伝統板・第二

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「困難に戯れよ」(光明掲示板・第二) - 伝統

2019/08/21 (Wed) 21:29:51

光明掲示板・第二 消滅により、
「困難に戯れよ!」の伝統板・第二への再掲示です。


困難に戯れよ!

        *『生命の實相』第七巻生活篇 巻頭の言葉より

兄弟よ、海の波が巌(いわお)にたわむれるように、困難にたわむれよう。
猿が木の幹を攀(よ)じのぼるのをたのしむように困難を楽しんで攀じのぼろう。

もし軽業師が綱(つな)の上を渡らないで、平坦な大道を歩くだけならば、
誰も喝采する者はないであろう。

梅の花は烈々たる寒風の中で開くので喜ばれるのだ。

兄弟よ、わたしは苦しみに耐えよとは言わない。
「生長の家」では苦しみに戯(たわむ)れるのだ。
いかなる苦しみをも戯れに化するとき人生は光明化する。

盤根錯節は「生命」がたわむれるための一つの運動具である。
諸君はスキーを多難だと言うか。登山を不幸だというか。
ゴルフを艱難だというか。競泳を悲惨だと言うか。

いかなる苦しみも戯れに化するとき人生は光明化し、
そこから剛健なる無限の生命力が湧いて来る。

・・・           

困難の生かし方

        *「人生読本」(P237~239)より

《苦労は人間を鍛える》

困難ということ、「難かしい」ということは、決して不幸なことではありません。
困難が出てくるほど、私達は鍛えられるのです。

正宗の名刀があんなに良い刀であるのは、幾度も、火や水の中をくぐり、
幾度(いくたび)も鉄鎚(てっつい)で擲(なぐ)られ、
幾度も打ちのめされてきたからです。

「若い時の苦労は買ってでもせよ」「かわいい子には旅をさせよ」などという諺がありますが、
若くなくてさえさえ苦労は買ってでもする程でないと偉くなれないものです。

若いくせに、自分は貧乏に生まれたから出世ができないとか、
自分は借金があるから偉くなれないとか考えて縮(ちぢ)かんでしまう人がありますが、

英国の小説家サー・ウォルター・スコットは55歳の時、
60万ドルの借金を押しつけられたのです。

スコットは、この借金を一銭も残らなくなるまで支払ってしまおうと決心しました。
彼は文筆家でありましたから、筆の力でこの60万ドルという大きなお金を稼ぎだして
支払わねばならないのです。

「ヨシ! 60万ドルくらいが何だ! 自分は神の子だから支払って見せるぞ! 」
この決心が彼に力を与えました。彼は一所懸命書きました。

この決心ができたとき、彼の文章に力が出てきたのです。
彼の文章に油がのってきたのです。
彼は夜も昼も、書いて、書いて、書きまくりました。

とうとう彼は60万ドルの大きな借金を支払ってしまいました。
そのため、今でもスコツトの名文は有名なので、後々の人々から尊ばれているのです。



《決心ほど強いものはない》

皆さん、決心ほど強いものはありません。
「是非やろう」と決心する人は、必ずそれを成し就(と)げる人です。

「やろう」と決心しない人と、困難を恐れる人とは何事も成し就げ得ません。
天下無敵の人となろうと思うならば、成功する事のみを知って、
失敗することを知らない人にならねばなりません。

貧乏になったから失敗したと思うようでは、成功する人ではありません。
借金ができたから失敗したと思うようでは、成功する人ではありません。

スコットのように貧乏になった時に、
「この時こそ! 」と決心するような人にならねばなりません。

60万ドルの借金ができた時に、
「この時こそ! 」と渾身の力を揮(ふる)い出し得る人にならねばなりません。

両脚がなくなったら、両脚の切株ででも仕事をする人にならねばなりません。
こんな人にはどんなときにも失敗ということはないのです。

          <感謝合掌 平成25年10月22日 頓首再拝>

   (   <感謝合掌 令和元年8月21日 頓首再拝>)

「足なし禅師」の人生 - 伝統

2019/08/27 (Tue) 18:51:45

上の記事での谷口雅春先生の言葉
「両脚がなくなったら、両脚の切株ででも仕事をする人にならねばなりません。」

に関連し、今回は「足なし禅師」と呼ばれた禅僧・小沢道雄師のお話の紹介です。

    
      *「『致知』2007年3月号」
       特集「命の炎を燃やして生きる」より


大正9年生まれの小沢氏は、幼年期に曹洞宗の専門道場で修行。

戦争で満州へ赴きます。

昭和20年、25歳で終戦。

シベリアに抑留され強制労働。

だが、肩に受けた銃創(じゅうそう)が悪化し、役立たずは不要とばかり
無蓋(むがい)の貨車で、牡丹江の旧日本陸軍病院に後送される。

氷点下4、50度の酷寒に夏服のままで、支給された食料は黒パン1個、
飲み水もままならず、3日間を費やした行程で死者が続出した。

小沢師は死こそ免れたが、両足が凍傷に侵された。

膝から切断しなければ助からない。

その手術の担当軍医は内科医で外科手術はそれが初めて。
麻酔薬もない。

メスを執った軍医がしばらく祈るように目を閉じた姿を見て、
小沢師はこの軍医に切られるなら本望だと思い定めた。

想像を絶する激痛。
歯がギリギリ噛み合い、全身がギシッと軋(きし)んで硬直した。
すさまじい痛みは1か月余続いた。

8月に突然の帰国命令。

歩けない者は担架に担がれ、
牡丹江からハルビン、奉天を経てコロ島まで、1,500kmを徒歩で行くことになった。

だが、出発して3日目の朝、目を覚ますと周りには誰もいなかった。
満州の荒野に置き去りにされたのだ。

あらん限りの大声で叫んだ。
折よく通りかかった北満から引き揚げ途中の開拓団に救われたのは、
僥倖(ぎょうこう)というほかはなかった。

崖っぷちを辿るようにして奇跡的に帰国した小沢師は、
福岡で再手術を受け、故郷相模原の病院に送られた。

母と弟が面会に来た。

「こんな体になって帰ってきました。
 いっそのこと死のうと思いましたが、帰ってきました」
言うと、

母は膝までの包帯に包まれた脚を撫で、小さく言った。

「よう帰ってきたなあ」

母と弟が帰ったあと、小沢禅師は毛布をかぶり、声を殺して泣いた。

懊悩の日は続いた。
気持ちはどうしても死に傾く。

その果てに湧き上がってきた思いがあった。

比べるから苦しむのだ。
比べる元は27年前に生まれたことにある。

27年前に生まれたことを止めて、今日生まれたことにしよう。
両足切断の姿で、今日生まれたのだ。

そうだ、本日たったいま誕生したのだ。

足がどんなに痛く、足がなく動けなくとも、
痛いまんま、足がないまんま、動けないまんま、
生まれてきたのだから、何も言うことなし。

本日ただいま誕生!

深い深い覚悟である。

 1、微笑を絶やさない。

 1、人の話を素直に聞こう。

 1、親切にしよう。
   
 1、絶対に怒らない。


小沢禅師はこの4つを心に決め、58年の生涯を貫いた。

命の炎を燃やして生き抜いた足なし禅師の人生だった。

          <感謝合掌 平成25年10月23日 頓首再拝>

   (   <感謝合掌 令和元年8月27日 頓首再拝>)

困難な仕事ほど面白い - 伝統

2019/08/28 (Wed) 18:34:11


        *「人生読本」(P187~188)より

人生の経験はちょうどオリンピック大会のようなものでありまして、
いろいろの障害物や困難があるのでおもしろいのであります。

水の中を泳いでみたり、高跳(たかとび)をしたり、
何かそこに唯の平地を歩く以上の障害物があるで
力を入れて熱心にやるだけの値打ちがあるのであります。

だから皆さんは難しい仕事や、難しい勉強や、困難な境遇に置かれる毎(ごと)に常に
オリンピック大会に出ている選手みたいな必算(つもり)で、
その時間、その境遇にできるだけ全ての経験をえさせていただきましょう、

と喜んでその境遇、仕事、学科、時間を生きてゆきますと、
どんな時でも喜ばれる、事柄が難しければ難しいほど喜ばれるはずであります。

事柄が難しいほど私達はそれに対して真剣になります。
又それから得られる教訓も、経験も多いという事になります。

困難な事柄がどんなに起こってきましても、
それが皆拝めるようになりましたら、そこから不平というものが一切なくなる。

総(あら)ゆる難しい境遇は、私達の心を富(と)まし、
私達の心に栄養を与える良い機会だ、ああありがたいという事になるのであります。

          <感謝合掌 平成25年10月24日 頓首再拝>

   (   <感謝合掌 令和元年8月28日 頓首再拝>)

ヘレン・ケラーの何処が偉いか - 伝統

2019/09/01 (Sun) 19:17:18


        *「人生読本」(P282~283)より

ヘレン・ケラーの言った言葉に、
「何でも明るく見る心、光明主義は物事を成しとげる基(もとい)である。
希望がなければ、何事も成しとげることはできない」というのがあります。

ヘレン・ケラーは3歳の時、脳膜炎という病気を思い、
その結果、目は見えなくなり、耳は聞こえなくなり、
言葉は言えなくなったのだということですが、

その後眼で見ず、耳で聴かずして、皮膚や指先やにおいなどによって、
世の中の全ての事がよく判るようになったり、
人生の三重苦の苦しみを征服した聖女として尊敬されていますが、

それにはヘレン・ケラーを教えたサリヴァン先生の教え方が上手であったのにも
よりましょうけれども、ヘレン・ケラー自身が、盲になり、聾になり、唖になっても
少しも失望落胆せず、心に希望(のぞみ)をもっていたからです。

失望とは心に望みを失うことです。
落胆とは勇気を落して、気が沈んでしまうことです。

眼が見えず、耳が聞えず、口が利けなくとも、希望を失わず、勇気を落さずにいたら、
人間はヘレン・ケラーのように偉い者になれるのです。

眼が見え、耳が聞こえ、口が利ける皆さんが希望を失わず、
自分の目的とするところへ突進して往ったら、どれほど優れた人になれるか、
考えてみずとも判るでしょう。

          <感謝合掌 平成25年10月25日 頓首再拝>

   (   <感謝合掌 令和元年9月1日 頓首再拝>)

《逆境は幸福である》 - 伝統

2019/09/06 (Fri) 21:30:23


        *「人生読本」(P239~242)より

今まで、普通の人は、困難というものと、不幸というものとを同じ意味だと考えて、
困難は不幸である、「ああ困難がやって来た、自分は不幸である」と
こう考えたものであります。

ところが生長の家では「困難」を「幸福」であると教えるのであります。

私達は障礙(しょうがい)物競走をしたり、或いはオリンピック競技に選手として
出場しましても、あの競技は一種の困難である、困難であるけれども、
あの選手たちはあれを不幸であると思っていない。

あれは幸福である。

もし、あれが平地を歩く競技であって御覧なさい。
平地を歩くには困難がないから却って面白味が少ない、力も出ないのです。

困難はかくのごとく幸福なのです。

普通の人が困難を不幸であるとするのは、一種の迷妄(まよい)でありまして、
そのために困難の前に立竦(たちすく)んで、徒(いたずら)に人間一疋(ぴき)、
何事も為し得ないのです。

ところが生長の家では、人間は神の子であるから逆境に立てば立つだけ、
2倍3倍の力が出て来るという事を教えるのでありますから、
どんな場合に処してでも挫折してしまうということがないのです。

