伝統板・第二

2537260
本掲示板の目的に従い、法令順守、せっかく掲示板社の利用規約及び社会倫理の厳守をお願いします。
なお、当掲示板の管理人は、聖典『生命の實相』および『甘露の法雨』などの聖経以外については、
どの著作物について権利者が誰であるかを承知しておりません。

「著作物に係る権利」または「その他の正当な権利」を侵害されたとする方は、自らの所属、役職、氏名、連絡方法を明記のうえ、
自らが正当な権利者であることを証明するもの(確定判決書又は文化庁の著作権登録謄本等)のPDFファイルを添付して、
当掲示板への書き込みにより、管理人にお申し出ください。プロバイダ責任制限法に基づき、適正に対処します。

賢者の一日一言(H31年4月) - 夕刻版

2019/04/01 (Mon) 18:13:01

このスレッドでは、過去に紹介した次のスレッドから、
日々の言葉の数々を再度紹介してまいります。

(1)伝統板・第二「『一日一語』(二宮尊徳) 」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7539379

(2)伝統板・第二「生活標語「一日一言」解説(橋本徹馬)」
  → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6711242

(3)伝統板・第二「修身教授録・一日一語(森 信三)」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7150729

(4)伝統板・第二「松下幸之助に学ぶ 指導者の365日」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7687044

(5)伝統板・第二「一日一言(坂村真民)」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6747223

(6)伝統板・第二「ひかりの一日一言25」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7538235

            ・・・


賢者の一日一言《1日》

(1)【 4月1日 】勤・倹・譲

   我が道は勤倹譲の三つにあり。

   勤とは衣食住になるべき物品を勤めて産出するにあり。
   倹とは産み出したる物品を費やさざるを云ふ。
   譲は此の三つを他に及ぼすを云ふ。

   扨(さ)て譲は種々あり。
   今年の物を来年の為に貯ふるも則ち譲なり。

   夫(そ)れより子孫に譲ると、
   親戚朋友に譲ると、
   郷里に譲ると、
   国家に譲るなり。

   其の身その身の分限に依つて勤め行ふべし。
                       (夜話続四三)

   【略解】
 
   尊徳翁の三本柱「勤・倹・譲」を簡明に説かれたものです。


              ・・・

   (伝統板・第二「二宮翁夜話残篇」(43)に収録。<2016/11/03>
      → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6937106 )

・・・

(2)【 1日の生活標語 】

   《人生を楽觀するものは人生の勝利者となり
    人生を悲觀するものは人生の敗北者となる。》

   《解説》

   これは何人も世に立つうえの最初の大事な心がまえです。

   世に処するうえに於いて、はじめから人生を悲観してかかる人は、
   人生に気負けがしているのですから、人生の勝利者となりようがありません。

   だから先ずニッコリと微笑を含んで人生に対することですね。

   それに人生は楽観すべきものであるというのが、
   昔からの聖者や偉人といわれる人達の到達した悟りです。

   釈迦や耶蘇は勿論のこと、日本でも古来の教祖といわれるような人は、
   皆その境を知って万人を導き、現世を極楽荘厳の浄土にしようと努めたものです。

   だから人生は楽しいのが本当であり。
   どんなに行詰まった時でも落ちついておれば、必ずどうにかなるのが人生です。


   例話。(略)

   世の中には人生の悲観すべき方面ばかり見て、毎日悲観している人が沢山あります。

   勿論人生を悲観しようと思えば、悲観出来るいろいろの材料があります。
   家族のする事でも親戚友人のする事でも、
   どうも面白くない不愉快だと思いだすと、いくらでもその材料が出て来ます。

   そうすると次第にその人の顔つきまでが如何にも不愉快らしい顔になります。

   しかしそのような人は人生の暗い面ばかりを見て、
   毎日気をくさらせているのですから、
   人を生かさずにはおかぬ造物主の意思など、分かりようがないです。


   その反対に、人生は楽しもうと思えば、いくらでも楽しめます。
   私達を毎日照らしつつ万物を育ててくれる太陽、また時々に降る雨。
   それから毎日私たちの呼吸している空気。毎日飲んでいる水。

   これらは皆私達が何んの努力もせず、また何んの頼みもしないのに、
   無報酬で且つ無限に私達を生かす努力を続けてくれています。


   これらの大きな作用から、人生万事につけてよく考えて見ると、
   私達は造物主の大きた愛の中に抱かれていることが分かって、
   大安心、大楽観に徹します。

   そこでああ有難い人生よ、楽しい人生よと思うてかかることが、
   自分の心境が開けて造物主の生かす心と一体となり、万福を招く本となるのです。

   かくて人生を楽観することが、人生の勝利者となる第一歩であります。

・・・

(3)【 4月1日 】人生二度なし

   諸君!! この人生は二度とないのです。

   いかに泣いてもわめいても、
   その我々の肉体が一たび壊滅したならば、
   二度とこれを取り返すことはできないのです。

   したがってこの肉体の生きている間に、
   不滅な精神を確立した人だけが、
   この肉の体の朽ち去った後にも、
   その精神はなお永遠に生きて、
   多くの人々の心に火を点ずることができるでしょう。

   学年の始めに当たつて、
   私は諸君らがまずこの根本の一点に向かって、
   深く心を致されんことを切望してやまないしだいです。

・・・

(4)【 4月1日 】 成功は現状を変化させなければ

   「変化は不変の法則だ。
    変化にいかに対応するかで勝負は決まる。

    成功は現状を変化させなければ、
    本当の成功とは言えない。
    現状をよい状況に変化させるために、経営をするのだ」

   幸之助は、
   常に「今が出発点だ」と心を尽くして経営をしていました。

   素直な心で初心を貫いた人でした。

・・・

(5)【 4月1日 】 《念ずる心》

   善根熟するまで
   念々怠らず精進して
   自己を作っておこう

   そしたら
   春風吹き来った時
   花ひらくことができ
   春雨降り来った時
   芽を出すこともできよう

・・・

(6)《1日 人間智慧を加えず》

   人間の幸福というものは人間自身がつくるものではないのである。

   人間自身の智慧巧者によって幸福がつくられると思って
   色々と人間知恵をはたらかせて工夫することを、

   『旧約聖書』の「創世記」に於いては、
   アダムとイヴとが「智慧の樹(こ)の果(み)」を食べて
   ”エデンの楽園”から追放されたという象徴的神話によって
   描かれているのである。

   幸福というものは、日本語のその語源の「サイハヒ」が
   「先(さ)き延(は)へ」とあるのでも判るように、
   神の生命(智慧・愛等を含む)が、前方へ延長して来たのが
   幸福(さいわい)であるのである。

   “エデンの楽園”に人間が生活していた時には

   「アダムとイヴとは”裸か“であった」

   と聖書に録(しる)されているのは、

   ”人工を加えず“人間の知恵巧者で徒(いたず)らなる工夫を
   加えなかったという意味であるのである。

   人間の愚にもつかない智慧を加えずに、
   其の儘(まま)、神の計画に随順するとき、
   その人は本当に「幸福の世界」(エデンの楽園)に住むことができるのである。

     谷口雅春著『生活の智慧365章』(第3部歓喜の泉)第4篇(P89) より

           <感謝合掌 平成31年4月1日 頓首再拝>

賢者の一日一言《2日》 - 伝統

2019/04/02 (Tue) 19:14:05


(1)【 4月2日 】わが心願

   予不幸にしして、
   十四歳の時父に別れ、
   十六歳のおり母に別れ、

   所有の田地は、
   洪水の為に流失し、

   幼年の困窮艱難(かんなん)実に心魂に徹し、
   骨髄に染み、
   今日猶(な)ほ忘るる事能はず、

   何卒(なにとぞ)して世を救ひ国を富まし
   憂き瀬に沈む者を助けたく思ひて、
   勉強せしに計らずも又、
   天保両度の飢饉(ききん)に遭遇せり、

   是に於いて心魂を砕き、
   身体を粉にして弘く此の飢饉を救はんと勤めたり。
                      (夜話二〇〇)

   【略解】
 
   天災飢饉、
   死別困窮あらゆる辛酸を味わい、
   救人済世の悲願ついになる。


              ・・・

   (伝統板・第二「二宮翁夜話 巻之五~その13」に収録。<2016/03/08>
     → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6754248 )

・・・

(2)【 2日の生活標語 (解説) 】

  《本氣に修行をすれば必ず効果があり
   まごころを持って祈れば必ず反應がある。
   人生は頼母しきかな。》


   自己を知るには宇宙の本性を究めねばならぬ。
   但しそれは科学的に宇宙の成分を知ることをいうのではない。

   悟道的に宇宙の本性はこうだということを体得するのです。

   そうしてこそ初めて自己とは何んぞや、
   宇宙とは何んぞや、善とは何んぞやというが如きことが分って
   正しく世に処することが出来るのであります。

   諸芸、諸道の修行などでも、皆本気に修行すれば必ず効果があって、
   ウカウカしている人の達し得ない境地に、達することが出来ます。

   そのように本気に修行をすれば、必ず効果があるということは、
   われわれと宇宙とが同根一体だからであり。
   且つ宇宙の本性がどこまでもよく人を生かすように出来ているからです。

   それでこそ人生も頼もしいのであります。

   (中略)

   総て祈りが聞かれるのは、先きにもいう通り、
   宇宙と人間とは同根一体であり。

   人は皆造物主の胎内にあるわけですから、子が親に正しい要求をすれば、
   親は出来るだけの事をしてくれると同じ意味において、
   正しい祈りは聞かれるのであります。

・・・

(3)【 4月2日 】学歴は無用

   とかく人間というものは、
   地位とか学歴とかに引掛っている問は、
   真に徹底した生き方はできないものです。

   学歴というようなけち臭いものに引掛っている問は、
   その人の生命は十分には伸び切らないからです。

・・・

(4)【 4月2日 】人智を越えた力によって

   「人智を越えた力によって、
   自分の手の届かない世界まで味方にしていけるとの強い一念が、
   成功を招き、人を大きくする」

   幸之助は、いつも言っていました。

   この一念に立てば、
   如何なる苦悩に直面しようとも、
   「宿命」を「使命」に変えることが出来る。

   どんな困難な局面も打開出来ると、
   確信して事業を進めていたのです。

   信じる力が大切だと学びました。 

・・・

(5)【 4月2日 】 《つみかさね》

   一球一球のつみかさね
   一打一打のつみかさね
   一歩一歩のつみかさね
   一座一座のつみかさね
   一作一作のつみかさね
   一念一念のつみかさね

   つみかさねの上に 咲く花
   つみかさねの果てに 熟する実

   それは美しく尊く
   真の光を放つ

・・・

(6)《2日 人生は想念の総決算》

   この世界には”原因結果の法則“というものがあるのである。

   それは”物質の世界“に於いても、このような原因をつくれば
   結果は斯(こ)うあらわれるという
   ”自然の法則“というものがあるのであるが、

   吾々が運命を支配する上に重要なのは、
   物質の世界にある物体の移動(原因)が、
   他の物体にこんな結果を及ぼすという物理的な因果関係よりも

   ”心の世界“にあるもの(原因)が”物質界“にこのような結果となって
   あらわれるという因果関係の方なのである。

   ”心の世界“にあるものとは「想念」即ち「心に想うこと」である。
   「心で想うこと」が「形の世界」に結果としてあらわれるのである。

   吾々がこの人生に於いて如何なる幸福な生活を送ることを得るか、
   悲惨な生活を送らねばならぬかは、吾々が常に何を想念しているか、
   一日のうちの大部分の時間に、何を考えているかによって決まるのである。

   人間の運命は常に吾々が何をより多く思っているかの総決算が
   毎日弾(はじ)き出されている訳である。

        谷口雅春著『生活の智慧365章』
         (第3部歓喜の泉)第4篇(P90) より

           <感謝合掌 平成31年4月2日 頓首再拝>

賢者の一日一言《3日》 - 伝統

2019/04/03 (Wed) 17:38:00


(1)【 4月3日 】日々の丹誠

   予飢饉救済のため、
   野常相駿豆の諸村を巡行して、
   見聞せしに、

   凶歳といへども、
   平日出精人の田畑は、
   実法(みのり)り相応にありて、
   飢渇に及ぶに到らず、

   予が歌に
   「丹誠は誰しらねどもおのづから秋の実法のまさる数々」
   といへるが如し。
                          (夜話二〇ニ)

   【略解】
 
   農事のことのみならず、
   商業界においても、
   不況の時にも不景気ではないというお店があります。

   それは日頃の丹誠のあり方によります。
   野常相駿豆とは下町常磐(しもつけじょうばん)・相馬(そうま)・駿河(するが)
   ・伊豆(いず)の地方を指す。


              ・・・

   (伝統板・第二「二宮翁夜話 巻之五~その15」に収録。<2016/03/15>
     → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6754248 )

・・・

(2)【 3日の生活標語 (解説) 】

   《何事によらず眼前に現れることに最善をつくせ。》

   これは簡単な言葉のようですが、
   実は非常に大きな真理を言い現わしているものであります。


   総て何事にかぎらず、自分の眼前に現われて来ることは、
   好ましいことであろうが、好ましからぬことであろうが、
   必ず何かの理由があって現われて来るのであります。

   だからそれを利巧に廻って、
   好ましからぬことをうまく避けて通ろうと思っても、
   そうはいかない。

   それはその好ましからぬことの最善の処理を厭うて、逃避するだけであるから、
   いわば借金とりが来た時に、居留守を使ってごまかしたのと変りがない。

   ついにはどこかでお天道さんにつかまって、償いをさせられるのです。

・・・

(3)【 4月3日 】天命を受け入れる①

   私の考えによりますと、我々人間と言うものは、
   すべて自分に対して必然的に与えられた事柄については、
   そこに好悪の感情を交えないで、
   素直にこれを受け入れるところに、
   心の根本態度が確立すると思うのであります。

   否、
   我々は、各自己に対して必然的に与えられた事柄については、
   一人好悪の感情をもって対しないのみか、さらに一歩をすすめて、
   これを「天命」として謹んでお受けするということが大切だと思うのです。

   同時に、
   かくして初めてわれわれは、
   真に絶対的態度に立つことができると思うのです。

・・・

(4)【 4月3日 】 心は無限

   「心は無限、万策尽きた時がチャンスだ」と。

   幸之助の心はいつも雨上がりのように澄み切っていました。
   心は見えないが、瞬間瞬間、
   その人の一切を方向づけているものです。

   だから、心がどこに向かっているかで、
   その人の一生が決まってしまうのです。
   不可能はそう決める心の中にあるのです。

   人間には無限の可能性があります。
   無限の可能性を信じたことが幸之助の成功を築いたのです。
   
・・・

(5)【 4月3日 】 《詩魂①》

   一番大切なものは詩魂なのだ。
   この詩魂を日夜、磨かねばならぬ。
   詩魂は詩根だ。
      
   詩をつくるから詩魂があるのではない。
   詩をつくらない人でも、すぐれた詩魂の持ち主がある。
   わたしが敬仰し、所縁を結ぶのは、この詩魂に共鳴し、共感するからである。
      
   書家の書をみても、詩魂のない人のは、まったく魅力がない。
   詩魂には名誉とか、地位とか、財産とかが、一番毒だ。
   これにとりこにされると、どんなすぐれた人でも、この詩魂をなくしてしまう。

・・・

(6)《3日 蒔かぬ種子は生えぬ》

   この原因結果の法則は、人間が人間の定めた法律の網の目をくぐるように、
   原因結果の法則をくぐり抜けて、「悪い事」を想念しながら「善い結果」を
   得ようとしても、決してそのような狡い事は許されないのである。

   これを仏教では「因果不昧(いんがくらまさず)」と謂うのである。

   日本の諺に「蒔かぬ種子(たね)は生えぬ。蒔いた種子は生える」
   というのはこれである。

   そして茄子を蒔いたら、その茄子の種子からは茄子が生え、茄子の実を結ぶのであり、
   瓜を蒔いたら、その瓜の種子からは瓜が生え、瓜の実を結ぶのである。

   「瓜の蔓(つる)には茄子は生えぬ」という諺がある所以である。

   キリストはこの真理を「汝の信ずる如くなれ」という語(ことば)や、
   「汝の信仰汝を癒せり」という言葉や
   「もし芥子種(からしだね)ほどの信だにあらば、
   この山に動いて海に入れというとも必ず成らん」
   という訓(おし)えをもって示しているのであり、

