伝統板・第二

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青年を祝福する④ - 伝統

2019/12/14 (Sat) 04:40:03

《私の養成したい人間》

         * 『理想世界』(昭和47年1月号) より

(1)流行その他、外部の影響力の奴隷になってはならないと同時に、
   もっと必要なのは内部から催して来る〃迷いの心〃や〃悲しみ〃や
   〃憂鬱〃等の暗い感情の奴隷になってはならないということの方が、
   もっと大切である。

   この世界には「類を以って集る」という〃心の法則〃があるのであるから、
   あなたが暗い感情を起せば暗い事物が集って来るし、
   憤怒の如き破壊的感情を起せば、それと同じような破壊的な力が、
   外部から自分を襲って来るようになるのである。

   人を叩けば、自分がまた何かの人又は力で叩かれる事が起って来るのである。
   人を尊敬し礼拝の心で接すれば、自分も亦、尊敬され礼拝されるのである。


(2)静慮し、理解し、決意し、行動することは人間にのみ与えられている
   聖なる〃意識の秩序〃であって、
   それは天界の秩序を地上に実現したものである。

   群集に附和雷同して行動するものは犬狼の類である。
   静慮を失って発作的に行動するものは狂犬である。

   三島由紀夫氏は、
   一人で行動することができないで群集で行動するものは
   弱者の自覚をもっているからだと喝破した。
  

(3)『危険に面して動ぜず、肉体の欲情に汚されず、逆境に処して幸福感を失わず、
   動乱に面して心の平静を失うことなく、人から媚び又は恐れられている
   権力者の誘惑に対して微笑を酬いて靡かざる人物こそ、
   彼は肉体の本能を超えて、天界の光を受けたものということができるのである』 

   とはセネカの名言である。
 
   今後の日本に必要なる人物はこのような人間だと思われるのである。


(4)真に偉大なる人物は、包容力が大きいのである。
 
   包容力が大きいとは、単に大小善悪無差別に包容するという意味ではなく、

   〃悪〃と見える者(物)の奥にも善なる実相 があることを見、

   〃小〃と見ゆる事物の奥にも、偉大なる神の生命と智慧と愛とが宿って、
   それが現れているのだと知り、

   〃小〃は小なりに〃大〃は大なりに、
   そのまま其処に神が顕現することを知り、
   その実相を尊敬して大切にする者のことである。


(5)大人物は、よく人を赦すのである。
 
   この場合「赦す」というのは、『あいつは悪い奴だけれども勘弁してやれ』と、
   彼の悪をみとめるだけで、その悪の跋扈をゆるしてやる
   という意味ではないのである。

   『あいつは悪く見えていても〃根〃は立派な奴だから、
   その〃根〃の立派なところを見 育ててやったら立派な人物になる』
   とその実相の善と完全さとを見て、その実相を解放 すること
   でなければならないのである。

   『〃根〃が立派だ』と見るその〃根〃とはその人の根本実相のことである。

   諸君は大人物にならねばならぬ。

   大人物はよく人を赦すが故に、多くの人々が味方となってついてきて、
   大事業を成就することができるのである。


(6)真の豪胆不敵は〃実相・神の子〃の自覚からのみ生まれるのである。
 
   かかる自覚のある人は、常に『われ神と倶にあり』との自覚があるために
   如何なる困難に面しても臆することなく、怯むことなく、困難を克服し、
   平静に事物の推移を観察し、何を為すべきかを速やかに知り、
   擾乱を鎮めて秩序を快復し得る人である。

   時局が危機に面してくればくるほど、真に神との一体感をもち
   現象界の擾乱に動ずることなくよく静慮し、よく理解し、よく決断し、
   よく遂行する人を必要とするのである。

   諸君は毎日、神想観を実修して神との一体感を深め、
   祖国の危急時に際して、何を為すべきかの指示を霊感によって受け、
   神との一体感による真の『豪胆不敵』の勇気をもって、
   為すべき事を、為すべき時に、為すべき場において、
   勇敢に遂行する人になって貰いたいのである。
 

(7)自分はまだ心理をまだ完全に悟っていないのであるから、
   人に真理を伝えるには未熟であると思って『道伝え』に躊躇し
   遠慮をしている人もあるらしいのであるけれども
   そんな遠慮しないがよい。

   伝道者というものは自分自身が蝋燭になって燃えなくともよいのである。

   オリンピック大会に、不滅の聖火を搬ぶために選ばれた青年のように、
   諸君は〃真理の炬火〃を持って走ればよいのである。
 
   その時その〃真理の炬火〃は世界を照らし、人類をも照らすと同時に
   〃真理の炬火〃をもって走る諸君自身を最もよく照らすのである。

   ( https://blogs.yahoo.co.jp/yghms533/17978249.html )

・・・

<関連Web>

(1)光明掲示板・第三《青年を祝福する》
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=540 

(2)光明掲示板・伝統・第一「《青年を祝福する》」
   → http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=wonderful&mode=res&log=27

(3)伝統板・第二「青年を祝福する①」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6455741

(4)伝統板・第二「青年を祝福する②」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6810734

(5)伝統板・第二「青年を祝福する③」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7705615

            <感謝合掌 令和元年12月14日 頓首再拝>

レディー・ガガ が イエール大学で語ったこと - 伝統

2019/12/28 (Sat) 04:39:11


        *Web:TABI LABO (2015/10/31)より

(1)鬱病を乗り越えるために自分より強い存在を創造した

   「誰もあなたを助けられません。
    あなたを助けられるのは、あなただけなんです。

    わたしは自分自身を創り出しました。
    レディー・ガガは、人生の痛みを表現するための方法です。
    だからこそ、わたしは鬱を乗り越えられました。

    つまり、元ある自分よりも強い何者かを創造したんです。

    もし全てを投げうってしまえば、
    これまでのキャリアを失い孤独になるだけ。
    …遺伝的に持って生まれたものが変わることはありません。
    だって、私はそう生まれてきたんですから」

(2)認めてもらうべき人物は自分自身

   「どれだけチャンスや成功を手にし、
    富と名声を得ても意味がないんです。
    誰かにあなたやあなたの容姿が認められたとしても同じです。

    認めてもらうべき人物は、自分自身に他ならないんです。

    だから、今日は自分を認めることの大切さについて話します」

(3)やりたくないことに対して"NO"と言う権利がある

   「わたしにとってやりたくないことに対してNoと言うことは、
    自分の存在を示す証拠です。

    やるかやらないかを選ぶのは、あなたの権利です。
    信じるか信じないか、自分の視点で自分の人生を生きるのかどうか、
    選ぶのはあなたの権利なのです。間違っているでしょうか?

    わたしは笑顔で大勢の人と握手なんてしたくありません。
    セルフィーで時間を無駄にしたくもありません。
    お金のために人を使うのも好きじゃありません。

    働きすぎていても悲しくなります。
    お金を生み出すためのロボットにでもなった感じがしてきます。

    だから、NOと言います。

    いつも、これは本当にやりたいことだろうか? と考えます。
    もしその答えがNOだったら、わたしはやりたくないと言うでしょう」

(4)私はただ〇〇なだけじゃない

   「自分の内側をさらけ出すことが大切です」

   「あなたのツイートをずっと覚えている人はいないでしょう。
    でも、投稿に対して向けられたネガティブなコメントを、
    あなたは忘れられません。

    全てのコメントに答える必要はないので、
    ただ自分のポジティブな行動の準備を進めましょう。
    無視せずに見続けるべきなのは自分自身の気持ちなんです。

    自信を持ちましょう。もちろんスマホの外で」

(5)自分の気持ちを確かめ続けることが大切

   「一番誇りに思っていることは何ですか?」
   「今日です」

   ( https://tabi-labo.com/203646/say-no )

            <感謝合掌 令和元年12月28日 頓首再拝>

【異質な人と組み、異質な経験をする】 - 伝統

2020/01/15 (Wed) 04:23:02


        *メルマガ「人の心に灯をともす」(2019.12.25)より

   (筑波大学名誉教授、村上和雄氏の心に響く言葉より…)

   アメリカの大学では7年に一度、サバティカルという休みを
   先生にくれますが、この休暇はリフレッシュという点で、
   とても大きな意味を持っています。

   期間は1年間、そのあいだ、大学を離れて、
   好きなことをやっていいという特典ですから、みんな喜んで利用します。

   ほとんどの先生は、この休暇を利用して、外国に行きます。

   アメリカ人はたいていヨーロッパに行きますが、
   そこでまったく違う国のカルチャーにふれ、いろいろな分野の人と出会い、
   情報を集めて、それで新しい活力を養うわけです。


   人間は定期的にこういう機会をもたないと、
   新しい発想は湧いてこなくなります。

   ずっと同じところで、同じ仕事を続けていれば、
   つきあう人も見聞もみな同じになってしまいます。

   そういう環境にあまり違和感を感じないでいると、
   その枠から出られなくなってしまいます。


   日本の大学の先生も終身雇用、年功序列に守られていて、
   それでもやっていける時代が過ぎ去ろうとしています。

   競争社会、契約社会のアメリカでは、ずっと昔から
   3年ごとくらいに一定の成果をあげなければ、身分は保障されません。

   欧米では、そうした努力を怠っていると、
   たちどころにクビを切られてしまいます。

   昨日まで大学の講師だった人が、急に姿が見えなくなったと思ったら、
   タクシーの運転手をしていたなどということが実際にあるのです。


   情報交換を組織的にやっているのが、ユダヤ人でしょう。

   彼らはほとんど毎週のように地区の教会(シナゴーグ)に通って、
   集会のあとでみんなで家族ぐるみのつきあいをします。

   ユダヤ人は2000年ものあいだ迫害されてきた苦難の歴史を背負っていますから、
   この世を生きていくには実力しかないということを骨身にしみて感じています。

   だから、つねに仲間で集まって、情報交換につとめるわけです。

   彼らにとって、情報は特別な意味をもっています。


   ノーベル賞受賞者を人種的に見ると、ユダヤ人が圧倒的に多い。

   ノーベル賞がすべてではありませんが、ある程度、頭のよさ、
   オリジナリティの豊かさをあらわすバロメーターにはなるのでは
   ないでしょうか。


   裏側の情報の重要性について述べましたが、
   ナイト・サイエンスを進めるためには、研究室から出て、
   いろいろな人間と交わることで刺激を受けたり情報を得たりすることが
   重要になってきます。

   デイ・サイエンス、つまり最終的な答えだけを知っても
   あまり意味がありません。

   研究者にとってより貴重なのは、
   その答えにたどりつくプロセスに関する情報です。


   外に出てコミュニケーションをとることで、自分の思いを相手に伝えます。

   自分の思いが先方に伝われば、次には必ず向こうからなにかが返ってきます。

   かけがえのない情報やノウハウを得ることができのは、
   そうした人間味に満ちた交流からです。

   ときに、自分をさらけだすことも必要です。


   私は根が素直なので(たんなる口が軽いだけという説もありますが)、
   ものごとを秘密にしておけないタチで、自分のアイデアや計画などを
   どんどん他人に話してしまいます。

   「そんなに開けっぴろげじゃ、人にとられてしまうぞ」

   そんなふうにアドバイスをしてくれる人もいますが、
   自分が話したことで、アイディアを盗まれたという経験は一度もありません。

   逆に、それによって助けられたことは何度もあります。

        <『生命のバカ力』講談社+α新書 >

                ・・・

村上氏は、「他人と組むこと」の重要性についてこう語っています。

『今の社会では、なんでもかんでも一人でやるということは不可能です。
他人と協力してやっていかなければ成し遂げられないことの範囲が
どんどん広がってきています。

そして、他人と組んでいい仕事をしたいと思うなら、
なるべく自分にないものをもった人と組むことがかんじんです。

専門分野でも、性格的な面でも。

他人と一緒にやるからには、もちろん仲よくしなければいけませんが、
自分にはない能力をもった人と組むことで、総合力を高めることができます。

一足す一が三になったり五になったりします。

ときには、相反する意見から、まったく新しい発見をすることもあります。』


「アイデアとは既存の要素の新しい組み合わせ以外の何ものでもない
ということである」(ジェームス・W・ヤング)


独創的な料理にしても、今まであった食材と食材の新しい組み合わせにすぎない。

誰も食べたことのないような食材など、この世には存在しないからだ。


人との組み合わせも同じ。

多様性が重要だ。
多様性はダイバーシティという言葉に置き換えられる。
性別、年齢、国籍の違った人材の多様な組み合わせ。

そのためには、オープンマインドであること。

自分の考えに固執せず、他人の考えもよく聞き、心を常に開いていること。

自分の考えたアイデアをケチる人は、他人からもアイデアをケチられる。

投げかけたものが返ってくるという、
物理でいう「作用」と「反作用」の法則があるからだ。

異質な人と組み、異質な経験を重ねていく人でありたい。

            <感謝合掌 令和2年1月15日 頓首再拝>

頑張れ!受験生! - 伝統

2020/01/19 (Sun) 04:25:37


      *メルマガ「大和し」(2020.01.18)より

挑戦することは尊いこと

今日は、センター試験の初日です。
毎年、この日は寒い日になり、
受験生にとっては天気との戦いも受験のうちの一つです。

私は、中学生や高校生の若い人が大好きです。
受験だけでなく、スポーツや文化などで、大きな壁に向かって挑戦している姿が好きです。

人生には大きな試練がいくつもあり、誰でも必ずその試練にぶつかります。
どんな人でも順風満帆にやっていける人はいません。
あえて、難しい壁に向かっていくことは、
どんな結果になろうとも、必ず大きな価値があります。

最近の受験は、推薦制度があって、
あえて受験しなくても高校や大学に入ることができます。
親にしてみれば、我が子が苦しんでいる姿をあまり見たくないので、
推薦という道を選択することもあります。

もしダメだったら、行くところがなくなったら、と考えたら先が心配です。
そうすると、できるだけ安全な道を子供に奨めようとします。


ところが、実際の社会はあまり安全な道はありません。
安全だと思っていた道が、実は突然もっと厳しい道になることがあります。

大学入試制度も大きく変わるようです。
センター試験も今年で終わり、来年からは新たな制度に変わります。
時代は絶えず動いているので、今までの流れがどんどん変わってしまいます。
つまり、新しい壁が生まれてくるのです。

困難に挑戦することは、それ自体が貴重で、尊いのです。

高く、厳しいことに向かっていきたいと望めば、
それを大いに認め、応援することの方が大切です。

「そんなのは無理に決まってる」と、チャレンジさせないのは、
その後の人生にとって、何の価値も生みません。

チャレンジして、失敗しても、その「悔しさ」が人間を成長させます。

人から薦められた目標よりも、
自分で決めた目標にチャレンジする方が学ぶことができます。
無謀な挑戦も、挑戦すれば乗り越える方法を見つけることができます。


若さは、どんな問題にも乗り越える力があります。
それは、可能性があるからです。

一度くらい失敗しても、人生は長いから、どこかで挽回することはできます。
社会の中では、いくらでもチャンスはあるのです。

失敗を怖がっているのは実は親の方です。
「子供の人生のために」と考えてやっていることは実は、
将来のチャンスを奪ってしまっているかもしれません。
先回りして、安全な道ばかりを探っていれば、
いずれ大きな試練にぶつかった時に乗り越えることができません。


子供の目指している目標を応援してあげよう。

それは、「お前大丈夫か!」「ああしたら、こうしたら」と言うことではありません。
実は、子供自身が一番わかっているのです。

ですから、「きっと乗り越えてくれる」と信じることです。
子供の頑張りを「信じる」ことです。

そして、こんなに苦労して高い壁を乗り越えようと
チャレンジしていることを認めてあげるべきです。

親は大きく成長できる「受験」に感謝することです。

「受験」を経験しなければ、人生の学びも得られません。
そして、子供の受験によって親も成長できます。

あと一日、どんなドラマが待っているのか、
楽しみながら最後まで力一杯全力でぶつかってほしいと思います。

心より、そのチャレンジを応援します!頑張れ!受験生!

            <感謝合掌 令和2年1月19日 頓首再拝>

【夢を叶える「打ち出の小槌」】 - 伝統

2020/01/31 (Fri) 04:34:24


        *メルマガ「人の心に灯をともす」(2019.12.04)より

   (堀江貴文氏の心に響く言葉より…)

   常識の延長線上に行き着く先は「常識」でしかない。

   周囲を見まわせばわかる。
   先輩、上司、おっさん、爺さん、おばさん、お婆さん。

   それぞれが、その時代が共有する価値観に従い、
   社会の一員として「常識的」に生きてきた人達がほとんどだ。


   それが悪いと言っているんじゃない。

   僕のように「既存の価値観」に逆らって生きてきた人間から見れば、
   常識を逸脱しないで生きるということに対して頭が下がる。

   これまでの日本もそうだったし、これからの日本も、
   そういう人達が労働人口としてカウントされることで成り立っていく。


   だが、もし若い人が、

   「自分はもっと違う人生を歩んでみたい」

   「周囲を気にする生き方はまっぴらだ」

   「縦横無尽に思うさま生きてみたい」

   と望むなら、まず「ものの見方」をガラリと変えてみることだ。

   難しいことじゃない。


   「疑う余地がないと思い込んでいること」に対して、
   「なぜ? どうして? ホントにそれが正しいの? 」と疑義をはさみ、
   自分に問いかけることによって新たな価値観に気づき、
   “目からウロコ”になるものと、
   これは僕がこれまで生きてきて自信をもって言えることなのである。


   「打ち出の小槌」とは、おとぎ話の一寸法師などに登場する小さな槌のことだ。

   欲しいものや願いごとを唱えて振ると、願いどおりのモノがあらわれてくるという
   「夢を叶える魔法のツール」なのだ。


   「そんなものがあるのかよ」と笑うのは正しい。

   常識で考えて「打ち出の小槌」は存在しない。

   その通りだ。

   だが、そう考えるのは結局、常識に埋没して生きていく人だ。


   常識では「打ち出の小槌」は存在しないと認めながらも、

   「なぜ、存在しないと言い切れるのか? 」

   と反常識発想をしてこそ、新たな視点を獲得することができる。


   新たな視点とは、「打ち出の小槌」を自分がこの手に握っていることに気づくことだ。

   「打ち出の小槌」がなんであるか一言で言えば「信用」のことなのだ。

   信用という小槌を振ることで、夢も、願いごとも必ず叶うのだ。

   「打ち出の小槌」は誰もが持っていながら、
   それに気がつく人は少なく、振り方を知る人はもっと少ないのだ。

         <『夢を叶える「打ち出の小槌」』青志社>

                ・・・

堀江氏は、「お金」は信用を誰にでもわかりやすく、便利にしたもので、
信用のなかの一つの形態だという。

道具だからこそ、貯めるためではなく、
お金は使うためにあり、信用を積み重ねることの方が大事だという。

また、経理で使われる、バランスシートに載らないものが、「信用」だ。

それは、「ブランド」や「のれん」、という価値だ。

個人で言うなら、その人のキャラクターやイメージ、人脈、ノウハウになる。


これを堀江氏は「心の中の打ち出の小槌」と呼んでいる。

つまり、「信用」をどんどん創造してくれる打ち出の小槌。


だからこそ、会社でも、個人でも自分のブランド力を高めなければならない。

一生涯を通じて自分のブランド価値を上げていくことが、人生である、ということも言える。

これは、SNSでの発信でも同じだ。


自分の「打ち出の小槌」に気づき、それを振ってみたい。

            <感謝合掌 令和2年1月31日 頓首再拝>

成功するために、20代で知っておくべき「5つのコト」 - 伝統

2020/02/09 (Sun) 02:04:21


         *Web:TABI LABO (2016/04/19)より
              ~シアトルに拠点を構える広告代理店の創業者にして
               CEO、Jayson DeMers氏

(1)決して、物事を先延ばししてはいけない

   愚かな若者は、常に何をするにも十分な時間があると信じています。
   ほとんどの場合で、お金持ちになるのは退職後だと信じているため、
   「現在」に没頭するのです。

   残念ながら、こう考えていると、「先延ばし」のクセがついてしまいます。
   そして、延々と先延ばししていることに気がつかず、
   訪れるチャンスを逃してしまうでしょう。

   まず初めにやるべきことは、先延ばしをやめることなのです。


(2)この世には、魔法など存在しない

   今あなたは、裕福になるヒントを期待してこの記事を読んでいるかもしれません。
   しかし、はっきりと伝えておきます。

   この世に魔法などありません。
   やるべきことはシンプル、かつ地味です。
   まずは、その事実を理解しましょう。


(3)あなた自身が「最高の資源」、しっかりと投資しよう

   あなたがやるべきことは、自分自身に投資すること。
   あなた自身こそが、富を築くためにあなたが手にしている、
   “最高の資源”なのです。

   具体的には、知識の習得に時間を費やし、
   独自のスキルを持ち、訓練すること。

   そして将来、あなたが目標を達成することを助けてくれるような人々と
   出会い、関係性を築いていくことです。

   知識を蓄え、スキルや経験を積み、人とつながる。

   そうすれば、より高い可能性で、
   貴重なチャンスを手に入れることができるでしょう。


(4)積極的にリスクをとろう、たとえ失敗しても挽回可能

   あなたがまだ若いなら、今こそリスクを取るとき。
   新たな機会に飛び込みましょう。

   もし物事がうまくいかなくとも、
   あなたには挽回するための多くの時間があります。

   ほとんどの人は、安全なレールの上にいようとします。
   成功するためにリスクを取りたければ、
   新しいことや苦手なことにも挑戦しなければなりません。


(5)幅広く学ぶことも有効

   リスクを取ることは、20~30代のあなたにとって、
   やりがいのある戦略です。

   が、投資の対象を多様化させることもオススメ。
   ひとつのスキルや、専門分野だけにこだわらないでください。

   複数の対象に幅広く投資してみてはどうでしょう。
   そして、目標やビジネスのために、いくつかの計画を立てましょう。

   どんな状況でも、新しい機会を探し、チャレンジしてみてください

   ( https://tabi-labo.com/257394/wealthy-20s30s )


            <感謝合掌 令和2年2月9日 頓首再拝>

今の努力が、すぐに結果に結びつくわけではない - 伝統

2020/02/25 (Tue) 02:43:45


       *Web:コトバの力( 2020年1月19日)より


喜多川泰さんのブログ「日々のこと」から紹介します。

————————-

中学時代の試験勉強は
「一夜漬け」によって結果が大きく変わる。
今努力をすれば、翌日にはすぐに結果となって現れる。

ところが
高校生になると、なかなかその効果は薄くなる。
今日努力をしたところで、翌日の結果に反映されるかどうかはわからない。

こういう経験を通じて
少しずつ、今の努力が、すぐに結果に結びつくわけではない
ということを学んでいく。

仕事においてはさらに顕著で
今、努力しているからといって、
即、今月の業績が上がるわけではない。

例えば、今月の業績が上がったとすれば
それは、その月にやったことが良かったというよりは、
それ以前に巻いた種がようやく芽を出し、大きくなり始めた
ということであって、その種を巻いたのは
もしかしたら10年前なのかもしれない。

無駄な努力なんてない。

今日も迷わず、自らを磨くべく努力するのがいい。
それを楽しもう。

それは思った時ではないかもしれないが
思いもよらない時に、必ず大きな結果となって帰ってくる。

そう思った方が人生は楽しいじゃない。

http://www.imabari-meichu.ed.jp/power-of-words/%e4%bb%8a%e3%81%ae%e5%8a%aa%e5%8a%9b%e3%81%8c%e3%80%81%e3%81%99%e3%81%90%e3%81%ab%e7%b5%90%e6%9e%9c%e3%81%ab%e7%b5%90%e3%81%b3%e3%81%a4%e3%81%8f%e3%82%8f%e3%81%91%e3%81%a7%e3%81%af%e3%81%aa%e3%81%84/

            <感謝合掌 令和2年2月25日 頓首再拝>

時代を超えて生き残るために - 伝統

2020/02/26 (Wed) 06:39:09


        *メルマガ「人の心に灯をともす」(2020.02.09)より

   (ジェームス・スキナー氏の心に響く言葉より…)

   かねてより、私は「普通」という言葉をウザいと感じてなりません。

   「普通は、こうするよね」

   「普通は、そういうことしないよね」

   こうした発言はウザいだけであり、耳障(みみざわ)りなのです!

   なぜそんな低い基準で物事を考えるのでしょうか?

   なぜ最初から「最強は…」でスタートしないのでしょうか?


   よくよく考えてごらん。

   「普通」は、悲惨ではありませんか?

   普通は、ガン・心臓病・脳卒中・糖尿病といった生活習慣病で死にます(80%以上)。

   普通は、結婚できない、または離婚します(合わせると50%以上)。

   普通は、年収300万円台しか稼げません (現在の日本の中央値が360万円)。
 

   これは、現代社会の平均値であり、悲惨ではないのでしょうか!

   そして、普通は、会社が潰れてしまうのです。

   開業してから2年以内に3割の会社が廃業をすると言われています。

   そして、時代を超えて生き続ける会社は、たったの2%程度しかないのです。

   ここで、最初の発想転換をあなたに提案したい。

   「普通は?」の代わりに、「最強は?」、これを尋ねよう!


    進化における大原則があります。

   「成功ほど失敗するものはない」というものです。

   ある時代においては、恐竜が成功します。
   それは、恐竜がその時代のニーズ・環境に適応しているからです。

   餌が豊富。

   そうとなったら身体が大きくても良い。

   いや、逆にその方が得。

   天敵から身を守る上で絶対に有利。

   沼地などに住んでいると、ノロノロしていても大丈夫。

   つまり、これは成功をするというわけです。


   しかし、時代が移り行き、環境が一変してしまったら、どうなるでしょうか?

   氷河期に突入します。

   すると餌が減ります。
   でっかい身体を養うほどの食糧が得られなくなります。

   今まで最大の強みだった身体の大きさが、致命傷になってしまうのです。

   機敏に動き、少ない餌で賄い、
   そして寒くなると、南に向かう知恵・本能が必要になります。

   つまり、この恐竜が鳥に進化するか、絶滅してしまうか、
   ふたつにひとつになるのです。


   企業においても、同じことが言えます。

   時代のニーズ・課題・チャレンジが出てきます。

   そして、それに見合った反応をします。

   顧客の望む商品を発売します。
   その環境に適した組織体制を整えます。 
   その時代に受け入れられるリーダーシップ・スタイルを発揮します。

   すると、これはこの時代に適応しているから成功します。


   しかし、時代が移り行き、環境が一変します。

   国際化時代に入ります。
   高度成長期が終わります。

   インターネットやAI(人工知能)が主流になります。
   老齢化が進み、人口が減り始めます。

   労働者に対して、より優しいリーダーシップ・スタイルが要求されます。

   すると、どうなるでしょうか?

   今までの経営のあり方が恐竜化し、会社が絶滅の危機に陥ってしまうのです。


   そこで、ほとんどの経営者はどうするでしょうか?

