伝統板・第二
神社~今月の言葉 ⑩ - 夕刻版
2019/08/01 (Thu) 19:28:13
【今月の東京神社庁よりのお言葉(令和元年八月)】
昭憲皇太后
日にみたび 身をかへりみし
古(いにしへ)の 人のこころに
ならひてしがな
( http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/inochinokotoba/r0108/ )
<感謝合掌 令和元年8月1日 頓首再拝>
【今月の白山比咩神社よりのお言葉 (令和元年八月)】 - 伝統
2019/08/02 (Fri) 19:21:04
過(あやま)つや 人皆 これを見る
改むるや 人皆 これを仰ぐ
~ 論語 ~
過ちを犯しても、すみやかに改めれば
人々はそれを仰ぎ見るものである。
( http://www.shirayama.or.jp/kotoba/k31.html )
<感謝合掌 令和元年8月2日 頓首再拝>
【北海道神社庁、8月のことば(令和元年葉月)】 - 伝統
2019/08/03 (Sat) 19:37:19
神明を恐れ敬う心あらば
日月の恵みのなどか無からん
~ 加藤重春 ・ 眼前神道案内大全 ~
神さまは眼に見えないから、何してもかまわない
という考え方では、信仰は成り立たない。
それは、自分の心は、外から誰でも見える訳ではないから、
人をだましてやろう、と考えても、一向に差し支えないというのと
同じである。
然し、自分の心だけは、人には見えなくても
人間が何を考えているかは「見通し」ていられる。
それ故、信仰で大切なことは、眼に見えない神に対して、
「慎しみ」の心を以て、神を敬う心を忘れないようにして祈るならば、
必ずや日月(神)のお恵みが、あなたの上にあることは
間違いなしというのである。
(神道百言 一般財団法人神道文化会編より抜粋)
(https://docs.google.com/viewerng/viewer?url=https://hokkaidojinjacho.jp/wp/wp-content/uploads/2019/07/8gatsu01.pdf)
<感謝合掌 令和元年8月3日 頓首再拝>
【今月の東京神社庁よりのお言葉(平成三十年八月)】 - 伝統
2019/08/04 (Sun) 19:50:18
昭憲皇太后(しょうけんこうたいごう)
みがかずば 玉の光は
いでざらむ 人のこころも
かくこそあるらし
(http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/inochinokotoba/h3008/)
<感謝合掌 令和元年8月4日 頓首再拝>
【今月の白山比咩神社よりのお言葉 (平成三十年八月)】 - 伝統
2019/08/05 (Mon) 20:19:54
小事を軽んずる勿れ
~ 老子 ~
(http://www.shirayama.or.jp/kotoba/index.html)
(意味)
普段から些細なことにも気を配り、
一つひとつを大切に扱うことによって
物事を円滑に進めることができるようになります。
( http://www.shirayama.or.jp/kotoba/k30.html )
<感謝合掌 令和元年8月5日 頓首再拝>
【北海道神社庁、8月のことば(平成三十年葉月)】 - 伝統
2019/08/06 (Tue) 18:56:45
日本国中の人は皆、
昔の神の御子孫なれば、
神をあがめ、うやまひ貴むべし
~ 伊勢貞丈家訓 ~
(説明)
神社人は皆な「敬神崇祖」ということを知っている。
この家訓はそれをいったものである。
子供たちに神社の境内を荒すなと、口ではいうが仲々わかってもらえない。
子供たちに神社は「昔の自分たちの祖先をおまつりしている所です。
大切にし、きれいにしましょう」と教えるのもその一つである。
