伝統板・第二

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生命の教育 ⑥ - 伝統

2020/04/03 (Fri) 02:45:20

谷口雅春先生のお言葉(令和2年4月号「生命の教育」誌)

【「できる」と信じぬけば必ずできる】

《精神一到とはどういうことか》

        *(光明思想社版『人生読本』304~306頁)

精神一到とはどんなことか

「精神一到何事か成らざらん」という諺(ことわざ)がございます。

この言葉はありふれた言葉であり、一心に心をこめてやれば、
何だってできないことはない、というふうな意味に考えられておりました。

そうです、一心に心をこめて《やれ》ば、
何だってできないことはないのです。

しかし、その「《やる》」とはどうすることでしょうか。
皆さんこれを考えてみたことがございますか。


(中略
 根限(こんかぎ)りやっても成功しない人もある
 一つのことをいつまでも貫かねば)


「精神一到何事か成らざらん」
―――この言葉のどこにもコツコツと勉強せよというようなところはありません。

「精神一到」であって、精神が第一です。心が第一です。

「一到」というのは一ぺんだけちょっと考えるというような、
力の弱い考えではありません。

「一到」の「到」の字は「到(いた)る」という文字でありますけれども、
この字を分析してみますと、「至(いたる)」と「リ(りっとう)」になります。

「至」は至極(しごく)であり、最後のギリギリまで至ることであり
「リ(りっとう)」は「立刀(りっとう)」であり、刀(かたな)を
縦にして刺し貫く形をあらわしています。

最後のギリギリまで一つの心を以(もっ)て貫き通す事が「精神一到」であります。

「心がいっぺんその方向へ振向く」ぐらいではまだまだ精神一到ではありません。
一度心を振向けたら、目的を貫き通すまで心を変えないでいなければ
「精神一到」ではありません。

・・・

<参考>「生命の教育」令和2年4月号 より
    (http://www.shinkyoren.jp/publics/index/34/#page34_59

巻頭のことば「二宮金次郎はただのガリ勉と思っていた
……中学生の読書感想文」 新教育者連盟理事長 代田健藏

特集 子供に「やればできる」の自信を!

   新学年が始まる4月、子供たちは新しい環境を前にして
   希望に胸おどらせているのではないでしょうか。

   春は新芽が伸び、色あざやかな花々が開くように、
   子供たちの無限の可能性も伸び広がっていく出発のときです。

   子供たちが伸び伸びと楽しんで、勉強に、スポーツに、
   習い事に前進していけるよう、子供たちのやる気を
   コトバの力で引き出していきましょう。

   「やればできる!」「何でもできる!」という強い自信が、
   子供たちの内なる無限力を引き出します。


「できる」と信じぬけば必ずできる   谷口雅春

やる気を引き出す秘訣               齋藤千鶴子
実践してみよう! 子供を認めることから始めよう  嶺 敏子
真心込めたプラスの言葉              冨澤 愛

笑顔が導いた娘の合格               渋谷祐佳
褒めて、育てて、私は娘の応援団長         関谷秋奈
やれば、どんな子も出来るようになる        永井敏勝

《特別インタビュー》
子供はお母さんの愛情のかけ方次第
             心理カウンセラー 川園ひふ美

子育てワンポイント(35) 「ギュ!」と抱きしめる     出口正博

子育てQ&A 息子にやる気を起こさせたい         大原和子
       勉強どころか宿題さえやろうとしない     小林義典
       母親の言うことを聞いてくれない5歳の娘   杉山紀代子

子育ては母育て(89) 病識と予防注射           田下昌明

日本人100 の誇り(91) 美意識               岡田幹彦
日本国憲法の問題点(54) 日本を「第二の武漢」にしないために  勝岡寛次

日本のしきたり(28) 「清明」               辻川牧子
親子で読むものがたり(92) 良寛さま⑹           千葉ひろ子
子育てひろば                        田之下徳子

新教連活動あらかると
◇ 広島教育講演会の報告、読者の声、東京乳幼児教室の案内、
  新教育者連盟全国研修会の案内ほか
◇ 4月支部行事
事務局短信・編集後記・次号案内

・・・

<関連Web>

(1)伝統板・第二「生命の教育 ①」
     → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6833626

(2)伝統板・第二「生命の教育 ②」
     → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7673404

(3)伝統板・第二「生命の教育 ③」
     → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7745476

(4)伝統板・第二「生命の教育 ④」
     → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7812318

(5)伝統板・第二「生命の教育 ⑤」
     → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7865326


<参考Web>

(1)谷口雅春先生をお慕いする掲示板 其の弐「『生長の家』創刊号」
     → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/yuyu6/&mode=res&log=66

(2)伝統板・第二「子どもの教育①」
     → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6463326

(3)伝統板・第二「子どもの教育②」
     → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6643544

(4)伝統板・第二「子どもの教育③」
     → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7827562

(5)伝統板・第二「(妊娠)胎児教育」
     → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7828625

(6)伝統板・第二「(妊娠)胎児教育②」
     → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7959938

(7)伝統板・第二「幼児教育」
     → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7859435

(8)伝統板・第二「幼児教育②」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7881952

(9)伝統板・第二「幼児教育③」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7919016

(10)伝統板・第二「幼児教育④」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7953418


         <感謝合掌 令和2年4月3日 頓首再拝>

「これはできる」と貫き通すこと - 伝統

2020/04/06 (Mon) 02:29:26


谷口雅春先生のお言葉(令和2年4月号「生命の教育」誌)

【「できる」と信じぬけば必ずできる】

《「これはできる」と貫き通すこと》

        *(光明思想社版『人生読本』307~309頁)

では皆さん、「心を変えない」とはどうすることですか、
もう一ぺん考え直してみましょう。

「心を変えない」とは、「心」に一ぺん「これはできる」と思ったことは、
それを「貫き通す」まで、いつまでも「これはできる」と
心に描いた考えを捨てないことです。

何でも心の中に「これはできる」と心に画(え)を描くように思い浮かべた考えが、
やがて形になってこの世の中にあらわれてくるのですから、
「これはできる」と一旦きめた考えを捨てなければ、それは必ずできるのです。


「そんなこと位は初めから知っていた。
だから私は『これをしよう』と思ったらいつまでも心を変えずにやってきたが、
やっぱり運が悪いことに変わりはない」
とお考えになる人もありましょう。

だけれども、そうおっしゃるあなたの考え方は、
私の考え方とたいへん異(ちが)います。

私は「《これはできる》」というお考えをいつまでも捨てないで
貫き通すことが「精神一到」だと申しました。

ところがあなたは「《これをしよう》」という考えは
いつまでも捨てずにいるが「運が悪い」と言われます。

あなたの考えと私の考えとがどれだけ異(ちが)うか、
太い活字で書いたところを比べてみてください。

私は「《これはできる》」という考えを捨てるなと申しました。

あなたは「《これをしよう……しかし できぬ、運が悪い》」と
言っているのです。

「《運が悪い》」とあなたがおっしゃるのは、
「《これはできぬ》」という考えが混じっているのです。

私の言う「これはできる」という考えとはまるきり反対ではありませんか。

【*「太い活字」の箇所は《》表示内に該当します】

         <感謝合掌 令和2年4月6日 頓首再拝>

「成ろう」と「成れる」との相違 - 伝統

2020/04/07 (Tue) 02:33:24


谷口雅春先生のお言葉(令和2年4月号「生命の教育」誌)

【「できる」と信じぬけば必ずできる】

《「成ろう」と「成れる」との相違》

        *(光明思想社版『人生読本』309~310頁)

「これはできる」という考えの中には、
「できる」という考えのほかに何にも混ぜ物がありませんが、

「これをしよう」という考えの中には、
「これをしよう、しかしできないかも知れない」という考えが
混じっているものなのです。

「これをしよう」と考えるだけの「精神一到」では
必ずしも成功しないのは当たり前です。

入学試験に行く人たちは皆「この試験にパスしよう」と思って行くのです。
しかし、皆が皆まで試験にパスしないのは、「パスしよう」という考えはあっても、
「パスできる」と本当に信じている人が少ないからです。

「しよう」とか「成ろう」とかいう考えよりも、
「できる」とか「成る」とかいう考えの方が強いのです。


誰でも偉い者に「成ろう」とは思うのですが、
そのうちの極わずかな人だけしか偉くなれないのは
「成ろう」と思う考えは捨てないくせに、
「成れる」という考えをいつの間にか捨ててしまうからです。

そしていつの間にかそんな人は、「《成ろう》と思うけれども《成れぬ》」と言うのです。
そして、そういう人はとうとう偉いものには《成れぬ》のです。

これで「《成ろう》」と「《成れぬ》」との相違が判ったでありましょう。

         <感謝合掌 令和2年4月7日 頓首再拝>

「なれる」と思うものになれる - 伝統

2020/04/11 (Sat) 03:18:12


谷口雅春先生のお言葉(令和2年4月号「生命の教育」誌)

【「できる」と信じぬけば必ずできる】

《「なれる」と思うものになれる》

        *(光明思想社版『人生読本』310~317頁)


皆さん成功の秘訣も、立身出世の秘訣もここにあるのです。

「精神一到」とは、どこどこ迄も、ただ《成れる》
――《成れる》で突き貫(とお)すことです。

「心」で「成れる」と信じたときには、心のフィルムではすでにそう成っているのです。
心のフィルムに描かれていたことは必ず活動写真(編註・映画のこと)に
映し出されるように、この世の中に本当に出てくるのです。

しかし、自分がこうあって欲しいことがまだ本当に出てこないうちに、
「成れる」という考えを捨ててしまって、
「成れぬ」という考えにいつの間にか成ってしまったら、
その「成れぬ」という考えがこの世に出てくるのですから、運は悪くなるのは当然です。

(中略)

人間は、なりたいものになれるのではなく、なれると思うものになれるのです。

人間は、しようと思うものが必ずしもできるのではなく、
できると思うものが必ずできるのです。

運がよくなり、偉くなり、達者になり、立身出世できるようになるには、
精神の生かし方を知れねばなりません。

         <感謝合掌 令和2年4月11日 頓首再拝>

子供の愛の心を生かすこと - 伝統

2020/05/01 (Fri) 04:54:02


谷口雅春先生のお言葉(令和2年5月号「生命の教育」誌)

【手伝いは子供の愛と生命とを引き出す】

《子供の愛の心を生かすこと》

       *( 『生命の實相』頭注版第28巻94~96頁)

子供が、女の子供なんかだと
よく台所の仕事など手伝いたくて仕方のないような時代があって、
怪我でもしそうな危(あぶな)っかしい手つきで
《ままごと》みたいなことをしたがってしようのない時がある。

こういう時は子供の生命が出よう出ようとしている時である。

その出ようとしている生命を出るよう出るように導いてくれる母親があれば、
そういう母親に育てられる子供はどんなにか幸福だろうかと思います。

(中略)

「こうしよう、こうしよう」 「こうしたい、こうしたい」と、
樹木の新芽のようにまさに内部から溢(あふ)れ出ようとしている時に
児童の生命を生かすというふうにしたならば、
人間の内部に流れている能力が十分に発達するのです。

このなんとなく母親の台所仕事の手伝いなんかしたいという時には、
単に能力が発現しているだけではなしに、愛の心が動いている、
自分からして、母親を喜ばしてあげたい、
という愛の心が起こっているのだけれども、

親の方では実用一点張りで、そんな愛を受けたって時間がかかるばかりである
邪魔になってかえって仕事が運ばないと、愛の心を功利的価値で計算して、
実用一点張り、経済向き一点張りで片づけてしまおうとする。

こうなると、せっかく愛の心で「親たちの手助けをして上げたい」という
生命の働きが動き出そうとしている時に、
その生命を押し込めてしまうということになる。

そして、青年期になってからその子供に「ちょっとわたしの手伝いをしておくれ」
といっても、もうその子供は手伝いをする喜びを、
その最初の芽生(めば)えにおいて摘(つ)まれてしまっているのです。

せっかく「出よう、出よう」 「手伝いしたい、手伝いしたい」と
生命が芽(め)吹(ぶ)いている時に

「邪魔になる。うるさい! あっちへ行っておれ。 」

こうやられたものだから、今度実際に手伝ってほしい時、
大分(だいぶん)子供も成長して能力ができたとき手伝ってほしいと思っても、
「何だ、母さんったら利己主義だわ」ということになって
手伝わない不深切な子供ができる、

子供の心は、親の心の影だったのであります。

・・・

<参考>「生命の教育」令和2年5月号 より
    (http://www.shinkyoren.jp/publics/index/34/#page34_59

巻頭のことば「「『ゴミさん有難う』と云うおばあさん」
   新教育者連盟理事長 代田健藏

▼特集 家のお手伝いって大事ですよ
 
子供が小さい時には、よく親の家事の手伝いをしたがるものです。
これは親や家族のためになりたいという子供の「愛」の心のあらわれです。

そのように、家のお手伝いを子供にしてもらうことは、
子供の愛の心を引き出すとともに、さまざまな能力を引き出し、
やりとげる喜びや、人の役に立つ喜びなど、子供の成長に大きな役割を果たします。

