスに苦しむ日本が、洪庵の闘いから学ぶことは多い。


大阪市中央区今橋のオフィス街にある7階建て「緒方ビル」。
薄緑色のタイルの外壁が温かい雰囲気を醸す。
テナントの大半は「クリニック」「医院」といった医療機関だ。

「妊婦の方々は新型コロナに不安を募らせている。
正しい情報を伝え『大丈夫ですよ』とお声がけしています」と話すのは、
3階で産婦人科を営む6代目の子孫、緒方高志院長だ。

「洪庵は予防医学の礎を築いた人。現場を知る開業医でもあり、
一人でも多くの患者さんを助けたい一心だったはず」という。


《「接種で牛になる」》

約170年前の1849年(嘉永2年)。
洪庵は天然痘予防のため、牛の感染症である牛痘の膿(うみ)を種痘に使う
安全性の高い予防接種の普及に奔走していた。

古手町(現中央区道修町)に除痘館を開設し、子供の腕から腕へと牛痘苗の植え継ぎを行った。
それまでの予防法は、人の天然痘のカサブタを粉にして鼻腔(びくう)に吹き込む
危険なものだったという。

ところが最初は困難の連続。
「種痘をすると牛になる」「小児の身体に害がある」といった風評が広まり、
最初の数年はまったく信用されず子供が集まらない。

漢方医からの妨害もあり、一部の同志も洪庵から離れていった。
だが洪庵はくじけない。

粘り強く正しい情報の発信を続けた。


大阪大学適塾記念センターの松永和浩准教授は
「多くの蘭医書を読み、正しい知識を基に正しいことをしている信念があった。
営利を目的とせず、貧しい人からお金をとらない。
『医は仁術』を実践し、門下生の福沢諭吉は『温厚篤実』な人と評した」と解説する。


《商人が資金援助》

こうした洪庵の人柄もあって除痘館の事業は徐々に軌道に乗り、
創設から9年後の58年には幕府の公認を意味する官許を得る。

江戸の施設の官許より2年も早く、全国に先駆けたものだった。
60年には事業拡大のため、現在の「緒方ビル」のある今橋に移転する。

「大坂で除痘館が成功した要因には大坂商人の資金援助がある。
特に世話方の薬種商、大和屋喜兵衛がスポンサーとして惜しみない支援をした」
と指摘するのは緒方洪庵記念財団専務理事で学芸員の川上潤氏だ。

洪庵は除痘館と同時に西日本を中心にワクチンを分与する分苗所を作るが、
これにも喜兵衛が協力した。

分苗所の数は49年11月からたった5カ月で近畿など西日本を中心に64カ所に達した。
「迅速に展開することができた背景には適塾の塾生のネットワークもあった」(川上氏)という。


洪庵の活躍は58年にコレラが流行した時も目覚ましい。
複数の蘭医書を参考にたった5~6日で「虎狼痢治準(ころりちじゅん)」を著し
医師約100人に無料配布した。

治療薬のキニーネは感染初期に使うべきだという具体的な記述もある。
ここでも正しい情報の発信とスピード感のある対応に徹している。


5月14日は「種痘記念日」。
ジェンナーが牛痘種痘の接種に成功した日にちなむ。
ワクチンという言葉もラテン語の雌牛(vacca)が由来だ。

新型コロナのワクチンについては海外勢だけでなく、
適塾の流れをくむ大阪大学や阪大発創薬ベンチャーなどが開発に動き出した。

洪庵に思いを馳(は)せつつ、早期の開発に期待したい。

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO59042020T10C20A5AA1P00/?n_cid=NMAIL007_20200514_Y

           <感謝合掌 令和2年5月16日 頓首再拝>

人を「あんぽんたん」にしてしまうウイルス - 伝統

2020/05/16 (Sat) 18:22:03


       *Web:ひかたま(光の魂たち)(2020年05月15日)より

コロナに先立って、静かにゆっくりと
蔓延したと思われるウイルスがあります。

一般的に、ウイルス感染症の症状は、ウイルスによって特徴がありますが、
多くは
「全身の急激な衰弱、意識の低下、動作や神経系の異常症状、明るい性格の喪失、肉体組織の崩壊」
といった状態になります。

その他にも、思わぬ作用を有するウイルスたちもいろいろと存在しています。

ウイルス感染は、知らないうちに肉体の内部から作用していくのです。

科学者は、
あるウイルスのハイブリッドを作成し、感染させることによって、
人々をコントロールすることは可能だと主張しています。

さらに、それに洗脳を組み合わせれば、より強くコントロールが可能になると。


すでに、思考回路を鈍くして洗脳されやすくなるウイルスは発見され、
それが、蔓延している可能性も出てきました。


《「人を「あんぽんたん」にしてしまうウイルス」》

このウィルスは、ジョンズ・ホプキンズ医科大学とネブラスカ大学の研究者たちが、
喉に存在する細菌を研究中に、偶然発見したウイルスです。


このウイルスは、 クロロウイルスATCV-1。

もともとは、、湖において緑藻に感染するウイルスです。


このウイルスは、
藻類のクロレラに感染するものとしては認識されていましたが、
健康な人間に影響することは全く知られていなかったのです。


このウイルスに人が感染した場合は、
視覚処理や空間認識などの認知能力が落ちてしまい、馬鹿になってしまうそうです。


研究者らが、無作為に92人を調査した結果、
この藻類ウィルスに感染していた人は、
なんと、92人中40人もいたのです。

すでに、約44%の確率で感染していた。。。


ウイルス陽性の人たちは、ウイルス陰性の人たちと比較して、
IQテストの成績が低く、注意能力や視覚認知能力検査でも低い成績であることも判明しています。


このATCV-1ウイルスは、
人に感染すると、感染者の脳内の遺伝子を変化させるのではないか
と推測されました。


そこで、さらに追加の研究では、
消化管内にATCV-1ウイルスを注射したマウスが
どのような影響を受けるのかを調査しています。

その結果、
ATCV-1ウイルス投与群のマウスは、
非ウイルス投与群と比較して、迷路に入れた時の迷う確率が高い
という結果になりました。

明らかに、ウイルス感染によって思考能力が低下している。


そして、ATCV-1ウイルスが、マウスの脳内の海馬に影響を与えて、
記憶力や学習能力などに関わる遺伝子を書き換えていることが判明したのです。


今回の発見で、免疫系を攻撃しないまま
静かに
人体組織に変異を引き起こすウイルスの存在が初めて証明されました。


私たちは、
ウイルスについてまだまだ知らないことがたくさんあります。

一般的には、ウイルスは身体に悪い作用を及ぼすものという認識があります。

でも、身体によい影響を与えるウイルスも近い将来発見されます。


さらに、ウイルスは、身体が弱ってから感染するのではなく
常に私たちの身体には、
身体に良い刺激を与える各種常在ウイルスが潜伏していることも
近い将来発見されることでしょう。


風邪は上手く引くと、より免疫系が丈夫になったり
古い病気が同時に改善したりすることがあるのもウイルスの働きの一つでしょう。


もちろん、ウイルスに罹った時に
生体の自己治癒過程である免疫システムを
薬で妨害しないことが絶対条件だと思います。


今後
ウイルスがさまざまな作用もいずれ少しずつ理解され、
科学的に証明されることでしょう。

  (http://shindenforest.blog.jp/archives/81994777.html )

           <感謝合掌 令和2年5月16日 頓首再拝>

人類の天敵「ウイルス」 - 伝統

2020/05/18 (Mon) 18:39:44


        *Web:nippon.com より


人類の天敵「ウイルス」(1):果てしない「軍拡競争」(2020.03.13)
https://www.nippon.com/ja/in-depth/a06601/

(1)40億年前に出現したウイルス

(2)巧妙に変身した「新型コロナ」

(3)シルクロードで悪病の東西交流

(4)ウイルスが第1次世界大戦を止めた



人類の天敵「ウイルス」(2):感染症の続発要因は自然破壊と過密社会( 2020.03.27)
https://www.nippon.com/ja/in-depth/a06602/

(1)生息地を追われた野生動物たち

(2)肉食の広がりで意外な連鎖

(3)環境を軽んじた人類に逆襲か

(4)都市化で非衛生な過密環境

(5)集団感染が多発するクルーズ船

(6)大きい中国の責任



人類の天敵「ウイルス」(3):感染症の恐ろしさを忘れた日本人(2020.04.10)
https://www.nippon.com/ja/in-depth/a06603/

(1)奈良の大仏さまに込められた祈り

(2)疫病の流行で三十数回の改元

(3)豆まきの「鬼は外」と、隅田川花火

(4)感染症と大地震は「忘れた頃にやってくる」

(5)東京の代々木公園で70年ぶりのデング熱

(6)人員も予算も減少傾向の国立感染症研究所

(7)世界一の高齢化社会がウイルスに狙われる


           <感謝合掌 令和2年5月18日 頓首再拝>

ウイルスの底知れぬ怖さ 驚異の生存戦略 - 伝統

2020/05/24 (Sun) 10:50:47

     *Web:いちご畑よ永遠に(2020-05-23 )より抜粋

(1)ウィルスが行動を起こすタイミングの一つは宿主のストレスと推測されている。
   強いストレスによって宿主が死ぬ危険があると、宿主の死はウィルスの死を意味する
   ので、ウィルスにとって拡散できる最後の機会になる。

(2)地球上には、おびただしい数のウイルスがいる。
   繁栄の陰には巧妙な生存戦略がある。

(3)体は5000分の1ミリメートル以下。
   遺伝物質のDNAやRNA(リボ核酸)をたんぱく質の殻で包んだだけ。
   核や小器官を持つ細胞よりも、はるかに単純だ。

   感染した細胞が無ければ、自力で増殖もできない。

(4)人類の目に「生存戦略」と映るのは、
   遺伝子がたまたま変異して子孫に受け継がれた性質を見ているだけだ。

   それでも侮れない。

   自然界は環境に適応できたものが生き残る。
   変異が偶然であっても、今日まで生き抜いたのは「成功者」の証しでもある。

(5)ウイルスを「病気を起こす小さな悪者」ととらえるだけでも、
   想像以上にしたたかな戦略をあぶり出せる。

   感染される側もやられっ放しではない。
   ヒトなどは「自然免疫」や「獲得免疫」が病原体の襲来に備える。

   こうした攻防もウイルスの進化を促した。

(6)一方、敵視するだけではウイルスの本当の素顔は見えてこない。
   感染相手が死〇ばウイルスも消え去る。

   この微妙な力関係が時に相手と利害の一致をみる。

   敵対関係では成り立たない戦略が生まれる。

   *〇:ね

(7)地球には推定で約3000万種もの生物がいる。
   その数だけウイルスの生存戦略もある。

   病原体など既知のウイルスは約6600種とごく一部とされる。

   いまだ人類はウイルスの全貌をほとんど理解していない。


   (https://ameblo.jp/yuutunarutouha/entry-12598885883.html

           <感謝合掌 令和2年5月24日 頓首再拝>

人類と感染症の歴史 克服した文明のみが生き残る - 伝統

2020/05/27 (Wed) 10:21:28


      *Web:NEWSポストセブン(2020.05.15 07)

新型コロナウイルス感染症対策専門家会議は5月1日、
「多くの市民の協力により爆発的な感染拡大(オーバーシュート)は
免れたものの、長丁場に備え、感染拡大を予防する『新しい生活様式』に
移行していく必要がある」と提言した。

世の関心は「いつになれば元通りの生活ができるのか」という一点に集中するが、
もう“元通りの生活”は戻ってこないと覚悟するべきなのだ。

つまり、私たちはこれからも、
この新しいウイルスと生きていかなければならないにほかならない。

(中略)

実は有史以来の人類の歴史を振り返ると、
そこには常に感染症との闘いがあったといっても過言ではない。

 
古くは14世紀に流行したペスト。
「黒死病」と呼ばれヨーロッパで猛威をふるい、
人口の約半数が死亡したとも伝えられる。

そんな折に書かれたのが中世イタリアを代表する文学作品『デカメロン』だ。

このタイトルはギリシャ語で「10日間」という意味を持つ。
都市部のフィレンツェからペストを避けて田園へと疎開した富裕な男女10人が、
10日間を使って1日1話ずつ語るという設定で、

エロスもふんだんに盛り込まれる同作だが、
現代に至るまで傑作であると評価されるのは、彼らの語る物語の背景に
「ペストへの恐怖」「死からの心理的逃避」があるからだといわれる。

ペストによってヨーロッパは人口激減に見舞われ、社会は大きな変革を迎える。

それまで農民は封建領主に奴隷のように扱われてきたが、
ペストで農民の数が激減したことで、そうした荘園制が崩壊。

キリスト教の厳格な支配も、「こんなに無慈悲に人が死んでいくのだから、
神なんているはずがない」という庶民の“気づき”によって崩れていく。
疫病は結果的に、封建的身分制度を解体させ、中世という暗い時代が終わりを告げる。

ペスト流行が落ち着いたとき、ヨーロッパでは華やかで人間的な
ルネサンス期が始まり、近代へ続く扉が開いた。

このように感染症は世界史にも大きく関与し続けてきた。


時は大航海時代の16世紀。
スペインの軍人フランシスコ・ピサロは、金銀を産出する
南米のインカ帝国を征服しようと侵攻する。

当時、皇位継承をめぐり内戦状態にあったインカ帝国の混乱に乗じ、
たった170人の兵で8万の兵を擁するインカ帝国を征服したと伝わる。

なぜそんなことができたのか。
教科書のうえでは「馬と鉄器」を持つスペインと持たないインカの
「軍事力の差」として説明される。

しかし実はその背後には伝染病の「天然痘」があった。
すでに免疫を獲得していたスペイン人が天然痘ウイルスを持ち込み、
免疫を持たないインカ側は人口の6~9割もの人たちが
天然痘によって命を落としたとされる。

先住民らは、病に屈しない侵略者と自分たちの違いは「信仰」にあると考え、
キリスト教を信仰するようになった。


◆石川啄木、樋口一葉、竹久夢二、中原中也も

東京外国語大学大学院教授で国際政治学者の篠田英朗さんが解説する。

「スペインによるインカ帝国征服では、武器で殺された先住民よりも
天然痘の感染によって死んだ人の方が多かった。

一方で、第一次世界大戦時には、アメリカで生まれ、アメリカの軍人が
持ち込んだウイルスが原因である『スペイン風邪』によりヨーロッパの没落が加速。
ウイルスを持ち込んだアメリカは一層の覇権を獲得しました。

