伝統板・第二

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令和の御代 - 夕刻版

2019/05/01 (Wed) 20:39:11

このスレッドでは、令和の御代に関する情報を集めてまいります。



祝・令和元年

       *Web:かんながら(2019年05月01日)より

こうして国民全体が祝賀ムードの中で新しい時代を迎えられるのはいいですね。

平成の天皇陛下の引き際はお見事だったと言うほかありません。


時間は幻想ですが、それでも時間の中を生きる凡夫の我々にとって、
御代の移り変わりは大きなものがあります。

そんな文化に1300年以上も慣れ親しんできた日本人にとっては、
すでにDNAに組み込まれた天皇観のような気がします。



そして令和の時代をけん引する新天皇。

お生まれになったときのことをよく覚えています。



僕が小学校に上がる前の寒い夜。

父に連れられて行った銭湯の番台のテレビで、
浩宮さまが産まれたというニュースを見ました。


脱衣場でどこかのオジサンが

「いつか天皇になる子だ」

と言ったことも覚えています。


その時、幼心に

「僕はそれまで生きているだろうか」

と考えたのも昨日のことのようです。


これから新しい時代を生きていくのですね。


いままで以上に大きな変化を目の当たりにしていくのだと思います。


励ましあっていきましょう。

    (https://abetoshiro.ti-da.net/e11081728.html )

           <感謝合掌 令和元年5月1日 頓首再拝>

令和の始まり・・・日本人の心根 - 伝統

2019/05/02 (Thu) 20:19:04


      *メルマガ「大和し」(令和元(2019)年 5月1日)より


本日大安吉日の良き日に、「令和」の時代が幕を開けました。

令和の時代は、古き伝統文化の上に、新たな伝統文化を重ねていくことになります。
日本人の心根『大和心」を持ちながら、祖国の繁栄を実現しなければなりません。
今を生きる私たち日本人が、日本人らしさを発揮する時が来ました。


「令和」が発表になってから、「令」の意味について様々なことが言われています。

元号の制定にあたった一人である国文学者の中西進氏によると、
万葉集の「初春の令月」からとっているとのことです。

その意味として、安倍晋三首相も
「美しい風土に限りない感謝と尊敬を持ちながら・・・」と説明をされています。

中西氏によりますと、「美しい」というよりも、
より日本的な「うるわしい」という意味の方が、
ふさわしいのではないかとの意見をお持ちです。


令月の令は「とても良き」という意味ですが、
豊かな四季の国土である日本では、「とても良き」とは、
「自然(あめつち)の恵みを受け、その中で暮らす大和の心根」
つまり「大和心」をあわらしているのではないかと感じるのです。


「うるわしい」という言葉から受けるインスピレーションは、
この国土に生きている日本人であれば、感じることができるはずです。

「美しい」beautifulではなく、
「うるわしい」という言の葉は、品の良さとともに、
祖国への深い心を感じるのではないでしょうか。


日本武尊が東征からの帰り、伊吹山で倒れます。
自らの死を直前にして、故郷を偲んで詠んだ和歌は、

大和は国のまほろば ただなづく青垣 山隠れる 大和しうるわし

で、

「大和しうるわし」は、単に「大和の国は美しい」という意味でなく、
大和の国に対する尊敬や敬意、そして誇りを深く感じるのです。

そして、祖国の未来への祈りなども感じることができます。

国家繁栄、天下泰平をもたらすのは、
「うるわしい」心こそが大切なのではないでしょうか。


春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて冷しかりけり

これは、道元禅師の言葉ですが、うるわしい日本人の心根を感じます。

豊かな四季のあるこの国に生まれ、自然の恵みを受けて育って来た民族が日本人です。
日本語を母国語として話し、八百万の神々を信仰し、多くの神事が生まれました。

人と人との「和」を大切にしなければならないとする精神は、
聖徳太子の十七条憲法によって明文化されました。

二千年以上の歴史の中で、
育まれて来た伝統文化やしきたりは、私たち日本人自身の財産です。

先達の智慧を学び、歴史を学び、文化の中に身を置くことで、
「うるわしい」大和心が蘇ってくるのです。

日本の国柄は日本人でしか守ることができません。

この素晴らしい国土で暮らしていることに誇りを持って、
日本人らしさを身につけることを求められているのが
「令」の本当の意味ではないでしょうか。

目覚めよ! 日本人。

           <感謝合掌 令和元年5月2日 頓首再拝>

「令和」日本、最大の課題 - 伝統

2019/05/03 (Fri) 21:10:18


      *メルマガ「RPE」(2019/4/14)より抜粋

平成は、はじまったとたんにバブルがはじけ、経済分野で
は「暗黒の〇〇年」と形容される時代でした。

大きな天災も多かった。


令和は、明るい時代、繁栄の時代になることでしょう。

しかし、「大きな課題」を二つクリアしなければなりません。


一つ目は、中国問題です。

この国は、なんと「日本には尖閣だけでなく、【沖縄】の領有権もない!!!」
と公言しています。

ロシアと韓国に「【反日統一共同戦線】をつくろうぜ!」と提案し、

アメリカもそこに引き入れようとしている。

(●全国民必読証拠はこちら。↓
http://rpejournal.com/rosianokoe.pdf
     


中国は、日本国最大の脅威です。

なんといってもこの国は、チベット人を120万人虐殺した。

現在もウイグル人を100万人強制収容所に閉じ込めているという国。

私たちの常識が全然通用しない国ですので、
少なくとも「平和ボケ」から目覚めなければなりません。



もう一つの課題は、こちら。



<総人口、8年連続減=生産年齢の割合過去最低?総務省推計

時事 4/12(金) 14:45配信

総務省は12日、2018年10月1日現在の日本の推計人口を公表した。

外国人を含む総人口は前年比26万3000人(0.21%)減の
1億2644万3000人で、8年連続の減少。

減少数と減少率は過去最大だった。15~64歳の生産年齢
人口の割合は59.7%で、比較可能な1950年以降過去最低。

働き手不足が一段と鮮明になった。

総人口のうち日本人は1億2421万8000人で43万人(0.35%)減。

これに対し、外国人は222万5000人で16万7000人(8.1%)増えた。

増加は6年連続で、外国人の割合が年々高まる傾向にある。>



日本人の人口は、1年間で43万人(!)減っています。

「国立社会保障・人口問題研究所」の予測によると、

2050年、日本の人口は1億人を切る、

2100年、5000万人を切る。


そして、外国人の数がすごい勢いで増えています。

2100年、日本人は「少数派に転じているのではないか?」
という懸念は冗談ではありません。

そして、外国人の最大勢力が中国であることを考えると


「中国は、銃弾を使わずに日本を占領することができる」


ともいえるでしょう。


こんなこと書くと、「危機を煽るな!」とか「大げさだ!」と必ず批判されます。


ちなみに、これまでも常に「大げさだ」という批判はありました。

たとえば2005年、「ボロボロになった覇権国家」という本を出した。

この本は、「アメリカ発の危機が起こって、アメリカは没落する」という内容。

「ありえない!」と批判されました。

しかし、08年、アメリカ発で「100年に1度の大不況」が起こり
「アメリカ1極時代」は終わった。



08年、ダイヤモンド社から
「隷属国家日本の岐路~今度は中国の天領になるのか」を出版。

この本の中で、アメリカが没落し、日本には「親中政権が生まれる」と書きました。

すると翌09年、反米親中の民主党・小鳩政権が生まれた。


さらのこの本の中で、「尖閣問題から日中対立が激化する」と書いています

10年「尖閣中国漁船衝突事件」が起こり、

12年「尖閣国有化」で日中関係は最悪になった。


このように、RPEはいつも「大げさだ!」「ありえない!」といわれながら、

現実が後から追いついてきたことがわかります。



ちなみに、今「3K外国人労働者の大量受け入れ」が問題になっています。

こうなることは、08年出版の「隷属国家日本の岐路」で予測しており、

「なぜダメなのか」詳述しています。

(私が住んでいたロシアでも、欧州、アメリカでも移民政策は大失敗。
見直しがはじまっています。)


というわけで、「2100年日本人が少数派に転ずる」という話。

これも、今は「大げさ」に聞こえますが、
「そっちの方にむかっている傾向だ」ぐらいは自覚しておきましょう。



▼右も左も、少子化問題解決で協力しなければならない


少子化問題の重要性について。

世界最高の戦略家といわれるエドワード・ルトワック氏の話を紹介しておきます。

ルトワック氏は、最新刊「日本4.0」の中で、
「少子化問題」を日本最大の問題の一つと位置づけています。


(全日本国民必読!

●日本4.0 エドワード・ルトワック

詳細は→ https://amzn.to/2NZMjTr



少し引用しておきましょう。



<日本は長年、少子化問題を議論しながら、人口減少という
国家にとって真の危機を間近にしても、思い切った施策を打ち出そうとしていない。

そもそも将来の納税者が減少すれば、近代国家は衰退するしかないのだ。>(22、23p)


親日家のルトワック氏ですが、この問題については、日本政府を強く批判しています。

<もうひとつ、子どもがいなければ、安全保障の議論など何の意味もないということだ。

人間の人生には限りがあり、未来は子どもの中にしかない。

当然、国家の未来も子どもの中にしかなく、それを守るために安全保障が必要なのである。

どんなに高度な防衛システムを完成させても、
国内の子供が減り続けている国が戦争に勝てるだろうか?

未来の繁栄が約束されるだろうか?>(23p)



そしてルトワック氏は、少子化解決のための具体的方策も提案しています。

<もし日本が本当に戦略的な施策を打ち出すのであれば、
最も優先されるべきは、無償のチャイルドケアだろう。

スウェーデン、フランス、イスラエルは、高い水準のチャイルドケアシステムを整備し、
実際に子供が増えている。>(23、24p)


<まずは不妊治療の無料化。

イスラエルはこれを100%実施している。

次は出産前の妊婦が必要とする諸費用、出産費用、さらに
小学校に行くまでのチャイルドケアの費用を国が負担することである。>(24p)



これらの施策を「社会主義的だ!」と批判する人がいるでしょう。

ルトワックさんは、「極端に保守化した人たち」を批判します。

<高齢化が行き着くと、国内の雰囲気は保守化し、悲観的になる。
未来のことを考えない近視眼的な思考がはびこるようになるのだ。

私は日本の右派の人々に問いたい。

あなたが真の愛国者かどうかは、チャイルドケアを支持するかどうかでわかる。

民族主義は国旗を大事にするが、
愛国者は国にとって最も大事なのが子どもたちであることを知っているのだ。>
(24p)



というわけで、安倍総理。

「少子化問題解決」に最優先でとりくんでいただきたいと思います。


ちなみに「少子化問題を解決する方法」は存在しています。

その方法は、この本に詳述してありますので、是非ご一読ください。



●日本の生き筋 家族大切主義が日本を救う

詳細は→ https://amzn.to/2zn4gC3


●PS


中国は2012年11月、日本を破滅させるための戦略を構築しました。(証拠あり)

99.9%の日本人はそのことを知らず、「平和ボケ」したままです。


・中国、驚愕の対日戦略の全貌とは?(証拠あり)

・日本が中国に、戦わず勝つ秘策とは?


全部詳しく知りたい方は、いますぐこちらをご一読ください。

全部わかります。




●中国に勝つ日本の大戦略 北野幸伯

詳細は→ http://amzn.to/2iP6bXa

           <感謝合掌 令和元年5月3日 頓首再拝>

新元号「令和」に込められた思い - 伝統

2019/05/04 (Sat) 19:04:44


        *メルマガ「人間力」(2019.5.4)より

5月1日に新天皇がご即位され、
「令和」の時代がいよいよ幕を開けました。
日本全国が祝賀ムードに湧いています。

もちろん、それは大変素晴らしいことですが、
一方で御代替わりの年には
とかく国際情勢が激動することを忘れてはなりません。

新しい時代を迎えたいま、国民一人ひとりが
取り組むべき3つの重要課題とは何か。

月刊『致知』で「時流を読む」を好評連載中の
中西輝政先生にお話しいただきました。

……………………………………………

 新元号「令和」に込められた思い

……………………………………………


去る四月一日に新しい元号が「令和」に決まり、
五月一日の新天皇ご即位と同時にいよいよ令和の時代が始まりました。

我が国の新しい幕開けです。

令和は『万葉集』巻五・梅花の歌三十二首の序文にある

「初春の令月にして 氣淑く風和ぎ
梅は鏡前の粉を披き 蘭は珮後の香を薫らす」

を典拠としており、漢籍から引用してきた従来の元号選定とは一線を画し、
今回初めて日本の古典が採用されました。


『万葉集』は八世紀後半、大伴家持らによって
編纂された日本最古の和歌集です。

天皇から一般庶民に至るまで、
四百年以上の時を経て詠み継がれてきた歌が四千五百余首も収録されています。

まさに『古事記』『日本書紀』と並んで我が国の源流、日本文化の精髄を
奈良時代にひと纏めにしたもので、後代千三百年にわたって伝承され続けてきた
日本人の心の“原点”にして“原典”と言っても過言ではありません。

一部の学者に言わせれば、右記の歌は
『万葉集』より数百年前、中国・後漢の学者・張衡が記した
『帰田賦』という詩に似た一節があり、
その漢詩に由来したものではないかとの説があります。

当時の日本は大陸文化の影響を色濃く受けているため、
確かにその指摘は間違っていないでしょう。

しかしここで大事なのは、
我われの先祖は大陸文化を取り入れながらも、
それを日本の風土や情緒に合うように咀嚼してきたということです。


令には「せしめる」という使役の意味もありますが、
ここでは「麗しい」「立派な」という意味で用いられています。


「初春、麗しい月に爽やかな風が吹く。

鏡の前で女性がおしろいをつけているように
 白い梅の花が咲き、貴人が身につける
 香り袋のように蘭の花が薫っている」。


美しい大自然を愛で、自然と共に生きる
日本人の感性を如実に現代に伝えてくれています。

そういう意味で、味わいのある素晴らしい新元号になったと思います。

安倍首相も記者会見で語っていたように、お互いに美しい心を寄せ合い、
一人ひとりが希望を持って自らの花を
大きく咲かせる時代にしていきたいものです。


新元号が発表された四月、典拠である
『万葉集』やその関連書籍が売り切れたり、
『万葉集』に縁のある各地の歴史館・記念館・
神社に人が押し寄せたりと、凄まじい“改元旋風”が巻き起こりました。


昭和天皇が崩御され、深い悲しみのうちに改元が行われた平成の時と比べ、
今回はそういう重苦しい空気は全くなく、国民がこぞって御代替わりを寿いでいる。

これは大変悦ばしいことです。

ただ、その間も内外の情勢は刻々と変化しているにも拘らず、
浮かれ気分のまま新時代に雪崩れ込んでいる風潮を
嘆かずにはいられません。


杞憂であれば嬉しいのですが、
私は余計な心配をするのが仕事のような職業ですから、
既に本欄で繰り返し述べてはいるものの、敢えてしつこく申し上げたいと思います。

それは


「御代替わりの年に内外情勢の激動が日本を襲う」


ということです。

一例として、昭和から平成に移る年
(西暦一九八九年)には、バブル崩壊や天安門事件など、
その後何十年と深刻に尾を引く出来事が重なりました。

           <感謝合掌 令和元年5月4日 頓首再拝>

即位の一般参賀に14万人・皇居 - 伝統

2019/05/05 (Sun) 20:59:28

「国の発展、心から願う」=両陛下、国民の前に―即位の一般参賀に14万人・皇居


youtube ~ https://www.youtube.com/watch?v=ws1CwuQet_k

           ・・・

       *Web:時事通信(2019年5月4日)より

天皇陛下の即位を祝う一般参賀が4日、皇居で行われた。

天皇陛下が即位後、多くの国民の前に出る機会は今回が初めてで、

「わが国が諸外国と手を携えて世界の平和を求めつつ、
一層の発展を遂げることを心から願っております」

とお言葉を述べられた。

一般参賀は午前10時から1回目が始まり、天皇、皇后両陛下のほか、
皇位継承順位1位の皇嗣となった秋篠宮さまら成年皇族方が
宮殿・長和殿のベランダに立った。


天皇陛下はモーニング、皇后さまは黄色のような「鶸(ひわ)色」のロングドレス姿。
両陛下や皇族方は、集まった多くの参賀者に対し、にこやかに手を振って祝賀に応えた。

陛下はお言葉の中で、

「皆さんからお祝いいただくことをうれしく思い、深く感謝いたします」

と謝意を示した上で、参賀者の健康と幸せを祈ると述べた。

午後のお言葉では、気温が高くなったことを受け、参賀者を気遣う表現もみられた。

一般参賀は約1時間おきに計6回行われ、
宮内庁によると、参賀者数は14万1130人。

平成の即位礼後に行われた一般参賀(10万9800人)を上回った。

 
皇宮警察によると、熱中症による脱水症状などのため
121人が皇居内の救護所で手当てを受けた。

退位した上皇さまと上皇后さまは参加せず、
両陛下の長女愛子さまと秋篠宮ご夫妻の長男悠仁さまは未成年のため出席しなかった。

即位後の一般参賀は当初、
即位を内外に宣明する「即位礼正殿の儀」後の10月26日に予定されていたが、
即位日から近い方が望ましいなどの考えから前倒しされた。

一般参賀は天皇陛下が皇族方とともに国民から祝賀を受ける行事で、
例年は新年の1月2日と天皇誕生日に行われている。 

[時事通信社]

    ( https://www.jiji.com/jc/article?k=2019050400130&g=soc )

・・・

<関連Web:谷口雅春先生に帰りましょう・第二
       「天皇陛下の即位を祝う一般参賀で初めて
       「日の丸」の小旗配布のお手伝いをさせていただきました!
       → https://bbs6.sekkaku.net/bbs/kaelou/&mode=res&log=2595 >

           <感謝合掌 令和元年5月5日 頓首再拝>

新天皇、皇后両陛下の歩みと絆 - 伝統

2019/05/06 (Mon) 19:31:16


         *Web:日本経済新聞(2019/5/1)より

(1)陛下、歴史を学んだ若い日

   天皇陛下は1960年2月23日生まれ。幼名は浩宮(ひろのみや)。

   陛下は皇族として初めて幼稚園に通われた。

   チェロをたしなむ上皇さまの影響を受け、4歳からバイオリンを習われた。
   現在は学習院大時代のオーケストラ部で切り替えたビオラを演奏されている。

   陛下は道の魅力について未知の世界に旅立つことができることだと語られている。


(2)皇后さま、文武両道の日々

   皇后さまは1963年12月9日、
   元外務事務次官の小和田恒氏、優美子さん夫妻の長女として生まれた。

   幼少期をモスクワやニューヨークで過ごし、71年に帰国。

   中学時代に熱中されたのがソフトボールだ。

   高校1年の時、恒氏がハーバード大に客員教授として招かれたことで再び渡米。
   ボストン郊外のベルモント高校に通い、81年9月にハーバード大に入学し
   国際経済学を専攻された。

   85年にトップクラスの成績で卒業された。
   翌86年4月、東京大法学部に学士入学したが、
   同年10月に外交官試験に合格して東大を中退された。


(3)オックスフォードに学んだ日々

   学習院大文学部史学科を卒業した天皇陛下は1983~85年、
   英オックスフォード大マートンカレッジに留学された。

   英語の論文「交通路としてのテムズ川」をまとめられた。

   陛下の学習院大の卒業論文は「中世瀬戸内海水運の一考察」。

   いずれも水上交通を巡る内容で、
   陛下がライフワークとされる水に関する問題につながる。

   留学中には日本では経験できない自由な生活を楽しまれた。


(4)皇后さまは均等法第一世代の外交官

   皇后さまは1987年に外務省に入省し、外交官としての一歩を踏み出した。

   88~90年には、英オックスフォード大ベリオールカレッジに外務省の研修で留学された。

   帰国後は外務省北米2課で日米間の貿易摩擦問題を担当。

   天皇陛下との婚約が内定したことを受け、93年1月に退職された。


(5)平成のロマンスに喝采

   1993年6月9日、天皇、皇后両陛下の「結婚の儀」が皇居・宮殿で行われた。


(6)愛子さまの誕生と成長

   結婚から8年後の01年12月1日、両陛下の長女、愛子さまが誕生された。
   2年前の流産を乗り越えたお二人にとって、待望の第1子。

   「人を愛する者は人からも愛され、人を敬う者は人からも敬われる」
   との願いを込め、敬宮(としのみや)愛子と名付けられた。


(7)家族の絆で困難も乗り越え

   宮内庁は04年7月、皇后さまの病名を「適応障害」と発表。
   療養生活は長く続き、その間には長女、愛子さまが
   通学に不安を訴え皇后さまが付き添われた時期もあった。