無限に力を引出してくるということができる
――― これこそ生長の家で教えられ鍛えられた人の特長であります。


私達の生命は、たとえば水のようなものであります。

フラスコの中に静止せしめて常温に置かれた水は困難な状態ではない。
チャンと箱入娘みたいに護られた状態です。
その代りにどんな力も出てこないのであります。

これを一旦高所へ上げて、そこから落差をつけて落としましたならば、
何万キロワット、何十万キロワットの水力タービンでも動かすことができる。
これは水が嶮(けわ)しい高所に、逆境に置かれたための賜(たまもの)です。

或いは皆さん、水の下から何千度という石炭の燃焼熱を与えてやると、
たちまち沸騰して、蒸気の力で何千馬力の大機関車でも動かすことができましょう。
これも水が逆境に置かれた賜であります。

私達は、逆境を不幸であると考えることが間違いなのです。

逆境は私達の中に宿っている無限の力を掘り出してくれるところの「縁」を与えてくれる、
たいへんありがたい友だちであると思わなければならないのです。

そうなりますと、私達は決して逆境や困難に挫折しない。
困難のくる度毎に、自分はそれだけ高まるのであるということを常に信じる事ができて、
どんな逆境も困難も、失望や落胆の原因となるものではありません。

逆境に置かれ困難に置かれるほど、常に私達は伸びるほか仕方ないのであります。

《この常に伸びるほか仕方ない生活、これが生長の家の生活であります。》

それには自分が神の子であるということを自覚することが根本であります。

私たちが困難に対して崩(くずお)れてしまい、挫折してしまうというのは、
自分の中(うち)に生きている「生命(せいめい)」が有限であり、
単なる物質的エネルギーであって、それには限りがあり、或る程度以上の困難になると、
打勝つことができないものであるというような間違った考えを以て
自分自身の生命(せいめい)を委縮させているからなのです。

ところが一転してこの生長の家の人生観になりますと、
自分自身の本体は、神の生命(せいめい)が《ここ》に宿っているものである、
或いは仏の生命(せいめい)が《ここ》にあるのである、

どんな力でも無限に出てくるのが《この》自分自身であるという確固とした自覚を得ますから、
困難に逢えば逢うほど、内から湧き出(だ)してくる力が多くなってくるのであります。

或る教祖は「難儀は節(ふし)や、節から芽が出る」ということを言いましたが、
これは実に易しい言葉で真理を穿(うがって)っています。

どんなに攻撃されても迫害されても、「難儀は節や、節から芽がでる」と信じていると、
どこまでも伸びる底力(そこぢから)がどこからか出て来るのであります。

          <感謝合掌 平成25年10月26日 頓首再拝>

   (   <感謝合掌 令和元年9月6日 頓首再拝>)

『雨露霜雪』(うろそうせつ) - 伝統

2019/09/07 (Sat) 19:36:27


         *メルマガ「夢の言の葉(2013年10月28日)」より

☆--------雨、露、霜、雪。転じて、
         世渡りしていく上でのさまざまな困苦--------
 
自然現象としては、おなじみの、雨と露と霜と雪。
あわせて、『雨露霜雪』といいます。

ところが、この言葉は、世渡りをしていく上で、困難や苦労をさすというのです。
 
たしかに、『雨露霜雪』……。

何事もなく通り過ぎていく場合もあれば、
ちょっとした困り事の種にもなり、時として、大きな苦しみの原因にもなります。
 
人生には、こういったことがつきものだということなのですね。
 
そして、昔から人は、『雨露霜雪』を乗り越えて生きてきたともいえます。

中でも、雨と霜は、その代表。

この世で経験する困難を、「浮世の雨霜(あめしも)」と表現したりもしました。
 
また、「露霜(つゆしも)」は、歳月という意味も持っています。

そして、「雨露(うろ、あめつゆ)」は、雨と露が万物を潤すように、
恵みが広くゆきわたることにもたとえられるのです。

時として、災いをもたらす『雨露露霜』……。

ですが、私たちに、ありがたい恵みを与えてくれる大自然でもあるのですね。

人生の中の『雨露露霜』も、そういった存在といえるのではないでしょうか。

          <感謝合掌 平成25年10月28日 頓首再拝>

   (   <感謝合掌 令和元年9月7日 頓首再拝>)

艱難と闘うことを楽しむのだ! - 伝統

2019/09/17 (Tue) 19:55:52


        *「光明道中記(10月29日)」より

【決断とは何かを捨てると云う事である。倒れることを恐れず、自己の不決断のみを恐れよ。
                              (『生命の實相』第四巻)】

真に愛する仕事でないと大成することは出来ない。
忠実にやる仕事でないと大成することは出来ない。

忍耐強くあり、凡(あら)ゆる艱難に耐え忍び、艱難と闘うことをハイキングの如く楽しみ、
しかも尚、その仕事を通して国家または人類に貢献せんと決意したものでないと大成する
ことは出来ない。

才智ばかりで小細工する者はついにその才智に翻弄されて自己が崩れてしまうであろう。
寛大な雅量と、鞏固(きょうこ)なる意志と、而も人心を収纜(しゅうらん)するたぎる
如き情熱とは大成する者には必要である。

更に大切なのは「神に導かれる」と云うことである。
信仰深くして、神と偕(とも)なりとの自覚を以ているばかりでなく、
真に神に導かれている人にして、機に臨み変に応じ自由自在の叡智を有っている人
でなければならない。

而もかくの如き人でも、人の信義を裏切ることを極度に厭う人でなければ終を完うしない。

           <感謝合掌 平成25年10月29日 頓首再拝>

   (   <感謝合掌 令和元年9月17日 頓首再拝>)

「柿の賦」~ 武者小路実篤 - 伝統

2019/09/18 (Wed) 19:44:21



柿の花は目立たざりけり 人々は顧みざりけり
されど柿の実は目立ちにけり 人々は賞美せり

柿の実は甘きが故に 人々は柿は甘しと云いたり。
されど枝ぶり見よや 甘しとは我は思わず。


我人々と同じく 風雨にさらされ、
人々と同じく 雪霜になやまさるれども

我は天与の食物をとりて 
その内より甘露を集めて 
わが実をつくりたるなり

我は甘露の雨にうたれしことなく 
甘露の泉に根をはりしことなし

されど我、その内より甘露をとりぬ。

我 又 かくの如きか

           <感謝合掌 平成25年10月31日 頓首再拝>

   (   <感謝合掌 令和元年9月18日 頓首再拝>)

困難と戦ってもニコニコと - 伝統

2019/09/20 (Fri) 17:17:22


           *「生活読本」より

アメリカ人のあの偉大な「開拓者精神」と云うものは素晴らしいものです。
開拓者精神と云うのはあの広い、殆ど手をつけようもないような地面を、
どこまでも撓(たゆ)まず屈せず、開き耕して往った精神です。

猛獣も多いし、草や木の根も深い、砂漠もある、大きな岩もある、山もある、滝もある、
アメリカは土地がひろいだけに、いろいろな障害物も非常に大きいものです。
それに負けずに、一歩一歩その困難を笑いながら楽しく征服していったのが
アメリカ精神の素晴らしいところです。

ドイツ民族なども困難と戦ってきた民族ですが、
どこか眉の間に、ニガイ表情(かおつき)があります。
いつもわしは苦難(くるしみ)と戦っているのだと云うような表情をしております。

ところがアメリカ人にはあれだけ広い地面と戦って来ながら
どこにも困難と戦って来たと云うようなニガイ眉をひそめた表情はありません。

みんなニコニコしているのは日本にきていたアメリカの兵隊さんの
表情(かおつき)でわかります。
そこにアメリカ人の強味があります。

日本は戦争中に誰も彼もニガ虫をかみつぶしたような顔をしていないと
非国民だと言って叱られたものです。

そうして泣き面をしていると、
「泣き面に蜂」ならぬB29が来て、次へ次へと日本の都市を焼いて行きました。

すべて「われより出ずるものはわれに帰る」であります。
「泣き面」をしていると泣くことが群(むらが)り起ってくるのです。

          <感謝合掌 平成25年11月9日 頓首再拝>

   (   <感謝合掌 令和元年9月20日 頓首再拝>)

最善主義で人生を味わい楽しむ - 伝統

2019/09/22 (Sun) 19:31:55


     *『ハーバードの人生を変える授業』(タル・ベン・シャハー/著)P52より

(1)完璧主義者と最善主義者

  ①完璧主義者は、どんなことでも、ゴールまでの道のりはまっすぐで何の障害もない
   ものと思い込んでいます。そのため、そうでないとき、たとえば仕事に失敗するなど
   物事が思いどおりにいかないとき、イライラしてうまく対処することができません。

  ②最善主義者は、「失敗は人生の自然な一部分であり、成功につながる欠かせない要素」
   だと理解しています。望みの職につけなかったり、パートナーとケンカしたりすること
   も、満ち足りた人生の一部だととらえています。

(2)完璧主義者は現実を否定して、不快な感情を拒否します。
   不快な感情を拒否することは、かえってその感情を増幅することになり、
   もっとつらさを感じることになるのです。

   現実世界の否定は、非合理的な非現実的な成功の基準を設けることにつながり、
   その基準を達成できずに、いつも欲求不満であったり、何かにつけ十分でないと
   思ってしまう不完全感に悩まされています。

(3)最善主義者は、現実を受け入れることにより、豊かで満たされた人生を送ることが
   できます。

   「失敗を楽しむまではできないにしても、自然なこととして受け入れ、心配をあまり
   せずに活動を楽しむことができるのです」

   生きている限りつらい感情はあって当然と思っているので、抑えこんでネガティブな
   感情を増幅させることもありません。
   つらい感情を味わい、そこから学び、そして動きだします。

   また、現実世界の限界と制約を知っているので、達成できる目標を設定します。
   それによって成功を手に入れ、味わい、楽しむことができるのです。

 ━━━━━━━━━━━━━━

 完璧主義者

  ・失敗を拒否する

  ・つらい感情を拒否する

  ・成功を拒否する

  ・現実を拒否する

  ・・・・・・

 最善主義者

  ・失敗を受け入れる

  ・つらい感情を受け入れる

  ・成功を受け入れる

  ・現実を受け入れる

 ━━━━━━━━━━━━━━

           <感謝合掌 平成25年11月10日 頓首再拝>

   (   <感謝合掌 令和元年9月22日 頓首再拝>)

ゴスペルシンガー・レーナ・マリアさん の場合 - 伝統

2019/09/25 (Wed) 18:10:36

障碍者の世界水泳選手権の金メダリストである一方、
世界各国から公演のオファーが絶えない奇跡のゴスペルシンガー・レーナ・マリアさん。

  ☆ レーナ・マリアコンサート(Lena Maria Concert) ~(youtube)
    → http://www.youtube.com/watch?v=GHTjN1MrEqw&list=PLE147ABE8CEBEE60D


生まれつき両腕がなく、左足が右足の半分しかないという重度の障碍を抱えながら、
決して笑みを絶やすことなく、人々に勇気と感動を与える歌を歌い続けています。

  ☆ 両腕なき愛のゴスペルシンガー「レーナ・マリア 」、
    日本でのミニストリー 再び開始!!
    → http://www.wlpm.or.jp/cgi-bin/db/kiji_t.cgi?keys34=0003149


