伝統板・第二 2518281

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伝統様、ありがとうございます。26

1:道産子 :

2019/05/28 (Tue) 08:25:31



 10連休を終えて、ふたたび相まみえます(^^♪。

天皇陛下、皇后陛下の立派なお姿に感動しております。


 志恩様の啖呵、いいですね(^^♪。





 今日よりは、輝子先生の随筆です。



 昭和四十四年  理想世界誌 2/1号

 学生騒動について想う        谷口輝子先生



 今朝の新聞を開いて見たら、「日大生六人を逮捕」と特号活字の見出しが目についた。

九月四日に日大校舎の占有排除処分の強制執行の際、占拠

学生排除のために出動した警官たちに、日大の五階から椅

子、石、レンガなどを投げつけたために、警官の一人が死

亡し、十五人が重軽傷を受けた事件のために、共同正犯と

指定された九人の中の六人が捕まったという記事であった。

ずらりと縦に並べてある六人の写真を私は見た。

「この写真の顔は、少しも学生らしく見えませんね。強盗

殺人などで捕えられた街のヤクザと変わりがないようです

ね。昔は大学生と言うと、もっと品があって、若い紳士という感じがありましたもの」

 と私は夫に言った。夫は、

「それは今、犯人として逮捕されたから、その時の感情を現した顔をしているのだ」

 と言われた。殺人犯として逮捕されると殺人犯らしい険

しい表情をするものだと知った。あなたは神の子さんだ、

愛深いやさしい人だと言われたら、おだやかな表情になるに違いない。

                     (つづく)





2:道産子 :

2019/05/29 (Wed) 08:03:51




 猛暑一転、ストーブまで付けての北海道です。

家の断熱が悪いんですかね('◇')ゞ。






 輝子先生の御話続き、です。


 十一月二十一日の昼過ぎ、関西から上京した十二人と、

東京在住の十人ばかりの東大出の会のメンバーは、暴力を捨て、激突を避けたい願いから東大へ出かけて行った。

新聞には、キャラメルを学生に配って話しかけている母親

たちの姿や立て看板に歌を美しい毛筆で書いたはり紙を貼ったりしている写真が出ていた。

 八首の歌の中に

 暴徒とも反逆ともいえる青年の すずしき瞳にわれはとまどう

 激突を避けるすべなきいらだちを 母らは泣きて君らを想う

 激突の時刻々と迫り来ぬ 母らは中に入りて避けたし


 などがあった。その母親の一人の法貴雪子さんは、その

数日前にも安田講堂に行って、学生たちと話し合ったり、

乱雑に汚している部内のお掃除をしたりして来られたの

で、学生の一人が、「ああ、この間の小母さんですね」
 
と親しそうに言葉をかけて来た。“すずしき瞳にわれはと

まどう“と歌にして居られるように、法貴さんたちの目に映った学生たちは涼しい瞳をしていたようである。

                     (つづく)
 
3:道産子 :

2019/05/30 (Thu) 07:50:29




 神々の友達。様、吠えていらっしゃいます!(^^)!。

所功先生、ほんとに女系天皇肯定なんですか?








 輝子先生です。


 それは何故であろうか。石やレンガを投げつけて、警官

を殺すほどの暴逆学生と思われている彼等が、どうして涼しい眼をしていたのであろうか。

それは、警官たちは、学生らと闘うことを覚悟して行った

のであろうけれど、母親たちは、「愛」を持って行ったからである。

最初に安田講堂へ行った時、法貴さんたちは蜜柑とケーキ

を抱えて行き、彼らの汚した部屋のお掃除をしてやったりして、彼等を説得しながらも、彼等に与え奉仕された。

その憎しみのない好意的な態度に対して、眼尻をつり上げて石やレンガを投げつけることは出来ない筈である。

「愛」ほど強いものはない。母親たちの温かい「愛」の前

に、暴徒たちは生まれつきの涼しい瞳、やさしい瞳を見せざるを得なくなったのである。

 私の小学校の頃の教科書に、何という題だったか忘れたが、「旅人」についての一つの物語が載っていた。

                    (つづく)
4:道産子 :

2019/05/31 (Fri) 08:07:51



  <通常、フランス人などヨーロッパの人たちは挨拶で

チークキスをする慣習がありますが、
アメリカ人はほとんどしません。

雅子さまはアメリカに長くお住まいだったので、当然それをご存じでしょう。

しかし、メラニアさんは東欧スロベニアの出身で、
親しい友人にはチークキスをする文化がある。

雅子さまは、そこまでご存じの上で、自ら自然な形で親愛の情を示されたのでしょう。

相当に高いレベルの外交の技術をお持ちだということです」


・・・・・その瞬間だった。

身長190cmと大柄なトランプ氏が、常に笑みをたたえて

堂々とホストを務められる陛下の存在感に圧倒されたの

か、背筋を伸ばし、スーツのジャケットのボタンを留めて居住まいを正したのだ。

「トランプ氏は他国の国家元首などと重要な会議や会見を

行う時に、ジャケットのボタンを留めず、ラフな雰囲気であることも多い。

しかし、今回は身なりを整え、礼を尽くさなければならな

いというオーラを、陛下から感じ取られたのだと思います」(皇室記者)・・・>・・・。



 伝統様のご投稿より<m(__)m>。






 輝子先生の御話です。


 太陽と風とが力比べをする約束をした。旅人の上着を脱

がす競争であった。初めに風が飛び出して、旅人の上着を

吹き飛ばそうとして、凄い力で吹き始めた。旅人は大事な

上着を取られまいとして、両手で羽織の衿をしっかりつか

んだ。風はますます強く吹く。旅人はいよいよつかんだ手に力を加える。

最大の強力を用いても、風はどうしても旅人の上着を奪うことが出来なかった。

 やがて太陽が現れた。やわらかい温かい光と熱とをもっ

て、太陽は旅人をやさしく包み始めた。旅人の上着を掴む

手から次第に力が抜けて来て、全身暖められた彼は、遂に上着を自ら脱いでしまった。

 太陽の愛が、風の暴力に勝ったのであった。幼い時に教

えられたこの物語が、六十年後の今日、ふと私の脳裡に浮かび上がって来たのであった。

                    (つづく)
5:道産子 :

2019/06/01 (Sat) 07:59:01

https://bbs7.fc2.com//bbs/img/_837600/837516/full/837516_1559343541.jpg

 <大東亜戦争は一方に於いては、”高級霊”が最後の滅私

奉公の行動を通して、急激に霊魂の地上進化の最後の過程

を終えて他の高級天体に移住する契機をつくったのである。

(神真理を告げ給う)・・・>。



 がんこ親爺様のご投稿より<m(__)m>。


 写真は仙厓和尚の六月、周の国の衰退を仏教で救おうと

青牛に乗って西進する孔子を描いて、しかし、そんな聖人をも信用していない和尚、ということだそうです(^_-)。

 だけど、この画の巧い事(^^♪。





 輝子先生の御話です。


 この間夫の許へ、大坂の浜寺の一少年からハガキが来

た。それは鉛筆で平仮名で一字一字をはなした堅い文字であって、私には小学生ではないかと推察された。

「谷口先生、ぼくの家ではおとうとと、ぼくとお母さんと

が、しゃきょうをしています。お兄さんはめんどくさがりや、していません。

ぼくがやりはじめたのは、お母さんがはじめからやってい

たのと、先生からどうしてと聞かれたので、しゃきょうと

言ったら、ともだちが、それはめいしんだといいました。

もう一人は、ぼくはキリストしかしんじないといいます。

でもぼくはやっています。だからぼくは、これからも、し

ゃきょうを千かいも万かいもやれるだけやろうと思ってい

ます。それじゃさようなら。元気でいてください。ありがとうございます。」

                    (つづく)
6:道産子 :

2019/06/02 (Sun) 07:13:53



 創価学会の凋落、う~ん、興味ありますね!(^^)!。

同時に維新の凋落?困ったことです。








 輝子先生の御話です。


 筆跡や文章から、十歳前後にと思われるこの純真な少年

の、ひたすらに写経している姿が想像されて、尊い気持を覚えた。

この幼い人の、白紙のような清らかな心に、母親の信仰が

映って、その信ずる通りに実現したのであった。写経をし

たら偉い人になれると母親が教えたら、素直な疑いを知ら

ない子供の心は、ハイそうですかと信じてしまい、そして100点を得たのであった。

この少年の心を、そのまますくすくと伸ばしてあげたら、

どんなに立派な善い人になることだろうと思うにつけ、そ

の素直な生長を妨げ阻むように、それは迷信だよという友

だちや、ぼくはキリストしか信じないと言う心の狭い友だ

ちのような人が、世の中には数多くいて、この素直な清ら

かな少年の心が、ゆがめられたり、曇らされたりはしないかと私は案じられる。

                    (つづく)
7:道産子 :

2019/06/03 (Mon) 08:06:44




<マザーテレサは日本に来日した時に、霊感で「この国は貧

しい国ですね。」「赤ちゃんを殺さないで下さい」「中絶は胎内殺人です。」と述べられた。>・・・。


 悲しい現実ですね。覚醒を祈る<m(__)m>。








 輝子先生の御話です。


 法貴さんたちの眼に映った涼しい瞳の学生たちも、

「愛」の前にはやさしい顔を見せるが、ひとたび雄物論者

や愛国心なき指導者たちの鞭の前に立つと、涼しい瞳は充

血で濁り、手に手に角棒や石やレンガを握って、殺人や強

奪や破壊をほしいままになし、社会の人々に損害をかけて平然としている。

 二十何歳の学生たちが、ヘルメットをかぶり、労働者の

ような服装をして、天下の公道を破壊してコンクリートの

石を作り、ヤクザのように暴れまわっていると、一方には

十歳の子供が粛然と机に向かって坐り、神の教えか仏の教えか、敬虔な態度で写経をしている。

今の日本にも、このような懸隔のはなはだしい生活場面の
あることは、まことに不思議に思えるほどである。

                     (つづく)
8:道産子 :

2019/06/04 (Tue) 07:51:30


 仲間撃ち(^_-)、なんだかなあ~!(^^)!。

輝子先生も嘆かれておられるんじゃないですか。





 輝子先生の御話です。



 福岡市の「ゆには会館」の近くに、半年ほど前に生長の

家学生道場が出来たとの報せを受けた。その道場は、市内

中心部にあるのに、騒音もなく庭も広く池もあって、学生

たちはそこに於いて、学問にはげむと同時に学生運動も熱心にやっている。

先日そこの近所の人が五六人集まって話して居られたが、

そのうちの一主婦が、

「あの生長の家の学生さんたちは、全学連とはうんと違う

ごたあですね。朝は五時から起きられて『お父さん、お母

さん有難うございます』と言った後、国旗を拝んであるごたあですバイ、今どき珍しい感心な学生さんですねえ」

 と話して居られたそうである。そこの学生たちは、福岡

の生学連活動の時は、教化部長や相、白、青の人達の温か

い協力を得て、学内動員力も、講演会などの場合は、福岡

大(五百名)、九州大(二百名)を初めとして、七、八校

に於いて百名以上の動員ができるようになったし、学園紛

争を未然に防止するのに大きな力となって、学校当局の信頼も非常に厚いものになっているそうである。

                    (つづく)



 
9:道産子 :