   苦しい時に家族で支え合われてきたご一家は強い絆で結ばれている。

  (https://www.nikkei.com/article/DGXMZO44148260U9A420C1000000/?n_cid=NMAIL007 )

           <感謝合掌 令和元年5月6日 頓首再拝>

皇太子(新帝陛下)が胸に刻む訓戒の書『誡太子書』の苛烈な内容 - 伝統

2019/05/07 (Tue) 21:58:22


     *Web:EWSポストセブン(2019年03月21日)より

天皇という苛烈なご生涯を送ることを、皇太子殿下(新帝陛下)は
国民のために受け入れるご覚悟ができている。

その背景には、激しく皇太子に自戒を求める内容の書物に
「非常に深い感銘を覚えます」と言い切っておられるほど、
ご自身を厳しく律しようとされる姿勢がある。

神道学者の高森明勅氏が、かつてないスケールのご活躍が期待できる
皇太子殿下(新帝陛下)のご様子について綴る。


歴史上、“皇太子”という立場の方に最も厳しい訓戒を与えた書物は、
花園天皇(95代)の『誡太子書(かいたいしのしょ)』だろう。

同書は、元徳2年(1330)に当時の皇太子、
量仁(かずひと)親王(後の北朝1代光厳天皇)に贈られたもの。

「皇太子は宮中で優しく育てられたから人民の大変さを知らない。
きれいな着物を着ても、その着物を作る苦労を知らない。
おいしいご馳走に飽いても、農民の耕作の困難さを知らない。
いまだ国への功績が少しもない。人民に対する貢献もない。

にもかかわらず、先祖のおかげで将来、天皇の地位に上ろうとしている。
すぐれた人格的価値も身につけないで、人々の上に君臨することは、
自分で恥ずかしく思わないのか……」(要約)

こんな情容赦のない言葉が並んでいる。

鎌倉幕府の討滅から建武(けんむ)の新政をへて、
やがて南北朝の動乱へと流れ込んで行く直前の危機的な時代相の中で、
皇太子たる者、身を修めて学問を身につけ、
ひたすら人格の向上を図るべきことを切々と説く。

じつに激しく皇太子に自戒を求める内容になっている。


ところが皇太子殿下(新帝陛下)は、歴代天皇の事蹟を学ばれる中で
最も印象に残っていることとして、とくにこの『誡太子書』を取り上げておられる。

「花園天皇という天皇がおられるんですけれども
……誡太子書(太子を誡〈いまし〉むるの書)と呼ばれているんですが、

この中で花園天皇は、まず徳を積むことの必要性、
その徳を積むためには学問をしなければならないということを説いておられるわけです。
その言葉にも非常に深い感銘を覚えます」(昭和57年3月15日)

 
先に紹介したような言葉が連ねられている同書について、
「非常に深い感銘を覚えます」と言い切っておられる。
これは、殿下がご自身をいかに厳しく律しようとされているかを、如実に示す事実だろう。

 
殿下(新帝陛下)は後年、50歳のお誕生日を迎えられる時の記者会見でも、
再びこの書に触れておられた(平成22年2月19日)。


《かつてなかったスケールのご活躍》

皇太子殿下(新帝陛下)は、今上陛下(現上皇陛下)が追い求めてこられた
人々に寄り添う「能動的」な象徴天皇像を、しっかりと継承される
ご決意でいらっしゃる。過

去の天皇の歩みに学びながら、憲法が求める「国民統合の象徴」としての役割を
全身全霊で果たそうとされているのだ。

そのことは昨年のお誕生日に際しての記者会見でも、次のようにお述べになっていた。

「今後とも、両陛下(現上皇皇后陛下)の御公務に取り組まれる御姿勢やお心構え、
なさりようを含め、そのお姿をしっかりと心に刻み、今後私自身が活動していくのに当たって、
常に心にとどめ、自己の研鑽に励みつつ、務めに取り組んでまいりたいと思います」
(平成30年2月21日)

 
一方、皇太子殿下(新帝陛下)ならではの新しいお務めも今後、拡大していくだろう。

たとえば「世界の水問題」へのお取り組みだ。殿下(新帝陛下)は
すでに国連「水と衛生に関する諮問委員会」名誉総裁をお務めになるなど、
この方面での貢献で国際的な注目を集めておられる。

第8回世界水フォーラム「水と災害」ハイレベルパネルでの基調講演では
眼前の危機への警鐘を鳴らされた。

「水を通じた地球上の絶妙な熱バランスが……現在脅かされています。
何が原因でしょうか。地球の温暖化と気候変動です。……我々が、
今何も対策を立てなければ、等比級数的に被害が激化していくことが懸念されます。

水災害により、私たちの先代が重ねてきた発展のための努力の成果がわずか数日、
場合によっては数時間で消し飛んでしまいます。

こうした地球規模で発生する自然の脅威に対抗するため、
国際社会は結束していく必要があります」(平成30年3月19日)

 
殿下(新帝陛下)のご発言は世界各国の専門家たちの胸に強く響いている。
ご即位後は、これまでの天皇にはなかったスケールでのご活躍も期待できるのではないか。

●たかもり・あきのり/1957年、岡山県生まれ。
神道学者、皇室研究者。國學院大學文学部卒。同大学院博士課程単位取得。
日本文化総合研究所代表。國學院大學講師。神道宗教学会理事。
『天皇陛下からわたしたちへのおことば』(双葉社)、
『天皇「生前退位」の真実』(幻冬舎新書)など著著多数。


    (https://blogos.com/article/365491/ )


           <感謝合掌 令和元年5月7日 頓首再拝>

天皇陛下 即位後初の宮中祭祀 - 伝統

2019/05/08 (Wed) 21:30:41

        *Web:東京新聞(2019/5/8)より


秋の儀式日程を報告

天皇、皇后両陛下は八日午前、皇居・宮中三殿で「期日奉告の儀」に臨み、
今秋に行われる国内外に即位を広く宣言する「即位礼正殿の儀」と、
即位後初めて行う新嘗(にいなめ)祭である「大嘗(だいじょう)祭」の日程を、
まつっている皇室の祖先などに報告された。

両陛下が代替わり後、宮中祭祀(さいし)を行うのは初めて。
皇后さまが三殿(賢所、皇霊殿、神殿)全てを回るのは、
二〇〇二年十二月の海外訪問からの帰国報告以来、約十七年ぶり。

 
天皇陛下は「黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)」と呼ばれる
天皇だけが着用を許される装束を初めてまとい、
皇祖神とされる天照大神(あまてらすおおみかみ)を
まつった賢所(かしこどころ)に拝礼。

即位礼正殿の儀を今年十月二十二日に、大嘗祭を同十一月十四~十五日に
それぞれ行うことを大和言葉で伝える「御告文(おつげぶみ)」を読み上げた。

皇位の証しとされる「三種の神器」のうち、剣と璽(じ)(勾玉(まがたま))を
侍従がささげ持った。

 
皇后さまは十二単(ひとえ)の略装に当たる
五衣(いつつぎぬ)・小袿(こうちぎ)・長袴(ながばかま)に身を包み、
髪は「おすべらかし」と呼ばれる伝統的な形にまとめ、陛下の後に続いて拝礼した。

 
両陛下は歴代天皇と皇族をまつる皇霊殿、
国中の神々をまつる神殿でも同様の所作で儀式を行った。

皇嗣(こうし)秋篠宮さまをはじめ皇族方、
安倍晋三首相ら三権の長や宮内庁幹部も参列した。

午後には初代天皇とされる神武天皇の陵と、
昭和、大正、明治、孝明の各天皇陵に同様の報告をする
陛下の使者を差し向ける「勅使発遣(ちょくしはっけん)の儀」が、
皇居・宮殿で行われる。


 (https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201905/CK2019050802000276.html )


 ( https://www.youtube.com/watch?v=KyII0MnWNDY )

           <感謝合掌 令和元年5月8日 頓首再拝>

「勅使発遣の儀」 - 伝統

2019/05/09 (Thu) 20:01:41

「勅使発遣の儀」

https://www.youtube.com/watch?v=3689UaqTgVU


秋の即位の礼と大嘗祭の期日を伊勢神宮と神武天皇陵、
昭和天皇はじめ前四代の天皇陵に報告するため、
天皇陛下が使者である勅使を派遣される「勅使発遣(はっけん)の儀」が
8日午後、皇居・宮殿「竹の間」で行われた。
 
宮内庁によると、午後2時、「御引直衣(おひきのうし)」という
白の装束を着た陛下が竹の間に入った。

「衣冠単(いかんひとえ)」という黒の装束を着て剣を下げた勅使に、
山本信一郎長官が、即位の礼と大嘗祭の期日を記した「御祭文(ごさいもん)」を手渡した。
陛下は勅使に対し「よく申してたてまつれ」と述べた。

【時事通信映像センター】


           <感謝合掌 令和元年5月9日 頓首再拝>

新帝陛下の直向(ひたむ)きなる眼差(まなざ)し~その1 - 伝統

2019/05/10 (Fri) 21:38:49


       *Web:Japan On the Globe(R01.05.05)より
            ~小柳左門『皇太子殿下のお歌を仰ぐ』から

1.「殿下の高い評価は言わずもがな。日本人だけが知らないのでは」

  新帝陛下が即位された。国内外からの慶びの声が寄せられた
  令和の明るいスタートを寿(ことほ)ぎたい。

  ただ、我が国の多くのマスメディアは、
  皇太子殿下時代の御事績をほとんど報道してこなかったので、
  陛下がどんな方なのか、あまり知られていない。

  たとえば、人類の直面する最も深刻な課題は水問題だが、
  陛下は水問題に関する国際会議の名誉総裁を務められたり、
  数々の基調講演をされている事をどれだけの国民が知っているだろうか。

  世界水会議のロイック・フォーション会長は、
  「皇太子殿下のご存在は、水の分野におけるオム・デタ (Homme d'Etat) だ」
  と述べている。日本語に訳せば「元首」であろう。

  天皇が日本国民の統合の象徴であるように、
  陛下は水問題に取り組む人々の連帯の象徴となられている。

  日本のあるジャーナリストが、海外の水問題の専門家に
  「海外での殿下の評価はどうか」と質問したところ、
  「どうしてそんな質問をされるのか。それは愚問というものだ。
  殿下の高い評価は言わずもがな。日本人だけが知らないのでは」と、
  やり込められる場面があった。

  国民が新帝陛下のお人柄を知れば、陛下を国民統合の中心として力を合わせ、
  「人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つ」という
  「令和」の理想の実現に向かう事ができる。

  そのための恰好の書籍が発行された。
  小柳左門(さもん)氏(公益社団法人・国民文化研究会参与)による
  『皇太子殿下のお歌を仰ぐ』である。

           <感謝合掌 令和元年5月10日 頓首再拝>

新帝陛下の直向(ひたむ)きなる眼差(まなざ)し~その2 - 伝統

2019/05/11 (Sat) 21:32:16


■2.「我学問の道ははじまる」

この本では陛下の22歳の頃からの歌会始めなどでの御歌、合計42首を紹介し、
短歌の素人にもよく分かるように簡潔・懇切な解説が添えられている。

たとえば、陛下が水問題に取り組まれるようになったきっかけは、
次の御歌から窺える[1, p62]。

 道 平成十年(一九九八) 御年三十七歳

   一本の杭(くい)に記されし道の名に我学問の道ははじまる

この御歌について、小柳氏はこう解説されている。


   皇太子殿下は、前記の『テムズとともに』のご著書の中で、
   初等科の低学年のときに赤坂御用地の散策中に「奥州街道」
   と書かれた標識を見つけ、鎌倉時代そこに街道が通っていたことを知って
   本当に興奮した、と記しておられます。

   そのころから「道」についてたいへんご興味を持つようになられ、
   母君と一緒に芭蕉の『奥の細道』を読破されたそうです。・・・
 
   ご著書には
   「私にとつて、道はいわば未知の世界と自分とを結びつける貴重な役割を担っていた」
   と述べておられます。[1, p63]


小学校低学年の頃の道へのご関心から、大学時代には水上交通のご研究に入られ、
そこから水問題へと、陛下の学問は広がっていった。

小柳氏は、陛下のご姿勢について、こう記されている。


   その感動や興味を持続し、これを核としてさらに広く深く求めようと
   努めておられる皇太子殿下の誠実な学問への姿勢に、
   あらためて尊敬の念を覚えます。[1, p64]

           <感謝合掌 令和元年5月11日 頓首再拝>

新天皇陛下が特別寄稿で吐露していた「子供時代」の複雑な心情 - 伝統

2019/05/12 (Sun) 21:39:30


        *Web:文春オンライン(2019年5月12日)より

「皇太子殿下は平安時代の牛車の研究をご熱心にされているらしい」
――しばらく前から歴史研究者の間でささやけれていた噂は本当だった。

新天皇陛下は即位の半年ほど前、秘かに執筆されていた論文を特別寄稿されていた。
掲載されたのは、霞会館(旧華族会館)が2018年12月に出版した『御料車と華族の愛車』。

非売品のためこれまで世間では知られることがなかったが、
この豪華本の巻頭に新天皇の論文「前近代の御料車――牛車と鳳輦・葱華輦――」
が掲載されている。


《街を自由に歩きたくとも、「それができないうらめしさ」》
 
冒頭に綴られているのは、
子供の頃に感じていた御料車に対するアンビバレントな心情だ。

〈車は、自分を短時間で遠いところへ連れて行ってくれる有難い存在であった。
一方で、子供時代の私は、街を自由に歩きたくても、
車があるためにそれができないうらめしさを、
少しばかり車に対して抱いてきたことも確かである〉

 
陛下と言えば、水の研究や海や川の水運のご研究が有名だ。
学習院大学では中世瀬戸内海の海運について、
留学先のオックスフォード大学では、テムズ川の水上交通史について
研究をまとめられている。

だが実は20年ほど前から学習院大学史料館の客員研究員として
平安時代から室町時代にかけて貴族が使っていた「牛車」の研究を続けられていた。

「前近代の御料車」はその研究をまとめたものなのだ。

論文の冒頭は、牛車に興味を持つようになったきっかけからはじまるが、
後半では、天皇と上皇の乗り物の違いについても興味深い指摘をなさっている。

 
御代替わりのこの時期にこのような論文を公表されたのは偶然だったのだろうか。
新天皇の素顔を知るうえで必読の読み物であることは間違いない。

詳しい内容は、友納尚子氏による「新天皇皇后『知られざる履歴書』」
(「 文藝春秋」6月号 )に記されている。

(「文藝春秋」編集部/文藝春秋 2019年6月号)

  ( https://news.infoseek.co.jp/article/bunshun_11882/ )

           <感謝合掌 令和元年5月12日 頓首再拝>

新帝陛下の直向(ひたむ)きなる眼差(まなざ)し~その3 - 伝統

2019/05/13 (Mon) 21:33:45


■3..「潮(しお)乗りこえし舟人偲ぶ」

陛下は学習院大学文学部史学科在学中、中世瀬戸内海の水運の研究をされた。
その一環であろう、広島県尾道から愛媛県今治あたりまで、
瀬戸内海を堰き止めるように島々が連なる中の鼻栗(はなぐり)の瀬戸にお立ち寄り、
次の御歌を詠まれた。

 橋 昭和五十七年(一九八二)年、御年二十一歳

  鼻栗の瀬戸にかかりし橋望み潮(しお)乗りこえし舟人(ふなびと)偲(しの)ぶ


   鼻栗の瀬戸は、瀬戸内海の大三島と伯方島の間の約350mの海峡で、
   潮の流れが速く瀬戸内海国立公園の白眉とも言われています。

   現在でこそ、"瀬戸内しまなみ海道"唯一のアーチ橋である大三島橋が
   架かっていますが、激しい潮流が渦をまき、さらに進路が急カーブを描く瀬戸は、
   かつての船の航行にとつては最大の難所のひとつでした。

   ましてや奈良時代(八世紀)以前の昔から重要な航路であった瀬戸を、
   人力の舟で渡るのは至難の業であつたでしょう。・・・
 
   鼻栗の瀬戸はたんなる風光明媚の対象ではなく、長い歴史の間には
   おそらく多くの舟人がこの瀬戸で遭難したことでしょう。

   今ではその上に立派な橋が架けられています。
   殿下はその幸を思いつつ、かつての人々の労苦を胸のうちに
   偲んでおられるのです。[1, p18]


鼻栗の瀬戸の潮流は約7ノットというから時速13キロほど。
我々の歩行スピードの2、3倍である。

そのスピードで進路が直角に曲がっている難所を「潮乗りこえし」と表現され、
水運に携わった「かつての人々の労苦」を偲ばれているのである。

           <感謝合掌 令和元年5月13日 頓首再拝>

「斎田点定の儀」 - 伝統

2019/05/14 (Tue) 20:48:44

皇居で「斎田点定の儀」 大嘗祭の米産地は栃木と京都に

      *日本経済新聞((2019/5/13)より


天皇陛下の皇位継承に伴う祭祀(さいし)「大嘗祭」で使うコメなどの産地を占う
「斎田点定の儀」が13日午前、皇居・神殿の前庭で行われた。

カメの甲を使った「亀卜(きぼく)」の結果で、
コメなどを育てる「斎田」を設ける都道府県が決まるとされ、
宮内庁は同日、栃木県と京都府に定めたと発表した。


新潟、長野、静岡から東側の18都道県を悠紀(ゆき)地方、
3県より西の29府県を主基(すき)地方と分け、
アオウミガメの甲を焼いて出来たひびによって
「悠紀田」「主基田」と呼ばれる斎田の場所を占った。


秘儀とされ、宮内庁はどのような亀裂によって判断するかは明らかにしていない。
平成の代替わりでは、悠紀地方から秋田県、主基地方から大分県がそれぞれ選ばれた。

儀式に先立ち、宮内庁は2018年秋、特別に捕獲が認められている
東京都小笠原村を通じてアオウミガメの甲を確保。

都内の熟練べっ甲職人に依頼し、縦24センチ、横15センチ、厚さ約1ミリの駒形に加工した。

 (https://www.nikkei.com/article/DGXMZO44705690T10C19A5CR0000/?n_cid=NMAIL007 )

<関連Web>

(1)時事通信
   https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190513-00000053-jij-soci

(2)皇居で斎田点定の儀 大嘗祭に使う米の収穫地決定
   https://www.youtube.com/watch?v=cm2axrTlErs


<参考Web>

「亀卜(きぼく)」は、現在では、御皇室と対馬の豆酘でしか見ることができない。
 http://www.tukinohikari.jp/mag/rireki/20190513.html

           <感謝合掌 令和元年5月14日 頓首再拝>

新帝陛下の直向(ひたむ)きなる眼差(まなざ)し~その4 - 伝統

2019/05/15 (Wed) 20:21:03


■4.「若人の影ゆれ映るテムズの水に」

その後、陛下は昭和58(1983)年から60(1985)年にかけて、
オックスフォード大学に留学して、テムズ川の水運史について研究された。

その際のご経験を詠まれたのが、次の御歌である。


  水 昭和六十一年(一九八六) 御年二十五歳

  オール手に艇(てい)競ひ行く若人の影ゆれ映るテムズの水に



   殿下が留学された英国のオックスフォード大学のボート部は強豪として有名ですが、
   毎年春になると、同じく英国のケンブリッジ大学との定期戦がテムズ川で行なわれて
   にぎわうとのことです。・・・
 
