伝統板・第二

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神の智慧 ② - 伝統

2020/03/14 (Sat) 04:50:54

         *伝統板・第二「神の智慧」からの継続です。
           → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6970155


智慧は愛に先行する

           *「光明法語」(3月14日)より

完全なる神、その創造の完全さ、その創造されたる人間の完全さ、
その創造されたる世界の完全さ、それを先ず信ぜよ。

現象の世界が、人間が、如何に醜くあらわれていようとも、現象なしとたち切れ。
先ず汝の心のうちに「完全なる世界」と「完全なる人間」とを確立せよ。

それは智慧の働きである。
この場合、智慧は愛に先行する。
智慧が真に相手の「完全さ」を確認し得たときにのみ、
感情としての愛が湧き出てくるのである。

それまでは意志の努力によって嫌悪を克服しながら唯(ただ)愛行を努力するだけである。

            <感謝合掌 令和2年3月14日 頓首再拝>

《神の智慧と調和が満ちている》 - 伝統

2020/04/11 (Sat) 03:13:01


         *『 生長の家 』(昭和25年4月11日の法語)より

   神の智慧は 到(いた)る処(ところ)にみちみちているのである。
   神の智慧は 調和であり、平和であり、智慧であり美であり、繁栄である。

   その同じ智慧が自分の内にも宿っているのである。
   その同じ調和と平和と秩序と美と繁栄とが自分の内に宿っているのである。

   外にあるそれらと 内にあるそれらとは、唯(ただ)一つの神から
   来たるものであるが故に、決して衝突するということはないのである。

   内外一環、吾は 富と健康と幸福との世界に押し進めらるのである。


    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13798254.html(消滅)

           <感謝合掌 令和2年4月11日 頓首再拝>

智慧を求めよ。 - 伝統

2020/05/05 (Tue) 04:52:55


       *『女性の幸福365章』(P19)より抜粋

智慧を求めよ。
すべての善きものは、智慧を媒介として
「実相・無限の世界」からあらわれて来るのである。

物質的富は必ずしも人間の幸福を約束しない。

それは薬剤を与えることはできても必ずしも健康を約束しない。

それは柔い寝床を与えるかもしれないけれども
必ずしも心安らかな眠りを約束しない。

それは高価な装飾品や衣装を与えることができるかもしれないけれども、
必ずしも人間の美しい容貌を約束しない。

本当の美と健康と、安らかな心の悦びとは、
正しい生活と智慧と愛とのみから得られるのである。

           <感謝合掌 令和2年5月5日 頓首再拝>

《大生命の叡智に導かれましょう》 - 伝統

2020/05/09 (Sat) 04:30:30

          *「真理」第9巻生活篇(P8~9)より

健全なる生活と云うものは、あなたが意識していると、
意識していないとに拘(かか)わらず、
あなたの生命(せいめい)の底(そこ)をながれている
大生命の健全なる叡智の流れに導かれている生活だったのであります。

あなたに若しも不幸が訪れ、病気に見舞われ、何か面白なくない事件が
起ったり、心が落ち着かないで不安にかられたりするならば、
それは大生命の健全なる叡智の流れに導かれないためなのです。

「大生命の健全なる叡智の流れ」を近代の科学的な語(ことば)で
申しますと、「法則」であります。

「法則」を逆用したりすると、直ぐトガメが出て来るのであります。
神罰ではありません。

火の中に腕をつっ込んだり、墜落する筈の飛行機に乗ったり、
原爆のときに遮蔽物の少しもないところにいたり、青函連絡船にのっても、
洞爺丸のような顛覆(てんぷく)する船に乗り合わせて災難をうけたり
するのは大生命の叡智に導かれていない証拠です。

           <感謝合掌 令和2年5月9日 頓首再拝>

《神の智慧を招くもの》 - 伝統

2020/05/19 (Tue) 04:35:22


          *「真理」第9巻生活篇第5章(P114~115)より

神の智慧は「人間の智慧」が完全に放棄されたときに、
其処にあらわれるのであります。

「人間の智慧」が其処に頑張っている限りに於いては、
「神の智慧」が其処にひらかれないのは、聖書『創世記』に
「智慧の樹(こ)の果(み)」を食ったアダムとイヴとが楽園から
追放されたと云う象徴物語にあらわされているのであります。

「人間の智慧」を排斥することは決して科学を排斥することでも
なければ、非科学的なことでもないのであります。

湯川博士の「中間子理論」さえも、博士が夕食後、安楽椅子によって、
うっとりと「無」の心境になったときに着想されたものであって、
人間智がなくなったときに、最高の智慧がでて来たのであります。

