伝統板・第二

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賢者の一日一言(R元年12月) - 夕刻版

2019/12/01 (Sun) 19:06:53

このスレッドでは、過去に紹介した次のスレッドから、
日々の言葉の数々を再度紹介してまいります。

(1)伝統板・第二「『一日一語』(二宮尊徳) 」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7539379

(2)伝統板・第二「修身教授録・一日一語(森 信三)」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7150729

(3)伝統板・第二「松下幸之助に学ぶ 指導者の365日」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7687044

(4)伝統板・第二「一日一言(坂村真民)」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6747223

(5)伝統板・第二「ひかりの一日一言33~~若さと元気はどこからくるか」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7669112

            ・・・


賢者の一日一言《1日》


(1)【 12月1日 】我が道は至誠と実行のみ(一)

   我が道は至誠と実行のみ。

   故に鳥獣虫魚草木にも皆及ぼすべし。
   況(いわ)んや人に於けるをや。

   故に才智弁舌を尊まず。

   才智弁舌は、
   人には説くべしといへども、
   鳥獣草木を説く可からず。

   鳥獣は心あり。
   或は欺(あざむ)くべしといへども、
   草木をば欺く可からず。

   夫(そ)れ我が道は至誠と実行となるが故に、
   米麦菰菜(そさい)瓜茄子にても、
   蘭菊(らんきく)にても、
   皆是を繁栄せしむるなり。

             (夜話一三九)


   【略解】
 
   まこと再三再四、
   復誦すべき至言である。


                 ・・・

   (伝統板・第二「二宮翁夜話 巻之四~その6 」に収録。<2015/10/22>
      → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6592962 )

・・・

(2)【 12月1日 】天真

   人間という物は、
   その人が偉くなるほど、
   次第に自分の愚かさに気付くと共に、
   他の人の真価がしだいに分かってくるものであります。

   そして人間各自、
   その心の底には、
   それぞれ一箇の「天真」を宿していることが分かってくるのであります。

・・・

(3)【 12月1日 】 頂上は一つでも、道は無数にある

   困難や障害を、
   山や谷をどれだけ多く乗り越えたかで、
   その人の人生が決まるのです。

   幸之助は、
   大きな試練のたびに、
   絶望を希望の変え、
   厳しい人生の荒波を前進へのエネルギーに変えて、
   力強く経営してきたのです。

   頂上は一つでも、
   道は無数にあるのです。

・・・

(4)【 12月1日 】 《人間作り》

   花作りも
   人間作りも同じだ

   どんないい種でも
   しっかりと土作りをし
   たっぷりと肥料をやり
   うんと光と水とを与えてやらねば
   いい花は咲かない

   日々の努力
   念々の精進

   その果てに
   見事な花が咲き
   見事な実がなり
   真実な人間が出来あがる


・・・

(5)《1日 「宇宙的な自己」への目覚め》

   誰でも人生のある段階に達したとき、人間が単なる物質ではなく、
   物質以上のもの、肉体以上のものが自分に宿っており、
   それに生かされているのであることを悟る瞬間が
   一度や二度は必ずあるものなのである。

   それは何か非常な危険に晒されて、迚(とて)も自分の力では
   その危難から救われる筈がないと思われる瞬間に、
   何か不思議な力によってその危難から免れ得たようなとき、

   または既に医師も家族も、自分も、絶望だと信じ切っていたような瞬間に、
   ふと気がついてみたら生きている自分を発見したようなとき、

   此処に生きている生命(いのち)は自分の生命(いのち)ではなく、
   一層偉大なるものに生かされていると云う自覚が得られるのである。

   そんな体験をある人は軽く見逃してしまって
   記憶にとどめないで忘れてしまうが、
   或る人にはそれが深い感銘を与えて「人間」を見る眼が一変してしまう。

   小さな「個」の存在から、偉大なる「宇宙的な自己」へと目覚める
   ―― それが新生である。
   本当の新生は決して、寄る年波をかぞえる暦の上での
   新年を迎えることではないのである。

          谷口雅春著『生活の智慧365章』
          (第4部繁栄の泉)第12篇(P305~306) より

           <感謝合掌 令和元年12月1日 頓首再拝>

賢者の一日一言《2日》 - 伝統

2019/12/02 (Mon) 18:33:55


(1)【 12月2日 】我が道は至誠と実行のみ(二)

   仮令知謀(たとえちぼう)孔明を欺(あざむ)き、
   弁舌蘇張(べんぜつそちょう)を欺くといへども、
   弁舌を振(ふるつ)て草木を栄えしむる事は出来ざるべし、

   故に才智弁舌を尊まず、
   至誠と実行を尊ぶなり、

   古語に至誠神の如しと云といへども、
   至誠は則神と云も、
   不可なかるべきなり、

   凡(およ)そ世の中は智あるも学あるも、
   至誠と実行とにあらざれば事は成らぬ物と知るべし。

                        (夜話一三九)

   【略解】
 
   いかに才知あり弁舌ありといえども、
   至誠と実行がなければ、
   事は運ばず成立しないとの一大信条の表明です。

                 ・・・

   (伝統板・第二「二宮翁夜話 巻之四~その6 」に収録。<2015/10/22>
      → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6592962 )

・・・

(2)【 12月2日 】人間的威力を鍛錬する

   真の修養とは、
   人間的威力を鍛錬することです。

   無力なお人よしになることは、
   大よそ天地隔たることと言ってよいのです。

   つまり真の内面的な自己を築くことです。

   その人の前では、
   おのずから襟を正さずにはいられないというような人間になることです。

・・・

(3)【 12月2日 】 自分の人生は自分の力で切り開く

   人生は一度しかありません。

   幸之助は、
   口癖のように、

   「木野君、
    自らの人生はな、
    自分の力で切り開くことしか出来へん。
    どんなに人様を頼っても、
    その頼る気持ちがあるかぎり、
    人様からの共感を得ることは出来んのや」

   自分の力で苦労を切り拓こうという精神が大切です。
   指導者の在り方を学びました。

・・・

(4)【 12月2日 】 《一心称名》

   念ずれば花ひらく
   念ずれば花ひらくと
   唱えればいいのです
   ただ一心に唱えればいいのです

   花が咲くとか
   咲かぬとか
   そんな心配はいりません

   どうかあなたの花を
   あなたの心田(しんでん)に
   咲かせてください
   必ず花はひらきます

・・・

(5)《2日 悟りと実践》

   自己の内に埋蔵されたる「一層偉大なるもの」を
   発見するのが「新生」であり、仏教的に謂うならば「悟り」である。

   併し、その「悟り」が一時的な“魂の光耀”で消え去ってしまう人が
   多いのは、その「悟り」を実践の上で生かさないからである。

   白隠禅師が「大悟十八回」を重ねられたと云うのは、
   その「悟り」が「悟り」のままで静止し、眠ってしまわないで、
   動的な「悟り」となり、実践的に、その「悟り」が実現して行く、
   巨大なる“悟り歩み”の足跡を振り返ってみて斯く形容されたものだ
   と思われる。


   誰でも実践的に使わないところの力は退歩してしまう。
   “悟り”も実践的にそれを行使しないとき、折角、その悟られたる
   「一層大なる力」は徒(いたず)らに眠ってしまう。

   凡(およ)そ人生に於て偉大に聳(そび)え立つところの人は、
   その悟りによって把握したところの「一層大いなる内在の力」を
   眠らせないでそれを自由に駆使して行った人々である。

       谷口雅春著『生活の智慧365章』
       (第4部繁栄の泉)第12篇(P306) より

           <感謝合掌 令和元年12月2日 頓首再拝>

賢者の一日一言《3日》 - 伝統

2019/12/03 (Tue) 19:38:48


(1)【 12月3日 】この覚悟、事を成す大本

   夫(そ)れ開闢(かいびゃく)の昔、
   葦原に一人天降りしと覚悟する時、
   流水に潔身(みそぎ)せし如く、
   潔(いさぎよ)き事限りなし。

   何事をなすにも此の覚悟を極むれば、
   依頼心なく、
   卑法卑劣の心なく、

   何を見ても、
   羨(うらや)ましき事なく、

   心中清浄なるが故に、
   願ひとして成就せずと云ふ事なきの場に至るなり。

   この覚悟、
   事を成す大本なり。

   我が悟道の極意なり。
   此の覚悟定まれば、
   衰村起すも、
   廃家を興すもいと易し。

   只此の覚悟一つのみ。

                   (夜話一三四)


   【略解】
 
   この天上天下にただ一人、
   天の使命を帯びて派遣せられし覚悟なるか。

                 ・・・

   (伝統板・第二「二宮翁夜話 巻之四~その1 」に収録。<2015/09/11>
      → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6592962 )

・・・

(2)【 12月3日 】単純なものだからこそ

   植物というものは、
   動物、とくに人間から見れば、
   生命の最も低い発現段階といつてよいでしょう。

   すなわち、
   宇宙の大生命は、
   植物としては、
   その最も単純な姿を示すわけです。

   が同時にまたすべて単純なものは、
   つねに自己の全体の姿をはっきりと現すと言えましょう。

・・・

(3)【 12月3日 】 絶望を希望に変えるのが指導者の一念

   指導者とは、
   人を導き、
   人の上に立つ人のことを言います。

   「人の上に立てば、
    煩わしいこともぎょうさん起こる。
    だから決まって一人の方が良かったと思うもんや。
    けれどもな木野君、
    一人の方が良かったと思う時は、
    自分が負けている時やで」

   指導者は、
   どんな絶望でも希望に変えていく一念がいるのだと、
   人の上に立つ人間の心構えを学びました。

・・・

(4)【 12月3日 】 《いきいきと生きよ》

   「生きているあいだは、いきいきとしていなさい」

   これはゲーテの言葉のなかで、もっとも好きな言葉だが、

   仏教渡来以前の日本人は、
   本当に明るくいきいきと生きていたであろうと思う。
   わたしはそういう人が好きである。

   (中略)

   もう一つ好きな言葉を挙げておこう。

   「いつかはゴールに達するというような歩き方ではだめだ。
    一歩一歩がゴールであり、
    一歩が一歩としての価値をもたなくてはならない」

・・・

(5)《3日 内部と外部をつなぐスイッチ》

   人間は五官に感じられる面から観れば肉体と云う物質的な存在である。
   しかしその内性を観ずれば、宇宙大生命が宿っているのである。

   宇宙大生命は虚空に満ちており、
   わが内に流れ入って個々の人々の内部生命を成しているのである。

   しかし内部に満ちているからとて必ずしも現実的な力にはならない。
   蓄電池のうちに電気が満ちているからとて、必ずしも
   それが現実的な力となってあらわれて来ないのと同じことである。

   内部の電気的力を現実的な力とし“光”を輝かせ、
   モーターを回転させるためには、内部と外部とを繋ぐために
   スイッチを入れなければならない。

   その“内部”の「一層大なる力」と、
   “現実”の「有限なる力」とを結び合わす
   スイッチとなるものは“心”である。

   “心”の媒介を通じて、内部の「霊」の無限の力は
   外界にまであらわれて現実的な力となってくれるのである。

         谷口雅春著『生活の智慧365章』
          (第4部繁栄の泉)第12篇(P306~307) より

           <感謝合掌 令和元年12月3日 頓首再拝>

賢者の一日一言《4日》 - 伝統

2019/12/04 (Wed) 19:45:44


(1)【 12月4日 】回村の行の威力

   予昔桜町陣屋に来る。
   配下の村々至惰(しだ)、
   至汚(しお)、如何共すべき様なし。

   之に依って予深夜、
   或は未明、村里を巡行す。

   惰を戒(いまし)むるにあらず、
   朝寝を戒むるにあらず、

   可否を問はず、
   勤惰を言はず、

   只自らの勤めとして、
   寒暑風雨といへども怠らず、

   一二月にして、
   初めて足音を聞きて驚く者あり。
   又足跡を見て怪しむ者あり。
   又現に逢ふ者あり。

   是より相共に戒心を生じ、
   畏心を抱き、
   数月にして、
   夜遊(よあそび)・博奕(ばくえき)・闘争等の如きは勿論、
   夫婦の間、
   奴僕(ぬぼく)の交り、叱咤(しった)の声無きに至れり。

                         (夜話一三五)

