伝統板・第二
萬葉集 ② - 夕刻版
2020/03/26 (Thu) 23:31:01
*伝統板・第二『萬葉集』からの継続です。
→ http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7851869
万葉集の有名な和歌~その26
*Web:四季の美(2020/1/15)より
狭野弟上娘子(さののおとがみのおとめ)
命あらば逢ふこともあらむ我が故に
はだな思ひそ命だに経ば
狭野弟上娘子
(巻一五・三七四五)
【読み】
いのちあらばあふこともあらむわがゆえに
はだなおもひそいのちだにへば
【意味】
命さえあれば、また逢うこともありましょう。
私のためにひどく心を痛めないでください。
命だけでも無事でさえあったら。
<感謝合掌 令和2年3月26日 頓首再拝>
万葉集の有名な和歌~その27 - 伝統
2020/03/27 (Fri) 22:38:45
*Web:四季の美(2020/1/15)より
防人(さきもり)
我が妻はいたく恋ひらし飲む水に
影さへ見えてよに忘られず
(巻二十・四三二二)
【読み】
わがつまはいたくこひらしのむみづに
かごさへみえてよにわすられず
【意味】
わたしの妻はひどく私を恋しがっているらしい。
飲む水に影まで映って現れ、まったく忘れられない。
【解説】
防人とは、北九州を中心とする沿岸警備の為に東国諸国から徴発された兵士のこと。
<感謝合掌 令和2年3月27日 頓首再拝>
万葉集の有名な和歌~その28 - 伝統
2020/03/28 (Sat) 19:42:20
*Web:四季の美(2020/1/15)より
大伴家持(おおとものやかもち)
春の苑紅にほふ桃の花
下照る道に出で立つ娘子
大伴家持
(巻十九・四一三九)
【読み】
はるのそのくれないにほふもものはな
したでるみちにいでたつをとめ
【意味】
春の園が紅色に輝いている。桃の花が下を照らす道にたたずむ乙女よ。
【題詞】
天平勝宝二年三月一日の暮に、春苑の桃李の花を眺矚して作る二首
【解説】
大伴家持(おおとものやかもち)は大伴旅人の嫡男。
万葉集の17〜20巻は大伴家持による歌日記であるとも言われる通り、
家持の歌は万葉集に479首も収めらています。
これは万葉集全体の1割を占める程。
<感謝合掌 令和2年3月28日 頓首再拝>
万葉集の有名な和歌~その29 - 伝統
2020/03/29 (Sun) 23:40:45
*Web:四季の美(2020/1/15)より
大伴家持(おおとものやかもち)
朝床に聞けば遥けし射水川
朝漕ぎしつつ唱ふ舟人
大伴家持
(巻十九・四一五〇)
【読み】
あさとこにきけばはるけしいみづかは
あさこぎしつつうたふふなびと
【意味】
朝の寝床で聞けば、遥かに遠い。
射水川で朝、舟を漕ぎながら歌う船頭の声は。
【題詞】
江をさかのぼる舟人の唱を遥かに聞く歌一首
【解説】
天平17年(745年)に27歳で越中の守に任命された家持が、越中で詠んだ歌です。
<感謝合掌 令和2年3月29日 頓首再拝>
万葉集の有名な和歌~その30 - 伝統
2020/03/30 (Mon) 22:53:28
*Web:四季の美(2020/1/15)より
大伴家持(おおとものやかもち)
春の野に霞たなびきうら悲し
この夕影にうぐいす鳴くも
大伴家持
(巻十九・四二九〇)
【読み】
はるののにかすみたなびきうらがなし
このゆふかげにうぐいすなくも
【意味】
春の野に霞がたなびいて、もの悲しい。
この夕暮れの光の中で、うぐいすが鳴いているよ。
<感謝合掌 令和2年3月30日 頓首再拝>
万葉集の有名な和歌~その31 - 伝統
2020/03/31 (Tue) 19:31:56
*Web:四季の美(2020/1/15)より
大伴家持(おおとものやかもち)
我がやどのいささ群竹吹く風の
音のかそけきこの夕かも
大伴家持
(巻十九・四二九一)
【読み】
わがやどのいささむらたけふくかぜの
おとのかそけきこのゆふへかも
【意味】
わが家のわずかばかりの竹林に、
吹く風の音がかすかに聞こえてくるこの夕べよ。
<感謝合掌 令和2年3月31日 頓首再拝>
万葉集~土用の丑の日の歌 - 伝統
2022/07/23 (Sat) 05:00:28
陰陽五行説では天地間の出来事のすべては、
木・火・土・金・水の五つの要素からなり、
その盛衰・消長などによって定まると考えられました。
春に「木」、夏に「火」、秋は「金」、冬に「水」を配し、
季節と季節の間に「土」を配したのが「土用」の始まりで、
7月20日から立秋前日までが夏の土用となります。
夏の土用と言えば丑の日ですが、
今年は今日の7月23日(土)と8月4日(木)の2回あります。
土用の丑の日に鰻を食べる習慣は、
江戸時代中頃の才人・平賀源内がきっかけだったことはよく知られていますが、
鰻の栄養価が高いことは古くから認められており、
平賀源内が活躍した千年も前に編纂された万葉集には
滋養豊な鰻を詠んだ歌が残されています。
「石麻呂(いしまろ)に 吾れもの申す
夏痩せに よしといふものぞ 鰻(むなぎ)とり食(め)せ」
石麻呂という人の夏痩せがひどいので、
滋養のある鰻をとって食べるようすすめた歌で、
三十六歌仙の一人、大伴家持(おおとものやかもち)の作です。
https://intojapanwaraku.com/culture/18453/
<感謝合掌 令和4年7月23日 頓首再拝>