多くの科学者や発明家はこう云う宗教体験を
多分に持っているものであります。

           <感謝合掌 令和2年5月19日 頓首再拝>

《脳髄の智慧に頼らないで脳髄を作った智慧にたよりましょう》 - 伝統

2020/06/07 (Sun) 04:35:11


          *「真理」第9巻生活篇第5章(P129~130)より

宇宙の天体が秩序整然と運行している様(さま)を御覧なさい。
生物をして特に、人体に無数のホルモンの平衡作用によって
生理作用が完全に行なわれていることを御覧なさい。

これによって、個々別々の物質分子が勝手に排列したものではなく、
各細胞や臓器や組織が別個の孤立した存在ではなく、それを統合する
「全体智慧」と云うようなものに支配されていることを知りなさい。

その「全体智慧」と云うものは脳髄から出る智慧ではなく、
脳髄さえ作った智慧です。

この「全体智慧」と云うものが「神」であって、それが宿って
「あなたの生命(せいめい)」となっているのですから、
あなたの生命(せいめい)は即ち「神の子」なのであります。

その内部の智慧を掘り出すようにするならば、あなたは常に素晴らしい
智慧者であり、どんな発明でも、どんな計画でも成功させることが
できるのであります。

           <感謝合掌 令和2年6月7日 頓首再拝>

神は全能の智慧、調和の智慧 - 伝統

2020/06/10 (Wed) 04:56:21


    *『光明法語』(六月の法語「天国は汝の内にあり」6月10日)より

「神の力、神の智慧、神の愛、今われに流れ入りて
 われを救けたまい、導きたまい、われを祝福したまう。
 神に於いて解決困難な問題など一つだとてあり得ないのである。

 神は全能の智慧であり、調和の智慧である。

 神は自分に宿りたまう智慧であるばかりでなく、
 すべての人々に宿りたまう智慧であるから、
 すべての人々が調和して動き出して
 問題は完全に調和した形に解決するのである。

 神は今自分を神御自身の創造の尖端として
 新しき調和ある解決の道を見出し給う。
 神よ、神の完全なる智慧によって調和ある解決の導きを示し給え」

           <感謝合掌 令和2年6月10日 頓首再拝>

《神の智慧を頂くこと》 - 伝統

2020/06/27 (Sat) 04:44:07


     *『 生長の家 』(昭和32年5月10日の法語)より

   私たちは本当の幸福は、
   外的な技巧や工夫によって得られるのではないと云っても、
   現象界で現象的努力をするなと云うのではありません。

   現象界でする努力が、実相界から流れ入る智慧によって、
   実相界の「完全な状態」を現象的に現像する工程として、
   自然法爾に流露して来る「自然の努力」になる事が
   必要なのであります。

   実相界からの智慧を遮断されたる「人間的工夫」ほど
   愚かなものは無いのです。
   それは賢(さか)しらに見えつつ却って失敗するのです。

   私たちの努力は自力で計らう努力でなくて、
   神の智慧が「自分」と謂うパイプを通して流れ入り、
   神の智慧に計らわれえている努力にならないと可(い)けないのです。

   即ち、計らわずして計らわれている其の儘自然のハタラキに
   ならなければ可(い)けないのです。

   先ず仕事や勉強を始める前に暫く祈って、
   神の智慧と能力を頂いてから始めましょう。

    (『 真理 』第9巻 生活篇第11章 <P294>に収載)

           <感謝合掌 令和2年6月27日 頓首再拝>

普遍の智慧と一つになるとき、万事が都合よくゆく - 伝統

2020/07/24 (Fri) 04:37:32


     *『生命の實相 幸福篇下 第三十八巻』(7月24日)より

瞑目精神を統一して、「神はすべてのすべて・・・神は全(また)き叡智(みちえ)」と
繰り返し繰り返し念ぜよ。そして宇宙全体に、すべてのもののうちに、さらに自分自身の
うちにも、神の智慧充満せりと観じ神の智慧の中に溶け込んでしまうのである。

神はすべてのすべて、全てに行きわたって存在する智慧であるならば、その智慧の中に
没入するとき、われらは知らないものは一つもないのである。

現在意識が何を知らなくともわれらは恐れることは要らないのである。
現在意識は「脳髄」という個別的反射鏡の上に投光された普遍意識(すべてに満ちて
行きわたる智慧)の一部が反射し出されたる反射光にすぎない。

反射光が何を知っていようとも、また、何を知らずにいようとも、自分のうちに宿り給う
普遍意識は”すべて”を知っているのであるから、われらはこの普遍意識の中に没入し、
普遍の智慧と一つになるとき、知らず知らず万事が都合よくゆくのである。

「何でも都合よくゆく」という人は
普遍の智慧を知らず知らず”わがもの”としている人である。

普遍意識は自分のうちにも宿ると同時に、他のうちにも宿るが故に、
自分自身にみならず、他をを知らず知らずに動かしつつ、
万事都合のよい配合にまでいっさいを動かしてゆくのである。

