伝統板・第二

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乳幼児教育 - 夕刻版

2019/04/30 (Tue) 19:11:54

このスレッドでは、乳児教育に関する情報を集めてまいります。



【盲目の愛が人間の土台をつくる】


      *『致知』2014年12月号
        ~ 坂本フジヱ(助産師)

和歌山県田辺市内の閑静な住宅街にある坂本助産所。

ここに4000人を超える赤ちゃんを取り上げてきた助産師がいます。

坂本フジヱさん、90歳。

この道一筋70年、
国内最高齢の現役助産師としていまも活躍を続けています。

そんな坂本さんが語った
「子育て術」とは――。

   *   *   *   *   *   *

――先ほど「子供が生まれてからの1年間は、
  お母さんがどういう接し方をするかに
  完璧に委ねられている」とおっしゃっていましたが、
  具体的にはどうすればいいのでしょうか?

何も難しく考える必要はなくて、
赤ちゃんを抱いて抱いて、ひたすら抱きしめて、徹底的に可愛がってあげる。

与えて与えて、与えきって構わないんです。
そうすれば、素直ないい子に育ちますよ。

特に最初の3か月までは「盲目の愛」でいいんです。

ところが最近のお母さん方は
昔に比べて大学とか短大まで進んで教育を受けるようになったでしょう。

そういう人たちが赤ちゃんを育てると、
物言わぬゼロ歳児は何も分からないと思って、
自分の考え方や価値観というものを押しつける。

実はそれが赤ちゃんに
理不尽に堪えているんですよ。


――最近はゼロ歳児を対象にした教材もかなりありますね。


ゼロ歳児には道徳の観念や躾は無用だし、
親の欲目で早くから教育しようなんていう考えは一つもいらないんです。

それよりも1年間は徹底的に大事に大事に育ててあげる。

そうして1年経ったら、いろんなことに耐えられるようになるから、
教えるのはそれからでいい。

逆にゼロ歳児のうちにあやふやな養い方をすると、
その後遺症が一生続いていくんです。

どうなるかというと、
自己を肯定する感情が育たなくなる。

だから母親とゼロ歳児の赤ちゃんとの間には、
他の人に首を突っ込ませるなということなんです。


――自分のことが好きではない子供が増えているといいますね。

本当の愛情をもらった子供たちは、
母親との間に原信頼関係というのができてくるんです。

そして次に自尊、つまり自分を尊ぶ感情が生まれてくる。

「自分はお母さんが思ってくれているような大切な人間なんだ」

と自覚できるようになると、

今度は自分を大切にするだけではなく、
人も大切だということを
自然に学んでいくというわけです。

つまり母親との原信頼関係が強固に構築されれば、
それをベースに父親も見る、おじいちゃんおばあちゃんも見る、
周囲の人たちも見る、というように
社会に広がっていく心というものが
育まれていくんですよ。

もっとも、私が昭和22年に開業した
当時のことを思ったら、
この頃の赤ちゃんって随分進化したと思うんですね。


――赤ちゃんが進化しているんですか!?

やっぱり半世紀も経つと、
どこかに進化の後が出てくるんですよ。

どの部分かというと、
私は智恵ではないかと思うんです。


――智恵、ですか。

昔から「三つ子の魂百まで」と言われていますが、
私は1年間母親が愛情を注げば大丈夫だという考え方でした。

ところが最近の赤ちゃんは半年で
マスターしているんじゃないかなと思うんですね。

赤ちゃんに寄り添って観察していると、
どうしてもそんな気持ちがするんですよ。

・・・

<参考Web>

(1)(和歌山)94歳の現役助産師 坂本フジエさん
   https://www.asahi.com/articles/ASL223R8FL22PXLB004.html

(2)動画【95歳 助産師】 坂本 フジヱ|1日1日の積み上げが、いのち。
   https://www.youtube.com/watch?v=unSQ4YvvlAA


           <感謝合掌 平成31年4月30日 頓首再拝>

幼児体操 - 伝統

2019/05/01 (Wed) 20:45:44


          *「光明道中記」(5月1日《万物を礼拝する日》)より

【神を愛すると云うことは万物を敬虔に愛すると云うことである。
                        (生命の實相第十巻)】 

幼児は生後11ヶ月乃至誕生2ヶ月までの間におのずから立って歩く。
幼児体操と云うようなものを幼児の発育促進や健康法のためにやっている人もあるが、
やるのも好いが、やらなくても好い。

人間は人工の体操によって歩くようになるのではないことは、何に教えられなくとも
動物は脚(あし)で立ち、歩み、鳥類は飛翔することが明らかである。
人間が歩行するのは赤ん坊が乳房を吸い鳥類が飛翔すると同じに自然の本能である。

幼児の歩行運動が生得的な本能によるのであるが、
訓練によってなるか学者の定説がないと言って、
歩行準備体操などを課するのは愚かな蛇の知恵である。

近頃諸所で開かれる赤ん坊審査会で一等賞を得たような生長の家誌友の赤ん坊などは、
光明思想で家庭全体が明るいことのほかは自然に放任した結果であって
決して体操を課したのではない。

幼児体操そのものに私は反対するのではない。
筋肉は運動せしむるほど発達するからである。

併し幼児体操を幼児に課するような父母は大抵「神」又は「自然」に対する信頼の念が
なく、其(その)人には「人工」の外(ほか)には頼るものがないから、
何か落度はないかと常に心配しすぎて、神経過敏に幼児に心配の念を送り過ぎ勝ちである。

親が心配し過ぎると子供は虚弱になる。

           <感謝合掌 令和元年5月1日 頓首再拝>

幼時に母性愛の中で育てなければ性格が戰闘的になる - 伝統

2019/05/02 (Thu) 20:11:50


       *Web:大和魂よ復活せよ(2010.07.05)より

今、若いお母さん方が乳幼児から保育園等に預ける方が増えていますが、
「幼児に母性愛の中で育てなければ性格が戦闘的になる」と言われています。
のでご注意を!

「幼時に母性愛の中で育てなければ性格が戰闘的になる」

幼時期に人間をソ連式に機械的社會制度の中で育てゝ、母親の愛情の中で
育てなかつたならば、人間は戰闘的に育てられると云ふことを、
カール・A・メニンジャー博士はその著『愛憎』の中で詳細に精神分析的に
述べてゐるのであります。


メニンジャー博士に云はせると人間の子供は本能的に破壊活動が好きなのである。

この破壊本能を、幼い時に強めないやうに導くことが
世界に平和を招來するために必要だと云ふのである。

これはメ博士だけでなく多くの精神分析學者の一致せる見解であります。

若し子供の幼いときに、たとへば乳を飲みたい時に、所定の時間が來たと云つて
ミルク瓶を取上げられたりするならば、子供は腹を立てゝ、
その潜在意識中の戰闘本能を強めることになるのである。

メニンジャーはその著『愛憎』の中で、ロンドンの託児所で第一次大戰中世話した
子供たちを観察したアンナ・フロイドとドロシイ・T・パーリンハムの記録から
次の如き文章を引用してゐます、その一部を次に轉載することにします。

   ( http://plaza.rakuten.co.jp/09mimo3/diary/201007070000/ )


「破壊と侵略の光景は子供たちの心を悲しませるだろうと人々は想像するが、
これは子供の性質に関する普遍的な誤解である。

一歳から二歳までの幼児を周囲に柵のある遊び場のなかへ一緒にいれておくと、
かれらは互いに噛みついたり、髪の毛を引つぱつたり、おもちやを取りあつたりして、
相手の子供の不幸に對してはすこしの思いやりもない。

かれらは發育の一段階を経過しつつあるのであつて、
この段階では、破壊と侵略とが重(おも)な役割をする。

小さな子供が遊んでいるのを見ていると、
かれらがおもちやをこわすことにわれわれは氣がつく。

かれらはお人形や兵隊の腕をもぎとつたり、足を引き抜いたり、
ゴムまりをパンクさせたり、こわすことのできるものはなんでも粉砕してしまう。
かれらはその結果だけに氣がつく。
なぜならば、完全に破壊してしまうと、もう遊べなくなるからである。

かれらの獨立性や力が増加すればするほど、かれらを監視する必要性が大きくなる
――あまりひどい損害を生じさせないように、お互いにあまりひどく傷けあわないように、
またかれらより弱い者をあまりひどくいじめないように、われわれは冗談のように、
子供部屋では年中戦争が行われているということがよくあるが、その意味は、
人生のこの時代では、破壊や侵略的な衝動が子供たちの間に働いていて、
その働き方は大人の場合だとこれらの衝動が戦争の目的のために解放された
場合にだけ起こるという行き方である

    (http://plaza.rakuten.co.jp/09mimo3/diary/201007090000/ )


現在の戦争状態が、子供に対してどのような影響をおよぼすかを決定することは
一層容易である。

子供は本能的な恐怖から、このような破壊から顔をそむけるものと人々は
予期するように見えるが、じつは逆に、原始的興奮から、そっちへ顔を
向けるかも知れない。

真の危険は、この戦争の渦巻きのなかに無邪気に巻き込まれた子供が、
ショックを受けて病気になるだろうということではない。
危険は、外界で荒れ狂う破壊が、子供の心の中で暴れ廻っている実に激しい
本ものの破壊を満足させるだろうという點である。

…子供たちは大喜びで爆発された焼け跡で遊ぶ、
爆弾が炸裂してできた大きな穴の周囲で、破壊された家具の切れ端を持って遊ぶ、
こわれた壁から煉瓦を拾って投げ合う。

かれらがこのようにして遊んでいるときに、破壊をリプレス(抑止)したり、
拒否するような反応を起こさせるように教育することは不可能である。

かれらの生存の最初の数年間に、かれらは自分が嫉妬する人たち、
自分の邪魔をしたり失望させる人たち、あるいは自分の子供じみた感情を何かのはずみに
害した人たちなどを全部殺してしまいたいと思う願望を自分で抑えるために闘う。

