伝統板・第二
青年法語~物質の富は人間と自然とを毀う(昭和45年9月) - 夕刻版
2019/10/18 (Fri) 19:28:20
青年法語~物質の富は人間と自然とを毀う
”道産子 さま” ありがとうございます。
”道産子 さま”のお蔭で、新たに、谷口雅春先生の法語を
このスレッドに残せることに感謝申し上げます。
(http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7889515 からの転載です)
(理想世界誌法語昭和45年9月)
谷口雅春先生
――西欧精神の日本占領を憂う――
(上旬)
【一日のことば~人は“杖”をもって人生を歩いてはならない】
生活の裕さというものは、おおむねその人を惰弱にしてしまうものである。
何故なら彼は自ら立つ努力を必要としないで、”富”というものを
自分の“杖”にして人生を歩もうとする者であるからである。
一人で立つ力を得ようと思う者は杖をもってはならないのである。
杖にすがって歩いている限り、
その人は渾身の力を振り絞る必要がないからである。
渾身の力を振り絞らないで50%や60%の力だけを
いつも出しているのでは、その残りの50%乃至40%の
力は、内に籠って錆びついてしまって役に立たなくなるからである。
・・・
【二日のことば~“富”はあなたを物質で快楽に誘惑する】
アンドリュー・カーネギーは「富める親を持っている息子の不幸は、
富の有する誘惑の力に抗することが出来ないで、
つまらない頽廃生活に沈溺しがちであるという事である」
といったということである。
彼は力を尽して上に登って行かないでも生活出来るものだから、
そして、惰けていても、肉体の誘惑に引きずられていてすらも、
生活がラクに出来るものだから、快楽を貪ることが先に立って
向上の努力を失いがちなのである。
大作家の山岡荘八氏でも、ヤシカ社長の牛山善政氏でも、
大画家の林武氏でも、家貧しくして、家計を助けるために
少年時代に新聞配達をした人なのである。
少年時代に富める親から自動車を買って貰い、
それを乗り廻して、好き候をしている人とは訳が違うのである。
・・・
【三日のことば~所得倍増のもたらすものは何か】
1960年の安保闘争の混乱の後を受けて日本の国政を担当した池田勇人首相は、
10年後の国民の所得倍増を説いて、国民が”富”の豊かさの中に沈溺して
おとなしくなるように、国民を誘導したのであった。
そしてそれから10年経った今日、
日本の国民総生産は自由国家群中の第二位にのし上がった。
そして池田首相時代の給料収入に比べると、
大抵の人は2倍以上の給料を貰っているのである。
こうして物質的財貨は増大したけれども、
人間の魂は果たしてそれほど向上したり進歩したりしたであろうか。
勉学のためと思って、親が学費を出して大学に入学させたに拘らず、
学業を放擲してゲバ棒を振り廻し、舗道の敷石をはがして投石し、
火炎瓶を投げて、周囲の家々の人達の迷惑をも顧みず、
新宿駅に火を放って多くの乗客の交通を遮断して、日本国家を
転覆してソ連中共に祖国を売り渡そうとする運動に協力した。
もし是らの学生の両親が貧しくして彼らを中学以上の学校へ入れなかった
ならば、彼らはこんな乱暴をはたらくほどには魂が歪んだ発育をしなかった
だろうと思われるのである。
彼ら若者は、或る意味では“裕かなる家庭”に生まれて
物質的供給に恵まれ過ぎた犠牲者だと言い得るのである。
・・・
【四日のことば~釈尊と梁の武帝との相異】
釈尊も、自分が裕かなる王宮にあって、皇太子として気儘な肉体生活を
営むことを続けていたならば、あのような悟りの境地に到達して
仏教の太祖となることは出来なかっただろうと考えられるのである。
梁の武帝は、帝王として裕かであったが故に、寺を建立し、
放光般若経をみずから講義するほどに学殖ゆたかには成り得たけれども、
それに依って何の魂の功徳を得たであろうか。
達磨大師に「無功徳」と一喝されて唖然としているのである。
多くの聖者は“物質の富”を棄てて、山に隠れて修行したのである。
遁世がよいのでもなければ、貧乏がよいのでもない。
併し、人間は魂の発達の途上に於いて、ある期間、人から譲られたものや、
与えられたものや、借りものに頼らないでみずからの脚で立つ
努力によって進歩する必要があるのである。
すなわち本当に「自分のもの」でないところの“物質の富”を杖にしないで、
物質に対して依頼心を起こさないで、みずから起つ修行をする
必要があるのである。
経営の偉才と謳われていた市村清氏もそのような人であったればこそ、
あれだけの経営の才がみがかれたのである。
坊ちゃん育ちで、どんな努力もしないでも社会的経済的にめぐまれた
位地にあって生活していたのでは、あらゆる場合に応じて
