伝統板・第二

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青年法語~“個人・社会・国家のあり方 - 夕刻版

2019/05/29 (Wed) 21:11:02

”道産子 さま” ありがとうございます。
”道産子 さま”のお蔭で、新たに、谷口雅春先生の法語を
このスレッドに残せることに感謝申し上げます。
http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7834375 からの転載です)



        (昭和43年理想世界誌12/1号)

                 谷口雅春先生

【一日のことば~二人の路賊の対話】

ある時、一人の追剥ぎがその仲間の追剥ぎに向かってこんなことを言った。

「若しつかまっても“晒し首”にならないのだった楽天、
こんな結構な商売はないやね。
一文の資本もいらねえし、向こうから銭をもって寄って来る。

それを一寸おどすという手間だけで、自分のものになるんだからね。
資本なしの大金儲けだからね」  

すると、もひとりの追剥ぎがいった。

「そうでもねえぜ。もし刑罰というつらいものが無かったら、
誰でも皆、追剥ぎになってしまうよ。

そうすりゃ、追剥ぎばかりに此の世界はなって、結局、誰からも追剥ぎして、
ただで金儲けをすることは出来なくなるぜ。

追剥ぎには刑罰があるので、勇気ある吾々だけの専業という訳さ」

何かの本にこんな諷刺が書いてあったが、罰がなければ、
良心がとがめる事でも平気でやるような人間になってはならない。

ところが刑罰の網の目を何とかくぐって、みつからないように
汚職をやっている人間が政界の要路にしばしばいるんだから、
誠にやり切れない思いがするのである。

・・・

【二日のことば~困難と戦う勇気を讃美する】

追剥ですら、危険を冒す勇気があってできるのである。

況や立派な仕事を、他の人々に抜きんでてやり遂げようと思うならば、
危険を冒し、困難と戦う勇気がなければ成し得ない事なのである。

偉大なる事業は困難を克服する努力を通してのみ成し遂げ得るのである。

困難と戦うことを恐れる者は懦夫に過ぎない。

諸君は懦夫になってはならないのである。

・・・

【三日のことば~神は深層に善きものを埋蔵し給う】

困難を克服する努力なしに、成就の悦びというものはないのである。

困難を克服する闘いを通して、人は能力を増し、内在の力が、
その存在を実証するために表面に浮び出て、
自分が、鉛であるか白金であるかが証拠立てられるのである。

神は無限力であるから、”神の子”たるあなたは内に、
”無限力”を譲り受けているのであるが、

その“無限力”は自己の努力の戦いを通してのみ
発掘できる深いところに、神のそれを埋蔵し給うているのである。

その理由はあまりに安易に“善きもの”が得られるならば、
人は安易に甘えて、努力することを怠り、精神力も肉体力も
退化の一途をたどることになるからである。

・・・

【四日のことば~困難は決意によって克服され得る】

スター・デーリーが刑務所を出る時に、信仰深き長老に、
「刑務所を出てから自分は何を為すべきか」とたずねたときに
その長老はこういった。

「お前の一番好まない困難と思う仕事をやれ」と。

これは困難と戦うことによってスター・デーリーに
「内在の力」を引き出させるための指導であったのである。

スター・デーリーは講演がもっともニガ手で、演壇に上がると
声が出なくなるような強迫観念を持っていたのである。

そして彼は小学校も碌々出ていないので、
文章が書けるほどの語彙を知らなかった。

ところが、今は、十冊に及ぶ宗教書の著作があり、彼の講演会には
聴衆が千人を降ったこと仮名ほどに名演説家となったのである。

困難を克服する努力を通して人間の魂は進歩するのである。
(注。スター・デーリーの原書を私が訳し又は紹介したものに
『ふりそそぐ愛の奇蹟』『人類への預言』『愛は刑よりも強し』等がある)

・・・

【五日のことば~ケネディの決意が世界の歴史をかえた】

強固なる決意は奇蹟を演ずることができるのである。
それは世界を変貌する。

アメリカ合衆国のケネディ大統領は、ソ連のフルシチョフがキュ―バに、
合衆国に向かって射程距離にある位置に、ミサイル基地を築きつつあることを
空中偵察によって知るや、その撤去を求めて、もし撤去しなければ、
キュ―バに向かって航行するソ連船舶を拿捕することをも辞せない
とキュ―バ周辺の海域をアメリカ艦隊によって封鎖した。