2019/06/05 (Wed) 07:43:32




 谷口貴康先生は、本流のリーダーに足る人物です!(^^)!。







 輝子先生の御話です。


 私はこのような便りを受けることは大きな喜びである。

ここの学生たちは、学問の勉強も真面目にやるし、日本の

平和のためには学生運動もしっかりやり、庭の池の金魚も

愛して飼ってやり、名も知らぬ小鳥がやって来ると、その愛らしい姿や声に心を通わせているようである。

 東京にも生長の家の学生道場が,赤坂と国立の二カ所に

あって、それぞれに愛国心によって、熱烈な学生運動を続

けている、ひとり一人バラバラでは力が弱い。

私はこのような学生道場が全国の大学所在地にできて(た

とえ借家でも)若い熱血青年達が、高い信仰と深い祈りの

中から起ち上がり、日本の幸せのために、世界の平和のために、暴力ならぬ戦いに勝ち抜いてほしい。

 世界のどこの国でも、青年たちはい若いエネルギーを溢

れるほど持っている。その豊かな強力エネルギーを、何に

向かって発動させるべきか、その目的と行動によって、そ

れぞれの国の運命が左右される事を思うと、青年たちの思想と行動とに影響されることを重大視せねばならない。


                    (つづく)
10:道産子 :

2019/06/06 (Thu) 08:03:45



 <《もう私は、肉体的には、これから何歳生きるか知らないけれども、…肉体を超えて諸君を護る。

皆さんは、まだ若いのだからこれから何十年でも生命の実相の真理を広める事ができるんです。

ここに、皆さんの使命がある。》(『理想世界』誌・昭和52年2月号)>。


 勇気百倍の御言葉ではあります。

合掌、ありがとうございます。



 <昨夜のNHK‐BS国際報道は天安門事件当時、ブッシュ米

大統領が「米国は中国との関係をこのまま維持できるよう

望む」と語り、サッチャー英首相も「同意します。中国と

の関係維持は必要です」と答えていた通話記録を明らかに

した。結局、将来の巨大市場に目が眩む首脳たちが民主化運動の梯子を外したのだ。・・・>・・・。


 アクエリアン様のご投稿より<m(__)m>。









輝子先生の御話、この項最後です。


全学連の学生たちは、来るべき日に為そうとしている革

命のために、その予行演習をしているように見える。しか

しその革命は、果たして日本の国のために有利であろう

か、日本の国民に幸せをもたらすものであろうか。彼等は

真剣に考え、自己の一身を投げ出して闘っているのだろうか。

彼ら全学連同志でさえ派閥を幾つも作り、権力争いに血を

流している姿を見ると、狂暴な彼等によって世界の平和がもたらされるなどとは信じられない。

神とつながり、みんな涼しい顔をしている人によってのみ、平和は実現する。

                    (おわり)
11:道産子 :

2019/06/07 (Fri) 07:45:09



 TV局、よほど暇なんですね、BadNewsに明け暮れている!(^^)!。

光明化の逆を行ってる。どうにかならないもんか"(-""-)"。





 今朝は、清超先生の巻頭言です。


 理想世界誌 昭和四十四年2/1号

  巻頭言 パラダイスは誰の手で  谷口清超先生


 唯物論によると、この世の中はバラバラな存在であって、盲目的に出来上がっているのである。

そこで、世の中は良くなるとは必ずしも言えないことになる。

不完全なものばかりがうごめいている。

そのような中で、「良いもの」を何とかしてつくろうと、彼らは主張するのである。

 そこで勢い、自分勝手に、「この方法がよい」と思う方
法を夫々が押し進めていく他仕方がなくなるのである。

こうしてAのグループがよいと思ったことに、Bのグループ

でよいと思った行き方とが対立して、お互いにはげしく争うのである。

それはあたかも中共内部の毛林派と実権派との対立のよう

なものであり、日共系と反日共系学生の対決のようなものである。

 ところが、唯物論では、AのグループもBのグループも、

本来完全者ではないのであるから、Aグループのやり方で

ある「A」とBのグループのやり方である「B」とを比べて

みても、どちらが正しいのかはさっぱり判らないのである。

そこで「A」と「B」との善悪は絶対に決められない。仕方

なく彼らは”実力”と称する「暴力」に訴えて、黒白をつけることにならざるを得ないのである。

この結論は、中共の武闘をみても、全学連の乱闘を見ても、まさしく実証されているではないか。

 即ち、唯物論からは、必ず「暴力」が導き出されて来る

のであり、「暴力」を抜きにして唯物論を発展させることは断じてできない相談である。

従ってもし吾々が「暴力」を嫌うならば、その根源である

ところの「唯物論」から脱却し、「唯神論」にまで超出しなければならないのである。

しかるに多くの青年や文化人たちは、口先で暴力を否定し

嫌悪し乍ら、依然として、「唯物論」に固着しているのである。ここに現代社会の混乱の根源が発見される。

 マルクスもマルクーゼにしても、或いは又フロイドにし

ても、人間の本質を不完全と見るところに、大いなるあやまちがある。

「不完全者が、どうして理想世界を作り得るか」

という問いに、彼らは一言も答えてはいないのである。も

し不完全者がてんで勝手にユートピアを作り得たと仮定し

ても、それは、不完全社会にそのようなレッテルを付けただけのものに過ぎない。

それは恰も場末の汚らしい酒場に「天国」とか「パラダイス」とか「共産社会」という看板を掲げただけのものなのである。

 ところが、吾々の言う理想世界とは、そんな安っぽいレッテルだけのものではないのである。

吾々のいうところのパラダイスは、「完全人間」のつくったところの理想社会である。

つまり「唯神論」によれば、人間はすでに元から完全なる

「神の子」なのであって、その真実を自覚し、行動化することによって、真実を現実たらしめる。

 完全者のみが完全社会をつくりうる。

完全者のみが、人の真実も、宇宙の真実も、それが真実であることを知り得るものだからである。

                      (以上)

12:道産子 :

2019/06/08 (Sat) 08:31:12




 <「合区教区」(兼務)になると、片手間となります。

生長の家の破壊です。>。


真言宗の次男様のお言葉です!(^^)!。









 今朝よりは、清超先生の御話です。


 自由を吾らに     谷口清超先生


        影に自由があるか


 人間は本来「自由」な存在であります。それは「神の

子」が人間の本質であり、この「神の子」は、何ものによ

っても制約されない主人公であるからであります。ところ

が地上人間は、果たして「神の子」そのままであるかとい

うと、そうではないのであって、「神の子」の”写し”であ

り、その三次元面への影像であります。しからば果たし
て、その“影像”にどれほどの自由があるのであろうか。

 例えば飛行機は空中高く飛ぶ自由があり、地上の凡ゆる

混雑から超出して大空を飛行することが出来ます。しかし

その飛行機の“影像”乃至”模型”に、本物の飛行機と同じ自

由があるでしょうか。勿論そんな自由はないのであって、“影”にはそれ相当の制約があるのが当然です。

それと同じように、肉体人間は「実相人間」即ち「神の

子・人間の」の影像でありますから、完全自由とは言い難いのです。

肉体的な力の制限もあるし、色々な面での社会的制約もあ

ります。この制約を無視することは、決して良い事ではない。

成る程、人間は誰でも「絶対の自由」にあこがれている。

それは人間の本質が「神の子」そのものだからであって、「肉の子」ではないからです。

だからといって吾々が「肉の子」をそのまま「神の子」と

錯覚するというだけでは、決して真の自由は得られない。

それはあたかも飛行機の模型がそのまま「本物の飛行機」

と看過され、それに高空を飛翔させようと試みたり、それ

に多数の乗客を乗せようと計ったりしても、それは不可能であるようなものです。

 そんなことをするよりはむしろ、ハッキリと模型の制約

を認めたうえで、本物の飛行機の活用を計る方が望ましいでしょう。

そのように肉体人間をそのまま「自由自在なるもの」或い

は「自由であるべきもの」とみとめて、肉体の欲望を自由

にのさばらせる事を以て、「人間の自由」と錯覚しては、
却って多くの社会的混乱を引き起こすに違いない。

 例えば現在全学連などが「表現の自由」と称して、各所

で不法のデモや乱暴を行なっているが、これなども「自

由」についての認識不足から“肆意(しい)“(勝手気儘)

を”自由”と錯覚しているところから生じているのであります。

                    (つづく)






13:道産子 :

2019/06/09 (Sun) 08:02:13



 閑話休題('◇')ゞ

好天の日曜日であります、結構冷えてます('◇')ゞ。








 清超先生の御話です。


        無法をゆるすな


 たしかに現憲法は第二十一条において、「集会、結社及

び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」と記してあります。

けれどもその前に第十二条では、「この憲法が国民に保障

する自由及び権利は国民の不断の努力によって、これを保

持しなければならない。又、国民は、これを乱用してはな

らないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負う」

 と明白に規定してあるのです。即ち、表現の自由は、現

憲法(不完全極まる憲法ではあるが)においてすら、決して

無制限に許されているのでなく、「濫用してはならない」

と規定され、「常に公共の福祉のために利用する責任を負
う」と定められている点に注目しなければなりません。

随って、この濫用すべからずという規定にそむいて濫用し

たり、公共の福祉に利用する責任を怠ったりしたものは、

あきらかに「憲法違反」をしているものであって、このこ

とを問題にする人々が少ないのはどうしたことでしょうか。

かつての新宿騒乱事件で、多数の人々に迷惑を与え、「公

共の福祉のために表現の自由を責任を負う」を放棄した、

彼ら”濫用者”は、明らかに憲法違反を犯しているのであ

り、この学生の行動を是認したり、共感したり、同情した

りした一部の人々も亦憲法違反をそそのかしている者であ

って、これ等の人々も亦「自由」を正しく認識していないと言わざるを得ないのであります。

                    (つづく)
14:道産子 :

2019/06/10 (Mon) 08:13:36



 全相復活掲示板の停滞も残念なことです( `ー´)ノ。








 清超先生の御話です。



勿論東大紛争で林健太郎文学部長を七泊八日もカン詰めに

して、逆に失神状態にまで追い込むような人権無視をした

学生は、自分たちの自由(欲望)を満足させるために、他人

を監禁し、他人(教授)の自由を奪い、生命を危険に陥れた

のであって、言語道断であります。このような彼らの行動

が如何に人道を無視したものあったかは、『週刊文春』十

一月二十五日号にのせられている現場にいた学生(東大文

学部三年T君)の証言によってその一部を紹介すると、次のようになります。

『林「このように自由を束縛された形で行なわれているの

はまったく不本意だ。自由を奪う事は人道問題である」

学生「よく寝てたじゃねえか」

林「ユカにフトンを敷いて寝ていたのだ」

学「ユカにフトンを敷かなくて、どこに敷くというんだ

よ。オマエはサケも飲んでるいるじゃねえか。オレたちがあんたの人権をどう無視してるというんだ」

林「あんな状態ではサケを飲むのは当り前だ。サケでも飲まなくては寝られないッ」

学「新聞歯医者にも見せないと書いているが、デタラメだ

よ。なにかいうと、すぐ人命問題というけれど、オレたちだって人命問題だよ。

 オレだってよ、いま脈を取ったり、心電図を取ればどこ

かわるくなっているよ。それをだよお、人命にかかわると

いうのかよお。それによお、学校側の医者は直ぐにドクターストップをかけるのに決まっているんだ」

林「キミは医者じゃないんだから、そういう権利はない。

それに、この交渉が始まる前キミたちの医者は、この団交

は重大だから、二人や三人の死者は出ても構わないと言っ

た(そんなことはいわねえぞ、ハレンチ漢!のヤジに)いえ、たしかにいいました」

学「林夫人が今度の問題を人道キャンペーンにすり替える

形に於いて(教授会は夫人に牛耳られているぞのヤジあり)学内に警官を導入するのではないか。
 テメエそうだろ」

林「女房の事については私は知りません。とにかく脅迫さ

れて意見を変えるようなことはゼッタイにしない。もし、

私が脅迫されて意見を変えたら、ケイベツしてもらいたい」

学「今だって、充分ケイベツしているよ(爆笑)」「こんな

ふうに言葉で言ってもフンイキはわからないと思います

が、たとえば、福本議長は林先生が答えている間、足を机

の上に投げ出し、アーアーとわざとらしく大アクビをす

る。ほかの学生たちも壇上にいる何人かの学生とミカンを投げ合ったり・・・・・

林先生が一言いうたびに『オマエ、ウソつくな』とか『そ

んなこと聴いてるんじゃねえよ。それでも人間か』といっ

た汚らしいヤジを投げる。どう見てもつるし上げですよ」(T君)

