伝統板・第二

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本掲示板の目的に従い、法令順守、せっかく掲示板社の利用規約及び社会倫理の厳守をお願いします。
なお、当掲示板の管理人は、聖典『生命の實相』および『甘露の法雨』などの聖経以外については、
どの著作物について権利者が誰であるかを承知しておりません。

「著作物に係る権利」または「その他の正当な権利」を侵害されたとする方は、自らの所属、役職、氏名、連絡方法を明記のうえ、
自らが正当な権利者であることを証明するもの(確定判決書又は文化庁の著作権登録謄本等)のPDFファイルを添付して、
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神示とは ③ - 伝統

2020/02/04 (Tue) 05:00:58

【如月(2月)の神示】

(1)【自他一體の神示】 (昭和七年二月四日神示)

  ①伝統板・第二【自他一體の神示】
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7028479
     (2018/02/04 (Sun) 03:19:34)

  ②伝統板・第二【自他一體の神示】(講義)
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7789782
     (2019/02/04 (Mon) 05:02:22)


(2)【上求菩提(じゃうぐぼだい)・下化衆生(げけしゅじょう)の神示】  
   (昭和七年二月九日神示)
  
  ①伝統板・第二【上求菩提・下化衆生の神示】
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7028479
     (2018/02/09 (Fri) 03:31:14)

  ②伝統板・第二【上求菩提・下化衆生の神示】(講義)
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7789782
     (2019/02/09 (Sat) 04:22:50)

・・・

<関連>

(1)伝統板・第二「神示とは」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7028479

(2)伝統板・第二「神示とは ②」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7789782

          <感謝合掌 令和2年2月4日 頓首再拝>

【弥生(3月)の神示】 - 伝統

2020/03/14 (Sat) 04:56:38


(1)【いのちのゆにはの神示】 (昭和七年三月十四日神示)

  ①伝統板・第二【いのちのゆにはの神示】
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7028479
     (2018/03/14 (Wed) 05:07:28)

  ②伝統板・第二【いのちのゆにはの神示】(講義)
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7789782
     (2019/03/14 (Thu) 04:58:29)


(2)【使命邁進の神示】(昭和七年三月十五日執務中神示)
  
  ①伝統板・第二【使命邁進の神示】
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7028479
     (2018/03/15 (Thu) 03:53:54)

  ②伝統板・第二【使命邁進の神示】(講義)
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7789782
     (2019/03/15 (Fri) 04:44:12)


(3)【至上者の自覺の神示】(昭和八年三月十六日神示)
  
  ①伝統板・第二【至上者の自覺の神示】
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7028479
     (2018/03/16 (Fri) 03:48:29)

  ②伝統板・第二【至上者の自覺の神示】(講義)
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7789782
     (2019/03/16 (Sat) 03:55:32)

          <感謝合掌 令和2年3月14日 頓首再拝>

【卯月(4月)の神示】 - 伝統

2020/04/06 (Mon) 02:31:37


(1)【万教帰一の神示】(昭和六年四月五日神示)

  ①伝統板・第二「万教帰一の神示」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7028479
     (2018/04/05 (Thu) 04:15:05)

  ②伝統板・第二【万教帰一の神示】(講義)
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7789782
     (2019/04/05 (Fri) 04:29:42)


(2)【無相圓相一切相の神示】(昭和七年四月十日 神示)

  ①伝統板・第二「無相圓相一切相の神示」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7028479
     (2018/04/10 (Tue) 03:26:16)

  ②伝統板・第二【無相圓相一切相の神示】(講義)
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7789782
     (2019/04/10 (Wed) 03:50:39)

          <感謝合掌 令和2年4月6日 頓首再拝>

【皐月(5月)の神示】 - 伝統

2020/05/05 (Tue) 04:57:57

(1)【無限供給の神示】 (昭和七年五月五日 神示)

  ①伝統板・第二「無限供給の神示」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7028479
     (2018/05/05 (Sat) 03:24:50)

  ②伝統板・第二【無限供給の神示】(講義)
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7789782
     (2019/05/05 (Sun) 02:55:26)


(2)【新天新地の神示】(昭和六年五月六日 神示)

  ①伝統板・第二「新天新地の神示」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7028479
     (2018/05/06 (Sun) 03:54:09)

  ②伝統板・第二【新天新地の神示】(講義)
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7789782
     (2019/05/06 (Mon) 03:22:08)


(3)【久遠天上理想國實現の神示】  (昭和七年五月二十七日 神示)

  ①伝統板・第二「久遠天上理想國實現の神示」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7028479
     (2018/05/27 (Sun) 04:22:25)

  ②伝統板・第二【久遠天上理想國實現の神示】(講義)
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7789782
     (2019/05/27 (Mon) 04:41:00)


(4)【“心の法則”と“平和への道”の神示】(昭和六年五月三十日夜 神示)

  ①伝統板・第二「“心の法則”と“平和への道”の神示」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7028479
     (2018/05/30 (Wed) 03:27:11)

  ②伝統板・第二【“心の法則”と“平和への道”の神示】(講義)
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7789782
     (2019/05/30 (Thu) 04:40:03)

          <感謝合掌 令和2年5月5日 頓首再拝>

【水無月(6月)の神示】 - 伝統

2020/06/26 (Fri) 04:46:22

【 歸幽の神示 】(昭和六年六月ニ十六日 神示)

  ①伝統板・第二「歸幽の神示」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7028479
     (2018/06/26 (Tue) 03:44:01)

  ②伝統板・第二【歸幽の神示】(講義)
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7789782
     (2019/06/26 (Wed) 05:09:24)

・・・

<参照>
「帰幽の神示」余話 ~ 仙頭 泰
Web「み教えの基本に関する講演と論文」仙頭 泰氏
http://hikarinoshingun.giri.jp/01-donna-oshieka/mioshie-no-kihon-sendou.htm
63. 「帰幽の神示 」余談

(以下、抜粋)

(1)「帰幽の神示」には

   「念の形式に大変動を生ずれば、汝の仮有は他界に顕現し、
    今までの念の顕現たる肉体は、速やかに自壊自消する。
    これを人々は死と呼ぶが死ではない」

   とあります。

(2)私達がこの世に生まれて来るときには、父母となる人を
   選んで誕生をすると教えられています。

   そしてまた今世は何を勉強するかという予定をたてて、
   人生学校に魂を磨くために誕生するとも教えられています。

   (参照)
   「胎内記憶」に関する報告<池川明産婦人科医>

   *「胎内記憶」については、当掲示板内においても、紹介しております。

    ①「“本流宣言”掲示板」内スレッド「胎内記憶 (6068)」
      → http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=1361 (消滅)  
                        
    ②「光明掲示板・第一」内スレッド「胎内記憶Ⅱ (770)」
      → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=198 (消滅)   

    ③「光明掲示板・第一」内スレッド「胎内記憶に心耳を澄ます」
      → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=1423 (消滅)   

    ④「光明掲示板・第二」内スレッド「胎内記憶Ⅳ」
      → http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=2190 (消滅)  


    ⑤「光明掲示板・第三」内スレッド「胎内記憶Ⅴ」
      → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=92

    ⑥「光明掲示板・伝統・第一」内スレッド「自分をえらんで生まれてきたよ (66)」
      → http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=wonderful&mode=res&log=40


    ⑦「伝統板・第二」内スレッド「自分をえらんで生まれてきたよ」
      → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6457822

    ⑧「伝統板・第二」内スレッド「胎内記憶」
      → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6727130

    ⑨「伝統板・第二」内スレッド「胎内記憶②」
      → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7779152

   
(3)『レイテ島慰霊の旅』として記事(英霊の言葉)の紹介

   「谷口雅春(呼びすてにされました)、あの方は
    表面は人間の姿をしているが実は住吉大神の化身でありますよ。」

  (以下、略)


          <感謝合掌 令和2年6月26日 頓首再拝>

【文月(7月)の神示】 - 伝統

2020/07/07 (Tue) 05:00:13


【萬教包容の神示】 (昭和七年七月七日 神示)

  ①伝統板・第二「萬教包容の神示」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7028479
     (2018/07/07 (Sat) 04:36:34)

  ②伝統板・第二【萬教包容の神示】(講義)
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7789782
     (2019/07/07 (Sun) 04:42:54)

          <感謝合掌 令和2年7月7日 頓首再拝>

【葉月(8月)の神示】 - 伝統

2020/08/05 (Wed) 05:00:41


(1)【本當の信仰に就いての神示】 (昭和八年八月五日神示)

   ①伝統板・第二「本當の信仰に就いての神示」
     → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7028479
      (2018/08/05 (Sun) 09:38:16)

   ②伝統板・第二【本當の信仰に就いての神示】(講義)
     → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7789782
      (2019/08/05 (Mon) 04:51:58)



(2)【懺悔(ざんげ)の神示】 (昭和八年八月十二日神示)

   ①伝統板・第二「懺悔(ざんげ)の神示」
     → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7028479
      (2018/08/12 (Sun) 03:32:53)

   ②伝統板・第二【懺悔(ざんげ)の神示】(講義)
     → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7789782
      (2019/08/12 (Mon) 04:38:36)

          <感謝合掌 令和2年8月5日 頓首再拝>

【長月(9月)の神示】 - 伝統

2020/09/11 (Fri) 03:55:52


(1)【實相金剛身の神示】 (昭和七年九月二日神示)

  ①伝統板・第二「實相金剛身の神示」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7028479
     (2018/09/02 (Sun) 03:05:51)

  ②伝統板・第二【實相金剛身の神示】(講義)
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7789782
     (2019/09/03 (Tue) 04:49:56)


(2)【生死の教】(昭和六年九月五日神示)

  ①伝統板・第二【生死の教】
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7028479
     (2018/09/05 (Wed) 14:15:05)

  ②伝統板・第二【生死の教】(講義)
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7789782
     (2019/09/06 (Fri) 04:27:37)


(3)【靈魂進化の神示】(昭和八年九月十五日神示)

  ①伝統板・第二【靈魂進化の神示】
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7028479
     (2018/09/15 (Sat) 04:32:11)

