伝統板・第二

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佐藤 一斎・一日一言 - 夕刻版

2020/01/01 (Wed) 18:18:27

「佐藤 一斎・一日一言」1月1日~10日


佐藤一斉

山田方谷、佐久間象山らの師であり、
吉田松陰や勝海舟にも多大な影響を与えた幕末の儒者・佐藤一斎。

33歳にして昌平坂学問所の塾頭に抜擢された一斎が、
後半生の40年をかけてまとめ上げたのが、不朽の名語録「言志四録」で、

「一燈を提げて暗夜を行く。
 暗夜を憂うること勿れ。只だ一燈を頼め」

など、数多くの金言が収録されています。


あの西郷隆盛も指針とし、多くの人が傾倒した「言志四録」の中から、
安岡正篤師に薫陶を受けた渡邉五郎三郎氏が366語をセレクト。

リーダーのためのバイブルといわれる名著ですが、
そのテーマは、思想・学問・人生観・帝王学など
多岐にわたり、「人間学のバイブル」とも呼べる内容です。

・・・

【 1月1日 】 天を師とする

【原文】

太上(たいじょう)は天を師とし、
その次は人を師とし、
その次は経(けい)を師とする。(『言志四録』ニ)


【訳】

最上の人物は天(宇宙の真理)を師と市。
第二級の人物は、聖人や賢人を師とし、
第三級の人物は聖賢の書を師として学ぶ。

  ○西郷南洲も「天」という言葉をよく使った。
   内村鑑三は『代表的日本人』の中で、
   西郷は天と会話していたのではないかと記している。

   人は天を師として、
   初めて生かされている身のありがたさを知るものである。

・・・

【 1月2日 】 事業の心得

【原文】

凡そ(およそ)事を成すには、
須(すべか)らく天に事(つか)うるの心有るを要すべし。
人に示す念有るを要せず。(『言志四録』三)

【訳】

すべて事業を行うには、必ず天の意志に従う心を持つべきである。
他人に誇示する気持ちがあってはいけない。

  ○天に事うるとは、天を尊敬してそれに従う。
   人を相手にせず、天を相手にして生きる事である。

・・・

【 1月3日 】 憤なくして大成はなし
 
【原文】

憤の一字は、是れ(これ)進学の機関なり。

舜何人(なにびと)ぞやと、
予(われ)何人(なにびと)ぞやとは、
方に(まさに)是れ憤なり。

【訳】

憤とは発憤すること。
「なにくそ」「負けてたまるか」という奮い立つ心をいう。
この憤の一字が学問を進展させる機関車のようなものである。

孔子の弟子の顔淵が発憤していった
「(古代の聖人の)舜も、自分も、同じ人間ではないか」という言葉、
これはまさに憤である。

・・・

【 1月4日 】 学問は立志より始まる(言六)

学は立志より要なるはなし。
而して立志も亦之れを強うるに非らず。
只だ本心の好む所に従うのみ。

【訳】

学問を行なうには、志を立ることより大事なものはない。
しかし、志を立ることことを外から無理に強制してはいけない。
ただ、その人の本心の赴くところに従うばりである。

・・・

【 1月5日 】 立志の功

立志の功は、恥を知るを以て要と為す。(言七)

【訳】

志を立てて成功するためには、恥を知ることが肝心である。


・・・

【 1月6日 】 性分の本然、職分の当然

性分の本然を尽くし、職分の当然を務む。
此(か)くの如きのみ(言八)

【訳】

人間が生来持っているはずの性分の仁・義・礼・智・信が本然。
職分は孝・悌・忠・信など人間としての本来の道、
これ等を人間はやればいいだけである。


・・・

【 1月7日 】 なぜ生きるのか

【原文】

人は須(すべか)らく自ら省察すべし。
天何の故にか我が身を生出(うみいだ)し、
我れをして果して何なんの用にか供せしむる。

我れ既に天物(てんぶつ)なれば、必ず天役(てんえき)あり。
天役共ずんば、天咎(てんきゅう)必ず至らん。

省察して此(ここ)に到れば、
則(すなわち)我が身の苟(いやし)くも生くべからざるを知らん。 (言一0)


【訳】

人は必ず次のことを反省して考察しなければならない。
「天は何ゆえに自分をこの世に生出し、自分に何をさせようとしているのか。
私は天が生んだものであるから、必ずや天から役割が与えられている。

その役割を果さなければ必ず天罰を受ける」と。
よく考えてここまで明らかになってくると、
自分はいい加減に生きるわけにはいかないとわかってくるだろう。

https://www.2ps.co.jp/?/board/read/840

・・・

【 1月8日 】 読書は手段

【原文】

学を為す。故に書を読む。 (言一三)

【訳】

我々は学問をして、それを自己修養に役立てようとする。
そのために本を読むのであって、本を読むことが学問なのではなお。

〇安岡正篤師は「学は己の為にす。己を修むるには安心立命を旨とす。
 志は経世済民に存す。志を遂ぐるは学による。
 学によって徳を成し材を達する。成徳達材を立命とす」と、
 学問は自分をつくるためにすると述べておられる。

https://www.2ps.co.jp/?/board/read/854

・・・

【 1月9日 】 面背胸腹

【原文】

面(おもて)は冷ならんことを欲し、
背は?(だん)ならんことを欲し、
胸は虚ならんことを欲し、
腹は実(じつ)ならんことを欲す。 (言一九)


【訳】

頭が冷静であれば、判断に誤りがない。
背中が暖かければ、人を感化し動かすことができる。
心にわだかまりなく、さっぱりしていれば、人を寛大に受け入れることができる。
腹が据わっていれば、何があっても動じることがない。

〇人の上に立つ者はかくありたいと思う

・・・

【 1月10日 】 心が塞(ふさ)がれば百慮(ひゃくりょ)を誤る 

【原文】

心下(しんか)痞塞(ひそく)すれば、百慮(ひゃくりょ)皆錯(あやま)る。
                         (言ニ一)

【訳】

心の奥底にわだかまりがあって塞(ふさ)がっていると、
どんな考えもすべて誤ったものになってしまう。

  *心下~心の奥底

  *痞塞~つかえ塞がる

            <感謝合掌 令和2年元日 頓首再拝>

「佐藤 一斎・一日一言」1月11日~20日 - 伝統

2020/01/09 (Thu) 19:44:20


【 1月11日 】 士気は剣の如く

【原文】

間思雑慮(かんしざつりょ)の紛紛擾擾(じょうじょう)たるは、
外物之(これ)を溷(みだ)すに由るなり。
常に志気をして剣(つるぎ)の如くにして、一切の外誘を駆除し、
敢(あえ)て肚裏(とり)に襲近(しゅうきん)せざらしめば、
自ら浄潔快豁(かいかつ)なるを覚えん。(言ニニ)


【訳】

心が無駄な雑念でかき乱されるのは、外界の事物がこれを乱すびである。
いつも精神を剣の如く研(と)ぎ澄まして、一切の外界の誘惑を取り除き、
決して心の中に入り込まないようにしておけば、
自然と心が澄んで心地よい気持ちになることに気づくであろう。

・・・

【 1月12日 】 求めるも避けるも非なり

【原文】

名を求むるに心有あるは、固(もと)より非なり。
名を避さくるに心有るも亦(また)非なり。(言ニ五)


【訳】

名声を求めるための欲望があるのはもちろんよくないが、
また、名声を無理に避けようとするのもよくない。

https://open.mixi.jp/user/5089039/diary/1946879846

・・・

【 1月13日 】 周詳に考え、易簡に行う
 
【原文】

事を慮(おもんばか)るは周詳(しょうしょう)ならんことを欲し、
事を処するは易簡(いかん)ならんことを欲す。(言ニ六)


【訳】

物事を考えるときは周到で綿密であることが大切だが、
塾慮した上でいざ物事を行うときは手早く
簡単に片付けてしまうことが大切である。

http://ikb-haisui.blogspot.com/2013/08/26.html

・・・

【 1月14日 】 大志と遠慮

【原文】

真(しん)に大志ある者は、克(よ)く小物(しょうぶつ)を勤め、
真に遠慮有る者は,細事(さいじ)を忽(ゆるがせ)にせず。(言ニ七)


【訳】

真に大志を抱く者は、小さな事柄でも一所懸命に勤め、
また真に遠大なる考えを抱いている者は、些細な事柄もゆるがせにしない。

 〇人間の本当の正しさは、礼節と同様、
  小事における行いに表れるもので、言葉ではない。

https://ameblo.jp/sinosemi/entry-10073075096.html

・・・

【 1月15日 】 誇伐の念

【原文】

纔(わずか)に誇伐(こばつ)の念頭有らば、
便(すなわ)ち天地と相(あい)似(に)ず。(言ニ八)


【訳】

少しでも誇り高ぶる気持ちがあれば、
それは天地の道理と離反することになる。
天に驕傲(きょうごう)の心はない。

・・・

【 1月16日 】 自分に厳、他人に寛

【原文】

自(みずから)ら責むるに厳なる者は、 人を責むるも亦(また)厳なり。
人を恕(じょ)するに寛(かん)なる者は、 自ら恕するも亦寛なり。

皆一偏たるを免(まぬか)れず。
 
君子は則(すなわち)ち躬(み)自ら厚うして、薄く人を責む。(言三十)


【訳】

自分の失敗を厳しく責める人は、他人の失敗も厳しく責め、
他人の失敗を寛容に思いやる人は、自分の失敗も寛容に思いやる傾向がある。

厳格と寛容の違いはあっても、一方に偏っているのはよくない。

君子は、自らを責めるのに厳しく、他人を責めるのに寛容なのである。

https://sky.ap.teacup.com/010310461283/405.html

・・・

【 1月17日 】 志のある人、志のない人

【原文】

志有るの士は利刃(りじん)の如し。
百邪(ひゃくじゃ)辟易(へきえき)す。

志無きの人は鈍刀(どんとう)の如し。
童蒙(どうもう)も侮翫(ぶがん)す。(言三十三)


【訳】

志のある者は鋭利な刀のようなもので、多くの魔物も退散してしまう。
志のない人は切れない刀のようなもので、子供ですら馬鹿にする。

https://ameblo.jp/eliyahx/entry-12421366931.html

・・・

【 1月18日 】 実事と閑事

【原文】

今人(こんじん)率(おおむ)ね口に多忙を説く。
其の為す所を視るに、実事(じつじ)を整頓すること十に一二、
閑事(かんじ)を料理すること十に八、九。

又閑事を認めて以て実事と為す。
宜(うべ)なり其の多忙なるや。
志有る者誤って此の?(か)を踏むこと勿(なか)れ。(言三十一)


【訳】

今の人は口を開けば忙しいという。
しかし、その行動を見ていると、
実際に大事な仕事をきちんと処理しているのは十うちの一つか二つだけで、
十のうちの八つか、九つはどうでもいいことをやっている。

このどうでもいいことを大切な仕事であると思っているのである。
これでは忙しいのも無理はない。

志を持つ者は、こんな間違いにはまり込んではいけない。

http://fukushima-net.com/sites/meigen/1820

・・・

【 1月19日 】 志を立てて求める

【原文】

緊(きび)しく此の志を立てて以て之を求めば、
薪を搬(はこ)び水を運ぶと雖も、亦(また)是(こ)れ学の在る所なり。
況(いわん)や書を読み理(り)を窮(きわ)むるをや。

志の立たざれば、終日読書に従事するも、亦唯だ是れ閑事(かんじ)なるのみ。
故に学を為すは志を立つるより尚(とうと)きは莫(な)し。(言三十ニ)


【訳】

しっかりと志を立ててこれを達成しようと求めるならば、
薪を運び水を運ぶといった日常の平凡な行動の中にも学ぶべきものがある。

ましてや書物を読んで物事の道理を求めようとするのであれば、
なおさらである。

志が立っていなければ、一日中読書をしたとしても、
それは単なる暇つぶしにしかならない。

それゆえに、学問をしようとするのなか、
まず志を立てるより大切なことはないのである。 

・・・

【 1月20日 】 少年と老人の心得

【原文】

少年の時は当(まさ)に老成の工夫を著(あらわ)すべし。
老成の時は当に少年の志気を存(そん)すべし。(言三十四)


【訳】

少年の時には、熟達した人のように念入りに考え、
十分に工夫するのがいい。

年をとってからは、若者の意気込みを失わないようにするがいい。

 〇若いのに志気を失っているのを「若朽(じゃくきゅう)」という。

            <感謝合掌 令和2年1月9日 頓首再拝>

「佐藤 一斎・一日一言」1月21日~31日 - 伝統

2020/01/19 (Sun) 18:15:24

【 1月21日 】 心は言葉と表情に現れる

【原文】

心の形(あら)わるる所は、尤(もっと)も言と色とに在り。
言を察して色を観みれば、賢(けん)と不肖(ふしょう)と、
人痩(かく)す能(あたわ)わず。(言三十八)


【訳】

人の気持ちが最もよく現れるところは言葉と表情である。
言葉の内容を推察して顔色を見れば、その人が賢い人か愚かな人かが
わかるもので、人はそれを隠すことはできないものである。


(参照)http://utorongo.otemo-yan.net/e838879.html

・・・

【 1月22日 】 能く人を容れる

【原文】

能(よ)く人を容(い)るる者にして、しかる後以て人を責むべし。
人も亦(また)其の責を受く。
 
人を容るることを能(あた)わざる者は人を責むること能わず。
人も亦其の責を受けず。            (言三十七)


【訳】

人を寛容に受け入れる度量の持ち主はであって、
初めて人の欠点を責めることができる。
そういう人の言葉ならば、責められる人もその責を受け入れる。
 

人を受け入れる度量のない者は、他人の欠点を責める資格はない。
たとえ責めたとしても、責められた人はそれを受け付けないものである。

   *西郷南州(隆盛)は
    「男子は人を容れ、人に容れらては済まぬものと思えよ」
    と訓(おし)えている。

    男というものは包容力がなくてはいけないということである。

(参照)http://utorongo.otemo-yan.net/e95201.html

・・・

【 1月23日 】 好き嫌いの落とし穴

【原文】

愛悪(あいお)の念頭(ねんとう)、
最も藻鑑(そうかん)を累(わずら)わす。 (言四十)


【訳】

好き嫌いの思いは、最も人物を見る眼を曇らせ誤らせるもとになる。

   *藻鑑 ~ 品定め

・・・

【 1月24日 】 分限を知る

【原文】

分を知り、然る後に足るを知る。(言四十ニ)


【訳】

自分の立場や身分を知って、初めて現状を正しく認識し、
安心することができる。

・・・

【 1月25日 】 富貴は春夏、貧賤は秋冬


【原文】

富貴は譬えば則ち春夏なり。人の心をして蕩(とう)せしむ。
貧賤は譬えば則ち秋冬なり。人の心をして粛(しゅく)ならしむ。

故に人、富貴に於いては即ち其の志を溺(おぼ)らし、
貧賤に於いては則ち其の志を堅(かと)うす。(言四十一)


【訳】

裕福であるとか身分が高いとかいうのは、譬えるならば春や夏のようなものである。
それは人の心をとろけさせる。

貧しいとか身分が低いとかいうのは、譬えるならば秋や冬のようなものである。
それは人の心を引き締める。
 
したがって、人は富貴の順境にいる時はその志を薄弱にし、
貧賤の逆境にいる時はその志を堅固にするものである。

・・・

【 1月26日 】 過ちを認める

【原文】

昨(さく)の非を悔(く)ゆる者は之れ有り、
今の過(あやまち)を改むる者は鮮(すく)なし。(言四十三)


【訳】

過去の過ちを後悔する人はいるが、現在していることの非を改める人は少ない。

(参照) https://ameblo.jp/ka-ya-love/entry-12509173404.html


・・・

【 1月27日 】 得意の時こそ注意が必要


【原文】

得意の時候は、最も当(まさ)に退歩の工夫を著(つ)くべし。
一時一事も亦(また)皆(みな)亢竜(こうりゅう)有り。(言四十四)


【訳】

物事がうまくいっている時は、
一歩退いてうまくいかない時の対応を考えておくべきである。

一時であれ一つの事柄であれ、高く昇りつめた龍のように
栄達を極めると、必ず衰退の恐れがあることを知っておかねばならない。

・・・

【 1月28日 】 交際の要諦

【原文】

寵(ちょう)過ぐる者は、怨(うらみ)の招なり。
昵(じつ)甚だしき者は、疎(うとん)ぜらるるの漸(ぜん)なり。(言四十五)


【訳】

人からあまりに可愛がられすぎる者は、
かえって怨みを招くことになるし、また、
あまりに親しみすぎる者は、かえって疎んじられやすいものだ。

・・・

【 1月29日 】 人民を育てる

【原文】

五穀自(おのずか)ら生ずれども、耒耜(らいし)を仮りて以て之を助く。
人君の財成輔相(ほしょう)も、亦此れと似たり。(言五十)


【訳】

五穀(米・麦・粟・豆・黍<きび>)は自然に生ずるものだが、
それを成熟させるためには、人が鋤(すき)を使って助けてやらなければならい。

人民も自然に存在するものだが、君主がしっかり手助けしなければ
よい人民にはならない。

   *財政~切り盛りしてつくる。
    輔相~たすける。

・・・

【 1月30日 】 君主の仕事

【原文】

土地人民は天物(てんぶつ)なり。
承(う)けて之(これ)を養い、物をして各々其の所を得(え)しむ。
是(こ)れ君の職なり。

人君(じんくん)或は謬(あやま)りて、
土地人民は皆我が物なりと謂(い)うて之を暴(あら)す。
此を之(こ)れ君、天物を偸(ぬす)むと謂う。(言四十六)



【訳】

土地人民は天からの授かり物である。
受けてこれを養い、それぞれ適切な働き場を与える。
それが、君主の仕事である。

ところが勘違いして、「土地人民はすべて自分のものである」と、
乱暴に扱う君主がいる。
それは天からの授かり物を盗むことだというべきである。

・・・

【 1月31日 】 重臣の二つの仕事

【原文】

社稷(しゃしょく)の臣(しん)の執(と)る所二あり。
曰く鎮定(ちんてい)。曰く機に応ず。(言五十ニ)


【訳】

一国の重臣のなすべき仕事は二つある。
一つは、外患をなくし、国の秩序を保って人民を安定させること。
もう一つは臨機応変に物事に対処することである。

            <感謝合掌 令和2年1月19日 頓首再拝>

「佐藤 一斎・一日一言」2月1日~10日 - 伝統

2020/01/30 (Thu) 23:53:01

【 2月1日 】 酒の戒め

【原文】

勤の反を惰(だ)と為(な)し、倹の反を奢(しゃ)と為(な)す。
余(よ)思うに、酒能(よ)く人をして惰を生ぜしめ、又人をして奢を長(ちょう)ぜしむ。
勤倹以て家を興(おこ)す可(べ)ければ、則(すなわ)ち惰奢以て家を亡すに足る。
蓋(けだ)し酒之が媒(なかだち)を為すなり。     (言五十六)

【訳】

勤勉の反対が怠惰であり、倹約の反対は奢侈(しゃし)である。

私が思うに、酒は人を怠惰にするし、また、人を浪費家にする。
勤勉と倹約が家を興すもとになるが、怠惰と奢侈は家を滅ぼすもとになる。

酒が家を滅ぼす媒介となるのである。

  〇酒は呑んでも、呑まれてはならぬ。

・・・

【 2月2日 】 実際の学問

【原文】

山岳に登り、川海(せんかい)を渉(わた)り、数十百里を走るに、
時有(あ)ってか露宿して寝(い)ねず、。
時有(あ)ってか饑(う)れども食(く)わず、寒けれども衣(き)ず。

此(こ)れは是(こ)れ多少実際の学問なり。

夫(か)の徒爾(とじ)に明窓浄几(めいそうじょうき)にて
香を焚(た)き書を読むが若きは、恐らくは力を得る処(ところ)少なからん。
                         (言五十八)


【訳】

山に登り、川を渡り、海に出て、数十百里の長い旅をし、
時には野宿をしてよく寝られず、
時には腹が減っても食べる物もなく、時には寒さをしのぐ衣服もない。

これらは実際の生きた学問というべきものである。

これに比べれば、ただ時間つぶしに、明るい窓辺できれいな机に向かい、
香を焚き、本を読むなどというのでは、たいした力はつかないだろう。

・・・

【 2月3日 】 試練を求める
 
【原文】

凡(およ)そ遭(あ)う所の患難変故(かんなんへんこ)、
屈辱讒謗(くつじょくざんぼう)、仏逆(ぶつぎゃく)の事は、
皆天の吾が才を老せしむる所以にして、砥礪切磋(しれいせっさ)の地に非ざるは莫(な)し。

君子は当(まさ)に之(こ)に処する所以を慮(「おもんばか)るべし。
徒(いたずら)に之を免(まぬが)れんと欲するは不可なり。(言五十九)


【訳】

我々が遭遇する苦労や変事、恥ずかしい思いやひどい悪口、
思い通りにならないことは、すべて天が人を熟成させるための手段であって、
ひとつとして人間を磨き上げるために役立たないものはない。

したがって道に志す人は、こうした出来事に出遭ったならば、
いかに対処しようかと考えるべきである。

むやみにこれからから逃れようとしてはいけない。

   *変故~変わった出来事
   *讒謗~そしること。
   *仏逆~心にもとること。思うようにならぬこと。

   *砥礪~ときみがくこと。
   *切磋~切は骨や角を切ること。
       磋はやすりでとぐこと。
       転じて学問に励むこと。

   〇志ある者は、試練を自ら求めるものである。

・・・

【 2月4日 】 学問は経典の外にもある

【原文】

古人は経(けい)を読みて以て其の心を養い、経を離れて以て其の志を弁ず。
則(すなわ)ち独り経を読むを学と為すのみならず、経を離るるも亦是れ学なり。
                               (言六十)


【訳】

古人は、四書・五経を読んでその心を養い、
経典を離れて自己の志を明らかにしようとした。

すなわち、そのように、経典を読むばかりが学問なのではなく、
経典を離れたところにも学問はあるのである。

・・・

【 2月5日 】 名人は名人を知る

【原文】

一芸の士は、皆語るべし。(言六十一)


【訳】

一芸に秀でた人物であれば、共にその道について語り合い、
理解し合うことができる。

・・・

【 2月6日 】 人の長所を聞く

【原文】

凡(およ)そ人と語るには、須(すべか)らく渠(かれ)をして
其の長ずる所を説かしむべし。我れに於いて益有り。(言六十ニ)


【訳】

人と語るときには、その長所を話させるがよい。
そうすれば、それが自分のためになる。

・・・

【 2月7日 】 才能は両刃の剣

【原文】

才は猶(な)お剣のごとし。善く之(こ)を用うれば、
則(すなわ)ち以て身を衛(まも)るに足る。
善く之を用いざれば、則ち以て身を殺すに足る。(言六十四)


【訳】

才能とは、剣のようなものである。
これをよく用いれば身を守るために役立つし、
これを悪いことに用いれば自分の身を殺すことになる。

・・・

【 2月8日 】 小利に動かされざるは難し

【原文】

爵禄(しゃくろく)を辞するは易く、
小利(しょうり)に動かされざるは難し。(言六十六)


【訳】

官位や俸禄など大きな恩恵を辞退するのは実行しやすいものであるが、
小さな利欲に心が動かされないでいるのは難しいものである。

・・・

【 2月9日 】 利益は天下の公共物

【原文】

利は天下公共の物、何ぞ曾(かつ)て悪有らん。
但(た)だ自(みずか)ら之(これ)を専(もっぱら)にすれば、
則(すなわ)ち怨(うらみ)を取るの道たるのみ。(言六十七)


【訳】

利益は万民が共有するものだから、利を得ることが悪いことではない。
ただし、利益を自分ひとりで独占しようとすると、
他人の怨みを買うことになってしまう。

・・・

【 2月10日 】 礼の妙用

【原文】

情に循(したが)って情を制し、欲を達して欲を遏(とど)む。
是(こ)れ礼の妙用なり。   (言六十八)


【訳】

感情のままに行動すると人の道に外れやすいものだから、
情に従うにしてもほどよいところで抑制することが大切であり、
また、欲をある程度達成したら、これを抑えるのがよい。

これがすなわち礼による秩序というものをうまく用いるということなのである。

            <感謝合掌 令和2年1月30日 頓首再拝>

「佐藤 一斎・一日一言」2月11日~20日 - 伝統

2020/02/11 (Tue) 00:07:22


【 2月11日 】 自他は一つ

己を治むると人を治むると、只だ是れ一套事(とうじ)のみ。
自(みずか)ら欺(あざむ)くと人を欺くと、亦只だ是れ一套事(とうじ)のみ。

 (言六十九)

【訳】

自分を治めるのと他人を治めるのは同じことである。
また、自分欺くのと他人を欺くのとも、同じように
自分の心次第のことである。

   *套事~物の重なること。套は重なること。

・・・

【 2月12日 】 諌言をする者の心構え

凡(およ)そ、人を諫(いさ)めんと欲するには、唯(た)だ一団の誠意、
言に溢(あふ)るる有るのみ。
荀(いやし)くも一忿疾(ふんしつ)の心を挟(はさ)まば、諫(いさ)めは決して入らじ。

 (言七十)


【訳】

人を諫めめようとするならば、心からの誠意を示して、
それが言葉に溢れてくるようでなければいけない。

怒りや憎しみの気持ちをほんの少しでも持ったなら、
その諫めは決して相手の心には入っていかない。

・・・

【 2月13日 】 諌言を聞く者の心構え
 
諫(いさめ)を聞く者は、固(も)と須(すべか)らく虚懐なるべし。
諫を進むる者も亦須らく虚懐なるべし。     (言七十一)


【訳】

誡(いまし)めを聞く者は、わだかまりのない心で聞かなければならない。

誡(いまし)めようとする者もまた、
心にわだかまりを抱いていてはいけない。

・・・

【 2月14日 】 人の上に立つ者の心得

聡明にして重厚、威厳にして謙沖(けんちゅう)。
人の上(かみ)たる者は当(まさ)に此(かく)の如(ごと)くなるべし。

(言七十九)


【訳】

道理に通じ、どっしりと落ち着いている。
また態度に威厳があり、それでいて謙虚である。
人の上に立つ者はこのようにあるべきである。

・・・

【 2月15日 】 下情と下事

下情は下事と同じからず。
人に君(きみ)たる者、下情には通ぜざる可からず。
下事には則(すなわ)ち必ずしも通ぜず。    (言八十四)


【訳】

下情は下事と同じではない。
人の上に立つものは下情に通じていなければならないが、
下事には必ずしも通じている必要はない。

・・・

【 2月16日 】 着眼を高く持て

著眼(ちゃくがん)高ければ、則ち理を見て岐(き)せず。
 (言八十八)


【訳】

目の着け所をなるだけ高い所に置くならば、
よく道理がみえて、迷うことがない。

・・・

【 2月17日 】 後世の毀誉は懼(おそ)るべし

当今(とうこん)の毀誉は懼るるに足らず。
後世の毀誉は懼る可し。

一身の得喪(とくそう)は慮(おもんばか)るに足らず。
子孫の得喪は慮るべし。        (言八十九)


【訳】

生きている間に褒められたり貶(けな)されしても、
恐れたり気にしたりする必要はない。

しかし、死んでしまったあとに褒められたり貶(けな)されたりすることは、
訂正のしようがないだけに注意しなければならない。

同じように、我が身の利害得失は心配する必要はないが、
子孫に及ぼす利害得失についてはよくよく考えておかなければならない。

・・・

【 2月18日 】 歴史を手本とする

已(すで)に死するの物は、方(まさ)に生くるの用を為し、
既に過ぐるの事は、将(まさ)に来(きた)らんとするの鑒(かん)を為す。
                          (言九十)


【訳】

すでに死んでしまったものは、今生きているものの役に立ち、
すでに過ぎてしまった出来事は、
将来に起こるであろうことの鏡となるものである。

・・・

【 2月19日 】 月を見て想う

人の月を看(み)るは、皆(みな)徒(いたずら)に看るなり。
須(すべか)らく此(ここ)に於いて宇宙窮(きわま)り無きの概(がい)を想うべし。
[乙亥中秋月下に録す]  (言九十一)


【訳】

世間の人が月を見るときは、みんな漫然としてと眺めるだけである。
そではなく、ぜひともそこに無窮の宇宙の真理があることを認め、
それについて考えてみるべきである。
[一斎、四十四の年のハ月十五日に記す]  

・・・

【 2月20日 】 花というもの

已(や)むを得ざるに薄(せま)りて、
而(しか)る後に諸(これ)を外に発するは花なり。(言九十ニ)


【訳】

やむにやまれぬぎりぎりの状態になって、
始めて蕾(つぼみ)をって外に咲き現れるくるのが花である。

            <感謝合掌 令和2年2月10日 頓首再拝>

「佐藤 一斎・一日一言」2月21日~29日 - 伝統

2020/02/19 (Wed) 20:03:40


【 2月21日 】 地道(ちどう)を守る

人は須すべからく地道を守るべし。

地道は敬に在り。

順にして天に承(う)くるのみ。 (言九十四)


【訳】

人は地の道理というものを守らなくてはいけない。

地道(ちどう)とは、人を敬い自らを慎むところにある。

すなわち、人は従順に天に従っていくのみである。

・・・

【 2月22日 】 禍は上より起こる

諺(ことわざ)に云う、禍(わざわい)は下(しも)より起こると。
余謂う、是れ国を亡(ほろ)ぼすの言なり。
人主(じんしゅ)をして誤りて之を信ぜしむ可べからずと。

凡(およ)そ禍は皆上よりして起こる。
其の下より出ずる者と雖も、而も亦必ず致す所有り。

成湯(せいとう)之(の)誥(こう)に曰く、爾(なんじ)、
万方(ばんぽう)の罪有るは予(われ)一人に在りと。
人主たる者は、当(まさ)に此の言を監(かんが)みるべし。

(言一〇二)

【訳】

諺に「禍は下より起こる」とある。しかし、私はこう思う。
「それは国を亡ぼす言である。、人主をして誤ってこれを信じさせてはいけない」と。

だいたい禍は上から起こるものである。
下から出た禍であっても、必ず上に立つ者がそういうふうにさせているのである。

殷の湯王の告文にはこうある。
「汝ら四方の国々の人民に罪悪があるのは、すべて私一人の責任である」と。

人の上に立つ者は。この言葉を深く考えるべきである。

・・・

【 2月23日 】 自らを頼みにする

士は当(まさ)に己(おの)れに在る者を恃(たの)むべし。
動天驚地極大の事業も、亦(また)都(す)べて一己(いっこ)より締造(ていぞう)す。

(言一一九)

【訳】

立派な男子(女子)たる者は、他人を頼るのではなく、
自分自身が持っているものを頼りにすべきである。

天地を揺るがすような大事業も、
すべて自分が対応し、造り出すべきものだからである。

・・・

【 2月24日 】 己れを喪(うしな)えば人を喪う

己れを喪(うしな)えば斯(ここ)に人を喪う。
人を喪えば斯に物を喪う。   (言一ニ〇)