   【略解】

   先ず着手せられし回村の行の威力。

                ・・・

   (伝統板・第二「二宮翁夜話 巻之四~その2 」に収録。<2015/10/05>
      → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6592962 )

・・・

(2)【 12月4日 】老木の味わい

   私は老木を見ることが好きであります。

   鬱然(うつぜん)たる老木の姿に接する毎に私は、
   そこに完成せられた人間の内面的な消息を、
   まざまざと形の上に見る思いがするわけです。

   同時にまた、
   自分も年老いたならば、
   あの老木の持つような味わいを、
   多少なりともわが身の上に得られるようでありたいと思うのです。

・・・

(3)【 12月4日 】 何のために経営するのか

   「何のために経営するのかと問われれば、
    それは経営理念を実現することだ」

   と、幸之助は言っていました。

   「儲けることは大事や。
    それを忘れてはいかん。
    しかし儲けが先に来ると、
    経営はうまくいかないようになっている」

   つまり、
   指導者が志を立てて、
   理念の実現に向かう過程でその結果として利益が上がるものです。

   経営理念の確立が最も大事です。

・・・

(4)【 12月4日 】 《初めの日に》

       その一

   なにも知らなかった日の
   あの素直さにかえりたい
   一ぱいのお茶にも
   手を合わせていただいた日の
   あの初めの日にかえりたい
 
       その二

   慣れることは恐ろしいことだ
   ああ
   この禅寺の一木一草に
   こころときめいた日の
   あの初めの日にかえりたい

・・・

(5)《4日 内部の霊なる智慧》

   内部の「霊」は「一層大なる自己」であると共に、
   「一層大なる智慧」である。

   その智慧の啓示にしたがって生活する者は、
   流れに従って航(こう)するようなもので、
   速やかに進むことができるが、

   その智慧の啓示に従わずして生活する者は流れに逆らって航するもので、
   色々の困難を閲(けみ)しなければならないのである。

   だから、私たちは「内部の霊なる智慧」を呼び出して来て、
   その導きに素直に随うようにしなければならないのである。

   ただ肉体脳髄の限られたる知識だけで、
   不安定な道を遮二無二突き進んで行くだけでは、
   肉体的力は消耗(しょうこう)してしまって、
   ついに完全に物事を成就することは出来ないのである。

   この「内部の霊なる智慧」を導き出すのが「心」の働きであって、
   神想観を実修して「心」を調節することによって、内部の霊と波長が合い、
   内部の智慧が肉体面に現実化してくることになるのである。

         谷口雅春著『生活の智慧365章』
         (第4部繁栄の泉)第12篇(P307~308) より

           <感謝合掌 令和元年12月4日 頓首再拝>

賢者の一日一言《5日》 - 伝統

2019/12/05 (Thu) 19:50:34


(1)【 12月5日 】白盃白酌たるべし

   翁折々補労(ほろう)のために、
   酒を用ひららる。

   曰く銘々酒量に応じて、
   大中小適意の盃を取り、
   各々自盃自酌たるべし。

   献酬する事勿(なか)れ。
   是れ宴を開くにあらず。
   只労を補はんがためなればなりと。

   或いは曰く、
   我が社中是れを以て、
   酒宴の法と為すべし。

                  (夜話二一五)

  【略解】

   「自盃自酌たるべし。
    献酬する事勿れ」
   という酒宴の方法には大いに共鳴するものがある。

                ・・・

   (伝統板・第二「二宮翁夜話 巻之五~その28 」に収録。<2016/05/03>
      → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6754248 )

・・・

(2)【 12月5日 】風雪の鍛錬

   私は老木を見ていますと、
   その枝の一つひとつが、
   いかに多くの風雪にたえて来たかということを、
   しみじみと感ぜしめられるのであります。

   いやしくも老木といわれる以上は、
   ただ木が大きいというだけではなくて、
   そこに一種言いがたい気品とも言うべき趣がなくてはなりません。

   そしてその趣は、
   風雪によって鍛えられて、
   いわばその生なところがことごとく削りとられて、
   残すところがなくなったものであります。

   それ故植物でありながら、
   永年の風雪の鍛錬によって、
   そこには一種精神的ともいうべき気品が現れて来るのです。

・・・

(3)【 12月5日 】 トラブルの解決が経営や

   自分の条件だけで考えて、
   問題を解決すればよいと考えていると、
   いつの間にか周囲に対する配慮が足りなくなります。

   「問題の解決は、
    試練の一つと思うこと。
    その試練を乗り越えるには、
    周りの協力が必ずいること。
    問題解決のコツは、
    常日頃から周囲に配慮しておくこと」

   幸之助は、
   トラブルや問題解決の名人でした。

・・・

(4)【 12月5日 】 《きわみに》

   かなしみの
   きわみに
   詩が生まれ

   かなしみの
   きわみに
   光が射し

   かなしみの
   きわみに
   手が合わされる

・・・

(5)《5日 平和と幸福の大道》

   禅宗に「日日是好日」と云う語(ことば)があるが、
   そのような流れに沿うて仙境を下るような眺めのよい生活を
   日々おくるようになるには心が調和して、「肉体」の生活が
   「内部の霊」の生活と波長が合ったものとならなければならない。

   神は決して人間を罰したまうことなく、
   平和と幸福との大道をつくって下さっているのであるけれども、
   肉体の歩みが、叡智の導きに従わないがゆえに、
   時々「神の備えたまわざる道」を歩んで墜落して怪我をするのである。


   即ち私たちが傷つくのは神罰ではなく、智慧の導きを受ける方法を知らないため、
   又は知っていても、その導きを受けようとしないために、
   みずから道をが踏み外して崖から墜落するのである。

   神は法則を与えた。
   そして法則を人間が「心」の力によって発見するように委ねられたのである。

         谷口雅春著『生活の智慧365章』
          (第4部繁栄の泉)第12篇(P308~309) より

           <感謝合掌 令和元年12月5日 頓首再拝>

賢者の一日一言《6日》 - 伝統

2019/12/06 (Fri) 18:43:33


(1)【 12月6日 】一に譲道

   禽獣(きんじゅう)争奪を専らにし、
   僅かに生活を得て礼譲の道なし。
   故に古(いにし)へより以来一日も安んずるを得ざる人なり。

   人は則ち此れに異り、
   神聖建つる所の譲道に依り、
   五倫の道を行い、
   各々父母妻子を保(やす)んじ、
   以て其の生を楽しむ。

                   (語録四一四)

   【略解】

   人が禽獣に異なる所以(ゆえん)のものは、
   この譲道にありと教えられる。

   かくして五倫の道とは、
   父子間の親、
   君臣間の義、
   夫婦間の別、
   長幼間の序、
   朋友間の信を指す。

・・・

(2)【 12月6日 】生活の鍛錬

   このようなことは、
   またわれわれ人問の世界についても言えるようであります。

   即ち一人の優れた人格というものは、
   決して生やさしいことでできるものではありません。

   その人が、
   現実生活においてなめた苦悩の一つひとつが、
   その人を鍛えて、
   その人から生なところを削りとっていくわけです。

   すなわち生活の鍛錬が、
   その人からすべての甘さを削り取っていくわけです。

・・・

(3)【 12月6日 】 神が許さん

   幸之助は、
   共存共栄を信念としていました。

   私はファクシミリの世界シェアーを独占する方法はないかと、
   あれこれ真剣に考えていました。

   しかし、
   その考えを知ると、
   烈火の如く叱られました。

   「自分が独り占めしようとすれば、
    世間は許すかもしれないが、
    神が許さん」

   という言葉が心に残っています。

・・・

(4)【 12月6日 】 《死とは真剣の代語である》

   「死とは真剣の代語である」。
   死生を解決せずして宗教は存在しない。

   どうでもいいという人間は別として、
   人間らしく世を終わりたいなら、
   自分は自分なりの死生観を持たねばならね。

・・・

(5)《6日 「心」は人生航路の船長》

   人生はみずからそれの自然の流れに逆らわないで、
   “そのままの心”で人生の航路を渡るならば、
   そんなに困難な世界でないのである。

   すべて人生に於て与えられるものは、科学の世界に属するものも、
   霊の世界に属するものも、法則を通じて与えられるものなのである。

   そして其の法則を発見するのは「心」であり、
   「心」が法則を発見する方法は、「調心」と「研究」とである。


   「研究」に一心になるとき、心がそれに統一されて
   おのずから「調心」が得られるのであるが、
   研究が正しい方向に向かっているかどうかを知るのは
   「調心」即ち心を整えることによってである。

   ただ遮二無ニ努力して航海をつづけるだけでは
   暗礁に乗り上げるかも知れないのである。
   「心」は船長であり、正しい方向に行動の舵をとらなければならない。

       谷口雅春著『生活の智慧365章』
        (第4部繁栄の泉)第12篇(P309) より

           <感謝合掌 令和元年12月6日 頓首再拝>

賢者の一日一言《7日》 - 伝統

2019/12/07 (Sat) 17:46:09


(1)【 12月7日 】報徳勤勉

   苟(いやし)くも人たる者は徳に報ずるの心を懐(いだ)き
   勤勉にして懈(おこた)らずんば、
   則ち智力乏しと雖(いへど)も、
   而(しか)も其の功必ず以て家を興し、
   身を安んずるに足らん。

   三才の徳、
   豈(あに)其れ一日も遺(わす)るべけんや。

                    (語録四一六)

   【略解】
 
   三才の徳とは、
   天・地・人の徳を言う。
   この三才の徳に報ずるは人道の極なりと教えている。

・・・

(2)【 12月7日 】道理を知る

   人間は読書によって物事の道理を知らないと、
   真のカは出にくいものです。

   そもそも道理というものは、
   ひとりその事のみでなく、
   外の事柄にも通じるものです。

・・・

(3)【 12月7日 】 自ら断崖の淵に立て

   不景気になると、
   もうだめだとあきらめる人がいます。

   幸之助は、
   長い人生の中で五度の逆境を体験しています。

   「まわりの影響でじわじわと断崖に追い詰められたら、
    どんな人間もいい考えは浮かんでこん。
    断崖の淵に自らの意志で立つんや」

   自らを追い詰めて断崖の淵に立てば、
   そこから独創性が生まれてくるのです。

・・・

(4)【 12月7日 】 《鳥は飛ばねばならぬ》

   鳥は飛ばねばならぬ
   人は生きねばならぬ

   怒涛の海を
   飛びゆく鳥のように
   混沌の世を生きねばならぬ

   鳥は本能的に
   暗黒を突破すれば
   光明の島に着くことを知っている

   そのように人も
   一寸先は闇ではなく
   光であることを知らねばならぬ

   新しい年を迎えた日の朝
   わたしに与えられた命題

   鳥は飛ばねばならぬ
   人は生きねばならぬ

・・・

(5)《7日 内在の神は呼びかけを待ち給う》

   神は常にあなたと偕(とも)にあるのである。
   なぜなら、あなたの「内在の生命(せいめい)」は神であるからである。

   併し。「内在の神」はそれに対して呼びかけないとき、ただ黙々として
   ”生理的いとなみ”をつづけているだけで、その他(た)のことを
   示そうとはしないのである。

   何故(なぜ)なら「内在の神」は専制君主ではなく、圧政的に自己主張を
   したまうことはなく、肉体の自我が、内部に対して呼びかけるのを
   唯(ただ)待っていられるだけであるからである。


   しかし若し私たちが、善なる目的をもって「内在の神」に呼びかけ、
   その神の教えたまうところに”唯(ただ)まかす”ときには、
   神は必ず道を示したまうのである。

   但(ただ)し神に呼びかけるには必ず、
   「善なる目的」のためにでなければならない。

   利己的目的のために、神に呼びかけることがあれば、
   利己的目的のためにその辺を浮浪しているつまらない幽霊が
   「神」の仮面をかぶって来て、あなたを迷わすばかりである。

        谷口雅春著『生活の智慧365章』
         (第4部繁栄の泉)第12篇(P309~310) より

           <感謝合掌 令和元年12月7日 頓首再拝>

賢者の一日一言《8日》 - 伝統

2019/12/08 (Sun) 19:57:41


(1)【 12月8日 】人の窮乏を助く

   余幼少より敢(あ)えて招飲(しょういん)に赴(おもむ)かず。

   索綯作籃(さくとうさくらん)を以て人の窮乏を助くるを楽と為す。

   爾来孜孜(じらいしし)として事に斯(これ)に従う。
   敢えて自己の衣食を計らず。
   以て今に至る。

                     (語録四五五)