  ②伝統板・第二【靈魂進化の神示】(講義)
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7789782
     (2019/09/15 (Sun) 03:03:14)


(4)【大調和の神示】  (昭和六年九月二十七日夜神示)

  ①伝統板・第二【大調和の神示】
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7028479
     (2018/09/27 (Thu) 04:59:46)

  ②伝統板・第二【大調和の神示】(講義)
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7789782
     (2019/09/27 (Fri) 04:10:27)


(5)【最後の審判に就いての神示】  (昭和六年九月二十八日朝神示)

  ①伝統板・第二【最後の審判に就いての神示】
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7028479
     (2018/09/28 (Fri) 03:37:30)

  ②伝統板・第二【最後の審判に就いての神示】(講義)
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7789782
     (2019/09/28 (Sat) 04:56:40)

          <感謝合掌 令和2年9月11日 頓首再拝>

「生命」の黙示 - 伝統

2020/10/07 (Wed) 04:25:12


    *「光明道中記」(10月7日《黙示を受くる日》)より

【神示とは「生命」が肉体を通過しても少しも屈折しないで
 「生命」の黙示そのままが精神に顕れて来る状態である。
                  (『生命の實相』第十一巻)】

「神は霊媒にはかからぬ」と云う意味は、
民間市井の巫女的現象、口寄現象、二重人格として出て来るのは、
いずれも霊示であって、その憑(かか)って来る霊魂の等級に応じて
一(ピン)から十(キリ)まであって、悉くは信ずべからずと云うことである。

国家の大事に尊き方の上に神霊来格の実例は古書にも見えていることである。

と云って普通の場合に於ては高級神霊さえも霊媒には憑らないのであるから、
(『生命の實相』霊界篇参照)霊媒的現象によって高級霊又は神が来(きた)った
と思って、思いあがってはいけないのである。

普通霊媒にかかるのは特殊の霊媒自身の守護霊か、
その辺に紆(う)路ついていた浮浪の霊の悪戯(いたずら)である。
斯くの如きものを神示だと思って有り難がっていたら必ず失敗する。

「神示」とは普通「霊示」の如く二重人格現象として、神寄せ式にはあらわれない。
それは「神格の内流」として直日霊(なおひのみたま)の啓示として、
”心が”純粋”になったとき”、内部から直接的に啓(ひら)かれて来る。

普通の人でも「良心」とはそれである。
「絶対」の直接把握だ。

私の著書の中に「神示」と書いた部分は神想観中、心が純粋になった時、
直感された真理をその直後に書いたのだ。

           <感謝合掌 令和2年10月7日 頓首再拝>

文章が神示なのではなく、示された真理が神示なのである。 - 伝統

2020/10/08 (Thu) 04:17:38


    *「光明道中記」(10月8日《神は善のみと知る日》)より

【神は「真如」であり此の真如より来生せし神人が「如来」である。
                    (『生命の實相』第一巻)】

「神は善である。至誠の善である」そう云うことは神示である。
その文章(かきかた)が神示なのではなく、
示された真理が神示なのである。

理窟はないのだし、運算も三段論法も要らぬのである。
そう云うことは神想観中でなくとも普通の時にも、
パッと内部の光耀(こうよう)で判ることがある。

そこで普通の「直観」と「神示」とはどう区別すべきかなどど云うことを
色々考える人もあるらしい。
直観は純粋であれば神示だと思っても好い。

併し要は純粋度の問題である。

利害関係に晦まされるに従って純粋度は減ずる。
物質ありと引っかかる程度に従って純粋度は減ずる。
五官に捉えられるに従って純粋度は減ずる。

そこで宇宙の絶対実在を悟るために、仏教では般若波羅蜜多の行があり、
五蘊皆空と観じ、色受想行識(しきじゅそうぎょうしき)なしと観じ、
眼耳鼻舌身意なしと観じ、
色声香味触法(しきしょうこうみそくほう)なしと観じ、
眼界耳界鼻界舌界身界意識界なしと観じ、

それらを”ある”かの如く思い間違えた「無明(まよい)」も無しと観じ、
「無明」もないから「悟る」と云うことも無しと観じ、・・・
斯くの如くして一切の引っかかりを無くして初めて、
「ここに彼岸あり」と悟る。

その内部的自覚は神示の一種である。

波羅蜜多とは到彼岸(はらみた)と訳されている。

           <感謝合掌 令和2年10月8日 頓首再拝>

「神示」と「霊示」 - 伝統

2020/10/09 (Fri) 04:01:55


    *「光明道中記」(10月9日《ここに彼岸ありと悟る日》)より


【同じ真理も時に応じ場合に応じて相(すがた)が変る。(『生命の實相』第十一巻)】

「ここに彼岸あり」と云う文字が眼に見えても、耳に聴かされても、それが二重人格式に
他から教えられるだけで、一重式にその人の生命そのものの自覚となって来ないのは
真理の絶対把握でないから神示ではない。

それは霊示又は霊教として霊魂からの導きであることはあり得る。

併しそれは自己神格の内流ではない。
仏性の開示ではない。
波羅蜜多ではない。

「ここに彼岸あり」をそのまま直接的に自覚するのが神示である。

香厳和尚の撃竹(きょうちく)の公案は有名なものであるが、
師に教えられている間は、ただ師弟相対して相対的に教えられているだけで、
自己神格の内流的啓示(インスピレーション)とならなかったのである。

ところが或る日庭を清掃している時に瓦片(がへん)が飛んで竹の幹に衝突した。
その音を聴いた時に、内部からパッとその真理が啓示されて来たのである。
それは二重人格的な霊媒現象ではない。これが神格の内流である。

同じ真理でも”外”から来るのと、
”内”から来るのとはそんなにも相異するのである。

”内”からのは真理の直接把握である。
真理の直接把握を「神示」と言い、二重人格的に教えられるのを霊示と言い、
霊媒現象と言うのである。

「神示」とあるのを神さまが物を言ったと思って貰いたくない。

           <感謝合掌 令和2年10月9日 頓首再拝>

【児童教育に關する神示】(日付不明) - 伝統

2020/10/30 (Fri) 05:06:59


  ①伝統板・第二「児童教育に關する神示」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7789782
     (2018/10/23 (Tue) 04:55:05)

  ②伝統板・第二【児童教育に關する神示】(講義)
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7789782
     (2019/10/22 (Tue) 03:31:03)

          <感謝合掌 令和2年10月30日 頓首再拝>

【霜月(11月)の神示】 - 伝統

2020/11/10 (Tue) 05:02:29


(1)【生長の家の食事の神示】(『和解の神示』)  (昭和五年十一月四日神示)

  ①伝統板・第二「生長の家の食事の神示」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7789782
     (2018/11/04 (Sun) 06:26:58)

  ②伝統板・第二【生長の家の食事の神示】(講義)
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7789782
     (2019/11/04 (Mon) 04:51:08)


(2)【無病常樂の神示】(昭和七年十一月十日神示)

  ①伝統板・第二【無病常樂の神示】
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7789782
     (2018/11/10 (Sat) 04:10:14)

  ②伝統板・第二【無病常樂の神示】(講義)
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7789782
     (2019/11/10 (Sun) 05:00:59)


(3)【本來生、不滅の神示】(昭和七年十一月二十五日神示)

  ①伝統板・第二【本來生、不滅の神示】
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7789782
     (2018/11/25 (Sun) 03:51:19)

  ②伝統板・第二【本來生、不滅の神示】(講義)
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7789782
     (2019/11/25 (Mon) 04:12:32)


(4)【終戦後の神示】  (昭和二十年十一月二十七日未明神示)

  ①伝統板・第二【終戦後の神示】
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7789782
     (2018/11/27 (Tue) 04:03:45)

  ②伝統板・第二【終戦後の神示】(講義)
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7789782
     (2019/11/27 (Wed) 05:04:58)

          <感謝合掌 令和2年11月10日 頓首再拝>

【師走(12月)の神示】 - 伝統

2020/12/05 (Sat) 03:17:19


(1)【信仰生活の神示】  (昭和六年十二月五日神示)

  ①伝統板・第二「信仰生活の神示」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7789782
     (2018/12/05 (Wed) 03:42:45)

  ②伝統板・第二【信仰生活の神示】(講義)
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7789782
     (2019/12/05 (Thu) 06:25:06)


(2)【君民同治の神示】  (一二・二八 午後一二時)

  ①伝統板・第二「君民同治の神示」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7789782
     (2018/12/27 (Thu) 03:57:57)

  ②伝統板・第二【君民同治の神示】(講義)
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7789782
     (2019/12/28 (Sat) 04:59:35)


(3)【日本の實相顯現の神示】  (昭和二十年十二月二十八日未明神示)

  ①伝統板・第二「日本の實相顯現の神示」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7789782
     (2018/12/28 (Fri) 04:56:16)

  ②伝統板・第二【日本の實相顯現の神示】(講義)
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7789782
     (2019/12/27 (Fri) 03:24:45)

