伝統板・第二

2514250
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伝統様、ありがとうございます。28 - 道産子

2019/10/12 (Sat) 08:26:46




<(関連としての紹介です)

          *『神 真理を告げ給う』(P113~114)より

すべて生命の動き ―― それが行動にせよ、生理作用にせよ ――

あらゆる生命のいとなみの奥には、想念と感情とが織り合

わされて、あなた達の生活の織物は織り成されているのである。

その想念感情の奥には過去の想念感情及び行動並びに言葉

の蓄積が業力となって操っていて、それが太陽系統から放

射される神秘的な霊的糸と繋がっていて

人間の運命に大いなる影響を与えているのである。

地震、津波、集中豪雨、台風の針路なども

その神秘的な霊的糸の操りの関係から起こってくるのであるから、

人間の物理学などで、地震や、台風や、水位の上昇が、

何処に何時起こるかなどと研究してみたとて、

そういう物質的方面のみからの研究ではわかりっこはないのである。>・・・。


 尽きるところ、ここに行きつくのでしょうか。

コスモス様の情報に、伝統様がツイート?されています!(^^)!。

 被害の少なきを祈ります。







 さて、本日は、徳久先生の御話です。



  ◦連載 繁栄のひろば  徳久克己先生

       善い面に着目して喜べ


「喜ぶ人は喜びの種子を蒔く人だ。呪う人は呪いの種子を

播く人だ。悲しむ人は悲しみの種子を播く人だ」(『生命

の實相』第二二巻二二頁)

『生命の實相』のいたるところに「現象界」は「心」の展

開であることが説かれており、その「心」は「田畑」のよ

うなもので、「畑」へまく種子は「思い」であると説かれています。

そのことがわかりますと、「喜ぶ人」は「喜びの種子」をまく人である、ということがよく理解できます。

 医者をしていまして、病人に接しますと、この事がよくわかります。

病人は、自分のカラダにどこか悪いところがありますと、

そこばかり考えて、他の部分が健康であることを忘れて悲しんだり、不平不満ばかり言っています。

たとえば、胃の悪い人は「胃が悪い、胃が悪い」と胃の悪

い事ばかり考えて、悲しみ、不平ばかり言っています。そんな病人に、私は、

「あなたの肺も、心臓も、肝臓も皆とても丈夫ですよ!」

 とわざと強調して言うことが、しばしばありました。な

ぜかと言いますと、自分のカラダの悪いところだけを考え

て、悲しんで、他の良い所を喜ぶ心を起させないと、病気が治りにくいからです。

『聖経甘露の法雨』の中に『「病み」と「暗」とは即ち語

源を同じうす』と説かれていますように、病人は自分のカ

ラダの悪いところだけに,気を取られて暗い気持になりが

ちですので病が中々治らないのであります。そのような時に、

『私は胃は悪いけど、心臓も肺臓も、肝臓もいいのだ!』

 という気持を起させますと、悪いのは胃だけで、自分に

は丈夫なところが、たくさんあったのだ、という明るい気持になります。

そうなりますと、病人がとても「明るい心」になりますと、病気が早くよくなります。

 このような心の持ち方は、病気だけでなく、繁栄のためにも、とても大切なのです。

仕事がうまくゆかない人と話をしていますと、病人が自分

のカラダの悪いところだけを気にしているのと同じで、仕

事がうまくゆかない面ばかりを見て、うまくいっている面

を見ることを忘れて、「暗い気持ち」になっている人が大半です。

ある相当大きい会社の社長が、サギにひっかかって、大金

を失い、それを取り返そうと思って、一所懸命になったの

ですが、どうしても取り返すことができず、すっかり暗い

気持になり、会社の将来の見通しも立たず、心痛して病気

となり、練成道場へ来られたことがあります。私はその人に、

「あなたは経営者として、企業を上手に運営することを忘

れて、サギにひっかかった金を取り戻そうという、そのこ

とばかりに心をとらわれて、今しなければならない仕事をしていませんね。

サギにひっかかった金を取り戻すより、仕事を一所懸命に

して利益を上げれば、その位のお金は簡単に取り戻せるのではありませんか?」

 と言って、事業の「暗い面」に心をひっかからせず、「明るい将来」を、私は強調したことがあります。 
 
さすがに事業家で、生長の家の縁に触れている方ですから、すぐ、「そうですね」と心を転換されました。

それから病気はよくなり、事業に専念され、その後、会社は隆々と栄えました。

 人間というものは、なにか問題にぶっつかりますと、そ

の問題に心がひっかかり、つい暗い気持になり易いものです。

相当、神を信じているつもりでも、自分が何か問題にぶっ

つかりますと、暗い気持になり、悲しい心になって、悲し

みの種子をまきますので、よけいに悲しい事が起って来

て、また暗い気持になり悲しむという悪循環を繰り返し易いものです。

そんな時こそ、信仰の真価がわかる時です。

常に、どんな時にも、明るい面を見る習慣をつけておきましょう。
                                           (おわり)



Re: 伝統様、ありがとうございます。28 - 道産子

2019/10/13 (Sun) 07:56:32




<清超

 実相顕現、そうですか。それは難しいですね。ひとくち

に言えないね。『生命の實相』を読むという事が先ず第一

ですね。それから神想観をする。そして神の国、完全円満

な神の国が実在するのであって、迷いの世界は無いのであ

る。現象界は無いのであるという事を、それをその徹底的にお話になること。日本国の実相顕現になりますね。

 日本国というのは、元もと天照大御神様がお創りになつ

た国という神話がありますように、神様の国があるんです

よね。だから、その神の国が完全円満であると。そして日

本の実相が現れたら、全世界が浄まっていった事になるん

であるという事になるが、その日本の実相は、ひとくちには言えないからですね。

 そういう所からお話しになって、そして罪や争いや、物

質の世界というものとか、あるいは金銭、欲望の世界は本

来無い、夢であると。『甘露の法雨』の中に書かれている

ことをそのままお話になっても、これは日本の実相顕現に

なりますよ。「皇恩に感謝せよ」と書いてある所にです

ね、この「皇恩」という所が、天皇陛下のことですから、

天皇陛下に感謝する。天皇陛下の御心を本当に大事にし

て、そして日本国がすばらしい実相を現すところの国家で

あると。その証拠にですね、日本は歴代の天皇陛下がずー

っと御血筋が続いておられて、そしてその永遠の国の象徴として日本があるのであります。

 そういう国は大統領の国でもなければ、北の金正日の独

裁国家みたいなのでもないし。独裁国や共産主義国やらですね。そういう国はみなさん続いた所がないでしょう。

 ところが日本は永遠不滅の国、本当の実相世界、不滅の

世界を象徴する所のそういう歴代の天皇様がいらっしやっ

て、それが今も続いているということは日本のすばらしい

所であり、これは日本の実相顕現という言葉にふさわしい

のであると言う。そういう風にも仰るとよろしいと思いますね。

 その他色いろありますが、この『甘露の法雨』の中の言

葉をそのままお話になったら、それが立派な実相顕現になると思うんですね。

 (「生長の家相愛会」 平成17年4月号 人生問答集 より)>。


 本音の時代様のブログより<m(__)m>。











 さて、今朝よりは、清超先生の御話です。



 ●体験実話物語  御祖先を供養する  谷口清超先生

          光の泉 昭和45年11月号

           目に見えぬいのち


 私たちはみな御祖先から生まれて来ているのですから、

御祖先を大切にして、よくお祀りしなければなりません。

御祖先のいのちは今もなお生きているから、家族と同じことです。

朝晩御挨拶をするつもりで、お仏前にお詣りをしたり、神

棚にお灯明をあげる。そんな事を私たちの祖先はしてきたものでした。

 これは決して、迷信でもなければ、馬鹿げた事でもな
い。当然なすべき事であって大変大切なことなのです。

ところが「唯物論」が盛んになって来ると、人間は死んで

しまえば後は灰になってしまうだけだ、御祖先のいのちな

んか何処にもない。墓の中には骨しかないし、仏壇なんか木切れとねずみの糞だけである。

御祖先祀りなんか馬鹿馬鹿しい、という人が増えて来たのです。

 こういう人は自分では「科学的」な考え方をしていると

思っているかも知れないが、決して科学的でも合理的でもない。

なぜなら、「生命」というものはもとから目に見えないも

のでしょう。だから肉体があってもなくても、そんなことはどうこうなるものではないからです。

肉体がある人の「生命」だって目に見えないのですから、

肉体がなくなって骨だけになった人の「生命」が目に見えなくてもちっともおかしくないのです。

 ところがそれを目に見えない「生命」だから、ないのだと単純に考える。

ここに大変非科学的な、不合理な考え方が出ているのです。

私達はこんな錯覚に陥ってはならない。もっと根本的に

「生命」そのものを見詰め、「生命」は決して消えてなく

なるものものであってはならないということをはっきりと

知り、「今ある生命は肉体と共になくなる様な頼りないも

のではない」と自覚し、御先祖のいのちが今此処に生きて

いると思って、毎日感謝礼拝を怠らずやるのが正しいのです。

 そうしないととかく色々困ったことが起ってくる。

別に御祖先が子孫を恨んで、罰を当てるというのではない

けれども、自分の一人よがりの心が悪い結果を現わして来る。

人に感謝しないから、いいことが出て来ない。御祖先とい

う”親のまた親”に感謝しないから、

「父母に感謝し得ないものは神の心に叶わぬ」

 という訳で、変な病気になったり、仕事がうまくいかな

くなったり、子供の病気で苦しんだりするのであります。

                   
                    (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。28 - 道産子

2019/10/14 (Mon) 08:38:39




 破邪顕正様、興奮を抑えているところでしょうか(^_-)。

姫野選手、「日本国紀」愛読者とはグッドニュースです(^^♪。

 だけど、本当に桜の戦士の個性には感服です。








 清超先生の、続きです。



         逆回転している


 北海道川上郡弟子屈町屈斜路という所に渡辺昇さんとい

う人が住んでおられますが、この人には昭和四十七年一月に男の子が生まれました。

登さんは大変喜んで、この子に唯幸という名前をつけた。

処がこの子が乳を飲むことが出来ない。飲んでは吐き、飲

んでは吐くのです。段々痩せて来る。これは大変だというので、釧路の市立病院に入院させました。

 すると詳しい診察の結果、これは十万人に一人あるかないかの病気だというのです。

「胃腸回転閉塞」と言って、腹の中で腸が逆になってい

て、盲腸が心臓の辺に来ている。腸が逆回転している病気だというのです。

「先生、手術しても治らないでしょうか」
 と聞くと、

「いや、治ることは治るけれども、二、三ヵ月したら又元通りになるから、手術してもだめなんです」

だからあきらめなさいと言われるのでした。しかしいくら

「あきらめなさい」と言われても、「はい、そうですか」とあきらめる訳には行かない。

そこで無理に頼んで手術してもらった。

とにかく手術がすみ、しばらくして退院した。がしかし六ヵ月に入ると又変になったのです。

 しかたがない、又病院へ連れて行くと、診察の結果、

「もうこれは手遅れです。この病気ではこんなになる」
と言って、再びあきらめなさいと言われました。

「でも先生、どうかお願いだから、もう、一回だけ手術して下さい」

 そう熱心に頼み込むと、

「じゃ、もう、一回手術するけれども、命の方は保証できませんよ」  

 こうして六時間半という長い時間をかけて手術してくれましたが、その結果は絶望的だというのでした。

「もう手遅れでした。癒着している腸を三十センチほど切

り取りましたが、そのあとがうまくないんです。腸が殆どくっついてしまっていて、はがすことができない。

腐っているから、ちょっとでもはがすと穴が開いてしま

う。三カ所はがしましたが、あと十数ヵ所ひっついてい

て、手の施しようがないから、そのまま縫ってしまいました」

                    (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。28 - 道産子

2019/10/15 (Tue) 08:13:24




 10月10日(とつきとおか)「いのちに感謝する日」ますますの盛会を祈ります。

奇しくも、直後に大災害、、まことに意味深のことではあります。

 一日に中絶児2000人。 不登校10万人。精神障害320万

人。不眠症2400万人。睡眠薬依存症600万人。引きこもり100万人・・・、周知徹底が・・・。










 清超先生の御話の続きです。



          奇蹟と神様


 こんなひどい事になってしまっては仕方がない。腸が逆

転して裏返しになっているから、食物が通らないし、腐ってひっついてしまっているのです。

がっかりした渡辺さんは、悲痛な声でお医者さんに言いました。

「じゃ、もうだめですか?あきらめなきゃいけませんか?」

 すると、そのお医者さんは、こうおっしゃる。

「医学的に言うと、だめですが、まだ奇蹟ということがあります。奇蹟を待ちましょう」

 この“奇蹟”という言葉を聴いて、渡辺さんはびっくりした。

現代の医学でも、まだ手の付けられぬところに“奇蹟”があ

るのだろうか。科学者も、最後は奇蹟”を認めるのか・・・・・。

「しかし」とお医者さんは付け加えて言うのです。

「たとい生命を“奇蹟”にとりとめるとしても、手術のため

の輸血で、腸の血管を切り開いたから、この脚はもう動かないかも知れません。

とにかく脚が使えなくても、いのちさえとりとめればいいんですがね・・・・・」

「いや、いいです、脚はいいです」

 渡辺さんは真剣な看病をはじめました。がしかし、生命は助かりそうにない。

二日たっても、三日たっても、赤ちゃんの腹は膨れる一方
だし、真赤に脹れ上がって、苦しそうで見てはおれない。

三日目の朝には、今にもパンクしそうになって、素人目にも駄目だと分るのです。

その夜、お医者さんが回診に来られて、言われました。

「渡辺さん、やるだけのことはやりました。あと、助かるか助からぬかは、神様次第ですね」

渡辺さんは再び驚きました。お医者さんでも、いのちのことは最後に「神様次第」といわれるのだろうか?

