伝統板・第二

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或る譬話・寓話からの学び④ - 夕刻版

2019/05/30 (Thu) 18:29:07

ダメな人はいない。「ひび割れつぼ」の話(インドの寓話)

        *Web:今日も良いことがあるように(2019/05/03)より

インドの寓話で、とてもいい話を見つけました。

要約してご紹介します。


   インドのある水運び人は2つのつぼをもっていました。

   その2つを天秤棒の左右につけて肩にかけ、
   ご主人のために毎日水を運んでいました。

   片方のつぼには、ひび割れがあったので、いつも水が半分こぼれていました。

   もう片方のつぼは完璧で、自分は役目を十分果たしていると満足していました。

   ひび割れつぼは、自分のひび割れを情けなく思い、
   いつもみじめな気持ちになりました。

   2年が経ち、ひび割れつぼは、とうとう水運び人に言いました。

   「私は自分が恥ずかしい。私にはひび割れがあって毎日水が半分こぼれ、
   あなたの役に半分しかたっていない。それがとても辛いんです」


   それを聞いて水運び人は、ひび割れツボに優しく言いました。

   「今度歩く時に、道端の花をよく見てごらん」

   そう言われて、次の日、ひび割れつぼは、毎日通る道に美しい花が
   咲いていることに気づきました。

   美しい花を見て、少し元気になった気がしましたが、
   ご主人の家に着いたときには、やはり水は半分しか残っていませんでした。

   「やはり私は役に立たないつぼだ。ごめんなさい」


   すると水運び人はこう言ったのです。

   「気がつかなかったかい?
   道端の花は君の側にしか咲いていなかっただろう。

   僕は君のひび割れを知ってから、
   君の通る道に花の種をまいておいたんだ。

   毎日そこを通るたびに君は種に水をやり、花を育ててきたんだよ。

   僕は毎日その花を切り、ご主人の食卓に飾ってきた。
   君のおかげでご主人は、
   きれいな花を眺めながら食事を楽しむことができるんだよ」



この話は、子どもを育てるとき、人と接するとき、また自分をみつめるときにも、
いろいろなことを私たちに教えてくれるのではないでしょうか。

たぶん私たちはみなそれぞれが、ユニークなひび割れをもっています。

ひび割れを見つけたとき、私たちができること、
それは、ひび割れを責めることではありません。

恥じることでもありません。

ひび割れをふさいでしまうこともできるでしょうが、
もっといいのは、そのひび割れを活かすことではないでしょうか。

この水運び人は、ひび割れつぼが水をこぼすのを責めませんでした。

「君はダメだな。僕がこんなにがんばっているのに、僕の努力をムダにしているじゃないか」

などと言わなかったのです。

そもそも「君はダメだ」と考えなかったのでしょう。

彼は、そのままのひび割れつぼを受け入れて、
どうすればその個性を活かすことができるか、考えたのです。

そして、花の種をまいたんですね。

すると、ひび割れつぼは、毎日、その種に水をやって、
きれいな花を咲かせ、ご主人を喜ばせることができました。

わたしたちもみな、ひび割れつぼです。

そのままのわたしたちで、道に花を咲かせ、人を喜ばせることのできることができるのです。

自分のあるがままを受け入れ活かそう。

そのままの自分でできることがあるのです。(^.^)

【出典】菅原 裕子 (著) 『子どもの心のコーチング』(PHP研究所)

   ( https://lucky.t-nakai.work/2019/05/03/story-60/ )

・・・

<関連Web>

(1)「光明掲示板・第一」内のスレッド「或る譬話・寓話からの学び (9201)」
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=1744    (消滅)  

(2)「光明掲示板・第二」内のスレッド「或る譬話・寓話からの学び (25)」
    → http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=13    (消滅)

(3)「光明掲示板第三」内のスレッド「或る譬話・寓話からの学び」
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=30

(4)「光明掲示板・伝統・第一」内「或る譬話・寓話からの学び (102)」
    → http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=wonderful&mode=res&log=61

(5)「伝統板・第二」内スレッド「或る譬話・寓話からの学び①」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6464916

(6)「伝統板・第二」内スレッド「或る譬話・寓話からの学び②」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6728968

(7)「伝統板・第二」内スレッド「或る譬話・寓話からの学び③」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7160566

            <感謝合掌 令和元年5月30日 頓首再拝>

カエルの登山 - 伝統

2019/06/02 (Sun) 18:47:48


      *『人生を変える3分間の物語』
          ミシェル・ピクマル(P122~124)より抜粋

ある日十匹のカエルが、一生に一度、山のぼりをしよう
ということになり、ふもとに集まりました。

出発したのですが、途中で、うさぎやヤギなどが忠告します。

『できっこないよ』 
『何年もかかりますよ』 
『あまりにも無謀です』 などなどと…。

その度に、何匹かのカエルはあきらめて下山するのですが、
とうとう最後の一匹だけが成功してしまいます。

ふもとにもどったそのカエルにみんなが聞きます。

『どうしてできたの?』 
『こわくなかったの?』…

するとそのカエルは『何? 何?』 と聞き返すばかり。

実はそのカエルは、耳が聞こえないのでした。

           <感謝合掌 令和元年6月2日 頓首再拝>

『みにくいおひめさま』のお話 - 伝統

2019/06/04 (Tue) 18:35:09


        *Web:今日も良いことがあるように(2019/05/18)より

   「美しい唇である為には、美しい言葉を使いなさい。

   美しい瞳である為には、他人の美点を探しなさい。」

               オードリー・ヘップバーン


▼ある方から、劇「泥かぶら」と少し似ているのでと、
『みにくいおひめさま』という童話を紹介していただきました。

とてもいい童話でした。

こんなストーリです。

 
   昔ある王国に、何不自由なく暮らしていたお姫さまがいました。

   お姫さまは、ただ一つのことをのぞけば世界一幸せでした。

   その一つとは、お姫さまがみにくかったことです。

   そこで、娘を愛する王さまは、ある日、懸賞をだします。

   「みにくい娘を美しい娘に変えることができたものに、
   賞金として金貨を一袋とらせる。
   ただし、しくじったものは、首をはねる」

   魔法使いたちはみんな、この懸賞を辞退するのですが、
   一人の慎ましい夫人だけが応募しました。

   夫人は、9ヶ月、お姫さまを自宅であずかることを条件に、
   お姫さまを美しくすることを約束します。

   さて、さて、この夫人はどんな魔法を使うのでしょうか。

   この婦人には、5人の美しい娘たちがいるのですが、
   その娘たちに使った魔法だというのです。

   最初は、安楽でぜいたくなお城での生活を離れるだけで、
   いやがっていたお姫さまですが、日を追うごとに、
   夫人やその娘たちとの生活するのが楽しくなっていきます。


   そして、次第に心のあり方が変わり、行いが変わっていくのです。

   たとえば、いつも不機嫌そうにへの字にまがっていた
   お姫さまの口の両端があがったとき、お姫さまは叫びます。

   「わたし、きれいになった! だんだんきれいになる! ・・・魔法よ」

   それに対して、夫人はほほえんで静かに言うだけでした。

   「そうかもしれませんね。

   でも、もしからしたら、毎日がおもしろくないから、
   あなたは口をむすんでいたのかもしれませんよ。

   今まで、自分でものをつくる喜びを知らなかったんじゃないかしら?」

   こんなふうに、お姫さまは9ヶ月の間に美しくなり、
   その後もしあわせに暮らした、というお話です。


▼お姫さまは、自分の内面や外面的な行動を変えることによって、
少しずつ美しくなったんですね。

そういうことは実際にあるのでしょうか。

あると思います。

人は生まれ持っている資質を、いっそう美しく輝かせることができるのです。


▼実際に、お化粧したり、きれいな服を着たりすれば、人は美しくなれます。

それと同じような即効性はありませんが、

《美しい言葉を使うとか、人の美点を探すとか・・・
笑顔で思いやりをもって接するとか・・・・
そうしたちょっとした習慣で、人は内面から次第に美しくなっていくものなのです。》

   美しさは磨けるものです。 (^.^)

【出典】 『みにくいおひめさま』
フィリス・マッギンリー (著), 中川 宗弥 (絵), まさき るりこ (翻訳)

待望の復刻版の童話です。

  (https://lucky.t-nakai.work/2019/05/18/book-17/ )

           <感謝合掌 令和元年6月4日 頓首再拝>

アラジンと魔法のランプ - 伝統

2019/06/24 (Mon) 18:08:12


(あらすじ)

母と二人で暮らすグータラで貧乏な青年アラジンは
叔父だと偽る魔法使いにそそのかされ、アラジンしか入れないという
地下洞窟のランプ探しを手伝うことになる。

財宝に囲まれた地下洞窟を抜けた先にはランプがあったが、
重たい宝を持ちだそうとしたアラジンは外へ出ることができず、
魔法使いがそれに激怒して入り口を塞いだため、生き埋めになる。

お守りとして魔法使いから渡されていた指輪から指輪の魔神がでてきた事で
地下から脱出できた。

アラジンはランプしか持ち出せなかったので
磨いて売ろうとすると中からランプの魔神が現れ、
願いを叶えてくれる様になった。

魔神によって得られた財を元にアラジンは商売を始め、
立派な人物に成長し大金持ちとなり、皇帝の娘と結婚することになった。

しかし、魔法使いがアラジンの噂を聞きつけ戻ってくる。
そしてランプを奪う事に成功し、姫と宮殿を持ち去ってしまう。

再び指輪の魔神の力を借りて魔法使いの元へ辿り着いたアラジンは魔法使いを倒し、
ランプと姫、宮殿を奪還することに成功した。

アラジンは後に皇帝となり、人民に慕われる善政を敷いて繁栄した。

(詳細は)

 → アラジンのランプ
   http://hukumusume.com/douwa/pc/world/04/22.htm

・・・

現在、ディズニーの作品として、実写版が上映されております。

内容として、楽しめるように構成されており、
中には、示唆に富む(ランプの魔人ジニーの言葉)が
印象に残りました。


アラジン|映画|ディズニー公式
 → https://www.disney.co.jp/movie/aladdin.html

「アラジン」本予告編
 → https://www.youtube.com/watch?v=EbsZrpwmsq0

           <感謝合掌 令和元年6月24日 頓首再拝>

あなたも自分の花を咲かせることができる(すみれの話から) - 伝統

2019/06/25 (Tue) 18:55:59


        *Web:今日も良いことがあるように(2019/05/27)より


▼次にご紹介するのは寓話ですが、
 賢明なあなたはこの話から大切なことに気づき、人生の真実を学び取るでしょう。


   あるとき、神様が庭に入ってみると、神さまが植え育てられた草木たちが、
   今にも枯れそうにしおれているのを見ました。

   神さまは、そのわけを尋ねました。

   すると、ツツジは
   「私は松のようにもっと背が高くなりたいと悩んでいるのです」と、
   元気なく答えました。

   松の木は、
   「私は葡萄のように甘い実を結びたいのです」と悲しんでいました。

   葡萄の木は、
   「私は、杉のようにもっとまっすぐに立ちたいのです」と不満をもらしていました。


   庭のすべてが、そんな有様だったのです。

   最後に神さまは、路肩で小さな花をつけているスミレをみつけました。

   このスミレだけは不思議に元気よく、輝いて花を咲かせているのでした。

   神さまはうれしなって、スミレに話しかけました。

   「やあ、スミレ、お前だけは元気でいてくれてうれしいよ」

   スミレは答えました。

   「はい、神さま。私は取るに足らぬ小さな花ですけれど、
   あなたは小さなスミレの花を見たくて、私を植えて下さり、
   最高のお世話をしてくださっています。

   わたしはわたしにいただいた恵みを大切にして、
   スミレであることを喜び誇りながら、花を咲かせていこうと思うのです」

   という話です。


▼この話はこれで一応、完結しているのですが、スミレの言葉の続きを考えてみました。

ちょっと長いですが、スミレの気持ちです。


   「これまでいろいろ、ありましたが、私はスミレとして生まれてきてよかったです。

   私は松さんのように背が高くありません。
   葡萄さんのようにみんなが喜ぶ甘い実もつけません。
   杉さんのようにまっすぐ立つこともできません。

   道端のすみっこの地面すれすれに目立たずにいると、
   ときどき踏んづけられることがあります。

   痛い思いをしても、ほとんど気づかれないので、
   謝ってくれる人も慰めてくれる人もいません。

   以前は、そんな自分を哀れに思うことがありました。
   嫌に思うこともありました。

   でも、私は私以外のものにはなれないことに気づいたのです。

   私はもう他の草木のようになりたいとは思いません。

   私は私のままでいいのです。
   私のままがいいのです。

   小さな私のためにも太陽は光を注ぎます。
   目立たない私のためにも空は雨を降らせます。
   私の周りにはおいしい空気がふんだんにあります。

   それがどんなに有難いことか、恵まれたことか、私にはわかってきたのです。

   私が花を咲かせると、喜んでくれる人がいるのも、うれしいことです。

   私にしか咲かせることのできない花だということもわかってきました。

   ときには、私のかたわらで足を止めてひと休みする人もいて、
   びっくりすることもあります。

   「山路来て 何やらゆかし すみれ草」(松尾芭蕉)

   なんて、句を詠む人もいました。(笑)

   私も誰かの役に立っているんですね。

   私はスミレに生まれてきて幸せです。

   弱くても小さくても、自分の置かれた場で、
   私なりに一所懸命がんばって花を咲かせます。

   きれいな花を咲かせます!

   読者のみなさん、私の気持ちを聴いてくれて、どうもありがとう。(笑)」


あなたも、他の人とは違うただ一人の存在として生まれてきました。

人とは違うゆえに弱さを感じるときがあっても、
その弱さの中に神さまの恵みは注がれています。

あなたがあなたとして生きるために十分な恵みがあります。

あなたも自分のきれいな花を咲かせることができます。

    ( https://lucky.t-nakai.work/2019/05/27/story-73/ )

           <感謝合掌 令和元年6月25日 頓首再拝>

魔法の眼鏡 - 伝統

2019/06/27 (Thu) 22:47:44


      *『人生を変える3分間の物語』
          ミシェル・ピクマル(P155~157)より

ある日、島の反対側に住んでいるという青年が、辰岳先生を訪ねてやってきた。

その青年は、この世は悲しみと不正に満ちていると考えていた。

汚職、裏切りなど、悲しみばかりが重くのしかかる・・・。
こんな世界に生きていていったい何の意味があるのだろう?
そう悩んでいたのだ。

青年からひとしきり話を聞いた哲学先生は、
何やらポケットから取り出してこう言った。

「これがあれば大丈夫ですよ! さあ、この眼鏡をかけてごらんなさい。
そうすれば、<あなたが望みさえすればすべてが変わる>
ということがわかるはずです」


青年はなんだか狐につまされたような思いで家に帰った。
それでも、翌日さっそくその眼鏡をかけてみた。

すると、あきれたことに、それはただのガラスをはめた眼鏡にすぎなかった。


声援は腹をたて、哲学先生のところにどなりこんだ。

「ただのガラスじゃないですか! 」

「そうですよ」 と先生は答えた。

「いいですか、この世がどうみえるかは、
ここにはまっているガラスの問題ではなく、あなたしだいなのです。
あなたが変わらなければこの世は変わりません。

たとえば、ワインの入ったグラスひとつとってみても、
まだ半分ワインがあると思うか、もう半分しかないと思うか、
それはあなたが決めることでしょう。

雨だといってなげくのか、それとも、これで植物が育つぞと喜ぶの。
日の光を浴びてうれしいと思うのか、それともまぶしいからといやがるのか・・・。

結局この世界は、あなたが見るようにしか見えないのです。

その眼鏡をどんな眼鏡にするのかはあなたじだい!
灰色の陰鬱な眼鏡かけたいのなら、どうぞご自由に。

でも、それをなげきにここへ来るのは、もうご遠慮願いたいものですな」

           <感謝合掌 令和元年6月27日 頓首再拝>

牽牛(けんぎゅう)と織姫(おりひめ) - 伝統

2019/07/06 (Sat) 17:37:30


(明日7月7日は七夕です)

        *Web:ミルクの雑学より

年に一度、七夕の日に会う事ができる牽牛と織姫のお話をおぼえていますか?

古い中国の寓話です。

貧しいけど働き者の若者「牽牛」のもとに美しい娘「織姫」が現れます。

財産といえば働き者の老いた牛が一匹と一本の鍬という
つつましい生活をしていた「牽牛」にとって夢のような出来事でした。

相思相愛で夫婦となった2人には、たのしい生活が続きました。

数年たったある日、「織姫」は突然、天に呼び戻されてしまいます。
実は「織姫」は天帝の孫娘だったのです。

悲しみにくれた「牽牛」は、「織姫」を追いかけて天にいこうとしますが、
いくすべもなく途方にくれてしまいます。

その時、苦楽をともにしてきた老牛が言いました。

『私の皮をまとって飛べば、天にいけます。
どうぞ私を殺して天にいって織姫と再会してください』。

苦悩した末に涙を飲んで、牛の言葉に従う「牽牛」。

ようやく、天に昇り「織姫」との再会を果たしますが、
しかし、天帝の后(きさき)がふたりの仲を裂くように
天に一筋の線を引いてしまいます。

これが“天の川”となり、ふたりは離れ離れになってしまいます。

1年に一度、七月七日の夜にだけ会うことが許されますが、
その日は、何千万羽というカササギが飛び交い、
天の川の上に橋を作り「牽牛」と「織姫」はこの橋を渡り落ち合うといいます。

ちょっと切ない物語です。

    ( http://www.meg-snow.com/fun/academy/trivia/trivia_029.html )

・・・

<関連Web>

(1)伝統板・第二「七夕」
   http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6935978

           <感謝合掌 令和元年7月6日 頓首再拝>

史上最もよくできた例え話 - 伝統

2019/07/14 (Sun) 19:20:58


       *Web:社長の仕事術(2019.7.14)よ抜粋

From:ダン・ケネディ

毎年、ショッピングモールでサンタに出くわすたびに、
私は講演家グレン・ターナーのサンタクロースの話を思い出します。

これは、最高の例え話のひとつですよ。

皆さんに要点をつかんでいただくために、
今回はそのお話をかいつまんでご紹介しましょう。


それは、とても貧乏な家庭に生まれた男の子の話です。
毎年、その男の子はサンタに、裕福な家庭に生まれた従兄弟と
同じものをお願いしていました。


ある年、男の子と従兄弟はポニーをお願いしました。
そして、従兄弟にはポニーがプレゼントされ、
男の子はお下がりの洋服とりんごを貰いました。


次の年、サンタが間違えたに違いないと考えた男の子は、
従兄弟が書いたサンタさん宛ての手紙を一字一句間違わずに書き写して、
丁寧な口調で自転車をお願いしました。

クリスマスの朝、従兄弟は自転車、男の子はお下がりの洋服を貰いました。


男の子は涙目になりながら納屋の裏に向かっていき、
怒りに満ちたこぶしを空に掲げて言いました。

「そうかサンタ、それがあんたのやり方なんだな」。

そして、彼は自分のために、自分自身がサンタクロースになろうと決意したのです。



この物語が伝えたいことは明確ですね。
ほとんどの人はこの男の子のように、与えること、指示すること、
認めること、成長すること、許可を求めること、自分自信の人生を計画すること、
これらすべてを他人に頼っているのです。

比較的少数の人間だけが、自分自身がサンタクロースになることを受け入れ、
自分の「お願い」を聞き入れるのですね。言

い換えれば、彼らは他人に頼らず、自分で自分の面倒をみているのです。


赤い洋服に身を包んだ太った男が、煙突を降りてくることなどありませんよ。
その男があなたにメルセデス・ベンツや、生活を保障する多額の退職金、
夢にまで見ていた独立を叶えてくることなどはありえないのです。

さぁ、あなたはどうしますか?
サンタを待つのか、それとも自分自身がサンタになりますか?

