伝統板・第二
神は無限 ② - 伝統
2020/04/01 (Wed) 22:06:38
*伝統板・第二「神は無限」からの継続です。
→ http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6969805
・・・
《神は無限の表現である》
*『 生長の家 』(昭和25年4月16日の法語)より
吾々は 常に変化する環境の中に住んでいるのである。
その変化に最も適する様に対応することができるためには
自分の心に 「 こりかたまり 」 が あってはならないのである。
自分に 「 こりかたまり 」 があっては
自由自在に変化することができないから
適応性を失ってしまうのである。
善に捉(とら)われれば 善も悪となるのである。
悪に捉われて悪から はなれることのできないものは
滅びるしか仕方がないのである。
神は無限であり、吾(わ)が内に宿って、
無限の表現を欲しておられるのであるから、
いつも同じ様なことばかりは出て来ないのである。
→ http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13817900.html(消滅)
<感謝合掌 令和2年4月1日 頓首再拝>
無限の可能性を実現する祈り - 伝統
2020/04/03 (Fri) 00:11:37
*『 生長の家 』(昭和49年4月2日の法語)より
【 祈り 】
【 私は毎日 常に 自己が“ 神の子 ”であり、自己の内に無限の可能性を有し、
常に一層 ゆたかに 健全に その可能性が 現実化するのである。
わたしは 此の事を念じ 唱え 信ずるが故に
わが希望する一切の善き事は 必ず 実現するのである。 】
あなたの職業が何であろうと、今いるあなたの位置が何であろうと、
あなたは今の時点に於いて、
あなたでなければ創造することの出来ない個性ある価値創造をなすために、
神の生命と智慧と愛とが噴出するための 噴出口であるのである。
謂(い)わば、神の個性ある自己実現の中心なのである。
それ故、自己の無限の可能性を信じ、その可能性が、あらゆる事物について
健全なる方向に発揮されるようこの祈りを、
毎日、寸暇を利用して 瞑目して 深呼吸の如く深く静かに息しながら
数回宛(ずつ)念ぜられるがよい。
言葉は その繰返しによって 一層 深く 潜在意識に印象せられ、
宇宙の潜在意識にそれが感応せられて、
それを実現するために 宇宙のあらゆる要素が あなたを中心に寄せ集められて、
ついに 祈りの言葉の通りが 具体化することになるのである。
<感謝合掌 令和2年4月2日 頓首再拝>
《神の供給は無限である》 - 伝統
2020/04/06 (Mon) 23:42:59
*『 生長の家 』(昭和26年4月6日の法語)より
宇宙は 無限の神の創造であるから、
宇宙に於ける供給は 無限であるのである。
吾々は 此(こ)の宇宙無限の供給を心に描いて
自分に流れ来つつある有様を想念することによって、
それを自分のものとすることが出来るのである。
何人(なんぴと)も彼が神の子である限り
欠乏すると云うことはないのである。
すべての人は平等に富んでいるのである。
それを欠乏させるものは 欠乏の感じにほかならないのである。
「 欠乏を満たし給え 」 などと欠乏の語(ことば)を使って祈ることは
心に「 欠乏 」 の感を深く印象することになって、
その祈りは却って逆効果になるのである。
→ http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12208729.html(消滅)
<感謝合掌 令和2年4月6日 頓首再拝>
《神は無限の表現である》 - 伝統
2020/04/16 (Thu) 19:07:07
*『 生長の家 』(昭和25年4月16日の法語)より
吾々は 常に変化する環境の中に住んでいるのである。
その変化に最も適する様に対応することができるためには
自分の心に 「 こりかたまり 」 が あってはならないのである。
自分に 「 こりかたまり 」 があっては
自由自在に変化することができないから