そう思うと、渡辺さんはいつの間にか無意識のうちにポケ

ットに入れていた『甘露の法雨』をしっかり握りしめていました。

                    (つづく)
 

Re: 伝統様、ありがとうございます。28 - 道産子

2019/10/16 (Wed) 08:36:05




 <「谷口雅春先生を学ぶ」誌・平成30年1月号に、上野

志保子さんが「尊師にお仕えして(4)先生と奥様の美し
いお姿」と題して、こう書いておられます。

《先生は天皇皇后両陛下がテレビに放映されたお姿をご覧

になられると、すぐに「奥さんを呼んで下さい!!」と、おっしゃられます。

普段は廊下をゆっくりと静かに歩く私は、その時だけは、ドタバタ?と走ります。

奥様の居られるお部屋の入口で

「奥様!! 先生がお呼びでございます!!」

「ハイ!!」

お部屋から奥様のお声が聞こえました。

いつもと違う私の早口の言葉にお気付きになられたご様子で、奥様は小走りでお部屋に向われました。

お部屋では、先生、奥様はお並びになられて、正座、合掌

のお姿で、テレビに放映されておられる天皇皇后両陛下のお姿をご覧になっておられました。

テレビに放映される時は必ずお揃いでご覧になっておられました。

私は尊い美しいお姿に唯々感動でいっぱいになっておりました。>。


 感涙いたします。破邪顕正様のご投稿より<m(__)m>。





 https://www.youtube.com/watch?v=vMgf38wALVc&feature=youtu.be

 信天翁様のご紹介の動画、すばらしいですね。

さらに、

<でも、「生命の実相」と「聖経」は残ったのではないでしょうか。

(これは、右手を失った剣士の姿に似ているのかも知れません。)

でも、この二つが残ったということは、とてもとても素晴らしいことだと思うのです。

「欣喜雀躍」しても良いくらいです。・・・>。

とも仰っておられます(^^♪。


 源流様、徳久先生の御話ご転載有難うございます。










 清超先生の御話です。



         撫でさする


 何故渡辺さんのポケットの中に『甘露の法雨』のお経が入っていたのか?

渡辺さんは「生長の家」の信仰なんかしたことはありませんでした。

けれども渡辺さんの御両親は、生きておられる頃「生長の

家」の信仰をもち、『甘露の法雨』を御仏前で誦げておられたことがあったのでした。

それを息子の昇さんは横目で見ていたが、決して「生長の家」をやろうとはしなかった。

迷信だと思っていて、大嫌いだった。

本を開いてもみないし、『甘露の法雨』なんか見向きもし

なかったのです。そのうえ、両親がなくなられてからも両親の御霊をお祀りもしなかった。

形式的なことはやったかもしれないが、日常の御祖先祀りはほったらかしで、結婚後は奥さんも不信心でした。

その上、人々との争いもあった。

父母にはちっとも感謝していない。そんな状態でいたもの

ですから、その心が、子供の病気となってあらわれ、腹の中が逆転していたのでした。

 すべて「肉体は心の影」であるという。心が肉体に、似たような姿をあらわすのです。

だから、腸がネジクレて、ひっくりかえっていたのです。

父母に感謝していない、上のものを上に、下のものを下

に、していないということが形にあらわれて、赤ちゃんの逆転した腸の病気になって出ていたのでした。
 
 ところがいよいよ唯幸君があぶなくなった。

いついのちが終るかも分からないということになると、平

生は無信仰で、父母の事なんか考えなかった昇さんも、いつの間にか無意識のうちに

『甘露の法雨』をポケットの中にいれて、病院につめかけて看病していた。

その『甘露の法雨』をじっと握りしめたのでした。

「お医者さんでも、神様を信じているらしい」

 そんな気がして、ふと『甘露の法雨』の存在に気が付

き、握りしめていると、ジーンと何か不思議な感じが全身にみなぎりあふれて来る。

そこで思わず『甘露の法雨』を取り出し、それで赤ちゃんの腹を一所懸命でさすりました。

 そのうち、夜の十二時頃になると、子供が非常にあばれ出した。苦しそうで見ておれない。今にも死にそうだ。

それでも夢中になって撫でていましたが、

「ああ、もうだめか」
 という気がしました。が、その瞬間に、ドッとばかり便が出たのです。

見ると、便なんてものじゃない。血まみれの肉の塊だ。それがドロドロと子供の尻から飛び出した。

これを見て、看護婦さんが、

「ああ、もうだめですね」
 と思わずつぶやいた。がしかし、渡辺さんは、朝まで一心に『甘露の法雨』を読み続けました。

初めて中のコトバをよんだのでした。

                     (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。28 - 道産子

2019/10/17 (Thu) 08:33:48



<川島和正メルマガ、原田武夫の道中辻斬り(伝統様ご投稿)
計り知れない恐怖です"(-""-)"。>。


 明日より4日間ばかり、お休み頂きます<m(__)m>。








 清超先生の御話続きです。



 或る日天使生長の家に来りて歌い給う――

    創造の神は

    五官を超越している、

    六感も超越している。

    聖

    至上

    無限

    宇宙を貫く心

    宇宙を貫く生命
    
    宇宙を貫く法則
 
    真理

    光明

    智慧

    絶対の愛。


                    (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。28 - 道産子

2019/10/22 (Tue) 08:24:34



<リーチ・キャプテンを中心に、みんが円陣を組んでいる姿に、これまた涙でした。

そこで、リーチ主将が語った言葉にまたまた感動で胸がいっぱいになりました。

「この1年間だけでも250日以上一緒に生活してきて、本当に家族のように思ってきた。

そのチームが次に試合ができなくなるのは寂しいけど、

自分たちの今までやってきたことを誇りに思おう」>


<「混ぜる」は、異なった素材同士が、お互いの形を残すことなく一つになることです。

色で言えば、白と黒を混ぜるとグレーになるのに似ています。

一方「和える」とは、異った素材同士がお互いの形も残し

ながら、お互いの魅力を引き出し合いながら一つになるこ

とで、より魅力的な新たなものが生まれることを指します。

色で言うと、一つ一つの色は変わらないままで、それでいて他の色も引き立て、調和した形で生き生きと映える。

「和える」ことで、その素材以上の良さが生まれるのです。

今回のジャパンチームが、まさに、この「和え物」文化そのものではないかと私は思うのです。・・・>。


 破邪顕正様のご投稿より<m(__)m>。


 コスモス様の「樹々」にも魅かれます、北海道もありますし・・・(^_-)。








 清超先生の御話、続きです。



         元気づく 


 やがて、朝になりました。

奇蹟的に朝までいのちがもったのです。八時ごろになる

と、先生が回診に来られました。そして、こういわれるのでした。

「いゃあー渡辺さん、よかったね! 助かったねぇ!」

渡辺さんはどうも腑に落ちない。あんな血肉の塊のような

ものが出て、死ぬほど苦しんでいたのに、「助かった」とはどういうことであろう?

すると先生はいわれる――

「あの血と肉のような塊は、腸を切った時にその間にたまっていたもので、あれが出てしまうとよくなるんですよ」

渡辺さんは思わず、

「先生、有難うございます」
 と、手を合わせて拝みました。

それから二十分から三十分ほどたつと、子供は目を開いた。

何だか気分が良さそうなので、腹をはぐって見ると、あん

なに脹れ上がっていた腹が、スーッと平らかになっている。

それっきりよくなって行って、どんどん元気になりました。

二週間ほどたつと、もう退院してよいということになった。その時、先生が来られてこう言われる――

「どうして治ったか、よく判らん。がしかし、脚の方はどうなるか分らないが、まあ、二、三年はかかるなあ」

 脚はどうなってもいい。とにかくこうして子供のいのちが助かったことが有難い。

お医者さんは“奇蹟”とか“神様”とかおっしゃったが、やは

りこれは『甘露の法雨』をよく読み出したおかげであり、奇蹟であるという他はないと思いました。

                                             (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。28 - 道産子

2019/10/23 (Wed) 07:33:24



 <「即位礼」と「大嘗祭」との意味の違いについて、一条兼良(ちじょうかねよし 1402~1481年)の言葉を紹介します。

 「御即位」は漢朝の礼儀を学ぶなり。

大嘗会は、神代の風儀をうつす。>。

(『代始和抄(だいはじめわしょう)』)


〈きょう22日、雨が降り続いていた関東地方は、午後から

急速に天気が回復し、雲の切れ間から薄日が差して、午後

1時頃、お台場から東京スカイツリーのある北西の方角には虹のアーチがかかっているのが確認できました。

新時代の到来を祝う虹の架け橋となりました。〉・・・。



 破邪顕正様のご投稿より<m(__)m>。


 






 清超先生の続きです。



         心があらわれる


 それからというもの、渡辺さんは、毎日毎日『甘露の法雨』を誦げました。

医学ではどうにもならぬところまで行った子供のいのち

を、この『甘露の法雨』が救ってくれたと思うから、あと

はもう『甘露の法雨』を読む以外にすることがない。何だ

か知らないが、私は間違っていたと思って、読み続けた。

 読んでいるうちに、『天地一切のものと和解せよ』とあ

る言葉で、ああ、自分たちは和解していなかったのだと気づきました。

父母に感謝し得ないものは神の心に叶わぬといわれている

ように、父母を粗末にしてお祀りもせずに、申し訳なかっ

たと、心から懺悔して、一心不乱に
『甘露の法雨』を読んだのです。

 すると、一ヵ月たつと、お医者さんから歩けないと言われていた脚が歩けるようになりました。

二、三年はかかるといわれ、もしかしたらだめになると言

われていた脚もよくなって、全く健康な赤ちゃんとなり、

私が今年の四月に釧路に行った時には、両親に連れられて
きていた唯幸ちゃんは、ドンドン走り廻っていました。

勿論赤ちゃんの腹の中も、いつの間にかあたり前になって治ってしまっていたのです。

 これは渡辺さん御夫婦が、親に感謝し、夫婦仲良くな

り、天地一切のものと和解し、上のものを上に、下のもの

を下にして、よく御祖先をお祀りをするようになったの

で、その心がハッキリと子供さんの姿にあらわれて来たからである。

本当は“奇蹟”のようであって奇蹟ではない。ただ当り前のことが当り前になるようになったのです。

御夫婦の心が当り前になられ、御祖先に感謝し、御祖先の

御恩に心から悦ぶようになられたから、その心によって

「神様のおつくりになった世界」の完全円満な姿が、そのままスッとここにあらわれて来たのであります。

                    (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。28 - 道産子

2019/10/24 (Thu) 08:08:24




<『君民同治の神示』にはこうあります。

《天孫降臨とは人間自身すなはち民自身が天孫であり、神の子である自覚の反映にほかならない。

かく天皇の神聖性は人民自身の神聖性より反映するのである。

されば民が主であり君は客である。

是を主客合一の立場に於て把握すれば主客一体であり、君民一体であり、民は君を拝み、君は民を拝む。

民を拝みたまふ治は、君を拝むところの事と一体である。

治事一体であり、治めると事(つか)へるとは一体であり、君民同治である。》

陛下は、もったいなくも「国民と苦楽を共に」「国民に寄り添いながら」と仰ってくださいました。

その尊い御思いに、今度は私たち国民が心から寄り添い、お事え申し上げなければならないと思います。>。


 破邪顕正様のご投稿より<m(__)m>。









 清超先生の続きです。


          鞭打ち症も


 このように、御祖先のお祀りをして『甘露の法雨』を毎日読誦するということは、とても大切なことなのです。

それは夫婦や子供の病気を癒す方法として大切だという訳ではない。

父母に感謝し、御祖先の御いのちに感謝し、もとのいのち

を大切にし、上なるものを上にし、下なるものを下にし

て、お互いに尊敬し合い、愛し合うということが“人間の

道”であり、神様の御心であるから大切だというのである。

 こうして、神様の御心が行なわれ、御祖先を祀り、供養

し、感謝し、敬し、礼拝するということになると、当然神

様のおつくりになったままの「実相」があらわれて、家族のすべての者が健康になり、幸福になる。

だから、病気の種類や、誰が病気していたかなどということは問題ではなく、すべてがよくなってしまうのです。

 例えば奈良県桜井市滝倉という所に住んでおられる福田

充子さんは、 鞭打ち症にかかって一年半というもの悩み通して、どうしても治らなかったのです。

県内の外科や整形外科を転々として、診てもらったが、ど

うしても治らず、遂には指圧から灸と、色々やったがどうしてもだめだった。

もとは体重もかなりあったが、四十キロに減り、夫が炊事

から洗濯、育児、何から何までしなければならないという悲しい状態になってしまったのでした。

 ところがこの充子さん、昭和四十七年の八月に、はじめ

て「生長の家」を伝えられ、見真会にやって来られた。

そこで色んな信仰の心得をさとされ、反省しました。

この人の家も、御祖先のお祀りが出来ていず、夫と奥さんも、全く無関心でした。

 というのは、充子さんはこの福田家の長男のお嫁に来た

と思って嫁いできましたが。色々調べてみると、夫は長男でなく、六男だった。

亡くなった兄さんと姉さんは、だから戒名もなく、何らお祀りされていなかったのでした。

                    (つづく)
 

Re: 伝統様、ありがとうございます。28 - 道産子

2019/10/25 (Fri) 08:16:00




 ヤマタノオロチ=キングギドラ説、興味津々です(^^♪。

 終戦後もソ連と戦い、北海道を守った人達がいた(占守

島の戦い)

「戦車隊の神様」と言われた池田末男大佐、札幌の第五方

面司令官長官である樋口季一郎中将などのお力で、北海道は護られたのですね。

 北海道と聴くと、血が騒ぎます!(^^)!。







 清超先生の最終回です。


         供養する


 そこで、充子さんは早速夫の兄さん五人と、姉さん一

人、今まで全く祀られもせず、認められもしなかったこれらの方々のお祀りをしました。

それには先ず出生届をして、それから死亡届を出したのです。

こうして亡くなられた御両親と共に「靈宮聖使命会」に入

って頂き、その年の九月三日には夫の兄弟たちに集まって頂いて、お坊さんを呼んで供養した。

それが済んで、一週間というもの一心に『甘露の法雨』を

読んで供養を続け、十日にお盆のお祀りを済ませたとこ

ろ、十三日から、今迄あんなに長く続いていた鞭打症の症

状がスカッと取れ、それっきり元気になって、とても明るく幸福で健康な毎日を送るようになったのでした。

 これも、御祖先の供養が出来なかったことが、頭の病

気、鞭打症としてあらわれていた一例で、御祖先の供養、

『甘露の法雨』の読誦がどんなにか大切であるかということをあらわしています。

充子さんがこのような病気になられた直接の原因は、昭和

四樹五年の秋、高い納屋のような所からご主人が藁の束を

下に落とした時、その下を通った充子さんの頭にあたっ

て、それから目まい、言語障害などの鞭打症が起って来た。

 しかし、表面の理由はそうであっても、根本の原因は心

の中にあるのであって、御祖先をないがしろにし、夫を上に立てていないと、頭の故障が起って来る。

ところがそれに気がついて、御祖先のお祀りをよくなさっ

て、夫婦調和なさると、一切の悪しき姿がクラッと消え

て、全てが良くなり、幸福になり、健康になったのであります。

                   (おわり)



