伝統板・第二 2535643

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伝統様、ありがとうございます。29

1:道産子 :

2019/12/08 (Sun) 08:51:21




< 一月一日(いちげついちじつ)

  千家尊福(せんげ たかとみ)作歌
  上 眞行(うへ さねみち)作曲

 第一章

年のはじめの 例(ためし)とて。

終りなき世の めでたさを。

松竹たてゝ 門(かど)ごとに。

いはふ今日こそ たのしけれ。


第二章

初日のひかり あきらけく。

治まる御代の 今朝のそら。

君がみかげに 比(たぐ)へつつ。

仰ぎ見るこそ たふとけれ。>。


<大正二年に、改元に伴ひ現在の形となりました。


 初日のひかり さしいでて
 
 四方(よも)に輝く 今朝のそら>。


 立葵様に教えて頂きました<m(__)m>。


 源流様のアップ?にも感謝いたします<m(__)m>。






 さて、今朝よりは、新しく、

雅春先生の翻訳による御話です。

 精神科学誌 1967 4より。この頃はもう、西暦表記なのですね、

昭和四十二年です(^_-)。



  神を見出す四つの道(第二回) 汝の心を尽して  

  ダマスコへの道程―心智による道(承前)

 
 報酬なき刑務所のミシンの運転の作業、その中に、無限の光の世界を見出した

      スターデーリー 谷口雅春・伊藤正 共訳


     【著者・スター・デーリーとは?】

 彼はギャングであった。刑務所に入ってからは再度脱獄を試みた。失敗して、地下牢に入れられた。

両手を縛られ、吊り下げて、足を爪先立ちにされた。

これを一日十二時間やられた。その間糞尿はたれ流し、十五日たつと、大抵、体が紫色に腫れ上がって来る。

心臓も弱って来る。

だが、スター・デーリーは許しを獄吏に乞わなかった。そ

れさえすればこの牢から出されるのだが・・・・・。そし

て人事不省になった・・・・・ふと、気が付くと傍にキリストが立っていた。

その唇は動いていた。が言葉は聞こえない。じっとスタ

ー・デーリーの眼に見入った。それは魂深く貫くような慈眼であった。

デーリーは人間の眼にそのような愛の輝きを見たことがなかった。

彼は知らぬ中に、そこにひざまずいていた・・・・・やが

て、キリストの姿は次第に愛という字に変って行っ

た・・・・・こうしてデーリーの回心はなされた・・・・・

                    (つづく)



2:道産子 :

2019/12/09 (Mon) 08:26:33

https://bbs7.fc2.com//bbs/img/_837600/837516/full/837516_1575847593.jpg


<【1月 干支「子」と赤富士】

開運を招く赤富士と、築財豊穣の象徴とされる干支のねずみが描かれ、

2020金運元年の幕開けです。・・・>。



 私どもの玄関にも、赤富士が飾られています(^^♪。

築財豊穣となりますか(^^♪。



 渋野選手のスマイルも秀逸ですが、この写真の笑顔も

われわれを癒してくれます(^^♪。








 雅春先生の翻訳物語り続き、です。





 あなたは想像してみてくれないだろうか。

若き青年時代、更に成人後の若き日々の殆んど全てを、心

は憎しみに汚染し、身は完全に自由を失った衆人として下界に過ごしてきた男の事を。

この男の若き日の十一年間は殆んどいずれか何処かの監獄で浪費されて来たのであった。

彼を矯正しようとする努力は全て徒労に終わった。

遂に彼は独房で死に行く人となって、苛辣で陰惨な囚人生

活に、終止符を打つ羽目に追い込まれたのだった。が、

事、此処に到って、彼は自分の命に侵入する神の御愛を体験したのであった。

この体験があってから、彼の憎しみは癒され、犯罪に耽溺せんとする性癖からも解放されたのであった。

この体験によって彼は内面心が救われたことは勿論、それが外面の行動にも現われるのだった。

 彼は神の愛を夢という形で体験したのであった。

私が心に愛として理解するに到った事がどのようなものか

明らかにしておくために、私は次に拙書『解放』

(Release:ハーバー・アンド・ブラザーズ会社出版、ニ

ューヨーク一九四二年)から引用しておくことにする。

                    (つづく)
3:道産子 :

2019/12/10 (Tue) 08:29:09



 皇后陛下の御誕生日は、天長節に対して地久節というのですね!(^^)!。

雅子皇后の御健勝を祈り申上げます。


スバル様のご反論、うれしいです!(^^)!。








 雅春先生の御話です。



 「キリストは私に近寄って来た。その唇は動いているの

であるが、明らかな声を出されて話されるのではなかったのである。

キリストは私の傍近くに佇まれた。(その時私は石畳の上に横たわってゐた)

そして見下ろすようにされて、私の両眼(それは痩せて落

ち窪んでいたが)をじっと喰い入る様に深く見つめられるのであった。

それはまるで私の両眼を通して魂に貫き入ろうとされているかの様であった。

その時のキリストの御眼の中に輝き射照らしているような

深き御愛を、私は全生涯を通じて人間の眼の中に嘗て見たことも、感じたこともなかったのであった。

又私はこれほど大きな御愛に包まれて、全く身動きも出来

なくなって仕舞った自分を経験したことがなかったのであった。

夢の最中に働いたところの、何らかの不可思議な知覚力に

よって、私は明確に知ったようだった。即ち自分は実相の

中に没入し、永遠の未来にわたって自分の生命に影響力を

もつところの何かを感じ、これを心で観ていたのであった。


 この夢の体験は永いものではなかったが、それが愛の良

薬となり、それまで私の半生を支配していたところの、憎

しみという病癖並びに心に潜む犯罪への強制力を完全に癒やして仕舞ったのであった。

このような体験をしたことと密接に関連して、名状しがた

い非物質的な光が、私が刑罰を受けていた土牢の監房に充満する様になった。

                    (つづく)
4:道産子 :

2019/12/11 (Wed) 07:36:52





<「家庭の幸福を内に持たない子供はかわいそうだ。危険と堕落とが外から呑もうとして待っている。」

「子供をあまり束縛するな、神に委ねよ。家庭よりも外の方が楽しいようになったとき、子供は危険の淵に立つ。」

《 現今の入学試験は親子とも悲壮な感じがするほど深刻

化している。大学だけではなく、中学浪人までが生じてし

まったところもある。子を持つ親は誰だって多少の差はあ

るにしても、みな入学試験のことで心配しているわけであ

る。子の頭脳程度も考えず、親の名誉心のために、有名校

を希望させる馬鹿者もある。しかして、果してこんな状態でよいのだろうか。

 この問題については、神に全托して、自然に思い浮かん

でくる学校へ入学せしむればよいというものである。つまり、次の如く思念するのである。

 「神よ、み心を示したまえ。自分の子供がどの学校へ入

学するのが神のみ心でありますかお示し下さい」》>。



 hayashi様のご投稿より、”抜粋”とありますから、

雅春先生の御言葉なのでしょう(^^♪。


 本音の時代様、北海道とは、びっくりです(^^♪。










 雅春先生の御話(御翻訳)続き、です。




 この体験によって私は精神的な愛こそ真の愛であると知

った――即ちこの愛は知識の光を示すもの尾であり、生命の

超物質的な種々の面を洞察せしめ、更に心智の内部に横た

わる信仰を目醒めしめて深化せしむるものであることを知ったのであった。

 この範疇の愛こそは「なんじ心を尽し――主なる汝の神を

愛すべし」(マタイ伝第二十二章――三十七)という偉大な

る誡めを全うする様に思われるのである。少なくとも私が

キリストの幻を見た見神の体験の最中にはおおよそそのように感じられたのである。

 私の感じるところでは、この段階の優れたる愛に神から

の光が伴なう時には、必ず、それは神癒の媒体としての働

きを持つか、或いはその場にふさわしい良薬となるのであ

って、われわれが常識的に用いている通常の治療法など

は、これに比べれば、極めて原始的なものに思われるのである。

この点についてもっと詳しく述べるならば、一九二七年二

月十七日、自分の三十四回目の誕生日の夕刻に記した私の刑務所日誌を引用してみよう。

                    (つづく)
5:道産子 :

2019/12/12 (Thu) 08:16:16




 伝統様のクリスマスご投稿に、道産子の活躍が出てました(^^♪。

https://digital.hakoshin.jp/news/national/56678


いい話題ですね(^^♪。








 雅春先生の御話です。


「今朝私は、気乗りせぬまま、衣服裁縫工場へ出向いた

が、自分のミシンに取り着く前に身体は疲れて仕舞って、

心は賃金の支給されぬ労働の日々に抵抗を感じていた。

この様な心身の状態では仕事は無意義であり、非創造的で

あり、救いのない苦役でしかなかった。かように私は思ったのであった。

「この倦怠感は働くほどに募っていった。そこで私はうっ

憤と自己憐憫の情を払いのけるために自分の能力のギリギリところまで働くのであった。

私は自己憐憫などは子供じみた性癖的欠陥であると考えるに至っていた。

そして又、そのような悪感情は、私が独房にて経験したところの、愛と自由の自覚を脅かすものであったのだ。


「お前の心が霊なる世界の豊富な資源から逸脱して、物質

界の無益の誘惑に囚われて仕舞う時狂暴な思想や想像が忍び込んで心を占領し危険な状態になる。

                   (つづく) 
6:道産子 :

2019/12/13 (Fri) 08:18:05



 <CO2悪玉説は人類滅亡への道>水仙様のご投稿に興味津々です(^^♪。

 現在のCO2排出は全然少ない、ということですか・・・!(^^)!。

 小泉さんも「化石賞」に「ぐれた」と言ったとか(^_-)。










 雅春先生の御話です。


 「私は五十台の電動ミシンが埃だらけの部屋の中で、五

十人五十様の不協和な人声に交って、ブシブシヒューヒュ

ーという騒がしい音を立てつつ回転している様を思った。

又私はミシンの仕事の単調なること、単一なる様を思い、

こんなことで自分の希望の実現が遅れてしまっている事を思ってウンザリした。

こうした精神状態でいる上に、更に聖書で説かれる地獄にも似た環境が心の苦痛となるのだった。

私の心は周囲の地獄の事でいっぱいになり、私は必死にな

って心が挫けぬ様に頑張り、断続的にではあるが沈黙のうちに神の救いを求めて祈るのであった。


「自分では認識していなかったけれど、私の心が混乱と困

惑の真只中にあった時でも、美と調和の世界が厳存していたのであった。

勿論この調和の世界は超次元のものであって、刑務所の受

刑者でこの美の世界をはっきり自覚するものは、殆どない

けれども、そんな事とは無関係に、この世界は確かにある

のであって、心の耳をもって聞き、心の眼を開いて観るならば全ての人に無言のうちに呼びかけているのである。

では私はどうしてこの事を知っているのだろうか。


「それは今朝の事であるが、私はその次元の異なる調和の満ちている世界を心で触れたからである。

極く簡単に述べるならば、その世界は聖書で説く天国のよ

うなものであった、ということができよう。そのような天

国を体験した証拠は、その人の生活や態度に内部の自覚が

現われるから分るのであるが、完全に表現することはできるものではないのである。

天国のもつ無限内容は、これを表現しようとすればすべ

ての言葉は貧弱となり、言語は廃れたも同様となるのである。
                    
                    (つづく)
7:道産子 :