もしアメリカ艦隊がソ連の艦船と衝突することになれば、
互いに大陸間弾道弾によって原子爆弾の撃ち合いを交える位置が
そこに及んでいたのである。

そのような危険をも辞せずして、キュ―バにミサイル基地をつくるための
資材及び部品を輸送するソ連船を阻止するの一大決意を
ケネディ大統領はしたのであった。

もし彼が怯懦にしてこの決意をしなかったら、
キュ―バに合衆国攻撃目標のミサイル基地が築かれて、
その後一層、米ソ関係は危殆に瀕するところであったのである。

しかし「原子爆弾をも辞せず」というケネディ大統領の一大決意は、
ソ連をして恐怖せしめた。

さすがにフルシチョフも、半ば完成しかけたキュ―バのミサイル基地
を撤去するに至ったのである。

それ以来米ソの平和共存関係は一層親密になり、
世界の平和に一層貢献することが出来たのである。

もしケネディにして、ソ連との衝突を恐れて、因循姑息、躊躇逡巡、
不決断のままに時日を経過しておれば、キュ―バにはミサイル基地
確固に築かれ、常にそこからミサイル発射の危険にアメリカは曝されて、
常に戦々恐々としていなければならない結果、
一層、米ソ間の感情を悪化していたに相違ないのである。

即ちケネディの断固たる決意が世界の歴史を左右し得たのである。

・・・

【六日のことば~一事貫徹・精神集中】

諸君は仕事をしかけたならば、精神力を分散せしめることなく、
一つの仕事に精神を打ち込むのがよいのである。

いかに天才であり、不撓不屈の精神力と体力とを持つ人であろうとも、
多くの仕事に精神力と体力とを分散せしめておく限りに於いて、
一事に精神力を没頭せしめた時ほどには充分の能率を発揮することが出来ず、
仕事の質も量もそれだけ低下するのである。

“一事貫徹・精神集中”これが諸君が仕事をなす時の
標語であらねばならないのである。

・・・

【七日のことば~天才とは精神集中の別名である】

天才とは忍耐の別名であるとは、よく言われて来たことではあるけれども、
天才とは精神集中の別名であるとも言い得るのである。

学校で成績の良い生徒又は学生は、屹度、教授又は講師の顔を見詰めて、
その説こうと欲している事項と精神とを、
一言一句聴き洩らさないようにしようと懸命であるのである。

同一の理解能力の者であるならば精神を集中して講義を聴く場合と、
易い加減に精神力を分散せしめている場合とは、理解の程度も、
記憶の程度も、そして更に、その先生の精神的人格的なアルモノを
感受する程度も、異なることになるのであって、
このことがその学生又は生徒の将来の発達に非常に関係が深いのである。

「ローマは一日にして成らず」という諺がある。

諸君の将来の発展と否とは、学生又は生徒時代の学習を
いかなる状態で過ごすかに深い関係があるのである。

・・・

【八日のことば~集中は“力”、分散は“浪費“である】

単に太陽が、広く一般に向かって照っているだけでは
その太陽熱は物に点火し焼き尽くすことは出来ないのである。

しかし、若し吾々が凸レンズか、凹面鏡を用いて、
日光を一点に集中するならば、忽ちものに火を点ずることが出来るのである。

集中は“力”であり、分散は“浪費“となる。

多くの人達がこの事に気付かずして
自分の貴重なエネルギーを浪費しつつあるのは
真に嘆かわしきことであると言わなければならないのである。

・・・

【九日のことば~運命改善と上達の秘訣】

ある有名なスケートの選手の滑走ぶりが余りにも素晴らしかったので、
ある人がその選手に、「君はどうしてそのようにスケートに上達したのですか」
と尋ねたことがあった。

すると彼は「別に秘訣というものはありません。滑ってひっくり返る毎に、
起き上がっては、繰返し繰返し練習したからなんです」と答えたという事である。

倒れても倒れても屈することなくまた起き上がって試みる

―― これが運命改善の秘訣でもあれば、上達の秘訣でもある。

・・・

【十日のことば~失望を知らない者は遂に勝つ】

失望を知らざる者は遂に勝つのである。

希望は実現の母である。

常に希望の種子を播種して、たゆまざる者は、
幾たびその種子が洪水によって押し流されても、ついにはその種子が発芽し
生長して美しき花を咲かせ、豊かなる実を結ばせるに至るのである。

希望、そして不撓不屈の努力の継続、これこそは人間の事業を成功に導き、
自己の人格を陶冶するに必要な切磋琢磨であるのである。

・・・

【十一日のことば~諸君は新しきアイディアを有たねばならぬ】

新しきアイディアは世界を変貌せしめ、世界を征服するのである。

新しきアイディアを持たない者は、
時代の進歩と共に置き去りにせられるのである。

諸君はアイディアを神から受信する方法を知らなければならないのである。

神は一切の本源者であり給い、無限の愛であり無限の知恵であるから、
人間を愛し給い、その幸福のために必要な無限種類のアイディアを
常に放送してい給うのである。

それゆえに、吾々が、神の無限のアイディアに対して受信する心構えになる
ならば、必要な時、適当な時に於いて、そのアイディアの閃きを受け、
それを実行に移す時、自分の運命が改善されると共に、そのアイディアの
種類によっては人類全体の運命をも改善する事が出来るのである。

