伝統板・第二

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「三種の神器」が示す「和の国」ぶり - 夕刻版

2019/08/19 (Mon) 19:17:46

このスレッドでは、「三種の神器」に関する情報を紹介してまいります。


「三種の神器」が示す「和の国」ぶり

       *メルマガ「Japan On the Globe」( R01.08.18)より

我が国の「和の国」ぶりは、すでに神話の中で示されている。


1.遠い神代につながる三種の神器の由来

本年5月1日午前10時30分、新帝陛下が皇位の証(あかし)として
三種の神器を引き継がれる「剣璽等承継の儀」が執り行われた。
 ( youtube  → https://www.youtube.com/watch?v=dX44NP4bPIE )

完全な沈黙の中で、三種の神器のうち草薙太刀(くさなぎのたち)と
八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)、
および、国璽(国家の印章)と御璽(天皇の印章)が御前の白木の台に置かれ、
その後、陛下の御退出と共に、それらも運び出される、
という5分程度の簡素な儀式である。

 
勾玉を璽とも呼び、国璽・御璽を含めて、「剣璽等」と呼ばれる。
三種の神器のもう一つは八咫鏡(やたのかがみ)だが、
これは宮中三殿の賢所の御神体であるため、動かされない。

 
いずれにせよ、剣璽とも箱に収められ、布に包まれていて、
天皇ですら、その中をご覧になる事ができない、という神秘的なものである。

 
三種の神器の由来を辿ると、それは我が国の遠い神代に繋がっていく。

まず八咫鏡と八尺瓊勾玉(数多くの勾玉を長い緒に貫き通した玉飾り)は、
古事記によれば、天照大御神(あまてらすおおみかみ)が
弟・速須佐之男命(はやすさのをのみこと)の乱行に責任を感じて
天の岩屋に閉じこもってしまわれた際に、
榊(さかき)にかけて大御神を引き出す際に使われた。

また、草薙大刀は高天原を追放された速須佐之男命が
八岐大蛇(やまたのおろち)を退治した際に尾から出てきたもので、
天照大神に献上されたものである。

後に、天照大御神が皇孫・天津日高日子番能瓊瓊杵尊(あまつひこひこほのににぎのみこと、
「天の高い所からにぎわしい恵みをゆきわたらせる日のみ子」)を
葦原中国(あしはらのなかつくに)に下される時に、
これら「三種の神器」を授けられたのである。

           <感謝合掌 令和元年8月19日 頓首再拝>

三種の神器は「和の国」を作るための三大原則を示している - 伝統

2019/08/20 (Tue) 19:37:46

2.三種の神器は「和の国」を作るための三大原則を示している

そもそも大御神が葦原中国に皇孫を差し向けたのは、
「道速振(ちはやぶ)る荒振(あらぶ)る国つ神等(ども)が多(あま)た居(あ)る」
(勢いはげしく、荒ぶる国つ神たちが大勢いる)」状態なのを、
何とか平和に治めたいとの願いからである。

田中英道・東北大学名誉教授の画期的な学説によれば、
縄文時代には温暖な気候のもとで、日本列島の人口は
ほとんどが関東・東北に住んでいた。

高天原とは当時の東日本に存在していた「日高見国(ひだかみこく)」であったとする。
それが紀元前10世紀頃からの気候の寒冷化によって、人口が南下し、
また大陸・半島からの難民・移民も増えて、西日本が不安定になった。[a]

天孫降臨の目的とは、この不安定となった西日本に「和」をもたらす事であった。
その際に大御神が与えた三種の神器は、
どのように「和の国」を作るべきかが示されている。

 
まず、八咫鏡に関しては、大御神は次のように言われている。

   此の鏡は、専(もは)ら我が御魂と為(し)て、
   吾が前を拝(をろが)むが如く、いつき奉れ」
   (この鏡はひたすら私の御魂として、私を祭るように祭り仕えなさい)[1, p115]


統治者は鏡に自分の心を映して、そこに和を希求する大御神の御心を継承しているか、
私心で曇らされていないかを省みよ、との教えであろう。

 
第二の八尺瓊勾玉は、すべての人はこの玉飾りのように
一つの命で結ばれている事を暗示し、その平等観、同胞感をもって民を大切にせよ、
という事のようだ。

 
第三の草薙太刀は、八岐大蛇など、この世の和を乱す者と戦う勇気の象徴である。

 
三種の神器こそは、天照大神が地上において「和の国」を建てるために
示された原則であり、それを継承して代々「和の国」を統治されてきたのが
歴代天皇である、という事になる。