すなわち、感染症を克服した文明は生き残り、
そうでない方が淘汰されるということが、
人類の歴史では繰り返されてきたのです」


新型コロナの感染拡大とともに再び脚光を浴び、
この4月、国内での累計発行部数が100万部を超えた小説がある。
ノーベル文学賞受賞作家、アルベール・カミュの小説『ペスト』(1947年発表)。

突然降り注ぐ感染症という不条理な災厄に対して人々がどう立ち向かうかを
描いた物語で、現代の新型コロナに苦しむ私たちと符合する点があまりにも多い。


日本でも、明治期に活躍した歌人の正岡子規もやはり感染症である結核に苦しみ、
そして死に至った。この病気で落命した文化人は石川啄木、樋口一葉、竹久夢二、
中原中也など枚挙にいとまがない。

このように、周期的に見舞われる感染症は、
これまでも人類の持つ文明や生活に大きなインパクトを与えてきた。

その影響を受けるのは、われわれ人間だけにとどまらない。

『ざんねんないきもの事典』(高橋書店)の監修を務める動物学者で
日本動物科学研究所所長の今泉忠明さんが話す。

「1億4000万年もの長い間、地球上に生息し、陸上で最も繁栄していた生物だった
とされる恐竜も、一説にはウイルスによる伝染病で絶滅したといわれています」

感染症の原因となる病原体には細菌やウイルスなどがあり、
今回の感染症「COVID-19」は、「新型コロナウイルス」と呼ばれるウイルスが
“犯人”だ。

ウイルスの起源には諸説あるが、少なくとも30億年前には存在したと考えられている。

それに比べ、最も古い猿人の登場はおよそ700万年前といわれ、
人類の方がウイルスよりもはるかに“新参者”というわけだ。

つまり、「コロナウイルスさえなければ」という恨み節は、
地球上の生物の歴史から見直すと筋違いといえる。

ウイルスのように私たちも変化し、共存していく姿勢が求められているのだ。

  (https://www.news-postseven.com/archives/20200515_1562164.html )

           <感謝合掌 令和2年5月27日 頓首再拝>

人類に宿るウイルス遺伝子、太古に感染 進化を演出 - 伝統

2020/05/30 (Sat) 10:04:01


      *Web:日本経済新聞(2020/5/30)より抜粋

(1)地球上にはいろいろなウイルスがいる。
   人類の進化にもウイルスが深くかかわってきた。

   太古のウイルスが人類の祖先の細胞に入り込み、
   互いの遺伝子はいつしか一体化した。

   ウイルスの遺伝子は今も私たちに宿り、
   生命を育む胎盤や脳の働きを支えている。

  ①母親のおなかの中で、赤ちゃんを守る胎盤。
   栄養や酸素を届け、母親の「異物」であるはずの赤ちゃんを育む。
   一部の種を除く哺乳類だけが持つ、子どもを育てるしくみだ。

   「哺乳類の進化はすごい」というのは早まった考えだ。
   この奇跡のしくみを演出したのはウイルスだからだ。


   状況証拠から「約1億6000万年前に哺乳類の祖先にウイルスが感染し、
   PEG10を持ち込んだ。これがきっかけで胎盤ができた」とみる。
   胎盤のおかげで赤ちゃんの生存率は大幅に高まった。


  ②石野教授は「哺乳類は脳機能の発達でもウイルスが進化を助けた」と指摘する。
   「複雑になった脳の働きを、ウイルスがもたらす新たな遺伝子が制御している
   のだろう」。

   ウイルスが「進化の伴走者」と言われるゆえんだ。


(2)レトロウイルスと呼ぶ幾つかの種類は、
   感染した生物のDNAへ自らの遺伝情報を組み込む。

   よそ者の遺伝子は追い出されるのが常だが、ごくたまに居座る。
   生物のゲノム(全遺伝情報)の一部と化し、
   「内在性ウイルス」という存在になる。

   内在性ウイルスなどは、ヒトのゲノムの約8%を占める。
   ヒトのゲノムで生命活動などにかかわるのは1~2%程度とされ、
   ウイルスが受け渡した遺伝情報の影響は大きい。

   見方によっては、進化の行方をウイルスの手に委ねたといっていい。

   (https://www.nikkei.com/article/DGXMZO59746430Z20C20A5MY1000/

           <感謝合掌 令和2年5月30日 頓首再拝>

人類の歴史は、パンデミックとの闘いの歴史 - 伝統

2020/06/03 (Wed) 09:43:38


      *Web:GLOBE(2020.05.03)より抜粋

(1)人類の歴史は、感染症との闘いの歴史でもある。
   人が免疫を持たない病原体はときに爆発的に感染を広げ、
   社会を大きく揺るがしてきた。

(2)パンデミック

  ①14世紀に大流行した「黒死病」(ペスト)。
   欧州の人口の3分の1を失い、封建社会の崩壊や宗教改革の一因になったとされる。

  ②20世紀初めの第1次世界大戦中にはインフルエンザの「スペインかぜ」が流行。
   米軍から各国の軍隊などに広がった。第2波、第3波と発生し、
   世界の死者は数千万人とも言われる。

  ③パンデミックにはなっていないが、エボラ出血熱。

(3)コロナウイルスによる脅威

  ①02年から流行した重症急性呼吸器症候群(SARS〈サーズ〉)

  ②12年に見つかった中東呼吸器症候群(MERS〈マーズ〉)

  ③今回の新型コロナウイルスでは、
   100年に1度のパンデミックの様相となっている。

(4)日本の歴史にも感染症の爪痕が残る。

  ①奈良時代には天然痘が大流行し、政権を担った藤原四兄弟が全員死亡。

  ②戦国武将の伊達政宗が片目を失った原因も、幼少期に患った天然痘だと言われる。

  ③コレラもたびたび流行した。日本医史学会の機関紙「日本医史学雑誌」には、
   江戸時代の1858年からの流行は、開国後に長崎に入港した米国船の感染した
   乗組員がきっかけで、江戸だけで26万人が死亡したと書かれている。

 (https://globe.asahi.com/article/13343846 )

           <感謝合掌 令和2年6月3日 頓首再拝>

コロナウイルスの啓示 - 伝統

2020/06/03 (Wed) 17:14:50


      *Web:club willbe より
           ~月尾 嘉男さん(東京大学名誉教授)

すでにパンデミック(世界的大流行)となった
新型コロナウイルスは世界を破壊しつつある。

これは進歩したはずの科学が制御できない新型の病気が蔓延しているという以上に、
人類が構築してきた文明の方向が巨大な間違いであったかもしれないという啓示
として理解する必要がある。

以下に三点の問題を指摘したい。
 
第一の問題は人間の移動の増大である。
1918年に流行したインフルエンザは世界の人口の3割を感染させたが、
欧州に進軍した米軍兵士が原因とされている。

陸路、海路より高速の空路の発明により、
現在は当時とは桁違いの人々が移動しているが、
その人数は25年前の年間5億人から現在では14億人になっている。
 
日本の観光産業の窮状が明示するように、
この人間の移動が停止すれば経済が維持できない国家が続出し、
物資の移動が停滞すれば複雑な相互依存で維持されている製造産業も破綻する。

最近では移民という長期の移動も急増している。
発達した大量高速の移動手段が
世界規模のウイルスの運搬手段を提供していることになる。
 

第二の問題は人間の活動範囲の拡大である。
コロンブスがアメリカ大陸を発見し、その未知の大陸へ天然痘やペストを
もたらして先住民族を激減させた一方、コロンブスの一隊が欧州にもたらした
梅毒は数年で欧州全域に拡散し、500万人が死亡したと推定されている。

驚嘆することに20年後には日本にも伝染している。
 
アメリカは20世紀初頭からパナマ運河の建設を開始するが、
熱帯雨林を開拓していく過程で疫病が蔓延し、
その問題を解決するまで工事は開始できなかった。

最近でもエイズなどの新規の疫病がアフリカ大陸から世界に伝染しているが、
急増したアフリカの人口が奥地へ進出し、未知のウイルスと遭遇した結果である。
 

第三は地球規模の環境変化である。
2014年にデング熱病の感染が東京で発生して騒動になったが、
原因は気温が上昇して媒介するヒトスジシマカが東京でも
越冬できるようになったことであり、現在では本州北端まで範囲が拡大している。

ジカ熱病を媒介するネッタイシマカもアフリカから欧州に北上している。
 
気温上昇はシベリアなどの永久凍土を融解させはじめ、
これまで凍土内部に封入されていたマンモスやトナカイの死骸に
付着していた未知のウイルスが蘇生して地上に出現し、
ロシアのヤマル半島では実際に死者が発生している。

さらに気温が上昇していけば、
未知の病気が次々に登場してくることは十分に予想される。
 
人類の歴史は長目に推定しても数百万年であるが、
とりわけ直近の数万年間で異常な発展をしてきた。

人口は三桁増加し、消費するエネルギーも一人あたりで二桁増加している。
しかし、その急激な発展は環境を激変させる代償によって獲得したものであり、
その何倍も緩慢に変化する自然環境とは相容れないものである。
 
その矛盾が資源の枯渇、生物の絶滅、気温の上昇などの環境問題であるが、
追加して登場してきたのが疫病の流行かもしれない。

今回のパンデミックで自宅に籠城せざるをえない多数の人々が
人類の過去から未来を塾考し、社会が方向転換をする契機となれば
ウイルスのもたらした千載一遇の機会かもしれない。
(『電気新聞』4月23日掲載)

  (https://www.club-willbe.jp/stayhome.html

           <感謝合掌 令和2年6月3日 頓首再拝>

コロナの次に来る「耐性菌パンデミック」の脅威 - 伝統

2020/06/16 (Tue) 14:28:38


        *Web:東洋経済ONLINE(2020/06/11)より

コロナの次に来る「耐性菌パンデミック」の脅威
超細菌が毎年1000万人の命を奪う未来


(1)感染第一波時での前線医師の試行錯誤

  ①3月と4月にデトロイト医療センターの救急室に殺到した重症患者たちは、
   高熱はもちろん、肺がウイルスに冒されて呼吸困難に陥るなど、
   新型コロナウイルス感染症に特徴的な症状を示していた。

   治療の選択肢がほとんどない中で医師たちは、
   広域抗生物質というありふれた手段に救いを求めた。

   広域抗生物質は、すぐに特定できない細菌感染に対して
   根拠がないまま使用されることが多い。

   医師たちは抗生物質がウイルスには効かないことを知っていたが、
   とにかく必死だったのだ。
   細菌によって生命に関わる2次感染が起こる可能性も懸念されていた。

  ②パンデミックの初期数週間に抗生物質を大量に投与した医師たちは、
   すぐに自分たちの間違いに気づいたと述べている。

   「多くの医師が不適切に抗生物質を投与していたのは、
    正直いって選択肢がほとんどなかったからだ」とチョプラ医師は言う。

(2)コロナより危険な「耐性菌パンデミック」

  ①ニューヨーク州最大級の医療機関、ノースウェル・ヘルスで
   感染症の責任者を務めるブルース・ファーバー医師は言う。同医師は
   ノースウェル・ヘルスの23の病院で何千人という
   新型コロナ患者の治療に当たってきた。

   多くの医師にとって、コロナ禍は抗生物質の適切な使用についての教訓
   となっただけでなく、ゆっくりと進む、もう1つの世界的な保健上の
   脅威を浮き彫りにした。

   薬剤耐性菌の脅威が高まっているという現実だ。

  ②医師、研究者、公衆衛生の専門家らはここ何週間と、
   パンデミックを教育の機会に変えようとしてきた。

   真剣な対策が取られなければ、新型コロナ以上に
   致命的な薬剤耐性感染症の流行が加速する恐れがある、
   と警鐘を鳴らしているのだ。

   国連によると、薬剤耐性が原因で2050年までに
   毎年1000万人が死亡する事態となる危険性がある。

  ③新たな抗生物質が開発されなければ、
   人工膝関節置換手術や帝王切開といった一般的な外科処置ですら、
   容認できないほどリスキーなものとなりかねない。

   その結果引き起こされる医療危機は2008年の世界金融危機に
   匹敵する景気後退をもたらす可能性がある──。
   昨年発表された国連の報告書はそう指摘している。

(4)危険なまでに細った抗生物質開発

(5)もはや無為無策では許されない

  ①「手をこまねいていれば、スーパーバグ(どんな抗生物質も
   効かない超細菌)が現れ、新型コロナに匹敵する危機に
   直面することになる」と、GAOの主任科学者で、報告書の
   筆頭執筆者を務めたティモシー・パーソンズ博士は指摘する。

  ②新型コロナ患者に対する抗生物質の使用を研究している
   ミシガン大学医学部の病院総合医、ヴァレリー・ヴォーン医師が、
   ここ数カ月の知見を整理し、最良の治療ノウハウを
   オンライン講義で共有してきた。

   同医師が1000件を超える州内の新型コロナ症例を調査したところ、
   細菌による共感染を起こしているケースは4%にすぎなかった。
   にもかかわらず、大半の患者は病院到着後すぐに抗生物質が
   投与されていた。

   「今回のパンデミックが示しているのは、患者がウイルスに
    感染していることを知りながら医師が抗生物質を与えていた
    ということだ」とヴォーン医師。

   「たとえそれが正しくないことであっても、
    医師は患者のために何かをしたいと望んでいるので厄介だ」。

  ③ヴォーン医師は言う。

   「(薬剤耐性問題の)対策は遅れている。
    今回のパンデミックが刺激剤となり、
    対応の速度が上がるよう願っている」。

   (https://toyokeizai.net/articles/-/355606 )

・・・

<関連Web>
コロナ下の抗生物質使用増、細菌耐性強化で「死者増える」 WHOが警告
2020年06月02日


(1)スイス・ジュネーブのWHO本部からオンライン会見を行った
   テドロス事務局長は、

   「新型コロナウイルス感染症のパンデミックによって抗生物質の使用が
    増加しているが、これはやがて細菌の耐性率の上昇を招き、
    パンデミックの間やそれ以降の病気や死者の数に影響を及ぼすだろう」

   と語った。

(2)テドロス氏は、命を救いつつ抗菌薬耐性に取り組む一助とすべきだとし、
   抗菌薬耐性の脅威は「われわれの時代の最も緊急な課題の一つ」であり、
   「決定的に重要な抗菌薬の使用能力を世界が失いつつあることは明らか」
   だと述べた。