・・・

【十二日のことば~神からアイディアを受けるには】

新しきアイディアを神から受信するためには、眠りしなに神想観をして、
神に自己の希望を伝えて眠ることにするがよいのである。

半ば眠りかけた時は、現在意識の遮蔽幕の希薄になっているので、
生命の深層にある潜在意識が表面に浮かび上がって、それに伝える想念を、
潜在意識が素直に受け取って、それを潜在意識の更に奥底にある
超越意識(神の普遍意識)に伝えて神からの指導を受取ることができるのである。

次のように神想観して、神との一体感を得た時に祈るようにするがよい。

「神さま、あなたは無限の智慧であられます。
その無限の智慧のうちより。私の天分に適いまする、能う限り多くの
人々を幸福にすることが出来る好きアイディアを私に与え給え。

翌朝目醒めた時、または、適当の時点に於いてそのアイディアを示し給え。」

このように念じてから、枕元にメモ用紙と鉛筆とをおいて、
神にすべてを全托した安らかな気持で眠りに入るがよい。

大いなる力に全托する気持ちで眠れば、深い安眠がとれるものである。

そして翌朝目がさめた時しばらく静かに神の導きが来ることを
期待した気持ちで安臥しているがよい。

若し何らかのインスピレーション的な思い浮かびがあるならば、
枕頭にあるメモ帳に書いておくがよい。

書いておかないと目ざめた直後の印象は、
後で忘れて想い出せないことが度々あるからである。

そしてメモに書いてあることが、自分の実行し得る範囲内のことであるならば
必ず実行するがよい。

・・・

【十三日のことば~人類の福祉の実践に精神を集中することは祈りである】

人類に福祉を与え、又は人類を救済し、その苦痛をやわらげ楽を与えたい
という神聖な念願をもって、余念なく、他念なく、ひたすらそれに精神を
打ち込んで、実行を重ねていくことは、


「祈り」という特殊の形態をとらなくても、
その純粋なる人類愛への精神の集中その事が”祈り”と同様のはたらきをして、
神に通じ、神からインスピレーションを受けることが出来るのである。

重ねて言う、人類の福祉への貢献に懸命に精神を集中して実践することは、
それ自体、祈りである。

・・・

【十四日のことば~外科手術用エーテルの発見】

外科手術時の麻酔薬としてエーテルが発見されるまでは、
阿片剤を大量に用いて手術時の苦痛を軽減するほかはなかったが、
阿片剤を大量に用いると色々の弊害があって、
その麻酔から完全な状態に帰るのに一週間も、否、時には一ヵ月間も要する
ことがあり、患者の手術後の経過に非常な悪影響を及ぼすのであった。

ところが麻酔薬エーテルの発見者モートン博士(Dr.Morton)は、こう考えた。

神は愛であるから人間が手術の必要ある場合、必ずその手術の苦痛を
軽減するための何らかの薬剤を準備していられるに相違ないと、

彼は化学者でなかったので、どんな物質が外科手術用麻酔薬として効果を
あらわすか”その化学式は如何”という様な事については
全然知識がなかったのである。

「きっと、神はそのような物質を用意しておられるに相違ない」と信じて、
唯信じて、一心不乱、手当り次第、麻酔効果のありそうな物質で実験を重ねて往った。

そして彼はついに外科手術用エーテルを発見したのだということである。

人類の苦痛を救おうという熱意で、精神集中を実践しつつあるとき、
彼の精神の波長が、神の人類救済の波長に合って、
そこに神のアイディアが実現した訳である

・・・

【十五日のことば~ラクに得られる勉学には興味はない】

昭和四十三年九月十四日の日経新聞に弘前相互銀行社長の唐牛敏生氏が
自分の簡単な伝記を書いていた。

この人は現在九十歳だが幼い時に父母の家が貧しかったために
碌に学校へも行けなかった人だ。

このような人が艱難を征服して、却って成功を?(か)ち得るのは、
人生の荒波という苦労艱難しながらパスして、
自分の根性を磨きあげたて来たからである。

今の大学生の如きは、親から学費をみつがれながら、その親の愛に
報いる心も起こさず、講義にも出席しようともせず、角材と石ころを
凶器として暴れる者が続出しているのは、大学が多すぎ、
親から貰う学資が多すぎ、勉学が非常にラクに出来るようになっているので、
あまりラクに得られるものには魅力を感じないで、
却って勉学をおろそかにするらしいのである。