   今までに成功したやり方をより熱心に行おうとし、失敗を招きます。

   成功するほど失敗するものはないのです!

   だからこそ、時代を超えて生き残る企業は2%程度しかありません。

          <『史上最強のCEO』フローラル出版>

           ・・・

ジェームス・スキナー氏は、
今ほど経営を成功させることが容易な時代はないという。

それは、78億人もの顧客がいて、
ベンチャーキャピタルやプライベートエクイティファンド、」
銀行などが事業資金を提供するのに躍起になっている。

しかもその金利は歴史上一番低い(タダ同然)し、
誰でも無限の情報を手にすることができ、
予測は今までのどの時代より正確にできるようになっている
からだという。

そして、自社には何もなくても、設備も、能力も、技術も、
資源も、戦略的パートナーシップにより、利用できるようになっている。

「こんな好環境で成功できなければ、どうかしている」、と言う。


だから、唯一の問題は「自分」だということに気づかなければならない。

ほかの何かが問題だと思っている限り、変えることはできない。

たとえば、松下幸之助やジェフ・ベゾスやスティーブ・ジョブズ等の
優秀な経営者が、もし我々の会社を経営してくれたら、
たちまち業績は激変することは間違いない。

とするならば、景気が悪いとか、優秀なスタッフがいないとか、
時代が悪いとか、言っている場合ではない。


まさに、氷河期に突入した恐竜のように、
環境が激変しこのままでは生き残れない時代…

「普通」であったら、ほとんどが倒産する。


「時代を超えて生き残るために」

いまこそ、ノロノロ動く恐竜から進化する必要がある。

            <感謝合掌 令和2年2月26日 頓首再拝>

【100万人に1人の存在になる方法】 - 伝統

2020/03/02 (Mon) 03:49:40


         *メルマガ「人の心に灯をともす」(2019.12.30)より

   (藤原和博氏の心に響く言葉より…)

   現在はサラリーマンや公務員であっても、
   3つのキャリアのかけ算をして「キャリアの大三角形」を形成することで、
   あなたは100万人に1人の「希少性」ある人材に変態(メタモルフォーズ)する
   ことが可能だ。

   年間に100回を超える私の講演での反応を見ると、
   「20代で就く1つ目のキャリアで1万時間(5年から10年)夢中になって
   仕事をすれば、それが営業であっても経理であっても宣伝であっても、
   100人に1人の営業マン、経理マン、宣伝マンになれる」という話には
   説得力があるようだ。

   また、「2つめのキャリアは、30代における会社や役所での異動かもしれないが、
   営業から営業企画でもいいし、経理から財務でも、宣伝から広報でもいいから、
   左の軸足が1万時間で定まったら、右の軸足を定めるつもりで
   やっぱり1万時間頑張れば、
   そこでも100人に1人の企画マン、財務マン、広報マンになれる。

   そうすれば、結果的にこの2つのキャリアのかけ算で、
   100分の1×100分の1=1万人に1人の希少性を確保することが可能だ」
   という話も同様に共感を呼んだ。

   ここまでで、ホップ、ステップまで進んだことになる。


   ところが難しいのは、この次のジャンプのやり方だ。

   「キャリアの大三角形」と名づけているように、
   底辺が決まったら(左と右の軸足が定まったら)、
   もしくは2つのキャリアのかけ算が完了したら、
   次にどこへジャンプするかがあなたの将来の付加価値を決める。

   三角形では、頂点が底辺から離れていて、
   「高さ」が高いほど面積が大きくなることは自明だ。

   この三角形の面積こそが、「希少性」の大きさを意味するのである。

   だから、面積を大きくして、あなたの「希少性」を高めるためには、
   できるだけ遠くへ飛ばなければならない。


   「オリンピックのメダリスト級」の100万人に1人の存在になるというのは、
   どの世界で戦うか、オリンピックで言えば、どの競技で戦うのかは、
   自分の判断に委ねられる。

   たとえば、20代、30代は「営業」の世界と「広報」の世界でキャリアを重ね、
   それぞれ100人に1人の存在になれたら、
   40代で「旅館経営」の世界にジャンプしてもいい。

   「旅館経営」でも1万時間経験を積めば、
   やはり100人に1人の旅館経営者になれるだろうから、
   「営業」と「広報」の経験も生かしながら
   100分の1×100分の1×100分の1=100万分の1の「希少性」が確保できるだろう。


   最初のキャリアを旅行会社からスタートして「ツアコン」として腕を磨いてから、
   30代で子どもの頃から好きだった犬とともに生きる世界に身を転じ、
   犬の訓練士としてのキャリアを積んでから、介護の世界にジャンプしてもいい。

   この場合には、「入所しているお年寄りを旅行に連れ出すこともでき、
   施設で飼っている犬でドッグセラピーもできる、
   たいへん希少な介護施設の介護士や施設長」というユニークな立ち位置が保証される。


   「オリンピックのメダリスト」のアスリートは、縦に高いピラミッドの頂点。

   それに対して「オリンピックのメダリスト級」のビジネスパーソンは、
   横に開けた世界で、ただ1人、自分だけの「旗」を立てるイメージだ。

   だから、金メダルを取るのに99万9999人を倒す必要はない。

   1つの世界で100人に1人を達成することを3つかければいいだけだから、
   最後は、自分自身でビジネス、つまり競技のルールや競技の場所を決めればいいのだ。

        <『100万人に1人の存在になる方法』ダイヤモンド社>

               ・・・

藤原和博氏は本書の中でこう語る。

『ここは自分の領土だと宣言するということ。
それは、いつまでも会社や組織のブランドにすがって生きていくのとは
根本的に違う生き方になる。

独立してプロの自営業者になったり、起業したりする方法もあるが、
会社や組織に居場所が残る場合でも、会社人間から会社内「個人」へ、
組織人から組織内「個人」へ、「個人」として人生に目覚めることを意味する。

あなたの人生において、「キャリアの大三角形」を描いて
100万人に1人の希少性をゲットする際にも、
このかけ算のセンスによって希少性の大きさが決まってくる。

大きな三角形が描ければ希少性は高まるから、とりわけ3歩目のジャンプによって、
あなた自身の付加価値が決まると言っても過言ではない。

会社で昇進して、営業マンと営業係長と営業所長を経験しただけでは、
希少性は高まらないから、付加価値もそれほどつかない。

そのまま部長にまで昇進しても、会社のブランドが剥がされた途端に
周囲から見放されるリスクを背負うことになる。

そうならないためには、早く「個人」として目覚め、自分に付加価値がつくように、
外でマーケットバリュー(市場価値)を気にしながら
真摯にキャリアのかけ算をしていく必要がある。』



個人でも、会社でも、競争で勝ち残るには、
レッドオーシャンで戦うより、ブルーオーシャンで戦った方が断然確率が高くなる。

レッドオーシャンとは、競争の激しい既存の市場をいい、血で血を洗う赤い海という意味。

ブルーオーシャンとは、競争のない未開拓の市場であり、競合のない青い海という意味。

まさに、「希少性」が高まれば高まるほど、戦う領域はブルーオーシャンとなる。


自らの希少性を高め、100万人に1人の存在になる方法を身につけたい。

            <感謝合掌 令和2年3月2日 頓首再拝>

【自分の中を変えていく】 - 伝統

2020/03/09 (Mon) 04:39:45


       *メルマガ「人の心に灯をともす」(2019年09月04日)より

   (本田直之氏の心に響く言葉より…)

   日本人なら誰でも知っている大企業が大規模なリストラを始め、
   地域の雇用の受け皿となっていた名門企業が外資に買収され、
   毎年いくつもの企業が倒産している今、
   会社も職業もずっと同じ状態が続くものではなくなりました。

   1つの会社で定年まで勤め上げるというキャリアプランを果たせる人は少なくなり、
   「私は〇〇社の〇〇です」という肩書に安心してしまうと、
   変化に対して柔軟に対応できなくなってしまいます。

   そういう環境に自分がいることに気づかず、
   会社の愚痴をこぼしてばかりの人の将来には暗雲が立ち込めています。


   なぜなら、愚痴をこぼしている人は知らず知らずのうちに、
   会社への依存度を高めているからです。

   うまくいかない責任を会社に転嫁して、やらされ感を抱えながら仕事をする。

   自分がうまくいかないのは、上司のせい。

   「うちの会社が」「うちの部長が」と言いながら、
   心の底では「会社にいれば食っていける」という安心感を抱いているはずです。


   しかし、30歳のビジネスパーソンの労働寿命が、あと35年残っているとして、
   会社そのものの寿命はどうでしょうか?

   35年もの寿命が確実に保証された会社など、どこにもありません。

   実際、過去10年の日本の倒産企業の平均寿命を調べると、
   約23年というデータ(東京商工リサーチ調べ)があります。

   ほとんどの場合、従業員の労働寿命よりも、
   会社の寿命の方が先に尽きてしまうのです。

   つまり、ぼんやりと会社に依存し、愚痴をこぼしている人は
   かなり大きなリスクを背負い込んでいるわけです。


   とはいえ、1人の社員が奮起して
   会社そのものを愚痴や不満を感じないように変えることはできません。

   変わるべきなのは会社ではなく、社員です。

   というのも、自分の外にあるものを変えることはできなくても、
   自分の中を変えていくことは可能だからです。

   そして、自分の中を変えることによって出てきたアウトプットによって、
   自分の外にあるものを動かすことができます。


   具体的には、仕事をしながら、「会社の中だけで通用するスキル」ではなく、
   ITや語学力、公的資格などの「どこに行っても通じる汎用的なスキル」を
   身につけること。

   加えて、「会社の看板に頼らずとも付き合ってくれる人脈」
   を作ることも大切です。

   会社に依存している状態から依存しない状態になれば、
   すべての仕事が将来の自分のためにやっていることに変わり、
   イヤな上司の存在も気にならなくなっていきます。

        <『何を捨て何を残すかで人生は決まる』青春新書>

              ・・・

こんな話が本書の中にあった。

『「誰々を紹介してください」
「〇〇について詳しい人を教えてください」とたずねてくる人がいます。

しかし、人の紹介は「この人とこの人をつなげたらおもしろい」と思うから
行うもので、一方的に「紹介してください」「教えてください」と
言っているような相手とつなげたいとは思いません。

すべてを左右するのは、本人に魅力があるかどうかです。

自分だけ得をしよう。
何かを売り込もう。
そんなふうに自分の利益ばかりを追う人のところからは、誰もが離れていきます。』


会社だけでなく、家族や自分の属する組織など、
そこに対していくら不満や愚痴を言ったところで、相手を変えることはできない。

相手が間違っていると非難し、文句を言えば言うほど、
人は離れてゆき、相手を振り向かせることはできない。

好きな人とケンカしたときと同じだ。


基本的なスタンスは一つしかない。

それは…

「自分を変えることはできるが、相手を変えることはできない」


相手を振り向かせるには…

自分の中を変え、自分に魅力をつけること。

           <感謝合掌 令和2年3月9日 頓首再拝>

”稼げる人になるために” - 伝統

2020/03/15 (Sun) 03:22:18


        *メルマガ「人の心に灯をともす」( 2019年11月16日)より 

   (成毛眞氏の心に響く言葉より…)

   稼げる人の指標となるものがある。

   それは、
   セロトニントランスポーター遺伝子がLL型であることだ。

   セロトニンとは脳内で働く神経伝達物質の一つで、
   感情や気分のコントロール、精神の安定にかかわる。

   そのセロトニンを運ぶ、たんぱく質がセロトニントランスポーターだ。

   LL型の人はセロトニントランスポーターの数が多く、SS型の人は少ない。


   よくある話だが、コップのなかに水が半分あるときに
   「まだ半分ある」と思うか、「もう半分しかない」と思うかで
   タイプ分けできる。

   LL型の人は「まだ半分ある」と思い、楽観的に物事を考え、
   リスクに対する感覚が鈍い。

   起業家や成功者に多いタイプだ。


   SS型の人は「もう半分しかない」と考え、不安を感じやすく、緊張しやすい。

   LとSどちらも持っているミックスの人もいて、
   リスクに対する感じ方はちょうど中程度である。


   日本人にはSS型が際立って多い。

   これは、災害が多い国だったからと考えられている。

   日本の陸地面積は世界の0.25%しかないが、世界の災害被害総額のうち、
   日本の割合は20%を占めるというデータがある。

   まさに災害大国だ。

   そんなリスクのある国で、楽観的すぎると
   災害が起きたときに生き残れなかったのだろう。


   日本人のLL型の割合は3%、SS型の割合は65%だ。

   ちなみに、
   アメリカ人のLL型の割合は32%、SS型は18%である。

   最もSS型の割合が少ないのは、南アフリカで、
   アフリカの人は、不安を感じない人が多い。

         <『成毛眞 金のなる人』ポプラ新書>

             ・・・

セラトニントランスポーター遺伝子が少ないと、
悲観的、不安症、保守的、心配性、臆病、投資を躊躇する、
公務員や大企業志向、ベンチャーではなく安定した仕事を求める、
等々のリスクを取らずに安定を求めるような資質となるという。

ストレスに強い資質ということも言える。

いわゆる「引きこもり」は世界の中で、
日本と韓国にしか存在しないということと、
起業家が少ないのもこれと関係があるかもしれない。


しかしながら、人の性格を決める要素としては、
遺伝子は3分の1で、残りの3分の2はそれ以外の項目が関係しているという。

だから、確かに遺伝子は重要な要素ではあるが、
後天的な努力で人生はいくらでも変えることができるということだ。


「宿命」と「運命」の関係とも似ている。

「宿命」は変えられないが、
「運命」は自分の力でどうとでも変えていける。


「稼げる人になるために」

常に楽観的ではあるが、楽観に流されず…

自ら人生を切り拓(ひら)き、チャレンジを恐れない人でありたい。

           <感謝合掌 令和2年3月15日 頓首再拝>

【破壊的新時代の独習力】 - 伝統

2020/03/21 (Sat) 06:37:57


        *メルマガ「人の心に灯をともす」( 2020年03月13日)より 

   (キャメル・ヤマモト氏の心に響く言葉より…)

   20年近く前、2年半ほど、私はシリコンバレーで働いていました。
   そのとき、ベンチャー企業とその周辺での、組織のつくり方、人々の働き方、
   キャリア形成、技術のとらえ方、お金の動き方、それらのベースにある考え方や
   行動のお作法など、ほとんど日本と真逆といっていい情景を、日々目の当たりにして、
   彼我(ひが)の差異を痛感しました。

   彼らのお作法とは、若い人中心で、人間関係や組織がフラットで、スピーディで、
   個人の才能を大切にしつつ協働を重視するということです。

   肩書きがどうだとか、出身地・学校とか、性別やLGBTかどうかなどは気にせず、
   能力の中身と価値観と目的で判断するということです。

   一言でいえばしがらみがないのです。

   過去にしばられないで、未来に向けて、
   若い人たちが動きたいように動くということです。

   そこには慎重さのかけらもありません。


   そのくせ、お互いに対するリスペクトは極めて高いですし、
   コラボレーションするのが当たり前で、「みんなで渡ればこわくない」みたいな
   リスクテイクします。

   個性や自律性も高いのですが、一匹狼で、なんでも自分でやる、
   といことではまったくありません。

   個性や自律性が高いくせに、他の人とコラボすることを当然のことと考えています。

   日本だと協力的な人はどちらかというと個性が弱く、
   調整ばかりしている人になりがちです。

   個性が強くて、だからこそコラボする、というこの組み合わせが肝です。


   20年前のこのようなシリコンバレーの文化は、
   新時代の先端を走る破壊者たちの像と重なります。

   確かにこの20年で、技術は格段に進歩していますが、
   組織・人材・能力などソフトな面のOSは20年前から続いています。

   むしろ、脈々と続くシリコンバレー流の文化こそ、
   不断に新しい技術や製品やサービスを生み出す遺伝子といってもよいでしょう。


   このようなシリコンバレー型の組織・人材・働き方・考え方・動き方・協働などが、
   これからの時代には適合的です。

   シリコンバレー型といってしまいましたが、正確にいうと、
   「ネットワーク型」の「組織・人材・能力・行動」です。


   これに対比されるのは「階層型」の「組織・人材・能力・行動」です。

   たとえば日本人企業(日本人が中心になっている企業でグローバル企業も含む)は、
   依然として階層型組織です。

   新卒大量採用に始まり、先輩・後輩という秩序が保持され、
   能力主義といっても年功的秩序を崩さない範囲内にとどまり、
   キャリアは社内で形成されるのが相場です。

   概して高齢の人たちが権限をもっているせいか、組織も老化し、
   意思決定や動きのスピードが落ちています。

   安定はしているのですが、安定は安全を意味しないのが
   破壊的時代のおそろしいところです。


   ニーアル・ファーガソンというイギリスの歴史学者が書いた
   「広場とタワー」という本で、シリコンバレー型のフラットな
   チーム・ネットワーク組織と、従来型の改装組織を対比し、
   画像的に鮮やかに示しています。

   ネットワーク広場で、この間まで、元気に広場を行きかっていた若い人たちが、
   しばらく前からタワーに入り、修行することになります。

   破壊的な新時代の前であれば、タワーでの階層的な秩序やお作法を身につけることが
   社会人になることでもあり、ビジネスパーソンになることでもあり、
   一種の通過儀礼として必要なことでした。

   ところが新時代は違います。

   若い人にとって、階層組織の作法をある程度学ぶことは必要ですが、
   それに染まったらアウトです。

   もともともちかけていたネットワーク的な考え方や感性や動きや人間関係に、
   さらに磨きをかけるべきなのです。

   これまでのネットワークを、もっとグローバル化するとか、
   異なる世代との間にも広げるとかです。

   会社は、そういうネットワーク拡大のための
   プラットフォームとして活用すべきなのです。


   時代遅れのタワーに住み続ける先輩たちは、自信のあるよい先輩でも、
   いや、むしろ健全な自信をもった人ほど、
   「こういう場合はこうやるんだよ、たとえばおれが○○部で、
   ××顧客を相手にしていたときこんなことをやった」という昔話を教えてくれます。

   あるいは部長とか役員とか社長とか、そういう人の逸話を話してくれます。

   階層社会では、昔、こういうふうにやってうまくいったという
   知識や経験がパワーの源泉であり価値の源泉です。

   ですから彼らがそいう話をするのに悪意はありません。


   ところが、残念ながら時代に断層ができて変化している今、
   「こういう場合」という前提がなくなっています。

   昔の状況でやった話はあくまで階層組織の時代の話です。


   新時代においては格差がさらに拡大するといわれています。

   人材が価値創造者(新時代のスマート蟻)と価値消費者(キリギリス)とに
   大きく分かれるという見方も出てきてきます。

   典型的ないい方をすれば、
   前者は今までよりもっと仕事をして、仕事を人生の中心的な楽しみをする人であり、
   後者は消費を中心にして仕事は必要悪の手段としてとらえる人です。

   価値創造者は、仕事が遊びになって、働く時間も遊びの時間も境界なく、
   クリエーションに没頭し自分の物語を生きる人たちです。

        <『破壊的新時代の独習力』日本経済新聞出版社>

             ・・・

本書の中で「独習」についてこんな話があった。

『独習の具体的方法を、グローバル系コンサルティング企業のデジタル部門を、
日本で立ち上げた知人のIさんから聞いた話を紹介します。

そのIさんが文学部出身と聞いたとき、私は少々驚きました。

Iさんの話を要約するとこんな感じです。

●今ほど、新しい専門性を身につけやすい時代はない。

●専門性を新しく身につけるのは3つのことが必要だ。

《大量のインプット》《アウトプット》《できる人相手のスパーリング》


「大量のインプット」とは、いわゆる教科書でなく、
YouTube上の動画や検索で出てくる論文を読みまくればよい。


「アウトプット」は、知り合いや同僚の会話に、
新しく学んだことを織り込んだり、ブログを書いたりして発信すればよい。


「スパーリング」とは、その分野に強い人に、
独習中に浮かぶ自分の仮説をぶつけて、フィードバックを得ればよい。


文学部で外国語を学んだIさんは、プログラミングも、言語習得と本質は同じだといいます。

Iさんの場合には、もともと読書ばかりしているという特徴というか、強みがあります。

Iさんは読書を通じて、いわゆるリベラルアーツの素養(教養)があるわけです。

彼と一緒に仕事ををしていると、
テクノロジーの話の中にアートの話や哲学の話がすっと入ってきます。

彼は日ごろ書き溜めているインプットやアウトプットを元に、
その場で物語を組み立てる名人なのです。

この教養部分も、ほとんどが読書を通じた独習だそうです。

根底には独習力があるというわけです。

それがテクノロジー面での知識習得に表れたり、教養面での知識習得に表れたりしています。

ちなみに、書かれたものを読み解くと言う意味での読書は、独習の古典的な姿です。』


独習の基本は読書。

そして、読んだ本やSNS上の情報をブログなどでアウトプットして、実践に生かす。

この繰り返しが独習。


古来、読書は最も効率のよい学習法だと言われる。

著者が何日もかかって得た知識や情報が、その本に詰まっているからだ。


まさに、破壊的大変化の時代。

自らの独習力を高めたい。

           <感謝合掌 令和2年3月21日 頓首再拝>

【アウトプットする力】 - 伝統

2020/03/25 (Wed) 04:38:48


        *メルマガ「人の心に灯をともす」( 2020年03月19日)より 

   (明治大学教授、齋藤孝氏の心に響く言葉より…)

   インターネットが普及する以前は、
   個人が世の中に情報発信をするのは難しいことでした。

   情報発信できたのは、「テレビ」「ラジオ」「新聞」「雑誌」などの
   マスメディアと、そのメディアから認められた一部の文化人、知識人、
   有識者だけでした。

   昔から個人の記録を残す手段として、日記を書く人はいました。
   日記は「日常の出来事や自分の思いを記録する」ための手段ですから、
   ブログの特性に似ています。

   しかし日記は、「他の人は読まない」ことが前提です。

   日記は、自分で書いたものを自分で読み返す自己循環ツールであって、
   情報を「アウト(外部)」に発信するメディアではありません。


   インターネットの時代は、誰でもメディアを持つことが可能です。

   ホームページ、ブログ、SNS、YouTubeなどを通じて、
   全世界の人間が情報発信できるようになっています。

   市井(しせい)の人が、これほど多くのメディア(アウトプットの手段)を
   手にしたのは、人類史上初めてのことです。


   「学んだ知識を役立てることができない」
   「本を読んでもすぐに忘れてしまう」
   「情報に振り回される」など、

   インプットした知識を使いこなすことができないとしたら、
   その原因のひとつは、「アウトプットの回路ができていない」ことです。


   インプットとアウトプットは、ふたつでひとつのセットです。

   情報をインプットしたら、実践につなげる。

   「読む、書く(描く)、話す」ことによって、情報は血肉に変わります。

   頭の中に価値のある知識、知恵、ノウハウが入っていても、
   それを実際に活用しなければ、持っていないのと同じです。


   私は「本によって人生を切り開いた」と言い切れるほど、読書が好きです。

   読書の最大の面白さは、仕入れた知識をアプトプットすることにあります。

   アウトプットの必要性がないインプットは記憶に残りにくいため、
   アウトプットを想定してインプットするのが基本です。

   「せっかくインプットしたのだから、いつかアウトプットしよう」ではなく、
   「アウトプットしなければいけない」という強制力を働かせる。

   「アウトプットする必要があるから、インプットしよう」と考えたほうが、
   学習の精度は上がります。

   学習のサイクルはアウトプットが起点です。


   「必要は発明の母」という諺(ことわざ)があるように、
   不足や不自由さを克服したいという必要性を感じるからこそ、
   発明は生まれます。

   勉強も発明と同じであり、「必要は勉強の母」です。


   以前、交渉術の本を共著で出したことがある
   射手矢好雄(いてやよしお)さんは、国際案件を数多く手掛ける
   渉外弁護士(国際性のあるビジネス法務を扱う弁護士)です。

   アメリカの企業と渡り合うために「英語」を勉強し、
   中国法務に精通するために「中国語」を習得しました。

   語学が堪能だったから渉外弁護士になったわけではなく、
   弁護士としての活動(アウトプット)をするために、
   語学を身につける(インプット)必要があったわけです。

           <『知的生産力』CCCメディアハウス>

             ・・・

読書の習慣が身につかない、という人は多い。

しかし、それは、読んだ本をアウトプットする習慣がないからできないとも言える。

読んだ本を毎日SNSやブログで発信するクセをつければ、
毎日、本は一冊読むようになる。

週に一回なら、週に一冊の本だ。


大事なことは、読書を習慣化するには「書ける本」を読むことだ。

読書が習慣化するまでは、
読みたい本を読むのではなく、「書ける本」を選ぶこと。

そして、習慣化されたのち、「書ける本」プラス「読みたい本」を読む。

さらに言うなら、アウトプットは一日一回が望ましい。

その単位が一番習慣化しやすいからだ。


インプットは「読む」「聞く」。

アウトプットは「話す」「書く」「行動する」。

そして、アウトプットには、SNSでの発信だけでなく、
朝礼やスピーチや講演で読んだ本のことを話すとか、
YouTubeで映像にして発信するという方法もある。

この、読む、書く、話す、というサイクルを様々なツールで、
繰り返せば繰り返すほど、自分の頭に入り、身になる。


商売において、どんなにいい商品を開発したとしても、
それが世に伝わらなければ無いのと一緒。

どんなに性能がよくても、安くても、世界で始めてだとしても、
それがアウトプットされなければ存在しないと同じことだ。


アウトプットする力を身につけたい。

           <感謝合掌 令和2年3月25日 頓首再拝>

【ハック思考を身につける】 - 伝統

2020/04/07 (Tue) 02:04:12


       *メルマガ「人の心に灯をともす」(2020.03.22)より

   (須藤憲司氏の心に響く言葉より…)

   われわれを取り巻く世界のルールは非常にシンプルにできています。

   仕事も、勉強も、スポーツにおいても、
   皆かけがえのない人生の時間や時にお金を投じて、
   何らかの成果を得ようとしています。

   個人だけでなく、法人だって同じように、
   従業員の時間とお金を投じて何らかの成果を得ようとしていることに
   変わりはありません。


   同じインプットから大きな成果を得られるように
   転換効率を劇的に高めることをハックと呼びます。

   世界をハックするのに複雑なプロセスは必要ありません。

   1.人と違う規則性や法則を見つけて、

   2.その規則性や法則を構成するシステムのスキマに介入する。

   というたった2つのステップで実行できます。


   例えば、「エレベーターの待ち時間をどのように最小化するか?」
   という有名な問題があります。

   話の舞台は、ある大きなオフィス・ビル。
   そのビルの管理会社は、「ビルに設置されたエレベーターの待ち時間が長い」と
   借主から多くのクレームを受けていました。

   困った担当者は、エレベーター・システムの設計の専門家を呼んで、
   実態を調べることにしました。

   専門家たちは、詳細な分析を行った結果、下記の解決策を提案しました。


   1.エレベーターの増設

   2.より高速なエレベーターへの機種変更

   3.あらたに開発されたエレベーター制御装置の設置


   要するに、専門家たちは、大幅なコストをかけない限り、
   クレームの解決は行えないことを明らかにしたわけです。

   同時にその投資費用は、このビルの収入からすると大きすぎて
   回収できないことも発見し、
   この問題は、完全に「デッドロック」したかに見えました。

   担当者は、部下を招集し、この事態について相談しました。

   長時間の会議が開かれ、皆が疲れてきた頃、
   それまで口を開かなかった新人が、おずおずと一つの提案を行いました。


   「各階のエレベーターの前に、大きな鏡を置きませんか?」

   すると2週間後、エレベーターに対するクレームは、1件もなくなったのです。


   さて、ここで皆さんに、考えていただきたいのです。

   なぜ、「エレベーターの前に鏡を置くこと」で、
   「エレベーターの待ち時間を減らす」という「問題」が「解決」したのか。

   それは、「エレベーターの前に置いた鏡によって、
   エレベーターを待っている人が、そこを覗き込み、身だしなみを整えたり、
   後ろにいる魅力的な異性に目をやったりする時間が増えてから」です。


   その結果として、「エレベーターの待ち時間」…正確に言うならば、
   「エレベーターの待ち時間として認識される時間」は、
   激変することになりました。

   つまり、「鏡を置くこと」で、
   「エレベーターの待ち時間はまったく変わっていない」のにもかかわらず、
   その時間を「待ち時間」として認識しなくなった、ということになります。

   かくして「問題」は解決されたというものです。


   つまり、そもそもの問題は、「待ち時間」そのものよりも、
   「待っていることを認識している時間」だったということになります。

   問題の所在を何に置くか?によって、解決方法は大きく変わってきます。


   やっていることは非常にシンプル。

   むしろくだらない。

   なのに効果的。

   これが、ハックの威力です。


   「極めて少ない労力とコストで大きな成果をあげる」、
   これをいかに実現するか?が本当の知恵の絞りどころなわけです。

   エンジニアでなくても、特別な才能がなくてもできて、
   仕事・勉強・スポーツ・恋愛・子育てなど様々な領域で活用することができます。

          <『ハック志向』幻冬舎>

              ・・・

須藤氏は、「どうしてハックしないといけないのか?」について、
3つの問題をあげている。

1.《「VUCA」時代に突入したから》

 「VUCA」とは、
  Volatility(変動性・不安定さ)、
  Uncertainty(不確実性・不確定さ)、
  Complexity(複雑性)、
  Ambiguity(曖昧性・不明確さ)という

  4つのキーワードからなる言葉。


例えば、Amazonの登場により、米国の小売業は崩壊の危機に瀕している。

かつて「世界最大の書店」と言われた米バーンズ&ノーブルは今では見る影もなく、
米トイザらスは破綻に追い込まれた。

Amazonの脅威に晒されている企業は今や小売業界に止まらない。

ある日、突然Amazonが参入するという噂が立つだけで、
その該当産業の企業の株価は突如下落し、
生き残りに向けて合従連衡(がっしょうれんこう)が始まる。

あなたの関わっている産業に未来永劫Amazonは参入しないか?