           <感謝合掌 令和元年8月20日 頓首再拝>

「清明心」が「和の国」の基盤 - 伝統

2019/08/21 (Wed) 21:48:30

3.「清明心」が「和の国」の基盤

「和」との関連から、三種の神器の指し示す所を掘り下げてみよう。

まず、鏡の象徴する「無私の心」。

和を実現するには、一人ひとりが私心による心の曇りがないか、
よく省みなければならない。

現代の我々も、例えば電車の中で目の前に杖をついたお年寄りが立っているのに
席を譲らないでいたら、心が落ち着かない。
そんな時、思い切って席を譲ったら、清々しい心持ちになる。

身を守る牙も爪もない人間は共同体を作って、互いに助け合うことで生き延びてきた。
その過程で、共同体を保つための利他心を本能として発達させた。

電車の中で席を譲ることで心が晴れ晴れとする、というのは、
利他心という本能を満足させた快感なのである。

そういう人間心理を観察力豊かな我々の先祖はよく知っていて、
利他心に満ちた心を「清明心(きよくあかき心)」と呼んで大切にした。

それは共同体を築き、維持するための原動力である。

鏡が象徴する清明心こそ、「和の国」を成り立たせる基盤なのだ。

後に聖徳太子が十七条憲法で「和を以(もっ)て貴(たふと)しと為」すとの
理想を掲げられたが、それは単に「仲良くすることが大事だ」という次元の
「お説教」ではない。

「和」とは共同体の各人が「背私向公(私に背いて公に向かう)」、
すなわち私心に「背い」て、「公」すなわち共同体のために心を向ける、
という姿勢によって築かれるものだ、と説かれたのである。

この「背私向公」が、
戦時中に唱えられた「滅私奉公」とは全く異なる点に留意したい。

「和の国」は「私」のないロボットによって成り立つ全体主義社会ではない。
「私心」は人間の性(さが)として滅ぼせないものだ。

しかし、各自が鏡に映った自分の姿を見て「私に背いて公に向かう」処に、
清明心が広がり、互いに信じ合い、助け合う「和の国」が成り立つのである。

           <感謝合掌 令和元年8月21日 頓首再拝>

勾玉の示す平等感、同胞感 - 伝統

2019/08/22 (Thu) 21:53:41

4.勾玉の示す平等感、同胞感

第二の勾玉(まがたま)はおたまじゃくしのような不思議な形をしているが、
それは胎児の形を模したものという説がある。

たしかに、[1]での比較写真を見れば、
勾玉は胎児のレントゲン写真と区別がつかないほど、そっくりである。

その勾玉が緒でつながっているということは、それぞれの命が、
「神の分け命」であることを象徴しているようだ。

 
こういう生命観は、人間は男女や階級に関わらず、生まれながらに平等な同胞である、
という人間観をもたらす。

万葉集で天皇から農民、兵士に至るまで社会的地位や貧富に関係なく、
真心の籠もった歌を集めているのは、こういう平等感、同胞感の表れだろう。

「和の国」の民は、こういう平等感、同胞感で結ばれていなければならない。

ここで留意すべきは、同胞感といっても、同じ大和民族の中だけに留まらない点だ。
たとえば、百済からの帰化人・王仁(わに、中国系という説も根強いが)の次の歌は
『古今集』の仮名書きの序文で紹介されている。


  難波津(なにはず)に咲くやこの花ふゆごもり今は春べと吹くやこの花

  (難波津に吹く木の花よ。長い冬ごもりが終つて、
   さあ春が来たぞとばかりに、あのやうに盛んに咲く木の花よ)


この歌が「歌の父母のやうに」手習う人のはじめに習うべき教材とされている事からも、
当時の人々の間では外国人という差別意識はなかったと思われる。

この歌は、仁徳天皇が即位前にその弟君と皇位を譲り合って
3年間も経ってしまった際に、弟君の学問の師として呼ばれた王仁が、
仁徳天皇に即位を勧められた歌であるという。