縦横自由にはたらき得る機能が磨かれる機会が失われるのである。
(別府正大氏著『経営の偉才・市村清』参照)
・・・
【五日のことば~“彼は金持ちだから大成できない”】
英国のある有名な画家の弟子で、
将来有望な才能を持っているらしい青年があった。
ある画商がその有名な画家に、その青年の才能をほめたたえて
「彼は屹度、大美術家といわれる人になるでしょう」
と称めると、
その師匠の画家は、「いいえ、彼は駄目です。不幸にして彼は親の遺産から
年収六千ポンドの収入があるのだから、本ものにはなれません」
といったということである。
これは十八世紀の終わり頃のことで、今の日本円にしてどれほどの
金額になるか知らないが、多分それは、彼は裕か過ぎているので、
全力を出し切ることができないという意味らしいのである。
あまりに裕すぎる家庭で、思う存分何でも出来る所謂る
「金持ちの坊っちゃん」は釈尊のようにそのゆたかなる「王宮」を棄てて、
ひとりで立ってみる稽古をすることが、
魂の悟りの上に適当な修行であることがあるのである。
・・・
【六日のことば~“物質の富”は魔物である】
第一次世界大戦で、船成金になって巨富を貯えた
奈良の富田さんという方のお邸で私は泊めてもらったことがあった。
その人は立派な人であったが、富はあまり必要以上に出来ると
そこに陥穽(おとしあな)が出来て来るものである。
別府に温泉附きの別荘があって、
そこに自分の奥さんが別居して静養して居られたのであった。
毎月仕事の合間を見て自分の奥さんを慰問するために、
瀬戸内海通いの船に乗って別府に行かれるのであった。
或る日、例の如くその船に乗ろうと出掛けたが、切符を買う時間がなかった。
それで切符なしにその船に乗ったのである。
普通の人なら切符ナシなら乗船を拒絶せられるのであるけれども、
氏は金持ちであり、船員にもチップが行き届いていて、度々の乗船で
船長とも親しい間柄になっていたから、切符なしに乗船が出来たわけである。
氏は例の通り特等室の個室に入った。
その個室は扉が外へ開くようになっていて内側には開かなかった。
ところがその瀬戸内海通いの船が岡山沖で沈没したのであった。
甲板近くにいる船客だったら波に流されたにしても、救助されたであろうが、
特等船室の扉は、船が沈むと、侵入してくる水が、その水圧で外から内へ
押しているものだから、扉を内から外へ開いて逃れようと思っても
扉が開かないので脱出の道がなく、不幸にして溺死せられたのであった。
”物質の富は魔物であると言われている。
氏が富豪でなければ、この沈没する運命の船に乗船できなかったのに、
氏自身の持つ富が氏を海底に引きずり落したのであった。
・・・
【七日のことば~人生は何のためにあるか“考えたい】
氏が昇天された後には莫大な遺産があった。
現金だけでも何千万円もあったという。
当時の日本貨幣の値段は現在の通用価値に換算すると、
一千倍もの価値があったから大変な金額である。
そのほか株券や、不動産などもあったから、氏の突然の死で、
後の遺産の分配問題で色々のことがあった事を聞いたが、
それをここに書く必要はない。
ただ中学に通っている息子が、
学校へ行かなくなったことだけを書いておきたい。
学校に行って勉強するように人がすすめると
「お金があるのに何のために学校へ行くのや?」と
その息子は関西弁で抗議するのであった。
そしてその頃は滅多に自家用自動車を持っている人がない時代であったが、
アメリカ製の最新式小型自動車を買ってもらって
その息子が乗り廻してレジャーを楽しんでいるのであった。
その息子の人生観に従うと、学校というものは、金を儲ける技術を
勉強するところであり、金は何のためにあるかというと、
その金でレジャーをつくって自分が遊ぶためにある――
人生は結局、金によって得られるレジャーと快楽のため
ということに尽きるのだった。
・・・
【八日のことば~何故“学生”は破壊活動に趣くのか】
学校は、金を儲けるための準備であり、その金は、遊ぶためと
肉体が快楽を楽しむための住居とレジャーとの費用をつくるため――
これが今でも、資本主義経済組織下の普通の人の生活目的についての
考え方のようである。
特に精神的な理想とか人生の目的という様な高尚なものではない。
結局人間は、”経済アニマル”であると同時に、
”快楽アニマル”であるほか何の崇高な存在でもない。
その目的を達成するための学問を教え、又は研究する場所が大学である
というのが、現在の大学制度であるから、大学生が大学そのものを
無意義だと考え、“そんな大学はブッつぶしてしまえ”というのが
学生騒動を起こしている本当の原因ではないであろうか。
その点に於いて学生騒動を起こしているような青年は、ノンポリ学生よりも、
