伝統板・第二

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魂を磨く ④ - 伝統

2019/11/01 (Fri) 03:53:42

地上生活学校への入学

        *『生活の智慧365章』
         (第3部歓喜の泉)第4篇(P97~98) より


宇宙の本源でありところの大生命界を“海”と考えるならば、
吾々はその海面に浮かび上がった一つ一つの波だとも
考えることができるのである。

併し、波は次の瞬間には消えてしまっているけれども、
人間の生命(せいめい)は須臾(しゅゆ)にして消えるものではないのである。

仏教者の或る人は、肉体を盃にたとえ、
盃に海水を盛ったように肉体に大生命の一部を汲み入れたのが人間であるが、

その盃が壊れると、盃の中の海水は大海原の水と一如になってしまうのと
同じように人間の肉体がこわれると、その人の生命(せいめい)は個性も何も
なくなって、”宇宙の霊”に帰一してしまうという風に説く人があるけれども、
それは間違いである。

善人も悪人も、修行をした人も修行をしない人も、
肉体の死後は、全然、同一の大生命海に融けこんでしまうのだったら、
何のために、吾々は切実に道を求め、魂の向上を願うような衝動が
内部から起こってくるのであろうか。

そのような不合理のことはある筈はないのである。

吾々の肉体は霊魂が地上に於いて或る修行をし、
或る使命を果たすための”法服”又は”作業服”であって、

肉体が人間そのものではないから、
肉体が死滅しても霊魂は個性を失ってしまうことはなく、
また別の肉体を着て地上生活学校に入学してくることになるのである。


・・・

<関連Web>

(1)光明掲示板・第一「魂の約束」 (6284)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=1185

(2)光明掲示板・第二「魂磨き (10874)」
    → http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=2084 (消滅)


   (再掲示中)伝統板・第二「魂磨き(光明掲示板・第二)」
         → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7931699

(3)光明掲示板・第三「魂を磨くということ」
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=43

(4)光明掲示板・伝統・第一「魂を磨く (88)」
    → http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=wonderful&mode=res&log=54

(5)伝統板・第二「魂を磨く①」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6462899

(6)伝統板・第二「魂を磨く②」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6894890

(7)伝統板・第二「魂を磨く ③」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7734181


             <感謝合掌 令和元年11月1日 頓首再拝>

あなたの人生は、宇宙の秩序によって、そうなるように仕組まれています - 伝統

2019/11/08 (Fri) 04:13:57


        *「正負の法則」ジョン・F・ディマティーニ(著)
           (P151~152)

人生はあなたをますます深いレベルの理解へと引っ張っていきます。
いちばん速く成長できる場所は、混沌と秩序の境界線上にあります。

「やれやれ、せっかくうまくいっていたのに、失敗してしまった」
と考えるのはやめましょう。

あなたは成長して次のレベルの混沌に進み、
これまでよりも大きな試練が与えられたと気づいてください。
そこにさらに大きな成長の可能性が秘められています。

楽な人生に甘んじていると、かえって病気になったり、衰えたり、挫折したりします。
あなたは常にぎりぎりの場所にいなければなりません。

ですからただぼんやりと座って
「ああ、人生がもっと楽だったらいいのに」と言うのはやめましょう。
その代わりにこう言うのです。

「人生にもっと試練があればいいのに。
そうしたら、いままでより厳しい試練に対処する能力を身につけよう」
 
新しい試練を喜んで迎え入れることを目標にしましょう。
それが進化の秘訣です。

混沌と感情を秩序と愛に変えると、さらなる試練に出会えるので、
それを愛に変えられるようになります。
混沌、愛、知恵には終わりがありません。
あなたの成長も決して終わりません。

悟りを開くこと、裕福になること、有名になること、
それがゴールだと思っている人もいますが、
その目標に到達したら、そのあとはどうなるのでしょうか?

 
知恵と天性の才能を活用することは、
この瞬間に両方の面――混沌と愛――を見ることです。
時間が真実を明らかにしてくれるのを待たないでください。

いま精神のバランスをとれば、
年をとらなくても年長者の知恵を持つことができます。
あなたが人生でどうやって愛を表現したいかを明確に思い描いてください。

             <感謝合掌 令和元年11月8日 頓首再拝>

《人それぞれに修行がある》 - 伝統

2019/11/20 (Wed) 04:39:09


      *『幸福を招く365章』第1項(P20) より

誰でも自分の境遇は他の人のそれに比べて条件が悪いように考えたがるものであるが、 
それは卑怯な考えであり、或る意味では自分の苦難を誇張して自慢するこころであるから、
受難礼賛(じゅなんらいさん)の心であるから、
却って苦難を呼び寄せることにもなるのである。

すべての人々はそれぞれの鍛錬(たんれん)の場が与えられているのであるから、 
第三者が考えるように他の人もそれほど楽ではないのである。 
しかしどんな困難もその人の受ける心境の上達するに従って楽になって来るのである。 

算術も最初は楽ではなかったが、楽になった頃には、その人は算術を卒業したのである。 
しかし算術を卒業した人も代数(だいすう)や幾何(きか)は又楽ではないが、 
やがてすべてが楽になる時が来る。 

それが、人生体験の卒業と云うものである。  

             <感謝合掌 令和元年11月20日 頓首再拝>

【神様に好かれるように生きる】 - 伝統

2019/12/08 (Sun) 03:39:27


        *メルマガ「人の心に灯をともす」(2019.11.12)より

   (斎藤一人さんの心に響く言葉より…)

   昔はね、優れたテクニックさえ持っていれば
   うまくいった時代があるんです。

   特殊能力があるとか、うんと勉強ができる人とかね。

   いい大学を出ていれば、
   人への愛があろうがなかろうが、出世もできたんだよ。

   ところが、今はそれができないの。


   傲慢なことをしていたら、部下が言うことを聞かなくなるし、
   会社に人が入ってこなくなるし、入ってもみんな辞めちゃう。

   下の人間も強くなっているんだね。

   いい時代だよ。


   昔は画家やなんかでもエキセントリックな人がいたんだけど、
   いい絵が描ければそれでよかったんです。

   ところが今は、あまりおかしな人の絵は売れないよ。
   今はその人の作品だけじゃなくて、人間性も求められる時代。

   それだけ、ゆとりができたということだね。

   頭さえよければいいとか、何か一芸があればいいとかって、
   特殊な能力を持っていればワガママが通じるような時代じゃないんです。

   特殊能力を持っていても、
   おかしいやつはおかしいって言われる時代なんだ。


   役者やミュージシャンだって、最近は麻薬やなんかで逮捕されると、
   どれほど才能があってもなかなか表舞台には戻れないよね。

   今はモラルが上がってきたんです。

   自由にしていいことと、踏み外しちゃいけないことがある。


   人をいじめるとか、嫌われることをして
   好かれることはできないんだよね。

   世の中が、まともになってきたの。

   みんな、豊かになったんです。

   「衣食足りて礼節を知る」という言葉があって、
   人は生活が豊かになり、余裕ができて初めて、
   礼儀や節度に気を配ることができるという意味なんだけど。

   今は食べ物が余るほどあるし、
   着る服だっていくらでも手に入る時代になった。

   そうなると、次に人々が求めるのは

   「魂力(たましいりょく)」なんです。

   強ければいいとか、頭さえよければいいっていうのは、
   そうでなきゃ食べるのに苦労した時代のことだよ。

   豊かになったんだよ。

   21世紀は、心の豊かさの時代なの。

        <『斎藤一人 師匠は神様』マキノ出版>

               ・・・

斎藤一人さんは、

「神様に好かれるように生きてごらん。
 だったら、奇跡なんて簡単に起こるよ」という。

それは、「神様に喜ばれるように生きる」ということでもある。


どんなに一芸に秀でていようと、
素晴らしい学校を出ていて頭がよかろうと、
人柄や、人格に問題があったら、現代では活躍できない。

それは、ネットの広がりも関係している。

SNSの発達により、その人の日頃の「発言」や「人となり」あるいは、
「ストーリー」が事細かに拡散するからだ。

隠し事のできない時代、ということでもある。


人は、どんな物事も、最後は好き嫌いで判断する。

好き嫌いは、大きなことではなく、ほんの些細なことで決まる。

まさに、「お天道さまが見ている」という時代になった。


では、好かれるためにはどうしたらよいのか。

それが、「神様に好かれるように生きる」ということ。


もし、神様がいたとしたら、

どんなことをしたら喜んでくれるか、
どんなことをしたら好かれるか、

を考えて行動する。

神様に好かれるよう、魂を磨きたい。

          <感謝合掌 令和元年12月8日 頓首再拝>

境遇は自分の心が誂えたところの自分の魂の衣服 - 伝統

2019/12/12 (Thu) 03:31:05


     *「光明道中記」(12月12日《至誠神に通ずる日》)より

【神は全存在(すべて)であるから誠ある人にのみ其の無限力を現わし給う。
                      (『生命の實相』第四巻)】 

神の恵みは《既にある》には相違ないけれども、
それはレディーメードではないと云うことである。
神の恵みはそんな安物ではないのである。
尤(もっと)もどんな安物も神の恵みの倉の中にあるのである。

神は労働服地も、大礼服地も、背広服もモーニング地も用意していられる。
そして吾々の注文に従ってそれを仕立てて出して下さるのである。
神の作りたまう吾々への供給は、どんな安物服でもピッタリと
各人の心の寸法に合うのである。

どんな貧しさもその人の心の寸法に合っている。
彼がその貧しい境遇と称(よ)ぶ服を着ているのは、神様のレディーメードではなく、
彼が困難と戦って魂の貴(とうと)い鉱石を発掘するためには、
その貧しい服装が丁度都合がいいと言って、彼の心が誂(あつら)えたものなのである。

それは無意識に誂えたのかも知れないが、兎も角彼の心が誂えたものなのである。

自分の今ある境遇は自分の心が誂えたところの自分の魂の衣服なのである。
兎も角、今着せられている「境遇」と云う服装で吾等は善処しなければならない。
 
今労働服を着ている人は、その労働服が擦り切れてしまうまで働かなければならぬ。
その後に新しい服が与えられるであろう。

            <感謝合掌 令和元年12月12日 頓首再拝>

人間は、大抵はまだ〝魂の赤ん坊〟にすぎない - 伝統

2019/12/28 (Sat) 04:48:50


         *『如意自在の生活365章』(P183~184)より
          ~ 過去について思い煩うこと勿れ

過去にどんな失敗があったからといって、
それについて思い煩う必要はないのである。

赤ん坊は一ぺんに起ち上がることができないで、
失敗して倒れたからといって、
それについてクドクド愚痴をこぼしたり、

「もう駄目だから起ち上がる練習をやめよう」

などとは思わないのである。

人間は〝神の子〟だけど、特殊の使命をもって人類救済のために
特に地上に生まれて来た釈尊やキリストのような人は別として、
大抵はまだ〝魂の赤ん坊〟にすぎないのである。

だから幾度失敗しても起ち上がる努力を続けている限り、
別に恥ずかしいことはないのである。

恥ずかしいのは一ぺんや、数遍ぐらい失敗したからとて、
劣等感に陥って、起ち上がる努力をしないことなのである。

努力をつづける限り、過去に幾度失敗があっても、
それは発達の基礎訓練として赦されるのである。

            <感謝合掌 令和元年12月28日 頓首再拝>

一切の経験は内在する無限の神性を開顕する過程である - 伝統

2020/01/17 (Fri) 04:23:42


      *『生活の智慧365章』(《生命の進化》P110)より

吾々の生命は常に一層高き進歩に向かって更新しつつあるのである。

併(しか)し、「低いもの」が如何にして
「一層高きもの」を思い浮かべ得るであろうか。

「一層高きもの」はそれよりも
「低いもの」を考えるのはいと易きことであろう。

しかし「低いもの」には「一層高きもの」を
理解することは出来ない筈である。

現在「低いもの」でありながら「一層高きもの」を理解し得るのは、
その「一層高きもの」に触れることによって、自己の内にあるところの
「一層高きもの」が喚び出されて来る結果だというほかはないのである。


「一層高きもの」に生命(せいめい)が進化し行くのは、
既に「一層高きもの」が生命(せいめい)の内部に宿っており、
それが色々の環境や条件や境遇や経験によって触発されて
輝き発して来るにほかならないのである。