【訳】

自分の自信がなくなると、周りの人々の信用を失うことになる。
人の信用を失ってしまうと、何もかもなくなってしまうことになる。

 〇 自暴自棄になってはいけないという教えである。

・・・

【 2月25日 】 時を惜しむ

人は少壮の時に方(あた)りて、惜陰(せきいん)を知らず。
知ると雖(いえど)も太(はなは)だ惜しむに至らず。
四十を過ぎて已後(いご)、始めて惜陰を知る。

既に知るの時、精力漸(ようや)く耗(もう)せり。
故に人の学を為すには、須(すべか)らく時に及びて立志勉励するを要すべし。
しからざれば則(すなわ)ち百(ひゃく)たび悔(く)ゆとも
亦(また)竟(つい)に益無からん。

(言一ニ三)


【訳】

人は若くて元気さかんな時には、時間を惜しむことを知らない。
知っていても、そんなに甚だしく惜しむというほどでもない。
四十歳を過ぎてから後になって、はじめて時間を惜しむことを知る。

時間を惜しむことを知った時には、精力が次第に減退して衰える。
それで、人は学問するには、若い時に志を立てて勉め励むべきである。
そうしなければ、後になってどれだけ悔いても、結局何の益もないことになる。

・・・

【 2月26日 】 独立自信を貴ぶ

士は独立自信を貴(たっと)ぶ。
熱に依(よ)り炎に附(つ)くの念起すべからず。

(言一ニ一)

【訳】

立派な男子たるものは、独り立ちして、
自信をもって行動することが大切である。

権勢ある者におもねりへつらうような気持ちを起してはいけない。

・・・

【 2月27日 】 誠の心の働き

雲烟(うかえん)は已(や)むを得ざるに聚(あつま)り、
風雨は已むを得ざるに洩(も)れ、
雷霆(らいてい)は已むを得ざるに震(ふる)う。
斯(ここ)に以て至誠の作用を観(み)るべし。

(言一ニ四)

【訳】

雲や煙はやむをやまれぬ自然の働きによって集まるものであり、
風や雨もやむを得ずして吹いたり降ったりするし、
雷にしてもやむを得ずして轟(とどろ)くものである。

これらを見て、やむにやまれぬ至誠の発露を観ることができるであろう。

・・・

【 2月28日 】 やむを得ざる勢い

已(や)むべからざるの勢いに動けば、則(すなわ)ち動いて括(くく)られず。
枉(ま)ぐべからざるの途(みち)を履(ふ)めば、則ち履(ふ)んで危(あやう)からず。

(言一ニ五)

【訳】

やむにやまれない勢いで活動をするならば、邪魔立てされることなく自由に動ける。
曲げようのない正しい道を進むならば、何も危険なことはない。

 〇吉田松陰は「かくすればかくなるものと知りながら、
  やむにやまれぬ大和魂」という歌を残している。

・・・

【 2月29日 】 急いで事を仕損じる

急迫(きゅうはく)は事を敗(やぶ)り、寧耐(ねいたい)は事を成す。

(言一三〇)

【訳】

何事も切羽詰まって慌(あわ)てて行なおうとすると失敗に終るものである。
我慢してじっくり取り組んでいけばうまくいくものである。

  *急迫~せき急ぐこと。
  *寧耐~落ち着いて耐える。


            <感謝合掌 令和2年2月19日 頓首再拝>

「佐藤 一斎・一日一言」3月1日~10日 - 伝統

2020/02/29 (Sat) 19:31:19


【 3月1日 】 学問は日常にあり

経(けい)を読む時に方(あた)りては、須(すべか)らく
我が遭う所の人情事変を把(と)りて注脚と做(な)すべし。

事を処する時に臨(のぞ)みては、則ち須らく、
倒(さかしま)に聖賢の言語を把りて注脚と做(な)すべし。

事理(じり)融会(ゆうえ)して、
学問は日用を離れざる意思を見得(けんとく)するに庶(ちか)からん。

(言一四〇)


【訳】

経書を読む時は、
自分の経験した人事や世の中の出来事を取り上げて注釈とするとよい。

また、実際に起こったことを処理する場合には、
経書にある聖人や賢人の言葉を取り上げて、自分の注釈とするとよい。

そうすれば、実際に起こる事象と道理とが融け合って、
学問は日常の行為を離れてあるものではないという意義がよくわかるだろう。

 〇「古教心を照らし、心古教を照らす」読み方でなければならない。

・・・

【 3月2日 】 常人は死を畏れる

聖人は死に安んじ、賢人は死を分(ぶん)とし、常人は死を畏(おそ)る。

(言一三二)

【訳】

生死を超越している聖人は、死に対してなんら不安を感じず泰然としている。
賢人は死が天の定めと知っているから、甘んじてそれを受け入れる。
普通の人は、ただ死を畏れるのみである。

・・・

【 3月3日 】 信用を得る
 
信、上下(しょうか)に孚(ふ)すれば、
天下甚(はなは)だ処(しょ)し難(がた)き事無し。

(言一五〇)

【訳】

上の者にも下の者にも誠を尽くして厚く信頼されるならば、
この世の中で難しいものはない。

・・・

【 3月4日 】 善を責める

善を責むるは朋友の道なり。
只(た)だ須(すべか)らく懇到切至(こんとうせっし)にして
以(もつ)て之(これ)を告ぐべし。

然(しか)らずして、徒(いたずら)に口舌(こうぜつ)に資(と)りて、
以て責善の名を博せんとせば、渠(か)れ以て徳と為さず、
卻(かえ)って以て仇(あだ)と為さん。益無きなり。

(言一五一)

【訳】

善行をなすようにお互いに責めあうということは、
友人として是非なすべきことである。

ただし、その場合はひたすら懇切丁寧に忠告しなけれくてはいけない。

そうせずに、口先だけで相手のために忠告しているという評価を得ようと
するのならば、その友人はありがたいと思うどころか、
かえって仇(あだ)と思うようになるだろう。

これではせっかくの忠告も全く無益なことになってしまう。

・・・

【 3月5日 】 敬の心

己れを修むるに敬を以てして、以て人を安んじ、
以て百姓(ひゃくせい)を安んず。
壱(いつ)に是れ天心の流注(りゅうちゅう)なり。

(言一五八)

【訳】

自分を修むるのに敬の心をもってすれば、人々を安らかにすることができるし、
さらに広く天下の人民を安らかにさせることができる。
まさに敬は天の心が流れ注いだものである。

 〇しかし、己れを修めて天下の人民を安らかにすることは、
  聖天子と言われた堯舜(ぎょうしゅん)でさえ
  難しいと言ったほどである。

・・・

【 3月6日 】 死敬

人は明快 灑洛(しゅうらく)の処無かる可からず。
若し徒爾(とじ)として畏縮し?(そ)するのみならば、只だ是れ死敬なり。
甚事(なにごと)をか済(な)し得ん。

(言一六〇)

【訳】

人にはさっぱりとしてこだわりのないところがなくてはいけない。
もし、いたずらに縮こまり、ためあうばかりならば、
これは生きた敬ではなく死んだ敬でる。
これでは何事も成就できない。

   *灑洛~さっぱりしてわだかまりのないこと。

   〇「酔古堂剣掃(すこどうけんすい)」には
    「高品の人、胸中洒落、光風霽月(せつげつ)の如し」とある。

・・・

【 3月7日 】 色欲を慎む

少壮の人、精固く閉とざして少しも漏らさざるも亦不可なり。
神(しん)滞(とどこお)りて暢(の)びず。
度を過ぐれば則ち又自(おのずか)らそこなう。
故に節を得るを之れ難(かた)しと為なす。

飲食の度を過ぐるは人も亦或は之れを規(ただ)せども、
淫欲(いんよく)の度を過ぐるは、人の伺(うかが)わざる所にして、且(か)つ言い難し。
自(みずか)ら規(ただ)すに非ずんば誰か規(ただ)さん。

(言一六四)


【訳】

若くて元気盛んな人が精力を極端に抑えて少しも外に発散しないのはよくない。
精神が滞ってしまって、のびのびとしないからである。

かといって、度を過ごせならば体を害してしまう。
節度を保つというのは難しいことなのである。

飲食の度を過ごしたのであれば、誰でもこれを戒め正すことができるけれど、
性欲の度を越したのは、人の窺(うかが)い知らぬことであるし、
また口に出して注意しにくいものである。

自分で規制していかなければ、誰がこれを規制することができるだろうか。

・・・

【 3月8日 】 胸憶虚明

胸憶虚明なれば、神光四発す。

(言一六一)


【訳】

心の内がわだかまりがなく明瞭であれば、
心の霊妙な働きが四方に輝きわたるものである。

・・・

【 3月9日 】 節度が大切

民は水火(すいか)に非ざれば生活せず。
而(しか)れども水火又能(よ)く物を焚溺(ふんでき)す。
飲食男女は人の生息する所以(ゆえん)なり。
而れども飲食男女又能く人を牀害(しょうがい)す。

(言一六五)


【訳】

人は水と火がなければ暮らせない、と孟子は言った。
しかし、水は人を溺れさせ、火は物を焼き尽くす。
食事や男女の交際も、人が生きていくために必要なものである。

しかし、これらも人を害する危険性があることに気をつけておく必要がある。

・・・

【 3月10日 】 邦を治める二つの道

邦(くに)を為(おさ)むるの道は、教養の二途(にと)に出(い)でず。
教(きょう)は乾道(けんどう)なり。父道(ふどう)なり。
養は坤道(こんどう)なり。母道(ぼどう)なり。

(言一七八)


【訳】

国の治める道は、教と養の二つ以外にはない。
教とは、天道であり、父道である。
養とは地道であり、母道である。

 〇父の厳と母の慈によって天下はうまく治まるものである。

            <感謝合掌 令和2年2月29日 頓首再拝>

「佐藤 一斎・一日一言」3月11日~20日 - 伝統

2020/03/10 (Tue) 23:37:26


【 3月11日 】 目先にとらわれるな

一物の是非を見て、大体の是非を問わず。
一時の利害に拘りて、久遠(きゅうえん)の利害を察せず。
政(まつりごと)を為すに此(か)くの如くなれば、国危し。

(言一八〇)

【訳】

一つの物事が道理に適っているかどうかを見て、全体の良し悪しを問わない。
また、一時的な利害にこだわって、長い先の利害を考えない。
政治を執(と)るものがこうならば、国は危険な状態になる。

 〇安岡正篤は「判断の三原則」として
  「長期的に見る、多面的に見る、根本的に見る」
  ことを提唱されていた。

・・・

【 3月12日 】 口を慎む

人は最も当(まさ)に口を慎むべし。
口の職は二用を兼(か)ぬ。
言語を出し、飲食を納(い)るる是なり。

言語を慎まざれば、以て禍(か)を速(まね)くに足り、
飲食を慎まざれば、以て病を致(いた)すに至る。

諺に云う、禍(わざわい)は口より出て、病は口より入る。

(言一八九)

【訳】

人は特に口を慎まなければいけない。
口は二つの機能を兼ねている。
一つは言葉を発することであり、
もう一つは飲食物を取り込むことである。

言葉を慎まないと禍を招くことがあるし、
飲食を慎まないと、病気になることがある。

諺に「禍は口より出て、病は口より入る」とあるのは、これを言っているのである。

・・・

【 3月13日 】 学問は人を変える①
 
人の受くる所の気は、其の厚薄(こうはく)の分数、大抵相(あい)若(に)たり。
躯(く)の大小、寿(じゅ)の脩短(しゅうたん)、力の強弱、心の智愚の如き、
大(おおい)に相(あい)遠ざかる者無し。

其の間に一処の厚きを受くる者有れば、皆(みん)之(これ)を非常と謂う。
非常なるは則ち姑(しばら)く之を置く。
就(すなわ)ち常人の如きは、?と寿と力との分数、
之を奈何(いかん)ともす可からず。

以て学んで之を変化すべし。

(言一九九前半)

【訳】

人が天から受けるところの気は、
その厚い薄いと分け与えられている分量はだいたい同じようなものである。
身体の大小、寿命の長短、力の強弱、心の賢愚といったものは、
誰でもそれほど大きな差がわるわけではない。

その間に、特に一箇所厚いところを授けられた者があれば、
人々はみな、これを非凡という。
この非凡なる者はしばらく問題の外に置いておこう。

すなわち、普通の人にあっては、身体の大きさや寿命の長さや
力の強さの分け前は、どうすることもできない。

しかし、心の賢こさや愚かさについては、学問によって変えることができるのである。

・・・

【 3月14日 】 学問は人を変える②

故(ゆえ)に博学・審問(しんもん)・慎思(しんし)・明弁・篤行(とっこう)、
人之を一たびすれば、己(おの)れ之れを百たび千たびす。

果して此の道を能(よ)くすれば、愚なりと雖(いえど)も必ず明(あきらか)に、
柔なりと雖も必ず強く、以て漸(ようや)く非常の域に進むべし。
蓋(けだ)し此の理(ことわり)有り。

但(た)だ常人は多く遊惰(ゆうだ)にして然(しか)する能(あた)わず。
豈(あ)に亦(また)天に算疇(さんちゅう)有るか。

(言一九九後半)

【訳】

ゆえに『中庸』に「博(ひろ)く学び、審(つまび)かに問い、慎んで思い、
明らかに弁別し、誠実に実行する。
人がこれを1回するなら、自分は百回行い、
人がこれを10回するなら、自分は千回行なう。

果たしてこの方法を実行すれば、愚者であっても必ず賢者となり、
柔弱な者でも必ず強くなる」とあるように、
少しずつでも非凡の域に近づくことができる。
誠にこれは道理に適っているといえる。

ただし、普通の人はたいてい遊び怠けてしまい、
努力を続けることができないものである。

これには何か天の算段があるものであろうか。

・・・

【 3月15日 】 人が従う言葉とは

理(とこわり)到るの言は、人服せざるを得ず。

然(しか)れども其の言に激する所有れば則(すなわ)ち服せず。
強(し)うるところあれば則ち服せず。
挟(さしはさ)む所有れば則ち服せず。
便(べん)ずる所有れば則ち服せず。

凡(およ)そ理到って人服せざれば、君子必ず自(みずか)ら反(かえ)りみる。
我れ先(ま)ず服して、而(しか)る後に人之れに服す。

(言一九三)

【訳】

道理の行き届いた言葉には、誰でも服従しないわけにはいかない。

しかしながら、その言葉に激しいところがあると、聞く人は服従をしない。
強制するところがあると、服従しない。
私心を挟んでいると、服従しない。
自分の便利のために言っているのであれば、服従しない。

およそ道理が行き届いていているのに人が服従しない場合には、
君子たる者、必ず自らに立ち返って反省をする。
まず自分が自分の行為に十分に従うことができて、しかるのちに、
人はそれに服従してくれるものである。

・・・

【 3月16日 】 九族を親しむ

吾れ静夜独り思うに、吾が躯(み)は、
一毛(もう)・一髪(ばつ)・一喘(ぜん)・一息(そく)、皆父母なり。
一視(し)・一聴(ちょう)・一寝(しん)・一食(しょく)、皆父母なり。

既に吾が躯の父母たるを知り、又我が子の吾が躯たるを知れば、
則ち推して之を上(のぼ)せば、祖・曾・高も我れに非ざること無きなり。

逓(てい)して之を下せば、孫・曾・玄も我に非ざること無きなり。

聖人は九族を親しむ。
其の念頭に起る処、蓋(けだ)し此(これ)に在り。

(言ニ一ニ)


【訳】

私は静かな夜、独り考えてみると、自分の体にある一本の毛髪も一回の呼吸も
すべて父母のものであり、一視・一聴・一寝・一食できることもすべて父母から
いただいたものである。

自分の身体が父母の授かり物であると知り、
またわが子の身体が自分の分かれ身であると知れば、
こうれを上にさかのぼって考えると、祖父母・曾祖父母・高祖父母も
自分でない人はない。

また、これを次第に下にたどって考えると、孫・曾孫・玄孫も自分でない者はいない。

聖人が「九族を親しむ」ということを心に想起するのは、
思うにこういうところからなのであろう。

・・・

【 3月17日 】 好機を待つ

処し難きの事に遇(あ)わば、妄動するこを得ざれ。
須(すべか)らく幾(き)の至るを候(うかが)いて之に応ずべし。

(言一八ニ)


【訳】

処置に困った出来事に遭遇したら、っむやみに行動してはいけない。
よい機会が到来するのを待って、これに対応すべきである。

・・・

【 3月18日 】 忠孝両全

君(きみ)に事(つか)えて忠ならざるは、孝に非ざるなり。
戦陣に勇無きは、孝に非ざるなり。
曾子は孝子にして、其(そ)の言此(か)くの如し。
彼(か)の忠孝は両全ならずと謂う者は、世俗の見なり。

(言ニ一六)


【訳】

「君に仕えて忠義を尽さない者は孝とは言えないい。
また、戦場に出て武勇のない者は孝とは言えない」と言った
曾子は孝行の人であって、しかも、このようにを言ったのである。

忠と孝のは両立しない場合があるいう人がいるが、
これは俗世間の間違った見方でしかない。

・・・

【 3月19日 】 公欲と私欲

私欲は有るべからず。公欲は無かるべからず。
公欲無ければ、則ち人を恕(じょ)する能(あた)わず。
私欲有れば、則ち物を仁(じん)する能わず。

(言ニニ一)


【訳】

自分の利益ばかり追求する欲はあってはいけないが、
公共の利益追求する欲はな無くてはいけない。

公共心がなければ、他人を思いやることができない。
利己心があれば、慈愛の心で他人に物を施(ほどこ)すことができない。

・・・

【 3月20日 】 君子は似て非なる者を悪む

匿情(とくじょう)は慎密(しんみつ)に似たり。
柔媚(じゅうび)は恭順(きょうじゅん)に似たり。
剛愎(ごうふく)は自信に似たり。
故に君子は似て非なる者を悪(にく)む。

(言ニニ四)


【訳】

感情を表に出さない感情は、慎み深い慎密と似ている。
物腰柔らかく媚(こ)びる柔媚(じゅうび)は、うやうやしく従う恭順に似ている。
強情で意地っ張りな剛愎は、自分の力を信じて疑わない自信に似ている。

それで、『孟子』に「孔子曰く、似て非なる者を悪む」とあるのは
このことを言っているのである。

            <感謝合掌 令和2年3月10日 頓首再拝>

「佐藤 一斎・一日一言」3月21日~31日 - 伝統

2020/03/20 (Fri) 23:51:13

【 3月21日 】 復性の学 ①

惻隠(そくいん)の心も偏すれば、
民或いは愛に溺れて身を殞(おと)す者有り。

羞悪(しゅうお)の心も偏すれば、
民或いは自ら溝涜(こうとく)に経(くび)るる者有り。

辞譲(じじょう)の心も偏すれば、
民或いは奔亡(ほんぼう)して風狂(ふうきょう)する者有り。

是非の心も偏すれば、民或いは兄弟(けいてい)墻(かき)に鬩(せめ)ぎ、
父子相(あい)訴(うった)うる者有り。

                     (言ニニ五 前半)


【訳】

憐れみ痛む惻隠の心も、偏りすぎると、
民衆の中には愛情に溺れて身を滅ぼす者が出てくるだろう。

不義を恥じて憎む羞悪の心も、偏りすぎると、
民衆の中には自ら溝の中で首をくくって死んでしまう者が出てくるだろう。

自ら辞して他に譲る辞譲の心も、偏りすぎると、
民衆の中には逃げ隠れして頭が変になってしまう者も出てくるだろう。

善悪を判断する是非の心も、偏りすぎると、
民衆の中には兄弟げんかをしたり、親子で互いに訴訟を起こす
ような者が出てくるだろう。

・・・

【 3月22日 】 復性の学 ②

凡(およ)そ情の偏するは、四端と雖も、遂に不善に陥る。
故(ゆえ)に学んで以て中和を致し、過不及無きに帰す。
之を復性(ふくせい)の学と謂う。

                  (言ニニ五 後半)

【訳】

このように感情が一方に偏ると、孟子のいう四徳(惻隠、羞悪、辞譲、是非)
のきざしまでが、遂にはよくないことになってしまう。

それゆえに、学問をして性情を中正にし、
行き過ぎや不足のないようにするのである。

これが本性に帰する復性の学というものである。

・・・

【 3月23日 】 賞罰の割合

賞罰は世(よ)と軽重(けいちょう)す。
然(しか)るに其の分数、大略(たいりゃく)十中の七は賞にして、
十中の三は罰なれば可なり。

                       (言ニニ八)

【訳】

賞と罰は、世の中の流れに応じて、軽くしたり重くしたりするものである。
しかしその割合は、だいたい十のうちの七が賞で、
十のうちの三が罰であるのが望ましい。

・・・

【 3月24日 】 子弟の教育は大事業

能(よ)く子弟を教育するは、一家の私事に非ず。
是れ君(きみ)に事(つか)うるの公事(こうじ)なり。
君に事うるの公事に非ず。是れ天に事うるの職分なり。

                       (言ニ三三)

【訳】

子弟をしっかりと教育するのは、一家の私事ではない。
これは主君に事える公の仕事である。
いや、主君に事える公の仕事どころではない。
天に事える大切な本分なのである。

・・・

【 3月25日 】 経書は心で読む

経(けい)を窮(きわ)むるには、
須(すべか)らく此の心に考拠(こうきょ)し、
此の心に引証(いんしょう)するを要すべし。

如(も)し徒らに文字(もんじ)の上に就(つ)いてのみ
考拠引証して、輒(すなわ)ち経を窮むるの
此(ここ)に止(とど)まると謂(い)うは、
則(すなわ)ち陋(ろう)なること甚(はなはだ)し。

                       (言ニ三六)

【訳】

経書の意義を究(きわ)めるためには、
心に拠(よ)り所を置いて考え、
心に照らし合わせて考えるべきである。

もし、ただ字面にのみ拠り所を置き、
それで、証拠立てして、これで経書を究めつくしたというのは、
甚だしく見解が狭いというしかない。

・・・

【 3月26日 】 読書の方法

読書の法は、当(まさ)に孟子の三言(げん)を師とすべし。
曰く、意を以て志を逆(むか)う。
曰く、尽(ことごと)くは書を信ぜず。曰く、人を知り世を論ずと。

                       (言ニ三九)

【訳】

読書の方法は、次にあげる孟子の三言を手本とするべきである。
第一に、自分の心をもって作者の精神を汲み取る。
第二に、書かれていることをすべて鵜呑みにしない。
第三に、作者の人となりを知り、当時の世の中の状況を論じて明らかにする。

 〇吉田松陰はその『講孟剳記』の中で、「聖賢に阿(おもね)ぬこと。
  僅かでも阿るところがあれば、道明らかならず、益なくして害あり」
  と言っている。

・・・

【 3月27日 】 天命と人事 ①

凡そ事を作(な)すには、当(まさ)に人を尽くして天に聴(まか)すべし。
人有り、平生(へいぜい)放懶怠惰(ほうらいたいだ)なり。

輒(すなわ)ち人力もて徒(いたず)らに労すとも益(えき)無なからん、
数(すう)は天来に諉(ゆだ)ぬと謂わば、則(すなわ)ち事必ず成らじ。

蓋(けだ)し是の人、天(てん)之(こ)れが魄(たましい)を奪いて然)しか)らしむ。
畢竟(ひっきょう)亦(また)数なり。
人有り、平生(へいぜい)敬慎(けいしん)勉力(べんりょく)なり。

乃(すなわ)ち人理(じんり)は尽くさざるべかからず。
数は天定(てんてい)に俟(ま)つと謂わば、則ち事必ず成る。

蓋(けだ)し是の人、天(てん)之(こ)れが衷(ちゅう)を
誘(みちび)きて然らしむ。畢竟亦数なり。

                       (言ニ四五前半)

【訳】

人が事をなすには、できる限りのことをすべてして後は天にまかすべきである。
ある人は普段、わがままで怠け者である。

「どんなに働いても何も益なない。運は天まかせだ」といっていては、
何事もうまくいかない。

思うに、この人は、天が魂を奪い去ってこのようにしたのである。
これも運命である。
ある人は普段、慎み深く勤勉である。

「人のなすべき道理は尽くさなければならない。運は天の定めに従う」
といっているから、何事も必ずうまくいく。

思うに、この人は天がその心を導いてこのようにしたのである。
これもまた運命である。

・・・

【 3月28日 】 天命と人事 ②

又人を尽くして而(しか)も事成らざるもの有り。
是(こ)れ理(り)成る可くして数(すう)未)いま)だ至らざる者なり。

数(すう)至れば則(すなわ)ち成る。
人を尽くさずして而(しか)も事偶(たまたま)成るあり。

是れ理成るべからずして、数已(すで)に至る者なり。
終(つい)には亦必ず敗るるを致さん。

之を要するに皆数なり。

成敗(せいばい)の其の身に於(おい)てせずして
其の子孫に於いてする者有り、亦数なり。

                       (言ニ四五後半)

【訳】

また、人事を尽くしても成功しないこともある。
これは道理からすれば成功するはずだが、まだ天運が至らないからである。

天運が到来すれば成功するのである。
反対に、人事を尽くさずに偶然にも成功することがある。

これは道理の上では成功するはずはないのであるが、
天運がすでに来たためである。
そういうのは、最後は失敗することになるだろう。

このように、要するにすべて運命なのである。

成功・失敗がその人の身には現れず、その子孫に現れる人もいるが、
これもまた運命である。

・・・

【 3月29日 】 実学のすすめ ①

孔子の学は、己(おのれ)を修めて以て敬するより、
百姓(ひゃくせい)を安んずるに至るまで、只(た)だ是(こ)れ実業実学なり。

四を以て教う。
文行忠信(ぶんこうちゅうしん)。
雅言(がげん)する所は、詩(し)、書(しょ)、執礼(しつれい)。

必ずしも耑(もっぱ)ら誦読を事とするのみならざるなり

故に当時の学者は、敏鈍(びんどん)の異有りと雖(いえども)も、
各々(おのおの)其の器(き)を成せり。
人は皆学ぶべし。能と不能と無きなり。

                      (言後録 四 前半)

【訳】

孔子の学問は、自らの身を修めて敬い慎む心を養うことから、
万民を安らかする術に至るまで、どれも実際に社会での出来事に対処する実学である。

『論語』に「子は四を以て教う。文行忠信」とあるように、
孔子は「文を学んで実行し、真心を尽して偽りなきこと」の四つを教えた。

また「子、雅言する所、詩、書、執礼」とあるように、
「常に口にするのは、詩経・書経のことであり、礼記にある礼を守ること」で、
必ずしも詩や書を暗誦することではなかった。

ゆえに当時の学問をした者は、敏(さと)い者、鈍(にぶ)い者の違いはあっても、
各人が自らの才能を成就できた。

このように、人は皆学ぶことができるのであって、
そこに才能の有る無しの区別があるわけではない。

・・・

【 3月30日 】 実学のすすめ ②

後世は則(すなわ)ち此の学堕(お)ちて芸の一途(いっと)に在り。
博物多識、一過して誦(しょう)を成すは芸なり。
詞藻縦横(しそうじゅうおう)に、千言(せんげん)立ちどころに下るは、
尤(もっと)も芸なり。

其の芸に堕つるを以や、故に能と不能と有り。
而(しこう)して学問始めて行儀(ぎょうぎ)と離る。

人の言に曰く、某の人は学問有りて行儀足らず。
某の人は行儀余り有りて学問足らず、と。

孰(いずれ)が学問余り有りて行儀足らざる者有らんや。
繆言(びゅうげん)と謂うべし。

                       (言後録 四 後半)


【訳】

後世にると、孔子の学問は堕落して、技芸の一途になってしまった。

博識あることや、一度読めば暗誦できるというは芸である。
詩文の才能に溢れ、千言のものもやちどころに書き下すというのは
芸の最たるものである。

学問が芸に堕(お)ちたために、できる、できないの差が生まれた。
そのため、学問は初めて実践と離れることになった。

世間の人は言う。
「某人は学問はあるが、行動が足りない。某人は行ないは十分だが、学問が足りない」と。

しかし、孔子の学問に志した者で、学問が十分だが行ないが欠けて足りないと
いう者があるだろうか。
この言葉は間違っているというべきだろう。

・・・

【 3月31日 】 彊(つと)めて息(や)まず

自彊(じきょう)不息の時候、
心地(しんち)光光(こうこう)明明(めいめい)なり。

何の妄念(もうねん)遊思(ゆうし)か有らん。
何の嬰累罣想(えいるいかいそう)か有らん。

                       (言後録 三)

【訳】

人が自ら勉め励んでいるときは、
心は光り輝き、眩(まばゆ)いくらい明るい。

そこには妄念や怠け心もまったくない。
また、心にまとわりつく気がかりや憂いもまったくない。

   *嬰累~まといつく憂い
    罣想~気にかかる悩み

   〇その自ら勉め励む気を生むのは立志であり、
    橋本佐内は15歳のときに書いた『啓発録』で、
    それを自らに誓っている。

            <感謝合掌 令和2年3月20日 頓首再拝>

「佐藤 一斎・一日一言」4月1日~10日 - 伝統

2020/04/01 (Wed) 22:00:33

【 4月1日 】 自重すべし

吾人(ごじん)は須(すべか)らく自(みずか)ら重んずることを知るべし。
我が性は天爵(てんしゃく)なり。最も当(まさ)に貴重すべし。
我が身は父母の遺体なり、重んぜざるべからず。

威儀(いぎ)は人の観望(かんぼう)する所、言語は人の信を取る所なり、
亦(また)自重(じちょう)せざるを得んや。

                      (言後録 六)

【訳】

我々はぜひとも自分の身心を大切にすることを知るべきである。
わが本性は天から授けられたものであるから、最も大切にしなくてはいけない。
わが身は父母の遺されたものでであるから、重んじなければならない。

自分の立居振舞いは人の見るところであり、
口に出す言葉は人が信頼を置くところものであるから、
また自重しないわけにはいかない。

・・・

【 4月2日 】 欺かれても欺くな

寧(むし)ろ人の我に負(そむ)くも、我は人に負く毋(なか)らん、とは、
固(まこと)に確言となす。

余(よ)も亦謂う、人の我に負く時、我れは当(まさ)に吾の負くを致す所以を
思いて以て自(みずか)ら反(かえ)りみ、且(か)つ以て
切磋砥礪(せっさしれい)の地と為すべし、と。

我に於(おい)て多少の益(えき)有り。
烏(いずく)んぞ之(こ)れを仇視(きゅうし)すべけんや。


                      (言後録 一一)

【訳】

「たとえ人が自分に背くようなことがあっても、私は人に背くようなことはすまい」
というのは、誠に的確な言葉とある。

私もまた言う。
「人が自分に負くようなことがあったら、自分が背かれるに至った理由をよく考えて
反省し、かつ、それを自分の学徳を磨く糧(かて)とするべきである」と。

そうすれば、自分には大きな益がある。
どうして背いた人を仇敵と見る必要があるだろうか。

  〇 先人に「森羅万象これ皆師なり」の言葉がある。

・・・

【 4月3日 】 教育の方法
 
誘掖(ゆうえき)して之れを導くは、教(おしえ)の常なり。
警戒して之れを喩(さと)すは、教の時なり。

躬行(きゅうこう)して以て之れを率(ひき)いるは、教の本(もと)なり。

言わずして之れを化(か)するは、教の神(しん)なり。

抑(おさ)えて之れを揚(あ)げ、激して之れを進むるは、
教の権(けん)にして変なるなり。
教(おしえ)も亦(また)術(術)多し。

                      (言後録 一ニ)