         <感謝合掌 令和2年7月24日 頓首再拝>

叡智を有する不可思議力を神と言う - 伝統

2020/08/07 (Fri) 05:00:43


       *「光明法語」(8月7日《神とは何ぞや》)より

物理学者や天文学者の研究が発見したところでは、
物理や天文の世界を支配しているのは数学的法則であって、
滅裂(めつれつ)出鱈目(でたらめ)のものではないと云う事である。

物質の世界や天体の世界が、
法則なき雑然とした滅多(めった)矢鱈(やたら)に成り立っているものならば、
それは偶然の出鱈目の産物だと言い得るであろうが、

数学的法則でそれが成り立っている事を知るならば
物質や天体を構造せしむるに到った力は余程数学的知性をもった
エネルギーだと言わねばならないのである。

叡智を有する不可思議力を神と言う。

         <感謝合掌 令和2年8月7日 頓首再拝>

「宇宙の知性」 - 伝統

2020/08/11 (Tue) 02:41:10


         *「光明法語」(8月9日~11日)より

八月九日の法語 自働装置は誰が造ったか

植物の向日性や、同化作用や、呼吸作用はいすれも化学的法則に支配されている。

日光を受けて光の方向を向くのは日光に刺激されてアウクシンと云う物質が出来る為であって
それは物理化学的な反応で、精神などの働きによるものではないと唯物論者は言うけれども、

日光を受ければアウクシンと云う物質を生ずるような微妙な構造を作り、
その微少量の物質の作用によって光へ自働的に向く様な構造を造るのは中々偶然に出来る
ものではない。

造り主の智慧を必要とする。

・・・

八月十日の法語 此の微妙な構造は誰の働き

智慧ある造り主 ―― これを吾々は神と称するのである。

天体の運行にしても吾々の地球がもう半分の遅さで自転するならば、
地峡の半面は熱すぎ、他面は寒すぎて生物は生存し得ない。

地面の傾斜が無いとすれば現在の温帯地方に氷山が浮かんでいて
吾等は生存し得なくなると云うことである。

ほんの微妙な相違を寸分間違いなく構造した知性を吾々は「偶然」と称することは出来ない。
人間の神経組織、心臓のポンプ式構造が毛管血管につづいて栄養や排泄を行なう
微妙な構造は叡智ある設計者なしに構造せられる筈がない。

・・・

八月十一日の法語 宇宙の知性と人間との関係

兎も角、宇宙すべての物の背後に宇宙の知性(法則)が存在する事が分った筈である。
この宇宙の知性を神と言う。

では、宇宙の知性と「人間」との関係や如何と云う問題になる。
この問題を解決すれば、人間の病気や不幸の問題も解決される事になるのである。

そんなにも微妙な構造の人体諸器官の組織を造った宇宙の知性が、何故、
現在吾々の肉体の諸器官の欠陥を治す事ができないか。そんな筈がない。

それが治らないのは、「宇宙の知性」に吾々が委ねないからではないか。

         <感謝合掌 令和2年8月11日 頓首再拝>

宇宙全体は一つの智慧で統一している - 伝統

2020/08/15 (Sat) 05:03:14


       *『生長の家』(昭和25年6月27日の法語)より

神は吾々の生理作用を導き給うだけでなく、
吾々の周囲におこるすべての事件をもその完全なる智慧によって導き給うて
調和あらしめ給うのである。

或る天文物理学者の唱える所によると、
すべての恒星というものが存在せず、唯(ただ)吾らの太陽のみが地球に対して
存在するならば、地球の引力のフィールドと原子核の凝集する電気フィールドの
不調和から平衡が破れてすべての原子核は崩壊してしまって、
吾々の生活せる世界はないのだということである。

考えてみると何の関係もなく、大空に運行している星の一つ一つも
人間の生活にかくも微妙に調和して存在しているということは
宇宙が唯一の智慧に導かれている証拠であるのである。

   (http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=2

         <感謝合掌 令和2年8月15日 頓首再拝>

《生命の内部を流れる水》 - 伝統

2021/03/06 (Sat) 04:59:08


         *『生活の智慧365章』(第4部繁栄の泉)
           第2篇(P36~37) より

吾々の生命(せいめい)の内部に流れているところの聖なるものを ―― 
吾々は”地下の伏流水”を堀鑿(ほりぬき)してそれを地上に導き出し、
常に涸れざる清き水道の資源とするように、吾々の生命(せいめい)の内部に
流れているところの生命(せいめい)の内部的聖流を堀鑿(ほりぬき)
しなければならないのである。

地表に流れているところの河の水も水道の資源となるが、
これは涸れることもあれば、洪水の時などには汚水や濁水が混入して、
甚だ穢(よご)れていることがあるのである。

