伝統板・第二

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賢者の一日一言(R元年6月) - 夕刻版

2019/06/01 (Sat) 19:05:56

このスレッドでは、過去に紹介した次のスレッドから、
日々の言葉の数々を再度紹介してまいります。

(1)伝統板・第二「『一日一語』(二宮尊徳) 」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7539379

(2)伝統板・第二「修身教授録・一日一語(森 信三)」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7150729

(3)伝統板・第二「松下幸之助に学ぶ 指導者の365日」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7687044

(4)伝統板・第二「一日一言(坂村真民)」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6747223

(5)伝統板・第二「ひかりの一日一言27~智慧はどうしてくるか」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7575483

            ・・・


賢者の一日一言《1日》

(1)【 6月1日 】天徳に報ゆる

   常に天徳に報ゆる無ければ常に天徳を失う
   常に天徳に報ゆる有れば常に天徳を得る

         〇

   常に文徳に報ゆる無ければ常に文徳を失う
   常に文徳に報ゆる有れば常に文徳を得る

         〇

   常に婦徳に報ゆる無ければ常に婦徳を失う
   常に婦徳に報ゆる有れば常に婦徳を得る

                       (報徳訓)


   【略解】

   すべては感恩報徳の一語に尽きるとの教えです。

・・・

(2)【 6月1日 】人生の歩み方① 

   人間の活動を大体60歳頃までと考えますと、
   そのうち20歳までは志を立てる時代と言ってよく、
   すなわち将来国家社会のために役立つ人間になろうという志は、
   15歳頃から、遅くとも20歳までには確立せねばならぬのです。

   そしてそれから以後の20年は、
   いわば準備期と言ってもよいでしょう。

・・・

(3)【 6月1日 】 大きなことと、小さなこと

   「木野君、
    成功する人は日々の些細なことに注意を払い、
    基本を遵守するという二つの側面を持っているものだ」

   これも幸之助に強く教えられたことの一つです。

   仕事に成功するには、
   小さなことと、
   大きなことの基本的な考え方の二つが大切です。

   平凡なことを疎かにしたり、
   小さな事柄を馬鹿にしたりしていては、
   成功は逃げて行ってしまうのです。

・・・

(4)【 6月1日 】 《六魚庵箴言》

   狭くともいい
   一すじであれ

   どこまでも掘りさげてゆけ

   いつも澄んで
   天の一角を見つめろ

・・・

(5)《1日 不思議な無限の叡智》

   吾々は肉体からいうならば常に死につつあるのである。
   吾々に肉体を構成する細胞、それは生れ、組織をつくり、
   その割り当てられたる仕事をし、やがて死んでいく。

   その死んで行った後の椅子を、新しく生れた細胞が埋め、
   前の細胞が行って来た仕事の引き継ぎをして、
   全体として統一ある仕事が行われるのである。

   新たに生れた細胞は生きていて、仕事を引き継いで、
   継続してその任務とする仕事に従事する“引き継ぎ”は
   如何にして行われるであろうか。

   引き継がおこなわれるためには“心”がなければならないのである。

   細胞から細胞へとその事務引継ぎは行われるのだろうか。
   それとも、中枢からの命令が無線伝導で行われるのだろうか。

   直接その事務引き継ぎが行われるにしても、
   中枢からの命令が無線伝導で行われるしても、いずれにせよ、
   細胞が生きていて、それに“心”があるからこそ引き継ぎができたり、
   中枢の命令が感受できるのだといわなければならないのである。

   或いはそれは“心”によって感受するのではなく、
   電子計算機のように自動的にその引継ぎや命令の伝達が行われるのかも知れない。

   併し尚(なお)、問題は残るのである。
   この極めて微小な、肉眼で見えないほどに小さな細胞に
   電子計算機のような複雑な構造が組み込まれているだろうか。

   若しそうだったら、そのような微小な中に複雑な構想を組み込んだところの
   「創造者」は実に驚くべき叡智を備えた者でなければならない。

   それは到底、吾々人間の脳髄の知恵でできることではないのである。

   脳髄をも造ったところの不思議なる「無限の叡智」それを神というのである。
   吾々はどうしても神の存在を認めなければならないのである。

           谷口雅春著『生活の智慧365章』
            (第2部歓喜の泉)第6篇(P147~148) より

           <感謝合掌 令和元年6月1日 頓首再拝>

賢者の一日一言《2日》 - 伝統

2019/06/02 (Sun) 18:58:15


(1)【 6月2日 】 人道の極み

   予は人に教ふるに、
   百石の者は五十石、
   千石の者は五百石、
   総てその半にて生活を立て其の半を譲るべしと教ふ。

   (中略)

   各々明白にして、
   迷なく疑なし。

   此の如くに教へざれば用を成さぬなり。

   我が教是れ推譲の道と云ふ。
   則ち人道の極みなり。
                    (夜話七七)

   【略解】
 
   まさに単純明解です。迷うことなかれ、疑うことなかれです。


              ・・・

   (伝統板・第二「二宮尊徳(二宮金次郎)③」(1)に収録。<2015/07/16>
      → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6543350 )

・・・

(2)【 6月2日 】 人生の歩み方②

   同時にこの20歳から40歳までの20年間の準備のいかんが、
   その人の後半の活動を左右すると言ってよいでしょう。

   それはいわば花火の玉を作るようなもので、
   どんな花火が出るかは、
   まったくその準備期中の努力のいかんによって決まることです。

   かくして40代と50代という、人間の仕上げ期の活動は、
   それまでの前半生において準備したところを、
   国家社会に貢献すべき時期であり、
   したがって40歳までの準備が手薄ですと、
   40歳以後60までの活動も、
   勢い、薄弱とならざるを得ないわけです。  

・・・

(3)【 6月2日 】 自由自在な智慧(ちえ)も出てこない

   「窮屈な枠の中で、
   窮屈なものの考え方をしていては、
   心の働きも鈍くなり、
   自由自在な智慧も出てこない」

   私が松下通信工業株式会社東京営業所長になった時、
   いただいた言葉です。

   窮地は常にある。
   それを乗り越えていくところに、経営の妙味があるのです。

   矛盾を矛盾としない、経営の自由度を360度にすれば、
   生命の美しい花は咲くのです。

・・・

(4)【 6月2日 】 《試練》

   試練は
   鞭ではない

   愛なのだ
   慈悲なのだ

・・・

(5)《2日 新陳代謝と老衰》

   常に新陳代謝の行われている人体は、或る生理学者の説によると、
   人体の柔らかい部分の組織は、もう2ヵ月もたったら殆ど過去の細胞は死滅して
   運び出され、新しい細胞によって、再組織せられているということである。
   (脳細胞だけは別である。)

   それなのに、その人体の構造や形態が、数ヵ月前の今日(きょう)も全く同じき
   構造をもっているというのは、如何なる理由によるのであろうか。

   それは電子計算機のように自動的にそれが計算されて、
   新しい細胞が自動的に元の位置を占めるからであろうか。

   自動的に、そのような新陳代謝が行われるのだったら、
   全く同じき変わらない構造をもっている人体は老衰し、皮膚はしわみ、
   精力は衰えて行くのは何故であろうか。

   人体の電子計算機が不完全な為なのであろうか。
   それとも、人体は物質であるから、電子計算機でも、
   それが物質で出来ている限りに於て長期間使っているうちには全体が摩耗して、
   ちびて来るからであろうか。

   併し新陳代謝の行われない物質の機械では禿(ち)びて来て長期間には
   使いものにならなくなるのは当然だけれども、

   人体は新陳代謝が行われているから、長期間使用して禿(ち)びて来て
   使いものにならない場合は、その部分は、新しい細胞がその組織を再造してくれるから、
   それだけでは老衰の原因の説明にはならないのである。

        谷口雅春著『生活の智慧365章』
           (第2部歓喜の泉)第6篇(P148~149) より

           <感謝合掌 令和元年6月2日 頓首再拝>

賢者の一日一言《3日》 - 伝統

2019/06/03 (Mon) 18:22:25


(1)【 6月3日 】推譲にも次第あり

   一石の者五斗譲るも出来難き事にはあらさるべし。
   如何となれば我が為の譲なれはなり。
   この譲は教(おしえ)なくして出来安し。

   是より上の譲は、
   この譲は教によらざれば出来難し。

   是より上の譲とは何ぞ。
   親戚朋友の為に譲るなり。
   郷里の為に譲るなり。

   猶出来難きは、
   国家の為に譲るなり。

                (夜話七九)


   【略解】

   分度の推譲にもいろいろある。

   自分のため、
   わが子孫のためは出来やすいが、
   それ以上は教に由る一心決定がある者のみが出来る。


                ・・・

   (伝統板・第二「二宮尊徳(二宮金次郎)③」(3)に収録。<2015/07/18>
      → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6543350 )


・・・

(2)【 6月3日 】人問の3段階

   すべて物事は、
   3段階に分けて考えることができましょうが、

   この場合、最もいけないのは、
   口汚く叱りながら、後になっても、
   一向悪かったと思わない人間でしょう。

   次は事がすんでしまってから、
   「アアまで言わなくてもよかったのに」と後悔する人間。

   その次は、怒りの言葉が出そうになったその瞬間
   「アッここだ!!ここだ!!」 と喰い止める人間というふうに、

   大別してこの3種に岐(わか)れるるでしよう。

   そして最後の、まさに怒ろうとするに先立って
   「イヤイヤここだ!!ここだ!!」 と自ら制し得る人、
   これはよほど修養の至つた人でないと、
   なかなかそこまではいけないですね。 

・・・

(3)【 6月3日 】 心配りの生き届いた仕事

   幸之助は、

   「心配りの行き届いた仕事は、
    一朝一夕には生み出せない。
    やはり日ごろの訓練や躾(しつけ)がものをいう」

   と、社員の教育に力を入れました。

   宮本武蔵は、千回の稽古を「鍛」と言い、
   万回の稽古を「錬」と言って修行しました。

   だから、
   武蔵はピンチに立っても無敗だったのです。

   経営には、
   剣豪のような研ぎ澄まされた、
   経営の勘が大切です。

・・・

(4)【 6月3日 】 《喜びに生きる》

   「すべてのものはうつろいゆく、怠らずつとめよ」という言葉は、
   有名な釈迦の最後のお言葉である。

   わたくしはこのお言葉が大好きで、
   このお言葉を腹中に叩き込んで詩精進してきた。

   修行なくして仏教はない。
   どんなに他力の教えといっても修行を怠ってはならない。
 
   とはいっても何も瀧に打たれたり、断食したりするのを修行というのではない。
   平常心是れ道というように、日々の生活を人間らしく生きてゆくのも立派な修行である。

   そしてそれらはすべて喜びを持って行ってゆかねばならない。
   喜びなくして行うものは、どんな難行を果たしても、よい実を結ぶことはできない。

・・・

(5)《3日 心と生理作用》

   人体の老衰の原因は、単なる物質的機械のような新陳代謝の出来ないものなら、
   「使い禿(ち)びる」で説明されるけれども、

   新しい細胞が常に古い細胞と置き代っているから、
   「使い禿(ち)びる」と説明できないとすれば、
   如何なる理由によるのであろうか。

   ここに物資的原因以外に、“心”をその原因者として
   説明に取り入れなければならないことになるのである。

   “心”というものが吾々人体の生理作用に非常な影響を与えるもの
   であることを考慮に入れなければならなくなるのである。

   ちょいと羞恥の感情を起せば顔は赤くなるし、恐れればふるえるし、
   悲しめば涙が出る。梅干を見れば唾液が湧く。

   このように機械的な電子計算機の調節のほかに、
   人体には、精神的要素によって生理作用の異なってくる要素がある
   ことが明らかである。

   老衰の原因も、心の要素を考慮に入れるとき説明し易くなるのである。

   或る人は心の鑿(のみ)をもって老衰をきざみ、
   或る人は心で血行や新陳代謝を盛んならしめて、
   その老衰をふせぐことができるのである。

   『甘露の法雨』には

   「若(わか)しと思うものは若返り、
   老いたりと思うものは老い朽(く)つるも宣(むべ)なるかな」

   と示されている。

        谷口雅春著『生活の智慧365章』
         (第2部歓喜の泉)第6篇(P149~150) より

           <感謝合掌 令和元年6月3日 頓首再拝>

賢者の一日一言《4日》 - 伝統

2019/06/04 (Tue) 18:42:23


(1)【 6月4日 】守成また雑し

   創業は難し、守るは易しと。

   守るの易きは論なしといへども、
   満ちたる身代を、
   平穏に維持するも又難き業なり。

   警(たと)へば器に水の満ちて、
   之を平(たいら)に持て居れと、
   命ずるカごとし。

                (夜話一四二)


