伝統板・第二

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「中江藤樹・一日一言」 - 夕刻版

2020/01/02 (Thu) 18:12:06

「中江藤樹・一日一言」1月1日~10日

近江聖人・中江藤樹
 https://shuchi.php.co.jp/rekishikaido/detail/4256


孝を尽くして徳を養う

   父母のおんとくは
   てんよりたかく、
   海よりもふかし




【 1月1日 】 天よりも高く

父母のおんとくはてんよりもたかく、海よりもふかし。
あまりに広大無類の恩なるゆえに、ほんしんのくらき凡夫は、
むくいんことをわすれ、かえって恩ありとも、
おんなし共(とも)、おもわざりとめいたり。

           (『翁問答』上巻之本)


【訳】

父母からうけた恵みは、天よりも高く、海よりも深いものである。

それがあまりに広大で、他と比較することのできない恵みであるゆえに、
利欲の心におおわれた凡人は、その恵みに報いることを忘れ、
かえって父母の恵みの有無さえも、
なにひとつ思わなくなってしまうのである。

・・・

【 1月2日 】 父母の千辛万苦

かくのごとくの慈愛、かくのごとくの苦労をつみて、
子の身をやしないそだてたれば、
人の子の一身、毛一すじにいたるまで、
父母(ふぼ)の千辛万苦(せんしんばんく)の、
厚恩(こうおん )ならざるはなし。

               (「翁問答」上巻之本)


【訳】

(父母のなしてきた)このような慈愛、このような苦労を積みかさねて、
わが子のからだを養育したのであるから、人のからだすべて、
小さな毛一本にいたるまで、父母の辛苦の、ふかい恵みでないものはないのである。

・・・

【 1月3日 】 利欲の暗雲

本心の孝徳ありて、父母のおんをむくいん》」とをわすれぬるは、
じんよくの雲におおわれ、明徳(めいとく)の日のひかりくらく、
心の闇にまようゆえなり。

                  (『翁問答』上巻之本)

【訳】

(われわれの胸中には)本心の孝徳がそなわっているにもかかわらず、
父母の恵みに報いることを忘れているのは、いわば利欲の暗雲におおわれて、
明徳の太陽の光がくらくなり、心の闇に迷うゆえである。


・・・

【 1月4日 】 一至徳要道という霊宝

われ人の身のうちに、至徳要道(しとくようどう)といえる、
天下無双の霊宝(れいほう)あり。
このたからを用て、心にまもり身におこなう要領とする也(なり)。

                   (「翁問答」上巻之本)

【訳】

われわれ人間の身のうちには、この上ないりっぱな徳である至徳と、
重要な道としての要道という、世界に二つとない霊宝がそなわっている。
この霊宝をもちいて、心に守り身におこなうことを要領とする。

○『孝経』に「仲尼、間居したもう。
 曽子、侍坐せり。子日く、参、先王、至徳要道あって、
 もちいて天下を順にす。」云々とあり、孔子が曽子に説いたことば。

・・・

【 1月5日 】 孔子述作の孝経

孔子万世のやみを照さんために、此(この)たから をもとめまなぶ鏡に、
孝経をつくりたまうといえども、秦(しん)の代(よ)よりこのかた、
千八百余年のあいだ、十分によくまなび得たる人まれなり。

                    「翁問答』上巻之本)


【訳】

孔子は、永くふかい闇を照らすために、この霊宝を求めまなぶ鏡として
『孝経』を述作されたのであるが、秦の時代よりのち千八百年の間、
(至徳要道を)じゅうぶんにまなび得た人は、じつに稀である。


・・・

【 1月6日 】 全孝の説①

このたからは天にありては、てんの道となり、
地にありては、地のみち・となり、
人にありては、人のみちとなるもの也(なり)。

                   (『翁問答』上巻之本)

【訳】

この(至徳要道という)霊宝は、天にあっては天道となり、
地にあっては地道となり、人間にあっては人道となり、
すべてに通用するものである。

・・・

【 1月7日 】 全孝の説②

元来(がんらい)名はなけれども、衆生におしえしめさんために、
むかしの聖人、その光景をかたどりて、孝となづけ給う。

                  (「翁問答』上巻之本)



【訳】

もともと、その霊宝には名前などはなかったけれども、
万民に(わかりやすく)教示するために、いにしえの聖人は
その光景を写しとって「孝」と名づけたのである。

・・・

【 1月8日 】 孝とは愛敬

孝徳の感通をてぢかくなづけいえば、愛敬(あいけい)ののニ字につづまれり。
愛はねんごろにしたしむ意(こころ)なり。
敬は上をうやまい、下をかろしめあなどらざる義(ぎ)也(なり)。

                     (「翁問答」上巻之本)

【訳】

孝徳がおよぼす感覚を手っ取り早くいうと、
愛敬の二字に集約することができる。

愛は、ねんごろに親しむという意味である。
敬は、自分より上の人を敬い、と同時に下の人を軽んじたり、
ばかにしないという意味である。

・・・

【 1月9日 】 忠とは

二心(にしん)なく君(きみ)を愛敬するを、忠(ちゅう)となづく。

                    (「翁問答」上巻之本)


【訳】

裏切りの心がなく主君を愛敬することを「忠」と名づけるのである。

○忠 ―― 真ん中の心という字形から、かたよりのない心、まごころを意味する。

・・・

【 1月10日 】 仁とは

礼義ただしく、臣下をあいけいするを仁となづく。

              (「翁問答」上巻之本)

【訳】

礼儀正しく、わが家臣たちを愛敬することを「仁」と名づけるのである。

            <感謝合掌 令和2年1月2日 頓首再拝>

「中江藤樹・一日一言」1月11日~20日 - 伝統

2020/01/10 (Fri) 20:51:30

【 1月11日 】 慈とは

よくおしえて子を愛敬(あいけい)するを慈(じ)となづく。

              (「翁問答』上巻之本)

【訳}

しっかりと(人の道を)教えて、
わが子を愛敬することを「慈」と名づけるのである。

・・・

【 1月12日 】 悌とは

和順(わじゆん)にして兄(このかみ)を
愛敬(あいけい)するを悌(てい)となづく。

               (「翁問答」上巻之本)


【訳]

なごやかですなおな心で年長の人を
愛敬することを「悌」と名づけるのである。

・・・

【 1月13日 】 恵とは

善をせめて弟をあいけいするを恵(けい)となづく。

               (「翁問答」上巻之本)


【訳]

善行をうながして年少の人を愛敬することを
「恵」と名づけるのである。

・・・

【 1月14日 】 順とは

正しき節(せつ)をまもりて夫を愛敬(あいけい)するを順となづく。

               (「翁問答」上巻之本)


【訳]

正しい定めを守ってわが夫を愛敬することを「順」と名づけるのである。

・・・

【 1月15日 】 和とは

義をまもりて妻をあいけいするを和(わ)となづく

               (「翁問答」上巻之本)


【訳]

正義を守ってわが妻を愛敬することを「和」と名づけるのである。

・・・

【 1月16日 】 信とは

偽(いつわり)なく朋友を愛敬するを信(しん)となづく。

               (「翁問答」上巻之本)


【訳]

(一言の)いつわりをも持たずに、
ともだちを愛敬することを「信」と名づけるのである。

・・・

【 1月17日 】 孝は無始無終

元来、孝は太虚(たいきょ)をもって全体として、
万劫(ばんごう)をへても、おわりなく始(はじめ)なし。

孝のなき時なく、孝のなきものなし。

               (「翁問答」上巻之本)


【訳]

もともと孝は、(宇宙の根源の)太虚がその全体の姿であり、
永久に終わりもなければ始めもなく、
万物すべてが孝でないものはないのである。

・・・

【 1月18日 】 人は太虚神明の分身

わが身は父母にうけ、父母の身は天地にうけ、
てんちは太虚にうけたるものなれば、
本来わが身は太虚神明(しんめい)の分身変化。

               (「翁問答」上巻之本)


【訳]

自分のからだは父母から授かり、父母のからだは天地から授かり、
その天地は(宇宙の根源の)太虚から授けられたものなので、
本来自分のからだは、その太虚・神明の分身といえるのである。

・・・

【 1月19日 】 すべて私心から①

人間千々(ちぢ)よるづのまよい、みな私(わたくし)よりおこれり。
わたくしは我身を、わが物と思うところから起こるわけである。

               (「翁問答」上巻之本)


【訳]

人間のさまざまな迷いは、みな私心より起こるのである。
私心は、(父母から授かった)からだを自分のものと思うところから
起こるわけである。

・・・

【 1月20日 】 すべて私心から②

孝はその私をやぶりすてる主人公なるゆえに、孝徳の本然を、
さとり得ざるときは、博学多才なりとも、真実の儒者にあらず。

               (「翁問答」上巻之本)


【訳]

孝は、そのような私心を取りのぞく主人公であるがゆえに、
孝徳の本来を理解しないときは、たとえ博学多才の人であっても、
本当の聖賢の教えを学ぶ者とはいえないのである。

            <感謝合掌 令和2年1月10日 頓首再拝>

「中江藤樹・一日一言」1月21日~31日 - 伝統

2020/01/23 (Thu) 22:13:22

【 1月21日 】 不孝とは

心にむざとしたる一念をおこし、あるいはいかるまじき事(こと)に、
はらをたて、よろこぶまじき事(こと)をよろこび、
ねがうまじき事(こと)をねがい、悔(くやむ)まじきことをくやみ、
おそれまじき事(こと)をおそれるも、みな不孝なり。 (翁問答」上巻之本)


【訳}

心にわけもないことを思ったり、あるいは怒るほどでないことに腹を立てたり、
さほど喜ぶほどでないことに喜んだり、願うほどでないことに強く願ったり、
悔やむほどでないことに悔やんだり、恐れるほどでないことに恐れたりするのも、
みな不孝というものである。

・・・

【 1月22日 】 一言のいつわり

一言(いちごん)のいつわりも不孝(ふこう)なり。(「翁問答」上巻之本)


【訳]

たった一言の偽りもまた不孝というものである。

・・・

【 1月23日 】 迷える人の習慣

まよえる人(ひと)のならいにて、富貴(ふうき)を無上(むじょう)の
ものとおもい入(いれ)、第一のねがいとすれば、

富貴を求(もとめ)るたすけとなる人(ひと)をば、かぎりなく
うやまい追従し、悪言(あくげん)のいかりをうけても、
堪忍(かんにん)して辱(はずかし)めとせず。(「翁問答」上巻之本)


【訳]               

(世間一般にみられる)迷う人の習慣に、富貴を最上のものと思い、
それを第一の願いとするならば、自分にとって富貴を求める助けとなる人には、
かぎりなく敬い追従し、(周りから)悪口を言われても、
耐え忍んで恥としないものである。

・・・

【 1月24日 】 順徳とは

父母を愛敬(あいけい)するを本(もと)とし、
おしひろめて余(よ)の人倫(じんりん)を愛敬し、
道(みち)をおこなうを孝(こう)と云(いい)、
順徳(じゅんとく)という。(「翁問答」上巻之本)


【訳】

父母を愛敬することを根本とし、
それを押し広めて父母以外の人々にも愛敬し、
(聖賢の)道をおさめることを孝といい、順徳ともいうのである。

・・・

【 1月25日 】 惇徳とは

大こんぽんのおんをわすれて、父母をばあいけいせずして、
枝葉(しよう)のちいさきおんをむくいんと、他人をあいけいするを
不孝といい、惇徳(はいとく)と云(いう)。(「翁問答」上巻之本)


【訳】

(自分にうけた)大根本の恵みを忘れて、父母を愛敬することなく、
枝葉の小さい恵みに報いようとして、他人を愛敬するを不孝といい、
惇徳ともいうのである。

・・・

【 1月26日 】 惇徳の人は

惇徳の人はたとい才能人にすぐれたりとも、真実の人にあらず。

かならず終(つい)には神明の罰にあたるものなり。(「翁問答」上巻之本)


【訳】

(そのような)惇徳の人は、たとえ才能が人よりもすぐれていたとしても、
真実の人とはいえない。

かならずついには神明の冥罰をこうむることになるのである。

・・・

【 1月27日 】 孝行の条目

孝行の条目あまたありといえども、畢寛はニケ条につづまれり。

第一には父母の心の、安楽なるようにするなり。
第二には父母の身を、よくうやまいやしなうなり。(「翁問答」上巻之本)


【訳】

孝行の内容はかず多くあるけれども、
突きつめると二か条に集約できる。

第一には、父母の心にうれいを持たず安楽なるようにすることである。
第二には、父母のからだを常に敬い養うことである。

・・・

【 1月28日 】 姑息の愛①

当座の苦労をいたわりて、子(こ)のねがいのままに育てぬるを、
姑息の愛と云(いい)、姑息の愛をば、舐犢(しとく)の愛とて
牛の子をそだてるにたとえたり。(「翁問答」上巻之本)


【訳】

その場かぎりの苦労をいたわって、わが子の願いのままに育てることを、
姑息の愛といい、姑息の愛をば舐犢(しとく)の愛といって、
親牛が小牛を舌でなめるような育て方に、たとえられている。

・・・

【 1月29日 】 姑息の愛②

姑息の愛はさしあたりては慈愛に似たれども、
その子気随(きずい)いなりて、才もなく徳もなく、鳥獣に近くなりぬれば、
畢竟は、子(こ)を憎みて、悪しき道へひきいるるに同じ。(「翁問答」上巻之本)


【訳】

姑息の愛は、さしあたっては慈愛のように思われるけれども、
その子は気ままな性格となり、才能も孝徳もなく、禽獣のような心になってしまい、
結局はわが子を憎み、悪の道に引き入れてしまうのと同じことになるのである。

・・・

【 1月30日 】 子孫に道を教える

さてまたいえをおこすも子孫なり、いえをやぶるも子孫なり。
子孫に道(みち)をおしへずして、子孫の繁昌をもとむるは、
あしなくて行(ゆく)ことをねがふにひとし。(「翁問答」上巻之本)


【訳】

さてまた、家をさかんにするのも子や孫であり、
また家をだめにするのも子や孫である。
その子や孫に、人としての道を教えずに、かれらの繁昌をもとめるのは、
足がないのに歩いて行くことを願っているのに等しい。

・・・

【 1月31日 】 胎教は母徳の教化

子孫におしえるには、幼少のときを根本とす。
むかしは胎教とて、胎内にあるあいだにも、母徳(ぼとく)の教化あり。
                      (「翁問答」上巻之本)


【訳】

子や孫に、人としての道を教えるには、幼少の時期を根本とする。
むかしは、胎教といって、子どもが母の胎内にあるあいだにも、母徳の教化があった。

            <感謝合掌 令和2年1月23日 頓首再拝>

「中江藤樹・一日一言」2月1日~10日 - 伝統

2020/02/02 (Sun) 23:18:24


【 2月1日 】 徳教とは

根本真実の教化は、徳教(とつきよう)なり。
くちにてはおしえずして、我身(わがみ)をたてみちをおこないて、
人のおのずから変化するを徳教(とつきよう)という
                      (「翁問答」上巻之本)


【訳}

根本真実の教化は、徳教である。口にて教えるのでなく、
わが身を正して(聖賢の)道をおさめ、人がおのずから感化を
うけて変化することを、徳教というのである。

・・・

【 2月2日 】 師匠と友をえらぶ

成童の時よりのおしえは、師匠と友をえらぶをおしえの眼(まなこ)とす。
さてすぎわいは、それぞれの器用にしたがい、それぞれの運う運命をかんがえて、
本分(ほんぶん)の生理(せいり)、士農工商のうちを謀(はか)りさだむべし。
                      (「翁問答」上巻之本)


【訳]

成童となってからの教えは、
すぐれた徳のある師匠とよき友人をえらぶのを眼目とする。

さて職業は、それぞれの器用と、それぞれの生活環境的な運命を考えて、
本分の生まれつき、士農工商のなかから考え定めることである。

・・・

【 2月3日 】 人は天地の子

ばんみんはことごとく、天地の子なれば、
われも人(ひと)も人間のかたちあるほどのものは、
みな兄弟(きょうだい)なり。

                      (「翁問答」上巻之本)


【訳]

すべての人間は、天地の(恵みによって生生化育された)子であるので、
われも人も人間の形あるほどの者は、みな兄弟なのである。

 〇 このことばは、五経のひとつ「書経」周書・泰誓上篇にある
   「天地は万物の父母、人は万物の霊」にもとづく

・・・

【 2月4日 】 庶民はくにの宝

農工商はくにの宝なれば、一(ひと)し)お あわれみはごくみて、
其利(そのり)を利(り)として、その楽(たのしみ)をたのしむように
政(まつりごと)をなすは、
君(きみ)の仁礼(じんれい)をおこなう大(たい)がいなり。

                      (「翁問答」上巻之本)


【訳]

農民・職人・商人は国の宝であるから、一層あわれみ育くんで、
かれらの得た利益を自分の利益のように喜び、かれらの楽しみを
自分の楽しみのように政治をおこなうのが、主君の仁と礼の概略である。

・・・

【 2月5日 】 分形連気の道理

世上(よじょう)のまよえる人をみれば、多分(たぶん)兄弟(きょうだい)の
あいだ他人よりもおろそかなり。わずかの.よくのあらそいにて、
かたきの思いをむすぶもあり。
分形(ぶんけい)連気のことわりをしらず。

                      (「翁問答」上巻之本)

【訳]

世間の迷っている人を観察すると、おそらく血を分けた兄弟の関係は、
他人よりも疎遠になっている場合が多い。わずかの物欲の争いで、
まるで敵のような思いを結んでいる者がある。

これは、分形連気という(一つの根源から生まれたという)道理を
知らないためである。

・・・

【 2月6日 】 心友とは

たがいのこころざし、おなじくまじわりしたしむを、心友(しんゆう)という。

                      (「翁問答」上巻之本)

【訳]

お互いのこころざしが同じで、
親しくまじわるともだちのことを「心友」というのである。

・・・

【 2月7日 】 面友とは

こころざ’しはちがいぬれども、筋目(すじめ)あるか
或は同郷隣家(どうきょうりんか)、あるいは同官同職などにて、
さいさい相(あい)まじわりて、したしきを面友という。

                      (「翁問答」上巻之本)

【訳]

こころざしは違っていても、なにかの理由か、あるいはおなじ郷里や隣り近所、
あるいはおなじ職場などで、再三ともにまじわっているともだちを
「面友」というのである。

・・・

【 2月8日 】 人面獣心

人間に生れて徳(とく)をしり道(みち)をおこなはざれば、
人面獣心(じんめんじゅうしん)とて、かたちはにんげんなれども、
心はけだものとおなじ。

                      (「翁問答」上巻之本)


【訳]

人間に生まれて、徳を知り人としての道をおこなわなければ、
人面獣心といって、姿かたちは人間であっても、心は禽獣と
なんら変わるものではない。

・・・

【 2月9日 】 世間の学問

世間にとりはやす学問は、多分(たぶん)にせにて候(そうろう)。
にせのがくもんをすれば、なにの益(えき)もなく、
かへってかたぎあしく異風(いふう)になるものなり。

                      (「翁問答」上巻之本)


【訳]

世間で評判にあがっている学問というのは、多分にせである。
(そのような)にせの学問をおこなえば、なんの利益もなく、
かえって性格が悪くなり風変わりな人間に陥ってしまうものである。

○にせのがくもん
  ―― 藤樹十七歳の時、大洲藩に京都の禅僧が論語の講釈にやってきた。
 受講者は藤樹ひとりであったため、禅僧は嫌気がさしたのか、
 論語の上篇が終わると帰郷してしまった。

 知識の披瀝のみを目的とした講釈ゆえに、かかる態度におよんだのである。
 にせ学問の事例といえよう。

・・・

【 2月10日 】 正真の学問

正真のがくもんは、伏犠(ふつぎ)のおしえはじめ給う儒道なり。
むかしはおしえもがくもんも、此(この)しょうじんの外(ほか)はなかりしに、
世のすえになりていつとなく、もろこしにもえびすくににも、
学問のにせあまた出来てより、贋(にせ)がちになりて、正真は衰微するなり。

                      (「翁問答」上巻之本)

【訳]

まことの学問は、(古代中国の帝王の)伏犠の教えはじめた儒道である。
むかしは、教えも学問もこの正真のもの以外なかったのであるが、
世も末になっていつとはなしに、唐土にも夷の国にも、
にせの学問がかず多く出てきてから、にせ(の学問)が勢いを増して、
まことの学問が衰微するようになったのである。

            <感謝合掌 令和2年2月2日 頓首再拝>

「中江藤樹・一日一言」2月11日~20日 - 伝統

2020/02/13 (Thu) 00:46:02

【 2月11日 】 俗儒は徳しらず

俗儒(ぞくじゅ)は儒道の書物をよみ、訓詁(くんこ)をおぼえ、
記誦(きしょう)詞章(ししょう)をもっぱらとし、
耳にきき口に説(とく)ばかりにて、徳をしり道(みち)をおこなわざるものなり。

                      (「翁問答」上巻之本)


【訳}

つまらない儒者のおこなう学問は、儒道の書物を読み、
そのことばの意味をおぼえて、暗諭したり詩歌をつくることばかりし、
耳に聞き口にその知識を説くばかりで、もっとも大切な徳を知り、
心学をおさめようとはしないものである。

・・・

【 2月12日 】 俗儒の学問①

俗儒(ぞくじゅ)のがくもんは、正真(しょうじん)のがくもんに、
ことのほかちかく候えども、志しの立(たて)ようと、がくもんの他樵にて、
千万里(せんばんり)のあやまりとなれり。

                      (「翁問答」上巻之本)


【訳}

つまらない儒者のおこなう学問は、(まことの儒者のおこなう)正真の学問に
ことのほか近いけれども、こころざしの立て方と、学問の仕方によって、
千万里ほどのおおきな誤まりをおかしている。

・・・

【 2月13日 】 俗儒の学問②

四書五経、そのほか諸子百家の書をのこらずよみおぼえ、文をかき詩をつくり、
口耳(こうじ)をかざり、利禄(りそく)のもとめとのみして、
心(こころ)の驕慢(きょうまん)いとふかきを、
俗儒の記誦(きしょう)詞章(ししょう)のがくもんというなり。

                      (「翁問答」上巻之本)


【訳}

四書五経をはじめ、そのほか諸子百家の書物を残らず読みおぼえ、
文章を書き詩歌をつくり、それによって自分の口耳をかざり、
利禄をその報酬の目的にして、おごりたかぶるの
心のはなはだ深きを、つまらない儒者の記調詞章の学問というのである。

  ○四書~『論語」・「孟子』・「大学」・「中庸」。

  ○五経~「易経』・「書経」・「詩経」・「礼記」.「春秋」。

・・・

【 2月14日 】 心学とは

聖賢、四書五経の心をかがみとして、我(わが)心(こころ)をただしくするは、
始終(しじゅう)ことごとく心(こころ)のうえの学なれば、
心学(しんがく)とも云なり。

                      (「翁問答」上巻之本)


【訳}

聖人や賢人、四書五経の心を鏡として、自分の心を正すのは、
始終ことごとく心の上の学問ゆえに「心学」ともいうのである。

・・・

【 2月15日 】 心学は聖学

此(この)心学をよくつとめぬれば、平人(へいにん)より聖人(せいじん)
のくらいにいたるものにて候(そうろう)ゆえに、また聖学とも云なり。

                      (「翁問答」上巻之本)


【訳}

この心学をしっかりとおさめると、
普通の人間がりっぱな聖人の境涯にいたるものであるゆえに、
また「聖学」ともいうのである。

・・・

【 2月16日 】 口耳の学とは

聖賢、四書五経の心を師として、我心をただしくすることをば、いささか心がけずして、
博学にほこるをのみつとめとし、耳にきき口に云ばかりにて、
口耳のあいだのがくもんなれば、心学といわずして、口耳(こうじ)の学とも云(いう)なり。

                      (「翁問答」上巻之本)


【訳}

聖人や賢人、四書五経の心を教師として、自分の心を正すことに少しも心がけず、
ただ博学にほこることだけを目標とし、耳に聞いてただ口に出すばかりで、
そのような口耳のあいだの学問ゆえに、心学といわずに「口耳の学」ともいうのである。

 ○口耳の学~「荷子』勧学篇

・・・

【 2月17日 】 口耳の学は俗学

此口耳の学にては、なにほど博学多才にても、
心だて身もちは、世ぞくの凡夫にかわる事なければ、また俗学とも云なり。

                      (「翁問答」上巻之本)


【訳}

このような口耳の学にあっては、どれほど博学・多才であっても、
(その人の)気立てやおこないは、世間一般の普通の人となんら変わることがないので、
また「俗学」ともいうのである。

・・・

【 2月18日 】 聖賢の心

聖賢(せいけん)の心は、富貴(ふうき)をねがわず、貧賎(ひんせん)をいとわず、
生をこのまず、死をにくまず、福をもとめず、禍(わざわい)をさけず。

                      (「翁問答」上巻之本)


【訳}

聖人や賢人といわれる人の心は、富貴になることを願わないし、
貧乏をいやがらない。

また生と死にたいしても一喜一憂をしない。
さらには幸福を求めないし、わざわいを避けることもない。

・・・

【 2月19日 】 まことの武とは

武(ぶ)なき文(ぶん)は真実の文にあらず、
文なき武は真実の武にあらず。

                      (「翁問答」上巻之本)


【訳}

武道を習わない(聖賢の)学問は、まことの学問とはいえない。
(聖賢の)学問をおさめない武道は、まことの武道とはいえない。

・・・

【 2月20日 】 文武は仁義

文(ぶん)は仁道(じんどう)の異名(いみょう)、
武(ぶ)は義道(ぎどう)の異名なり。

                      (「翁問答」上巻之本)


【訳}

学問は親愛を知る教えの異名であり、
武道は道理にかなった教えの異名である。


            <感謝合掌 令和2年2月12日 頓首再拝>

「中江藤樹・一日一言」2月21日~29日 - 伝統

2020/02/22 (Sat) 23:40:33


【 2月21日 】 文徳と武徳

文芸ありて文徳なきは文道の用にたたず、
武芸ありて武徳なきは武道の役にたたず。

                 (「翁問答」上巻之本)

【訳}

文学にふかく通達していても、(その人に)徳がなければ、
文学を(社会に)生かすことができない。

武術にふかく習得していても、(その人に)徳がなければ、
武道を(社会に)生かすことができないのである。

・・・

【 2月22日 】 真儒の門に入る

軍法(ぐんぽう)をまなばんとおもう人は、先(まず)真儒の門(もん)
に入りて文武合一の明徳(めいとく)をあきらかにして
根本を立て、後に軍法の本書をまなび、眼ロロ手足の工夫を
もっぱらとすべき事簡要なり。