地表をながれる河の水は、現象的にあらわれている脳髄的智慧のようなものである。
それは涸(か)れたり汚れたり不純なものが混入するのである。

しかし、生命(せいめい)の内部を流れる、実相の智慧を汲み上げて来るならば、
それは無限に滾々(こんこん)と湧き出して来るし、
どんな地上の汚れも混入していないのである。

    
旅人が疲れて咽喉(のど)が渇(かわ)いでいるとき、地下から噴(ふ)き
出(で)ている泉を見出したならば蘇生(そせい)の思いをするように、

人生の旅に、どんな現象的な智慧を出して来ても解決しない問題に面したとき、
生命(せいめい)の内部を流れる実相の伏流水から智慧を汲みだして来たら、
本当に蘇生の思いをするような解決の智慧が湧いて来るのである。

          <感謝合掌 令和3年3月6日 頓首再拝>

智慧は愛に先行する - 伝統

2021/03/14 (Sun) 02:23:08


           *「光明法語」(3月14日)より

完全なる神、その創造の完全さ、その創造されたる人間の完全さ、
その創造されたる世界の完全さ、それを先ず信ぜよ。

現象の世界が、人間が、如何に醜くあらわれていようとも、現象なしとたち切れ。
先ず汝の心のうちに「完全なる世界」と「完全なる人間」とを確立せよ。

それは智慧の働きである。
この場合、智慧は愛に先行する。
智慧が真に相手の「完全さ」を確認し得たときにのみ、
感情としての愛が湧き出てくるのである。

それまでは意志の努力によって嫌悪を克服しながら
唯(ただ)愛行を努力するだけである。

          <感謝合掌 令和3年3月14日 頓首再拝>

《神の智慧と調和が満ちている》 - 伝統

2021/04/11 (Sun) 02:26:03


          *『 生長の家 』(昭和25年4月11日の法語)より

   神の智慧は 到(いた)る処(ところ)にみちみちているのである。
   神の智慧は 調和であり、平和であり、智慧であり美であり、繁栄である。

   その同じ智慧が自分の内にも宿っているのである。
   その同じ調和と平和と秩序と美と繁栄とが自分の内に宿っているのである。

   外にあるそれらと 内にあるそれらとは、唯(ただ)一つの神から
   来たるものであるが故に、決して衝突するということはないのである。

   内外一環、吾は 富と健康と幸福との世界に押し進めらるのである。


    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13798254.html (消滅)

          <感謝合掌 令和3年4月11日 頓首再拝>

心に”智慧の耳”ある者は聴け - 伝統

2021/04/25 (Sun) 04:51:50


           *『生長の家』(昭和48年2月号)より

“智慧” は天来のものであり、神来のものであるから、
それに従へば善なる結果をもたらすものであるけれども、

知識は迷いを含んだ “人間ごころ” を通して
出て来るものであるから、知識はその全部を受けて信ずれば、
そしてその示唆するところに従って実行するならば、
それは色々の禍を惹き起す種子となり、また引金となることがあるのである。

だから知識を用うるときには、良心をもってその善悪を考慮して
それを実行に移さなければならないのである。 

知識は人と物とを審判し、よく斬るけれども、
時には相手を傷つけ、時には自分を傷つける双刃のつるぎとなる。

 
智慧なき者の百年の生活は、智慧ある者の一日に及ばないのである。 
智慧ある者の一日の説法は、智慧なき者が百年かかって
集めたところの知識よりもすぐれているのである。 

何故なら、そのような知識は幾百万人を殺すけれども、
智慧ある者の一日の説法は幾百万人を生かす事が出来るからである。

智慧なき者の知識によって堕胎は行なわれ、
毎年幾百万人の胎児の生命が殺されてるのである。 

併し 『堕胎が悪行である』 という智慧は、
多くの国民の声ともならないし、政府の要人の心の耳にも入らないのである。 

心に “智慧の耳” あるもののみ真理を聞くことができるのである。

“智慧ある者” も、時には “人間ごころ” に
誘惑されて罪を犯すことがある。 

しかし “智慧ある者” はそれが “間違いの行為” であったことを、
 “智慧の鏡” に照らし出して反省し、再びその過ちを犯さないように
つとめるのである。

“智慧なき知識人” は、罪を犯しながら、
それを “間違いの行為” であったということを自覚しないから、
幾度びも罪を重ねるということになるのである。 

そしてその過ちが重なるに従って自分自身の魂の蒙る傷は深くなるのである。

だから釈尊は 『知らずに犯す罪は、知って犯す罪よりも重い。 
例えば焼火箸と知らずに握った時の火傷は、焼火箸と知りながら
用意して握った時の火傷よりもひどいのである』 
と教えらえているのである。

堕胎を “悪い” と知りながら堕胎した婦人は、
その罪の歎きに、二度とそれを繰返すまいと心に誓うのである。 

しかし堕胎を “悪い” と知らないで堕胎した婦人は、
幾度びでもその罪悪を繰返すのである
 ―― だから知らずに犯す罪の方が深く重いのである。

現行の優生保護法が堕胎を公許しているために、
公許されているから 『悪事』 でないと思い違えている婦人が多くて、
毎年 “胎児殺害” の罪を繰返しながら、
それが悪事であると知らないのである。 