          <感謝合掌 令和2年12月5日 頓首再拝>

【新天新地の神示】 - 伝統

2021/01/01 (Fri) 11:13:47


見よ、われ既に天地を新たならしめたのである。
人々よ、眼のおおいを取れ、

われは、新しき知恵である。
新しき生命である。
新しき宇宙である。
新しき光明である。

われ来たってこの世界は、既に変貌したのである。

既に信ずる者の暗黒は消え、醜汚は滅し、病は癒え、
悲しみは慰められ、苦しみは柔らげられた。

神秘を見て 人々よ  目覚めよ、
さめて わが新しき光に照らして存在の真実を見よ。

われは、存在の実相を照らし出す完成の灯台に灯を点ずるものである。

悲しみに泣き濡れた人々よ。
今眼を上げて、吾が光を受けよ。
汝の悲しみは、喜びに変わるであろう。

病める者よ、今病の床より起ちて、わが生命を受けよ。
われを拒むな。われを信ぜざる者は、やむを得ぬ。
われを信ずる者は、黙座して、われを念じ、われに依り頼れ。

われ汝らに「神想観」という観行を教えたれば、それを為せ。
われに汲むものは、常に新しき力に涸れないであろう。

吾を呼ぶ者のもとに、吾れは常にありて、汝らのために、
汝らの重きくびきを軽からしめる。

なんじ一人ならば、吾れを念じて、吾れと共に二人なりと思え。
なんじら二人ならば、吾れを念じて、吾れと共に三人なりと思え。

悩める者よ、わが言葉を読めば、苦しめる魂も軽くなり、悲しめる魂も慰めを得ん。
そは、われは、限りなき大愛であるからである。

汝ら事に臨んでわれを呼べば、自己の知らざる知恵の湧き出ずるに驚くであろう。

信ぜぬ者、呼ばぬ者は、不憫であるが助けようがないのである。
汝の心の疑いが、わが救いの波長に合わないからである。

遠くにいて救われている者もあるが、近くにいても救われぬ人もある。
仕方のないことであるが不憫である。

もっと兄弟たちに「生長の家」を伝えよ。
神の愛は、貰い切りではならぬ。頂いたお蔭を「私」しないで、
神の人類光明化運動に協力せよ。

「生長の家の神」と仮に呼ばしてあるが、
「七つの灯台の点灯者」と呼んでもよい。
七つの教えとイスラエルの十二の分派が、わが教えで新しき生命を得るのだ。

わが教えは、どんな宗派をも排斥するような狭い宗教ではない。
教えのもとであるから宗教というのである。

(昭和六年五月六日神示)

             ・・・

【神示講義】

(1)新たに生れること

   誰でも新年といいますと、新たに生れ更(かわ)った気持がするのであります。

   新たに生れるという気持ちがするのでありますが、
   何時の間にかその新年が古年(ふるどし)になつてしまいまして、
   この年頭の新たに生れるという感激を、忘れてしまう傾きがあるのであります。

   それで私達は、この年頭に当りまして深く人間神の子の自覚を、
   潜在意識の底の底まで植えつけて、そして1年中神の子の自覚を失わない様に
   深く真理を刻みつけて置きたいと思うのであります。


(2)宗教の本質は何であるか

(3)仏陀(ほとけ)とは何であるか

(4)「七つの燈台」の意味するもの

(5)内にやどるキリスト

(6)人類光明化ということ

(7)運動の拡大につれて


このご講義の詳細については、次のWebにて学ぶことができます。

  「谷口雅春先生をお慕いする掲示板 其の壱[928] 【新天新地の神示】」
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=140

           <感謝合掌 令和3年1月1日 頓首再拝>

【睦月(1月)の神示】 - 伝統

2021/01/06 (Wed) 06:28:39


(1)【梅の花の神示】 (昭和八年一月六日神示)

  ①伝統板・第二「神示とは~梅の花の神示」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7028479
     (2018/01/12 (Fri) 04:14:49)

  ②伝統板・第二【梅の花の神示】(講義)
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7789782
     (2019/01/05 (Sat) 04:53:28)


(2)【大和(だいわ)の國の神示】(昭和二一年一月六日)

  ①伝統板・第二【聲字即實相の神示】
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7028479
     (2018/01/14 (Sun) 04:01:36)

  ②伝統板・第二【聲字即實相の神示】(講義)
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7789782
     (2019/01/11 (Fri) 04:25:04)


(3)【完成(ななつ)の燈臺(とうだい)の神示】(昭和六年一月十五日)

  ①伝統板・第二【完成(ななつ)の燈臺(とうだい)の神示】
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7028479
     (2018/01/15 (Mon) 04:49:27)

  ②伝統板・第二【完成(ななつ)の燈臺(とうだい)の神示】(講義)
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7789782
     (2019/01/15 (Tue) 04:00:19)


(4)【自然流通の神示】  (昭和八年一月二十五日)

  ①伝統板・第二【自然流通の神示】
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7028479
     (2018/01/25 (Thu) 04:33:57)

  ②伝統板・第二【自然流通の神示】(講義)
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7789782
     (2019/01/25 (Fri) 04:57:11)

           <感謝合掌 令和3年1月6日 頓首再拝>

【自他一體の神示】 (昭和七年二月四日神示) - 伝統

2021/02/04 (Thu) 04:59:39


『生命の實相』を讀んで自分だけが眞理を悟つてそれで善いと思ふものは
まだ“生命の實相”を悟ったものではない。

眞理は自他一體のものであるから、ひとに傳へるとき、
其處に『結び』の力が發現するのである。

『結び』は愛の力、慈悲の力、神の力、佛の力である。

これを日本古道ではムスビ(産靈)と言ひ、ムスビによつて醸生(神)の力、
即ち生々化育の力が發現して來るのである。

だから『生命の實相』に書いてある通りのことを病人に愛の心で話してあげれば、
ただ、話をするだけで病氣が治るのである。
話が下手なら『生命の實相』の中で『光明の眞理』のところを、
本の由來を話してから讀んで聞かせてもよい。

神の道では『結び』の反對『切る』ことを最も厭ふのである。
怒つたり、審判いたりするのでは心で切るから善くない。
離縁、背信、忘恩、不忠、叛逆等がすべて善くないのは人と人との間を切るからである。

『神』は『道』であると云ふのも『道』と云ふものは
離れてゐるものを結び合はす働きがあるから『道』即ち神である。

結び合わす働きがなくて、審判く働きばかりあるものはどんな善人でも神に遠い。

一人の男子が縁あって一人の女性と結ばれたならば再び離れるのは『道』ではない、
それを圓く結んでやるのが道である。

神の道を知り『生命の實相』を知ると云ふことも
その道びきになる人々の間には深い因縁があることであるから、
橋掛けになつた人の恩を忘れてはならぬ。

自分はもう神と直取引が出來るから、
橋掛けになつた人の恩は忘れても良いと思ふやうな人は、
自分はもう神を知つたから神に背いても好いと云ふのと同じく不合理である。

『生長の家』を知らしてくれる人は
其の人にとつて天の使ひであるから何日までも恩を忘れてはならぬ。

日本人は忠孝一貫恩を忘れぬ國民であるから強いのである。

今度の戰ひは國民の魂の質から言へば知恩と忘恩との戰ひ、
『結び』働きと、バラバラに分離する働きとの戰ひである。

バラバラに分離する働きは結局自滅して『結ぶ働き』が世界を統一する。

醫學でも大和の醫學は結合の醫學であるが外國の醫學は分析の醫學である。
『生命』は綜合の統體であるからバラバラの醫學では解らぬ。

(昭和七年二月四日神示)

・・・

「自他一体の神示」講義 ~仙頭 泰

     *Web:光の進軍 より

http://hikarinoshingun.giri.jp/01-donna-oshieka/0101dno-sendou-ronbun/64jitaittai-no-shinji.htm


           <感謝合掌 令和3年2月4日 頓首再拝>

「自他一体の神示」講義 ~谷口雅春先生① - 伝統

2021/02/05 (Fri) 02:29:37

      *『到彼岸の神示』神示講義 自覚の巻《自他一体の神示》より抜粋

(1)人間の生命(せいめい)は、神より出で、
   すべての人類は「神の生命(せいめい)」を宿していられるので、
   自己の生命(せいめい)と他己の生命(せいめい)とは一体であります。
   
   だから他の人たち全部が真理を悟らない限り、
   自己は真理を悟っていないのであります。

(2)菩薩たるものは人類全体の苦悩を自己に摂取する結果、
   人類すべてが苦悩を脱しない限りは自己の苦悩が去らないので、
   聖者は永遠に人類救済にその全力を尽すのであります。

           <感謝合掌 令和3年2月5日 頓首再拝>

「自他一体の神示」講義 ~谷口雅春先生② - 伝統

2021/02/06 (Sat) 03:01:08


      *『到彼岸の神示』神示講義 自覚の巻《自他一体の神示》より抜粋


(3)”ムスビの力”こそ万物を生々化育する生命発現の力であり、
   一切のものを醸成する力であり、それが愛の力であり、
   慈悲の力であり、神仏の力なのであります。

(4)自他一体なるがゆえに全世界がこの真理によって救われるまでは、
   この真理の宣布を根(こん)かぎり、精力の続くかぎり行なわずにいられない筈です。

   この心境に達したというのでなければ、
   生命の実相を悟り得たなどと口幅ったい事は言われない訳であります。

   そこで先ず『生命の實相』を読み、少しでも真理をわかりかけた人は
   他の人へ伝えることを実践しなければならない訳です。

   真理を伝えた結果、相手が癒やされ、その癒やされた人自身の悦びが
   自分に反照して来るとき、自他一体の実相を自覚することが得られ、
   それによって、『生命の実相(ほんとうのすがた)』
   の本当の悟りが得られるのであります。

           <感謝合掌 令和3年2月6日 頓首再拝>

「自他一体の神示」講義 ~谷口雅春先生③ - 伝統

2021/02/07 (Sun) 03:24:43

      *『到彼岸の神示』神示講義 自覚の巻《自他一体の神示》より抜粋

(5)この「自他一体」の真理の実践が「結び」と言うのであります。
   「自他一体」をこわして、孤立又は独善に陥ることを、
   「結び」の反対なる「切る」と言うのであります。

(6)「神は道(ことば)である」というのは、
   「道(ことば)」即ち神なのであります。

   単に言語というような簡単な意味での「言(ことば)」が神ではないのであって、
   宇宙の首(はじめ)なるもの、無形の「道理」なるものを神と言ったのである。

           <感謝合掌 令和3年2月7日 頓首再拝>

「自他一体の神示」講義 ~谷口雅春先生④ - 伝統

2021/02/08 (Mon) 02:48:17


      *『到彼岸の神示』神示講義 自覚の巻《自他一体の神示》より抜粋

(7)大東亜戦争では負けましたが、
   それまで日本が何処の国と戦っても強かったのは忠孝一貫して、
   天皇の恩を忘れず、親の恩を忘れず、天皇のため、両親のために
   誠心(まごころ)を尽して挺身する美徳があったからであります。

(8)神示にある「知恩と忘恩との戰ひ」は対外的な戦争のことではなく、
   天皇や、国家や、祖先や両親に対する恩を知る者と、
   天皇の恩も、国家の恩も、両親の恩も忘れて、