Googleは?Facebookは?Appleは?

これは個人でも同じで、今までは人間同士だったが、
ドローン、自動運転、AIやロボティックの登場で、すっかり変わってしまった。



2.《強制的にガラガラポン》

そんな激動の時代に、私たちの寿命はのび続けている。
労働寿命が延びている中で企業寿命は30年から半分になるという予測がある。

つまり、これからは、誰もが職を3〜4回変えることになることを意味する。

単に企業がなくなるというだけでなく、
その産業や職業そのものがなくなる可能性がある。

過去の強みや成功体験を活かせないゼロリセットもありうる。

否が応でも全員が強制的にガラガラポンの可能性をはらんでいるということ。


3.《人口減少×働き方改革》

そんな中で、日本国内においては、未曽有(みぞう)の人口減少となり、
急速に労働人口が減るので、地方を中心に働き手を確保するのは益々難しくなる。



以上の理由で、前代未聞の無理ゲー(難易度が高くてクリアするのが無理なゲーム)に
突入しようとしている。

つまり、今までとは違った異次元の発想がなければ
解決しない問題が山積しているということ。


元外務省主任分析官の佐藤優氏はこう言ったという。

「既存の解決策で解決できない問題が生じてきたら、
 自分たちの立っている土俵のほうを疑うべきだ」


現状を打破し、新たな発想法や思考法を手に入れるため…

ハック思考を身につけたい。

           <感謝合掌 令和2年4月7日 頓首再拝>

【世界を変えるのは、いつも「新人」なのだ】 - 伝統

2020/04/14 (Tue) 04:27:01


       *メルマガ「人の心に灯をともす」(2020.04.10)より

   (瀧本哲史(たきもとてつふみ)氏の心に響く言葉より…)

   コペルニクスは地動説という、
   まさに世界がひっくり返るくらい大胆な新説を唱えました。

   そして、コペルニクスの地動説はたんなる新説ではなく、
   動かしがたい事実でした。

   実際、いまのわれわれは地動説の正しさをよく知っています。

   それではいったい、当時の人々はどうやって
   地動説を受け入れていったのでしょうか。


   20世紀を代表するアメリカの科学史家、トーマス・クーンは
   コペルニクスの時代を丹念に研究した結果、驚くべき結論にたどり着きました。

   コペルニクスの地動説は、
   彼の死後1世紀あまり、ほとんど賛同者を得られなかった。

   ニュートンの仕事も、主著『プリンキピア』が出てから半世紀以上、
   一般の支持を得られなかった。

   ダーウィンの進化論だって、すぐに受け入れられたわけではない。

   それでは、こうした世界をひっくり返すような新説は、
   いつ、どのタイミングで、どのようにして受け入れらえていくのか?


   彼の結論は「世代交代」です。

   つまり、天動説を信じる古い世代の大人たちは、
   どれだけたしかな新事実を突きつけても、一生変わらない。

   なにがあっても自説を曲げようとしない。

   地動説が世のなかの「常識」になるのは、
   古い世代の大人たちが年老いてこの世を去り、
   あたらしい世代が時代の中心に立ったときなのだ。

   「世代交代」だけが、世のなかを変えるのだ。

   …と、そんなふうに言うわけです。


   トーマス・クーンは、これを「パラダイム」という言葉で説明しました。

   パラダイムとは、簡単にいうと
   「ある時代に共有された常識」といった意味の言葉です。

   文明とは、ゆるやかなカーブを描くように少しずつ発展していくものではない。


   それまでの常識(パラダイムA)が、
   あたらしい常識(パラダイムB)に打倒されたとき、
   時代は次のステージに突入する。

   さらにパラダイムBが、もっとあたらしいパラダイムCに打倒されたとき、
   時代はもう一段上のステージに突入する。

   そして古いパラダイムが、あたらしいパラダイムに移り変わる
   (パラダイム・シフト)ためには「世代交代」が必要である。

   古い世代の人たちに世界を変える力はない。


   …トーマス・クーンは『科学革命の構造』という著書のなかで、
   次のように結論づけています。

   「このようなあたらしいパラダイムの基本的発明を遂げた人は、
   ほとんど、非常に若いか、パラダイムの変更を促す分野に
   あたらしく入ってきた新人かのどちらかである」

   「明らかに彼らは、通常科学の伝統的ルールに縛られることがなく、
    これらのルールはもはや役に立たないから外のものを考えよう、
    ということになりやすい」

          <『ミライの授業』講談社>

            ・・・

行徳哲男氏の若者についての言葉がある。

◆若者よ。

いつの時代でも変革は若者から始まった。

疑問、覚醒、憤怒は若き者の特権だ。

安寧、規制、常識は老いた者の繰り言にすぎない


◆大化の改新、蒙古の襲撃、明治維新、どれも皆若者たちによる革命だった。

歴史とは、新が旧に、小が大に、青が老にとって代わることだ。


◆若者に失望したら国は衰える。

世の大人には、若者のアラを探し「今どきの若い者は」と揶揄したがる癖がある。

彼らと我々がどう違うかばかり考えている。

どこがどう違うかではなくて、どこがどう同じなのか探す努力をするべきである。

若者と我々がどう同じかを探したときに若者への失望はたちどころに消える。


◆今どきの若者が世の中を変えていく。

日本が救われるためには、若者と女性に期待するしかない。



パラダイムの転換、いわゆる「パラダイムシフト」が起こるとき、
今までの競争のルールが変わり、競技する場所(事業領域)が変わる。

そして、とんでもない異業種の人が参入してくる。

つまり、今まで戦っていた競争相手が変わるのだ。


たとえば、デジタルカメラでいうなら、
競争相手は他社のデジタルカメラだと思っていたら、
それが突如スマホに変わった、というようなことだ。

これは、さまざまな業種、業界で起こっている。

あらゆる分野が、ITやAIというデジタルの世界に突入したからだ。


トーマス・クーンは、「古い世代の人たちに世界を変える力はない」という。

だが、変える力はなくても、応援する力はある。

がんばる新人、未来にチャレンジする若者を、気持ちよく応援する大人でありたい。

           <感謝合掌 令和2年4月14日 頓首再拝>

【誰も見ていないと思って踊れ】 - 伝統

2020/04/19 (Sun) 07:10:05


         *メルマガ「人の心に灯をともす」(2020年03月01日)より

   (ブランドン・ハースト氏の心に響く言葉より…)

   ■ウィリアム・W・パーキー(作家/アメリカ)

    誰も見ていないと思って踊れ。
    傷つかないと信じて恋せよ。
    誰も聴いていないと思って歌え。

    この世が天国だと思って生きよ。


   ■H・ジャクソン・ブラウン・ジュニア(作家/アメリカ)

    自分の人生を高め、
    磨くことに夢中になろう。

    人の粗探しなんか、
    する暇がないくらいに。


   ■レイ・ノーダ(実業家/アメリカ)

    変化を拒んで死ぬか、
    変化を受け止めて生き延びるか、
    変化を起こして先頭に立つかだ。


   ■ジョージ・バーナード・ジョー(劇作家/イギリス)

    間違いだらけの人生は、
    何もしない人生よりも気高く価値がある。

  <『倒されたかどうかは関係ない。立ち上がるかどうかが問題だ。』
                         アルファポリス>

           ・・・

■まわりの目を気にしていたら、新たな一歩は踏み出すことはできない。

 かっこうをつけたり、失敗したらはずかしいと思うから、
 行動することを躊躇してしまう。

 多くの人は、自意識過剰だ。
 人から自分がどう見られているかを異常に気にしてしまう。

 だが、世間は自分が思っているほど、人のことには関心を持たない。

 だからこそ、何かを始めるときは、誰も見ていないと思って踊ってみる!


■ヒマな人は、いつもまわりの事や人が気になってしかたがない。

 だが、自分を少しでも高めようと毎日精一杯努力している人は、
 他人のことを気にしている暇がない。

 グチや不平不満や泣き言が多い人は、要するにヒマなのだ。


■変化を嫌う人は、言動でわかる。

 現状を変えようとしたとき、変化を嫌う人は、
 現状を維持するため、あらゆる理屈を並べる。

 いわく、「準備の時間が足りない」、「まだ早い」、「人が育っていない」、
 「資金はどうする?」…

 結果、何も変わらない。


■人生最後のとき、多くの人が後悔することは、
 「他人がどう思うかなんて、気にしなればよかった」
 「もっと冒険すればよかった」
 「もっと旅に出ればよかった」

 「もっと他人に尽くせばよかった」
 「もっと家族と一緒に時間を過ごせばよかった」
 「もっと人にやさしい言葉をかければよかった」

 そして、

 「もっと色々なことにチャレンジすればよかった」…

何度失敗してもチャレンジする。
成功の反対は失敗ではなく、「何もしないこと」だから。

そして、気がついた時がスタートの時。

いつからでも、いくつからでもチャレンジできる。


恥ずかしくなんかない…

誰も見ていないと思って、踊って歌おう!

           <感謝合掌 令和2年4月19日 頓首再拝>

【大事の思案は軽くすべし】 - 伝統

2020/05/03 (Sun) 04:25:57


      *メルマガ「人の心に灯をともす」(2020.04.30)より

   (明治大学教授、齋藤孝氏の心に響く言葉より…)

   《大事の思案は軽くすべし》(葉隠)

   大きなことを決めるときは、むしろ軽くやれ


   普段から覚悟を持って事に立ち向かっている人は、
   人生の大きな決断もサッと決めてしまう場合があります。

   特に、財界トップにいる人たちは、ちょっとした立ち話で
   「じゃあ君に頼むよ」と簡単に仕事を決めることがあると聞きます。

   長年積んだ経験に基づく直観力があるので、確信があるのでしょう。


   私自身も、ある人から「真っ先に頭に浮かんだのは齋藤さんです」と
   言われて、仕事を引き受けたことがあります。

   言われたとき、相手の気持ちを受けて立とうと思いました。

   こうして仕事がさっさと進んでいくのです。


   結婚も、人生の大きな決断でしょう。

   大きなことだからと考えてすぎていると、
   そのうち列車が過ぎ去ってしまいます。

   私の知り合いの女性は、男性からずっと「好きだ、結婚してほしい」と
   言われていたのに、そのときは結婚に気持ちが向かなかったために
   放っておきました。

   しかし、いざ自分がある年齢になったとき
   「やっぱりあの人がよかったな」と思って連絡をとったら
   「つい先日、婚約が決まったんだ」と返事があったそうです。


   結婚というのは常に時間に追われるものなので、
   いい人はどんどん相手が決まっていきます。

   少しでも気持ちが向いたなら、サッと決めてしまうのも一つの方法です。


   私はテレビのお見合い番組が好きなのですが、
   第一希望の相手がダメだった人の動きをいつも見ています。

   第一、第二希望が叶わなくても、軽やかに第三希望を選んでいく人がいる。

   望みのないところで頑張ってもしょうがないので、
   大事だと考えすぎず直観を生かして「この人だ」と思ったところで
   パッと決めるくらいが、ちょうどいいのかもしれません。


   家を買うことや、結婚など人生の大事な場面では、
   あるところで決断をしなければいけないし、
   その基準があまり複雑すぎると決断できません。

   考えすぎると決断できなくなるので、「縁を大事にする」と決め、
   流れを切らないことが重要です。


   将棋の羽生善治(はぶよしはる)永世名人は、
   大きく物事を見る「大局観」ということを言っています。

   直観的にこれがいいと思ったら、検証しながら前に進む。

   そのために時間を使うと語っていました。


   プロサッカーの選手が移籍を勧められるのは、「大事の思案」と言えます。

   「どうしよう」と迷っても、サッと決めないと時間切れになることがある。

   FCバルセロナは世界的に強いチームですが、
   「バルセロナ行きの列車は一生に一回しか停まらない」という名言があります。

   来たときに乗らなければ、二度とチャンスはめぐってきません。


   ノーベル賞を受賞したダニエル・カーネマンは、
   『ファスト&スロー』という本の中で人間の心理について書いています。

   ファストとはファストシンキング、スローとはスローシンキングのこと。

   ファストシンキングは、直感を生かした考え方です。

   われわれは写真を見ると、
   その人が怒っているのか笑っているのか直感的にわかりますね。

   これがファストシンキング。

   一方、ゆっくり考えて分析して決めるスローシンキングもあります。

   それを組み合わせるといいというのが、カーネマンの考え方です。


   直感的によいと思うほうに行き、チャレンジしてダメなら戻ればいい。

   失敗してダメならまた次を考えたらいいのです。

   そういう意味で、大きなことを軽くすべしというのはよい考え方です。

          <『図解 葉隠』ウェッジ>

              ・・・

「 大事の思案は軽くすべし」の後には、
「小事の思案は重くすべし」という言葉がくる。

そして、「武士は何事も七呼吸で決断せよ」という。

およそ十数秒だ。


大事の思案を軽くできる人は、
普段から、肚を練って、自らを高めている人だ。

大事は思わぬときにやってくる。

大災害だったり、今回のようなコロナ禍だ。

突然の災難や疫病にもうろたえないで、
速やかに判断し決断できるのが、
肚ができている人であり、覚悟ができている人。


また、ささいなこと、とるに足りないようなことという
「小事」をおろそかにしたばかりに、
屋台骨が傾いてしまうということはよくある。

「千丈(せんじょう)の堤(つつみ)も蟻(あり)の一穴(けつ)から」

という言葉の通り、大きくて頑丈な堤防も、
蟻がつくった小さな穴から崩れることもある。

ほんのわずかな不注意や油断が、大きな失敗につながるという戒めだ。

だからこそ、常日頃、小事の思案は重くする必要がある。


その積み重ねが、非常のときの覚悟につながる。

覚悟ができれば、あとは、損得は関係ない。

自分の直感や縁のあるなしで考えずに決められる。


たまたま来た話(大事)や頼まれごとを、ニコッと笑って、
「ご縁だから」「あなたに言われたらしかたない」「世のため人のため」
と即断し、グズグズ言わずに引き受ける。

大事の思案を軽くできる人でありたい。

           <感謝合掌 令和2年5月3日 頓首再拝>

【教養は役に立つもの】 - 伝統

2020/05/13 (Wed) 03:51:20


      *<メルマガ「人の心に灯をともす」(2020.05.03)より

   (塩野七生氏の心に響く言葉より…)

   立花隆さんは「教養はまず役に立たないものである」と言っていますが、
   これは、私に言わせると19世紀的な教養の概念だと思うんです。

   19世紀というのは、ヨーロッパの有産階級ができ上った時期なんですね。

   その人たちは有産階級ですから、お金があって、家もあった。
   働く働かないにかかわらず裕福だったわけです。

   そういう人たちが、
   「教養は役に立たないものである。しかし、教養は大切である」
   っていうことを言っていたわけです。


   けれど、私の関心の的である、
   それよりも以前のヨーロッパへ行きますと、そうではないんです。

   たとえば、ルネサンス時代には、
   教養というものは役に立つものだという考えでした。

   イタリア語にアルテという言葉があります。

   これは芸術と訳されることもありますが、
   アルティザンというと職人のことで、
   イタリア語でアルティジャーノと言うのですけれど、
   アルテはそのもとの言葉で、本来は専門の技術という意味です。


   おそらく、職人がひとつひとつの専門をもっていた
   ということからきたのでしょう。

   ところが、ルネサンス時代は、専門の技術だけではだめだったんです。

   当時、フィレンツェでとくに盛んだったのが工房でした。

   ミケランジェロもそこで修行しているし、
   レオナルド・ダ・ヴィンチも工房の出身です。


   だけど、その工房では、ひとつだけを専門にやっていたのではだめなんです。

   そういう人は助手の助手の助手ぐらいの地位に甘んじるしかなかった。

   彫刻家であっても、画家などの仕事にも通じていることが要求されたんです。


   というのも、彫刻家でも、画家的な視点で人間を見れば、
   また別の見方ができると考えたわけです。

   それが、いわゆるルネサンス人なんです。

   その典型がレオナルド・ダ・ヴィンチですね。

   彼は万能の天才と言われていますが、それは、ルネサンスでは、
   万能というよりもすべてを押さえるというような意味なんです。


   つまり、彫刻ではどういうようなやり方をするか、
   建築家はどんなふうな作り方をするか、
   彫金家はどんなふうにするかと、

   そういうことをすべて押さえると、今度は絵を描く時、
   今までの画家とは違った絵が描けると彼らは考えたんです。

   そういうルネサンス時代の教養が、
   私は教養というものの原点だろうと考えるのです。

   つまり、ルネサンス時代の教養というのは、
   他の人たちの専門分野にも好奇心を働かせるという意味なんです。

   田舎暮らしを優雅にするためというような、
   イギリスのジェントルマンの時代の概念とは違うわけです。


   教養は、イタリア語ではクルトゥーラと言います。

   この言葉の語源であるコルティヴァーレという言葉になると
   「耕す」という意味です。

   他のことをやっている、そういう人たちの仕事も、
   自分は知りませんなどとは言わずに、好奇心を働かせて理解する。


   そうすると、自分の専門技術だけでは達成できなかったことも
   達成できるかもしれない、ということなんです。

       <『生き方の演習 若者たちへ』朝日出版社>

             ・・・

リクルートから、東京都で民間初の中学校校長になった
藤原和博さんは「10年後、君に仕事はあるのか?」
という本の中で、こんなことを言っている。

自分の専門分野は、できれば3つあった方がいい。

それも、その3つの分野が離れていればいるほどいい。

例えば、レストランのシェフだったら、
ITの技術者であり、音楽家、というような。

その3つをかけ合わせ、組み合わせたとき、
金メダル級のレアな人材になれるからだという。


まさに、これはルネサンス時代の教養と同じ考え方。

レオナルド・ダ・ヴィンチは、絵画、彫刻、建築、音楽、科学、数学、
工学、発明、解剖学、地学、地誌学、植物学などを身につけたといわれる。

さらに、ヘリコプターや戦車を概念化し、太陽エネルギーや計算機の研究もした。


先の見えない不確実な時代、これからはますます
今までにないテクノロジーやシステムそして、新ビジネスが求められている。

今こそ、新たな教養を身につけ、次の未来に向かって進んでいきたい。

           <感謝合掌 令和2年5月13日 頓首再拝>

【自分の頭で考える力を養う】 - 伝統

2020/05/23 (Sat) 04:15:39


        *メルマガ「人の心に灯をともす」(2020.05.15)より

   (立命館アジア太平洋大学(APU)学長、
     出口治明(はるあき)氏の心に響く言葉より…)


   今から約50年前、僕が大学2回生のとき、恩師のひとりである
   故・高坂正堯(こうさかまさたか)先生(国際政治学者)が、
   原書購読の時間に、次のようなことを言われた記憶があります。

   「古典を読んでわからなければ、自分がアホやと思いなさい。
    間違っても、大学に残って研究者になろうなんて思ったらあかん。

    さっさと就職しなさい。

    一方、現代の本を読んでわからなければ、書いた人間がアホやと思いなさい。
    そんなものは読むだけ時間のムダです」


   同じ日本語で書かれているのに、
   古典を難しく感じるのは、なぜでしょうか。

   理由は、「その本が書かれたそもそもの時代背景が、
   現在とは異なるから」です。

   時代が違えば、同じ言葉でも意味が変わります。


   これに対して、現代に書かれた本は、
   読者と著者と読者が同じ時代を生きています。

   それなのにわからないとしたら、その理由は、

   「著者自身が題材をよく消化していない」

   あるいは、

   「著者が見栄を張って難しい言葉を使っている」

   のどちらかです。

   だから高坂先生は、そんなものは読むだけムダや、と教えてくださったのです。


   「教える」とは、相手にわかってもらうことです。

   相手に腹落ちしてもらうことです。

   「教える」とは、どんな人に対しても、真意を伝えることです。

   どれだけ知識を持っていても、どれほどいいことを伝えたいと思っても、
   結果として相手に腹落ちしてもらわなくては、教えたことにはなりません。


   一般に人間も世界も、原理原則はとてもシンプルなものだと思います。

   本来、シンプルであるはずの人間が、
   物事を無理に複雑にしようとすると、真意が伝わらなくなります。

   教える立場に立つのなら、相手のレベルに応じて、
   相手に伝わるように、相手が理解できるように、
   わかりやすく話す(書く)ことが、絶対的な条件なのです。

        <『「教える」ということ』角川書店>

         ・・・

出口氏は「教育の2つの目的」についてこう語る。

1.自分の頭で考える力を養う

  *自分が感じたことや自分の意見を、自分の言葉で、
   はっきりと表現できる力を育てること(人格の完成)

2.社会の中で生きていくための最低限の知識(武器)を与える

  *お金、社会保障、選挙など、社会人になるとすぐにでも
   直面する世の中の仕組みを教えること(社会の形成者として
   必要な資質を備えること)


そして、「尖った人」に関してはこんな文章がある。

『日本の教育は、スペシャリストよりゼネラリスト
 (いろいろな分野の知識を広く浅く持っている人)を育てる教育です。


 これは、「一括採用、終身雇用、年功序列、定年」という、
 人口増加と高度成長の2つを与件とした
 ガラパゴス的な労働慣行にフィットしたものです。

 ゼネラリストという概念は、日本を除けば、世界のどこの国にも存在しません。

 厳しい競争にさらされている世界では、
 「ゼネラリスト人材を育成しよう」などと悠長なことを
 いっていられるはずがないのです。

 確固とした自分の得意(専門)分野を持ち、
 なおかつ企業全体を見渡せる専門人材を育成するのが世界の常識です。

 アイデア勝負の時代に必要なのは、
 自分の好きなことを究めて高い能力を発揮するスペシャリストです。

 工場モデルに最適化した「素直で、我慢強く、協調性のあるタイプ」ばかりを
 育てるのではなく、

 スティーブ・ジョブズのような尖った人材の育成が急務です。

 これからの日本でイノベーションを起こそうと思うのなら、
 極論すれば、日本人全員が自分の好きなことを究めなくてはいけないのです。』


この混沌とした時代は、先の見えない時代であり、前例のない時代だ。

「何百年に一度」とか、「戦後初めて」というような
「まくら言葉」が付くできごとが頻繁に起こる。

前例のない時代を、「想定外」と言ったりする。


想定内とか前例踏襲の事例や事件ばかりなら、
過去に起きたことや覚えたことを再現する能力に長けていれば活躍できる。

しかし、前例のない想定外の時代は、
自分の頭で考える力のある人しか生き延びることができない。


世界中が、近世においてありえなかった、想定外のコロナ禍に直面している今…

自分の頭で考えることのできる人を育てる教育が、今まさに必要とされている。

           <感謝合掌 令和2年5月23日 頓首再拝>

【凡人の才能の活かし方】 - 伝統

2020/06/07 (Sun) 03:50:27


       *メルマガ「人の心に灯をともす」(2020.05.16)より

   (別所謙一氏の心に響く言葉より…)

   あなたが死ぬ直前、神さまが枕元にやってきて、
   「残念だったな。あなたには人生を100倍楽しくする才能があったのに
    気づかないまま死ぬんだね」

   と言い残して、消えていったとしたら、
   あなたが神さまになんと言うでしょうか?