2019/12/14 (Sat) 08:06:43





<また、祈りの治癒的効果を認めるだけでなく、カレル博士は、
祈りについての深い考察を文章にして発表しています。


「祈りは、遺伝と教育による精神的背丈以上のところへ
人間をひき上げると思われる。

神と接触した人間は平和に浸され、その平和は彼らから輝き出る。

そして彼らの行くいたる所に、彼らは平和をもたらすのである」


(アレクシス・カレル著『ルルドへの旅・祈り』春秋社)


 伝統様のクリスマスご投稿より<m(__)m>。




















 雅春先生の御話です。


 「私は自分の心境の突然の変化・向上について予め知らされていたということは全くなかったのである。

この素晴らしい心境は永久に続いている様に思われたのだ

が、それは時間にして一瞬の体験に過ぎなかったのである。

実際は、私の働いていた工場は、なおも狂人の叫びのよう

な騒音と舞い上がる埃と糸くず。更に雑然嗓然たる人声の渦巻である。


私は相変らずミシンの前に陣どって、コツコツと平常の仕

事を続けていたのであった。私の習慣の心が自動的に働い

て衣服を製造する仕事を続けていたのであった。しかし、

その時でも、習慣に拘束されない心が、別の領域で働いていたのであった。

「工場は同じ衣服裁縫工場であったが、それでいて、同じ工場ではなくなっていたのであった。

人声と機械の騒音は一つに溶けあって最も美しい調和と音

楽的な韻律をかもし出していた。私は大交響楽とにも似た

この騒音の中で不快な音を聞き分けることが全くできなかった。

室内の空気に漂う埃と糸くずはこの世のものと思えぬよう

な無数の発行体となって、それがまるで数百万の微小分子

がそれぞれ独立していながら完全な韻律の音調にのって動いているかの様だった。

「私は周囲で働いている同僚を見廻した。彼らの表情は輝

いて見えた。顔つきのきつい、無口の男だった工場主も、

燦然たる光の霊気に包まれて巡回しているように見えるのだった。

                   (つづく)
8:道産子 :

2019/12/15 (Sun) 08:34:08




<CO2が原因なら、CO2は2000年以降、2009年の現在も急

増しているのですから、気温はますます上昇していなけれ

ばならないはずです。しかし、事実はまったく正反対で

す。1998年から今日まで10年間、地球の気温は下降線をたどっています」・・・>・・・。


 信用すべきなんでしょうねえ~!(^^)!。











 雅春先生の御話です。


 「私は突然とこのような経験をしたのだったが、それは

長続きせず、又突然と消え去って行ったのだった。しかしそれ以来私の破壊的な想念は浄められたのである。

疲労感は身体から全て消え去り、私は動作に全くと言えるほど無駄がなく、易々と働くようになったのである。

「私はこのような優れた心境にいる時、自分の仕事の悪口

を言ったり、時々感謝を忘れたりするようなことがあるなどということは、思いもよらなかった。

仕事というものは、もしこれを正しく為すならば、神の御

愛となり、世の心配・労苦に心を縛られた人人を照らす神の御光となるのである。

この神の御愛と御光が仕事を媒介として使って、働く人々に自由の自覚を得せしめるのである。


「今日私は自分の日常の仕事の内に、大きな解放感を見出したのである。

これまでは私の心の眼が開けなかったために、この同じ開放感が束縛として感じられていたのであった。

そして仕事に対する私自身の内部的抵抗が心身を疲労させていたのであった。

仕事を積極的にやろうという気持になった時活力(エネル

ギー)が湧いて来るのであった、心身が疲労するかしない
かは、心に愛念を抱くか反抗心を抱くかの相違であった。

そこで私が確信して言えることは、私の体験したこの自由

の自覚はここの刑務所に一緒に入獄しているどの受刑者で

も、もしその自由を心から願い、それを得ようと決意するならば誰でも体験できるものなのである。

                    (つづく)
9:道産子 :

2019/12/16 (Mon) 08:03:08

  


 だけど、吉野さん、現地の小学生が環境に恐怖感を抱いて

いた、と仰っていますが、如何なのでしょう!(^^)!。






 雅春先生の御話です。



 「人間の仕事というものは、例えば、読者が人を解放す

る真理を一冊の書物から篩い分けて選び出すことができる

ように、その仕事の中から真理を知ることが出来るものな

のである。このようにして知ることの出来る真理は多種多

様であるが、それは皆絶対の真理そのものから分化せるものなのである。

今後、私は、生徒が学校のクラスに出かけるような気楽さ

で、衣服裁縫工場の自分の仕事に出かけることが出来ると思う。

私は明るい光の中を神の御光に向かって歩くことが出来るのである。

仕事の最中にあっても、私は愛と光に抱かれていることが

できるのである。そして私は、「斯くのごとく汝らの光を人の前にかがやかせ。

これ人の汝らが善き行為を見て、天にいます汝らの父を崇

めん為なり」(マタイ伝第五章――一六)という神の戒律を守ることが出来るのである。

                    (つづく)
10:道産子 :

2019/12/17 (Tue) 08:18:56


 即、谷口先生の翻訳物語です。


「イエスは更に、天にいます父は今に至るも働き給う、と

言われたのである。イエスのみならず私についても同様の事が言えるのではなかろうか。

イエスは働き給う。そして私も働くのである。

しかも、神の御愛と御光に抱かれて働くのである。これは

私の心の決意次第で能うことなのである。まことにも仕事

は、私にとっては至高智の大学に入り行くための機会なのである。

日毎々々に私は刑務所での仕事を通して真理を見出すことになるであろう。」

 それから三年経って私は刑務所から出獄したのであった

が、その後数年の間に、人間の仕事と精神生活との間に存する密接なる相関関係が益々明らかになったのである。

この両者の相関関係が知られていなかったり、仕事に対す

る当人の反応が無視されたりすると、その人は、仕事をし

ていても時間と場所との束縛から免れることは出来ないのである。

そういう人は、いくら人生を愛していると自分で思ってい

ても、本当は人生を絶えず拒否する生活を送っていることになっているのである。

                    (つづく)













11:道産子 :

2019/12/18 (Wed) 08:11:33

https://bbs7.fc2.com//bbs/img/_837600/837516/full/837516_1576624583.jpg
 近い先祖が仏、遠い先祖が神、とは・・・(^^♪。

お釈迦様の子、羅怙羅と阿難(いとこ?)対照的なふたり、

初めて知りました。羅怙羅は宇治の萬福寺におるそうです。
逸話が面白いです。腹を割ったら、お釈迦様が現れたという(^^♪。


池江選手復活、よかったですね。

池江選手退院 一人の笑顔が戻って来る(^^♪。












 雅春先生の御話です。


心の中ではかれは俸給日を待ち望んでいたり、次の休日や

休暇が早く来ないものかと思ったりしているのである。こ

ういう人が不眠症だと、夜になると早く夜が明けて朝にな

らないかと思い、又、働くのが疲れて厭になっている人だ

ったら、朝になっても、まだ夜であればよいのにと願ったりするのである。

時間に縛られて働く者はこの様なことを毎日繰り返していくのである。

 聖パウロが天幕の仕立て師としての職業を止めないで続

けていた理由の中には、信仰生活者としての生活と、賃金

生活者としての生活の間には、先に述べて来た様な相関関係があったからであるということも含まれよう。

彼が営む二つの生活が互いに両立するということは、一つ

の同じ霊的な愛が、一方は神聖な次元に於いて、他方は世

俗的な次元に於いて表現されていることを明白に意味しているのであった。

このことは更に、霊的なものは現実の生活と表裏一体である筈であることを如実に示しているのであった。

彼の世間人としての日常の仕事は、それを為すことによっ

て霊的な心の世界のものを現世にまでもち来たらす働きと

なり、その結果世俗の仕事は神の愛と恵みとを実現する媒体として、その意義が高められるのであった。

心が霊的傾向の強い人にとっては、仕事というものは、事

物の複雑化を意味するものではなく、むしろ、その完成に他ならないのであった。

                    (つづく)
 



12:道産子 :

2019/12/19 (Thu) 08:04:05




 

   <先日「内科」の名医にお聴きした。「医者の9割は『発達障害』です。」・・・>。


 何かわかるような気がします!(^^)!。

大熊先生のお言葉です。










 雅春先生の御話です。


 さて、以上述べたことは、「心智的愛とは何ぞや」とい

う問いに対する一つの解答と考えてもらってよいと思う。

使徒パウロは弟子たちに救いの完うするまで働き抜けと説

くことによって、仕事とキリストによる救いとを一つに結びつけたのであった。

 われわれが自分の仕事に対して抱く数々の愛は、福音伝

道者的な感動のこもった愛ではない事は明白の様である。


それは、むしろ仕事が立派に成し遂げられた事に対する心

の満足を純粋に表現するセンス的性質が一層多分にみとめられるのである。

 一般的に言って、いかなる種類のものにせよ、愛につい

て語られている時は、通常それは何らかの情緒と関連を持っているものなのである。

しかしながら、個人的な体験の事柄としては、心智的愛と

いうものは、ときにはそれ相当の感情を喚び起すこともあ

るのであるが、激しい感情の動きという面に於いては、中性であることが屢々あるのである。

この心智的愛は、むしろ神の内在の自覚、内に輝く真理の

光の自覚、そして、人間を変革する力の自覚の心境に似ているのである。

                    (つづく)
13:道産子 :

2019/12/20 (Fri) 08:32:42




 水仙様の”いわんかな”もう一つ聴き取れないのが残念です

うちの受信機器の問題かもしれません('◇')ゞ。

大体の趣旨は理解できますけど…、環境相のコメント?や
国連の❓などは読み取れますけど。










 雅春先生の御話です。



 この自覚には、われわれが普通“情緒”として考えている

如き感動を伴うこともあるが、そんな感動を伴わないこともあり得るのである。

肉体の機能の中で最も鋭敏な感覚以上の働きを為し得るものは心智によるによる認識である。

それは恰も五官の感覚では捉えることの出来ぬ音の存在を知るにも似ている。

それ故イエスは言い給う「――耳ありて聴かぬか」(マタイ伝第八章――一八)


 われわれは下等動物が聞き取ることの出来る、高度の振

動数の音を耳で聞くことが出来なくても、それらの音が存在することを知っているのである。

それらはわれわれが感情的には少しも興奮することなしに経験する一個の確実性ある事実である。

そのことは、太陽が規則正しく日出、日没の運行を続けて

おり、二足す二は四である、ということを、われわれが確実に知っているのと同じ種類の事柄である。

この事を知っているからと言っても、われわれは別に興奮はしないのである。

同様に心智愛も、型通りの数学上の結論の如くに無感動であることもあり得るのである。

                    (つづく)
14:道産子 :

2019/12/21 (Sat) 08:27:53




 スター・デイリーの物語は、一段落として、今朝からは

清超先生の御話です。理想世界昭和45年9月号よりです。





    愛を開眼する   谷口清超先生

          故郷への便り


 長崎県西彼杵郡西海町に住んでおられる鳥羽
15:道産子 :

2019/12/21 (Sat) 08:42:48



 スター・ディリーの物語は、一段落として、今朝からは、

熱心な信徒であられた伊藤勝啓さんのお話です。


 清超先生の御話は、どうしても書き込めない状態ですので、失礼いたしました<m(__)m>。



    わが三十年  私は大会社を辞め単身中小企業へ

飛び込んだのは何故か?