-ダン・ケネディ

           <感謝合掌 令和元年7月14日 頓首再拝>

むかし、あるところに山がおったそうじゃ。~ むかしばなし ~ - 伝統

2019/07/16 (Tue) 20:07:52


        *Web より

むかーし、むかし、あるところに山がおったそうじゃ。

この山は高さが五百メートルほどあったそうじゃ。

この山はよく
「オレは高さが五百メートルもある↑
見ろ、オレより低い山があんなにたくさんある!
オレは本当に高い↑」

と優越感に浸っておったそうじゃ。


そして
この山はよく同時に
「オレは高さが五百メートルしかない↓
見ろ、オレより高い山があんなにたくさんある!
オレは本当に低い↓」

と劣等感に浸っておったそうじゃ。


この山は
「オレは本当に高い↑」という優越感と
「オレは本当に低い↓」という劣等感で

気持ちがたえず上下動を繰り返し続け疲れ果ててしまったそうじゃ。

この山は

「こんな苦しみはもうイヤだ!
本当の自分を実感して、優越感と劣等感を繰り返し続ける
苦しみから解放されたい!」

と心の底から願い

「本当の自分とは何か?」
と心を静めて、自分をありのままに感じてみたそうじゃ。

すると、なんと自分が
「五百メートルの山」ではなく
「大地そのもの」だったと実感できたそうじゃ。

そして
「自分を含めたすべての山が大地そのもの」だったと実感できたそうじゃ。

この山は泣きながら、そして笑いながら

「何だよ、オレもみんなも大地だったのかよ!
みんなひとつにつながっているのに
オレはこんな単純な事実を見失って
『オレは高い↑』『オレは低い↓』って
一人で勝手にジタバタして苦しんでいたのかよ!」

と大安心したそうじゃ。

心が地平線に果てしなく広がっていき、安らけく平らけくなったそうじゃ。
←(*´▽`*)→

めでたし、めでたし^^


           <感謝合掌 令和元年7月16日 頓首再拝>

怪談説法 - 伝統

2019/08/24 (Sat) 19:18:52


今回のお話は、寓話ではなく、怪談の紹介です。

     *Web:KYOTO SIDE(2019-08-19)より抜粋

それでは、私が大学生最後の年に
念願の一人暮らしを始めた時の出来事をお話しましょう。

学生寮を出て、とあるアパートへ引っ越した当日の夜でした。
電気を消してベッドで横になっていると、突然金縛りにかかりましてね。

金縛りは何度も経験しているので「またか」という感じでじっとしていたら、
いきなり右手首を掴まれてギューッと右のほうへ引っ張られるんです。

腕が完全に伸びきった状態になっていたのですが、
手首より先は動かせるとわかって、動かしていると
ちょうどペットボトルくらいの太さのものに触れて、
とっさにギュッと握りしめたんですね。

そうしたらふっと金縛りが解けて、ひと安心しました。


ですが、よくよく考えると、ベッドの右側はすぐ壁になっていて、
寝ている私の右腕が伸びるはずがないんですよ。

伸びたような感覚があっただけかなぁと自分を納得させつつ、
ここはいわく付きの部屋に違いないと思って、
次の日に大家さんのところへ聞きに行ったのですが、
築年数も浅いし事故物件なんかじゃないよと言われて……。


するとその夜、また金縛りに遭いました。
しかも今度は両耳を塞がれて、頭を左側へ向かせようとするんです。
力負けをして左を向いた時でした。

見知らぬおじいさんが立ったまま宙に浮いているんですよ。
怖い!と思った瞬間、おじいさんと目が合って金縛りが解けました。


再び大家さんのところへ行ってその一件を話し、
おじいさんに心あたりはないかと聞いたら、
「あっ、そういえば最近、三木君の隣の部屋の人を見ていない」と言うので、
大家さんと一緒にお隣のインターホンを鳴らしてみたのですが、
まったく反応がありませんでした。

アルバイトがあったので私は一旦その場を離れましたが、
夜帰って来てみるとアパートの周りに何台もパトカーがとまっていました。
隣の部屋に住んでいたおじいさんが首を吊って亡くなっていたらしいのです。

大家さんの話によると、遺書が残されているし、
密室の状況から見ても自殺で間違いないだろうと。

ただ一つ不審な点があって、
おじいさんの右足首に誰かが強く握った痕が残っているというんです。

部屋のどこで首を吊っていたんですかとたずねたら、
ちょうど私がベッドを寄せていた壁のあたりだと……。

そう、1日目の夜に私が掴んだものは、おじいさんの足首だったのです。


おじいさんが残した遺書には、
一人は寂しいといった言葉がたくさん書かれていたそうです。

人間関係が希薄になった今日、おじいさんのように孤独を抱えながら
生きている人は少なくないのではないでしょうか。

表面上は明るくふるまっていても、寂しい思いをしている人だっているはずです。

せめてお隣同士で声を掛け合うくらいはしていきたいですね、
というお話でした。

  (https://www.kyotoside.jp/entry/20190819  )

           <感謝合掌 令和元年8月24日 頓首再拝>

「努力の壺」 - 伝統

2019/08/29 (Thu) 19:04:26

「努力の壺」の話(あるお母さん)

         *Web:今日も良いことがあるように(2019/01/24)より

★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆

人間はね、
何かの目標を自分で決めると、
神様からプレゼントをもらうのよ

★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆

あるお母さん

小学生の女の子〇〇ちゃんの話です。

〇〇ちゃんは、お母さんから聞く「努力の壺(つぼ)」の話が大好きです。

何かに挫けそうなとき、

「お母さん、また、あのお話をして」

とお願いします。

すると、お母さんは、にっこり笑って尋ねます。

「おやおや、〇〇ちゃんは、いま、どんなことにチャレンジしているの?」

「いま、逆上がりをしているの。
でも、もう1ヶ月も練習しているのに、なかなかできるようにならない」

「そう、そうなの・・・」

お母さんは、〇〇ちゃんの傍らに腰掛け、
〇〇ちゃんをみつめて、ゆったりとお話を始めます。

「あのね、人間はね、何かの目標を自分で決めると、
神様からプレゼントをもらうのよ。

とても素晴らしいプレゼント。

それはね、目には見えない壺なの。

大きいのや小さいのや、いろいろあるのよ。

そして、その人が目標に向かって少しずつ努力していくと、
その壺に少しずつ努力がたまっていくの。

だから、「努力の壺」。

ずっとずっと努力を続けていると、
その壺に少しずつ少しずつ努力がたまっていくの。

そうして、いつしか壺がいっぱいになる。

そして、壺から努力があふれたとき、その人の夢や目標が突然にかなうのよ。

〇〇ちゃんが今度もらった壺は、だいぶ大きいみたいね」


〇〇ちゃんは、この話を聞くと、また頑張ろうという気になるそうです。

努力をいっぱいためようと思えるのだそうです。

素直だな ―― 。

素直なら、「やる気」というプレゼントも、もらえんだな、きっと・・・。

今日のお話は、ある小学生の作文がもとになっています。

前にクラスの子どもたちに読んであげた作文の記憶を頼りに、
ちょっと脚色してお伝えしました。

あきらめずに、コツコツやっていると、パッと花開くものですね。

コツコツコツコツコツコツコツコツコツコツコツコツコツコツコツコツ

(挫けそうになる、それでも)

コツコツコツコツコツコツコツコツコツコツコツコツコツコツコツコツ

(あきらめそうになる、それでも)

コツコツコツコツコツコツコツコツコツコツ・・・・・・・・

(すると、ある時・・・)

パッ ?

と、花開きます。


努力を惜しまずに夢をかなえよう。

    ( https://lucky.t-nakai.work/2019/01/24/story-17/ )

           <感謝合掌 令和元年8月29日 頓首再拝>

イノシシとキツネ - 伝統

2019/08/30 (Fri) 18:37:31

           *イソップ 寓話 より


イノシシが木のそばに座って、せっせとキバを研いでいました。

牙を研いでいるイノシシを見て、キツネが不思議そうに尋ねました。

  「イノシシさん。どうして君は牙を研いでいるの?

   猟師がいるわけでもないし、危険が迫っているわけでもないのに。」


それを聞いてイノシシが答えます。

  「たしかにそうかもしれない。だけど、いざという時に牙を研いでいたら

   間に合わないからさ。面倒でも、こうして牙を研いでおけば、

   いますぐにその時が来ても大丈夫なんだよ。」

   ( http://hukumusume.com/douwa/pc/aesop/06/06.htm )

              ・・・

この話はイソップ寓話の中の一つで、
不断の努力と普段の準備の大切さを示唆しています。

チャンスに際してもピンチに際しても状況を有利に運ぶには、
いざという時のために普段どのような準備をしているかということが大切です。

           <感謝合掌 令和元年8月30日 頓首再拝>

名作『泣いた赤鬼』とその後の物語 - 伝統

2019/08/31 (Sat) 18:19:26


         *Web:今日も良いことがあるように(2019/04/12/)より

子どもの頃、『泣いた赤鬼』の話を一度は読んだことがあるでしょう。

最後の場面で、主人公の赤鬼は親友の青鬼の手紙を読んで泣くのですが、
この物語は、決して悲しいだけの話ではありません。

むしろ外見にはとらわれない心の優しさ、
本当の友情のあり方などを教えてくれる心温まる物語です。

今日は、この物語を再び、思い出してみましょう。

では、ストーリーを短く要約し、最後の青鬼の手紙をご紹介します。


   ある山奥に、心の優しい赤鬼が住んでいました。

   人間と仲良くしたいけれど、自分の思いを受け入れてもらえない赤鬼のために、
   友だちの青鬼は一計を案じます。

   二人で芝居をしようと提案をするのです。

   「まず、村で、僕(青鬼)が暴れる。
   そこへ君(赤鬼)がやってきて、僕(青鬼)を追い払う。
   すると、人間は君(赤鬼)を信用するようになる」

   という筋書きの芝居です。

   「それでは青鬼くんにすまない」

   としぶる赤鬼を青鬼は、村に無理やり引っ張っていって、この計画は成功しました。

   赤鬼は願いどおり村の人たちと仲良くなれます。

   でも、青鬼はそれっきり姿を見せなくなりました。

   あの芝居のときに、わざと自分で柱に額をぶつけて
   具合を悪くているのかもしれないと心配した赤鬼は、
   ある日、青鬼の家を訪ねてみます。

   しかし、青鬼の家の戸は固くしまっていました。

   その戸のわきに、手紙が貼りつけてあるのを赤鬼は見つけます。

   「アカオニクン、ニンゲンタチトハ ドコマデモ ナカヨク
   マジメニ ツキアッテ タノシク クラシテ イッテ クダサイ。
   ボクハ シバラク キミニハオメニカカリマセン。

   コノママ キミト ツキアイヲ ツヅケテイケバ、ニンゲンハ、
   キミヲ ウタガウ コトガ ナイトモ カギリマセン。

   ウスキミワルク オモウナイデモ アリマセン。

   ソレデハ マコトニ ツマナラナイ。

   ソウ カンガエテ、ボクハ、コレカラ タビニデル コトニ シマシタ。

   ナガイ タビニ ナルカモ シレマセン。
   ケレドモ、ボクハ、イツデモ キミヲ ワルレナイ。

   ドコカデ、 マタ アウ ヒガ アルカモ シレマセン。

   サヨウナラ。
   キミ、カラダヲ ダイジニ シテ クダサイ。

   ドコマデモ キミノ トモダチ
   アオオニ」

   赤鬼は、黙ってそれを繰り返し読みました。

   そして、戸に手をかけ、顔をおしつけ、涙を流すのでした。



この物語のタイトルは『泣いた赤鬼』なのですが、 
この手紙を書き、旅立った青鬼も泣いていたのでしょうか。

それはこの物語に書いていないので、私たちの想像が許されることです。

私は、青鬼も泣いていたと考えています。

ひとりで山奥に住む青鬼には、恐らく赤鬼しか友だちがいなかったはずです。

その唯一の親友の赤鬼が願っていたことは、人間と親しくなりたいということ。

青鬼は、赤鬼の願いを自分が犠牲になって叶えてあげます。

そして、赤鬼が人間に疑われないように、自分は姿を消すことを選びます。

「ボクもキミといっしょに仲良く暮らしたかった」

そんなことは一言も言わずに、

「キミ、カラダヲ ダイジニ シテ クダサイ。」

赤鬼の幸せが続くことを祈りながら、あの手紙を書いたのです。


しかし、旅立つ青鬼は、涙を流しながらも、これでいいと思っていたはずです。

赤鬼の願いの叶うことが青鬼の願いでしたから。

それが青鬼の喜びであり、幸せであったのですから。

旅立つ青鬼は、ひとりぼっちになったのではありません。

旅立つことで、より強く赤鬼と結びついたのです。

「ドコマデモ キミノ トモダチ」

この青鬼の最後の言葉は、赤鬼の心情でもあります。

遠く離れても、二人はさらに強い友情で結ばれたのです。



さて、その後、赤鬼にはどうしたのでしょうか。

私の想像では、赤鬼は涙をふきながら、次のような手紙を青鬼にしたためます。



   青鬼くん

   おかえりなさい。

   長旅で疲れてはいませんか。
   持病の腰痛はだいじょうぶでしたか。

   青鬼くん、本当にありがとう。
   おかげで、ぼくは人間たちとやっと仲良くなれました。

   でも、そのために青鬼くんがいなくなってしまうのは、とても辛いことです。

   ぼくは、人間たちに、本当のことを話します。

   君がぼくのためにしてくれたこと。
   そして、君がどんなに優しい鬼かということも伝えます。

   きっと人間たちはわかってくれます。
   君をあたたかく受け入れてくれます。

   青鬼くん、君と会いたいです。

   この後、君を探しに行きます。
   でも、どこを探せばいいか、わかりません。

   だから、君がここにまた帰ってくるのを期待して、この手紙を書いているんです。

   君と会いたいです。

   いますぐにでも会いたいです。

   帰ってきたら、すぐにぼくに知らせてください。

   お願いです。お願いです。お願いです。

   ドコマデモ ドコマデモ ドコマデモ キミノ トモダチ 赤鬼



このあとのストーリーは、みなさん、考えてみてくださいね。

ちなみに、私の考えるストーリーです。


   ある日、木を伐りに行って山の奥に行った村人二人が
   青鬼が川のそばに倒れているのを見つけます。

   「あっ、あれは青鬼さんじゃないか」

   その後、村人は赤鬼から、
   青鬼は実は悪い鬼ではないと知らされていましたので、
   警戒心はありません。

   近づいていると、やせ細った青鬼は倒れたまま動けそうもありません。

   「腹を空かせているのかいな。おにぎり一つしかないが、食べてくれなされ」

   村人の一人がおにぎりを差し出すと、よほど空腹だったのか、
   青鬼は一息で食べました。

   「赤鬼さんを呼んでくるから、ここで待っていてくれ」

   村人がそう言って立ち去ってから、1時間ほどして、
   赤鬼が走ってやってきました。

   背中には、食べ物をいっぱいつめたふろしきを背負っています。

   「青鬼くん、ああ、青鬼くん、行く当てもなく旅に出て、
   こんな姿になってしまったのか」

   赤鬼は、薄汚れやせ細った青鬼を抱き寄せ大粒の涙を流しました。

   青鬼も泣いているような、笑っているような顔で、
   目にいっぱいの涙をためていました。



私たちは、決して一人ではありません。

私たちも、誰かのおかげで、誰かとともに、幸せになれます。

優しさと優しさが共鳴して、幸せが生まれるものです。

友情を大切にしよう。

   人は誰かのおかげで、誰かとともに幸せになれます。(^.^)

【出典】『泣いた赤鬼』浜田廣介作

    ( https://lucky.t-nakai.work/2019/04/12/story-52/ )

           <感謝合掌 令和元年8月31日 頓首再拝>

三車火宅(さんしゃかたく)の喩 - 伝統

2019/10/03 (Thu) 19:04:06


      *Web:いのちの納得(2014-11-24)より

法華経の中のお話で「三車火宅」というお話があります。

【ある時、長者 の邸宅が火事になりました。
中にいた子供たちは遊びに夢中で火事に気づかず、
長者が説得するも外に出ようとしません。

そこで長者は子供たちが欲しがっていた
「羊の車と鹿の車と牛車の三車が門の外にあるぞ」といって、
子供たちを導き出しました。

その後にさらに立派な大白牛車(だいびゃくごしゃ)を与えたのでした。

この物語の長者は仏。

火宅は苦しみの多い三界、子供たちは三界にいる一切の衆生。

羊車・鹿車・牛車の三車とは声聞・縁覚 ・菩薩 (三乗)。

大白牛車である一乗 の教えを与えることを表しています。】

  (https://ameblo.jp/tukusinbou48/entry-11954328070.html )

              ・・・

火宅(かたく)に居ることに事前に気付くことで無難に

       *Web:伊勢ー白山 道(2019-10-02 )

(1)平和に慣れすぎ、その有難さに気づかない多くの日本人。

(2)風雲急を告げる世界情勢。

(3)自分が火宅の家の中に居ることに、
   もし「気付ければ」助かります。

  (https://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/e/815bc8dac5b2a04c7bd1d1e904352b16 )

           <感謝合掌 令和元年10月3日 頓首再拝>

3人の優しい天使が目を覚ます話 - 伝統

2019/10/06 (Sun) 21:34:46


       *Web:今日も良いことがあるように(2019/06/18)より

作者不明なのですが、とてもいい話なので、ご紹介します。


  あるところに1人の少女がいました。

  少女はちいさな手に、きれいな愛らしい花を3本持っていました。

  これからおばあちゃんのお見舞いに行くために途中のお花畑で摘んできたのです。

  おばあちゃんのお家についた少女は

  「おばあちゃん、いつもわたしに優しくしてくれてありがとう。
   これ、おばあちゃんにプレゼントよ。」

  と持ってきたお花を花瓶に入れて、おばあちゃんの枕元におきました。

  おばあちゃんは少女に言いました。

  「いいかい、おばあちゃんがこれから言うことをよく聞いて、
   その通りにするんだよ。」


  「うん、わかったわ、おばあちゃん。どういうお話なの? 早く聞かせて。」


  「おまえはいつもおばあちゃんにお花を持って来てくれるこころの優しい子だね。」


  「うん、だっておばあちゃんがいつもわたしに優しくしてくれるから、
   わたしもおばあちゃんに優しくしたいのよ。」


  「そうかい、おばあちゃんはおまえのような孫をもってとてもうれしいよ。
   そんな優しいおまえに言っておきたいことがあるんだよ。

   人に優しくされたら、優しくしてくれた人にだけ優しさを返すんじゃないよ。
   優しくされたらその優しさを別の3人の人に返しなさい。」


  「どうして? おばあちゃん。
   どうして優しくしてくれた人とは別の人に優しさを返すの?」


  「いいかい、優しくしてくれた人だけに返そうとして、
   もしもその人がいなくなったらどうする?
   返す相手がいないんじゃ、優しささんが寂しがるだろ。
   だから、別の3人におまえのもらった優しさを返すんだよ。」


  「ふ~ん、よくわからないけど・・・どうして3人なの? おばあちゃん。」


  「それはね、『3』というのは魔法の数だからだよ。
   おまえが3人のひとに優しくすると
   3人の天使が目を覚まして奇跡を起こしてくれるんだよ。」


  「なんだかおとぎ話みたいね。わかったわ、よくおぼえとくわ。
   ありがとう、おばあちゃん。わたし、そろそろお家に帰るね。 」


  「そうだね、もうお家に帰る時間だね 。気をつけてお帰り。
   今の話を忘れてはいけないよ 。」


  「わかってるわ、おばあちゃん。」


  「じゃあ、最後におまえを抱きしめさせておくれ。」


  「うん」


  「気持ちいいね、おばあちゃん。」


  「気持ちいいよ・・・」


  次の日・・・

  少女がいつものようにお花畑でお花を摘んでおばあちゃんのお家にお見舞いにいくと

  おばあちゃんは・・・もう・・・この世界にはいなくなっていました。

  少女はきのうのおばあちゃんの言葉を思い出しました。

  そして、手に持った3本のお花を帰り道に出会った3人の知らない人に
  少女の優しさを添えて渡しました。

  優しさの花をもらった3人は、
  とても嬉しくて自分も同じことをしようと
  次の日に別の3人に優しさの花をあげました。

  3人がそれぞれ3人にあげたので優しさの花をもらった人は9人になりました。

  3日目、その9人が同じように優しさの花を
  それぞれ3人の人にあげたので優しさの花をもらった人は27人になりました。

  4日目には27人がそれぞれ3人にあげたので
  優しさの花をもらった人は81人になりました。

  5日目には243人

  6日目には729人

  7日目には2187人になりました。

  毎日、優しさの花をもらった人が
  3人の人に優しさの花をあげる。

  この行為をくりかえしていると・・・

  10日目には59,049人

  14日目には4、782,969人

  20日目には34億8千678万4401人

  21日目には104億6035万3203人

  と、もう、地球上の人々よりはるかに多い数になっていました。


  たった1人のちいさな少女がたった1人のおばあちゃんに
  最後に言われた言葉を信じて3人の人に優しさをわけました。

  それがわずか21日で世界中のすべての人に優しさが行きわたりました。



▼「優しさの花」とは、親切なおこないであったり、優しい言葉であったり、
温かな笑顔であったりするのでしょう。

▼この話を読んだ人が、だれか3人に優しさの花をプレゼントしたら、
3人の天使が目を覚ましてくれるかもしれません。

「私たちはこの世では大きいことはできません。
 小さなことを大きな愛でするだけです」(マザー・テレサ)

    ( https://lucky.t-nakai.work/2019/06/18/story-80/ )

           <感謝合掌 令和元年10月6日 頓首再拝>

心に太陽を持て。くちびるに歌を持て。 - 伝統

2019/10/07 (Mon) 18:22:35


       *Web:今日も良いことがあるように(2019/06/10)


▼詩「心に太陽を持て」という素晴らしい詩があります。

1989年に、児童文学者の山本有三さんが紹介した詩
(ドイツの詩人・ツェーザル・フライシュレン作)で、
いまも世代を越えて、心に勇気や元気を与えてくれます。


     心に太陽を持て。

   あらしが ふこうと、
   ふぶきが こようと、

   天には黒くも、
   地には争いが絶えなかろうと、

   いつも、心に太陽を持て。

   唇に歌を持て、
   軽く、ほがらかに。

   自分のつとめ、
   自分のくらしに、

   よしや苦労が絶えなかろうと、

   いつも、くちびるに歌を持て。

   苦しんでいる人、
   なやんでいる人には、
   こう、はげましてやろう。

   「勇気を失うな。
   くちびるに歌を持て。
   心に太陽を持て。」

       山本有三:編『心に太陽を持て』(改定版より)


▼勇気と元気がわいてくる詩ですね。

私も小学生のときに、この『心に太陽を持て』という本を読んで、
いまでも忘れられない物語があります。

要約してお届けします。こんなお話でした。


      「くちびるに歌を持て」

   イギリスの北部の海で、深い霧のために、一そうの船が大型船と衝突し沈没しました。
   まっ暗な嵐の夜の海の中に、多くの乗客や船員が投げ出されてしまいます。
   救助は難航しました。