時間がかかっても、上手にできなくても、どんな小さなことでも、
子供のお手伝いを認めてほめて、子供のすばらしい能力を引き出しましょう。


「手伝いは子供の愛と生命とを引き出す」   谷口雅春

「人のお役に立ちたい」は子供の本性      小口惠子
お手伝いは子供の能力を引き出します      甲斐敬子
お手伝いは遊びから習慣に           高松久美子

大人になって困らないためにも         大串智美
家族の一員であるための手伝い         長谷川朋子
手伝いが子供を成長させる           神田優作

《特別インタビュー》
全ての原点は幼児期の遊びにあり
             西堀ひかわ幼稚園長 真取正典

子育てワンポイント(36) 自己有用感を!          出口正博

子育てQ&A 息子に本が好きになってもらうには      大原和子
       高校中退してアルバイトをしている娘     小林義典
       親の言うことを聞かなくなった子供たち    杉山紀代子

子育ては母育て(90) 育児は労働ではありません(前編)  田下昌明

日本人100 の誇り(92) 武士道               岡田幹彦

日本国憲法の問題点(55) 緊急事態宣言下の今、なすべきこと
              ――「ノー集近閉」を広めよう!  勝岡寛次

日本のしきたり(29) 「みどりの日」            辻川牧子

親子で読むものがたり(93) 何事にも真心を込めましょう   南 敏雄

子育てひろば                        伊藤理恵子

新教連活動あらかると
◇ 訃報、新教育者連盟全国研修会の案内、教育アドバイザー養成課程の募集、
  小学生作文募集ほか
◇ 5月支部行事
事務局短信・編集後記・次号案内


         <感謝合掌 令和2年5月1日 頓首再拝>

子供の才能を発達させる土台となる - 伝統

2020/05/03 (Sun) 04:48:05


谷口雅春先生のお言葉(令和2年5月号「生命の教育」誌)

【手伝いは子供の愛と生命とを引き出す】

《子供の才能を発達させる土台となる》

       *(新編『生命の實相』第22巻86~87頁)

子供をその天賦(てんぷ)の才能の方向に伸ばす為(ため)には彼に手に
負(お)うた仕事を与えねばならない。

子供に仕事をさせてはいけないというのは謬見(びゅうけん)である。
適当な分量の仕事は子供の生命の生長に欠(か)くべからざるものなのだ。
仕事は生命を建設的に使用する方法を教える。

そして子供の生命のうちに建設的な傾向と創意的な傾向とを育てあげる。

建設的傾向 ―― これは才能の発達の土台石となるものだ。
この傾向が強ければ強いほどその人間は生長する。

幼児に培(つちか)われた傾向は生長してから養成した傾向よりも
力強く根を張るのだ。

だから、幼時より生命を何か建設的な方向に鍛(きた)えることが必要である。
それには大(だい)なり小(しょう)なり仕事を与えなければならぬ。
特に小児自身の好む建設的な仕事を与えるのは好(よ)い。

しかし、好きな仕事でもあまり長時間又(また)はあまり多量に与えてはならない。
分量が多すぎると、どんな仕事でもしまいには面白くなくなる
―― そして仕事というものは退屈なものだという先入観念を抱(いだ)
かせるようになる。

善い言葉で暗示を与え、子供を充分信頼してやり、仕事の種類と時間とを
子供の好きにまかしてやるならば、子供は滅多(めった)に仕事の選択に
失敗するものではない。

子供を信ずること、及び善い言葉で「あなたは善い子だからこれが
上手(じょうず)だ」というふうに導くことを忘れてはならない。

         <感謝合掌 令和2年5月3日 頓首再拝>

子供の手伝いには親がほめて感謝すること - 伝統

2020/05/05 (Tue) 04:55:26


谷口雅春先生のお言葉(令和2年5月号「生命の教育」誌)

【手伝いは子供の愛と生命とを引き出す】

《子供の手伝いには親がほめて感謝すること》

        *(新編『生命の實相』第22巻88~90頁)

子供の手助けを真に喜んで感謝してやるようにすれば、
子供は「愛は感謝を受ける」という事実を体験する。
喜ばれることがどんなに嬉(うれ)しいかということを体験する。

これは人間の正しい生長に必要なことである。


子供に仕事を与える効果は、
彼の生命に建設的傾向を与えることが第一で、手先の技巧の習練が第二である。

第二のことも無論(むろん)重要である。
幼時から手先の技巧が習練されていると、
成長後も、実生活上大(おお)いに役立つものである。

(中略)

子供に仕事を与えるのを単に親の手助けをさすという意味ばかりで
するのは間違(まちがい)である。

親の利益を標準とする時、
子供の不完全な仕事は親をイライラさせるものである。

子供は仕事をしたために喜ばれるよりも
呶鳴(どな)り付けられるようなことがある。

それはやがて仕事に対する興味を失わすことにもなり、
子供自身は愛の心で手助けしたことが感謝で報(むく)いられないことにもなり、
情操教育の点から甚(はなは)だ面白(おもしろ)くない結果を来たすのである。


その上、親の手伝いを主眼とするとき、
必ずしも、子供を天賦(てんぷ)の才能の方向に生命を習練さすことに
ならないかも知れないのである。

だから、最初に子供の天賦の才能を、その子の器用さによって看破(かんぱ)し、
巧(たく)みに導いて子供自身の選択によるような形にして、
その器用さを発揮するような仕事を与えるのが最も好(よ)いのである。

子供は自分の選んだ仕事だから喜んでする。
しかし、それが天賦の才能ある方面の仕事であるから、
すればする程(ほど)上達する。

喜んでする仕事だからエネルギーが浪費されない。

それを親が賞(ほ)めてやる。感謝してやる。

こうすれば子供の天才を発揮する上からも、
愛の人格を養成する上からいっても実に好(よ)いのだ。

         <感謝合掌 令和2年5月5日 頓首再拝>

《人の特長を拝む日》 - 伝統

2020/05/07 (Thu) 03:42:44


        *「光明道中記」(5月7日)

【他を自分の型に嵌めようと思う者は躓く。(『生命の實相』第十一巻)】

親の精神状態にそれほどの葛藤(いらいら)も争いも憎みもないのに
子供が不従順な場合は学校に原因があることがある。
学校と連絡し、学校の先生と親しく和解しなければならない。

学校で教師にいじめられたり、仲間にいじめられたりする子供は
家に帰って親に対して不従順になり勝ちである。

子供の生活のうち、最も伸びねばならぬ学校生活の半日が ―― 否(いな)、
その子供にとっては半日ならぬ殆ど全日に感じられる期間、彼はいじめられたり、
不快な眼に逢って来たので、それに対する反抗を表現したいが、
それを学校では表現することが出来ないから、その反抗を家庭で表現しているのである。

それに対して、家庭の親が暴君的に圧迫を加えるならば
子供は内心の犯行を表出する捌け場所を失って、病気になるか、
不快な事を見まいと云う精神力の反映から近視になるか、

それを聞くまいとして中耳炎を起すか、
頑固に鼻の奥にブツクサ言っていて素直に通さないところの蓄膿症を起すか、

親が子供の成績の良くなることを希望しているのに、逆に成績を良くしないことが
親に反する切(せ)めてもの反抗であると云うようなことになることがある。

愛撫して抱きし締めながら学校の模様を聞いてやること。

         <感謝合掌 令和2年5月7日 頓首再拝>

教育は「善」の権威(善の魅力、愛の魅力)を示すことによって行なわれる - 伝統

2020/05/09 (Sat) 04:27:14


      *「光明道中記」(5月9日《何事にもイライラせぬ日》)より

【他(ひと)を審判(さば)く者は、天に於いてまた自分も審判(さば)かれる。
                         (『生命の實相』第三巻)】


子供が不従順な場合は健康を害しているか、疲労しているために
何に対しても焦々(いらいら)してヒステリックになっている場合もある。

頭から叱り付けでも、子供の精神障害を一層大きくするばかりで、
百害あって一利なしである。
それどころか子供を叱っていると、親自身が焦々(いらいら)して来るから子供の心に
親のイライラを反映させて決して教育効果などのありようはないのである。

教育はイライラや叱責や気持の悪さで行なわれるものではない。
教育は「善」の権威を示すことによって行なわれるのである。

善の権威とは暴風の如く狂暴に暴(あば)れ狂う殺伐(さつばつ)さではない。
善の魅力、愛の魅力である。

獄中にいて検察官を手古摺(てこず)らせた左翼の闘士でさえも、
親の愛の前には転向せざるを得なかったと云う。

教育は鞭(むち)ではない。
愛である。その愛も、盲愛であったり熱愛であったりしてはならない。
智慧をもって急所急所を抑えて行かなければならない。

病気だとしていたわりすぎると、
病気を口実にして不従順や嬾惰(らんだ)の習慣が附くのである。
病気だと云う言葉を家庭の中で使ってはならない。

静かに抱(だ)くか愛撫するかして
「あなたは好い子なのです。屹度親の言うことを聴いてくれます」
と断定的に言いなさい。

愛は癒す。
言葉の力は癒すのである。

         <感謝合掌 令和2年5月9日 頓首再拝>

子供の心の悩みの表出に動機を与えてやることが必要である - 伝統

2020/05/10 (Sun) 04:53:48


        *「光明道中記」(5月10日《三界唯心を悟る日》)より

【全ては自分の心の影であるから目のとどく限り神示とも言える。
                   (『生命の實相』第十一巻)】

子供は学用品を紛失して、
親からひどく叱られるのを恐れて隠していることがある。

何でも子供は《もの》を隠しているときには、
強情に陰気に塞ぎ込み勝ちのものである。

「父さん母さんは決して叱らないから、
隠していることを心に持っていて、自分ひとりで苦しまないで、
母さんにそれを打明けて一緒に苦しいことは二人で分けましょうね」


こう言って愛撫して、愛を表現しながら、
子供の心の悩みの表出に動機を与えてやることが必要である。

幼いときから持ちつづけた感情の悩みが大人(おとな)になってからの
神経的疾患として発病することもある。

子供の怠惰、朝寝、不勉強は権力者に対する無言の抵抗であることがある。

大人でも権力によって拘束せられる場合には、無言の怠惰 ――
飢餓罷業(ハンガー・ストライキ)や怠業(サボタージュ)を行なうことは
誰でも知っている。

ガンジーのような高潔な人格者でも、
ハンガー・ストライキやサボタージュはやるのである。

子供の怠惰も必ずしも人格の低下の標識(しるし)ではない。

それは却って子供の自尊心の強さから、自尊心を傷つけられたことに対する
反抗の顕れであることもあるし、先生や、親や、友達が認めてくれない
絶望からの自暴自棄であることもある。

         <感謝合掌 令和2年5月10日 頓首再拝>

親の心の葛藤が、子供の病気や疲労に反映する - 伝統

2020/05/11 (Mon) 04:44:53


        *「光明道中記」(5月11日《魂の浄(きよ)まる日》)より

【病気は悪くなる行程ではない。浄化の行程である。(『生命の實相』第十一巻)】

子供が病気らしく見える場合や、疲労していると見える場合に、
親自身が驚いたり、周章狼狽した態(さま)を見せては可(い)けない。

親の心や態度は直(ただち)に子供に反映するものである。
それは生みの子だけに反映するのではなく、養子にでも養女にでも反映する。

子供が病気や疲労を現したら、親自身の心がイライラしていないか、
誰かと争いの心持を有(も)っていないか、心配事はないか ―― と、
よく親自身が自分の心を反省して自身の心を落着け争いを解くことである。

12歳以下の子供の病気や疲労は親自身の心の葛藤(いらいら)が反映しているのが
90%以上であろうし、16歳以下の子供の病気や疲労の50%位までは
親自身の心の葛藤(いらいら)の反映であると言っても好い。

17歳以上になると子供も大体人格の独立を得るから
親の精神状態に影響されることは段々少なくなると言い得る。

併し、どんな人でも自他一体 ―― 一つの生命の波の中に浸って生きているのであるから
他の人の精神波動の影響を受けないと云うことはあり得ない。

夫婦は大人(おとな)であるが互いにその精神波動を感応して互いの身に病気や事業の
失敗を起させる。況(いわん)や親子の間は大人になっても互に影響し合うものである。

         <感謝合掌 令和2年5月11日 頓首再拝>

父を憎んでいる子供 - 伝統

2020/05/13 (Wed) 04:05:19


        *「光明道中記」(5月13日《善一元を悟る日》)より

【すべて行為を善き動機から来るものとして言葉で賞(ほ)めよ。
                      (『生命の實相』第十一巻)】

父と云うものは厳父であると同時に慈父でなければならない。

父を憎んでいる子供は、児童教育にたずさわって見ると
かなり多数だと云うことが発見される。

父と子との争闘は精神分析の方ではギリシャのソフォクレスの戯曲「エディポス王」の名を
藉(か)りてエディポス錯綜(コンプレックス)と命名した。

子供と云うものは本能的に母の乳房を吸った記憶から
母を「自分のもの」として見ようと云う傾向のあるものである。

母との一体感はその記憶の上にも明らかであるけれども、
「父」より自分が出たところの記憶はない。

「父」と「自分」とが一体であることが自覚されているならば、
「父」が「母」の上に権力を揮(ふる)っても、それは「自分」と同体であるところの
「父」(自分の延長)が「母」の上に権力を揮うのだと云うことが判るから、
子供自身はそんなに憤激を感じないけれども、
そうでない場合はそんな子供は父を憎むようになり勝である。