   殿下は一九八四年(昭和五十九)の三月のレースを船上から観戦されましたが、
   「川岸は見物人で埋め尽くされ、三十分にも及ぶレースのあいだ、
   歓声は途切れることがなかった」と、その盛況ぶりを書いておられます。・・・
 
   若人たちがボートを競っていっせいにオールを漕いでぐんぐんと進んでいく。
   テムズ川の水面に、その影が映って揺れている。

   テムズ川は一世紀半の時を超えて、伝統の競技の影を映し続けてきた、
   そのことも偲ばれるようなお歌です。[1, p31]


静かな川面には滑るように進むボートの波紋が広がっていたであろう。
その波紋の上に「若人の影ゆれ映るテムズの水に」と表現された。
情景が鮮やかに浮かんでくる。

水と人々の関わり合いの歴史の一コマである。

           <感謝合掌 令和元年5月15日 頓首再拝>

新帝陛下の直向(ひたむ)きなる眼差(まなざ)し~その5 - 伝統

2019/05/16 (Thu) 21:16:59


■5.「ヒマラヤの峰姿耀(かがよ)ふ」

陛下は、昭和六十二(1987)年3月に
ネパール、ブータン、インドの各国を親善訪問された。
その時にヒマラヤの峰をのぞむ湖畔の宿に泊まられ、その情景をこう詠まれた。

 晴 平成二年(一九九0) 御年二十九歳

  朝もやの晴れ上がりゆく湖にヒマラヤの峰姿耀(かがよ)ふ


   これから春を迎えようとして高原の宿はまだ寒い時期だったと思われますが、
   起床してのぞまれる湖に朝もやがかかり、陽が昇るとともに「もや」は晴れゆき、
   湖面に映るヒマラヤの峰がこまやかにきらめき揺れている。

   ヒマラヤには雪が降り積もり、その姿は雄大でさぞ美しかったことでしょう。
 
   あるがままに描写されていますが、
   その確かな表現によって情景が目に浮かぶようです。

   山を愛される殿下にとって、朝もやが晴れて山の峰にかかった雲もなく、
   素晴らしい朝を迎えることは大きなおよろこびであったにちがいありません。[1, p39]


この旅で回られたネパールでは、ヒマラヤの展望台として知られる
サランコットの丘付近で多くの女性や子供たちが水瓶を持って行列をつくっている
光景の写真を撮られた。

この時の写真を示されながら、
第一回アジア・太平洋水サミットの記念講演ではこう述べられた。


   「水くみをするのにいったいどのくらいの時間が掛かるのだろうか。
   女性や子どもが多いな。本当に大変だな」

   と素朴な感想を抱いたことを記憶しています。
 
   その後、開発途上国では多くの女性が水を得るための
   家事労働から解放されずに地位向上を阻まれており、
   子供が水くみに時間を取られて学校へ行けないという現実があることを知りました。

   また、地球温暖化問題の多くが、水循環への影響を通じて、
   生態系や人間社会に多大な影響を及ぼすことも知りました。

   このようにして、私は、水が、従来自分が研究してきた水運だけでなく、
   水供給や洪水対策、更には環境、衛生、教育など様々な面で
   人間の社会と生活と密接につながっているのだという認識を持ち、
   関心を深めていったのです。[a, p53]


ヒマラヤの展望台で美しい景色を眺められながらも、
女性や子供たちが水くみをする光景を見過ごさず、その苦労を偲ばれる。

陛下の水問題へのご関心は、こうした人々の苦労を偲ばれる所から始まっていった。

           <感謝合掌 令和元年5月16日 頓首再拝>

新帝陛下の直向(ひたむ)きなる眼差(まなざ)し~その7 - 伝統

2019/05/18 (Sat) 19:57:11


■6.「まっすぐな祈り」

陛下は平成5(1993)年に雅子様とご成婚になり、
翌年11月に、初めてお二人でご一緒にサウジアラビアをご訪問された。

その時に、おそろいで砂漠をお歩きになり、足下に咲く草花を見つけられた。
その時の御歌が以下である。


  生 平成二十一年(二〇〇九) 御年四十八歳

  水もなきアラビアの砂漠に生え出でし草花の生命たくましきかな


   皇太子殿下は、ご研究を通して水の大切さを熟知しておられます。
   まったく水もないような砂漠の原に、小さな草花が咲いている。
   それは殿下にとって大きな驚きでした。

   どんな環境の中でも生きていこうとしている草花がある、
   そのたくましい生命の力に、感銘を受けられたのです。[1, p96]


この御歌が発表されたのが、サウジアラビアへの旅から15年も経った
平成21(2009)年の歌会始であった。

皇后陛下はその数年前からご体調不良が続き、この歌会始めも欠席されていた。

そこで陛下はなぜ15年も前の御歌を発表されたのか。
『皇太子殿下―皇位継承者としてのご覚悟』(明成社)の著者の一人、
鈴木由充氏はこう書いている。


   それはサウジアラビアが妃殿下とともにご訪問になり、
   妃殿下とともにご覧になった国だったからという以外に
   私は答えを見つけることができない。

   そう考えると、このお歌も、
   どんな逆境にあっても必ず妃殿下のご回復を信じておられる、
   殿下のまっすぐな祈りが託されているように感じられ、新たな感動が湧いてきた。・・・
 
   とはいえ、殿下のお歌には、私的な感傷に浸るような響きは微塵もない。
   あくまでも、ご公務のひとコマを公人として切り出すことに徹しておられる。
 
   それは、テレビに映し出された皇太子殿下の、
   まっすぐに前を見つめ続けられる御眼のひたむきさそのままであった。[a, p58]

           <感謝合掌 令和元年5月18日 頓首再拝>

新帝陛下の直向(ひたむ)きなる眼差(まなざ)し~その7 - 伝統

2019/05/20 (Mon) 21:16:42


■7.「人々の唱ふ復興の歌」

平成25(2013)年6月、陛下はスペインを訪問された。

その際に、コリオ・デル・リオ市のビセンテ・ネイラ小学校の玄関ホールに
出迎えた人々が、東日本大震災からの復興を願ってつくられた
日本の合唱曲「花は咲く」を歌って、殿下をお迎えした。


 人 平成二十八年(二〇一六) 御年五十五歳

  スペインの小さき町に響きたる人々の唱ふ復興の歌



   異国の地で、震災にあつた自国の人々をなぐさめる歌を耳にされたということが、
   どれほどありがたいことか。殿下は深く感動されて、
   「花は咲く」を聞かれたことでしょう。

   そしてまた、このことを知った東北の人たちが、
   スペインの人々にどれほど感謝と親しみの心を感じたことでしょうか。
 
   震災からの復興を願うスペインの人々の歌声は、殿下のお歌を通して、
   きつと東北の人々の心にも届いたにちがいありません。[1, p117]


この年の歌会始には、皇后陛下も震災からの復興のお歌を詠まれた。

  ふるさとの復興願ひて語りあふ若人たちのまなざしは澄む


   前年の平成二十七年(二〇一五)の十月、皇太子同妃両殿下は、
   福島県に二年ぶりに行啓され、東日本大震災からの復興の様子をご覧になりました。

   そのおりに、地域の復興と、社会への貢献のために創立された
   「ふたば未来学園高等学校」をご訪間になりました。

   その際に生徒たちと直接お会いになり、お話をされましたが、
   生徒の真摯なまなざしに感じて、このお歌をお詠みになったということです。[1, p118]

           <感謝合掌 令和元年5月20日 頓首再拝>

天皇陛下、即位後初の田植え 皇居の水田で - 伝統

2019/05/21 (Tue) 21:11:56


      *Web:日本経済新聞(2019/5/20)より

天皇陛下は20日、皇居内の生物学研究所脇にある水田で、即位後初めて田植えをされた。
皇居での稲作は昭和天皇の時代から続く恒例行事。

今回は代替わりに伴い、
上皇さまが退位前の4月にまいた種もみから育った苗を陛下が植えられた。


陛下は水色の長袖シャツにグレーのズボン、
黒い長靴姿で宮内庁職員から苗を受け取って水田に入り、
腰をかがめて作業をされた。

この日はうるち米のニホンマサリともち米のマンゲツモチ計100株を植えられた。

今後は春の種もみまきや秋の稲刈りも含め、陛下が行われる。
例年秋に収穫されるコメは皇室の神事などに使われる。

   (https://www.nikkei.com/article/DGXMZO45024260Q9A520C1CR8000/ )

           <感謝合掌 令和元年5月21日 頓首再拝>

天皇陛下の即位パレード、コースが決定 政府 - 伝統

2019/05/22 (Wed) 18:38:43


      *Web:日本経済新聞(2019/5/21)より

政府は21日、天皇陛下の即位を披露する
10月22日のパレード「祝賀御列の儀」のコースを決めた。

皇居・宮殿を出発後、二重橋前交差点、国会議事堂正門前、国立国会図書館前、
平河町交差点などを経て、青山通りからお住まいの赤坂御所(東京・港)に至る行程だ。
全長4.6キロメートルを30分ほどかけてオープンカーで走行する。

首相官邸で開いた皇位継承に関する式典委員会(委員長・安倍晋三首相)で決定した。


パレードは即位を国内外に宣明する即位礼正殿の儀の後に催す。
天皇、皇后両陛下のほか、秋篠宮ご夫妻や首相、菅義偉官房長官らを乗せた車両も列に加わる。

1990年11月の上皇ご夫妻の「祝賀御列の儀」では
皇居・宮殿から三宅坂交差点、青山通りを通って赤坂御所までをパレードした。
沿道から約11万7千人が祝福した。

今回も同規模の人数に対応できるように警備態勢を敷く。

コースは前回の祝賀御列の儀を踏襲しつつ、一部を見直した。
高速道路の高架下を進む三宅坂交差点から都道府県会館の前を進んだ前回の経路を避け、
国会議事堂正門前から憲政記念館前交差点を左折し、国立国会図書館前を通って
平河町交差点に抜けるコースを採用した。

政府関係者は「より開放的な空間をパレードできる」としている。

式典委では10月23日に都内のホテルで開く
首相夫妻主催の晩さん会での文化行事の演目も決めた。

狂言師の野村萬斎さん、歌舞伎俳優の市川海老蔵さん、
文楽人形浄瑠璃の人形遣いの吉田玉男さんが同一演目を共演する。
演目は五穀豊穣(ほうじょう)を祈り舞う「三番叟(さんばそう)」。

能楽師の観世清和さんと三郎太さん親子による能も披露される。


4月30日から5月1日にかけて執り行った皇位継承を巡る儀式の参列者数も公表した。
退位礼正殿の儀に294人、剣璽等承継の儀に26人、
即位後朝見の儀に292人がそれぞれ参列した。

 ( https://www.nikkei.com/article/DGXMZO45068300R20C19A5MM8000/?n_cid=NMAIL007 )

           <感謝合掌 令和元年5月22日 頓首再拝>

新帝陛下の直向(ひたむ)きなる眼差(まなざ)し~その8 - 伝統

2019/05/23 (Thu) 18:41:24


■8.陛下の直向きな眼差し

5月1日の即位後朝見の儀でお言葉を述べられた新帝陛下は、
皇太子殿下の頃とは別人のような風格を感じさせた。

「この身に負った重責を思うと粛然たる思いがします」と
述べられた御覚悟が容貌にも現れたのだろう。

しかし、そのまっすぐな眼差しは皇太子時代と変わりはなかった。
その直向(ひたむ)きさは、ここにご紹介した御歌からも窺えるように、
陛下の幼い頃からの生き方そのものだからだろう。

令和の時代に我が国は安全保障、災害対策、少子高齢化など
多くの課題に向き合っていかなければならないが、
我々国民も陛下に習って、「真摯なまなざし」で力を合わせていくべきだ。

それが「人々が美しく心を寄せ合う中で、
文化が生まれ育つ」という「令和」の理想を実現していく道である。

(文責 伊勢雅臣)

■リンク■

a. 伊勢雅臣『世界が称賛する 国際派日本人』、育鵬社、H28
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4594075681/japanontheg01-22/
アマゾン「日本史一般」カテゴリー1位 総合61位(H28/9/13調べ)
アマゾン・カスタマー・レビュー 62件、5つ星のうち4.9


■参考■(お勧め度、★★★★:必読★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

1. 小柳左門『皇太子殿下のお歌を仰ぐ』★★★、展転社、H31
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/488656478X/japanontheg01-22/

・・・

以上で、 Web:Japan On the Globe(R01.05.05)からの紹介を終えます。

           <感謝合掌 令和元年5月23日 頓首再拝>

皇后雅子さまの外交デビューに「もっと別のことに期待すべき」の声 - 伝統

2019/05/25 (Sat) 18:53:32


         *Web:AERA (2019.05.25)より

天皇、皇后両陛下は、5月27日午前、令和初の国賓となる
トランプ米大統領と皇居で会見する。

お二人にとっては、これが天皇、皇后としての皇室外交デビューとなる。
雅子さまが外務省出身ということもあり、皇室外交の発展も期待されるが、

ロバート・キャンベルさんは、AERA増刊「ドキュメント新天皇誕生」の中で、
「別のことに期待すべき」と語る。


国民統合の象徴としての天皇にとって、最も重要なことは「祈り」と「継承」です。

祈りとは、この日本列島で暮らすすべての人々の安寧と安定と繁栄を祈ること。

継承とは、天皇も一部を占める日本のさまざまな文化を、
天皇が刻む歳月の中で継承していくことだと思います。

先の天皇は2016年のビデオメッセージでとくに「祈り」に関して、
被災地訪問や慰霊の旅などの行動によって「祈りを充足するのだ」
という非常に能動的なメッセージを伝えられました。

反転させると、そこに「天皇とは何か」を逆に読み取ることができます。

メッセージの中で「寄り添う」という言葉を使われていましたが、
これは皇居の中から祈り、思いを馳せながら寄り添うだけではなく、
実際に当事者と会って言葉を交わすということ。

それを皇太子時代からずっと続けてこられました。
絶えず自分の目と耳と触感とで物事を確かめるという、
きわめて実証的な資質をお持ちだった。

 
それをずっとそばで見てこられた新天皇も、
その姿勢を基盤とされるのではないでしょうか。

在位中に、災害など予想できない出来事も起きるでしょう。
「祈りを充足する言動とは何か」を、雅子さまとお二人で模索していかれることで、
「国民統合の象徴としての天皇とは何か」についての自らの理解が
日々、少しずつ更新されていくと思うんです。

受け継がれるであろう「寄り添う」という言葉に加えて、
私が令和の時代のキーコンセプトとして挙げたいのが、「多元性、多様性」です。

日本はアメリカやブラジル、あるいはイギリスのように、
国民が明らかに分断している状況にはまだありませんが、
早晩、その力が働くであろう兆候はあります。

人々が共通の土俵の上で物事を語り合ったり対立を超えて
何かを作ったりしていくことが、困難になってくるかもしれません。

そうした中で多元的で多様な社会を着実に実現していくには、
戦後、どのような政治的対立にも与しない存在であり続けた
天皇・皇后の存在と行動と言葉が、大きな力になるのではないでしょうか。


雅子さまは、外務省に入った経験や育った環境からしても、
多くの人々は当然皇室外交の発展を期待します。
けれども、それをあまり背負わせてもいけないと思います。

人は誰しも変わるんです。
とくに結婚されて以来、ご苦労されている部分があるとすれば、
「こういうふうに海外に発信してほしい」とか
「それをしないのはなぜなのか」などと求めるのではなく、
自分ができることを一歩ずつなされていくことを期待すべきだと思うんですね。

 
皇后になった人の過去と、持っているに違いない知識や経験を、
今後のご公務や皇后としてのあり方に直接反映するということについて、
私はそれを当然視したくはない、と考えます。

とくに皇后は快復の途上にありますから、
折々のご自身の現実を、私たちにも見えるように、
無理をしないように公務をしていかれること。

そして私たちは一人ひとりの市民として、それを静かに見守っていけたらと思います。

  ( https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190524-00000095-sasahi-soci )

           <感謝合掌 令和元年5月25日 頓首再拝>

米、変わる天皇像 「戦時の指導者」から「平和の象徴」へ - 伝統

2019/05/26 (Sun) 19:29:01


        *Web:日本経済新聞(2019/5/26)より

トランプ米大統領は27日、元号が令和になって初めての国賓として天皇陛下と会見する。

米国からみた天皇の存在は昭和から平成を経た戦後70年あまりで大きく移り変わってきた。

天皇制に詳しい歴史家のキャロル・グラック米コロンビア大教授とともに、
その変遷を振り返る。


太平洋戦争終結から1カ月半たった1945年9月27日、
連合国軍総司令部(GHQ)の最高司令官ダグラス・マッカーサーは
昭和天皇を米国大使館に迎えた。

ゆったりと腰に手をあてるマッカーサーの隣で直立する
昭和天皇の写真が新聞に掲載されると、日本国民に衝撃が広がった。

占領下にあった当時の日米関係を象徴する光景と受け止められた


当時、米国で天皇は
「ドイツのヒトラーやイタリアのムッソリーニと並ぶ戦時の指導者の1人」(グラック氏)
に映っていた。

GHQはその後、連合国の一部にあった昭和天皇の戦争責任を追及する意見や譲位論を退けたが、
米退役軍人らを中心にネガティブな感情は根強かった。


戦後の日米関係の深まりとともに、否定的なイメージは少しずつ和らいでいく。

グラック氏は大きな転機として、昭和天皇による1975年9~10月の初の公式訪米を指摘する。

このとき、昭和天皇はカリフォルニア州のディズニーランドを訪問。
米国を代表するキャラクターであるミッキーマウスと並んで歩いたり、
子どもと一緒に手をたたきながらパレードを見たりする光景が米メディアに報じられ、
米国民に親しみやすい印象を与えた。


2015年に機密指定が解除された外交文書によると、
日本政府があらかじめ訪問場所を慎重に選んでいた実態が浮かび上がる。

ロサンゼルスでの訪問先に関し、在米日本大使館は
「暴力と悪のイメージが関係するハリウッド」ではなく
「幸せや喜びを連想させるディズニーランドの方が良い」とする報告を本国に伝えていた。


71年の欧州7カ国歴訪の際、
昭和天皇は訪問先で魔法瓶や生卵を投げつけられたことがある。

外務省はこうした失敗を繰り返さないよう、
昭和天皇のイメージ向上を意識して訪米の準備にあたった。


89年に昭和天皇が崩御して上皇さまが即位すると、
米国からみた天皇像はさらに変わった。

天皇在位中の上皇さまは様々な活動を通じ、戦争の悲惨と平和への思いを訴えてこられた。
これらの積み重ねによって「天皇は戦争と真反対の『平和の象徴』になった」

(グラック氏)


時代は令和に移り、
新たに即位された天皇陛下を米国はどのように見つめることになるのか。

27日のトランプ氏との会見は、新たな歴史を形づくる第一歩となる。

(ワシントン=永沢毅)

           <感謝合掌 令和元年5月26日 頓首再拝>

両陛下、初の国賓トランプ氏と会見へ 宮殿で歓迎行事 - 伝統

2019/05/27 (Mon) 07:37:21


     *Web:日本経済新聞(2019/5/27 )より

天皇、皇后両陛下は27日午前、皇居・宮殿「竹の間」で
国賓として来日したトランプ米大統領夫妻と会見される。
外国賓客との会見は即位後、初めて。

宮内庁によると、大統領夫妻は午前9時すぎ、宮殿に専用車で到着。
両陛下は車寄せで出迎えられる。

最初に歓迎行事が行われ、米国国歌と君が代の吹奏後、
大統領は儀仗(ぎじょう)隊の栄誉礼を受ける。

この後、両陛下は大統領夫妻とともに「竹の間」に移動し、会見に入られる。
双方の贈進品の交換も行われる。


同日夜には、両陛下主催の宮中晩さん会が宮殿「豊明殿」で開催される。
政財界や日米交流にゆかりの深い文化人などが招かれ、168人の出席が予定されている。

晩さん会の冒頭で天皇陛下がお言葉を述べられ、トランプ大統領もスピーチする。

トランプ大統領は2017年11月、国賓、公賓に次ぐ「公式実務訪問賓客」として来日し、
メラニア夫人とともに皇居・御所を訪れ、上皇ご夫妻と会見している。

    (https://www.nikkei.com/article/DGXMZO45227370U9A520C1MM0000/?n_cid=NMAIL007 )

