伝統板・第二

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素晴らしい日本 ② - 伝統

2019/08/14 (Wed) 04:35:00

映像制作会社が作った 世界一長く続いている国【日本】

  → https://www.youtube.com/watch?v=Eq4dJjB0CjU
          (2013/07/30 に公開)

皆さんは世界で一番長く続いている国がどこなのご存知だろうか?

それは我が国、日本で­­ある。 

その歴史は2673年(2013年時点)。
二番目に続いている国はデンマークで約1000年。
三番目はイ­­ギリス 約900年である。

その他のほとんどの国は200年足らずで滅びている。

2月11日、­­日本の建国記念日。
これは2673年前、初代天皇 神武天皇が即位した日である。

2673年前の歴史的な人物を称え祝日として祭祀を行う­­国は
世界中どこを探しても存在しない。

歴史 伝統 家柄 権威とは時間と共に深みを増し輝きを放つ。

その権威の最上位に立たれるのが私達の日本­­国の象徴 天皇陛下である。

かつてはジンギスハンが世界の人口の2分の1を征服し
黄色人種が反映­した時­代があった。
世界の人口の200人に1人はヂンギスハンの子孫だと言われている。。

しかし、今では白人が世界を席巻している。

その中でしくしくと国民の幸せ­と繁­栄を祈り続ける
天皇陛下の存在は世界の均等を保っている。

つまり、象徴とは計り知­れ­ない影響力を持っているのだ。

神として教えを説く訳でもなく、神道のトップとして信仰を広める訳でもなく。
神の子として一代で途絶えることもなく、脈々と命の種が受け継がれてきた天皇。

私達は天皇陛下の教えではなくその姿から学び取らなければならない­の­である。
神道には教えはなく、姿を見て学び取るのが神道の本随である。



・・・

<関連Web>

(1)「“本流宣言”掲示板」内スレッド「輝く日本! 輝け日本!」
      → http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=2190 (消滅)

(2)「光明掲示板・第一」内スレッド「日本讃歌」
      → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=1233

(3)「光明掲示板・第二」内スレッド「素晴らしい日本」
      → http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=548 (消滅)

   伝統板・第二「素晴らしい日本」(光明掲示板・第二)
      → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7895021  (再掲示中)

(4)「光明掲示板・第三」内スレッド「素晴らしい日本」
      → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=15

(5)光明掲示板・伝統・第一「素晴らしい日本 (26)」
      → http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=wonderful&mode=res&log=14

(6)伝統板・第二「素晴らしい日本」
      → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6461364

           <感謝合掌 令和元年8月14日 頓首再拝>

(2019年)ノーベル化学賞に吉野氏「リチウムイオン電池の父」 - 伝統

2019/10/10 (Thu) 04:01:08


       *Web:日刊スポーツ(2019年10月9日)より抜粋

スウェーデンの王立科学アカデミーは9日、19年ノーベル化学賞を
旭化成名誉フェローで名城大教授の吉野彰氏(71)ら3氏に授与すると発表した。

スマートフォンなどに広く使われるリチウムイオン電池を開発。
現在の情報化社会を支える成果として高く評価された。

日本人のノーベル賞受賞は27人目となる。


リチウムイオン電池は何度も充電して使える2次電池。
正極と負極の間をリチウムイオンが移動して充電や放電する。

吉野氏は80年代、炭素材料の負極とコバルト酸リチウムの正極を組み合わせ、
基本的な構成を確立した。

リチウムイオン電池は90年代に商品化され、
小型軽量で高性能のためスマホやノートパソコンなど
モバイル機器の普及に貢献した。

旅客機やハイブリッド車に使われるほか、再生可能エネルギーの拡大にも役立ち、
地球温暖化の切り札として再び脚光を浴びている。


授賞式は12月10日にストックホルムで開かれ、
賞金900万クローナ(約9700万円)が贈られる。
(今回は共同受賞なので3等分される)

日本出身のノーベル賞受賞者は、長崎市生まれの
英国人作家カズオ・イシグロ氏を含めると28人となる。(共同)

   (https://www.nikkansports.com/general/news/201910090000714.html )

<関連>

時事ドットコムニュース
https://www.jiji.com/jc/article?k=2019100901001&g=soc

(共同受賞)3者の役割
https://www.gizmodo.jp/2019/10/2019-nobel-prize-chemistry.html


祝福の声の数々
https://www.sankei.com/life/topics/life-34266-t1.html


過去の記事から(研究について)
https://www.sankei.com/life/news/191009/lif1910090047-n1.html

           <感謝合掌 令和元年10月10日 頓首再拝>

日本の伝統産業、高いお金を払っても西欧人が見に訪れる理由とは - 伝統

2019/10/22 (Tue) 03:08:16


       *Web:ZUU online (2019年10月20日)より

《量産ですり減った技術》

文化や技術に適正な値段をつけることも、
ほどよい量のものづくりを維持していく上では大事な要素だろう。

日本には、古くからさまざまな手仕事の文化があった。
漆器、鋳物、織物、刃物、木彫、和紙。

ところが明治から戦後、多くの産地では量産するために
それまでの品質を落としたり、技術を変えたりするなどして、
安く早く多くつくることが優先された。


たとえば、漆器もその1つ。
海外で漆は「JAPAN」と呼ばれる日本文化を象徴する伝統産業だ。
もともと漆器の下地は木材からつくられたが、
昭和30年代以降、量産が進む過程で、プラスティック製の素地に
ウレタン塗装を吹き付ける合成漆器がつくられるようになる。

漆器の産地として有名な加賀市の山中漆器の工房、
我戸幹男商店の我戸正幸さんはこう話していた。

「量産のために合成漆器が必要だったことは否定できませんが、
バブル崩壊後は産地の本質がすっかり見えなくなってしまいました。
かつて名工が腕を競ってきた技術こそ、伝えるべきものではないかと今は思っていて。
技術を取り戻しながら、現代に合ったモノをつくろうとする試みが始まっています」


それでもほかの先進国に比べて、
日本ほど手仕事が残っている国は他にないとものづくりに携わる知人たちは口を揃える。

うなぎの寝床の白水高広さんは、その理由をこう教えてくれた。

「イギリスやオランダではものづくりが工業化したタイミングで、
手仕事が労働としてみなされてしまったんです。
だからその後機械化が進むと人の手がいらなくなってしまった。

一方で日本は労働の中に美を見出して、手仕事を伝統工芸という形に昇華させた。
伝統産業に指定して、保護してきたと理解しています」


1974年に制定された
「伝統的工芸品産業の振興に関する法律」(伝産法、と呼ばれる)のことだ。

全国の工芸品や産業振興を目的としたもので、
2018年11月時点で232の品目が指定されている。

この制度のおかげで補助金が支給されるようになり、
競争の激しい市場で戦わずとも維持され、
伝統産業界が経済活動から後退したとも言える。

1990年以降、生産額および企業数ともに減り続けていることは、その表れでもあるだろう。

補助金で伝統産業を保護することには賛否両論あるかもしれない。
でも日本に今これだけの手仕事が残っている状況は、
少なくとも西欧人から見ると羨ましいことのようで、
高いお金を払ってでも見に訪れようとする人が多い。


伝統産業の技術がなくなったからといって、
私たちの暮らしがすぐに困ることはないだろう。

でも日本固有の文化、技術がなくなったとしたら、
あとに残るのはどの国へ行っても同じ、世界で標準化されたモノばかりになる。


これから価値が高まるのは、
その国、地域にしかない特有の文化なのではないか。

日本には日本の、その地域にはその地域の、多彩なものづくりが共存する世界。
その技術を守ることは、モノができるまでにかけられた時間や手間に
お金を払うことでもある。

安いモノばかり選んでいるうちに、
気づいたら価値あるものを失っていた
......なんてことになるのはあまりに惜しいと思う。

すでにそうして失われたものも多い。

  (https://news.infoseek.co.jp/article/zuuonline_205345/ )

           <感謝合掌 令和元年10月22日 頓首再拝>

日本承認195カ国、9割超が即位礼に - 伝統

2019/10/25 (Fri) 02:20:03

日本承認195カ国、9割超が即位礼に 国連より承認多く

       *Web:日本経済新聞(2019/10/23)より

天皇陛下が即位を国内外に宣明した22日の「即位礼正殿の儀」には
186カ国の代表者が参列した。

日本政府は国家として承認する195カ国のうちシリアを除いて招待し、
9割超が出席した。

国連加盟国は193カ国で、日本と日本が承認する国の計196カ国より3カ国少ない。
他国を承認するかの対応は国ごとの自由裁量で、
「世界の国の数」に共通した数字があるわけではない。


即位礼正殿の儀への参列国の数は
1990年の平成への代替わり時と比べ20カ国以上増えた。
前回は約160の国の代表者が参列した。

当時日本が承認していた国は165で、平成の30年間に30カ国も増えた。

承認国数の変化は国際情勢を映す。
東西冷戦の終結に伴い、91年度に旧ソ連や旧ユーゴスラビアの15カ国を承認した。
直近では2015年に南太平洋のニウエを加えた。

国連の加盟国数も「世界の国の数」と言えるが日本の承認国数とは差がある。
日本は国連未加盟のバチカンやコソボ、クック諸島、ニウエの4カ国を承認する。
一方、91年に韓国と同時に国連に加盟した北朝鮮を国家とは認めていないためだ。


国際法上では一般的に「国家」は(1)領域(2)国民(3)主権――の3要素を満たす
ことが要件とされる。

国家の要件を明文で規定した条約には1933年に米国と中南米諸国が結んだ
モンテビデオ条約がある。ここでは3要素に加えて「他国との関係を取り結ぶ能力」
が盛り込まれた。

ただある国が別の国を国家として認めるかは、あくまでも各国個別の判断に委ねられる。


日本は国を承認する際、
相手国に「国際法を順守する意思と能力」があるかも考慮に入れている。
3要件を満たすと考えられる北朝鮮を承認しないのもそのためだ。

一方、ロシアや中国のほか英国など160超の国は北朝鮮を承認している。


22日の即位礼には日本が国として承認していない地域の代表者も参列した。
例えば中東のパレスチナからは自治政府のアッバス議長が来日した。

パレスチナは中ロなど130カ国以上が承認するが、
日米や英国、フランスなどは未承認だ。
12年には国連総会のオブザーバー国家の地位を得た。

日本はイスラエルと共存する「2国家解決」を支持し、将来の承認にも含みを持たせる。

(以下略)

           <感謝合掌 令和元年10月25日 頓首再拝>

正倉院 ~ 世界最古の国際美術館 - 伝統

2019/11/04 (Mon) 04:29:00


        *メルマガ「JOG-Mag」(2019年11月03日)より


「全アジアのもっとも美しい時代の姿が、正倉院に保存されている」。
この奇跡はどのように実現されたのか?


1.テヘランで見つけた正倉院所蔵品とそっくりの水差し

  「これを初めて見たときには思わずハッとした」と早稲田大学で
  シルクロード史を研究されていた長澤和俊・名誉教授は言う。

  昭和41(1966)年春にテヘラン考古博物館を訪れた時のことである。
  そこで見つけたガラス製の水さしは、正倉院所蔵のものとそっくりだった。


    鳥の嘴(クチバシ)をかたどった口、流れるような曲線を示す胴体や把手(トッテ)、
    とくに注ぎやすいように親指をかける突起など、驚くほど似ている。[1,p89]


  ただし、正倉院のものは大切に保存されてきただけに透明な美しさに溢れているが、
  こちらの方は出土品のようで、表面が銀化したり、汚れたりしている。


    少なくともこれを見た瞬間には、あの正倉院の水さしはおそらく
    ぺルシアからはるばる伝来したものと直感したのである。[1, p90]


2.「世界最古の国際美術館」

  この水差しは、正倉院宝物の二つの特徴をよく表している。

  第一は「正倉院はシルクロードの終着点である」と言われる国際性である。
  宮内庁正倉院事務所長・杉本一樹氏の『正倉院 歴史と宝物』[2]では
  次のように指摘されている。


    デザインや装飾技法、容器のかたちなどについてみれば、
    宝物には、インド、イランからギリシア、ローマ、エジブトにおよぶ
    各国の諸要素が包含される。[2,p56]


  第二は保存性である。


    一方、永世保存が当初からの目的とされることにも注意したい。
    同じ目的の、宝物の一括献納の例として、エジプトの諸王朝の宝や、中国では
    法門寺地宮や遼代の慶陵白塔の事例がある。

    しかし、永世保存の手法として選ばれたのは、埋納という形式であり、
    正倉院の例のように、人の手によって、地上で守られた例を知らない。

    つまり、永世保存という意思が発信され、それが一度も途切れずに、
    人から人に引き継がれて継続しているということである。[2, p33]


  正倉院は世界最古の国の世界最古の王朝に護られてきた
  「世界最古の国際美術館」なのである。

  なぜ、これが実現されたのか、歴史を辿ってみれば、そこにわが国の国柄が見えてくる。


3.長安で流行したペルシア風文化

  618年に成立した唐はササン朝ペルシア(226〜651)年との間で、文化交流が盛んだった。
  仲介に立ったのが、商才に長けた西トルキスタンのソクド人である。
  ソグド人はペルシア人と同じイラン系アーリア人で、言語も宗教も近かった。

  彼らはペルシアの絨毯、宝石細工、楽器、ガラス、金属器、香料、薬品などを
  ラクダの背に載せ、今日のイランからパミール高原やタクラマカン砂漠を越えて
  長安まで運んだ。

  651年にアラブ軍(イスラム・カリフ国)がササン朝を滅ぼすと、
  王子たちやその一族郎党が唐に亡命した。
  彼らに従って、多くの工芸家が長安にやってきた。

  玄宗皇帝(唐の第9代皇帝、685~762年)の宮廷内の工房には
  織物刺繍工、木工、玉工、金工が千人規模でいて、様々な工芸品を作っていた。

  その中には多くのペルシア人工匠やその弟子となった唐人工もいて、
  ペルシア風の工芸品も制作していた。

  それらが国内の貴族の褒賞や周辺国の朝貢への返礼として配られていたのである。

  唐の首都長安でもペルシア風の文化が流行した。
  『旧唐書』は「太常の楽は胡曲を尚び、貴人の御饌(しょくじ)は
  ことごとく胡食で、士女はみな胡服を着ている」と書いている。
  「胡」とはペルシアやソグドのことである。

  玄宗の下で軍人としてのし上がった安禄山は、
  ソグド人と突厥(トルコ系遊牧民族)の混血で、
  755年に「安禄山の乱」と呼ばれる叛乱を起こした。

  この際に、唐のある王族が逃れる際に、
  持ちきれない財宝を大きな唐壺2つに入れて、長安南郊に埋めた。

  その唐壺が見つかり、中から出てきた宝物には、
  銀薫炉や琉璃(るり)碗など、正倉院の宝物と瓜二つのものが少なくない。

  またササン朝の銀貨、東ローマの金貨、日本の和銅開宝銀銭も出てきて、
  当時の国際交流の盛んな様を窺わせる。


4.遣唐使やその返礼使節による交易

  長安の国際性豊かな様は、わが国から赴いた遣唐使の一行も見聞している。
  7世紀から9世紀にかけて、我が国は17回にわたって遣唐使を派遣した。

  長澤教授は彼らの長安での滞在についてこう語る。

    遺唐使の一行は長安で大食、吐蕃、その他多くの外国人と会い、
    それぞれのすぐれた文化も肌で感じていたと思われる。
    中国の西方には西域、吐蕃、吐火羅、大食、波斯、天竺等の国々があり、
    西方には緑眼朱髯の人が住むというようなことは、
    大和朝のインテリには実際に彼らと会い、話をかわすことによって、
    すっかりわかっていたのである。[1, p211]


  東アジアの遣唐使は、それぞれの国の特産品を唐に献納し、
  それに数倍する回賜(返礼品)を貰って帰国するのが常であった。
  いわば当時の国際貿易である。

  また、日本からの遣唐使は総勢100人から600人程度で、
  彼らは命がけの渡航であったから、無事、唐に着くと、唐物の購入に精を出した。

  それらの中には、ペルシアから唐にもたらされたもの、
  あるいは唐に亡命したペルシア工人が造った工芸品も含まれていたろう。

  これらの一部が日本に持ち帰られ、正倉院の宝物とされたようだ。

  また日本から遣隋使・遣唐使が派遣されると、
  その返礼として使節が我が国にやってくるのが通例であった。

  天智天皇の治世の669年と671年には
  それぞれ2千人規模の夥しい船と唐人が来朝している。
  その中には夥しい数の商人が含まれていて、莫大な唐物を持ってきたようだ。

  分量から見ると、遣唐使が持ち帰った物以上が輸入され、
  その中には正倉院に献納された多くの工芸品が含まれていたと推測されている。


5.唐のすぐれた技術の吸収につとめた職人たち

  興味深いのは、諸国からの遣唐使の中で、
  日本人は特に書籍の購入に熱心だったことだ。

  『旧唐書』の「倭国日本伝」には、「得るところの錫賚(しらい、下されもの)
  尽(ことごと)く文籍(ぶんせき、書籍)を市(か)い、海に泛(うか)んで還(かえ)る」と、
  記録されている。

  書籍を熱心に求めるのは、昔からの学問や技術を重んじる日本人の習性だろう。

  さらに遺唐使の一行には、医師、楽師、画師、玉・鍛冶・鋳物などの職人などもいて、
  唐のすぐれた技術の吸収につとめた。

  第17次遺唐使(838~840)とともに入唐した藤原貞敏は、
  もともと琴の名手であったが、唐の琵琶の名人劉二郎に砂金二百両を贈ってに師事し、
  わずか数ヶ月でことごとく妙曲を伝授された。

  劉二郎はその天分に感心し、譜数十巻を与え、その愛娘を貞敏に嫁がせたという。

  翌年の帰朝にあたり、劉二郎は紫檀・紫藤琵琶各一面を餞別として貞敏に与えた。
  「正倉院宝物中の数多い琵琶も、何回かこうした経緯をくり返して
  輸入されたものかもしれない」と長澤教授は指摘する。


6.新羅商人の中継貿易

  正倉院の宝物の中でも有名な鳥毛立女屏風(とりげりつじょのびょうぶ)は、
  六扇にわたって豊満な唐美人が描かれ、一見、唐からの舶来品と考えられたが、
  この屏風の下貼りの反故(ほご)紙に天平勝宝4年(753)の年記があり、
  結局、わが国で製作されたことが明らかになった。

  この下貼りに使われた文書は、天平勝宝4年に新羅使がやってきた際に、
  奈良朝の貴族が新羅使から購入予定の物の種類・価格などを報告したものである
  と見られている。

  購入品の中でも多いのは香料で、その原産地は中国南部からインド、マレー半島、
  スマトラに及び、新羅商人の広範囲な活動が窺われる。

  しかし、長澤教授は「この国には古い金銀器や金銀平脱(JOG注: 紋様の形に切った
  金や銀の薄い板を貼り付けた)漆器等が残っておらず、新羅、百済は
  わが国と唐との中継貿易を試みたとみられる点があり」と言われている。

  唐からの返礼品や輸入品も、ほとんど日本へ輸出してしまったという事か。

  いずれにしろ、その文書が反故として、朝廷で工芸品の制作にあたっていた
  内匠寮(ないようりょう)に払い下げられ、下貼りとして使われた。

  作者は唐で技術を学んだ日本人か、あるいはもう一つ可能性があるのが帰化人である。


7.帰化人たちの貢献

  長澤教授によれば、正倉院の御物には日本で制作されたと判明していながら、
  ペルシア人の工芸家がいたとしか考えられないものがある、という。

  それは二つの屏風で、両方とも樹木の下で鹿や猿をなどを配置した
  ペルシャ風の模様が描かれているが、専門家によれば、これは、
  ゾロアスター教の最高神オフルマズドが悪の神アフレマンを追放する様が
  描いているという。

  様式だけ見れば、ペルシアから中国を経て日本にやってきたもののように見えるが、
  屏風の下端には、絹布の銘識の一部と思われる墨書きで「天平正宝三年十月」とあり、
  わが国で造られたものである事が明らかになった。

  帰化人が工芸の面でも活躍していたことは記録にも残されている。
  唐の高僧・鑑真は日本側の招請を受けて、5回の失敗を乗り越えて来朝した。

  その際に、弟子14人のほか、
  ペルシア人(または現在のウズベキスタンのブハラ人)らしき安如宝、
  ベトナム人軍法力など24人が同行したという。

  鑑真は後に唐招提寺を建立したが、その金堂、地蔵堂などは安如宝、
  講堂の丈六弥勒菩薩などは軍法力の作であるという。

  その外にも、遣唐使の帰朝にあたり、唐のつけた送使が遭難などで
  帰れなくなったため、帰化した唐人も多く、彼らはそれぞれ姓を賜り、
  官位を授けられ、唐文化の普及に貢献した。

  わが国では技術や学問をもった帰化人も歓迎され、
  彼らがまた優れた工芸品を後世に残したのである。


8.「世界最古の国際美術館」

  ペルシアや唐で優れた工芸品がたくさん作られ、また貿易などでアジア各地に広まった。
  しかし、それらの多くは永世保存のため、あるいは戦火や略奪から護るために
  土中に埋められたりした。

  さらには新羅のように貿易で多くの工芸品を扱いながら、利のためか、
  自国ではほとんど残されていない、という国もある。

  こういう歴史と比べてみれば、正倉院で海外からの多くの宝物が
  人の手によって残されてきたことは、世界史的な奇跡であることが理解できよう。

  イギリスの歴史学者アーノルド・トインビーはこう語っている。


    七、八世紀のさまざまな遺品を、あれほどまでに数多く、
    しかも完璧な姿で保存されてきた正倉院の宝物は、
    まさにかけがえのない「宝石」である。[3, p11]