王仁に私心があれば、自分が教えている弟君を推したであろうが、
この歌には仁徳天皇に「さあ、ご即位なされよ」と呼びかけられた
清々しい心が感じられる。

外つ国に生まれた人でも、清明心をもって公のために尽くそうとする人々は、
同胞感をもって迎えられたのである。

           <感謝合掌 令和元年8月22日 頓首再拝>

草薙太刀による「言向け和す」 - 伝統

2019/08/23 (Fri) 21:16:56

5.草薙太刀による「言向け和す」

第三の草薙太刀はどうだろうか。
まず確認すべきは、この剣は由来からして「防衛的」だ、という事である。

前述のように、この太刀は速須佐之男命が退治した八岐大蛇の尻尾から出てきた。
命が大蛇を退治したのは、8人の乙女のうち7人まで食べられてしまって
最後に残された櫛名田姫(くしなだひめ)を救うためだった。

また、後にこの太刀は第12代景行天皇の皇子・倭建命(やまとたけるのみこと)が
東征をされた折り、相模の国で火攻めにあった際に、草を刈り払って、
向かい火をつけて身を守った時にも使われた。

これが草薙太刀の名前の由来となっている。


 景行天皇は倭建命に次のように命ぜられていた。


   東の方の十二(とをあまりふたつ)の道の荒ぶる神とまつろはぬ
   人等(ひとびと)とを言向(ことむ)け和(やわ)し平らげよ。

   (東の方にある十二の国の荒れすさぶ神と、
    服従しない者たちとを説得し、平らかにせよ)


小学館『全文全訳古語辞典』によれば、
「言向く」は「言葉を用いて服従させる。説得して従わせる」、
「やわす」は「和らげる。平定する。帰順させる」とある。

すなわち、争いに明け暮れている地方豪族たちに、
大和朝廷に帰順して平和に暮らすよう説得する事である。


「言向け」や「言向け和す」は古事記の中に何度も使われている。
そもそも天照大神も葦原中国の平定を任すべき神を問いて
「何れの神を使はしてか言趣(ことむ)けむ」と神々に相談された。

その後、任務を果たした建御雷神(たけみかづちのかみ)は、
「葦原中国を言向け和し平らげつる状(かたち)」を復奏している。

各地で相争う地方豪族たちに、平和的に国家建設に参加せよと
勧めるのが日本神話で語られたアプローチであった。

戦って相手を降伏させたのでは、相手は恨みを抱き、
その結果、清明心をもって「和の国」に参加する事にはならない。

しかし、説得に応ぜすに、戦い続ける相手、
あるいは「和の国」を害そうとする相手とは、
剣をもって戦わなければならない。

「和の国」は「非武装平和」では建設も維持もできないのである。

           <感謝合掌 令和元年8月23日 頓首再拝>

「うしはく」と「知らす」の違い - 伝統

2019/08/24 (Sat) 19:38:26

6.「うしはく」と「知らす」の違い

葦原中国平定の任務を果たすために、
建御雷神はその地を支配する大国主命(おほくにぬしのみこと)に対して、
こう問いただした。


   汝がうしはける葦原中国は、
   我が御子の知らさむ国と言依(ことよ)し賜ひき。
   故(かれ)、汝が心は、奈何に。

   (お前が領有する葦原中国は、わが御子の治められる国であると
   (天照大神は)ご委任なさった。そこで、お前の心はどうか。)


大国主命が「うしはける」葦原中国は、我が御子の「知らさむ」国であるという。
この「うしはく」と「知らす」の違いは何か。

 
明治帝国憲法の起草者の一人、井上毅(こわし)は、
記紀を研究する過程で、天照大神や歴代天皇に関わるところでは、
すべて「治める」という意味で「しらす」が使われ、
大国主神や一般の豪族たちの場合は、「うしはく」が使われていて、
厳密な区別がなされていることを発見した。[c]

ここに日本国家の根本原理があると、井上は確信した。

「しらす」とは「知る」を語源としており、
民の喜びや悲しみ、願いを知ることである。

それは民の安寧を祈る無私の心につながる。

 
それに対して、「うしはく」は「自分の財産として領有する」という意味であり、
中国の皇帝や欧州の王のように民を財産として、支配する事を指す。
それは私心に基づく支配である。


「知らす」こそ「和の国」の統治原理を示した言葉なのである。
国家の中心に無私の心をもって、民の幸せを祈る中核があることが、
「和の国」の原理である。

その無私の祈りが国民に伝播して、
国民がそれぞれの立場で公のために尽くしていく。
そこに「和の国」の美しさと勁(つよ)さがある。[d]

