伝統板・第二

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「素晴らしい日本」(光明掲示板・第二) - 伝統

2019/08/14 (Wed) 12:59:30

光明掲示板・第二 消滅により、
「素晴らしい日本」の伝統板・第二への再掲示です。


【日本を好きになる】

        *メルマガ「人の心に灯をともす(2013年11月04日)」

   (竹田恒泰氏の心に響く言葉より…)

   現在の日本は、内憂外患を抱えていて、経済一つとっても、
   長引く不景気とデフレに苦しんでいる。

   しかし、日本経済の規模はいまだ大きく、日本人の多くが思っている以上に
   世界に対する影響力は大きい。


   GDPを国際比較すると、日本経済の大きさがわかる。

   2012年の名目GDPは、日本が5兆9640億ドルで世界第3位。

   韓国の1兆1559億ドルをかなり大きく引き離している。

   日本のGDPが他国の何倍に当たるか、いくつか挙げてみよう。

   ロシアの約3倍、スウェーデンの約111倍、オーストラリアの約15倍、
   ベトナムの約43倍、ミャンマーの約112倍、ウガンダの約284倍、
   ラオスの約647倍、ブータンの約2711倍、ツバルの約15万倍。

   いかに日本のGDPが大きいかを理解していただけたろう。

   日本の国土は約37万8000平方キロメートルで世界60位、
   しかも、世界の陸地の0.25%に過ぎない。

   それほど小さな国土しか持たない日本が、世界有数の経済力を保持しているのである。

   ところで、日本の県のGDPで比較すると次のようになる。

   東京都が韓国より上位、大阪府がオーストラリアより上位、
   福岡県がフィリッピンより上位、静岡県がニュージーランドより上位となる。

   日本の県レベルで、アジアや欧州、大洋州の一カ国分程度の
   経済規模を持っていることがわかるだろう。


   私たち日本人は、豊かであること、そして平和であることに慣れてしまい、
   それが当たり前のように思っている節がある。

   しかし、敗戦によって全てを失い、ゼロからの再スタートを切った日本が、
   短期間のうちにこれほどの経済復興を果たしたことは、
   まさに人類の奇跡というに相応しい。

   長引く不況のなかにあるとはいえ、日本はいまだ絶大なる経済力を保っている。


   戦後の貧しい日本を知らない世代も、先輩たちの努力を忘れてはいけない。

   日本人が大国であることに慢心したとしたら、国の未来はないだろう。

   終戦によって、日本人が日本を愛したり、好きになったり、肯定したりすることが
   禁止されてしまった。

   もしこのまま何も起きなければ、日本人の民族性と愛国心は失われ、
   かつてカルタゴがたどったのとまったく同じ道を歩むことになったであろう。

   あと30年でも、あの拝金主義が蔓延していたら、日本の未来はなかった。


   そんなときに、東日本大震災が起きた。
   多くの尊い命を失って初めて私たちは、長い眠りから覚めたように、
   日本人の精神を取り戻した。

   私のフランス人の友人が、
   震災後にニュース映像で見た被災地の人びとの姿に感動したという
   メールを送ってくれた。

   なんとそこには「被災地の日本人の姿は、一人ひとりがおよそ
   イエス・キリストのように見えた」と書かれていた。

   その後、ミャンマーに行ったとき、ガイドの女性からも、似たようなことを言われた。
   「東北の人たちの姿は、全員がブッダのように見えた」と。

   近年、日本人が日本を好きになったのは、東日本大震災からではなかったとかと思う。
   これだけ大きな災害を経験しないと気付かなかったかと思うと、
   日本人として反省至極である。

   しかし、震災から年月が経過したいまも、多くの被災者が不自由な生活を続けていて、
   復興とは程遠いのが現状である。

   私たちは震災で、大切なものはカネだけではないということに気付かされた。
   これまで意識もしていなかったもの、たとえば家族や地域の絆や、日本人の精神、
   そういったものに本当に価値があることを知った。

   私たち日本人が原点に立ち返り、美しい日本の精神を取り戻し、
   その光のなかで立ち上がって本物の復興を遂げたときに、
   もしかしたら震災で亡くなった方々に報いることができるのかもしれない。

      <『日本人はいつ日本が好きになったのか』PHP新書>

   ・・・

   アメリカのとある病院の壁に、一人のベトナム戦争の帰還兵が書きつけたものと
   言われている、【グリフィンの祈り】という詩がある。


   【グリフィンの祈り】

   大きなことを成し遂げるために、力を与えて欲しいと神に求めたのに、
   謙虚を学ぶようにと、弱さを授かった。

   偉大なことができるように健康を求めたのに、
   より良きことをするようにと、病気をたまわった。

   幸せになろうと富を求めたのに、
   賢明であるようにと、貧困を授かった。

   世の人々の賞賛を得ようとして、成功を求めたのに、
   得意にならないようにと、失敗を授かった。

   人生を享受しようとしてあらゆるものを求めたのに、
   あらゆることを喜べるようにと、命を授かった。

   求めたものは一つとして与えられなかったが、
   願いはすべて聞き届けられた。

   神の意にそわぬものであるにもかかわらず、
   心の中の言い表せない祈りは、すべて叶えられた。

   私は最も豊かに祝福されたのだ。

         <『神さまに好かれる話』(五月書房)より>

   ・・・

「日本人が原点に立ち返り、美しい日本の精神を取り戻すこと」

この美しい日本に、心からの誇りを持ちたい。

         <感謝合掌 平成25年11月4日 頓首再拝>

   (   <感謝合掌 令和元年8月14日 頓首再拝>)

「世界最古の企業~金剛組」 - 伝統

2019/08/15 (Thu) 18:28:01

アメリカ合衆国のCIA公式サイトによると、「世界最古の独立国は日本」、とあります。
Japan 660 B.C. (traditional founding by Emperor JIMMU)