        (当時)アスター精機KK   伊藤勝啓

 アメリカでは、有能の士は、会社を次々に移り、その度に、社会的地位も収入も上がって行くという。

わが国においても、昨今、『会社を変る法』などという本

が出回っているように、若年層、専門技能者・中堅技能者

の不足から次第に、労働者の企業間移動が行なわれるようになって来た。

しかし、将来会社の幹部たるべきものの移動は、まだまだ

少く、その点に於いては、生涯雇用の観念が強いといえよう。

時に、現在の会社を変ろうかと考えることがあっても、実際に会社を変る決意にまで達する事は殆どない。

身近に、会社を変った人の話を聞いても、それは、あくま

で他人の事としてであって、自分と関係ない事柄ととってしまうのである。

 私は、今から二年前に、それまで勤めていた会社を辞して現在の会社に移った。

私も、そうなる迄は、「会社を変る」ことを、全く自分と関係ないものと考えていた。

私の場合は、世に言うはなやかなスカウト合戦の結果でも

なく、より高い社会的地位と収入とを求めたわけでもない。
                    (つづく)
16:道産子 :

2019/12/22 (Sun) 07:49:33


<天皇陛下と和服姿の皇后さまは、20日午前に皇居の宮殿で
来日中のミルジョーエフ大統領夫妻を出迎えて握手を交わされました。

懇談で、大統領は現在のウズベキスタンの土地に

多くの日本人抑留者がいたことに触れ、

「今でも日本人の墓は大切に管理されています」と話し、

陛下は感謝を述べられました。・・・>。


 伝統様のご投稿より<m(__)m>。






 伊藤さんのお話、続きです。


有能な読者諸氏は、ここに記すものよりも、もっと実りを

もたらす「会社を変る法」を読むことが出来よう。

私の体験は、「体験」として発表するようなものでなく、平々凡々たる一社会人の「来し方」なのである。

特に、会社を変るために、新しい哲学を編み出したのでも

なく、それまでの生活の中から培われて来た「生き方」

が、私をして、会社を変る方向へと引っぱって行ったと考えるほかはない。

そこで、「会社を変る法」を記すことは、それまでの私の生き方を語ることに外ならなくなるのである。

                                  *

 私が八人兄弟の五番目として、産声を上げたのは今から三十一年前の事である。

父は運輸省に勤め、母は商家の出。もし、私に、人様の目

にとまるような善き性があるとすれば、それは、父の誠実

な人柄と母の信仰あつき心とから受けたものに外ならない。

私達五人の兄弟、三人の姉妹は、親になった現在の私たちが考えても申し分のない両親によって育てられた。

物質的にはつましく、されど精神的には豊かに。

二つ違いで兄弟姉妹が並んでいたわけであるから、上のも

のは幼い時から弟妹の面倒をみる――勉強も運動も遊びも――

という工合いで、どんな場合でも、心のどこかで自分以外の兄弟の事を考えていた。

                    (つづく)
17:道産子 :

2019/12/23 (Mon) 07:53:04




<寒川神社のねぶたは毎年、神話をモチーフに青森県で製作され、

今回は「神武東征」をテーマにしています。・・・>・


 伝統様のご投稿より<m(__)m>。


 知りませんでした、毎年ご縁で年祓いをしておりますが(学ぶ会で行なわず、ご免なさい<m(__)m>)・・・。

一度観たいものです。









 伊藤先生のお話です。


 わが国が米英と開戦したのは、私が六歳の時で、八歳の

頃から、戦況は次第に不利になりつつあった。即ち、国民

学校二年の時アッツ島守備隊玉砕、三年の時サイパン島失

陥、神風特別攻撃隊の初出撃、硫黄島守備隊の玉砕、四年

の時米英沖縄上陸、銃後の少国民として、私たちは、現在

の小学校三、四年生には想像もつかない緊迫した空気の中で、B29空襲の合間に勉強する状況であった。

国民学校四年の六月に母、弟妹と信州へ疎開し、そこで終戦を迎えた。

戦争という緊迫した状況下で愛国心を育てることは好まし

い事ではないが、ともかくも、私の祖国愛、国民同胞を思

う気持は、この時代に基礎づけられたといっては言い過ぎであろうか。

 戦後の食糧事情の悪い時、私は、小学校五年、六年、新制中学一年、二年を横浜で過ごした。

信仰と樹木によって再興されたデンマークの話は私たち中

学生の心を打ち、私たちは日本のダルガスたらんと願ったのである。

新日本建設の担い手たらんと誓ったものは私ばかりではなかったのである。


                    (つづく)

18:道産子 :

2019/12/24 (Tue) 07:56:53




<「日本ノ国号ノ大日本帝国ヲ改メ日本国トス」などと、帝国議会でも、戦後の国会でも、

未だかつて決議されたことがない。勿論、国号変更の勅令もなければ政令もない。

だから日本の国の名前は、今も儼然として「大日本帝国」というのが正式であります。

 そうすると今、現に行なわれている憲法即ち「日本国憲法」というのは、

日本の正式の国の名前が書いていない憲法ということになります。

「日本国」というのは「大日本帝国」の通称です。

いやしくも国の大本を定める公式の憲法に、通俗な称号を用いるはずがない。

だから「日本国憲法」は公式な憲法ではなく、ニセ憲法であることがはっきりしているのであります。>。


 雅春先生の御理解は明快であります。


 源流様のご投稿より<m(__)m>。







 伊藤さんのお話です。



 両親は、谷口雅春先生の「生命の教育法」の信奉者であ

り、私たち兄弟は、その内在せる無限の可能性を信頼されて、育てられて来た。

したがって、高校二年、三年の受験勉強も、大学に合格す

るための勉強ではなく、大学生としてはずかしくない学力

を培うための勉強として、将来を夢見ていそしんだものだった。

第一志望校には落ちたが、母の「そのままがありがたい」

という諭しで、第二志望の横浜国立大学経済学部へと進んだのであった。

この齢から、生長の家青年会へも入会し、勉強の余暇を子供会、中学生の会の活動についやした。

そして、子供たちとのつながり、青年同士の交流を通じ

て、ギールケの「人の人たるは人と人との結びつきにあり」を実感として味わったのである。

 大学では、又、良き師に恵まれた。大学に入って二度目

の秋を迎えた私は、ある日の午後、ゼミナール(演習)選択

のために、藤田忠先生(横浜国立大学経済学部長)を人間関係管理研究室にお尋ねした。

先生は温厚な、しかし底には,学究生活から流れて来る重

みを湛えた口調で、「学生の本分は学問にある。学問を行

なう事なくして、人前でものを言うことは出来ない」と話されたのであった。

今私が静かに自己の学生生活をかえりみるとき、先生のこ

の言葉が、私の生活の基軸をなしていたことを知るのである。

私は先生の学生に対する愛に応えるためにも、力を尽して

勉強すべきであると、その日の夜、仏壇の前で決意したのであった。

                     (つづく)
19:道産子 :

2019/12/25 (Wed) 07:59:29

https://bbs7.fc2.com//bbs/img/_837600/837516/full/837516_1577228369.jpg


<下総の野人様が、

大阪府東大阪市の枚岡神社で通称「お笑い神事」という

祭儀が行われたそうです。天岩戸隠れの神話に由来するとか。・・・と書かれておりますが、

京都嵯峨の車折(くるまざき)神社境内社の芸能社がやはりアメノウズメノミコトを祀っているということを最近知りました('◇')ゞ

ジャニーズファンの子供のお蔭でした(^_-)。



 <真言密教の即位法文書において天皇陛下は「四洲の衆生を仁恵で覆う」存在である>

 本当ですか?






