伝統板・第二

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生命の教育 ⑤ - 伝統

2019/05/15 (Wed) 04:03:04

不平等の中に愛の平等があることを教える

       *「光明道中記」(5月15日《八方正面の日》)

【善は、「ねばならぬ」に縛られた形の上から固定してはならぬ。
                      (『生命の實相』第九巻)】

また大きい方の子に与える物を、小さい方の子に買ってやれぬ事もある。

そんな時に小さい方の子に言ってきかせる言葉は
「兄さんは学校へ行くために要(い)るものを買ったのです。
あなたも亦学校へ行く時には、学校で要るものを買って貰えるのです」

斯う云うようにして、また不平等の中に愛の平等があることを知らせねばならない。

兄弟のうちの一方を賞(ほ)めてはならぬ。

「××さんのように温順(おとな)しくするんですよ」斯う云う言語は、

言われた当人には侮辱であり、自分への愛が××さんに移ったと思いちがえて
非常に嫉妬と失望とを感じて、「温順しくするどころか、もっと暴れてやれ」
と云うような気持を起し易いものである。

兄弟への寵愛を互に比較するような動機を児童に与えてはならない。
愛が失われるかも知れないと云う恐怖は、子供を従順に導くかわりに乱暴に導く。

潜在意識を解決せずにいながら兄弟喧嘩を解決しようとする時は概ね心配を招く。
それは水仙の球根を処置しないで花だけを摘んで
水仙を絶滅しようとするようなものである。

・・・

<関連Web>

(1)伝統板・第二「生命の教育 ①」
     → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6833626

(2)伝統板・第二「生命の教育 ②」
     → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7673404

(3)伝統板・第二「生命の教育 ③」
     → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7745476

(4)伝統板・第二「生命の教育 ④」
     → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7812318


<参考Web>

(1)谷口雅春先生をお慕いする掲示板 其の弐「『生長の家』創刊号」
     → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/yuyu6/&mode=res&log=66

(2)伝統板・第二「子どもの教育①」
     → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6463326

(3)伝統板・第二「子どもの教育②」
     → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6643544

(4)伝統板・第二「子どもの教育③」
     → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7827562

(5)伝統板・第二「(妊娠)胎児教育」
     → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7828625

(6)伝統板・第二「幼児教育」
     → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7859435


           <感謝合掌 令和元年5月15日 頓首再拝>

愛を与えれば、子の盗みは消える - 伝統

2019/05/16 (Thu) 04:18:41


       *「光明道中記」(5月16日《父を憶(おも)う日》)

【贅沢を羨むな。今日一日生かされてある事実に感謝せよ。(『生命の實相』第十一巻)】

子供が親の物を盗むのは「盗み」と云うことが分からないで
自他一体の気持ちでする場合と、親を愛している証拠でする場合がある。

後者は《親のもの》即ち ―― 「親」《そのもの》を自分に抱いていたいのである。
それは必要に迫られて、欲しいと言っても得られない場合に止むを得ずする場合もあるし、
親を憎んで親に対する反抗心で親の大切なものを盗む場合もあるが、

反抗心も結局は愛の裏返しになったのある。

その子供は親を愛しているのだと知って、その子供を憎まないことが肝要である。
「金」は大抵親が儲けてくるものであるから、子供にとっては「金」は父親の象徴
(しるし)として存在するのである。

その「金」を隠れて浪費する子供は、父親を浪費したい
 ―― そんな父親はなくなれば好いと思っているのである。

そんな子供は大抵あまりに厳格な父親の下に育っているので、
父親と云う束縛者がなければ好いと思っているのである。

兄弟がある場合に、兄弟のものを盗むのは、兄弟の一方が自分より愛されていると
想像される場合、その「愛」の象徴を盗みとろうとするのであって、
それは本当の盗みではない。

愛されたいと云うに過ぎない。愛を与えれば、そんな盗みは消えて了うのである。

           <感謝合掌 令和元年5月16日 頓首再拝>

肉体の自己玩弄につながる環境を廃するとよい - 伝統

2019/05/20 (Mon) 04:31:35


       *「光明道中記」(5月20日《自由自在の日》)より

【義務と思えば重く、愛して行えば歓びが得られる。(『生命の實相』第四巻)】

幼児より爪を咬む習慣のある児童は、あまりに家庭で束縛され、
心が内面にばかり陰気に向いている証拠で、自涜(じとく<肉体の自己玩弄>)の
一種である。

心が明るく愉快に外面的に伸びて行く場合には
肉体の自己玩弄(がんろう)は起らないのである。

明るく愉快に、心が自己玩弄に向う時間がない程に肉体運動を奨励するが好い。
疲れて眠くなるまで無理に眠らせないが好い。

肉体の自己玩弄を看付けた場合には、
余り激しく「罪悪」として叱り附けてはならない。

余り激しく叱り附けられると恐怖心の結果、「恐いものをやって見たい」の欲望で、
隠れて肉体を自己玩弄するようになり易い。

男女とも13歳位になったら素地(きじ)の粗(あら)っぽい布の猿又(さるまた)を
着用して眠らせるが好い。あまりに柔らかい布の下着は接触の快感を連想せしめて、
肉体の自己玩弄に導いて行くことがある。また蒲団は軽く硬いものが好い。

男子は柔剣道、駆歩(かけあし)などを盛んにやって妄想の余裕を与えぬこと。

少年に対しては、恋愛小説、放送番組のラブ・シーン、レビューのダンス、
卑猥なる週刊雑誌を避けねばならぬ。
これを見せれば梅干を見れば唾液が湧く程度に性欲を興奮せしめる。

高潔なる思想家、英雄豪傑の伝記などを読み、性欲を想像せしめる読物を廃するが好い。

           <感謝合掌 令和元年5月20日 頓首再拝>

適者生存の原理を知らせる - 伝統

2019/05/22 (Wed) 04:36:33


       *「光明道中記」(5月22日《真に幸福なる日》)より

【知らずに犯す残酷ほど残忍なものはない。(『生命の實相』第四巻)】


あまり親が愛してくれて、
何でも自分の欲することを協(かな)えてくれるものだと
思い込ますようにすることは、子供の利己心を増長させるようなものである。

そんな子供は自己中心であって、
周囲の事物一切は自分の快楽を満足させてくれるためにあるものだと
考えるようになり勝ちである。

そんな子供が成長して社会へ出ると、周囲の人々はなかなか自分の快楽を
満足させてくれたりするものではない。
そこに期待の不充足に対する不平が起り、社会国家を呪うようになり易い。

人間は他が自分に調和してくれるまで、自分の方からは調和しないでいても好いと
考えるようになっては、決して世の中に容れられず出世しないものである。

人間は天地間に生まれて、自分の方から、その世界に適するように動き出して行く者が
勝利を得るのだと云うことを知らねばならない。
即ち適者生存の原理を知らなければならないのである。

適者と云うのは自分が全体の幸福のためにどれだけ献(ささ)げ得るかの程度に
随(したが)って定(さだ)まるのであり、全体のために幸福を献げ得る者のみが、
自分がまた幸福になり得るのだと云うことを教え込まねばならない。

           <感謝合掌 令和元年5月22日 頓首再拝>

児童は大人に信頼され、大人に頼まれることを喜ぶものである - 伝統

2019/05/26 (Sun) 03:19:04


       *「光明道中記」(5月26日《真行の日》)より

【ここに生きている生命は神の生命そのものである。
 大生命の生命(いのち)そのままである。
 み仏の生命がここに生きているのである。(『生命の實相』第二十巻)】


ある村の神社の境内を村の子供が荒らし廻って困ったことがあった。
しては悪いと言ってそれを叱り続ければ見ていない頃を見計らって
益々乱暴を働くのである。
こんな場合どうしたら好いか。

答は簡単である。「しては悪い」と言うことは相手を咎めたことであり、
相手を「悪い」と言ったことになるから「悪い」と批判された相手は益々憤慨して
此方(こちら)の好まない事を反抗的にしたくなるのが当然である。

相手を心で観れば相手は益々反抗する。

児童が大人にとって「悪い」と見えることをするのは、児童の本性が悪いためではない。

児童の立場からは興味があるからしているのだが、児童は周囲への影響が
どう云う風になるかと考える程には観察力が広くないから、
それが偶々(たまたま)大人にとって都合の悪いことになるに過ぎない。

児童は悪いのではなく大人にとって都合が悪いだけである。

それならば児童の行動を別の方向へ転ぜしめたらそれだけで好いのである。
児童は大人に信頼され、大人に頼まれることを喜ぶものである。

命令せずに「これを君してくれないか」と言って他にして欲しいことを頼むが好い。

           <感謝合掌 令和元年5月26日 頓首再拝>

眠りしな、『甘露の法雨』を誦(よ)みきかせると好い - 伝統

2019/05/28 (Tue) 04:53:43


       *「光明道中記」(5月28日《信以(もっ)て貫く日》)より

【振替でもやはり同じ道理だ・・・信ずる人に取ってはこれは本当である。
                     (『生命の實相』第二十巻)】


子供の性癖を直し、成績をよくするには
眠りしなに『甘露の法雨』を誦(よ)みきかしながら眠らせるが好い。

『甘露の法雨』を誦(よ)み上げる前に、子供に『甘露の法雨』を聴きながら
眠ったら大変成績がよくなって、健康になり、性質もよくなって、××の性癖も直り、
自然に好い子になれるんですよ ―― と子供に言って聴かせ、

さて親も敬虔な態度で「聖経の功徳によって斯(か)くならしめ給え」と合掌して念じ、
「さあ眼を瞑(つむ)って眠(ねむ)んなさい。聖経を誦んであげましょう」と言って
『甘露の法雨』を読誦する。

読誦が終れば子供は屹度眠っているから、

「さあ、これでもう貴方は成績がよくなりました。××が上手になりました。
身体は一層達者になる、性質はよくなり、××はしなくなった」

と云う風に眠っている子供の耳に内緒話のような声で、
下腹に力を入れた声で、囁きかける。

―― この方法を行なえば子供は確かに健康になり、成績がよくなり、
性質が改まってくるものである。

1回で効かないなどと思って、中断してはならない。

言葉の力は累積すると力を発する。
『生命の實相』第七巻にある自己暗示法をやらせるのも好い。

           <感謝合掌 令和元年5月28日 頓首再拝>

子供が学校などで乱暴するときには - 伝統

2019/05/29 (Wed) 03:39:33


       *「光明道中記」(5月29日《力みを捨てる日》)より

【「私が・・・私が」と力む事は、本当の自他一体の深切行になっていないのであります。
                         (『生命の實相』第二十巻)】


腕力ある乱暴な生来(うまれつき)の子供が学校などで乱暴するときには、
先生がそれを頭から圧迫的に抑え附けようとすると益々反抗的に乱暴になるばかりである。

それに対して停学とか放校処分とかに附すれば、
権威を呪い、社会を呪って子供の一生涯を無駄にして了うこともあり勝ちである。

そう云う性質をあながち「悪」と考えてしまうのは
学校の先生が寧(むし)ろ低能なのである。

そう云う学校の先生は先生としての天分がないのであるから、
宜(よろ)しく放校処分に附して、もっと適業に転ずる機会を与うべきである。

そう云う子供は大抵腕力による人を統率する天分を持っているものである。
謂わば幡随院長兵衛とか清水次郎長などのように豪胆と腕っぷしとで
人を統率する力があり、恩義に感じやすく、憎悪に反抗し易いのである。

だからそう云う生徒の美点を賞(ほ)め且つ働かせることにして、校庭の掃除とか、
遊戯のキャプテンとかにならせて、その豪胆と、腕力とによる統率力を利用して
その力によって学校が浄(きよ)まり整理が行き届いて行くように
取計(とりはか)らうのが一番好い。

           <感謝合掌 令和元年5月29日 頓首再拝>

吩咐(いいつけ)を実行しない子供には、命令するより頼む - 伝統

2019/05/30 (Thu) 04:33:57


       *「光明道中記」(5月30日《《和顔愛語の日》)より

【人間は学科ばかりの点取虫になって了(しま)ったのでは値打がないのであります。
                         (『生命の實相』第二十巻)】


直ぐ吩咐(いいつけ)を実行しない子供は、その吩咐けられた言葉の内容が
呑み込めないか、吩咐けた人に対する反抗があるか、怠け癖で面倒臭いか何か
子供自身にとって手の離せない興味ある仕事があるかしているのである。

それを悉く、不従順だとか我儘(わがまま)だとか云う名で呼ぶのは間違である。

吩咐不明瞭なために実行しないのを、不従順だと誤解しないようにするためには、
「一寸此処へいらっしゃい」と柔(やさ)しく招(よ)んで、
ハッキリと吩咐を伝えるようにすることが必要である。