                 (「翁問答」上巻之本)

【訳]

軍法をまなぼうと思う人は、まずまことの儒者の門に入って、
(わが胸のうちにある)文武合一の明徳を(りっぱに)発揮して根本を立て、
そしてそののちに、軍法の書物をまなんで眼目・手足の実践的工夫を専念することが
簡要である。

  ○軍法~藤樹の武術は祖父直伝の実践的なものであった。
      祖父吉長は、加藤光泰の家臣としてかずかずの戦場を駆け巡り、
      ついには文禄の役で渡海し、激戦したものと思われる。
      長槍の名手という伝承がある。

・・・

【 2月23日 】 用の立たぬ人間なし

主君の臣下をさしつかう本意は、公明博愛の心をもととして、かりそめにも人を
えらびすてず、賢智(けんち)愚不肖(ぐふしょう)その分々(ぶんぶん)相応の
用捨(ようしゃ)にわたくしなく、道徳才智ある賢人をば高位にあげ、
しおき万事の談合ばしらとし、才徳なき愚不肖にもかならず得たることあるものなり。

                 (「翁問答」上巻之本)


【訳]

主君が家臣をもちいる本意は、公明と博愛の心をもとにして、
かりにも人をえらび捨てず、かれらの賢智・愚不肖、その分相応の用捨に
たいして私心なく、道徳や才智ある賢人を高位にあげて、処罰すべての
話しあいの中心人物とし、また才徳のとぼしい愚不肖の家臣にも、
かならず得意とするものがある。

・・・

【 2月24日 】 心の暗き主君は

心のくらきしゅくんは、何ほどよきさむらいを、あつめおきても、
それをばもちいず、只(ただ)君(きみ)の心にひとしく、
くらきくせものばかりを、さしつかいたまうものなり。

                 (「翁問答」上巻之本)

【訳]

暗愚の心をもった主君は、どれほどすぐれた(家臣の)侍を集め仕えさせても、
かれらを登用することなく、ただ主君の心とよく似た、
心の暗いくせ者ばかりの侍を使いたがるものである。

・・・

【 2月25日 】 主君の心ひとつ

臣下のよきもあしきも、国のみだるるもおさまるも、
畢寛(ひつきょう)主君のこころひとつにあり。

                 (「翁問答」上巻之本)

【訳]

よき家臣か、それとも悪しき家臣か、
また国が乱れるか、それともよく治まるかは、
結局は主君の心ひとつに往きつくのである。


・・・

【 2月26日 】 政治の根本

しおき法度(はっと)にも本末あり。
君(きみ)のこころあきらかにして道をおこない、
国中(くにじゅう)の手本かがみとさだめたもうが、政(まつり)の根本なり。
法度の箇条はまつりごとの枝葉(しよう)なり。

                 (「翁問答」上巻之本)

【訳]

処罰や法制・禁令にも本末がある。
主君の心を明らかにして(聖賢の)道をおさめ、国中の人々の手本となり、
鏡となるのが、政治の根本である。
法制・禁令の箇条は、政治の枝葉に過ぎない。

・・・

【 2月27日 】 法度はなくても

君のこのむことをば、その下(しも)じもみなまねをするものなれば、
君の心あきらかに道をおこないたまいぬれば、法度はなくても、
おのずから人(ひと)のこころよくなるものないり。

                 (「翁問答」上巻之本)

【訳]

主君の好んでよく使うことばを、そのしもじもの領民までも
みな真似をするものなので、
主君の心が明らかで(聖賢の)道をおさめるならば、法制・禁令がなくて
も、おのずからかれらの心が正しくなるものである。

・・・

【 2月28日 】 法治の限界

本(もと)をすてて末(すえ)ばかりにておさめるを法治といいて、よろしからず。
法治はかならず箇条あまたあいりて、きびしきものなり。

奏の始皇のしおきが法治の至極(しごく)したるものなり。
法治はきびしきほどみだれるものなり。

                 (「翁問答」上巻之本)

【訳]

もとを捨てて、すえばかりで治めることを法治といって、好ましくない。
法治は、かならず法制・禁令の箇条がかず多くあって、その内容も厳しいものである。

秦の始皇帝のさだめたそれが、法治の極みといえる。
法治は、きびしいほどかえって、国内が乱れるものである。

・・・

【 2月29日 】 徳治とは

徳治は先(まず)我心(わがこころ)を正しくして人の心をただしくするもの也。
たとえば大工(だいく)のすみがね、その体(たい)ろくにして、
もののゆがみをなおすがごとし。

                 (「翁問答」上巻之本)

【訳]

徳治は、まず自分自身の心を正してから、人の心を正すものである。
たとえば、大工が墨曲尺というまっすぐな道具をもちいて、
物のゆがみを直すようなものである。

            <感謝合掌 令和2年2月22日 頓首再拝>

「中江藤樹・一日一言」3月1日~10日 - 伝統

2020/03/03 (Tue) 19:25:13


【 3月1日 】 法治は杓子定規

法治(ほうち)は我心(わがこころ)はただしからずして、
人(ひと)の心 をただしくせんとするものなり。
たとえば諺にいえるしゃくし縄規(じょうぎ)なるべし。

                 (「翁問答」上巻之本)

【訳]

法治は、自分の心は正しくないのに、
人の心ばかりを正しくしようとするものである。

たとえば、ことわざにいうところの杓子定規のことである。

・・・

【 3月2日 】 すべては天の命

人間一生涯のあいだ、あうところの境界(けいかい)、
吉凶禍福、一飲一食にいたるまで、
ことごとく命(めい)にあらざるはなし。

                 (「翁問答」上巻之本)

【訳]

人間の一生涯において、出会うところの生活環境、
さいわいとわざわい、毎日の飲食にいたるまで、
すべて(おおいなる上帝による)天の命でないものはないのである。

・・・

【 3月3日 】 一時と所と位

しおき法度(はっと)は主君の明徳をあきらかにして根本(こんぽん)をさだめ、
周礼(しゆらい)などにしるしおきたる聖人(せいじん)の成法(せいほう)をかんがえて、
その本意をさとり、まつりごとのかがみとし、時と所と位と三才相応の至善(しぜん)を
よく分別(ふんべつ)して、万古(ばんこ)不易(ふえき)の中庸をおこなうを
眼(まなこ)とす。

                 (「翁問答」上巻之本)

【訳]

処罰や法制・禁令は、主君の明徳を明らかにして根本をさだめ、
(古代中国の)周礼などに記されている聖人のさだめた法律をかんがえて、
その本意を知り、政治の鏡として、時代と場所と立場と(天・地・人の)
三才にふさわしい至善をよく識別して、万古不易の中庸をおこなうことを、
眼目とするのである。

・・・

【 3月4日 】 政治と学問①

まつりごとは明徳をあきらかにする学問、
がくもんは天下国家をおさめる政(まつりごと)なり。

                 (「翁問答」上巻之本)

【訳]

政治は、(わが胸のうちにある)明徳を発揮する学問であり、
学問というのは、天下国家をりっぱにおさめるための政治なのである。

・・・

【 3月5日 】 政治と学問②

天子・諸侯の身におこないたまう一事(いちじ)、
くちにのたまう一言、みなしおきの根本なれば、
まつりごとと学問と本来同一理なることを、あきらかに得心すべし。

                 (「翁問答」上巻之本)

【訳]

天子および諸侯の身におこなう一事、
口から発する一言のすべてが処置の根本になるので、
政治と学問とは本来、同一のことわりであることを、
はっきりと得心しなければならない。

・・・

【 3月6日 】 人間はみな善

天道(てんどう)を根本として生れいでたる万物なれば、
天道は人物の大(だい)父母にして根本なり、
人物はてんどうの子孫にして枝葉(えだは)なり。

根本の天道、純粋至善なれば、そのえだ葉の人物も
みな善にして悪なしと得心(とくしん)すべし。

                 (「翁問答」上巻之本)

【訳]

天道を根本として生まれ出た万物ゆえに、
天道は人と物の大父母にして、すべての根本である。

人と物は、天道の子孫にして枝葉である。
根本の天道が純粋にして至善であるならば、その枝葉である人と物もまた、
みな善にして悪はないものと、得心しなければならない。

・・・

【 3月7日 】 悪人とは

才(さい)あるも才なきも、知あるも知なきも、
形気(けいき)の邪欲(じゃよく)におぼれ、
本心(ほんしん)の良知(りょうち)をうしなものをおしなべて悪人とは云なれば、
たとい才智芸能(さいちげいのう)すぐれたりとも邪欲ふかくして
良知(りょうち)くらきはあくにんなり。

                 (「翁問答」上巻之本)

【訳]

才能があっても無くても、知恵があっても無くても、
形気のよこしまな私欲におぼれ、本心の良知をくもらす者を、
そうじて悪人というならば、たとえ才智や芸能が人よりもすぐれていたとしても、
よこしまな私欲がふかく、良知のくらい人間はまさしく悪人である。

・・・

【 3月8日 】 学問の目的

それ学問は心のけがれをきよめ身のおこないをよくするを本実(ほんじつ)とす。
文字(もんじ)なき大(おお)むかしにはもとよりよむべき書物なければ、
只(ただ)聖人の言行(げんこう)を手本としてがくもんせしなり。

                 (「翁問答」上巻之本)

【訳]

それ学問は、心の汚れをきよめ、自身の日常のおこないを正すことを、本来の中味とする。
漢字が発明される以前の大むかしには、もとより読むべき書物がなかったために、
(人々は)ただりっぱな徳のそなわった人のことばやおこないを手本として、
学問をおさめたのである。

・・・

【 3月9日 】 学問する人とは

その心(こころ)をあきらかにし身をおさめる思案工夫なき人は、
四書五経をよるひる手をはなさずよむと云とも、学問する人にあらず。

                 (「翁問答」上巻之本)

【訳]

その(明徳の)心を明らかにして、身をおきめる思案工夫のない人は、
たとえ四書五経を昼夜わかたず、手から離さずに読んでいるといっても、
学問する人とはいえないのである。

・・・

【 3月10日 】 にせの学問

にせの学問は博学のほまれを専(もっぱら)とし、まされる人をねたみ
おのれが名(な)をたかくせんとのみ、高満の心をまなことし、
孝行にも忠節にも心がけず、只(ただ)ひたすら記誦詞章(きしょうししょう)
の芸ばかいりをつとめる故に、おおくするほど
心だて行儀(ぎょうぎ)あしくなれり。

                 (「翁問答」上巻之本)

【訳]

にせの学問は、博識の名誉のみを心の中心におき、
同学のすぐれた人をねたみ、おのれの名声を高くすることばかり考え、
高満の心におおわれて、人にたいする思いやりやまどころに乏しく、
ただひたすら机上の学問ばかりをおこなうゆえに、かえって心だて、
行儀が悪くなってしまうのである。

            <感謝合掌 令和2年3月3日 頓首再拝>

「中江藤樹・一日一言」3月11日~20日 - 伝統

2020/03/12 (Thu) 20:03:29


【 3月11日 】 世間の迷い

仕合(しあわせ)よく富貴(ふうき)になりぬれば、
我(わが)智恵才覚にてかくのごとしとおもい、
又しあわせあしく、貧賎(ひんせん)になりては、わがわざとはおもわずして、
親をかこち人をとがめ天をうらむると、人ごとの迷(まよい)也。

                 (「翁問答」下巻之本)

【訳}

運よく富貴の身にあるならば、
それは自分の智恵と才覚のよってもたらしたものと思い、

(その反対に)運悪く貧賎の身になったならば、それは自分のおこないとは思わずに、
親のせいにして人を責め天をうらむこと、すべて人間の迷いである。

・・・

【 3月12日 】 文武兼備

学問はさむらいのしわざにあらずと、
いえるは一(ひと)しお愚なる評判、まよいの中のまよい也(なり)。
子細は心あきらかに行儀ただしく、文武かねそなわるように、
思按工夫するを正真のがくもんとす。

                 (「翁問答」下巻之本)

【訳]

学問は、武士の所業ではないというのは、
ひときわ愚かな世間の評判であり、迷いのなかの迷いである。
その子細は、(明徳の)心を明らかにして行儀正しく、
学問と武芸とが兼ねそなわるように
思案・工夫することを、まことの学問というのである。

・・・

【 3月13日 】 まことの読書

文字を目に見、おぼえることはならざれども、
聖人の書のほんいをよく得心(とくしん)してわが心の鏡とするを、
心にて心をよむと云(いい)て真実の読書也。

                 (「翁問答」下巻之本)

【訳]

文字を眼で見て、おぼえることはできないけれども、
聖人のあらわした四書五経の本意をよく得心して、
自分の心の鏡とすることを、「心にて心を読む」といって、
まことの読書なのである。

・・・

【 3月14日 】 眼にて文字を読む

心の会得(えとく)なく只(ただ)目にて文字をみ、おぼえるばかりなるをば、
眼にて文字をよむと云(いい)て真実の読書にはあらず。

                 (「翁問答」下巻之本)

【訳]

心による会得をすることなく、ただ目で文字を見て、
おぼえることばかりするのを、「眼にて文字を読む」といって
まことの読書とはいえない。

・・・

【 3月15日 】 中庸の心法

中庸(ちゅうよう)不倚(ふき)の心法(しんぽう)をまもりて
ざいほうをもちゆれば、私欲のけがれすこしもなきによって、
清白廉直(せいはくれんちょく)にして、私用も公用と変じ同一天理となれり。

                 (「翁問答」下巻之本)

【訳]

中庸にしてかたよりのない心法を保持して、
財宝を用いたならば、私欲の汚れがすこしもないので、
清白・廉直にして、私用の財宝も公用と変じて、
おなじ道理となるのである。

・・・

【 3月16日 】 一私の一字

私(わたくし)なる人はかならず気随(きずい)なり、
気随なる人は必人の異見(いけん)をききいれず、世のそしりをかえりみず。

                 (「翁問答」下巻之本)

【訳]

私心におおわれた人間は、かならず気ままである。
そのような人間は、かならず他人の異見を聞き入れようとはしないし、
世間の非難の声にも反省しようとはしないものである。

・・・

【 3月17日 】 謙の一字

国をおさめ天下を平(たいら)かにする要領、
謙の一字にきわまれり。

                 (「翁問答」下巻之本)

【訳]

国家をりっぱにおさめ、世界をおだやかな社会にする要領は、
謙の一字につきるのである。

・・・

【 3月18日 】 謙徳は海

謙徳(けんとく)はたとえば海なり、万民はたとえば水(みず)也(なり)。
海は卑下(ひげ)なるによって、天下の万水(ばんすい)みなあつまり帰するごとく、
天子・諸侯、謙徳をまもりたまいぬれば、国(くに)天下(てんか)の万民みな
心を帰(き)してよろこびしたがうもの也。

                 (「翁問答」下巻之本)

【訳]

謙徳は、たとえば海のようなものであり、万民は水である。
海は低いところにあるので、世界中のあらゆる水は、みな海にあつまるように、
天子・諸侯が謙徳を保持していくならば、国や世界の万民はみな
心を帰して、喜びしたがうものである。

・・・

【 3月19日 】 心学の有無

心学(しんがく)をよくきわめたる士(さむらい)は、義理をかたくまもり
邪欲なければ、世間の作法にあやかる事なし。

心学のみがきなき士(さむらい)は、
よこしまなる名利(みょうり)にふけるもの也。

                 (「翁問答」下巻之本)

【訳]

心学をしっかりときわめた武士は、義理を固くまもり、
よこしまな私欲がないので、世間の作法に感化されることはない。

(その反対に)心学をおさめない武士は、
よこしまな名声と利欲におぼれるものである。

・・・

【 3月20日 】 正しき士道

心(こころ)いさぎよく義理(ぎり)にかないぬれば、
二君(にくん)につかえざるも、また主君(しゅくん)をかえてつかえるも
皆正しき士道(しどう)也。

                 (「翁問答」下巻之本)

【訳]

心の汚れがなく、義理にかなっているならば、
(たとえ)ふたりの主君に仕えなくても、また主君を変えて仕えても、
すべて正しい武士の道というものである。

            <感謝合掌 令和2年3月12日 頓首再拝>

「中江藤樹・一日一言」3月21日~31日 - 伝統

2020/03/23 (Mon) 23:43:12


【 3月21日 】 明徳仁義は人の本心

明徳仁義(めいとくじんぎ)は
われ人の本心(ほんしん)の異名(いみょう)也(なり)。
此(この)本心はいのちの根なれば、いきとしいける人(にん)げんに
明徳仁義の心(こころ)なきは一人もなし。

                 (「翁問答」下巻之本)


【訳}

明徳と仁義は、われわれの本心の異名である。
この本心は、いのちの根元ゆえに、すべての人間に、
この明徳と仁義の心のない者は、ひとりもいないのである。

・・・

【 3月22日 】 腕力つよい武士

いかつにたけく腕(うで)だてをたしなむ人は、
必(かならず)人(ひと)をあなどりかろしめてあらそう
心はなはだしきによって、必(かならず喧嘩の犬死をなし、
親にうれいをかけ主君の知行(ちぎょう)をぬすみて浅まし。

                 (「翁問答」下巻之本)


【訳]

大声で威喝し、自分の腕力をたのみとする人は、
かならず他人をばかにし、闘争心がはなはだしいので、
かならずけんかの犬死をしてしまい、親に心配をかけ、
主君の知行を盗むことになり、心がいやしいものである。

・・・

【 3月23日 】 おおいなる上帝

聖人も賢人も、釈迦も達磨も、儒者も仏者も、我も人も、
世界のうちにあるとあらゆるほどの人の形(かたち)有ものは、
皆皇(おおいなる)上帝・天神地祇(てんじんちぎ)の子孫なり。

                 (「翁問答」下巻之本)


【訳]

聖人も賢人も、釈迦も達磨も、儒者も仏者も、われも人も、
世界のうちにある、ありとあらゆるほどの人間は、
すべておおいなる上帝、天神地祇の子孫なのである。

  ○皇上帝~「「書経」商書・湯詰篇に「これ皇いなるる上帝、
        衷を下民にくだせり」とある。

  ○天神地祇~天の神と地の神。

・・・

【 3月24日 】 儒道・儒教・儒学

我人(われひと)の大始祖の皇(おおいなる)上帝、
大(だい)父母の天神地祇の命(めい)をおそれうやまい、
其(その)神道(しんどう)を欽崇(きんそ)して受用するを孝行と名づけ、
又至徳要道と名づけ、また儒道と名(なづ)く。
これを教(おしえる)を儒教と云(いい)、これを学を儒学と云(いう)。

                 (「翁問答」下巻之本)


【訳]

われわれ人間の大始祖であるおおいなる上帝、
大父母である天神地祇の天命をおそれ敬い、
その神道を敬いたっとんで、受用することを孝行と名づけ、
また至徳要道とも名づけ、また儒道と名づけている。
この儒道を教えることを儒教といい、これをまなぶことを儒学というのである。

・・・

【 3月25日 】 迷いと悟り①

夫(それ)人間は迷悟(めいご)のニ(ふたつ)にきわまれり。
迷(まよう)ときは凡夫なり。
悟(さとる)ときは聖賢、君子、仏(ほとけ)、菩薩なり。
その迷(まよい)と悟(さとり)は一心(いっしん)にあり。

                 (「翁問答」下巻之本)


【訳]

そもそも人間は、迷いと悟りとのどちらかに帰着する。
迷うときは凡夫であり、
悟るときは聖賢、君子、仏、菩薩である。
その迷いと悟りは、(われわれの)一心のうちにふくまれているのである。

・・・

【 3月26日 】 迷いと悟り②

人(じん)欲ふかく、無明の雲あつく、心月(しんげつ)のひかりかすかにして、
やみの夜のごとくなるを迷の心と云なり。
学問修行の功(こう)つもりて人欲きよくつきて、無明の雲はれ心月の
霊光(れいこう)あきらかにてらすを悟(あとり)の心(こころ)と云(いう)。

                 (「翁問答」下巻之本)


【訳]

欲望ふかく、無明の雲あついために心月の光りがかすかとなって、
闇の夜のようになるのを「迷いの心」といい、
学問修行の功つもり、人欲取りのぞかれて無明の雲晴れ、心月の霊光が
明らかに照らすを「悟りの心」というのである。

・・・

【 3月27日 】 佞人(ねいじん)とは

心ねじけててぐろの上手なる者を佞人(ねいじん)と云(いう)。
才智たくましく、芸能、文学人(ぶんがくひと)にすぐれ、
弁舌(べんぜつ)達し邪欲ふかく、義理をまもらず。
人をばかすこと野狐のごとく、人をそこなうこと虎狼(ころう)のごとくなる
心根(こころね)ある者が佞人の棟梁(とうりょう)なり。

                 (「翁問答」下巻之本)


【訳]

心がねじけて、人をたぶらかすことの上手な者を佞人という。
(佞人は)才智たくましく、芸能や文学が人よりもすぐれ、
弁舌じょうずでよこしまな私欲がふかく、義理を守ろうとはしない。
人を化かすこと野狐のようで、人を傷つけること虎狼のような
心根のある者が、俵人の棟梁というのである。

・・・

【 3月28日 】 神明を信仰する

神明(しんめい)を信仰するは儒道の本意にて候。
しかる故に祖を天に配し父を上帝に配し、
神明に通ずるを孝行の至極なりと孝経に説きたまえり。

                 (「翁問答」下巻之本)


【訳]

神明を信仰することは、儒道の本意である。
それゆえに、始祖を天に配し、父を上帝に配し、
(人間のおこないの)神明につうじることが、孝行の極みであると
『孝経』に説かれている。

  ○神明に通ずる~『孝経』の「孝弟の至り、神明に通じ、四海にあきらかなり。
          通ぜざるところなし」にもとづく。

・・・

【 3月29日 】 儒道はすべてに

本来儒道は大虚の神道なる故に、世界の内(うち)舟車(しゅうしゃ)のいたる所、
人力(じんりょく)の通ずるところ天の覆(おおう)ところ地(ち)の載(のでる)ところ、
日月のてらす所、露霜(つゆしも)のおちる所、血気ある者の住(すむ)ほどの
所にて、儒道のおこなわれぬと云ことはなし。

                 (「翁問答」下巻之本)


【訳]

もともと儒道は、太虚の神道であるゆえに、世界のうち舟や車のいたるところ、
人力のつうずるところ、天の覆うところ、地の載せるところ、
日月の照らすところ、露霜の落ちるところ、血気のある者の住むほどの
ところにて、儒道のおこなわれないところはないのである。

・・・

【 3月30日 】 むさぼる心根

位(くらい)にあるを欲とし位をすてるを無欲とし、
財宝(ざいほう)をたくわえるを欲と‐し財宝をすてるを無欲なりとおもうは、
いまだ明徳くらくして位をこのみ財宝を貧心(むさぼるこころ)根のこりて、
外物(がいぶつ)に凝滞(ぎょうたい)して便利(べんり)棟択(かんたく)の
私(わたくし)ある故なり。

                 (「翁問答」下巻之本)


【訳]

官位につくことを欲とし、官位を捨てることを無欲とし、
財宝をたくわえることを欲とし、財宝を捨てることを無欲と思うのは、
いまだ明徳くらくして、官位を好み、財宝をむさぼる心根が残っていて、
外物にこだわって、使い勝手の私心をもっているゆえである。

・・・

【 3月31日 】 無欲と欲①

神理(しんり)にかないぬれば天子(てんし)の位(くらい)にのぼるも
財宝をたくわえるも、位をすてるも財宝をすてるも皆無欲なり、
無妄(むぼう)なり。

                 (「翁問答」下巻之本)


【訳]

神明の(清浄と正直の)道理にかなっていれば、(たとえ)天子の位にのぼっても、
財宝をたくわえても、官位を捨てるも、財宝を捨てるも、すべて無欲であり、
無妄というものである。


            <感謝合掌 令和2年3月23日 頓首再拝>

「中江藤樹・一日一言」4月1日~10日 - 伝統

2020/04/04 (Sat) 14:48:51


【 4月1日 】 無欲と欲②

神理にそむきぬれば天子の位をすてる財宝をすてるも、
位にのぼるb財宝を蓄えるも皆欲なり、妄(ぼう)なり。

                 (「翁問答」下巻之本)

【訳}

(その反対に)神明の(清浄と正直の)道理にそむいたならば、
(たとえ)天子の位を捨てるも、財宝を捨てるも、官位にのぼるも、
財宝をたくわえるも、すべて欲であり、いつわりである。

・・・

【 4月2日 】 善の名声

善をおもい善をおこなえば善の名(な)あり
尭舜孔顔(ぎようしゅんこうがん)など是(これ)なり。

                 (「翁問答」下巻之本)

【訳]

(いつも)善の心で思い、善のおこないをなせば
(世間から)善の名声がうわさされる。
(古代中国の聖人)尭帝や舜帝、孔子や顔回などが、その代表的の例である。

・・・

【 4月3日 】 悪の名声

悪をおもい悪をおこなえば悪の名あり、
桀紂(けっちゅう)盗跖(とうせき)などこれなり。

                 (「翁問答」下巻之本)

【訳]

(いつも)悪事ばかりの心にあって、悪のおこないをなせば
(世間から)悪の名声が広まる。
(古代中国の)桀王や紂王、盗跖などが、その代表的の例である。

・・・

【 4月4日 】習い染まる心①

習染心(ならいそまるこころ)とは生下(うまれおち)てよりこのかた
見(み)なれ聞(きき)なれて、おもわずしらずに、いつとなく
あやかりそまりたる心なり。

たとえば水(みず)にて朱(しゅ)をとけば其色(そのいろ)赤く、
緑色(りょくしょく)をとけばその色青くなるがごとし。

                 (「翁問答」下巻之本)

【訳]

習癖に染まる心とは、(この世に)生を受けて以来、
見慣れ聞き慣れて、無意識のうちに、いつとなく感化されて、
染まってしまった心のことである。

たとえば、水に朱色の絵具をとけば、その色赤くなり、
緑青の絵具をとけば、青くなるようなものである。

・・・

【 4月5日 】 習い染まる心②

本来人心(じんしん)に好悪(こうお)の事の定(さだめ)はなけれ共(ども)、
その生(うまれ)そだつ国処(くにどころ)の風俗(ふうぞく)、
その家の所作所作にあやかりそまりて、好悪の品定(しなさだまり)色々に
かわりあり、学問芸能にも習心(しゅうしん)あり。