   仏教ではこれを「三界唯心」の語(ことば)で 表現しているのである。


     谷口雅春著『生活の智慧365章』(第3部歓喜の泉)第4篇(P90~91) より



           <感謝合掌 平成31年4月3日 頓首再拝>

賢者の一日一言《4日》 - 伝統

2019/04/04 (Thu) 19:48:13


(1)【 4月4日 】あせらずおこたらず

   昔の木の実、今の大木、
   今の木の実、後世の大木なる事を、
   能々(よくよく)弁(わきまえ)へて

   大を羨(うらや)まず、
   小を恥(は)じず、

   速やかならん事を欲せず、
   日夜怠らず勤むるを肝要とす。

   「むかし蒔(ま)く木の実大木と成りにけり、
   今蒔く木の実後の大木ぞ」
                     (夜話一六三)

   【略解】
 
   事の成就は、
   日夜あせらず、
   なまけず、
   おこたらずの勤勉の労による。


              ・・・

   (伝統板・第二「二宮翁夜話 巻之四~その30」に収録。<2015/12/13 >
     → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6592962 )

・・・

(2)【 4日の生活標語 (解説) 】

   《善因善果、惡因惡果の法則を恐れよ。》

   私達が自分の懐中に持っている千円札を使えば、その使ったという原因によって、
   千円札が無くなったという結果が現われます。

   善い事をすれば善い報いが来、悪い事をすれば悪い報いが来ることもそれと同じで、
   それはちょうど順子を買えば帽子が手に入り、
   ネクタイを買えばネクタイが手に入るのと同様に間違いのないことです。

   第一お互いの顔を御覧なさい。顔はそれぞれその人の性質や運勢を現わしていますが、
   これはその人の過去に於いて為し来たった事が原因となって、
   その結果がその人の顔にそっくり現われているということです。

   だから人相見や偉人が他人の人相を見て、
   その人の性質や運勢をいい当てるのに不思議はないです。

   何人も自分の顔を否定するわけにいかぬ以上は、いくら否定したくとも、
   善因善果悪因悪果の法則は生涯、―― いな自分の子孫にまでついて廻って、
   離れぬものと考えねばならんです。

・・・

(3)【 4月4日 】天命を受け入れる② 

   我々れも、
   ここにこうして1年間を共に学ぶことになったことは、
   天の命として謹んでこれをお受けし、

   ひとり好悪を言わないのみか、
   これこそ真に自己を生かすゆえんとして、
   その最善を尽くすべきだと思うのであります。

・・・

(4)【 4月4日 】 人の話を聞いて成長するもんや

   「君なぁ、人間というもんは、
    人に会って人の話を聞いて、成長するものや。
    人を育て、人を生かすという事は、
    人の話を聞くことから始まるのやで。

    だから、人の話はよく聞くものや。
    僕の耳は、人の話を聞くたびに、
    だんだん大きくなったんや」

   と、幸之助は大きな耳を動かして見せました。

   衆知を集める経営のポイントは人の話を素直に聞くことからはじまるのです。

・・・

(5)【 4月4日 】 《詩魂②》

   詩魂は、乾坤だ。
   大根、蓮根、詩根、みんな見えないところで成長していく。

   詩魂を鋭くするため、豊かにするため、清くするため、暁天の霊気を吸うのだ。
   詩魂を本当のものにするため、強いものにするため、独自のものとするため、
   大地の野草を食べるのだ。
      
   詩魂を磨こう!
      
   これが天地万物に向かって、朝夕叫ぶ、わたしの合言葉である。

・・・

(6)《4日 内を見る力》

   人間は自己の内に”無限”を蔵し得る無限の可能性として
   それを内に貯えているのである。

   五官の感覚は外を見るために発達した器官であるがゆえに、
   内を見る力を欠いて、自己の実相の無限力を見る事ができないので、
   恐怖心や懐疑の心に満たされるのである。

   自己を内観することによってのみ、
   実相の”無限”を自覚する機会を得るのである。
   内観しないものにとっては、実相を観る道は完全にふさがれて、
   打ち勝ちがたき鉄壁として「物質の世界」が立っているのである。

   多くの人たちは、この「物質の鉄壁」の中にとじ込められ自由を失って、
   恰も囚人の如き自由なき生活を送っているのである。

   「働けど働けどなおわが暮らし楽にならざり」という啄木の如き嘆きは、
   この「物質の鉄壁」を超える事の出来ない人々の嘆きを代表しているのである。

   物質の鉄壁は外に向かってそれを打ち破ること事の出来ない壁である。

   ただ内観によってのみそれを超え得る。
   その内観こそ神想観である。

      谷口雅春著『生活の智慧365章』
      (第3部歓喜の泉)第4篇(P91~92) より

           <感謝合掌 平成31年4月4日 頓首再拝>

賢者の一日一言《5日》 - 伝統

2019/04/05 (Fri) 18:22:57


(1)【 4月5日 】聖人の大欲

   世人皆、
   聖人は無欲と思へども然ず。

   其の実は大欲にして、
   其の大は正大なり。
   賢人之に次ぎ、君子之に次ぐ。

   凡夫の如きは、
   小欲の尤(もっと)も小なる物なり。
   夫(そ)れ学問は此の小欲を正大に導くの術を云ふ。
                          (夜話一二七)

   【略解】
 
   では聖人の大欲は何かと言えば
   「国家を経綸(けいりん)して、
    社会の幸福を増進するにあり」
   とあります。

              ・・・

   (伝統板・第二「二宮翁夜話 巻之五~その30 」に収録。<2016/05/10> 
      → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6754248 )

・・・

(2)【 5日の生活標語 (解説) 】

   《獅子は百獸の中にあって恐れを知らぬ。
    若き日の修行によって生涯恐れを知らない人となれ。》

   これはなかなかむつかしい事です。
   第一若き日の修行という言葉に躓(つまず)いてはなりません。

   一体人の恐怖心のもとは何んでしょうか。

   釈迦は生きる事と、老いる事と、病む事と、死ぬる事との
   四つの苦しみに戦慄して王宮を出で、六年苦行の結果転迷開悟し、
   獅子無畏の人(獅子の如く畏れを知らぬ人)となったのですが、

   この釈迦の戦慄した四つの苦しみは、釈迦の死後二千四百余年後の
   今日になっても、更に今後の千年二千年或は万年後までも、
   物ごころつく人間には必ず附いて廻って離れぬ苦しみでしょう。


   そうしてそれらの苦しみに対する恐怖心が寸毫でもあるかぎりは、
   無畏の人(おそれなき人)とはなれないのですから、
   本当は悟りを開かねば、真に恐れを知らぬ人にはなれないわけです。


   常に恐れを知らぬ人となるがためには、
   大自然とも人間界とも、一体になった境地をつかむ修行が肝要です。

・・・

(3)【 4月5日 】自己の天分を発揮する①

   自己の天分を発揮するということですが、
   この天分の発揮と言うことは、
   実は単に自分のことだけを考えていたんでは、
   真実にはできないことであります。

   すなわち人間の天分というものは、
   単に自分本位の立場でこれを発揮しようとする程度では、
   十分なことはできないものであります。

・・・

(4)【 4月5日 】 つい、人間は弱気になってしまう時がある

   つい、人間は弱気になってしまう時があります。
   人間は頭がよいので、
   頭の中で勝手に「出来ない理由」を考えてしまうのです。

   「決意する時は頭で考えないことが大切や」

   と、幸之助はよく言っていました。

   いつも全身で決意していたのです。

   「決意は、魂で『こうする』と信じ、
   実行してこそ実現するものだ」

   と、厳しく教えられたものです。

・・・

(5)【 4月5日 】 《一すじに》

   一すじに
   生きたる人の尊さ

   一すじに
   歩みたる人の美しさ

   われもまた
   一すじに
   生きん

   一すじに
   歩まん

・・・

(6)《5日 真空即妙有》

   人は自分の想念を如何にもつかによって、
   或る人は地獄を人生に創造し、
   或る人は天国を人生に創造するのである。

   何故(なぜ)そのような事になるかというと、
   この宇宙は、物質でつくられたものではなく本来霊的な存在であり、
   その”霊”の波動が可視的な物質としてあらわれている部分と、
   不可視的な超感覚的な”空間”の如くあらわている部分があるので、

   個々の可視的存在が、個々別々に何の関係もなく
   散在しているかの如く見えるに過ぎないのである。

   真空の如く、単なる”空間”として見えているところにも普遍的な智慧や愛
   (相互牽引力・万有引力)がはたらいているので、太陽や遊星との間や、
   原子核と陽子との間には空間があるにもかかわらず、
   互いに飛び散るということがないのであって、
   そこには万有をひとつに結ぶ”霊”が存在するのである。

   その”霊”の中に吾等は生活し、行動し、存在を保っているのである。

          谷口雅春著『生活の智慧365章』
           (第3部歓喜の泉)第4篇(P92~93) より

           <感謝合掌 平成31年4月5日 頓首再拝>

賢者の一日一言《6日》 - 伝統

2019/04/06 (Sat) 18:50:01


(1)【 4月6日 】わが身に徳を積む

   若き者は、
   毎日能く勤めよ。
   是れ我が身に徳を積むなり。

   怠りなまけるを以て得と思ふは大なる誤なり。
   徳をつめば天より恵みあること眼前なり。
                     (夜話続二五)

   【略解】
 
   わが身に徳を積むとは、
   勤勉力行です。
   それにはまず早起きより始めて、
   勤倹にはげむように―。
   と若者に篤々と説かれております。


              ・・・

   (伝統板・第二「二宮翁夜話残篇~その25」に収録。<2016/09/07>
      → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6937106 )

・・・

(2)【 6日の生活標語 (解説) 】

  《世の中に偶然の出来事、または僥倖(思いがけない幸)などあると思うな。》

   科学者の扱う現象界の法則には必ず因果律、即ち原因結果の法則が伴っていますが、
   恰もその如く、人生に於けるどんな偶然の出来事のように思えることにも、
   必ずそれには遠因または近因があります。

   あの人は偶然あそこへ行き合わせて、怪我をしたなどとよくいうが、
   その人がちょうどそこへ行き合わすのには、そこへ行くべき事情があったのであって、
   決してその人がそれまでの行動と無関係に、その場へ行き合わせたのではないのです。

   総ての善事も悪事もその如く、何んの原因もなくして偶然に来るものではなく、
   また境倖(まぐれあたりの幸)という事もあるべきことではない。
  
   宝くじなどが当ると、全く偶然に幸運を引き当てたと思うでしょうが、
   これも当る原因(大抵は善くない原因)があってのことです。


   原因なくして結果があるということも、決してないのだということを知れば、
   人生に誤りが少なくなります。

・・・

(3)【 4月6日 】自己の天分を発揮する②

   ではどうしたらよいかというに、
   それには、

   自分というものを越えたある何物かに、
   自己をささげるという気持がなければ、
   できないことだと思うのです。

・・・

(4)【 4月6日 】 夢は実現するもの

   夢は実現するものです。

   夢を希望に変え、さらに深く決意して、
   具体的に目標を定めるのです。

   そして強く実践し、
   それを繰り返して行うところに、
   初めて夢は実現するのです。

   「何事もも苦労したぶんだけ、道は開けてくる。
   すべてを素直に受け入れることや」

   と、幸之助は心の持ち方を大切にして経営していました。

   邪念を捨てれば夢は必ず実現するもの、
   と信じ切ることです。

・・・

(5)【 4月6日 】 《何かをしよう》

   何かをしよう 
   みんなの人のためになる
   何かをしよう

   よく考えたら自分の体に合った
   何かがある筈だ

   弱い人には弱いなりに
   老いた人には老いた人なりに
   何かがある筈だ

   生かされて生きているご恩返しに
   小さいことでもいい

   自分にできるものをさがして
   何かをしよう

・・・

(6)《6日 先ず神の国を求めよ》

   ”真空“は ”何も《ない》”どころか、
   ”真空“ こそ万物を ”現在ある形“に保っているところの
   ”智慧”であり、”力“であるのである。

   原子を形造っている”原子核“と”電子”との間の存する”真空“が
   崩れて仕舞ったら、原子は崩壊してしまうのであり、

   太陽と遊星との間を埋めている ”真空”が崩れてしまったら、
   太陽と遊星とは、互いに連絡し得ないで、飛び散ってしまうか、
   真空の形の崩れるままに太陽と遊星とは密着してしまうかするより仕方がないのである。

   兎も角、”真空“は ”何もない空間”でなく、
   ”霊“という無限の智慧と無限の力が包蔵されており、

   その”霊の世界“に於ける”理念“(精神的原型)が形の世界に
   時間的順序配列をもって恰(あたか)”も

   “フィルムの世界“に既に存在する光景が映画館の銀幕に時間的順序をもって
   一コマ一コマ展開して行くような具合にあらわれているのである。

   だから吾々が可視的世界(肉眼で見える現象世界)に
   幸福や健康や繁栄を実現しようと思ったならば、

   先ず不可視の霊的世界に、その幸福や健康や繁栄を
   心で描いておかなければならないのである。

   現象界の物質的利益の追求よりも
   「先ず神の国を求めよ」 とは このことである。

          谷口雅春著『生活の智慧365章』
          (第3部歓喜の泉)第4篇(P93~94) より

           <感謝合掌 平成31年4月6日 頓首再拝>

賢者の一日一言《7日》 - 伝統

2019/04/07 (Sun) 19:30:46


(1)【 4月7日 】分限を守る

   夫(そ)れ分限を守らざれば、
   千万石といへども不足なり。

   一度(ひとたび)過分の誤りを悟りて分度を守らば、
   有余(ゆうよ)おのづから有りて、
   人を救ふに余りあらん。

   (中略)

   百石の者は、
   五十石に屈(かが)んで、五十石の有余を譲り、
   千石の者は、
   五百石に屈(かが)んで、五百石の有余を譲る、
   是を中庸と云ふべし。
                        (夜話三八)

   【略解】
 
   分度を定め、分度を守ること、
   これが中庸ということで、
   これが安心立命の道であります。


              ・・・

   (伝統板・第二「二宮翁夜話巻之一~その38 」に収録。<2015/06/07>
      → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6457816 )

・・・

(2)【 7日の生活標語 (解説) 】

   《窮境に落ちた時に無理非道をすれば、幸運が來た時にそれをつかめない。》

   人間の一生のうちには、大抵幾度か窮境に落ちるものですが、
   如何なる窮境に処しても、誠実をもって一貫した者が救われなかったことは、
   太古以来一度もないのですから、おちついて最善を尽くすことです。

   ただその場合に無理非道をすると、
   次の幸運が来た時にそれを逃がすか、或は幸運の来るのが遅れます。


   如何なる場合にも誠実をもって一貫していれば、
   天地の運行と共に周囲の条件が変って来て、
   大窮境を乗り越えたあとには、大抵大幸運が待っているものなのです。

・・・

(3)【 4月7日 】立志をもって根本とする①

   私は、
   人生の真の出発は、
   志を立てることによって始まると考えるものです。

   古来、真の学問は、
   立志をもってその根本とすと言われているのも、
   まったくこの故でしよう。

   人問はいかに生きるべきであるか、
   人生をいかに生き貫くべきであるかという一般的真理を、
   自分自身の上に落として来て、

   この二度とない人生を、
   いかに生きるかという根本目標を打ち立互てることによって、
   初めて私達の真の人生は始まると思うのです。

・・・

(4)【 4月7日 】 善・悪ともに共存するのが世の中

   善・悪ともに共存するのが世の中です。
   悪は善をつぶそうと狙っているのです。

   しかし、
   「世間の風評に惑わされてはならぬ。
   悪に振りまわされたら、
   自分まで悪に染まってしまう。
   だから、徹して誠を尽くせ。
   そしたら、悪は自然と消滅する」