吾々は今与えられている環境・条件・境遇・経験から
逃げ出そうと考えてはならないのである。

それを喜んで受け、それから得られるところの凡てを
経験を通して吸収しなければならない。

それによって吾々は内在する無限の神性を、
一層多く開顕することができるのである。

            <感謝合掌 令和2年1月17日 頓首再拝>

《神の自己実現としての生き甲斐》 - 伝統

2020/01/30 (Thu) 03:44:07


          *『 生長の家 』(昭和46年3月19日の法語)より

   私たちは、神想観を毎日怠らず実修して、潜在意識を浄化し、それを微調整して
   “ 神の国 ”に心の波長を合わすことにしているのである。

   それゆえに毎日毎日私たちは新しきアイディアを受信し、それを実行して、
   毎日向上するのである。

   「 人間は病むべきもの、死すべきもの 」などという肉体の習慣的想念を、
   神想観による神との一体感を通して毎日一層多くそれから脱却するがよいのである。

   人間は神の自己実現であるから、「 人間知恵 」 の迷いのレンズを通して、
   神からの自己実現の映像を曇らせてしまわない限りは、

   自然に自分の意欲するところが“ 神からの催し ” であり、
   自然に自分の環境にあらわれて来る人間関係や経済事情が、
   神さまから与えられた「 人生学校 」 となり、

   色々の教訓をそこから学びとり、学びとるに従って魂が向上し、
   魂が向上するに従って、物質的次元以上のよろこびを魂が味わうことが出来、
   生き甲斐が増して来るのである。


    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12692749.html (消滅)

            <感謝合掌 令和2年1月30日 頓首再拝>

《物質は霊的な使途に使ってのみ永遠の価値を得ます》 - 伝統

2020/02/14 (Fri) 04:55:43


          *「真理」第9巻生活篇(P28)より

宗教によって所有を豊富に得たいと思う人があります。

物質は精神力によってアレンジされますから心の持ち方によって
物質的所有が豊富に得られることは事実です。

しかしそれは「心の力」を教えられるための第一課に過ぎないのです。
その程度に止(とどま)ってしまっては、魂が上級課程に進むことができません。

あなたがどんなに物質を豊かに得ても、
やがて必ずそれを放たねばならぬ時が来ます。

霊は永遠でありますけれども、その霊が肉体を去って
次の世界に入(はい)る時には物質的な全てを捨てて行かねばなりません。

何故なら「物質的なものは本来は無い」のであって
霊的なるもののみが実在であるからです。

自働車を百台、千台並べて見ても、
やがてそれは毀(こわ)れて屑鉄になってしまいます。

物質的な所有も肉体も、ただ霊なるものの目的にのみ使ったときに
永遠価値につながることができるのです。

            <感謝合掌 令和2年2月14日 頓首再拝>

《持ち過ぎた物質は苦痛に変わります》 - 伝統

2020/02/29 (Sat) 04:30:11

          *「真理」第9巻生活篇(P29)より

物質だけでは無限にまで悦びを増大することはできません。

どんなに美味しい食物でも、食する悦びを追加しようと思って
あまりに多量に食べますと苦痛に変ずるのです。

どんなに美しい衣装でも、無限に沢山着ることはできません。

物質的快適さにはある有限の限度があって、
それを超えると快感が苦痛に変って来るのです。

食欲でも性欲でも所有欲でも名誉欲でも同じことです。

物質的なものは、魂が自分の表現のために選びとった分量を超えたとき
苦痛に変わるのは、画家が絵の具を適量以上に塗りすぎたら
其の絵が駄目になるようなものです。

だから物質の所有の次には、自分の肉体と所有物質とを、
如何に適量に、何処に如何に使うかを神の智慧と愛とによって
導かれることを学ばなければなりません。

それを学ばないから戦争が起り、闘争が起り、殺人が起り、
此の世の中に地獄相(じごくそう)が現ずるのです。

            <感謝合掌 令和2年2月29日 頓首再拝>

魂の進歩には伝道が必須である - 伝統

2020/03/12 (Thu) 04:24:59


      *『白鳩』(昭和41年1月18日の蔵言)より

「上求菩提、下化衆生」の両つのはたらきが車の両輪の如く揃うことによって、
その人の魂は完全に速やかに得られるのである。

「私はもっと完全に修養を積み、魂がもっと向上してからでないと、
人に道をつたえる資格はない」という人がある。

これは大いに謙遜しているように見えるけれども、
それは一種の霊的利己主義に過ぎないのである。

生きている人はどんなに幼い子供でも呼吸しなければならない。
受けた空気は必ず呼(はき)出すことによって、次の空気を吸い、
肉体の生長と発達とが得られるのである。


”真理”を学び、”真理”を人に伝えるということは、
一種の霊的呼吸であって、吸い込んだ”真理”を、更に吐き出して
他に与えることによって、子供が空気を吸っては呼出すことによって
生長するが如く、人間の魂も生長するのである。

受けた”真理”を自己の内に止めるということなく、
他に伝える過程に於いて魂は一層進歩し、
”真理”の理解が深くなるのである。

(宇治別格本山~平成23年2月1日 資料より) 

            <感謝合掌 令和2年3月12日 頓首再拝> 

【バージョンアップさせるための試練】 - 伝統

2020/03/26 (Thu) 02:56:48


        *メルマガ「人の心に灯をともす」(2020.03.07)より

   (斎藤一人さんの心に響く言葉より…)

   何があっても、神さまは私たちを愛している、
   未熟だからこそ愛してくれているのが神さまなんだと、
   私は確信を持っています。

   なぜ、「自分は神さまに愛されている」という、
   私の想いがゆらがないのかというと、理由の一つは、

   自分に起きてくる問題は、自分を進歩向上させようとして
   天の神さまが与えてくださったものなんだ、
   自分をバージョンアップさせてくれる“階段”なんだ、
   ということを教わったおかげだと思っています。


   自分をバージョンアップさせてくれる“階段”とは、どういうことかというと、
   たとえば、次のようなことです。

   昔むかし、あるところに、一組のご夫婦がいました。

   奥さんが、ものすごく口やかましい、俗に言う「悪妻」なんです。

   そんな女性を妻にした男性は、こんな言葉を残しました。

   「悪妻を持てば哲学者になれる」

   この言葉を言ったのは、哲学者ソクラテスです。

   「哲学者になれる」と言った通り、
   ソクラテスの人間性は悪妻のおかげで磨かれて、
   バージョンアップしたのです。


   神さまは私たち人間を進歩向上させよう、
   もっと豊かに幸せになって欲しいと願って、試練を与えてくださる。

   それも、ただつらい思いをさせるだけではないのです。


   あなたが耐えられないような試練は、神さまはあなたにお与えにならない。
   自分に乗り越えられるような試練しか、自分には与えられません。

   しかも、試練とのセットで“開運の扉”も、必ず用意されているのです。


   “開運の扉”とは何ですかって?

   それは、あなたの心に安らぎをもたらしたり、
   明るく楽しい気持ちに切り替えてくれる何かです。

   《神さまは私たちをバージョンアップさせるために試練を与える。
    しかも、その試練には“開運の扉”が用意されている。
    安心して前に進もう。》

         <『絶対、よくなる!』PHP>

              ・・・

小林正観さんは、
「すべての日常生活は“私”を磨くための砥石(といし)なのです」という。

そして、魂を磨くための砥石には3つある、と。

『ひとつは「家族と家庭」。

結婚とは、「夫という名の砥石」「妻という名の砥石」を手に入れた
ということではないでしょうか。

夫婦という名の共同生活は、食べ物の甘い辛い、気温の暑い寒いなど、
一つひとつ折り合いをつけることにほかなりません。

なかなか思い通りにならない子どもも「砥石」です。


次は「仕事」。

どんなときにも怒らない、
イライラしないということを求められて魂は磨かれます。


最後に、「他のすべての人間関係、交友関係」。

日常生活のすべてが「“私”を磨くための砥石」なのです。

「怒ってもいい状況」も「怒らせる人」も存在せず、
折り合いをつけるべき状況や相手がいるだけ。

それなのに怒って解決する道を自ら選んでしまっているのかもしれません。

私たちはすべての日常生活で、
「いかにイライラしないか、笑顔でいられるか」を問われています。』


天変地異も、疫病も、あるいは、トラブルや厄介事、
日常の諸問題も、我々を磨くための砥石。

そして、それを乗り越えたとき、我々はバージョンアップする。

思い通りにならないこと全てが、神さまからのプレゼント。


魂を磨き、自分を少しでもバージョンアップさせたい。

            <感謝合掌 令和2年3月26日 頓首再拝> 

魂を向上成長させる真理を - 伝統

2020/04/04 (Sat) 02:08:17


         *「栄える生活365章」(P77~78)より

あなたは、自己みずからの尊厳を知らなければならないのである。
人は自己を信じた通りのところのものとなるのである。

釈尊は自己みずからを、”天上天下唯我独尊”であり
「われは最も勝れたる者である」と自覚したとき世界最大の思想家なり、
仏陀となったのであり、
イエスは「われ神の子なり」の自覚によってついに救世主となったのである。

諸君も、自分自身を自覚した程度に、偉大ともなり、
その反対に劣弱者ともなるのである。
 

生長の家の説く真理は諸君を劣弱の自覚から、最高水準の自覚 ―― 
”我れ神の子なり”の自覚にまで高めるために必要な”米の飯”の如き
魂の栄養となる働きをするのである。

”米の飯”はただそれが栄養になる事を知っただけでは何の役にもたたないのである。
”米の飯”はただ知るだけでなく、毎日”食べる”ことによって肉体が成長し、
肥えふとるのである。

では、あなたの魂は毎日、”我れ神の子なり”の真理の言葉を読誦して、
自己の 魂 にその言葉を咀嚼し消化し吸収し同化して 魂 を向上進化させるとき、
本当に現実の運命も向上せしめることができるのである。

            <感謝合掌 令和2年4月4日 頓首再拝> 

《魂の浄化のための仕事》 - 伝統

2020/04/20 (Mon) 05:07:25


          *「真理」第9巻生活篇第3章(P63~64)より

「此処に見よ、彼処(かしこ)に見よ」と外界に、
喪家(そうか)の犬のようにたずね廻ることをやまましょう。

人は神から生み出された神の子であると云う実相を根拠として、
神の計画の中で自分が何処にいるべきかを云うことを求めるのです。

その求めがせつじつであればついに、あなたは神の計画の中で
如何なる仕事をなすべき位置にあるかがわかるのであります。
それを祈ることです。

そしてそれが判るまでは、
今眼の前にある”何か”を忠実につとめることです。

現在の仕事が、現在の位置が自分にとって好ましからざる仕事であり
位置であっても、それに不平を言ってはなりません。

それが苦しい仕事であれば、それを感謝して受けるとき
魂の浄化となるものです。

仕事は単なる金儲けのためではなく、
魂の浄化のためにも与えられるものであることを知らねばなりません。

            <感謝合掌 令和2年4月20日 頓首再拝> 

《人生の目的は魂の向上にある》  - 伝統

2020/05/01 (Fri) 04:45:31


       *「光明法語」(5月1日)より  

人生は魂の向上の過程である。
魂の向上とは「内在の完全なる実相」がより多く次第に
開舒(かいじょ)することである。

魂の向上にはあらゆる人生の面に触れることが必要であるのは、
歯を磨くにもあらゆる角度から磨かなければならないのと同様である。

従って吾々の触れる人生の面は時々変化するのは
別の角度から磨かれる必要があると云うことである。

新しい人生の展開、新しい境遇の展開は、今ある境遇の行き詰まりから生ずる。

だから今ある境遇が行き詰まるのは
新しい善き運命の先触れだと信じて感謝すべきである

            <感謝合掌 令和2年5月1日 頓首再拝> 

【この地球は、数十億人の教師がひしめく巨大な教室】 - 伝統

2020/05/08 (Fri) 04:32:45


        *メルマガ「人の心に灯をともす」(2020.05.05)より

   (ジェリー・ミンチントン氏の心に響く言葉より…)

   この世界を数十億人が暮らす惑星と考えるのではなく、
   数十億人の教師がひしめく巨大な教室だと考えましょう。

   この豊富な教師陣の中の多くの人から、
   私たちは日ごろ個人授業を受けているのです。

   ただし、その人たちは、ふつうの人としてわたしたちの前にも現れます。


   多くの授業はネガティブな意味合いを持っているため、
   わたしたちはその人たちを教師としてではなく
   問題を起こす人ととらえがちです。

   実際、その授業は、あなたを悩ます「問題」という形式をとって行われます。


   では、あなたがこの教師から学ぶことができるのは、何でしょうか?