                    (つづく)
15:道産子 :

2019/06/11 (Tue) 07:41:51




 {ミッション、パッション、ハイテンション!」

使命行進曲を歌いつつ・・・(^^)/。





 清超先生の御話です。


 ここで注意してもらいたいのは、林教授がキミと言って

学生を呼んでいるのに学生はオマエとかテメエとかいって

いることです。これが彼らの言う「大衆団交」なのであ

る。このような人権蹂躙が断じて許すべからざる暴挙であ

ることは、憲法第十三条の、

「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び

幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反

しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」

 という文章によるまでもなく、全く当然のことであっ

て、この国民の自由と生命とを危殆に陥れる暴挙は、絶対にゆるされるものではありません。

この国民の基本的人権は、何m歩現憲法が出来てはじめて

保証されたものではなく、人類共通の「法」そのものによ

るのであり、旧憲法では、第二十三条に於いて、

「日本国民は法律の依るに非すして逮捕監禁審問処罰を受くることなし」

 と述べられている所であります。

吾々が自由を得ようと思うならば、人の自由を束縛して、

無法を押しつけるような野蛮行為を絶滅しなければならないと思うのです。

                    (つづく)
16:道産子 :

2019/06/12 (Wed) 07:54:38



 破邪顕正様、頑張れ~(^^)/。







 清超先生の御話、続きます。


  公共の福祉をまもれ


 ところが、これ等の自由の根本に横たわっている「公共

の福祉」とは何かという事が、当然問題になるところです。

何故なら、新宿騒乱でも東大カンズメ事件でも、一部のも

のは、「こうすることによって、将来公共の福祉をもたらすのだ」

 と強弁するかも判らないからです。つまり彼らが主張す

るように、手段を選ばず闘争を行なっても、その結果すば

らしい「革命社会」が出来上がれば。それこそ終局の公共の福祉となるではないかという屁理屈です。

しかし、このような強弁が許されるためには、どうしても

彼らの行動が「理想社会」をつくり上げる確実な行動であ

るという証明がされなければならないのに、そのような証

明は絶対になされてはいない。のみならず、それとは正反

対に、マルクス主義によって革命された世界には数多くの

矛盾と不幸と混乱や武闘が渦巻いているではありませんか。

                    (つづく)
17:道産子 :

2019/06/13 (Thu) 07:52:12




<近代日本の発達ほど、世界を驚かしたものはない。

 この驚異的な発展には、他の国と異なる何ものかがなくてはならない。
 
果たせるかなこの国の、三千年の歴史がそれであった。

 この長い歴史を通して、一系の天皇をいただいているということが、今日の日本をあらせしめたのである。

 私はこのような尊い国が、世界に一カ所位なくてはならないと考えていた。

 なぜならば世界の未来は進むだけ進み、その間幾度か戦いは繰り返されて、最後には戦いに疲れる時がくる。

 その時人類はまことの平和を求めて、世界的な盟主を挙げねばならない。

 この世界の盟主なるものは、武力や金力ではなく、
 
  凡ゆる国の歴史を抜き越えた、最も古くまた尊い家柄ではなくてはならぬ。

   世界の文化はアジアに始まって、アジアに帰る。

   それはアジアの高峰、日本に立ち戻らねばならない。

   吾々は神に感謝する、吾々に日本という尊い国を、作って置いてくれたことを。>・・・。


 アインシュタインかく語りき、であって欲しいものです(^^♪。








 清超先生の御話です。


 従って、単なる空想や推論だけで、彼らの不満行動が

「公共の福祉」に繋がると認めることはどうしても出来ま

せん。もしそれを認めるならば、他の人々もてんで勝手に

空想によって、「人をさかさにして一週間吊るしておけば幸福になれる」

 と信じたら、集団的にこれをやってもいいことになるでしょう。

「日本を中国に合併したら、日本人は皆幸福になる」

 と信じたら、日本を破壊転覆させてもよろしいというこ

とになってしまう。そうなってしまうと、もはや個人の自

由が他の個人自由を滅茶々々に破壊してしまうのであっ
て、完全な”無法国”が出現するばかりであります。


                    (つづく)
18:道産子 :

2019/06/14 (Fri) 07:53:19




 タンカー砲撃、トランプ大統領は「イランの仕業」と言ってますが???





 清超先生の御話です。


 これは「自由」の観念が、自分勝手の思想や行動という

風に錯覚されているからであります。その結果、「表現の

自由」を「暴力の自由」にまでスリ替えてしまっている。

しかも彼らはこの「暴力の自由」を、相手側の「暴力」に

対する自衛手段として用いようとしている。即ち、「学校

側でも、”学生処分”と言う暴力をやったではないか」とか

「警官という暴力を使ったではないか」「だから、吾々も暴力で対抗する“自由”がある」などというのであります。

                    (つづく)
19:道産子 :

2019/06/15 (Sat) 08:23:43




<①曖昧な歴史に基づいて不当に領有権を主張する(法律戦)

②問題の海域に民間船を大量に送り込んだり、経済的にボ

イコットするなどして国民の不安心理を掻き立て、そこにつけ込む(心理戦)

③中国は、屈辱の100年間に列強の帝国主義に踏みにじ

られた。平和を愛する中国は、歴史的な不正行為を正そう

としているだけなのだ、というストーリーを広め、国際世論をコントロールしようとする(メディア戦)。>。


 心しておきたいものです。

 台湾、蔡総統、勇気のある方です!(^^)!。










 清超先生の御話です。


       暴力とは何ぞや


 ところが、学校の処分や、警察権の発動が、果たして任

意集団のゲバ棒や投石の破壊的暴力と、同列に論ぜられてよいものであろうか。

思い上がりも甚だしい。テレビ・新聞などのマスコミが余

りにも彼らの作動を誇大に報道するっものだから、自分た

ちの棒切れの殴り合いを、国家の正当な自衛権や個人の生

命財産の安全を国家的に保護しようとする警察権と同列に

置こうとする思い上がりを彼らにゆるしてしまったのです。

学内の処分は、大学の規約に照らして行う正当な処分であ

って、東大文学部の場合は、教授に乱暴した一学生が停学

処分にされ、その後九月に解除されている。それは一定の

ルールに則して行われた一つの“拒否反応”であり、学校の自衛権であって、決して単なる暴力ではない。

それを若し暴力というのであれば、学生はどんなことをや

っても処分されず、学生はやりたい放題をやり、授業料を

納めなくても在校できることになるここのような勝手気儘

をゆるしてしまえば、他の善良な学生が入学や勉強でき
ず、どれだけ迷惑をするか知れたものではありません。

                     (つづく)



20:道産子 :

2019/06/16 (Sun) 08:10:21



 「トリセツ」=取扱説明書、だけど、意味、よくわからない
('◇')ゞ。








 清超先生の御話です。


 多くの学生の中には血のにじむような努力をして、勉強

したいと思って大学へ通っている者もいるに違いない。息

子を大学にやるために重労働もいとわなかった親たちもいるのです。

そう言う国民の願いが、学問よりも革命に専念する一部学

生の“暴力”によって阻止されてしまうとしたら、どうして

もこのような” 暴力”を排除するために”処分”しなければ

ならなくなる。その処分”を暴力と称するなら凡ゆることがすべて“暴力”となりえる。

糞便の後始末でも、或る意味では“暴力”となる。見苦しい

行為を排除して、秩序整然とした社会を作り上げようとす

る一切の行為が“暴力”の名を冠せられて了うではありませんか。

 こうなっては、もはや良識ある者の議論は何処にもな

く、凡ゆる行動に、どんな名前をつけるかの、勝手気儘な
「わめき合い」という事になってしまうでしょう。

暴力と暴力との、力と力の対決という事になる。果たしてこれが二十世紀の文化国家のあり方であるだろうか。

                    (つづく)
21:道産子 :

2019/06/17 (Mon) 08:26:09




<『病無し、迷無し、罪なし、これが生長の家の根本真理であります。

   それでは神様、只今より眠らせて項きます。
 
  それでは神様、只今より眠らせて頂きます』


と同じ言葉を2回くり返された・・・>。


「不滅のご慈愛」 ご復活の日・六月十七日、と故宮澤次郎先生が仰います。
















 清超先生の御話です。



 このようなカオスと肆意とから、どんな「ユートピア」

が生まれて来るというのであろうか。国家権力をそのまま

暴力と規定したのでは、国家を破壊しなければならなくなってしまう。

マルクーゼによれば文明を支配であるというが、その支配

をハネノケルことによって自由が来るとすれば、あとは原始社会に戻るだけとなってしまう。

そこにどんな「自由」があるというのでありましょうか。

 ライオンと象が争うアフリカの原野に「理想社会」を求

める人なら、それでもよろしい。彼は人間を廃業して、野
獣になろうとしているのですから。

しかし、その自分一個の迷妄を、何故周囲の人々に押付け、人々を巻き込もうとするのであろうか。

他人を自分の狂気に同調させる事を以て、自己の「自由」

(文明からの解放)を成し遂げようとするのは、自由と狂気とを混同している者の所業であります。

                    (つづく)
22:道産子 :

2019/06/18 (Tue) 08:13:12




<大聖師谷口雅春尊師三十四年祭 祭文

の厳かな響き、畏れ入ります<m(__)m>。





 清超先生の御話です。


            人間の価値


 なる程、現代の文明はまだ大したものではない。その保

全のためには、多くの人々を巨大な社会という機械の歯車として組み込んでしまっている。

それが人々に「不自由」の印象を与えるのかも知れない。

この「不自由」をハネ返すところから「自由」が得られる

と思うかも判りません。しかし前途の如く物質文明はあく

までも「影」なのです。本当のものは「神の国」にあるのであって、そこにのみ真の自由がある。

影の世界にある不自由も亦「影」なのであるから、「影」と格闘して、どうして「自由」が得られるであろうか。

「影」を本物としなければならないのです。そのために

は、物質文明の社会に、神の子の文化を投入し、「神の

子・人間」を自覚した真の文化生活を導入しなければならない。

それをやりさえすれば、影と格闘して、再び別の影を作り

上げる愚をおかさなくても、「光」乃至は「実体」を美しく実現し得るのです。

                    (つづく)
23:道産子 :