   【略解】
 
   索絢作籃とは、
   なわないとかごつくりのこと。

   寸暇を惜しんで撓(たゆ)まず微善を積むという生活がうかがえます。

・・・

(2)【 12月8日 】一日が一生になる

   今日という一日を、
   真に充実して生きるところに、
   やがてまた一生そのものを充実して生きる秘訣がある。

     ・・・・・・結局は一日一日の移りゆきの外ないわけです。

・・・

(3)【 12月8日 】 泥棒も三分の利

   幸之助は叱り方の名人でした。

   時には、
   顔を真っ赤にして烈火の如く叱っていましたが、
   人間を叱ったりものごとを叱ったりしませんでした。

   「君のこのやり方は、
    松下経営理念に沿っていない。
    経営理念に沿って仕事をして、
    初めて仕事というんや。
    君は仕事してへんやないか」

   相手を叱るとき、
   泥棒も三分の理があると心がけ、
   心の中で許しながら叱っていました。

・・・

(4)【 12月8日 】 《自訓》

   弱音を吐いちゃいかん
   愚痴を言っちゃいかん

   千里万里を飛んでくる
   渡り鳥たちを思え

・・・

(5)《8日 精神と身体との相関》

   どんな種類の愛情想念でも、それが蓄積するときには肉体を
   その感情想念象徴する形に、変形したり彫刻したりするのである。

   強烈な感情は即刻、肉体に大変化を起こさせることがある。

   あまりに驚愕したために
   所謂る「腰が抜けた」と云う状態で脚が立たなくなったり、
   皮膚に鳥肌を生じて慄(ふる)え出したりする。

   強烈な憤怒で脳溢血を起こしたり、
   心臓疾患で斃(たお)れたりするのは、
   日常目撃するところである。


   こう云う心身相関的な法則を知るならば、
   私達はもっと自分の心の持ち方に注意して、

   不快なものを心に想念しないことにし、みだりに物や人に執着して、
   感情的興奮の因(もと)を作らないようにし置くことが必要なのである。

          谷口雅春著『生活の智慧365章』
          (第4部繁栄の泉)第12篇(P310~311) より

           <感謝合掌 令和元年12月8日 頓首再拝>

賢者の一日一言《9日》 - 伝統

2019/12/09 (Mon) 18:57:21


(1)【 12月9日 】君民一体

   君民は一なり。
   なお一樹のごとく然り。
   君は幹なり。
   民は根なり。

    (中略)

   然して水気を吸うは細根なり。
   稼穡(かしょく)を務むる者は細民なり。

   細根なければ則ち幹枝花葉を養う能(あた)わず、
   細民なければ則ち経国の用度を給する能わず。

   国君たる者は宜(よろ)しく君民一体の理を悟り以て
   細民を恤(あわれ)むべきなり。

                    (語録四六二)

   【略解】
 
   稼穡とは、
   穀物の植付けと取り入れすなわち農業のこと。
   農業は国の本なり、
   この大本を忘れてはならない。

・・・

(2)【 12月9日 】生命を慈しむ

   私達が、
   自分の生命に対して、
   真に深い愛惜の念を持ち得ないのは、
   自分の周囲に無数の人々の生死を見ていながら、
   しかもそれをわが身の上に思い返さないからです。

   さらに一歩をすすめて申せば、
   わが身が人問として生をこの世にうけたことに対して、
   真の感謝の念を持たないからでしょう。

・・・

(3)【 12月9日 】 世話好きにならんとあかん

   幸之助は、
   縁と恩を大事にしました。
   それだけに人間の心の動きに敏感でした。

   「木野君な、
    自分が成功しようと思うたら、
    先ず世話好きにならんとあかんで。
    人間は与えたもんしか返ってこんのや」

   指導者の条件は、
   面倒見の良い人になることだと教えられました。

・・・

(4)【 12月9日 】 《危機の中で》

   危機の中で
   人は成長し

   危機の中で
   人は本ものになる

   だから危機を避けるな
   むしろ危機に立ち向かう心を養え

   冷たい烈風の中を
   行きつつ思う

・・・

(5)《9日 潜在意識の驚くべき智慧》

   生理作用を司るところの”心”は、
   私たちには”気のつかない心”(無意識の心)である。
   此の”心”を潜在意識と言う。

   ハッキリ何事かを思い浮かべたり、
   意識したりしている”心”を現在意識と言う。

   無意識の領域は現在意識に比べるとズッと広く、
   其処にはあらゆる記憶が蓄積されており、
   またそれは緊急事態に応じて色々に生理作用を調節するための
   複雑な計算が暗黙のうちに行なわれているところの
   驚くべき智慧ある意識である。

   それは、眼なくして、胃袋に入って来たところの食物が
   何であるかを知ることが出来、

   それに対応するための適当な消化液を出し、
   消化した物質を選別して、排泄すべきものは送り出し、

   吸収すべきものは吸収し、吸収した成分の中(なか)でも、
   その成分を何処(どこ)に如何なる形に結合してよいかを
   知っている極めて叡智的な”心”である。

   この叡智的な”心”を人間が蒙(くらま)さないようにするならば
   人間は常に健康であられるのである。
      (アレキシス・カレル著『生命の知恵』日本教文社発行)

        谷口雅春著『生活の智慧365章』
        (第4部繁栄の泉)第12篇(P311~312) より

           <感謝合掌 令和元年12月9日 頓首再拝>

賢者の一日一言《10日》 - 伝統

2019/12/10 (Tue) 19:06:23


(1)【 12月10日 】分度は仁の大本

   分度は仁の大本なり。
   苟(いやしく)も其の本立たずして、
   徒(いたず)らに末を挙げんとせば、
   是れ民を惑はし遂に聚斂(しゅうれん)の災を開き、
   国を興さんとして、
   却って其の国を亡ぼすの大患を生ぜん。

   これ故に分度を立つる時は大仁を行ふに足り、
   分度なき時は国を廃する殃(わざわい)となれり。

                       (金言集)

   【註】
 
   聚斂とは人民からの租税のとり立て。
   分度こそ興亡の本なる所以(ゆえん)である。

・・・

(2)【 12月10日 】生命の奇跡

   そもそも私達が、
   ここに人間として、
   この世に生命をうけることのできたということは、
   決して私達の努力や計らいによるものではないわけです。

   すなわち私達は、
   自分の努力の報いとして、
   ここに万物の霊長たる人問としての生命をうけたわけではないのです

・・・

(3)【 12月10日 】 明るい方から見る

   「木野君な、
    ものごとが起きたとするやろ、
    起きた事実は一つや。

    明るい方から見るか、
    暗い方から見るかで、
    一八〇度ものごとは変わるんやで。

    どちらから見た方が、
    成功すると思う」

   幸之助はいつも質問をしてきました。
   この質問は、
   鍼灸師宅で、
   針治療をしながらの時でした。

   一つのものごとでも、
   多面的に見る事が大事だと教えられたのです。

・・・

(4)【 12月10日 】 《宇宙の愛と霊①》

   信仰には学問、頭脳、財物、そんなものは一切いらない。
   大切なものは決定心だけである。

   これさえしっかり持って精進すれば、
   必ず神仏のお側に行くことができる。
   不生不滅、不増不減の広大な世界が展開してくる。

   宇宙の愛は平等にして差別などまったくないからである。
 
   即身成仏とは、死んで仏になるということではなく、
   仏と共に生き続けるということである。

   このことがはっきりわからないと、
   この世での仕事も信仰も、
   形だけ言葉だけのものとなる。

・・・

(5)《10日 蓄積された感情のエネルギー》

   生理作用を司る「無意識の”心”」の叡智的な完全な営みを、
   くるわして人間を病気としてしまうのは
   人間の「意識的”心”」(即ち現在意識)である。

   現在意識は、現在ある事柄だけを処置していて、
   それ以上、その印象を潜在意識にほり込まなければよいが、

   現在意識が深くとらえたところの事柄は、
   潜在意識に”記憶”として蓄積されるし、

   現在意識が深く感動した時の感情の動きは、やがて
   爆発して肉体に具象化するエネルギーとして
   恰も蓄電池のように潜在意識に蓄積せられる。


   その蓄積されたる感情のエネルギーが歪んだ形にそれが具体化し、
   その蓄積感情が凝り固まった象(かたち)のものであれば、
   肉体に或る固まりとして具体化する。

   肉腫や瘤のようなものでも、
   感情の凝結を除去するように指導したら消失した実例がある。

           谷口雅春著『生活の智慧365章』
           (第4部繁栄の泉)第12篇(P312) より

           <感謝合掌 令和元年12月10日 頓首再拝>

賢者の一日一言《11日》 - 伝統

2019/12/11 (Wed) 18:06:17


(1)【 12月11日 】民枯るれば国家危し

   国家の安危は下民の的栄枯に在り。

   下民の栄枯は租税の軽重に在り。
   租税軽ければ民栄ゆ。
   民栄ゆれば国家安し。

   租税重ければ民枯る。
   民枯るれば国家危し。

                 (金言集)

   【註】
 
   租税の徴収には細心の注意と配慮を要する。

・・・

(2)【 12月11日 】楽天知命

   いやしくもわが身の上に起こる事柄は、
   そのすべてが、この私にとって絶対必然であると共に、
   最善なはずだ。

   それ故我々は、
   それに対して一切これを拒まず、一切これを却(しりぞ)けず、
   素直にその一切を受け入れて、
   そこに隠されている神の意志を読み取らねばならぬわけです。

   したがってそれはまた、
   自己に与えられた全運命を感謝して受け取って、
   天を恨まず人を咎めず、

   否、
   恨んだり咎めないぱばかりか、

   楽天知命、
   すなわち天命を信ずるが故に、
   天命を楽しむという境涯です。

・・・

(3)【 12月11日 】 夢は自らつくる

   幸之助の条件は、
   自分の力でものごとを決めることでした。

   よく「経済と経営は違う」と言っていましたが、
   経済に影響を受けるのは、
   人頼りの経営だと考えていたようです。

   よく先延ばしをする経営者がいます。
   来年の景気がよくなるから、
   来年に延ばそうというような考えです。

   そうすると決まって幸之助は、

   「その考え方が甘いんや!
    自分の夢は自らが創るもんや。
    人を頼りにしたらあかん」

   と、厳しく注意していました。

・・・

(4)【 12月11日 】 《宇宙の愛と霊②》

   わたしは毎暁月を仰ぎ明星を拝し、
   石鎚の山から出現される初光を吸飲しながら、

   一つの月、一つの明星、一つの太陽の下に生きる人間たちの
   憎悪闘争のあまりにも激化してゆくことが嘆かれてならない。

   宇宙の霊は同じである。
   宇宙の愛は平等である。

・・・

(5)《11日 肉体は常に新たに造られる》

   病気の肉体を恐れることはない。
   肉体は刻々と新しく造られているからである。

   試みに顔を剃ったとき過って皮膚を傷つけると、其処は一時的に出血する。
   出血が赤いのは、それ以上深く傷つけたら危ないぞと云う信号警報であり、
   赤色を用いたのは最も目立つ色だからである。

   同時に出血は内部より外へと不浄物を流し出して、不詳の瞬間に
   侵入しようとする微生物を排除する洗浄作用である。


   その警報と、洗浄との役目を終わる血管は収縮して出血をとめ、
   更に血液は凝固して、その上に膠質物を帖用(ちょうよう)したようにして
   傷口を守るのである。

   そして終日のうちには傷の痕跡(あとかた)もなく、
   新しい健全な皮膚が出来ている。

   このような出来事は、単に皮膚だけに行なわれているのではなく
   内臓の病的部分や損傷に対しても行われているのである。

        谷口雅春著『生活の智慧365章』
        (第4部繁栄の泉)第12篇(P313) より

           <感謝合掌 令和元年12月11日 頓首再拝>

賢者の一日一言《12日》 - 伝統

2019/12/12 (Thu) 19:07:00


(1)【 12月12日 】家を斉える

   家斉ひて而(しか)して後村治まる。
   村治まりて而して後郡里平なり。

   村長より以て細民に至るまで一にこれ身を修むるを以て本となす。
   その本乱れて末治まるものはあらず。

                        (金言集)