なかなか得られないダイヤモンドが貴ばれるのと同じようなもので、
昔のように中々学校教育を受けることがむつかしい時代には、
汲々として一寸の時間も惜しんで勉学したものである。

気の毒なのは現代のあまりにも多く勉学の媒介のある世界に於いて、
却って勉学に興味を失っている青年達である。
 
人間は「艱難を克服」に魅力を感ずるものであり、ラクに得られる学業は
放棄して角材をもってあばれたり、
勉強はせずにスポーツに夢中になったりするのである。

そして政府もスポーツの奨励に夢中になっているのである。


?  : https://kanji.jitenon.jp/kanjix/11932.html

・・・

【十六日のことば~修学の困難は修学に魅力を増す】

唐牛敏生さんはこういっている。――

「・・・・・私が生まれた頃の家計はご多分にもれず火の車だった。
何とか弘前中学へ進学したものの三カ月と通学することが出来ず、
直ぐ近くの小学校の給仕として家計を助けなければならなかった。

しかし勉強したいという気持ちはどうしても押さえることが出来ず、
給仕になって五カ月目の冬、希望と不安に胸をおどらせながら、上京した。

斡旋屋の口ききで柳橋の芸者置屋へでっち奉公に入り、勉強できる日を
指折り数えながらこまねずみのように働いたが、それもつかの間、
母の死によって帰郷せざるを得なかった。

一人残った年老いた父の面倒をみるため、再びもとの小学校へ
雇い教員として舞い戻ったのは十七差の時だった。

四年後、検定試験に合格し正教員になり黒石町の飛内小学校で
教壇に立ったが、こんどは父が他界した。

こうなってみると前にもまして向学心が燃え上がり、再び上京すると
牛乳配達をしながら明治法律学校(明大の前身)へ入学した。・・・」


ここで彼は東京電気鉄道の社長浜政弘氏の知遇を得て出世の糸口を
見出すのであるが、「父が他界した後さらに向学心が燃え上がり」
という点に注目しなければならない。

艱難が来るごとに、そして贅沢に学問が受けられる時代には、折角、
大学に入りながら、修学に熱心にならずに、ほかのことに熱中するのである。

裕かさの中に生じた精神の貧困である。

・・・

【十七日のことば~武藤貞一氏の大学廃止論】

そこで武藤貞一氏の「大学廃止論」が出て来るのである。

武藤氏も指摘していられる通り、現在の大学の弊害の根源は

「アメリカ製大学制度の急激な押し付けにより、大学濫造」が生じたのであり、

大学の経営は儲かるという考えから大学の資格もない私学が大学と称する
認可を受けて学生を集めて利潤を上げようとしたのであるが、

最初は入学受験料だけでも随分の収入で儲かったけれども、
やがて設備の充実、教授の給料その他学校の維持費は高騰する一方で
あるにもかかわらず、授業料は値上げが出来ず、授業料を上げようとすれば
値上げ反対示威運動というのを契機に学内騒動が頻発することになっているのである。

武藤氏は曰く、

「全国大学自治会九十万人のうち、全学連は六十万人を占める。
全学連のうち、七十%は日共系が占め、残りは即ち、三派、革マル等の全学連に
分れている。――全学連の彼らは、堂々と自ら大学を放棄している事である。

彼らはもはや“大学生”ではない。その大学生でないものが大学自治会に
巣食い、ここを根城にして、ここを暴力革命の拠点として日も夜も戦術を練り、
角材、竹ヤリ、岩石、あきビン、ヘルメット、化学薬剤、
その他の武器の貯蔵庫にしているのである。


これだけの事実を見ても、今日の大学が既に亡び去っていることを
疑うものはあるだろうか。

・・・しかも、この大学のため、
われわれ国民がどのくらいの負担を背負わされているか。

国立大学に投入している一年の国庫負担(税金)は、四十二年度に於いて、
実に二千二百九十六億円(管理運営費一千七百八十億円、建物その他五百十六憶円)
に上り、学生自身から月謝千円、大学院は千五百円、ほかに入学料四千円、
検定料三千円を徴収するに過ぎないから、国家丸抱えと言っても過言ではない。

四十二年度の数字で割り出して見ると、各国大、各学部・大学院全額を平均して、
一人の学生にわれわれの税金が五十万五千円かかっている勘定となる。

国家国民にこれほどの負担をかけている彼ら学生が、身のほどを知らず、
学問の自由だ、学生の自治だとほざき散らすに至っては言語道断である。

一体彼らは自分自身を何さまだと思っているのか。

一般国民は、赤の他人に、これほどの思い上がりを許し、
甘やかし放題に甘やかす義理もなければ筋合いもない。

彼らが学生の本分をまるでわきまえていない以上、この上は仮借なく
国立大学を閉鎖廃絶して、それだけの税金を、もっと貴重な費用に
充当すべきだという考えが起こってもやむを得ないだろう。