  また、ヨーロッパの東洋学ではもっとも進んでいるフランスの
  ギメ東洋美術館の館長だったルネ・グルッセも、こう評価している。


    全アジアのもっとも美しい時代の姿が、今日、正倉院に保存されており、
    われわれの眼の前にその姿をほうふつとさせてくれる。
    あらゆる点において、七、八世紀はアジア大陸のもっとも偉大な時代であった
    とおもう。

    そして、その偉大な世紀が、まさにこの正倉院に保存されているのである。


  正倉院がこれらの「宝石」「全アジアのもっとも美しい時代の姿」を
  1200年以上も保存できたのには、二つの要因がある。


  第一は皇室の保護である。
  正倉院は初期の頃から「勅封」がかけられていた。
  扉を開けるには勅許(天皇の許可)が必要であり、
  開閉には天皇の命を受けた使者が立ち会う。

  中世以降は「勅封」とは「天皇ご自身が書かれた封」と解されるようになり、
  紙にお名前あるいは花押が書かれる。この伝統が現在まで続いているという。

 

  第二は、1200年以上にわたって9千点もの品を丁寧に記録し、厳重に虫干し・点検し、
  時には高度な技術によって復元修理してきた無数の人々の精魂込めた作業である。

 
  正倉院とは、「世界最古の国」の皇室と先人たちの努力によって護られてきた
  「世界最古の国際美術館」である。まさに「和の国」[a]ならではの伝統である。

 
  おりしも御即位記念の第71回正倉院展[4]が11月14日(木)まで
  奈良国立博物館で開催されており、

  東京国立博物館では御即位記念特別展「正倉院の世界─皇室がまもり伝えた美─」[5]が
  11月24日(日)まで開催されている。

  この世界史の奇跡を我々は国内で見られるというのも、ご先祖様たちのお陰である。

(文責 伊勢雅臣)

■リンク■

a. JOG(伊勢雅臣
『世界が称賛する 日本人の知らない日本2 「和の国」という“根っこ"』、育鵬社、H31
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4594083250/japanonthegl0-22/
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__________
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育鵬社刊、¥1,650(税込み) Kindle版も発売中
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(発売日10/9時点 アマゾン日本論2位、総合59位)

 本著は日本の国柄を「和の国」ととらえ、それがどのような「根っこ」から生じ、
 成長していったのか、をたどった本です。
 この「根っこ」をさらに太く深くすることが、
 現在の我が国の危機克服とさらなる発展につながると考えております。

■令和日本が根ざすべき「和の国」の「根っこ」はこうして生まれ、育った

・1万年以上も続いた、戦争も環境破壊もない縄文時代
・「和の国」実現のための三大原則を示した三種の神器
・「和の国」を作ろうと呼びかけた神武天皇の即位宣言
・全国で16万基もの古墳を造築した「和」のパワー
・天皇から少年兵士まで真心を通わせる和歌
・心を開いて語り合えば道理が通って「和」に達すると説いた聖徳太子の十七条憲法
・西洋人たちに感銘を与えた幕末の「和の国」の民の幸福
・「衆議公論」による和の民主主義を目指した五箇条の御誓文
・まずは家庭内の「和」から始める事を説いた教育勅語
・皇室の無私の祈りが「和」の心で国民を統合する
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

1. 長澤和俊『正倉院の至宝─宝物殿に眠る歴史の謎』★★★、
  プレイブックス・インテリジェンス新書、H15
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4413040724/japanontheg01-22/

2. 杉本一樹『正倉院-歴史と宝物』★★、中公新書、H20
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4121019679/japanontheg01-22/

3. 由水常雄『正倉院の謎─激動の歴史に揺れた宝物』★★、中公文庫、S62
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4122014611/japanontheg01-22/

4. 奈良国立博物館「御即位記念 第71回正倉院展」
https://www.narahaku.go.jp/exhibition/2019toku/shosoin/2019shosoin_index.html

5. 東京国立博物館「御即位記念特別展 正倉院の世界 皇室がまもり伝えた美」
https://artexhibition.jp/shosoin-tokyo2019/

           <感謝合掌 令和元年11月4日 頓首再拝>

「世界中ほぼ親日国家」である理由 - 伝統

2019/11/17 (Sun) 04:38:15

韓国・中国・北朝鮮以外は「世界中ほぼ親日国家」である理由

         *Web:NEWSポスト(2019.7.31)より要点の紹介
              ~ジャーナリストの井上和彦氏

(1)世界を見渡せば、反日国家はごく少数だ。
   圧倒的多数の国家が親日である。

   その背景には、先人たちの努力と犠牲があった。

(2)私はこれまで世界各国・地域を探訪して回ってきた。

   世界の国々は、日露戦争はもとより第一次世界大戦、
   そして大東亜戦争における日本の戦いを賞賛し、
   とりわけ欧米列強諸国の植民地となっていた国々からは
   感謝すらされていることに私は衝撃を受け続けてきたのである。

(3)ミャンマー連邦共和国(ビルマ)、パプアニューギニア独立国のラバウル、
   カンボジア王国、ポーランド共和国、ソロモン諸島のガダルカナル島、
   マルタ共和国、フィリピン共和国、フィンランド共和国、パラオ共和国、
   インドネシア共和国、極東ロシア、そして台湾

   ……それぞれの国に、知られざる日本との交流秘話がある。

(4)そしてこうした国々は、それぞれの日本との関わりから生まれた
   対日感情や感謝を忘れることなく現代に引き継いでいる。

   したがって、正しい歴史を知り現実を理解すれば、
   その国とどのように付き合っていけばよいかが見えてくるのだ。

   実のところ世界はそのほとんどが親日であり、
   “反日国家”は中国と朝鮮半島くらいだろう。

   もっといえば、“反日国家”を探す方が難しい。

(5)「令和」という新しい時代を迎え、
   いまこそ先人が築き上げてくれた輝かしい日本の歴史と日本人としての
   誇りを取り戻そうではないか。

   そのためにこそ、どうか世界各地に残された先人の足跡を訪ねていただきたい。

   きっと

   いい知れぬ感動がこみ上げ、あるいは、あっと驚く新しい発見もあるだろう。
   そのとき、日本人としての誇りと自信を取り戻すことができるはずだ。

   (https://www.iza.ne.jp/kiji/world/news/190731/wor19073109080008-n1.html )

           <感謝合掌 令和元年11月17日 頓首再拝>

ユネスコ無形文化遺産…伝統神事『あえのこと』 - 伝統

2019/12/06 (Fri) 12:36:24


田んぼの神様を家に招きもてなす 石川・輪島市

          *Web:FNNPRIME(2019年12月5日) より

田んぼの神様を迎えてもてなします。

ユネスコの無形文化遺産に登録されている伝統神事「あえのこと」が
石川県の奥能登各地で行われました。

「あえのこと」は田んぼを守ってくれた神様を家に招きいれ、
今年1年の収穫に感謝しもてなす伝統神事で、
ユネスコの無形文化遺産に登録されています。

 
輪島市白米町の川口喜仙さんの家でも、
自宅近くの田んぼにクワを入れ、
アテの枝に宿った田の神様を家に招き入れて、
海の幸、山の幸でもてなしました。

今年は金沢大学に通う留学生が見学に訪れ、興味深そうに見学していました。

来年2月9日には、再び神様を田へ送り出し、豊作を祈願します。

     (https://www.fnn.jp/posts/2264ITC )


<参照Web>

「あえのこと」とは「神様に対するおもてなし」
https://tadaya.net/nototsuduri/culture/detail3/

https://colocal.jp/odekake/25086.html


世界無形遺産「奥能登あえのこと」を能登・合鹿庵で体験しよう!
https://www.travel.co.jp/guide/article/29029/

           <感謝合掌 令和元年12月6日 頓首再拝>

ノーベル化学賞、授与 - 伝統

2019/12/11 (Wed) 04:26:51


ノーベル化学賞の吉野氏「賞金で若手研究者を支援」

       *Web:日本経済新聞(2019/12/7 )

リチウムイオン電池の開発で2019年のノーベル化学賞を受賞する
吉野彰・旭化成名誉フェローが7日午前(日本時間同日夕)、
授賞式のあるストックホルムで日本経済新聞のインタビューに応じた。

ノーベル賞の賞金の一部を「若手研究者の支援に使いたい」と述べ、
若い世代の発想を地球規模の問題解決につなげていきたいと意欲をみせた。

吉野氏は5日(同6日未明)に現地入りした。

インタビューでは、自身の研究生活を振り返り
「(企業では)やりたくてもできない基礎研究を担う研究者を支えたい」
と抱負を語った。所属を問わず、提案を募る考えだ。

8日の受賞講演に関しては
「準備は整った。リチウムイオン電池が環境問題の解決に役立つと訴えたい」
と意気込んだ。10日の授賞式も「非常に楽しみだ」と話した。

ノーベル賞の授賞理由の一つは「環境問題への貢献」だった。
再生可能エネルギーをリチウムイオン電池が蓄えられることが評価された。

インタビューに先立ち、スウェーデン王立科学アカデミーで受賞者による
共同記者会見に参加した。

化学賞を同時受賞する米国の2人のうち、
マイケル・スタンリー・ウィッティンガム・米ニューヨーク州立大学卓越教授が同席。

「(吉野氏は)我々の基礎研究を組み合わせて応用につなげてくれた」
と感謝を伝えた。

吉野氏は「開発した当初はこんなに大きな市場になるとは思わなかった」と
ほほ笑んだ。

ノーベル賞の賞金900万スウェーデンクローナ(約1億円)は3氏で分ける。

吉野氏は「疲れはない」と元気な様子を見せた。
6日は午前中にノーベル博物館の椅子にサインする恒例行事に参加。

午後はクリスマスに向けて盛り上がるストックホルム市街を家族と楽しんだ。

・・・

リチウムイオン電池「持続可能社会の中心技術に」 吉野さんノーベル記念講演
https://www.sankei.com/life/news/191208/lif1912080041-n1.html

・・・

吉野さんにメダル授与 「最高です」 ノーベル化学賞

        *Web:JIJI.COM(2019.12.11)より

ノーベル賞授賞式が10日夕(日本時間11日未明)、
ストックホルムのコンサートホールで開かれ、
化学賞に選ばれた吉野彰・旭化成名誉フェロー(71)に、
スウェーデンのカール16世グスタフ国王からメダルと賞状が授与された。

吉野さんは授賞式後、「最高です」と喜びを語った。

   (https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191211-00000002-jij-soci )

           <感謝合掌 令和元年12月11日 頓首再拝>

「世界最強」の日本パスポート 信用力はどこから - 伝統

2019/12/14 (Sat) 04:19:10


        *Web:日本経済新聞(2019/12/13)より

今年も残り20日を切った。
年末年始に海外旅行に出かける人も多いだろう。

日本を出て他国に入るとき、必ず必要なものがある。
パスポート(旅券)だ。
実は日本のパスポートは「世界最強」と呼ばれている。

その秘密を探った。

「最強」の根拠は
英国のコンサルタント会社「ヘンリー&パートナーズ」が毎年公表している調査だ。
199カ国・地域のパスポートを調べ、ビザ(査証)なしで訪れることができる国・
地域の数をランキングにしている。

日本のパスポートは2018年から2年連続で1位に輝いている。
日本は19年10月時点で190カ国・地域を「ビザなし」か
「空港到着時のビザ申請」で訪問できる。

■「ビザなし」は信用の証

なぜビザなしで訪問できる国・地域の数がパスポートの優劣につながるのか。

ビザは外国籍の人が入国する資格を証明する書類だ。
旅行者にとっては渡航先への入国許可証のような位置づけになる。

入国許可申請に必要な書類の一部で、短期滞在や
就労・長期滞在、公用などいくつか種類がある。

就労が目的ならビザが必要になる場合でも、日数を限った観光なら免除になることが多い。

ある国への入国にビザが必要なら、事前に日本国内の大使館などに出向いて
発行してもらわなければならない。時間と手間がかかる。

日本のパスポートを保有していれば、
多くの国でこうした審査なしに入国許可が得られる。
日本人のパスポートは信頼されているので
「入国審査の際も他の国の人より手続きがスムーズに終わることが多い」との声もある。

海外で身分証として役立つ場合もある。

なぜビザを免除するのだろうか。
免除をして渡航手続きを簡略化すれば、観光客が増え、
人の交流を促すことができるためだ。

往来が増えれば自国経済にプラスの効果が期待できる。
「あなたの国からの来訪者を歓迎しますよ」との姿勢を示すことで、
相手国が持つ印象もよくなる。

デメリットもある。

障壁を下げれば、犯罪者なども入りやすくなり、治安に影響が出かねないからだ。
このため、ある国がビザの免除を認めるかどうかを判断する場合は
、相手国の犯罪の状況、相手国からの難民申請の実態、経済力、
2国間の友好の度合いなどを調べる。

裏返してみれば、日本はこうした基準で各国から高い信用を得ているといえる。
まず犯罪が少なく治安がいい。経済力が高く社会への不満も乏しいため、
日本人が難民申請をしてくる可能性は乏しい。

観光だけでなく、起業や投資で経済的な恩恵をもたらす機会も期待できる。
日本人がテロを目的に入国してくるケースは考えにくい。
受け入れる側から見れば、日本人は安全で歓迎すべき渡航者になることからビザの免除が増える。


      「ビザなし」で渡航できる国・地域が最も多い国

      第1位 日本、シンガポール (190)
      第3位 ドイツ、フィンランド、韓国(188)


      最下位 アフガニスタン(25)


■歴史・国民感情も影響

ランキングではシンガポールも日本と並ぶ1位だ。
3位は韓国で188カ国・地域になる。
米国、英国は15位で、上位は欧米や東アジアの一部の国が占めている。

大きな国で順位が低いところを見ると、
ロシアが117カ国・地域で91位、中国は71カ国・地域で121位だ。

ランキング下位を見ると、中東やアフリカの国が目立つ。
最下位はアフガニスタンで、ビザなし訪問が認められているのは25カ国・地域しかない。
北朝鮮は39カ国・地域で188位だ。

国際的に信用があるとみられる国のパスポートでもビザが求められるケースはある。
米国人は60~70年代に戦ったベトナムや、
反米感情が強いベネズエラに入国する際にはビザが必要だ。

過去の歴史や国民感情もビザの有無に関わるといえそうだ。

アフリカ諸国もビザが必要になるケースが多い。
ビザ取得には手数料が発生するため、
途上国ではビザを貴重な外貨収入源にしている場合がある。

「最強」の日本人もアフリカの多くの国ではビザが必要だ。


■片方の国だけ免除も

日本人がある国をビザなしで訪問できても「逆もまた真なり」とはならない。
日本に来る外国人にはビザを求めることが多いからだ。

日本がビザなしで入国を認める国・地域は米英独仏や韓国など68にとどまる。
中国、ロシア、インド、フィリピンなどはビザが必要になる。
ビザの免除は双方の国が実施する「相互主義」が基本だ。

だが一方の国が「観光客を増やしたい」などと希望すれば、片方だけが免除することがある。

日本とロシアは双方ともビザが必要になる。
日本人はウラジオストクなど一部地域を訪れるときのみ電子ビザが認められている。
外務省幹部は「ロシアとの間の全面免除はまだ時間がかかる」と語る。

ロシアは米国やEUからの渡航者にもビザを課している。

ブラジルは19年6月から日本人などにビザを免除した。
従来はブラジル国民にビザを求める国は免除しなかったが、
1月に就任したボルソナロ大統領が方針を転換した。

「最強」のパスポートを持つ日本人だが、所持率は約4分の1にすぎない。
主要7カ国(G7)で最も低い。


■所持率低く 恩恵生かせず

日本人は世界で最も多くの国をビザなしで訪問できるにもかかわらず、
他の先進国と比べてパスポートの所持率が低い。

経済協力開発機構(OECD)の統計では
日本人の海外留学者数はピーク時より減っている。

国際機関で働く日本人の数も経済力や人口規模の割には少ないとの指摘もある。
国際化の時代に日本人は内向き志向を強めているように見える。

ビザの免除措置は相手国との友好関係を示すものでもある。
190カ国・地域の多くは日本人に観光やビジネスで来てほしいと期待しているはずだ。
まだビザが必要な国でも部分的な緩和や手続きの簡素化が進んでいるところもある。

日本のパスポートを見せるだけで歓迎してくれる人もいる。
せっかくの「世界最強」だ。

多くの人が恩恵を感じてほしい。

           <感謝合掌 令和元年12月14日 頓首再拝>

未来への鼓動 - 伝統

2020/01/12 (Sun) 04:15:15


       *Web:伊勢ー白山 道(2020-01-09)より
            ~ 再誕に向けての鼓動

ただの妄想か、それとも未来の希望か?

https://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/e/d71bd00b74895132790e2571285ae9b0

           <感謝合掌 令和2年1月12日 頓首再拝>

日本の「新型肺炎」支援に中国人が感動 - 伝統

2020/02/13 (Thu) 02:04:01


       *Web:東洋経済オンライン(2020年2月12日)より抜粋

中国国内のメディア、とくに若者がよく使うSNSを見ると、
日本を絶賛する声が非常に多いのをご存じだろうか。

■日本から中国に続々と支援

異国の災害に対し、
「同理心(中国語で、大変な立場に立っていることを理解していること、共感)」を持ち、
黙々とできる支援をしていることだ。

「自国民を迎えに来る飛行機なのに、来るときに
マスク、防護服などの支援物資をいっぱい詰めて来てくれることに感激した」
といった投稿が、微博(中国のTwitter)や微信(中国のLINE)にあふれていた。

日本から武漢滞在の日本人をチャーター便で迎えに行くとき、
武漢への支援物資も一緒に持っていったことは多くの中国人の心を打った。

自国民のことだけでなく、緊急状態に入った武漢にも救いの手を差し伸べる
日本人も日本企業も多く、しかも大げさに宣伝するのでもなく支援を行った。


「こういう行動こそ日本人のすばらしい素質を表している!」と感動を集めたのだ。


例えば、新型肺炎の情報が公開されて間もなく、
イトーヨーカドーは四川省成都市に80万枚のマスクを寄付した。

武漢市の友好都市である大分市も支援を行った。
1月27日にマスク3万個、そして29日には防護服を急遽送った。

大分市だけでなく、鳥取県、滋賀県、茨城県、北海道、秋田県、新潟県などの市では、
中国にある友好都市に支援物資を寄付する行動が絶えない。

また、インバウンドにも影響が及び、しばらくは大変と思われる日本企業からも
声援や寄付がなされている。そごう・西武はいち早く微博で応援メッセージを投稿した。

「小さな街/一社一社がわれわれのことを心がけてくれている」と中国人が感動し、
中国外務省も「心から感謝して心に深く刻む」と発言した。

こうした災害時、緊急時の心理状態として、国外の人や組織が気に留めて、
しかも行動してくれるという意識は、とても重要なことの1つであろう。


最近の注目された投稿は、一般社団法人・日本青少年育成協会が支援物資を送った際、
段ボールに「山川異域、風月同天」という漢詩が書かれていたことである。

「違う地域だが、吹く風と見る月は一緒」という意味で、
まさに日本の「同理心」をそのまま表していると言えるだろう。

この「同理心」に感動する理由に、一市民としてこのような災害にできることが
非常に限られているのに(多くは自宅隔離とネットでの応援にとどまる)に対し、
日本は不可欠な物品を直接に届けており、自分たち以上に応援ができていること、
それへ感動・感謝の気持ちを表していると思われる。


■日本のような学校を作ってほしい

「差別をしない人権教育がすばらしい」ということであり、今回最も高く評価されている。
現在、アメリカで猛威をふるっているインフルエンザより死亡率も感染人口も低い
新型肺炎がなぜ大騒ぎになったかというと、

治療法がわからないという「恐怖」にあると思われる。

その反応として、人々を不安にさせ、発生地域をできるだけ遠ざけようとし、
その延長線上に「〇〇人来るな」という差別言動になるのはよくある話だ。

筆者が今住んでいるアメリカでも、このようなことがよくある。
アメリカで人気トークショーを持つ南アフリカ出身のTrevor Noah氏が、
エボラウイルスが流行っているとき、南アフリカからアメリカに戻る飛行機で、
咳を少ししただけで、乗客などに差別されていたことを話していた。


恐怖と不信が広まる中、2つの日本に関する投稿が注目された。

1つは、厚生労働省の職員が、記者会見の際、(デマの拡散、人種差別に対し)
「人が悪いのではなく、ウイルスが悪い」と発言した動画。

もう1つは、Twitterで拡散された小学校から保護者への
「新型コロナウイルスに関連した人権問題の配慮について(お願い)」の
プリントの写真だった。

この「お願い」の中で、「……一方で、ニュースやネットでの情報が広がるに従い、
中華人民共和国や武漢市という地域、そこに関わりのある人々への
いわれなき差別発言が懸念されます。
ご家庭におかれましては、お子さんとの語らいの中で、
正しい人権意識が育つようご配慮願います。」と書いており、

中国のネット上では、「隣国のこの教育のすばらしさに本当に感動した」と盛り上がっている。

懐疑や忌避が主流になっている中、こうした立派な価値観と明確な発言は、
とても重要であり、人々もここから多くの勇気をもらう。

    ( https://news.infoseek.co.jp/article/toyokeizai_20200212_329310/ )

           <感謝合掌 令和2年2月13日 頓首再拝>

春の日本があまりにも美しいと海外で話題に - 伝統

2020/03/19 (Thu) 04:43:19

海外「日本は神に愛されている…」 春の日本があまりにも美しいと海外で話題に

      *Web:【海外の反応】(2020/03/17)より

気象庁は14日、東京・靖国神社にある桜が開花したと発表しました。
平年より12日早く、昨年より7日早い開花で、
1953年の統計開始以来最も早い開花日となっています。