先(まず)本心の端的をよく考定(かんがえさだめ)、
その上(うえ)にて習心を吟味してかち去(さる)べし。

                 (「翁問答」下巻之本)

【訳]

もともと、人の心に好き嫌いのさだまったものはないけれども、
その人の生まれ育った国や土地の風俗、
その家の習慣などに感化され染まって、
好き嫌いの判断がいろいろに変わるのである。

学問や芸能にも、(同様の)習癖の心がある。

まず本心の真実をよく考えさだめて、
その上にて習癖の心をよくしらべて、取りのぞくことである。

・・・

【 4月6日 】 全孝の心法

孝徳(こうとく)全体の天真(てんしん)を明(あきらか)にする工夫を
全孝(ぜんこう)の心法(しんぽう)と云(いう)なり。

全孝の心法その広大高明(こうだいこうめい)なること、
神明(しんめい)に通じ六合(りくごう)にわたるといえども、
約(つづまる)ところの本実(ほんじつ)は身をたて
道(みち)を行(おこなう)にあり

                 (「翁問答」下巻之本)

【訳]

孝徳全体のありのままを明らかにする工夫を、
全孝の心法というのである。

全孝の心法は、広大にして高明、
そして神明につうじ世界にもおよぶけれども、
つづまるところの根本は、身を立て
(聖賢の)道をおこなうことにある。

・・・

【 4月7日 】 世間の儒者

魯国(ろこく)の君(きみ)は
儒服を着たる人をとめて儒者とあやまり、
今の世間の人は儒書をよむ人をとめて儒者とあやまれり。

そのあやまるところの品(しな)はかわりたれ共(ども)、
実体(じったい)をしらざることはおなじまよいなり。

                 (「翁問答」下巻之本)

【訳]

魯国の君主は、儒服を着ている人をさして儒者とあやまり、
今の世間の人は、四書五経の儒害を読む人をさして
儒者とあやまっている。

そのあやまっている品物は ことなっているけれども、
真の儒者でないという、実体を知らない点においては、
おなじ迷いである。

○丙戊冬l正保三年(一六四六)、藤樹三十九歳の冬。

・・・

【 4月8日 】 禍いを招く満心

人心(じんしん)のわたくしを種(たね)として、
知あるもおろかなるも、自満(じまん)のこころなきはまれなり。

この満心(まんしん)明徳(めいとく)をくらまし、
わざわいをまねく くせものにして、よるずのくるしみも又
大(おお)かた是(これ)よりおこれり。

                 (「翁問答」下巻之本)

【訳]

人心の私意を種として、知恵があったとしても、
(その反対の)愚かであったとしても、
自満の心のない人間は稀である。

この満心が本心の明徳をくもらして、
自分自身にわざわいをまねくくせものとなり、
あらゆる苦悩もまた、おおかたこれより起こるのである。

・・・

【 4月9日 】 謙の徳

謙(けん)は温恭(おんきょう)自虚(じきょ)にして、
自反(じはん)し独(ひとり)を慎(つつし)み、
人(ひと)をうらみず人をあなどらず、人に取(とっ)て
善(ぜん)をなす徳(とく)也(なり)。

                 (「翁問答」下巻之本)

【訳]

謙は、おだやかで公平無私の心をもち、
みずから省みて独りをつつしみ、
人をうらまず、人をばかにしたりせず、人にたいして
善をなす徳のことである。

・・・

【 4月10日 】 徳なき儒者

儒者の名は徳にあって芸にあらず。
文学(ぶんがく)は芸なれば、
もの覚(おぼえ)よく生れ付(つき)たる人は、
誰もなりがたき事にあらず。

たとい文学に長じたる人にても、仁義の徳なきは儒者にあらず、
ただ文学に長じたる凡夫なり。

                 (「翁問答」下巻之本)

【訳]

儒者という名は、徳にあって芸にはないのである。
文学は、芸ゆえに生まれつき物覚えのよい人はだれでも
修得することができる。

たとえ文学にすぐれた人であっても、
仁義の徳のない者は儒者ではない。
ただ文学にすぐれた凡夫である。

○丁亥春l正保四年(一六四七)、藤樹四十歳の春。

            <感謝合掌 令和2年4月4日 頓首再拝>

「中江藤樹・一日一言」4月11日~20日 - 伝統

2020/04/16 (Thu) 18:41:28


【 4月11日 】 人間の万苦①

人間の万苦(ばんく)は明徳のくらきよりおこり、
天下(てんか)の兵乱も又明徳のくらきよりおこれり。
これ天下の大不幸にあらずや。

                 ((『翁問答」下 丁亥春))

【訳}

人間のいろいろの苦しみは、明徳をくもらしているところから起こり、
世界の戦争もまた、(為政者の)明徳をくもらしているところから起こるのである。
これは世界の大不幸ではなかろうか。

・・・

【 4月12日 】 人間の万苦②

聖人是(これ)をあわれみたまい明徳を明かにする 教(おしえ)を立て、
人の形あるほどのものには学問をすすめたまえり。
四書五経にのする所みな是なり。

                 (『翁問答」下 丁亥春)

【訳]

(中国のいにしえの)聖人は、このことをふかく憐れんで、
明徳を明らかにする教えを立てて、人々に学問をすすめたのである。
四書五経に説かれている教えは、すべてこのことにほかならない。

・・・

【 4月13日 】 幼童の心

元来吾人(われひと)の心の本体は安楽(あんらく)なるものなり。
其(その)証拠は孩提より五六歳までの心を以(もって)見るべし。
世俗も幼童(ようどう)の苦悩なきを見ては仏(ほとけ)なりといえり。

                 (「翁問答』下 丁亥冬)

【訳]

もともと、われわれの心の本体は、安楽なのである。
その証拠として、幼児より五、六歳までの子どもの心を見るとよい。
世間も、おさない子どもの苦悩のないすがたを見ては仏であるなどといっている。

 ○丁亥冬l正保四年(一六四七)、藤樹四十歳の冬。

・・・

【 4月14日 】 明徳がくもると

明徳(めいとく)くらければ、習(ならい)に染(そま)り人欲(じんよく)に滞り、
酒色(しゅしょく)財気(ざいき)の惑(まどい)ふかき故に、
天下(てんか)を得れば天下を憂い、国を得れば国をうれい、家あれば家を憂(うれい)、
妻子(さいし)あれば妻子を憂、牛馬(ぎゅうば)あれば牛馬を憂、
金銀財宝あれば金銀財宝憂となり、憂となり、
見(み)こと聞(きく)こと大形(おおかた)苦(くるし)みとならざるはなし。

                 (「翁問答』下 丁亥冬)

【訳]

明徳がくもってしまうと、習癖にそまり人欲にとどこおり、
酒色・財気の迷いがふかいゆえに、
天下を得ればその天下を憂い、国を得ればその国を憂い、家あればその家を憂い、
妻子あればその妻子を憂い、牛馬あればその牛馬を憂い、
金銀財宝あればその金銀財宝を憂い、
見ること聞くこと、そのおおかたが苦悩となるのである。

・・・

【 4月15日 】 苦痛の原因

苦痛は只(ただ)人人(にんにん)の惑(まどい)にてみずから作る病(やまい)なり。

                 (「翁問答』下 丁亥冬)


【訳]

苦痛というのは、ただすべての人が(私利私欲の)迷いによって、
みずからつくった(心の)病気なのである。

・・・

【 4月16日 】 苦楽は心にあり

農人(のうにん)の耕転は勤労の至極(しごく)なれども
其(その)心さのみ苦(くる)みなし。
大兎(たいう)水を治め給うは勤労の至極なれども、
其(その)楽(たのしみ)快活(かいかつ)たり。

此(かく)の如くよく実理(じつり)を体察(たいつ)すれば、
苦楽の心にあって外相(がいそう)になきこと弁(わきま)えがたきにあらず。

                 (「翁問答』下 丁亥冬)


【訳]

農民の耕転は、勤労の極みであるけれども、
かれらの心には、さほどの苦悩はない。
(古代中国の)大兎のなした治水は、その勤労の極みであるけれども、
その楽しみは快活である。

しっかりと実際の道理を体察したならば、苦楽は心にあって、
外物にないことを、知ることができるのである。

・・・

【 4月17日 】 惑いの塵砂

心の本体は元来安楽(あんらく)なれども、
惑(まどい)の塵砂(じんしゃ)にして種々の苦痛こらえがたし。

学問は此(この)惑(まどい)の塵砂(じんしゃ)を洗いすてて 
本体の安楽に帰る道なるが故に、学問をよく努め工夫受用すれば 
本(もと)の心の安楽にかえるなり。

                 (「翁問答』下 丁亥冬)


【訳]

心の本体は、もともと安楽なのであるけれども、
迷いのこまかい塵砂が眼にはいって、
種々の苦痛を辛抱することができない。

学問は、このこまかい塵砂の迷いをあらい捨てて、
本体の安楽に帰る教えであるゆえに、学問をしっかりとおさめて工夫.
受用したならば、もとの心の安楽に帰ることができるのである。

・・・

【 4月18日 】 世間の幸福観

倩(つらつら)世間(せけん)の福(さいわい)を思いくらぶるに、
身やすく心たのしみ、子孫のさかえるを上(かみ)とす。

命(いのち)の長きを次(つぎ)とす。
位(くらい)たかく富(とめ)るを下(しも)とす。
此(この)福(さいわ)いの種(たね)は、
明徳仏性(めいとくぶっしょう)なり。

             (「鑑草」序)

【訳]

つくづく世間の幸福を思いくらべてみると、身心が安楽で、
子孫の繁栄を上とし、長寿をその次とし、
官位が高く富貴となることを下としている。
この幸福のたねは、明徳・仏性である。

・・・

【 4月19日 】 今生と後生の心①

明徳仏性(めいとくぶっしょう)の修行
すなわち後生仏果(ごしょうぶっか)を得(う)る修行なり。

いかんとなれば、今生(こんじょう)後生(ごしょう)
すべて心に有(あり)。

             (「鑑草」序)

【訳]

明徳・仏性を明らかにする修行は、
すなわち死後の仏果を得る修行でもある。

どうしてかというと、今生、後生ともに
すべて心に存在するのである。

・・・

【 4月20日 】 今生と後生の心②

今生(こんじょう)に心なければ、
此(この)身(み)しがいにて 今生のはたらきなし。

後生(ごしょう)に心なければ、極楽地獄の果(か)を 受くるものなし。

             (「鑑草」序)

【訳]

今生きている人間に心がなければ、この肉体は死骸であり、
なんのはたらきもない。

死後において心がなければ、地獄や極楽の報いを受けることはあり得ない。

            <感謝合掌 令和2年4月16日 頓首再拝>

「中江藤樹・一日一言」4月21日~30日 - 伝統

2020/04/22 (Wed) 14:25:17


【 4月21日 】 今生と後生の心③

肉身(にくしん)には生死(しょうじ)ありといえども、
心には生死なきによって、今生(こんじょう)の心すなわち
後生(ごしょう)の心(こころ)なり。

                   (『鑑草」序)

【訳}

(それゆえ、人間の)肉体には生と死とがあるけれども、
心には生死がなく永遠であるので、
今(われわれが)生きている心が、
すなわち死後の心なのである。

・・・

【 4月22日 】 孝行の本心

人のよめたるものも本来人の家へゆくはじめに、
しゅうとにさからい不孝をせんとたくむ心は露も有まじ。

ひたすらにしゅうとの気にいり、
夫にもよく思われんと思う心のみなり。
これ孝行の本心なり。

                (「鑑草」巻之一 孝逆之報)

【訳]

人の嫁であっても、本来、他人の家へ嫁ぐ初めのころは、
しゅうとにさからって不孝をしようとたくらむ心などは、
ほんの少しでもあるまい。

ひたすらに、しゅうとに気に入られ、
夫にもよく思われたいという心だけである。
これが、孝行の本心なのである。

・・・

【 4月23日 】 畜生の心行

しゅうとに孝行をつくすは人の人たる心行(しんぎょう)なるに、
これをすてて貧欲(どんよく)無慙(むざん)なるは、
まことにいぬ畜生の心行なれば、たとい人間の形を変ぜずとも、
人間にあらず、畜生なり。

                (『鑑草』巻之一 孝逆之報)

【訳】

しゅうとに孝行をつくすことは、人の人たる心とおこないであるのに、
これを捨てて負欲、残酷のふるまいは、まことに犬畜生の心行であり、
たとえ姿かたちは人間だとしても人間ではなく、畜生である。

・・・

【 4月24日 】 満心①

そうじて善をなすにはひそかに人のしらざ
るようにとりなすを第一とす。

少にても人にしられんと思うは満心(まんしん)なり。

                (『鑑草』巻之一 孝逆之報)

【訳】

大体のところ善行をなすには、ひそかに他人の知られないように、
うまく処置するのを第一とする。

ほんの少しでも、他人に知ってもらおうと思うのは、満心なのである。

  ○満心~『書経』虞書・大畠護篇の
       「満は損を招き、謙は益を受く」にもとづく。

・・・

【 4月25日 】 満心②

満心はかならず魔縁(まえん)となる。
魔縁あればかならず魔障(ましょう)あり。

寸善尺魔(すんぜんしゃくま).といえるも、
善をなす人に大略(たいりゃく)満心ある故に、
すこしの善には大なる魔障ある事をいましめたり。

                (『鑑草』巻之一 孝逆之報)

【訳】

(そのような)満心は、かならずあやしい縁がつきまとう。
そのあやしい縁があれば、
かならず人の心を迷わすさまたげが生じるのである。

寸善尺魔ということわざも、善をなす人にはおおよそ満心があるゆえに、
少しの善行にはおおきな魔障のあることを、戒めているのである。

・・・

【 4月26日 】 気浮き立ち心騒ぐ

人の常の情(じょう)、
思いの外(ほか)の事(こと)におうてはおどろき、
そこない有(ある)ことにあえばさかだつものなり。

おどろきさかだつ時は気(き)うきたち
心さわぎて本心をうしなうによって、
遠慮(えんりょ)を忘れ図方(とほう)なくて、
いうまじき事(こと)をもいい、なすまじきわざをなすものなり。

                (『鑑草』巻之一 孝逆之報)

【訳】

人間のつれの感情として、予想もしないことにあってはおどろき、
危害にあえば心が逆立つものである。

おどろき、逆立つときは、意気が浮きだって心さわぎ、
本心をうしなうことによって、遠慮すること
を忘れて条理にはずれ、言わなくてもいいのに発言し、
あえてする必要のないのに、おこなうものである。

・・・

【 4月27日 】 善悪の報い①

善悪のむくいは谷にこえをあげるがごとくなれば、
善を思い善をおこなうには、かならず善のむくいあり、
悪を思い悪をおこなえば、かならず悪のむくい有(あり)。

                (『鑑草』巻之一 孝逆之報)

【訳】

善悪の(おこないの)報いは、
谷に響きわたるやまびこのようなもので、

(心に)善を思い善をおこなえば、
かならず(その人に)善の報いがある。

(心に)悪を思い悪をおこなえば、
かならず(その人に)悪の報いがある。

・・・

【 4月28日 】 善悪の報い②

人を愛(あし)しうやまうは、
すなわちおのれを愛しうやまうところなり。
人をにくみあなどるは、すなわち己をにくみあなどるところなり。

                (『鑑草』巻之一 孝逆之報)

【訳】

他人を愛し敬うというおこないは、
すなわち自分自身に対して愛し敬うことなのである。
他人を憎みあなどるというおこないは、
すなわち自分自身に対して憎みあなどっていることなのである。

・・・

【 4月29日 】 家々の孝と不孝

世間(せけん)家(いえ)ごとにある常(つね)のむくいは、
こうこうなる子はかならず孝行なる子をもうけ、
不孝なるものはかならず不孝の子をうみ、

孝行なるよめはかならず孝行なるよめをむかえ、
不孝なるよめはかならず不孝なるよめをめとれり。

                (『鑑草』巻之一 孝逆之報)

【訳】

世間の家々で見られるつれの報いは、
孝行の子はかならず孝行の子どもを得、
不孝の者には不孝の子どもを生み、

孝行の嫁はかならず孝行の(息子の)嫁をむかえ、
不孝の嫁はかならず不孝の(息子の)嫁をめとるのである。

・・・

【 4月30日 】 明徳仏性が本心

人間は明徳仏性(ぶっしょう)をもって
根本(こんぽん)として生れたる物なれば、
誰も此(この)性(せい)なきものはなし。

この性は人の根本なるによって又本心とも名づけたり。

                (『鑑草』巻之一 孝逆之報)

【訳】

人間は、明徳・仏性を根本として生まれたものなので、
だれひとりとして、この本性のないものはいない。

この本性は、人の根本であるゆえに、また本心とも名づけているのである。

            <感謝合掌 令和2年4月22日 頓首再拝>

「中江藤樹・一日一言」5月1日~10日 - 伝統

2020/05/04 (Mon) 19:25:04


【 5月1日 】 人の異見を聞く

惣(そう)じて悪心(あくしん)悪行(あくぎょう)の人も
いまだいましめをきかざるうちは、猶(なお)悪(あく)をあらため善(ぜん)に
うつるべきたのみあれば、其(その)罰(ばつ)すこしゆるし。

異見(いけん)を聞(き)てあらためざる時は、
その悪かたく定(さだま)るゆえに、其罰すみやかなるものなり。

            (「鑑草」巻之一 孝逆之報)

【訳}

おおよそ悪心、悪行の人も
いまだ戒めを聞かされていないうちは、なお悪をあらため善に
移ることのできる期待があるので、その神罰はすこしゆるい。

(しかし)

人の異見を聞いてなお改めないときは、その悪心かたく定まっているゆえに、
その神罰はすみやかにくだされるのである。

 ○例話~年十八で嫁いだ李氏は、しゅうと・しゅうとめによく孝行をつくした。
     家は貧しくて朝夕の食事も満足でなく、わが身は食べなくても
     両親にはよく勧めた。

     その嫁の孝心に天帝は感激されて、両親の寿命を延ばし、
     嫁には大金をあたえて幸福に過ごした。

     その隣の嫁は、口が達者でいつもしようと.しゅうとめに逆らっていたので、
     李氏はいつもその嫁に異見をしたものの、聞き入れようとはしない。

     ついにはその家に落雷して焼き殺された。

・・・

【 5月2日 】 生活のすべてに

孝行というは 舅姑(しゅうとしゅうとめ)によくつかえるのみにあらず、
貪瞋痴(とんじち)の三どくをのぞきすて、慈悲柔和の心を明(あきらか)にし、
節を守り、子におしえ、奴(やっこ)になさけふかく、すぎわいのかせぎをつとめ、
かりそめにもいつわりをいわず、無道(ぶどう)をはたらかざるにいたるまでも
皆孝行なり。

                (『鑑草』巻之一 孝逆之報)

【訳]

孝行というのは、しゅうと・しゅうとめによく仕えるだけではなく、
貪欲・瞋恚(しんい)・愚痴の三毒をのぞき捨てて、慈悲と柔和の心を明らかにし、
節義をまもり、子に(聖賢の)道を教え、召使いには情けぶかく接し、
生計のかせぎをつとめ、かりにも人に偽りをいわず、
道理にはずれるのをおこなわないことまでも、すべて孝行なのである。

   ○貪瞋痴~ふかい欲、怒り、ぐちの三毒。仏教用語

・・・

【 5月3日 】 善悪の報い三十年

凡(およそ)善悪のむくい大(たい)りゃく三十年をかぎりとあれば、
あしたに善をなして夕(ゆうべ)にむくいをまつあやまりを
よくわきまえるべき事なり。

                (『鑑草』巻之一 孝逆之報)

【訳]

おしなべて、善悪の報いは、おおよそ三十年を限りとするとあるので、
朝に善行をなして、夕べにその報いを期待するようなあやまりを、
しっかりと識別することである。


・・・

【 5月4日 】 父母・舅姑は福神

福善禍淫の善は孝行をもって本とす。
がるがゆえに孝行の誠ある人禍(わざ)いを得たるためし、
かぞえるにいとまあらず。

しかるときは父母舅姑は人人(にんにん)家ごとの福神(ふくじん)なり。

                (『鑑草』巻之一 孝逆之報)

【訳]

福善禍淫の善とは、孝行を根本としているのである。
そのゆえに、孝行のまことある人の幸福を得た前例は、
かぞえることができない。

そういうときは、父母やしゅうと・しゅうとめは、
すべて家々の福神といえるのである。

○福善禍淫~「書経』商書・湯詰篇。「善に福いし、淫に禍いす」と詠む。


・・・

【 5月5日 】 不孝は最大の罪

不孝は王法三千第一のつみなれば、冥律(みょうりつ)もまたかくのごとし。

かるがゆえに不孝の人は或は人間の刑罰をこうむり、或は雷火のせめにあえり。

                (『鑑草』巻之一 孝逆之報)

【訳】

不孝は、君主のさだめたかず多くの法律のうち、最大の罪ゆえに、
神罰もまたこのようである。

それゆえに、不孝の人は、あるいは人間(社会)の刑罰をこうむり、
あるいは(神明である)雷火の責めにあうことになる。

・・・

【 5月6日 】 夫に背く思い

背夫(はいふ)の念おこる時は、神明の照覧おそろしく、
うき名のたち、あさましきむくいにあうのみならず、
その親兄弟までのはじをさらさん事をつくづく、思いこらして、
その念をのぞきすつべし。

               (『鑑草』巻之二 守節背夫報)

【訳】

夫に背く思いがおこるときは、
神明がそのすべてを照覧していることをわきまえ、
浮名が世間にたって、浅ましい報いにあうだけでなく、
その親兄弟にいたるまで、恥をさらしてしまうことをつくづく思いいたして、
それをのぞき捨て去ることである。

・・・

【 5月7日 】 宮女の栄華①

人間の生楽(せいらく)は、身やすく、心たのしむにきわまれり。

宮女の栄華というべき事は、只(ただ)いつくしき衣裳を着かざり、
味(あじわ)いいみじき食物(しょくもつ)をくうのみなり。

これは見たるところの心よきのみにして、さして楽(たのしみ)とするにたらず。

               (『鑑草』巻之二 守節背夫報)

【訳】

人間の人生の楽しみは、身心の安楽にゆきつくのである。

(とりわけ)宮中につかえる女性の栄華というのは、ただうつくしい衣裳を着かざり、
おいしい料理を食べるだけである。

これは目に見えるところの心のよさだけであって、格別の楽しみとはいえないのである。

・・・

【 5月8日 】 宮女の栄華②

いやしき衣食も常にきなれ食(くい)なれぬれば、
我身(わがみ)の暖(あたたか)に口のやすんずる‘ところはかりなし。

               (『鑑草』巻之二 守節背夫報)

【訳】

貧しい衣食であっても、つねに着なれ、食べなれていれば、
自分のからだを暖かくし、食事も満足するところ計りきれないものがある。

・・・

【 5月9日 】 節を守ること

それ節(せつ)を守る事は誠に有(あり)がたきためしなれ共(とも)、
その子に道をおしえざれば、至善の心行(しんぎょう)にあらず、
故に其(その)報(むく)いも又(また)うすし。

               (『鑑草』巻之二 守節背夫報)

【訳】

いったい、節義を守ることは、まことにありがたいためしであるけれども、
その子に(聖賢の)道を教えなければ、この上ないりっぱな善の心とおこないには
ならない。ゆえにその報いもまた薄いのである。

・・・

【 5月10日 】 貧乏を恥じる①

人間は義理をもって命(いのち)の根とし、福(さいわ)いの種(たね)とし、
一生の楽(たのし)みとするものなれば、まずしく、いやしきことは
恥るところにあらず、くるしむところにあらず。

               (『鑑草』巻之二 守節背夫報)

【訳】

人間は、人としての道を踏みおこなうのを命の根とし、幸福の種とし、
一生の楽しみとするゆえに、貧乏の生活などはなんら恥じるものではない。
(また)苦しむものでもない。

            <感謝合掌 令和2年5月4日 頓首再拝>

「中江藤樹・一日一言」5月11日~20日 - 伝統

2020/05/11 (Mon) 22:37:35


【 5月11日 】 貧乏を恥じる②

かりそめにも不義無道の事ははずかしき事にして、
身をうしない禍をまねく本なれば、恐れてのぞきさるべきことなり。

               (『鑑草』巻之二 守節背夫報)

【訳}

かりにも不義・無道のおこないをなせば、じつに恥ずかしいことであって、
身をうしない、禍いをまねく原因となり、おそれて取りのぞくことである。

・・・

【 5月12日 】 淫乱の心行

淫乱の心行(しんぎょう)はかならず地獄の責(せめ)をうける事を、
よくよくわきまえいましむべし。

               (『鑑草』巻之二 守節背夫報)

【訳]

みだらな欲望の心とそのおこないは、かならずさまざまな苦悩のとがめを
受けることになり、しっかりとそのことを理解し、戒めることである。

・・・

【 5月13日 】 勧善も守節

守節(しゅせつ)というは、両夫(りょうふ)にまみえず
寡(やもめ)のみさおを守るのみにあらず、
平生(へいぜい)其(その)夫(おっと)の過(あやまち)をいさめ、
其(そん)善(ぜん)をすすめなすを、守節の常とす。

               (『鑑草』巻之二 守節背夫報)

【訳]

守節というのは、ふたりの夫に仕えず、やもめの操を守るだけでなく、
平生その夫の過ちをいさめて、その善行をすすめるのを守節のつねとする。

・・・

【 5月14日 】 神明の照覧

たくみをもって人間をだまさんと思える人も、神明(しんめい)の照覧は、
かくすべきてだてなき事を、わきまえいましめるべし。

               (『鑑草』巻之二 守節背夫報)

【訳]

たくらみによって、人間をだまそうと思う人も、神明の照覧にたいしては、
隠すべき手立てのないことをわきまえ、戒めなければならない。

・・・

【 5月15日 】 善悪の報い

善悪(ぜんあく)のむくい、かげの形(かたち)にしたがうごとくなれば、
よのつれの妬毒(とどく)には又(また)よのつれのむくい有(あり)。
よく心(こころ)をつけておそれつつしむべし。

               (『鑑草』巻之三 不嫉妬毒報)

【訳]

善悪の(おこないの)報いは、人影がその人の形につきしたがうように、
世間でよくあるねたみには、また世間でよくあるような報いがある。
しっかりと心に受け止めて、おそれつつしむことである。