2019/06/19 (Wed) 07:46:29




<グレン・クラーク博士は「病気は神からの電話である」と
言っているのもそのためである。

外からの神は肉体に電話をかけるのではないが、

わが内にある「神の子」なる自分が、自己処罰を肉体に
加えて病気をあらわすことがある。>。


 伝統様のご投稿より<m(__)m>。








 清超先生の御話です。


 例えば多くの青年は、知らず識らずのうちに資本主義社

会に組み込まれ、大学を出て会社に入っても、あとは知れたものだ。

五十歳になっていくらかの給料を貰い、六十歳でどんな家

に住んでいるかは、電子計算機でちゃんと弾き出されてしまうと思っているかも知れません。

残念なことに、電子計算機で弾き出されるのは、平均値であって、「その人自身の運命」ではない。

電子計算機は、秋台風の大体の平均経路は予測できても、

この一つの台風の経路は、全く不明なのであって、屢々(しばしば)大間違いをしでかしている。

 ところが人間は台風よりももっと心的であり、自主性に

富んでいる。それがどうして計算機で予測されるのでしょう。

同じ五十歳で同じ給料を貰って、同じ家族構成をもってい

てさえも、Aは生き甲斐を感じて愛を実行しているし、Bは

不平不満で、テレビを見て寝るだけの生活であるとすると、そのABの生活価値の相違は大変なものです。

しかるに電子計算機は、決してABの心情や、その行動の価値までも弾き出してはくれないのです。


                    (つづく)
24:道産子 :

2019/06/20 (Thu) 08:00:51



<フローの人生で生きるとは、周りと一体化。
 
  思った瞬間に、チャンスが巡ってくる。
   そのためには、時間の整理と空間の整理が必要。>・・・。

 う~ん、よく判らない・・・!(^^)!。

今朝の清超先生の御話の最後に、

「その体制や機械の機構そのものを超えて、それらを足下

にふみくだいて立つ、天空に、吾々の真の「自由」の境涯があるのです。・・・」

 とありますが、関連はありませんか('◇')ゞ。











 清超先生の御話です。


 ところが誰かがそう言う事を言って、現代人間の歯車的

性格を強調すると、すぐその言葉の魔術に引っかかってし

まって、現体制や文明に対して一切の不幸の責任をなすり

つけようとする者がいる。これは余りにも無定見ではないでしょうか。

吾々の自由は、そんな「影」の世界にあるものではない。

体制や機械の機構によって左右され、二進も三進も行かなくなる様な安っぽいものではない。

その体制や機械の機構そのものを超えて、それらを足下に

ふみくだいて立つ、天空に、吾々の真の「自由」の境涯があるのです。

                    (つづく)
25:道産子 :

2019/06/21 (Fri) 07:56:51




 掲示板に、難解な記事の多い中、トランプ大統領皇室ご訪問?の明解さ(^_-)、

こんな記事が横溢するマスコミであってほしい(^_-)。

 だけど、寒い、寒い朝"(-""-)"。








 清超先生の御話です。


         自衛権の発動


 従って吾々は、何も資本主義体制にしがみついている者

ではないのです。又、社会主義体制に革命しさえしたら自由になれるなどとも思っていない。

それはあたかも、飛行機の影が「地面」に映ったら自由

か、「海面」に映ったら自由かと論じ合っているようなものであって、全くナンセンスであります。

団交で「ナンセンス!」とさけんで、ゲバ棒で血を流し合

っていること自体がナンセンスなのであって、ナンセンスがナンセンスと叫んでいるのです。

影と影との乱闘である。

しかるに真実は全く違うのです。これから吾々が「自由を
戦い獲る」のではなく、「平和を闘い取る」のでもない。

もう既に、人間は、本当は平和な国(神の国)にいるのであって、「自由自在者」なのであります。

                    (つづく)


26:道産子 :

2019/06/22 (Sat) 07:53:40



 寒い、寒い朝晩、ただそれだけ(^_-)。就職と一緒で、
氷河期でしょ、これは。

お寒いニュースも、要らないよね。







 清超先生の御話です。


 この「実相」が判らわければ、どんなに戦っても、血を

流しても、本当の自由は得られません。ナイ、ナイと探し

ている青い鳥は、すでに吾々の心の中にある「神の国は汝らの中にあり」です。

このことが判ると、本当に自由になる。敵がなくなるから、全部が味方になり、自由なのです。

憲法に決められたから自由になるとか、自由になれぬとか
いうものでない、今すでに「自由の国」にいるのである。

しかし、この真実を自覚し合ったならば、現実をそのままにしていてよいことではないのです。

光りを差し込ませれば闇が消える。無駄な乱闘は消さなくてはならない。

そのためにはどうしたらよいであろうか。

個人の幸福や悟りを、「公共」のそれにもって行かなけれ

ばなりません。これが、真の意味での「公共の福祉」なのであります。

                    (つづく)
27:道産子 :

2019/06/23 (Sun) 08:19:18




<石平さんは、

「天安門事件で始まった戦いは、文明社会と独裁体制との

戦いという形で、今なお続いているのだといえます。天安

門事件を鎮圧したことで中国という国が強化され、西側諸

国もそれを追認してきたというのは、人類の歴史の汚点でしょう。」・・・>。

愛国掲示板より<m(__)m>。








 清超先生の御話です。


 かくて吾々は必然的に、「神の子の自覚者を拡大する」

ことを目標にするのです。現代の力学が何故あのように混

乱するか。それはあたかも一にぎりのヘルメットが学生の

代表づらをしてあばれ廻って他の多くの学生が、黙って引

っ込んでいるからです。「自覚者」が少なく、無自覚者、乃至は傍観者が余りにも多いからであります。

 ところが「自覚者」がどんどん増えて来るならば、即ち

吾々の「同志」が拡大すれば、自由に思想を表現して、自

分の意志を発表し合うようになる。そうすれば、必ず暴力を正論が圧倒するようになるのです。

第一、暴力には暴力をもって――などという者が、学生と言

えるであろうか。彼らはすべからく学生証を返還して、「暴力団」と名乗った方がよろしい。

如何なる暴力に対しても、正しい言論と説得で対するのが真に勇気あるものの態度ではないであろうか。

そしてその吾々の基本的人権を暴力で圧殺するものがあれ

ば、彼らを吾々は自分勝手な暴力でたたくのではなく、

正々堂々と「自衛権」を発動して、国家の警察力や法規によって拘束すべきである。

それは決して暴力ではなく、当然の自衛力の発動に他なら

ない。万人に許された「正当防衛」の権利の行使であります。

                     (つづく)
28:道産子 :

2019/06/24 (Mon) 07:49:50




 沖縄慰霊の日に、天皇陛下他皇室は黙祷を捧げられた。

上皇后さまのお目も回復方向と、嬉しい限りです。








 清超先生の御話です。


 このような「正当防衛」は、凡ゆる生体に許されている

基本権利であります。これが国家的には外に対しては自衛

隊(軍)となってあらわれ、内に向かっては警察力となって組織化される。

人々がこれらを正当に評価していないから、当然持つべき

力が失われ、“暴力”をしてほしいままにのさばらせておくことになるのであります。

                    (つづく)

29:道産子 :

2019/06/25 (Tue) 07:40:35



 ウクライナの先生が警鐘を鳴らしているというのに、

新聞は「9条改憲 揺らぐ根拠」「自衛隊の明記 戸惑う隊員」ですって"(-""-)"。






 清超先生の御話です。


        法の下での平等を


 どうして学生にだけ警察力が遠慮しなければならないであろうか。

人々は何かしら警察力というものを「悪」であると
錯覚しているのではないでしょうか。自衛隊でも同じことです。

しかしそれらは生命体の基本的生存権であり、人体固有の

「拒否反応力」のようなものであって、これがなければ「個性」は保ち得ないのです。

そのもの自体の存立を全うし得る最低の条件がここにあ

る。この事実を認めていないから、大学騒動でも益々拡大

混乱させ、革命家の思うつぼにはまり、七十年に向けて混

乱をより一層ふかめて行くというコースをたどりつつあるのです。

革命勢力はそれをほくそ笑みながら、表面は、

「彼らハネ上がりにも困ったものだ」
 などともったいぶって呟きつつ、内心拍手しているのです。

現憲法では、第十四条に、

「すべての国民は、法の下に平等であって、人権、信条、

性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社

会的関係に於いて、差別されない」

とある。しかるに現実はどうでしょうか。果たして差別されていないであろうか。ハッキリ差別されている。

                    (つづく)
30:道産子 :

2019/06/26 (Wed) 08:05:31




 <1,000年か、万年に1度来るか否かの神芝居>・・・

伝統様のご投稿より<m(__)m>。

10月下旬以降だそうです。7月18日にも潮目が!(^^)!。






 清超先生の御話、最終回です。


 学生だけが優遇されているのです。団体だけが特別扱い

されている。というのは、新宿事件に於いても駅前の商店は投石によって大変な被害を受けた。

其他の凡ゆる所での投石は、公共物である舗道を破壊することによって進められている。

これ等の暴挙によって市民や公共物に与えた損害を全学連

などが弁償したという話をまだ聞いたことがない。しかし

一人の市民がこれと同じ暴行をすれば、必ずその責任をとらされるのです。

一般市民が一人の良識者を八日も監禁すれば、当然処罰される筈です。

しかるに東大文学部長は七泊八日監禁され、それがマスコ

ミで大々的に報道されても、これを監禁した者が処罰され

てはいない。これは明白な憲法違反であります。従って大

学の自治と称するものは、もはや現状では明白な「憲法違反」にまでなっている。

吾々は、かつて大学で学び、大学生の気持にも無理解では

ないが、今は一般市民の一人として、声を大にして叫びたい。

一般市民は、「法の下に平等」を強く強く主張しているのであるという事を。
                                              (おわり)



 
31:道産子 :

2019/06/27 (Thu) 08:10:25


 面白い記事を見つけました!(^^)!。

北海道最大手食品スーパー社長の講演。

「富士山より<八ヶ岳経営>」・・・前者はトップと下の考えに距離が出る。

水平統合組織が同じビジョン・方向性を共有できるのが後者、ですって(^^♪。

また「湖から出る川が一本だけの琵琶湖も目指すべき経営姿勢の一つ。
多くの山から湧く水をため、1カ所から放出する。本業への集中が肝腎」ということです。









 さて今朝よりは、雅春先生の御話です。



 理想世界誌 昭和四十四年2/1号

  道場雑話  日本的思惟について  谷口雅春先生


〇“日の丸”は無我の象徴であり、“あかきこころ”の象徴である。

 日本人は無我を尊んだのである。

葉隠論語の「武士道は死ぬことと見つけたり」というの

は、自我を死に切らす時、本当の”生”が出て来ることを反語的に表現したものである。
  

〇“日の丸”は〇であり、無我であり、○の中に赤き心が蔵されているのである。

白丸だけでは、否定に過ぎないが、“日の丸”によって無我の中にある赤心(まごころ)の肯定があるのである。

真空妙有の象徴である。

                    (つづく)
32:道産子 :

2019/06/28 (Fri) 08:02:28




 私も、余命読者なんですかね~('◇')ゞ。






 雅春先生の御話です。



 〇無我を尊ぶ日本民族の精神は、その言語にもあらわれ

ているのである。すなわち吾々は、「私は学校へ往ってま

いります」とは言わないで、単に「学校へ往ってまいりま

す」と言う。「私は」という主格抜きに話す言葉が無数にあるのである。

ところが英語などでは、必ず I am going to school.