   【註】

   「修身・斉家・治国・平天下」という中国古典「大学」の名言がある。

・・・

(2)【 12月12日 】平常心是道

   要するに平生が大事なのです。

   このことを昔の人は、
   「平常心是道(へいじょうしんこれどう)」と申しています。

   つまり、
   剣を持ったり、坐禅をしている間だけが修業ではなくて、
   むしろ真の修業は、竹刀を捨て坐禅を解いてから始まるというわけです。

   人間もこの辺の趣が分かり出して初めて、道に入るのです。

・・・

(3)【 12月12日 】 変わったことないか

   会社を取り巻く環境は目まぐるしく変わっています。

   よく会社に行くと、
   挨拶変わりに
   「変わったことないか」
   と聞きます。

   幸之助は真剣に変化に対して質問をしていました。

   しかし、
   よくよくその態度を観察していますと、
   変化を先取りする姿勢が大事だと言うことに気づかされました。

   変化を知った時は遅れているのです。

・・・

(4)【 12月12日 】 《叫び》

   天才でない者は
   これからだ
   これからだと

   叫び続け
   言い続け
   息絶えるのだ

・・・

(5)《12日 肉体は刻々造り直される》

   無意識の奥にある驚くべき智慧は、
   どんな肉体の部分の病的組織や損傷でも、
   嘗て健康であった通りの形に修復する力をもっているのである。

   私たちの肉体細胞は、その物理化学的構造から、使っているうちに
   老廃して衰弱し、ついに死滅することになっている。

   それだからこそ却(かえ)って好いのである。
   どんな肉体の病的組織でも、それはやがて老廃し衰弱し死滅することに
   なっているから、どんな病的組織も永続すると云うことはないのであって、

   それは死滅し運び出され、新しい成分によって
   新しい組織がつくられるのである。


   肉体は日々に健全に造り直されつつあるのである。
   その事実は皮膚の新陳代謝によって明瞭に肉眼でも見られる。

   既に用済みの皮膚は剥落して「垢(あか)」となったり、
   摩擦して消えて行ったりする。

   そのあとに健全な皮膚が常に造られて行きつつあるのである。

         谷口雅春著『生活の智慧365章』
         (第4部繁栄の泉)第12篇(P313~314) より

           <感謝合掌 令和元年12月12日 頓首再拝>

賢者の一日一言《13日》 - 伝統

2019/12/13 (Fri) 19:33:53


(1)【 12月13日 】なつかしい明日

   昨日より知らぬあしたのなつかしや

            もとの父母ましませばこそ

                  (二宮翁道歌)

   【略解】
 
   過去のことがなつかしいのは、
   われわれ人情の常ではありますが、

   まだ知らぬ明日の未来がなつかしく思われるのは
   どうしてだろうかと思いめぐらせば、

   それは宇宙創造の大父母神がおられ、
   生々発展加護を司(つかさど)っていてくださるからです。

・・・

(2)【 12月13日 】山巓に立って分かること

   人間は、
   どの下り道をとるかということは、
   山巓(さんてん)に立って初めて分かるものです。

   諸君らに、
   私のこの言葉が何を意味するか分かりますか。

   むろん今は分からんでしようが、
   もし諸君らにして、
   今後二十年精進を怠らなかったら、
   必ずや分かる時が来ましょう。

・・・

(3)【 12月13日 】 自分をチェンジするんやで

   幸之助は、
   私が松下電送の社長時代に、

   「木野君な、
    経営理念に祈って祈って、
    人ではなく自分をチェンジするんやで。
    チェンジするのは自分の生命や」

   と、よく言いきかせてくれました。

   自分の生命をチェンジするとは、
   考え方をチェンジするという意味でした。

   そうして、
   宇宙根源の法則に乗って、
   勝手に道が開けてくるのです。

   今思うと、
   幸之助は短い言葉で、
   深い深い生き方の極意を伝えてくれていたのです。

・・・

(4)【 12月13日 】 《わたしの道》

    あなたはあなたの道を行け
    わたしはわたしの道を行く
 
   これがわたしのすべてだ。

   そのために不幸になろうと孤独になろうと、
   敢えて悲しむまい。

   詩はわたしにとってこれを貫く矢のようなものだ。
   そういうことを目覚めて強く思う。
   もう誰も何者をも羨むこともない。

   自分は自分の道をまっしぐらに行けばよいのである。
   勤めをやめてから、このことがいよいよわたしの骨髄を
   一本強く貫いた感がする。

・・・

(5)《13日 暴走する感情のトラック》

   常に健全な皮膚がつくりかえられつつある筈であるのに、
   時々その作業があやまられ皮膚に腫物(はれもの)が出来たり、
   ニキビが出来たりするのは何故(なぜ)であろうか。

   常に新たな肉体を造りつつある潜在意識の智慧が
   「何らかの原因」によって、くらまされ、覆いかくされ、
   歪められた結果、生理作用を指導するところの
   智慧が歪んだ方面に、肉体の築造を指導するからである。


   その指導を歪める「何らかの原因」とは、現在意識から潜在意識に
   送ったところの病的想念や、爆発する感情や、抑圧された悲しみや、
   憤りや悩みの感情である。

   それらの感情は、レールの上を正確に走っていた汽車に、
   横合いから走って来たトラックが衝突して、
   列車がレールを正確に走り得(う)る道から脱線させるように、

   健康に肉体を構築しつつあった”智慧”を脱線させることになるのである。

   暴走する感情のトラックを制御しなければならない。

         谷口雅春著『生活の智慧365章』
         (第4部繁栄の泉)第12篇(P314~315) より

           <感謝合掌 令和元年12月13日 頓首再拝>

賢者の一日一言《14日》 - 伝統

2019/12/14 (Sat) 18:21:15


(1)【 12月14日 】早起き励行

    はや起きにまさる勤めぞなかるべし

            夢で此の世をくらしゆく身は

                   (二宮翁道歌)

   【略解】
 
   まず朝の早起きの励行を第一に守るべしとのお教えです。

   人はややもすれば、
   怠惰な生活に陥りやすく、
   酔生夢死の生涯に終りがちですから、

   せめて、
   早起きしようと日々心がけ、
   夢の実現に向かい勤め励まねばなりません。

・・・

(2)【 12月14日 】一筋の道

   自己の一切を捧げ、
   己れを尽くし切るところ、
   そこにおのずから一筋の道が開かれてくるわけです。

・・・

(3)【 12月14日 】 人に光を当てんといかん

   人に光を当てると言うことを、
   幸之助に言われたとき、
   まさか懐中電灯で照らすのかと、
   若気の至りで思いました。

   そうではなく、
   人間をすべての中心に据えて、
   ものごとを考えろ、
   という意味でした。

   「木野君、
    あの○○君は今どうしてるんや。
    人間がおとなしいから、
    何か困ってることないやろな?」

   幸之助の人間主役の経営を実感した瞬間でした。
   心優しい「仁の人」でした。

・・・

(4)【 12月14日 】 《人間味が人を動かす》

   人を動かすのは、技巧ではなく、
   その人の心の轟き、響き、躍動なのである。
   もう少し強く言うならば人間味なのである。

   これを出し得るか得ないかが、作家の生命であり、
   大問題であり、最後の勝負なのである。

・・・

(5)《14日 何故人間は老衰するか》

   誰でも永久に若くありたいと考えるのに、老いるのは何故(なぜ)であろうか。
   それは人類が過去に繰り返し経験した意識上の記憶から、その潜在意識に
   「人間は年齢に随って老いる」と云う記憶をもっており、

   それが人類意識の信念となっており、各個人は、人類意識の中(なか)に
   生活する為に、多少とも、その影響を受けずにはいられないからなのである。


   人体には常に新陳代謝が行なわれ、古き細胞が死滅し新しき細胞が造られ、
   血管も皮膚も筋肉も内臓も、新細胞によって新たに再組織せられているので
   あるから、「古い肉体」「老いたる肉体」など実際に存在する筈はないのである。

   どんな高齢の肉体でも、すべて最近に再組織されたる「新肉体」なのである。
   それなのにその「新陳代謝」が、老いたる、古びたる形や皺を備えているのは
   何故(なぜ)であろうか。

   新たに製造した皮革(ひかく)製品でも、それを”シボ革(がわ)”に
   設計して製作すれば皺(しわ)の満ちた皮革(ひかく)製品に出来るような
   ものである。

           谷口雅春著『生活の智慧365章』
            (第4部繁栄の泉)第12篇(P315) より

           <感謝合掌 令和元年12月14日 頓首再拝>

賢者の一日一言《15日》 - 伝統

2019/12/15 (Sun) 18:48:47


(1)【 12月15日 】身を助ける原点

   飯と汁木綿着物は身を助く

           その余は我をせむるものなり

                 (二宮翁道歌)

   【略解】

   ご飯と味噌汁、
   それに木綿の着物、
   この三つの原点を守りぬく決心覚悟が何より大事です。

   この原点を忘れて、
   奢侈(しゃし)放縦な暮らしぶりは、
   結局、
   身を損ね害となるものだから、
   くれぐれも用心すべきものです。

・・・

(2)【 12月15日 】真の一道

   真の一道が開かれるのは、
   かくして起ち上がった自己の内なる醜い我見をえぐり出して、
   かくして浄(きよ)められた自己の全心身を、

   己がつとめに対して、
   投げ込み捧げ切るところ、
   そこに初めて開かれてくるのであります。

・・・

(3)【 12月15日 】 変革する

   幸之助は絶えず変革を続けた人でした。

   お金があっても、
   商売がどんなに繁盛しても、
   変革の手を緩めることはありませんでした。

   ある日、

   「木野君な、
    変えようとすると何でもスムーズにいかん。
    必ずゴタゴタが起きる。
    ほとんどの人が穏便に変革しようとするけど、
    問題を起こすために変革を打ち出すんやで」

   と言われました。

   何事も覚悟無くして成就しないのです。

・・・

(4)【 12月15日 】 《最高の人》

   最高の人というのは
   この世の生を
   精いっぱい
   力いっぱい
   命いっぱい
   生きた人

・・・

(5)《15日 生命力は工員、潜在意識は建築技師》

   常に若くあるためには、常に新しく造られつつある肉体を、
   それが構築される時「老(おい)」の観念を潜在意識に印象しつつ
   肉体組織をつくってはならないのである。

   私たちの”生命力”は黙々として働く「建築工員」のようなものであり、
   ”潜在意識”はその工員の働きを一定の設計の下(もと)に指導する
   「建築技師」のようなものである。

   その「建築技師」を雇っている「施工主(せこうぬし)」のようなものが
   ”現在意識”である。


   潜在意識はその奥底に宇宙の叡智を具(そな)えており、
   それを「そのまま素直」の状態にあらしめれば、
   完全に健康に肉体をつくり上げるのであるけれども、

   その潜在意識には「人類意識」からの「人間は年齢によって老いた形になる」
   と云う放送があり、現在意識からも「この肉体はもう幾歳だよ。だから
   その年齢に相応した肉体の状態になるのだよ」と言う暗示が与えられる。

   「施工主(ぬし)」から暗示されれば如何なる建築技師も
   その指示通りに肉体を造らざるを得ないのである。

          谷口雅春著『生活の智慧365章』
           (第4部繁栄の泉)第12篇(P316) より

           <感謝合掌 令和元年12月15日 頓首再拝>

賢者の一日一言《16日》 - 伝統

2019/12/16 (Mon) 19:32:50


(1)【 12月16日 】飛鳥川の丸木橋

   きのふけふ、あすかの川の丸木ばし

          よくふみしめてわたれ諸人(もろびと)

                   (二宮翁道歌)

   【略解】
 
   飛鳥(あすか)川は明日香の地を流れ、大和川に注ぐ川で、
   古来、水流の変化が甚だしいため、
   無常のたとえにされたもの。

   その飛鳥川にかけられた丸木橋をわたるときは、
   用心の上にも用心をし、
   よく踏みしめてすべり落ちないよう心すべきものです。

・・・

(2)【 12月16日 】偉大なる教育者

   真に教育者の名に値するような人々は、
   超凡の大志を抱きながら、
   色々と世間的な事情によって、
   それを実現するによしない立場に立たされた人傑が、
   現実的にはそれを断念すると共に、