それがわかって初めて、神を敬い、貴ぶことができうr。
「祖先の神さまは、子孫の私たちに生きていく方法を教えてくれたお方です」
という所から、ゆっくり懇々祖先の教えを説くことも必要である。
祖神を天照大御神とすれば、私心(俺がという自分勝手な心)を
持ってはならぬ。
恩親(感謝の心、ありがたいという心)を持つべきである。
お互い不完全なもの同士なのだから、
「お互い許し合え」という心を持つべきである。
(続神道百言 一般財団法人神道文化会編より抜粋)
<感謝合掌 令和元年8月6日 頓首再拝>
【今月の東京神社庁よりのお言葉(平成ニ十九年八月)】 - 伝統
2019/08/07 (Wed) 18:04:31
(現 上皇陛下)
戦(いくさ)なき 世を歩みきて 思ひ出づ
かの難(かた)き日を 生きし人々
(http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/inochinokotoba/h2908)
<感謝合掌 令和元年8月7日 頓首再拝>
【今月の白山比咩神社よりのお言葉 (平成ニ十九年八月)】 - 伝統
2019/08/08 (Thu) 20:08:58
祭(まつ)ること 在(いま)すが如(ごと)くす
~ 論語 ~
( http://www.shirayama.or.jp/kotoba/k29.html )
(意味)
神様とか仏様を祭るときは、そこにそれがいるようにすべきである。
自分の言ったことや行動は神様や祖先から見られているという
意識を持ってお参りをするように心掛けましょう。
<感謝合掌 令和元年8月8日 頓首再拝>
【北海道神社庁、8月のことば(平成ニ十九年葉月)】 - 伝統
2019/08/09 (Fri) 20:05:20
人知れず思ふ心のよしあしも
照らしわくらむ天地の神
~ 昭憲皇太后 御歌 ~
(説明)
明治天皇が進取のご気性で、世界の進展を祈り接せられたのに対し、
昭憲皇太后は細かいみ心で、これに対する心の持ち方を示された。
人々の心が善いか、悪いか。
あるいは善意に出た心か悪意に出た心か。
心の働きというものは、外から見ることは出来ない。
それが「人知れず」である。
自分の心の働きは、自分に心を授けてくれた神だけが知っておられる。
この神を「天地の神」としたところに、人間も天地自然の姿心に接し、
そこからの自然の啓示も大切にせよとの教えがある。
あるいは、「天地の神」の間に宿る真の神の心を見出し、
そのみ心に啓示を受けよと、これを昂める考え方もある。
但し「照らしわくらむ」とあるのは、自分の心を神の心に照応させるならば、
必ず神の啓示が自分の心に通じ、
神からの教え、悟しがあると考えるべきであろう。
但し「思ふ心のよしあし」とあるから、根本は神の啓示を待つ以前に、
自分の心の判断の方がより大切である。
それが善念から出ているのか、悪意から出ているのか。
神に照応すれば、神の心は私たちに何をもとめているのか。
心の持ち方のすべてを示してくれるであろう。
(続神道百言 一般財団法人神道文化会編より抜粋)
<感謝合掌 令和元年8月9日 頓首再拝>
【今月の東京神社庁よりのお言葉(平成ニ十八年八月)】 - 伝統
2019/08/10 (Sat) 19:24:31
正直の頭(こうべ)に神宿る
(意味・説明)
正直な人には、神さまの御加護がある。
正直には嘘偽りのない清らかな心で、清浄を尊ぶ。
我が国でも最も尊い徳目のひとつとされた。
また古来より清浄で正直な心には神霊が宿るとされ、
多くの御加護が授けられると信じられた。
(http://www.otorisama.or.jp/kotoba_pdf/kotoba201608.pdf )
<感謝合掌 令和元年8月10日 頓首再拝>
【今月の白山比咩神社よりのお言葉 (平成ニ十八年八月)】 - 伝統
2019/08/11 (Sun) 19:13:52