1400年続く、世界最古の木造建築は、日本の法隆寺。

1430年続く、世界最古の企業は、日本の金剛組。

1300年続く、世界最古の宿泊施設は、日本の慶雲館。

1000年前に書かれた、世界最古の小説は、日本の源氏物語。

2000年以上続く、世界最古の国歌は、日本の「君が代」。

2670年続く、世界最古の独立国家、日本。

・・・

その中で、今回は「世界最古の企業~金剛組」についての情報を以下に紹介いたします。


平成22年(2010)、帝国データバンクの調べによると、
創業500年を超える会社が全国に39社あることが分かっています。

その中で最も古い創業で今なお存続している長寿トップの会社は、
大阪市天王寺区にある木造建築工事業の(株)金剛組です。
聖徳太子ゆかりの四天王寺を建立したことで知られる建築会社です。

ここでいう長寿企業とは、創業から会社が存続している期間の長さなので、
金剛組は倒産や解散をしない限り今後もずっと1位の座を譲ることはないということです。

金剛組の創業は、飛鳥時代の578年で、最初の官寺となる四天王寺を建立するため、
聖徳太子が百済から招いた工匠・金剛重光が始祖とされています。

法隆寺の建立(607年)や、水戸偕楽園・好文亭の復元にも参画し、
業歴は1400年以上になります。

なお現在の金剛組・相談役である四天王寺正大工の金剛利隆氏は、第39代目にあたります。

2位以下は、京都「池坊華道会」(587年)、
旅館経営の山梨「西山温泉慶雲舘」(705年)や
兵庫「古まん」(717年)と続き、

業歴1000年を超える会社は上位7社のうち4社を大阪・京都・兵庫の会社が占めています。
ちなみに、東京の最古参は1349年創業の和菓子店「塩瀬総本家」で、
金剛組等と比較すると、「おいおい、最近の会社やのー」との声も聞こえてきます。



金剛組、1400年以上の年月の間には、もちろんたくさんの試練がありました。
明治維新の時、昭和恐慌の時、そして現代になってからも、
2006年に破産申請の記事が掲載されました。

しかし、いずれの危機もなんとか乗り越えています。

金鋼組には、第32代金剛八郎喜定がのこした<遺言書>が残っているそうです。
喜定は<職家心得の事>で以下のように記しています。

  「お寺お宮の仕事を一生懸命やれ」
  「大酒はつつしめ」
  「身分にすぎたことをするな」
  「人のためになることをせよ」

なんともシンプルな内容ですが、この家訓が、苦難にあって初心にかえることの大切さを教え、
金剛組の進むべき方向を示したのかもしれません。


<参考Web:金剛組 http://www.kongogumi.co.jp/idea.html>   

         <感謝合掌 平成25年11月7日 頓首再拝>

   (   <感謝合掌 令和元年8月15日 頓首再拝>)

日本はなぜアジアの国々から愛されるのか - 伝統

2019/08/16 (Fri) 12:56:13

次の書の一読をお勧めいたします。

書名:「日本はなぜアジアの国々から愛されるのか」

著者:池間哲郎(カメラマン)

発行:育鵬社 発売:扶桑社

発売日:平成25年8月13日

【本の内容】

 日本はアジアから嫌われていない!
 20年以上、アジア各国で支援と交流を続けてきた著者が見た、アジアと日本の真実。

   ・・・

 池間さんは、日本人がアジアの人々から嫌われていると思っているのは大間違いだと言う。
 「徹底的に反日教育を続ける国は別として」アジアの人々は日本が大好きと断言するのだ。


【第1部】 アジアの人たちが教えてくれた本当の日本

第1章 「なんでアジアの人たちが日本を恨んでいるなんて思うんですか?」――カンボジア

第2章 「日本はただ一人、白人たちに戦いを挑んだ」――スリランカ

第3章 「それでも日本を愛しています」――パラオ

第4章 「自分の子供たちは、必ず日本へ留学させる」――ミャンマー

第5章 「日本のように頑張れば、必ず豊かになれると信じている」――ネパール

第6章 「オッチャン、学校を造ってくれてありがとう」――ラオス

【第2部】 日本はなぜアジアの国々から愛されるのか

第7章 アジアの人たちから尊敬される日本

第8章 なぜ日本人は「アジアから嫌われている」と思うのか?

第9章 「日本人って何ですか?」

第10章 仁義ある戦い――東日本大震災と自衛隊

第11章 日本国民のために――天皇 

         <感謝合掌 平成25年11月8日 頓首再拝>

   (   <感謝合掌 令和元年8月16日 頓首再拝>)

【日本人の誇り】 - 伝統

2019/08/17 (Sat) 18:52:32


        *メルマガ「人の心に灯をともす(2013年11月03日)」より

   (藤原正彦氏の心に響く言葉より…)


   2年前に、私はお茶の水女子大学を退職しました。

   私は、そこでよく新入生にこう尋ねていました。
   「日本はどういう国と思いますか」

   20歳くらいの彼女達の答えには、表現の差こそあれ、
   「恥ずかしい国」「胸を張って語れない歴史をもつ国」などと
   否定的なものが多かったのです。

   「明治、大正、昭和戦前は、帝国主義、軍国主義、植民地主義をひた走り、
   アジア各国を侵略した恥ずべき国。

   江戸時代は士農工商の身分制度、男尊女卑、自由も平等も民主主義もなく、
   庶民が虐(しいた)げられた恥ずかしい国。

   その前ももっと恥ずかしい国、その前はもっともっと…」

   こう習ってきたのです。


   日本中のほとんどの若者が自国の歴史を否定しています。
   その結果、祖国への誇りを持てないでいます。

   意欲や志の源泉を枯らしているのです。

   私は学生達の、かくもひどい国に生まれた不幸に同情した後、
   必ず質問することにしていました。

   「それでは尋ねますが、西暦500年から1500年までの10世紀間に、
   日本一国で生まれた文学作品がその間にヨーロッパで生まれた文学作品を、
   質および量で圧倒しているように私には思えますがいかがですか」