という風に「必ず」と言ってよい程 I am(自我)をつけ

るのである。ここに日本的思惟と西洋的思惟との相違がみられるのである。


〇「武士は食わねど高楊枝」という日本の諺には、武士的

精神は、食欲や物欲に支配されない、もっと高い次元の精

神をもって生活しているのだという事が表現されているのである。

                    (つづく)
33:道産子 :

2019/06/29 (Sat) 07:57:59



 源流様、
 
 清超先生の巻頭言、ご転載有難うございます。









 雅春先生の御話です。


 〇徳川時代に士農工商という風に士(さむらい)を最も

高き階級に置き、商人を最も低き階級のものだとしたの

は、商人は、自ら造らず、他の人の造ったものを唯動かす

のみによって利鞘を稼ぎ、物質的金銭的利益の追求に恋々

としているから低い精神の持ち主だと認められていたのである。


〇武士は常に「肉体の死」に直面する精神をもつ、即ち物

質否定“”肉体否定“の理想の上に立って行動し、”名“を重んずるが故に尊敬されたのである。

 ”名”とは“世間の名声という意味だけではない。家門の

名誉という意味もあるが、”名“とはコトバであり、実相であり、生命の本質である。

基督教の祈りには「イエスの名に於いて何々を成さしめ給

え」とあるのと同様、”名”とは生命の実相又は本質を指すのである。

武士は常に生命の本質を生きる理想のために生きることをモットーとしたからである。

                    (つづく)
34:道産子 :

2019/06/30 (Sun) 08:51:18



https://ttensan.exblog.jp/27666676/

 パチンコ屋の倒産を応援するブログ とは、また過激な

・・・、すっきりはしましたけど、胃がキーンと痛みました・・・(^_-)。









 雅春先生の御話です。



 〇“士”の次に“農”が尊敬されたのは、農は宇宙造化の生
成化育の神業に参与する仕事だからである。


〇次に“工”が尊敬されたのは、直接に宇宙造化には参与し

ないけれども造化の神秘が創造したものに“工”を加えて更

にそこに個性的な表現を為すと共に人類の資生産業に貢献

するからである。今は“工”は工業として利潤増加を目的と

して概ね使われている点に、時代の移り変りが見られるのである。


〇日本民族は血統を尊んだのである。血は“霊(ち)”の物質

化であり“霊(れい)”の表現である。血のつながりは霊統のつながりを示すのである。

日本人は「神州清潔の民」と称せられた位で、血の純粋を

尊敬したのである。血が汚れるという事を非常に諱(い)みおそれたのである。

                     (つづく)
35:道産子 :

2019/07/01 (Mon) 08:10:44



<それほど、今の憲法下で、「出版停止」を勝ち取るのは、容易なことではない。・・・>・・・。


 破邪顕正様のご投稿より<m(__)m>。

護法の天使様も詳しくご解説されています(^^♪。


 今朝の新聞川柳欄に、選者吟として、

「憲法の主権在民うすい影」ですって"(-""-)"。










 雅春先生の御話です。


 〇日本民族の結婚は、家と家との結婚であった。

この”家”と言うのは建物のことではないのである。

血統及び霊統の連綿たるつながりを“家”と言うのであ

る。“家門の名誉”を尊ぶというのも、その血の中に、霊統

の中に汚れたるものが無いという事を誇りとするのである。


〇戦後、占領軍が上陸して来て、日本を弱体化するため

に、三S政策を実施したのである。三S政策というのは、

Sex、Screen(映画)、SportsというSが頭文字に付いている三つである。

日本国憲法の第二十四条に「婚姻は両性の合意のみに基づ

いて成立し・・・・・」と定められて、一個の人間を祖

先・父母・家系・霊統から切り放って、”男女両性のセッ

クスの合意に基づいて成立し“という風に、肉体性欲の要

求こそ基本人権であって、他の何ものにも優先する如くに

定めて、人間の肉体的性欲の優先的解放を奨励すると共に

出版・言論・表現の自由を憲法第二十一条に規定して、ど

んな猥褻なベッド・シーンの描写でも、それを映画に表現

して青年男女を性欲に誘惑することを基本人権の自由行使として定めたのである。

これによって日本の青少年は常にセックスの誘惑に晒さ

れ、父母に背き、勝手に性欲の赴くままに離合して恬とし

て恥じない状態になったばかりでなく、有夫の人妻の間に

潜在黴毒が無数に広がりつつある危険を警告している有識者もあるのである。

                    (つづく)






36:道産子 :

2019/07/02 (Tue) 08:10:46



 「2度の火葬にも焼けなかった『甘露の法雨』」!(^^)!。

伝統様のご投稿より<m(__)m>。


 源流様、雅春先生の御話、ご転載有難うございます!






 雅春先生の御話です。


 〇更に第三のスポーツの奨励は別に悪い傾向ではないよ

うだけれども、占領軍の駐留当時は、精神的なスポーツな

る柔剣道の練習を禁止し、西洋的なスポーツ、特に競輪、

競馬、パチンコ等の半ばギャンブル(博奕)の要素を含むス

ポーツを奨励して、そのために家庭が無数に破壊されたのであった。

今でも政府の方針は体育偏重の教育を続けており、各県に

巨大な輪奐の美を誇る体育館を建てるけれども徳育館は建

てないものであるから、身長、体重共に青年は巨大になり

つつあるかわりに各大学では至る所に学生騒動を起こしつ

つあるのであって、これは全くイザナミ優先の文化構成の

ために、沫島や蛭子の如き、“神の子”には似ても似つかぬ青年が養成されつつあるのである。

                     (つづく)
37:道産子 :

2019/07/03 (Wed) 08:02:55



  橋下徹さんって、意外の人だったんですね(^_-)。

維新の会も評判もう一つだし…!(^^)!。










 雅春先生の御話、続きです。



 〇日本民族は常に〇相を見て来たのである。それは日の

丸精神であり、楕円形のように中心が沢山にあるのではないのである。

正円には唯一つの中心があるのみである。唯一つの中心があるもののみが常住の安定を得るのである。

日本国が内部事情や、国際事情により権力奪取の闘争や戦

争が途中で幾変遷があったにせよ、二千六百二十八年も皇

統連綿として、この帝国が持続したのは、唯一つの“中心

生命”を”天皇”に於いて見詰めて来たからであるのである。


〇古事記神話に、古代日本民族が最初に既述した中心は、

天之御中主神である。すなわち宇宙に唯一つの中心生命の

ある事を認めて、それを天之御中主神という神名で表現したのである。

日本民族のエネルギーの源泉は天皇を現実の媒介として宇

宙の中心生命をそこに見出し、宇宙の中心生命に回帰することになったのであります。

                    (つづく)
38:道産子 :

2019/07/04 (Thu) 08:05:24



 本音の時代様と神々の友達。様の論争が面白い(^^♪。









 雅春先生の御話です。



 〇本当の武士道は、“神武不殺”である。日本書記の神武

天皇の巻には、神日本磐余彦命(かむやまといわれひこのみこと)が、

「日の神の威いを背(そびら)に負いたてまつりて、み影

のままに圧躡(おそいな)むにしかじ。かからば即ち嘗て

刃に血ぬらずして、虜(あだ)必ず自ら敗れなむ」と仰せ

られて熊野路に兵を迂回せしめて進軍せしめ給うたこと記

述されているが、この「刃に血ぬらずして、虜(あだ)必

ず自ら敗れなむ」の精神が“神武不殺”の理想であるのである。

                    (つづく)
39:道産子 :

2019/07/05 (Fri) 07:45:21




 <現在、日本国首相が靖国神社を参拝できないのは、

1985年に朝日新聞が批判し、その直後に中国と韓国が批判

と抗議を始めたからだ。それ以前40年間に首相は60回も参拝していたのに中韓は一度も抗議しなかった。

以後、中韓は靖國を外交カードとして使い、朝日新聞らは軍国主義の象徴と報道した。

この異常なる状況に対し、多くの人たちがメディアの謝っ

た報道を糺し広く世論に訴えてきた。そして中韓の無理難

題な非難をはねのけるべきだと、政府や政治家に提言してきた。

その甲斐あって、この20年で靖國を巡る国民の意識は変わってきた。若い人を中心に参拝者の数も増えてきた。

一方で、中韓の非難を避けるために、A級戦犯(あるいは

戦争指導者)を分祀して国立の追悼施設を作れば事態は解決するという意見を述べる人がいる。

中韓の理不尽なクレームによって、英霊を祀る靖国神社の

形を変えてしまうということことは、国家としての主体性を失う行為である。

そもそも戦争指導者を分祀して国立の追悼施設を作れば首

相が参拝できる環境になるという理屈が不明だし、それで中韓の非難がおさまるという保証はどこにもない。

過去の外交の歴史を見ても明らかだが中韓は常にゴールポ

ストを動かす。彼らの目的は外交カードを手に入れることだからだ。

慰安婦に国が関与したと認めれば、今後は何も要求しない

という言葉を真に受け、河野談話を発表した途端、それを

言質に取られ、一層の非難と要求にあった例もある(似た事例はいくらでもある)。

戦犯を分祀し国立の施設にすれば中韓の非難が終わると考えるのは歴史も外交も知らない者である。

最後にもう一度繰り返すが、

国のために死んだ英霊を弔うことを、中韓に非難される謂

れはない。ましてその非難をかわすために追悼施設の形を変えるなどもってのほかである。

「そうすれば首相や陛下が参拝できる環境になる」「中韓

の非難は消える」という理屈には、何の論理的説得力も保証もない。・・・>。


 アクエリアン様のご投稿より、百田尚樹先生のご主張です。






















 雅春先生の御話です。。


 〇神武天皇はその御即位の詔勅に、「苟も民に利(くぼ

さ)あらば、何ぞ聖(ひじり)の造(わざ)に妨(たが)

わん。且(また)、当に山林を披き払い、宮室(おおみ

や)を経営(おさめつく)りて、恭(つつし)みて宝位

(たかみくら)に臨み、以って元元(大神宝=おおみたか

ら)を鎭(しず)むべし、上は即ち乾靈(天津神=あまつ

かみ=あめのかみ)の国を授けたまう徳(みつくしび)に

答え、下は即ち皇孫(すめみま)の正を養いたまう心を弘めん。

然して後に、六合(くにのうち)を兼ねて以って都を開

き,八紘(あめのした)を掩(おおい)て宇(いえ)とせ

んこと、亦可(よ)からずや」と仰せられているのである。

そこには決して侵略による建国の考えはないのであり、

「天津神の国を授けたまう徳に答え」と仰せられているの

であって、国というものは天津神から授ったという自覚

が、日本民族が国家に対する考え方であって、力づくで征

服して国を造ったという様な考えは微塵もないのである。

                     (つづく)

40:道産子 :

2019/07/06 (Sat) 08:11:40




<やがて、日本は独立を失い、シナ人民共和国の「倭族自治区」となり、今日のウイグル人やチベット人のような悲惨な弾圧を受け、大量虐殺されることになるだろう。

現在行われているプロパガンダ工作こそが、二十一世紀の最先端の戦争であることが理解できなければ、日本国が「倭族自治区」に堕ちていくのを防ぐことはできない。

藤井厳喜氏著「NHK捏造事件と無制限戦争の時代」より ・・・>・・・。


 アクエリアン様のご投稿より<m(__)m>。
















 雅春先生の御話です。


 〇「苟も民に利(くぼさ)あらば、何ぞ聖(ひじり)の

造(わざ)に妨(たが)わん」という詔勅は民利と、天皇

の国を治め給う聖業とは一致するのであって、決して相克

しないのが、日本の天皇政治であるという意味なのである。

天皇制を倒さなければ、民主主義政治は行われないと考え

るのは、外国の国王対国民の関係を見る目をもって、日本の天皇制を観るからである。

日本の天皇制は外国の王制とは異なるのであって、日本は

「君民同治」の国体であって、民利と天皇の、聖治とは一致するのである。

       (拙著『秘められたる神示』参照)

                    (つづく)
41:道産子 :

2019/07/07 (Sun) 07:52:08



  <世襲制相続の最悪の見本>アクエリアン様が喝破されております!(^^)!。

今選挙、第2投票紙に個人名、しっかりと(^^♪。

 だけど、中村晃生先生、ご健在なのですか?