   誰が日本の国を統治しても、個人が幸福になればよいではないかという
   所謂る「赤い思想」の者との戦いのことを指していられるのであります。

   この神示の出た頃には、一時的方便として天皇を金看板に使いながら、
   日本国を焦土とし、結局共産革命にもって行こうとしていた
   所謂る進歩的文化人があったことは明らかであります。

   「天皇のご命令だ」という金看板で我意を遂行しようとしていた
   当時の軍閥の中にも、社会主義革命遂行の前哨戦的手段として
   戦争を煽動していた者もあったのは事実で、

   日本が戦争に負けた一つの原因も、
   そのような背信行為に裏をかかれて戦争すべからざる時期に戦争したことにあります。

   併しやがてはバラバラに分離する働きは自滅して、
   世界全体が一つに融合する時代が来るに相違ないのであります。

           <感謝合掌 令和3年2月8日 頓首再拝>

【上求菩提・下化衆生の神示】 (昭和七年二月九日神示) - 伝統

2021/02/09 (Tue) 02:49:29



實生活は捨ててはならず、捨てねばならぬ、そこが難しいのである。
實生活を捨てるのも自分だけ淨まるために捨てるのと、
他(ひと)を救ふために捨てるのと二種類ある。

實生活をあまり忙しがるな。
皆の者が『道』をきき病ひを癒して貰ひたうても遠慮して頼みに來にくい。
そのうちに救はれる機縁を失うて取返しがつかぬやうになる人もあるのが可哀さうだ。

同じ家族でも心の持方、悟りの程度で、ひとりひとり運命は別々である。

わが第一の神殿は皆の誠によつて形の世界へ顯はれたから
第二の神殿に取りかゝつて貰はねばならぬ。

第一の神殿は聖典『生命の實相』であつて《智慧の神殿》である。
第二の神殿は《愛の神殿》であって、神が愛であり、
愛は癒やす力であることを知らす『見眞道場(いのちゆには)』である。

智慧と愛と兩(ふた)つの神殿が『生長の家』に揃へば
全世界の他上天國建設の心柱(しんばしら)が出來るのである。
この心柱は心の柱で智慧と愛との十字である、卍(まんじ)である。

  (昭和七年二月九日神示)

           <感謝合掌 令和3年2月9日 頓首再拝>

「上求菩提・下化衆生の神示」講義 ~谷口雅春先生① - 伝統

2021/02/10 (Wed) 03:26:33


       *「『到彼岸の神示』神示講義 自覚の巻
            《上求菩提・下化衆生の神示》 より抜粋

(1)「實生活は捨ててはならず、捨てねばならぬ」

  ①釈尊やイエスは、特殊な使命を果すために、實生活を捨てました。
   そのため、釈尊の生活もキリストの生活も、
   家庭生活や、実際生活という面では、
   それを成就したと云うことができません。

   特殊な使命と天才とを持った人のほかには、
   このような家庭生活や国家破壊の道には、ついて行けないのであります。

   そこに彼らの教えの足らない所があるのです。

   その足らない所を補うために、
   そして釈尊の教え、キリストの教えを成就するために
   出現したのが生長の家であります。

  ②「實生活は捨ててはならず、捨てねばならぬ、そこが難しいのである」
   と神示に仰せられています。

   家庭も生かさなければならないし、国家も生かさなければならない。
   そこで「捨てずして捨てる生活」「有たずして有つ生活」という
   両方生かす生活が必要になって来るのであります。

  ③生活の必需品は、必需だから「有たねばならない。」
   しかし有っては執着がかかって、心が汚れる。だから「有ってはならない。」

   「有たねばならないが、有ってはならない」ということになり、
   結局「有たずして有つ」「無所有の所有」ということが
   必需になって来るのであります。

   形の上では「有っている」けれども、
   「自分の所有だ」という観念を有たないで、
   「神様からあづからして戴いている」という自覚に立ち還ることであります。

  ④「すべてのものは自分のものでない」と自覚し、それは「神のもの」と知り、
   心の世界で、一切の所有を「自分名義」から「神様名義」に書き換え、

   この「所有」を預からせて頂いているのは、
   神様のものを預からせて頂いているのであるから、
   神様の御用に、神様のみこころに従って使わして頂きましょうと決意する。

   これが「有たずして有つ」であり、そこから、實生活を捨てながら、
   実生活が成就する道がひらけて来るのであります。

           <感謝合掌 令和3年2月10日 頓首再拝>

「上求菩提・下化衆生の神示」講義 ~谷口雅春先生② - 伝統

2021/02/12 (Fri) 04:58:02


       *「『到彼岸の神示』神示講義 自覚の巻
            《上求菩提・下化衆生の神示》 より抜粋

(2)「實生活をあまり忙しがるな」

   どんなに忙しい場合にでも悠々乎(ゆうゆうこ)としているべきで、
   あまり「忙しい、忙しい」などとつぶやいてはなりません。

(3)「同じ家族でも心の持方、悟りの程度で、ひとりひとり運命は別々である」

  ①家族それぞれは、その信念に従って、その行動は自由でなければなりません。

  ②自分が充分悟りを開いたつもりになったからとて、
   人それぞれの行動を強制してはなりません。
   あまり強制すると、却って家族の精神が互いに反目するようになったりします。

           <感謝合掌 令和3年2月12日 頓首再拝>

「上求菩提・下化衆生の神示」講義 ~谷口雅春先生③ - 伝統

2021/02/16 (Tue) 06:37:29


       *「『到彼岸の神示』神示講義 自覚の巻
            《上求菩提・下化衆生の神示》 より抜粋

(4)智慧の神殿と愛の神殿

  ①聖典『生命の實相』は人を真理に導く”智慧の神殿”であるとするならば、
   講師がいて直接愛情をもって指導してあげる”場”となる道場は
   ”愛の神殿”とも称すべきものであり、

   愛は癒やす力であるから、講師たるものは、智慧のハタラキで、
   高座におってただ真理さえ教えたらよいのだというようにあってはならない。

   相手に随って、対機説法自由自在、或いは打ち、あるいは柔げすると同時に、
   「自分の力」が癒やすのではなく、自分を媒介として「神の愛」が
   癒やしたまうのだということを知り、「神の愛」の媒介となるように、
   自分自身、相手の人に対する愛念を深く起すようにしなければならぬ。

   道場を神様は総括して「見信道場(けんしんどうじょう)」となづけられ、
   これを”いのちのゆには”と訓読するように示されているのであります。

  ②『生命の實相』その他の書籍の智的な「真理の柱」と、
   「見眞道場(いのちのゆには)」と謂う道場の愛の「真理(しんり)の柱」とが
   十字に卍字に交叉して、全世界に地上天国建設の 心柱(しんばしら)が
   出来上がるのだと示されているのであります。

   最近続々と各地に道場ができつつあるのは地上天国成就の機運が
   近づきつつある兆候としてまことに有難き極みであると、
   地方の熱意ある同信の諸賢に対して感謝している訳であります。

   因みに、「見眞道場(いのちのゆには)」は
   道場の総括的名称であり普通名詞であります。

   現在“いのちのゆには”を固有名詞的名称として使っているのは
   九州福岡市の道場だけでありますが、

   「いのちのゆには」とは「生命(いのち)の斎庭(ゆには)」という意味で、
   「斎」は“きよめる”といふ意味、「庭」は“場”又は“道場”の意味で、
   生命(いのち)を浄めて、今まで隠覆埋没されていた、
   生命(いのち)の完全な實相を開顕して個人の生活を健全化し、

   更に進んでは地上に天国を建設する拠点となる場を意味するので、
   この建設のために意をつくされる功徳は実に偉大なるものがあるのであります。

           <感謝合掌 令和3年2月16日 頓首再拝>

【いのちのゆにはの神示】 (昭和七年三月十四日神示) - 伝統

2021/03/14 (Sun) 02:29:13


見眞道場(いのちのゆには)とは眞(まこと)を見(あら)はす齋(きよ)めの場(にわ)である。
『眞(まこと)』とは『生命の實相(まことのすがた)』のことである。

齋(きよ)めるとは迷ひを除くことである。
人は神の子であるから、その實相を見(あら)はせば
病なく、惱みなく、死なく、一切の不幸は無い。

人の世は、神の子と神の子とが相寄って造つてゐる世界であるから、
その眞実の姿があらはれれば、人と人、階級と階級、國と國との爭い戰いも自然に消える。

實相をさとつた人が少ないために皆が苦しむのである。
假相を實相だと思ひ誤り、皆が苦しんでゐるのが可哀相であるから、
さきには智慧の光で迷を照破するために、聖典『生命の實相』を造らせたのである。

これを讀むだけで救われる人は餘程神縁の深い人達である。
此の神縁をおろそかにせずに人に傳へて尚々多くの兄弟を救ふやう協力せよ。
人はすべて神に於て兄弟である。

人を救ひ道を傳へようと思へば、それが愛即ち神心であるから、
その人に神は偕にありて神の言葉を其の人に話さすのであるから、
自分はまだ人に話すだけの力がないなどと思わず、其の時に『生長の家』について
思出したことを話せば、それが種子(たね)になつて相手が救はれる。

人は種子(たね)を播きさへすれば好い。
教への種子(たね)は神が人の心の中へ吹き込むから、
思ひ出すまゝに語ればそれで相手が救はわれる。

人ひとりでも救ふのは神の前に大いなる仕事である。此の事はだいじである。

本だけ讀んで悟れるほどの境に達していない人のためと、
人を救ふために尚一層深く知りたい人のために、智慧の光に、
愛の温かさを加えて色々世話をやくやうに
智と愛との十字で曼陀羅を織らせるのが見眞道場(いのちのゆには)である。

これから人を救ふための天使の靈の宿つてゐる善き人たちが諸方から
此の道場(ゆには)へ集まつて來て、奇蹟(てほん)を此の道場(ゆには)で見せる。

愛の心で來るものは神德を受けて歸るが、審判く心や素見(ひやか)し心で來るものは
神と心の波長が合はぬから其の心が直らぬうちは神德は受けられぬ

(昭和七年三月十四日神示)