   「どんな才能? 教えてよ! 」

   でも、本当に残念なことにあなたの人生に残された時間はなく、
   自分の才能がなんだったのかもわからず、あなたの人生は終わります。


   もし、あなたが「自分の人生はこんなものだろうか?」と思っているなら、
   確実に言えることは、自分の才能を活かせていないということです。

   持っている才能を活かすことができずに生きるのは
   人生の大きな損失でしょう。

   逆に、何歳からでも、自分の才能に気づいた人生は有意義なものになります。


   才能というのは、若いうちに開花させないといけない
   と考えている人が多いようです。

   もちろん、才能によっては若いうちに開花させないといけないものもあります。

   しかし、仕事で活かす才能は何歳からでも開花させることが可能です。


   サラリーマンは、これまでのように仕事をしているだけでは、
   50歳くらいでハシゴを外されてしまうことがあります。

   会社がひどいことをしているように思えるかもしれませんが、
   今までの仕事のやり方が、今の仕事のやり方に合っていない
   ということでもあります。

   50歳で残念なことにならないように、
   自分の才能を活かす準備をしておくと、あとで困ることがありません。


   ロックスターになることを目指して広島から出てきた青年は、
   レコード会社に自分の曲を売り込みに行きました。

   そして、自作の曲をディレクターに聞いてもらいました。

   「キミ、これ歌詞ないの?」

   「え、ええ。ないんです。メロディーを聴いてほしかったんです」

   「歌詞もないの。歌詞があってもっと具体的に聴きたかったんだけど
    (中略)コレ、詞もないしね。ちょっとわかんないね」

   …いわゆる、断られた。あっさりと。


   これは矢沢永吉さんが著書『成りあがり』で、
   初めてレコード会社を訪れたときのエピソードを紹介したものです。

   ディレクターが聴いた曲は、「アイ・ラヴ・ユー、OK」でした。

   その後の、矢沢さんの活躍はご存知でしょう。


   ビジネスでは、天才企業家と呼ばれる孫正義さんは、
   開発した自動翻訳機を松下電器に持ち込みますが、
   門前払いをされてしまいます。

   次の三洋電機でも話も聞かずに追い返されたというエピソードが
   『あんぽん 孫正義』に紹介されています。


   今となって、カリスマとか天才と呼ばれる人々も、
   いきなり才能を発揮できていたわけではないのです。

   才能のほとんどは、結果が出たあとに評価されます。

   つまり、才能があるから結果が出たのではなく、
   結果を出すために才能を活用することができたのだといえます。


   こうした話をすると、
   「自分には才能がない」と言われることがあります。

   確かに、芸能人やスポーツ選手、大企業の経営者の才能はないかもしれません。

   しかし、そこまで大きな才能でなくても、
   自分の才能を活かすことができれば、
   もっと有意義な人生になると思いませんか。

     <『才能のない人間が考えた才能を活かす10の方法』WAVE出版>

            ・・・

別所氏は「才能」についてこう語っている。

『多くの人が自分の才能に気づかないのは、
 わかりやすい才能とわかりにくい才能があるからでしょう。

 走るのが速いとか、野球がうまいとか、作曲ができるなどは
 わかりやすい才能です。

 逆に、掃除というのはわかりにくい才能ですね。

 残念なことに、ほとんどの人はわかりにくい才能しか持っていません。

 わかりにくい才能は、加工しなければ数値化することはできません。
 逆に言えば、才能を加工できれば、能力にできるということでもあります。

 才能を加工するとは、どういうことかと言いますと、
 「才能を数値化して、商品やサービスをつくり、欲しい人に売る」ということです。

 新津春子さんは、会社員としてやっていた清掃の才能を、
 「世界一清潔な空港」という数値化ができたので、
 「ハウスクリーニング」というサービスとして販売しています。

 この点を知っていれば、「〇〇業界セールス1位が教える営業トーク」
 「2000人をカウンセリングしたセラピストのセルフセラピー」
 「1億稼ぐ勉強法」など、才能が数値化されていることに気づくでしょう。

 才能を数値化すると能力になり、その能力を活かして
 サービスや商品をつくることができれば仕事になります。

 そして、仕事がたくさん獲得できれば成功するということです。

 これが、才能を活かすというサイクルです。』



『茂木健一郎さんの著書「脳を活かす勉強法」には、
 創造力は側頭葉がつくりだした経験と前頭葉が発信する
 意欲のかけ合わせで生まれるとあります。

 つまり、意欲を失わなければ、
 経験があるほど創造力を発揮することができるのです。

 私たちに意欲がある限り、
 創造力を使って、才能は磨き続けることができるのです。

 茂木さんの著書には、「意欲あるお年寄りが一番強い」ともあります。

 年齢を重ねて体力は衰えますが、創造性は意欲がある限り、衰えません。

 ただし、前頭葉は脳の萎縮により、意欲を失わせてしまうこともあるようです。

 この点の対策は、
 新しいことにチャレンジして脳を活性化することだと言われます。』



本書にも記述があるが、
「ストリートアカデミー(ストアカ)」という、
「教えたい人と学びたい人をリアルにつなぐCtoCのまなびのマーケット」がある。

登録生徒数は43万人、掲載講座数は43000件、登録先生数は28000人だ。


コロナ禍の現在は、ほとんどがオンラインでの開催となっている。

講座のカテゴリーは、
ビジネススキル、Web、IT、デザイン、写真、映像、ハンドメイド、
クラフト、DIY、料理、グルメ、ビューティ、ヘルス、ヨガ、
フィットネス、英語、語学、起業、副業、自己啓発、文化、教養、
趣味、子育て、キッズ、等々。

普通の人が、自分の才能を活かして講座を開設している。


自分の才能を活かし、これからの人生を豊かなものにしてゆきたい。

           <感謝合掌 令和2年6月7日 頓首再拝>

無我夢中の努力が道をひらいた - 伝統

2020/06/17 (Wed) 04:42:29


      *Web:致知出版(2020年05月21日)
           「人間力メルマガ (2020.5.25)」
           ~—高野 登(ザ・リッツ・カールトン・ホテル元日本支社長)

《本気の努力には天が味方する》

アメリカに渡った2年目の夏のことです。
たまたま上役たちの予定が合わず、
私が各ホテルの総支配人が集う会議に出席することになりました。

会場は、1985年にプラザ合意が結ばれたことでも有名な、
アメリカを代表する「プラザホテル」です。

当時22歳の若造にとって、そこでの経験は一生忘れることができません。

その会の内容よりも、プラザホテルに従事するウエイターやウエイトレスたちの
立ち居振る舞いが、まるでブロードウェイの役者のようで、
どこを取っても素晴らしかったのです。

一度オーダーを聞いたらそれを覚え、
我われの会話を中断させることなく、料理を運んでくれる。
こちらの様子を常に窺い、絶妙なタイミングで料理の説明をしたり
飲み物のお代わりを持ってきてくれるなど、
そのホスピタリティは感動の連続でした。

これを私は「気配を消しながらも、存在感があるサービス」と表現しています。
決してお客の邪魔にならないけれど、必要とする時にそこにあるサービス。
これが私のホテルマン人生を貫くモットーとなったことは間違いありません。

その日以来、私の目標は「絶対にプラザホテルで働く」ことになりました。

プラザホテルで仕事をするために、いまの自分は何が不足していて、
どのくらいの期間があれば補えるのか。

考えてみたところ、語学や教養など勉強することは山積みで、
2~3年では役に立てず、5年でも力が及ばないだろう。

であれば、8年後の30歳の時までにプラザホテルの従業員として
相応しいスキルを身につけよう。そう目標を定めたのです。

その間、様々な一流ホテルで働きましたが、
グリーンカード(米国永住権)が取得しやすいという情報を聞きつけ、
ペンシルベニア州で1年間働いた時期があります。

通常取得には早くて3年、長ければ5年かかると言われていたところ、
オーナーが尽力してくれたおかげで7か月で取得することができました。

そのお礼もかねて、1年の契約期間の残り5か月、無給で働きました。
オーナーにはそのことを伝えていなかったものの、
ホテルを去る際には、餞別として現金を手渡してくれたのみならず、
ニューヨークのヒルトンホテルの総支配人に紹介状を書いてくださったのです。

見返りを求めずにとった行動でしたが、
その姿勢は天が必ず見てくれていると学んだ一件でした。

この紹介状のおかげでヒルトンホテルでの職に
難なく就くことができたのは言うまでもありません。


他にもこんな出来事があります。

仕事の傍ら時間を見つけては図書館に通い、
プラザホテルに関する書籍や記事をひたすら読み込み勉強をしていました。
コピーを取るとお金がかかるため、必要な箇所はすべて書き写しです。

するとある時、ライブラリアン(司書)の女性が、
「私が“ミス”をして余分なコピーを取ってしまったのだけど、
よかったらもらってくれない?」と、
私がまだ読んでいない本のプラザホテルに関するページのコピーをくれたのです。

それ以降、何度か“間違って”私が欲しい記事をコピーしてくれるようになりました。
ここでも努力は誰かが必ず見ていてくれることを教えられました。


《憧れのプラザホテルへ》

プラザホテルへの道が開かれたのは全くの偶然です。
囲碁が好きだったので、ニューヨークにある囲碁クラブに
よく足を運んでいましたが、
遊ぶ場のため、会員とは名刺交換など一切していません。

通い始めて2年程経った頃、あるおじさんから、
「君はホテルマンだっけ? 知り合いが日本人を雇いたいと言っているんだ」
と声を掛けられました。

それから名刺交換をしましたが、その時初めてその方が
日本航空米州地区総支配人だと知りました。

加えて、知人というのが長年憧れを抱いていた
プラザホテルの総支配人だったのです。
驚きを隠せぬまま二つ返事で面接に伺いました。


面接では、プラザホテルに初めて行った際に衝撃を受けたエピソードや、
いつか働くことを夢見て勉強を重ねてきたことを滔々と伝えました。

私が学んできたことはPR部長さえも知らないマニアックな情報も入っていたようで、
大変驚かれながらも、晴れて1982年、28歳の時にプラザホテルで
働けることになったのでした。


駆け足に私の20代の歩みを追ってきましたが、
何か1つでも「これが自分の売りだ」というものを身につけることが、
時間に余裕のある20代には大切だと思います。

私はプラザホテルへの情熱を絶やさず勉強を重ねていたことで、
突然訪れたチャンスを掴むことができました。

勉強に熱中しすぎて、気がついたら空が明るくなってきていた経験が何度もあります。
こうして徹夜ができるのも体力のある20代のうちだけです。

また、プラザホテルの「気配を消しながらも、存在感があるサービス」を常に意識し、
一度聞いたオーダーは必ずすべて覚えるよう心掛けていました。

「〇〇をご注文の方」とわざわざお客様同士の会話を遮らずに、
スッとお出しするのです。

60代のいま、すべての料理を瞬時に暗記するのは難しいかもしれませんが、
20代であれば、10人、20人のオーダーは努力次第で確実に覚えられます。
その努力如何がプロになれるかどうかの分かれ目だと感じます。


《無我夢中で駆け抜けた20代》

私の20代をひと言で表すと「無我夢中」の一語に尽きます。
一流のホテルマンになりたいという夢に燃え、
我を忘れて仕事に没頭してきました。

初めから無我夢中で打ち込めるほど好きな仕事に出逢える人は多くない中で、
本当に幸せなことだったと思います

目の前に与えられた仕事・課題を無我夢中で取り組んでいるうちに、
次第にその仕事が自分の一部になり、天職になっていくものです。


天職に出逢えていない人は皆、無我夢中でやり切る前に、
「自分には合ってない」と自己判断し、
辞めていってしまうのではないでしょうか。

私はこれまで何度も失敗や悔しい思いを経験してきました。

しかし同時に、他人に認められるのは完璧にこなせる人ではなく、
本気で打ち込んでいる人であると感じるようになりました。
本気になって全力で打ち込んでいると、天が味方をしてくれる。

これは20代で得た最も大きな気づきです。

(本記事は『致知』2020年5月号 連載「20代をどう生きるか」
より一部を抜粋・編集したものです。
『致知』には人間力・仕事力を高める記事が満載! )

・・・

◇高野 登(たかの・のぼる)
昭和28年長野県生まれ。
プリンス・ホテルスクール(現・日本ホテルスクール)第一期卒業後、
21歳でニューヨークに渡り、ホテルキタノ、ヒルトン、プラザホテル、
フェアモントホテル等での勤務を経て、
平成2年サンフランシスコのリッツ・カールトンの開業に携わる。

6年にリッツ・カールトンの日本支社長として帰国。
9年に大阪、19年に東京の開業をサポート。
21年退社。

22年人とホスピタリティ研究所設立。
著書に『サービスを超える瞬間』(かんき出版)など多数。

           <感謝合掌 令和2年6月17日 頓首再拝>

【議論は絶対に避けること】 - 伝統

2020/06/25 (Thu) 04:03:34


         *メルマガ「人の心に灯をともす」(2020.06.15)より

   (齋藤孝氏の心に響く言葉より…)

   学生でいる間は、みなさんもたびたび議論をしたことと思います。

   ところが人を説得するのに、議論は何の役にも立ちません。

   それどころか、社会に出ると議論すること自体が危険をともなう、
   と覚えておいたほうがいいでしょう。

   なぜなら、議論をしてたとえ相手を打ち負かしたとしても、
   相手の意見は変わらないからです。


   「議論に勝つ最善の方法は、この世にただ一つしかないという結論に達した。
    その方法とは…議論を避けることだった。
    毒ヘビや地震を避けるように議論を避けるのだ」

   とカーネギーは言っています。


   この教訓をカーネギーはあるパーティーに出席したさい、学んだのです。

   パーティーでカーネギーはある男性と、
   引用句について、出典が聖書かシェイクスピアかで議論になりました。

   カーネギーは確信があったので、出典がシェイクスピアであると主張したのですが、
   相手は「聖書の言葉だ。間違いない」とたいへんな剣幕で詰め寄ります。


   するとその場に居合わせたカーネギーの友人が
   「確かに聖書です」と相手の肩を持つのです。

   友人はシェイクスピアの研究家でもあったので、
   カーネギーはひじょうに驚いてしまいます。


   パーティーの帰り道、カーネギーが友人に確かめると、友人は答えます。

   「もちろん出典はシェイクスピアさ。でもめでたいパーティーの席で
    なぜ人の間違いを証明しなければならないんだ。
    証明すれば相手に好かれるのかね? 」

   カーネギーは議論をしても何の意味もないことを悟るのです。


   どんなに議論をしても、相手の考えを変えられないのであれば、
   議論はたんなる自己満足に終わってしまいます。

   その上、議論をすることで、友だちを失ったり、
   上司から嫌われたり、同僚から反感を持たれてしまうのなら、
   議論する意味はまったくありません。


   私には大学時代に徹底的な議論をして、
   友だちを1人ずつ失っていったという悲しい経験があります。

   当時の私は完膚(かんぷ)なきまでに相手を論破することを
   説得だと考え、誠実さと勘違いしていたのです。

   その結果、友だちがどんどんいなくなっていったという反省を踏まえ、
   みなさんには議論をすることがまったく生産的でないと
   わかっていただきたいと思います。


   もちろん企画会議などで、A案がいいか、B案がいいか、
   意見を言うのはかまいません。

   ここで言う“避けるべき議論”とは相手を徹底的にやりこめるような議論のことです。

   どちらが勝って、どちらかが負けてしまう議論だと、
   負けた方は恨みが残りますし、勝ったほうも大して得がありません。


   そもそも人はほとんど変わらないのですから、
   たとえ朝まで議論して、相手の間違いを正しても、人は変わりません。

   そこは自分の正しさを主張するのではなく、
   人間関係のほうを重視して、割り切る必要があるでしょう。

         <『齋藤孝が読む カーネギー「人を動かす」』創元社>

              ・・・

萩本欽一氏は議論についてこう語る。

『「負けるが勝ち」よくこう言いますよね。
 僕もそう信じています。

 でも、なんで負けるほうが勝ちなんだと思いますか?

 僕なりの理由はこう。

 “負けたほうが運がたまるから”。

 誰も必ず人と意見が衝突することがあるけれど、そういうとき
 「自分のほうが正しい」とか「議論に勝ちたい」って、つい思っちゃいますよね。

 でも、そう思ったら負け。

 勝とうとすると自分の運が減っていくんです。

 だから言い合いになったときは、自分が正しくないかということより、
 運を減らさないことを大事に考えたほうがいいの。

 相手が「てめえ、ばか野郎!」と言ってきたら、

 「あ〜あ、あの人、自分の運を減らしちゃったよ、
  その分をこっちがもらっちゃおうかな」

 と心の中で考えるの。

 具体的な方法はどうすればいいかというと、謝っちゃうんです。

 「そうか、悪かったね」とか、「ごめん、君の言う通りだよ」って言えばいい。

 もう一つ大事なのは、自分が一歩引くことによって、
 相手に嫌われるのを避けられるっていうこと。

 人に嫌われないっていうことは、すごく運になるの。

 人生って結局、運をどれだけためられるかっていう勝負なんです。

 だから、そのほかの勝負で勝とうなんて思わなくていいの。

 だからバ〜ンと言われても、ぐっとこらえて言い返さない。

 負けるが勝ち。』


議論になったとき、多くの人は、自分が正しいことを証明したがる。

逆に言えばそれは、「あなたは間違っている」と言い立てること。

そしてそれは、自分を認めて欲しいという思いの表れでもある。


しかし、議論に勝ったところで、
相手は嫌な思いになり、段々と離れて行ってしまう。

いつも大声でまくしたて、人の話も聞かずに、
一方的に自分の意見を押しつける人を好きになる人はいない。

だからこそ…

議論は絶対に避けること。

           <感謝合掌 令和2年6月25日 頓首再拝>

【凡を極める】 - 伝統

2020/07/03 (Fri) 04:42:29


     *メルマガ「人の心に灯をともす」(2020.06.10)より


   (ジョン・C・マクスウェル氏の心に響く言葉より…)

   大学では、先生が学生がお互いによく知り合うように、
   よく性格検査や適性検査、自己評価アンケートを行った。

   いまでもはっきり覚えているのは、
   授業が始まって数週間目に受けたさまざまな能力を測定する適性検査だ。

   一番点の高かった項目がなんだったかは忘れてしまったが、
   一番低かったのは忘れもしない、創造性だった。


   そのような結果を気にする学生は少なかったようだが、私は落ち込んだ。

    創造性は大切だと思っていたし、
    将来の仕事のためにどうしても必要だったからだ。

    その頃、私は聖職者になろうと考えていた。

    聖職者になれば、書き物をすることも多く、
    週に2~3回は信徒を前に話をしなければいけない。

    しかも、そういう生活が40年間は続くのである。

    創造性のかけらもない人の話を
    毎週聞かされる人の身にもなってほしい。

    まったく、たまったものではない!


    それでも、仕事を変えようとは思わなかった。

    私の牧師になりたいという決意は固かった。

    生まれつき創造性に恵まれていのなら、
    他の人たちの創造的なアイデアを発掘しようと私は考えた。

    自分でアイデアを生み出すより、アイデアを収集するほうが簡単だ。

    なにしろ偉大なる発明家トーマス・エジソンも、
    「オリジナリティとはアイデアの出所を隠す技だ」
    と言っているではないか。


    それ以来35年間、私は来る日も来る日も名著を読みあさり、
    偉大なアイデアを集め、テーマ別にファイルしてきた。

    おかげで、本を執筆するときに適当な引用句や逸話、
    記事などが必要になると、そういうときのために
    ファイルしておいた素晴らしい素材をすぐに見つけ出すことができる。

    こうした習慣は、講演や本の執筆に非常に役に立っている。


    ロザベス・モス・カンター博士は、
    「人の一歩先を行くには、次のアイデアを舞台の袖で待たせておけ」
    と言ったが、私の場合、アイデアはファイルの中にある。

    そして私はあることを発見した。

    常に創造的なアイデアはないかと目を光らせていると、
    自分自身も創造的な考え方ができるようになるのである。

         <『すごい「考える力」』知的生きかた文庫>

          ・・・

「学ぶ」の語源は、
「まねぶ(真似ぶ)」と「まねる(真似る)」の2つあるという。

「まねぶ」も「まねる」も模倣することだ。

子どもは、親を真似することによって、言語や表情を身につける。


佐々木常夫氏は、
「プアなイノベーションより、優れたイミテーションを」と言う。

なまなかな創造性を発揮するより、
他を圧倒するようなイミテーションのほうがよほど優れているということ。

本や人の話の引用も、長い年月続ければ、
それはやがてその人独自の味のあるものとなってくる。


才能がないならないなりに、凡人には凡人の生き方がある。

それが、「凡を極めて、非凡に至る」ということ。


創造性がないと嘆くのではなく…

凡を極めて、非凡に至る人でありたい。

           <感謝合掌 令和2年7月3日 頓首再拝>

【好奇心と決断】 - 伝統

2020/07/12 (Sun) 04:27:32


       *メルマガ「人の心に灯をともす」(2020.06.07)より

   (池田貴将氏の心に響く言葉より…)

   人間には、未知のものに対して3つの反応がある。

   一つは、怖れ。
   得体の知れないものが怖いという反応。

   もう一つは、無関心。
   「そんなの、どうでもいい」という反応。

   そしてもう一つが、好奇心。
   怖くても、知らずにはいられない。
   進まずにはいられない。
   どうしようもなく、かきたてられてしまう心。


   人を前進させるものとして、
   よく情熱や使命感などが挙げられるが、
   一番根っこにあるのは、好奇心なのではないか。


   「未知のことだけど、やってみたい」

   「やってみたら、なにが起こるんだろう」

   「どんな自分になれるだろう」


   そんな自分への好奇心が、怖れに少しでも勝ったとき、

   人は何か、大きな決断ができるのだと思う。

           <『決断力の磨き方』Gakken >

           ・・・

「ディズニーの成功を支えている最も重要な要素は、
 遊び心と好奇心だ。

 遊び心とは、笑うことを愛する、
 というアピールをする気持ち。

 好奇心とは、常に人間の心にあって、
 想像力によって刺激されて生まれたものだ」

と語ったのは、ウォルト・ディズニー。


何かを始めるとき、正しいか正しくないか、損か得か、
で決めると途中でダメになることが多い。

面白いか面白くないか、ワクワクするかしないか、
で決めると長く続く。

つまり、好奇心と遊び心だ。

子どものような好奇心と遊び心を持っている人は、
年齢を重ねても若々しい。


決断力がある人は、鋼(はがね)のような意思と
不屈の闘志を持つような重々しい人ではない。

いつも笑みをたたえ、好奇心と遊び心あふれている人が、
かろやかに「ひょい」と軽々決めることができるのだ。


好奇心と遊び心を持ち、壁を乗り越えていきたい。

           <感謝合掌 令和2年7月12日 頓首再拝>

【システムには「モチベーション」がない】 - 伝統

2020/07/18 (Sat) 04:40:48


       *メルマガ「人の心に灯をともす」(2020.07.06)より

   (筑波大学准教授、落合陽一氏の心に響く言葉より…)

   2020年は、私たちの「働き方」について大きな変革を迫られる年になりました。

   年初から世界中で猛威をふるった新型コロナウィルスの感染拡大により、
   多くの企業でリモートワークが実施されました。

   そんな中でテレプレゼンステクノロジーの進化により、
   「どこにいても仕事ができる」ことを実感した方も多いと思います。

   新型コロナによる影響は、このような観点から見ると、
   ヒトとヒトとの「非接触型インターフェース」の浸透を社会に促したといえるでしょう。


   また、リモートワークによって使える人的・時間的リソースが限られる中で、
   「やるべき仕事」が自ずと抽出されてきた面もあります。

   無駄な会議、出なくてもいいミーティングは排除され、
   ビジネスチャットやビデオ会議で課題を共有するなど、
   テクノロジーで解決できることはそれに任せることが増えてきました。

   ジョブディスクリプション(職務内容を詳しく記述した文書)を
   明確にする必要性を痛感した人も多いのではないでしょうか。

   また人材についても同様で、
   リモートワークのみで済む人材への代替えも検討されてきています。


   「人間がやるべきことは何か」…コンピュータやインターネット、AIが進化した今、
   私たちはこの命題に直面しています。

   人の物理接触がデジタルに置き換えられる
   ポストコロナもしくはウィズコロナの世界では、
   それがいっそう問われることになります。


   いまの大学生の親世代が子どもだったときの日本は、
   真面目に努力していればそれなりに幸福になれる社会でした。

   いい学校を出ていい会社に入れば定年まで安定した生活が約束され、
   定年後も十分な年金をもらうことができたのが、戦後の日本です。

   むしろ、その世代の均一性がいまの乗り遅れた日本を作ったとも言えるのです。


   なぜなら、コンピュータとインターネットがその社会を大きく変えたからです。

   そのとき、インターネットという価値観を理解するのに時間がかかった。

   それは大企業のホワイトカラーになれば
   何となく幸せな人生を送れるような世界ではありません。

   そういう世界で幸福感を得るにはどんな生き方をすればよいのか。

   それはいまの社会で共有することが難しくなっている。


   システムには「モチベーション」がありません。

   そこが人間との大きな違いです。

   だから、モチベーションのない人間は
   発達したコンピュータにいつか飲み込まれてしまう。

   逆に、「これがやりたい」というモチベーションのある人間は、
   コンピュータが手助けしてくれます。


   「これが好きだ」「この問題を解決したい」という強烈な好奇心が、
   その人の専門性の源泉になります。

   そういうモチベーションがないかぎり、掘り下げるべき専門性は身につきません。

        <『働き方5.0』小学館新書>

         ・・・

落合氏は「素人のように考え、玄人として実行する」という言葉を紹介している。

『いちばん留意しないといけないのは、
 素人の心を失わないままに玄人になることです。

 それを考えながらキャリアを進めていく必要があると思います。

 本気で長く続けること、好奇心とテンションを高めに設定し続けること、
 要領よく子どもであること。

 素人思考を保つためになるべくまっさらな気持ちで
 モノに向き合えると良いと、思っています。』


このコロナ禍で脚光をあびたウーバーイーツだが、
落合氏は「機械に仕事を奪われるどころか、
すでに人間がシステムに組み込まれた状態になっている」と指摘する。

ほとんどの仕事はサーバー上で自動的になされて、
品物を届けるところだけ人間が請け負う。

見方によっては機械が人間を道具として使っていると考えることもできます。』


『その一方で、機械では代替えされにくく、
 付加価値の高い能力を持つ人材もますます強く求められるようになっています。

 そういう人材を「クリエイティブ・クラス」と呼びました。

 これはもともと米国の社会学者リチャード・フロリダの造語で、
 創造的な専門性を持つ知的労働者のことです。』


『「天才」は何かひとつのことに対してスペシャルな才能を持っています。

 「なんでもこなせる天才」はほとんどいません。

 「秀才」は「処理能力の高いホワイトカラー」です。
 大企業が大量に必要とする人材でした。
 なんでもこなせるジェネラリストです。

 しかし、今求められているのは「変態性」です。

 レンジをある程度広くとった「変態性」が重要です。

 たとえば「天才建築家」の職種は建築士に限定されますが、
 「建物好きの変態」は建築士になれるだけでなく、
 建築に使う素材や重機などの開発者になれるかもしれませんし、
 インテリア・コーディネーターや都市計画の専門家になれるかもしれません。

 才能という言葉だけでは表しきれない猛烈な執念のようなものが
 「変態」からはただよってくるのです。』


コンピュータやAIには、「やる気」とか「〇〇をしたい」とか「意欲」等はない。

逆に、それがあったら恐ろしい。
シンギュラリティ(機械が人間の知能を超える)が到来するということだからだ。

つまり、やる気や意欲のない人間(生徒や社員)は、
これからは機械に使われる人生を歩むことになるということだ。

コンピュータやAIに指示されて動く人生だ。



だからこそ、これまで以上に、自分の「生き方」や「方向性」が大切になってくる。

自分を、どれだけ高めることができるか、バージョンアップできるかが問われる。


いくつになっても、自分を磨き、高めることができる人でありたい。

           <感謝合掌 令和2年7月18日 頓首再拝>

【「おいしい人生」を生きるためには】 - 伝統

2020/07/22 (Wed) 04:35:16


          *メルマガ「人の心に灯をともす」(2020.06.28)より

   (立命館アジア太平洋大学(APU)学長、
     出口治明(はるあき)氏の心に響く言葉より…)

   自分の力で好きなことにチャレンジして、自由に生きていくことが、
   「おいしい生活」です。

   では、どうしたらそんなおいしい生活がおくれるのでしょうか。

   生きていくために絶対必要なのは、「衣・食・住」でしたよね。


   中でも食事がなければ死んでしまいます。

   人生って、ご飯を食べていくことなんですよ。


   おもしろいのは、じつはおいしい生活は
   おいしい料理と同じように考えることができるということです。

   少し考えてほしいのですが、おいしい料理を因数分解するとどうなるでしょうか?