   それは、世の中のあらゆることです。


   人間関係について教えてくれる人もいれば、
   恋愛について教えてくれる人もいます。

   忍耐力の大切さについて教えてくれる人もいれば、
   罪悪感について教えてくれる人もいます。

   楽しい授業もあれば、激痛をともなう授業もあります。

   当然、ほとんどの人は、
   自分が何かを教えてもらっているとは思っていません。

   それどころか、ただただ、被害を受けた、と不運を嘆くだけです。


   でも、どんな内容でも、どんなきっかけがあったにしろ、
   その授業を受けるということは、
   あなたに学ぶ必要があったということです。

   被害を受けただけで何も教わらなかったと思うなら、それは危険です。


   そよ風のように静かな授業もあれば、落雷のように激しい授業もあります。

   すぐに理解できる授業もあれば、理解に苦しむ授業もあります。

   いずれにせよ、その授業から教訓を学ばなければ、
   あなたがそれを学ぶまで、その授業は形を変えて
   何度も繰り返されることになります。


   だれかといっしょにいるとき、
   自分がその人から何を学ぶことができるか、考えてみましょう。

   わたしたちは、どんな人からも学ぶことができます。

   どんな人からも、謙虚な姿勢で教訓を学ばなければいけません。

   そうすることによって、あなたは成長し、豊かな人生を送ることができます。

       <『あなたがなりうる最高のあなたになる方法』ディスカヴァー>

               ・・・

「我以外皆我師」

とは、「宮本武蔵」や「三国志」で有名な、
作家の吉川英治氏が好んで書いた言葉だといわれる。

「われ以外みなわが師」とは、

自分以外の人は、皆わが師匠だ、ということ。

同じように好んだ言葉に「生涯一書生」がある。

一生涯、ただの一書生の気持ち生きる、
偉そうにならず、謙虚に生きていくということ。


この「我以外皆我師」は、人だけでなく、
自分の身に起こる様々な困難や逆境、失敗や苦労も、「師」であると言える。

そこに何の意味があるか、を自分の身に問うたとき、
その困難が教室の授業の課題となる。

「我以外森羅万象皆我師」だ。


大事なことは、そのことについての学びが終了するまで、
その授業は繰り返し行われるということ。

そして、その学びについて、手を変え品を変え、様々な形で授業が行われる。


どんな現象からも、どんな人からも、学ぶことができる人は、
成長し、豊かな人生を送ることができる。

            <感謝合掌 令和2年5月8日 頓首再拝> 

《魂の浄化するに従って環境が良化します》 - 伝統

2020/05/18 (Mon) 04:44:08


          *「真理」第9巻生活篇第3章(P64~65)より

魂の浄化をとげるに従って、生活の場が変わってくることがあります。
その反対に魂が汚(けが)れることによって
生活の場が変わることもあります。

地獄、極楽説は死んでからのだけの事ではなく、
魂の浄化の「場」として、苦しみによって魂が浄化される期間と、
歓びによって魂が浄化される期間とがあって、その期間に随って
生活の「場」が変わってくるのであります。

地上の生活は魂をみがくための学校であるからです。

魂にも練成の必要な期間があり、休養の必要な期間があり、
慰安によってなぐさめられる期間があります。

各々の期間にしたがって生活の「場」が変わったり、苦と楽との
異なる状態があらわれるのでありますが、其の時、その場に与えられた
自分のつとめに感謝して全力をつくすとき
魂が最も速やかに進化するのであります。

            <感謝合掌 令和2年5月18日 頓首再拝> 

魂の創造 - 伝統

2020/05/25 (Mon) 04:34:46


       *「神との対話」(神の宇宙創造)
           ニール・ドナルド・ウォルシュ(著)より
         ~Web「死を恐れる必要はありません」より転載

神は、神ご自身の性質と能力を分与した魂を創造されました。
それは、神の分身(分霊)といえます。
魂は、宇宙創造の時に、決められた数だけ創造されています。

神の分身である魂が、物質的世界の人間に宿ることにより、
いろいろな体験をします。

したがって、人間は、魂-精神-身体という3層になっています。

魂自身が自らを体験的に知ることによって、
神ご自身も自らを体験的に知ることができるのです。

いいかえれば、魂の目的は、神から分与された、概念としての知識を、
人間の精神、身体による活動、すなわち人生において実体験し、
体験としての知識を体得することです。

魂が実体験するときに、神ご自身も無形なる絶対的な自分自身(神性)を、
有形的に実体験しているのです。

神の分霊が魂ですから、魂は、神と一体です。

したがって魂の目標は、母体である神の無形なる神性を実体験して
成長、完成し、分霊する前の神に帰一することなのです。

このように、神ご自身も、自身の分身たる魂とともに共同して、
無限に、成長・変化し続けるのです。

  (https://www.asahi-net.or.jp/~hs9m-tkn/sub201-1-kami.htm )

            <感謝合掌 令和2年5月25日 頓首再拝> 

地球で生まれ変わりの輪廻を繰り返し、魂の向上を目指す目的は - 伝統

2020/06/13 (Sat) 04:33:09

         *Web:宇宙の兄弟たちへ(2020年6月11日)より

私たちの本質は、肉体に宿った魂であり、死後も魂は存続しています。


あの世に帰ってから、また地上へと繰り返し生まれ変わります。

様々な違った環境や役割を、生まれ変わって経験することで、
魂は学びを深めていきます。

そして偉大なる存在へと、自らを高めていくことを目指しています。

人の魂は、神仏への道を目指しているともいえます。


ではなぜ、魂は向上を目指していくのでしょう。

輪廻を繰り返し、魂の進化をしていく目的とは
それは魂の向上そのものが、喜びであり、幸せを内包するものだからです。

幼い魂が、次第に学びを深め、
偉大なる存在へと向上していくことが、喜びを伴うものです。


たとえば、子供が生まれて、はじめは自分で動くこともできなかったのが、
次第にハイハイが出来るようになり、立って歩くようになります。

そしてパパ、ママと親を呼べるようになり、会話できるまでになります

そうした成長の一つ一つが、今まで出来なかったことが出来るようになり、
成長を見せることが、喜びとなります。


私たちをお創りになられた偉大なる存在は、
私たちが成長していくことを喜びとして見られているということです。

そして私たちも、成長することで、
より大きな可能性を手に入れ、自由を拡大していく喜びをえます。

子供のころはまだ守らなければ危険がありますので、
色々としてはならないこともあるでしょう。

大人になれば自動車にも乗れるようになり、
自由に好きなところに移り住むことも出来るようになります。

そのように、魂も向上していくことで、
より多くの権限と自由をえられるようになります。

その分、自由に伴う責任も大きくなっていきます。

魂は向上していくことに喜びを内包している存在なのです。

  (https://www.spacebrothers.jp/2017/05/blog-post_24.html

            <感謝合掌 令和2年6月13日 頓首再拝> 

《魂の浄化期間を設けるがよい》 - 伝統

2020/06/19 (Fri) 04:55:28


        *『 生長の家 』(昭和32年5月20日の法語)より

   塵も積もれば山となり、点滴、よく石を穿つ。

   1回3分間の祈りでもそれが1日20回も繰り返され、
   しかもそれが純粋なる願いに裏付けされるときには、
   それはついに偉大なる力となり、神の声なき御声を聴くことが
   できるようになります。

   更に速やかに魂の浄化を遂げようと思えば、10日間を限って、
   全然利己的損得勘定の思いを起こさず、人を憎まず、争わず、腹立てず、
   嘆かず、不平の心を起こさず、何事にも其の儘素直にハイと受けて行じ、
   暗い心を捨て、明るい心を持ちつづけ、一切のものに対して感謝の念を
   起こすようにつとめることです。

   10日間だけどと限って行なうのは、1ヶ月も、1年もつづけてやれと
   云われたのでは、「到底不可能である」と思って後退する人も
   あろうけれども、10日間と思えば出来ぬことはないのです。

   併し自宅では、これまでの生活習慣で出来にくいかも知れない。
   そんなときには、生長の家の飛田給練成道場や宇治習練道場や
   長崎練成道場で、世間から離れて一時練成を受けるのも一つの方法です。


    (『 真理 』第9巻 生活篇第11章 <P303~304>に収載)

            <感謝合掌 令和2年6月19日 頓首再拝> 

努力は魂を向上せしむる道である - 伝統

2020/06/29 (Mon) 04:49:26


       *『 生長の家 』昭和26年5月27日の法語)より
        ~ 与えられたる仕事を拒(こば)むな

何事でも自己に与えられたる仕事が、
誰かにとって益を与うるものであるならば決して拒むな。
それが自己に不適当なる仕事であると思っても決して拒むな。


神は決して貴方(あなた)に不適当なる仕事を強制し給うことはないのである。

与えられたる仕事を神が自分に課せられたる人類の奉仕の仕事であると
信じて感謝してそれを為(な)すならば、自分に不適当なる仕事にも
それを完成し得る力が湧(わ)き出てくるのである。


容易なる仕事ばかりをしているのでは
内在無限の力は湧き出ては来ないのである。

困難なる仕事に努力することによって力は増強せられる。

努力は魂を向上せしむる道である。

            <感謝合掌 令和2年6月29日 頓首再拝> 

《短期間に魂を進歩さすには》 - 伝統

2020/07/06 (Mon) 04:52:29


        *『 生長の家 』(昭32年5月27日の法語)より

   併し、職場や自宅で此の「想念の遊戯」をやっていても、
   外界の出来事、刺激が複雑であって、その出来事、刺激に対する
   自分の心の反応も非常に複雑となり、或る境遇の人では
   其の採点も手帳に中々書き切れない状態になるかも知れません。

   こんな場合には、麻薬の中毒を解消するのに隔離療法が最も効果が
   あるように、俗世間から隔離して僧堂などで修行する方法も
   効果が多いのであります。

   そのために、生長の家では東京都では飛田給に、京都府には宇治市に、
   長崎県には長崎市に練成道場が設けられていて、

   俗世の刺激や雑音を避けて、人間の存在価値に冠する色々の講義を
   聴きながら、明るき想念、快き想念、善き想念のみを起こすことを
   一期10日間練習することになっています。

   薬が切れてくると苦しくてたまらぬヒロポンの中毒患者さえも
   心が一変すれば、少しも苦痛なしにヒロポンの注射を止めて
   再び欲しなくなる実例が随分あるのです。

    (『 真理 』第9巻 生活篇第11章 <P310~311>に収載)

            <感謝合掌 令和2年7月6日 頓首再拝>

天使の着ぐるみ - 伝統

2020/07/16 (Thu) 04:13:38


        *「四つの天使の物語」おにいる そうこ (著)より


 ぼくの名前はトモ

 ぼくね、生まれてから一度も歩いたことないんだ
 一人で立ったこともないよ

 ぼくの足は立ったり歩いたりできないんだ
 手もね、お箸やスプーンを持ったりできないんだよ

 だからさ、ごはんを食べるときは
 お母さんとかまわりの人に食べさせてもらうんだ

 えんぴつも握れないから絵や字を書いたこともないし
 話すことも歌うこともできない

 一日の生活の中で自分一人でできることはなにもないんだ

 お母さんは
 トモくん、ごめんね。元気な体で産んであげられなくてごめんね。
 って、涙を流すんだけど

 ぼくね、自分で決めてきたんだよ

 お母さんのお腹に入る前に自分でこの体を選んできたんだ



 どうやって決めてきたのか知りたい?



 あのさ、覚えてる人もいるかもしれないけど

 ぼくらはみんな、生まれてくる前に
 魂の着ぐるみを選ぶんだよ

 デパートの洋服売り場を思い浮かべるとわかりやすいかな

 そういういろんな着ぐるみが並べてある部屋に行ってさ
 今度の人生はどんな着ぐるみを着て生きてみようかなって選ぶんだ

 部屋にはたくさんの魂たちが服を選びに来ててさ

 あたし、次、これ着てみる!
 とか、

 ボクは色は同じだけどサイズの違う服にしてみるよ
 とか、それはそれはにぎやかなもんさ

 ぼくは白い服も、黒い服も、茶色い服も、黄色の服も着たことあって
 大きいのも小さいのも、毛むくじゃらの服もすべすべの服も…

 部屋に並べてあるたいていの服は着たことあったから
 服を整理してる天使さんを見つけてきいてみたんだ


 あの~、ぼく、ここにある服全部着たことあるんだけど、
 他にないんですか?