           <感謝合掌 令和3年3月14日 頓首再拝>

【使命邁進の神示】 (昭和七年三月十五日神示) - 伝統

2021/03/15 (Mon) 04:21:27


人がどう思ふかも知れぬと、そんなことばかり氣にかけてゐるやうなことでは
心の苦しみは絶えぬものだ。

自分がどの位愛したか、自分がどんな仕事をしたか、そればかり考へるが好(よ)い。

肉体の人間は誤解するものだとあれほど言ひきかしてある。
肉体は念の集積で出來たレンズ又はプリズムであるから、
人によつて其の『眼鏡』は違ふから、
どんな光線でもみんな屈折して見えるし、
人によって屈折の仕方も違ふのだ。

三角のものも丸く見えるし、丸いものも三角に見える。
深切で言つたつもりが悪意にとられたり、
失敗(しくじ)つて言った言葉でおかげを受ける人もある。

誰が何と思つても、それは迷ひで屈折して色々に觀るのであるから、
たゞ神に知られることだけを求めて人に知られようなどと思はぬが好い。

人間の苦しみの一つの元は上(うわ)べを飾りたい心である。

(昭和七年三月十五日執務中神示)

           <感謝合掌 令和3年3月15日 頓首再拝>

【至上者の自覺の神示】 (昭和八年三月十六日神示) - 伝統

2021/03/16 (Tue) 02:07:16

 
人即ち神であると云ふ眞理を知らぬ者が多いのは氣の毒である。

『生長の家』 が此世に出現したのはすべての人々に此の至上の眞理を知らさんが為である。

自己が神だと悟つたら人間が傲慢(ごうまん)になるやうに誤解したり、
自己の本生が神だと悟つたものを謙遜が足りぬと思ふ者は大變な思ひ違ひである。

斯(か)くの如き想像する者は
自己が神だと云ふ眞理をまだ一度も悟つて見たことがないからである。

自己が神だと悟れたら人間は本當に謙遜(けんそん)になれるのである。
キリストが弟子の足を洗ふことが出來たのも、自己が神だと悟つてゐたからである。

本當の謙遜は「神の自覺」 から來る。
神を自己の本性(うち)に自覺しないものは、いくら謙遜らしく見えても、
それは卑屈(ひくつ)にすぎない。

卑屈(ひくつ)と謙遜とを思ひ誤るな。

本當の謙遜とは「自己は神より出でた神の子である。従つて神そのもののほか何者でもない」
と云ふ眞理を何らの抗(さか)らひもなしに承認することである。

此の眞理を承認するものを謙遜と云ひ柔和と云ふ。

この眞理に逆ふ者を傲慢(ごうまん)と云ふのである。

すべての傲慢と意地張りとは『吾れ神成り』の眞理を承認しないところの
根本傲慢より分化し來(きた)るのである。

觀点の違ふ者には解りやうがない。

人間の偉大な仕事を皆憑靈(ひょうれい)の仕事のやうに説いて、
人間をたゞ憑靈の傀儡(かいらい)のやうに教へるものがあるが邪教である。

人間の本性(うち)に憑靈の示唆(しさ)よりも偉大なものがあることを
教へるものこそ正しき教である。

《人間は肉體でもなければ傀儡(かいらい)でもない》、
人間は靈であり神であり自主である。

若し憑靈が「靈」 であるが故に偉大なる教(おしへ)を説き、
偉大なる仕事が出來るならば、人間自身も「靈」であるが故に、
偉大なる教を説き、偉大なる仕事が出來ることも当然でなければばらぬ。

ただその教(おしへ)や仕事に高下(こうげ)があるのは靈界の靈にも、人間にも、
自己内在の無限性の掘りさげ方に差があるからである。

釈尊は決して憑靈の傀儡ではない、基督(キリスト)も決して憑靈の傀儡ではない。

いづれも自己内在の無限性を堀下げて、終(つい)に佛性(ぶっしょう)に達し、
神性に達したから、靈界の諸靈來たつて此の二聖に事(つか)へたのである。

釈耶(しゃくや)の憑靈ばかりを觀て釈迦が自覺したところの佛性、
イエスが自覺したところの神性を見ない者は憐(あわ)れである。

憑靈が説くほどの教なら人間自身も靈であるから説き得(う)べきであるのに、
釈耶(しゃくや)の教を釈耶自身の教ではなく釈耶の憑靈の教であると説く
スピリチュアリズムは自己撞著(どうちゃく)に陥(おちい)つてゐるのである。

人間よ、人間自身の尊嚴を自覺せよ、
これを自覺することは人間自身の尊嚴を奪還することである。

『生長の家』は人間自身の尊嚴を奪還せんがために出現した人生の燈臺である。

         (昭和八年三月十六日神示)

           <感謝合掌 令和3年3月16日 頓首再拝>

「いのちのゆにはの神示」講義① ~谷口雅春先生 - 伝統

2021/03/18 (Thu) 06:44:37


      *「『到彼岸の神示』神示講義 自覚の巻
          《いのちのゆにはの神示》」 より抜粋

(1)『眞(まこと)』とは「現実の人間」の彼方に実在するところの、化して見えざる
   「精髄の人間」即ち『甘露の法雨』に「真性の人間」と書かれているところの
   「《まこと》の相(すがた)の人間」のことであります。

(2)見真とは、その「実相」の完全さをあらわすことであります。
   人間の「実相」の完全さは化して見えないものでありますが、
   それを目に見える象(かたち)にあらわすのが「見真」であります。

   真を見(あら)わせば人間の円満完全なる真実があらわれて、
   一切の不幸、病気、災難等が消えてしまうのであります。

(3)神様の世界では、生長の家の道場はその大小にかかわらず、
   すべて「いのちのゆには」即ち「生命(いのち)の齋(きよ)めの庭」なのです。

           <感謝合掌 令和3年3月18日 頓首再拝>

「いのちのゆにはの神示」講義② ~谷口雅春先生 - 伝統

2021/03/19 (Fri) 02:52:51


      *「『到彼岸の神示』神示講義 自覚の巻
          《いのちのゆにはの神示》」 より抜粋

(4)『生命の實相』の本を書かしめられたのは神様であります。

(5)人を救う愛の念願を起して、道を伝えようと思えば
   神の心と波長が合うのでありますから、
   自然に相手を救う適当な言葉が口を衝いて出るようになるのであります。

(6)内部霊魂の導きの催しによって道場に集まった人が、
   道場で講話をきいていると、

   神の力を示現するための模範的奇蹟的治癒のようなことが
   起こるのであります。

           <感謝合掌 令和3年3月19日 頓首再拝>

「いのちのゆにはの神示」講義③ ~谷口雅春先生 - 伝統

2021/03/20 (Sat) 03:29:03


      *「『到彼岸の神示』神示講義 自覚の巻
          《いのちのゆにはの神示》」 より抜粋

(7)天使の霊の宿っている人々

   そこへ集って来る霊の多くは、
   肉体の脳髄にも真理を悟らせて人を救いたいという熱願ある
   「高級霊」の方が多いのであります。

   こういう人を救いたい熱願をもっていられる
   「高級霊」の宿っている人を「天使の霊の宿っている人」
   と申されているのであります。

   既に真理を悟っている高級霊(菩薩に当たる)でも、
   その宿っている肉体の頭脳が真理を知らないと大変都合が悪い。

   人生に於ける行為は霊と肉体との協同動作によって行なわれるのですから、
   その人の霊魂だけが高級霊で、
   肉体の脳髄は「真理」を知らないのでは可けないので、

   霊魂は、其処に生長の家の道場が出来たとか、
   講習講演会が催されるとかいうことが肉体の眼にとまると、
   内部から「何となくその講習会講演会に行きたい」という念を
   起こさせる。

   この場合、肉体の脳髄が「講習に参加しよう」と思ったようだけれども、
   実は内部霊魂の導きによる催しである場合が多いのであります。

   斯ういう人たちが道場に集って講話をきいていると、神の力を至現するための
   模範的奇蹟的治癒のようなことが起こるのであります。

   治癒と言っても、単に病気だけのことではありません。
   悟りによって悪い運命が好転に一転するのも治癒であります。
   不調和な家庭生活が調和に一転するのも治癒であります。

   そのような奇蹟が「手本」となって
   他の人々が神の存在をみとめて悟りに入る媒介となるのであります。

   このようにして無数の奇蹟的治癒の行われる道場へ来ても、
   何ら神徳を受けることのできない人もないことはありません。

   「愛の心で来るものは神徳を受けて帰るが、
    審判く心や素見し(ひやかし)心で来るものは、
    神の心と波長が合わぬから其の心が直らぬうちは神徳は受けられぬ」

   とあるのであります。

   即ち心の波長が神の波長に同調すれば、
   神の御徳が現象界にカゲを映して来るのであります。
   それで「神徳」と書いてオカゲと振仮名することもあります。

(8)実相に於ては人間は万徳円満でありますが、
   現象界に於てオカゲ(神徳)が得られるか得られないかは、
   その人の心次第ということになるのであります。

           <感謝合掌 令和3年3月20日 頓首再拝>

【使命邁進の神示】講義① ~谷口雅春先生 - 伝統

2021/03/21 (Sun) 03:09:11


      *「『到彼岸の神示』神示講義 自覚の巻
        《使命邁進の神示》」より抜粋

(1)人の思わくなどを気にせず、
   「自分がその位愛したか。そればかりを考えるが好い」
   と神さまは仰せられるのである。

(2)神はマコトひとすじであって、無限の叡智と愛とをもって、
   一切のものを正しく見給うのであるが、
   人間の見解は、恰も色々の異なる屈折度のレンズ又はプリズム
   によって色々に見るのである。

           <感謝合掌 令和3年3月21日 頓首再拝>

【使命邁進の神示】講義② ~谷口雅春先生 - 伝統

2021/03/22 (Mon) 03:29:32


      *「『到彼岸の神示』神示講義 自覚の巻
        《使命邁進の神示》」より抜粋


(3)人類の危機、国家の危機を目の前に観ながら、
   天皇のことを説いたり、愛国心を説いたり、古事記を講義したら、
   「右翼」と誤認せられて、自分に非難が集中するかもしれないからとて、