   これで学生達は沈黙します。

   私はたたみかけます。

   「それでは、その10世紀間に生まれた英文学、フランス文学、ロシア文学、
   をひっくるめて3つでいいから挙げてください」

   私自身、「ベーオウルフ」「カンタベリー物語」くらいしか頭に思い浮かびません。

   私は彼女達にさらに問いかけます。

   「この間に日本は、万葉集、古今和歌集、新古今和歌集、源氏物語、平家物語、
   方丈記、徒然草、太平記…と際限なく文学を生み続けましたね。

   しかも万葉集などは一部エリートのものではなく、防人(さきもり)など
   庶民の歌も多く含まれています。

   それほど恥ずかしい国の恥ずかしい国民が、
   よくぞ、それほど香り高い文学作品を大量に生んだものですね」


   理系の学生がいればさらにたたみかけます。

   「世界中の理系の大学1年生か2年生が習う行列式は、
   ドイツの生んだ大天才ライプニッツの発見ということになっていますが、
   実はその10年前、元禄に入る以前の天和3年に関孝和が鎖国の中で発見し、
   ジャンジャン使っていたものですよ」


   自国を卑下するという世界でも稀な傾向は私の学生のみに見られるものではなく、
   統計的にもあらわれています。

   世界数十カ国の大学や研究機関が参加する「世界価値観調査」によりますと、
   18歳以上の男女をサンプルとした2000年のデータですが、
   日本人は「自国を誇りに思う」の項目で世界最低に近いのです。


   いかにして日本人は祖国への誇りをかくも失い、
   周辺諸国の顔色を覗(うかが)って生きて行くほど卑屈になったのでしょうか。

   戦後実は、アメリカが日本に与えた致命傷は、新憲法でも皇室典範でも教育基本法でも
   神道指令でもありません。

   占領後間もなく実施した、新聞、雑誌、放送、映画などに対する厳しい言論統制でした。


   終戦のずっと前からずっと練りに練っていた
   ウォー・ギルト・インフォーメーション・プログラム(WGIP・戦争についての
   罪の意識を日本人に植えつける宣伝計画)

   この「罪意識扶植計画」は、自由と民主主義の旗手を自任するアメリカが、
   戦争責任の一切を日本とりわけ軍部にかぶせるため、
   日本人の言論の自由を封殺するという挙に出たのです。

   これについては江藤淳氏の名著「閉ざされた言論空間」(文春文庫)に
   余す所なく記されています。

            <『日本人の誇り』文春新書>

   ・・・

明治天皇の玄孫である竹田恒泰氏は、日本人が祖国への誇りを失った大きな原因の一つは、
教育にあり、その中心にあるのは正しい歴史を教えてこなかったことにある、という。

世界中どこでも教えている自国の神話や古代史の教育が、終戦後できなくなったからだ。

戦後、日本人は、神話のみならず、偉人伝も学ばなくなった。


日本国内にある国旗で、いちばん数が多いのはイタリアの国旗で、2番目がフランス、
3番目にようやく日本の国旗だという。

日本人としての誇りを持つために、もう1度自国の歴史を勉強してみたい。

         <感謝合掌 平成25年11月13日 頓首再拝>

   (   <感謝合掌 令和元年8月17日 頓首再拝>)

【世界最古の誇り】 - 伝統

2019/08/18 (Sun) 19:19:02

        *メルマガ「人の心に灯をともす(2013年11月14日)」より


   (小名木善行氏の心に響く言葉より…)

  *当時の投稿文には、メッセージに禁止ワードが含まれているため
   投稿できませんとのことであるため、
   次のWebにてご確認ください。

   https://ameblo.jp/hiroo117/entry-11689108164.html

         <感謝合掌 平成25年11月18日 頓首再拝>

   (   <感謝合掌 令和元年8月18日 頓首再拝>)

【日本への賛辞】 - 伝統

2019/08/19 (Mon) 19:03:44

        *「人の心に灯をともす(2013年12月01日))」より

   (井上和彦氏の心に響く言葉より…)

   「感激いたしました。
   どうぞこのような文章を一人でも多くの日本人が読んでくれることを願っております。
   こういう文章を読むと元気が出て、88歳の老齢が少し若返ったような気がいたします。
   ほんとうにいい文章を読ませてくださいました」

   ある日一通の手紙が届いた。
   差出人は国語学者の金田一春彦先生(平成16年逝去)だった。

   文章とは、私がこれまでアジア諸国を探訪して
   航空自衛隊連合幹部会誌『翼』に連載していた紀行記のことである。

   戦後の日本社会は、明治以降の近現代史を醜聞(しゅうぶん)の色に染め上げた
   「自虐(じぎゃく)史観」に支配されてきた。

   しかしこれまで私が自分の足で歩き回って見聞してきたアジアには、
   日本のマスコミが声高に叫ぶ“反日”の声も、また学校で教わるような歴史も、
   いまもってお目にかかったことがない。

   半世紀も日本の統治下にあった台湾には、むしろ戦前の日本統治時代を懐かしむ声が溢れ、
   マレーシアをはじめ東南アジア諸国では、日本軍は“解放軍”として歓迎されていたのである。

   事実、マレーシア航空の機内誌(2002年8月号)には、
   『日本のイギリスに対する勝利は、長くヨーロッパの植民地でありつづけたアジア人の
   意識の中にあったヨーロッパ列強の無敵神話を見事に粉砕したのである』と記されている。


   大東亜戦争終結から10年後の昭和30年、後のタイ国王ククリット・プラモードは、
   日本による対英米開戦の日(昭和16年12月8日)のことをこう記している。

   『日本のおかげで、アジアの諸国はすべて独立した。
   日本というお母さんは、難産して母体をそこなったが、生まれた子供はすくすくと育っている。

   今日東南アジアの諸国民が、米英と対等に話ができるのは、一体誰のおかげであるのか。
   それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったためである。
   われわれはこの日をわすれてはならない』


   また、インド国民軍全国在郷軍人会代表で元インド国民軍S・S・ヤダヴ大尉は、
   インド解放のためにイギリス軍と戦った日本軍将兵に対して、1998年1月20日に
   次のような感謝状を送っている。

   『われわれインド国民軍将兵は、インドを解放するために共に戦った戦友として
   インパール・コヒマの戦場に散華した日本帝国陸軍将兵に対してもっとも深甚なる敬意を
   表します。

   インド国民は大義のために生命を捧げた勇敢な日本将兵に対する恩義を
   末代にいたるまでけっして忘れません。
   我々はこの勇士たちの霊を慰め、御冥福をお祈り申し上げます』