一層すぐれた使命感又は目的をもっているのである。
彼らは何か「平和」とか、「人類」とかを考えずにはいられない。
今のままでは人間が人間でない教育が施されているので、
それの彼らは我慢がならない。
と言ってどうすればよいか、彼らにはハッキリ分からない。
併し、「ともかく、こんな教育制度を叩き毀してしまわなければならない。
叩き毀したあとは何とか別のものが出て来るだろう」
こうした感情が彼らを動員して起ち上らせ、
ゲバ棒や火焔瓶で破壊活動に踊らせるのである。
彼らは“神”という“永遠価値”を知らないので、何とかゲバ棒や
火焔瓶で叩き毀せば、何か価値あるものが出て来るのだと考える。
しかし破壊感情からは何ら建設的なものは出て来ないのである。
・・・
【九日のことば~人間は極限状態におかれて全力を発揮する】
戦争は悲惨なものであり、望ましいものではないが、それは死闘であるが故に、
生命の一滴までも搾り出して全力をもって戦おうとするのである。
それゆえに平和の時には考え及ばないような知恵をしぼり出して
優れたる発明などが出来て来るのである。
月面着陸や宇宙旅行の構想なども第二次世界大戦にドイツが発明した
ロケット弾V2号構想を引き継いで発展させたものであり、
石油の動力資源の尽きた後に、人類を祝福するために生まれつつある
原子力発電の構想も、大東亜戦争に、日本の、類い稀なる優秀なる戦力を
圧倒するには、この方法より外に道はないとアメリカが考えて完成した
ところの原子爆弾そのものから誘導された平和利用の原子力なのである。
人間はギリギリまで追い詰められなければ全力を出し切らない傾向がある。
世界的大心理学者であるウイリアム・ジェームス教授は、
人間は普通の状態の時には、自分の内に持っている総力の
二十五パーセントしか出していないと説いているのである。
その数字は精確とは言えないけれども、
吾々は全力を搾り出せねばならぬ極限状態に追い込まれない限りは
充分の力を発揮し得ないということを言ったのである。
・・・
【十日のことば~人間の跳躍力も極限状態で発揮される】
戦争でなくとも人間をして全力を発揮せしめる動機となるものは、
国際的名誉をかけたスポーツ競技の選手の場合の如きものに
之を見ることが出来るのである。
走り幅跳びの選手は六メートル以上も悠々と跳ぶというから
素晴らしいものであり、義経の八艘跳びの故事も思い起こさしめるのであるが、
義経はやはり、極限の状態に於いてそれをなし得たのだと思われる。
もう約そ三十年も前のことだが、神戸に大洪水が起こった時の事である。
降り続く長雨に六甲山に山津波が起こって、八畳敷や六畳敷ほどの
大岩が流水の浮力に浮かされて山から流れ落ちたり、二かかえもある巨樹が
根こそぎ水に浮かんで流されるという様な大惨事が起こったことがあった。
その頃、六甲山にはケーブルカーが架かっていて、その山の中腹にあった
停留場に駅員として勤務していた福田哲氏は、自分の立っていたその地盤が
六甲山の構造の一部を成す所の岩で出来ていたので、
それが動き出したのである。
その大きな岩が山津波の水力に浮き上がって、
山の主体から離れてズルズルと下降して行く。
そのままで福田氏がおれば大岩と共に転落して重傷を負うか、
死するかしなければならない。
もう自分の乗っている大岩は山から離れて、岩と山との間隙は
二メートル、三メートルと距離が開いて行く、その空隙は奈落の谷間である。
福田哲氏は極限の状態におかれたのである。
その瞬間思わず彼は、その谷間を跳躍して山の主体の方へ乗り移った。
これは走る惰力を利用する走り幅跳びではないのであるから、
普通人が二メートル以上、三メートルも、ただ一躍して飛び越えることは
困難なことである筈だが、極限状態におかれたために福田氏には
それが可能だった訳である。
(つづく)
(中旬) - 伝統
2019/10/19 (Sat) 19:17:22
【十一日のことば~洪水に出遭って中風が治った】
神戸の大洪水のあった頃、光明思想普及会(日本教文社の前身)の
重役兼不動産貯蓄銀行の重役だった井上喜久麿氏は中風で
下半身不随で寝ていられた。
洪水の第一日目は、井上さんのお宅はそれほど浸水しなかったのであった。
洪水の翌朝になって隣組の婦人会から、罹災して家を失い避難している人達に
「御飯の炊き出しの奉仕のために集まるように」という呼び出しがあったので、
井上喜久麿さんの奥さんは炊飯の奉仕のために朝早くから出かけて往った。
ところがその後、六甲山の山水が決壊し噴出して山津波が襲って来たので、
急激にその辺一帯の水嵩が増して、井上氏宅へもドット洪水が襲って来た
のである。そして間もなく一階は床上浸水の危険に曝されて来たのである。
細君は罹災者の炊飯の奉仕に往って誰もいない。