   と言われ、

   「自分の世界に閉じこもっていたら、
   人間の美しい花は咲かないよ」

   と、幸之助は論してくれました。

・・・

(5)【 4月7日 】 《過について》

   辞典には過愛、過激、過剰、過食、過大、過去、過度、過分、
   過労、過不及というのが出てくるが、
   現代日本は過が原因して、こんなに混乱し、犯罪が増加し、
   かってない兇悪事件の増加となっているのではなかろうか。

   知らなくてもいいことを知り、
   知りすぎたものを処理する力を持たず、
   動物にも劣る人間が多くなった。

   (中略)

   わたしは若い時日本を脱出した人間なので、
   時にはやりきれなくなることもあるが、
   分をしらぬ人間ほど愚かで哀れなものはない。

   分を知らぬようになって国も人も滅んでいるのは、
   歴然とした歴史の事実である。

   日本列島はこれから桜を初めとして色々の花が咲き上ってゆくが、
   善い国にしてゆきたいものである。

・・・

(6)《7日 はじめにコトバあり》

   物質発生以前の宇宙とういものを考えてみると、
   其処には無論「物質」なるものは存在しなかったのである。

   そこには“霊”がまだ物質的なものと見える如き波動を起していなかったのである。
   即ち、“真空”だったのである。しかしそれはただの”カラッポ”ではなく、
   ”不生”の大生命が確固儼然(かっこげんぜん)として存在していたのである。

   不生の大生命が動き出したので所謂る”コトバ”である。
   これが「元始(はじめ)にコトバあり、コトバは神と偕に在り、コトバは神なりき」と
   『新約聖書』のヨハネ伝に書かれているところの真理である。

   但(ただ)しこの“コトバ”と謂うのは、まだ物質発生以前の
   「元始(はじめ)のコトバ」であるから、
   物質的発声器官を通してあらわれて来たコトバではないのである。
   発声器官にあらわれる以前のコトバ ―― 即ち想念であったのである。

   即ち、”真空”と見えている”不生”の生命が想念によって動的に動き出して
   波動を起こしたのであって、これが「神の心うごき出(い)でてコトバとなれば、
   一切の現象展開して万物成る」である。

       谷口雅春著『生活の智慧365章』
         (第3部歓喜の泉)第4篇(P94) より

           <感謝合掌 平成31年4月7日 頓首再拝>

賢者の一日一言《8日》 - 伝統

2019/04/08 (Mon) 20:42:29


(1)【 4月8日 】一理、万理に通ず

   一理誠に明らかなれば、万理に通ず。

   (中略)

   予が歌に
   「古道につもる木の葉をかきわけて、
    天照らす神の足跡を見ん」

   足跡を見ることを得ば万理一貫すべし。
   然(しか)せずして徒(いたず)らに仁は云々(うんぬん)、
   義は云々と云ふ時は、
   之を聴くも之を講ずるも共に無益なり。
                        (夜話続二六)

   【略解】

   神道の根本義を自得し、
   この一理を究めることが万理に通暁することになる。
   この一理とは何か。
   身心の浄化・場の清浄ではなかろうか。


              ・・・

   (伝統板・第二「二宮翁夜話残篇~その26」に収録。<2016/09/13>
      → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6937106 )

・・・

(2)【 8日の生活標語 (解説) 】

  《世の中に私のような不幸なものはいないと思ってはならぬ。》

   よく世間にあることですが、達人の眼から見れば何ほどでもないことで、
   自分を非常に不幸な者だと思い込み「私のように不仕合せな者はありません」
   といっては、他人の同情を求めて廻る人があります。

   そうしてあの人もこの人も私の不幸を気の毒がった。

   いよいよ私は不仕合せ者だときめてしまって、
   独りで泣き、人前で泣き、さも憐れっぽく日を送るのですが、
   このような人が好運にめぐまれるということは、先ずありません。


   なぜなら、この人にとっては不幸の重なることが、
   他人の同情を求める大事な材料なのであって、
   仕合せのよいことがあっては困るからです。

   このような人は知らず知らずのうちに、
   いつも不仕合せへの途を選んで行くのです。

   若し好運が望ましいなら、みだりに他人の同情を求めてはなりません。

   如何に不幸な境遇にあっても、このくらいのことは何んでもないと思い、
   或はそのような境遇の中にもなお感謝すべきことを見つけて、愉快に日を送り、
   好運を招きよせねばなりません。

   (中略)

   如何に不幸な境遇にあっても、自分の不幸を憐む代りに、自分の本性の尊さを知り、
   更に造物主の万人を生かす働きの素晴らしさを知るとき、その人の不幸な境遇は
   そのまま好運となるのであります。

   打明けていえば、あなたくらいの不幸は、
   昔から幾千万人或は幾億人が経験して、しかもそれを乗り切っているのです。

   そのような不幸に処する態度が優れておれば、
   それが直ちにその後のあなたの幸運につながるのです。

・・・

(3)【 4月8日 】一立志をもって根本とする②

   私は、
   志を打ち立てるところに、
   学問の根本眼目があると信じるものです。

   その他のすべての事柄は、
   要するにこの根本が打ち立てられるところに、
   おのずからにしてできてくるのです。

・・・

(4)【 4月8日 】 君、人好きか

   「君、女の人、好きか」
   と、聞かれて、好きですと答えました。

   「男の人はどうか」
   と、聞かれて、好きですと答えました。

   幸之助は、
   さらに「嫌いな人も好きか」と、聞いたので、
   ノーと答えました。

   「君、会社に入ったら男も女も嫌いな人でも、
   全部好きにならなあアカン。家族と一緒やで。
   それが出来ないと本当の経営が出来ない」

   と教えてくれたのです。

・・・

(5)【 4月8日 】 《動く》

   動くのだ
   停滞してはならぬ

   川や
   海が
   生きているのは
   いつも動いて
   いるからだ

・・・

(6)《8日 創造は衝動》

   宇宙大生命は“真空”と見えながらカラッポではなくして虚空を埋め、
   それ自身が想念を起こすことによって万象が展開してあらわれて来るのである。

   「元始めにコトバあり、コトバは神と偕にあり、コトバは神なりき。
   よろずの物これによりて成り、成りたるものこれによりて成らざるもの無し」

   とヨハネ伝に録(しる)されているのは、このような意味なのである。


   “真空”の中にこのような創造力があるのである。
   “真空妙有”(しんくうみょうう)が即ち“創造の霊”であるのである。

   既に“真空”の中に伏在せる“妙有”が内部から押し出して来るはたらきが
   “創造の衝動”としてあらわれて来るのである。

   “宇宙の霊”の中にこの衝動があり、それが“真空”と見える実質を、
   みずからの“内部の智慧”によって、形ある相(すがた)に設計し、
   その“内部の力”によって、その形を維持しているのである。

   その“内部の智慧”を混乱に導かず、その“内部の力”を流動しやすいように
   維持するとき、その形は崩れない、即ち、肉体に於いては健康を保ち得る
   ということになるのである。

        谷口雅春著『生活の智慧365章』
          (第3部歓喜の泉)第4篇(P95~96) より

           <感謝合掌 平成31年4月8日 頓首再拝>

賢者の一日一言《9日》 - 伝統

2019/04/09 (Tue) 20:24:20


(1)【 4月9日 】糞桶の米飯(一)

   俗儒あり翁の愛護を受て儒学を子弟に教ふ、
   一日近村に行て大飲し酔ふて路傍に臥(ふ)し醜体(しゅうたい)を極めたり、
   弟子某氏の子、
   是を見て、
   翌日より教を受けず、
   儒生憤(いきどお)りて、
   翁に謂て日、
   予が所行の不善云うまでにあらずといへども、
   予が教へる処は聖人の書なり、
   予が行の不善を見て併せて聖人の道を捨るの理あらんや、
   君説諭して、
   再び学に就かしめよ、と乞ふ。
                        (夜話七一)

   【略解】

   俗儒とは文字の解釈のみに終始し、
   日常の生活実践に欠ける所がある者のことをいいい、
   深く自戒内省すべしとの教えです。


              ・・・

   (伝統板・第二「二宮翁夜話 巻之二~その33(前半)」に収録。<2015/07/10 >
      → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6511555 )

・・・

(2)【 9日の生活標語 (解説) 】

   《すべての人の本性の善なることを疑うな。》


   自分の良人や家族が如何に不良に見えても、
   その本性の善を信じて疑わずに接していれば、
   必ずその善なる本性が現われる。

   教育の上手な人も、かくして人の本性の善を引出すのです。

・・・

(3)【 4月9日 】真の志①

   真の志とは、

   自分の心の奥底に潜在しつつ、
   常にその念頭に現れて、
   自己を導き、自己を激励するものでなければならぬのです。

・・・

(4)【 4月9日 】 値付けでその会社がわかる

   値付けでその会社がわかるのです。
   価格こそ企業の魂であり、商品の魂です。

   「新製品の価格決定の時こそ、
   『利益に対する考え方』
   『経営方針』
   『商品に対する執念』
   の特訓を受ける最大の試練の場だ」
   と教えられました。

   幸之助の要求する適正利益は、
   常に10パーセントでした。
   高くともいけない。
   安価でもいけない。

   すべては適正でなければいけないのです。

・・・

(5)【 4月9日 】 《美》

   うごいているから
   うつくしいのだ

・・・

(6)《9日 神の創造に協力しよう》

   人間に於ては、“創造の霊”(神)が“真空妙有”の世界から
   常に“新しき創造の原型”を形の世界に押し出して来て、
   常に吾々は何か新しい設計や計画や創造的仕事をなしつつあり、
   人体では、それが新陳代謝としてあらわれて来ているのである。

   神はその霊の“創造の新しき拠点”として肉体を作り、
   その肉体の中に、自己の“霊”を宿らせて、
   其処に自己の欲する事物をつくり出す“中心”を創造したのである。

   吾らは神の“新しき創造の拠点”として、
   即ち神の常に新しき自己表現の“中心者”たるものである。

   人間は常に外界に新しき創造をつくり出しつつあり、人体は新陳代謝で、
   陳(ふる)きものを追い出して新しき創造をつづけつつあるのである。

   自然界では春夏秋冬の遷(うつ)りかわりに、
   花咲き実り、葉茂り、落葉し、更に新たな春の装いをつけつつ、
   植物は常に新しき形にまで生長をつづけるのである。

   即ちこの世界は新創造新生長の実現する世界であり、
   それを内部から動かしているのは、神なる“創造の霊”なのである。

   従って吾らは常に新しき創造をこの世界に為すべきであり、
   それによってのみ、神の創造に協力することができるのである。

   もし吾々が“新しき創造”を何もしないならば、
   それは神の“創造力”の出口たる使命を果たさないのであるから
   生命(せいめい)は内部から引退し死に招くに至るのである。

          谷口雅春著『生活の智慧365章』
           (第3部歓喜の泉)第4篇(P96~97) より

           <感謝合掌 平成31年4月9日 頓首再拝>

賢者の一日一言《10日》 - 伝統

2019/04/10 (Wed) 21:06:59


(1)【 4月10日 】糞桶の米飯(二)

   翁曰 君憤(いきどお)る事なかれ、

   我譬(たとえ)を以て是を解(かい)せん、

   爰(ここ)に米あ飯(めし)に炊(かしい)で、
   糞桶(くそおけ)に入れんに、
   君是を食はんか、

   夫(そ)れ元清浄なる米飯(はん)に疑(うたがい)なし、
   只糞桶に入れしのみなり、

   然るに、
   人是を食する者なし、

   是を食するは只犬(いぬ)のみ、
   君が学文又是におなじ、

   元赫々(かくかく)たる聖人の学なれども、
   卿(きみ)が糞桶のロより講説する故に、
   子弟等聴(きか)ざるなり、
   其聴ざるを不理と云べけんや。
                     (夜話七一)

   【略解】
 
   「糞桶の飯が食えるか」とは痛烈な戒めです。

   かかる俗儒を尊徳翁は文字学者といい、
   石田梅岩先生は文字芸者と評せられた。

               ・・・

   (伝統板・第二「二宮翁夜話 巻之二~その33(中半)」に収録。<2015/07/10 >
      → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6511555 )

・・・

(2)【 10日の生活標語 (解説) 】

   《自分の本性が無限に偉大であることを知らずにいるのが
    無知(無明)の最大なるものである。》


   人間は宇宙という大生命の胎内に生まれている小生命なのですから、
   本当は総ての人は、皆宇宙即ち大生命、即ち自分達の母胎の一切の秘密を知り、
   従ってまた大生命の自在力を、自由に活用し得るはずなのであります。

   (中略)

   若しわれわれが大生命の神秘を、全体的につかんだならば、
   われわれは風格に於いても神に近づき得るのみならず、
   総ての出来事の原因よりも、結果を先きに知ることが自由になるはずです。

   自在力を十分につかんだ者は、人生の一切に処して渋滞なく、
   所謂天馬空を行くが如き力を発揮し得るのです。


   かかる無限の偉大性、無限の可能性を持てる者が人間であることを
   知らぬのが、無知の最大なるものであり。
   また無明(迷い)即ち心の暗いことの最大なるものであります。

・・・

(3)【 4月10日 】真の志②

   書物を読んで感心したり、また人から話を聞いて、その時だけ感激しても、
   しばらくたつとケロリと忘れ去るようでは
   未だもって真の志というわけにはいかないのです。 

・・・

(4)【 4月10日 】 資源は無尽蔵
 
   「資源は無尽蔵と考えたほうが、気が楽やで、木野君」

   あるものがなくなれば、
   必ず代替の物が発見されてくるものだと、
   幸之助は考えていました。

   人の知恵は無尽蔵です。
   心が無から有を生むのですから。

   だから心を清らかに美しくして、
   「お客様の心に花を咲かせたい」
   と、幸之助は念じて経営をしていました。

・・・

(5)【 4月10日 】 《自我は尊し》

   思うに自我ほど尊いものはなく、
   自我ほど大切なものはない。

   平々凡々たる者にエゴはない。

・・・

(6)《10日 地上生活学校への入学》

   宇宙の本源でありところの大生命界を“海”と考えるならば、
   吾々はその海面に浮かび上がった一つ一つの波だとも
   考えることができるのである。

   併し、波は次の瞬間には消えてしまっているけれども、
   人間の生命(せいめい)は須臾(しゅゆ)にして消えるものではないのである。

   仏教者の或る人は、肉体を盃にたとえ、
   盃に海水を盛ったように肉体に大生命の一部を汲み入れたのが人間であるが、
   その盃が壊れると、盃の中の海水は大海原の水と一如になってしまうのと

   同じように人間の肉体がこわれると、その人の生命(せいめい)は個性も何も
   なくなって、”宇宙の霊”に帰一してしまうという風に説く人があるけれども、

   それは間違いである。

   善人も悪人も、修行をした人も修行をしない人も、
   肉体の死後は、全然、同一の大生命海に融けこんでしまうのだったら、
   何のために、吾々は切実に道を求め、魂の向上を願うような衝動が
   内部から起こってくるのであろうか。

   そのような不合理のことはある筈はないのである。

   吾々の肉体は霊魂が地上に於いて或る修行をし、
   或る使命を果たすための”法服”又は”作業服”であって、

   肉体が人間そのものではないから、
   肉体が死滅しても霊魂は個性を失ってしまうことはなく、
   また別の肉体を着て地上生活学校に入学してくることになるのである。

        谷口雅春著『生活の智慧365章』
          (第3部歓喜の泉)第4篇(P97~98) より

           <感謝合掌 平成31年4月10日 頓首再拝>

賢者の一日一言《11日》 - 伝統

2019/04/11 (Thu) 18:14:18


(1)【 4月11日 】糞桶の米飯(三)

   夫(そ)れ卿(きみ)は中国の産と聞けり、
   誰に頼まれて此地に来りしぞ、
   又何の用事ありて来りしや、

   夫れ家を出ずして、
   教を国になすは聖人の道なり、

   今此処に来りて、
   予が食客となる、
   是何故ぞ、
   口腹を養ふのみならば、
   農商をなしてたるべし、
   卿何故に学問をせしや、

   儒生曰く我過(あやま)てり、
   我只人に勝たむ事のみを欲して読書せるなり我過てり、
   と伝て謝して去れり。
                        (夜話七一)