   冷たい海で救助を待ち、ただひとり暗い波の間に浮かんでいた男がいました。
   男は疲れはて、もはや長くは泳いでいられないような気がしました。

   死にたくないと、助けを呼びましたが、救助のボートはやってきません。

   さっきまで、助けを求めてわめき叫んでいた声の数々波に飲み込まれ、
   あたりは墓場のように静まりかえっていました。

   このままでは、こごえ死んでしまうのではないかと思った男は、
   手足を水の中で動かしながら、一心に祈りをささげていました。

   すると遠くから、突然、きれいな歌が聞こえてきました。

   その天使のような歌声に元気づけられ、
   男はその歌声の方へ霧の中を泳いでいきました。

   すると、何人かの婦人が大きな材木につかまっているのを見つけます。

   歌を歌っていたのは その中のひとりのお嬢さんでした。

   元気を取り戻せたことに、男はお礼を言います。

   しかし、しばらくすると、まわりの婦人たちは、
   救助が来ないことに、不満をもらし始めました。

   男はそれにあいづちを打ちます。

   ところが、お嬢さんはその会話には耳を課さないで、また歌を歌い始めます。

   いくらグチをこぼしても決して救命ボートはやってこない。
   自分もお嬢さんの歌を聞いてここへ泳ぎついた。

   男はそう気づくと、他の婦人たちにみんなが知っている
   童謡や民謡をみんなで歌うことを提案し、合唱がはじまります。

   何曲も繰り返し、歌うのをやめてしまった人がいても、
   お嬢さんは合唱の中心になって美しい歌声をふるわせていました。

   すると、遠くの方で何か音がします。

   救助のボートでした。

   それを見てグチを言っていた婦人は、声をたてて泣き出しました。

   そこにいた全員はボートに引き上げられました。

   みんな死人のようにぐったりしていましたが、
   男はお嬢さんの前に行って、丁寧に言いました。

   「お嬢さん、あなたの歌が、わたしたちを救ってくださったのです。
   ありがとうございます。ありがとうございます」



▼くちびるに歌を持て。

心に太陽を持て。

私たちも、

辛いときでも、苦しいときでも、

希望を失わずに、愛をもって、

人の心を温かくするような言葉を
発することができればいいですね。



心に太陽を、くちびるに温かな言葉を・・・ (^.^)

・・・・・・・・・・・・・・

【出典】山本有三編著『心に太陽を持て』 (新潮文庫)

「新編・日本少国民文庫」に収録され、世代を越えて読み継がれてきた
山本有三の掌編集を読みやすくリニューアルしたものです。

21篇の小話には困難に負けず明るく生きるというテーマが流れています。

  ( https://lucky.t-nakai.work/2019/06/10/story-38/  )

           <感謝合掌 令和元年10月7日 頓首再拝>

笑いきつねと、とうふ売り - 伝統

2019/12/30 (Mon) 17:48:38


        *Web:警固神社~今益稲荷神社 より

天神が今のように栄えるずっとずっと昔、
とうふ売りの宗兵衛さんという若者がいました。

暮らしは貧しいけれど、とてもまめに働く若者で、
朝早くから一生懸命とうふを作り、眠たい目を
こすりながら街中に売り歩いておりました。

宗兵衛さんはとても信心深く、
とうふ売りの途中に神社に立ち寄るのが日課で、
毎日手づくりの油揚げをお供えしていました。

 
そんなある日、いつものようにお供えしようとすると、
鳥居の陰から、ぴょこんと小ぎつねが顔を出しているではありませんか。

「こりゃたまげた、本物のおきつねさまが出らしゃった!
油揚げが食べたいんじゃろう。ちぃと待っとれ」

宗兵衛さんが油揚げを取り出し、そっと参道に置くと、
小ぎつねはおそるおそる近づき、鼻でくんくんとにおいを嗅ぎます。

それから一口、さらにもう一口と食べはじめ、ぺろりと平らげてしまいました。
さぞかし美味しかったのでしょう。小ぎつねはにっこりと笑って、
おじぎをして去っていきました。

たまたまその光景を見ていたのが、天神に住んでいた名のあるお武家さま。
お武家様の娘はたいへん内気で、今までに一度も笑ったことがありませんでした。

小ぎつねの笑顔に、これはもしかしたら ・・・・・・ と思ったお武家さま。
宗兵衛さんの油揚げを買って家に帰り、娘に食べさせてみました。

するとどうでしょう。
美味しさのあまり、笑顔がこぼれたではありませんか。

この噂はまたたく間に町中に広がり、
宗兵衛さんのとうふ売りはたいそう繁昌しました。

この話はずっと語り継がれ、「笑いきつね」は、
いつしか商売繁昌の使者としてまつられるようになったとさ。

   ( https://kegojinja.or.jp/imamasu/ )

           <感謝合掌 令和元年12月30日 頓首再拝>

人間万事塞翁が馬 - 伝統

2020/01/03 (Fri) 18:18:12


むかし、
中国北方の塞(とりで)近くに住む
老人(塞翁)の馬が胡の地方に逃げ出した。

人々は気の毒がったが、老人は、
「そのうちに福が来る」と言った。

そしてその馬は、
胡の駿馬を連れて帰って来た。

人々はこれを祝った。


しかし老人は、
「これは不幸の元になる」と言った。

そして駿馬に乗った老人の息子は
落馬して足の骨を折った。

人々は見舞いに来た。

しかし老人は、
「これが幸福の元になる」と言った。


そして1年後、
戦争が起こり若者はほとんど戦死したが、

骨折していた老人の息子は、
兵役を免れ、戦士を免れた。

(詳細は → http://kotowaza-kanyouku.com/saiougauma にて)

            ・・・

「人間万事塞翁が馬」

…人生における幸不幸は
予測しがたいということ。

幸せが不幸に、不幸が幸せに
いつ転じるかわからないのだから、
安易に喜んだり悲しんだり
するべきではないというたとえ。

- 故事ことわざ辞典より -

           <感謝合掌 令和2年1月3日 頓首再拝>

ねずみの恩返し - 伝統

2020/01/05 (Sun) 18:54:32


       *「イソップ寓話集」より

ライオンが眠っていると、
顔の上をネズミが駆け上がって、起こされてしまいました。

怒ったライオンは起きあがってネズミを捕らえ、殺そうとしましたが、
ネズミは許しを乞い、「命を助けて下さったら、必ず、御恩に報います。」
と言いました。

ライオンは笑い、彼を放してやりました。

ほどなくして、ライオンは、猟師達に捕らえられ、強い縄で括り付けられました。
ネズミは、ライオンが嘆く声を聞きつけて駆けつけると、
縄を歯で噛み切り、彼を助けました。

ネズミは言いました。
「あなたはあの時、私に恩返しなんか出来ないと思って、笑い飛ばしていましたね。
でも今はおわかりでしょう。ネズミがライオンに恩返しすることだって出来るんです。」

   (http://greatest-stories.net/aesops-fables/11.html )

           <感謝合掌 令和2年1月5日 頓首再拝>

ネズミの相談 - 伝統

2020/01/06 (Mon) 18:29:56


       *「イソップ寓話集」より

ネズミたちは、いつも猫に酷い目に遭わされていた。

ネズミたちはこの現状を何とかしようと集まって相談することにした。

すると、その中の一匹が、
「猫が来たらすぐわかる様に、猫の首に鈴を付けよう!」
と提案する。

みんなは名案だと大喜びした。

しかし別のネズミが一言、
「でも誰が猫の首に鈴を付けるのさ」
とみんなに問うと、誰もその役を買って出るネズミは居なかった。

https://lab.qrious.jp/column/bell-the-cat/

           <感謝合掌 令和2年1月6日 頓首再拝>

ねずみ浄土 - 伝統

2020/01/27 (Mon) 22:48:40


         *「日本昔話」より

干支、びっくりねずみ昔々ある所におじいさんとおばあさんが住んでおったー。
おじいさんは山へきのこや山菜を採りに出かけたー。

お昼になったので、ばあさんが作ってくれたオムスビを食べようとしたら、
手が滑ってころころと落ちて転がって行ったー。
おじいさんが慌てて追いかけると、穴の中へ入って行ったー。

仕方なく、他のオムスビを食べようとしたら、穴の中からこんな歌が聞こえて来たのじゃー。

「オムスビ コロリン コロリンコ ジイサン コロリン コロリンコ」
おじいさんは楽しくなって、オムスビを全部穴の中へ転がしてしまったのじゃー。

「オムスビ コロリン コロリンコ ジイサン コロリン コロリンコ」
おじいさんはますます愉快になって、今度は自分が転がって行ったー。

すると広い穴の中では、ねずみたちがおじいさんのオムスビで餅をついておったのじゃー。
「オムスビ コロリン コロリンコ ジイサン コロリン コロリンコ」
おじいさんも一緒になって餅をついたのじゃー。

ねずみたちも大変喜んで、お礼に宝物をくれたのじゃー。
ねずみさんたちに別れを告げて、家に帰るとばあさんも大変喜んでくれたのじゃー。


その様子を、隠れて見ていた隣の悪いじいさんが次の日、山に出かけたー。
そしてオムスビを穴の中へ転がしたー。
「オムスビ コロリン コロリンコ ジイサン コロリン コロリンコ」

慌ててじさんは穴の中へ転がって行ったー。

そして、ねずみの宝物を全部持って行こうとたくらんで、猫の鳴きまねをしたんじゃー。
とたん、明かりが全部消えて穴の中は真っ暗になったー。

じいさんは怖くなってほうほうのていで家に戻って行ったのさ。

http://hakata.art.coocan.jp/eto/ne-h.htm

           <感謝合掌 令和2年1月27日 頓首再拝>

大国主命~ネズミの恩がえし - 伝統

2020/02/11 (Tue) 00:15:08


         *Web:産経WEST(2015.2.14 )より抜粋


八十神(やそがみ)の憎しみを受けて根の堅州国に逃れた
大国主命(おおくにぬしのみこと)は最初、
須佐之男命(すさのおのみこと)の娘、スセリビメと出会う。

2人は見つめ合い、やがてスセリビメは父の元へ行く。


 「いたく麗しき神来たり」


そう言う娘に須佐之男命は機嫌を悪くする。
娘を奪われるかもしれない父親の不快感である。

須佐之男命は大国主命をまず、毒蛇の洞窟で寝かせた。
それで無事だとわかると、ムカデと蜂の洞窟で夜を明かさせた。

それでも大国主命が無事だったのは、スセリビメが父の目を盗んで、
それらを寄せ付けない呪力のある布を渡していたからである。

 
須佐之男命は次なる手段として、大国主命を野原に連れ出した。
そこで鏑矢を射て、取ってくるように命じた。
大国主命が野原に入るとすかさず火を放った。
憎い男を一気に焼き殺そうとしたのだ。

 
進退窮まった大国主命の足元に突然、現れたのは鼠(ネズミ)である。


 「内はほらほら、外はすぶすぶ」


入り口は狭いが、内部は広いという言葉は、
鼠の住みかがそこにあることを伝えていた。

避難した大国主命は窮地を脱した。
鼠は鏑矢を探してきて、大国主命の元にくわえて戻って来さえした。

大国主命は火が収まるのを待ち、鏑矢を持って須佐之男命の元に帰った。

大国主命が死んでしまったと思い、
葬儀の道具を持って号泣していたスセリビメが喜んだのは言うまでもない。

 
この故事が、「だいこくさま」の絵図には必ず反映されている。
米俵と鼠。この2つがだいこくさまとセットになっているのは、
古事記にこの神話があるためなのだ。


では、なぜ鼠は大国主命を助けたのか。

筆者はここで、因幡の白兎を思い出す。
八十神たちと違って白兎を憐れみ、真実の治療法で救済した大国主命。
兎は預言者となって、大国主命をヤカミヒメへの求婚レースで勝たせる。

ここに書かれているのは、弱者に目配りを忘れない優しさが、
弱者からの支援という思わぬ形で報われる図式である。

こうした理想の指導者像が描かれているのが日本の神話の特徴なのだ。

 (https://www.sankei.com/west/news/150214/wst1502140002-n1.html )

・・・

<参照>伝統板・第二「大国主命」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6476713

           <感謝合掌 令和2年2月10日 頓首再拝>

変装した天使があなたのそばにも潜んでいる - 伝統

2020/02/13 (Thu) 00:22:25

        *Web:宇宙の兄弟たちへ(2019年12月4日)より

私たちは様々な人との出会いがあり、互いに愛し合う事もありますが、
憎みあい傷つけあう事もあります


人の多い所に住んでいると、待ちゆく人を見ても、
自分とは関わりのない他人としか見えなくなってしまいます

人の群れの中にある時に、自分の人生のかかわりのない人たちが、
ただ単に通り過ぎていくだけのように感じられるでしょう

ですが、私たちが出会った人の中には、
姿をかえて変装した天使たちが紛れ込んでいるかもしれません



奈良時代に聖武天皇の皇后で光明皇后という有名な方がいます

光明皇后は、奈良の大仏(盧舎那仏)の建造を進めたり、
全国に国分寺、国分尼寺を建立させたり、
現代の孤児院や病院にあたる施設をつくり、貧しい人たちに施されたかたです

そんな光明皇后にはある逸話があります

以前はらい病と呼ばれたハンセン病の患者がいて、痛くて苦しがっていました

昔はうつる病と思われ、また見た目から、他の人は恐れて看病されずにいます

光明皇后はこの患者を哀れに思って、口で膿を吸い出しました

するとその患者が仏様に変身したというのです

当時の人から忌避されていた患者が実は、仏様だったというのです

これは誰の中にも仏性・神性が宿っている事を示す逸話だと思います



フランスはパリにシェイクスピア・アンド・カンパニー書店という店があって、
そこは本を売るだけではなく、売れない新人作家などを
無料で宿泊させる宿もしていました

ただの本屋ではなく、若者を助け、文化を守る場所でもあります

ここは一度閉店しますが、志を継いだ方が同じ名前で再び始めました

この書店の壁には、

「見知らぬ人に冷たくするな、変装した天使かもしれないから」

という言葉が掲げられているそうです



仏教の法華経には、常不軽菩薩という
お釈迦様の前世のお姿とされる方の事が書かれています

この菩薩は、会う人すべてに頭を下げて礼拝したといいます

人々は彼を気味悪がり、嫌っていきます

しかし菩薩は人々に言いました
「私は深くあなたたちを敬って、軽んじたりしません。
なぜならば、あなたちはみんな菩薩の修行を行って、
ついには御仏となられるからです」

これを聞いた人々は、菩薩を罵り、棒で叩いたり、石を投げつけて追い払いました

それでも菩薩は
「私はあなたたちを軽んじたりしません。なぜならいつか御仏になるのですから」

常不軽菩薩は
そのようにすべての人を軽んじることなく、
いずれは偉大なものとなれると信じていました


あの『雨にも負けず』で有名な宮沢賢治は、不軽菩薩について詩を書いています

   不軽菩薩

   あらめの衣身にまとひ
   城より城をへめぐりつ
   上慢四衆の人ごとに
   菩薩は礼をなしたまふ

    (われは不軽ぞかれは慢
     こは無明なりしかもあれ
     いましも展く法性と
     菩薩は礼をなし給ふ)


   われ汝等を尊敬す
   敢て軽賤なさざるは
   汝等作仏せん故と
   菩薩は礼をなし給ふ
 
    (こゝにわれなくかれもなし
     たゞ一乗の法界ぞ
     法界をこそ拝すれと
     菩薩は礼をなし給ふ)



旧約聖書には旅人に扮した御使いの話しがあります

ソドムという不道徳が蔓延する街に、二人の旅人が訪れます

その姿を見た善人のロトという人物は、
彼らを招いて家に泊めてあげます

しかし、旅の者の姿を見たソドムの住人は、
なぶりものにしてやろうとして引き渡すように叫びます

ロトは何とか収めようとするのですが、彼らは聞きません

ついに旅人が彼らの前に出ると、みな目が見えなくしてしまいます

そして二人の旅人は実は自分たちが主のみ使いであり、
ソドムの街はやがて滅ぶことを告げます

ロトに家族を連れて街から逃げるように警告いたします

御使いというのは天使の事です


このように、私たちの身の回りにも、天使は潜んでいます

あるいはすべての人の中に、仏性や神性と呼ばれる、
神仏の子としての素質は存在しているという事です

  (https://www.spacebrothers.jp/2019/12/blog-post_4.html )

・・・

<参照>

(1)宮沢賢治と常不軽菩薩
    → https://blog.goo.ne.jp/fc5551/e/8172f4a3de89ee2abb8a73fbc254952c

(2)雨ニモマケズのデクノボー原型と賢治の誓願
    → https://plaza.rakuten.co.jp/jifuku/9009/

(3)不軽菩薩~宮沢賢治
    → https://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/53425_43323.html

(4)宮沢賢治と常不軽菩薩(じょうふきょうぼさつ)
    → https://microititaro.hatenadiary.org/entry/20041215

           <感謝合掌 令和2年2月12日 頓首再拝>

「ひなの国みせ」 - 伝統

2020/02/13 (Thu) 23:41:36

……………………………………………
子どもたちの優しさが切ない「ひなの国みせ」
……………………………………………

        *Web:コトバの力(2020年1月26日)より

ひな人形やひなまつりには、心温まる美しい話が残っています。

昔むかし……、春になり、桃の節句の季節になると、
女の子たちはひな人形をもって山に登ったものでした。

春のおだやかな陽ざしのなかで、女の子たちは小高い山に行き、
草のうえに着てきた晴れ着の羽織を広げます。

そして、ひな人形をかざるのです。

小さい人形という意味のひな人形です。
今のひな人形のように完成されたものではなく、とても素朴なものでした。

丘の上にひな人形をかざって何をするのかというと、
ひな人形に四方の春の美しい景色を見せてあげるのです。

これは「ひなの国みせ」といい、実際に行われていた風習です。

実は、ひな人形に、生まれてすぐ、あるいは幼くして
死んでしまった弟、妹のことをたくしています。 

旧暦では、ひなまつりのころには桃の花やたちばななどが満開です。
寒くて暗い冬が終わり、いっせいに花が咲きはじめ、
美しい変化をとげる春がやってきました。

「このようすを、弟や妹にも見せてあげたかったな」と
思う小さなお姉さんやお兄さんたちの優しい、切ない気持ちが伝わってくるようです。

昔は子どもが生まれるのも育つのも、大変な時代でした。
だからこそ、亡くなった弟、妹に、生きていればいっしょに楽しめた世界を見せてあげる。

そうやって遊んでいたのです。

・・・

日本の古来からの行事・風習にはいろいろな意味がこめられているんですね。

一つひとつの行事のいわれや意味を考えて体験すれば、
もっと日本を好きになれる様な気がします。

           <感謝合掌 令和2年2月13日 頓首再拝>

三河の守大江定基が出家した話 - 伝統

2020/02/26 (Wed) 14:09:51


       *Web:私の『今昔物語』(第19.2) より

今は昔、円融院の帝の時代に、三河の守(かみ)大江定基という人がいた。
慈悲の心をもち、非常に才能豊かな人であった。
六位の蔵人から五位に昇進し、三河の守に任ぜられたのだった。
 
さてこの定基、本妻の外に輝くように美しい若い女に恋をして、通うようになった。
この女への惚れ込み様は、一方ならぬものがあった。

そうこうするうちに、本妻に発覚。
本妻はこれを妬み激怒して、たちまち夫婦別れとなってしまった。

その後定基は、この若い女を妻としてともに棲んだが、
やがて任国の三河へこの女を連れて下った。
 
三河の地で、この女は重病に罹り、長い間ふせり苦しんだ。
定基は心をつくしてこの女のために、さまざまな祈祷などをして
女の病気の回復をはかったが、病は徐々に重くなった。

美しい女の顔はやつれ、身体も衰弱していった。
定基の嘆きは深かった。
とうとう女は病のために死んでしまった。

定基は悲しさのあまり、きまりの野辺送りもせず、
女の遺体を掻き抱いて添い臥していた。

数日の後、女の口を吸うと、ひどい死臭がする。
これにはさすがに耐え難く、疎ましい気持ちが起こり、なくなく弔いをした。

その後この定基は「この世はつらく苦しいものだ」と、仏をたのむ発心をしたのだった。

その三河の国には、風祭りという行事があった。
里人たちは猪を生け捕りにして、生きながらさばいているのを見て、
ますますうとましく道心をおこし、「早くこの国を出て、都に帰ろう」という思いが募った。

またある日、生きたキジを捕らえ携えもってきた者がいた。
守の言うには、「さあ、この鳥を活き造りにして食おう。きっと旨いに違いなかろう。」 
これを聞いて家来の中の、守に取り入ろうとする者は、追従し
「その通りでございます。旨くなかろうはずはございませぬ」としきりに勧める。

少しは分別のある者たちは、「むごいことをしようとするものだ」と思ったが、
口には出さなかった。
 
こうして、この生きたキジの羽根をむしらせた。
しばらくはパタパタとあがいていたが、それにはおかまいなくひたすら羽根をむしり続けると、
キジはその目から血の涙を流し、しばたたかせ人間たちの顔を見る。

そのむごさに耐えられず、そっとその場を去る者もあった。
また「鳥が泣いとおる」と笑い、容赦なくむしり続ける者もあった。

むしり終わり、さばかせる段になり、包丁が入るに従い血が流れでる。
包丁を拭きふきしてさらに続ける。
キジは断末魔の声をあげ事切れた。

さばき終わり、あぶり焼きにして味見をする者、
「ことのほか旨あであかんわ。死んだのをあぶり焼きにしたのとは格段の差だなも」
と言うのを、じっと動かずに聞いていた守は、大粒の涙を落とし、声をあげて泣き出す。

「旨い」と言った者は、肝を抜かした。
守はその日のうちに国府を出て都に上っていった。

出家の志し堅く、髪を切り僧侶になった。
その名を寂照と云った。
世間で三河の入道と云われるのがこの人なのだ。

    (http://parad.sakura.ne.jp/Konjaku/Konjaku1902.htm )

           <感謝合掌 令和2年2月26日 頓首再拝>

暗闇のなかの象 - 伝統

2020/03/04 (Wed) 14:21:12


          *「ビジネス寓話50選」 第13話 より

ある村に、1頭の象を連れたインド人の一行が訪れた。

象など見たこともない異国の人々の見世物にしようとしたのだ。
村の片隅の暗い小屋に、象はおとなしくつながれていた。

やがて象の噂を聞きつけて、村の人々が小屋を訪れた。
だが、小屋には明かりがなく、はっきり見えなかったので、
人々はおそるおそる象に触れ、それを確かめた。

 
ある人は象の鼻に触れ、「象とは、まるで水道管みたいな生き物だ」と言った。

別の人は耳に触れて、「水道管? いやいや、扇のような生き物のはずだ」と言った。

また別のある人は脚に触れて、「いや、柱みたいな生き物だよ、象は」と言う。

さらに別の人は、背中に触れて「みんな違う。象は王座のような生き物だ」と言う。

小屋を出ても、人々は口々に言い合ったが、結論をみることはなかった。
もしも小屋に蝋燭の明かりがあったなら、このような言葉の違いも生じなかっただろう。

(イスラム教の修行者スーフィーに伝わる話をもとに編者にて構成)