【訳】

子弟の傍(かたわ)らでこれを導き助けるのは。教育の常道である。
子弟が横道に逸(そ)れるのを戒めて諭すのは、
時宜(じぎ)を得た教育というものである。

まず自らが率先実行して子弟を率いるのは、教育の基本である。

言葉に表さないで自然と子弟を感化するのは、最上の教育である。

抑えつけて褒め、激励して道に進めるのは、
その場に応じた臨機応変な教育というものである。
このように、教育にもまた多様なやり方がある。

相手に応じた教育を施すべきである。

・・・

【 4月4日 】 公・正・清・敬を守る

官に居(お)るに好字面(こうじめん)四有り。
公の字、正の字、清の字、敬の字なり。
能(よ)く之れを守らば、以て過(か)無かるべし。

不好の字面も亦(また)四有り。
私(し)の字、邪の字、濁(だく)の字、傲(ごう)の字。
苟(いやしく)も之れを犯(おか)さば、皆禍(か)を取るの道なり。

                      (言後録 一四)

【訳】

官職につく者にとって好ましい文字が四つある。
それは、公、正、清、敬の四つの文字である。
(公は公平無私を、正は正直を、清は清廉潔白を、敬は敬慎を意味する。)
よくこれらの文字の意味するところを守れば、決して過失(あやまち)を犯すことはない。

また、好ましくない文字も四つある。
それは、私、邪、濁、傲の四つの文字である。
(私は不公平を、邪は邪悪を、濁は不品行を、傲は傲慢(おごりたかぶる)を意味する。)
かりそめにもこれら四つを犯したならば、どれも皆、禍(わざわい)を招くことになる。

・・・

【 4月5日 】 過ちは改めるに如かず

過(か)は不敬より生ず。
能(よ)く敬すれば則(すなわ)ち過自(おのずか)ら寡(すくな)し。

儻(も)し或いは過(あやま)たば
則ち宜(よろ)しく速(すみやか)に之(こ)れを改むべし。
速(すみやか)に之を改むるも亦(また)敬なり。

顔子(がんし)の過を弐(ふたた)びせざる、
子路(しろ)の過を聞くを喜ぶが如きは、敬に非ざる莫(な)きなり。

                      (言後録 一七)

【訳】

過ちというものは慎みのないことから起こる。
よく慎んでいれば、過ちは自ずから少なくなるものである。

もし過ったならば、速やかに改めることである。
速やかに改めるというのもまた、慎むことである。

顔回が同じ過ちを再び繰り返さなかったのも、
子路が自分の過ちを注意してもらうと喜んだのも、
どちらも慎みでないものはない。

・・・

【 4月6日 】 志は邪念を振り払う

閑想(かんそう)客感(かくかん)は、志の立たざるに由(よ)る。
一志既に立てば、百邪(ひゃくじゃ)退聴(たいちょう)せん。

之(こ)れを清泉湧出すれば、
旁水(ぼうすい)の渾入(こんにゅう)するを得ざるに譬(たと)う。

                      (言後録 一八)264


【訳】

無駄な想念を抱いたり、外物に心が囚われて振り回されてしまうのは、
しっかりとした志が立っていないからである。
一つの志がしっかり確立していれば、
多くの邪念は退散し服従するものである。

これを譬えるならば、清らかな泉が湧き出ているところに、
その傍(かたわ)らを流れる水が入り混じることができないようなものである。

  *閑想~暇にまかせて考えること。

  *客感~外界によっておこる感情。

  *退聴~退ききく。服従する。


・・・

【 4月7日 】 心身一体


礼儀を以て心を養うは、即ち体躯を養うの良剤なり。
心、養を得れば則ち身自(おのずか)ら健なり。

旨甘(しかん)を以て口腹(こうふく)を養うは、即ち心を養うの毒薬なり。
心、養(やしない)を失えば、則ち身も亦病む。

                      (言後録 ニ一)267


【訳】

日常の生活態度を正すことで精神修養をすることは、
身体を養う良薬となる。
精神を修養すれば、身体も健康になるからである。

おいしい食べ物によって肉体を満足させることは、精神修養の毒薬となる。
精神が修養を失えば、身体もまた衰えて病気にかかるからである。

・・・

【 4月8日 】 利害と義理

君子も亦利害を説く。
利害は義理に本(もと)づく。

小人も亦義理を説く。
義理は利害に由(よ)ればなり。

                      (言後録 ニ三)269


【訳】

徳の高い人でも利害を説く。
それは利害が義理人道に基づくものだからである。

徳の低い人でも義理を説く。
それは義理が自分の利害にかかわっているからである。

  〇義に基づくか、利に基づくかによって、
   人の生き方が変わってくる。

・・・

【 4月9日 】 真の功名、真の利害

真の功名は、道徳心便(すなわ)ち是(こ)れなり。
真の利害は、義理便(すなわ)ち是れなり。

                      (言後録 ニ四)270

【訳】

真の功績とか名誉というのは、道徳を実践した結果得られるものである。
本当の利害というのは、義理を行うか行わないかによって得られるものである。

・・・

【 4月10日 】 春風接人

春風(しゅんぷう)を以て人に接し、
秋霜(しゅうそう)を以て自(みずか)ら粛(つつし)む。

                      (言後録 三三)279

【訳】

春の風のような穏やかな態度で人に接し、
秋の霜のような厳しい態度で自らを律していく。

  〇これができるように、自らを修めていくのである。

            <感謝合掌 令和2年4月1日 頓首再拝>

「佐藤 一斎・一日一言」4月11日~20日 - 伝統

2020/04/13 (Mon) 18:50:13

【 4月11日 】 境遇を楽しむ

人の一生に遭(あ)う所には、険阻(けんそ)有り、坦夷(たんい)有り、
安流(あんりゅう)有り、驚瀾(きょうらん)有り。

是れ気数(きすう)の自然にして、竟(つい)に免(まぬが)るる能わず。
即ち易理(えきり)なり。

人は宜(よろ)しく居(お)って安んじ、玩(もてあそ)んで楽しむべし。
若し之を趨避(すうひ)せンんとするは、達者の見(けん)に非ず。

                      (言後録 二五)271

【訳】

人間が一生のうちに出遭うところには、険(けわ)しい所があり、平坦な所があり、
ゆっくり流れる所があり、怒涛逆巻く所がある。

これは自然の成り行きといってものであって、どうしても逃れることは
できない。すなわち、易で説くところの万物の道理である。

したがって、自分の置かれた境遇に安んじ、それを楽しめばよい。
それを嫌って逃げたり避けたりしようとするのであれば、
決して事理に通じた人の考えとはいえない。

・・・

【 4月12日 】 本性は天に属す

物には栄枯有り、人には死生有り。
即ち生生(せいせい)の易なり。

須らく知るべし、躯殻(くかく)は是れ地にして、性命(せいめい)是れ天なるを。

天地未だ曾(かつ)て死生有らずば、則ち人物何ぞ曾て死生有らんや。
死生・栄枯は只(た)だ是れ一気の消息(しょうそく)盈虚(えいきょ)なり。

此(こ)れを知れば則ち昼夜の道に通じて知る。

                      (言後録 二七)273

【訳】

物には栄えること枯れることがあるし、人間には生まること死ぬことがある。
すなわち、すべては生成変化してやむことがない。

だが、人間の肉体は地に属し、本性は天に属していることを
ぜひとも知っておかなくてはいめない。

すると、天地はいまだかつて生まれたり死んだりしたことがないのだから、
人にも物にも死生があるはずがない。
死生とか栄枯とかいうものは、これはただ一つの気が生じたり満ちたり、
あるいは、一つの気が消えたり欠けたりしたものに過ぎないのである。

この道理を理解すれば、昼夜の道、すなわち陰陽の道理に通じたといっていいだろう。

・・・

【 4月13日 】 「思う」という字

心の官は則(すなわ)ち思うなり。
思うの字は只(た)だ是れ工夫の字のみ。

思えば則ち愈々(いよいよ)精明(せいめい)に、
愈々(いよいよ)篤実(とくじつ)なり。

其の篤実なるよりして之(こ)れを行(こう)と謂(い)い、
其の精明なるよりして之れを知と謂う。
知行は一の思うの字に帰(き)す。
 
                      (言後録 二八)274

【訳】

心の役目は、思うということである。
思うということは、ただ道の実行について工夫するという意味である。

思えばそのことについてますます精(くわ)しく明らかになり、
ますますまじめに取り組むようになる。

そのまじめに取り組むところから、これを「行」といい、
その精密明白なところからこれを「知」という。
すなわち、知も行も「思」の一字に帰着するのである。

・・・

【 4月14日 】 克己の工夫

克己の工夫は、一呼吸の間に在り。

                      (言後録 三四)280

【訳】

自分の邪心に打ち勝つ工夫は、「ここだ」という一呼吸の瞬間にあり、
それを積み重ねて一生を築いていくのである。

・・・

【 4月15日 】 一と積

一の字、積の字、甚(はなは)だ畏(おそ)るべし。
善悪の幾(き)も初(しょ)一念に在(あ)りて、
善悪の熟するも、積累(せきるい)の後(のち)に在り。

                      (言後録 三八)284

【訳】

「一」という字、「積」という字は、とりわけ畏れなくてはいけない。
善や悪のきざしというのも最初の一念(ふと心に思い出すこと)にあり、
善や悪が固まるのも、その初一念が積み重なった後の結果としてそうなるものである。

・・・

【 4月16日 】 直を以て怨に報ゆ

「直(ちょく)を以て怨(うらみ)に報(むく)ゆ」とは、善く看(み)るを要す。
只(た)だ是れ直を以て之(こ)に待(ま)つ。
相讎(そうきゅう)せざるのみ。

                      (言後録 四二)288

【訳】

『論語』にある「公平無私(直)をもって怨みに報いる」という言葉は、
よくよく吟味する必要がある。
ただこれは公平無私をもって怨(うら)みにあたるということであり、
怨みに対して怨みをもって報いるように
お互いに敵対しないだけのことである。

・・・

【 4月17日 】 実学と読書

実学の人、志は則ち美なり。
然(しか)れども往往(おうおう)にして読書を禁ず。
是れ亦噎(えつ)に因りて食を廃するなり。

                      (言後録 四六)292

【訳】

実人生に役立つ学問を重んずる人は、知識だけの学問を嫌って
躬行(きゅうこう)を重視し、その志は立派なものである。

しかし、そういう人は、往々にして本を読もうとしない。
これは、むせたからと言って食事をしないというようなものである。

  〇 人生は読書、実践、反省の繰り返しでありたい。

・・・

【 4月18日 】 難問に対処する心構え

凡(およ)そ大硬事(こうじ)に遭わば、
急心もて剖決(ぼうけつ)するを消(もち)いざれ。
須(すべか)らく姑(しばら)く之(これ)を舎(お)くべし。

一夜を宿し、枕上(ちんじょう)に於いて
粗(ほぼ)商量(しょうりょう)すること一半にして
思(おもい)を齎(もたら)して寝(い)ね、
翌旦(よくたん)の清明の時に及んで、続きて之を思惟(しい)すれば、
則(すなわ)ち必ず恍然(こうぜん)として一条路を見、
就即(すなわ)ち義理自然に湊泊(そうはく)せん。

然(しか)る後に徐(おもむ)ろに之を区処すれば、大概錯悞(さくご)を致さず。

                      (言後録 四五)291

【訳】

すべて大難事に遭遇したときは、
焦って決断する必要はない。
しばらくそのままにしておくほうがよい。

一晩そのままに留め置いて、枕元でだいたい半分くらいを考え、
そのまま思索しながら寝て、翌朝心がすっきりしたときに
引き続きこれを思索すれば、必ずおぼろげながらも一筋の道が見えてくる。
そうすると、物事の筋道(道理)が自然に集まってくるものである。

その後にゆっくりと一つひとつ問題を処理すれば、たいていは間違うことはない。

・・・

【 4月19日 】 歴史書の読み方

人の一生の履歴は、幼時と老後とを除けば、
率(おおむ)ね四五十年の間に過ぎず。
其の聞見(ぶんけん)する所、殆ど一史にも足らず。

故(ゆえ)に宜(よろ)しく歴代の史書を読むべし。

上下(じょうか)数千年の事迹(じせき)、
羅(つら)ねて胸臆(きょおく)に在らば、亦(また)快(かい)たらざらんや。
着眼(ちゃくがん)の処は、最も人情事変の上に在(あ)れ。

                      (言後録 四八)294

【訳】

人間の一生の経歴は、幼少時と老後とを除けば、だいたい四、五十年に過ぎない。
その見聞する事情は、ほとんど歴史の一部にも及ばない。

だからこそ、歴史書を読むべきなのだ。

そうすれば、古(いしにえ)から今に至る上下数千年の事跡が、
自分の胸の中に羅列(られつ)されることになって、
なんとも愉快なものである。

そして歴史書を読むときには、その年代を追うのではなく、
人の心の動きと事物の変化に目をつけるがよい。
 
・・・

【 4月20日 】 あるべき姿

志気は鋭(えい)ならんことを欲し、
操履(そうり)は端(ただ)しからんことを欲し、
品望(ひんぼう)は高からんことを欲し、
識量(しきりょう)は豁(ひろ)からんことを欲し、
造詣(ぞうけい)は深ならんことを欲し、見解は実(じつ)ならんことを欲す。

                      (言後録 五五)301

【訳】

気概(いきごみ)は鋭くありたい、
品行は正しくありたい、
品位や人望は高くありたい、
見識や度量は広くありたい、
学識は深くありたい、
物の見方や解釈は腰の据わった本物を見極わめるものでありたい。

            <感謝合掌 令和2年4月13日 頓首再拝>

「佐藤 一斎・一日一言」4月21日~30日 - 伝統

2020/04/20 (Mon) 19:17:53

【 4月21日 】 単純に考える

人情・事変・或いは深看(しんかん)を做(な)して之を処すれば、
卻(かえ)って失当の者有り。

大抵(たいてい)軽看(けいかん)して区処すれば、
肯綮(こうけい)に中(あた)る者少なからず。

                      (言後録 六一)307

【訳】

人の心の動きや社会の変化にかかわる問題は、あまり深く考えすぎて
処置(解決)しようとすると、かえって穏当さを欠くばあいがある。

たいてい単純に考えて処置すればいいのであって、
それが要所を押さえている場合が少なくない。

  *肯綮~骨と肉の結合する所。
      すなわち物事の要所・急所。

・・・

【 4月22日 】 全体から部分へ

将(まさ)に事を処せんとせば、
当(まさ)に先ず略(ほぼ)其(そ)の大体如何(いかん)を視て、
而(しか)る後に漸漸(ぜんぜん)以て精密の処に至るべくんば可なり。

                      (言後録 六ニ)308

【訳】

物事を処理しようとするときには、
まずその全体のありさまがどうなっているかを見て、
それ後に少しずつ細かな所に進んでいくようにすればよい。

・・・

【 4月23日 】 三徳

智、仁は性なり。勇は気なり。配して以て三徳と為す。玅理有り。

                      (言後録 八〇)326

【訳】

『論語』に「智者は惑わず、仁者は憂えず、勇者は懼れず」とあるが、
その智慧と仁愛は人に生まれながらに備わっている本性であり、
勇気は本性の働きから生ずる気である。

『中庸』では、これらを配合して達徳と称するが、
これはなかなか玄妙な理を表している。

 〇仏教では、慈悲・智慧・勇猛を三徳とし、
  貪・瞋・愚痴を三毒と言っている。

・・・

【 4月24日 】 大言壮語の人

好みて大言(たいげん)を為す者有り。
其の人必ず小量なり。

好みて壮言(そうご)を為す者有り、
其の人必ず怯懦(きょうだ)なり。

唯(た)だ言語の大ならず壮ならず、中(うち)に含蓄有る者、
多くは是れ識量(しきりょう)弘恢(こうかい)の人物なり。

                      (言後録 六八)314

【訳】

世の中には好んで大きなことを言う者がいる。
そういう人は必ずと言っていいほど度量が小さい。

世の中には好んで元気のいいことを言う者がいる。
そういう人は必ずと言っていいほど、臆病者である。

ただ、口にする言葉が大きくもなく、元気がいいわけでもないが、
それでいて深みが感じられるような人は、たいていは見識が高く
器量の大きい人物である。

   *大言~大仰なことば

    壮言~つよがり

・・・

【 4月25日 】 人生は旅の如し

人の世を渉るは行旅(こうりょ)の如く然(しか)り。
途(と)に険夷(けんい)有り。
日に晴雨有りて、畢竟避くるを得ず。

只(た)だ宜しく処に随い時に随い相(あい)緩急すべし。

速(すみやか)かならんことを欲して以て災(わざわい)を取ること勿れ。
猶予(ゆうよ)して以て期に後(おく)るること勿れ。
是れ旅に処するの道にして、即ち世を渉(わた)るの道なり。

                      (言後録 七〇)316

【訳】

人が世の中を生きていくのは旅行をするのと同じである。
道中には険しい所もあれば平坦な所もある。
晴れの日もあれば雨の日もあって、結局これらは避けることはできない。

そのときの状況に応じて、ゆっくり行ったり急いだりするがよい。

急ぎすいぎて災害に遭(あ)ってはいけないし、
ぐずぐずしていて予定の期日に遅れてもいけない。

これが旅をする心得というものであって、
すなわち世の中を渡っていく道なのである。

・・・

【 4月26日 】 口頭の聖賢、紙上の動学

聖賢を講説(こうせつ)して、之を躬(み)にする能(あた)わざるは、
之を口頭(こうとう)の聖賢と謂う。
吾れ之を聞きて一たび愓然(てきぜん)たり。

道学を論弁して、之を体(たい)する能わざるは、之を紙上の道学と謂う。
吾れ之を聞きて再び愓然たり。

                      (言後録 七七)323

【訳】

聖賢の道を口で語るだけで、
その道を自分自身で実践できい人を口先だけの聖賢という。
自分はこれを聞いて、心に省みて恐れ、恥じ入った。

朱子学を論じたり弁じたりしているが、それを体認自得できない人を
紙上の道学という。
自分はこれを聞いて、再び恐れ恥じ入ったのである。

  *愓然~ぎょっとして恐れるさま。

・・・

【 4月27日 】 政治に必要な諸条件

政(まつりごと)を為すに須(すべか)らく知るべきもの五件有り。
曰く軽重、曰く時勢、曰く寛厚(かんこう)、曰く鎮定(ちんてい)、
曰く寧耐(ねいてい)、是れなり。

賢を挙(あ)げ、佞(ねい)を遠ざけ、農を勧め、税を薄うし、
奢(しゃ)を禁じ、倹(けん)を尚(たっと)び、
老を養い、幼を慈(いつくし)む等の数件の如きは、人皆之を知る。

                      (言後録 七九)325


【訳】

政治を執り行うにあたって知っておくべきことが五つある。

第一に財政上の軽重を計ること、
第二に時代の趨勢を考えること、
第三に心広く情に厚い人に接すること、
第四に争乱を鎮めて人心を安定させること、
第五におだやかな気持ちでよく我慢すること、
以上の五つである。

そのほかに、賢人を登用し、腹に一物ある人物を遠ざけ、
農業を奨励し、税金を軽くし、贅沢を禁じ、倹約を尊び、
老人を大切にし、幼児をかわいがるなども、
みんながよく知っているように大切なことである。

  *佞~弁才があって心の正しくない人

・・・

【 4月28日 】 学問の真髄

学は諸(こ)れを古訓(こくん)に稽(かんが)え、
問(とい)は諸を師友(しゆう)に質(ただ)すことは、人皆之を知る。

学は必ず諸を躬(み)に学び、問は必ず諸を心に問うものは、
其(そ)れ幾人有るか。

                      (言後録 八四)330

【訳】

学問の「学」とは先見の遺した教えを今に比べ合せることであり、
「問」は師や友に問いただすことであるというのは、誰でも知っている。

しかし「学」といってこれを必ずわが身をもって実行し、
「問」といってこれを必ずわが心をもって反省するという人は、
果たして何人いるだろうか。

・・・

【 4月29日 】 逆境を楽しむ

順境は春の如し。出遊して花を観る。
逆境は冬の如し。堅く臥して雪を看る。

春は固と楽しむ可し。冬も亦悪しからず。

                      (言後録 八六)332

【訳】

順境は万事都合のよくいくのであるから春のようなものである。
外出して、花を見て楽しく遊びたい気分になる。

逆境は意の如くならないようなものである。
家にじっと閉じこもって、ただ雪を眺めているような気分になる。

春はもちろん大いに楽しむべきだが、
冬もまた悪くはないものだ。

・・・

【 4月30日 】 仮己と真己

仮己(けこ)を去って真己(しんこ)を成し、
客我(きゃくが)を逐(お)うて主我(しゅが)を存(そん)す。

是を其の身に?(とら)われずと謂う。

                      (言後録 八七)333


【訳】

借り物の自己を捨て去って、本来の自己を成り立たせ、
外物に囚われたかりそめの自己を追い払って主体性のある自己を存在させる。

これを我執(がしゅう)にとらわれない融通無碍の境地というのである。

            <感謝合掌 令和2年4月20日 頓首再拝>

「佐藤 一斎・一日一言」5月1日~10日 - 伝統

2020/04/30 (Thu) 22:45:02


【 5月1日 】 勇気のみなもと

敬は勇気を生ず。

                      (言後録 八八)334

【訳】

尊敬の念があれば、そこから勇気が湧き出てくる。

  〇吉田松陰は『士規七則』の中で、「士の道は義より大なるはなし。
   義は勇に因(よ)りて行なわれ、勇は義に因りて長ず」と言っている。
・・・

【 5月2日 】 寝食を慎む

能く寝食を慎むは孝なり。

                      (言後録 九三)339

【訳】

毎日の食事と睡眠を慎んで健康を保っていくのは孝行である。

  〇『孝経』には「身体髪膚これを父母に受く。
    敢えて希少毀傷(きしょう)せざるは孝の始めなり。
    身を立て道を行ない名を後世に揚(あ)げて、
    以て父母を顕わすは孝の終りなり」とある。

・・・

【 5月3日 】 箴言は心の鍼

箴(しん)は鍼(しん)なり。
心の鍼(はり)なり。

非幾(ひき)纔(わず)かに動けば、
即便(すなわ)ち之(これ)を箴すれば可(か)なり。
増長するに至りては、則ち効を得ること或いは少なし。

余、刺鍼(ししん)を好む。
気体(きたい)稍(やや)清快ならざるに値(あ)えば、
輒(すなわ)ち早く心下(しんか)を刺すこと十数鍼(しん)なれば、
則ち病未だ成らずして潰(かい)す。
因(よ)って此(こ)の理(り)を悟る。

                      (言後録 九一)337

【訳】

箴言(戒めの言葉)は、心に刺す鍼のようなものである。

わずかにでも心に不善のきざしが生じたときには、
箴言の鍼を打ち込めばよい。
不善の心が大きくなってしまってからでは、効能は少ないだろう。

私は鍼を打つのが好きで、気分が少しでもすぐれないことがあると、
すぐに十数本の鍼を眼にの下にに打つ。

すると、病気になる前に癒えてしまう。
このことから、この道理を悟ったのである。

・・・

【 5月4日 】 君子と小人の分かれ道

君子(くんし)は自ら慊(けん)し、小人(しょうじん)は則ち自ら欺く。

君子は自ら彊(つと)め、小人は則ち自ら棄(す)つ。

上達(じょうたつ)と下達(かたつ)は、一つの自字(じじ)に落在(らくざい)す。

                      (言後録 九六)342

【訳】

立派な君子は自分の行為に満足しないが、
つまらない小人は自らを偽(いつわ)って自分の行為に満足する。

君子は自ら励み勉めて向上しようとするが、
小人は本心をないがしろにして自暴自棄になる。

向上するか堕落するかは、ただ「自」の一字に落ち着くのである。

・・・

【 5月5日 】 活学

道は固(もと)より活(い)き、学も亦(また)活く。

儒者の経解(けいかい)に於けるは、釘牢縄縛(ていろうじょうばく)して、
道と学とを并(あわ)せて幾(ほとん)ど死せしむ。

須(すべか)らく其の釘(てい)を抜き、
其の縛(ばく)を解き、蘇回(そかい)するを得(え)しめて可(か)なり。

                      (言後録 一〇二)348

【訳】

道は脈々と息づいており、学問もまた活きている。

ところが、儒者が経書を解釈すると、あたかも堅牢に釘付けしたり、
縄で縛り上げて身動きできなくしてしまう。
これでは道も学問も死んだも同然である。

早くその釘を抜き、その縄をほどいて、生き返らせてやるとよい。

・・・

【 5月6日 】 怒りと欲を抑える

忿熾(いかりさかん)なれば則ち気暴(あら)く、
欲多ければ則ち気耗(もう)す。

忿を懲(こ)らし欲を塞(ふさ)ぐは、
養生(ようじょう)においても亦(また)得(う)。

                      (言後録 九七)343

【訳】

怒りが盛んになれば気が荒々しくなり、
欲が多ければ気が消耗する。

だから、怒りや欲望を抑えるのは、心身の修養である。

・・・

【 5月7日 】 中和を保つ

心に中和を得(う)れば、則ち人情皆順(したが)い、
心に中和を失えば、則ち人情皆乖(そむ)く。

感応(かんおう)の機は我に在り。
故に人我(じんが)一体、情理(じょうり)通透(つうとう)して、
以て政(まつりごと)に従うべし。

                      (言後録 一〇三)349

【訳】

心が平静で偏らず節度を保っていれば、人の感情はみな自分に従ってくるが、
心が中和を失えば、人の感情はみな自分から離れて行く。

人々が感応するきっかけは自身の中にあり、人と我の心が一つになり、
人情と道理が通じて、初めて政治を執(と)ることができるのである。

・・・

【 5月8日 】 心の安否を問う

人は皆身の安否を問うを知れども、而(しか)も心の安否を問うことを知らず。
宜しく自ら問うべし。

能(よ)く闇室(あんしつ)を欺かざるや否や、
能く衾影(きんえい)に愧(は)じざるか否や。
能く安穏(あんのん)快楽を得るや否やと。

時時(じじ)是(か)くの如くすれば、心便(すなわ)ち放(はなれ)ず。

                      (言後録 九八)344


【訳】

人は皆、体の安らかであるかどうかを問うことは知っているが、
心が安らかであるかどうかを問うことを知らない。
ぜひとも自らの問うてみるべきである。

「暗いところでも身を慎んで良心を欺くようなことをしていないかどうか。
人の見ていないところでも品行を汚すようなことがないかどうか。
自分の心が安穏で気分よくたのしんでいるかどうか」と。

時々このようにわが身を省みるようにすれば、
心は決して放縦にはならないものである。

・・・

【 5月9日 】 百年、再生の我れなし

百年再生の我(わ)無し。其(そ)れ曠度(こうど)すべけんや。

                      (言後録 一〇九)355

【訳】

百年後再び生まれてくる自分ではない。
一日一日を空しく過ごしてはならない。

  〇山本有三は、その著「路傍の石」の中で、
   「たった一人しかない自分を、たった一度しかない一生を、
    ほんとうに生かさなかったら、人間、生まれてきた甲斐がないじゃないか」
   と言っている。

・・・

【 5月10日 】 和と介

寛懐(かんかい)にして俗情に忤(さから)わざるは和なり。
立脚して俗情に堕(お)ちざるは介(かい)なり。

                      (言後録 一一一)357

【訳】

ゆったりとくつろいだ心持で、俗世間の流れに逆らわないのが「和」である。
自分の足場をしっかり定めて、俗世間の流れに巻き込まれないのが「介」である。

            <感謝合掌 令和2年4月30日 頓首再拝>

「佐藤 一斎・一日一言」5月11日~20日 - 伝統

2020/05/10 (Sun) 23:56:15

【 5月11日 】 不苟と不愧

不苟(ふこう)の字、以て過を寡(すくな)くすべし。
不愧(ふき)の字、以て咎(きゅう)に遠ざかるべし。

                      (言後録 一一ニ)358

【訳】

事をおろそかにしないという意味の「不苟」の字を心に置いて行なえば、
失敗を少なくできる。

良心に恥じるところがないという意味の「不愧」の字を心に置いて行なえば、
他人から非難されることから遠ざかることができる。

・・・

【 5月12日 】 君子は善を好み、悪を憎む

人は多く己(おのれ)の好む所を話し、己の悪(にく)む所を話さず。

君子(くんし)は善を好む、故に毎(つね)に人の善を称(しょう)す。
悪を悪む、故に肯(あえ)て人の悪を称せず。

小人(しょうじん)は之に反す。

                      (言後録 一一六)362

【訳】

世間の人はたいてい、善悪にかかわりなく自分の好きな話をして、
自分の嫌う話はしないものである。

一方、君子というのは善を好むから、いつも人善行を褒め称(たた)える。
また悪を嫌うから、人の悪行を褒めたりはしない。

小人はこの反対である。

・・・

【 5月13日 】 知っているかわからないもの

誣(し)う可からざる者は人情にして、
欺(あざむ)くべからざる者は天理なり。

人皆之を知る。
蓋(けだ)し知りて而(しかも)も未だ知らず。

                      (言後録 一一七)363

【訳】

偽ることのできないのは人の心であり、
欺くことのできないのは天の道理である。

人は誰でもこのことを知っている。
しかし、知っているように見えて、
実は本当にわかっているとは言えない。

・・・

【 5月14日 】 知と行

知は是れ行(こう)の主宰にして乾道(けんどう)なり。
行は是れ知の流行にして、坤道(こんどう)なり。
合して以て体躯(たいく)を成せば則ち知行なり。
是れ二にして一、一にして二なり。

                      (言後録 一ニ七)373

【訳】

知は行を司どるものであって、天の道である。
行は知から流れ出たものであって、地の道である。

これらが合わさって身体をつくり上げているのであり、
すなわち我々には知と行という二つの働きがあって、
これらは二つで一つであり、一つであるが二つでもある。

・・・

【 5月15日 】 継続が力となる

虚羸(きょるい)の人は、常に補剤(ほざい)を服す。
俄(にわ)かに其の効を覚えざれども、
而(しか)も久しく服すれば自(おのずか)ら効有り。

此(こ)の学の工夫も亦(また)猶(な)お是(か)くの如し。

                      (言後録 一ニ一)367

【訳】

虚弱な人は、いつも滋養の薬を服用している。
これは服用すればすぐに効果が現われるというものではないが、
長い間飲み続ければ自然と効能が表れるものである。

心を高める学問の工夫もこれと同じで、
努力を絶やさないでいると、必ず効果が表れてくるものである。

 〇宋の黄山谷は「士、三日書を読まざれば則(すなわ)ち
  理義胸中に交わらず、便(すなわ)ち覚ゆ、
  面目憎むべく語言味無きを」と言っている。

・・・

【 5月16日 】 九思三省

孔子の九思(し)、曽子の三省(せい)、
事有る時は是を以て省察(せいさつ)し、
事無き時は是を以て存養(そんよう)し、
以て静坐(せいざ)の工夫と為(な)す可し。

                      (言後録 一ニ八)374

【訳】

孔子は修養の方法として
「視には明、聴には聡、色には穏、貌(かたち)には恭、
言(ことば)には忠、事には敬、疑には問、忿(いかり)には難、
得る見ては義を思う」

という九思を挙げ、曽子は一日に三度、忠信不習についてわが身を
省みたというが、
我々も何か事あるときはこれらに倣(なら)って反省し観察し、
何もないときは本来の良心を失わないように養い、
それを静坐をする際の工夫とすればよい。