 
 

Re: 伝統様、ありがとうございます。28 - 道産子

2019/10/26 (Sat) 07:59:27



 今朝よりは、雅春先生の御話です。




  公害による人類の絶滅を救う祈り  谷口雅春先生


 神はわが父であり、母であり給う、更に無限の叡智をもって導きたまう最高叡智であり給うのである。

それ故に、私たちは人間の脳髄智にて判断を誤り、過って

危険の淵に臨むことになろうとも、ひとたび“神よ!!”と、

神なる父母の叡智に振り向くならば、忽ちその危険より脱出する道を教え給うのである。

もし四方敵に囲まれ、三次元空間は八方ふさがりの籠城を

なすが如き窮地に陥ろうとも、神の智慧は多次元、超次元

の通路を通ってそこより脱出することを得せしめ給うのである。

 神のみが真の実在であり給う。神は善にてあり給うが故

に”善”のみが唯一の実在であって”悪”は如何にそれが存在

するが如く見えようともそれは仮想であり、真の実在ではないのである。

それは恰も暗黒が如何に存在するが如くみえようとも、光

を飛ばしてその真相を見ようとするならば、暗黒は”本来

の無”を暴露して、それを見ようとしても見ることが出来ないで消えてしまうのにも似ているのである。

 わたし達が”愛”の心を起こして人に対し、事に対し、物

に対するならば、神は”愛”であるから、わたし達の心の波長が合うのである。

その時、常に神から放送されている叡智の放送を、私たち

はインスピレーションや”虫の知らせ”や、ふとした”思い

浮び”などの形式で受信して、人に対し、物に対して、事

に対して、最も適切な処置をとる愛の智慧が湧き出て来るのである。

愛の智慧による物事の処理は”祈る人”を媒介として、神が

物事を処置し給うのであるから決して公害はないのであ
る。

 私たちが愛の心を起して、大切に”物”に向かう時、そ

の”物”は単なる”物質”ではなくなり、物質の奥にあるとこ

ろの、それを創造したまえる神の愛と智慧と生命とが表面

にあらわれて”物”が”生き物”となり、もっとも好く尽してくれる私たちの真の友達となってくれるのである。

その時私たちが取扱う物質は単なる”物質”ではなく神の愛

と生命と智慧との表現であることを実践によって体得することが出来るのである。

                   (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。28 - 道産子

2019/10/27 (Sun) 08:28:01




 伝統様、青年法語のご転載、有難うございます<m(__)m>。

伝統様のパワーにはとても敵いません!(^^)!。







 雅春先生の御話、続きで、終わりです。



 今や人類は化学工場の廃液や、自動車の排気ガスや、エ

ネルギー工場の副産物等々から生ずる色々の公害に包囲せ

られていて、このままの状態で科学文明が進んでいくなら

ば、人類は科学進歩の副産物として生ずる毒物によって百

年を経ずして全滅するかも知れない危機に面しているのである。

それは神の智慧と愛と生命との顕現であるすべての物質を

単なる生命なき無機物として取扱い、愛も感謝も礼拝もな

く唯利潤を稼ぐ利己的目的にのみ利用して来たから、私たちは”物”の生命を殺して使っていたのである。

従って「殺す者は殺される」という厳かな原因結果の法則によって人類は処刑されつつあるのである。

もし人類がこの処刑から免れて生き存らえようと思うなら

ば、全人類がすべての存在に対して総懺悔を起し、お詫び

と感謝の祈りをもって襟を正して今後

如何にこれら公害を消去すべきかの方法につき、神の愛の智慧に導かれて決するがよいのである。

もし全人類が今までの過ちを反省し、祈りを深めて生活態

度を改めるならば、神は無限の愛と赦しであるから人類をその絶滅の運命から救い得る道を教え給うのである。

                                                                      (おわり)







Re: 伝統様、ありがとうございます。28 - 道産子

2019/10/28 (Mon) 07:48:53




 北海道を救った樋口季一郎中将がユダヤ人も救ったとは…
 
話は聴いてみなければわからないんものなんですね!(^^)!。


 源流様、清超先生の御話、ご転載ありがとうございます<m(__)m>。




 今朝よりは、再び、雅春先生の御話です。



 放送人生読本  法華経と生長の家   谷口雅春先生


        衆生すでに如来なり

             光の泉 昭和48年十月号

        法華経を説くということ


 お早うございます。

 今日は『法華経解釈』の本をテキストにしてお話し申上げます。

 法華経を説くということは、所謂、『仏説妙法蓮華経』

という御経――それも法華経でありますが――その御経を説く

だけじゃなくって、その御経に示されているところの真理

を説くことが、やっぱり法華経を説くということであっ

て、その表面にあらわれている文章だけを説くだけが法華

経を説くことではないということは、たびたび申上げたところであります。

 それじゃあ、法華経の内容になっているところの、一番

中心になっている法華経の真理とは、一体どこにあるか、

と言いますと、法華経の最初のクライマックスなる方便品
に、こういうように書かれているのであります。

                     (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。28 - 道産子

2019/10/29 (Tue) 08:04:21



 源流様、相次ぎご転載有難うございます<m(__)m>。

うれしい限りです。


 だけど、トランプさんは印象悪いですね"(-""-)"。

即位の礼には参席しないし、宿敵を「犬のように死んだ」などというコメント(真相は?だが)は、誠に頂けない。

そのお方と仲良しの安倍さんも?かな。










 雅春先生の、法華経です。



     法華経の最初のクライマックス


『我本誓願を立てて一切の衆をして、我が如く等しくして

異なること無からしめんと欲せり。その願い已に満足せり』 

 このように仰せられているのであります。重要なところですからもう一遍言いますと、

『我本誓願を立てて一切の衆をして、我が如く等しくして

異なること無からしめんと欲せり。その願い已に満足せり』

 即ち、お釈迦さんが言われるのに、儂(わし)は本か

ら、“誓願”即ち“誓いの願”を立てて、一切の衆生――一切の

人類をして――私と同じように、私は已に如来である

が、我が如く等しくして異なることなき如来に、全ての衆

生をしてやろうと、欲しておったが、その昔願うたところの願が、今已に満足したぞ――とこう仰せられた。

これが法華経の神髄ですねぇ。つまり、衆生は既に如来であると仰せられたのです。

今までそんなことは言われなかったんです。

今までは弥勒菩薩でさえも五十六億七千万年後に弥勒如来となられるという風に予告せられていたのでした。

                     (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。28 - 道産子

2019/10/30 (Wed) 08:34:06



 大臣のコメントの言葉尻だけを大袈裟に採り上げるマスコミ、野党にはうんざりです!(^^)!。










 雅春先生の法華経、続きです。




      病気は本来ないから消える


 大阪に、門脇観次郎という人がいて、そして此の人は、

田中智学先生という国柱会という日蓮宗の愛国団体を創立

りになった先生について法華経を学んで、熱心な日蓮宗の

信者であったのですが、法華経の真理は深いので、いくら研究しても解らないところがあった。

ところがこの門脇観次郎が、『生命の實相』を読んだのです。

そして“法華経の神髄はここにある“ということを自覚なさ

いますとー今まで糖尿病、神経痛、慢性胃潰瘍、その他何

か二つ、合計、五つの病気があったのですーそれが忽然と消えてしまったのでした。

 生長の家は“病気が治る”なんていう言葉は余り使わないんです。病気は“消える”と言うんです。

病気は本来ないんですから、無いものが現われて見えてい

るのが、それが無くなるから、病気が消えるというんです。

                    (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。28 - 道産子

2019/10/31 (Thu) 07:47:05




 水子か、童子か、とにかく祀ることが大事(^^♪。

「実相妙楽宮〇〇(家の姓)~童子霊位」などと書くと教えられてましたね!(^^)!。









 雅春先生、です。



       本尊神のお姿を拝して


 門脇観次郎は五つの慢性病が消えちゃったんで、あんま

り有難いので、生長の家の行持である神想観という、坐禅

と祈りを一つにしたような精神統一法があるんですが、それを一心に行じながら、

「生長の家のこの教えをなさる本尊の神様のお姿を拝ましてください」と、一心に祈っていられた。

すると、空中に観世音菩薩が現われられた。

――しかし、そういうことは、坐禅の最中にも、いろいろ幻姿を見ることがある。

たとい仏像を見たりしても、「これは魔境である」と言わ

れる場合もあって、それが必ずしも本物だというわけにはいかないのです。

 その頃、私はまだ兵庫県の住吉村に住んでおりましたけ

れども、それから三年ほどしてから私は東京へ移住しました。

そして東京へやって来た翌年、生長の家のマークを拵えた

い、生長の家は万教帰一であるから、だから神道の象徴で

あるこの日の大神、天照神の御徴である太陽、それから仏

教のマークである卍、それからキリスト教のマークである

十字、これを一つの中心に纏めた,そういう図案のマーク

を考案して貰いたいと思いまして、当時、帝展(現在は日

展と言っておりますが)――その展覧会の彫刻部の審査員で

あった山根八春先生にお願いをして、現在のあの生長の家のマークが出来たわけなんであります。

 山根先生は七種類のマークの図案を拵えて僕に見せて下さった。

その中で私が一つだけ選んだのが現在(いま)のマークです。

それを銀の七宝のメダルにして、所謂バッジというのです

ねぇ、数百個纏めて大阪へ送ったんです。それを受取られ

たのが、大阪の生長の家誌友会相愛会連合会長をして居ら

れた、先刻申し上げた門脇観次郎という日蓮宗の信者の人であったのです。

                    (つづく) 

Re: 伝統様、ありがとうございます。28 - 道産子

2019/11/01 (Fri) 08:41:41


 愈々冬到来です(^^♪、今月、仙厓和尚の書画も絶品です。

丹霞大師という禅僧が、暖を取るために仏像を燃やしたエピソードのようですけど、

それも、弥陀のお慈悲、とはおもしろいところです。









 雅春先生の法華経、です。


    観世音の宝冠の中央に生長の家のマーク


 門脇さんが、この銀のバッジを見たときに、

「あッ、この生長の家のマークは何処かで見たことがあ

る。ああ、そうそう、四年程前に、生長の家の教えをなさ

る本尊の神様のお姿を拝まして下さいと一心にお祈りをしていた時、観世音菩薩のお姿が現われられた。

それは聖観世音菩薩と言われる観音様で、宝冠を被ってお

られて、その宝冠の正面の真中に、生長の家の此のマークが付いとった」――ということを思い出したんです。

こうして門脇さんは

「ああ、それで本当に生長の家の本尊は観世音菩薩であ

る。生長の家の教えをしておられる本尊は観音様である」と気が付いたというのであります。

これは実話であります。

                     (つづく)
 

Re: 伝統様、ありがとうございます。28 - 道産子

2019/11/02 (Sat) 08:48:01



 中絶児供養の「実相妙楽宮〇〇(家の姓)~童子霊位」ですが、

(家の姓)の前に「地蔵」がついていました。お地蔵様も水子供養の対象の一つでした!(^^)!。

 仙厓和尚の書画も真直ぐにしました(^^♪。






 雅春先生の続き、です。



      観音様と『甘露の法雨』


 別の話だけれども、其の頃に、私はインスピレーションを得てある詩を書いた。

そしてそれは、偶然に、――人間界から言うと偶然だが、そ

れは、神様の世界、或いは観音様の世界から言うと、偶然

じゃなかったのですね、私がその詩に『甘露の法雨』と題を付けた。

それを、『生長の家』の雑誌に載せたんです。それが恰

度、『生長の家』発行の二年目、『生長の家』誌の第二輯・二号、三号位であったんです。

岩手県大更村の工藤てつさんがその雑誌の無代進呈を受け
て、それを読んで真理を悟って胃癌が消えたのでした。

この門脇観次郎さん五つの持病が消えたのも、それと同じなんですね。

法華経の神髄がこの『甘露の法雨』という詩に書かれているわけです。

 その頃、僕は,法華経を読んでいなかったので、法華経

に『甘露の法雨を澍ぎて煩悩の焔を滅除し給う』と書かれていることは知らなかった。

ところが、後になって法華経を読んでみると、法華経の観

世音普門品第二十五という項に、観世音菩薩がですねえ、

「甘露の法雨を注ぎ給うて、衆生の煩悩の焔を滅除し給

う」という事が書いてあるのを読んで、私は『甘露の法

雨』を観音様によって書かせられたのだと気が付いたのです。

それで初めて、法華経の普門品にあるところの観世音菩薩

が、一方に於いて門脇観次郎さんに生長の家のマークを付

けて姿を現わされて御自分が 生長の家の神様であること

を自己証明せられ、更に私の執筆を通して『甘露の法雨』

という詩を澍ぎ給うて、それによって衆生の煩悩の焔を消し給うた。

すると、煩悩の焔の結果としてあらわれていた病気が消えるということになったわけであります。

ブラジルなどでも『甘露の法雨』を読んで病気が癒やされ

た無数の事実が現われているのです。(十月号『生長の家』誌及び『白鳩』誌参照)  

 で、真に法華経にある経文にあるところの証拠と現実に

あらわれた観音像と、観世音菩薩が澍がれた『甘露の法

雨』を読んで得られる功徳と、これら現実の証拠が、ピタ

リと一致するところに、生長の家の神様は観世音菩薩であ

るという抜き挿しならぬ結論が出てくるわけであります。

 こうして生長の家は、観世音菩薩が真理の言葉を『甘露

の法雨』の詩の形で注ぎ給うて人類を救済される運動だということが判るのであります。

                   (つづき)

Re: 伝統様、ありがとうございます。28 - 道産子

2019/11/03 (Sun) 08:01:35




 <人間の中には、何人(なんぴと)にも 「 神 」 が宿っている。

 どんな悪人と烙印を押された人にも 「 神 」 が宿っているのである。

 だから、すべての人間は、

一個の 「 神社 」 であると云うことができるのである。

 神社に参拝して手を合わす人は沢山(たくさん)あるけれども、

人間を 「 神社 」 として合掌しない人は多い。・・・>。


 大聖師の御言葉です。






 雅春先生の御話です。



         現証と文証との一致


 けれども、それは僕という人間が法華経を勉強して、そ

れを現代的に説き直して生長の家の教えを編み出したという様なもんじゃないんです。

僕はインスピレーションによって自然に、観世音菩薩の霊

に導かれて書いた教えが、法華経の教えと自然に一致して

いるということを、門脇さんのように今まで法華経を研究

した人が証明してくれて、そしてそれが分ると同時に、不

思議にその人の病気も癒っているという様な奇蹟が出て来る。

これが、御経の証明と現実の功徳の証明とが一致すること

になっているわけで、生長の家が正しい宗教であるという証明が得られたわけであります。


                    (つづく)