   人の思惑に気兼ねをして、この危機から人類及び国家等を
   救おうとしないことはまことに愛なき事だど言うほかはないのである。

(4)この神示を読むとき、「お前はどれだけ人類を愛したか」
   「お前はどれだけ国家を愛したか」
   「お前はどれだけ愛の仕事を遂行したか」
   と問い詰められるような気がするのである。

   本当に人類を愛し、国家を愛するならば、此の人類及び国家及び
   一人ひとりの人間の破滅の危機が近づいている現代に、
   人の思惑を気にして日和見的態度をとるなどという事は
   決して出来ないことだと思うのであります。

           <感謝合掌 令和3年3月22日 頓首再拝>

【至上者の自覺の神示】講義① ~谷口雅春先生 - 伝統

2021/03/23 (Tue) 04:00:10


       *「『到彼岸の神示』神示講義 自覚の巻
         《至上者の自覺の神示》」より抜粋

(1)「人即ち神である」というのは
   「人間の本性又は実相は神である」ということです。

(2)人間に”内在する仏性”こそが人間の実相であり、
   「本当の人間」であり、肉体と見えるのは「人間の仮相(かそう)」に
   過ぎないのであります。

   仮相はそれがアルかの如く見えても、「無い」でありますから、
   「実相」のみがアルのであります。

(3)「神」という語を定義すれば
   「至上者(いとたかきもの)」ということであります。

   「至上者」とは、”至上最高の自由を得た者”ということであります。

           <感謝合掌 令和3年3月23日 頓首再拝>

【至上者の自覺の神示】講義② ~谷口雅春先生 - 伝統

2021/03/24 (Wed) 06:39:21


       *「『到彼岸の神示』神示講義 自覚の巻
         《至上者の自覺の神示》」より抜粋

(4)実相は完全であっても、現象は、その人の”心の影”として
   唯心所現的にあらわれます。

   その人の心が何を想念するかによって、
   その人の現象界の幸不幸はあらわれてくるのであります。

(5)「人間はみな神の子」であると悟ったならば、
   自分も”神の子”であると同時に、相手のすべての人も
   ”神の子”であるということがわかりますから、
   相互礼拝ということが自然に行なわれるようになります。

           <感謝合掌 令和3年3月24日 頓首再拝>

【至上者の自覺の神示】講義③ ~谷口雅春先生 - 伝統

2021/03/25 (Thu) 02:56:32


       *「『到彼岸の神示』神示講義 自覚の巻
         《至上者の自覺の神示》」より抜粋

(6)自己内在の「神の子」が目覚めていましたら、
   「人間は神の子じゃよ」と言われたら、素直に従順に
   さようでございます。その通りでございます」と、
   少しも剛情に逆らうことなくその真理を受けることができるのであります。

(7)「内在の神」を自覚いたしますと、悠々として人に処し事に処して
   行くことが出来ますから、常に柔和なのであります。

           <感謝合掌 令和3年3月25日 頓首再拝>

【万教帰一の神示】 (昭和六年四月五日神示) - 伝統

2021/04/05 (Mon) 14:21:13


われに姿かたちあるやうに言ふものもあれどわれは姿なきものである。
われは道である。われは靈性である。

智慧である、愛である、生命である、われは如來である、われは一つにして多である。

信仰深き諸方の靈覚者にわが神姿を示したることあれども、そはわが眞の姿に非ず、
見えたる神姿は靈覚者の心識の所現にも非ず。

そは、われ神通力によつて、疑ふ者の蒙を啓かんがために、
異る場所と異る人とに同じき一定の神姿を示して、
神の客観的存在を實証したに過ぎない。

されど、本來われに一定の神姿はない。
如何なる姿も欲(おも)ひのままに現ずることが自由である。
されば、嘗(かつ)てわれ汝に告げたのである『われに神殿は不要である』と。

われは神殿がないとて身の入れ場所に困るやうな神ではない。
供へ物も要らぬ。わが姿を見んと欲ふものは『生長の家』を読め。
われは言葉である。吾が言葉を盛る雑誌こそ吾が神殿である。

この雑誌がひろがるのこそわが神殿の大きくなることである。
われにすがた形はない。われは靈の海である。大海原である。
すべての宗教(おしへ)流れ來りて吾れに入らん。

吾れは完成する者である。われは『七つの燈臺』に燈を點ずる者である。
古道も、仏教も、キリスト教も、天理教も、金光教も、黒住教も、大本教も、
すべての教我に流れ入りて生命を得ん。

われは大(おほい)なるものなるかな。
すべての教を呑吐(どんと)して、これに生命を与へ、すべての相爭ふ教を
その眞髄に於て握手せしめる。吾れはすべてを包容し、すべてに光を与へ、
すべてに栄養を与へ、すべてを生かす地下水である。

他の如何なる宗教をも誹(そし)らず批(う)たず、常に讃頌(さんしょう)と、
善き言葉とを雨ふらして、それを淨めその眞髄に燈を點ずる。

あらゆる宗教がその眞髄を礼拝して手をつなぐやうにならねば
此の現實世界の改造は完成せぬ。
精神界が先きで現實界はその影である。

元乱れて影完(まった)からず、宗教家よ、宗派爭ひをしてゐる時ではない。 

(昭和六年四月五日神示)

           <感謝合掌 令和3年4月5日 頓首再拝>

【万教帰一の神示】講義~神と万教帰一について - 伝統

2021/04/06 (Tue) 04:39:42


        *Web:光の進軍(仙頭 泰氏)より抜粋

(1)生長の家の神示の中に「万教帰一の神示」とよばれるものがあります。
   この神示の冒頭に

   「われに姿かたちあるように言うものあれどわれは姿なきものである」

    と示されています。

(2)谷口雅春先生の御著書「神の真義とその理解」の
   「はしがき」の中から抜粋します。

   「神とは如何なるものであるか、知らない人々が多いのである。
    自己の内に生きている生命の尊厳を主張し、
    基本人権の絶対権を説きながら、
    それでいて『自分は無神論者だとか、唯物論者だ』と思っている人もある。

    それとは別に、実に敬虔に神を信じ、神を礼拝し、神を讃えながら、
    その神が自分の生命とは別に、自己の外に在る神通自在の神秘者であり、
    "自分"というものは、その権力の前にひざまづいて、いなければならない
    "奴隷的存在"に過ぎないと自己卑下している気の毒な善人もある。

    しかし本当の神は、そんなに自己の外にのみある権威ではないのである。

    神は普遍的存在であると同時に自己の内にある生命が"神"であるのである。

    その実相を自覚しない気の毒な善人は、
    つねに"神の前"に戦々恐々として怯えていなければならないのである。

    そんな人達が、神罰の予想の前に、ニセモノの宗教家に欺かれて、
    いつまでもその邪教に縛りつけられてそこから脱出できないで
    常に搾取せられているのは、まことに見るに堪えない気の毒さである。」

(3)谷口雅春先生は次のように述べておられます。
 
   「『われに姿かたちあるようにいう者あれどもわれは姿なきものである』
    と宣言し給える絶対者としての神もあり、森羅万象の中にその姿を
    あらわしてい給う普遍的存在なる神もある。

    その普遍的存在たる実相を媒介として、人間は神と霊交し、
    森羅万象の生命と互いに交通をする。その霊的交通によって、
    われわれは森羅万象に向かって話しかけ、意のままに
    楽園の天国を地上に建設することができるのである。

    絶対者としての神は無言でわれわれに話しかけ給う。
    しかし顕現者としての神は、聴える声でも話かけ給う。

    顕現者としての神と吾々は交通し得たとき、
    神は吾々の"天の父"ともなって、
    人格的な神との交通が得られるのである。

    その人格的な神との接触を、具体的に実現するために、
    神社や拝殿を造営して、神との人格的接触の"場"とすることも出来る。

    その造営に必要なる布施または荘厳供養の実践によって、
    人間は"愛"というものを生活の具体的営みの中に体験し
    霊魂が進歩し向上するものである。

    神は"一"であると同時に"全"であり"多"である。
    "一即多""多即一"であり、一神即万神であり、一佛一切佛である。

    しかし神は自己の個性化的顕現をもって、
    自己内在の無限を表現し給うのであるから、
    同一個性をもって、万人又は万物があらわれることを
    嫌い給うのである。

    それ故に"一神即万神"として色々の使命をもつ神々を顕現し給う。
    また"一佛一切佛"として無数の如来を顕現し給い、
    その使命又は役割も、個性をもって各々異なり給うのである。」

(4)最後に谷口雅春先生の「宗教的啓示も変遷」と題する御文章を
   ここに掲載します。

   「およそ宗教的啓示というものは、宇宙の本源たる『唯一つの心』なる
    神から、波長が最も適切に同調する教祖的人格に対して与えられたる
    霊的教示であります。

    すべての良き宗教の教祖は、おしなべて、色々の修行の結果、
    その精神状態が、宇宙の本源(神)なる『唯一つの心』に
    同調し得る境涯及び瞬刻限において閃き出でたる啓示を
    祖述するものなのであります。

    教祖はその限りにおいて、
    神の教えを語り伝える"語る部"の役目をします。

    しかし神はその時代、その国土、その民衆の伝統などに
    調和したすがたをもって教えをしなければ、民衆を導くことが
    できませんから、ある程度、その時代、その国土の
    民衆の思想に"迎合"します。

    "迎合"と言っては表現が完全ではありませんが、
    民衆に適する程度に、真理の表現を"緩めて"説くのであります。

    従って或る時代の或る民衆に適する宗教でありましても
    時代の進展とともに、その緩められた表現が、
    次の時代の民衆に適しなくなるのであります。

    そこにその宗教の躓きがあらわれて、
    民衆の心を打たなくなるのであります。

    そして次ぎに、もっと時代の民衆の心にアッピールする宗教が、
    出現することになるのであります。」

http://hikarinoshingun.giri.jp/01-donna-oshieka/0101dno-sendou-ronbun/47kamito-bankyoukiitsu.htm