(3)さらに抗生物質の不適切な使用法がみられると強調し、
   一部の国で抗生物質が「過剰に使用されている」一方で、
   低所得国では救命に必要な薬剤を入手できず、
   「いわれのない苦痛や死を招いている」と述べた。

   (https://www.jiji.com/jc/article?k=20200602040143a&g=afp )

           <感謝合掌 令和2年6月16日 頓首再拝>

パンデミックと漢方 - 伝統

2020/06/27 (Sat) 15:33:50


      *メルマガ「宮崎正弘の国際情勢解題」(2020.06.27)より抜粋)

正親町天皇が脳卒中で仆れたとき、漢方投与で回復された。
麻酔手術もワクチンも世界初は日本人医師が行ったのだ。

  ♪
渡邊望『パンデミックと漢方 ──日本の伝統創薬』(勉誠出版)

 
「正親町天皇(おおぎまちてんのう、第106代天皇)は宮中で倒れ人事不省に陥った。
 (正親町天皇については → https://www.touken-world.jp/tips/21101/ )
 おおぜいの宮中侍医は慌てふためくばかりで対処がわからない。

 しかし侍医の一人の曲直瀬玄朔だけが天皇の症状から『続命湯』という処方の投与を忠告した。
 服薬したことで天皇の症状はたちどころに回復した」(17p)

その曲直瀬玄朔の弟子の一人が全宋だ。
施薬院全宋をモデルに小説を書いたのは火坂雅志だった。
天台宗の怪僧とも政治フィクサーとも呼ばれたが本業は医師である。

全宋は、あらゆる薬草に通じ、調合し、秀吉の侍医にまで上り詰めた。
そういえば国学の大家、本居宣長も医師(小児科医)だった。

つまり戦国時代から江戸時代にかけて、
日本には独特な伝統的創薬がなされ発展していたのであり、
それは当時の世界的レベルで最も先端の医学分野を走っていた。

徳川家康は長寿を全うしたが、家康自身が医師ともいえるほど薬草、調合法、
そして施療に通じていた。薬学・医学への知識は並大抵ではなかった。
 
日本は古来から独特の医学、薬学が発達していて、それを近代になって
「蘭学」への対応から「漢方」と呼んできた。

たしかに遣唐使・遣隋使の時代から、日本は多くの書物を輸入したが、
薬物と医学、医療は中国の知識を吸収したものの、
かれらの方式を採用せず、日本独自の療法、そして薬剤を用いた。
 
幕末に世界で最初の麻酔手術は華岡青州である。
またワクチンの最初の発明は秋月藩の漢方医、緒方春朔で、
ジェンナーの種痘より六年早いと本書は指摘している。
 
したがって「漢方」という呼び方は間違いだ。

「漢」を冠すると、あたかも中国から伝わって
進歩的医学のような錯覚を起こしかねない。
本来なら漢方は日本の医学薬学であるのだから「和薬」とすべきである。

漢方は日本の創薬なのである。
もっとも水戸学は、それにも飽きたらず『皇国医学』を主張したこともあったが。
シナの医学は不老不死が基本の発想で、したがって茶の概念が日中では異なる。

日本では薬として茶を飲まないが、中国人は薬剤の一種として飲茶するのである。

日本は茶道の一期一会、哲学のレベルにまで高めた。
 
(中略)
 
かくして日本の薬学、医学は世界の先端を走っている。
にも拘わらず現場の医師も、厚労省も、そしてメディアは
西洋医学のほうが進歩的先端的という迷信を信じ切ってしまった。
 
これは明治以後、どっと西洋の文化、思想、科学技術、
そして外科手術などが輸入され、価値倒錯がおきたように、
戦後はアメリカ一辺倒になって日本的価値が顧みられないように、
行政も教育現場も論壇も、自己を見失い、なにかの幻想に取り憑かれた結果である。

評者のみるところ、コロナ禍で人生観がかわった人が多く、
孤独を克服するには家族が基本と結婚を決意する若い人が増えた。

そして海外渡航がほとんど絶無という、この”鎖国”を逆活用すれば、
日本に国風が吹き返し、伝統の復活がなされるのではないか。
そう考えていたときに、渡邊さんの新作にめぐりあった。

医学知識を駆使されながら、この労作は、根本の医学の在り方に迫っている。

最後にもう一つ、えっと思った箇所がある。

渡邊氏は『魏志の倭人伝』をまったく信頼していない点でも氏の史論は傾聴に値するが、
倭国大乱に関して、次のようなユニークな解釈を開陳している。
 
「中国の史書が揃って『倭国大乱』を指摘している」ことは、
「何かの大乱が日本列島にあったのだ。多くの歴史学説はこの「倭国大乱」を
「国内戦争」と考えるが、私はこれは、日本列島が直面したはじめての疫病による大量死、
それによる大きな政治的混乱を意味するのではないか」(中略)

「収拾するために、各勢力の中でも、支配的な力のあった大和勢力が祭祈を強化し、
混乱収束に全力を尽くした。」(33p)。
 
この真偽は確認に仕様もないけれども、大化の改新も、壬申の乱も承久の乱も、
その社会的背景には疫病の大流行があった。

日本の国内戦は、疫病を切っ掛けに発生した、疫病との戦いでもあった。

           <感謝合掌 令和2年6月27日 頓首再拝>

『日本書紀』が記す古代日本のパンデミック - 伝統

2020/07/02 (Thu) 19:36:51

『日本書紀』が記す古代日本のパンデミック
――オオモノヌシを祀る大神神社と疫病の深い関係

        *Web:note(2020/05/22)

(1)『日本書紀』によれば、第10代崇神(すじん)天皇の時代に
   疫病が蔓延したという記述があります。

(2)大神神社は、大物主神(おおものぬしのかみ)を祭神としていますが、
   古来、本殿をもたず、オオモノヌシが鎮まる三輪山そのものが
   ご神体とされてきました。

   拝殿の奥にある三ツ鳥居を通して神体山を拝するというスタイルは、
   神社本来のありようを示しているともいわれ、神社のなかでも
   とくに古い歴史をもつ古社とされています。

(3)『日本書紀』には、崇神天皇の時代に、疫病が国中に流行して、
   多くの民が亡くなり、混乱に陥ったことが記されています。
   これは感染症流行(パンデミック)に関する日本最初の記録でもあります。

   百姓は流離し、なかには背く者もあり、
   その勢いは天皇の徳をもってしても収まりませんでした。

(4)崇神天皇。『日本書紀』によれば、即位5年、疫病が流行して
   人口の半ばが失われたとされる(『御歴代百廿一天皇御尊影』)
 
   そこで天皇は神意を伺うため、占いを行いました。
   すると、天皇の大おばにあたる倭迹迹日百襲姫命
   (やまとととひももそびめのみこと)が神憑りになり、
   「私をよく祀れば天下は平穏になるだろう」と神託を告げました。

   さらに天皇が「あなたはいずれの神か」と尋ねると、
   「私は倭(大和)国のなかにいる神で、大物主神という」
   という答えがかえってきました。

   天皇は神託にしがたってオオモノヌシを祀りましたが、
   一向に効験はあらわれませんでした。

(5)そこで天皇はさらなる神示を得ようと必死に祈りました。
   すると夢にオオモノヌシが現れ、次のように天皇に告げました。

    「我が子、大田田根子(おおたたねこ)に私を祀らせるならば、
   たちどころに平穏になるだろう」

(6)天皇は大田田根子にオオモノヌシを祀らせ、
   さらに八十万(やそよろず)の神々も祀り、
   神社の制度を整え定めると、

   ようやく疫病が途絶えて国内は平穏となり、
   五穀豊穣となって人民は豊かになりました。

   以後、大田田根子は大神(おおみわ)の祭祀を司ることになり、
   三輪氏・大神氏の始祖となりました。

   (https://note.com/honno_hitotoki/n/nf470ce4b862e )

・・・

<参照:大田田根子>

或る譬話・寓話からの学び④
http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7870002

(1)苧環(おだまき)の糸  2020/05/28 (Thu) 14:59:20

(2)田根子 2020/05/29 (Fri) 23:36:23

           <感謝合掌 令和2年7月2日 頓首再拝>

日本神話に描かれた疫病と日本人との関係とは? - 伝統

2020/07/04 (Sat) 23:08:02


     *Web:時事ドットコムニュース(2020年6月5日)より抜粋
          ~渋谷申博(日本宗教史研究家)

(1)疫病の神話・伝承は、わたしたちの祖先が疫病の苦難を
   乗り越えてきたことの証しである。

   これらの話は、疫病に備えることの大切さや、たとえ流行してしまっても、
   きっと克服できることを伝えてくれる。

(2)『古事記』に記されているパンデミック

   崇神天皇の治世に、当時にすればパンデミックのような状況が
   あったことが『古事記』に記されている。

   それによると「人民の多くが感染して、すべての人が死に絶えて
   しまいそうになった」という。

   事態を憂えた崇神天皇は神牀(かんどこ)という神のお告げを
   受けるための床(ベッド)に横になり、どうすれば疫病が
   治まるのか神に尋ねられた。

   すると、その枕元に大物主大神(おおものぬしのおおかみ)が現れて、
   こう告げたという。

   「この疫病の流行は、私の祟りである。オオタタネコという者を探し出し、
    その者に私を祭神とした祭りを行わせれば、疫病は治まるであろう」

(3)興味深いのは、古代の人々も細菌やウイルスのような
   目に見えない小さなものが疫病を広めると考えていたらしいことだ。

(4)疫神の正体は怨霊?―京の町から人が消えた日

   奈良時代から平安時代にかけて、疫病の原因は怨霊(おんりょう)、
   つまり「恨みを抱いて死んだ人の霊」だとする信仰が広まっていた。

   これを御霊(ごりょう)信仰という。

  ①御霊会では怨霊の鎮魂のため、さまざまな歌舞音曲や相撲、
   騎射(馬に乗って矢を射ること)などが催されたが、
   庶民はそれらの見物を許された。

   宮中の庭園に庶民を入れるのは現代と同じく異例中の異例のことだった。
   御霊会には疫病の流行による社会不安を収める意味もあったのだろう。

  ②863(貞観5)年には、平安京の大内裏の南にある宮中専用の庭園である
   神泉苑(しんせんえん)で、それらの怨霊(御霊)を慰める
   御霊会(ごりょうえ)が行われた。

   平安時代の歴史書『日本三代実録』(901年完成)によれば、
   都では数年にわたって疫病の流行が続いており、「死亡する者はなはだ多し」
   という状況だったという。

  ③994(正暦5)年には、貴族も庶民も家の戸を閉ざし、
   道を歩く人が一人もいなくなったという。

   そこでまた御霊会が行われた。

   この時の祭場は北野の船岡山(御所の北側にある丘)であった。
   ここに神輿(みこし)が2基据えられると、
   人々はこぞって幣帛(へいはく)をささげた。

   この時はその幣帛にそれぞれの家に取りついていた疫神(病原体)を
   吸着させて神輿へと運んだのだ。

   こうして京のあちこちから集められた疫神は2基の神輿に封印され、
   難波に運ばれて海に流された。

   つまり、疫病の原因は目に見えない特殊な存在(霊)であり、
   体や物に付着して病気を引き起こすが、それらを環境から排除できれば
   疫病の流行は終息する、ということを平安時代の人々も知っていたことになる。

(5)京都三大祭の一つでユネスコの無形文化遺産にも選ばれている
   祇園祭(ぎおんまつり)も、疫病を街から追い払う祭りだ。

   祇園祭は、実は御霊祭の一種であり、中世には祇園御霊会と呼ばれていた。

   祇園祭は、蘇民将来にならって疫神を歓待し、
   京から出て行っていただくという祭りなのだ。

   祇園祭のシンボルになっている山鉾(やまほこ)は、
   もとはただの矛(ほこ)であった。

   869(貞観11)年に行われた祇園御霊会では66本(古代日本の
   行政区画である国の数)の矛が立てられたという。

   994(正暦5)年の御霊会では御幣に疫神をつけて船岡山に集められたが、
   祇園祭では矛に疫神を憑依させたのだ。

   (https://www.jiji.com/jc/v4?id=202006snw0001

・・・

以下は、関連として、メルマガ「大和し」(2020.07.04)より

7月といえば、京都では日本最大の祭り・祇園祭が行われます。
今年は、コロナの影響で、例年の日程が大きく変更になってしまいました。

祇園祭は、7月1日の「吉符入り」から始まり、山鉾巡行を経て、
「神輿の神事」でクライマックスを迎えます。
三基の御神輿が町を練り歩き、御旅所まで神様を運びます。

約1500人ともいわれる担ぎ手による御神輿は壮大で、勢いがあります。
この御神輿のそばでその勢いを肌で感じることで、ご利益を受けることができます。

私は、毎年山鉾巡行が終わったあと、
夕方ごろ八坂神社の前に勢ぞろいした御神輿を見に行きます。

三基の御神輿は、中御座に牛頭天王(素戔鳴尊)、東御座は櫛稲田姫命(妻)、
そして西御座には八柱御子神(八人の子)の御神霊が乗せられています。

夕方から出発して、夜中の12時過ぎに御旅所に三基の御神輿が到着します。
その後17日から24日まで、八坂神社の御神霊は御旅所に鎮座されています。

御旅所に御神霊が留まることで、町中の厄が祓われます。

疫病も退散させる力を持つ、八坂の神様の力は強いものだと信じられてきました。

それだけ強く、荒ぶる神の力を頼らなければならないほど、
人間は弱い者だと知っていたのです。

見えない力を味方にすることで、見えない敵から身を守ることができるのです。

祇園祭は31日の疫神社「夏越祓」まで1カ月に渡る神事です。
それだけの期間、町を挙げて神様を丁寧にお祀りすることで、
厄災を祓い、疫病から身を守るというご利益が得られるのです。


祇園祭のことを単なるイベントや催事としかとらえていない人が多いように
感じますが、日本人として本当の意味を理解しなければならないと思います。

日本人は「穢れ」や「厄」という災難に対して敏感な民族です。
ですからその災難から逃れる方法にも敏感で、それが生活の中にも根付いています。

縁起の悪いことを嫌うところから、言葉を大切にする文化も生まれました。

1カ月にわたる祇園祭は、夏を越えて秋に向かうためには、
単なる区切りだけでなく、この儀式を通して生きる力を得ようとしているのだと感じます。

「生きる力」は簡単に手に入るものではありません。

「勢い」も簡単に身につくものではありません。
生きていれば不安や恐れをいつでも感じます。
どんな時代でも変化するのが当たり前だからです。

変化に直面すれば、誰でも将来が心配になります。
これこそが、身に取りついている穢れや厄です。

どんなに、未来は可能性に満ちていると思っても、
現実に直面すれば、そうは思えなくなります。

そのような時、「神様が自分を守ってくれている」と分かれば、
前に進む勇気が出てくるというものです。

祇園祭は「神様の存在を感じる儀式」だと思います。

そして、強くてどんな厄災も払い除けてくれる
最強の勝ち神様が自分に味方してくれていると感じることができます。
そうすると、目の前にある壁や難題などに怖がらずに立ち向かうことができます。

どんな状況でも、自分には勝ち神様が付いている・・・
そう信じ込むことができれば、乗り越えることができるでしょう。

7月の京都は祇園祭の行事は中止になっていますが、神様を感じることができます。
最強の勝ち神様を味方につけるチャンスです。

どんな災難がやってきても、八坂神社の主祭神が味方になってくれれば、
乗り越えていく力が湧いてくるのです。

「蘇民将来之子孫也」の護符を持っていれば、どんな疫病も払い除けることができる・・・

このように信じ切れば、本当に力を授かることができます。

           <感謝合掌 令和2年7月4日 頓首再拝>

感染症パンデミックとホメオパシー - 伝統

2020/08/06 (Thu) 14:04:45


         *Web:ひかたま(光の魂たち)(2020年08月05日)より

「風邪が治る」とはどういうことでしょうか?