   【略解】
 
   何のための学問か、
   ただ食わんがための学問に終わっていいのか
   と強く猛省を示されれています。


              ・・・

   (伝統板・第二「二宮翁夜話 巻之二~その33(後半)」に収録。<2015/07/10 >
     → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6511555 )

・・・

(2)【 11日の生活標語 (解説) 】

   《學問が出来ぬことは、少しもその人の本性の善であり、
           偉大であることを抹殺するものではない。》

   学問が出来ねば、学問の出来る人を使えばよいのである。

   大局を見るの明。
   独創的着想。
   困難を乗り切る忍耐力。
   他人を使う才能等は、

   学校教育では学べないのである。

   (中略)

   人間の成功不成功は学問の有無や出来不出来によるのではなく、
   人間その者に具わる偉大性をどれだけ発揮し得るかにある。

   それを委しくいえば本文の初めにある通り、

   大局を見るの明、
   独創的着想、
   困難に屈せぬ忍耐力、
   他人を使う才能等

   に依るところが多いのであります。

・・・

(3)【 4月11日 】感激の永続は難しい

   諸君らも、
   かような(注:感動的な)話を聞かされた場合にはそれに感激もし、
   またその場では一応決心もされるでしょう。

   しかし一旦その場を去れば、
   多くはたちまち忘れてしまって、
   その感激は永続しがたいだろうと思うのです。

   それというのも、
   人間というものは、
   単に受身の状態で生じた感激というものは、
   決して永続きのしないものだからであります。

・・・

(4)【 4月11日 】 利益は汗と油の産物
 
   「君な、利益が出ないのは汗のかき方が足らんのと違うか」。

   幸之助は社会的使命や人間主役の経営を主張すると同時に、
   その結果としての利益が出ないのは何らかの問題があると考えていました。

   因縁生起(いんねんしょうき)と言いますが、
   結果には必ず原因と縁があるのです。

   社会の要請に応え切れていない、
   当時の私の努力不足を指摘し、
   利益は汗と油の産物だと教えたかったのです。

・・・

(5)【 4月11日 】 《エゴを肥料とする》

   若い時は大いにこのエゴを獲得しなければならぬ。
   若くしてこのエゴを持たない人は、立身も出世もせず、
   またよい作品を生み出すこともできない。

   エゴはまったく肥料のようなものである。
   うんと摂取して自分を豊富なものにしなくてはならぬ。

   若い時から折り目正しい紳士的な人間は、
   恐らく何事もなし得ず世を終わるであろう。
   若い時は少々破滅型の手に負えないエゴの持ち主の方が、
   後日いい仕事をし、いい作品を残すであろう。

・・・

(6)《11日 個性の表現》

   個性の生命(せいめい)(又は霊魂)は、
   大生命の夫々(それぞれ)の個性的表現の中心であるのであるから、
   その個性的向上又は発展を途中で止めてしまうなどと
   いうことはあり得ないのである。

   もしそんなことをするならば
   大生命は自分の個性的発現の《次第に完成し行く出口》
   を自分で閉じてしまうようなことになるのである。

   大生命がそんな事をする筈はないのである。

   吾々は出来るだけ自己の個性を失わず、流行になずまず、
   自己でなければならない独特の個性ある表現をすることが、
   神即ち大生命の意志であるのである。

   といって別に奇矯なる服装をし怪奇な行動をせよというのではない。
   寧(むし)ろその反対ですらある。
   流行の流れの中に沈没してしまう如きは神の意志に反するのである。

   嘗て終戦間もなく、英国の文豪プリーストリ氏が日本を訪ねて来た際、
   日本固有の風俗がすたれてしまって、
   外国模倣の住居や服装が氾濫しているのを見て慨嘆して、

   「日本人が幾ら西洋人の生活様式を模倣しても、其処には
   西洋人のマガイモノが出来るだけで西洋人にはなり切らない。

   マガイモノはホンモノに劣るのである。

   日本人は日本人でなければできない独特の文化をこそつくるべきである。
   そうでないと類似品や贋物(まがいもの)ばかりで、
   新しい価値を創造したことにはならない」

   ということを講演で述べていたのである。

         谷口雅春著『生活の智慧365章』
          (第3部歓喜の泉)第4篇(P98~99) より

           <感謝合掌 平成31年4月11日 頓首再拝>

賢者の一日一言《12日》 - 伝統

2019/04/12 (Fri) 20:32:51

(1)【 4月12日 】読書と躬行

   書を読んで躬(み)に行わざる者は、
   猶(な)ほ鍬を買って耕さざるがごとし。

   耕さずんば、
   則ち何ぞ鍬を買うを用いん。
   行わずんば則ち何ぞ書を読むを用いん。

   かつ読書と躬行と相まつは、
   なお布帛に経緯(けいい)あって後(のち)成るがごとし。

   読書は経(たて)なり。
   躬行は緯(よこ)なり。
                      (語録七六)

   【略解】
 
   人間形成にとって読書と実践は、
   まさに車の両輪の如しとも言えましょう。
   経緯とは、たて糸とよこ糸。

・・・

(2)【 12日の生活標語 (解説) 】

   《他人と争ったり、他人を憎んだりすることによって、善い事が現われると思うな。》

   いつの世にも他人と争ったり、他人を憎んだりすることを、
   大変な善事であるかのように考え、
   そのために随分自分の精根をつくす人があります。

   このような人は自分の重荷を他人に負わせて、大層得をしているようですが、
   本当は自分の善なる本性を見失い、同時に自分の本性の善なる輝きも、
   自分で消している人であって、いわゆる暗きより暗きに入る人です。

   (中略)

   如何なる人も本当は善人なのである。

   お釈迦さんが説教する時には、いつでも「善男子」或は「善女人」と
   呼びかけたように、誰にでも善い人だなァと思って対すると、
   その人の本性の善が出て来ます。

   それはまた同時に自分の善なる本性を輝かすことにもなります。

   逢うほどの人からその本性の善をひき出す生活ぶりに徹すれば、
   その人のいる所には感謝があり、笑いがあり、繁栄があって、
   到る処が楽園と化するのです

・・・

(3)【 4月12日 】その場かぎりの感激

   いかに立派な教えを聞いても、
   「ハハアなるほど」とその場では思っても、

   それが単にその場限りの感激に終わって、
   一度教場を出ればたちまち元の木阿弥に返ってしまうようでは、

   何年学校に行ったところで、
   ただ卒業という形式的な資格を得るだけで、
   自分の人格内容というものは、
   一向増さないわけです。

・・・

(4)【 4月12日 】 運命は変えられる

   「木野君、与えられた運命を願った通りに、
   切り開いていく人生の方が、醍醐味があって面白いで」

   幸之助は、
   単に運命のままに生きることをしませんでした。

   どんな過酷な運命に出会っても、自分の意思で切り拓いていったのです。
   その切り拓く厳しい過程の中に、生きる歓びを発見していたのです。

   すべては生成発展するという信念が、素晴らしい成果をもたらしてくれました。

・・・

(5)【 4月12日 】 《所思》

   流れてさえおれば
   水は必ず海に達する

   それと同じように
   努力さえしておれば
   所思は必ず遂げられる

・・・

(6)《12日 自由意志の条件》

   「個性ある表現」を人間が許されているということは、
   自由意志が許されていうことに ほかならないのである。

   ただそれに制限がある ―― というのは、大生命は全体者であるから、
   すべての個性的表現が、いずれも害われることなく
   全体が完全に表現されることを望んでいるのは当然である。

   だから各自の自由意志は許されているけれども、
   他(た)を犯したり、他(た)に迷惑をかけない
   という条件に於いて許されているのである。

   他(た)に迷惑をかけないところの個性的表現への願いは、
   それ自体が大生命の自己表現の出口であるから、

   彼が何を願い欲しようとも、その背後には大生命の無限の力が後援していて、
   その表現をたすけていてくれることを自覚して信念と勇気とをもって
   実行すべきである。

   模倣や迎合や虚栄や流行に押し流されて個性ある生活をいとなむことが
   できない人間があるのは甚だ残念なことである。

           谷口雅春著『生活の智慧365章』
           (第3部歓喜の泉)第4篇(P99) より

           <感謝合掌 平成31年4月12日 頓首再拝>

賢者の一日一言《13日》 - 伝統

2019/04/13 (Sat) 16:50:02


(1)【 4月13日 】行余学文

   孔子曰く、
   行(おこない)余力あれば則ち以て文を学ぶと。

   余固(もと)より文を好む。

   然れども少にして孤、
   外家に寄食し、
   日夕苦使する所と為り、
   また余力あるなし。

   故に午(ご)飯に当るや、
   人は湯を温め以て茶を煮る。

   余は則ち冷飯水飲、
   以て大学を読む。
                  (語録七九)

   【略解】

   尊徳翁は幼いころより、
   千辛万苦、
   一家を支えんがために、
   実践躬行(きゅうこう)を第一にし、
   その余力余暇をもって読書三昧せられたと聞く。

   自己に省りみて何をか言わんやです。

・・・

(2)【 13日の生活標語 (解説) 】

   《なに人かを憎みながらする善事は本當の善事ではない。》

   自分が不正だと認める者、或は自分が嫌いだと思う者などを大いに憎むことが、
   非常の善事であるように考える人があるが間違いです。

   何人かを嫌い、何人かを憎んでいる人の人生観、社会観はそれだけ
   正しくないのですから、世に処する心構えの間違っている人に、
   本当の善事が出来るはずはないのであります。

   世の中の改革などでも、一人も憎まず一人も仆さず、
   総ての人の間に大調和あらしめて、等しく万人を栄えしめずんばやまぬという、
   大愛に燃えた人が改革の先登に立ってこそ、
   本当に良い改革が出来るのですね。

   人を憎みながらする改革は、本当の改革ではない。
   必ず闘争は闘争を呼び、恨みは恨みを呼んで、止まるところがありません。

・・・

(3)【 4月13日 】四十までは修行時代

   人問は四十までは、
   もっぱら修行時代と心得ねばならぬということです。

   現に山登りでも、
   山頂まではすべてが登り道です。

   同様に人間も、
   四十歳まではいわゆる潜行密用であって、
   すなわち地に潜んで自己を磨くことに専念することが大切です。

・・・

(4)【 4月13日 】 運命は人生の決定打ではない

   「運命は人生の決定打ではない。
   自分の自由意思による。
   運命への挑戦が未来を創るのだ」

   と、幸之助はいつも前向きでした。

   「自分の心に炎を燃やし、人生の脚本を書き直せばよいのだから」と。

   自分の中にある響きあう魂が、魂を呼んで、
   新しい世界を創り出してくれるのです。

   運命は人生の決定打ではなく自分の自由意思によるのです。

・・・

(5)【 4月13日 】 《実践》

   一にも実践
   二にも実践
   三にも実践

   森信三先生の偉さは
   この実践にある

・・・

(6)《13日 善き想念・悪しき想念》

   あなたの人生はあなたの想念の具象化である。
   「あなたの想念」と仮にいうけれども、人は自己独特の精神の上に
   周囲の人物から色々の想念を感受して「自己の想念」を混成するのである。

   幼い時には、両親及びその家族から最も多く想念を感受して、
   それを総合して「自己の想念」を混成する。

   十三歳以上になると、個性が独立して来て、必ずしも周囲の想念ばかりに
   支配されなくなるけれども、依然として両親・家族・人類から
   その想念の影響を感受して、全然「無影響」ということはあり得ないのである。

   併しながら年を重ねるにしたがって個性的は表現要求は強くなるが、
   同時に幼児以来受けて来(きた)った家族及び人類から感受した想念も
   その人の潜在意識に固定化して抜きがたき傾向を形づくることにもなる。

   その固定化した傾向が、よき想念・明るき想念である場合は、
   その人の生涯に善き影響をもちつづけるが、

   それが悪しき想念である場合には、その人の生涯に常に悪しき影響を与えつつ、
   その人の運命を暗い方法に導いて行くことになるのである。

          谷口雅春著『生活の智慧365章』
            (第3部歓喜の泉)第4篇(P100) より

           <感謝合掌 平成31年4月13日 頓首再拝>

賢者の一日一言《14日》 - 伝統

2019/04/14 (Sun) 18:40:35


(1)【 4月14日 】忠孝は明智なり

   忠孝は善の大なる者、
   不忠不孝は悪の大なる者、

   其の大を推し、
   その小を極め、
   悪を避け善に従わば、
   則ち其の知恵たるや大なり。
                   (語録八二)

   【略解】
 
   神言に曰く、
   「我に知恵なし、
   忠孝を以て知恵をなす」
   とあり、
   忠孝は最大の知恵すなわち明知明徳につながるものと教えられています。

・・・

(2)【 14日の生活標語 (解説) 】

   《人は皆その顔の異なる如く、この世の中における役割を異にしている。》

   それぞれの人がこの世で与えられている役割が、その人の天命であり。
   またそのために日常働く職業は皆天職である。

   各人の顔形が違っているということは、
   この世の中に於ける各人の役割が違っているということです。

   人間以外に存在する山川草木の類まで、皆その様相を異にして、
   それぞれの役割を受持ち、とりどりにこの現象世界を色どっています。


   このゆえに他人が自分の思うようにならぬのを苦にすることなく、
   他人は自分と違った役割をこの世の中で受持ってくれる人として、
   尊敬すべきであり。

   同時に自分も他人にやれぬ役割を、
   この世で受持っている者として自重すべきです。

   このような他人への尊敬と、自分の自重とが行きわたる時、
   そこに大調和の世の中が出来て、
   どこにも排斥すべき人などはいないことがわかります

・・・

(3)【 4月14日 】六十以後が勝負

   人問というものは、
   自分のかつての日の同級生なんかが、
   どんな立派な地位につこうが少しもあわてず、
   悠々として、

   六十以後になってから、
   後悔しないような道を歩む心構えが大切です。

   知事だの大学教授だのと言ってみたところで、
   六十をすもすぎる頃になれば、
   多くはこれ恩給取りのご隠居さんにすぎません。

・・・

(4)【 4月14日 】 夢あってこそ人生です

   王道の経営は、
   すべての人を「完全な善の方向」に向かわしめる尊い経営です。
   だから、勇気が出て、元気が出て、結果が出るのです。

   夢あってこそ人生です。
   希望あってこそ青春です。

   「青春とは心の若さである」
   と、幸之助はいつまでも青春を謳歌していました。

   若さとは善なる心が創り出すのです。

・・・

(5)【 4月14日 】 《尊いのは足の裏である①》

   尊いのは
   頭でなく
   手でなく
   足の裏である

   一生人に知られず
   一生きたない処と接し
   黙々として
   その努めを果たしてゆく

   足の裏が教えるもの

   しんみんよ
   足の裏的な仕事をし
   足の裏的な人間になれ

・・・

(6)《14日 義しいあなたの願い》

   あなたが成就しようと欲する事柄にもっと自信を持ちなさい。

   本当にあなたの欲する事柄が義しいものである限り、
   それは既に実相世界に存在する”存在の秩序”が現実化して
   あらわれようとする衝動であるのですから、必ず成就するのです。

   何故(なぜ)なら実相世界の”無限の力”がバックとなって、
   その事柄を現象世界に推し出そうとしているのだからです。

   「義(ただ)しい」という意味は、「秩序の正しさ」をあらわすのです。
   この語(ことば)が「君臣の義」などというように使われるのでも判ります。
   「義理を立てる」などというのもそれです。

   義(ぎ)は宜(ぎ)と同意味で、
   時の宜しきにかない、処の宜しきにかなうことです。

   現象世界での《自分ばかり》の「都合の好さ」ではないのです。

   実相世界には既に無限に完全な秩序があり、
   秩序が正しいから大調和の世界なのです。

   その実相世界に既に存在する事物が現象世界に実現するための
   押し出す”心の催し”が起こるのが義しいあなたの”願い”なのであります。

         谷口雅春著『生活の智慧365章』
           (第3部歓喜の泉)第4篇(P100~101) より

           <感謝合掌 平成31年4月14日 頓首再拝>

賢者の一日一言《15日》 - 伝統

2019/04/15 (Mon) 17:12:04


(1)【 4月15日 】貪(とん)と譲の差のみ

   禽獣唯々貪(むさぼ)るを知って譲るを知らず、
   是を以て一日も安んずるを得ざるなり。

   鴻荒(こうこう)の世、人類も亦然り。
   神聖、推譲を以て人道を立て、
   兆民以て安んず。
                   (語録一〇四)