           <感謝合掌 令和元年8月24日 頓首再拝>

「八百万の神、天の安の河原に神集い集いて」 - 伝統

2019/08/25 (Sun) 20:27:14

7.「八百万の神、天の安の河原に神集い集いて」

鏡に象徴される清明心、勾玉の平等感・同胞感、剣の「言向け和す」、
それらによる統治原理としての「知らす」。

「和の国」の根底にあるのは、人間を心ある存在として捉え、
その心が活き活きと働いて、自立的主体的に共同体を支える姿である。

 
そこには民を家畜のように領有する専制皇帝や、
人民をロボットのように支配する独裁者の姿はない。

この「和の国」の形は、現代の自由民主主義に通ずる。
現代の民主主義は、古代ギリシャ、ローマ、ゲルマンの
「民会」に起源を有するようだが、それに酷似した光景が日本神話にも出てくる。

 
たとえば、速須佐之男命の悪行に責任を感じて、
天照大神が天の岩屋に閉じこもってしまわれた際には、

「是を以(も)ちて、八百万の神、天の安の河原に神集い集いて
(それですべての神々が天の安の河原に集り)」、
どうしたら良いかを相談したのだった。

しかも、その際は、思金神(おもいかねのかみ)に案を出させている。
まさに間接民主主義である。

 
無事に天照大神を天の岩屋から引きずりだした後も、
「八百万の神、共に議(はか)りて」(すべての神々は一緒に相談して)、
速須佐之男命を追放処分にすることを決めている。

このように「和の国」の伝統的な統治形態は自由民主主義に酷似している。
明治維新に際し、五箇条の御誓文を出して、
第一条に「広ク会議ヲ興(おこ)シ、万機公論二決スベシ」と宣言したのも、
この伝統があったからだろう。

 
我が国の「和の国」ぶりは、以上述べたように神話時代からの
生命観、人間観、社会観に根ざしているのである。

(文責 伊勢雅臣)

■リンク■

a. JOG(1066) 日高見国の物語 〜 田中英道著『日本国史』から
 考古学、神話学、古文書研究を綜合して、
 日本国の始まりに関して画期的な学説が提案された。
http://blog.jog-net.jp/201806/article_2.html

b. JOG(1123) 「和の国」日本の礎(いしずえ)〜 聖徳太子の十七条憲法
 国内の動乱で現れた人間性の醜さを、太子は凝視した。
http://blog.jog-net.jp/201907/article_3.html

c. JOG(736) 井上毅 〜 有徳国家をめざして(下)
 井上毅が発見した我が国の国家成立の原理は、また教育の淵源をなすものであった。
http://blog.jog-net.jp/201202/article_7.html

d. 伊勢雅臣『日本人として知っておきたい 皇室の祈り』、育鵬社、H30
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4594079032/japanonthegl0-22/
アマゾン「メディアと社会」「ジャーナリズム」カテゴリー 1位(H30/2/1調べ)
万民の幸せを願う皇室の祈りこそ、日本人の利他心の源泉。


           <感謝合掌 令和元年8月25日 頓首再拝>

三種の神器について - 伝統

2019/08/28 (Wed) 18:51:38


       *Web:神は愛なり(2019年04月18日)
            ~『 教科書が教えない神武天皇 』
              出雲井 晶 著   扶桑(ふそう)社


天の岩戸から天照様に お出まし願うときに つくられた
八尺(やさか)のまが玉 と矢咫鏡(やたのかがみ)、

そして須佐之男命(すさのおのみこと)が
山岐(やまた)の大蛇(おろち)の尾から取り出し献上(けんじょう)した
草薙剣(くさなぎのつるぎ)

の三つの宝を三種の神器と申します。


八尺(やさか)のまが玉には、
天照大神の私心のない限りなくまろやかな慈愛(じあい)の魂(たましい)が
やどっています。

矢咫鏡(やたのかがみ)には
私心のない澄みきった天照大神の叡智(えいち)の魂がやどっています。


草薙剣(くさなぎのつるぎ)に これまた私心のない天神(あまつかみ)の
まことの勇気の魂がやどっています。

三種の神器は、神武天皇から今上陛下(きんじょうへいか)まで
代々 み位(くらい)におつきになられるときに天皇様が受け継がれる宝なのです。

   ( https://ameblo.jp/sbmaitnanixy/entry-12455222868.html )

           <感謝合掌 令和元年8月28日 頓首再拝>

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