   一緒に食べる相手も大事かもしれませんが、
   基本的には「いろいろな食材」があって「上手に料理」すれば、
   おいしい料理ができますよね。


   方程式にすると、「おいしい料理=いろいろないい食材×上手な調理」です。

   いい食材があっても、調理が下手だったら台無しです。

   いくら調理の上手な人でも、傷んだ食材しかなかったら、
   おいしい料理をつくることは難しい。


   では、おいしい生活を因数分解するとどうなるでしょうか。

   「いろいろないい食材」と「上手な調理」を何に置き換えることができるでしょう?


   まず、いい食材にあたるのが、「さまざまな知識」です。

   そして、調理にあたるのが、その知識を生かすために「自分の頭で考える力」です。


   つまり、「おいしい生活=さまざまな知識×自分の頭で考える力」
   という式で表すことができるのです。

   「考える力」というのはどういうことでしょうか?


   たとえば、みなさんは、
   「ラーメン」も「にんじん」も「ムール貝」も知っていますよね。

   ですが、ふつうはこの3つを掛け合わせて
   新しい味のラーメンをつくることを思いつくでしょうか。

   これは、僕が創業したライフネット生命という会社の近くにある
   ラーメン屋さんが、実際に思いついた「ベジソバ」「野菜そば)というメニューです。

   7年前、ニンジンをゆでてすりつぶしてとろみのある半液体のピューレにしたものに、
   ムール貝のスープを使った新しいラーメン「ベジソバ」を売り出したところ、
   大当たりしたのです。

   これは、「知識×考える力」がうまく作用して、新しいものをつくりだした好例です。


   店主がベジソバを創作できたのは、
   食材やラーメンに関する知識をたくさんもっていたからです。

   ムール貝を食べたことのない人や、ピューレを知らない人が、
   ベジソバを思いつくことはないですよね。


   頭の中にたくさんの情報や知識がなければ、
   いくら考えても新しいいいアイデアは生まれてきません。

   逆に、知識をどんなに豊富にもっていても、
   それだけでは新しいものを生み出すことはできません。

   豊富な知識を自分の頭の中でいろいろと組み合わせて、
   それを外に向けて発信する力が必要になります。


   つまり、これが「知識×考える力」ということです。


   ここで、もう一つ大事なことは、
   「ラーメン」と「にんじん」と「ムール貝」は、
   それぞれの間の距離が遠いということです。

   ラーメンといえば、チャーシューや玉子を思い浮かべる人が多いでしょう。

   しかし、「ラーメン」と「チャーシュー」と「玉子」を組み合わせても、
   ごくふつうのラーメンしかつくることができません。

   これらは、それぞれの間の距離が近いので、新しいものを生み出せないのです。


   イノベーション(新しいもの)は、既存知(知識)間の距離が遠いほど、
   おもしろいものが生み出せるという経験則が知られています。

   つまり、旺盛な好奇心をもって、幅広い知識を学ぶことが、
   イノベーション(おいしい生活)には欠かせないのです。


   この幅広く学ぶことの重要性をうまく表現した、すばらしい言葉があります。

   それは、フランスのファッションデザイナーである
   ココ・シャネルが晩年に残した、次のような言葉です。


   「私のような孤児院で育って学校も出ていない、年をとった無知な女でも、
    まだ道端に咲いている花の名前を1日に一つぐらいは覚えることができる。

    一つ名前を知れば、世界の謎(なぞ)が一つ解けたことになる。
    その分だけ、人生と世界は単純になっていく。

    だからこそ、人生は楽しく、生きることはすばらしい」


   一つ学べば一つ世界の謎が解ける。

   だからこそ人生は楽しく、生きることはすばらしい。

   いい言葉だと思いませんか?

   ココ・シャネルはきっと、
   毎日学びながら人生をワクワクしながら生きていたのでしょう。


   知識は世界を広げてくれます。

   しかし、知識を身につけるだけで、人生が豊かになるわけではありません。

   それに考える力をかけ合わせる必要があるのです。

   ココ・シャネルのように、謎を解き明かしたいという気持ちが大切です。

   そして、自分の頭で考え続け、つねに原理原則に立ち返ることで、
   人生はより豊かなものになっていくのです。

        <『「おいしい人生」を生きるための授業』PHP研究所>

            ・・・

キンコンの西野亮廣氏は、「仕事の広げ方」についてこう書いている。

新卒から入社したリクルートを経て、
東京都で民間初の中学校校長になった藤原和博さんの「稼ぐ話」が面白い。

ザックリ説明すると、収入をアップさせるには自分を
“レアカード化”する必要がある、と藤原さんは言う。

自分をレアカード化するための話は、
「誰でも1万時間かければ『100人に1人』になれる」という
“1万時間の法則”から始まるんだけど、

「100人に1人」程度では食ってはいけないし、
「100人に1人」ばかりが集まったプロの世界で戦って抜きん出ようと思ったら、まあ大変。

そこで藤原さんは、新たに別分野に1万時間投じることを勧めている。

最初に1万時間を投じたAという分野で1位を目指すのではなく、
新たに1万時間を投じて「100人に1人」になったBと掛け合わせて、
「100分の1×100分の1=1万分の1」になれ、と。

Aに加えてBの能力もある「1万人に1人」になると、
まあまあレアカードで、そこそこ食っていける。

乱暴な喩えだけれど、イメージとしては、
「お笑い」を1万時間やって、「家電」を1万時間やれば、
『アメトーク!』の家電芸人のオファーが舞い込んでくる、みたいな
(まあ、そんな単純な話じゃないんだけど。あくまで喩えッス)。

AとBを結ぶ線の上が、その人の需要というわけ。

しかし、とはいえ「1万人に1人」だ。ここで藤原さんは、
「さらに別分野に11万時間を投じましょう」と言う。

3つ目(C)に1万時間を投じることで、
「100分の1×100分の1×100分の1=100万分の1」の人になりましょう、と。

A、B、Cの3点を結んでできた三角形の面積が、
その人の需要で、この三角形をクレジット(信用)と呼ぶ。



出口氏は、この仕事における三角形のクレジット(面積)のことを、
「知識」の距離が遠ければ遠いほど、面白い人生がおくれるという言い方をしている。

レアカードの人材になるためにも、これは必要だ。

またこのことは、商品開発でも同じ。


まるで予想外という、意外や意外という趣味を持っている人が、
「面白い人」と言われるのと同じだ。

いくつになっても…

色々な知識を身につけ、考える力を広げていける人でありたい

           <感謝合掌 令和2年7月22日 頓首再拝>

【面白いとは何か?】 - 伝統

2020/07/28 (Tue) 04:43:13


      *メルマガ「人の心に灯をともす」(2019年09月28日)より

   (森博嗣氏の心に響く言葉より…)

   人間は、そもそも「新しい」ものが好きだ。
   これは「好奇心」と呼ばれる性質でもある。

   見たことがないものに近づき、手を出して、触りたくなる。


   多くの動物にも、好奇心はあるにはあるが、人間ほどではない。

   自然界の動物は、新しいものをむしろ避ける。
   危険なものかもしれない、と判断するためだ。

   好奇心旺盛なのは、子供や若者であるが、
   人間の場合は、かなり老年になっても、それを持っているようだ。

   なかには、もう新しいものはいらない、今のままで良い、
   と頑なになる老人もいるようだが、いくつになっても、
   自分の好きな分野では、新しものに手を出したがる。

   ただ、比較をすれば、そういった傾向は、
   やはり歳とともに衰えるように観察される。


   「新しい」ものの「面白さ」に若者は敏感であり、年寄りは鈍感だといえるだろう。

   この傾向からすれば、歳を取るほど、「面白い」ことは減っていく道理になる。

   これはある意味しかたがない。

   なにしろ、経験を重ねるほど、その人にとって
   「新しい」ものが減っていくことは必然であり不可避だからだ。

   「それは、もう知っている」「試したことがある」
   という境地に達してしまう、ということだろう。


   若者や子供は、新しいものに目を輝かせる。

   「面白い」というよりも、
   「可能性」のようなものに惹(ひ)かれているのかもしれない。

   つまり、「面白そうだ」という感覚である。

   面白いかどうかは、試してみないとわからない。
   だから「試してみたい」との欲求である。


   子供が、何を見ても、「やらせて」とせがむのを、大人は知っている。

   逆に、大人になるほど、手を出してみても、自分の得にならない、
   という悟りを開いてしまうのだろう。

   子供は「無知」であるから、知らないことが周囲に沢山ある。

   それらを知ることが、「面白い」のだ。

   おそらく、知識を得ることで自身が有利になれるとの「予感」があるためだろう。


   知らないよりも知ることは有利だ。

   他者との競争にも勝てるし、自身の将来の可能性を広げるだろう。

   つまり、好奇心とは自分が「成長」するイメージを伴うものである。

   この自身の「成長」が「面白い」と感じられるのは、
   躰を鍛えたり、技を磨くための練習が「面白い」ことにもつながる。

   いずれ得られる満足を予感させる「面白さ」といえるものだ。


   「意外性」とは、その人が思い描いていない未来が訪れることだ。

   これは、普通は「面白い」ことではない。

   もし、ビスケットがもらえなかったら、犬はがっかりする。

   いったい何が起こったのか、と途方に暮れる結果になるだろう。

   人間の場合も、想定しない事態が発生することは、歓迎できない場合が多い。

   特に、予期せぬトラブルなどは困る。
   というよりも、想定外の悪い事態をトラブルと呼ぶのである。


   ところが、その意外性が、「面白さ」になる。

   ここは、さすがに犬ではなく人間だから、といえるかもしれない。

   すなわち、「意外性」の「面白さ」を理解するには、
   或る程度の思考力や知性が要求される。

   突拍子もないことが起こると、人はまずは驚く。
   意外なことに対しては、びっくりするのが最初の反応だろう。
   しかし、それが「面白さ」に変化する。

   たとえば、ギャグの中には、この意外性がある。

   変なことを言うな、という驚きがある。

   もちろん、定番になって、来るぞ来るぞと期待したところへ
   出てくるギャグもあるが、慣れてしまうと、普通は笑えなくなるものだ。

   これは、意外性がなくなるからにほかならない。

     <『面白いとは何か?面白く生きるには?』ワニブックス「PLUS」新書>

              ・・・

「面白がる人には、どんどん面白いことが降ってくる」(小林正観)

小林正観さんは、宇宙の法則として、
「投げかけたものが返ってくる(投げないものは返ってこない)」というものがあるという。

これはつまり、物理学でいう「作用」「反作用」と同じことで、
言葉を換えて言うなら、
「愛すれば愛される」「愛さなければ愛されない」
「感謝すれば感謝される」「感謝しなければ感謝されない」
「嫌えば嫌われる」「嫌わなければ嫌われない」
「憎めば憎まれる」「憎まなければ憎まれない」ということ。

そして、自分に返ってくるものについて
「宇宙は倍返し」という方程式があるともいう。

投げかけたものがまだ返ってこない間に、
不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句を一切言わなければ、
2倍のものが返ってくるという法則。


つまり、面白がる人には、どんどん面白いことが起こり。

逆に、つまらなそうな人には、ますますつまらないことが起こるということ。

二度とない人生、面白がって生きていきたい。

           <感謝合掌 令和2年7月28日 頓首再拝>

【根底にある原理は変わっていない】 - 伝統

2020/08/07 (Fri) 04:54:00


         *メルマガ「人の心に灯をともす」(2019.07.19)より

   (落合陽一氏の心に響く言葉より…)

   IT化で資本主義のあり方は激変しましたが、
   そのいちばん根底にある原理は変わっていません。

   それは、「誰も持っていないリソースを独占できる者が勝つ」という原理です。

   だから株式を握っている資本家は大金持ちになれるし、
   アラブの石油王も大金持ちになれる。

   スポーツや芸能の才能も、そういうリソースのひとつでしょう。

   誰にも真似のできない技術や表現力を持っている人は、
   それぞれの分野で大成功します。


   しかし、コンピュータが発達したいま、
   ホワイトカラー的な処理能力は「誰も持っていないリソース」にはなり得ません。

   もちろん処理能力が高いほど成功の度合いも高まるでしょうが、
   その差は全体から見れば誤差の範囲にすぎないでしょう。

   誰も持っていないリソースを独占している上のクラスと
   ホワイトカラーのあいだには、ものすごく大きな差があるのです。


   これまでの労働者は、「ホワイトカラー」と「ブルーカラー」の
   2つのクラスに大別されていました。

   どちらかというとホワイトカラーのほうが上位に置かれていたわけですが、
   この区別にはもうあまり意味がありません。


   たとえば米国の社会学者リチャード・フロリダは、
   それとは別に「クリエイティブ・クラス」という
   新しい階層が存在すると考えました。

   簡単に言えば、これは「創造的専門性を持った知的労働者」のことです。

   現在の資本主義では、
   このクリエイティブ・クラスがホワイトカラーの上位に位置している。

   彼らには「知的な独占的リソース」があるので、
   株式や石油などの物理的な資本を持っていなくても、
   資本主義で大きな成功を収めることができるのです。


   また、同じく米国の経済学者であるレスター・C・サローは
   「知識資本主義」という著書の中で、これからの資本主義は「暗黙知」が
   重視される世界になると訴えています。

   「知識資本主義」の社会では知識が資本になるわけですが、
   それはどんな知識でもいいというわけではありません。

   誰もが共有できるマニュアルのような「形式知」は、
   勝つためのリソースにはならない。

   誰も盗むことのできない知識、すなわち「暗黙知」を持つ者が、
   それを自らの資本として戦うことができるのです。


   フロリダとサローの考えを合わせると、
   これからは「専門的な暗黙知を持つクリエイティブ・クラスを目指すべきだ」
   ということになるでしょう。


   ただ、これは若い人たちにとって、イメージするのが難しい。

   なぜなら、クリエイティブ・クラスになるための道筋には
   「ロールモデル(模範となる人物)」が存在しないからです。

   たとえばクリエイターの佐藤可士和さんは、
   間違いなくクリエイティブ・クラスでしょう。

   アップル創業者スティーヴ・ジョブズも当然クリエイティブ・クラスです。

   でも、それをロールモデルにして「佐藤可士和のようになりたい」
   「スティーヴ・ジョブズのようになりたい」といった目標を持っても、
   あまり意味がありません。

   彼らは唯一無二の存在だからクリエイティブ・クラスなのであって、
   それを目指したところで、せいぜい頑張っても
   「もどき」にしかなれないからです。


   「もどき」には、オリジナルな人が持っている暗黙知や、カリスマがありません。

   見ればわかる形式知の部分だけを表面的になぞることはできても、
   そこには独自性がない。

   要するに、「クリエイティブ・クラス」ではないのです。


   ところが多くの大人たちは、しばしば子供たちに成功者の存在を教えて、
   「この人みたいになりなさい」とロールモデルを提示します。

   しかし大事なのは、成功したクリエイティブ・クラスを
   そのまま目標にすることではなく、
   その人が「なぜ、いまの時代に価値を持っているのか」を考えることです。


   それを考えれば、「誰かみたいになる」ことに
   大した価値がないことがわかるはず。

   その「誰か」にだけ価値があるのですから、
   別のオリジナリティを持った「何者か」を目指すしかありません。

   「誰か」を目指すのではなく、自分自身の価値を信じられること。

   自分で自分を肯定して己の価値基準を持つことが大切です。

      <『これからの世界をつくる仲間たちへ』小学館>

            ・・・

「誰も持っていないリソースを独占できる者が勝つ」とは、
ブルーオーシャンで戦え、ということだ。

血で血を洗うような激烈な過当競争が繰り広げられる市場、
レッドオーシャンで戦ってはいけない。


たとえば飲食店で、どこかで店が流行ると、
メニューから店の雰囲気、制服、ひどいのは店名まで似たような
名前を付けたりする人があらわれる。

そういう店は一時は流行っても、すぐに化けの皮がはがされ、
たいがい店じまいへの道をまっしぐらだ。

流行っている店の本質的な成功要素を徹底的に学び、
その「暗黙知」を身につけていないからだ。

これは言ってみれば、自分が目標とする「ロールモデル」と同じ。


本質的で中心となる、ボーリングいう、
先頭のピン「ヘッドピン」を狙(ねら)うこと。

「ヘッドピン」を狙うことができる人は、
たとえば流行っているラーメン屋さんを見に行っても、
八百屋や魚屋の商売に生かせるかもしれない。


「根底にある原理は変わっていない」

己の価値基準を持てる人でありたい。

           <感謝合掌 令和2年8月7日 頓首再拝>

真の自己を知れ - 伝統

2020/08/16 (Sun) 03:50:53


          *『生長する青年』 昭和25年12月号より
           ~ 生長の家青年部長  徳久 克己 医博

『私の哲学は先ず人間そのものの置換えから出発します。 
「物」である人間から霊である人間へと価値が換るのです。 
斯の如き価値の顛倒の後「人間を尊べ、先ず自分自身を尊べ」と申すのであります』  

                    (『生命の實相』 第18巻)


諸君が、一切の過去を清算して新しい人生の出発をするためには、
先ず「自己」の置換えをしなければならない。

人間とは如何なるものか? 
人生の目的は? 
今、自分は何をなすべきか? 

等々の人生観が根本的に転換しない限り、
人間が外面的に如何に変った如く見えても、
それは一時のメッキにすぎないのである。 

生長の家の御教にふれて、多くの人々がまるで別人の如く変化してゆくのは、
その人々の根本的な「人生観」が変るからである。


  『人間は神の子である』

 
この簡単明瞭な真理は、その人間の根本的な「観」の転換をきたし、
「有限弱小の無価値な自己」より「無限強大なる絶対価値の自己」へと
自己自身を置き換えることによって、別人となるのである。 

人間は自己の「観」の如くに行動するものであって、
自己を動物的存在であると観じていれば、
動物的本能である性欲と食欲にのみ動かされ、

自己を 『神の子なり』 と観ずれば、神の本質を実現すべく行動するのである。

 
諸君が、自己自身を如何なる存在であると観じているか、
他の統べてのことを放棄して先ず自己をしっかりと見つめよ。

 諸君は一点の疑いもなく心の底から 
『吾、神の子なり』 と、深く深く自覚を持っているか? 

先ずこの自己内観から、諸君は出発しなければならない。 

他の総てのことを如何にうまく処理する自信があっても、
この 『吾、神の子なり』 の自覚に欠けているならば、
それは砂上の楼閣の如きもので、外見は如何に立派であっても、
何時崩れ去るか分らない実に危険極まりないものである。


諸君が最も危険な時は、真の自己自身を見失った時である。 
即ち、言葉をかえて云うならば、諸君が 『吾、神の子なり』 
と云う自覚を失った時である。

 
諸君は、先ず諸君自身を内観し、諸君の本然の姿をじっと眺めて、 
『吾、神の子なり』 との自覚を、今一度深める神想観をして、
最高至上なる神と一体なる吾を生活に実現しなければならない。

 
諸君の本然の姿は『神』なのであるから、
それ以外のくだらないことにエネルギーを浪費することは、
神を冒涜することであるからである。 

 
諸君! 目をつぶって合掌して坐し 

『吾、神の子なり。 吾、神の子なり』 と繰り返し繰り返し唱え、

諸君の本当の本当の自分を、はっきりと見極めよ! 

それから現象界の総てのことは、自ずから展開してくるのである。
                
http://predictional46.rssing.com/chan-21595050/all_p13.html
November 22, 2013, 2:22 pm

           <感謝合掌 令和2年8月16日 頓首再拝>

【自分イノベーション】 - 伝統

2020/09/01 (Tue) 04:30:27


         *メルマガ「人の心に灯をともす」(2019.10.30)より

   (塚本亮氏の心に響く言葉より…)

   自分をアップデートし続けるための、
   最もシンプルな方法は、付き合う人を変えることです。

   「何をするか」を考えることも大切ですが、
   「誰といるか」にこだわることは、それ以上に重要なことなのです。

   私の会社では、留学のサポートを行っていますが、
   「学校選びは、誰と付き合いたいかですべてが決まる」
   という話をよく生徒にします。

   どこで誰と出会うのかは、自分で決めることなのです。


   そして、誰と出会うかを決めることは、
   自分の力で人生をデザインすることにほかなりません。

   私たちは自分が置かれている環境によって進化もするし、退化もします。

   もしあなたの付き合う友人が何年も変わっていないとしたら、
   それは危険な状態です。

   あなたはもう古くなりかかっています。

   付き合う人が変化しているならば、
   あなた自身がアップデートできている証といえるでしょう。


   最近は、さまざまなテーマでのセミナーや講習会が全国各地で開催されています。

   そこでは出会いがあり、学びがあるでしょう。

   そうした場所に参加するのは有意義なことです。


   人は居心地のいい空間に身を置きたいと考え、
   そこから一歩足を踏み出すだけでストレスを感じる傾向にあります。

   このような居心地のいい空間のことを
   「コンフォートゾーン」と呼びますが、このコンフォートゾーンから
   外へ飛び出す勇気こそ、これから必要とされる力となります。


   私は過去に本を書きたいと思ったとき、
   どうしたら書けるのかとあれこれ考えるようりも、
   まずは勉強会に通うことを選択しました。

   お金はかかりましたが、志の高い仲間たちと出会えたのは
   それなりの対価を払ったからだと、その結果に満足したものです。

   その勉強会は大阪で開催されていましたが、
   遠く東京や名古屋から本気の人たちが集まっていました。

   それぞれに専門を持っていて、
   私にはない強みを持っている人ばかりの環境でした。


   コンフォートゾーンを飛び出したわけですから、
   最初は気持ちも落ち着きませんし、自分よりも
   経験や知識が豊富な人たちが集まる環境にいることで
   自分が小さく感じることもありました。

   しかし、それによって、自分に何が足りなくて、
   これから何を学べばいいのかもわかりましたし、
   自分よりも上のステージにいる人たちがどういうプロセスで
   そこに至っているのかを知ることで、
   今、自分がどうあるべきかが見えてきたのです。

   彼らがどのような話をし、どのように振る舞っているのかを
   徹底的に観察し研究しました。


   「観察学習」とは、他者の行動を見て学習することを指しますが、
   他者の行動やその結果をモデルとすることにより、
   観察している人の行動に変化が生じます。

   最初は慣れない環境に「自分なんて場違いなのではないか」
   とヒリヒリするでしょう。

   しかし、それが成長の余地であり、
   自分に足りないものを教えてくれるいい機会なのです。


   そのヒリヒリした感覚が、自分は「何をすればいいか」
   「誰と付き合えばいいか」を教えてくれます。

   せっかくの素晴らしい縁を途切れさせないために、
   自分を成長させる欲求が刺激されるのでしょう。

   もちろん、どうしてもその水が合わなければ変えればいいのです。

   感覚的に「なんか違うな」と感じたならば、
   無理してそこにとどまる必要はありません。


   SNSを使って面白そうなコミュニティを探すことも容易です。

   一つに固執する必要はありませんから、どんどん試してみればいいのです。

   自分をアップデートするために、少しヒリヒリする、
   でも成長できる期待感を覚えられる人間関係をつくってみましょう。

   コンフォートゾーンで安穏とせず、まずは付き合う人を考えてみるのです。

          <『自分イノベーション』幻冬舎>

             ・・・

コンフォートゾーンを一歩抜け出したところにある領域を
ストレッチ(ラーンニング)ゾーンという。

少し負荷がかかり背伸びしなければならない領域のことだ。

新しい領域にいけば、不安もあるがドキドキしたりワクワクする。

人が成長するために一番必要な領域だ。


さらに、そこから一歩先に進むとそこはパニックゾーンと呼ばれる。

精神的な負荷がかかりすぎ、一部の人は成長するが、
ほとんどの人は混乱しパニックになる領域。


「今までと同じことを繰り返して、違う結果を求めるのは狂気の沙汰」

という言葉がある。

違った結果を求めたければ、いつもと違ったことをするしかない。


居心地のいいコンフォートゾーンにいて、違った結果を求めるのも同じこと。

今までと、同じところ、同じ人、同じ話題でいつも盛り上がっているなら、
同じ毎日が繰り返されるに決まっている。


「自分イノベーション」…

コンフォートゾーンを抜け出し、自分をアップデートし続けたい。

           <感謝合掌 令和2年9月1日 頓首再拝>

【考えすぎないほうが、行動力や幸福感が高まる】 - 伝統

2020/09/14 (Mon) 02:17:03


          *メルマガ「人の心に灯をともす」(2020年09月03日)より

   (明治大学教授、堀田秀吾(しゅうご)氏の心に響く言葉より…)

   私たち人間が他の生物と比べて特に優れている能力といえばなんでしょうか?

   それは、「考える力」です。

   人類は、本能を超えて「考える」という力を手に入れたおかげで、
   言葉や文字、そしてモノや技術を生み出すことができるようになりました。

   高度な文明を築き上げ、
   生物界のピラミッドの頂点に立つようになったわけです。

   「人間は考える葦(あし)である」という言葉のとおり、
   ちゃんと考えるからこそ人間なのです。

   しかし、考えることには弱点もあります。


   それは、考え過ぎてしまうことです。


   考えることはいいことなのですが、
   これがいきすぎると迷って決断ができない、
   一歩を踏み出せない、思い悩んでしまう、
   といった弊害を生み出す原因にもなります。

   考えすぎることで行動がしにくくなり、
   場合によっては心身の病気にもつながってきてしまうのです。

   つまり、考えることは諸刃(もろは)の剣(つるぎ)でもあります。


   合理的な判断をし、選択を間違えないためには、考えないわけにはいかない。

   しかし、考えすぎては行動が遅くなり、思考もネガティブになってしまう…。


   そもそも世の中には、「考えすぎて動けない人」がいる一方、
   「考えすぎずに最適な行動を素早くとれる人」もいます。

   たとえば、

   「いつも行動が早い!」
   「判断が的確!」
   「いいアイデアもすぐに出す!」

   そんな人が身近にいた経験がないでしょうか。

   大きな会社の経営者などをイメージしてもらうとわかりやすいと思いますが、
   日々分単位のスケジュールで時間に追われながら、
   その中でも最適な道を選ぶことができる人たちもいますよね。

   彼らは、いったいどのようにして考えているのでしょうか?