   【略解】
 
   「人類と禽獣との違いは、
    貪欲と推譲の差あるのみ」
   と説かれるが、
   人間にして禽獣に近きを反省せざるを得ません。

   鴻荒の世とは、大昔の世の中。

・・・

(2)【 15日の生活標語 (解説) 】

   《人は皆本来無病健康に生まれている者である。》

   肉体生命の長寿法或は最善の治病法も、ただ持って生まれた本能を正しく、
   最善に働かすことの外にはないことを教えるものであります。

   いま一度言いかえれば長寿法などといっても、
   薬品で長寿などが出来るものではなく、
   生命の法則を究めた者が、その法則に正しく順応すること以外に、
   長寿法があるはずがないということです。


   そこで医学者の研究しなければならぬものは、生命の法則であって、
   如何なる法則によって人間(生命)は生き且つ繁栄するのであるか。

   それを知った医者が万人にその道を説けば、それが無病健康法となり。
   若しまたそれを知った医者が病人をみれば、
   その療法はその病人の正しい本能の働きを、
   促進する方法となって現われるのであります。

・・・

(3)【 4月15日 】後半生を何に捧げるか

   人問は自分の後半生を、
   どこに向かって捧ぐべきかという問題を、
   改めて深く考え直さねばならぬ。

   その意味において私は、
   もう一度深く先人の足跡に顧みて、
   その偉大な魂の前に首を垂れなけわればなならぬ、
   と考えるようになった。

・・・

(4)【 4月15日 】 神通力という言葉を知ってるやろ

   「木野君、神通力という言葉を知ってるやろ。
    そういう言葉があると言うことは、
    これまでに神通力を身につけた人がおったということや。

    我々も、一業に徹しきれば、神通力がつくはずや。
    そうなれば、居ながらにして他者の動向でも、 
    何でも自ずとわかるようになる。

    そうならな、アカンで」

   正しくやって、儲からない商売はありません、

   儲からないのは何かが間違っているのです。

・・・

(5)【 4月15日 】 《尊いのは足の裏である②》

   頭から
   光が出る
   まだまだだめ

   額から
   光が出る
   まだまだいかん

   足の裏から
   光が出る
   そのような方こそ
   本当に偉い人である

・・・

(6)《15日 「真の願い」を見分ける法》
 
   あなたの願いを思いつくだけ沢山紙に書いて御覧なさい。
   そしてその一つ一つについて次の4つの基準によって検討して御覧なさい。


  ①私は真にそれを欲しているか、また真にそれが必要であるか。

  ②その願いの成就が自分又は他人の魂の向上に役立つか。
   却って魂の向上の邪魔になるか。

  ③その願いが成就することによって、
   他の人に損害又は迷惑を懸けることにならないか。

  ④その願いが成就することが家庭、社会、国家、人類等に役立つか。


   若しあなたの願いが、真に切実に必要なものではなく、
   神意それほど切実に欲するものでない場合には、その願いは
   「実相の世界に既にあるもの」の現象界への推進(おしだし)ではないのです。

   またその願いが成就したら、自分の肉体的満足や本能の満足なっても、
   自分又は他の人の魂の向上にならないもの、又は魂の堕落になるようなものは、
   それは実相世界の秩序にはない妄想の産物なのです。


   またその願いが成就しても都合のよいのは自分だけで、
   他(た)の人々や社会、国家、人類に迷惑又は損害を与えるものは、
   真に実相世界に存在する秩序ではないのです。

   すべて真の願いはそれが成就することによって自己のみならず
   直接間接に社会、国家、人類等に役立つものである筈です。

   この4つのテストに合格した事柄は、既に実相世界に存在する事柄であるから、
   私たちが切にその実現を心に念じ、波長を合わすようにつとめる時、
   必ずそれは成就するのである、自信を持ってよい。

        谷口雅春著『生活の智慧365章』
        (第3部歓喜の泉)第4篇(P101~102) より

           <感謝合掌 平成31年4月15日 頓首再拝>

賢者の一日一言《16日》 - 伝統

2019/04/16 (Tue) 19:38:30


(1)【 4月16日 】初桜

   〇 初桜 鐘もお寺の遠音かな
   〇 蝶々や日和(ひより)動きて草の植え
   〇 山吹きや古城を守る一つ家
                     (報徳要典)

   【略解】

   ・ 初桜・・・初咲きを知らせるような寺の鐘の音のよさよ。
   ・ 蝶々や・・・陽が射しそめると同時に蝶々がひらひらと草の上を舞っている。
   ・ 山吹きや・・・古城を守る一軒家の気高き風情。

・・・

(2)【 16日の生活標語 (解説) 】

   《現代の憂えは、醫者が病人の心を治さずしてして、病気を治すことである。》

   人間の持って生れた本能が正しく働いているならば、
   誰も病気にかかる者はないはずです。

   生命そのものに病気がなく。また人間を組成している最初の要素である
   電子にも、その集まりである原子にも、更に原子の集まりである分子にも、
   分子の集まりの細胞にも、どこにも病気も病菌もないからであります。

   それが病気にかかるのは、本能がそのまま正しく働いていないためです。

   なかんずく親不孝、先祖不孝、短気、憂欝、争い、憎しみ、不平、不満、慾張り、
   賛沢、美飲美食、取越苦労、持苦労等は、自己の本能の正しい働きを妨げて、
   多くの病気の本になるものでありますから、注意すべきです。

   (中略)

   総ての病人は深く深くその心の原因をたずねて、無病の岩盤につき当り、
   そこから絶対健康の自信をもって立ち上らねばなりません。

・・・

(3)【 4月16日 】修養の手始め

   諸君らも身内の者について人に話す場合には、
   敬称をつけないのです。

   たとえば諸君が自分のお父さんのことは、
   「私の父は」と言って「お父さんは―」とは言わないのです。
   つまりさん付けにしないのです。

   それから「君」とか「僕」という言葉は、
   同輩または目下のものに対する言葉で、
   自分より目上の人に対しては、
   使わないのが普通です。

   以上のことは、
   諸君らの修養の手始めとして、
   真先きに矯正しなくてはならない事柄です。

・・・

(4)【 4月16日 】 日本は発展する条件をいっぱい持っている

   「資源のない島国やから、日本は世界に先がけて発展する」

   と幸之助は言いました。

   「日本は島国やから、海底資源に囲まれている。
   世界中に輸出し、また、輸入も出来る。

   君、世界に発展する条件は、
   いっぱい持っていると考えた方が楽しいで。

   そうしたら、良い考えが浮かんでくる」-

   「考え方にはコストがからん」

   と言って笑っていました。

・・・

(5)【 4月16日 】 《若い人へ》

   どうかこれから人生を生きてゆく若い人よ、
   本気で生きて、どんな小さい花でもいい、
   自分自身の花を咲かせてもらいたい。

   二度とない人生である。

・・・

(6)《16日 善人は団結して言動せよ。》

   社会的、国家的、人類的な大黄な目的に関する願いは、
   個人がひとりひとりでやるよりも大きな団体及び組織の力を
   利用してやる方が実現の速度も簡易が大きくなるのである。

   今までの善人は、あまり温和(おとな)しすぎて黙って控え目にしていて、
   悪人の方が団結して言いたい放題なことを主張したり、
   群衆行動の圧力でその要求を貫徹しようとしていた嫌いがある。

   そんなことでは社会も国家もよくならないのである。
   善人はその目的を一つにして大同団結して建設的に協力するとき
   速やかに社会も国家もよくなるのである。

   人類光明化運動の団体の中における者は、尚一層調和して、
   その主たる目的のために常に建設的は言動をなすべきであって、
   苟(いやしく)も、破壊的な、内部紛争をかもすような言動を
   なしてはならないのである。

   内部に相争うものを包容している団体は、寄生中や癌細胞を
   内に宿している人体のようなものであって、早晩、瀕死の状態に陥るか、
   大手術をして内部の病原を切除しなければならなくなるのである。

        谷口雅春著『生活の智慧365章』
        (第3部歓喜の泉)第4篇(P103) より

           <感謝合掌 平成31年4月16日 頓首再拝>

賢者の一日一言《17日》 - 伝統

2019/04/17 (Wed) 20:16:01


(1)【 4月17日 】五倫・三才・三尊

   〇君臣義あり 父子親あり 夫婦別あり兄弟序あり 朋友信あり、
    これを五倫と名づく。

   〇地無ければ天なく 天あれば則ち地あり 天地あればすちわち人あり。
    天地人これを三才と名づく。

   〇母なくば父なく、
    父あれば則ち母あり 父母あれば則ち我あり、父母と我、 
    これを名づけて三尊と名づく。
                            (五倫・三才・三尊)

   【略解】

   五倫・三才・三尊に分けて天地人倫の限りなき恩徳を説いておられる。

・・・

(2)【 17日の生活標語 (解説) 】

   《晴天の旭日の如きさわやかな心を持續するならば、幸運は必ずきたる。》

   すべて陰気な家へは幸運がよりつかぬのである。

   『善い事も悪い事もおかげであると思え」という言葉があります。

   善いにつけ悪いにつけ、自分の心さえ正しく持っているならば、
   何事も宇宙内の出来事であり、従って神さんの摂理の中の出来事ですから、
   善い方にきまっているので、悪い事などあるはずがないという気持に徹底すれば、
   いつでも晴天の如きさわやかな気持を持続することが出来るはずです。


   お天道さんは総ての人が陽気に楽しく暮らすことを喜ばれます。

   病人などでも機嫌がわるく、
   小言や不平ばかりいっている間はなかなか治らないです。

   何かにつけて心を陽気に持ち「有難いな」「有難いな」と思うようになれば、
   その人の本能が正しく働き出すから、もうその病気の根は切れているのです、
   定命のあるかぎり治らずにいないのです。

・・・

(3)【 4月17日 】欠点に気付く

   人間というものは、
   白自分の欠点に気付き出した時、
   ある意味では、
   すでにその欠点を越えようとしつつあるといってもよいでしょう。

・・・

(4)【 4月17日 】 善も悪も自分自身の心の中に

   幸之助は、
   「自分自身の中に、仏が存在する」と考えていました。

   一人の人間の一念に、世界を変革する力があると信じていたようです。
   心の持ち方、一念の方向性によって、すべてが決まるのです。

   幸・不幸、成功・失敗は、その人の一念の姿勢次第です。
   その心が決まったとき、
   成功への歯車は音を立ててまわり始めるのです。

・・・

(5)【 4月17日 】 《自分のもの》

   かすかな
   光であっても

   ちいさい
   花であっても

   自分のものであれば
   最高であり
   最大である。

・・・

(6)《17日 「悪」を思えば悪が出てくる》

   「善き目的」を推進するにあたって、その団体のメンバー相互の争いや、
   不調和や、反対論で騒然たる中で功績を挙げて行くことはできないのである。

   同じ団体のメンバーでありながら、その団体の中にその同志を嫌悪したり
   憎んだり、あしざまに批評する小会をつくって派閥争いをしているような事では、
   その団体の善き目的遂行がおくれるばかりである。

   内部機構を常に一層よきように改善することは必要であるけれども、
   それがその団体の誰かを酷評したり、憎悪したり、排斥したりするような
   暗黒な精神に支配されリードされている限り、改善どころか、
   それは、却って、「悪」に力をかすことになるのである、

   どこまでも「悪」を想えば悪がでて来る
   ―― この真理を知らなければならない。

         谷口雅春著『生活の智慧365章』
         (第3部歓喜の泉)第4篇(P104) より

           <感謝合掌 平成31年4月17日 頓首再拝>

賢者の一日一言《18日》 - 伝統

2019/04/18 (Thu) 17:09:10


(1)【 4月18日 】堪忍を破らず

   世の人 
   生涯堪忍(かんにん)を破らず、
   誠を以て諸事を行ふときは、
   願はずして立身出世疑なし。
                 (金言集)

   【註】
 
   「堪え難きを堪え、忍び難きを忍ぶ」
   という言葉があり、

   「ならぬ堪忍するが堪忍」
   という俗言もある。

   人生耐忍に終始すべしとも言えよう。

・・・

(2)【 18日の生活標語 (解説) 】

   《感謝しながら食事をする者に、胃腸病はない。》

   胃腸病の一番大きな原因は、感謝が足らぬことです。

   食膳を前にした時心から感謝し

   「ああ有難いことだ、この与えられたる食事をすることによって、わが身を養い。
   小にしては一家のため、大にしては世の中のために尽くすことが出来るのである。
   有難いことだ、神さん有難うございます」

   と思い、満腔の感謝と共に食事をするならば、
   自分の持って生まれた消化の本能が正しく働くのみならず、
   食事の選択、分量などもちょうど適当になるから、
   胃腸病などになるはずがないのであります。

・・・

(3)【 4月18日 】教師の資格

   真に人を教えるというには、

   自ら自己の欠点を除き得た人、
   あるいはむしろ常にわが欠点を除去しょうと努力ししつつある人にして、
   初めてできることでしょう。 

・・・

(4)【 4月18日 】 出来ないでは出来ない

   「出来ないでは、出来ない」
   「困っても、困ってはあかん」
   「成功とは成功するまで続けることや」

   と、幸之助に教えられました。

   今日あきらめてしまえば、明日の成功は決してあり得ません。

   最大の力は、人間自身なのです。
   自分自身の「内なるエネルギー」に気がついた人は、
   他者の「内なる宝」にも気づき、相手を心から尊敬するようになるのです。

・・・

(5)【 4月18日 】 《これからは》

   人に振りまわされるな
   これからは
   これが一番大事だ

   自分の足で立ち
   自分の手でつかむのだ

・・・

(6)《18日 現象人間の欠点には寛容であれ》

   団体の幹部、役員、講師たちも、現象の人間としては、
   あらゆる点において完全無欠とはいうことはできないのである。

   すべての人間は、その実相は既にある”神の子”として
   「無限の完全さ」を宿しているのであるけれども、現象的には努力によって
   徐々に開顕開かれて行く”最後の完成”をめざしているのである。

   だから団体の幹部役員講師たちにも、団体のメンバーから見れば不完全であり、
   批判の的になる点は無数にあるのである。

   それを内部で指摘し批判し攻撃し合っているのでは内部紛争を起して、
   外部に向かう人類光明化の目的を達成すべき力が弱まるばかりである。

   幹部といえども普通のメンバー、誌友、信徒たちと同じく、
   感謝され、称賛され、美点を見つけてもらい、激励されることによって、
   はげまされて実相の完全さがあらわれて来やすくなるのである。

   信徒や誌友たちは、教団の幹部の人たちにも現象人間として色々の苦労があり
   悩みがあることを察して、欠点を見ないで、実相の完全円満さを念じて、
   その円満さの顕れる手伝いをしてあげるべきである。

         谷口雅春著『生活の智慧365章』
         (第3部歓喜の泉)第4篇(P104~105) より

           <感謝合掌 平成31年4月18日 頓首再拝>

賢者の一日一言《19日》 - 伝統

2019/04/19 (Fri) 18:54:23


(1)【 4月19日 】嫁と姑

   嫁は舅(ちち)姑(はは)を養ふに
   養父母に仕ふること猶(な)ほ実父母に仕ふる如くならば、
   是れ独り舅(ちち)姑(はは)養父母に孝なるのみならず、
   同時に実父母へも孝となるなり。
                        (金言集)

   【註】
 
   古来、
   嫁・姑の間柄はなかなか容易ならぬ難問ですが、
   心構え一つによって微光が感ぜられるものです。

・・・

(2)【 19日の生活標語 (解説) 】

   《暴飲暴食する者は、運勢定まらず、晩年必ず劣う。》

   身分不相応の美飲美食をする者、
   また大飲大食暴飲暴食をなす者は、皆運勢が凶である。


   三度の食事をするたびに、腹がよく減っていて、
   腹に食物のとどこうりがないようならば、
   病気をしない「腹八合に医者いらず」です。

   「病気になったら、現代科学の発達による医術のお世話になるのが当然だ」
   などと、知識人ぶっている人は、
   よく病気をして苦い薬や、痛い注射のお世話になるのであります。

・・・

(3)【 4月19日 】教科書では事足りぬ

   今諸君らが、
   将来ひとかどの人間になろうとしたら、
   単に学校の教科書だけ勉強していて、
   それで事すむような姑息低調な考えでいてはいけないと思うのです。

・・・

(4)【 4月19日 】 どんな原野にも道はある

   どんな険しい原野にも道はある。
   道がなければ、そこに道を開くのが、真の指導者です。

   常に新しい出会いを求めて、
   新しい人生の舞台を切り拓いていくのが、真の経営者です。

   その一念に、新しい道は必ず開かれるのです。

   幸之助はこの出会い、この縁を大切にしてきたのです。

   「どんな険しい原野にも道はある」

   これが幸之助の確信でした。

・・・

(5)【 4月19日 】 《一》

   一度きりの一は
   どこからくるのであろうか

   それは無常からくる

   中世ほど無常な時代はなかった

   一は無常の上に咲いた花である
   一遍の一を思うとき
   わたしは無常の深さに驚く

・・・

(6)《19日 イエス涙を流し給えり》

   幹部に対しても、その不完全さが目についたならば病人に対するが如くせよ。

   あなたは病人に対して攻撃を加えるでしょうか。
   病人を悪しざま酷評するでしょうか。
   そんなことはしないでしょう。

   病人に対しては四無量心を起こすべきである。
   即ち慈悲喜捨の四つの無量に深き愛念を起こすべきである。

   慈とは苦しみを見て苦を除かんと欲する慈念である。
   この場合、幹部の労苦を少しでも軽減してあげたいと、その手伝いする心である。

   悲とは人の苦しみを見て楽を与えてあげたいと思う悲念である。
   若し、幹部役員と、そのメンバーとが対立関係になり、労使的な気持ちで対立するならば、
   そのような処には、宗教も信仰もないのである。

   苦しんでいる人、重荷を負える人はすべて病人である。

   病人に対しては、イエスはどうしたか?