           <感謝合掌 令和元年5月27日 頓首再拝>

両陛下がトランプ米大統領と会見 令和初の国賓 - 伝統

2019/05/27 (Mon) 13:03:24


       *Web:日本経済新聞(2019/5/27)より

天皇、皇后両陛下は27日午前、皇居・宮殿「竹の間」で国賓として来日した
トランプ米大統領夫妻と会見された。

国賓との会見は即位後、初めてとなる。

大統領夫妻は午前9時20分すぎ、宮殿に専用車で到着した。
大統領は、車寄せで出迎えられた両陛下と目が合うと、
笑顔で会釈し「Nice to meet you」と声をかけた。

両陛下は大統領夫妻と握手を交わし、
英語で話しながら宮殿内で皇位継承順位1位の秋篠宮さまご夫妻らを紹介された。

歓迎行事では米国国歌と君が代が吹奏され、
大統領は陸上自衛隊の儀仗(ぎじょう)隊による栄誉礼を受けた。

この後、両陛下は大統領夫妻とともに「竹の間」に移動し、会見された。
会見は当初の予定時間を超過して行われた。

午前10時15分ごろ、大統領夫妻は両陛下の見送りを受けて宮殿を離れた。

 (https://www.nikkei.com/article/DGXMZO45227370U9A520C1MM0000/?n_cid=NMAIL007 )

           <感謝合掌 令和元年5月27日 頓首再拝>

即位後初の宮中晩餐会 - 伝統

2019/05/28 (Tue) 05:04:43

自然体で親善深められ 即位後初の宮中晩餐会

       *Web:産経新聞(2019.05.27)より

令和最初の国賓として来日中のトランプ米大統領夫妻は27日夜、
天皇・皇后両陛下主催の宮中晩餐(ばんさん)会に出席した。

午前には歓迎行事と会見も行われ、英語がご堪能な両陛下にとって
即位後初の国際親善の場は和やかなムードで進んだ。

一方、トランプ大統領は晩餐会に先立ち、北朝鮮による拉致被害者家族とも面会。
「(拉致は)いつも私の頭の中にある」との大統領の強い言葉に、
被害者家族は「勇気をもらった」と期待に胸を膨らませた。


午後7時35分過ぎ、皇居・宮殿「豊明殿(ほうめいでん)」。
芝祐靖(すけやす)氏作曲の「親愛」が流れる中、
両陛下はにこやかな笑みをたたえながらトランプ大統領夫妻とともに会場に入られた。

即位後初となる宮中晩餐会でのお言葉で、
天皇陛下は日米の関係を「極めて親しい隣国」「強い友情の絆(きずな)」とご表現。

平成23年の東日本大震災支援で、米国軍人が参加した「トモダチ作戦」を挙げ
「格別の温かい支援を頂いたことを、私たちは決して忘れることはないでしょう」
と謝意を伝えられた。

トモダチ作戦への謝意や両国間の歴史の文言は、
26年に当時のオバマ大統領を迎えた晩餐会の席で上皇さまも述べられており、
陛下が踏襲された形となった。

一方、陛下は昭和45年の大阪万博で「月の石」を見たことや、
60年の英国留学の帰途に訪米した経験をご披露。
皇后さまも幼少期を米国で過ごされたことを紹介し
「懐かしさと共に、特別の親しみを感じています」と話された。

最後は上皇ご夫妻が先の大戦の慰霊と国際親善に努められてきたことに触れ
「日米関係が、多くの人々の犠牲と献身的な努力の上に築かれていること」を
胸に刻むとご指摘。

将来に向け、両国が
「世界の平和と繁栄に貢献していくことを切に願っております」と述べられた。

「自然体」を貫かれ、穏やかな口調での歓迎の言葉に
トランプ大統領は静かに聞き入っていた。

 
これに先立つ午前9時20分、両陛下は宮殿の南車寄せで大統領専用車から降り立った
トランプ夫妻に英語でごあいさつ。
陛下は大統領、続いてメラニア夫人と笑顔で握手を交わされた。

続く歓迎行事では、陛下が大統領の進む方向を示して導かれる様子もみられた。

両陛下はそのまま夫妻を宮殿に招き入れ、会見に臨まれた。
宮内庁によると、両陛下の自然体の歓迎を受けてか、
大統領は平成29年11月に上皇ご夫妻と会見した際のような緊張は見られず、
リラックスした雰囲気だったという。

陛下は約15分にわたるご懇談で
「昨日は相撲をご覧になられましたが、いかがでしたか」と話題を振られる場面も。

相撲をご覧になるかとの質問に
「大統領が昨日ご覧になったほど、近くでは見ません」と
親しみを込めて返す余裕も見せられた。

会見では贈り物の「御贈進品」の交換も行われた。
大統領夫妻から陛下が趣味で演奏されるビオラが贈られた際は、
皇后さまが陛下に「今夜お弾きになられたら」とユーモアを交えて話すなど、
和やかな雰囲気を演出された。

 (https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190527-00000596-san-soci )

・・・

令和時代の新皇室像、英語でトランプ夫妻と語り合う

        *Web:日刊スポーツ(2019.05.27)より

天皇、皇后両陛下は27日、令和最初の国賓として来日したトランプ米大統領夫妻を、
新時代の皇室流でおもてなしした。

ともに堪能な英語を駆使して、通訳を交えずに会話。
宮中晩さん会では、陛下が日米関係の繁栄に強い期待を示し、
自身や外交官出身で海外生活が長い皇后さまと米国の縁に触れ、
「令和皇室」像を体現した。

皇后さまは笑顔と気遣いを絶やさず、本格的に「皇后外交」デビュー。
晩さん会後の懇談にも、久しぶりに出席した。

   ◇   ◇   ◇

天皇陛下と皇后さまは27日夜、
皇居・宮殿の「豊明殿(ほうめいでん)」で宮中晩さん会を催した。
陛下はメラニア夫人、皇后さまはトランプ氏の隣に着席。自然に英語で会話した。

陛下はあいさつで
「(両国民が)揺るぎない絆をさらに深め、希望にあふれる将来に向けて、
世界の平和と繁栄に貢献していくことを切に願っている」と述べた。

85年、英国留学の帰途に訪米し、レーガン大統領にもてなしを受けた経験や、
皇后さまが幼少期や学生時代を米国で過ごしたことに触れ、
「貴国に懐かしさとともに、特別の親しみを感じている」と語った。


ベージュのロングドレスの皇后さまは食事が始まると、トランプ氏と和やかに談笑。
晩さん会では食後に出席者が別の部屋で懇談する場(後席)が設けられるが、
この日、療養に入る直前の03年10月以来となる出席を果たした。
これまでは起立した状態での懇談は負担が大きいとされていた。

これに先立つ歓迎行事と会見には、オフホワイトのスーツ姿で臨んだ。
陛下がトランプ氏と話す横で、メラニア夫人と互いの子どもの教育などについて約15分、
終始英語で語り合った。
高いヒールのくつをはいた夫人の足元を気遣い、エスコートする場面もあった。


5月1日に即位されたばかりの陛下にとって、代替わり後、初の本格的な国際親善の場。
それは皇后さまも同じだ。海外生活が長く、外交官として世界とつながってきた。
豊富な海外経験を「皇室外交」に生かすことへの思いを持ちながらも、
皇太子妃時代にはなかなか実現しないことへの戸惑いを、会見で口にされたこともあった。

療養生活は今も続いているが、陛下とともに英語を駆使しながら笑顔で国賓をもてなす姿は、
令和の新たな皇室像をあらためて示した。

宮内庁によると、トランプ夫妻から陛下に楽器のビオラ、
皇后さまに母校ハーバード大ゆかりの木でつくられたペンが贈られたが、
皇后さまが「陛下、今夜(ビオラを)お弾きになられたら?」と、
ユーモアたっぷりに提案する場面もあったという。

両陛下は夫妻に濃い青色の飾り鉢、金細工を施した飾り箱を、大統領夫妻に贈った。

一連の行事は午後10時前に終了。両陛下は夫妻が乗った車を、玄関前で手を振りながら見送った。

  (https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190527-05270867-nksports-soci )

           <感謝合掌 令和元年5月28日 頓首再拝>

宮中晩さん会陛下お言葉~全文 - 伝統

2019/05/28 (Tue) 19:00:02

「貴国に懐かしさと特別の親しみ」 米大統領宮中晩さん会陛下お言葉

       *Web:毎日新聞/朝日新聞 (2019.05.27)より

天皇、皇后両陛下が27日、トランプ米大統領夫妻を迎えて主催された宮中晩さん会。
天皇陛下は冒頭のあいさつで、かつて米国を訪問した際の思い出や、
皇后さまが米国に暮らしたことを紹介し
「私どもは貴国に対し、懐かしさと共に、特別の親しみを感じています」と述べた。

即位後初めてとなった晩さん会は和やかな雰囲気に包まれた。

午後7時35分ごろ、
両陛下は大統領夫妻と並んで会場となった宮殿で最も広い「豊明殿」に入った。

陛下はタキシード、皇后雅子さまはロングドレス姿で、
大統領夫妻と隣り合って着席した。

晩さん会には秋篠宮ご夫妻ら皇族方や安倍晋三首相ら三権の長のほか、
両国に研究拠点を置く山中伸弥・京都大iPS細胞研究所長ら計165人が出席した。

 
陛下はあいさつで、米国との最初の思い出が10歳だった
1970年に訪れた大阪万博の「アメリカ館」で見た月の石だったことを明かした。

両国の関係に言及するなかで2011年の東日本大震災での米国の支援について
「『トモダチ作戦』をはじめ、格別の温かい支援を頂いたことを、
私たちは決して忘れることはないでしょう」と感謝した。

日米関係は「多くの人々の犠牲と献身的な努力の上に築かれている」とも指摘し、
つながりがさらに深まっていくことを願った。

 
米大統領が晩さん会に出席するのはオバマ氏以来5年ぶり7回目。
返礼のあいさつに立ったトランプ氏は

元号「令和」が万葉集に由来することに触れ、

「古い和歌を日本の子供たちが受け継いできたように、
私たちの同盟も受け継がれてきた豊かな財産であり、
子供たちに受け継いでいかなければならないものであることを心にとどめています」

と述べた。

両陛下は28日午前、帰国前の大統領夫妻をホテルに訪ね、別れのあいさつをする予定。

【高島博之、稲垣衆史】

 
◇リンドバーグとの交流「鮮明に」

トランプ米大統領を迎えた宮中晩さん会での天皇陛下のお言葉は次の通り。(全文)

 
この度、アメリカ合衆国大統領ドナルド・トランプ閣下が、令夫人と共に、
我が国を再びご訪問になりましたことを心から歓迎いたします。

特に、私が皇位を継承してから最初の国賓として、
こよい、大統領ご夫妻を晩さん会の席にお迎えすることができ、うれしく思います。

我が国が、鎖国を終えて国際社会に足を踏み出したのは、
今から165年前の1854年に、貴国との間で日米和親条約を締結したことに始まります。

それ以来、日米両国とその国民は、さまざまな困難を乗り越え、相互理解と信頼を育み、
今や太平洋を隔てて接する極めて親しい隣国として、強い友情の絆で結ばれております。

特に近年、両国の関係が、政治や経済にとどまらず、
芸術、文化、スポーツ、最先端技術など、幅広い分野で深みを増していることを、
喜ばしく思います。

また、日米両国が困難な時に互いに助け合える関係にあることは大変心強く、
とりわけ、8年前の東日本大震災の折に、2万人を超える貴国軍人が参加した
「トモダチ作戦」をはじめ、貴国政府と貴国国民から、
格別の温かい支援を頂いたことを、私たちは決して忘れることはないでしょう。

 
貴国と皇室との交流の歴史にも、また特別なものがあります。
私の祖父である昭和天皇は、香淳皇后とご一緒に、1971年、
ご即位後初めての外国ご訪問の途次に立ち寄られたアラスカにおいて、
ニクソン大統領ご夫妻より、

そして、1975年にご訪米をされた折には、フォード大統領ご夫妻より、
それぞれ歓迎を頂きました。

また、私の両親である上皇、上皇后両陛下も、
皇太子時代の1960年に初めて貴国を公式訪問された折には、
アイゼンハワー大統領ご夫妻はじめの歓待を受けられたほか、

ご即位後の1994年には、国賓として、クリントン大統領ご夫妻をはじめ
貴国の国民から手厚くおもてなしいただいたとうかがっています。

 
私自身の貴国との最初の思い出は、1970年の大阪万博であり、
当時私は10歳でしたが、月の石を間近に見たことや、
チャールズ・リンドバーグ飛行士に、水上飛行機シリウス号の操縦席に
乗せていただいたことを、今でも鮮明に覚えています。

その後、1985年に、英国留学の帰途、貴国を初めて長期に訪れた折には、
レーガン大統領から温かくお迎えいただきました。
マンハッタンの摩天楼、サンフランシスコやニューオーリンズの街並み、
グランドキャニオンの威容など、都市や自然のスケールの大きさと多様性に
強い印象を受けたことが懐かしく思い起こされます。

皇后も、幼少の時期をニューヨークで、また、高校、大学時代を
ボストン郊外で過ごしており、私どもは貴国に対し、
懐かしさと共に、特別の親しみを感じています。

 
トランプ大統領ご夫妻が、前回のご訪問の折にお会いになった上皇陛下は、
天皇としてご在位中、平和を心から願われ、上皇后陛下とご一緒に、
戦争の犠牲者の慰霊を続けられるとともに、国際親善に努められました。

今日の日米関係が、多くの人々の犠牲と献身的な努力の上に築かれていることを
常に胸に刻みつつ、両国の国民が、これからも協力の幅を一層広げながら、
ゆるぎない絆を更に深め、希望にあふれる将来に向けて、
世界の平和と繁栄に貢献していくことを切に願っております。

 
日本は、今、緑の美しい季節を迎えています。
大統領ご夫妻の今回のご滞在が、楽しく、実り多いものとなることを願うとともに、
お二方のご健勝、そして、アメリカ合衆国の繁栄と貴国国民の幸せを祈り、
杯を上げたく思います。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190527-00000066-mai-soci

https://www.asahi.com/articles/ASM5W4WV9M5WUTIL023.html?ref=yahoo

           <感謝合掌 令和元年5月28日 頓首再拝>

雅子さまとメラニア夫人の「チークキス」に見る高レベル外交 - 伝統

2019/05/30 (Thu) 18:42:07


      *Web:NEWSポストセブン( 2019年5月30日 )よリ

すっかり夜の帳が下りても、記録的な日中の暑さの名残はいつまでも皇居を包み込み、
その夜の興奮を伝えていた。

5月27日の夜10時前、皇居・宮殿の南車寄せに、
漆黒の米大統領専用車「ビースト」が停まった。

宮殿から姿を見せたのは、天皇皇后両陛下と
ドナルド・トランプ米大統領(72才)夫妻だった。

19時30分過ぎから宮殿「豊明殿」で開かれた宮中晩餐会、
そして食後に「春秋の間」にてお茶を飲みながら歓談する「後席」を終え、
両陛下が夫妻の見送りに出られた。

皇后雅子さまが晩餐会の後席に出席されたのは、
2003年10月以来、約16年ぶりのことだ。

玄関で立ち止まったトランプ氏はゆっくりと息を吸い込むと、
陛下の手を握り、お礼の言葉を述べた。

続いて雅子さまに笑顔を向け、思いがけず、じっくり時間をかけて声をかけた。
雅子さまが何度もうなずいて応えられる。

驚かされたのは、その様子を見ていたメラニア夫人(49才)の名残惜しそうな表情だ。

その日の午前中、同じ宮殿南車寄せで初めて両陛下と顔を合わせた時の
クールな顔つきとは打って変わって、親しみの表情を浮かべて、
雅子さまに声をかけて歩みよった。

その瞬間、雅子さまは自ら夫人の手を握り、顔を寄せられた。
夫人も自然にそれに応え、両?を軽く触れ合わせるチークキスを交わされた──。

日米外交関係者が言う。

「雅子さまはトランプ夫妻とほぼ初対面ですが、
短い時間でそこまで打ち解けられたことは驚きです。
ただ、チークキスが持つ意味はそれだけではありません。

通常、フランス人などヨーロッパの人たちは挨拶でチークキスをする慣習がありますが、
アメリカ人はほとんどしません。
雅子さまはアメリカに長くお住まいだったので、当然それをご存じでしょう。

しかし、メラニアさんは東欧スロベニアの出身で、
親しい友人にはチークキスをする文化がある。
雅子さまは、そこまでご存じの上で、自ら自然な形で親愛の情を示されたのでしょう。

相当に高いレベルの外交の技術をお持ちだということです」

 
その日、初めてじっくりと両陛下と言葉を交わしたトランプ夫妻も、
令和時代の「日本の天皇家の力」を驚きとともに実感したようだった。

27日午前9時過ぎ、トランプ氏は、天皇陛下即位後最初の国賓として、
皇居・宮殿「竹の間」で会見を行った。

まず玄関で迎えられた両陛下の横に、
今まで天皇皇后の国際親善の場にいたはずだった「通訳」がいない。

英語で挨拶をされると、宮殿に入られる際には、
雅子さま自らメラニア夫人に手を添えてエスコートする場面もあった。

室内で待機されていた秋篠宮ご夫妻や安倍晋三首相夫妻のことも、両陛下自らご紹介された。

その瞬間だった。

身長190cmと大柄なトランプ氏が、常に笑みをたたえて
堂々とホストを務められる陛下の存在感に圧倒されたのか、
背筋を伸ばし、スーツのジャケットのボタンを留めて居住まいを正したのだ。

「トランプ氏は他国の国家元首などと重要な会議や会見を行う時に、
ジャケットのボタンを留めず、ラフな雰囲気であることも多い。
しかし、今回は身なりを整え、礼を尽くさなければならないというオーラを、
陛下から感じ取られたのだと思います」(皇室記者)

 
さらに意外な様子は続く。両陛下は竹の間で着席されてからも、
トランプ氏とメラニア夫人にそれぞれ、通訳なしで話しかけ続けられたのだ。
途中、通訳が後ろについたが、通訳は両陛下の会話を聞いて、うなずくだけだった。

「陛下は通訳の存在を忘れるほど熱心に会話され、途中で気づかれると、
陛下が通訳の日本人男性をトランプ氏に紹介されるというシーンもありました」
(前出・皇室記者)

※女性セブン2019年6月13日号

    ( https://news.infoseek.co.jp/article/postseven_1382116/?p=1 )

           <感謝合掌 令和元年5月30日 頓首再拝>

両陛下 天皇皇后として初の地方訪問 きょうから愛知県へ - 伝統

2019/06/01 (Sat) 19:12:57


        *Web:NHK(2019年6月1日)より

天皇陛下が即位されて1日で1か月となりました。

天皇皇后両陛下は「全国植樹祭」に出席するため、
1日から2日間の日程で愛知県を訪問されます。
天皇皇后として初めての地方訪問となります。

両陛下は1日、新幹線で愛知県に入り、
知事から県勢の概要について説明を受けられます。

続いて、あま市を訪れ、特産の七宝焼を紹介する施設で、
作品をご覧になったり、作品作りを体験する地元の小学生たちと触れ合われたりします。

夕方からは宿泊先のホテルで、全国植樹祭の関連行事に臨まれます。


2日目の2日は、尾張旭市の愛知県森林公園で70回目を迎えた植樹祭の式典に出席され、
天皇陛下がおことばを述べられます。

そして、お二人で記念の植樹に臨み、
スギやシデコブシなどの苗木を植えられることになっています。

このあと、岡崎市にある障害のある人たちの治療や生活支援を行う施設も訪れ、
特別機で帰京されることになっています。

両陛下にとって、今回が天皇皇后として初めての地方訪問となり、
各地で地元の人たちと交流されます。


《植樹祭 上皇さまと同じ形で行事に臨むことに》

「全国植樹祭」は、戦後の荒廃した国土の復興を目指し、
昭和25年、山梨県で最初の大会が開かれました。

緑豊かな国づくりを願った昭和天皇は、昭和62年の38回目まで、
各都道府県の持ち回りで行われる大会に出席し続けました。

あとを継いだのが上皇さまで、上皇后さまとともに毎年、植樹祭に出席し、
森林の大切さについて人々の理解が深まることを願われました。

そして、先月1日の皇位継承に伴って、
天皇陛下が植樹祭の出席を受け継がれました。

天皇陛下は、上皇さまと同じ形で行事に臨むことになっていて、
大会当日の式典のほか、前日には大会関係者らのレセプションに出席し、
国土緑化運動・育樹運動のポスター原画コンクールなどで入賞した作品をご覧になります。