   たとえば、こんな研究結果があります。

   ◆不安やネガティブな感情は、
    考えごとをするほど強くなる(ミシガン州立大学モーザー)

   ◆情報が多いほど、時間をかけるほど、
    人は合理的に判断できなくなる(ラドバウド大学ダイクスターハウス)

   ◆忘れっぽい人、ものごとを
    ざっくり記憶する人のほうが思考力は高い(トロント大学リチャーズ)

   ◆考えないようにしようとするよりも、
    行動で打ち消したほうがいい(カンザス大学クラフト)

   ◆「やる」か「やらないか」の決断は、
    コインで決めても幸福度は変わらない(シカゴ大学レヴィット)

   ◆考えているときよりも
    ぼーっとしているときのほうが脳は効率よく働く(ワシントン大学レイクル)

   ◆過去のことを思い出すほど脳は老化していく(理化学研究所木村)

   ◆優秀な人ほど、優秀な人のマネをして行動や思考を効率化している
                      (南デンマーク大学アナリティス)

   ◆「フェイスブックをやめる」など
    入ってくる情報を減らしたほうが幸福感も増す(コペンハーゲン大学トロムホルト)


   これらに総じて言えるのは、

   「考えすぎないほうが、行動力や幸福感が高まり、仕事や人生にいい影響がある」

   ということです。

   実に多くの研究で、同じような結論が導きだされているのです。

         <『「考えすぎない」人の考え方』サンクチュアリ出版
                     https://amzn.to/2YVH76J  >

                ・・・

本書にある
「忘れっぽい人、ものごとをざっくり記憶する人のほうが思考力は高い」
については、こんな解説があった。


『今、ついとらわれてしまう気持ちや悩みがあったとしても、
 時間の経過でほとんどのことは忘れてしまいます。

 言い換えると、ちょっとした悩みに費やしている時間は、
 将来的にまったくのムダになる可能性が非常に高いのです。

 大事なことは記録をつけるなどわかりやすく残しておく必要がありますが、
 そうでもないものにはあえて目を向けないことも大切なことです。

 忘れるとは、過去のいらない情報をさっさと処理し、
 「現在の新しい情報」に対応していくための能力でもあります。

 そもそも記憶というのはこと細かに覚えておくよりも「ざっくり」と、
 なんとなく覚えておくくらいのほうが
 思考力や判断力が高くなることがわかっています。

 判断が早い、情報処理が早い人ほど忘れっぽいということですね。

 忘れる能力を身につけていくこともまた、考えないためには重要なのです。』


パソコンで、新しい情報を上書き保存すると、前のデータは消える。

つまり人間でいえば、古いデータが消える(忘れる)から、
新しいデータが入るということだ。

記録しておく必要のあるデータは、
現在では、パソコンやスマホに置くのではなく、
クラウド上に保存するのが普通だ。

人も同じで、外部に記憶装置(クラウド)を持つからこそ、
余分な情報を捨てることができる。


日々大量の情報が入り、
それが毎日更新されるような「情報爆発」の時代は、
古い情報を捨てなければ情報過多で容量がいっぱいとなってしまい、
新しい情報が入らなくなる。

これはアウトプットとインプットの関係と同じで、
アウトプットを先にするからこそインプットがスムーズにできる。


ものごとは「ざっくり」と、なんとなく覚えておく。

常に新しい情報をインプットし、行動力を高めるには、「忘れる力」も必要となる。

           <感謝合掌 令和2年9月14日 頓首再拝>

地理思考 - 伝統

2020/09/28 (Mon) 03:28:32

【「地理思考」とは】

      *メルマガ「人の心に灯をともす」(2019.08.10)より

   (角田陽一郎氏の心に響く言葉より…)

   人類の歩みを俯瞰(ふかん)するという試みは、約40年前にも行われていました。

   アルビン・トフラーというアメリカの未来学者が
   『第三の波』という本を出版したのが1980年のことです。

   トフラーは、人類が最初に迎えた革命として「農業革命」を挙げています。

   この農業革命によって、人類は狩猟に頼る生活から、
   自らの手で食料を作り出しコントロールできるようになったからです。


   それ以来、人類は獲物を求めて転々と場所を移動する狩猟生活から、
   一ヵ所に定住する農耕社会を築いたことで、
   トフラーはこれを第一の波と位置づけました。

   農業革命とは、人類が生きていくために、「モノを生み出す進化」でした。

   農業は人類が労働によってモノを作り始めた原点です。


   この農業革命によって、世界に2つの概念が生まれました。

   1つは国(国家)です。

   農業が行われるようになったことで、人類は狩猟のための移動をやめ、
   土地に定住するようになり、土地が価値を持ち始めたのです。

   そしてその土地に人が集まるようになり、国という概念が生まれました。


   もう1つは、民衆を束ねるうえで規範となる「宗教」と「思想」です。

   為政者は政治の基礎に宗教を置き、
   さらに同じ思想によって人々を動かしていったのです。

   そしてこの宗教や思想の違いが原因で大規模な戦争も始まります。

   いわゆる、国盗(くにと)り合戦が世界で繰り広げられていったわけです。


   続く第2の波は18世紀後半かららの「産業革命」です。

   機械の発明によって、人類が機械を使い始めたのです。

   それまで手作業で行われていたものづくりが機械生産に切り替わり、
   短時間で大量にモノを生産できるようになったことで、
   やがて大量生産、大量消費の時代に突入します。

   大量生産、大量消費社会でもっとも重視されたのが「効率」です。

   より短時間でモノを作り、短時間で販売することによって
   利益を最大化する競争が世界に巻き起こりました。

   効率重視の考え方によって、人間が機械の都合に合わせて働くようになり、
   次第に人間性が阻害されていきました。

   それがいまの「働き方改革」論議に見られる社会問題につながるわけです。


   産業革命によって効率化を優先するようになった人類は、
   働き方も効率優先で考えるようになりました。

   そこで生まれたのが会社という組織です。

   つまり、人間を効率的に動かすための器として会社は生まれたわけです。

   この会社の誕生によって、人間の生活は「食べるために働く」から
   「働くために食べる」へと転換してしまいました。

   産業革命は教育という概念も生みました。

   工場で人間に効率よく働いてもらうには、知識と技術と経験が必要だからです。


   そこで産業革命以後、「子ども」が誕生しました。

   実は、産業革命の前まで「子ども」という概念はなかったのです。

   ただ“小さい大人”がいただけでした。

   ところが学校を作ったことによって、
   一定期間社会から切り離された状態で、読み書き、計算などの
   教育を受ける者(=子ども)が誕生したというわけです。

   つまり子どもの教育制度の原点は、労働の効率化にあったのです。

   こうして一定のスキルと知識を身につけた者を、
   会社に集めて効率よく働かせる仕組みができあがっていきました。


   産業革命は「イデオロギー」という概念も生み出しました。

   イデオロギーとは資本主義、社会主義、民主主義といった
   「〇〇主義」といわれるもので、国家はこのイデオロギーをもとに
   体制を築いていきます。


   そしてトフラーは、いま、人類に3つ目の波が押し寄せてきていることを示しました。

   それが「情報革命」です。

   情報化の波によって、人類はもう一度革命を体験すると予言しているのです。

   資本主義に変わる新しいイデオロギーとは何なのかといった議論も
   現在世界中で行われているわけですが、まさにそのタイミングで
   人類は情報革命を迎えたわけです。


   ちなみに1980年といえば、まだインターネットという言葉すらなかった時代です。

   にもかかわらずトフラーはコンピューターの発展が
   社会のあらゆる仕組みを変えるだろうと断言し、
   クラウド上に写真を保存して色々な人とシェアする
   「Instagram」的なものの登場も予言していました。

   重要なことは、トフラーが唱えた「第三の波」は、
   第二の波の産業革命よりも、人類社会に大きなインパクトを与えるということです。

   情報革命の何が産業革命よりすごいのか。


   産業革命とは何だったのかというと、機械の力によって
   「モノを生み出す作業」をより効率的に進めるものでした。

   素晴らしい効率化ですが、モノに価値があるという意味では、
   あくまで農業革命の延長線上でしかなったのです。

   一方、いま起こっている情報革命とは、モノから情報への価値の転換です。

   それは価値の機軸の転換、すなわり「概念革命」です。

   だからこそ、情報革命は
   産業革命よりもはるかに大きなインパクトを世界にもたらすのです。

       <『人生が変わるすごい「地理」』KADOKAWA>

          ・・・

角田氏は「地理思考」についてこう書いている。(本書より)

『人生で起こることのほとんどは、自分の思い通りにはならない。

 若いときは「若い」と言う理由で。
 年をとると、「年をとった」という理由で。
 ペーペーのときは「ペーペー」という理由で。

 偉くなると、「偉いんだから」という理由で。

 お金がなくては思い通りにはできないし、
 お金があっても、お金ではできないこともある。

 ここに、そんな思い通りにならない環境の最たるものがある。

 それは地理。

 人類は、誕生以来、つねに環境との
 因果応報(地理・ちのことわり)を学ぶことで、進化・発展してきた。

 つまり、人類と地理の関係を学べば、
 そしてその地理から授かった環境への知見を人生にフィードバックすれば、
 あなたは、人生の成功の鍵を手に入れることになる。

 つまり、「地理思考」とは、現代の“孫子の兵法”ともいえる、
 最強の「人生の指南本」である。』


「一所懸命(いっしょけんめい)」という言葉がある。

日本の中世(鎌倉時代)において武士が、
先祖代々受け継いできた領地を、命を懸けて守り抜くということ。

それが、命がけでことにあたる、という意味となった。

そして、その「一所懸命」がのちに「一生懸命」になったと言われる。


これから人口が劇的に減っていく日本。

地理的思考から言えば、今までは人口が多かったから
日本の競争力も高かったし、先進国でいられた。

しかし、これからはそうはいかない。

「一所懸命」に、国内市場だけを相手にしているなら、必ずジリ貧となってしまう。


もっと地理的思考で世界に目を向け…

世界を俯瞰する力を身につけたい。

           <感謝合掌 令和2年9月28日 頓首再拝>

【「複合力」を身につける】 - 伝統

2020/10/08 (Thu) 03:58:35


        *メルマガ「人の心に灯をともす」(2020.09.27)より

   (明治大学教授、齋藤孝氏の心に響く言葉より…)

   これからの時代の生き方を考える上で外せないのがAI(人工知能)の進化。

   「私たちはどう生きるか」ということの中に、
   「AIとどう共存(あるいは住み分け)していくか」が入ってくるのです。

   「AIって言ったって、自分が生きている間にはそんなに変わらないよ」
   と思っていた人もいるでしょうけど、迫り来るAIの波を
   無視するわけにはいきません。

   単純作業はもちろんAIの大得意とするところであり、
   クリエイティブな分野でさえ侵食されつつあります。


   以後の世界でまずAIが人間に勝利し、
   将棋でもAIの優位性が証明されつつあります。

   車の自動運転なんて、フィクションの世界のものと思われていたことが
   確実に「現実」になってきています。

   自動運転が本格的に実用化されれば、事故は減少すると言われています。

   人間と違って「不注意」というものがない。

   また、故障でないかぎり、体調や気分に左右されることもない。


   人類は、これまでもさまざまな時代の変化を乗り越えて生きてきました。

   産業革命にしても、決して利便性が高まっただけではなかったはずです。

   革命的な社会構造の変化の中で、自分たちはどう生きていくかを考え、
   新しい生き方に向けて、人々は大きく舵を切ってきたのです。

   天災で何もかも失ったときも、
   そこからどう立ち上がるかを考え、実践してきたはずです。


   時代というのは不可逆的なものです。

   「それがなかった」時代に戻すことはできない。

   スマートフォンにしても、さらに機能が進化することはあれ、
   スマホを使わない時代に戻すことはできないのです。


   時代の進化は止められないとしたら、どうするか。

   例えば、老荘思想にひたり、スマホやパソコンはもとより、
   一切のAIに関連するものには手を触れずに生きるということ。

   「あのようなものと接触をすればするほど、人間性は失われるのだ」と言い、
   禅寺にこもるという方法があります。

   ですが、それは難しい選択肢になるでしょう。

   仕事をしたり、家族と暮らしたり、
   一般社会でも日常生活から遠く離れることはなかなかできません。


   フランスの文化人類学者クロード・レヴィは、
   『野生の思考』(みすず書房)の中で「ブリコラージュ(器用仕事)」
   という概念を提唱しています。

   未開の地の民族が、物がないならないなりに、
   あるものを組み合わせて工夫していくということ。

   ないならないなりに、あるならあるなりにやるという、柔軟さを表す概念です。


   ブリコラージュを成立させるためには、柔軟な状況判断能力が必要です。

   そして、状況を判断する力というのは、
   目の前の現実がどうなっているかを確認・分析しつつ、
   ここからどうするかという「ちょっと先の未来」を考えるという
   2方向の頭の使い方、つまり「複合力」が必要なのです。

        <『大人の知的習慣 「複合力」こそが究極の効率化である』
                KADOKAWAhttps://amzn.to/2HxZaKq >

             ・・・

齋藤孝氏は本書の中で「複合力」についてこう語ります。

「大人の知性」とは、「複数のことに同時に対応できる柔軟な心身を持ち、
その心身を駆使して常に考え続け、オリジナリティ溢れる行動をする」
ことにより発揮されます。

そのための力を私は「複合力」と呼んでいます。

「複合的な行動」を実践することによって派生する大きな効用・効果、
つまりは「複合力」を現代人が駆使するメリットにはどういったものがあるでしょうか?


パソコンが生まれ、インターネットが生まれ、
個人がコンピュータを所有する時代になった今、
ある程度の複雑な仕事は一人でできる時代になっていきます。

ということは、一人あたりの能力の高さを要求される時代になってきたのです。

現代の日本では、さかんに「スピードアップ」「効率化」や
「クリエイティビティ」が叫ばれていますが、これらもその流れから生じたことです。

変化と進化が加速し続ける今、こ
れを人類の幸福ととらえるか不幸ととらえるかは、また別問題です。


ただ、一つ言えることは、この動きを止めることはできないということ。

スマホの機能は、日々進化しています。

少し前までは、携帯電話で写真が撮れるだけでも驚いていたのに、
今ではボタンを押さずに、言葉でスマホに指示するのも当たり前になっています。


今、スマホの機能を10分の1にして、
原初的な機能に戻したものを開発したとして、買う人はいるでしょうか。

おそらくないと思いますし、
そんな機能の商品をメーカーがいまさら作るとも思えません。

私たちは、便利なもの、速いものに慣れてしまったら、後戻りはできないのです。

物事の進化は、一方的でかつ不可逆的なものなのです。


そうすると、私たち自身も進化する方向、
「複合力」をベースにした実験精神、チャレンジ精神をもって、
今より少しでもよくするためにはどうするか、を考え続けることが、
社会や時代の要請であるということになります。

なぜなら、道具が進化を続けている状況でそれを使いこなすためには、
それを使う人自身にも進化が求められるからです。

「人の進化」と言うとずいぶんと大げさに聞こえるかもしれませんが、
AIをはじめとする昨今の科学の進化に追いつく、または対応するために、
そろそろ私たち「ヒト」も大きな前進が必要となっているように感じています。


齋藤孝氏は、これからの時代は「複合行動」に慣れておかなければならないと言う。

それはたとえば(斎藤氏が実際に実践していること)、
「旅する×読む」「泳ぐ×アイデアを出す」「歩く×俳句・短歌を作る」
「本を読む×エアロバイク」「雑談する×パソコンを操作する」
「仕事をする×レジを聞く」「落語を聞く×歩く」「飛行機に乗る×本を読む」
「喫茶的(カフェ)で過ごす×アイデアを出す」「暗唱する×歩く」
「お酒を飲む×交渉する」「ストップウォッチで計る×作業する」等々。

DX(デジタルトランスフォーメーション)の加速により、
これからは10Xを目指せと言われる。

10Xとは10倍という意味だが、
全ての目標値を10倍に置いたら、今までのやり方では達成できない。

今までのやり方を否定し、全く新しい方法を考えないとそれは成就しない。


同時に、我々自身の身体的能力も上げていかなければならない。

それが、「複合力」を身につけること。

かつては、「ながら作業はダメだ、もっと一つのことに集中しなさい」、と言われた。

しかし、これからの時代は、二つや三つのことを同時にこなしながら仕事をする、
というスタイルを身につけなければ生き残れないのかもしれない。


大人に必要な知的習慣として…

「複合力」を身につけたい。

           <感謝合掌 令和2年10月8日 頓首再拝>

【知識の「幅」が最強の武器になる】 - 伝統

2020/10/18 (Sun) 04:46:10


       *メルマガ「人の心に灯をともす」(2020年10月06日)より

   (デイビッド・エプスタイン氏の心に響く言葉より…)

   「2万時間の法則」をテーマとしたベストセラ―『非才!』で、
   イギリス人ジャーナリストのマシュー・サイドは、
   イギリス政府がタイガー・ウッズのような専門化
   (2才の時からゴルフに特化した英才教育をした)を
   徹底できていないと批判する。

   サイドは政府の上層部の役人が、
   ローテーションでさまざまな部署をまわらされていることについて、
   「タイガー・ウッズをゴルフから野球へ、
   そしてサッカーやホッケーへと異動させているようなもので、
   非常にばかげている」と指摘した。

   しかし、イギリスは2012年のロンドン・オリンピックでは大成功した。

   何十年もパッとしない成績が続いたあとの成果だった。


   それを支えたのは、新しいスポーツを試してみるよう
   大人に声をかけ、遅咲きの選手を生み出す
   パイプラインをつくったことだ。

   つまり、スポーツ選手が、フェデラー(テニス選手)のように
   さまざまなスポーツを試してみてから専門分野を求めることは、
   たとえエリート選手を目指していたとしても、
   それほどばかげていないということだ。


   「究極的な専門特化」の必要性が、
   スポーツに限らず他の分野でもよく言われている。

   それは何かを売り込んで儲けようという意図がある場合もあれば、
   善意から言っている場合もある。

   現実には、タイガー・ウッズが歩んだ道のりではなく、
   ロジャー・フェデラーがスターになった道のりのほうが
   一般的なのだが、そのような選手のストーリーは、
   語られることがあったとしてもひそやかに語られる。


   2018年のスーパーボウルに出場していたクォータバックの
   トム・ブラディは、アメリカン・フットボールの選手になる前に、
   プロ野球のドラフトで指名された。

   ブラディと対戦したニック・フォールズは、
   フットボール、バスケットボール、野球、空手を経験し、
   大学生の時にバスケットボールとフットボールの間で選択して、
   フットボールの選手になった。

   同じ月、チェコのエステル・レデツカが冬季オリンピックで、
   二つの異なるスポーツ(スキーとスノーボード)で
   金メダルを獲得した。

   女性としては初めてのことだ。

   レデツカは子どもの頃にいくつものスポーツを経験した
   (今でもビーチバレーとウインドサーフィンをしている)。


   有名なスポーツ科学者のロジャー・タッカーは、シンプルにこう述べる。

   「初期にいろいろ試してみることと、多様性が重要だということは明らかだ」


   また、認知心理学者たちから教えられたが、
   それは、永続的な知識を得るためには、
   ゆっくりと学習するのが最善だということだ。

   たとえ、その時の試験結果や成績が悪くなっても、
   そうするのがよいという。

   逆にいうと、最も効果的な学習は非効率に見え、
   後れを取っているように見えるということだ。


   中年の時に何か新しいことを始めるのも、
   そのように見えるかもしれない。

   テクノロジー企業の創業者では、50歳の人は30歳に比べて、
   企業を立ち上げ大成功する確率が2倍近い。


   2008年の世界金融危機のあとで明らかになったことの一つに、
   大手銀行組織の細分化があった。

   また、ある国際的に有名な科学者によると、
   専門特化の傾向が進むにつれて、
   誰もが自分の溝を深く掘り続けることに専念しており、

   もしかしたら、
   隣の溝に自分が抱えている問題の答えがあるかもしれないのに、
   立ち上がって隣を見ようとはしない、ということだ。

   そこでその科学者は、
   未来の科学者の教育を「非専門化」しようとしている。

   やがては、すべての分野の教育に、それが広まることを願っている。

    <『RANGE レンジ 知識の「幅」が最強の武器になる』日経BP
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              ・・・

デイビッド・エプスタイン氏は、本書の中でこう語る。

『タイガー・ウッズ型の道筋には、
 寄り道や、幅や、実験はほとんど存在しない。

 タイガーの育て方が人気なのは、そのやり方がシンプルで、
 不確実性が低く、効率が良いからだ。

 それに、誰もがタイガーのように他人に先んじたい。

 これに対して、実験を続ける道筋はシンプルなものではない。

 しかし、それは多くの人が歩む道で、得るものも多い。

 ディーン・キース・サイモントンのクリエイティビティーの研究によると、
 優れたクリエーターは、生み出す作品が多いほど失敗作が増えていき、
 同時に画期的な作品を生み出す可能性も高まる。

 トーマスエジソンは1000件以上の特許を持っているが、
 大半は取るに足らないもので、却下されたアイデアはもっとあった。

 シェイクスピアには、『リア王』や『マクベス』などの作品もある、
 あまり評価されていない作品もある。

 独創的なクリエーターは何度も三振するが、大きな満塁ホームランも打つ。

 私が探究しようと決めた問いは、
 「超専門特化がますます求められ、また自分が本当にやりたいことが
  わからないうちに何になるかを決めなければいけない中で、
  幅(レンジ)や多様な経験や領域横断的な探究を、
  どうやって実現するのか」ということだ。

 成長のスピードは人それぞれであり、
 他の人を見て後れを取ったと思わないことだ。

 その代わり、実験を計画しよう。

 多様な経験を持つ個人は専門家のグループよりも創造に貢献するという。

 もし、ある分野から全く別の分野に移っても、
 その経験がムダになることはない。

 最後にもう一つ、専門特化は、少しも悪いことではない。

 程度の差はあっても、みんなどこかの時点で専門を決める。

 ただ、あちこちに寄り道しながら考え、実験するほうが、
 特に不確実性の高い現代では力の源になる。

 ヘッドスタート(未就学児童のための教育)は過剰評価されている。

 高裁判事のオリバー・ウェンデル・ホルムズは、
 アイデアを自由に交し合うことについて、こう書いている。

 「それは実験である。人生すべてが実験であるように」』


プロになるために必要なのが、「1万時間の法則」だと言われる。

それに加えて、野球のイチローのように、3歳から練習を始め、
小学校3年からは365日の中で360日激しい練習をしていたという
タイプでなければプロにはなれない、と思われてきた。

子どもの頃から専門特化だ。


しかしながら、スポーツの世界でも、ビジネスの世界でも、
若い頃は色々なスポーツや仕事を経験をして、
失敗もしたり、挫折したりした人の方が、
実際、成功した人は多い。

なぜなら、そこには「偶然」とか「予期せぬ出会い」という
自分の努力では引き寄せられない「運」のような要素が絡むからだ。


こんな言葉がある。(成功は“ランダム”にやってくる!)より

『成功者は、偶然の出会い、突然のひらめき、
 予期せぬ結果などを経験している。
 彼らは運命を変えた瞬間のことを振り返り、
 「あの瞬間がすべての始まりだった」と言う』


知識の幅を広げ、自分の人生を切り開きたい。

           <感謝合掌 令和2年10月18日 頓首再拝>

【「やり抜く力」を身につける】 - 伝統

2020/11/02 (Mon) 04:31:18


         *メルマガ「人の心に灯をともす」(2020.10.25)より

   (アンジェラ・ダックワース氏の心に響く言葉より…)

   多作な作家であり映画監督でもあるウディ・アレンは、
   若いアーティストたちへのアドバイスを求められて こう言っている。

   「私が見たところ、脚本や小説をひとつきっちり
    書き上げた人は、着実に興行や出版にこぎつけるが、
    ほとんどの人は『書きたいんです!』なんて
    言ってくるわりには、すぐに挫折してしまって、
    結局、ひとつもまともに書き上げない」

   さらに、アレンには痛快な名言もある。


   「人生で成功する秘訣の80%は、めげずに顔を出すこと」

   1980年代、ジョージ・H・W・ブッシュと
   当時のニューヨーク州知事マリオ・クオモがスピーチで
   たびたび引用したことから、すっかり有名になった言葉だ。

   このふたりは共和党と民主党のリーダーとして、
   無数の点で反目しあっていたが、いったん始めたことは
   最後までやり遂げることの大切さについては、
   意見が完全に一致していたようだ。


   私の計算がほぼ正しければ、才能が人の2倍あっても
   人の半分しか努力しない人は、たとえスキルの面では
   互角であろうと、長期間の成果を比較した場合には、
   努力家タイプの人に圧倒的な差をつけられてしまうだろう。

   なぜなら努力家は、スキルをどんどん磨くだけでなく、
   そのスキルを生かして精力的に壺をつくったり、本を書いたり、
   映画を監督したり、コンサートを開いたりするからだ。

   重要なのはスキルそのものではなく、
   壺や本や映画やコンサートの「質」や「量」だとすれば、
   努力家のほうが、努力しない天才よりも大きな成果を上げることになる。