 

Re: 伝統様、ありがとうございます。28 - 道産子

2019/11/04 (Mon) 09:05:33



<「クシャミが出たら風邪を引いたと思うのではなく、風邪が出たと思いなさい」

                      *

「失くし物を探すとき、『無い、無い』と言って探すのではなく、『あった、あった』と言って探しなさい」

                      *

「過去と他人を変えることは出来ぬが、変えることが出来るのは未来と自分だけ」

                      *

「老いてますます盛んなりと申さず、老いずしてますます盛んなりと訂正なさい」・・・>。


がんこ親爺様が、大聖師の御言葉をメモされて、残されたものらしいです(^_-)-☆。






 雅春先生の御話です。


      関節リュウマチスが消える


 昭和三十九年の五月の二十四日ですねぇ、埼玉県の大宮の商工会議所のホールで、生長の家の講習がありました。

その時に、吉田ふくさんという八十一歳のお婆さんで、大

宮市の東大成町という処に住んでおられる方が。次のような体験を話されました。

『私は大宮の吉田ふくと申す者でございますが、此の度、

理想的な家を授かったことについてお礼を申し上げたく

て、高いところへ立たせて頂きました。宜しくどうぞ・・・・・』

 と前置きして、

『その前に、私は三十年許り以前に、この生長の家のお蔭

で救われた者でございます。その動機を少し話させて頂きます。

恰度、昭和十年でございましたが、私は色々の病気を持ち

まして、一番難儀なことは、関節リュウマチスというのを

して両方の膝が関節が外れるようになって、立つことが出来なかったんでございます。

 そうしていますと、或る時に、新聞広告を見ております

と、寝たままで見ておりますと、その時に、「生命の実相」という字が目に入ったんでございます。

“ああ、この「生命の実相」という本をどうかして手に入
れてみたい”という心がフッと湧いたんでございます。

それから見ましたところが、その自分は本部は赤坂にござ

いました。赤坂の生長の家本部へお手紙を送れば買えると

いう事が書いてありました。(これは無料進呈の広告があったんです)

 それから直ぐ子供に手紙を書かせて申し込みました。そ

うしたところが、「生長の家」という雑誌を戴いたんでございます。

その雑誌を見ているうちに・・・・・素晴らしい事が書い

てある。そして、もっともっと詳しいことが知りたかった

ら、「生命の実相」という本があるということなので、そ

こで、「生命の実相」の本を三巻まで取寄せて読まして頂きました。

 それを読んだらですねぇ、“人間は神の子で、肉体は無

い!病気は無い!」ということが方々に書いてあるのでございます。

どうもそれが私にはピッタリ来ないんです。

その時に先輩の人から、

「本許り読んでいないで、講話を聴きに行った方が宜し

い」と言われてそれからですねえ、脚が立たないもんですからねぇ、一人で行くことが出来ない。

それで人にねえ、ようよう連れて行って貰ったんですけれ

ども、その時のお話しは、大賀先生という本部の講師の話
で、その大賀先生の講話を二、三時間聴いたんです。

それでも「肉体は無い!病気は無い!」と言われるけれど

も、どうも在るようで、肉体も在り、病気も在るようで、ピンと来ないんです。

 それから先生に、

「どういう心になったら、それが分るでしょうか」

とお訊き申しましたら、先生が、

「その理屈がいけないんだ。谷口先生の仰言ったことじゃないんだ。それは観音様の教えだ。

自分の頭で判断して理屈を言っているからいけないんだ。理屈を抜きなさい!

”肉体は無い、肉体は心の影だ”と仰言ったら、ハイ。“病
気は無い”と仰言ったら、ハイ。そのままでいいんだ」

 と仰言ったんです。

“ああそうか、私は強情張りだった!”と気が付かせて頂いたんでございます。

私は女でいながら男のような頑固な気性で、誰方の言うこ

ともなかなか理屈が合わなければ訊かない、という気性でございました。

それが悪かった!!ということに気が付いて、そして本を

順々と読んで行くとねぇ、「女性は女性でなくちゃならな

い優しくやわらかくなければならない」と書いてあったんです。

そして私の心が変った。そして柔かく曲るやさしい心にな

ったのです。そしたらその関節炎がねぇ、癒ってしまったんです」と。

 こういう体験なんですが、強情でなかなか曲らない心

が、自分の脚を関節炎にして関節が曲らないようにしていた訳です。

肉体は心の影だということはこれでもわかると思うのであります。

                     (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。28 - 道産子

2019/11/05 (Tue) 07:50:15



<「寝ている間の心臓は誰が動かすのか」

「悟るとは相対世界の<差>を<とる>こと」

「今世は前世の借金を払う場所」

「現世は過去の贖(つぐな)い」

「自分のことを吉井如来(にゅらい)、孝明(たかあき)菩薩(ぼさつ)と呼びなさい」

「自分の名前に○○さん○○君と付けて呼べば神様から呼ばれているように感じ、強く響きますよ」

「過去の事で怒り悩む持越し苦労、分からぬ明日の事で取

り越し苦労せず、今の今に感謝し喜べば、今が過去に成り、喜びの過去に成る」>。


 吉井孝明様のメモからでした('◇')ゞ。







 雅春先生の御話です。



       仏教の極意というもの


  仏教の極意というものは一体何かと言いますと、「素直にハイと随順する心」です。

あの金色の蓮華の華――金波羅華の花を、お釈迦さんが衆に

示された時に、その時に迦葉尊者がニコーッと笑ったの

で、お釈迦さんは、「お前に仏教の極意伝えたぞ!」と仰言って、衣と鉢とを迦葉尊者に渡された。

衣鉢を伝えるとは、つまり仏教の極意を渡し終ったぞというしるしで行なわれる形式であります。

 ところが、阿難尊者というのが、これはお釈迦さんの十

大弟子の中でも多聞第一の弟子ですね。多聞とは“多く聞

く”という意味で、この阿難と言う弟子は、もうお釈迦さ

んの説教の集まりには必ず出席して聞く、しかも記憶力は

満点で、まるで録音テープのように、お釈迦さんの言われ

たことを憶えておって、お釈迦さんが死んでから、録音テ

ープを再生したようにペラペラペラペラ喋った――それを筆

記したのが、現代の御経であると言われている位に、よく

講義を聴いて憶えておったんですけれども、釈尊はこの阿

難には「お前に仏教の極意伝えたぞ」とは言われなかったので、阿難はちょっと羨ましくなった。

それで、「仏教の極意伝えたぞ」と釈尊が印可を与えられた兄弟子の仏教の極意に、

「お前、仏教の極意伝えられたと言って、衣鉢を貰った

が、そんな衣や鉢が仏教の極意じゃあるまい。仏教の極意

は一体何なのか教えてくれ」と言ったら、そしたら、迦葉

尊者はしばらく返事をしなかったが、暫くして突然、「阿難!」と厳かな声で言った。

それは兄弟子が厳かな号令かけるような声で「阿難!」と

言ったので、阿難は吃驚して、シャッと威儀を正して、

「ハイッ」と言ったのですねぇ。そしたら迦葉は、
「お前に仏教の極意授けたぞ」と言われた。

ここに仏教の極意が明々白裡にある。

仏教の極意は何であるか。この「ハイ」です。

ハイの精神。神さまの勅を聴いては、そのまま「ハイ」――これが、仏教の極意なんですよ。

「五蘊皆空」―「ハイ」「肉体も物質もない」―「ハイ」

「無眼耳鼻舌身意」―「ハイ」”その悟りによって三世の諸

仏はみな阿耨多羅三藐三菩提得給えり”と、般若心経に書いてあるでしょう。

肉体も無い、物質も無い、病気は無論無い。「ハイ、その通りでございます」なんですねぇ。


                    (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。28 - 道産子

2019/11/06 (Wed) 07:54:09




<『神社新報』令和元年11月4日の記事(木村大樹氏)よりご紹介

《大嘗祭において天皇がお供へになる数々の神饌のうち、

とくに重要なものは新穀からなる御飯(おもの)と御酒

(みき)です。これは神饌のお供へに続く御直会(おなほ

らひ)において、天皇御親(みづか)ら召し上がるのが御

飯・御酒のみであり、他の神饌には御箸をつけられないことからもわかります。》

《御飯には、米と粟の二種類があります。米だけでなく粟

の御飯も供へられることは、鎌倉時代に後鳥羽上皇が記し

た『大嘗会供神膳秘説』と呼ばれる御記(日記)において

「秘事」と認識されました。古代において粟は、国家の中

心的な産業であった稲作と並び、飢饉など非常時の備蓄と

して最も耕作を奨励された畑作の作物でした。そのため五

穀豊穣や人々の救済を主たる祈願とする大嘗祭において、

天皇が国民の生活安定に配慮して粟をお供へしてきたと考へられてゐます。》・・・。>


 下総の野人様のご投稿より<m(__)m>。







 雅春先生の御話です。



      法華経のクライマックス


 この法華経の中にも、このハイの精神が説かれているのです。

法華経の最初のクライマックスが方便品であるということ

を言ったのですが、最後のクライマックスは、如来寿量品という項(ところ)です。

そこが最も重要なところであるということは、この法華経

にお釈迦さんがこう言っておられるのでも分るのであります――

「爾時に仏、諸々の菩薩及び一切の大衆(だいじゅ)に告

げたまわく、諸々の善男子、汝ら当に如来の誠諦(じょうてい)の語を信解すべし」

誠諦とは、誠の悟りの語を信じ、よく理解せよ、“如来の誠諦の語を信解すべし”と言われた意味ですね。

「復大衆に告げたまわく、汝ら当に如来の誠諦の語を信解すべし」

如来の誠の悟りの言葉を信じてよく理解せよ。

『又復諸々の大衆に告げたまわく、汝ら当に如来の誠諦の語を信解すべし』

こういうように釈尊は三度も繰返して、これこそ本当に法

華経の神髄であるぞ!!とお説きになったのが如来寿量品なんです。

                    (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。28 - 道産子

2019/11/07 (Thu) 08:21:18


 《・・・・・講習地熊本から駆け付けて来られた夫が、

「お父様、雅春が来ました」と耳元へ口を寄せて言われる・・・・・

玄関から入って来られた夫が病父に挨拶されると、意識不

明かと思われていた病父は、「はるばるとご苦労さん」と
かすかに唇を動かされた。

・・・・・それから夫は、洋服の上着を脱いで、病床に入り込み、病父をしっかり抱きしめられた。

「お父様、安らかに、安らかに」と言いながら、夫は病父の体をなでておられた。

暫くすると、病父は、「有難うございます、有難うございます」をかすかに、かすかに繰りかえしながら息絶えてしまわれた。

私の胸は迫り、ありがたい感動に涙が溢れてきた》

(谷口輝子先生著『師と仰ぎ 夫と仰ぎて』114頁)



 「学ぶ」誌12月号、前原先生のご文章より<m(__)m>。









 雅春先生の御話です。


        現象と実相との区別


 だから、法華経の中でも如来寿量品が本当の法華経の神髄だということが分かるんです。

その、法華経の神髄であるところの如来寿量品に、一体何

が書いてあるかというと、現象と実相との区別が判然と書かれているわけなんであります。

だから現象と実相との区別をハッキリ説くことが、法華経の神髄を説く、ということになるわけなんであります。

 さて、お釈迦さんは、この法華経の神髄である如来寿量品の自我偈の中で、こういうように言っておられる。

『我諸々(もろもろ)の衆生(しゅじょう)を見るに、苦海に没在せり』

 私が多くの人類を眺めて見るのに、皆な煩悩によって苦

しみの世界に沈んでいるのである。それを救けてやらんがために、

『故に為に身を現ぜずして、其れをして喝仰の念を生ぜしむるのだ』

 いつの私(釈迦)が説教をしておったら、必要な時に行

けばいつでも聴けるんだからというので、なかなか聴きに

来ないから、そこで、“仏は会い難し”と説いて、滅多に仏

は出て来ないのであるから、と言って、渇仰(渇き仰ぎ求

めるこころ)を起させるために、自分は死なないのである
けれども、仮に涅槃に入った姿を示すのである。

                    (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。28 - 道産子

2019/11/08 (Fri) 07:55:17




 初雪、初雪と騒いでみても、内地はまだ、秋なんでしょう?

だけど、今日は立冬なんですから(^^♪。









 雅春先生の法華経、続きです。



 それでもお釈迦さんには滅多に会えないのだというの

で、衆生が、恋慕の心、恋しい慕わしい、「お釈迦さんに

一目会いたい、一遍お説教を聴きたいという心を起させるように、自分は仮に涅槃の姿を現わすのである。

これが私の神通力(じんづうりき)――と仰せられたのです。法華経の原文には、

『其心の恋慕するに因りて、乃ち出でて為に法を説く。神

通力是(かく)の如し、阿僧祇劫に於て(注、即ち無限年
間において)常に霊鷲山、及び余の諸々の住処に在り』

 とあるのです。

それですから、釈尊は無限年間に、世界の何処にでも現わ

れて、其処の衆生が“会いたいなあ”という心を起すとその

衆生の願いに応じてどこにでも姿を現わして、諸々(いろ

いろ)の形式(かたち)で真理を説いていられるのである。

それが全部(みな)応病与薬・対機説法の法華経なんです

けれども、法華経という名をつけないで何々教という風にその地に、適するように名称が付けられているのです。
                                                                        (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。28 - 道産子

2019/11/09 (Sat) 08:34:51




 野球侍J、稲葉監督偉いですね(^_-)。

ラグビーにならって君が代を選手たちに勧めたそうです。

(破邪顕正様のご投稿より<m(__)m>)

 見てましたら、監督、丸、松田選手などが目立っていました、気持ちいいです(^_-)-☆。








 雅春先生の法華経続きです。


         文底秘沈の真理


 だから「法華経」という名前が付いていなかったら法華経じゃないと思うのが間違いなのであります。

これが即ち、文底秘沈の真理であって、文底とは経文の底

に、秘沈とは秘密に沈められているところの真理そのも

の、乃ち生命の実相を説いている真理は、全部これ法華経であるのです。

 このように観て来ますと、凡ゆる宗教悉く、その本尊

は、一仏一切仏で、一人の根本の如来様が一切の如来とし

て現われて、十方世界に於いて皆、法華経を説いておられる。

その一つの現われが生長の家であるということにもなるのであります。

 さて、法華経が尊いというのは、その最後のクライマッ

クスである如来寿量品の自我偈に、

『衆生劫尽きて、大火に焼かるると見る時も、
我が国土は安穏にして天人常に充満せり

園林(おんりん)諸々の堂閣、種々の宝もて荘厳せり』

 と焼け滅びて行く現象界と、永遠に滅びない実相の世界との区別がハッキリ書かれていることなんです。

 “衆生劫尽きて”の劫というのは、この世界が発生して、
又何かの原因で消えて無くなる迄の一周期であります。

その一周期の期間が終ることが” 劫尽きて“であります。

すなわち衆生の目から見たら、一周期が尽きて、この世界

が大火に焼けて天体と天体が衝突して、火になって燃えて

しまうように見える時にも、我が国土は安穏にして天人常に充満せりと仰せられているのであります。

                     (つづく)
 

Re: 伝統様、ありがとうございます。28 - 道産子

2019/11/10 (Sun) 08:22:33




 国民の祭典だというのに、新聞は冷たいですよね(^_-)。

岡田恵和さんの詞が、とてもよかった感じがしました。

嵐も一所懸命に歌っていましたし…(^^♪。

 ソプラノ歌手の(お名前?)君が代と万歳三唱も感動的。
万歳三唱が長く続いたことで?批判もあるようですが、

それだけ、盛り上がったという事ではないでしょうか?