かれらの周囲で人々が毎日のように殺されたり、傷いたりしているときに、
かれらが自分の持つ「死」の願望に対抗して闘うという仕事を完成するのは、
はなはだ困難なことに違いないのである。


このように児童には幼いときから、「生存の最初の数年間に、かれらは自分が嫉妬
する人たち、自分の邪魔をしたり失望させる人たち、あるひは自分の子供じみた
感情を何かのはずみに害した人たちなどを全部殺してしまいたいと思う願望」
が養われるのである。

それがもう既に満一歳から二歳までの幼児にあらわれていて、その破壊や殺人の
願望が、前述のように「お人形や兵隊の腕をもぎとったり、足を引き抜いたり、
ゴムまりをパンクさせたり、こはすことの出来るものは何でも粉砕してしまう」
行為となってあらわれることになっているのである。

これらの幼児が成長して青年となり大人となると何でも破壊したい、
従って闘争や戦争したい、特に権威あるものを破壊したい願望となって
あらわれるのである。

このように託児所で育った児童が成人して戦闘的になることは当然のことで、
モスクワ放送にあらわれるソ連の歌が如何に戦闘的リズムに満ちているかをきけば
思い半ばにすぐるものがありませう。

   ( http://plaza.rakuten.co.jp/09mimo3/diary/201007100000/ )


幼兒期に兒童を失望せしめてはならない

そこで世界平和のために最も必要なのは、
幼時期に於いて、かれを失望せしめないことである。

幼兒の手から母親の乳房をあまりにも性急にソ連の教育のやうには
引離さないことであります。

「人民のための人民の政治」に於けるソ連幼兒の託兒所生活の如きは、
人間に戰爭本能を幼児から養成するのに適当してはゐるが、
穏やかな平和愛好の人間を養成するには適しないのであります。


ローレンス・K・フランクは次のやうに云ってゐます。

「お母さんのお乳を堪能するほどもらつて育ち、乳離れのときも
情深い思いやりをしてもらつた赤ん坊は、おだやかで、寛大な、
かつ樂天的な態度や氣質を持つて人生をはじめる。


これに反して母乳も充分に興(あた)えられず、
お母さんらしい世話もろくにしてもらえず、
おまけに突然離乳させられたという赤ん坊は、

何か自分のものを取り上げられたように思い、
猜疑心が強く、恐怖に満ちていて、おどおどしており、恨みを抱いていて、
それは後になつて積極的な敵意を攻撃心に結晶することもある。」

  ( http://plaza.rakuten.co.jp/09mimo3/diary/201007110000/ )

           <感謝合掌 令和元年5月2日 頓首再拝>

「子どもが育つ魔法の言葉」 - 伝統

2019/05/03 (Fri) 21:03:02


     *Web:「教える力」( 2012-09-15 )より

けなされて育つと、子どもは、人をけなすようになる

子どもはスポンジのように親の行動や言葉を吸収し、学びます。

もし、あなたが世の中に不満だらけで、
いつも文句ばかり言っていたら、
子どもは、あなたから人をけなすことを覚えてしまいます。

そして、自分の事も責めるようになります。


不満だらけのあなたの気持ちは、
言葉や、ちょっとした仕草、目つきに現れます。
子どもはそういう、あなたの態度にとても敏感です。

あなたが子どもをしかる時は、
たいてい、子どもの事を思ってのことです。
しかし、子どもにはわかりません。

叱られると、がんばろうと思うより、がっくりしてしまいます。
小さな子供は、叱られると、嫌われているのだと思ってしまいます。


どうすればいいでしょう?

子どもを叱るのではなく、
子どもの行動をただすような言葉を使うことです。

やったことは間違っているが、
子どもを嫌いだから叱っている訳ではない
と言う事をきちんと伝えることです。

子どもが失敗から学べるように
リードしてあげることです。

「また、おもちゃを出しっぱなしなんだから、ダメな子ね。」
ではなく、
「おもちゃを入れておいてね。できるよね。」

子どもは肯定的な言い方をされると、
あなたの期待に応えようとします。

子どものやったことにケチをつけると逆効果です。
「子どもが育つ魔法の言葉」 ドロシー・ロー・ノルト


あなたは子供にどのようになって欲しいのですか?

「ダメな子」になって欲しいと思っていないでしょう。
けなされて、あなたが望むような子供になることはありません。

肯定されて、認められる事があなたの望む
子どもの未来を作ります。

「教える力」が子供の未来を変えます。

http://ameblo.jp/oshieruchikara/entry-11355302916.html

           <感謝合掌 令和元年5月3日 頓首再拝>

子供の肉体は親の念の具象化の舞台である - 伝統

2019/05/04 (Sat) 19:26:55


        *「光明道中記」(5月4日《争いを捨てる日》)より

【喘息はイキが激しく擦れ合う病気にて、スレ合う心、争う心、呪う心の象徴である。
                          (『生命の實相』第九巻)】

子供は親を模倣するものである。
その模倣は親の表面の生活の模倣と、親の内面の感情と両方がある。

親が愉快に喋らない習慣の家庭に育った子供は、憂鬱で陰気臭くて明朗さがない。
両親が感情(いき)の奥で衝突した生活を送っている家庭の子供は、時として蓄膿症で
あり、アデノイドがあり、或は20歳までに肺結核で斃(たお)れる傾向がある。

それは子供の模倣性だと考えられないこともない。
それは両親の「感情(いき)の奥」の葛藤を、
呼吸(いき)の奥であるところの鼻の奥や肺臓の奥に具象化する。

この意味に於て子供の肉体は親の念の具象化の舞台である。

親の悲しみの念が反映して子供が寝小便することもある。

子供が口を開いて眠っている時には
両親はこれによって呼吸(いき)の奥に故障があることを発見し、
これによって自分たち夫婦の精神の奥に葛藤があることを反省し、
それを是正すべきである。

両親が感情上の葛藤を経験しながら、その子供が呼吸器を患っているから治して欲しいと
訴えても、感情上の葛藤そのものが、呼吸器病の内面的本質であるから治る筈がない。

           <感謝合掌 令和元年5月4日 頓首再拝>

子供の不従順の原因 - 伝統

2019/05/05 (Sun) 20:56:59


        *「光明道中記」(5月5日《謙遜を以て貫く日》)より

【強がりは本当は弱いのである。上手がりは本当は下手なのである。
                        (『生命の實相』第十二巻)】

子供の不従順の原因は父母の命令の不一致から来ることもある。

母親が「斯うせよ」と言う場合、父親が「そんなことをしなくて可い」と言えば
子供は去就に迷って了い、結局権力者の方へ附いてしまって、
母親を馬鹿にするようになって了う。

子供の前ではどちらでも一方の親が命令した言葉に、
こう一方の親が賛成するようにして命令が二途(と)に出てはならぬ。

仲の悪い夫婦の中に出来た子供は、
両親の一人ずつがその子供に、父や母相互の不平を訴えることがある。
そんな場合、子供は親の権威を無視するようになって不従順になる。

「そんなことをしたらお父ちゃんに言附けますよ」と言う母親があるが、
こんな母親は自分には何の権威もないと云うことを表現しているに過ぎない。
従って子供は母親を馬鹿にして言うことを肯(き)かなくなる。

また一旦命令を出して置きながら、それに従わないでも、ただブツブツ
口叱言(くちこごと)を言っているだけでは、母の命令は「馬の耳に念仏」と同じようで、
子供に何の権威もないものとなる。

滅多に叱言は言わぬか、一旦命じたことは断乎として従わせる習慣をつけねばならぬ。

           <感謝合掌 令和元年5月5日 頓首再拝>

子供の能力で出来ない事を命ずるな - 伝統

2019/05/06 (Mon) 19:27:43


     *「光明道中記」(5月6日《拝んで人の苦難を看(み)のがす日》)より

【突き当たったら目が覚める。突き当たらすのも慈悲の道だ。
                        (『生命の實相』第十二巻)】

「一度だけは我慢してあげましょう」こう言って自分で自分の命令を撤回してしまう癖を
つければ、命令は徹底しなくなる。一度が大切であって、一度許せば今後許さない時には
却って逆恨みをするようになるものである。

「あれほど言ってもまだ言うことを肯(き)かぬのですか、
お前のような強情なものはない」と言うならば、
その子供は親の言った通り強情になって了うだろう。

まだその上、「お前の強情にほとほと困って了う」と言えば、
親の無能の表白ともなり、強情の勝利ともなる。

「この前も、お前はこうだった、あの時もお前はこうだった」と、
旧悪までも曝(さら)け出して叱るのは、本人に「悪」を印象せしめるか、
幾つも挙げているうちには「あの時には私の方に理由がある」と思えることもあり、
却って、親や教師の方が無理を言っているような感じを与えて、
子供を益々反抗させる虞(おそれ)がある。


子供の能力で出来ない事を命ずるな。
そんな命令は実行が出来ないから、子供を不従順にするようなものである。

           <感謝合掌 令和元年5月6日 頓首再拝>

0歳から教育は始まっている! - 伝統

2019/05/08 (Wed) 21:02:48


         *Web:七田式教育公式サイト より

(1)実は、子供は小さい頃の方が、物事に対する吸収力がとても高いのです。
   だから、幼い頃から言葉を教えることはとても良いことで、幼ければ幼いほど、
   その効果は高いのです。

(2)0歳の赤ちゃんは、
   本当は「理解できている」ことを言葉や行動で表せないだけなのです。

(3)誰でも簡単に実践できる!0歳は言葉がけで学ぼう

  ①効果的な取り組みの1つに「家具めぐり」という取り組みがあります。

   あらかじめ、家の中で教えたい言葉を10個程度決め、指差しをして、
   「これは〇〇よ」と言いながら、赤ちゃんを抱いて家の中をめぐるというものです。

  ②ものの名前だけでなく、「おいしいね」「眠たいね」などのお母さんの気持ち、
   「赤よ」「ふわふわ」など、見た目や触った感じについても教えてあげるとよいでしょう。