平成21年以降、上皇さまの負担軽減のため、
植樹祭の式典でのおことばは取りやめられていましたが、
主催する愛知県からの要望を受け、天皇陛下は今回、式典でおことばを述べられます。


《天皇陛下 上皇さまの思い受け継ぐ考えを明確に》

天皇陛下はこれまで、上皇さまと同じように、各地への訪問などを通じて
多くの国民と接することが大切だという考えを表されています。

退位した上皇さまは、全国各地に足を運んで国民と直接触れ合うことを大切にし、
在位中、上皇后さまとともに、全国47すべての都道府県を二巡されました。

上皇さまは3年前のビデオメッセージで
「私はこれまで天皇の務めとして、何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを
大切に考えて来ましたが、同時に事にあたっては、時として人々の傍らに立ち、
その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました」と述べ、
象徴の務めを果たすうえで、一貫して大切にしてきた考えを表されました。

天皇陛下は、こうした上皇さまの思いを受け継ぐ考えを明確に示されています。

おととしの誕生日にあたっての記者会見では、
上皇さまのビデオメッセージを振り返ったうえで
「ふだんの公務などでも国民の皆さんとお話をする機会が折々にありますが、
そうした機会を通じ、直接国民と接することの大切さを実感しております」と話されました。

そして「両陛下がまさになさっておられるように、国民に常に寄り添い、
人々と共に喜び、共に悲しむ、ということを続けていきたい」と述べられました。

また、即位を前にしたことし2月の記者会見では、ご自身の地方訪問を振り返り
「国民の中に入り、国民に少しでも寄り添うことを目指し、行く先々では
多くの方々のお話を聴き、皆さんの置かれている状況や関心、
皇室が国民のために何をすべきかなどについて的確に感じ取れるように、
国民と接する機会を広く持つよう心掛けてまいりました」と話されました。

そのうえで
「こうしたことは、今後とも自分の活動の大きな柱として大切にしていきたいと思います」
と述べられています。


《雅子さま体調を整えながら務めを着実に》

天皇陛下の即位に伴って皇后となった雅子さまは、
この1か月間、体調を整えながら一つ一つの務めを着実に果たされています。

皇后さまは療養生活に入って15年余りになりますが、努力と工夫を重ねて体調を整え、
天皇陛下の即位に伴って先月上旬に行われた一連の儀式や行事には
欠席することなく臨まれました。

また、上皇后さまから日本赤十字社の名誉総裁を受け継ぎ、
先月22日には日本赤十字社の全国大会に出席されました。

天皇陛下の即位後に皇后さまがお一人で公務に臨まれたのはこれが初めてでした。

先月27日には、天皇陛下とともに、国賓として来日した
アメリカのトランプ大統領夫妻を歓迎する行事に臨まれました。

アメリカのハーバード大学を卒業後、外交官として第一線で活躍していた皇后さまは、
通訳を介さずに大統領夫妻と親しくことばを交わされました。

そして、この日の夜には、
皇后さまは16年ぶりに宮中晩さん会のすべての行事に臨まれました。


《天皇陛下即位からの1か月》

天皇陛下の即位から1日で1か月となりますが、
天皇陛下は、上皇さまの築かれた象徴天皇像を念頭に務めを果たしながら、
新しい時代の天皇像の模索も始められています。

先月1日、新たに即位した天皇陛下は「即位の礼」の儀式に臨まれました。

即位後初めて国民を代表する人々と会う
「即位後朝見の儀(そくいご ちょうけんのぎ)」では、
三権の長や閣僚、地方自治体の代表などを前に、
天皇として初めてとなるおことばを述べられました。


天皇陛下は
「上皇陛下がお示しになった象徴としてのお姿に心からの敬意と感謝を申し上げます」
としたうえで「皇位を継承するにあたり、上皇陛下のこれまでの歩みに深く思いを致し、
また、歴代の天皇のなさりようを心にとどめ、自己の研さんに励む」と述べ、
上皇さまが築かれた象徴天皇像を継承する姿勢を示されました。

同時に、かつての上皇さまのおことばより平易なことばを使われました。

例えば、30年前の同じ儀式で上皇さまが
「身に負った大任を思い、心おのずから粛然たるを覚えます」と述べられたのに対し、
天皇陛下は「この身に負った重責を思うと粛然たる思いがします」と述べられました。


この3日後の先月4日、即位を祝う一般参賀が皇居で行われ、
天皇陛下は、皇后となられた雅子さまや皇族方とともに宮殿のベランダに6回立って、
訪れた14万人余りの祝意に応えられました。

この日、東京の都心は最高気温が25度近くになり、
熱中症による脱水症状などを訴えて救護所で手当てを受ける人が相次ぎました。

天皇陛下は5回目からおことばを変えて
「このように暑い中、来ていただいたことに深く感謝いたします」と述べ、
訪れた人たちを気遣われました。


先月8日には、皇后さまとともに、
皇居の「宮中三殿」で即位後初めての宮中祭祀(さいし)に臨まれました。

天皇陛下は、平安時代から儀式での天皇の装束とされる
「黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)」に初めて身を包み、
皇室の伝統を継承する姿を示されました。


先月27日には、国際親善のための公務として、国賓として来日した
アメリカのトランプ大統領夫妻を歓迎する行事に臨まれました。

豊富な海外経験を生かし、通訳を介さずに大統領夫妻やアメリカ側の随員らと
親しくことばを交わされる場面が何度も見られました。

そして、この日の夜、天皇陛下が宮中晩さん会で述べたおことばには、
上皇さまから受け継がれた平和への思いが込められていました。


天皇陛下は
「上皇陛下は、天皇として御在位中、平和を心から願われ、
上皇后陛下と御一緒に戦争の犠牲者の慰霊を続けられるとともに、
国際親善に努められました」と語ったうえで

「今日の日米関係が多くの人々の犠牲と献身的な努力のうえに築かれていることを
常に胸に刻みつつ、両国の国民がこれからも協力の幅を一層広げながら、
揺るぎない絆を更に深め、希望にあふれる将来に向けて、
世界の平和と繁栄に貢献していくことを切に願っております」と述べられました。

  (https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190601/k10011937091000.html

           <感謝合掌 令和元年6月1日 頓首再拝>

初の地方行幸 & 雅子皇后がメラニア夫人に頬ずりした距離感 - 伝統

2019/06/02 (Sun) 19:04:36



両陛下、七宝焼施設を視察=沿道に1万5000人―愛知

        *Web:時事通信(2019/06/01)より

愛知県を訪問中の天皇、皇后両陛下は1日午後、
あま市の七宝焼アートヴィレッジを視察された。

沿道には多くの市民が集まって歓迎し、両陛下は感想の中で謝意を示した。

施設は地元の工芸品「尾張七宝」の名品を展示するほか、七宝焼の体験コーナーも設置。
両陛下は高さ約1.5メートルの大きな花瓶などを見た後、
地元の小学生が七宝焼のキーホルダーを作る様子を見学した。

 
天皇陛下は前かがみの姿勢で児童に目線を合わせ、
一人一人に「楽しいですか」「どんな色に焼き上がるか楽しみですね」などと声を掛けた。
皇后さまも「きれいにできましたね」と笑顔で話し掛けた。

即位後初の地方訪問とあって、市内の沿道には2キロ弱にわたって市民らが集まって出迎え。
両陛下は車のスピードを落とし、手を振って歓迎に応えた。

県によると、この日名古屋市やあま市などの沿道には約1万5000人が集まった。

 
両陛下は側近を通じ、
「日差しが強く暑い中、大変多くの県民の皆さんに温かく迎えていただき感謝いたします」
との感想を発表した。 

    (https://news.goo.ne.jp/article/jiji/nation/jiji-190601X424.html )

・・・

雅子皇后がメラニア夫人に頬ずりした距離感

       *Web:J-CASTニュース( 2019年6月2日)

All four were so relaxed. It looked like they were old friends.

4人はとてもリラックスしていて、昔ながらの友人のようだったね。

2019年5月27日、皇居・宮殿での会見で、
天皇皇后両陛下が国賓の米トランプ大統領夫妻と和やかに語られている映像を目にして、
ニューヨークに住む友人のロブがそう言った。


この連載では「トランプのアメリカ」で暮らす人たちのさまざまな声を、
そのまま伝えたいため、私はなるべく自分の意見を語らないようにしてきた。
が、今回は自分の思いを伝えたい衝動にかられた。

「自分たちの国にいる時より、敬意を払われているんじゃないか」

私は、ニューヨークでの日々の暮らしのなかで心と心が触れ合う瞬間を、
「ニューヨークの魔法」というエッセイ・シリーズで書き続けてきたが、
歓談の様子は、まさに私が「魔法」と呼ぶ瞬間に見えた。


「ニューズウィーク日本版」で、
「新天皇・新皇后の外交デビューは見事な作戦勝ち」という記事を目にし、
私は少し違和感を覚えた。

大統領夫妻の訪日に向けて、日米両サイドで周到に準備されてきたのは間違いないだろう。
この記事のなかで「知性と品格のある大統領だと持ち上げることで
天皇皇后とのバランスを取った」とあったが、

両陛下は誰に対しても、知性と品格のある相手として、ごく自然に接しておられる印象を持つ。
そして、大統領夫妻と両陛下の双方に、相手に対する敬意と思いやりがあったように
私には感じられた。

米国のトランプ支持者たちは、
「我々の大統領をこんなに歓迎してくれてありがとう。自分たちの国にいる時より、
敬意を払われているんじゃないか」と反トランプ派を皮肉った。

これに対し、「そんなに尊敬されているなら、ずっと日本にいていいよ」と、
日本はトランプ氏に媚びていると批判する声も一部にあった。


両陛下が通訳なしに英語で直接、大統領夫妻と言葉を交わされていたことに、
日米で賞賛の声が上がった。確かに通訳なしで対話することで、
お互いの距離はぐっと縮まるはずだ。

が、いくら外国語が堪能でも、誰に対しても偏見を持つことなく外に心が開き、
相手を尊重する気持ちがなければ、こうした雰囲気は作れないものだ。


トランプ氏はジャケットのボタンを外していた時もあるし、
メラニア夫人は皇后さまとの会談のためにすわったとたんに、
足を組んだ(おそらく習慣なのだろうが、しばらくして足組みをやめた)。

だが、両陛下自身がそうしたことをまったく気にしていないご様子だったから、
私たち日本人の多くも、そうした行為は「両陛下に対して心を開いていた証拠だろう」と思えた。

あるいは「あれがトランプ流だから」と許せた。
トランプ氏が陛下の背中にそっと手を触れたのも、親密さや思いやりから、と解釈した。


人と人の間に「魔法」が生まれる時、たいていそこには自然な笑顔とユーモアがある。
メラニア夫人も皇后さまも、それまで見たことのないような笑顔だった。

両陛下も大統領夫妻も、あまり出番のなかった通訳も交えて、心から楽しそうに歓談していた。


《大統領夫妻を打ち解けさせた人間力》

ユーモアもあふれていた。陛下が趣味で演奏されるビオラが大統領夫妻から贈られると、
皇后さまが「陛下、今夜お弾きになられたら」と話し、陛下は笑顔を見せられていたという。

また、トランプ氏が「陛下は相撲をよくご覧になるのですか」と尋ねると、
陛下は「それほどしばしば、機会があるわけではありません。
また、昨日、大統領がご覧になったほど近くでは見ません」と伝える場面もあった。


メラニア夫人と皇后さまの別れの挨拶も、印象的だった。
メラニア夫人が親しみの表情を浮かべ、出した握手の手を躊躇して
引っ込めようとするやいなや、皇后さまが手を差し出し、握手を交わした。

そしてどちらからともなく歩み寄り、顔を近づけ、頬ずりした。

頬ずりの挨拶は、もともと欧州の習慣だ。
アメリカでもとくに東海岸では、親しい間柄で頬ずりする人は増えてきたが、
握手やハグが一般的だ。

皇后さまは、メラニア夫人がスロベニア出身であることに配慮したのかもしれないが、
頬ずりはおふたりの距離の近さを象徴するものだった。

頬ずりまでするのは行き過ぎだ、と感じた日本人もいるようだが、
形式ではなく、ごく自然にふたりの心が動いたことに、私は感銘を受けた。

メラニア夫人は、旧ユーゴスラビアの内戦時に渡米。
自分の国が分断される辛い経験をした。

大統領夫人になってからは、スロベニア出身であることや、
セクシーなモデルだったことで批判や中傷にさらされた。
また、マスコミに夫の女性問題を騒ぎ立てられた。

皇后さまも適応障害に苦しまれるなど、お互いの心の痛みに共感したのかもしれない。


「With Trump's Visit to Japan, Empress Masako Finds a Spotlight
(トランプ氏訪日で、皇后雅子さまはスポットライトを浴びる)という記事が、
「ニューヨークタイムズ」紙(2019年5月27日付)に掲載された。

皇室に後継者をもうけるという伝統的な役割に苦しんでいた皇后さまが、
生き生きした笑顔で、語学と外交の能力を生かし、もてなされていた様子に、
日本国民も喜んでいると紹介した。

そしておそらく、それを誰よりも喜ばれているのは、陛下だろう。

これだけの短時間に、大統領夫妻をリラックスさせ、打ち解けさせたのは、
両陛下の人間力にほかならない。

慎み深さに親しみを備えた新しい時代の皇室外交に、
日本だけでなく、世界中が注目している。

  ( https://news.infoseek.co.jp/article/20190602jcast20192359027/ )

           <感謝合掌 令和元年6月2日 頓首再拝>

新天皇と雅子皇后、初の地方訪問が示す「皇室大変革の予感」 - 伝統

2019/06/03 (Mon) 18:28:45


        *Web:現代ビジネス(2019.06.1)より

新天皇・皇后の地方公務デビューが、
6月2日に愛知県尾張旭市で開催される「第70回全国植樹祭」だ。
この行事から読み解ける「令和流」の天皇像とは、いかなるものなのか? 
令和の幕開けに際し、放送大学教授・原武史氏が
「象徴天皇」の過去と未来について語る特別インタビュー。(取材・構成:伊藤達也)



早くも示された「平成流」との違い
 
徳仁天皇は今回、雅子皇后と共に6月1日に東海道新幹線で愛知県入りし、
あま市の伝統工芸施設を視察。
翌日に全国植樹祭の式典に出席した後、肢体不自由児などの医療・療育施設を視察し、
帰京するという日程になっています。

私は改元前から、新天皇として初めての地方訪問が
どのようなかたちで行われるか注目していました。

毎年5月ないし6月の植樹祭への出席は、明仁天皇が昭和天皇から引き継いでいた
恒例行事ですから、おそらくそれが初めての地方訪問になると考え、
情報収集も行っていました。

その上で、前述の日程が判明したとき、以前から抱えていたある予測に確信を得ました。
つまり、新天皇は、「平成流」をそのまま引き継ぐことはしない――ということです。

まず私が得心したのは、この地方訪問が、1泊2日の日程で行われるという事実についてです。

「平成流」においては、式典への参加を目的とした天皇皇后の地方訪問は、
社会福祉施設などへの訪問とセットであり、それは令和でも引き継がれるようです。

ただし従来であれば、この日程なら2泊3日か3泊4日が通例でした。
例えば明仁天皇の最後の植樹祭訪問としてニュースになった、
昨年の第69回ふくしま植樹祭への参加は、6月9日から11日の3日間で日程が組まれていました。

このときは福島での開催ということもあり、
植樹祭の前後には復興住宅への訪問や震災慰霊碑への訪問、
供花などの公務も行っています。

福島ゆえに3日間だったわけではなく、平成の間の植樹祭訪問は、
平成元年の徳島開催、平成8年の東京開催、平成23年の和歌山開催を除けば、
すべて3日以上の日程が組まれています。

もちろん、平成になって初めての植樹祭訪問も1泊2日でしたので即断は避けるべきでしょうが、
今回の日程は、新天皇皇后の初めての地方訪問にして、
早くも平成との違いを示しているように見えます。

宮内庁はそのことを承知しているからこそ、5月の発表時に
「皇后さまのご負担を考慮した」とわざわざ説明したのです。


明仁天皇と徳仁天皇の「性格の差」
 
天皇・皇后は6月1日に新幹線で愛知県に入り、
2日には中部国際空港から特別機で帰京する予定になっています。

専用車で中部国際空港まで直接行き、羽田空港から再び専用車に乗り、
赤坂御所に帰るとすれば、名古屋から東京まで新幹線に乗るのと比べて、
国民の目に触れる機会も自然と限られてきます。

平成に比して、国民に接する時間はきわめて短くなっていると言えるでしょう。

単純に考えれば、その違いは、美智子皇后と雅子皇后の体調面での違いに起因するでしょうし、
もちろん、良し悪しを判断すべき性質のものでもありません。

ただし、令和においては「平成流」がそのまま受け継がれるわけではないであろう、
ということは確かに言えるのです。

 
もうひとつ私が着目しているのは、明仁天皇と徳仁天皇との「性格の違い」です。

明仁天皇の言動は、倫理的で実直です。
「平成流」の天皇像が、国民の敬意によって裏付けられていたのは、
こうした性格ゆえもあるでしょう。

ただ、ユーモアがある印象は薄い。
口数の少なかった昭和天皇ですら、園遊会で柔道家の山下泰裕氏に
「柔道は骨が折れますか」と尋ねるようなユーモアがありましたが、
明仁天皇にはそうしたエピソードがあまりありません。

 た、地方訪問で国民と対話する姿が印象に残っていますが、
実はこの「天皇と国民が相対する」状況を作り上げるには、
膨大な警備コストがかかっていました。

「親しみやすさ」を担保するために、その裏では厳戒態勢が敷かれていたのです。

徳仁天皇はそれに比べると、普段の言動にもユーモアが感じられます。
柏原芳恵のファン、ウルトラセブンが好き――そのようなエピソードが
このひと月あまり頻繁に報道され、徳仁天皇を身近に感じた人も多いでしょう。


「軽やかな天皇」の前例
 
象徴的なのが、徳仁天皇の「登山好き」です。
テレビでも盛んに映像が流されていましたが、雅子妃や愛子内親王と連れ立って
那須御用邸周辺の山に登り、すれ違う一般の登山客と気さくに挨拶を交わす

。上皇になってからも、厳重な警備の上での「お忍び」が報じられている明仁上皇とは、
かなりの違いがあります。

天皇ともなれば、そんな気軽な言動は難しいのでは――と思われるかもしれません。
しかし、明治以降の天皇の歴史を眺めてみれば、
軽やかな「人間らしさ」を持った天皇もいたのです。

大正天皇です。

政治状況もあって在位時から「神格化」が推し進められた明治天皇に対して、
大正天皇は皇太子の時から、自由な言動を繰り返しました。

旅行好きでもあった大正天皇は、皇太子時代に沖縄県を除く全道府県と大韓帝国を回り、
それに伴って福島県の霊山や京都府の成相山、香川県の屋島や象頭山など、
各地の山にも登っています。