   【略解】

   創業はもとより難しいが、
   この守成もまたある面で難しい。

   後継者は、
   心して身心の姿勢を正して取り組むほかないでしよう。

                 ・・・

    (伝統板・第二「二宮尊徳(二宮金次郎)④」(9)に収録。<2015/10/28>
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6543350 )

・・・

(2)【 6月4日 】忍の極致

   ある一人のお弟子が、
   梅岩先生に
   「忍ということの極致はどういうものでしょうか」
   とお尋ねしたところ、

   梅岩先生答えて曰く
   「忍は忍無きに至ってよしとす」
   と言われております。

   すなわち忍耐の理想は
   「やれ我慢する」の「やれ忍耐する」のという意識がなくなって、
   それが何でもない、至極当たり前となるのが理想だと言われたのです。

   これは、
   いかにもそれに相違ないですナ。
   実に千古の名言と言うべきでしよう。

・・・

(3)【 6月4日 】 一歩一歩の歩みが大切
 
   「人生には、
    カメのような歩み、一歩の歩みが大切。
    二歩、三歩いっぺんに飛ぼうとすれば失敗する」

   と、よく叱られました。

   幸之助は、
   「歩一会(ほいちかい)」
   という社員の会を作っていました。

   一歩・一歩の歩みの重要性と、
   「社員と歩みをともにする経営」
   を大切にしていたのです。

・・・

(4)【 6月4日 】 《手を合わせる》

   手を合わすれば
   憎む心もとけてゆき
   離れた心も結ばれる

   まるいおむすび
   まるいもち
   両手合わせて作ったものは
   人の心をまるくする

   両手合わせて拝んでゆこう

・・・

(5)《4日 人類全体の総合された想念》

   機械的な磨滅や使い禿(ち)び以外に老衰の原因が心にあるとすれば、
   その心は「個人の心」であるか、「人類の心」であるか
   ということが問題になってくるのである。

   その心は「個人の心」でもあるし、「人類の心」でもある。
   人類全体の総合された想念が人類意識というのである。
   人類意識の中に「人間は幾歳になったらこれほど老衰する」という共通総合の想念がある。

   個人の意識は人類意識の黒潮の中を泳いている一尾(いっぴき)の魚みたいなもので、
   自由意志もあり、欲する方向に運動する自由もあるのだけれども、
   やはり人類意志全体の潮流の方に動かされることは避け得られない。

   黒潮に乗って一定の方向に黒潮の色と同じの背の蒼い魚が群れをまして泳いで行くように、
   人類全体の「人間は必ず老衰する」という潮流に押し流されながら、
   人間も群れをなして老衰の方向に進んでいくのである。

   ただ潮流の流れを、その人がどの程度「人間は神の子で、老いない」
   という想念によって逆泳し得るかによって、その人の若さの持続が異なるのである。

         谷口雅春著『生活の智慧365章』
          (第2部歓喜の泉)第6篇(P150~151) より

           <感謝合掌 令和元年6月4日 頓首再拝>

賢者の一日一言《5日》 - 伝統

2019/06/05 (Wed) 17:59:48


(1)【 6月5日 】根のカ

   樹木を植えるに、
   根を伐る時は、
   必ず枝葉を切り捨つべし。

   根少なくして、
   水を吸う力少なければ枯るる物なり。

   大いに枝葉を伐りすかして、
   根のカに応ずべし。
   然(し)かせざれば枯るるなり。

                  (夜話一四五)

   【略解】

   樹木の植え替えと同じく、
   生活経済力に変動のあるときは、
   大いに暮らし方を縮小すべきです。

                   ・・・

   (伝統板・第二「二宮尊徳(二宮金次郎)④」(12)に収録。<2015/11/04>
      → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6592962 )

・・・

(2)【 6月5日 】自分の位置を知る

   我々人間は、
   一足飛びにニ階へは上がれないように、
   結局は一つ一つ階段を登っていく外ないでしょう。

   そして最も大事な点は、
   現在自分の立っている段階は、
   全体の上から見て、おおよそ何段目くらいかということを、
   はっきり自分で承知しているということででしょう。

・・・

(3)【 6月5日 】 声なき声に耳を傾ける努力が必要
 
   幸之助は私が再建会社の代表になった時に注意すべきこととして、
   次のように話をしてくれました。

   「最高責任者には、
   本当のことを言ってくれる社員は少ない。
   それだけに、
   声なき声に耳を傾ける努力が必要だ」と。

   「声なき声を聴くために、耳が二つある。
   見えないものを見るために、目も二つある。
   口は一つなのは、
   指導者には二言あってはならないということなのだ」 

   と、厳しく教えてくれました。

・・・

(4)【 6月5日 】 《本ものの道》

   この道はあきることはない ―― あきる道は本ものではない。
   この仕事はあきることはない ―― あきる仕事は本ものではない。

   あきない道だから、あきない仕事だから、
   いつも新しく、いつも生き生きしている。

・・・

(5)《5日 寿命の延長》

   「老衰しない」ということと、その人の此の世の寿命が尽きて
   霊界に誕生することとは別であるのである。

   その人の地上の寿命というものは、その人の魂が、地上の任務に赴任する時に
   あらかじめ定められたる赴任期間というものであって、大体その人の赴任期間は、
   その人の赴任が発令されたときに定(さだ)まっているのである。

   それは会社の社員は外国へ出張赴任を命ぜられるとき
   大体その赴任期間が定(さだ)まっているのとよく似ている。

   しかし海外でその社員が予定以上の成績をあげたとき、会社ではその社員を、
   も少し其処に駐在せしめた方が会社によって利益だと考えられるときには
   出張滞在期間が延長されることがある。

   それと同じように、その人が地上生活を営んでいるうちに、
   自己の霊的進歩に成績をあげると共に、その人の周囲の人々の魂の進歩に
   一層成績を挙げるとみとめられる場合には、地上生活の任期は延長せられて、
   一層長生きを享受せしめられることもある。

           谷口雅春著『生活の智慧365章』
            (第2部歓喜の泉)第6篇(P151~152) より

           <感謝合掌 令和元年6月5日 頓首再拝>

賢者の一日一言《6日》 - 伝統

2019/06/06 (Thu) 19:34:54


(1)【 6月6日 】贋(にせ)の学問

   学者書を講ずる、
   悉(くわ)しといへども、活用する事を知らず。

   いたずらに仁は云々、義は云々と云へり。

   故に社会の用を成さず。
   ただ本読みにて、
   道心法師の誦経(じゅきょう)するに同じ。

                   (夜話二一三)

   【略解】

   真の学者とニセ学者との違いを指摘されました。

                 ・・・

   (伝統板・第二「二宮尊徳(二宮金次郎)⑤」(26)に収録。<2016/04/24>
      → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6754248 )


・・・

(2)【 6月6日 】学校のみにたよらず

   なるほど学校には、
   学校独持の長所のあることは申すまでもありません。

   しかしながら、
   人は決して学校だけで完成されるものではないのです。

   人間としての深みや味わいは、
   学校のみにたよらず、常に他の半面、
   自ら自己を築いていく覚悟によって得られるものです。

・・・

(3)【 6月6日 】 信念を持つ
 
   うまくいかない人は、
   成功するとすぐに有頂天になり、
   失敗すると絶望したりします。

   人生に何ら信念もなく、
   力強い志もなければ、
   人間はことあるごとに迷ってしまうのです。

   何のために仕事をするのか、
   自分の使命は何か。

   経営理念を軸に、
   王道の経営をやれば、
   悔いることはまったくないのです。

・・・

(4)【 6月6日 】 《こころ》

   こころを持って生れてきた
   これほど尊いものがあろうか

   そしてこのこころを悪く使う
   これほど相すまぬことがあろうか

   一番大事なことは
   このこころに
   花を咲かせること

   小さい花でもいい
   自分の花を咲かせて
   仏さまの前に持ってゆくことだ

・・・

(5)《6日 長生きと霊魂の高下》
 
   長生きする者、必ずしも霊魂の進歩が高いと云うにはきまっていないのである。

   地上の修行が完了しないために、
   いつまでも同じ学級にとどまらせられているために、
   地上生活が長引いている如き長生きもある。

   つまり4か年に卒業するはずの大学を7年間もかかって
   卒業するのんびりした学生もあるようなものである。


   長生き必ずしも《のんびり》ではない。

   10数年間も、或は20数年間も病苦と闘いながら、
   その受苦(といっても、それは学課であるが)の本当の意義がわからないために、
   尚寿命が尽きず、苦しみながら此の世の生活を終え得ない霊魂もあるのである。


   しかしまた霊魂がみずから進んで苦痛の科目を励むことによって、
   急速に霊魂の進歩を得べく、肢体不完全に生れて来たり、
   小児麻痺の後遺症で肢体不自由の中で修行している高級な霊魂もある。


   ただ一概に、長生きだとか、健康だとかで、
   その人の霊魂の高下を判断することはできないし、
   病苦であえいでいるからとて魂が低いという訳でもないのである。

        谷口雅春著『生活の智慧365章』
          (第2部歓喜の泉)第6篇(P152) より

           <感謝合掌 令和元年6月6日 頓首再拝>

賢者の一日一言《7日》 - 伝統

2019/06/07 (Fri) 19:56:58


(1)【 6月7日 】譲の道(一)

   終身労して、
   安堵の地を得る事能はざるは、
   譲る事を知らず、
   生涯己が為のみなるが故に労して功なきなり。

   たとひ人といへども、譲の道を知らず。

   勤めざれば、
   安堵の地を得ざる事、禽獣(きんじゅう)に同じ。

                    (夜話一七七)

   【略解】
 
   人生最後の安心立命は利他の行いすなわち推譲の行いの如何にあると言えましょう。


                ・・・

   (伝統板・第二「二宮尊徳(二宮金次郎)④」(44)に収録。<2016/01/16>
      → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6592962 )

・・・

(2)【 6月7日 】自修の人

   とにか人間は、

   「自己を築くのは自己以外にない」

   ということを、
   改めて深く覚悟しなければならぬと思います。

   すなわち、我々の日々の生活は、

   この「自分」という、
   一生に唯一つの彫刻を刻みつつあるのだということを、

   忘れないことが何より大切です。

   そしてこれすなわち、
   真の「自修の人」と言うべきでしよう。

・・・

(3)【 6月7日 】 善循環の発想を

   幸之助は、
   「不況なお良し」と、
   不況の時に大きく飛躍しています。

   「不況は自分の心の内にあり、
   外側の環境にはないのだ」
   と、教えられました。

   この時代を悲観的に解釈すれば、
   経済の動きに一喜一憂せざるを得ません。

   多くの人が自信をなくしていますが、
   私は幸之助の教えこそ今の世の中を救うとさえ思っている一人です。

   すべては生成発展という善循環の始まりの発想を持つべきでしょう。

・・・

(4)【 6月7日 】 《知ること》

   世界中のこと、
   男女のこと、
   その他いろいろのことなど知らなくてもいいのだ。

   限りのないことだもの。

   それより一つのことをはっきりと知った方がいい。

   愛とは何か。
   神とは何か。
   仏とは何か。

   生と死とは。
   己とは。

   その何れの一つでもいい。
   納得のいくまで知ることが大切だ。

・・・

(5)《7日 高級霊にも色々の等級がある》

   霊魂の品等(ひんとう)には色々の段階があるのであって、
   高級霊と称せられる者のうちにも色々の品等がある。

   まだ受苦を必要とする如き程度の高級霊は、
   苦痛や業の存在をみとめている程度の高級さであって、
   まだ地上の修行を必要とする段階の高級さであるのである。

   地上の修行を必要とするからこそ地上生活の受苦を選んでいるのである。

 
   霊魂の高級さが高くなるに従って、もう受苦の必要はなくなるし、
   また受苦をみずから進んでしなくなるが、しかし斯くの如き霊といえども、
   すべて彼らが生きている限りに於て働く使命があるのである。