こうして武藤氏は全国公私学大学を廃止して、
それを研究所とする案を提唱されているのである。

武藤氏の詳しい所論を知りたい人は『大学の崩壊と対策』と題する
冊子を読まれたい。

定価五十円であるが、なるべく多くの人に読んで貰いたいためと、
送料の一冊宛分を減少するために十冊以上注文を希望していられる。
(申込所は東京都港区西麻布三の二二・動向社・振替五二七九七)

・・・

【十八日のことば~白金の如く強靭なる人格を持て】

不屈の忍耐は、その人の人格が白金であるか鉛であるかの
テストだという事が出来るのである。

白金と鉛はよく似た色をし、手で触ってみると、どちらもドッシリと
重い重量感があるのだけれども、少しの衝撃でも鉛はくだけてしまうけれども、
白金は強靭で普通の衝撃ではビクともしないのである。

鉛は、少々熱が高いとドロドロと融けてしまうけど、
白金はよほどの高熱でないと融けることはないのである。

外界の如何なる圧迫にも耐えて自分の本性を失わない
白金のような人間を世界は求めているのである。

・・・

【十九日のことば~神の子らしく使命を生きよう】

あなたが“神の子”であるならば、神があなたに譲ったところの
「神らしき素養」を長養して、愛深く智慧すぐれた美しき性格を
発揮するように努力しなければならないのである。

葡萄は葡萄園の主人が目的としてその葡萄の樹を栽培した。

その栽培された葡萄の樹が、葡萄園の持主の意志に反して
酸っぱい葡萄の果実しかつけなかったら、
園主はそれを引き抜いて棄て、又新種の葡萄を植えるであろう。

私たちは、何を使命として神がこの地上に自分を遣わし給うたかを
謙虚に考え、神のみこころにかない奉らんことを希って、
神のみこころの如く生活するように努めなければならないのである。

・・・

【二十日のことば~自分に属する“福田”を増加せよ】

あなたは外界から来る圧迫を恐れることは要らないのである。

あなたに来るものは、ちょうどあなたに適当したものであり、
あなたの心の状態が呼ぶものだけなのである。

何人もあなたに属するものを外から奪うことはできないし、また、
あなたはあなたに属しないものを他から奪って来ることはできないのである。

一時、他から奪って来て、何らかの利益を得たように見えても、
本来あなたに属しないものは、やがてあなたから去ってしまって
元の木阿弥になってしまうのである。

それゆえに、あなたは、そんな無駄なことに
精力を費やすことをしてはならないのである。

そしてひたすら、自分の天分にかなう事で、
誰かが幸福になるための善行を重ねていくようにせられるがよい。

そうすることによって、あなたは天の倉に“福田”を積んで行くことになり、
そして自分の“福田”に相応しい幸福を自分自身に引き寄せることが出来、

他の人の幸福や持ち分を奪うことなく、他の人に深切を尽しながら、
自分も幸福になれるのである。

・・・

【二十一日のことば~“敬老の日”に抗議して自殺した老人】

スウエーデンやデンマルクは最も老人の福祉施設が完備している国で
あるのに最も老人の自殺が多い国だときいていたが、
それは「人はパンのみによって生くるに非ず、神の口よりいずる言葉による」
とイエスが喝破したように、如何に物質的設備の整備した老人ホームに
入れられていても、愛する家族たちの愛語の中に生かされていなかったら
生き甲斐が感じられないから、自殺するのである。

「神の口よりいずる言葉」というのは
「神の子の愛情を表現した家族の愛語」である。

生きた愛情に包まれていないで、形式ばかり裕かな社会施設で老人が
幸福になると考える「唯物論的福祉国家」は本当には
人間を幸福にしないのである。

日本も現行の占領憲法によって「唯物論的福祉国家」の仲間入りをしかけていて、
九月十五日の「敬老の日」という「老人に深切に敬意をささげる日」に、
皮肉にも六人の老人が自殺しているのである。

・・・

【二十二日のことば~占領憲法ついに老人を殺す】

日経新聞九月十六日号の社会面には「暗い敬老の日」と題して、
この日の老人の自殺を割合詳しく報道しているのである。

そのうちの一人の老女は江戸川区小松川橋下流で水死体となって発見されたが
封筒の切れはしから葛飾区の池田あきさん(62歳)とわかったが、
着物上から両足をタオルでしばっていたことから自殺とわかった。