 そしたらさ、その店員さんみたいな天使さんが
 しばらくの間ぼくをじーっと見つめてこう言ったんだ


 あ~、あなた。お待ちしてましたよ
 再び人生を始める準備ができたのですね
 どうぞこちらへ


 天使さんは店員さんの控え室みたいな部屋の扉を開けて
 ぼくに手招きをしたんだ

 部屋の中はきれいな音楽といい香りが漂っててさ
 あまりの美しさに思わず入り口で立ちすくんでいたら
 天使さんがソファーに座るようにと優しくうながしてくれたんだ

 ぼくが虹色のソファーに腰掛けると
 目の前の壁が透明なスクリーンになって
 そこにぼくの今までの人生が映し出されたんだ

 何億年という長い年月をかけて何度も何度も繰り返された
 ぼくの人生がそこには映っていたんだ


 ここらへん、同じような人生ばかり繰り返してますね


 ぼくがスクリーンを見つめながら言うと


 ええ、この時期はあなたはまだ若かったですからね
 学ぶことがたくさんあったのに
 あなたは人生で起こる出来事から何も学ぼうとしなかった
 だから何度も同じような人生を繰り返したんですよ


 そうなんですか
 でも人生やってる時は前の人生を忘れてますから
 同じことを繰り返してたなんて知りませんでしたよ


 そうでしょう
 それが人間の特徴です
 確実に学びを得るために、そして今の人生に集中するために
 前の人生を忘れるようにプログラムされているんですよ


 なるほど…
 うわ~、ここらへんは
 酷い事をしたり、されたり、を繰り返してますね


 はい、この時期は主に人の痛みや辛さ、哀しみを感じる心を
 育てることがテーマでしたからね。


 こんな恐ろしいことを平気でするなんて
 なんて酷い人間なんだ、これホントにぼくなんですか?
 それにこんな残酷なことをされてる自分を見るのは心が痛みます。
 信じたくないな。


 信じたくないでしょうが、過去のあなたがこれらを経験したおかげで
 以後のあなたは二度とこんな経験をしない人生が送れたんですよ。


 そうだったんですね…
 世の中の悲惨な事件や事故、災害などに心が傷むのは
 自分が経験したことを追体験してるのと同じなんですね


 そうですよ
 世の中で起きることは全てあなたの中にある部分が表現されているのです
 学び忘れていたことを他の人がかわりに体験してくれているのです
 あなたが再び同じ体験をしなくても思い出せるように
 みんなで協力しあって学び合えるように人間の世界は作られているのです


 そうですか
 だんだんわかってきました


 ですから世の中の出来事に関心を持つことがとても重要なのですよ
 無関心でいると大切なメッセージを逃してしまって
 そこから学ぶことができなくなりますからね


 なるほど、初期のぼくは出来事に無関心だったために
 何度も同じような人生を繰り返していたんですね…


 ぼくは天使さんに質問したり解説してもらったりしながら
 人生をつぎつぎに見ていったんだ


 ここらへんはもう最近の人生ですね
 なんだかぼく、忙しそうに動き回ってますね


 ええ、この時期は還元の時代です
 あなたはこれまでたくさんのことを経験してきましたからね
 自分が得たことを世の中に還元することに
 喜びを感じる魂に成長したんですよ


 困っている人を助けたり、
 動物や自然を守る活動に時間を費やしていますね


 人を笑わせたり喜ばせたり癒したり、
 主に人の心に接する仕事をしているでしょう
 周りから見ると自分を捨てて他人のために働いてるように見えますが
 そうではなくて、あなたは自分の行いが他の人の魂に触れることに
 喜びを感じ、そこから更に高い学びを得ているのです


 確かに
 この人生が終わった時、
 ぼくの魂は感謝の気持ちでいっぱいになっていました


 あなたはこれまでの人生を通して確実に成長しましたね
 おめでとうございます


 天使さんにおめでとうって言われてぼくは嬉しかったんだけど
 同時に、天使さんがまだぼくの最初の質問に答えてないことを
 思い出したんだ


 あの~、それで、ぼく、次に着る着ぐるみを探しに来たんですけど…


 わかっていますよ、着ぐるみですね
 あなたの着ぐるみはこの扉の奥にあります


 そう言うと天使さんは入って来たドアとは反対側にある
 金色の扉を指差したんだ


 この扉の奥にはあなたのように
 高い成長を遂げた魂専用の着ぐるみが用意されています


 なんだ、やっぱり他の着ぐるみもあったんですね
 よかった~、それを早く言ってくださいよ~


 そう笑いながら扉の方へ近づくと
 天使さんは落ち着いた表情で言ったんだ


 あなたはこの扉を開ける準備が整った魂です
 それをよく認識して開けてください


 わかってますってば~
 どんな着ぐるみが用意されてるのかな~~~ルンルルン


 勢いよく扉を開けて中をのぞいたぼくは言葉を失ったんだ


 こ、これは…


 「天使の着ぐるみ」です


 て、天使って…
 だって、これ…


 人間の医学界では普通でないとされている
 いわゆる障害のある着ぐるみです


 これを…ぼくが…着るんですか…?


 これを着られるのはごく限られた魂だけです
 普通の魂ではとうてい着こなせませんから
 人間の医学界で普通ではないと言われるのも
 皮肉ですがある意味、的を得た表現です


 でも…
 これを着て一体何をしろって言うんですか…?


 何もしないのです


 何もしないって…
 じゃあ、何のために人生を送るんですか…?


 何もしないことによって
 全てのことを行うのです


 何もしないで全てをやる…?


 言いたいことを口で言うのは簡単です。
 やりたいことを体を使ってやるのは簡単です。

 しかし「天使の着ぐるみ」は
 それらの手段を使わずに
 存在のみ。
 あなたがそこに存在していること、それのみで
 人類に大切なことを伝えるための着ぐるみなのです


 そんな難しいこと、ぼくにできるかな…


 できます
 あなたはそれをする段階まで成長した魂なのですから
 最も、「天使の着ぐるみ」を選ぶかどうかは
 あなた次第ですけれど…


 ん…
 …
 …


 うん!ぼく、やります
 「天使の着ぐるみ」を着て人生やってきます!


 そう言うと確信していました
 ありがとう


 でも…お母さんは誰にしよう
 きっとぼくが産まれることによって
 お母さんはたくさん苦労すると思うんですけど


 大丈夫
 あなたのお母さんになる人は
 この人生であなたを育てることによって
 最大限に成長することになっている魂なのですから

 お母さんだけではなく、お父さんも兄弟も周りの人達も、
 あなたに関わる全ての魂は
 あなたに触れることで最大限の成長ができるのです


 うん、ぼく勇気が湧いてきました
 ぼく、この課題きっとやりこなしてきます


 いってらっしゃい


 いってきます




 ぼくは「天使の着ぐるみ」を受け取ると
 天使さんにあいさつをして
 ぼくを産んでくれるお母さんをさがしにでかけたんだ

 しばらく空を飛んでたらさ
 誰かがピンク色の光をぼくに向かって放ってきたんだ
 なんだろう、と思って近づいてみたら
 ぼくの知ってる魂だったんだ


 ぼく、ぼくを産んでくれるお母さんを探してるんだけど
 もしかしてぼくのお母さんになってくれる人なの?

 ってその魂にきいてみたんだ

 そしたらその魂は

 そうよ、わたしはあなたのお母さんになるために
 少し早めに人生を始めたのよ
 次は親子になろうねって約束してたじゃない

 って言うんだ

 そっか、そういう約束してたっけ

 ぼくは嬉しくなって泳ぐようにしてお母さんのお腹の中に入ったんだ




 人生やってるお母さんはそんなことすっかり忘れちゃってて
 トモくん、ごめんね
 って泣くんだけど
 ぼくたち、約束しあって生まれてきたんだよね


 「天使の着ぐるみ」を着て人生やるのってホント、難しいんだけど
 その分、すごくやりがいがあるんだよ


 ぼく、この着ぐるみ大好き!

http://love-himiko.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/post-17b1.html

・・・

<参照>

(1)「“本流宣言”掲示板」内スレッド「胎内記憶 (6068)」
    → http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=1361 (消滅)  
                         

(2)「光明掲示板・第一」内スレッド「胎内記憶Ⅱ (770)」
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=198 (消滅)   

                         
(3)「光明掲示板・第一」内スレッド「胎内記憶に心耳を澄ます」
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=1423 (消滅)   


(4)「光明掲示板・第二」内スレッド「胎内記憶Ⅳ」
    → http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=2190 (消滅)   


(5)「光明掲示板・第三」内スレッド「胎内記憶Ⅴ」
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=92


(6)「光明掲示板・伝統・第一」内スレッド「自分をえらんで生まれてきたよ (66)」
    → http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=wonderful&mode=res&log=40


(7)「伝統板・第二」内スレッド「自分をえらんで生まれてきたよ」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6457822


(8)伝統板・第二「胎内記憶」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6727130


(9)伝統板・第二「胎内記憶 ②」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7779152

            <感謝合掌 令和2年7月16日 頓首再拝>

自分の魂を高めよ! - 伝統

2020/07/19 (Sun) 04:40:34


     *『生命の實相 幸福篇下 第三十八巻』(7月19日)より

ひとの優劣を自分の尺度で推し測ってはならない。
自分が愚劣な心を持つから、ひともまた愚劣であろうと思ってはならない。

自分が動物的な欲望の支配下にあるから、
ひともまたかくのごとくであろうと思ってはならない。
自分のうちに悩みがあるから、
世界中の人はすべて悩んでいるのだと思ってはならない。

本当に他人の偉大さがわかる者は、自己がそれだけ偉大であるのである。
自分の魂の高揚しただけのものを、われわれは他において見るのである。

釈尊のすぐれた人格を知る者は、
自己のうちに存在する釈尊がそれを知るのである。

釈迦やキリストといえども、時には悩み、苦しんだであろうと考える者は、
聖者を引きずり下ろして自己と同等のレベルに置こうとする卑怯者である。

彼は一種のエディプス・コンプレックスの虜囚(とりこ)なのである。
自分よりすぐれた者の存在を知ることが、
自己の驕慢心にとってたえがたい屈辱感になるのである。

われわれは、かくのごとく、ひとを引きずり下ろす醜(みにぐ)き心を去り、
自己があくまでも向上して、美しき人類の理想を成就することによって
聖者と等しきレベルにまで到達しなければならないのである。

大海に溺れつつあるある者どもが、お互いに他を引き下ろして、
それによって、自己が浮き上がろうとするのは醜悪である。

他を賤しめ軽んずることによって、ひそかに自己を偉大ならしめようと
努力するくらいみじめな動物的行為はないのである。

他を軽んずることは、自己を軽んずることである。
他を醜くすることによって、まっさきに自己が醜くなるのである。

『従容録』には自分の口を血に染めて他人に吹きかけると書かれている。

常不軽菩薩は、すべての人々を仏様(ほとけさま)だと言って拝んだのである。
釈尊は山川草木国土有情非情すべてことごとく仏なりと観ぜられたのである。
わたしだけが偉大だとも、彼だけが仏で、他は俗物だとも観じたのではなかったのである。

われわれはすべての人々を自己と同等のレベルにまでコキ下ろす劣悪を知っている。
しかしさらにそれよりやや進歩した劣悪として、特定の人々のみを尊敬するが、
他はことごとく”うじ虫”奴(め)らであると思う愚かさを知るのである。

それはただ、自己のうちに、他の偉大さをみとめる美点のあることを誇示し、
それによって自己を偉大ならしめ、さらに他を軽んずる快感をも
同時にむさぼろうとする鵺(ぬえ)的存在である。

山川草木皆これ仏であると拝む仏様からは縁の遠い人々である。

            <感謝合掌 令和2年7月19日 頓首再拝>

ワンダラーとは?スターシードや宇宙魂と意味 - 伝統

2020/08/06 (Thu) 04:31:02


         *Web:宇宙の兄弟たちへ(2020年7月6日)より

ワンダラーとは、さまよえる魂の事で、宇宙を旅する魂たちの事を指します。

他の惑星に住んでいた魂が、地球の進化と向上に貢献するように願って、
この星へと生まれてきた者のことでもあります。

もともとは地球以外の魂について指す言葉で、
宇宙から飛来してきた魂と言う意味ですね。

ほかにスターシードという言葉もあります。

スターシードについて詳しくは
「スターシードとは?43の特徴と使命 覚醒へのスピリチュアルメッセージ」
の記事を参照されてください

  (→ https://www.spacebrothers.jp/2016/12/blog-post_13.html ) 


こちらをよく使いますが、
意味としてはほぼ同じ事を言っていると解釈しています。

宇宙から飛来してきた魂と言うのは珍しい存在と思われるかもしれませんが、
実は地球そのものは様々なる星から飛来してきた魂たちの集合する場所でもあります。

ですので地球は様々な価値観や考え方をする人々がいます。

地球はそれらの多様性を抱擁しつつ調和しながら統合すると言う
難しい文明実験を行っている星でもあります。

そのような星とすべく計画された巨大な意識体の元に地球はあります。

自身の持つ優れた特性を人々に伝えるとともに、
他の人の持つ優れた点を吸収されるように考えられ、
計画された星に私たちは生きています。

  (https://www.spacebrothers.jp/2013/09/blog-post_9252.html

            <感謝合掌 令和2年8月6日 頓首再拝>

【魂の胆力をつける】 - 伝統

2020/08/16 (Sun) 03:46:53

        *メルマガ「心に響く今日の言葉 (2020年08月01日)」より
               ~ピカソ            

どれだけ多くの人を愛していけるか。

どれだけ自分の気持ちに、自分の、
神よりつくられた神の子としての
自分自身の本性に正直であるか、忠実であるか。

そして、それを表現するときに、
どんな批判があっても負けないだけの
不屈の勇気を持てるか。

            <感謝合掌 令和2年8月16日 頓首再拝>

《人間の生命(せいめい)にも色々の時代がある》 - 伝統

2020/08/21 (Fri) 04:44:25

          *「眞理」第2巻基礎編第6章(P166))より

蚕(かいこ)がまだ芋虫のような状態であるときには、
彼は、桑の葉が最も美味(びみ)なる食物(しょくもつ)であり、
それを食べる事が、彼の最も大なる関心事であったのである。