 3万人祝う、となっていますが、放送中に6万人と聴いたのは私の聴き間違いだったのでしょうか?

 今日の祝賀パレードも楽しみです(^^♪。








 雅春先生の法華経続きです。


        実相浄土は常に安穏である


“吾が此の土”というのは、キリスト教の神心(みこころ)

の天に成る世界であり、仏教的に言えば、実相の本佛のまします世界、実相の浄土です。

現象界が大火に焼けて滅び去ると見える時にも、実相の浄

土は常に安穏であって、天人が充満していると釈尊は仰せられたのであります。

 園林の“園”は手入れのした園で、公園のような園庭に素

晴らしい美しい林が出来ておって、そこにしつらえられた

諸(もろもろ)の堂閣には種々(しゅじゅ)の宝もて荘厳

せりとありますから、その美しい公園のような林のある園に、立派な堂閣が建っている。

お堂というのは、低い家です。閣というのは五重塔みたいに高い家です。

実相の浄土には、いろいろなこういう美しい建物が、いろ

んな宝をもって、荘厳に飾られておりまして、

  宝樹華果多くして、衆生の遊楽するところなり

とあるのです。

宝樹は宝の樹、華果というのは華及び果実。宝の樹とは立

派な樹の事で、それに美しい花が咲いて、たわわに果物が実っている、その下には衆生が楽しく遊んでいる。

そういう実相の世界が本当に在る世界なのであります。次に、

「諸天、天鼓を撃ちて、常に衆(もろもろ)の伎楽を作(な)し」

 と書いてあるのです。諸(おおく)の天人が天のツヅミ

を撃って妙なる音楽を奏して、誠に美しいバレーのような天人の舞を舞っている。

そこへ曼陀羅華という天の花が降って来て、仏様にも衆生

にも花びらが散りかかって、真(まこと)に美しい。この

実相の世界は決して壞(くだ)けないのに、

『我が浄土は毀(やぶ)れざるに、而も衆は焼け尽きて
憂怖緒の苦悩、是の如き悉く充満せりと見る』

こういうように法華経には書かれているのであります。

                    (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。28 - 道産子

2019/11/11 (Mon) 08:30:20



<『いのちより大切なものがある。

それは徳を貫く生き方である。』

       (谷口雅春先生)

 徳を貫く生き方とは、いのちをかけて

いのちを守る生き方である。大熊良樹拝

https://youtu.be/gGReywfVXgU>。


 スゴイ動画です(^^)/。

 
 祝賀御列、素晴らしかったです(^^)/。












 雅春先生の法華経続きです。


衆生から見たら、大変な憂いやら恐怖などが充ち満ちてい

る現象世界に、この「実相」の世界はそういう世界じゃな

いと、法華経は実相の世界と現象世界とを判然と分けている。

これが法華経の神髄である。


この法華経と同じくハッキリと現象と実相との区別を説いているのがねぇ、この生長の家である。

 全く釈尊が「汝等当に如来の誠諦の語を信解すべし」

と、こういうように仰せられてお説きになった如来寿量品

の自我偈の神髄である本当の真理が説かれてあるのが生長の家なのであります。


 現象に如何に不完全が見えても、実相は今此処に極楽浄土がある。

「我が国土は安穏にして天人常に充満せり」であって、住

む人皆な神の子であって、少しも悪い者はいないのである!


今此処が極楽浄土であって少しも悪い者はいないのに、而

も現象世界の人間は、いろいろの憂いや恐怖が充満していると見ているのである。

そのように人間は妄想によって見ているんだから、見る心

がクラリと一転して、そういう悪いものを在ると見ない

で、そんなものは無いんだと、素直に正直に、観世音菩薩

が姿をあらわして教えておられるこの生長の家の教えの通りをハイと素直に訊けばいいわけなんです。


法華経の中に従地涌出品という章があります。

それは大地から諸々の菩薩が涌き現(で)て来て、お釈迦

さんの説法せられる法華経を聴くという一章ですが、弥勒菩薩がこういうように言っているのです。

『吾等は仏に従いて聞きたれば、この事において疑いな

し。願わくは仏本来の為に、演説し理解せしめたまえ。

若し此の経に於いて、疑いを生じて信ぜざる者あらば、即ち当に悪道に堕つべし。

願わくは今為に解説したまえ。此の無量の菩薩をば、如何

が少時にして、教化し発心せしめ、不退の地に住せしめたまえる』

 と弥勒菩薩が言っているのであります。

                     (つづく)
 

Re: 伝統様、ありがとうございます。28 - 道産子

2019/11/12 (Tue) 08:29:04




<(4)天武天皇は、大嘗祭を創設して、
   「天皇=北極星」の存在証明場所としました。

   これが、大嘗祭創設の動機です。

   その「天皇=北極星」の存在証明方法は、
   北極星と天照大神が習合することでした。

   その、習合場所が、八重畳(やえだたみ)、でした。

   大嘗祭における、八重畳(やえだたみ)の最も大切

な役割は天照大神と北極星を休寝させ、習合させることです。・・・>。


 天皇(天照大神)=北極星とは、初めて聴きました(^^♪。


 伝統様のご投稿より<m(__)m>。


 どうも、国民祭典の君が代独唱がスルーされてる風なので(^_-)、ここにご紹介しましょう。

 ソプラノ歌手、森谷真理さんです。

 https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/ann?a=20191109-00000040-ann-soci









 雅春先生の法華経お終いです。


       “ハイ“の心で真理を受けよ


『若し此の経に於いて疑いを生じて信ぜざる者あらば、即

ち当に悪道に堕つべし』というのは、「そんな実相の世界

なんてあるものか、“肉体がナイ?”・・・・・そんな馬鹿

なことはないじゃないか”物質はナイ?“・・・・・そんなことはないじゃないか。

ここに病気があるじゃないか」と、言っとる人はねぇ、もう既に悪道に堕ちているのです。

『即ち当に悪道に堕つべし』とありますが、即ちとは”即座に”という意味なのです。

これは罰が当って堕ちるんじゃないんです。

自分の心でねぇ、ありもしない地獄道・餓鬼道のような悪道――悩みの世界を拵えて、それを見ているんです。

つまり自分の“心の影”を見ているわけなんです。

鏡に向って怒った顔して“あー此の世界はもう阿修羅のよ

うな恐い顔した奴ばっかり居るなあ”と見ているのと同じ

ことで、自分がニコッと笑って実相の世界を観たら、ニコニコとした人間ばっかり現て来るのであります。

こういうわけでありまして、「現象はナイ」「実相ばかり

ある」と教えられたならば、「ハイ」と素直にそれを聴い

て、天人常に充満せる世界がこの世界である、神の子が充

満している世界がこの世界だ!と気がついたら、それが悟

りであって、悟った通りにその人の周囲に円満完全な実相浄土があらわれて来るのであります。

                                              (おわり)


Re: 伝統様、ありがとうございます。28 - 道産子

2019/11/13 (Wed) 08:11:25



 侍J、もっと大きな声で国歌斉唱しなければ、気合は入らないですよ、監督だけが歌っても(^_-)。

だけど、アメリカも誰も歌ってませんでしたね(^_-)。
それでも勝つなんて不思議です(^_-)。


 伝統様がうれしくも、此度の森谷真理さんの独唱をアップされています(^^♪。







 さて、今朝は呉先生のご投稿より(^^♪・



 ――日本はこれから韓国とどのように付き合えばいいとお考えですか。

呉 まだまだ反日的態度を取り続ける韓国とは、距離を置かねばなりません。

 そういった意味で、安倍首相の対応は正しいと思います。

 韓国経済はいま苦しいでしょうが、韓国が変わらない限り、日本は助けてはいけないのです。

このまま反日運動を続けていれば、韓国は経済的に自滅して行きます。

経済的そして政治的にも動揺して、必ず大きな改革が起る筈です。

 その改革によって、親日派の政権が誕生してほしいと願っています。

その時に初めて、日本は韓国に手を差し伸べればいい。

それ迄は毅然と対処し、手助けなどしてはいけないのです。それが真の意味で韓国のためになるのです。


 
「学ぶ」誌12月号 ”反日”行動を繰返す韓国人の精神性 呉 善花先生の結語です。

Re: 伝統様、ありがとうございます。28 - 道産子

2019/11/14 (Thu) 08:03:20




<天照大御神の御神霊が、天皇に天下って来て、天皇の内に入り給い

其の時、天照大御神の現実的顕現として、天皇として宇宙神霊が

具体化されるということになっているのです。

                     谷口雅春>


 がんこ親爺様のご投稿より<m(__)m>。


 国費で賄うのは当然なんですけれどもね(^_-)。










 今朝よりは、神想観四十年  神想観は生命の糧

 という御話です。二回です。 


  佐賀県武雄市西浦町  草場 厳 (当時、地方講師)


 合掌、ありがとうございます。

日頃お導き頂いております尊師・谷口雅春先生に、本誌誌友の皆様と共に深き感謝を捧げたいと思います。

 神誌六誌からは、それぞれ深い感銘を頂いております。

誌友組織の先端を巡講させて頂きますと、新しいひたちを

対象にした本誌は、大変理解しやすく、皆さんに悦んでいただいておりまして、私としても嬉しく思っています。

 さて私は、昭和十一年四月、入院中に御教えにふれさせていただきました。

当時、谷口先生自ら吹き込まれたレコードで神想観をおぼ

え、爾来ずっと神想観は、私にとって日々の生命の糧となってまいりました。

 神想観をやりはじめてじゃj二週間足らず経った時、早くも奇蹟が起こりました。

胸部疾患と坐骨神経痛が、 神想観を続けるうち、すっかり治ってしまったのです。

                    (つづく)







Re: 伝統様、ありがとうございます。28 - 道産子

2019/11/15 (Fri) 08:11:27


 古式豊かなる?大嘗祭の儀、無事執り行なわれたようです。

お慶び申し上げます。

 永遠に続かんことを!


 源流様、毎度、ご転載有難うございます<m(__)m>。










 草場先生の二回目です。



 十二年二月から七月迄は、当時乃木坂にあった本部道場で、神想観の直接指導をいただきました。

その年の秋、支那大陸に出征し、転戦を重ねる間も、『生

命の實相』と神想観によって、どれだけお蔭受けたか知れません。

十八年には南方参戦を解除せられ、内地に還って終戦を迎えました。

以後、次々と要職に就きましたが、佐賀銀行が最後の務めとなって、定年退職いたしました。

 退職の五年前、地元武雄市に、誌友様が集会できる道場

を起しましたが、退職後は、改めて借家をして、今年の春先まで、皆様と共に神想観に励んでまいりました。

借家が老朽化して、どこか神想観ができる適当な場所はな

いものかと思っていましたところ、与えられたのが、
産土の「武雄神社」の社殿でありました。

神主御一家が深い理解を示してくださり、そのほか氏子代

表、武雄市長なども好意を寄せてくださって、神想観参加

者が追い追い増え、現在、早朝定時の実修に参加して下さる方が十四、五名になりました。

お船山は、その頂上に住吉大神が祭祀せられているところ

ですが、その麓の静寂境に吾らの産土の神は鎮まります。

有難いよい地を神想観の場所に与えられたものと悦んでいます。

 神想観が終ったあと、『真理の吟唱』『生命の實相』の輪読、信徒行持要目の斉唱、聖歌の練習と続きます。

その明るい、生気はつらつとした雰囲気には、その日の生活・伝道への悦びと自信がみなぎっています。

 ひととおりの行待が終って、お神酒を戴きます。それから、

「さーァて・・・・・」

 と、誰言うともなく元気のよい声が合図となって、三々五々に人々が境内に散る――清掃奉仕。これは二十分間。

落ち葉が集められ、ほうきの目の付いた神社境内は、楚々として一日の出発を装います。 

 ちょっとしたミニ練成であります。

 今私は当地の「龍宮海練成道場」で、喜多教化部長の下

で奉仕させていただいております。当道場の参加者は今年

に入って著しい増加を示し、七月に二百四十名、八月は二百八十四名、そして九月には三百名を記録しました。

谷口先生の御徳、教化部長先生のご尽力の賜ものでございます。

 これからも只管(ひたすら)に神想観に励み、”神の

子”の自己実現を果し、天地の鴻恩に報いたいと思います。

                     (おわり)

Re: 伝統様、ありがとうございます。28 - 道産子

2019/11/16 (Sat) 08:24:45




<(櫻町天皇の元文3年・1738年大嘗祭史料に触れ)