   どうしても自分の志を、
   門弟子を通して達成せしめずにはおかぬ、
   という一大願を起こすところに、
   初めて生まれるもののようです。

   孔子しかり、プラトンしかり、
   わが松陰先生またしかりです。

   ・
   超凡 (ちょうぼん)=ずば抜けた

・・・

(3)【 12月16日 】 見通していた創業者

   時代が激変しています。
   そしてそのスピードの速さは我々の想像をはるかに超えています。

   ある日、幸之助が

   「木野君な、
    二一世紀になったら松下という名前がなくなるかもしれんで。
    しかし、
    松下経営理念は不滅や」

   と、言ったことがありました。

   現在、
   パナソニックと社名変更されていますが、
   幸之助は時代を鋭く読む力をもっていました。

・・・

(4)【 12月16日 】 《終わりを美しく》

   落下埋没してゆくからこそ
   木々はあのように
   おのれを染めつくすのだ

   ああ

   過去はともあれ
   終わりを美しく
   木々に学ぼう

・・・

(5)《16日 「老(おい)」の想念で設計す可からず》

   あなたの現在意識に「老(おい)」を思い浮かべるな。
   それは施工主が建築技師に「肉体」と云う建築物を新陳代謝する時に、
   「老(おい)」のデザインを示すことになるのである。

   多くの人々が、まだ50歳や60歳で老い込んでしまうのは、
   「人間わずかに50年」と云う古い諺にあるような「老(おい)」の
   想念が人類意識にあり、現在意識も多少それに同調するような想念をもっていて、
   それが肉体の建築指導者である潜在意識につたえられるからである。


   50歳や60歳は人間が人生の幾多の問題に接触して豊富なる体験を積み、
   その豊富なる体験を通して、人生に裨益(ひえき)するところなくてはならない
   重要な年齢であるのである。

   その年齢に人間が匆々(そうそう)去ってしまうことはまことに
   惜しみても余りあることだと言わなければならない。

   大自然は決してそのような無経済な計画をしておられる筈はないのであるから、
   50歳や60歳で死するは決して天寿ではない。

   必ずもっと長生きするとの信念をもつべきである。

         谷口雅春著『生活の智慧365章』
          (第4部繁栄の泉)第12篇(P316~317) より

           <感謝合掌 令和元年12月16日 頓首再拝>

賢者の一日一言《17日》 - 伝統

2019/12/17 (Tue) 18:49:10


(1)【 12月17日 】深酒の戒

    右にもつはしにカを入れて見よ

          左の酒がやむかつのるか

              (二宮翁道歌)

   【略解】
 
   右にもつ箸とは、
   生活や仕事のことという説もあれば、
   実際に箸は右手に盃は左手にという説もあります。

   いずれにせよ、
   深酒を戒められた一首にはちがいありません。

・・・

(2)【 12月17日 】人を知る

   我々凡人には、
   いかに優れた方でも、

   まず十年くらい私淑(ししゅく)しないことには、
   その方の真のお偉さを知ることはできないようです。

   その人を真に知るとは、
   その方の現在わが国における位置を知るのみならず、

   さらに一歩すすめて、
   その方の歴史的位置を知ることです。

   ここまで来なければ、
   真にその人を知ったとは言えないでしょう。

   ・
   私淑(ししゅく)=直接に教えは受けないが、
            ひそかにその人を師と考えて尊敬し、
            模範として学ぶこと。

・・・

(3)【 12月17日 】 経験と体験は違う

   「木野君な、
    経験と体験とは違うで、
    どう違うかわかるか」

   いつものように禅問答のような質問です。

   車の中でも、
   トイレの中でも、
   いつでも、
   どこでも質問するのが幸之助でした。

   私への愛情だったと思います。

   質問に答えると、
   「違うな」
   という返事です。

   「経験は誰もがしてるんや。
    五〇年生きたら、
    五〇年の経験がある。

    体験は違うんや。
    体験は体を痛めて、
    のたうち回ってつかむもんや」

・・・

(4)【 12月17日 】 《本当の人生》

   欲を出すな
   足るを知れ

   九十歳からの人生が
   本当の人生だ

・・・

(5)《17日 年齢の観念で限定す可からず》

   人間は”神の子”であり、神の最高の自己実現であるから、
   豊かなる生命力と完全なる健康とを具有するのが本然の相(すがた)である。

   生命力が無限であっても、建築設計が小規模であるならば、
   「生命力」と云う工具もその小規模の範囲で働くより仕方がないのである。

   だから、「人間は凡(およ)そ何歳で死ぬ」と云うように概括的に
   その働く期間を定められれば、「生命力」もその範囲内で働いて、
   その工作を終了することになるのである。

   だから建築技師たる潜在意識に、年齢の観念を吹き込んではならないのである。

   或る人の書いた実話物語に、南洋の或る島に偶然船を停泊させたら、
   其処には徳川時代の服装をした日本人が住んでおり、かれらの語るところを聴くと、
   彼らは徳川時代にその島に漂着して来て、時計も歴(こよみ)もないものだから
   自分の年齢を知らずにいるから、百歳を超えても尚、若々しく生きつづけていたのだと。

          谷口雅春著『生活の智慧365章』
          (第4部繁栄の泉)第12篇(P317~318) より

           <感謝合掌 令和元年12月17日 頓首再拝>

賢者の一日一言《18日》 - 伝統

2019/12/18 (Wed) 20:09:34


(1)【 12月18日 】農は国の本なり

   古へより国本たる農業盛なる時は国豊富にして、
   仁義礼譲行はれ、
   四民各その生を楽めり、

   この業衰ふる時は国衰貧にして災害起り、
   四民手足を措(お)く処なく敗亡を免れず、

   天下国家の治乱盛衰は多端なるが知しと雖(いえど)も、
   要するに本糧の盛衰に由らざるはなし。

                    (報徳論)

   【略解】
 
   「農は国の本なり」を今一度、
   日本全土にわたり再検討すべき時機が来たという感じがします。

・・・

(2)【 12月18日 】無礼講

   人間の地金(じがね)は、
   お酒の席でよく分かるものです。

   いい年をしながら、
   宴会を無礼講だなどと考え違いをして、
   勝手のいい放題をしているようでは、
   人間も一生涯浮かばれんですネ。

・・・

(3)【 12月18日 】 三人の仕事を二人で

   幸之助は社員を大事にするだけでなく、
   物心両面の豊かさが大事だと考えていました。

   「人間は精神的満足だけではあかん。
    生活があるんやから、
    給料もガパッと出さなあかん。
    その為には、
    三人の仕事を二人でやったらええんや」

   つまり創業者はバランス感覚が優れた人でした。

   だから、
   会社の生産性をあげていったら、
   いくらでも給料は高く払っていけると考えていたのです。

・・・

(4)【 12月18日 】 《かなしみはいつも》

   かなしみは
   みんな書いてはならない

   かなしみは
   みんな話してはならない

   かなしみは
   わたしたちを強くする根

   かなしみは
   わたしたちを支えている幹

   かなしみは
   わたしたちを美しくする花

   かなしみは
   いつも枯らしてはならない

   かなしみは
   いつも湛(たた)えていなくてはならない

   かなしみは
   いつも噛みしめていなくてはならない

・・・

(5)《18日 新生する力に感謝せよ》

   神は人間を“神の最高の自己実現”として造ったのであるから、
   神はつねに人間を《より》一層完全により一層健康に、
   《より》一層あらゆる点に於いて、時々刻々一層すぐれて進歩するように、
   内部的衝動与えておられるのである。

   皮膚に傷をしても数日のうちに美しく新鮮な皮膚が再生することを思えば、
   あらゆる病菌が人間を傷つけても、その傷を完全にいやす力は内部宿っている筈であり、
   更に、年齢や、年月の経過が私たちの肉体を傷つけても、それを再び
   若々しい肉体組織に再創造する力は私たちの内部に与えられている筈なのである。

   この「再創造する力」を指揮する潜在意識に、
   現在意識がよきデザインを与えればよいのである。

   つとめて、自己の不健全を思わぬこと、明るい心を持つこと、
   「老(おい)」を思わぬこと、つねに大自然の力が自分を新生しつつあること
   を思って感謝することである。

         谷口雅春著『生活の智慧365章』
          (第4部繁栄の泉)第12篇(P318~319) より

           <感謝合掌 令和元年12月18日 頓首再拝>

賢者の一日一言《19日》 - 伝統

2019/12/19 (Thu) 20:36:10


(1)【 12月19日 】教化の道

   指導者は鶏鳴に起きて、
   寒暑となく風雨となく日に順待をして早起きを導き、

   あるいは日掛縄綯(ひかげなわない)の法を示して怠惰をふるい起し、
   あるいは善を勧め悪を戒め、

   孝悌忠信を教え、
   人倫推譲の道をさとし、
   そうして民風を移しかえる。

   これが教化を布(し)くみちである。

                     (報徳外記)

   【略解】
 
   民風教化の指導者のとるべき方針を示されている。

・・・

(2)【 12月19日 】老年になって読む伝記

   伝記は何人(なんぴと)にとっても必要であり、
   またいかなる年齢の人も読むべきであって、
   例えばもはや老年になって、ほとんどなすべきことのないような人でも、
   偉人はその晩年をどのように過ごしたかということを知る意味で、
   伝記は決して無意味ではないわけです。

   否、臨終の近付いたような場合すら、
   かつての日読んだ偉人の臨終の模様を想い浮かべることによって、
   人生の最期における人間的態度を教えられる最も力強い教えとなることでしょう。

・・・

(3)【 12月19日 】 社長の喜び

   幸之助は非常に神経質で繊細な方でしたが、
   社員に対してはいつも幸せだけを願う人でした。

   ある時、
   こう言われたことがあります。

   「社長の喜びは賞与を渡すときや。
    ガパッと渡すと、
    もらう方もウワッと受け取る。
    共に喜ぶ社員の顔を見るのが経営者の一番の醍醐味や。
    そういう経営をせなあかんで」

   東邦電気の問題解決は、
   この考え方を教えてもらったからです。

・・・

(4)【 12月19日 】 《冥利》

   こちらを
   ゼロ(空)にすると
   すべて向こうからやってくる

   それは天地神仏の冥利(みょうり)で
   奇跡でも
   不思議でもない

・・・

(5)《19日 心を柔らかく「そのまま」に》

   肉体は、潜在意識が建築主となって構築されつつある構造物であり、
   その潜在意識が施工主(ぬし)として、どんなデザインでも吹き込むことができる
   のであるから、現在意識に絶えず想うことが、その構築の原図となって
   肉体がつくられることになる。

   人体の老化現象は、心の原図に『老(おい)」が描かれているからであるが、
   またそこには血管や筋肉や皮膚に硬化現象が起こりつつあるのは、
   心の原図の中に「柔らかさ」が失われつつあることを証するものである。

   人間が老いなくなるためには、心を柔軟にしなければならないのである。

   鋼(はがね)のように硬い心をもって、
   「頑固一徹の老人」と言われるような心の原図を作っておけば
   血管や皮膚や筋肉に硬化現象が起こるのも無理がないのである。

  やはり爰にも、素直な、やわらかな、「そのままの心」と言うものが必要である。

           谷口雅春著『生活の智慧365章』
            (第4部繁栄の泉)第12篇(P319) より

           <感謝合掌 令和元年12月19日 頓首再拝>

賢者の一日一言《20日》 - 伝統

2019/12/20 (Fri) 19:43:43


(1)【 12月20日 】縄ないのこと

   縄ないというものは至ってたやすい仕事である。

   いやしくもこれを心掛けさえすれば、
   ひとり身の者でも、
   飯たきのひまにもできることであり、
   女こどもでもできることである。

   このように至ってやさしい事柄でさえ、
   なお勉励の心がないならば、
   何をもってその家を立て直し、
   その村を復興することができようか。

            (報徳外記)

   【註】

   当時の農家にとって「縄ない」という誰でもできる凡事を
   奨励されたところに尊徳翁の偉大さがあります。

・・・

(2)【 12月20日 】偉人の背景を知る

   私達は、
   優れた方々に接する機会のあった場合には、
   その完成された老境の美を見逃さないように注意すると共に、
   ヌそこまで到達せられた生涯の惨苦(さんく)に充ちた歩みにまで、
   思い至るようでなければならぬでしょう。