   そして大東亜戦争終結後、“裁判”に見せかけて日本の戦争責任を追求した
   「東京裁判」では、インド代表のラダ・ビノード・パール判事が当初から、
   この“裁判”の不当性を訴えた。

   また、ウィリアム・ウェブ裁判長をはじめ、アンリ・ベルナール仏代表判事や
   ベルト・レーリング蘭代表判事など、東京裁判に関わった実に多くの人々が後に、
   この裁判が間違いであったことを認めている。


   なにより、この裁判の主催者であった連合国最高司令官、ダグラス・マッカーサー元帥自身が
   この裁判の誤りを認め、昭和26年5月3日の米国上院軍事外交合同委員会において
   次のように答弁している。

   『日本は絹産業以外には、固有の産業はほとんど何も無いのです。
   彼らは綿が無い、羊毛が無い、石油の産出が無い、錫(すず)が無い、ゴムが無い。
   その他実に多くの原料が欠如している。

   そしてそれら一切のものがアジアの海域には存在していたのです。
   もしこれらの原料の供給が断ち切られたら、1000万から1200万の失業者が発生する
   であろうことを彼らは恐れていました。

   したがって彼らが戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られての
   ことだったのです』

   かのダグラス・マッカーサー自身が大東亜戦争を「自衛戦争」だと認めたのだ。
   さらに世界各国の法律家や弁護士をはじめ実に多くの識者らが東京裁判の違法性を訴えている。

   いまこそ、封印されてきた近現代史の真実を解き明かし、
   日本人としての自信と誇りを取り戻さなければならない。

   それは、現世に生きる者の務めであり、次代を担う日本の子供達へのなによりの贈り物
   となるからである。

   祖国日本のために散華された246万6千余柱の英霊に哀悼の意と感謝の誠を捧げたい。

      <『日本が戦ってくれて感謝しています』産経新聞出版社 >

    ・・・

戦争を肯定し、賛美するわけでは決してない。

しかし、世界中のどの国でもあたりまえに行なわれている、
「国のために戦った人たち」への感謝と、哀悼の気持ちさえ表せないことは、とても悲しいことだ。

今の日本の繁栄は、「日本のために、家族のために」と散っていった英霊の方々がいなければ
なしえなかった。

国を愛する、「愛国」という言葉に国民が違和感を感じるようになって久しい。

しかし、国を愛し、郷土を愛し、友を愛し、家族を愛することは、
人としてこれ以上ないくらい大切なこと。


多くのアジアの国々に賛美され感謝されている日本。

今一度、家族や友を愛するのと同じように、国や郷土を愛したい。

                <感謝合掌 平成25年12月8日 頓首再拝>

   (   <感謝合掌 令和元年8月19日 頓首再拝>)

「日本ってすごくいい国。庶民を大御宝とずっと呼んできたんです」 - 伝統

2019/08/20 (Tue) 19:12:41


      *産経ニュース(2014.1.2)~ 櫻井よしこ氏に聞く より


 --2020年に向けて、日本はこれからどういう国造りをしていけばいいと思われますか


戦後ずっと日本の歴史を、日本人がないがしろにしてきました。

日本が中国と距離を置き始めた聖徳太子の頃の歴史、なぜ聖徳太子が中国と距離を取るような
決断を下したかというところから学んで、日本をもっと肯定的に見詰めて国造りをするのが
よいと思います。

そのためにも、その前の神話の時代からの日本の物語を読んだらいいと思います。
日本ってすごくいい国です。庶民を大御宝(オオミタカラ)とずっと呼んできたんです。
大いなる宝、オオミタカラ。聖徳太子の時代は6~7世紀ですよね。

あのときに十七条の憲法をつくったわけでしょ。
それは統治をする人々、今で言うと政治家や官僚たちに向けた訓話ですけども、
和らぎをもって尊しとなす、『和を以て尊しとなす』と。あまりにも有名ですよね。

いさかうことをしてはいけませんと。けんか、対立は良くないですよと。
上に立つ人ほど庶民より早く起きて働きなさい、庶民が休んでいるときも
夜遅くまで働きなさいとか、賄賂はいけませんとかね。

それから讒言に耳を傾けてはいけません、一人一人を公平に見てあげなさい、とかね。
民のためを思って政治をしてもいさかいというものは常に起きる。
大事なのはいさかいの起きたときに公正な裁判をしてあげることだと書いてあります。

石が浮いて葉っぱが沈むような不公正な裁きはいけませんと。

一人一人の民が、大御宝が生きていてよかったと思うような世の中をつくってあげなさい
というようなことを含めて諄々と十七条にわたって書いてあるわけです。
昔は税金のひとつの形が労働の提供でした。労役の義務を果たすことが税だったわけです。

十七条の憲法では、民は作物をつくって食べているのであるから畑仕事が忙しいときには
労役の義務は課してはいけないと。冬になって農作業がないときに働かせなさいと。
こういうことまでちゃんと書いてあるわけです。

こういうと、『いや、そんなの紙に書いてある文言だけだ』というんです。中国人は特に。
中国人は紙に書けばそれが歴史になると思って、実態といかに離れていてもいいという考え方です。

で、ちょうど同じ頃の中国ってどういう国だったかというと、中国は隋でした。
隋の皇帝は初代の皇帝が非常に賢い人で勢力を広げたけれど、2代目の煬帝は大運河計画を
進めました。運河の大建設計画を立て100万単位の民を投入して働かせた。

奴隷のように使うわけですからどんどん死ぬわけです。
死んだ民の遺体も埋めずにその辺にほったらかして運河を建設させたといわれているんですね。

この大工事と同時進行で朝鮮半島と戦争をしていました。
この2つが重なって煬帝は倒れ、隋は短命に終わった王朝です。

このときに民を100万単位で運河建設に連れて行って死なせた政治のあり方と、
民が働いている農繁期のときは苦役を課してはいけない、冬にしなさい、
上に立つ者は民より早く起きて働きなさい、民は大御宝なんです、という価値観は全く違いますね。