・・・

【 5月17日 】敬以て動静を貫く

静を好み動を厭(いと)う、之(これ)を懦(だ)と謂(い)い、
動を好み静を厭う、之を躁(そう)と謂う。

躁は物を鎮(しず)むる能(あた)わず、
懦は事を了(りょう)する能わず。

唯(た)だ敬(けい)以て動静を貫き、
躁ならず懦ならず、然(しか)る後(のち)
能(よ)く物を鎮め事を了す。

                      (言後録 一三一)377

【訳】

静を好んで動を嫌う者、これを臆病者、ものぐさ者といい、
動を好んで静を嫌う者、落ち着きのない者という。

慌て者は物事を鎮静することができないし、
臆病者は物事を成し遂げることができない。

ただ、慎み深く、動にも静にも偏ることなく、
慌てず、怖気(おじけ)づかない者にして初めて
物事を鎮、成就することができるのである。

 〇曽国藩には「冷に耐え、苦に耐え、煩に耐え、閑に耐え、
  激せず、繰(さわ)がず、競(きそ)わず、随(したが)わず、
  以て大事を成すべし」 の四耐四不がある。

・・・

【 5月18日 】 無字の書を読む

学は自得するを貴ぶ。
人は徒(いたず)らに目を以て字有るの書を読む。
故に字に局(きょく)して、通透(つうとう)するを得ず。

当(まさ)に心を以て字無きの書を読むべし。
乃(すなわ)ち洞(とう)して自得する有らん。

                      (言後録 一三八)384

【訳】

学問は本心において体得することが大事である。
ところが、世の中の人はいたずらに目で文字で書かれた書物を読むだけである。
そのため、文字に囚(とら)われて、その背後にある物事の道理を
見通すことができない。

心眼を開き、文字の書かれていない書、
すなわち実社会の諸々の事象を読み解いて、
自らの修養とするべきなのである。
そうすれば、悟りを得て自らの本心に体得することができるだろう。

  *洞~深い悟り

・・・

【 5月19日 】 読書の心構え

精神を収斂(しゅうれん)して、以て聖賢の書を読み、
聖賢の書を読みて、以て精神を収斂する。

                      (言後録 一三〇)376

【訳】

心を引き締めて聖人・賢者の書物を読み、
聖人・賢者の書物を読んで心を引き締める。
これは修養のための読書の心構えである。
 
・・・

【 5月20日 】 月を看る、花を看る

月を看(み)るは、清気(せいき)を観るなり。
円缺(えんけつ)晴翳(せいえい)の間(あいだ)に在(あ)らず。
花を看るは、生意(せいい)を観るなり。
紅紫(こうし)香臭(こうしゅう)の外に存す。

                     (言後録 一四〇)386

【訳】

月を眺めるのは、清らかな気を観賞するのである。
円(まる)くなったり、欠けたり、翳(かげ)ったりするのを見るのではない。

花を見るのは、生き生きした花の心を観賞するのである。
花びらの紅や紫といった色、香りや匂いの外にこそ見るべきものがある。

            <感謝合掌 令和2年5月10日 頓首再拝>

「佐藤 一斎・一日一言」5月21日~31日 - 伝統

2020/05/20 (Wed) 15:17:39

【 5月21日 】 日常の工夫

時時に提撕(ていぜい)し、時時に警覚し、
時時に反省し、時時に鞭策(べんさく)す。

                     (言後録 一四ニ)388

【訳】

我々は、時々精神を奮い起こし、時々戒め悟り、
時々自らを省み、時々自らを鞭打たなければならない。

・・・

【 5月22日 】 時宜を得る

草木の移植には必ず其(そ)の時有り。
培養には又其の度(ど)有り。

太(はなは)だ早きこと勿れ。
太だ遅きこと勿れ。

多きに過ぐること勿れ。
少なきに過ぐること勿れ。

子弟の教育も亦(また)然(しか)り。

                     (言後録 一四七)393

【訳】

草木の移植には、必ずそれに合った時期がある。
草木を育てるために与える肥料にも適度な程合いというものがある。

早すぎてはいけないし、遅すぎてもいけない。

多すぎてもいけないし、少なすぎてもいけない。

子弟の教育合もこれと同じである。

・・・

【 5月23日 】 心学としての読書 ①

読書も亦(また)心学なり。
必ず寧静(ねいせい)を以てして、躁心(そうしん)を以てする勿(なか)れ。
必ず沈実(ちんじつ)(ふしん)を以てして、浮心を以てする勿れ。
必ず精深(せいしん)を以てして、粗心(そしん)を以てする勿れ。
必ず荘敬(そうけい)を以てして、慢心を以てする勿れ。

                     (言後録 一四四)390

【訳】

読書もまた心を高める学問である。
だから、必ず安らかな心で読み、騒がしい心で読んではいけない。
必ず落着いた心で読み、浮わ着いた心で読んではいけない。
必ず精(くわ)しく深く究(きわ)める心で読み、粗雑な心で読んではいけない。
必ず厳(おごそ)かで慎んだ心で読み、驕(おご)り高ぶった心で読んではいけない。

・・・

【 5月24日 】 心学としての読書 ②

孟子は読書を以て尚友と為せり。
故に経籍(けいせき)を読むは、
即(すなわ)ち是れ厳師・父兄の訓(おしえ)を聴くなり。

史子(しし)を読むも、亦即ち明君(めいくん)賢相(けんしょう)・
英雄英傑と相(あい)周旋(しゅうせん)するなり。
其れ其の心を清明(せいえみ)にして以て之(こ)れと対越せざるべけんや。

                     (言後録 一四四)390

【訳】

孟子は、読書をもって古人を親しい友とするものとした。
したがって、聖人の言葉が書かれた書物を読むとことは、
厳しい先生や父兄の訓戒を聞くのと同じである。

歴史書や諸子百家の書を読むのも、
賢明な君主や宰相、英雄豪傑と交際するのと同じである。
そういうわけで、読書するときは、心を清明にして、
これらの人たちと向かい合う気持ちで読まなければいけない。

・・・

【 5月25日 】 可愛い子には旅をさせよ

草木の萌芽(ほうめ)は、必ず移植して之(こ)れを培養すれば、
乃(すなわ)ち能(よ)く暢茂(ちょうも)条達(じょうたつ)す。

子弟の業(ぎょう)に於けるも亦(また)然(しか)り。
必ず之をして師に他邦(たほう)に就(つ)きて其の槖籥(たくやく)に資せしめ、
然(しか)る後(のち)に成る有り。

膝下((しっか)に碌碌(ろくろく)し、
郷曲(きょうきょく)に区区(くく)たらば、
豈(あ)に暢茂条達の望(のぞみ)有らんや。

                     (言後録 一四六)392

【訳】

草木の芽生えたら必ず移し植えてこれを育てるようにすると、
よく伸び茂って枝葉が広がっていく。

子弟の学業においてもこれは当てはまる。
必ず子弟を他国へ出して師について学ばせ、
よく鍛錬して初めて学業が成るのである。

いつまでも父母のもとでごろごろしていたり、
郷里でこせこせしたりしていて、どうして草木が生長するように
学業がの成就する見込みがあるだろうか。
とてもではないが、その望みはない。

  *暢茂~のび茂る。
   条達~木の枝がのびること。

   槖籥~鍛冶ふいごの外箱と内菅、
      転じて鍛錬

   碌碌~人にしたがうこと。凡庸。
   郷曲~田舎
   区区~こせこせするさま。

(槖籥:https://yasushiito.hatenadiary.org/entry/20090804/1249311600 )

・・・

【 5月26日 】 子供の教育 ①

子を教うるには、愛に溺れて以て縦(じゅう)を致(いた)す勿(なか)れ。
善を責めて以て恩を賊(そこな)う勿れ

                     (言後録 一五九)405

【訳】

子供を教育するには、溺愛してわがままにさせてはいけない。
善行を強いて親子の情愛を損(そこ)なってはいけない。

  〇『孟子』には
   「父子善を責むるは恩を賊うの大なるものなり」とある。

・・・

【 5月27日 】 子供の教育 ①

忘るること勿れ。
助けて長(ちょう)ぜしむること勿れ。
子を教うるにも亦此の意を存(ぞん)すべし。
厳(げん)にして慈。是れも亦子を待つに用いて可(か)なり。

                     (言後録 一六〇)406

【訳】

孟子は、浩然(こうぜん)の気(天地間にみちている元気)を養う方法として、
「いちもそれを心に留めて、忘れてはいけないい。
 早く育て上げようと焦って、助長してもいけない」と言っている。

子供を教えるにもこのような心を持つべきだ。

厳格でありながら慈愛の情を持つというのは、
これも子供を扱ううえでよいことである。

・・・

【 5月28日 】 子供の教育 ③

子を易(か)えて教うるは、固(もと)より然(しか)り。
余謂(おも)えらく、
三つの択(えら)ぶ可き有り、
師択ぶ可し、友択ぶ可し、地択ぶ可し」と。

                     (言後録 一六一)407

【訳】

昔の人は子供を取り替えて教えたというが、誠に結構なことである。

自分が思うに、3つの選ぶべきものがある。
それは「先生を選べ、友を選べ、よい土地を選べ」ということである。

・・・

【 5月29日 】 不才な君子と多才な小人

君子にして不才無能なる者之(こ)れ有り。
猶(な)お以て社稷(しょしょく)を鎮(しず)むべし。
小人(しょうじん)にして多才多芸なる者之れ有り。
秖(まさ)に以て人の国を乱(みだ)るに足(た)る。

                     (言後録 一六六)412

【訳】

徳のある立派な君子でありながら、才能のない人がいる。
それでもなお国家を鎮めることができる。

人格の劣る小人なのに、多芸多才な人がいる。
そのような人は国を乱すだけである。

  天保四年、正月下旬記す

(秖(まさ):https://kanji.jitenon.jp/kanjiv/10833.html )

・・・

【 5月30日 】 人情は水の如し

人情は水の如し。

之(こ)れ)して平波(へいは)穏流(おんりゅう)の如くならしむるを得たりと為す。

若し然(しか)らずして、之を激し之を壅(ふさ)がば、
忽(たちま)ち狂瀾(きょうらん)怒濤(どとう)を起さん。
懼(おそ)れざるべけんや。

                     (言後録 一六九)415

【訳】

人情はあたかも水のようなものである。

そのため、これを静かな波や穏やかな流れのようにさせるのが最も的を射たやり方である。

もしそうせずに、これを怒らせたり塞(ふさ)ぎ止めたりしたならば、
たちまちのうちに荒れ狂う大波が巻き起ってしまう。
懼れ慎まなくてはならないことだ。

  〇これは人との交際における心構えである。

・・・

【 5月31日 】話し相手を選ぶ

能(よ)く人の言を受くる者にして、
而(しか)る後(のち)に与(とも)に一言(いちげん)すべし。

人の言を受けざる者と言うは、翅(ただ)に言を失うのみならず、
秖(まさ)に以て尤(とが)めを招かん。
益無きなり。

                     (言後録 一六八)414

【訳】

よく人の言葉を受け入れる者であれば、
初めてその人と言葉を交わしてもよい。

人の言葉を受け入れない者と言葉を交せば、
ただ言葉を無駄にするだけではなく、
かえってそれによって言葉の過ちを招くことになる。
まったく益のないことである。

  〇俗語に「物言えば唇寒し秋の風」というのがある。

(秖(まさ):https://kanji.jitenon.jp/kanjiv/10833.html )

            <感謝合掌 令和2年5月20日 頓首再拝>

「佐藤 一斎・一日一言」6月1日~10日 - 伝統

2020/06/01 (Mon) 18:41:49

【 6月1日 】 老人の戒め  ①

其の老ゆるに及んでや、之(こ)れを戒(いまし)むる得(とく)に在り。
得の字、指す所何事かを知らざりき。
余、齢(よわい)已(すで)に老(お)ゆ。

因(よ)りて自心を以て之を証するに、
往年血気盛んなる時、欲念も亦盛んなりき。

今に及んで血気衰耗し、欲念卻(かえ)って
較(やや)澹泊(たんぱく)なるを覚ゆ。

但(た)だ是れ年歯(ねんし)を貪り、子孫を営む念頭、
之を往時に比するに較(やや)濃(こま)やかなれば、
得の字、或いは此の類を指し、必ずしも財を得(え)、物を得(う)るを指さず。

                     (言後録 一七六)422


【訳】

『論語』に「老いたときに戒めるべきものは得である」とあるが、
この「得」という字ば何を指しているかよくわからなかった。

しかし、私もすでに老いたから、自分の心でこれの指し示すところを
証拠立ててみるならば、昔、血気盛んであったときは、欲心もまた盛んであった。

今となっては血の気は衰え、欲心もややあっさりしてきたようにう。
ただ、長生きしたり、子孫のためにあれこれ計ってやろうとする考えは、
昔に比べるとやや強くなって来ているから、

戒めるべき「得」というのはこのようなことを指していて、
必ずしも財産や物を得ることを指しているわけではなさそうだ。

・・・

【 6月2日 】 老人の戒め  ②

人、死生命(めい)有り、今強(し)いて養生を覔(もと)め、
引年(いんねん)を蘄(もと)むるも、亦(また)命(めい)を知らざるなり。

子孫の福幸も自(おのずか)ら天分有り。
今之(こ)れが為(ため)に故意に営度(えいたく)するも、
亦天を知らざるなり。

畢竟是れ老悖衰颯(ろうばいすいさつ)の念頭にて、
此れ都(す)べて是れ得を戒むるの条件なり。

知らず、他の老人は何の想(そう)を著(つ)け做(な)すかを。

                     (言後録 一七六)422


【訳】

人には生きるも死ぬも天命がある。
今、この年になって無理に養生して長生きしようと求めるのは、
天命を知らない生き方である。

また、子孫の幸福にも自ずから天与の分限というものがあるから、
今、そのために意図して考えを計(はか)り巡らせるというのも、
また天命というものを知らないということだ。

結局、こうした考えは老いぼれて心が乱れ衰えた者の思うことであって、
これらはすべて戒めるべき「得」の中に含まれることになるだろう。

これが自分の考えなのだが、他の老人たちが何を思っているかはかわからない。

・・・

【 6月3日 】 実言と虚言

実言は、芻蕘(すうじょう)の陋(ろう)と雖(いえど)も、
以て物を動かすに足る。

虚言は、能弁の士と雖も、人を感ずるに足らず。
 
                     (言後録 一七七)423

【訳】

真実の言葉は、身分の低い人の言葉であっても、
よく人を感動させる。

偽(いつわ)りの言葉は、弁論の達人の人の言葉であっても、
人を感動させることはできないものである。

  *芻蕘~草刈りときこり
  *陋 ~身分の低い人 

・・・

【 6月4日 】 己れの短長

人は当(まさ)に自ら己の才性(さいせい)に短長有るを知るべし。

                     (言後録 一七八)424

【訳】

人は当然のこととして、自分の才能や性格に
短所と長所のあることを知っておくべきである。


・・・

【 6月5日 】 盛衰の期限

三十年を一世とし、百五十年を五世と為す。
君子の沢(たく)は五世にして斬(た)ゆ。
是れ盛衰の期限なり。

五百年にして王者興(おこ)る有りとは、亦気運を以て言う。
凡そ世道(せどう)に意有るもの、察を致さざるべからず。

                     (言後録 一八ニ)428

【訳】

中国では、三十年を一世とし、百五十年を五世とする。
『孟子』に「君子のもたらす恩沢(後世に潤す恵み)は五世で尽きてしまう」
とあるが、これはその盛衰の期限である。

同じく『孟子』には「五百年にして王者が興る」ともあるが、
これは歴史上の気運の循環に基づいて言っているである。

すべて世を治めることに関心のある者は、
こうしたことをよくよく考えて事をさななければいけない。

・・・

【 6月6日 】 心の内は隠せない

戯言(ぎげん)固(もと)より実事に非ず。
然(しか)れども意の伏(ふく)する所、
必ず戲謔(ぎぎゃく)中に露見して、揜(おお)うべからざるもの有り。

                     (言後録 一八五)431

【訳】

戯(ざ)れ言(ごと)はそもそも真実のことではない。
しかし、心に潜(ひそ)んでいることは、
必ずふざけているうりに現われてきて、
覆い隠すことができないものである。

・・・

【 6月7日 】 事を処する心得

事を処するに平心易気)いき)なれば、人自(みずか)ら服し、
纔(わずか)に気に動けば便(すなわ)ち服せず。

                     (言後録 一八七)433

【訳】

物事を処理するときに、心が穏やかで落ち着いていれば、
人は自然に服従するものである。

しかし、わずかでも私心を挟むような気分に左右される
ところがあると、承服するものではない。

・・・

【 6月8日 】 上に立つ者の心得

寛(かん)なれども縦(じゅう)ならず。
明なれども察ならず。

簡(かん)なれども麤(そ)ならず。
果(か)なれども暴(ぼう)ならず。

此の四者を能(よ)くせば、以(もつ)て政(まつりごと)に従うべし。

                     (言後録 一八八)434


【訳】

寛容であるが気ままではない。
明敏ではあるが厳しく人の落ち度を取り調べない。

簡単であるが粗雑ではない。
果敢ではあるが乱暴ではない。

この四点をよく実行できれば、よい政治ができる。

・・・

【 6月9日 】 公務員の守るべき心得

敬忠(けいちゅう)・寛厚(かんこう)・信義・公平・
廉清(れんせい)・謙抑(けんよく)の六事十二字は、
官に居(お)る者の宜(よろ)しく守るべき所なり。

                     (言後録 一九七)443

【訳】

敬忠(君主を敬い忠義を尽くすこと)
寛厚(心が広く穏やかなこと)
信義(誠実で正しいこと)、
公平(公明正大であること)、
廉清(欲心がなく心が清らかなこと)、
謙抑(へりくだり自らを抑えること)

という六事十二字は、官職にある者がよく守るべき心得である。
 
・・・

【 6月10日 】 言葉を慎む

天地間の霊妙(れいみょう)、人の言語に如(し)く者莫(な)し。
禽獣(きんじゅう)の如きは徒(ただ)に声音(せいおん)有りて、
僅(わず)かに意嚮(いこう)を通ずるのみ。

唯(た)だ人は則(すなわ)ち言語有りて、
分明(ぶんめい)に情意(じょうい)を宣達(せんだつ)す。

又抒(の)べて以て文辞(ぶんじ)と為(な)さば、
則ち以て之を遠方に伝え、後世に詔(つ)ぐべし。

一に何ぞ霊なるや。惟(た)だ是くの如く之れ霊なり。
故(ゆえ)に其の禍階(かかい)を構え、
釁端(きんたん)を造(な)すも亦言語に在り。

譬(たと)えば猶(な)お利剣(りけん)の善く身を護る者は、
輒(すなわ)ち復(ま)た自ら傷つくるがごとし。
慎まざるべけんや。

                     (言後録 一〇)256

【訳】

天地の間で霊妙不可思議なものと言えば、人の言葉以上のものはない。
鳥獣はただ音声を発するだけで、やっと相互の意思を通じあうだけである。

ただ人間だけは言葉があって、
はっきりと自分の感情や意志をのべ伝えることができる。

また言葉を文章にするならば、これを遠方に送り伝え、
後世の人々に告げ知らせることができる。
なんと霊妙不可思議なことではないか。


ただこのように霊妙不可思議なものであるから、
禍(わざわい)や争(あらそい)のきっかけをつくったりするのも
また言葉である。

譬えれば、よく切れる剣は身を護るものではあるが、
容易にわが身を傷つけるようなものである。
それゆえ、言葉は慎まなければならない。

            <感謝合掌 令和2年6月1日 頓首再拝>

「佐藤 一斎・一日一言」6月11日~20日 - 伝統

2020/06/10 (Wed) 20:25:57


【 6月11日 】 長の学ぶべき三徳

人主(じんしゅ)の学は智・仁・勇の三字に在り。
能(よ)く之を自得せば、特(ひと)り終身受用して尽きざるのみならず、
而(しか)も掀天掲地(きんてんけいち)の事業、
憲(のり)を後昆(こうこん)に垂(た)るべき者も、亦断じて此(これ)を出でず。

                     (言後録 一九八)444

【訳】

人の上に立つ君主たる者は、智・仁・勇の三字を学ばなければならない。
これをよく自分のものにしたならば、生涯この三徳を受け用いても
尽きることがないばかりか、

天地をひっくり返すような大事業を成し遂げることができる。
また、そうした手本を後世に残すことのできるのも、
この智・仁・勇の三徳を実践する外はない。

 〇『論語』には「知者は惑わず、仁者は憂えず、勇者は懼れず」とある。

・・・

【 6月12日 】 人の見方

人の賢(けん)不肖(ふしょう)を論ずる、必ずしも細行(さいこう)を問わず。
必ず須(すべか)らく倫理(りんり)大節(たいせつ)の上に就きて、
其の得失如何)いかん)を観(み)るべし。
然(しか)らざれば則(すなわ)ち世に全(まった)き人無し。

                     (言後録 ニ一五)461

【訳】

人がの賢いか愚かかを論ずる場合は、必ずしも細かな行いを問うべきではない。
それよりも、人が必ず踏むべき大切な規範や節義の上に立って、
その人の得失のいかんを観察すればよい。

そうしなければ、この世の中には欠点のない尊敬に値する完成された
人はいないことになってしまうだろう。

・・・

【 6月13日 】 信用第一

信を人に取れば、則(すなわ)ち財足らざること無し。
 
                     (言後録 ニニ四)470

【訳】

人に信用されるようになれば、お金に困るということはない。

・・・

【 6月14日 】 六十からの自戒

人は老境に至れば、体(たい)漸(ようや)く懶散(らんさん)にして、
気太(はなは)だ急促(きゅうそく)なり。
往往(おうおう)人の厭(いと)う所と為(な)る。

余此(こ)れを視て鑑(かん)と為し、齢(よわい)六十を踰(こ)えて後、
尤(もっと)も功を著(つ)け、気の従容(しょうよう)を失わざるを要す。
然(しか)れども未(いま)だ能(あた)わざるなり。

                     (言後録 ニ一七)463

【訳】

人は年を取ると、体の締まりがなくなり不精(ぶしょう)になって、
気ばかりがせわしくなる。
そのため往々にして人から嫌われるようになる。

わたしはそれを見て自らの戒めとし、六十歳を越えてからは
一層努力精進を重ね、心の落ち着きを失わないように気をつけている。
しかし、まだまだ十分とはいかない。

・・・

【 6月15日 】 人生所感 ①

余(よ)自(みずか)ら視・観・察を飜転(ほんてん)して、
姑(しばら)く一生に配(はい)せんに、
三十已下(いか)は視の時候に似たり。

三十より五十に至るまでは、観の時候に似たり。
五十より七十に至るまでは、察の時候に似たり。

                     (言後録 ニ四〇)486


【訳】

『論語』為政扁に「其の以す所を視、其の由る所を観、その安んずる所を察す」とある。

私がこの視・観・察をうつしかえて人の一生に配してみると、
三十歳以下は、まだ見る目が浅いから「視」の時代に似ている。

三十歳から五十歳に至るまでは、
それ以前よりは念を入れて世間を見るから「観」の時代に似ている。

五十歳から七十歳に至るまでは、さらに精(くわ)しく内省しながら見るから
「察」の時代に似ている。

・・・

【 6月16日 】 人生所感 ②

察の時候には当(まさ)に知命・楽天に達すべし。
而(しこう)して余(よ)の齢(よわい)今六十六にして、
猶(な)お未(いま)だ深く理路に入(い)る能(あた)わず。

而(しか)るを況(いわん)や知命・楽天に於てをや。
余齢(よれ)幾(いく)ばくも無し。
自(みずか)ら励まざる容(べ)からず。
天保丁酉記す。

                     (言後録 ニ四〇)486

【訳】

この「察」の時代にはまさに天命を知り、人生を楽しむ境地に達するすべきである。
さて、自分は六十六歳にもなったが、まだ物事の道理に深く入ることができないでいる。

ましてや天命を知り、安んずることはできない。
もう余生もそれほど残っていないのだから、もっと精進しなければならない。
(天保八年七月記す)

・・・

【 6月17日 】 名も亦棄つべからず

名は求むねからずと雖(いえど)も、亦(また)棄(す)つべからず。
名を棄つれば斯(ここ)に実を棄つるなり。

故に悲類(ひるい)に交(まじ)わりて以(もつ)て名を壊(やぶ)るべからず。
非分(ひぶん)を犯して以て名を損(そん)すべからず。
権豪(けんごう)に近づき以て名を貶(おと)すべからず。
貨財に黷(けが)されて以て名を汚(けが)すべからず。

                     (言後録 ニニ〇)466

【訳】

名誉は無理に求めるべきものではないが、かといって、
今持っている名誉をわざわざ棄てるべきでもない。
名誉を棄てるということは、実を棄てることになるからである。

そういうわけだから、行いの正しくない者たちと交わって、
自分の名を汚してはいけない。
本分に外れた行いをして、名を損じてはいけない。
権勢の強い者に近づいて、名を落としてはいけない。
金銭や財宝のよって節度を失って、名を傷つけはいけない。

・・・

【 6月18日 】 女性が四十歳になったら

婦人の齢(よわい)四十も、亦(また)一生変化の時候と為(な)す。
三十前後猶(な)お羞(しゅう)を含み、
且(か)つ多く舅姑(きゅうこ)の上に在る有り。

四十に至る比(ころ)、鉛華(えんか)漸(ようや)く褪(あ)せ、
頗(すこぶ)る能(よ)く人事を料理す。
因(よ)って或(ある)いは賢婦(けんぷ)の称を得るも、多く此の時候に在り。

然(しか)れども又其の漸(ようや)く含羞(がんしゅう)を忘れ
脩飾(しゅうしょく)する所無きを以て、則(すなわ)ち或いは機智を挟(さしはさ)み、
淫妬(いんと)を縦(ほしいまま)にし、大いに婦徳を失うも、亦多く此の時候に在り。

其の一成(せい)一敗(ぱい)の関すること、猶お男子五十の時候のごとし。
預(あらかじ)め之が防(ぼう)を為すを知らざるべけんや。

                     (言後録 ニ四二)488

【訳】

女性の四十歳も、変化のある時期である。
三十歳前後はまだ恥じらいがあり、上には、舅(しゅうと)と姑(しゅうとめ)がいる。

ところが、四十ごろになると、化粧をする気持ちも褪(あ)せ、
人の世話も上手になる。
そのため、賢婦人といわれるのも、多くはこの時期である。

一方で恥じらいがなくなり、容姿にも気を配らず、その場しのぎがうまくなり、
身を持ち崩したりして、婦徳を大いに失しなってしまうのも、この時期に多い。

婦徳が成るか成らないかは、男子の五十歳のころと同じようである。
予(あらかじ)これを防ぐことを知らなければならない。

・・・

【 6月19日 】 血気老少有り、志気老少無し ①

血気(けっき)には老少有りて、志気(しき)には老少無し。
老人の学を講ずるには、当(まさ)に益々志気を励まして、
少壮の人に譲るべからざるべし。

                     (言後録 ニ四三)489

【訳】

身体から発する血気には老人と青年で違いがあるが、
精神を源とする志気には老人も青年も違いはない。
だから、老人が学問をしようと思えば、ますます志気を奮い立たせて、
青少年や壮年に負けてはいけない。
 
・・・

【 6月20日 】 血気老少有り、志気老少無し ②

少壮(しょうそう)の人は春秋に富む。
仮令(たとい)今日(こんにち)学ばずとも、
猶(な)お来日(らいじつ)の償(つぐな)うべき有る容(べ)し。

老人は則(すなわ)ち真(しん)に来日無し。
尤(もっと)も当(まさ)に今日学ばずして来日有りと謂(い)うこと勿(なか)るべし。

易に曰く、「日昃(かたむ)くの難(り)は、缶(ふ)を鼓(こ)して歌わざれば、
則(すなわ)ち大耋(たいてつ)の嗟(なげき)あり」とは、此(これ)を謂うなり。

偶々(たまたま)感ずる所有り。書して以て自(みずか)ら警(いまし)む。
天保八年嘉平月朔録す

                     (言後録 ニ四三)489

【訳】

若い人たちはまだ先が長い。
仮に今日学ばなくても、それを補う未来がある。
しかし老人には、本当に補うべき日が残っていない。

易経に「人生が終わりに近づこうとするとき、楽器を打ち鳴らして歌い楽しんでおかないと、
いたずらに年をとってしまったという悔いだけが残ることになる。
これこそ不幸である」とあるのは、これを意味している。

たまたま思うところがあって、ここに書いて自らの戒めとするものである。
(天保八年十二月記す)

            <感謝合掌 令和2年6月10日 頓首再拝>

「佐藤 一斎・一日一言」6月21日~30日 - 伝統

2020/06/20 (Sat) 19:30:24

【 6月21日 】 天和を養う

放鬆(ほうしょう)任意(にんい)は固(もと)より不可なり。
安排(あんばい)矯揉(きょうじゅう)も亦不可なり。
唯(た)だ縦(じゅう)ならず束(そく)ならず。
従容(しょうよう)として以て天和(てんわ)を養うは、即便(すなわ)ち敬なり。

                     (言後録 ニ四八)494

【訳】

締りなくわがままでいることは、もとよりよいことではない。
しかし、加減して形だけ直すのも、またよいことではない。

ただ、気ままにならず、束縛もせず、
ゆったりと落ち着いた気分で自然のままの調和を養っていく。
これを敬というのである。

・・・

【 6月22日 】 孟子の三楽①

孟子の三楽、
第一楽は親に事(つか)うるを説く。
少年の時の事に似たり。

第二の楽は己(おのれ)の成すを説く。中年の時に似たり。

第三の楽は物を成すを説く。老年の時に似たり。
余自ら顧(おも)うに、齢已に桑楡(そうゆ)なり。
父母兄弟皆亡す。何の楽か之有らんと。

                     (言後録 ニ四四)490

【訳】

孟子は、君子の三つの楽しみを挙げている。
第一の楽としては、親に仕えることを説いている。
これは少年時代のことのようである。

第二の楽としては、自己を完成させることを説いている。
これは中年時代のことのようである。

第三の楽としては、人物をの養成することを説いている。
これは老年時代のことのようである。
私は自らを顧みてこう思った。
「自分は既に年をとってしまった。親兄弟はみんな没している。
 何の楽しみがあるだろうか」と。

・・・

【 6月23日 】 孟子の三楽②

但(た)だ自ら思察するに、我が身は即ち父母の遺体にして、
兄弟(けいてい)も亦同一気になれば、
則(すなわ)ち我れ今自ら養い自ら慎み、虧(か)かず辱(はずかし)めざるは、
則ち以て親に事(つか)うるに当(あ)つべき歟(か)。

英才を教育するに至りては、固(もと)より我が能(よ)くし易(やす)きに非ず。

然(しか)れども亦以て己(おのれ)を尽くさざるべけんや。
独(ひと)り怍(は)じず愧(は)じざるは、
則ち止(た)だに中年の時の事なるのみにならず、

而(しか)も少より老に至るまで、一生の受用なれば、当に慎みて之を守り、
夙夜(しゅくや)諼(わす)れざるべし。
是(か)の如くんば、則ち三楽皆以て終身の事と為すべし。