《その中には「平て」といふ柏の葉で作った皿に、天皇み

づからが箸を執って、「よね」(米)・「あは」(粟)や

黒酒・白酒、海産物の「なまもの」、干した魚などの「か

らもの」、海藻の汁物である「めのしる」、そして鮑や果

物などを盛り付けることなどが書かれてゐる。現在の新嘗

祭の夕の儀・暁の儀もさうだが、大嘗祭の悠紀殿の儀・主

基殿の儀では、天皇が箸でおこなふ作法が五百回以上づつあり、二回の神事で千回を超える。》・・・>。


 下総の野人様のご投稿より<m(__)m>。

 破邪顕正様のご解説も、分りやすく教えて頂きました<m(__)m>。


 さらに、「皇室はなぜ世界で尊敬されるのか」というご本も知り得ました。<m(__)m>。








 再び、雅春先生の御話が始まります。



  放送人生読本  あなたの子供を天才にする道

               谷口雅春先生

 光の泉昭和48年11月号より


       生長の家の練成会について


 お早うございます。

今日は『生命の實相』の教育篇のところをテキストにした

いと思うのであります。これは頭注版の第十四巻にあります。

 生長の家では一年に数回、小学生、中学生、高校生、大

学生等各々別々に練成会というのを、 生長の家の各道府県の道場で催しております。

それは、大体、学年末の休みとか、正月休暇とか暑中休暇

とか、少青年の学業に邪魔にならない休暇の数日を利用し

て行う訳なんですが、そのような極く短い期間に、練成に

参加した青年の心に素晴らしい変化が起って、親不孝が親

孝行になる、劣等児が優良児になる、というような、そういう驚異的な成果があらわれて来るんです。

「どうしてそうなるのか」と、学学生、生徒の父兄母姉等

が驚くのですが、その「教育の原理」は“生命の教育”とい

われていまして、その教育原理が基になって、「新教育者

連盟」という教師の連盟が日本全国に出来ているのであります。

                    (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。28 - 道産子

2019/11/17 (Sun) 08:16:30



 雪降り続く、唯、明日は雨予報(^_-)。







 雅春先生の御話です。




       “生命の教育”の原理


 その原理にあった書物が、此の『生命の實相』の第十四

巻の教育篇のところです。ちょっとそのはじめの一節だけ読んでみます。

『われわれを神が造った。神と呼ぶのが嫌な者は生命と言ってもよい。

神の力を疑うものは馬鹿者だ。神が造った万物の中でその

主位にある人間の力を疑うものは真理を見る目のない者だ。

 われわれの内に“無限”が宿っている。この無限を掘り出せば人間はみんな天才となるのだ。
 
 天才を、人間は皆持って生まれて来ているのだ。

それなのに、人間はみんな天才にはならない。それは不合理だ。その不合理は誰がするのか。

人間が真理を知らないからだ。親たるものが真理を知らな

いからだ。ダイヤモンドを持っていながら石だと思って捨てて顧みないからだ。

 人間を信ぜよ。神の創造を信ぜよ、生まれたままの人間を信ぜよ、それは幼児だ。

幼児に宿っている天才はまだ彫琢(ちょうこく)しないダ

イヤモンドだ。瑾(きず)のつかない高貴だ。表面にまだ

何の天才の閃きがないからとて失望するな。表面を見て神の創造を疑うな。

 神が天才を造って人間のひとりひとりの中に埋蔵(か

く)しておいたのは、神が人間をして安価な怠惰の中に腐

敗せしめないためだ。人間自らの努力と発見とを神が喜び給うからだ。

 なぜなら人間は一個の生命であるから、発見と創造とに生きなければならないからだ。

天才の閃きがわが子にあらわれないからとてわが子を軽蔑

するものは、生命を軽蔑するものだ・・・・・』

ずーッとまだ続いているんですが、テキストを読むのはこ

れ位にして――そういう原理の実践によって教育された子供

が、どのようになってゆくか、それに関する実例を、その

子供自身が談(はな)した録音の筆記を朗読することによって明らかにしたいと思います。

                     (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。28 - 道産子

2019/11/18 (Mon) 08:21:28




<大嘗祭は、このような、北極星と北斗八星の呪術によって
成り立っているのだということを、
是非とも知って欲しいのです。

大嘗祭の真実は、
天の中心、北極星・北斗八星に描かれているのです。

天文遁甲(とんこう)を能(よ)くする、

呪術のエキスパート・天武天皇を理解しないと、
大嘗祭の真実は、全く分からないのです。・・・>。


 う~ん、よくわからない・・・(^_-)。


 稲葉J、君が代斉唱、で世界一、おめでとうございます(^^)/。








 雅春先生の御話、続きです。


        “生命の教育”の成果


これは、昭和三十九年十一月七日、福井市の体育館で生長

の家の講習会が開かれた時に、上田れい子さんという十歳

の少女が立ち上がって、こういう体験談をせられたのです。

『私は生命学園の“神の子”さんです。(生長の家では、自

分のことを“神の子”っていうんです。それで)

『私は生命学園の“神の子”さんです。日曜日には朝早く起

きて道場へ出かけます。道場ではお祈りをしてから歌を唱

ったり、神様のお話を聴いたり、また自分のしたことを発

表したり、ゲームで遊んだりして、本当に楽しい時間を過します。

 私はこの日曜学校が出来るまでは、日曜というと朝寝を

し、ダラダラッと一日中遊んでしまうことが多かったんで

すが、今では二兎用の朝の方が目が覚めて、張り切るよう

になりました。私は朝、目が覚めると寝床の上に坐って、

「神様、有難うございます」と言います。すると何かしら

元気が出て、パッと起きられるんです。(これは即ち、自分の内に内在している神を自覚するからなんです)

『そして私は台所にいるお母さんに気持のよい挨拶が出来ます。

「私は神の子、仏の子、いつも元気で早起き、早寝」――こういって私は唱えるんです。

私は、日曜学校で習ったこのお祈りの言葉を朝晩、仏様の

前で唱えていますが、それをしっかり実行して行こうと思っています。

 私の家は生長の家なので、一年生の時から「甘露の法

雨」を読んだり、神想観の仲間入りしたりしていました

が、本当に“神の子”さんということがわかりませんでした。

だから、いつも甘えん坊で、我がままで、好きな事の他は自分から進んでやろうとはしませんでした。

 ところが、生命学園へ行くようになってから、今では何

でもやってみたくって堪りません。きっとやれると思うんです。

今日の発表も、藤本先生かが「誰か作文を書いて発表しま

せんか」と仰言ったとき、知らぬ間に、「ハイ」と手を挙げてしまいました。自分でも不思議でなりません。

 お祈りの言葉に、

「私は神の子、仏の子、なんでも出来ます、強い子、善い

子」とありますが、お祈りをしたり、先生方からお話を聞

いたり、歌を唱ったりしていますと、

“本当に私は神の子で、何でも出来るんだ“という気持になれるんです』

                    (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。28 - 道産子

2019/11/19 (Tue) 07:54:55




<延々と あなたとの会話は ここで続けたくありませんので、
これに関する私の返信は、これにて終わりにさせていただきます。

     おわり>。

 志恩様らしきコメントです(^^♪。







 雅春先生の御話です。


     内に宿る神の力を呼び出す法


 これは可愛い上田れい子さんの体験発表でありますが、

このお嬢さんがおっしゃるようにですねぇ、生長の家で

は、「私は神の子、仏の子、なんでも出来ます、強い子、

善い子」というような人間に宿る“神の力”を呼び出すよう

な“善き言葉”授業の始めに、目を瞑って、じーっと心を鎮めて数回それを唱えさせるんです。

別にこれは一宗一派の神さまの名を唱える宗教じゃないの

であって、これは自分の内に生きている生命が神の生命で

あるという、人類共通の宗教的真理というものを、幼い時から植えつけておくのです。

そうすると、劣等感というものが無くなって、ナンデモ積極的にやれるようになります。

「誰か作文を書いて発表しませんか」と先生がおっしゃっ

たら、「ハイッ」と思わず積極的に手を挙げて、何でも出

来るというようになれたと、こうおっしゃったでしょう。

まあそういうようになれるわけです。

続いて、この上田れい子さんが言われるには――

                     (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。28 - 道産子

2019/11/20 (Wed) 08:08:49




 今朝、辺り一面銀世界(-_-)/~~~ピシー!ピシー!。


 


 雅春先生の御話です。


     難しい事でも何でも出来る


 『この間も朝、自分の仕事を済ませてから、お母さんが

掃くことになっている応接室を掃いたり、お兄ちゃんの仕

事になっているカナリヤの世話をすすんでやってみました。

学校へ行くまでの短い時間でも、こんなに沢山よいことが出来て、皆なに讃められました。

私はやろうと思えば何でもできるんです。

学校でも今までよりよく手を挙げて答えられるようになり、難しい事でも真っ先にやれるようになりました。
 
 此の間も、走幅跳びを習いましたが、“私はきっと上手

に沢山飛べるぞ”と思ったら、女で二番目でした。お母さんに話しましたら、

「やっぱり”神の子さん”は違うねぇ」とおっしゃいました。・・・・・』

                    (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。28 - 道産子

2019/11/21 (Thu) 07:35:02




 TV局は更生を(^_-)。








 雅春先生の御話です。



     力を引出す祈りの言葉


 『此の間の日曜日には藤本先生から、

”魂の底の底なる神よ、無限の力湧き出よ“

 という祈りの言葉を習いました。・・・・・』

 と上田れい子さんはつづいて言われた。

 この“祈りの言葉“は、生長の家で教えている自信をつけ

る言葉で、自分の魂の内部に、すなわち生命の底に、神の無限の力がある。

それを「言葉の力」で喚び出すところの簡単な方法であり

まして、目を瞑って心を鎮め、静かに自分の腹の底にじい

っと力を入れて、自分の内にいらっしゃる神の生命の力を喚び出すんだ!という気持になって、

「吾が魂の底の底なる神よ、無限の力湧き出よ。吾が魂の底の底なる神よ、無限の力湧き出よ・・・・・」

と、数回念ずるんです。すると不思議に内部の力が湧き出るんです。

                     (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。28 - 道産子

2019/11/22 (Fri) 08:21:38




<『わたしは陽暦、明治二十六年十一月二十二日の暁の六時に生まれたのである。

 陰暦にすれば十月十五日の満月の暁でちょうど満月

が西の山の端に沈みかかってはいたが、まだ耿耿として光

を失わず、そして朝日が東の方に差し昇りつつあったと

き、太陽と月と二つの光に照らされつつ護られつつ生まれたのである。』 >。


 伝統様のご投稿より<m(__)m>。

 御生誕126年をお慶び申し上げます。









 雅春先生の御話です。


     入学試験に心を落ち着ける法


 入学試験の時なんかには、心が、ちょっと上っちゃっ

て、憶えていることでも一寸出て来ない、度忘れがあるでしょう。

人間は一度おぼえたものは忘れたと思っても、心の中から消えたんじゃないんです。

心の整理ダンスの、どの抽出かにそれは蓄えられている

が、心を落ち着きを失うものだから違う抽出を開けてみる。だから出て来ないんです。

そこで心を落ち着けるんです。

「吾が魂の底の底なる神よ、無限の力湧き出でよ」と善き

言葉を唱えると、心が落ち着いてきて、内に記憶されてい

たものを思い出して、正しい回答が答案用紙に書ける。

こうして、入学試験にうまくパスするという人が随分沢山あるのです。

 この可愛い上田れい子さんはこう言っている。

『此の祈りをお兄ちゃんにも教えてあげました。夜、

お母ちゃんが、

「皆でれい子ちゃんが習って来たお祈りをしましょうね

ぇ」とおっしゃったので、皆な大きな声で、

「吾が魂の底の底なる神よ、無限の力湧き出でよ」
と、何遍も唱えました。

すると、体が温かくなって、体の中で何か動いているような気がしました。

お母さんはお兄ちゃんに、「今度の試験にも此の言葉を念

じてやれば大丈夫よ」とおっしゃいましたが、私もテスト

の時は学校ででもこの言葉をソーッと唱えようと思っています。・・・・・』


                     (つづく)


Re: 伝統様、ありがとうございます。28 - 道産子

2019/11/23 (Sat) 08:15:41



< ひたすらに  たゝへまつらん。

   みなひとに  つたへまつらん。

   うちつどひ  かみをたゝへん。

   みなうたふ  みおやたゝへて。


 これら最後の歌詞は、吾らの「教え親」への思いであると同時に、

谷口雅春先生の、神への篤き思いであり、

この「神」「師」「信徒」は、常に一体であるのである。>。


 伝統様のご投稿より<m(__)m>。

大熊先生のお言葉のようです。


 社会事業団の御生誕126年の「祝詞」も信じられない見事さです!(^^)!。









 雅春先生の御話です。



   “ありがとう”と感謝できるようになった


 それから上田れい子さんは、

『もう一つ、自分でも善い子になったと思うことがあるんです』と言葉を続けて言われる。

『それは、“有難う”という言葉が以前より沢山言えるよう

になったことです。風呂へ入る時も上がった時も、「有難

うございます」と、心から言えますし、通学のバスの乗り

降りにも、買い物の時にも、ハッキリと「有難う」と言えるようになりました。

これも“有難うさん、有難うさん”というあの歌があるんですが、その歌を習ったお蔭だと思います。

お母さんが、「れい子ちゃんは日曜学校へ行くようになってから本当に素直になったねぇ」と讃めて下さいます。

 でも私はまだ先生から教えて頂いた「ハイ・ニコ・ポ

ン」がうまくできないのです。(これはハイと返事をして

ニコッツと笑って、ポンと、言われた通り動き出す、これがハイ・ニコ・ポンと、こういうわけです)