今回は、このゴスペルシンガー・レーナ・マリアさんについての紹介です。

       *『致知』2013年12月号・特集「活路を見出す」より
 

「できないことばかりに目を向けていたら、
   人生はとてもつまらないものになってしまう」
          < レーナ・マリア(ゴスペルシンガー) >


――これまでの人生で心無いことを言われて
  心が折れてしまったり、絶望してしまうようなことはなかったのですか。


ハンディキャップのことで?
それはないですね。
もっとも、それは自分の態度によるところが大きいと思います。


中学生時代、同級生に
「おい、一本足、元気そうじゃないか」と言われた時、
「ありがとう、二本足、あなたも元気そうね」
と答えたことがありますが(笑)、


例えば自己憐憫にあったり、人を羨んだり、
自分に自信がなかったりすると、
誰かの一言に傷ついて人生は辛くなるのではないでしょうか。


ただ、私も一人の人間として
乗り越えられないと思うような
悲しみ、困難に遭遇したことはあります。


若い頃は生きていくことは
簡単だと思っていましたが、
どうやらそうではないようですね。


人間はみんな弱い存在です。
辛い出来事があれば自分を小さく、弱く感じたり、
足りなく感じることって誰にでもあると思います。


その時、家族や友人、そして神様など
周りから愛されていると感じることで、
私は強くなることができます。


人間は自分一人で強くなることはできません。
もしも私が強い人間だと思う人がいるなら、
それは私の周囲の人の愛が私を幸せにしてくれているからです。


(中略)


考えてみてください。


もしも私が
自分のできないことばかりに目を向けていたら、
私の人生はとても つまらないものになっていると思います。


いま自分が人のためにできることに目を向ける。
それは小さなことでもいいのです。


そうやってお互いに励まし合ったり、配慮し合うことで、
最上の幸福や勇気を得ることができます。

   ☆(日本語による歌唱)レーナ・マリア / 馬槽の中に ~(youtube)
   → http://www.youtube.com/watch?v=M-tdyFRCusY&list=PLE147ABE8CEBEE60D

           <感謝合掌 平成25年11月12日 頓首再拝>

   (   <感謝合掌 令和元年9月25日 頓首再拝>)

生命前進の悦び - 伝統

2019/09/27 (Fri) 20:13:50


        *「幸福を開く鍵」(P44)より

困難そのものはあなたに打撃を与えないが、困難を困難として受け取って、
心の中で「暗黒なもの」としてそれをつかむとき、
本当にその人に打撃を与えるのである。

困難を自己能力錬磨の道具として迎えるとき、それは興味あるスリルであり、
”棒高飛び”の、乗り超えなければならぬ高さが3メートルから4メートルになり
益々その乗り超えるための困難が加わるのであるが、それだけ興味も益々加わり、
自分の能力も益々増加するのである。

これに反して、「自分の前進する前に綱が張られた、何という意地悪だろう。またその綱が
愈々高くなった、何という困難な世の中だろう」と、それを呪詛して暗い気持ちで受け取れば、
そのままその人の能力は増加せず、世間を呪い、自己を悲観し、萎縮するばかりとなる。

高い山に登るには必ず登攀(とうはん)の努力を必要とするのである。
その登攀の努力こそ、「生命前進の悦び」があるのである。

登山家は、この「生命前進の悦び」を味わうために、生命(せいめい)の危険を賭して、
懸崖(けんがい)に手を擦(さつ)して登攀し、一條のザイルと一挺(ちょう)のピッケルに
身を托して危険を冒して攀(よ)じのぼるのである。

それが危険であればあるほど、「生命前進の悦び」が感じられるのである。

どんな苦しい環境でも、それには人間を鍛え修練し、魂を磨いてその輝きを増す意義があるのである。
吾々がそれを恐れずに立ち向かうならば、平坦な道を行くよりも、魂の進歩は速いのである。

           <感謝合掌 平成25年11月17日 頓首再拝>

   (   <感謝合掌 令和元年9月27日 頓首再拝>)

困難から学ぶ - 伝統

2019/09/28 (Sat) 16:46:33


     *「ハーバードの人生を変える授業」ダル・ベン・シャハー・著(P33)より

人は困難を克服することで幸せになれるのです。

精神科医ヴィクトール・フランクルは次のように述べています。

「人間が本当に必要としているのは不安のない状態ではなく、価値ある目標のために努力する
ことである。人間に必要なのは何としてでも不安を取り除くことではなく、意義の達成に
使命を感じることである」

人は困難があるからこそ、より大きな喜びを感じられるようになるということを忘れてはなりません。

困難こそが、人生におけるすべての喜びへの感謝の気持ちをつくり、
この感謝の気持ちこそが、真の生きがいや喜びの源になるのです。
 
           <感謝合掌 平成25年11月21日 頓首再拝>

   (   <感謝合掌 令和元年9月28日 頓首再拝>)

問題も困難も自己開発の機会 - 伝統

2019/10/09 (Wed) 18:44:54


       *「栄える生活365章」(P157)より

困難を恐れてはならない。
問題は解決のためにあるのであり、問題が解決したのちには、
今までよりも一層明るい世界が出て来るのである。

困難にぶつかっている最中には多くの人々は、その困難をまるで敵であるかの如く
恐怖しがちであるけれども、困難は自己に内在する能力を引出してくれるための導線であり、
内在の美質(びしつ)を研(みが)き出すための砥石である。

あとになって考えてみれば、あの問題が起らなかったら、
私の現在の地位はなかったであろうというようなことが度々あるものである。

困難こそ、自己の内深く内蔵されている能力の油田を掘鑿(くっさく)してくれるところの
鋭き鑿岩機(さくがんき)であるのである。何故(なぜ)なら困難は、眠っている心に刺激を与え、
心を鋭敏にはたらかすための拍車となってくれるからである。

その結果、唯心所現の世界に於て、心の完全なる働きによって
最後の勝利を占め得ることになるのである。

           <感謝合掌 平成25年11月29日 頓首再拝>

   (   <感謝合掌 令和元年10月9日 頓首再拝>)

困難を恐れてはならない - 伝統

2019/10/10 (Thu) 20:03:52


      *「幸福を招く365章」(P16)より

山中で大きな熊に出会ったときには決してその熊から眼を外(そ)らしてはならないと
云われている。熊を恐れることなく見詰め、そして寧(むし)ろ微笑して彼を見詰める
のである。

すると熊は決してあなたに飛びかかって傷つけることは出来ない。
やがて熊はあなたの眼の前から姿を消す。

それと同じように、どんな困難も微笑してそれを迎える者には、
困難が困難でなくなるのである。

若し熊を恐れて、彼から目をそらせば、熊は直ちにとびかかって来て
あなたを一撃のもとに扼殺(やくさつ)してしまうのである。

困難はこちらが恐れずに立向かえば羊のように温順(おとな)しくなるが、
こちらが恐れれば熊のように跳びかかって来るのである。

           <感謝合掌 平成25年12月12日 頓首再拝>

   (   <感謝合掌 令和元年10月10日 頓首再拝>)

困難に突き当たった時 - 伝統

2019/10/11 (Fri) 18:15:13


          *「生活の智慧365章」(P22~23)

《困難に突き当たった時》 

どんなに困難そうな問題であっても、神の眼から見れば、困難な問題は無いのである。
あなたの周囲のものが悉く壊け去り、一切の富が失われたにしても神はそれを以前よりも、
もっと完全な姿に再建することができ、前よりも豊かな富を築きあげることができるのである。

宇宙の一切の天体が神によってつくられ、地上の一切の鉱物、植物、動物を含む資源が
神によって造られたものであることを想い出して御覧なさい。そしてこの天地創造の御力(おちから)
が、依然として神の内にあることを考えるならば、

神はあなたの、どんな難問題をも解決し、どんな大破壊をも修復して、以前にもまして
裕かなる世界を創造するお力を有し給うことがわかる筈である。

こんな事は、一寸考えたら解る筈の事であるのに、この真理を受容できない人があり、
また、”そんなこと解っている”という人の中にも、その悟りが頭脳の表層を占めるだけで、
充分潜在意識に染み込んでいない人も随分あるのであるから、

神想観の実修の時には勿論、常に機会ある毎に、この偉大なる神の力が自己と偕にあることを
念ずるようにして、その真理を潜在意識に浸潤するようにしなければならない。


《すべての恵みの本源を知る》 

何よりも大切なのは、吾々の生活になくてはならぬ全てのものが、
実はその本源が神より来るものであることを知ることです。

それを本当に知ったとき、真実神への感謝の念が起って来るのです。
神への感謝の念が本当に起って来たとき、吾々の精神波動が“神の国”と完全に霊交し得る
精神波動となって来て、きて、“神の国”に既にあるところの健康、財福、希望実現、その他
あらゆる善きものが現実化することができるようになるのです。

           <感謝合掌 平成25年12月16日 頓首再拝>

   (   <感謝合掌 令和元年10月11日 頓首再拝>)

困難を恐怖するなかれ! - 伝統

2019/10/12 (Sat) 19:04:46


        *「生命の實相」幸福篇下巻(12月17日~19日)より

恐怖というものは誤解の上に築かれている。
およそ恐怖すべてものは実相には無いのである。

人は困難を恐怖するが、困難がどれだけわれらを高め上げてくれるものであるか、
その困難の功績を知らない者が多いのである。

もし、困難の功績というものを、われらが知ることができるならば、
われわれは困難を苦痛と感じなくなるであろうし、
困難に対して恐怖を感じなくなるであろう。

困難と苦痛とは異(ちが)うのである。
困難を苦痛と感ずるのはただ誤解に因(もとづ)いている。

困難は時として立派な遺産を置いて行ってくれるものなのである。

・・・

        *「生命の實相」幸福篇下巻(12月18日)より

およそいっさいのものには存在の意義がある。
その人にとって不必要なものは存在しないのである。
いわんや困難に意義がないなどというはずはない。

与えられたものをその存在の意義をそのままに受け取ろうとしないとき、
そこに苦痛は起こり、悲哀が感じられるのである。

わたしはある日、鳩が板の上に卵を生んで抱卵に困っているありさまを見て、
その卵を巣皿の中に入れてやったら、慣れない鳩はその巣皿を怪しいものと思い、
「不幸」が見舞ったと思い、その卵の抱卵の期を失ってしまったことがある。

板の上に卵を生んだ鳩にとっては、そこへ巣皿が現れたということは、かえって救いの手であった
のだが、彼はそれを誤解し、恐怖し、与えられたものを素直に受けようとせず、苦痛を感じ、
呪詛を感じ、そして自己と自己の子孫の運命を腐敗せしめてしまったのであった。

困難を恐れる人間も、この鳩のごときものである。
すべて恐怖は誤解の上に成り立つのである。

静かに受けて、与えられた意義を見出せば、その人にとってそれは
あるいは運命向上の、あるいは人格向上の、あるいはいっそう健康となるための
素材であるはずのものがどんなにか多いことであろう。

・・・

        *「生命の實相」幸福篇下巻(12月19日)より

避けようと思えば思うほど苦痛が来る。
そのまま受けて全力を尽くそうと決意すれば苦痛はやわらぐ。
そのまま受けることが天意に協(かな)うことであるのが、これによってもわかるのである。

進んで、巣皿の中に飛び込んで行くものは、自分も保護され、自分の子も保護されるのである。

            <感謝合掌 平成25年12月18日 頓首再拝>

   (   <感謝合掌 令和元年10月12日 頓首再拝>)

波乱は命の証 - 伝統

2019/10/13 (Sun) 19:01:43


      *「feel blue こころが元気になる贈り物」秋月菜央・著(P50)より

自然は過酷
ときには 洪水や日照りが起きる
でも  それは地球が生きている証拠
豊かな自然ほど  変化が大きい


人生も過酷
吹雪になったり  嵐が来たり
ときには  方向さえ見失う
でも  それは
あなたが生きている証拠


生き生きと生きている人ほど
変化が大きい
波瀾万丈は命の証
氷河で凍りつくより
ずっといい

            <感謝合掌 平成25年12月23日 頓首再拝>

   (   <感謝合掌 令和元年10月13日 頓首再拝>)