一般的な風邪は、コロナウイルスやライノウイルスなどのウイルス感染によるものです。

ウイルスは体内に入ると、気道粘膜で増殖します。
これに伴って、身体は、このウイルスを排除して治そうとするために
発熱、鼻水、痰、咳などのさまざまな症状を起こします。

発熱してウイルスの増殖を止めて
鼻水や痰、咳などで、病原体を体外へと排出していきます。

その治そうとする免疫反応が、風邪の症状と言われるものです。

風邪の本体ではありません。

そして、
身体の免疫反応による自然治癒力によってウイルスが鎮圧されると、
風邪の症状は消失していきます。

これが「風邪が治る」ということです。


一般的に、現代の医学は、症状を抑圧することを主眼におきます。

ホメオパシーをはじめとする伝統医療では、症状は自然治癒力の表れとみなし
その自己治癒力を強化することを主眼におきます。

どちらにも良い点があります。


1818-1819年に世界中で
新型インフルエンザ(スペイン風邪)が大流行しました。

この時、米国では、一般病院に入院した患者の死亡率は、約30%.
肺炎を合併した場合の一般病院での死亡率は60%でした。

一方で
ホメオパシー治療を受けた患者の死亡率は、1%。
肺炎を合併した場合のホメオパシーでの死亡率は、約2%でした。


この前にさかのぼって1855年に、米国医師会は、
医師がホメオパシーを処方することを禁止。
さらに、ホメオパシーを処方された患者の受診も拒否することを決定しました。

さらに医科大学では、ホメオパシーを学ぶものは停学処分としたり、
ホメオパシーを使った学生は学位を剥奪するなど
異常なまでに厳しい処置が下されるようになりました。

そのため一般的な医療とホメオパシーは併用して行うことができなくなりました。

これは米国医師会長の話によると、表向きのホメオパシー禁止の理由は
ホメオパシーの効果に対する弾圧ではなく、
正当な医学は、症状を抑えるのに対して

ホメオパシーは、自己治癒力を引き上げて自分自身で病気を治す
という考え方が医学的ではなく、
宗教的であり、受け入れられないという理由でした。



それからしばらく経って
1862-1864年に米国ニューヨークで、ジフテリアが大流行しました。

感染して、発病した場合、
発熱して、喉が痛み、激しい咳が出ます。

当時、米国では医師がホメオパシーを処方することは
とても厳しく禁止されていました。
ほとんどの医師会の規定は守らなくても大丈夫なザル法だったにも関わらず
ホメオパシー禁止の条項だけは徹底して遵守されました。

ある医師は、
妻がホメオパシーを扱っているというだけで
地元の医師会を追放され、裁判でも有罪判決を受けています。


そのため
ニューヨークでのジフテリア大流行時に重症となった人は、
病院に入院するか、病院へ行かずにホメオパシーを飲むかの選択となりました。


当時の一般病院で治療した人たちの死亡率は、 83%にも上りました。
一方で、ホメオパシーで治療した人たちの死亡率は、16%だったのです。


このあと、ニューヨークの医療に貢献した権威ある医師が
ホメオパシーを受診したことで、業務停止という厳しい処分が下されています。


そして、ニューヨーク医師会は米国医師会の規定に反して
正式に「医師がホメオパシー医に相談することを認める」ことにしました。


この時に、患者の利益を優先してホメオパシーの利用を奨励したのは、
良心の医師であり、米国ではじめて小児科専門病院を設立し
米国小児科医療の父とした称えられている医師でした。


これによって、米国医師会は、激怒。
ニューヨーク医師会を米国医師会から追放処分にしたのです。


米国ニューオリンズでは、黄熱病の大流行がありました。

この時にも、重症患者たちは
一般病院での治療かホメオパシーを選ぶか
どちらかの選択で運命がわかれました。


当時の一般病院で治療した人の死亡率は、 50%
一方で、ホメオパシーを選んで治療した人たちの死亡率は、 5%でした。


現在も、米国や日本、オーストラリアなどでは
ホメオパシーを認めない動きが強くあります。

ホメオパシーは、費用がかからず
既存の医薬品による利益システムを破壊してしまうことも
認められない要因の一つになっています。


一方で、
多くの医師や薬剤師が推奨したり
国民保険制度に適用されていたり、
医学部の必修科目になっている国もあります。


インド政府は
今回の新型コロナウイルスに対しても、ホメオパシーでの治療を推奨しています。


以前、インドでは、デリー地方で
デング出血熱(デング熱の重症型)が大流行した時がありました。

その時もインド政府は
最も感染リスクの大きな地域の住民たちを39,200人以上を対象に
ホメオパシーを配布しました。

10日間経過観察された23,520人において、
わずか5人(0.125%)が中等度に症状が進行、
99.875%は無症状という大成功を収めています。


インドのマハトマ・ガンジー氏は
次のように演説しています。

  → https://livedoor.blogimg.jp/shindenforest/imgs/4/b/4ba6e32b.jpg


ドイツでは、約48%の人がホメオパシーを使用しています。
高学歴者だけを見ると、63%にも上ります。

スイスでは、国民健康保険対象の正式な医療となっています。

フランスでは、73%の国民がホメオパシーを信頼し、
ホメオパシー薬局も多くあります。

薬局の薬剤師の94.5%が妊婦にホメオパシーを推奨しています。
さらに、医師の30%がホメオパシーを取り入れています。

通常の医療に加えて
とても多くの研修時間が必要なホメオパシーがこれだけ医師たちに使われているのは
すごいことです。


スペインでも、ホメオパシーは政府公認で、
国民の3分の一がホメオパシーを定期的に使用しています。
使用者の82%が満足し、、頻繁に使用する人の99%が満足という結果が出ています。

英国では、王室でも積極的にホメオパシーが利用され、
ホメオパシー専門病院もあります。

英国王室をはじめ貴族たちは
世界の最高峰の治療法を選べるにもかかわらず
ホメオパシーが第一選択として採用されています。

エリザベス女王は常にポーチにホメオパシー薬を入れて持ち歩き、
チャールズ皇太子が新型コロナになった時も、ホメオパシーで治療しています。

オランダでは、医師の45%がホメオパシーを使用。

ベルギーは、国民の45%がホメオパシーを使っています。
処方薬の3分の1は、すでにホメオパシーになっています。

バチカンでは、歴代の法王が積極的に使用・推奨しています。

良質の医療で定評のあるキューバでは
医学部の必修科目にホメオパシーがあり、
医師になるために必須事項となっています。


世界の他の多くの国も、現在積極的に採用されつつあります。


製薬会社の薬以外は認めない薬大国日本とは大きな違いです。

日本の人口は、世界の1.9%しかいないのに、医薬品の消費量は30%になります。
タミフルなどは、世界の75%を日本人が消費しています。

これだけ大量の薬を使う日本では、
平均寿命が長い割に健康寿命が短く、
寿命と健康年齢の乖離が激しい国となっています。


医薬品至上主義の日本では、医師はほとんどホメオパシーを知りませんし、
多くの間違ったネガティブな情報も流されています。


次の図は
2020年4月の時点で、
新型コロナ患者に対する
英国、イスラエル、ロシア、日本、中国、イタリア、ベルギー、ドイツ、米国での
ホメオパシー治療の記録の集計結果です。

非常に良いととても良い:92%、
良いと変わらない:8%
という結果となっていました。



もう一度
過去の新型インフルエンザ(スペイン風邪)の時の米国での治療結果を書いておきます。

米国では
一般病院に入院した患者の死亡率は、約30%.
肺炎を合併した場合の一般病院での死亡率は60%。

ホメオパシー治療を受けた患者の死亡率は、1%。
肺炎を合併した場合のホメオパシーでの死亡率は、約2%。


自己治癒力を刺激すれば、ここまで大きく結果が変わるのです。

自分の健康は、自己治癒力を向上させて、自分で守る。


私たちの身体には
本来最も優れた治療家と治療薬が備わっています。


それを無視したまま、薬や枠珍などに頼っている以上
これから先、人間は、永遠と感染症に振り回されることになります。



私たちはもう一度原点に戻って

基本的なことを大切にしなければなりません。

(http://shindenforest.blog.jp/archives/82665816.html )

           <感謝合掌 令和2年8月6日 頓首再拝>

常在ウイルスたちの働き - 伝統

2020/08/17 (Mon) 19:46:25


         *Web:ひかたま(光の魂たち)(2020年08月16日)より

私たちは、ウイルスに関して、ほとんど何も知りません。

コロナで脚光を浴びたウイルス。
ほとんどの人は、ウイルスは怖いもの、悪いものと勘違いしてしまいそうな報道で
ウイルスのイメージを洗脳されています。

でも、私たちが知っているのは、
ウイルスというものが存在していること程度の知識しかありません。

1930年代後半までは、
人間は、ウイルスというもの自体が
この世に存在しないと思っていたくらいですから。

ある湖の水1mlを調べたところ、数百万ものウイルスが含まれていました。

これは当たり前のこと。

地球上あらゆる所に、ウイルスは無数に存在します。

私たちの世界は
いまだ発見されていないウイルスの方がはるかに多いのです。

ウイルスは無色透明ですが、
私たちはウイルスの海の中に生きていると言っても過言ではありません。

そんなウイルスと、今、人類は
共存ではなく、敵とみなして戦おうとしています。

それは正しいことなのでしょうか?


私たちは、細菌に対してさえ敵とみなし徹底して戦いを挑み、
その都度、負け続けてきました。

そしていまや、細菌の本当の役割の一端が解明され
共生共存する貴重な微生物であることが理解されはじめてきたのです。

それはウイルスも同じこと。


今まで、ウイルスという概念が無い時代には共存共栄してきたのです。

今では、多くの人がウイルスは未知のものというだけで
敵とみなしてしまいました。


先日の全国戦没者追悼式では、
平和を願い、再び戦争の惨禍を繰り返さないように不戦の決意を表明しました。

でも、真の平和は
一人一人の心の中での平和、非暴力が達成されて
はじめて、起こること。

一人一人が身近なところで、
理解しない対象を敵とみなして戦う姿勢がある限り
本当の平和なんて来るはずはありません。


今までも、北米先住民やオーストラリアのアボリジニをはじめ、
世界中の、自分たちの考えとは異なる人たちを無差別に皆殺しにしてきました。

北米先住民を次々と虐殺していった時に
たくさん虐殺した将校の中には、

私たちが彼らのことをもっとよく理解していれば、
絶対に殺すことなど無かっただろうと

後に告白しています。

ひかたま:光を分かち合う時代へ:白人vsアメリカ先住民
     http://shindenforest.blog.jp/archives/76745243.html


自分たちに邪魔な存在に対して、攻撃的になる姿勢は
いまだ、人から、動物や微生物、細菌、ウイルスに対象を移しただけで
何も変わっていません。

自分たちの狭い視野で
未知のものを理解しないまま、攻撃し続けることが
本当に正しいことなのでしょうか。


アマゾンの原生林を開いて作った畑の作物には、しばらくの間、害虫はつきません。
土の微生物や細菌などが植物を健康に保ってくれるからです。

多くのウイルスも、健康な人には無害です。
健康を崩した時に、ウイルスは増殖して、健康体ではないことを、教えてくれます。


私たちの外側の世界だけでなく
身体の中にも「常在ウイルス」は存在しています。

「ネズミノロウイルス」を使ったマウスにおける実験では
ネズミノロウイルスが
マウスの腸内の修復機能や免疫機能の向上に関わっていることが判明しています。

別の研究の実験では、
抗生物質を投与して腸内細菌にダメージを与えたマウス群に対して、
腸壁に炎症を起こす物質の投与を行っています。

その結果、
ネズミノロウイルスに感染させたマウス群は、
ウイルス感染の無いマウス群と比べて
腸の炎症からの回復が早かったことが確認されました。


ちなみに、このネズミノロウイルスは、
人にウイルス性急性胃腸炎を起こすノロウイルスに近い種です。


ウイルスが
生体の健康維持にも有益に関わっていることが
少しずつ、証明されてきているのです。


常在ウイルスは
常在菌と同じように身体に必要な働きをしているのです。


現在コンピューターによる解析が発達して
生体には多種多様な細菌がいて
それらが人の身体を正常に保つ助けをしていることが理解されてきました。
菌は、人が生きていく上で必要不可欠の存在だったのです。