 伊藤さんのお話です。


成績よりも何よりも、ベスト尽くすことの意義を考え、

あらゆる機会をとらえて、自己の無限の可能性を引き出す事を目指した。

単位の取得も、法律・経済・経営・外国語の各面にわた

り、最大限の履修を志し、学期末の試験も、要領よく試験

範囲だけを勉強するというのではなく、一年間の総復習を心掛けた。

その結果、卒業式には卒業生代表で証書を受ける栄に浴したのであった。

尚、青年会活動の正常化を推進するため、全国各大学の学

生有志を総合して全国学生連盟を結成し、学園を「学問の場」たらしめるべく、運動を展開した。

その体験の上に立って発表した「教学の本道に還れ」は、
全国青年雄弁大会に於いて第一位を受けたのであった。

                    (つづく)
 
20:道産子 :

2019/12/26 (Thu) 08:24:35



<キリストとは固有名詞ではなく、神から遣わされて
”母”の胎内に宿ったところの”神の子”の霊なのである。

すべての人間に”神の子”の霊が宿っているのである。

それがあなた自身の「本当の自己」であるのである。

それ故に、イエスは、その模範的祈りなる「主の祈り」に

於いて「天にまします”我ら”の父よ」と神に呼びかけるように教えられたのである。・・・>。


 伝統様のご投稿より<m(__)m>。


 今朝の冷えは厳しい"(-""-)"、マイナス7~8度でしょうか。真冬到来です。








 伊藤さんのお話続きです。


 就職に当たって考えたことは、労務管理を専攻したこともあって、

 (一)製造現場を持つメーカーである事

 (二)日本産業の根幹となるものである事

 (三)労働争議をなくし労使協調による生産体制を築き上げ得る場である事。

かくして重電機産業を選び富士電機製造株式会社を受けたのであった。

入社試験の作文問題「職業」では、「職業とは、それを通

して人格を陶冶し、自分を育ててくれた社会に応えるもの

であり、報酬はその反映として自ずと与えられるものである」と論じた。

入社後は、幹部教育コースとして川崎工場経理課で二年間

原価計算に従事。次いで、工場内留学という事で一年間、製造課で工程管理を勉強。

ここでも与えられた環境で接収し得るものは、完全に摂取

する」建前で、図面の見方、工作機械の構造など、文科系では勉強できない事も勉強した。

さらに、生産化へと移り、ここでは生産計画生産管理に従

事、そして六年目に、労働組合専従役員の話が、会社と組合の双方からもちかけられた。

かねてより、組合幹部と組合員との疎隔、民青同の進出、

産業民主主義の導入等を考えていた折でもあり、一晩考えた結果、立候補することに決意した。

                    (つづく)


21:道産子 :

2019/12/27 (Fri) 08:36:11



 即、伊藤さんのお話、続きへ。



 五千人の組合の副委員長となって、初めてメーデーにも

参加し、「組合を動かすものは何か」を真剣に勉強、少しずつではあったが、改善策をも実施して行った。

また、現在の場を完全に活き切るという考え方から、健全

な労働組合の育成を目指して、中小企業の訪問を開始したのであった。

中小企業において健全な労働組合を作るという事は、総評

全国金属などの過激派に対する防波堤にもなり、又組織の

近代化を図る上でもプラスになることであり、まず経営幹

部に正しい認識を持ってもらうことが必要であると考え、各社長との懇談を行なったのである。

その中の一社であるアスター精機株式会社(金銭登録機製

造元、従業員二百人)寺岡静治社長から「是非当社に来て

ほしい」との話があり、二年後に、会社を変ることになった。

                   (つづく)



22:道産子 :

2019/12/28 (Sat) 08:11:34




 源流様、ご転載有難うございます<m(__)m>。

 スターデーリーの物語は昭和42年の精神科学誌に載ったものですが、

今回のものは、4月号からで、「第二回」なのです。

手元に3月号?がなく、「第一回」は謹写出来ませんでした。

 「第三回」はしばらく後になりますが、謹写いたします。

ご容赦ください<m(__)m>。








 伊藤さんのお話です。


 大学の恩師にも、青年会の先輩にも相談した。自分で考えた表面的理屈はこうであった。

「私は何らかの形で日本経済に寄与したいと考えている。

日本経済における中小企業の数はまことに多く、昭和三五

年の民間企業数三二二万のうち大企業は、わずか二万で、残りの三二〇万人が中小企業である。

また昭和三七年の民間企業従業者数二六七〇万人、そのう

ち中小企業従業員数は一二七〇万人で六六%に達している。

これは中小企業の日本経済における重要性を示すといえよう。

日本経済に真に役立つためには、中小企業の生きる道を、具体的に示す事ではないだろうか。

幸い富士電機には多くの人材がおり、私の出た後も十分に埋めてくれる。

日本経済の問題の一つは、人材が大企業に偏在しているこ

とではないか。それならば、まず自分が大企業から中小企業に移るべきであろう。」

                     (つづく)
23:道産子 :

2019/12/29 (Sun) 08:31:21





<それ故、榊をそなえる場合には美しい緑の葉をみんな自分の方に向けて供える。

『神様』の方には裏のきたない方が向いている。

されば『神様』は自分以外の建物の中に在ますのではなくして、

自分自身の心の中に存在することを知らねばならない。>。


 伝統様のご投稿より<m(__)m>。









 伊藤さんのお話です。



 しかし、理屈は、どうとでもつくのであり、最終的に

私を決意させたものは、今までの生き方に示されている態

度、すなわち、「自己に内在せる無限の可能性を発揮する」環境を新しい職場に見出すという事であった。

もちろん、妻子を抱えているのであるから、将来の生活の

ことも考える必要がある。ここで最後の所を下したもの

は、「人事を尽くして天命を待つ」という両親から受け継

いだ「なすことをなせばもはやそこに憂いはない」という信であった。

妻は、私を信じ切ってくれていた。

かくして、富士電機の幹部の方々のご了解も得て、二年前から現在の会社でお世話になっている。

 私は、各人に内在せる無限の可能性を信じている。又、

谷口雅春先生からご教示頂いた「人は、その環境で勉強し

得るものを全て学びつくした時に、自ずと新しい環境を授けられる」という真理も、体験的に把握して来た。

徒に自力のみに走ってもならない。さればと言って、僥倖を待ち望んで時を空費してもならない。

与えられた環境にあって理想を求めて努力しつつあるとき

に、時が経過しつつあり、環境が置きかわりつつあるのである。

                     (つづく)
24:道産子 :

2019/12/30 (Mon) 08:01:08



 今朝は今季1番でしょうか?マイナス7~8度はあるでしょう(-_-)/~~~ピシー!ピシー!

明日から猛吹雪も、波乱の年越しさえ予想されます。

 意外と平穏だったりして…(^^♪。






 伊藤さんのお話、お終いです。



 私は、今、一年半にわたる生産能率課の仕事を終え、総務課長としての仕事に励むことになった。

今までは、自己に内在せる無限の可能性を発揮することが

テーマであったが、爾今は、全社員の無限の可能性発揮がテーマとして加わるわけである。

これは、単なる机上の勉強であってはならず、実際に答え

が出なければならない仕事であり、しかも社員一人一人の生命にかかわっている問題である。

私の人生体験は貧しいものである。しかし、私は、今、祈りを込めて、この仕事に向っている。

将来の夢は、アスター精機が人間管理面でも技術的でも質

的に世界の企業の水準を上回ること、さらにアジアの低開

発圏にある国々の工業振興に役立つこと。そのためには私

自身海外留学も必要になるであろうし、現地に工場を設置

し、現地人の可能性を発掘しなければならないであろう。

 振り返って見ると、私は生まれてよりこのかた、本当に

多くの方々の愛に恵まれて来た。私が信ずる「内在せる無

限の可能性」も、具体的な人の愛なくして発掘されるものではない。

終りに、私を教え導いて下さったすべての方々に、深い感謝の気持ちを捧げさせて頂く。

                    (おわり)
25:道産子 :

2019/12/31 (Tue) 09:05:41




<祭祀は天皇家の私事になってしまった。これによって

天皇の神聖性はぽやけて世俗的君主の姿を現わし、日本の

象徴としての意味すら失われる危険が生じた。祭りが私事

にすぎないものとされたために、天皇は日本の歴史的連続

性とも無関係なものとなった。これを君主と呼ぶなら、こ

の君主は本質的には大統領とちがうところはない。それは不敬罪がなくなったことによって明かである。>。


 アクエリアン様のご投稿より<m(__)m>。

田中忠雄先生のお言葉です。


 伝統様の、大晦日の尊師の言葉も、まさに大晦日にじんと来るお言葉です。






 清超先生の御言葉です。



      物質は空である  谷口清超先生  

        昭和42年6月号 精神科学誌


 昔、長南年恵という霊媒がいた。

昔と言ってもそれは明治二、三十年の頃の事であるが、彼

女は十四年間も絶食し、水すらも飲まなかったという。
大小便も出ず、月経もなかった――と言われている。

そして黙然すると、何十本もの壜の中に、たちまち霊水を満たすことが出来たのである。

 こんな現象は、唯物論者に言わせると、詐術か誤認とい

うことになるのであるが、当時の世論もまさにその通りで

あったので、彼女は何回も投獄されたが、それでもなお獄中で心霊現象が起こった。

そこで明治三十三年神戸地方裁判所で、判検事、弁護士立

会いの下に長南年恵に神霊実験をさせてみることとなった。

実験場は同裁判所の弁護士詰め所とし、その一部の電話室

をキャビネットとして使い、その中に入った年恵は五分く

らいの内に密封された壜の中に濃黄色の水を充したという

事が、明治三十三年十二月十四日の「大阪毎日新聞」に記されている。

そしてこの実験によって、心霊的事実が証明されたので、その後の判決で彼女は無罪を言い渡された。


(以上、笠井鎭夫氏著『近代日本霊異実録』の記事による)


 物質の一般法則によると、壜に水を入れるには、壜のど

こかに穴をあけてなければならない筈であるが、ある条件下では、そうでなくても水が入り得る。

しかしこの現象は決してデタラメに起るのではなく、一定の心霊的原則に従って起こるのである。

ここに吾々は、物質科学では未確認の数多くの「法則」が

あることを知らなければならないのであって、現在物質的

法則として知られている法則だけが全てだという様な愚かな事を考えてはならないのである。

 多くの唯物論者の最大の誤りは、自分の信奉する法則以

外のものをすべて否定して、無限の法則を勝手に“限定”してしまうことである。

その結果彼らは、未知の宇宙や歴史や神秘に肉迫すること

が出来ず、却って万年一日の如き知的停滞を続けるのである。

大体五官に感覚される知覚を超えた存在を否定することで満足するくらいなら犬猫にでもできる。

人間と言われるからにはもっと「叡智」を働かせ、五官を

越えさらに六感を超越した「実在」を把握しなればならないのである。

壜に水を満たすことぐらいで驚いていてはならない。

物品引き寄せ現象や、空中飛翔術などは、まだまだ神秘の中は入らない。

これ等の出来事は、「物質は本来“空”である」という事が判りさえすれば当り前のことである。

もっと重大なことは、「人間は自由だ」ということであり、「人は何でもできる」ということである。

人間は何でも思う通りのことが出来るからこそ、自分で自

分の“無限力”を束縛して、「物質に引っかかる」ことも出来るのである。
 
                    (おわり)


26:道産子 :

2020/01/01 (Wed) 09:00:40

https://bbs7.fc2.com//bbs/img/_837600/837516/full/837516_1577836840.jpg


 新しき年をお祝い申し上げます<m(__)m>。

賀正は、仙厓和尚の書です。(多分(^_-))

今朝は、元旦らしき御言葉を。


 冬の嵐もさほどでなく、しかし厳しき初詣でした。







  新生と云うことの本当の意味   谷口雅春


 古の聖者は「人あらたに生まれずば 神の国を見ること能わず」と云われました。

 新年を迎えると云うことは新生することであってこそ尊いのです。

 ちょうど昨夜眠って次の朝に目を覚ますと、昨夜の疲れていた時に比べると、

 元気はつらつとして、一層若くなったような気がするでしょう。

 それと同じように、新年を迎えると云うことは、去年よりも一層元気になって、

 はつらつとした気持ちになり、一層若返って来て、

 「何でもできるぞ」と云うような勇気が、自分の中から

湧き出てくるようでなければならないのであります。
27:道産子 :