満開には1週間から10日程度でなる見込み。

通常桜前線は南から北上する事が多いですが、
今年の桜の開花は東京が全国で最も早く、
予想でも鹿児島市より仙台市の方が早いなど、
南北逆転現象が起きているそうです。

さて、今回は昨年以前に日本で撮影された複数枚の桜の写真からで、
ここでは主に街中に咲く桜の光景が紹介されています。

都市部でも変わらない、あるいは都市部ならではの桜の美しさに、
海外から感動の声が相次いで寄せられていました。
その一部をご紹介しますので、ごらんください。

(中略~7カ所の桜満開の写真)

(以下は、これらの写真への海外の反応)

■ あまりの美しさに涙が出てきそうだ!!!! +68 国籍不明


■ いつか日本に行きたい。
  そしてこの荘厳な美しさを自分の目で見てみたい ネパール


■ あんな街中で美しい光景を堪能出来るなんて凄い! +4 国籍不明


■ 世界にはこんなに美しい場所が存在する。
  なのに私はこんな所で何をやってるんだろう…… +3 ベネズエラ


■ もうすぐだ。もうすぐで日本が桜色に染まる。 +19 タイ


■ この美を見るためなら、何度だって日本に戻るつもりだ。 +3 オランダ


■ いつか日本の桜を見に行きたい。
  と言うより、行かなきゃいけない気がする +14 アメリカ


■ お見事。あまりの美しさに思わず拍手をしてしまった。 +8 台湾


■ こんなにゴージャスな風景を僕は他に知らない。 +5 イタリア


■ 日本は夢の中の国みたいですね〜 +18 インドネシア



■ 日本で見た桜の美しさが忘れられない!
  また必ず家族で日本に戻るぞ! +11 アメリカ


■ あんな景色に囲まれるなんて日本人は幸せだなぁ。 +16 タイ


■ 多くの人にとって日本の桜を見る事は夢でしょうね。 +21 フィリピン


■ 一度でもあの光景を生で見られたら人生に後悔はない +5 カナダ


■ 日本が一番美しくなる季節がまたやってくる +12 日本在住



■ 生きてる内に見れる日が来るかな……。
  日本は人を魅了する場所が至る所にあるのが凄い +5 アメリカ



■ 日常が桜色に染め上げられているみたいだ……。 +3 アルジェリア



■ アニメで見てきた光景が実在してて感動した +13 国籍不明


■ 日本で桜を見る事は長年の夢になってる。
  日本の南部では桃の花が咲いてるんだって。
  となると、桜が咲くのももうすぐだ +58 リトアニア


■ あんなにも美しい花を創り出した神は偉大ね +3 ブラジル


■ いつかでいい、いつかでいいから生で見たい! +53 ルーマニア


■ Love ❤️ Japan love Sakura 命 +44 バングラデシュ(日本在住)



■ 嗚呼、日本。あなたはなんて美しいんだろう。 +11 アメリカ


■ 違う世界に紛れ込んだ気分になりそう +4 アメリカ


■ 日本を離れてしまったから、この季節は桜が恋しくなる。 +47 イギリス


   ■ 本当に美しい。
     この花は日本の国章になってるのかな? +1 イギリス


      ■ 日本人は桜と菊を国花だと考えてるよ +2 イギリス



■ 自然が日常を彩ってくれるなんて素敵過ぎる……。
  日本は神様からすごく愛されてますね……。 +3 フィリピン


■ 新型肺炎が終息してくれればいいんだが。
  日本各地で花見が自粛されそうなんだよ……。 +2 日本在住


■ たとえ今年は日本に行けないとしても、
  桜は来年も、10年後も、100年後も咲き続けている。 +5 国籍不明


■ 桜の存在が日本のブランド価値を推し上げてると思う……。 +1 国籍不明



■ これこそ「Only in japan」な光景ですね  +13 カンボジア


■ 今年は咲くのが早いらしいよ!
  花見関連の祭りは中止になってるところが多いけど、
  実際にはそこまで大きな影響はないと思う。
  日本では桜が至る場所で咲いてるから。
  誰だって、いつだって、自由に見られるんだ。 +58 日本在住


■ この時期の日本は、あまりにも美しい。 +4 カナダ


■ 各国の新型肺炎の状況が少しでも早く良くなりますように!
  そして終息した暁には、日本の桜の前で会いましょう +9 台湾

  (http://kaigainohannoublog.blog55.fc2.com/blog-entry-3389.html )

           <感謝合掌 令和2年3月19日 頓首再拝>

【最も歴史が長い国は「日本」】 - 伝統

2020/03/23 (Mon) 04:39:37


         *メルマガ「人の心に灯をともす」(2020年03月20日)より

   (竹田恒泰氏の心に響く言葉より…)


   平成25年に福岡県で行われた高校生建国意識調査によると
   「日本はいつ建国したか」「日本を建国したのは誰か」という
   二つの問いに対して、正しく回答できた生徒は、
   それぞれ約2パーセント程度しかいなかったという。

   もし米国の高校生に「米国はいつ建国したか」「初代大統領は誰か」と問うたら、
   ほとんど全員が即答するだろう。

   中国の高校生に「中国はいつ建国したか」「初代国家主席は誰か」と問うても、
   やはり同じように全員が即答するはずである。


   その理由は「学校で教えているから」に他ならない。

   世界に国連加盟国は193ヵ国あるが、
   学校で建国の歴史を教えていない愚かな国は、おそらく日本をおいて他にない。

   日本人が外国に留学すると、現地の生徒たちから日本のことを色々聞かれるが
   「今年で日本は建国から何年か」「初代の天皇は誰か」といった質問に
   答えられないと驚かれることになる。

   いや、驚かれるどころか、軽蔑の眼差しを向けられるに違いない。

   米国に生まれ育っておきながら、しかも高校や大学にまで進学しておきながら、
   米国初代大統領の名前を知らない人間などいるはずもない。


   日本に生まれ育って初代天皇の名前を知らない大学生がいること自体、
   世界の人にとっては信じられないことなのである。

   そして、日本の教科書が建国の経緯を書かない理由は、
   戦争に負けたことが原因である。

   GHQがあらゆる出版物に適用した『プレス・コード』も然ることながら、
   教科書検閲に用いたGHQの『教科書検閲の基準』の影響が大きい。

   GHQは同基準に明記された次の5点について、
   教科書から徹底的に排除したことが現在にまで影響を与えているのである。


   ●天皇に関する用語

   ●国家的拡張に関する用語

   ●愛国心につながる用語

   ●日本国の神話の起源や、楠木正成のような英雄および道義的人物としての皇族

   ●神道や祭祀、神社に関する言及、等々

        (高橋史朗『検証 戦後教育』)より


   我が国を建国した神武天皇の話は「道義的人物としての皇族」
   「楠木正成のような英雄」「神話の起源」の3つの意味において、
   教科書には名前すら紹介されない。

   ゆえに、普及している中学の歴史教科書には、日本の建国の経緯が書かれていない。

   神武天皇について触れないであるから当然の帰結である。


   天皇や皇族に関する誇らしい逸話や、国民的英雄の逸話をはじめとする、
   GHQによって消された部分は、
   占領が解除されても教科書に戻ることはなく、現在に至る。

   我が国が独立して回復してから教科書検閲は行われなくなったものの、
   『プレス・コード』と『教科書検閲の基準』は不文律として
   今に残っているように思える。

   天皇の英雄的逸話を掲載すれば『軍国教科書』と罵られる。

        <『中学歴史 平成30年度文部科学省検定不合格教科書』>

            ・・・

本書の巻頭言にこんな言葉がある。

『現在、国連加盟国は193ヵ国あります。
 その中で、最も歴史が長い国は「日本」です。

 たしかに日本より古い国はありました。
 中国大陸の商(しょう)や殷(いん)という王朝や、
 エジプトの早期王朝などがそれにあたります。

 しかし、日本より古い国はすべて滅びてしまいました。

 現存する国のなかで、世界最古の国は「日本」なのです。

 考古学の成果により、最も短く見ても過去1800年間、
 一度も王朝交代がなかったことが分かっています。

 1800年前の大王(後に天皇と呼ばれる)の居所や墓がかなり巨大であることから、
 起源はさらに数百年遡(さかのぼ)れると考えるのが一般的です。

 我が国は2000年以上続いているといえます。

 日本に次いで古い国はデンマークが約1000年、三番目はイギリスの約950年で、
 アメリカやフランスは比較的新しい国になります。

 中華人民共和国や大韓民国は戦後建国した新しい国です。』


また、拓殖大学教授、野村進氏のこんな言葉がある。

『日本以外のアジアの国には、古い店や長い歴史を持つ会社が意外なほど少ない。
 帝国データバンクの調査によると、金剛組のような千年以上続く老舗(しにせ)が7社。
 500年以上が39社、300年以上が605社となっている。

 200年以上は韓国ゼロ、中国9、インド3に対して、日本はなんと3000。

 世界に7000あるといわれる200年企業のうち、
 実に半分近くが日本に集中していることになる。

 また、老舗研究の専門家によれば、100年以上は世界の中でも
 断トツの10万軒以上にのぼるのだという。

 同じアジア圏内にありながら、片やゼロ、片や何千という違いが出るのはなぜだろう。

 そこには、次の三つの理由があるのではないか。

 一つ目は、過酷な内戦や侵略がなかったこと。
 他国からの侵略、あるいは内戦の期間が長ければ長いほど、
 その国には老舗が残っていない。

 朝鮮半島などはその典型的な例だろう。


 二つ目は、継続を美徳とする価値観があること。
 例えば日本には、饅頭一筋何百年といった老舗が多数存在し、
 店の人もお客も、そのことを誇りにしている向きがある。

 しかし、韓国や中国ではそうした評価を得られない。

 もし饅頭で一旗あげれば、
 さらに社会的ステータスの高い仕事に移っていくべきだと考える。


 三つ目は、ものづくりを尊ぶ伝統があること。
 特に、自分の手を汚して何かをつくることをよしとする価値観が日本にはあるが、
 それ以外のアジアの国では、下賎(げせん)の民のする仕事とみなされがちなのである。』
  (月刊致知 2月号(2011年)“老舗企業を貫く志”)より


日本には、継続を美徳とする価値観がある。

これは、老舗だけではなく、国の継続においても同じだ。


『最も歴史が長い国は「日本」』

もう一度、日本の歴史を学びなおしてみたい。

           <感謝合掌 令和2年3月23日 頓首再拝>

伊勢神宮の背後に隠れている日本人の精神性が素晴らしい - 伝統

2020/04/30 (Thu) 04:34:01


      *メルマガ「人の心に灯をともす」( 2020年03月31日)より
       ~【明日が見えないとき、キミに力をくれる言葉】

   (ひすいこたろう氏の心に響く言葉より…)

   100年後まで続く会社の確率はどれくらいだと思いますか?

   0.03パーセントだそうです。

   会社が1万社生まれたとしたら、
   100年後には3社しか残っていないという確率になります。

   そんな中、約2000年続いているところがあるんです。

   伊勢神宮です。

   会社ではない神社とはいえ、
   2000年も受け継がれて存在しているって、もはや奇跡だと思うのです。


   でも何で2000年も受け継がれてこられたのか。

   その秘密がわかれば、成功の秘密を手にしたといえるでしょう。

   そのためには、伊勢神宮が何をしているのか、それを知る必要があります。


   伊勢神宮は、毎日何をしているのか?

   伊勢神宮では何と、毎日お祭りをしているのです。

   正確にいうと、お祭りをしまくっているのです。

   伊勢神宮の1年におけるお祭りの回数は約1500回です!


   新年のお祝いを行う歳旦祭(さいたんさい)。
   国のはじめをお祝いし発展を祈る建国記念祭。
   その年の豊作を祈る記念祭。
   その年の新穀(しんこく)を最初に大御神(おおみかみ)に捧げて感謝する
   神嘗祭(かんなめさい)など

   1500回ものお祭りが行われています。


   では、お祭りって、何のためにやっていると思いますか?

   お祭りの本質って何だと思いますか?

   神様にいろいろお願いごとをしている…のではありません。

   お祭りというのは、本来、神様に喜んでもらうためにやっているんです。

   祝詞(のりと)をあげるのは、神様を称(たた)えるため。

   音楽や舞を奉納するのも神様に喜んでもらうため。


   神様が喜んでくれたら、あれこれお願いをしなくても、
   あとはすべてが自然にめぐっていくという発想なんです。

   これが古代の日本人の考え方です。

   そしてこれこそが、「願いごと」の本質なのです。

   「ねがう」という言葉のそのものの語源は「ねぎらう」。


   神様をねぎらう、和(なご)ませることが、本当の「願う」というわけです。

   だから伊勢神宮には、禰宜(ねぎ)という役職があり、
   もっぱら神様を和ませることがその仕事なのです。


   伊勢神宮では、今日も神職さんが朝早く起きて
   あなたの幸福を願ってくれています。

   これは、関東大震災に匹敵するほどの被害をもたらした
   伊勢湾台風の翌朝も行われていますし、
   戦時中、空襲で焼夷弾が雨あられと落とされた翌日も行われています。

   毎日、何があっても、一日も欠かさずに
   みんなの幸せを願うお祭りが行われているのです。

   しかも、人知れずに…。


   日本人ってすごと思いませんか?

   伊勢神宮の背後に隠れているこの日本人の精神性こそが素晴らしいのです。

   2000年も受け継がれている伊勢神宮、
   その秘密は、相手の幸せを祈り続けてきたところにあったといっていいでしょう。

   相手の幸せを願える人こそいつまでも栄え続けるのです。

   そして、人の幸せを願える自分であるために、自らを新しくしていくのです。

   そのことも伊勢神宮は教えてくれています。

   それが、20年に一度、建物を新しくするご遷宮(せんぐう)です。

   神宮が新しくなることで、国が若返り、常に活気に満ちた国となるように。

   古いのに新しい。

   これが伊勢神宮です。

        <『明日が見えないとき キミに力をくれる言葉』SB文庫>

               ・・・

経営の神様といわれるピーター・ドラッカーは
日本の明治維新を「奇跡だ」という。(本書より)

『明治という時代は、あらゆる歴史の中で、最も興味深くユニークな時代です。
 あのようなことは他の国に起こった例はありません。

 外国の思想や技術や制度を取り入れ、
 それを古い日本の基盤の上に再構築することによって、
 新しい日本を作りだしたのです』


『普通は近代化するに当たり、それまでの伝統が失われてしまうのだそう。
 ところが、日本だけは違ったとドラッカーは言うのです。
 伝統を壊すのではなく、いいところはそのまま残し、
 伝統の上に近代を築くことができたと。』


神道がはたして宗教なのかどうかという議論は別にして、
世界の宗教の中で、お祈りや参拝の前に、
手を洗い、口をすすぐ場所があるのは、神道だけだ。

この手を洗うところを「手水(てみず)」という。


今騒がれているコロナウィルスの予防の一番大事なことが、「手を洗う」ことだという。

神道にはその「手を洗う」という行為が、参拝の作法の中に組み込まれている。

そして、神道の基本理念の一つに「祓(はら)え、清める」ということがある。

この手を洗うことも、祓え、清めることの一つ。


伊勢神宮は、戦時中であっても、神様を称える祭儀(さいぎ)を挙行し続けた。

だからこそ、伊勢神宮は、このコロナ吹き荒れる日々であっても、
神様を称え、そして我々国民の安寧(あんねい)を祈ってくれる。


明日が見えない困難な時代は…

人の幸せを人知れず願い、

同時に、新しい技術を、古い基盤の上に再構築できる人でありたい。

           <感謝合掌 令和2年4月30日 頓首再拝>

日本が行った古代の大成果 - 伝統

2020/05/17 (Sun) 02:30:22


       *Web:ねずさんのひとりごと(2019/10/21)より

日本では、豪族たちはみんな親戚です。
さすがに親戚を「征圧」するわけにはいかない。
だいたい親族間の恨みというものは、幾世代にもわたって、
ずっと尾を引くものです。

そこで考案されたのが、わが国独自の方法でした。



国号として日本という名前が公式に表示されたのは、
比較的新しい出来事で持統天皇が689年に発せられた
飛鳥浄御原令(あすかきよみはらりょう)に、
日本という国号を観ることができます。


それより以前は、外国では倭国、我が国では葦原中国(あしはらのなかつくに)、
または大倭(おほやまと)です。

ちなみに日本と書いて「ニホン」と読むのか、
「ニッポン」が正しいのかとよく聞かれますが、
基本的に「どちらも正しい」が正解です。

ただ強(し)いて言うなら、「JAPAN」の語源が、
マルコポーロが『東方見聞録』に書いた「ジパング(ZIPANG)」が、
「日本」という漢字の漢音である「日=ジツ」、「本=ポング」を、
イタリア語で表記したものですから、もともとは「ジッポン」であった
ことを考えると、もともとは「ニッポン」と読むのが正しいのかもしれません。

もちろん「ニホン」と読んでも不正解ということではない。


さて、もともと大昔には、世界に国境などありません。
従って倭人たちが入植し、倭国の風俗で過ごしているところが
倭種の国ということになります。

魏志倭人伝、梁書などによると、倭種が住む国は、
日本から遠く海を1年渡った先まで、倭種であると書かれています。

それがどこの国を指すのか、明確な答えはありませんが、
複数の証拠が、その地を南米のエクアドルかペルーあたりであったことを
示しています。

これが何を意味しているかと言うと、今のような国境など存在しなかった時代、
海洋国家日本にとっての葦原中国、つまり倭種の国は、いまでいうなら
「大海原に広がる世界」を意味していたことになります。

古事記を読み解くと、
どうやらオノゴロ島は「地球」そのものを意味しているようですし
(『ねずさんと語る古事記』)、

大倭という言葉も、もしかすると巨大な地球に対しての小さな人々
という意味の言葉であったのかもしれないと思えたりします。


天皇という呼称が正確にいつ始まったのかは、定かではありません。

文書に登場するのは、608年の隋への国書で、
そこには「東天皇敬白西皇帝」という記述があります。

これについては、その記述が「720年に成立した日本書紀にしかない」
という反論がありますが、銘文として、607年の
「法隆寺金堂薬師如来像光背銘」に「池辺大宮治天下天皇」の記述があります。


また「野中寺弥勒思惟像台座銘」にも、

「丙寅年四月大旧八日癸卯
 開記橘寺智識之等詣
 中宮天皇大御身労坐之時
 誓願之奉彌勒御像也友等
 人数一百十八
 是依六道四生人等
 此教可相之也」

という記述があります。

意味は「666年4月に斉明天皇のご健康のために
この弥勒菩薩像の開眼供養を118名で行った」というもので、
ここにも「天皇」という記述を見て取ることができます。

つまり天皇という呼称は、607年~666年の間には
確実に用いられていたわけですから、7世紀のはじめころには、
すでに「天皇」という用語が用いられていたことがわかります。

ちなみに「日本」という国号は、冒頭に記しましたように初出が689年です。

ということは、「天皇」は「日本」より古い。
このことが示す意味は重大です。
なぜなら日本は「天皇あっての日本」だからです。

では、なぜ大倭や中つ国という表記を、
わざわざ「日本」という表記に改めたのでしょうか。

これには663年の白村江事件における敗戦が影響しています。
このときに日本は朝鮮半島における権益を放棄し、朝鮮海峡に国境線を敷きました。
つまり海峡に国境線を明確に引くことで、国の境を明確にしたわけです。

実はこのこともまた、世界においてはめずらしいことです。

18世紀に、いわゆる「国民国家」が成立するまでの世界には、
明確な国境ラインというものはありません。

王のいるところと、その周辺、および、王に従う貴族の支配する領地が
王国のエリアであって、隣の王国との境のあたりにいる人々にとっては、
自分たちがどっちの王国の人なのかなど、ほとんど意識されることもない。

要するに、たとえは悪いですが、いまふうにいえば、
ヤクザさんの「シマ」とか「ナワバリ」みたいなもので、
「ワシは渋谷の王だ」「オイラは新宿の王だ」
と言う人はいても、では渋谷組と新宿組の境界線がどこなのかは、判然としない。

それが近世までの世界の趨勢だったわけです。

ところが日本は、7世紀に国境線を敷くということを行いました。
なぜそのようなことをしたのかというと、ものすごく簡単に突き詰めて言うと、
もうコリゴリだったからです。

チャイナに唐が成立したけれど、唐は高句麗が怖い。

そこでお得意の「遠交近攻」で、高句麗を挟み撃ちするために、
高句麗の向こう側にある新羅に兵を送り、百済を攻め滅ぼして、
半島南部を(表向きは)新羅の征圧地、実態は唐の領土にしたのです。

ところが倭国が、百済救援軍を起こして、これに抵抗しました。

これは表向きは、あくまでも百済と新羅の戦いです。
ところが気がつけば、実態は日本軍と唐軍の戦いになっていました。

百済の王子も、結局、高句麗に逃げてしまうし、これでは戦う意味がない。
そこで日本は、唐と結んで白村江から全軍を引き上げることにしたところ、
その引き上げの当日に新羅がだまし討ちで日本の船に火を放って
日本の将兵1万人が亡くなったというのが、白村江事件です。


悪いけれど、そんな嘘つきたちと、二度と付き合う必要はない。
ということで、朝鮮海峡に国境線を敷いたのが、663年のことであった
というわけです。

加えて事件後には、「唐が日本本土に攻め込んでくる計画をしている」
という情報などももたらされました。

結果的にこの計画は、唐がチベットとの戦いで大敗し、
チベット対策のために東方の戦闘がおろそかになったために
実現こそしませんでしたが、この時代にわが国が自立自存のために、
最大限の努力を払うことは、どうしても必要なことであったということができます。

そしてそのことは、聖徳太子の「いつくしきのり(憲法)」の実現のためにも、
必要なこととなっていました。

日本は、国内を豪族たちのゆるやかな集合体から、
統一国家へと国の体制を改めなければならなかったのです。


ところが日本には、他の諸国にはない、特別な事情がありました。

世界中、どの国においても、特定の王朝が国内を支配しようとするときは、
すべて力による征圧が用いられました。

簡単に言えば、「さからう者には死を」ということです。

ヨーロッパの場合であれば、王や貴族の多くは、
もともと北方のバイキングの海賊が、岡に登って
そのあたり一帯を征服した征服者です。

周囲にもとから住む住民とは、民族も言語も違います。

この時代、民族と言語が違えば、相手はただの動物にすぎません。
ですから、言うことを聞かなければ、殴り、蹴り、殺すだけです。
世界の支配はそうやって行われました。

このことはチャイナも同じで、中原で漢族同士が長年紛争を続けていることで
迷惑した北方遊牧民が打ち立てたのが隋であり、唐の大国です。

前にも書きましたが「隋」という字は、
食肉にナイフを突き立てていることを意味する漢字、
「唐」も、肉に手でナイフを突き立てている象形です。

要するに隋の王朝を築いた人たちは、肉食の人たちであって、
稲作をする農民社会によって打ち立てられた王朝ではないことが、
その国号から知ることができるわけです。
ということはつまり、外来王朝だ、ということです。

ところが日本の場合、日本列島に住む万民が、
すべて祖先をさかのぼると、みんな血縁がある。

このことは、それぞれの豪族が持つ神話を紐解くと、
それぞれニニギノミコトに従って降臨した神の子孫だとか、
大国主神の系列の子孫だとか、要するに神代の昔までさかのぼると、
どの豪族たちもみな、なんらかの血の繋がりがあるわけです。

日本では、豪族たちはみんな親戚です。

さすがに親戚を「征圧」するわけにはいかない。

だいたい親族間の恨みというものは、幾世代にもわたって、ずっと尾を引くものです。

そこで考案されたのが、わが国独自の方法でした。

    (https://nezu3344.com/blog-entry-4293.html

           <感謝合掌 令和2年5月17日 頓首再拝>

「緑の列島」の奇跡 - 伝統

2020/05/28 (Thu) 04:00:57


      *メルマガ「Japan On the Glob」(R02.03.15)より

日本の森林率はフィンランドにやや劣るだけだが、人口密度は20倍。
この現代世界の奇跡はどのように生まれたのか?