   「イエス涙を流し給えり」と『聖書』にある。
   同慈、同悲の心が起こったのである。

   次には神に祈って「神よ、あなたは常にわが願いを聴き給うことを知る」
   といって自分の信念を増強し「死せるに非ず、眠れるなり、起(た)てよ」
   と断言しておられるのである。

   その時ラザロは健康になって起ったのである。


   私たちも幹部役員に向かって、

   「実相は死せるに非ず、眠っているだけだ。
   素晴らしい神子(かみのこ)だ。
   既に完全なのだ」
   
   と念じてあげなければならないのである。

         谷口雅春著『生活の智慧365章』
          (第3部歓喜の泉)第4篇(P105~106) より

           <感謝合掌 平成31年4月19日 頓首再拝>

賢者の一日一言《20日》 - 伝統

2019/04/20 (Sat) 18:32:19


(1)【 4月20日 】行い教え、学んで行う

   行ひて教へ学んで行ふ。

   今の教ふる者、
   言うて教へ書きて教ふ、
   故に効なし。
                    (金言集)
 
   【註】

   リーダーの心がけはこの一語に尽きるともいえます。
   まず長たる者の修学と実践が先決問題です。

・・・

(2)【 20日の生活標語 (解説) 】

   《「言い出したらきかぬ」のをあっぱれ男と思うな。
    このような人がよく中風にかかるのである。》

   なぜ「言い出したらきかぬ」者が中風にかかるかといえば、
   その頑固な柔軟性のない心境が、自分の血管を硬化せしめるからです。
   そうして血管硬化は血圧を高くして、脳溢血即ち中風の原因になります。

   (中略)

   中風は必ずしも言い出したらきかぬ頑固ばかりではなく、
   先祖の祀りを怠る者もかかるのであるが、先ず「言い出したらきかぬ」人は、
   その罰当りの性根を早く改めるべきですね。

   半身不随になってからではおそいです。

・・・

(3)【 4月20日 】教えと経験

   人間は学校で教わることは、
   ちょうど地下工事に当たります。

   その上に各人が独特の建物を建てねばなりません。

   その建物のうち、
   柱は教えであって壁土は経験です。

・・・

(4)【 4月20日 】 変革は一人の人間から始まる

   変革は一人の人間から始まるというのが、幸之助の信念でした。
   一人の人間の決意が、一念となって世界を変えるのです。

   決して、決して、また決意して、初めて確信となり、
   確信と誠実が成功への道を開くのです。

   誠実とは、どこまでも相手の幸運を願う心です。

・・・

(5)【 4月20日 】 《人生は一度きり》


   人生は一度きりだという考え方は、人間を二つに分ける。
 
   一つは人をよいほうに向け、一つは人を悪いほうに向ける。
 
   どうせこの世は一回きりだ、太く短く面白くぱっとゆこうという者は、
   後者の人間となり、

   この世は二度とないのだから、生きられるだけ生きて、
   生れてきた意義を見いだし、世のため人のため何かをしてゆこう、
   という人は前者の人となる。

・・・

(6)《20日 会議に臨むとき》

   どんな団体にせよ、団体の会議に臨む場合には、欠点を論議して
   反対党をやっつける為のような気持ちで臨んではならないのである。

   調和精神と善意とをもって建設的な意見を平和裡に述べて、
   全体を生かし皆なを生かすような気持ちをもって会議を進行させなかったら
   良い結果が得られる訳はないのである。

   荒々しい攻撃的な語調をもって議論をすれば、結果は必ずよくないのである。
   無論、すべてのメンバーが悉(ことごと)く
   同一意見をもっている訳のものではない。

   しかしその意見を述べる時の気持ちが、平和な、全体愛に満ちた、
   調和した気持ちでなければならないのである。

   他の意見を打倒しようというような、また自分の意見と異なる者には
   「腹が立つ」というような、悪意や憤怒の気持ちを棄てて、

   一層高い一層繁栄する観念を導き出そうというような建設的は気持ちをもって
   会議を進めるとき、善きアイディアが会議の進行するに従って
   思い浮かんで来るようになるのである。

   一切の善きものは「和解」の中から生れて来るのである。

   「汝ら天地一切のものと和解せよ」との神示の実践を忘れてはならないのである。

            谷口雅春著『生活の智慧365章』
             (第3部歓喜の泉)第4篇(P106~107) より

           <感謝合掌 平成31年4月20日 頓首再拝>

賢者の一日一言《21日》 - 伝統

2019/04/21 (Sun) 19:09:37


(1)【 4月21日 】 窟の無哲理を求む

   理窟(りくつ)上手は用に立たず。
   窟(あな)の無き理を求むべし。
                   (金言集)

   【註】

   理路整然たる論理による説得もなるほど大事な要件なれど、
   論理をこえた情理の内にありやなしやが、
   まず必要条件の最大なるものなり。

・・・

(2)【 21日の生活標語 (解説) 】

   《わが心が感謝と歡喜に満つるに至ったならば、その人は天下無敵となる。》

   全心が輝き渡って寸毫の暗い影もない人は、天地の栄えと一体になった人である。

   人間ここに至れば修養の極致に達したのであって、
   病氣と不幸と貧窮と恐怖心とからは、完全に絶縁したことになる。

   (中略)

   世の中には日常人の良心を曇らす幾多の機会がある。
   しかしそれらの総ての場合に、思い直し、言い直し、聞き直して、
   総てを善意に解釈し、総てを明るく考え、不平不満に思う代りに感謝することの
   習慣をつければ、次第にこのような心境に達することが出来ます。

   (中略)

   如何なる場合にも、わが心か感謝と歓喜に輝いているならば、
   神様はいつでもこちらの味方です。

   天下無敵になるのは当然であります。

・・・

(3)【 4月21日 】苦労の用①

   同一のものでも、
   苦労して得たのでないと、
   その物の真の値打は分からない。

・・・

(4)【 4月21日 】 失敗は失敗ではない

   失敗は、失敗ではない。
   失敗はチャンスを見出すよい機会です。

   問題があるとすれば指導者の一念です。

   幸之助は、

   「何もないのは、何でもあることや。
   何でもあることは、
   よく見ると何でもないことに気がつくものや」

   と、いつも言っていました。

   まるで禅問答のようでした。
   失敗は失敗ではないのです。

・・・

(5)【 4月21日 】 《しんけん》

   人を生かす詩を作るためには、自分がしんけんに生きねばならぬ。
   自分がしんけんに生きる詩が、即ち人を生かすことになる。

   なんで仏菩薩を拝むか、それは仏菩薩がしんけんに生きていられるからである。
   どのお経も仏菩薩が、しんけんに生きようといられることを説いている。

   決しておれについてこい、おれは救ってやるんだとは言っておられない。
   けんめいに精進していられる。
   そこが仏教の大きな拠りどころである。

   だから私たちもけんめいに生きねばならぬ。
   それが仏の教えであり、それが宗教なのである。

・・・

(6)《21日 先ず自分自身に和解する》

   どんな不調和な状態が現在その団体にあろうとも、又その家庭にあろうとも、
   又人と人との関係にあろうとも、その団体を祝福し、その幹部及びメンバーに感謝し、
   その家庭を祝福し、その家族ひとりひとりに完全に感謝し、

   紛争の起こっている相手があるならば、その相手の人を神想観の時に祝福し、
   その相手に和解と善意と感謝の愛念を送ることにするならば、
   相互の間は不思議に調和を取り戻すことができるのである。
 
   原因は環境にあり、又相手側にあると見える時にも
   実は自分の心の内にあるのである。

   紛争や不調和が起こる原因の一番根底には
   「自己嫌悪」が横たわっていることが往々にしてあるのである。

   自分自身を嫌悪しているために、
   それが他の人に移入されて文句を言いたくなるのである。

   吾々はもっと度々神想観をして、
   自分自身を祝福し自分自身に感謝し、自分自身に和解しなければならない。

          谷口雅春著『生活の智慧365章』
           (第3部歓喜の泉)第4篇(P107~108) より

           <感謝合掌 平成31年4月21日 頓首再拝>

賢者の一日一言《22日》 - 伝統

2019/04/22 (Mon) 17:16:25

(1)【 4月22日 】 徳は本、財は末

   徳は本なり、財は末なり。
   本を外にし末を内にすれば、
   民を争はしめ奪ふことを施す。
                   (金言集)

   【註】

   徳とは人格・品性をいう。
   この徳を養うことが、
   何より根本の第一義でであり、
   財の蓄積は第二・第三の問題で本末を誤ってはならない。

・・・

(2)【 22日の生活標語 (解説) 】

   《失敗を知らない發明王エヂソンを見習え。》

   電球の中にあるフィラメントを發見するために、
   エヂソンは六千回に及ぶ実験をしたという。

   そうして最後の1回だけが成功したのであるが、
   エヂソンはその途中のすべての實験を、
   成功への階段であると思うて楽しんだのである。

   (中略)

   エヂソンの如きは、食事は常人の3分の1くらいしか喰わず。
   睡眠は殆ど毎日のように3時間か4時間、机や椅子にもたれて眠る
   というようなことを繰返しつつ、

   84才の高齢を重ねている間に電燈、蓄音器、電車、映画などをはじめとして、
   2千有余の大発明を成し遂げたのであります。

  今後の世に立つ者は九転十起、このエヂソンの如き、不屈の勇気を持つことが必要です。

・・・

(3)【 4月22日 】苦労の用②

   焼き芋は、
   火が通らないとふっくり焼けない。

   人間も苦労しないとあくが抜けません。

・・・

(4)【 4月22日 】 定年もなければ引退もない

   経営者には、定年もなければ引退もない。
   毎日が戦いだ。
   動けなくなるまで戦いだ。

   戦い抜いて、戦い抜いて、
   初めて勝利の栄冠を手にすることが出来るのだ。

   社員の幸せと、お客様の笑顔を得るために―。
   最後の最後まで、心を砕いてこそ、
   上に立つ指導者と言えるのです。

   幸之助は、94歳まで現役でした。

・・・

(5)【 4月22日 】 《本当に偉い人》

   本当に偉い人は
   マザー・テレサのように
   素足にサンダルを履き
   極貧最下の人たちに
   一生を捧げる人である

・・・

(6)《22日 自分を祝福する》

   自他を祝福するとは、
   自他の内にやどる「神なるもの」を認めて礼拝することである。

   自分も彼もみな神の素晴らしい自己顕現であることをみとめ、
   心で讚(ほ)め、喚び出し、その真理を引き出すことである。

   先ず自分自身を祝福することなしに、
   他の人々を本当に祝福することはできない。

   吾々は先ず自分自身を祝福し、讚嘆し、
   自分自身の神性を引き出さなければならないのである。
   その行事が神想観である。

   神想観によって自分の実相が”神の子”であり、
   完全円満であることを観じて、実相の完全さを祝福し、

   讚歎した後に、現象的にも自分の生活に一寸でも
   善い事をしたことがあれば、それを一々想い出して自分自身を
   「お前はこんな善い事をした善い人間である」と讚めてやるのが
   よいのである。

   それは恰も学童の成績を挙げるために、
   その答案の中に一寸でもある「正しい回答」に◎を
   つけて讚めて、その内部の能力を引き出してやるが如くである。

   「お前はあの人の罪を赦した。お前は神の子で愛ふかく寛大である」
   という風に讚めるのである。

         谷口雅春著『生活の智慧365章』
          (第2部歓喜の泉)第4篇(P108~109) より

           <感謝合掌 平成31年4月22日 頓首再拝>

賢者の一日一言《23日》 - 伝統

2019/04/23 (Tue) 19:32:22


(1)【 4月23日 】 花さけば

   花さけば老(おい)も若きもへだてなく

        詠(なが)めにさそう春の山かな

                   (二宮翁道歌)


   【略解】

   この花は何の花であろうか。
   春の山というから、
   桜の花を思われるが、
   老若男女をとわず、
   今年の花見に心ひかれる日本人の心情をみごとに示されています。

   「徳は孤ならず、必ず隣(となり)あり」
   の一語が思い出されます。


・・・

(2)【 23日の生活標語 (解説) 】

   《なまけて得をすると思うな。なまける者は毎日大損をしているのである。》

   誠実に働く者は日一日と自己の能力を磨き、他人の信用を増すが、
   なまける者は生涯自分の能力を知らずに終る人である。


   怠けた者が栄えないのは理の当然であって、
   たまたま或る期間その例外があっても、最後は知れています。

   何より恐ろしいことは、そのような人ば家族をはじめ、
   自分の身近い人の間の信用を失っていくことです。


   人間は本来働くように出来ています。
   人間の一呼吸一呼吸は皆宇宙の理法、造化の作用の人間に伝わるものであります。

   だから造化の働きが一瞬一刻も休むことなく働いているのと同様に、
   各人もまたそれぞれ、その才能特色に従って、造化の作用のお手伝いをするのが、
   毎日の人間の務めであって、その理法に背く者は、造化の反逆者であり、
   この世に生まれた意義を果さぬ人であって、誠に生きて甲斐なき人であります。