『この「ハイ・ニコ・ポン」がまだ上手に出来ないことがあります。

 また、お兄ちゃんと桃よく喧嘩をします、ですから、い

つも素直に「ハイ、ハイ、ハイ」を、もっと、しっかり実

行して、もっと讃められるようになりたいと思っています。

私はこれから寒くなっても、日曜学校へは頑張って通おう

と思っています。そしてもっともっと素晴らしい神の子さんになります。有難うございます』

上田れい子さんの言葉はこれで終ります。

以上は福井県の福井市で、日曜にやっている日曜学校(生命学園)の生徒の話であります。

東京の生長の家の本部でも、この日曜学校をやっていまして、無料で児童の神性開発に奉仕しているのであります。

生長の家の本部は明治神宮の近くで東京都渋谷区神宮前と

いうところで、電車では国電の原宿の駅をお降りになると直ぐ見える建物であります。

御自分のお子さんを上田れい子さんのような素直な善い子

にしたいと思われる人は、一度子供を連れてお出でになって頂くといいと思うんです。

お子さんが生命学園で導かれていられる間に、保護者の方

は講堂で、人間の神性を開放する真理の話をお聴きになることが出来ます。

 また、同じく三十九年十一月七日の福井市の講習会でこういう体験を話されたお嬢さんもありました。

先刻の上田れい子さんは十歳の方でしたが、これは八歳の可愛いお嬢さんで、城野ちか子さんという方です。

当時福井市の加茂河原町という所に住んでいらっしゃった。

そのお嬢ちゃんの言われた体験談の筆記を、ちょっと読んでみます。

                    (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。28 - 道産子

2019/11/24 (Sun) 08:00:13


 辺り一面、秋の装い(^^♪。雪融けて(^^♪。


 ローマ法王(この呼び名の方がしっくりきますね(^_-))来日で、思い出した逸話あり。


      輝子先生の御話です。


 <村瀬老師が感じられた通り、私も六年前ローマ法王に

会見した時に感じたし、握手した時“痛いっ”と感じた事を思い出す。

 夫についてアメリカの教会を巡り歩いた時、各教会での

夫の講演が終ると、私たち夫婦は出口に立って、帰り行く

外人信者たちに、一人一人握手を交して別れを告げた。その時の握手の感じは人様々であった。

強く握る人もあり、軽く握る人もあり、握らないでサラリ

と撫でて行く人あった。十幾つの教会を合わせたら、何千人の外人と握手した事か。数え切れない程であった。

 私は村瀬老師の言われる通り、ローマ法王の痛いほどに

強い握手を受けて、親しみを感じ、法王が真に世界のあら

ゆる宗教と手をつなぎたいという、強い意志表示だと感じた。

 握手は単に手を握るだけでは意味がない。その握る人の

正しい温い心が、相手の胸に通じなければならない。・・・>。





 雅春先生の御話です。


      “言葉の力”で百点を得た話


 『皆さん、ありがとうございます。わたしは福井市、社北小学校二年、城野ちか子です。

私のお母さんは熱心に生長の家をやっています。道場が近いので、毎朝、神想観に通っています。

私も七月から、生命学園が開かれたので毎週楽しみに通っています。

すばらしい先生方にお祈りの言葉やお話や歌などを沢山教えて頂いています。

 学校のテストの時間になると、先生やお母さんに習ったお祈りをしてから始めます。

”今日のテストは百点でございます”と目を瞑って一所懸命念じます。

すると、近頃では、あまり勉強もしないのに、不思議に百点ばかり頂いています。・・・・・』

 この城野ちか子さんの話に注釈を加えますと、これは“言葉の力”というものなんです。

コトバには造る力があって、信じてコトバを唱えれば、その唱えた言葉の通りのことが実現して来るのです。

このお嬢ちゃんは、わずか八歳のお嬢ちゃんで、小学校の

二年生なんですが、”今日のテストは百点でございます、

神様有難うございます”と、目を瞑って一所懸命念じます

と、『近頃では、あまり勉強もしないのに、不思議に百点

ばかり頂いています』といわれるのですね。そして続いてこう言っていられます。

『友達も多勢できて迚も楽しい学校生活です。二学期からクラスの副級長に指名されました。

大きくなったら、社会の皆さんに悦ばれるようなことをしたいと思います。

こんな倖せな毎日を送ることが出来るのも、谷口先生のみ

教えのお蔭だと、御礼申し上げます。有難うございます』

可愛い八歳の城野ちか子さんが、こんなことを言われたで

すねぇ。そして、その学級でクラスの“副級長“をしていらっしゃるのであります。

このように生長の家の教育法――「生命の教育」と呼んでい

ますが、この教育法で皆さんのお子さんを導かれると、

どんなお子さんでも,素晴らしいものになるんです。

                     (つづく)









Re: 伝統様、ありがとうございます。28 - 道産子

2019/11/25 (Mon) 08:05:40




<*「生命の實相」第37巻幸福篇上(3月23日)」より

人生において最も恐るべき敵は恐怖であり、
人生の中で最も助けとなる味方は希望である。

しかしいっさいの浮世の希望が打ちくだかれた時に、
人間は本当の希望を見出すのである。・・・>。


 伝統様のご投稿より<m(__)m>。


 昨日、V、まさしく、スマイリング・シンデレラ(^_-)-☆。

 あの笑顔をどこから生まれるんでしょう(^^♪。










 雅春先生の御話です。



      子供の生命を礼拝すること


 この「生命の教育」の原典である『生命の實相』の教育

篇には、『子供をその天賦の才能の方向に伸ばすためには彼に手に負うた仕事を与えなければならない』

『生命を信じて礼拝せよ』

『子供の生長、人間の生長は常にここから始まらなければ

ならない。大地に根を下ろさなければ偉大なる生長はのぞまれない』

 というように書かれているのです。

 その大生命に根をおろしている、即ち神の命に根をおろ

している、“人間・神の子である“という実相を自覚させ

る、その自覚を幼児時代から子供に持たせるということ

が、人間の将来の進歩に書くべからざる必要事であるわけであります。

皆さん、全ての人間は、皆な自分に適するところの独特の天才が与えられているわけなんです。

『生命の實相』の“教育篇”には、

『いかなる方向であろうと、子供にその天賦の才能がみと

められれば、全力を挙げてその方向に才能を伸ばさせよ、

便宜を与えよ、賞讃せよ、はげまし、鞭撻し、喜んでその仕事又は遊びに従事させよ。

白百合にバラの花をつけさせようと思うな。白百合の清さ

は一つの天才である。バラの花の美しさも一つの天才である。・・・・・』

 と書かれてあります。

皆さん、この原典を読んで、あなたの子供のその天才を発掘してください。

 子供を家業継続のためや、親の嗜好で親の考えで、親の

思う通りに捻じ曲げようと思ったらいけないのであります。

子ども自身の中にあるところの天分を見出して、それを伸ばすように機会を与えてやることです。

そこから、人類のためや国家のためになる、個人の嗜好以

上の才能が導き出されて宇宙に大なる貢献をなし得ることになるのです。

『生命の實相』の教育篇には、次のように説いています。

                    (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。28 - 道産子

2019/11/26 (Tue) 08:24:15




<森鴎外は明治の文豪として有名ですが、奈良の正倉院の

鍵をあける儀式などのため何度も奈良に滞在し、そのときの思いを短歌に詠んでいます。

 夢の国 燃ゆるべきもの 燃えぬ国
    木の校倉(あぜくら)の とはに立つ国

正倉院が奇跡的に戦火をのがれ、1,200年の年月を乗り越

えたことに感動して詠んだ歌です。>


<同様の感想を漫画家の里中満智子さんも述べています。

〈正倉院宝物は大好きなんです。

いつも見る度にうっとりとしてしまって。

何より感動するのは、よくちゃんと美しいままで残してきたなということですね。

傷みやすい品々を湿気の多いこの国で守って伝えていくのは大変なことだと思うんです。

これまで大事に残してきてくれた人たちに「ありがとうございます」といいたくなる。〉>・・・。


 破邪顕正様のご投稿より<m(__)m>。

 里中満智子さんの、マンガ古典文学古事記もよかったです(^^♪。










 雅春先生の御話続き、です。



       白百合には白百合の花を


 『白百合にバラの花をつけさせようと思うな。白百合の

清さは一つの天才である。バラの花の美しさも一つの天才である。

諸君は「鈴懸け」の小さな花房や可憐な萩の赤紫の荳のよ

うな小花にも、他の花とは取りかえることが出来ないそれ

ぞれの美をば、みとめないであろうか』と、書いてあるのです。

 皆さん、皆さんのお子さんは「神の子」であり、みんなそれぞれの天才を宿しているんです。

それを礼拝して顕在にまでそれを引き出すのです。

これが生長の家の教育法であります。

                     (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。28 - 道産子

2019/11/27 (Wed) 08:10:19




 トランプ大統領が、実は軍産派?!(^^)!、大統領選の結果が楽しみに(^_-)。さて・・・。
 てっきり、トランプ有利と見ていた素人は・・・('◇')ゞ。










 雅春先生の御話です。



     “生命の教育”とはどんな教育か


 さらに、『生命の實相』の教育篇の次の一節を読んでみます。(頭注版一四八頁)

『円満な神の姿を小児の心にえがかせよ。完全な仏の姿を小児の心にえがかせよ。

いかなる場合にも、自己が全能なる神又は仏の愛の手にい

だかれていてなんの危険もないものだ、という自信を子供の時代から人間の心に植えつけよ。

幼時からこの自信は将来その人の運命を決するものだ。

『子供の教育に当っては、人間だからと言って自分の子供

を謙遜(へりくだ)って「この子はとてもイタズラ好きで

駄目なんです」とか「この子は随分馬鹿でして」などというな。

かくのごとき謙遜は子供の想像力を自分の欠点の方へ働か

しめ、子供の自信力をめちゃめちゃにして子供の生長に邪魔を置くことになるのである。

自分を常に「駄目だ駄目だ」と言われている時はその言葉

の力でその子供の周囲や表情には、一種のダメな無力な沈

衰した感じが付きまとい、彼の将来の運命を真に駄目にしてしまうのである。

『諸君よ、何も神のつくったところの人間を指して、それ

がたとい自分自身だからとて、また自分の肉親の子だから

とて、謙遜って駄目だとか、馬鹿だとか、かりそめにも悪く言わねばならない理由はないではないか。

それは創造神への冒涜である。

それはわれわれをつくって生命を与え給える「ある者」をけがすものだ。けがすだけではない。

自分自身の運命を、自分自身の子の運命を、知らず識らずのうちにダメにしつつあるものだ。

『子供をして彼自身を「神の子なり」と信ぜしめよ。

神なる父は“その子”をその全能の力にて常に完全に導き給

い、無限生長に導き給い、どんな不遇の場合にも必ず守り

育てていたまうことを信ぜしめよ。どんな場合のも失望し

ない心、取り越し苦労をしない心、倒れても倒れても又す

ぐ起き上がることの出来る心、これらは幼時に心に刻まれ

た完全円満なる神を父とする想像から力強く生れ出て来るものなのだ』

 こういう、自己の生命が素晴らしいものだという自覚を

幼時から子供に持たせるようにしなければならないという

のが、生長の家の教育すなわち『生命の教育』であるのであります。

                     (つづく)


Re: 伝統様、ありがとうございます。28 - 道産子

2019/11/28 (Thu) 08:04:27




<「家庭の幸福を内に持たない子供はかわいそうだ。危険と堕落とが外から呑もうとして待っている。」

「子供をあまり束縛するな、神に委ねよ。家庭よりも外の方が楽しいようになったとき、子供は危険の淵に立つ。」

《 現今の入学試験は親子とも悲壮な感じがするほど深刻

化している。大学だけではなく、中学浪人までが生じてし

まったところもある。子を持つ親は誰だって多少の差はあ

るにしても、みな入学試験のことで心配しているわけであ

る。子の頭脳程度も考えず、親の名誉心のために、有名校

を希望させる馬鹿者もある。しかして、果してこんな状態でよいのだろうか。

 この問題については、神に全托して、自然に思い浮かん

でくる学校へ入学せしむればよいというものである。つまり、次の如く思念するのである。

 「神よ、み心を示したまえ。自分の子供がどの学校へ入

学するのが神のみ心でありますかお示し下さい」》


 これ、雅春先生の御言葉なんでしょうか?

hayasi様<m(__)m>。










 雅春先生の御話、続きです。



     自己卑下は子供に劣等感を与える


 日本には、古来、どうも自己卑下の悪い習慣がありまし

て、他人の前で自分の子供を讃めるといかんという考えが

あり、それで、母親が、

「どうも私の子供は、とても勉強嫌いでございまして、イ

タズラばっかり致しまして困っているんですよ」なんて言

ってみたり、

「私の子供はもう体が弱うございまして、生まれつき蒲柳

の体質でございまして、ここまで育てるのに随分苦労した

んでございますよ」なんて言ったりする母親があるのです

けれども、そんな母親は、その言葉によって自分の子供の潜在意識に劣等感を植えつけつつあるのです。

そして自分の子供を知らず識らずのうちに不健全な子供に

したり、肉体を弱くしたり、また精神も惰け者にしたり、

イタズラ好きの子供にしたりしてしまうことになるのであります。

 それに反して『生命の教育』即ち生長の家の教育を行う

と、子供がスッカリ健全な方向に変ってしまうんです。


例えば、昭和三十九年十一月八日、石川県金沢市の駅前に

ある金沢ビルの大ホールで生長の家の講習会があった時

に、小林繁君という十六歳の少年が立ち上がって、こうい

う体験談を話し出したのです。以下はその録音の筆記であります。

                    (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。28 - 道産子

2019/11/29 (Fri) 08:23:57




 また、雪ですね、引きこもりはいけません(^_-)。

ひたすら、聖経や顕浄土成仏経、般若心経、教育勅語など、暗誦に努めています(^^♪。

 聖経なども、何千回読んでも、暗誦は出来ないものです('◇')ゞ。











 雅春先生の御話です。



   神想観と「既に高校入学」の貼紙で希望達成


『谷口先生、会場の皆様、有難うございます。

僕が生長の家に触れたのは、中学一年の春に、母に勧められて生長の家の教化部に来たのが切っ掛けであります。

生長の家に触れたと申しましても、「杉の子会」という中

学生の生長の家の集まりに、母に勧められるままに無邪気に来ていた訳です。

その「杉の子会」をどうして知ったかと言いますと、母が

熱心な生長の家の誌友であったからであったんで、教化部

へよく出かけており、其処で青年会の人たちによる勉強会

を母が知った訳です。その勉強会の名前が「杉の子会」というんでした。

 まだ幼かったもんですから、よく勉強会で青年会の人た

ちから「神想観を行れやれ、神想観を行れ」と言われるのが、とてもつらくて、・・・・・』

                     (つづく)