不従順ではなく吩咐を実行する気はあるが、何時(いつ)までに実行したら好いかの
意思表示がないために、直ぐ立上ろうとしない子供がある。

そんな子供には「何分間でやんなさい」とか
「何時までに往って帰んなさい」とか明瞭に、その完成の時刻を指定する必要がある。

反抗心があって命令を実行しない子供に、
強情だとか不従順だとか責め立てて見ても一層強情になるだけの事である。

何故なら彼は親や先生を手古摺(てこず)らすのが目的であるから、
親や先生が手古摺っていると判ると益々強情になるからである。

命令するよりも「斯(こ)うして下さい」と信頼して頼むような語調が
斯ういう子供には功を奏する。鼠小僧でも頼まれた事は進んで実行する。

           <感謝合掌 令和元年5月30日 頓首再拝>

親の心の持ち方が子供を勉強好きにする - 伝統

2019/06/05 (Wed) 04:35:41


谷口雅春先生のお言葉(令和元年年6月号「生命の教育」誌)

親の心の持ち方が子供を勉強好きにする 谷口雅春

《これまでの教育の欠陥》

      *(『生命の實相』頭注版第30巻6~7頁)

今までの教育家のやっておられる教育法をみますと、たいていは
人間のわるいところを見つけまして、それを「ここが《わるい》から直せ」
というふうなことを常に言ってきたのであります。

そうして「お前はできが《わるい》からよく勉強せよ」
こういうふうな調子で教えてきたのであります。

そうするとその子供はどういうふうになってゆくかといいますと、
「お前ができがわるいから」とこう言われると、言葉の力によりまして、
「自分はできが《わるい》」ということを強く強く心の底に印象させられる
のであります。

そうして「できが《わるい》からやれ、やれ」と言われますと、
「わたしはできがわるいのだ、やらなくちゃならない」と思いましても、

心の底に、 「自分は成績が《わるい》のである、頭が《わるい》のである、
よくできないのである」という強い信念がその子供の潜在意識に強く印象して
おりますから、勉強しようと思っても勉強に興味が起こらないのであります。

それをいやいや「できないできない」と思いながら勉強しましても、
本当にその勉強が心に這入(はい)らない、そのため、いくら勉強しても、
その効果があがらないということになるのであります。

これが言葉の力であります。

・・・

<参考>「生命の教育」令和元年6月号 より
    (http://www.shinkyoren.jp/publics/index/34/#page34_59


「生命の教育」令和元年年6月号 主な内容

特集 わが子は勉強好き!

親の心の持ち方が子供を勉強好きにする 谷口雅春

巻頭のことば「コトバは種――幸せの種を蒔きましょう」 新教育者連盟理事長 代田健藏

子供の無限力を信じ、信頼し続けることが鍵 小林義典
伸び続ける子の共通点           永井敏勝
勉強はよい人生を豊かに生きていくための道しるべ 増田千津

「少しがんばれば乗り越えられる」ハードルを用意してあげましょう 長谷川 司
お母さんに認められることが勉強好きになる初めの一歩です     橘内智子
好きな科目を優先させて勉強好きのレールに乗せましょう      齋藤千鶴子

《特別インタビュー》言葉の力で生徒のやる気を引き出す
              元宮城県公立高等学校長 山本 照

子育てワンポイント(26) ならぬことはならぬ 出口正博

子育てQ&A 一人娘と過ごす時間の少なさに不安を感じています 大原和子
       友達との交流がうまくできない          杉山紀代子
       子供に手伝わせたいが、我慢ができず自分でやってしまう 森田峯好

子育ては母育て(79) 母は空母、子は艦載機 田下昌明

日本人100 の誇り(81) 伝統工芸 岡田幹彦

日本国憲法の問題点(44) 令和の御代と憲法改正 勝岡寛次

日本のしきたり(18) 「夏越の祓」 辻川牧子

親子で読むものがたり(82) 大国主命(その2) あべまりあ

子育てひろば 坪井みどり

新教連活動あらかると
 ◇ 新天皇御即位の一般参賀に旗配り、教育アドバイザー養成課程の募集、
   北見支部・埼玉支部・大阪支部の講演会案内ほか
 ◇ 6月支部行事
事務局短信・編集後記・次号案内

           <感謝合掌 令和元年6月5日 頓首再拝>

親のまちがった言葉が子供を損(そこ)なう - 伝統

2019/06/06 (Thu) 02:29:05

谷口雅春先生のお言葉(令和元年年6月号「生命の教育」誌)

親の心の持ち方が子供を勉強好きにする 谷口雅春

《親のまちがった言葉が子供を損(そこ)なう》

      *(『生命の實相』頭注版第30巻12~13頁)

多くの子供たちは、親がまちがった心の波を起こし、
まちがった言葉の波を起こしているために非常に損(そこ)なわれているのであります。

多くの人たちは、子供を愛するあまりに悪(あ)しきことばかりを見つけて、
「お前はここがわるいのだ」ということを始終言うのであります。

そう言われるとその子供は萎縮してしまいます。

そういう子供は、たとい勉強は辛(かろ)うじてよくできたにしましても、
大いに伸びるということはできないのであります。


「勉強しろ、勉強しろ」と言わなければ勉強しないから、やむをえず
「お前はそんなことではできないから勉強せよ」と言うのだという人が
あるかもしれませんけれども、

「勉強せよ、勉強せよ」と口癖のように言うと、
いくら勉強してもかえって心に憶(おぼ)えないのであります。

これはまたおかしい現象でありますが、原理は簡単です。

「勉強せよ、勉強せよ」と言うような親は、子供に対してどういう心の態度を
とっているかといいますと、 「お前はできがわるいのだよ」という考えを
懐(いだ)いているのであります。

できるに定(き)まっておれば、 「勉強せよ」とは申しません。
「できがわるい」と信じているから、
「勉強しろ、勉強しろ」とこう言うのであります。

           <感謝合掌 令和元年6月6日 頓首再拝>

子供を心で縛ってはならない - 伝統

2019/06/07 (Fri) 04:42:06

谷口雅春先生のお言葉(令和元年年6月号「生命の教育」誌)

親の心の持ち方が子供を勉強好きにする 谷口雅春

《子供を心で縛ってはならない》

      *(『生命の實相』頭注版第30巻13~14頁)

親または教育者が、心の中で、 「この子供はできがわるい」という
精神波動を起こしまして、その子供をそういう心で見つめているかぎりは、
その子供は決して学習がよくできるものではありません。

勉強室にいまして、勉強しているような真似をしておっても、
心は親の心で縛られておりますから、 勉強が愉快でないのであります。


そういう場合には、勉強室に坐(すわ)っておりますと、なんとなしに
窮屈(きゅうくつ)な、縛られたような感じがいたしますので、
その窮屈な中にいるのではのびのびと生命が生長しませんから、

そこでいくら勉強しても深く心に愉快が刻(きざ)まれる
ということがないのであります。

そのためにせっかく勉強しても能率が上がらないのであります。

           <感謝合掌 令和元年6月7日 頓首再拝>

「人間は神の子」という自覚を子供に与えること - 伝統

2019/06/10 (Mon) 04:06:01

谷口雅春先生のお言葉(令和元年年6月号「生命の教育」誌)

親の心の持ち方が子供を勉強好きにする 谷口雅春

《「人間は神の子」という自覚を子供に与えること》

      *(『生命の實相』頭注版第30巻32~33頁)

勉強しないといっても、やはり学校で先生に習った時には、
本も見、先生の話も聞いているのです。

本を見先生の話もきいているからやはり一度は
頭に這入(はい)っているのです。

ですから、一遍習ったことをいつでも思い出せる状態においたならば、
家へ帰っても学習しなければならぬということは必ずしもないのであって、
一遍憶(おぼ)えたことを試験の時や入用の時に思い出しさえすれば、
それで勉強しないでも百点がとれるということになるのであります。

それが、憶(おも)い出せない。
憶い出せないようにしているものはなんであるかというと、
「人間は忘れっぽいものである」という一つの「まちがいの信念」であります。

(中略)

「人間は忘れる動物だ」とのまちがいの信念を、いかにして打ち破るかというと、
それには「人間は神の子である、全智全能の神の子であって、全智全能が
自分の頭にあるのだから決して忘れるものではない」という大自覚を
人類に与えることが必要なのです。

(中略)

常に子供に対して「あなたは神の子ですよ。神の子だから
必ず頭がよくて記憶力はよいのですよ」ということを教える。

「あなたは神の子だから、本を一遍読んだら決して忘れるものではありません。
先生から一遍聴(き)いた話はもう決して忘れやしないのですよ。
必要な時には必ず思い出せる」ということを常に言葉の力によって
生徒たちの頭に印象するようにするのであります。

そうして、試験場または実際問題に臨んだ時に、
「人間は神の子である」ということを思い出して

「自分は神の子だから、必ず憶(おも)い出せるのだ。
必ずよい考えが浮かんでくるのだ」と、

こう心に唱(とな)えて、心を落ちつけて、さて問題に対したならば、
必ずそこに出されている問題に対する適当な回答が思い出されてくるのであります。

人間の能力を発達せしむるには、そういうふうに子供のときから
「我(われ)は神の子、無限力」の自覚を与えることが肝要であります。


          <感謝合掌 令和元年6月10日 頓首再拝>

生きている世界(現世)も、霊界も 心の働き(念波)によって良くなる - 伝統

2019/07/04 (Thu) 04:48:33


谷口雅春先生のお言葉(令和元年年7月号「生命の教育」誌)

祖先に愛の心を起こすことで幸福が訪れる 谷口雅春

《生きている世界(現世)も、霊界も、
 心の働き(念波)によって良くなる》

       *( 『生命の實相』頭注版第28巻69~71頁)

われわれの祖先も肉体を滅しても霊体の波はやはり存在しておりますので、
その霊体の波たるや、その人の悟りの程度にしたがって千差万別の状態を
現わしているのであります。

それは現世においてもこの肉体という波動的存在が
その人の悟りの程度にしたがっていろいろの波を現わして、
健康であったり病気を顕(あら)わしたりしているのと同じことであります。

(中略)

ですから、われわれが霊界に行(ゆ)きましても、
この世で生活が下手(へた)な人は霊界でも生活が下手である。
霊界で病気している霊魂もあれば、悩んでいる霊魂もある。

それはちょうど、下手な画家であれば板(いた)の上に描(か)いても
布(ぬの)カンバスに描(か)いても依然として下手であるというのと
同じようなわけであります。

ですからわれわれが自身または他(ひと)の霊界における生活状態というものを
良くしようと思うと、やはりどんなカンバス ―― 現世とか来世(らいせ)
とかいうカンバスがどんなに変わっても ―― どんな画布(カンバス)の上に
描(か)いてもいい絵が描(か)けるようにしておかなくちゃならない。

われわれは「現世」とか「来世」とかいうカンバスに
何で絵を描(か)くかというと、念波で絵を描(か)くのであります。

念波という絵具(えのぐ)をもって絵を描(か)くのでありますから、
その念波を善くし、またよくしてあげることが必要であるのであります。


・・・

<参考>「生命の教育」令和元年7月号 より
    (http://www.shinkyoren.jp/publics/index/34/#page34_59


「生命の教育」令和元年年7月号 主な内容

特集 わが子と一緒にご先祖さまに手を合わせましょう

   私たちのいのちは両親から授かり、その両親は祖父母から、
   祖父母はまたその上のご先祖さまからと、いのちはずっとつながっています。

   私たちが今生きているのは、その縦のいのちのつながり、
   いのちのリレーのおかげと言えます。
 
   谷口雅春先生は、私たちのいのちの“根っこ”であるご先祖さまに感謝したとき、
   自分や子や孫の運命は必ず良くなるとお説きになりました。

   ご先祖さまに感謝する生活から、わが子が善い方向に導かれていきます。
   子供と一緒にご先祖さまに感謝をささげましょう。


祖先に愛の心を起こすことで幸福が訪れる 谷口雅春

巻頭のことば 「祈りの伝統―― いのちを拝む心」
新教育者連盟理事 井関隆文

祖先に愛の心を起こすことで幸福が訪れる    谷口雅春

永遠の“いのち” をあらわしたT君        代田健藏

ご先祖さまへの感謝はふだんの生活から

ご先祖さまが生きる力を引き出してくださいます 根之木拓子
墓石を綺麗にしたら朗報が舞い込んできた    新村忠央
ご先祖への合掌が縁で幸せに          安野美樹
神仏に手を合わせる後ろ姿を子供に見せましょう 須﨑貞夫

《特別インタビュー》
「いただきます」から始まる食育と子育て
          ことのは語り 木村悠方子

子育てワンポイント(27) 確信と慈愛と忍耐を       出口正博

子育てQ&A もっと受験勉強に集中して欲しい      大原和子
         勉強と部活を両立させられないか     小林義典
         息子のウソつきを直したい        杉山紀代子

子育ては母育て(80) 抱っこはいつ頃までやればいいか   田下昌明

日本人100 の誇り(82) 和家具 岡田幹彦

日本国憲法の問題点45大嘗祭に「大嘗宮」は不用か?    勝岡寛次

日本のしきたり(19) 「夏の土用」 辻川牧子

親子で読むものがたり(83) 大国主命(その3)      あべまりあ

暑中お見舞い・名刺広告
新教連活動あらかると
 ◇ 愛媛の古事記勉強会の紹介、埼玉支部・大阪支部の講演会案内ほか
子育てひろば 西野久枝
7月支部行事
事務局短信・編集後記・次号案内