井上氏は中風で、一階に一人寝ているのだ。
このままでいたら井上氏は水没して溺死する筈であった。
井上氏は刻々水嵩が増して来る水を見ているうちにその心が極限状態に
達したのである。自分が起ちあがらなければ溺死するよりほかは道がない
と思った瞬間に氏は起き上がった。
そして濡れては大変だと思われる重要品を柳ごおりにつめて、
幾度も階下から二階に搬んだ。
それ切り氏の両脚の不随は治ってしまったのであった。
ギリギリの極限状態に置かれた時、自分が半身不随だということを
忘れてしまって、病気の観念が、今までのように自分を縛ることが
出来なくなったとき中風がケシ飛んでしまったのだった。
・・・
【十二日のことば~「是非とも」という極限状態が私を復活させた】
私がヴァキューム・オイル会社に勤務していた頃の事である。
その仕事は余りにも綿密な心の緊張を一分間もゆるがせに出来ない、
緊張続きの仕事だったので、私は健康を害していた。
一例をあげると、「弊」の字が「幣」と誤植されていたために、
そんなわずかな校正の間違いだけで私の前任者は馘になったのだから、
どんなに始終心を使っていなければならない仕事だか想像がつくだろうと思う。
私はだんだん自分の体の衰弱して行くのを感じた。
私は近いうちに死ぬという予感みたいなものがするのである。
併し私が死んだ後に私の妻と一人の娘が居る。
その生活はどうなるだろうと思っていると
恰度その頃生命保険会社の勧誘員が来たのである。
それで私は、私の死後、兎も角、節約して生活すれば殆ど一生涯、
生活費が賄えるほどの金額を、私が死んだら受け取れる契約の生命保険に
申し込むことにした。
診査委が来て、私の体を診察した結果、この身体は長持ちしないから
保険に入って貰ったら、保険会社が損になるというわけで
保険契約が出来なかった。
その時私は「死んではならぬ、絶対死んではならない。
妻子のために是非生きるんだ」と決意した。
私は絶体絶命、もう“生きるほかはない”という決意の極限状態に於いて
私は次第に健康が恢復して来たのだった。
是が非でも生きる外に道はない
―― という極限状態に自分をおくとき,
それは一種の“背水の陣”を布いた訳で
“生命”は前進するより仕方がなかったのだ。
・・・
【十三日のことば~愛と責任感との喚び出す力】
私が、「生命保険がとってくれないならば、もう絶対死なぬことに決めた」
と決意して自分の衰弱から起ち上がったのは、
家族に対する”愛”と”責任感”とからであった。
“愛”は全てを生かす力があるし、(谷口清超氏著『愛は凡てを癒す』参照)
”責任感”はその人の渾身の力を奮い起こさせる力があるのである。
責任のない仕事がルーズになるのは
渾身の力を振起せしめる環境条件をつくり出さないからである。
ある人は、
「私が雇われて仕事をしているのではありません。
奉仕でしているのですから、
そんなに窮屈にしばられて仕事をする義務はありません。
したい時にはするし、したくない時にはしないのです」
などと暢気なことを言うけれども、
これは奉仕の精神を歪めて解釈したものである。
“奉仕“は”仕え奉る“と書かれている文字の通り”神“に仕え恃し、
神から命ぜられた仕事に鞠躬如(きっきゅうじょ=心を使い、骨折ること)
として仕え奉るのであるから、
金銭で雇われて、金銭だけの分量宛、自分の肉体エネルギーを切り売りするのではなく、
自分は無我であり、自分自身には何の注文もなく報いを求めることなく、
与えられた仕事に無我献身するのが本当の奉仕生活なのである。
奉仕という意味を取り違えている人が多いことは残念なことである。
・・・
【十四日のことば~群集心理は巨大なる原子力の如く】
原子力という原子の中に閉じ込められていた力は、
ある極限量に達した時に爆発するのである。
人間の内に閉じ込められていた強力なエネルギーは、
それが集団となり、群衆となり、ある限界量を超えたとき、
所あ謂る“群集心理”となって爆発するのである。
革命は群集心理によって起こるのである。
群集心理を巧妙にあやつるボスが革命運動のリーダーとなるのである。
凡そ“群集心理”にとりつかれると、それを操るリーダーは、
全く群衆に対して”催眠術師“の位置に立つのである。
そして群衆は被催眠者の位置に立って、その役割を演じるのである。
被催眠者には、是非の判断もなければ、合理不合理の判断もない、
術者の命ずるままに行動するのである。
安保反対運動で行列している一団の群衆はこうした群集心理の巨大なる
暗示の波によって”個性”を失って、その巨大な波と共に一緒に
怒涛となって動いているのである。
彼らは”安保解消”アメリカよ本国へ帰れ”などと叫ぶ。
そして安保が解消してしまい、アメリカ軍が全部本国へ帰ってしまった後に、