   言葉がけは何と言っても、「お母さんの声」が効果的です。

  ③一日少しずつできる!脳の仕組みを利用したカードフラッシュ

   カードフラッシュとは、絵が描かれたカードを、
   1枚1秒以下のスピードでめくって見せながら、
   その絵の名前を読み上げる取り組みです。

  ④0歳からでも効果的!賢い子に育てるなら、絵本の読み聞かせ

   小さな頃から、絵本の読み聞かせを行うと、読書の好きな子供になり、
   将来的に自らすすんで物事を学ぶ子供に育っていきます。

           <感謝合掌 令和元年5月8日 頓首再拝>

教育は「善」の権威を示すことによって行なわれる - 伝統

2019/05/09 (Thu) 19:59:41


        *「光明道中記」(5月9日《何事にもイライラせぬ日》)より

【他(ひと)を審判(さば)く者は、天に於いてまた自分も審判(さば)かれる。
                         (『生命の實相』第三巻)】


子供が不従順な場合は健康を害しているか、疲労しているために
何に対しても焦々(いらいら)してヒステリックになっている場合もある。

頭から叱り付けでも、子供の精神障害を一層大きくするばかりで、
百害あって一利なしである。
それどころか子供を叱っていると、親自身が焦々(いらいら)して来るから子供の心に
親のイライラを反映させて決して教育効果などのありようはないのである。

教育はイライラや叱責や気持の悪さで行なわれるものではない。
教育は「善」の権威を示すことによって行なわれるのである。

善の権威とは暴風の如く狂暴に暴(あば)れ狂う殺伐(さつばつ)さではない。
善の魅力、愛の魅力である。

獄中にいて検察官を手古摺(てこず)らせた左翼の闘士でさえも、
親の愛の前には転向せざるを得なかったと云う。

教育は鞭(むち)ではない。
愛である。その愛も、盲愛であったり熱愛であったりしてはならない。
智慧をもって急所急所を抑えて行かなければならない。

病気だとしていたわりすぎると、
病気を口実にして不従順や嬾惰(らんだ)の習慣が附くのである。
病気だと云う言葉を家庭の中で使ってはならない。

静かに抱(だ)くか愛撫するかして
「あなたは好い子なのです。屹度親の言うことを聴いてくれます」
と断定的に言いなさい。

愛は癒す。
言葉の力は癒すのである。

           <感謝合掌 令和元年5月9日 頓首再拝>

「泣き声」 - 伝統

2019/05/10 (Fri) 21:36:49


        *谷口雅春先生・著「家庭教育のみちしるべ」(P4~5)より

《赤ちやんが泣くのは必ずしも乳がほしいのではない》

赤ちゃんが何にも知らないなんて思うと、大まちがいです。

赤ちゃんから「お母ちゃんなんかちっともわかっちやいない」
なんて言われぬように勉強しましょう。


赤ちやんは泣き声をいろいろと使いわけて、話しかけてきます。

「お腹がすいたよーゥ」
  ……唇のうごきまで、お乳をのむようなふうにふるわしながら……。

「もうねむいよーゥ」
  ……まぶたを半分とじながら、いかにもねむそ……。

「虫がさしたよ!」「針がささったよ!」「お腹がいたいよ!」
  ……もうー刻も猶予ができない。
    火がついたように涙をだして泣きさけぶ……。

「お母ちやんのバカ!!」
  ……足をふんばり、手をこわばらせてのカソシャク泣き。

「ちょいと、運動しているだけよ」
  ……たのしそうにに発声練習でもやっている泣きかたもあります。



《ちよいと泣けば「ソラ、オッパイ」は禁物です》

生れたばかりの赤ちやんだからとて油断は禁物です。

とてもすばらしい観察眼で、お母さんのやること、なすこと、
それから心の底までじっと見ています。

生れて十五日くらいの間に大体の観察を終るくらいですから、気をつけて下さい。

ちょいと泣けば「ソラ、オッパイ」
ちょいと怒れば、「ああ、ヨシヨシ」というようにしてもらえることがわかると、

赤ちゃんは、この母ちゃん『くみしやすい』とみてとって、

『泣くこと』を道具につかい

『かんしゃく」をおこすことを武器としてお母さんにたちむかってくるようになります。


だから、親の方でも愛深くじっと赤ちやんを観察しながら、

今はかんしゃく泣きをしているのか、

わがままを言っているのかをたしかめ、

わがままやかんしゃくには奉仕しないようにすることです。

           <感謝合掌 令和元年5月10日 頓首再拝>

オッパイの教育 ~ その1 - 伝統

2019/05/11 (Sat) 21:28:19


        *谷口雅春先生・著「家庭教育のみちしるべ」(P6)より

《オツパイは愛のシンボル》

”子供は神が育てるもので、母親が育てるのではない。

母親が乳を出しているように思っているのは間違いだ。

神さまが乳を出しておられるのである……。”

             (生命の實相、四十巻、六十八頁)


オッパイは神の愛の流出口ですから、愛のシンボルであります。
子供が愛深く育つか、よい性格に育つかをきめる位に大事なのが
オッパイの教育です。

赤ちやんは、片方のオッパイをにぎり、片方のオッパイに口をつけて、
力ーぱい吸えるときがー番しあわせです。

オッパイを吸う力か、独立への第一歩です。
お母さんの胸から愛を吸いながら、
自ら吸い出す努力によって独立がはじまるのです。

オッパイをのませるときのお母さんは、神の愛がこの乳房を通して、
わが子の中に流れ入るのだと念じつつ感謝をいたします。


《赤ん坊にも規律は必要》

”赤ん坊に規律正しくお乳をやるということ、
規則正しい時間に便通をさせること、
それらは人間に最初の規則正しさを教えることになるのである。

規則正しい授乳と用便とは、人生に一つの法則があり、権威があり、
それに従うときに自由と快感とを得るものであることを
赤ん坊に教えこむことになる。”

               (新しい結婚 二〇九頁)


”にこやかに笑う習慣の機嫌のよい子供を養成するには、
にこやかに笑っている時にのみお乳をやり、抱いてやり、あやしてやる習慣を、
生れたときから直ぐ習慣づけることです。・・・

授乳時間をー定した場合は、特にー回にたっぷり飲ませることが必要です・・・。
授乳中眠りそうになったら、ホッペをつつくか、乳首をひっぱるか、ゆするかして
腹ーぱいのませてから、静かに寝かせます。

               (新しい結婚 二七ニ頁)

           <感謝合掌 令和元年5月11日 頓首再拝>

2番目の子供が生まれても - 伝統

2019/05/12 (Sun) 21:34:27


         *「光明道中記」(5月12日《そのまま完全を悟る日》)より

【生長の家では万人のうちにただ神の子の存在を見る。(『生命の實相』第四巻)】

2番目の子供が生まれて間もなく幼い長男又は長女が
食欲不振を起すことがあるならば、それは親の愛が2番目の子供に移って、
もう自分は顧みられないのだと云う失望と、

病気の状態を表したら再び自分を構ってくれるかも知れぬと云う希望と、
或はまた乳児と同じように母親のお乳を飲ましてくれるかも知れない
と云う予期作用とで病気を起している場合が多いのである。

親が驚いてその病気の子供にのみ掛かり切りになるならば、
子供は得たり賢しとその病気を継続することによって、
自分にのみ親の愛を繋ぎ止めて置こうとするようになるものです。

フロイドは「子供というものは重病に罹(かか)ったふりどころか死んだ仮病さえ
あらわすことが出来る」と言って、26時間もたべず痙攣を起して瀕死の状態でいる
2歳の児童を抱き起こして「さあ立っていられるだろう、貴方は病気じゃないんだ」
と言うと、

突然その子供の痙攣が治って、子供は「お父さん」と叫びながら
父親のところへ駆け寄って15分も泣いていたが、忽(たちま)ち
コーヒーとパンを食べたいと言い出した ――
と云う実例を掲げている。

親は何番目の子も全て一様に愛しているのだと云うことをよく会得させること。

           <感謝合掌 令和元年5月12日 頓首再拝>

オッパイの教育 ~ その2 - 伝統

2019/05/13 (Mon) 21:31:16


        *谷口雅春先生・著「家庭教育のみちしるべ」(P8~9)より

《規則正しさのみにしばられてもいけない》

授乳の間隔は生後約1ヵ月くらいまでは3時間おき、
その後は4時間おきがよいと現今の育児学は教えています。

しかし、赤ん坊の吸う力が弱かったり、
母乳の出かたが少ないときは2時間おきになってもさしつかえありません。

融通のきかない規則正しさは、時には規則なきにしかずのことがあります。

               (新しい結婚 二八一頁)



授乳の時間は生後1ヵ月後は、午前6時からはじめて10時、14時、
18時、22時(午後10時)が適当です。

睡眠中の8時間は授乳しません。

授乳時間は時計の盤面に印をつけておきます。

その時間の5分間前に抱いて可愛がってあやして、よろこばせてから授乳します。

……眠りからすぐひきおこして授乳するよりも、
食前の運動ともなり、空腹を促進し、その間に消化液を分泌する助けになります。

               (新しい結婚 二七七頁)



《 乳不足は人生の教訓です》

母乳の不足は精神作用でおこることもあります。

心の象徴としておこる場合は「チチ不足」の精神状態であります。
「チチ」とは赤ん坊の「父」のこともあり、
赤ん坊の父をめぐって存在する「父」の親族のー系列
舅・姑・小姑―のこともあります。


これらに対して不足(不満足・不平など)の念をもちつづけていると
乳不足に陥ることがあります。


これはチチ不足の感情の象徴としてみてもよろしいが、
単なる家庭の葛藤からくる心労に原因すると医学的に解釈してもよろしい。

心労が乳汁の分泌を減退せしめ、乳汁の成分に毒素を生ぜしめます。
こういうお乳をのませると、乳児脚気をおこします。

               (新しい結婚 二七八頁)