そのうちにかれは桑の葉を食べるのに興味がなくなってくるのである。
彼は何もたべないで、口から美しい糸を吐き出しはじめる。
これは聖なる生命(せいめい)の内部からなる催しなのである。

人間も或る時代には物質を求める仕事に熱中するのであるが、
それがトンと興味がなくなる時がくる。
それは既にその仕事によって得られる魂の体験を卒業したのである。

桑の葉を食べる時代は物質を得ることを喜ぶ時代である。
口から絹糸を出す時代は他(ひと)に良き物を与えるのを喜ぶ時代である。

その時代が過ぎると、かれは羽(はね)が生(は)えて羽化登仙する。
人間の魂も、これに似た時代を通過するのである。

            <感謝合掌 令和2年8月21日 頓首再拝>

【すべてのものには神が宿る】 - 伝統

2020/09/13 (Sun) 02:47:39


      *メルマガ「人の心に灯をともす」(2020.06.11)より

  (弁護士、湯川久子氏の心に響く言葉より…)

   昔、何気なくテレビのアニメーションを見ていたとき、
   私が惹きつけられたのが『くつやのマルチン』という物語でした。

   原作はトルストイの童話です。


   マルチンは老いた靴屋で、一人ぼっちで寂しく暮らしていました。

   最愛の妻に先立たれて、息子と二人で暮らしていましたが、
   やがて息子も病気のために死んでしまいます。

   マルチンは生きる望みを失い、友だちが祭りに誘っても
   行く気にさえならず、引きこもっていたのです。


   ある日、訪ねてきた牧師から
   「古い聖書を綴(と)じ直して欲しい」と頼まれます。

   その夜、聖書を読みながら眠ってしまったマルチンに、
   神からのお告げがあったのです。

   「明日おまえを訪ねるからね」と。


   翌日、マルチンは朝早く目を覚ましました。

   いつもと気分は違っています。

   神様を出迎えるために一生懸命部屋を掃除していると、
   外に雪かきの掃除人を見かけて温かい紅茶をご馳走しました。

   掃除人はとても嬉しそうでした。


   しばらくすると、赤ちゃんを抱いた婦人が真冬の寒さの中、
   コートも着ないで歩いていました。

   マルチンは家に婦人を招き入れ、暖炉で温まってもらい、
   パンとシチューを食べさせ、自分の肩掛けをあげたのです。


   すっかり薄暗くなったころ、マルチンの店の前を
   りんご売りのおばあさんが通りかかり、カゴを肩から下ろして座り込みました。

  そこへ、貧しい少年がやってきてりんごを奪って逃げたのです。

   マルチンは、大急ぎで少年をつかまえておばあさんには
   子どもをゆるしてくれるように頼み、子どもにはりんごを一つ買って手渡しました。


   結局、神は現れませんでしたが、自分が
   世界で一番憐(あわ)れだと思っていたマルチンは、
   もっとかわいそうな人がいることに気づきます。

   そして、自分のような者でも、人にやさしくしてあげられることがわかり、
   何だか心の中がとても温かくなっていくのでした。


   その日の夜、マルチンが椅子に座って聖書を開くと、神が現れて、

   「今日おまえが出会った者たちはすべて私だよ」

   と語るのです。




   実は、この『くつやのマルチン』の原題は
   『愛のあるところに、神もある』というものです。

   私たちが愛のある行動をとるとき、
   そこに神がおられるのだということを伝えています。

   すべてのものを神を扱うように大切に扱えば、
   心豊かにあたたかい気持ちになれ、
   孤独や不幸な思いは消えてしまうのだということ。


   それに気づいたマルチンは、
   本来のやさしくて活動的な自分を思い出し、
   親友と一緒に町のお祭りへと出かけていくのです。

   私は、胸の奥がツンとするのを感じました。

   人は、どんな目にあっても愛のある場所から
   再出発することができるのだと感じたからです。


   『くつやのマルチン』には、多くの孤独な人たちが登場します。

   雪かき掃除人、赤ちゃんを抱いた婦人、
   りんご売りのおばあさん、貧しい少年。


   マルティンが失意のもとに閉じこもっていたときは、
   誰一人、マルチンの目には映らなかった人たちです。

   そして、マルチン自身も、
   誰からも見てもらえていない存在だったのです。

   孤独や死というのは、誰にとっても怖いものですが、
   もっと恐ろしいのは、存在を無視されながら生きるということ。

   それは、生きながらにして死んでいるようなものです。


   すべての人、すべてのものには神が宿るのだということ。

   それらを大切に扱うことは、つまり、
   自分を大切に扱うことに等しいのだということ。

   これは、日本には古くから伝わる
   八百万(やおよろず)の神の考え方に通じるものがあります。

   愛を持って行動していけば、そこには必ず、つながりが生まれ、
   孤独から抜け出すことができます。

      <『ほどよく距離を置きなさい』サンマーク出版>

            ・・・

面倒なこと、困難なこと、難しいこと、嫌なこと…

これらはすべて「神さまからのプレゼント」だと思えば、
逃げずに立ち向かうことができるかもしれない。

なぜなら、

「神さまは、なぜこのプレゼントを自分にくれたのだろう」

と考えるからだ。

「これにはきっと深い理由があるに違いない」、
「神さまが理由もなしにこんなことをするわけがない」、

と思ったとき魂の修行への道を一段進んだことになる。


人のことを気づかうこと。

人に温かな言葉をかけること。

人に親切にすること。


愛ある行動を起こすこと…

すべてのものには神が宿っているのだから。

            <感謝合掌 令和2年9月13日 頓首再拝>

わが業(わざ)は わが為(な)すに非(あら)ず - 伝統

2020/09/20 (Sun) 04:40:36


      *『生長の家』(昭和25年6月2日の法語)より

日々に起きる出来事をば、
神は決して吾々を苦しめ給うために与え給うものではなく、
吾が魂の向上と幸福とのために与え給う所のものである。

一つ一つの出来事は
すべて自分の内に内在する よきものが
実現せんがための機会であるのである。

神の愛は無限であって
吾々がとても想像することができない範囲に
凡(あら)ゆる方面から吾々を導いて、
幸福ならしめる様に計画していられるのである。

「 わが業は吾がなすに非ず、
 天地を貫きて生くる み親の力 」 であるのである。

   (http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=2 )

            <感謝合掌 令和2年9月20日 頓首再拝>

魂の向上こそが、真の成功なのである - 伝統

2020/09/26 (Sat) 02:54:00


      *『生命の實相』第38巻幸福篇下(9月26日)より

本当の成功は、富を得ることでも、商売の繁昌でもないのである。
本当の成功はその人の人格の完成 ―― 心霊学的に言えば、魂の向上である。

商売の損益や、事業の成否のごときは人生航路上の遊戯にすぎないのである。
勝つも負けるも一場の遊戯にすぎない。

ただその遊戯の上で、人間は性格を形造り、
人格をより完成せしめ、魂を向上させるのである。

商売上の利益も、財産の増殖も築きあげた事業も、
何一つそれらは真の意味においてその人の獲得ではないのである。

真の意味における獲得は、
肉体が死するときにも持って行けるものでなければならないのでのである。
魂の向上、性格の強さや円満、これこそが唯一の獲得である。

             <感謝合掌 令和2年9月26日 頓首再拝>

すべての境遇は、魂を向上させる学科である - 伝統

2020/09/27 (Sun) 02:24:16


      *『生命の實相』第38巻幸福篇下(9月27日)より

われわれは自分が与えられた環境、または境遇から逃げ出そうと考えてはならないのである。
環境、境遇においてあらわれて来る様々の出来事は、自己の人格を鍛錬し、
性格を磨きあげ、魂を向上させるための学科であるのである。

もしわれわれがそれから逃げ出すことによって安易を求めるならば、その人は決して人格を
鍛錬することはできないし、強き性格を築きあげることはできないし、
魂を向上させることはできないのである。

われわれは与えられた環境または境遇と取り組んで、それを征服しえたときにのみ
強き性格を築きあげ、魂を向上させることができるのである。
これはけっして受難を礼讃する意味ではない。

われわれは「難」をも「楽」をもともに克服しうる人とならなければならないのである。

             <感謝合掌 令和2年9月27日 頓首再拝>

体験を通して、魂は何事かを獲得する - 伝統

2020/09/28 (Mon) 03:39:53


      *『生命の實相』第38巻幸福篇下(9月28日)より

この世界は不幸または苦難の連続だと考える人があるけれども、
けっしてこの世界は不幸や苦難の連続ではないのである。

魂の向上のために与えらた体験を避けようと思うときにのみ、
それは不幸と感じられ、苦難と思われるのである。

困難を迎え撃つ態度にかわるとき、
それは悦んで上級学校の科目を教えられる喜びに変わるのである。
体験を通して、魂は何事かを獲得する。

それは釣竿に魚のかかったときのようなスリルであり、
猟師が獲物を得たときのような喜びを獲得することができるのである。

人生の行路を険しいと言って嘆いてはならない。
それをハイキングの喜びやスキーの楽しみにかえるのは
それを受ける心の態度である。

             <感謝合掌 令和2年9月28日 頓首再拝>

【魂の成長】 - 伝統

2020/09/30 (Wed) 03:31:49


      *メルマガ「人の心に灯をともす」(2020年09月02日)より

   (斎藤一人さんの心に響く言葉より…)

   自分が「楽しい」と思うことが正しいけれど、
   ただ、注意が必要なことがあります。

   例えば、人に親切にすることが「楽しい」と思う人もいれば、
   人の悪口を言って「楽しい」と感じる人もいるんです。

   これって“魂の段階”なんだよ。


   普通は「人の悪口を言って楽しい」なんてないけど、その人はその段階なの。

   それで、言って言われて傷ついているうちに学んで、
   だんだんやめるようになっているんです。


   昔は下町とかで、人の悪口言うのが“憂さ晴らし”だったの。

   それも小さな村とか限られた人たちの中で言うことだから、
   それほど問題になることはなかったんです。


   それが今は、ブログとかSNSなんかであっという間に広まるから
   「悪口を言われるのは、これくらい嫌なことなんだ」って
   すぐにわかるので、学びが早いんだよね。