中仙堂様も・・・。


 「仁徳天皇陵など世界遺産」はすばらしいニュースです(^^♪。









 雅春先生の御話です。


 〇かくて神武天皇は国民を「元元」即ち国家の元をなす

大御宝であると仰せられ、天津神より授かった御徳に答え

るような立派な国の治め方をして、皇孫瓊々杵尊(ににぎ

のみこと)が「正を養い、慶びを積み、暉(ひかり)を重ね」(日本書記)て来られた。

その正を養いたもう御心をひろめ、「然して六合を兼ねて

以って都を開き,八紘を掩て宇と為さむ」と仰せられているのである。

武力によって征服して「六合兼都・八紘為宇」を成就する

のだったら、それは侵略精神であるかも知れぬけれども、

正を養い、慶びを積み、暉を重ね民利を聖業とし、国を授

け給うた天津神の御徳にこたえ、「然して後に天地四方

(六合)の国々にも都があるが、その上に列国を綜合する世

界連邦の都を兼ねて開き、世界のすべての民族の魂を紘

(こう=冠のひも)を顎の下に結び合わす如く、結び合わし

て、世界を戦争なき一家族にする事は、また男子の本懐で

はないか」と仰せられたのが、神武天皇建国の理想であったのである。

既に二千六百有余年前に於いて、世界一家族(世界連邦)の

理想を建国の理想として打ち出された神武大帝によって建

てられたこの日本国に生まれた事を吾らは誇りに思うのである。
                    
                    (つづく)

42:道産子 :

2019/07/08 (Mon) 08:01:04




<このため、我が国でも、信者が政治活動を行う場合は、

宗教団体とは別に政治団体(従前の政治結社)を自主的に

結成し、規約や政治綱領を定め、その会費は、宗教上の献

金や会費とは区分して政治活動を行っています。(公明党

や神道政治連盟、かつての政治結社生長の家政治連合等)

>。

 護法の天使様のご投稿より<m(__)m>。








 雅春先生の御話です。


 〇日本民族は時間空間を超えて”今”の一瞬そして“今”の

一点に“久遠の生命”を生きることを知っていたのである。

 それは古事記神話に瓊々杵尊が天降られて、塩椎神の案

内を受けて日向の笠沙御前に到り給うた時に大山津見神の娘・木花之佐久夜毘売にお逢いになった。

まことに美しい娘なので、瓊々杵尊は、「お前は私の妃に

ならないか」と仰せられた。その時、木花咲耶姫は「私一

存ではご返事申し上げかねまする。父の大山津見神に申し込んで下さい」とご返事申し上げた。

この風習は、現行の日本国憲法第二十四条の「婚姻は両性

の合意のみに基いて成立し」とあるのとは甚だ異なるので

あって、今此処に生きている「個」のいのちは、単に

「個」だけのいのちではなくて、「連綿として家系を貫い

て連なる祖宗のいのち」と一体であるとの自覚即ち「個即全」の自覚のあらわれであるのである。

                    (つづく)
43:道産子 :

2019/07/09 (Tue) 07:58:46

https://bbs7.fc2.com//bbs/img/_837600/837516/full/837516_1562626726.jpg


   <言葉で説明するのは難しいのですが、「實相」は

「無相」であり、「無相」の「無」は「無限」の「無」で

すから、そこから全てが生じます。つまり、「無」であり

ながら、そこには全ての全てがある訳です。しかしてそこは、純然たる秩序の整った世界です。・・・>。


 神々の友達。様のご解説です<m(__)m>。

何となくわかるような気もしています!(^^)!。


 それにしても、公式戦初勝利の仲邑菫さん、可愛すぎ、ですね(^^♪。









 雅春先生の御話です。


 その時、姫の父の大山津見神は非常に悦んで姫の姉の石

長比売も俱に貰って下さいといって種々(いろいろ)の引出物と一緒に送って来られたのであった。

ところが瓊々杵尊は石長姫の容貌が甚だし醜くかったの

で、「姉妹(きょうだい)二人は要らない。木花咲耶姫だ

けで結構です」と言って木花咲耶姫のみを留めておいて、ただ一晩だけ同衾せられたのであった。

その時大山津見神は次のように言っているのである。

「女二人並べて奉れるゆえは、石長姫はその名の如く岩の

ように頑丈な姫でありますから、これをお貰いになる天津

神の御子のおん命は巌のように常堅不動(ときはかきは)

にましませとお祈り申し上げたのでありますのに、花咲耶

姫だけをお貰いになって石長姫をお返しになりましたか

ら、天神(あまつかみ)の御子のおん命は、桜花がパッと

美しく咲いて散るように、久遠長久につづくことはなくなりました」

                    (つづく)
44:道産子 :

2019/07/10 (Wed) 08:40:31

https://bbs7.fc2.com//bbs/img/_837600/837516/full/837516_1562715631.jpg

 何だか情報が多過ぎて、頭が混乱状態です!(^^)!。

写真の情報、すめらみこと、すめらぎ、すめらきの違い、

よく勉強になります!(^^)!。

 だけど、私も、ポールよりも、断然レノンの唄が好みなんですよ(^^♪。巧いですよ。










 雅春先生の御話です。


 〇これは無論、象徴的神話であるが、“美”というのは

実相生命の顕現である。その”美”を味わうことが、ただの

一夜であろうとも、それは久遠の実相につながるのであり、

ここに“今”即”久遠”を生きる日本精神の表現があるのである。

石長姫をお返しになったのは、いのち存(ながら)えたい

ために醜い生活をして我慢しているような生活は日本的生き方でない事を示されている。

この神話で思い出されるのは、「敷島の大和心を人問わ

ば、朝日に匂う山桜花」という古歌である。今”即”久遠”なり。

我らはこの日本的思惟によって“今”美しく潔く生きんかな。
                   
                    (つづく)
45:道産子 :

2019/07/11 (Thu) 07:43:28

https://bbs7.fc2.com//bbs/img/_837600/837516/full/837516_1562798609.jpg

 
  <身につけたいよき習慣、それが常に神と偕に生きる

という事、それができれば、何事も神様の方から

観ることが出来ます。△の窓から見たら、世の中は△に見えます。□の窓から見たら、世の中は□に見えます。

それを神様の側から観るようにする・・・・・。

「見方」から、“観方”へ。

神はGOD。だから神様の方から観たらGOOD。

善のみ、光のみ、それが神様の方から観るという事です。
その習慣が身につくと“神なしで生きる”人生となります。

釘をずっと磁石にくっつけていると、その釘そのものが磁石になります。

そのように、常に神と偕に生きていくように努めると、い

つしか、自分が神(神我一体)となる。それが”神なしで生きる”ということです。

善悪、明暗、貧富、健不健・・・・・という相対の二元論の世界を超えて、善一元、光一元の絶対世界へ。

これぞ自分と神との差をトル“サトル”ということでありましょう。だから、智慧の言葉にはこうあるのです。


《あらゆる宗教の神髄は「神から出たものに悪があると思

うな」という原則に一致する》(新編『生命の實相』
第34巻)



 「学ぶ」誌8月号 前原幸博先生の御話より<m(__)m>。


 同じ号に、反社会的勢力から一大転身して土木会社を起

業された神栖市の樋口社長の「神棚」のゴボウ締めが、み

ごとに雅春先生の御史得られた通りに飾られてるので(写真参照)うれしくなりました(^^♪。

 ただ、私は幕の内に飾っていますが、さて・・・。








 雅春先生の御話です。


 〇さて一夜の同衾によって木花咲耶姫は妊娠せられた。

その時の事を古事記は次の如く書いている。

「木花之佐久夜毘売、参出て白(もう)したまわく、“妾

妊身(われはらめ)るを、今産むべき時になりぬ。是の天

津神の御子、私に産みまつるべきにあらず、故、請(もう)すこと申したまいき。

爾(かれ),詔(の)りたまわく” 佐久夜毘売、一宿(ひ

とよ)にや妊める、是(そ)は我が子に非じ、必ず国津神

の子にこそあらめ“と宣(の)りたまえば”我が妊める子、

もし国津神の子ならんには、産むこと幸からず、もし天津

神の御子にまさば幸からん“と申して、戸無き八尋殿を作

りて、その殿内(とぬち)に入りまして、土(はに)もて

塗りふたぎて、産みます時にあたりて、その殿に火をつけてなも産ましけり」

 このようにして燃える焔の中に於いてでも焼け滅びるこ

となしに三人の王子(みこ)、火照命(ほでりのみこ

と)、火須勢理命(ほすせりのみこと)、

火遠理命(ほおりのみこと)がお生まれになったのである。

日本民族は、生命の実相は不死であり、火にも焼けず、水

にも溺れない霊的存在であるという事を自覚していたので
あり、古事記はそのことを象徴的に書いているのである。


                    (つづく)
46:道産子 :

2019/07/12 (Fri) 08:09:48



<ただ、この①②③の三大原則の護持を万全にするには、皇

室典範の改正が二点だけ必要である。第一は、「男系男子

の旧皇族の皇籍復帰」を定める条項の追加である。第二

は、明治皇室典範が定めていたとおりに、「皇族会議」を

復活せしめて、この「皇族会議」が、もし皇室典範の改正

が必要な場合、その実質的な審議機関とする、そのための条項である。・・・>。


 スンナリ行かないものですか!(^^)!。








 雅春先生の御話です。


 〇更に、生命は水にも溺れずということは火遠理命(彦

火々出見命=ひこほほでみみこと)が竜宮(海の底)に案内

せられ海神の娘豊玉姫と結婚せられた物語に表現されているのである。


〇古事記は、竜宮を単に”海底“という意味の他に時間空間

いまだ発せざる”未発の中“の一点(目无(めなし)勝間の

小舟)“に乗って到達するところの”生命の本源世界”として描いているのである。

無時間・無空間の絶対無(相対無ではない)の奥に、七宝充

満せる竜宮世界(実相界)があるのである。この日本的哲学

は“今”即”久遠”の日本民族的生き方の本源をなすものである。

大東亜戦争中の特攻隊の生き方も、淵源するところ、この日本的思惟に基くのである。

                    (つづく)
47:道産子 :