勇敢に困難と取り組め  - 伝統

2019/10/14 (Mon) 18:54:52

          *「生活の智慧365章」(P134)より

人生には一面、色々の苦痛や困難がある。
それを苦痛とし困難として受け取るかどうかは
その人自身の“受け方”(精神的受け方)によるのである。

それらの苦痛や困難があるということは、
恰も学校で学ぶ過程に於て色々の学科があるのと同じことである。

勉強家は、その困難な学科を学習し、問題を解いて行くことに却って喜びを感じるが、
或る学生はそれを困難として苦痛として感ずるのである。

私たちは人生の色々の学科を学ぶべく色々の問題にぶつかるのであるが、
それを困難として苦痛として受け取らずに、喜びとし、楽しみとして
受け取らなければならないのである。

若しあなたに何らかの困難な問題が起こって来たならば、それを回避し、
それから逃げだそうなどと考えてはならない。

たとい一時その問題から逃げ出しても、それはあなたの魂の進歩について
必要な学習であるから、再びそれに類似の問題を課せられることになるのである。
だから人生の問題については進んで勇敢に取り組んで解決するようにするがよい。

その人の魂がその学科を卒業し得た心境に到達したとき、
その問題はあなたの人生から消え去るのである。

            <感謝合掌 平成26年1月5日 頓首再拝>

   (   <感謝合掌 令和元年10月14日 頓首再拝>)

片足のレスリング王者「アンソニー・ロブレス」の場合 - 伝統

2019/10/15 (Tue) 21:12:04

       *Web からの紹介です。

母・ジュディがアンソニー・ロブレスを身ごもったのは、まだ10代の学生の頃だった。
しかし、当時交際していた男性は妊娠に気づくと、彼女の元を去ってしまった。
両親の助けを借りながらも、学校を退学してシングルマザーになることを決意したのだ。

だが、更なる悲劇に見舞われた。
1988年に誕生したアンソニー・ロブレスは、生まれつき右足がない四肢欠損症だったのだ。

だが、彼女の育て方は驚くべきものだった。
障害のある息子をいたわるどころか、決して甘やかさず本気で叱り、
取っ組み合いになることも多かったという。
アンソニー・ロブレスは小さい頃から力が強かったという。

しかし、ある程度大きくなると・・・走れないアンソニー・ロブレスは
学校で仲間はずれにされることが常だった。

走れない自分を嘆くアンソニー・ロブレスに、
母・ジュディは「どうして諦めるの? あなたは走れるわ。
勝手に走れないって決めつけてるだけよ!」と言った。

厳しく怒るときも、元気づけるときも、親子のコミュニケーションはいつも取っ組み合いだった。
そして、すぐにアンソニー・ロブレスは特訓を開始。

片足でも、松葉杖があれば絶対に走れると信じて。
そして、松葉杖でも走れるようになったとき、友達ができた。

高校に入学したアンソニー・ロブレスが遇然、体育館でレスリングを見かけた。
そして、レスリングのコーチから体が出来ているから君は向いている、
一度試したらどうかと誘われた。

そして、その日あったことを母親に話した。
さすがの母親もレスリングまでは勧めないだろうと
・・・だが、母・ジュディは絶対やるべきだと言った。

いつも2人で取っ組み合いをしてきた、それと同じだと言うのだ。
アンソニー・ロブレスにとって、取っ組み合いは特別な意味を持っていた。
障害があっても世間に負けないように、厳しく叱ってくれたり、
勇気づけてくれる母の愛情そのものだった。

こうして、自らが通う高校のレスリング部に入部したアンソニー・ロブレス。
しかし、現実はそんなに甘くはなかった。

レスリングは、先に相手の体を仰向けに倒し、両肩をマットにつけた方が勝つ、
これをフォール勝ちといい、試合は終わる。
または、相手を抱え上げ、背中から落とすと3点。
相手の背後をとると2点など、奪ったポイントの多い方が勝つ。

片足のアンソニー・ロブレスは踏ん張れず、練習でもいつもポイントを奪われ、負けをきしていた。
そんな毎日を過ごしていた頃、クラブのスター選手、
アリゾナ州のチャンピオン、クリス・フレイジェに、一緒に練習させて欲しいと頼んだ。

当然周囲は、エースのクリスに実績もないアンソニー・ロブレスの相手などさせられないと思った。
しかし、クリスはそれを快諾。
クリスはアンソニー・ロブレスを連れてトレーニングジムへ向かった。

クリスは練習後も1人、ジムでトレーニングをしていたのだ。
以来、アンソニー・ロブレスはジムでパワーアップの猛特訓を自らに課した。

すると、次第に成果が現れてきた。
コーチはアンソニー・ロブレスの成長ぶりに注目。

そして、アンソニー・ロブレス流の闘い方を思いついた。
その作戦とは、片足がない弱点を武器に変えたスタイルだった。

そう、アンソニー・ロブレスは最初から腰を落とした状態で試合に臨んだのだ!
この低い姿勢から、素早く膝を蹴って相手に飛びかかる。
そして、持ち前のパワーで相手をひっくり返し、ポイントを奪うのだ!

アンソニー・ロブレスは握力80kg、ベンチプレス138kgを上げる体にまで成長していた。
そして、高校3年生の時、遂に州のチャンピオンに輝いた!!
さらに、その実力が認められ、アリゾナ州立大学への奨学金を獲得することができたのだ!

ところが、アンソニー・ロブレスが大学2年の時だった。
母・ジュディが倒れてしまった。
奨学金を獲得したとはいえ、母子家庭の親子の生活は貧しかった。

ジュディは生活費を稼ぐために、休みなく働き、それでも足りないときは、
1回35ドルで献血するなどしていた。 長年の無理が祟り、体調を崩してしまったのだ。

アンソニー・ロブレスが大学を辞めて働くというと、
「レスリングはどうするの?」と言ってきた。
諦めずに何とかなる方法を考えろというのだ。

母は、自らが命の危機に瀕しても、息子の夢を絶つことはなかった。
考えた末アンソニー・ロブレスは、練習をスピードアップさせ、早めに切り上げ、
その後、レクリエーションセンターでアルバイトを始めた。

母の決して諦めない前向きな精神は、アンソニー・ロブレスにも伝わった。
そして、ジュディさんの両親の援助も手伝って、
アンソニー・ロブレスは大学を辞めずに済んだのだ。

大学2年の時には、全国大会で4位に。
翌年は仕事との両立に集中できず、残念ながら7位に終わっていた。

そして迎えた、大学4年の最後の大会。
全米アマチュアレスリング、頂点を決める決勝戦、
舞台にいたのは、アンソニー・ロブレスだった!!

大会史上初めて、片足の選手が健常者と闘い、決勝戦まで登り詰めたのだ。
病気を克服したジュディさんも試合を見つめる。
アンソニー・ロブレスの相手は前年度のチャンピオン、強敵だ。

試合開始間もなく、アンソニー・ロブレスは相手の背後をとり、2点先取。
そして、ずっと練習してきた大技を繰り出す。
敵の体を回転させ、ポイントを稼ぐ。

そして・・・アンソニー・ロブレスは全米チャンピオンに輝いた!!

生まれつき片足という障害を持つ人々の中で、
これほど大きな健常者の大会で優勝したアスリートはいない。
まさに、奇跡の勝利だった。


そしてアンソニー・ロブレスは、スポーツ全般で、その年の優秀選手を表彰する式典に招待され、
不屈の努力を讃える「ジミーV賞」、さらに、障害を持つアスリートのなかで最も活躍した選手に
与えられる「最優秀障がい者男性アスリート賞」、2つを受賞したのだ。

不屈の男、アンソニー・ロブルス。
この奇跡を生み出したのは、母・ジュディに他ならない。

現在、アンソニー・ロブレスさんは、子供にレスリングを教える傍ら、講演活動を行うなど、
忙しい毎日を送っている。
さらに先日、自らの体験談を出版し、まさに時の人となった。

(動画<松葉杖をついたチャンピオン > → http://www.youtube.com/watch?v=1MfACHt__hI )

そして、この動画の最後の部分の「賞」の授賞式でのスピーチが素晴らしい。感動的です。

   *このスピーチは、<愛国生長の家>本流掲示板 でも紹介され、
    注目されております。
     (http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=daityouwa&mode=res&log=908 )  (36)

            <感謝合掌 平成26年1月16日 頓首再拝>

   (   <感謝合掌 令和元年10月15日 頓首再拝>)

(追加2019.10.15)

動画
https://www.youtube.com/watch?v=onZLT2LRUvU

https://www.youtube.com/watch?v=mkxs731EYf8



スピーチ
https://matome.naver.jp/odai/2135145744518782801

ありがとうございます

この場に立てて光栄です


今夜受賞した人のほとんどが何かを成し遂げたからではなく、

周りの人が犠牲を払ったり激励してくれたお陰でこの場にいる事ができるのです

私の場合それは、母のジュディでした

私が片脚で生まれた時、母は逃げ出すこともできました

しかしそうしなかった。そして母は教えてくれました

「諦めてはいけない」と

私を強くするために、痛みから守ってくれませんでした

大学2年の時、母は病気になり私たちは家を失いました

私はレスリングをやめようとしました

でも母は許しませんでした

お陰で全米チャンピオンになれました



そして世界一の指導をしてくれたアリゾナ州立大学と、友人のクリス・フレイジェ

高校時代のコーチ ボブ・ウィリアムズに感謝します

これからも私は前へ進みます

私のメッセージを聞いてください

この世に生を受けた人間は、脚が1本であれ2本であれ困難に立ち向かわねばならない

どう生まれたかではなく、どれだけ価値のある者になれるか

たくましくあれ、可能性を高めよ、そのために痛みが伴おうとも、
私は不満をこぼす事はないだろう

私の魂は屈する事はない

どんな敵に立ち向かおうとも恐れる事はない

私は自分の可能性を知っているから


困難に挑戦する - 伝統

2019/10/16 (Wed) 19:19:16


         *『希望を叶える365章』(P137~138)より

何事がやって来ても、心を動揺させてはならない。
結局、悪しきものは存在しないし、
悪しきものは我らを襲い来(く)ることはあり得ないからである。

私たちの人生の行路は必ずしも平坦ではない。
しかし、平坦でないから脚が鍛えられて健脚となるのである。
困難と見えるものは自己に内在する“無限力”を一層多く汲み上げるところのポンプ作用である。

スター・デーリーは、ライファーから
「出獄後自分の最も困難と感ぜられる仕事をせよ」と教えられて、
ついに宗教講演者となり、宗教書の著述家となったのである。

人生の経験に無駄はひとつもないのである。

困難に挑戦することによって、”内在の力”は一層多く発揮せられることになり、
自分の魂の能力のうち、まだ完全に磨かれていない部分を琢磨して輝かすことになるのである。

併(しか)し、「困難が来れば好いのに」と念じてはならない。
受難を礼賛すれば色々の困難を、わざと自分に引き寄せて収拾がつかなくなることがある。

困難を求めるのではなく、
自分の人生の行路に自然にあらわれた困難は避けることなく、
”困難と思わずにぶっつかれ”と云う意味である。

            <感謝合掌 平成26年1月27日 頓首再拝>

   (   <感謝合掌 令和元年10月16日 頓首再拝>)

人生の苦難を克服する祈り - 伝統

2019/10/17 (Thu) 19:11:56


         *「聖経 真理の吟唱」(P100)より

私たちは神の子である。
私たちの家は“神の子”たちの住む“神の国”なのである。
神はその全智にして全能なる力をもって私たちを愛し給い導き給うのである。

神の愛は近視眼的愛ではなくて遙かに前途を見越して、
有終の美を飾る如き結果をわれらに与えたまうのであるから、
現在の状態がたとい如何なる状態であっても私たちは神に対する信頼を失う
ということは絶対にないのである。