優生保護法を改正する必要がある所以である。

https://predictional46.rssing.com/chan-21595050/all_p2.html
July 11, 2013, 8:51 am

          <感謝合掌 令和3年4月25日 頓首再拝>

《不思議な無限の叡智》 - 伝統

2021/06/07 (Mon) 04:48:38


         *『生活の智慧365章』(第2部歓喜の泉)
            第6篇(P147~148) より

吾々は肉体からいうならば常に死につつあるのである。
吾々に肉体を構成する細胞、それは生れ、組織をつくり、
その割り当てられたる仕事をし、やがて死んでいく。

その死んで行った後の椅子を、新しく生れた細胞が埋め、
前の細胞が行って来た仕事の引き継ぎをして、
全体として統一ある仕事が行われるのである。

新たに生れた細胞は生きていて、仕事を引き継いで、
継続してその任務とする仕事に従事する“引き継ぎ”は
如何にして行われるであろうか。

引き継がおこなわれるためには“心”がなければならないのである。

細胞から細胞へとその事務引継ぎは行われるのだろうか。
それとも、中枢からの命令が無線伝導で行われるのだろうか。

直接その事務引き継ぎが行われるにしても、
中枢からの命令が無線伝導で行われるしても、いずれにせよ、
細胞が生きていて、それに“心”があるからこそ引き継ぎができたり、
中枢の命令が感受できるのだといわなければならないのである。

或いはそれは“心”によって感受するのではなく、
電子計算機のように自動的にその引継ぎや命令の伝達が行われるのかも知れない。

併し尚(なお)、問題は残るのである。
この極めて微小な、肉眼で見えないほどに小さな細胞に
電子計算機のような複雑な構造が組み込まれているだろうか。

若しそうだったら、そのような微小な中に複雑な構想を組み込んだところの
「創造者」は実に驚くべき叡智を備えた者でなければならない。

それは到底、吾々人間の脳髄の知恵でできることではないのである。

脳髄をも造ったところの不思議なる「無限の叡智」それを神というのである。
吾々はどうしても神の存在を認めなければならないのである。

          <感謝合掌 令和3年6月7日 頓首再拝>

神は全能の智慧、調和の智慧 - 伝統

2021/06/10 (Thu) 03:26:59


    *『光明法語』(六月の法語「天国は汝の内にあり」6月10日)より

「神の力、神の智慧、神の愛、今われに流れ入りてわれを救けたまい、
 導きたまい、われを祝福したまう。
 神に於いて解決困難な問題など一つだとてあり得ないのである。

 神は全能の智慧であり、調和の智慧である。

 神は自分に宿りたまう智慧であるばかりでなく、
 すべての人々に宿りたまう智慧であるから、
 すべての人々が調和して動き出して
 問題は完全に調和した形に解決するのである。

 神は今自分を神御自身の創造の尖端として
 新しき調和ある解決の道を見出し給う。

 神よ、神の完全なる智慧によって調和ある解決の導きを示し給え」

          <感謝合掌 令和3年6月10日 頓首再拝>

叡智を有する不可思議力を神と言う - 伝統

2021/08/07 (Sat) 04:32:27


          *「光明法語」(8月7日《神とは何ぞや》)より

物理学者や天文学者の研究が発見したところでは、
物理や天文の世界を支配しているのは数学的法則であって、
滅裂(めつれつ)出鱈目(でたらめ)のものではないと云う事である。

物質の世界や天体の世界が、
法則なき雑然とした滅多(めった)矢鱈(やたら)に成り立って
いるものならば、それは偶然の出鱈目の産物だと言い得るであろうが、

数学的法則でそれが成り立っている事を知るならば
物質や天体を構造せしむるに到った力は余程数学的知性を
もったエネルギーだと言わねばならないのである。

叡智を有する不可思議力を神と言う。

         <感謝合掌 令和3年8月7日 頓首再拝>

自働装置は誰が造ったか - 伝統

2021/08/09 (Mon) 04:43:12

          *「光明法語」(8月9日)より

植物の向日性や、同化作用や、呼吸作用はいすれも化学的法則に支配されている。

日光を受けて光の方向を向くのは日光に刺激されて
アウクシンと云う物質が出来る為であってそれは物理化学的な反応で、
精神などの働きによるものではないと唯物論者は言うけれども、

日光を受ければアウクシンと云う物質を生ずるような微妙な構造を作り、
その微少量の物質の作用によって光へ自働的に向く様な構造を造るのは
中々偶然に出来るものではない。