   過去の善業の上に胡坐(あぐら)をかいて働きを怠ることは許されないのである。

   若し働きを怠るようなことがあると、
   摂理の手が再び地上誕生の霊的流動の上にのせて
   苦しみつつ働かねばならぬような境遇のところへ生れ変らせることになるのである。

          谷口雅春著『生活の智慧365章』
           (第2部歓喜の泉)第6篇(P153) より

           <感謝合掌 令和元年6月7日 頓首再拝>

賢者の一日一言《8日》 - 伝統

2019/06/08 (Sat) 18:45:40


(1)【 6月8日 】譲の道(二)

   仍(よっ)て人たる者は、
   智慧は無くとも、
   力は弱くとも、
   今年の物を来年に譲り、
   子孫に譲り、

   他に譲るの道を知りて、
   能く行けば、
   其の功必ず成るべし。

   其の上に又恩に報(むく)うの心掛けあり。
   是れ又知らずば有るべからず。
   勤めずば有るべからざるの道なり。

                    (夜話一七七)

   【略解】

   人問として大事なことは推譲と報恩の心がけとも言えましょう。


                ・・・

   (伝統板・第二「二宮尊徳(二宮金次郎)④」(44)に収録。<2016/01/16>
      → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6592962 )

・・・

(2)【 6月8日 】時問はつくるもの

   諾君らのうちには、
   「今は学生時代で、学科に追われて読書などできないが、
   しかしそのうちに卒業でもしたら、読書もするつもりだ」
   などとのんきなことを考えている人もあるようですが、

   しかし現在学科におわれて読書のできないような人に、
   どうして卒業後読書などできるはずがありません。

・・・

(3)【 6月8日 】 今やるべきことをやる

   幸之助の発想の原点は、宇宙根源の法則です。

   太陽は東から昇り西に沈みます。
   つまり大自然の運行のように我々の経営にも代え難い法則が存在するのです。

   しかし大きな視点だけで経営をしたのではありません。
   現実を見据え、今やるべきことは何かを決して忘れない人でした。

   今日一日、この一瞬に、明日を作る力があるのです。
   成功は、瞬間決算の積み重ねです。

・・・

(4)【 6月8日 】 《闇と苦》


   闇があるから
   光がある

   苦があるから
   楽がある

   闇を生かせ
   苦を生かせ

・・・

(5)《8日 読書百遍の意味》

   宇宙には、吾々がそれから避けることの出来ない法則があるのである。
   それは、原因あれば必ず結果があるという法則である。
   それは物質界に於てもそうであるが精神界に於てもそうであるということである。

   そして精神界と物質界との連関に於ては、
   想うことは物質界に実現する原因となるということである。
   一切の文化的産物は人間が「想う」ことによって生み出されたのである。

 
   「想うこと」も、その「想い」が強烈でなければ、
   それは潜在的に蓄積されたままであるが、

   その蓄積が次第に増強されて来るときには、
   突如として強烈なる内圧力となって
   外界にそれが現れて来ることになるのである。

   「読書百遍意おのずから通ず」という諺があるが、

   「人間神の子」の思想も、
   『生命の實相』を精読すること幾十回を重ねるにしたがって、

   「人間神の子」の想念が
   潜在意識に愈々多く蓄積されついに爆発的な力となって、
   その想念が現象的に具体化することになるのである。

         谷口雅春著『生活の智慧365章』
          (第2部歓喜の泉)第6篇(P153~154) より

           <感謝合掌 令和元年6月8日 頓首再拝>

賢者の一日一言《9日》 - 伝統

2019/06/09 (Sun) 19:27:23


(1)【 6月9日 】大海航海の術

   世上一般、
   貧富苦楽をいひ、
   噪(さわ)げども世上は大海の如くなれば、
   是非なし。

   只水を泳ぐ術の上手と下手とのみ。
   時によりて風に順風あり逆風あり。

   海の荒き時あり穏やかなる時あるのみ。
   されば溺死を免(まぬ)がるるは、
   泳ぎの術一つなり。

   世の海を穏やかに渡るの術は、
   勤と倹と譲の三つのみ。

                    (夜話一五九)

   【略解】
 
   人生の大海を無事平穏に航海する秘義は、
   勤労・節倹・推譲の三大原理の実践にあるとされる。


                    ・・・

   (伝統板・第二「二宮尊徳(二宮金次郎)④」(26)に収録。<2015/12/04 >
      → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6592962 )

・・・

(2)【 6月9日 】心にすが入らぬように

   諸君らが今日忙しさに口実を求めて、
   何ら自発的な読書をしないということは、
   すでに諸君らの心にすが入りかけている何よりの証拠です。

・・・

(3)【 6月9日 】 協調と対立

   ある時、
   幸之助に競争という質問を投げかけました。

   市場経済の中で、
   共存共栄は果たして可能なのか、
   その確信が無かったからです。

   幸之助は
   「協調も大事だが、
   対立や競争の中から新しい知恵や発想が浮かぶ」
   と考えていたようです。

   良い意味の闘争心は、
   新商品作りのエネルギーとなり、
   事業発展の基礎となるのです。

・・・

(4)【 6月9日 】 《妥協》

   決して妥協するな
   妥協したらもうおしまい

   一番恐ろしいのは
   自己との妥協だ

   つねに鞭うち
   つねに叱咤し
   つねに前進せよ

・・・

(5)《9日 泣き面に蜂》

   想念は、その想われている内容が、やがて実現するだけではなく、
   「類(るい)をもって集まる」又は「波長の合うものは感応する」という法則によって、
   その想われている事柄以外に、その想念に波長の合う番組(出来事)を
   次から次へと実現すること、テレビの受像機のようになるのである。

   このことを古人は知っていたので「泣き面に蜂」というような諺があるのである。

   すなわち、ある悲しい事件が起こって泣いていると、その悲しい事件ではなく、
   また別の、併(しか)しその悲しみに波長の合う色々の
   「痛い出来事」が引きつづいて襲って来ることになるのである。

   だから悲しい事件が見舞って来たときほど
   その悲しみの感情から早く脱却しなければならない。

           谷口雅春著『生活の智慧365章』
            (第2部歓喜の泉)第6篇(P154~155) より

           <感謝合掌 令和元年6月9日 頓首再拝>

賢者の一日一言《10日》 - 伝統

2019/06/10 (Mon) 20:00:46


(1)【 6月10日 】心眼を開く

   夫(そ)れ天地の真理は、
   不書の経文にあらざれば、
   見えざる物なり、

   此不書の経文を見るには、
   内眼を以て、
   一度見渡して、
   而(しか)して後肉眼を閉ぢ、
   心眼を開きて能く見るべし、

   如何なる微細の理も見えざる事なし、
   肉眼の見る処は限あり、
   心眼の見る処は限なければなりと。

                       (夜話四五)

   【略解】
 
   肉眼だけでは天地の理法は見えない。
   心眼をもってしなければ天地の理法は永遠に門戸を開いてくださらないとの意。


                  ・・・

   (伝統板・第二「二宮尊徳(二宮金次郎)②」(7)に収録。<2015/06/14 >
      → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6511555 )

・・・

(2)【 6月10日 】人問の幅は読書で決まる

   いやしくも自分の前途を展望して、
   将来ひとかどの人物になって活躍しようと思うなら、

   今日から遠大な志を立てて、
   大いに書物を読まねばならぬでしよう。

   それというのも、
   一人の人間の持つ世界の広さ深さは、
   要するにその人の読書の広さと深さに、
   比例すると言ってもよいからです。

・・・

(3)【 6月10日 】 人を育てるということ

   「人を育てるということが、
   経営者としてなによりも大事なことである」

   松下幸之助は、
   モノを創る前に、
   人を創ると人材教育を大切にしていました。

   人材育成で、大事なことは,
   仏法の「桜梅桃李(おうばいとうり)」の原理です。

   桜は桜、梅は梅です。
   個性をのばしたとき、創造性が生まれるのです。

・・・

(4)【 6月10日 】 《前向き人生》

   人生は一度きり

   だから
   ころんでも
   立ちあがり

   前向きに
   生きてゆくのだ

・・・

(5)《10日 悲しみはこらえず、これを転換せよ》

   悲しみの感情から脱却すると云うことと、
   悲しみの感情をこらえて内部へ押し込んでしまうこととは異なるのである。

   こらえて内部へ押し込んでしまった感情は、それが消えないで、
   所謂る「抑圧感情」と称せられるところのものとなって、
   それがある程度以上蓄積されると

   具象化して病気を引き起こす原因となるのである。

   そこで悲しみの感情は、単にこらえて押し込むだけではなく、
   その感情を他(た)の方向へ誘導し光明化したものとしなければならない。

   即ち不幸が起こって来たときに、

   「この不幸は不幸ではないのであって、幸福に到達するための途中の踏み石である」

   と思い返すか、

   「この不幸は過去の業が形にあらわれて消え行く姿である。
   過去の業が消えたあとには幸福が来るほかはないから有り難いのである」

   と念ずるがよいのである。

           谷口雅春著『生活の智慧365章』
            (第2部歓喜の泉)第6篇(P155) より

           <感謝合掌 令和元年6月10日 頓首再拝>

賢者の一日一言《11日》 - 伝統

2019/06/11 (Tue) 19:37:18


(1)【 6月11日 】親への孝

   人の子たる者は宜(よろ)しく父母の心を安んずるを以て要と為すべし。

   苟(いやし)くも父母の心を安んぜんと欲すれば
   宜しく心を正しうし身を修むべし。

                            (語録一五八)

   【略解】
 
   かねてより「孝は百行の基(もとい)」と言う。

   また「孝は神明に通ず」とも言う。

   また「眼を閉じてトッサに親の祈り心を察する者これ天下第一等の人材なり」
   (徳永康起)と。

・・・

(2)【 6月11日 】ヒントは書物の中に

   諸君が将来何らかの事に当たって、必要の生じた場合、
   少なくともそれを処理する立場は、
   自分がかつて読んだ書物の中に、
   その示唆(しさ)の求められる場合が少なくないでしよう。

   つまりかつての日、内心の要求に駆られて読んだ書物の中から、
   現在の自分の必要に対して、解決へのヒントが
   浮かび上がってくるわけです。

・・・

(3)【 6月11日 】 商売の秘訣の1つは即断即決

   商売の秘訣の1つは即断即決、
   しかし、
   合わせて3度念を押す慎重さも必要です。

   幸之助は、
   いつも即断即決していました。
   それが出来たのは、
   いつもその仕事のあるべき姿を求めてブレなかったからです。

   また、
   それまで何回も何回も、
   考えて考えて、決断していたのです。

   宇宙の大きな視点と、
   3度念を押す慎重さこそ商売の秘訣です。

・・・

(4)【 6月11日 】 《自力》

   求めよ、さらば与えられん。
   叩けよ、さらば開かれん。
   自力でやるのだ。

   権利だけ主張する根性はいかん。

   仏さまから貰ってばかりいる者は、
   本当の仏さまの御恩を知らない。
   だからわたしは、過保護的な今の行政をあまり尊く思わない。

   けんめいに求めなくちゃならん。
   けんめいに叩かなくちゃならん。

   そういうものが、今の日本には少なくなった。
   衰微衰亡は、そういうところから始まる。

・・・

(5)《11日 難有り、有り難し》

   不幸が来るごとに、これで過去の業が消滅し、
   今後好転の運命を刻む自分になったのであり、

   謂わば、この不幸は、幸福への曲がり角だと観ずることができれば、
   どんな不幸がやって来ても、失望落胆することはなくなる筈である。

   このように考えを転ずることに成功するならば、
   どんな不幸や困難がやって来ても、もう大丈夫である。

 
   これは悲しみの感情を抑圧することではなく、
   その感情を方向をかえて光明の方へ誘導するのであるから、
   もう悲しみが悲しみではなく、悲しみが光明に変質してしまっているのであるから、
   それは将来、不幸を現象化する原因が消えたことになっているのである。