1.美しき「緑の列島」の奇跡

  海外から帰国する際に、機窓から青い海に囲まれた海岸が、
  緑に覆われた様を見ると、母国に帰ってきた、とホッとする。
  こういう光景は、あまり外国では見られないからだ。

  同じ感想を日本の森林に関する歴史を書いた
  コンラッド・タットマン・元エール大学教授は次のように書いている。


     外国人旅行者が日本を訪れてまず目を見張るのは、
     列島の端から端までつながって空に突き出る山並みが、
     青々とした森林にくまなく覆われていることである。

     日本人もその豊かな緑を意識して自分の国のことを
     「緑の列島」と呼ぶことがある。[タットマン、p22]

     (タットマン、コンラッド
      『日本人はどのように自然と関わってきたのか』、築地書館、H30
      http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4806715697/japanontheg01-22/


  日本列島の緑の豊かさは、森林率にも歴然と現れている。
  68.5%という数字は、先進国ではフィンランド(73.1%)、スウェーデン(68.9%)に次ぐ
  世界第三位である。

  しかも、日本はフィンランドと同じくらいの国土面積に、
  20倍ほどの人口を抱えていることを考えれば、この数値はほとんど奇跡である。

  タットマンは、この「奇跡」を次のように描写する。


     古今東西の歴史を一瞥すると、日本よりも人口密度が低く、
     より温和な自然条件に恵まれていながら、
     国土を荒廃させた社会がいくつもある。

     北西ヨ−ロッパのヒースと沼沢地にそれを見ることができるし、
     地中海地方にも荒廃した沿岸が広がっている。

     朝鮮半島の中南部や中国の山々はすっかり収奪された。

     アフリカのサヘル地域(JOG注: サハラ砂漠南縁部)は今や死に瀕している。
 
     さらにまたラテンアメリカや東南アジアでは明日への配慮を欠いたまま
     森林が剥ぎ取られ災害が頻発するようになった。
 
     地理的条件と歴史との特異な相互作用を考えれば、
     日本の国土が荒廃しなかったのが不思議なくらいだ。[タットマン、p23]


  氏は、この「不思議」の理由に関して、次のように述べる。

     この豊かな緑は単なる自然の恵みでもなければ、
     また日本人の特別な美的感覚を示すものでもない。

     この列島が一つの大きな保護林のように守られてきた背景には、
     何世代にもわたる人びとの大変な努力が隠されている。[タットマン、p22]


2.70年前の日本列島は「はげ山」状態だった

  現在の国土を覆う豊かな緑は、実はこの70年ほどで造られたものだ。
  1950年頃の全国各地の写真を見ると、山には木は無く、ほとんどはげ山状態だ。

  江戸時代の様子を、歌川広重の浮世絵「東海道五十三次」で見ても、
  鬱蒼(うっそう)とした豊かな森はまったく描かれていない。

  「かつての里山は豊かな森が広がり、人々はその恵みを受けて暮らしていた」
  と信じている人が多いが、森林環境学を専門とする太田猛彦・東京大学名誉教授は、
  こう語る。


     かつての里山は「はげ山」か、ほとんどはげ山同様の痩せた森林−灌木が
     ほとんどで、高木ではマツのみが目立つ−が一般的であった。

     少なくとも江戸時代中期から昭利時代前期にかけて、
     私たちの祖先は鬱蒼(うっそう)とした森をほとんど目にすることなく
     暮らしていたのである。[太田、p49]

     (太田猛彦『森林飽和 国土の変貌を考える』、NHKブックス、H24
       http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/414091193X/japanontheg01-22/


  我が国土は、かつての「はげ山」状態から、わずか70年ほどで、現在のような
  「緑の列島」に変貌を遂げたのである。この変貌がなければ、日本列島も、
  タットマンの言う世界各地の「荒廃した国土」になっていた可能性が高い。

  こういう奇跡的な変貌がどのように生み出されたのか。
  まずは日本人が森林とどう共生してきたのか、歴史的に見てみよう。


3.古代の建築熱で消滅した畿内盆地の山林

  縄文時代には、豊かな森林で採れる木の実や果物、小動物が、重要な食料だった。
  人間は、森の恵みをいただきながら、自然に生かされていた。

  日本列島の人口は約5〜4千年前の縄文中期の最も多い時でも、
  26万人程度だったと推定されている。

  樹木は住居や丸木舟を造ったり、煮炊きをしたり、土器を焼いたりするための
  燃料として使われたが、大規模に森林を切り拓くようになったのは、
  水田耕作が広まった弥生時代からである。

  飛鳥時代(592年〜)以降は、奈良や平安京とその周辺に寺院、神社、宮殿などが
  建設され、それを取り囲んで庶民の家が10万戸の規模で造られた。

  平安初期の西暦800年頃の人口は600万人ほどと推定されている。

  古代には、遷都が頻繁に行われたが、その一因として十分な木材が
  近くにあるかどうかが、立地選択をある程度、左右していたようだ。

  たとえば、孝徳天皇の頃の都とされていた難波は、旧大和川や淀川を経由して
  木材を簡単に手に入れることができた。

  また、天智天皇が667年に遷都した琵琶湖畔の大津も、
  木の豊富な近江西部の森林に近かった。


     この建築熱が社会と生態系にもたらした結末は深刻だった。
     畿内盆地に隣接した山地にあってアクセスできる原生の高齢林は
     すべて伐られてしまった。[タットマン、p32]


4.全国的な森林喪失と「治山治水」思想

  14〜15世紀の室町時代から18世紀の江戸時代中期までの4、5百年間に、
  人口は3千万人台に到達した。
  これを支えたのが、土地の開墾による農地の拡大である。
  その分だけ、森林が減った。

  什器や道具類、家屋、門、塀、橋、灌概施設などを造るために、木材が消費された。
  さらに冶金、製陶、製塩などでも木材が燃料として使われた。

  戦国時代には、安土城や大坂城など、多くの巨大な城の建設に大量の木材が使われた。
  また平和な江戸時代に入ると、各地で城下町、邸宅・家屋、社寺の建築が
  広範囲に進められた。
  そのため、江戸時代中期までに、九州から東北にかけて森林消失が広がった。

  この結果、全国的に木材の窮乏と価格高騰が進んだ。
  さらに山地での乱伐で、洪水の氾濫や山崩れなどの自然災害が多発した。

  その対策として、17世紀後半からは幕府や各藩によって、
  山林の伐採禁止などの処置がとられるようになった。

  同時に、当時の儒者などから「治山治水」の思想が唱えられるようになった。
  代表的なのは岡山藩の熊沢蕃山(ばんざん)で、下流河川での災害は上流山地での
  森林の荒廃によるものであり、治水の根本は上流での森林保護にあるとした。

  「治山治水」は経世済民の思想として全国に広まり、現代の日本人がこぞって
  「木は伐ってはいけないものだ。木をもっと植えなければならない」と
  考えているように、日本人の伝統的な考え方の一つとなった。[太田、p108]

  こうした状況の中で、ドイツとほぼ同時期に
  世界で最初の人工林が造られるようになった。

  特に現在でも各地に残る海岸の松林は、「白砂青松」として
  日本人の美意識を形成しているが、そのほとんどは、
  この時期に造成されたものだという。


5.一進一退の治山治水事業

  しかし、こうした植林努力は一定の成果を上げつつも、森林の回復には至らなかった。
  明治時代に入ると、工業化の進展、医学の発達などにより、再び人口が増加し始める。

  住宅の建築材の需要が増大し、産業用燃料はまだ薪炭に依存するところが
  大きかったため、森林の伐採が進んだ。

  明治27(1894)年の国土利用状況の調査結果を見ると、森林が55%だが、
  そのうち樹木で覆われているのは30%程度、残りははげ山ということで、
  実質的な森林率は17%程度。すなわち現在の4分の1程度の水準である。

  明治政府は森林に防災機能を持たせる「保安林制度」などを始めていたが、
  明治43(1910)年の大洪水の発生を機に、翌年から第一期治水治山事業が始められた。

  これにより17世紀以降、荒廃を続けていた森林は、ようやく回復基調に入った。

  しかし、大東亜戦争により国土の荒廃がまた進んだ。
  戦後日本で復興に使える自前の資源は木材しかなかったので、
  国策として引揚者を大量に受け入れ、奥山の天然林の伐採を促進した。

  このような森林破壊により、昭和22(1947)年のキャスリーン台風から
  昭和34(1959)年の伊勢湾台風まで、毎年のように大規模洪水や土砂災害が続いた。


6.高度成長と並行して進められた国土保全事業

  こうした災害を防ぐために治山治水緊急措置法(1960年)などが定められ、
  河川事業も含めて、その後の国土保全政策の基本方針とされた。
  おりしも高度経済成長に入り、木材需要がいっそう伸びた。

  それに対応すべく、林道を敷設して奥地林を大規模に伐採した後で、
  ヒノキ、カラマツなどを一斉に植える「拡大造林」政策がとられた。

  これが今日の花粉症の原因となったのだが。

  さらにこの時期は、科学技術が発達して、山腹工事における
  緑化工技術(木と草によって早期・確実に、面的・立体的緑化を行い、
  環境・土地および景観の保全を図る工法)、海岸林造成技術などが登場して、
  効率的な植林作業が進んだ。

  同時に高度成長に伴う国家予算の伸びによって、大規模な対策実施が可能となった。
  太田教授は、高度経済成長時に勧められた国土保全事業に関して、
  次のように語っている。


     つまり、国土保全事業は一方で道路や鉄道の建設、住宅団地建設などの
     開発事業と競合しながら、そしてみずからも開発事業の一部を担いながら、
     荒廃した国土の回復に努めたのである。[太田、p134]


  国土保全事業の成果は、土砂災害犠牲者数の大幅な減少に見ることができる。
  かつては昭和42(1967)年、47(1972)年など、多い年には400人以上の
  犠牲者が出ていたのに対し、

  昭和57(1982)年には300人超、平成5(1993)年には200人弱と減少を続け、
  以後100人以上の犠牲者が出る年はなくなった。太田教授はこう結論づける。


     稲作農耕民族の日本人がその国士で生き抜くうえで、
     必然の結果であったと思われる山地・森林の荒廃、
     それによって引き起こされた土砂災害や洪水氾濫が、
     少なくとも三百年を経てここに克服されたと断言してもよい。
     治山・治水事業はここに新しい局面に入ったのである。[太田、p174]


  先人たちの三百年の苦闘を経て、ようやく日本列島は巨大な人口を支えつつも、
  森林を回復しうる軌道を見つけたのである。


7.国民生活から切り離された森林

  しかし、60年代以降の変化は、二つの海外からの援軍によるところが大きい。

  第一は、日本経済のエネルギー源が、薪炭から石油・天然ガスに変わり、
  森林への依存が大きく減ったことである。
  これにより、今まで薪炭を供給していた里山が不要になってしまった。

  第二の変化は、安い外国産の木材の輸入である。
  拡大造林政策は木材の供給を増やしたが、それでも高度成長期の木材需要には
  十分ではなかった。その不足を埋めたのが輸入木材だった。

  昭和39(1964)年には輸入の完全自由化が達成され、東南アジア、欧州や
  北米産の安価な外材が使われ始めた。

  価格の高い国産材はじりじりとシェアを落とし、
  60年代前半には6千万立米もあった木材生産量は、現在は3分の1にも満たず、
  9割を超えていた木材自給率も2割前後まで落ち込んだ。

 
  この二つの変化によって、日本の森林は国民生活とは大きく切り離されてしまった。
  ドイツ、フィンランド、スウェーデンなどの欧州林業国では、
  年間の樹木の成長量の60〜90%を伐採して使用しているのに対し、
  日本はわずか25%である。

  人工林にも間伐の手が入らず、光が十分に差し込まないために、木は光を求めて、
  上へ上へと伸びて、痩せ細った丈の高いだけの木になってしまう。
  それでは台風や豪雨に弱くなってしまう。

  今日の日本が「緑の列島」になったのは、60年代までは我々の先人たちの
  苦闘が実を結びつつあったのだが、それ以降、現代の我々は無為無策のままで、
  ただ海外からの援軍に頼ったのである。


8.「緑の列島」は造花?

  しかし、この二つの援軍は、両方とも我が国と世界の持続可能性から考えれば、
  頼り続けるべきものではない。

  まず石油や天然ガスのような地下鉱物資源を採掘・消費する事は、
  外国の自然を破壊する行為である。
  しかも、その輸入には長距離の輸送で厖大なエネルギーを消費している。

  外国材輸入も、東南アジアの熱帯雨林か、欧米の針葉樹林を収奪する。
  海外からは、日本は自国の森林を温存しつつ、海外の森林資源を収奪する
  「環境テロリスト」ではないかとまで勘ぐられている。[タットマン、p6]

  他国の自然を収奪しているだけではない。
  輸入エネルギー、輸入木材に頼っているという事で、
  我が国の国民生活は大きなリスクを抱えている。

  戦争、天災、疫病など、何らかの理由で輸入がストップしたら、
  国民生活は大打撃を受ける。

  現在の「緑の列島」は先人たちの3世紀の苦闘で育てた土壌の上に、
  近年の海外依存という造花を飾ったものなのだ。

  それを本物の「緑の列島」にするためにも、
  現代の我々が先人の苦闘を引き継いでいく必要がある。

           <感謝合掌 令和2年5月28日 頓首再拝>

「ポーランド孤児を救助せよ!」~日本・ポーランド秘話 - 伝統

2020/06/23 (Tue) 04:27:09


        *メルマガ「人間力」(2020.6.5)より
          ~服部剛 (https://www.fusosha.co.jp/books/search_list/?author_id=1219


今回は、日本国民の皆が「非常時」とは何かをよく認識していた大正時代のお話です。
過酷な状況におかれたポーランド人に対する日本の対応を紹介しましょう。
時空を超える「恩」に感動します。


《ポーランド、苦難の歴史》

平成23年の夏休みのこと。
岩手県と宮城県の中高生30名がポーランドに招かれ、約1ヶ月滞在しました。
「絆の架け橋プログラム」という支援でした。

実は、その16年前の平成7年にも日本の小中学生がポーランドに招待されています。
前者は東日本大震災、後者は阪神淡路大震災で大きな痛手を受けた子供たちだったのです。


多くの日本人にとって「遠い国」との印象を抱くポーランドの人々が、
なぜ日本の子供たちをここまでいたわってくれるのでしょうか。

その背景には先人の残した偉大な遺産と日本・ポーランド間の固い絆があったのです。


まず歴史的背景を説明しましょう。

東ヨーロッパの伝統的な王国ポーランドは、
1795年にロシア・オーストリア・プロイセンによって3分割されて、
すべての国土を失いました。

独立運動に関わって逮捕された愛国者たちは、
家族もろとも流刑地シベリアに続々と送られました。

その数は十数万にも上り、彼らは独立の日を夢見て、
飢餓や伝染病、凍死の恐怖と闘い続けてきました。

かわいそうなことに、この過程で親を失った孤児が数多く生まれていました。
苦節なんと130年。1919年(大正8年)、第一次世界大戦終結時のヴェルサイユ条約によって、
ようやくポーランドは独立が認められます。

虐げられ続けたポーランド人たちは歓喜に湧き立ちました。


ところが、直後の1920年4月、ソ連とポーランドの間で戦争が始まったため、
唯一の帰国手段であるシベリア鉄道が止まり、祖国に帰れなくなってしまったのです。

この事態に直面し、ポーランド孤児たちを保護していた救済委員会は
欧米諸国に救援を要請しました。

「せめて、シベリアに残された孤児だけでも助けてもらえませんか」

この懇願に応え、ポーランド孤児たちに救いの手を差し伸べたのは、
どこの国だったでしょうか。

日頃、正義や人道を振りかざしていた欧米諸国は、ことごとく拒否してきたのです。
飢えと病気に苦しむ孤児たちは、絶体絶命の危機に直面しました。


《ポーランド孤児を救出せよ!》

そんななか、「よし、手を貸そうじゃないか」と名乗り出た国が一つだけありました。
それが日本でした。
外交官の武者小路公共(きんとも・武者小路実篤の兄)が素早く対応しました。

そして、日本赤十字社とシベリア出兵中の陸軍兵士らが直ちに救出に乗り出しました。
その間、なんと要請からわずか17日です。

孤児だったダニレビッチ氏はこう語っています。

「街には飢えた子供があふれていました。その子たちは、日本の兵隊さんを見ると
『ジンタン(仁丹)、クダサイ。ジンタン、クダサイ!』とせがむのです。
日本の兵隊さんは優しかった。私もキャラメルをもらったことがあります。

孤児の中には空腹で雪を食べている子供もいました。
シベリアはもう、まったくの地獄でした」

そもそも広大なシベリアで、放浪する孤児を探し出すことが
いかに困難なことかは容易に想像がつきます。

しかし、日本赤十字と日本軍は「事態は一刻の猶予もない」と、
酷寒のシベリアで鮮やかな救出劇を繰り広げました。

そして、保護した孤児をウラジオストクまで運び、船で次々と日本に送り出しました。
3年間で救済した孤児は765名にも上りました。

孤児の年齢は12歳頃が最も多く、上は16歳で下は2歳の女児でした。
皆、痩せこけて血色も悪く、服や靴もぼろぼろでした。
収容施設では、衰弱した大量の孤児を看護師が付きっきりで看病しました。

手遅れと思われた腸チフスの少女を担当した松沢フミさん(当時23歳)は、

「この子には看てくれる父も母もいない。
死んでも泣いて悲しんでくれる親はいない。
死を待つほかないのなら、せめて自分の胸で死なせてやりたい」

と毎晩、少女に添い寝しました。
当時、腸チフスは罹ったら死に至る感染症として恐れられていましたが、
甲斐あって少女は奇跡的に回復します。

しかし、松沢さんはチフスに冒され、亡くなりました。
異国の不遇な子供に命を捧げたのです。


ポーランド孤児は、日本国民の大きな同情をよびました。
寄付金を申し出る人は引きも切らず、慰問の品を持ち寄る人、
無料で歯科治療や理髪を申し出る人、学生の音楽サークルが慰問に訪れ、
慈善団体が子供たちを慰安会に招待しました。

見舞いに来た日本人の子供は、孤児たちのあまりにも惨めな服装を見て、
やおら自分の着ていた服を脱いで与えようとしたり、
髪に結ったリボンや櫛、飾り帯、指輪などを取ってポーランド孤児に手渡したりしました。

こんなことは一度や二度ではなく、頻繁にあったといいます。


皇后陛下(貞明皇后)も日赤病院の孤児たちを見舞われました。
貞明皇后は3歳の女の子を抱き寄せ、
「大事になさい。健やかに育つのですよ」とおっしゃりながら、
その子の頭を何度も撫でて慈しみました。

当時、孤児だったヘンリク・サドスキさんは
「皇后陛下に抱きしめてもらったことが忘れられない」と、
母のような貞明皇后の姿が今も鮮やかに目に浮かぶと言っています。


こうして孤児らは健康を取り戻し、回復した子から
ポーランドに送り届けることになりました。
ところが、出航の直前、孤児たちは乗船を嫌がったといいます。

どうしてでしょうか。
日本に来るまで人に優しくしてもらった経験がなかった孤児たちにとって、
親身に世話をしてくれた日本人は、すでに彼らの父となり母となっていたのです。