造り主の智慧を必要とする。

         <感謝合掌 令和3年8月9日 頓首再拝>

此の微妙な構造は誰の働き - 伝統

2021/08/10 (Tue) 04:47:40


          *「光明法語」(8月10日)より

智慧ある造り主 ―― これを吾々は神と称するのである。

天体の運行にしても吾々の地球がもう半分の遅さで自転するならば、
地峡の半面は熱すぎ、他面は寒すぎて生物は生存し得ない。

地面の傾斜が無いとすれば現在の温帯地方に氷山が浮かんでいて
吾等は生存し得なくなると云うことである。

ほんの微妙な相違を寸分間違いなく構造した知性を
吾々は「偶然」と称することは出来ない。

人間の神経組織、心臓のポンプ式構造が毛管血管につづいて栄養や排泄を行なう
微妙な構造は叡智ある設計者なしに構造せられる筈がない。

         <感謝合掌 令和3年8月10日 頓首再拝>

《意識の湖底の尚底から神の叡智を汲め》 - 伝統

2021/09/22 (Wed) 04:53:53


      *「眞理」第2巻基礎篇第8章(P212~213)より

上(かみ)諏訪に旅行したときに、
それはまだ初春(はつはる)の寒い朝であったが、
諏訪湖の水からポカポカと温かそうな湯気が
立騰(たちのぼ)っていたのである。

きいて見ると湖の底から温泉が噴出しているのだそうである。
その温泉の温度によって諏訪湖の水は寒中でも滅多に凍らないし、
湖面には温かい湯気が立騰(たちのぼ)るのだと聞かされた。

それは「潜在意識」の《湖水》の下に、
そして「本能の心」の《湖底》の下に、
更に流れているものがあることを示している。

そこから神の愛と叡智と生命力とが温泉のように湧き出て
全体を温め、生かし、意識の表面をギコチなく固まらせないで、
心を自由自在に働かせ、愛の温かい湯気をもって、
気持ちのよい生活を送ることが出来るのである。

本能の尚(なお)底にある神智の温泉に汲みたい
と思うものは神想観をするのがよいのである。

         <感謝合掌 令和3年9月22日 頓首再拝>

《生命は智慧によって生命体となる》 - 伝統

2021/10/16 (Sat) 04:35:54


      *『 生長の家 』(昭和23年9月1日の法語)より

   人間の本体は 生命である。
   生命は 生きているから動く。

   それは生きているから偶然出鱈目に動くのではなく、
   律をもって動くのである。
   律は秩序であり、秩序は智慧の働きである。

   生命は 智慧によって働き、
   智慧は 秩序をもって展開して 生命体になるのだと
   云うことが出来る。


   だから 知慧ある生活は 生命体を健康ならしめるのであるが、
   智慧のない生活は 生命体を不健康ならしめるのは当然である。

   智慧のない生活は 生命体の秩序を破壊するのである。


   http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=86

         <感謝合掌 令和3年10月16日 頓首再拝>

智慧は秩序である - 伝統

2021/12/13 (Mon) 04:53:55


        *『生長の家』(昭和23年9月2日の法語)より

愚かなる智慧なき生活は 生命体の秩序を破る。

従って、病気の原因となるのである。


生命体の秩序を破るのに、物的方面と心的方面とがある。

物的方面では 食物に使用すべからざる毒物を食用する如きは 秩序を破るのである。

青酸加里や砒素剤の服用の如きは それである。


生長の家は決して物的方面の秩序を軽んずるものではない。

何故なら 物質的秩序も結局は 宇宙大生命の智慧の発現であり、
結局心的なものであるからである。


「 物は心の影 」 と云うのも 此の方面から理解出来る。

http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=86

         <感謝合掌 令和3年12月13日 頓首再拝>

《霊はその知性を低下して物質となることができる》 - 伝統

2021/12/21 (Tue) 05:04:46


        *『理想世界』(昭和42年9月10日の法語)より

   知性のない物質から知性は生ずることはできない。
   仮りに物質に知性があるにしても、
   低い知性から高い知性を生ずることはできない。

   ないものから、在るものは出てくることはできないからである。

   しかし高い知性はその活性を低下して
   低い知性となって眠ることはできるのである。

   更に一層眠ってしまって、知性が完全に低下してしまえば、
   物質のような無知性のような状態になることもできる筈である。

   しかし物質のように無知性の相をあらわしていても、本来は、
   宇宙は一元であって”神”なる霊的一元より発しているのである
   から、眠っている(或いは微弱なる)知性を備えているから、