           <感謝合掌 令和元年7月4日 頓首再拝>

《愛の心を起こすことは、霊界の祖先の喜びとなる》 - 伝統

2019/07/08 (Mon) 03:54:18

谷口雅春先生のお言葉(令和元年年7月号「生命の教育」誌)

祖先に愛の心を起こすことで幸福が訪れる 谷口雅春


《愛の心を起こすことは、霊界の祖先の喜びとなる》

          *( 『生命の實相』頭注版第28巻71~72頁)

最もよい念波は何であるかと申しますと、
悟りの念波、真理の念波なのであります。

この真理の念波を人に与えるということ、これが仏教でいう法施(ほうせ)
というものでありまして、最も尊い施(ほどこ)しであります。

われわれは人に物を施すのは、物施(ぶっせ)といって物を施すのと、
それから法施(ほうせ)といって悟りの念波を施すのとがありますが、
真理(さとり)念波を施すということが本当の最も根本的な供養になる
のであります。


むろん、われわれは霊界へ行(ゆ)きましても、しばらくの間はこの地上における
薫習(くんじゅう)(編註:習慣)が脱(ぬ)けないのでありまして、
地上において御飯(ごはん)を食べておったような霊魂(れいこん)たちは、
霊界へ行っても「御飯を食べたいな」というふうな感じがするのであります。

そういう霊魂たちに対して食物(しょくもつ)をお供(そな)えしてあげる
ということは必要であります。

「食物をお供えしても、お下(さが)りを見ると何も食(く)っておらん、
何も食(く)っておらんからあんなことはただ形式的である」

とこうお考えになる人もあります。

けれども本当はそうじゃない。
霊魂は何を食べるかというとわれわれがこれをお供え申(もう)したいという
「念波(ねんぱ」を食べるのであります。

それでリンゴならリンゴをわれわれが持って行って「リンゴをお供え致します」と、
本当にその念を切実に念ずると、われわれの心にリンゴというものが
念によって描(えが)かれ、そうして念に描かれたリンゴと、あの人にあげたい
というすなわち念送(ねんそう)の原動力となる念とが結合する。

すなわちリンゴを祖先の霊(みたま)に送ろうという念波の放送により、
供える人の念にて造られたリンゴというものが霊魂の世界へ念波の放送に乗って
行(ゆ)くということになるのであります。

すると霊界には念によって仮作(けさ)せられたリンゴが出来上がる、
そうすると「あれはわたしに供えて下さったのだからいただこう」という気が
起こると、すっと自分の口へ入ってしまって、そうして
「おいしい、ああ満腹した」という気持が起こるのであります。

その状態は『無量寿経』に書かれている極楽浄土の状態のようなものであります。

霊界は念波で作られた世界であって、われわれは供養の念を供えて、
供養の念を食べていただくということになるのであります。

むろんもっと向上した霊魂 ―― 肉体は無(な)い、何も食べなくても
われわれは神の生命によって生かされているのであるという自覚を得た霊魂たちは
決して何も食べたいとは思わないのでありますけれども、

しかし、自分に対する愛念をもって供えて下さったという愛の念(こころ)は
やはり喜びとなり、その人を生長させるということになるのであります。

霊界は念の世界であって霊魂たちというものは何を食物として生きているかというと、
念を食物として生きているのです。

善念は最も霊魂を生長せしめる滋養物(じようぶつ)となるし、
悪念は霊魂を低下せしむる害物(がいぶつ)となるわけであります。

           <感謝合掌 令和元年7月8日 頓首再拝>

祖先の守護によって、私たちの運命が良くなる - 伝統

2019/07/11 (Thu) 04:45:32


谷口雅春先生のお言葉(令和元年年7月号「生命の教育」誌)

祖先に愛の心を起こすことで幸福が訪れる 谷口雅春


《祖先の守護によって、私たちの運命が良くなる》

        *( 『生命の實相』頭注版第28巻74頁 )

われわれは祖先というものがあって今ここに生きる機縁を与えられている
のでありますから、その祖先に対してわれわれが供養する、
お経をよんで真理の念波を供養する、実相のサトリを供養するということは
実に大切な子孫の務めであります。

この子孫の務めを行なうことそのことが善事であって、
その結果自然とわれわれに幸福が恵まれてくるということは、
これは副作用とでもいいますか、随伴的な功徳であって、
その功徳そのものを目指すのではないのであります。

しかし実際上祖先に対してよく真理を施(ほどこ)しておられる人々は、
祖先の守護も多く、また自分の善念の具象化として不幸というものが
ないのであります。

           <感謝合掌 令和元年7月11日 頓首再拝>

ハーヴィ・S・ハードマン博士の語録より - 伝統

2019/07/27 (Sat) 04:35:38


     *『生命の實相 幸福篇下 第三十八巻』(7月27日)より

もし両親が自分の子供たちに対して性の問題を論ずるのに
フランクなうちあけた態度であることができるならば
人類の多くの不幸は除かれたとであろうと考えられるのである。

子供の無邪気さは「性」に関するあやまれるそして粗雑な考えに対して
それを防ぐところの楯をなしているのである。

その純潔なる心が、古い人類がもつところの「性」についての不純なる観念、
性的関係に関する罪についての哲学や神学の脅迫力から自分たちを守るところの
働きをしているのである。

もし父と母とが生殖の法則と人間出生の法則とを汚れなき健全な方法において子供に
説明してやらないで、まるでサンタクロースのおとぎ話の中からでも子供が生まれて来るかの
ように教えるならば、彼らは性的に堕落した青年男女から、最も神聖なる人生の行事を
間違った観念によって植えつけられるおそれがある。

ある宗教家は男女の性的結合を人間の原罪的な性質として恥ずべきことのように教えるので
あるけれども、キリスト教と呼ばれる宗教が二千年もつづいてきた後に、なお人間の性質が
すべてまちがっていると言うならば、その長い間常に人間の心の中に善き教えをふきこんで
きたと称する宗教の教師たちは今すぐに辞職しなければならないであろう。

なぜならその長い時間の間教会はアダの原罪から人間を救うための努力をしてきたので
あるからである。

わたしは人間性は本来正しきものであることを信じ、人間の自然の原理に叶うところの教えが
本当の宗教であり道徳であるのであって、外側ばかり純潔な顔をして不潔な妄想を内部に
はらんでいる人工的宗教は、本当の宗教ではないと信ずるのである。

      (ハーヴィ・S・ハードマン博士の語録より)

         <感謝合掌 令和元年7月27日 頓首再拝>

日本は自己の犠牲により東亜民族を解放した - 伝統

2019/08/04 (Sun) 04:41:31

谷口雅春先生のお言葉(令和元年8月号「生命の教育」誌)

生命をかけて国に殉じた人々の魂は高貴である

《日本は自己の犠牲により東亜民族を解放した》

         *(新装新版『真理』第4巻79~80頁)

日本は大東亜民族の解放の旗幟(きし)をかかげて戦ったのである。
そして日本は侵略国として色々の汚辱(おじょく)を蒙(こうむ)った
けれども、それは恰(あたか)もキリストが十字架に釘(くぎ)つけられた
のと同じことである。

「人を救いてみずからを救い得(え)ざる者よ」と当時のユダヤ人は
十字架のキリストを嘲笑(ちようしよう)したけれども、この汚辱ある
刑罰の中に彼は全人類を解放したのである。

それと同じく日本は「侵略国」と云う汚名の下(もと)に侮辱され、
戦争犯罪人と称して裁判にかけられ


上衣(うわぎ)を奪われて十字架上にのぼったキリストのように
領土の十分の四を奪われたけれども、その犠牲によって、
東洋民族は自己の内部に、西欧民族と同様に尊ぶべき人権が、
尊ぶべき「神性」が、宿っていることを自覚することを得たのである。

それまでは、多くの東洋民族はみずからの無自覚によって
自縄自縛していたために白色民族の支配下に土地はその植民地となり、
人間は奴隷の如き生活を送っていたのである。

日本の蹶起(けっき)のために多くの東洋民族は目覚めた。
西洋民族と同じように彼らも神が平等に造(つく)った神の子であり、
「何でも出来るぞ」と云う自覚を得たのだ。

かくて東洋民族は続々として白色民族の桎梏(しっこく)から
解放されて独立したのである。

・・・

<参考>「生命の教育」令和元年8月号 より
    (http://www.shinkyoren.jp/publics/index/34/#page34_59


「生命の教育」令和元年年8月号 主な内容

特集 教科書では教えない日本を守った人々
   ――靖国神社に参拝しよう

   8月15 日は終戦記念日です。新教育者連盟では
   「祖国日本に誇りをもつ青少年を育成する」ことを掲げていますが、
   それは日本の国のために命を捧げられた先人の心や生き方を
   学ぶことからはぐくまれていきます。
 
   本特集では、大東亜戦争で国のために命を捧げられた英霊とともに、
   その御霊をお祀りしている靖国神社について取り上げます。

   学校教育ではあまり教えてくれない先人のこころを、
   子供たちに伝えていきましょう。


生命をかけて国に殉じた人々の魂は高貴である 谷口雅春

マレーシア独立の英雄ハリマオ           野田将晴

靖国神社の「遊就館」が私たちに語りかけるもの

靖国神社とは
節目ごとに靖国神社を参拝する私たち       西尾和代
子供たちと行こう英霊を祀る靖国神社       竹下恵美

子育てワンポイント(28) 多面的・多角的に       出口正博
子育てQ&A すぐに仰向けになって泣き出す息子     大原和子
       友達の言いなりになっている息子      小林義典
       兄の真似ばかりする弟           杉山紀代子

子育ては母育て(81) アタッチメントの形成を阻むもの  田下昌明
日本人100 の誇り(83) 新古今和歌集          岡田幹彦
日本国憲法の問題点(46) 生活より、もっと大事なことがある 勝岡寛次
日本のしきたり(20) 「山の日」            辻川牧子

親子で読むものがたり(84) 国譲り           あべまりあ
子育てひろば                      中曽吏恵

新教連活動あらかると
 ◇ 北見支部講演会の報告、全国支部長会の報告、令和元年度運動方針、
   新教連全国研修会の案内ほか
8月支部行事
事務局短信・編集後記・次号案内

         <感謝合掌 令和元年8月4日 頓首再拝>

《あらゆる欲望を捨て去って国に殉じた人々の生命は祝福されている》 - 伝統

2019/08/07 (Wed) 04:37:22

谷口雅春先生のお言葉(令和元年8月号「生命の教育」誌)

生命をかけて国に殉じた人々の魂は高貴である

《あらゆる欲望を捨て去って国に殉じた人々の生命は祝福されている》

          *(新装新版『真理』第4巻325~326頁)

日本の殉教者は焔(ほのお)の中に日本を讃美する歌を歌って
飛行機と共に墜落して往(い)ったのであります。

恐らく彼等は肉体的苦痛を超越し得た程度まで、理想が彼らの魂(たましい)
を昂揚(こうよう)させ、神が彼等の心境を祝福し給うたのでありましょう。

彼らにとっては彼らが軍閥に瞞(だま)されていたとか、
結果がどうあるかとか云(い)うようなことは問題ではなかったのです。

彼らはそのような物質的なもの、現世的なものの一切を捨てて、唯(ただ)
彼らの心の中にある「理想日本」のために、彼等の肉体に対する凡(あら)ゆる
欲望を捨てたのであります。

これはキリストのゲッセマネに於(お)ける祈りに相応(そうおう)
するものであります。

彼らはここに於いて総(すべ)ての肉体的な意欲を神に引渡(ひきわた)したのです。

「神よ、願わくはこの苦(にが)き杯(さかずき)を吾(われ)より
取(とり)去(さ)りたまえ。されどわが意(い)をなさんとには非(あら)ず、
み心の如(ごと)く成(な)らしめたまえ」と彼は祈りました。

この祈りの心境には個人意欲の完全なる放棄があらわれているのであります。
それは愛する家族を、父母を、妻を、子を、すべての事業と計画とを捨て
去って、日本の理想のために、ただ一路「生命(いのち)死(し)なん」
と出発した純情の愛国の若者の精神と同じであります。

         <感謝合掌 令和元年8月7日 頓首再拝>

特攻隊員は高き理想に生きた殉教者である - 伝統

2019/08/08 (Thu) 04:56:44

谷口雅春先生のお言葉(令和元年8月号「生命の教育」誌)

生命をかけて国に殉じた人々の魂は高貴である

《特攻隊員は高き理想に生きた殉教者である》

          *(新装新版『真理』第4巻322~324頁)

殉教者達は、殉教の苦痛を耐え忍ぶと云う尊き荘厳な目的の為に、
地上に生れ来(きた)った所のいと高き優(すぐ)れたる魂(たましい)
であるのであります。

彼等は或(あ)る理想を描く、そしてその理想に殉(じゅん)ずると云う
荘厳なる行事に依(よ)って、一躍(いちやく)跳入(ちょうにゅう)して
霊の世界に於(お)ける最後の段階に達せんが為に暫(しばら)く此世(このよ)
に生(うま)れ来(きた)った魂であります。

私は斯(こ)う云(い)う人達を戦争中、
多くの特攻隊の青年に見たのであります。

(中略)