2019/07/13 (Sat) 08:20:02



<谷口雅春先生という方は

    人生において 何を一番

       大切に心掛けて生き

          られた方なのですか?」


 その時の答えが

  「捧げることだ!!」

     という お答えで

          あったのでした。。。


 衝撃的でした。。。

  今までの自分の生き方が

     恥ずかしく、ガツーンと

       殴られた感じでした。。。。


 大熊先生のお言葉です<m(__)m>。








 雅春先生の御話です。


 〇さて彦火々出見命が海神の娘・豊玉姫命と結婚せられ

た結果、豊玉姫命は愈々出産の時が来たのである。豊玉姫命は、古事記の中で次のように言っている。

「天津の御子を海原に生みまつるべきにあらず」と。そし

て、渚に産屋をつくり鵜の羽をもって屋根を葺くことにし

たのであるが、あまりの安産で鵜葺草(うがや)を葺き終

わらないうちに御子がお生まれになったので、その御子を

鵜葺草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)と名づけ奉つたのであった。

                     (つづく)
48:道産子 :

2019/07/14 (Sun) 08:18:49



 2枚目の用紙には個人名か( ^ω^)・・・。








 雅春先生の御話です。



 〇豊玉姫命がお産をせられる時に、彦火々出見命はひそ

かに隙間よりお覗きあそばした。すると豊玉姫は、竜宮の

竜神であるという実相をあらわして

「八尋和邇に化(な)りて匍匐(は=ほふく)委蛇(もこよ)いき」と古事記には記述されてあるのである。

“八尋”というのは”八”は“弥々(いよいよ)多く”であり無限であり“尋”は広がりである。

無限広がりの実相世界に円くトグロを巻いて八紘を和して

家族にしていたというのである。“邇“は「近い」という意

味の字であって八紘を和して近親者となす日本民族の使命が象徴的に表現されているのである。

 次に鵜葺草葺不合命が、竜宮系の姨君(おばぎみ)・玉

依姫を娶り給うて、産み給うた皇子(みこ)のひとりが、

後に神武天皇と成りあそばされる神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれひこのみこと)であらせられるのである。

                   (つづく)
49:道産子 :

2019/07/15 (Mon) 07:38:14



 今朝の光明日訓(^^♪。

「<今>あなたは幸福である。<今>あなたは神と偕にある」








 雅春先生の御話です。


 〇こうして日本民族は、天神の後裔が天降りて、地神の

大山津見神系を娶られ、ついで竜宮神の後裔と結ばれ、更

に地上に於いて出雲系の神と結ばれ、渾然一体なる大和の民族として渾成したという自覚をもつのである。

                                              (おわり)

50:道産子 :

2019/07/16 (Tue) 08:09:24



<アメリカとの外交には注意せよ。

反米愛国様他のご投稿、難しすぎ"(-""-)"。



 昭和44年の奈義町の帝国憲法復元決議、すごいです。

岡山県の町なんですね。まだ報われないとは残念です。









 さて、今日は、珍しく徳久先生の御話です。




  心の訓練をすること     徳久克己先生 
   

     朝、目が覚めてすぐ自分の心を・・・・・

           よき未来の創造のために


 野球でも、フットボールでも、選手になるためには、当然、猛烈な訓練をうけなければなりません。

どんなに素質のある人でも、訓練をしないで、一流の選手になった人はいません。

それは、その人のもっている素質を、充分に発揮するため

には、訓練を繰り返し行うより外に、方法はないからです。

 この現象の世界は、まず、心の世界で設計された、実現

するのだ、という「心の法則」を教えられている私たち

は、よき未来の創造をしようと思えば、先ず、心の中に

「よき種」を、立派に発芽さし、生長さし、美しい花を咲

かせ、よい実をならせればよいのだ、と理論で知っています。

知っているけれども、さっぱりよい事が起こって来ない、

という人がいますが、これは、知っているだけで、心
の訓練をしない人なのです。

 ピアノは、このようにして弾けばよいのだ、といくら教

えられても、その訓練をしないと、上手に弾けるもではあ

りません。それと同じように、心の中に「よい種」をまけ

と教えられても、「よい種」をまくということは、「よい

想念」を持ち続けることだと教えられても、その訓練をしないと、心に「よい種」はまけません。

「心」というものは、見えませんし、「よい想念」も見え

ませんので、一週間か十日続けて、よい結果が現れて
来ないと、すぐやめてしまいがちになります。

私は、『生命の實相』の中に朝、目覚める時に、自分の心

によい想念を植えつけることが、その日一日をよい宝庫に

向けるために必要だ、と説かれているのを読んで、一つ実

行してみようと思い、朝目が覚めると、すぐ、

「ああ、今日はすばらしい、きっとよい事がある、今日は

すばらしい日だ!有難い、有難い、今日はきっとよいことがある!」

 と、小さい声で、自分の耳に聞えるように、繰り返し、繰り返し言う事をはじめました。

                     (つづく)
51:道産子 :

2019/07/17 (Wed) 07:59:53



 「改憲勢力 3分の2微妙」

しっかり確保しなくちゃ・・・(^^)/。










 徳久先生の御話です。


 はじめのうちは、全然、実感がわきませんし、ねむたいばかりでした。

「ああ、ねむたい!」
 といいかけては、あわてて、

「ああ、いいことがある。今日はすばらしい日だ!」
 と言い直したことが、何回もありました。

まだいいことも、なにもない、朝の目覚め時ですから、は

じめのうちは、なんだかバカらしくなったこともありまし

て、途中でやめてしまおうかと思いましたが、もう十年以上続けてきました。

「ああ、今日はすばらしい日だ、有難い」

 と言ってみても、初めは、ちっとも、そんな気になれま

せんでしたし、かえって現実離れした、変な気持でした

が、『生命の實相』に説いてあるのだから、間違いない、と思って、自分の心を訓練し続けたのです。

朝目が覚めてすぐ、自分の心を、

「今日は必ずよい事がある、すばらしい。有難い!」

 という方向に向け、今日一日の自分の行動への「よい種」を植える。

わずか一つの事を実行するのでも、相当の「心の訓練」が必要なのです。

二、三日か、一ヵ月くらい実行してみて、感じが出ないと

か、ちっとも効果が出ないからやめた、などという人がいます。

しかし、ピアノの練習を二、三日か、一ヵ月して、上手にならないからやめた、と言ったら笑われます。

名人になればなるほど猛訓練をしていますし、また十年、二十年と続けて、はじめて名人になれるのです。

それと同じことで、「心の訓練」こそ、よき未来の創造への第一歩です。
                                              (おわり)
52:道産子 :

2019/07/18 (Thu) 07:44:17




 掲示板、夏休みですか(^_-)。






 今朝よりは、輝子先生の御話です。



 昭和四十五年9月号  理想世界誌

         神は滅びない   谷口輝子先生


 ヨーロッパやソ連を視察して帰国された、黄檗宗大本山

塔頭緑樹院住職の村瀬玄妙老師(五六)が、大坂の社長会で

「ソ連や欧州の宗教事情を視察して思う」と題して話され

た記事を読んで、私は非常に共感を覚え心が明るくなった。

誰でもと言ってよいほど、海外へ行って、日本の良さを新

たに認識したと言われるが、村瀬老師も矢張りその一人であった。

「ひとたび外国に出てみて、我が国の山河の美しさ、女性

の素晴しさ、国体の有難さを、心の痛くなるほど知らされた」

 と述懐されている。

村瀬老師は何年か前には、印度へ仏教参拝したり、その前

には日本の仏教徒代表として、中国への親善使節となられ

たり、朝鮮その他の地へも行かれて、いくつかの旅行記を出版して居られる。

「私が何故今度の旅行に加わったかというのは、一体ソ連

には神様が居るかいないかという事が、私の一番の興味でした。

実際は神様はあるんですね。まァ!、非常な感激を致しま

して、その折の讃美歌なんかテープに入れてきましたのでかけさしますが・・・・・」

                    (つづく)
53:道産子 :

2019/07/19 (Fri) 07:49:24

 

 敵意の女中が編んだジャケツで、子供が転ぶ、審議未了

五分前の珍事、朝顔の種子は朝顔の花に、渓仲造車、三島氏諫言等々、

いろいろ教えられます!(^^)!。


 源流様のご投稿より<m(__)m>。







 輝子先生の御話です。


 共産主義国では宗教を認めないから、お寺や教会は閉ざ

されてしまったのだろうかと、村瀬老師だけでなく、ソ連

に行ったことのない人たちは、ひとしく疑問に思っていることだと思う。

 村瀬老師は、案内人の嫌がるのを無理に頼んで、マリア教会を訪ねられた。

その時丁度その教会では、お葬式の儀式の最中であった。

村瀬老師はその教会の神父さんに、

「あなた方は、どうして御飯を食べていますか?」と聞かれると、

「みんな信者からの供養です」と答えられたそうです。


                    (つづく)
54:道産子 :

2019/07/20 (Sat) 07:45:33



 MMT=もっともっと尋ねたい!(^^)!。

 NHK=なんともひどい感じ!(^^)!。










 輝子先生の御話、続きです。



 ソ連政府は宗教を認めていないのだから、政府が教会を保護することはないのである。

共産主義国家では全国民は仕事に応じて政府から給与され

るが、国家の認めない宗教家は、生活費は与えられないか

ら、すべて信者からの供養によるという訳である。その神

父さんは、「私たちは十六世紀以来、朝晩の礼拝を欠かし

たことがありません。なんびとと言えども、心の自由は奪うことは出来ません」

 と素晴らしい信念を語られたそうである。

強力な共産主義の国に住んでいても、心の自由は奪われる

ことがなく、信仰に生きる人達は、公然とではないけれ

ど、教会の門を開いて通り、神との心の結ばれは続けられていたのであった。

大いなる国家の権力でも、信仰の世界には力及ばず、モス

クワだけでも、教会は四十ヵ所くらい存在するそうである。

                    (つづく)



 
55:道産子 :

2019/07/21 (Sun) 08:16:08



 京都アニメーションスタジオの犯人に対するトキ様のお考えに同感しました(*^_^*)。

 <神は罪人を造り給わざるが故に この世に一人の罪人もあらず>・・・心に響く御言葉です。







 輝子先生の御話です。


 日本でも、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康などの時代

に、時の為政者の宗教圧迫によって、仏教徒もカトリック

教徒も、命がけで反抗し、磔刑に処せられた者も沢山あっ
たが、そのために仏教もキリスト教も滅びはしなかった。

寧ろ、弾圧がひどければひどいほど、信者たちの信仰は強まるのであった。

「・・・・・矢張り神様は、何処に行ってもござるという

ことで、いささか勇気づけられた事でした」

 と村瀬老師は言って居られる。

司会者の渡辺氏は村瀬老師にたずねられた。

「本来マルクス主義というのは宗教を認めないわけですね」

「そうなんです」

「それをまァー、黙認しているわけですか」

「はい、まァー何ともならないのではないでしょうか」

「それはそうでしょうね。人間の個人の心は・・・・・」

「そんな事と同時に、スターリングラードの攻防戦で今に

もやられるかという時に、スターリンは『もう、これ以上

は神様より仕方がない』

 という気持ちになったらしいですね。それで以後、教会

に大変まァー便宜を与えたと同時に、教会の人達にも非常

な力づけをしたという事で、随分ゆるくはなっているようです」

 唯物主義者もついに、唯物主義に徹底することは出来な

かった。物質の世界はこわすことが出来ても、信仰の世界はこわすことは不可能だったのである。

                     (つづく)
56:道産子 :