・・・

【 5月16日 】 子孫の繁昌

子孫のはんじようをば、人(ひと)ごとにねがうところなれども、
不嫉(ふしつ)の徳(とく)によって此(この)福(さいわ)いを
うる事をわきまえず。

               (『鑑草』巻之三 不嫉妬毒報)

【訳]

子や孫の繁栄は、だれしも願うところであるが、
人をねたむことのないおこないによって、
幸福を得ることができるという道理を知らない。

・・・

【 5月17日 】 万物は一心の変化

万物みな一心の変化なれば、一念(いちねん)の住(じゅう)する
ところはみなその形(かたち)を生(しょう)ず。

               (『鑑草』巻之三 不嫉妬毒報)

【訳]

万物は、すべて(人間の)一心の変化なのであるから、
ふかく心に念ずるところのものは、すべてその形となって生まれるのである。

・・・

【 5月18日 】 慈悲ふかい神明

それ神明(しんめい)はきわめて慈悲ふかくましまして、
あやまちをくい、善にうつる事をよろこび給う。

               (『鑑草』巻之三 不嫉妬毒報)

【訳]

そもそも神明は、きわめて慈悲ふかくいられので、
(その人のおかした)あやまちを悔い、善に移ることを
喜びとしているものである。

・・・

【 5月19日 】 心を善に移す

過(あやま)ちあらん人は、第一其(その)心(こころ)を善(ぜん)にうつして、
禍(わざわ)いをまぬがれ、福(さいわ)いをえんとつとめるべき事(こと)なり。

               (『鑑草』巻之三 不嫉妬毒報)

【訳]

過ちをおかした人は、まずなによりもその心を善にうつして、
わざわいをまぬがれ、幸福を得ようとつとめるべきである。

・・・

【 5月20日 】 万物一原①

万物(ばんぶつ)一原(いちへん)の理(ことわ)りなるゆえに、
本来(ほんらい)吾(われ)と人(ひと)との差別(さべつ)なし。

               (『鑑草』巻之三 不嫉妬毒報)

【訳]

万物(は一つの根源から生まれたという)一原の道理であるゆえに、
もともと自分と他人というような差別などは存在しないのである。

            <感謝合掌 令和2年5月11日 頓首再拝>

「中江藤樹・一日一言」5月21日~31日 - 伝統

2020/05/22 (Fri) 23:14:06


【 5月21日 】 万物一原②

かるがゆえに、ねたみて人(ひと)をにくみ害(そこ)なうは、
我身(わがみ)のためを思うににたれども、
畢竟(ひっきょう)ぱおのれが身(み)をにくみそこなうなり。

               (『鑑草』巻之三 不嫉妬毒報)

【訳}

それゆえに、ねたんで人をにくみ傷つけるのは、
わが身をまもるためを思うに似ているけれども、
結局は自分の身をにくみ傷つけていることになるのである。

・・・

【 5月22日 】 孝養まめやか

子(こ)の明徳(めいとく)あきらかなれば、
かならず孝行(こうこう)誠(まこと)あるゆえに、
たといその子の福分(ふくぶん)うすくして貧賎(ひんせん)なり
といえども、その孝養まめやかにして、親のこころ安楽なるものなり。

               (「鑑草』巻之四 教子報)

【訳]

子の明徳が明らかならば、かならず孝行のまことあるゆえに、
たとえその子の生まれつきの幸運がうすく、貧乏であった
としても、その孝養が誠実なことから、親の心は安楽になるものである。

・・・

【 5月23日 】 孝養とぽしい

子(こ)の明徳(めいとく)くらければ、孝心)こうしん)まことなきゆえに、
たといその子の福分(ふくぶん)あつくして富貴(ふうき)なりといえども、
孝養(こうよう)まめやかならざれば、
親(おや)のこころよろこび安(やすん)ずるところなし。

               (「鑑草』巻之四 教子報)

【訳]

子(こ)の明徳(めいとく)がくらければ、孝心のまことないゆえに、
たとえその子の生まれつきの幸運あつく、富貴であったとしても、
その孝養が不誠実なことから、親の心はよろこび安らかになることがない。

・・・

【 5月24日 】 わが子に宝を

子(こ)を愛するときは、
かならずその子に宝(たから)をあたえんことをねがわざるはなし。

しかはあれど、天下第一の宝(たから)のある事をわきまえざる故に、
徒(ただ)に世間(せけん)のたからをあたえんとのみねがいて、
性命(ぜいめい)のたからをあたえんと願(ねがう)こころなし

               (「鑑草』巻之四 教子報)

【訳]

子を愛するときは、かならずその子に宝をあたえることを願うものである。

そうはいうものの、(親は)世界第一の宝のあることを知らないゆえに、
たんに(金銀などの)世間の宝をあたえようとのみ願い、
性命の宝をあたえようと願う心はないのである。

・・・

【 5月25日 】 天下第一の宝①

それ天下の宝(たから)二つあり。
人人(にんにん)の心(こころ)の中に
明徳(めいとく)と名づけたる無価(むけ)の宝あり。
これを性命(せいめい)のたからと云(いい)、天下第一の宝(たから)なり。

               (「鑑草』巻之四 教子報)

【訳]

いったい、この世界の宝にはふたつある。
すべての人の心に、明徳と名づけた他の物とくらべることのできない宝がある。
これを性命の宝ともいい、世界で第一番の宝である。

・・・

【 5月26日 】 天下第一の宝②

この宝(たから)をよくたもちぬれば、
その心(こころ)常(つね)にたのしみ、何事も皆心にまかせ、
世間(せけん)の宝も福分(ふくぶん)にしたがってあつまり、
子孫(しそん)もこれによって繁昌(はんじょう)し、
当来(とうら)かならず天に生ず。

               (「鑑草』巻之四 教子報)

【訳]

この(天下第一の)宝をしっかりと保持していけば、
その心はつねに楽しみとなり、なにごともすべて心のままになり、
世の中の宝も自分の福分にしたがって集まり、
子や孫もこれによって繁栄し、
来世にはかならず天に生まれるのである。

・・・

【 5月27日 】 天下第ニの宝①

金銀(きんぎん)珠玉(しゅぎょく)、天子(てんし)諸侯(しょこう)の位を
世間(せけん)の宝(たから)と云(いい)、
天下第二のたからなり。

               (「鑑草』巻之四 教子報)

【訳]

金銀・珠玉や天子・諸侯の位を、世間の宝といい、
(これは)世界で第二番目の宝である。

・・・

【 5月28日 】 天下第ニの宝②

明徳(めいとく)明らかなる人これをうれば、その福(さいわ)いめでたく、
天下(てんか)の人(ひと)皆そのめぐみにうるおえり。

明徳くらくして是(これ)をうれば、その身の苦しみと成(なり)、
或は身(み)をころし国(くに)をうしなう災(わざわ)いこれよりおこれり。

               (「鑑草』巻之四 教子報)

【訳]

明徳の明らかな人が、このような世間の宝を得たならば、その幸福めでたく、
世界の人々もみなその恵みを受けることができる。

(しかし)明徳をくもらした人が、このような世間の宝を得たならば、
それは身の苦しみとなり、あるいは身をころし国をうしなう
災いが、もたらされるのである。

・・・

【 5月29日 】 天下第ニの宝③

如意宝珠(にょいほうじゅ)の明徳(めいとく)は、
人人(にんにん)目具足の物なれば、

上(かみ)天子より下(しも)庶人(しょじん)にいたり、
上(かみ)聖人より下(しも)凡夫にいたるまで、もとめればうる物なり。

               (「鑑草』巻之四 教子報)

【訳]

物事が自分の意のままになる不思議な明徳は、
すべての人(の胸のうち)に具わっているものゆえに、

上は天子より、下は庶民にいたるまで、
(また)上は聖人より、下は凡夫にいたるまで、
求めようとすれば、だれでも得ることができるものである。

・・・

【 5月30日 】 幼少の教え

幼少(ようしょう)の時には、父母(ふぼ)、めのとなどの
心行(しんぎょう)を教(おしえ)の根本とす。

さて其子(そのこ)の悪念(あくねん)をひきうごかし、
悪(あく)にならわざるように、用心第一なり。

               (「鑑草』巻之四 教子報)

【訳]

幼少のときには、父母や乳母などの
心とおこないを、教育の根本とする。

さて、その子の悪念を引きうごかし、
悪に親しまないようにすることが、心くばりの第一である。

・・・

【 5月31日 】 心の教え

子におしえると云(いう)事(こと)を
あさく心(こころ)得(え)たる人は、
心のおしえある事(こと)をわきまえず。

               (「鑑草』巻之四 教子報)

【訳]

(幼少時の)子どもに教育するということを軽く思っている人は、
心の教えがあるということをじゅうぶんに知らない。

            <感謝合掌 令和2年5月22日 頓首再拝>

「中江藤樹・一日一言」6月1日~10日 - 伝統

2020/06/04 (Thu) 23:14:15


【 6月1日 】 子育ての誤り

幼少の時には教え戒める事悪(あし)きと心得(こころえ)、
寵愛(ちょうあい)におぼれ、何事をもその子の気随(きずい)に
まかせて佚楽(いつらく)にふけるようにもてなし、
ものいい立(たち)ふるまいなどのいやしくそこつにして、
その心放埓(ほうらつ)に習(ならい)をも戒(いまし)め制する事なし。

               (「鑑草』巻之四 教子報)

【訳}

幼少のときには、(親は)教えいましめることが好ましくないと心得て、
寵愛におぼれさせ、何事もその子の自由にさせて、
遊び楽しませるようにとりなし、
ことば使いや行動などの下品で軽率にして、
その心が気ままとなる習癖をもいましめ、抑えることもしない。

・・・

【 6月2日 】 成人の教え

成人しての教(おしえ)には明徳明らかな君子(くんし)をもとめ、
師匠として儒道(じゅどう)の心学をおしえ、
ひたすらに、明徳(めいとく)明らかにする工夫を励(はげま)し、
才智芸能などは、その生得(うまれつき)にしたがっておしえ成(なす)べし。

               (「鑑草』巻之四 教子報)

【訳}

成人しての教えには、明徳明らかなすぐれた君子をもとめ、
師匠として儒道の心学を教え、
ひたすらに明徳を明らかにする工夫をはげまし、
才智・芸能などは、その生まれつきにしたがって教えることである。

・・・

【 6月3日 】 胎教の心がけ①

胎教(たいきょう)の心もちは慈悲正直を本(もと)とし、
かりそめにも邪(よこしま)なる念(ねん)を発(おこ)すべからず。

               (「鑑草』巻之四 教子報)

【訳}

胎教の心がけは、慈悲と正直を根本として、
ほんの少しでも、よこしまな心を起こしてはならない。

・・・

【 6月4日 】 胎教の心がけ②

食物(しょくもつ)をもよくつつしみ、居(い)ずまい
身(み)のはたらきをも正しくつつしみ、
目(め)にむざとしたる色(いろ)を見ず、
耳(みみ)に邪(よこしま)なる声をきかず、

古(いにし)えの賢人君子の行迩(こうせき)、
孝悌(こうてい)忠信(ちゅうしん)の故事(こじ)を
記(しる)せる草子(そうし)をよみ、或は物語をきくベし。

               (「鑑草』巻之四 教子報)

【訳}

(毎日の)食事をよくつつしみ、居住まいや
身のはたらきも正しくつつしみ、
目にむさくるしい色を見ず、
耳によこしまな声を聞かず、

むかしの賢人・君子のおこないや、
孝弟や忠信の故事を書きしるした草子を読み、
あるいは物語を聞くことである。

 ○孝悌 ~ 孝弟とも。

・・・

【 6月5日 】 胎教の道理

生(うまれ)る子のすがた形もよく
智恵徳芸(とくげい)もすぐれなん事(こと)をねがうは、
母ごとの心なれども、

胎教によって、子の容儀もよく智恵もすぐれる理りを
わきまえざるゆえに、胎教にちからをもちいず。

               (「鑑草』巻之四 教子報)

【訳}

生まれてくる子の姿かたちもよく、
智恵・徳芸もすぐれていることを願うのは、
どの母親もおなじ心であるけれども、

それが胎教によって、子の容儀もよく、智恵も
すぐれるという道理を知らないゆえに、
胎教にちからを用いないのである。

・・・

【 6月6日 】 孟母の教え

子(こ)をそだてる人だれもこの心(こころ)を師(し)として、
其子(そのこ)の我満(がまん)の根(ね)、あらそいそねむ根(ね)、
負欲(どんよく)の根(ね)、狠戻(こんれい)の根(ね)、
人をあなどりかろしめる根(ね)などを、引(ひき)うごかし、
ならわざるように用心第一なり

               (「鑑草』巻之四 教子報)

【訳}

子をそだてる人は、だれもこの
(孟母のイノシシを買い与えたという)心を教師として、
その子の満心の根、あらそいねたむ根、負欲の根、
ねじけた心の根、人をあなどり軽蔑する根などを、引きうごかし、
(成人してからの)習慣とならないように用心することが第一である。

○孟母 ~ 孟子の母。

・・・

【 6月7日 】 子の不孝は親から

母たるもの夫(おっと)のみじかき所あしき事などを
その子に語(かた)りきかせてよろこぶもの、間(あいだ)に有(あり)。

これは正(まさ)しく、その子に不孝をおしえるなり。
いかんとなれば子の不孝はかならず親の不是(ふぜ)なる所を見るよりおこれり。

               (「鑑草』巻之四 教子報)

【訳}

母親たるものは、亭主の短所や悪いことなどを、
わが子に語り聞かせてよろこぶものが、ときどきいる。

これはまさしくその子に、不孝を教えているようなものである。
なんとなれば、子の不孝は、かならず親のよからぬ言行を、
見ているところから起こるのである。

・・・

【 6月8日 】 道を教える

徒(ただ)に子孫(しそん)のさかえんことをもとめて、
道(みち)をおしえざるは、木によって魚(さかな)をもとめるなるべし。

               (「鑑草』巻之四 教子報)

【訳}

ただたんに子や孫が繁栄することだけをもとめて、
(肝心の)人としての道を教えなかったならば、
(たとえば)木に登って魚をもとめているようなものである。

・・・

【 6月9日 】 立派に育てる覚悟

子(こ)ありても小人(しょうじん)なれば
子(こ)なきにおとれりといえる覚悟、
丈夫にもまれなる心得(こころえ)、
いと有(あり)がたき事(こと)也(なり)。

この心(こころ)をもって心(こころ)とせば、
いずれの母もよくおしえざるはあるまじ。

               (「鑑草』巻之四 教子報)

【訳}

子がいても、徳のない人間ならば、
子のいないよりも劣るというような覚悟は、
りっぱな男性にもまれな心得であり、
きわめてあり難いことである。

この心を心としたならば、
いずれの母親も(わが子を)りっぱに教育することができるのである。

・・・

【 6月10日 】 人の死期①

人(ひと)の死期(しき)は生をうける初(はじめ)にさだまりて、
天地(てんち)神明(しんめい)もみだりに変(へん)じ給う事あたわず。
まして人力をや。

               (「鑑草』巻之四 教子報)

【訳}

人間の死ぬ時期というのは、この世に生をうけた最初にさだまっていて、
天地・神明もみだりにそれを変えることができない。
ましてや人力など、とうていおよぶものではない。

            <感謝合掌 令和2年6月4日 頓首再拝>

「中江藤樹・一日一言」6月11日~20日 - 伝統

2020/06/13 (Sat) 19:01:22


【 6月11日 】 人の死期②

そのうえ寿命(じゅみょう)の根は明徳)めいとく)にある故(ゆえ)に、
大義(たいぎ)をおもんじ明徳を明かにすれば、
軍陣(ぐんじん)にありても非業(ひごう)の犬死(いぬじに)なし。

               (「鑑草』巻之四 教子報)

【訳}

そのうえ(人間の)寿命の根本は、明徳にあるゆえに、
大義をおもんじて、明徳を明らかにすれば、
(たとえ)軍陣にいたとしても、思いもかけないような犬死はないのである。

・・・

【 6月12日 】 道徳を第一義

才芸(さいげい)を緒余(しょよ)として、道徳を第一義とたっとぶは、
まことに君子(くんし)のおしえなり。
よのつねの人は、男にてもこの見識(けんしき)あるはすくなし。

               (「鑑草』巻之四 教子報)

【訳]

才芸を余技として、道徳を最上の価値あるものとたっとぶのは、
まことにりっぱな君子の教えというものである。
世のつねの人は、男性でもこのような見識のある者は少ない。

・・・

【 6月13日 】 満心をたきつける

たまたまその子(こ)の芸に長ずることあれば、
世になきこととよろこびたかぶりて、却(かえっ)て
その子の満心をたきつけるのみなり。

               (「鑑草』巻之四 教子報)

【訳]

たまたま、その子の技芸が(人よりも)すぐれたところがあれば、
世になき(天才などと)驚喜して、かえってその子の満心を
たきつけてしまうだけである。

・・・

【 6月14日 】 福善禍淫

福善(ふくぜん)禍淫(ふくいん)の報応(ほうおう)は
山びこのごとしくれば、まま子(こ)をつれなくそこなえば、
かならずわが産(うむ)ところの子に報いて、あさましき禍いあり。

               (「鑑草』巻之五 慈残報)

【訳]

「善行にさいわいし、淫行にわざわいす」という法則は、
あたかもやまびこのようなものであり、
じつの子でない者を薄情にいためつければ、
かならず自分の生んだ子どもに、その報いがおよんで、
みじめなわざわいが起こるのである。

・・・

【 6月15日 】 親の遺産なくても①

衣食(いしょく)もてあそびものは、
多(おおき)きも実はその子に益なし、
すくなきも実はその子に損なし。
あるにまかせる世中(よのなか)なり。

               (「鑑草』巻之五 慈残報)

【訳]

衣食を思いのままになる者で、
それが多くあるからといって、じつはその子に利益はない。
また(それが)少ないからといって、じつはその子に損失はない。
あるがままの世の中である。

・・・

【 6月16日 】 親の遺産なくても②

千金(せんきん)のゆずりをうけてほどなく貧窮(ひんきゅう)にせまり、
一銭のゆずりなき孤(みなしご)も富さかえぬるためし、
古(いにしえ)も今も家毎(いえごと)にある事(こと)なれば、
わが子に福分(ふくぶん)あらば、親のあとしきをとらずとも、
さかえなん事(こと)うたがいなし。

               (「鑑草』巻之五 慈残報)

【訳]

千金のゆずりをうけて、ほどなく貧乏になったり、
一銭のゆずりのない孤児が富みさかえたという事例は、
むかしも今も、家々にあることなので、

わが子に福分さえあれば、親の遺産を相続しなくても、
富みさかえることは間違いないのである。

・・・

【 6月17日 】 わが子にも災い

天道(てんどう)あきらかにましませば、まま子(こ)をそこなう報いにて
かならずわが子(こ)災(わざわ)いにあう事、
影(かげ)の形(かたち)にしたがうがごとし。

               (「鑑草』巻之五 慈残報)

【訳]

天道は、明らかにおわしますので、まま子を傷つける報いによって、
かならず自分の子がわざわいにあうこと、
影がその人の形にしたがうようなものである。

・・・

【 6月18日 】 道ある人を師に

かりそめにもあしき友(とも)にちなまざるようにおしえ、
道(みち)ある人を師(し)と定(さだ)める事、
慈善の第一義なり。

               (「鑑草』巻之五 慈残報)

【訳]

けっして悪友と親しく交わらないように教えてあげ、
りっぱな徳のある人を(人生の)師とさだめること、
(これが)慈善のもっとも大事なものである。

・・・

【 6月19日 】 無欲の慈悲心

みどり子(こ)を愛せざる母は人にあらず。み
どり子を愛(あい)する心(こころ)は無欲(むよく)の慈悲(じひ)なり。

無欲の慈悲心(じひしん)を仁(じん)と名づく。
この仁は人人(にんにん)固有(こゆう)のものなれば、
もとめる志(こころざ)しだにあれば、
得(え)がたき道(みち)にあらず。

               (「鑑草』巻之五 慈残報)

【訳]

おさなごを愛せない母は、人ではない。
おさなどを愛する心は、無欲(むよく)の慈悲(じひ)である。

(このような)無欲の慈悲心を、仁と名づける。
この仁は、すべての人の固有するものなので、
もとめるこころざしさえあるならば、
得ることの難しいものではないのである。


 ○例話~張氏の妻は男子ひとりを生んで早世した。

     張氏は後妻の陳氏をむかえた。
     陳氏はしゅうとめによく孝行をつくし、
     まま子を愛することわが子よりまさっていた。

     このような陳氏の孝行、慈善の徳の報いによって、
     陳氏の生んだ子は聡明で、のちには中央政府の
     皇帝直属の高官にのぼりつめた。

・・・

【 6月20日 】 他人という差別①

よの人倫(じんりん)は躯殻(くかつ)の差別に迷いて、
一体の理(ことわり)をわきまえず、
姑(しゅうとめ)にあっては、他入なり、われにうとしと思(おも)い、
まま子に対しては、他人(たにん)のうむ子(こ)なり、吾に親みなしと
思える一念(いちねん)の私(わたし)、はや仁(じん)のかがみを
くらますくもりとなる。

               (「鑑草』巻之五 慈残報)

【訳]

世の人々は、肉体の差別に迷って、
本来一体であるという道理をわきまえないため、
しゅうとは他人であり、自分に打ち解けようとしないと思い込み、
まま子にたいしては、他人の生んだ子であり、自分にとって親しみなどはない
と思い込む一念の私心が、はや(おのれの)仁の心の鏡を
くもらしてしまうのである。

            <感謝合掌 令和2年6月13日 頓首再拝>

「中江藤樹・一日一言」6月21日~30日 - 伝統

2020/06/21 (Sun) 22:30:17


【 6月21日 】 他人という差別②

一念(いちねん)の私(わたし)をはやくのぞき、
仁性(じんせい)のかがみあきらかなれば、姑につかえてはかならず
孝行、まま子を育てはかならず慈善(じぜん)なるものなり。

               (「鑑草』巻之五 慈残報)

【訳}

ふかく思い込む私心をはやくのぞき捨てて、
仁の心の鏡がうつくしければ、しゅうとめに仕えてもかならず
愛敬の心でせつし、まま子を育ててもかならず慈しみの心でせっするものである。

・・・

【 6月22日 】 万物一体の仁

まま子と実子と、よめとわが子と、前妻の一門とわが一類と、
他人のむすめとわがむすめと、皆一味に因心愛厚き事、
いわゆる万物一体の仁なり。

               (「鑑草』巻之五 慈残報)

【訳]

まま子と自分が生んだ子と、嫁と自分の子と、先妻の一族と自分の一族と、
他人の娘と自分の娘とそれぞれに違っていても、すべて平等の仲間で恩愛あつきこと、
いわゆる万物一体の仁なのである。

・・・

【 6月23日 】 人は万物の霊

天地は万物の父母にして、人(ひと)は万物の霊なれば、
人として人を愛するものを、天道(てんどう)のたすけ給う事、
たとえば人の子をいつくしみぬれば、その父母恩にむくいるがごとし。

               (「鑑草』巻之五 仁虐報)

【訳]

天地は、万物の父母(ふぼ)であり、人間はその万物のなかでもすぐれたものなので、
人として人を愛するものを、天道の助けられること、
たとえば人の子を大切にしてあげたならば、
その子の父母が恩沢に報いるようなものである。

○天地は万物の父母にして人は万物の霊~「害経』周書・泰誓上篇

・・・

【 6月24日 】 仁虐の報い

たとえば人の子をそこないぬれば、
その父母(ふぼ)うらみをむくうがごとくなれば、
仁虐(じんぎゃく)の報い、かげの形にしたがうごとくなる事、
必然の理(ことわり)なり。

               (「鑑草』巻之五 仁虐報)

【訳]

たとえば他人の子どもをいじめたり、傷つけたりすれば、
その両親はうらみ晴らそうとするように、
仁と虐との報いはあたかも影がその人をどこまでもつき従っていくごとくなるのは、
必然の道理である。

・・・

【 6月25日 】 すべて人の子

生(いき)とし生(いけ)る人たれかその子を愛(あい)せざらん。
奴(やっこ)どいえ共(ども)皆人の子なり。
わが子そのくらいにあらば、わが心(こころ)しのぶべからず。

               (「鑑草』巻之五 仁虐報)

【訳]

生きているすべての人で、だれがその子を愛していないであろうか。
召使いといえども、すべて人の子である。
自分の子がその立場にあったならば、耐えがたいことである。

・・・

【 6月26日 】 万物一体の心

万物一体の心、人人(にんにん)具足のものなれば、
奴(やっこ)なり他人(たにん)なりとあなどりへだてる意念(いねん)なくば、
たれも仁(じん)ならざるはあるまじ。

よくみずからかえりみて仁をほどこさん事(こと)、
その身の福(さいわ)いにあらずや。

               (「鑑草』巻之五 仁虐報)

【訳]

万物一体という差別のない心は、すべての人にそなわっているものなので、
召使いだから、他人だからとばかにし遠ざける考えの心がなければ、
だれもが仁愛の心でないものはいない。

しっかりと自分のおこないを反省して、仁愛の心で人とせっすることが、
自分自身の幸福ではなかろうか。

・・・

【 6月27日 】 眼前の小利

人(ひと)の不仁(ふじん)なるは、
眼前の小利を貧(むさぼ)るより起(おこ)れり。

               (「鑑草』巻之五 仁虐報)

【訳]

われわれの(胸のうちにある)仁愛の心が欠落するのは、
目先のちいさな利益をむさぼるところから起こるのである。

・・・

【 6月28日 】 万物一体の仁心①

心(こころ)の本体(ほんたい)は万物一体の仁(じん)具(そな)わるものなれば、
惑(まど)いなければ、したしみなき人(ひと)をもよく愛する理(ことわ)りあり。
ましてあいよめと成(なり)小姑(こじゅうと)となりぬれば、
骨肉(こつにく)同胞(どうほう)の親(したし)みあるをや。

               (「鑑草』巻之六 淑睦報)

【訳]

心の本体は、万物一体の仁をそなわっているものなので、
迷いがなければ、親しみのない人であっても、愛する道理がある。
ましてや、あい嫁となり、小じゅうよめとなったならば、
骨肉同胞の親しみあるのは当然のことである。

・・・

【 6月29日 】 万物一体の仁心②

万物(ばんぶつ)一体(いったい)の仁心(じんしん)を明らかにし、
人(ひと)はいかようにもあれ、吾(われ)は何の心(こころ)もなく、
ひたすらに親)したし)み和(やわら)ぎぬれば、