   だから黒住教祖は「難有り、有り難し」という風に漢字をまじえて
   解り易く説明されているのである。

         谷口雅春著『生活の智慧365章』
          (第2部歓喜の泉)第6篇(P156) より

           <感謝合掌 令和元年6月11日 頓首再拝>

賢者の一日一言《12日》 - 伝統

2019/06/12 (Wed) 20:50:39


(1)【 6月12日 】不動の徳

   日夜炎炎たる欲情の中にあって殻昧として動かざるは不動の徳なり。

   能く不動の徳を修むれば何の家を喪い国を亡すことか之あらん。

                             (語録ニニ九)

   【略解】

   尊徳翁はひそかに成田の不動尊にて、
   水浴断食修行に従事し、
   不動の徳を誓願せられたのです。

・・・

(2)【 6月12日 】人問としての嗜(たしな)み

   諸君らは、傘をさして歩く時は、
   斜に肩にもたせ掛けたりなどしないで、
   柄を垂直にしてさすものです。

   また天気になったらキチンと畳んで、
   柄の先が地面を引きずらないようにするのです。

   なお、
   雨の降っている際に傘なしで歩く場合は、
   前かがみになったり、チョコチヨコ走りをしないのです。

   これは「葉隠」という書物にも出ていることです。 

・・・

(3)【 6月12日 】 説得力を生む基本は

   説得力を生む基本は、
   これが正しいのだ、
   こうしなくてはいけないのだ、
   という強い信念なのです。

   自分の使命は何か、どう生きるべきか、

   幸之助は、
   松下の経営理念に反していないか、
   常に自己観照していました。

   すべての判断基準が経営理念だったのです。
   「君は松下の経営理念に反している」と、
   いつも叱られていました。 

・・・

(4)【 6月12日 】 《どうしたら救われるか》

   どうしたら救われるか
   木に聞いてみた

   木は答えてくれた
   気を充実させることだと


   こんどは石に聞いてみた
   意思を強くすることだと言う


   つぎには鳥たちに聞いてみた
   鳥たちは異口同音に
   すべてを任せることだと

   これには深く感動した

・・・

(5)《12日 幸福の鍵は何処にあるか》

   若しあなたに「どんな幸福の扉でも開く鍵があるのですが、
   あなたはそれを欲しくありませんか」と言われるならば屹度あなたは
   「本当にそんなものがあるならば、それを得たいものだ」と思われるでしょう。

   その鍵は決して金属でできているものでも、
   楠(くすのき)や檜(ひのき)の板で出来ているものではありません。
   そんな物質で出来ているものは結局はこわれるものであります。

   虫食い錆びくさるものに幸福を求めてはならないと教えられました。

   その鍵は“霊的なもの”で出来ているのです。
   そして他物(たぶつ)にそれを求めても得られるものではなく、
   自分自身の内にその鍵があるのです。

   その鍵を『生命の実相』と呼ぶのです。

   それは必ずしも書籍の名前ではありません。
   『生命の實相』の本はその鍵の在所(ありか)を示した本ですから
   そのように名づけたのです。

   その鍵はすべての人が自己の内にもっている万人具有の鍵であります。
   人間の生命(せいめい)のうちには「無限」が宿っているのです。
   その無限に気がついたとき、その人はその鍵を発見したのです。

   自分自身の生命のうちに「無限」が宿っている、何という素晴らしい事でしょう。

        谷口雅春著『生活の智慧365章』
         (第2部歓喜の泉)第6篇(P156~157) より

           <感謝合掌 令和元年6月12日 頓首再拝>

賢者の一日一言《13日》 - 伝統

2019/06/13 (Thu) 19:01:45


(1)【 6月13日 】わが助貸法

   叔世(しゅくせい)国家の患は荒蕪(こうぶ)と負債とにあるのみ。

   苟(いやし)くも此の二患を除かんと欲すれば我が助貸法に若(し)くはなし。

   (中略)

   苟くも我が法に頼らば以て荒蕪負債の二患を除き、

   国家をして豊寧(ほうねい)に帰せしむべきなり。

                        (語録二八四)


   【略解】
 
   荒蕪とは、荒れはてた土地。
   負債とは、借財で、

   この荒地と借財が、
   国家の二大病患で、

   これを除去するには、
   助貸法すなわち無利息貸付法が唯一の対策であるとされた。

   叔世とは末の世。

・・・

(2)【 6月13日 】人間の知恵

   人問の知恵というものは、
   自分で自分の問題に気付いて、
   自らこれを解決するところにあるのです。

   教育とは、
   そういう知恵を身に付けた人間をつくることです。

・・・

(3)【 6月13日 】 熱意だけは最高でなければならない

   経営者は、
   経営に対して熱意だけは最高でなければなりません。

   「この子は、熱心な子でしてね」
   と、幸之助は、
   私を紹介する時にいつも言っていました。

   後でわかったことですが、
   これは褒め言葉だったのです。
   「熱意がすべてだ」と。

   熱意が人の心を動かし、会社を動かすのです。
   指導者は熱意だけでは最高でなければなりません。

・・・

(4)【 6月13日 】 《いのちの張り》

   大切なのは
   いのちの張り

   恐ろしいのは
   この喪失

   懸命に
   一途に
   鳴く
   虫たちの
   声声

・・・

(5)《13日 「コトバの力」の正しい使い方》

   自己の内に「幸福を開く鍵」が宿っていることを知っても、
   その鍵をどのように使えば本当に「幸福の扉」が開くか、その使い道を知らなければ、
   鍵はありと知りながらも、その扉を開くことができないでしょう。

   その鍵を動かす力は“コトバの力”によるものです。

   その力をどちらへ回転するか、どの方向へ向けて動かすかによって、
   どのような大きな幸福がおとずれるか、小さな幸福しか与えられないかの
   相違がでて来るのである。

   時には“コトバの力”を逆回転させると、
   そこから不幸が飛び出して来ることもあります。

   “コトバの力”は双刃(もろは)の剣(つるぎ)であり、
   自己が間違えば自己が斬られ、敵が間違えば敵が斬られるのです。

   それは十字であり、×(ななめ)となる時は「必殺」であり、
   正しく構えるとき「復活」である。

   “コトバの力”を順に廻すということは、
   人を称(ほ)め讃(たた)える称賛の言葉を使うことであり、
   自己の受けたる恩恵を感謝する言葉を使うことである。

   称讃と感謝の方向に鍵を廻転する事が大切である。

         谷口雅春著『生活の智慧365章』
           (第2部歓喜の泉)第6篇(P157~158) より

           <感謝合掌 令和元年6月13日 頓首再拝>

賢者の一日一言《14日》 - 伝統

2019/06/14 (Fri) 19:05:54


(1)【 6月14日 】貧民の救済

   村長若(も)し謙譲を主とし、
   奢を禁じ、約を守り、分を縮し財を推(お)し、

   以て貧民を済わば則ち貧民感動し、
   歆艶(きんえん)依頼の念消して、

   勤労を厭(いと)わず、
   悪衣悪食を恥じず、
   分を守るを以て楽と為す。

   然らば則ち汚俗を洗い、
   廃邑(はいゆう)を興す、
   何の難きことか之れあらん。

                     (語録二九〇)


   【略解】
 
   歆艶依頼の念とは、
   むさぽり、うらやみ、たよる心を指す。

   村長自身の生き方を正すことによって、
   貧民への感化影響、
   ひいては、
   廃村興隆につながることになる。  

・・・

(2)【 6月14日 】気付きが支柱となる

   人間は自ら気付き、
   自ら克服した事柄のみが、
   自己を形づくる支柱となるのです。

   単に受身的に聞いたことは、
   壁土ほどの価値もありません。 

・・・

(3)【 6月14日 】 わからないことは人に尋ねる

   自分でわからないことは、人に尋ねる。

   素直な気持ちで聞き、静かに考えれば、
   行くべき道は自ずと決まるのです。

   幸之助は、何でもよく私に聞きました。

   聞かれた方は、嬉しくなって、
   一生懸命に答えます。

   人生問答は、確かにその人を向上させます。

   これが成功の方程式です。

・・・

(4)【 6月14日 】 《今》

   大切なのは
   かってでもなく
   これからでもない

   一呼吸
   一呼吸の
   今である

・・・

(5)《14日 人の功績を認めよ》
 
   現象的には、まだ其の人が色々の善き徳や行いや善き性質を
   あらわしていないように見える時にも、その人の生命の実相には
   無限の善徳や善き性質や善き行為が宿っているのである。

   それを引き出すのが称讃の言葉の力である。

   讃められれば讃められた方向に、
   その人の行動力が動き出して活動を始めるのである。

   それゆえに子供を教育する場合などには、特にその子供に欠けている
   と思われる徳目が既に本当にあるかのように讃める言葉を使うならば、

   その子供にやどる実相の完全さが、その讃められた方向に浮かび上がって来て、
   その子供が本当に立派になって来るのである。

   しかし子供ばかりではない。

   無数の大人が如何に称(ほ)められることを欲しているかは、文化勲章や
   藍綬褒章(らんじゅほうしょう)や、黄綬(おうじゅ)褒章を貰うことを
   如何に光栄に考えられているかで明らかである。

   人を使う秘訣も、従業員各員の功績をみとめて
   称める言葉を如何に巧みに使うかにかかっているとも言い得るのである。

        谷口雅春著『生活の智慧365章』
        (第2部歓喜の泉)第6篇(P158~159) より

           <感謝合掌 令和元年6月14日 頓首再拝>

賢者の一日一言《15日》 - 伝統

2019/06/15 (Sat) 19:27:24


(1)【 6月15日 】勤労を以て貴しと為す

   茅(かや)を生ずるの地も之を聞けば則ち麦(むぎ)を生ずるの圃と為り、
   之を蕪(あら)せば則ち茅を生ずるの地と為る。

   均(ひと)しく是れ一地なり。
   人力用うれば則ち麦と為り、
   天然に在せば則ち茅となる。
   是の故に人道は勤労を以て貴しと為す。
                          (語録二八八)

   【略解】

   「和を以て貴しと為す」の一語がある如く、
   「勤労を以て貴しと為す」の一語はよく心に納得される例話です。

・・・

(2)【 6月15日 】偉人は仕事上手

   我々人間の生活は、
   ある意味ではこれを仕事から仕事へと、
   まったく仕事の連続だと言ってもよいでしよう。

   同時にその意味からは、人問の偉さも、
   この仕事の処理いかんによって決まる、
   とも言えるかと思うほどです。

・・・

(3)【 6月15日 】 感情で生きている

   通常、
   人は欲望の赴くまま、感情で生きています。

   時には、
   人間の本質なり、自然の摂理に照らして、
   何が正しいかということを考えなければなりません。

   そうすれば、
   すべてのものにかけがえのない、
   命の輝きを見ることが出来るのです。

   幸之助は
   「命の輝きがすべてのものを成功へと導く」
   と言っています。

・・・

(4)【 6月15日 】 《純粋一途》

   禅の本がよく売れており、仏教学の本も
   流行のようだが、私はあまり読まない。
   いろんなことはあまり知る必要はないのだ。

   大事なことは、
   どう生き、どう死ぬかと言うことである。

   私がこおろぎの声に感動したりするのも、
   あの純粋一途さにある。

   イエスも一途に純粋に生きられた。
   あの純粋一途さがキリストの心なのである。

   純粋一途なものは、
   すべて私の師であり、友である。
   花にひかれるのもこの一途さにある。

・・・

(5)《15日 実相を礼拝して賞めよ》

   しかし、人を称(ほ)めるにしても、その人から善き行為や性質を引き出す
   方便又は技術として称めるのでは効果も薄いし、また本当ではないのである。

   実際にすべての人間には実相として
   「神の善徳」が宿っていることを信じ且つ知り、その実相を礼拝して、
   誠心(まごころ)で賞め称えるのでなければ本当ではないのである。