父母が子供の前であまりに仲が悪い時にはその子供は結婚忌避症になり勝である。
子供の家庭の紊(みだ)れは此処に芽生える。

精神分析に就いての詳しい説明は拙著『人間性の解剖』及び『精神分析の話』を
読んで戴きたい。

         <感謝合掌 令和2年5月13日 頓首再拝>

兄弟への寵愛を互に比較するような動機を児童に与えてはならない。 - 伝統

2020/05/15 (Fri) 03:58:18


        *「光明道中記」(5月15日《八方正面の日》)より

【善は、「ねばならぬ」に縛られた形の上から固定してはならぬ。
                      (『生命の實相』第九巻)】

また大きい方の子に与える物を、小さい方の子に買ってやれぬ事もある。

そんな時に小さい方の子に言ってきかせる言葉は
「兄さんは学校へ行くために要(い)るものを買ったのです。
あなたも亦学校へ行く時には、学校で要るものを買って貰えるのです」
斯う云うようにして、また不平等の中に愛の平等があることを知らせねばならない。

兄弟のうちの一方を賞(ほ)めてはならぬ。

「××さんのように温順(おとな)しくするんですよ」斯う云う言語は、言われた当人には
侮辱であり、自分への愛が××さんに移ったと思いちがえて非常に嫉妬と失望とを感じて、
「温順しくするどころか、もっと暴れてやれ」と云うような気持を起し易いものである。

兄弟への寵愛を互に比較するような動機を児童に与えてはならない。
愛が失われるかも知れないと云う恐怖は、子供を従順に導くかわりに乱暴に導く。

潜在意識を解決せずにいながら兄弟喧嘩を解決しようとする時は概ね心配を招く。
それは水仙の球根を処置しないで花だけを摘んで水仙を絶滅しようとするようなもの
である。

           <感謝合掌 令和2年5月15日 頓首再拝>

子供が親の物を盗むのは、親の愛の欠乏 - 伝統

2020/05/16 (Sat) 04:50:02


          *「光明道中記」(5月16日《父を憶(おも)う日》)より

【贅沢を羨むな。今日一日生かされてある事実に感謝せよ。(『生命の實相』第十一巻)】

子供が親の物を盗むのは「盗み」と云うことが分からないで
自他一体の気持ちでする場合と、親を愛している証拠でする場合がある。

後者は《親のもの》即ち ―― 「親」《そのもの》を自分に抱いていたいのである。
それは必要に迫られて、欲しいと言っても得られない場合に止むを得ずする場合もあるし、
親を憎んで親に対する反抗心で親の大切なものを盗む場合もあるが、

反抗心も結局は愛の裏返しになったのある。

その子供は親を愛しているのだと知って、その子供を憎まないことが肝要である」
「金」は大抵親が儲けてくるものであるから、子供にとっては「金」は父親の象徴
(しるし)として存在するのである。

その「金」を隠れて浪費する子供は、父親を浪費したい ―― そんな父親はなくなれば
好いと思っているのである。そんな子供は大抵あまりに厳格な父親の下に育っているので、
父親と云う束縛者がなければ好いと思っているのである。

兄弟がある場合に、兄弟のものを盗むのは、兄弟の一方が自分より愛されていると
想像される場合、その「愛」の象徴を盗みとろうとするのであって、
それは本当の盗みではない。

愛されたいと云うに過ぎない。愛を与えれば、そんな盗みは消えて了うのである。

           <感謝合掌 令和2年5月16日 頓首再拝>

自他、それぞれに必ず善い処があることを知らせておくことが大切 - 伝統

2020/05/18 (Mon) 04:37:28

        *「光明道中記」(5月18日《欲を捨てる日》)より

【人間の悩みのもとは皆欲から来るのである。欲は迷から来るのである。
                        (『生命の實相』第十一巻)】

あまりに幼児の美貌を賞めたり、
常にクラスの首席であると云うことを誇りにさせてはならない。

自分の顔に自信のないのも不幸であるが、容貌を鼻にかけている女性が、
次第にその容貌が衰えて来たのを見て、失望と落胆とで狂気(きちがい)になった
実例をフロイドは挙げている。

また小学、中学とずっと引続いて級中首席を占めて来た子供が高等学校の入学試験に失敗
して、突然の失望落胆から精神病になった実例は吾々屡々(しばしば)見聞する処である。
クラスの第一番と云うことは他を見下すための虚栄心の満足でしかないのである。

人間は容貌でも成績でも、自分だけが偉くて
他の人はみんな駄目なのだと云うような教え方をしてはならないのである。

「人間・神の子」の信条は、他の人も神の子であり、容貌での能力でも、何等かの点に
於て、他の人にも優れた天分美質があり、人間の天分は別々であり、自分にも他に劣らぬ
美質があることを知らせて、成績の悪い者にも必ず善い処があることを知らせて
置かねばならぬ。

容貌の美も年齢に応じて夫々(それぞれ)の美があること、
若さだけが美でないことを教育すべきである。

           <感謝合掌 令和2年5月18日 頓首再拝>

肉体の自己玩弄を看付けた場合には - 伝統

2020/05/20 (Wed) 04:37:22


        *「光明道中記」(5月20日《自由自在の日》)より          

【義務と思えば重く、愛して行えば歓びが得られる。(『生命の實相』第四巻)】

幼児より爪を咬む習慣のある児童は、あまりに家庭で束縛され、
心が内面にばかり陰気に向いている証拠で、
自涜(じとく<肉体の自己玩弄>)の一種である。

心が明るく愉快に外面的に伸びて行く場合には
肉体の自己玩弄(がんろう)は起らないのである。

明るく愉快に、心が自己玩弄に向う時間がない程に肉体運動を奨励するが好い。
疲れて眠くなるまで無理に眠らせないが好い。

肉体の自己玩弄を看付けた場合には、
余り激しく「罪悪」として叱り附けてはならない。

余り激しく叱り附けられると恐怖心の結果、「恐いものをやって見たい」の欲望で、
隠れて肉体を自己玩弄するようになり易い。

男女とも13歳位になったら素地(きじ)の粗(あら)っぽい布の猿又(さるまた)を
着用して眠らせるが好い。あまりに柔らかい布の下着は接触の快感を連想せしめて、
肉体の自己玩弄に導いて行くことがある。また蒲団は軽く硬いものが好い。

男子は柔剣道、駆歩(かけあし)などを盛んにやって妄想の余裕を与えぬこと。

少年に対しては、恋愛小説、放送番組のラブ・シーン、レビューのダンス、
卑猥なる週刊雑誌を避けねばならぬ。
これを見せれば梅干を見れば唾液が湧く程度に性欲を興奮せしめる。

高潔なる思想家、英雄豪傑の伝記などを読み、性欲を想像せしめる読物を廃するが好い。

           <感謝合掌 令和2年5月20日 頓首再拝>

深切の出来る心を養う - 伝統

2020/05/21 (Thu) 04:47:19


        *「光明道中記」(5月21日《楽しく深切の出来る日》)より    

【自制力は心のタガの様なものである。(『生命の實相』第四巻)】


人間は楽しい時には好い気持になり、人に深切がしたくなり、
善い事がしたくなるものだが、楽しくないとき不快なときには、
善いことはしたくなくなり、自暴自棄になって悪いことがしたくなり、
自分をも他人をも動物をも器具をも乱暴に取扱いたくなるものである。

それにはどうしても両親が楽しくなければならぬ。
両親が子供の遊びの相手となってならねばならぬ。
特に一人子の場合はそうである。

子供を一人一室に放って置けば、別に楽しむものがないから肉体の自己玩弄を始める。
「小人閑居すれば不善を為す」とはよく言ったものである。

子供が内気な場合に、お前は内気だからもっと明るくならなければならないと
小言を言ったら、その子は一層内気になって了(しま)うだろう。

そんなときには、「××は近頃大変明るく勇気が出て来た」と
言うときは次第に内気が直ってくるのである。

内気な子供とは反対に、乱暴な子供も結局は生活が楽しくないから、
愛が欠けているから、反動的にそうなる子供が多い。

「お前乱暴を直しなさい」などと言わずに、
縛らずに信頼してやれば乱暴は止まるのである。

           <感謝合掌 令和2年5月21日 頓首再拝>

全体に幸福を献げ得る者のみが、幸福になり得るということを教える - 伝統

2020/05/22 (Fri) 04:32:20


        *「光明道中記」(5月22日《真に幸福なる日》)より  

【知らずに犯す残酷ほど残忍なものはない。(『生命の實相』第四巻)】


あまり親が愛してくれて、何でも自分の欲することを協(かな)えてくれるものだと
思い込ますようにすることは、子供の利己心を増長させるようなものである。

そんな子供は自己中心であって、周囲の事物一切は自分の快楽を満足させてくれる
ためにあるものだと考えるようになり勝ちである。

そんな子供が成長して社会へ出ると、周囲の人々はなかなか自分の快楽を
満足させてくれたりするものではない。
そこに期待の不充足に対する不平が起り、社会国家を呪うようになり易い。

人間は他が自分に調和してくれるまで、自分の方からは調和しないでいても好いと
考えるようになっては、決して世の中に容れられず出世しないものである。

人間は天地間に生まれて、自分の方から、その世界に適するように動き出して行く者が
勝利を得るのだと云うことを知らねばならない。
即ち適者生存の原理を知らなければならないのである。

適者と云うのは自分が全体の幸福のためにどれだけ献(ささ)げ得るかの程度に
随(したが)って定(さだ)まるのであり、全体のために幸福を献げ得る者のみが、
自分がまた幸福になり得るのだと云うことを教え込まねばならない。

           <感謝合掌 令和2年5月22日 頓首再拝>

子供を健康に育てるには、取り囲む環境を楽しいものとする - 伝統

2020/05/23 (Sat) 04:31:59


        *「光明道中記」(5月23日《何でも成就する日》)より  

【食事にうんと歓びのお菜(さい)を附けて食べよ。
どんな粗食でも最上の栄養食に変るのだ。 (『生命の實相』第八巻)】


楽しい時には良質の胃液が抱負に分泌され、
怒ったり悲しんだりしたときには胃液が殆ど分泌されないと云うことは、
パヴロフが犬の胃袋を切り開いてゴム管を通して実験した通りである。

子供を健康に育てるには彼を取り囲む環境を楽しいものとしなければならない。

楽しいと云うことは大人の考えるような柔らかな褥(しとね)や、
美味しい贅沢な食事のことではない。
自由を縛られない伸び伸びとした生活のことである。

親が小言を言いながら食べると、子供自身の消化吸収同化作用を妨げる。

子供は親の言う言葉を信じ易いものであるから、親の小言を云う食事は
排斥すべき食物であり栄養価地のない食物だと思い込んで了(しま)うからである。
排斥する心が起れば同化吸収作用が鈍るのは当然である。

親がどんな食物にも本当に感謝して、
これは為になる食物だと云う風にして食べるべきである。

食事の作法にあまり神経質に拘(こだ)わって叱る習慣をつけるのはよくない。
叱られて悲しみながら食べては、どんな食物でも栄養にならない。

           <感謝合掌 令和2年5月23日 頓首再拝>

児童が大人にとって「悪い」と見えることをする場合は - 伝統

2020/05/26 (Tue) 04:51:45


        *「光明道中記」(5月26日《真行の日》)より 

【ここに生きている生命は神の生命そのものである。
 大生命の生命(いのち)そのままである。
 み仏の生命がここに生きているのである。(『生命の實相』第二十巻)】


ある村の神社の境内を村の子供が荒らし廻って困ったことがあった。
しては悪いと言ってそれを叱り続ければ見ていない頃を見計らって
益々乱暴を働くのである。
こんな場合どうしたら好いか。

答は簡単である。「しては悪い」と言うことは相手を咎めたことであり、
相手を「悪い」と言ったことになるから「悪い」と批判された相手は益々憤慨して
此方(こちら)の好まない事を反抗的にしたくなるのが当然である。

相手を心で観れば相手は益々反抗する。

児童が大人にとって「悪い」と見えることをするのは、児童の本性が悪いためではない。

児童の立場からは興味があるからしているのだが、児童は周囲への影響が
どう云う風になるかと考える程には観察力が広くないから、
それが偶々(たまたま)大人にとって都合の悪いことになるに過ぎない。