池田さんは昭和十七年に夫に死別してから、ひとりむすこを女手一つで
大学までやるなど苦労の連続だったが、最近むすこが結婚してからは別居、
仕送りで細々と暮らしていた。

池田さんのすぐ前に住んでいる西村マサさんは「私も足が悪いので、
最近は茶飲み話にいつまでもこんなで生きていても仕方がないなどと話し、
ひとり暮らしをしきりにさびしがっていたようです」とだと話していた
と新聞は報じている。

これは全く現行の占領憲法が日本の家族制度を破壊し、結婚には両親の介入を
許さず、夫婦単位の個人主義的生活を奨励し、財産相続だけにして
家督相続を廃して恰も子供に親を扶養する義務なきような感を与えた
結果であって、私は速やかに現行憲法が唯占領中だけに通用した
占領憲法である事を明らかにして、これを廃棄して、明治の帝国憲法
が復活施行せられん事を希望せずにはいられないのである。

・・・

【二十三日のことば~老人自身は老人ホームを求めていない】

東京・足立区の足立老人ホームを経営しているホーム長の近藤明さんは
次のように言っている。

「老人が何よりも欲しがっているのは“家庭”なんです。・・・・・
老人ホームを欲しがっているのは老人自身ではなく、老人をかかえた
若い人たちなのだ」と。

つまり、老人を若夫婦の家庭から追い出して所謂“ババ抜き”“ヂヂ抜き“の
水入らずの家庭を楽しみたいから、老人ホームへ老人を放り込みたいのである。

NHKの森村桂作「あしたこそ」のテレビ映画でも香原大輔の婚約者たる娘は
香原の父が死んで、家族の生計を大輔が見てやらねばならぬことになって、

大輔の月給では、新婚夫婦が別居して、母親と別れて生活して、
母の家と自分との二所帯の生活をまかなうことが出来ないので、

結婚しても、別居しないで母と一緒に住んでくれ」と大輔が言うと
その婚約の娘は「もう嫁がなかったこととしてあきらめてくれ」と
いって婚約を破棄しているのである。

占領憲法が、個人主義的利己の快楽主義を奨励するように出来ているので、
到る処にこのような若い人の考え方が氾濫しようとしつつあるのである。

「理想世界」の読者は、そのような利己的忘恩的な考えに巻き込まれては
ならないのである。

・・・

【二十四日のことば~敗戦記念憲法の害毒の及ぼすところ】

家族制度を破壊して、個人だけが快楽が享けられ又は快適な生活が
営めればよいという考え方は、占領憲法の前文に書かれているようには
「人類普遍の原理」ではないのである。

ここに忽然として、祖先を離れて生まれて来た一個の「人間」なる
「個人単位の人間」などは何処にも存在しないのである。

すべての人間は、父母、祖父母、曽祖父母・・・・・と遡って神の生命に達して、
そこに断絶のない生命体であるのである。

ところが、占領憲法はそのような「個人単位の人間」が恰も存在するかの如く
仮定して日本の家族制度を破壊したのである。

そして、それを恰も真理であるかの如く
「これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである」
と占領憲法は宣言する。

これは全く真理に背く嗤うべき虚言であるのである。

このような嘘で固めた現行憲法は、速やかに廃棄しなければ、
日本国民は利己主義の生活を「人類普遍の原理に基く生活」であると
思い違いをして、国民全部が、道徳的には再び起ち上がることの出来ない
修羅道の生活に陥る恐れがあるのである。
すでにその兆しは見えつつあるのである。

・・・

【二十五日のことば~父祖を抜きにした人間は存在しない】

ここに一人の人間があるとすれば、彼はその生命を父母に享け、
その父母の生命は、祖父母に享け、祖父母の生命は曽祖父に享け
・・・・・無数の祖先に遡ってついに「神」に達する。

その間無数の祖先が大自然と戦い、色々の複雑な人間関係を通して
無数の体験を積み、その生命の深さも広さも加わり、生命の内に包容する
歴代の父祖の体験を通じてのみ得られる知識の潜在内容を悉く、
今爰に生きている「一個の人間」は内にそれらのすべてを包容して
存在するのである。

祖先の恩恵なしに、父母の恩恵なしに生きている上下断絶の人間など、
何処を探しても存在しないのである。

この事を考えて見る時、現行の占領憲法に規定されている如き、
祖先の恩恵ヌキ、父母の恩恵ヌキの「両セックスの合意のみに基いて」
自分の快楽だけをむさぼってよいという様な「個人」は現実には
存在しないのであって、それは単に西欧式民主主義という空想の産物に
過ぎないのである。