   というのも、
   古来人生の惨苦をへずして偉大になった一人の人間も、
   かつてなかったことに想い至らないで、
   ただ「偉い偉い」というだけでは、
   真に偉人を敬仰(けいぎょう)するるゆえんではないでしょう。

   ・
   惨苦(さんく)=いたましい苦しみ。ひどい苦労。
   敬仰(けいぎょう)=うやまい、あおぐこと。

・・・

(3)【 12月20日 】 経営のコツをつかむ

   私が一番苦労したのは、
   東邦電気の再建でした。

   何度も何度も幸之助に叱られました。
   そしてそのたびに、
   上手にいくコツを体得していったように思います。

   「君な、
    上手くいくかどうかは、
    経営者自身の問題や。
    経営のコツをつかんでいるかいないか、
    それが成功するか失敗するかを決めるんや」

   人間は反省しながら挑戦し、
   挑戦しながら反省して経営のコツをつかんでいくと思っています。

・・・

(4)【 12月20日 】 《宿運を知る》

   人は自分の宿運を知らねばならぬ。
   それを知ることによって、
   それに素直に従い生きてゆくことができるようになったら、
   病気になっても病気から逃れ、災難に遇っても災難から逃れ、
   失意に落ちても、そこから立ち上がることができるようになる。

   そういう世界が展開してくるのである。

   何事も無理をしたり、逆行したりするから、
   病気になったり、災難に遇ったり、失敗を重ねたりするのである。

   それらは自分を知らない処から起こってくるもので、
   自分から作り出しているようなものである。

・・・

(5)《20日 毎日神想観を行ずべし》

   現在意識は五官によって、色々の現象を見、その現象の中にあらわれている
   「不良なるもの」「不完全なるもの」「不健全なるもの」を”アル”として捉え、
   それを除去しようとして肉体に行動を起こさしめるのであるけれども、

   その「不良なるもの」「不完全なるもの」「不健全なるもの」を
   ”アル”として捉えるものだから、それを”アル”として心に執拗に描いて、

   その「不完全さ」を「心の原図」として、潜在意識に印象し、
   潜在意識なる建築技師をして、その不完全な原図に基づいて、
   肉体を新陳代謝するときに、構築させてしまうのである。

   だから、私達は、一日中の或る時間を割いて、せめて30分間位は、
   「心の原図」を完全な健全なものにするために、精神を統一して、
   完全なる神を想い、完全なる”神の子”なる自己を想い、
   あらゆる方向に”調和した自己”を想念するようにつとめなければならない。

   これが神想観である。

        谷口雅春著『生活の智慧365章』
         (第4部繁栄の泉)第12篇(P320) より

           <感謝合掌 令和元年12月20日 頓首再拝>

賢者の一日一言《21日》 - 伝統

2019/12/21 (Sat) 20:57:08


(1)【 12月21日 】開墾の道

   天下の利益は、
   開墾より大きなものはない。

   そして天下の病患は、
   荒地よりはなはだしいものはない。

   田地一反を荒せば米二石を失い、
   一町を荒せば二十石を失い、
   一町を荒せば二百石を失う。

   二百石といえば二万人の一日分の食糧である。
   これをひらいて耕せば二百石の米を生じて二万の民命を養う。
                            (報徳外記)

   【略解】
 
   荒地開墾より急務はない。
   将来の食糧難に備えて今こそ心すべきと思われます。

・・・

(2)【 12月21日 】安んじてこの世を去る

   このの世ににある間は、
   自分の全力を挙げてこの世の務めを尽くす。

   これやがて、
   安んじてこの世を去る唯一の秘訣でありましよう。

   いざという時に心残りのない道、
   これ真に安んじて死に得る唯一の道であります。

・・・

(3)【 12月21日 】 一念が大事

   一事が万事と言いますが、
   一つのことに集中して努力している人は、
   時間の差はあっても必ず成功します。

   幸之助はこうした天地の理法を感じていたと思います。

   私があきらめそうになると、
  
   「道を変えたらあかん。
    どんな逆境に出合っても、
    初心にかえって最後までやり遂げるんや」

   と、励ますように論してくれました。

   あれもこれもと、
   気の多い人のことを器用貧乏と言いますが、
   一念が大事です。

・・・

(4)【 12月21日 】 《地球と共に》

   神仏の姿は見ることはできないが、
   自己は見ることができる。

   自己を見つめよと世尊は言われた。

   自己の何を見つめるか。
   宇宙の中の一つの価値ある存在としての自己を見つめる。
   つまり銀河系の一つの星としての自己を見つめる。

   そしたら生れてきたことに意義があり、
   生きてゆくことが嬉しいことになろう。

   路傍のタンポポも、そうであり、
   一匹のこおろぎも、そうであり、
   一羽のみそさざいも、そうである。
 
   一千億の銀河系の中の一存在として動いている自分だと思うたら、
   何か一つぐらい意義のあることをしようという希望が生まれ、
   人生が凛凛としてくる。

・・・

(5)《21日 若々しくある秘訣》

   常に「我れ若し」と念ずること、
   常に若き人々を友として交わり、その若々しき想念の影響を受けること、
   常に、”悦び”を念じて、”苦痛”を思わざること、
   頑固に去って柔軟な心をもつこと

   ── これらは、常に若々しくあることの秘訣である。

   こうして若々しき想念は、常に肉体を再建築するときの「心の原図」となって、
   ついに本当に其の人の肉体を若返らせることに成功することができるのである。

   人生は無限内容の展開である。

   だから、人間は「これだけの事をしたから、もう我が使命終れり」
   などと云うことはないのである。

   人は「我が使命終れり」と思うとき、
   次の世界(霊界)へ行く準備をしはじめるのである。

   肉体の老化、硬化、精力の減退、疲労・・・など悉く心の問題である。

   常に希望をもち、使命感を有し、一刻と雖(いえど)も、
   向上進歩の心を捨ててはならないのである。

           谷口雅春著『生活の智慧365章』
            (第4部繁栄の泉)第12篇(P320~321) より

           <感謝合掌 令和元年12月21日 頓首再拝>

賢者の一日一言《22日》 - 伝統

2019/12/22 (Sun) 18:21:20


(1)【 12月22日 】貧民を賑わす

   国家の憂いは、
   荒地と負債とにある。

   憂いを除こうとするなれば、
   貧民を賑わさねばならぬ。

   貧民を賑わすためには、
   財を施さねばならぬ。

   しかし、
   みだりにこれを施せば、
   財が尽きて広く救済することはをできなくなる。

   これがわが助貸法の創設されたゆえんである。

                    (報徳外記)

   【略解】
 
   尊徳翁の「助貸法」こそ貧民救済の福水厚生の便法だったのです。

・・・

(2)【 12月22日 】肉体が滅びても

   一人の偉大な教師の存在によって、
   二十年、三十年、否、時には四、五十年の後に、
   その地方が根本から立ち直って、
   そこに新たなる民風が起こるというのでなければならぬでしょう。

   その時、
   その種子をまき苗を育てた教育者の肉体は、
   すでにこの地上にはないでしょう。

   しかもその精神は、
   脈々としてその地方の中心人物たちの心の底深く根を下ろして、
   その地方の改革の根本動力として働くのであります。

・・・

(3)【 12月22日 】 結果だけでは

   幸之助は結果を大切にした人です。
   しかし、
   経営理念に反する結果を評価しませんでした。

   私はファクシミリの開発の時に結果を急ぎました。
   大赤字ですから、
   なんとか良い結果を創ろうと思ったからです。

   しかし、
   どんなに自社に有利なことでも、
   よく叱られました。

   「神が許さん」
   という言葉で注意されたこともあります。

・・・

(4)【 12月22日 】 《世尊最後のことば》

   ことしの最も大きな喜びは、

   ヴァヤダンマー(すべてのものは)
   サンカーラー(うつりゆく)
   アッパマーデーナー(おこたらず)
   サンパーデートハ(つとめよ)
 
   という世尊最後のおことばを、
   原語で知ったことであった。

   私が満八つの時、私を観相してくれた白髯白髪の老人が、
   私を予言したその言葉を五十年後の今日、
   原語で知ったことであった。

   私はそれ以来、このことばを
   わたしの名号(みょうごう)として
   となえているのである。

・・・

(5)《22日 老衰は精神の沈滞から》

   常に努力し向上してやまぬ心は人間を若返らせるものである。
   忙しければ老いる閑(ひま)がなくなるのである。

   急速に回転する独楽(こま)は、少しも揺れることなく正確に立つけれども、
   速度が衰えて行くと回転が乱れて来る。自転車でも同じことである。

   人間も隠居して閑居(かんきょ)に置かれれば急に老い込み始める。
   国鉄で定年退職した人の、後(あと)の寿命は
   平均5年に過ぎないと聞いたことがある。


   老人が老人であるのは、年齢によらないで、
   生命(せいめい)が溌剌として働くか、働く意欲がなくなるかの相違である。

   精神の沈滞は老衰の最大原因である。
   子供のように語学を習ったり、初歩の高等数学を習って頭脳を
   常に働かすことは老衰を避ける最もよき方法である。

   仕事が人間を老衰さすのは、仕事そのものから来るのではなく、
   責任感から来る精神の重圧、急ぎすぎる心、
   失敗や周囲から来る恐怖などが因(もと)である。

          谷口雅春著『生活の智慧365章』
          (第4部繁栄の泉)第12篇(P321~322) より

           <感謝合掌 令和元年12月22日 頓首再拝>

賢者の一日一言《23日》 - 伝統

2019/12/23 (Mon) 19:26:17


(1)【 12月23日 】身自ら先に

   孔子は「これに先んじこれに労す」と言い。
   また、「倦(う)むことなかれ」と言った。

   自分が早起きしてのちに民にこれを教え、
   自分がおそく寝てのちに民にこれを教え、
   自分が精励してのちこれを民に推しひろめ、

   自分が節倹を行ってのちこれを民に及ぼし、
   自分が推譲してのちこれをさとし、
   自分が忠信孝俤であってのち民を導く。

   百行みな同様である。

                (報徳外記)

   【略解】
 
   「率先垂範」こそ指導者のあるべき態度であることを改めて教えられました。

・・・

(2)【 12月23日 】故人に尽くす一つの途

   (故人に尽くす一つの途は)故人の書き残したもの、
   並びに生前故人と親しかった人々の、
   故人に対する思い出などを書き集めて、
   それを何らかの形で印刷して、
   故人の生前を知っている人々の間に頒(わか)つということであります。

・・・

(3)【 12月23日 】 松下経営哲学を語れ

   私は平成10年に幸之助の夢を見ました。

   まだ若いとき、
   私のことを
   「熱心な子でしてね」
   と紹介してくれたのです。

   本当に今、思い出しても歓喜に絶えません。

   94歳で亡くなるまでの44年間、
   振りかえると迷惑ばかりを掛けていました。

   しかし、
   側にいる機会が多かったせいか、
   よく叱られ、
   そして育てられました。

   松下経営哲学を語り継ごうと決意したのは、
   夢を見た時からです。

・・・

(4)【 12月23日 】 《天を仰いで》

   心が小さくなった時は
   天を仰いで
   大きく息をしよう

   大宇宙の無限の力を
   吸飲摂取しよう

・・・

(5)《23日 夢を描く》

   人間は希望を失い、夢を描かなくなった時進歩はとまり、
   向上しなくなり、「老い」は始まる。

   空中の楼閣だと笑われてもかまわない。
   たといそれが現実化しない空想であっても、常に前方に夢を描くことは、
   人間の精神を常に若々しくし、それにつれて肉体を若返らせる功徳がある。

   更に空想された「精神的原図」を骨組みとして、
   それに肉をつけることが出来れば、
   それは精神的と現実的との両面の功徳を得たことになるのである。

   人工衛星や、月ロケットは過去に於いては
   現実化し得ざる単なる「空想」であったかも知れないが、
   今は確乎とした科学的設計の問題になりつつあるのである。

   だから空想を描くことを遠慮してはならない。

   そして絶えず、新しき科学的知識をとり入れて、精神自身も
   時代と共に若返って行かなければ、肉体ばかり若い様相をしていても、
   精神が「老い」てしまっていては何にもならない。