Re: 伝統様、ありがとうございます。28 - 道産子

2019/11/30 (Sat) 08:11:46




 巨星落つ、という事になりますね、中曽根音首相の死。

お悔やみ申し上げます。










 雅春先生の御話です。



        神想観について


 ちょっと此処で注釈しますが、神想観というのは、生長

の家の、坐禅と祈りを一緒にしたような瞑想法なもんです

から、坐り慣れない人は、最初は坐るのが足が痛い、というわけですね。

それで小林繁君は青年会の人たちから「神想観をやれ、神

想観を行れ」と言われるのが、迚もつらくって・・・・・というわけです。

『足などが痺れて来て、その時には”僕はもう二度と此処へ来るものか“と思った位です。

時には勉強に行くのが嫌で、母をよく困らせたものでした。

そうこうしているうちに僕も中学生になって、高校受験を

控えるようになりました。やはり高校受験で毎日が焦りの

気持で一杯で、あれほど勉強会を嫌がって、そして、しな

かった神想観もするようになり、真理の言葉にも耳を傾けるようになりました。

神想観中に、

“もう自分の希望している高校に入っているんだ!”と強く

念じて、又机の前に、“既に高校入学、有難うございま

す”という言葉を貼ったりして、受験勉強に頑張りました。

その結果、現在の高校に、神様のみ愛で入らせて頂きました。

この蔭には、僕の母の温かい愛情、また生高連の先輩の励ましのお蔭があったのは無論であります。

こうして入学して、感謝の気持ちと大きな自信とを得るこ

とが出来ました。生高連の会合にも自分から進んでいくようになりました。』

生高連というのは“生長の家高校生連盟というものがあるんです。それの頭文字を取って、生高連というのです。

                    (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。28 - 道産子

2019/12/01 (Sun) 09:04:48




 伝統様の「新生」のインドの神話、いいですね(^^♪。


 愈々師走、仙厓和尚の画賛です。

お釈迦様のあとを継いで、衆を救い給う布袋様です。

負重渉遠 不択地休 閻浮兜率 兜率閻浮

意味はさっぱり判りません('◇')ゞ。









 雅春先生の御話です。



     希望の成就を貼紙に大書せよ


 この小林繁君の言葉の中で、注意しなければならんこと

は、“自分はもう神の子で、希望している高校へ入学して

いるんだ!”と念じたこと、そして、“既に高校入学ありが

とうございます”という言葉をねぇ、机の前に貼って、そ

して、心の世界に”既に入学いたしました”っていう姿を心に描いたということです。

史ぁし、希望したことを心に描いてそれが実現したと”念

じさえすればいいんだ”なんて簡単に考えるといけません。

ここにも原因結果の法則があって、何事でも得るためには“努力”という価を払わねばなません。

“努力”という価を払わないで、良きものを得ようというのは、泥棒根性というものです。

既に入学出来ているんだから大丈夫”という言葉を大書して貼っただけで怠けていてはいけないのです。

 小林繁君が、すぐその次に「受験勉強に頑張りました」

と言っているところに、吾々は注意しなければなりません。

“信じさえすれば何でも成る”ということを、怠けるためのアリバイや口実にしたのではいけないのです。

                    (つづく) 

Re: 伝統様、ありがとうございます。28 - 道産子

2019/12/02 (Mon) 08:20:42




<十干十二支を植物で見た時、庚子は変化が生まれる状態、
   新たな生命がきざし始める状態なので、
 
  全く新しいことにチャレンジするのに適した年とも言えるでしょう。・・・>。


 令和2年の干支です、ネズミなど、動物は後付けという事です(^^♪。

(伝統様、ご投稿より<m(__)m>)


 渋野選手、残念、しかし、道産子バド女子ダブルス、

ナガマツ組、見事全日本初V(^^)/。









 雅春先生の御話です。



  “祈り”や言葉の力”には行動を伴なわねばならぬ


 祈りというものには行動を伴わなければならないのです。

行動を伴わないところの祈りは空念仏であって効果がない。

例えば弓を射る時に、「的に必ずあたる、あたる」と念ず

る。しかし、そう念ずるだけで、体の姿勢もメチャメチャ

だったり、弓を射るという行動を伴わなかったら、矢は発射しないから中りようはないのである。

あるところに二人の兄弟があって、両人はたがいに仲良

く、毎日一緒にある小学校へ通うんでしたが、その学校で
は毎朝、授業の始まる一分間ほど前に、鈴が鳴るんです。

そうすると、その一分間ほどのうちに生徒は教室へ這入ることになっていました。

ところが、その日は両人がまだ学校へ到着するまでにその鈴が鳴るのが聞こえた。

そしたら二人の兄弟は、これは大変、遅刻したらいかんというので、祈ったのです。

一人の坊っちゃんはそこへ坐って、「神様、遅刻しないようにして下さーい」――一所懸命祈った。

一人の兄弟は「神様!遅刻しないようにして下さーい」と心の中で唱えながら、一所懸命に走ったのでした。

 どちらの子供が遅刻しなかったかというと、祈りながら

走った方が遅刻しなかった。坐り込んで祈っておった方の子供は遅刻してしまったのです。

それは「走る」という行動を伴なわなかったからです。

 そこで、「もう既に高校入学致しました、有難うござい

ます」と紙に書いて貼ることによって、入学し得る期待の

想いによって、ますます勇気百倍して

受験勉強するならば、それこそきっと入学するけれども、

もうこうして「入学成就」を紙に書いて毎日念じているん

だから大丈夫だから、努力も勉強も要らないと、“努力”と

いう“価”を払うことをせずに、遊ぶことばっかりしておったら、その人は入学できないということになるのです。

そのところが大切なのです。

                     (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。28 - 道産子

2019/12/03 (Tue) 08:12:13




<この順番はサクセスストーリーを手にするための定石です。

12年の幸運をつかむには、難を祓う手立てがまずは必要です。

子年には、七福神参りが欠かせないのはこのためです。

七福神参りのご利益は、「七難即滅、七福即生」だからです。

難を抱えたままで、新たな年に「福」を得ようとしても無理なのです。・・・>。


 伝統様のご投稿より<m(__)m>。


 その七福神の代表、布袋様を描いた仙厓和尚。

意味不明の画賛でしたがし、少し判ってきました(^^♪。


 負重渉遠
 不択地休
 閻浮兜率
 兜率閻浮

文化丁丑冬日

重きを負いて遠きに渉(わた)るには、

地を択ばずして休む。*

閻浮が兜率か

兜率が閻浮か


重い荷物を背負って遠方まで行かねばならないというとき

には、休める場所があればどんなところででも休もうとす

るものだ歩き過ぎてもうこの世とあの世の区別もつかなくなってしまった・・・>。


 閻浮提=汚れた地域=人間界

 兜率天=俗界六天の第四 ここで、弥勒が釈迦の救い洩らした者を救われた(?_?)。
                  (広辞苑より)












 雅春先生の御話です。


  そういうわけで、この小林繁君は努力を続けた。彼は次のように言っているのです――

『生高連の会合にも自分で進んで行くようになりました。

夏になり、七尾(石川県)の光明道場で夏季高校生練成会が開かれました。

勿論私も参加致しました。練成会は中学生時代に一度参加

したことがあったんですが、自分で進んで参加した練成会は中学生の時と異なって、始めから感激の連続でした。

『それはねぇ、中学生の時には親が「行け!」と言うの

で、“自分は行きたくないのに“という反抗の心があったのです。

そうすると、魂を開いていないから、せっかく善い話を先

生から聴いても、ぴたっと心に入って来ないんです。魂の心の窓が開いてないんです。

ところが、今度、高校生になってから高校生練成会へ行っ

たのは、自分で進んで行ったんだから、心が開いているから、はじめから感激の連続でした。

その素晴らしい高校生練成会に参加さして頂き、すばらし

い雰囲気と先生方のすばらしい真理の御講話に、スッカリ心が明るくなりました。

それ以来、今までの孤独な暗い性格が、朗らかな明るいものに一変しました。(この話つづく)

                    (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。28 - 道産子

2019/12/04 (Wed) 08:06:52



<尊師・谷口雅春先生のお言葉。

「私は無私絶対愛の宇宙の中心真理の人格的表現を抽象概

念ではなく具体的に生ける人格として天皇に於て見出さん

とするものである。」(原文は正漢字、『無門關解釋』「はしがき」昭和39年11月1日識より)。

https://www3.nhk.or.jp/news/special/japans-emperor6/


 厳粛に存在する皇室のしきたり、それを継いで、しっかりと行う天皇陛下、まさに、日本の誇れる伝統です。
 
NHKもやりますね(^^♪。


 下総の野人様のご投稿より<m(__)m>。










 雅春先生の御話です。



       浄心行の功徳について


 『それというのは、浄心行で心が浄められたからです。

僕はある人を憎み怨んでおりました。それは中学三年生のときでした。

私に仲のよい一人の友達が居りました。ところが、その友

人が、三年生の二学期あたりに変な友だちと付合うように
なり、僕自身もその友達と離れていくようになりました。

そのような僕を相手が好く思う筈はありません。終いには怒りだして講堂の裏に連れ出し、暴力を揮って来ました。

そういう訳で、それ以来、僕はその友を非常に強く怨むようになりました。・・・・・

そういうような怨みの心を、その練成会の浄心行によって浄めることが出来たのでした。

浄心行の時に指導講師の言われる通り、「怨んでいる、憎

んでいる心を、どうぞ神様、消してください」と念じて、

怨んでいる自分の想いを書きまして、それを浄火(浄らか

な火)で燃やしながら、生長の家の「甘露の法雨」という

御経を読みながら、僕は、

「一切の憎み怨みはこの経文の功徳によって消えてしまいます。有難うございます」

 と念じたわけなんです。

 その時僕はお経を読みながら、

“僕は君を怨み憎しんでいました、赦してください。君は

僕を赦してくれました。実相の世界には愛のみ存在する。
有難うございます。有難うございます”

”僕は君の欠点ばかり見ていました。君の善い点を見ませんでした。

君も神の子である素晴らしい人であることを忘れていました。僕はもう君を怨んでいません“

“神様! 僕が悪かったのです。赦してください”と念じて

いましたら、その憎んでいた人の顔が眼の前に現われて、ニコニコーッと笑顔で、

“君と僕とは親友だよ、心から親友だよ”

 と言ってくれるように見えて、もう有難く嬉しくなって、涙が止めどなく出て、止められませんでした。

                     (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。28 - 道産子

2019/12/05 (Thu) 08:08:37



<この順番はサクセスストーリーを手にするための定石です。

12年の幸運をつかむには、難を祓う手立てがまずは必要です。

子年には、七福神参りが欠かせないのはこのためです。

七福神参りのご利益は、「七難即滅、七福即生」だからです。

難を抱えたままで、新たな年に「福」を得ようとしても無理なのです。

京都の都七福神を12年満願できましたので、
来年は新たな12年の七難即滅、七福即生の祈願をいたします。

その始まりが子年の七福神参りです。

都七福神もただ回ればいいというわけではありません。

ややもすると、スタンプラリーになってしまい、自己満足で終わります。

大事なのは、「七難即滅、七福即生」のご利益の得られる順番なのです。・・・>。


 伝統様のご投稿より<m(__)m>。


 七福神の情報から、先般の、布袋様(布袋尊)は唯一の実在のお坊さん、という事を知りました!(^^)!。

 スタンプラリーになってもよいから、このお正月にどこか、七福神巡りをしてみましょう(^^♪。

一番近くから、左回りに巡るのがいいらしいです。







 雅春先生の御話です。



 流れる涙と共に心がキレイに洗われて、心が清々しくな

って、肩の重荷が降りたように楽になって、世の中が明るくなったのです。

そして感謝の気持ちが湧いてきて、本当に明るい人間に生れ変ることが出来ました』

 小林君は大体こういうように、その体験を話されたのでした。

 この練成会で催される浄心行というので心を浄めると、実に素晴らしい体験が生ずることがあるのです。

癌が癒るようなこともあるのです。

                    (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。28 - 道産子

2019/12/06 (Fri) 07:42:33




<「子」は何を意味するかというと、「子」は「滋る」増

加するという意味を持っております。古代人の生活で何が

増えることをもっとも実感させたかというと、なるほど家

の中のねずみ、これくらいよく増えるやつはいない。そこ

でいつの間にか「子」という字は鼠ということになってしまった。

      (安岡正篤 『干支の活学』より抜粋)>。

 
 伝統様のご投稿より<m(__)m>。








 雅春先生の御話です。



      “心”が原因で、病気は結果である


 癌にせよ、その他の病気にせよ、病気というものが肉体に現われて来るのは、結果なのです。

それは心が原因なのです。

心が原因だから、心の世界にあるところの怨み憎みのかた

まりを消してしまったら、癌も消えてしまうということになるのであります。

 生長の家の練成会は毎月、全国の各道場で行なわれているのです。

東京の生長の家の本部では練成道場が飛田給という処にあ

ります。飛田給という所は、東京オリンピック大会の時の

マラソン競走で、神宮前の競技場からスタートして走り、

帰路にうつる折り返しの地点なった所が飛田給です。

京王電鉄の新宿駅から乗ると飛田給という駅があり、そこ

で下車すると、もうスグ生長の家の円形建物の屋根が見えます。

 その円形建物が生長の家の練成道場でありまして、毎月初旬、一日から十日迄そこで練成がある訳です。

                    (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。28 - 道産子

2019/12/07 (Sat) 08:29:04



 松原泰道老師の有名な「おいあくま」、大熊先生の御話を聴きました!(^^)!。

 お=おこるな
 い=いばるな
 あ=あせるな
 く=くさるな
 ま=負けるな

 負ける=滅気入る=相手に負けるのではなく、自分に負けるのだ!(^^)!。








 雅春先生の御話、最終回です。



 それから、富士山麓の河口湖の練成道場や宇治の練成道場は毎月十一日から二十日迄あるんです。

それから山口県の松陰練成道場では十四日から二十日迄行なわれてります。

九州では福岡市清川一丁目(駅前近く)に“ゆには”という

練成道場がありまして、毎月一日から十日迄、また長崎県

の大村湾沿岸の九州別格本山では、十一日から二十日迄そ

れぞれ練成をやっています。(注、本部練成道場について

は、本誌のウラ表紙の練成会案内参照)

まだ諸方に、地方練成道場ができているんです。

 皆さんが練成道場へ行って、真理の話を聴く。

それによって今まで真理の本を読んでも、充分理解出来な

かったのが、道場で直接各講師の講話を聴き、また実際の

愛行と言って、人を愛し、人に深切をする行を体験的に実践するんです。

そうすると、自分の体そのものによって真理を体得することになります。

そこから不思議に病気が癒ったり、劣等感が消えたり、家庭の不調和が治ったりするのです。

いままで劣等感や陰気な暗い気質のために自分の商売が繁

昌していなかった人でも、練成によって劣等感が消え、人

生観が変わると、自然に自分の身辺に明るい雰囲気が生ま

れて来て、その人の事業が発展して来るという素晴らしい実例が度々あるのです。

このような事業発展のグループに「栄える会」というのが

あり、多くの社長クラスの人々が参加して毎月集まって、

繁栄の体験を語り合い互いに扶け合って益々繁栄して行く

ことになっていますが、委しくは飛田給の練成道場にお問合せください。

飛田給練成道場の所在地は、

 東京都調布市飛田給二丁目三番六号です。

練成に関する詳しい理論や実践には『人間苦の解放宣言』

(日本教文社発行七百円〒110)という本がありますから読んで予備知識をおつけください。

                          (おわり)                     

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