若し隣国の兵隊が上陸して来たら、日本国の防衛を如何にすべきか
という問題に関しては、彼らの頭には明確な方法も計画もないのである。
彼らは被催眠者であるから、ボスが命じた通りに行動するだけである。
命ぜられない事は、その後の日本をどうして安全に守るかという問題には
心が動かない事になっているのである。
・・・
【十五日のことば~群集心理は催眠状態である】
群集心理はそのように巨大な力を、爆発力を持つのであるが、
個人を群衆に組織し上げて、それを一種の被催眠者の集団に仕立て
あげるのは、巧みな“言葉の力”の積み重ねであるのである。
“言葉”は一回きりではその力を充分発揮することは出来ないけれども、
それを度々繰返して言われると、
最初は、その言葉の示す事柄が不合理なことでバカらしいと思っていても
繰返して言われると、その不合理を不合理として感じられなくなり、
言葉の言う通りに服従して動き出すようになるのである。
テレビやラジオの商業広告に出て来る言葉がそれであるし、催眠術でも、
唯一回「あなたは眠くなる」と言われるだけでは眠くならないけれども、
繰返し言われているうちに眠ってしまうのである。
「反安保」「反安保」「反安保」と“言葉の力”で繰返されているうちに、
道理を超えて群衆は「反安保」の心境に誘導させられてしまうのである。
・・・
【十六日のことば~“言葉の繰返し”の力とビラ貼り】
言葉の繰返しを利用して、催眠術的に群衆の心理を支配しようとする
一つの方法がビラ貼りなのである。
ビラ貼りは憲法第二十一条に定められたる国民の権利の一つなる
”表現の自由”の中に含まれるという被告弁護側の上告主張に対して
石田最高裁判所長官は、許可なくしてみだりにビラ貼りした場合には、
貼られたる側の財産権の侵害になるのであるから、
それを禁ずる軽犯罪法は違憲ではないという判決を下した。
この判決は注目すべきものである。
吾々はビラ貼りを巧みに利用しなければならないが、しかし貼る場所の
所有権者に対して、許可を得てから貼るようにしなければならない。
弘法大師が「声字即実相」と言われたが、“声”即ちコトバも“字”も
共に事物の実相(即ち内在の本質)となるのである。
・・・
【十七日のことば~天皇は常に平和勢力である】
言葉の繰返しがやがて群衆を動員する力となるのである。
それゆえに左翼の運動家は盛んにビラを作って配布したり、
機関紙の「赤旗」の配布に熱心なのである。
学生運動が伸びるのものびないのも文書宣伝と街頭宣伝の
巧拙如何にあるのである。
憲法復元問題でも「天皇制が復活したら、再び日本が軍国主義になり、
戦争の惨事を繰返す事になる」等反対宣伝があるけれども、
これに対しては、天皇は平和勢力であって、常に戦争に反対して居られた
けれども、天皇は「御前会議に於いても発言してはならぬ」と、
天皇は君臨するけれども政治には容喙できないというイギリス皇帝式な
制約が行なわれていて、明治憲法に反する「天皇機関説」の実行から
軍閥の横行となったのであって、決して明治憲法が軍国主義を鼓吹する
ものでない事を“言葉の力”で繰返し説かなければならない。
そのためにこそ『占領憲法下の日本』及び『続占領憲法下の日本』の冊子を
極力配布するよう努めなければならないのである。
・・・
【十八日のことば~あなたの愛国心を爆発させよ】
抵抗が強ければ爆発力も大きくなるのである。
水爆は、閉じ込められたウランの原子爆発が、それをそのまま外に
放散せしめずに鋼鉄のサックの中に入れられているために、
その外壁の抵抗で水素の原子が圧迫されて核融合を起こしてヘリュウムに
原子転換する、その余剰エネルギーの強烈な爆発を利用したものである。
原子の中に閉じ込められている力でさえも、抵抗が強ければ強い程、
一層強力な力となって爆発するのであるから、
日本人なる諸君の魂の中に閉じ込められたる愛国心も外部の抵抗が
強ければ強い程強烈な力となって爆発するのが当然であるのである。
占領軍があなたの愛国心を麻酔せしめるために、
バラ撒いて行った民主主義憲法という毒酒に、
諸君はいつまでも麻酔させられていてはならないのである。
・・・
【十九日のことば~あなたの若き清純な魂を大切にせよ】
あなたの少青年時代を大切にせよ。
秩序破壊の武力行為に、あなたの純粋な清らかな魂のエネルギーを
徒らに消耗せしめてはならないのである。
少青年時代は、あなたの若き清純な魂を、もっと高次の情操を養い、
もっと清らかな趣味を培い、もっとデリケートな思いやりと、
美に対する深い愛とを高めるようにつとめなければならないのである。
あなたは凡ゆる種類の美に対して心を開き、それを味わい、
観賞する心の力を養うべきである。
若しあなたの心が、こうして美に対して鋭い感受性を持つようになるならば、