児童は悪いのではなく大人にとって都合が悪いだけである。

それならば児童の行動を別の方向へ転ぜしめたらそれだけで好いのである。
児童は大人に信頼され、大人に頼まれることを喜ぶものである。

命令せずに「これを君してくれないか」と言って他にして欲しいことを頼むが好い。

           <感謝合掌 令和2年5月26日 頓首再拝>

明るさと善で満たす - 伝統

2020/05/27 (Wed) 04:30:43


     *「光明道中記」(5月27日《明るい物のみ引き寄せる日》)より 

【じかに阿弥陀仏の懐に飛び込む教である。(『生命の實相』第二十巻)】


子供の友達は快活な明るい者を選ぶが好い。

暗い陰気な子供と交わらしていると、自分の子供も暗い陰気なものとなり易い。
従って健康も害(そこな)われ易いのである。

快活な明るい子供と遊ばせることにしただけでも、
その子供が健康になった実例がある。

子供の読物は明るい、
父母の愛や、友達にみちた物語、道徳的な、努力を楽しむ、
困難を物ともせず成功する立志伝又は武勇伝などが好い。

陰気な物語、お化(ばけ)の出て来る物語、
正しき者が滅びる物語などは宜しくない。

子供は絶対に叱ってはならないと云うことはない。
過(あやま)って悪を犯したり、人の迷惑になることをしたときには、
叱っても悪くない。

けれども「そんなことをする子は悪人です」などと、
本人そのものを悪人と宣言するような叱り方をしてはならない。

若しそんな叱り方をするならば、子供は自分を悪人だと思い込んで了い
善に遷(うつ)る動機と勇気を失ってしまう。

子供が過(あやま)ちを犯したら、

「あなたは善い子だのに、こんなことをする筈の子ではないのに、
悪いと気が附かなかったのね。
もう悪いと気が附いたら決して悪いことをする貴方ではありません」

と断言するが好い。

           <感謝合掌 令和2年5月27日 頓首再拝>

子供の眠り時に、善なる言葉を聴かせる - 伝統

2020/05/28 (Thu) 04:12:32


     *「光明道中記」(5月28日《信以(もっ)て貫く日》)より 

【振替でもやはり同じ道理だ・・・信ずる人に取ってはこれは本当である。
                     (『生命の實相』第二十巻)】


子供の性癖を直し、成績をよくするには
眠りしなに『甘露の法雨』を誦(よ)みきかしながら眠らせるが好い。

『甘露の法雨』を誦(よ)み上げる前に、子供に『甘露の法雨』を聴きながら
眠ったら大変成績がよくなって、健康になり、性質もよくなって、××の性癖も直り、
自然に好い子になれるんですよ ―― と子供に言って聴かせ、

さて親も敬虔な態度で「聖経の功徳によって斯(か)くならしめ給え」と合掌して念じ、
「さあ眼を瞑(つむ)って眠(ねむ)んなさい。聖経を誦んであげましょう」と言って
『甘露の法雨』を読誦する。

読誦が終れば子供は屹度眠っているから、

「さあ、これでもう貴方は成績がよくなりました。××が上手になりました。
身体は一層達者になる、性質はよくなり、××はしなくなった」

と云う風に眠っている子供の耳に内緒話のような声で、
下腹に力を入れた声で、囁きかける。

―― この方法を行なえば子供は確かに健康になり、成績がよくなり、
性質が改まってくるものである。

1回で効かないなどと思って、中断してはならない。

言葉の力は累積すると力を発する。
『生命の實相』第七巻にある自己暗示法をやらせるのも好い。

           <感謝合掌 令和2年5月28日 頓首再拝>

子供の特性を生かす - 伝統

2020/05/29 (Fri) 04:19:43


     *「光明道中記」(5月29日《力みを捨てる日》)より 

【「私が・・・私が」と力む事は、本当の自他一体の深切行になっていないのであります。
                         (『生命の實相』第二十巻)】


腕力ある乱暴な生来(うまれつき)の子供が学校などで乱暴するときには、
先生がそれを頭から圧迫的に抑え附けようとすると益々反抗的に乱暴になるばかりである。

それに対して停学とか放校処分とかに附すれば、
権威を呪い、社会を呪って子供の一生涯を無駄にして了うこともあり勝ちである。

そう云う性質をあながち「悪」と考えてしまうのは
学校の先生が寧(むし)ろ低能なのである。

そう云う学校の先生は先生としての天分がないのであるから、
宜(よろ)しく放校処分に附して、もっと適業に転ずる機会を与うべきである。

そう云う子供は大抵腕力による人を統率する天分を持っているものである。
謂わば幡随院長兵衛とか清水次郎長などのように豪胆と腕っぷしとで
人を統率する力があり、恩義に感じやすく、憎悪に反抗し易いのである。

だからそう云う生徒の美点を賞(ほ)め且つ働かせることにして、校庭の掃除とか、
遊戯のキャプテンとかにならせて、その豪胆と、腕力とによる統率力を利用して
その力によって学校が浄(きよ)まり整理が行き届いて行くように
取計(とりはか)らうのが一番好い。

           <感謝合掌 令和2年5月29日 頓首再拝>

直ぐ吩咐(いいつけ)を実行しない子供への対応 - 伝統

2020/05/30 (Sat) 04:22:21


     *「光明道中記」(5月30日《和顔愛語の日》)より 

【人間は学科ばかりの点取虫になって了(しま)ったのでは値打がないのであります。
                         (『生命の實相』第二十巻)】


直ぐ吩咐(いいつけ)を実行しない子供は、その吩咐けられた言葉の内容が
呑み込めないか、吩咐けた人に対する反抗があるか、怠け癖で面倒臭いか何か
子供自身にとって手の離せない興味ある仕事があるかしているのである。

それを悉く、不従順だとか我儘(わがまま)だとか云う名で呼ぶのは間違である。

吩咐不明瞭なために実行しないのを、不従順だと誤解しないようにするためには、
「一寸此処へいらっしゃい」と柔(やさ)しく招(よ)んで、
ハッキリと吩咐を伝えるようにすることが必要である。

不従順ではなく吩咐を実行する気はあるが、何時(いつ)までに実行したら好いかの
意思表示がないために、直ぐ立上ろうとしない子供がある。

そんな子供には「何分間でやんなさい」とか
「何時までに往って帰んなさい」とか明瞭に、その完成の時刻を指定する必要がある。

反抗心があって命令を実行しない子供に、
強情だとか不従順だとか責め立てて見ても一層強情になるだけの事である。

何故なら彼は親や先生を手古摺(てこず)らすのが目的であるから、
親や先生が手古摺っていると判ると益々強情になるからである。

命令するよりも「斯(こ)うして下さい」と信頼して頼むような語調が
斯ういう子供には功を奏する。鼠小僧でも頼まれた事は進んで実行する。

           <感謝合掌 令和2年5月30日 頓首再拝>

親の心は子供に影響する - 伝統

2020/06/01 (Mon) 04:38:34


谷口雅春先生のお言葉(令和2年6月号「生命の教育」誌)

【子供の本当のすがたは神の子である】

《親の心は子供に影響する》

       *(新編『生命の實相』第22巻13頁)

子供の教育ということは本当は大人の教育なのであります。

だから、私は子供の教育を説く前に先(ま)ず大人に説く
倫理を以(もっ)てしたいのであります。

子を良くするには先ず親を教育しなければならない。
それ程(ほど)親の心は子に影響を与えるのであります。


・・・

<参考>「生命の教育」令和2年6月号 より
    (http://www.shinkyoren.jp/publics/index/34/#page34_59


巻頭のことば「「産んでくれて有難う」「生まれてきてくれて有難う」は魔法のコトバ」
新教育者連盟理事長 代田健藏

特集 親の心で子供は変わる

「子供の姿は親の心の鏡」だと言われます。

子供にあらわれている姿は、
実は親がその子を普段どのように見つめ思っているかに強く影響されるのです。

もし子供のふるまいが善くないと感じたら、
親自身の心の持ち方を見つめ直す機会ととらえましょう。

親の心が変われば、子供は変わります。

わが子の善性を見つめ、信じて、それを言葉に、表情に、行いに表しましょう。

子供の素晴らしさが光り輝いてきます。



子供の本当のすがたは神の子である        谷口雅春

子供の姿はまさに親の鏡                 森田峯好

実践してみよう! 子供の善性を引き出す家庭に!  岩崎美智代
娘を通して学んだこと                  沼田真弓
夫婦が同じ方向に向いて                 高橋由美子
親の頑張っている姿を見せる               望月順代

《特別企画》今後における休校・休園の子供対策

 子供を飽きさせない4人の創意工夫!         編集部
 親子のコミュニケーションを活発に          執行ひろみ
 子供たちをキラキラ輝かせる外遊び          小村治子

子育てワンポイント(37) 教育の原点は……      出口正博

子育てQ&A 友達の輪の中に入ろうとしない息子    大原和子
       息子が不登校に逆戻りしてしまった    小林義典
       友達と遊びたがらない4歳の娘      杉山紀代子

子育ては母育て(91) 育児は労働ではありません(後編)田下昌明
日本人100 の誇り(93) インドの親日        岡田幹彦
日本国憲法の問題点(56) 「自己チュー」な日本人   勝岡寛次
              ――憲法がそれを助長している

日本のしきたり(30) 「時の記念日」         辻川牧子
親子で読むものがたり(94) 生き物を大切にしましょう 南 敏雄
子育てひろば                     齋藤千鶴子

新教連活動あらかると
◇ 名刺広告、谷口雅春先生創始「生命の教育」献資のお願い、小学生の作文募集、
  教育アドバイザー養成課程の募集ほか
◇ 6月支部行事
事務局短信・編集後記・次号案内

・・・

以下は、参考として『生命の實相』第13巻倫理篇(P10~11)より

《親の心が子供に影響を与える》

子供の教育ということは本当は大人の教育なのであります。
だから、わたしは子供の教育を説く前に
まず大人に説く倫理をもってしたいのであります。

子を良くするにはまず親を教育しなければならない。
それほど親の心は子に影響を与えるのであります。

例せば、昭和9年12月19日の報知講堂における
わたしの講演会の時、東京の落合に住まれる松本十九(とく)といわれる方が
講演を聴きに来ておられたのであります。

この方のお子さんが夜尿をされる、いろいろ手を尽くしてみてもどうしても
癒(なお)らなかったそうです。


大体すべて子供の病気は子供自身よりも親の悪い場合が多いのであります。
つまり親の心が子供に反映して夜尿を起こしていることが多いのであります。


この松本さんもわたしの講演を聴かれて、心境が一変されたら
その夜からお子さんの夜尿がぴったりとまってしまった。

その5日目にわたしのところへ来られて大変お礼を言われたのでありました。

そんことをわたしが関西旅行の時に関西の『生長の家』誌友に話したのでありますが、
それを聴かれた関西に住まわれる松本さんの知り合いの方が
「ほんとに谷口先生の講演で子供の夜尿がしっかり癒(なお)ったか」
と松本さんのところへ問い合わせが来たそうであります。

ところが松本さんのお子さんの夜尿は、講演会をお聴きになって
御自分の心境が変わられたその後の1週間は、たしかに癒っていたのでありますが、
それから1週間ほどたって講演の心的影響が薄れたころからまたお子さん

がしくじり出してきたのです。

そこへ関西の知人から、「本当に夜尿は治ったか」と問い合わせがあったもので、
なんと返事を書いたものかと大変困られたそうであります。

いったん、治ったことは事実ではある。
しかし、また再発したことも事実である。
治ったともいえないし、治らないともいえないのでしばらく返事を出さずに
おきましたら、

ちょうど2月9日軍人会館でわたしの講演がありましたので、
松本さんは今度はお子さんを伴つれて聴きに来られたのでありました。
そして十時まで講演を聴いて帰られて、

「もう今日は谷口先生の講演を聴いたから寝小便なんてしないだろう」と強く思われて、
ふだんなら、就寝前七時と九時と十二時と三度させて、それでもまだ夜尿をしくじる
という状態のお子さんを、その夜は大丈夫と思って寝しなに小用をさせないで
寝かしてしまわれたそうであります。

それでもその夜はしくじらなくって、それからその状態が数日間続いたのであります。

これなど明らかに親の心が子供に反応しているという実例でありましょう。
親が講演をきいて子の病気が治ったなんて妙でありますが、実際のことであります。

講演を聴いて病気が治るならば、講演者の書いた本を読んでも親の心が
一転すれば子供の病気が治るはずです。

         <感謝合掌 令和2年6月1日 頓首再拝>

子供の悪いところばかりが目につく親の心は - 伝統

2020/06/03 (Wed) 04:20:58


谷口雅春先生のお言葉(令和2年6月号「生命の教育」誌)

【子供の本当のすがたは神の子である】

子供の悪いところばかりが目につく親の心は

       *( 『生命の實相』頭注版第30巻12~13頁)