   これを『法華経』に於て常不経菩薩(じょうふぎょうぼさつ)が
   その模範を示し給うて、その相互礼拝によって、
   人々が仏の実相をあらわして成仏することを釈尊が示し給うたのである。

   生長の家の教えは、

   「汝ら天地一切のものと和解せよ・・・
   和解するとは怺(こら)え合っていることではなく、
   感謝し合ったとき本当の和解が成立する」

   との根本的教示によって出発するのである。

   相互礼拝、相互称賛も、本当にそれが手段や技術でなくなるためには、
   互いに感謝し合う心境になることが必要なのである。

   天地一切のものに感謝するとき、
   天地一切のものの美点が自然にあらわれて来て
   其人を取り囲むようになるのである。


          谷口雅春著『生活の智慧365章』
           (第2部歓喜の泉)第6篇(P159~160) より

           <感謝合掌 令和元年6月15日 頓首再拝>

賢者の一日一言《16日》 - 伝統

2019/06/16 (Sun) 19:38:21


(1)【 6月16日 】小事を務むぺし

   大事を成さんと欲すれば宜(よろ)しく先ず小事を務むべきなり。

   大事を成さんと欲して小事を怠り其の成り難きを憂えて、
   成り易きを務めざるは小人の常なり。

   小事を務めて怠らざれば則ち大事必ず成る。
   小事を務めずして怠る者は庸(いずく)んぞ大事を成すを得んや。

                            (語録三〇ニ)

   【略解】

   「積小為大」の日常実践の威力はいかほど力説しても力説すぎることはない。

・・・

(2)【 6月16日 】仕事の処理は修養の中心

   仕事の処理いかんに、
   その人の人間としての偉さのほどが、
   伺えるとさえ言えるほどであります。

   実際我々は、平生うっかりしていると、
   仕事の処理などということに、
   修養上の一つの大事な点があろうなどとは、
   ともすれば気付きがたいのでありますが、
   事実は必ずしもそうではないのです。

   否、
   真の修養というものは、
   その現れた形の上からは、
   ある意味ではこの仕事の処理という点に、
   その中心があるとさえ言えるほどです。

・・・

(3)【 6月16日 】 憎しみは破壊を
 
   「憎しみは破壊を、
   自他相愛の心は建設をもたらす。
   憎しみ合うことほど人間としてみじめなことはない」

   競争心は、嫉妬を生み出すことになるのです。
   嫉妬は憎しみを生み出します。
   憎しみは、すべてを破壊する元凶となります。

   幸之助は、
   温かく温かく考えて、
   クールに決断していました。

   素直な心がすべてを聡明にします。

・・・

(4)【 6月16日 】 《一日一信》

   一日
   一信

   やっと楽しい
   ひとときがきた

   あの人
   この人を
   身近かにおいて

   一字
   一字
   書くひとときの
   うれしさ

・・・

(5)《16日 あなたは神の全徳の噴出口》

   あなたは自己をもっと尊敬しなければならない。
   天地を創造した無限の力の噴出口 ―― 
   又は表出口が自分自身であるということを知らねばならない。

   それを知ることによって、あなたは、はじめて他に頼ることなくして
   自ら完全に立つ自分自身を発見することができるのである。

   みずから立つ自分自身を発見し、本当に自己が神の全徳の表出口であると知った時に、
   あなたは神の如く、人々を救おうという意欲が生れ、
   且つ救う力が本当に湧き出てくるのである。

   あなたが人を救うために立ち上るまでは、『生命の實相』を読んで概念的に
   「人間は神の子だ」と知っていても、それは頭脳の表層でそれを理解しただけ
   のことであって、本当に魂の底から、その真理を理解したとは言い難いのである。

   「われ人類の救世主イエス・キリストと一体なり」

   「われ人類の救世主釈迦牟尼世尊と一体なり」

   「最早(もは)やわれ生くるに非ず、
   天照大御神の生命(いのち)この身にあって生くるなり」

   の自覚が本当に得られるならば、
   人類の危機迫る現代に、じっとしていられる筈はないのである。

         谷口雅春著『生活の智慧365章』
          (第2部歓喜の泉)第6篇(P160~161) より

           <感謝合掌 令和元年6月16日 頓首再拝>

賢者の一日一言《17日》 - 伝統

2019/06/17 (Mon) 19:44:43


(1)【 6月17日 】善因善果

   佛に所謂(いわゆる)因果とは何ぞや、
   種を播(ま)けば実を結ぶ是れなり。

   夫(そ)れを善因に善果あり、
   悪因に悪果あり。
   人皆之を知る。

   然れども目前に見(あら)われずして数十歳の後に見わる。
   故に人之を畏れず。
   況(いわ)んや前世の因縁に於てをや。

                          (語録三〇五)

   【略解】

   よき種子を蒔けばよき実を結ぶという
   単純明快な哲理を軽んずるなかれということです。

・・・

(2)【 6月17日 】寡兵もって大敵に向かう

   仕事の処理ということは、
   いわば寡兵(かへい)をもって大敵に向かうようなものであって、
   一心を集中して、もって中央突破を試みるにも等しいのです。

   同時にまた広くは人生の秘訣も、
   結局これ以外にないとも言えましょう。

   実際あれこれと気が散って、
   自分がなさねばならぬ眼前の仕事を後回しにしているような人間は、
   仮に才子ではあるとしても、
   真に深く人生を生きる人とは言えないでしょう。

・・・

(3)【 6月17日 】 体験から学ぶ

   幸之助は経営の神様と言われました。
   幸之助の経営のコツは、
   ほとんどが体験を通して身につけたものです。

   幸之助の教えに
   「経営のコツここなりと、気づいた価値は百万両」
   という言葉があります。

   その人独自の経営を完成させるには、
   独自の体験が大切なのです。

   経営には指導者の一念と実地の体験が不可欠です。
   体験は挑戦することから自然に生まれてくるものです。

・・・

(4)【 6月17日 】 《人のねうち》

   おのれが尊いのではない。
   おのれをおのれたらしめるものが、
   おのれの中にあるから尊いのである。

   だからこのおのれをおのれたらしめるものを
   見出さなくてはならぬ。
   自覚しなくてはならぬ。

   そのことなくして
   人は人としてのねうちがあるとはいえない。

   花を花たらしめるもの、
   光を光たらしめるもの、
   香りを香りたらしめるもの、
   その存在をはっきりと知ることが大切である。

・・・

(5)《17日 あなたは宇宙神霊と一体である》

   「あなたは偉大なる存在である! 
   あなたは最も祝福されたる存在である、不滅なる存在である。
   あなたは光輝燦然たる至福の存在、普遍の神性である。

   あなたは至上の真理である。真理とは如何なるものか。
   それは言詮不及(ごんぜんふぎゅう)、不立文字の存在である。

   それを書きあらわすことはどんなペンにもできない。
   それを言い現わすことのできる人は此世にひとりもない。

   それはただ存在する全てのもの
    ―― 物質に至るまでの全てのものを含むすべてのものだ。
   それを表現せんとする凡(あら)ゆる努力は却って
   その偉大さを限定する試みとなるに過ぎない。」


   これは印度現代の聖者シヴァナンダの言葉である。
   これは真に真理をよく表現している。

   諸君はこの語(ことば)に表現されているような
   実に偉大な存在であるのである。

   彼は又言う。

   「人生の根本的目的は、宇宙神霊と永遠に一体なるところの
   自己の実現を自覚せんがためである」と。
     (デイヴァイン・ライフ誌1960年10月号)

   まことに其の通りである。

        谷口雅春著『生活の智慧365章』
          (第2部歓喜の泉)第6篇(P161) より

           <感謝合掌 令和元年6月17日 頓首再拝>

賢者の一日一言《18日》 - 伝統

2019/06/18 (Tue) 21:28:03


(1)【 6月18日 】倹動富に至る

   倹勤愚の如しと雖(いえど)も、
   而(しか)も其の為す所必ず成る。

   奢怠(しゃたい)賢に似ると雖も、
   而も其の為す所必ず敗る。

   是れ倹勤富に至り、
   奢怠貧に陥る所以(ゆえん)なり。

                   (語録六七)

   【略解】

   倹の反対は奢、
   勤の反対は怠。

   奢すなわち贅沢を避け、
   怠すなわち怠慢をさけて倹勤に精を出す、

   これが貧富の岐れ路ということ。

・・・

(2)【 6月18日 】こせつかない

   すべて偉大なものは、
   自ら出来上がるものであって、
   あまりに早くからこせつきますと、
   大きな実りはできにくいものであります。

・・・

(3)【 6月18日 】 かつてない困難は、かつてない発展の基礎となる

   「かつてない困難からは、かつてない確信が生まれ、
   かつてない確信からは、かつてない飛躍が生まれる」

   私が再建する会社の社長として着任する時、
   幸之助からいただいた励ましの言葉です。

   苦しい時の支えとして素直に謙謙服用することで、
   この言葉通りになりました。

・・・

(4)【 6月18日 】 《昼の月》

   昼の月を見ると
   母を思う

   こちらが忘れていても
   ちゃんと見守っていて下さる
   母を思う

   かすかであるがゆえに
   かえって心にしみる
   昼の月よ

・・・

(5)《18日 生きているから変化する》

   行き詰ったときに道が開かれる。
   行き詰りに恐怖することはないのである。

   人智の行き詰まりに神智がひらかれるのである。
   八方ふさがりの時に人は、ふさがっていない青空を見るのである。

   変化を無常と見たのは暗黒にとらわれた小乗仏教者のことである。
   大乗の仏教者はもっと明るくなければならない。

   変化があるので生長があるのである。
   生命(せいめい)が生きているから変化を生ずるのである。
   銅像や乾物(ひもの)やミイラはあまり変化しないが、
   それは生命が生きていないからである。

   変化を通して「無限」が表現されつつあるのである。
   それ故に、無常と見ゆる一点一面の生命(せいめい)の
   動きの中にも久遠の生命を直観することができるのである。
  
   “無常”の中に“常恆”(じょうこう)があり
   一瞬の中に永遠を孕(はら)んでおり、
   「今」即「久遠」の生命(せいめい)を生きているのである。

   その理由を日々の一瞬一瞬の生活にも忘れないで生きるとき、
   一瞬一瞬が祝福されたるものとなり意義深きものとなるのである。

         谷口雅春著『生活の智慧365章』
            (第2部歓喜の泉)第6篇(P162) より

           <感謝合掌 令和元年6月18日 頓首再拝>

賢者の一日一言《19日》 - 伝統

2019/06/19 (Wed) 19:42:05


(1)【 6月19日 】後世のために

   樹木を植うるや、
   三十年を経ざれば、則ち材を成さず。
   宜(よろ)しく後世の為に之を植うべし。

   今日用うる所の材木は則ち前人の植うる所。
   然らば安(な)んぞ後人の為に之を植えざると得ん。

   夫(そ)れ禽獣は今口の食を貪るのみ。

                           (語録六八)

   【略解】
 
   後世のために樹を植えるべしの教えは、
   まことに傾聴すべき卓説です。

・・・

(2)【 6月19日 】ねばり

   粘りというものこそ、
   仕事を完成させるための最後の秘訣であり、

   同時にまたある意味では、
   人間としての価値も、最後の土壇場において、
   このねばりが出るか否かによって、
   決まると言ってもよいと思うほどです。

・・・

(3)【 6月19日 】 可能性に限界はないのです

   まだまだ良い方法がありはしないかと、
   考えれば考えるほど、
   必ず新しい工夫が生まれ進歩が生ずる。

   これは幸之助の日常生活の姿です。

   考えて考えて、考え抜くところに、
   新しい道が開かれてくるのです。

   経営理念に祈り抜くことが、なによりも大事なのです。
   可能性に限界はありません。

・・・

(4)【 6月19日 】 《深さ》

   海の深さは
   測ることができるが

   愛の深さは     
   測ることはできない

・・・

(5)《19日 祝福すべきかな変化無常》

   この世は無常の世界であり、変化の世界である。

   その変化無常を、好転の方へ変化せしめるか、
   凶転の方に変化せしめるかの
   鍵を握っているのはあなた自身なのである。

   若し変化無常の世界でなかったならば、
   吾々は日本の景色に春夏秋冬の異なる美を
   楽しむことができなかったであろうし、

   幼児から少年少女への生長の悦び、
   そして青年期の元気溌剌とした活動と進展の悦び、
   そして家族をつくって家族相和す悦び、
   老いて孫をいだく歓びなど

   色々異なる悦びなどの境涯を体験することができなかったに相違ないのである。

 
   朝を迎えて東天に太陽はさし昇る、
   そして落日は黄金色に西海に沈むのだ。

   何という荘厳! 