どんな大廈高楼の贅沢な生活をしなくとも、あなたは至るところに
凡ゆる種類の美を見出すことが出来るのである。
そしてあなたの行く世界が、悉くエデンの花園となって
あなたを迎えてくれるのである。
・・・
【二十日のことば~青空にあこがれる】
「都会へ来れば、そこには美と楽しみとが充満している。
農村には美も楽しみもない。つまらない」と思って、
農村から多くの少青年が都会へ流出して来るのである。
けれども、都会へ来て見ると、そこには美しい青空は滅多に見られないのである。
そこには亜硫酸ガスや一酸化炭素や気化鉛の有毒ガスで曇ってしまった
灰色の空しか見られないのである。
青空は諸君の貴い財産ではないのだろうか。
お札は手につかまれるから財産であるけれども、
青空は手でつかまれないから財産ではないというのだろうか。
農村から都会にあこがれて来る青年諸君は、
青空の美に対する感受性を喪ってしまったのだろうか。
青空は、金をもって買うことが出来ない美を持っている。
青空を見ていると魂が青空のように清らかに澄み、心が青空に向かって
高昇して、地上の汚れから浄められる様な気持が私にはするのであるが、
諸君には、そんな感じがしないのであろうか。
(つづく)
(下旬) - 伝統
2019/10/26 (Sat) 19:44:24
【二十一日のことば~都会人の悲哀について】
青空も私たちの貴い財産である。
それは人類全体が共有し、
そこから貴い感情の奏でを呼び起こして来る貴い資源なのである。
都会へ来てみると、もう澄み切った青空はない。
澄み切らないでも遥々と見渡すことの出来るお空があるならば、
吾々の心も広々と宇宙に広がる洋々たる心境を味わうことが出来るで
あろうに、都会にはもう遥々と広がるお空はないのである。
都会の人の見るお空は高層建築によって鋭角や直角に切り刻まれている。
そこにはお空の広さはないのである。
東京ではお空の広さが眺められるのは皇居のお濠ばたぐらいなものである。
私の宅からでも南の方を見渡せば、青山の高台まで、遥か
に広がるお空が数年前までは見渡せてものであるけれども、
今では、眼と鼻の先との距離に、四階や六階のビルが建つ。
それは法律で、建ててもよい権利が定められているので、
法律に照らして文句を言うことは出来ないけれども。
高層建築を建てる者は、吾々の尊い財産である“お空”を何の
ことわりもなく、その十分の一に、あるいは百分の一に切り刻んで、
私たちの視界から奪い去って行くのである。
・・・
【二十二日のことば~大自然の景観を売って金持ちになった】
奈良の法相宗薬師寺管長をしていられる高田好胤氏が読売新聞
六月二十日、日曜日の宗教欄に次のようなことを書いていられる――。
「あなたのふるさとはどこですか?」とたずねられると、
「私のふるさとは薬師寺の三重塔の見えるところです」と答えたものである。
その私のふるさとが数年前と比較してこの二、三年、
どんなに狭くなったことか。
一里離れたところから見えていた塔が、それこそ五百㍍離れた
ところからでさえ見えなくなりつつある。
これは私一人の問題ではなく、それだけ日本人全体がそれぞれの
「ふるさと」を失っているということの象徴ではないだろうか。――
だんだん自分のビルだけが高く建てればよいというので
高層建築が高さを競って、人の視界をチョン切ってしまうのである。
人の視界を遮る権利というものは、人間に本当にあるのだろうか。
私の宅からも昔は富士山が見えたものであるが、
いまは余所の建物に遮られて見ることが出来ない。
自然が都市化するということは
大切な”自然の美”を売り渡しているということである。
そして日本の国は、国民総生産世界第二位という大金持ちになったのである。
金を持つ方がよいか。
それとも大自然の美しい景観を持つ方がよいか、
私は考えさせられているのである。
そして大自然の美しい景観は、もう失ってしまえば今後いと久しく
人造では復旧することが出来ないものである。
・・・
【二十三日のことば~国土に遺る日本民族の生命】
高田好胤氏は又このように言っている。
飛鳥の自然の風物、その景観には万葉の精神が息づいており、
田圃一枚めくれば地下の遺構には古代の日本が国として
固まりつつあった頃の歴史を具体的に伝えている。
だからその遺構や景観を残すということは、
日本人の精神の“鏡”を残す事なのだが、その鏡を失った時、われわれは
何に向かって日本人である自分の姿を映し出せばいいのだろうか・・・・・。
「最近はマイカーや観光バスで大和を見学する人が殆どになったが、
その車窓に移り変わる木の緑、山のたたずまい――そこに民族の歴史がある。
ただ飛鳥寺、法隆寺、東大寺、興福寺、唐招提寺などの寺や仏像だけが