中国とは全く異なる価値観と志を日本はずっと保ってきた。

十七条の憲法から千何百年もしたときに明治維新になった。
そのときの日本は非力でした。

列強諸国に囲まれ、黒船は日本が見たこともないような大砲を積んでいる。
軍事力においても経済力においても国際法の知識においても私たちは圧倒的に弱く、弱小国だった。
下手をすると、それこそ植民地にされてしまいます。

植民地にされたり、国を滅ぼされないためにどうしたらいいかと、明治の先人たちは
死ぬほど悩んで考えた。日本人の国を守る力はどこにあるのかと考えてたどり着いたのが
五箇条の御誓文でした。

五箇条の御誓文は、『広ク会議ヲ興シ 万機公論ニ決スベシ』から始まります。
これは広く会議を興してみんなで議論して決めなさいと。そこに庶民も入っています。

そういえるのはその次の『上下(しょうか)心ヲ一ニシテ 盛ニ経綸ヲ行ウベシ』で、
身分の上の人も下の人も心を一つにして盛んに政治・経済のあり方、国のあり方を議論して
決めなさいと書いているからです。

第三の『官武一途庶民ニ至ル迄 各々其志ヲ遂ゲ 人心ヲシテウマサラシメンコトヲ要ス』は、
官僚も軍人も、つまり政府を司っている人から庶民に至るまで心を一つにしておのおのそ
の志を遂げて、『ああ、こんな人生つまらなかった。生きていてもしようがなかった』と
思わせないようにしなさいと書いてある。

その次が『旧来ノ陋習ヲ破リ 天地ノ公道ニ基クベシ』。
古くなって役に立たなくなった決まり事や制度は捨てなさい、そして天地の公道とは
『人類普遍の世界に通用する価値観』と私は解釈していいと思うんですが、それに基づいて
政治をしなさいと。

そして『智識ヲ世界ニ求メ 大ニ皇基ヲ振起スベシ』というのが一番最後なんですけど、
日本だけに凝り固まっていたらだめですよと。世界に知識を求めて、大いに皇基、
日本は神話の時代から皇室を中心に国が成り立っていて、この皇室は権力じゃなくて権威であり、
国民のために神に祈る存在ですよ。

その人たちを支える権力を持っているのは、時代によって武士であり、貴族でした。
今は官僚・政治家なわけです。

ご皇室が中心でその下に権力構造があってこの2つが一緒になって国民、大御宝を守るというのが
皇基だと思うのです。そのような価値観を世界に広げなさいと書いてあるんですよね。

この五箇条のご誓文は十七条の憲法と非常に似通ったところがあります。
つまり十七条の憲法は千年以上の間脈々と生きてここに受け継がれてきたということなんですね。

庶民を大御宝として一人一人が志を遂げることができるような国をつくってあげなさい、
一人一人大事なのよと。あなたは身分が低いかもしれないけれども国が危機にあっては
あなたの意見もいいなさい、みんなで政治、経済を論じて国をつくりなさいという考え方です。

一人一人を大事にする考え方は日本国民だけが対象ではありません。
第1次世界大戦が終わった後の世界秩序をどうつくっていくかという1919年のパリ会議で
日本の全権代表が人種差別撤廃を国際連盟の基本の価値観に入れましょうと提案したことに
つながっています。

世界中が驚きました。そして反対も強かった。
アメリカのウィルソン大統領が『全会一致でなければこういうことは決められない』といって
拒否するのです。

日本は激しく抵抗しました。『今までは全て多数決だった。なぜこのことだけ全会一致なんだ』と。
人種差別撤廃の提案は多数決では支持されていましたから、日本は粘ったのですが、
一方的に却下された。そこで日本は『採決で可決されたということは議事録に残せ』といって
それは残っているんです。

日本の歴史上、日本は庶民を大御宝として大事にしました、身分の高い低い、
金持ちか貧乏かに関係なくみんなが生きる価値がある社会をつくろうという考えが
ずっと日本の歴史に流れていた。

それが第1次世界大戦の後、国際連盟をつくるときのわが国の人種差別撤廃の提言につながっていた。

今の中国のようにウイグルやチベットを弾圧するという考え方とは全然違うんですよ。
こうした歴史を日本人が思い出すことによって私たちは『ああ、われわれの祖先ってすごいんだなあ』
『日本ってすごいんだなあ』と実感できるわけです。

そしてこのようなことをアジアの人々、世界の人々に分かってもらえれば必ず共感を得ることが
できる。だからこういう日本の歴史を、大きな流れでとらえて、どんなにすごい国なのかと
いうことを学べば2020年の活力のもとになると思っています。

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140102/plc14010212000001-n6.htm

                <感謝合掌 平成26年1月2日 頓首再拝>

   (   <感謝合掌 令和元年8月20日 頓首再拝>)

「道に金庫が落ちている!」 - 伝統

2019/08/21 (Wed) 21:17:06

        *「日本はなぜアジアの国々から愛されるのか」第1章(P31)より

カンボジアの街並みは確実にきれいになっている。一応、表通りはゴミもなく美しい。
ただし、ちょっと裏に入るとゴミだらけ。

店舗前の道路沿いに、自動販売機が設置されていることは皆無だ。
そんなことしたら、一夜にして中身はもとより現金もすべて盗まれる。
自動販売機もぶっ壊されるか持ち去られる。

日本は人通りの少ない道路沿いにも自動販売機が置かれているが、盗難にあうことはほとんどない。
そんな国は世界中で日本だけである。

外国人が日本にやってきて驚くのが、この自動販売機なのだ。
「道に金庫が落ちている」「誰も盗もうとしない。信じられない」「日本はすごい」と感動する。

日本人が真面目、勤勉、優しく正直であることは、いろいろな国で言われた。
日本人の高い道徳心を誇りに思う。

             <感謝合掌 平成26年1月15日 頓首再拝>

   (   <感謝合掌 令和元年8月21日 頓首再拝>)

<日本はアジアの光だった> - 伝統

2019/08/27 (Tue) 18:46:11

<日本はアジアの光だった> 
~ヘンリー・ストークス氏(ジャーナリスト)