・・・

【二十六日のことば~西洋的分析に於いては国家は国民の敵である】

大体、日本的思惟に於いては、国家と天皇と国民とは三位一体であったのであり
君民同治の国家であったのである。

それが所謂る“大日本家族国家”と戦前に於いて謂われていたところの
国家のあり方であったのである。

それが戦後に於いて進駐軍が上陸して来て、何でも部分に分割することが
好きな西洋的イデオロギーによって、国家と天皇と国民とが一体にして
分割し得ざるところに「一つなるもの」であることを忘れ、
これを国家と天皇と国民の三つに分割して考えた。

その結果国家の中に、治者である天皇と、被治者である国とが、
あたかも征服者と被征服者のごとき対立関係にあるものとして捉えて、
そこに対立抗争の考えを植えつけたのである。

そして国家というものを治者が被治者を抑圧し搾取するための権力機関である
という様な左翼的な考えを押しつけて、それを学校で教えるようにしてきた。

その教育の結果として、あらわれて来たのが、今の学生運動である。
即ち三派全学連のいうが如き「国家権力を認めない」という立場の者が
輩出して来たのである。

このような思想に於いては「国家は国民を圧迫し搾取するところの
権力機構であるから、国家は国民の敵である」などと考える。

そして「国家を倒すために国民は闘うのだ」というような思想になっている。
これでは愛国心など起こりようがないのである。

・・・

【二十七日のことば~日本的思惟に基く国家観】

「大日本家族国家」に於いては、天皇の建てた国は、一つの家庭であり、
天皇は親であり、国民は子であり、天皇と国民との関係は親子関係にある
のであって、

国民は、子として親の御心を安んじ奉るべく、
なるべく親の悦び給うようなこの家庭が子々孫々迄繁栄するような
生活をしようと思うし、

天皇は親として多くの子供達の幸福になるように政事を行なおうとせられる。

これが国家・天皇・国民の際意味一体的有機体としての日本国家の
あり方であって、何処にも対立関係はなかったのである。

天皇は上位に坐してもそれは恰も親と子とが同一の食膳を取り囲んで
家長が上位に坐ると同様な関係であって決して労資の関係のような
階級的支配を意味するような階級ではなかったのである。

それ故に仁徳天皇は、民のかまどの賑わうのを見て、
皇居の屋根は雨漏りしても「朕は富めり」と仰せられた。

これが大和すなわちヤマト的な日本的思惟にもとずく、国家観であり、
天皇と国民の関係であったのである。

・・・

【二十八日のことば~占領軍は西洋的思惟に準じて日本国を解体した】

占領軍は、この肉親的親子関係にある家庭的な天皇と国民との間にある
鞏固なる紐帯を分断して治者と、被治者との階級的対立階級に分析した。

そして、これを逆転して、国民を治者の立場に於いて、
天皇を単なる抽象的な「象徴」という位置に置き、国家は、国民個々が
幸福になるための国民合意の組合組織的なものとしたのである。

そして国民個々には各々の考える処によってその「幸福」とする内容が
異なるが故に、各々別々の「幸福」を主張し、国家は内乱争闘の場と化し、
その縮図が国会の乱闘として現われるようになったのである。

そして国家は国民個々の福祉機関であるから、アメリカと手を結ぶ方が
自己の福祉に適すると考える者共は親米的となり、

ソ連中共と手を結ぶ方が、自己の福祉に適すると考える者たちは
容共親ソ親中となって、各々しのぎを削って争うけれども、

党派に偏ぜず、
「自分の身体はどうなってもよいから、国家のために」と
最後の裁断を下されるような天皇的存在がないので、
(注。日本国憲法第四条「天皇は・・・・・国政に関する機能を有しない」
即ち参政権すら有ち給わないのである。)

この紛争は、日本国家が明治憲法を復元施行しない限り永久に続くのである。

・・・

【二十九日のことば~吾ら皇祖皇宗の神霊への誓約を破ってはならない】

大体、明治の欽定憲法たる「大日本帝国憲法」にある天皇の地位は
改変すべからざるものであるのである。

それは明治憲法制定の時に明治天皇が、皇祖皇宗の御神霊にたいして
誓いをたてられた「告文(おつげぶん」に、

「・・・・・皇祖、皇宗ノ遺訓を明徴ニシ、典憲ヲ成立シ条章ヲ照示シ内ハ以テ
子孫ノ率由スル所ト為シ外ハ以テ臣民翼賛ノ道ヲ広メ永遠に遵行セシメ
益々国家ノ丕基(ひき)鞏固ニシ八洲民生ノ慶福ヲ増進スヘシ。