飲水思源(いんすいしげん)
~ 中国の故事成語 ~
(http://www.shirayama.or.jp/kotoba/k28.html)
(意味)
水を飲むときは、その一滴を生み出した源に思いを至し、
大自然の恵みに感謝のこころをもって有り難く戴きたいものです。
人生においても同様で、
他人から受けた恩は忘れないようにしましょう。
・・・
北周の詩人・癒信(ユシン)の徴調曲という詞の一部
落其實者思其樹、
其の実を落とす者は其の樹を思い、
飲其流者懷其源。
其の流れに飲む者は其の源を思う。
から、生まれた故事成語【飲水思源】です
(http://fukushima-net.com/sites/meigen/2334)
<感謝合掌 令和元年8月11日 頓首再拝>
【北海道神社庁、8月のことば(平成ニ十八年葉月)】 - 伝統
2019/08/12 (Mon) 19:23:03
正直の頭に神宿る
~ 倭姫命世記 ~
(説明)
原文は、「日月は四州を廻り、六合を照らすと雖も、
須らく正直の頂きを照らすべし」とある。
その心を採ったものである。
正しくするとは 誠一途に生きること、
直くするとは、悪を反省し、少しでも善い方に向かおうと
努力することである。
神はそうした人々の心を喜び、
その人々を必ず見守って下さる
との信仰を述べたものである。
伊勢神道では正直・清浄の二徳を重んじたが、
これはそのうちでも正直の徳を強調したものである。
(神道百言 一般財団法人神道文化会編より抜粋)
<感謝合掌 令和元年8月12日 頓首再拝>
【今月の東京神社庁よりのお言葉(平成ニ十七年八月)】 - 伝統
2019/08/13 (Tue) 20:44:56
和を以て貴しと為す
~ 聖徳太子 ~
お互いの和の心を以て
仲良く努めることが最も尊いことである。
(http://www.otorisama.or.jp/kotoba_pdf/kotoba201508.pdf )
<感謝合掌 令和元年8月13日 頓首再拝>
【今月の白山比咩神社よりのお言葉 (平成ニ十七年八月)】 - 伝統
2019/08/14 (Wed) 18:54:19
足るを知る
(禍(わざわ)いは足るを知らざるよりも大なるはなし)
~ 老子 ~
(http://www.shirayama.or.jp/kotoba/k27.html )
(意味)
足ることを知っていれば、辱(はずかし)めを受けない。
止まることを心得ていれば、危険はないということである。
中国では、昔からこの人生哲学を指針として、戒めを肝に
銘じて乱世に身を全うした人が少なくなかったといいます。
<感謝合掌 令和元年8月14日 頓首再拝>
【北海道神社庁、8月のことば(平成ニ十七年葉月)】 - 伝統
2019/08/15 (Thu) 19:08:15
この年のこの日にもまた靖国のみやしろのことにうれひはふかし
~ 昭和天皇御製 ~
(説明)
靖国神社・護国神社に祀られる英霊は、いかなる覚悟で戦いに臨まれ、
我国の将来をどのように案じながら、そして最愛の家族をいかに
思い乍ら亡くなられたのでしょうか。
昭和天皇は、昭和61年、「八月十五日」のお題で
この御製をお詠みになられました。
戦(いくさ)で散られた御霊への御(おん)思いは、
はかり知れないものがおありでした。
英霊に守っていただいた 国に、 今私たちは生きているのです。
今日を生きる私たちが、英霊に対する慰霊と顕彰の心をもって
我国の歴史を振り返り、素晴らしい国柄を未来へ守り伝えてゆくことを、
考えるきっかけになれば幸いです。
昭和天皇は、昭和63年8月15日、崩御の4カ月半前にも
御製をお詠みになられておられます。
やすらけき 世を祈りしも いまだならず くやしくもあるか きざしみゆれど
・・・
<参考Web:昭和天皇の大御心 崩御の5ヶ月前の『全國戦没者追悼式』
病を押してご出席