    *月刊誌・カレント2月号(H25) (株)潮流社発行(P46~47)より

インドネシアの植民地支配は、
1596年にオランダが艦隊をインドネシアに派遣したことに始まります。

オランダの350年以上に及ぶ植民地支配に終止符がうたれたのは、
1942年の日本軍の侵攻によるものでした。

インドネシアには白馬に跨る英雄が率いる神兵がやってきて
インドネシアの独立を援けてくれるという伝説がありました。

日本軍の侵攻は、神兵の到来を思わせました。日本兵は、神話の軍隊であったのです。

ジョージ・カナヘレは、「日本軍政とインドネシア独立」という著書で、次の4点を掲げています。

(1)オランダ語、英語の使用禁止。これにより公用語としてインドネシア語が普及した。

(2)インドネシア青年に軍事訓練を施した。
   これにより青年が厳しい規律や忍耐、勇猛心が植え付けられた。

(3)オランダ人を一掃し、インドネシア人に高い地位を与え能力と責任感を身に付けさせた。

(4)ジャワにプ―トラ(民族結集組織)やホーコーカイ(奉公会)の本部を置き、
   全国に支部を作り、組織運営の方法を教えた。


日本は第二次大戦でアジアの国々を侵略したとされますが、
どうして侵略する国が、侵略される国の青年に軍事教練を施すのでしょうか。

彼らの精神力を鍛え、高い地位を与え、民族が結集する組織を全国につくり、
近代組織の経営方法を教えることがありますか。

この事実は、侵略したのが日本でなかった事を証明しています。
日本はアジアの国々を独立させるあらゆる努力を惜しまなかった。

では、一体、どこからの独立でしょうか?

もちろん、アジアの国々を侵略していた白人諸国の支配からの独立です。

ジャカルタの中心にムルデカ広場があります。
ムルデカはインドネシア語で「独立」を意味します。
独立の英雄ハッタとスカルノの像とともに高さ37メートルの独立記念像が立っています。

地下一階には、独立宣言の実物が納められています。
ハッタとスカルノが直筆でサインしています。
そこに独立の日が「17-8-、05」とハッキリ書かれています。

「17-8」は八月一七日の独立の日を意味していますが、
「05」、〇五年とはどういう意味でしょうか。

インドネシア人はイスラム教徒ですがこれはイスラム暦ではありません。
ましてキリスト暦でもありません。

では〇五年とは何暦でしょう。
実は〇五年は、日本の「皇紀」なのです。
一九四五年は日本の「皇紀」では二六〇五年にあたるのです。

初代の天皇にあたる神武天皇が即位して建国をしたときから数えて年です。
ハッタとスカルノは日本に感謝して皇紀を採用したのです。

インドネシアの生みの親は日本だったのです。
だから二人はインドネシアの独立宣言の独立の日を、
日本の「天皇の暦」によって祝福したのでした。

皆さん、こうした西欧の五百年に及ぶ植民地支配は世界中で広く認知されたことであります。
我々は強、植民地支配から新たな発足が踏み出されています。

日本は「日の昇る国です」。
真に自由なアジアを求めるみなさんで手を取り合ってゆきましょう。
民主的なアジアの連帯を実現する重要な役割を日本が果たすことを願っています。

http://www.tyusaijyuku.ecnet.jp/jukucho/kokoro-25.html

             <感謝合掌 平成26年4月21日 頓首再拝>

   (   <感謝合掌 令和元年8月27日 頓首再拝>)

【ひどい日本人とすばらしい日本人】 - 伝統

2019/09/01 (Sun) 19:12:59


          *メルマガ「日本一元気(2014年05月04日)」より

先日、ある中国人の方のお話を聞く機会がありました。
日本語が上手な方でとても面白い話でしたが、
考えさせられる話でした。


その方は昔、日本が好きで日本語を勉強し、日本の旅行会社に就職したそうです。

しかし自分が中国人ということもあり、
怒鳴りつけられたり、ペットボトルを投げつけられたり、
ほかにもあまりにもひどい扱いを受けて、すっかり日本人が嫌いになってしまいます。

そんな日々を過ごしているうちに、
その方は日本と日本人に対する憎しみを抱いていきます。

しかしあるとき、
中国に行って砂漠を緑化しようという日本人ツアーを担当することになりました。

そのツアーの日本人たちは、

挨拶をしっかりする、
明るく元気、
きちんと後始末をして終える。


こんな日本人もいるのかと、日本に対する見方ががらりと変わり、

いまでは新しく会社をつくって、
日本と中国の架け橋となるようなビジネスをしているのだそうです。



日本人ならばみな君子であり、りっぱな人かというと、必ずしもそうではありません。

同様に○○人ならばみなひどい人かといえば、必ずしもそうではありません。

しかしさまざまな経緯や、テレビや新聞で抱いたイメージを
その国に知らず知らずのうちに植え付けてしまっていることがあるわけです。


大事なことは、

ある国の人に会う

あの人は素晴らしい人だな

あの人は何人だろう?

あの人は日本人か。

日本という国はすばらしい国だね。

と言われるような人間になることなのでしょう。


残念ながら、
この中国の方にとっては、

日本が好きだったのに出会った日本人社長がひどい人だったため、
危うく日本人が嫌いになり人生が終わってしまうところでした。


この方は最後に、

「あの時ペットボトルを投げてきた社長がいたからこそ、いまがあるので、感謝しています」

という話もしていました。


本来日本人が昔から大切にしてきた価値観を、
私たち一人一人が大事にしなければいけませんし、

常に「人のふり見て我がふりなおせ」の気持ちを持っていきたいものです。

             <感謝合掌 平成26年5月5日 頓首再拝>

   (   <感謝合掌 令和元年9月1日 頓首再拝>)

【だから日本は世界から尊敬される】 - 伝統

2019/09/06 (Fri) 21:26:36


       *メルマガ「人の心に灯をともす(2014年06月15日)」より


   (駐日外交団長、サンマリノ共和国特命全権大使、
    マンリオ・カデロ氏の心に響く言葉より…   )

   私は敬虔なローマンカトリックの信者です。

   それでも神道の素晴らしさはわかります。
   神道は自然を神と崇めて大事にしつつも、他の宗教に対しても寛容であるので、
   広い視野で物事を捉えることができる宗教だと思います。