               ・・・

芯となるコンセプトを持つ

 象に触れた人々は、誰ひとりとして間違ってはいません。
 たしかに象は水道管のような鼻を持ち、扇のような耳を持ち、
 柱のような脚を持ち、王座のような背中を持った生き物です。

 しかし、全体を把握できないままに個別の部位だけに触れた人々は、
 自分が触れたものが鼻であり、耳であり、脚であり、背中であることすらも
 わからないわけですから、象が一体どんな生き物なのかを知ることはできません。


 これは、企業のセクショナリズムの問題と重ねることができます。

 企業を各役割ごとに特化したセクションに分けて専門性を高め、
 部分最適を進めていくことで、効率化が進み、成果が高まるという面は
 たしかにあります。

 しかし、セクション意識があまりに固定化すると、
 そこで働く一人ひとりが、自分自身がなんのために、
 なにを生み出しているのかがわからないまま、
 歯車として動いているとしか感じられないということになりかねません。

 さらには、自分の専門性のなかに閉じた、
 小さな発想しかできなくなるということも起こりえます。


 あるいは、ブランドを形づくる際のものの考え方にあてはめることもできます。

 象という生き物が鼻、耳、脚、背中といった部位の集合であるように、
 企業や商品も、機能、ロゴ、パッケージ、店舗、店員などの
 さまざまな要素の集合として形づくられています。

 それら一つひとつの要素がどんなに優れていたとしても、
 それぞれの要素が必然性なくバラバラだったとしたら、
 その企業や商品は決して魅力的なものになりません。

 魅力的な企業や商品をつくるには、あらゆる要素の真ん中に、
 それらの芯となるコンセプトを持つことが重要なのです。


 もうひとつ、プレゼンテーションの技術という文脈でもこの話は示唆的です。

 人に自分の考えを伝えるとき、全貌が見えないままに
 いきなり細かなデータの話などをしても、相手は戸惑うばかりです。

 まず、これから自分がする話のテーマがなにで、
 大きな結論がなんなのかを先に伝えることで、
 プレゼンテーションはずっと伝わりやすくなるのです。

 「One for all. All for one.」という言葉がありますが、
 「細部」と「全体」の有機的な連帯は、
 私たちの生活のあらゆる場面で大切なことなのです。

  (https://weekly.ascii.jp/elem/000/000/122/122292/

           <感謝合掌 令和2年3月4日 頓首再拝>

松のお話 - 伝統

2020/04/16 (Thu) 18:56:51


       *Web:ねずさんのひとりごと(2019/10/30)より

尋常小学読本四から、「松の木の話」をご紹介したいと思います。
これもまた、たいへん示唆に富んだお話です。
原文は漢字とカタカナ文ですので、いつものようにねず式で現代語訳します。

***

尋常小学読本四
第12 松の話

松の木は、青い針のような葉を持っています。
その葉は、たいてい2つづつ一緒になって付いています。

松の葉は、他の木の葉のように、
色が変わったり、落ちたりするようなことはありません。

ですから人が「松はめでたい木だ」と言って、門松(かどまつ)などにします。

あるとき、林の中に小さな松の木がありました。

たいそう自分の葉を嫌って、いつも
「金の葉を持ってみたいものだ」
と言っていました。


ある朝、目を覚まして見ますと、
葉がすっかり立派な金の葉に変わっていました。
松の木はたいそうよろこびました。

ところがまもなく人が来ました。
そしてその金の葉を、ひとつも残さず、取っていってしまいました。


松の木はたいそう悲しがりました。
そしてそれからは、
「カラスの葉を持ってみたいものだ」
と言っていました。

ある朝、松の木が目を覚ますと、どの枝にもガラスの葉が付いていました。
それは陽が映えて、たいそうきれいでした。
松の木は、またたいそう喜びました。


ところが間もなく、風が強く吹いてきました。
そしてそのガラスの葉を、ひとつ残らず吹き落として
壊(こわ)してしまいました。


松の木は、またたいそう悲しがりました。
そしてそれからは、

「金の葉や、ガラスの葉には、
 もう懲(こ)りてしまった。
 草のような葉を持ってみたいものだ」

と言っていました。

ある朝、目を覚ましてみますと、
どの枝にも、草のような葉が付いていました。
松の木は、たいそう喜びました。

ところが間もなく、牛が来ました。
そしてその葉をすっかり食べてしまいました。

松の木は、声をたてて泣き出しました。

そしてそれからは、

「金の葉や、ガラスの葉や草のような葉には
 もう懲りてしまった

 やっぱり元の、青い針のような葉が一番よい。
 どうかして早く元の通りになりたいものだ」

と言っていました。

ある朝、目を覚ましてみますと、すっかり元の通りになっていました。
松の木は、たいそう喜びました。

そしてそれからは、もう
「他の葉を持ってみたい」
と言ったことはありませんでした。

****

みなさまは、何をお感じになりましたか?

(中略)

(今の日本では)
個人の生活においても、他人の生活をうらやんだり、
手に入らないとわかれば悪口を言ったりと、

これまた読本の松の木のように、ないものねだりをしては、
結果、民度を下げています。


分をわきまえて生きる。

自分の分の中で、雄々しく、しっかりと人生をすごしていく。

そうしたことのたいせつさを、
戦前は、子供たちにしっかりと教えていたわけですね。



昭和天皇が終戦の翌年に詠まれた御製です。

 降り積もる
 深雪に耐えて
 色変えぬ
 松そ雄々しき
 人もかくあれ

大切な「お示し」だと思います。

   (https://nezu3344.com/blog-entry-4302.html

           <感謝合掌 令和2年4月16日 頓首再拝>

本当のわらしべ長者 - 伝統

2020/05/14 (Thu) 21:33:42


        *Web:ひかたま(光の魂たち)(2020年05月13日)より


日本昔話の一つです。

原話は
「今昔物語集」や「宇治拾遺物語」に記載が見られます。
現代までにいくつかのバリエーションがあります。


この中から「観音祈願型」のお話のあらすじをWikipediaから引用します。


   昔、ある一人の貧乏な男がいました。
   毎日真面目に働いても暮らしが良くならないので
   貧乏から何とかして逃れようと観音様に願をかけたところ、
   「初めに触ったものを、大事に持って旅に出なさい」とのお告げをもらいました。

   男は観音堂から出ると石につまずいて転び、
   偶然1本の藁しべ(藁)に手が触れました。

   男はお告げ通り、その藁しべを手に持って道を進んでいくと、
   彼の顔の周りを、大きなアブが飛び回り、煩くて仕方が無い。
   そこで男はアブを捕まえると、藁しべの先に結び付けました。

   すると、傍で大泣きしていた男の子がアブが結び付けられた藁しべを欲しがるので
   男は観音様のお告げを信じて譲ろうとしませんでしたが、
   大泣きに手を焼いていた男の子の母親が「蜜柑と交換しよう」と申し出たので、
   藁しべを男の子に譲り、代わりに蜜柑を受け取りました。


   さらに歩くと、喉の渇きに苦しんでいる商人がいました。
   彼は男が持っていた蜜柑を欲しがるので、
   持っていた上等な反物との交換、反物を手に入れた。


   一本の藁しべが上等な反物に代わったと喜んだ男は、旅の途中で侍に出会います。
   その侍は愛馬が急病で倒れてしまったが、急いでいるために馬を
   見捨てなければならない状況にありました。
   侍は家来に馬の始末を命じ、先を急ぐ。

   男は侍の家来に反物と馬の交換を申し出ました。
   家来は反物を受け取り、そのまま侍の後を追っていきました。

   男が水を汲んで馬に飲ませたところ、馬は元気を取り戻しました。
   男は馬に乗り、旅を続けました。


   道を進んでいくと、大きな屋敷がありました。
   ちょうど旅に出かけようとしていた屋敷の主人は、男に屋敷の留守を頼み、
   代わりに馬を借りたいと申し出ます。

   主人は3年以内に自分が帰ってこなかったら、この屋敷を譲ると男に言い出しました。
   男は承諾し、主人は馬に乗って旅に出発しました。

   しかし3年待っても5年待っても主人が旅から帰ってくることはありませんでした。
   こうして男は屋敷の主人となり、裕福な暮らしを手に入れることができたのです。



この真面目に働いても貧乏だった男が
人との交流で何かを与えることによって自分も何かを得ていく。
そしてどんどん豊かになっていく。

たった1本のわらが大豪邸に変わるなど
実際に限られた資源の物質界では、なかなか上手くこのようにいきません。


でも
この物語をエネルギー世界の話として解釈したら
どうでしょう。


人が誰かに何かを与えることによって
間違いなく自分も何か素晴らしいエネルギーが受け取れます。


与えれば与えるほど
与える方もどんどん受け取るエネルギーが増えていくのが
エネルギーの世界。


それを繰り返していくと、どんどん心が豊かになっていきます。

わらしべ長者の物語は
誰でも、例外なく起こることだったのです。


私たちは、ハートを愛で満たしていれば、
思いやり、優しさ、慈悲、癒しなど、
人に与えたくなるものがたくさんあることに気づきます。


この地球で共生しているのは奪い合うためではなく、
分け合うことを学ぶためです。


太陽は、光と暖かさとエネルギーを、
川は水を、
花は蜜と香りを、
皆に平等に分けてくれます。

自然界では、
あらゆる存在が
私たちに「与えることの大切さ」を教えてくれています。


これが
わらしべ長者の本当に言いたかったことなのです。

   (http://shindenforest.blog.jp/archives/82026574.html

           <感謝合掌 令和2年5月14日 頓首再拝>

苧環(おだまき)の糸 - 伝統

2020/05/28 (Thu) 14:59:20


        *Web:県民だより奈良(平成31年1月号)より

四方を緑濃い山並みで囲まれた奈良盆地。
その東南に、円錐形のひときわ秀麗な姿を見せる三輪山。

神が鎮まる神聖な山、また、人々の平和と豊かな生活を守ってくれる
特別な山として遠い昔から信仰されてきた。  

神様の名前は大物主大神(おおものぬしのおおかみ)。

今回はその神様の不思議な恋のお話。



昔、昔。活玉依姫(いくたまよりひめ)という美しい乙女のもとに、
夜な夜な大そう麗しい若者が通ってきた。姫はほどなく身ごもった。
 
姫の両親は、その若者の素性を姫にたずねたが、姫も分からぬまま。
そこで両親は、若者が訪ねてきたときに、床のまわりに赤土をまき、
苧環と呼ばれる糸巻きの糸を針に通して若者の着物の裾に刺すよう教えた。
 
翌朝、糸のあとをたどっていくと、糸は戸の鍵穴を通って、三輪山まで続いていた。
これによって若者の正体は三輪山の大物主大神であり、
姫のお腹の中の子は神の子であることが分かった。
 
その子は、大田田根子(おおたたねこ)と名付けられた。



三輪山麓の磯城瑞籬宮(しきのみずがきのみや)におられた崇神天皇の時代、
疫病がはやり、多くの人々が亡くなった。
 
憂えた天皇の夢枕に、大物主大神が貴人の姿で現れ、
「大田田根子に私を祭らせれば、災いもおさまり、国も平安になるであろう」と告げた。
 
早速、早馬を四方に出して探すと、茅渟県陶邑(ちぬのあがたのすえのむら)
(今の大阪府堺市あたりか)にいることが分かり、天皇のもとにお連れした。
 
天皇はその大田田根子を神主として大物主大神をお祀りしたところ、
疫病はたちまち収まった。五穀は豊かに実って農民は皆喜んだという。
 
三輪山麓にある大神神社では本殿はなく、
拝殿から三輪山を拝するという神祀(かみまつ)りの原初の形を今に伝える。

静寂と神々しさに包まれた、わが国最古の神社とされる。
 
大神神社の摂社で、
「若宮さん」と呼ばれ、大田田根子を祀る若宮社(大直禰子(おおたたねこ)神社)。

石段脇に、「おだまき杉」の古株が今も残る。
物語に登場する活玉依姫の苧環の糸がこの杉の下まで続いていたという伝説も残されている。

http://www.pref.nara.jp/51728.htm )

  (https://blog.goo.ne.jp/kf919jp/e/65df6f60638b68b86ccc16d773b643d6

           <感謝合掌 令和2年5月27日 頓首再拝>

田根子 - 伝統

2020/05/29 (Fri) 23:36:23


      *Web:古代史ロマン紀行 より

「おー、田根子(たねこ)さんじゃないか。
やれやれ、先年の疫病は恐ろしかったのー
わしは、長く生きとるが、あんな恐ろしい疫病が流行ったのは初めてじゃ。」

のどかな昼下がり。
わしは、のんびりと田の畔に腰を下ろしている若い男に声をかけた。

「ホントにそうでしたね。
長老も息災でなにより。
お互い、難を逃れて幸いでしたね。」

畔に腰を下ろしていた若い男、田根子さんは立ち上がり、
腰についた草を払いながらそう言った。

「田根子さんはともかく、わしのような老いぼれが生き残ったとて…。
若い者たちが次々と命を落としていくのを見るのは辛くてのー
田根子さんのご親族はみな無事だったか?」

「親族といっても、私は独り者ですからね。
母とは早くに死に別れ、父の顔さえ知らなく…。」

「そうだったのー
ところで、田根子さんや。
さっきから、役人たちがあんたのことを探しているぞ。」

「役人が?」

「ほれ。あっちから来る人の群れがそうじゃ。
何かやらかしたのかえ?
なんなら、わしが取りなしてやるが。」

「いや、私には何をやらかした憶えも…」

わしらは、土煙を上げて馬を走らせる一群を見た。

「長老。あれがお役人ですか?」

「はて?
わしが話に聞いた時よりかなり人が多くなっているが…」

一群に見えた人の群れは、どんどん長く続き・・・。

「50…60…70…
100人は超えていますよ、長老。
あれほどの人が私を探しに来たと?
それに、お役人にしては身なりがいやにきらびやかですが…」

「おぉーお、田根子さんやっ」
わしは、年甲斐もなく、奇声を上げてしまった。

「長老。どうされたので?」

「わしは、若い頃、一度だけ大王の行幸を遠くから拝見したことがあるのじゃ。
先代の大王の頃じゃがな。
あの様子は、よもや大王の臨御ではなかろうか?」

「よもや、そんなことが…。」

ついに、群は、わしらの元にやって来、
群の中で一番身なりの華やかな男が田根子さんの前で馬を止めた。

「そこにいる者。
そなたの名はなんと申す?」と、訊ねた。

「私は、大田田根子と申しますが…。」

「何ー! 大田田根子だとー!!」

わー、わしにも負けぬ奇声じゃ。

ん? しかし、いったいどうしたというのじゃ?

この男、何をそんなに驚いているのじゃ?

男はさらに問う。

「で、そなたはいったい誰の子だ?
偽らずに、誠のことを述べよ。」

「偽るもなにも…
私の父は大物主(おおものぬし)大神、母は活玉依媛(いくたまよりひめ)と申します。
が、母はとうの昔になくなり、父にもお目にかかった記憶はございません。」

「やはり・・・やはり・・・」
男は、ブツブツとつぶやくと、何を思ったのか、急に、

「おお神よ。私は栄えようとしているのだなぁ。」
と、今度は大声で叫び、馬から下りると膝をつき、天に向かって両手をあげた。

へ?
あかん…
この男、イカれてしもとる。

あっけにとられている田根子さんに、男は早口に告げた。
「私は、大和の大王ミマキイリヒコである。」と。

えーーーー!
確かに諸王、卿、八十諸部を召し連れているからには、
もしや大王さまの行幸では…と思いはしたが、ホントにこのイカれた男が大和の大王?
こんなのが大王で大和は大丈夫か~?

イカれた男は、いや大王さまは、この度の疫病を鎮める方策を天に問うたところ、
大物主神(おおものぬしのかみ)の息子である田根子さんが神官となり、
父である神を祀るのがよいという夢のお告げを得たと、
田根子さんに向かってまくし立てている。

なんかのー
わしも長く生きとるが、にわかには信じられない話じゃ。

「大田田根子よ。私と共に来てくれるな?」
大王は言った。

「大王さまの仰せとあらば。
私には、かの地においていくのが心残り…という親族も妻もおりませんし。」

「そうか、そうか。
諸事は、すべて、私の母方の伯父であるイカガシコオが行う。
そなたは、大物主神を敬い祀ってくれればそれでよい。」

「分かりました。」

田根子さんはそう言うと、今度はわしの方を向いて、

「長老。
母の死以来、孤児になってしまった私を、
ずっと見守って下さってありがとうございました。
私は大王と共に参ります。
そして、二度とこの国に厄災が訪れぬよう、
日々父である神に祈るつもりです。」

と言った。

「田根子さんや、行ってしまうのか。
寂しくなるのー。
身体に気を付けてのー。」

「長老よ。
そなた、地(ち)の者なら、この大和の国神(くにつかみ)である
オオクニタマ神を知っているか?」

ひらりと馬に乗った大王は、振り返りざま、今度はわしに向かってそう問うた。

「もちろんでございます。
地(ち)の者で、オオクニタマさまを知らない者などおろうはずがございません。」

「そうか。
実は、国神(くにつかみ)同士なら大丈夫かと思って、
大物主神とオオクニタマ神を共に祀ろうと占いをしたら、
それは『吉(よ)からず』と出た。

よって、田根子には大物主神を祀らせ、オ
オクニタマ神は長尾市(ながおち)に祀らせようと思う。
ほんに、国神(くにつかみ)とは、気むずかしい神よのぉ。」

「神々には、その領域がございますから。」

「そのようなものかな。
だが、これでようやくこの国も平らかになることだろう。」

「わしも、心からそれを願っております。
これ以上若い者が命を落とすさまを見とうはございませんから。」

「そうだな。
では長老。騒がせてすまなかった。
田根子よ、参るぞ!」

大王はそう言うと、田根子さんを連れて、風のように去ってしまった。

その後も、わしは驚くほど長く生きたが、
田根子さんが神官になってからは、疫病もなくなり、
五穀もすっかり実って、百姓も富み栄えたものじゃった。

( 疫病の流行 完 )

http://shoki.vivian.jp/nihon-shoki/sujin/ekibyo-ryuko.htm


<参照>

意富多多泥古(おおたたねこ)命・大田田根子命/日本の神々
http://tamtom.blog44.fc2.com/blog-entry-2052.html



伊勢ー白山 道(2020-05-28)
井の中のナントカ、大海を知らず。が明け始めること
https://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/e/574a69ccbd14d2d17a6730885c79b6b8

崇神天皇と三輪山の神
伊勢ー白山 道(2013-10-13 )
https://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/e/f1d14c1d533fb5b3166a8d152344b7a2

崇神天皇が熱病でうなされながら、見た夢
伊勢ー白山 道(2015-05-28 )
https://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/e/8aef50d90aee60121b68ce2a301cdfa3

           <感謝合掌 令和2年5月29日 頓首再拝>

或る西洋の寓話 - 伝統

2020/06/08 (Mon) 23:33:13

《或る西洋の寓話》

       *『 生長の家 』(昭和32年5月11日の法語)より

   或る日、父と子供とが花園の手入れをして草花に水をやっていました。
   子供は水道の栓にゴム・ホースをつないでホースの先から出る水を
   草花に濯(そそ)いでやるのが、楽しみでした。

   ところが突然その水道の水が停(とま)ってしまったのです。

   「お父さん、水が出なくなりました!! 」と其の子供は叫びました。
   父は振り返ってゴム・ホースを見ました。
   見ると、其の子供自身がゴム・ホースを右足で踏んでいるのです。

   「お前がホースを踏んでいるではないか」と、父は子に言いました。
   子供は気がついて右足を挙げますと、また元の通りゴム・ホースから
   水が豊かに噴出しはじめました。

   ところが暫くする子供はまた叫びました。
   「お父さん、また水が停まりました。
   足は挙げているのに水が停まったのです。」

   父がまた振返って見ますと、
   今度は子供の左足がゴム・ホースを踏んでいました。

   親からの無限供給があなたの日常生活に杜絶(とだ)えるのは、
   ちょうど此の譬え話の通りであります。

    <『 真理 』第9巻 生活篇第11章に収載>


《執着なき「其の儘の心」に本当の智慧が湧きます》

       *『 生長の家 』(昭和32年5月12日の法語)より

   ゴム・ホースの寓話は何を語るものでしょうか。

   水道の水は「神の無限供給」の喩(たと)えです。

   柔らかいゴム・ホースは、
   其の儘素直な柔(やわら)かな「受け入れる心」です。

   そのまま受ける柔(やわらか)い心である限りは
   自然法爾に供給が無限にやってくるのです。

   それに「自分の心」の執着の重荷がかかりますと、
   それが知らず識(し)らず人間的なハカライになって、
   無限供給のゴム・ホースの通路をふさいでしまうのです。

   「傍目八目(おかめはちもく)」と云う諺(ことわざ)があります。
   碁を打っている本人には「勝とう」と云う「執着の重荷」が
   「神の智慧の無限供給」のホースを時々踏み押(おさ)えてしまうから、
   神の智慧の流通を妨(さまた)げて、却(かえ)って
   ヘマな所へ石を打ったりするのですが、

   第三者たる観戦者は、自分が「勝とう」と云う執着の重荷がないから
   神の智慧が其の儘素直に流れ入(い)って来て、当事者その人よりも
   傍目(おかめ)で見ている人の方が良き智慧が湧いて来ると云う意味です。

    (『 真理 』第9巻 生活篇第11章 <P296>に収載)