           <感謝合掌 令和3年4月6日 頓首再拝>

【万教帰一の神示】講義① ~谷口雅春先生 - 伝統

2021/04/07 (Wed) 05:06:04


       *「『神ひとに語りたまう』神示講義 教の巻
         《万教帰一の神示》」より抜粋

(1)本源の神は如何なるものか

  ①神は無相にして無限相。
  ②宇宙の中に神様が生まれたのではなく、
   神様の生命そのものの広がりが宇宙であります。
   宇宙そのものが神様であるわけです。

  ③神は普遍的でありますから、普遍的根本神は、霊媒にはかからぬのであります。
  ④何処にでも到るところに、我の内に、すべての人のうちに、宿ってましますのが
   宇宙の大神であります。

(2)カミの語源について

  ①神というのは「幽かなる身」
   あるいは「隠れている身」、「輝く身」、「翔り身」。

  ②第一義の神
   神様は姿形が見えずして、遍在であり、
   宇宙到る所に、何処にでも充満しておられて、
   吾々の生命となっておられるのであります。

  ③第二義の神
   無相にして無限の姿の本源の神様が、
   無限の姿の一つを化身として現されたものであります。
   例として、観世音菩薩であるとか、
   白髪の老翁の姿をして多くの誌友の霊眼に、生長の家の神様。

  ④第三義の神
   個別霊即ち個々別々の霊魂、神格を得られている人間の霊魂、自然霊・・・。

(3)実相の世界とは

  ①霊界と一口に申しますけれども、
   一番深奥にある実在の世界は実相の世界でありまして、
   これが第一義の世界であります。

  ②既に完全円満に成就せる世界であります。

  ③「天国浄土」、「極楽」、「龍宮」、「天」、
   「真空妙有の世界」等と名づけられている。
   これが実相の世界で、これが「本体界」であって、
   「吾々の本体」が生活しております。

           <感謝合掌 令和3年4月7日 頓首再拝>

【万教帰一の神示】講義② ~谷口雅春先生 - 伝統

2021/04/08 (Thu) 03:50:55


       *「『神ひとに語りたまう』神示講義 教の巻
         《万教帰一の神示》」より抜粋

(4)自然霊のこと

  ①地上には一遍も肉体を持って来ないで、初めから霊体だけで、
   「霊の世界」に今もおるのが「自然霊」であります。

  ②天候を司っているのが「自然霊」であります。
   自然霊という「生きもの」が自由意思で(天候を)動かしているのであります。

  ③人間の心が和順して天候を司る自然霊を怒らせぬように、
   調和したような状態になりますと、豊作につながるわけであります。

  ④自然界というものは、生き物(自然霊)で左右せられていますから、
   人間の心が感応して、左右せられます。

  ⑤それにはやっぱり、生長の家の「天地一切に調和する」精神の
   政治の首班が出来まして、その心境が自然霊と調和して、
   自然霊のこころを悦ばすようにして置く必要があると思うのであります。

(5)自然現象を受持つ諸霊

  ①自然現象を受持っている霊は自然霊でありまして、神秘なる力を有して、
   肉眼には見えませんから「カクリミ」即ち神様でありますけれども、
   これは絶対の神様じゃありません。

   それは個別霊でありまして、
   宇宙全体に充ち満ちていられる普遍的な神様じゃないのであります。

  ②大きな自然現象を左右するものだけが自然霊かと言いますと、必ずしもそうではない。
   自然霊にも小さなものもあります。

   龍神に属する自然霊でも、大きく雨を降らしたりする働きのものもあるけれども、
   それほどでないのもある。酒なんか飲ませると、喜んでいるのもあります。

(6)色々の邪霊について

  ①黴菌も、結局自然発生の自然霊なのであります。

  ②大は台風を起し、竜巻を起し、気象を変化するような龍神から、
   人間の体内に症候変化を起さしめる黴菌のようなものに到るまで、
   自然霊にも色々の段階があるのであります。

  ③そういうものがおって色々の禍いをするのです。
   尤も禍いだけじゃない、良い事もするのです。

           <感謝合掌 令和3年4月8日 頓首再拝>

【万教帰一の神示】講義③ ~谷口雅春先生 - 伝統

2021/04/09 (Fri) 03:02:34


       *「『神ひとに語りたまう』神示講義 教の巻
         《万教帰一の神示》」より抜粋

(7)産土神と氏神

  ①肉体を脱した人間の霊魂の世界を行政的に取り締まっているのが、
   産土の神様であります。

  ②氏神というと、祖先に当る古代の神様のことをいうのであります。

  ③祖先が守護神として、吾々を守護しているのは事実であります。
   生長の家では「××家先祖代々親族縁族一切之霊」として祖先霊をまつりますから、
   その中に氏神も含まれて、別に霊媒を通して、氏神が何某(なにがし)の命という
   古代の神様だということを知らないでもよいということになっております。

(8)産土神の役目に就いて

  ①産土神という神様は霊界に於ける知事とか、市長とかいうのに当ります。

  ②宇宙普遍の神様は遍在しておられて、到る所に充満しておられるために、
   産土神様のように、吾々に対立的には働き掛けられるのではなく、
   直接、吾らの内部から、働き掛けられるのであります。

  ③内在の神から、宇宙普遍の神に通じ、宇宙普遍の神の霊波が産土神に通じ、
   産土神様が中継放送局みたいになって、具体的な人間に働くのであります。

  ④霊界にも色々役目の神様(諸霊)の配置があって分担しているので、
   直接最も関係の深いのは、産土神様であります。
   だから産土神様への毎月一回は参拝ということを忘れてはなりません。

  ⑤住所を変更したり、土地を購入したとかいうようなときには、
   産土神様へ行って報告するのが当然なすべきことで、

   新年には勿論、毎月一回は産土神様にお礼まいりをして、
   日々の御守護をお願いし、御礼を申し上げる
   ということにするのがよいのであります。

(9)守護神

  ①守護神は、その子供が大人になっても、老人になっても、死ぬまで、
   一代のあいだその人間を守るべき役目を与えられて、
   その人に常に付き添うているのであります。

   その守護神というのは、その人の祖先の中の優秀なる霊魂が、
   産土の神の命令により、その役目に当っているのであります。

  ②守護神というのは、私たちが生れると直ぐついて
   一生涯守護してくれるのでありますが、これは正守護神であります。

   ところが、後天的に一時守護する守護神もあります。
   その人がある仕事に就きますと、その仕事の種類に随って、
   ある特別の守護神がつく訳です。

  ③しかしながら、その役柄の守護神が付いても、吾々の心境が低下して、
   その守護神の波長と合わなくなったら、
   守護神がおれども居らぬと同じ状態になるんです。

   だから、吾々の心境が高まなければ、
   良き導きを受けるわけにゆかないという事になるのでありますから、
   やっぱり「自分が」高まるより仕方がないということになるわけであります。

(10)正神界と邪神界

  ①霊魂の中には、(心の波長の)高い霊と、低い世界にフラフラしている霊と、
   非常な罪悪を犯して、地獄のような煉獄のような世界に、
   落ちている霊とがあります。

   それで高き世界に上がっている霊の世界を正神界と称しまして、
   間違って邪道に落ちている霊魂の世界を、
   邪神界ということになっているのであります。

  ②邪神界の頭目を『黙示録』などでは、「赤き龍」と言っているのであります。

  ③正神界と邪神界との中間ともいうべき霊の世界に、天狗界があります。

  ④稲荷(いなり)といわれるのは「稲生り」で、
   五穀豊穣の天地の生成化育の働きをする
   普遍的な神のお働きを人格化して、祭祀したのであります。

   だからこれは実相の普遍的な創造神の方に入るわけであります。

   なのでありますけれども、稲荷の眷(けん)族として、
   稲荷を中心にして集っているところの霊界のグループがある。
   これが伏見稲荷のグループとか、豊川稲荷のグループとかいう風にあります。

   その眷族の神々の中には、色々の階級や種別の霊がいるんです。
   その神々の中には、天狗もおれば、武士の霊などもあります。
   正神邪神の中間階級の親分みたいな霊たちが稲荷の眷族となっております。

           <感謝合掌 令和3年4月9日 頓首再拝>

【無相圓相一切相の神示】(昭和七年四月十日 神示) - 伝統

2021/04/10 (Sat) 05:03:09


吾が臨(きた)れるは物のためではない。生命のためである。
肉のためではない、靈のためである。
これを覺(さと)ものは少ない。

物の生滅に心を捉へられ、物が殖えたときに信仰を高め、物が減つたときに信仰を失ひ、
身體が健康になつたときに神を讃へ、家族の誰かに病氣が起つたと云つては
信仰を失ふが如きは、神を信じているのではなく物を信じてゐるのである。

物は結局移り變わるものであるから、物の御利益の上に建てられた信仰は、
物の移り變わりによって懷れるのである。
  
神が病気を治して見せるのは、肉體は心でどうにでも移り變わらせることが出來ると云う
事實を見せて、『體(たい)』は念(こころ)の影だという眞理をさとらせるためである。

念(こころ)の影だと云ふ『體(たい)』とは肉體ばかりのことではない。
幽體も靈體もすべて念(こころ)の影である。

『死は無い』と云ふのは肉體のことではない。現に肉體細胞は刻々死滅し流轉している。

生き通しであるのは、斯くならしめている『生命(せいめい)』のみである。
『生命』のみが《吾れ》であり《汝》であり、
そのほかに《吾れ》も《汝》もないのである。

此の『生命』を“みたま”と云ふ。
“みたま”の形は球(たま)のやうに眞ん圓(まる)いから“みたま”と
云ふように解するものもあれど、眞ん圓いのは形のことではない。

神は本來形無く、空(くう)のうちに圓滿具足して自由自在であるから
仮りに稱して圓相と云ふのである。

自由自在なるが故に或時は龍神の姿を現じ、また或る時は衣冠束帶の姿を現じ、
或る時は天使天童の姿を現ずる。いづれの姿も權化であつて僞りではない。

しかし一つの形に執して、それのみを吾れであると思ふものは、
吾が眞実を知らざるものである。吾が全相を知らざるものである。

汝ら心して眞(まこと)を知れ。
汝たちも《神の子》であるから我れと同じきものである。

肉體は汝の一つの現れであつて汝の全相ではない。

 (昭和七年四月十日 神示)