   「才能とスキルは別物だとはっきり認識する必要がある」と、
   俳優のウィル・スミスは言っている。


   「だけど、一流になりたい、自分には夢がある、
    成し遂げたいことがあるんだ、なんて言っている人たちに
    限って、そのことをちゃんと理解していない。

    たしかに、才能は生まれつきのものだ。だがスキルは、
    ひたすら何百時間も何千時間もかけて身につけるしかない」

   さらに、私は「スキル」と「成果」のちがいも付け加えたい。

   努力をしなければ、たとえ才能があっても宝の持ち腐れ。

   努力をしなければ、もっと上達するはずのスキルもそこで頭打ち。

   努力によって初めて才能はスキルになり、
   努力によってスキルが生かされ、さまざまなものを生み出すことができる。

   <『やり抜く力』ダイヤモンド社
          https://amzn.to/31DGUGE >

          ・・・

アンジェラ・ダックワース氏は
「GRIT(やりぬく力)」についてこう述べている。


『人は誰でも限界に直面する…才能だけでなく、機会の面でもだ。
 しかし実際には、私たちが思っている以上に、
 自分で勝手に無理だと思い込んでいる場合が多い。

 なにかをやって失敗すると、
 これが自分の能力の限界なのだと思ってしまう。

 あるいは、ほんの少しやっただけでやめてしまい、
 ほかのことに手を出す。

 どちらのケースも、
 もう少し粘り強くがんばればできたかもしれないのだ。

 「やり抜く力」が強いということは、一歩ずつでも前に進むこと。

 「やり抜く力」が強いということは、
  興味のある重要な目標に、粘り強く取り組むこと。

 「やり抜く力」が強いということは、
 厳しい練習を毎日、何年間も続けること。

 「やり抜く力」が強いということは、
 七回転んだら八回起き上がること。』


アンジェラ・ダックワース氏 は、
「成功する者と失敗する者を分けるのはなにか」について
述べている。


それは、才能ではなく、並外れた「熱意」と、
「努力を継続する力」だという。

つまり、どれだけ「やり抜く力」があるか、ということ。


最後までギブアップせず、粘り強く何年も続けること…

「やり抜く力」を身につけたい。

           <感謝合掌 令和2年11月2日 頓首再拝>

【自らをアップデートし続ける】 - 伝統

2020/11/16 (Mon) 03:05:28


       *メルマガ「人の心に灯をともす」(2019年06月01日)より

   (長倉顕太氏の心に響く言葉より…)

   少し想像してみてほしい。
   あなたの知り合いでこういう人はいないだろうか。

   ●同窓会が好き

   ●地元の友達とだけつるんでいる


   こういう人は間違いなくパッとしない人生を送っている。

   結局、過去に生きてしまっているからだ。

   なにもすべての人間関係を切れと言っているわけではないが、
   多くの人が「今より良い人生を」と言いながら
   過去ベースで生きてしまうのがおかしい。

   時間はどんどん過ぎていく中で、歳もとるし、時代も変化していく。

   その中で過去ベースで生きることは、あらゆる点で不幸を生む。


   当然、思考も時代に取り残されていくわけで経済的にも恵まれない。

   過去のあなたを期待する人ばかりの人間関係の中で、
   周りの目を気にしながらの我慢の人生になる。

   変化を受け入れない環境の中で
   「今より良い人生」に変わることは許されるはずがない。

   結局、我々は環境の生き物だ。

   環境によってすべてが決まる。


   人生を変えるというのは環境を変えると同じ。

   楽しい人生に変えるというのも、楽しい環境に変えるのと同じ。

   定住するということは、環境が定まるということであり、
   人生が定まるということ。

   定住とは人生を固定することにほかならない。

   過去に縛り付けることにほかならない。


   私たちは、環境 → 感情 → 行動によって人生が決まっていく。

   だからこそ、感情ではなく、環境を選ぶことで
   自動的に行動を選ぶことにつながり人生が自由自在になっていく。

   では、環境を選ぶということはどういうことなのか。

   それは、いろんな環境を選べる自分におくことでしかない。

   だから、私はしつこく、

   「人生の基準は選択肢を増やすこと」

   と繰り返し言う。


   だから、今、どんなに良い環境にいても、
   いつでも移動できる選択肢を持っておくことが重要だ。

   では、選択肢を増やすためにやるべきことは何かというと、

   「知識と経験をアップデートし続ける」

   しかない。


   そのためにやるべきことは「初体験」をし続けることしかない。

   人というのは環境にどんどん慣れていく生き物で、
   慣れていくと何も考えなくなる。

   だから、「移動しろ」というのが本書のテーマであるわけだ。

        <『移動力』すばる舎>





長倉顕太氏は「初体験」という、
新しいことに出会うために必要なことが「読書」だという。

それは自分の教養や知識のレベルを上げること。


『良い出会いが欲しいなら、自分の教養レベルを上げないことには無理だ。
 自分のレベルと同等レベルの人としか出会えないのが
 私たちの生きている世界だからだ。

 出会いは自分のレベルによって決まる。

 そのためにも読書は必須だし、1日1冊読めるくらいになるべきだ。』


日々の生活に埋没すると、我々はどうしても安定を求めてしまう。

しかし、本当は安定した生活などは幻想でしかない。

この一瞬先は、どうなるのか本当は誰もわからないからだ。


だからこそ、自分を安定した状態に置かないこと。

それは、移動だったり、転居だったり、転職だったり、起業だったり、
という「新しい」にチャレンジすること。


「流れない水は腐る」

自らをアップデートし続けたい。

         <感謝合掌 令和2年11月16日 頓首再拝>

「人生に誓うものを持つ」 - 伝統

2020/12/06 (Sun) 02:06:56


     *致知BOOKメルマガ (2020年12月04日 )より
       『心に響く小さな5つの物語』第3集
       【渡部昇一氏の「心の中の英雄」】。

………………………………
人生に誓うものを持つ
………………………………

昭和の初め、岩波英和辞典を編纂、
英語学者として名をなした田中菊雄という人がいた。

学歴は高等小学校中退。
国鉄の客車給仕係をしながら刻苦勉励、
十八歳で小学校の代用教員になる。

さらに旧制の中学、高校の教員資格を取り、後年は山形大学の教授を務めた。

明治二十六年に生まれ、昭和五十年、八十一歳で生涯を閉じている。


渡部昇一氏は同郷の立志伝中のこの人を深く尊敬し、

「少年時代、田中菊雄先生は、 私の心の中の英雄であった」

と語られている。


その田中菊雄氏がその著書『知的人生に贈る』に
こんなことを書いている。

私は小学校を出ると(いやまだ出ないうちに)すぐ鉄道の列車給仕になった。

辞令を受けて帰って、
神棚に捧げた時の気持ちは、いまでも忘れられない。
そしてその辞令をいまでも大切に保存している。

「ほかの少年は親から、充分費用を出してもらって学校へ通える。

 しかし、私はあすから働いて、
 父母の生活の重荷の一端をになわしてもらえるのだ。

 私の働いて得たお金で父母を助け、また私の修養のための本も買えるのだ。

 私は本当の学校、社会という大学校へ、こんなに幼くて入学を許されたのだ。

 ありがたい。
 本当によい給仕として働こう」。


こう思うと熱い涙が、ほおを伝わって流れたのである。

十三、四歳の少年が初めて仕事に就いた時、心に誓った決意である。

なんと立派な決意だろうか。

少年期より人生に誓うものを持つことによって、
氏は自らを修養し、人生を構築していくのである。


「人間は、必ず一人には一人の光がある」

とある先達は言った。

しかし、一人の光が真に光を放つには、それなりの条件が要る。

そしてその根本になるのが、

人生に誓うものを持つということではないか、

と思うのである。


山本有三作『路傍の石』の中で
次野先生が少年吾一に語る言葉が思い出される。

 たったひとりしかない自分を
 たった一度しかない一生を
 ほんとうに生かさなかったら
 人間、生まれてきたかいがないじゃないか

この言葉に感応し、
誓いを持って人生を歩み出す若い魂の
一人でも多からんことを願わずにはいられない。

         <感謝合掌 令和2年12月6日 頓首再拝>

《天才とは精神集中者である》 - 伝統

2020/12/21 (Mon) 07:05:18


       *『 生長の家 』(昭和24年7月23日の法語)より

   まず一人一目的に精神力及び肉体力を集中すべきである。

   あれをやり、これをやり、精力と能力とを分散せしめるならば
   余程の天才でもすばらしい大業を成し遂げることは出来ないのである。

   一人一目的に集中する時 余程の凡庸なるものも
   必ずその目的を貫徹することができるのである。

   寧(むし)ろ天才とは巧みに事物に興味をもって
   精神力を集中し得た凡庸人とも云(い)えるのである。


   http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/ec3b774567c5bc697f856d6c4867f7cf

         <感謝合掌 令和2年12月21日 頓首再拝>

【小さな努力の積み重ね】 - 伝統

2020/12/31 (Thu) 04:47:23


      *メルマガ「人の心に灯をともす」(2020.12.19)より

   (渡辺和子氏の心に響く言葉より…)

   一人の学生がこんな手紙を書いてくれた。

   「小さな闘い…幼い頃よく聞かされた努力とか忍耐ということを、
    知識が多く入って来るにつれて、私はないがしろにしてしまった
    ようです。

    理想や、大きな結果ばかり追っていました。

    …たいせつなのは、
    これら小さな努力の積み重ねではないでしょうか。

    小さな苦労をいとい、自分自身の生活をコントロールできなくて、
    どうして『神だ』『愛だ』と言えるのでしょうか」


   大学3年生のこの学生は、
   だから「小学生の道徳のようですが」と前置きして、

   「これからは早起きすること、一つひとつの授業に打ち込むこと、
    何ごとも後にまわさないこと、気分に左右されず、
    一定の時間勉強し、定刻に寝ることなどを自分に課していく」

   というのである。

   これは、この学生にとって、実行するという決心であると同時に、
   いやそれ以上に、自己変革への決意と言ってよいだろう。

   私はこの手紙を読んで、はからずも数週間前に手にした
   草野天平詩集に書かれていた言葉を思い出していた。


   「いくら立派な詩を書こうとしても、
    詩的生活が安易で一般と大差なければ、形も精神も人も打たず、
    特別な響きなど到底生まれてくるものではない。

    詩の本質は憧れに向かって実際歩くことで、難しいのはこの身である。

    向こうの世界と歩き方の純粋さにある」


   先述の学生の言葉ではないけれども、
   「神だ」「愛だ」といくら立派に説こうとしても、
   説く人の日常生活が安易に流れていて、

   そこに厳しさがないとすれば、その言葉も精神も人を打たず、
   人の心を動かすことなど到底望めたことではない。

   難しいのは、いかに説くか以前の「この身」であって、
   いかに毎日を生きるかにある。


   「小学生の道徳」のようなことでいい、というか、
   むしろ、それさえできていない自分が恥ずかしい。

   新しい年には、小さなことでいいから、
   一つずつ自分に課してゆくものをつくり、守ってゆこう。

   それは「自分らしさ」というものをつくってゆく近道ではないだろうか。


   わずらわしい人間関係の渦の中で自分らしく生きてゆくには勇気がいる。

   自分はこうありたいという理想への現実的な忠実さが求められる。

   それは、悪意を持っているとしか考えられない相手に対して、
   なおかつ善意を失わないことかも知れないし、

   無礼な態度をとる人に礼儀正しさを崩さない
   毅然とした人格の在り方をいうのかも知れない。

   「心におさめる」ことを知っていたマリアのように、
   神との対話を優先する生き方であり、

   神のまなざしに映る自分の姿を絶えず正すことによって、
   他人からの評価にそれほど一喜一憂しない自分を
   創り上げてゆくことでもある。


   それは決して、ひとりよがりの生活をすることではなく、
   一つひとつの思い、言葉、行動に自分なりの意味を与えることによって、
   自分のものとしてゆく責任ある生き方への努力である。

   淋しさを味わわねばならない時が必ずあるだろう。

   しかし淋しさなしに個の確立はあり得ず、
   孤独をかみしめたことのない者に、
   他人への真のいたわりとやさしさは生まれない。


   来年はいつにも増して機械化、自動化が
   押し進められる時代となるだろう。

   文明の進歩を手放しでよろこぶ前に、
   そのために人間が失いつつあるものにじっと目を注がなければならない。

   繰り返すことしかできない機械に対して、
   二度と同じ時間を過ごすことのできない人間が、
   そのかけがいない一生を充実したものとして過ごす一つの方法は
   「自分らしく生きる」ことではあるまいか。


   一つひとつの物事に、一人ひとりに心をこめて接してゆこう。

   一日一日に自分の人格をきざみつけてゆこう。

   そこに自分にしかつけられない「生の軌跡」がつけられてゆく。

   自分らしく生きる強さは、
   他人にも「その人らしく生きる」ことを許す寛容を生み、
   相手をやさしく包んでゆく。


   やさしくね、やさしくね

   やさしいことは強いこと


   宮城まり子さんの言葉が、
   そんな生き方を裏づけ、励ましてくれるようである。


   <『あなただけの人生をどう生きるか 若い人たちに遺した言葉』
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              ・・・

哲学者の森信三先生は、躾(しつけ)の三原則を提唱している。

【しつけの三原則】

(1) 朝のあいさつをする子に。
   それには先ず親の方からさそい水を出す。

(2)「ハイ」とはっきり返事のできる子に。
   それには母親が、主人に呼ばれたら必ず「ハイ」と返事をすること。

(3)席を立ったら必ずイスを入れ、
   ハキモノを脱いだら必ずそろえる子に。


挨拶の基本は、人より先に挨拶をすることを心がけること。

そして、
呼ばれたら必ず「はい」と返事をし、
席を立ったら椅子を入れ、
脱いだ靴は揃えること。

「はい」という返事は自分の「我(が)」を捨てる一番よい方法だ。

我ままになったり、偉そうになる気持ちをおさえるからだ。

躾(しつけ)とは習慣化のことだ。



人前で、どんなに偉そうなことを言ったとしても、
「あいさつ」「返事」「後始末きちんと」という基本動作が
習慣化できていない人には信用がない。

小学生で教えるような「躾」ができていない大人は多い。


長く続く良き習慣は、
その人にとっての「信用」であり、目には見えない財産だ。

小さな努力の積み重ねこそが、習慣化の第一歩。


それこそが、「凡を極めて非凡に至る」ということ。

誰にでもできる平凡なことを、
誰にもできないくらい徹底して続けてゆくと、
「非凡」という人より一頭地抜きんでた人となることができる。

「凡事徹底」の人でありたい。

         <感謝合掌 令和2年12月31日 頓首再拝>

【何をもって人に憶えられたいのか】 - 伝統

2021/01/06 (Wed) 06:10:24


      *メルマガ「人の心に灯をともす」(2021.01.04)より

   (ものつくり大学教授、上田惇生(あつお)氏の心に響く言葉より…)

   世界のビジネス界に大きな影響を与えているドラッカーですが、
   その思想形成にあたっては人生の中で7回の精神的な節目が訪れたことを
   著書の中で述べています。

   その七つの経験から得た教訓を列記すると、以下のようになります。


   一.目標とビジョンをもって行動する

   二.常にベストを尽くす。「神々が見ている」と考える。

   三.一時に一つのことに集中する。

   四.定期的に検証と反省を行い、計画を立てる。

   五.新しい仕事が要求するものを考える。

   六.仕事で挙げるべき成果を書き留めておき、
     実際の結果をフィードバックする。

   七.「何をもって憶(おぼ)えられたいか」を考える。


   最初の教訓「目標とビジョンをもって行動する」を得たのは、
   ドラッカーが商社の見習いをしていた頃でした。

   当時、彼は週一回オペラを聞きに行くのを楽しみにしていました。

   ある夜、信じられない力強さで人生の喜びを歌い上げるオペラを耳にし、
   その作者が八十歳を超えた後のヴェルディによるものであることを知ります。

   なぜ八十歳にして並はずれた難しいオペラを書く仕事に
   取り組んだのか、との質問にヴェルディは

   「いつも満足できないできた。
    だから、もう一度挑戦する必要があった」

   と答えたのです。


   十八歳ですでに音楽家として名を馳(は)せていたヴェルディが、
   八十歳にして発したこの言葉は、
   一商社の見習いだったドラッカーの心に火をつけます。

   何歳になっても、いつまでも諦めずに挑戦し続ける
   この言葉から、「目標とビジョンをもって行動する」ということを学び、
   習慣化したのが、ドラッカーの最初の体験でした。


   その頃彼は、ギリシャの彫刻家・フェイディアスに
   関する一冊の本を読みます。

   これが二つ目の経験です。

   フェイディアスはアテネのパンティオンの屋根に立つ
   彫刻群を完成させたことで知られています。

   彫刻の完成後、フェイディアスの請求書を見た会計官が
   「彫刻の背中は見えない。その分まで請求するとは何事か」
   と言ったところ、彼の答えはこうでした。

   「そんなことはない。神々は見ている」と。

   この話を読んだドラッカーは、

   「神々しか見ていなくても、
    完全を求めていかなくてはならない」と肝に銘じます。

    <『一日一話、読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書』
          致知出版社  https://amzn.to/2JEjnzv >

           ・・・

ドラッカーはこう語っている。

『私が13歳のとき、宗教の先生が生徒一人ひとりに
「何によって人に憶えられたいかね」と聞いた。

誰も答えられなかった。

先生は笑いながらこう言った。

「いま答えられるとは思わない。
 でも、50歳になって答えられないと問題だよ。

 人生を無駄に過ごしたことになるからね。」

今日でも、私は「何によって人に憶えられたいか」を
自らに問い続ける。

これは自らの成長を促す問いである。

なぜならば、
自らを異なる人物、そうなりうる人物として
見るよう仕向けてくれるからである。』《非営利組織の経営》



著名人が亡くなったとき、死亡記事が新聞に出る。

その際、こんなエピソードがあったという。

『アルフレッド・ノーベルはノーベル賞を創設した人
 として有名だが、実はダイナマイトを発明した
 科学者であり発明家だ。

 1888年に兄が亡くなったとき、弟のノーベルと
 間違えて書かれた死亡記事が出た。

 そこには、
 「一瞬にして多くの人を殺害する方法を発明し、
  それによって富を築いた死の商人死す」とあった。

 それを見て、ノーベルはその後の自分の生き方を改め、
 ノーベル賞をつくったという。



「何によって人に憶えられたいか」は、
人の一生において、重要なテーマだ。

死の商人と言われるのか、ノーベル賞の創設者と言われるか。


人は、亡くなった後、この世に残していけるのは、
「人に与えた思い出」だけしかない。

人が憶えていてくれた「思い出」だけが、残るのだ。


人に与えたものが、「不平不満」「愚痴」「泣き言」や、
「悲しみ」「怒り」「憎しみ」だけだったとしたら、
こんな寂しい人生はない。

何も大きいことをする必要はない。

人の心に、「温かで優しい気持ち」「しあわせ」
「楽しい」「笑い」や、「感謝」の気持ちを少しでも
残すことができたら、こんな嬉しい人生はない。


「何をもって人に憶えられたいのか」を

今一度、深く考えてみたい。

         <感謝合掌 令和3年1月6日 頓首再拝>

「生長の家青年会の歌」 - 伝統

2021/01/07 (Thu) 02:25:59


      *Web:「則天去私」(2021年01月01日)より抜粋

昭和22年11月に発表された
「靑年會の歌」~谷口雅春作詩 昭和22年9月26日夜

   → http://tecnopla1011.blog.jp/archives/83746765.html

(一)

ひのもとの 若きいのちは

かみの子の 幸きはへ受けて

かみくにを 天津かなたの

はるかなる 夢の國より

このよなる 現しの國に

うつくしき 神の構圖(かうず)を

もちきたす 使命うけきて

ををしくも 今たちあがりぬ



(二)

おほいなる み手にいだかれ

よろこびに 胸うちふるへ

若う人は いや進み行く

ゆくさきは たゞ光のみ

若う人の いや進みゆく

ゆくさきに 闇はきえつゝ

ひのもとは たゞひかりのみ



(三)

燃えあがる 光のごとく

萌えさかる 若葉のごとく

ひたぶるに わかきいのちは

神の子の み智慧いま受け

神の子の 力いま受け

風はらむ 帆舟(ほぶね)の如く

國おこす 礎として

今たちぬ 生長の家靑年會  

         <感謝合掌 令和3年1月7日 頓首再拝>

【社員の幸福感が高い会社は生産性も高い】 - 伝統

2021/01/24 (Sun) 02:47:00


       *メルマガ「人の心に灯をともす」(2020.10.27)より

   (慶応義塾大学教授、前野隆司氏の心に響く言葉より…)

   AI化が加速度的に進む社会においては、
   近い将来、短い動画の情報だけで、
   そこに映る人物の人柄が良いか悪いかまで判断できるようになるでしょう。

   実際、AIの最先端技術であるディープラーニングによる
   画像認識技術を使えば、
   原理的には今すぐにでも人柄分析を行うことが可能です。

   容易ではないのは、AIに「この人は人柄が良い人、悪い人」
   といった判断結果を1万も10万も機械学習させることです。

   逆に言えば、事例による機械学習さえできれば、
   AIによって人柄を瞬時に見分けることが可能になる。

   人が認識できることは、原理的にはすべてAIで認識できます。

   しかも機械学習を重ねれば、AIの出す答えは人間以上の精度になります。

   従って、将来的には個々人の幸福度も簡単に計測できるようになるでしょう。


   また、今後、幸福度や健康度の認識能力においても
   AIは軽く人間を超えるでしょうから、
   ディープラーニングを続けていけば、

   「今日のあなたは顔色が優れないので、定時に帰った方がいいでしょう」とか
   「いつもに比べて笑顔と会話が少ないようです。
    明日はしっかり休んでください」などと、
   AIから指示を受けるような時代がやってくるでしょう。

   個人データの管理については、健康診断結果と同じように
   秘密情報にするなどの法整備の必要はあるでしょうが、
   技術的には、実現はもはや時間の問題です。

   これに対応して、「いかに人間らしく生きるか」ということが、
   これからの人間の側の課題となっていくでしょう。

   何をするか(doing)ではなく、
   どう生きるか(being)が問われる時代になるということです。


   現代の20代の学生や若者を見ていると、
   すでに意識は変化してきているように感じます。

   いえ、変化しているというよりも、
   多様化しているという方が適切かもしれません。

   AIに負けないくらい創造的で感情豊か、
   かつ利他的な人が増えている半面、主体性を発揮できず、
   AIやロボットに惨敗しそうな人も少なくありません。

   つまり、「幸せ格差」が拡大していると言うべきでしょう。

   昔は単一尺度による格差だったのが、
   これからはますます多様な格差へと拡大していくでしょう。


   最近は、かつて一流企業と称されていた大企業に
   良い学生がなかなか就職しなくなったと言われます。

   理由は単純です。

   面白いことを思いつく人は、
   より自由で、ワクワクするような道を選ぶからです。


   創造的な人は幸せな人であるばかりか、
   試行錯誤を恐れずに新たなビジネスにトライして活躍できる人です。

   それは、
   「やってみよう!」「ありがとう!」
   「なんとかなる!」「ありのままに!」
   という幸せの4因子を満たす人でもあるからです。


   また、我々のチームが以前行った幸福度の調査によれば、
   多様な人と接する頻度が高い人は幸福度が高くなる傾向があります。

   そして、幸せな働き方自体が時代の流れと同じ方向を向いているため、
   これからは必然的に、ウェルビーイング第一主義経営が
   進展していくはずです。

   それに気づいた人にとっては大きな可能性に溢れた時代ですが、
   気づいていない人にとっては、依然として閉塞感に溢れた時代です。

   残念ながら、放っておくと、
   この格差は今後も加速度的に拡大していくでしょう。


   また、長寿社会の大きな課題である健康不安や孤独への不安に関しても、
   前向きさや幸せが大きな鍵を握っています。

   多くの研究者が幸福と健康の関係について科学的に検証しています。

   それによると、一般には健康な人が幸せだと思われますが、
   実は幸せな人が健康であるとも言えるのです。

   たとえば、米チャップマン大学のジュリア・ベームらの調査によると、
   幸福度の高い人はそうでない人よりも心血管疾患リスクが低く、
   長生きすることがわかりました。

   慶応義塾大学医学部教授の坪田一男さんの研究でも、
   より前向きになると寿命が延びるという結論が出されています。


   また、孤独と幸福度には負の相関関係があることも、
   数々の研究から明らかです。

   今、リタイア後の高齢者たちの孤独が社会問題になりつつありますが、
   現役時代から会社だけの人間関係ではなく、
   PTAや地域のボランティア、趣味のサークルなどのつながりを
   あらかじめ作っておけば、孤独は回避できたかもしれません。

   こうしたつながりは、
   いわば「弱いつながり」(心理学では「弱い紐帯(ちゅうたい)」
   と言えます。

   20世紀は個人の独立と自由に基づいて自分の幸せを重視する
   個人主義的社会でしたが、今後は「弱いつながり」を大切にして
   皆の幸せを重視する社会へシフトしていくでしょう。

   ぜひ、今から、少しずつでも弱いつながりを構築しておくことをお勧めします。

   人とのつながりは、リタイア後の人生はもちろん、
   今、この瞬間の人生をも彩り豊かなものにしてくれるでしょう。

           <『幸せな職場の経営学』小学館
                   https://amzn.to/2IWJsJl

              ・・・

前野氏は「幸福度と生産性の関係」についてこう述べる。

『エド・ディーナーらの論文によると、
 主観的幸福度の高い人はそうでない人に比べて
 創造性は3倍、生産性は31%、売り上げは37%も高い傾向にあります。

 また幸福度の高い人は職場において良好な人間関係を構築しており、
 転職率・離職率・欠勤率はいずれも低いという研究データもあります。

 さらに、米カリフォルニア大学のソニア・リュボミアスキー教授も、
 「幸せな社員は、不幸せな社員より生産性が1.3倍高い」という
 調査結果を出しています。

 だからこそ、これからの企業や組織は、
 「働き方改革」で時短を徹底して無駄を減らすことを考えるのではなく、
 まず「社員やチームメンバーを幸せにすること」を目指すべきでしょう。

 創造性が3倍、生産性が1.3倍になれば、
 結果的に時短にもつながるはずです。

 ところが、トップダウンによる働き方改革で
 現場の当事者たちが「やらされ感」を感じれば、
 幸せの第一因子「やってみよう!」因子が低くなります。

 幸福度が低くなれば、
 結果的に生産性や創造性が下がる可能性も高くなるため、
 結局、「働き方改革」の成果が出ないという悪循環に陥ります。

 この点が今の大きな課題の一つではないでしょうか。』


日本の生産性について厳しい意見の小西美術工藝社社長、
デービッド・アトキンソン氏はこう語る。

『生産性を見てみると、1990年は世界9位でしたが、いまは28位まで下がって、
 先進国として最低水準となっています。

 この20年間、先進国の給料は約1.8倍となっているのに対して、
 日本は9%の減少です。』

 (国運の分岐点 中小企業改革で再び輝くか、中国の属国になるか /講談社+α新書)より

そして、その元凶は中小企業の生産性の低さにあるとアトキンソン氏はいう。


だが、本書によれば、幸福度が高くなれば、生産性は1.3倍に増えるという。

日本は自己肯定感の低い国だ。

それは、日本、アメリカ、中国、韓国の4ヵ国の高校生を対象とした比較調査で、
「私は価値のある人間だと思う」と答えた割合は、
アメリカが約84%、中国が約80%、韓国が84%なのに対して、
日本はなんと45%だったということでもわかる。

自己肯定感は幸福感と比例する。

自己肯定感が高ければ、幸福感もあがるからだ。


社員の幸福感を上げる経営を目指したい。

         <感謝合掌 令和3年1月24日 頓首再拝>

【失敗にガタガタしない人間に】 - 伝統

2021/02/09 (Tue) 02:28:45


      *メルマガ「人の心に灯をともす」(2021年02月02日)より

   (青山俊董氏の心に響く言葉より…)