                     (言後録 ニ四四)490


【訳】

ただ、さらに深慮すれば、私の身体は父母の遺したものであり、
兄弟もまた同じだから、私が今、自ら養い、自ら慎み、正しい行ないをして、
人から辱(はずかし)めを受けなければ、それは親に仕えるということになろう。

英才の教育は、もとより私が容易にできることではないが、

精一杯尽力しなければならない。
第二の楽の天地に恥じないとは、単に中年のときの問題ではなく、

少年から老年に至るまで受け持ち用いるべきことで、慎んでこれを守り、
朝から晩まで忘れてはならない。
このようにみてくると、孟子の三楽は一生涯にわたってなさねばならないことである。
こう考えると、孟子の三楽は皆、生涯かけてなすべきことである。

・・・

【 6月24日 】 弁明黙識

道理は弁明せざるべからず。
而(しか)れども或いは声色(せいしき)を動かせば、
則(すなわ)ち器(うつわ)の小なるを見る。
道理は黙識(もくしき)せざるべからず。
而(しかれど)も徒(いたず)らに光景を弄(ろう)すれば、則ち狂禅(きょうぜん)に入る。

                     (言後録 ニ四七)493

【訳】

物事の道理ははっきり弁別して明らかにしなければいけない。
しかし、そのために大声を上げたり顔色を変えたりするのは、
器の小ささを露呈することになる。

物事の道理は心の内で会得しなければならない。
しかし、いたずらに妄想を巡らしていると、
わかりもしないのに悟ったような誤った禅に入ったようになる。

   *光景を弄(ろう)す~妄想をめぐらす

・・・

【 6月25日 】 工夫忘るべからず

酬酢紛紜中(しゅうさくふんうんちゅう)にも、
提醒(ていせい)の工夫を忘る可(べ)からず。

                     (言後録 ニ四六)492

【訳】

ごたごたした仕事中でも、
自分の本心を失わない工夫を忘れてはいけない。

  *酬酢~酒杯のやりとり、転じて応対のこと
  *提醒~本心を呼びさますこと。

・・・

【 6月26日 】 神速

胸次(きょうじ)虚明(きょめい)なれば、
感応(かんのう)神速(しんそく)なり。

                     (言晩録 五)505

【訳】

胸の中が捉われるところがなく透明ならば、
その感応のスピードは神の如く迅速である。

・・・

【 6月27日 】 王道と聖学

学を為(な)すの緊要(きんよう)は、心の一字に在り。
心を把(と)りて以て心を治む。之を聖学と謂う。

政(まつりごと)を為すの著眼(ちゃくがん)は、情の一字に在り。
情に循(したが)って以て情を治む。之を王道と謂う。

王道・聖学は二に非ず。

                     (言晩録 一)501

【訳】

学問をする場合に最も大切なのは、心という一字にある。
自分の心をしっかり把握して、心を高めていく。
これを聖人の学問というのである。

政治を行う場合に着目すべき大事な点は、情という一字にある。
人情の機微に従って、人々を治めていく。これを王者の政道というのである。
この王者の政道と聖人の学は一つであって、二つに分かれているのではない。

・・・

【 6月28日 】 心は平らに、気は安らかに

心は平(たいら)なるを要す。平なれば則ち定まる。
気は易(い)なるを要す。易なれば則ち直(なお)し。

                     (言晩録 六)506

【訳】

心は穏やかで落ち着いていることが大切である。
心が平安であれば、自然に心は治まる。
同時に、気持ちは安定していることが大事である。
気が安らかであれば、何事もまっすぐに行なわれる。

『菜根譚』には
「心和し気平らかなる者には百福自ら集る」とある。

・・・

【 6月29日 】 克己復礼

濁水(だくすい)も亦水なり。
一たび澄めば則(すなわ)ち清水と為る。

客気(かっき)も亦気なり。
一たび転ずれば、正気(せいき)と為る。

逐客(ちくかく)の工夫は、只(た)だ是(こ)れ克己(こっき)のみ。
只だ是れ復礼(ふくれい)のみ。

                     (言晩録 一七)517

【訳】

濁った水でも、水に変わりはない。
一度澄めば、清らかな水となる。

カラ元気でも、気に変わりはない。
一転すれば、至正至大な正気になる。

カラ元気を追い払うには、ただ私欲に打ち克って、
正しい礼にかえっていくのみである。

 〇孔子は「仁」を問うた顔淵(がんえん)に対して
  「克己復礼を仁となす」と教えている。

・・・

【 6月30日 】 一燈を頼め

一燈を提(さ)げて暗夜を行く。
暗夜を憂(うれ)うること勿(なか)れ。
只(た)だ一燈を頼め。

                     (言晩録 一三)513

【訳】

手元に一つの提灯(ちょうちん)をさげて暗い夜道を行くならば、
暗夜を心配することはない。
ただその一つの提灯を頼りにして前進すればいいのだ。

 〇釈尊はその死期に際して
  「自ら燈明となれ、法(真理)を燈明とせよ」
  と阿難に教えている。

           <感謝合掌 令和2年6月20日 頓首再拝>

「佐藤 一斎・一日一言」7月1日~10日 - 伝統

2020/06/30 (Tue) 23:41:37

【 7月1日 】 静と動

余の義理を沈思(ちんし)する時は、
胸中寧静(ねいせい)にして気体収斂(しゅうれん)するを覚え、
経書(けいしょ)を講説する時は、胸中醒快(かいせい)にして
気体流動するを覚ゆ。

                     (言晩録 四一)541

【訳】

自分が正しい筋道について深く考えるときは、
胸中がが静かで穏やかになって、心も体も引き締まるように感じられる。

また、経書を講義するときは、胸中がすっきりと爽やかになって、
心も体も活発に働きめぐるように感じられるる。

・・・

【 7月2日 】 学問の意義

少(しょう)にして学べば、
則(すなわ)ち壮(そう)にして為すこと有り。

壮にして学べば、則ち老いて衰えず。
老いて学べば、則ち死して朽(く)ちず。

                     (言晩録 六〇)560

【訳】

少年の時に学んでおけば、壮年になって役に立ち、
何事かをなすことができる。

壮年のときに学んでおけば、老いて気力の衰えることがない。
老年になっても学んでおけば、若い者を指導することができ、
死んでからもその名が朽ちることはない。

・・・

【 7月3日 】 人の長所を視る

我れは当(まさ)に人の長処を視(み)るべし。
人の短処を視ること勿れ。

短処を視れば、則(すなわ)ち我れは彼に勝(まさ)り、
我れに於て益(えき)無し。

長処を視れば、則ち彼れは我れに勝り、我れに於て益有り。

                     (言晩録 七〇)570


【訳】

人を視るときは長所を視るようにして、
短所をを視るべきではない。

短所を視ると、自分は相手より勝っていると思い、
努力しなくなるから、自分の得にならない。

長所を視れば、相手が自分より勝っていると思い、
それに近づくように努力するから、自分に有益である。

・・・

【 7月4日 】 志は高く、態度は謙虚に

志、人の上に出(い)ずるは、倨傲(きょごう)の想に非ず。
身、人後(じんご)に甘んずるは、萎苶(いでつ)の陋(ろう)に非ず。

                     (言晩録 七一)571

【訳】

志が人よりも高いところにあるというのは、
決して傲慢な思いではない。

自分の身を持するのに人の後ろにあるというのは、
謙虚な態度であって委縮した態度ではない。

 *萎苶(いでつ)
  ~萎は草木が衰え縮むさま、
   苶は疲れること。
   つまり、衰え弱ること。

・・・

【 7月5日 】 経書の真意を読む

経(けい)を読むには、宜(よろ)しく我れの心を以て経の心を読み、
経の心を以て我れの心を釈(と)くべし。

然らずして、
徒爾(とじ)に訓詁(くんこ)を講明するのみならば、
便(すなわ)ち是れ終身會(かつ)て読まざるなり。

                     (言晩録 七六)576

【訳】

経書を読むときは、自分の心で経書に書かれた真意を読み、
経書の真意によって自分の心を解釈をするとよい。

そうしないで、いたずらに一字一句の読み方や字義を講じ、
解釈するのみならば、一生涯何も読まなかったに等しい。

  〇 「論語読みの論語知らず」はいけない。

・・・

【 7月6日 】 婦徳と婦道

婦徳は一箇の貞字(ていじ)、婦道は 一箇の順字(じゅんじ)。

                     (言晩録 一四一)641

【訳】

婦人の守るべき操は、操(みさお)が正しいことを意味する
「貞」の一字にある。
婦人の守るべき道は、やさしく付き従う意味の「順」の一字にある。

 〇男女の特性を自覚し、それによって世に貢献する気持ちが
  大切である。

・・・

【 7月7日 】 恩と怨

恩怨(おんえん)分明(ぶんめい)なるは、君子の道に非ず。
徳の報ずべきは固(もと)よりなり。

怨(うらみ)に至っては、則ち当(まさ)に
自(みずか)ら其の怨(うらみ)を致しし所以(ゆえん)を怨むべし。

                     (言晩録 一五〇)650

【訳】

恩を受けたら恩を返し、怨(うらむ)を受けたら怨みを返すというように、
恩と怨みをはっきり分けるのは、君子のとるべき道ではない。
恩を受けてそれに報いるべきなのはいうまでもない。

怨(うらみ)に対しては、その怨まれるに至った原因をよく考え、
自らに厳しく反省すべきである。

・・・

【 7月8日 】 人情の向背

人情の向背(こうはい)は、敬(けい)と慢(まん)とに在り。
施報(せほう)の道も亦(また)忽(ゆるが)せにすべきに非ず。
恩怨(おんえん)は或(あるい)は小事より起る。慎むべし。

                     (言晩録 一五一)651

【訳】

人情が自分に向くか背(そむ)くかは、自分がその人を敬しているか、
侮(あなど)っているかによって決まる。

人に恵を施(ほどこ)し、人の恩に報いることも、
またいいかげんにするべきではない。

恩や怨は得てして小さなことから起こるものであることに注意して、
十分に慎まなければならない。

・・・

【 7月9日 】 決断のよりどころ

果断は義より来(きた)る者有り、智より来る者有り、
勇より来る者有り、義と智とを并(あわ)せて来る者有り、上なり。
徒勇(とゆう)のみなるは殆(あやう)し。

                     (言晩録 一五九)659

【訳】

物事を素早く実行するという態度は、正義感義から来ることもあり、
智慧から来ることもあり、勇気から来ることもある。

正義感と智慧を合わせて来ることもあるが、これが最上の果断である。
ただ血気にはやる勇気だけから来る果断は危ういものである。

・・・

【 7月10日 】 質問のこつ

事を人に問うには、虚懐(きょかい)なるを要し、
豪(ごう)も挟(さしはさ)む所有るべからず。

人に替(かわ)りて事を処するには、周匝(しゅうそう)なるを要し、
稍(やや)欠くる所有るべからず。

                     (言晩録 一六八)668

【訳】

人に物事を問うときには、公平でわだかまりのない心でなければならず、
ほんの少しでも自負するところがあっていけない。

人に代って物事を処理するときには、用意周到でなければならず、
少しでも落度があってはいけない。

            <感謝合掌 令和2年6月30日 頓首再拝>

「佐藤 一斎・一日一言」7月11日~20日 - 伝統

2020/07/10 (Fri) 20:49:34

【 7月11日 】 我が身に問え

我が言語は、吾が耳自(みずか)ら聴くべし。
我が挙動は、吾が目自ら視るべし。
視聴既に心に愧(は)じざらば、則(すなわ)ち人も亦(また)必ず服せん。

                     (言晩録 一六九)669

【訳】

自分の言葉は自分の耳で聴くがいい。
自分の立ち居振る舞いは自分の目で視るがいい。

自分の目で視、自分の耳で聴いて、心に愧(は)じるところがなければ、
人もまた必ず従うであろう。

・・・

【 7月12日 】 慎独・応対の工夫

慎独(しんどく)の工夫は、当(まさ)に身の稠人広坐(ちゅうじんこうざ)の
中(うち)に在るが如きと一般なるべく、
応酬(おうしゅう)の工夫は、当に間居(かんきょ)独処(どくしょ)の時の如き
と一般なるべし。

                     (言晩録 一七ニ)672

【訳】

独り慎む工夫は、
自分が多くの人の座っている場所の中にいるのと同じ気持でいればいい。

人との応対する工夫は、一人でくつろいでいるときと
同じように自然にすればいい。

・・・

【 7月13日 】 今この瞬間に集中する

心は現在なるを要す。
事未(いま)だ来(きた)らざるに、邀(むか)うべからず。
事已(すで)に往けるに、追うべからず。
纔(わずか)に追い纔に邀(むか)うとも、便(すなわ)ち是(こ)れ放心なり。

                     (言晩録 一七五)675

【訳】

われわれの心は今この瞬間にすべて傾けなくてはいけない。
事柄がまだやって来ていないのに、これを待ち受けることはできないし、
すでに過ぎ去ってしまったことを追いかけることもできない。

ほんのわずかでも過去を追ったり、未来を迎えたりするのは、
本心を失っているということである。

 〇荘子は「至人の心を用うるや鏡の如し。将(おく)らず
  逆(むか)えず応して而(しこう)して蔵(おさ)めず」と言っている。

  先のことを取越し苦労せず、目前のことを直に処理して心に残さない、
  人の影を残さない鏡のようにあれということである。

・・・

【 7月14日 】 心の安否を尋ねる

人は当(まさ)に自(みずか)ら吾が心を礼拝し、自ら安否を問うべし。
吾が心は即(すなわ)ち天の心、吾が身は即ち親の身なるを以(もつ)てなり。
是(こ)れを天に事(つか)うと謂い、是を終身の孝と謂う。

                     (言晩録 一七七)677

【訳】

人は常に自分の心を尊び拝み、それが安らかであるか否かを尋ねるべきである。

わが心は即ち天から与えられた心であり、わが身は親から授かった身であるからだ。

このように自らの心を礼拝し、その安否を尋ねることを天に事えるというのであり、
生涯を通じての孝というのである。


  〇『無門関』には、「瑞巌(ずいがん)の彦(げん)和尚、
   毎日自ら主人公と喚(よ)び、復(また)自らを応諾す。
   乃(すなわ)ち云(いわ)く惺惺著(せいせいじゃく=はっきりせい)、諾。
   他事異日、人(ひと)の瞞(まん)を受くることなかれ(だまされるな)。
   諾諾。」とある。

   和尚が毎日、自分自身に自問自答して、自らの心の確認自立を工夫したことを
   言っているのである。

・・・

【 7月15日 】 敬する者は火の如し

敬を持(じ)する者は火の如し。
人をして畏(おそ)れて之を親しむべからしむ。

敬せざる者は水の如し。
人をして狎(な)れて之に溺(おぼ)るべからしむ。

                     (言晩録 一七四)674

【訳】

常に慎み敬う態度でいる人は火のようなものである。
人は畏(おそ)れるけれども、親しむべき人として敬う。

慎み敬うことをしない人は水のようなものである。
馴れ親しみやすいけれど、人から馬鹿にされてしまう。

・・・

【 7月16日 】 実響と虚声

名誉は人の争いて求むる所にして、又人の群がりて毀(そし)る所なり。
君子は只だ是れ一実(いちじつ)のみ。
寧(むし)ろ実響(じっきょう)有るも、虚声(きょせい)有ること勿れ。

                     (言晩録 一八三)683

【訳】

名誉は人々が争い求めるものであり、
また人々が集まってそしるものでもある。

君子は、ただ一つの実るを尊び、名は気にしない。
むしろ、内実の伴った名声はあろうとも、上っ面だけの名声はあってはならない。

・・・

【 7月17日 】 敬を以て逆順を貫く

人の一生には、順境有り、逆境有り。
消長の数(すう)、怪(あや)しむべき者無し。

余又自(みずか)ら検(けん)するに、順中の逆有り、逆中の順あり。

宜(よろ)しく其の逆に処して敢(あえ)て易心(いしん)を生(しょう)ぜず、
其の順に居(お)りて敢て惰心(だしん)を作(な)さざるべし。
惟(た)だ一の敬の字、以て逆順を貫けば可なり。

                     (言晩録 一八四)684

【訳】

人の一生には、順境もあれば逆境もある。
これは栄枯盛衰の理法というものであって、少しもおかしなことではない。

また私が自ら調べてみたところによると、順境のさなかにも逆境があり、
逆境のさなかにも順境がある。

だから、逆境にあるからといってやけくそになったり、
順境にいるからといって怠け心を起してはいけない。
ただ敬の一字を心に置いて、順境も逆境も終始一貫すればいいのである。

  〇『酔古堂剣掃(すいこどうけんすい)』には
   「名を残すは毎(つね)に窮苦の日に在り。事を破るは多く志を得るの日に因(よ)る」
   とある。

・・・

【 7月18日 】 貧富は天の定めるところ

富人を羨(うたや)むこと勿(なか)れ。
渠(か)れ今の富、安(いずく)んぞ其(そ)の後の貧(ひん)を招かざるを知らんや。

貧人を侮(あなど)ること勿れ。
渠(か)れ今の貧、安(いずく)んぞ其の後の富を胎(たい)せざるを知らんや。

畢竟(ひっきょう)天定なれば、各々(おのおの)其の分に安(やす)んじて可なり。

                     (言晩録 一九〇)690

【訳】

富める人を羨(うらや)んではいけない。
彼の今の富が、どうして後日の貧乏を招かないものであると
わかろうか(招くかも知れない)。

貧しい人を侮(あなど)ってはいけない。
彼の今の貧しさが、どうして後日の富のもとでないことが
わかろうか(もととなるかも知れない)。

結局、貧富というのは天が定めるものだから、
各人は己の分限に安んじて最善を尽くしていればいいのである。

・・・

【 7月19日 】 人を玩べば徳を失う

愛敬(あいけい)の二字は、交際の要道たり。
傲視(ごうし)して以て物を凌(しの)ぐこと勿(なか)れ。
侮咲(ぶしょう)して以て人を調(ちょう)すること勿れ。

旅獒(りょごう)に「人を玩(もてあそ)べば徳を失う」とは、
真(しん)に是れ明戒(めいかい)なり。

                     (言晩録 一九八)698

【訳】

愛・敬の二字は、人と交際するときの大切な道である。
傲慢(ごうまん)に人を見下すような態度で、物事を軽視してはいけない、
侮(あなど)り笑うような態度で、人をあざけり、からかってはいけない。

『書経』の旅獒篇に「人を侮りからかえば、自分の徳を失うことになる」とあるが、
本当に立派な戒めである。

  〇中江藤樹は「愛はねんごろに親しむ意なり。敬は上をうやまい、
   下を軽んじ侮らざるの義なり」と言っている。

旅?:http://fukushima-net.com/sites/meigen/457
 
・・・

【 7月20日 】 愛敬の心

愛敬の心は、即(すなわ)ち天地生生の心なり。
草木を樹芸(じゅげい)し、禽虫(きんちゅう)を飼養(しよう)するも、
亦(また)唯(た)だ此の心の推(すい)なり。

                     (言晩録 一八八)688

【訳】

慈しみ敬う心は、天地が万物を育てはぐくむ心と同じである。
草木を植え、鳥や虫を飼育するのも、また愛敬の心を推し進めたものである。

            <感謝合掌 令和2年7月10日 頓首再拝>

「佐藤 一斎・一日一言」7月21日~31日 - 伝統

2020/07/20 (Mon) 21:24:55


【 7月21日 】 学は足らざるを知る

人各々(おのおの)分(ぶん)有り、当(まさ)に足るを知るべし。
但(た)だ講学は則ち当に足らざるを知るべし。

                     (言晩録 二〇二)702

【訳】

人にはそれぞれ本分というものがある。
それに満足して、貪(むさぼ)らず、やすらかに暮らすことが大切である。
ただし、学問をする場合には、どこまでいっても、
なお足らないことを知って努力を続けなくてはいけない。

・・・

【 7月22日 】 試練が人を生長させる

薬物は、甘(かん)の苦中より生ずる者多く効有り。
人も亦(また)艱苦(かんく)を閲歴(えつれき)すれば、
則ち思慮自(おのずか)ら濃(こま)やかにして、
恰(あたか)も好(よ)く事を済(な)す。此(こ)れと相似(あいに)たり。

                     (言晩録 二〇四)704

【訳】

薬は甘味が苦味の中から出てくるものに多く効用がある。
人も同じで、艱難辛苦を経験すると、考えが自然と細部にまで行き届くようになり、
何事もよく成就することになる。これとよく似ている。

・・・

【 7月23日 】 だます者はだまされる

人を欺(あざむ)かざる者は、人も亦(また)敢(あえ)て欺かず。
人を欺く者は、卻って人の欺く所と為(な)る。

                     (言晩録 二〇九)709

【訳】

人をだまさない者は、人もまた決してだまさない。
人をだます者は、かえって、人にだまされるようになる。

・・・

【 7月24日 】 世渡りの方法

言を察して色を観(み)、慮(おもんばか)りて以(もつ)て人に下(くだ)る。
世を渉(わた)るの法、此の二句に出でず。

                     (言晩録 二一ニ)712

【訳】

『論語』に「達人は相手の言葉を推察し、相手の表情を観察して、
その心中を知り、思慮深く周到に、人にへり下るものである」とある。
世の中を渉る方法として、この二句以上のものはない。

・・・

【 7月25日 】 恕と譲

怨(うらみ)に遠ざかるの道は、一箇の恕(じょ)の字にして、
争いを息(や)むるの道は、一箇の譲の字なり。

                     (言晩録 二一三)713

【訳】

人から怨まれないようにする道は、恕の一字、つまり思いやりにある。
争いごとを止める道は、譲の一字、つまりへりくだり譲ることにある。

・・・

【 7月26日 】 赤子と老人

赤子(せきし)の一啼一咲(いっていいっしょう)は、皆天籟(てんらい)なり。
老人の一話一言は、皆活史(かつし)なり。

                     (言晩録 二一四)714

【訳】

赤ん坊の泣き笑いは、すべて天然自然のもたらす素晴らしい音楽である。
老人の話や言葉は、すべて経験を物語る活きた歴史である。

・・・

【 7月27日 】 得意の時、失意の時

人、得意の時は輒(すなわ)ち言語饒(おお)く、
逆意の時は即ち声色(せいしき)を動かす。
皆養の足らざるを見る。

                     (言晩録 二一五)715

【訳】

人というものは、得意のとき饒舌になり、
失意のときは声や顔に心中の動揺が出るものである。
これは皆、修養の足りないことを表している。

 〇崔後渠(さいこうきょ)の『六然(りくぜん)』は、

  「自ら処すること超然、
   人に接すること藹然(あいぜん)
   得意澹然(たんぜん)
   失意泰然
   有事斬然(ざんぜん)
   無事澄然 」

  といい、
  勝海舟はこれを座右の銘としていた。

   *「六然訓」
    https://blog.goo.ne.jp/chorinkai/e/1c500e35b014cf93054150408f228545

・・・

【 7月28日 】 修養の程度を確かめる

存養(そんよう)の足ると足らざるは、
宜(よろ)しく急遽(きゅうきょ)なる時の事に於(おい)て自(みずか)ら験(けん)すべし。

                     (言晩録 二一六)716

【訳】

精神修養が十分にできているかどうかは、
急ぎ慌てているときに自分自身で判断してみればいい。

・・・

【 7月29日 】 学問の心構え

人は此(こ)の学に於(おい)て、片時も忘るべからず。
昼夜一患(いっかん)せよ。老少一患せよ。
缶(ほとぎ)を鼓(こ)して歌うも亦是れ学。
晦(かい)に嚮(むこ)て宴息(えんそく)するも亦是れ学なり。

                     (言晩録 二ニ〇)720

【訳】

聖人の学問をしようというときは、その志を一時も忘れてはいけない。
昼も夜も貫き通せ。若いときから老人になるまで貫き通せ。
宴会で缶(ふ)を打ち鳴らして歌うのもまた学問である。
日が暮れて安息するのもまた学問である。

・・・

【 7月30日 】 常に心を錬磨する

事に処し物に接して、此(こ)の心を錬磨(れんま)すれば、
人情事変も亦(また)一併(へい)に錬磨す。

                     (言晩録 二ニ一)721

【訳】

事を処理したり、物に接していくときに、自らの心を錬磨していけば、
人の心や世の中の変化し向かう心構えも、また一緒に磨き上げていくことができる。

・・・

【 7月31日 】 こだわりを捨てる

凡(およ)そ事は似るを嫌って真(しん)を誤(あやま)ること勿(なか)れ。
名に拘(かかわ)りて実(じつ)を失うこと勿れ。
偏(へん)を執(と)って全(ぜん)を害すること勿れ。

                     (言晩録 二ニ四)724

【訳】

何事も、人を真似るのを嫌って真実を見誤ってはいけない。
名前にこだわって実質を失ってはならない。
偏ったことに執着して、全体を損なうことがあってはならない。

            <感謝合掌 令和2年7月20日 頓首再拝>

「佐藤 一斎・一日一言」8月1日~10日 - 伝統

2020/07/30 (Thu) 20:38:16

【 8月1日 】 真の孝行、真の忠義

真孝(しんこう)は孝を忘る。
念念是(こ)れ孝。

真忠(しんちゅう)は忠を忘る。
念念是れ忠。

                     (言晩録 二ニ七)727

【訳】

真の孝行とは、自分が孝行していると殊更(ことさら)に
意識しないものである。
つまり、思うことがすべて孝行なのである。

真の忠義とは、自分が忠義であると殊更(ことさら)に
意識しないものである。
思うことがすべて忠義なのである。

・・・

【 8月2日 】 親に仕え、子に教える

親に事(つか)うるの道は、己(おの)れを忘るるに在り。
子を教うるの道は、己れを守るに在り。

                     (言晩録 二ニ八)728

【訳】

親に仕えるには、自分を無にして尽くすことである。
子供を教えるには、自ら徳操を固く守って模範となることである。

・・・

【 8月3日 】 父の道、母の道

父の道は当に厳中(げんちゅう)に慈(じ)を存(そん)すべし。
母の道は当に慈中に厳を存すべし。
 
                     (言晩録 二ニ九)729

【訳】

父たる者は、厳しさの中に慈愛がなくてはいけない。
母たる者は、慈愛のうちに厳しさがなくてはいけない。

・・・

【 8月4日 】 父と子

父の道は厳を貴(とうと)ぶ。
但(た)だ幼(よう)を育つるの方(ほう)は、
則(すなわ)ち宜(よろ)しく其の自然に従って
之(これ)を利道(りどう)すべし。
助長して以て生気を賊(そこな)うこと勿(な)くんば可なり。

                     (言晩録 二三〇)730

【訳】

父の子に対する道は厳格でなければならない。
ただし、幼児を育てるときには、その自然のままに従って、
それとなく善い方向に導いてやるがよい、

無理やり力を加えて、子供の生き生きとした活気を
損なうことがなければよいのである。

・・・

【 8月5日 】 過失を責める

人の過失を責むるには、十分を要せず。
宜(よろ)しく二三分を余(あま)し、
渠(かれ)をして自棄に甘んぜず、
以て自ら新たにせんことを覔(もと)めしむべくして可なり。

                     (言晩録 二三三)733

https://kanji.jitenon.jp/kanjiq/8041.html

【訳】

人の過失を責めるときには、徹底的に責めることはよくない。
二、三分は残しておいてやり、その人が自棄にならずに、
自分で改め立ち直るように仕向けてやるのがよい。

・・・

【 8月6日 】 善行を勧める

責善の言は、尤(もっと)も宜(よろ)しく遜(そん)以て
之(これ)を出(いだ)すべし。
絮叨(じょとう)すること勿れ。讙呶(かんどう)すること勿れ。

                     (言晩録 二三四)734

【訳】

善行を行なうように勧める言葉は、なるだけ
へりくだって言うべきである。

回りくどく話してはいけない。
わめき騒ぎ立てるように言うのもいけない。

  *絮叨~多弁・饒舌

   讙呶~かまびすしい。さわがしい。

  〇立ち直させるために戒めているのである。

・・・

【 8月7日 】 誠で禍を打ち払う

形迹(けいせき)の嫌(けん)は、
口舌(こうぜつ)を以て弁ずべからず。

无妄(むぼう)の災は、
智術を以て免(まぬか)るべからず。
一誠字を把(と)って以て槌子(ついし)と
為すに如(し)くは莫(な)し。

                     (言晩録 二三五)735

【訳】

態度や行動について嫌疑を受けたときには、
口先で弁解しても効果がない。

思い当たる節もなく受ける禍(わざわい)は、
智慧を用いても免れることはできない。
ただ誠の一字を槌(つち)のように振るって、
嫌疑を晴らす以外に方法はないのである。

・・・

【 8月8日 】 退歩の工夫

鋭進(えいしん)の工夫は固(もと)より易(やす)からず。
退歩の工夫は尤(もっと)も難(かた)し。
惟(た)だ有識者のみ庶畿(ちか)からん。

                     (言晩録 二三六)736

【訳】

まっしぐらに勇み進んで事を成すのは、元来、簡単なことではない。
しかし、それより難しいのは、時を心得て一歩引き下がることである。
これはただ、見識ある者だけにできることであろう。

・・・

【 8月9日 】 緩ならず急ならず

人の事を做(な)すは、須(すべか)らく緩(かん)ならず急ならず、
天行(てんこう)の如く一般なるを要すべし。
吾が性急迫(きゅうはく)なるも、時有りて緩に過ぐ。
書して以て自ら警(いわし)む。