           <感謝合掌 令和2年6月8日 頓首再拝>

『くつやのマルチン』(トスストイ) - 伝統

2020/06/19 (Fri) 20:05:44


【すべてのものには神が宿る】

      *メルマガ「人の心に灯をともす」(2020.06.11)より

 (弁護士、湯川久子氏の心に響く言葉より…)

   昔、何気なくテレビのアニメーションを見ていたとき、
   私が惹きつけられたのが『くつやのマルチン』という物語でした。

   原作はトルストイの童話です。


   マルチンは老いた靴屋で、一人ぼっちで寂しく暮らしていました。

   最愛の妻に先立たれて、息子と二人で暮らしていましたが、
   やがて息子も病気のために死んでしまいます。

   マルチンは生きる望みを失い、友だちが祭りに誘っても
   行く気にさえならず、引きこもっていたのです。


   ある日、訪ねてきた牧師から
   「古い聖書を綴(と)じ直して欲しい」と頼まれます。

   その夜、聖書を読みながら眠ってしまったマルチンに、
   神からのお告げがあったのです。

   「明日おまえを訪ねるからね」と。


   翌日、マルチンは朝早く目を覚ましました。

   いつもと気分は違っています。

   神様を出迎えるために一生懸命部屋を掃除していると、
   外に雪かきの掃除人を見かけて温かい紅茶をご馳走しました。

   掃除人はとても嬉しそうでした。


   しばらくすると、赤ちゃんを抱いた婦人が真冬の寒さの中、
   コートも着ないで歩いていました。

   マルチンは家に婦人を招き入れ、暖炉で温まってもらい、
   パンとシチューを食べさせ、自分の肩掛けをあげたのです。


   すっかり薄暗くなったころ、マルチンの店の前を
   りんご売りのおばあさんが通りかかり、カゴを肩から下ろして座り込みました。

  そこへ、貧しい少年がやってきてりんごを奪って逃げたのです。

   マルチンは、大急ぎで少年をつかまえておばあさんには
   子どもをゆるしてくれるように頼み、子どもにはりんごを一つ買って手渡しました。


   結局、神は現れませんでしたが、自分が
   世界で一番憐(あわ)れだと思っていたマルチンは、
   もっとかわいそうな人がいることに気づきます。

   そして、自分のような者でも、人にやさしくしてあげられることがわかり、
   何だか心の中がとても温かくなっていくのでした。


   その日の夜、マルチンが椅子に座って聖書を開くと、神が現れて、

   「今日おまえが出会った者たちはすべて私だよ」

   と語るのです。




   実は、この『くつやのマルチン』の原題は
   『愛のあるところに、神もある』というものです。

   私たちが愛のある行動をとるとき、
   そこに神がおられるのだということを伝えています。

   すべてのものを神を扱うように大切に扱えば、
   心豊かにあたたかい気持ちになれ、
   孤独や不幸な思いは消えてしまうのだということ。


   それに気づいたマルチンは、
   本来のやさしくて活動的な自分を思い出し、
   親友と一緒に町のお祭りへと出かけていくのです。

   私は、胸の奥がツンとするのを感じました。

   人は、どんな目にあっても愛のある場所から
   再出発することができるのだと感じたからです。


   『くつやのマルチン』には、多くの孤独な人たちが登場します。

   雪かき掃除人、赤ちゃんを抱いた婦人、
   りんご売りのおばあさん、貧しい少年。


   マルティンが失意のもとに閉じこもっていたときは、
   誰一人、マルチンの目には映らなかった人たちです。

   そして、マルチン自身も、
   誰からも見てもらえていない存在だったのです。

   孤独や死というのは、誰にとっても怖いものですが、
   もっと恐ろしいのは、存在を無視されながら生きるということ。

   それは、生きながらにして死んでいるようなものです。


   すべての人、すべてのものには神が宿るのだということ。

   それらを大切に扱うことは、つまり、
   自分を大切に扱うことに等しいのだということ。

   これは、日本には古くから伝わる
   八百万(やおよろず)の神の考え方に通じるものがあります。

   愛を持って行動していけば、そこには必ず、つながりが生まれ、
   孤独から抜け出すことができます。

      <『ほどよく距離を置きなさい』サンマーク出版>

            ・・・

面倒なこと、困難なこと、難しいこと、嫌なこと…

これらはすべて「神さまからのプレゼント」だと思えば、
逃げずに立ち向かうことができるかもしれない。

なぜなら、

「神さまは、なぜこのプレゼントを自分にくれたのだろう」

と考えるからだ。

「これにはきっと深い理由があるに違いない」、
「神さまが理由もなしにこんなことをするわけがない」、

と思ったとき魂の修行への道を一段進んだことになる。


人のことを気づかうこと。

人に温かな言葉をかけること。

人に親切にすること。


愛ある行動を起こすこと…

すべてのものには神が宿っているのだから。

・・・

<参照>
『くつやのマルチン』
http://www.cnet-sc.ne.jp/kohituji/ohanashi/martin.html


動画「靴屋のマルチン」
https://www.youtube.com/watch?v=_D1nNw7WYBI

           <感謝合掌 令和2年6月19日 頓首再拝>

『天使と繋いだ手』 - 伝統

2020/07/14 (Tue) 22:48:52


       *「四つの天使の物語」おにいる そうこ (著) より

 むかーし むかし
 まだ、人が地球に暮らしていなかった頃…


 人は宇宙を散歩しながら暮らしていました

 星々のあいだを
 右に曲がったり左にくねったりしながら
 まるでワルツを踊るように…


 美しい星を見つけると
 立ち止まってうっとりと眺めたり
 ときにはその星に降り立ってみたり


 その宇宙の中で
 とりわけ美しい星がありました


 その星の名前は「地球」


 人々は美しい地球を一目見ようと
 わざわざ地球のそばを通って散歩をしました


 あるとき誰かがつぶやきました


 あぁ、あの美しい地球という星で暮らしてみたいなぁ


 そのつぶやきは誰もが心に秘めていた想いだったので
 瞬く間に大きな声となり
 宇宙の中心にまで伝わりました


 宇宙の中心は人々にこう言いました

 あなたがたは地球に住みたいのですね

 しかし、もしも地球に住むのなら
 今の姿を変えなければなりません。
 それでもいいのですか?


 人々はたずねました

 どのような姿になるのですか?


 宇宙の中心はこたえました

 肉体という目に見える殻の中に入るのです。
 肉体の中に入ると今のように自由に動けなくなります。
 肉体は飛べないし時空を超えることも出来ません。
 行きたい所へは肉体を動かして移動するのです。


 半分の人々は
 そんな制限のついた暮らしは選びませんでした。

 半分の人々は
 それでも地球に行ってみたいと思い
 地球で暮らす道を選びました。



 地球に出発する日
 宇宙の中心は人々に贈る言葉を述べました。

 今、あなたがた1人につき1人の天使を授けます。
 天使たちは長い間、地球に暮らす生き物のお世話をしているので
 地球での暮らし方をよく知っています。

 決して天使とつないだ手を離さないようにしなさい。


 こうして人々は
 天使と手をつなぎ、二人一組で地球に降り立ちました。


 緑と水にあふれる地球は
 宇宙から眺める以上に美しい場所でした

 人と天使はかたときも、つないだ手を離しませんでした。
 泉の水をすくう時は天使の右手と人の左手を合わせてすくいました。
 天使の右手と人の左手で両手いっぱいの果物を採りました。
 

 手に入れたものは全て天使と二人で分け合いました。


 地球に暮らす生き物たちのお世話も
 手をつないで一緒にしました。



 長い年月がたち
 地球に暮らすことに慣れて来た人びとは
 天使と手をつないでいることが
 だんだんうっとうしくなってきました。

 天使とつないだ手を離せば
 両手いっぱいのモノを自分だけのモノにできるのになぁ

 天使とつないだ手を離せば
 天使の仕事を手伝わなくてもすむのになぁ


 あるとき
 ひとりの人が天使とつないだ手を離してみました

 すると手は簡単に離れました

 天使は離そうとする手を握り返しはしなかったのです


 それを見た人々は次々につないだ手を離しました


 両手が使えるようになった人々は
 片手で足りていた必要なものに加え
 もう片方の手の余分なものまで自分のものにしていきました

 余分なモノは「欲」という形で人々の心の中にたまっていきました

 「欲」は形あるものだけではなく
 「権威」や「名誉」などをどんどん溜め込んでいきました

 そのうち自分と他人とを区別して垣根を作るようになり
 他人の領域に手をつっこんで奪い取るようになりました

 自由になったもう片方の手は
 武器を作って、人や動物の命を奪ったり
 かつてあこがれてやって来た美しい地球に
 穴を開けたりするようになりました。

 それだけではなく
 人や生き物や、自分のハートにさえも穴を開けつづけているのです



 ひとりの女の子が片手を空に突き上げて叫びました

 わたしはこの手をあなたにささげます
 もう一度わたしと手をつないでください


 女の子に寄り添うようにしていた天使は言いました

 喜んで。
 わたしはいつもあなたの隣で
 あなたが手をつないでくれるのを待っていたのですから


 女の子は驚きました

 え!あなたはずっとわたしの隣にいたの?


 天使はやわらかい声で微笑みました

 そうですよ
 人がはじめて地球に来たときからずっと
 ひとりひとりに必ず1人の天使が寄り添っているのですよ


 みんなが天使と手をつなぐにはどうすればいいの?


 簡単なことですよ
 その片手を横に差し出すだけで
 天使は喜んで手をつなぎますよ
 あなたがかつて地球にやってきたときのようにね…


    ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚


私たちは天使さんの存在を忘れていませんか? 


天使さんたちは、私たちが助けを求めない限り、何も手を貸す事ができないそうです。


でもちゃんと傍で見守ってくれているのです。

  (https://ameblo.jp/aries-misa/entry-10580294830.html )

           <感謝合掌 令和2年7月14日 頓首再拝>

3人の天使 - 伝統

2020/07/15 (Wed) 21:31:50


      *Web:龍昌寺(7月の法話)より

地獄に落ちた罪人を裁くのは閻魔大王です。

罪人に閻魔さまがおたずねになります。

「お前は人間世界にいたとき、三人の天使に会わなかったか?」

罪人が恐る恐る答えます。  

「会いません。もし天使にお会いしていたら、
 いまごろ地獄へ落ちたりはしませんでしょう。」


「では間くが、杖にすがって歩く老人に会わなかったか? 
 病気にかかり、寝たきりの気の毒な病人に会わなかったか? 
 死んだ人に会ったことはなかったか?」

「大王さま、老人・病人・死人ならばいやというほど会いましたが、天使には……。」

「その老人・病人・死人こそが三人の天使であったのだ!」

これを聞いて驚く罪人に、閻魔さまは次のようにおさとしになります。

「お前は老人という天使に会いながら、
 やがて自分も老いてゆくことに気がつくこともなく、
 老人はきたないとののしった。

 病人という天使に会っても、
 自分もいつかは病気になるときがくることを思わずに、
 病人に対してやさしい言葉一つかけなかった。

 そして身をもって死を教えてくれた死人という天使に会ったとき、
 やがては自分も死んでゆかねばならぬ身である、
 せめて生きている間に少しでもよいことをしようという努力もせず、
 自分だけはいつまでも生きているように思って、死ということを全く考えなかった。

 その報いを受けて、いまお前は地獄へ落ちてきたのだ。
 地獄へ落ちたからといって、人をうらんではならない。

 もしうらむのであれば、生前になさねばならぬことをなさなかった
 自分自身をうらんで反省することだ!」


この話は『阿含経(あごんきょう)』という古いお経のなかに出てくるのですが、
とても明快に私たち凡夫へ、老・病・死の逃れ得ぬ大事について教えています。

   (http://www.ryushotemple.sakura.ne.jp/houwa/houwa07/houwa_07_01.html )

           <感謝合掌 令和2年7月15日 頓首再拝>

「三人の天使」 - 伝統

2020/07/17 (Fri) 00:39:58


       *「四つの天使の物語」おにいる そうこ (著) より

あるところにひとりの女の子がいました。

女の子はちいさな手に
きれいな愛らしい花を3本持っていました。

これからおばあちゃんのお見舞いに行くために
途中のお花畑で摘んできたのです。

おばあちゃんのお家についた女の子は、
おばあちゃん、いつもわたしに優しくしてくれてありがとう

これ、おばあちゃんにプレゼントよ、

と持ってきたお花を花瓶に入れて、おばあちゃんの枕元におきました



いい匂いだねぇ、ありがとうよ。

おまえはいつもおばあちゃんにお花を持って来てくれる、

こころの優しい子だね。

おばあちゃんは女の子に言いました


うん、だっておばあちゃんが
いつもわたしに優しくしてくれるから
わたしもおばあちゃんに優しくしたいのよ


そうかい、

おばあちゃんはおまえのような孫をもって、

とても嬉しいよ

そんな優しいおまえに言っておきたいことがあるんだよ。


なあに?おばあちゃん


いいかい、

おばあちゃんがこれからする話をよく聞いて、
その通りにするんだよ。


うん、わかったわ、おばあちゃん。

どういうお話なの? 早く聞かせて、早く!



いいかい、これからは、

人に優しくされたら、優しくしてくれた人にだけ
優しさを返すんじゃないよ。

優しくされたらその優しさを別の3人の人に返しなさい。


どうして?おばあちゃん

どうして優しくしてくれた人とは別の人に優しさを返すの?


いいかい、優しくしてくれた人にだけ返そうとして、
もしもその人がいなくなったらどうする?

返す相手がいないんじゃ、優しささんが寂しがるだろ、

だから別の3人におまえのもらった優しさを返すんだよ。


ふ~ん、よくわからないけど……

どうして3人なの?おばあちゃん


それはね、【3】というのは魔法の数だからだよ

おまえが3人の人に優しくすると

三人の天使が目を覚まして、奇跡を起こしてくれるんだよ

なんかおとぎ話みたいね

わかったわ、よくおぼえとくわ。

ありがとう、おばあちゃん。

わたし、そろそろお家に帰るね。



そうだね、もうお家に帰る時間だね、

気をつけてお帰り、

今の話を忘れてはいけないよ。


わかってるわ、おばあちゃん。


じゃあ、最後におまえを抱きしめさせておくれ


うん



気持ちいいね、おばあちゃん


気持ちいいよ……


次の日


女の子がいつものようにお花畑でお花を摘んで、
おばあちゃんのお家にお見舞いにいくと。

おばあちゃんは

もう

この世界にはいなくなっていました。



女の子はきのうのおばあちゃんの言葉を思い出しました。

そして手に持った3本のお花を、
帰り道に出会った3人の知らない人に、
彼女の優しさを添えて渡しました。


優しさの花をもらった3人の人はとても嬉しくて、

自分も同じことをしようと、
次の日に3人の人に優しさの花をあげました。


3人がそれぞれ3人にあげたので、
優しさの花をもらった人は9人になりました。


3日目、その9人が同じように優しさの花を、
それぞれ3人の人にあげたので、
優しさの花をもらった人は27人になりました。


4日目には27人がそれぞれ3人にあげたので
優しさの花をもらった人は81人になりました。

5日目には243人。

6日目には729人。

7日目には2,187人になりました。


毎日、優しさの花をもらった人が
3人の人に優しさの花をあげる。


10日目には59,049人

14日目には4,782,969人

20日目には34億8千678万4,401人

21日目には104億6,035万3,203人

と、もう、

地球上の人々よりはるかに多い数になっていました。


たった1人のちいさな女の子が
たった1人のおばあちゃんに最後に言われた言葉を信じて
3人の人に優しさをわけた。

それがわずか21日で、
世界中のすべての人に優しさが行き渡った。


おばあちゃんが話してくれた
3人の天使のおとぎ話。

わたしは今日あなたに
このお話を添えて優しさの花を渡します。

あしたあなたは
3人の人に、この話を添えて。
優しさの花を渡してください



21日後に
世界中の全ての人が
優しさの花を手にしています。

ありがとう

   (https://ameblo.jp/chachar-mo/entry-12225278437.html )

           <感謝合掌 令和2年7月16日 頓首再拝>

浦島太郎の真実 教訓としての話 - 伝統

2020/07/17 (Fri) 19:51:57


     *メルマガ「人間力」(2020.6.25)より

───────────────────

皆さんもよくご存じの「浦島太郎」のおとぎ話は、
一体何を伝えようとしているのでしょうか?

『致知』編集長が導き出した答えとは――。

皆さんもご一緒に考えながら、
読み進めてみてください。

…………………………………………………………

    『致知』編集長が
 12年前の経営計画発表大会で
    全社員に伝えたこと

~浦島太郎のおとぎ話は、何を物語るのか~

…………………………………………………………

我が社では毎年4月の始めに、
経営計画発表大会というものをやります。

この1年、我が社はこういう方向で行こうということを
全社員で確認しあうのです。
その時の社長発表では、経営や仕事だけでなく、いろんな話をします。

今年(2008年)は社員の皆さんが、
おやっというふうに反応を示したのが、浦島太郎の話でした。

浦島太郎の話は皆さんも、よくご承知だろうと思います。

童謡の歌詞にはこうあります。

 むかしむかし浦島は
 助けた亀に連れられて
 竜宮城に来てみれば
 絵にもかけない美しさ

 乙姫さまのごちそうに
 鯛やひらめの舞踊り
 ただ珍しく面白く
 月日のたつのも夢のうち

 遊びにあきて気がついて
 おいとまごいもそこそこに
 帰る途中の楽しみは
 みやげにもらった玉手箱

そうやって帰ってきたのはいいのですが、
故郷はまるで様子を一変し、知っている人も一人もいない。

途方にくれた太郎は、
「困った時以外は絶対に開けてはならない」
といわれていた玉手箱を思い出し、
いま困っている時だと、その玉手箱をあける……

あとは皆さんもご承知の通り、
太郎はあっという間に、おじいさんになってしまいます。


童謡はこう歌っています。

 心細さにふたとれば
 あけて悔しき玉手箱
 中からぱっとしろけむり
 たちまち太郎はお爺さん

幼少期に聞いて以来、
この話はずっと私の心の中に残っていました。

この逸話は一体私たちに
何を教えようとしているのだろうか
という疑問です。


・太郎は亀を助けた

・そのお礼に乙姫様に接待された

・太郎は接待を受け、竜宮城で心から楽しみ、礼をいい帰ってきた

・すると故郷は一変し、知人は一人もいなかった

・困った太郎は乙姫様がみやげにくれた玉手箱をあけた

・途端に太郎は老人になってしまった


よいことをしたはずの太郎がなぜ、
あっという間に老人にならなければならないのか。
なぜ、乙姫様はそんな玉手箱をみやげにくれたのか。

その疑問が長い間、私の心に残っていました。

もちろん、ずっとそんなことを
考えていたわけではありませんが、
時折その疑問が頭をもたげていました。

その疑問が一昨年、氷解しました。
ああ、そういうことだったのか、と。

もちろん逸話に正解はないのでしょうが、
何事も疑問が解けるのはうれしいものです。
小さな気づきですね。

私自身がどういう解答を見出したのか。


(以下、浦島太郎の続きです。)


私は創刊の時からこの雑誌の編集に携わってきましたが、
はっと振り返ったら30年の歳月が流れていた。
実に、一瞬の30年です。

まさに、浦島太郎です。
そういう思いがあっての話題でした……


想像するに、浦島太郎が竜宮城に行ったのは
20代か30代の元気旺盛の頃だったと思います。

それが帰ってきたら、故郷は一変、
知っている人も一人もいない。

それで太郎は困り果て、玉手箱を開けてしまい、
おじいさんになってしまったわけです。


もし仮に、太郎が昔を振り返ったり、
なつかしがったりしないでいたら……

つまり、知る人がなく、思い出の風景がなくとも、
そういうことに頓着せず、自分は若いし、体も健康なのだから、
この環境の中でまた新しい人生を精一杯に生きてみよう――

そういうふうに決心したら、太郎は困ることもなく、
従って玉手箱をあけずに、若い体のまま、
新しい人生の一歩を踏み出していくこともできたのです。


つまり、浦島太郎の話が私たちに教えているのは、

人は須らく
「いま」「ここ」に生きよ、

ということではないかと思うのです。

過去を思うな

未来を願うな

今なすべきことをなせ

と釈迦はいっています。

過去はよかったとか、あの時こうすればよかったとか、
過ぎ去ったことにいつまでもとらわれていてはいけない。

また、まだ来ない未来のことに思いをはせ、
未来に振り回されてはいけない。

それよりもいまなすべきことを確実になせ、
ということです。

この釈迦の教えを凝縮したのが禅ですが、
禅の教えの極意は
「いまここに全力投球して生きる」
ということに尽きるのではないかと思います。


浦島太郎の物語が幾時代を経て残ってきたのは、
そういうメッセージを私たちの祖先も無意識のうちに
感受し、それに共感していたからではないかと思うのです。


以上私見ですが、私が経営計画発表大会で話した、浦島太郎の話です。

『致知』の4月号(2008年)で、境野勝悟氏と青木新門氏が対談しています。

両氏は70代ですが、同窓会に行くと、
昔の話と孫の話、病気の話しかしないが、
そういう人たちは「いま」を生きていないと、喝破されています。

各人達人といわれる人は何歳になっても、
「いま」「ここ」に完全燃焼しています。

平澤興先生(京大元総長)の言葉があります。

「今が楽しい。
 今がありがたい。
 今が喜びである。
 それが習慣となり、天性となるような生き方こそ最高です。」

平澤先生自身が89歳までそういう人生を歩まれた方です。

私たちもそういう人生をめざしたいものです。


           <感謝合掌 令和2年7月17日 頓首再拝>

山上の垂訓 - 伝統

2020/07/19 (Sun) 19:32:23


      *Web:かんながら(2020年07月18日)より抜粋

今日は聖書の言葉を扱ってみます。

   空を飛ぶ鳥を見なさい

   彼らは種蒔きもせず

   刈り入れもせず

   倉に納めることもしません


   けれども

   あなたがたの天の父が

   これを養っていてくださるのです


   あなたがたは

   鳥よりも

   もっとすぐれたものではありませんか



これはイエスが山上で話したという有名な教えです。

元々は「鳥」ではなく「カラス」だったようです。

当時からカラスは人間に嫌われていて、
嫌われている生き物さえも天の父が養ってくれているのだから、
神に似せて作った人間であるあなたを養わないわけがないじゃないか
というニュアンスになります。


これは明日を心配しがちな人間のマインドに、とある真実を伝えています。

東洋的にいえば、全体への信頼、南無の精神と同じことです。


天の父(宇宙的知性)が人間を養うとき、
それは単に食べ物を見つけられると言っているのではありません。

僕流の解釈を言えば、養うという言葉の意味の中には、
各自の思考、直感、アイデア、衝動、行動などが含まれます。


早い話が、明日のことを心配しなくても、
明日どうしたらいいかは、明日のあなたがなんとかすると言っています。

そのときに湧いてくる考えや衝動は、いまいくら考えてもわからない。

明日のことは明日のあなたに任せればいいのです。


そのときどうすればいいかとか、その現実に対処する力も、
ちゃんと天の父が与えてくれています。


だから、あなたはいまもこうして生きているのではないですか?