   他人の足を踏んでいる時はわからなくても、
   踏まれて初めて、その痛みがわかる。

   そんなものなんです。


   この話でもなんでもそうなんだけれど、
   世の中っていうのは神の摂理で、どんどん良くなっているの。

   それが「魂の成長論」なんです。

   だから今、人の悪口を言っているような人も、
   これからもっと良くなろうとしている“過程”なんだよ。

   すべてが良くなっていくの。


   昔はお金に困った人の中には、
   出刃包丁とかを持って押し込み強盗とかしていたんです。

   オレオレ詐欺みたいに、電話だったら切ることができるけれど、
   包丁持って入ってこられたら大変だよね。

   実際、昔と比べたら押し込み強盗ってかなり減っているんだよ。

   必ず、少しずつ良くなっているの。


   それと「良くなっている」と思っている人には、
   良くなっていることが起きて、

   「困った」と思っている人には、困ったことが起こるんだよ。


   それで、困ったことが起こる中で成長して、良くなっていくんだよね。


   結局、その人の魂がどれくらい成長しているかによって、
   何を楽しいと感じるかも違ってくるの。

   魂の成長の段階によって、起こる出来事も違ってくるよってことなんです。

   「このことで、自分の魂が成長する」と信じている人は、
   起きることがすべて楽しいんだよ。

       <『斎藤一人 人生がすべてうまくいく“魂”の成長』プレジデント社>

               ・・・

たとえば、国や政治の悪口や文句や批判ばかりをSNSで発信している人は、
ついうっかり、言ってはいけない他の悪口や文句や批判も言ってしまうことがある。

悪口や批判が、すっかりクセになっているからだ。

すると、それが時として大きく炎上する。

いつか、自分に返ってくるということだ。


また、「未来は暗い」、と思っている人は「暗い未来」がくる。

このコロナ禍で、「先行きは暗澹(あんたん)たるものになる」
と思っている人は、「暗澹たる未来」がくる。


反対に、「未来は明るい。今より必ず良くなる」と思っている人は、
「明るくて、今より良き未来」がくる。

このコロナがあったから、
「自分も成長できる」「魂も成長する」と思う人は、
勉強もするし、新しいことにもチャレンジする。


リンカーネーション(輪廻)を信じている人は、
自分の魂としての人生は、生まれ変わりが何千年にわたって続く
と思っているから、死ぬ間際まで、魂を磨き続ける。

しかし、リンカーネーション(輪廻)を信じない人は、
魂としての何代にもわたる人生など考えないから、
生き方が刹那的(せつなてき)になる。


どこに焦点を当てるかによって、その人の生き方や未来がわかる。

魂の成長のため、明るい未来を信じる人でありたい。

             <感謝合掌 令和2年9月30日 頓首再拝>

生まれ変わり互いに学びあう命 - 伝統

2020/10/03 (Sat) 03:59:03


         *Web:宇宙の兄弟たちへ(2020年9月16日)より

私たちは何度も生まれ変わり転生を繰り返しています。


今世では「なぜ自分がそのような目にあるのだろう」と悩んでいる事も、
過去世からの原因があっての事だったりします。

私たちが今世で初めてであったと思っていた人も、
実は遠い過去から舞台役者のように、役割を変えながら、
互いに人生劇場を演じている仲間であったりします。

何度も生まれ変わりの中で、
時には互いに傷つけあい、愛し合っていた間柄であったり、
様々な関係の中で魂の学びをしていきます。

たとえば、今世でリストラにあわれた方がいました。

40代頃の方で、長年会社に勤めておりましたが、
配置換えがあり、新規の飛び込み営業部隊に移動させられました。

これは配置換えという名目ですが、
会社側としては辞めさせたい人物を入れるリストラ部署のようなものでした。

彼は「自分は今までずっと会社に貢献してきた」という自負もあったため、
なかなか受け入れられるものではありませんでした。

リストラにあわれるのも様々な原因があると思いますが、
その方を拝見していてかなり印象的な前世の縁だなと思いました。

もともと正義感の強い方だったのですが、
前世では町奉行をされているようでした。

時代劇の「大岡越前」や「遠山の金さん」のような仕事です。

いろんな訴状が届いて、それを裁かなくてはなりません。

その中の一つの案件に、商人が訴えられる事件がありました。

何か不正をしたのか、誤魔化すような事をして
騙し取るような商売をしたとのことです。

商人はお金持ちで、訴えているのは貧しい町人でしたから、
その時の正義感から、商人が悪いと一方的に決めつけて、
厳しい裁きをしているようです。

実はその時の商人というのが、
今世でリストラを行った会社の上司たちだったようです。

今世ではリストラされる側とする側の関係ですが、
前世では入れ替わっていて、裁く側と裁かれる側に回っていたようです。

おそらくはリストラされた方は、
前世での厳しい裁きをしたという罪の意識があって、
それを解消するため今世では逆の立場を経験することを決めてきたのでしょう。

今世の本人にすると不条理な出来事だと思うかも知れませんが、
そうした繋がりで経験することもあります。

互いに様々な経験を積むことで、魂も学びあい、向上を目指しているのです。

  (https://www.spacebrothers.jp/2020/09/blog-post_16.html

             <感謝合掌 令和2年10月3日 頓首再拝>

私たちの魂が生まれてきたスピリチュアな理由 - 伝統

2020/10/10 (Sat) 04:16:34


         *Web:宇宙の兄弟たちへ(2020年9月30日)より

私たち人間は、未熟な存在として生まれ、
何度も過ちを繰り返して生きています。


そうして創造主と呼ばれる存在は、
こうした未熟な存在としての私たちを生み出したのでしょう?

完全な存在であるはずの創造主からすれば、
私たちも、私たちが住むこの世界も、不完全で未熟な存在であるはずです。

完全性や完璧さを求めるのなら、
私たちのような人類を生み出す必要は無かったでしょう。

創造主はそのまま存在して完璧なままであればよかったはずです。

ではなぜ、私たち未熟な人類を創造したかと考えると、
そこには、成長に伴う喜びを肯定されたのではないかと思います。

たとえば私たちが親の目線で子供を見る時に、
生まれたての子供は、自分で何もできず、
ただ泣いて親の保護を受けなくては生きていけません。

それが徐々に成長していくにつれて、
一人で歩けるようになり、言葉を話すようになり、
一人でトイレに行けるようになります。

そのように子供の成長する姿を見て、
親は嬉しいものではないでしょうか?

それと同じように創造主も、
私たちの魂が成長していく姿を持て、喜びを感じているのだと思えます。

様々な過ちを犯す私たち人間ですが、幾転生を経て、
徐々に魂の学びを深め、魂が向上していく姿を、
喜びを持て味わっている存在がいます。

それゆえに私たちは、何度も生まれ変わりを許され、
繰り返し転生していく存在としてお創りになられているのでしょう。

そして私たち人間には、自らの過ちを反省し、
軌道を修正していける力と、人々に積極的に幸せをもたらす為の
愛の力を授かっている存在です。

魂の旅を歩んでいくために、創造主から人間に与えられて道具が、
この愛と反省の力なのです。

この二つを用いていくことによって、
車の両輪のように、道を進んでいくことが出来ます。

      (https://www.spacebrothers.jp/2017/09/blog-post_25.html

             <感謝合掌 令和2年10月10日 頓首再拝>

【成長に最大の責任を持つ者は、本人】 - 伝統

2020/10/17 (Sat) 04:21:27


       *メルマガ「人の心に灯をともす」(2020.09.20)より

   (P・Fドラッカー氏の心に響く言葉より…)

   成長に最大の責任を持つ者は、本人であって組織ではない。

   自らと組織を成長させるためには何に集中すべきかを、
   自ら問わなければならない。

   《非営利組織の経営》

       <『仕事の哲学』ダイヤモンド社
              https://amzn.to/2ZLExAH >

         ・・・

これは、「組織」という言葉を
「学校」や「家庭」に置き換えてもそのまま通用する。

成長に責任を持つ者は、
本人であって「学校(家庭)」ではない。

組織や学校や家庭は、本人が成長したくなったり、
勉強しやすい環境を作る必要はあるが、
あくまでも勉強し、成長するのは本人だ。

しかし、その環境にしても、
万全なものを与えればよいというものでもない。

古今より、ひどい環境の中で成功した者は多くいる。


どんなに頼まれても、
ダイエットを代わりにすることはできない。

つまり、ダイエットも勉強も、
その結果は他の人にではなく、必ず本人に戻ってくる。


それを、ドラッカーはこう語る。

『私が13歳のとき、宗教の先生が生徒一人ひとりに
 「何によって人に憶えられたいかね」と聞いた。

 誰も答えられなかった。

 先生は笑いながらこう言った。

 「いま答えられるとは思わない。

 でも、50歳になって答えられないと問題だよ。

 人生を無駄に過ごしたことになるからね。」


 今日でも私は「何によって人に憶えられたいか」を
 自らに問い続ける。

 これは自らの成長を促す問いである。

 なぜならば、自らを異なる人物、
 そうなりうる人物として見るよう仕向けてくれるからである。』
                《非営利組織の経営》


鉄鋼王アンドリュー・カーネギーの墓碑銘にはこう書いてある。

「おのれよりも優れた者に働いてもらう方法を知る男、ここに眠る」

墓碑銘や新聞の死亡記事には、
「何によって人に憶えられたいか」が書いてある。

また、葬式や通夜での本人紹介でもそれはアナウンスされる。


人生100年時代、「何によって人に憶えられたいか」は、
どれほど成長したか、という人生の通信簿だ。

あの世に逝く直前までいかに、
倦(う)むことなく前のめりになって自らの魂を磨いたか。


「成長に最大の責任を持つ者は、本人」
という言葉を心に深く刻みたい。

             <感謝合掌 令和2年10月17日 頓首再拝>

人生は、魂の学びの場。勇気があれば何度でもやり直せる - 伝統

2020/10/23 (Fri) 04:22:16


       *Web:宇宙の兄弟たちへ(2020.10.21)より
            ~勇気があれば人生は何度でもやり直せる

『若きウェルテルの悩み』や『ファウスト』などで知られる
ドイツの作家ゲーテは、このような事を言っています。

「名誉を失っても、もともとなかったと思えば生きていける。
 財産を失ってもまたつくればよい。
 しかし勇気を失ったら、生きている値打ちがない。」

失敗して人から笑われるような事をしても、
いずれは挽回することも出来ます。

子どもの頃にイジメられたりバカにされていたような人が、
大人になってから成功を収める事もよくあります。

失った信頼も、その後の努力の積み重ねでまた戻ってくるものです。

お金を失う事もありますが、また働いて貯めれば戻ります。

このように失敗や損失があったとしても、
いずれはまた回復できるものです。

ですが、人は勇気を失ったら、人生を回復することが出来ません。

恋人と別れたり、離婚したり、仕事を失ったり、
会社が倒産してしまったり、いろんな出来事が人生には起こります。

そんな失意にある時にも、
勇気があればまた道を進んでいく事も出来ます。

坂道を転げ落ちようとも、
また起き上がって坂を上り続ける勇気があれば、
人はまた人生をやり直していけます。

ですが、勇気を失い、歩むことを辞めてしまっては、
もう這い上がる事も出来なくなります。

勇気の反対は臆病でしょう。

臆病とは「また失敗してしまうのではないか?」と傷つくことを恐れて、
何事にも消極的になる事です。

何事も挑戦しなければ手には入りません。

勇気をもってチャレンジすれば、意外にも手に届くこともあるのです。

何もしなければ、失敗して傷つくことも無いかも知れませんが、
ゲーテ流に言うと生きる価値を失ってしまっていると言えます。

人間がこの世に生まれてくるのは、
様々な経験をし、体験した事を魂の学びとするためです。

失敗を恐れて何もせずにいるなら、
この世へと生まれてきた意味を見失ってしまうでしょう。

人生のどん底にあると思っている人にも、
勇気さえ失わなければ、いつでもどこからでも
人生はやり直せることを知っていただきたいと思います。

 (https://www.spacebrothers.jp/2020/10/blog-post_21.html )

         <感謝合掌 令和2年10月23日 頓首再拝>

《地上の欲望を超えた者は高級霊である》 - 伝統

2020/10/28 (Wed) 04:46:35


         *『 生長の家 』(昭和25年7月13日の法語)より

   「 五官の快楽 」 や 「 浮世の欲望 」 は玩具にすぎない、
   吾々がまだ玩具を好んでいるのは
   吾々の魂がまだ未発達で
   まだ幼児(おさなご)であるからである。

   吾々の魂が成長し、その様な玩具がいらなくなった程度に従って
   その人の生命は成長し、進化し、向上しているのである。

   されば煩悩の脳熱を消去せよ。
   五官の快楽を捨てて 浮世の欲望を放ち去れ、
   それが汝の魂の向上する道である。

   神の国へ行く道は 「 せまい 」 のである。

   徒(いたずら)に楽行道だと称して、五官の喜びに まどわされるのは、
   サタンに跪(ひざまず)いて礼拝するものである。


   http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=12

         <感謝合掌 令和2年10月28日 頓首再拝>

流した涙の分だけ、魂は宝石を手に入れます - 伝統

2020/10/31 (Sat) 04:38:59


       *Web:宇宙の兄弟たちへ(2020.10.22)より
            ~悲しみを通して人は優しくなれる

人は、自分の人生が順調であることを願います。
波風が立たずに、望み通りの人生を歩んでいけるのを望むのが人情でしょう。

なるべく悲しいことや、苦しみは避けたいものです。

ですが、順調にいっているときには、
人は慢心してしまい、ありがたさや人への労りを失ってしまうものです。

たとえば、若いころから成功した人は苦言を述べる人を退け、
口だけのお世辞をいう者や、YESマンだけを周りに置き
慢心していくことが多いです。

そして周りの人を見下すようになり、
人の苦しみや悲しみに同情できなくなります。

苦しんでいるのは自業自得だとか、
見捨てるような態度となっていきます。

そのように、成功の中にあるときは、
人の気持ちに無関心となっていく傾向があります。

ですが、いったん上手くいかなくなると、
その落ち目になった者からは、YESマンたちは去っていきます。

彼らはあなたについていた方が得だと思ったから近づいたのであり、
それが無くなれば去っていくものです。

あなたのためをほんとうに思って、厳しくいってきた人も、
あなたは疎遠にしていたため、周りにいなくなっており、
孤独な絶望の中に陥ります。

そうした不遇の時期を経験していくと、
他の人の苦しみ悲しみや、優しさへの有難さを
身に染みてわかるようになるのです。

悲しみを経験することは辛いですが、
魂にとっては向上するための砥石の役割を果たす、
この世の貴重な経験となるのです。

深い悲しみを通った人こそ、他人に優しくなれます。

深い悲しみを通過してこなかった魂は、
相手が傷つくことも分からず、人につらく当たったり、
平気で傷つくような態度をとります。

相手の痛みが分からないと、
傷口に塩を塗るような事を平気でしてしまいます。

自分が成功している時には人に対して厳しい目で見て、
「どうしてこんなことも出来ないのか」と
突き放す態度を取ってしまいます。

自分もまた過ちを犯し、失敗した経験を深くした人は、
相手の至らなさを理解し、許す思いが広がります。

失敗した後輩や部下に対しても、
「自分も昔はこうだったと」優しい一言もかけられるようになるでしょう。

順調にある時には、人は慢心してしまい、
相手の事を気遣う事が出来なくなってしまうものです。

天狗の鼻が折れることで、周りを見つめ、自分を知ることが出来ます。

人に対して優しくなれない人は、
まだ深い悲しみを通り抜けていないのかも知れないと思ってください。

深い悲しみにあって、まだ立ち上がれずにいる人もいますが、
その悲しみを通り抜ける事で人は魂の経験が深まり、
より味わいのある人間に変わっていきます。

悲しみは人へのやさしさへと昇華していくのです。

昇華していき、流した涙の分だけ、魂は宝石を手に入れます。

   (https://www.spacebrothers.jp/2016/11/blog-post_30.html

・・・

<参照>
伊勢ー白山 道(2020-10-26)
人生は、二段階構成の上で、新規です
https://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/e/e05d4d8b776cedf029ff6bef082ab6ae