乳不足をおこす原因には、上のほかにもいろいろあります。

例えば、乳汁の分泌量の少ない人がそれに気づかず
時間制度で少量ずつ授乳をつづけているうちにもおこります。

                (生命の實相  四十巻 七十二頁)

           <感謝合掌 令和元年5月13日 頓首再拝>

不平等の中に平等に愛されていることを知らせる - 伝統

2019/05/14 (Tue) 20:45:09


         *「光明道中記」(5月14日《応変自在の日》)より

【人生百般の修行は随処作主(ずいしょさしゅ)の工夫にある。
 随処作主とはその時その場の主人公となることである。(『生命の實相』第十三巻)】

多勢の前で一人だけ賞(ほ)める事は、
賞められない兄弟(又は人々)の嫉妬の的にその人を置く事になる。
賞められない多勢は希望を失って勉強しなくなり、
親や教師に対して反感を持つ。

若し平等に兄弟を扱わねばならぬ場合には、不平等のように見えても、
実は不平等ではないことを説明してやらねばならぬ。


即ち今生まれた乳児だけにお乳をやって、前の児(こ)にお乳をやらない場合には、

「あなたは赤ちゃんの時にはそうせられたのです。歯のない赤ちゃんはお乳を飲むほかに
生きることが出来ないのでお乳を飲ませるのです。特別に赤ちゃんばかりを可愛がる
のではありません。あなたには歯が生(は)えているから、お乳よりも塊(かたまり)の
食物の方が栄養になるのです。

赤ちゃんにはお乳を飲ませることが可愛がることになるし、あなたには塊の御飯を
たべさせることが可愛がることになるのです。神様はみんなに同じものを与えるもの
ではありません。梅の樹には梅の花を与え、桜の樹には桜の花を与えているでしょう」

こう云う話をして、みんなには夫々(それぞれ)の立場があり不平等の中に
平等に愛されていることを知らせねばならぬ。

           <感謝合掌 令和元年5月14日 頓首再拝>

「食事のしつけ」~その1 - 伝統

2019/05/15 (Wed) 20:19:26


        *谷口雅春先生・著「家庭教育のみちしるべ」(P10)より

《自然に学ベ、人工にたよるな》
 ―― 離乳から固形食へ ――

牛乳が人乳よりも栄養があるように考えている人がありますが、
人間の子供に必要なのは人間のお乳であって、
牛の子供に必要なのが牛の乳汁であることです。

……人乳の中には人間の子供がそれを吸収したときに、
単に栄養となるばかりではなく、抗病力を増さしめる不可知の成分があって、
人工栄養の子供より死亡率が大変少ないと言われています。

               (新しい結婚 二七七頁)


子供に歯が生えかけてきたら、母乳以外のものを食べてよい自然のしるしです。
……7ヵ月ころから御飯をー粒位ずつ食べさせ……
毎日一粒くらいずつ分量をふやしてまいります。

そうすると誕生満1ヵ年位にはも
御飯を小さい茶碗に1ぱい位は食べるようになります。

こうすると簡単に母乳をやめさせることができますし、
胃腸も固形物になれて栄養が十分にとれます。

またお粥から次第に固い御飯にして行く方法もあります。

               (新しい結婚 二八四頁)

           <感謝合掌 令和元年5月15日 頓首再拝>

「食事のしつけ」~その2 - 伝統

2019/05/16 (Thu) 21:11:13


        *谷口雅春先生・著「家庭教育のみちしるべ」(P11)より

《「お好き、お嫌い?」と子供に問うな》

”「これお好き、お嫌い?嫌いならこれにしましょう」などと云っている母が、

世の中にはたくさんあるが、
これは親自身が子供を偏食に誘導しているようなものです。

子供は模散するものですから、食物は先ず親が口の中へ入れて、
いかにもおいしい有様を示し、

「サア、坊やもおあがり!とてもおいしいわ」と言うように誘導すればよいのです。”



”子供の偏食は実は親自身の偏食の反映であるから、
親が子供の前であの食物をのこし、この食物をのこしながら、
子供にばかり偏食してはならぬと強いても無効であります。”



”子供が食物に好ききらいを示すのは、
時に親の心があまりに事物や人間に対して好ききらいな
かたよりの心をもっているときにそうなるのである。

子供を責めてはならぬ。”

               (新しい結婚 二ニ五~二二六頁)

           <感謝合掌 令和元年5月16日 頓首再拝>

幼児の恐怖心は大人に責あり - 伝統

2019/05/17 (Fri) 22:23:19


         *「光明道中記」(5月17日《何物にも恐れぬ日》)より

【対人恐怖症は自分の欠点を看透(みす)かされるのを恐れ、
 また自分を価値以上に見られたい念から起る。(『生命の實相』第九巻)】

幼児は、心理学者の調べたところによれば、
倚(よ)りどころを急に外(はず)した時とのほかには恐怖を感じない。

人間恐怖は父親が大声で怒鳴り附けることに端を発する。

暗黒の恐怖は、暗黒の中へ出たとき、「そら恐ろしい! 」と大人たちが騒ぎ立てたり、
暗がりで便所に行くときに木枯(こがらし)が雨戸をガタガタ言わせたり、
暗闇(くらやみ)で雷鳴をきいた時などに端を発する。

人間恐怖や人見知りは突然急に大人の喧噪(けんそう)な世界へ
幼児を連れ出したのが原因で起ることがある。

子供の友達が親ばかりである場合には、その子供は他の人間を疑うようになり内気になる。
そして他の人間は自分に危害を与えるものだと考え勝になるもので、非社交的な人間が
出来上がって了う。

子供には是非とも子供のお友達が必要なのである。
近所に子供がなくて子供のお友達が得られない場合には幼稚園にあげることが必要である。

其処で子供は、人間には幾種類もの人間があって色々の感情や態度で生活しているもの
であり、譲歩しなければならぬ場合や、主張しなければならぬ場合のあることを
覚えるのである。

           <感謝合掌 令和元年5月17日 頓首再拝>

あまりに幼児の美貌を賞めることはよくない - 伝統

2019/05/18 (Sat) 19:55:15


         *「光明道中記」(5月18日《欲を捨てる日》)より

【人間の悩みのもとは皆欲から来るのである。欲は迷から来るのである。
                        (『生命の實相』第十一巻)】

あまりに幼児の美貌を賞めたり、
常にクラスの首席であると云うことを誇りにさせてはならない。

自分の顔に自信のないのも不幸であるが、容貌を鼻にかけている女性が、
次第にその容貌が衰えて来たのを見て、失望と落胆とで
狂気(きちがい)になった実例をフロイドは挙げている。

また小学、中学とずっと引続いて級中首席を占めて来た子供が高等学校の入学試験に失敗
して、突然の失望落胆から精神病になった実例は吾々屡々(しばしば)見聞する処である。
クラスの第一番と云うことは他を見下すための虚栄心の満足でしかないのである。

人間は容貌でも成績でも、自分だけが偉くて
他の人はみんな駄目なのだと云うような教え方をしてはならないのである。

「人間・神の子」の信条は、他の人も神の子であり、容貌での能力でも、何等かの点に
於て、他の人にも優れた天分美質があり、人間の天分は別々であり、自分にも他に劣らぬ
美質があることを知らせて、成績の悪い者にも必ず善い処があることを知らせて
置かねばならぬ。

容貌の美も年齢に応じて夫々(それぞれ)の美があること、
若さだけが美でないことを教育すべきである。

           <感謝合掌 令和元年5月18日 頓首再拝>

希望を失わせたり、脅したり、虚言をしてはいけない - 伝統

2019/05/19 (Sun) 20:19:17


         *「光明道中記」(5月19日《欠点を見ぬ日》)より

【欠点を見つけるな、荒立てるな、静かに彼の為に祈れ。(『生命の實相』第十一巻)】

幼児の潜在意識に「希望は失われる」印象を残すような事は
凡ゆる場合に於いて可(い)けない。
「私には希望が失われる」と云う潜在意識が幼児に沁み込まされ、
為に一生不成功を招く人もある。

「そんな弄戯(いたずら)を止めないなら
お母さんは彼方(あちら)へ往って了いますよ」
と言って幼児を威脅(おど)してはならない。

幼児の潜在意識には自分の大切な希望が
行衛不明(ゆくえふめい)になって了う恐怖心が植えられます。

幼児に何かをやらせるために大人が虚言(うそ)をついて
幼児の信頼を裏切らせるようなことをしてはならない。

「これをしたら、これを買って上げますよ」などと言いながら、
幼児がそれを履行したのに、大人の方がその約束を履行しないなどはよくない。

「痛くないから一寸(ちょっと)口を開いて御覧」と言いながら、
急に大袈裟な恐ろしい道具を口の中へ突っ込んで口の中の治療をしたために、
弾丸でも恐怖を感じないのに、歯医者に通うことを考えるだけでも恐ろしくて、
頭中が痛んで来る病気に罹(かか)った男もある。

「熱いことありませんよ」と言いながら、
多勢寄って圧えつけて灸(やいと)を据える人などがあるが、
子供はその大人の無法に対して終世恐怖心を抱くようになることがある。

           <感謝合掌 令和元年5月19日 頓首再拝>

「食事のしつけ」~その3 - 伝統

2019/05/20 (Mon) 21:11:49


        *谷口雅春先生・著「家庭教育のみちしるべ」(P12)より

《食べないときに御機嫌をとるな》

食物は好悪によってたべるのではなく、飢えをみたすために食べることを教えます。

食慾がなかったり、偏食であったりするのは、
病気以外のときに、過食のために空腹でないからである。

食べないときに御気嫌をとって食べさせたりすると、
御機嫌とって欲しさに食物の好悪を言いはじめる。

好悪を示して食べなければサッサと食膳をかたずけて、
また次の同じ時間に同じ食物を出す。……


子供が規律を覚えるのは最初は食習慣によるのであるから、
おやつも一定の時問以外に与えてはならぬ。


しかし、完全に食欲不振で元気がなく、
空腹になっても何食べようとしない時には、
医者に見せて病気の有無をしらべて適当の処置をとるがよろしい。

               (新しい結婚 二二六頁)