というより、生かされてきました。


いままでも、どうしようと思い悩んだことは数えきれないくらいあったはずです。

でもここまで生きてきましたよね。


この先も同じです。


思い悩む事柄は、これからも次々に起きてくることでしょう。

でも同じように、あなたはあなたなりに何とかしていきます。

だって天の父があなたの中で生きているのだから。


だから

大丈夫

心配ない

のです。

     (https://abetoshiro.ti-da.net/e11616905.html )

           <感謝合掌 令和2年7月19日 頓首再拝>

まんが日本昔ばなし「地獄のあばれもの」 - 伝統

2020/08/07 (Fri) 19:48:22


       *動画「日本昔話」より

https://www.youtube.com/watch?v=3e8JRLpZrVs


昔々、日照りが長く続き作物は枯れ、病気が流行り多くの人が死んだ。

そんな中、一人の医者が病気にかかって死んだ。
三途の川を渡り、極楽へ行くか地獄へ行くか、閻魔大王に決められる。
閻魔帳によると、この医者はヤブ医者だったため、地獄行きとなった。


次に閻魔大王の前に現れたのは、山伏。
この山伏も、人々から金を巻き上げていたため地獄行きに。

最後に鍛冶屋がやってきたが、できの悪い道具ばかりを作っていたため、地獄行きとなった。


こうして三人は地獄へ行くが、剣の山も、釜ゆでも易々と回避してしまい、
怒った閻魔大王が三人を飲み込むものの、
医者が下し薬を使い、三人は閻魔大王の尻から脱出する。

呆れた閻魔大王は、三人を地上(娑婆)へと返し、その後三人は、いつまでも仲良く暮らしたそうだ。

    (http://nihon.syoukoukai.com/modules/stories/index.php?lid=74

           <感謝合掌 令和2年8月7日 頓首再拝>

閻魔さま - 伝統

2020/08/08 (Sat) 18:37:24


       *Web:お話歳時記(2019年07月08日)より

閻魔さまは仏教と共に日本にやって来ました。

閻魔さまの仏典、「盂蘭盆経」の成立は中国で、
「仏説閻羅王五天使経」「閻羅王授記四衆逆修生七往生浄土経」の合わせて
三つが中国から日本に伝来したのです。

  
ではそれ以前の閻魔様はインドから来たのでしょうか?

閻魔さまの起源はア?リア人の神話にあります。

ア?リア人はコーカサス北部、又はカザフ・キルギスの草原地帯に住んだとされ、
紀元前1500年以上前、西方に移動した部族がギリシャ人、イタリア人の祖先となり、
東方に移動した部族がインド人とイラン人の祖となりました。

彼らの神話はインドではヴェ?ダ聖典として、
イランではアヴェスタとして今日まで伝わっています。

  
「ヴェータ」上の閻魔さまはヤマ(Yama)、
太陽神ヴィヴィスヴァットの息子で、彼は最初の人間とされています。 
彼は死者の王として、最高天にある楽園を支配しています。

  
「アヴェスタ」上の閻魔さまはイマ(Yima)、ウィーワフワントの息子、
人類最初の死者で死者の国の王とされています。 
イラン人の神話によると彼は混合の世界で最初に大地の支配者となりました。 

彼の治世は人間の黄金の時代とされ、人間はまだ死を知らず、
大地は肥沃で寒さも暑くもなく生活は豊かでした。

三百年後、人間が増えすぎたため、
イマ王は黄金の杖と鞭で大地をたたき三分の一大きくしました。 

そして再び、三百年後同じ様に大地を大きくし、
九百年後にはちょうど二倍にしました。

そして千年後、イマ王は罪を犯してしまいました。 
この罪は定かでなく、信仰が揺らいで疑惑に捕われた事とも、虚言を吐いたとも、
また尊大になって自らを神とし自分に牡牛の犠牲を捧げる儀式を行ったとも、
人々を喜ばせるため牡牛の肉を食べさせた事だともされています。


イマ王が罪を犯した結果、地上に冬と死が訪れました。 
そしてイマ王は自分の弟に体を二つに裂かれ殺され、
または悪の蛇王アジ=ダハーカに王位を奪われ殺され、
最初に死んだ人間として死者の国の王になったのです。

  
また、ゾロアスター教の異説では、イマは不死で、冬の到来に備えて、
大地の下にワルというシェルターを築き、健康で最良な人間や動物、
香りや味の良いすべての植物の種子を入れたとされています。

ワルの中は太陽や月、星に似た光に照らされ、一年が一日のように過ぎ、
夫婦は四十年に一度、子を生み、すべてが時の終りまで幸せに暮らすとされています。

ほとんど創世神話、アダムとイブのもとの形となっています。

  (http://www.pleasuremind.jp/COLUMN/COLUM054.html )

           <感謝合掌 令和2年8月8日 頓首再拝>

日本の地獄の概念 - 伝統

2020/08/09 (Sun) 22:08:03


       *Web:お話歳時記(2019年07月09日)より

古来、日本には地獄の概念はありませんでした。

死んだら行く所としての夜見(よみ、黄泉)の国はありましたが、
霊は祖先の霊、または祖霊と言う祖先の霊の集合体と、屍にまつわる悪霊があり、
祖霊は尊っとばれ、悪霊は巨石の下に封じ込まれました。

人々は祖霊の守護を受け、悪霊の祟りを避けるため、
常に身を清浄にするため、禊(みそぎ)と祓いをしました。 
魂は禊をすると生まれ変わり、再生されるものと考えられていました。 

結婚していようが、子供を産んでいようが、
田植えをする女性は、早乙女、という処女(おとめ)だったのです。
本来の処女は魂の状態をさしているものなのです。

死んだ後の魂はどうなるのか?

仏教の伝来この事に対する大きな概念の変化だったようです。

生きている時に行った行為はいかに禊をしようが、
たとえ海の水をすべて使ったとしても洗い落とす事が出来ないもので、
この世に生を受けたものは、すべて生前の行い、因果に応報して、
「人間」「天」「修羅」「畜生」「餓鬼」「地獄」の六道を輪廻転生すると、
されていたのです。

死後の概念がかけ離れていたため、古代日本での仏教受容は、
まず優れた学問や芸術をもたらすものとして受け入れられ、
そしてしばらく後、悔過(けか)という作法により、
次第に宗教として受け入れられて行きました。

禊や祓いによって身を清めるのと同様に、
観音・阿弥陀・薬師等の諸仏の名号を唱え、
悔過する事によって自分に積もった罪障を一掃し、
国家安泰・五穀豊穰を祈り、自らも悪霊の祟りから逃れようとしたのです。

この悔過信仰は天平時代に始まり、九世紀末までは盛んだったようです。 
この頃から地獄を描写した六道絵、「地獄御屏風」「地獄絵御屏風」がつくられています。


地獄の概念は仏教にとって良くない働きをしたようです。 
人々にとって仏教の死後の世界観は恐怖そのものだったのです。

文献上、地獄の概念・因果応報の概念が現れたのは日本初の仏教説話集「日本霊異記」です。
日本霊異記は薬師寺の僧、景戒によって、弘仁年間(810?814正確な年代は不明)に
書かれたもので、悪い行いをしたものは悪い報いを受けるという
因果応報の物語が数多く記されています。

時代をもう少しくだる沙石集(1238鎌倉時代)にも因果応報譚が記されています。

   (http://www.pleasuremind.jp/COLUMN/COLUM058.html

           <感謝合掌 令和2年8月9日 頓首再拝>

地獄往来、小野篁。 - 伝統

2020/08/10 (Mon) 21:39:37


       *Web:お話歳時記(2019年07月09日)より

閻魔様は、ヤマ(Yama)、イマ(Iama)のはずなんですが、
中国「聊斎志異」中の「閻羅(えんら)」というお話の中では、
莱蕪(らいぶ)の李中之(りちゅうし)というこの世の人となっています。

李中之は秀才で性格は剛直な男でした。
なぜか何日かに一回死に、三、四日すると生き返り、
普通の人と同じく暮らすという変わった男でした。


同じ県にやはり何日かに一回死に、また生き返る男がいました。
その男が言うには、「李中之は閻羅で、冥府では私もその部下なんだ。」
と話しました。

昨日、李中之は冥府で何をしていた?と尋ねると、
「曹操を取り調べて、二十回鞭打った。」と答えたという事です。
          「閻羅」 聊斎志異より

 
日本にも似たようなお話がにあります。

小野篁(おののたかむら)は一日に二刻ずつ冥府に行き、
閻魔庁第二の冥官になったと、
今昔物語、江談抄、宇治拾遺物語等に伝えられています。

小野篁(おののたかむら802~852延暦二年~仁寿二年)は、
野相公(やそうしょう)、野宰相(やさいしょう)とも称され、
六歌仙前に位置する平安時代の重要な漢詩人・歌人で、
「文徳実録」篁卒伝には「当時文章天下無双」と、
また「三代実録」には「詩家ノ宗匠」とたたえられています。


篁には「野相公集」五巻が存在したと言われていますが現存していません。 
その作は「経国集」に二首、「扶桑集」に四首、「本朝文粋」に四首、
「和漢朗詠集」に十一首、「今鏡」に一首、「河海抄(かかいしょう)」に
一首が残されています。

(「新古今集」以下のものは後人の作とされる「篁日記」からのもので、
 本人の作とは考えられてないようです。
 また、異母妹との恋愛談・大臣の娘への求婚談からなる
 「篁物語」は虚構とされています。)
  
篁は多情多感な博識の英才でそれを自認し、
直情径行、世俗に妥協せぬ反骨の士であり、"野狂"の異名を持っていました。 

藤原常嗣の専横に抗議し、
嵯峨上皇の怒りに触れ、隠岐の国に流された事でも有名です。

その才能・反骨ゆえ、世間では恐れるものも多かったのか、
閻魔庁第二の冥官、という伝説が生まれたようです。


《「小野篁、情に依りて西三条の大臣を助くる語」》

昔、小野篁と言う人がありました。

篁は学生の頃、罪を犯してしまい罰せられる事になりましたが、
その時、藤原良相(よしみ)という方が、宰相として、
篁をかばい、難を逃れる事が出来ました。 

篁はその事を知り、良相に大変感謝しました。

何年か後、篁は宰相に、良相も大臣になりました。
しかし良相は重病となり、しばらくたって亡くなってしまいました。 

良相は閻魔王の使につかまり、閻魔王宮に連れていかれました。 
そして、罪を定められる時、冥官の中に小野篁を見つけました。



良相はこれはいったいどうしたことだろうか?と思っていると、
篁は閻魔王に「この方は、心の正直な人で、人の為になる方です。
今度の罪は私に免じて許してもらえないでしょうか」と言いました。

閻魔王は「それは難しい事だが、篁がそう言うなら許してやろう。」
と答えました。

篁が良相を捕らえた者に「すぐに現世に連れ帰りなさい。」と言うと、
良相は、目覚め、元のように自分の部屋にいたのでした。

その後、良相は病も癒え内裏に上がりました。
そして篁に会うと、閻魔庁での出来事を尋ねました。

篁は、「以前私の弁護をしていただいたお礼をしただけですよ。
ただしこの事は誰にも言わないでくださいね。」と答えました。 

良相はこれを聞いて「篁は只の人ではない、閻魔王宮の臣だ。」と知り、
いよいよ恐れ、「人のために正しくあらねばならん。」と、
いろんな人に説いてまわりました。 

しばらくするとこの事は自然に世間の知る所となり、
「篁は閻魔王宮の臣として冥府に通っている人だ。」と、
皆、恐ろしがったという事です。

     今昔物語 「小野篁、情に依りて西三条の大臣を助くる語」

  

このお話はかなり有名なもので、
小野篁といえば地獄の冥官という事になっています。 

篁は六道珍皇寺の境内にある井戸から地獄に入り、冥府の仕事を終えると、
嵯峨の清涼寺横、薬師寺境内の井戸(生の六道)から
この世に戻ったと伝えられています。


  あまり知られていない話に矢田寺の沙門満慶の物語があります。

  大和国金剛山寺に沙門満慶というものがありました。
  小野篁は満慶が戒行ある事を敬っていました。
  篁は常人には計り知れない不思議な人で、
  その身は朝廷にありながら冥府に神遊するとされていました。

  
冥府の閻魔王は菩薩戒を受けたいと願いましたが冥府には戒師がありませんでした。 
篁は「自分の師であり友であるものに戒律精純な者がおります。」
と閻魔王に話すと、「すぐここに連れてきて欲しい。」と篁に頼みました。

篁はすぐ寺に詣でると満慶に事情を話しました。 
満慶は篁と冥府に入ると、閻魔王に菩薩戒を授けました。 

閻魔王は満慶に漆の篋(はこ)を送りました。 
満慶は帰ってこれを開くと米がいっぱいに入っており、
使っても使ってもお米が減る事はありませんでした。

そのため満慶は満米と呼ばれるようになったと伝えられています。

金剛山寺は地蔵菩薩発祥の地ともされています。 
もともとは十一面観音を本尊としていましたが、
満米上人の時より、地蔵菩薩をまつったとされています。 

地蔵信仰の中心ともいわれ、境内には閻魔様もまつられてあるそうです。

  (http://www.pleasuremind.jp/COLUMN/COLUM057.html


<関連>

伝統板・第二「歴史のひとコマ①」
小野篁 ~ 冥界の閻魔庁の役人 ~2015/08/25 (Tue) 18:12:31
http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6456077

           <感謝合掌 令和2年8月10日 頓首再拝>

地獄からの使者、鬼卒。 - 伝統

2020/08/11 (Tue) 19:32:45


       *Web:お話歳時記(2019年07月09日)より

地獄を行き来するものは、生きながら地獄の冥官をする特殊な例を除けば、
死んだ者を連れに来る地獄からの使い、という事になります。 
中国ではこの使いを「鬼卒」と呼んでいるようです。


「布客」

長清で反物を売る商売をしている男がいました。

泰安で商いをしている時、良く当たる星占いの易者がいる
というので占ってもらう事にしました。 

しかしその易者は男の顔を見るなり、
「なぜ南に旅をしてきたのか? すぐに家に帰りなさい!」と怒鳴りました。 
慌てた呉服商は易者の言う通り北の方の我が家に向かいました。

その途中呉服商は小使いのような短い着物を着た男に出会いました。 
呉服商はその短い着物の人と、あれこれ話ながら旅をしました。 
そして道々食べ物を買い分けあいながら食べ、また食事を共にしました。 

その男はそれをひどくありがたがったのです。 
呉服商が「あんたはいったい何をしているのかい?」と尋ねると、
その男は「捕まえる者がおるんで、長清に行く所でさぁ。」と答えました。 

呉服商は笑って聞き返しました。
「いったい誰を捕まえにいくんだい?」
男は何人かの名前が書いてある書きつけを呉服商に見せました。 

その書きつけには何人かの名前が書いてあり、
一番最初に呉服商の名前が書いてありました。


 「俺は生きている者じゃねぇ、
  高里山、山東四司の手先でさぁ。
  あんたの寿命はもう尽きたってことですよ。」

呉服商は驚いて、地面に頭をこすりつけてその男に命乞いをしました。

  「それは出来ない事でさぁ。
   ただ、書き付けにはたくさんの名前が書いてあるで、
   みんなひっつかまえるには、まだ何日もかかりますぜ。
   あんたは早く自分の家に帰って、後の始末をつけなせぇ。
   それが今までのつき合いに報いられる事だと思ってくだせぇ。」

男はそう言って呉服商を起こし、また歩きはじめました。

二人が黄河のはたまで来ると橋が流され、
行き来が出来ず多くの人が困っていました。

  すると男は呉服商に、

  「あんたはもうすぐ死んで、
   その時にはお金は一文も持っていけねぇ。
   すぐに橋を建てて、旅の人の役に立ってやりなせぇ。
   お金はずいぶんかかるだろうが、
   あんたのためになるかもしれねぇ。」と、言いました。

呉服商はその通りだと思い、家に帰ると妻子に話して、
死に仕度をすると、日を限って大勢の人夫を雇い、橋をつくらせました。 

橋はしばらく後に完成し、呉服商は覚悟を決めて死ぬのを待ちました。

しかしあの男はついに現れなかったのでした。

呉服商はおかしな事があるものだと思っていた所、あの男がひょっこり現れました。

  「俺はあんたが架けた橋の事をうぶすな様にお知らせした。
   たぶん、うぶすな様から冥司に連絡が行って
   あんたの寿命が延びたんだろう。
   あの書き付けからあんたの名前が消えちまった。」

呉服商はその男といつものように食事を共にし、酒を飲みました。 
翌朝男は消え、以来二度と出会う事はありませんでした。

                    聊斎志異より 「布客」

  
鬼卒は人の中を動き回るためか、一般的な鬼のイメージ、角や牙は無いようです。 
地獄で亡者を罰している鬼を"獄卒(八万獄卒)"羅刹(阿蒡羅刹)"と
呼ぶのですが、鬼卒と同じものかどうかもわかりません。

ただこの鬼卒、人手が足りないのか、人間が代役を勤める事もあったようです。  
生きながら冥府の手先を勤める者を、走無常(そうむじょう)、
活無常(かつむじょう)、勾司(こうし)、勾死人(こうしにん)と
さまざまな呼んでいます。 

李中之のように突然死んだかと思うと冥府の仕事をした後、また生き返るそうです。

何回も死んだり生き返ったりされたら、まわりのものが困ると思うんですが、
みなさんはどう思われますか?

http://www.pleasuremind.jp/COLUMN/COLUM057B.html )

           <感謝合掌 令和2年8月11日 頓首再拝>

「命の蝋燭。」 - 伝統

2020/08/12 (Wed) 20:00:25


       *Web:お話歳時記(2019年07月08日)より

蒸しかえるような暑い夜でした。
源造は暗い道を急いでいました。
隣村での親戚の葬式が長引いたのです。 

峠を越えて、丁度村の手前にさしかかった時、
源造は道のかたわらにうずくまっているお婆さんを見つけました。

お婆さんが苦しそうに水を欲しがるので、
源造は井戸のある所まで背負い、水を飲ませました。 

「あぁ、冷たい。生き返るようじゃ。」 
お婆さんは桶いっぱいの水を飲み干すと、
もう一杯ごくんごくんと音をたてながら水を飲みました。

お婆さんは懐から蝋燭を一本出すと、源造に渡しました。

「この蝋燭は命の蝋燭じゃ。明かりを灯すと死神が見える。」

源造はえっ?と蝋燭を見ました。

「それを持って病人の家に行って灯して照らしてみなさい。
 もしその病人の足の方に死神が見えたら、その人はもう助からん。
 じゃが、頭の方に見えたら、助かる。」
  
お婆さんは身を乗り出すと、源造の耳元でささやきました。

「そこで、こう唱えるのじゃ。
 アヤラカモクレン、カンキョウチョウ、
 テケレッツのパァ。」

源造はお婆さんの言う通りに言って見ました。

「アヤラカモクレン、カンキョウチョウ、テケレッツのパァ?」

お婆さんはニッと笑いました。

「するとな、病人がイッペンに治る。
 お前さんは明日から医者になって稼ぐがえぇ。」

「あ、ああっ・・・。」源造はうなずきました。
  
「よいな、アヤラカモクレン、カンキョウチョウ、テケレッツのパァじゃ。」

そう言うとお婆さんは源造の前から暗闇に溶け込むように消えました。

しばらくすると町の大店の坊ちゃんが病気になり、
大勢の医者が手当てしましたがいっこうに治りません。 
あたりにはもう医者はいなくなり、治してくれる者なら、
どんな大金も出すと、その店の主人は触れ回りました。
  
源造は医者の格好をすると、その店を訪れました。

十歳くらいの男の子が布団に寝ていました。 
源造はそばに座ると蝋燭に火を灯し、男の子の側を照らしました。

黒いものがいました。

死神でした。

痩せた長い顔に口と穴のような小さな目がありました。 
死神は男の子の頭の所に座って、じっと男の子の顔を見ていました。

源造は、お婆さんの言う通り、
「アヤラカモクレン、カンキョウチョウ、テケレッツのパァ。」と、
唱えました。

すると枕元にいた死神は、源造の顔を睨みつけると、
どこかに吸い込まれるように消えていき、
男の子はパチッと目を覚まし、何事もなかったように起き上がったのです。

源造はフゥとその場にへたり込んでしまいました。

男の子が元気になったので主人は喜んで源造に千両箱をひとつ、お礼に渡しました。

源造は思わぬ大金に驚きました。
これでいろんなものが買える。
嫁さんに着物を買ってやろう、
母ちゃんをどこかに連れていってやろう、
あれもしてやろう、これもしてやろうと考えながら家に急ぎました。

源造が帰ると家の前で女房のミヨが待っていました。 
ミヨは源造を見つけると、源造のお母さんが倒れたと言いました。 
源造は驚いて母のいる実家へ走りました。

実家では母が布団の中で唸っていました。 
兄夫婦と弟が二人、座っていました。 
源造はあの蝋燭に火をつけると母を照らしました。 

あの黒い死神はお母さんの足下にいました。

源造は、息を呑みました。

母ちゃんが死んでしまう・・・、どうしたらええんじゃ?