人も又岩木(いわき)ならざれば、
感動するところありて、
仁愛(じんあい)をもて我(われ)を親(したし)むものなり。

               (「鑑草』巻之六 淑睦報)

【訳]

(だれにもそなわっている)万物一体の仁心を発揮して、
相手がどのようであれ、自分は何の(こだわりの)心もなく、
ただひたすらに親しみむつまじくせっすれば、

その人もまた岩木ではないので、
きっと感動するところがあって、
仁愛の心でもって自分を親しんでくるものである。


○例話

 ~王覧の妻は兄嫁にむつまじく仕えた。
  しゅうとめ朱氏のために、兄の王祥はまま子で、
  弟の王覧はじつの子ゆえに、王祥の妻にはつれなくあたった。

  王覧の妻はそれをうれい、いつも王祥の妻をかばいともに嘆き悲しんだ。

  朱氏はいつとなく心やわらぎ、二人の嫁にひとしく情け深くせつし、
  家内和楽して富貴その家を離れることはなかった。

・・・

【 6月30日 】 隠れた一体の仁

世間(せけん)に淑睦(しゅくぼく)の人まれなるは、
兄弟(きょうだい)は天属(てんぞく)なれば互に意念なし、

あによめ小(こ)じゅうとめは人合なるによって、互(たがい)に他人(たにん)なり、
心(こころ)ゆるすべからずと思える意念)いねん)、むねに塞(ふさ)がる上(うえ)に、

互(たがい)に才(さい)を争い容儀(ようぎ)を争い利(り)を争う
我満(がまん)邪欲(じゃよく)まじわるによって、一体の仁(じん)おおいかくれて、
互(たがい)にそねみ争う心根(こころね)あり。

               (「鑑草』巻之六 淑睦報)

【訳]

世間にしとやかで、むつまじい心のある人がまれなのは、
兄弟は(血の分けた)天属なのでたがいに意念はないが、

あに嫁と小じゅうとめとは人合ゆえに、
たがいに他人であり、心を許してはならないと思う意念が、
胸に詰まるうえに、

たがいに才知をあらそい、容儀をあらそい、利益をあらそう
我満とよこしまな私欲が入りみだれて、(万物)一体の仁がおおい隠れて、
たがいにねたみあらそう心根があらわれるのである。

            <感謝合掌 令和2年6月21日 頓首再拝>

「中江藤樹・一日一言」7月1日~10日 - 伝統

2020/07/02 (Thu) 19:51:10


【 7月1日 】 わが心にて

苦(くるし)びと禍(わざわい)はたれもいといさけるところにして、
楽(たのし)みと福(さいわ)いはたれもこのみねがうところなりといえども、
吾(わが)心(こころ)にて苦楽(くらく)禍福(かふく)を作り出す
理(ことわ)りをしらず

               (「鑑草』巻之六 淑睦報)

【訳}

苦しみとわざわいとは、だれもが忌避するところであり、
楽しみと幸福とは、だれもが好んで願望するところであるけれども、
(それが)自分の心によって(そのような)苦楽・禍福を
つくりだしている道理を知らないでいる。

・・・

【 7月2日 】 貧心と満心をのぞく

淑睦(しゅくぼく)の本心(ほんしん)をくらます
魔障(ましょう)しな多しといえども、
損得(そんとく)を計る貧心(とんしん)し、
勝(かつ)ことをこのむ満心(まんしん)より大(おお)いなるはなし。
我満(がまん)の勝心(しょうしん)をけして損得のむさぼり浅くば、
淑睦日々(ひび)に進みなん。

               (「鑑草』巻之六 淑睦報)
【訳]

しとやかでむつまじい本心を、くもらす魔障の種類は多いけれども、
損得を計るむさぼる心と、(相手に)勝つことを好む満心より
おおきいものはない。

この我満の勝心を取りのぞき、損得のむさぼりが浅ければ、
しとやかでむつまじい(心)が日々に進むのである。

・・・

【 7月3日 】 財宝は生民のために

財宝(ざいほう)は天下の生民(せいみん)を養(やしな)わんために、
天地(てんち)の生じたまうものなれば、
かりそめにも貪(むさぶ)り私(わたし)すべきものにあらず。

               (「鑑草』巻之六 廉貧報)

【訳]

財宝というのは、世界中の人々を養うために、天地が生んだ恵みであって、
かりにもむさぼり(個人の)私有物にすべきものではない。

・・・

【 7月4日 】 廉の心

廉(れん)なる時(とき)はきたなき貪心(とんしん)なし。
貧(むさぼ)る心(こころ)なければ、
財宝(ざいほう)を己(おのれ)一人(ひとり)の私用にせんとの欲心なし。


               (「鑑草』巻之六 廉貧報)

【訳]

一清廉な心がけにあるときは、きたないむさぼりの心などはない。
むさぼる心がなければ、
財宝をおのれ-人の私有にしようという欲心が起こらない。

・・・

【 7月5日 】 欲心なければ

欲心(よくしん)なければ、たくわえるも施(ほどこ)すも
皆(みな)道理(どうり)にしたがい、おのれをも利(り)し人(ひと)をも
すくう公用(こうよう)となって、万物一体の心(こころ)昧(くら)からず。

               (「鑑草』巻之六 廉貧報)

【訳]

利欲の心がなければ、貯蓄すること
も、人に施すこともすべて道理にしたがい、
自分自身をも役にたち、人をも救う公用と
なるため、万物一体の心をくもらすことがないのである。

・・・

【 7月6日 】 虎狼のたぐい

わずかの私欲さえ天道(てんどう)のいれざる所なるに、
財宝(ざいほう)を私用(しよう)にむさぽり人(ひと)をそこなう
心行(しんぎょう)は虎狼(ころう)のたぐいなれば、
などかおそろしきむくいなからんや。

               (「鑑草』巻之六 廉貧報)

【訳]

わずかの私利私欲さえ、天道の容認しないところであるのに、
財宝を私用にむさぼり、人を傷つける心行は、(まるで)
虎狼のたぐいゆえに、どうしておそろしい報いがないであろうか。

・・・

【 7月7日 】 清廉こそ得なり

貪(むさぼ)るは得(とく)に似(に)たる損(そん)なり、
廉(れん)は損に似(に)たる得なり。

               (「鑑草』巻之六 廉貧報)

【訳]

むさぼることは、得に似た損であり、
廉直は損に似た得である。

・・・

【 7月8日 】 金銀をおしむ心①

夫(それ)金銀(きんぎん)を重宝(ちょうほう)とするは、
我用(がよう)を達(たつ)し、難儀(なんぎ)をすくわんとなり。

しかるにむさぼるものは金銀(きんぎん)をおしむ心ふかきによって、
我用(がよう)にもつかわずして、箱(はこ)に入(いれ)、蔵(くら)におさむ。

               (「鑑草』巻之六 廉貧報)

【訳]

そもそも金銀を貴重な宝とするのは、
自分の必要とするものをなしとげ、困難をすくうためである。

それなのに、むさぼる者は金銀の使用を惜しむ心がふかいために、
自分の必要にもつかわず、箱に入れて、土蔵におさめてしまうのである。

・・・

【 7月9日 】 金銀をおしむ心②

この不義(ふぎ)のたくわえによって
種々(しゅじゅ)の難儀(なんぎ)おこりぬれば、
金銀(きんぎん)の重宝(ちょうほう)たるところひとつも
用にたたずして、石瓦(いしかわら)にひとし。

               (「鑑草』巻之六 廉貧報)

【訳]

このような(金銀を惜しむ)たくわえによって、
さまざまな困難が起こってしまい、金銀が重宝であるけれども、
(結局は)ひとつも使用することなく、まるで石や瓦と
おなじものになってしまうのである。

○例話~周氏の嫁に家業を継がせる際、
    「小さい枡で人に渡し、大きな析で取りおさめよ」と教えた。

    嫁は驚き、「このような商売は、天道にそむき天の責めをうけ、
    その報いは子孫におよぶのでできません」と。

    「二つの枡を捨てたらよい」
    「いつからこんな商売をはじめたのか」
    「二十余年になる」
    「これから二十年間、小さい枡で取って、
     大きい枡出してとがをつぐなうことに」

    嫁の謙直で家は栄えた。

・・・

【 7月10日 】 禍いも山のように

たとえば百銭(ひゃくせん)とるべきをむさぼれば、
百三銭五匁(もん)とり、百銭与えるべきを貧(むさぶ)れば、
九十七銭五匁あたえるごときの損得(そんとく)なり。

此(この)三銭五匁の内(うち)の損得を、
ちりつもりて山(やま)となるしとむさぼり、
財宝(ざいほう)につれて禍(わざわ)いもまた
山のごとくあつまる事をわきまえず。

               (「鑑草』巻之六 廉貧報)

【訳]

たとえば(相手から)百銭取るべきところをむさぼって、百三銭五匁を取り、
百銭を(相手に)あたえるべきところをむさぼって、九十七銭五匁を
あたえるような損得である。

この三銭五匁のうちの損得を、塵もつもれば山となると思ってむさぼり、
財宝とともにわざわいもまた、山のように集まることを知らない。

            <感謝合掌 令和2年7月2日 頓首再拝>

「中江藤樹・一日一言」7月11日~20日 - 伝統

2020/07/13 (Mon) 23:29:01


【 7月11日 】 陰徳を励む

寿命(じゅみょう)長遠(ちょうえん)のためとて、
そくばくの財宝(ざいほう)をついやすは、よのつれの人の習いなり。

此等(これら)のためしにて、寿命長遠の祈祷(きとう)、
廉直(れんちょく)より大なるはなしとよく得心(とくしん)して、
貪欲(とんよく)をすて陰徳をはげむべし。

                  (「鑑草」巻之六 廉貧報)

【訳}

寿命をながく延ばすためと言って、多くの財宝をついやすのは、
世のつれの人の習癖である。

これらの前例によって、寿命長久の祈祷が廉直よりおおきいものは
ないと得心して、貧欲の心を捨てて陰徳をはげむことである。

・・・

【 7月12日 】 世間の財産観

よのつれの人の心得(こころえ)には、貧(むさぼ)る時は財(ざい)積(つも)り、
貧らざれば財あつまりがたしと思(おも)えり。
此(この)習(なら)いふかきによって、きたなく惑(まど)えり。

                  (「鑑草」巻之六 廉貧報)

【訳]

世のつれの人の考え方には、むさぼるときは財産がつもり、
むさぼりをしなければ、財産があつまりにくいものと思っている。
この習癖がはなはだしいために、
(人はいっそう)きたなく迷うのである。

・・・

【 7月13日 】 貧りと廉直

むさぼるもかならず財(ざい)あつまらず、
廉直(れんちょく)もかならず財をうしなわず。

                  (「鑑草」巻之六 廉貧報)

【訳]

むさぼっても、かならず財産は貯まらない。
廉直だからといって、かならず財産をうしなうことはないのである。

・・・

【 7月14日 】 天下第一等の宝①

学問(がくもん)には品(しな)あまたありといえども、
心をおさめる学問のみ正真(しょうしん)の学問なり。

此(この)正真の学問は
天下第一等の事(こと)にして、人間第一義なり。

いかんとなれば、天下第一等の宝(たから)たる
明徳を明らかにするゆえ也(なり)。

                    (「春風」)

【訳]

学問にはその種類が多くあるけれども、
心をおさめる学問だけが、まことの学問である。

このまことの学問は、
世界で第一番のことであり、人間第一義なのである。

なんとなれば、世界で第一番の宝である
明徳を明らかにすることができるゆえである。

・・・

【 7月15日 】 天下第一等の宝②

金銀(きんぎん)珠玉(しゅぎょく)も宝ならざるにはあらねど、
人の苦しみの根を断(たて)て常住の楽しみを与る能所なきゆえに、
天下第一等の宝(たから)に非(あら)ず。

                    (「春風」)

【訳]

金銀や珠玉も宝であることに間違はないけれど、
人の苦悩の根をたち切って常住の安楽の心をあたえるような作用が
ないゆえに、世界で第一番の宝ではないのある

・・・

【 7月16日 】 一心の中に宝あり

此(この)宝(たから)は高きもいやしきも老たるもわかきも男も女も、
人(ひと)ごとに皆一心(いっしん)無尽蔵の中にたくわえ在(あり)ながら、
求め得ることを知ずして、ただに世間の宝を外にもとめて
苦しみの海(うみ)に沈み果(はて)ぬること、愚(おろ)かにいとあさまし。

                    (「春風」)

【訳]

この(明徳という)宝は、身分の高人も低い人も、老人も若い人も、男も女も
だれもかれもみな一心無尽蔵のなかにありながら、
もとめ得ることを知らずに、ただ金銀・珠玉などの世間の宝をもとめて、
苦しみの海に沈みはててしまうのは、おろかできわめて情けないことである。

・・・

【 7月17日 】 宿悪さえも免れる

孝行(こうこう)の篤至(とくし)なるは明徳(めいとく)明らかなる故なり。
明徳明らかなる時は宿悪(しゅくあ)の天刑(てんけい)さえ免(まぬが)れぬれば、
まして雷山(かみなりやま)を摧(くだ)けども
有徳の人をばそこなうこと能わざること、言(いわ)ずしてさとるべし。

                    (「春風」)

【訳]

この上ないまごころの孝行は、明徳の明らかなゆえである。
明徳明らかなときは、宿悪の天罰さえも免(まぬが)れることができ、
ましてや、雷が山をくだくことがあっても、
有徳の人に危害をくわえることのできないのは、いわずして知るべしである。

○雷山を捲けども~中国の孝子・呉二の例話。

・・・

【 7月18日 】 天の政事①

人間(にんげん)の願い品(しな)多しといえども、
約(つずま)る所(ところ)は功名、富、責、寿考、子孫の五件に究(きわま)れり。

此五件、皆本来天地の大徳より造化したまいて、
人間を饗威(きょうい)し玉(たも)う上天(じょうてん)の政事(せいじ)なり。

                    (「陰隲」)

【訳]

人間の願うところの種類は多くあるけれども、
突きつめると、功名、富、貴、寿考、子孫の五件にゆきつく。

この五件は、すべてもともと天地の大徳より造化されたものであって、
人間をもてなしたり、おどしたりする上天の政事である。

・・・

【 7月19日 】 天の政事②

予奪(よだつ)の権(けん)は天に在(あり)て、
得失の機(き)は人の一心(いっしん)にり。

是を以て自反(じはん)慎独(しんどく)の功(こう)新(あらた)にして
仁(じん)に違(たが)わざるときは、天これを与え玉(たま)いて人これを得る。

外(そと)に願い自(みずから)欺(あざむい)て仁に違(たが)うときは、
天これを奪い玉(たま)いて人これを失(うしな)う。

                    (「陰隲」)

【訳]

(五福を)あたえたり、(六極を)奪ったりする権利は、天にあって、
得るかうしなうかの機縁は、その人の一心にある。

(このことから)自反と慎独の工夫を新たにして、
仁(の道)に違わないときは、天は(五福を)その人にあたえるのである。

外物を願いみずからあざむいて、仁(の道)にそむくときは、
天は(五福を)その人から奪ってしまうのである。

・・・

【 7月20日 】 陰隲とは①

こころを無声(むせい)無臭(むしゅう)の仁(じん)に居(おい)て、
毛頭(もうとう)の妄心雑念なく、真実(しんじつ)無妄(むもう)に人を利(り)し
物をあわれむことを行(おこん)うを陰隲(いんしつ)となづく。

                    (「陰隲」)

【訳]

心を無声無臭の仁において、
いささかの妄心や雑念がなく、真実・無妄に他人のためにし、
ものをあわれむことを「陰隲」と名づけるのである。

〇 陰隲 ~『書経」周書・洪範篇

陰隲
http://www.kokin.rr-livelife.net/goi/goi_i/goi_i_14.html

            <感謝合掌 令和2年7月13日 頓首再拝>

「中江藤樹・一日一言」7月21日~31日 - 伝統

2020/07/22 (Wed) 20:02:48


【 7月21日 】 陰隲とは②

たとい人を救い物を助ける行(おこない)ありとも、
心(こころ)を仁(じん)にたてず妄心雑念有らば、
誠の陰隙にあらず。
故に心を仁におくを陰隲の大本とす。

                    (「陰隲」)

【訳}

たとえ人をすぐいものを助けるおこないがあったとしても、
心を仁におかず、妄心や雑念があったならば、本当の陰隲とはいえない。
ゆえに(その人の)心を仁愛におくことを、陰隲の根本とするのである。

・・・

【 7月22日 】 お前はお前、我は我

自己(じこ)心上(しんじょう)之(の)邪(よこしま)を克(かち)去(さ)り、
他人の無礼(ぶれい)不義(ふぎ)をば御かまい有(あり)まじく候(そうろう)。
爾(なんじ)は爾をせよ、我(われ)は我をせんの心持(こころもち)肝要(かんよう)に候。

                (書簡「谷川子に答える」)

【訳]

おのれの心にあるよこしまを克ち去って、
他人の無礼・不義を気にしてはなりません。
お前はお前のことをせよ、自分は自分のことをする、という心がけが大切です。

・・・

【 7月23日 】 我心に遊女なし

明道のいわく、昨[口座中に遊女あれども、
我心に遊女なし。今口H座中に遊女なけれ
ど、そなたの心に遊女有り.と戒め給いき。
伊川も及ばざる処‐と嘆じ給いき,となん。

                (書簡「谷川子に答える」)

【訳]

(程)明道のいうことには、「昨日、座中に遊女がいたけれど、わたしの心に遊女はいない。
今日、座中に遊女はいないけれど、そなたの心に遊女がいる、と戒められた。
(程)伊川もおよばないところと嘆いた」とあります。

○明道、伊川ー北宋の大儒で、南宋の朱子に多大の影響をおよぼす。
    河南省洛陽の人。二程子。

・・・

【 7月24日 】 過ちを重ねるとは

堕落(だらく)によって志(こころざし)をすて、
自棄(じき)におちいるを過(あやまち)を重(かさ)ぬと申候(もうしそうろう)。

                 (書簡「国領子に与える」四)

【訳]

堕落によってこころざしを捨て、
(自暴)自棄におちいることを、過ちをかさねるというのです。

・・・

【 7月25日 】 洛陽へ上る書え

道(みち)を求るは洛陽へ上(のぼ)るに警(たと)え申候(もうしそうろう)。
洛陽へ上る志をかたく立(たち)定(さだ)めれば、其(その)道中(どうちゅう)
種々の難(なん)にあい候(そうろう)といえども、ひたすらに上る道に欄怠(けたい)なく、
ころべば起(おき)て行々(ゆくゆく)退屈(たいくつ)なく候えば、
終(つい)に洛陽に至(いた)るものに候(そうろう)。

                 (書簡「国領子に与える」四)

【訳]

道をもとめるのは、都の洛陽へのぼることにたとえられます。

洛陽へのぼるこころざしをしっかりと立ち定めたならば、
途中いろいろの苦難にあっても、ひたすらにのぼる道中において怠ることなく、
転んだら起きて行き行き、へこたれないならば、
ついに洛陽にいたるものであります。

・・・

【 7月26日 】 忠信の取り入れ

同志(どうし)会合(かいごう)之(の)時節(じせつ)は心も健かに清く候え共、
俗(ぞく)に交るか独坐の時は心弱く、
むさむさとけがらわしく御(お)入(はいり)候(そうろう)よし、
兎角(とかく)本体(ほんたい)の見付(みつ)けなく、
忠信(ちゅうしん)を主(しゅ)とする取入(とりいれ)なき故(ゆえ)にて候。

                 (書簡「谷川寅に答える」二)

【訳]

同志が会合しているおりは、心もすこやかに清らかであるけれども、
世俗にまじわるか、ひとりになったときは心が弱く、
むさくさと汚らわしくなるとの由、
とにかく本体の(良知を)見つけられず、
忠信を主人とする取り入れがないゆえであります。

・・・

【 7月27日 】 信心の霊明にて

昔(むかし)枯木(かれき)を三年拝(はい)し候(そうら)えば、
花さきたると申伝(もうしつたえ)候(そうろう)。
是(これ)は枯木(かれき)の霊にては御座(ござ)なく候(そうろう)。

信心(しんじん)の霊明(れいめい)にて、花開(はなひらき)申候(もうしそうら)えば、
此道(このみち)の志(こころざし)だに真実(しんじつ)に厚(あつく)候(そうら)わば、
取入(とりいれ)疑(うたがい)有(あり)まじく候(そうろう)。

            (書簡「岡村子に答える」三)

【訳】

むかし、枯木を三年拝んだところ、花が咲いたという申し伝えがあります。
これは、枯木の霊によって咲いたのではありません。

信心の霊明によって花が咲いたので、この道のこころざしさえ、
真実に厚くされていたら、取り入れの疑いがあるわけがありません。

・・・

【 7月28日 】 聖賢の地に

とかく聖賢(せいけん)の地(ち)にいたる人(ひと)まれに御座(ござ)候(そうろう)。
凡情(ぼんじょう)に出入いたし候(そうらい)ては、おもしろからず候(そうろう)。

              (書簡「晦養軒に与える」)

【訳】

とにかく聖賢の境地にいたる人は、めったにいないのでございます。
(かといって)凡夫の心にのみ出入していては、面白くないものです。

・・・

【 7月29日 】 益友と損友

益友(えきゆう)はまれに損友(そんゆう)は多事(おおいこと)
何方(いずかた)も同事(おなじこと)、
今に始めざる気の圭毒に御座(ござ)候(そうろう)。

最早それはツント思(おもい)すてて、心(こころ)にかけぬが天下一の工夫に候。

              (書簡「中川貞良に答える」)

【訳】

益友はまれで、損友の多いのは、どこでもおなじことで、
今にはじまったことではなく、心気の毒でございます。

もはや、それはつんと思い捨てて、心にかけないことが、
いちばんのすぐれた工夫です。

○益友、損友 ~『論語』季氏篇

・・・

【 7月30日 】 道の明らかな師

あいがたきは道(みち)の明(あきらか)なる師(し)にて御座(ござ)候。

                 (書簡断片)

【訳】

(この人生において)出会うことのむつかしいのは、(聖賢の学をおさめた)
りっぱな徳のある先生でございます。

・・・

【 7月31日 】 初学の者には

初学(しょがく)の者には文義(ぶんぎ)をば大略(たいりゃく)に講(こう)じ、
主意(しゅい)と日用(にちよう)心法(しんぽう)の引合(ひきあい)とを、
いかにも耳(みみ)ちかくこまやかなるがよく候(そうら)わんと
存(ぞん)じ奉候(たてまつりそうろう)。

            (書簡「熊左七に与える」四)

【訳】

初学の人には、文章の意義をおおよそに講じて、
(その文章の)主意と日用心法とのつながりを、
いかにも耳ちかく、こまやかに(説くのが)よろしいものと思います。

            <感謝合掌 令和2年7月22日 頓首再拝>

「中江藤樹・一日一言」8月1日~10日 - 伝統

2020/08/02 (Sun) 20:04:12


【 8月1日 】 魔にも父兄師友にも

世間の人間は、吾(わが)心(こころ)のたてように因(よつ)て魔ともなり、
又は父兄(ふけい)師友(しゆう)ともなるものにて候(そうろう)。

                (書簡「佃叔に答える」四)

【訳}

世のなかの人間は、自分の心の持ち方によって魔障ともなり、
あるいは父兄や師友ともなるのであります。

・・・

【 8月2日 】 咎は我心にあり

外物(がいぶつ)にひかるれども、答(とが)は我心(わがこころ)にありて、
外物に答(とが)は御座なく候(そうろう)。
俗(ぞく)にうつされ候(そうろう)も俗に咎はなく、咎は我心に御座候(ござそうろう。

                (書簡「佃叔に答える」六)

【訳]

外物に原因をもとめるけれども、非難されるべきものは自分の心にあって、
外物にとがはございません。
世俗に影響をうけるけれども、世俗にとがはなく、とがは自分の心のなかにございます。

  ○外物~人間の心身のそとにあるさまざまな物。
      富貴、名利、財産などをさす。

・・・

【 8月3日 】 善悪の実体は心に

善悪の実体は心上(しんじょう)に有(あつ)て事跡(じせき)にあらず。
一念(いちねん)良知(りょうち)に致(いた)るを善として、
一念(いちねん)道(みち)に離(はな)るるを悪とす。

              (書簡「田辺子に答える」二)

【訳]

善悪の実体は、自分の心にあって個々の事跡にあるのではない。
一念、良知にいたることを善とし、
一念(良知にいたるの)道から離れることを悪とするのである。

○良知に致る~王陽明の「良知を致す」に対して
       藤樹は「良知に致る」と読み替えた。


・・・

【 8月4日 】 わが心綿のごとくに

我心(わがこころ)石(いし)のごとくかたくすぐみて角(かど)ある故(ゆえ)に、
火(ひ)いで胸(むね)をこがし候。

我心(わがこころ)わたの如(ごと)くやわらかに、
水のごとくすくみ喉えば、天下(てんか)一の火打(ひうち)にあたり候ても
火出(ひいで)申(もう)ず候。

             (書簡「早藤子に答える」)

【訳]

自分の心が、石のようにかたく固執して、角ができるゆえに、
火が出て胸を焦がしてしまうのです。

自分の心が、綿のようにやわらかく、
水のように固執なければ、世界一の火打石にあたっても、
火を出すことはありません。

・・・

【 8月5日 】 効果を急がない

先(ま)ず志(こころざし)をかたく立定め、
効(こう)を急(いそ)がざるを工夫(くふう)の第一義とす。

さて意必(いひつ)固我(こが)の惑いをよく弁(わきま)え、
其根(そのね)を切払(きりはらわ)ざれば、
体認(たいにん)の功力(こうりょく)弱きものに候。

             (書簡「中村重に答える」一)

【訳]

まずこころざしをかたく立ち定めて、
効果を急がないことを工夫の第一義とする。

さて、意・必・固・我の迷いをしっかりと識別し、
その四つの根を切り払わなければ、
体認の功力は弱いものになります。

○意必固我~「論語集註」に「意は私意なり。必は期必なり。
      固は執滞なり。我は私己なり」
      とある。すべて良知をくもらす原因。

・・・

【 8月6日 】 良知すなわち善なり

良知即(すなわち)善也。
良知に致れば善(ぜん)常(つね)に心(こころ)の主(あるじ)たり。
意念(いねん)は時々(ときどき)往来(おうらい)の
客慮(きゃくりょ)なる故にて候。

          (書簡「一尾子に答える」二)

【訳]