適応性を失ってしまうのである。
善に捉(とら)われれば 善も悪となるのである。
悪に捉われて悪から はなれることのできないものは
滅びるしか仕方がないのである。
神は無限であり、吾(わ)が内に宿って、
無限の表現を欲しておられるのであるから、
いつも同じ様なことばかりは出て来ないのである。
→ http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13817900.html (消滅)
<感謝合掌 令和2年4月16日 頓首再拝>
《人間運命の弱小は自己欺瞞に過ぎぬ》 - 伝統
2020/05/03 (Sun) 19:52:23
*「光明法語」(5月3日)より
神の子であるところの人間が、
そんなに弱小なる運命に定められていると思うのは自己欺瞞に過ぎないのである。
自己欺瞞を去れ。
汝は神の子ではないか。
人間は自分自身の運命を斯くの如く限ってはならないと同時に、
他の人の運命も限ったり縛ったりしようと望んではならないのである。
誰をも害しない、誰をも束縛しない
自分の伸びる道があると云うことを信じなければならない。
自己の運命をよくするためには、悪は存在すると云う人類の通念に縛られず、
現象の形に惑わされないようにせねばならぬ。
<感謝合掌 令和2年5月3日 頓首再拝>
人間は無限力 - 伝統
2021/03/17 (Wed) 23:58:36
*「光明法語」(3月17日)より
人間は無限力であるから疲れることはないのである。
こう信じておれば疲労は少なくて済む。
大抵の人間は本当は疲れてもいないのに疲れたと信じ、働き過ぎたと信じ、
その信念によって、普通よりも一層疲れているのである。
人間は物質面から見れば有限であるから、
その有限面に無限力の内容から精力が補給される間中、
一時働く力が減退したように現われる事もあるが、それは一時的である。
井戸の水をかえれば一時水量が減ったように見えるが
一層清らかな水が湧き出るようなものだ。
<感謝合掌 令和3年3月17日 頓首再拝>
人間が疲れないためには - 伝統
2021/03/18 (Thu) 23:56:46
*「光明法語」(3月18日)より
自己催眠、自己暗示で自分を疲労せしめて自分を病気にするのは愚かな事である。
疲れたと思ったときには、しばらく眼を瞑(と)じ、
「神は無限力であり、自分は神の子である。
今神の無限力が滾々(こんこん)と流れ入って、自分は無限の精力を回復しつつある」
と数回念ずれば、その疲労は須臾(しばらく)のうちに回復するものである。
また仕事をする場合、自分の力で仕事をすると思わないで、
「神が自分を通して仕事をしたまうのであるから決して疲れることはない」と
数回念じてから仕事をすれば疲れない。
<感謝合掌 令和3年3月18日 頓首再拝>
《神は無限の表現である》 - 伝統
2021/04/17 (Sat) 02:58:58
*『 生長の家 』(昭和25年4月16日の法語)より
吾々は 常に変化する環境の中に住んでいるのである。
その変化に最も適する様に対応することができるためには
自分の心に 「 こりかたまり 」 が あってはならないのである。
自分に 「 こりかたまり 」 があっては
自由自在に変化することができないから
適応性を失ってしまうのである。
善に捉(とら)われれば 善も悪となるのである。
悪に捉われて悪から はなれることのできないものは
滅びるしか仕方がないのである。
神は無限であり、吾(わ)が内に宿って、
無限の表現を欲しておられるのであるから、
いつも同じ様なことばかりは出て来ないのである。
→ http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13817900.html(消滅)
<感謝合掌 令和3年4月16日 頓首再拝>
伸びるしかない - 伝統
2021/08/23 (Mon) 13:36:04
*『生命の實相 幸福篇下 第三十八巻』(8月23日)より
不満足さえも、またまことにありがたいことではある。
不満足があるので、われわれは信仰に志し、真理に到達し、
救われることができたのである。