   《過(あやま)ちて改めざる、是(これ)を過ちと謂(い)う》(孔子)

   入試を目前にした若者が座禅に来た。
   帰るとき「先生、合格するように拝んで下さい」という。

   私は言った。

   「二、三回落ちたほうがいいよ。心身が柔軟なうちに
    上手に落ちる稽古(けいこ)をするんだね」と。


   昔から

   「失敗が人間を駄目にするのではなく、
   失敗にこだわる心が人間を駄目にする」

   と言われてきた。

   ストレートにエリートコースを走るばかりが能ではない。

   そんな人生では、一つ間違ったら高慢な人間になりかねない。


   また、失敗に弱い人間になる。

   むしろ失敗したことを跳躍台として、ストレートにゆくよりも
   より高く、より強く立ち上がることができたら素晴らしい。

   失敗したことを通して、失敗した人の悲しみのわかる人間になれたら、
   もっと素晴らしい。


   成功しても驕(おご)らず、失敗しても落ち込まず、
   成功、失敗にガタガタしない人間になれれば更に素晴らしい。

   入試という人生の一つの関門を、
   全人教育の場に生かさなくてはもったいない。

     <『あなたに贈る人生の道しるべ 続・ことばの花束』春秋社
                  https://amzn.to/2YAzp18

           ・・・

《 過(あやま)ちて改めざる、是(これ)を過ちと謂(い)う》(論語)


過ちを犯しておきながら、
それを改めずにそのままにしておくのが本当の過ちだ。

人は誰しも過ちを犯す。

しかし、その過ちを認めず、言い訳をしたり、
逆に居直ってしまったりするような人もいる。

それこそが、本当の過ちだと孔子はいう。


「失敗にガタガタしない人間」を失敗耐性の強い人という。

いわゆる「レジリエンス」が高い人だ。

レジリエンスとは、
「逆境や困難、強いストレスに直面したときに、
 適応する精神力と心理的プロセス」(全米心理学学)と
定義づけられている。

簡単にいうと「折れない心」を持っているということ。


起業家にとって、
もっとも大事な要素の一つがこの「レジリエンス」。

どんな事態が起きてもあわてない。

どっしりと構えていて、肚が据わっている。

しかも、どんなに追い込まれた状況でも、ユーモアや余裕がある。

そして、いざというときは覚悟を決めることができる。


働き方が劇的に変わっていく現代。

時代の変化により、どんな大会社でも盤石ということはない。

そんなとき、必要とされるのが失敗耐性。


レジリエンスの力を身につけたい。

         <感謝合掌 令和3年2月9日 頓首再拝>

【自分の頭で考える】 - 伝統

2021/02/26 (Fri) 02:59:18


      *メルマガ「人の心に灯をともす」(2021年02月14日)より

   (西沢泰生(やすお)氏の心に響く言葉より…)


   《自分の頭で考えるのは勇気のいること》(ココ・シャネル)


   映画「いまを生きる」のなかに、
   ロビン・ウィリアムズが演じる全寮制学院の新任英語教師キーティングが、
   教科書のページを破り捨てるように学生たちに言い放つシーンがあります。

   (映画「いまを生きる」https://cinemore.jp/jp/erudition/545/article_546_p1.html

   それは、ある詩について、有名な博士が評論をしているページ。

   キーティングはそのページを破り捨てるように生徒たちに指示しながら
   こう言うのです。


   「こんなものクソくらえだ。みんな、自分の力で考えるんだ。自分で詩を味わうんだ!」


   キーティング先生は、他のシーンではこんなことも言っています。

   「本を読むときは、作者の意図よりも、自分の考えを大切にするんだ」

   彼は、学生たちに、生きていく上で、
   「自分で考えること」の大切さを訴え続けるのですね。



   話はガラリと変わって、吉田茂首相の懐刀として日本の戦後処理にあたり、
   GHQから「従順ならざる唯一の日本人」と呼ばれた白洲次郎のエピソードです。

   そんな白洲次郎がケンブリッジ大学で学んでいた頃の話。

   あるときのこと。

   次郎は物理学のテストで非常に低い点を取りました。

   回答内容は悪くないはずなのに、なぜか低い点。

   首をひねりながら答案用紙をよく見ると、
   そこにはテストの採点をした教授からの
   次のようなメッセージが書かれていたのです。


   「君の答案には、君自身の考えが1つも書かれていない」


   さすがケンブリッジ大学。

   教科書を丸暗記すれば書けるような解答は評価されなかったのです。

   これを読んで「なるほど」と納得した次郎。

   次のテストでは、自分の意見を書いて、高い点をもらったといいます。



   さて、ココ・シャネルの名言です。

   彼女の言うとおり、「自分で考えること」には勇気が要ります。

   そして、その意見を堂々と主張することには、さらに勇気が必要。

   「検索」という行為によって、どんな疑問に対しても、
   すぐに「答えのようなもん(決して「答え」ではありません」
   を見つけられてしまう現代だからこそ、余計に、

   「自分で考えること」「自分で答えを見つけること」の価値は高まっています。

   答えのない問題だらけの現実世界では、自分で考えなければ前に進めません。

          <『名言サプリ』祥伝社黄金文庫
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                   ・・・

現代ほど、先の見えない変化の激しい時代はない。

しかしかつての日本では、
前例踏襲という、過去にあった類似の事例を探し、
それと同じようにやることが当たり前だった。

学校教育でもそういう社会情勢に合わせ、
記憶したことを正確に再生するという記憶力に重きをおくような授業だった。

しかし、今や記憶再生能力はスマホの方が数百倍優れている。


まさに、創造するという芸術家の専売特許だった能力が、
誰にも必要となってきたのだ。

例えば、作家や画家は、過去の誰かの作品をマネしたら、
即座に「盗作だ」と騒がれる。

だから、他に誰もやっていない
オリジナルな創造性ある作品を作り出すことに全力を尽くす。


これからは学校の授業も、社会においても、
「自分の頭で考える」ことが最重要となってくる。

なぜなら、そうでなければ、AIやロボットに負けてしまうからだ。

未来を生きていけない人間になってしまうということ。


「自分の頭で考える」ことができる人でありたい。

         <感謝合掌 令和3年2月26日 頓首再拝>

天職を発見する方法 - 伝統

2021/03/10 (Wed) 04:41:19

天職を発見する方法|自分の才能と〇〇の合わさるところに天職はあります

       *Web:「宇宙の兄弟たちへ」(2021年3月7日)より

世間には、いろんなお仕事をされて頑張っておられる方がいます。

サラリーマンのような仕事もありますが、
専業主婦の方でも、家事をしたり子育てをするのも
立派な仕事に入ります。

このように様々な仕事をしていく中で、
人間にとってそれを天職だと感じ、やりがいや使命感を感じるかで、
その人の幸福感は大きく変わってきます。

同じ仕事をするにしても、
「人々のためになる役立つ仕事をしている」と思っている人と
「やりたくはないけど、お金のためにしょうがなくしている」
と思っている人では、作業は一緒でも幸福感には大きな開きがあります。

しょうがなく今の仕事をしている人は、
愚痴や不満が募ったり、幸福感は得難いでしょう。

自分の仕事が世の中のお役に立っていると思い、
やりがいを感じて仕事をしている人は、
それだけ人生の幸福感が高いです。

できたら幸福感の高い人生を過ごせたらいいですね。


そのためにも天職に就くという事が大切になっていきます。

一つの方法としては、
いま与えられた仕事を自分の天職だと思って、
一生懸命に働くという方法があります。

今の仕事を天職としてしまう方法です。

違法まがいの商売ではなく、まっとうな仕事であれば、
それを必要とする人がいてこそ商売は成り立ちます。

どこかに必要としている人がいるからこそ仕事は発生します。

そのため、自分の今与えられた仕事にも感謝して、
人のお役に立つものだと思って感がる事も大切でしょう。

何でもすぐに自分の求める仕事が見つかるわけではありませんので、
今置かれた環境で最善を尽くすという事が大切だと思います。

今与えられている状況で最善を尽くし、
仕事を努力で天職に変えていく事も可能だと思います。


そしてもうひとつには、
自分に合った天職を見つける方法もあります。

学生であれば、将来どのような仕事に就くべきか考えているでしょう。

就く仕事が天職でなかった場合には、
離職を繰り返すような事になる場合があります。

さて、ではどうすれば天職を見つけられるでしょうか?

まずは自分をしっかりと自己分析していって、
どんな才能があるかを把握しましょう。

どんな才能を持っているかは、
人から何をした時に褒められ、
それがうれしいと感じたかを思い出してみるといいでしょう。

たとえば学生の頃、クラスの学級委員として、
教室のみんなをまとめて、何かの行事を立派に成功させたとします。

その時に自分でも喜びを感じたのなら、
その人には周りの人を率いて何かプロジェクトを成功に導く仕事が
天職である場合があります。

そうした方面にフォーカスして向かわれるといいでしょう。

あるいは絵をかいたり、
創作活動をして褒められたなどの経験があったりします。

そういう人は創造性が高くて、
何らかの創作活動に関わる仕事が天職である場合があります。

何も芸術のお仕事とは決まりませんが、
商品を企画したり、アイディアで勝負するような仕事が
得意だったりします。


このように自分の得意とする分野、
才能を自己分析して理解することが大切です。

もちろん逆に、自分の不得意とする部分についても
把握しておくといいでしょう。

不得意な部分に関わる仕事をすると、
やはり不適応を起こして離職する原因ともなります。

たとえば内向的で人とお話しするのが苦手な人が、
飛び込み営業をするような仕事をしたら、
胃に穴が開いてすぐに辞めてしまうかも知れません。

こうした弱点についても把握しておいた方がいいです。

自分の持っている才能を理解し、
さらにその才能を発揮したら嬉しい事は何かを考えて見ましょう。

そこに喜びを感じる事は、天職に繋がるものだと思います。


ただ、自分の持っている才能がありますが、
これだけでは天職にはなりません。

自分の才能と、世間が必要とし求められているものとが
合わさる所、交わるところに天職は見出されます。

いくら本人が嬉しいと言っても、
誰も喜ばないようなものであれば、
それは仕事にはならないでしょう。

才能がある方向であり、
なおかつ人からも求められるような所にこそ
天職は見つかります。

いくら才能があったとしても、
たとえばドラえもんののび太君のように、
あやとりの才能があっても、世間にあまり求められていなければ、
これを仕事にするのは難しいかと思います。

ひょっとしたらあやとり教室を開いたり、
YouTubeで公開したらバズる可能性も無いではないですが、
相当可能性は低いでしょう。

才能があったとしても、
その方向には他人に求められていなかったり、
必要とされないものであれば天職にはならないのです。

ただ、最近では遊びのようなものでも
天職として成功するものも出てきています。

YouTubeで動画配信するのも、以前であれば
天職にはならなず趣味で終わっていたでしょうが、
いまは立派に仕事になっているものがあります。

ゲームであっても、昔は勉強の邪魔にしかならない
と思われていましたが、最近ではEスポーツとして
賞金を獲得して大金を手に入れるものも出てきています。

あるいはゲームで遊ぶ趣味が高じて、
自分でゲームを開発し、成功する人もいるでしょう。

このように思わぬところで天職に繋がる事もありますが、

他人に求められるものであるか?

という視点は必要でしょう

このように今の仕事を天職に変えていく方法と、
新たに天職を発見する方法について述べました。

このどちらかを選ぶかは、
ご本人の地上での年齢である程度、
見極めなければならないかと思います。

まだ20代などの若い方であれば、
自分の天職を発見する道を行かれるのもいいでしょう。

ですが30歳を過ぎても定職につかず、
「自分に相応しい仕事が見つからない」と嘆いている人は、
まずは何でも雇っていただける所に就いて、
そこを天職にするように努力した方がいいでしょう。

そうした見極めも大切なものかと思います。

以上、参考にしていただければ幸いです。

https://www.spacebrothers.jp/2021/03/blog-post_7.html

         <感謝合掌 令和3年3月10日 頓首再拝>

太陽の如くあれ - 伝統

2021/03/30 (Tue) 02:05:40


        *『人生の主人公となるために』谷口清超先生・著より

青年よ、太陽の如く輝くのだ。

台風の如く強烈に吹け。

波濤の如く勇敢であれ。

青年よ、鳥の如く自由自在に大空を駆け巡れ。

花の如く美しく咲くがよい。
甘く香わしい蜜をタップリ生産して、蜂や蟻を雲集せしめよ。

限りなく魅力ある人間であるのだ。

「いと小さきもの」を粗末にするな。
それらを暖かくやさしく呼び寄せ、神の聖なる甘き蜜を思い切り吸わせるのだ。


青年よ、巨木の如くたくましく立て。

烈風に吹きすさばれても、決してへこたれるでない。
ますます味よく、柔軟な姿勢で生長せよ。

そして又大洋の如く宏大無辺であれ。

深淵の如き叡智をもち、大地の如く広きアイディアをもち
一切の汚わいを包容せよ。

しかもこれらを浄化し、吸収して肥料と為すのだ。


若人よ、あなたは「大自然」そのままだ。

あなたの中に「大自然」という神がある。

神はあなたという大自然を作りたもうて、
創造の最後の仕上げを成し遂げられたのだ。

若人よ、勇気をもって、美しく、たくましく、
まっしぐらに前進し、『理想世界』を拡大せよ。

http://michie-h.jugem.jp/?cid=80
2012.05.31

         <感謝合掌 令和3年3月30日 頓首再拝>

【肯定とは面白がること】 - 伝統

2021/04/14 (Wed) 03:37:44

       *メルマガ「人の心に灯をともす」(2021.02.26)より

   (中谷彰宏(あきひろ)氏の心に響く言葉より…)

   《肯定すると、リセットする。肯定とは、面白がることだ。》


   否定すると、リセットができなくて、凝(こ)り固まっていきます。

   よくわからないものに対しては、とりあえず肯定しておきます。


   「ダメだ」は否定ですが、
   「よくわからない」は否定ではありません。

   ある意味、肯定です。


   「肯定」とは「面白がる」ということです。

   「なんかわかんないけど、マニアはこういうのがいいんだろうね」

   「こういう発想はどこから出るんだろうね」

   「これでよく食べていけるな」

   と、そういうことを面白がれるかどうかです。


   面白がることで、その状況をリセットできます。

   イヤがったり、抵抗したり、避けたりしていると、
   今置かれている状況がより凝り固まった状態に持っていかれるのです。

       <『メンタルと体調のリセット術』リベラル社
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        ・・・

「肯定」について、行徳哲男師のこんな言葉がある。

『ティヤール・ド・シャルダンは、

 「もう否定の哲学は終わった。
  これからは肯定の哲学をどう構築するかだ。

  ところが、肯定の哲学には条件がある。
  その一つに“V”がある。
  そしてもう一つは“C”がある」

 といっているわけです。

 Vとはバイタリティ、ビジョン、ベンチャーであり、
 Cはチャンス、チェンジ、チャレンジということです。

 バイタリティがあると人間はビジョナブルに
 なることができ、希望があればくたばらないという。

 バイタリティがあってビジョナブルになると、
 人間は必ず冒険的(ベンチャー)になりますね。

 そして、こういうのです。

 「冒険的になったときには、
  人間が大変肯定的になっている証拠だ。

  コンサバティブ(保守的)になっているときは、
  人間は否定的だ」と。』
 (随処に主となる―自分の人生を
   自分が主人公として生きる /活学叢書)


肯定的になったときだけ、人は冒険的になれる。

夢や希望を持つ事ができ、元気が出てくる。


反対に、否定的になったとき、
人は失敗を恐れ、チャレンジをしなくなる。

できない理由を探し、夢や希望を打ち砕く。


そもそも人は、「できる方法を探す」より、
「できない理由を探す」ほうが簡単だ。

否定だけしていればいいからだ。


肯定的な人は「笑い」が多い。
そして、いつも機嫌がいい。

否定的な人は笑わない。
そして、いつも不機嫌だ。

誰かが突拍子もない意見を言ったとき、
それを「面白がったり」「大笑いする」人は
それを肯定している。

「笑う」ことは、
それを「受け入れている」ことだからだ。


また「笑い」は、許しでもある。

「まあ、仕方ないな」と笑って許す。

ご破算(はさん)にすること、
リセットするということだ。


人は、肯定的になったときだけ、冒険的になれる。

肯定的な人でありたい。

         <感謝合掌 令和3年4月14日 頓首再拝>

【相手の土俵にのらない】 - 伝統

2021/04/30 (Fri) 02:49:34


      *メルマガ「人の心に灯をともす」(2021.03.02)より

   (元結(もっとい)不動 密蔵院住職、
     名取芳彦(ほうげん)氏の心に響く言葉より…)

   マウンティングする人は、自分が優位に立ちたいために、
   誰彼かまわず自分の土俵にあげようとします。

   恋人がいるという土俵、若さという土俵、
   仕事ができるという土俵など、自分が勝てる土俵に
   相手を引っぱりあげるのです。

   それに気づかずノコノコと相手の土俵にあがれば、負けるに決まっています。

   ですから、相手の土俵にのってはいけないのです。


   恋人がいるという土俵にあがらず
   “一人で気楽”という土俵にいればいいのです。

   若さなんていう土俵ではなく、

   “三歳の翁、百歳の童子
   (幼い子でも知恵や分別を備えている者もいれば、
    年を取った老人で分別のない者もいる。人の思慮分別は年齢に関係ない)”

   を旗印にした土俵にいればいいのです。

   仕事ができるという土俵から離れて
   “仕事よりお人柄”という土俵で、堂々と自分磨きに精を出せばいいのです。


   負けが決まっている試合の土俵にはのらないほうがいいですよ。

      <『他人のことが気にならなくなる「いい人」のやめ方』リベラル文庫
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         ・・・

孫子の兵法という、
およそ2500年前に書かれた世界最古の兵法書がある。

戦いの勝ち方を説いた書だが、
究極の勝ち方は、情報を駆使して、「戦わずして勝つ」方法が最上だという。

「勝算なきは戦わず」という、勝ち目がないとわかったら、
戦わずにさっさと逃げてくる、ということでもある。


それを、商売に置き換えて考えると、
戦わずして勝つ最大の方法が、競争がない市場(分野)で戦うこと。

それが、「ブルーオーシャン戦略」。


スポーツにしても、日本の中では、ほとんど知られていない競技で戦えば、
日本の第一人者になれる可能性はある。

しかしテレビで放映するようなメジャーな競技、サッカーや、野球、ゴルフなどで、
プロとして活躍しようとしたら、そこには大変な才能と努力が必要となる。

つまり、「レッドオーシャン」で戦わなければならない。


新しい市場(分野)は、既存の業界の延長線上や、
業界と業界の隙間(すきま)にあることが多い。

敵がいない「ブルーオーシャン」という新たな市場の開拓を常に考えることは大切だ。


それが、「相手の土俵にのらない」ということ。

これは、会社の戦略だけでなく、個人の生き方としても同じだ。


「相手の土俵にはのらない」ことは最上の方法。

         <感謝合掌 令和3年4月30日 頓首再拝>

【出会う人で人生は変わる】 - 伝統

2021/05/13 (Thu) 04:35:06


      *メルマガ「人の心に灯をともす」(2021.01.19)より

   (山崎拓巳氏の心に響く言葉より…)

   大きな魚を水槽に入れると、急にそのほかの魚が大きくなる。

   大きな魚の餌となってしまわないように、
   心を突き動かされ、大きくなる。

   魚にとって大きくなることは努力なのか?


   それは努力というより、自己防衛本能だ。

   本能は努力を瞬時に凌駕(りょうが)する。

   それは人間も同じ。

   自分をどんな環境に置くか?

   それを意図的にやることで、人生は大きく変化する。


   「自分は〇〇さんより下で、〇〇さんより上
   …この辺が私の立ち位置だ」と無意識が勝手に働く。

   この住み慣れた、居心地がいい環境を抜け出して、
   新しい環境に自分の身を置いてみよう。

   これは面白い実験だ。

   ドキドキする環境に飛び込む。

   素晴らしい人たちに囲まれ、緊張し、
   居心地の悪い環境に飛び込むと、顕著(けんちょ)に結果が出はじめる。


   「私なんかがお邪魔していいのでしょうか?」と
   謙虚に生きることも大切。

   しかし、謙虚さだけでは人生の展開は生まれてこない。

   「エイッ!」と勇気を振りしぼり、素晴らしい環境に自分を置いてみる。

   3メートル圏内に入るとオーラをもらい受けられるという。


   いまノッてる人、ついてる人、人が集まる場所、
   人気のお店、ヒット商品、うまくいっている会社…。

   それらに行ってみる、会ってみる、買ってみることで
   運気をもらい受けよう。


   「行くと長くなるよね?」「疲れるんだよね〜」と、
   心が素敵な環境に慣れてしまうと、怠惰な自分が出てくる。

   それでは新しい成長は生まれない。

   心の設定が「大体わかった!」となっている。

   それは「わかった」のではなく、「新たな魅力」を、
   あなたが発見できなくなっているのだ。


   感性にとって鮮度は生命線だ。

   自分の鮮度を保ったり、アップさせるためにはメンテナスが重要になる。


   あなたがいま、数多く会っている人は誰か?

   よく会ってる人トップ10のリストをつくってみよう。

   あなたの人生は、その10名の平均的なものとなる。

   では、あなたが理想とする人生を、
   平均値として感じさせる10名は誰なのか?

   会う回数が多い人が、あなたの人生を握っている。


    《「環境の壁」を解除するアクセスコードは、
      いまの環境に縛られず、新たな環境に自分自身を置くことなんだ。》

       <『成功へのアクセスコード』きずな出版
                 https://amzn.to/2XOvE8b >

       ・・・

人は、普通、居心地のいい場所を好む。

変化のない安定し、安心できる場所だ。

それは、VUCA(ブーカ)とは対極にある場所。



VUCA(ブーカ)とは、

Volatility(変動性)、
Uncertainty(不確実性)、
Complexity(複雑性)、
Ambiguity(曖昧性)

の4つことをいう。


突如としてコロナが発生したり、
ITやAIの急速な進化など、
「変動性」の高い予測不可能な時代。

気候変動や、終身雇用が崩壊し副業解禁など
「不確実性」の高い時代。

さまざまな要素やインターネットなどの情報などが
絡み合った「複雑性」の高い時代。

前例のない絶対的な問題解決のできない
「曖昧性」の高い時代。


自分が、いくら安定を求めようとしても、
時代の変化は、否応なしに押し寄せてくる。

そうであるならば、
自ら進んで「新たな」環境に身を置くしかない。

それは…

新たな人と会う。

新たなアプリやガジェットを使ってみる。

新たなzoom勉強会や、サークルに参加してみる。

新たな場所、話題の場所に行ってみる。


居心地のいい場所を捨て…

新しい人やモノに、出あうことを恐れない人でありたい。

         <感謝合掌 令和3年5月13日 頓首再拝>

「生きる力」 - 伝統

2021/05/28 (Fri) 04:54:25


        *「二度とない人生をどう生きるか」藤尾秀昭・著(第一話)
         〜学校では教わらなかった人生で大切なこと〜
         致知BOOKメルマガ(2021.05.14)

青年は臨済宗妙心寺派の寺に妹三人の一人息子として生まれた。

小学校で教師に僧職を否定されたこともあったのだろう、
青年は寺を継ぐのを嫌い、大学を出るとサラリーマンになった。

その日の気分だけで過ごす若者にとって、
サラリーマンは気楽な稼業だった。

ある日、会社の行事で講演会が開かれた。
講師は鎌倉円覚寺管長の朝比奈宗源老師。

青年は寺の出ということで課を代表して講演会に出席する羽目になった。

寺を嫌った自分がなんで坊主の話を聞かにゃならんのか。
気分は乗らない。

青年は会場の片隅に座ると、早速睡魔に襲われた。
と、朦朧とした頭に老師の声が響いてきた。

「人間は仏心の中に生まれ、仏心の中にいて、仏心の中に息を閉じよ」。

青年はムカッとなり、途中で会場を出た。

サラリーマンに話すのに仏教用語なんか使うな、
現代語で勝負しろ。

しばらくして、人事担当から電話が入った。
朝比奈老師が貴賓室に戻られたから、
寺出身のよしみで老師にインタビューせよ、という。

面白い、天下の名僧とやらを、からかってやろうじゃないか。

老師と対座した青年は、
「私には仏心とやらが全く理解できません」
と切り出した。

「お前さんは幾つじゃ」と老師。

「25歳です」

「25歳か。それじゃ仏心は分からん」

「どうしてですか」

「お前さん、わしの話をどこを向いて聞いておった?」

「先生のお顔を見つめて聞いておりました」

「そうか。わしの面の皮一枚しか見ておらなかったのか。
 それじゃ仏心は分からん」

「どこを見たら仏心が分かるというのですか」

「そうじゃな。
 人間の目に見えぬものを見るんじゃ」

「そんなもの、
 見えるわけがないじゃないですか」。

そう吐き捨てる青年に、老師は
「わしはお前さんと話をしているのが退屈じゃ。わしはもう帰るぞ」
と立ち上がった。

「なぜ私と話をするのが退屈なんですか。理由を言ってください」
と青年はなおも迫った。

老師は真顔で言った。

「わしにはお前さんが、
 一生は一回しかないことを意識して生きているとは思えん。
 そんな若造としゃべる気がせんのじゃ」

「一生は一回しかないなんてことは、小学生だって知ってますよ」。

老師は青年を見据えて言った。

「ほう、そうか。それならわしが質問しよう。

 一生は一回しかないな。
 もう二度と人間に生まれることはないな」

「はい」

「じゃ、聞くぞ。
 その二度とない人生をお前さんは
 どういう命題を持って生きていくのか。
 お前さんの人生のテーマを言ってみい」。

青年は息が詰まった。
そんなことは考えてもみなかった。

「黙っていては分からん。
 お前さんの人生のテーマは何だ。
 さあ、言え。さあ」。

うろたえる青年に老師は続ける。

「一生は一回しかないというのに、
 25歳にもなって人生のテーマがないとはなあ。

 人生には分かっているものが二つある。
 生と死だ。

 その生と死を結ぶ一回をどう生きるか。

 こんな大切なことを分からんままに生きていていいと思うか」

「思いません」

「だろう。だから古人は、
 一生一道、使命に燃えて生きろと言った。
 使命とは、お前さんは一体何に命を使っておるかということじゃ。
 さあ、言え。言ってみよ」。

老師の気迫に青年はうつむくばかりだった。

数日後、青年は

「そうだ、自分は朝比奈老師のような人間になりたい」

と決意、禅の一道に自分を投げ出し、以後の人生を禅僧として生き切った。

いまは亡き松原哲明氏の若き日の話である。

生きる力の根源をこの逸話に見る。

二度とない人生をどう生きるか。

そのテーマを定めた時、そこに生きる力は湧いてくるのである。

         <感謝合掌 令和3年5月28日 頓首再拝>

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