良知は、すなわち善である。
良知にいたれば、善がつねに心の主人になる。
意念というのは、ときどき往来の旅人ゆえなのです。


○一尾子~一尾伊織通尚。江戸幕府の旗本。
     知行一千石。細川三斎を師にもつ茶人。

・・・

【 8月7日 】 今生なおさら一大事

後生(ごしょう)の事一大事と思召(おぼしめす)由(よし)、
御尤(ごもっとも)に存候(ぞんじそうろう)。

後生一大事なれば、今生(こんしょう)猶(なお)一大事にて御座候。
いかんとなれば今生の心まよいぬれば、
後生悪趣(あくしゅ)におもむく理(ことわり)ある故(ゆえ)にて候。

           (書簡「中川貞良老母に答える」)

【訳]

後生のこと、大事なことと思われる由、ごもっともです。

後生が大事でしたら、今生はなお大事でございます。
なんとなれば、今生の心が迷ってしまえば、
後生は苦悩の世界におもむくという道理があるゆえであります。

  ○中川貞良~中川善兵衛貞良。
        伊予(愛媛県)大洲藩士。三百石。

・・・

【 8月8日 】 心の中の如来を

あしたゆうべをはかり難(がた)き浮世にて御座候えば、
心の中の如来を拝したまわん事(こと)、
何より以(もつ)て切(せつ)なる御事(おんこと)に御座候

             (書簡「中川貞良老母に答える」)

【訳]

朝夕の予測さえも、むつかしいこの世のなかでございますので、
わが心のなかの如来をおがむこと、
なによりもねんごろに徹することでございます。

・・・

【 8月9日 】 視聴言動思の五事

人(ひと)の非(ひ)を御咎(おとが)めなく、
其非(そひ)の我身(わがみ)に有や否と省察(しょうさつ)して、
一念(いちねん)の微(び)を慎(つつし)み、
視(し)聴(ちょう)言(げん)動(どう)思(し)、各(おのおの)
其(その)正(せい)を得(う)るように工夫致し候を
自反(じはん)慎独(しんどく)と申(もうし)候(そうろう)。

               (書簡「木下氏に答える」)

【訳]

人のあやまちを非難することなく、
そのあやまちがわが身にもあるかどうかと反省して、
一念のわずかな心行をつつしみ、
視・聴・言・動・思のそれぞれの正を得る
ように工夫なされることを、自反慎独と申します。

○視聴言動思~「書経」周書・洪範篇の五事とは、
       貌(からだ)・言(口)・視(目)・聴(耳)
       ・思(心)であるが、藤樹は貌をけずって動を入れた。

・・・

【 8月10日 】 良知は是非の鏡

良知(りょうち)は是非(ぜひ)の鏡(かがみ)にて
善悪(ぜんあく)に暗(くら)からぬ物(もの)に候(そうろう)。

           (書簡「田中氏に答える」二)

【訳]

良知は、是非の鏡といわれ、
(すべての)よしあしを判断できるものであります。

            <感謝合掌 令和2年8月2日 頓首再拝>

「中江藤樹・一日一言」8月11日~20日 - 伝統

2020/08/14 (Fri) 20:27:01


【 8月11日 】 欲心は重き病

人の重き病(やまい)は欲心にて御座候(ござそうろう)。

凡(およそ)人(ひと)毎(ごと)に
少し得(う)あれば即(そく)悦(よろ)び、
少(すこし)損(そん)あればかなしむ。

此(この)心(こころ)如来の妨(さまたげ)となる
くせ者にて御座候。

          (書簡「牛原氏老母に答える」)

【訳}

人間にとっての重い病気とは、欲心のことでございます。

ふつうの人間は、つねにすこし得をすればすなわち悦び、
すこし損をしたなら悲嘆する。

この心は、如来のさまたげとなる曲者でございます。

・・・

【 8月12日 】 常に楽しめる心

仏(ほとけ)に成(なる)も餓鍛道へ落るも、
苦(く)を得(う)るも楽(らく)を得るも、

皆(みな)我(わが)心(こころ)に有(ある)ことを能々(よくよく)
御(お)明(あき)らめ、今日(きょう)只(ただ)一向(いっこう)に
心をいさぎよく、物(もの)に泥(なじ)まず滞(とどこお)らず
常(つね)に楽(たのし)める心(こころ)にて、
御暮(おくら)しなさるべく候。

          (書簡「牛原氏老母に答える」)

【訳]

仏になることも、餓磯道に落ちることも、
苦しみを得ることも、楽しみを得ることも、

すべてわが心に(その原因が)あることを、しっかりと
明らかにされ、今日ただひたすらに心をいさぎよく、
外物に滞ることなく、つねに楽しめる心で、お暮らしください。

・・・

【 8月13日 】 人の本心は善

人(ひと)の本心(ほんしん)は善(ぜん)にして悪(あく)なし。
親(おや)を愛し兄(このかみ)を敬(けい)し
善を好み悪をにくみ、是(ぜ)を知り非(ひ)を知る。

是(これ)則(すなわち)
固有(こゆう)之(の)良知(りょうち)にして
人人(にんにん)皆(みん)然(しか)り。

              (書簡「友に寄せる」)

【訳]

人の本心は、(すべて)善であって悪はない。
親を愛し、年長者をうやまい、
善をこのみ悪をにくみ、正を知り不正を知る。

これすなわち固有の良知であって、
すべての人にそなわっているものである。

・・・

【 8月14日 】 恥心を失えば

恥(はじ)と云(いう)は
人人(にんいん)固有の羞悪(しゅうお)之(の)
良知(りょうち)也(なり)。

此(この)恥心(ちしん)を存(そん)して、
人(ひと)たらざるを以(もつて)恥(はじ)とする時(とき)は、
則(すなわち)聖賢(せいけん)にすすみ、
此(この)恥心(ちしん)を失えば
禽獣(きんじゅう)の域に入(いる)。

             (書簡「友に寄せる」)

【訳]

恥というのは、めいめいが持っている蓋悪の良知のことである。
この恥心を保持して、人とくらべて足りないのを恥とするときは、
すなわち聖賢(の心)にすすみ、
この恥心をうしなえば禽獣(の心)に近くなるのである。

・・・

【 8月15日 】 師友の力を借らず

師友(しゆう)の御願(おんげがいごと)御尤(ごもっとも)にて、
学者たるものの願(ねが)う所(ところ)にて候(そうろう)。

去乍(さりなが)ら道を行うに至(いたつ)ては、
自己(じこ)心上(しんじょう)
勇猛(ゆうもう)之(の)務(つとめ)にして、
師友の力をかるものにては御座(ござ)なく候(そうろう)。

               (書簡「中山氏に答える」)

【訳]

師友をもとめる願いは、ごもっともであり、
(聖賢の学を)まなぶ者なら、だれでも願うところです。

しかしながら、(聖賢の)道をおこなうことに至っては、
自分自身の勇猛心をかきたてるもので、
師友のちからを借るものではございません。

・・・

【 8月16日 】 学は良知に致る

学(がく)は良知(りょうち)に致(いた)るより
外(ほか)はなく候。
其(その)良知(りょうち)にしたがい難きは、
私欲(しよく)にくらまさるる故(ゆえ)にて候。

            (書簡「中山氏に答える」)

【訳]

学問は、(わが心が)良知にいたるより以外にありません。
その良知にしたがうことがむつかしいのは、
私利私欲にくもらしているためであります。

・・・

【 8月17日 】 心の病は自欺に

総(すべ)て心(こころ)の病(やまい)は自欺(じき)に起り、
自(みずから)欺(あざむ)くは独(ひとり)を慎ざる故なり。

             (書簡「佃叔に答える」二)

【訳]

すべて心の病気は、(自暴)自欺より起こり、
みずからあざむくのは、ひとりをつつしまないゆえである。

・・・

【 8月18日 】 転鉄成金の術

名利(みょうり)の欲(よく)に大小・公私・清濁・苦楽の
差別(さべつ)御座候(ござそうろう)。

其(それ)を能(よく)弁(わきまえ)れば、欲の深七己者ほど
志(こころざし)厚(あつ)く成(なり)申(もうす)筈(はず)にて候。
是(これ)を転鉄(てんてつ)成金(せいきん)の術(じゅつ)と
申候(もうしそうろう)。

            (書簡「谷川氏に与える」)

【訳]

名利の欲心に、大と小、公と私、清と濁、苦と楽の違いがございます。

それをしっかりと識別すれば、私欲のふかい人間ほど、
こころざしが厚くなるものです。
これを、転鉄成金の術と申します。

・・・

【 8月19日 】 志さえかたく

文字(もんじ)を覚(おぼ)え、
古事(こじ)をひろく覚(おぼ)え申(もうす)ことは、
人(ひと)の気質(きしつ)によりて成(なり)やすきと
御座候(ござそうろう)。

中和(ちゅうわ)の本心(ほんしん)を
守(まも)り申(もうす)工夫(くふう)は、
志(こころざし)だにかたく立(たち)候(そうら)えば、
賢知(けんち)愚不肖(ぐふしょう)のへだて御座なく候。

             (書簡「岡村伯忠に答える」)

【訳]

文字をおぼえ、故事をひろくおぼえることは、
人の気質によって、なりやすいのとなりにくいのとがございます。

中和の本心をまもる工夫は、
こころざしさえ固く立てたならば、
賢知・愚不肖のへだてなどは関係ございません。

・・・

【 8月20日 】 志は学問の種子

志(こころざし)だに切実(せつじつ)に候(そうら)えば、
師友(しゆう)の縁(えん)も奇遇(きぐう)之(これ)あるものに候。

志(こころざし)は学問(がくもん)の種子(しゅし)に候えば、
此(ここ)於(お)て生意(せいい)油然(ゆぜん)たるように
御体認(ごたいにん)御尤(ごもっとも)に候。

           (書簡「岡村伯忠に与える」四)

【訳]

こころざしさえ、切実にしっかりされていたら、
師友との縁も奇遇にあるものです。

こころざしは、学問の種子でありますので、
ここにおいてさかんに湧き起こるようにご体認のこと、ごもっともです。

            <感謝合掌 令和2年8月14日 頓首再拝>

「中江藤樹・一日一言」8月21日~31日 - 伝統

2020/08/22 (Sat) 21:01:10


【 8月21日 】 迷いは意と必から

とかく万(よろず)の惑(まどい)、
意必(いひつ)の根(め)よりおこり申候(もうしそうろう)。

          (書簡「岡村伯忠に与える」四)

【訳}

なににせよ、あらゆる迷いというのは、
私心と期必との執着の根から起こるものであります。

・・・

【 8月22日 】 徳に進む

明徳を明(あきらか)にせんと思う気なきものと、
明(あきらか)にする道筋をしらざる人と、
此(この)二品は誠に徳(とく)に進む事あたわざる人にて候。

          (書簡「岡村氏に答える」六)

【訳]

明徳を明(あきらか)かにしようと思う心がけのない者と、
(その明徳を)明らかにする道筋を知らない人は、
まことに徳に進むことのできない人であります。

・・・

【 8月23日 】 不文字でも

良知(りょうち)天然(てんねん)の師にて候えば、
師なしとても苦(くりしま)ず候(そうろう)。
道は言語(げんご)文字(もんじ)の外(そと)にあるものなれば、
不文字(ふもんじ)なるもさわり御座(ござ)なく候。

         (書簡「森村伯仁に与える」ニ)

【訳]

良知は、すべての人にそなわっている師匠なので、
(目の前の)師匠がいなくても、苦しむことはありません。
(聖賢の)道は、言語や文字の外にあるものなので、
文字を知らなくても、さまたげられることはございません。

・・・

【 8月24日 】 経書は心の註解

経書(けいしょ)は本心(ほんしん)の註解(っゆうかい)にて候(そうろう)まま、
面々の心に註解のごとく本経(ほんけい)ありや否(いな)とよく御読(およみ)
候(そうらい)て、一字(いちじ)なりとも本経を心に御まもり候(そうろう)べく候。

            (書簡「小川に与える」)

【訳]

経書は、いわば(われわれの)本心の注解であり、
めいめいの心に、経書に説かれた本心を保持しているかどうかとお読みなされ、
(たとえ)一字であっても、経書の教えを(しっかりと)心にお守りなさってください。

○経書~四書五経あるいは十三経などの古書賢の述作した書物。

・・・

【 8月25日 】 師友の助け

師友(しゆう)の群(むれ)をはなれて、
日日(ひび)に退(とうの)く様(よう)に思召(おぼしめし)候旨(そうろうむね)、
御尤(ごもっとも)に候。

成徳(せいとく)以前(いぜん)は、師友の助(たすけ)第一にて候。

           (書簡「清水十に答える」)

【訳]

師友のなかまから離れて、日々に(日用心法の成果が)
退いていくように思われるとの旨、ごもっともです。

明徳明らかとなる以前は、師友の助けが第一です。

・・・

【 8月26日 】 光陰矢のごとし

光陰矢の如く、性命(せいめい)は無価(むげ)の珍(ちん)。
彼(かれ)と云(いい)、此(これ)と云(いい)、
悠々と日(ひ)を渡(わた)るべきは勿体(もったい)なき御事(おんこと)に
候(そうろう)。

           (書簡「士ロ田に答える」一)

【訳]

光陰は矢のごとく、(われわれの)性命は
他にくらべることのできない貴重な宝である。
あれといい、これといい、ただ
漫然と日々を過ごすのは、もったいないことであります。

・・・

【 8月27日 】 生まれつきの答なし

御受用(ごじゅよう)底(てい)親切(しんせつ)ならざる事、
生(うま)れ付(つき)のとがとおぼしめすむね、
大(おおい)なるあやまりにて御座(ござ)候。

生れつきにさのみとがは、誰人(たれびと)にも御座なく候。
孩提(がいてい)以後(いご)に汚染(おせん)たる意欲(いよく)の
とがにて御座候。

            (書簡「滝に与える」)

【訳]

(日用心法の)ご受用がふかく、切実になれないのは、
生まれつきの短所と思われる旨、
それはおおきなあやまりでございます。

生まれつきにそういう短所は、だれにもございません。
おさな子以後において染まった、私意と利欲の短所でございます。

・・・

【 8月28日 】 慎独の工夫とは

此独(このひとり)をよく御見付(おみつけ)候(そうらい)て
常(つね)に慎(つつ)しみ守(まも)り、
視聴(しちょう)言動(げんどう)・行住(ぎょうじゅう)坐臥(ざが)
・茶裏(ちゃり)飯裏(はんり)、皆(みん)此(この)主人公の
下知(げち)に従いぬるを慎独(しんどく)の工夫(くふう)と名づく。

             (書簡「佃叔に答える」一)

【訳]

このひとりをしっかりと見つけられて、つねにつつしみ守り、
視聴言動、行住坐臥、茶裏飯裏(の毎日の実生活)にあって、
すべてこの主人公の(独り)の指図にしたがうことを、
慎独の工夫と名づけます。

・・・

【 8月29日 】 本心は安楽で明快

本来(ほんらい)吾人(われひと)の本心安楽(あんらく)にして力つよく、
独坐(どくざ)接人(せつじん)の隔(へだて)なく、
いつも明快(めいかい)通達に(つうたつ)にして、
力つよく懈怠(けたい)なきものにて御座(ござ)候。

心(こころ)苦(くる)しく力なきは、
後来(こうら)の習心(しゅうしん)習気(しゅうき)の祟(たた)りにて御座候。

            (書簡「佃叔に答える」二)

【訳]

もともと、われわれの本心(の良知)は、安楽で力づよいので、
ひとりでいるときと、人と接しているときとの隔たりもなく
、いつも明快・通達であり、おこたりのないものでございます。

心が苦しく力のとぼしいのは、
その後の習癖としての心と気質のたたりでございます。

・・・

【 8月30日 】 自反慎独の工夫

自反(じはん)慎独(しんどく)の工夫(くふう)は
心(こころ)のすくみをとろかしすて、
いかにもひろびろとして天地万物をいれて、
つかえざる本体(ほんたい)を失(うしなわ)ざる様(よう)に
仕(つかまつり)候(そうろう)が専一(せんいつ)にて候。

           (書簡「佃叔に答える」四)

【訳]

みずから省み、ひとりをつつしむ工夫は、心の固執をとかし捨てて、
いかにも広々として、天地万物を(わが心に)いれて、
苦悩のない(良知の)本体を、うしなわないようにされるのが
第一であります。

・・・

【 8月31日 】 習癖に染まる

吾人(われひと)の心(こころ)本来(ほんらい)広大(こうだい)にして
碍(さまたげ)る所(ところ)なきものにて候を、
いつの程(ほど)よりか、習(ならい)に染(そま)り、

是非(ぜひ)の素定(そてい)・好悪(こうお)の執滞(しったい)
・名利(みょうり)の欲(よく)・形気(けいき)の便利(べんり)などにて、
ねじかためすくめられ候。

            (書簡「佃叔に答える」四)

【訳]

われわれの心は、もともと広大にしてさまたげるものがないのですが、
いつのころよりか、(日々の)習癖にそまり、

是非の素定・好悪の執滞・名利の欲・形気の便利などによって、
(心が)ねじ固められてしまうのです。


○是非の素定~物事のよしあしを最初から決めつけてしまうクセ。

○好悪の執滞~おのれの好ききらいの感情にこだわるクセ。

○名利の欲~世間の名声や物欲をもとめるクセ。

○形気の便利~人よりもすぐれた才能や特技をもっているがゆえのクセ


            <感謝合掌 令和2年8月22日 頓首再拝>

「中江藤樹・一日一言」9月1日~10日 - 伝統

2020/09/03 (Thu) 21:59:17


【 9月1日 】 心そのまま富貴貧賎

ひたすらにむさぼりぬるとむさぼらぬ
こころそのまま富貴貧賎(ふううきひんせん)。

                  (和歌「題しらず」)

【訳}

ただひたすらに(外物を)つよく欲しがったり、
(その反対に)求めなかったりするのは、
心そのものが富貴や貧賎をあらわしているのだ。

・・・

【 9月2日 】 百の思按

外(そと)にねがう百(ひゃく)の思按を打(うち)捨(すて)よ
良知(りょうち)の外(ほか)に利(り)も徳(とく)もなし。

               (和歌「福本子を送る」)

【訳}

外物をもとめ願うようなあらゆる思案をうち捨ててしまいなさい。
(わが胸のうちにある)良知以外に、利益も徳もないのだ。

・・・

【 9月3日 】 長い旅生活

古郷(ふるさと)に帰(かえ)る心(こころ)のいかなれや
久しく旅’たび)に年(とし)をふりつつ。

                (和歌「立志」)

【訳}

ふるさとに帰る心をどうしたものか。
(自分は)ながく旅の生活に歳月を過ごしてきたので。

・・・

【 9月4日 】 真楽はわが心に

楽(たのし)みを外(そと)にもとむる世の中の人は
ましらの月(つき)をとるなり。

            (和歌「題しらず」)

【訳】

人生の楽しみを、外物に求めようとする世の中の人たちは、
あたかも猿が水のおもてに映っている月を取ろうとしているようなものだ。

・・・

【 9月5日 】 偽りのない人生

偽(いつわり)のなき身(み)なりせば
古里(ふりさま)の月(つき)に光(ひかり)もさやかならまし。

             (和歌「故郷の月」)

【訳】

(脱藩の罪をおかしたけれど何ひとつ)いつわりのない自分であるので、
ふるさとの月の光りも明らかであろう。

・・・

【 9月6日 】 聖の声にも

いかにせん聖(ひじり)の高く呼(よび)さます声にも
覚(さ)めぬ世の中のゆめ。

                  (和歌「翻歌」)

【訳】

どうしようもないものだ。聖人がたかく呼びさけんでいる声にも
さめない世の中の(外物をもとめる)夢には。

・・・

【 9月7日 】 晴れれば元の月

いさぎよき月(つき)にかかれるむら雲もはるれば
もとのいさぎよき月(つき)。

              (和歌「明徳首尾吟」)

【訳】

清い月に、むら雲がかかって闇夜になったとしても、
そのむら雲が無くなれば、もとの清い月が現れるのである。

・・・

【 9月8日 】 恥じることなし

我(われ)とわが心(こころ)にはじるものならば
はずべきことのなき身(み)とぞなる。

              (和歌「恥を知る」)

【訳】

わが身とわが心に(省みて)、
恥ずべきおこないがもしあったならば、
恥ずかしいことのない自分でありたいものだ。

・・・

【 9月9日 】 柳はみどり

好悪(よしあし)の色(いろ)に心(こころ)をとどめば
柳はみどり花(ばな)は紅(くれない)。

              (和歌「人間生」)

【訳】

好き嫌いの感情からはっする習癖がなければ、
自分の周りで生起するすべてのものが、
ありのままの姿に見えてくるのだ。

 ○柳はみどり花は紅~代表的禅語

・・・

【 9月10日 】 根がすべて

春(はる)の花(はな)秋(あき)の紅葉(もみじ)と
うつり行(ゆく)色(いろ)は色(いろ)なき根にぞあらわる。

           (和歌「至善に止まる」)

【訳】

(あらゆる草木は)春に咲く花、秋に染まる紅葉というように
移りゆくが、しかしそれらの美しい色は、
じつに色のない根から生まれるのだ。

  ○根~明徳を意味する。

            <感謝合掌 令和2年9月3日 頓首再拝>

「中江藤樹・一日一言」9月11日~20日 - 伝統

2020/09/16 (Wed) 17:15:20


【 9月11日 】 花散りぬれば

何事(なにごと)も打(うち)わらいつつ過(す)ぎぬくし
花(はな)ちりぬれば実(み)を結(むすび)けり。

            (和歌「題しらず」)

【訳}

世のなか、なにごとも(固執することなく)
うち笑いながら過ごすようにすべきである。
花が散ってしまえば、ちゃんと実を結ぶのだから。

・・・

【 9月12日 】 水に写る自分

写(うつ)し見よむかう心(こころ)の水(みず)かがみ
仰(あお)ぐも俯(ふ)すも
身(み)よりなすかげ。

            (和歌「題しらず」)

【訳]

自分のすがたを、水かがみに写して見よ。
そこにうつる仰ぐすがたも、臥すすがたも、
それはそのまま自分のからだからつくられるものだ。

・・・

【 9月13日 】 人の善行を

人(ひと)のよきをよくほめあげて広(ひろ)むべし
あやかることのありやせんもし。

                (和歌「翻歌」)

【訳】

人の善行をよく誉めてあげ、多くの人に教えてやるべきだ。
そうすれば自分も、あやかって少しは善をなすことが
あるかも知れない。

・・・

【 9月14日 】 よこしまの心

邪(よこしま)の願(ねがい)を強(しい)てとどむべし
習(なら)いて性(せい)になりやせんもし。

                (和歌「翻歌」)

【訳】

ゆがんだ願いをなんとしても取りのぞきなさい。
でないと、それが習癖となって、その人の本性になってしまうかも。

・・・

【 9月15日 】 ひたすら進む

暗(くら)くともただ一向(いっこう)にすすみ行(ゆ)け
心(こころ)の月(つき)のはれやせんもし。

                (和歌「翻歌」)

【訳】

今は暗い道をあゆんでいるように思うかも知れないが、
ただひたすら進むことだ。
いつかは良知の月があらわれるかも。

・・・

【 9月16日 】 私意は地獄

知(し)らざりし己(おのれ)が為(ため)にとはかりける
意(こころ)則(すなわち)地獄なりけり。

                (和歌「翻歌」)

【訳】

きっと知らないであろうよ。自分のためと思って、
いろいろ画策するその心は、すなわち地獄にほかならない。

・・・

【 9月17日 】 変わらぬ心

古(いにしえ)も今(いま)もかわらぬたのしみは
妙(たえ)なる心(こころ)天地(てんち)の本(もと)。

                (和歌「雑詠」)

【訳】

遠いむかしも今も、変わることのない楽しみは、
不可思議の心ともいうべき明徳が、天地の根本であることだ。

・・・

【 9月18日 】 あらぬ悩み

生(うま)れ来(き)し初(はじ)めは露(つゆ)も知(し)らざりし
あらぬなやみを身(み)にしめんとは。

                (和歌「翻歌」)

【訳】

この世に生を受けたときは、だれも知る由もない。
思いもしない苦悩を、(のちのち)わが身にふりかかるとは。

・・・

【 9月19日 】 固執の心

心(こころ)だによりすくむ事(こと)のなかりせば
思(おも)いのままの人(ひと)の世(よ)の中(なか)。

           (和歌「大人は赤子の心を失わず」云々)

【訳】

心さえ、なおいっそう、好悪の執滞の習癖がなかったならば、
自分の思いのままの世のなかとなるのだ。

・・・

【 9月20日 】 水のような心

流(なが)れ行(ゆ)く水(みず)にひとしき心(こころ)あらば
何(なに)かけがれのあらん世の中。

              (和歌「旧悪を念わず」)

【訳】

一時も止まることなく、とうとうと流れ行く水のような心を、
すべての人が持っていたら、
苦悩に満ち満ちた世のなかにならないに違いない。

            <感謝合掌 令和2年9月16日 頓首再拝>

「中江藤樹・一日一言」9月21日~30日 - 伝統

2020/09/23 (Wed) 19:29:54

【 9月21日 】 誠の道は心に

はかなくも悟(さと)りいずこに求(もと)めけん
誠(まこと)の道(みち)は我(われ)にそなわる。

               (和歌「知本」)

【訳}

浅はかにも、真実をもとめてあちこちと探してみたが、
まことの教えはわが胸のうちに、ちゃんとそなわっていたのだ。

・・・

【 9月22日 】 さやけき月

くらからぬ心(こころ)を常(つね)にたのしめば
いずれさやけき月(つき)をこそ見(み)れ。

           (和歌「夏の夜、月を見る」)

【訳]

物事に固執することなく、
素直な心でいつも楽しんでいたならば、
いずれ清らかな良知に対面できるのだ。

・・・

【 9月23日 】 学問の進展

学(まな)び得(え)て後(のち)の心とくらぶれば
昔(むかし)はよくぞまぬがれにけり。

          (和歌「夏の夜、月を見る」)

【訳]

学問がおおきく進展した今の心境から振りかえると、
むかしの自分のなしてきたことに、
わざわいもなく来れたものだ。

・・・

【 9月24日 】 志を立てる

志(こころざし)つよく引立(ひきやいぇ)はげむべし
石(いし)に立(た)つ矢’や)のためし聞(き)くにも。

          (和歌「夏の夜、月を見る」)

【訳]