彼ら青年は、或(あ)る理想を描いて、その理想を肉体的自我よりも
高きものとしてそれに殉(じゅん)じたのでありました。

彼等に於(お)いては肉体的自我の死を通して唯(ただ)一つ魂の理想とする
ところのものが完成せられるのであって、戦争は逆縁ながら、
彼らが魂を浄化し、絶(た)ち難(がた)き肉体的欲望や家族に対する
愛着を断ち切り、それによって最後の目的としているより大きな目的なる、
新しき生命 ―― 不滅の理念 ――と一体なる新しき生命を見出そうと
したのであります。

彼らは形の世界に於いて、自己の欲する全(すべ)てのものを失う。
否(いな)、単なる形の世界だけではない。愛情の世界に於いてさえも、
理性の世界に於いてさえも、将又(はたまた)意志の世界に於いてさえも、
彼等は、すべての現世的な一切のものを失う。

併(しか)しそれにも拘(かかわ)らず「生命を捨てんと欲するものは生命を得(う)」
と云(い)うイエスの聖言(せいげん)の如く、彼らは神の国に於いて
永遠なる聖所(せいじょ)に高く揚(あが)りたる生命を見出すのであります。

その永遠なる聖所(せいじょ)に於ける生命は地上の如何なる価値よりも、
尚(なお)一層高く遙(はる)かに貴(とうと)き価値を有(ゆう)する
のであります。

彼らにとっては殉教と云うことよりもより少(すくな)き何物も、
彼等の魂を満足せしめなかったのであります。

彼等の魂にとっては殉教者としての光栄ある運命を甘受(かんじゅ)する
ほかには何等(なんら)の喜びをも見出すことが出来なかったにちがいない。

それが彼らの此(この)世(よ)に生れ出た使命であり、
生れつきであったのであります。

その殉教者の光栄ある運命をば、彼らはみずからハッキリとは意識的には
知らなかったかも知れないが、自己の肉体を殺す事によって、
或(あ)る理想(理想とは肉体ならざるもの)に一体となろうとした
のでありました。

若(も)し彼等が、肉を惜(お)しむことによって理想への殉教を拒(こば)むならば、
彼らは自己を顧(かえり)みて自分自身を総(すべ)ての人々の中で
最も見(み)窄(すぼ)らしく、憐(あわ)れむべき卑怯者だと感じなければ
ならなかったであろうと思われます。

彼らにとっては殉教は「肉」を超えて「霊」的勝利に到達するために選ばれた
唯一の道であったのであります。

私は彼らを礼讃する。

・・・

<関連Web:伝統第二「大東亜戦争を振返る」
       http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6571721

      ①特別攻撃隊(2015/08/18)
      ②世界が語る神風特別攻撃隊(2015/09/02)

      ③大東亜戦争は東洋民族を解放する聖戦であった(2018/12/08)


         <感謝合掌 令和元年8月8日 頓首再拝>

日ごろの親の言葉は子供に強く影響する - 伝統

2019/09/12 (Thu) 04:24:02


谷口雅春先生のお言葉(令和元年9月号「生命の教育」誌)

子供の心は敏感に親の言葉に影響される

《日ごろの親の言葉は子供に強く影響する》

         *( 『生命の實相』頭注版第30巻7~8頁)


ここに一昨日(編註:執筆当時)の東京日々新聞「城南版」の夕刊がありますが、
この中に「親が言うとおりに僕は泥棒になった」と題する記事が
載(の)っているのであります。

(中略)

この記事に表題して「親が言うとおりに僕は泥棒になった。
心すべき親の躾(しつ)け方(かた)」 と書いているのであります。

この新聞記者は『生命の實相』をお読みになったのか
言葉の力というものを認めて書いてある。

確かにこれは親の言葉の力というものが子供の生活に
実現したものであると認めなければならないのであります。

しかし、われわれでもなんの気なしに子供に対して、
この親の言うように罵(ののし)ることはないかと
考えてみますと、時としてあるかもしれないのであります。

「こんなお前のような怠(なま)け者は、大きくなっても
泥棒になる値打(ねうち)しかないよ」などと言って
叱(しか)ることがないともかぎりません。

そういう叱言(こごと)がその子供の潜在意識に《うん》と
詰(つ)まっておって、それがある機会に爆発して、
実際行動となって現われてくるならば本当の泥棒となるのです。

いつもわたしは雨の降る例をもって話しますが、
雨の降る時に初めて雨ができたのではないのであって、
晴天の時に蒸発しているところの水蒸気が冷気などという「縁」に触れて
雨となって降るのであります。

それと同じように、この息子が泥棒をするということも、
それは泥棒をする時に初めて泥棒をするのではないのでありまして、
常(つね)日(ひ)ごろ親がその子供に対して言っておったことが、

その子供の潜在意識に蓄積され、それがある「縁」」に触れたときに
泥棒がしたくなり、なんとはなしに品物に対して手が延(の)びてくる
というふうになるのであります。

かくのごとく言葉の力はわれらを実行にまで駆(か)りたてる
強い迫力を持っているのですから、言葉の使い方は非常に
慎(つつし)まねばならないのであります。

・・・

<参考>「生命の教育」令和元年9月号 より
    (http://www.shinkyoren.jp/publics/index/34/#page34_59


「生命の教育」令和元年年9月号 主な内容


巻頭のことば「戦後の復興に最も貢献した昭和天皇――マ元帥の言葉」
    新教育者連盟理事長 代田健藏

特集 気づいていますか?――お母さんの口ぐせ

  “ 口ぐせ”というものは、なかなか自分では気づかないものです。

  ところが、毎日毎日くり返される親の口ぐせによって、
  子供の心にはそれが強く深く印象され、
  その子の人格的な成長に大きな影響を与えると言われます。
 
  お母さんが日常的に、善い言葉を、明るい言葉を、
  優しく思いやりに満ちた言葉をくり返すようになると、
  わが子は必ず善い方向へと導かれます。

  善い言葉が“口ぐせ”になるような、そんな言葉の習慣をつくりましょう。


子供の心は敏感に親の言葉に影響される 谷口雅春

母親の口ぐせは子供との信頼関係で変わってくる 在原道子
マイナスの口ぐせをプラスの口ぐせに!     岩倉凉子
子供に伝わる良い言葉を心掛けています     三輪りさ

母の二つの言葉に感謝しています        佐藤 久
延命寺寺子屋で聞いたお母さんたちの口ぐせ

《スペシャルコーナー》「コトバの力」で子供が輝いた
              新教育者連盟特任講師 齋藤千鶴子

子育てワンポイント(29) 褒めるとは?        出口正博

子育てQ&A 暴力に訴える5歳の息子         大原和子
       わが子に厳しすぎる母親を注意したい!  小林義典
       幼稚園に行きたがらない息子       杉山紀代子

子育ては母育て(82) 母性的養育喪失の結果      田下昌明

日本人100 の誇り(84) 武道             岡田幹彦

日本国憲法の問題点(47)「引きこもり」問題の根源を探る 勝岡寛次

日本のしきたり(21) 「秋の七草」          辻川牧子

親子で読むものがたり(85) 天孫降臨         あべまりあ
子育てひろば                     中曽吏恵
----------------------------------
新教連活動あらかると
 ◇ 埼玉支部講演会の報告、参議院選挙衛藤晟一氏支援協力を感謝、
   令和元年度運動方針、新教連全国研修会・兵庫支部講演会の案内ほか
9月支部行事
事務局短信・編集後記・次号案内


         <感謝合掌 令和元年9月12日 頓首再拝>

「~してはいけない」という言葉が子供を損(そこ)なう - 伝統

2019/09/13 (Fri) 04:16:59


           *(新編『生命の實相』第22巻151~152頁)

子供に語って聞かせる言葉はもちろん、大人同士が話す言葉でも
子供が側(そば)で聞いている場合には、その言葉がどんな印象を
子供に与えるかを注意して話すべきであるのだ。

子供の過(あやまち)を訂正してやる場合でさえも、
「子供というものは駄なものだ」というふうには話すな。

「あなたもだんだん生長すれば益々(ますます)物解(ものわか)りが
よくなって、どうしたら好(よ)いかがハッキリ解るようになる」
というふうに誘導せよ。

実際時(とき)として子供の魂(たましい)は大人の魂よりも
明(あきら)かな直覚で輝いているのである。

これに反して大人の魂の心の鏡はいかがわしい生活経験で汚(けが)され、
恐怖と消極的思想で満ちていて、ともすれば、 「あれをしてはいけない」
「これをしてはいけない」というふうに何事も退嬰(たいえい)的に
になりがちであるのだ。

この退嬰的な気分を子供に映(うつ)せば子供は
発達の第一歩から退嬰的になってしまうのである。

そして人生の行路に最も必要な勇気と果断と直覚的判断とを
その芽生(めば)えから刈(か)ってしまうことになるのである。


         <感謝合掌 令和元年9月13日 頓首再拝>

子供をほめる言葉の種子(たね)を蒔(ま)こう - 伝統

2019/09/14 (Sat) 05:02:35


         *(新編『生命の實相』第22巻166~167頁)

耳の側(そば)で「お前は悪いぞ」 「お前は悪いぞ」と始終(しじゅう)
口(くち)小言(こごと)をいうようにしておればその言葉の力によって、
その人は必ず悪人となるのである。

「この子はとても強情(ごうじょう)だ」といって絶えず責めておれば、
その子供は益々強情になるばかりである。

言葉は相手の心を動かし、心は行動となって現れるのであって、
心に何の印象をも与えないという言葉はこの世にはなく、心に印象された
観念で行いに今後 顕(あらわ)れないという観念もあり得(え)ない
のである。

毎日「馬鹿者!」だとか、 「強情」だとか、 「仕様のない悪い子だ」とか、
親たちや教養係からいわれないで育ち得(え)た子供はほとんどこの世界にない
とは何という悲しい事だろう。

(中略)

言葉は種子(たね)を蒔(ま)く。
それは必ず芽(め)を出して実(み)を結ぶのである。

家庭からこうした罵(ののし)りの声が絶えない限りは、
かかる家庭で育てられた子供が生長して造り上げた社会が
善くならないのは当然の事である。

だから吾々はこれらの悪い種子(たね)の力を奪(うば)ってしまうために
反対の種類の種子(たね)を蒔かなければならないのである。

それは賞讃(しょうさん)の種子(たね)である。
讃嘆(さんたん)の種子(たね)である。

         <感謝合掌 令和元年9月14日 頓首再拝>

母親の和顔(わがん)愛語(あいご)が子供を善き方向に導く - 伝統

2019/09/16 (Mon) 03:46:42


        *(新編『生命の實相』第22巻155頁)

子供は、かくの如(ごと)く鋭敏な言葉の感受装置であるがゆえに、
子供の側(かたわら)で善きことを話すのはまた非常な善き効果が
あるのである。


吾々成人の魂(たましい)の奥底にきざみつけられている深切や、
いたわりや、愛や、崇高(けだか)きもの偉大なるものに対する
憧憬(しょうけい)の大部分は、幼き頃の吾々の魂に、
表面的には意味がわからぬにせよ、

大人から発せられた善き言葉の精神波動
―― 特に母の和顔愛語(わがんあいご)が吾々の心に
生みつけてくれた精神的影響であるのである。

         <感謝合掌 令和元年9月16日 頓首再拝>

児童に封して遺贈すべき精神 - 伝統

2019/09/25 (Wed) 04:44:05


        *「幸福をひらく鍵」(P148)より

児童に封して遺贈すべき精神は
「親に孝行する精神」でもなければ、
「自分が得になるやうに計画する精神」でもないのである。


人生を真剣に考え、しずかに人生に於ける百般の事象を考え、
よく鑑賞し、味い、其処から価値を見出し、
 
人間を愛することに悦びを感じ、あらゆる困難に耐へ忍んで、
不屈にして、困難に際してさえ感謝する精神である。


人生に於けるあらゆる体験は、その人にとって魂の練磨であり、
その人の魂が磨かれる機会である。

困難なる体験は、それを上手に受取るとき、魂は速かに磨かれるが、
それを厭(いと)って呪(のろ)いながら受けるとき
魂が壊(くだ)かれてしまう危険があるのである。


獅子は、その子を千仭の谷底に一度突き落とすということであるが、
それは体験によって自己の身を処する方法を知らせんがためである。

子供が火鉢の火をつかもうとする際、それを親の体験によって
「火に近寄るな」と教えても、子供はその理由を知ことができない。

ただ親が強制力によって自分の自由を縛ろうとするのだと思い勝ちである。

こんな事が度(たび)かさなって子供は親を「自分の自由を縛る足」の
ように思って、親への反抗心や親不孝の心を起こすに到るのである。

子供が小さな火傷(やけど)くらいしたからとて、そんな損失よりも、
「親は子供の自由を縛る者」だという間違った考えを、
子供の「心の傷」として与える方が余程重大な損失である。

         <感謝合掌 令和元年9月25日 頓首再拝>

恐怖や威嚇で子供を導いてはならない - 伝統

2019/10/08 (Tue) 04:38:42

谷口雅春先生のお言葉(令和元年10月号「生命の教育」誌)

子供に言って聞かせるときには

《恐怖や威嚇で子供を導いてはならない》

          *( 『生命の實相』頭注版第30巻84~85頁)

われわれは、人を導く場合に、恐怖心を起こさせるような方法によって
善に導いたところが、かくして為(な)される善は本当の善ではない
のでありますから、人間を本当に善人たらしむることはできないのであります。


恐怖心を刺激して無理に自己がなそうと思っている悪を抑えますと、
一見、悪が消滅したように見えますけれども、決してその悪をなそうとする
衝動が消滅したのではないのであります。

悪をなさんとする衝動は押し込められて窒息してはいますが
消滅したのでありませんから、何か他(ほか)の形で現われようとする傾向が
自然と出てくるのであります。

むろん「これをしてはならない」と威嚇しグッと抑えつけてしまいますと、
一時はそれをしなくなるかもしれませんけれども、他(た)のところから
いろいろの行為に代償的に現われてくるのであります。

そうなりますとせっかく人間を善くしたように見えても決して善くしていない。
《ひねくれ坊主》をこしらえたことになるのであります。

ですから強制と威嚇による児童の善導は本当に児童をよくする道ではない
ということになるのであります。

それでは児童を善くしようと思ったならば、どうしたらいいかと申しますと、
親自身が心に善を描き、行(おこ)ないに善を示して、それを模倣さえすれば、
児童が自発的に道徳善ができるように仕向けてやるほかはないのであります


・・・

<参考>「生命の教育」令和元年10月号 より
    (http://www.shinkyoren.jp/publics/index/34/#page34_59


「生命の教育」令和元年年10月号 主な内容

巻頭のことば
「「子供に宿る善性を信じる」――ここから本当の教育が始まります」
    新教育者連盟理事長 代田健藏

特集 わが子のワガママ―あなたはどうする?