https://blog.goo.ne.jp/ginga7788/e/273b79417dec192b0a234fb15611ac29>
<感謝合掌 令和元年8月15日 頓首再拝>
【今月の東京神社庁よりのお言葉(平成ニ十六年八月)】 - 伝統
2019/08/16 (Fri) 19:26:55
人生の最大の幸福は
一家の和楽である
~ 野口英世 ~
人生で最も大きな幸福は
家族が和やかに 楽しく暮らすことである。
(http://www.otorisama.or.jp/kotoba_pdf/kotoba201408.pdf )
<感謝合掌 令和元年8月16日 頓首再拝>
【今月の白山比咩神社よりのお言葉 (平成ニ十六年八月)】 - 伝統
2019/08/17 (Sat) 19:01:34
夏の虫 氷を笑う
~ 荘子 ~
(http://www.shirayama.or.jp/kotoba/k26.html )
(意味)
夏の虫は氷を知らないで、これを見て笑い、
見識のなさを暴露してしまう。
自分の狭い了見で判断すると思わぬ恥をかくこともあるから
気をつけよとの戒めである。
(類)井の中の蛙大海を知らず
<感謝合掌 令和元年8月17日 頓首再拝>
【北海道神社庁、8月のことば(平成ニ十六年葉月)】 - 伝統
2019/08/18 (Sun) 19:36:53
玉襷(たまだすき)かけて祈らな世々の祖(おや)
祖(おや)の御祖(みおや)の神の幸(ちは)ひを
~ 平田篤胤・玉襷 ~
(説明)
親の恩を思うものは、祖先の恩を思う。
祖先の恩を思うものは、祖先を生んでくれた
大御祖(天照大御神)の神のお恵みに思いをいたさねばならぬ。
玉襷(たまだすき)かけて祈るとは、
私は清浄なものであるということを表示したもので、
歴代の祖先から、その大元の御祖先の神に対しても、
真剣に祈るならば、それらの神々は、必ず子孫の自分達に
幸福を与えて下さるであろうとの意です。
(神道百言 一般財団法人神道文化会編より抜粋)
<感謝合掌 令和元年8月18日 頓首再拝>
【今月の東京神社庁よりのお言葉(平成ニ十五年八月)】 - 伝統
2019/08/19 (Mon) 19:08:28
世に生を得るは
事を為すあり
~ 坂本龍馬 ~
人がこの世に生まれてくるのは、何かを成し遂げるためである。
どんなことでも目標を持って生きることが
人生を意義あるものにしてくれる。
(http://www.otorisama.or.jp/kotoba_pdf/kotoba201308.pdf )
<感謝合掌 令和元年8月19日 頓首再拝>
【今月の白山比咩神社よりのお言葉 (平成ニ十五年八月)】 - 伝統
2019/08/20 (Tue) 19:33:37
師友の力を借らず
-師友の御願御尤(ごがんごもっとも)にて、
学者たるものの願う所にて候。
去乍(さりなが)ら道を行うに至(いたっ)ては
自己心上勇猛之務(じこしんじょうゆうもうのつとめ)にして、
師友の力を借るものにては御座(ござ)なく候。-
~ 中江 藤樹 ~
(意味)
学問を求めるには師友をたよりにしても良いが、
聖賢の道を行うことに至っては自分自身の勇猛心をかきたてるもので、
決して師友のちからを借るものではありません。
中江 藤樹
近世初期の儒学者。
近江国高島郡小川村(滋賀県高島市安曇川町)生まれ
私塾「藤樹書院」を開き、門人には儒学(陽明学)を説き、
郷人には「人としての道」を教育善導する。
<感謝合掌 令和元年8月20日 頓首再拝>
【今月の東京神社庁よりのお言葉(平成ニ十四年八月)】 - 伝統
2019/08/21 (Wed) 21:45:55
とこしへに 民やすかれと いのるなる
わが世をまもれ 伊勢のおほかみ
~ 明治天皇 ~
永遠に人々が安らかに暮らせるようにと祈りを奉げよう。
伊勢の大神よ、どうか世の中を守ってください。
『明治天皇御集』