修学のこころざしを、つよく引き立てて励むことである。
中国の故事にある「石に立つ矢」という話を聞くにつけても。

○石に立つ矢~前漢の李広将軍にまつわる故事。

・・・

【 9月25日 】 千里を通う心

思(おも)い出(で)は学(まな)びし本(もと)の心(こころ)より
千里(せんり)を通(かよ)う誠(まこと)忘るな。

          (和歌「森村叔氏の行を送る」)

【訳]

(人生の)思い出は、私から得た学習内容よりも、
(大洲から)この遠い道のりの小川村にやって来た、
そのまことの心を忘れてはならない。

・・・

【 9月26日 】 荒波に遭っても

学(まな)びつつときにならいの帰(かえ)るさは
よろこぶばかりあらき波(なみ)にも。

          (和歌「森村叔氏の行を送る」)

【訳]

(師のもとで)念願の留学を終え、
喜びに満ちあふれて帰郷する。
たとえ荒波に遭遇しても。

・・・

【 9月27日 】 一念の地獄極楽

楽(たのしみ)もまた苦(くるしみ)も外(ほか)ならず
只(ただ)一念(いちねん)の地(じ)ごく極楽。

          (和歌「世界只これ当下一念」云々)

【訳]

楽しみも、また苦しみも外ではない。
自分のただいまの心にある地獄、極楽がそれなのである。

・・・

【 9月28日 】 わが心が澄めば

ふしおがむ社(やしろ)の神(かみ)は月(つき)なれや
心(こころ)の水(みず)のすめばうつれる。

               (和歌「雑詠」)

【訳]

神社に祀られる神は、あたかも月のようなもの。
お参りするわれわれの心の水が澄んでいれば、月はきれいに写るのだ。

・・・

【 9月29日 】 過去は仕方なし

くやむなよありし昔(むかし)は是非(ぜひ)もなし
ひたすらただせ当下(とうか)一念(いちねん)。

               (和歌「雑詠」)

【訳]

過去のできごとをいろいろ後悔しても、いた仕方がない。
それよりも今まさに、自分の心を正すことが大切なのだ。

・・・

【 9月30日 】 闇にまよう人を

いかで我(わが)こころの月(つき)をあらわして
やみにまどえる人(ひと)をてらさん。

             (和歌「明徳を明かにす」)

【訳]

どうかしてわが心の明徳を発揮して、
意必固我にまよっている人たちに、
明徳を明らかにすることを教えてあげたい。

            <感謝合掌 令和2年9月23日 頓首再拝>

「中江藤樹・一日一言」10月1日~10日 - 伝統

2020/10/05 (Mon) 19:04:25


【 10月1日 】 孝は太虚の神道

孝(こう)は天地未画(みかく)の前にある
太虚(たいきょ)の神道(しんどう)なり。

天地人(てんちじん)万物、皆孝より生ぜり。
春夏秋冬(しゅんかしゅうとう)風雷雨露(ふうううろ)、
孝にあらざるはなし。

             (「孝経心法」)

【訳}

孝は、天地のいまだ分離する前の揮沌とした太虚の、
不可思議な法則なのである。

天と地と人および万物は、すべてこの孝から生まれたのである。
四季の春夏秋冬、風雷雨露にいたっても、孝でないものはない。

・・・

【 10月2日 】 孝は老と子から

神理(しんり)の含蓄(がんちく)する所を孝とす。
言語を以て名づけいうべからず。

しいて象(かたち)を取(とっ)て孝という。
孝の字は老子の二字を合して作れり。

             (「孝経心法」)

【訳]

(宇宙の不可思議なはたらきとしての)神理が、
含まれているところの状態を孝という。

言語の孝は、あとから名づけられた。

あえて宇宙のすがたから、孝としたのである。

孝の字は、老と子の二字をあわせてつくられたわけである。

・・・

【 10月3日 】 孝はすべてに

孝はかみ天(てん)に通じ、しも人事(じんじ)に通じ、生(せい)に
通じ、死に通じ、通ぜずと云うことなし。
これまた孝経(こうきょう)の本然(ほんぜん)たり。

                 (「孝経講釈聞書」)

【訳]

孝は、上は天につうじ、下は人事に通じ、
さらには生死にもつうじており、つうじないものはなにひとつない。

これが『孝経』の本質なのである。

・・・

【 10月4日 】 人の心は無欲

孝(こう)は天地の主徳(しゅとく)、人間の根(ね)たり。
天は物を生じ、地は物を成す。
天地の命ずる処(ところ)の性(せい)は人なり。

人の心は無欲なり。
ここを以て天地人を三才一貫にして間隔なし。

          (「孝経講釈聞書」)

【訳]

孝は、天地を生生化育させる主徳であり、人間の根本である。
天は万物を生み、地は万物を育てる。
天地の命ずるところの本性は、人間なのである。
その人間の心は、(本来)無欲である。

これによって、天と地と人の三才は、
一貫にして隔たりなどはないのである。

・・・

【 10月5日 】 孝は心法の極致

意(い)なく必(ひつ)なく固(こ)なく我(が)なく、
敵(てき)もなく莫(ばく)もなく、可(か)もなく
不可(ふか)もなしといえるは、皆(みな)孝(こう)の義なり。

聖人(せいじん)巳下(いか)は意必固我(いひつこが)、
敵莫(てきばく)、可不可の私(わたくし)有(あ)って、
孝の実体明かならず。

                 (「孝経講釈聞書」)

【訳]

私意なく、期必なく、執滞なく、私己なく、憎むこともなく、
好むこともなく可もなく、不可もなしと言えるのは、
すべて孝の本義である。

聖人より以下は、(そのような)私意、期必、執滞、私己、敵、
莫、可、不可の私心におおわれ、孝の実体をくもらしているのである。

○敵 ~ 一般的には「適」をもちいる。

・・・

【 10月6日 】 至徳・中・仁・大本

根本(こんぽん)太極(たいきょく)の名(な)を孝という。
この孝の主徳(しゅとく)を至徳(しとく)といい、中(ちゅう)といい、
仁といい、大本(たいほん)といい、名(な)を互いにす。

                 (「孝経講釈聞書」)

【訳]

(宇宙の)根本である太極の名を孝という。
この孝の生生化育するはたらきを至徳といい、中といい、
仁といい、大本といって、名称をたがいにするのである。

・・・

【 10月7日 】 天地の身体髪膚

元来この身体(しんたい)髪膚(はっぷ)は父母の身体髪膚、
父母の身体髪膚は天地の身体髪膚、

太虚の造化(ぞうか)にして無始無終(むしむしゅう)、
無量(むりょう)円神(えんしん)の分身(ぶんしん)なり。

                 (「孝経講釈聞書」)

【訳]

もともと、わが身体・髪肩は、父母の身体・髪肩であり、
父母の身体・髪膚は、天地の身体・髪肩なのである。

それは(宇宙の根源である)太虚から造化したものであり、
始めもなく、終りもなく、はかり知れない、
不可思議なはたらきの心をもった分身なのである。

・・・

【 10月8日 】 身の本は太虚なり

身の本は父母なり。
父母の本はこれを推して始祖に至る。
始祖の本は天地なり。
天地の本は太虚なり。

                 (「孝経講釈聞書」)

【訳]

自分のからだのもとは、父母である。
(その)父母のもとは、
これを推測するならば始祖にいたる。
(その)始祖のもとは、天地である。
(その)天地のもとは、太虚なのである。

・・・

【 10月9日 】  天子は世界の父母

天子(てんし)は四海(しかい)の父母(ふぼ)たり。
その明徳(めいとく)を明(あきら)かにして
天下の民(たみ)を愛すること、子を恤(あわ)れむごとくするゆえに、
民みな天子一人(ひとり)を頼んでその田疇(でんちゅう)を治める。

                 (「孝経講釈聞書」)

【訳]

天子は、世界の父母である。
その(天子の)明徳を明らかにして、
世界の人々を愛すること、わが子をいつくしむようにするゆえに、
人々はこぞって天子その人をふかく信頼して、
(おのれの)生業にいそしむのである。

・・・

【 10月10日 】 愛と敬は表裏一体

愛敬(あいけ)もと表裏(ひょうり)あい為(な)す。
敬なきの愛は、天性(てんせい)の愛にあらず。
愛なきの敬は、天性の敬にあらず。

             (「孝経啓蒙」定稿本)

【訳]

愛敬は、もともと表裏をなしている。
敬のない愛は、ほんとうの愛とはいえない。
愛のない敬は、ほんとうの敬とはいえないのである。

            <感謝合掌 令和2年10月5日 頓首再拝>

「中江藤樹・一日一言」10月11日~20日 - 伝統

2020/10/14 (Wed) 22:53:40


【 10月11日 】 政治は言語から

政事(せいじ)の道(みち)は、本(ほん)言語に始って
行(おこな)うところに終わる。

その言語(げんご)明かなれば、行うところ必ず正し。

                (「孝経講釈聞書』)

【訳}

政治の道は、もとは言語にはじまって、
それを実行するところに終わる。

ゆえに、その言語が明らかならば、
その実行するところのものも、かならず正しいのである。

・・・

【 10月12日 】 身心に差異なし

天子(てんし)・諸侯・卿大夫(きょうだいゆう)
・士8さむらい)・庶人(しょにん)五等(ごとう)の位(くらい)、
尊卑(そんぴ)大小(だいしょう)の差別あるといえども、
その身心(しんしん)においては 毫髪(ごうはつ)も差異なし。

               (「孝経講釈聞書』)

【訳]

天子・諸侯・卿大夫・士・庶人である五等の位には、
尊卑と大小の差別があるけれども、その心とからだにおいては、
いささかの違いも存在しないのである。

・・・

【 10月13日 】 自満の一症

意念(いねん)の病症(びょうしょう)多端(たたん)なりといえども、
その孝徳(こうとく)を毀(そこな)うの大(だい)なるものは、
自満(じまん)の一症(いちしょう)にしくはなし。

               (「孝経講釈聞書』)

【訳]

意念の病症は、多岐にわたっているけれど、
その孝の徳をそこなうことの大なるものは、
みずからの満心という一症におよぶものはない。

・・・

【 10月14日 】 徳の恵みに感じて

その身持(みもち)の軽重(けいちょう)に従(したが)い、
褒美(ほうび)をあたえ、或は知行(ちぎょう)を加増し、
恵みを施すときは、臣妾(しんしょう)必ず徳恵(とくけい))に
感通(かんつう)して、主人を見ること父母を仰ぐがごとくす。

               (「孝経講釈聞書』)

【訳]

その身分や地位の軽重にしたがって褒美をあたえ、
あるいは知行を加増して恵みをほどこすとき、
家来はかならず(主君の)徳の恵みに感激して、
主君を見ること(あたかも)父母を仰ぐようにするものである。

・・・

【 10月15日 】 何事も父母の恵み

富貴(ふうき)を授(さず)ける人の恩も根本(こんぽん)父母の恩、
妻妾(さいしょう)の楽しみも父母(ふぼ)の恩(おん)、
子(こ)の養(やしん)いを受けるも父母の恩、
何事も父母の恩ならざるは一(ひと)つもなし。

               (「孝経講釈聞書』)

【訳]

富貴をさずける人の恵みも、根本は(自分を育ててくれた)
父母の恵み、妻や妾の楽しみも、(根本はおなじく)
父母の恵み、子の養いを受けることも、(根本はおなじく)
父母の恵み、なにごとも父母の恵みでないものは、
なにひとつないのである。

・・・

【 10月16日 】 孝徳なければ

才芸人にすぐれ禍(わざわい)無類(むるい)にして、
人間(にんげん)の誉(ほまれ)あるといえども、
心(こころ)の邪気(じゃき)、孝徳(こうとく)なきは、
天地(てんち)鬼神(きしん)の悪(にく)み捨(すて)て
玉(たも)う処(ところ)なれば、一旦(いったん)
栄華(えいが)にほこるといえども、
必ず後来(こうらい)に至って子孫絶滅するなり。

               (「孝経講釈聞書』)

【訳]

才芸が人よりすぐれ、幸福もくらべるもののなくて、人
間として高い誉れに満ちあふれていても、

よこしまな心で、孝の徳がなければ、
天地・鬼神のにくみ捨てられるところなので、
一時は栄華にほこっていたとしても、かならず将来において
子孫が絶えてしまうことになる。

・・・

【 10月17日 】 善悪は天に通じる

一念(いちねん)善(ぜん)を行えばその善(ぜん)天(てん)に通じ、
一念悪を行えばその悪天に通ず。

               (「孝経講釈聞書』)

【訳]

ふかく思う心で善をおこなえば、その善行は天につうじ、
(その反対に)ふかく思う心で悪をなせば、
その悪行は天につうじるのである。

・・・

【 10月18日 】 孝は明鏡のごとし

孝(こう)はたとえば明鏡(みょうきょう)のごとし。
向うものの形(かたち)と色(いろ)と移して
鏡の中の影は品かわれども、
明(あきらか)かに移(うつ)す鏡の体(たい)は変らざるものなり。

               (「孝経講釈聞書』)

【訳]

孝は、たとえばくもりのない鏡のようなものである。
鏡に向かうものの形と色をうつして、
鏡の中の影はいろいろに変わるけれども、
鏡そのものはなんら変わることがない。

・・・

【 10月19日 】 分形連気の兄弟

世上(せじょう)の惑(まど)える人を見るに、
兄弟(きょうだい)の中(なか)他人よりも
おろそかなる仕形(しわざ)、わずかの欲(よく)
争(あら)いにてきかたきの思いを結ぶもあり。
分形(ぶんけい)運気(うんき)の断(ことわ)りを知らず

               (「孝経講釈聞書』)

【訳]

世のなかの迷っている人を見ると、
兄弟の仲が他人よりも疎遠になっていたり、
目先のわずかな欲争いに、まるで敵かたきのごとき
思いを結ぶものもある。

(人間は、太虚から生生化育したという)
分形連気の道理を知らない。

○2月5日「分形連気の道理」とほぼ同じ。
 これによって『翁問答』は「孝経』の教説に
 おおきく基づいていたことがわかる。

・・・

【 10月20日 】 まことの孝子とは

親(おや)の慈悲(じひ)深くあてがいあるに孝行をなすは、
行(おこな)いやすき境界(きょうかい)なれば、
さして孝行というべきにあらず。

親(おや)のあてがいなく、慈悲も足らざるに孝行なるこそ、
誠(まこと)の孝子(こうし)なれ。

               (「孝経講釈聞書』)

【訳]

親の慈悲ふかく、しかも遺産をもらいうけて孝行をなすことは、
おこないやすい環境なのであるから、
とりわけ孝行というべきほどのものではない。

(しかし)親からの遺産もなく、親の慈悲も足らずに
孝行をなした人こそ、まことの孝子というべきである。

            <感謝合掌 令和2年10月14日 頓首再拝>

「中江藤樹・一日一言」10月21日~31日 - 伝統

2020/10/25 (Sun) 23:47:27

【 10月21日 】 人間すべて兄弟

万民(ばんみん)みな天地(てんち)の子にして、
我(われ)も人(ひと)も人間(にんげん)の
形(かたち)あるほどの物(もの)
ことごとく兄弟(きょうだい)なり。

元来(がんあい)骨肉(こつにく)同胞(どうほう)の
断(ことわ)りなれば、

いずれを尊(たっと)び、
いずれを卑(いや)しみ、
いずれを慢(あなど)り、
何(いず)れを軽(かろ)んずべき道理(どうり)一つとしてなし。

               (「孝経講釈聞書』)

【訳}

すべての人間は、
天地の(恵みから生まれ育った)子であり、
自分も他人も、人間のかたちあるものは、
ことごとく兄弟である。

もともと骨肉同胞の道理なのであるから、

いずれ(の人)を尊敬したり、
いずれ(の人)を見下げたり、
いずれ(の人)をばかにしたり、
いずれ(の人)を軽侮したりする

道理などは、なにひとつとしてないのである。

 ○2月3日「人は天地の子」とほぼ同じ。

・・・

【 10月22日 】 ことばは心の声

けだし言(ことば)は(こころ)心の声(こえ)なり。

ゆえに心あって言(ことば)に発し、

言(ことば)に因ってその心を知る。

              (「孝経啓蒙』定稿本)

【訳]

そもそも、ことばというのは、
(その人の)心の声である。

ゆえに、心(のなかに思うこと)があって
ことばとなるので、

ことばによって、
(その人の)心を知ることができるのである。

・・・

【 10月23日 】 経書の改作

古人(こじん)作為(さくい)の書(しょ)を
千百年の後(のち)に生れて、
その錯簡(さっかん)を知って
旧本(きゅうほん)に改めかえすことは、

その作者(さくしゃ)復(ふたたび)
生(しょう)ずるにあらずんば、
聖人(せいじん)といえども及ばざるところなり。

             (「大学考」)


【訳]

いにしえの人がつくった書物を、
千百年ののちに生まれた者が、そのあやまりを知って
もとの形に改めかえすことは、

その作者がこの世にふたたび生まれない限り、
聖人といえどもかなわないところである。

・・・

【 10月24日 】 程朱、陽明ともに①

程朱(ていしゅ)・陽明(ようめい)同じく、
吾(わが)道(みち)の先覚(せんかく)なれば、
その緒論(しょろん)異(こと)なるごとしといえども、
その道(みち)はこれ同(おな)じ。

             (「大学考」)

【訳]

程明道、程伊川、朱子、王陽明は、
おなじく聖賢の学の先覚者なれば、
その序論は異なっているように思うけれども、
その教説はおなじなのである。

・・・

【 10月25日 】 程朱、陽明ともに②

程朱・陽明皆(みな)先覚(せんかく)なり。

吾(われ)なんぞ偏(かた)むきに袒(かたぬ)ぐ所あらんや。

今(いま)吾(われ)古本(こほん)を是(ぜ)とする
所(ところ)は陽明に従い、経伝(けいでん)の差別(さべつ)は
朱子に従うを見て、党同(とうどう)の私(わたし)なきことを
知(し)るべし。

             (「大学考」)

【訳]

程明道、程伊川、朱子、王陽明は、
みなすぐれた先覚者である。

私ごときが、どうしていずれか一方を支持できようか。

今私が、古本(大学)を正しいとするところは
王陽明にしたがい、経伝の差別(をみとめるところは)は
朱子の説にしたがっているのを見て、
党派の私心なきことを知っていただきたい。

・・・

【 10月26日 】 病気の根は私意

明徳(めいとく)をくらます
病症(びょうしょう)多端(たたん)なり.といえども、
畢竟(ひっきょう)その病根(びょうこん)は意(い)なり。

             (「大学考」)

【訳]

明徳をくもらす病気の内容は、
さまざまであるけれども、
つまるところその病気の根元は、私意にある。

・・・

【 10月27日 】 誠意と絶四の意

けだし意(い)は心(こころ)の倚(かたよ)るところなり。
誠意(せいい)の意(い)と絶四(ぜっし)の意(い)と
もと異義(いぎ)なし。

いかんとなれば
聖(せい)の聖(せい)たるところ他(ほか)無(な)し、
意(い)なくして明徳(めいとく)明(あきら)かなるのみ。

             (「大学考」)

【訳]

そもそも意は、心のかたよりである。
意を誠にするの意と、四を絶つの意とは、
まったくおなじ意味である。

なぜならば、聖人の聖人たるところはほかでもない、
私意が取りのぞかれて、明徳明らかになるわけである。


○絶四~「論語』子牢篇の
    「子、四を絶つ。意なく、必なく、固なく、
     我なし」のこと。

・・・

【 10月28日 】 大学ほろびて

別途



・・・

【 10月29日 】 賢人以下の気質

この徳(とく)は人人(にんにん)具足(ぐそく)の
本体(ほんたい)にして、
聖凡(せいぼん)加損(かそん)なしといえども、
大賢(たいけん)以下(いか)の資(し)は
気質(きしつ)の濁駁(だくばく)なきことあたわず。

             (「大学蒙註』)

【訳]

この明徳は、すべての人にそなわっている本体であって、
聖人と普通の人との間に、明徳の加損はないけれども、
賢人以下の者はその気質がにごって純粋でないために、
明徳を明らかにすることができないのである。

・・・

【 10月30日 】 親を愛し子を慈しむ

明徳は人間(にんげん)の根本(こんぽん)主宰(しゅさい)なれば、
小人(しょうじん)悪人(あくにん)といえども
減(めつ)せず味(くら)からず。

いかんとなれば、すきと滅却(めっきゃく)すれば、
生(しょう)を保(たも)つこと能(あたわ)わず。

その減(めつ)せず味(くら)からざるものは
何(いず)れぞと云うに、
親を愛し子を慈(いつく)しむ心(こころ)これなり。

             (「大学蒙註』)

【訳]

明徳は、人間の根本であり主宰なのだから、
つまらない人や悪人といえども、ちゃんとそなわっている。

なぜならば、すっきりと滅ぼしてしまうと、
(人間の)いのちを保持することができなくなる。

滅びることなく、明らかであるものが何かというと、
親を愛し子をいつくしむ心である。

・・・

【 10月31日 】  至善とは仁なり

至善(しぜん)はすなわち純粋(じゅんすい)
精一(せいいつ)の本心(ほんしん)、
太極(たいきょく)の別名(べつめい)、
いわゆる仁(じん)これなり。

             (「大学蒙註』)

【訳]

至善とは、すなわち純粋・精一の本心であり、
(宇宙の本体であるところの)太極の別名、
いわゆる仁のことである。

            <感謝合掌 令和2年10月25日 頓首再拝>

「中江藤樹・一日一言」11月1日~10日 - 伝統

2020/11/04 (Wed) 22:53:06


【 11月1日 】 親愛の心が明徳を

大学の道は明徳を明かにするに在(あ)り。
明徳を明かにする工夫は人倫(じんりん)交際において
親愛(しんあい)の心を認めて種子とし、

這裏(ここ)こに即(つ)いて
慎思(しんし)明弁(めいべん)して
至善(しぜん)に止まるに在りとなり。

              (「大学蒙註」)

【訳}

大学の道は、明徳を明らかにするにある。
その明徳を明らかにする方法は、日常生活において
親愛の心をタネとし、

それに基づいて、みずからつつしんで思い、
はっきりと区別して、最高の善(の心)に
とどまることにある。

・・・

【 11月2日 】 大学の道に違えば

天下の学問、大学の道にたがうときは異端なり、
曲学なり、俗学なり、外学なり、旁問(ぼう)なり。
よろしく心眼(しんがん)著(つ)くべし。

              (「大学蒙註」)

【訳]

世のなかの学問で、大学に説かれた教えから
はずれるときは異端であり、
曲学であり、俗学であり、外学であり、旁問である。
よろしく(その学問の)本質を見抜くことである。

・・・

【 11月3日 】 人間にのみ明徳を

性(せい)は万物の一原(いちげん)、
人物の同じく得(う)るところなりといえども、
人(ひと)の性(せい)のみ明徳の名を得(え)て万物の霊たり

              (「大学蒙註」)

【訳】

万物はひとつの大本から生まれたゆえに、
人も物も、おなじく心を得るところであるが、
人間の心にだけ明徳をあたえられたので、
万物のなかでも、もっともすぐれているわけである。

・・・

【 11月4日 】 心の乱れを鎮める

凡心(ぼんしん)の常(つね)、
擾乱(じょうらん)して定まらず。

その擾乱をしずめざれば、
講習討圭調を心上(しんじょう)に
安頓(あんとん)することあたわず。

ゆえに学者入徳(にゅうとく)の初め、
擾乱をしずめるより先なるはなし。

              (「大学解」)

【訳}

普通の人間の心は、
つねに乱れてさだまらないことである。

その乱れを鎮めなければ、
講習討論を心のうちに据えつけることができない。

ゆえに、(聖賢の道を)まなぶ者が徳をおさめる初めは、
なによりもこの(心の)乱れを鎮めることが先決なのである。

・・・

【 11月5日 】 すべて五事に

天下の万事(ばんじ)、
千差万別なりといえども、
五事を離るること一(ひと)つもなし。

いかんとなれば
貌(ぼう)言(げん)視(し)聴(ちょう)思(し)なきときは
何事(なにごと)をか行い得(え)や。

              (「大学解」)

【訳】

世のなかのあらゆることは、
千差万別ではあるけれども、
五事をはなれることはなにひとつない。

なんとなれば、貌(のからだ)、言(の口)、視(の目)、
聴(の耳)、思(の心)のいずれかがなければ、
人は生きていけないわけである。

・・・

【 11月6日 】 天下の万事は末節

天下の万事は皆(みな)末(すえ)なり。
明徳(めいとく)はその大本(たいほん)なり。

              (「大学解」)

【訳】

世のなかのあらゆることは、すべて枝葉末節である。
明徳は、(その)世のなかの根本である。

・・・

【 11月7日 】 天下国家の根本

人間世(にんげいせい)、
天下国家の事あらずということなし。

然(しか)れども
その本(もと)の修身(しゅうしん)に在(あ)ることを知らず、
ただに末(すえ)を務(つと)めて己(おのれ)を損じ、
人を損(そん)すること、挙(あ)げていうべからず。

              (「大学解」)

【訳】

人間の生きる世界は、すべて
天下国家に関係するものばかりである。

しかしながら、
その根本が身をおさめることにあるのを知らずに、
たんに末節ばかりを(懸命に)つとめて、
自分自身を疲れさせ、人も疲れさせてしまうこと、
その事例は枚挙にいとまがないのである。

・・・

【 11月8日 】 凡夫は私意を絶てない

凡夫(ぼんぷ)の常(つね)、
意念(いねん)の見識(けんしき)を以て
己(おのれ)を利(り)し、
己を益(えき)すと惑(まど)うによって
意(い)を絶つことあたわず。

              (「大学解」)

【訳】

普通の人間のつねとして、私心におおわれた見識から、
自分に利益をもたらすという迷いが生じて、
私意を絶つことができないのである。

・・・

【 11月9日 】 物事は窮まりなし

終始(しゅうし)は本(もと)に始(はじ)めて
末(すえ)に終(おわ)るをいう。

始終といわずして終始というは、
循環窮まりなきの意(い)を明(あか)す。

              (「大学解」)

【訳】

(大学の「事終始有り」とある)終始とは、
本にはじまって、末に終わるをいう。

始終といわなくて、終始と書かれているのは、
あらゆるものごとの本質が、循環きわまりなく
終わりなしという意味なのである。

・・・

【 11月10日 】 誠意の眼目は慎独

君子(くんし)必ずその独(ひとり)を慎むの一句を以て
誠意の眼目(がんもく)を開示(かいじ)す。

君子(くんし)・小人(しょうじん)の界分(かいぶん)、
独(ひとり)を慎(つつし)むと慎まずとに在(あ)り。

              (「大学解」)