   実はカトリックと靖国神社は深い因縁があるのです。
   
   第二次世界大戦後、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)内には、
   靖国神社を軍国主義の象徴と見なし、焼き払った上に跡地をドッグレース場にしよう
   とした動きがあったそうです。

   これには賛否両論があり、マッカーサー司令官も答えを出せずにいたようです。

   そこで、司令官は当時、ローマ教皇庁(ヴァチカン)の臨時駐日代表
   ブルーノ・ヴィッテル神父に意見を求めました。

   するとヴィッテル神父は、

   「いかなる国も、その国に殉じた兵士に対して、敬意を表す権利と義務があり、
   それは戦勝国、敗戦国問わず平等である。

   もし、アメリカ陸軍が靖国神社を焼却したならば、
   米陸軍の歴史に永久に消すことのできない汚点を刻むことになるだろう」

   と進言し、司令官は靖国神社焼却中止命令を出したそうです。


   アメリカン・カトリック教会のメリノール宣教会のパトリック・バーン神父も、
   戦後の靖国神社存続に尽力(じんりょく)しました。

   彼の手紙には次のような一文があったそうです。

   「国家神道は愛国心の表明以上の何者でもない。
   それはプロテスタントとカトリック、ユダヤの教徒がアーリントンの無名戦士の墓で
   花輪を供えるようなものだ」


   このような経緯があったことを考えると、
   クリスチャンである私たちヨーロッパ人がサンマリノに神社本庁公認の神社を
   建立できることは本当に感慨深いものがあります。

   私は、各国の大使を前に、靖国神社の本来の意味についてレクチャーしたこともあります。

   また靖国神社においても神道の素晴らしさをスピーチしたこともあります。

   靖国神社のことは、国際的にも凄くナーバスなことになっていますが、
   私が思うに、靖国神社のことについて、特に中国や韓国はとても大きな誤解をしている
   のではないでしょうか。

   靖国神社は145年前にできた神社です。

   第二次世界大戦のずっと前です。

   靖国神社のような、国を守るために亡くなった軍人を慰霊する
   メモリアルなお祈りの場所は、世界中どこにでもあります。

   イタリアには、ローマにヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂がありますし、
   アメリカにはワシントンDC近郊にあります。

   ドイツにも、フランスにもあります。

   それが、日本ではたまたま靖国神社なのです。

   だから、一部の国が言っている、

   「靖国神社には日本の戦争犯罪人も祀られている」

   と一方的に非難するのは、ナンセンスなことだと私は思います。

   ビィッテル神父やバーン神父の考え方をぜひ知ってほしいと思います。

   戦争の時は、平時の基準で考えたら誰もが犯罪人です。
   だから、戦争には勝者はいないのです。
   勝者も敗者も、戦争の犠牲者なのです。

   昔のことを蒸し返すだけでは意味がありません。

   また、日本政府も、戦争当時のことをもっとしっかりと説明するべきです。

   靖国神社は、戦犯だけを祀っているのではありません。

   「靖国で会おう」と言い合って、若者たちがお国のために命をなげうちました。
   もちろん、日本という国家を守るためですが、
   本当のところは愛する家族たちを守るためだったのではないでしょうか。

   靖国神社はそんな彼らの霊を慰めるところです。

   またこうした過ちが繰り返されることがないように祈っているということを、
   世界に向かってしっかりと言うべきだと私は思います。

      <『だから日本は世界から尊敬される』小学館>

   ・・・

本書の巻頭にはこう記されている。

『駐日大使の代表「外交団長」である著者は、日本人以上に日本への造詣が深い。

敬虔なクリスチャンでありながら、神道に傾倒し、
母国にヨーロッパ初の神社本庁公認神社が建立されたことを「光栄なこと」と喜ぶ。

世間で蔓延(はびこ)る「靖国」への誤解を解くよう力説。

何度も拝謁、ご陪食賜(ばいしょくたまわ)った天皇皇后両陛下を心から尊敬し、
陛下の大御心にも言及する。

日本人が忘れかけている、世界が憧憬(どうけい)の眼差しを向ける日本の文化を
外国人の目からも分析、もっと自信を持つように提言する』


サンマリノ共和国は人口わずか3万人ほどの世界で5番目に小さな国で、イタリア半島に位置する。

著者のマンリオ氏は、幼い頃から日本に興味をもち、学生時代には柔道を学び、
日本に居を移して40年近く経った。

そして、現在は駐日大使全153ヶ国を代表する「駐日外交団長」として、
各国と日本の友好親善のために尽くしている。


我々はもっともっと日本の歴史を学び、伝統や文化を大事にしなければならない。

そして、学べば学ぶほど、あまりにも日本のことを知らないことに愕然(がくぜん)とする。

外国の方からそういった指摘を受けるたびに、なおさらそれが身に染みる。


日本の文化と精神性を学び、もっと自信を持ちたい。

・・・

*サンマリノ共和国特命全権大使、マンリオ・カデロ氏に関しては、
 次のWebにても取り上げられておりました。

(1)本掲示板内スレッド「奇跡の人 (5038)」の”道産子 さま”記事 (5398)
   → http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=1043 

(2)愛国本流掲示板内スレッド「サンマリノ共和国 マンリオ・カデロ大使メッセージ (3766)」
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=daityouwa&mode=res&log=1370

             <感謝合掌 平成26年6月17日 頓首再拝>

   (   <感謝合掌 令和元年9月6日 頓首再拝>)

せがれや、ご覧、あの日本人の兵隊さんを。 - 伝統

2019/09/07 (Sat) 19:32:45


         *メルマガ「成功への道しるべ (2014年6月25日)」より


ウズべキスタン共和国は、ソ連邦の一員だったのが、
ソ連崩壊後独立した、中央アジアに位置する国です。
                             
昭和20年8月、日ソ不可侵条約を破り、怒涛のごとく侵入してきたソ連軍に多くの日本人が
連れ去られ、シベリアだけでなく、こんなところでも強制労働に就かせられていたのです。
                             
首都タシケントあるナヴォイ劇場はそういった日本人によって建設された、
バレー・オペラ劇場です。

劣悪な環境での労働に多くの人が命を落としています。
ただ現地のウズベグ人は人種的に日本人に近く、肌の色も同じで、
黙々と働く日本人に好意的だったということです。


   ◆3つの種類のモティベーションについて説明するのによく取り上げられる
    次のような話しがあります。

    旅人が、ある建設現場を通りすがった時、そこでレンガを積み重ね働いている男たちに
    「何をしているのですか?」と尋ねました。


    一人目の男は“見ての通りレンガを積んでいるのさ! ”と怒ったように言いました。

    二人目の男は“これで飯を食っているのだよ” と答えました。

    三人目の男は、仕事を中断し胸を張って誇らしげに言いました。 
    “大聖堂を建てているんだよ!”