神は常に、その全能なる力をわれらに授け給い、全智なる智慧によって私たちを導き給う。
神の護りは完璧にして、神の導きは完全であるから、私たちは常に迷うことなく、
神の“内からなる導き”に全托して、大安心のもとに行動することができるのである。

神は常に最も良き道を知り給う。
神は時に困難な道をわれらに示し給うことがあるけれとも、
それはその困難の岩盤の下に素晴しい宝鉱が埋蔵されている時に限るのである。

そのような時、困難を困難としないで、困難の岩盤を掘鑿(くっさく)して行くならば、
われらは露頭(ろとう)にはみられない素晴しい宝鉱に到達することができるのである。

それゆえに私たちは決して困難を避けようとはしないのである。
神は石油でも金鉱でもダイヤモンドでも、何らの労作もなくして誰でも汲み出し、
誰でも拾えるような、手近な地表には置き給わなかったのである。

大(おおい)なる宝庫は、困難に打ち勝つ勇気と忍耐とをもって努力する者にのみ、
その報酬として与えられることになっているのである。

努力を通してのみ価値あるものが得られるように神がこの世界を計画しておられることは、
努力を通してのみ、人間の魂の能力は進歩し向上するからなのである。
 
初等科の学科は容易(たや)すくしてそれを学ぶに努力を要しないけれども、
深遠なる真理は、初等科の容易(やさ)しい学科だけでは得られないのである。

上級に進むにしたがい、学科は次第に困難となる代りに、
その蘊蓄(うんちく)する真理はいよいよ宏大深遠なるものとなるのである。
困難なるもののうちにこそ蘊蓄が多いのである。

しかし人生においてわれらに課せられる学科は決して、われらの、
その時の発達の程度において到達解決できないような困難なものではないのである。

自分の魂の現在の発達の程度に応じて、
努力さえすれば掘鑿できる程度のちょうど適当な困難さが用意されているのである。

だから一見如何に抜きがたき困難と見える事態に遭遇しようとも、
結局それらは私たちの克服し得る力量の範囲内にあるのである。
それゆえに私たちは困難を決して恐れないのである。

レジャー多すぎれば人は却って困難をつくってそれに挑戦する、
そして奥穂高で遭難し谷川岳で遭難する。

しかし私たちは、もつと生き甲斐のある人生行路の峻峰(しゅんぽう)に挑戦して、
ついに困難を克服することを喜びとするのである。

この力と自覚を与え給うたことに対し神に感謝いたします。

            <感謝合掌 平成26年3月2日 頓首再拝>

   (   <感謝合掌 令和元年10月17日 頓首再拝>)

「人生のダブルヘッダー」~鍼灸士・郡司ななえさんの場合 - 伝統

2019/10/23 (Wed) 12:06:58


今回は、ベストセラー『ベルナのしっぽ』の著者としても知られる鍼灸士・郡司ななえさんの
随想記事の紹介です。

     *「致知随想」ベストセレクションより
       ( 『致知』1998年7月号「致知随想」に掲載されたもの))


私の目が見えなくなったのは27歳のときだった。

激しい痛みをともなって、徐々に視界がぼやけていった。
視力の低下が著しく入院を余儀なくされたときには、
とうとう「べーチェットさん」にかなわなくなったのかと思って、
悔しくて悔しくて仕方がなかった。

厚生省指定の難病の一つであるべーチェット病だと診断されたのは、高校3年生のときだった。
体育の時間にクラス全員で列を組んでマラソンをしていたときのことである。

突然、足に劇痛が走った。
こらえきれずに転倒した。

足の腫れがひかずに病院でいろいろな検査を受けていくうちに、
ベーチェット病だと診断された。

病名がわかっても、どんな障害が出てくるかということは、
その時点ではまだわかっていなかった。

体に宿ってしまった病と仲良くしようと、
私は「ベーチェットさん」と名づけて、
なだめすかして10年あまりを平和に過ごしてきた。

新潟から東京に出てきて、建築会社でOLをしていた。
この平凡な生活が、ずっと続くのではないかと思っていた。

いや、そう願い続けることで、病気を克服できると信じていたかった。
ところが、「ベーチェットさん」はそんなに優しくなかった。

目の痛み、全身を襲う倦怠感、増していく内服薬、
注射、度重なる手術……。

難題を押しつけるだけ押しつけておいて、
一向によくなる気配は見えない。
それどころか、ますます窮地に追い詰めていく
あまりの意地の悪さに、ほとほと疲れ果ててしまった。

10か月あまりの入院の末に、退院することになった。
回復したからではない。
濃い乳白色の世界は、もう微動だにしなかった。

心配して、上京してきた母の腕につかまって、 週に一度だけ薬をもらいに病院へ通った。

外界との接触はそれだけだった。
テレビやラジオの音を耳にするのも煩わしくて仕方がなかった。

私にとって見える世界が失われたことは、 世界が失われたことに等しかった。
ただただ、ベッドの上に縮こまって、何も考えたくなかった。

1年6か月の間、私の巣ごもりは続いた。
その間、母が私を守る防波堤になってくれた。
「がんばりなさい」とか「そろそろ再起をはかったら」 などといったことは一言も言わなかった。


「いった豆でない限り、かならず芽が出るときがくるんだから」。

母が繰り返し言ったのはその一言だけだった。

そんな生きているのか、死んでいるのかわからないような私の魂を
呼び戻すきっかけとなったのは、 大宅壮一さんがお書きになった『婦人公論』の一文だった。


「野球の試合にダブルヘッダーがあるように、人生にもダブルヘッダーはある。
 最初の試合で負けたからといって、悲観することはない。

 一回戦に素晴らしい試合をすることができたのならば、
 その試合が素晴らしかった分だけ、
 惨敗して悔しい思いをしたならば、悔しかった分だけ二回戦にかければいい。

 その二回戦は、それまでにどれだけウォーミングアップを
 してきたかによって勝敗が決まってくる」
 
 
私の二回戦はこれから始まるのだと思った。
一回戦とは違って、目の見えない私で戦わなければいけない。

だが、一年半というもの、二回戦を戦う準備をさせてもらった。
もうウォーミングアップは十分だと思った。

いてもたってもいられない気持ちで東京都の福祉局に電話をかけ、
戸山町にある心身障害者福祉センターを紹介してもらった。

目が見えなくなって、何から始めたらいいのかわからない私にとって、
まず最初に必要なのは一人で歩けるようになることと、点字を読めるようになることだった。

やっと外界と接触する心の準備のできた私を後押しするように、
電話で相談にのってくださった先生がおっしゃった。


「あなたは運のいい人ですね。
 ちょうど視覚障害者向けのカリキュラムにあきが出たところなのですよ。
 
 明日いらしてください。
 明日来られなければ、他の人に順番をまわしてしまいますからね」
 

舞い込んできた幸先のよさに喜び勇んで、新しい人生を出発することになった。

そんな私の二回戦の試合模様が、
先に『ベルナのしっぽ』という一冊の本にまとまった。

結婚して、子供を産み、盲導犬とともに暮らす奮闘ぶりが描かれている。
大竹しのぶさん主演のドラマとして、フジテレビでも取り上げていただいた。

こうして、あの空白の1年半から立ち直ってみて思うのは、
生きる勇気を失わない限り、私たちは
たいていの困難を乗り越えていくことができるということである。

不幸のどん底にいるときには、どこまでも奈落の底に落ちていくのではないかと思えてくる。
だが、それをこらえてじっと痛みを耐えていれば、かならず明るい光は見えてくる。

その一つひとつの困難を乗り越えていくことが生きるということなのではないかと思う。

そして、一試合目がうまくいかなくても、人生にはときに二試合目が巡ってくる。
そのためのウォーミングアップを続けていくことこそが、
次の一歩を踏み出すためにもっとも大切なことなのだと思う。

            <感謝合掌 平成26年4月2日 頓首再拝>

   (   <感謝合掌 令和元年10月23日 頓首再拝>)

【あらゆる体験に無駄なし】 - 伝統

2019/10/26 (Sat) 19:28:33


         *メルマガ「人の心に灯をともす(2012年06月06日)」より

   (田中真澄氏の心に響く言葉より…)

   いつの間にか、私たちの人生は、80年になり、将来は100年になるという、
   生きる上での大変革期を迎えることになってしまった。

   この変革に対して、残念ながら、国家も企業も十分な対応策を持ってはいない。
   むしろ増大する老人の福祉に、政府は逃げ腰である。

   ということは、やっぱり、これからの時代は、たよれるのは自分の生きる力である。
   どんなところでも、どんなことにでも順応して生きていける力が必要なのである。

   東大経済学部の土屋教授は、これから老後が長くなる時代を活き活きと生き抜くには、
   若いうちに2つの経験をしておくことだといっている。

   一つは、七転八倒の苦しみを味わっておくこと、
   二つは、取引先創造のような無から有を作る試練である。

   これが状況対応力の基本になるからであろう。

   逆境が逆境に終わるのか、それとも、逆境を、自分を鍛えるチャンスとしてとらえるかで、
   人生は大きく変わってくる。

   多くのサラリーマンが、老後、幸せに生きるためには、
   会社勤務時代に、できるだけ苦労をかって出て、あの人は何事も責任をもって
   よくやってくれるという人々からの信頼感を得られる人間になることである。

   自立の力とは、そうした日々の仕事を、常に自分を磨く学習の機会としてとらえ、
   「あらゆる体験に無駄なものなし」とする積極的な姿勢の中で養っていくものだと思う。


   アメリカの女流画家グランマ・モーゼスさんは、1860年ニューヨーク州の農家の生まれ。
   27歳で農夫と結婚、ヴァージニア州の農場で働き、
   10人の子供を生み、5人をなくしている。

   67歳の時、夫は死亡。
   末っ子の息子夫婦とさらに10年間農作業に従事する。
   78歳の時、やっと暇ができ、油絵を描きはじめる。

   この絵が、ある絵画蒐集(しゅうしゅう)家の目にとまり、
   次第に画家として、全米にその名が知られてゆく。

   89歳の時、当時のトルーマン大統領から功労賞を受賞。
   そして101歳で亡くなるまで、何と1600枚に及ぶ作品を残している。

   彼女の絵は、ニューヨークのメトロポリタン美術館、パリの国立近代美術館など
   欧米の代表的な美術館に収められている。

   正式に絵を習ったこともなく、美術館めぐりをしたこともない農夫が、
   しかも80歳近くになってから、はじめて絵筆をにぎって、一流の画家になれたという事実。


   そこには、凡人でも人生の後半で勝負することが可能であることを教えてくれた
   モーゼスさんの生きざまがある。

        <『心が迷ったとき読む本』 PHP文庫>

         ・・・・

起業家は、創造という意味では芸術家と似ている。
無から有を生み出す仕事だからだ。

無から有を生み出すには、想像力や集中力、行動力、持続力、そしてヒラメキ等が必要となる。

それらを達成した成功者たちは一様に、
常識を超えたハードワークや、人の何倍もの練習量をこなしてきた人たちだ。

凡人が成功するには、それしかない。


何かを成し遂げた人は、他の人が嫌がる苦労や困難をむしろ喜んで引き受ける。
そして、どんなときでもあきらめない心を持ち、無から有を生み出すエネルギーを持っている。

「あらゆる体験に無駄なし」の気持で、明るく前向きに日々を送りたい。

            <感謝合掌 平成26年4月13日 頓首再拝>

   (   <感謝合掌 令和元年10月26日 頓首再拝>)

「困難は進んでぶち当たれば困難でなくなる」 - 伝統

2019/10/27 (Sun) 19:32:46


           *「如意自在の生活365章」(P241~242)より

困難な問題が起こって来たならば、それから逃げ出そうと考えてはならないのである。
逃げ出している間じゅう、その問題は自分の心に引っかかり、自分の心を苦しめるのである。