また兵庫県では軍事演習の合間に突然旧友の家を訪問するなど、スケジュールも気にしなかった。

天皇になってからも、皇后と一緒に葉山や日光の御用邸に1ヵ月も2ヵ月も滞在し、
ヨットや馬に乗る生活を続けました。

しかしこの「大正流」は、天皇の権威を求める人々には都合が悪かった。
明治天皇と同様の天皇の役割を押し付けられた大正天皇は、
次第に体調を崩してゆき、最終的には引退させられました。

その後「大正流」が引き継がれることはなく、昭和になると逆に
天皇の神格化が図られた経緯は、ご存知のとおりです。

もし「大正流」が引き継がれていたら、天皇像は大きく変わっていたでしょうし、
もしかすると昭和の歴史も大きく違っていたかもしれません。

しかし、昭和の反省から「平成流」を徹底した明仁天皇が、
「大正流」に倣ったかといえば、そうではなかった。

あくまでも自らの考えに基づいて「象徴」を定義したものの、
それは大正流の「人間らしさ」とは異なるものでした。

でなければ、2016年の「おことば」を受けて「これは天皇の人間宣言だ」
などという世論の反応は生まれなかったはずですから。


「令和流」の鍵を握る雅子皇后
 
私には、上皇亡きあとに本格的に現れるであろう「令和流」の天皇像が、
「平成流」よりはむしろ「大正流」に近いものになるのではないかという予感があります。

「平成流」を引き継ごうにも、雅子皇后の行幸への完全同行の難しさ、
また宮中祭祀へのコミットメントの低さもあり、必ずしも平成と同じ
「象徴としての務め」が果たせるとは限らない。

そうした制限の中で、新時代の「象徴天皇」を自分で作り上げるという意識が、
徳仁天皇にはあるのではないかと思うのです。

その意味で、今後の地方訪問、宮中祭祀には注目しています。
今回の植樹祭に続いて注目すべきは、新天皇・新皇后として初めての定例の宮中祭祀となる、
6月16日の香淳皇后例祭です。

代替わりはしたものの、宮中祭祀の体系は平成と基本的に変わらないようですが、
皇太子妃から皇后へ立場が変われば、祭服も変わるなど、負担も違ってきます。

ここに雅子皇后が出席するか、そしてどう祭祀と向き合うか。

より突っ込んだ議論をするのであれば――むしろこうした歴史的事実が
ここまでないがしろにされていることのほうが問題なのですが――宮中祭祀の中には、
皇室に代々受け継がれてきた伝統ではなく、明治以降の「作られた伝統」も少なからずあります。

例えば神武天皇祭は、歴史上は実在しない神武天皇の命日である4月3日と定められている。
歴史学者でもある徳仁天皇や、外務省のキャリア官僚だった雅子皇后が、
そこに疑問を呈してゆく可能性も考えられます。

「良妻賢母」の役割を担い続けた美智子上皇后と、
キャリア官僚を経て皇太子妃となり、皇室に入ったあと
「適応障害」に苦しんだ雅子皇后とでは、考え方や人生観も大きく異なるはずです。

それに、女性の権利向上がこれほど叫ばれる時代に、
世の女性たちや世論がこの先も黙っているでしょうか。

この論点は、これから徳仁天皇と雅子皇后がどのような「令和流」を打ち出すか、
ということとも関係してきます。


グローバル化と登山
 
まず想定されるのは、皇室のグローバル化です。

まだ体調の問題があるとはいえ、元外交官という雅子皇后の経歴から言っても、
海外訪問はいずれ行いたい行事の一つでしょう。

明仁天皇と美智子皇后は、太平洋戦争末期に米国と戦って敗れた南方の島々への
「慰霊の旅」を戦略的に行ってきましたが、こうした点でも違いを出してくるかもしれません。

例えば地方訪問に合わせて、式典や施設訪問の合間に登山の予定を入れ、
そこで一般国民と交流を行えば、「平成流」との違いは明らかになります。

こうした「平成流」との違いがどのようなタイミングで打ち出され、
またどのような世論の反応を生むのか。

ここでひとつ懸念されるのは、徳仁天皇が登山した場合、
保守派に利用されるかもしれないことです。

一見すると登山はカジュアルな趣味に見えますが、天皇が行う場合は「国見」、
つまり「高い所から国土を望み見る」という古代天皇の行為になぞらえることもできるからです。

歴史や素朴な信仰が絡み合って、
保守派の期待を裏付けるような論説も今後出てくるかもしれません。

もちろん、新天皇が築いてゆくであろう令和の新たな「象徴天皇」像をどう評価するかは、
国民にかかっています。

ただ、正しい評価をするためには、「平成流」を作り上げた
明仁上皇・美智子上皇后の足跡や意図、また明治以降の天皇の歴史について今一度振り返り、
考察を深める必要があります。

 
どうして天皇や皇室について深く考えなければならないのか。
それは、令和の時代には、皇室内部の権力構造が大きく変化することが予想されるからです。


上皇と天皇「権力の二重性」
 
明仁上皇が、改元前日の4月30日に発表した天皇としての
最後の「おことば」は、非常に簡潔な内容でした。

----------
〈今日を持ち、天皇としての務めを終えることになりました。
ただ今、国民を代表して、安倍内閣総理大臣の述べられた言葉に、深く謝意を表します。

即位から30年、これまでの天皇としての務めを、国民への深い信頼と敬愛をもって
行い得たことは、幸せなことでした。象徴としての私を受け入れ、支えてくれた国民に、
心から感謝します。

明日から始まる新しい令和の時代が、平和で実り多くあることを、皇后と共に心から願い、
ここに我が国と世界の人々の安寧と幸せを祈ります〉
----------

必要最低限の言葉を並べただけにも見えますし、世論はその簡潔さを讃えもしました。

しかし私は、この言葉には「新天皇に『象徴としての務め』を引き継いでほしい」
という願いだけでなく、「退位して上皇になっても、私は『象徴としての務め』の
ひとつである『国民の安寧と幸せを祈ること』をずっと続けてゆく」
という思いが込められているのではないか、とも感じます。

 
もし、雅子皇后が公務を十分に果たせないまま、
上皇上皇后が「祈ること」の一環として八王子市の武蔵陵墓地を参拝したり、
私的な外出を続けたりすれば、「平成」と「令和」の区別は曖昧になります。

「平成流」に慣れ親しんだ国民からは、天皇皇后に対する疑問の声があがるかもしれない。
雅子皇后にとっては、美智子上皇后と比較されるプレッシャーが、
皇太子妃時代よりますます強くなる恐れもある。

こうして上皇・上皇后への敬意が高まってゆくとすれば、
そこには「権力の二重性」が現れることになります。


秋篠宮とのバランス
 
加えて、徳仁天皇と比べても、
「宮中祭祀と地方訪問」という「平成流の象徴としての務め」に親和的なのが、
皇嗣となった秋篠宮です。

秋篠宮は昨年、宮中祭祀について
「大嘗祭は国費ではなく皇室の私的活動費を使うべき」と述べ、
さらにこの問題について宮内庁が皇室の意見に耳を傾けなかったことに
「すっきりしない」「非常に残念」と強調するなど、積極的に発言しています。

言うまでもなく、秋篠宮は皇位継承順位第1位の皇嗣であり、
その長男である悠仁親王が同第2位です。

いまでこそ眞子内親王の件でバッシングを浴びていますが、
天皇皇后よりも「平成流」を踏襲しているように見える皇嗣皇嗣妃や、
現在のところ「未来の天皇」である悠仁親王に、
しだいに国民の期待が集まってゆくという事態も予想できます。

 
さらに複雑なことに、ここには天皇皇后が
「将来、皇室典範を改正し、愛子内親王に天皇になってほしい」と考えるかどうか、
ということも絡んできます。

つまり遠からぬ将来、「天皇・皇后」「上皇・上皇后」「皇嗣・皇嗣妃」という、
「三重権力」の構造がこの国に現れることも、十分に考えられるのです。

その時に国民は冷静な議論ができるのか。

識者は質の高い論説を提供できるか。
学者ですら大半が天皇の政治性や権力という側面に目をつむり、
語ろうとしない現状はあきらかにおかしいし、危険であると私は考えています。

 
「お祝いムード」に浮かれるのではなく、歴史の境目にいる今こそ、
日本人は自らの天皇観を見つめ直すべきだと思うのです。

(https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190601-00064834-gendaibiz-soci )

           <感謝合掌 令和元年6月3日 頓首再拝>

全国植樹祭 - 伝統

2019/06/04 (Tue) 18:48:19


《陛下「皆さんとご一緒に」…敬語で呼びかけ》

     *Web:読売新聞オンライン(2019.06.2)より

全国植樹祭の式典で、お言葉を述べられる天皇陛下
(2日午前11時17分、愛知県尾張旭市で

天皇、皇后両陛下をお迎えし、2日に愛知県尾張旭市で開かれた全国植樹祭。
即位後初の地方行事で、天皇陛下は国民に丁寧な敬語表現を使い、
一緒に緑化活動を推進するよう呼びかけるなど国民目線のお言葉を述べられた。

お言葉の冒頭、陛下は

「皆さんとご一緒に植樹を行うことを喜ばしく思います」

とあいさつされた。

世界的な環境問題に関心を寄せる陛下は、
健全な森林が地球温暖化防止などの役割を果たしていることに触れ、
「私たちに様々な恩恵をもたらしてくれる国民共通の財産」と強調。

植樹などを通して森林を造ることは「私たちに課せられた大切な使命」と述べられた。

続いて皇后さまとともに計6種類の苗木を植え、クワで丁寧に土をかけられた。
皇后さまは介添えをした地元の中学生に「元気に育つといいですね」と
声をかけられたという。

 
その後、両陛下は岡崎市の「三河青い鳥医療療育センター」を訪れ、
肢体不自由児らが切り絵や車いすダンスに取り組む様子を見学。
「よくできましたね」などと笑顔で声をかけられた。

両陛下は2日夜、空路で帰京された。
2日間の訪問中、沿道には切れ目のないほど歓迎の列ができた。

近代天皇制に詳しい瀬畑源・成城大非常勤講師の話

「天皇陛下が『皆さんとご一緒に』と国民に敬語を使われたことに驚いた。
陛下はこうした丁寧な表現を皇太子時代から使われているが、
天皇の言葉としては過去にはなかったのではないか。

陛下は、国民の中に分け入るという考えを示されており、
今回のお言葉も国民の目線に立つという意識の強さを感じさせた」

     ( https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190602-00050190-yom-soci )

           ・・・

《天皇陛下、植樹祭式典でのお言葉全文》

     *Web:産経新聞(2019.06.2)より

天皇陛下が2日、第70回全国植樹祭の式典で述べられたお言葉全文は以下の通り。

     ◇

第七十回全国植樹祭に当たり、ここ「愛知県森林公園」において、
全国から参加された皆さんと御一緒に植樹を行うことを喜ばしく思います。

今、こうして、初めて全国植樹祭に臨み、国土緑化の中心的行事として、
七十年にわたり開催されてきた歴史の重みと、国土緑化に長い年月を掛けてこられた
先人の努力に思いを馳(は)せ、感慨を覚えます。

我が国は、国土面積の三分の二を森林が占める世界有数の森林国です。

健全な森林は、木材を始めとする林産物の供給のみならず、
清らかな水、豊かな実りをもたらす大地や海を育み、
さらには地球温暖化防止や生物多様性保全にも大切な役割を果たすなど、
私たちに様々な恩恵をもたらしてくれる国民共通の財産といえます。

こうした、森林のかけがえのなさを思うとき、その保全はもちろんのこと、
森林を伐採して利用することに伴い、再び苗木を植えて育てることを通じ、
健全な森を次世代のために造っていくことは、
私たちに課せられた大切な使命であると考えます。

ここ愛知県においては、林業の活性化や都市部における木材の利用、
さらには、山から街まで緑豊かな愛知の実現に向けた、
森と緑づくりを進める取組がなされていると聞き、うれしく思います。

そして、本日表彰を受けられる方々を始め、
日頃から各地域において森林や緑づくりに尽力されている
全国の皆さんに敬意を表し、そうした活動が、多くの人々によって支えられ、
更に発展していくことを期待します。

 
この度の大会テーマである「木に託す もり・まち・人の あす・未来」にふさわしく、
木材の利用や健全な森林づくりの輪が、ここ愛知の地から全国へ、
そして未来に向けて大きく広がっていくことを願い、私の挨拶といたします。

  ( https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190602-00000512-san-soci )

           <感謝合掌 令和元年6月4日 頓首再拝>

上皇が天皇に課した高いハードル 「あの国」への訪問は実現するか - 伝統

2019/06/05 (Wed) 18:05:03


         *Web:AERA (2019.05.26)より

27日、トランプ米大統領と会見する天皇、皇后両陛下。
雅子さまが外務省出身ということもあり、今後の皇室外交の発展も期待されている。

だが、政治学者の白井聡さんは、AERA増刊「ドキュメント新天皇誕生」の中で、
平成の時代には実現されなかった課題も残ると指摘する。

令和の天皇像はどうなるのか。


今回の改元と代替わりは、天皇自身による譲位の決断を示した、
2016年のビデオメッセージが始まりでした。
これは近代の天皇制の原則を破る異例のものでした。

かつ、そこには先の天皇の深刻な危機感が込められていた。
令和の時代になった今も、私たちが考えなければならない重要な問題が提起されています。

 
ビデオメッセージでは、「天皇とは国民統合の象徴だ」と何度も強調されました。
国民の統合とは、最低限のある種の共同性だと思います。
共に生きていく人間が、助け合い互いを思いやって生きていくのだという心情を持てること。

しかし、格差や沖縄の問題など、
その統合がズタズタになってしまったのが平成という時代でした。
天皇は「それでいいのですか」と国民へ問いかけたのだ、と私は感じます。

もし、どれほど社会が分断されようが、
自分さえよければ国民統合なんてどうでもいい、と皆が思うのであれば、
その象徴である天皇も必要ないことになる。

「私たちは今後も必要なのですか?」という、まさに究極の問いかけだと思いますが、
いったいどれだけの国民がこれをきちんと受け止めたでしょうか。

 
このメッセージのもう一つの凄さは、
「天皇とはただ存在するだけではだめなんだ」と伝えたことです。

象徴天皇制(君主制)と民主主義は、民主主義が成熟すればするほど、
その対立的な緊張と矛盾が顕在化する関係にあります。

二つが並立する戦後民主主義社会における天皇であればこそ、
常に新しい、あるべき天皇像を模索し、実践しなければならない。

それを自分はずっとやってきたし、
次の代以降の天皇も皆そうしなさいと言っている点です。

逆に言えばそれをしない限り、
天皇は民主主義社会では要らなくなる、天皇制はなくなる、
ということも示唆している。

それは永遠の存在でも何でもなく、
不断の努力によって支えなければ消えてなくなるのだ、と。


新天皇は、難しいバトンを預かることになったと思います。
天皇に求められるものは何か、先の天皇は新天皇に、高いハードルを課した。

新天皇は民主主義社会における天皇制を、
どういった戦略で自分のスタイルとして確立し、
さらなる「進化」をさせていくのか。

懸命に考えていらっしゃるのではないでしょうか。

 
受け継いだもののうち、特に何を選択して膨らませていくのか。
たとえば沖縄への配慮は、続けなければならないはずです。
沖縄の人の天皇への思い、わだかまりは、
数十年間やそこらで簡単に解けるものではない。

時間の積み重ねの中で誠意を見せることでしか
乗り越えられないのだという覚悟を決めて、
先の天皇は沖縄への訪問を重ね、お言葉にも盛り込んでこられたのでしょう。

そこは新天皇もよくわかっていると思います。

それから、平成時代にはついに実現されなかった天皇訪韓という課題もあります。
今は難しい状況ですが、もう少し落ち着いた雰囲気になれば、
必ず取り沙汰されるでしょう。

東アジア諸国民の相互理解と平和共存のために果たし得る役割に、
注目と期待が集まるのではないでしょうか。

(構成/編集部・小長光哲郎)

※AERA増刊「ドキュメント新天皇誕生」掲載


https://dot.asahi.com/aera/2019052400096.html?page=1

           <感謝合掌 令和元年6月5日 頓首再拝>

両陛下、桂宮の墓を参拝 - 伝統

2019/06/09 (Sun) 19:47:11


       *Web:共同通信(2019.06.09)より

天皇、皇后両陛下は8日、東京都文京区の豊島岡墓地を訪れ、
上皇さまのいとこに当たる桂宮が亡くなって5年になるのに合わせて墓所を参拝された。

桂宮は、2016年に100歳で亡くなった三笠宮の次男。
両陛下はこの日、桂宮の母の三笠宮妃百合子さま(96)と
兄の故寛仁親王の長女彬子さまに迎えられ、
墓前でそれぞれ一礼し祭壇に玉串をささげた。

これに先立ち同墓地では、桂宮が亡くなって5年の「墓所祭」が営まれ、
百合子さまや彬子さまのほか、皇嗣秋篠宮ご夫妻をはじめとした皇族や元皇族らが参列。
百合子さまは墓前で車いすから立ち上がり、拝礼した。

( https://jp.reuters.com/article/idJP2019060801002113 )

           <感謝合掌 令和元年6月9日 頓首再拝>

初の地方訪問で見せた「懇談スタイル」 - 伝統

2019/06/11 (Tue) 19:45:12

皇后雅子さまと天皇陛下が初の地方訪問で見せた、新しい「懇談スタイル」

      Web:AERA (2016.06.11)より

沿道の人波は途切れることがなかった。
車窓から笑顔で手を振り続ける皇后雅子さま。

天皇陛下とともに自ら人々の間に入っていく、
お二人の懇談スタイルも新鮮だ。

*  *  *
 
車いすの女性の目線に合わせるように、
皇后雅子さまはひざを折り、身をかがめながらたずねた。

「お名前は何て言われるんですか」。
傍らにいた職員が「高橋朝子(あさこ)さんです」とこたえると、
雅子さまは女性の目を見つめながら「朝子さん?」と呼びかけた。
恥ずかしそうに「はい」と答えた高橋さん。とても嬉しそうだったという。

6月2日午後、愛知県岡崎市の県三河青い鳥医療療育センターでの出来事だ。

 
皇室の代替わり後、天皇、皇后両陛下による初の地方訪問。
1、2の両日で愛知県の5市をめぐり、行く先々で大歓迎を受けた。
県警によると、待ち受けた人々は、のべ7万人超。
あまりの人の多さに、視察先への到着が10分以上遅れた場面もあった。

「予想以上に人が多かった。今後の計画を立てる際の参考にしていかなければ」。
日程立案に携わった宮内庁の担当者が反省を口にしたほどだ。

沿道には、子育て世代の女性や子どもたちが多く、みな明るい笑顔を浮かべていた。
SNS上には、車の左後部の窓を開け、笑顔で手を振り続ける
雅子さまの写真や動画が多く投稿された。

初日の1日、愛知は気温25度を超える夏日を記録。
両陛下は、外で待つ大勢の人々が、
「暑い中で直射日光を受けている」と体調を案じた様子だったという。

午後に最初の視察先である、あま市七宝焼アートヴィレッジに到着した後、
沿道の警備にあたる県警を通じ、「ぜひ水分をとったり、日陰に入ったりして、
ご体調をくずさないように注意してください」と呼びかける「異例の対応」をとった。

今回の訪問は、上皇ご夫妻から引き継いだ全国植樹祭への出席が主な目的で、
国民体育大会、国民文化祭、全国豊かな海づくり大会と並び、
天皇、皇后による定例の地方訪問「四大行幸啓」の一つに位置づけられるものだ。

療養が続く雅子さまについて、宮内庁は当初、
「体調に支障がなければ同行する」としていたが、
終わってみれば全ての行事への出席を果たした。


1日午前、東京駅の新幹線ホームに笑顔で姿を見せた雅子さま。
まず目を引いたのは、雅子さまが身につけていたパンツスーツだ。
淡いグレーの生地で、ジャケットには白い太めの縁取りをほどこし、さわやかな印象。

上皇后美智子さまをはじめとする女性皇族方は、
被災地へのお見舞いなど一部の公務を除き、スカート姿が多い。
その中で、雅子さまは皇太子妃時代から度々パンツスーツを選んでいた。