これは、現在、マイクロバイオームMicrobiomeと呼ばれています。


これと同じように
ウイルスも人が生きていく上で重要なハタラキを担っていて
ヴァイロバイオームVirobiomeが発見されるのももうすぐでしょう。



またウイルスを利用して
超小型バッテリーの寿命や出力を飛躍的に伸ばす技術なども
確立されつつあります。


ウイルスは未知のものだから
敵という非常に視野の狭い考え方は
この先、間違った方向へと人類を向かわせる可能性もあります。

      (http://shindenforest.blog.jp/archives/73195574.html

           <感謝合掌 令和2年8月17日 頓首再拝>

ローマ帝国を崩壊させた「感染症」とは? - 伝統

2020/10/11 (Sun) 17:50:09


       *Web: デイリーBOOKウォッチ(2020/2/28)より

皇帝マルクス・アウレリウス・アントニヌス(121~180)のお抱え医師、
ガレノスが当時蔓延した疫病について詳細な記録を残していた。

この疫病は165年から167年にかけてメソポタミアからローマに到達したとされている。

 
本書「世界史を変えた13の病」では、まず当時のローマの衛生状態が記されている。

公衆トイレはあったものの、
公共下水道につながっている個人住宅はほとんどなかった。
排泄物はそのまま通りに捨てられていた。

人々は浴場を利用していたが、殺菌されていなかった。
マラリアや腸チフス、赤痢、肝炎などがしばしば蔓延した。


《総死亡者数は1000万人を超えた》
 
ガレノスは新たにローマを襲った疫病について次のように書き残している。

   「患者は突然全身に小さな赤い斑点が現れ、一日か二日後に発疹に変化する。
    その後二週間、単純疱疹ができたあと、かさぶたになってはがれ、
    全身に灰のような外観が残る」

   「黒い便はその病気の患者の症状で、生き延びるか死亡するかにかかわらず
    ・・・便が黒くなければ、必ず発疹が出た。黒い便を排泄した患者は全員死亡した」
 
多くの患者が血を吐いた。
病人の顔が黒くなれば葬式の準備を始めたほうがいいとも。
もちろん治る患者もいた。

「黒い発疹」が出れば生き延びる可能性がある
この疫病は、今では天然痘だったのではないかと見られている。
総死亡者数は1000万人を超えたのではないかと推定されている。
ローマでは毎日2000人が死んだとも。

ローマ軍の軍人たちも罹患し、軍がガタガタになる。
それに乗じて一時はゲルマン人がローマにまで攻め込んできた。
最終的には押し返したが、ローマ帝国の最強神話がぐらつくきっかけになった。

皇帝マルクス・アウレリウスもこの病気で死んだといわれている。
『ローマ帝国衰亡史』で知られるギボンは、
「古代世界はマルクス・アウレリウス統治時代に降りかかった疫病によって
受けた打撃から二度と回復することはなかった」と書いているという。


《罹患者を火あぶりにするな》

さかのぼれば、紀元前430年にはアテネで疫病が発生。
人口の3分の2が死滅したという。
腺ペストかエボラウイルスによるものだったと見られている。

『戦史』で有名な古代の歴史家トゥキディデスの記述が紹介されている。

 
   「死亡率がどんどん上昇した。死にかけている人が積み重なり、
    半死半生の人間がよろよろと通りをさまよい、
    水を求めて泉という泉に群がった。
    寝泊りしていた聖地にも、そこで死んだ人々の死体があふれた。
    疫病が蔓延し、自分の行く末がわからなくなると、
    神聖だとか冒涜だとか、何もかもどうでもよくなったのだ」
 
このようにギリシャ文明もローマ文明も、疫病によって土台が揺らぎ、
崩壊に向かったことを本書は伝える。

古代の都市はおおむね城塞でおおわれていたから、
その内部では疫病が持ち込まれると、短期間で蔓延したに違いない。

今回のクルーズ船の姿とも重なる。

著者のジェニファー・ライトさんはニューヨーク在住の作家。
医学史の研究者ではないが、巻末に膨大な参照資料のリストが掲載されている。

著者は、人類が疫病にすばやく対処できるかどうかは、
医師や科学者の努力だけにかかっているわけではないと強調する。


   「罹患者を罪人と見なして、文字どおりにしろ比喩的にしろ
    火あぶりにしてはならない・・・だが、新たな疫病が発生したとき、
    わたしたちは300年前と全く同じ過ちを犯す」

   (https://books.j-cast.com/2020/02/28011001.html

           <感謝合掌 令和2年10月11日 頓首再拝>

この世界はウイルスでできている - 伝統

2020/10/24 (Sat) 23:32:09

この世界はウイルスでできている/武村政春氏(東京理科大学理学部教授)

      *Web:ビデオニュース・ドットコム(2020.05.02)より抜粋

そもそもウイルスが”物”だということを、
どれほどの人が知っているだろうか。

そう、ウイルスは自分自身では増えることができないので、
”生き物”ではなく、あくまで”物”なのだそうだ。

そしてウイルスは宿主(しゅくしゅ)を見つけてその細胞に入り込み、
その中で増殖することによってのみ自らの子孫を残すことができる。

だから、われわれから見ると”感染”に当たるものが、
ウイルスにとっては自分の遺伝子を増やす唯一の手段、
言うなれば再生産活動なのだ。

ただし、地球上には
全ての生物の細胞の数を合わせた以上のウイルスが存在する。
空気中にも水道水の中にも食べ物の中にも、無数のウイルスが存在する。

そのほとんどは人間には無害なもので、
そのうちほんの一握りのウイルスだけが、
人間に害を及ぼす病原性を持っている。


人間主体で考えるとウイルスは厄介な存在かもしれないが、
ウイルス目線で見るとむしろ地球の主役はウイルスの方であって、
ウイルスにとって人間もたまには役に立つことがある程度の存在になるらしい。

 
ウイルスは自分の意思を持たないので、
ウイルスにとって”感染”というのは、どこかを浮遊していて
、何かのタイミングである動物細胞に接触した時、
たまたまそれが何億、何兆分の1の可能性で”吸着”できた時に
起きる現象ということになる。

ウイルスが他の生物の細胞に吸着できるかどうかは、
ウイルス表面の形状と、その生物の細胞表面の物理的な形状が
うまく噛み合うかどうかに依存するところが大きいのだそうだ。

ウイルスが専門の武村政春・東京理科大教授によると、
これは誰かが適当に鍵を振り回していたら、
偶然それがすっぽり入る鍵穴にはまったというほどの、
奇跡的と言っても過言ではないほどの偶然の産物なのだそうだ。

 
しかし、その偶然の結果、新型コロナウイルスは
人間の細胞に入り込む鍵穴を見つけてしまった。

ウイルスには意思はないので、見つけてしまったというよりも、
ウイルス側の鍵が人間が持つ鍵穴に何かの偶然で
はまってしまったというべきなのかもしれない。

その偶然の結果、もはやこのウイルスと人間は遭遇してしまい、
しかも人間という生き物は不顕性感染などという形で
症状が出ないまま感染者を増やすことが可能なため、
このウイルスにとってはとても好都合な宿主だったことになる。

しかし、一度出会ってしまった以上、
もう二度と出会う前の世界に戻ることはできない。

巨大ウイルスを専門に研究する武村氏はウイルスが
生物の進化の鍵を握っている可能性があり、
ウイルスの存在があったからこそ、
現在の人類が存在するといっても過言ではないと語る。

無論、病原性のあるウイルスについては
致死率を下げる努力をしなければならないが、
ウイルスを頭ごなしに悪い存在と位置づけ、
これを撲滅すべき対象としてしか見れなくなってしまうと、
大局を見誤るのではないかと武村氏は言う。

戦うにしても、共存するにしても、まずは敵を知ることが大切だ。

  (https://news.yahoo.co.jp/articles/3b6bac313151260a92042ad6b82f4031c751039e

           <感謝合掌 令和2年10月24日 頓首再拝>

新型コロナ超えるパンデミック、自然破壊により今後頻発の恐れ - 伝統

2020/11/04 (Wed) 13:21:46

新型コロナ超えるパンデミック、自然破壊により今後頻発の恐れ 専門家報告

       *Web:AFPBB News (2020.10.30)より

人間が自然界との付き合い方を変えない限り、
新型コロナウイルス感染症(COVID-19)よりも多くの死者を出し、
世界経済に深刻な悪影響を及ぼすパンデミック(世界的な大流行)が
頻発するようになると、国連(UN)の専門家組織が29日、警告を発した。


「生物多様性および生態系サービスに関する政府間科学政策
プラットフォーム(IPBES)」の特別報告によると、

新型コロナウイルスのように動物を宿主とし、
ヒト感染の恐れのあるウイルスは現在、最大85万種が存在する。

生物多様性とパンデミックに関する特別報告書の執筆者らは、
動物たちの生息地が破壊され、消費活動が拡大を続けていけば、
動物由来の感染症がヒトに感染する確率は今後、
これまでよりずっと高まると指摘。

パンデミックは人類の「存続に関わる脅威」を表していると述べている。


感染症予防に取り組む国際NPO
「エコヘルス・アライアンス(Ecohealth Alliance)」の代表で、
特別報告書を作成したIPBES専門家ワークショップを取りまとめた
ピーター・ダザック(Peter Daszak)氏は、

「気候変動と生物多様性の損失を引き起こす人間活動が、
農業への影響を介してパンデミック発生の危険性をもたらす」と語った。

IPBESはCOVID-19について、1918年のインフルエンザ(いわゆるスペイン風邪)
大流行から数えて6つ目のパンデミックだとした上で、
その全ては「完全に人間の活動が引き起こしたものだ」と指摘した。

こうした人間活動には森林伐採や農地開拓、野生生物の取引と消費
といった持続可能でない開発が含まれ、いずれも動物と人間との
濃厚接触の機会を増やし、動物の保有する病気と人間との距離を
縮めることにつながっている。

IPBESは、毎年5つ前後の新たな感染症がヒト間で発生し、
そのどれもがパンデミックに発展する可能性があると警鐘を鳴らしている。

 第一線の専門家22人が参加してリモート形式で開催された
IPBES専門家ワークショップでは、パンデミック再発リスクを低減するため
各国政府が取れる対策も取りまとめられた。

https://news.yahoo.co.jp/articles/bf419695c508ab2eea8e9d1b469f3529cf01b791

・・・

<参照>
伊勢ー白山 道(2020-10-30 )
こまめな手の洗浄と、寝る前の歯磨きが命を分ける時節
https://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/e/5be6b1594dfb00e79dc9156e755ab737

           <感謝合掌 令和2年11月4日 頓首再拝>

ウイルスと人間 - 伝統

2020/11/20 (Fri) 12:28:39


     *Web:正食医学(第102回)より

《ウイルスは生命の進化に不可避的な一部》

信頼する学者の一人に福岡伸一さんがいます。
生物学者である福岡さんの命に対する洞察は深く、
東洋の叡智である無双原理( 易)にも通じ、興味深いのです。

その福岡さんが4月3日の朝日新聞に
「ウイルスは生命の進化に不可避的な一部」と題する記事を寄稿していました。
非常に重要な内容だったので、要約して紹介したいと思います。


ウイルスは自己複製だけしている利己的な存在ではなく、
むしろ利他的な存在であるといいます。

ウイルスは自らの内部の遺伝物質を私たちの細胞内に注入するというのですが、
それはウイルスが一方的に私たちに襲い掛かってくるのではなく、
私たちが極めて積極的にウイルスを招き入れているというのです。


これはどういうことかというと、
ウイルスの起源をみるとよくわかるといいます。

ウイルスは高等生物が登場した後に現れたというのです。
それも、高等生物の遺伝子の一部が外部に飛び出したものがウイルスであると。
つまり、ウイルスはもともと私たちのものだったのです。

それが家出をし、再びどこからかれてきた家出人を、
宿主である私たちは優しく迎え入れているのです。

なぜそのようなことをするのかというと、
ウイルスこそが進化を加速してくれるからだというのです。

流親から子に遺伝する情報は垂直方向にしか伝わりません。
しかし、ウイルスのような存在があれば、情報は水平方向に、
場合によっては種を越えて、立体的にさえ伝達しうる。

子育てに置き換えて考えたらよく分かります。
親だけの価値観を植え付けていたのでは親のコピー人間にしかなりませんが、
多様な人たちに関わることによって、
個性豊かな人物になっていくのと同じかもしれません。


ウイルスという存在が進化のプロセスで温存されたといいます。
私たちに全く気付かれず私たちの内部に潜り込むウイルスは
数多く存在しているようです。

現に、新型コロナウイルスが出現する前と今の世界の死亡率は変化していないのです。

ウイルスの活動は、時に私たちに病気をもたらし、死をもたらすこともあります。

しかし、ウイルスからもたらされる遺伝情報がなければ、
私たち人間はこれほどまでに多様な生き方ができなかったのです。

今の私たちの存在は、ウイルスなしには成り立たなかったのです。

時にウイルスが病気や死をもたらすことですら
利他的な行為といえるかもしれないのです。

病気は免疫システムのバランスを揺らしますが、
同時にそれは新しい調和を求めることに役立つのです。

環境の変化に対応するのが病気であり、
それを担っているのがウイルスなのです。


ウイルスは私たち生命の不可避的な一部であるがゆえに、
それを根絶したり撲滅したりすることはできません。

私たちはこれまでも、これからもウイルスを受け入れ、
共に調和的に生きていくしかないのです。



《感染症と動物食》

テレビ、新聞、インターネットなど、情報という情報から
新型コロナウイルスの地球規模での感染が広がっているようです。

(中略)

とはいえ病院に多くの患者が押しかけたら、
世間で言われるような医療崩壊が起こってもおかしくはないでしょう。


新型コロナウイルスの問題の底辺にあるのが
私たちの生き方ではないかと思います。

身体の症状が出たら何でも病院に行くという姿勢では病気は治るべくもないのです。

病は本質的には自分で治す以外にはないのです。
自らの治癒力を免疫力とも自然治癒力ともいいますが、
この力を信じて高める以外に、病は治らないのです。

むしろ、病は身体を良くしようという働きで現れていますから、
病という体の働きを邪魔しないことが何より大切なのです。


感染症が蔓延した歴史は枚挙にいとまがありません。
天然痘は仏教伝来とともに大陸から日本に入ってきたとされ、
奈良時代には平城京で大流行したといわれています。

コロンブスの新大陸発見以降も様々な伝染病が旧大陸から持ち込まれ、
先住民が壊滅的被害を受けたとも伝えられています。

中世ヨーロッパがペストの流行で壊滅的状況に陥ったのも、
主要国の都市同士で人の往来が活発化したところにアジアから菌が持ち込まれ、
一気に広がったそうです。


今回の新型コロナウイルスの広がりも世界の交流が活発になり、
世界がひとつになりつつある状況下で引き起こされています。

私たちは国や都市、そして私たち一人ひとりが、
様々な形でつながる開放系の社会の中で生きています。
近年の歴史も開放系社会の構築そのものが歴史になっています。

ウイルスを専門とする多くの学者は
「感染症との戦いは開放系社会の宿命」と言っています。


人と人の交流は気の交流であり、
それが濃密になれば血液の交流になりさえします。

放系社会に暮らす私たちは、開放しても差し支えない、
周りの人に振りまいても問題のない、
そんな気を振りまかなくてはなりません。

食養的に考えると気は血から生まれています。
力(ちから)は「血から」といわれています。

病原ウイルスが繁殖するような血液を持っていたら、
開放系社会では社会全体の問題にまで広がってしまうことを
新型コロナウイルスが教えてくれているのではないでしょうか。