・・・

(3)【 4月23日 】独立独歩の人間

   私は、
   本校の生徒諸君に対して「諸君は将来立派な先生になりなさい」とは、
   あまり言わないつもりです。

   本を読まないで、
   ただ立派な先生になれと言っただけでは、
   卒業後二、三年もたつと、
   もう干からびて来るからです。

   ですから私の平素申していることは

   「常に書物を読んで、
   卒業後独力で自分の道を開いていけるような人間にならねばならぬ」

   ということです。  

・・・

(4)【 4月23日 】 決算があるから人間は生きられる

   決算があるから、人間は生きられる。
   決算は、
   ある時期の決算をつけてくれる裁判官です。

   だから、過去は引きずらない。
   引きずってはいけないのです。

   「一歩前進」それは、
   猛然と目の前の壁を破ることです。
   新しい波を起こすことです。

   勝って、勝って、
   勝ち続けることが生命の本源なのです。

   そう教えられると不思議に力が湧いてきました。

・・・

(5)【 4月23日 】 《師》

   人間として最高の喜びは、終生の師にめぐりあうことである。
 
   危機というものは、いつの世も人間がつくり出すものである。
   それは人間の業かも知れない。

   そしてそういう業のなかに生まれ、生きねばならぬわれわれにとって、
   師とのめぐりあいのふしぎは、星のように光り輝き、虹のように美しい。

   それにしても、そのようなただ一人の師にめぐりあうということは、
   いかに至難なことであろうか。

・・・

(6)《23日 物心は本来一つ》

   すべて吾々が見聞し手で触れることの出来る一切のものは、
   吾々の「心」の活動のために存在するのである。

   心がそれを感受し、それに対して快不快を感ずる。
   心がまた其等のものを動かして、それを以前とは別の形に配列する。

   それが創造であり、創作であり、着想であり、発明であり、新機軸であり、
   それによって吾々は喜びを感ずる。

   すべてのものは心のためにあるのであって、
   物そのもののためにあるのではないのである。

   そして、「物」が吾々に或る時は喜びの感じを与え、
   或る時は不快の感じを与えるのは何故であろうか。

   それは「心」と「物」とが全然別物ではなく、本来一つのものが、
   波動の相異で、一方は「心」としてあらわれ、
   他方は「物」としてあらわれているのだけれども、

   本来は「一つ」のものであって、
   同じ基盤の上に存在するものであるから相互関係を有するのである。

   これを仏教では物心一如というのである。

           谷口雅春著『生活の智慧365章』
             (第3部歓喜の泉)第4篇(P109) より

           <感謝合掌 平成31年4月23日 頓首再拝>

賢者の一日一言《24日》 - 伝統

2019/04/25 (Thu) 21:31:06


(1)【 4月24日 】 独を慎しむ

   山寺の鐘つく僧の起(お)き臥(ふ)しは
           知らでしりなむ四方(よも)の里人
                        (二宮翁道歌)
   【略解】

   この歌は、
   君子はその独を慎しむべしとの意をこの一首に託したものです。

   遠く離れた山寺の僧侶の日常生活を、
   知るはずはないのですが、
   その鐘の音によって、
   村人たちは、
   察しがつくということです。

   それ故、
   リーダーたるべき者は心しなくてはならぬということです。

・・・

(2)【 24日の生活標語 (解説) 】

   《狡猾な世渡りをする人の運勢は、晩年必ず凶である。》

   校滑な人(コスカラク、ズルイ人)が、あちらで少し誤魔化し、こちらで少し利得した
   というようなのを、一生涯に積もって見れば随分大したものでしょうが、
   そのような人が生涯幸福であった例がないのは、なぜであるかというに、
   それは宇宙の繁栄道に背くからであります。

   宇宙の道 ―― 大生命の道 ―― 即ち繁栄道は、公明正大なものであって、
   そこには誤魔化しがない。そこにはズルサがない。

   「明日も太陽が東天に昇る」「夕方が来れば太陽は西山に入る」

   「春が来れば草木の芽が出る」「夏は暑い」「秋は涼しい」「冬は寒い」等々。
   少しもかくすところがなく、誤魔化すところがないのです。
   それで万物はその間に生じ、その間に育ち、その間に栄える。

   この宇宙の繁栄道のままに生活する者が、
   何んでズルク廻り、誤魔化しをする必要がありましようか。

   ズルク廻らねば損をするように思う者は、かかる繁栄の大道を知らぬからです。
   なるほど日々の計算に於いては、ズルク廻って誤魔化しただけ確かに利得しているはず
   なのですが、月々の計算に於いては損をし。或は月々の計算では利得していても、
   年々の計算では損をするというようなことになるのが、
   欺き難い繁栄道の作用なのであります。

・・・

(3)【 4月24日 】自立の覚悟を養う

   高等小学では、
   「一刻も早く親のすねかじりから脱して、
   自立する覚悟をさせる」
   ということが大切です。

   これが教育の第一歩です。

   それ故どんな教課においても、
   最後のところはそこへ落としておかねば、
   真のとどめは刺さらぬでしょう。

・・・

(4)【 4月24日 】 好況よし、不況なお良し

   幸之助は、
   昭和四年の世界大恐慌の時、
   五つのことを断行しました。

   一、経営理念(信条・綱領)創った。
   二、人を一人もカットせず、賃金もノーカットで、
     半日操業で全員営業に出た。

   三、在庫を二カ月で完売し、新工場を建設。
   四、社名を変更。
   五、新事業部門(電熱部門)に進出。

   松下は、不況の時に大躍進したのです。
  
・・・

(5)【 4月24日 】 《タンポポ魂》

   踏みにじられても
   食いちぎられても
   死にもしない
   枯れもしない
   その根強さ

   そしてつねに
   太陽に向って咲く
   その明るさ

   わたしはそれを
   わたしの魂とする

・・・

(6)《24日 生命の進化》

   吾々の生命は常に一層高き進歩に向かって更新しつつあるのである。

   併(しか)し、「低いもの」が如何にして
   「一層高きもの」を思い浮かべ得るであろうか。

   「一層高きもの」はそれよりも
   「低いもの」を考えるのはいと易きことであろう。

   しかし「低いもの」には「一層高きもの」を
   理解することは出来ない筈である。

   現在「低いもの」でありながら「一層高きもの」を理解し得るのは、
   その「一層高きもの」に触れることによって、自己の内にあるところの
   「一層高きもの」が喚び出されて来る結果だというほかはないのである。


   「一層高きもの」に生命(せいめい)が進化し行くのは、
   既に「一層高きもの」が生命(せいめい)の内部に宿っており、
   それが色々の環境や条件や境遇や経験によって触発されて
   輝き発して来るにほかならないのである。

   吾々は今与えられている環境・条件・境遇・経験から
   逃げ出そうと考えてはならないのである。

   それを喜んで受け、それから得られるところの凡てを
   経験を通して吸収しなければならない。

   それによって吾々は内在する無限の神性を、
   一層多く開顕することができるのである。

        谷口雅春著『生活の智慧365章』
         (第3部歓喜の泉)第4篇(P110) より

           <感謝合掌 平成31年4月24日 頓首再拝>

賢者の一日一言《25日》 - 伝統

2019/04/25 (Thu) 21:32:44


(1)【 4月25日 】 愛情を法とする

   おのが子を恵む心を法(のり)とせば

           学まずとても道こいたらむ

                   (二宮翁道歌)

   【略解】

   この世こおいて親の子を育(はぐ)くむ愛情ほど尊いものはございません。

   これが宇宙の法則であり、
   これが天意にかない、
   菩薩の佛心にかなうものですから、

   この信念切々たる思いを保ちつづけるならば、
   何も特別の勉強をしなくても、
   道を究めることが出来ましょう。

・・・

(2)【 25日の生活標語 (解説) 】

   《親孝行をする者は、いつしか宇宙の繁榮律をつかむのであることを知る人は少ない。》

   「お前達は親が勝手に子を生むと思うか。
   それなら子の欲しい者は、男の子でも女の子でも、
   幾人でも自由に生めるはずであるが、そうはいくまい。

   またお前達は自分独りの力で、大きくなったと思うか。
   お前達が生まれた時.親の愛がなかったらどうなっていたか。
   親は身の皮はいでも子のために尽くし、子供の病気の時など夜の目も寝ずに看病し、
   わが命にかえても子を助けようとするのである。

   かく親の愛が山よりも高く海よりも深いのは、
   これ造化の心を受けているからであって、
   これあるがゆえに、天地も栄え、人間も栄えるのであることを知らぬか」

   これが親不孝者に対する、造化の主の憤りの言葉です。

   かくて親不孝をする者は、次第に宇宙の繁栄道から遠ざかる反面に於いて、
   親孝行をする者は、その行いを通じて造化の理法、即ち宇宙の繁栄道を、
   理解し得るに至るのであります。

・・・

(3)【 4月25日 】充実した生活

   日常生活を充実したものにするとは、
   一体何なのかと言えば、
   これを最も手近な点から言えば、
   結局自己のなすべき仕事を、
   少しの隙間も置かずに、
   着々と次から次へと処理して行くことだと言ってもよいでしょう。

   すなわち、
   少しも仕事を溜めないで、
   あたかも流水の淀みなく流れるように、
   当面している仕事を次々と処理していく。

   これがいわゆる充実した生活と言われるものの、
   内容ではないでしょうか。

・・・

(4)【 4月25日 】 借金は人も会社もおかしくする

   銀行からお金を借りるのは、
   回転資金のためです。

   長期資金を借りては、
   自分自身の基本を間違えてしまいます。

   事業は自己資金で行うものだからです。

   安易にお金が手に入ると、
   つい実力以上の投資をしがちになります。
   これが大きな失敗を招くのです。

   無借金経営は、不変の法則です。

・・・

(5)【 4月25日 】 《呼応》

   呼応こそ
   わが詩の骨髄
   わが詩の生命

   すばるよ
   タンポポ堂の
   真上にまたたけ

・・・

(6)《25日 人間は死なない》

   人は無限の進歩に対する欲求をもっている。
   それは切実なる願いである。

   吾々は「存在の根元」を知ろうとし、
   「現象の奧」に横たわる法則を発見しようとし、
   善を求め、美を追求し、飢え渇く如く進歩と向上とを願って来たのである。

   その願いの主体者である個生命なる「自己」が死と共に終焉を迎える
   ということは到底不合理であって考えることはできないのである。

   肉体は死するであろう。
   脳髄は働かなくなる。
   脳髄を通して発現していた意識は消える。

   しかしそれで吾々の「心」が無くなるのではないのである。
   「心」を主体とする「人間」は死んだのではないのである。
   ただ肉眼に見える人間の衣服(肉体)がほころびて剥落しただけである。

   眼鏡が破れ落ちても魂の眼は見え感ずることができるのである。

   肉体の衣服を通して経験して来た色々の知識も知恵も能力も悟りも、
   肉体の衣服を脱ぎ肉体の眼鏡をはずしてからも、吾々の魂は引き続いて持っており、
   次なる進歩の経験を待ち構えているのである。

   吾々は永遠なる存在であり、内に”無限”を蔵しながら、
   永遠にその無限を開顕しつつ無限に進歩し行く生命(せいめい)なのである。

         谷口雅春著『生活の智慧365章』
          (第3部歓喜の泉)第4篇(P110~111) より

           <感謝合掌 平成31年4月25日 頓首再拝>

賢者の一日一言《26日》 - 伝統

2019/04/26 (Fri) 20:38:38


(1)【 4月26日 】 感恩報徳の心

   何事も事足り過ぎて事たらず

      徳に報うる道をしらねば

             (二宮翁道歌)

   【略解】

   人間は、
   感恩報徳の心がなければ、
   何事にも不足の念が起こるものです。

   十分すぎるほど恵まれた結構な暮らしをしながら、
   その恩恵になれて、
   そのありがたさがわからなくなるものです。

   感恩報徳の心構えと実行がなにより大切と言えましょう。

・・・

(2)【 26日の生活標語 (解説) 】

   《人の一生は長い。おちついて人生を楽しみながら大いに働くべし。》

   あくせくと身を摺り減らすように働いて暮らせば、
   何一つ楽しむ暇もなくて一生を終ったということになる。


   大体人の世の暮らしは、あまり楽なものではないということになっています。
   徳川家康の遺訓にも「人の一生は重荷を負いて遠き道を行くが如し」とあるなどがそれですが、
   しかし一生涯重荷を負うて遠い道を行くのではやりきれないですね。

   本当は人の一生は宇宙の繁栄道の中を行くのですから
   「人の一生は極楽の中を行くようなものである。日々是れ好日と考え、
   楽しみながら日を送るべし」ということにならねばならんです。

   何人もここに一思案、一工夫なかるべからずであります。

   昔流行した俗謡に

   「泣いて暮らすも五十年、笑うて暮らすも五十年、泣いて暮らすも笑うのも、
   心一つのおきどころ」

   というのがあるが、この俗謡が要点をつくしているといえましょう。

   つまり人生を楽しいものにするのも、人生を悲しいものにするのも、
   各人の心次第というわけですね。

・・・

(3)【 4月26日 】仕事の意義を知る

   自分のなすべき仕事の意味をよく知り、
   その意義の大きなことがよく分かったら、
   仕事は次つぎと果たしていかれるはずであって、
   そこにこそ、
   人間としての真の修養があるとも言えましょう。

   否、極言すれば、
   人生の意義などといっても、
   結局この点を離れては空(くう)となるのではないでしょうか。

   また実にそこまで深く会得(えとく)するのでなければ、
   仕事を真にとどこおりなく処理していくことは、
   できまいと思うのです。

・・・

(4)【 4月26日 】 どんな人にも、世界一の能力がある

   「どんな人でも、世界一の能力を一つは持っている」

   幸之助が言うと、不思議にも信じてしまいます。

   私たちの先祖を五一代さかのぼると、
   二二五一兆七九九八億一三六八万五三八六人の両親に辿り着きます。
   この膨大な遺伝子、DNAを私たちは受け継いでいるのです。

   世界一の能力は、一つどころか幾つも持っているはずです。

   幸之助は「人は崇高にして、偉大な存在なのだ」と言いきっています。

・・・

(5)【 4月26日 】 《こちらから》

   こちらからあたまをさげる
   こちらからあいさつをする
   こちらから手を合わせる

   こちらから詫びる
   こちらから声をかける

   すべてこちらからすれば
   争いもなくなごやかにゆく

   こちらからおーいと呼べば
   あちらからおーいと応え

   赤ん坊が泣けばお母さんが飛んでくる

   すべて自然も人間も
   そうできているのだ

   仏さまへも
   こちらから近づいてゆこう
   どんなにか喜ばれることだろう

・・・

(6)《26日 本当の自由》

   吾々は”無限”を求める存在であると同時に”自由”を求める存在である。
   何故(なぜ)なら人間は神の自己顕現であり、
   本来”無限の自由”を内に蔵するからである。

   「自由」を、何か自分を縛る物を破壊することだ、と考える人があるが、
   本当の自由は、そのような対立的観念、相対的な物の考え方では
   得られるものではないのである。

   本当の自由は「絶対者」となることによってのみ得られる。
   自分が神の自己顕現であるとの悟りによってのみ得られるのである。

   それ故に本当の自由は、神想観によってのみ得られる。
   何故(なぜ)なら吾々は神想観によって自己が神と一体であり、
   絶対者と一体であり、環境とか外物とか見えるものも「他物」ではなく
   自己の心の顕現であると悟ることができるからである。

   それだから神想観は真に最高の尊き神人合一の行事であると共に、
   何人(なんぴと)も”本当の自由”を求むる限り修しなければならない
   修行であって、生易しいものではないのである。

          谷口雅春著『生活の智慧365章』
           (第3部歓喜の泉)第4篇(P111~112) より

           <感謝合掌 平成31年4月26日 頓首再拝>

賢者の一日一言《27日》 - 伝統

2019/04/27 (Sat) 17:29:07


(1)【 4月27日 】 善き種をまけ

   米まけば米の草はえ米の花

      さきつつ米のみのる世の中

                (二宮翁道歌)

   【略解】

   米の種をまけば米の草はえ、
   米の花咲き、米の実がなる。

   このように、
   善き種をまけば、
   善き草がはえ、
   善き花が咲いて、
   善き実りがある。

   すべて種どおりの実りがある。

・・・

(2)【 27日の生活標語 (解説) 】

   《善事をして他人に認められぬのを憂えるな。
    善事をなし得る自分であることを喜べ。》


   善事をした時には誰にほめられなくとも、気持のよいものです。
   その反対に悪事をした時には、誰に気づかれなくとも気持の悪いものです。

   どんな《やくざ》とか悪党とかいわれる者にも、この気持は必ずあります。
   これは人の本性が善であることの証拠です。

   (中略)

   善事をして認められず、或はほめられないままだと、
   その善事は神仏の帳面にいつまでも残っていて、つまりその人の
    ―― 天に於ける倉がそれだけ満たされていて ―― 
   いつかそれが善果となって現われます。

   善事をして多くの善根(善因)を積んでおくということは、
   絶対絶命の場合にのぞんだ時、非常に心強いことです。

   (中略)