         <感謝合掌 令和2年10月31日 頓首再拝>

マトリクスの世界に縛られている私たち - 伝統

2020/11/11 (Wed) 04:33:44


         *Web:宇宙の兄弟たちへ(2020年11月7日)より

映画『マトリクス』は世界で大ヒットした映画で、
ご覧になられた人も多いでしょう。

キアヌ・リーブスが主演を務めた同作は、1999年に公開されました。

主人公はソフトウェア会社に勤める平凡な会社員なのですが、
最近は起きているのに夢を見ているような感覚に悩まされ
「この現実世界は、ひょとしたら夢なのではないか?」という
漠然とした違和感を抱いていました。


そこへ謎の人物と遭遇し、彼から
「真実の世界を見たいか、それとも今の現実と思っている世界に残るか」
と迫られます。

真実を見る事を選択した主人公は、
今まで現実だと思っていた世界が、
実は仮想現実の世界だったことを知ります。

いままで機械によって作り出された仮想現実を見せられていたのです。


これはフィクションの映画ではありますが、真実も現しています。

つまり、私たちが現実と思っているこの物質世界は、
実は仮想現実の世界であり、
私たちは夢の中のように、この仮の世界を体験しているのです。

そして私たちの真実の姿とは、肉体を持たない霊的存在であり、
それはつまり、思考するエネルギー体こそが真実の姿です。

その魂とも呼ばれる本質が、
物質界という仮想世界で体験を積むために、
いま本来の姿の記憶を消して、地球に生まれてきています。

そして私たちは、ここが仮想世界だと分からずに生き、
仮想世界でよい役を演じたいと願っています。

仮想世界という舞台の世界で、
「お金持ちの役を演じたい、美人の役をしたい、みんなから注目を集めたい」
などと願って生きます。


他のたとえで言えば、ゲームの世界のようなものでしょう。

RPGゲームでは主人公が弱い状況から、段々と経験値を積んで強くなり、
冒険をしていく中で武器や防具をそろえ、仲間を増やしていって
最後の敵を打ち破ります。


このように人間もはじめはすべての記憶を失った状態の、
経験値がゼロの状態からはじめ、徐々にレベルアップしていきます。

ひとつのゲーム(人生)をクリアしたら、
また別なストーリーのゲーム(来世)に取り組み、
またゼロからはじめていきます。

次のゲームをする時には、前のゲームでの経験値を加算せずに、
またみんなゼロから始めます。

人間も生まれ変わりを繰り返す時には、
過去の経験をゼロにしてから、また新しい人生を体験します。

そのほうがみんな楽しく遊べるからです。

前のゲームの経験値を引き継いでいくとなると、
先に進んでいる人と、まだ経験値が少ない人の間には
大きな差が出てきてしまいます。

そうすると経験値の少ない人はもう勝てないと思って
努力するのが嫌になってしまうでしょう。

また、先に進んでいる人がそのままゲームをはじめてしまうと、
簡単にクリアーしてしまうため、面白みも減ってしまいます

なのでゲームもまたはゼロからはじめるようになっています。

仏教の世界でも早くからその事は分かっており、
この世は仮の世界だと言われています。

真実の世界を知る事は、マトリクスの世界の幻想を知ることになります。

 (https://www.spacebrothers.jp/2020/11/blog-post_7.html )

         <感謝合掌 令和2年11月11日 頓首再拝>

苦難を乗り越えていく霊的な観点 - 伝統

2020/11/23 (Mon) 04:50:27


         *Web:宇宙の兄弟たちへ(2020年11月8日)より

私たちは生きていく中で、様々な苦難に見舞われます。

ブラック企業と言われるような厳しい職場に勤めて、
休みもほとんどなく、安い給料で働かされる苦しみもあります。

リストラや会社の倒産などで、
働く職場を失い、途方に暮れている人もいるでしょう。

病気にかかってしまい病院に入院し、
冷たいベッドのなかで、天井をじっと眺めている、
お金に困っていて、電気やガスも止められそうで、明日食べるお金もない
という貧困による苦しみを感じている人もいます。

こうした苦難の原因は、
私たちが肉体に宿って、この地球へと降り立ったために発生しています。

病気にかかるのも、物質である肉体が痛むことから起こり、
本来の魂の世界にはありません。

働いて稼がなければならないというのも、
肉体を維持するために必要であり、毎日食事をして、
屋根付きの家に住み、衣服を必要とするのも、
肉体に起因する要求からです。

物質である肉体に起因して、私たちは様々な苦難や困難に直面します。

私たちの本質というのは、本来は肉体ではなく、
その内に宿る魂という霊的エネルギー体にあります。

魂は自由自在であり、衣食住の心配も無く、生き通しの生命です。

私たちの本質である魂が、
一時期地上の肉体に宿て地球に降り立つことによって、
ざまざまな苦難に出会うわけです。

そうした肉体に宿って生じた苦難を重く感じる理由は、
肉体感覚に捕らわれて、本来の霊的感覚を失ていることによります。

「肉体こそが自分であり、自己とは肉体から生じる意識だ」
という錯覚によるのではないでしょうか。

昨日も映画の『マトリクス』の話しをしましたが、
そのように仮想現実の世界こそが本当の世界と思っている私たちがいます。

そうした肉体感覚に捕らわれているために、
この世的な苦難に深く飲み込まれてしまうという事があります。


お釈迦様の教えの、

「この世は移ろい行くものであり(諸行無常)、
 肉体も仮のものであるから(諸法無我)、
 執着をはなれ静寂で清らかな境地に生きよ(涅槃寂静)」

というのも、私たちが、肉体我にとらわれることによって
苦しみが生じるという考えでしょう。

こうした肉体感覚によって生じる苦難を乗り越えていくためには、
肉体は私たちがこの世の地球を味わうための仮の乗り物であることを自覚し、
霊的な自覚を高めていくことにあるのではないでしょうか。


物質である肉体というものは、あくまでも霊の宿る器であり、
乗り物にのって遊園地のアトラクションを楽しむように、
この世という物質世界を味わい感じるための仮の乗り物であります。

遊園地でジェットコースターに乗ってスリルを味わうように、
私たちは肉体に乗って、この世の感覚を味わいます。

肉体に宿ることによて、自由自在さを制限し、
定められたルールに従って生きるため、
苦難と思える感覚が生じてくるのです。

それらを超えていくためには、
私たちは本来、肉体に宿った光であり、
自由自在な魂が本質であると自覚していくことにあります。

物質に対する霊的な自覚を高めることによって、苦難を乗り越えていけます。

  (https://www.spacebrothers.jp/2018/02/blog-post_20.html

         <感謝合掌 令和2年11月23日 頓首再拝>

《魂の稚(おさな)い場合には脱線して苦しみます》 - 伝統

2020/12/07 (Mon) 03:48:11


          *「真理」第9巻生活篇第3章(P66~67)より

神は人間を「神の子」としてつくり、地上に生み出され、
その各々に適当な位置と天分とを与えられたのであります。

その神の計画どおりに吾々が生活するならば、最も摩擦なく不快なく生活できる
のでありますけれども、神は人間に完全なる自由を与えたまうて、
神の計画の中に、機械的に運転するようにはしたまわなかったのですから、

吾々は、其の与えられた自由によって、あるべき位置からハミ出して
生活している事が多いのであります。

その限りに於いて私たちは何かピッタリしないものを感ずる、
それが摩擦であり、悩みであり、正しきものを生み出(い)だす苦しみであり、
魂の稚(おさな)い期間は、神の計画の中から脱線することが多いので、
其の位置にピッタりせず、苦しみを受けることが多いのです。

これが苦しみによって魂が浄化される期間であって、
決して神が練成のために苦痛を課するのではないのです。

         <感謝合掌 令和2年12月7日 頓首再拝>

魂のダイヤモンドは、「公」であればあるほど磨かれていく - 伝統

2020/12/11 (Fri) 04:47:07


      *「光明道中記」(12月11日《無限生長の日》)より抜粋

新しい経験は自分の生命の中から「新しい推理」を発掘して来る。
前進するものは常に新しい鉱石に打(ぶ)つかる。

吾々の獲得は、そのたび毎に増加するのである。
吾々の獲得は眼に見えた成果のみではない。
もっと眼に見えない魂のダイヤモンドが吾々の前進によって得られるのである。

そして此の魂のダイヤモンドは、その採掘の動機が利己的でなければならない程、
「公」であればあるほど、より多く獲得することができるのである。

人間は物質的にどれだけあれば生活出来るか、
それは極(ごく)僅(わず)かな分量である。
それ以上に費やされるのは多くは虚栄(みえ)のためである。
此の分量を「公」にために献げよ。

         <感謝合掌 令和2年12月11日 頓首再拝>

ワンネス体験の先にあるもの - 伝統

2020/12/18 (Fri) 01:51:19


      *Web:宇宙の兄弟たちへ(2020年10月24日)より

ワンネスとはすべてが一つであるという感覚です。

人間の意識は、普段は自我の殻に閉じ込められていますが、
時として世界の実相であるワンネスを体感することがあります。

普段の私たちは固い自我の殻に閉じこもって世界を見ています。

肉体に宿る自分こそが私であり、それ以外を感じられずにいるでしょう。

しかし、私たちの意識は時として自我を超えて、
ワンネスを体験することがあります。

世界の実相を垣間見る時です

そこには二元論は消滅し、私の意識は他人と繋がりを自覚し、
光のみの世界、愛のみの世界であることを体感します。

本当の世界の実相は光一元であり、愛のみが存在している事を体験するのです

普段の私たちは肉体我を通して世界を体験しているため、
泥にまみれた世界の中を泳いでいるような感じです。

ですが真実の世界では、すべてが愛で作られている事を知ります。

何もかもが自分への愛のために作られていたのだと体感するのです。

自分と他人との自我の壁が溶けて、すべてが一体である事を知ります。


しかし、ワンネス体験が終わりではありません。

人間の意識はまた肉体に宿り、人間を体験していく事になります。

これはもう一度、善悪の二元論の世界に舞い戻る事を意味します。

すべてが一つであった世界から、もう一度、
自分と他人の世界、自他が対立する世界を味わうのです。

そうして世界は愛で作られ、私たちはこの広大な愛の海に
浮かんでいる存在だと知った経験から、
また善と悪の対立するこの世界に戻ってきます。


仏教では十牛図という悟りをあらわした十種類の図がありますが、
その中で根源へと帰る「返本還源」という図があります。

この「返本還源」というのが実は、仏教でいうワンネスの世界なのです。

ですが図はこれで終わりではなくて、最後の十番目の図に続きます。

そこには「入鄽垂手」という図があり、
ぼろを着た汚れたお坊さんが、街に帰る図が描かれています。

これはワンネスの世界から、また二元の世界へを舞い戻る事を意味します。

闇や悪など無い実相の世界から、泣いたり笑ったり、汚れたり洗ったり、
二元の世界を味わう地球に戻ってくるのです。

地球とは善と悪と、光と闇の二元を体験する星です。

私たちはそれを承知で地球に生まれてきているのです。

様々な体験を積むために。

光そのものの本質を知るために、光で無いもの、闇の世界をも体験します。

それによって私たちの本質を体験するのです

本来、闇や悪と見える物は実在しないというのはその通りです。

しかし、この地球では仮に二元的世界が現れており、
それを地球人として体験していくのです。

これは難しいことです。

そこまで理解がついてこれる人は少ないかも知れませんが、とても大切な事です。

https://www.spacebrothers.jp/2020/10/blog-post_24.html

         <感謝合掌 令和2年12月18日 頓首再拝>

《困難は魂を浄化する》 - 伝統

2020/12/23 (Wed) 04:46:50


       *『 生長の家 』(昭和24年7月20日の法語)より

   人生は一見 有用なるものばかりでは
   成り立ってはいないのである。

   却(かえ)って無用と見えるものが
   適当の分量に於いて有用であるのである。

   滋養物のみが人体に健康を与えるのではない。
   不消化な滓(かす)になるような繊維素その他が
   腸内の清浄作用に非常に役に立っているのである。

   それと同じく人生に不用に思われる摩擦や困難が
   吾々の魂の清浄作用に役立っているのである。


   http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/bfdb706a940194f3ffea807b7423de3b