           <感謝合掌 令和元年5月20日 頓首再拝>

楽しく遊べるように導く - 伝統

2019/05/21 (Tue) 20:40:54


         *「光明道中記」(5月21日《楽しく深切の出来る日》)より

【自制力は心のタガの様なものである。(『生命の實相』第四巻)】


人間は楽しい時には好い気持になり、人に深切がしたくなり、
善い事がしたくなるものだが、楽しくないとき不快なろきには、
善いことはしたくなくなり、自暴自棄になって悪いことがしたくなり、
自分をも他人をも動物をも器具をも乱暴に取扱いたくなるものである。

それにはどうしても両親が楽しくなければならぬ。
両親が子供の遊びの相手となってならねばならぬ。
特に一人子の場合はそうである。

子供を一人一室に放って置けば、別に楽しむものがないから肉体の自己玩弄を始める。
「小人閑居すれば不善を為す」とはよく言ったものである。

子供が内気な場合に、お前は内気だからもっと明るくならなければならないと
小言を言ったら、その子は一層内気になって了(しま)うだろう。

そんなときには、「××は近頃大変明るく勇気が出て来た」と
言うときは次第に内気が直ってくるのである。

内気な子供とは反対に、乱暴な子供も結局は生活が楽しくないから、
愛が欠けているから、反動的にそうなる子供が多い。
「お前乱暴を直しなさい」などと言わずに、
縛らずに信頼してやれば乱暴は止まるのである。

           <感謝合掌 令和元年5月21日 頓首再拝>

「食事のしつけ」~その4 - 伝統

2019/05/22 (Wed) 18:33:15


        *谷口雅春先生・著「家庭教育のみちしるべ」(P12)より

《 自分で食物を食わせる練習》

生後1年ごろからは、食物は自分自身で食べるように練習させるがよい。

少しぐらいこぼすかも知れぬが、それをひろってやってはならぬ。
こぼして自分で拾うことが運動感覚の訓練にもなり、
従って児童の精神全体の訓練にもなるのである。

またそれによって依頼心がなげすてられ、
自分のことは自分でするという良習慣の形成にもなる。


食物をこぼしたときに叱らないで、
こぼさないときと、上手に拾った時とにほめてやるようにするがよい。

「こぼしてはいけません」と言っても、まだ運動機能が十分発達しないから、
こぼす方があたりまえなのである。

それを余り叱るようにすると、
自分は「劣等者」だという劣等感をもつようになる……。

子供が悪いことをしたら、「××さん、これして頂戴」と言って
別の「してほしい仕事」の方ヘ注意を転ずるがよろしい。

               (新しい結婚 二二七頁)

           <感謝合掌 令和元年5月22日 頓首再拝>

楽しい食事を - 伝統

2019/05/23 (Thu) 18:37:50


         *「光明道中記」(5月23日《何でも成就する日》)より

【食事にうんと歓びのお菜(さい)を附けて食べよ。
どんな粗食でも最上の栄養食に変るのだ。 (『生命の實相』第八巻)】


楽しい時には良質の胃液が抱負に分泌され、
怒ったり悲しんだりしたときには胃液が殆ど分泌されないと云うことは、
パヴロフが犬の胃袋を切り開いてゴム管を通して実験した通りである。

子供を健康に育てるには彼を取り囲む環境を楽しいものとしなければならない。

楽しいと云うことは大人の考えるような柔らかな褥(しとね)や、
美味しい贅沢な食事のことではない。
自由を縛られない伸び伸びとした生活のことである。

親が小言を言いながら食べると、子供自身の消化吸収同化作用を妨げる。
子供は親の言う言葉を信じ易いものであるから、親の小言を云う食事は
排斥すべき食物であり栄養価地のない食物だと思い込んで了(しま)うからである。
排斥する心が起れば同化吸収作用が鈍るのは当然である。

親がどんな食物にも本当に感謝して、
これは為になる食物だと云う風にして食べるべきである。

食事の作法にあまり神経質に拘(こだ)わって叱る習慣をつけるのはよくない。
叱られて悲しみながら食べては、どんな食物でも栄養にならない。

           <感謝合掌 令和元年5月23日 頓首再拝>

幼児語と大人語とを同時に教え込むが好い。 - 伝統

2019/05/24 (Fri) 18:48:01


         *「光明道中記」(5月24日《善き言葉のみの日》)より

【言葉の種子も石地(いしぢ)に蒔いた種子は生えないが、
肥沃地の心に蒔けば良く生える。  (『生命の實相』第六巻)】


言語の発達は知能の発達を意味している。

野蛮人は思想感情の種類も大雑把であるから、言語も少ない。
文化人になるほど思想感情にデリケートな種類が発達するから、
それを表現する言語の数も甚(はなは)だ多い。

言葉は柔らかく、そして明瞭でなればならない。
柔らか味を失った言葉は砂漠のようで、そんな言葉の横行する家庭では万物は育たない。
子供が育たないし、事業も育たない。

明瞭さを失った言葉は人間の知能を低下するものである。
幼児の片言(かたこと)が可愛らしいからと言って、大人の方から幼児の片言を真似て
行くようでは、大人が幼児まで退化して行くだけであって、幼児を進歩せしむる力はない。

「ワンワン」「ニャンニャン」などと言わずに、
出来るだけ「犬」「猫」とハッキリ明瞭に発言せしめ、
子供らしい情調が要(い)るならば「犬はワンワンと鳴く」と
幼児語と大人語とを同時に教え込むが好い。

決して「犬」なる精確語を省略して「ワンワン」だけを教えてはならぬ。

幼児は言語発達の天才的能力を有(も)っているものであって、
同時に数ヶ国語を教授しても、頭脳に大した負担なしに覚えるものである。

           <感謝合掌 令和元年5月24日 頓首再拝>

幼児の質問には、親は知っている限りのことを教えてやることが大事 - 伝統

2019/05/25 (Sat) 18:51:13


         *「光明道中記」(5月25日《深く物を観る日》)より

【心の薬は、心は波なんですから、波と云うものは互いに交感するものです。
                      (『生命の實相』第二十巻)】


興味のあるときに教え込めば労苦なしに覚えると云うのが幼児教育の原則である。
幼児には色々のことを尋ねたがって仕方のない年齢があるものである。

大人は生活に忙しいので、いちいちそんな子供の質問に答えていられない場合がある。
そんな場合「蒼蝿(うるさ)い! そんあこと訊くもんじゃありませんよ」と
言ってその問を一蹴してしまってはならないのである。

幼児の質問に両親がそんな風に答えてしまうと、
学校へ行っても何一つ訊く勇気のない引込み思案の人間が養成され、
社会に出ても思い切って自分の意志を発表する勇気のない
人間になって了うものである。

子供が質問するときにはその事物に興味を感じている時であるから、
親は知っている限りのことを教えてやるべきである。

一つ覚えれば、次の一つに向学心が向うものである。

親の知らぬことなら、「一緒に研究しましょう」と云う態度をとることであり、
世界にはどれだけでも知るべき楽しいことが充ち満ちていて、大人になってからでも
研究の尽きるものでないことを充分に子供に知らせてやるべきである。

           <感謝合掌 令和元年5月25日 頓首再拝>

「食事のしつけ」~その5 - 伝統

2019/05/26 (Sun) 19:24:10


        *谷口雅春先生・著「家庭教育のみちしるべ」(P14)より

《バイキンに対する恐怖心をうえつけるな》

食前に手を洗う習慣をつけるのは好いが、
ただ無邪気に何の意味もなく洗わせるのがよい。

バイキンの話をしたり、手を洗わなかったら
此の世の中には眼に見えない恐るべき敵が充満していて、
それか直ちに吾々をおそってくるというような恐怖心にまで
子供の心をかりたててはならないのです。


潔癖の習慣は不潔の習慣よりも大人になってから強迫観念的につきまとい、
一生涯を恐怖心のうちに落させることもありがちである。

子供の前で親が恐れた態度を示してはならぬ。


偏食の子供、卵を食べれば必ず下痢をおこしたり、
肉類か野菜かどちらかを嫌って食べない子供、
こんな子供を家庭からひきはなし、
林間学校とか、夏期キャンプ生活とかで、児童ばかりの集団で、
ほかに食する物のない共同食事の生活をするとなおることがある。

               (新しい結婚 二二六~二二八頁)

           <感謝合掌 令和元年5月26日 頓首再拝>

子供の友達、読書、子供への叱り方 - 伝統

2019/05/27 (Mon) 18:12:21


         *「光明道中記」(5月27日《明るい物のみ引き寄せる日》)

【じかに阿弥陀仏の懐に飛び込む教である。(『生命の實相』第二十巻)】


子供の友達は快活な明るい者を選ぶが好い。

暗い陰気な子供と交わらしていると、自分の子供も暗い陰気なものとなり易い。
従って健康も害(そこな)われ易いのである。
快活な明るい子供と遊ばせることにしただけでも、その子供が健康になった実例がある。

子供の読物は明るい、父母の愛や、友達にみちた物語、道徳的な、努力を楽しむ、
困難を物ともせず成功する立志伝又は武勇伝などが好い。
陰気な物語、お化(ばけ)の出て来る物語、正しき者が滅びる物語などは宜しくない。