子供に言って聞かせるときには 谷口雅春

ワガママと見るか、天才と見るかは紙一重      大原和子
「何でもねだる子供」「食べ物の好き嫌いが激しい」 滝谷淳子

「人が持っているモノと同じモノを欲しがる」「何でも自分の思い通りにしたがる」 
                         中谷英子

「聞き分けのない子」「出先で勝手な行動に走ってしまう」 戸板由美子
「自分が悪くても絶対に謝らない」「ペットをねだる子」 山田幸男

《特別インタビュー》子育てとは親が子供から学ぶこと
              元埼玉県教育委員会委員長 松居 和

子育てワンポイント(30) 生きる力を!           出口正博

子育てQ&A 母親のいう事を聞かなくなった小5の息子  森田峯好
       息子も私立へ行かせるべきか?        小林義典
       夫の影響で家の手伝いをしない子供たち    杉山紀代子

子育ては母育て(83) 母子の離別が非行の最大原因    田下昌明

日本人100 の誇り(85) 縄文文化            岡田幹彦
日本国憲法の問題点(48) 昭和天皇も憲法改正に賛成だった! 勝岡寛次

日本のしきたり(22) 「十三夜」            辻川牧子
親子で読むものがたり(86) 神武天皇         あべまりあ
子育てひろば                      山田裕子
----------------------------------
新教連活動あらかると
 ◇ 国民祭典のお知らせ、新教連全国研修会の案内、第10 回「生命の教育献資」協賛者
   祝福祈願祭ならびに記念講演会、兵庫支部講演会、大阪支部講演会ほか
10 月支部行事
事務局短信・編集後記・次号案内

         <感謝合掌 令和元年10月8日 頓首再拝>

子供の中に宿っている善を信じて引き出す - 伝統

2019/10/09 (Wed) 04:18:01

谷口雅春先生のお言葉(令和元年10月号「生命の教育」誌)

子供に言って聞かせるときには

《子供の中に宿っている善を信じて引き出す》

          *( 『生命の實相』頭注版第30巻85~86頁)

子供をよくしようとするには、児童を頑是(がんぜ)ないわからず屋だ
と思わないで児童の神性は必ずや善を理解しうると信じて
道理を説いて聞かすのが一番良いのであります。

道理を説いて聞かすということは小言(こごと)を言えという
子供の中に宿っている善を信じて引き出すことではないのであります。

道理を説き聞かす場合にも、こちらが興奮して棘(とげ)だったような
顔つき、語調をして話すならば、言葉は道理を説いていても、
それは叱責(しっせき)となり、かえって反抗心を昂(たか)めて
なんにもならないのであります。

《道理を説いて聞かすということは、
相手の中に道理が宿っていることを信じて拝むのであります》

子供供は神の子であるから「神」すなわち「真理」であり
「道理」であるから子供の中には必ず道理が宿っているのであります。

子供に宿っているその道理を拝む。拝む気持になって尊敬しつつ
柔(やさ)しく道理を説いてきかさねばならない。

「あなたは神の子である、善の子である、道理の子である、真理の子である、
あなたの中には善があるんだから、善をなすのに極(き)まっている」と、
その神性を認めてその子供を拝むような気持になって、
静かにその宿っている道理を引き出すようにして話しかけるのであります。

         <感謝合掌 令和元年10月9日 頓首再拝>

一人のどなり声が家庭を不快にし、子供を損(そこ)ねる - 伝統

2019/10/11 (Fri) 04:49:12

谷口雅春先生のお言葉(令和元年10月号「生命の教育」誌)

子供に言って聞かせるときには

《一人のどなり声が家庭を不快にし、子供を損(そこ)ねる》

          *( 『生命の實相』頭注版第30巻87~88頁) 

子供に道理を説いてきかすことには二重に収穫があります。
それは、一方において子供の心に明晰(めいせき)な思考力と
推理力とを生長さし、

他方においては、道理に従うという従順さを
湧(わ)き起こらせるからであります。

これに反して、叱言(こごと)や威嚇(いかく)で子供を良くしよう
としますと、家庭の中に叱咤(しった)や罵詈(ばり)が絶えないで
家庭の中が火宅(かたく)のようになってしまいますが、

道理を静かに説いて聞かすところには、そんな恐れはありません。
家庭で一人のどなる人があるために、どんなに家庭が不快になるか
ということは、皆さんがすでに実験済みであろうと思います。

(中略)

子供をよくしてやろうと思って、ただ一回《がん》とどなる、
その金切(かなき)り声(ごえ)が、どんなに回り回って家庭の全体を悪くし、
子供を損(そこな)うかもしれないのであります。


ですから、われわれは子供を善に導こうとするならば、
常にまず相手に宿っているところの道理を拝む、神性を拝む、
仏性を拝む、

そして優しい言葉で、子供に宿っている道理、神性、仏性を
導き出すようにしなければならないのであります。

         <感謝合掌 令和元年10月11日 頓首再拝>

周囲が喜ぶような生活をする心を養いましょう - 伝統

2019/10/12 (Sat) 05:09:02

谷口雅春先生のお言葉(令和元年10月号「生命の教育」誌)

子供に言って聞かせるときには

《周囲が喜ぶような生活をする心を養いましょう》

          *( 『生命の實相』頭注版第30巻89~91頁)  

教育とは圧迫ではなく、誘導であり、 「引き出し」であります。
子供の欲望の中にはまだ整理されない雑草があることは認めなければなりません。
この雑草を刈りとるには、善きものを誘導することによって、
雑草が自然に枯れるような方法を採(と)るのがもっともよいのであります。

(中略)

児童の生命を、その本来良き花を育て引き出すようにして、
雑草を枯らすように枯らすようにしてゆくとよいのであります。

個性を尊重することも必要でありますけれども、
人間は社会的生物でありますから団体生活を営むものであります。

家庭も数人集まっていますから一個の団体生活であります。

(中略)

人間は一人だけではなしに、自他一体、持ちつ持たれつの存在であって、
ただ一人だけわがままをやる、そういう心は雑草の心であります。
そういう雑草の心は摘(つ)み取らなければいけないのであります。


よく、読者の方が「われわれの生活に実相が出ているか、出ていないかということは、
どういうふうにしたらわかるか」ということを尋(たず)ねられますが、

(中略)

実相が現われた生活とは、周囲全体を一緒に生き生かしてゆこうという生活が、
実相の顕(あら)われた生活であります。

周囲全体が皆(みな)栄えるように、皆が喜ぶように、
現われる生き方ならば、そこに実相がよく出てくるのであります。

         <感謝合掌 令和元年10月12日 頓首再拝>

男女それぞれの尊さが結び合わされたのが家庭である - 伝統

2019/11/03 (Sun) 03:58:29


谷口雅春先生のお言葉(令和元年11月号「生命の教育」誌)

夫婦が互いにほめ合う家庭にしましょう

《男女それぞれの尊さが結び合わされたのが家庭である》

          *(新編『生命の實相』第24巻124~125頁)

男女それぞれの尊さが結び合わされたのが剛柔(ごうじゅう)
各々(おのおの)天分が相異していて、それぞれの美と優秀性とを
備(そな)えているのであります。

そして二つが相(あい)揃(そろ)うたとき
全(まった)き美と優秀性とが備わるのです。

絵画に反対色の配合美ということがあります。
男女一対(いっつい)の美は《まさに》反対色の美であるのです。

水色と赤色とは反対色でありますが、単独にこれを見るとき、
水色も美しく、赤色も美しいのです。

水色が赤色よりも美しいという理窟もないし、
赤色が水色よりも美しいという道理もありません。
どちらも美しいが、その美しさが異るだけであります。

そして二つを結合し配合する時一層(いっそう)の美しさが
出来上るのです。

男性と女性との価値と美とは、
水色と赤色との価値と美との如きものであります。
どちらも尊く美しく、ただその尊さ美しさが異るだけであります。

だから、男性は女性を軽蔑してはならないし、
また女性は男性を軽蔑してはならないのであります。

天は地を軽蔑してはならないし、地は天を軽蔑してはならないのです。
どちらも尊び合いつつよく結ばれたのが上々の家庭であります。


・・・

<参考>「生命の教育」令和元年11月号 より
    (http://www.shinkyoren.jp/publics/index/34/#page34_59


「生命の教育」令和元年年11月号 主な内容

巻頭のことば「令和の大嘗祭によせて」
    新教育者連盟理事長 代田健藏

特集 夫婦の調和が善い子を育てる

夫婦が互いにほめ合う家庭にしましょう 谷口雅春

 妻が良人に「ハイ」と従えば、「ハイ」と素直な子供になる 杉山紀代子
 夫婦仲が子供たちに安心感を与える            甲斐敬子
 自然の優しさと親の夫婦愛の中で育った子供たち      鈴木静代
 夫婦と家族間の調和が子供の能力を引き出す        中村真由美

《特別インタビュー》
教室に漢字がひろがり、日本語を大切にする幼稚園
              清泉幼稚園長 上島憲司 

子育てワンポイント(31) 君ならできる            出口正博
子育てQ&A 塾に通っても成績が伸びない          大原和子
       クラスの子にイジメを受けている         小林義典
子育ては母育て(84) アタッチメント形成不全と世代間伝達(前編) 田下昌明

日本人100 の誇り(86) 祭り・祭礼             岡田幹彦
日本国憲法の問題点(49) 即位礼・大嘗祭と憲法      勝岡寛次

日本のしきたり(23) 「七五三」             辻川牧子
親子で読むものがたり(87) 良寛さま(1)        千葉ひろ子
子育てひろば 講演会の感想文
----------------------------------
新教連活動あらかると
◇ 国民祭典のお知らせ、第10 回「生命の教育献資」 協賛者祝福祈願祭
  ならびに記念講演会、名刺広告の募集ほか
11 月支部行事
事務局短信・編集後記・次号案内

         <感謝合掌 令和元年11月3日 頓首再拝>

《良人(おっと)または妻の欠点を見ないように》 - 伝統

2019/11/05 (Tue) 04:32:35


         *(新編『生命の實相』第24巻128~130頁)

人間の実相は「神の子」であり、 「仏子(ぶっし」であり、ミコトであります。
吾々は吾々の良人(おっと)の中に、妻の中に、その実相を見て
家庭生活を営まねばならないのです。

吾々は、互々(たがいたがい)の人格のうちに「神の子」を見、
「仏子」を見、ミコトを見て尊敬しなければならないのであります。

一旦(いったん)迎えた良人(おっと)なり妻なりは外面に現れた現象が
どうあろうとも、 その現象の悪さを以って、良人(おっと)そのもの、
または妻そのものの悪さと思ってはならないのであります。

ジャン・バルジャンが盗(ぬす)みをしても盗みをしていない
本来善い人間であるところの実相を見て、遂(つい)にジャン・バルジャンを
善人にしてしまった彼ミリエル司祭(しさい)のように、

吾等(われら)は良人(おっと)又は妻の本来「神」なる実相を
見なければならないのであります。

出来るだけ妻は良良人(おっと)の、良人(おっと)は妻の、欠点を見ないように、
暗い方面を見ないようにしなければならないのであります。

肉体人間は「実相仏(じっそうぶつ」ではないから、時には躓(つまず)くことも、
実相が蔽(おお)われて悪く観(み)えることもあります。

しかしその悪さを実在であると思わないことです。
その悪さはやがて過ぎ去り行くべき《仮りそめ》の迷いの雲だと思い、
光り輝く善(ぜん)そのものの良人(おっと)又は妻の実相を観るように心掛けよ。