         <感謝合掌 令和2年12月23日 頓首再拝>

家系のカルマと憑依と魂の課題 - 伝統

2020/12/30 (Wed) 04:44:54


       *Web:宇宙の兄弟たちへ(2020年12月27日)より

先日は家系のカルマについて触れた記事も書きました。

未熟な親に育てられた子どもも、
また親と同じような問題を持つことがあります。

たとえば親が酒飲みで博打にはまっているような場合に、
子どもも大きくなって同じような依存に苦しむこともあります。

異性にだらしのない親の元に生まれた子も、
また浮気や不倫を繰り返す事もあります。

私の家の例をいうと、私の父親も気性の荒い面を持った方で、
よく怒ることがありました。

お酒もよく飲まれたので、アルコールで
理性が緩むこともあったのかと思いますが、
激しく怒って、その顔は普段と変わって見えました。

おそらく今から思えば憑依を受けていたのでしょう。

お酒を飲むと理性の働きが低下しますので、
霊に憑依されたりすることがよく起きます。

子どもからしたら、親が普段と違う恐ろしい顔に変わって、
怒られたりすると怖いだろうと思います。

そして私の父親の、さらに血のつながらない父親になりますが、
私からしたら祖父にあたる方が、そうとう怒りっぽい方だったようです。

何かあるとすぐ手が出るような方だと聞きました。

私が生まれた時にはもう亡くなっていたので
直接会っていませんでしたが、気性の荒い方だったと聞いています。

そのように、同じような特徴を持った方が
祖父から父親へと引き継がれている面があります。

ただ血は繋がっていませんので、遺伝でそうなったわけではありません。


環境によって子どものころにそうした親の姿を見て育ち、
自分が経験した事なので、子どもにも同じように応じてしまう
という事はあるでしょう。

ですがそれだけではなくて、やはり霊的な意味があったのだと思います

ひとつには家系のカルマとも言いますけど、
その家系で代々続くような事があります。

そこには実は、未浄化なご先祖の方がいて、
子孫に憑依しているという事もあると思います。

ご先祖さまで、浄化されている方ならいいですが、
未浄化な方がいると、子孫に頼ってきて憑依する事もあります。

そうするとご先祖様が持っていたような問題を、
子孫たちも持ってしまう場合があるわけです。

このように憑依によって家系として連鎖してしまう問題もあります。

またもう一つの考えとして、同じような欠点を持ったところに
生まれてくるという事もあるでしょう。

魂の中に例えば短気な性質があれば、
同じような親の元に生まれてくるわけです。

そうして親の問題を反面教師として学び、
自分はそうならないように軌道修正する目的がある場合です。

生まれる前にあらかじめ計画していて、
同じ問題を抱える家庭に生まれてくるという事もあるわけです。

無事に反面教師として学び、自分はそうならないと
改めるといいですが、魂の性質を改めるのはなかなか難しく、
また同じような過ちを犯す場合も多いでしょう。

同じことを繰り返してしまう事が多いわけです

そのため代々、同じ問題を抱える家系があるように見えます。

その他にも、連鎖する問題を解決するために、
あえて生まれてくる魂というものもいます。

自己犠牲の精神をもって、これ以上の負の連鎖を止めるために、
あえて問題のある家庭へと生まれ変わってくる魂というものも
いるのです。

いずれにしましても、問題が続くような家系であっても、
「自分の代で改めよう、断ち切ろう」と決意して、
問題のある点は反面教師として学んでいく事です。

課題を克服したら、また次のステージへと進んで行きます

  (https://www.spacebrothers.jp/2020/12/blog-post_27.html

         <感謝合掌 令和2年12月30日 頓首再拝>

《浮世の喜びは玩具(おもちゃ)に過ぎない》 - 伝統

2021/01/12 (Tue) 02:58:17


        *『 生長の家 』(昭和25年7月25日)より

   「 吾 童子の時 語ることも童子の如く、思うことも童子の如く、
   論ずることも童子の如く、人となっては童子のことをすてたり。」

              (コリント前書第十三章十一節)


   浮世の喜びや、五官の快楽や世間的名声の如きは
   魂の幼きものが もてあそぶ所の玩具(おもちゃ)にすぎないのである。

   幼き童子に玩具(おもちゃ)が必要な如く、世間的名誉も
   人間の或る時代の魂の発達には必要なものであるのである。

   然(しか)し魂の成人したるものは
   かくの如き玩具(おもちゃ)の喜びを捨てるのであって、

   そして古き魂の習慣を脱皮して
   新たに肉体の子から神の子に生れ更(か)わるのである。


   http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=12

         <感謝合掌 令和3年1月12日 頓首再拝>

この世の不幸や悲しみ苦難のスピリチュアルな意味とは? - 伝統

2021/01/27 (Wed) 02:22:30


       *Web:宇宙の兄弟たちへ(2021.01.09)より

私たちは霊的な世界から、この地上へと降り立った存在です。

霊的な世界というものは自由自在な世界であり、
思いによって世界が展開されていきます。

この世の世界というのは、肉体という重い鎧を被った世界であり、
本来の世界からすれば、たいへん不自由な世界でもあります。

こうした物質世界に私たちが降り立つ理由には、
厳しい世界において、自らの体験をし、経験を深めていく
という理由があります。

自由度の高い霊的世界においては得られない厳しい状況を、
自らに課して経験するために、この世へと降り立ちます。

それは言ってみれば、何不自由のない生活をしていると、
魂に贅肉がついてしまい、筋肉も失ってしまうため、
厳しいトレーニングを積むことを自らに課すようなものです。

あの世では自由であるということは、
抵抗や摩擦が無いという事であり、
まるで無重力空間で生活しているようなものです。

宇宙船などで生活する飛行士は、
無重力で長く暮らしていると、筋肉が落ちてしまい、
地上に降りてくると自分で歩けなくて、
車いすに乗って送られることがあります。

私たちの魂も、あの世の生活で無重力のような
自由度の高い生活を送っていると、
筋肉が失われてくるような状況になります。

そのため、負荷のかかるこの世へと輪廻してくるのです。


この世は魂にとって、
いってみればトレーニングジムのようなもので、
重い負荷をかけて鍛え上げられる場所です。

この世において困難があるのを、わたしたちは嫌だと思いますが、
そうした事が起こるのを覚悟のうえで生まれてきています。

苦難や困難というものを経験して通る中で、
私たちの魂は磨かれて、鍛えられることを魂は知っているからです。

そうして宝石のように磨かれて光を発するようになって、
わたしたちはまた元の世界へと返っていきます。


《不幸や悲しみに意味はあるのか ヨブの嘆き》

この世に生れ落ちてから人は様々な出来事に遭遇し、
なかには受け入れがたいことや、
理解できないことに会うこともあります。

人生に起こる出来事が、はたして偶然に、
サイコロを振るように運任せで起こるのか、
それとも、すべては必然で、起こる出来事の裏には
すべて深い意味が潜んでいるととらえるかの、
二つの大きな人生観の枝分かれがあります。


古来においても、このテーマはよく議論の的になっており、
そのうちの一つとして有名な旧約聖書のヨブの問いがあります。

旧約聖書の「ヨブ記」には、善良なヨブに次々と災難が降りかかり、
全財産も子供や家族も失い、ついにヨブ自身も恐ろしい病気にかかり
死にそうになってしまいます。

そしてヨブは
「神様がいるのなら、何故このような不幸な目にあうのか」と嘆きます。

ついには神様がヨブの前に登場し、
「あなたは世界ができたときのことを知っているか」等、
人間には到底知りえないことを次々と問いかけます。

最後にはヨブは人間の知恵で神様を推し量る愚かさを悟って悔い改めます。

この世に起こる出来事は、何故そのような事が起こるのか、
人間の知性ではわからないことが多くあります。

世界中で起こる様々な不幸な事件を見ていると、
納得いかない、受け入れられないと言う人も多くいるでしょう。

それゆへこの世は不条理な世界だととらえて人々にもそう説く人もいます。

近代では実存主義哲学などがそうです

その反対に、人間がこの世に生まれてくるのは目的を持てであり、
遭遇する出来事には必然的な意味のあると説く人たちもいます。

それは宗教家であったりスピリチュアリストであったりします。

仏教を例にとって見ると、開祖のお釈迦様は、
大悟なされた時に人間の過去世・現世・未来世の三世を
見通すことが出来るようになったといいます。

過去の行為が現在に果実となって実り、
現在の行為が未来の結果に繋がっている様を見通されました。

これを難しい言葉では三世両重因果といいますけど、
今世の結果だけを見たら、善良な人が不運な結果を得るように見えたり、
悪人が栄えているように見えることもあります。

ですが過去や未来まで見通して眺めれば、原因と結果の法則は、
人生を通して存在しており、起こる出来事は必然的に決まっている
と言うことになります。

ヨブの問いは、自分の知性で理解できないから
世界は不条理と考えるのは、有限な個人の定規で
世界の大きさを測ろうとする分不相応な発想である
と述べているのだと思います

https://www.spacebrothers.jp/2018/02/blog-post.html

         <感謝合掌 令和3年1月27日 頓首再拝>

《真の資産は精神的なものである》 - 伝統

2021/02/09 (Tue) 02:46:19


         *『 生長の家 』(昭和24年9月28日の法語)より

   諸君の真の魂の資産は、
   諸君の生命によって体験し得たる所の喜び、忍耐力、判断力、
   観察力、勇気 その他色々の美徳を包有する所の人格の力である。

   どんなに諸君の地位が高くなろうとも、
   諸君の経済生活が豊かになろうとも、
   人格の内容が空疎であっては
   中はがらんどうの唯のブリキ缶にすぎないのである。

   外は輝いているが中には何ら価値あるものが存在しないのである。

   ただ親から譲られた財産によってのんびりと楽な生活をするが如きは、
   自分の人格を不活動な、なまけものの、
   意志薄弱な無力なる者にするにすぎないのである。


   http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=31

         <感謝合掌 令和3年2月9日 頓首再拝>

人生はドラマのようなもの、与えられた役を演じ切る事が大切 - 伝統

2021/02/21 (Sun) 02:27:39


       *Web:宇宙の兄弟たちへ(2021.01.26)より

私たちの人生はドラマのようなものであり、
あなたが主役のドラマが上映されています。

私たちは様々な波あり谷ありを経験しながら、
人生という名のドラマを演じていきます。

人間が地球に肉体を持って生まれるというのは、
ちょうどドラマの役を与えられたようなものなのです。

人によっていろんな役を与えられます。

お金持ちの役を与えられたり、
貧乏人の役を与えられることもあります。

異性にモテる役もあれば、失恋ばかりする役もあります。

各々が違った役を演じ、
そしてクライマックスのように人生を盛り上げる時期が来ます。

多くの人にとっては試練や苦難の時期と思うのも、
ドラマとして見れば、ひとつのクライマックスであり、
人生を盛り上げるために仕組まれた物語の一部なのです。


実際に人生は、あらかじめ霊界で
大きな試練やピンチの時を定めており、
覚悟で生まれている事があります。

人間はあらかじめ人生の青写真を描いて生まれてきます。

この世に誕生する時には、すべてを忘れてしまっていますが、
霊的には大きな設計図を持って生まれてきています。

誰を親として選ぶとか、二十歳の時には大失恋するだろうとか、
三十台には事業に失敗して借金まみれになるだろう、
四十代には大病を患うだろう。

こうした大きな人生のイベントは、
あからじめ覚悟して生まれてくる場合がほとんどです。

そして自分で人生を演じるためにこ
の世に生を受け、やがてあの世へと帰っていきます。

あの世へと帰った時に、人生の意味や、
どうしてこのような事が起こったのかなど、
人生の答え合わせをします。

どうしてこの親を選んできたのかや、
どうしてこのような試練に挑もうと思ったかなど、
答えは来世にあります。

人はそれまでの間を、人生を投げやりに生きず、
ピンチを乗り越えて、ドラマを盛り上げて生きていくのです。


守護霊という存在や、私たちの魂の繋がりの深い霊存在たちも、
私たちが試練を乗り越えて、見事に成長していく様を見守っているのです。


人生を一つのドラマだと考える事で、自分を客観的に見て
訪れる試練を冷静にあたっていきましょう。

「これは自分のドラマの盛り上げる時期に来ているのだ、
 無事に乗り越えてよい役を演じていこう」と思ってください

無事に苦難を乗り越えて、素敵なドラマに仕上がりますように

https://www.spacebrothers.jp/2021/01/blog-post_26.html

         <感謝合掌 令和3年2月21日 頓首再拝>

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