茲ニ皇室典範及憲法ヲ制定ス。惟フニ此レ皆、皇祖、皇宗ノ後裔ニ
胎(のこ)シタマエル統治ノ洪範ヲ紹述スルニ外ナラス・・・・・」

とあるのであって、明治天皇が皇祖天照大御神及び代々の天皇の御神霊に対して
「永遠に履行せしめ」と、誓わせられたのが此の御告文なのである。

現行の憲法は、明治天皇が天照大御神及び歴代の天皇の神霊に対して
誓わせられた誓約を、占領軍の圧力によって、強いて破らせて作り上げたもの
であるから、占領終了後と共に廃棄すべきものであるのは当然であるのである。

・・・

【三十日のことば~学生騒動の淵源は占領憲法にある】

現在、日本国内で重大な問題を惹き起こしている学生騒動は結局、
現行の占領憲法の第二十一条「集会、結社及び言論、出版その他一切
の表現の自由はこれを保障する」とあり、

第二十三条に「学問の自由は、これを保障する」とある条章にもとづいて、
現行憲法によって保障されている権利を履行しているのだという
牽強付会的解釈にもとづくものなのである。

朝日新聞の如きは角材をもって乱闘する学生の行動を「国会に議席を
持たない国民が、その政治的意志を表現するために、かくの如き行動
をとるのは、憲法に許されたる最低の、“表現の自由”を行使している
のであって、ほかに彼らにとって有効適切な国民意志の表現があるか」
という様な論調で批評して、大いに学生の行動を弁護し奨励しているのである。

これが日本で最大の発行部数をもつ朝日新聞の論調なのであるから、
日本国民が、日に日に洗脳されて赤化していくのは当然の成行なのである。

吾ら、神武建国以来の伝統の日本国を愛する者が起ち上がって、
日本を護らなければ、日本の将来はまことに憂うべきものがあるのである。

私は「朝日新聞に対抗し得る有力なる新聞出でよ」と
叫ばずにはいられないのである。

・・・

【三十一日のことば~吾らの日刊新聞の発行】

私たちは左翼偏向の大新聞の発行に対抗して純粋の日本主義の大新聞を
発行する必要を前々から感じていたので、幸いに日本主義の愛国団体の
殆ど全部が一つに結集した「日本国民会議」というのがあるので、
そして各団体各々機関新聞及至機関誌をもっているので、

それらの機関紙誌の発行経費と執筆陣とを一つに結集して毎号交代に
執筆する日刊新聞を発行するために、内々、各団体の意志を伺ってみるように
嘗て田中忠雄氏を通じて交渉したことがあるのだけれども、

大抵の団体はその機関誌の配布先である会員からの会費の納入によって
運動費が賄われているので、各団体が自らの機関誌の発行をやめて、
それを「一つの協力新聞」にまとめてしまった時には、会費の納入が
その新聞社にまとまって収納せられ、各団体の独自の運動費の出所が
なくなるという様な意味で、ついに「協力新聞」を発行する計画も
頓挫してしまったのであった。

 
ところが、最近『帝都日々新聞』が、既に日刊新聞として、
どこの宗派にも団体にも属せず、その社主野依秀市氏独自の立場から
侃々諤々の愛国の論陣を張って、

権威に媚びず、金力に阿ねず、多数の左翼陣営の言論を向こうに廻して孤軍奮闘し、
八十歳を越えて、入院中身体の不自由にもめげず、
正論を毎日口述筆記せしめておられたが、
ついに天寿を全うせられて最近逝去せられたので、

私は野依翁の愛国の意志を継いで、
この愛国陣営の日刊新聞を強力な対左翼的言論機関にまで
育て上げて日本護持の一大機関たらしめんと決意し、

私の多忙な時間を割いて、毎月曜日に「月曜随想」を執筆し、
また緊急事態が発生した時には、それに対する所感を直ちに執筆して発表し、
他の愛国者との連絡を保つことにしたのである。

日刊新聞を毎日執筆し、それを発送し、その経営を維持することは
並大抵の苦労ではないのであるから、「理想世界」の読者は勿論
生長の家全部の誌友が「吾々の日刊新聞が発行された。これを育てよう」
というつもりで、年極読者になってあげて欲しいのである。

協力者は次の新聞社に直接、振替貯金又は郵便切手代用でもよいから
申込んで上げてほしい。

[注。帝都日々新聞社―東京都港区芝公園五ノ十(郵便番号一〇五)
振替口座東京四六五一七。一部十円・一ヵ月二五〇円(送料とも)]

         (おわり)

Re: 青年法語~“個人・社会・国家のあり方 - livnmpxrMail URL

2020/08/29 (Sat) 03:52:45

伝統板・第二
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