   人間が、その知性に働きかければ、法則を通して
   物質は吾々の欲する通りに動いてくれるのであり、
   物質科学の発達もこのようにして得られたのである。

   釈尊は悟りをひられた時に、
   「山川草木国土悉く皆、仏のいのちの現成である」と観ぜられた。

   ということは、”仏のいのち”なる最高の知性が、
   その知性の発動を低下して山川草木国土の如き鉱物や植物として
   あらわれているのであって、

   一切の存在は本来、鉱物の如き無知性のものではなく、
   万物みな仏のいのちの顕われだということを悟られたということである。

   物質が固定した鉱物や木材の如きものでなく
   ”ほとけ”のいのち現成であるということが解れば、
   吾々は物質の不足や、どうにもならない物質の構造上から来る
   不自由の制約から解放される即ち「ホトケル」のである。

   だから釈尊は「山川草木国土悉皆成仏」と悟られたときに
   完全に自己解放を遂げられたのであり、即ち”仏”となられたのである。

         <感謝合掌 令和3年12月21日 頓首再拝>

智慧は愛に先行する - 伝統

2022/03/14 (Mon) 06:20:20


           *「光明法語」(3月14日)より

完全なる神、その創造の完全さ、その創造されたる人間の完全さ、
その創造されたる世界の完全さ、それを先ず信ぜよ。

現象の世界が、人間が、如何に醜くあらわれていようとも、現象なしとたち切れ。
先ず汝の心のうちに「完全なる世界」と「完全なる人間」とを確立せよ。

それは智慧の働きである。
この場合、智慧は愛に先行する。
智慧が真に相手の「完全さ」を確認し得たときにのみ、
感情としての愛が湧き出てくるのである。

それまでは意志の努力によって嫌悪を克服しながら唯(ただ)愛行を努力するだけである。

         <感謝合掌 令和4年3月14日 頓首再拝>

神は全能の智慧、調和の智慧 - 伝統

2022/06/10 (Fri) 07:28:59


         *『光明法語』(6月10日)より

「神の力、神の智慧、神の愛、
 今われに流れ入りてわれを救けたまい、導きたまい、われを祝福したまう。
 神に於いて解決困難な問題など一つだとてあり得ないのである。

 神は全能の智慧であり、調和の智慧である。

 神は自分に宿りたまう智慧であるばかりでなく、
 すべての人々に宿りたまう智慧であるから、
 すべての人々が調和して動き出して
 問題は完全に調和した形に解決するのである。

 神は今自分を神御自身の創造の尖端として
 新しき調和ある解決の道を見出し給う。

 神よ、神の完全なる智慧によって調和ある解決の導きを示し給え」

         <感謝合掌 令和4年6月10日 頓首再拝>

普遍なる神の智慧に没入するとき、万事が都合よくゆく - 伝統

2022/07/24 (Sun) 07:11:37


     *『生命の實相 幸福篇下 第三十八巻』(7月24日)より

瞑目精神を統一して、
「神はすべてのすべて・・・神は全(また)き叡智(みちえ)」と
繰り返し繰り返し念ぜよ。

そして宇宙全体に、すべてのもののうちに、さらに自分自身のうちにも、
神の智慧充満せりと観じ神の智慧の中に溶け込んでしまうのである。

神はすべてのすべて、全てに行きわたって存在する智慧であるならば、
その智慧の中に没入するとき、われらは知らないものは一つもないのである。

現在意識が何を知らなくともわれらは恐れることは要らないのである。
現在意識は「脳髄」という個別的反射鏡の上に投光された
普遍意識(すべてに満ちて行きわたる智慧)の一部が
反射し出されたる反射光にすぎない。

反射光が何を知っていようとも、また、何を知らずにいようとも、
自分のうちに宿り給う普遍意識は”すべて”を知っているのであるから、
われらはこの普遍意識の中に没入し、普遍の智慧と一つになるとき、
知らず知らず万事が都合よくゆくのである。

「何でも都合よくゆく」という人は
普遍の智慧を知らず知らず”わがもの”としている人である。

普遍意識は自分のうちにも宿ると同時に、他のうちにも宿るが故に、
自分自身にみならず、他をを知らず知らずに動かしつつ、
万事都合のよい配合にまでいっさいを動かしてゆくのである。

         <感謝合掌 令和4年7月24日 頓首再拝>

自働装置は誰が造ったか - 伝統

2022/08/09 (Tue) 07:31:01


        *「光明法語」(8月9日)より

植物の向日性や、同化作用や、呼吸作用はいすれも化学的法則に支配されている。

日光を受けて光の方向を向くのは
日光に刺激されてアウクシンと云う物質が出来る為であって
それは物理化学的な反応で、精神などの働きによるものではないと
唯物論者は言うけれども、

日光を受ければアウクシンと云う物質を生ずるような微妙な構造を作り、
その微少量の物質の作用によって光へ自働的に向く様な構造を造るのは
中々偶然に出来るものではない。