(http://www.otorisama.or.jp/kotoba_pdf/kotoba201208.pdf)
<感謝合掌 令和元年8月21日 頓首再拝>
【今月の白山比咩神社よりのお言葉 (平成ニ十四年八月)】 - 伝統
2019/08/22 (Thu) 21:36:10
道(みち)は爾(ちか)きに在(あ)り
而(しか)るにこれを遠(とお)きに求(もと)む
(道在爾 而求諸遠)
--
~ 孟子 ~
(意味)
人間の踏むべき「道」は、実は日常の身近なところにある。
それを人は「道」を高遠なところに求め、ことさらに難しいことを
ありがたかったり、常識的なことを無視して枝葉末節に走ったりし、
結極は実行できないで終わったりする。
誰にでも実行できて、しかも大事なことは、
たとえば朝「おはよう」と声をかける、
そうしたごく平凡で些細なことにあるのである。
<感謝合掌 令和元年8月22日 頓首再拝>
【今月の東京神社庁よりのお言葉(平成ニ十三年八月)】 - 伝統
2019/08/23 (Fri) 20:55:49
知って行なわざれば
知らずに同じ
~ 貝原益軒 ~
いくら頭で知っていても、実際に行なわなければ、
知らないこととおなじである。
『慎思録』
(http://www.otorisama.or.jp/kotoba_pdf/kotoba201108.pdf )
<感謝合掌 令和元年8月23日 頓首再拝>
【今月の白山比咩神社よりのお言葉 (平成ニ十三年八月)】 - 伝統
2019/08/24 (Sat) 19:35:25
過(あやま)ちて改めざる、
是を過ちと謂う
~ 論語 ~
(意味)
失敗や間違いは誰にでもあることであり、
それ自体は仕方のないことであるが、
大切なのは同じ失敗を繰り返さないことである。
それができないことこそ本当の過ちである。
失敗や間違いを嘆いている暇があれば、
同じ間違いを犯さない方法を考えよう。
<感謝合掌 令和元年8月24日 頓首再拝>
【今月の東京神社庁よりのお言葉(平成ニ十ニ年八月)】 - 伝統
2019/08/25 (Sun) 20:22:45
世々(よよ)のおやの 御かげ忘るな
代々(よよ)のおやは 己が氏神 己が家の神
~ 本居宣長 ~
玉鉾百首の一首。
先祖の恩を忘れてはいけない。
ご先祖さまは自分たちの氏神、家の神である。
常に先祖を敬い感謝をしてこそご先祖様は守ってくださる。
-本居宣長-
享保十五年(1730)~享和元年(1801)江戸後期の国学者。
伊勢松坂の木綿業 小津定利(おづさだとし)の次男。
宝暦十三年(1763)賀茂真淵(かものまぶち)に入門。
さらに上古学に傾注して『古事記伝』を完成。
古道論 『直毘霊(なおびのみたま)』
学問論 『初山踏(ういやまぶみ)』
随筆 『玉勝間(たまかつま)』 などを著している。
※補足
現在は町や地域を守る神社を氏神さまと言うのが慣例になっていますが、
本来そのような神社は産土神社と言い、分かり易く言えば
鎮守さまのことを産土神と言います。
そして氏神とはその一族の祖先神を祀る神社を表す言葉です。
奈良の春日大社は藤原一族の氏神として知られています。
今月の言葉は、ご先祖様はそれぞれの家の祖先神であり、
辿れば氏神様に繋がっている事を説いています。
(https://35635552.at.webry.info/upload/detail/014/418/53/N000/000/000/128057185737516320369.jpg.html)
<感謝合掌 令和元年8月25日 頓首再拝>
【今月の白山比咩神社よりのお言葉 (平成ニ十ニ年八月)】 - 伝統
2019/08/26 (Mon) 19:19:49
士たるは その志にあり
~ 尾藤二州・約山誌集 ~
(意味)
士(紳士)たるものの美しさ、光というものは、
その志(こころざし)の如何にかかるのである。
人間が紳士として尊ばれ、敬われるのは、外形・家柄ではなく