           谷口雅春著『生活の智慧365章』
           (第4部繁栄の泉)第12篇(P322~323) より

           <感謝合掌 令和元年12月23日 頓首再拝>

賢者の一日一言《24日》 - 伝統

2019/12/24 (Tue) 18:43:13


(1)【 12月24日 】分けあえば余る

   八人暮しの貧家が、
   たまたま一枚の着物を得た。
   一人がこれを取れば七枚分足りない。
   そこでこれを祖父に献じた。

   祖父は、
   「老骨がこんな新しい着物を着る必要がない」といって、
   長子に与えた。

   長子はこれを弟に譲った。
   弟は又これを甥に推し譲った。

   ついに七人をもれなく回って、
   みな辞退した。

   すなわち、
   これを取れば七衣が足りず、
   これを譲れば一衣でも余りがある。
                   (報徳外記)

   【略解】
 
   推譲の心がけが七人の人たちの心を豊かにすることが出来た実例です。

・・・

(2)【 12月24日 】私の楽しみ

   私の楽しみは諸君らが本当に生命がけになったら、
   一生かかってどれくらいの人間になれるかということです。

   つまり人間、
   大学や専門学校などを出なくても、
   その人の覚悟と勉強しだいでは、
   どれほどの人間になれるものか、
   その生きた証拠が見たいのです。

・・・

(3)【 12月24日 】 人間力が大事やで

   人間力とは実践する力、
   未来を創り出す力だとも言えます。

   幸之助は、
   「その人の考え方と日々の送り方の総和である」
   と定義しています。

   「木野君な、
    人間力を磨かんといかんで。
    それが一生の人間の仕事や」

   と、いつも言われていました。

   幸之助は評論家ではなく、
   人間力をもった実践者だったのです。
   理屈ではなく、
   実行して成果を創る力のある人でした。

・・・

(4)【 12月24日 】 《生きることとは》

   ああ
   生きることとは
   愛のまことを
   貫くことだ

・・・

(5)《24日 猛烈なる事業欲》

   実業界に於いても偉大な成功したような人たちは中々老いないで
   70歳を超えてからでも多くの会社を管理したり、
   新規事業計画に熱意を示しているものである。

   換言すれば、事業の中に常に大いなる夢と希望をいだいて、
   「必ずなる」と信じて努力を続けるのである。


   夢と希望と信念と努力とは「老い」を防ぐところの精神的妙薬である。

   この種の人々は常に精神に弾力があって、どんな悪条件でも、
   世間の不景気が襲って来ても、それで枉屈(おうくつ)してしまわないで、
   撥ねかえす精神的弾力持っているのである。

   その精神的弾力が、その人の血管に弾力を与え、
   筋肉や皮膚にも弾力を与えて肉体をも若返らせるのである。

   常に何かを計画せよ。

   小さな”仕事の苗”を植えて、苗の成長を楽しむ心は人間を若返らせる。

          谷口雅春著『生活の智慧365章』
           (第4部繁栄の泉)第12篇(P323) より

           <感謝合掌 令和元年12月24日 頓首再拝>

賢者の一日一言《25日》 - 伝統

2019/12/25 (Wed) 19:24:09


(1)【 12月25日 】全功の道

   国を興し民を安ずることは大業であって、
   名利を追うともがらの企て及ぶところではない。

   いやしくもこれに従事する者は、
   禄位名利の念を絶ち、
   わずかに飢寒を免れるだけを生涯の限度とするのでない限り、
   その功を全うすることはできないのである。

                  (報徳外記)

   【略解】

   興国安民の大業に従事する者がまず心すべきは名利の念を絶つことです。

・・・

(2)【 12月25日 】人生の道を真実に歩む

   とにかく諸君 !!
   人生の道は深くして、
   その味わいは実に窮(きわま)りないのです。

   希(ねが)わくば諸君 !!
   この二度とない人生を、
   できるだけ真実に歩まれることを切望して己まないしだいです。

・・・

(3)【 12月25日 】 信用第一

   幸之助が大事にしていたのは信用です。
   逆に言いますと、
   一番恐れていたことは信用を失うことでした。

   それだけに社員教育を徹底しました。
   一人の社員のちょっとした言動で一瞬にして失われるのが信用です。

   「木野君な、
    信用を作り上げることは難しい。
    しかし、
    一度失ったモノは、
    返ってこないと思って商売せんとな」。

   今でも耳元でよみがえります。

・・・

(4)【 12月25日 】 《不死身》

   しんみんよ
   不死身の奮闘努力をするのだ

   不死身というのは
   人が寝るときに寝ず
   人が休む時に休まず
   人が遊ぶときに遊ばぬことだ

   これは天才でない者がやる
   ただ一つの生き方だ

・・・

(5)《25日 肉体を若返らせる心》

   温かい心、善意、寛大、同情等、およそ、
   愛から発する心は人間を若返らせるのである。

   凡(およ)そ愛に反する心、冷たい心、悪意、狭量、刻薄等の心は
   肉体を硬化させ、血管や筋肉を収縮させて老衰をまねくところの心である。

   どんな逆境に於いても、すぐ心を転じて光明の方へ
   振向き得る心は肉体を若返らせる心である。

   どんな悪人に見えようとも、その悪を責めず、その奥にある実相の善を見て、
   それを賞(ほ)める事に悦びを感ずるような心は、常に明るく、
   常に楽しい故に肉体を若返らせる効果があるのである。

   常に人の欠点を観、人の欠点を指摘することに悦びを感ずるような人は、
   常に心のうちに敵を持つが故に、ホルモンの分泌が騒(みだ)れて
   生理的変調を起して、肉体の老衰を招くのである。

           谷口雅春著『生活の智慧365章』
            (第4部繁栄の泉)第12篇(P324) より

           <感謝合掌 令和元年12月25日 頓首再拝>

賢者の一日一言《26日》 - 伝統

2019/12/26 (Thu) 19:00:23


(1)【 12月26日 】賞品の授与

   家業の勉不勉、
   品行の良否等を調査せられ、
   時々賞を与えられた。

   農業精勤者に対しては、
   農具(鎌鍬の類)に二宮の焼印を捺して与え、
   学問勉強家に対しては、
   修身に関する書(四書五経)に二宮の印を捺して与えた。

   その他これに准じて賞せられた。

                 (逸話集)

   【註】
 
   尊徳翁は農業精勤者に、
   また学問勉強家にそれぞれ適した賞品を授けられたが、
   これも尊徳翁の督励の一法であります。

・・・

(2)【 12月26日 】一生を真実に生きる

   世の中が正直だということは、
   この一生を真実に生きてみたら、
   おのずと分かることだと思います。

   それが正直と思えないというのは、
   結局そこに自分の自惚(うぬぼ)れ根性がひそんでいるせいです。

   同時にこの点がほんとうに分かると、
   人間も迷いがなくなりましょう。

・・・

(3)【 12月26日 】 人の話をよく聞け

   幸之助は人の話をじっくり聞く人でした。

   「君な、
    人の話を聞くときは、
    相手の本当に言いたいことを聞くんやで。
    自分の考えを挟んだらあかん。
    素直に相手の立場になるんや」

   幸之助によく言われました。

   道元禅師は、

   「耳で聞くな、
    目で見るな、
    体全身で聞き、
    身と心で見ること」

   の大切さを説いています。

   幸之助の偉大さを痛感しています。

・・・

(4)【 12月26日 】 《一つのこと》

   この痩せた体をただひとつのことに費やしたい

   多くのことはできないから
   一つのことでこの世を終わろう

・・・

(5)《26日 生活を遊戯化する》

   家族集って愉快に笑いさんざめくような心境では人間は老いないのである。
   人生の“悪”を見て悲憤慷慨する心は「老(おい)」を招く心である。

   現在の状況が如何に自分の理想に遠いものであるにしても、
   それに憤(いきどお)りを感ずるだけでは何にもならないのである。


   その現在の不完全な状態は、自壊しつつある過程であって、
   やがて自分の理想とするような状態があらわれて来ようとするための
   先駆であると思って、信念と希望とを持つことが必要である。

   信念と希望とさえあれば、
   手を束ねて待っていればよいかと言うと決してそうではない。

   今ある所の地歩を踏石として、
   最も適切なる所へ次の手を打つということである。
   それは将棋をさし碁を打つのと同じことである。

   人生は或る意味においては遊戯である。
   生活を遊戯化するものは若返る。

           谷口雅春著『生活の智慧365章』
             (第4部繁栄の泉)第12篇(P324~325) より

           <感謝合掌 令和元年12月26日 頓首再拝>

賢者の一日一言《27日》 - 伝統

2019/12/27 (Fri) 19:46:13


(1)【 12月27日 】斃れて後止む

   翁は病後なお衰弱が甚しかったので、
   家人はこれを心配して、
   しきりに療養をすすめられると、

   翁は頑としてこれをしりぞけ、

   「いやしくも身公命を奉じて民衆を率いるもの、
    たとえ病を養うとは云え、
    安眠美食をむさぼるのは、予が主義の許す処ならず、
   予は斃(たお)れて後止むものなり」

   と云われたとのことである。

                    (逸話集)

   【註】
 
   「斃れてのち止む」の精神の権化ともいうべきお方です。

・・・

(2)【 12月27日 】置土産

   今諸君らの生活が、
   真に深く、かつ内面的に大きかったならば、

   諸君らの精神は、
   必ずや後に来る人々のために、
   一種の置土産となることでしょう。

   さらにまた、
   私共のように教職にある者としては、
   その精神は、
   仮にその学校を去る時がありましても、

   もしその生活が真実であったならば、
   必ずや後に多少の余韻が残るようでなくてはなりますまい。

・・・

(3)【 12月27日 】 君の身柄は私が預かる

   幸之助とのご縁は、
   PHP運動でした。

   私は当時大学生(二一歳)でしたが、
   中退してこの運動に没頭したいと思い、
   熱心に頼み込んだのです。

   幸之助が一番苦しい時でしたが、
   本当の国民精神復興活動であると共感したからです。

   昭和二三年の秋のことです。
   「君の身柄を私が預かる」と言われました。
   幸之助はどんな「縁」でも大切にした人でした。

・・・

(4)【 12月27日 】 《歳月》

   一日一日を重ねてゆく歳月、
   空しく過ごしてきたとは思わないが、

   取り返しのつかぬ歳月というものが、
   近頃ほど重く心にかかるものはない。

   残りの時間が、はっきりしてきたからであろう。

   テレビを見ていると、
   歳月を重ねてきた木が切り倒され、
   歳月を重ねてきた石や岩が打ち砕かれ、
   目前から消えてゆく。

   その空しさが、教えてくれるのは、
   一大事とは今日只今の事なり、
   という仏語である。

・・・

(5)《27日 美点のみを語る会》

   常に善意を持つ者は、自分の周囲に善意ある者を引き寄せるのである。
   苟(いやしく)も人々に対して悪意をもってはならない。
   其処には必ず「類は友を招ぶ」という心の法則が働くのである。

   悪意を起せば、悪意ある者が集まって来るのである。
   友だちや家族が集まっても、人の欠点を指摘して楽しむような
   ゴシップの会にしてはならない。

   「家族互いに美点を見て、賞め合い且つ感謝し合う会」を月に1回以上催すがよい。
   人の美点を見る習慣がこれによって養われる。
   人の美点ばかり見えるようになったら、その人の身辺は必ず極楽浄土になるのである。

   それに反して、人の欠点ばかり探して嘲笑するゴシップの会などを毎月恒例に
   開いているならば、その人の性格から「素直さ」は失われ、反対観念ばかり
   浮かんで来るようになり、歪んだ性格となり、肉体は速やかに老化し、
   運命も暗くなる。

            谷口雅春著『生活の智慧365章』
            (第4部繁栄の泉)第12篇(P325~326) より

           <感謝合掌 令和元年12月27日 頓首再拝>

賢者の一日一言《28日》 - 伝統

2019/12/28 (Sat) 18:56:11


(1)【 12月28日 】偉大なる土木家

   翁は土木エ事をする時、
   多く目測を以てしたが、
   遠近高低、
   寸分もあやまらなかったとの事である。

   翁は大工のように物を拵(こしら)えたり、
   土木の設計をしたり、
   ふしぎな才腕をもっていたことは、
   むしろ天才と言うべきで、
   翁の一面は大土木家でもあつた。