そして、見送る日本人に対して泣きながら「アリガトウ」を繰り返し、
滞在中に習い覚えた「君が代」を斉唱して感謝の気持ちを表したといいます。

また、航海中のことです。
日本船の船長は、毎晩、ベッドを見て回りました。
一人ひとり毛布を首まで掛けては、子供たちの頭を撫でて
熱が出ていないかどうかを確かめていたのだそうです。

ある孤児は、「その時の手の温かさを忘れない」と回想しています。


《高尚な国民》

では、平成の時代に戻りましょう。
駐日ポーランド大使館に勤務していたフィリペック氏は、
この壮大なドラマを知って「いつか日本に恩返しをしたい」と願っていました。

平成7年、阪神淡路大震災が発生した際、
ポーランド政府は直ちに日本への救援に入ってくれました。

そして、日本支援の一環としてフィリペック氏は
日本の震災孤児たちを自国に招いて激励してくれたのです。
これが冒頭の「絆の架け橋プログラム」の始まりです。

かつてポーランド極東委員会の副会長だったヤクブケヴィッチ氏は、
大震災に打ちひしがれる日本人に向けて『われらは日本の恩を忘れない』と題した
次のようなメッセージを発しています。

「我が不運なるポーランドの児童にかくも深く同情を寄せ、
心より憐憫の情を表してくれた以上、
我々ポーランド人は肝に銘じてその恩を忘れることはない。
……ポーランド国民もまた高尚な国民であるがゆえに、
我々はいつまでも恩を忘れない国民であることを日本人に知っていただきたい。

ここに、ポーランド国民は日本に対し、
最も深い尊敬、最も深い感銘、最も温かき友情、愛情を持っていることをお伝えしたい」(抜粋)


大正の日本人は何の見返りも求めずに最善を尽くし、孤児を一人も死なせませんでした。
知る人ぞ知る大の親日国ポーランドの親愛感情の原点は、
この大正時代の名も無き日本人たちの崇高な行為が発端です。

一方のポーランド人も、「受けた恩を忘れない」という感謝の想いを持ち続けました。
その高尚な想いは、二度の大震災でポーランド国民が示してくれた
惜しみない支援事業につながっています。

私たちはともに美しい善意の絆で結ばれた「高尚な国民」なのです。

「国民性」というものは各国各様です。
震災時に表れた冷静で思いやりのある日本人の態度は日本人の国民性でしょう。

また、外国人を魅了する親切とおもてなしの心などもそうでしょう。

コロナ禍の中、政府の命令がなくても粛々と
自制的な行動を取った日本人が多かったこともそうと言えますね。

このような日本や日本人の素晴らしさを題材にして、
日本のことを誉める教材を嫌う教師がたくさんいますが、
それはちょっと違うんではないかな、と思います。

義務教育の段階で望ましい「国民のあり方」を教えることは、
公教育に課せられた使命のひとつではないでしょうか。

大正時代の日本が国を挙げて取り組んだ孤児救出事業から、
真の国際交流のあり方と気概のある日本人の姿を学び、
心を震わすことは精神の成長にとても大切なことなのではないでしょうか。

そうして、青少年が今の自分を振り返って、自分に気品ある優しさはあるだろうか、
そんな人になれるだろうかと考えることって大事だと思うのです。

           <感謝合掌 令和2年6月23日 頓首再拝>

【日本のよき価値観】 - 伝統

2020/07/30 (Thu) 03:21:18


        *メルマガ「人の心に灯をともす」(2020年07月19日)より

   (東京大学大学名誉教授・医師、矢作直樹氏の心に響く言葉より…)

   戦後の日本は米軍人と米民間人の多数によって組織された
   GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の支配下で
   見事にコントロールされていました。

   彼らは今次大戦でアメリカを窮地に追い込んだ日本が
   二度と立ち上がれないようにとさまざまな仕かけを施しました。

   その中で「War Guilt Information Program(WGIP:戦争犯罪宣伝計画
   「戦争についての罪悪感を日本人の心に植えつけるための宣伝計画」)
   という思想工作が徹底して行われました。

   それは日本人にかけられた強い洗脳でした。


   このプロジェクトに基づいて日本は戦後、
   「ナショナリズムは危険である」
   「戦前の日本人は全部間違っていた」と、
   日本人としての歴史や誇りに至るまでそのすべてを捨てさせられました。

   壮大なプロジェクトの結果、教育観、仕事観、経済観、家族観、
   さまざまな局面で時間の経過とともに強まったのが「利己主義」です。

   社会全体の利益ではなく、まずは個別の利益を求める風潮は、
   私たち日本人に広まってしまいました。


   他者とともに生きていくのではなく、まずは自分が生きることを優先する。

   徹底した競争主義、区別と差別の混同、
   格差の拡大を厭(いと)わない空気(競争の結果として当然と考える)、
   あまりにも強欲な市場経済至上主義とそれを支持する日本人たち…
   「我が、我が」という我欲に満ちた今の社会こそ、
   戦後の日本管理を一手に握ったアメリカのシナリオが見事に実現した
   結果であり、彼らが創造したものこそ「日本人らしくない日本人」でした。

   長年、いろいろな組織で働いていると、
   空気の読めない人が増えたなと感じますが、
   自己主張という言葉の意味を正しく理解できない日本人が
   増殖していることは、この利己主義が代々、徹底して
   作用している証拠だと考えます。

   日本人が戦争終結にホッとして戦前のすべてを害毒として
   捨て去ってしまおうとした庶民感覚は十分理解します。

   私も含めて現在の社会で働いている人間の大半が戦後生まれですから、
   戦争中、いかに大変だったかを実体験していない分、
   本当の辛さを知ることはできません。


   しかしながら道徳を含めた教育の徹底というカリキュラムまでも
   全部捨て去ってしまって、アメリカのソフトを輸入・依存したことは
   とても問題です。

   日本の教育現場では、親の大切さ、国(郷土)を想う心、
   日本の歴史、友人のありがたみ、お互いさまの心、
   おかげさまの気持ち、本当に大切なことを若い世代に教えていました。

   1990年代から2000年代にかけて世間を騒がせた
   オウム真理教の事件に代表されるように、
   ある領域ではよく働く頭脳を持っている人間たちが
   闇に取り込まれていく様を見ていると、人間の弱さを痛感すると同時に
   人を支配することの怖さが身に沁みます。

   その根底には「自分を否定する感情」があります。


   自分を否定し続けると、人間は外的な影響でいかようにも変化します。

   変化すると言うより、「変化させられる」と言ったほうが正しいでしょう。

   洗脳というのはそのプロセスのことです。


   これは仕事に責任感が持てない気持ちと同じです。

   自分への自信のなさの裏側には、
   外部評価の奴隷となっている自分がいます。

   他者からどんなふうに思われているのか、
   他者が自分のことをどう考えているのか、
   それが気になって仕方がないのです。

   支配しようとする側は、相手のそんな弱い部分につけ込みます。


   こういう構図そのものが、日本人には相容れない図式です。

   構図の中心には「自虐史観(じぎゃくしかん)」がありますが、
   日本人は全部ダメだった、アメリカが正しいから従おう、
   皆考え直さないとダメだ、戦後に植えつけられたそんな思想が
   時間を追うごとに強まり、弱くなった気持ちに海の向こうから
   やって来た新しい価値観が導入され、
   現在のように実にいびつな国家が形成されました。

   それでも私はそこまで歪んだ意識を植えつけてくれた
   アメリカに、内心感謝しています。

   なぜならようやくアメリカ型の支配管理手法が
   いかに矛盾に満ちたものだったかと世界中が気づき始め、
   日本人も遅ればせながらようやくそこに気づき、
   本来の日本人として目覚めようとしているからです。

   若い世代ほどそのスピードが速いなと感じます。


   長年、日本人を洗脳し続けた自虐史観という存在は、
   まさに反面教師として、日本人をあるべき方向に戻してくれる
   装置だったのでしょう。

   これもアメリカのお役目だったのかなと思わざるを得ません。


   さらに日本の救いは天皇陛下がいらっしゃることです。

   天皇というお立場は「国民の幸せと国家の平和を祈る最上位の人」です。

   東日本大震災から1年が経った日の式典における
   天皇陛下の言葉はずしりと響きました。

   有事を想定していない歪(いびつ)で不自然な憲法、
   すぐに混迷を極める政治、享楽に走りがちな国民、
   周辺国からの経済圧力、どんなに行き詰った状況でも、
   天皇陛下は日本国民と日本国のために日々祈って来られました。

   私たちは今こそ、その御姿に真摯(しんし)に学ぶべきだと思います。


   自分がやるべきことをしっかりやる。

   迷わずに行う。

   お役目を果たすということは、そういうことではないでしょうか。

         <『ご縁とお役目』ワニブックスPLUS新書>

            ・・・

ケント・ギルバート氏は「愛国心」についてこう語る。

『100%の確信をもって断言しますが、現代の日本人は
 「愛国心」という言葉に対して、何かしらの抵抗感を持っています。

 読者の中に、子供時代から現在に至るまで、
 「私は愛国心を持っています」と言い続けた日本人が何人いるでしょう。

 戦後生まれであれば、よほど愛国心の強い両親に育てられ、
 学校の教師や友人など、環境にも恵まれた人でないかぎり難しいと思います。

 ほとんど全滅に近いのではないでしょうか。

 ちなみに一般的な家庭で健全に育った米国人であれば、
 「あなたは米国に愛国心を持っていますか?」という質問に対して、
 ほぼ全員が、「はい。私は子供時代からずっと、米国に愛国心を持っています」
 と即答するはずです。

 幸い私も、そのような極めて一般的な考えを持つ米国人の一人です。

 だから日本人の愛国心への抵抗感を見ると、とても奇異に映るのです。

 「愛国心」という言葉を使うのは後ろめたく、カッコ悪いことだと
 思っている日本人は、世界に出かけた場合には、逆にバカにされたり、
 大恥をかいたりしてしまうかもしれません。

 世界のほとんどの国では、自然に愛国心を表明することが、
 ごく当たり前だからです。

 むしろ、「愛国心はありません」などと平気で答える人のほうが、
 多くの場合、世界中で奇異な目で見られて、信頼を失ってしまうことを、
 日本の皆さんは知っておくべきです。』

    (ついに「愛国心」のタブーから解き放たれる日本人 /PHP新書)


まさに、「愛国心」という言葉を言うことに対して
後ろめたさを感じさせる教育が、戦後のアメリカによる自虐史観の教育。

「愛国心」とは、たとえば、サッカーの国際試合で、
外国と日本のチームが戦っているとき、日本のチームを自然と応援するようなこと。

あるいは、自分の生まれ育った町や村、地域を愛するような郷土愛とも似ている。

ちなみに愛国心は「ナショナリズム」であり、郷土愛は「パトリオティズム」という。


今こそ我々は、戦後の自虐史観の呪縛から逃れ、
「親の大切さ、国(郷土)を想う心、日本の歴史、友人のありがたみ、
 お互いさまの心、おかげさまの気持ち」という、

日本のよき価値観を自信を持って取り戻したい。

           <感謝合掌 令和2年7月30日 頓首再拝>

奇跡のような国 - 伝統

2020/08/15 (Sat) 04:44:11


       *Web:ねずさんのひとりごと(2019/10/24) より抜粋

   わが国は、文化といざというときのための災害対策という二つの面から、
   国の統一を図りました。

   そしてそうすることでわが国は、征圧も虐殺も粛清もしないで、
   国を統一するということを、実現してきたのです。

   これは世界史的にみて、まさに稀有(けう)なことであったのです。
   日本は「奇跡の国」です。

世界の歴史は、東洋史であれ西洋史であれ、支配者が敵対する者を征圧し、
また粛清することが繰り返されてきた歴史を持ちます。

ところが世界に唯一、こうした征圧や粛清をすることなく、
国をひとつにまとめあげた国があります。
それが日本です。

厳密には、蘇我入鹿を斬り伏せるといった事件は起きていますが、
全体像を見たとき、諸外国に見られるような、
何千何万、あるいは何百万人といった虐殺が起きていないことは、
明らかな事実であろうと思います。

ではわが国が、どうして粛清や征圧を必要としなかったのか。

これには2つの理由があります。
ひとつは「天然の災害」。
もうひとつは「天皇の存在」です。



わが国は、戦乱よりも恐ろしい天然の災害の脅威が、
常に民衆の生活と隣合わせにあります。

どのような権力者や大金持ちであっても、ひとたび火山が噴火し、
台風による洪水が起こり、あるいは土砂災害が起これば、
何もかもが失われるのです。

しかもこうした災害が起これば、必ずそのあとにやってくるのが、
凶作による飢饉(ききん)であり、ひとたび飢饉となれば、
そのあとには飢餓(きが)が襲い、飢餓が襲えば次には疫病が広がって、
多くの死者が出るのです。

こうした災害は、権力やお金の有無に関わらず、
誰にも(まさに平等に)襲いかかります。

災害は、我々日本人にとって、まさに恐怖の大魔王なのです。

天然の災害は、発生を防ぐことはできません。
ですから必要なことは、災害がいつ起きても、
被災者はあっても被害者が出ないように、
日頃から準備することが求められます。

その準備のための最大のものが、実は稲作です。


稲作によって、数年単位の食料備蓄が可能というのなら、
我が子を飢えさせないためにも、おとうちゃん、
必死になって土地を開墾するし、夫婦で力を合わせて稲を育て、
お米を収穫します。

(中略)

そうしていく中で、いざというときのために、
各家庭でも、食料を備蓄する。
村でも、食料を備蓄する。
地域でも、豪族が中心になって食料を備蓄する。
さらに、豪族たちが、互いに連携することで、地域の飢えを防いでいく。
といったことが行われるようになっていったわけです。


ところが、実は、これだけでも足りない。
なぜかというと、わが国では数十年に一度、
東日本大震災のような大規模災害が起こるからです。

こうなると、地域の力だけではどうにもならない。
このときに、やはり頼りになるのは、地域の人々にとっての
本家のなかの総本家である中央の朝廷です。

そこで朝廷にも米を備蓄する。

それだけではなく、中央から国司を派遣してもらうことで、
地域をまたがった、広域での非常食料の手当を可能にしていく。

そして国司は、担当する地域の人達が、
決して飢えることがないように、最大限の力を発揮していく。

要するにわが国では、国と地方と村々が一帯となった災害対策が不可欠であったわけです。




ところが、実は、これだけでも足りないのです。
どういうことかというと、災害時の困難も、人は安定した平時になれば、
その苦労を忘れてしまうし、世代を越えたら、なおさら苦難は忘れ去られてしまうからです。

これを補うために必要なことが教育です。
教育によって、過去の災害を忘れないようにする。

どのようにして、どのような災害が起きたのか。
そのとき、人々はどのようにして身を守り、互いに助け合ったのか。

そのおかげでいまの命があることを、けっして忘れないためには、
教育は不可欠の要素となりました。

わが国では古来、学問を通じて、過去を忘れないという取り組みが行われてきたのです。
学問は、わが国において、人々が生き残る上での必要条件であったのです。

(中略)

こうしてわが国は、
文化といざというときのための災害対策という二つの面から、
国の統一を図りました。

そしてそうすることでわが国は、
征圧も虐殺も粛清もしないで、国を統一するということを、
実現してきたのです。

これは世界史的にみて、まさに稀有(けう)なことであったのです。

つまり日本は「奇跡の国」です。

https://nezu3344.com/blog-entry-4296.html

           <感謝合掌 令和2年8月15日 頓首再拝>

世界一歴史の古い国の世界一すばらしい国家の成り立ち - 伝統

2020/10/14 (Wed) 04:48:50


       *Web:ねずさんのひとりごと(2020/10/05) より抜粋

日本は、世界一歴史の古い国です。

日本という国号のはじまりは、
持統天皇が689年に発せられた飛鳥浄御原令(あすかきよみはらりょう)です。
ここに最初に「日本」という国号が文字として書かれました。

それより以前は、外国では倭国、我が国では葦原中国(あしはらのなかつくに)、
または大倭(おほやまと)と呼ばれています。

ですから「日本」の読みも、本来はこう書いて「やまと」と読みます。
「やまと」の表記は、「倭(やまと)」であったり、
「大和(やまと)」であったり、秋津島(やまと)であったりしましたが、
最終的に持統天皇の御世に、「日本」という表記で確定したわけです。

このため、いまでも「日本」と書いて「ニホン」と読むのか、
「ニッポン」と読むのか確定していません。
結局、どちらの読みも正しいとされています。

この「日本」という国号が唐の国に伝わり、その後に成立した元の大帝国の時代に、
元の首都である大都にやってきたマルコポーロが、
元の言葉で「日=ジツ」、「本=ポング」と発音されていたものを、
彼がイタリア語で「ZIPANG」と書き、それがヨーロッパに伝わって、
英語圏では「JAPAN」と訳されました。

7世紀に成立した国号が、現代でも使われているのは、世界でただ一国、日本だけです。

たとえばチャイナの場合なら、7世紀には国号が唐です。
19世紀なら、国号は清です。
ですから、その時代に唐国人や清国人はいましたが、中国人はいません。

中国人が生まれたのは、チャイナに中華民国が成立したとき、
つまり1912年になってからのことで、まだ108年しか経っていません。
俗に言う中国5千年の歴史などというものは存在しないのです。

このように書くと、あたかも筆者が民族主義者であるような
印象を与えるかもしれませんが、もともと大昔には、
世界に国境などなかったのです。

日本のように古い国では、
そこから解き明かしていかなければならないというのが、筆者の持論です。

     (https://nezu3344.com/blog-entry-4651.html

           <感謝合掌 令和2年10月14日 頓首再拝>

【お父さん、日本のことを教えて!】 - 伝統

2020/10/28 (Wed) 04:30:12


       *メルマガ「人の心に灯をともす」(2020年10月13日)より

   (赤塚高仁(こうじ)氏の心に響く言葉より…)

   ある女子高生の話です。

   彼女は高1のときにアメリカに留学しました。

   アメリカの文化を学ぶためです。

   ホームステイ先はカリフォルニア州にある
   テハチャピという小さな村にあるアメリカ人の家庭でした。


   日本人が住んでいない地域でしたので、
   知らない国からやってきた女子高生にみんな興味津々でした。

   学校に行けばクラスメイトが聞いてきます。

   「ねえ、日本って、どんな国? 何があるの?」

   彼女は質問されるたびになれない英語で全力で答えました。


   あるとき、ホストファミリーのお母さんが彼女に聞いてきました。

   「日本はいつ、誰が作った国なの?」

   彼女は答えを知りませんでした。

   「えっ、いつだろう? うーん、わからない。教えてもらってないし」


   ホストファミリーのお母さんは、
   驚き、そして諭(さと)すように言いました。

   「そうなの。教わってないのね。
    でも、知らないのは日本に対して、
    あなたの愛がないからじゃないかしら。

    自分の国を愛せないで、ほかの国を愛せる?
    あなたは何のためにアメリカに来たの?」

   「アメリカや世界を知りたかったから」

   「そう。でも、あなたが知るべきはアメリカや世界のことじゃない」

   「…。日本のこと?」

   「そう、まずは自分の国ことをわかったほうがいいわ。
    自分の国を知って愛せなければ、アメリカで信頼を得るのは難しい。
    いえ、どこの国に行っても難しいでしょうね」


   ときは20022年。

   まだインターネットもいまほど普及していない時代でしたから、
   日本の歴史について調べたくても、
   アメリカにいる彼女には調べるすべはありませんでした。

   その女子高生は、うつうつとしながら1年を過ごし、
   アメリカから日本に戻るやいやな、父親に涙ながらにうったえました。


   「お父さん、日本のことを教えて!
    何も答えられなくて、ほんとうに悲しかった」

   この女子高生とは、私の一人娘です。

       <『お父さん、日本のことを教えて!』自由国民社
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               ・・・

赤塚氏は本書の中で、日本の建国についてこう述べている。

『日本のなりたちについて、
 日本の現代の小学校や中学校の教科書では、触れられていません。

 だから多くの人は「日本はいつ、誰が作ったか」を知りません。

 一方、アメリカで出版された中学1年の歴史の教科書には、
 「日本のストーリー」として次のように書かれています。


 日本の子どもたちは、学校で次のように学んでいる。

 イザナギという権威ある神が、
 その妻イザナミと共に「天の浮橋」の上に立った。

 イザナギは、眼下に横たわる海面を見下ろした。

 やがて彼は暗い海の中にに、宝石をちりばめた槍を降ろした。

 その槍を引き戻すと、槍の先から汐(しお)のしずくが落ちた。

 しずくが落ちると、次々に固まって、島となった。

 このようにして日本誕生の伝統が生まれた。

 またこの伝説によると、イザナギは多くの神々を生んだ。

 その中に一人の太陽の女神があった。

 女神は孫のニニギノミコトを地上に降り立たせ、
 新しい国土を統治することを命じた。

 ニニギノミコトは大きな勾玉(まがたま)と、神聖な剣と、
 青銅の鏡の3つを持って、九州に来た。

 これらはすべて、彼の祖母から贈られたものであった。

 これら3つの品物は、今日もなお、天皇の地位の象徴となっている。

 ニニギノミコトはジンムという曾孫(ひまご)があって
 この曾孫が日本の初代の統治者となった。

 それは、キリスト紀元前660年2月11日のことであった。

 何百年もの間、日本人はこの神話を語り継いできた。

 この神話は、日本人もその統治者も、国土も、
 神々の御心によって作られたということの証明に使われた。

 現在のヒロヒト天皇は、ジンム天皇の直系で、第124代に当たるといわれる。

 かくして日本の王朝は、世界で最も古い王朝ということになる。』


『これは、日本でもっとも古い歴史書、古事記のクライマックス
 「天孫降臨(てんそんこうりん)」を元に書かれています。

 太陽の女神と書かれているのは、
 「天照大御神(あまてらすおおみかみ)」のことです。

 九州と言っているのは、日向の高千穂の峰。

 現在の宮崎県のことです。』


欧米の学校では子どもに新約・旧約聖書やギリシャ神話を必ず教えているという。

それに引き換え、日本の授業では教えていないと言ってもいいほど、
少ない時間しかそこに時間を割いていない。


日本人なら…

誰もが、日本の歴史を語れる国であってほしい。

・・・

<参照>

光明掲示板・第一「“18歳の宣戦布告 国家観なき若者に告ぐ” 」
http://bbs5.sekkaku.net/bbs/koumyou/&mode=res&log=1473

光明掲示板・第一「日本讃歌」
http://bbs5.sekkaku.net/bbs/koumyou/&mode=res&log=1233
(【世界最古の国家】 (9091)日時:2013年06月07日 )

           <感謝合掌 令和2年10月28日 頓首再拝>

「九歳の男の子」 - 伝統

2021/01/16 (Sat) 04:08:48


      *メルマガ「人間力」(2021.1.11)より

神奈川県の県立高校教師(当時)中村正和さんは
2011年の東日本大震災後の夏休み、
陸前高田市などで瓦礫を拾うボランティア活動に参加。
その時の体験を授業の中で生徒たちと共有しようと考えられます。

授業をするに当たり中村さんは
震災にまつわる様々な情報を収集する中で、
あるUチューブの投稿に出合います。

それは被災したある9歳の男の子の実話でした。

───────────────────

私は、被災地で得た体験を、ぜひとも生徒たちと共有したいと考え、
震災にまつわる様々な情報を集めて授業を行いました。
その際「九歳の男の子」の話を知って、私は衝撃を受けたのです。

それは、ユーチューブで紹介されていた
ベトナムから日本へ帰化した警察官が語った話でした。

震災直後のある夜、
その警察官は食料を配る手伝いのために避難所へ向かいました。

そこにはようやく届けられた食料を受け取るために、
たくさんの被災者が列をつくっていました。

その最後尾に目をやると、九歳ほどの男の子が
厳寒の中をTシャツ・短パンという軽装で佇んでいます。

気になって声を掛けた警察官は、
その子が語り出した悲惨な体験に言葉を失いました。

地震の後、お父さんが小学校に車で迎えに来てくれた。
けれどもその時、大きな津波が来て、
お父さんを車ごと呑み込んでいくのを三階のベランダから見た。

海の近くの自宅にいた母親や弟妹もたぶん助からないと思う……。


その九歳の男の子は、不安を打ち消そうと涙を拭いながら、
悔しさと寒さに震えながら、必死に話してくれたのです。

不憫に思った警察官は、男の子に自分のコートを掛けてやり、
用意していた食料のパックを渡しました。
きっと喜んで食べてくれるだろうと思ったのです。

ところが、その男の子はどうしたか?
何と、彼はその食料パックを配給用の箱に置きに行ったのです。

そして、戻ってきた男の子は、警察官にポツリと言いました。
「僕よりお腹をすかせてる人がたくさんいるだろうから……」と。

何ということだ! 