   ◆最初の男の動機は、処罰を恐れて働くモティベーション、
    2番目の男の動機は、生活とか報酬のために働くモティベーション、
    これらはいずれも永続性がなく、限界があります。

    これに対して、3人目の男の、内から出てくるセルフ・モティベーションこそ
    偉大なものごとを達成させる、成功につながるモティベーションです。




一般的な感覚では、捕虜達が強制労働に対して、
セルフ・モティベーションを発揮することなど考えられません。

いかにしてサボるかといことを常に考えているものです。

ところがナヴォイ劇場建設に当たった日本人たちは、たとえ強制労働であっても、
セルフ・モティベーションを発揮して取り組んだようです。

完成した劇場は凛とした堂々たる劇場です。
しかも3年はかかるといわれていたのですが、2年で完成させたのです。

手を抜いて早く完成させたのではありません。
柱に天井に精緻な彫刻が、全面的に美しく施されています。


完成したらこんな立派な劇場が出来るという完成図即ち最終成果が
はっきりしていたことは幸いです。

クレーンなど無く全て手作業ですが、ジグソーパズルを完成させるような感覚で、
レンガを積み重ね、その度に小さな手応えを感じながら
気の遠くなるような膨大な作業をすすめていったことでしょう。



完成して20年後、建設に携わった日本人に対して畏怖と敬意を感じざるを得ない
出来事が起こりました。 タシケントを震度8.0の大地震が現地を襲ったのです。
                               ・
8万戸近くの家屋が崩壊し、その瓦礫の中で、ナヴォイ劇場だけが、変りなく建っていたのです。
劇場はけが人の手当ての場所に活用されました。


このことはウズベキスタンの教科書にも取り上げられていて、
日本のように真面目に勤勉に働きなさいと教えているそうです。


麻生太郎副総理は、昔JCのグループを率いてウズベキスタンを訪問したこともあり、
ウズベキスタンではよく知られている日本人だそうです。

昨年5月の国会で中山恭子自民党議員から、麻生太郎副総理が、
ウズベキスタンの状況についての質問された際、その答弁の中で、
カリモフ大統領から次のような話を聞いたことを紹介し話題になりました。


【私は子供の頃、母親に週末になると必ず、ナヴォイ劇場の建設現場に、
連れて行かれました。そして私に言うことは毎回同じです。

“せがれや、ご覧、あの日本人の兵隊さんを。
ロシアの兵隊が見ていなくても一生懸命に働いている。
お前も、大きくなったら、必ず、人が見ていなくても働く人間になるんだよ! ”

私がウズベキスタン共和国の初代の大統領になれたのは母親から繰り返し、
そう言って育てられたからです。】


ソ連時代荒れ放題になっていた、工事中に亡くなった日本人達のお墓が、
現在はウズベキスタン政府の手で、墓地公園として整備され、
日本の美しい桜が2千本近く植えられ、桜公園と言われているそうです。


・・・以下は、他のWebからの補足情報の紹介です。


戦争が終わった1945年、9760余名がタシュケントに移送され、
大きな犠牲を払いながら数年にわたり都市建設に貢献しました。

その中でナヴォイ劇場の建設に携わったのは、永田行夫元陸軍技術大尉率いる450人からなる
 ”タシュケント第四ラーゲリー隊” でした。

隊長の永田氏は、当時25歳だったそうです。…永田氏は当時の事をこう振り返ります。


『… 無論、不幸なことには変わりはない。
食事は常に不足して、私も栄養失調で歩くのがやっとの時期があった。

南京虫には悩まされ、月一回のシャワーは石鹸を流し終える前に湯が切れた。

冬は建設現場の足場板を持ち帰って部屋の薪にしていたが後にばれて厳禁となった。

2人の仲間が事故で亡くなった。…』


ウズベキスタンに送られた25,113人の内、わずか2年で813人の犠牲者が出たことを考えれば、
どれほど過酷な環境であったか容易に想像ができます。

そんな過酷な環境の中、日本人抑留者は実直、勤勉に仕事に励み、予定工期を大幅に短縮し、
わずか2年で劇場を完成させました。

綺麗な天上の模様も、繊細な彫刻も、日本人抑留者が作ったものです。


強制労働をさせられている身分にもかかわらず、真剣に責任感を持って仕事に取り組む日本人に
やがて現地のウズベク人は、好意と尊敬の念を持ち始めます。

ウズベキスタン中央銀行副総裁のアブドマナポフ氏は、
子供の頃、日本人が働く姿を見た事があるそうです。

子供心にいつも疲れて帰ってくる日本人抑留者を見て同情した氏は、
友人と一緒に何度となく宿泊所の庭先に、自家製のナンや果物を差し入れに行きました。

するとその数日後に必ず同じ場所にあるものが置かれていたそうです
…それは精巧に作られた手作りの玩具でした。

強制労働で疲れ切った抑留者という身分であったにもかかわらず、
受けた恩に精一杯の謝意を表明しようとした日本人抑留者の行為は、
道徳的規範としてウズベク人のあいだで語り継がれるようになったそうです。



*参考Web:誇り高き日本人 国旗の重み …ウズベキスタンのナヴォイ劇場
       → http://ameblo.jp/e-fh/entry-11662342902.html

             <感謝合掌 平成26年6月26日 頓首再拝>

   (   <感謝合掌 令和元年9月7日 頓首再拝>)

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