国宝なのではなく、車窓に移山や川すべてが国宝的価値と意味を持っているのだ。
そういう山と自然を背景にして寺や仏像を見る時
日本人心のふるさとに立ち返った喜びを感ずるはずである。
日本全国が都市化している今、
こういう心の回復ということは非常に大切だと思う。
飛鳥や奈良を守るということは又、心の養いのご本尊を守ることである。」
まことに好胤氏の言われる通りである。
・・・
【二十四日のことば~国土と領土とは異なるのである】
「国土(Native Land)と領土(Territory)とは異なるのである。
領土はその国が所有権を持っている限りの面積を包容する土地と、
その沿岸の海域若干マイルを領土権行使の領域とする。
国土はその民族がそこで発祥した母胎である。
日本の国土は、日本の民族がそこで孕まれ、
且つ生まれたる母の胎ともいうべきものである。
赤ん坊が母の胎中で”生”を享け、そこで形ある姿にまで生育して来た如く、
吾々日本民族はこの日本列島なる国土の胎中で生まれ、
そこに根を下して生長して来たのである。
国土の生命と、吾々自身の生命とは一体なのである。
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【二十五日のことば~母の容貌を汚してはならない】
国土の景観は、吾々日本民族の母の容貌みたいなものである。
母の顔を見るのが子供の悦びであるかの如く、
私たちは日本列島固有の景観をなつかしみ、
それを見ることに本能的な悦びを感ずるのである。
嫁に往った婦人は、自分の生まれた家を“お里”と言う。
吾々日本民族は自分たちの生まれたこの国土と“故郷”と呼ぶのである。
私たちはこの故郷の景観を壊してしまい、日本民族特有の美しい黒髪を、
西洋人種の紅毛のマネをして銅粉を塗って金髪化して得意がっているように、
みだりに日本的景観を壊してしまい、黒煙濛々として西洋文明の
公害に、日本的なものを売り渡してしまっているのだ。
そして国民総生産=世界第二位と誇ってみても、それは娼婦が外人に
貞操を売り渡して、外人の資産を譲って貰って大金持ちになったような
ものであって、どこにも讃めらるべき美徳は存在しないのである。
吾々はもっと日本民族としての正しい誇りを持つべきである。
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【二十六日のことば~日本の花道について】
日本の国土に発生した唯一独特の芸術に生け花がある。
相阿弥の花伝の書「御成式目」には、
「初心を忘れず、新しき心を持たず、人の面の如く、
十瓶あれば十瓶、百瓶あらば百瓶変わりて、
しかと可有処に鼻のあり、あるべき処に口の有る様にして、
さすがに面白くしほらしく、あるひは新しく見えて面白く候。
物のへたは初めてある姿を面白く思ひ候によって、目のある所に口をつけ、
鼻のある所に目を付ける心によって、重ねて見、久しく見候得ば、
見覚め仕候也。心を初心に持ちて、花瓶ごとにつつしみ立つる也」
(カナ遣い原文のまま)
と示されているのである。
要するにこの相阿弥の言葉は、自然の秩序をそのままに、
目のある所に目があり、鼻のある所に鼻があり、
口のある所に口があるように活けるが花道であるというのであって、
それこそが本当に”新しく見えて面白い”のであって、
ものの下手は「初めてある姿」
(即ち新奇を追うこと)を面白く思って、目のある所に口をつけたり、
鼻のあるべき所に目をつけたりするから、ちょっと見た時には
斬新な気がするけれども久しく見ていると見飽きがすると教えているのである。
近頃、戦後前衛派と称する生け花が、箒を逆さまに立てたり、
鉄の棒やら、生きた花でない煤払いのようなものを金髪のように染めて
麗々しく飾って、“オブジェ”といって新しがったりしているけれども、
相阿弥のこの花伝書に謂わせたら、まことに笑い草であって、
これらは占領軍の西欧精神によって日本的本来の花道が
踏みにじられた姿であるのである。
“柳暗花明“”柳は緑””花は紅“自然の秩序そのままに花を活かす。
花を通して、大自然と人間の生命とを結び合わす芸術が日本の花道なのである。
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【二十七日のことば~日本精神の表現としての”生け花”】
”生け花”の形にあらわれたる精神は日本精神そのものに他ならない。
それは生け花には必ず中心に“しん“となるものを定めて、
その中心に副枝(そええだ)や副草が寄り添いつつ、また
遠く離れたる枝も必ず中心に平衡を保つように生けられることである。
中心と、副枝と副草とが互に生かし合うのであって、その秩序によって
互い互いが生かし合うからこそ、それを ”生け花”というのである。