警察官は、もう涙で少年を見ることができませんでした。

両親も弟妹も行方不明で、不安と悲しみに打ちひしがれ、
空腹と寒さの中で絶望している九歳の少年が、
それでもその困難に耐え、自分のことよりも他人を思いやることができる。

このような悲惨な境遇に置かれた幼い少年でも、
己を捨て、人のために生きようとする。
日本人は何と偉大な民族なのだろう。

その話は警察官の口からベトナムに広まり、現地の新聞でも紹介されました。

新聞は

「人情と強固な意志を象徴する男の子の話に、
我々ベトナム人は涙を流さずにはいられなかった」

と綴り、
こう問い掛けています。

「我が国にはこんな子がいるだろうか」

この話を知ったベトナムの人々は、男の子と日本に称賛を惜しまず、
裕福とは言えない人々からも多くの義捐金が寄せられました。

この「九歳の男の子」の話を、私が授業で生徒たちに語り聞かせた時、
彼らは口々に「私も同じようにします」と答えてくれました。

生徒たちのその答えを聞いて、日本はまだ大丈夫だと、
国の行く末を憂う私の心に
希望の光が射したのを鮮明に覚えています。

『致知』2月号(最新号)特集「後世に継いでいきたい日本の心」より

           <感謝合掌 令和3年1月16日 頓首再拝>

日本列島は、地質学的にも希な4つの奇跡が造りあげた美しき豊かな大地だった。① - 伝統

2021/01/25 (Mon) 02:31:54



     *メルマガ「Japan On the Globe (R03.01.24)より

その1~日本列島が産んだ日本料理

 
日本列島は山が多く、水蒸気を含んだ風がぶつかって雨や雪を降らせます。
年間降水量1700ミリは、温帯では世界トップクラス。

水が豊かなため、動物や植物の種類も
世界のほかの温帯地域と比べればダントツに多く、
動植物の固有種は3000種類、淡水魚だけでも500種に及びます。

 
縄文時代には狩猟・採集中心で、農耕や牧畜をしないまま定住に入ったという、
世界の他の古代文明とはまったく違った生活様式を生み出しましたが、
それもこの豊かな自然があったからです。

多くの種類の食材を、旬を考えて調理するという日本料理の特徴も、
この自然の豊かさからきています。

また雨水が岩石の間を通る際に
カルシウムやマグネシウムなどのミネラルが溶け込みますが、
日本では山が急峻なため、ミネラルをあまり含まない「軟水」となります。

フランスのように平らな大地を水がゆっくり浸透すると、
ミネラルの多い「硬水」となりますが、それでお吸い物を作ると、
ミネラルが昆布の表面にくっついて、「うま味」が出ません。

出汁(だし)をうまく使った日本料理は、軟水だからこそ発達したのです。

 
また急峻な山肌がそのまま海に入るので、
海岸線のすぐ近くに深海があります。

ホタルイカは200~300mの深さに住んでいますが、
富山湾は深いところで水深1000mもあるので、
岸のすぐ近くで獲れるのです。

伊豆半島近海でとれる金目鯛も深海魚ですが、
駿河湾や相模湾にも2000~4000mの深海がすぐそばにあるからです。

急峻な山と深い海という特性が、日本料理の食材を豊かにしています。

           <感謝合掌 令和3年1月25日 頓首再拝>

日本列島は、地質学的にも希な4つの奇跡が造りあげた美しき豊かな大地だった。② - 伝統

2021/01/26 (Tue) 03:13:08


     *メルマガ「Japan On the Globe (R03.01.24)より

その2~卵の殻が動いてぶつかり合う

この日本列島の地形は、数千万年の間に地質学的な奇跡が
4回も重なってできたもの、という事が明らかになっています。

「地球上でも例のない奇跡の大地」と呼ばれています。
   [NHK, p96 https://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4800271061/japanontheg01-22/]

この4回の奇跡は、いずれも日本列島の近くにある
3つの巨大な岩盤(プレート)の動きから引き起こされています。

プレートとは、地球を半熟卵に例えると、表面の殻のようなものです。
ただしその殻はヒビ割れて14~15枚に分かれて、それぞれ独自に動いています。

 
日本列島には、西からユーラシア大陸プレート、東から太平洋プレート、
南からのフィリピン海プレートがぶつかりあうところにあります。

殻の下の岩石層(マントル)が地球の中核で熱せられ、
膨張して軽くなると上昇し、地表面で冷却されると
収縮して重くなって沈み込むという循環が発生します。

その流れが表面の殻をいろいろな方向に動かします。

ふたつのプレートがぶつかり合うと、
重い方が軽い方の下に沈み込んでいきます。

その時にプレートの端で歪みが蓄積され、
それが一気に解放されると地震になるわけです。
日本列島に地震が多いのは、このためです。

また、プレートが動くことによって、
その上に載っている陸地が移動します。

ハワイは太平洋プレートが北西に動いているので、
毎年6~9センチ、日本に近づいています。
これが100万年続くと、60~90キロも近づくわけです。

           <感謝合掌 令和3年1月26日 頓首再拝>

日本列島は、地質学的にも希な4つの奇跡が造りあげた美しき豊かな大地だった。③ - 伝統

2021/01/27 (Wed) 02:19:53


     *メルマガ「Japan On the Globe (R03.01.24)より

その3~第1の奇跡: ユーラシア大陸から引きちぎられた列島

約3千万年前、すでに恐竜は絶滅し、
ユーラシア大陸では体長7メートル、肩高5メートルほどもある
史上最大の哺乳類パラケラテリウムが闊歩(かっぽ)していました。
のちに日本列島となる一帯はユーラシア大陸の東端にくっついていました。

そこに大地震を発生させながら、
大陸の東端の大地が割れはじめ、激しい火山活動が始りました。

東端部は数百万年かけてゆっくり、東へ東へと引き裂かれていきました。
裂け目には、始めは水が溜まり湿地や湖ができましたが、
2500万年前、太平洋の海水が入り込み、東端部は大陸から分かれた島になりました。

 
今も日本海側には、そこここに断崖絶壁が残っていますが、
日本列島がとてつもない力で大陸から引き裂かれた跡だと推測されています。

佐渡島はかつて日本最大の金の産地でしたが、
この金鉱床は、大陸が引き裂かれて大地に割れ目ができたとき、
金を含んだ熱水が割れ目に沿って地表近くまで上昇してできたものだ、
と考えられています。

この動きは太平洋プレートがユーラシア大陸の下に沈み込んだ流れに、
大陸の端も一緒に引きずりこまれて、南東に引っ張られたからです。

その力はユーラシア側から太平洋側に扇形に広がっており、
これによって日本列島は南東の方向に張り出した弓なりの形に
引きちぎられたのです。

その際に、東日本は東に、西日本は南東に引きちぎられ、
二つの別々の島になりました。

「日本」列島は「二本」列島だったのです。

           <感謝合掌 令和3年1月27日 頓首再拝>

日本列島は、地質学的にも希な4つの奇跡が造りあげた美しき豊かな大地だった。④ - 伝統

2021/01/28 (Thu) 02:11:36


     *メルマガ「Japan On the Globe (R03.01.24)より

その4~第2の奇跡: 伊豆諸島の日本列島への衝突

伊豆諸島は伊豆大島から南南東に向かってほぼ一直線、
三宅島、八丈島など大小100余りの島が550kmに渡って並んでいます。
これらの島々はフィリピン海プレートの北への移動に乗って、
日本列島に接近してきました。

そして1500万年前に西日本の北側に衝突を始め、
現在の甲府盆地の西の櫛形山地、次いで御坂山地、丹沢山地ができました。

丹沢山地は富士山の東、神奈川県北西部にある南北20km、東西40kmの地帯で、
標高1500メートルを超える山が9つあります。
ここはかつては南の海の海底で、
今でも山頂でサンゴやオウムガイの化石が見つかっています。

この丹沢山地などから大量の土砂が流れ出し、
東日本と西日本の間にあった海峡に流れ込みました。
この土砂が後に隆起し、現在の関東平野のもとになりました。

島どうしがプレートの移動で衝突するのは、
世界でもほかに例がないとされています。
そんな奇跡によって、「二本」列島は一つにつながったのです。

また伊豆の島々が本州に衝突した場所の地下では亀裂が広がり、
そこからマグマが大量に上昇して大規模な火山活動が起こりました。
これによって、富士山ができたのです。

最後の衝突は100万年前で、
大きな火山島が本州にぶつかって、伊豆半島となりました。
この火山島には、現在沖合25kmにある伊豆大島のオオシマザクラと
同じ種類の樹があったようです。

その火山島が伊豆半島として接続することで、本州の桜と交配し、
ソメイヨシノになった事が遺伝子の研究で判明しました。

富士山と桜という日本を代表する絶景は、
この地球史上の奇跡によって、もたらされたのです。

           <感謝合掌 令和3年1月28日 頓首再拝>

日本列島は、地質学的にも希な4つの奇跡が造りあげた美しき豊かな大地だった。⑤ - 伝統

2021/01/29 (Fri) 03:05:39

     *メルマガ「Japan On the Globe (R03.01.24)より

その5~第3の奇跡: 西日本の山岳を作った超巨大カルデラ噴火

1400万年前の日本列島には、まだほとんど山はなく、湿地が広がり、
ゾウやワニの祖先が暮らしていました。

しかし、現在の西日本では紀伊半島から、四国の南部、宮崎から鹿児島と、
山地がベ〇ト状に広がっています。

   *〇:ル

これらの地域では、1400万年前に超巨大噴火が集中して起こったのです。
日本列島となる一帯がユーラシア大陸から引きちぎられて
現在の場所に移動していた時に、今の沖縄付近にあったフィリピン海プレートも
東に引っ張られ、裂けた部分に巨大な割れ目ができました。

その割れ日から高温のマグマが溢れ出し、
フィリピン海プレートは表面温度が1000度にも達しました。
そこに移動してきた西日本の大地が、
熱したフィリピン海プレートに衝突したのです。

西日本の地盤は高温になっていたフィリピン海プレートによって急激に熱せられ、
大量のマグマが発生しました。そのマグマによって、地球でも
最大級の巨大カルデラ噴火が、西日本の太平洋側で連続的に起きたのです。

カルデラとはスペイン語で「なべ」のことです。
阿蘇のように、外周を山で囲まれ、内部が陥没した土地です。
これはマグマが大量に溜まった場所で、その圧力で上部の大地に亀裂を作り、
マグマが爆発的に飛び出し、その上にあった土地は陥没します。
周辺に火砕流となって流れ出したマグマが固まって、なべの縁となります。

 
熊野地方は、那智の滝の流れ落ちる高さ130mの絶壁、
神倉神社のご神体となっている巨岩・ゴトビキ(ヒキガエルの意味)岩、
古座川左岸の高さ約150m・幅約800mの一枚岩など、巨石群が連なっています。
これらは1400万年前の巨大カルデラ噴火によってできました。

地下に残ったマグマは冷えて固まり、巨大な花崗岩になります。
紀伊半島の地下1〜20kmには、神奈川県ほどもある巨石が埋まっているそうです。

花崗岩は周囲の岩石より軽いので、地下深くあったものも
1千数百万年の間に、1万メートルも浮かび上がり、
それによって持ち上げられた大地が現在のような高い山々になりました。

こうして西日本の高い山々が形成されたのです。

           <感謝合掌 令和3年1月29日 頓首再拝>

日本列島は、地質学的にも希な4つの奇跡が造りあげた美しき豊かな大地だった。⑥ - 伝統

2021/01/30 (Sat) 04:45:17


     *メルマガ「Japan On the Globe (R03.01.24)より

その6~第4の奇跡: 東日本の山々を作った東西圧縮

一方、東日本の山々を作った第4の奇跡が、300万年前に起きました。
この頃、南から北に移動していたフィリピン海プレートが
太平洋プレートにぶつかり、それ以上北には進めなくなって、
北西に沈み込む方向を変えました。

これは地球史上でもめったに起きない現象だと言われています。

それに伴って、ユーラシア大陸プレートに押しつけられましたが、
こちらでもこれ以上、動けません。

すると縁の部分にある日本列島が東西に圧縮されて、隆起しました。
この「東西圧縮」の力で、東日本は2千メートル以上、隆起したと考えられています。

たとえば、新潟県南魚沼市の八海山は標高1778メートル、
山頂は切り立った岩峰が2kmにわたって続きます。

この山頂では角のとれた丸い石が見つかります。
丸い石は、河口や海辺などの低地で川の水に角が削られてできるものです。
これらの丸い石は、八海山の山頂はかつては低地だったことを示しています。

日本列島は、現在でもこの東西圧縮と、
前節に述べた花崗岩の浮力によって、隆起を続けています。

その速度は、北アルプスなど速いところでは、1年に4〜5ミリに達します。
もしこの隆起がなければ、雨による浸食で数百万年の間に山はなくなってしまいます。

山がなくなれば、日本海から吹く湿った風も通り過ぎてしまい、
雨量は10分の1になるというコンピュータ・シミュレーションの結果が出ています。

雨がなければ、繁茂する森も大きな川も、
そしてそれらから栄養を受けとっている海の豊かさも失われてしまいます。

奇跡は今も続いているのです。

           <感謝合掌 令和3年1月30日 頓首再拝>

日本列島は、地質学的にも希な4つの奇跡が造りあげた美しき豊かな大地だった。⑦ - 伝統

2021/01/31 (Sun) 02:07:10


     *メルマガ「Japan On the Globe (R03.01.24)より

その7~豊かな日本列島で定住生活が可能になった

こうして世界にも希な奇跡が4つも重なって形成された日本列島に、
我々の先祖は大陸から移ってきました。

極寒のシベリアを超えて北海道へ、
朝鮮半島や中国南部から海を渡って九州へ、
さらには南から南西諸島をたどって。

そこは温暖な気候、豊かな雨量で繁茂する山林があり、
小動物や木の実、キノコが豊富にとれました。

急峻な山肌が作った複雑な海岸線は多くの入り江を作り、
魚や貝をとるには好適でした。

しかも豊かな森の落ち葉による腐葉土の栄養を河川が海に流し込み、
たくさんの魚を育てています。

世界の古代文明は1万2千年前くらいから農耕と牧畜を始めて、
ようやく定住生活に入れたというのが従来の文明観でしたが、
我々の先祖たちは採集と狩猟だけで定住生活を始めたのです。

それもこの豊かな日本列島のお陰でしょう。

しかも、縄文時代には大陸のような大規模な戦いの跡は見つかっていません。
我々の先祖たちは多様な出身を問わず、仲良く暮らしていたのです。
それも、豊かな日本列島のお陰で食糧を奪い合うような争いは
不要だったからでしょう。

           <感謝合掌 令和3年1月31日 頓首再拝>

日本列島は、地質学的にも希な4つの奇跡が造りあげた美しき豊かな大地だった。⑧ - 伝統

2021/02/01 (Mon) 04:44:53


     *メルマガ「Japan On the Globe (R03.01.24)より

その8~4つの奇跡が作った日本列島への感謝と慎み

豊かな食糧に恵まれて生活に余裕を持ち、
争いあう必要もなければ、余暇を生活の工夫や自然の観察に使えます。

縄文時代の遺跡からは、獣60種類以上、魚70種類以上、貝350種類以上の
残滓が見つかっています。

貝にしても、どこの入り江のどのあたりで、どんな貝がとれ、
それはいつ頃に旬を迎え、食べる量をどれくらいに抑えていれば、
翌年も豊かな恵みをいただけるか、考えて採集していたようです。

シジミやハマグリは遣された貝の断面の成長線を調べると、
全体の70%は4月から6月にかけて食べていたことがわかっています。

現代の潮干狩りと同様、この時期が最も脂がのっているのです。

 
狩猟・採集といっても、麦だけを植える農耕や、
羊だけを育てる牧畜などより、はるかに複雑な知識を発達させていたのです。

このような知識集約型の生活から、
世界でも最古級の土器が生まれたというのも、
不思議ではありません。[JOG(1078)]

こうした日本列島の豊かな恵みに感謝すれば
そびえる山、巨石、高い木、清らかな川、豊かな海に、
自分たちを護ってくれている神々を感じとるのは、
人間の自然な心理でしょう。

神々は時にはお怒りになって、暴風雨や山崩れ、地震などで
人間を襲いますが、だからこそ人間は神々の恵みに感謝しながら、
慎み深く生活しなければならない、とご先祖様たちは考えたのです。

こうして見ると、日本人の古来からの世界観と文明を生みだしたのは、
日本列島だった事が分かります。そ

して、この列島は地質科学でも希な4つの奇跡が創りだしたものでした。
現代の我々も、ご先祖様と同様、感謝と慎みの心をもって、
この日本列島を大切にしたいものです。

http://blog.jog-net.jp/202101/article_3.html

           <感謝合掌 令和3年2月1日 頓首再拝>

チャネリング 日本人として生まれた意味 - 伝統

2021/02/13 (Sat) 04:38:53


     *Web:文太ママのスピリチュアル部屋(2021/01/06)
           https://www.youtube.com/watch?v=eewjPzDmpHY