2020/01/02 (Thu) 08:43:58

https://bbs7.fc2.com//bbs/img/_837600/837516/full/837516_1577922238.jpg  



<(修養団・元伊勢道場長、中山靖雄氏の心に響く言葉より…)

   《伊勢の神宮のように、古くして新しいものが常に栄えます。

    その感覚を日本人は大事にしてきました。》

   「古くして新しいもののみ栄える」と昔から言われてきました。

   「古くして古いものは滅び、新しくして新しいものも滅びる。
 
   古くして新しいものが常に栄える」のです。


   「古くて新しいもの」とは何かと言うと、たとえば「親孝行」がそうです。

   ほかにも「魂で生きる」とか、「元にかえる」とか、
   昔は当たり前に大事にしていたことが、少しずつ忘れられて、
   そして今再び新しい感じがすると思うのです。


   その姿の最たるものが伊勢の神宮です。

   神宮は20年おきに遷宮されます。

   遷宮とは、神宮のすべての建物を20年おきにお建て替えすることです。

   2000年前の昔の建物の姿のままでありながら、
   今そこに新しい姿で存在しています。

   遷宮の際は、建物だけはなくて、橋や、装束、金具などもすべてを造り替えています。

   日本の文化遺産の中には、木造の姿で1300年前から建っているものもあります。

   しかし、神宮様はあえてそれをしていないのです。

   形は2000年前のままです。

   古いけれど、20年に1度遷宮をしているので新しい。


   それがなぜできるかというと、20年に一度遷宮をするおかげで、

   建物だけではなく、装束や金具をつくる人々が途切れないのです。

   20年おきだから、やった人がまだ生きている間に次の人に伝えることができる。

   だからこそ残っていくのです。

   これはすごいことですね。

   2000年と同じようにつくれる方が今もおられるのですから。

   また、太陽も古くして新しいものです。

   太古の昔から、太陽が昇った時に人々は嬉しい思いが湧いてきます。

   まるで今日初めて見たような思いがする。

   太古の昔からあるのだけれど、今日、昇った日の出を見た時は、

   まるで初めて見たような感動が湧きます。

   ずっとあり続けているけれど、いつも新しく清々しいのです。

   魂も古くして新しいもののみが栄えていくものです。

   それは、昔からあり続けながらも、毎朝新しくなる魂です。

   昔の人はそれを知っていたのですね。


  <『すべては今のためにあったこと』海竜社>>・・・。




 伝統様のご投稿より<m(__)m>。


 仙厓和尚の新年の書画、大根の根に寄るネズミを描いて、

大国主命(大黒天に通じて)が須佐之男命に襲われた時、ネズミが救ったという故事から、

豊穣を表したものらしいです。

因みに文字?は「ねすみ 大こくふ 福の神」です。







 さて、今朝よりは、


  谷口雅春先生   「子供と母の本」よりです。


       人生は思いのまま (147頁~)


    “心”で近眼を治す実験   目が見るのではない“心”が見る

 大阪府の堺中学に宮本三七雄先生という方がありました。

宮本先生は、“生長の家”の教えに触れ、『生命の實相』を

お読みななりましてから、人間は神の子であり、本来完全

であり、健康であり、神は決して近眼や弱視や乱視をお造

りにならないから、近眼や、弱視や、乱視は本来ないのであるとお信じになりました。

 宮本先生は中学一年を担任しておられました。そのクラスには十数人の生徒が近眼で眼鏡をかけていました。

宮本先生は、「人間は本来、神の子であって近眼は本来な

いから、それは人間の心の間違いから生ずるのであるか

ら、その心の間違いを直せば近眼も治ってしまうに違いな

い」と思って、”ひとつこの真理を応用して、生徒の近眼を治して見よう“とお考えになりました。

                    (つづく)

28:道産子 :

2020/01/03 (Fri) 08:09:42



 お正月らしくなく、様々、難解論議が起ってます(?_?)。





 雅春先生の子供と母の本、よりです。


 それでひどい近眼の生徒を一人選んで、放課後に残って

いるように言って、その生徒の近眼を治して見ることにせ

られました。かりにその生徒の名前をA君としておきます。

宮本先生は、黒板に文字を書いて、

「眼鏡を外してこれを読んでみなさい」
 と言いました。

「読めません」

「そう。それなら見える所まで近づいて来て読んでご覧なさい」

「はい」

 とA君は、ずーっと一ばん前列の机の所まで近づいてジーッと見ておりましたが、

「やっぱり見えません」

「そうですか、見えませんか。それではその前列の椅子におかけなさい。先生としばらく話し合いましょう」

 A君は、椅子にかけます。宮本先生は、その隣の椅子にかけまして、

「A君、君がものを見るのは、ナニでものを見るのですか?」

「先生、それは誰だって、眼でものを見るのです。目玉が

つぶれたら、誰でも、ものを見ることはできません」

「眼がものを見るのですね、間違いありませんね」
 と宮本先生はダメを押すようにいわれました。

「間違いありません」
 と、A君はハッキリとした語調で答えました。

                    (つづく)



 
29:道産子 :

2020/01/04 (Sat) 11:12:37




 雅春先生の御話です。



「それでは訊きますが、人間が死んだら、その死骸には眼がありますか、ありませんか」

「死骸にだって眼はあります」

「その死骸は目があるから、ものを見ることが出来ますか」

「死骸には眼があるけれども、死骸はものを見ることは出来ません」

「それはどうしてですか」

 A君はしばらく考えて、

「死骸には眼があっても、生きていませんからいのちがありません。“心”がありません」

 と答えました。
                    (つづく) 
30:道産子 :

2020/01/05 (Sun) 08:12:01




<陛下が着座されると出入口となった屏風の北東側が閉じ

られる。屏風には四季折々の絵が描かれている。屏風は南

西側だけが開いた状態だ。この方角の彼方には皇祖・天照

大神を祀る伊勢の神宮が鎮座している。1月1日の午前5時

半。真冬の屋外で、地面の敷物に厚畳を置いただけの状態では、身も凍るような寒さに違いない。

天皇陛下は先ず伊勢の神宮に向かって遥拝をされる。その

後、東→南→西→北の順で四方の神々を拝礼をされる。その

際のご作法は、「起拝(きはい)」という最も丁重かつ厳

粛なご作法だ。天皇陛下の宮中でのご作法は起拝を通例とする(皇太子も同じく)。

普通なら御玉串(おんたまぐし)の根元を両手で執られな

がら起拝をされる。しかし、四方拝では御玉串を捧げられ

ない。なので、御笏(おんしゃく)を手にされてのご作法

は次の通り。

御笏を右手に持ち、正座の姿勢から先ず右足より立つ。両

足を揃えて、両手で笏頭(しゃくとう、笏の上の部分)を

目の高さまで上げ、腰を折って深々と頭を下げながら、左

足からしゃがんで正座の姿勢に戻り、そのままうつ伏せら

れる。それを2度繰り返された後、正座のまま1度、深く頭

を下げ、更に同じ起拝を2度繰り返される。前段と後段で2

回ずつ、合わせて4回の起拝が行われる。それを「両段再拝(りょうだんさいはい)」と呼ぶ。

一般の神社の神職より遥かに敬虔なご作法だ。それを、伊

勢の神宮と四方で同じように行う。従って起拝が20回、前

段と後段の間の深いお辞儀が5回、合計で25回も、深く頭

をお下げになる事になる。身体的にも大変大きなご負担

だ。四方拝は、ご代拝が認められないので、天皇陛下がご

体調その他の理由で行えない時は、そのまま中止となる。・・・>・・・。


 下総の野人様のご投稿より<m(__)m>。








 子供と母の本より続きです。



 「そう、死骸にはいのちがない。そして”心”がないから

見えないのですね。眼があっても、いのちがなく、”心”が

ないものは見ることが出来ないのですね。それでは、眼がものを見ると考えるのは間違いですね。

いのちが見、心が見るのですね。

それではいのちと、“心”との関係を言ってご覧なさい」

「いのちの働きが心であります」

「その答えは大変宜しい。眠っている時にも、いのちはあ

りますが、心は充分に働かない。ただ潜在意識という“気

の付かぬ”心だけが働いているのです。ところで、眼がも

のを見るのでない、“心”がものを見るのだとわかったですね」

「はい」

「それでは、この黒板の文字を“心”で見なさい。見えますか」

 A君は、黒板の文字を見詰めていましたが、

「先生見えます」

「それでは、この教室の一ばん後ろの黒板に一ばん遠いと

ころへ行きなさい。そこからこの黒板の文字を見るんで

す。・・・・・さあ、こちらを向きなさい。黒板の方へ向

かって、一度目を閉じて、自分の心に言ってきかすつもり

で、自分の心の中で、

”私は神の子である。神の子に近眼はないのだ。私の眼はどんな遠いところでもハッキリ見えるのだ。

黒板の文字はよく見えるのだ“と五回繰返して唱えなさい。・・・・・」

                    (つづく)




 
31:道産子 :

2020/01/06 (Mon) 07:56:25




<顔晴ろう! 下総の野人様<m(__)m>。>。


 ときみつる會のご発展を祈る!