「源造、どうした? 顔が真っ青じゃ。」

兄が聞きました。
弟達も源造の顔を見ました。

「兄ちゃん達、俺が合図したら母ちゃんを布団事、くるっと廻して、
 頭を足の方へ、足を頭の方へ向けてくれ。 ええな。」
 
「源造、何をいうとる? 母ちゃんは大変なんじゃぞ。」

「ええから、俺の言う通りしてくれ。 頼む。」

兄達は変な事を言うと思いましたが、
源造の様子が普段と違うので、言う通りにする事にしました。

兄夫婦と弟達は布団の端を持ち、源造の合図を待ちました。

「よし、廻してくれ!」

源造の合図で四人はお母さんを布団ごと回して、向きを変えました。 
母の足下で顔をじっと見ていた死神は、急に母の顔が目の前に来て、
何が起ったのかわからないようでした。

「アヤラカモクレン、カンキョウチョウ、テケレッツのパァ!」

源造は急いで呪文を唱えました。

死神は源造の顔をキッと睨みつけましたが、
そのまま吸い込まれるように消えてしまいました。
  
すると母は目を開け起き上がると、あたりを見回し、
「あれ、お前達、どうした?」と言いました。
もとの元気な母でした。

源造はホッとして蝋燭をしまいました。

源造は兄の家を後にして自分の家に向かいました。 
あたりはもう暗くなっていました。 
しばらく歩くと、目の前にあのお婆さんが現れました。

「源造さん、あんたはとんでもない事をしちまったね。」

お婆さんは悲しそうに源造を見ました。

「お婆さん、俺は母ちゃんを助けたかったんだよ。」

源造は困ったようにお婆さんに言いました。

「じゃがの、あんたは死ぬ運命にあるものを助けてしまったんじゃ、
 その命がどこから来たのか、わかるかい?」
   
お婆さんは源造をじっと見つめました。

源造には命がどこから来るのかなんてわかりませんでした。

お婆さんはこれはダメだと言うように首を振ると、
  
「それは、あんたの命じゃよ。」と言いました。

源造は驚きました。

「源造さん、あんたの命を元に戻す方法がひとつだけある。ついてきなされ。」

お婆さんはそう言うと、山の中へと歩き出しました。 
お婆さんは源造を岩が切り立つ谷へ連れてきました。 
岩が幾重にも重なり、そこには大きな穴が開いていて、
お婆さんはその中に入っていってしまいました。

源造は穴の奥へお婆さんを追いかけました。 
穴の中はすえた匂いがしていました。 
あの黒い死神と同じ匂いでした。

どのくらい歩いたでしょうか。 
お婆さんは立ち止まって源造を手招きしました。
 
源造がお婆さんの側に立つと、お婆さんは奥の方を指さしました。 
そこには何千、何万もの蝋燭が明かりを灯し、ゆらゆら揺れていました。

「ここは人の寿命の間燃え続ける命の蝋燭の洞窟じゃ。
 あの蝋燭の一本一本が、その人の残りの寿命なのじゃ。
 生まれたばかりの赤ん坊は長く、死ぬ前の人間は、ほうら、こんなに短い。」

源造は蝋燭を見ました。 
たくさんの蝋燭はそれぞれ長さがまちまちで、
長いものもあれば、今にも消えそうなものもありました。

「お前にやった蝋燭は、命の蝋燭じゃ。
 ただし、だれのものでもない。
 お前は自分の母親を生かすために自分の寿命を母親に与えてしまった。

 お前の蝋燭は今にも消えそうになっておるはずじゃ。
 お前の蝋燭が消える前に、持っている蝋燭に火を移すのじゃ。
 それでお前の寿命は蝋燭の長さの分延びる。」

源造は持っている蝋燭を見ました。 
二回使ったため、少し短くなっていました。

「さぁ、時間がない。 早く自分の蝋燭をお探し。」

お婆さんはそう言うと源造の背中を押しました。

源造は慌てて自分の蝋燭を探しました。
蝋燭の前にはそれぞれ名前が書いてありました。
源造は上も下も、短くなっている蝋燭を探しました。

そして源造と書いてある蝋燭を見つけました。

もうほとんど蝋燭は無くなっていて、芯が傾いていました。

源造は蝋燭を出し、消えないように慎重に蝋燭を近づけました。
手が震えました。

源造の蝋燭に火が移りました。
フッと、目の前に黒いものが現れました。
死神でした。

洞窟の中には、黒い死神があちこちにいて、
そしてガサゴソ音を立てて歩いていました。

目の前の死神は消えかかっている源造の蝋燭に顔を近づけ、
息をふぅ~っと吹きました。
蝋燭の明かりは息に押されるとスッと消えてしまいました。

一瞬、源造の足下の影が消え、そしてまた影がスゥッと出てきました。

源造は蝋燭を消えた源造の蝋燭の上に立てました。
すると、黒い死神は見えなくなってしまいました。

源造が外に出るとお婆さんが待っていました。

「いいかい? もう呪文を唱えてはいけないよ。」
   
お婆さんはそう言うと消えてしまいました。
源造は長い洞窟を歩き、外に出ました。 
すると洞窟も消えてなくなってしまいました。

源造はその後何事も無く暮らしました。

ただ、あれから源造には、あの洞窟のような匂いがすると、
ガサゴソ何かが動く音が聞こえる事がありました。
  
その後、決まってお葬式が出たのでした。

                 「命の蝋燭。」

このお話は「死神」または「命の蝋燭」という題の昔話です。 
元のお話は主人公は死んでしまうような暗示で終わっています。

  (http://www.pleasuremind.jp/COLUMN/COLUM054.html )

・・・

<関連動画>
まんが日本昔ばなし「死神」
https://www.dailymotion.com/video/x50k4ut

           <感謝合掌 令和2年8月12日 頓首再拝>

地獄はどんなものなのでしょうか? - 伝統

2020/08/13 (Thu) 19:51:36


       *Web:お話歳時記(2019年07月09日)より

目蓮尊者のお母さんの落ちた所は餓鬼道で、正確には地獄ではありません。 
では地獄はどんなものなのでしょうか?

インドの神話的な観念には、最初地獄の概念はなく、
「リグ・ウ"ェーダ」上で伝えられているいるように "死者の住処は天である"と、
簡単明瞭なものでした。 

人間は死ぬと、魂が肉体を離れ、父祖の通った道をたどり、
永遠の光のある場所におもむき、神々と同じ光明を授けられると
信じられていました。

 それが次の「アタルウ"ァ・ウ"ェーダ」では、
天国「スウ"ァルガ」とそれに対比されるように
「ナラカ世界」(奈落)と 呼ばれるものが出現します。 

「ナラカ世界」は、死者のおもむくところではなく、
女性の悪魔と魔術師の住処で、殺人者の住処ともされました。 

このナラカ世界は暗く、光をさえぎられた一番下の世界であるとされています。

この「アタルウ"ァ・ウ"ェーダ」以後、後期の「ウ"ェーダ」、「マハーバーラタ」、
「マヌ法典」などでは地獄は多種多様な発展していきます。


「ヴェ−タ」上の閻魔様であるヤマ(Yama)は最初の人間とされ、
最初に死んだ人間として死者の王となり、最高天にある楽園を支配していました。

このヤマも、天国と地獄の観念の発達により、変化していきます。 
ヤマは死をつかさどっており、人が死ぬ時にはヤマの命を受けた死の使いが
やって来て、死を人に告げるのです。 

そしてヤマは真理に忠実なものと、偽りを語るものとを厳密に区別します。 
この行為はのちに、彼の世界(楽園、または冥界)に到着したものの
善悪の行為をはかる、 「死後審判」という考えに変わっていったようです。

  
ヤマの概念は、インダス文明以降、交流の盛んだった
チグリス・ユーフラテス流域での、 地獄の信仰に影響を与え、
また影響されながら、 ギリシャ人、インド人双方の神話・伝説・信仰に
大きな影響を残しました。 

こうして、地獄の概念が生まれ、ヤマの性格も確立していきました。 
ヤマは父祖の王であり、餓鬼(プレータ)の王であり、「法の王」として、
死者を裁くものとなりました。

この時期に現在の地獄の概念はでき上がっています。 
死んだ人間はすべてヤマの王宮にいき、裁断を受けなければなりません。 
亡者はヤマの使者にひきづられヤマの国へと連れていかれます。 

その道は恐ろしく、途中には木陰をつくる樹木もありません。 
飲み水も無ければ休む場所もありません。 

しかし生前に物惜しみせず、また苦行をしたものには救いがあります。 
生前、灯火を与えたものには灯が道を照らし、
断食を行ったものには乳酪(にゅうらく)が与えられます。 

三途の川に当たる、プシュポーダカーという川は、
悪行の人には膿汁となり、生前人に水を与えた人には甘美な水となります。

ヤマの国は南方の地の果てにあり暗黒につつまれています。 
「マハーバーラタ」によると、地獄は水気の多い所で、
湖とも泥土の洞窟ともされ、 最下の世界にあるとされています。 

死者はマヤに審判を受けた後、その行いにより、「地獄の責め苦」を受けます。

地獄では棍棒や槍・火の壺をもった獄卒が罪人を責め苦しめ、
虫が罪人達をかじり、犬が彼らを喰い、
そして血の川ヴァイタラニーにほうり込まれます。 

そして、熱砂で焼かれ、剣の葉を持つ樹木に身を切られ、
かみそりの刃に身を削られ、 イバラの木に傷つき、水を求めても得られず、
飢渇に苦しまなければなりません。 

「ソーマ酒」を売るものは、三百年間「叫喚(ラウラヴァ)地獄」に落ち、
再び生まれ変わる時は虫などになり、 また殺人者は彼の流した
血のしたたりの数の年数だけ地獄にとどまり、

姦通の罪を犯したものは、身体の毛穴の数だけ年数、
地獄にとどまるとされています。

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           <感謝合掌 令和2年8月13日 頓首再拝>

無間の鐘。 - 伝統

2020/08/14 (Fri) 20:15:49


       *Web:お話歳時記(2019年07月09日)より

島前棚(とうぜんだな)という所に松蔵とたねという夫婦が住んでいました。

畑を持たない百姓で、夫婦そろって朝から晩まで働いても
満足に食べる事も出来ませんでした。 
男の子と女の子、そして赤ん坊の、三人の子供はいつもお腹をすかせていました。

三つになる娘は、いつのまにかむしろをかじって、
口を、もぐもぐさせていました。 
上の兄はそんな妹をつれて野草や木の実を取りに行きました。

そうやって飢えをしのいでいたのです。


しかし、満足に食べられない、たねは乳が出ませんでした。 
昨年生まれた赤ん坊は次第に痩せ細って行きました。 
米があれば重湯を作れるのですが、そんなお米はありませんでした。 

赤ん坊はか細い声で、ほぎゃあ、ほぎゃあと泣きました。 
かわいそうに思ったのか、三つの姉はお地蔵さんに供えてあるまんじゅうを
取ってきて、自分は食べずに赤ん坊に食べさせました。

赤ちゃんは、お腹をこわして死んでしまいました。

赤ちゃんは産まれた時とほどんど同じ大きさでした。 
口のまわりには腐ったアンがこびりついていました。 

椎ノ木の根元に埋め、石をおいて目印としました。

明かりひとつない暗い小屋で、松蔵とたねはすわっていました。

「・・・あんた、無限の鐘をついてきてくれんかな。」
  
そうポツリとたねが言いました。
   
松蔵は、ささくれたむしろをみつめたままでした。

「無限の鐘」は佐夜の中山という所の西宝寺にある鐘でした。 
その鐘をつくと運がむく、と言われていましたが、
それは命と引き換えともされていました。 

生きている者でこの鐘の音を聞いた者はありませんでした。 
つくことの禁じられている鐘でした。

松蔵はささくれたむしろを引きちぎると口に入れました。 
牛のようにかみました。 
かんでもかんでも、それは口の中でぼそぼそするだけでした。 

松蔵は黙って立ち上がると、家を後にしました。

西宝寺は山をいくつも越えた所にありました。

田んぼの中にぽつんと大きな岩が突き刺さったような山があり、
その上にお寺が乗っかっていました。 

「無限の鐘」は、そのお寺の一番奥にありました。 
撞木は鉄の鎖で縛られ、そこには「おらが、しにがらは、やらん。」
と書かれていました。

松蔵は和尚さんの前に出ると、
頭をこすりつけて鐘をつかせてくれと頼みました。 

和尚は困ってしまいました。 
あの鐘はもう何代もまえから鉄の鎖で縛られたまま、ほうってあるものでした。 
うわさのように運が向くともそれが命と引き換えであるとも言われていましたが、
寺にはそのような事は何も伝えられていなかったのです。


和尚は長い間考えた後、松蔵に言いました。

「命をかけるつもりなら、ついてみよ。
 ただわしが許したわけではないぞ。」
   
松蔵は和尚さんになんども頭を下げ、鐘つき堂へ行きました。

松蔵は撞木を縛りつけてある鎖をほどきました。 
松蔵は鎖を握り息を大きく吸うと思いっきり撞木の振りました。 

しかし無限の鐘は何の音も出さず、地面と空気とが大きく揺れ、
夜の闇が得体のしれない暗黒に変わりました。

鐘をつるしてある鐘つき堂の屋根の暗闇の中から、
赤いものが降りてきました。

そして無限の鐘に取りついたまま松蔵を見つめました。 
それは頭に角のある赤鬼でした。

「望みはなんじゃ?」

「子供が一生食うに困らぬものが欲しい!」

「命をかけるか?」
   
松蔵は大きくうなづきました。

赤鬼はニッと笑い、
「しにがらはどうする?」を聞き返してきました。

松蔵は、「運がむくならくれてやる!」と答えました。

すると、あたりをつつんでいた暗やみがサァーっと引いて、
無限の鐘がゴオォォォーンとなりました。 
その音は夜を震わせ、どこまでへも響きわたって行きました。

それから、松蔵の運は驚くばかりに上むきました。

何をやってもうまく行きました。 
山から取って来たなんのへんてつもない椎の実が薬となって売れました。 
そのお金ではじめた小間物の店は、いつの間にか大きな問屋となりました。 

田んぼを買い取り、多くの小作人を雇いました。 
秋には米俵が屋根の上まで積み上げられました。

願いが叶いました。

松蔵は、積み上げられた米俵を見上げました。
もう子供が飢える事はありませんでした。

松蔵とたねは千の饅頭を赤ん坊の墓に供えました。 
そして次の日、松蔵はワラのむしろを握りしめ、
縁側に座ったまま息絶えていました。

  
松蔵は白い死装束を着せてもらいお棺に納められました。
たねは松蔵のために、お坊さんを七人招きました。

「ごめん。」

葬儀の始まる前に一人のお坊さんが尋ねてきました。
   
そのお坊さんは、松蔵の亡骸を拝むと、たねに
  
「松蔵さんは鐘をついた時、"おらがしにがらはやらん。"と
 言われたかの?」と聞きました。
  
「いいえ、何も聞いておりません。」たねはそう答えました。
  
「・・・そうか、わからぬか。」

和尚さんは、しばらく黙ったあと、
自分も葬儀にいさせて欲しいと言いました。 
お坊さんは西宝寺の和尚さんでした。 

松蔵が亡くなったと聞いて尋ねて来られたのです。

たねは、あの無限の鐘をつかせていただいた和尚さんを一番前の席に招きました。

葬式の読経が始まりました。

すると、どこからか突風が吹き込んで蝋燭の明かりをふき消しました。
たねも店の者も驚いてあたりを見回しました。 

すると外はいつの間にか黒い霧が渦巻き、風がゴウゴウと音を立てていました。

西宝寺の和尚さんは、お経をやめて、みんなを座敷の真ん中に集めました。

「よいか? 何が起こっても一心に弥陀念仏を唱えなさい。」
  
そう言って他の和尚さんとお経を唱えはじめなした。

風が雨に変わり、バンと戸板を吹き飛ばしました。
そしてそこには馬の顔をした鬼と牛の顔をした鬼が立っていました。

「命はもらった、しにがらもいただこう。」

二人の鬼は動物が唸るように言いました。
  
たねも子供たちもお棺にしがみつきました。
父の遺体を取られまいとしたのです。

しかし天上から赤い手がすーっと延びて、お棺の蓋をはじき飛ばしました。
和尚が驚いて見上げると、天井には赤い鬼がしがみついていました。
  
「もらいうけた。」

そういうと、赤鬼のまわりから黒い霧が沸き上がり、
お棺もろとも松蔵を巻き上げました。 

天井はいつの間にか深い闇となり、
赤鬼は松蔵の体をお棺から引き出すと、その中に消えて行きました。

バタンと、空のお棺が落ちて壊れました。

黒い霧は消えて、そしてひらひらと白いかたびらの切れ端が落ちてきました。

そののち、たねは松蔵が残した田んぼから取れたお米を
西宝寺に寄進し続けました。 

西宝寺の無限の鐘は地面に降ろされ、
二度と誰もつけないよう、ふせられているとの事です。

     「無限の鐘。」 2008/01/06改稿。

http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7870002 )

           <感謝合掌 令和2年8月14日 頓首再拝>

盂蘭盆(うらぼん) - 伝統

2020/08/15 (Sat) 21:00:53


       *Web:お話歳時記(2019年07月08日)より

お盆は盂蘭盆(うらぼん)、梵語で「ウランバーナ」という言葉を
盂蘭盆と漢字を当てたもので、 
ウランバーナは「倒懸(さかさづり)」につるされた苦しみ、
その苦しみから救う、という意味だそうです。

  
お釈迦様の十大弟子の目蓮尊者(もくれんそんじゃ)が、
ある時、目蓮尊者が神通力をもって亡き母の恩に報いたいとあの世を透視すると、
母は餓鬼道におちていました。目蓮は驚き、神通力をもって、
母を救おうとしましたができませんでした。


目蓮はお釈迦さまに母を救う教えを乞うたところ、

  「目蓮一人の力では、どうすることもできまい。          
   お前のお母さんはお前にはやさしい、いいお母さんだった。
    
   しかし、我が子可愛さの余り、知らずに重ねてしまった貪欲の報いで
   餓鬼道に落ちて苦しみ続けているのだ。 
            
   七月十五日には厳しい九十日間の修業をすませ僧達が帰ってくる。
 
   そのお坊さんたちに百味の飲食(おんじき)を供えて供養しなさい。

   修行僧たちは、喜んで回向してくれるであろう。         
   その功徳で、餓鬼道で苦しむ者も含めて、            
   母を救うことが出来るだろう」と、               
  
お釈迦様はお答えになりました。          

目蓮は、その言葉通りにして見ました。
すると、不思議にもその功徳によって餓鬼道の苦しみから救われ、
目蓮のお母さんが餓鬼道から抜け出し昇天していきました。

その姿を見て、目蓮も修行僧も回りの人も、
うれしさのあまり我を忘れておどり回って喜んだそうです。

これが中国で成立した「盂蘭盆経」に書かれてあるお話です。

日本には推古天皇十四年(606)飛鳥の法興寺で行われたのが最初で、
聖武天皇天平五年(733)から宮中の仏事になりました。

しかし日本のお盆の行事には、仏教と関係のない要素もあります。 
これは昔からあった祖霊祭の名残りと言われています。 

日本では古来から、初秋に魂祭(先祖の霊を迎える祭り)が、行われていましたが、
これと結びついて祖先霊を供養する仏事となり、
広く一般に普及していったのは、近世になってからのようです。

  お盆の期日は、                
  室町時代は十四日から十六日、         
  江戸時代は十三日から十六日、         
  近年に入って十三日から十五日になったそうです。

お盆にはそうめん、うり、なす、すいか、ほうずき、なし、ぶどう等をお供えします。 

十三日には迎え団子というアンのついた団子を、
また、うりやなすで作った牛馬を飾りこれに精霊を乗せて迎えます。 

十三日には、先祖代々のお墓に参り、夕方、門口で「迎え火」といって
苧殻(おがら)を焚き、精霊を迎え入れます。 

十四日、十五日には僧侶に来ていただいて、お経(棚経)をあげていただきます。 
十五日には送り団子という白い団子をお供えします。

夜には「送り火」を焚いて精霊を送ります。

    (http://www.pleasuremind.jp/COLUMN/COLUM053.html

           <感謝合掌 令和2年8月15日 頓首再拝>

「地獄の四人。」 - 伝統

2020/08/16 (Sun) 19:33:40


       *Web:お話歳時記(2019年07月08日)より

鍛冶屋の七助は、長い間、癪に苦しんで来ましたが、
ある日とうとう亡くなってしまいました。

七助は、気がつくと白い着物を着て道の真ん中に立っていました。 
ボヤンとした道がどこまでも続いていました。 
後には今来たはずの道があるはずでしたが、どこにもありませんでした。

  「ああ、これが冥土に続く道か。     
   おれは地獄に行くか極楽に行くか、   
   閻魔様にあって、裁きを受けるんだな。」

七助はそう思いながら、てくてく歩いていきました。


  「おお?い、そこの人、待ってくれ。」

七助が振り返ると、やはり七助と同じように白い服を着た若い男が、走って来ました。

男の名前はトンボの佐吉、軽業師でした。 
綱の上でトンボを切り、その上で傘を回してコマを回していたと、
ひとなつこそうな笑顔で話しました。

  「俺は赤痢にかかり、ぽっくり死んでしったが、
   死んだら苦しいのが無くなって体が軽くなり、
   前にもまして元気になった。」と、    
 
佐吉はカラカラ笑いながら話しました。 

七助は、そう言われてはじめて、体が軽くなって気持ちがいいのに気がつきました。 
これなら死ぬのも悪くない事だと、七助達が、話ながら歩いていると、
前のほうにも二人、白い着物を着た男が歩いていました。