   お互いにいくら善事をしても、それを片っぱしから忘れるほどの偉大さを持ちたい。
   或は一々覚えてなどいられぬほどの沢山の善事を、毎日なし得る人でありたいですね。

・・・

(3)【 4月27日 】目下への謙遜

   謙遜は、
   ひとり目上の人とか、
   ないしは同輩に対して必要なばかりでなく、

   むしろそれらの場合以上に、
   目下の人に対する場合に必要な徳目だとも言え一えましょう。
 

・・・

(4)【 4月27日 】 宇宙根源の法則とは

   朝になると太陽が東に昇り、夜には西に沈む。
   また、翌日もこれを繰り返す。

   春の次には夏が来て、秋となり冬となる。
   そして、また春を迎える。

   この自然の法則を、幸之助は、

   「宇宙根源の法則」と名づけて、
   「すべての生命の開花の源」と考えたのです。

   すべては生成発展しているのです。

・・・

(5)【 4月27日 】 《若さ》


   若さというものは
   顔ではない
   心だ

   未来への願いを持って
   今日を生きる
   それが真の若さだ

・・・

(6)《27日 人生誕生の輝かしい使命》

   生命の進化と云うことは、個生命の発現によってのみ可能なのである。

   宇宙大生命が如何に荘厳に宇宙に充ち満ちていようとも、
   若し「個生命」が発現しなかったなら、
   何処にも進化ということは得られないのである。

   この事はいみじくも、神には個生命必要だということをあらわしているのである。
   まことに神には人間という自意識をもった個生命が必要であり、
   それによってのみ「本当の自由」を体験し得給うのである。

   若し人間が宇宙に誕生しなかったならば、
   どんなに日月星辰(じつげつせいしん)が宇宙を荘厳に運行しようとも、
   草木鳥獣が美しき姿をあらわそうとも、それは単に機械的に運行しているか、
   本能によって、自由なしに、美しさをあらわしているに過ぎないのである。

   宇宙に人間が誕生した事によってのみ、神は神御自身が人間と現れて、
   意識的な自由を体験し得給うのである。

   人間の使命の偉大なることはこれによっても明らかである。
   神は人間なくして生長も進歩も自由も体験することができないのである。

         谷口雅春著『生活の智慧365章』
         (第3部歓喜の泉)第4篇(P112~113) より

           <感謝合掌 平成31年4月27日 頓首再拝>

賢者の一日一言《28日》 - 伝統

2019/04/28 (Sun) 20:39:32


(1)【 4月28日 】 里正の任

   里正(しょうや)たるものは細民に先立ち
   艱難(かんなん)をなむぺきの任なるが故に、
   細民安んずることを得ばその後に汝の望みも為し与ふべし。

   然らば邑民(ゆうみん)の怨望何に由って生ぜん。
   誰か汝の行ひを非とせんや。
                        (報徳記)

   【略解】

   横田村の里正円蔵に諭されたもので、
   円蔵大いに感激し教えに従われました。
    (邑民とは村人のこと)

・・・

(2)【 28日の生活標語 (解説) 】

   《良人やわが子を毎日笑顔で送り出せ。》

   朝家庭で爭いをした人は、大抵その日の仕事の成績が悪い。

   或る工場で調べたところによると、
   工場で怪我をする者の八割は、出勤前に爭いをした者であったという。


   人間は感情の動物であるから、朝出る時に不愉快な思いをすると、
   それが仕事を終えて帰るまで、頭に残っています。

   出かけの不愉快な思いを心の中でむし返しながら、仕事をしていれば、
   良い成績があがるはずがないのです。


   そこで良き主婦は勿論、良き家人は、出かける人に不愉快を与えぬよう、
   注意を怠ってはならぬのです。

   
   外出する者は出先きで上役や、他人からつらく当られるのを堪える辛抱や、
   仕事の上での他との折衝にも、楽でないこともある。

   それらを思えば家庭に残る者が、出かける者を毎日笑顔で送り出せぬことはないはず。
   しかもこれが結局一家和合、一家繁栄の途なのであります。

・・・

(3)【 4月28日 】目下の人の信頼を得る

   人間というものは、
   自分より目下の人から、
   思いやりのある人と慕われるような人間になるということ、
   必ずしも容易なことではないわけです。

   これは立場をかえて、
   諸君ら自身が下級生から見られた場合、
   果たして懐かしまれ尊敬せられているか、
   それとも煙たがられているかということを、
   一つ自惚(うぬぼ)れ心をを去って孝えてみるがよいでしょう。

・・・

(4)【 4月28日 】 チャンスは見えないもの

   研修は新入社員の特権です。
   こんな仕事を一生続けるのかと、
   会社を辞める人が多いのはその単純な仕事の中に、
   多くのチャンスがあることを知らずにいるからです。

   チャンスはいつでもどこでも平等にやってくるもの。
   見えないチャンスをつかむのは、
   求める人だけに与えられる特権です。

・・・

(5)【 4月28日 】 《若い日の過ごし方》

   若い日をどこで、どう過ごすか、
   それは一人の人間の成長に、目覚めに、
   大きな力を与えるものである。

   九州生まれのわたしは、長い旅路の果て、
   母なる神の鎮まります伊勢で、
   人生のスタートを切ったのであるが、

   それは今のわたしを作る詩神の大きな恩寵であった。

・・・

(6)《28日 困難にいどむ》

   人間の自由は、彼が環境や境遇の奴隷でなくなったときにのみ得られるのである。

   環境がどうだから出来ないとか、
   こんな境遇では迚(とて)も思うようにならないとかいうのでは、
   環境や境遇の奴隷であって、

   自由の主体である“神の子”の自覚を得たものということが
   できないのである。

   もっと神想観をして絶対者との一体感を深めなさい。

   すべての環境・境遇は、
   その人が或る能力を発現さすための運動用具のようなものである。

   木馬や鉄棒(かなぼう)や平均台や吊環(つりわ)などは
   いずれも運動の選手がその能力を発現さすために
   是非無くてはならない環境又は境遇であるのである。

   運動の選手はみずからそのような環境・境遇の条件をもとめて、それを克服し、
   自由に肉体の運動美を発揮するための用具とするのである。

   このとき運動選手は主人公であり、自由の主体である。

   ところが学校の体操の時間に学生みずからはそんな運動をやりたくないのに課せられて、
   嫌々ながら、木馬の練習や鉄棒の練習をやらせられたとしたならば、
   学生は強制されたのであり、自由を奪われた訳である。

   同じ木馬や鉄棒で運動しながら前者は主人公であり、
   後者は自由を奪われた奴隷である。

   その相違はどうして生ずるか。

   人生の勝者となるものは受動を飜(ひるがえ)して、
   能動をすることにあるのである。

   常に受動である者は奴隷であり敗者であるが、
   能動的にみずから進んで困難にいどむ者は常に勝者であり、主人公であるのである。

        谷口雅春著『生活の智慧365章』
         (第3部歓喜の泉)第4篇(P113~114) より

           <感謝合掌 平成31年4月28日 頓首再拝>

賢者の一日一言《29日》 - 伝統

2019/04/29 (Mon) 21:56:38


(1)【 4月29日 】 己をすてて人を恵む

   岸右衛門曰く、
   教に随ひ欲を捨つること何をか先んぜん。

   曰く、
   汝の貯へ置きし金銀器財を出し窮民救助の用となせ、
   又田圃(たんぼ)悉(ことごと)く之をひさぎ代金となし之をも出すべし。

   私欲を去り、
   私財を譲り、
   邑民(ゆうみん)の為にカを尽すこと人事の善行豈(あに)是より大なるものあらん。

   人の人たる道、
   己をすてて人を恵むより尊きものはあらず。

   然るに汝旧来の所行、
   只我を利せんとする外他念なし。
                            (報徳記)
  

   【略解】

   と言われても岸右衛門はすぐには決せられませんでしたが、
   そこに先生の説諭と処遇の深遠さがありました。

・・・

(2)【 29日の生活標語 (解説) 】

   《不幸の原因を内に求めて反省する者は既にその不幸を越えた人である。》

   この一文は世に処するうえに於いて、非常に大切なことです。

   何か自分に不幸が起ると、巧みに理屈をつけて、
   その不幸の原因を他に転嫁することの名人がいます。
   その人は常に得をしているようですが、実は生涯栄えることのない人です。

   逆に、自分がこんな病気になるのは・・・或はこんな不幸な目に遭うのは、
   何か自分に間違ったところがあるに違いないと考える者は、
   やがて不幸の由来するところを探り知って、
   それを改めるから、不幸は消えて行く外はないのです。

   勿論自分でいくら考えても、不幸の原因に思い当らぬことがあります。
   その時は良師を尋ねて問うのです。むろん良師という者も容易にありませんが、
   しかしまごころをもって求めれば、今の世にも少なくはあるが良師がいます。

   その人達は掌を指すが如く、不幸の由来を教えてくれます。
   その教えに従って自分の行動を改めれば、不幸な境遇を脱し得るわけですね。


   元来人間という者は、何人も「天上天下唯我独尊」であり、
   大宇宙に鳴りわたるほどの偉大な可能性を持てる者であるから、
   わが身にかかる不幸を改める力は、本来自分に備わっています。

・・・

(3)【 4月29日 】尊敬する人は尊敬される人

   人々から尊敬されるような人は、
   必ず自分より優れた人を尊敬しているものです。

・・・

(4)【 4月29日 】 信用をつくる

   「君、信用が商売発展の基礎やいうこと覚えときや」
   若い私に幸之助が教えてくれたことです。

   ファクシミリの成功は、
   この信用を重んじたことから出来あがったのです。

   幸之助は自分だけ良ければいいというような経営者ではありません。
   全世界の人たちのために尽くす経営が信用を生んだのです。
   ファクシミリの国際規格が出来たのは幸之助のこの一念からです。

・・・

(5)【 4月29日 】 《不死身のしんみん》

   目が覚めたら「不死身のしんみん」「不死身のしんみん」と、となえることにした。
   一日でも一時間でも生きてゆくことが大切だと思ったからである。

   「お任せ致します」という他人ごとのような生き方では、ダメだと思ったからである。

   凡てのものは「伸びよう、伸びよう」としている。
   私も「生きよう、生きよう」と念じなければならない。

・・・

(6)《29日 良心の自己処罰》

   吾々が進んで他の対して善を為し、愛を行じ、人を救い、人を悟りに導くとき
   その人は主人公であり、その行動は“自由”の発露であり、
   “自由”の発露であるから喜びを感ずることができるのである。

   そしてあなたが施した善は必ず自分に還ってくるのである。
 
   MRAの信条の第一に「絶対正直」ということがあるが、
   吾々は他を欺(あざむ)けば、それは必ず自分に返って来るのである。
   欺きが自分に返って来るならば、他を欺くことその事が自己を欺きつつあるのである。

   吾々の潜在意識は一種のテープレコーダーであって、他を欺いて、
   顔を拭って涼しい顔を装っていても自分は常に自己の内で鳴り響いているので、
   他からその類似のものを引き寄せて自己がまた欺かれることになるのである。

   嘘発見機がその人の嘘をグラフに捉え得るように
   人間は他を欺いても自己を欺き得ず良心が常に自己を審(さば)いていて
   自己処罰して自己を不幸に陥れるのである。

          谷口雅春著『生活の智慧365章』
           (第3部歓喜の泉)第4篇(P114~115) より

           <感謝合掌 平成31年4月29日 頓首再拝>

賢者の一日一言《30日》 - 伝統

2019/04/30 (Tue) 19:17:52


(1)【 4月30日 】 永続の根本

   汝等世人の飢渇を察し、
   朝は未明に起きて縄をなひ筵(むしろ)を打ち、
   来歳十分の作を得ば毎家いよいよ永続の根本となり、
   天災変じて大幸となるべし、
   必ず怠るべからずと教ふ。

   三邑の民大いに感動し、
   専(もっぱ)ら家業を勤み又一段の福(さいわい)を得たりと云う。

                               (報徳記)

   【略解】
 
   先生は、
   天明以来の飢饉の凶荒を予知せられ、
   各戸に稗(ひえ)を植えて、
   飢渇をまぬかれました。

   なおその上に日常実践の心得を説かれたのです。

・・・

(2)【 30日の生活標語 (解説) 】

   《取越苦労や持越苦労をするな。一日の重荷はその日だけでおろしてしまえ。》

   人間は取越苦労をしはじめると、いくらでも心配なことがあります

   「心配したってどうなるものでもない」と思いながら心配せずにはいられぬのが、
   人間の弱さであります。

   取越苦労をする人間の弱さを、先きを楽しむ人間の強さに変えるものは、
   神の大愛に対する信仰であります。

   ついでながら持越苦労ということも、取越苦労と同様に、私達の身心を疲れさせます。
   持越苦労とは、既に過ぎ去った不快な事をいつまでも心頭において、自ら苦しむことです。

   「あの時にあそこへ行かなかったら・・・とか、
   「あの時にあんなにおかねを使わなかったら・・・」とか、

   「あのおかねが今あったら・・・」とか、
   「あそこで惜しいことをした・・・」とか、
   「あの時にこういってやればよかった・・・」とかいうが如くに、

   取返しのつかぬことを繰返して、悔んだり悲しんだりするのは、愚痴だと思いながら、
   なかなかやめられぬものですが、そんな時には「あれが厄落しであったのだ」と考え、
   それで悪業が切れたことを喜ぶようにして、愉快に明日へ進むべきです。

・・・

(3)【 4月30日 】親切を受ける

   人の親切に対しては、
   いい気になって甘えたりして、
   もたれてもいけないが、
   さりとてむげにこれを退けるのも本当ではない。

   そこで人様の親切は、
   ありがたくやお受けするということが大切でしょう。

   ところが、
   このお受けするということは、
   自己が確立していないとなかなかできないことでしす。

・・・

(4)【 4月30日 】 人間だけに与えられた無限の宝

   「感謝の心、奉仕の心は、
   人間だけに与えられた無限の宝だと思う。
   今日一日、
   この宝で、ありがとう経営に徹したい」

   事業経営で大切なのは、心の高貴さです。
   どんなに才能があっても心が貧しくては成功しないのです。

・・・

(5)【 4月30日 】 《願い》

   花になろう
   実になろう

   喜ばれる
   人間になろう

・・・

(6)《30日 念(おも)った通りになる》

   彼を悪人と審(さば)いたとき、自分が悪人となっているのである。
   少なくとも其の審く人の心は地獄の鬼と化しているのである。

   雇主は雇人をよく働く人にも、懶(なま)ける人にも、
   嘘告(うそつき)にも、正直な人にも、自分の想う形にすることができるのである。

   催眠術家が相手に対(むか)って「汝は眠くなる」と念ずれば、相手が眠ってしまうように、
   雇主は雇人にたいして「お前は蔭日向(かげひなた)なしに克(よ)く働く」と念ずれば、
   その雇人は本当に蔭日向なく忠実に主人のために働くのである。

   「どうせ自分が見張りをして居ないと、こいつは懶(なま)けて仕方がない」と
   主人公が念ずると、その通り雇人は懶(なま)けるようになる。


   親が子供に対するのも同じことである。

   「うちの子は中々勉強しないから、勉強するように見張っていなければならない」と
   母親が子供のことを思い詰めていると、見張っていても中々
   その子供は勉強しないし、

   「うちの子供は神の子だからほっておいてもよく勉強する」と
   母親が念じていると本当に子供は放っておいてもよく勉強するのである。

   心は通ずるものである。
 
   「思う通りにならぬ」場合があるのは「表面の心」は兎も角、
   潜在意識の中に「思う通りにならぬ」という念(こころ)が鳴り響いていて
   その通りになっているのである。

         谷口雅春著『生活の智慧365章』
         (第3部歓喜の泉)第4篇(P115~116) より

           <感謝合掌 平成31年4月30日 頓首再拝>

名前
件名
メッセージ
画像
メールアドレス
URL
編集/削除キー (半角英数字のみで4~8文字)
プレビューする (投稿前に、内容をプレビューして確認できます)

Copyright © 1999- FC2, inc All Rights Reserved.