(1)自分自身を生かすため

(2)自分自身を生かし覚醒できる場所として選んできている

(3)それを気づかず、身体を壊したり、亡くなる方が多い。

(4)我慢し過ぎ、自分を虐め過ぎる
   → 自分を許し愛する
     そして、自分の本当の道を見つける

     自分の価値に気づいたり、
     愛したりすることで充分。

     行動出来る方は、行動してください。

(5)日本人は神様に依存している人が少ない。

(6)覚醒するということは、チャレラー等になることではなく、
   直感、ひらめき、思いつき、アイデアを生かしていくこと。

   覚醒を難しく遠ざけないでください。

   どんな方でも、自分を信じれば覚醒します。

(7)霊感が強いのと覚醒は別。   

(8)人と比べる事は、意識が他人に向かい、
   自分自身に向かなくなる。

(9)いい悪いの判断、優劣をつけない。

(10)チャンスは毎日、シャワーのように降ってきています。
   自己評価が低すぎて、チャンスをチャンスとして
   捉えていない人が多い。

(11)日本は、誰にでもチャンスがある国。
   そこに気が付くことが大切。

(12)子どもの時代に身についた
   固定観念、同町圧力を過ぎ捨てる。

   自分自身を解放しましょう。

(13)日本が世界で一番覚醒しやすい国。

(14)自分を肯定する事は傲慢ではない。

(15)自分を無条件で愛する。
   自分のこと凄いと思っていると、
   その証明がどんどんやってくる。

   まずは自分はすごいと思っちゃいましょう。

(16)これからの日本は、
   助け合う、赦し合う、変化をゆるし恐れないこと。

   これができる国が日本。

(17)不安や心配を手放す。

(18)これからの日本は、中国の脅威が心配。
   気づいていない日本人が多い。

   そのため、気づかせるようなことが起きる。

(19)日本人と日本人以外の区別。
   自分と相手の違いを知る。

   人間同士は分り合えるということを、
   あまり期待しないほうがいい。

   国同士であれば、なおさら。

   違いを受け入れる。

   中国にわかってもらえるということを期待しても無理。

(20)中国は、魂の若い人が多い国。
   このような国に求めない。

(21)受け入れる事の誤解。

   受け入れて、その上で、客観的に対処していく。

(22)自分を許し、許可を与える。
   他人を許せない自分を、責める必要なない。

(23)みんないい人、いい国と思ってしまってはダメ。
   起こっている事を客観視する。

(24)中国は何かを引き起こす。
   
  ①テロ警戒
  ②サイバー攻撃に注意
  ③スパイが日本人の中に紛れ込んでいる。

  ④子ども、若い女性の誘拐に注意。
  ⑤臓器売買に注意。
  ⑥政治利用の為の人質に注意。

   日本人は、お花畑にいる人が多い。平和ボケ。

           <感謝合掌 令和3年2月13日 頓首再拝>

「日本は夢の国だ!」 - 伝統

2021/03/12 (Fri) 02:03:27

【海外の反応】「日本は夢の国だ!」
日本を紹介したドイツのテレビ番組の内容に外国人から不満の声が殺到!
【海外の反応】日本のうわさ(2020/12/15)

https://www.youtube.com/watch?v=dByhK-JkTTA

           <感謝合掌 令和3年3月12日 頓首再拝>

日本最古の企業「金剛組」 - 伝統

2021/03/30 (Tue) 02:01:38


【特集】親方と19歳の弟子...日本最古の企業「金剛組」1400年の“宮大工の技術”を継ぐ

         *Web:MBS NEWS(2021.03.03)より抜粋

大阪に“日本最古の企業”とされる建設会社があります。

創業は飛鳥時代。

釘を使わずに木と木をつなぎ合わせて荘厳な神社仏閣を建てる。
1400年の系譜と若い世代に受け継ごうとする宮大工たちを取材しました。


   金剛組 【特集】親方と19歳の弟子...日本最古の企業「金剛組」
         1400年の"宮大工の技術"を継ぐ(2021年3月2日)
          https://www.youtube.com/watch?v=6XDbu0SAIWo


https://news.yahoo.co.jp/articles/6da81f77cfee5e3712c64d1759a586240964537c

・・・

<関連>

日本の老舗企業の共通点~その1
2017/05/12 (Fri) 18:32:53
http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7545189


世界最古企業「金剛組」に学ぶ 求められ続ける企業とは
2017/06/05 (Mon) 19:25:25
http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7545189


「世界最古の企業~金剛組」
2019/08/15 (Thu) 18:28:01
http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7895021

           <感謝合掌 令和3年3月30日 頓首再拝>

米軍「トモダチ作戦」を成功させた70年前の秘話 - 伝統

2021/07/01 (Thu) 04:44:28


      *メルマガ「JOG Wing・国際派日本人の情報ファイル」
                         (R03.06.30)より

「ジャップ、黄色い猿ども」

かつて日本人をこのようにアメリカ人は蔑んでいました。



東日本大震災直後、
アメリカ軍が日本の被災者救助のため行われた 「トモダチ作戦」
の秘話。


2011年3月11日東日本大震災が発生、日本に甚大な被害が発生し、
当時自衛隊・警察・消防が必死の救助活動を行っていました。

震災直後、同盟国のアメリカは直ちに、
日本への復興支援活動を開始してくれました。

オペレーション・トモダチ「友達作戦」。


震災で孤立する、被災地に多くの救援物資を届けてくれましたが、
実はこの裏には70年以上前の一つの物語があったから、こそ
「トモダチ作戦」が成功したのでした。


それは大東亜戦争終結の5年後、1950年9月の出来事でした。
戦後の傷跡が残る日本に、一人のアメリカ将校が来日しました。

アメリカ海軍提督「アーレイ・バーク大将」でした。


彼はかつての敵国、日本のラバウル方面海軍最高司令官の草鹿中将が
公職追放により、鉄道工事現場でツルハシを持って働き
 「やっと食べて生きている」
という話を耳にし、同じ立場にあった軍人とし居ても立ってもいられなくなり、
匿名で食料を送ったのでした。


 すると数日後、草鹿本人が怒鳴り込んで来た。

 「侮辱するな!アメリカ人の世話にはならない!」


それだけ言って出て行った草鹿に
バーク大将は日本人の精神に敬意を払うとともに、
バーグ自身も草鹿の立場だったら、同じ事をしたに違いと感じたのです。


朝鮮戦争時、日本の帝国ホテルに宿泊した時、
ホテル従業員はバーグの荷物を直ぐに持ち、接待しようとしたのですが、
これを拒否していました。


実はバークは筋金入りの日本人嫌いでした。

それは日米戦争によって、バークの親友や部下が命を奪われたからでした。

バークの心には、敵国日本への激しい憎悪感がありました。


そのバークが宿泊した帝国ホテルの部屋は、
殺風景な部屋で何の飾りもないものでした。

そこで、バークは一輪の花を買ってコップに差したのでした。

ところが、翌日バークが部屋に戻るとコップに差してあった花が、
花瓶に移されていました。

そこで、バークはホテルに
「何で勝手に花瓶に花を移したのか」
と苦情を訴えたのです。

しかし、ホテル側は分からないという回答でした。


数日後には、その花瓶には新しい花が生けられていました。
花はその後も増え続けは部屋を華やかにしました。

この花を飾ったのは、部屋のメイク係の日本人女性でした。

彼女は乏しい給料の中から花を買いバークの部屋に活けていたのです。


その行為に対しバークがチップを払おうとしたのですが、メイク係は

「お金は受け取れません。
 私はただお客様に心地よく過ごしていただきたいと思っただけです」

と受け取らなかったのでした。

このメイク係の身上を知ったはバークはさらに驚きました。戦争未亡人でした。


夫を戦争で失った女性がメイク係として、
アメリカ人を嫌わずその花をいけていたのでした。
しかも、その女性の夫は駆逐艦艦長でした。


ソロモン海戦で戦死されたという話を聞いた、バークは
「ご主人を殺したのは私かもしれない」
とメイク係女性に謝罪しました。


ところが、未亡人の女性はこう述べました。
提督が何もしなかったら、提督が戦死していたでしょう。
提督は何も悪い事はしてはいません。


この時バークは「この違いは何なんだ」と考え、
日本人の心意義と礼節を知り、バークは親切には親切に答える、
という考えに至りました。


特筆すべきは、バーク氏は一刻も早く、アメリカの日本占領を終わらせ、
日本独立をアメリカ政府に働きかけました。

加えて戦後5年には日本の平和を維持するため、日本海軍の再建を説いたのです。


アメリカ国内では当時反日感情高まる中、
バークは日本の海上自衛隊の発足に尽力を尽くされ、
日本海軍機の旭日旗の使用も認めました。


その後バーク氏はアメリカ海軍作戦部長に就任し、
日本に対しアメリカ最新鋭機の哨戒機を提供してくれました。

そのバークの功労に日本は、日本最高位の勲章

  「勲一等旭日大綬章」

を贈りました。

バーク氏は1991年96歳で亡くなりましたが、
そのバークのご遺体の胸につけられた勲章は日本から送られた

「勲一等旭日大綬章」

の勲章だけでした。

それは、バークの遺書によるもので、
その遺書には日本への感謝と尊敬が書かれいてたそうです。


そして時は流れ、東日本大震災発生当時たまたま、
太平洋沖で演習中のアメリカ海軍部隊が
日本支援のため駆けつけてくれたのでした。


アメリカ空母、ロナルド・レーガン艦長が指揮する、
作戦には2万4000人の将兵、190機の航空機、24隻の艦艇が
直ちに日本震災の救助に向かったのです。


その時の空母、ロナルド・レーガン艦長はトム・バーク大佐でした。

あの、日本海自を再建した。

バークの孫だったのでした。

そのバーク大佐は何と、艦隊の指揮を副官に任せて、
艦長自らが救援物積んだヘリを操縦し日本の避難所を飛びまわりました。


 トム・バーク大佐が見た日本の風景

こんな中、救援物資積んだヘリが着陸しようとすると、
世界中では、どんなことが起きるか知っていますか?

食料の奪い合いが起こり、もしかしたら、ヘリへの銃撃も起こります。


しかし、日本では食料の奪い合いは一切なく
トム・バーク大佐の操縦するヘリはヘリが着陸しやすいその場所を確保し
ヘリが着陸すると、被災者が荷下ろしを手伝い、
全員が飛び立つヘリにお礼をして見送りました。


正に先人のおかげです。

日本人の礼節によって東日本大震災のトモダチ作戦が成功したのでした。

万が一にも、先の大戦で日本が卑怯な振る舞いや戦後、
アメリカ軍人に無礼な振る舞いをしていたならば、
トモダチ作戦は実現もされませんでした。


日本の英霊たちが日本を今も守り続けています。

         <感謝合掌 令和3年7月1日 頓首再拝>

「こんなにコントロールされた五輪見たことない。日本はすごい」 - 伝統

2021/08/10 (Tue) 04:42:21


      *Web:スポーツ報知(2021.08.09)より抜粋

(1)東京で57年ぶりに開催された五輪は8日、国立競技場で閉会式が行われ、
   17日間の戦いに幕を下ろした。

   新型コロナウイルスの影響で史上初めて開催が1年延期となり、
   緊急事態宣言下の東京を中心に、日本が獲得したメダルは
   金27、銀14、銅17となり、前回のリオデジャネイロ大会の41個を
   上回る史上最多58個を記録した。

(2)多くの心を打つ瞬間に出会えた。

   空手形で沖縄初の金メダリストとなった喜友名諒。
   試合後、彼は武道館の畳の真ん中で一礼し、亡き母に勝利を報告した。

   その場面には少し続きがある。

   立ち上がった彼は、無観客の四方のスタンドに深々と礼をした。
   ガッツポーズをするでもなく、笑みを浮かべるでもない。

   ただあらゆるものへの感謝を、武芸者らしい所作に込めたのだった。

   五輪は祭典や祝祭と言い換えられる。
   祭りは本来、神様や季節への感謝をささげる儀式だ。

(3)海外から来たお偉いさんの中には、
   徐々に彼らの心情にも変化が起きていたという。

   「今までこんなにコントロールされた五輪は見たことがない。
    日本はすごい」というふうに。

   そういう空気をつくったのは、
   ひとつにはボランティアや警備の人たちだったろう。

   彼らとあいさつを交わすたびに思ったものだ。
   派手な供応がなくとも、ここに「おもてなし」があるではないか。

https://news.yahoo.co.jp/articles/0de85027482912f824d8f8cdb827ee04578c25b5

         <感謝合掌 令和3年8月10日 頓首再拝>

海外42選手が日本へ「アリガトウ」 五輪公式の感謝映像に海外反響「素晴らしい大会」 - 伝統

2021/08/15 (Sun) 04:46:40


        *Web:THE ANSWER(2021.08.14)より抜粋

「私たちは#Tokyo2020を決して忘れない。
 私たち世界中のアスリートと五輪のファンから

 -これを可能にしてくれた、日本にどうもありがとう」


「日本にどうもありがとう」

「すごくかっこいい」

「素晴らしい大会を開催し、数多くのメダルを獲得した日本、よくやったね!」

「この大変な時期に大会をやり遂げたことは、ただただ凄い」

「五輪と、国籍や性別関係なく応援してくれたサポーターにありがとう。
 みなが幸せで平和になりますように」

「ボランティアと働いてくれた人々にありがとう!!!」

「どのスポーツも楽しく見ていたよ! Arigato Japan」

https://news.yahoo.co.jp/articles/fca568326ba83ccbc36cff6ea1d9ed046e6880d7

         <感謝合掌 令和3年8月15日 頓首再拝>

幸運な文明 - 伝統

2021/08/20 (Fri) 04:13:21


      *『幸運な文明。日本は生き残る』竹村公太郎・著より

(1)桓武天皇はその危険な鬼門の侵入口を防御するため、
   比叡山に延暦寺の創建を命じた。

   そして、その延暦寺に僧侶群を構えさせ、鬼門を見張らせ、長岡京を守らせたのだ。

   その比叡山が見張るべき長岡京の鬼門は、「逢坂」であった。

(2)戦国の世を制するためには、上洛しなければならない。
   上洛するためには、この狭い逢坂峠を通らなければならない。

   織田信長が琵琶湖を制した直後、比叡山焼き討ちに向かったのは当然であった。

   京への入り口である逢坂峠を自由に行き来する。

   それが、信長の比叡山焼き討ちの目的であった。

(3)文明存続にとって、人々が自由に交流し、
   情報を交換することは必須である。

   人々が出会う情報交換の中で、新しい知が生み出される。

   その新しい知が、未来の文明を切り開いていく。

(4)自由な交流が制約され、
   人々の出会いと情報交換が貧弱になれば、文明は必ず衰退していく。

(5)江戸時代、江戸からの強烈な情報発信システムが存在した。

  ①書籍、言葉、絵画、芝居、服装、流行と
   あらゆる情報が江戸から発信されるシステムがあった。

   日本列島の人々はその情報システムを受け入れていった。

   その情報システムとは「参勤交代」であった。

  ②一つの言語で話す民の強さ。

  ③江戸時代の260年間、
   参勤交代は江戸の情報を全国津々浦々へともたらした。

   全国各地の人々は領主が持ち帰る江戸の文化を吸収し真似した。

  ④山と海と川で分断された土地に生きる日本人たちは、
   もともと情報好きだった。

  ⑤江戸からの最高級の情報は圧倒的な力を持ち、
   人々は江戸の文化に染まっていった。

   もちろん、話し言葉もだ。

(6)世界史でもまれに見る権威、権力、情報の一極集中が形成された。
   全国から人々が東京に集まり、同じ日本語で話した。

   分散していた知恵と富が集中し、
   その総力が日本を封建社会から国民国家へと変身させた。

(7)日本語という一つの言語で話す日本人たちは強かった。

   半世紀後の1940年には世界の列強と戦い、武力で負けると、
   その30年後の1970年は、
   米国に次ぐ世界第2位の経済大国にのし上がった。

・・・

<参照>

「オフグリッドの世界と、その可能性」~コミュニティ編~(2017.11.20)
https://nextwisdom.org/article/2050/

         <感謝合掌 令和3年8月20日 頓首再拝>

【日本人とYAP遺伝子】 - 伝統

2021/08/30 (Mon) 02:55:13


【日本人とYAP遺伝子】<預言>今日本人は何を知り、何をすべきか?
予言&預言ざんまい(2021/08/27)
https://www.youtube.com/watch?v=MSZGM5QxQLM


【日本人とユダヤ人との驚愕の関係】世界の始まりは日本から?
予言&預言ざんまい(2021/08/28)
https://www.youtube.com/watch?v=yuvMLpy0GD4

・・・

<参照>
世の中の秘密☆~親切遺伝子....Dの一族~
https://beauty.hotpepper.jp/slnH000239164/blog/bidA034530933.html

日本列島の古代史
https://genryu.org/tanaka/rohen/rohen527.pdf

YAP遺伝子は日本人特有もの!宇宙人や神とも関係がある?その特徴は?
https://entertainment-topics.jp/143497

         <感謝合掌 令和3年8月30日 頓首再拝>

【日本がすばらしい国である証明は自動販売機】 - 伝統

2021/09/11 (Sat) 04:47:59


      *メルマガ「日本一元気」(2021.09.08)より

東京2020オリンピック・パラリンピックも閉会し、
全世界から日本へやってきたアスリートやメディア、関係者の方々も、
それぞれの国へと帰られました。

コロナ禍において、制限された形での、
海外からのお客様ということで、
今回は日本の良さを伝えるということはなかなかできませんでしたが、

コロナ以前は、インバウンドということで、
多くの観光客が日本を訪れ楽しんでいただいていました。


海外から日本を訪れた方は、
総じて日本を好きになってくれることが多いようですが、

外国の方から見ると日本に対する驚きも、たくさんあるようです。


その中でしばしば言われているのが、

「日本には自動販売機がいたるところにある」

ということです。


言われてみてはじめてわかることですが、
海外には自動販売機が日本ほどありません。

日本は、国土面積、人口比でみると、
世界一の自動販売機大国なのだそうです。

飲みものだけでなく食べもの、
タバコやその他雑貨などいろいろあります。

日本は治安が世界でもトップクラスでよいので、
自動販売機の商品やお金が盗まれることがない、
というのが、たくさん自販機がある理由のようです。


最近は麺類の自販機、仏像、焼き芋、ポップコーン、金魚など、
珍しい自販機が話題になることもあるようです。


いずれにしても、安心安全な社会があってこそ、
自動販売機が成立するのであって、
わが国の誇るべき機械であるなと思うところです。

         <感謝合掌 令和3年9月11日 頓首再拝>

日本の「世界一」10個 - 伝統

2021/09/30 (Thu) 04:26:26


     *Web:NewSphere(2021.09.05)より抜粋

(1)歴史ある企業の数が世界一!

  ①創業から1世紀を経てなお現在も営業している企業の数は、
   日本に3万社以上ある。世界規模で見ても最多の数であり、
   2位アメリカの2万社弱を大きくリードしている。

   誕生から1世紀を経た世界中の企業のうち、
   およそ4割が日本に集中している形だ。

  ②日本最古かつ世界最古の企業は、
   飛鳥時代に創業し社寺建築を担ってきた大阪の金剛組。

   <参照>
   ・伝統板・第二「日本の国柄、日本的経営」
    ~https://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7545189

   ・伝統板・第二「素晴らしい日本」「世界最古の企業~金剛組」(2019/08/15)
    ~https://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7895021

   ・伝統板・第二「素晴らしい日本②」「日本最古の企業「金剛組」」
    ~本スレッド内(2021/03/30 )

(2)国歌の短さ

   ゆっくりと雄大なリズムで歌い上げる『君が代』は、
   文字に起こしてみると実は世界で最も短い国家となる。

   和歌の5・7・5・7・7のリズムを基本に、
   3句目を字余りの6音とした構成だ。

   歌詞のついた国歌のなかでは最短の歌となる。

   <参照>

   ・光明掲示板・第一「国歌 「君が代」 」
    ~http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=109 

   ・伝統板・第二「国歌「君が代」」
    →http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6569352

   ・伝統板・第二「国歌・君が代 ②」
    ~https://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7773257

(3)ミシュラン星付きのレストラン数(東京)

  ①ミシュランは格付けにあたり、
   素材のクオリティ、料理のテクニック、独創性、価格づけの適正さ、
   そして提供される料理の一体感を基準としている。

  ②東京の名店には、この基準を満たしミシュランをうならせる、
   質の高いレストランが揃っているようだ。

(4)自動車メーカーの販売実績~2020年の自動車の販売実績

  ①世界第1位:トヨタ(日本)
  ②世界第2位:フォルクスワーゲン
  ③世界第2位:ルノー・日産・三菱アライアンス

(5)赤ちゃんの安全性

   ユニセフのデータによると、
   日本は新生児が命を落とす割合が世界で最も低い国になっている。
   その危険度はかなり低く、1111人に1人という割合だ。
   2位アイスランドの1000人に1人と比べても1割ほど低い。

(6)人口あたりの病床数

  ①経済協力開発機構(OECD)がまとめた統計によると、
   人口1000人あたりの病床数は13.0床となり、主要7ヶ国でトップの数字だ。
   2位ドイツの8.0床と比べても突出している。

  ②病院の数もOECD加盟国中で最も多く、8400ほど存在する。
   2位アメリカを3000ほど上回っている。

(7)パスポートの便利さ

   日本のパスポートを持っていれば、
   別途ビザの取得なしに193の国と地域を訪れることができる。

(8)駅の利用者数
  
   鉄道利用者の面で世界一となっているのが新宿駅だ。
   1日平均359万人が利用する駅として、2018年にギネス記録に認定された。

(9)世界最長の歴史を持つ王室

  ①日本の皇室は、世界最古の王朝としてギネスブックに記録されている。

  ②一つの国名を一貫して維持してきた王朝としてはほかに類を見ない長さを誇る。

(10)ヨーロッパで最も喜ばれる旅行者

  ①日本人のマナーの良さには定評があり、
   ヨーロッパの国々で最も歓迎される旅行者となっている。

  ②部屋を汚さないのはもちろんのこと、
   マナーの良さや礼儀正しさが好評を得ているという。

https://newsphere.jp/list/10_things_japan_leads_the_world/

         <感謝合掌 令和3年9月30日 頓首再拝>

【感動秘話】日本人船長が見せた気概! - 伝統

2021/10/13 (Wed) 04:50:23

【感動秘話】日本人船長が見せた気概!
欧米人の偏見を打ち砕いた知られざるエピソード!
【海外の反応】日本のうわさ(2021/09/21)
https://www.youtube.com/watch?v=YNEdqsdoWkA