それはあたかも、重要犯人が逃げ回っている間じゅう、
かえって心の安定がなく苦しいようなものである。

問題から逃げ出せば、小さな困難でしかない問題も心の中で輪をかけて大袈裟に想像するように
なり、そのため「想う通りにあらわれる」という法則によって本当に、
その問題は重大なる問題に発展するようになるものである。

火事はそれが小さいうちに消せば大事に至らないが、
小さいうちに消す事を怠れば大火事となって防ぎようがなくなるのである。

だから困難は、どんな大きなものでもすぐ直接に勇敢に取り組むとき、
困難が困難でなくなるのである。

すべてあなたに関係した出来事から逃げ出そうと思ってはならぬ。

            <感謝合掌 平成26年4月19日 頓首再拝>

   (   <感謝合掌 令和元年10月27日 頓首再拝>)

【アー・ユー・ハッピー? 】 - 伝統

2019/10/28 (Mon) 19:05:11


         *メルマガ「人の心に灯をともす(2012年05月02日)」より

   (矢沢永吉氏の心に響く言葉より…)

   1998年、オレはオーストリアで被害総額30億円以上という、
   とんでもない横領被害に遭った。

   犯人は長年、一緒に仕事してきたオレの部下だった。

   事件はオレにとって大きかった。
   金額の問題じゃない。

   とにかく精神的ダメージが大きかった。
   どーんと胸に空洞があるみたいになった。
   ショックだった。

   だってそうじゃないか。
   犯人は側近中の側近だ。
   やつらが共謀してオレを裏切ったんだ。

   背任、横領、公文書偽造。
   やりたい放題だった。
   しかも、10年間にわたって。


   「矢沢がやられたよ、だまされちゃったよ、大借金くらっちゃったよ、あいつバカだよな」

   結局、マスメディアが言ってることはこれだけだった。

   オレは、負けるわけにはいかない、と思った。

   「こいつら、待ってるんだろうな、オレが破産するのを。
   こいつらにいい思いさせたくないな」

   こいつらっていういのは、「他人の不幸は蜜の味」と思っている連中だ。

   すると、どうする?

   何が何でも借金を片つけなきゃいかん。
   「あの男は落ちねえな」と思わせるところにいかなきゃオトシマエがつかないだろう。

   オレが引かない理由?

   プライドもあるだろう。
   このまま尻尾を巻いたんじゃ、あまりにもシャクだよな。

   でも、それだけじゃない。
   もっと上から見てみたら、本当に負けちゃいけないって思えるんだよ。
   このままじゃ、世の中に正義ってもんがないってことになる。

   「真実もクソもあるかい。おもしろければいいじゃん」

   ってやつばっかりのさばったら、人間社会は終わる。

   いくら腐っても、どっかのところでは、誰が悪いのか、何がどうなているのかは、
   きっちり白黒つけなきゃいかん。


   うちの女房はいいことを言った。

   「あなた、FやKを憎んだところで、今さら消えたお金と時間が返ってくるわけじゃない。
   やらなきゃいけないことは、ほかに山ほどあるわ。

   かわいそうなヤツらだと思って、こっちからパスしちゃいなさいよ。

   あんまりあの人たちを憎むことにかかわらないほうがいいわ。
   憎んだら、あなたまで持っていかれちゃうわよ」


   そうだよな。

   「世の中はみんな盗人だ」と思って、いつもピリピリしてたんじゃ、いい音楽はつくれない。

   オレはだまされた自分のことがいやじゃない。
   この純粋バカさ加減の矢沢がきらいじゃない。

   そういうオレは甘ちゃんかもしれない。
   でもオレはそれでいいと思っている。

   長い年月で、どっちが悲しい思いをするだろう。
   オレじゃない。
   オレを陥れるヤツのほうが、悲しい思いをする。

   オレは絶対そう信じている。
   これは負け惜しみじゃなくて、そう思う。

   人間はいつか死ぬ。
   だんだん年をとって、体もゆうことをきかなくなってきて、
   ふと若いころを振り返ったとき、信頼してくれている人間を陥れたことがあるなんて
   思い出したら、それは気持いいもんじゃないよね。

   負債と取り立て。
   こいつは苦しい。
   でも、オレは負けない。

   何歳まで生きられるか知らないけど、オレは役を与えられたんだ。
   矢沢永吉という役を。

   「そうだよなあー。ケツまくって生きるのもスジか」と思って、
   でかい口あけて笑えるようになった。


   オレは歌える。
   借金を返すのに何年かかるかなんて、そんなもん、たいしたことない。

   死んだらほんとのおしまいなんだよ。
   やっぱり。

          <『アー・ユー・ハッピー?』角川文庫>

          ・・・


矢沢永吉はその事件後、6、7年で借金を完済した。
1人で30億円を、だ。

矢沢永吉は、1949年生まれの62歳。

29歳の時出版した、『成りあがり』という本の中でこう言っている。

「50になってもケツ振ってロックンロールを歌っているような、
かっこいいオヤジになってやる」


人生は、誰もが役割を与えられて、この世に生まれてきた。

だが、楽しい役ばかりではない。


たった一回の人生という舞台。

どうせ演じなければいけないのなら、逃げずに、かっこよく演じてみたい。

            <感謝合掌 平成26年4月23日 頓首再拝>

   (   <感謝合掌 令和元年10月28日 頓首再拝>)

勇敢に困難と取り組め - 伝統

2019/10/29 (Tue) 21:13:26


        (『生活の智慧365章』(P134)より

人生には一面、色々の苦痛や困難がある。それを苦痛とし困難として受け取るか
どうかはその人自身の“受け方”(精神的受け方)によるのである。

それらの苦痛や困難があるということは、
恰も学校で学ぶ過程に於て色々の学科があるのと同じことである。

勉強家は、その困難な学科を学習し、問題を解いて行くことに却って喜びを感じるが、
或る学生はそれを困難として苦痛として感ずるのである。

私たちは人生の色々の学科を学ぶべく色々の問題にぶつかるのであるが、
それを困難として苦痛として受け取らずに、
喜びとし、楽しみとして受け取らなければならないのである。

若しあなたに何らかの困難な問題が起こって来たならば、
それを回避し、それから逃げだそうなどと考えてはならない。

たとい一時(じ)その問題から逃げ出しても、
それはあなたの魂の進歩について必要な学習であるから、
再びそれに類似の問題を課せられることになるのである。

だから人生の問題については進んで勇敢に取り組んで解決するようにするがよい。
その人の魂がその学科を卒業し得た心境に到達したとき、
その問題はあなたの人生から消え去るのである。

            <感謝合掌 平成26年4月26日 頓首再拝>

   (   <感謝合掌 令和元年10月29日 頓首再拝>)

【試練は人を鍛える】 - 伝統

2019/10/30 (Wed) 12:58:58


         *メルマガ「人の心に灯をともす(2012年02月08日)」より

   (マミュエル・スマイルズの心に響く言葉より…)

   偉大な人たちは、激しい葛藤の結果、世のために役立つりっぱな業績を遺しました。

   ■「もし身体が弱くなかったら、あれだけ大きな仕事はできなかったにちがいない」と
    ダーウィンは述べています。

   ■死が近づいたヘンデルは手足のしびれに襲われ、絶望感と苦痛にさいなまれながらも
    机に向かい、その名を不朽なものとした名曲をいくつも作曲しました。

   ■モーツァルトは莫大な借金を抱え、重い病と戦いながら「レクイエム」の最終曲と
    オペラを作曲しました。

   ■シューベルトは貧困に苦しみながら32年の短いながらも輝かしい生涯を閉じました。
    後に遺された財産といえば、着ていた洋服とひと握りの銀貨、それに自分で作曲した曲の
    楽譜だけでした。


   災いは姿を変えた幸せにすぎません。
   うまく生かすことによって、何倍もの幸せを手にできるのです。

   経験は苦々しいものであっても有益です。
   経験を通してのみ、私たちは悩み、強くなることを学びます。
   人格は試練によって鍛えられ、苦しみを通して完成されるのです。

   富や成功は、それだけでは幸せをもたらしません。

   最大の幸福とは、もつれた糸のようなものです。
   幸福は悲しみと喜びの組み合わせで、悲しみがあるからこそ喜びは大きくなる。

   不幸の後には幸せがあり、私たちを悲しませては、さらに大きく喜ばせてくれます。

          <『スマイルズの名著「品性論」』三笠書房>

           ・・・・・

「試練や、苦しみや、災いは姿を変えた幸せ」と、すんなり思える人は少ない。
特に、災いが降りかかっている真っ最中の時は、なかなか「幸せ」と思えない。

人間には2通りの人がいるという。

どんな災難の中からも、明るい面をみつけることができる人と、
その反対に暗い面ばかりを探し出し、打ちひしがれてしまう人だ。

明るい面を見るか、暗い面を見るのかは、訓練しだいだ。


「心中に喜神(きしん)を含(ふく)む」という言葉があるが、
どんなときでも、ニッコリとほほえむ気持を持つことがあるといい。

あたかも、心の中に、喜びの神がいるがごとくに。


「災いは姿を変えた幸せ」

試練や苦しみは、人を鍛え、人間力を高める。

            <感謝合掌 平成26年5月2日 頓首再拝>

   (   <感謝合掌 令和元年10月30日 頓首再拝>)

燻っている時間の意味 - 伝統

2019/10/31 (Thu) 13:28:02


       *「試練は乗り越えろ」岡野雅行・著(P24~26)

人生には浮き沈みがあり、羽振りのいい時期があれば、落ち目になることもあるもんだ。
喜びも、感動も、絶望も、生きるっていう感触なんだから、ざっくばらんに受け入れなきゃな。

生きてると良いことも嫌なこともあり、それが繰り返されるが、
それは体験して「学ぶ」という意味がある。

体験というのは、たとえ一時、悪い状況に陥っているように見えても、長い目で見れば、
実はそんなことはないんだな。一事が万事塞翁が馬 ―― 体験にはそれぞれ、いろんな意味が
あって、後々、大きく影響してくる、なんてことはしょっちゅうだ。


たとえばアインシュタイン・・・。工科大学を卒業した時に、物理学部長と不仲で大学に
残れなくなり、友人の親父の紹介で特許庁に勤務した。

これはアインシュタインにとっては失意というか、面白くないことに違いないんだが、
このとき、彼は不本意な職場で働きながら特殊相対性理論を書き上げた。この他にも、重要な
論文を発表したり、生涯最良の名案といった一般相対論の基となるアイディアを思いついたんだ。


挫折や遠回りってのは、その時は障害であっても、それは重要な意味がある。
逆境の時ってのは、物事を成し遂げるきっかけなんだ。


人生で燻っている時間というのは、減(め)り張(は)りの「減り」、
その後は、かならず「張り」がやってくるものだから、燻っている時間というのは、
その時に何をするかで、無駄な時間ではなくなるんだよ。

踏まれて強くなった麦やアスファルトを突き破って出てくる大根と同じように、人間は
温室育ちの人間や、人生順調にきて挫折を知らない人よりも、踏まれたり、挫折を繰り返して、
それを乗り越えてきた人間のほうが強いんだ。

結果的に成功する人ってのは、逆境に見舞われたとしても、この試練を乗り越えられると
信じているから克服できる。苦しい時期も、いずれ、かならず抜け出せる。
その過程に大きな意味が潜んでいるんだ。

            <感謝合掌 平成26年5月10日 頓首再拝>

   (   <感謝合掌 令和元年10月31日 頓首再拝>)

困難にいどむ - 伝統

2019/11/01 (Fri) 12:08:16


         *『生活の智慧365章』(P113~114)