多くの子供たちは、親がまちがった心の波を起こし、
まちがった言葉の波を起こしているために非常に損なわれているのであります。

多くの人たちは、子供を愛するあまりに悪(あ)しきことばかりを見つけて、
「お前はここがわるいのだ」ということを始終(しじゅう)言うのであります。

そう言われるとその子供は萎縮(いしゅく)してしまいます。

そういう子供は、たとい勉強は辛(かろ)うじてよくできたにしましても、
大いに伸びるということはできないのであります。

「勉強しろ、勉強しろ」と言わなければ勉強しないから、やむをえず
「お前はそんなことではできないから勉強せよ」と言うのだという人が
あるかもしれませんけれども、

「勉強せよ、勉強せよ」と口癖(くちぐせ)のように言うと、
いくら勉強してもかえって心に憶(おぼ)えないのであります。

これはまたおかしい現象でありますが、原理は簡単です。

「勉強せよ、勉強せよ」と言うような親は、
子供に対してどういう心の態度をとっているかといいますと、

「お前はできがわるいのだよ」という考えを懐(いだ)いているのであります。

できるに定(き)まっておれば、 「勉強せよ」とは申しません。

「できがわるい」と信じているから、
「勉強しろ、勉強しろ」とこう言うのであります。

         <感謝合掌 令和2年6月3日 頓首再拝>

「心の綱(つな)」で子供を縛(しば)ってはならない - 伝統

2020/06/10 (Wed) 04:54:10


谷口雅春先生のお言葉(令和2年6月号「生命の教育」誌)

【子供の本当のすがたは神の子である】

「心の綱(つな)」で子供を縛(しば)ってはならない

       *( 『生命の實相』頭注版第30巻36~37頁)

親の利己主義、親の名誉心、親の虚栄心によって、子供をこういう具合に
しなければ世間体が悪いという親の「迷い心」の綱(つな)によって、
その子供を縛ってしまうということは、神の子たる「子供」を冒瀆(ぼうとく)
することになるのであります。

「お前ぜひとも学校へ入学しなければならんぞ」
こういうふうな「ねばならぬ」の心の綱で縛ってしまう。

「心」というものは一つの波でありますから、親がそういう心持を持っておりますと、
その精神波動が波及して、 「心の綱」で相手を縛ってしまうのであります。

子供を「心の綱」で縛ってしまいますと、子供はなんとなしにその縛りに精神的
窮屈さを感じ、その縛りから解(ほど)かれたいという気持が起こってくるの
あります。

親の「心の綱」の縛りから解(ほど)かれたいという気持が子供に起こると、
その子供の日常の操行(そうこう)が変わってくる。

乱暴になったり、落ち着きがなくなったりするのであります。

         <感謝合掌 令和2年6月10日 頓首再拝>

子供の実相を信じて拝む - 伝統

2020/06/11 (Thu) 04:00:26


谷口雅春先生のお言葉(令和2年6月号「生命の教育」誌)

【子供の本当のすがたは神の子である】

子供の実相を信じて拝む

       *( 『生命の實相』頭注版第30巻38~40頁)

たいていの人は、 「心の綱」などは肉眼では見えないのでありますから、
「別段わたしは自分の家(うち)の子供分の「心の綱」でがんじがらめに
を縛ったことはありません」などと言われるかもしれませんけれども、

多くの親たちはたいてい、子供を自分の「心の綱」でがんじがらめに
縛(しば)りつけておるのでありまして、そのために反動として
子供の品行が悪くなり操行(そうこう)が悪くなるというように
なっているのであります。

(中略)

さて、京都の石川さんの坊(ぼ)っちゃんも一昨年その坊っちゃんが
一高(こう)の理科を受けられたのですが辷(すべ)られました。

辷(すべ)られたけれども、少しもお母様はおかこち(嘆(なげ)いて
不平をいうこと)にならなかった。

そうして実相(じっそう)を見て、 「うちの子供は神の子であるから
入学しても入学しなくとも少しも価値が相違(そうい)しない。
昨日の子供は今日の子供と同じ価値だ」と喜んでいられたのであります。

実相というと、実(じつ)の相(すがた)、
人間の本当の相(すがた)を言うのであります。

(中略)

人間には仮(かり)の相(すがた)と本当の相(すがた)とがあるのです。
仮(かり)の相(すがた)というのは今申しましたように、親が心で
縛っているとそれに反抗するために、あるいは操行(そうこう)がわるくなったり、
成績が悪くなったりして、周囲の心の反影として出てくる、

これが仮(かり)の相(すがた)でありまして、本来その子の操行がわるいのでも
学業の成績が悪いのでもないのであります。

人間の本来の相(すがた)、本当の相(すがた)は神の子でありますから、
「本来この子は善い」と、子供の実相、その本当の相(すがた)を見て
それを拝み出すようにしますと ―― 拝むといっても、あながち掌(て)
を合わさなくても


むろんよいのですけれども ―― 心で子供を拝む ――

「うちの子供は本当に神の子であって立派な子である。
放っておいても大丈夫である。決して悪くなるようなことはないのである」

と子供を信じて心で拝むのであります。

この石川さんの奥さんの子供をよく信じておられるのには
わたしは常に感心させられるのであります。

一度、一高(こう)の入学試験に失敗せられましてからも、
その坊っちゃんが、時々は勉強しないようなこともあられたようでしたけれども、
「うちの子は決してまちがいはないのだ。神の子だから決してまちがいはないのだ」
という大きな信念を持って子供を拝んでおられた。

その大きな信念を持っておられました結果、
その翌年にはチャンと一高(こう)へ入学せられたのであります。

         <感謝合掌 令和2年6月11日 頓首再拝>

「自分はまだまだこれからだ」 - 伝統

2020/07/05 (Sun) 04:38:56

谷口雅春先生のお言葉(令和2年7月号「生命の教育」誌)

【わが子の運命を善くする言葉の力】

《「自分はまだまだこれからだ」》

        *((光明思想社版『人生読本』138~139頁))

自分で自分を振り返ってみて、まだまだ本当に自分の行いや、
仕事や、勉強に、満点がつけられない人はたくさんありましょう。

そんなときにあなたはどうお考えになりますか。
「自分は駄目だ」とお考えになりますか。
それとも「自分はまだまだ駄目だ」とお考えになりますか。

自分を振り返って見て、満点がつけられない場合に、「自分は駄目だ!」
とお考えになれば、勇気がくじけて、これから先は進歩しないのです。

「自分はまだまだ駄目だ!」とお考えになる人も、
行く先まだまだ道遠しというような感じがして、
そんなことでは本当に勇気が生まれて来ないのです。

では、そんな時にはどう考えればよいでしようか。

「自分はまだまだ《これからだ》」と考えるのです。

幼い人も、若い人も、年寄りも、みんな「自分はまだまだ《これからだ》」
と思うことによって、元気が出て来るのです。
力が内から湧いてくるのです。
年寄りも若返ってくるのです。

では皆さん、これからどんな時にも
「自分はまだまだ《これからだ》」と思うようにしましょうね。


・・・

<参考>「生命の教育」令和2年7月号 より
    (http://www.shinkyoren.jp/publics/index/34/#page34_59



巻頭のことば
「ありがとう」の生む偉大な力」 新教育者連盟理事 井関隆文

特集 気になりませんか? 子供の言葉づかい

   あなたのお子さんはふだんどのような言葉を使っていますか? 
   気にしたことがありますか? 

   「うざい」「面倒くさい」「バカ」「キモい」「死〇」
   ……そんな言葉が多かったら黄色信号です。

   *〇:ね

   谷口雅春先生は、「運命はコトバでつくられる」と説かれました。

   悲観的でマイナスイメージの言葉を多く使っているとマイナスの運命が、
   逆に明るいプラスイメージの言葉にあふれていればプラスの運命が形づくられます。

   わが子のふだんの言葉が明るい善い言葉で満たされるように、
   親子で取り組んでみましょう。


わが子の運命を善くする言葉の力     谷口雅春

コトバの力は偉大、善きコトバで善き人生を    代田健藏

実践してみよう! 子供の言葉づかい
  ――プラス言葉の習慣をつけましょう     中村真由美

母親の言葉が子供を変える            杭田睦子
良い言葉をつかって笑顔に            岩石紘子
心に潜む思いまで言葉にあらわれる        荒井清以
《特別インタビュー》
 不登校の子供たちの未来を切り拓く
             人間道場「立志館」館長 大石健次

子育てワンポイント(38) 善さを引き出す           出口正博
子育てQ&A 年上の彼氏との遊びにはまる娘        大原和子
       中1の息子の言葉遣いが妹に影響するのが心配  小林義典
       子供に怒鳴りグセがついてしまった母親    杉山紀代子

子育ては母育て(92) 子供の衣服の留意点⑴          田下昌明
日本人100 の誇り(94) インドネシアの親日           岡田幹彦
日本国憲法の問題点(57) 誇るべき日本人の高い民度。されど……勝岡寛次

日本のしきたり(31) 「夏祭り」                辻川牧子
親子で読むものがたり(95) 日本の国を大切にしよう      南 敏雄
子育てひろば                       齋藤千鶴子

新教連活動あらかると
◇ 読者の声、新教連の令和2年度運動方針の要項、小学生の作文募集、
  教育アドバイザー養成課程の募集ほか

◇ 7月支部行事
暑中お見舞い・名刺広告
事務局短信・編集後記・次号案内


         <感謝合掌 令和2年7月5日 頓首再拝>

《自分の中に神の力が》 - 伝統

2020/07/07 (Tue) 04:50:48

谷口雅春先生のお言葉(令和2年7月号「生命の教育」誌)

【わが子の運命を善くする言葉の力】

《自分の中に神の力が》

        *(光明思想社版『人生読本』140~141頁)

「自分はまだまだこれからだ。」こう思う人には失望はありません。
どんなにいま失敗していても勇気がくじけることはありません。
どんなに今成功していても、どんなに今偉くても、
自分はまだまだ《これから》なのです。

「自分はまだまだこれからだ」という言葉には、どれだけ偉くなっても、
まだまだ善くなる力を含んでいます。
それには無限の力を含んでいるのです。

無限の力は神の力ですから、「自分はまだまだ《これからだ》」と言う人は、
自分の中には神様の力があると、自分自身を誉めているのと同じことです。

         <感謝合掌 令和2年7月7日 頓首再拝>

自惚(うぬぼれ)と自尊(じそん)とは異(ちが)う - 伝統

2020/07/09 (Thu) 04:37:29

谷口雅春先生のお言葉(令和2年7月号「生命の教育」誌)

【わが子の運命を善くする言葉の力】

《自惚(うぬぼれ)と自尊(じそん)とは異(ちが)う》

        *(光明思想社版『人生読本』141~142頁)

自分自身で、自分を誉めるような人になれとは、
自惚で、きもしないものをできたと思い、ちょっとぐらいできたので、
これで神の子のでき栄えだと思い上がっていばることではないのです。


自分を神の子だと思うことは、
言い換えれば「自分はまだまだこれからだ」と思うことなのです。


誉められていばる者は、自分がまだまだこれからいくらでも
たくさん能力の出る神の子だということがわからないのです。

「自分はまだまだこれからだ」ということと「自分はまだ駄目です」と
謙遜(へりくだ)ることとは表と裏です。

「自分はまだ駄目です」ということは、今のようではまだ駄目だから、
これからまだまだ力を出すという意味ではありましょうが、

「自分はまだ駄目です」といえば、「駄目」という悲観的な言葉の力で、
心が沈んでしまいやすいのです。

同じ意味でも「自分はまだまだ《これからだ》」と心の中で言うようにすれば、
力が湧然(ゆうぜん)と湧き出てまいります。

これを言葉の力と申します。

皆さん、常に「自分はまだまだ《これからだ》」と考えて、
今日は昨日よりも上手に、明日は今日よりも上手に、仕事でも、
勉強でも熱心に精出してやることにいたしましょう。

         <感謝合掌 令和2年7月9日 頓首再拝>

《思うとおりになる世界》 - 伝統

2020/07/11 (Sat) 04:41:13


谷口雅春先生のお言葉(令和2年7月号「生命の教育」誌)

【わが子の運命を善くする言葉の力】

《思うとおりになる世界》

        *(光明思想社版『人生読本』142~143頁)

私達は思う通りの人間になり、
思う通りの運を招(よ)ぶことができるのであります。

運が悪いという人は、みな自分の思いが悪いのです。

だから私達は善い事ばかり思うようにしましょうね。
そして自分は立派な「神の子」だと常(いつ)も思うようにしましょうね。

私達みんなの心の中には、「みおや神様」のお力がいつも一杯に満ちていて、
自分の思うとおりのものを造ってくださるのです。

ですから、あなたがいつも「自分は神の子だ、神の子はなんでも都合よくできる」
「神の子は素直だ」「神の子には病気が無い」「神の子はいつも《しあわせ》である」
などと善いことばかり思うようにしておれば、神様がそのとおりにしてくださるのです。

嬉しいことではありませんか。

「わたしは神の子だから、神の子らしくなるのだ」とただ思っているだけで、
本当に神の子らしくなって、あなたのお顔まで明るい立派なお顔に変わり、
成績もよくなり、身体(からだ)も達者になってくるのです。