世界はひとつになりつつあります。
先に紹介したように、ウイルスは生命の進化を促すものです。
世界がより良く一つになるためにウイルスは働いているのではないかと思うのです。

は、身土不二という自然を無視した食生活から造られる血液ではないか
と私は考えています。

今回の新型コロナウイルスの感染が拡大している地域をみると肉食が多いのです。
陰陽( 無双原理)で見れば、陽性な人間と陽性な動物は結ばれないのです。

生物学的には人間は動物ですから、植物に比べたら陽性です。
その陽性な動物である人間が陽性な動物を食すことにはどうしても無理があるのです。

感染症は動物食からの警告と言ってもいいでしょう。

http://www.ci-kyokai.jp/web_backnumber/seishokuigaku202006.html

<参照動画>
「マクロビオティック講師からのメッセージ」③ 磯貝昌寛
https://www.youtube.com/watch?v=KYFN4foXxh4

           <感謝合掌 令和2年11月20日 頓首再拝>

【感染症を日本史から見る】 - 伝統

2020/12/07 (Mon) 22:42:15


        *メルマガ「人の心に灯をともす」(2020.12.07)より

   (国際日本文化研究センター准教授、
    磯田道史(みちふみ)氏の心に響く言葉より… )

   「鎖国」は、感染症流行に一定の抑止効果をもったはずです。

   ただ、その鎖国下でも、
   「天然痘」や「コレラ」などが侵入してきました。

   今から約200年前の文政5(1822)年、
   コレラの世界的な大流行が日本をも襲いました。

   原因不明の伝染病が九州から広がり、
   その後、オランダ商人が持ち込んだことが分かり、
   音訳して「これら」「ころり」などと称されました。


   今回の新型コロナも、海外からの帰国者の多い東京で
   感染者が多く報告されていますが、

   この時代は、外の世界との窓口だった長崎が
   “感染症の玄関口”にもなりました。

   京都府立大の東昇氏の研究『近代の村と地域情報』(吉川弘文館)
   によれば、長崎に近い天草の高浜村では、
   村人が「隔離小屋」を設けたようで、
   私も昔、東氏とこの村を調査したことがあります。


   文政の流行から36年後、安政(1858)年に、
   コレラが再び日本を襲いました。

   この時も長崎に寄港した「ペリー艦隊」から感染が広がっていて、
   石弘之氏はこう述べています。

   「1858年には、ペリー艦隊の1隻のミシシッピ号に
    コレラに感染した乗組員がいたため、
    長崎に寄港したときにコレラが発生した。

    8月には江戸に飛び火して3万人とも26万人ともいわれる死者が出た。

    その後3年間にわたって流行した。


    その怨みは黒船や異国人に向けられ、
    開国が感染症を招いたとして攘夷思想が高まる一因になった」
                         (『感染症の世界史』)


   攘夷思想の背景には「西洋=病原菌」とみる状況があり、
   これが日本史を動かすエネルギーになった面があります。

   この時、コレラと闘った幕末の蘭学医たちの気概には頭が下がります。

   洋学塾を開き、天然痘予防に貢献した緒方洪庵は、
   「事に臨んで賤丈夫(せんじょうふ)となるなかれ」と弟子たちを鼓舞。

   弟子たちは往診に奔走、死者も出ました。

   洪庵のもとには、「誰々が討ち死」という手紙が来ました。



   また、今から100年前の1918〜1920年、
   全世界で大流行した「スペイン風邪」が日本をも襲いました。

   今回の新型コロナウイルスを考える上で、
   スペイン風邪は、最も重要な“参考例”になるでしょう。


   速水融氏はこう述べています。

   『「スペイン・インフルエンザ」は日本に3回やってきた。

   第一波は大正7(1918)年5月から7月で、
   高熱で寝込む者は何人かいたが、死者を出すには至らなかった。

   これを「春の先触れ」と呼んでいる。


   第二波は、大正7年10月から翌年5月ころまでで、26.6万人の死亡者を出した。

   これを「前流行」と呼んでいる。

   大正7年11月は最も猛威を振るい、学校の休校、交通・通信に障害が出た。
   死者は、翌年1月に集中し、火葬場が大混乱になるほどであった。

 
   第三波(後流行)は、大正8(1919)年12月から翌年5月ころまでで、
   死者は18.7万人である。

   「前流行」では、死亡率は相対的に低かったが、
   多数の罹患者(りかんしゃ)が出たので、死亡率は多かった。

   「後流行」では罹患者は少なかったが、その5%が死亡した。

   このように、インフルエンザは決して1年では終わらず、
   流行を繰り返し、その内容を変えている。
           (「スペイン・インフルエンザ」から何を学ぶか)


   磯田氏は、「人類が直面してきた最大の脅威」は、
   多くの人々が命を落とす点では、戦争、地震や洪水などの
   自然災害があるが、最も恐ろしいのは感染症だという。

   最も確実にやってきて、最も多くの死者を出してきたのが
   「ウイルスによるパンデミック」だからだ。

   ウイルスによるパンデミックは、
   自然災害に比べて、より頻繁に発生している。

   1918年の「スペイン風邪」、
   1958年の「アジア風邪」、
   1968年の「香港風邪」、

   2009年の新型インフルエンザ、
   そして今回の新型コロナウイルス。

   さらにはエイズやエボラ出血熱、SARS、MERSなどを加えると、
   数十年に一度の頻度で起こっている。


   スペイン風邪が起きた当時の世界人口は約18億にんだが、
   少なくともその半数から3分の1が感染し、
   死亡率は地域によって10〜20%になり、
   世界人口の3〜5%が死亡したと言われている。

   つまり、全世界で5千万人以上もの人々が命を落としたという。

        <『感染症の日本史』文春新書
              https://amzn.to/3mO06Kp >

             ・・・

神社では境内に必ず「手水舎(てみずや・ちょうずや)」がある。
拝礼の前に手を洗い、口をすすいで身を清める場所のことだ。

また、神道には、「禊(みそぎ)」という、水浴の行為がある。
自らの罪や穢(けが)れを落とし、不浄を取り除く祓(はら)えの行事だ。


そして、6月30日には「夏越の祓(なごしのはらえ)」という神事がある。
一年の半分にあたる6月晦日(みそか)に行われ、半年分の罪穢れを落とし、
健康と厄除けを祈願し、茅の輪(ちのわ)という萱で(かや)や
ワラでつくた大きな輪を、くぐる。


こんな神話がある。

スサノオノミコトが旅の途中で宿を借りた。

それが備後国(びんごのくに・広島県のあたり)の
蘇民将来(そみんしょうらい)の家だった。

貧しいにも関わらず、喜んでスサノオノミコトをもてなした。

数年後、再び蘇民将来のもとを訪れたスサノオノミコトは、
「疫病を逃れるために、茅の輪を腰につけなさい」と教えたという。

教えを守った蘇民将来は疫病を逃れることができた。

その後、それが茅の輪くぐりの神事になったという。

茅の輪をくぐるとき、祝詞を唱えるが、
その時、蘇民将来の子孫だと言えば、難を逃れられるという。


また、外と内を分けるのが鳥居だ。

神域と人間が住む俗界を分ける結界(けっかい)でもある。

神聖なものと不浄なものを分けるという考え方。

それが、一般家庭でも、外から帰ってきたら、
靴を脱ぎ、家のなかと分ける、という習慣にもつながっている。


手洗いもうがいも、神道では昔から行われてきた。

靴を脱いで家に上がるというのは、
外の不浄なもの(疫病など)を家の中に持ち込まない
という極めて合理的で衛生的な考え方だ。

古来より日本人は、そういう衛生観念を受け継いできた。


古来よりの知恵を生かしながら、
このコロナ禍という国難を乗り越えていきたい。

           <感謝合掌 令和2年12月7日 頓首再拝>

まだ病原菌と戦うのか? コレラ菌の戦略 - 伝統

2021/01/17 (Sun) 14:42:39

       *Web:ひかたま(光の魂たち)(2021年01月11日)より

細菌って
ただ小さくて増殖を繰り返すだけの病原体だと思っている人は多いと思います。

最近、研究が進むにつれて、菌が生き残っていくために
さまざまな戦略を使っていることが判明しています。


今日は、コレラ菌の話です。

現在では、治療法の確立によって
それほど怖い病気ではなくなってきたものの

昔から繰り返し大流行し、多くの犠牲者を出してきた怖い菌です。

つい最近では、ハイチの大震災の数年後に
国際連合平和維持軍PKOがネパールから持ち込んでしまったコレラ菌によって
多数の犠牲者が出てしまいました。

当時の報道では、日本が1200人がコレラの犠牲とだけ軽く報道していた頃に、
現地の報道では、年内に40万人が感染し、6万人が死亡すると予測がでていて
報道の差を感じたものです。

実際に、かなりの犠牲者が出ました。

コレラ菌は、現在205 種類のコレラ菌が確認されています。

すべてのコレラ菌が怖いように誤解されていますが、
この中で、コレラを発症するのは、
コレラ毒素を出す種であるO1 とO139 の2種だけです。

強毒性を持つこの2種だけが、コレラ症の原因となります。

このコレラ菌(O1またはO139)で汚染された水や食物を
摂取することによって感染します。

飲食により体内に取り込まれたコレラ菌の一部は
胃の酸性環境で死滅しないで生き残り、小腸に達して定着・増殖していきます。

そこで菌がコレラ毒素を産生して
下痢や脱水症状などのコレラの症状を引き起こします。

コレラ菌を摂取した人が全員重症になるわけではなく、
全く症状が出ない人もいます。

重症化してしまうのは、感染者20人に1人くらいです。

それでも、一昔前までは、
感染すると多くの人が死亡してしまうとても怖い病気でした。

当時は、病院での医学的な治療よりも
ホメオパシー治療の方が圧倒的に治癒していました。
それは、ホメオパシーが自己治癒力を強めてくれる治療法だからです。


1831年のコレラ流行の時には、 
当時の一般治療では、1501人中640人死亡、ホメオパシー治療では、154人中6人死亡。
 
ロシアでの病院の治療では、致死率が60%を超えていましたが
ホメオパシー治療を受けた人では、1270人中108人死亡。

後の調査ではコレラ患者全体の死亡率が、59% だったのに対して
ホメオパシー治療を受けた患者の死亡率は、9%
という調査報告結果が発表されています。


ロンドン
1854年に英国でコレラが大流行したときには、
一般病院の治療での死亡率は、46%
ホメオパシー病院では最も重症者の多い地区で治療して、死亡率は、19%でした。


コレラ菌は、人の小腸内でのみ増殖することができて、
自然界では増殖を抑えた休眠状態になっていて、
しかも、長期間生存できないと言われています。

最近の研究で
コレラ菌が人の小腸内で強毒性を獲得していく過程が少しずつ判明してきました。


コレラ菌には、必要な時に出てくる針のような器官があり、
それを使って、菌自身の周辺にいる腸内細菌たちを殺していき、
細菌内部からDNAを引きずり出して、自分に取り入れていたのです。

コレラ菌のDNAを調査した結果、
20を超える腸内細菌たちのDNAの断片が含まれていた事が判明しています。

このようなDNA取り込みによって
強毒性を持つコレラ菌ができてくるようです。

あんなに小さな細菌が生き残り、強さを増していくために
こんなすごい戦略を持っているのです。

最近では病原菌も人気が出て
コレラ菌のぬいぐるみやカーペットなども販売されています。

それだけではなく、
病気の時に出る排泄物系も人気だそうです。

これは、鼻くそ、膿、耳垢などのぬいぐるみです。

ギフトとしても人気なのです。


さて、最後に十九世紀に行われたコレラ菌論争について書いておきます。

この論争が、現代の過剰な除菌信仰の始まりとなっています。

細菌学の権威であったロベ〇ト・コッホ医師は、
「コレラになるのは、コレラ菌が犯人である。」と断言しました。

  *〇:ル

そのため
コレラ菌を徹底して潰せば、コレラは発症しないと主張しました。


これに対して
衛生学者であったマックス・フォン・ペッテンコーファーは、
「コレラ菌が悪いのではなく、
環境やそれに影響される人の免疫力、コレラ菌が複合したときにコレラが発症する。」
と主張しました。

つまり、コレラ菌がいても、
人の免疫力や衛生環境が整えば発病しない、ということ。



そして、ペッテンコーファーは
自ら大量のコレラ菌の入った水を飲み干して、
コレラに罹らないことを証明したのです。



今、再び同じようなことが起きています。

「コロナウイルスが悪い。」というウイルス犯人説が
ほとんどの人の考えになってしまっています。


でも、ちゃんとした生活を心がけている人にとっては
新型コロナウイルスは単なる風邪です。

健康体にはほぼ無害なのです。

身体を弱アルカリ性に保っていれば
いくらウイルスが身体に入っても発病しません。

それがなぜか
薬やワクチンに頼ろうとする声が圧倒的に多くなってしまっています。

なぜ、
自分の身体を自分で健全にしようとしないのか
本当に不思議に思います。

これから、さまざまなウイルスが出てくるたびに
他力本願でおびえ続けるのでしょうか。

コロナと戦う、という姿勢が浸透してしまっています。

でも、歴代コロナにもコレラ菌にも
その他の細菌やウイルスにも、人類は勝てないのです。

なぜ共存の道を選んで
自らを健全にすることを考えないのでしょうか。

ペッテンコーファーは身をもって
共存できることを証明しました。

自然界の摂理は共存共栄。

共存すれば、
病原体には、人はもっと心身共に強健にする役割があることを
再認識するはずです。

http://shindenforest.blog.jp/archives/83803985.html

           <感謝合掌 令和3年1月17日 頓首再拝>

人口の1/3が死んだ「黒死病」はいかに社会を変えたか - 伝統

2021/01/24 (Sun) 14:35:53

人口の1/3が死んだ「黒死病」はいかに社会を変えたか【感染症、歴史の教訓】

         *Web:NATIONAL GEOGRAPHIC(2021.01.23)より抜粋

(1)歴史上、黒死病の大きなパンデミックは3度あった。
   1665年の英国ロンドンや19世紀~20世紀にかけても猛威を振るったが、
   史上最悪の規模となったのは1347年から1351年にかけて
   ヨーロッパを襲った黒死病だ。