たちまち、その悪さは消え行(ゆ)きて本来「神の子」なる良人(おっと)
又は妻の実相が輝き出て、家庭は異常に光明化されることになるのであります。

         <感謝合掌 令和元年11月5日 頓首再拝>

良人(おっと)または妻の善さを深く信じる - 伝統

2019/11/08 (Fri) 04:32:02


         *(新編『生命の實相』第24巻130頁)

良人又は妻の善さはどれだけ深く信じても好(よ)いのです。
信じて信じ過ぎるということはないのであります。

信ずれば信ずるだけ光を放つのです。
信じていたのに裏切られましたというのは嘘(うそ)であります。

それは信じようが足らず、信じていても信じていることの言葉又は態度での
現わしようが足らず、信じていても相手の人格の自由をこちらの型(かた)に
嵌(は)め縛(しば)ろうとした場合が多いのであります。

本当に相手の価値を信じていたならば
相手をそんなに自分の型に嵌(は)めようとはしなかったに違いありません。

自分の型に嵌(は)めようとするのは、やはり、相手それ自身にまかせておいては
何か善くないことが起るに違いないと危惧(きぐ)するからであります。
危惧は信頼の足りなさの表現でありましょう。

         <感謝合掌 令和元年11月8日 頓首再拝>

肉体とみえる奥には「神性」がある - 伝統

2019/11/30 (Sat) 04:56:39


         *(新編『生命の實相』第24巻?頁)

現に悪(あ)しく現れている良人(おっと)、または妻を、
どうしてその善さのみを見ることが出来るでありましょうか。

問うをやめよ。
肉体としての顕(あらわ)れは《人間》ではないのであります。
彼自身ではないのであります。

《真の人間は、真の彼自身は》、肉体の奥に埋(かく)されている
「神性(しんせい)」であり「仏性(ぶっしょう)」であります。

現われは如何(いか)にともあれ、常不軽菩薩のように、
良人(おっと)は妻の、妻は良人(おっと)の、実相を観(み)て、
その「神なるもの」を賞(ほ)め讃(たた)えなければならないのであります。

「ああここに真実よき良人(おっと)がいる」
「ああここに真実よき妻がいる」
「ああここに真実よい子がいる」

そう思って皆様よ、家族の者たちよ、互いに相愛(あいあい)せよ。


吾らすべての人間の実相は「神の子」であり、 「仏子(ぶっし)」であり、
どれほど讃嘆し合っても言い顕(あら)わすことが出来ない善美(ぜんび)の
真(まこと)を備そなえているのであります。

そう思って人間を観(み)よ、良人(おっと)を観(み)よ、妻を観よ、
両親を観(み)よ、子を観(み)よ。

そう努めるとき、その善さは次第にハッキリと見えて来るでありましょう。

相(あい)対(たい)する人間が変貌(へんぼう)し、家庭が変貌し、
全世界が変貌し、全世界のすべてがその人の前で光り輝いて見えて来る
でありましょう。

何(なん)というそれは愉快なことでありましょう。

悪(あ)しきことの一切は姿を消して、
光り輝く実相のみが見えて来るのであります。

         <感謝合掌 令和元年11月30日 頓首再拝>

どのような姿でも、子供は本来善なる生命である - 伝統

2019/12/19 (Thu) 05:00:39


谷口雅春先生のお言葉(令和元年12月号「生命の教育」誌)

どのような姿でも、子供は本来善なる生命である

《子供は本来、神の子であって立派な子である》

          *『生命の實相』 頭注版第30巻39~40頁)より

人間には仮相(かりすがた)と本当の相(すがた)とがあるのです。

仮の相(すがた)というのは(中略)、親が心で縛(しば)っていると
それに反抗するために、あるいは操行(そうこう)がわるくなったり、
成績が悪くなったりして、周囲の心の反影(はんえい)として出てくる、

これが仮の相(すがた)でありまして、本来その子の操行がわるいのでも
学業の成績が悪いのでもないのであります。

人間の本来の相(すがた)、本当の相(すがた)は神の子でありますから、
「本来この子は善い」と、子供の実相(じっそう)、その本当の相(すがた)
を見て、それを拝み出すようにしますと

 ―― 拝むといっても、あながち掌(て)を合わさなくても
むろんよいのですけれども ―― 心で子供を拝む ―― 

「うちの子供は本当に神の子であって立派な子である。
放っておいても大丈夫である。決して悪くなるようなことはないのである」

と子供を信じて心で拝むのであります。

・・・

<参考>「生命の教育」令和元年12月号 より
    (http://www.shinkyoren.jp/publics/index/34/#page34_59


「生命の教育」令和元年年12月号 主な内容

巻頭のことば「人生にとって一番大切なこと」
  ~ 新教育者連盟理事長 代田健藏

特集 子供の不登校とどう向き合うか

どのような姿でも、子供は本来善なる生命である 谷口雅春

信じること・寄り添うこと           出口正博
不登校バンザイの気持ちで触れ合う       木村次郎
2人の息子に感謝の心で見守る         長谷川 望
「本来の姿ではない」と親の断固とした信念    小林義典
元気だった頃の本当の姿を見て信じてあげる   野田将晴

《特別インタビュー》

家の中に社会の風を吹かせる
       警視庁生活安全部少年育成課・臨床心理士 井口由美子

子育てQ&A 子供たちの褒め方が分らない          大原和子
       宿題をやりたがらない娘            森田峯好
       テレビとゲームがやめられない息子        杉山紀代子

子育ては母育て(85) アタッチメント形成不全と世代間伝達(後編) 田下昌明

日本人100 の誇り(87) 国号                  岡田幹彦

日本国憲法の問題点(50) 教員いじめ―組合は何をしているのか! 勝岡寛次

日本のしきたり(24) 「大掃除」                 辻川牧子

親子で読むものがたり(88) 良寛さま(2)          千葉ひろ子

子育てひろば                        松本ゆり子

新教連活動あらかると
◇ 読者の声、兵庫支部の講演会報告、札幌支部の講演会報告、
  名刺広告の募集ほか
12 月支部行事
事務局短信・編集後記・次号案内

         <感謝合掌 令和元年12月19日 頓首再拝>

《自分の尺度で子供の善悪を判断してはいけない》 - 伝統

2019/12/20 (Fri) 05:03:47

         *( 『生命の實相』頭注版第30巻88~89頁)
          ~「生命の教育」令和元年12月号 より

子供を育ててゆく上において、まず心得ておかなければならないのは
人間は皆(みな)一様(いちよう)のものでないことであります。
天分もちがえば過去の念の集積もちがう。

われわれは過去何十回何百回と生まれ更(かわ)ってこの世に
出てきているのであって、その間にいろいろの体験を積み、
いろいろの過去を持っているのであります。

だから双生児(ふたご)で生まれた子供でも、同じ環境で、
同じ人が同じ食物(しょくもつ)で同じ教育法で育てても
すっかり性質がちがうことがあるのであります。

ですから、子供をよくしようと思う時に、大人の、しかも
《自分だけの尺度》でもって判断しすぎて善悪を評価すると
いけないのであります。

人間というものは皆個性がちがう。
個性がちがうところにそこに価値がある。

桜の花とバラの花とはどちらが美しいかというと、
これは評者(ひょうしゃ)の好き嫌いで定(き)まるので、
桜がいっそう美しいという人もあれば、
バラがいっそう美しいという人もあります。

それを自分だけの好き嫌いでもって、

「お前桜のように、そんなに一晩(ひとばん)で散るような寂しい姿
じゃいかん。バラの花のようにならねばいかん」

と言ったところが、それはできないことを望むのであります。

桜は桜でその良さを認め、
バラはバラでその良さを認めなければならないのであります。

人を教育するには自分が「こうありたい」という《一つの尺度》
をもって、その《尺度》にちがうものは皆悪いと考え、
お前は悪い悪いという批評を加えてゆきますと、

その批評の言葉の力によって、その児童の天分は伸びず、
「僕は悪いものだ、劣等児だ」という観念を心に植えつけられて、
ついにせっかくの天才児も一個の劣等児になってしまうのであります。

         <感謝合掌 令和元年12月20日 頓首再拝>

《親の心の縛(しば)りを解くこと》 - 伝統

2019/12/22 (Sun) 05:04:30


         *( 『生命の實相』頭注版第30巻38頁)
          ~「生命の教育」令和元年12月号 より

「自家(うち)の子供は神の子だから必ず善くなるのである」と
いうことを信じて、そのままに見ておったら、今まで5年間ずっと
操行(そうこう)が悪くて先生から父兄(ふけい)が招(よ)ばれては
叱言(こごと)をいただいておったその子供の操行が甲(こう)に
なってしまった。これはなぜであるかということを考えてみなければ
ならないのであります。

それは親の心が縛らなくなったからです。
親の心の綱(つな)で縛(しば)られていると、その縛りを解(と)くために、
暴れたり、 いろいろ悪戯(いたずら)したりするのですが、

親が「わが子は神の子である」と信じて心で縛らなくなった時に、
子供はどこにおっても自然と《のんびり》したような気持になって、
それに反抗的に悪戯(いたずら)しなくなったのであります。

そのように親が「心の綱」で縛るということは非常に恐ろしいものであります。

         <感謝合掌 令和元年12月22日 頓首再拝>

子供に「本当の自分」を言って聞かせること - 伝統

2019/12/25 (Wed) 04:07:47


            *(新編『生命の實相』第22巻161~168頁)

子供に対しては、

「人間は神の子だ。子の顔が親の顔に似ているように、
汝の能力と性質とは神の姿に肖(に)せてつくられているのだ。

神はこの世界の万物をつくられたのであって、人間は神の子として、
神の無限に大きな能力の《あとつぎ》に造られているのだ、
だから神の子は神の子らしく生きねばならぬ。

神から譲(ゆず)られている無限に大きな能力を発現しようと思わないものは、
親から折角頂いた宝の庫(くら)を開かないで棄(す)ててしまうものだ」

こういう意味の話を時々言葉を変えて子供に話して聞かせること
にして、人間の本性(ほんせい)の尊いこと、その潜在能力の無限で
あることを子供の心に吹き込むようにすれば好(よ)いのである。

すると、子供は次第に「本当の自分」が如何に崇高(けだか)く霊妙
なものであるかを知りはじめる。

そしてその 「本当の自分」を実現することが彼の生涯の理想となり、
従来の小さな虚栄や、小成(しょうせい)に安(やす)んずる慢心や、
狡(ずる)い利己心は消滅して、本当に彼は謙虚な心持で生長の
本道(ほんどう)を辿(たど)り得(う)ることになるであろう。

(中略)

如何に子供の現在の状態が賞(ほ)めるに値(あたい)しなくとも、

「今に善くなる!」 「きっと偉い人物になる!」

こういうふうな漸進(ぜんしん)的進歩の暗示(ことば)を与えるに
相応(ふさ)わしくないことはないのである。

そしてその暗示(あんじ)の力で、漸進的にその子供を良化して行(ゆ)く
くことは吾々の為(な)し得(う)る、否(いな)為さねばならない
義務であるのだ。

         <感謝合掌 令和元年12月25日 頓首再拝>

生長の家の教育法 - 伝統

2019/12/27 (Fri) 03:17:04


        *「生命の實相」幸福篇下巻(12月27日)より抜粋

顧(かえり)みよ、いかに人が相寄れば他人の悪口や不幸ばかりを口にしていたかを。
これでは人生に不幸な人が多かったのも不思議はない。

欠点を見出して責めるのが今までの教育法であった。

生長の家が出現してまったく教育がその全貌を変化したのである。

ただ児童を、社員を、店員を、賞(ほ)めることだけによって、
児童が、社員が、店員が、改善されてゆくという不思議な事実を ――
われらの同志はすでに不思議でもなく実行しつつあるのである。

しかしそれをまだ対他的教育法だとのみ思っていて、
自分自身の健康法だと思っていない人の多いことは事実である。
それは教育法であるばかりではなく、実に健康法なのである。

         <感謝合掌 令和元年12月27日 頓首再拝>

言葉には不思議な力がある - 伝統

2020/01/06 (Mon) 04:00:12


谷口雅春先生のお言葉(令和2年1月号「生命の教育」誌)

言葉の力で子供の善性を引き出す

《言葉には不思議な力がある》

          *光明思想社版『人生読本』315頁より

言葉というものは不思議な力を持ったものです。

「あなたは温順(おとな)しい良い子ですね」と言いますと、
その子供は温順(おとな)しくなります。

「この子は悪戯(いたずら)ッ子(こ)で仕方(しかた)がない子ですよ」
と言いますと、その子供はますます悪戯(いたずら)ッ子(こ)になります。

これを言葉の力と申します。

言葉というものは、それを聴く人の心に、
その言葉のとおりの心を流し込む役目をするのです。


・・・

<参考>「生命の教育」令和2年1月号 より
    (http://www.shinkyoren.jp/publics/index/34/#page34_59


「生命の教育」令和2年1月号 主な内容
巻頭のことば「無限の素晴らしさを引き出すコトバの力」
    新教育者連盟理事長 代田健藏

特集 子育ての秘訣は「コトバの力」
言葉の力で子供の善性を引き出す     谷口雅春

わが子を信じる気持ちでよく褒めること  髙井恭子
かけたコトバは現実に……        実川織江

褒めて伸ばしてみんな笑顔        安藤亜子
娘からコトバの力で励まされています   神 綾
言葉でつなぐ“いのち” のバトン      洒井照子

不思議な力をもつ「コトバ」
特別インタビュー》
幼児期の非認知能力が将来を左右する
         麗澤大学大学院特任教授 髙橋史朗

-子育てワンポイント(32) 一瞬を大切に           出口正博
子育てQ&A 「パパ嫌い」と父親になつかない娘      大原和子
       ボーイフレンドと遊んで夜遅く帰ってくる娘 小林義典
       学校でひとりぼっちの娘が心配!       杉山紀代子