それが、人間は「神の子」「仏の子」である証拠なのです。
善き思いをすれば、いくらでも善きことが出て来るのです。仲よくすれば、
神様、仏様の姿が私達の心の中(うち)に、
健康の中に、運がよくなることの中に、顕れられるのです。


(以下は、中略の部分)

どうぞ皆さん、私達はこれから、みな善い事ばかり思うようにして、
皆仲よくして「神様」がお造りになったとおりの楽しい世界に
私達のお家を造りましょうね。

あなたが、「私は神の子である」としっかり思い、
また他の人も各自に「私は神の子である」としっかり思い、
互いに敬って相手の悪口を言わず、互いに仲よくするだけで、
私達の住む家が、住む世界が美しく変わってくるのです。

あなたのお宅(うち)でも、お父様お母様がご機嫌よくして
あなたを可愛がってくださる時には極楽のようでしょう。
お父様がご機嫌が悪くて叱られた時には地獄のようでしょう。

(以上が、中略の部分)


私達は、みんな自分たちの心が変ってくるだけで、
こんなふうにこの世は変わってくるのです。

自分が「神の子」であるということが、
はっきりわかった人の言葉は、しっかりしてきます。
また、その人の考えは正しく間違はないのです。

そうしてその人の行いは美しくなり、
その人の心はいつも勇(いさ)んでいるのです。

顔はいつも《にこやか》で、その言葉つきは晴れ晴れしてきます。

ですから、その人と話す人はみな喜ばされ、
その人の言葉を聞く人はみな力強く思い、
その人は誰にでも頼られる人になるのです。

         <感謝合掌 令和2年7月11日 頓首再拝>

啐啄同時 - 伝統

2020/07/30 (Thu) 03:33:34


    *『光明道中記(7月30日 随所に主(ぬし)となる日)』より抜粋

【これは絶対真理、これは対気説法であると云う区別を知って
 絶対真理を摑(つか)むようにしなければなりません(『生命の實相』第十五巻)】


雲門と同時代の禅僧で、法眼宗の開祖である法眼和尚と云う人がある。
なかなか対機説法の上手な人である。

対機説法と云うものは中々難しい。
小学生に大学の講義をしても分らぬ。
猫に小判、豚に真珠である。

大学生に小学の講義をしたのでは判るには違いないが、
面白くないから逃げ出してしまう。
それは啐啄同時(すいたくどうじ)でなければならぬ。

啐(すい)は雛鳥が内からつつくことである。
啄(たく)は親鳥が外から啄(つつ)くことである。

中から出ようとしている悟りのちょうどそこを説いて
引っ張り出してやるようにしなければならない。

児童の教育でも才能が出ようとしている、
その点をその時期を失せずほめて引き出すのが骨(こつ)である。

これが出来なければ教師となり導師となることは出来ない。

         <感謝合掌 令和2年7月30日 頓首再拝>

《神話とは何であるか》 - 伝統

2020/08/09 (Sun) 03:31:35


谷口雅春先生のお言葉(令和2年8月号「生命の教育」誌)

【古事記神話には日本民族の世界観があらわれている】

《神話とは何であるか》

        *(新装新版『真理』第3巻234~236頁)

『古事記』という本があります。

天武天皇の詔(みことのり)によって、稗田阿礼(ひえだのあれ)
が当時日本に古くから伝わっていました神話、及び歴史的事実のうち
疑わしきもの、信ずべからざるものは省(はぶ)き、

これこそ真理であり、又(また)歴史的事実であると云うものだけを
収録した記録だと云われております。

この『古事記』の神代(かみよ)の巻(まき)というのには、
神話が書かれているのであります。


神話というのは一体何かというと、
ただ単に神様物語というのではないのであります。

それは単なる御伽噺(おとぎばなし)ではないのでありまして、
宇宙に充(み)ち遍満(へんまん)している真理を当時古代の国民が
その直感的認識によってとらえてそれを物語に表現したものが、
『古事記』の神代の巻の神話であるわけです。

神話というのは古代から続いている国ならどこの国にもあるのでありまして、
必ずしも日本の特産というわけではないのであります。

大体(だいたい)古代の民族というものは、
現代の科学的知識の発達した人間とは違って科学的分析的な力がないから、
それだけ直観認識の力が強かったのです。

つまり分析の知恵というものは細かく物を分解して、
人間なら人間を細かく分解して、人間とは如何(いか)なるものかということを
知るのには、先(ま)ず人間を細かく切って、そして皮膚はどういう構造に
なっている、筋肉はどういう構造になっている、あるいは内臓はどうなっていると、

一々(いちいち)細かく調べていって、人間
とはこういうものだと、こう考えて行(ゆ)くのが分析的の知恵でありますが、
ところがこれではどうしても人間というものは如何なるものかということは
分からないのであります。

分析によりますと、人間の部分品はどういう構造になっているかということは
分かるけれども、 「人間」なるものは如何なるものかということは分析では
どうしても分からないのであります。

(中略)

そんな分析的の知恵でなしに、人間全体を其(そ)の儘(まま)
「いのち」として把(とら)えなければならないのです。

現代的言葉でいうと、 「そのもの《ずばり》」「人間《ずばり》」と、
人間の全体を把握しなければならないのです。

しかし「そのも《ずばり》」はどうしても科学的分析によっては
とらえることが出来ないのでありまして、直観の智(ち)によって
とらえなければならないのです。


・・・

<参考>「生命の教育」令和2年8月号 より
    (http://www.shinkyoren.jp/publics/index/34/#page34_59



巻頭のことば

「差別心を徹底的に廃し、一視同仁を貫く日本の心」
新教育者連盟理事 井関隆文

特集 こんなに魅力! ―― 古事記神話を学ぶと日本の国が好きになる

   神話は世界の国々に存在し、古代の人々が世界をどのようにとらえ、
   その自然観、人間観、文化があらわれているといいます。

   日本の古事記神話も、単なる神様物語というのではなく、
   日本人が世界を、自然を、人間をどのようにとらえてきたかが
   奥深く描かれ、

   それを学ぶことで人生の価値や生きるエネルギーなどが
   豊かに与えられます。

   古事記神話を学ぶことは健全な子育てにつながっていくのです。
   お子さんと一緒に古事記神話を学び、日本の国に誇りをもって、
   心豊かに生活してまいりましょう。



古事記神話には日本民族の世界観があらわれている   谷口雅春

子育てワンポイント(39) いのちを見つめさせる       出口正博

子育てQ&A 家のお金を持ち出すようになった         大原和子
       勉強の話をするとすぐにイライラする息子     小林義典
       あまり学校へ行きたがらない小学2年の娘     杉山紀代子

子育ては母育て(93) 子供の衣服の留意点⑵          田下昌明

日本人100 の誇り(95) 明治維新               岡田幹彦

日本国憲法の問題点(58) 香港の“死” は対岸の火事ではない   勝岡寛次

日本のしきたり(32) 「納涼」                 辻川牧子

子育てひろば                          田本美佐子

新教連活動あらかると
◇ 古事記勉強会報告、寺子屋のPRコーナー常設、読者の声、小学生の作文募集、
  谷口雅春先生創始「生命の教育」献資のお願いほか
◇ 8月支部行事
事務局短信・編集後記・次号案内

         <感謝合掌 令和2年8月9日 頓首再拝>

真理というものは肉眼には見えない - 伝統

2020/08/10 (Mon) 05:01:37


谷口雅春先生のお言葉(令和2年8月号「生命の教育」誌)

【古事記神話には日本民族の世界観があらわれている】

《真理というものは肉眼には見えない》

        *(新装新版『真理』第3巻237~238頁)

人間全体 ―― 《いのち》そのものは五官の感覚ではわかりません。
直観の智慧によらねばならぬのです。

感覚で寄せあつめた理解はこれを知識と云うのでありまして、
直観によってそのものズバリと全体を把握した理解を智慧と云うのであります。

すなわち仏教でいう「般若の智慧」であります。

たんに、分析的知識の発達しているものが
のはどうかするとこの般若の智慧、直観の智慧というものが乏(とぼ)しい
のでありますが、

古代民族は分析知に乏しかっただけに直観の智慧というものに
優(すぐ)れておりまして、、宇宙に満ち満ちているところの真理そのもの、
宇宙は如何にして成(なり)立(た)ったものであるか。

あるいは、人間は如何にして生れたか。
人間の目的は何か。
人間とは如何なるものか。

というような問題をそのもの《ずばり》と、
理窟なしに、直観的にとらえたのであります。

そのとらえたところの真理というものは、肉眼には見えない。
真理は宇宙に満(み)ち充(み)ちているけれども、肉眼には見えないから、
それを表現するのにどうしても象徴を使わなければならない。

つまりシンボル、象(かたち)、徴(しるし)に現わしたものを
使わなければならないのです。

         <感謝合掌 令和2年8月10日 頓首再拝>

宇宙の真理をかたちに表したのが神話である - 伝統

2020/08/11 (Tue) 03:01:49


谷口雅春先生のお言葉(令和2年8月号「生命の教育」誌)

【古事記神話には日本民族の世界観があらわれている】

《宇宙の真理をかたちに表したのが神話である》

        *(新装新版『真理』第3巻238~239頁)

真理というものはどういうものか、まあ例えば数学上の真理であります。

例えば「二二(ににん)が四(し)」と云うのは数学上の真理であります。
この数学上の真理、 「二二が四」というものを見せてくれ
といっても、これは見えない。

しかし何処(どこ)にでも「二を二倍すれば四と成(な)る」という
真理は充(み)ち満(み)ちているのです。

だけれども、 「二二が四」を見せてくれといっても見えない。

そこでそれを見せるためには、数字を書いて、2×2=4と云う風(ふう)
に符号によって象徴(しょうちょう)するか、あるいは林檎(りんご)
なら林檎を二つ持って来て、更(さら)に再び林檎を二つ持って来ると、
それで四つになると云う風にして、これが「二二が四」だと、

こうして具体的なある《たとえ》を持って来て、そしてその真理を
示さなければならないということになっているのであります。

(中略)

これは真理は形に見えないから、それを形に見えるものを示して、
それを象徴として真理を表現しようとしたものであります。


古代の民族がとらえたところの真理というものを表現するのも、
これと同じ道理でありまして、何らかの象徴を持って来なければ、
その真理を象徴(かたち)に表わすことが出来ないものでありますから、

古代の民族は往々(おうおう)真理を現わすのに
神様物語の形をもってしました。
これがいわゆる「神話」というものであります。

神話は世界各国にありますけれども、日本にあらわれた神話はやっぱり
日本民族の精神を通して宇宙の真理をとらえたのでありますから、
同じ真理でもとらえ方において、又その表現の仕方において、
作者たる日本民族の個性なるものが現われているので、
その神話を研究すると、日本民族の個性や世界観がよくわかるのであります。

         <感謝合掌 令和2年8月11日 頓首再拝>

「暗黒」を光明化しましょう - 伝統

2020/09/04 (Fri) 04:41:55

谷口雅春先生のお言葉(令和2年9月号「生命の教育」誌)

【相手と和解するためには】

《「暗黒」を光明化しましょう》

        *(新装新版『真理』第9巻92頁)

どんなに暗黒な、面白からぬ出来事が起って来ましても、
その暗黒さに心をくさらせてしまっては解決の道はつかぬのであります。

泣いても、わめいても、腹立てても、神に泣きついても、
そんな事で問題は解決する筈はないのであります。

何故なら、泣きわめいても、腹立ちも、泣きつきも、懇請も、
いずれも同じ暗黒の範疇に属するものであるからです。

「暗黒」を解決するには「光明」をもってこなければなりません。

「暗黒」によって「暗黒」を解決しようと思うならば結局、
其処に衝突か墜落か不測の災難があるのみであります。

暗黒があなたの周囲にわだかまっている時に、更にあなたの
「暗黒な想念」で暗黒を追加して見たとて一体どうなるでしょうか。

だからそんな時には

「神の智慧の光われに流れ入りたまいて われを導きたまう。
われは常に暗(くら)みことあらず」

と念ずるように致しましょう。

      *「真理」第9巻生活篇(P107~108)より

・・・

<参考>「生命の教育」令和2年9月号 より
    (http://www.shinkyoren.jp/publics/index/34/#page34_59

巻頭のことば「名選手の名言に感動」
新教育者連盟理事長 代田健藏

特集 子供のいじめをどう解決するか

   いじめは子供にとって、そしてその家族にとっても、
   とても深刻な問題です。

   谷口雅春先生は、どの子にも本来すばらしい神性・仏性が宿っており、
   かけがえのない尊い生命であると説かれました。

   わが子はもちろん、いじめを行う子も
   本来「神の子」のいのちそのものなのです。

   ここでは、わが子がいじめに遭った時、親としてわが子に、
   そしていじめをしている子に、どのように接し、
   いじめを解決していくかについて取り上げます。



相手と和解するためには   谷口雅春

“いじめた・いじめられた” にならない人間づくり      菊池正規
責めることより褒めること                片山智由利
相手の幸せも願う心                   越智美香子