   なんと当時の欧州の人口の3分の1が命を落としたとされる。

(2)交易路を介して、最初に感染が広まったのは大きな商業都市だった。
   そこから近隣の町や村へと放散し、さらに田舎へと広がった。

(3)ペスト菌が人々の家庭に忍び込むと、16~23日後になってようやく発症し、
   その3~5日後には患者が死亡する。

   コミュニティーが危険に気づくのはさらに1週間後で、
   その頃にはもう手遅れだ。

(4)人口が激減したのは、黒死病に罹患した人々が死亡しただけでなく、
   畑や家畜や家族の世話をする人がいなくなり、
   広い範囲で社会が崩壊したからだった。

(5)パンデミック後の数十年間は労働力不足により賃金が高騰した。
   かつての肥沃な農地の多くが牧場になり、
   丸ごと打ち捨てられる村もあった。

(6)とはいえ、悪い面ばかりではなかった。
   地方から都市に向かって大規模な移住が起きたため、
   都市は比較的速やかに回復し、商業は活気を取り戻した。

   田舎に残った農民は遊休地を手に入れ、
   土地を持つ農民の権力が増し、農村経済が活性化した。

https://news.yahoo.co.jp/articles/0533dc53e30e92b93bd76e2d7f572605b0f61c84

           <感謝合掌 令和3年1月24日 頓首再拝>

ウイルスこそが人類の進化を加速してくれる - 伝統

2021/05/08 (Sat) 13:36:51


        *Web:いたるところに拝殿あり(2020-04-05)より抜粋

歌人で細胞生物学者の永田和宏さんのインタヴュー記事より

(読売朝刊、令和2年4月25日)

「我々の遺伝子にもウイルス由来のものがあります。
 例えば、胎盤が機能するのに必須のシンチシンというたんぱく質は
 ウイルスに由来します。

 人間は、ウイルスの助けを借りて子どもを産むということです。

 『ウイルスは敵』と思いがちですが、ウイルスの情報を
 自分の遺伝子の一部としてため込んでいるのが人間という存在。

 人間はウイルスとずっと共生してきた。
 ウイルスは撲滅しようとしても駄目で、いかに共生を図るか。

 ウイルスとの共生はいまだ道半ばかもしれません」

             ・・・

青山学院大学教授で生物学者の福岡伸一さんのお話より(朝日新聞4/6)

「ウイルスは構造の単純さゆえ、生命発生の初源から存在したかといえば
 そうではなく、進化の結果、高等生物が登場したあと、
 はじめてウイルスは現れた。

 高等生物の遺伝子の一部が、外部に飛び出したものとして。

 つまり、ウイルスはもともと私たちのものだった。
 それが家出し、また、どこかから流れてきた家出人を
 宿主は優しく迎え入れているのだ。

 なぜそんなことをするのか。
 それはおそらくウイルスこそが進化を加速してくれるからだ。

 親から子に遺伝する情報は垂直方向にしか伝わらない。
 しかしウイルスのような存在があれば、情報は水平方向に、
 場合によっては種を超えてさえ伝達しうる。

 それゆえウイルスという存在が進化のプロセスで温存されたのだ。
 おそらく宿主に全く気づかれることなく、行き来を繰り返し、
 さまようウイルスは数多く存在していることだろう。」


「かくしてウイルスは私たち生命の不可避的な一部であるがゆえに、
 それを根絶したり撲滅したりすることはできない。
 私たちはこれまっでも、これからもウイルスを受け入れ、
 共に動的平衡を生きていくしかない。」

(「動的平衡」とはー生物のあらゆる組織や細胞は日々新たにつくられ
 更新され続けている。

 常に変わりつつ一定のバランス状態を保っている。

 こうした生命の在り方を1937年にシェーンハイマ―という学者が
 「動的平衡」と名づけた。)

https://ameblo.jp/hetimanomatihe/entry-12587419589.html

           <感謝合掌 令和3年5月8日 頓首再拝>

奈良時代の疫病対策 - 伝統

2021/05/29 (Sat) 13:50:27


       *Web:文化庁広報誌「ぶんかり」(2020年7月22日)より

現在,私たちは新型コロナウイルス感染症という目に見えないウイルスと
闘っていますが、奈良時代の人々も天然痘とみられる疫病と闘っていました。

特に,天平9年(737)の大流行では、たくさんの死者がでたほか、
時の権力者である藤原四兄弟
(武智麻呂むちまろ・房前ふささき・宇合うまかい・麻呂まろ)の命を
次々と奪いました。


発掘調査によって,古代の人々は,この災難に,まじないや人形(ひとがた)、
土ど馬ばなどを用いて立ち向かったことがあきらかになっています。

いま、新型コロナウイルス感染症と闘う私たちに、
平城京から出土した遺物たちは、多くのことを語りかけてくれます。

朱雀門の前を東西に走る二条大路の路面に掘られた長大なゴミ捨て穴からは、
おびただしい量の土器や木簡などが見つかりました。

上の木簡には、「南山のふもとに、流れざる川あり。その中に一匹の大蛇あり。
九つの頭を持ち、尾は一つ。唐鬼以外は食べない。朝に三千、暮れに八百。
急急如律令。」といった内容が書かれています。

唐鬼とは中国で疫病の原因と考えられていた瘧鬼(ぎゃくき)を指すとみられ,
九頭の蛇に瘧鬼をたくさん食べてもらおうと願いを込めた呪符と考えられます。


ゴミ捨て穴からは、呪符木簡のほかにも様々な祭祀具が出土しています。


人の形をした木製の人形は、自分の身代わりとして
穢れや病気をうつしたと考えられています。

土で作った焼きものである土馬は、脚が折れた状態でみつかることが多い
ことから、この馬は病気をもたらす疫病神の乗り物で、
疫病神が病気を広めないように、わざと脚を折って水に流した
という説があります。


また、人面墨書土器を用いた祭祀も流行します。
これは、墨で人の顔が描かれた土器の中に息を吹き入れて
水に流す祭祀ですが、
その土器は平城宮内からはほとんど出土しません。

しかし、平城京では下級官人や商人などが多く住んだエリアで
たくさん出土します。

このことから、人面墨書土器による祭祀は、
一般庶民の間で流行した疫病対策だったと考えられます。

このように、出土した遺物たちは、身分に関わらず、
奈良時代の人々が何とかして疫病に打ち勝とうとした様子を表しています。


いま、江戸時代の妖怪「アマビエ」が注目されていますが、
呪符木簡、人形、土馬、人面墨書土器は奈良時代のアマビエといえる
のではないでしょうか。

https://www.bunka.go.jp/prmagazine/rensai/bunkazai/bunkazai_074.html

           <感謝合掌 令和3年5月29日 頓首再拝>

人類は800年間も「ウィズコロナ」をやってきた!? - 伝統

2021/06/03 (Thu) 13:20:29


         *Web:VOICE(2021.06.03)より抜粋

本稿は、宮沢孝幸 著『京大 おどろきのウイルス学講義』(PHP新書)
より一部抜粋・編集したものです。


《人類は鎌倉時代から「ウィズコロナ」?》

「新型コロナウイルスはいつ終息しますか?」と
聞かれることがあるのですが、よくわかりません。
何十年間も続くかもしれません。


風邪のコロナウイルス229Eは、1968年に発見されました。
それ以降、毎年、病気を起こしています。
52年経った今でも風邪を引き起こしていますので、
新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)も、
今後50年くらいは続いてもまったく不思議ではない。


「ウィズコロナ」と言われていますが、我々は少なくとも52年間は、
「ウィズコロナ」をしてきました。

風邪コロナウイルスのNL63に至っては、
13世紀頃に発生したと推測されています。
日本で言うと、鎌倉時代あたりに生まれたコロナウイルスです。


古文書に詳しい人に聞いたところ、平安時代にはすでに
インフルエンザのような疫病が流行したと思われる記述があるそうです。

古文書のデータベースがあり、検索できるそうですから、
一度調べてみたいと思っています。

もし、古文書の当時の記述に、「味がわからないようになった」とか
「砂を噛むような感じがした」という記述があったとすれば、
NL63のコロナウイルスだった可能性がありますね。


ちなみに、なぜNL63が13世紀頃に発生したと推測されているかと言えば、
変異のスピードの計算に基づいています。

ウイルスの変異のスピードを調べることによって、
いつ頃そのウイルスが生まれたかを推測できるんです。

変異のスピードから計算をすると、
他のウイルスから分かれてNL63という新しいウイルスになったのが
約800年前と計算できるわけです。

「コロナウイルスは変異が速い」と誤解されていますが、
コロナウイルスの変異のスピードは決して速くはありません。

52年前に誕生した229Eコロナウイルスは、
ほぼ同じウイルスが今でも毎年流行しています。

2本鎖のDNAウイルスと比べると1本鎖のRNAウイルスは
変異のスピードが速いのですが、RNAウイルスの中では、
コロナウイルスは変異のスピードが遅いウイルスです。

RNAウイルスの中でも、変異の速いヒト免疫不全ウイルス(HIV)
(エイズの原因ウイルス)はバリエーションがとても多く、

変異が遅いコロナウイルスのバリエーションは
同一ウイルス内ではHIVほどではありません。


《「新型コロナウイルス」は、「未知」と言うほどでもない》

(1)今回のSARS-CoV-2は、2002~03年のSARSウイルスの
   RNAの配列と酷似しています。

(2)ウイルス学を専門としない学者の中には
   「未知のウイルス」と言っている人もいますが、
   ウイルス学的に言えば、既知のウイルスです。
   既知すぎるくらい既知です。

(3)SARS-CoV-2に感染して肺炎になった人の胸部CT画像が白っぽく、
   すりガラス状になっていたと報告されています。
   しかし、この病態がSARS-CoV-2に特有のものかどうかは
   はっきりとしていません。

   「ウイルス性肺炎」と確認されたとしても、
   どのウイルスによって生じた肺炎かが詳細に
   調べられることはまずありません。

   もしかすると、元々のヒトコロナウイルスで肺炎になって
   亡くなった人も、SARS-CoV-2と同じような肺炎を起こしていた
   かもしれません。

(4)SARS-CoV-2に感染して肺炎にかかると、
   回復しても後遺症があると言われています。

   しかし、インフルエンザウイルスで肺炎になったときにも、
   数か月間は後遺症が続くことがあります。

   ウイルス性肺炎は後遺症になることがありますから、
   SARS-CoV-2が特別ということはありません。

(5)SARS-CoV-2は、SARSコロナウイルス1型(SARS-CoV-1)と
   同じ感染受容体(ACE2)を用いています。

   「ACE2を用いているから毒性が強く、肺炎になりやすい」
   というわけではありません。

(6)人類はずっと「ウィズコロナ」をやってきました。
   13世紀にコロナウイルスNL63が誕生していますから、
   800年間も「ウィズコロナ」が続いてるのかもしれません。

   これまでずっとやってきた「ウィズコロナ」を続けていくだけです。

(7)SARS-CoV-2以外にも、別のヒトコロナウイルスが存在していますし、
   動物由来の新たなコロナウイルスが人で流行する可能性もあります。

   私たち人間は動物とともに生きていく以上、常に「ウィズコロナ」です。

https://news.yahoo.co.jp/articles/5cfb3d51abe9a62ba04ecaab2143789b69e20555

           <感謝合掌 令和3年6月3日 頓首再拝>

世界を変えた感染症の歴史 - 伝統

2021/06/25 (Fri) 13:07:13

【世界を変えた感染症の歴史①】想像を絶する人類の戦い
中田敦彦のYouTube大学 - NAKATA UNIVERSITY(2020/03/29)
https://www.youtube.com/watch?v=hv5M4183oF4&t=0s



【世界を変えた感染症の歴史②】感染症を正しく恐れるために歴史に学ぶ
中田敦彦のYouTube大学 - NAKATA UNIVERSITY(2020/03/30)
https://www.youtube.com/watch?v=eljJLc9Fpq8&t=0s

・・・

『怖くて眠れなくなる感染症』
【著者】岡田 晴恵
【発行所】PHP研究所
Web:note
『怖くて眠れなくなる感染症』を読んでみて
なび(2020/04/24 19:53)
https://note.com/nvillage24/n/nf783ffd9a303

           <感謝合掌 令和3年6月25日 頓首再拝>

京大 おどろきのウイルス学講座 - 伝統

2021/09/05 (Sun) 12:56:40


京大 おどろきのウイルス学講座【前編】|
宮沢孝幸(京都大学 ウイルス・再生医科学研究所)|PHP新書

PHP研究所(2021/08/07)
https://www.youtube.com/watch?v=fmBJbERwsF0



京大 おどろきのウイルス学講座【後編】|
宮沢孝幸(京都大学 ウイルス・再生医科学研究所)|PHP新書
PHP研究所(2021/08/31)
https://www.youtube.com/watch?v=PbN32JsWy0E


           <感謝合掌 令和3年9月5日 頓首再拝>

コロナ禍は何かの祟りではないのだろうか? - 伝統

2021/09/14 (Tue) 15:34:38


    *メルマガ「宮崎正弘の国際情勢解題」(2021.09.14)より 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 コロナ禍は何かの祟りではないのだろうか?
  科学も医学も合理主義も、疫病解決に役立っていないではないか
***********************************

疫病大流行。文献的に最古の事例は崇神天皇の御代である。
『古事記』は以下のごとく惨状を書いた。
 
「この天皇(崇神)の御代に疫病多に起こりて人民死にて燼きむとしき。
この天皇愁ひ嘆きたまひと神床に坐しし夜、
大物主大神、御夢に顕れて曰りたまひしく、

『こは我が御心ぞ。故、意富多多泥古(おほたたねこ)をもちて、
我が御前に祀らしめたまはば、神の気起こらず、国安らかに平らぎなむ』
とのりたまひき」(岩波文庫版112p)。