           <感謝合掌 令和3年4月10日 頓首再拝>

【無相圓相一切相の神示】講義① ~谷口雅春先生 - 伝統

2021/04/11 (Sun) 02:36:40


       *『到彼岸の神示』神示講義 自覚の巻
         《無相圓相一切相の神示》」 より抜粋

(1)宗教の御利益というのは肉体が治るよりも、心が一変することなのです。


(2)神様は肉体的にもお蔭を与えておられるけれども、
   それは「肉体は心の影である」という真理を知らせるための
   実験みたいなものに過ぎないのであります。


(3)神は、肉体を癒すのはその目的ではない、
   魂が真理に目覚めて向上することであります。


(4)肉体の恢復を契機として、
   人間は神の子であって、霊的存在であると気付き、
   「永遠の生命」をさとり、

   現象の消長、盛衰、変遷に引っかからず、
   常に感謝の心境になれることこそ、
   神から人間に与えられた本当の救いなのであります。

           <感謝合掌 令和3年4月11日 頓首再拝>

【無相圓相一切相の神示】講義② ~谷口雅春先生 - 伝統

2021/04/12 (Mon) 03:37:26


       *『到彼岸の神示』神示講義 自覚の巻
         《無相圓相一切相の神示》」 より抜粋
 
(5)生長の家に入教されて病気が治るのは、必ずしも患者自身が
   悟りを本当にひらいて自由自在の心境に達して治るのではなく、
   「神が病気を治して見せ」られるのであります。

   この場合の神というのは、実相に於て既に完全に人間をつくっていられる
   神が既に“完全なる人間”を癒すということはあり得ないのですから、
   実相本源の神から使命を受けて人類光明化運動に参加していられる
   高級霊を爰(ここ)では「神」と称するのであります。

   高級霊の強力な光明霊波に照らされると、
   病念の具象化であった肉体の波動が、
   光明の波動に同化されてしまいますから、
   自然に肉体が健康化されてしまうのであります。

           <感謝合掌 令和3年4月12日 頓首再拝>

【無相圓相一切相の神示】講義③ ~谷口雅春先生 - 伝統

2021/04/14 (Wed) 03:59:27


       *『到彼岸の神示』神示講義 自覚の巻
         《無相圓相一切相の神示》」 より抜粋

(6)肉体は霊魂が地上生活をいとなんで向上するための
   道具としての被服であります。

   物質は燃えつきて常に変るが、

   その精神的設計の“主体”(生命)は
   常に変らないので『死は無い』と言い、
   『人間は生き通し』と言うのであります。

   その生き通しの『生命』のみが
   「本当の自分」であり、諸君自身であり、
   肉体は単なる作業服であるにすぎないのであります。

           <感謝合掌 令和3年4月14日 頓首再拝>

【無相圓相一切相の神示】講義④ ~谷口雅春先生 - 伝統

2021/04/15 (Thu) 02:49:21


       *『到彼岸の神示』神示講義 自覚の巻
         《無相圓相一切相の神示》」 より抜粋

(7)あらゆる姿を完全に全部そなえているのが神であるから、
   「完全に全部をそなえている」という意味での
   「円相」であり「みたま」である
   とお示しになっているのであります。

   この神示で大切なところは

   「汝(なんじ)ら心して真(まこと)を知れ。
    汝たちも神の子であるから我れと同じきものである」

   というところであります。

   「神」と「神の子」とは一体であり、
   神が「みたま」であり完全円相であるが如く、
   人間も「みたま」であり、完全円相である

   と教えられているのであります。

   その神が各人の「生命」であり「真我」であり
   各人の“I am”なのであります。

           <感謝合掌 令和3年4月15日 頓首再拝>

【無限供給の神示】 (昭和七年五月五日 神示) - 伝統

2021/05/05 (Wed) 08:27:29


われは道である。光である。生命(せいめい)である、智慧である。
光は先づ東方より現はれて遍く一切を照らすのである。
生長の家が日本に現はれたのも因縁のあることである。

老子が《谷神》死せずと云つたのも吾れのことである。
釈迦が過去無量千萬億阿僧祇《東方世界》に國あり。
此の國に佛いまして《多寶如來》と稱(とな)ふと云ひたりしも吾れのことである。

天地一切を渾球(こんきゅう)と云ひ渾球をタカ《アマ》ハラと云ひ、略してアマと云ひ、
天地一切を照らすときの名を天照大御神(あまてらすおほみかみ)と云ふ。

神の名はそのハタラキを示したのであって
ハタラキに從って相(すがた)もまた異(ことな)る。

吾れが一切多寶の供給無盡藏なるハタラキをするとき多寶如來と云ふのである。
《一切の寶一切の善一切の美一切の生命より出でざるはない》。

吾が姿の一つは太陽である。
諸方の信仰厚き人々に吾が太陽の靈姿を靈眼で見せてあるが、
《天文學上の對象になっている太陽はわが影に過ぎない》。

釋迦が法華經を説くとき、われは地より湧き出で、
空中に『七寶の塔』となって出現したのである。

『七つの燈臺』は世を照す光の側よりわれを見たのであり、
『七寶の塔』は多寶無限供給の側よりわれを見たのである。
『七つ』と云うのは一切と云ふことである。

吾れは吾が誓願の如く、誰にてもあれ《『生命の實相』を説くところに顯れ》、
《彼を讃嘆し彼に半座を分つて偕に坐し彼と一體となることを示す》。

釋迦が法華經を説くときわれがあらはれたのは、
釋迦が法華經を説いたとき『生命の實相』を説いたからである。

『生長の家』にわれが顯はれたのは
『生長の家』のとくところは『生命の實相』であるからである。
『生長の家』も久遠の昔からあり、
『生命の實相』も久遠の往昔(むかし)からある。

《わが靈身は『生命の實相』そのものである》から
『生命の實相』が説かれるところ、讀まれる所、披(ひら)かれるところに
吾は顯はれざるを得ないのである。

吾れは光明遍照世界(たかあまはら)の主宰者大日如來であり
千萬億阿僧祇久遠の昔より成佛せる釋迦であり、
アブラハムの生まれざる以前より既に救ひ主なりしキリストである。

吾れに汲むものは涸(かわ)かず、
吾れは無限の光、無限の生命(せいめい)、無限の愛、無限供給の泉である。

(昭和七年五月五日神示)

           <感謝合掌 令和3年5月5日 頓首再拝>

【無限供給の神示】講義① ~谷口雅春先生 - 伝統

2021/05/07 (Fri) 04:59:02


        *「『到彼岸の神示』神示講義 
          自覚の巻《無限供給の神示》」より抜粋

(1)生長の家の人類光明化運動をはじめられた神は、
   決して一宗一派の神ではないのでありまして、
   「われは道である」と仰せられております。

(2)「道」とは、一切のものの初めであり始原であり、一切のものに先行して、
   それみずから存在するものであります。

(3)神は遍在し給い、何処にも彼処にも「満ち満ち」ていますから
   ミチと言うのであります。

   「道(みち)」(宇宙に満ちている状態)が動けば、それが「光」となり、
   「生命(せいめい)」となり、「智恵」となってあらわれるので
   ありますが、「道(みち)」の未だ動かない状態が「空(くう)」で
   あります。

(4)宇宙に満つる普遍的実体なる神が動き出せば、「波動」即ち「コトバ」と
   なるのでありまして、「コトバ」というのは動的状態に入(はい)った
   「道(みち)」であります。

・・・

<参照>
則天去私(2018年01月06日)
谷口雅春先生の御本の紹介4
http://tecnopla1011.blog.jp/archives/73928138.html

           <感謝合掌 令和3年5月7日 頓首再拝>

【無限供給の神示】講義② ~谷口雅春先生 - 伝統

2021/05/08 (Sat) 02:28:34


        *「『到彼岸の神示』神示講義 
          自覚の巻《無限供給の神示》」より抜粋

(5)あらわれている現象の奥には、「谷(たに)」すなわち凹(へこ)んでいて
   見えない「空(くう)」なるののがある。
   「空(くう)」というのは「有無相対」の「無い」ということではない。

   一切が「空(くう)」のうちに包蔵され、一切が「空(くう)」によって
   支えられているのであります。

   「空(くう)」は一切の本源であり、一切のところに普遍している
   実在であります。その本源普遍の神が「谷神(こくしん)」であります。

   「谷神死せず」というのは、
   その本源普遍の神は不滅の実在であるということです。

(6)現象は無常でありますけれども、「空(くう)」なる実在は不滅である。
   「空(くう)」とは何もないのではなく一切がそのうちに蔵されている
   のであります。

(7)谷神(こくしん)は「空(くう)」であり、一切所に普遍しているので
   ありますけれども、

   普遍神が、応化神として、人格神としてあらわれる場合には、
   「光は東方より」の諺の如く、東方に出現するのであります。

           <感謝合掌 令和3年5月8日 頓首再拝>

【無限供給の神示】講義③ ~谷口雅春先生 - 伝統

2021/05/09 (Sun) 05:01:46


        *「『到彼岸の神示』神示講義 
          自覚の巻《無限供給の神示》」より抜粋

(8)多宝如来とは、本源の神の「無限供給」の面を名称にあらわしたので
   あります。

(9)生長の家は、それが地上に発祥したときに始まったのでhない。
   「久遠の昔」から存在して、世界周期の最後が近づいた今、
   人類救済の瞬刻限に出現したのであります。

(10)この神示には「わが霊身は『生命の実相』そのものである」とあります。
   無量寿の普遍的な本源神の生命(せいめい)が、すべての人間に宿って、
   すべての人間の生命(せいめい)となり、吾々は生かされているので
   ありまして、それが吾々の『生命の実相』なのであります。

   だから吾々自身の生命の実相は、無量寿普遍の本源神の生命(せいめい)
   と一体であり、『生命の實相』が読まれ、説かれ、それが明らかに
   されるところ、

   そこに宇宙の本源神が「幽之幽」なる世界から「顕」の世界にあらわれ、
   無量寿の完全生命(せいめい)が顕われるので、自然に病いは消え、
   一切の不幸も災いも滅することになるのであります。

           <感謝合掌 令和3年5月9日 頓首再拝>

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