   何という変化の美ぞ。

   落日の反映を受けて、刻々、
   紫から淡紅(うすべに)に、淡紅から淡紫に変化し行く富士の嶺。

   そして虹(にじ)のような暈(くま)をもつ雲海によって
   その麓(ふもと)をかこまれている富士の嶺。

   私は、刻々その位置を変化する飛行機上から
   この秀麗きわまりなき富士の山容を見て感嘆した。

   若し富士にこの変化がなかったらそれは唯、死灰(しかい)の堆積。

   ああ変化無常こそ神の生きた芸術である!

          谷口雅春著『生活の智慧365章』
           (第2部歓喜の泉)第6篇(P162~163) より

           <感謝合掌 令和元年6月19日 頓首再拝>

賢者の一日一言《20日》 - 伝統

2019/06/20 (Thu) 20:49:26


(1)【 6月20日 】嵐吹や

   〇 嵐吹(ふく)や烏の中に鷺まじり

   〇 田畑のみのる今宵の月夜かな

   〇 馳馬(はせうま)に鞭打いづる田植かな

                       (報徳要典)

   【略解】

   ・嵐吹や・・・:嵐ふく予兆を知らす烏の一群のおかげで鷺も救われているの意。

   ・田畑の・・・:田畑の豊作を喜ぶような今夜の月はなおうれしい。

   ・馳馬に・・・:気のはやる馬を制御しつつ田植えの準備の開墾よ。

・・・

(2)【 6月20日 】不滅なる精神

   我々人問は、
   その人の願いにして真に真実であるならば、
   仮にその人の肉体が生きている間には実現せられなくても、
   必ずやその死後に至って、実現せられるものであります。

   否、
   その志が深くて大きければ、
   それだけその実現には時を要して、
   多くはその肉体の死してのち、
   初めてその実現の緒(ちょ)につくと言ってもよいでしよう。

   そしてこれがいわゆる「不滅なる精神」、
   または「精神の不滅」と呼ばれるものであります。

・・・

(3)【 6月20日 】 賢い人間は国を滅ぼし、会社をつぶす

   「賢い人間は、国を滅ぼし、会社をつぶす」
   と、幸之助から言われました。

   賢い人間は、理論で武装します。
   理屈が先では、人は動きません。

   偉い人とは、
   どれだけ苦難や、障害を、
   乗り切ってきたがで決まるのです。

   感性が動いた時、感動が生まれるのです。

   幸之助は何に対しても感動する、
   素直な心を持っていました。

・・・

(4)【 6月20日 】 《本物》

   ぐっとくるものがなくなったらもうおしまい 

   すべて本物には肺府を突く
   何ものかがなくてはならぬ   
   ゴッホの絵のように

・・・

(5)《20日 人間は進歩と向上あるのみ》

   変化を悦びと見ないで、
   過去の栄えと今の衰退とを比較して歎く者は憐れなるかな。

   また過去にありし労苦を反芻(はんすう)して、
   持越し苦労を続ける者も愚かなるかな。

   植物に春夏秋冬の変化があるが如く、人生にも春夏秋冬があるのである。

   冬が来て外に目立って伸びない時に植物は年齢の間隔をせばめて
   堅緻な材質をつくるが如く、人間も艱難で鍛えられて堅実なる
   人格と不撓(ふとう)の意志とが養成せられるのである。

   未来の変化を想像して取越苦労をする者は、
   神の此の世を“変化の芸術”とした摂理と慈悲とを知らないものである。
   未来は悉く現在よりも、内容的に豊かにして富める者となることは間違いないのである。


   年老いれば、外から見れば、形容枯槁し、その姿に老醜をあらわすと雖(いえど)も、
   それは蚕が脱皮するに先立ちて、その皮膚の色変化し醜くなるのと同じことであって、
   も早(は)や役に立たぬ外皮を脱ぐ準備をしつつあるに過ぎない。

   吾れら更に脱皮して霊界に天翔けらん。
   人間の生命には、ただ進歩あるのみ、向上あるのみである。

         谷口雅春著『生活の智慧365章』
          (第2部歓喜の泉)第6篇(P163~164) より

           <感謝合掌 令和元年6月20日 頓首再拝>

賢者の一日一言《21日》 - 伝統

2019/06/21 (Fri) 19:33:23


(1)【 6月21日 】古聖の丹誠

   今の艱難(かんなん)を以て古聖草創の丹誠を悟るぺし。

         〇

   亭々として雲に聳(そび)ゆる大木は昔一粒の種子なり。

         〇

    一理を学べば一理を行へ。
                 (金言集)

   【註】

    とりわけ「一理を学べば一理を行へ」の教えは心魂に徹する教えです。

・・・

(2)【 6月21日 】真実は現出する

   真実というものは、
   必ずやいつかは現れずにおかぬ。

・・・

(3)【 6月21日 】 大きい仕事をすることが尊いのではない

   「大きな仕事をすることが尊いのではない。
   たとえ小さくても仕事に成功することが尊いのや」

   この言葉は、
   松下幸之助の基本的な考え方の一つで、
   よく教えられました。

   闘争の中に激しい波があり、
   嵐の暗闇の中に歓喜があるのです。

   希望を持って生きることが出来るのは、
   人間だけです。

   希望の内容が人間の人格を創るのです。

・・・

(4)【 6月21日 】 《脱皮と解脱》

   個性というのは脱皮することによって、
   その濃度を増してゆくものである。

   それを家庭でも学校でも教えなくなった。
   それが今の日本である。

   わたしが宗教が大切だというのは、
   このことを言いたいからである。

   宗教とは脱皮、解脱のことなのである。
   かっての彼と今の彼とは、別人のようになっている。

   そしてそれによって面(顔)も一変してくる。
   わたしは、そういう人を何人か知っている。

・・・

(5)《21日 無限の力は肉体の内にはない》

   吾々は自分の持っていない力をあらわすことはできない、
   と同時に

   自分の持っている力でも、
   それを自覚しない時にはそれを自由に使うことはできないのである。

   他(た)の人の持っている金を自分が自由に使うことができないのと同様、
   その力を他の人がもっているのでは自分の自由にならないのである。

   自分の“内”に“無限の力”が宿っていると自覚することができる者のみが
   その力を自由に使うことが出来るのである。

   その自己内在の“無限の力”を自覚するには、
   自分自身を単なる肉体だと思う観念(かんがえ)を
   打ち破らなければならないのである。


   有限矮小なる一個の肉塊、かくの如きものの内(うち)に、
   何ぞ“無限の力”が内在する道理があろうや。

   そこで肉体を単なる人間の外皮と見、
   人間の実相が、虚空に満つる霊体であり、
   神の生命(せいめい)につながる者、

   神と一体であるとの自覚を得なければ
   “無限の力”が自己の内に内在するということは
   到底自覚することはできないのである。

          谷口雅春著『生活の智慧365章』
           (第2部歓喜の泉)第6篇(P164~165) より

           <感謝合掌 令和元年6月21日 頓首再拝>

賢者の一日一言《22日》 - 伝統

2019/06/22 (Sat) 21:04:36


(1)【 6月22日 】神儒佛の働き

   神道は興国の道なり。
   儒教は治国の道なり。
   佛法は治心の教なり。

        〇

   善言を聞いて直ちに行ふは人より樹種を噌られて直ちに蒔く如し。
   後必ず大木となるなり。

        〇

   漬物の切り様にてもその人の用意を知るべし。

                        (金言集)

   【註】

   神道と儒教と佛法の教えの特色をよくとらえておられます。

   尊徳翁の教えは神儒佛一粒丸とも仰せられた。

・・・

(2)【 6月22日 】負けじ魂を燃やせ

   実際修養ということさえ、
   ある意味では負けじ魂がなければ、
   なかなかできるものではありません。

   その点からは、
   偉人とは道を履み行う上で、
   何人にも負(ひ)けをとるまいと、
   生涯覚悟して生き貫いた人と言ってもよいでしょう。

・・・

(3)【 6月22日 】 心の通い合い

   「心の通い合いが職場を明るくし、
    仕事の成果を高めることになる」

   と、幸之助は心のこもった対応をしていました。

   心が生かされた仕事に命をかけて戦っていたのです。

   お客様との心の通い合い、
   社員との心の通い合い、
   そして自分自身との心の通い合いを心掛けていました。

   人は誰でも、心に汗をかいた分だけ、
   成功に近づくのです。

   心の通い合いが大事です。

・・・

(4)【 6月22日 】 《大木》

   木が美しいのは   
   自分の力で立っているからだ

・・・

(5)《22日 真理の理解に2種類ある》

   自己の内に“無限”が宿っているということは『生命の實相』を読みまして
   わかりましたが、その“無限”を現実世界に顕わす事は中々困難であって、
   到底それは私に出来ない事ですという人々が随分あるのである。

   それは「人間・神の子」の真理を頭脳の表層で理解したに過ぎないからである。
   頭脳で理解したから「もうこの真理は解った」と思う。

   しかしその真理と自分の全生命とが“一つ”になり切らないでいるから
   その真理が現実化しないのである。

   “読書百遍、意おのずから通ず”という諺があるが、
   最初『生命の實相』を2、3回読んだだけでは頭脳の表層に印象されただけで、
   深く自己の潜在意識に印象するためには、それを繰り返し繰り返し
   聖典を読誦して潜在意識の深層に呼びかけなければならないのである。

   それは恰も「眠る」という語(ことば)を度々繰り返されることによって
   如何なる反抗者も催眠状態に入れるのと同様である。

 
   併し現在意識は同一語の反復を嫌うのである。

   即ち「もう知っている」と思い、
   「知っていることを繰り返すのは面倒くさい、退屈だ」と思う。

   そのために『生命の實相』の同じ巻を幾度も繰り返すことが不可能になる。

   その不可能を可能とする為に、同一真理を別の言葉によって表現し、
   更に一層精密に解読した次の巻や、毎月の神誌や、新刊の真理解説書が
   必要になるのである。

   これらの神誌、聖典、書籍を巻を変え、号を重ねて読むことによって、
   真理を語る言葉の刺激が新しくなって、潜在意識に深く真理が印象され、
   更に潜在意識の奥底に眠っていた実相の「神性」が
   活性をもって呼び覚まされることになるのである。

        谷口雅春著『生活の智慧365章』
         (第2部歓喜の泉)第6篇(P165~166) より

           <感謝合掌 令和元年6月22日 頓首再拝>

賢者の一日一言《23日》 - 伝統

2019/06/23 (Sun) 20:14:22


(1)【 6月23日 】通すべきを通す

   心の内に関を置き、
   自ら己の心を以て己の心吟味し通すべきを通すべし。
   通すべからざるを通す勿れ。

         〇

   桜は一年に一度花咲けども花の名を得て人に愛せらる。
   人も善事を為して花の名を取らずんぱあるべからず。

                            (金言集)