子供は絶対に叱ってはならないと云うことはない。
過(あやま)って悪を犯したり、人の迷惑になることをしたときには、叱っても悪くない。

けれども「そんなことをする子は悪人です」などと、
本人そのものを悪人と宣言するような叱り方をしてはならない。

若しそんな叱り方をするならば、子供は自分を悪人だと思い込んで了い
善に遷(うつ)る動機と勇気を失ってしまう。

子供が過(あやま)ちを犯したら、

「あなたは善い子だのに、こんなことをする筈の子ではないのに、
悪いと気が附かなかったのね。
もう悪いと気が附いたら決して悪いことをする貴方ではありません」

と断言するが好い。

           <感謝合掌 令和元年5月27日 頓首再拝>

「食事のしつけ」~その6 - 伝統

2019/05/28 (Tue) 18:57:51


        *谷口雅春先生・著「家庭教育のみちしるべ」(P15)より

《赤ん坊に指を口に入れさすな》

歯が生えかかってくる頃には、
歯ぐきがムズがゆいものですから、指を口に入れたがります。

指をロヘ入れる習慣をつけさせないためには、
指を口に入れようとする毎に袖をひっぱってやめさすか
袖をある程度赤ん坊の腰ひもにしばりつけておいて
指が口まで届かない工夫をするのがよろしい。

指をロヘ入れようとするたびごとに袖をひっぱられると、条件反射によって、
そこまで行けば自然に指が口元ヘ行かないでとまるようになります。


あるいは、清潔な、口へ入れても好いセルロイドまたは
木製の「シャブリ」のような玩具を与えてかましめると、指をロヘ入れなくなります。

適度に硬いもので歯齦(はぐき)に刺戟を与えると丈夫な歯の発生を促します。
子供はそのシゲキを求めているのです。

叱ってはいけません。

叱られた悲しみをまぎらわすために肉体玩具の習慣がつくことがあります。


               (新しい結婚 二八四頁)

           <感謝合掌 令和元年5月28日 頓首再拝>

「おしっこ の しつけ」~その1 - 伝統

2019/05/29 (Wed) 21:13:50


        *谷口雅春先生・著「家庭教育のみちしるべ」(P16)より

《赤ん坊が泣いたとき表情と時計で判断せよ》

赤ん坊が泣いたときに、時計を見る習貫は好いことであります。
それが実際空腹で泣くのか、他の原因で泣くのか
区別するーつの適切な標準となるからであります。


授乳後1時間半以内で泣くときには、それは空腹ではない。

用便を催してきたか、すでに用便して股間が不快だ
ということをしらせているかしているのです。

寝小便の習慣は、赤ん坊の最初の用便の訴えを聞き流して、
おむつのしめった感党を不快と感じないほどなれさせてしまったところに
原因があります。


その子供は、小便は寝床で用たすものだと考えているのです。

だから、食事時間でないのに赤ん坊が泣くときは、
おむつの取りかえを請求していると思い、おむつをとりかえてやるべきです。

こうすれば、股間がかわいていることがあたりまえで、
濡れているのは異常だということがわかります。

               (新しい結婚 二一七頁)

           <感謝合掌 令和元年5月29日 頓首再拝>

「おしっこ の しつけ」~その2 - 伝統

2019/05/30 (Thu) 18:37:32


        *谷口雅春先生・著「家庭教育のみちしるべ」(P16)より

《おしっこのしつけは 気楽にたのしく》

生れたての赤ちゃんは数日間は殆んどおしっこをしませんが、
それからだんだんあたりまえにするようになります。

大体1時間半毎に1回のわりでやりますから、
今おしっこしたら、その1時間半後にトイレでシーッとやってみます。

もうすんでいたら時問を早めるし、でなければ十分くらいおくらせて試みます。

数回やってみるとその間隔がわかります。


そして、時計の盤面におしっこの時間を、授乳とちがう色で印をつけます。

その時間になったら必ずトイレか便器でおしっこさせます。

おしっこのあと、
「ウーン」と言葉の力を用いるとたまっていれば大便がでます。

うまくでたときにほめてやります。


このようにすれば、おしっこや大便は
おむつやふとんの中でするものでないことをおぼえていきます。

ただし、おむつの中でしたからとて叱ることはよくありません。

               (新しい結婚 二七四~二七五頁)

           <感謝合掌 令和元年5月30日 頓首再拝>

親は、子供たちを平等の心を以て感謝していなければならぬ。 - 伝統

2019/05/31 (Fri) 19:51:40


         *「光明道中記」(5月31日《その儘有難い日》)より

【誠に「今」こそ一切の生活を支配する鍵である。(『生命の實相』第二十巻)】

2番目の子供が生まれようとする頃になると、
最初に生まれた子供は、それに興味を感ずるが、
それが自分の玩弄物(おもちゃ)のように
自分の支配下にあることを欲するのである。

自分よりも両親の愛を鍾(あつ)めるなどと云うことは、
両親を自分から奪われることに当る。

そのために最初に生まれた子供は熱を出したり、病気になったり、
時として乱暴になったり、強情になったり、如何なる方法かによって
両親の注目を自分に惹き付けて導く手段を講ずる。

そういう手段に動かされてはならないのである。

この状態は始終抱き癖をつけたり、あまりに両親から構い附けられる癖を持っていて、
両親から離れて独立して遊ぶ習慣のない子供に於て特に起り易いものである。

最初の子が女性であった場合、両親が「男児(おとこのこ)が欲しい」と言い続けて
いたのを常に訊いていた長女は、母親が今度生む子が自分と同じ女性であり、
自分よりもただ幼いと云うだけの存在で、自分と比べて特殊の優越の資格を持つ
「男児(おとこのこ)」でないことを希(ねが)うものである。

親たる者は、男児(おとこのこ)にせよ、女児(おんなのこ)にせよ、
常に平等の心を以て感謝していなければならぬ。

子供の前で言葉を繕(つくろ)っても、態度や表情が差別待遇を語っているときは、
それは嫉妬の因(もと)となり、兄弟喧嘩の因(もと)となる。

           <感謝合掌 令和元年5月31日 頓首再拝>

兄弟仲良く育てるには~その1 - 伝統

2019/06/01 (Sat) 19:08:44


        *谷口雅春先生・著「家庭教育のみちしるべ」(P19)より

《二番目に男の子が欲しいと言ってはならぬ》

親たるものは、男の子でも女の子でも、上の子でも下の子でも、
いつも平等の心でもって感謝をしなければいけません。


最初の子が女であった場合、
両親が「今度は男がほしい、男がほしいし」と両親が言っていると、
長女は女であることに劣等感をもち、次に生れるかも知れない男児を
憎悪することになるでしょう。

また、もし、二番目に女の子が生れると長女はよろこぶかも知れないが、
生れてきた女の子は、両親から祝福されて生れて来たのでないことを知って
ひねくれてしまうでしょう。


兄弟のうちー人だけをほめてはなりません。

「太郎さんのようにおとなしくするんですよ」といわれると、
嫉妬と失望から、おとなしくなるどころかますます乱暴になります。

子は愛が失なわれるかも知れないという恐怖から乱暴をはたらくのです。

               (新しい結婚 二四三頁)

          <感謝合掌 令和元年6月1日 頓首再拝>

兄弟仲良く育てるには~その2 - 伝統

2019/06/02 (Sun) 19:02:26


        *谷口雅春先生・著「家庭教育のみちしるべ」(P19)より

《最初の子が 食欲不振に陥る場合》

親は平等の心でどの子も同じように愛しながら、
その子供たちのおかれた位置で差別をつけて愛さないと、仲よく行きません。


二番目の赤ちやんが生れる前から、上の子を
お兄ちやん、お姉ちやんとしての位置につくよろこびを与えておきます。


いざ、赤ちやんが生れ、お乳をやっているときも、

「あなたも赤ちやんのときはこうだったんですよ。
今、あなたは歯が生えて大きくなったら、
かたまりの御飯になったんですよ……。」


その他、お兄ちゃん、お姉ちやんとして
赤ちやんをかわいがるよろこびを教えてやればよいのです。


そのような秩序ある愛をもって接しないと、
上の子が熱をだしたり、寝小便をはじめたり、食欲不振になったり、
乱暴になったり、強情になったりします。

この状態は抱きぐせのついた子供、かまいすぎの子供におこりやすいのです。

               (新しい結婚 二四四頁)

          <感謝合掌 令和元年6月2日 頓首再拝>

親の心が子にあらわれる~その1 - 伝統

2019/06/03 (Mon) 18:24:15


        *谷口雅春先生・著「家庭教育のみちしるべ」(P20)より

《夜尿症や夜泣きなどの原因》

寝小便は親夫婦の精神的葛藤からくる悲しみの感情的涙が、
子供に具象化して排泄されていることもありますから、

親夫婦が仲よく愉快な人生を送っていないで、
たえず夫婦げんかをして悲しんでいるようなことでは、
なおらない場合が多いのです。


赤ん坊が夜中に突然眼をさまして大声で泣く習慣がはじまったりするのは、
親の心の中に悲しみの旋風がまきおこっているのです。

親の心が安らかでないと、子供の泣きぐせはなおりません。


親夫婦が著しくカカア殿下でありますと、
その間に生れ、また育った子供が左利きだったり、
左の眼が著しく小さい眼になったりします。


あたりまえに、平和に、仲のよいということが、
しつけの大本になっているのです。
これがくずれると万事だめになってしまいます。

          <感謝合掌 令和元年6月3日 頓首再拝>

親の心が子にあらわれる~その2 - 伝統

2019/06/04 (Tue) 18:44:08


        *谷口雅春先生・著「家庭教育のみちしるべ」(P20)より

《感謝にまさる育児法はない》

子が生れたとき、父母に感謝することであります。

育児の根本は報本反始(ほうほんはんし)ということであります。

科学的な育児法がどんなに巧みに行なわれても、
もしその若き父母が、その老いたる自分の父母に感謝し得ないときには
育児の根本は覆(おお)わされてしまうのであります。

               (新しい結婚 二〇五頁)



親はどんな食物にも本当に感謝して、
これは為になる食物だという風にして食べるべきです。

食事の作法にあまり神経質にこだわって叱る習慣をつけるのはよくない。

               (新しい結婚 二五七頁)



人間の胎内に赤ん坊が宿るということは決して人間業(わざ)ではない、

神業(かみわざ)でありますから、神さまが胎児を宿し給うたのならば、
これは人間が育てるのではない。

神が育てたまうのです。

               (生命の實相 四十巻 六十頁)