 雅春先生の御話です。


 宮本三七雄先生は、もう一ぺん、その唱える言葉を、ハ

ッキリいって、A君に復唱させ、それから、あと四回、A君

は、心の中で、

「私は神の子である。神の子に近眼はないのだ。私の眼はどんな遠いところでもハッキリ見えるのだ」

 と、心の中でダメを押すように唱えてから、教室の一ば

ん後ろから、遠くにある黒板の文字を見ますと、その黒板

に書いてある『人間・神の子』の文字が、いかにもハッキリ見えるのでした。

こうしてA君は、眼がものを見るのでない、心が見るのだという信仰を得て、近眼が治ってしまったのでした。

                    (つづく)
32:道産子 :

2020/01/07 (Tue) 09:08:15



 学校で、法律勉強怠った報いで、訴訟問題などとても苦手で困ります"(-""-)"。


 明日より、また1週間ほどお暇を頂きます、ご容赦ください<m(__)m>。









 雅春先生の御話です。


 
     近眼になる原因のその一つ


 近眼になる原因にもいろいろあります。鉄道省(今の国

鉄)につとめていたBさんというタイピストは十六度位の近

眼の眼鏡をかけていましたが、この頃、近眼の度が進んで

来たのか、夕方近くなってタイプを打っていると、タイプ

ライターの活字の文字がよく見えなかったりするのでした。

生長の家の信徒のお嬢さんで、双葉高等女学校の生徒が、

たった一回、眠りしなに聖経『甘露の法雨』を読んで、翌

朝目が覚めて見たら、今まで長押(鴨居の高さに壁に水平

に嵌っている木の桟)にかかっていた油絵が、いつも眼鏡

をかけないと見えなかったのに、その朝は、目が覚めたま

ま、寝床で仰向きに、眼鏡をかけていない眼で見るのにハッキリと見えたのでした。

                    (つづく)
33:道産子 :

2020/01/15 (Wed) 08:18:09




 本音の時代様の菊地藤吉先生の逸話、素晴らしいです(^^♪。

 今朝より、また雅春先生の謹写を始めさせて頂きます。







 子供と母の本、より続き。



 そしてそれは夏でした。

両国の川開きに、隅田川で花火大会が、その頃毎年八月末

にあるとき、今まで、近眼の眼では、その花火を見ても、

小さい形のボンヤリしたものにしか見えなかったのが、近

眼が治ってから見ると、こんなにも大きい、そして鮮やか

に美しいものであるという事がハッキリ見えた――などとい

う体験が雑誌に載っていましたので、Bさんは自分も聖経

『甘露の法雨』を読んで近眼を治して見ようと思い、

「双葉高女の生徒が、『甘露の法雨』を一回読んで治ったのだったら、私は二回読もう」

 と、ある晩『甘露の法雨』を二回読んで眠ったのでしたが、やはり近眼は翌日になっても治っていないのでした。

 Bさんは、なぜ自分は聖経を読んでも近眼が治らないのかと考えて見たのでした。

「肉体を支配しているのは、“心”なのである。私の“心”の

中に、何か近眼の治りたくない理由が隠されているのではないか」

 と彼女は反省してみたのでした。そして自分の心を自己分析してみると、こういう事が判ったのでした。

                     (つづき)




34:道産子 :

2020/01/16 (Thu) 08:09:22




<その中でとりわけ目を引き、爽やかな印象を与へてくれ

るのは、「皇紀二千六百八十年」が明記されてゐるカレンダーです。

贈り主の会社の理念が伝はって参ります。ある有名な日用

品製造販売会社です。・・・>。



 立葵様のご投稿より<m(__)m>。

 伝統様の、リモンド・ロー氏の今年の予測、ちょっとこわいものですね。








 雅春先生の御話です。


 彼女は五、六年も前のある日、美貌の奥さんが縁なしで

金の蔓の眼鏡をかけていられた横顔を観たのです。

その縁のないレンズの周囲の切り口がダイヤモンドのよう

に輝いて実に美しく、そして高貴に、容貌が引き締まって見えたのだった。

私の容貌は眼鼻立がキリッとしてないで引き立たないが、

あんな眼鏡をかけたら容貌にハイライトが出来て引き立つ

だろうな。しかし、近眼でなしに眼鏡をかけたら、人からダテ眼鏡だと思われて恥ずかしいな」

 と思ったことがあったのを憶い出したのでした。

その時、彼女は、自分が近眼になって、あんな「縁なしの

金蔓の眼鏡」ダテでなしにかけられる資格を得たいと思っ

たのだった。つまり彼女に「近眼になりたい意志」が生じ

たのである。心の奥深く願うことは必ず実現するのであります。

それが原因で、彼女は自分が今近眼になっているのだと気が付きました。

                    (つづく)




35:道産子 :

2020/01/17 (Fri) 08:17:59




<社会事業団は日本教文社からの出版を認め、日本教文社

が『生命の實相』を発行しないという事実を確実に示せ

ば、教団は『生命の實相』を絶版にしたのだと、教団の信

徒に対しても正々堂々と公言できるのではないだろうか。恐れずに、実行していただきたい。

本流勝利のための、ダメ押しですよ。>・・・。


 IRと一緒で、一つの賭け、ですか…(^_-)。
本音の時代様のご投稿より<m(__)m>。






 雅春先生の御話です。



 そして、この近眼を治すためにはどうすればよいのであ

ろうかと彼女は考えました。それには、原因を取り除けば

よいのである。その原因は、

「あんな眼鏡をかけたら、私の散漫な眼鼻立にハイライトが出来て、容貌が引き立つだろうな」

 と思った事だから、その考えを変えればよいのであると彼女はおもいました。

そして神想観をして次のように繰り返し念ずることにしたのでした。

「私は“神の子”である。“神の子”はひとりひとり、みんな

個性のある特長のある、人の真似の出来ない特別の美しさ

を持っているのである。だから私の容貌は、何も眼鏡など

補わなければ美しくないという様なケチな顔ではないので

ある。私の顔はそのままで、何ものでも補わないでも、そのままで神様の傑作である」

 彼女はこうして、その後数日間、神想観をする時に、このように繰返し念じたのであった。

数日たった或る日、彼女は俯向いて仕事をしていると、そ

の時かけていた近眼鏡が鼻の上をスーッと滑って下の落ちました。

“オヤッ”と思って下にある印刷物を見ると、眼鏡をかけて

いる時よりも一層ハッキリ、その文字が見えるのでした。
それきり彼女の近眼は治ったのであります。

                    (つづく)
36:道産子 :

2020/01/18 (Sat) 08:43:48



 今年の歌会始で印象的だった御歌は新潟県の高校生?

篠田朱里さんの


 助手席で進路希望を話す時 母は静かにラジオを消した



 お上手です(^^♪。


 野田将晴先生の御話聴いてみたいです。








 雅春先生の御話です。


    人間を物質の肉体だと信じたら


 ところで宮本三七雄先生の話に帰りますが、先生は、自

分の受け持ちの生徒ひとりの近眼が自分の指導で治ったも

のですから、嬉しくなって、今度は、自分のクラスの近眼

の生徒全部を集めて、前の生徒と大体同じような説明で、

「心で視るのだから、心が視えると信じたら視えるんだ」

という事を皆に解らせますと、ほとんど全員が近眼が治ってしまったのです。
 
 そこで宮本先生は、自分の受持のクラスでない上級のクラスの生徒の近眼を治す事を始められました。

(その頃の中学は旧制の中学で、今のようなは中学の上に

高校がなく、その代わり中学は五年生までありまして、中学四年、中学五年生が、今の高校生にあたりました)

ところがクラスが上に上がるに従って近眼の治る生徒の率が少なくなりました。

そして中学五年生にもなると、ほとんど宮本先生の指導では治らないのでした。

                    (つづく)

 


 

 
37:道産子 :

2020/01/19 (Sun) 08:23:31




 伝統様の庚子(かのえねこうし)、とにかく、こわいです"(-""-)"。








 雅春先生の御話です。この御話のお終いです。



 それはなぜであるか。

上級生になるほど、物質に関する学問を習って、人間は

「肉体」という物質の塊だということを深く信ずるようになり、

「心で近眼は治るなどと、そんなバカなことはない」と反対に考える程度が多くなるからであります。

 人間は信ずる通りのところのものになり、また自分の心

の奥深く願うところのものなら、病気でも、近眼でも自由につくれるものであります。

                                             (つづく)

38:道産子 :

2020/01/20 (Mon) 08:02:23



<老齢は人類全体が心に撒いた種。>

 がんこ親爺様のご投稿より<m(__)m>。


 まさに、甘露の法雨にありますね。

「却って時間は生命の掌中にあり。

これを握れば一点となり、

これを開けば無窮となる。

若しと思う者は忽ち若返り、

老いたりと思う者は忽ち老い朽つるも宜なるかな。>。









 雅春先生の御話、続きです。



   祈りはこのようにきかれる (157頁~)


        こぼれた墨が・・・・・


 それは大東亜戦争中の事であった。

私は広島県の呉市で講習会をひらいた。私はどうしても、

戦争する以上は日本軍に勝たせたいと願わずにはいられなかった。

それだから、私はその日の講習が済むと、夕食後、必ず

「皇軍必勝」の短冊を四、五百枚書くことにしていた。そ

の枚数は講習生の数によって一定していなかったが、その

頃は、いまのように一会場で数千人又は、一万人を越える

ほどの人数は集まらなかったし、そんな広い会場もなかったのである。

戦争で人手が足りないで、皆忙しいので、本当に国を愛す

るか、宗教に熱心な人ばかりが数百人集まったのであった。                         
                    
                    (つづく)
39:道産子 :

2020/01/21 (Tue) 07:42:34


<庚子の場合、庚(十干の七番目)は金性の陽、子(十二

支の一番手)は水性の陽であり、「相生」の関係になります。


相生は「相性」の語源であり、相性の良い組み合わせであり、

最近の相生関係は二〇一四年の「甲午(きのえうま・こうご)」まで遡ります。

つまり、六年ぶりで相性の良い干支の年がきたのです。

相性が良いという事は、良い年になる可能性が大きいという事です。>


<「子」は「了」と「一」との組み合わせで、

「終わり」と「始まり」、つまり始末という意味です。

物事が始まるには終わりがなくてはならないのです。>



<易でいう「一陽来復」と呼ばれる現象です。

以上、「子」は陽気の到来による

①新たな局面の展開と

②物事の増殖を意味していると言えましょう。>




 伝統様のご投稿、ようやく、一陽来復のようです(^^♪。








 雅春先生の御話です。



 私は、その日は呉市の素封家内藤さんの宅に泊めて貰っていた。

白鳩会の人たちが大きな硯石になみなみと墨をすってくれて、私の所へ持って来てくれた。

私は墨塗の文机(ふづくえ)の上にその硯をおいて短冊に連(しき)りに「皇軍必勝」と書いていた。

 その頃、呉市は軍港でもあったし、毎晩空襲があったの

で燈火管制と言って、敵の飛行機から見つからないよう

に、燈火が厳重に外へ漏れないように、電燈は十燭ぐらい

の小さい電球にし、更にそれに黒い布をかけて、窓には黒

い幕を張っていた。かろうじて白い短冊に墨の文字が見えるほどであった。

                    (つづく)

40:道産子 :

2020/01/22 (Wed) 07:35:05




<以下は、蛇足ではありますが、
映画「キャッツ」には、米国での上映にあたり、次の気になる情報があります。

 『キャッツ』実写映画の悪評が止まらない 「ポルノ。ワースト。恐怖」

  → https://news.infoseek.co.jp/article/joshispa_20200118_00978397/
>・・・。


 伝統様のご投稿より<m(__)m>。

由々しき問題?