子育ては母育て(86) 愛着対象の喪失          田下昌明
日本人100 の誇り(88) 百人一首             岡田幹彦
日本国憲法の問題点(51) 「まつりごと」と「のり」の間 勝岡寛次
日本のしきたり(25) 「松の内」            辻川牧子

親子で読むものがたり(89) 良寛さま?         千葉ひろ子
子育てひろば                      伊藤理恵子
----------------------------------
新教連活動あらかると
◇ 国民祭典、大阪2支部合同の講演会報告、京都の講演会報告、
  祝福祈願祭ならびに記念講演会の報告ほか
1月支部行事
新年名刺広告
事務局短信・編集後記・次号案内

         <感謝合掌 令和2年1月6日 頓首再拝>

心に想うことが形にあらわれる - 伝統

2020/01/08 (Wed) 04:29:43


谷口雅春先生のお言葉(令和2年1月号「生命の教育」誌)

言葉の力で子供の善性を引き出す

《心に想うことが形にあらわれる》

          *(新装新版『真理』第1巻141頁)より

あなたが 「何を想うか」 と云うことはあなたの運命や、
健康を如何にするかと云う力があるのであります。

吾々の心の中は「花園」や「花畠(はなばたけ)」みたいなものでありまして、
そこに、どんな種(たね)でも蒔(ま)くことが出来るのであります。

心の花園に蒔く種は「思い」と云う種であります。
心に何を「想う」かと云うことが心の花園に蒔く種を
定(き)めることになるのであります。

(中略)

「あの人は悪い人だから嫌いだ」と心で想いますと、
「あの人」が悪い人になってあらわれて来ます。

「あの人は神の子だから屹度(きっと)善い人だ。私は好きだ」
と思っていますと、その人は、屹度、あなたに深切(しんせつ)な
善い人になってあらわれてまいります。

         <感謝合掌 令和2年1月8日 頓首再拝>

思念と発声音と表情とが運命を左右するコトバ - 伝統

2020/01/11 (Sat) 03:54:03

谷口雅春先生のお言葉(令和2年1月号「生命の教育」誌)

        *(新編『生命の實相』第1巻34~35頁)

吾々のの実践生活の上では思念と発声音と表情とが最も
重要な、善(よ)かれ悪(あ)しかれ吾々の運命を左右するコトバに
なっているのであります。

(中略)

そこで吾々は思念と発声音と表情とを実生活の上にいかに
応用するかが切実な問題となって来るのであります。

吾々は、自分の言葉の使い方一つで、心の持ちよう一つで、表情一つで、
今まで暗く不幸であった日常生活が明るくもなれば、幸福にもなり、
今まで病弱であった身体(からだ)が健康にもなれば、常人(じょうじん)
以上の精力を発揮することが出来るようにもなり、衰(おとろ)えていた
運命の開拓も徐々に意のままになって来るのであります。

         <感謝合掌 令和2年1月11日 頓首再拝>

善い言葉が善い運命を造り出す - 伝統

2020/01/13 (Mon) 04:55:46

谷口雅春先生のお言葉(令和2年1月号「生命の教育」誌)

        *(新装新版『真理』第3巻112~113頁)

吾々が「言葉の力」の法則に従って何事でも行いますならば、
流れに乗って川を行(ゆ)くようにズンズン速く進んで行くことが
出来るのであります。

「言葉の力」の法則に逆(さから)いますと、急流を逆にのぼって行く
ようなもので、一所懸命、力をつくして努力していながらなかなか思う
ようにならないのです。


先(ま)ず自分に対して「私は神の子だ。何でも素晴しく出来る。
私の運は必ずよい、神様が護っていて下さるのだもの」と、
朝目がさめたとき自分の耳にきこえる声で自分自身に二十遍ずつ呼びかけなさい。

これが「言葉の力」と云う法則を使う第一歩であります。
それから起(おき)上(あ)がったら、顔を洗うにしても、ほこり叩(たた)きで
払うにしても、箒(ほうき)ではき浄(きよ)めるにしても、
その間じゅう、顔を洗う水に、塵(ちり)をはらうハタキに、
座敷を掃(は)く箒に・・・

その他、何にむかってでも「有難うございます」と
口のうちで感謝の言葉をとなえるのです。

あらゆる物に感謝の言葉をとなえますと、
それがすべての物を祝福する言葉になり、
自分が祝福されることになるのです。

これが「言葉の力」を使う第二歩となるのです。

水は川に流れていても、その水を漕(こ)がないと船は動かないのです。

言葉の力が宇宙にみちみちていて、万物をつくっていましても、
貴(あなた)方が、 「言葉の力」で善い言葉をとなえないと、
「善いもの」は出て来ないのです。

         <感謝合掌 令和2年1月13日 頓首再拝>

子供の「本当の自分」を引き出すために - 伝統

2020/01/16 (Thu) 04:55:20


谷口雅春先生のお言葉(令和2年1月号「生命の教育」誌)

        *(新編『生命の實相』第22巻161~163頁)

人間の本性(ほんせい)の尊いこと、その潜在能力の無限であることを
子供の心に吹き込むようにすれば好(よ)いのである。

すると、子供は次第に「本当の自分」が如何に崇高(けだか)く
霊妙なものであるかを知りはじめる。

そしてその「本当の自分」を実現することが彼の生涯の理想となり、
従来の小さな虚栄や、小成(しょうせい)に安(やす)んずる慢心や、
狡(ずる)い利己心は消滅して、本当に彼は謙虚な心持(こころもち)
で生長の本道(ほんどう)を辿(たど)り得(う)ることになるであろう。

(中略)

「下手だ」とか「悪い」とかいって叱りつけて、児童の心に自己の悪い
方面を印象せしめるような旧式の教育法は断然改めなければならないのである。

といって、下手のままで「これで善い」と慢心せしめるような教育法も
失敗だといわなければならないのである。

「非常に上手に出来たが、
ここをもう少しこうしたら一層出来ばえがよくなるだろう。
それ御覧(ごらん)、こうなるだろう。

今度はここをもう少し注意してやって御覧なさい。
きっとまだまだ上手になる。

この子は少しでも善くないところはすぐ改める子だから、
どれだけでも上手になる子だ。
将来どれだけ天才になるか、私はお前を楽しみにしているのだ」

こういうふうな言葉を使って、善くないところを改善することに歓びを
見出(みいだ)すような誘導法を用いるのが最も好(よ)いのである。

常に子供を批評するときには、確定的な言葉で、彼の将来を祝福してやり、
子供の上達に親たちが望みをかけており、彼が上達することが
真(しん)に親たちの喜びであることを、ハッキリと彼の心に感じられるように
してやるが好(よ)いのである。

         <感謝合掌 令和2年1月16日 頓首再拝>

人間はみな天才をもって生まれてきている - 伝統

2020/02/01 (Sat) 03:19:54


谷口雅春先生のお言葉(令和2年2月号「生命の教育」誌)

愛の表現によって本来の神の子が現れる

《人間はみな天才をもって生まれてきている》

          *(新編『生命の實相』第22巻74~77頁)より

われわれを神が造った。
神と呼ぶのが嫌(いや)な者は生命といっても好(よ)い。

(中略)

われわれの内に無限が宿っている。
この無限を掘(ほ)り出せば人間は皆(みん)な天才となるのだ。

天才を、人間は皆(みな)もって生れて来ているのだ。

それに人間は皆(みん)な天才にはならない。
それは不合理だ。
その不合理は誰(たれ)がするか。人間が真理を知らないからだ。

親たるものが真理を知らないからだ。

ダイヤモンドを有(も)っていながら石だと思って捨てて
顧(かえり)みないからだ。

人間を信ぜよ。
神の創造を信ぜよ、
生れたままの人間を信ぜよ、それは幼児だ。

幼児に宿っている天才はまだ彫琢(ちょうたく)しないダイヤモンドだ。
瑾(きず)のつかない高貴だ。

(中略)

天才の閃(ひら)めきが吾(わ)が子にあらわれないからとて
吾が子を軽蔑するものは、生命を軽蔑するものだ。
神を軽蔑するものだ。

子供をわが子だと思うな。
子供の生命の背後には無限生命がある。
神がある。

明日(あす)火に投げ入(い)れらるべき野の草の小さな花にすら、
神でなければ造られない装(よそお)いがあることを知るものは幸いだ。

況(いわ)んや造られたるものの主位(しゅい)に
位(くらい)する人間の子供の天才を疑うな。

子供の天才を生長(せいちょう)させるために必要な根本事項は
神の創造に対する信頼だ。

親はわが子を神の創造だと信じ、出来るだけ子供自身が
神の創造を自覚し神の創造をはずかしめてはならないという
魂(たましい)の高貴さを養成するように努力しなければならないのだ。


・・・

<参考>「生命の教育」令和2年2月号 より
    (http://www.shinkyoren.jp/publics/index/34/#page34_59


「生命の教育」令和2年2月号 主な内容

巻頭のことば「偉大な日本建国の理念と歴史を学びましょう」
    新教育者連盟理事長 代田健藏

特集 生まれてきてくれてありがとう ―― 愛情表現は豊かに

   「お母さん教室」でよく歌われている『わが子よ ありがとう』
   (鹿沼景揚・作詞)<*>の   歌詞には、

   「あなたが生まれて来たことが ただ ありがたく うれしくて
    ママはネ あなたが好きでたまらない」

   とあります。

   子供の存在そのものを喜び、祝福し、親がその愛を、言葉で、笑顔で、態度で、
   日常的に表現することによって、子供の心は豊かに成長していきます。
   さあ、「生まれてきてくれてありがとう」という子供への愛情を、
   かたちに表してまいりましょう。


愛の表現によって本来の神の子が現れる   谷口雅春

親の笑顔は子供を安心させて明るくする     菊池正規
わが子を信じることから始める         中村美智子
親の背中を見て育った子供たち         鈴木真紗子
子供が決めたことは全力で応援する       藏枡和代
子供に内在する宝物を見つめる         坪井 緑



特集 天皇誕生日をお祝いしましょう

大君は光の中を進まれ給う           伊藤八郎
自己の尊厳を知り自国の尊厳を知ろう      岩倉凉子
第126 代天皇陛下のご聖寿をお祝い申し上げます 木村次郎



子育てワンポイント(33) 子供の価値観は……      出口正博
子育てQ&A 気に入らない事があると泣きわめく息子    大原和子
       万引きをした娘にどう対応したらいいか    小林義典
       どうして「パパはいないの」ときかれます!  杉山紀代子

子育ては母育て(87) 体罰の是非(前編)         田下昌明

日本人100 の誇り(89) 神武建国の大理想        岡田幹彦
日本国憲法の問題点(52) 習近平を国賓として招聘する愚  勝岡寛次
日本のしきたり(26) 「祈年祭」             辻川牧子

親子で読むものがたり(90) 良寛さま?         千葉ひろ子
子育てひろば                       三浦美恵


新教連活動あらかると

◇ 読者投稿、国民祭典の運営の喜び、新教連全国研修会のお知らせほか
2月支部行事
事務局短信・編集後記・次号案内

・・・

*“わが子よ ありがとう”

               鹿沼景揚  作詞
               田中舘貢橘 作詞

1、あなたが生まれてきたことが
  ただ有りがたく 嬉しくて
  ママはね あなたが好きでたまらない


2、あなたが丈夫でおきてくる
  ただそのことが 嬉しくて
  ママはね あなたが好きでたまらない


3、あなたの寝顔を見ていると
  ただそのままが とうとくて
  ママはね あなたが好きでたまらない


4、あなたはわたしの鏡です
  いつもくもらずに 澄み切って
  ママはね あなたが好きでたまらない
 
  youtube ~ https://www.youtube.com/watch?v=d8mhoL_3MEY

         <感謝合掌 令和2年2月1日 頓首再拝>

親に愛されたいという子供の心 - 伝統

2020/02/03 (Mon) 04:49:14


谷口雅春先生のお言葉(令和2年2月号「生命の教育」誌)

愛の表現によって本来の神の子が現れる

《親に愛されたいという子供の心》

          *( 『生命の實相』頭注版第40巻37~38頁)

どなたでも子供を憎(にく)むという人はないのですが、
子供を愛している表現が少ない時には本当に愛してくれていないのだ
という親に対する恨(うら)みがましい気持が出てくるものであります。

こういう大きな大人でも、奥さまからちょっと優しく言ってくれると
嬉(うれ)しいのです。いわんや子供というものは親に愛されるということが、
もう一番の楽しみなのです。