          <感謝合掌 令和元年6月4日 頓首再拝>

子供は生れながらにして天才である - 伝統

2019/06/05 (Wed) 18:01:20


        *谷口雅春先生・著「家庭教育のみちしるべ」(P24)より

天才教育のみちしるべ 「天才教育の原理」

《子供は生れながらにして天才である》

われわれの内に無限が宿っている。
この無限を掘り出せば人間はみんな天才となるのだ。

天才を人間は皆持って生まれてきているのだ。

それなのに人間みんな天才にはならない。

それは不合理だ。
その不合理を誰がするのか。人間が真理を知らないからだ。

親たるものが真理を知らないからだ。

ダイヤモンドをもっていながら、
石だと思って捨ててかかえりみないからだ……

幼児に宿っている天才はまだ彫琢(ちょうたく)しないダイヤモンドだ。

           (生命の實相、十四巻、135頁)



天才教育の第一原理は、
人間はみな生れながらに天才をもっているということである。

それは、金鉱の中にかくされている純金のようなものである。
あるいはまだみがかれていないダイヤモンドのようなものである。

すでにそこにかくされてあるということがわからないと
発掘することはできないのである。

          <感謝合掌 令和元年6月5日 頓首再拝>

天才教育とは個性の発見である - 伝統

2019/06/07 (Fri) 19:59:00


        *谷口雅春先生・著「家庭教育のみちしるべ」(P24)より

天才教育のみちしるべ 「天才教育の原理」

《天才教育とは個性の発見である》

白百合に、バラの花をつけさせようと思うな。

白百合の清さは一つの天才である。
バラの花の美しも一つの天才である。

          (生命の實相、十四巻、142頁)



竹はすべて真直に成長するのが本性であり、
藤蔓は巻きつくのが本性であり、
笹芝は地に這うのが本性であります。

そのそれぞれに美があり、個性があり、
個性の中に天意があり、神があるのである。

竹をして竹たらしめよ。
藤蔓をして藤蔓たらしめよ。
笹芝をして笹芝たらしめよ。

藤蔓をして竹の如く真直ならしめんとし、
竹をして藤蔓の如く捲きつかしめようとするとき、
竹も枯れるであろうし、自分自身も奔命につかれて減んでしまうであろう。

          (生命の實相、十四巻、130頁)


天才とは実に個性の発見である。
子供の中に宿る個性的な天分を見つけて、
それをひきだし伸ばすことが天才教育である。

          <感謝合掌 令和元年6月7日 頓首再拝>

子供の天分・才能を発見するコツ - 伝統

2019/06/08 (Sat) 18:47:20


        *谷口雅春先生・著「家庭教育のみちしるべ」(P26)より

天才教育のみちしるべ 「天才教育の方法」

《子供の天分・才能を発見するコツ》

皆さんが子供の天分を伸ばそうとお考えになりましたならば、
その子供から自然に内在の才能があらわれでようとする時期に、
その現れでようとする生命を生かすように、培(つちか)うように、
ひき出すようにしなければならないのであります。

          (生命の實相、三十巻、45頁)



子供の天分・才能をいつ、どのようにして発見するかが問題であります。

それには一つのコツがあります。

子供は常に、いま、何事かに熱中しております。

そのすがたを「子供のすることなんでも勉強」つまり、
子供は今勉強の真最中なのだと、いつも繰り返し、
そのように観つめる練習をかさねていくことです。

そうしているうちに、次第に、子供のすることが読めるよになってきます。

子供のすることを如何に観るかが、天才発見のーつの関門になっているのです。

          <感謝合掌 令和元年6月8日 頓首再拝>

早速はじまる人生勉強 - 伝統

2019/06/09 (Sun) 19:28:58


        *谷口雅春先生・著「家庭教育のみちしるべ」(P27)より

天才教育のみちしるべ 「天才教育の方法」

《早速はじまる人生勉強》

子供というものは、最初は何をもって人生を知るかといいますと、
触覚をもって人生を知る。

それですから、感覚で経験するということが
子供に内在する知能をひき出し、子供の精神を複雑に発達せしめる
最初の要素になるのであります。

          (生命の實相、三十巻、46頁)



触覚が自然に発達してくるのは、
これは外部から教えるというよりも、
内部から自然に催して発達してくるのであります。

幼児は手でいじくるとか、口でいじくるというようなことから、
次第に『我』と『外界』の存在ということがわかってくるのであります。


『我』と『外界』との存在と言いますと、『我』と『外界』とが、
二つの別々なるものが対立しているように思われますけれども、

『我』と『外界』とは本来ーつのものであり、
互に波長が共鳴して、『感受』というものが成りたつのです。

          (生命の實相、三十巻、53頁)


          <感謝合掌 令和元年6月9日 頓首再拝>

子供のすることなんでも勉強 - 伝統

2019/06/10 (Mon) 20:02:31


        *谷口雅春先生・著「家庭教育のみちしるべ」(P28)より

天才教育のみちしるべ 「天才教育の方法」

《子供のすることなんでも勉強》

子供は最初は触覚か早く発達しますから、
何でもカサカサとやって揉みくちやにしてみたり、
破ってみたり、叩いてみたり、ぱっとっかんで投げてみたりする……。

生れてはじめてでくわす事々物々、彼らにとっては驚異のたねである。

「ハテナ、これはどんなのであるか、これは変なものであるな」
というわけで……ぱっと投げてみる。

すると灰というものは粉の集合体で、
投げるとぱっとひろがる不思議な存在であると、
子供にはそれがはじめてわかるのであります。


それを大人の見地からみますと、
「実にくだらないことをする悪い子だ。いたずらっ子だ」と考える。

しかし、子供にとっては新しい経験をつみ、
新しい学問をしたのであって、大変結構な勉強をしたのであります。

          (生命の實相、三十巻、58頁)

          <感謝合掌 令和元年6月10日 頓首再拝>

生命力を正しいリスムにのせるには - 伝統

2019/06/12 (Wed) 20:52:43


        *谷口雅春先生・著「家庭教育のみちしるべ」(P29)より

天才教育のみちしるべ 「天才教育の方法」

《生命力を正しいリスムにのせるには》

『子供は子供らしいがよい』という人間の常套語に従って、
子供の生命を脱線的な破壊的な状態にあらしめるのは愛深き親ではない。

そしてまた、子供の溢れでる生命力の正しい使い方を教えないでいながら
子供の乱暴を罰するのもよくない。

          (生命の實相、十四巻、138~139頁)


障子をどんどん破る、新しい壁に落書をする、
座敷ヘドロンコをもちこむ、器物をこわす……。

こういうことがおこったとき、
「子供のすることなんでも勉強」だから、
そのまま体験さすべきでしようか。

勿論、頭ごなしの叱責でやめさせることはよくありません。
また、ただの放任でもよくありません。


こういう場合は、破ってもよいもので破らせる。
落書きしてもよいところをつくる、

うどんこのりに絵具をまぜたものを指でぬりたくらせるなどして、
あふれる生命力を軌道にのらせるようにしてやります。

          <感謝合掌 令和元年6月12日 頓首再拝>

音楽の天分・才能をひきだすには - 伝統

2019/06/13 (Thu) 19:03:21


        *谷口雅春先生・著「家庭教育のみちしるべ」(P30)より

天才教育のみちしるべ 「天才教育の方法」

《音楽の天分・才能をひきだすには》

触覚の次には聴覚、聴覚の次に視覚が発達してきます。

音楽の才能を発達させるには、音楽の耳が発達しようとしているときに
音楽を聞かしてやることが必要なのであります。

そのとき能力で受けいれられる最大限度のものを与えてやることが、
その内部から発現しつつあるところの能力をひっぱりだすことになるのであります。

          (生命の實相、三十巻、54頁)



生れて半月か1ヵ月かすれば耳が発達してきますから、
ベートーベンとか、バッハなどの名曲をきかせることは
美しい情操教育にも大事であります。


鶏の卵の中でひながかえるときコツコツと合図をすると同時に、
親鳥が外から卵の穀をかみくだくように生命の内部の動きに呼応して
外から丁度よいものを与えるのを?啄(そつたく)の教育といいます。

これが「生命の教育」です。

          <感謝合掌 令和元年6月13日 頓首再拝>

この驚くべき成果 - 伝統

2019/06/14 (Fri) 19:07:39


        *谷口雅春先生・著「家庭教育のみちしるべ」(P30)より

天才教育のみちしるべ 「天才教育の方法」

《この驚くべき成果》

長野県松本市の鈴木鎮一氏は
「才能研究所」の創始者、鈴木メッソドの名で全世界に高名な方ですが、

この研究所から江藤俊哉(アメリカ・カーチス音楽学校教授)小林健次郎を
世界の一流の芸術家だけが出演するカーネギー・ホールの檜舞台におくったり、

世界一級のコソサートマスターとして、
豊田耕児(ドイツ)小林健次(アメリカ)鈴木秀太郎(カナダ)小林武史(チエコ)
浦川宜也(ドイツ)等のすぐれた音楽家を育ててきました。


また、数千の幼少年・幼少女によるヴアイオリンの大合奏を、
欧米の子供の水準をはるかにこえる高さにおいて演奏させるなど
驚異的な成果を次々と示しています。


全国各地にはヴアイオリソ教室を設け、満2才1カ月くらいから
3、4才~12才前後までのたくさんの子供たちを同じ教育法で育てています。
この天才教育法、才能を育てる秘訣はどこにあるのでしようか。