                     (言晩録 二三七)737

【訳】

人が仕事をするときは、ゆっくりすぎても急ぎすぎてもいけない。
あたかも天の運行のように、自然にするべきである。

私は急ぎすぎる性質であるが、時にはゆっくりし過ぎてしまう。
そのことをここに書いて自らの戒めとするものである。
 
・・・

【 8月10日 】 心はいつも平静であれ

昼夜には短長有って、而(しか)も天行(てんこう)には短長無し。
惟だ短長無し。
是(ここ)を以て能(よ)く昼夜を成す。

人も亦然り。
緩急は事に在り。
心は則ち緩急を忘れて可なり。

                     (言晩録 二三八)738

【訳】

昼夜には短長があるが、天体の運行は定まっていて短長がない。
短長がないから、昼夜を成しているのである。

人もまた同じである。
物事には、緩急があるが、
心は緩急に左右されず、いつも平静であるのがよい。

            <感謝合掌 令和2年7月30日 頓首再拝>

「佐藤 一斎・一日一言」8月11日~20日 - 伝統

2020/08/10 (Mon) 22:02:32

【 8月11日 】 意気込みだけで行なう者

凡(およ)そ事を為(な)すに、意気を以てするのみの者は、
理に於いて毎(つね)に障碍(しょうがい)有り。

                     (言晩録 二三九)739

【訳】

何か事をなすときに、意気込みだけで行なう者は、
道理において、いつもに間違いがあるものだ。

感情を抑え、心を落ち着けて着手しなければならない。

・・・

【 8月12日 】 恥を知り、悔いるを知る

人は恥無かるべからず。
又悔無かるべからず。

悔を知れば則ち悔無く、恥を知れば則ち恥無し。

                     (言晩録 二四〇)740

【訳】

人間には恥を知るということがなくてはいけない。
また、悔い改めるということがなくてはいけない。

悔い改めるということを知っておれば、悔い改める必要はなくなるし、
恥を知ることを心得ておれば、恥をかくということばなくなる。

 〇『孟子』は「人は恥なかるべからず、恥なきを恥ずれば恥なからん」
   と言っている。

・・・

【 8月13日 】 苦と楽
 
人は苦楽無き能(あた)わず。
唯(た)だ君子の心は苦楽に安(やす)んじて、苦あれども苦を知らず。
小人の心は苦楽に累(わずら)わされて、楽あれども楽を知らず。

                     (言晩録 二四ニ)742

【訳】

人は誰でも苦楽がないことはない。

ただ、立派な君子の心は、苦楽をそのまま
受け入れて安んじているから、
苦があっても苦しむこと知らない。

一方、小人の心は苦楽に煩わされているから、
楽があっても楽であると気づかない。

 〇安岡正篤師の「六然」には「苦中・楽あり」の語がある。

・・・

【 8月14日 】 人が楽しければ、自分も楽しい

人と事を共にするに、渠(か)れは快事(かいじ)を担(にな)い、
我れは苦事に任ぜば、事は苦なりと雖(いえど)も、
意は則(すなわ)ち快なり。

我れは快事を担い、渠(か)れは苦事を任とすれば、
事は快なりと雖も、意は則ち苦なり。

                     (言晩録 二四三)743

【訳】

人と仕事を共にするときに、彼が楽しい仕事を担当し、
自分が苦しい仕事を担当するとすれば、仕事は苦しくても
心の中は楽しい気分である。

ところが、自分が楽しい仕事を担当し、彼が苦しい仕事を担当すれば、
仕事は楽しくても、心の中は苦しいものである。

・・・

【 8月15日 】 短所を隠さない

己(おの)れの長処(ちょうしょ)を言わず、己の短処を護(ご)せず。

宜(よろ)しく己の短処を挙げ、虚心以て諸(こ)を人に詢(と)うべし。
可なり。

                     (言晩録 二四五)745

【訳】

自分の長所を口にせず、自分の短所を弁護しない。

むしろ、自分の短所を並べて、わだかまりのない気持で、
それを人に相談するとよい。

・・・

【 8月16日 】 厚重・真率であれ

人は厚重を貴(たっと)びて、遅重(ちじゅう)を貴ばず。
真率(しんそつ)を尚(たっと)びて、軽率を尚ばず。

                     (言晩録 二四六)746

【訳】

人は温厚で重々いのを貴び、動作が遅鈍(ちどん)であるのを貴ばない。
また、正直で飾り気のないのを貴ぶが、軽々しい行いは貴ばない。

 〇我々は似て非なるものを峻別する見識を養わねばならない。

・・・

【 8月17日 】 恩を売るな、名誉を求めるな

恩を売ること勿れ。恩を売れば卻(かえ)って怨(うら)みを惹(ひ)く。
誉(ほまれ)を干(もと)むること勿れ。
誉を干むれば輒(すなわ)ち毀(そしり)を招く。

                     (言晩録 二四七)747

【訳】

人に恩を売ってはいけない。
下心を持って恩を売れば、かえって人の怨みを招くことになる。

名誉を求めてはいけない。
内容のない名誉を求めても、すぐに人から叩かれるのがオチである。

・・・

【 8月18日 】 瑣事と大事

日間(にっかん)の瑣事(さじ)は、
世俗(せぞく)に背(そむ)かざること可なり。
立身・操主(そうしゅ)は世俗に背くが可なり。

                     (言晩録 二四八)748

【訳】

日常の細かなことは、世間の風俗に反しないようにするのがよい。
しかし、立派な人になろうと目標を立て、
自分で節操を守って行なうときは、世俗に反するところがあってもよい。

・・・

【 8月19日 】 相談事への対処

人、我れに就(つ)きて事(こと)を謀(はか)らば、
須(すべか)らく妥貼易簡(だちょういかん)にして事端(じたん)を
生ぜざるを要すべし。即ち是れ智なり。

若(も)し穿鑿(せんさく)を為すに過ぎて、
己(おのれ)の才智を逞(たくまし)うせば、
卻(かえ)って他の禍(か)を惹(ひ)かん。
殆(ほとん)ど是れ不智なり。

                     (言晩録 二五〇)750

【訳】

他人が自分に相談にやってきたときは、おだやかに簡潔に意見を述べ、
争いの種にならないようにする。これが智慧というものである。

もしも、細部をほじくり突き詰めて、自分の才智を振り回すと、
かえって別の禍(わざわい)を引き起こしかねない。
これでは相談に応ずる智慧がないも同然である。
 
  *妥貼~おだやか

・・・

【 8月20日 】 適材適所

人才(じんさい)には、小大有り、敏鈍(にんどん)有り。
敏大なるは固(もと)より用うべきなり。

但(た)だ日間(にっかん)の瑣事(さじ)は、
小鈍の者卻(かえ)って能(よ)く用を成す。
敏大の如きは、則(すなわ)ち常故(じょうこ)を軽蔑す。

是(こ)れ知る、人才各々(おのおの)用処有り、
概棄(がいき)すべきに非ざるを。

                     (言晩録 二五一)751

【訳】

人の才能には、小あり大あり、敏い人がいれば鈍い人もいる。
敏捷で才能が大きな者は、もちろん用いるべきである。

ただ、日常の駒かなことは、鈍くて小さい才の者のほうが
かえってよく役立つものである。
敏捷で大きな才能があると、日常の当たり前のことを
軽蔑してしまうところがあるからである。

こうしてみると、人の才能というのは用いるところがそれぞれにあって、
一概に捨て去るべきでないことがわかる。

            <感謝合掌 令和2年8月10日 頓首再拝>

「佐藤 一斎・一日一言」8月21日~31日 - 伝統

2020/08/19 (Wed) 21:35:37

【 8月21日 】 吉凶は心がつくる

人情、吉に趨(おもむ)き凶を避(さ)く。
殊(こと)に知らず、吉凶(きっきょう)は是れ善悪の影響なるを。

余(よ)、歳を改たむる毎(ご)に四句を歴本(れきほん)に題し、
以て家眷(かけん)を警(いまし)む。
曰く、「三百六旬(じゅん)、日として吉ならざるは無し。
一念善を作(な)さば、是れ吉日なり。
三百六旬、日として凶ならざるは無し。
一念悪を作(な)さば、是れ凶日なり」と。
心を以て歴本と為(な)さば、可なり。

                     (言晩録 二五二)752

【訳】

人情は、吉を求め、凶を避けるものである。
しかし、特に吉凶というものは、その人の行ないの善悪がもたらしたものである
ということを知らない。

私は歳が改まるごとに、次の四句をこよみに書き記し、家族の戒めとしている。

その四句とは、

「三百六十五日、一日として吉日でない日はない。
 一念発起して善を行なえば、これが吉日である。

 三百六十五日、一日として凶日でない日はない。
 一念発起して悪を行なえば、これが凶日である」

というものである。
つまり、自分の心をこよみにすれば、それでよいのである。

・・・

【 8月22日 】 天才と小才

小才は人を禦(ふせ)ぎ、大才は物を容(い)る。
小智は一事に耀(かがや)き、大智は後図(こうと)に明(あき)らかなり。

                     (言晩録 二四九)749

【訳】

わずかな才能を持つ人は他人の受け入れを拒んで自己に固執(こしゅう)するが、
大きな才能を持つ人は他人の言動や事物を包容していく。

浅智慧は一時的に輝くことがあるが、
優れた智慧は将来にまで残るような計画を明らかにするものである。

・・・

【 8月23日 】 始まりを正しく

収結(しゅけつ)は固(もと)より難(かた)しと為(な)す。
而(しか)れども起処(きしょ)も亦(また)慎まざる容(べ)からず。
起処是(ぜ)ならざれば、則(すなわ)ち収結完(まった)からず。

                     (言晩録 二五六)756

【訳】

物事を締めくるのももとより難しいものだが、
物事を始めるときもまた慎重でなくてはならない。

始まりが正しくなければ、終りを全(まっと)うすることはできないものだ。

・・・

【 8月24日 】 一日を慎む

昨日を送りて今日を迎え、今日を送りて明日(みょうにち)を迎う。
人生百年此(か)くの如きに過ぎず。
故(ゆえ)に宜(よろ)しく一日を慎むべし。

一日慎まずんば、醜(しゅう)を身後(しんご)に遺(のこ)さん。
恨(うら)むべし。

羅山(らんざん)先生謂(い)う、
「暮年(ぼねん)宜しく一日の事を謀(はか)るべし」と。
余謂う、
「此(こ)の言、浅きに似て浅きに非(あら)ず」と。

                     (言晩録 二五八)758

【訳】

昨日を送って今日を迎え、今日を送って明日を迎える。
人生百年生きたとしても、これの繰り返しに過ぎない。
だからこそ、一日を慎まなくてはならないのである。

一日を慎まなければ、死したのちに醜名(しこな)を残すことになる。
これは残念なことだ。

林羅山先生がおっしゃった。
「晩年になったら、その日一日ことだけを考えて生きるがよい」と。
私は「この言葉は浅薄なように思えるけれど、決して浅薄ではない
(非常に意味が深い)」と思う。

 〇正受老人は「一大事とは今日は今の事なり」と教えている。

・・・

【 8月25日 】 年相応が大事

少にして老人の態(たい)を為すは不可なり。
老いて少年の態を為すは尤(もっと)も不可なり。

                     (言晩録 二五九)759

【訳】

若者が老人ぶるのはよくない。
年老いて若者のように振る舞うのは最もよくない。

・・・

【 8月26日 】 老人は慈愛で失敗する

老齢は酷(こく)に失せずして、慈(じ)に失す。
警(いまし)むべし。

                     (言晩録 二六〇)760

【訳】

年をとると、他人に厳しすぎて失敗することはないが、
愛情をかけ過ぎて失敗することがある。
戒めなくてはいけない。

・・・

【 8月27日 】 老人の心得

吾(わ)れ壮齢の時は、事事矩(のり)を踰(こ)え、
七十以後は、事事矩に及ばず。
凡(およ)そ事有る時は、須(すべか)らく少壮者と商議し
以て吾が逮(およ)ばざるを輔(たす)くべし。

老大(ろうだい)を挾(さしはさ)みて以て壮者を蔑視すること勿(な)くんば可なり。

                     (言晩録 二六ニ)762

【訳】

自分が壮年のときは、何事も道徳的規範を踏み越していたが、
七十以後は、何事もそれに到達しない。

だから老人になったら、何か事あるときは若い者相談をして、
自分の及ばないところを補うがよい。

自分が年長であることを鼻にかけて若い者を見下げるようなことがなければよい。

・・・

【 8月28日 】 すべてが学問

多少の人事は皆是(こ)れ学なり。
人謂(い)う、「近来多事にして学を廃す」と。
何ぞ其の言を繆(あやま)れるや。

                     (言晩録 二六三)763

【訳】

多くの世間の事柄は、すべて学問である。
人は「この頃はするべきことが多くて、学問をやめてしまった」という。
これは何と誤った言葉であることか。

・・・

【 8月29日 】 学ぶは一生

老来、目昏(くら)けれども、猶(な)お能(よ)く睹(み)る。
耳聾(ろう)なるも、猶お能く聞く。
苟(いやし)くも能く聞睹(ぶんと)すれば、
則(すなわ)ち此(こ)の学、悪(いずく)んぞ能く之(こ)れを廃せんや。

                     (言晩録 二六四)764

【訳】

年を取ると目がよく見えなくなるけれども、
それでもまだよく見ることができる。

耳も遠くなるけれど、まだよく聞き取ることができる。

かりそめにもよく見聞きできるならば、
この聖人の学問をどうして止めることができようか。

・・・

【 8月30日 】 仕事は迅速に

人事の叢集(そうしゅう)するは落葉(らくよう)の如し。
之(こ)れを掃(はら)えば復(ま)た来(きt)る。
畢竟(ひっきょう)窮(きわ)まり已(や)むこと無し。

緊要(きんよう)の大事に非(あら)ざるよりは、
即(すなわ)ち迅速に一掃して、遅疑(ちぎ)すべからず。
乃(すなわ)ち胸中綽(しゃく)として余暇有りと為(な)す。

                     (言晩録 二六五)765

【訳】

人のなすべき事柄が群(むら)がり集まる様は、まるで落葉のようなものである。
いくら掃除しても落ちてきて、なくなることがない。

だから、最も大事なことでない限りは迅速に片づけて、ぐずぐずしてはいけない。
それでこそ、心の中にゆったりとした余裕ができるのである。

・・・

【 8月31日 】 成仏と作聖

尋常の老人は、多く死して仏と成るを要(もと)む。
学人は則(すなわ)ち当(まさ)に生きて聖と作(な)るを要むべし。

                     (言晩録 二六七)767

【訳】

普通の老人は、多くが死んで成仏することを願う。
しかし、学問を修める者は、成仏を願うより、
生きて聖人となることを念願すべきである。

            <感謝合掌 令和2年8月19日 頓首再拝>

「佐藤 一斎・一日一言」9月1日~10日 - 伝統

2020/08/31 (Mon) 23:49:22


【 9月1日 】 孝弟は終身の工夫

孝弟(こうてい)は是(こ)れ終身の工夫なり。
老いて自(みずか)ら養うは、即(すなわ)ち是れ孝なり。
老いて人に譲るは、亦(また)是れ弟なり。

                     (言晩録 二六八)768

【訳】

親への孝と兄弟仲良くする弟とは、生涯考えていくべきことである。
年をとってから自分の身を大切にするのは孝のみちであり、
年をとってから人に譲るのは弟の道である。

・・・

【 9月2日 】 養生のゆえん

親を養う所以(ゆえん)を知れば、則(すなわ)ち自(みずか)ら養う所以を知り、
自ら養う所以を知れば、則ち人を養う所以を知る。

                     (言晩録 二七三)773

【訳】

親の面倒をみなくてはならないわけ(情)がわかれば、
自らの身を大切にしなければならないわけがわかる。

自分の身を大切にするわけがわかれば、
人を大切にしなくてはならないわけがわかる。

・・・

【 9月3日 】 良医は恒心を持つ

「人にして恒(つね)無きは、以て巫医(ふい)と為(な)るべからず」と。

余(よ)嘗(かつ)て疑う、
「医にして恒有って術無くば、何ぞ医に取らん」と。

既(すで)にして又意(おも)う、
「恒有る者にして、而(しか)る後に業(ぎょう)必ず勤め、術必ず精(くわ)し。
医人は恒無かる可からず」と。

                     (言晩録 二七〇)770

【訳】

『論語』に「人にして常に変らない誠の心(恒心)のない者は、
巫(みこ)でも医者になってはいけない」とある。

私はかつてこれを疑っていた。
「医者に恒心があっても医術がなければ、
どうして医者たり得るだろうか」と。

その後、また思うようになった。
「恒心のある者であって初めてその業に励み、
 術に精通するものである。
 医者には恒心がなくてはならない」と。

・・・

【 9月4日 】 養生の心

人寿(じんじゅ)には自(おのずか)ら天分有り。
然(しか)れども又意(おも)う。

「我が躯(み)は即ち親の?なり。我れ老親に事(つか)うるに、
一は以て喜び、一は以て懼(おそ)れたれば、
則(すなわ)ち我が老時も亦(また)当(まさ)に自(みずか)ら以て
喜懼(きぐ)すべし」と。

養生の念は此(こ)れより起(おこ)る。

                     (言晩録 二七四)774

【訳】

人の寿命には、自ずから天の定めというものがある。
しかしながら、またこうも思う。

「自分の体は親から授かったもので、親の体と同然である。
だから、年老いた親に仕えて、一方では長寿を喜び、
一方では老齢を心配するように、自分が年老いたときもまた、
自分で自分の長寿を喜び、それを心配するべきである」と。

養生の心はこうしたところから起きるのである。

・・・

【 9月5日 】 地に従い、天に事える

凡(およ)そ生物は皆養(やしない)に資(と)る。
天生じて地之(こ)を養う。

人は則(すなわ)ち地気(ちき)の精英(せいえい)なり。
吾れ静坐して以て気を養い、動行して以て体を養い、
気体相(あい)資(し)し、以て此(こ)の生を養わんと欲す。

地に従いて天に事(つか)うる所以(ゆえん)なのである。

                     (言晩録 二七五)775


【訳】

およぞ生き物というものは、すべて天地の養いに頼らないものはない。
天が万物を生じて、地がこれを養っていく。

そして人間は、地上で最もすぐれた地気の精髄とも
呼ぶべき存在なのである。

そうした人間である自分は、静坐によって精神を修養し、
運動によって身体を養い育て、精神と身体が互いに助け合い、
この生命を養おうとしている。

これは万物を育てる地に従って、
万物を生じた天に事(つか)える所以である。

・・・

【 9月6日 】 心思を労せず、体躯を労す

心思を労せず、労せざるは是れ養生なり。
体?(たいく)を労す、労するも亦(また)養生なり。

                     (言晩録 二七七)777

【訳】

精神を疲れさせない。この疲れさせないということは養生なのである。
身体を働かせる。この働かせるというのもまた養生である。

・・・

【 9月7日 】 夜気を養う

「晦(かい)に嚮(むか)いて宴息(えんそく)す」とは、万物皆然り。
故(ゆえ)に寝(しん)に就(つ)く時は、
宜(よろ)しく其の懐(かい)を空虚にし、
以て夜気(やき)を養うべし。

然らずんば、枕上(ちんじょう)思惟(しい)し、夢寐(むび)安(やす)からず。
養生(ようじょう)に於(お)いて碍(さまたげ)と為(な)す。

                     (言晩録 二七八)778

【訳】

「夕暮れになって休息する」というのは、万物すべてその通りである。
ゆえに、寝床につくときは、心に空(から)っぽにして、
夜の清明な気を養うがよい。

そうしないと寝てからいろいろ考えて、安らかに眠れない。
これでは養生の妨(さまた)げとなる。

・・・

【 9月8日 】 養生とは節にあり

養生の工夫は、節の一字に在(あ)り。

                     (言晩録 二八〇)780

【訳】

養生の工夫をひと言で言えば、
ものごとを過度にせず、節度を守るということにある。

・・・

【 9月9日 】 心気精明なれば事機を知る

心気精明(せいめい)なれば、
能(よ)く事機(じき)を知り、物先(ぶっせん)に感ず。
至誠の前知(ぜんち)するは之(こ)れに近し。

                     (言晩録 二八四)784

【訳】

心がはっきり明らかであれば、事のきざしをよくとらえ、
事の起こる前に感知できる。
至誠の徳があれば、吉凶(きっきょう)禍福(かふく)を予知することが
できるというのも、これに似ている。
 
・・・

【 9月10日 】 人の老い方

人の齢(よわい)は、四十を踰(こ)えて以て七八十に至りて、
漸(ようや)く老に極まり、海潮(かいちょう)の如く然り。

退潮は直退せず、必ず一前(いちぜん)一卻(いっきゃく)して
而して漸退(ぜんたい)す。

即(すなわ)ち回旋(かいせん)して移るなり。
進潮も亦(また)然り。
人人(ひとびと)宜(よろ)しく自(みずか)ら験(ため)すべし。

                     (言晩録 二八二)782

【訳】

人の年齢は四十を越えて七十、八十になると、
ようやく老も極まってくる。
これは海の潮流と同じようなものである。

引き潮は、一気に引いていくのではなく、
必ず寄せては返しを繰り返しながら少しずつ引いていく。

すなわち、めぐり回りしながら移っていくのである
上げ潮もまた同じである。
人々は自分が年をとる時に験(ため)してみればよい。

            <感謝合掌 令和2年8月31日 頓首再拝>

「佐藤 一斎・一日一言」9月11日~20日 - 伝統

2020/09/10 (Thu) 19:05:46

【 9月11日 】 本願ここにあり

我れより前なる者は、千古万古(せんこばんこ)にして、
我れより後なる者は、千世万世(せんせばんせ)なり。

仮令(たとい)我れ寿(じゅ)を保つこと百年なりとも、
亦(また)一呼吸の間のみ。

今、幸(さいわ)いに生まれて人とたり。
度幾(こいねがわ)くは人たることを成して終わらん。
斯(こ)れのみ。

本願此(ここ)に在(あ)り。

                     (言晩録 二八三)783

【訳】

自分の生まれたる前には千万年の遠い過去があり、
自分より後にも千万年の遥(はる)かな未来がある。

たとえ自分が百歳まで生きようとも、悠久なる宇宙の中では
ほんの一呼吸するぐらいの短い時間でしかないだろう。

今、幸いにも人間としてこの世に生まれてきた以上、
人間としての使命を全うして一生を終りたい。
これだけである。

自分の一生の念願はここにある。

・・・

【 9月12日 】 生は生、死もまた生

生は是(こ)れ死の始め、死は是れ生の終り。
生ぜざれば則(すなわ)ち死せず。死せざれば則ち生ぜず。

生は固(もと)より生、死も亦(また)生。

「生生之を易(えき)と謂(い)う」とは、
即(すなわ)ち此(こ)れなり。

                     (言晩録 二八五)785

【訳】

生とは死の始めであり、死とは生の終りである。
生まれなければ死ぬことはないし、
死ななければ生まれるということもない。

生はもちろん生であるが、死もまた生なのである。

「生々変化して窮(きわ)まりのないことを易という」
というのは、このことである。

・・・

【 9月13日 】 死後の世界

死の後を知らんと欲せば、当(まさ)に生の前を観(み)るべし。

昼夜は死生なり。
醒睡(せいすい)も死生なり。
呼吸も死生なり。

                     (言晩録 二八七)787

【訳】

死後のことを知ろうとするならば、生れる前のことを観るとよい。

昼が生なら、夜は死である。
目がさめているときが生ならば、眠っているときは死である。
はく息が生ならば、吸う息は死である。

 〇すべて死生の道理に基づいている

・・・

【 9月14日 】 死生の説を知る

凡(およ)そ人は、少壮の過去を忘れて、老歿(ろうぼつ)の将来を図る。
人情皆然(しか)らざるは莫(な)し。

即(すなわ)ち是(こ)れ竺氏(じくし)が
権教(ごんきょう)の由(よ)って以(もつ)て人を誘(いざな)う所なり。

吾が儒(じゅ)は即(すなわ)ち易(えき)に在(あ)りて曰(いわ)く、
「始めを原(たず)ねて終りに反(かえ)る。故(ゆえ)に死生の説を知る」と。
何ぞ其(そ)れ易簡(いかん)にして明白なるや。

                     (言晩録 二八六)786

【訳】

だいたいにして世の中の人は、過去の少壮の時代を忘れて、
将来の老や死について考えている。
それが人情の常であって、すべてそうでないものはない。

即ちこれは仏教がその教えによって人を惹(ひ)きつける理由となっている。

わが儒教では『易経』に
「生命の始めをたずねてゆけば、死の終わりに返っていく。
 そこから人の生死の理(儒教の死生観)を知ることができる」とある。
なんと簡単にして明瞭であることか。

・・・

【 9月15日 】 無は有から生じ、死は生から生ず

無は無より生ぜずして、有より生ず。
死は死より死せずして、生より死す。

                     (言晩録 二八八)788

【訳】

無は無から生ずるのではなくて、有から無が生ずるのである。
死は死から生ずるのではなくて、生から死が生ずるのである。

・・・

【 9月16日 】 死生は眼前にあり

海水を器に斟(く)み、
器水(きすい)を海に翻(かえ)せば、
死生は直(ただ)ちに眼前に在(あ)り。

                     (言晩録 二九〇)790

【訳】

海水を器に汲(く)み、
その器の水を海に返せば、
死生の道理はそのまま目の前にある。

 〇 器に汲んだのが水の生であり、
   海に返したことが死にあたり、
   道理を意味している。

・・・

【 9月17日 】 天寿の人の死は睡るが如し

生を好み死を悪(にく)むは、即(すなわ)ち生気なり。
形に?(こく)するの念なり。

生気已(すで)に徂(ゆ)けば、
此(こ)の念を并(あわ)せて亦(また)徂く。

故(ゆえ)に天年を終うる者は、一死睡(ねむ)るが如し。

                     (言晩録 二九一)791

【訳】

人が生きるということを願い、
死を嫌うのは、生きようとする気があるからである。
これは身体という形にとらわれた考えである。

生きる気力がなくなってしまえば、
こうした身体にとらわれた考えもなくなってしまう。

それゆえに、天寿を全うした者は、
死にとらわれることなく眠るように死を迎えるのである。


?(こく)=牛偏に告。意味は、とらわれる、束縛される。
https://plaza.rakuten.co.jp/06051468/diary/200803090000/

・・・

【 9月18日 】 真我は自ら知る

夢中の我れも我れなり。
醒後(せいご)の我れも我れなり。
其の夢我(むが)たり醒我(せいが)たるを知る者は、心の霊なり。

霊は即(すなわ)ち真我(しんが)なり。

真我は自(みずか)ら知りて、醒睡(せいすい)に間(へだて)無し。

常霊(じょうれい)常覚(じょうかく)は、
万古(ばんこ)に亘(わた)りて死せざる者なり。

                     (言晩録 二九二)792

【訳】

夢の中の我も我である。
夢から醒(さ)めた後の我も我である。
我が夢の中の我であるか、夢から醒めた後の我であるかを知るのは、
心の霊妙な働きである。

この霊妙な働きが真我の我れなのである。

真我の我は、醒めたときも眠れるときも
何も差がないことを自ら知っている。

真我は常住の霊力であり、常住の知覚であって、
永遠に不変不滅のものである。

・・・

【 9月19日 】 耋録

余(よ)、今年(こんねん)、齢(よわい)八ちつに躋(のぼる)も、
耳目(じもく)未(いま)だ太(はなはだ)衰うるに至らず。

何ぞ其(そ)れ幸さいわいなるや。
一息(いっそく)の存する、学(がく)るべきに匪(あら)ず。

単記して編を成す。
呼びて耋録(てつろく)と曰(い)う。

          嘉永辛亥(かえいしんがい)夏五月 
           一斎老人自(みずか)ら題す

【訳】

私は今年、八十歳に達したが、
まだ耳も目もそれほどひどく衰えてはいない。

なんとこれは幸せなことではないか。
生きている限りは、学問をやめるべきではない。

一条ずつ記したものが一編になった。
これを耋録(てつろく)という。

          嘉永四(1851)年夏五月
           一斎老人自ら題す

・・・

【 9月20日 】 経書を読む、天を読む

経書を読むは、即(すなわ)ち我が心を読むなり。
認めて外物と做(な)すこと勿れ。

我が心を読むは、即ち天を読むなり。
認めて人心と做すこと勿れ。

       (言志耋録三、以降「言志耋録」は「耋」と略記)795

【訳】

聖賢の書を読むということは、すなわち自分の本心を読むということである。
したがって、自分の外にあるものを読んでいると見なしてはいけない。

自分の本心を読むというのは、すなわち天地自然の真理を読むことである。
したがって、本心を私心というように理解してはいけない。

            <感謝合掌 令和2年9月10日 頓首再拝>

「佐藤 一斎・一日一言」9月21日~30日 - 伝統

2020/09/20 (Sun) 23:23:47


【 9月21日 】 無能の知、無知の能

無能の知は是(こ)れ冥想(めいそう)にして、
無知の能は是れ妄動(もうどう)なり。

学者宜(よろ)しく仮景(かけい)を認めて、
以(もつ)て真景(しけい)と做(な)すこと
勿(なか)るべし。

               (「耋」一一)803

【訳】

実践を伴わない知識は妄想というものであり。
知識の裏づけのない実践は妄動である。

学問をする者は心眼をひらいて、
仮のありさまを本物と見なしてはいけない。

・・・

【 9月22日 】 有学の書から無学の書へ

学を為(な)すの初めは、固(もと)より
当(まさ)に有字の書を読むべし。
学を為すこと之(こ)れ熟すれば、
則(すなわ)ち宜(よろ)しく無字の書を読むべし。

               (「耋」一五)807

【訳】

学問を始めるときは、
もちろん文字の書かれた書を読んで学ばなくてはいけない。

学問が上達してくれば、字の書かれていない書物、
すなわち天地自然の理を読み取るようにすべきである。

・・・

【 9月23日 】 志は生気の源

源(みなもと)有るの活水は浮萍(ふひょう)も
自(おのずか)ら潔(きよ)く、
源無きの濁沼(だくしょう)は、
蓴菜(じゅんさい)も亦(また)汚(けが)る。

               (「耋」一六)808

【訳】

水源のある湧き水では、浮き草も清らかであるが、
水源のない濁った沼では蓴菜も汚ならしい。

・・・

【 9月24日 】 誰のための学問か

此(こ)の学は己(おのれ)の為にす。
固(もと)より宜(よろ)しく自得を尚(たっと)ぶべし。

駁雑(ばくざつ)を以て
粧飾(しょうしょく)と做(な)すこと勿(なか)れ。

近時の学、殆(ほとん)ど所謂(いわゆる)
他人の為に嫁衣裳(かいしょう)を做すのみ。

               (「耋」一九)811

【訳】

聖人の学問は、自己の徳を高めるためにするのだから、
自ら道を体得することを貴(たっと)ぶべきである。

雑駁な知識で自分を飾ってはいけない。

近頃の者は、ほとんどが他に見せびらかす
花嫁衣裳を作るような学び方をしている。

・・・

【 9月25日 】 学問は己を頼むべし

学に志すの士は、当(まさ)に自(みずか)ら己(おのれ)を頼むべし。
人の熱に因(よ)ること勿れ。

淮南子(えなんじ)に曰く、「火を乞うは燧(すい)を取るに若(し)かず。
汲(きゅう)を寄するは、井(せい)を鑿(うが)つに若(し)かず」と。
己を頼むを謂(い)うなり。

               (「耋」一七)809

【訳】

学問に志そうとする者は、自分の力に頼るべきである。
他人の助けを借りるようではいけない。

『淮南子』に「火を他人に乞うてもらうより、
自分で火打ち石を打って火をおこした方がいい。
他人の汲(く)んだ水をもらうよりは、
自分で井戸を掘って方がいい」とある。