   【註】

   心の関所を設けるとは自己の生活規律を立てこれを守りきるということ。

・・・

(2)【 6月23日 】凝り性と意地

   凝り性というのと意地というのとでは、
   必ずしも同じものとは言えない。

   それというのも凝り性というのは、
   自分の勉強なりその他何でも、
   自分の仕事に打ち込むことであるのに対して、

   意地という方は、
   そこに対他的な意味が含まれているからです。

・・・

(3)【 6月23日 】 ことの真実は

   「ことの真実は、
   理論や数値だけに頼ったらあかん。
   人間の感情をプラスして判断することが大切やで」

   幸之助は、
   いつものことの是非について、こう言っていました。

   人は理論で納得し、感情で動くものです。

   数字が何を表しているのかを、
   感性で捉えてみれば、企業の実態が見えてきます。

・・・

(4)【 6月23日 】 《朴》

   朴(ほお)は字もいいし、ひびきも実によい。
   花は純白で、大きく、
   そして何とも言えない芳香を持っている。

   葉もまた天狗の団扇(うちわ)といわれるほど
   大きく堂々とした男性的な木である。

   特にわたしが、この木に心ひかれるのは、
   わたしが晩成(おくて)の人間であるように、
   この木もまた晩成だからである。

・・・

(5)《23日 真理の消化、吸収》

   潜在意識の奥底に横たわる普遍にして超越せる超在意識 ――
   “個”としての肉体自己を超越しながら“個”として其処に顕現し表現せんとしている
   “本当の自己”(即ち神性)の内には“無限”が内在しているのである。

   その無限を開発すれば、無限を内蔵する鉱山から欲する鉱石を掘り出してくるように、
   自己の欲する色々のアイディアや能力を喚び出して来ることができるのである。

 
   吾々の意識の奥底に潜在する“無限”を現実化するには
   聖典、聖経、神誌の反復精読のほかに
   神想観の如き瞑想によらなければならないのである。

   潜在せる“無限”は色々の成分を含んでいるところの植物みたいなものであり、
   それを真理解説の聖典等によって頭脳に入れることはその食物に消化する
   ようなものであり、神想観の如き瞑想法は、その消化した真理を吸収し同化し、
   真理と自己とが一体となる行事である。

   その時、真理と自己とが一体となり、真理の馬に人間が乗っているのではなく、
   ”鞍上人無く鞍下馬無し”の如く「真理即自己」となるのである。

          谷口雅春著『生活の智慧365章』
           (第2部歓喜の泉)第6篇(P166~167) より

           <感謝合掌 令和元年6月23日 頓首再拝>

賢者の一日一言《24日》 - 伝統

2019/06/24 (Mon) 18:41:00


(1)【 6月24日 】片楽を棄てて全楽を取る

   我道は常に片楽を棄てて全楽を取るに在り。
   衆生をして片楽を免かれ全楽を得しむ。
   これを済度の第一といふ。

    〇

   人々各々受け得る恩を以て譲るべし。
   然らば四海父子の如くならん。

                           (金言集)

   【註】

   片楽とは一時的な楽しみということで、
   衆生済度とは長久の真楽を体得せしめるにある。

・・・

(2)【 6月24日 】苦労の注意点

   苦労ということについて、
   気をつけねばならぬのは、

   なるほど人間は、
   苦労によってその甘さとお目出たさとはとれましようが、
   しかしうっかりすると、
   人間がひねくれたり冷たくなる危険があるわけです。

   そこで苦労の結果、
   かような点に陥ることなく、

   しみじみとした心のうるおいと、
   暖みとが出るようになるためには、

   平素から人間の道というものについて深く考、
   かつ教えを受けておかねばならぬと思うわけです。

・・・

(3)【 6月24日 】 死を恐れるな

   「死を恐れるな、
    恐れるのは死への準備のないことである」。

   この言葉は私の頭から一度も離れたことはありません。

   幸之助は、
   「僕はいつでも、店を閉める覚悟で、
    頭を下げ下げやってきた」
   と、話していました。

   そのために、
   ダム経営、無借金経営が生まれたのです。

・・・

(4)【 6月24日 】 《生きていればこそ》

   生きていればこそ
   会えないひとにも会え
   ふしぎな契りを
   結ばせていただき
   こんな嬉しいことはない

・・・

(5)《24日 運命における栄養不良》

   若しあなたが非常に少(すくな)くしか神誌・聖典を読まず、
   非常に少くしか神想観を行わないならば、

   “無限”の栄養ある食物を与えられながら、
   それを少ししか咀嚼せず、少ししか消化せず、
   少ししか吸収同化しないようなものであって、
   誠に残念な事だと言わなければならないのである。

   若し食物の栄養分を吸収同化することが十分でないならば、
   その外的表現としてあなたの肉体が痩せて来るのと同じように、

   若しあなたが内在“無限”の宝庫から充分のアイディアや能力を
   消化吸収同化することをしないならば、その外的表現として
   あなたの運命が痩せて来ることは当然だといわなければならないのである。

   しかも気の毒にも、その運命の悪い人は、
   何故自分の運命が悪いのかその理由を知らぬ場合が多いのである。

 
   そのような運命の栄養不良の人たちは、
   肉体の栄養不良の人たちが何か間食を求めたり刺激物を求めたりするように、
   内部の“無限”から汲むべきことの代償として、肉体的五官の快楽で、
   一時(じ)の衰弱感をまぎらそうとすることになるのである。

          谷口雅春著『生活の智慧365章』
           (第2部歓喜の泉)第6篇(P167~168) より

           <感謝合掌 令和元年6月24日 頓首再拝>

賢者の一日一言《25日》 - 伝統

2019/06/25 (Tue) 19:08:20


(1)【 6月25日 】専心没頭

   身をすててここを先途(せんど)と勤むれば

        月日の数もしらで年(とし)経(へ)ん

                     (二宮翁道歌)

   【略解】

   先途とは物事の最後ということ。

   譬(たと)えて言えば、
   自分に与えられた仕事を、
   今生最後の仕事として専心没頭すれば、
   月日の経つのも忘れて、
   いつしか一年が過ぎてしまうということで、

   「仕事の報酬は仕事である」という先人の言葉が思い出されます。

・・・

(2)【 6月25日 】二種の苦労人

   同じく苦労しながらも、
   その人の平生の心がけのいかんによって、
   そこにはまったく相反する結果が現れるということです。

   すなわち一方には、
   苦労したために人間の甘さとお目出たさはなくなったが、
   同時にそのために冷たい人間となり、
   えぐい人間となる場合と、

   今一つは、
   苦労したために、
   かえって他人の不幸に対しても、
   心から同情のできるような心の柔らかさや、
   うるおいの出る場合とです。

   そしてそれは結局、
   平素真の教えを聞いているか否かによって、
   分かれると言えましょう。

・・・

(3)【 6月25日 】 美と醜は表裏一体

   「美と醜は表裏一体、
    美の面に捉われ、
    半面の醜を責めるに急なのは、
    真実を知らぬ姿である」

   この考え方は、
   松下幸之助哲学の真髄です。

   一言一句頭に入っています。

   私たちは、
   対立や比較でものごとを見がちです。

   そこから、ねたみや苦しみが生まれ、
   争いごとへとつながるのです。

   合掌すると、右も左もなくなり、
   闇から光への道が開かれるのです。

・・・

(4)【 6月25日 】 《声》

   生きていることは
   すばらしいぞ

   そういっている
   石がある
   木がある

   川辺に立つと
   水も
   そういって
   流れてゆく

・・・

(5)《25日 光明面のみを見る》

   事物の暗黒面を見てはならない。
   また他(ひと)の暗黒面を見てはならない。
   更にまた自分の暗黒面をも見てはならない。

   暗黒面を見るとき、
   必ず自己の“心”の中に暗黒な事を描くことになるのである。

   そして自己の“心”の中に描かれたものは必ず、
   いつかはその描かれたる姿が現実化して自己の運命となったり、
   自己の境遇となったり、不測の災いとなったりしてあらわれて来るのである。


   暗黒面を見るかわりに事物の光明面を見よ。
   他(た)の光明面を見よ、更にまた自己の光明面のみを見よ。

   光明面を見るとき、光明面のみが“心”に描かれ、“心”に描かれたものが増大し、
   具体化し、自分が一層明るい気持ちになり、運命が一層好転し、身辺に気持ちよきもの
   のみが現れ、ついに自己の住む世界が地上の天国浄土となるに至るのである。

   暗黒面を見るよりも、光明面を見る方が余程楽であり、容易であり、気持ちがよいのに、
   何故多くの人々は光明面よりも暗黒面を見たがるのであろうか。

   彼らは心の法則を知らないからである。

         谷口雅春著『生活の智慧365章』
         (第2部歓喜の泉)第6篇(P168~169) より

           <感謝合掌 令和元年6月25日 頓首再拝>

賢者の一日一言《26日》 - 伝統

2019/06/26 (Wed) 19:22:13


(1)【 6月26日 】無碍自在


   西にせよ東にもせよ吹く風の
      さそふ右へとなびく青柳

              (二宮翁道歌)

   【略解】
 
   西風にしろ、東風にしろ、
   いずれの風の吹くままに、
   なびきさからわぬ青柳の姿を歌ったものですが、
   無碍自在な柔軟心を歌いあげたものです。

   論語に「意なく必なく固なく我なし」とあるように、
   我意、私欲、固定観念やわがまま、
   気ままを戒めたものです。

・・・

(2)【 6月26日 】思いつめるカ

   「自分もいつまでもこんなことをしていたんでは、
    大した教師にはなれないだろう。
    一端(いっぱし)の教育者となるには、
    何とかして現在のこの生温(なまぬる)さを克服しなければならぬ」

   と、
   日夜思いつめるところがなくてはならぬのです。

   この思いつめるカそのものが、
   実は刻々に、自分に対して内面的なカを与え、
   それがやがてまた将来の飛躍への原動カとなるのです。 

・・・

(3)【 6月26日 】 真剣に志を立てよう

   松下幸之助は何時も、
   どんなときでも真剣でした。

   次の言葉は、松下で仕事をする人、
   全員に徹底されていました。

   「本気になって真剣に志を立てよう。
    強い志があれば、
    事は半ば達せられたといってよい」

   経営者に必要なことは、
   未来を察知することに加えて、
   未来を創造し、時代を作る積極的な姿勢です。

   指導者の一念にすべてはかかっているのです。

・・・

(4)【 6月26日 】 《捨の修行①》

   年をとると、どうして駄目になるのか。
   これだけは自分が年をとらねばわからぬことである。

   どんな英雄でも、
   年をとって駄目になり、
   その栄光の歴史を、晩年で汚している。

   そのわけは一言でいえば、
   自分を捨てきれないからである。

   捨てるということが、どんなに大事であるか、
   そしてどんなに難しいことであるか、

   かっての柔軟な魂を喪失し、
   頑固さだけが残り、
   一切の判断が齟齬(そご)してゆくのである。

・・・

(5)《26日 汝の信ずる如く汝になれ》

   心に描くものが形にあらわれ、心に信ずる如くその人は成るのでる。
   これが釈尊のお説きになった“三界唯心”の真理であり、
   キリストがお説きになった「汝の信ずる如く汝になれ」の真理である。

   若し面白くない事件が過去の暗い想念の具象化として
   あなたの周囲に起こったとしても、その時、自分の心を暗黒の方向に
   下降せしめて暗い失望落胆の境地に陥れてはならないのである。

   若し暗い失望落胆の谷底にあなたの心が堕ちるならば、
   折角、暗黒の後に光明が訪れて来ようとしている時に
   その光の流れを堰き止めてしまう事になるのである。

   暗黒が現象世界にあらわれて来るのは、過去の暗黒な想念の貯蓄が、
   窓口から現象界に払い戻されて、
   「暗黒の貯蓄」の残額が少なくなりつつあるのだということを充分知って、

   もう「暗黒の貯蓄」は払い戻されたのだから、
   今後は決して「暗黒」なことは出て来ないということを知り、
   心を一転して光明面に転ずる習慣をつけましょう。

   習慣は第二の天性となり、今後は常に幸福が訪れましょう。 

         谷口雅春著『生活の智慧365章』
         (第2部歓喜の泉)第6篇(P169~170) より

           <感謝合掌 令和元年6月26日 頓首再拝>

賢者の一日一言《27日》 - 伝統

2019/06/27 (Thu) 22:54:59


(1)【 6月27日 】一切全托

   おのが身は有無の湊(みなと)の渡し船

            ゆくも帰るも風にまかせて

                (二宮翁道歌)