 雅春先生の御話です。



 私は疲れていたし、肩が凝って来ていた。

ひどく硯石が、自分の手から遠い感じがして、もっと近く

にあれば、手を延ばす世話がいらないと思って、硯石を自分の身近に引き寄せた。

墨塗の文机の上にある黒い硯石が、しかも、ほとんど真黒

な闇の中にあるので、文机がどの広さ迄あるのか区切りが

見えなかったので、硯石を文机の外まで引き寄せたのであった。

気が付いた時には硯石は、文机の外に落ちて、私の着物の膝の所に墜落して、更に畳の上に落ちた。

 大変な失敗をしたものである。

                     (つづく)
41:道産子 :

2020/01/23 (Thu) 07:46:10

  


 雅春先生は、必ずや、信ずる者を一致団結させてくれますよ(^^)/。








 雅春先生の御話、続きです。



 内藤さんのお宅では、当時、衣料品は戦争末期の品切れ

に近い頃で、なかなか手に入りにくいのに、私の寝巻にす

る為にわざわざ何処からか、白羽二重の布地を取り寄せ

て、それを私の着物の寸法に仕立てさせたものなのである。

それが、硯石の墜落と同時に、白羽二重の膝の上にべっとりと墨が垂れたような形についたのである。

余分の墨は畳の上に流れて畳をよごした。

 私は、あり合わせのチリ紙で急いで吸い取り、残りのよ

ごれは、雑巾を探し求めて、きれいに拭き取った。しか

し、白羽二重の着物をよごした墨は拭き取る訳にはいかないのである。

 私は、その墨のよごれが、他に点々と附着したり、にじ

んだりして、他の白い部分までよごしてはならないと思っ

て、それを身丈ほどの高さの姿鏡(すがたみ)を衣桁の様にしてその白羽二重の寝巻を懸けて乾かしたのである。

ややそれが乾いた時、私は電燈の光を工夫して、その汚れた方だけ明るくして、それをどうしたらよいか考えた。

                    
                    (つづく)
42:道産子 :

2020/01/24 (Fri) 08:27:38


代田健蔵先生のご講話拝聴しました<m(__)m>。

うちのスピーカーが旧いのか、たぶんに聞き取りにくいの

が難ですが。







 雅春先生の御話です。



 「何とか、これを生かす方法はないだろうか?」

 と思ったのである。するとアイデイアが湧いて来たので

ある。その墨が上から下へと稍々細って流れた形が、朝顔の稍々長めの葉のように見えて来たのである。

 そうだ、この黒い形を朝顔の葉の陰になる形とし、光の

方を向いた葉には輪郭と葉脈だけ描いて、茎を這わし、更

に適当に花を描けば、朝顔の花が、繁った葉の中に咲いているような形になる訳だと思った。

                     (つづく)
43:道産子 :

2020/01/25 (Sat) 07:41:23



 本音の時代様の本音がもひとつ判らない(^_-)。

道産子だという話もあるし…(^^♪。










 雅春先生の御話です。



 その頃、私は、絵心が働いていて、講習旅行中も、ただ

線画や墨絵で、景色や木や草花などを写生していたの

で、わりにラクに、その墨のよごれを日影にある葉の印影として取り入れて、全体が朝顔の絵となった。

それを姿見にかけて眺めてみると、朝顔の裾模様が描かれた羽二重の着物に見えた。

 幸いなことに、私はその朝、次の講習地へ行く汽車の都

合で、午前五時に宿を出ることになっていて、朝食は汽車

の中で汽車弁を食べることになっていたので、私の泊まっ

た部屋へは、食事を運ぶ必要もないので、誰もその部屋に

はまだやって来ないので、姿見に懸けてある朝顔の裾模様

が描かれてる羽二重の着物には誰も気づかないままに、内

藤家の皆様や見送りの人たちに「ありがとうございます」

と合掌のうちにとなえて、私は次の講習会場に運んでくれる汽車に乗るために停車場へ向かったのであった。

                    (つづく)
44:道産子 :

2020/01/26 (Sun) 08:26:45




 ジョセフ・ティテルの預言、コワいです"(-""-)"。








 雅春先生の御話です。



 私はそれから二ヵ所ばかりの講習会を終わって東京へ帰

るために伯備線の方から乗換駅である広島駅に出た。広島

駅の駅長さんが生長の家をよく理解している人で、私は広

島駅で下車すると、その待合時間中、貴賓室で休憩させてくれたものだ。

その日も私はその貴賓室に出迎えられて、そこに入ると出

迎えの信者の群れと共に内藤家の御主人夫婦に顔を合わせた。

先日は、折角の羽二重の立派な着物を、だいなしにして落

書きのような裾模様を書いて、何の挨拶もせずに、出発し

てしまっていて、内藤家の御主人夫婦に今度会うのはバツがわるかった。

穴があったら這入りたいような私の気持だった。

                    (つづく)
45:道産子 :

2020/01/27 (Mon) 08:12:20



<日本人にとって、これからもっとも注意すべきは、パンデミックの流行です。・・・>・・・。

だそうです。

 生長の家にはとっくに流行してますけどね(?_?)。









 雅春先生の御話です。


それで、私はおふたりの顔を見るなり、

「先日は随分ひどい失敗をしまして、折角立派な羽二重の衣装をよごしてしまいまして、申し訳ありません」

 といった。すると内藤さんの御主人の方が言った。

「いえ、いえ、それは私の望んだ事でございまして、私

は、あのように描いて頂けることを祈っていたんでござい

ます。その祈りがきかれまして、とうとう描いて頂きました。あれは全く、私たちの家の家宝でございます。

実は、羽二重の絹に先生に絵を描いて頂きますようにと、

お願いしようと思ったのでしたが、先生が余りにお忙し

く、短冊を書いていらっしゃるので、言うことが出来ず、心の中で一心に神様に祈っていたのでございます。

すると神様が、その祈りをきいて下さったのでございます。ありがとうございます」

               (この御話、おわり)
 
46:道産子 :

2020/01/28 (Tue) 08:24:43



 わが地に雪なし、内地に雪、やっぱり異常気象ですか(^_-)。










 さて、雅春先生の御話は続きます。

「子どもと母の本」からです。







       若人よ、翼をひろげて飛べ


     一日練習しなければそれだけ後退する


 イブ・モンタンというフランスの歌手が、札幌の市民会

館で講演をするという前日、私はその同じ市民会館で講習会の第一日目をやったのであった。

吾々の講習会は午後四時で終わるのだが、そのあと直ぐイ

ブ・モンタンが、翌日このステージで歌うための練習をす

るので、吾々の講習会の後始末が長引かないようにといおう係からの注意で驚いたのである。

モンタンは決して新曲を歌うのではなかった。

自分の国ではもちろん、おそらく世界各国で幾十回も、幾

百回も歌い慣れて来たその歌を歌うのだから、もう手慣れ

たもので、練習しないで、本番ぶっつけに歌ってもよさそ

うなものであるのに、それを前晩から心いくまで練習しておいてから、聴衆に聞かせようという熱心さである。

それでこそ本当に世界に名声を長続きさせ得る名歌手になれるのだと私は思った。

                    (つづく)
 
47:道産子 :

2020/01/29 (Wed) 08:29:35




<目醒めのゲートが閉まり始め、8月にかけて大きく閉まっていきます。

そのゲー卜が完全に閉まるのが、2021年の冬至の日。

この間が、卒業式の期間、目醒めへのエントリー期間です。

エントリーをするとは、「目醒めることを決める」ということ。・・・>・・・。



 さて、さて、難解です('◇')ゞ。









 雅春先生の御話です。


 ピアノの演奏者は四日間練習を怠ると、玄人がきくとハ

ッキリ「腕が落ちた」という事が分かるということをきい

たことがある。もっと、よく聴く耳できいたら、一日練習

しなかったら、それだけその人の演奏の「腕が落ちた」という事が分かる筈である。

歌手の砂原美智子さんに生長の家の徳久理事が、テレビ対

談で「歌手というものは好きな歌を心ゆくばかり歌ってい

ればよいのだから、唯楽しいばかりの生活でしょうね」と

尋ねると、「毎日進歩しなければ退歩することが自分には

ハッキリとわかるから、その練習の苦労は大変なものです」と答えたということである。

 練習とか勉強とかいうものは困難を克服することであ

り、障碍を乗り越えることであり、その困難がひどいもの

であるほど、障碍物が乗り越えにくいものであるほど、そ

の困難を克服した時に喜びは大きくその障碍物を乗り越えた時の勝利の感じは一層大きいのである。

だから平地で穏かな何の苦労もない生活をしている学生

が、わざわざ山に登って氷壁に挑みかかって敢えて苦労を重ねるのである。

                    (つづく)
48:道産子 :

2020/01/30 (Thu) 07:51:59



<恐れるものは来たる。>

 がんこ親爺様の言葉が、今の新型肺炎流行に通じるような気がしています!(^^)!。








 しかし乍ら、専門とする学問や仕事のまだ未開拓の部分

を開拓する困難とたたかいながら、時々刻々とその困難を

克服して行くのは、峻峰の氷壁をザイルとピッケルで克服するよりも一層偉大にして崇高な勝利である。

なぜならいくら峻峰を克服しても、それは、峻峰にのぼり

得た自分ひとりが快楽を味わうばかりであるが、専門とす

る学業や、仕事の困難とたたかって、新しく自然界の法則

を発見したり、人類の厚生に必要なものを創造したりする

ならば、それはその人ひとりの喜びではなく、人類全体と共に喜べる偉大なる勝利だといい得るのである。

                 
                 (この御話終り)
49:道産子 :

2020/01/31 (Fri) 08:24:23



 コロナウイルス、目から感染もあると言う事です。

マスク&ゴーグルも!(^^)!。













 雅春先生の御話、続きです。




 谷口雅春先生   子供と母の本


       心臓のドキドキを止める法


 東京都の赤坂の、ただ今”学生道場”のあるところに、家

庭光明寮という花嫁学校のあった時、午後二時までの私の

講義を終えると、私は舞台の前の端へ進んで出て、私の前

へ来て色々の質問をする人に、個人指導をすることにしていました。

私は、質問を受けやすいように舞台のカブリツキのギリギ

リの近くまで行って坐っている。と、その前へ一人の御婦人がやって来られました。

「先生、私はわざわざ大阪から参った者でございますが、

実は私は、大阪の栗原先生の指導によって、子宮病と糖尿

病と何やら病とを治して貰ったんですけれど、心臓のドキドキするのだけはどうしても治らんのです。

これは神経性心悸亢進症というものです。

これだけは栗原先生ではだめだから、谷口先生に直接治し

て貰おうと思って、わざわざ大阪からやって来たのです。

どういう心になったらこの心臓のドキドキするのが止まりますか?」

 とその婦人は言うのです。

                    (つづく)
50:道産子 :