いじめをする子は一人もいない              上島憲司

Q&A 身体の攻撃を受けている              大原和子
    仲間はずれにされてしまった息子          小林義典
    無視されるようになった娘             杉山紀代子

《特別インタビュー》
幼児期の遊びがその後の人生をつくる
          安田式体育遊び研究所所長 居関達彦

子育てワンポイント(40) 劣等感を克服させる       出口正博
子育ては母育て(94) 子供の衣服の留意点⑶         田下昌明

日本人100 の誇り(96) 日露戦争              岡田幹彦

日本国憲法の問題点(59) 李登輝氏の、日本への遺言     勝岡寛次

日本のしきたり(33) 「二百十日・二百二十日」        辻川牧子

親子で読むものがたり(96) 親孝行をしよう        南 敏雄
子育てひろば                      安村 まき

新教連活動あらかると
◇ 読者の声、小学生の作文募集、「生命の教育」献資のお願い他
◇ 9月支部行事
事務局短信・編集後記・次号案内

         <感謝合掌 令和2年9月4日 頓首再拝>

到る処(ところ)に自分の心の映像(かげ)を見る - 伝統

2020/09/05 (Sat) 04:08:56


谷口雅春先生のお言葉(令和2年9月号「生命の教育」誌)

【相手と和解するためには】

《到る処(ところ)に自分の心の映像(かげ)を見る》

        *(新装新版『真理』第9巻95~96頁)

鏡に向かって御覧なさい。
其処に映っている自分の映像(すがた)は自分の思う通りに動くでしょう。
自分が微笑(びしょう)すれば微笑するし、
自分が眼をつり上げれば鏡の映像(えいぞう)の眼がつり上がるのです。

全く自分の支配下にあるのであります。

併し、此処に一つ大切なことがあります。
それは鏡の中の映像(すがた)を動かそうと思ったら、
自分自身が先ず動かなければならないと云うことなのです。


黒住宗忠は

「立ち向かう人の心は鏡なり、おのが姿を映してや見ん」

と詠まれましたが、

人の心だけではない、
自分の周囲にあらわれるあらゆる事件、境遇、身辺の事情等、
悉(ことごと)く自分の心の映像(かげ)であるのです。

自分の心の映像(かげ)であると云う事を知らないで、
人を憎んだり恨んだりしていては、憎み恨み排斥などの状態が、
自分の心の反映として自分に加えられるのは無理がないのです。

           *「真理」第9巻生活篇(P112)より

         <感謝合掌 令和2年9月5日 頓首再拝>

宥(ゆる)し得ない相手が出て来た場合 - 伝統

2020/09/06 (Sun) 04:48:29


谷口雅春先生のお言葉(令和2年9月号「生命の教育」誌)

【相手と和解するためには】

《宥(ゆる)し得ない相手が出て来た場合》

        *(新装新版『真理』第8巻115~116頁)

どんなに相手が自分に対して罪を犯していたにしても、
それはまことに憤激に価(あたい)するにしても、
吾々は神の御心(みこころ)をわが心として
宥(ゆる)さなければならないのである。

「神はあなたを宥したまう。それゆえ私もあなたを宥すのである」
こう相手を思い出したとき念ずるようにつとめるのである。

最初その人を思い出したとき腹が立ち、
悲しくなり、いまいましくなったにしても、

真剣に相手を宥すべく努力して、
機会ある毎(ごと)に上記のように念ずるようにしているならば、
それは念ずる言葉の力によって、ついに相手を真(しん)に
宥し得(う)るようになる。

宥しがたい相手が貴方(あなた)にあらわれて来ると云(い)うことは、
あなたの魂(たましい)がまだ「宥す」と云う点で卒業していないから、
魂の修行の課程として課せられるのであるから、早く卒業するように努めるがよい。

愛する者を愛するのは誰(たれ)にでもできることで手柄にはならない。
憎む相手を愛する努力が修行である。

         <感謝合掌 令和2年9月6日 頓首再拝>

相手の実相を観(み)て和解するには - 伝統

2020/09/07 (Mon) 03:42:30

谷口雅春先生のお言葉(令和2年9月号「生命の教育」誌)

【相手と和解するためには】

相手の実相を観(み)て和解するには

        *(新装新版『真理』第9巻77~78頁)

悪に抵抗するためにあなたの時間と精力をついやしてはならない。
あなたの時間と精力とを「善」を見るためにこそ費やすべきである。

敵と云うような者を神は決して造りたまわないのであるから、
敵と見える者も、その実相を観るならば、「神の子」であり
互いに兄弟であるから、本来仲の好いのが当然であるのである。

人間は誰でも、愛されたい、認められたい、理解されたい、尊敬されたいと云う
願いをもっているのであって、或る人があなたに敵対するならば、彼はあなたに
愛されたく、認められたく、理解されたく、尊敬されたく思っているのに、
あなたが愛せず認めず理解せず尊敬せねと思って、反抗心を掻き立てているからである。

あなたの愛と理解と尊敬とを相手にしっかりみとめられるように表現すれば相手は、
愛されている猫のように温和(おとな)しくなってしまうのである。

          「真理」第9巻生活篇(P90)より

         <感謝合掌 令和2年9月7日 頓首再拝>

相手に和解するとは、相手の実相の完全さを観(み)ることです - 伝統

2020/09/08 (Tue) 03:43:34


谷口雅春先生のお言葉(令和2年9月号「生命の教育」誌)

【相手と和解するためには】

相手に和解するとは、相手の実相の完全さを観(み)ることです

        *(新装新版『真理』第9巻78頁)

相手に和解すると云うことは、
相手に宿る神性・仏性こそ「本当の彼」そのものであって、
「本当の彼」が完全なることを心で見詰めて、
それを心で祝福するのである。

併し、「和解する」とは必ずしも相手のいだく考えや計画や要求に
言いなり放題に追従すると云うことではないのである。

意見の相違は充分検討し戦わしたら宜しい。

そして相手にやどる完全なる実相(神の子)をこちらがジッと心で見詰めれば、
今まで相手が頑張っていた意見が突然又は徐々に消えて、
調和した意見に変わってくるのである。

マーフィー博士著、中嶋逸平氏訳「信仰の魔術」には、
或る女にウルサク付きまとって迷惑きわまる男を、

”神の作りたる世界にはそんな人に迷惑をかける男は存在しない。
彼は神の子で善良な好い人だ”

と其の男の実相を見詰めることによって、
その男は地球が彼を呑みほしたように来なくなった実例をあげている。

この本は心に強く描くことが如何に実現するかについて皆さんの参考になるであろう。

*「真理」第9巻生活篇(P90~91)より

         <感謝合掌 令和2年9月8日 頓首再拝>

《子供を善に導こうと思ったら》 - 伝統

2020/10/02 (Fri) 03:54:55

谷口雅春先生のお言葉(令和2年10月号「生命の教育」誌)

【わが子の善さを引き出すために】

《子供を善に導こうと思ったら》

        *( 『生命の實相』頭注版第30巻82頁)

児童を道徳的に《よき》人たらしめようとするには、
まず児童に人格の自由を認めてやらなければならないのです。

道徳というものは、人間の人格の自由ということが前提になって、
行為の選択が自由であるところに初めて道徳的善というものが存在できるのであります。

威嚇や強制力によって人間がいやでも応でも正しき行為に強制された場合には、
レールの上の汽車のようなもので、神様という運転手がごろごろと一定のレールの上を
われわれを強制して転がしてくださることになるのでありますから、

脱線する恐れもないけれども、それはまっすぐ行くしか仕方ないのでありますから、
われわれの行為を外面から見ますと、ちょっとも脱線していない、
まっすぐ行っているように見えるけれども、それは自分で自由にまっすぐに行ったのではない、
自由がないからやむをえずまっすぐに走るのであります。

こういう場合は《人格の自由》がありませんから、行ないは正しくとも道徳的善ではない、
それはただの機械的行為にすぎないのです。

かく考えれば、強制力によって、あるいは恐怖心によって、
善なる行為(おこない)ができたように見えたにしても、それは本当の善ではない、
叱ったり罰したりし威(おど)かしたりして善なる行為ができたとしても
道徳的善ではないことになるのであります。

・・・

<参考>「生命の教育」令和2年10月号 より
    (http://www.shinkyoren.jp/publics/index/34/#page34_59

自分に誇りをもち 親に誇りをもち 祖国日本に誇りをもつ
青少年を育成する

「生命の教育」令和2年10月号 主な内容

巻頭のことば「アジア独立の陰に咲いた若桜」
新教育者連盟理事長 代田健藏

特集 生命の教育を実践しましょう!

「生命の教育」の根本は、本誌・巻頭言のページ下に
「七つの心得」として掲げられている最初に、
「子供に宿る善性を信じ、これを引き出し伸ばし、育てます」とありますように、

わが子の善性をまず信じて、その善性を引き出していくことにあります。

その引き出し方について、谷口雅春先生はさまざまにお説きになっています。
 
本特集では、「生命の教育」を家庭生活において
どのように実践したらよいかについて取り上げます。
皆さん、ご自分で出来る事からまず実践してみましょう。


わが子の善さを引き出すために        谷口雅春


実践教育で幸せの連鎖をつくる            戸板由美子

座談会「叱るより褒めて伸ばす生命の教育」
 大原和子・杉山紀代子・スクリムジャー弘美・中園和枝・橘内智子

《特別インタビュー》
体育遊びで共感力の高い逞しい子供を育もう
          安田式体育遊び研究所所長 居関達彦

子育てワンポイント(41) 確かな方針を!         出口正博

子育てQ&A 素直に謝れない5歳の男児           森田峯好
       不器用でのろまな娘なのですが……      小林義典
       左利きの娘を右利きに直したい        齋藤千鶴子
===========================================

子育ては母育て(95) 子供の衣服の留意点⑷         田下昌明

日本人100 の誇り(97) 大東亜戦争             岡田幹彦

日本国憲法の問題点(60) 安倍政権の功罪と新首相に望むこと 勝岡寛次

日本のしきたり(34) 「神嘗祭」               辻川牧子

親子で読むものがたり(97) 真心のバイオリン人も山も動かす 南 敏雄

子育てひろば                         加藤貴美

新教連活動あらかると
◇ 祝福祈願祭・記念講演会の案内、読者からのお便り、会員入会等の案内ほか
◇ 10 月支部行事
事務局短信・編集後記・次号案内

         <感謝合掌 令和2年10月2日 頓首再拝>

《子供の自由意志を尊重しながら》 - 伝統

2020/10/03 (Sat) 04:16:37

谷口雅春先生のお言葉(令和2年10月号「生命の教育」誌)

【わが子の善さを引き出すために】

《子供の自由意志を尊重しながら》

        *(『生命の實相』頭注版第30巻83頁)

たとえばここに一本の線を引くにしましても、
定規で線を引くとまっすぐに引ける。

しかし、その線がまっすぐに引けましても、
これは定規が機械的に引いたのであって、人間が自由に引いた線ではないのですから、
それは本当に芸術美の線であるというわけにはゆかないようなものであります。

(中略)

少しぐらい曲がっても手で引いた、そこに本当に人間の生命が現われて、
《美しい線》というものができるのであります。

人間の道徳的善というのもそうであって、ある人から見たらちょっとぐらい
脱線しているように見えているかもしれない。

レールの上を走る汽車のようにまっすぐには歩けないかもしれないけれども、
われわれの行(おこ)ないが、本当に自由に委(まか)されて、
右するも左するも自由であって、

しかも自由意志の発露として、 道に適(かな)ったように生活できる時に、
初めて、その人が道徳的善人であるということができるのであります。

         <感謝合掌 令和2年10月3日 頓首再拝>

《強制や威嚇によって善導してはならない》 - 伝統

2020/10/05 (Mon) 03:31:32

谷口雅春先生のお言葉(令和2年10月号「生命の教育」誌)

【わが子の善さを引き出すために】

《強制や威嚇によって善導してはならない》

        *(『生命の實相』頭注版第30巻84~85頁)

ともかく、われわれは、人を導く場合に、恐怖心を起こさせるような
方法によって善に導いたところが、かくして為(な)される善は
本当の善ではないのでありますから、人間を本当に善人たらしむることは
できないのであります。

恐怖心を刺激して無理に自己がなそうと思っている悪を抑(おさ)えますと、
一見、悪が消滅したように見えますけれども、決してその悪をなそうとする
衝動が消滅したのではないのであります。

悪をなさんとする衝動は押し込められて窒息してはいますが
消滅したのでありませんから、何か他の形で現われようとする傾向が
自然と出てくるのであります。

むろん「これをしてはならない」と威嚇(いかく)しグッと抑えつけて
しまいますと、一時はそれをしなくなるかもしれませんけれども、
他のところからいろいろの行為に代償的に現われてくるのであります。

そうなりますとせっかく人間を善くしたように見えても決して善くしていない。

《ひねくれ坊主》をこしらえたことになるのであります。
ですから強制と威嚇による児童の善導は本当に児童をよくする道ではない
ということになるのであります。

それでは児童を善くしようと思ったならば、どうしたらいいかと申しますと、
親自身が心に善を描き、行(おこ)ないに善を示して、それを模倣さえすれば、
児童が自発的に道徳善ができるように仕向けてやるほかはないのであります。