2019/07/22 (Mon) 07:55:02


<生長の家高校生連盟の歌 ~ 谷口雅春先生作詞

(一)

日出ずるくに たぐいなき
六合を兼ね 連邦の
みやこをひらき 八紘(はっこう)は
兄弟なりと 宣言し
神武建国 三千年

(二)

この国日本 高ひかる
やまとの国に 生を享け
大和の理想の 実現に
精進せんと 溌溂(はつらつ)の
わかきいのちの 高校生

(三)

正大の気を 神に享け(うけ)
大和の理想 国に享け
愛国の情 父に享け
人類愛を 母に享け
光明思想を 師に学び

(四)

われら青年 けがれざる
わかきいのちを 純粋に
民族の使命 実現に
邁進(まいしん)せんと 集まれる
聖愛の使徒 高校生

(五)

われら日本に うまれたる
民族の使命 わすれずに
正をやしない 皇国(すめくに)に
身を献(ささ)げんと ちかいたる
愛国の使徒 高校生

(六)

おお日のもとに 生を享け
みことの自覚を 祖神(みおや)より
承け嗣ぎ(うけつぎ)来たりし 悦びを
宣べ伝う(のべつとう)べき 選士たち
真理の御子われ 高校生

(七)

こころあかるく 身を清く
悦びを宣べ 世を照らし
光輪卍字 十字架の
万教帰一の旗のもと
平和の真理を 宣べんかな
平和の真理を 宣べんかな


 アクエリアン様のご投稿より<m(__)m>。



 衛藤先生、見事当選、素晴らしい事です(^_-)-☆。

憲法改正もお手伝いして頂きましょう(^^♪。










 輝子先生の御話です。


村瀬老師たち宗教視察団がローマへ行かれた時、法王パウ
ロ六世に会見せられた。

その日は法王就任五周年記念の行事があって、法王庁が混

雑していて、日本の観光寺院のようで好感が持てなかった

し、そこの役員が俗な感じがしたし、法王に会見するまで

大分待たされたりして、大した処でないと感じていたが、

さすがに法皇様は眼が澄んで居られたし、威圧すると言う

感じはしないで、非常に親しみを感じたと言って居られる。

「法王様の握手はきつかった。“痛いっ”という位ですし、私だけでなく、みんなにもそうだったらしい。

私も爾来握手はきつくやるんですよ。非常な親愛の情とと

もに、特に世界が交流、懇談、懇親を深めましょうという

気持ちが充分くみ取れまして、無論尊敬もですが、それより愛情というのが先に出た感じでした。」

                    (つづく) 

57:道産子 :

2019/07/23 (Tue) 08:31:15



<人口激減、産業空洞化、イデオロギー汚染、エリート層の

腐敗堕落無知無能、國體は風前の灯火、令和改元と共に論

壇、政界ともに日本消滅阻止に動かねばならないがそうした緊張感はゼロだ。・・・>。


 謙信様のご投稿より<m(__)m>、小川榮太郎先生のお言葉を。

 源流様、徳久先生のご転載有難うございます<m(__)m>。







 輝子先生の御話です。


 村瀬老師が感じられた通り、私も六年前ローマ法王会見

した時に感じたし、握手した時“痛いっ”と感じた事を思い出す。

 夫についてアメリカの教会を巡り歩いた時、各教会での

夫の講演が終ると、私たち夫婦は出口に立って、帰り行く

外人信者たちに、一人一人握手を交して別れを告げた。その時の握手の感じは人様々であった。

強く握る人もあり、軽く握る人もあり、握らないでサラリ

と撫でて行く人あった。十幾つの教会を合わせたら、何千人の外人と握手した事か。数え切れない程であった。

 私は村瀬老師の言われる通り、ローマ法王の痛いほどに

強い握手を受けて、親しみを感じ、法王が真に世界のあら

ゆる宗教と手をつなぎたいという、強い意志表示だと感じた。

 握手は単に手を握るだけでは意味がない。その握る人の正しい温い心が、相手の胸に通じなければならない。

                    (つづく)
58:道産子 :

2019/07/24 (Wed) 08:34:00




<一つ目は「八咫鏡(やたのかがみ)」です。

一言で云えば

〝鏡に映る天皇の御姿は「天照大御神」で
ある〟

ということです。


<伊邪那岐の神様、天沼矛――草薙剣を

 もって象徴される、この宇宙の真理はです
 ね、これは曲っている刀ではないのであり
 まして真直(まっすぐ)です。真直で両方に
 刃がついている。それが剣でありまして、
 どちらでも、間違っている方は、敵、味方を
 問わず、迷いの雑草を切り祓って、そして
 本当の天地を貫く真理ならしめる――その
 働きが、この草薙剣であります。


<天照大御神がその御髪(みかみ)
 にも御鬘(みかずら)にも、おのおの
 八尺勾璁(やさかのまがたま)の五
 百津(いほつ)のみすまるの珠を纏
 (まと)っておられたというのは、
 天照大御神の御天職が表現されて
 いるのであります。・・・>・・・。


 三種の神器の謂れを、粟野先生が解説されております。


      (源流様のご投稿より<m(__)m>)









 輝子先生の御話です。



 低卑な欲情をもって女性の手を握ったならば、彼女はみ

だらな感じを受けて、その手を振り払ってしまうだろう。

ただ形式的に握手したら、相手の人も仕方なく、無表情で軽く受けるであろう。

世界の平和のために、皆と仲良しになろうと、真心こめて
握り合う時、和やかな環境がもたらされるに相違ない。


                     (つづく)




59:道産子 :

2019/07/25 (Thu) 08:05:11

https://bbs7.fc2.com//bbs/img/_837600/837516/full/837516_1564009511.jpg


<《斯くして住吉大神は未だ現われていないのであります

が、やがてその全き教えが現われて来る時こそ、伊耶那岐

の神様の『左の目』(即ち日本国の悟りの目)を洗う時であります。

此の住吉の大神の教が日本国の悟りの目をお洗いになった時にお生れになられた神の御名は天照大神とあります。

此の時に住吉大神のスミヨシの世界があらわれてくるのであります。

即ち、この時に昭々として平和の光照り輝く本当の日本の姿が現われてくるのであります。》(65頁)>。


 破邪顕正様のご投稿より。



 私め(^_-)、先日大きな間違いをしてしまいました<m(__)m>。

7/11の、神栖市の樋口社長の神棚のゴボウ締めが正しいと、勘違いしておりました(*^_^*)。

よく見ると、向かって右に太い方がありますが、これは女性を表すので、右方には細い方(男性)が来るのがよいと、
谷口先生は仰っております。

大体、関西ではこの飾り方をするらしいですが、また、

幕とゴボウ締めの位置は、幕が内側のようですが、さて・・・。

訂正とお詫びを致します<m(__)m>。








 輝子先生の御話続き、です。


 村瀬老師がソ連に行かれた時、ソ連がベルリン攻防戦の

折の七千の英霊を、如何に丁重にお祭りしているかと話さ

れ、美しいソ連の戦死者の霊園の写真を載せてあり、

「もし、靖国神社を国で祭らないとなれば、日本という国は亡びてしまうと私は思います」

「老師は狭い枠を越えておられますわナ」

「これをもし、しないのなら、国は亡びます。極論すれ

ば、これを祭るためには、憲法を変えなければ駄目なんで

すよ。ワシは憲法を変えろと、――戦時中は私も兵隊の一人

でしたが、私が陸軍病院に三ヵ月入院していり間に、私の部隊は全部ソ連へ行って、一人も帰って来ませんよ。

私独りでも靖国神社を祭らんと、なんで戦友に顔向けが出来るかと――」

                    (つづく)




 
60:道産子 :

2019/07/26 (Fri) 08:18:34



 必ず、雅春先生のお力は私たちの上に及んでくると、確信しています(^_-)-☆。








 輝子先生の御話です。


 老師のこの説法には力がこもっていたそうである。

海外から帰国された村瀬老師は、禅僧であるのに、五日間

ばかり伊勢の皇大神宮におこもりされたが、その時の感想を語って居られる。

「わたしも外宮さんで、ひとりでお神楽あげて頂いて、ほんとに音楽に泣いてしまった。

たとえば、イギリスのウェストミンスター寺院だとか、或

いはバチカン宮殿にお参りしましたり、或いはソ連でも大

変丁重に、ベルリン攻防の七千人の英靈を祭っているとこ

ろとか、この前は中国へ行って、更に今回はインドへ寄

り、そのまま世界を見て来ましたが、伊勢大廟の前へ行った時程の感激は、何処でも味わえなかったものでした。

これは民族精神にもよりましょうけれど、こんな素晴らしい国はないぞと、若いものにしきりにいうわけです。

これは私だけが讃めた訳ではない。アメリカ大統領のグラ

ント将軍にしても、科学者ならアインシュタイン博士、政

治家ならアデナウァー首相や、文豪、哲学者が等しく日本を讃えている。

これ等の私たちは大いに注目しなければいけない。・・・・・」

                     (つづく)
61:道産子 :

2019/07/27 (Sat) 08:16:31



  思わず最後まで見てしまいました(^_-)-☆。


 https://www.youtube.com/watch?v=3siNUCt4pXg&feature=youtu.be&fbclid=IwAR2GybuJgCqY0rVH0zkFu3U3kuVtvxiTG8HuPhdvYPWPiH-Fnpra507saek


 コスモス様のご投稿より<m(__)m>。






 輝子先生の御話です。最終回です。



 村瀬老師の日本を讃える言葉は、まだ限りなく続いていた。

 村瀬老師はソ連へは行かれたが、アメリカはまだ知られ
ないし、私はアメリカへ行ったがソ連はまだ知らない。

しかし、海外へ行ってみて、日本が一番良いと感じたこと

は同様だし、どこの国へ行っても宗教は生きていることを知ったのも同じであった。

豪華絢爛なる宮殿や大寺院を幾つも幾つも見て、一時は驚

嘆して眺め入ったけれど、白木の日本の神社の崇高な感じ

は、外国の建築物からは得られなかったという事も同じである。

 靖国神社を国家で祭るべきだという意見は、生長の家で

は戦後主張し続けて来たことであるが、多くの仏教者やキ

リスト者や新興宗教者もそれに反論しているのが多かった。

 禅者である村瀬老師が、靖国神社は国家が祭らねば、その国は亡びると心配して居られる。

反論している宗教者たちはみな自分の宗教のために有利だ

とか不利を考えて反対しているようであるが、村瀬老師は

自分の宗教のために有利だとか不利かなど狭い心の人ではなかった。

生長の家でも靖国神社の祭神は、国家で祭ろうが誰が祭ろ

うが、生長の家との利害関係はないのだが、国家に召集さ

れてお国のためにとて命を捧げた軍人を、国が祭るのは当然だと主張するだけである。

尊い命を捧げた人たちには、感謝の御礼をすべきである。

                    (おわり)
62:pywemocm:

2020/08/29 (Sat) 16:09:24

伝統板・第二
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