2020/02/01 (Sat) 08:45:39

https://bbs7.fc2.com//bbs/img/_837600/837516/full/837516_1580514339.jpg


 源流様、雅春先生の「子どもと母の本」ご転写有難うございます<m(__)m>。

 しばらくぶりで読んでみましたら、実に面白い逸話が語られていて、謹写せざるを得なくなりました。

 もう少しありますので、続けさせて頂きます。


 今朝は新しき月、仙厓和尚の書画も変わります。

言触の神が春を告げて回ると言う事のようです。

大きな傘を肩にかけて、子犬が吠えてるのもいいです。


 毎歳孟春 天原降神 揺鐸徇路 懼言遒人

辞典を引いて、ようやく書けました(^_-)。








 雅春先生の御話です。



 私はしばらくその御婦人の顔をじっと見つめておりました。そして、

「あんたの心臓のドキドキするのを止めて上げたいと思う

けれども、止める訳にはいかん。なぜかというとその心臓のドキドキを止めたら、あんたは死んでしまう」

 と言いました。するとその婦人は変な怪訝な顔をしてポカンとしているのです。

「あんた、心臓のドキドキするので血が循って生きている

のですよ。それを止めて貰おうなんて怪しからん。心臓のドキドキするのを有難いと思いなさいよ」

 と私が言いますと、その婦人は、

「だって先生、栗原先生が仰るには、『あんたはあんまり

心臓のドキドキするのを気にかけて心で掴んでいるからい

かん。だれでも心臓は動いているんだから、そのドキドキ

を心で掴まないで、そんなもの忘れてしまいなさいよ』と

言われるんですけれど、そのドキドキを忘れようと思えば

思うほど、心臓のドキドキするのが分るので、どうしても
心臓のドキドキが忘れられないのです」

「あんた、バカですね」

 と私は思わず言いました。
                    (つづく)
51:道産子 :

2020/02/02 (Sun) 08:37:52




 今朝の、久し振りの雪、北海道らしくなってまいりました(^^♪。

 ところで、私、また、1週間ほどお暇を頂きたいのです<m(__)m>。

野暮用でございます(^_-)、PCから離れるのでどうしようもありません。

 スマホなどあれば、方法もあるやもしれませんが(^_-)。ご免なさい。








 雅春先生の御話です。



 というわけは、よくこういう人がありますね。病気を心

で掴んでいるのを放しなさいというと、放そうと思えば思

うほどそれを掴むんです。気に懸けまいと思えば思うほど

気に懸けるのです。こういう時に、どうしたら好いか?

 ところで皆さん。明日試験だという時にそれが気にかか

って眠れない。今晩よく眠っておかければ、明日の試験の

時に、頭がぼんやりしていて答案が上手く書けないかも知

れない。だから“充分眠っておこう”と思えば思うほど眠れ

ない。試験の心配と、眠れない心配とを心から離そうと思

うけれども、放そうと思えば思うほど気にかかって、とう

とう一晩眠れなかった。こんな愚かなことは、皆さんにはありませんか?

その時私は言いました。 

「あんたね、心臓のドキドキを忘れようなんて、そんな恩知らずの心を持っているからいけません。

心臓がドキドキしてくれるので、全身に血が循っているの

に、それを忘れるなんて怪しからん。その心臓の御恩を忘

れようなんてするから、心臓は怒って“この位ドキドキし

ているのが分らんか”といって一層心臓はドキドキして見

せるんですよ。だから心臓のドキドキを忘れてはいかん。

一分一秒でも休みなく、心臓がドキドキしとるのを、でき

るだけ思い出すようにして“心臓よ、今もドキドキしてく

れているのか。ありがとう。それで私の全身に血が循っているんだ。それで有難いんだ。

ああお蔭で生きているんだ。ああ心臓よ。ありがとうござ

います。ドキドキよありがとうございます“と、できるだ

けドキドキを思い出して感謝をしなさい。そうしたらこの心臓に感謝すれば、それでいいんですよ」

                    (つづく)
52:道産子 :

2020/02/03 (Mon) 08:02:08



 
 雅春先生の御話、一つの区切りですので、続けます。



 私は心臓のドキドキが治るとも何とも言わなかった。た

だ、心臓がドキドキしてくれているので有難いんだと言う

事を徹底的に思い出して、一分一秒でも忘れないように、

できるだけ思い出すように指導したのでした。そうした

ら、その奥さんが、翌日やって来られて、

「先生、お陰様で心臓がドキドキしなくなりました」
 と言ってお礼を言われたのであります。

 これはどういうわけでしょうか。ここに、心の秘密があるのです。

”心“というものは、天探女(あまのじゃく)なんです。心

臓のドキドキから逃げ出そう、忘れようと思うと、余計ドキドキが追いかけて来るのです。

ところが心臓のドキドキを出来るだけ思い出そうとすると、却ってそれを忘れてしまうことになるのです。

 病気でも同じことなんです。病気から逃げ出そう、逃げ

出そうと思うと、その病気がなかなか治らないと言う事になるのです。

ところが病気というものを掴まない心になる。そして痛い

なら、痛いままに、そのままに、ああこれは“治す働

き”だ。ありがとうございます。

”痛い”とわかるのは生きている証拠である。死骸が痛いと

言っているのを見た事はない。そうしたら”痛い”というの

は、生きている証拠だから、ありがたい。

やむのは命の働きだ、死んだら痛みなどしない。生きる働

きだ、ありがとうございます、ありがとうございます――

と、その痛い事に感謝する様にしていたら、いつの間にか、その痛みが消えて病気が治るのであります。

 恐れないで、感謝することにすると、自然の偉大なる力が内から発現して来るのです。

試験などでも恐れないで、試験があるお蔭で私がどんなに

素晴らしい”神の子”で、どんなにすぐれた能力を持ってい

るのかが、わかるのだ、「試験よ、ありがとうございま

す、試験場よ、ありがとうございます、試験をして下さる

先生、ありがとうございます」と、心の中で念じて勉強

し、復習すれば、よく憶えられるし、試験場へ行ってもド

キドキしなくなり、心が落ち着くので、知っていること

は、決してド忘れしないで、よい点が取れるのであります。

                 (この御話終り)
53:道産子 :

2020/02/13 (Thu) 08:09:26



<谷口雅春先生は、聖典の中で、いわゆる教育漢字、当用

漢字にないような読み方を多々なされております。ですか

ら、あながち『動ぎなき』と書いて、「ゆるぎなき」と読

ませるということもあったと思われます。・・・>


 肥前なごみ様のご投稿に、なぜか合点が行って?いました(^^♪。




 再び,謹写をさせて頂きます<m(__)m>。

雅春先生の御話、続きです。





  こうして彼は出世した (子供と母の本181頁~)


         -三つの話―

   私の秘密―ちょっとした工夫が成功の本


 英国は一ばん最初に紡績業の発達した国でありますが、

まだ紡績業が今の様にさかんでなく、機械も今の様にすぐれたものでなかった頃のことです。

 紡績機械にはボビンといって素麺のようなに綿を細くしたものを巻き付ける管があるのです。

綿が素麺のように細くなって出て来るのをボビン(篠巻

管)が自動的に回転しながら、そのボビンに巻き取るので

すが、綿が素麺(これを“篠”といいます)がそのボビンに

巻き取られる時に、綿の繊維がボビンに粘りつくため

に、“篠”が度々切れて、繊維が飛び散り、その“篠”をつな

ぎ合わせたり、機械を掃除したりするのに手間取って、そ

の間、機械を停めなければならないので、仕事がはかどらずに、工員の儲けはそれだけ少なくなるわけです。

                     (つづく)
54:道産子 :

2020/02/14 (Fri) 07:42:57




 毎日マスクで息苦しい日々を送っています。

神想観は欠かしませんけど…。









 雅春先生の御話です。



 その紡績会社は、一八三四年と一八四一年と二度英国の

総理大臣に選ばれたロバート・ピール卿のお父さんにあた

るピールが社長をしている会社でした。時々、ピール社長

は工場を見廻るのでしたが、ある一人の工員の受け持って

いる紡機の“篠”が一度も切れないで、機械が始終全運転しているのに目をつけました。

その工員の使う機械は始終全運転しているので、その工員の収入はいつもトップに立っていました。

 ある日ピール社長は工場を巡回してその工員の所へ行くと、話しかけました。

「君のとこのボビンはいつも綿が粘りつかないでキレイだね。みんながそういってほめているよ」

 とピール社長はいいました。

「そうかも知れません」とディックは答えました。この工員の名前はディック・フェルグーソンというのです。

「どうして、そんなに上手にできるのかね?」とピール社長はたずねました。

「社長、これは私の秘密です。この秘密を話したら、皆が

私と同じように賢くなりまさァ。それじゃ、私は損をします」

「それは、そうだね。しかし、君がそれを知らせてくれた

らその褒美に何か上げたいがね。どうだね。君はこの工場

全体の機械をみんな君の機械と同じように、篠が切れずに機械を停めないで始終運転するようにできるかね」

「みんな機械全部ですか。それは出来ますよ」とディックは答えました。

「それじャ、その秘密を知らせてもらいたいが、その代償として何を君にあげようかな」

「この会社に勤めている間中、エール酒の一クォート瓶を

毎日一本頂きたいものですね。そしたら、私の秘密を社長にお教えいたしますよ」

「よろしい。承知した」とピール社長はキッパリいいました。

                    (つづく)
55:道産子 :

2020/02/15 (Sat) 08:32:15




 源流様、いつもご転載有難うございます<m(__)m>。


<路銘(ねろめ)国昭先生、新型ウイルスも温度に弱いから、

暖かくなると生きられない>


 終息宣言ですね(^^♪。






 雅春先生の御話続きです。



 エール酒というのはイギリスで出来る麦を発酵させてつ

くるビールの一種で、普通のビールよりはアルコール分が

多い酒であります。ディックはピール社長の耳元にヒソヒ

ソ声で「胡粉をボビンに塗ってくだけですよ」と教えました。

これがディックの「私の秘密」だったのです。

 ピール社長は、全てのボビンに胡粉を自動的に塗るような機械を工夫しました。

ちょっとしたこの工夫で、ピール社長の会社は、他の同業

者の生産を抜いてトップに立ち、業界第一の収益を上げるようになりました。

ディックは、毎日のエール酒よりも、もっと多くの報酬を貰ったと言う事です。

 ちょっとした工夫から大いなる生産があがることにもな

れば、ちょっとした考えが世界の全貌を変えてしまうこともあるものです。

 常に自分の仕事を、どのようにしたら改善できるか、そ

の工夫を常に考えている者には、或る機会に随分よい考え

がㇵッと頭にひらめいて来るものなのです。それには毎日
祈りを忘れない事が大切です。

                  (当話、終り)

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