造り主の智慧を必要とする。

         <感謝合掌 令和4年8月9日 頓首再拝>

叡智ある設計者による構造とその働き - 伝統

2022/08/10 (Wed) 07:02:59


      *「光明法語」(8月10日《此の微妙な構造は誰の働き》)より

智慧ある造り主 ―― これを吾々は神と称するのである。

天体の運行にしても吾々の地球がもう半分の遅さで自転するならば、
地峡の半面は熱すぎ、他面は寒すぎて生物は生存し得ない。

地面の傾斜が無いとすれば現在の温帯地方に氷山が浮かんでいて
吾等は生存し得なくなると云うことである。

ほんの微妙な相違を寸分間違いなく構造した知性を
吾々は「偶然」と称することは出来ない。

人間の神経組織、心臓のポンプ式構造が毛管血管につづいて栄養や排泄を行なう
微妙な構造は叡智ある設計者なしに構造せられる筈がない。

         <感謝合掌 令和4年8月10日 頓首再拝>

智慧は愛に先行する - 伝統

2023/03/14 (Tue) 05:06:39


           *「光明法語」(3月14日)より

完全なる神、その創造の完全さ、その創造されたる人間の完全さ、
その創造されたる世界の完全さ、それを先ず信ぜよ。

現象の世界が、人間が、如何に醜くあらわれていようとも、現象なしとたち切れ。
先ず汝の心のうちに「完全なる世界」と「完全なる人間」とを確立せよ。

それは智慧の働きである。
この場合、智慧は愛に先行する。
智慧が真に相手の「完全さ」を確認し得たときにのみ、
感情としての愛が湧き出てくるのである。

それまでは意志の努力によって嫌悪を克服しながら
唯(ただ)愛行を努力するだけである。

        <感謝合掌 令和5年3月14日 頓首再拝>

神は全能の智慧、調和の智慧 - 伝統

2023/06/10 (Sat) 05:01:15


       *『光明法語』(6月10日)より

「神の力、神の智慧、神の愛、今われに流れ入りてわれを救けたまい、
 導きたまい、われを祝福したまう。

 神に於いて解決困難な問題など一つだとてあり得ないのである。

 神は全能の智慧であり、調和の智慧である。

 神は自分に宿りたまう智慧であるばかりでなく、
 すべての人々に宿りたまう智慧であるから、
 すべての人々が調和して動き出して
 問題は完全に調和した形に解決するのである。

 神は今自分を神御自身の創造の尖端として
 新しき調和ある解決の道を見出し給う。
 神よ、神の完全なる智慧によって調和ある解決の導きを示し給え」

           <感謝合掌 令和5年6月10日 頓首再拝>

叡智を有する不可思議力を神と言う - 伝統

2023/08/07 (Mon) 04:58:22


          *「光明法語」(8月7日《神とは何ぞや》)より

物理学者や天文学者の研究が発見したところでは、
物理や天文の世界を支配しているのは数学的法則であって、
滅裂(めつれつ)出鱈目(でたらめ)のものではないと云う事である。

物質の世界や天体の世界が、
法則なき雑然とした滅多(めった)矢鱈(やたら)に成り立って
いるものならば、それは偶然の出鱈目の産物だと言い得るであろうが、

数学的法則でそれが成り立っている事を知るならば
物質や天体を構造せしむるに到った力は余程数学的知性を
もったエネルギーだと言わねばならないのである。

叡智を有する不可思議力を神と言う。

         <感謝合掌 令和5年8月7日 頓首再拝>

自働装置は誰が造ったか - 伝統

2023/08/09 (Wed) 06:38:59


        *「光明法語」(8月9日)より

植物の向日性や、同化作用や、呼吸作用はいすれも化学的法則に支配されている。

日光を受けて光の方向を向くのは
日光に刺激されてアウクシンと云う物質が出来る為であって
それは物理化学的な反応で、精神などの働きによるものではないと
唯物論者は言うけれども、

日光を受ければアウクシンと云う物質を生ずるような微妙な構造を作り、
その微少量の物質の作用によって光へ自働的に向く様な構造を造るのは
中々偶然に出来るものではない。

造り主の智慧を必要とする。

         <感謝合掌 令和5年8月9日 頓首再拝>

叡智ある設計者による構造とその働き - 伝統

2023/08/10 (Thu) 03:58:25


      *「光明法語」(8月10日《此の微妙な構造は誰の働き》)より

智慧ある造り主 ―― これを吾々は神と称するのである。

天体の運行にしても吾々の地球がもう半分の遅さで自転するならば、
地峡の半面は熱すぎ、他面は寒すぎて生物は生存し得ない。

地面の傾斜が無いとすれば現在の温帯地方に氷山が浮かんでいて
吾等は生存し得なくなると云うことである。

ほんの微妙な相違を寸分間違いなく構造した知性を
吾々は「偶然」と称することは出来ない。

人間の神経組織、心臓のポンプ式構造が毛管血管につづいて栄養や排泄を行なう
微妙な構造は叡智ある設計者なしに構造せられる筈がない。

         <感謝合掌 令和5年8月10日 頓首再拝>

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