         <感謝合掌 令和2年10月5日 頓首再拝>

《子供に宿る神性を拝む気持ちになって》 - 伝統

2020/10/06 (Tue) 04:51:46

谷口雅春先生のお言葉(令和2年10月号「生命の教育」誌)

【わが子の善さを引き出すために】

《子供に宿る神性を拝む気持ちになって》

        *(『生命の實相』頭注版第30巻85~86頁)

次に、子供をよくしようとするには、
児童を頑是ないわからず屋だと思わないで
児童の神性(しんせい)は必ずや善を理解しうると信じて
道理を説いて聞かすのが一番良いのであります。

道理を説いて聞かすということは
小言を言えということではないのであります。

道理を説き聞かす場合にも、こちらが興奮して棘(とげ)だったような顔つき、
語調をして話すならば、言葉は道理を説いていても、それは叱責となり、
かえって反抗心を昂(たか)めてなんにもならないのであります。

《道理を説いて聞かすということは、
相手の中に道理が宿っていることを信じて拝むのであります》。

子供は神の子であるから「神」すなわち「真理」であり「道理」であるから子供の
中には必ず道理が宿っているのであります。子供に宿っているその道理を拝む。
拝む気持になって尊敬しつつ柔(やさ)しく道理を説いてきかさねばならない。

「あなたは神の子である、善の子である、道理の子である、真理の子である、
あなたの中には善があるんだから、善をなすのに極(き)まっている」と、
その神性を認めてその子供を拝むような気持になって、
静かにその宿っている道理を引き出すようにして話しかけるのであります。

いくら叱(しか)りつけて恐ろしい語調で道理を説いても、
それは相手のうちに宿る真理すなわち神なるものを拝んで説くのでありませんから、
子供のうちの道理、真理が出てこないのであります。

同じ道理を説いても、相手を尊敬しつつ説かなければならないのはそのためであります。

「きさまみたいな奴(やつ)は人間じゃない、道理はこうだ」といって話したのでは、
その子供の中に道理が宿っておらぬと軽蔑心を起こして、内部の神性、仏性に蓋をして
引き出そうとするのですから、その神性、仏性が出てこないのであります。

児童を良くするには、その神性、仏性をまず拝むのです。
拝めば扉(とびら)が開かれるのです。

「あなたは道理そのものである」とまず心で内部の神性を認めて拝んだら
必ずそれが表面に出て、その子供が良くなってくるのです。

         <感謝合掌 令和2年10月6日 頓首再拝>

《「成ろう」と「成れる」との相異》 - 伝統

2020/11/01 (Sun) 04:35:30

谷口雅春先生のお言葉(令和2年11月号「生命の教育」誌)

【「できる」と思うものが「必ずできる」】

《「成ろう」と「成れる」との相異》

        *( 光明思想社版『人生読本』310頁)

誰でも偉い者に「成ろう」とは思うのですが、
そのうちの極(ごく)わずかな人だけしか偉くなれないのは

「成ろう」と思う考えは捨てないくせに、
「成れる」という考えを何時(いつ)の間にか捨ててしまうからです。

そしていつの間にかそんな人は、
「《成ろう》と思うけれども《成れぬ》」と言うのです。

そして、そういう人はとうとう偉い者には《成れぬ》のです。

これで「《成ろう》」と「《成れぬ》」との相違が判ったでありましょう。


・・・

<参考>「生命の教育」令和2年11月号 より
    (http://www.shinkyoren.jp/publics/index/34/#page34_59

「生命の教育」令和2年11月号 主な内容

巻頭のことば「古事記が伝える皇統継承の原則を学ぼう」
新教育者連盟理事長 代田健藏

特集 自己肯定感――わが子に自信をつけさせる法

   「どうせボクは」「わたしなんか」、
   そんな言葉が多く出てくる子供は、自分を卑下したり、
   何事にも意欲がもてなくなり、自信がなく、
   人とのつき合い方も苦手で、すぐにキレたりしてしまいます。

   自己肯定感の低い子になるか、それとも高い子になるかは、
   親の存在がきわめて大きいと言います。

   わが子は本来素晴らしい神のいのちそのものと認め、
   わが子の心を受け止め、和顔・愛語・讃嘆を心がけて
   わが子の自信をはぐくみましょう。


「できる」と思うものが「必ずできる」   谷口雅春

自己肯定感、自尊心をもつことが出来るには         中谷英子
実践してみよう! 自己肯定感を高めて自信をもたせる     山田裕子
親の「人間神の子」の自覚が子の自己肯定感を育む      山本由美子

喘息を乗り越えて体操選手に                山口恭子

なでしこ寺子屋父母会(兵庫県)の皆さんからの声

《特別インタビュー》
性教育で一番教えたいことは命の尊さ
             岡山学芸館高校参与 森 美智子

子育てQ&A 娘たちは母親の言うことをきかない      大原和子
       中学生になった息子との接し方は……     小林義典
       虫が大嫌いな4歳の娘            杉山紀代子

子育てワンポイント(42) いのちを輝かせる          出口正博
子育ては母育て(96) 子供の衣服の留意点⑸          田下昌明

日本人100 の誇り(98) 神仏儒一体の日本           岡田幹彦
親子で読むものがたり(98) あらそわない心⑴         千葉ひろ子

日本国憲法の問題点(61) 左翼の巣窟・日本学術会議は解体すべきだ  勝岡寛次

日本のしきたり(35) 「木守り」                辻川牧子

新教連活動あらかると
◇「 子育てサポーター養成講座」開講のお知らせと講師陣の紹介、
 祝福祈願祭・記念講演会の案内、名刺広告募集ほか
◇ 11 月支部行事
事務局短信・編集後記・次号案内

         <感謝合掌 令和2年11月1日 頓首再拝>

立身出世の秘訣 - 伝統

2020/11/03 (Tue) 04:53:53

谷口雅春先生のお言葉(令和2年11月号「生命の教育」誌)

【「できる」と思うものが「必ずできる」】

《立身出世の秘訣》

        *( 光明思想社版『人生読本』310~311頁)

皆さん成功の秘訣も、立身出世の秘訣もここにあるのです。
「精神一到」とは、どこどこ迄も、
ただ《成れる》――《成れる》で突き貫(とお)すことです。

「心」で「成れる」と信じたときには、
心のフィルムではすでにそう成っているのです。

心のフィルムに描かれていたことは必ず活動写真に映し出されるように、
この世の中に本当に出てくるのです。

しかし、自分がこうあって欲しいことがまだ本当に出てこないうちに、
「成れる」という考えを捨ててしまって、
「成れぬ」という考えにいつの間にか成ってしまったら、
その「成れぬ」という考えがこの世に出てくるのですから、
運は悪くなるのは当然です。

         <感謝合掌 令和2年11月3日 頓首再拝>

《クーエの話》 - 伝統

2020/11/04 (Wed) 04:51:59

谷口雅春先生のお言葉(令和2年11月号「生命の教育」誌)

【「できる」と思うものが「必ずできる」】

《クーエの話》

        *( 光明思想社版『人生読本』311~312頁)

フランスのナンシーという町に、
エミール・クーエという薬剤師がおりました。

薬剤師というのは、この薬はどういう成分が入っているから、
どういう病気に効くとういうことを研究した専門家です。

或る日、クーエのところへひとりの病人が薬を買いにまいりまして、
「こういう名前の薬が欲しいから売ってくれ」と申しました。

するとクーエの店にはその名称((なまえ)の薬はありましたが、
もう古くなって成分が変っているから、
その薬だけの効目(ききめ)がないことは明らかでした。

クーエは「今その薬はあるにはあるが腐ってしまって成分が変っているから、
売ってあげても効きません」とお断りしました。

するとその病人は「その名前の薬であればキクのだから、
腐っていても何でもよいから売ってくれ」と言いまして、
とうとうその薬を無理に買って帰りました。

数日すると、その病人はクーエの処へお礼にまいりました。
「あの薬をのんだら、おかげでその病気が治りました」と言うのです。

クーエはびっくりしてしまいました。

なぜならその薬は腐って性質が変ってしまって、
もう効かなくなっていることが、
薬剤師の自分にはよく分かっていたからです。

「効かないはずの薬がなぜ効いたか」クーエは考え始めました。

         <感謝合掌 令和2年11月4日 頓首再拝>

《「治りたい」と「必ず治る」との相異(ちがい)》 - 伝統

2020/11/06 (Fri) 04:53:07

谷口雅春先生のお言葉(令和2年11月号「生命の教育」誌)

【「できる」と思うものが「必ずできる」】

《「治りたい」と「必ず治る」との相異(ちがい)》

        *( 光明思想社版『人生読本』313頁)

「効かないはずの薬がなぜ効いたか」皆さんも考えてみてください。

それはその病人が「この名称(なまえ)の薬なら《必ず効く》。
そして《必ず治る》。」と思ったからです。

この病人は今まで多くの病院を渡り歩いて来ましたが、
病気が重くなる一方で治らなかったのです。
なぜ諸方の病院を渡り歩いたかと申しますと「《治りたい》」と思ったからです。

しかしどういうものかこの病人は治らなかった。
病院のくれる薬も服(の)んでみましたが、どういうものか治らなかった。

それは「治ろう」と思っても、
「《必ず治る》」と信じなかったし「《必ず効く》」とも信じなかったからです。

「《治りたい》」と心に思っても、「《治る》」と信じなかったら、
効きもしないし、治りもしないのです。

「成ろう」と思っても「成れる」と信じなかったら、
成功しないし、立身出世もしないのもそのためです。

         <感謝合掌 令和2年11月6日 頓首再拝>

《「自己暗示法》《言葉を心に服(の)ませる法》 - 伝統

2020/11/07 (Sat) 04:42:06

谷口雅春先生のお言葉(令和2年11月号「生命の教育」誌)

【「できる」と思うものが「必ずできる」】

《「自己暗示法》

        *( 光明思想社版『人生読本』315頁)

そこでクーエは、「治る」という心、「よくなる」という心を
人間に服(の)ませる方法を考案しようと思って
その方法を発明しました。

それは「自己暗示」という方法だったのです。
「自己暗示」というのは「よくなる」という観念を
言葉の力で自分の心の中へ流し込む方法なのです。

言葉というのは不思議な力を持ったものです。

「あなたは温順(おとな)しい良い子ですね」と言いますと、
その子供は温順しくなります。

「「この子は悪戯(いたずら)ッ子で仕方ない子ですよ」と言いますと、
その子供はますます悪戯ッ子になります。

これを言葉の力と申します。

言葉というものは、それを聴く人の心に、
その言葉とおりの心を流し込む役目をするのです。

・・・

《言葉を心に服(の)ませる法》

        *( 光明思想社版『人生読本』316~317頁)

そこでクーエは考えついたのです。

朝眼が覚めてまだ寝床から出ない前と、
寝床に入ってもう眠くなって来た自分に、

「《これから毎日一層すべての点で自分は良くなる》」

と言う言葉を自分に聞こえるくらいの小さな声で、
ニ十ぺん口のうちで唱えて自分に聴かせて、

「ほんとうにそうだ。《必ずよくなる》」

と心から思い込むようにするのです。
これが「精神一到」です。

心で「必ずよくなる」と思い込んで、
最後までその思いを変えなければ必ずよくなるのです。

何の病気もなく、これという事柄もない時なら
「これから毎日いっそう全ての点で自分はよくなる」
と毎朝、毎晩二十ぺんずつ唱えるだけで、
全ての点でその人は必ずよくなりますが、

一日か二日位それをやってみて、
「こんな事でよくならぬ」と思って捨ててしまってはなんにもなりませぬ。

それでは「よくならぬ」という心を服(の)んだことになりますから、
その心の通りにすべて「よくならぬ」ということになってしまいます。

特に、病気ででもあるときには、

「人間神の子、病気はない、
 病気のように見えていてもこれは嘘だから、すぐ治る」

と朝晩ニ十ぺんずつ口のうちで称(とな)えるようにすると
その病気が速やかに治るのです。

仕事のときでも試験の時でも、まず最初に心の中で

「神様と一緒させていただきますから必ずよく《できる》」

と五、六ぺん称(とな)えてから、
本当に神様と一緒にいるつもりでおれば必ずよくできるのです。

「《できる》」という言葉を常にとなえているようにすれば、
常に「できる」という心になり、その心は必ず形にあらわれて、
本当にできるようになるのです。

人間は、《なりたい》ものになれるのではなく、
《なれる》と思うものになれるのです。

人間は、しようと思うものが必ずしもできるのではなく、
できると思うものが必ずできるのです。

運がよくなり、偉くなり、達者になり、
立身出世できるようになるには、
精神の生かし方を知らねばなりません。

(生命の教育誌では、中略部がありますが、
 ここでは、「人生読本」からから全文を謹写いたしました)

         <感謝合掌 令和2年11月7日 頓首再拝>

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