親に愛されている子供は、親のためなら、親の喜ぶことなら、
たとい火の中水の中に入ってでも、命を棄(す)てても厭(いと)わぬ
という感激をもつのです。

そういう親をもつ子は親に喜ばれるためにいくらでも善いことをいたします。
ところが親が子を愛しているということを言葉にも表情にも表現しないで
あまり仕事が忙しいとか、何か自分に《くしゃくしゃ》する事件があった時
などに子供につっけんどんに当たる――それがいけないのです。

愛は心のうちにもっていても表現してもらわなければ
愛してもらったような気がしないのです。

心の中に愛があっても、顔でしかめ面(つら)しているとして
「どうもうちのお父さんはこわい」とか
「お母さんは叱(しか)ってばかりいる」とか思うようになるのです。

これに反して言葉でも、形でも愛してやるというようにいたしますと、
必ず子供は親に従順になってきまして、親がこうなってほしいというように
必ず子供から進んでそうなってくれるのであります。

         <感謝合掌 令和2年2月3日 頓首再拝>

親が愛を表現することで子供の神性(しんせい)があらわれる - 伝統

2020/02/07 (Fri) 04:09:04

谷口雅春先生のお言葉(令和2年2月号「生命の教育」誌)

愛の表現によって本来の神の子が現れる

《親が愛を表現することで子供の神性(しんせい)があらわれる》

          *( 『生命の實相』頭注版第40巻38~39頁)

よく世間に不良児童というものがありますが、
不良児童ができた根本は親に対する憎(にく)みというものから
出発していることが多いのです。

子供が親を憎(にく)むのです。

親を憎むような子供があるかと不思議がられる人があるかもしれませんが、
憎みというものは愛の裏表(うらおもて)でありまして、
愛しているからこそ憎むということにもなるのであります。

誰(たれ)でも、隣の奥さんが間男(まおとこ)しても憎いとは思わない
けれども、自分の奥さんが間男したら憎いと思う。
これはやはり自分の奥さんを愛しているから憎いと思うのです。

子供が親を憎むのは、子供は親から愛されたい、
また自分は親を愛したいという本能があるために、
親の方は子供を愛しているのだけれども、形や言葉の上でガミガミ
叱(しか)りつけるというふうなことをやっていると、
わしの親は子を愛していないと思ってしまうのです。

すると、子の親に対する愛が、今度は憎みに変わってくるのであります。
そして親を憎むというふうになるのです。

子が親を憎みはじめたら、親を困らせてやろうというようになってきまして
今まで親を喜ばせてやろうという素直な念であったのが逆になって、
親のいやがることをしてやろう、親が子供に「この学校に入学してほしい」
と思ったらよけい落第してやろう、

「遊びに行(ゆ)くな」と言ったらよけい遊びに行ってやろうというふうに
なるので、親の意向に反対反対に出ようとするというふうになってくるのです。
これが不良少年少女、不良青年であります。

子供が親から愛されたい欲望を持ちながら、愛しているという表現が足らないために
反対になって、愛が憎みに変(へん)じまして親を憎むということになるのは、
ここの心理を知らないからであります。

本来、不良児童というものはない。

愛があべこべになって方向がちがった時にできるのです。

ですから、優しい素直ないい子供をこしらえようと思えば、
親が本当に子供を愛しているぞということを、言葉でもって、
微笑(ほほえみ)でもって、態度でもって、行ないでもって、

実際にそれを示すことにしましたならば、
必ず子供は本来神の子なのですから、善良なる模範児童ができあがるのであります。


         <感謝合掌 令和2年2月7日 頓首再拝>

《子供は無意識の中で教育される》 - 伝統

2020/02/20 (Thu) 04:23:10


           *「光明法語」(2月20日)より

無意識の心的影響は、親が子供に対して教育する場合には特に著しくあらわれる。

母親が姑に対して物言うまいと決心したりしていると、
時として物言わぬ白雉の子供が出来たりすることがある。

親が人々に対して好悪の感を著しく抱いていると、
子供が食物に対して好き嫌いをするようになったりする。

親がうちの子は間違いないと信じていると間違いない子供になる。
うちの子供は虚弱であると信じていると、実際虚弱になってしまう。

しかし信ずると云うことは捨てて置くことではない。
信じて好(よ)き機会を与えることである。

         <感謝合掌 令和2年2月20日 頓首再拝>

子供は神が守ってい給たまうのである - 伝統

2020/03/07 (Sat) 04:58:53


谷口雅春先生のお言葉(令和2年3月号「生命の教育」誌)

子供の善なる本質を観て信じること   谷口雅春

《子供は神が守ってい給たまうのである》

          *(新編『生命の實相』第22巻2頁)より

多くの母親は子供のことをあまりに取越苦労するために、却(かえ)って
子供に悪(あく)思念を放送して子供の健康や運命を害している。

或(あ)る母親は一瞬間でも自分の眼の前にいないと心配でたまらないのである。
彼は自分の想像の中(うち)で、躓(つまず)いて転んでいる自分の子供の姿を
思い浮べる。

自動車にひかれて死にかかっている自分の子供の姿を思い浮べる。
水に陥(はま)って溺(おぼ)れかかっている自分の子供の姿を思い浮べる。

世の母親よ、何故(なぜ)あなたはこの反対をしてはいけないのか。
こんな取越苦労が起るのは、子供を神の子だと思わないで人間の子だと思うからである。

神の子は神が育て、人間の子は人間が育てる。

人間の子だと思うものは終世(しゅうせい)、取越苦労をして育てねばならぬ。

子供を神の子だと思うものは、子供を尊敬して出来るだけその世話をさせては頂くが、
神が守ってい給(たま)うと信ずるが故(ゆえ)に取越苦労は必要はないのである。


・・・

<参考>「生命の教育」令和2年3月号 より
    (http://www.shinkyoren.jp/publics/index/34/#page34_59

巻頭のことば「良い人生をおくるための言葉のチカラ」
新教育者連盟理事長 代田健藏


特集 “悩み” から“よろこび” に変わる子育て!

   子育てにおいては、子供の成長過程で大小さまざまな問題が起こってきます。
   あるときはそれが悩みとなって、イライラしたり、悲観したり、
   心が暗く落ち込んでしまうことがあるかもしれません。

   「生命の教育」の提唱者である谷口雅春先生は、
   子育ての悩みを解消し、子供の内なる神性を引き出す実践法を
   お説きになっています。

   本特集で紹介されている具体例を参考に、
   心の持ち方を変え、それを実践してみましょう。
   きっと子育てにたくさんのよろこびを見いだせるようになるでしょう。


子供の善なる本質を観て信じること   谷口雅春

子供の問題は子供の個性が花開く大きなステップ       後藤久子
子供を信じることが子育てを楽しくする           木村裕子

Q&A 子育てに自信がなくなった             大原和子
    家に閉じこもるようになった息子          小林義典
    できの悪い息子にイライラする           森田峯好
    よその子と比較してしまう             杉山紀代子

子供を信じることが大切                  石定佳奈
4人目の子育ては私と娘の幸せ               島崎陽子
たくさんの学ぶチャンスをくれた娘             野畑寿美
子供と共に悩み、共に祈り、共に魂の喜びの道へ       根之木拓子

《特別インタビュー》
知的能力より共感性を高める家庭教育
             麗澤大学大学院特任教授 髙橋史朗

子育てワンポイント(34) 強い志を!             出口正博
 子育ては母育て(88) 体罰の是非(後編)           田下昌明
 日本人100 の誇り(90) 台湾の親日              岡田幹彦

親子で読むものがたり(91) 良寛さま?           千葉ひろ子

日本国憲法の問題点(53) 現憲法がもたらした人権感覚の麻痺  勝岡寛次
日本のしきたり(27) 「社日」                 辻川牧子

新教連活動あらかると
◇ 訃報 住谷正夫先生、寺子屋の広報活動、大聖典漆塗函の寄贈、
  東京乳幼児教室募集、新教育者連盟全国研修会の予告ほか
3月支部行事
事務局短信・編集後記・次号案内

         <感謝合掌 令和2年3月7日 頓首再拝>

まず親の心と態度から - 伝統

2020/03/10 (Tue) 04:53:36

谷口雅春先生のお言葉(令和2年3月号「生命の教育」誌)

まず親の心と態度から

        *(新編『生命の實相』第22巻71~72頁))

子供は最も多く母親のなすこと、いうことの影響を受けるのでありますから、
母親の性質とか心持(こころもち)、態度というものが
子供に最も多く現れて来るのであります。

でありますから、皆さんがお子さんにもっとよい性質がほしいと思われたら、
先自(みずか)らを省(かえり)みて自分がよくなって頂くことが
肝腎なのであります。

子供というものは、 「お前は悪い悪い」と叱(しか)っても
なかなかよくなるものではありません。

常に善い方面を見るようにして、
悪は見ずに、子供の完全円満な実相を見るようにして、
それを賞(ほ)め言葉で誘導していれば必ずよくなって来るのであります。

(中略)

命令や吩咐(いいつけ)よりも、行いで手本を示されますと、
子供は直(す)ぐその真似(まね)をするものでありますから、
常に子供によい実例を示し、常によき行為の模範になることが大切であります。

         <感謝合掌 令和2年3月10日 頓首再拝>

子供を信じるほめ言葉が子供を善くする - 伝統

2020/03/15 (Sun) 03:40:10


谷口雅春先生のお言葉(令和2年3月号「生命の教育」誌)

子供を信じるほめ言葉が子供を善くする

        *(新編『生命の實相』第22巻20~23頁))

親の心が子に映るのが実際の事実としたならば、
親達はもう少し考え直さねばならないだろうと思うのであります。

子を教育する前に先(ま)ず親が自(みずか)らを
教育しなければならないと考えざるを得ないのであります。


子の成績が悪いというのも、
親、或(あるい)は学校の先生が悪くしている場合が多いのであります。

千葉県の白里村(しろさとむら)に
小倉(おぐら)久之丞(きゅうのじょう)さんという小学校の先生があります。

(中略)

或日(あるひ)、他の教室の授業時間を参観しておられましたら、
その組(くみ)の受持(うけもち)の女の先生が一人の子供をつかまえて
大変怒(おこ)っておられたのです。

「お前位(くらい)出来の悪い子はない。実にお前はなまけものだ。
先生の教えを少しも注意してきかない」

といってひどく叱(しか)られていたのでありました。

やがてその時間がすんでから、徐(おもむ)ろに小倉久之丞先生がその子に近付いて
「あなたは好(よ)い子だねえ」と静かにお褒(ほ)めになったそうであります。

「あなたはよく勉強するね、きっとよく出来る子になるよ!」と柔(やさ)しい、
しかし、子供の善さを固く信ずるような語調で、簡単にほめられたのでありましたが、
それ以後その子の性質が一変して、大変よく出来るようになったのであります。

その事実を見て、職員会議の時にその女の先生が
起(た)ち上(あが)って告白されたそうであります。

「私のこれ迄の子供の教え方は間違っていました」といって皆の前で
懺悔(ざんげ)されたということでありました。

単にそれだけの優しい、信じてくれる賞(ほ)め言葉が、子供を善くするのであります。

「お前はほんとによい子だよ」という、
それだけの言葉にすら子供を生かす力があるのであります。

それに先生がヒステリーを起して、
「こんな悪い子はありゃしない」なんて怒(おこ)れば、
子供は正直なもので、「先生は偉い」と信じきっているのでありますから、

その偉いと信じている先生が、
「自分を世の中で一番悪い子だというんだからほんとにそうかも知れない」と、
子供がそう思ってしまったが最後、勉強に興味がなくなり、先生に嫌われたと思って、
教室にいても面白くなく成績もずんずん悪くなってゆくのであります。

ちょっとした言葉で子供が良くもなり、悪くもなる、通信簿に書いてある
子供の成績は、実は親の成績表であり先生の成績表だといって
好(よ)い位(くらい)であります。

         <感謝合掌 令和2年3月15日 頓首再拝>

子供の奥にある〝神の生命〟を観(み)る - 伝統

2020/03/17 (Tue) 04:55:21


谷口雅春先生のお言葉(令和2年3月号「生命の教育」誌)

子供の奥にある〝神の生命〟を観(み)る

        *(新装新版『真理』第2巻142頁)

人を見るのにその外見をもってしてはならない。

人間の実相を見ると云うのは、人間の肉体や衣服は仮(か)りの相(すがた)
であって、 「人そのもの」ではないと云うことを知り、その奥に宿っている
ところの「神の生命」(仏教的に謂えば「仏性」)を観(み)る
と云うことなのである。

何人(なんぴと)も神の自己顕現として、
自己の内に「神」を蔵しているのである。
これこそが「真の人間」であるのである。

そしてその「内部の自己」が「神」であることを自覚し、それを尊敬し、
その如(ごと)く生きようと努力するとき、
自分の性格も環境も健康も改まりはじめるのである。

そして他の人の「内部の自己」が矢張り「神」であり、完全であることを
心で一心に観て、それを尊敬し合掌礼拝するようにするとき、
その「他の人」が礼拝されるに相応(ふさ)わしい立派な人間となって
顕(あらわ)れてくる。

         <感謝合掌 令和2年3月17日 頓首再拝>

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