これは自分を頼りにせよという意味である。

   *燧(すい)~火打石

・・・

【 9月26日 】 悔・激・懼の字

悔(かい)の字、激の字、懼(く)の字は
好字面(こうじめん)に非(あら)ず。

然(しか)れども一志を以(もつ)て之(これ)を率いれば、
則(すなわ)ち皆善を為(な)すの幾(き)なり。

自省せざる可けんや。

               (「耋」二〇)812

【訳】

悔やむ、激する、懼れるといった字は、
その字面はいいものではない。

しかし、ひとたび志を立ててこれらを率いていいけば、
善を行なうきっかけとなるものである。

(つまり、過去の過ちを悔やみ改め、激しく奮起し、
 自分の身を懼れ慎むことになる)。

自ら省みることが大事である。

・・・

【 9月27日 】 悔は善悪の分岐点

悔(かい)の字は是(こ)れ善悪街頭の文字なり。
君子は悔いて以(もつ)て善に遷(うつ)り、
小人は悔いて以て悪を逐(お)う。

故(ゆえ)に宜(よろ)しく立志を以て之(これ)を率いるべし。
復(ま)た因循(いんじゅん)の弊(へい)無からんのみ。

               (「耋」二一)813

【訳】

悔のいう字は善と悪の分岐点となる文字である。
立派な人物は悔いて善のほうに移っていくが、
つまらない人物は悔いてやけになり、かえって悪を追うようになる。

だから、ぜひとも志を立て、この悔の字を率いて、
ぐずぐずするという悪習を打ち破らなければならない。

・・・

【 9月28日 】 立志の立の字

立志の立の字は、
豎立(じゅりつ)・標置(ひょうち)・不動の三義を兼(か)ぬ。

               (「耋」二ニ)814

【訳】

立志の「立」という字は、
豎立(まっすぐに立つ)、
標置(目標をたてる)、
不動(しっかりして動かない)
の三つの意義を兼ねている

・・・

【 9月29日 】 志を持続するは難し

志を持(じ)するの工夫は太(はなは)だ難(かた)し。

吾(わ)れ往往(おうおう)にして
事の意に忤(さから)うに遭(あ)えば、
輒(すなわ)ち暴怒(ぼうぬ)を免(まぬが)れず。

是(こ)れ志を持する能(あた)わざるの病なり。

自(みずか)ら恥じ自ら怯(おそ)る。
書して以(もつ)て警と為(な)す。

               (「耋」二五)817

【訳】

志を持ち続ける工夫は大変難しい。

私は往々にして、事が自分の意に反するような目に遭うと、
荒々しい怒りの感情が湧き起こって抑えられない。

これは、志を持続できない病というものである。

自ら恥じ、恐れいるしかない。
ここにそのことを書いて自らの戒めとする。

・・・

【 9月30日 】 徹上徹下の工夫

私利の制し難(がた)きは、志の立たざるに由(よ)る。

志立てば、真(しん)に是れ紅炉(こうろ)に雪を点ずるなり。
故(ゆえ)に立志は徹上(てつじょう)徹下(てつげ)の工夫たり。

               (「耋」二四)816

【訳】

自分の欲望を抑えがたいのは、
しっかりと志が立っていないのが原因である。

志が立っていれば、これはまさに火が燃えている炉の中に、
一掴みの雪を置くようなもので、、
欲望などというものはたちまち消え去ってしまう。

したがって、立志というものは
上から下まであらゆる事柄に通じる工夫なのである。

  〇教育者・哲学者の森信三氏は
   天王寺師範学校での講義の始めに
   「私のこれからの1年間にわたる修身の講義は、
    ある意味ではこの『立志』の一事に尽きると
    申してもよいほどです」と教えている。
          (『修身教授録』)

            <感謝合掌 令和2年9月20日 頓首再拝>

「佐藤 一斎・一日一言」10月1日~10日 - 伝統

2020/09/30 (Wed) 20:11:02


【 10月1日 】 修養の4つの心得

立志は高明(こうめい)を要し、
著力(ちゃくりょく)は切実を要し、
工夫は精密を要し、
期望(きぼう)は遠大を要す。

               (「耋」二六)818

【訳】

志を立てるには高い見識と智慧が必要であり、
実際に力を用いるには適切さを必要とし、
物事を工夫するには精密さが必要であり、
目標として望むところは遠大でなければならない。

・・・

【 10月2日 】 学問の効能

学を為(な)すの効(こう)は、気質(きしつ)を変化するに在(あ)り。
其の功は立志に外(こと)ならず。

               (「耋」二八)820

【訳】

学問をなす効能は、人の気質を善く変化させるところにある。
そして、それを実践するのは立志に外ならない。

  〇MRA(道徳再武装運動)は「自分を変える」
   ことを運動の基本に置いている。

・・・

【 10月3日 】 苦種は薬、甘品は毒

困心衡慮(こんしんこうりょ)は智慧を発揮し、
暖飽安逸(だんほうあんいち)は思慮を埋没す。

猶(な)お之(こ)れ苦種(くしゅ)は薬を成(な)し、
甘品(かんひん)は毒を成すがごとし。

               (「耋」三一)823

【訳】

心を苦しめ思い悩むようなことがあると本当の智慧が働くようになり、
何も不自由のない安楽な生活をしていると考えを判断する力が埋もれてしまう。

これは苦いものが薬となり、甘いものが毒になるようなものである。

  *衡慮~衡は秤りの横棒で思うことが横になる。
      つまり思い悩むこと。

・・・

【 10月4日 】 失望は修養の種

得意の事多く、失意の事少なければ、
其(そ)の人、知慮(ちりょ)を減ず。
不幸と謂(い)うべし。

得意の事少なく、失意の事多ければ、
其の人、知慮を長(ちょう)ず。
幸(さいわい)と謂うべし。

               (「耋」三三)825

【訳】

思うようにいくことが多く、失望することが少なければ、
その人は真剣に考える機会がなくなり、
智慧と思慮が減少していく。
不幸というべきである。

思うようにいかないことが多く、失望することが多ければ、
その人は考える機会が多くなり、智慧と思慮が増していく。
幸いというべきである。

・・・

【 10月5日 】 飲食を切り詰める

衣・食・住は並(ならび)に欠くべからず。
而(しこう)して人欲(じんよく)も
亦(また)此(ここ)に在(あ)り。

又(また)其(そ)の甚(はなはだ)だしき者は食(しょく)なり。
故(ゆえ)に飲食を菲(うす)くするは尤(もっと)も先務(せんむ)なり。

               (「耋」四三)835

【訳】

衣食住は欠くことのできない生活の根本である。
したがって、人間の欲もまたここにある。

また、その欲の中でも甚だしいのは食欲である。
ゆえに飲食を切り詰めるのは、第一にするべき務めである。

・・・

【 10月6日 】 心を養う方法

凡(およ)そ活物(いきもの)は養わざれば則(すなわ)ち死す。
心は我(われ)に在(あ)るの一大活物(かくぶつ)なり。

尤(もっと)も以(もつ)て養わざる可からず。
之(これ)を養うには奈何(いか)にせん。
理義の外(ほか)に別方(べっほう)無(な)きのみ。

               (「耋」四七)839

【訳】

すべて生きているものは食物を与え養わなければ死んでしまう。
心とは各人の中にある一大活物である。

最もよく養わなくてはいけないものである。
この心を養うにはどうすればいいのか。
物の道理に心を照らしてみる以外に別の方法はない。

 〇身体を養うことを忘れる人はいないが、
  心を養うことを忘れる人は多い。

・・・

【 10月7日 】 心の四季

喜気(いき)は猶(な)お春のごとし、心の本領(ほんりょう)なり。
怒気(どき)は猶お夏のごとし、心の変動なり。
哀気(あいき)は猶お秋のごとし、心の収斂(しゅうれん)なり。
楽気(らくき)は猶お冬のごとし、心の自得(じとく)なり。
自得は又(また)喜気の春に復(ふく)す。

               (「耋」四九)841

【訳】

喜びは春のようなものである。これは心の本来の性質である。
怒りは夏のようなものである。これは心の変動した姿である。
哀(かな)しみは秋のようなものである。これは心の引き締まった姿である。
楽しみは冬のようなものである。これは心の満足している様子である。
この自得の姿はまた喜びの春に戻っていくのである。

・・・

【 10月8日 】 真心に帰る

人は童子たる時、全然(ぜんぜん)たる本心なり。

稍(やや)長ずるに及びて、私心稍生じ、
既(すで)に成立すれば、則ち更(さら)に
世習(せしゅう)を夾帯(きょうたい)して、
而(しこう)して本心(ほんしん)殆(ほとん)ど亡ぶ。

故(ゆえ)に此の学を為(な)す者は、
当(まさ)に能(よ)く斬然(ざんぜん)として
此の世習を袪(さ)りて、以(もっ)て本心に復(ふく)すべし。
是(こ)れを要と為す。

               (「耋」五一)843

【訳】

人は幼いとき、無垢(むく)で完全なに真心を持っている。

やや大きくなると、私心というものが少し芽生えてくる。
そののち一人前になると、さらに世俗の習慣が身についてきて、
汚(けが)れのない真心はほとんど失ってしまう。

したがって、聖人の学問をする者は、世俗の習慣をきっぱり断ち切って、
真心に帰るようにしなくてはいけない。
これが重要な点である。

・・・

【 10月9日 】 青天は白日は我にあり

「心静にして方(まさ)に能(よ)く白日(はくじつ)を知り、
眼(まなこ)明らかにして始めて青天を識るを会(え)す」とは、
此(こ)れ程伯(ていはく)氏の句なり。

青天白日は、常に我(わ)れに在(あ)り。
宜(よろ)しく之(こ)を坐右(ざゆう)に掲げ、以て警戒と為すべし。

               (「耋」五七)849

【訳】

「心が静かなであれば、よく太陽の恩恵をり、
 眼が明らかであれば、初めて真っ青澄み切った空の広さを知ることができる」
というのは、程明道(ていめいどう)の句である。

このように青天白日とは常に自分の中にあって外にあるものではない。
この句を座右に掲げて、自戒の言葉とすればよい。
 
・・・

【 10月10日 】 正直に生きる

「人の生くるや直(なお)し」。
当(まさ)に自(みずか)ら反(かえ)りみて
吾(わ)が心を以て註脚(ちゅうきゃく)と為すべし。

               (「耋」五八)850

【訳】

「人がこの世に生きていけるのは、正直であるからだ」と『論語』にある。
この言葉を糧(かて)にして自ら反省し、
自分の心をもって注釈とするべきである。

 〇日本には「清く、直苦く、明るく」という道統がある。

            <感謝合掌 令和2年9月30日 頓首再拝>

「佐藤 一斎・一日一言」10月11日~20日 - 伝統

2020/10/10 (Sat) 19:43:47


【 10月11日 】 未然に防ぐ

善(よ)く身を養う者は、常に病を病無きに治(おさ)め、
善く心を養う者は、常に欲を欲無きに去(さ)る。

               (「耋」六一)853

【訳】

自分の身体をよく養う者は、常に病気でないときに養生して
病気にかからないようにしている。

自分の精神をよく養う者は、常に私欲が起きる前に
その芽を摘み取ってしまう。

 〇「慎独」というものもこのことを言ったものと思う。

・・・

【 10月12日 】 忍と敏

「忿(ふん)を懲(ころ)し慾を塞ぐ」には、一の忍の字を重んじ、
「善に遷(うつ)り過(か)を改む」には、一の敏の字を重んず。

               (「耋」六三)855

【訳】

『易経』にある「忿を懲し欲を塞ぐ」
(怒りを消し去り、情欲を防ぎ止める)には、
我慢する「忍」の一字が重要である。

「善に遷り過を改む」
(人の善を見ればそれを行ない、自分の過ちは改める)には、
素早くする「敏」の一字が重要である。

・・・

【 10月13日 】 悪を隠し、善を掲げる

悪を隠し善を揚(あ)ぐ。
人に於(おい)ては此(か)くの如くにし、
諸(こ)れを己(おの)れに用いること勿(なか)れ。

善に遷(うつ)り過を改む。
己れに於ては此くの如くにし、必ずしも諸を人に責めざれ。

               (「耋」六四)856

【訳】

相手の悪い点は抑えて、善い点を称揚(しょうよう)する。
他人に対してはこのようにするがよいが、
これを自分に対して用いてはいけない。

人の善を見たら、真似をし、自分の過ちは改める。
自分に対してこのようにするがよいが、
これによって他人を責めてはいけない。

・・・

【 10月14日 】 偉大なるは心

霊光の体(たい)に充(み)つる時、
細大(さいだい)の事物、遺落(いらく)無く、遅疑(ちぎ)無し。

               (「耋」六七)859

【訳】

修養によって心の霊妙な光が体に充満すると、
どんな小さなことも大きなことも遺し落とすことなく、
また迷ったり遅れたりすることもない。

・・・

【 10月15日 】 誠に始まり、誠に終わる

人心の霊なること太陽の如し。
然(しか)るに但(た)だ克伐怨欲(こくばつえんよく)、
雲霧(うんむ)のごとく四塞(しそく)すれば、
此(こ)の霊烏(いず)くにか在(あ)る。

故(ゆえ)に誠意の工夫は、雲霧を掃(はら)いて
白日を仰ぐより先(せん)なるは莫(な)し。

凡(およ)そ学を為(な)すの要は、
此(こ)れよりして基(もとい)を起(おこ)す。

故(ゆえ)に曰(いわ)く、「誠(まこと)は物の終始なり」と。

               (「耋」六六)858

【訳】

人の心の霊妙なる働きは、あたかも太陽のようである。
しかし、克(勝ちを好む)、伐(自らをほこる)、
怨(怨恨)・欲(貪欲)が雲や霧がかかるように全体を覆い塞ぐと、
この霊性はどこにあるかわからなくなってしまう。

ゆえに、誠意をもって工夫して、雲霧を掃いのけて、照り輝く太陽、
すなわち心の霊妙な働きを仰ぎ見ることが何よりも大切である。

およそ、学問をなす要点は、
これよよって基礎を築き上げるもののである。

だから『中庸』には、
「何事も、誠に始まり、誠に終わる(誠がなければ何も成り立たない」
とあるのである。

・・・

【 10月16日 】 窮理応変

窮(きわ)むべからざるの理(り)無く、
応ずべからざるの変無し。

               (「耋」六八)860

【訳】

究められない道理というものはなく、
対応しきれない変化というものはない。
その人の立志・誠意にかかってくる。

・・・

【 10月17日 】 宇宙のしくみ

能(よ)く変ず、故(ゆえ)に変無し。
常に定まる、故に定無し。
天地間、都(すべ)て是れ活道理(かつどうり)なり。

               (「耋」六九)861

【訳】

万物は常に変化している。
それゆえに、我々はその変化に気づかないでいる。

一方、月は天上から常に照らしている。
それゆえに、わざわざ一定という必要もない。

天地間の物は総てこの通りで、
これが天地の活きた道理というものである。


・・・

【 10月18日 】 心で視、心で聴く

視るに目を以てすれば則(すなわ)ち暗く、
視るに心を以てすれば則ち明(あきらか)なり。

聴くに耳を以てすれば則ち惑い、
聴くに心を以てすれば則ち聡なり。

言動も亦(また)同一理(どういつり)なり。

               (「耋」七一)863

【訳】

事象を目で視ているだけでは真相はわからないが、
心で視ると実相が明らかになる。

また、耳で聴くだけでは真相ははっきりしないが、
心で聴くとはっきりしてくる。

これは、言葉や動作でも同じことがいえる。

 〇『大学』に「心焉(ここ)にあらざれば、視れども見えず、
   聴けども聞こえず、食らえどもその味を知らず」とある。

・・・

【 10月19日 】 自らの言行を省みよ

寒暑の節候、稍(やや)暦本(れきほん)と
差錯(ささく)すれば、人(ひと)其(その不順を訴(うった)う。

我れの言行、毎(つね)に差錯(ささく)有れども、
自(みずか)ら咎(とが)むるを知らず。
何ぞ其(そ)れ思わざるの甚(はなは)だしき。

               (「耋」七四)866

【訳】

寒さ暑さの季節時候が少しでも暦(こよみ)とずれると、
人は天候の不順を訴えて文句を言う。

しかし、自分の言葉と行動になるといつも食い違いがある
けれども、自ら反省して咎めるということを知らない。
なんと甚だしく考えのないことではないか。
 
・・・

【 10月20日 】 楽しみは心にある

人は須(すsべか)らく快楽なるを要すべし。
快楽は心に在(あ)りて事に在らず。

               (「耋」七五)867

【訳】

人は心に楽しむことがなくてはいけない。
楽しみは心の中にあるもので、外にあるものではない。

 〇中江藤樹は「順境に居ても安んじて、逆境にいても安んじ、
  坦々蕩々(たんとうとう)として苦しめる所なし。

  是を真楽(しんらく)と言うなり。
  万(よろず)の苦を離れて、この真楽を得るを学問の目あてとす」
  と言っている

            <感謝合掌 令和2年10月10日 頓首再拝>

「佐藤 一斎・一日一言」10月21日~31日 - 伝統

2020/10/20 (Tue) 23:25:19

【 10月21日 】 さわやかな心

胸次(きょうじ)清快(せいかい)なれば、
則(すなわ)ち人事の百艱(ひゃくかん)も亦(また)阻(そ)せず。

               (「耋」七六)868

【訳】

心中が爽(さわ)やかであれば、
世の中のさまざまな困難も何も行き詰まることなく、
処理されていく。

・・・

【 10月22日 】 風雨霜露の教え

春風以て人を和(わ)し、
雷霆(らいてい)以て人を警(いまし)め、
霜露(そうろ)以て人を粛(しゅく)し、
氷雪(ひょうせつ)以て人を固(かた)くす。

「風雨霜露も教(おしえ)に非ざる無し」とは、
此(こ)の類を謂(い)うなり。

               (「耋」八五)877

【訳】

春のそよ風は人の心を和(なご)ませ、
雷鳴や稲光は人の心を戒め、
霜や露は人の心を引き締め、
冷たい氷や雪は人の心を堅固にする。

『礼記』に「風雨霜露も教えでないものはない」とあるのは、
このようなことを言っているのであり、
我々はすべてから学ばなければいけない。

・・・

【 10月23日 】 天地精英の気

英気は是(こ)れ天地精英(せいえい)の気なり。
聖人は之(これ)を内に薀(つつ)みて、
肯(あ)えて諸(こ)れを外に露(あら)わさず。

賢者は則(すなわ)ち時時(じじ)之(これ)を露わし、
自余(じよ)の豪傑の士は、全然之を露わす。

若(も)し夫(そ)れ絶えて此(こ)の気無き者は、
鄙夫(ひふ)小人(しょうじん)となす。
碌碌(ろくろく)として算(かぞ)うるに足らざる者のみ。

               (「耋」八〇)872

【訳】

すぐれた志気は、天地の間のすぐれた気である。
聖人はこのすぐれた気を内に包み隠して、
あえて外に表さない。

賢者はこれを時に応じて表し、
それ以外の豪傑の士はこれをすべて露わにする。

もし全くこの気がない者は卑小な人物であって、
凡庸で数えるには足りない者である。

・・・

【 10月24日 】 不易の易

古人、易の字を釈して不易と為す。

試みに思うに、晦朔(かいさく)は変ずれども
而(しか)も昼夜は易(かわ)らず。

寒暑は変ずれども而も四時は易らず。

死生は変ずれども而も生生は易らず。

古今は変ずれども而も人心は易らず。

是れ之を不易の易と謂う。

               (「耋」八六)878

【訳】

漢の時代に生きた鄭玄(じょうげん)という人は、
易という字を解釈して不易といった。

考えてみると、つごもり(月の終わり)から
ついたち(月の初め)へと日付は変わるけれど、
昼と夜が繰り返すことは変わらない。

寒さ暑さは変わるけれども、
春夏秋冬という四季の移り変わりは変わらない。

死ぬのと生まれるのとは変わるけれども、
万物が次々と生じてくるのは変わらない。

昔と今は時間的に見れば変わるけれど、
人の心は変わらない。

これを不易の易というのである。

・・・

【 10月25日 】 敬は誠より出ず

坦蕩蕩(たんとうとう)の容(かたち)は
常惺惺(じょうせいせい)の敬より来(きた)り、
常惺惺の敬は活撥撥(かっぱつぱつ)の
誠(まこと)より出(い)ず。

               (「耋」九二)884

【訳】

落ち着いてゆったりしている容姿というのは、
常に目覚めていて寛(ひろ)く明るい敬の心より
来るのである。

この敬の心とは生き生きとした
誠の心から出るものである。

・・・

【 10月26日 】 敬の心、弛めるべからず

敬稍(やや)弛(ゆる)めば則(すなわ)ち経営心起(おこ)る。

経営心起れば、則ち名利心(めいりしん)之(こ)れに従う。

敬は弛むべからざるなり。

               (「耋」九四)886

【訳】

敬い慎む心がやや弛んでくると、
作為をめぐらす気持ちが起こってくる。

そのたくらみの気持ちが起こると、
名声や利益を求める心が起ってくる。

そのならないように、敬の心は弛めてはいけない。

 〇西郷南洲は「己(おの)れに克(か)つに時々物々
  時に臨(のぞ)んで克つ様にては克ち得られぬなり。
  兼(かね)て気象(きしょう)を以て克ち居れよと也」
  と言っている。

・・・

【 10月27日 】 労と逸

身(しん)労すれば則(すなわ)ち心(こころ)逸(いつ)し、
身逸すれば則ち心労す。

労逸は竟(つい)に相離(あいり)異(い)せず。

               (「耋」九五)887

【訳】

身体を動かして疲れさすと心は安逸になる。
身体を安逸にすると心がかえって苦労する。

労と逸とは互いに密接な関係があって、
離れ離れになるものではない。

・・・

【 10月28日 】 その義の如何を謀る

凡(およ)そ事を為(な)すには、
当(まさ)に先(ま)ず
其(そ)の義の如何(いかん)を謀(はか)るべし。

便宜(べんぎ)を謀(はか)ること勿(なか)れ。
便宜も亦(また)義の中に在(あ)り。

               (「耋」九六)888

【訳】

すべて事をなす場合には、まずその事が
道理に適(かな)っているかどうかをよく考えなければいけない。

自分に都合がいいかどうかを考えてはいけない。
都合のよさも道理にかなうかどうかの中にあるものだ。

・・・

【 10月29日 】 義の大本にある道義

義は宜(ぎ)なり。
道義を以て本(もと)と為(な)す。

物に接するの義有り。
時に臨(のぞ)むの義有り。

常(じょう)を守るの義有り。

変に応ずるの義有り。

之(こ)れを統(す)ぶる者は道義なり。

               (「耋」九七)889

【訳】

義は「物事の正しい道理」を意味するが、
これは「事が宜(よろ)しきに適う」という意味の宜に通じていて、
人として行うべき正しい道、つまり道義をもととする。

物事に対処する場合の義もあれば、時に応ずる場合の義もある。

また、平常の場合の義もあれば、臨機応変の場合の義もある。

これらはすべてを率いるものが道義である。

・・・

【 10月30日 】 静坐の効果

静坐して数刻の後、人に接するに、
自(おのずか)ら言語の叙(じょ)有るを覚ゆ。

               (「耋」一〇〇)892

【訳】

静坐してから数時間後に、人に接した場合、
自然と話す言葉にきちんと筋が立っていることに気がつく。

・・・

【 10月31日 】 自分を偽らない

自(みずか)ら欺(あざむ)かず、
之(こ)れを天に事(つか)うと謂う。

               (「耋」一〇六)898

【訳】

自分自身を偽(いつわ)るようなことはしない。
これを天に事えるというのである。

  〇『南洲翁遺訓』に
   「人を相手にせず、天を相手にせよ。
    天を相手にして己れを尽し人を咎(とが)めず、
    我が誠の足らざるを尋ぶべし」とある。

            <感謝合掌 令和2年10月20日 頓首再拝>

「佐藤 一斎・一日一言」11月1日~10日 - 伝統

2020/11/01 (Sun) 23:21:13

【 11月1日 】 虚無を徳行となすなかれ

虚無を認めて徳行(とっこう)を做(な)す勿(なか)れ。
詭弁(きべん)を認めて言語と做す勿れ。
功利を認めて政事と做す勿れ。
詞章(ししょう)を認めて文学と做す勿れ。

               (「耋」一〇七)899

【訳】

空虚なあり方をもって道徳的行為と思ってはいけない。

道理に合わない奇怪な議論をもって
名論卓説と思ってはいけない。

功名や利得を求めることをもって
政事と思ってはいけない。

美しい言葉や文章をもって
本物の文学と思ってはいけない。

・・・

【 11月2日 】 実効と虚心

心体は虚を尚(たっと)び、
事功(じこう)は実(じつ)を尚(たっと)ぶ。
実功・虚心は唯(た)だ賢者のみ之(こ)れを能(よ)くす。

               (「耋」一〇八)900

【訳】

心の本体は虚心坦懐であることを貴び、
成し遂げた仕事は実のあることを貴ぶ。

功業を実りあるものにし、
心を虚(むなし)しくするというのは、
ただ賢者だけがよくできることである。

・・・

【 11月3日 】 忙中の閑、苦中の楽

人は須(すべか)らく忙裏(ぼうり)に間(かん)を占(し)め、
苦中に楽を存する工夫を著くべし。
 
               (「耋」一一三)905

【訳】

人は忙しい中にも心を落ち着け、
苦しみの中にも楽しみを見つける工夫をすることが大切である。


 〇安岡正篤師の「六中観」には、

  「死中、活有り。」
  「苦中、楽有り。」
  「忙中、閑有り。」
  「壺(こ)中、天有り。」
  「意中、人有り。」
  「腹中、書有り。」 

  とある。

・・・

【 11月4日 】 急ぎの仕事はゆっくりと

寛事(かんじ)を処するには捷做(しょうさ)を要す。
然(しか)らずんば稽緩(けいかん)に失せん。
急事を処するには徐做(じょさ)を要す。
然らずんば躁遽(そうきょ)に失せん。

               (「耋」一一五)907

【訳】

ゆっくり処理してよいことは迅速に行うのがよい。
そうすれば、ゆっくりし過ぎて失敗することがない。、

急いで処理しなくてはならないことは
ゆっくりと行うのがよい。
そうすれば、慌てて失敗することがない。

・・・

【 11月5日 】 感応の原理

我れ自(みずか)ら感じて、
而(しか)る後に人之(こ)れに感ず。

               (「耋」一一九)911

【訳】

まず自分が感動して、そののちに
人を感動させることができるのである。

自分が感動しないで、
他人を感動させることなどできるはずがない。

・・・

【 11月6日 】 君子の処世術

君子の世俗(せぞく)に於(お)けるは、
宜(よろ)しく沿いて溺(おぼ)れず、
履(ふ)みて陥(おちい)らざるべし。

夫(か)の特立(とくりつ)独行(どっこう)して、
高く自ら標置(ひょうち)するが若(ごと)きは、
則(すなわ)ち之(こ)れを中行(ちゅうこう)と
謂(い)うべからず。

               (「耋」一ニ三)915

【訳】

立派な人が世に処していくときは、
世間のしきたりに従いながら、決して溺れず、
それを実行するが、
埋没して自分を失うことがあってはならない。

君子だからといって、世俗とかけ離れた特別な行動をとって
人目惹くようにふるまうのは、
中庸な行いとはいわない。

・・・

【 11月7日 】 処世の要は得と失

世を渉(わた)るの道は、得失の二字に在り。
得(う)べからざるを得ること勿(なか)れ。

失うべからざるを失うこと勿れ。
此(か)くの如(ごと)きのみ。

               (「耋」一ニ四)916

【訳】

世渡りの道は、得と失の二字に帰着する。
得てはいけない虚名とか正しくない利益のようなものは、
得ないようにしなくてはいけない。

失ってはいけない自分の正しい信念・志のようなものは、
失わないようにしなくてはいけない。

これが処世の要道である。

・・・

【 11月8日 】 世渡りは温湯の如く

世に処する法は、宜(よろ)しく体(たい)に可なる
温湯(おんとう)の如く然(しか)るべし。

濁水(だくすい)・熱湯は可ならず。
過清(かせい)・冷水も亦(また)可ならず。

               (「耋」一ニ六)918

【訳】

世渡りの方法は、入浴の時に、
体に適した温かさの湯のようであるがよい。

濁った水や熱湯はいけないし、
あまりに清らかすぎたり、冷たくてもよくない。

・・・

【 11月9日 】 謙譲と驕慢争

利を人に譲り、害を己(おの)れに受くるは、是(こ)れ譲なり。
美を人に推(お)し、醜(しゅう)を己れに取るは、是れ謙なり。

謙の反を驕(きょう)と為(な)し、譲の反を争(そう)と為す。
驕・争は是れ身を亡ぼすの始めなり。
戒(いまし)めざるべけんや。

               (「耋」一ニ七)919

【訳】

利益を人に譲り、
損害を自ら引き受けるのは、讓である。

良いことを人に推し、
悪いことを自分が引き受けるのは謙である。

謙の反対を驕といい、
讓の反対を争という。

驕と争は身を滅ぼすもとになるので、
戒めなくてはいけない。

・・・

【 11月10日 】 栄辱の原因を慎む

「薪(たきぎ)を積むこと、一(いつ)の若(ごと)くなるも、
火は則ち其(そ)の燥(そう)に就(つ)く。

地を平らかにすること、一(いつ)の若くなるも、
水は則ち其の湿(しつ)に就く」。

栄辱(えいじょく)の至るは理勢の自然なり。
故(ゆえ)に君子は其(そ)の招く所を慎む。

               (「耋」一ニ八)920

【訳】

『荀子』に「薪を同じように積んでも、
火は乾燥しているところに燃え移る。
地面を均等にならしても、水は湿ったところに流れていく」
とある。

栄誉と屈辱の来るのは、道理として自然のなりゆきである。
だから君子は、栄辱の原因となる日常の行いを慎むのである。

            <感謝合掌 令和2年11月1日 頓首再拝>

「佐藤 一斎・一日一言」11月11日~20日 - 伝統

2020/11/10 (Tue) 23:38:22


【 11月11日 】 謙と予

予(よ)は是(こ)れ終を始に要(もと)め、
謙(けん)は是れ始を終に全(まっと)うす。
世を渉(わた)るの道、謙と予とに若(し)くは無し。

               (「耋」一ニ九)921

【訳】

あらかじめ準備するには、その結果を最初に考える
必要があり、へりくだれば、最初に考えた通りに
終わりを全うすることができる。

世の中の渡る道は、この謙(謙遜)と予(予備)に
まさるものはない。

・・・

【 11月12日 】 患は易心(いしん)に生ず

騎(き)は登山に踣(たお)れずして、
而(しか)も下阪(げはん)に躓(つま)ずき、
舟は激浪(げきろう)に覆(くるがえ)らずして、
而(しか)も順風に漂う。
凡(およ)そ患(かん)は易心(いしん)に生ず。
慎まざるべからず

               (「耋」一三一)923


【訳】

人の騎乗した馬は、山登りでたおれず、
坂を下るときにつまずくものであり、
舟は激しい波にひっくり返らず、
順風のときに漂流してしまうものである。

だいたい災(わざわ)いというものは侮(あなど)る
気持ちに生じるものである。
慎まなければいけない。

・・・

【 11月13日 】 逆境にあって順を思う

逆境に遭(あ)う者は、宜(よろ)しく順を以て之を処すべし。
順境に居(お)る者は、宜しく逆境を忘れざるべし。
 
               (「耋」一三二)924

【訳】

逆境にあっている者は、順境にいるような安らかな心持ちで
対処していけばいい。

順境にいる者は、逆境のときの緊張を忘れないように
しなければいけない。

・・・

【 11月14日 】 君子は境遇に満足する

「君子は入(い)るとして自得せざる無し」。
怏怏(おうおう)として楽しまずの字、
唯(た)だ功利の人之(こ)を著(つ)く。

               (「耋」一三六)928


【訳】

『中庸』に「君子はいかなる境遇のもとでも、
それに自得して満足しないことはない」
(心に満足して楽しまないことはない)とある。

怏怏として楽しまずという字は、
ただ功績や利益を追い求める人だけが心に抱くものである。

・・・

【 11月15日 】 順境 逆境 見方次第

余(よ)意(おも)う、
「天下の事、固(もと)より順逆無く、我が心に順逆有り」と。
我が順とする所を以て之(これ)を視(み)れば、逆も皆順なり。
我が逆とする所を以て之を視れば、順も皆逆なり。
果たして一定有らんや。