二人は男達に追いついて、話しを聞きました。 
一人は医者の玄斉、卒中でなくなり、
もう一人は祈祷師の法眼で痰を咽に詰まらせ死んだと言いました。 

四人はすぐに仲よくなり、それぞれ生きている間の事を話しながら、
軽く冥土に向かって歩いて行きました。

四人は三途の川を渡り、閻魔様のいる閻魔王庁へとやってきました。

王庁はまわりを高い塀で囲まれ、
その塀はどこまで空にのびているのか、わかりませんでした。 

四人がポカ~ンと塀を見上げていると、
一つ目の鬼が出て来て、首をグニョンとまげながら四人を見ると、
「次はお前達の番だ、閻魔大王の御前で申し開きをするんだぞ。」と、
吠えるように言いました。

四人はお互い顔を見合わせ、一つ目鬼の後を、おとなしくついていきました。
  
七助は、「おっかねぇ、鬼さんだな。」と首をすくめて舌を出しました。
  
トンボの佐吉も「そだな。」と、舌を出してまねました。
  
医者の玄斉も、祈祷師の法眼も舌を出してべ~と首をふりました。

 「大王様の前でそんな格好をしたら舌を抜かれるぞ。」

一つ目鬼が、ぼそりと言いました。
見ると頭の後で目がひとつ、ぎょろりとにらんでいました。 

四人は頭をかきながら、おとなしく鬼の後をついて行きました。


四人は閻魔様の前に引き出されました。
  
閻魔様は丁度、人の二倍ほどの大きさで、
天子様のような、雛飾りの男雛のような、
カンムリとかみしもをつけ、台座の上に座っていました。 

後には鏡をもった鬼と、机を前に筆を持った書記の鬼がすわり、
閻魔様の前には秤がひとつ置いてありました。

  「あれはなんじゃろうの?」七助は三人に聞きました。

  「よう、わからんがはかりのようじゃ。」  
    
  「わしらの目方でも量るのかのう。」  
      
  「わしは死ぬ前、二十貫じゃった。」        

トンボの佐吉も玄斉も法眼も秤の事が気になるようでした。

閻魔様は書記から巻物を三つ渡されると、白い巻物をひとつを開きました。

  「鍛冶屋七助は誰か?」  
       
七助は閻魔様に呼ばれ、驚いて返事をしました。

  「はい、私でございます。」

七助は閻魔様の前に出ました。

閻魔様は巻物を見て、

  「お前は生きている時、どう生きていたのかの?」と、
   
お聞きになりました。

七助は、

  「はい、私は生きている間、
   いろんな刃物やクワやを作り、
   鍋の修繕などをして、村のためにつくして参りました。」と、
  
答えました。

  「うむ、そうか、
   お前の言っている事が本当かどうか、すぐにわかる。」

閻魔様は残った青と赤の巻物をひとつずつ秤に載せました。 
天秤は赤い巻物の方にかたむきました。

  「どうやら、罪の方が多いようじゃの。」

後の鬼が鏡を七助をうつすと、
鏡の中に生きている時にした悪い事が次々に映し出されました。 

七助はポカ~ンと口を開けたままでした。

これはいかんとトンボの佐吉も、医者の玄斉も、祈祷師の方眼も、

  「自分は生きている時、大勢の人を楽しませました。」

  「わたくしも虫歯で困っている大勢の人を助けました。」

  「拙者も医者では治らぬ困り事をかかえた人を、神通力をもって助けました。」と、

自分がしてきた事を言いましたが、閻魔様の天秤は罪が重い方に傾き、
鏡には生前の悪い事が次々に映し出され、結局、四人とも地獄に行く事になりました。


四人が連れていかれたのは、針の山でした。 
そこはあたり一面地面に剣が木や草のように生えている所でした。 
死んでいるとはいえ、足が切れては歩くに歩けません。 
四人は大変な所に連れて来られたと思いました。

  「こんな剣などわしにかかれば何でもないぞ。」

七助はそう言うと剣を鎚でガツンと折ると、それで鉄の下駄を作りました。 
四人は四人とも鉄下駄を履くと鎚でガツン、ガツン、剣を折りながら山を登り、
見る間に剣の山は台なしにしてしまいました。

針山の監視をしていた鬼は驚き、閻魔様に報告しました。

  「うむ、それでは鍛冶屋がなんとも出来ぬよう、熱湯地獄に入れてしまえ。」

四人は閻魔様の命令通り、熱湯地獄に連れていかれました。 
あたりは一面の岩で、地面の底からブクブクと熱い泥や硫黄が沸いて、
熱いお湯が湯気をもうもうと渦巻いていました。

祈祷師の法眼は首をぽきっとならすと、

  「今度はわしがなんとかしよう。」

と言うと祈祷を初め、 熱い湯を丁度いい加減のお湯にしてしまいました。
  
四人はお湯に入り、背中をすりあい、医者の玄斉の言う通りに、
体を泥にうずめて体から毒を出しました。


  「ああ、ええ気持ちじゃ、生き返ったような感じじゃ。」
   
法眼がそう言うと、

  「うむ、この先死ぬ事はないでの、ゆっくり体を休めようぞ。」と
   
玄斉は大笑いしました。

  
四人が熱湯地獄を湯治場に変えてしまったので、
監視役の鬼はまた閻魔様に報告する事になりました。

閻魔様は地獄で一番大きな鬼、山鬼を連れてきました。
山鬼の顔は家のように大きく、口は一間、臼のように大きな歯が並んでいました。 

閻魔様は四人をすぐにお召しになり、
山鬼の口の中にほうり込んでおしまいになりました。 

山鬼は七助達をかみ砕こうとしましたが。七助達は鎚を取りだし、
鬼の歯をガツンガツンと折ってしまいました。
鬼は驚いて四人をそのまま飲み込んでしまいました。

山鬼の腹の中は真っ暗でした。
  
祈祷師の法眼は提灯を出すと、

  「やれやれ、口の中にほうり込まれた時はどうなるかと、
   冷や汗をかいたぞ。」

と、明かりを灯しました。

  「七助さんの鎚のおかげで、またケガせずにすんだ。」

トンボの佐吉がおどけて鎚をふりました。

  「その通りじゃ。」
  
四人は顔を見合わせて笑いました。

  「さてと、ここから抜け出す算段をしようかの、
   佐吉さん、手伝ってくれるかい?」
  
医者の玄斉は胃袋を提灯で照らしながら、
佐吉に言いました。

  「何をすればいいんだい? 玄斉さん。」

  「あそこにのぼって、くすぐってくれないか?」

  「おやすいご用だ。」
  
佐吉は胃の壁をするするっと登ると玄斉の言った所をくすぐりました。
すると四人のいる胃がぐらぐら揺れました。

  「ははははは、やっぱりの。
   佐吉さん、鬼が泣いて謝るまでくすぐってやりなさい。」

玄斉は面白そうに言いました。
すると七助も法眼も「俺達にもやらせてくれ。」と玄斉に頼みました。
玄斉は「ではみんなでくすぐってやろうかの。」と、
あたりかまわずくすぐり始めました。

  
山鬼はお腹を抱えて、ゲラゲラ笑い、オイオイ泣き、
急に怒ってあたりのものを壊したかと思うと、転がり廻って泣きました。 

山ほどもある山鬼が転がり廻るのですから閻魔様もまわりの鬼も、たまりません。 
建物はこわれ、地獄がぐらぐら揺れて、大勢の鬼が山鬼の下敷きになってしまいました。

そしてついに閻魔様をつかむと、

  「大王様、あの四人をどうにかしてください。」と、
  
飲み込んでしまいました。

四人は胃袋をくすぐっていましたが、
胃の中に閻魔様が飛び込んできたので、びっくりして聞きました。

  「こりゃあ、閻魔様、こんな所にご用ですか?」

閻魔様は苦虫を噛み潰したようにいいました。

  「うむ、書類に誤りがあっての、お前達は間違って死んだようじゃ。
   ここを出て、生き返ってくれんかの?」

  「へい、お安いご用です。」

四人はそう答えると、胃の中を思いっきりどかんと踏みました。
すると山鬼は四人も閻魔様も吐き出してしまいました。

こうして、四人は生き返り、葬式がお祝いの席になってしまいました。
  
地獄では今でも閻魔様が、
もう一度あの四人が死んだらと頭を抱え込んで、よわっていると言う事です。

                   「地獄の四人」

このお話は「閻魔の失敗」「軽業小僧と医者と山伏」という題の昔話で、三人のものもあります。

    (http://www.pleasuremind.jp/COLUMN/COLUM053.html

           <感謝合掌 令和2年8月16日 頓首再拝>

閻魔王から地蔵菩薩へ。~その1 - 伝統

2020/08/19 (Wed) 21:22:50


       *Web:お話歳時記(2019年07月09日)より

永観三年(985)天台宗の僧、
恵心僧都源信(えしんそうずげんしん 942?1017)は「往生要集」を表します。

往生要集は第一章「厭離穢土(おんりえど)」で、
救済手段のまったくない六道の惨苦を詳細に説明し、
第二章「欣求浄土(ごんぐじょうど)」で、
阿弥陀如来の西方極楽浄土の荘厳なさまを説き、

早く六道の穢土を捨て、永遠の安楽を保証する阿弥陀浄土に往生する事を勧め、
最後の「臨終行儀」へと続きます。

  
往生要集は日本人の地獄観を決定づけた、とも言われるほど、
地獄の有り様が詳しく書かれています。

  地獄は、等活地獄(とうかつじごく)
      黒縄地獄(こくじょうじごく)
      衆合地獄(しゅうごうじごく)
      叫喚地獄(きょうかんじごく)
      大叫喚地獄、焦熱地獄(しょうねつじごく)
      大焦熱地獄、阿鼻地獄(あびじごく、無間地獄とも)の
  八大地獄があり、
  それぞれの地獄に東西南北四つの門があり、
  門の外にはまたそれぞれに四つの小地獄を持っているとされています。

  
源信の書く地獄は、日本古来の浄化も再生も否定された懲罰的なものとされ、
肉体的・物理的な苦痛でしか、自らの罪はあがなえないとも受け取れるものです。 

焼かれ、骨を砕かれ、鬼に食われても、
肉体は苦痛を受けるためだけに再生し続けるのです。

  
この源信の六道観は天台浄土教の信者にはついて行けないものだったようです。

  
地獄から救済するものは、以降大きな変貌を果たします。 
六観音は六地蔵へと代わり、地獄の審判を描いた十界図には
阿弥陀仏や地蔵菩薩が描かれるようになっていくのです。 

そして、死に際して地蔵菩薩、阿弥陀如来が迎えに来る、
地蔵来迎図、阿弥陀来迎図等が制作されるようになりました。

観音菩薩のお寺として創建された六波羅蜜寺も、
十一世紀以降は地蔵菩薩の霊験説話をもつ地蔵信仰の寺となり、
各地には霊験説話をもつ寺社がたくさん現れるのです。

           <感謝合掌 令和2年8月19日 頓首再拝>

閻魔王から地蔵菩薩へ。~その2 - 伝統

2020/08/20 (Thu) 21:13:39


「広貴、妻の訴えにより炎魔宮へ召さるる事」

       *Web:お話歳時記(2019年07月09日)より

昔、藤原広貴という男がいました。

病にかかり、大和の国真木原の山寺に入って斎戒をしていました。 
広貴は筆をとり、経を書き習おうと机につきましたが、
夕方になって侍者が見ると、眠るように動きません。 

侍者は驚いて広貴を揺り動かしましたがすでに事切れていました。

広貴の死はすぐに親族に伝えられました。 
親族は慌てて葬儀の支度をして真木原に向かいましたが、
その時には広貴は息を吹き返していたのでした。

親族のものが聞くと広貴は布団に体を起こし、話しはじめました。

  「私は机にふして眠っていたようなんだが、
   目を覚ますと髭を生やし、
   赤い服の上に銅鎧をつけ、
   矛を持った者たちに取り囲まれていたのだ。」


広貴は続けました。

  「私はその者たちに捕らえられ、
   大きな宮殿の中に連れて行かれたのだ。

   そこには四方に玉簾が架けてある楼閣があり、
   中には輝き光を放つ方がおられたが顔は見えなかった。

   銅鎧の者が『召しいて来ました。』と言うと、
   その方が『汝の後におる者を知っておるか?』と問うて来られた。

   見ると身ごもったまま亡くなった妻が立っておった。

   私は『我が妻です。』と答えると、御簾の中のお方は、

  『この女の訴えによりお前をここに召し連れてきた。
   この女の受くべき苦しみは六年、
   そのうち三年はすでに終えておる。

   女はお前の子を孕み、そのために命を落としたのだから
   残りの苦しみを共に受けたいと申しておる。』とおっしゃられた。

   私はここは地獄という所で、妻が苦しみを受けていると悟った。


  『妻の訴えはもっともな事です。
   私は今まで、妻の後世を弔う事も無く日々を過ごしてきました。

   妻とともに同じ苦しみを受けるのはいといませぬが、
   妻のためには仏典を書き写し供養して、
   妻の受ける苦しみを救いとうございます。』と願ったのだ。


  すると御簾の中の方は妻にどうするか?と尋ねられた。

  妻は、『本当にそうしてくださるなら、夫を許してください。』と頭を下げてくれた。

  御簾の方はそれを聞くと、

  『さればこの度は帰り、妻のために仏典を書供養して弔へ。』と、
   私を解き放ってくださったのだ。」


廻りの者は広貴の言う事が、不思議でにわかには信じられませんでした。

広貴はそのまま続けました。

  「私はそのまま門の方へ向かったが、
   私をここに連れてきた方はいったいどんな方だろうか?と
   その場に帰り、御簾の中のお方に、

  『このような御恩を受けながら、
   お名前すら知らないままではすみません。
   恐れながらお名前をお聞かせください。』と、尋ねたのだ。

  すると御簾の中のお方は、

  『我は閻魔王である。
   閻浮提(えんぶだい)においては地蔵菩薩という。』と答えられ、
   くま手ほどもある大きな右の手を差し伸べると
   私の額をなでたのだ。

  『それは私の印だ。
   その印があれば災いを被る事は無いであろう。
   すぐ帰りなさい。』と私をお還しになったのだ。」

そう言って広貴は額を見せました。 
そこには指のようなアザが出来ていました。

広貴は妻の冥福を祈りながら仏典を書き写し供養しました。 
しばらく後、広貴は妻が菩薩に連れられ雲に乗ってどこかに行く夢を見ました。

その後も広貴は妻への供養を続けたと言う事です。

     広貴、依妻訴、炎魔宮へ召事。
          巻六ノ一 宇治拾遺物語(1221鎌倉時代)より。

            ・・・

六道からの救済は仏教界にもおおきな問題となったようです。

法然上人(1133?1212)の浄土宗では職業や身分により
どうしても罪を犯さなければならない人々を、
いかに六道から救済するか、考えなければならなかったのです。 

それは法然上人、親鸞上人により、阿弥陀如来による絶対他力による救済へと
昇華され、地獄の審判を越えて、誰をも救う事が出来るのだとされていきます。

そして、江戸時代にはいると、閻魔王の審判、地獄のイメージはぬぐい去られ、
誰をも救済する阿弥陀信仰となっていったのです。


           <感謝合掌 令和2年8月20日 頓首再拝>

閻魔王から地蔵菩薩へ。~その3 - 伝統

2020/08/21 (Fri) 19:13:05


       *Web:お話歳時記(2019年07月09日)より


日本仏教の発達はいかに地獄、地獄の苦しみから逃れるか?
というイビツなものであった、とも言えます。 

こうして仏教上は因果応報の地獄の概念を越えたかに思われたのですが、
江戸時代以降も死と地獄への恐怖・死者の霊への恐れは形を変え、生まれ続けているのです。 

近世になると村々に閻魔堂ができ、
閻魔像と葬頭河婆(そうずずかばー脱衣婆、三途の婆とも)、
鬼、浄玻璃鏡(じょうはりのかがみ)業秤(ごうのはかり)などの像が置かれ、
葬送の際、死者の衣服を供えて滅罪を願う習俗が一般化しました。 

この信仰がすたれた所では閻魔像はホコリをかぶっているところがありますが、
信仰の生きているところでは、正月とお盆月十六日閻魔様の縁日に、
閻魔堂に地獄変相図が架けられお参り等が行われます。

  
地獄のイメージも時とともに変化し、
江戸時代のものと思われる伝説などにはかなりの変化が見られます。

  
甲州街道沿いに新宿まで来ると大宗寺というお寺があり閻魔様のお堂がありました。
そこはなぜか子守が集まり、おおぜい赤ん坊を背負ったものがいました。
一人の子守が泣きやまない赤ん坊に「泣いている赤ん坊は閻魔様に食べられちゃいますよ。」
と言って、あやしていた所、いつの間にか背負っていた赤ん坊が消え、
閻魔堂の閻魔様の口に赤ん坊の着ていた着物の付け紐がぶら下がっていたのです。 

以来大宗寺の閻魔様は「付け紐閻魔」と呼ばれ、
言う事を聞かない子供は閻魔様に連れてこられたそうです。

  
また千住七不思議のひとつに蕎麦食い閻魔様の話があります。

日光街道沿いの千住宿あたりは食ベ物を扱うお店が建ち並ぶにぎやかな場所でした。 
その中にうまいと評判の蕎麦屋があり、毎晩美しい娘が一人で蕎麦を食べに来ていました。 
当時、夜半に若い娘が一人で蕎麦を食べに来る事はめずらしい事でした。 

店の主人は不審に思い、娘の後をつけました。 
娘は裏街道を抜け、金蔵寺というお寺に入ると閻魔堂の中に消えていきました。 
その話は評判となり、金蔵寺の閻魔様に願をかけ、願いがかなうとお蕎麦を供える
というならわしがいつの間にかでき上がりました。

  
このように閻魔様のお話は、言う事を聞かない子供やおそば屋さんの宣伝とも
受け取れる伝説など、身近な話に変化していきます。 

また、地獄や閻魔様にたいする恐怖心、因果だけを残して変質した地獄観は、
地獄に落ちないよう災いを受けないよう悪い因縁を断つ新しい救済儀礼や
法要を生み出していったようです。



三途の川のほとりで、善も悪も為さず、その言葉さえ知らず、救いすらわからない、
無明長夜の闇にさ迷う「水子」をすくい取ろうとする思想・信仰も
日本で発生したものです。

地蔵菩薩や閻魔王の苦悩を伝えるものもあります。

地蔵菩薩は子供を救うとされていながら、間引きをされ死して行く赤ん坊の、
ただ魂だけを、家の外で待つしかないありません。

閻魔王は多くのものを裁く故に、みずから日に三度、銅をドロドロに溶かした汁を呑み、
地獄で一番の苦しみに耐えている、そんな話も伝えられています。

ヤマ(Yama)、イマ(Iama)と呼ばれた頃と同じように、
自らの国を楽園とするためには、閻魔王と言えど、果ての無い苦難が待っているようです。


◆ 補記 ◆

「広貴、依妻訴、炎魔宮へ召事。」 巻六ノ一 宇治拾遺物語。

  日本霊異記 下巻九「閻羅王(えむらおう)奇(あや)しき表(しるし)を
  元(あらわし)し人を勧(すす)めて善(よきこと)を
  修(おこな)はしむる縁(ことのもと)。」と同一のもの。 

  霊異記での主人公は藤原朝臣広足とされています。

  日本霊異記には三本の閻羅王の話が納められていますが、
  地蔵菩薩との関係を示すものはこの一篇のみで地蔵菩薩の登場はこの話だけのようです。 

  地蔵信仰の元になった説話と位置づけて差し支えないように思います。



閻浮提(えんぶだい)ー人間の住む世界。

  薬師寺僧景戒の撰。 弘仁年間(810~824)に成立。 
  中国の冥報記(めいほうき)などの因果応報譚(いんがおうほうたん)にならい、
  後世に伝えるために書かれた、とされる。 

  奈良時代の説話を中心に雄略天皇の治世から年代順に116話を収録。

 

閻魔様の縁日(一月十六日、七月十六日)。

  この日を"薮入り"と言って、地獄の獄卒もお休みで、地獄の釜の蓋がゆるむ、とされ、
  亡者もこの日ばかりは責め苦がないとされ、奉公人が実家に帰ってもよい日、
  嫁いだ嫁が実家に帰っていい日ともされています。 

  どちらが先かわかりませんが、薮入りには奉公人がこぞって遊びに出かけ、
  閻魔様の縁日や観劇に出かけたそうです。


六道。

  天、人、修羅、畜生、餓鬼、地獄の六つを言う。

   現在の浄土真宗では、

     地獄ー地下にある牢獄の意。 苦しみの極まった世界。
     餓鬼ー常に飢餓に悩まされる世界。
     畜生ー人に養われて生きているものの意。
        鳥・獣・虫・魚としての生存状態。
     修羅・阿修羅ー絶えず対立し闘争する者としての生存状態。
     人間
     天 ーすぐれた楽を受ける喜悦の世界。

  という説明がなされ、人の状態、精神状態を指していると考えられています。


三途。

  地獄・餓鬼・畜生の三つの境界をいう。 三途の川はその境にあります。


葬頭河婆(そうずずかば・そうずかばば)<

  脱衣婆(だつえば)、三途の婆、三途川婆(しょうずかばば)ともいいます。

  亡者から衣服を奪い、その衣服を受け取る役目をするのが、
  懸衣翁(けんえおう)で、衣領樹(えりょうじゅ)の上で待ちかまえているそうです。 

  葬頭河婆の怖い顔で睨まれると咳が止まるとされ、
  また針を用いる職業の女性の信仰が篤く、今も続いているそうです。

  (http://www.pleasuremind.jp/COLUMN/COLUM058B.html

           <感謝合掌 令和2年8月21日 頓首再拝>

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