1日夜には、宿泊先のホテルでレセプションが開かれ、
植樹祭の関係者約500人が一堂に会した。

雅子さまは光沢感のあるエレガントなスカートのスーツ姿。
記者たちを驚かせたのは、乾杯の後、両陛下がひしめき合う出席者の間に入っていき、
次々と懇談を始めたことだ。

植樹祭のレセプションはこれまで、ホール上座の金びょうぶの前で
天皇陛下と皇后さまが並び、懇談をする人が列を作って言葉を交わす形式だった。

宮内庁によれば、今回の「新方式」は皇太子時代に出席していた
「全国育樹祭」のレセプション方式を参考にしたものという。

雅子さまはかつて、療養中のために「多くの人が列立する行事は負担が重い」
と医師から止められていた時期があった。
今回の新方式を笑顔でこなす様子に、雅子さまは着実に回復していると実感した。

 
視察先では、予定にはない「声掛け」もあった。
冒頭の医療療育センターの玄関脇では、
天皇陛下が声をかけた男の子の指をぎゅっと握ったり、
雅子さまが車いすの女性の手を両手で包み込んだり。

案内した越知信彦センター長は言う。

「両陛下は、まるで既知の間柄のように、親しく、丁寧にお話をされていた。
これからもこういったスタイルでさまざまな行事に臨まれるのだなと思いました」

 ( https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190610-00000085-sasahi-soci&p=1 )

           <感謝合掌 令和元年6月11日 頓首再拝>

なぜトランプ大統領は天皇と雅子さまに「特別な思い」を抱いているのか - 伝統

2019/06/19 (Wed) 21:02:14



        *Web:文春オンライン(2019.06.18)より抜粋

5月末から6月上旬にかけて、
トランプ米大統領夫妻は日本と英国を相次いで国賓で訪問した。

伝統と格式を重んじる皇室と英王室に丁重に迎えられた同大統領夫妻にとって、
感じるところの多い外遊だったのではないだろうか。

(中略)

歴史が浅く、最長で2期8年で大統領が入れ替わってきた共和国の米国は、
綿々と続く家系が政治から超越し、国民統合の役割を果たしてきたことに
どこか憧れを抱いてきた。

「特にトランプ大統領にはその傾向がある」と言われる。
本来、外遊を余り好まない同大統領夫妻だが、
皇室の日本、王室の英国は、「招かれて光栄な国」だった。

特に日本は、新天皇と会見する最初の国賓という破格の待遇を与えられたからなおさらだ。


《トランプ大統領はどこか神妙で、どこか嬉しそうだった》

実際のところ、天皇、皇后両陛下、
エリザベス女王やフィリップ殿下などの英王族を前にした同大統領には、
ふだんのしかめ面した顔つきは消え、どこか神妙で、
どこか嬉しそうな無邪気な様子が明らかに見てとれた。

(中略)

《「上皇、上皇后両陛下はいかがお過ごしですか」》

2年前に同大統領夫妻が日本を訪れたときは、
先の天皇、皇后がお住いの皇居・御所で接遇し、懇談した。

帰りがけ、両陛下が車寄せまで見送ると、同大統領は皇后に
「メラニアは皇后(美智子妃)を大変尊敬しています」と語った。

このときの思い出があったのだろう、5月27日午前、皇居で行われた歓迎式典のあとの
宮殿での懇談で、同大統領は天皇に「上皇、上皇后両陛下はいかがお過ごしですか」
と尋ねた。

新天皇は「両陛下はお元気です。大統領によろしくとのことでした。
上皇陛下は、天皇陛下として象徴としての役割を全身全霊で果たしてきたので、
今は少しゆっくりとした時間を過ごしています」と答えている。

(中略)

《皇室と英王室のドレスコード&マナーの違い》

トランプ大統領夫妻を歓迎する5月27日の宮中と、
6月3日のバッキンガム宮殿の晩餐会を比べて興味深いのは、執り行い方の違いだ。

バッキンガム宮殿の方がより格式を重んじ、
ドレスコードは正式礼装の「ホワイトタイ(燕尾服)」だった。
宮廷外交の本家本元のプライドでもあるのだろう。

トランプ大統領、チャールズ皇太子など男性は皆、燕尾服に白の蝶ネクタイだった。


 一方、宮中晩餐会のドレスコードは「タキシード」。
燕尾服に代わる男子の夜会用略式礼服である。
天皇、トランプ大統領共に黒のタキシードで、黒の蝶ネクタイを身につけた。

(中略)


《メラニア夫人のファッション》

メラニア夫人は完璧なファッションを見せた。
宮中晩餐会では長い正装用ドレスであるガウンをまとった。
ニューヨークのデザイナー、ジェイ・メンデルのデザイン。

日本を意識したのだろうか、薄桜色の生地に羽が刺繍されている。


バッキンガム宮殿の晩餐会では一転、
仏ディオールの象牙色のノースリーブドレスで、
正式礼装に合わせて肘まである白手袋をつけた。
英女王も白手袋だった。

(中略)

《皇室と英王室》

トランプ大統領夫妻は同じ立憲君主国でも、
皇室と英王室はまた違うことを感じとったに違いない。

世俗的な英王室に対して、より精神的で宗教的要素が漂う皇室。
バッキンガム宮殿は絵や彫刻や装飾を重ねる足し算の美だが、

宮中は何もない空間に一点、アクセントとなる墨絵が掛かるか、
品のいい花瓶が置いてあるだけ。
引き算の美だ。

トランプ大統領は宮殿内を歩きながら天皇に「宮殿は本当に美しい」と語ったという。

(以下略)


https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190618-00012355-bunshun-soci&p=1

           <感謝合掌 令和元年6月19日 頓首再拝>

即位礼正殿の儀 - 伝統

2019/06/20 (Thu) 20:55:57

即位礼正殿の儀 高御座からおことば 儀式は前例踏襲を決定 政府式典委

        *Web:毎日新聞(2019年6月20日)より

政府は20日、首相官邸で皇位継承に関する式典委員会(委員長・安倍晋三首相)の
第6回会合を開き、10月に行う即位に関する一連の儀式の概要を正式決定した。

ほぼ平成の代替わりを踏襲する。天皇陛下が即位を国内外に宣言する
「即位礼正殿の儀」(10月22日)では、神話の天孫降臨に由来する
高御座(たかみくら)の上から陛下が即位を宣言されるおことばを述べる。


即位礼正殿の儀は天皇、皇后両陛下が午後1時、皇居・宮殿「松の間」に入り、
陛下が高御座、皇后雅子さまが御帳台(みちょうだい)に上がる。

皇位の証しとされる剣と璽(まが玉)や天皇が国事行為で使う印章の
「御璽」と「国璽」は、侍従が「案」と呼ばれる木製の台の上に置く。

陛下がおことばを述べた後、首相が「寿詞(よごと)」と呼ばれる祝辞を読み上げ、
万歳三唱する流れも前回を踏襲する。万歳をする位置などの詳細は今後決定する。

当日の宮殿のしつらえの概要、両陛下らの装束も前回を踏襲する。
外国元首や駐日大使ら招待国は195カ国と前回から30カ国増えるが、
配偶者の参列を三権の長など一部に限るため、全体の参列者は前回並みの2500人程度となる。

 
その後のオープンカーによるパレード「祝賀御列(しゅくがおんれつ)の儀」は、
午後3時半に皇居を出発し、同4時ごろ赤坂御所に到着する。

宮内庁楽部や警視庁音楽隊などの奏楽が祝賀ムードを盛り上げる。

国内外の賓客を招く「饗宴(きょうえん)の儀」は
10月22、25、29、31日に約2600人を招待する。

前回は計7回全て着席形式だったが、計4回とする今回は29、31両日を立食形式とし、
両陛下が二つの式場を回りおことばを述べる。

前回は駐日外国大使らが両陛下に面会したが、今回は行わない。

いずれの儀式も憲法が定める国事行為として行う。

式典委では、高御座や御帳台などを東京国立博物館で12月22日から、
京都御所で来年3月1日から一般公開することも決めた。

(https://mainichi.jp/articles/20190620/k00/00m/040/168000c )

           <感謝合掌 令和元年6月20日 頓首再拝>

両陛下と上皇ご夫妻 沖縄慰霊の日に黙祷される - 伝統

2019/06/23 (Sun) 20:21:29


       *Web:産経ニュース ( 2019年6月23日 )より

宮内庁は23日、天皇、皇后両陛下が同日午後、お住まいの赤坂御所で、
先の大戦で沖縄での組織的戦闘が終結したとされる「慰霊の日」にあたり、
長女の敬宮(としのみや)愛子さまとともに黙祷(もくとう)をささげられたと発表した。

 
上皇さまはお住まいの吹上仙洞御所でご黙祷。
上皇后さまは同日午後、左目の白内障の手術を受けた都内の病院で黙祷された。

上皇后さまは16日の右目に続く手術だったが、無事終えられたという。

   ( https://news.infoseek.co.jp/article/sankein_lif1906230038/ )

           <感謝合掌 令和元年6月23日 頓首再拝>

両陛下、日本芸術院授賞式に出席「漱石なども読みます」 - 伝統

2019/06/24 (Mon) 19:04:48


        *Web:東京新聞(2019年6月24日 )より

天皇、皇后両陛下は24日、東京・上野の日本芸術院会館を訪れ、
第75回日本芸術院賞の授賞式に出席された。

芸術奨励のため、上皇さまから引き継いだ公務で、
同賞は毎年、音楽や絵画など芸術に貢献した人や優れた作品を手掛けた人に贈られる。

 
今回の受賞者は書家の真神巍堂(本名真神仁宏)さん(75)、
詩人・評論家の荒川洋治さん(70)、
能楽大鼓方の亀井忠雄さん(77)ら8人。

真神さん、荒川さん、亀井さんの3人は特に顕著な業績が認められるとして、
恩賜賞にも選ばれた。

 
授賞式に先立ち、受賞者から「小説を読みますか」と尋ねられた天皇陛下は
「漱石などを読みます」と答えていた。

      ( https://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2019062401001687.html )

           <感謝合掌 令和元年6月24日 頓首再拝>

天皇皇后両陛下、マクロン大統領夫妻と昼食会 - 伝統

2019/06/28 (Fri) 22:10:41


        *Web:文春オンライン(2019.06.28)より抜粋

天皇皇后両陛下は、来日中であるフランスのマクロン大統領、ブリジット夫人
と会見され、その後に昼食を共にされた。

会見と宮中午餐への雅子さまのお出ましについて、
政府は「皇后陛下の御体調に支障がなければ、天皇皇后両陛下での行事となります」
と留保していたが、両陛下そろって参加されることになった。


国際親善のための天皇陛下による外国賓客の接遇は、大きな注目を集める。

マクロン大統領夫妻は、G20大阪サミットへの出席に先立ち、
公式実務訪問賓客として6月26、27日の日程で来日。

外国賓客の格式は、5月に来日したトランプ大統領夫妻は「国賓」、
マクロン大統領夫妻は「公式実務訪問賓客」、
その他に「公賓」として来日する外国の王族や政府のトップに分かれ、
天皇陛下はこうした人々と会見される。


《雅子さま ライトブルーのスーツはクールな印象》

この日、両陛下はマクロン大統領夫妻を皇居・宮殿の南車寄せで出迎えられるより
30分ほど前に、半蔵門を通過された。

雅子さまの表情に緊張の色はなく、落ち着いた笑みを浮かべられていた。
ライトブルーのスーツをお召しになっていて、ジャケットの立ち襟のような
デザインが色とマッチして、クールな印象だった。

トランプ大統領夫妻に対する接遇に続いて、「皇室外交」がいよいよ本格始動している。
これは、両陛下の悲願だったと言って過言ではないだろう。

天皇陛下は、昨年9月に単独でフランスを公式訪問されている。
雅子さまは訪問日程が長くハードなものであることなどを考慮して、
訪問を見送られたことから、マクロン大統領夫妻とお会いになる機会を
待ち望まれていたのではないだろうか。

マクロン大統領は高校時代に、演劇部の顧問だった教師・ブリジット夫人と
出会ったことはよく知られている。ブリジット夫人は当時既婚だった。

マクロン大統領は高校を転校したものの、29歳で結婚。
ブリジット夫人は24歳8カ月年上という「歳の差婚」であることも、
大統領就任当初から日本でも話題になった。

そういった意味でブリジット夫人は、
自分らしい生き方を貫いた女性の一人と言えるだろう。

 
今年2月の誕生日会見で天皇陛下は「雅子自身もいろいろ海外での経験もありますし、
このグローバル化の時代にあって、国際的な取組など本人だからできるような
取組というのが、今後出てくると思います」と雅子さまの海外経験について強調されていた。


 ( https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190628-00012551-bunshun-soci )

           <感謝合掌 令和元年6月28日 頓首再拝>

雅子さまへ「ゆる公務の勧め」 宮中祭祀欠席も、温かく見守る空気広がる - 伝統

2019/06/29 (Sat) 22:23:17


        *Web:AERA(2019.6.28)より


皇后雅子さまが6月16日、「香淳(こうじゅん)皇后例祭」を静かに欠席された。

上皇さまの母である香淳皇后の命日にあたる日に行われるもので、
天皇陛下お一人が装束姿で皇霊殿に拝礼した。

「静かに」と表現した訳は後述する。

もう一つ、その前日の15日にも、雅子さまをめぐる「静かな」変化があった。
静かなというのは私の勝手な解釈だ。

何があったかというと、朝日新聞に陛下と雅子さまと、ある少女の物語が掲載されたのだ。
「そくいおめでとうございます」と平仮名の見出しと共に、お二人と少女との交流が書かれていた。



ここから雅子さまへの「ゆる公務の勧め」を書きたい。
僭越なこととは承知の上だが、まずは16日の話から始める。

皇霊殿に上がったのは陛下だけだったが、
秋篠宮さまご夫妻をはじめ皇族方が合計6人、庭上で拝礼した。
だから「雅子さまだけが」欠席したと騒がれてもおかしくない事態だった。

欠席への理解が広がる

皇太子妃時代の雅子さまは実際、宮中祭祀を苦手とされ、
2004年に療養に入ってからの出席は3回だけだった。

拙著『美智子さまという奇跡』執筆のため、
雅子さまと宮中祭祀に関するさまざまな人の発言を読んだ。
世代によって意見がまるで違っていた。

 
ざっくり分けるなら、皇太子さま(当時)、雅子さまと同世代の人は、
「できなくてもいいし、できない理由も理解できる」という立場だった。

たとえば「血の穢れ」を避ける考えや、
女性にひどく負担の多い装束といった宮中祭祀の「非合理性」に注目してのものだった。

 
一方、終戦前に生まれた人たちは、
「嫁ぐ前から、そのようなしきたりのあることはわかっていたはずだ」と捉え、
「祈らない皇室は、皇室でない」と訴えていた。


令和になって雅子さまは、「期日奉告の儀」という
宮中祭祀(さいし)を無事に務められた。
髪は大垂髪にし、古式装束に身を包み、三殿を拝礼した。

だが逆に、それが雅子さまのハードルを上げたという見方を、
ある皇室研究者から聞いた。

「期日奉告の儀」は即位の礼と大嘗祭の期日を陛下が報告する祭祀で、
言うならば「お代替わりスペシャル」。
だから、雅子さまの出席はある意味当然。

一方「香淳皇后例祭」は通常の祭祀。
だから、欠席すれば再び「やはり雅子さまは、宮中祭祀に熱心でない」
と批判が高まるのではないか。そういう指摘だった。

 
皇太子妃時代を思い出し、暗い気持ちになった。
が、杞憂だった。雅子さまは欠席したが、問題視する意見は聞こえてこなかった。
皇太子妃時代には同世代だけのものだった「欠席」への理解が、令和になって広がった。

雅子さまの適応障害という病を前提に、できること、できないことを温かく見守る。
そんな空気が広がっていると感じ、安堵の気持ちを込めて、「静かに欠席」とした。

これは、お二人のスタイルが受け入れられ始めた証しかもしれない。
上皇さまと美智子さまは宮中祭祀に大変熱心だった。

国内外に一緒に出かけ、美智子さまは常に陛下から一歩下がっていた。
だが雅子さまには、令和らしい新しい皇后像をつくっていただきたい。
そう思った国民も多かったからこそ、
トランプ大統領夫妻を迎えた姿が大評判になったのだと思う。(コラムニスト・矢部万紀子)

     ( https://dot.asahi.com/aera/2019062600086.html )

・・・

<参照>

本スレッド内
「新天皇と雅子皇后、初の地方訪問が示す「皇室大変革の予感」」(2019/06/03)


           <感謝合掌 令和元年6月29日 頓首再拝>

秋篠宮家、直面する待遇面の問題 - 伝統

2019/06/30 (Sun) 22:26:32

       *Web:NEWSポストセブン (2019年6月30日)より

平成から令和へと時代が変わるなかで、
国民から高い関心を抱かれている秋篠宮ご一家。 

2017年9月に眞子さま(27才)の婚約内定会見が行われると、
その直後、婚約者である小室圭さん(27才)の家庭の金銭トラブル問題により
結婚が延期。

すると、今年3月、次女の佳子さま(24才)から異例の“姉擁護宣言”が飛び出した。
そして、4月下旬には、長男・悠仁さま(12才)の身に「刃物事件」が起こった。

矢継ぎ早に発生する不測の事態に、天皇皇后両陛下、上皇上皇后両陛下以上に、
秋篠宮さまとご家族は注目を浴びる存在になっている。

(中略)

《重い使命と限られたお金で家計をやりくり》

悠仁さまが誕生された2006年、皇室にかかる費用のうち、
当時の天皇皇后両陛下、皇太子ご一家の5人には「内廷費」として
年間3億2400万円が支給されていたが、

秋篠宮家の5人には年間5490万円の「皇族費」が支給されるのみだった
(皇嗣家になられた今年度は約1億2300万円が支給)。

 
職員数も皇嗣家になるに伴って51人に増えたが、それまでは24人しかおらず、
皇族費から私的に職員を雇っていた。

皇室ジャーナリストの神田秀一さんが指摘する。


「今後も秋篠宮家は、皇族費のみで生活をやりくりする必要があります。
御代がわりで増額されましたが、増え続ける公務と悠仁さまを大切に育てるという使命の中、
限られたお金で家計をやりくりされる困難は変わりません。

本来は宮内庁がサポートすべきですが、双方の意思疎通ができていない状況です。

昨年11月の誕生日会見で秋篠宮さまが、
『新天皇の即位儀式への公費支出について意見したのに、
宮内庁長官が聞く耳を持たない』と厳しい言葉を投げつけられたのは、
宮内庁への不満の表れでしょう」

   ( https://news.infoseek.co.jp/article/postseven_1400585/ )

           <感謝合掌 令和元年6月30日 頓首再拝>

両陛下、トルコ大統領とご面会 雅子さまは和服姿で - 伝統

2019/07/02 (Tue) 23:07:52


      *Web:FNN PRIME(2019.07.01)より

天皇皇后両陛下は1日午後、来日中のトルコのエルドアン大統領夫妻と皇居で面会された。

陛下とともに大統領夫妻を出迎えた皇后さまは、和服姿で、笑顔で握手を交わされていた。

宮内庁によると、両陛下は、大統領夫妻に
「4年前にお会いした時のことを懐かしく思い出します」との
上皇ご夫妻のメッセージを伝えられたという。


  ( https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190701-00010019-houdoukvq-soci )


・・・

即位後初...外国の王族と 陛下 サウジ皇太子と懇談

      *Web:FNN PRIME(2019.07.02)より

天皇陛下は、来日中のサウジアラビアのムハンマド皇太子と赤坂御所で懇談された。

2日午後4時半ごろ、陛下は、赤坂御所で
サウジアラビアのムハンマド皇太子を出迎え、握手を交わされた。

ムハンマド皇太子は、G20大阪サミットに合わせて来日し、
今回、サウジアラビアから願い出があり、懇談の場が設けられたという。

陛下は、およそ20分間にわたり、ムハンマド皇太子と懇談された。

陛下が即位後に外国の王族と会われるのは初めて。

  ( https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190702-00010017-houdoukvq-peo )