         <感謝合掌 令和3年10月13日 頓首再拝>

参勤交代と云う情報システムが幸運な日本文化を作った - 伝統

2021/11/16 (Tue) 04:42:11


       *『幸運な文明。日本は生き残る』竹村公太郎・著 より

(1)文明存続にとって、人々が自由に交流し、
   情報を交換することは必須である。

(2)人々が出会う情報交換の中で、新しい知が生み出される。
   その新しい知が、未来の文明を切り開いていく。

(3)自由な交流が制約され、人々の出会いと情報交換が貧弱になれば、
   文明は必ず衰退していく。

(4)江戸時代、江戸からの強烈な情報発信システムが存在した。

   書籍、言葉、絵画、芝居、服装、流行と
   あらゆる情報が江戸から発信されるシステムがあった。

   日本列島の人々はその情報システムを受け入れていった。

   その情報システムとは「参勤交代」であった。

(5)一つの言語で話す民の強さ。

(6)江戸時代の260年間、
   参勤交代は江戸の情報を全国津々浦々へともたらした。

   全国各地の人々は領主が持ち帰る江戸の文化を吸収し真似した。

(7)山と海と川で分断された土地に生きる日本人たちは、
   もともと情報好きだった。

   江戸からの最高級の情報は圧倒的な力を持ち、
   人々は江戸の文化に染まっていった。
   もちろん、話し言葉もだ。

(8)世界史でもまれに見る権威、権力、情報の一極集中が形成された。
   全国から人々が東京に集まり、同じ日本語で話した。

   分散していた知恵と富が集中し、
   その総力が日本を封建社会から国民国家へと変身させた。

(9)日本語という一つの言語で話す日本人たちは強かった。

   半世紀後の1940年には世界の列強と戦い、武力で負けると、
   その30年後の1970年は、
   米国に次ぐ世界第2位の経済大国にのし上がった。

         <感謝合掌 令和3年11月16日 頓首再拝>

「江戸しぐさ」 - 伝統

2021/11/26 (Fri) 04:42:06


     *Web:精神世界の叡智
          ~「江戸しぐさ」完全理解

雨の日に互いの傘を外側に傾げ
濡れないようにすれ違う「傘かしげ」

腰をこぶし分浮かせて席を詰め
空席をつくる「こぶし腰浮かせ」

人様の足を踏んでしまったら素直に謝り
踏まれたほうもこちらこそという「うかつあやまり」

これらは、人口100万人の大都市であった江戸の町方のリーダーたちが、
互いに気持ちよく共生するために築き上げた、
人づき合いの心構えを形にした「江戸しぐさ」の一例です。


徳川家康が江戸幕府を開府して百年も経たぬうちに、
日本各地から押し寄せた人々で江戸は百万人の大都市になりました。

城下町の江戸を動かしたのは、
ものを生産する匠とそれを販売する商人たちでした。

この町方のリーダーたち(町衆)は、
江戸がいつまでも平和で、争いやいじめが起きないように、
共倒れせず、異文化の人々が仲良く共生するためには
どうすればいいのか知恵を絞りました。

そのためにはまず、上に立つ者が古典を学び、人間研究を徹底して、
互いに思いやり助け合い、たった一度の人生を、
気持ちよく楽しく暮らすためにはどうしたらいいのかを考え、
ついに心構えをその具体的な行動に示していきました。

やがて、みんなが見よう見まねでそのようなしぐさをするようになり、
せずにはいられない江戸っ子のくせ(江戸しぐさ)となっていったのです。

江戸しぐさの根底には、互助共生の精神がもとになっています。

この江戸しぐさにおける共生とは、
自立した人々が対等に誇りをもって生きていく、
つまり互角に向き合える、言い合える、つき合える
という精神を築き上げ、江戸の発展、平和の一因になっていったのです。

https://spiwisdom.com/japan/spirituality/edoshigusa

         <感謝合掌 令和3年11月26日 頓首再拝>

【世界が憧れた日本人の生き方】 - 伝統

2021/12/08 (Wed) 04:47:19


       *メルマガ「人の心に灯をともす」(2021.12.06)より

   (天野瀬捺(せな)氏の心に響く言葉より…)

   《子供は厳しいしつけの下で教育される。
    小学校には男女ともそろって入る。
    ここでは読み書きと祖国の歴史の基礎が教えられる。》

           (ヴィルヘルム・ハイネ・画家/1853年来日)


   絵画の才能が認められ、 スケッチ画家として世界各地へ遠征した
   ヴィルヘルムは行く先々で風景や文化を描いていった。

   その頃のアメリカでは、マシュー・ペリー提督が日本へ遠征をする
   という話題でもちきりになっていた。

   これに強く興味を持ったヴィルヘルムは、
   ミラード・フィルモア大統領に直接、日本遠征への参加を願い出る。

   時代はカメラが普及する以前のこと、
   遠征先の風景を描写するスケッチ画家の存在は欠かせなかったため、
   ヴィルヘルムの希望は見事かなえられたのである。


   ヴィルヘルムは、江戸の町へと入り、あちこちを観察するなかで、
   寺小屋での教育風景にとりわけ強い印象を抱いている。

   義務教育ではなかった当時、
   寺小屋での教育はまったくの個別指導であり、
   生徒一人ひとりのペースにあわせた主体性重視の学習指導が行われていた。

   一説によると、19世紀の識字率はロンドンが30パーセント、
   パリが10パーセントであったのに対して、
   1850年頃の江戸の就学率は80%前後であったと言われている。


   日本の寺子屋の特徴はその総合的な人間教育にあり、
   俗に言う「読み書きそろばん」に留まらず、
   そこに集まる人間との交流から、立ち居振る舞いや、
   将来人に仕える身となるのにふさわしい行動様式を学ぶことにある
   と言われる。

   701年に制定された「大宝令」のなかには
   既に教育に関する法律「学令」が存在したとされ、
   寺子屋教育はその伝統的継承だと推測される。


   寺子屋には、幼児から中学生まで、様々な年齢の子どもたちが集まった。

   ヴィル ヘルムは、バラバラな年齢層の子どもたちが
   熱心にそれぞれに相応の勉強をしている様子に強く興味を覚え、
   その場に座り込んでつぶさに観察、熱心にスケッチした。

   ヴィルヘルムは45歳のとき、
   ドイツ帝国が成立したことを受けてドレスデンに帰郷。

   以後彼は、日本での経験をまとめた
   『日本−土地と住民研究』の執筆に取り組み、
   死ぬ間際まで日本のことを世界に紹介しようと努めたのであった。

     <『世界が憧れた日本人の生き方』ディスカヴァー携書
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              ・・・

本書の中にあった、他の外国人たちの賛辞の言葉…


《気持ちよく挨拶する》

荷物を担いでいる人たちは、裸に近い恰好だった。

肩に竹の支柱をつけ、それにたいへん重い運搬籠を載せているので、
その重みで支柱の竹筒が今にも割れそうだった。

(中略)

かくも難儀な仕事をしているにもかかわらず、
この人たちは常に上機嫌で、気持ちのよい挨拶をしてくれた。

(グスタフ・クライトナー ・軍人/外交官・1878年オーストリアより来日)




《礼儀作法として笑いを絶やさない》

笑いは日本人の礼儀作法の一つである。

道すがら出会う人びとはみな 気持ちがよく、顔に笑いをたやさない。

(エドモンド・コトー・ジャーナリスト/1881年フランスより来日)




《いつでも陽気である》

日本では、誰もがすっきりとして、満足そうで陽気な表情をしていて、
イライラしたり、むっつりした顔には一つとして出会わなかった。

(シェラルド・オズボーン・軍人/1858年イギリスより来日)




《立場の弱い人に親切にする》

老人や盲人はまったくその子どもたちから養われる。

そして死ぬまで敬われ、孝養をつくされる。

(イザベラ・バード・紀行作家/1878年イギリスより来日)




《慎ましやかな物質的満足感で生活する》

日本人は何と自然を熟愛しているのだろう。

何と自然の美を利用することをよく知っているのだろう。

安楽で静かで幸福な生活。

大それた欲望を持たず、競争もせず、
穏やかな感覚と慎しやかな物質的満足感に満ちた生活を
何と上手に組み立てることを知っているのだろう。

(エミール・ギメ ・実業家/1876年フランスより来日)




《自然の循環のなかに生きる》

農民の仕事はとても大変なのに彼らは自然と格闘しているようには見えません。

彼らは、むしろ、成長しては滅びることを繰り返して
永遠に再生し続ける自然界の一員であり、

そしてまたこの循環のあらゆる過程を美しいものとして味わうことができる
優れた感受性を持っている人たちなのです。

(キャサリン・サンソム ・外交官夫人/1928年イギリスより来日)




《教育で人格を養う》

日本のサムライは、ずいぶんと高度の教育を受けていた。

これは、この国の武家階級のみならず、
ほかのすべての階層に属する者にもかなりの程度まで当てはまることである。

だがその教育は、ただ試験に合格するとか金儲けに役立つ
といったことを目的としたものではなく、人格を陶冶することにあった。

(ヘンリー・ダイアー ・技師/教育者・1873年イギリスより来日)




当時、日本を訪れた外国人たちの数々の賛辞。

果たして、現代の日本にこの賛辞に値する者たちが、いったい何人いるだろうか…

かつての日本にあった古きよき価値観や風習。


今一度、日本人の生き方を学び直したい。

         <感謝合掌 令和3年12月8日 頓首再拝>

【縄文の心が日本人のルーツ】 - 伝統

2022/05/11 (Wed) 07:13:41


       *<メルマガ「人の心に灯をともす」(2022.05.06)より

   (育成会横浜病院医院長、長堀優(ながほりゆたか)氏の心に響く言葉より…)

   1998 年、青森県外ヶ浜町にある大平山元遺跡において発見された
   土器の中には、 推定1万6千5百年前とされたものがありました。

   紛うことなき世界で最も古い土器です。

   さらには、縄文時代に埋葬された人骨からは
   まったく争った跡がありませんでした。

   つまり、縄文という時代が、豊かな風土と食に恵まれ、
   世界にも類を見ないほどの 高度な文明を築き、
   1万年以上にわたって集団で人が殺しあうことのなかった
   平和な時代であったことがわかってきたのです。


   その暮らしを支えていたものが、「霊性に根差した生き方」でした。

   この縄文の心が、日本人の精神性のルーツであり、
   縄文の日本人が追い求めた平和な社会、豊かな自然、
   多様なものの共存、すべての人々の幸せ、
   このような価値観こそが、今のこの世界に求められているものなのです。


   とはいっても、今の物質文明をすべて否定する必要はありません。

   しかしながら、皆が利益の奪い合いをしているうちに、
   今の物質文明はすっかり行き詰まってしまったようです。



   今の時代こそ、縄文の昔よりこの日本で受け継がれてきた
   「調和」や「見えない世界と共存する心の豊かさ」、「死生観への理解」
   そして「日本人の祈りの感性」を思い出すときなのです。

   あのダライラマ法王が来日した際に、日本という国について
   「これほど “祈り”を捧げる場所がある先進国は他にない」と語っています。

   確かに、日本のあらゆる場所には神社や仏閣があり、
   自然の中では山や滝も祀られ、道端にもお地蔵さんが祀られていて
   あらゆる場所で祈りを捧げられるのが日本という国です。
  
   これほど先進的なテクノロ ジーに溢れた国でありながら、
   いにしえからの祈りの場が大切に守られている、
   これはまさに奇跡以外の何ものでもありません。


   もちろん、西洋科学も否定する必要はありません。

   日本人はこれまで生理学・医学や 物理学の分野でノーベル賞を
   数多く授与されてきているように、

   東洋的な精神性を尊ぶ感性をもちながらも、
   西洋科学を理解する理性と知性を有していることが明らかです。

   この東洋的な感性と西洋的な理性・知性を
   バランスよく持ち合わせている日本人の感覚が、
   先の見えないこの唯物的な世界をリードするためには、
   より重要になってくるはずです。

   限界を迎えた現代社会の未来を考えるには、
   西洋的な物質中心の世界と、東洋的な目に見えない世界とが
   調和し、共存しうる生き方を模索していくしかないからです。


   「では、日本人として、どんな生き方をすればいいの?」
   という方もいらっしゃるでしょう。

   でも、答えは簡単です。

   ごくごく普通に日本人と して行動していけばいいのです。

   たとえば、私たちが毎日話している日本語を考えてみましょう。

   主語がなくても成り立つ日本語を話す日本人は、
   自己主張が抑えられ、調和の精神が豊かになると言われます。


   驚いたことに、外国人も日本語を学ぶと
   協調性が養われ、優しくなるのだそうです。

   日本人は、民族的にも争い事をせずに協調性や調和を大切にしてきました。

   謙虚さを美徳とし、「自分が一番!」と主張するメンタリティも
   強くはありませんが、その精神性は、日本語の力により養われてきた
   とも言えるわけです。

   つまり、日本語を話しているだけで、世界平和に貢献できているのです。


   これは素晴らしい ことではないでしょうか。

   国際社会においても、日本人としての感性を大切にする
   “普通の日本人”であればいいわけです。

   たとえば、サッカーのワールドカップにおいても、
   観客席のゴミを拾って帰るだけで世界は驚嘆し、
   また、あの3・11の後でもパニックにならずにお店の行列に並ぶだけで、
   世界は記事を配信するのです。

         <『いのちのヌード』VOICE https://amzn.to/3kEzfkt

             ・・・

本書は、それぞれがスーパードクターでありながら、
目に見えない魂の世界にも関心を持ち、時に伝統医療を離れ、
体と心にアプローチしているドクターたちの言葉がつまった本です。

本書の副題にある「ヘンタイドクター」とは、
世の中の固定観念から解き放たれ、
医療界からの常識や固定観念からも自由になっているドクターたちのことです。


本書の中に登場する先生は…

◆整形外科医として活躍し、その後米国でカイロプラクティック医の資格も取り、
 帰国後、人類の封印を解き地球人を覚醒させるという使命に気づいた、
 松久正(ただし)先生。

◆弁護士でありながら代替(だいたい)医療の分野でドクターとして活躍し、
 不食を実践することでも知られている秋山佳胤(よしたね)先生。

◆産婦人科医でありながら、「胎内記憶」の専門家でもある池川明先生。

◆「虫歯は治る」という常識外れの考え方を啓蒙している
 歯科医の梅津貴陽(たかはる)先生。

◆整形外科医で人工関節手術のエキスパートでありながら、
 瞑想家としてもスペシャリストの巽(たつみ)一郎先生。

◆消化器外科で病院の院長先生というポジションでありながら、
 日本人が新・地球人として目覚める大切さを教えてくれる長堀優(ゆたか)先生。


混沌とした現代…

縄文の心を大切に、
西洋文化と同時に、東洋的思想を融合できる人でありたいと思います。

         <感謝合掌 令和4年5月11日 頓首再拝>

銀河連合から日本の皆さんへのメッセージ - 伝統

2022/05/14 (Sat) 10:22:47


      *Web:Jのあっちもこっちも(2022年05月14日)より抜粋


エリザベス・エイプリルとおやき♡たいやきの初ライブ対談(2022年5月3日配信)
パート5〜超重要!!銀河連合からあなたへ〜
Makana Spiritual(2022/05/13)
https://www.youtube.com/watch?v=M1KCDF8hQE0


オーケー!

すごく興味深い!

確かに日本の皆さんへのメッセージを受け取ったわ。

日本の土地についてもね。

すごく興味深いの。

「神聖」って言葉を何度も聞かされたの。

日本の土地はとても神聖で
そこにある資源も神聖で
そこに住む人たちも神聖で
人々の信仰も神聖で

ただたくさんの神聖なエネルギーが日本にはあるの。


で、何が起こったかっていうと、ずっと昔、おそらく…

日本という国が形成される時、
ある星の兄弟姉妹がその地にやってきたみたい。

で、哲学を創り出したり、インフラを構築したり、
農業を発展させたり、土地と人々を拡大させるために、
彼らは宇宙からやってきたの。

彼らは古代の知恵と神聖な知識を、ある宇宙の星から持ってきたの。

そして、この伝統は、とっても神聖な伝統として、長い間守られてきたの。

そして、ある時… かなり前なんだけど、
闇の影響力のようなものが入ってきたの。

そして、その影響っていうのは、
政府的な、構造的な形で日本に入ってきたように感じるの。

そして、日本の多くの神聖な部分を奪っていったの。

だから、今何が起こってるかっていうと…

なぜ今この情報が入ってきたかっていうと、
おやきのチャンネルを見てる人たち、この対談を見てる人たちが、
土地の神聖さ、知識と伝統の神聖さを取り戻すことが重要だってことに
本当に気づかなきゃいけないからなの。

だから、日本古来の伝統を見つめ直すことをお勧めしたいの。

違いは分からないけど…

宗教もそうなのかも。

そこからも何か引き出せるものがあるかも。



そうね。

ある特定の知識や情報を日本に持ってきた人たちがいて、
彼らは自分たちがチャネラーだとか、どこからその情報を得たかは
言ってないと思うんだけど、本当に星の人々と繋がってたの。

だから、もしかしたらそのことを探求するのも重要なのかも。

日本の神聖さとか、古代の伝統についての動画も配信できるかも。

そうやって取り戻していくの。



そして、もう一つ受け取ったメッセージっていうのは、
神聖さを尊ぶことによって、土地に敬意を表すことなの。

だから、日本や日本の美しい風景、
そこにいる人々に本当に感謝を捧げることなの。


それから、そうね・・・、波動の低い人はどこにでもいるんだけど、
土地や人々、そして失われた情報に感謝の気持ちを持てば持つほど、
自分自身の波動が高くなっていくの。

その感謝の気持ちを広めていくことができるの。

これって北米でよく目にすることなんだけど、伝統が失われ、情報が失われてるの。

特に先住民族はね。

その神聖さを取り戻すのは、私たちにかかってるの。

敬うこと、儀式、祝福、そして感謝を通してね。

特に日本にそういうものがたくさんあるの。

世界中のどの国よりも、精神性、意識、
リバーシング(出生を再体験する心理療法)の部分で言うと、
日本には提供できるものがたくさんあるの。

今もメッセージを受け取ってるんだけど、
日本にはたくさんの道を示す人々、思想的指導者がいるんだって。

それから科学の分野にも、建築の分野にもいるって。

今、思いを貫こうとしてる人がたくさんいるって。

すごいね。

とっても不思議・・・他にもあるみたい…



これは、日本の都市部に向けられているメッセージなんだけど、
そこにはたくさんの…

なんて言えばいいのか・・・オッケー!

そこにはハイブリッドな人たちがたくさんいるの。

そう言っていいかな?

他の国よりも多いって感じるの。

日本の空間というかエネルギーというか…

何て言ったらいいか分かんないけど、
個性的な人はある意味で尊敬されるし、
安全に、自分の光を輝かせることができるような…

きっと…そういう意味だと思う。

ドイツとかバリとか、アメリカでは、
日本ではあまり感じられないような窮屈さを感じるの。

だから日本には宇宙的な影響がたくさんあって、
地球を本当にシフトさせることを意図して来たボランティアが大勢いるの。

だからこそ、おやきにすごく感謝してるの。

だって英語と日本語の橋渡しをしてくれてるから。



それから、こういう情報を
神聖な土地と神聖な人々に届ける手助けをしてくれてるから。


だから、思い出させてるの。

みなさんがなぜ日本に転生することを選んで来たのかを思い出すために。

https://ameblo.jp/j-out-sider-zzz/entry-12742651637.html

         <感謝合掌 令和4年5月14日 頓首再拝>

日本に生まれてよかった - 伝統

2022/05/18 (Wed) 07:23:54


文太ママのスピリチュアル部屋(2022/05/13)
https://www.youtube.com/watch?v=cHLoMu7CwFo

(以下は抜粋です)

(1)日本は食材が豊富、調味料も豊富。

(2)日本人は自分が食べやすいようにアレンジする。

(3)日本人は工夫をして来た国。

(4)心の楽は求めていいが、
   目先の楽は追うべきではない。

(5)向上心、知性、精神的な落ち着きを
   日本人はバランスよく持ち合わせている。

(6)思いやりの心があって、人様を尊重できるけど、
   自分がどうしたいかをしっかりと持っている人が多い。

(7)国民一人一人が努力を払っている。

(8)魂の段階が上の人が多い。

(9)日本語は語彙・表現が豊富

   → 心の中を伝えられるようになっている。

(10)歴史が長い分、言葉も多く、
   微妙はニュアンスも伝えられる。

(11)自然の美を見るだけの心のゆとりが日本人にはあった。

         <感謝合掌 令和4年5月18日 頓首再拝>

観光地としての魅力No1として日本が評価されました - 伝統

2022/05/29 (Sun) 06:35:11


        *Web:日本経済新聞(2022年5月24日 )より

スイスのダボス会議の主催団体として知られる「世界経済フォーラム」(WEF)は
2年に1度、世界各国の観光資源や交通インフラ、治安などを比較し、
観光地としての魅力をランク付けして発表しています。

24日発表された最新のランキングでは日本が初めて世界1位と評価されました。

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGR23CSE0T20C22A5000000/

ちなみに今回の旅行・観光競争力ランキングのトップ10は
下記のようになっています。

   1位 日本     

   2位 アメリカ   

   3位 スペイン   

   4位 フランス   

   5位 ドイツ   

   6位 スイス

   7位 オーストラリア

   8位 イギリス

   9位 シンガポール

   10位 イタリア

   
コロナ禍前の2019年と比べ円安が進んだことで
外国人の潜在購買力が増していることと相まって、
世界一魅力的な旅行先(日本)へ行きたいニーズは
これまで以上に高まっている可能性があります。

         <感謝合掌 令和4年5月29日 頓首再拝>

世界の起源は日本だった - 伝統

2022/06/07 (Tue) 08:59:06

世界の起源は日本だった…決定的証拠が世界中から見つかる【総集編】
異世界への扉(2022/06/01)
https://www.youtube.com/watch?v=DbybW8F5pVM

         <感謝合掌 令和4年6月7日 頓首再拝>

君が代の予言の意味を知り、あなたの未来を守れ。 - 伝統

2022/06/18 (Sat) 07:17:20

君が代の予言の意味を知り、あなたの未来を守れ。
予言&預言ざんまい(2022/06/16)
https://www.youtube.com/watch?v=MJhfb7ATTWM

         <感謝合掌 令和4年6月18日 頓首再拝>

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