   【略解】
 
   有無の湊とは、
   生から死への港を意味し、

   人生とは、
   まさに生から死への渡し船のようなもので、
   その往来は、
   風という天意に一切全托するほかないとも言えましょう。

   人事を尽くして天命を待つとも、
   天命に従い人事を尽す生き方の両面を示すともいえます。

・・・

(2)【 6月27日 】教育の意義は立志に極まる

   教育の意義は、
   この立志の一事に極まると言ってもよいほどです。

   故にまた真に志が立つならば、
   ある意味では、
   もはやしいて教え込む必要はないとさえ言えましょう。

   というのも真に志が立ったら、
   自分に必要な一切の知識は、
   自ら求めて止まないからであります。

・・・

(3)【 6月27日 】 雨が降れば傘をさす

   「雨が降れば傘をさす、
    至極簡単、
    当たり前のことを適時適切に実行することにこそ、
    商売の秘訣がある」

   この言葉は、幸之助の代名詞のようになっています。

   心の赴くまま、身構えず、
   事に処することが大切です。

   経営も自然に対応することが、
   そのまま成功につながるのです。

・・・

(4)【 6月27日 】 《捨の修行②》

   仏典も聖書も捨を言う。
   だから究極はここにこなくてはならぬ。

   でも、ここにくることの
   何と至難なことであろう。

   大変な行(ぎょう)を積んだ人でも、
   その行からきた名声地位を捨てきれずに
   駄目になってゆく。

   (中略)

   人間は修行を怠ると
   一ぺんに駄目になる。

   捨にも修行が大事である。

・・・

(5)《27日 宇宙の本源には無限智がある》

   宇宙の最始元には、物質はまだ存在しなかった。
   真空よりして物質が発生するその過程は今でも見ることができるのである。

   宇宙最始元の其処は、星と星との間の空間のように真空であったのである。
   その真空の中に極めて微量の水素がつくられつつあり、
   それが、宇宙雲として観測せられるのである。

   その水素は微量であるが、宇宙空間は広いのであるから総計すれば随分多量に上り、
   それが集団して天体を形成したのだと天文物理学者は説明する。

 
   そうして出来上がった天体上に無数の生物が生れたが、
   その生物の微妙精緻な構造は、偶然に物質が集合して出来たというにしては
   余りにも精巧複雑であり、人間の脳髄の知識などでは到底製造できない
   極めて高度の知性の表現であるのである。

   即ち宇宙は「真空」を素材として、
   高度の知性によって一切を現したものだということができるのである。

   鉱物の結晶から人体の組織に至るまで色々の形、構造、組織等悉く
   人智の及ぶことのできない智慧によって設計されていることを思うとき、
   どうしても宇宙の本源に無限智の神を認めずにはいられないのである。

        谷口雅春著『生活の智慧365章』
         (第2部歓喜の泉)第6篇(P170~171) より

           <感謝合掌 令和元年6月27日 頓首再拝>

賢者の一日一言《28日》 - 伝統

2019/06/28 (Fri) 22:03:25


(1)【 6月28日 】生々息まず

   先生諭して曰く、
   汝(なんじ)富を得るの道を知らざるが故に窮せり。
   夫(そ)れ天地の運動頃刻(けいここく)の間断あるなし。
   この故に万物生々息(や)まず。

   人之に法(のっと)り、
   間断なく勉励する天の運動の如くならば、
   困窮を求むると雖(いえど)も得べからず。

                           (報徳記)

   【註】

   日々勤労を重んずる刻苦勉励こそは、
   人間の第一の勤めである。

・・・

(2)【 6月28日 】充実した一日を生きる

   一日を真に充実して生きるには、
   一体どうしたらよいかが問題でしょう。

   その秘訣としては私は、
   その日になすべきことは、
   決してこれを明日に延(のば)ささぬことだと思うのです。

・・・

(3)【 6月28日 】 その日、その月、その年の目的を持とう

   「その日、その月、その年の目的を持とう。
    それを遂行するところに生きがいが生まれる」

   と、幸之助はいつも言っていました。

   どのようにサービスすればお客様に喜んでもらえるか、
   それを考えるのが商売の基本です。

   売る人の誠意や熱意が付け加えられてこそ、
   商品の値打ちは本物になり、
   商売は成功するのです。
 
・・・

(4)【 6月28日 】 《ひらく》

   花ひらく 

   運ひらく 
   道ひらく 

   目ひらく 
   心ひらく


   すべて 
   開くことが 
   大事だ 

   大道は無門 
   閉ざしてはならぬ

・・・

(5)《28日 想念は万物の創造者》

   原子は無論肉眼には見えないし、
   顕微鏡下にも殆ど見えないほどの微小なるものである。

   この極小の中に驚くべきエネルギーが詰め込まれていて、
   そのエネルギーの扉を開くとき巨大な動力又は爆発力を得ることができる事は
   既に何人もよく知る通りである。

   単に物質の微小体だと思われていたところのものが、
   実は“原子の扉”を開いてみるとき、原子全体が驚くべきエネルギーの宝庫であり、
   物質とは実はエネルギーの圧縮された塊であったことが判るのである。

   宇宙は実にエネルギーが法則によって、無相より無限の相(すがた)に
   色々と姿を変えてあらわれているものであることが判明したのである。

 
   神はどんな微小体にも秘められている此の無限に巨大なるエネルギーをば、
   如何なる手段によって変形して、この宇宙を、天体を、万物を造ったのであろうか。

   宇宙の最始元には如何なる物資的道具も機械も無いのである。

   神はただ“心”によって創造するほかに方法をもたなかった。
   即ち神の“心”は唯“想念”することによって万物を想像したのである。

        谷口雅春著『生活の智慧365章』
         (第2部歓喜の泉)第6篇(P171~172) より

           <感謝合掌 令和元年6月28日 頓首再拝>

賢者の一日一言《29日》 - 伝統

2019/06/29 (Sat) 22:08:57


(1)【 6月29日 】天之れを悪む

   先生少しく色を和(やわ)らげて日く、
   嗚呼(ああ)積善積不善に由(よ)りて禍福吉凶を生ずること
   聖人の確言何んぞ疑はんや。

   (中略)

   夫(そ)れ孫右衛門の家、
   天明度の凶飢(きょうき)に当り、
   汝が家財に富めるを以て弥々(いよいよ)救助の心なく、
   高価に栗(ぞく)をひさぎて独り利を専(もっぱ)らにし、
   益々富をなせり。

   天之を悪(にく)み鬼神之を捨てむ。
   一家の廃絶この時に作(おこ)れり。

                      (報徳記)

   【註】
 
   「積善の家に余慶あり、積不善の家に余殃(よおう)あり」の名言通りです。

・・・

(2)【 6月29日 】人生の至楽

   何よりももまず自分の仕事を果たす。

   そしてその上でなおゆとりがあったら、
   そこで初めて本を読む。

   これ実に人生の至楽というものでしよう。

・・・

(3)【 6月29日 】 絶対の確信などあり得るはずがない

   世の中に、
   絶対の確信などあり得るはずがない。

   大事なことは、
   絶対の確信を自分自身が作り上げるということです。

   だから、経営理念というものは、
   正しい人生観、社会観、
   世界観に深く根ざしたものでなければならないのです。

   会社は、経営理念を軸としてまわっているのですから。

・・・

(4)【 6月29日 】 《光と力》

   光は一隅より      
   力は一人より

・・・

(5)《29日 全ては想念の具象化》

   人間は神の生命(せいめい)を宿し生まれた。
   (実は神のほかに生命の根源は無いのだが)そして神の生命(せいめい)は
   心に想念を思い浮かべることによって万物を創造したのである。

   そうすれば神の生命(せいめい)を宿し生まれた人間もまた
   想念によって万物を創造することが出来る筈である。

   実際一切の発明も、設計も、機械も、建築も、文学も、美術も、彫刻も、政治も、
   戦争も、平和も、悉く、もとは想念として心に浮かべられたものが具体化したのである。

   では、あなたの想念に暗黒なことを描くな。
   あなたの”想念”に唯光明のみを描けよ。
   あなたは神の如く、“想念”によって万物を造る。

   殊更(ことさら)に“想念”に暗黒を描いて
   暗黒なるものを造る必要はないではないか。

   あなたは“想う”という過程を通して、
   常に間断なく“何ものか”(あなたの想うもの)を形の世界に
   あらわすべくその要素を引き寄せつつあるのである。

   あなたの“心”はラジオ波のように宇宙に広がる。
   そして肉眼に見えない処のものを動かして引き寄せつつあるのである。

             谷口雅春著『生活の智慧365章』
               (第2部歓喜の泉)第6篇(P172) より

           <感謝合掌 令和元年6月29日 頓首再拝>

賢者の一日一言《30日》 - 伝統

2019/06/30 (Sun) 22:12:37


(1)【 6月30日 】分度を立て節度を守る

   先生細川侯の憂慮を察し、
   玄順に謂ひて日く、
   我が小田原の臣として外諸侯の政事を談ずる事能わず、
   然りと雖(いえど)も君明らかに仁心あり、

    (中略)

   巳(や)むを得ずんばわれ一言を呈せん。

   此の禍何に由て生ずるや、
   唯国に分度立たざるの過なり。

   国に分度なき時は幾万の財を入るるといへども、
   破桶に水を入るるが如く一滴も保つこと能はず。

   今子の君家、
   極難なりと雖も明かに分度を立て節度を守り仁術を行ふ時は、
   国の興復難しとせず。

                       (報徳記)

   【註】
 
   「分度を立て、節度を守り、仁術を行う」―国家興隆の道なりとの真言です。

・・・

(2)【 6月30日 】継続はカ

   永続きしないものは決して真のカとなるものではありません。 

・・・

(3)【 6月30日 】 一人だけの繁栄はあり得ない

   一人だけの繁栄はあり得ない。
   自他共に生きようと望むところに、
   共存共栄の華が開く。

   相手を思う心がなければ、
   相手の心は見えない。
   他人の心がわからない人間に、
   自分の心はわからない。

   自他を敬う行動が、
   社会変革の唯一の法なのです。

   幸之助は、
   「他人の不幸の上に自分の幸せを築かない」
   と、共存共栄に徹していました。

・・・

(4)【 6月30日 】 《存在》

   ザコはザコなり   
   大海を泳ぎ

   われはわれなり  
   大地を歩く

・・・

(5)《30日 神意の実現者たれ》

   吾々が植物の種を蒔く。植物は発芽し生長し、花を開き、実を結ぶ。
   この微妙にして神秘なる働きと機構と過程とは、どんな“電子計算機”でも
   出来ることではないのである。

   人智の最高を尽くした“電子計算機”も
   一個の小さき植物の種子に及ぶことはできないのである。

   人間はもっと謙虚に大自然の智慧の前に跪(ひざまず)いて、
   神からの智慧を受けるようにしなければならないのである。
 
 
   医師は傷口に消毒薬を塗って繃帯(ほうたい)する。
   繃帯も消毒薬も、新しき肉芽となることも新しき皮膚となることもできない。
   傷口に新しき肉と皮膚とを新生せしめるものは人体の内部に宿る神の生命である。

   医師は神の生命(せいめい)の動きに唯協力するに過ぎない。
   こう言っても私は医術をいやしめるのではない。

   人間のすべての動きは「神の生命(せいめい)の動き」に
   協力することによって万物を成就するのである。

   「神の生命(せいめい)の動き」とは法則である。
   法則を守り、法則に協力することによって、吾々は益々神と一体となり
   偉大な神意の実現者となる事ができるのである。

         谷口雅春著『生活の智慧365章』
          (第2部歓喜の泉)第6篇(P173) より

           <感謝合掌 令和元年6月30日 頓首再拝>

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