<関連Web>

(1)共同通信
   https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190702-00000162-kyodonews-soci

           <感謝合掌 令和元年7月2日 頓首再拝>

「雅子皇后に会いたい!」世界のリーダーから要請殺到の理由 - 伝統

2019/07/04 (Thu) 17:55:23


        *Web:女性自身(2019年7月4日)より

車から降りたマクロン仏大統領が、笑顔で天皇皇后両陛下のもとに歩み寄る。

陛下と固い握手を交わしたあと、
さらに雅子さまの右手を両手で包み込んだマクロン大統領。
30秒もの、長い握手だった。

6月27日、両陛下はG20大阪サミットのために来日したマクロン大統領夫妻と皇居で会見。
続いて宮殿で昼食会が催された。

「昨年10月には天皇陛下がフランスを訪問されましたが、
雅子さまはご体調が万全ではなく、訪問を断念されました。
マクロン大統領も、皇后となられた雅子さまにお会いすることを
心待ちにされていたのでしょう」(宮内庁関係者)

この日、雅子さまの“おもてなし”が光る場面があったという。

「雅子さまは今回もほとんど通訳に頼ることはなく、
昼食会ではマクロン大統領と英語で会話されました。

その一方で、ブリジット夫人とは英語とフランス語を交えて話されていたのです。
実はブリジット夫人はあまり英語が流暢ではありません。
雅子さまはお相手が話しやすいように、言語を使い分けされていたのです」
(皇室担当記者)


7月1日にはトルコのエルドアン大統領とも会見され、
G20で各国首脳が集まる中、存在感を発揮されていた天皇皇后両陛下。

11月下旬にはローマ法王が訪日し、
さらに来春には中国の習近平国家主席が国賓として招かれる見通し。
いずれも両陛下と会見することになる見込みだ。宮内庁関係者が言う。

「御代替わりを機に、天皇皇后両陛下のもとに
世界のリーダーから会見のオファーが殺到している状況です。
とりわけ海外の政府関係者は、雅子さまの人気に関心を示しているようです」

5月、国賓として訪日したトランプ米大統領をもてなした雅子さま。
『ニューヨーク・タイムズ』は、「雅子皇后はスター」と絶賛した。

海外王室に詳しいジャーナリストの多賀幹子さんは、
雅子さまが脚光を浴びる一因に、皇太子妃時代の苦難への共感があると語る。

「15年以上にわたり雅子さまが療養されていたことは、海外でも知られています。
ハーバードやオックスフォードに留学され、外交官として活躍したキャリアウーマンが、
皇太子妃となってから思うように活躍できなかったことに、
海外メディアは非常に同情的なのです」

それゆえに今、皇后になられていきいきとされた雅子さまに
大きな注目が集まっているというのだ。

「マクロン大統領と通訳を介さずに会話し、笑い合う雅子さまのお姿は、
“時代が変わった”と実感させるものでした。

今後来日する各国の首脳たちも、その光景を目にする相手国の国民も、
同じように感じることでしょう」(多賀さん)

再び輝いた雅子さまの笑顔が、日本と世界の懸け橋になる――。

     ( https://news.infoseek.co.jp/article/joseijishin_1753822/ )

           <感謝合掌 令和元年7月4日 頓首再拝>

天皇皇后両陛下と謁見したい各国首脳続々、紛争回避の効果も - 伝統

2019/07/05 (Fri) 17:58:46


       *Web: 女性セブン(2019.07.04)より

淡い若草色の生地に、白や橙、桃色の花が咲いた着物に身を包まれた雅子さま(55才)。
5月のトランプ米大統領夫妻、6月のマクロン仏大統領夫妻を迎えられた時は、
キャリアウーマンを彷彿とさせるスーツ姿だったので、

7月1日、皇居・宮殿(東京・千代田区)にトルコのエルドアン大統領夫妻を迎えられた
雅子さまの和装に、驚いた人も多いのではないだろうか。

「エルドアン大統領はイスラム主義を大切にする立場です。
エミネ夫人は、いつもイスラム伝統のヘッドスカーフを被っています。

雅子さまも、日本の伝統的な装いである着物を着られていました。
元外交官であり、中東情勢に明るいとされる雅子さまらしい、
おもてなしの工夫だったようにも感じられました」(官邸関係者)

 
5月、令和初の国賓としてトランプ夫妻を接遇された際、
流暢な英語でコミュニケーションをとられた天皇皇后両陛下のお姿は記憶に新しい。

海外メディアもこぞって、雅子さまが名門米ハーバード大学を優秀な成績で卒業され、
外務省で活躍されたキャリアウーマンであったことを報じた。

それからというもの、「天皇皇后両陛下に謁見したい」という
各国首脳からの申し出が後を絶たないという。

 
実際、6月27日にはマクロン大統領、
7月1日にはエルドアン大統領、
翌2日にはサウジアラビアのムハンマド皇太子と会見し、
来春には中国の習近平国家主席の接遇の調整が進んでいる。

 
元宮内庁職員で皇室ジャーナリストの山下晋司さんは次のように言う。

「昨今のグローバル社会において、皇室の国際親善はますます重要度を増しています。
象徴たるお立場の天皇陛下を中心とした皇室のご活動は、政治家とは違って
“駆け引き”はありません。だからこそ、諸外国との関係が政治的に複雑化する
国際社会の中にあっても、各国首脳と個人対個人の友人関係が築きやすいのです。

各国首脳もそれがわかっているからこそ、両陛下との会見を望むのだと思います。
そして、皇室がそうした国際親善を深めることで、日本国や日本国民の評価を高める
ことにも繋がります」


◆日本にとっても良い影響

たとえば、今回のトルコも複雑な国際情勢の中にある。
2017年、アメリカ総領事館に勤務する職員を、政府転覆の疑いで
トルコ側が逮捕したことなどで、アメリカとの関係が悪化。

また、少数民族ウイグル族に対する人権侵害問題を巡って、
中国との関係も穏やかではない。
米中という二大国家との“衝突”が危惧されている。

「屈指の親日国として知られるトルコとしては、
関係が悪化している米中と親密な日本に“緩衝材”になってもらいたい
という希望があるのでしょう。

とはいえ、安倍首相など有力政治家と関係を強化すれば、
そこに政治的な思惑や駆け引きが発生しかねない。

そこで、まずは日本の皇室との関係を深めることで、
両国の距離を縮めたいという狙いがあるのではないでしょうか」(政治ジャーナリスト)

 
今回の会見では、陛下が2009年、皇太子時代にトルコを訪問されたことにも話が及び、
エルドアン大統領は「次はぜひ両陛下でトルコをご訪問いただきたい」と述べたという。

国際情勢には対立や紛争の火種が多いが、日本の皇室の国際親善には、
それを穏やかにしたり、防いだりする力があるということだ。

「雅子さまが外交官ご出身であり、各国情勢に通じられていることは
世界的に話題になっているので、各国の首脳たちだけでなく日本政府としても
国際親善の場でのご活躍に大きな期待を寄せています。

特に、トランプ夫妻の接遇が大成功して以来、
各国からの多くの申し出を容認し始めているそうです。

雅子さまの父・小和田恆(ひさし)さんが、
オランダ・ハーグの国際司法裁判所の裁判所長を務めたことのある、
世界的に著名な外交官だということも大きいでしょう」(前出・政治ジャーナリスト)

 
雅子さまが国際的に活躍されることは、もちろん日本にとってもいい影響がある。

「皇后陛下が外国の元首夫妻に対して堂々と対応されるお姿に、
誇らしく思っている国民は多いでしょう。
特に、令和の時代の働く日本人女性にとって、尊敬の対象であり、
励まされるご存在になるのではないでしょうか。

国際親善で本領を発揮され、自信を積み重ねることで、
国内のご公務や宮中祭祀などにも繋がっていくと思います」(前出・山下さん)

皇室の国際親善は、雅子さまによって、新しいステージに入っているようだ。

  ( https://www.news-postseven.com/archives/20190704_1405331.html )

           <感謝合掌 令和元年7月5日 頓首再拝>

雅子さま 急遽の「お出まし中止」の背景にあるプレッシャー - 伝統

2019/07/21 (Sun) 19:57:07


       *Web:女性セブン(2019.07.20)より抜粋

『日本書紀』には、古代の雄略天皇が皇后に
「養蚕(ようさん)」を奨励したという記述がある。

現在の皇室のご養蚕は、1871年、明治天皇の皇后である昭憲皇太后によって復興された。

それ以降、代々の皇后に受け継がれ、今も春から夏にかけて取り組まれている。

美智子さま(84才)もその歴史の重みを受け止め、
皇居内の紅葉山にある御養蚕所へ足繁く通い、伝統を紡いでこられた。

「御代がわりの行事が立てこむため、雅子さま(55才)が
本格的に取り組まれるのは来年からです。
ですが、7月10日には天蚕(てんさん ※:注)の収繭(しゅうけん)作業のため、
御養蚕所を訪ねられる予定でした。
美智子さまも毎年この時期に御養蚕所に通われたので、それに倣われたのだと思います」

(宮内庁関係者)

(※:注/日本、朝鮮半島、台湾などに分布する蚕の一種。
山繭とも呼ばれる。屋内飼育ができず、木に網をかけて放し飼いをする)

 
ところが皇居へ到着予定の30分ほど前、皇居・半蔵門に詰めかけていた報道陣に
「お出ましは取りやめ」の一報が入り、驚きが広がった。

(中略)

雅子さまの御代がわり以降の公務は、順調そのもの。
それだけに、養蚕へも予定通りに取り組まれると期待されていた最中の出来事だった。

(中略)

《ふとお疲れを感じさせる表情が浮かぶ》

ある皇室関係者が言う。

「公務に出られ、衆目のあるところでは、決して笑顔を絶やされません。
もちろん賓客の前では、国の代表として気品と気遣いが溢れる応対をされていらっしゃいます。

しかし、裏に入ると、ふと重圧やお疲れを感じる表情を浮かべられることがあります。
フーッと大きく深呼吸をされている場面もありました。 
療養中でありながら、連日のお務めを果たされているのですから、無理はありません。
雅子さまはそうした苦悶の表情をひた隠しにされながら、日々の公務に向かわれているのです」

ただし、いくらそうした強いご覚悟をお持ちでも、
15年続いているご病気は簡単には抑え込めるはずがない。

前述の御養蚕所ご訪問もそうだが、多くの人の目に触れない、
私的なお務めは、大事をとって休まれることも少なくない。

例えば、6月16日、香淳皇后のご命日に執り行われる宮中祭祀「香淳皇后例祭」に、
雅子さまは出席されなかった。

(以下略)

   ( https://www.news-postseven.com/archives/20190720_1413555.html )

           <感謝合掌 令和元年7月21日 頓首再拝>

天皇陛下、東京五輪・パラリンピック名誉総裁に就任 - 伝統

2019/07/23 (Tue) 21:05:10


       *Web:TBSニュース(2019.07.23)より

宮内庁は、

天皇陛下が、東京オリンピック・パラリンピックの名誉総裁に就任される

と発表しました。

 
天皇陛下の名誉総裁の期間は、東京オリンピック開幕1年前となる、
24日からパラリンピックの閉会式が行われる来年9月6日までです。

宮内庁によりますと、組織委員会から依頼を受けた安倍総理から今月、
宮内庁長官に就任の要請があり、22日、陛下が、承認されたということです。

1964年の東京大会では、昭和天皇が大会の開会宣言をしていて、
今回も、陛下が開会式に出席し開会を宣言されるものとみられます。

今回、両大会の名誉総裁を統一したことで、
パラリンピックをオリンピックと同列に位置付ける狙いがあります。

   (https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20190723-00000010-jnn-soci  )

               ・・・

天皇陛下が東京五輪の名誉総裁に パラも就任は初(19/07/22)
https://www.youtube.com/watch?v=-WznmJdnuBM

           <感謝合掌 令和元年7月23日 頓首再拝>

終戦74年、全国戦没者追悼式 - 伝統

2019/08/15 (Thu) 19:10:29

      *Web:時事ドットコムニュース(2019年08月15日)より

終戦から74年を迎えた15日、政府主催の全国戦没者追悼式が、
東京都千代田区の日本武道館で開かれた。

令和最初の追悼式には、天皇、皇后両陛下や安倍晋三首相、
全国の遺族ら6497人が参列し、
先の大戦の戦没者約310万人の冥福を祈った。

初めての参列となった天皇陛下はお言葉で、
上皇さまが使った「深い反省」との表現を踏襲し、平和を思う気持ちを示された。



式典は午前11時50分すぎに開始。
会場に入った両陛下は壇上に上り、
「全国戦没者之霊」と書かれた標柱に深々と一礼した後、
向きを変えて遺族らにも深々と頭を下げた。

正午に参列者全員で黙とうを1分間ささげた後、天皇陛下が

「戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ、ここに過去を顧み、
深い反省の上に立って、再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願う」

とお言葉を読み上げた。


これに先立ち、安倍首相は式辞で

「今、私たちが享受している平和と繁栄は、
戦没者の皆さまの尊い犠牲の上に築かれた」と追悼。その上で、

「戦争の惨禍を、二度と繰り返さない。この誓いは、
昭和、平成、そして、令和の時代においても決して変わることはありません」
と述べた。

歴代首相が言及してきたアジア諸国に対する損害や反省には今年も触れなかった。
 
父が東部ニューギニア(現パプアニューギニア)で戦死した
横浜市南区の森本浩吉さん(77)は遺族を代表し、「(8月15日が)

『戦没者を追悼し平和を祈念する日』

であることを全ての国民が胸に深く刻み、
ご英霊に感謝ししのんでいただくことを望む」と追悼の辞を読み上げた。

両陛下は森本さんの方向を見詰め、聞き入っていた。
 
厚生労働省によると、参列遺族は4989人で、
台風10号の影響で宮崎県の遺族約50人が欠席するなどした。

最高齢は夫を沖縄戦で亡くした内田ハルさん(97)で、最年少は4歳。
戦没者の父母は9年連続でいなかった。

   ( https://www.jiji.com/jc/article?k=2019081500555&g=soc )

           <感謝合掌 令和元年8月15日 頓首再拝>

両陛下、国民文化祭に出席 - 伝統

2019/09/16 (Mon) 20:22:30

両陛下、国民文化祭に出席=新たな定例地方公務-新潟

           *Web:時事ドットコム(2019年09月16日)より

天皇、皇后両陛下は16日、新幹線で新潟県入りし、
新潟市の朱鷺メッセで開催された第34回国民文化祭と
第19回全国障害者芸術・文化祭の開会式に出席された。

皇太子夫妻時代から担ってきた公務で、代替わり後も続けることになった。
 
開会式で天皇陛下は

「幅広い交流の輪が広がり、地域の伝統芸能や文化を見つめ直す契機となり、
多くの方が芸術文化に触れやすい環境づくりへつながることを期待しています」

とあいさつした。
 
両陛下は式後、出演者と懇談。皇后さまは和太鼓を演奏した
耳が不自由な男性(64)に、手話で「ありがとう」と語り掛けていた。
 
17日は同市の県障害者リハビリテーションセンターなどを訪れ、同日夕に帰京する。

      (https://www.jiji.com/jc/article?k=2019091600256&g=soc )

           <感謝合掌 令和元年9月16日 頓首再拝>

天皇陛下の即位祝う「国民祭典」 - 伝統

2019/11/09 (Sat) 23:10:01

天皇陛下の即位を祝う「国民祭典」 奉祝パレードと皇居前
https://www.youtube.com/watch?v=PvnwT4YvE7E


天皇陛下の即位祝う「国民祭典」 第2部祝賀式典の様子(2019年11月9日)
https://www.youtube.com/watch?v=M0_3p6wbmoA



即位祝い「国民祭典」 「嵐」ら出演、陛下がお言葉
https://www.jiji.com/jc/article?k=2019110900483&g=soc


芦田愛菜、天皇陛下へ祝辞 約2分半“秀逸な言葉選び”堂々たる姿で御即位をお祝い
https://www.oricon.co.jp/news/2148314/full/

  芦田愛菜、陛下への祝辞に感嘆の声 秀逸な言葉選びに「聡明」「まだ中学生…」
  https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191109-00000337-oric-ent


松本白鸚が祝賀式典で祝辞「明るく大きな希望」
https://www.nikkansports.com/entertainment/news/201911090000606.html



嵐の歌に皇后さま涙ぐまれ・・・即位を祝う国民祭典5(19/11/09)
https://www.youtube.com/watch?v=QSwl2QcBotA



奉祝曲 組曲「Ray of Water」
 〜天皇陛下御即位奉祝曲〜


第一楽章~オーケストラ演奏「海神」、

第二楽章~「虹の子ども」辻井伸行氏がピアノ演奏
   辻井伸行が奏でる!水がテーマの奉祝曲 国民祭典4(19/11/09)
   https://www.youtube.com/watch?v=oWHppUXtfYM

第三楽章「Journey to Harmony」歌詞~嵐が熱唱

【嵐】奉仕曲 組曲 「Ray of Water」 第三楽章 journey to Harmony
https://www.youtube.com/watch?v=RDNU1MWUsCQ


君が 笑えば 世界は 輝く
誰かの 幸せが 今を 照らす
僕らの よろこびよ 君に 届け

はじめはどこかの 岩かげにしたたり 落ちたひとしずくの 水が平野流れ
やがて研ぎ澄まされ 君をうるおし 鳥たちをはぐくみ 花たちとたわむれ
あの大河だって はじめはひとしずく 僕らの幸せも 大河にすればいい

ごらんよ 僕らは 君の そばにいる

君が 笑えば 世界は 輝く
誰かの 幸せが 今を 照らす
僕らの よろこびよ 君に 届け

星明りにじんで ふと立ち止まったら 雨の匂いのなかに 虹のうたを聴こう
かすかなそのうた まるでひとしずく 静かにつながって 確かにつながって
青い空の下 夢など語りあう 愛とか語りあう それが僕の願い

ごらんよ 光は 君と ともにいる

君が 笑えば 世界は 輝く
誰かの 幸せが 時代(とき)を 照らす
僕らの よろこびよ 君に 届け

君が 笑えば 世界は 輝く
誰かの 幸せが 今を 照らす
僕らの よろこびよ 君に 届け

大丈夫 鳥は 歌っている 大丈夫 空は 輝いてる
大丈夫 水は 流れている 大丈夫 海は 光っている
大丈夫 君と 笑ってゆく 大丈夫 君と 歩いてゆこう

https://news.goo.ne.jp/article/oricon/entertainment/oricon-2148321.html



「君が代」独唱・斉唱 陛下の即位を祝う国民祭典6(19/11/09)
https://www.youtube.com/watch?v=zATKOOKNzN8


国民祭典、天皇陛下のお言葉全文

 
先に即位礼正殿(せいでん)の儀を行い、即位を内外に宣明(せんめい)しました。
そして、今日ここに集まられた皆さんから、お祝いいただくことに感謝します。

即位から約半年、多くの方々から寄せられる気持ちを、
うれしく思いながら過ごしています。

また、この間、様々な機会に国民の皆さんと直接接し、皆さんの幸せを願う思いを、
私たち2人で新たにしてきました。

その中にあって、先月の台風19号を始め、
最近の大雨などによる大きな被害に、深く心を痛めています。

亡くなられた方々に哀悼の意を表しますとともに、
ご遺族、被災された方々にお見舞いを申し上げます。

寒さが募る中、避難を余儀なくされ、生活再建が容易でない方が、
数多くおられることを案じています。

復旧が進み、被災された方々が、
安心できる生活が一日も早く戻ることを心から願っています。

ここに改めて、国民の幸せを祈るとともに、我が国の一層の発展と世界の平和を願います。

今日は寒い中にもかかわらず、このように、大勢の皆さんが集まり、
即位をお祝いいただくことに、深く感謝いたします。

https://www.yomiuri.co.jp/kaigen/news/20191109-OYT1T50223/

           <感謝合掌 令和元年11月9日 頓首再拝>

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