          <感謝合掌 令和元年6月14日 頓首再拝>

母ちゃんの言語教育こそ天才教育の見本です - 伝統

2019/06/16 (Sun) 19:40:15


        *谷口雅春先生・著「家庭教育のみちしるべ」(P32)より

天才教育のみちしるべ 「天才教育の方法」

《母ちゃんの言語教育こそ天才教育の見本です》

今から三十数年も前に、鈴木鎮一先生は、驚くべき発見をしました。

それは……

「算数や国語のできない子供を世間では、頭の悪い子供だときめているが、
その頭の悪い筈の子が、自由自在に日本語を話し、
しかも6才で二干、7才で三干からの言葉を記憶し、
これを自由に活用しているではないか」ということでありました。

これが鈴木先生にとって「ニユートソのリンゴ」でありました。

日本人が外国語を習うときのあの大変な努力を、
日本語の場合は何の苦もなくスラスラと覚えてしまうのは何故でしようか。

「すべての子供は生れながらにして天才なんだ。
そして、それをひき出して行く外界のシゲキや環境を、
母親が赤ちやんに哲学を教えるときのようにしてやればよいのだ」

ということを発見したのであります。

          <感謝合掌 令和元年6月16日 頓首再拝>

どの子も育つ、育てかたひとつです - 伝統

2019/06/18 (Tue) 21:30:14


        *谷口雅春先生・著「家庭教育のみちしるべ」(P32)より

天才教育のみちしるべ 「天才教育の方法」

《どの子も育つ育てかたひとつです》

生命のその大いなる力、そのすばらしい働きを知るならば、
どの子も立派に育つ道を知ることができることでしよう。

私は三十数年前よりこの原理ではじめました。

三才四才の幼い子供たちに、五年も十年も、毎日、
世界ーのクライスラーのレコードをきかせながら、
優れた内なる能力を育てつづけ、また、
どの子も《楽しく》意欲的によくおけいこさせるよう、

《よくほめながら》、実能力の上達を目指して育てたのでした。

          (新教育通信、一八〇号、鈴木鎮一)


鈴木鎮一先生が始めたこの才能教育運動は、単に音楽家をつくる為ではなく、
どの子供の中にも内在している無限の才能を、
ヴアイオリンを通して拓(ひら)こうとしているのであります。

この教育法によれば音楽家になるべき使命の人には音楽の天才があらわれ、
数学家になるべき人には数学の天才をあらわしてくるのであります。

          <感謝合掌 令和元年6月18日 頓首再拝>

ひきだす教育のコツ - 伝統

2019/06/20 (Thu) 20:52:03


        *谷口雅春先生・著「家庭教育のみちしるべ」(P34)より

天才教育のみちしるべ 「頭のよい子に育てるには」

《ひきだす教育のコツ》

絶対に教えこもうとしてはいけません。

よその子に負けまいと競争心をおこしたらだめです。

ただ、子供のいのちの声に耳をかたむけることです。

そうすると、きこえてきます。見えてきます。


「うちの子はいたずらっ子でしまつにおえない子だ」と親が信じている間は、
親の心がつたわっていつまでも「いたずらっ子」の状態をつづけています。


「子供はほんとうに勉強好きなんだ」と信じて、
子供が、例えば紙なら紙をくしゃくしゃしているときに、
「それは紙ですよ。くしゃくしゃとやるのは『破る』ことですよ」と言ってやると、
子供は無意識にやっていたことが『破る』とはっきり意識にわかってきます。

そういうようにたのしんでいるとき、興味をもっているとき、
その折々に「名前」を与えていくようにすると
勉強も好きになり、頭もよくなっていくのです。

          (生命の實相 三十巻 五十八頁)

          <感謝合掌 令和元年6月20日 頓首再拝>

勉強好きに育てるコツ - 伝統

2019/06/22 (Sat) 21:06:48


        *谷口雅春先生・著「家庭教育のみちしるべ」(P35)より

天才教育のみちしるべ 「頭のよい子に育てるには」

《勉強好きに育てるコツ》

心が内から興味をもって動きださないときに、
事物の名前をつけて教えこもうとするから、
内部をひきだすことにならず、押しこんでいく詰込み教育になるのであります。

          (生命の實相 三十巻 六十一頁)


「これはなあに? 」「あれはなあに? 」

「お月さんはなぜまるいの? 」「雨はなぜ降るの? 」

「鳥はなぜとぶの? 」……という工合に、

子供の疑問と関心と知識欲は無限につづき、
親は全く応接にいとまないほどです。

親はー所懸命になって下さい。


これが勉強好きのすがたですから、
子供を勉強好きにするくらいやさしいことはない。

子供はもともと始めから勉強好きだったことが、
しみじみとわかれば問題は解決します。


子供の驚き、子供の興味にどのようにお相手できるかで、
子供の勉強好きになるか否かはきまってしまうのです。

          <感謝合掌 令和元年6月22日 頓首再拝>

子供のうそ - 伝統

2019/06/25 (Tue) 19:10:32


        *谷口雅春先生・著「家庭教育のみちしるべ」(P36~37)より

天才教育のみちしるべ 「創造性を育てるには」

《子供のうそ》

「あのね、今日××の叔母さんが百貨店に行って、
そうして良い着物を買ってこられましたよ」

というようなことをまことしやかに母親に話すことがあるとします。

それがうそであるとわかると

「うちの子供はでたら目なうそをつく。
こんなにうそをつくような子供が、このまま生長したら、
どんな泥棒になるかも知れない」

などと考えて心配する人があるかも知れませんが、こういうような事は、
無邪気な子供の心からでてくる幻であって、うそつきではないのであります。

子供は別に嘘をついてそれによって何か利益を得ようとか、
おもちゃを買ってもらおうとか、
そんなことを考え工(たく)んだうそではないのであって、

ただ心に描かれたものと、
現実にあるものとの区別がまだはっきりしないで、
幻をみたままをそのままアルとして正直にそれを話したのであります。

         (生命の實相  四十巻 四頁)


それに対して親が「お前はうそつきだ、悪い子供だ、
そんなことでは末には恐ろしい者になるぞ」

という風にたしなめるようなことをしますと、
親のその言葉の力によって、ここに初めて「うそつき」ができあがるのです。

生れつき「うそつき」の子供は本来ない。
それを生かして生長させて行けば天才ある物語作家になるか知れないのであります。


そんな場合には、決して子供をうそつきだととがめてはなりません。

叔母さんがこられましたら、その叔母さんに
「あなた百貨店においでになりましたか」と子供の目の前できいてみるのがよろしい。

そして叔母さんが子供の前で「いいえ、百貨店ヘは行きませんよ」と返事をする。

それだけでよいのです。

それを「お前はうそつきだ」とする必要はないのであります。

「うそつき」だと親が子供に言葉に出して叱責すると、
そこにはじめて罪の存在が言葉の力で「子供の心」の中に発生するのであります。

         (生命の實相  四十巻 六頁)

          <感謝合掌 令和元年6月25日 頓首再拝>

画のみちびきかた - 伝統

2019/06/29 (Sat) 22:18:01


        *谷口雅春先生・著「家庭教育のみちしるべ」(P38~39)より

天才教育のみちしるべ 「創造性を育てるには」

《画のみちびきかた》

幼児に人間を描かせて見ますと、顏だけ描いたりします。

顏の輪廓をまるくかいて、大抵は目を描くことは忘れないが、
眉や耳を描くことは忘れることが多いものです。

そして顔の横手から手が出たり、
あごから脚が生えて胴体のない人間を描いたりします。

「こんな人間なんてありやしないじゃないか、この子はお馬鹿さんだね」
と言ってしまえば、せっかくの子供の絵をかく力は押しこまれてしまうのです。


子供の絵は、子供の心の世界にあるだけを表現したのであって、
あれはあれで真実なのです。

子供の世界でー番最初に目につくのはやはり人間の顔である。

胴体も耳もあっても、それは眼につかないのです。
目につかないのは認識されないから存在しないのです。


人間は肉体ではないというのはこういうところからもわかるのです。

         (生命の實相  四十巻 十一頁)


子供に絵をかかせるには、大人の見地から批評せずに、
なるべく子供をして自由に描かせるのがよいのであります。

無論ときどき写生もよいことです。

それは想像と現実との区別、心の世界にえがいたものと、
現実にあるものとの比較ができてくるのであります。


それは下手であるとも、上手であるとも評価しないが好いのであります。
子供に対して「お前は下手だ」というような言葉をつかうのが
ー番わるいのであります。

下手だと思っても「ああ上手に描けたネ」と言って、
善き言葉の力で、内在の生命力をひきだすようにすることが肝腎であります。


そして、子供が首と手だけしかなくて、胴がない人物を描いたとしたら、

「この人の胴はどこにあるんですか、胴もかいてあげなさいよ。
この人がかわいそうだから、あなたは上手ですね」と言ってあげると、

その子供は自分の才能をけなされずに人間には胴のあることを発見し、
そこに胴を描くようになります。

         (生命の實相  四十巻 十ニ頁)

          <感謝合掌 令和元年6月29日 頓首再拝>

創作力の伸ばしかた - 伝統

2019/07/02 (Tue) 22:46:42


        *谷口雅春先生・著「家庭教育のみちしるべ」(P40)より

天才教育のみちしるべ 「創造性を育てるには」

《 創作力の伸ばしかた》

子供には童話のような空想ものがたりを心の中で創作する時代があります。

例えば「小父さんが、私を野原につれて行ってくれましたら、そこに橋があります……。
その橋を渡りましたら猿と犬とがでてきました……。」

などとこんな工合に本当の話かと思ったら、いつのまにか想像の物語になっていて、
それを筆記でもするとちやんと面白い童話になっていることがあります。

そんなときに「その犬はどう言ったかね」「それからその猿はどう言ったかね」と、
子供の創作力、想像力をひきだすようにしてやるならば、
子供の創作力がよびだされて、そのままその子供が立派な童話作家になるのであります。


それなのに、それを逆に

「お前、小父さんと何も野原なんかに行きはしないじゃないか……。
うそを言ってやがるな」

と言って叱りつけたら、伸びる芽をつんでしまうことになるのであます。

         (生命の實相  四十巻 九頁)

          <感謝合掌 令和元年7月2日 頓首再拝>

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