達者に在(あ)りては、一理を以て権衡(けんこう)と為(な)し、
以て其(そ)の軽重(けいちょう)を定むるのみ。

               (「耋」一三三)925

【訳】

私はこう思う。
「世の中に起こる物事には、もとより順逆はない。
 自分の心がどう思うかによって、物事の順逆が決まるのだ」と。

自分が順と思う立場にたって物事を見れば、人が逆境だと
いうものでも、すべて順境になる。

自分が逆と思う立場にたって物事を見れば、
人が順境だというものであっても、すべて逆境になる。

はたして物事の順逆は固定できるものだろうか。

事理に通じている人にあっては、
一貫した道理を物差しにして、
物事の軽重を定めるのみである。

・・・

【 11月16日 】 苦楽に一定なし

苦楽は固(もと)より亦(また)一定無し。
仮(たと)えば我が書を読みて
夜央(よなかば)に至るが如き、
人は皆之(こ)れを苦と謂(い)う。

而(しか)れど我れは則(すなわ)ち之を楽しむ。
世俗(せぞく)の好む所の淫哇俚腔(いんあいりこう)、
我れは則ち耳を掩(おお)いて之を過ぐ。

果して知る、苦楽に一定無く、
各各(おのおの)其の苦楽とする所を以て
苦楽と為すのみなることを。

               (「耋」一三四)926

【訳】

苦や楽も、もとより決まった定めがあるわけではない。
たとえば、私が本を読んで夜中になってしまうと、
人は皆それを苦痛であろうという。

しかし私はそれを楽しんでいるのである。
逆に、世間の人が好むみだらな声や卑俗(ひぞく)な歌曲が
聞こえてくると、私は耳をふさいで通り過ぎるようにしている。

そういうわけで、苦や楽には一定の基準があるわけでなく、
それぞれが自分で苦と感じ、楽と感じるものを
苦楽としているだけである。

・・・

【 11月17日 】 長短久速は心が決める

怠惰’たいだ)の冬日(とうじつ)は何ぞ其(そ)の長きや。
勉強の夏日(かじつ)は、何ぞ其(そ)の短きや。
長・短は我れに在(あ)りて、日に在らず。

待つ有るの一年は、何ぞ其の久しきや。
待たざるの一年は、何ぞ其の速(すみ)やかなるや。
久・速は心に在りて、年に在らず。

               (「耋」一三九)931

【訳】

怠けて過ごしていると、短い冬の日でも、なんと長いことか。
努め励んでいると、長い夏の日でも、なんと短いことか。
この長い短いは自分の心持ち次第であって、
日そのものにあるのではない。

また、何かを楽しみに待っている一年は、
なんと待ち遠しいものか。

何も待つことのない一年は、なんと速く過ぎていくことか。
この久しい速いは心持ち次第であって、
年そのものにあるのではない。

・・・

【 11月18日 】 貧富は物にあらず

物に余り有る、之(こ)れを富と謂(い)う。
富を欲するの心は則(すなわ)ち貧なり。

物の足らざる、之を貧と謂う。
貧に安(やす)んずるの心は即ち富なり。

富・貴は心に在(あ)りて、物に在らず。

               (「耋」一四三)935

【訳】

物に余り分が生じたら、それを富という。
富を欲しがる心はすなわち貧である。

物が足りない、これを貧という。
貧に安んじている心はすなわち富である。

このように、富貴とは心の持ち方にあるのであって、
物の過不足にあるのではない。

・・・

【 11月19日 】 富貴と貧賤

身(しん)労して心逸する者は貧賤(ひんせん)なり。
心苦(くる)しんで身(み)楽しむ者は、富貴なり。
天より之(も)れを視(み)れば、両(ふたつ)ながら得失無し。

               (「耋」一四四)936

【訳】

身体を苦労させて心を安楽にしている者を、貧しい人という。
心を苦労させて体を安楽にしている者を、富める人という。

天の高いところからこれを見れば、
どちらが得でどちらが損かはわからない。
 
・・・

【 11月20日 】 人生に欠かせないもの

舟に楫艪(しょうろ)無ければ、
則ち川海(せんかい)も済(わた)るべからず。
門に鎖錀(さやく)有れば、
則ち盗賊も闚(うかが)う能わず。

               (「耋」一四六)938


【訳】

舟に舵と櫓がなければ、川もや海も渡ることはできない。
門に錠(じょう)と鍵があれば、盗賊入り込むことはできない。
正しく生きるには固い意志が必要である。

            <感謝合掌 令和2年11月10日 頓首再拝>

「佐藤 一斎・一日一言」11月21日~30日 - 伝統

2020/11/20 (Fri) 23:02:30

【 11月21日 】 満を持す     

凡(およ)そ、物満(み)つれば
則(すなわ)ち覆(くつがえ)るは天道なり。

満を持(じ)するの工夫を忘るること勿(なか)れ。
満を持すとは、其の分を守るを謂(い)い、
分を守るとは、身の出処(しゅっしょ)と
己れの才徳とを斥(さ)すなり。

               (「耋」一四九)941

【訳】

物が一杯になるとひっくり返るのは天の道理である。

どうすれば満杯の状態で持ちこたえられるか
工夫することを忘れてはいけない。

満を持すとは、自分自身の本分を守ることをいい、
本分を守るとは、出処進退と才能徳性の分限を
わきまえることをいうのである。

・・・

【 11月22日 】 正語と悟語

「凡(およ)そ事予(よ)すれば、則(すなわ)ち立ち、
 予せざれば則ち廃す」とは、正語なり。
之(これ)を家国に用うべし。

「水到(いた)りて渠(みぞ)成りて
 菓(か)熟(じゅく)して蔕(へた)落つ」
とは悟語(ごご)である。
之を一身に用うべし。

               (「耋」一四七)939

【訳】

『中庸』に「何事も事前に準備をすれば成就し、
準備怠れば必ず.失敗する」とあるが、
これは道理に適(かな)正しい言葉である。
これを家庭や国家に適用すべきである。

「水が流れて来て自然に溝ができ、
 果物が熟せば自然に蔕が落ちる」とあるが、
これは悟った言葉である。
これは自らの身に適用とすべき戒めである。

・・・

【 11月23日 】 過ちから逃れ、福を求める道

愆(とが)を免(まぬが)るるの道は謙と譲とに在(あ)り、
福を干(もと)むるの道は、恵(え)と施(せ)に在り。

               (「耋」一五二)944

【訳】

過ちを免れる方法は、へりくだることと譲ることにある。
幸福を求める方法は、人に恵むこと施すことにある。

・・・

【 11月24日 】 禍福栄辱も考え方ひとつ

必ずしも福を干(もと)めず。
禍(か)無きを以(もつ)て福と為(な)す。

必ずしも栄を希(ねが)わず。
辱(じょく)無きを以て栄と為す。

必ずしも寿を祈らず。
夭(よう)せざるを以て寿と為す。

必ずしも富を求めず。
餧(う)えざるを以て富と為す。

               (「耋」一五四)946

【訳】

必ずしも幸福を求めなくてよい。
禍(わざわい)がなければ幸福なのである。

必ずしも栄誉を願わなくてよい。
恥辱を受けなければ栄誉なのである。

必ずしも長寿を祈らなくてよい。
早死にしなければ長生きなのである。

必ずしも富を求めなくてよい。
飢えなければ富んでいるのである。

・・・

【 11月25日 】 若者を訓戒する

少壮の書生と語る時、
荐(しきり)に警戒を加うれば
則(すなわ)ち聴く者厭(いと)う。

但(た)だ平常の話中に就(つ)きて、
偶(たまたま)警戒を寓(ぐう)すれば、
則ち彼に於(おい)て益(えき)有り。
我れも亦(また)煩涜(はんとく)に至らず。

               (「耋」一五九)951

【訳】

若い学生と語るとき、
しきりに戒めるようなことを言うと、
聴く者は嫌になるものだ。

ただ、普段平常の会話中に、
話題にかこつけてや戒めの言葉を入れるようにすれば
聞く彼にとっても聞きやすく有益である。
自分もまた、煩わしい手数をかける必要がない。

・・・

【 11月26日 】 女子と小人を訓戒する

女子を訓(おし)うるには、
宜(よろ)しく恕(じょ)にして厳なるべし。

小人を訓うるには、宜しく厳にして恕なるべし。

               (「耋」一六一)953

【訳】

婦女子を教え戒めるときには、思いやりの言葉を先にかけて、
そののち厳しい言葉をかけるようにすればよい。

小人物を教え戒める場合ときは、最初に厳しい言葉をかけて、
そののち思いやりの言葉をかけるようにするのがよい。

・・・

【 11月27日 】 子供を訓戒する

小児を訓(おし)うるには、苦口(くこう)を要せず。
只(た)だ須(すべか)らく欺(あざむ)く勿(なか)れの
二字を以てすべし。是(こ)を緊要(きんよう)と為す。

               (「耋」一六二)954

【訳】

子供を教え戒めるときには、苦言は必要としない。
ただ、人に嘘をついてはいけない、とだけ言えばでよい。
これが肝心な点である。

 〇会津藩校・会津日新館に入学する前の
  「遊びの什」(6歳~9歳)の「お話」の中に
  「虚言(うそ)を言うてはなりませぬ」の一条がある。

・・・

【 11月28日 】 忘れてはいけないこと

我れ恩を人に施(ほど)しては、忘るべし。
我れ恵(めぐみ)を人に受けては、忘るべからず。

               (「耋」一六九)961

【訳】

自分が人に恩恵をしたことは、忘れてしまえばよい。
しかし、自分が人から恵を受けたことは、決して忘れてはいけない。

・・・

【 11月29日 】 君子は自ら欺かず

自(みずか)ら多識に矜(ほこ)るは、浅露(せんろ)の人なり。
自ら謙遜に過ぐるは、足恭(そつきょう)の人なり。

但(た)だ其の自ら欺(あざむか)かざる者は、君子人なり。
之(こ)れを誠にする者なり。

               (「耋」一七七)969

【訳】

自分が物事をよく知っていること自慢するのは、浅はかな人である。
自ら謙遜し過ぎるのは、おもねる人である。

ただ、自らを欺かない正直な人が君子といわれる立派な人である。
これこそ誠の道を実践する人である。

・・・

【 11月30日 】 多言は博識ににたり

執拗(しつよう)は凝定(ぎょうてい)に似たり。
軽遽(けいきょ)は敏捷(びんしょう)に似たり。

多言は博識に似たり。
浮薄(ふはく)は才慧(さいけい)に似たり。

人の似たる者を視(み)て、
以て己(おのれ)を反省すれば、可なり。

               (「耋」一七八)970

【訳】

片意地でしつこいのは信念が堅固であるに似ている。
軽はずみなのは素早いに似ている。

口数が多いのは物知りに似ている。
浮ついてうて軽々しいのは才があって賢いのに似ている。

このように、人の似て非なるものを見て、自分を反省すればよいが、
それを判断できる見識を養うことが大切である。

            <感謝合掌 令和2年11月20日 頓首再拝>

「佐藤 一斎・一日一言」12月1日~10日 - 伝統

2020/11/30 (Mon) 23:32:56

【 12月1日 】 有りて無き者は人

有りて無き者は人なり。無くて有る者も亦(また)人なり。

               (「耋」一八ニ)974

【訳】

たくさん人はいるけれど、いないのは立派な人物である。
しかし、いないようでもいるのも立派な人物で、
それを見出すことが大切である。

・・・

【 12月2日 】 忠恕の用い方①

忠の字は宜(よろ)しく己(おの)れに責むべし。
諸(こ)れを人に責むること勿(なか)れ。

恕の字は宜しく人に施(ほどこ)すべし。
諸れを己に施すこと勿れ。

               (「耋」一八七)979

【訳】

忠とは誠を尽くすことだが、
誠を尽くしているかと自分を責めるのはよい。
しかし、これによって人を責めてはいけない。

恕とは思いやることだが、
これは人に対して施すべきである。
自分自身に思いやりをかけるものではない。

・・・

【 12月3日 】 忠恕の用い方②

妄念(もうねん)起(おこ)る時、
宜(よろ)しく忠の字を以て之(こ)れに克(か)つべし。

争心(そうしん)起る時、
宜しく恕の字を以て之れに克つべし。
 
               (「耋」一八八)980

【訳】

邪念が湧いてきたときには、
忠の字(誠・まごころ)によって克服しなくてはいけない。

人と争う心が生じたときには、
恕の字によって克服しなくてはいけない。

・・・

【 12月4日 】 多言を慎む

人の言を聴くことは、則(すなわ)ち多きを厭(いと)わず。
賢(けん)不肖(ふしょう)と無く、皆資益(しえき)あり。

自(みずか)ら言うことは、則ち多きこと勿れ。
多ければ則ち口過(こうか)有り、
又或(あるい)は人を誤(あやま)る。

               (「耋」一九一)983

【訳】

人の言葉を聴くことは、いくら多くても嫌がらないことだ。
話し手が賢者であれ愚者であれ、すべて自分のためになる。

しかし、自分が話をするときには、多くを語ってはいけない。
多く語れば失言をしたり、人を誤らせたりすることになる。

・・・

【 12月5日 】 雅事は嘘、俗事は実

雅事(がじ)は多く是(こ)れ虚(きょ)なり。
之を雅と謂(い)いて之(こ)れに耽(ふけ)ること勿(なか)れ。

俗事(ぞくじ)は卻(かえ)って是れ実(じつ)なり。
之れを俗と謂いて之を忽(ゆるがせ)にすること勿れ。

               (「耋」二〇二)994

【訳】

風流なことというのは、その多くは虚飾である。
これを風流であるといって、耽溺(たんでき)してはいけない。

日常の俗事は実質的で必要なことである。
これを俗であるといって、おろそかにしてはいけない。

・・・

【 12月6日 】 今人の批評は慎むべし

古人の是非は、之(こ)れを品評するも可なり。

今人(こんじん)の好歹(こうたい)は、
之れを妄議(もうぎ)するは不可なり。

恨(うらみ)を取るは、多く妄議に在り。
警(いまし)むべし。

               (「耋」二〇四)996

【訳】

古人の善悪の品定めはしてよい。

しかし、今生きている人の善悪をむやみに論議するのはいけない。

人から恨みを買う原因の多くは、むやみに
人を論議するところから起こる。
気をつけなくてはいけない。

・・・

【 12月7日 】 人を侮るは自らをそしると同じ

小(すこ)しく才有る者は、
往往(おうおう)好みて人を軽侮(けいぶ)し、
人を調咲(ちょうしょう)す。

失徳と謂う可べ。

侮(あなどり)を受くる者は、徒(いたずら)に已(や)まず、
必ず憾(うら)みて之(こ)れを譖(しん)す。
是れ我れ自(みずか)ら譖するなり。

吾(わ)が党の少年、此(こ)の習に染まる勿(な)くして可なり。

               (「耋」二〇三)995

【訳】

少しばかり才がある者は、往々にして人を軽く見て、
ばかにし、人をからかい笑う。

これは徳義に外(はず)れているというしかない。

侮蔑を受けた者は、それだけではすまず、
必ず恨んで、その人をそしる。

こうなると、人を侮(あなど)るのは自分をそしるのと同じである。

われらとともに学問を学ぶ青少年たちは、
このような悪い習慣に染まらないようにしなくてはいけない。

・・・

【 12月8日 】 名利を厭わず

名の干(もと)めずして来(きた)る者は、実(じつ)なり。
利の貪(むさぼ)らずして至る者は、義なり。

名利(めいり)は厭(いと)うべきに非ず。
但(た)だ干むると貪るとを之(こ)れ病(やまい)と為すのみ。

               (「耋」二〇五)997


【訳】

自ら求めることなく与えられる名誉とは、実績が評価されたものである。
欲ばることなく得られた利益は、正しい行ないの結果である。

このようにな名誉や利益は嫌がるものではない。
ただ名誉を求めたり、利益をむさぼるというのは、
弊害となるだけである。

・・・

【 12月9日 】 毀誉得喪を一掃する

毀誉(きよ)得喪(とくそう)は、
真(しん)に是(こ)れ人生の雲霧(うんむ)なり。
人をして昏迷(こんめい)せしむ。

此の雲霧を一掃すれば、則ち天青く日白(ひろ)し。

               (「耋」二一六)1008

【訳】

非難・名誉・成功・失敗は、
まさに人生にかかった雲や霧のようなものである。
これらが人の心を暗くし迷わせるのである。

この雲や霧を一掃すれば、
よく晴れ渡った日のように、人生は明るいものになる。
 
 〇毀誉得喪にとらわれない自己を確立することが大切である。

・・・

【 12月10日 】 我が友、我が師

徒(いたず)らに我れを誉(ほ)むる者は喜ぶに足らず。
徒らに我れを毀(そし)る者は怒るに足らず。

誉めて当(あた)る者は、我が友なり。
宜(よろ)しく勗(つと)めて以て其の実(じつ)を求むべし。

毀りて当る者は、我が師なり。
宜しく敬して以て其の訓(おしえ)に従うべし。

               (「耋」二一四)1006


【訳】

やたらと自分を誉める者がいても、喜ぶほどのことではない、
やたらと自分をけなす者がいても、怒るほどのことではない。

誉められて、それが的を射ているならば、
その人は自分の友である。
一生懸命務めて、誉められたことに応(こた)えられるように
実を挙げなくてはいけない。

けなされて、それが的を射ているようならば、
その人は自分の師である。
慎んでその人の教えに従うべきである。

            <感謝合掌 令和2年11月30日 頓首再拝>

「佐藤 一斎・一日一言」12月11日~20日 - 伝統

2020/12/11 (Fri) 23:55:24

【 12月11日 】 心友と疎交

世には未(いま)だ見ざるの心友(しんゆう)有り。
日に見るの疎交(そこう)有り。
物の?合(けいごう)は、感応の厚薄に帰す。

               (「耋」二一七)1009

物の?合(けいごう)
https://kanjijoho.com/kanji/kanji10453.html

【訳】

世の中には、一度も会ったことがないのに、
心の通い合う友人がいる一方で、
毎日の会っていても表面だけの
交際をしているにすぎない人もいる。

物の離合というのは、
心と心の感応が厚いか薄いかによって決まるものである。

・・・

【 12月12日 】 本物は見分け難し

真勇は怯(きょ)の如く、
真智は愚(ぐ)の如く、
真才は鈍(どん)の如く、
真巧は拙(せつ)の如し。

               (「耋」二三九)1031

【訳】

真の勇者は臆病者のように見え、、
真の智慧者者は愚か者のように見え、
真に才人は鈍才のようにように見え、
真に巧者は下手な者に見える。
見誤ってはならない。

・・・

【 12月13日 】 勉学の本道

学生の経(けい)を治むるには、
宜しく先(ま)ず経に熟して、
而(しか)る後に諸(こ)れを註(ちゅう)に求むべし。

今は皆註に熟して、経に熟せず。
是(これ)を以て深意(しんい)を得ず。

関尹子(かんいし)曰く、
「弓を善くする者は、弓を師として?(げい)を師とせず。
舟を善くする者は、舟を師として、?(ごう)を師とせず」と。

此の言然り。

               (「耋」二二六)1018

https://ameblo.jp/harpya52/entry-12617508931.html
<D226>

【訳】

学生が経書を修得するには、まず経書の本文に習熟して、
そののち、わからない箇所を註釈で確かめるのがよい。

ところが今は皆、註釈に習熟して、本文に習熟しようとしない。

『関尹子(かんいし)』には、
「弓の上手な人は、弓そのものを師として、
 弓の名人である?(げい)を師としない。
 舟を上手に漕ぐ者は、舟そのものを師として、
 操船の名人のの?(ごう)を師としない」とある。

実にもっともな言葉である。

 *?(げい)~夏時代の弓の名人。
 *?(ごう)~夏時代の舟漕ぎの名人

・・・

【 12月14日 】 上官は嗜好無かるべし

上官たる者は、事物(じぶつ)に於いて
宜(よろ)しく嗜好(しこう)無かるべし。

一たび嗜好を示さば、人必ず此(これ)を以て
?縁(いんえん)す。

但(た)だ、義を嗜(たしな)み善を好むは、
則(すなわ)ち人の?縁も亦(また)厭(いと)わざるのみ。

               (「耋」二五九)1051

?縁(いんえん)
https://furigana.info/w/%E5%A4%A4%E7%B8%81

【訳】

上官たる者は、物事において
個人的な好みがあってはいけない。

一度でも自分の好みを示すと、部下は必ずそれをつてに
擦(す)り寄ってきて、栄達を求めてくる。

ただ、正しい行いや善を好むのであれば、
人がつてを求め寄って来ても厭うことはない。



・・・

【 12月15日 】 英王と闇君

群(ぐん)小人(しょうにん)を役して以て
大業(たいぎょう)を興(おこ)す者は、英主なり。

衆(しゅう)君子(くんし)を舎てて
而(しこう)して一身を亡(ほろ)ぼす者は、闇君(あんくん)なり。

               (「耋」二六一)1053

【訳】

多くの平凡な人間を使って大事業を興す人は、英明な君主である。

多くの立派な人物を捨てて用いずに
自らの身を亡した者は、暗愚(あんぐ)な君主である。

・・・

【 12月16日 】 教育の手順

教えて之(こ)れを化(か)するは、化、及び難(がた)きなり。
化して之れを教うるは、教、入(い)り易(やす)きなり。

               (「耋」二七七)1069

【訳】

まず教えてから感化しようとしても、
感化するのはなかなか難しい、

しかし、最初に感化してから教えるようにすると、
容易に教え込むことができる。

・・・

【 12月17日 】 清きものは心を洗う

色の清き者は観(み)るべく、
声の清き者は聴くべく、
水の清き者は漱(そそ)ぐべく、
風の清き者は当(あた)るべく、
味の清き者は嗜(たしな)むべく、
臭(におい)の清き者は嗅(か)ぐべし。

凡(およ)そ清き者は皆以て吾が心を洗うに足る。

               (「耋」二八二)1074

【訳】

色の清きものは観るのによく、
声の清きものは聴くのによく、
水の清きものは口をそそぐにく、
風の清きものは吹かれるのによく、
味の清きものは嗜(たしな)むよく、
香りの清きものは嗅ぐのによい。

すべて清きものは、心のけがれを洗い清めるに足りる。

・・・

【 12月18日 】 備えあれば患いなし

天道・人事は、皆漸(ぜん)を以て至る。

楽(らく)を未(いま)だ楽しからざるの日に楽しみ、
患(うれい)を未だ患えざるの前に患うれば、
則(すなわ)ち患免(まぬが)れるべく、
楽(たのしみ)全(まっと)うすべし。
省(かえり)みざるべけんや。

               (「耋」二八五)1077

【訳】

天地自然の変化や人間社会の出来事は、
すべて徐々に進んでいくものである。

したがって、楽しみがまだ来ないときから楽しみ、
心配事がまだ起こる前に用心しておけば、
心配事は免れることができるし、
楽しみは全うすることができる。
よく考えておくべきことである。

・・・

【 12月19日 】 敬は終身の孝

人道は敬に在(あ)り。
敬は固(もと)より終身の孝たり。

我が?(み)は親の遺(い)たるを以(もつ)てなり。
一息尚(な)お存せば、自(みずか)ら敬することを忘るべけんや。

               (「耋」二八六)1078

【訳】

人の踏み行うべき道は敬にある。
敬とはもちろん一生涯の孝である。

自分の身体は両親が自分に遺(のこ)してくれたものだからである。
最後の一息まで、自ら敬することを忘れてはならない。

・・・

【 12月20日 】 養生の秘訣も敬にあり

道理は往(ゆ)くとして然(しか)らざるは無し。
敬の一字は、固(もと)と修身の工夫なり。
養生の訣(けつ)も亦一箇の敬に帰(き)す。

               (「耋」二八七)1079

【訳】

物事の道筋はどこへ行っても変わるものではない。
敬の一字は、もとより身を修める工夫をいうが、

暴飲暴食を慎むということでもあって、つまり、
生命を全うする秘訣も、また敬の一字に帰するものなのである。

            <感謝合掌 令和2年12月11日 頓首再拝>

「佐藤 一斎・一日一言」12月21日~31日 - 伝統

2020/12/21 (Mon) 22:06:57

【 12月21日 】 養生の上・中・下

心志を養うは養の最なり。
体?(たいく)を養うは養の中なり。
口腹(こうふく)を養うは養の下なり。

               (「耋」二九五)1087

?:(躯):https://kakijun.jp/page-ms/U_E8BB80.html


【訳】

心を養うことは養生の最上なものであり、
体を養うのは養生の中位のものであり、
口や腹を満たし養うのは養生の最も下に位(くらい)するものである。

・・・

【 12月22日 】 淡白に、欲を少なく

心身は一なり。
心を養うは澹泊(たんぱく)に在(あ)り。
身を養うも亦(また)然(しか)り。
心を養うは寡欲(かよく)に在り。
身を養うも亦然り。

               (「耋」三一五)1107

【訳】

心と体は一つである。
心を養うには、淡白で執著しないのがよい。
体を養うんもまた同じである。
また、心を養うには欲を少なくするのがよい。
体を養う場合も同じである。

・・・

【 12月23日 】 度を過すべからず

凡(およ)そ事は度を過す可からず。
人道固(もと)より然り。
即(すなわ)ち此(こ)れも亦(また)養生なり。

               (「耋」三一八)1110

【訳】

何事も度が過ぎるというのはよくない。
人の踏み行うべき道においても同様である。
これもまた養生の道なのである。

・・・

【 12月24日 】 養生の正路

老人の養生を忘れざるは固(もと)より可なり。
然(しか)れども已甚(はなはだ)しきに至れば、
則ち人欲を免(まぬが)れず。

労すべきには則ち労し、苦しむべきには則ち苦しみ、
一息尚(な)お存すれ人道を愆(あやま)ること勿(なか)れ。

乃(すなわ)ち是(こ)れ人の天に事(つか)うるの道にして、
天の人を助くるの理なり。
養生の正路(せいろ)は、蓋(けだ)し此(ここ)に在り。

               (「耋」三一九)1111

【訳】

老人が養生を忘れないというのはもとより結構なことである。
しかし、それがあまりに度を過ぎると、私欲といわれてもしかたない。

苦労するときには苦労して、最後の一息まで
人の踏みべき道を過ってはいけない。

すなわちこれが人の天につかえる道であり、
天が人を助ける道理なのである。
養生の正しい道は、まさにここにある。

・・・

【 12月25日 】 清忙は養を成す

清忙(せいぼう)は養を成すも、
過閑(かかん)は養に非(あら)ず。

               (「耋」三二二)1114

【訳】

心がすがすがしく騒がないほとの忙しさは養生になるが、
あまりに暇が過ぎるのは養生にはならない。

・・・

【 12月26日 】 親の道を養う

親歿(ぼつ)するの後、吾が?(み)は即ち親なり。

我れの養生は、即ち是(こ)れ親の遺を養うなり。
認めて自私と做(な)すべからず。

               (「耋」三二四)1116

?:(躯):https://kakijun.jp/page-ms/U_E8BB80.html


【訳】

親が亡くなったあとは、自分の体が
すなわち親の体と同じである。

自分を養生するとは、
すなわち親が遺(のこ)したものを養うことである。
これを単なる私事と考えてはいけない。

・・・

【 12月27日 】 自ら喜び、自ら養う

老人は平居索然(さくぜん)として楽しまず。
宜(よろ)しく毎(つね)に喜気(きき)を存じ
以(もつ)て自(みずか)ら養うべし。

               (「耋」三二六)1118

【訳】

老人の生活は普段、さびしくなって楽しまないのが常である。
だから、いつもニコニコと楽しい気分でいるように
努めて、自ら養生しなくてはいけない。

・・・

【 12月28日 】 少・壮・老の心構え

少者は少(わかき)に狃(な)るること勿(なか)れ。
壮者は壮に任ずること勿れ。
老者は老に頼むこと勿れ。

               (「耋」三三二)1124

【訳】

若者は若さに甘えて好き勝手なことをしてはいけない。
壮年の者は元気に任せて無理をしてはいけない。
老人は年をとっていることを口実にして
ひとにもたれかかってはいけない

・・・

【 12月29日 】 人生の計

人生は二十より三十に至る、
方(まさ)に出ずるの日の如(ごと)し。

四十より六十に至る、日中の日の如く、
盛徳(せいとく)大業(たいぎょう)、此の時候に在(あ)り。

七十八十は則ち衰頽蹉?(すいたいさだ)して、
将(まさ)に落ちんとする日の如く、能(よ)く為(な)す無きのみ。

少壮者は宜(よろ)しく時に及んで勉強し、
以(もつ)て大業を成すべし。

遅暮(ちぼ)の嘆(たん)或(あ)ること罔(な)くば可なり。

               (「耋」三二八)1120

?(だ)https://kanji.jitenon.jp/kanjiq/8369.html


【訳】

人間の一生のうち、二十歳から三十歳までは、
まさに日の出の太陽のようである。

四十歳から六十歳までは、日中の太陽のようであって、
立派な徳と大きな事業を成し遂げるのはこの時期である。

七十歳から八十歳になると、体が衰え、仕事もはかどらず、
まさに沈もうとする太陽のようで、もう何事も成すことができない。

こういうわけだから、若い人たちはしかるべき時に
大いに勉強して、大きな事業を成し遂げるがいいだろう。

晩年になって嘆くことがなければ結構な人生である。

・・・

【 12月30日 】 人道は誠と敬に窮まる

人道は只(た)だ是れ誠敬(せいけい)のみ。
生きて既(すで)に生を全(まっとう)うし、
死して乃(すなわ)ち死に安(やす)んずるは、
敬よりして誠(まこと)なるなり。

生死は天来、順にして之(こ)れを受くるは、
誠よりして敬なるなり。

夫(か)の短長を較(くら)べ苦楽を説くに至りては、
則(すなわ)ち竟(つい)に是れ男女親族の私情にして、
死者に於いては此の遺念(いねん)無きのみ。

               (「耋」三三四)1126

【訳】

人の踏み行うべき道は、ただ誠と敬の二つだけである。
生きてその生を全うし、死んでその死に安んずるというのは、
敬の修養を積んで誠の道を得た結果である。

生と死は天に由来するものであると従順に天命を受けるのは、
誠の修養を積んで敬の道を得たものである。

その人の寿命の短い長いを比ベたり、
その生涯の苦楽を口にするのは、男女親族の私情であって、
死んだ者はそのような思いを遺(のこ)していないものである。

・・・

【 12月31日 】 臨終の心得

吾が?(み)は、父母全(まっと)うして之(こ)を生む。
当(まさ)に全うして之を帰(かえ)すべし。
臨没(りんぼつ)の時は、他念有ること莫(なか)れ。

唯(た)だ君父(くんぷ)の大恩を謝して瞑(めい)するのみ。
是(こ)れを之れ終りを全うすと謂(い)う。

               (「耋」三四〇)1132

【訳】

自分の体は父母が完全な形で生んでくださったものである。
したがって、自分も完全な形でこれをお返ししなければならない。
臨終のときには、あれこれ考えてはならない。

ただ君父から受けた大恩して眼を閉じるのみである。
これを終りを全うするという。

            <感謝合掌 令和2年12月21日 頓首再拝>

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