   これ性来計数に長け、
   且(か)つ体験に富んでいたがためであろう。

                       (逸話集)

   【註】
 
   尊徳翁の特異な天才的一面を知るにふさわしい逸話です。

・・・

(2)【 12月28日 】永遠を思う

   人は夜空を仰ぐ時、
   初めて深く永遠を思うものです。

   同時に永遠を思うとき、
   人は翻ってゆかり深き人々の上を思うものであります。

・・・

(3)【 12月28日 】 最後の瞬間まで精一杯生き切りたい

   自分の生命はいつ尽きるか解りません。
   しかし、
   その最後の瞬間まで精一杯生き切りたいものです。

   これは幸之助の生き方に学んだ私の心からの念願です。

   人間は一人では何もできません。
   同じ目的に向かって、
   互いに励まし合い、
   支え合う同志がいてこそ、
   困難を乗り越え、
   難事を成し遂げることが出来るのです。

   真の人間の結合こそ、
   歴史を変革し、
   大きな時代のうねりを起こせるのです。

・・・

(4)【 12月28日 】 《こつこつ》

   こつこつ
   こつこつ
   書いてゆこう

   こつこつ
   こつこつ
   歩いてゆこう

   こつこつ
   こつこつ
   掘ってゆこう

・・・

(5)《28日 「神聖なる人間」の自覚》

   新しく生れかわるとは「肉体人間」の自覚から
   「霊なる人間」への自覚に一転することである。
   「不浄なる人間」の自覚から「神聖なる人間」への自覚に超入することである。

   色々の犯罪が行われるのは、自分自身を「性欲から生れてきた人間」
   「不浄なる欲望の産物なる人間」と思うからである。

   そして自己の「生(せい)」の根元なるものに”不浄”を感じ”罪”を感じ、
   それを嫌悪し、それから逃れようとするために、
   却って其の不浄に捉えられて不浄を犯し、罪を重なる。

   そして、愈々(いよいよ)自己嫌悪、自己憎悪に陥るがゆえに、
   自己を此の世に生み出した父母(ふぼ)を呪う。
   父コンプレックスが其処に生じ、世界は不浄となり、罪悪よ憎悪との地獄となる。

   釈尊も父コンプレックスに陥って出家し、ついに自己が「肉体なる人間」から
   生まれた者ではなく「霊なる者」から生まれたる者と知り、
   久遠無量寿の自己を発見したのである。

           谷口雅春著『生活の智慧365章』
           (第4部繁栄の泉)第12篇(P326) より

           <感謝合掌 令和元年12月28日 頓首再拝>

賢者の一日一言《29日》 - 伝統

2019/12/29 (Sun) 19:00:08


(1)【 12月29日 】分を超ゆる事勿れ

   翁が今市陣屋において病重りて再び起つことが出来ないことを自覚され、
   門人一同を枕頭に侍らし

   「我が死近きにあらん、
    我を葬るに分を超ゆる事勿(なか)れ、
    墓石を立てる事勿れ、
    碑を立てる事勿れ、
    只土を盛り上げてその傍に松か杉かを一本植え置けぱそれでよろしい。
    必ずわが言に違う事勿れ」

   と遺命せられた。

   忌明けとなって門人たち議論區々(くく)として容易に決せず、
   未亡人の意志により墓碑が建立されたのみである。

                            (逸舌集)

   【註】
 
   翁最後の遺言「分を超ゆる事勿れ」日の一言、
   一代を貫く思想信念と言えよう。

・・・

(2)【 12月29日 】すべては因縁

   世の中のことは、
   すべてが因縁でありまして、

   諸君らがこの学校に入学したということ、
   また私がこの学校に職を奉じたということ、
   さらにまた今後一年間を、
   諸君らと共に過ごすようになったということなど、

   そのいずれもがすべては因縁であって、
   深く考えれば、
   自分のカで得たことは何一つとしてないのです。

   かく考えて来ますとお互いにこの因縁の持つ無限の意味をよく考えて、
   深くこれを生かさなければならぬと思うのです。

・・・

(3)【 12月29日 】 いつも求めんといかん

   幸之助は自らの意思で生きた人でした。

   妥協を嫌がりました。
   納得するまで考えている様子を、
   何度も見ました。

   今思い出すと、
   その姿は真実の答えを求める必死の姿だったと思います。

   「君な、
    人間は求めんといかん。
    求めて求めて悩むことや。
    そうしていると自然と道が開けてくるもんやな」。

   幸之助の言葉が今でも聞こえてきます。

・・・

(4)【 12月29日 】 《晩年》

   人生の晩年になって
   何をバタバタするか

   静かに座して
   宇宙無限の
   恩恵に感謝し

   日の光
   月の光
   星星の光を
   吸飲摂取して

   明るく
   楽しく
   生きてゆけ

・・・

(5)《29日 新たに生まれる》

   自己が霊的実在であるとわかったとき、自己の生活が「霊」の生活となり、
   「罪」より「神聖」へと移るのである。

   自己が霊的実在であるとわかれば、他の人々も霊的実在であるとわかる。
   環境の一切が物質ではなく、「霊」なるものの表現であるとわかるのである。

   釈尊はこれを、「有情非情同時成道・山川草木国土悉皆成仏」と悟られたのである。
   情(こころ)有(あ)るものも情(こころ)なき物も、今このままに仏の現成である。
   山も川も草も木も国土も皆仏の実現であると悟ったと云う意味である。


   不浄の世界が消え、聖(せい)の世界があらわれたのである。
   不浄の自分が無くなり、聖(せい)の自分があらわれたのである。

   物質は克服され、肉体は影を消し、霊なるもの、不滅なるもの、久遠なるもの、
   法身、仏身、金剛身、如来身である自己が把握されたのである。

   これが本当の新生であり、「新たに生まれる」である。

            谷口雅春著『生活の智慧365章』
             (第4部繁栄の泉)第12篇(P327) より

           <感謝合掌 令和元年12月29日 頓首再拝>

賢者の一日一言《30日》 - 伝統

2019/12/30 (Mon) 17:56:17


(1)【 12月30日 】不朽の業績

   翁の安政二年晦日の記事に「千秋万歳楽」と記し、
   その次に

   「予が足を開け、
    予が手を開け、
    予が書翰を見よ、
    予が日記を見よ、
    戦々兢々(きょうきょう)として深淵に臨むが如く、
    薄氷をふむが如し」

   とある。

   偉なる哉(かな)、
   尊き哉、

   一日と雖(いえど)も私念なく、
   興国安民のために、
   その偉大なる一生を捧げ尽くして、
   不朽なる実践的業績を地上に残す。
   嗚呼(ああ)。

            (逸舌集)

   【註】
 
   細心の深慮をもって「一日生涯」の日々を送られた尊徳翁のご生涯を思えば、
   仰げばいよいよ高しの感がいたします。

・・・

(2)【 12月30日 】一歩を積み重ねる

   私自身が、
   諸君らくらいの年配から、
   今日四十を超えるまでの自分の歩みを回想してみますと、
   たびたびの危いところを、
   よくもマア大過なく通って来られたものだと思うほどです。

   人間の一生は、
   決して容易ではありません。

   しかもそれは、
   一歩々々のたゆまざる歩みによって、
   しだいに開けていくものであって、
   いかに優れた英俊の資といえども、
   弱年にして人生を通観するということは不可能と言ってよいでしょう。

・・・

(3)【 12月30日 】 仕事は丁寧に

   幸之助は何事も繊細な人でした。

   お客様をお迎えする時などは、丁寧すぎる位、
   常人の及びのつかぬ態度でした。

   仕事にも「念には念を入れろ」と教えられたものです。
   ある日、こう言われました。

   「君な、仕事は丁寧にせんとあかん。そやけど
    早くしなあかんのや。先様は急がれてるし、
    遅いと余計なコストもかかる」

   丁寧さと早くすることは矛盾しないのです。

・・・

(4)【 12月30日 】 《ほろびないもの》

   わたしのなかに
   生き続けている
   一本の木

   わたしのなかに
   咲き続けている
   一輪の花

   わたしのなかに
   燃え続けている
   一筋の火

・・・

(5)《30日 今、天地の開くる音》

   自己が霊的実在であると云うことを悟ったとき、
   宇宙の大霊と波長が合うようになる。
   そして宇宙の大霊からの召命を感ずるのである。

   其処から使命感が湧き伝道がはじまる。
   彼は今までの肉体的侏儒(こびと)であったのが、霊的巨人となるのである。
   盲目(めしい)たるパウロから、さまざまの奇蹟を演ずる霊的巨人たる
   パウロにまで変貌するのである。

   「最早われ生くるに非ず、キリスト吾れにあって生くるなり」と云う
   パウロの自覚ともなり、

   釈尊の「天上天下唯我独尊、われは最勝なるものなり」の自覚ともなり、

   黒住宗忠の「最早われ生くるに非ず、天照大御神われにあって生くるなり」
   の自覚ともなるのである。

   自己が変貌し、世界が変貌する。
   自己が新生し、世界が新生する。

   大地六種(だいちりくしゅ)に震動し、
   「今、天地に開(ひら)くる音(おと)」が聞こえるのである。

            谷口雅春著『生活の智慧365章』
              (第4部繁栄の泉)第12篇(P327~328) より

           <感謝合掌 令和元年12月30日 頓首再拝>

賢者の一日一言《31日》 - 伝統

2019/12/31 (Tue) 15:27:38


(1)【 12月31日 】父母は我身

   父母もその父母も我身(わがみ)なり

           われを愛せよわれを敬せよ

                  (二宮翁道歌)

   【略解】
 
   このわが一身は、
   父母から授かったものであり、
   言うなれば祖父母のいのちであり、
   もっと遡(さかのぼ)れば先祖のいのちがこめられたものです。

   こうした連綿たるいのちの系列伝統そのものですから、
   この一身を粗末にしないで敬愛し、
   慎しみ深くあらねばならぬとのことです。

・・・

(2)【 12月31日 】真に徹して生きる

   人生はしばしば申すように、
   二度と再び繰り返し得ないものであります。

   したがってまた死・生の悟りと言っても、
   結局はこの許された地上の生活を、
   真に徹して生きるということの外ないでしょう。

・・・

(3)【 12月31日 】 苦境に勝つカギは無限にあるんや

   多くの企業は現在、
   苦境の時代を迎えています。

   幸之助は私が苦境に立つと、
   事前に情報を取るのでしょう。

   「木野君、
    苦境に勝つカギはなんぼでもある。
    なんやと思う」

   と呼び出して聞くのです。

   何かあると直ぐに質問されて困りました。
   考えて見ましたがなかなか思い当たりません。

   「ええか、
    自分で自分に限界をつくるから何でも解決せんのや」。

   つまり、
   固定観念を捨てて素直にものごとにあたれと諭されたのです。

・・・

(4)【 12月31日 】 《六魚庵独語》

   よい本を読め
   よい本によって己を作れ

   心に美しい火を燃やし
   人生は尊かったと
   叫ばしめよ

・・・

(5)《31日 神と自己との接触点の発見》

   吾々は一層多く「神の生命の動き」に協力することによって、
   一層健康となり、一層繁栄を得、
   吾々の生活に常に一層善きものを具体化することになるのである。

   「神の生命の動き」はひとたび吾々が大自然の神秘に眼をやるとき
   到る処に発見することが出来るのであるけれども、
   その宇宙普遍の大生命と自分との接触点を見出さなければ、
   「神の生命の動き」に完全に協力することはできないのである。

   その「接触点の発見」とは、自己の内に、
   宇宙普遍の大生命と同じき生命が宿っていて、
   その一点に於て”大生命”即”わが生命”であることを
   発見しなければならないのである。

   その一点の発見によって”個我”が”大生命”につながり、
   ”今”が”久遠”につながり、自己が神につながり、有限が無限につながり、
   瞬々の生活が無限の価値につながることになるのである。

   その「今即久遠」の一点において、
   自己が神に融合するのが神想観であるのである。

   諸君は一日といえども神想観を怠ってはならないのである。

           谷口雅春著『生活の智慧365章』
            (第4部繁栄の泉)第12篇(P328~329) より

           <感謝合掌 令和元年12月31日 頓首再拝>

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