人間の自由は、彼が環境や境遇の奴隷でなくなったときにのみ得られるのである。

環境がどうだから出来ないとか、こんな境遇では迚(とて)も思うようにならない
とかいうのでは、環境や境遇の奴隷であって、
自由の主体である“神の子”の自覚を得たものということができないのである。

もっと神想観をして絶対者との一体感を深めなさい。

すべての環境・境遇は、その人が或る能力を発現さすための運動用具のようなものである。
木馬や鉄棒(かなぼう)や平均台や吊環(つりわ)などはいずれも運動の選手がその能力を
発現さすために是非無くてはならない環境又は境遇であるのである。

運動の選手はみずからそのような環境・境遇の条件をもとめて、それを克服し、
自由に肉体の運動美を発揮するための用具とするのである。
このとき運動選手は主人公であり、自由の主体である。

ところが学校の体操の時間に学生みずからはそんな運動をやりたくないのに課せられて、
嫌々ながら、木馬の練習や鉄棒の練習をやらせられたとしたならば、
学生は強制されたのであり、自由を奪われた訳である。

同じ木馬や鉄棒で運動しながら前者は主人公であり、後者は自由を奪われた奴隷である。
その相違はどうして生ずるか。

人生の勝者となるものは受動を飜(ひるがえ)して、能動をすることにあるのである。
常に受動である者は奴隷であり敗者であるが、能動的にみずから進んで
困難にいどむ者は常に勝者であり、主人公であるのである。

            <感謝合掌 平成26年5月14日 頓首再拝>

   (   <感謝合掌 令和元年11月1日 頓首再拝>)

困難は人間を成長させる - 伝統

2019/11/03 (Sun) 15:04:40


       *「試練は乗り越えろ」岡野雅行・著(P141~142)より

「困難」とは「困る」「難しい」が合わさったもの。

もし、難しく困ったことに直面したら、成長する機会が到来したことだから、
やせ我慢してでも気張っていきたいね。

人間は困った時こそ力が出るもので、まだ、力が湧いてこないようであれば、
それは、まだ、そんなに困っていない状態なのかもしれない。

よく、中小企業の社長が、経営が苦しくなって「もう駄目だ」なんて、
生命力のない話を聞くけど、人間、死んだつもりで何かをやれば、できないことなんて、
ぜったいにないはずだ。

死にものぐるいじゃないから、弱音が吐けるんだ。

社長というものは「こうやるんだよ! 」っていうのを見せつけられないようじゃ、
社長は失格。俺はいつもそうしてきた。

人間は絶体絶命の時こそ、火事場の馬鹿力だ。
馬鹿力が湧けば大抵の困難は克服できるんだからね。

            <感謝合掌 平成26年5月22日 頓首再拝>

   (   <感謝合掌 令和元年11月3日 頓首再拝>)

「人生を大成させるための心得とは?」 - 伝統

2019/11/04 (Mon) 14:52:03


        *メルマガ「人間力(2014年05月24日)」より

人生は順逆の連続という。


 順逆をこえるとは、
 順境にも逆境にも負けない自分を創るということである。
 
 聖路加国際病院の日野原重明先生――。
 この方の百年の人生にも、順境逆境は繰り返されたろう。
 
 それを超え、いまなお使命に生きておられるお姿には神々しさがある。

 1970年、
 日航機よど号ハイジャック事件があった。
 日野原先生はその機中にいた。
 58歳だった。


 事件4日目、乗客は全員無事、
 韓国・金浦空港で解放された。
 靴底で大地を踏みしめると、「無事地上に生還した」の思いが膨らみ、
 
 これからの人生は与えられたもの、人のために生きよう、
 という決意に繋がっていったという。
 
 帰国した日野原先生を、
 1000人を超す人たちからの
 お見舞いやお花が待っていた。
 
 その礼状に奥さまが書き添えられた。

 
 「いつの日か、いづこの場所かで、どなたかに、
  この受けました大きなお恵みの一部でも
  お返しできればと願っております」
 
 この言葉が日野原先生第二の人生の指針となった。
 
 
 昨年末、NHKテレビで
 日野原先生のドキュメント番組が放映された。
 
 インフルエンザで39度の熱がありながら、
 子供達との約束だから、と地方講演に向かわれる姿をテレビは映し出していた。
 

 その先生が作られた俳句がある。
 
  “百歳はゴールではなく関所だよ”

 人生の順逆にほほえみを持って立ち向かわんとする姿が、この句に表われている。



 「順境にいても安んじ、
  逆境にいても安んじ、
  常に坦蕩々として苦しめるところなし。
  これを真楽というなり。
  萬の苦を逃れて、
  真楽を得るを学問のめあてとす」
  
 中江藤樹の言葉である。
 

 順境の時、人はつい慢心しがちになる。
 順境にあって傲慢にならず、謙虚に心を落ち着かせている。
 
 逆境の時もへこたれず、心が安定している。

 どんな状況でも心が平らかでゆったりとし、状況に振り回されない。
 それを真の楽しみという。
 この真の楽しみを得るために、そういう人物になるために学ぶのだ、

 と藤樹は学問の要訣を説いている。
 

 人生を大成させる人は一様に、この要訣を体得した人であろう。
 
            <感謝合掌 平成26年6月3日 頓首再拝>

   (   <感謝合掌 令和元年11月4日 頓首再拝>)

困難を掴んではなりません - 伝統

2019/11/05 (Tue) 13:00:59


            *『眞理』第九巻生活篇(P153~154)より

困難を困難と認めてそれと戦ってはなりません。
困難を困難として心につかむとき、その困難は自分から離れがたいものとなるのです。
心を神の方へ向けなさい。

神と云う「無限の智慧」に心を向けかえて其処から出てくるヒントに従って
素直に事をはこぶとき、どんな困難も完全に克服できるようになるのです。
困難はほおっておけば、困難みずから自壊するのです。

困難を敵として取り組んで、それをつかんで色々とかき廻すから、
池の中を棒で掻(か)きまわすように益々周囲がにごってくるのです。
池の水を澄ます途(みち)は池の水を掻き廻さないことにあるのです。

自分が困難を克服することは要らないのです。
神が困難を克服したまうのです。
私達はただ神の指示するままに従っていれば好いのです。

神は無限の智慧であります。
無限の智慧をわがものとしなさい。

            <感謝合掌 平成26年7月3日 頓首再拝>

   (   <感謝合掌 令和元年11月5日 頓首再拝>)

困難に挑戦する - 伝統

2019/11/08 (Fri) 18:08:26


        *「希望を叶える365章」(P137~138)より

何事がやって来ても、心を動揺させてはならない。
結局、悪しきものは存在しないし、
悪しきものは我らを襲い来ることはあり得ないからである。

私たちの人生の行路は必ずしも平坦ではない。
しかし、平坦でないから脚が鍛えられて健脚となるのである。
困難と見えるものは自己に内在する“無限力”を一層多く汲み上げるところのポンプ作用である。

スター・デーリーは、ライファーから
「出獄後自分の最も困難と感ぜられる仕事をせよ」と教えられて、
ついに宗教講演者となり、宗教書の著述家となったのである。

人生の経験に無駄はひとつもないのである。

困難に挑戦することによって、
“内在の力”は一層多く発揮せられることになり、自分の魂の能力のうち、
まだ完全に磨かれていない部分を琢磨して輝かすことになるのである。

併し、「困難が来れば好いのに」と念じてはならない。
受難を礼賛すれば色々の困難を、わざと自分に引き寄せて収拾がつかなくなることがある。

困難を求めるのではなく、
自分の人生の行路に自然にあらわれた困難は避けることなく、
”困難と思わずにぶっつかれ”と云う意味である。

            <感謝合掌 平成26年7月13日 頓首再拝>

   (   <感謝合掌 令和元年11月8日 頓首再拝>)

「涙の種はいつか喜びの花となる」 ~清水咲栄(郵便配達おばあちゃん) - 伝統

2019/11/12 (Tue) 14:04:18

◆ 致知出版社の「人間力メルマガ」-----2014年7月20日 ◆

「涙の種はいつか喜びの花となる」 ~清水咲栄(郵便配達おばあちゃん)


“90歳の郵便配達おばあちゃん”として、テレビや雑誌などで注目を集めた清水咲栄さん。

昨年の7月、咲栄さんが天寿を全うされて、今月はちょうど丸1年の節目です。

冬になると積雪4メートルを超える長野県の山奥で、
20年にわたり、12月から3月まで、郵便配達の仕事を毎日欠かさず行なっていました。

たとえ吹雪であっても、自分の足で坂を上り、ソリで滑って下りてくる。

そんな咲栄さんの姿はいつしか地元でも有名となり、多くの人に元気と笑顔を与えていったのです。

ところが、咲栄さんの人生は決して順風満帆ではありませんでした。

赤貧、借金地獄、愛する人との死別……。

度重なる艱難辛苦を咲栄さんは、いかにして乗り越えてきたのでしょうか。


その人生訓と幸福論とは――。

     ・・・

(以下は、『致知』2013年7月号からの紹介です。)


忘れもしません。
あれは昭和50年12月12日のことでした。

その前日、一番下の娘が会社の休みの日に涌井の実家へと帰ってきていました。

昼間はとてもいい天気でしたが、その日の晩に大雪が降ったのです。

朝6時、父ちゃん(咲栄さんの夫)は
長野に帰る娘を駅まで送っていくと言って出ていったまま、帰らぬ人となってしまいました。

その頃、まだ道路は舗装されておらず、ガードレールもない。
その上に新雪が積もっていたので、運転を誤ったのでしょう。
崖から落下し、即死でした。

それから数日間、私は茫然自失。
涙が枯れるまで泣きました。

ただ、幸いにして、娘は落ちていく途中で車の外へ放り出され、九死に一生を得ました。

あの時は、娘は運よく助かったのだろうと思っていましたが、
いま考えると、落ちていく瞬間、父ちゃんがとっさに助手席のドアを開けて、
娘の命を助けてくれたのではないか。
そう思います。

父ちゃんが亡くなった後、私は無我夢中で生きました。
まだ少し借金が残っていたため、下を向いてばかりいられなかったのです。

土木作業員として、高さ10メートルの鉄柱の上に立って
ロープを引いたり、車輪を取り付けたりと、男衆と一緒になって朝早くから夜遅くまで働く日々。

あの時の私は仕事に没頭することで悲しみを忘れようとしていたのかもしれません。

そうして70歳の時、郵便配達の仕事が舞い込んできたというわけです。
20年にわたって雪国の郵便配達を続ける中で、命の危険に直面することが何度かありました。

ある時、配達を終えて歩いていると、
突如としてゴォーッという地鳴りのような音が聞こえてきました。

振り返ると、山の上から物凄い量の雪が襲ってきたのです。
私は慌てて逃げましたが、一瞬のうちに私の背中をかすめて崖下へと流れ落ちていきました。

あと何秒か遅れていたら、間違いなく雪崩に巻き込まれていたでしょう。

それだけではありません。

とてつもない暴風雪が吹き荒れていた時には、
どんなに踏ん張っても体が思うように動かず、どんどん崖のほうへと流されていく。
そして崖まであと2メートルという寸前のところでピタッと風が弱まったということもありました。