 
疫病は崇神天皇以前にも頻繁に起きていたと考えられるが、
記録としては、崇神天皇の時代が初で、しかも国民の大半が死んだ
との記載があるような猖獗を極めた。
 
神の怒りを懼れ、タケミカツジの子である「おほたたねこ」を神主として、
三輪山に祈祷し、御社を造成したところ、疫病はやんだ。

疫病は神々の祟りという認識が古代人には広くあった。

時代はぐんと下がって聖武天皇の時代、
平城京を仏都として造り替えた功績、大仏殿の造営で知られる聖武天皇は、
じつは平城京の前にいくども遷都している。
 
疫病と災害の原因は祟りだと考えていたからだ。

恭仁京の建設が本格化していた。
しかし地の利、水利など諸条件が揃わず、藤原京、平城京が廃止されたように、
つぎは柴香楽へと遷都する(現在の滋賀県甲賀郡信楽)。

同時に難波にも副都の宮殿を建てていた。

柴香楽宮は放火による山火事で廃棄された。

 
遷都の理由は旧来の風習を打破し、人事を一新し、
守旧派と敵対勢力を追い出すためだったと歴史学者は賢しらに
「科学的に」「合理的に」解釈したが、
かような政治的理由はむろんあっただろう。


しかし一番の動機はじつは疫病対策だった。
そのうえ祟りを懼れての遷都ではなかったのか。

皇位継承をめぐってのだましあい、謀、暗殺が続き、怨霊が漂っていた、
と当時の人々は認識していた。

藤原氏の全盛は中臣鎌足の子、藤原不比等が天皇の外戚となって大活躍し、
陰険な策謀をもって政敵をつぎつぎと冤罪を仕掛けて葬り、
藤原四兄弟は皇子後継をめぐる政争で、最大の政敵だった
長屋王を冤罪をでっち上げて葬った。
 
ところが、疫病は藤原四兄弟もあいついでに葬る。
因果応報、長屋王の祟りだと囁かれた。

この四兄弟の死は、それまで権力の下層で燻っていた
藤原仲麻呂が中央舞台に踊り出す契機ともなった。


▼神社にかわって仏教寺院が祈りの場所となった

天災は豪雨、洪水、河川の氾濫は凶作と飢餓を産みだし、そのうえ疫病である。
国家安泰を祈願するために神道に替わって仏教寺院の造成が急がれ、
神社への祈りが仏教寺院へと祈祷場が変わったことに、
とりわけの留意が必要である。

 
聖武天皇は急激に仏教へ帰依し、全国に国分寺の建設を命じた。
仏教は人々の不安を吸収し、救いをもたらす信仰に置き換わった。

天平六年(734)畿内は大地震に襲われた。
この年に遣唐使が帰国したが、入れ替わりに新羅の使者が太宰府にやってきた。

「凶作によって人々が困窮したところを疫病が襲い、恐るべき大流行をもたらした。
流行は食糧の乏しくなった夏に、まずは太宰府管内からはじまり、
冬までに全国各地に拡がった。
発生地からみて、遣唐使か新羅使が列島社会に持ち込んだものと考えられる」

(吉川真司『聖武天皇と仏都平城京』、講談社学術文庫)。

疫病が外国からもたらされることは古代からの常識であり、
武漢コロナはシナ大陸からやってきた。
梅毒も江戸時代に外国人が持ち込んだ。
 
奈良時代の疫病は三年続いた。
藤原四兄弟が次々に死に、これが僥倖となって
藤原仲麻呂が急激に台頭したことは述べた。


疫病による朝廷の被害は皇族、官吏の三分の一に及んだ。
全国の死亡率は25%から35%とされた。
和泉国で45%、駿河で30−34%、豊後で30−31%が死んだ
という記録は正倉院文書に残る。

 
令和時代のコロナ災禍は中国湖北省の武漢で発生し、日本にもたらされた。
やはり外国との接点が多い地方、都市の被害が甚大になるのも
古今東西、同じである。


聖武天皇は、疫病の原因を長屋王の怨念と考えた。
古代から中世にかけて、科学は発達しておらず、
曖爽から夜明け、日中から夕闇と到り、夜は真っ暗な闇が支配する。

古代人は闇に鬼が、魑魅魍魎が存在知ると考え、怨霊を信じていた。
電気はない。書物も少なく、医学は未発達である。
その不安を人々は宗教に求めるのだ。

伝来の神道より仏教を信仰する人々が増え続け、
留学生が帰国したおりにもたらされた仏典や新しい信仰スタイルが急拡大し、
皇室も人民も仏教に救済を求めた。

 
▼神仏習合が本格化した

ならば古来より宮廷人の拠り所としていた神道への信仰はどうなったのか。
じつは、ここで初めて神仏混交が本格化するのである。

神社勢力はだまっていたわけではない。
強烈な軋轢が生じるのは当然であり、そこで
「有力な神々が仏教に帰依する。あるいは仏教を(神社が)護持する
という言説を用いて、新旧イデオロギーの調整が吐かされた」。

神仏混交という「日本教」が全土に拡大した。

 
「神仏習合の深まりとは、日本古来の神祭りが、
外来宗教である仏教によって『文明化』されたことへの証しである。
これを受容し、あるいは反発するうちに『神道の自覚過程』が訪れる。

神祇祭祀に特有のものがあらたに見出され、
やがて中世につながる神国意識が形作られて入った。
それはイデオロギー面における『国風文化』の生成であった」(吉川前掲書)。


ならば後世、『神皇正統記』で北畠親房は、
この聖武天皇と、崩御後の光明皇后の仏教への急傾斜をいかに論じたのか、
興味がある。

想定外だが、後醍醐天皇の改革を熱狂的に支持した北畠親房は、
聖武天皇、光明皇后の仏寺建設、大仏開眼、国分寺の建設令、
外国からの高僧の来日などを淡々と記するのみで批判はなく、

むしろ次の称徳天皇が、一時期に仲麻呂に惠美押勝の氏を給え、
まつりことを委任したことも客観的にのべる。


そのうえで、

「後に道鏡という法師また寵幸ありしに、
押勝(藤原仲麻呂)いかりをなし、廃帝をすすめ申て、
上皇の宮をかたぶけむとせしに、こと顕れて誅にふしぬ
(道鏡を寵愛したため、称徳天皇廃帝を謀して露見し、仲麻呂の乱は潰えた)」と、

経過をのべたあと、道鏡批判に移るのである。

「法師の官に任ずることは、もろこしより始めて、僧正、僧統などといふ事のありし、
 それすら出家の本意にはあらざるべし、いはむや俗の官に任ずる事あるべからぬ
 事にこそ。されど、唐土にも南朝の宋の世に惠琳といひし人、
 まつりごとにまじらいしを黒衣の宰相といひき。」

などと多数の唐の例を引きつつも

「法王の位をさずけられたりし、猶あかずして皇位につかんといふ
 こころざし有りけり。女帝さすがに思ひわずらひ」、

和気清麻呂に神託の真偽を調べよと宇佐神宮へ派遣するのである。

仏教に帰依した女性天皇が、神道の託宣に頼ったという視点で見れば、
神仏習合が、顕然と進んでいた状況を物語る。

 
▼無実の罪に陥れられた早良親王の怨霊

早良親王は光仁天皇の皇子である。母は高野新笠(たかのにいがさ)。
両親が百済系とされたために正妻とは認められず側室として
桓武天皇、能登内親王、そして早良親王の生母である。

早良親王は皇位継承権の有資格者だったため桓武天皇の皇太弟に立てられていた。

ところが藤原種継の暗殺に関与したとして廃された。

母方が皇族ではなく、側室だったために早良親王は早くに出家し
東大寺羂索院や大安寺東院に住み、「親王禅師」と呼ばれた。

天応元年(781年)に同母兄・桓武天皇の即位があり、還俗、立太子された。
すでに桓武天皇には安殿親王(後の平城天皇)がいたが、
万一の備えとして安殿親王の幼帝即位を避けるためだった。

もとより東大寺で高位の僧侶だったこともあり、
早良親王は妃を迎えず、子もなかった。

延暦4年(785年)、造長岡宮使・藤原種継の暗殺事件に突如、巻き込まれ、
乙訓寺に幽閉された。

無実を訴えるため絶食、淡路へ配流される途中、守口付近で憤死した。

種継暗殺は桓武天皇留守中の事件だが、
東大寺は親王禅師(早良親王)に後事を託したとされ(『東大寺華厳別供縁起』)、
還俗後もなにかにつけて東大寺は早良親王に相談していたという。

桓武天皇は道鏡事件の経緯から
僧侶の政治関与の弊害を懸念し、長岡京遷都を急いだのだ。

長岡京遷都の裏の目的は東大寺など奈良寺院の影響力排除である。
その後、皇太子安殿親王が発病や、
桓武天皇妃・藤原旅子・藤原乙牟漏・坂上又子の病死、
生母高野新笠の病死と疫病の大流行、くわえて洪水が相次ぎ、
それらは早良親王の祟りであるとして幾度か鎮魂の儀式が執り行われた。

そればかりか、延暦19年(800年)には早良親王に「崇道天皇」が追称され、
それでも祟りが収まらずとみるや、五年後に「崇道天皇陵」を造営する。

附近には早良親王を祀る嶋田神社があり、
奈良町に崇道天皇社、御霊神社で祭神として祀られた。
東大寺の高僧が神道で祭られたのである。
 
令和の疫病は、それなら何の祟りか。

いささか神懸かりと思われるかも知れないが、
靖国の英霊を蔑ろにしているからではないのか。

           <感謝合掌 令和3年9月14日 頓首再拝>

感染症が流行する中で活躍し神様になった巡査 - 伝統

2021/10/16 (Sat) 10:58:50


        *Web:宇宙の兄弟たちへ(2021年10月15日)より

日本には唯一、警察官を祀った神社があります。

佐賀県唐津市肥前町にある神社で、増田神社といいます。

その神社には、若くして亡くなられた増田敬太郎巡査が祀られています。

彼が活躍されたのは、日本でコレラが大流行している時期でした。

いま日本でも新型コロナウイルの流行がありますので、
今日はその神社の由来についてお話ししたいと思います。

増田敬太郎さんは1869年8月10日、
熊本県合志郡泗水村(現・菊池市泗水町)に生まれます。

幼いころより体格は立派で、
性格は温厚で誰からも好かれる人物だったそうです。

増田さんは佐賀県の巡査教習所という現在の警察学校へ入所されます。

そこでは教習課程があって、通常は三か月かかるのを、
彼はわずか10日で卒業する大変優秀な方だったそうです。

そのころ日本では日清戦争の終結があり(1895年)、
多くの兵隊さんが戦場から帰国すると、
コレラも持って帰ってくる事となり、全国的な大流行となりました。

佐賀県の高串という土地でも、コレラが大流行してしまいます。

当時高串を担当していた巡査は身体が弱かったそうで、
県警本部では新任の中から適任者を探していました。

その時に、成績優秀な増田巡査に白羽の矢が立ったのです。

増田巡査は着任するとコレラの流行を抑えるため、
様々な対策を講じ、住民に指導していきました。

そしてコレラに感染して亡くなった方の遺体は、
住民が移るのを恐れてそのままだったのを、
増田巡査は遺体を消毒してむしろに包んで急な斜面を
何度も登っては墓地に埋葬していきました。

やがて着任してから三日後には、増田巡査もコレラに感染してしまいます。

容体は悪化していき、自ら死期を悟った巡査は

「とても回復する見込みのないことは覚悟しています。
 高串のコレラは私が背負っていきますから御安心下さい。」

と言い残してこの世を去ります。

この言葉通りに、猛威を振るっていた高串でのコレラは終息していきました。

まさに最後の言葉通りに、ご自身でコロナをあの世に連れていったのでしょう。

さらに後日談があって、増田巡査が死去した二日後に、
コレラに感染した子どもを看病していた中村幾治という人の夢枕に、
増田巡査が立ったと言います。

その姿は白シャツ姿に剣を抜いた大男であったそうです。

夢で増田巡査は

「余はこの世になき増田敬太郎なるぞ、高串のコレラはわが仇敵にして
 冥府へ伴い行きれば安んじて子らの回復を待て、ゆめ看護を怠りそ」

と言って消えました。

中村氏は、その時にはまだ増田巡査の死を知らなかったそうですが、
翌日になり、死と最後の言葉を聞いて、夢の内容と一致する事を知り驚きます。

そして一生懸命に看病した結果、子どもたちも無事に回復します。

彼のほかにも、増田巡査が現れた似たような夢を見たものが二人もいたと言います。

村人たちの間では

増田巡査が高串のコレラを終息させたと信じ、

神様として思うようになりました

巡査の死後一か月して記念碑が神社の一角に建てられ、
やがて人々の信仰が広まっていき、いまの増田神社となっていったそうです。

https://www.spacebrothers.jp/2021/10/blog-post_15.html

・・・

<参照>

増田敬太郎(ますだけいたろう)
https://www.city.karatsu.lg.jp/hizen-sangyou/tanbo/jinbutsu/masuda.html


増田神社
https://japanmystery.com/saga/masuda.html


世界で唯一!殉職した増田敬太郎氏を祀る佐賀県の「増田神社」を訪問してみた!
https://chinobouken.com/masudajinjya/

           <感謝合掌 令和3年10月16日 頓首再拝>

世界を変えた感染症の歴史 - 伝統

2022/03/06 (Sun) 12:33:14

【世界を変えた感染症の歴史①】想像を絶する人類の戦い
中田敦彦のYouTube大学(2020/03/29)
https://www.youtube.com/watch?v=hv5M4183oF4


【世界を変えた感染症の歴史②】感染症を正しく恐れるために歴史に学ぶ
中田敦彦のYouTube大学(2020/03/30)
https://www.youtube.com/watch?v=eljJLc9Fpq8

           <感謝合掌 令和4年3月6日 頓首再拝>

私たちはもっと恐ろしいウイルスにも冒されている - 伝統

2023/01/23 (Mon) 13:53:53

顕微鏡で見るナノレベルのウイルスに加え、
私たちはもっと恐ろしいウイルスにも冒されている
ニュース最前線 香港(2023/01/20)
https://www.youtube.com/watch?v=3D0vypqn4oQ

           <感謝合掌 令和5年1月23日 頓首再拝>

2つの大帝国を滅亡、多くの人類を殺戮した「感染症」とは? - 伝統

2023/10/05 (Thu) 14:15:49

意外に知らない…2つの大帝国を滅亡、多くの人類を殺戮した「感染症」とは?
Web:ダイアモンドオンライン(2023.10.5)
https://diamond.jp/articles/-/330134

           <感謝合掌 令和5年10月5日 頓首再拝>

名前
件名
メッセージ
画像
メールアドレス
URL
編集/削除キー (半角英数字のみで4~8文字)
プレビューする (投稿前に、内容をプレビューして確認できます)

Copyright © 1999- FC2, inc All Rights Reserved.