不満足に対してさえもわれらが感謝するとき、どこに真の「不満足」があるか、
「不満足」と見えたのは「満足」の偽装であり仮面にすぎない。
陰極陽転の理は昭々として明らかである。
資源不足して人造の代用品いたるところに満ち、人知の進歩かえって増大する。
不足は増大の本である。
窮せずんば伸び、窮すればさらに伸びる。
人はまことに伸びるしか知らぬ偉大なる存在である。
<感謝合掌 令和3年8月23日 頓首再拝>
《内部の力を引き出すには》 - 伝統
2022/05/30 (Mon) 19:41:17
*「真理」第9巻生活篇第5章(P141~142)より
完全なる自己否定からして、完全なる自己肯定が可能になるのです。
だから最も遜(へりくだ)れる者が最も強者となるのである。
吾々が人間的源に頼っている限りは、普通の人間以上の力は現れて来ないのである。
人間的源泉に絶望し、人間の奥にある神的なものに頼ることによってのみ
偉大なる無限の力があらわれるのである。
人間の奥には無限なるものが宿っているのであるから、
その無限なるものを引き出すようにすればよいのである。
色々の人生の苦しみが出て来るという。
しかしそれは障害物だと見てはならない。
それは自分に内在する力を引き出すための一つの条件だと考えて
感謝すれば好いのである。
条件がなく機会がなければ、内在の力も、決して出てこないのである。
重い物があるので、それを引き上げる力も、内部から発達してくる。
世の中軽い物の他には何もなければ私たちの筋肉力も発達しないだろう。
難問題や人生一切の苦厄は内部の力を引き出すための機会である。
・・・
<参照>
脳力を高め、知性を高め、音楽を研究し、
バイノーラルビートを上げ、記憶力を向上させます
Music for Body and Spirit - Meditation Music(2020/08/27)
https://www.youtube.com/watch?v=J2ZFNjPEDZo
<感謝合掌 令和4年5月30日 頓首再拝>
《自分の天分を愛行によって伸ばしましょう》 - 伝統
2022/06/01 (Wed) 03:40:24
*「真理」第9巻生活篇第14章(P385~386)より
「人の花は紅(あか)い」という諺があります。
私たちは時々、他(た)の人が与えられている善き物を羨(うらや)むあまり、
それを誇大して感じ、自分自身に与えられている一層よき物を過小評価して
自分の乏しさを嘆くことがあるものです。
しかしすべての人は神の子として、他(た)の人に与えられえていない種類の
無限価値ある特性を与えられているのであります。
自分を充分振り返って御覧なさい。
何かの天分が必ずあるものです。
先ずそれに感謝なさい。
そして天分を強く心に描いて、その天分を生かすような実践を
たゆみなく行なうことです。
其処からあなたの天分が大きく伸びて来るのです。
他(た)を羨んでいる間に自分の天分をもって誰かのためになる
愛行を実践しましょう。
単に自分の天分を伸ばすも目的ではなく、他(た)にあたえる愛行として
実践するとき、其処から大いにあなたの天分は伸びるのです。
<感謝合掌 令和4年5月31日 頓首再拝>
《人間の跳躍力も極限状態で発揮される》 - 伝統
2022/06/03 (Fri) 04:45:59
*『 理想世界 』(昭和45年9月10日の法語)より
戦争でなくとも人間をして全力を発揮せしめる動機となるものは、
国際的名誉をかけたスポーツ競技の選手の場合の如きものに
之を見ることが出来るのである。
走り幅跳びの選手は六メートル以上も悠々と跳ぶというから
素晴らしいものであり、義経の八艘跳びの故事も思い起こさしめるのであるが、
義経はやはり、極限の状態に於いてそれをなし得たのだと思われる。
もう約そ三十年も前のことだが、神戸に大洪水が起こった時の事である。
降り続く長雨に六甲山に山津波が起こって、八畳敷や六畳敷ほどの
大岩が流水の浮力に浮かされて山から流れ落ちたり、二かかえもある巨樹が
根こそぎ水に浮かんで流されるという様な大惨事が起こったことがあった。
その頃、六甲山にはケーブルカーが架かっていて、その山の中腹にあった