西洋には、”生け花“というものはなく、唯花瓶に“つかみ挿し”
してあるだけで“しん“とか”中心”とかいうものはない。
どの花も、どの茎も、同じ高さに、どん栗の丈くらべをしているだけであって、
これはまさしく、民主主義的”悪平等”思想のあらわれと見ることが
出来るのである。
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【二十八日のことば~立華の精神について】
“しん“と称する”中軸となるもの“を生け花に立てることは、
日本民族本来の”中心帰一”精神の表現であるのである。
生け花に“しん“が崩れたら、生け花の生命が死んでしまうのである。
生け花の発祥当時の形であった”立華“と称するものは、室町時代の
武士社会に心をなぐさめるために自然に発生したものであるが、
その“しん“となるべきものには「強き本木」を用うべきものである
とせられているのである。
「群書類従」収録の「仙伝書」には「人間も能あると雖も心の定まらざるは
比興(=非理)なり、其の如く花も本木のつよくなきは悪なり」
と示されているのである。
人間も思想が常に定まらずグラグラしているのでは
何の役にも立たないのである。
理想とする思想が本、筋金となって通っていて、どんな誘惑にも
グラつかず、一事貫徹の精神がなければ人間として価値少ないが如く
”立華“には無論のこと”生け花“にも“しん“が一本、
強力に立っていることによって、”生け花“のいのちが引き立つのである。
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【 二十九日のことば~”立華“”挿花“”生花“を貫く日本精神】
室町時代の武家社会から発祥した”立華“が、天文、永禄の年間に、
いつの間かハッキリせぬが、草木の自然の本性を生かす
”挿花“が行なわれるようになったのである。
兵馬倥偬(戦争のため忙しく落ち着かぬこと)の時代の荒れた心を
慰めるために、自然に野に咲く一輪の花を瓶に活けて、
心を和らげる必要が生じて来たであろうと思われる。
挿花は自然のままに活けるのであるから、
その形に色々の差が生じて来たのは当然のことであるが、
それでも“しん“を立てることは忘れられなかったと思われるのである。
“しん“は「真」であると同時に「心」であり「中心」であるのである。
宗祇の「仮名教訓」という花伝書には、
「おもてなしはただ楊柳の風になびき、春の雪の梅の梢につもるが如く、
物やはらかにして、人のおもひをしり、ひがめる心をおし直し、
さてまた心のうちは、石やかねなどよりも堅く、あだなる(空)ふるまひ、
はしぢかなる事(あさはか)をきらひ、一すじに心をむけたまふべきにて候」
とあるのは、外面には楊柳の風になびく如く
「しなやかに、やはらかく、もののあはれ」の姿のように活けるべき
であるけれども「石や金などよりも堅き一本の筋金」が
中心に通っていなければならない。
その中心に向かって、外面の柔かくしなやかな枝や葉が
帰一するように活けなければならぬというのである。
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【三十日のことば~日本的芸術としての盆石、石庭、家庭、国家】
生け花だけではなく、盆石、石庭でも、日本的芸術として、
それがある限りの於いて、中心になるもの”真”なるものを定めて、
その”真”(実相)を中心に現象としての一切が中心帰一するように
配置されなければならないのである。
すべてが、同じ形で、同じ大きさで、基本人権が平等だという様な
「ドン栗の丈くらべ」のように、各部分部分がバラ撒かれていたのでは
芸術にはならないのである。
洋画家の耆宿(老成の人)、林武氏も「絵には中心がなければならない」
と言っておられる。
石庭の事について、京極良経の『作庭記』には、
主石となるものを定めて、それぞれの立て石が、その主石に対して
互に「思い合う」ように配列しなければ庭が生きて来ないという意味を
書いているのである。
私たちの家庭も、家族ひとりひとりが互に別々に断絶して、
別々のバラバラになっていては“生きた家庭”だということは出来ないのである。
主石を定めるが如く、その中心に向かって帰一しつつ互に「思い合い」、
ぜんたいが“しん“を中軸として渾然たる生け花の枝々であるような
”生きた芸術“にならなければならないのである。
国家もまたその通りであるのである。
現行の憲法はバラバラの国民が主権を持って、アチラ向きコチラ向き、
互いにバラバラに向いて勝手なことを主張して内部闘争を激性するように
工夫して書かれたものであるから、
国家がバラバラになって統一を失ってしまっているのである。
(おわり)