郵便局の方からは

「吹雪の日は大変だから、休んで次の日にすればいいのに」

とよく言われます。

しかし、そんなわけにはいきません。

どんなに凄い吹雪だろうと、郵便が届くのを楽しみに待っている人たちがいるのですから。

ある方がこう言いました。

「誰かの笑顔を、この山に住む人々に届け、一緒に喜ぶこと。
 誰かの悲しみを、この山に住む人々に伝え、一緒に涙すること。
 それがあなたの仕事」

ですから、今日までの20年、私は天候を理由に休んだことは一切ありません。

しかし、たったの1日だけ、どうしても体が言うことを聞かず、休んだことがありました。
それは一番下の娘が亡くなった日のことです。

そう、父ちゃんが亡くなった時、奇跡的に一命を取り留めたあの子です。

彼女はあの交通事故の後、結婚して幸せな家庭を築きましたが、
若くして乳がんを患ってしまったのです。

享年46でした。

やはり親としては自分の娘に先立たれるほど切ないものはありません。
 
こうして振り返ると、人生というのはいいことよりも悪いことのほうが多いものなのでしょう。

しかし、四季が巡ってくるように、厳しい冬の後には必ず春が来ます。

人生という畑に涙の種を蒔けば、
その種がいつか喜びの花を咲かせてくれる。

だからこそ、人生は忍耐と努力に尽きる――。

それが90年の人生を通して得られた実感です。

私がよく言っているのは

「ずくを出して頑張らねか」

ということ。

“ずく”とはこのあたりの方言で、やる気という意味です。

人生、ずくを出さなければ何もできません。

苦労をともに乗り越えてきた父ちゃんを亡くし、自分の娘にも先立たれてしまいましたが、
ずく一筋で生きてきたからこそ、いまの私があるのではないでしょうか。

悲しみに浸って泣いてばかりいても
どうしようもない。

どん底まで行ったら、
あとは這い上がるのみです。

一歩一歩踏みしめていけば、
必ず幸せに辿り着く。

本当に一歩、一歩。

そう思います。

・・・

<参考Web:豪雪の山中、90歳のおばあちゃんの届けてくれる郵便
       → http://eikojuku.seesaa.net/article/367537062.html >

            <感謝合掌 平成26年7月27日 頓首再拝>

   (   <感謝合掌 令和元年11月12日 頓首再拝>)

困難の奥には聖意がある - 伝統

2019/11/13 (Wed) 08:52:38

困難と闘って生じるメリットもある

     *「「いいこと」を引き寄せる11人の賢者の話」(P64~66)より

良寛和尚の言葉に次のような金言があります。

「災難に遭う時節には災難に遭うがよく候。これ災難を逃れる唯一の妙法にて候」

これは一般には、災難に遭ったときはジタバタせず、「なるようにしかならない」と
解釈されがちです。

本当はもっと奥深いものがあり、

「困難にぶち当たっても、実際にやり始めれば、予想とは裏腹に、意外と簡単に片付いて
しまう場合だってある。それに自信もつく。そうすれば、同じように困難に遭遇しても
物怖じすることはなくなる」

ということを教え示しています。


困難に見舞われたら、「ダメモト」という軽い気持ちでトライしていけば、
意外とすんなりこなせるものなのです。

・・・

<あなたの困難の奥には聖意がある> 

        *「人生の秘訣365章」(P270~271)より

あなたの希望を実現するため障礙となっているものを大きく過信してはならない。
あなたにとって跳び越えがたい障礙などというものは、本当は存在しないのである。
完全な「自由」の本源が神なのである。

唯その障礙を跳び越えるためには多少の努力を要し、
その努力を通して、あなたの魂が進歩するように計画されているのである。

この事がよく分かれば困難の奥には希望の成就と魂の進歩とがあり、
少しも恐れる事なく困難に立ち向うことができるようになるのである。

            <感謝合掌 平成26年8月4日 頓首再拝>

   (   <感謝合掌 令和元年11月13日 頓首再拝>)

”失敗はすべて灰になったよ” - 伝統

2019/11/14 (Thu) 17:45:23


        *メルマガ「人の心に灯をともす(2014年07月28日)」より

   (A・マグギニス氏の心に響く言葉より…)

   トーマス・エジソンも決して不幸に屈服せず、
   逆境を有利な状況へ転化する術を心得ていた人物だ。

   1914年12月、ニュージャージー州ウエストオレンジにある
   エジソン研究所は火事によってほぼ全壊した。

   エジソンは一夜にして、再び手に入れるのは絶望的と思われるほどの設備と
   ライフワークである研究記録のほとんどを失った。


   エジソンの息子チャールズは父親を見つけようと狂ったように周囲を走り回った。
   ついに彼は火のそばに立ちつくしている父親を見つけた。
   その顔は炎を受けて赤々と輝き、白い髪が冬の風になびいていた。

   「私の胸は強く痛んだ」チャールズ・エジソンは語っている。
   父はもう若くはないのに、すべてを失ってしまったのだから。

   だけど、驚いたことに父は私を見つけると大声で叫んだ。

   「母さんはどこだい?
   すぐに見つけてここに連れてきなさい。
   こんな光景は生きている間に二度と見られるものじゃないからね」

   次の朝、希望や夢が黒焦げになったたくさんの燃えさしの間を歩きまわりながら、
   67歳のエジソンは言った。

   「災害には大変なありがたみがあるね。
   われわれの失敗はすべて灰になったよ。
   これから真っさらでスタートできることを神に感謝しなければ」

   行く手をはばむ大きな岩をも敷石に変えてしまうこの天賦の才は、
   どんなタイプの困難にもどんな人々の間にあっても大きな力を発揮することだろう。

       <『今できる事から始めよ!』三笠書房>

        ・・・・・

カーネルサンダースがケンタッキー・フライド・チキンを創業したのは、65歳の時だった。

田中久重が現在の東芝の前身「田中製作所」を銀座につくったのは、75歳の時。

東芝元社長、岩田弌夫氏の名言がある。

『平凡の凡を重ねよ、いつかは非凡になる』

遅咲きの成功者の共通点は、一つの分野を何歳になっても
あきらめずにコツコツと探求したことだ。

平凡なこともそれを突き詰めると、いつか非凡に至る。


いくつになってもあきらめずに、前に前に進む人でありたい。

            <感謝合掌 平成26年8月9日 頓首再拝>

   (   <感謝合掌 令和元年11月14日 頓首再拝>)

《”心の世界”に悪と困難とを抹殺せよ》 - 伝統

2019/11/15 (Fri) 12:31:42


         *「栄える生活365章」(P54~55)より

「汝は真理を知らざるべからず、真理は汝を自由ならしめん」と
キリストは訓(おし)えているのである。

『真理』とは、別の語(ことば)でいうならば存在の「実相」である。

「人間は”神の子”であり、一切の存在は神より出でたるものであるから
完全円満であって悪はない」ということである。

肉眼で見える現象世界が如何に自分に不利な状況をあらわしていても、
この真理をしっかり自覚すれば、その自覚する《程度に従って》現象界の
如何なる困難なる状態も克服してしまうことができるのである。

吾々を苦しめる如きすべての困難な状態は、神の創造し給える「実在の世界」には
《真には》存在しないのであって、それは吾らの「迷いの心」の反映でしかないのである。

私たちは困難や行き詰まりの状態に面したならば、「神のみ創造主(つくりぬし)であり、
神は善であり、愛であるから、悪しき状態や、人を苦しめる如き状態は自分の顛倒妄想
(まよいのこころ)の繁栄である」ということを繰り返し念じて、その顛倒妄想(てんどう
もうぞう)を消し去るときその困難な状態も自然に克服され消滅するのである。

            <感謝合掌 平成26年8月12日 頓首再拝>

   (   <感謝合掌 令和元年11月15日 頓首再拝>)

困っても困らない - 伝統

2019/11/16 (Sat) 13:57:29


          *『道をひらく』松下幸之助・著(P112~113)より

ひろい世間である。
長い人生である。

その世間、その人生には、困難なこと、難儀なこと、苦しいこと、つらいこと、いろいろとある。
程度の差こそあれだれにでもある。自分だけではない。

そんなときに、どう考えるか、どう処置するか、
それによって、その人の幸不幸、飛躍か後退かが決まるといえる。

困ったことだ、どうしよう、どうしょうもない、
そう考えだせば、心が次第にせまくなり、せっかくの出る知恵も出なくなる。

今まで楽々と考えておったことでも、それがなかなか思いつかなくなってくるのである。
とどのつまりは、原因も責任もすべて他に転嫁して、
不満で心が暗くなり、不平でわが身を傷つける。

断じて行えば、鬼神でもこれを避けるという。

困難を困難とせず、思いを新たに、決意をかたく歩めば、
困難がかえって飛躍の土台石となるのである。
要は考え方である。決意である。

困っても困らないことである。
 
人間の心というものは、孫悟空の如意棒のように、まことに伸縮自在である。
その自在な心で、困難なときにこそ、かえってみずからの夢を開拓するという力強い道を歩みたい。

            <感謝合掌 平成26年8月14日 頓首再拝>

   (   <感謝合掌 令和元年11月16日 頓首再拝>)

【逆境のときこそ笑顔で頑張る】 - 伝統

2019/11/17 (Sun) 13:46:30


      *メルマガ「人の心に灯をともす(2014年08月19日)」より

   (明治学院大学教授、武光誠氏の心に響く言葉より… )

   ピンチは、その人の本質を浮かび上がらせます。
   人間として未熟であり、まだまだ練られていない人は、
   どれだけ取り繕ってみても馬脚を現してしまうのです。

   「剛勇か臆病かは、平時にあっては知る事はできない。まったく別物である」(聞書2-75)

   そう葉隠れは指摘していますが、奉公は口先でできるものではありません。

   誠の心をもって、主君のために全力で働く。
   それこそが本来の奉公。

   ちょっとしたことで気持ちがゆらいでしまうなら、口だけに過ぎなかったということです。


   人は逆境にあるとき、自分に押し寄せる荒波に押されて、気も弱くなってしまいがちです。
   しかし、忘れていけないのは、そんな時であるからこそ、見る人は見ているということです。


   葉隠にはこうあります。

   「成富兵庫など七度浪人したということである。
   起き上がり人形のように思わなければならない。
   主人も試すつもりで浪人を言いつけることがあるだろう」


   成富兵庫とは佐賀鍋島藩の家老であり、
   加藤清正が一万石で召し抱えようとしたほどの人材です。

   その成富兵庫にして、七度浪人した。

   というよりも、浪人したからこそ、
   それだけの力を身につけたということなのかもしれません。

   人事には当然ながら意図があります。

   成長する部署につくものがあれば、反対に立て直しを図るための人事もあります。
   本人にとっては、不本意に思えることもあるかもしれません。
   しかし、そんな時だからこそ、見る人は見ています。


   「やはり、そこまでの人材だったか」

   「なかなかやる。見直した」

   どちらの感想を持たれるかは、その人の心がけ次第です。

   調子のいい時は、誰でも頑張ることはできるのです。


   逆境のときであるからこそ、笑顔で頑張る。

   その姿が人の心を動かすのです。

        <『「葉隠」に学ぶ誇り高い生き方』成美堂出版>

    ・・・

逆境や不遇のときにこそ、その人が人物であるかどうかが試される。

くさったり、愚痴をいったり、不平不満をこぼしたり、人のせいにしたりするのか。

なにくそとへこたれずにチャレンジするのか、不機嫌にならず上機嫌でいられるのか、
もっと言うならその不遇に対して感謝できるのか。


うまくいっている「遇」のときも、そうでない「不遇」のときも、
見る人はほんとうによく見ている。

遇のときは、有頂天にならず、威張らず、驕(おご)らず、慢心せず。

不遇のときは、必要以上に落胆せず、へこたれず、くさらず。


「やはりそこまでの人材だったのか」と言われるか、
「なかなかやる。見直した」と言われるか。

逆境のときこそ、笑顔で頑張る人でありたい。

            <感謝合掌 平成26年8月24日 頓首再拝>

   (   <感謝合掌 令和元年11月17日 頓首再拝>)

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