停留場に駅員として勤務していた福田哲氏は、自分の立っていたその地盤が
六甲山の構造の一部を成す所の岩で出来ていたので、
それが動き出したのである。
その大きな岩が山津波の水力に浮き上がって、
山の主体から離れてズルズルと下降して行く。
そのままで福田氏がおれば大岩と共に転落して重傷を負うか、
死するかしなければならない。
もう自分の乗っている大岩は山から離れて、岩と山との間隙は
二メートル、三メートルと距離が開いて行く、その空隙は奈落の谷間である。
福田哲氏は極限の状態におかれたのである。
その瞬間思わず彼は、その谷間を跳躍して山の主体の方へ乗り移った。
これは走る惰力を利用する走り幅跳びではないのであるから、
普通人が二メートル以上、三メートルも、ただ一躍して飛び越えることは
困難なことである筈だが、極限状態におかれたために福田氏には
それが可能だった訳である。
・・・
<参照>
完全な体の再生 | 損傷したDNAを修復 | 生命エネルギーを癒し、増加させる
無限エネルギーNRG8 - 音楽療法(2021/06/09)
https://www.youtube.com/watch?v=4tMZSxXZA38
<感謝合掌 令和4年6月2日 頓首再拝>
人間は無限力 - 伝統
2023/03/17 (Fri) 05:06:29
*「光明法語」(3月17日)より
人間は無限力であるから疲れることはないのである。
こう信じておれば疲労は少なくて済む。
大抵の人間は本当は疲れてもいないのに疲れたと信じ、働き過ぎたと信じ、
その信念によって、普通よりも一層疲れているのである。
人間は物質面から見れば有限であるから、
その有限面に無限力の内容から精力が補給される間中、
一時働く力が減退したように現われる事もあるが、それは一時的である。
井戸の水をかえれば一時水量が減ったように見えるが
一層清らかな水が湧き出るようなものだ。
<感謝合掌 令和5年3月17日 頓首再拝>
人間が疲れないためには - 伝統
2023/03/18 (Sat) 05:10:14
*「光明法語」(3月18日)より
自己催眠、自己暗示で自分を疲労せしめて自分を病気にするのは愚かな事である。
疲れたと思ったときには、しばらく眼を瞑(と)じ、
「神は無限力であり、自分は神の子である。
今神の無限力が滾々(こんこん)と流れ入って、
自分は無限の精力を回復しつつある」
と数回念ずれば、その疲労は須臾(しばらく)のうちに回復するものである。
また仕事をする場合、自分の力で仕事をすると思わないで、
「神が自分を通して仕事をしたまうのであるから決して疲れることはない」と
数回念じてから仕事をすれば疲れない。
<感謝合掌 令和5年3月18日 頓首再拝>
人間は無限力~疲れからの回復、疲れを予防する祈り - 伝統
2024/03/18 (Mon) 11:51:04
人間は無限力
*「光明法語」(3月17日)より
人間は無限力であるから疲れることはないのである。
こう信じておれば疲労は少なくて済む。
大抵の人間は本当は疲れてもいないのに疲れたと信じ、働き過ぎたと信じ、
その信念によって、普通よりも一層疲れているのである。
人間は物質面から見れば有限であるから、
その有限面に無限力の内容から精力が補給される間中、
一時働く力が減退したように現われる事もあるが、それは一時的である。
井戸の水をかえれば一時水量が減ったように見えるが
一層清らかな水が湧き出るようなものだ。
・・・
人間が疲れないためには
*「光明法語」(3月18日)より
自己催眠、自己暗示で自分を疲労せしめて自分を病気にするのは愚かな事である。
疲れたと思ったときには、しばらく眼を瞑(と)じ、
「神は無限力であり、自分は神の子である。
今神の無限力が滾々(こんこん)と流れ入って、
自分は無限の精力を回復しつつある」
と数回念ずれば、その疲労は須臾(しばらく)のうちに回復するものである。
また仕事をする場合、自分の力で仕事をすると思わないで、
「神が自分を通して仕事をしたまうのであるから決して疲れることはない」と
数回念じてから仕事をすれば疲れない。
<感謝合掌 令和6年3月17日 頓首再拝>