人格・人柄、そして心の持ち方によってきまるものである。
*尾藤二州・・・江戸末期の漢学者
<感謝合掌 令和元年8月26日 頓首再拝>
【今月の東京神社庁よりのお言葉(平成ニ十一年八月)】 - 伝統
2019/08/27 (Tue) 18:59:17
寝ていて人を起こすことなかれ
~ 石川理紀之助 ~
自分の懐手(ふところで)でぬくぬくとしながら、
他の者を追い立てて働け働けとこき使う者がいるが、
それでは人は動かない。
自分は仕事しないで、人にだけそれを求めてはいけない。
*「老農」石川理紀之助
http://www.pref.akita.jp/fpd/meigi/meigi-02.htm
<感謝合掌 令和元年8月27日 頓首再拝>
【今月の白山比咩神社よりのお言葉 (平成ニ十一年八月)】 - 伝統
2019/08/28 (Wed) 18:44:04
不立文字 教外別伝 (ふりゅうもんじ きょうげべつでん)
~ 達磨大師 ~
(意味)
文字や教典に頼らず、心から心へ伝えるということ。
恩師あるいは先生の心・教えを直接耳で聞いて、
身につけて教わり、それを自分自身の心で受け止め、
伝えていくことが大切である。
【達磨大師】
天竺(インド)の僧。
禅宗の初祖と伝えられ、中国に禅宗を伝えた。
日本においては禅宗五家(臨済宗や曹洞宗等)
として伝わっている。
<感謝合掌 令和元年8月28日 頓首再拝>
【今月の白山比咩神社よりのお言葉 (平成ニ十年八月)】 - 伝統
2019/08/29 (Thu) 19:09:35
人 皆 炎熱に苦しめども
我 夏日の長きを愛す
~ 西郷南洲(隆盛) ~
(意味)
夏を迎えて人々は炎熱に苦しんでいるが、
私はお日の出から日没まで、日照時間が長いことにより、
多くの仕事や勉強ができるので嬉しい。
夏の強い日射しは、田畑の稲や野菜に大きな命を育ませてくれる。
鳥や魚や昆虫に至る迄、動物も植物も夏日の長きを喜んで生きている。
私達も元気に朗らかに、
夏日の長きを感謝の気持ちで過ごしたいものである。
<感謝合掌 令和元年8月29日 頓首再拝>
【今月の白山比咩神社よりのお言葉 (平成十九年八月)】 - 伝統
2019/08/30 (Fri) 18:59:01
「功を建て、業を立つるは、多くは虚円の士なり」
(こうをたて、ぎょうをたつるは、おおくはきょえんのしなり)
~ 菜根譚 ~
事業を成功させ、功績を立てるのは、素直で機転のきく人物。
『虚円』とは、既成の考え方や固定観念にとらわれないで、
情勢の変化に柔軟に対応できる資質を意味している。
現代の言葉で言う『イノベーション』(革新)に当たるのではないか。
また、「事を憤り、機を失うは、必ず執拗な人なり」という。
せっかくのチャンスを逸するのは、「強情で融通のきかない人」と云える。
若いうちは「虚円」でも、年をとると「執拗」になりやすい。十分注意すべし。
《菜根譚・・・二巻。明の洪自誠の編。
前編では人との交わり、事のおさめ、編に応ずる道を
後編では、退静閑居を論ずる》
<感謝合掌 令和元年8月30日 頓首再拝>
【今月の白山比咩神社よりのお言葉 (平成十八年八月)】 - 伝統
2019/08/31 (Sat) 18:24:07
内徳なくして人に貴(たっと)びうるべからず
~ 正法眼蔵随聞記 ~
(しょうぼうげんぞうずいもんき)
人間のもつ煩悩を分類して、仏教で「十随眠」と云う。
中でも「貪(むさぼり)・瞋(いかり)・痴(ねたみ)」は三悪として嫌われる。
そのほか「邪見」という煩悩がある。
それは、自分に徳があると思い上がる煩悩である。
平たく申せば、「先生と呼ばれると自分に徳がある」と錯覚する。
黙っていても人の上座に坐ったりする。
自覚して行動すべきことを誡める。
*正法眼蔵随聞記は道元が37才の頃、
宇治の興聖寺にて語ったことを弟子が記したもの
<感謝合掌 令和元年8月31日 頓首再拝>