【訳】

君子は、かならずそのひとりをつつしむの一句によって、
誠意の眼目を明らかに示すのである。

君子と小人とのわかれ道は、(この)ひとりをつつしむか、
そうでないかにある。

         <感謝合掌 令和2年11月4日 頓首再拝>

「中江藤樹・一日一言」11月11日~20日 - 伝統

2020/11/14 (Sat) 23:36:49


【 11月11日 】 戒慎で善を現わす

戒慎(かいしん)まことあれば小人(しょうじん)といえども
欲心(よくしん)消除して本体(ほんたい)呈露(れいろ)す。

ゆえに君子を見て忌悼(きたん)切実(せつじつ)なれば、
不善(ふぜん)を悔(く)いて善をあらわす。

              (「大学解」)

【訳}

(みずからを)戒め、つつしむ心がまことならば、
つまらない人といえども、欲心が取りのぞかれて
本体があらわれる。

ゆえに、りっぱな徳のある人を見て、忌悼なく切実になると、
(過去の)不善を悔いて善を発揮することができるのである。

・・・

【 11月12日 】 心は体のあるじ

心(こころ)は体(からだ)の主(あるじ)にして、
体(からだ)は心(こころ)の臣僕(しんぼく)なれば、
心体(しんたい)常に相符するものなり。

              (「大学解」)

【訳]

心は、からだの主人であり、
からだは心の家来なので、心とからだは、あたかも
割符のような(密接な関係にある)ものである。


・・・

【 11月13日 】 害を見なければ

凡情(ぼんじょう)の常(つね)、
利(り)を見ざれば勧(すす)まず。
害を見ざれば懲(こ)りず。

              (「大学解」)

【訳]

普通の人間のつれとして、利益を
はっきりと(目前に)見なければ励まず、
被害に遭わなければ懲りないものである。

・・・

【 11月14日 】 心は虚明中正

心(こころ)は本来虚明(じょめい)中正(ちゅうせい)なり。
ただ意必(いひつ)の祟(たたり)りによって正(ただ)しからず。

ゆえに正心(せいしん)の功夫(くふう)、他(た)なし、
意(い)を誠(まこと)にするのみ。

              (「大学解」)

【訳]

心は、もともと虚明でかたよりのないものである。
ただ私意と期必のたたりによって、ゆがんでしまうのである。

ゆえに、心を正すための工夫とは、ほかでもなく
私意をまことにするのみである。

・・・

【 11月15日 】 心ここに在らず

心(こころ)焉(ここ)に在らずとは、
外を願い、物を逐(お)うて本体をはなれるをいう。

              (「大学解」)

【訳]

心ここにあらずというのは、
外物を追いもとめて、
本体(の明徳)を離れることをいうのである。

・・・

【 11月16日 】 心は身の主宰

心(こころ)は身(み)の主宰(しゅさい)、
身は心の役にして、心身二相(そう)なきゆえに

心(こころ)本体(ほんたい)をはなれて顛倒(てんとう)
錯乱(さくらん)なれば、
五事(ごじ)もまた顛倒錯乱して身(み)修(おさ)まらず。

              (「大学解」)

【訳]

心はからだの主宰であり、からだは
心の使役であって、心身ふたつのすがたはないゆえに、

心の本体をはなれて顛倒、錯乱したならば、
五事もまたおなじく顛倒、錯乱して、
からだがおさまらなくなるのである。

・・・

【 11月17日 】 中庸は明徳の別名

中庸(ちゅうよう)は明徳(めいとく)の別名(べつめい)なり。
明徳は内(うち)に主(しゅ)として倚(かたよ)るところなく
中央(ちゅうおう)の義(ぎ)あるゆえに、
中(ちゅう)の字を借りて明徳の異名(いみょう)とす。

             (「中庸解』)

【訳】

中庸は、明徳の別名なのである。
明徳は、心にあってかたよるところがなく、
中央の意義があるゆえに、
中の字を借って明徳の異名とするのである。

○中庸~二程子は
   「偏らざるをこれ中といい、易わらざるをこれ庸という」と。

・・・

【 11月18日 】 中庸は自分の心に

中庸は千聖(せんせい)伝授(でんじゅ)の必
法(ひっぽう)なれば、その名(な)天下に明かにして
学者皆中庸の名目を知るといえども、

その実体(じったい)の己(おのれ)に
具足(ぐそく)することを知らず。

             (「中庸解』)

【訳】

中庸は、多くの聖人が伝えた教えなので、
その名前は世のなかにひろく知れわたり、
それをまなぶ者は中庸の名前を知っているものの、

その中庸が自分の心にそなわっていることを
知る者はいないのである。

・・・

【 11月19日 】 独もまた心に

独(ひとり)は方寸(ほうすん)に具わるといえども、
本来(ほんらい)太虚(たいきょ)と同体なれば、
独(ひとり)の知るところは天に通じ地に通じ
鬼神(きしん)に通ず。

             (「中庸解』)

【訳】

ひとりは(われわれの)方寸にそなわっているが、
もともと(宇宙の根源の)太虚と同体なので、
ひとりの知るところは天につうじ地につうじ、
神明にもつうじるのである。

・・・

【 11月20日 】 中和もまた心に

中和(ちゅうわ)は聖人の独(ひと)り得(う)るのみに非ず。
本来人人(にんにん)具足の物なれば、中和に致るときは、
凡夫(ぼんぷ)もすなわち聖人なり。

             (「中庸解』)

【訳】

中和は、ひとり聖人だけが得られるものではない。
もともと、すべての人にそなわっているものなので、
中和を発揮したときは、普通の人もすなわち聖人なのである。

         <感謝合掌 令和2年11月14日 頓首再拝>

「中江藤樹・一日一言」11月21日~30日 - 伝統

2020/11/24 (Tue) 00:01:10


【 11月21日 】 君子となる

聖門(せいもん)の学者は
必ず君子(くんし)とならんことを欲して、
小人(しょうじん)となるところを悪(にく)みきらうところなり。

             (「中庸続解』)

【訳}
聖人の教えをまなぶ者は、
かならずりっぱな(徳のある)君子になることを欲して、
つまらない人間になることをにくみ嫌うものである。


・・・

【 11月22日 】 世間の毀誉

小人は不賭(ふと)不聞(ふぶん)を戒慎(かいしん)せず、
自私(じし)自利(じり)の意(い)を本(もと)とし、
世間(せけん)の毀誉(きよ)を以て是非とす

             (「中庸続解』)

【訳]

つまらない人間は、(周囲を)見ようとせず、聞こうともしないのを
(みずから)戒めることもなく、ただ自分中心の心を根本とし、
世間のさまざまな評判だけで(ものごとを)判断してしまうものである。

・・・

【 11月23日 】 高位と高官と利禄

凡夫(ぼんぷ)一生(いっしょう)の願い求めること、
高位(こうい)・高官(こうかん)・利禄(りろく)より
甚(はなは)だしきはなし。

然(しか)りといえども
廉潔(れんけつ)の士(し)は受けざるところあり。

             (「中庸続解』)

【訳]

普通の人間の人生で、願いもとめるものに、
高位、高官、利禄よりはなはだしいものはない。

しかしながら、正直で私利私欲のない武士は、
それらを受けようとしないところがある。

・・・

【 11月24日 】 実あれば名あり

けだし名(な)は実(じつ)の賓(ひん)にして、
実(じつ)あるときは必ず名(な)あり。

たとえば悪(あく)をなす実(じつ)あるときは、
必ず悪の名あり。

善(ぜん)の実あるときは必ず善の名あり。

             (「中庸続解』)

【訳]

そもそも名声は実質であり、
その実質のあるときはかならず名声がある。

たとえば、悪行を実際にしているときは、
かならず悪の名声がある。

善行を実際にしているときは、かならず善の名声がある。

・・・

【 11月25日 】 法制・禁令

ただに法制(ほうせい)・禁令(きんれい)を以て
これを治めるときは、
万民ただ法制・禁令のみ免(まぬが)れんとして、
習態(しゅうたい)の頑悪(がんあく)を化(か)して
善(ぜん)に徒(うつ)ることなし。

             (「中庸続解』)

【訳]

たんに法制や禁令によって、国家をおさめるときは、
人々はただその法制や禁令のみを免れようとするため、
習癖の身がまえでかたくなとなって、
善の心にあらためることをしない。

・・・

【 11月26日 】 君不肖なら臣も

君(きみ)の心(こころ)邪(よこしま)なるときは、
臣もまた奸悪(かんあく)の徒(と)聚(あつ)まり、

君(きみ)不肖(ふしょう)なるときは、不肖の臣多く、
是(これ)をたとえるに琥珀(こはく)は必ず芥(あくた)をす。
磁石(じしゃく)は必ず鉄を取るがごとし。

             (「中庸続解』)

【訳]

主君の心がよこしまなときは、
家臣もまたよこしまの連中があつまり、

主君が愚かであるときは、愚かな家臣も多く、
これをたとえると、琥珀はかならず芥となる。
磁石は、かならず鉄をすい取るようなものである。

・・・

【 11月27日 】 有徳の人を師友に

天下(てんか)国家(こっか)のたからは
有徳(ゆうとく)の人に過ぎることなし。

有徳の人を近づけ師(し)とし友(とも)として、
道(みち)を講明(こうめい)せしめ
政(まつりごと)のたすけとし、

これを尊崇(そんすう)して天下の人徳(ひととく)を尊び
奸悪(かんあく)を去(さ)ることを知らしむ。

             (「中庸続解』)

【訳】

天下国家の宝は、有徳の人にすぐれるものはない。

そのような有徳の人を師とし、友として側におき、
教えを講じて政治の助けとし、

その人を尊崇して天下の人々に、徳をたっとび、
よこしまな為政者を取りのぞくことを知らしめるのである。

・・・

【 11月28日 】 愛敬の徳で治める

天下国家の主君(しゅくん)たるもの平治(へいち)を
欲せずということなし。

然(しか)りといえども愛敬(あいけい)の徳(とく)の
天下国家を治める大(だい)根本(こんぽん)なることを
弁(わきま)えず。

             (「中庸続解』)

【訳】

天下国家の為政者は、何事もなく
おさまることを願っているものである。

しかしながら、愛敬の徳によって天下国家をおさめるのが、
その大根本であることをよく知らないでいる。

・・・

【 11月29日 】 抜苦の道は学問

人間(にんげん)世(よ)の患(わずら)い、
苦しみより大(だい)なるはなし。

ゆえに苦(く)を去(さ)り楽(らく)を得(え)んことは
人人(にんにん)第一の願(ねが)いなり。

然(しか)れども苦を抜いて楽を求める
道(みち)の学問に有(あ)ることを弁(わきま)えず

                (「論語解』)

【訳}

人間の人生における病気で、苦しみより大きいものはない。

ゆえに、苦しみを取りのぞいて楽しみを得ることは、
われわれの一番の願いである。

しかしながら、その苦しみを取りのぞいて楽しみをもとめる
方法が、学問にあることを知るよしもない。

・・・

【 11月30日 】 孔子は四を絶つ

聖人(せいじん)の聖人たるところ他(ほか)に非(あら)ず。
四(し)を絶(た)つて本体(ほんたい)全(かった)く
明かなるに有り。

ゆえに子(し)絶四(ぜつし)の一句(いつく)を挙げて
人人(にんにん)固有(こゆう)の聖人(せいじん)の
面目(めんもく)を開示(かいじ)す。

                (「論語解』)

【訳}

聖人(せいじん)の聖人たるところは、ほかになし。
四つのことを絶って、心の本体が完全
に明らかになることにある。

ゆえに、孔子は絶四の一句をあげて、
すべての人間にそなわっている聖人の面目を示されたのである。

         <感謝合掌 令和2年11月23日 頓首再拝>

「中江藤樹・一日一言」12月1日~10日 - 伝統

2020/12/05 (Sat) 23:50:17


【 12月1日 】 ついには千里の謬り

後世の学者、先賢(せんけん)の跡を見て
己(おのれ)が性(せい)の近きところを喜び、
その跡を可(か)として学び、
その他を不可(ふか)として厭(いと)う。

その初心(しょしん)は毫釐(ごうり)の差なれども、
ついに千里(せんり)の謬(あやま)りとなれり。

                (「論語解』)

【訳}

後世の(聖賢の学を)まなぶ者は、先賢の事跡をみて、
おのれの心に近いものと喜び、
その事跡を善しとしてまなび、それ以外のものは
不可としてしりぞけてしまう。

その初心は、わずかの違いであるが、
のちには大きなあやまりとなるのである。

・・・

【 12月2日 】 君子と小人

君子(くんし)・小人(しょうじん)の分(わか)れ
専(もっぱ)ら心上(しんじょう)にり。

意必(いひつ)固我(こが)なければすなわち君子なり。
意必固我あればすなわち小人なり。

                (「論語解』)

【訳}

徳のあるりっぱな人と、つまらない人との違いは、
(社会的地位などではなく)もっぱら心にある。

私意、期必、執滞、私己が(心に)なければ、
すなわち(前者の)君子であり、
それらが(心に)あれば、すなわち(後者の)小人である。

・・・

【 12月3日 】 過ちを改め善に遷る

初学(しょがく)より聖人に至るまで、
学問の功(こう)は過(あやま)ちを改め善に遷(うつ)るに在り。

                (「論語解』)

【訳}

初学者から聖人に至るまで、
学問の功能というのは、
(自分のおかした)あやまちを改め、善にうつることにある。

・・・

【 12月4日 】 飲食は過不及なし

人(ひと)の元気、飲食の過ぐると及ばざるとに因(よ)って、
あるいは滞積(たいせき)し、あるいは耗散(こうさん)し、
百病(ひゃくびょう)これよいり作る。

徳もまた、これに因って戕賊(しょうぞく)す。

           (「論語郷党啓蒙翼伝』)

戕~https://kanji.jitenon.jp/kanjiw/11221.html

戕賊(しょうぞく)~http://octave007.jp/?no=1109

[訳】

人間の元気は、飲食の食べ過ぎと少食を原因として滞積し、
あるいは減らして、多くの病気はここからつくられる。

(すべての人にそなわっている)徳もまた、
これを原因として損なってしまうのである。

・・・

【 12月5日 】 人間と禽獣との違い

人と禽獣との弁(わ)かれ、その機一心(きいっしん)の
敬不敬(けいふけい)と、五倫(ごりん)の遜(そん)不遜(ふそん)と、
天事(てんじ)の修(しゅう)不修(ふしゅう)とに在るのみ。

               (文「原人」)

【訳}

人間と禽獣との(心の)分かれ目は、
一心を敬に置いているか否か、五倫を謙遜しているか否か、
天命をおさめるか否かにあるだけである。
 
 ○原人~寛永十五年(一六三八)、藤樹三十一歳の作。

・・・

【 12月6日 】 温飽を求める

俗儒(ぞくじゅ)は人の書を読むといえども、然れども
その書を求める所以(ゆえん)は書の書たる所以に在らずして、
却(かえ)って以て温飽(おんぽう)を求めるの術(じゅつ)となす。

               (文「原人」)

【訳}

つまらない儒者は、聖人の説いた(四書五経などの)
経書を読むけれども、しかしながら
その経書をもとめる理由は、経書の本質をまなぶことではなく、
かえって経済的に不自由のない生活を送るための
手段にしているのである。

・・・

【 12月7日 】 ただ記調詞章のみ

今(いま)の人(ひと)の学(がく)をなすは、
ただ記誦(きしょう)詞章(ししょう)のみ。

              (文「藤樹規」)

【訳】

今の人がおこなっている学問は、ただ書物を暗記したり、
(美しい)詩歌や文章を書くばかりである。

 ○藤樹規~藤樹三十二歳の作。

・・・

【 12月8日 】 聖賢の千言万語

聖賢の人を教える千言(せんげん)万語(ばんご)は、
すべて誠意の一路(いちろ)に帰(き)す。

              (経解「誠意」)

【訳]

聖人や賢人が人々を教導する多くのことばは、
すべて私意をまことにするという一点に帰着するのである。

・・・

【 12月9日 】 明徳・親民・至善

明徳(めいとく)や親民(しんみん)や至善(しぜん)や、
一体(いったい)にして名を異(こと)にす。

          (経解「大学の道は云々」)

【訳】

(大学に説かれた三綱領の)明徳や親民や至善は、
(本質的には)一体のものであって、
名前が異なっているに過ぎないのである。

・・・

【 12月10日 】 己のためにするは

天地万物己(おのれ)に非ざるはなし。
是(これ)を以て己(おのれ)のためにするは、
天地(てんち)神明(しんめい)のために心を立て、
万物一貫の己(おのれ)を修めるの謂な(いい)り。

         (経解「己の為にし人の為にす」)

【訳]

天地・万物(すべて)自分でないものはない。
したがって、自分のためにするというのは、
天地・神明のために心を立てて、
万物一貫の自分をおさめるという意味である。

         <感謝合掌 令和2年12月5日 頓首再拝>

「中江藤樹・一日一言」12月11日~20日 - 伝統

2020/12/14 (Mon) 23:31:40


【 12月11日 】 明徳は草木の根

直(ちょく)はすなわち明徳、明徳は人の性命(せいめい)なり。
人(ひと)の徳(とく)あるや、なお草木(そうもく)の根抵あるがごとし。

            (書「中西子を送る」)

【訳}

直はすなわち明徳のことであり、明徳は人間の本性である。
人間にその明徳がそなわっているのは、あたかも草木にとって
(たいせつな)根があるようなものである。

・・・

【 12月12日 】 つまらない感情

けだし人の千辛(せんしん)万苦(ばんく)
みな凡情(ぼんじょう)に出(で)る。

凡情は気習(きしゅう)情欲(じょうよく)
三者あい醸(かも)して成るものなり。

            (書「中西子を送る」)

【訳]

そもそも人間のあらゆる辛苦は、
すべてつまらない感情から生まれるのである。

そのつまらない感情は、習癖の気と心と情欲の
三つが引き起こしてつくられるのである。

・・・

【 12月13日 】 万物はわれに

好色(こうしょく)を好(この)むがごとく、
悪臭(あくしゅう)を悪(にく)むがごとく、
意なく必なく固なく我(が)なく、万物我(われ)に備わる。

                (雑著「楽」)

【訳】

(だれしも)好きな色を好むように、
また悪臭を忌避するごとく、
そのように私意なく、期必なく、執滞なく、私己がなければ、
万物はすべて自分の心と一体になることができる。

・・・

【 12月14日 】 悟らざれば

学(がく)は惑(まど)いを解(と)いて入悟(にゅうご)す。
悟らざれば、すなわち実学(じつがく)に非ず。

              (雑著「惑悟」)

【訳】

学問は、(自身の)迷いを切りはなして、
さとることができるのである。
さとらなければ、すなわち(それは)実学でないのである。

・・・

【 12月15日 】 君子にはよき評判

君子(くんし)にして令聞(れいぶん)広誉(こうよ)なく、
小人(しょうじん)にして令間広誉挙あるは、
古来(こらい)いまだこれ有(あ)らず。

              (雑著「名」)

【訳】

りっぱな君子にあって、世間に広まったよい評判がなく、
またつまらない人間にあって、世間に広まった
よい評判があるというのは、
むかしから今日に至るまで聞いたことがない。

・・・

【 12月16日 】 自反慎独は聖薬

自反(じはん)慎独(しんどく)は通じて
万病(まんびょう)を治(ち)するの聖薬(せいやく)にして、
換骨(かんこつ)頣神(いしん)の良能あり。

             (雑著「薬」)

頣~https://kanjijoho.com/kanji/kanji19409.html

【訳】

みずから省みて、ひとりをつつしむの心法は、
そうじてあらゆる病気をなおすすぐれた薬であり、
聖人となる効能がある。

・・・

【 12月17日 】 心は長生不死の本体

心(こころ)は天人(てんじん)合一(ごういつ)の
神明(しんめい)、長生(ちょうせい)不死(ふし)の本体なり。

             (雑著「忘」)

【訳】

心は、天道と人道とが一体となった神明であり、
永久に滅びることのない本体である。

・・・

【 12月18日 】 志は聖人の基

志(こころざし)は致知(ちち)の始め、
聖(せいえ)に蹟(のぼ)るの基本(きほん)なり。

             (雑著「立志」)

【訳}

こころざしは、「知を致す」ことのはじまりであり、
聖人によじのぼる基本なのである。

・・・

【 12月19日 】 聖経は上帝のことば

聖経(せいけい)は上帝(じょうてい)の誥命(こうめい)、
人性(じんせい)の注解(ちゅうかい)、
三才(さんさい)の霊枢(れいすう)、万世(ばんせ)の師範なり。

            (雑著「聖経」)

【訳】

古書賢のあらわした書物は、おおいなる上帝のことばであり、
人間の本性を説いた注解であり、天道と地道と人道を
つらぬくすぐれたかなめであり、永久の手本である。

・・・

【 12月20日 】 経伝は明徳の注解

経伝(けいでん)はこれ吾人(われひと)明徳の注解、
明徳はこれ経伝の正経(せいけい)なり。

             (雑著「経伝」)

【訳】

古聖賢のあらわした書物というのは、
われわれの心にそなわっている明徳の注解であり、
その明徳というのは、経書のなかの根本を説いたものである。

         <感謝合掌 令和2年12月14日 頓首再拝>

「中江藤樹・一日一言」12月21日~31日 - 伝統

2020/12/24 (Thu) 23:50:41

【 12月21日 】 身外の宝

金銀珠玉(きんぎんしゅぎょく)は
身外(しんがい)の宝(たから)にして、
その用通(ようつう)ぜざるところ在(あ)り。

是(ここ)を以てその宝たるや賎(いや)し。

              (雑著「宝」)

【訳}

金銀や珠玉は、
(われわれの)からだの外にある宝ゆえに、
その効能のかよわないところがある。

それゆえ、金銀・珠玉は(さほど)たいしたものではない。

・・・

【 12月22日 】 謙は虚なり

謙(けん)は虚(きょ)なり。
心(こころ)虚(きょ)なれば
すなわち好悪(こうお)自然(しぜん)に出(い)づる。

              (雑著「謙意」)

【訳]

謙は、むなしくなにもないのである。
心がむなしければ、
すなわちおのれの好き嫌いの感情もまた、
(かたよることなく)自然に出てくるのである。

・・・

【 12月23日 】 敬は

敬(けい)というは、天命(てんめい)を畏(おそ)れ、
徳性(とくせい)を尊(たっと)ぶの謂(い)いなり。

              (「持敬図説」)

【訳】

敬というのは、おおいなる上帝から
命じられたものをおごそかに畏れ、
明徳をうやうやしく保持するの意味である。

 ○持敬図説~藤樹三十一歳の作。

・・・

【 12月24日 】 善をなせば

善(ぜん)をなすは耕耘(こううん)のごとし。

当下(とうか)の穀(こく)を得(え)ざるといえども、
かならず秋実(しゅうじつ)を得(う)る。

            (雑著「雑説」)

【訳】

善行は、(ちょうど汗水ながして)
田畑をたがやすようなものである。

ただちに、収穫することができないけれども、
かならず秋には実りとなって、
(おいしいものを)食することができるのである。

・・・

【 12月25日 】 悪をなせば

悪(あく)をなすは鴆酒(ちんしゅ)を飲(の)むがごとし。

即席(そくせき)の燕楽(えんがく)を得(え)るといえども、
かならず死期(しき)来(き)たる。

            (雑著「雑説」)

【訳】

悪行は、(あたかも)毒入りの酒を
飲んでいるようなものである。

飲めば、すぐにほがらかになるけれども、
毒がからだ中にだんだんと回って、ついには寿命を
ちぢめて死にいたることになるのである。

・・・

【 12月26日 】 志を立てる

人(ひと)の学(がく)をなす、
志(こころざし)を立(た)てるを以(もつ)て本(もと)となす。

             (雑著「趨利」)

【訳}

われわれが学問をおさめるには、
(まずなによりも)こころざしを立てることを根本とする。

 ○志を立つる~王陽明のことば。
  「それ学は志を 立てるより先なるはなし」(「伝習録』)

・・・

【 12月27日 】 世界の人々は兄弟

万(よろず)の物(もと)は皆(みん)大本(たいほん)より生ずれば、
四海(しか)の人(ひと)ことごとく連(つら)なる枝(えだ)なり

            (中川貞良の帰郷を送る)

【訳】

万物は、すべて大本(の太虚)から生生化育しているので、
世界の人間はことごとく連理の兄弟である。

・・・

【 12月28日 】 名利にあらず

名(な)にもあらず、利(り)にもあらず、
また君父(くんぷ)の命(めい)にもあらず。

ただ懿徳(いとく)を好む誠やむことなり
良知(りょうち)くらからざる本体(ほんたい)なり。

           (中川貞良の帰郷を送る)

【訳】

名声のためでもなく、利益のためでもなく、
また主君や父の命令でもない。

ただりっぱな徳をおさめようとするまごころが、
良知をかがやかす本体である。

・・・

【 12月29日 】 利害を解かざれば

心(こころ)の学(まな)びには
利害(りがい)の拘彎(こうれん)をとがかざれば
良知に致りがたし。

           (和歌「福本子を送る」)

【訳

心をおさめる学問には、
利害(や損得のしばり)を解かなければ、
良知にいたることがむつかしいのである。

・・・

【 12月30日 】 得がたき同志

古来(こらい)聞(き)きがたきは道(みち)、
天下(てんか)に得(え)がたきは同志(どうし)なり。

           (漢詩「乙酉の歳旦」前文)

【訳】

昔から現在にいたるまで、聞くことのむつかしいのは
聖賢の説いたすぐれた教えであり、
この世で得ることのむつかしいのは
(その聖賢の教えをともにまなぶ)同志である。

 ○乙酉の歳旦~正保二年(一六四五)正月元旦の
        漢詩の前文。藤樹三十八歳。

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【 12月31日 】 恭敬と和睦で

同志の交際は、恭敬(きょうけい)をもって主(あるじ)となし、
和睦(わぼく)をもってこれを行(おこな)うべし。
一毫(いちごう)も自(みずか)ら
便利(べんり)を択(えら)ぶべからず。

            (学舎坐右の戒め)

{訳】

(聖賢の教えをともにまなぶ)同志のまじわりは、
(つねに)うやうやしい態度と、
仲むつまじい心でおこなうことである。
いささかも自分の都合勝手なことをしてはならないのである。

         <感謝合掌 令和2年12月24日 頓首再拝>

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